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第1 選挙の秋における日本国憲法15条再見

 今年(2024年)の秋は我が国では衆議院議員総選挙,米国でも大統領選挙ということで,選挙が気になるところです。

 

1 条文

 選挙(及び公務員)に関する日本国憲法の条項としては,その第15条があります。

 

  第15条 公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利である。

    すべて公務員は,全体の奉仕者であつて,一部の奉仕者ではない。

    公務員の選挙については,成年者による普通選挙を保障する。

    すべて選挙における投票の秘密は,これを侵してはならない。選挙人は,その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

 

  Article 15.   The people have the inalienable right to choose their public officials and to dismiss them.

         All public officials are servants of the whole community and not of any group thereof.

         Universal adult suffrage is guaranteed with regard to the election of public officials.

         In all elections, secrecy of the ballot shall not be violated. A voter shall not be answerable, publicly or privately, for the choice he has made.

 

2 基本書の説明

この憲法15条に関して筆者の書架にある基本書を検すると,次のように説明されています。

まず憲法151項は,「ひろく公務員についての国民の選定罷免権を理念として承認している(15条)」ものです(樋口陽一『憲法』(青林書院・1998年)156頁)。(なお,ここでは「公務員」であって「官吏」(憲法734号参照)ではないのは,公務員ではあっても官吏ではなく,選挙されるもの(国会議員等)があるからでしょう。大日本帝国憲法下では「総ての官吏は天皇の使用人として,天皇の下に奉公の義務を負ふ者」でした(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)248頁)。)つまり,「憲法151項は,最広義の公務員,すなわち,国および公共団体の公務に従事することを職務とする者につき,その地位の正統性根拠が国民のみにあること,その意味で,その最終的な任免権が国民に由来することをのべ」る「原理的な前提」です(樋口164頁)。同項については更に,「憲法上の権利の分類のひとつとして「参政権」と呼ばれるものがあり,国民主権のもとでは,それは,総体としての国民が主権を持つということを,国民を構成する各人の権利の側面で言いあらわす,という意味を持つ。憲法15条の言い廻しは,国民主権(●●)と参政権=権利(●●)との間のそのような関係をのべたものとして,受けとることができる。と述べられています(樋口163-164頁)。ただし,権利といっても,直接「各人」に与えられる天賦の権利ではなく,「国民を構成する各人」の権利ではあります。

憲法151項の規定は「国民主権主義のもとにおける公務員が,国民(●●)()公務員(●●●)であることを観念的に表現したものであり」,同条2項の規定は「公務員が,国民全体に奉仕すべき国民(●●)()ため(●●)()公務員(●●●)でなければならないことを示したものである。」ということになります(田中二郎『新版行政法 中巻 全訂第2版』(弘文堂・1976年)226-227頁)。

また,憲法15条は,「選挙について,憲法は,いくつかの明示的な憲法上の要請(15条,431項,44条但書)を示した」もの(樋口158頁)のうちの一部ということになるようです。憲法431項は「両議院は,全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と規定していますが,「全国民を代表する」の部分は152項の,「選挙された」の部分は同条1項の具体化ということになり,両議院の議員及びその選挙人の資格について「人種,信条,性別,社会的身分,門地,教育,財産又は収入によつて差別してはならない」と規定する44条ただし書は153項の具体化ということになるのでしょう。憲法47条は「選挙区,投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は,法律でこれを定める」と規定していますが,「投票の方法」として秘密投票の方法を採用すべきことは154項で憲法的に先取りされています。この秘密投票の方法は,「有権者の自由な意思に基づく投票を確保する趣旨から」採用されたものとされています(佐藤幸治『憲法(第三版)』(青林書院・1995年)112頁)。「自由な意思」の尊重ということですから,なかなか高尚そうです。

上記のようなことどもを覚えておけば,試験対策としては十分なのでしょう。

 

3 私的違和感

しかし,筆者は,かねてからどうも憲法15条に違和感がありました。

憲法15条における第1項及び第2項の公務員に係る一般論と第3項及び第4項の選挙制度に係る具体論との結び付きの具合がどうも滑らかではありません。全国に数多くいる公務員のうち,選挙で選ばれるものはむしろ例外でしょう。

また,通説的な基本的人権分類論の説くところは「消極的権利(国家の不作為を要求することを内実とする自由権),積極的権利(国家に対して積極的作為を要求する,従来の受益権と社会権)および能動的権利(国家意思形成に参加することを内実とする参政権)を〔基本的人権の〕基本的類型として把握し,これらの権利の根底にあって統合せしめると同時に,それ独自の存在理由と内実をもつ包括的基本権という類型を設け,これに従って〔包括的基本権,消極的権利,積極的権利,能動的権利の順序で〕論ずることにする。」ということですので(佐藤410頁),基本書では最後に来る「能動的権利」に係る条項が早くも第15条で登場するのは――基本書主義的受験勉強者には――位置的に先走り過ぎるように思われました。

無論,日本国憲法がそれに基づいたGHQ草案の起草者たちには条文の排列についての彼らなりの理論があったのでしょうが,それが分からないもどかしさがありました。

大日本帝国憲法の「臣民権利義務」の章においては,冒頭の「日本臣民タルノ要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」(18条)に続いて臣民の公務就任権に関する第19条(「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」)がありますので,それに倣ったようにも思われますが(ただし,大日本帝国憲法19条を一種の平等条項(日本国憲法14条参照)として捉える見方もあります。これについては,当blogの「大日本国帝国憲法19条とベルギー国憲法(1831年)6条」記事(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1038090379.html)を御参照ください。),他の権利の日本国憲法第3章における排列は大日本帝国憲法第2章のそれに対応していませんので,大日本帝国憲法準拠説は採り得ないでしょう。GHQ民政局の起草者らが参照したであろう1919年のヴァイマル憲法第2編の「ドイツ人の基本権および基本的義務」の編は第1章「個人」,第2章「共同生活〔Das Gemeinschaftsleben〕」,第3章「宗教および宗教団体」,第4章「教育および学校」及び第5章「経済生活」の5章によって構成されており,選挙(第125条)及び公務員(第128条から第130条まで)に関する規定は第2章にありました(高木八尺=末延三次=宮沢俊義編『人権宣言集』(岩波文庫・1957年)201-217頁(山田晟))。また,1936年のソヴィエト社会主義共和国聯邦憲法では,第10章が「市民の基本的権利および義務」の章ですが,選挙制度は第11章「選挙制度」として,別立てで規定されていました(宮沢俊義編『世界憲法集 第二版』(岩波文庫・1976年)305-311頁(藤田勇))。

と悩むより先にGHQ草案及びその成立過程について調べればよいではないかということで若干の調べものをした結果が本稿です。

 

第2 GHQ草案14条と日本国憲法15条と

 

1 GHQ草案14条の条文

まず,1946213日に大日本帝国政府に手交されたGHQ草案における「人民の権利及び義務(Rights and Duties of the People)」の章にある同草案14条を見てみましょう。

 

      Article XIV. The people are the ultimate arbiters of their government and of the Imperial Throne. They have the inalienable right to choose their public officials and to dismiss them.
     All public officials are servants of the whole community and not of any special groups.
     In all elections, secrecy of the ballot shall be kept inviolate, nor shall any voter be answerable, publicly or privately, for the choice he has made.

