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1 某巡査の重婚的「婿入」

 鷗外森林太郎の小説『雁』(1911-1915年)のヒロインである玉は,岡田医学生と淡い交渉を持った1880年(明治13年)の段階(「古い話である。僕は偶然それが明治13年の出来事だと云ふことを記憶してゐる。」)において,貸金業者の末造の妾でありましたが,飽くまでも妾にとどまる限りにおいては,末造と婚姻していたものではありません。しかしながら,末造の妾になる前に,玉には某巡査が「婿」としてやって来ていたという事情がありました。当該事情は下記のとおりですが,玉は法的には,未婚であったのでしょうか,それとも元・人妻となったものだったのでしょうか。

 

  或る時〔飴細工屋の爺いさんの家の〕入口に靴の脱いであるのを見た。それから間もなく,此家の戸口に新しい標札が打たれたのを見ると,巡査(なん)何某(なにがし)と書いてあつた。末造は松永町から,(なか)(おかち)(まち)へ掛けて,色々な買物をして廻る間に,又探るともなしに,飴屋の爺いさんの内へ婿入(むこいり)のあつた事を(たしか)めた。標札にあつた巡査がその婿なのである。お玉を目の(たま)よりも大切にしてゐた爺いさんは,こはい顔のおまはりさんに娘を渡すのを,天狗にでも(さら)はれるやうに思ひ,その婿殿が自分の内へ這入り込んで来るのを,此上もなく窮屈に思つて,平生心安くする誰彼に相談したが,一人もことわつてしまへとはつきり云つてくれるものがなかつた。〔中略〕末造が此噂を聞いてから,やつと三月ばかりも立つた頃であつただらう。飴細工屋の爺いさんの家に,ある朝戸が締まつてゐて,戸に「貸家差配(さはい)松永町西のはづれにあり」と書いて張つてあつた。そこで又近所の噂を,買物の(ついで)に聞いて見ると,おまはりさんには国に女房も子供もあつたので,それが出し抜けに尋ねて来て,大騒ぎをして,お玉は井戸へ身を投げると云つて飛び出したのを,立聞をしてゐた隣の上さんがやう〔やう〕止めたと云ふことであつた。おまはりさんが婿に来ると云ふ時,爺いさんは色々の人に相談したが,その相談相手の中には一人も爺いさんの法律顧問になつてくれるものがなかつたので,爺いさんは戸籍がどうなつてゐるやら,どんな届がしてあるやら,一切無頓着でゐたのである。巡査が髭を(ひね)つて,手続は万事己がするから好いと云ふのを,少しも疑はなかつたのである。

  (『鷗外選集第3巻 小説三』(岩波書店・1979年)216-217頁)

 

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令和の御代となっては遅蒔きながら,玉と某巡査との婚姻の成否について考えてみましょう。当該「婿入」騒動があったのは,明治11年か12年(1878-1879年)の頃のことであったとの前提での解説です。

 

2 重婚の許否の問題

まず,前回記事(「令和4年法律第102号による改正後の民法773条における「第732条」出現の「異次元」性に関して」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080634730.html)以来の問題である重婚の許否について検討します。

1888年(明治21年)の旧民法人事編第一草案41条は「配偶者アル者ハ重ネテ婚姻ヲ為スコトヲ得ス」と規定していますが,熊野敏三起稿の理由書には「本条ハ重婚ヲ禁スルモノニシテ一夫一婦ノ制ニ帰着スルモノナリ此規則ハ或ハ旧来ノ慣習ニ反スルヤ知ルヘカラスト雖モ刑法中重婚ヲ罰スレハ既ニ之ヲ一変シタルモノト云フヘシ」とあります(『明治文化資料叢書第3巻 法律編上』(風間書房・1959年)63頁)。ここでの「刑法」は,1882年(明治15年)11日から施行された(明治14年太政官第36号布告)旧刑法(明治13717日太政官第36号布告)のことになります。旧刑法354条は「配偶者アル者重()テ婚姻ヲ為シタル時ハ6月以上2年以下ノ重禁錮ニ処シ5円以上50円以下ノ罰金ヲ附加ス」と規定していました(重禁錮は禁錮場に留置し定役に服せしめる刑です(同法241項。他方,定役に服さないのが軽禁錮でした(同項)。)。)。

熊野の口吻を反対解釈すると我が国の「旧来ノ慣習」はあるいは重婚制であったということになるようですが,ボワソナアドは,重婚(bigamie)の罪は日本社会では稀であり(raretéであるとされています。),その民俗(mœurs)は重婚に赴かせしめるものではないと観察していたところです(cf. Gve Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accmpagné d’un Commentaire, Tokio, 1886, p.1045)。稀ではあるが,重婚はあることはあった,ということになるようです。

梅謙次郎に至ると,きっぱりと,「蓋シ我邦ニ於テハ既ニ千有余年前ヨリ此〔一夫一婦の〕主義ヲ認メ敢テ一夫多妻若クハ一妻多夫ノ制ヲ取ラス」と述べています(梅謙次郎『民法要義巻之四 親族編(第22版)』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1912年(初版1899年))90頁)。民法(明治31年法律第9号)旧766条(「配偶者アル者ハ重ネテ婚姻ヲ為スコトヲ得ス」)の草案は18951122日の第139回法典調査会で審議されましたが,そこで参照条文等として掲げられたものは,我が国法関係では,旧民法人事編(明治23年法律第98号)31条(「配偶者アル者ハ重()テ婚姻ヲ為スコトヲ得ス」),旧刑法354条,戸婚律有妻更娶条,和娶人妻条,応政談,御定書百个条48(密通御仕置之事),明治8128日司法省指令,明治9623日太政官指令1条及び明治9717日「内務省1」となっています(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第46巻』91丁表)。これらの条文等が我が国における一夫一婦制の伝統を基礎付けていたのだ,ということでしょう。