 

我が外務省による訳文は次のとおりです。

 

14条 人民ハ其ノ政府及皇位ノ終局的決定者ナリ彼等ハ其ノ公務員ヲ選定及罷免スル不可譲ノ権利ヲ有ス
一切ノ公務員ハ全社会ノ奴僕ニシテ如何ナル団体ノ奴僕ニモアラス
有ラユル選挙ニ於テ投票ノ秘密ハ不可侵ニ保タルヘシ選挙人ハ其ノ選択ニ関シ公的ニモ私的ニモ責ヲ問ハルルコト無カルヘシ

 

 日本国憲法153項に相当する規定が欠けています。同項は実は,第90回帝国議会における帝国憲法改正案審議の過程において,貴族院によって当該場所に挿入されたものでした(1946103日特別委員会修正議決・同日付け安倍能成委員長報告書作成,同月6日同院可決)。ただし,同条における当該規定の要否は,実はGHQ民政局においても一旦検討がされ,結局あえて採用されなかったもののようではありました。すなわち,国立国会図書館ウェブサイトの「日本国憲法の誕生」電子展示会における「資料と解説」3-14GHQ原案)にある市民の権利委員会(Civil Rights Committee)の作成に係る原案の紙(Drafts of the Revised Constitution)を見ると,当該当初原案になかった普通選挙保障の規定を正に当該場所に挿入すべきか否かの問題が運営委員会(Steering Committee)との協議の場で浮上していたようで,“universal suffrage”云々の書き込みがされていますが,結局抹消されているところです(第103齣,第124齣及び第127齣参照)。〔ただし,201611月の衆議院憲法審査会事務局資料・衆憲資90号「「日本国憲法の制定過程」に関する資料」7・48によれば,日本国憲法153項の貴族院における挿入はGHQの要求によるものであったそうですから,一旦は思い切ったGHQ民政局のスタッフも,結局未練から逃れることはできなかったわけでしょうか。あるいは未練というよりも,1項の「公務員を選定」からいきなり「選挙における投票の秘密」につなぐのでは関連性が分かりづらいとの気付きがあって,その間に,両者をつなぐべき「公務員の選挙」というものに関する項を設けることとしたものでしょうか。無論,米国憲法修正15条(人種,体色又は過去の強制労務服役状況を理由とした選挙権の否定及び制限の禁止)及び修正19条(性別を理由とした選挙権の否定及び制限の禁止)の前例も念頭にあったものでしょうが。

 

2 GHQ草案141項とアメリカ独立宣言と

 「人民は,彼らの政府及び皇位についての究極の裁定者である。(The people are the ultimate arbiters of their government and of the Imperial Throne.)」との,現在の日本国憲法151項からは削られている冒頭規定を見ると,筆者には「ああこれはアメリカ独立宣言ではないか。」と思われたところです。

すなわち,日本国憲法13条に対応する “We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal; that they are endowed by their Creator with certain inalienable rights; that among these, are life, liberty, and the pursuit of happiness.”(我々はこれらの真実を自明のものと信ずる。すなわち,全ての人は平等に創造されていること,彼らは彼らの創造主によって一定の不可譲的権利を賦与されていること,これらには生命,自由及び幸福追求が含まれていることである。)に直ちに続く部分にGHQ草案141項の冒頭規定は対応するように思われるのです。アメリカ独立宣言の当該部分は次のとおりです。

 

  That, to secure these rights, governments are instituted among men, deriving their just powers from the consent of the governed; that, whenever any form of government becomes destructive of these ends, it is the right of the people to alter or to abolish it, and to institute a new government, laying its foundation on such principles, and organizing its powers in such form, as to them shall seem most likely to effect their safety and happiness.

  これらの権利を確保するために,その正当な権力は被治者の同意に由来するところの諸政府が人々の間に設立されたこと,いかなる政体についても,これらの目的にとって破壊的なものとなったときには,それを変更又は廃止して,彼らの安全及び幸福の実現のために最もふさわしいと思われる原則の上及び形式の下に,それぞれ基礎付けられ,及び権力構成のされた新しい政府を設立することは,人民の権利であること。

 

ジョージ3世時代の英国国制下のアメリカ独立革命においては実力行使がされてしまったところですが,せっかくの新政体を樹立する日本国憲法下の我が国においては,当該政体自体にはあえて手を触れずに,それを構成する人的要素の人民の意思に基づく入替えによって同様の目的を達成しようではないか,ということがGHQ草案14条の趣旨だったのではないでしょうか。Bullet(弾丸)では剣呑だからballot(投票)にしようということでしょう。市民の権利委員会の当初原案では,GHQ草案141項では“choose”(選定する)となっているところが, “elect”(選挙する)となっていたところです。当該当初原案は次のとおりです。

 

      7.  The people are the ultimate arbiters of their government. They have the inalienable right to elect their public officials, and to dismiss them by due process of impeachment or recall.
     All public officials are servants of the whole community and not of any special groups. In all elections, secrecy of the ballot shall be kept inviolate, nor shall any voter be answerable, publicly or privately, for the choice he has made.

 

 194628日の運営委員会と市民の権利委員会との協議の場において,運営委員会のケーディス大佐から,「憲法上の規定は国会議員の選挙についてのみ設けられているのに,これでは全ての公務員が選挙されなければならないことになってしまう」との発言があって, “elect” “choose”に改められたのでした(「日本国憲法の誕生」資料と解説3-14エラマン・ノート第18齣)。

 GHQ草案起草の最終段階である1946212日の運営委員会において,“the ultimate arbiters of their government”に続いて “and of the Imperial Throne”が加えられていますが,これは「皇位の人民に対する従属(subordination)を再び再強調(again reemphasize)するため」です(エラマン・ノート第31齣)。

 ただし,「人民は,彼らの政府及び皇位についての究極の裁定者である。」との規定は,194634日から同月5日にかけてのGHQと日本政府との折衝において,日本側の発意により削られています。「何故削レルヤ」とのGHQ側からの問いに対して「之ハ第1条ニ明ナリト答ヘタルニ了承セリ」ということですから(「日本国憲法の誕生」資料と解説3-21「三月四,五両日司令部ニ於ケル顚末」第7齣),あっさりしています。規定の重複を避けるという日本的法制執務の美学(「分類をするときに〔略〕日本の場合には1号,2号,3号を絶対重複しないように書きます」,「例えば1号に米と書いたら2号には麦と書き,3号には馬鈴薯と書き,4号は甘藷と書くとすると,そこへ,その他前各号に掲げるもののほか政令に定めるものというような書き方は,もちろんしますけれども」)を,「そういうとき〔分類をするとき〕に米と書いたあとで食糧なんて平気で書く」ラフな米国人(放送法制立法過程研究会『資料・占領下の放送立法』(東京大学出版会・1980年)446頁(吉國一郎発言))も理解してくれるようになっていたのでしょう。

 

3 GHQ市民の権利委員会の基本的人権分類論及びGHQ草案14条=日本国憲法15条の規定場所に関して

ところで,GHQ草案第3章における基本的人権に関して,市民の権利委員会はやはり分類論を有していました。運営委員会によって最終的に不採用とされる前は,同章は四つの節に分かれており,第1節は「総則(General)」,第2節は「自由(Freedoms)」,第3節は「社会的及び経済的権利(Social and Economic Rights)」,そして第4節は「司法上の権利(Juridical Rights. 具体的には刑事手続上の権利です。)」でした(「日本国憲法の誕生」資料と解説3-14 “Original drafts of committee reports”13齣から第28齣まで参照)。日本国憲法第3章の条文に即していえば,第18条の前までが総則条項で,第18(「何人も,いかなる奴隷的拘束も受けない。又,犯罪に因る処罰の場合を除いては,その意に反する苦役に服させられない。」)から第23(「学問の自由は,これを保障する。」)までが自由に関する条項,第24条から第31条の前までが社会的及び経済的権利に関する条項(なお,憲法24条は結婚の自由を規定したものであるという主張にとっては,同条は自由に関する規定ではないとされるのは,いささかすっきりしない分類学ということになりましょうか。),第31(「何人も,法律の定める手続によらなければ,その生命若しくは自由を奪はれ,又はその他の刑罰を科せられない。」)以降が司法上の権利に関する条項ということになります。ちなみに第3節の節名は,「社会的及び経済的権利」に落ち着くまでは「特定の権利及び機会(Specific Rights and Opportunities)」であり,第4節は,当初は総称を有する節としては構想されていませんでした(「日本国憲法の誕生」資料と解説3-14 “Drafts of the Revised Constitution”101齣から第167齣まで参照)。「特定の権利及び機会」は,自由とは異なり,積極的立法を必要とするというわけでしょう。

 市民の権利委員会が総則であるものとした諸条項中,我が憲法学の通説的見解が包括的基本権とするものは専らGHQ草案12条=日本国憲法13条の生命・自由及び幸福追求権並びにGHQ草案13条=日本国憲法14条の法の下の平等ということになるようなのですが(佐藤443頁以下),それら以外の条項をも統合して一つの総則とする理由付けとなるものとしては,筆者としてはやはりアメリカ独立宣言を推したいところです。請願権条項は,大日本帝国憲法(30条)では信教の自由(28条)並びに言論著作印行集会及び結社の自由の条項(29条)に続き,米国憲法でもその修正第1条において政教の分離及び信教の自由並びに言論出版及び集会の自由と併せて規定されているところですが,日本国憲法では第20条及び第21条の次にではなく,両条より前の第16条において突出して規定されています。この逸脱については,ヴァイマル憲法では選挙に関する第125条に続いて第126条で請願権について規定されていたからドイツ人のまねをしたのだと言うよりもむしろ,米国人ならばその正統的正当化事由としては,独立宣言に拠るべきでしょう。

 アメリカ独立宣言においては,政体の変更廃止及び政府の設立に関する人民の権利に係る前記の宣言に続き,十三殖民地人民による抵抗及び革命を正当化するため,ジョージ3世の行った秕政の数々の羅列があって,それが終って,いわく。

 

       In every stage of these oppressions, we have petitioned for redress, in the most humble terms; our repeated petitions have been answered only by repeated injury. A prince, whose character is thus marked by every act which may define a tyrant, is unfit to be the ruler of a free people.