 

 今日本に於ける沿革を案ずるに戸婚律に(第1)有妻更娶条(第2)和娶人妻条ありて配偶者ありながら他人と婚姻する者を罰し其婚姻を無効とせり。新律綱領,改定律(ママ)には明文なし。故に人の妻を娶るも罪なきに非さるやの疑を生するも実際は不応為罪中に之を含みたり。明治8128日司法省指令に由れば妻ある夫更に婚姻(ママ)ば不応為罪の重きに依て処断す。後婚の婦女其情を知らば同罪とすとあり。徳川時代に於ては百ヶ条に「密通致し候妻死罪,密通之男死罪」と規定したり。

 (中村進午『親族法』(東京専門学校・1899年)82頁)

 

 明治8年(1875年)128日司法省指令の事案は,玉と某巡査との事件と同型ですね。

 明治9年(1876年)717日「内務省1」の内容は筆者には調べがつかなかったのですが,同年623日の太政官指令1条は,18749月に夫が逃亡してしまったので妻が姑及び実家の父らに勧められてN松と「再婚」したところ,後に事実が当局に露見して187511月に妻の実父らはそれぞれ処分され,かつ,N松とは離隔せられたものの,18761月に妻が出産してしまった「後婚」の子を戸籍上どう取り扱うかについての回答であって,「子ハ双方ノ協議ニ任セ男又ハ女ニテ(ひき)引取(とりをなし)男ニテ引取候ハ庶子女ニテ引取候ハ私生ノ子ト記載スヘキ事」というものでした。N松との「後婚」は一妻多夫の重婚として無効なので,生まれた子は嫡出子にはならず(なお,同児は187511月の「離隔」前に懐妊されているところ,重婚も取消しまでは有効であって,かつ,取消しの効果は遡及しないとの現行民法(明治29年法律第89号)744条及び7481項の主義であれば,嫡出子たり得たところでしょう(同法7721項及び2項後段参照。また,旧民法人事編66条(「無効ノ言渡アリタル婚姻ハ子ニ付テハ其出生ノ婚姻前後ナルヲ問ハス法律上ノ効力ヲ生ス」))。),N松が認知(引取り)をすればその庶子となるが,そうでなければ(女ニテ引取の場合)父の知れない私生子であるということでしょう。

 不応為罪は,明治三年十二月二十日(187129日)の新律綱領の巻5雑犯律に「凡律令ニ正条ナシト雖モ情理ニ於テ為スヲ得()ヘカラサルノ事ヲ為ス者ハ笞30事理重キ者ハ杖70」との規定があったものです。罪刑法定主義(旧刑法2条「法律ニ正条ナキ者ハ何等ノ所為ト雖モ之ヲ罰スル(こと)ヲ得ス」)もあらばこそです。30及び杖70の刑は,明治6年(1873年)710日から施行の改定律例(明治6613日太政官第206号布告)によって,それぞれ30日の懲役及び70日の懲役に改められています(なお,改定律例は,新律綱領を廃止するものでも全部を改正するものでもなく,補充するものでした。)。ただし,玉の「婿」の某巡査は官吏でしょうから(「上は君主より下は交番の巡査に至る迄」いずれも国家機関である,とは美濃部達吉の不敬的かつ有名な表現です。),改定律例23条又は(平民の場合)24条の適用があり(重婚は,公務に係る公罪ではなく私罪でしょう。),重婚に係る不応為罪を犯したとしても,懲役70日ではなく,官吏私罪贖例図に照らして贖金1050銭に処せられるべきものだったのではないでしょうか(なお,等外吏ではなく,それより一つ偉い判任官であれば14円)。

 

3 婚姻の成立の問題

 次に重婚の成立,すなわち婚姻は何をもって成立することとされていたかの問題があります。

 「徳川時代の厳格なる用語にては,婚姻(〇〇)というは夫婦の関係を発生すべき祝言(〇〇)()挙行(〇〇)なり。而してこの婚姻を挙行する契約は即ち縁談取極にして,これは結納(〇〇)()授受(〇〇)に依りて成立するものとす」(中田薫『徳川時代の文学に見えたる私法』(1956年(岩波文庫版1984年))130頁),「江戸時代においては,武士と庶民とで違ったようであり,武士についての幕府法によると,双方の当主(戸主のようなもの)からそれぞれ幕府に縁組願いを出して許可を得た後に結納の授受と婚儀の挙行によって婚姻が成立し,その後その旨の届出を要し,庶民については,社会的には結納の授受と祝言の挙行が行われたが,法律上は変遷があり,末期には人別帳(当時の戸籍)に記載することを要した。」(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)56頁)というような状況であったところ,明治に入って,明治三年十一月四日(18701225日)に太政官から縁組規則(明治三年太政官第797号布告)というものが出ます。

 

  一華族ハ太政官ヘ願出士族以下ハ其管轄府藩県ヘ(ねがい)願出(いづべき)

  一華族士族取結候節ハ華族ハ太政官ヘ願出士族ハ其管轄官庁ヨリ太政官ヘ伺済ノ上可差許(さしゆるすべき)

  一府藩県管轄違ニテ取結候節ハ士族卒平民タリトモ双方ノ官ニテ聞済互ニ送リ状取替シ(もうす)(べき)

  右之通被定(さだめられ)候事

 

藩の字が出て来ますが,明治三年段階では,前年に版籍奉還はされているものの,なお廃藩置県はされていなかったところです(廃藩置県の詔書が出されたのは,明治四年七月十四日(1871829日)のことでした。)。

華族令(宮内省達)が出て五爵の制が定められたのは明治17年(1884年)77日のことですが,明治二年の版籍奉還の段階での「華族」は,それまでの公卿・諸侯の称を改めたものです。

明治三年の縁組規則は,翌明治四年四月二十二日(187169日)の太政官第198号布告で早速改められます。

 

 昨冬十一月御布告縁組規則中管轄違ニテ取結候節ハ士族卒平民トモ双方官庁ニテ聞済送リ状取替候様御達ニ相成居候処平民ハ不及其儀(そのぎにおよばず)今般御布告ノ戸籍法第5則ノ通可相(あひここ)心得(ろうべく)此段更ニ相達候事

 

 明治四年四月四日(1871522日)の太政官第170号布告たる戸籍法の第5則は,次のとおりです。

 

  編製ハ爾後6ヶ年目ヲ以テ改ムヘシト雖モ其間ノ出生死去出入等ハ必其時々戸長ニ届ケ戸長之ヲ其庁ニ届ケ出テ支配所アルモノハ支配所ニ届支配所ヨリ其庁ニ届ク其庁之ヲ受ケ人員ノ増減等本書ヘ加除シ毎年十一月中戸籍表ヲ改メ十二月中太政官ヘ差出スヘシ加除ハ生ルモノト入ルモノヲ加ヘ死者ト出ルモノヲ除ク類ヲ云フ

 

平民については「今般御布告ノ戸籍法第5則ノ通可相(あひここ)心得(ろうべく)」ということですから,平民の婚姻等については府藩県への願い出(及び当該府藩県からの許可)を要さず,戸長への報告的届出のみでよい,ということでしょうか。江戸時代の制とほぼ同様,ということになるのでしょう。

ただし,学説上「明治四年の戸籍法により,戸(ママ)への届出が婚姻の成立要件となったとする説」があるそうです(星野57頁)。しかし,明治四年太政官第170号布告戸籍法の趣旨については「戸籍人員ヲ詳ニシテ猥リナラサラシムルハ政務ノ最モ先シ重スル所ナリ夫レ全国人民ノ保護ハ大政ノ本務ナル(こと)素ヨリ云フヲ待タス然ルニ其保護スヘキ人民ヲ詳ニセス何ヲ以テ其保護スヘキヿヲ施スヲ得ンヤ是レ政府戸籍ヲ詳ニセサルヘカラサル儀ナリ又人民ノ各安康ヲ得テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ政府保護ノ庇蔭ニヨラサルハナシ去レハ其籍ヲ逃レ其数ニ漏ルモノハ其保護ヲ受ケサル理ニテ自ラ国民ノ外タルニ近シ此レ人民戸籍ヲ納メサルヲ得サルノ儀ナリ」とあるので,同法は,人民間における親族関係の私法的規整には直接の関心はなかったように思われます。

なお,明治四年戸籍法においては「届出をなすべき者は規定されていないが,戸主であることは常識として明文を待たぬ公理だったと指摘されている(福島正夫・「家」制度の研究資料篇一(195940-41頁)」そうです(二宮周平編集『新注釈民法(17)親族(1)』(有斐閣・2017年)3-4頁(二宮周平)。また,同81頁(二宮),谷口知平『戸籍法』(有斐閣・19577)。

明治四年八月二十三日(1871107日)太政官第437号布告によって,諸身分間の通婚が自由化されます。

 

 華族ヨリ平民ニ至ル迄互婚姻被差許(さしゆるされ)候条双方願ニ不及(およばず)其時々戸長へ可届出(とどけいづべき)

  但送籍方ノ儀ハ戸籍法第8則ヨリ11則迄ニ照準可致(いたすべき)

 

しかし,戸長への婚姻の届出は励行されなかったようです。

明治8129日の太政官第209号達(使府県宛て)は,次のように定めます。

 

 婚姻又ハ養子養女ノ取組若クハ其離婚離縁縦令(たとひ)相対熟談ノ上タリ𪜈(とも)双方ノ戸籍ニ登記セサル内ハ其効ナキ者ト看做スヘク候条右等ノ届方等閑ノ所業無之(これなき)(やう)精々説諭可致置(いたしおくべく)此旨相達候事

 

 この明治8年太政官第209号達についての重要な解釈を示す司法省達があります。明治10619日司法省丁第46号達(大審院・上等裁判所・地方裁判所宛て)です。

 