   これらの圧政の各段階において,我々は最も恭しい礼譲をもって,匡救を求めて請願を行った。累次の我々の請願は,侵害の反復をもって答えられたのみであった。かようにしてその性格が,暴君を定義するにふさわしくあるべき各行為をもって特徴付けられるところの君主は,自由な人民の支配者たるにふさわしくない者である。

 

抵抗及び革命の前段階として,請願があるべきであるところ,日本国憲法は人民の抵抗権・革命権をそれとして規定せず(GHQに対する不埒な抵抗権など,とても認められません。),第15条の政府の人的要素を入れ替える権利と第16条の請願権とをもって,日本国の人民には既に十分であることを所期しているのでしょう〔ただし,16条の請願権は,人民(people)の権利ではなく,各人(every person)の権利です。〕。ちなみに,1946212日のGHQ民政局の運営委員会において,市民の権利委員会の原案にはなかった日本国憲法16条の「公務員の罷免」(removal of public officials)の部分が追加されたようです(「日本国憲法の誕生」資料と解説3-14 “Original drafts of committee reports”14参照)。当の請願相手を否認する請願も許されるということでしょうか。

なお,1946212日のGHQ民政局の運営委員会において,GHQ草案第3章の章名がそれまでの「市民の権利(Civil Rights)」から「人民の権利及び義務(Rights and Duties of the People)」に改められています(エラマン・ノート第31齣)。エラマン・ノートには記されていませんが,その理由は――大日本帝国憲法における「臣民権利義務(Rights and Duties of Subjects)」という用語にやはり倣うことにしたのかもしれませんが194624日のホイットニー局長主宰の民政局会議では「憲法を起草するに当たっては,構造,標題等については(for structure, headings, etc.)既存の日本憲法に従うものとする(will follow)。」とされていました(「日本国憲法の誕生」資料と解説3-14 “Summary Report on Meeting of the Government Section, 4 February 1946”3齣)。ただし,GHQ草案第3章には,兵役の義務(大日本帝国憲法20条参照)及び納税の義務(同21条参照)の規定はありませんでした。)しかし,CitizensPeopleかの問題はなおも残ります――同章では,国家(civitas)成立後の市民ら(cives)の権利のみならず,アメリカ独立宣言的な,国制の根本の確立にかかわる主権者たる人民(populus)の権利及び義務についても規定されていることに気付かれたからであるようにも思われます。(実は,GHQ草案の第3章の本文においては,“duty”又は“duties”の語は用いられていません。なお,アメリカ独立宣言においては,人類(mankind)についてですが,「しかし,長い一連の権力濫用と簒奪とが,変わらず同一の目的を目指し,彼らを絶対的圧制の下に陥れんとする意図を明らかにするとき,そのような政府を転覆し,かつ,彼らの将来の安全のための新たな防御策を講ずることは,すなわち彼らの権利であり,彼らの義務(duty)なのである。」と述べられています。)

 

4 GHQ草案142項及び3項=日本国憲法152項及び4項に関して

 さて,GHQの市民の権利委員会の原意によれば日本国憲法151項は政体変更のための革命ないしは内戦に代えるに選挙をもってしようとする趣旨の規定ならば,同項と同条2項及び4項との関係はどうなるのでしょうか(同条3項は,前記のとおり後から貴族院で入った規定ですので,ここでは触れません。)。

 

(1)GHQ草案142項=日本国憲法152項(「全体の奉仕者」)と米国における「1800年の革命」と 

 日本国憲法152項は,選挙の勝利者に対して自制を促すための規定でしょうか。敗れた反対派を処刑したり(フランス革命式),外国(カナダ🍁)に去らしめる(アメリカ独立革命式)ようなことはせず,勝利後は,反対派をも含む共同体全体の奉仕者として振る舞ってくれよということでしょうか。

 確かに,米国聯邦政府における選挙による初の政権交代(180134日,聯邦党(フェデラリスツ)2代目大統領ジョン・アダムズから共和党(リパブリカンズ)(注意:今の共和党ではなく,むしろ民主党の前身)のトーマス・ジェファソン新大統領へのもの(なお,初代のジョージ・ワシントンから2代目アダムズへの大統領交代(1797年)は,聯邦党内における,同党の大統領からその副大統領への大統領職の引継ぎでした。))は,大統領選挙が行われた年の名を採って「1800年の革命」といわれたのでした(ただし,1800年に行われたのは大統領選挙人の選挙及び大統領選挙人による投票までであって(この段階でアダムズ敗退),第3代大統領を最終的に決める聯邦代議院(下院)における選挙(ジェファソン対アーロン・バー(実は,このバーは共和党の副大統領候補者だったのですが,修正第12条発効前の米国憲法においては大統領に係るものと副大統領に係るものとを区別せずに大統領選挙人は2名に投票することになっていたという欠陥(バグ)があったので,両者の得票が同数になってのこのようなことが起ったのでした。))が決着したのは1801217日のことでした。)

 1800年の米国大統領選挙における各候補者に対する中傷はひどいものだったようです。

ジェファソンについてある聯邦党員が言うには「〔ジェファソン〕は卑しい心根の,下劣な奴で,白黒(ムラ)混血(ットー)の父親に(はら)まされた混血のインディアン女の息子で・・・粗挽きの南部の玉蜀黍(とうもろこし)できた玉蜀黍(ホウ・ケ)パン(イク),ベーコン,皮剥き(ホミ)玉蜀黍(ニィー)そしてたまに(ブル)(フロッグ)のフリカッセばかり食べて育ったとのことで🌽🐸,コネチカット・クーラント新聞は,ジェファソンが当選したときには「殺人,強盗,強姦,不倫及び近親相姦が全て大っぴらに教えられ,実践されるだろう」と警告し,コネチカットの小さな町のある聯邦派の女性はジェファソンが当選したときには家庭(ファミリー)()聖書(バイブル)📕が取り上げられて廃棄されてしまうのではないかと心配して,唯一知っているジェファソン派(デモクラット)の人物に当該聖書を隠し持ってもらうことにした(ジェファソン派の家であれば捜索されないだろうと考えて)とのことです(Willard Sterne Randall, Thomas Jefferson: a life; HarperPerennial, New York, 1994: p.543)。他方,アダムズに対する中傷は,むしろ同じ聯邦党内の抗争においてあのアレグザンダー・ハミルトン(10ドル札)が担当しており,したがって「反対派ら〔聯邦党員〕が彼ら自らの大統領を中傷するため極めて十分の働きをしているということをあからさまに確信しつつ,彼ら〔共和党員〕はアダムズについては多くを語らなかった。」ということでした(John Ferling, John Adams: a life; Oxford University Press, New York, 2010: p.399)。

ジェファソンの伝記作家はいわく。

 

   少なくとも一人の候補者について,彼が国家の最高官職にふさわしくないように見せるために,あてこすり,噂及び嘲弄によってその評判を傷つけようとする試みがされなかった大統領選挙は,1800年以降存在しない。しかし,1800年の選挙戦ほどこれらの戦術が容赦なく粗暴なかたちで結合されたものはなかったのであり,ジェファソンを驚愕させ,その後何年もの間,国家は深く分断された。最初のものとなった相手方打倒指向で,かつ,長期化した選挙戦において,米国人は,彼らは小冊子又は書籍よりも新聞を好むこと,更に,彼らは醜聞記事が満載された新聞を好むことを明らかにした。それは最初の近代的選挙戦であり,一歴史家の言うところによれば,「当該選挙における候補者の徳性及び廉潔に対する攻撃は,それらの獰猛さ又は真実からの乖離において,いずれについてもその後凌駕されることはなかった。当該選挙戦において彼の評判は打撃を蒙り,それは当該打撃から依然として回復していない。」というものであった。〔後略〕