 8年第209号御達ノ儀ニ付有馬判事ヨリ甲号ノ通伺出ニ因リ乙号ノ通太政官ヘ上申候処丙号ノ通御裁令相成候条此段為心得(こころえのため)相達候事

   甲号  (ママ)律伺

 明治8年第209号公布婚姻又ハ養子養女ノ取組若クハ其離婚離縁縦令(たとひ)相対熟談ノ上タリトモ双方戸籍ニ登記セサル内ハ其効ナキ者ト看做ス可ク云々ト有之(これあり)候付テハ双方父母親属熟談ノ上人ノ妻トナリ男女ノ子アル者ト雖𪜈(とも)戸籍ニ登記無之(これなき)者ハ犯姦告訴等ノ節無論(ろんなく)処女ト看做シ処分致ス儀ニ可有之(これあるべく)尤右ノ者夫又ハ夫ノ祖父母父母ヲ謀殺故殺殴傷罵詈等ニ至ル迄総テ凡人ヲ以テ論シ且人ノ養子女トナリテ同居シ実際親子ノ会釈ヲ為ス者ト雖モ前同断ノ者ハ皆凡人ヲ以テ処分致シ可然(しかるべき)()已ニ戸籍法規則確定ノ上ハ婚姻又ハ養子女等其時々送籍等ヲ不為(なさざる)者ハ無之(これなき)筈ニ候得共(さうらへども)辺土僻隅ノ愚民(ママ)ニ至テハ絶テナシトモ難確定(かくていしがたく)候付(さうらふにつき)犯者アルニ臨ミ実際ト条理上ト不都合(しよう)(ずべき)有之(これある)関係不尠(すくなからず)(いささか)疑義ヲ生シ候条(あらかじ)メ御指揮ヲ受置度(うけおきたく)此旨相伺候也

                       在宮崎県

                        七等判事有馬純行

     明治9418

              司法卿大木喬任殿

   乙号  太政官ヘ上申

 婚姻又ハ養子女ノ取組若クハ離縁等ノ儀ニ付テハ8年第209号ヲ以テ使府県ヘ達セラレタリ然ルニ該達ハ文意稍々明確ヲ欠キ或ハ宮崎県伺ノ如キ疑団ヲ生スルアリト雖𪜈(とも)篤ト該達ノ文意ヲ熟案スルニ仮令ヒ相対熟談ノ上タリ𪜈(とも)云々ノ文字アリテ既ニ其婚姻ヲ行ヒ夫婦ト為リタル者ヲ指的スルニアラス其主意ヲ約言スレハ婚姻養子ノ取組等ヲ為スニ当リ双方ノ熟談ノミニテハ一概ニ之ヲ夫婦父子ト見ル可カラサル旨ヲ示シタルモノナリ(尤モ最初該達施行ノ際ハ此ノ辨明ト其旨意ヲ異ニセシヤモ知ル可カラサレト今日ノ日法律ノ改良修正ヲ要スルニ当テハ成ルヘク旧法ヲ破毀セス之カ辨明ヲ以テ其効ヲ得シムルヲ良トス)然ルニ若シ之ヲ以テ既ニ婚姻ヲ行ヒ親族隣里モ之ヲ認許セシ者ニ適用シテ凡人ヲ以テ処分スルハ実ニ人類社会ノ根本タル一家親族ノ大倫ヲ乱スヘキ法律ト云ハサルヲ得ス

 別紙有馬判事伺ノ如キ其実明々タル夫婦親子ニシテ独リ戸籍ノ登記ヲ欠ク者若シ謀殺故殺犯姦等ノ(こと)アランニ凡人ヲ以テ之ヲ論セン()是レ其形ヲ論シテ其実ヲ論セサル者大ニ法律ノ原旨ニ悖戻スト謂フ可シ

 然リト𪜈(とも)其戸籍登記ノ届ヲ為サヽル情実ニ因リ元ト其婚姻等ノ成リ立タサル不良ノ所為アルモノハ其効ヲ失ハシムル者モ之レアルヘシ因テ別紙ノ通指令可及(におよぶべし)ト存候且左ノ指令案ノ趣旨ニ従ヒ各裁判所ヘ念ノ為メ本省ヨリ布達ニ及ヒ(たく)此段相伺候条早速御裁令相成(たく)存候也

   丙号  太政官ヨリ御指令

 伺ノ趣8年第209号ノ諭達後其登記ヲ怠リシ者アリト雖モ既ニ親族近隣ノ者モ夫婦若シクハ養子女ト認メ裁判官ニ於テモ其実アリト認ムル者ハ夫婦若シクハ養父子ヲ以テ論ス可キ儀ト相心得ヘシ

 

 明治8年太政官第209号達と明治10年司法省丁第46号達との関係について,梅謙次郎は次のように述べています。

 

  〔前略〕我邦ニ於テハ明治8年ノ達(8129日太政官達209号)ニ依リテ夫婦双方ノ戸籍ニ登録スルヲ以テ其成立条件トセリ然レトモ此達ハ殆ト実際ニ行ハレス刑事ニ於テハ夙ニ明治10年司法省達(10619日司法省達丁46号)ニ依リテ苟モ親族,近隣ノ者夫婦ト認メ裁判官ニ於テモ其実アリト認ムル者ハ夫婦ヲ以テ論スヘキモノトセリ爾来民事ニ於テモ此達ニ依レル例尠カラス而シテ実際ノ慣習ニ於テハ上流社会ト雖モ先ツ事実上ノ婚姻ヲ為シタル後数日乃至数月ヲ経テ届出ヲ為ス者十ニ八九ナリ況ヤ下等社会ニ在リテハ竟ニ届出ヲ為ササル者頗ル多シトス此ノ如キハ実ニ神聖ナル婚姻ト私通トヲ混同スルノ嫌アリテ到底文明国ニ採用スヘキモノニ非サルナリ