  (Randall: p.541

 

 ジェファソンが180134日に行った第3代米国大統領就任演説には,次のようなくだりがあります。

 

  今や本件〔大統領選挙〕が,憲法の定めるところに従って表明された国民の声によって決着せられた以上,全ての人々が,当然のことながら,法の意思の下に自ずと処を得,かつ,共同の善に向けた共同の努力において団結するのであります。また,全ての人々が,この神聖な原則,すなわち,多数派の意思が全ての場合において通るべきではあるが,当該意思は,正当であるためには道理(リー)()則った(ナブ)もの()でなければならないということ,少数派は,平等な法がその保護の義務を負い,かつ,それを蹂躙することは抑圧であるところの彼らの平等な権利を有しているということを心得ていくものであります。さあ,市民諸君,一つの心と一つの思いとをもって団結しようではありませんか。それなしには自由のみならず人生自体も味気ないものとなってしまうかの調和と親愛とを社会交際に復活せしめようではありませんか。

 

  我々は皆共和(リパブ)党員(リカンズ)であります――我々は皆聯邦(フェデ)党員(ラリスツ)であります。

 

  人民による選挙の権利を細心な熱意をもって大切にすること――それは,平和的解決方法が備わっていない場所においては革命の剣(the sword of the revolution)をもって切除されていた権力の濫用に対する穏和かつ安全(mild and safe)な匡正の制度なのであります。

 

 選挙による平和的政権交代はほとんど前代未聞のことでした。サミュエル・ハリソン・スミス(ナショナル・インテリジェンサー新聞の編集者)の妻が,ジェファソンの第3代大統領就任式典につめかけた群衆の中にいましたが,興奮気味(thrilled)の彼女は当該政権交代について,その書簡の中で次のように述べています。

 

  政権交代は,全ての政府及び全ての時代において最も一般的に,混乱,悪行及び流血の時期となっていましたが,この私たちの幸福な国では,何らの種類の騒動又は無秩序もなしに行われるのです。

  (Randall: p.548

 

 ところで,ヴァイマル憲法1301項も「公務員は,全体の奉仕者であって,一党派の奉仕者ではない。(Die Beamten sind Diener der Gesamtheit, nicht einer Partei.)」と規定していました。GHQ草案142項の文言は,あるいはここから採られたのかもしれません。しかしながら,ヴァイマル憲法上の公務員は終身雇用並びに恩給等及び既得権が保障された特権的存在であって(同憲法1291項(「公務員の任用は,法律で別に定める場合を除き,終身である。恩給及び遺族扶助は,法律により規定される。公務員の既得権は,不可侵である。公務員の財産権上の請求については,出訴が可能である。(Die Anstellung der Beamten erfolgt auf Lebenszeit, soweit nicht durch Gesetz etwas anderes bestimmt ist. Ruhegehalt und Hinterbliebenenversorgung werden gesetzlich geregelt. Die wohlerworbenen Rechte der Beamten sind unverletzlich. Für die vermögensrechtlichen Ansprüche der Beamten steht der Rechtsweg offen.)参照),同憲法1301項の規定は,当該身分保障特権があるがゆえの戒めの規定であるように思われます〔また,現在のドイツ聯邦共和国基本法335項もなお,「公務に係る法は,職業官吏制度に係る伝来の諸原則の尊重の下に規制され,かつ,拡充されなければならない。(Das Recht des öffentlichen Dienstes ist unter Berücksichitigung der hergebrachten Grundsätze des Berufsbeamtentums zu regeln und fortzuentwickeln.)」と規定しています。。人民がその罷免権を留保している建前〔したがって,spoils systemにも親和的でしょう。であるGHQ草案14条(日本国憲法15条)の公務員とは,異なる事情の下にあるようです。

しかし我が国の「公務員」観は,GHQ草案的というよりは,ヴァイマル憲法的なのでしょう。

 

(2)GHQ草案143項=日本国憲法154項:秘密投票制

 

ア 秘密投票制度に関する評価

 日本国憲法154項が規定する秘密投票制度に関しては,次のような議論があります。

 

(ア)ゲルマン戦士

 

    「かつてゲルマン民族において,重要事項の決定には武装権者の集会を開き,指導者の提案への賛成者は,楯を叩いて呼応した。こうすることによって,彼はその賛成した戦闘に命がけで参加することを,公衆の前で表明したのである。彼の意思表明は,彼の生命という裏づけをもつものであった。

     これに比べて,秘密投票制は,人前で表明できない,非公的・私的な意思に基づくものである。その投票には,責任の裏づけが欠けている。俺はその提案に賛成だ,しかし自分でそれを実践する用意はない。誰かがやってくれるだろう,私は御免だが,というわけである。

     秘密投票制に基づく近代民主制は,臆病者・卑怯者たちの私的意思を量的に積み重ねただけの無責任の体制である。」

   こういう議論はナチ時代に広く行なわれたし,かつて学生自治会や労働組合の集会などで,投票派に反対する挙手派によっても,しばしば唱えられた。〔後略〕

  (長尾龍一『憲法問題入門』(ちくま新書・1997年)134頁)

 

(イ)モンテスキュー

公開選挙を是とする論者の理由とするところは,ゲルマン戦士的男らしさの称揚ばかりではありません。愚かかつ浮薄な民衆に対する不信ということもあるようです。かのモンテスキュー師は,いわく。

 

   人民がその政治的意思表示(suffrages)をするときは,疑いなく,それは公開のものでなければならない(アテネでは,挙手で行われた。)。しかしてこれは,民衆政における基本法制の一つとみなされなければならない。下層民(petit peuple)は有力者ら(principaux)によって啓蒙されなければならないし,一定の人物らの重みによって控制されなければならない。かくして,共和制ローマにおいては,政治的意思表示が秘密にされるようになって,全てが破壊されたのである。自らを滅ぼしつつある下層民(populace)を啓蒙することは,最早不可能だったのである。しかしながら,貴族政下において貴族団が,又は民衆政下において元老院が政治的意思表示をする場合においては,そこでは専ら党派的術策(brigues)の防止が問題であるところ,政治的意思表示の方法が秘密に過ぎるということはないのである。

   党派的術策は元老院において危険である。それは貴族団において危険である。しかし,情動(passion)によって動かされる性質である人民のもとにあっては,それはそうではないのである。人民が政治に参与できない諸国家においては,政事についてそうであったであろうように,人民は役者に熱を上げるのである。共和政体における不幸は,党派的術策が絶えたときである。しかしてそれは,金銭給付によって人民が腐敗させられた場合に生ずるのである。人民は無関心になる。人民は金銭に愛着する。しかし政事には最早興味がない。政府及びその打ち出す政策について不安を抱くことなく,人民は,給付物を大人しく待つのである。

  (Montesquieu, De l’Esprit des Lois: Livre II, Chapitre II

 

  〔前略〕人民の動きは常に過剰であるか,又は過少であるかである。あるときは,人民は十万の腕をもって全てを覆す。またあるときは,十万の足をもってしても,人民は虫のようにしか進まないのである。

  (ibidem

 

 多数の「弱き」民衆についてこそ秘密投票がふさわしく,それに対して貴族やら元老院議員やらの「エリート」は,自らの政治上の決定・政見を堂々積極的に公開すべし,という「常識」(ちなみに,我が国では,1900年に改正された衆議院議員選挙法(明治33年法律第73号)以来衆議院議員の選挙について秘密投票制が行われ,他の選挙にもそれが及んでいましたが,例外として,貴族院の伯爵議員,子爵議員及び男爵議員をそれぞれ同爵において互選する方法は,選挙人が自らの爵氏名を記載しての投票でした(貴族院伯子男爵議員選挙規則(明治22年勅令第78号)102項)。)に反する意見が述べられています。人民はせっかくその「自由な意思に基づく投票を確保」(佐藤前掲)してやっても,その蒙昧な「自由な意思」では役者に熱を上げる仕方と同じような仕方でしか政事を考えることができず,結局情動次第の投票結果となるのであるから甲斐がないし危険である,そうであるのであれば有力者が代わりに考えてやって,しかして有力者間で人民の支持をめぐって正々堂々公然たる党派的術策の争いをする方がむしろよくはないか,他方,「エリート」は少数であるから各自において党派的術策の攻撃の集中を受けやすく,かえって秘密投票制度で守ってやらねばせっかくの独立的思考力を国家のための政治決定に生かすことができない・・・というようなpolitically incorrectなことをモンテスキュー師は考えていたのでしょうか。