  (梅105-106頁)

 

梅は,「刑事ニ於テハ」と,明治10年司法省丁第46号達の適用対象を刑事に限定していますが,これは同達発出の端緒たる有馬純行判事の司法卿宛て伺いが,直接には,犯姦謀殺故殺殴傷罵詈等の刑事事件に係る擬律の取扱いに係るものだったからでしょう。しかし,太政官への上申中において司法省は,明治8年太政官第209号達について,「文意稍々明確ヲ欠キ」,「実ニ人類社会ノ根本タル一家親族ノ大倫ヲ乱スヘキ法律ト云ハサルヲ得ス」といった射程の広い批判を加えており,当該太政官達が刑事関係以外でもなお無傷で残り得るということは,なかなか難しいところだったでしょう。「民事ニ於テモ此〔司法省〕達ニ依レル例尠カラス」とは,当然の成り行きでしょう。

我妻榮は,明治8年太政官第209号達と明治10年司法省丁第46号達との関係について,「明治8年第209号達は法律婚主義(戸籍の届出)を宣言したが,後の明治10年司法省達丁第46号は,事実婚主義に復帰したようにも思われる。実際上も,その後,届出のない夫婦関係を保護した判決はすこぶる多い。しかし,右の二つの法令の関係――復帰とみるか二本建になったとみるか――については,学説が分かれている」と述べています(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)38頁註(2))。ここでの「二本建」説は――梅による明治10年司法省丁第46号達の性格付けを前提にする――民事と刑事との二本建てであるとなす説であって,民事において当該司法省達によってしまったのは例外的事態であると解するものでしょうか(なお,星野57頁は「裁判実務にも混乱が見られるようである」と言っていますが,二宮編81頁(二宮)は,「大審院は,〔明治10年司法省丁第46号達〕を民事事件にも適用していた」とあっさり言い切っています。)。

しかし,明治10年司法省丁第46号達を乙号部分に注目して読めば,当該達と明治8年太政官第209号達との整合性の確保を司法省は志向し,両者は民事及び刑事において統一的に解釈・適用されるべきもの(換言すれば,司法省達は「文意稍々明確ヲ欠」く太政官達を,否定(「破毀」)はせずにその欠缺を補充するもの)と考えていたように思われます。しからばその解釈とはどのようなものかといえば,婚姻及び縁組については,

 

 婚姻又ハ養子養女ノ取組は,縦令(a)両家戸籍届出権者を含めての相対熟談ノ上タリ𪜈(とも)(b)双方ノ戸籍ニ登記をし,又は(β)親族近隣ノ者モ夫婦若シクハ養子女ト認メ裁判官ニ於テモ其実アリト認められなければ,其効ナキ者ト看做ス

 

ということになるのだ,ということではないでしょうか。

 江戸時代でいえば,(a)は縁談の取極ということになりましょう。当該縁談取極においては,太政官達の戸籍登記本則主義を司法省が真っ向から否認しない以上,両家戸籍届出権者の同意は必須でしょう。(a)を前提に,そこに(b)又は(β)の要件が加わることによって婚姻又は縁組が有効に成立するものとするのが当時の司法省及び裁判所の公定解釈であった,と筆者は考えてみたいのです。これは,民刑事共通に適用されるところの法律婚主義(「届出ありさえすれば現実の共同生活なくしても身分関係が認められた」(谷口9))と事実婚主義との二本建て説ということになりましょうか。建物賃借権の対抗要件に係る不動産登記(民法605条)と引渡し(借地借家法(平成3年法律第90号)31条)との二本建て主義と何だか似てしまっています(「民法605条僻見(後編)」(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079742276.html)が不図想起されます。)。

 

4 当てはめ

 玉と某巡査との「婚姻」においては,「爺いさんは戸籍がどうなつてゐるやら,どんな届がしてあるやら,一切無頓着でゐたのである。」ということですから,(b)の要件は欠けていたようです(なお,婚姻それ自体については,明治21年(1888)段階の旧民法人事編第一草案の理由書において「殊ニ近時ニ至テハ其礼式大ニ破レ諾成ノ行為ト云フモ不可ナカラン」と観察されています(明治文化資料叢書361)。)。(a)の要件については,玉の父と某巡査との間では「おまはりさんが〔略〕,大きな顔をして酒を飲んで,上戸でもない爺さんに相手をさせてゐた間,まあ,一寸楽隠居になつた夢を見たやうなものですな」という情況だったそうですから(鷗外選集第3217-218頁),晩酌仲間の両者ともに戸籍届出権者であったのであれば,一応要件充足でしょうか。しかし,(β)の親族近隣ノ者モ夫婦ト認メ要件はどうでしょうか。確かに東京の練塀町(ねりべいちょう)下谷(したや)間にあった某巡査・玉の同居宅の「近隣」の人々は夫婦ト認め,玉の親族たる爺さんも同様だったのでしょうが,前婚の妻及びその子供を始めとする某巡査の親族側は,某巡査と玉とを夫婦ト認めるものでは全然なかったものでしょう。この要件は,上記(b)要件と共に未充足であったようです。