なるほど確かに,「〔ライヒ議会の〕代議員は,20歳より上の男女による普通,平等,直接及び秘密の選挙において,比例代表式選挙の原則に基づき選出される(Die Abgeordneten werden in allgemeiner, gleicher, unmittelbarer und geheimer Wahl von den über zwanzig Jahre alten Männern und Frauen nach den Grundsätzen der Verhältniswahl gewählt.)」ものとされ(ヴァイマル憲法221項前段。下線は筆者によるもの),かつ,「選挙の自由及び選挙の秘密は保障される。その詳細は,選挙法が定める。(Wahlfreiheit und Wahlgeheimnis sind gewährleistet. Das Nähere bestimmen die Wahlgesetze.)」とされていた(同憲法125条。下線は筆者によるもの)1930年代のドイツにおいて,国民社会主義ドイツ労働者党が躍進したのでした。なお,ここであるいは余計な付言をすれば,モンテスキュー師は,人民が人を選ぶのではなく「政策」=政党なるものを選ぶ比例代表式選挙(Verhältniswahl)についても眉を顰めたかもしれません。

 

  人民は,その権威の一部を委ねるべき人々の選択においては称賛され得るものである。その判断に当たって人民は,知らずには済まぬことども及び感覚に応ずる事実のみに拠ればよいのである。ある人物がしばしば戦争に赴き,これこれの成功をした,ということを人民はよく知っている。したがって人民は,将軍を選出する高い能力を有しているのである。ある裁判官が勤勉であること,彼の法廷からは多くの人々が彼に満足して退出してくること,彼が腐敗しているとは認められていないことを人民は知っている。そうであれば,人民が法務官を選出するには十分である。人民が,ある市民の贅沢又は富に感心させられた。これで,人民が造営官を選出し得るということには十分である。全てこれらのことどもは,宮殿の中にいる君主よりもよりよく,公共の広場において(dans la place publique)人民が自ずと了知する事実である。しかし,政事を処理すること(conduire une affaire),場所,機会,時期を知ること,それを利用することを人民はできるであろうか。否。人民にはできないのである。

 (De l’Esprit des Lois: Livre II, Chapitre II

 

いずれにせよ,現在の某自由で民主的な国家におけるように,何かあればすぐに安易に政府から金銭給付をむしろ公明正大に受け取ることに主権者国民が慣れっこになっていると,確かに政府及びその政策(ばらまき政策を除く。)に係る党派的術策というような難しいことよりも先に,選挙において誰又はどこに投票すれば当面において一番沢山給付物を更にもらえるのかな,というようなことにしか国民の関心は無いようになり,国家・民族の更生及び再建のために肝腎な,主体的かつ真面目な主権意思の発動がされるという見込みもなくなるのでしょう。

 

イ オーストラリアにおける秘密投票制度の採用及びその事情

秘密投票制度は,1856年にオーストラリア🐨で始まったもので,『ブリタニカ』のホームページ(https://www.britannica.com/topic/Australian-ballot)によれば,「当該制度は,選挙人の保護(protection of voters)を求める公衆及び議会の増大する要求に応ずるため,ヨーロッパ及び米国に拡がった。」ということです。しかしてここでいわれる選挙人の保護とは,何からの保護だったのでしょうか。

オーストラリア国立博物館(National Museum of Australia)のウェブページ(https://digital-classroom.nma.gov.au/defining-moments/secret-ballot-introduced及びhttps://www.nma.gov.au/defining-moments/resources/secret-ballot-introduced)によると,秘密投票制度導入前の公開制の選挙は極めて暴力的で,人々は誰を選んだかをめぐって互いに襲撃し合っていたそうです。現在の秘密投票制下の選挙観察の楽しみ(関係者の悲喜こもごも)は,実は夜の開票速報の段階からなのですが,公開選挙制下では,選挙当日の朝から,各選挙人が人々の眼前で誰を選ぶかの意思表示をする都度,観衆の血は沸いて興奮が刻々と高まり,やがては肉が躍って荒れ狂うということになっていたわけです。「アルコール,賄賂,強制及び暴力は,〔選挙〕過程に内在的なものであった。そして,当時の選挙はしばしば,多くの負傷者を伴う暴動をもって終わったのである。〔略〕アイルランドのジャーナリストであるウィリアム・ケリーが初期のヴィクトリア州における選挙について言ったように,それらは,「熱狂の中のパントマイムそのもの」であった。」その熱狂の中「例えば,1843年には,シドニー及びメルボルンにおいて,選挙に係る意思表示をしている際2名の男性が撃たれました。」ということでした。しかして,「185512月,ヴィクトリア州立法評議会に秘密投票の法制化に係る法案が提出されました。当該法制化は,秘密に投票することを認め,他の人々によって影響され,又は強迫されないようにするものでした。これによって,選挙における暴力が減少することが期待されました(It was hoped this would reduce violence during elections.)。」とオーストラリア国立博物館は書いています。この書き振りを見る限りにおいては,秘密投票制導入時のそもそもの又は直接の目的においては,「有権者の自由な意思に基づく投票を確保する趣旨」(佐藤前掲)ということよりは,社会的に,選挙の平和を維持することが主眼であったように思われます。

しかし,いずれにせよ,革命ないしは内戦(bullet)に代えるに平和な選挙(ballot)をもってしようということが日本国憲法151項の本来の趣旨であると解するのであれば,「穏和かつ安全」な選挙を確保するためのものとして同条4項の秘密投票制を理解することも,あながち間違いとはいえないでしょう

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1 はじめに

 

 今年(2013年)1031日の赤坂御苑での園遊会以来,天皇に対する請願の可否に関する議論がかまびすしいようです。
 しかしながら,インターネット検索をしてみると,「請願法違反で逮捕か」というような見出しが躍っており,請願法(昭和
22313日法律第13号)の条文に実際に当たらないまま勇ましい議論が先行してしまっていたようです。逮捕というのは刑事訴訟法に基づく犯罪被疑者の逮捕のことでしょうが,請願法には罰則の定めはありません(請願法違反の罪はない。)。したがって,直ちに「請願法違反で逮捕」ということはありません。
 司法試験合格者の増員,裁判員制度の導入等の司法制度改革が進められてきましたが,法はなお国民に身近なものとはなっていないようです。法律イコール国民を縛り,罰するもの,という意識には根強いものがあるようです。せっかく増強された法曹関係者としては,機会あるごとに,法を真に国民のものとすべく,法知識の普及に協力すべきでしょう。


 もちろん,請願法の条文に実際に当たった上での記事も見出すことができます。ただし,いわゆる憲法基本書において日本国憲法16条の請願権及び請願法に関する説明は簡略に済まされている傾向があるせいか,立法経緯に現われた政府見解等までを具体的に踏まえた議論は必ずしも多くはないようです。
 しかしながら,2000年に森内閣がIT革命を唱導して以来,インターネット上での情報提供サービスは充実してきています。国立国会図書館のウェッブサイトからは新旧の法令,帝国議会及び国会の議事録等の資料に容易にアクセスすることができます。国立公文書館のアジア歴史資料センターのウェッブサイトからは,枢密院の会議の議事筆記等にもアクセスすることができます。
 これらの興味深い資料を紹介し,現在の議論に若干なりとも広がりをもたらすことに寄与することは,
IT革命を,日本経済の発展という物的方面においてのみならず,知的方面においても公の議論の充実という形で更に前進させるための,ささやかながらも具体的な一つの実践であり得るものと思われます。


 以上前置きが長くなりました。
 要は本稿は,つい関心の赴くままにしてしまった天皇に対する請願に関する法的問題に係る調査結果を,中途半端かつお節介ながらも,法律業及びIT革命にかかわる一関係者として,「つまらないものですが,御興味があればどうぞ」と皆さんに御提供するものです。
 ただし,無論,現実の問題は複雑微妙であって,在野の一処士が,そのわずかに管見し得たところをもって,すべてについて正確に論じ得る限りではありません。したがって本稿も,何らかの具体的な問題について快刀乱麻を断たんというような大それたことを意図していないことはもちろんです。