 そうであれば,玉は岡田を見知った時にはなお未婚であって,また,某巡査も玉との重婚に係る不応為罪を犯したわけではない,ということになるようです。

 とはいえ,玉は,末造の妾である限りにおいては,なお末造に対する守操義務があったようです。すなわち,改定律例260条は「凡和姦。夫アル者ハ。各懲役1年。妾ハ。一等ヲ減ス。〔以下略〕」と規定していたのでした。改定律例では,懲役1年の次は懲役100日であったようなので,一等ヲ減ぜられれば懲役100日となったものでしょうか。


DSCF2166
末造の妾宅があった無縁坂(左東京都台東区,右同文京区)


上野警察署(2)
上野警察署(1)
所轄の警察署

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1 「異次元の少子化対策」宣言

 岸田文雄内閣総理大臣は,今年(2023年)14日の伊勢神宮における年頭記者会見で,同年を「異次元の少子化対策に挑戦する」年としたいとの力強い抱負を述べられました。

異次元とは由々しい言葉です。これまでの常識を覆すような,行儀のよい保守派からするとスキャンダラスと指弾されるような「対策」が講じられるものかと緊張させられます。

しかし,続けて提示された三つの「対策の基本的な方向性」はどのようなものかといえば,「第1に,児童手当を中心に経済的支援を強化することです。第2に,学童保育や病児保育を含め,幼児教育や保育サービスの量・質両面からの強化を進めるとともに,伴走型支援,産後ケア,一時預かりなど,全ての子育て家庭を対象としたサービスの拡充を進めます。そして第3に,働き方改革の推進とそれを支える制度の充実です。」というものでした。より大きな財政赤字及び徴税並びに増額された社会保険料によって折角集めたお金を国民に撒き戻しつつ,関係省庁の関係業界を細やかな干渉を通じて助長する一方,従業員福祉を更に強化する実践及びその負担を企業に求めるということであれば,従来の政策次元の拡大延長面上にあるようでもあります。現状が既にスキャンダラスな衰退途下国においては,陳腐化した前例を同一次元において偸安的に踏襲することこそが,あるいは最悪のスキャンダルとなるかもしれません。

しかし,岸田救国内閣たるもの,謙虚を装いつつも,そのような因循姑息策にとどまることはあり得ません。別次元に飛び移るような爆発的な量的拡大による「異次元」化が意図されているのかもしれません。

 

2 民法新773条からの同法732条への脚光

 ところで最近筆者は,20221216日公布の令和4年法律第102号たる民法等の一部を改正する法律を研究していて,「実はこれが,岸田内閣からの隠された「異次元」メッセージなのではないか」などと不図妄想してしまう民法(明治29年法律第89号)の改正条項に逢着したのでした(当該改正は,202441日から施行されます(令和4年法律第102号附則1条本文,令和5年政令第173号)。)。

 

    (父を定めることを目的とする訴え)

 (現)第773条 733条第1の規定に違反して再婚をした女が出産した場合において,前条の規定によりその子の父を定めることができないときは,裁判所が,これを定める。

 

    (父を定めることを目的とする訴え)

 (新)第773条 732の規定に違反して婚姻をした女が出産した場合において,前条の規定によりその子の父を定めることができないときは,裁判所が,これを定める。

 

 民法732条は,重婚禁止の規定です(「配偶者のある者は,重ねて婚姻をすることができない。」)。

 これは,女性の再婚禁止期間を定める民法現733条が令和4年法律第102号によって削除され,かつ,同法によって民法772条の嫡出推定規定が整備されることに伴って現773条が不要となるはずのところ(人妻である彼女の前婚の解消又は取消しがあれば直ちに(再婚禁止期間なしに)人妻好き男性は当該彼女と婚姻できることになるのですから,「第733条第1項の規定に違反して再婚」をすることとなる女性はそもそもいなくなるわけです。),従来「重婚関係が存在する場合にも,〔嫡出〕推定重複の場合が生じうる。その場合にも,773条を準用(ママ)すべきである。」(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)218頁)とされて潜在していた重婚妻の生んだ子に係る現773条類推適用の必要性が,その背後にうまく隠れ得るとともに当該類推適用については抜かりなく可能であるものとしてくれていた773条の現行文言を失うことによってはしなくも表面化し,あからさまな適用規定たる新773条としてはしたなくも規定し直されたということになります。(202459日追記:令和4年法律第102号の立案御担当者の御説明は,「改正法では,女性の再婚禁止期間の廃止により,再婚禁止期間の定めに違反して再婚をした女性が出産すること自体がなくなるものの,重婚禁止の定めに違反して婚姻した女性が出産し,父性推定が重複することは今後も引き続き生じ得るため,父を定めることを目的とする訴えに関する規定を,重婚禁止の定めに違反して婚姻した女性が出産した場合に適用されるものであることを明確にする形で見直しています(773)。」というものです(佐藤隆幸編著『一問一答 令和4年民法等改正――親子法制の見直し』(商事法務・202497)。)

 