2 参考条文

 法令の条文は,ややもすれば非常に読みづらいものです。しかしながら,日常の「法律論」においてあやふやな自説を得々と展開し,議論を
長引かせてしまう人は実は関係条文に丁寧に当たっていなかった,ということはよくある話です。換言すると,長々思案するよりも,さっさと関係条文を見た方が早い場合は少なくありません。

 請願法は全条文を掲げます。請願法には罰則規定は「無い」ということを立証するためには,その全部を見てみなければならないからです。

   
請願法

第1条 請願については,別に法律の定める場合を除いては,この法律の定めるところによる。

第2条 請願は,請願者の氏名(法人の場合はその名称)及び住所(住所のない場合は居所)を記載し,文書でこれをしなければならない。

第3条 請願書は,請願の事項を所管する官公署にこれを提出しなければならない。天皇に対する請願書は,内閣にこれを提出しなければならない。

②請願の事項を所管する官公署が明らかでないときは,請願書は,これを内閣に提出することができる。

第4条 請願書が誤つて前条に規定する官公署以外の官公署に提出されたときは,その官公署は,請願者に正当な官公署を指示し,又は正当な官公署にその請願書を送付しなければならない。

第5条 この法律に適合する請願は,官公署において,これを受理し誠実に処理しなければならない。

第6条 何人も,請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

    附 則

  この法律は,日本国憲法施行の日194753日〕から,これを施行する。

 請願法の前提として,憲法16条で請願権が保障されています。

   日本国憲法
(昭和21113日公布,昭和2253日施行)(抄) 
第16条 何人も,損害の救済,公務員の罷免,法律,命令又は規則の制定,廃止又は改正その他の事項に関し,平穏に請願する権利を有し,何人も,かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

 旧大日本帝国憲法においても請願権が認められていました。ただし,文言は異なります。


  大日本帝国憲法
(明治22211日発布,明治231129日発効)(抄)

第30条 日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ請願ヲ為スコトヲ得


 旧大日本帝国憲法30条の請願権を実質化する同条の「別ニ定ムル所ノ規程」としての旧請願令は,1917年に至って制定されました。現在の請願法の前の法規です。
 天皇等に対する「直訴(直願)の処罰」が,旧請願令
16条に定められていましたが,現行憲法が施行された1947年5月3日から旧請願令は廃止されています(したがって天皇等に対する直願の処罰規定も廃止)。


請願令(大正645日勅令第37号(施行同月25日),昭和2253日政令第4号により同日から廃止。〔 〕は,昭和201124日勅令第654号による改正(同日施行))(抄)

第10条 天皇ニ奉呈スル請願書ハ封皮ニ請願ノ二字ヲ朱書シ内大臣府〔宮内省〕ニ宛テ其ノ他ノ請願書ハ請願ノ事項ニ付職権ヲ有スル官公署ニ宛テ郵便ヲ以テ差出スヘシ

第14条 天皇ニ奉呈スル請願書ハ内大臣〔宮内大臣〕奏聞シ旨ヲ奉シテ之ヲ処理ス

第16条 行幸ノ際沿道又ハ行幸地ニ於テ直願ヲ為サムトシタル者ハ1年以下ノ懲役ニ処ス行啓ノ際沿道又ハ行啓地ニ於テ直願ヲ為サムトシタル者亦同シ


行幸は天皇のお出ましのこと,行啓は現在の警衛規則(昭和5421日国家公安委員会規則第1号)1条によれば皇后,皇太后,皇太子及び皇太子妃のお出ましのことです。
 「行幸ノ際沿道又ハ行幸地ニ於テ」天皇に直願をしようとするものでなければ旧請願令
16条には当たらなかったところです。

「不敬罪」という言葉は現在でも生きていますが,現実の当該罰則規定は,昭和22年法律第124号により19471115日から削除されています。天皇に対する不敬罪に係る削除前の条文は,次のとおりです。


刑法74条1項 天皇,太皇太后,皇太后,皇后,皇太子又は皇太孫ニ対シ不敬ノ行為アリタル者ハ3月以上5年以下ノ懲役ニ処ス


3 天皇に対する請願の可能


日本国憲法4条1項が「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない。」と規定していることから,請願権に係る憲法16条に関し,天皇に対する請願があり得るのか,そもそもそのような請願に意味があるのかが問題になります。
 これについては,旧大日本帝国憲法の改正案を審議した
1946年の第90回帝国議会において,既に英米法学者である高柳賢三貴族院議員から疑問が呈されていたところです。
 しかしながら,憲法担当の金森徳次郎国務大臣は,「天皇ニ対シテ請願ヲスルト云フコトノ実際的ナ効果ハ非常ニナクナルト申シマスルカ,或ハ絶無ニ近キモノトナルト思ツテ居リ」つつも,天皇に対する請願のあるべきことを力説し,肯定説で当該議論を押し切ったところです。


1946年9月17日貴族院帝国憲法改正案特別委員会


○高柳賢三君 ……天皇ハ国政ニハ干与シナイト云フ建前デアリマスガ,請願ハ総テ国政ニ関スルコトデハナイカ,サウ云フヤウナ点カラ天皇ニ請願ヲスルト云フコトハ出来ナイト云フヤウナ解釈ガ取レナイモノデスカ,其ノ点ヲ御答ヘ願ヒマス

○国務大臣(金森徳次郎君) 天皇ハ第6条,及ビ第7条ニ於テ権能ヲ御持チニナツテ居ルノデアリマシテ,其ノ範囲ニ於テ現レテ来マスル請願ニ付テハ,殊に其ノ範囲ニ於テ天皇ノ御耳ニ達スルコトノ必要ノアルコトニ付テハ,請願ヲ天皇ニ差出スコトハ許サレテ居ルト考ヘテ居リマス,併シナガラ之ガ内容ニ付テノ実行ノ面ニ動ク場合ニ於テハ,総テ内閣ノ助言ト承認ト云フ段階ニ入ツテ行クモノト想ヒマシテ,其ノ点ニ於テ矛盾ナク説明ガ出来ルモノト考ヘマス

○高柳賢三君 大体6条,7条ニ関スルコトハ天皇ノ広イ意味ノ儀礼的ナル御権能デアルヤウニ取レマスガ,請願ノ客体トナルコトハサウ云フコトヂヤナクテ,寧ロ実質的ナ国政ニ関スルコトデ,色々斯ウヤツテ欲シイト云フヤウナコトガ請願ニ関スル大部分ヂヤナイカ,サウ云フヤウナコトハ,矢張リ天皇ガサウ云フコトニ捲込マレルト云フコトハ,ソレハ天皇ノ御地位ト矛盾スルコトニナルノデハナイカ,従ツテ請願ト云フモノハ,大部分ハ陛下ニ対スル請願ト云フモノハナクナルノダ,斯ウ云フ風ニ解釈シテ宜イノデハナイカ,其ノ点ヲ御伺ヒ致シマス

○国務大臣(金森徳次郎君) 大体御説ノ通リ,天皇ニ対シテ請願ヲスルト云フコトノ実際的ナ効果ハ非常ニナクナルト申シマスルカ,或ハ絶無ニ近キモノトナルト思ツテ居リマス,併シ此ノ第6条,第7条ノ天皇ノ権能ハ,勿論大キイ目デ見レバ儀礼的要素ヲ主ニシテ居リマスケレドモ,憲法ノ規定ノ建前ト致シマシテハ,例ヘバ第7条第7号ノ栄典ヲ授与スルコト,ト云フガ如キコトハ,政治的ニ儀礼デアルト云フコトハ固ヨリ正常デアリマスルケレドモ,憲法自身ニ於キマシテハ左様ナ言葉ヲ使ツテハ居リマセヌ,従ツテ請願ノ場面ニ於キマシテモ,ソレト関聯スル程度ニ於テ,観念的ニ請願ハ成リ立ツモノト存ジテ居ル次第デアリマス

○高柳賢三君 其ノ点ハ相当重要ナ,7条ノ解釈トシテモ,例ヘバ栄典ノ授与ノ場合デモ之ヲ決定スルノハ内閣ガスル,実質的ニハ内閣ガスルト云フコトニナルノダト思ヒマスノデ,是等ノコトモサウ云フ見地カラ致シマスレバ,天皇ニ対スル請願ノ問題ハ,天皇ノ御地位ニ非常ニ影響ノアル論点ヲ含ンデ居ルノダト云フコトヲ十分ニ御注意ヲ御願ヒシタイト思ヒマス……