3 重婚の有効性

 重婚が成立してもそれは婚姻の取消事由にしかならず(民法744条。無効ではありません。「婚姻ヲ無効トスルハ重大ナル影響ヲ夫婦間ノ関係及ヒ其子ノ利害ニ及ホシ延イテ一家ノ浮沈ニモ関スルコト稀ナリトセサルカ故ニ苟モ利害関係人ノ請求ナキ以上ハ暫ク之ヲ黙認シ敢テ之ニ干渉セサルコトトセリ」と梅謙次郎は説明しています(同『民法要義巻之四 親族編(第22版)』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1912年)120頁)。),かつ,婚姻の取消しは将来に向かってのみ効力を有する(遡及効はない)のですから(同法7481項),確かに重婚夫婦から生まれた子は,後婚配偶者の子であっても,本来は堂々たる嫡出子たるべきものであるところです。婚姻が取り消されても「夫婦間ニ挙ケタル子ハ之ヲ嫡出子ト看做シ総テ嫡出子ノ権利義務ヲ有スル者トスル」わけです(梅139-140頁)。

 しかし,重婚の後婚も取消しまでは有効な婚姻である(ちなみに,重婚でない婚姻も所詮は離婚まで有効なものにすぎず,後処理は重婚中の後婚取消しの場合のそれと同様です(民法749条)。),ということを想起せしめる規定振りは,余りうまくないように思われます(「第732条」と具体的な条番号が書かれていても,条文に当らない者が大部分なのでしょうが,たまに筆者のように細かくうるさい人間もいます。)。民法現7331項違反であるならば所詮再婚禁止期間違反にすぎず(梅も「余ハ敢テ我邦ノ公安ヲ害スルモノト云フヲ得スト信ス」と言っています(梅112)。),また,妻の前婚解消後直ちにされたアウグストゥスとリウィアとの婚姻に係る前例(ちなみに,両者婚姻時,リウィアは離婚した前夫ティベリウス・クラウディウス・ネロとの間の子であるドルススを妊娠中でした。)もあって,激しい愛の情熱が二人を急がせてしまったのだということでなお許されるのでしょうが(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1048584997.html),重婚となれば,刑法(明治40年法律第45号)184条に拘禁刑(令和4年法律第67号の施行までは「懲役」)の規定のある堂々たる犯罪です。重婚の民法上の有効性を示唆してしまって横着者に高を括らせてしまうような規定は,避けるべしというのが立法技術上の美学ではないでしょうか。我が国の戸籍吏は戸籍制度を前提に民法740条に基づき真面目に確認を行うから同法732条違反の重婚となる婚姻の届出を受理することはあり得ないのだ,だから条文に当該文言があっても気にするには及ばないのだ,とは言い切れないでしょう。いわんや法の適用に関する通則法(平成18年法律第78号)24条が適用される婚姻がからむ場合においてをや(刑法184条は,日本国外でも日本国民には適用はされますが(同法35号),ボワソナアドの旧刑法(明治13年太政官布告第36号)354条(「配偶者アル者重子テ婚姻ヲ為シタル時ハ6月以上2年以下ノ重禁錮ニ処シ5円以上50円以下ノ罰金ヲ附加ス」)解釈に倣えば,重婚罪は継続犯ではなく,状態犯となります(Gve. Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire, Tokio, 1886, pp.1046-1047)。2年以下の拘禁刑が法定刑である場合,公訴時効期間は3年です(刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)25026号)。)。

 

  (重婚)

  〔刑法〕第184条 配偶者のある者が重ねて婚姻をしたときは,2年以下の拘禁刑に処する。その相手方となって婚姻をした者も,同様とする。

 

4 多夫の妻が生んだ子の父を定める訴え

 嫡出推定に係る民法新7721項(「妻が婚姻中に懐胎した子は,当該婚姻における夫の子と推定する。女が婚姻前に懐胎した子であって,婚姻が成立した後に生まれたものも同様とする。」)及び同条新3項(「第1項の場合において,女が子を懐胎した時から子の出生の時までの間に2以上の婚姻をしていたときは,その子は,その出生の直近の婚姻における夫の子と推定する。」)を重婚の場合に適用し,新773条を不要化できないかと考えても(すなわち,後婚の夫が父と推定されるものとする。),同時に2箇所で婚姻届が受理されて重婚が成立したとき(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)60頁の挙げる例)はどうするのだ,という問題が残ります。というよりも,そもそも,民法新773条の立案者は,新7723項の規定は重婚の場合には適用されないものと考えているのでした。すなわち,2021112日の法制審議会民法(親子法制)部会第21回会議に提出された「部会資料21-2 補足説明(要綱案のたたき台(1))」の7頁には,「母が離婚した後に再婚したところ,前婚の離婚が無効とされた場合は,重婚状態となる。そして,その状態で子が生まれた場合には,前婚の夫も再婚後の夫も,子の出生時に母と婚姻中となり,子の出生の直近の婚姻における夫として,いずれも嫡出推定が及ぶこととなる。」と記されていたところです。

 竹内まりや作詞・作曲(河合奈保子が歌ったのは1982年ですか。嗚呼昭和は遠くなりにけり。)の「けんかをやめて」状態的一妻多夫の重婚の場合,共通妻のために二人が争うことはもはやなくとも,子が生まれてしまうと今度はパパを決めるために,二人はやはり争わなければならないのでした(令和4年法律第102号による改正後の人事訴訟法(平成15年法律第109号)4522号及び3号(前婚の夫vs.後婚の夫)。ただし,子又は母が男たちを訴える場合もあります(同項1号)。)。その間出生届は,取りあえず父未定として母がすることになっています(戸籍法(昭和22年法律第224号)54条)。生まれるとともに当然母の夫が父となる一夫多妻の重婚から生まれた子の場合とは異なります。嫡出推定が重複するから両方パパだよ,けんかをやめて,ということにはならないようです。あるいはこの辺が,将来,憲法24条ないしは141項に違反する男女差別の違憲立法だということで問題になるところかもしれません(一夫の妻と多夫の妻との間における女性対女性の同性内差別問題なのだということには,ならないのでしょうね,きっと。)。

なお,父を定めることを目的とする訴えについては「訴えの性質上,嫡出推定が重複しているため判決で父を定めるべき旨を主張すればよい。請求の趣旨において重複する父のいずれかを特定する必要はない。また,特定したとしても,裁判所は請求の趣旨に拘束されない」とのことで(二宮周平編『新注釈民法(17)親族(1)』(有斐閣・2017年)570頁(野沢紀雅)),民事訴訟法(平成8年法律第109号)246条の適用のない形式的形成訴訟(実質的には非訟事件)であるとされています。二人をとめる裁判官の作業は,「法が形成原因をはじめから具体的に規定せず」という状態なので,「要件事実の存否を判定するというよりは,合理的と思われる結果を直接に実現する合目的的処分行為という性格を強く帯び,法を適用するという性格(要件事実の存否を判断し,法的効果の有無を判断するという性格)が稀薄」となっているとのことです(新堂幸司『新民事訴訟法(第二版)』(弘文堂・2001年)181頁)。法的に父であることの要件事実とは何ぞや,という問題がここでも出て来ます。ちなみに,父を定めることを目的とする訴えについては「常に裁判上の形成の必要性が肯定され,裁判所は何等かの形成をしなければならぬ〔略〕(従って請求棄却の余地はない)」ということ(三ケ月章『民事訴訟法』(有斐閣・1959年)53頁)だったそうですが,現在は「審理の結果双方とも父でないとの心証に至った場合について,多数説は請求を棄却すべきであるとする〔略〕が,訴えを却下すべきであるとする説もある」とのことです(二宮編571頁(野沢))。

 

5 重婚の効用

 ところで,重婚といえば,通常は一夫多妻の場合が念頭に浮かんでしまうところです。

 しかして,民法新773条における一夫多妻等婚姻(同法732条違反)の(取消しがあるまでの)有効性の摘示と「異次元の少子化対策」とがなぜつながるのかというと,筆者がかつて読んだ経済学の教科書に(したがって,以下は筆者の私見ではありません。),一夫多妻制の方が一夫一婦制よりも女性の経済的厚生が高くなるのだなどというけしからぬことが書いてあったからでした(Roger D. Blair & Lawrence W. Kenny, Microeconomics with Business Applications, John Wiley & Sons, 1987, pp.8-9)。

 

   婚姻を,供給曲線と需要曲線とによって描写することができる。妻らの需要曲線と妻らの供給曲線とが存在しているのである。同様に,夫らの需要曲線と夫らの供給曲線とが存在する。一夫一婦制社会においては,婚姻は,(同時的には)一人の夫と一人の妻とによってなされるものと制限されている。一夫多妻婚は,一人の夫と複数の妻らとによってなされる婚姻である。一夫多妻婚は,世界中で行われてきた。例えば,イスラム教徒及び初期モルモン教徒は一夫多妻婚者である。一夫多妻婚は一人の男に1を超えた数の妻を持つことを認めるところから,一夫一婦制の下におけるよりも,一夫多妻制の下における方が妻らに対する需要が大きくなる。一夫多妻制下における高い妻需要は,彼女らの収入を増加させる。すなわち,女性は,一夫一婦制よりも一夫多妻制における方が,よい暮らしができるのである。この興味深い仮説は,経験的証拠によって支持されている。一夫一婦制社会においては,しばしば花嫁は,婚姻するに当たって持参金――これは,花嫁の家からの夫に対する贈物である――を用意しなければならない。反対に,一夫多妻制社会における花婿は,妻に対して,婚資と呼ばれる贈物をするのである。一夫多妻制社会における女性に対する婚姻のより大きな利益は,彼女らをして,一夫一婦制社会の女性たちよりも若い年齢での婚姻に向かわせる。恐らくよりよい暮らしを求めてのことであろうが,一夫一婦制社会から一夫多妻制社会に移住する女性もいる。a

   a  Gary A. Becker, A Treatise on the Family, Cambridge, Mass.; Harvard Univ. Press, 1981, pp.56-57

 

一夫一婦制社会は,あるいはむしろ,けんかをやめた男たちの互助協定によって皆に花嫁が行きわたるようにする,平凡な男本位の発想に基づく微温的な社会にすぎないのかもしれません。

シェアリング・エコノミーといいますが,有り余るほどお金のある男の当該余裕資産を一人の妻が不当に独占しないで他の女性たちと一緒に仲良く快適にシェアすれば,女性の経済的厚生が全体的に向上し,ひいてはその経済的余裕がより多くの嫡出子出産につながるのではないか,という発想は異次元的でしょうか,それとも単に,古臭い男性(ただし,男性といっても,競争に敗れ,かつ,うまく立ち回れない劣位男子を除く。)優位社会的発想への回帰にすぎないものでしょうか。

 重婚噺が続きそうです。

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