○国務大臣(金森徳次郎) ……天皇ニ関スル請願ノ場合デアリマスルガ,是ハ現行制度ニ於キマシテモ,天皇ニ対スル請願ト云フモノハ存在シテ居リマスケレドモ,併シ是ガ国務大臣ノ輔弼ト云フコトト矛盾シナイヤウニ扱ハレテ居ルト私ハ存ジテ居リマス,寧ロ主タル点ハ形ノ問題デアリマス,今回ノ場合ニ於キマシテモ主タル点ハ形ノ問題デアリマシテ,ドウ云フ風ニナツテ行クカト云フコトヲ今ハツキリハ申上ゲラレマセヌケレドモ,結局サウ云フモノハ,事ノ性質ニ応ジテ内閣ニ移シテ研究ヲセシメラレルト云フノガ筋ニナツテ居リマシテ,天皇自ラ之ヲ御処置ニナルト云フコトハ,其ノ点ハ余程能ク考ヘテ行カナケレバナラヌコトハ御説ノ通リト存ジテ居リマス……(第90回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会議事速記録1545頁)


ここで金森大臣がこだわった「形ノ問題」とは何でしょうか。実体においては「内閣ニ移シテ研究」するが,形としては天皇が国民から請願を受けるということにしたいということでしょうか。

確かに,旧大日本帝国憲法30条において臣民から請願を受ける者は,本来的には天皇が想定されていたところです。伊藤博文の『憲法義解』は,同条について次のように説明しています(岩波文庫版61-62頁)。


  請願の権は至尊仁愛の至意に由り言路を開き民情を通る所以なり。孝徳天皇の時に鐘を懸け匱を設け諫言憂訴の道を開きたまひ,中古以後歴代の天皇朝殿に於て百姓の申文を読ませ,大臣納言の輔佐に依り親く之を聴断したまへり……之を史乗に考ふるに,古昔明良の君主は皆言路を洞通し冤屈を伸疏することを力めざるはあらず。……猶臣民請願の権を存し匹夫匹婦疾苦の訴と父老献芹の微衷とをして九重の上に洞達し阻障する所なきを得せしむ。此れ憲法の民権を貴重し民生を愛護し一の遺漏なきを以て終局の目的と為すに由る。而して政事上の徳義是に至て至厚なりと謂ふことを得べし。

  ……

  請願の権は君主に進むるに始まり,而して推広して議院及官衙に呈出するに及ぶ。……


「明良の君主」を戴く国家としては,当然その君主に対する人民の言路を洞通する仕組みが整っていなければ,その形をなさないということでしょう。

この点,旧請願令の制定が,内閣総理大臣以下の政府のイニシャティヴによってではなく,天皇周辺の宮中(帝室制度審議会)のイニシャティヴによってされたことは示唆的です。
 旧「請願令ハ至尊御仁愛ヲ発露スルモノニシテ実ニ治国上重大ナル関係アリ」との位置付けが確認されていたところです(1917328日の枢密院会議における寺内正毅内閣総理大臣の発言)。

あるいは,現行憲法制定時にも,天皇制が存続される以上,「明良の君主」を戴くことに伴う形の一つとして,天皇に対する請願が認められなければならないものと考えられていたのでしょうか。
 しかしながら,その後
1947年の請願法案の国会審議において金森大臣は,上記の点に触れずに,天皇がその国務上の権能を行使するに当たって意思を用いるということから,天皇に対する請願のあるべきことを説明しています。
 いわく,「何故天皇に対して請願が出来るかと云へば,天皇は此の憲法に基きまして国務上の権能を御持になつて居る,既に権能を御持になるとすれば,其処に何等かの形に於て天皇の御意思が働く面があると云ふことの考を持たなければならぬ,……従つて天皇が此の憲法に依つて理論的に御意思を御用ひになる範囲があるものと云ふ解釈を執りますれば矢張り天皇に対して請願の途を設くることが正当であらうと云ふことで考へて居つた訳であります……」(第
92回帝国議会貴族院請願法案特別委員会議事速記録19頁)。

現行の請願法3条1項後段は,天皇に対する請願書は内閣(内閣官房の方であって,内閣府ではない。)に提出すべきことのみを定め,その後の当該請願書の処理がどうされるかは明らかに規定していません。
 これに対して旧請願令
14条は,行き届いた規定になっています。同条の趣旨は,1917年3月19日の枢密院請願令第1回審査委員会で岡野敬次郎帝室制度審議会委員から次のように説明されています。いわく,「受理セラルルモ之ニ対シテ別ニ指令ヲ与ヘサルコトヲ定ルカ故ニ臣民ハ其ノ呈出セル請願書カ如何ニ処理セラレタル乎ヲ知ル由ナキヲ以テ其ノ請願書ハ徒ラニ高閣ニ束ネラルルコトナク夫々相当ニ処理セラルヘキモノナルコトヲ一般ニ公示スル必要アリ……「之ヲ処理ス」ト謂フハ単ニ其ノ事ノ内容ニ依リ之ヲ内閣総理大臣又ハ宮内大臣ニ下付スルノ義ナリ内閣ニ於テ天皇ヨリ下付セラレタル請願書ヲ審査スルハ明カニ内閣官制ノ定ムル所ナリ〔同官制55号参照〕即チ内大臣旨ヲ奉シテ直ニ左右ヲ決定スルノ謂ニ非サルナリ」。
 天皇あての請願書は単に機械的に処理されていたわけではないようで,同じ委員会で,当時の請願処理の統計表を示しながら岡野委員は,「統計表中上奏シテ留置トアルハ思召ニ依リ御手許ニ留置カレタルモノ又上奏ニ至ラスシテ留置トアルハ内大臣府ニ留置カレタルモノナリ今後ト雖上奏後御手許ニ留置カルルモノナキニ非サルヘキモ是レ一ニ思召ニ属ス」と説明しています。

現行請願法3条1項後段の規定に関しては,金森大臣が次のように説明しています。


……内閣は何と考へても経由機関であると云ふことに帰著する訳であります,併し経由機関ではあると申しまするけれども,単純なる経由機関ではなくて是は憲法の規定から考へまして,内閣と天皇とが複雑なる組合せの下に第6条第7条の天皇の権能が行はれて行きまするので,それに合せるやうに内閣に於て処理して行かなければならぬ……此の請願書は天皇に御届けをしなければならぬ,併しながら之に付きまして,内閣が「助言と承認」〔憲法3条〕と云ふ其の字句に当るだけの働きをしなければならぬ……現実に処理されて行きます時も,矢張り内閣の助言と承認を基本としての天皇の御働きに依つて処理せられて行くと云ふやうに考へて居ります,唯それが婉曲な所でありますから,第3条の規定にはあつさりと内閣に提出する,斯う云ふ風に書いて居る訳であります(第92回帝国議会貴族院請願法案特別委員会議事速記録19頁)


4 天皇に対する直願の否定


天皇に対する直訴(正確な法令用語では直願)は不敬罪になったのでしょうか(不敬罪は,前記のとおり,現行憲法施行後の19471115日から廃止)。
 必ずしもそうではなかったようです。
 1917年の旧請願令制定の際刑法旧74条1項に天皇等に対する不敬罪が既に存在していたのに,新たに同令16条は天皇等に対する直願の罪を定め,不敬罪よりも軽く罰するものとしているからです。すなわち,同条の直願の「所為ハ直チニ刑法ニ所謂不敬罪を以テ論シ難キ場合アルヘキ」ものとの認識の下,「サリトテ之ヲ不問ニ附シ難キハ勿論」であることから,直願の罪が定められたものとされているところです(枢密院請願令第1回審査委員会での岡野委員の説明)。不敬罪に当たらない直願はあり得るが,やはり直願は迷惑なので罰しておこう,ということだったのでしょうか。

現行の請願法下における天皇への直願については,金森大臣の次の国会答弁があります。


天皇に対する直訴と云ふ点に付きましては,固より現行の制度〔旧請願令〕に於きまして之を規律致しておりますが,今回の請願法に於きましては,第3条にありまするやうに,「天皇に対する請願書は,内閣にこれを提出しなければならない。」と云ふことになつて居りますから,直訴を致しますれば,此の請願法に於いては適法ならざることは,是は一点の疑はございませぬ,従つて左様な請願と云ふものに付きましては,此の請願法に依る処置をすべき限りでないことは固よりでありまするが,唯行幸の途中を御妨げをしましたり,其の外紛擾を惹き起しまする,斯う云ふものをどう扱うかと云ふことになりますれば,此の請願法はそれに触れて居りませぬ,一般の取締と同じ立場になる訳であります,従つて文書を差出す為に行幸を紊つた場合,其の外の考から行幸を紊りました場合と同じ扱ひにならうと存じて居ります,又現実にそれが如何に処理されて行くかと云ふことは,其の時々の情勢に依りまして,之に当て嵌る一般法規で臨むと云ふ風になります,左様な法規があるかと云ふことに今度はなりまするけれども,其の点は今の処まだはつきりは致して居りませぬ,不敬罪になりますればそれはなりまするし19472月段階では不敬罪はなお存続〕,公務妨害と云ふことになりますればなりまするし,其の外一般的に処置するより外に別段の考を致して居りませぬ(第92回帝国議会貴族院請願法案特別委員会議事速記録13頁)


 請願法の保護を受けない請願として提出された文書の処置は,「一般の法規に従つて解決して行く」ものと考えられており,当該処置は「其の時の自由」であって,「却下するのも宜しいし,持つて居つて其の儘にして置くと云ふのも宜い」ものとされています(第92回帝国議会貴族院請願法案特別委員会議事速記録13頁・金森大臣)。「請願法に依る処置をすべき限りでない」のであるから,同法5条に基づき受理され,誠実に処理されることはないわけです。

 天皇への直願は,憲法16条により保護される「平穏に請願する」ことには当たらないのでしょうか。「単に請願をするのではなくて,之に力,暴力と云ふものを伴つて行」われるものが平穏な請願でないことは明らかです(第92回帝国議会貴族院請願法案特別委員会議事速記録13頁・金森大臣)。そのほか,天皇に対しては,力を伴わないものであっても,直願それ自体がそれだけで平穏ではないことになるのでしょうか。しかしながら,天皇に対する平穏でない直願は不敬罪を犯すものとされ得たものと思われる一方,天皇に対する不敬罪に当たらない直願はあり得るものとされていたところです。

 実は,天皇のみならず,公務員個人に直接請願書を出すことも,請願法に適合しない請願であるとされています。
 請願書を「どこかに出すならば,官公署に出すということが原則で,不思議はないように思いますが,これにも若干の事情がありまして,たとえば外を歩いておる役人に対して,いきなり請願書を出すということは,請願の慎重なる手続に反しますので,まず常識的にそれは官公署に出すべきものであるということ」が定められている(請願法
3条),と金森大臣から説明されています(第92回帝国議会衆議院華族世襲財産法を廃止する法律案委員会議録(速記)第12頁)。官公署とは,いわゆる役所という意味です。
 平穏でないからではなく,「請願の慎重なる手続」に反するので,「外を歩いておる役人に対して,いきなり請願書を出す」ことは請願法の手続には乗らない(受理され,誠実に処理されることはない。)ということのようです。
 金森大臣は続いて,「助言と承認とによつて行動せられます天皇に,直ちに請願書を出すことは不適当でありますし,それかと申しまして現在の〔旧請願令の〕如く内閣抜きに出るということも不合理でありまして,そこで助言と承認の責任を持つております内閣に提出すべきものであるといたしておるわけであります。」と説明していますが(同会議録(速記)
2頁),この説明だけからでは,天皇に対する直願が認められないのは天皇に対する直願は平穏な請願ではないからである,ということにはならないようです。
 「施行法律と云ふものとして書き得る事項は相当に幅のあるもの」であり,「憲法は国民の願を国家に申出ると云ふ所に重点がありますので,其の願を申出る時に,社会の一般の通念に照らしまして妥当と認めらるゝ方法を選ばせると云ふことは,是は施行法律で出来る」ということでしょう(第
92回帝国議会貴族院請願法案特別委員会議事速記録14頁・金森大臣(請願の形式が文書によるものに制限されることについて))。


5 請願者に対する差別待遇の憲法による禁止


憲法16条の「何人も,かかる〔平穏な〕請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。」の意味については,金森大臣は次のように説明しています。


……差別待遇ヲ受ケルト云フコトハ,是ハ沿革的ニ考ヘテ見マシテ,請願ハ国民ノ重大ナル権利デアリマスルケレドモ,併シ請願ハ封建思想ノ強イ時代ニ於キマシテハ,当局者ガ甚ダシク嫌ツタモノデアリマシテ,物語ニ伝ツテ居リマスル佐倉宗五郎ノ事件ト云フノハ,即チ其ノ請願ガ其ノ請願者ノ生命ヲ奪フト云フヤウナ結果ニナツテ居ル,ダカラ請願ヲシタカラトテ,何等不利益ナル取扱ヒヲ受ケナクチヤナラヌ〔ママ〕,刑罰ハ固ヨリ,刑罰デナクテモ,何処カノ処置デ或ル利益ヲ奪ハレタリスルヤウナ不利益ヲ受ケテハナラヌ,斯ウ云フ趣旨デアリマス……(第90回帝国議会衆議院帝国憲法改正案委員会議録(速記)第332頁)


何等の不利益をも受けない」というのですから(第92回帝国議会貴族院請願法案特別委員会議事速記録16頁・金森大臣),1689年の英国の権利章典における請願権の保障よりも手厚いものになっています。英国の権利章典では,国王に対する請願を理由とした拘禁及び訴追が違法であるとされているだけです。
   … 
it is the right of the subjects to petition the king, and all commitments and prosecutions for such petitioning are illegal


 また,国家機関の側は,その「人間ノ弱点」を克服して,請願者に対して寛容であることが求められています。


……併シナガラ請願ヲ受ケルコトニ依ツテ或ル行政部局担任者等ガ自然不利益ナル立場ニ置カルヽコトノアルコトモ亦予想サレマス,例ヘバ自己ノ措置ガ悪カツタト云フコトニ対シテ請願ガアルト云フコトニナリマスト,人間ノ弱点カラ何トナク此ノ請願ニ対シテ不愉快ナル思ヒヲスルト云フ虞ガアル訳デアリマス,其ノ結果ト致シマシテ請願者ニ何等カノ不利益ヲ掛ケルソレガ行政上ノ手加減或ハ取締規定トカ云フモノニ依リマシテ不利益ヲ与フルコトナシト言ヘナイ訳デアリマス,例ヘテ申シマスレバ請願ヲシタ為其ノ人ヲ官庁ニ採用スル時ニハ後廻シニスルト云フヤウナコトガ考ヘラレマス,サウ云フ不届キナ考ヘヲ起スコトハ,予メ憲法ニ於テハツキリ区別シテ置カナケレバナリマセヌ,正キ請願ヲシタ者ニ対シテ,如何ナル関係ニ於テモ差別待遇ヲシテハナラナイト云フ意味ヲ之ニ表ハシテ居ル訳デアリマス(第90回帝国議会衆議院帝国憲法改正案委員会議録(速記)第14254頁・金森大臣)


……不利益ヲ受ケルコトガナイト,斯ウ云フコトニナラウト思ヒマス,例ヘバ官吏ガ請願ヲシタ,而モソレハ仕事ニ関シテ他ノ権限ヲ批評シタト云フヤウナコトガアツタト致シマシテモ,ソレガ為ニ官吏秩序ノ中ニ於テ不利益ヲ受ケルト云フコトガアツテハ相成ラヌノデアリマス……(第90回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会議事速記録155頁・金森大臣)


現行請願法の法案の国会審議に当たっても,金森大臣は,「国の側と致しましては,其の請願に対しては出来るだけ深切な態度をとるべきものであるという趣旨を明らかにする」ことが同法の「眼目」の一つであると表明していたところです(第92回帝国議会貴族院請願法案特別委員会議事速記録12頁)。

なお,いわゆる関ヶ原町署名調査事件に係る最近の名古屋高等裁判所平成24年4月27日判決(平22(ネ)1473号・平23(ネ)452号)は,「請願権は,国民の政治参加のための重要な権利であり,請願をしたことにより処罰されたり不利益を課されたり,その他差別を受けることはないとされるべきであり,官公署は請願を受理し,誠実に処理する義務を負う(請願法5条)。官公署において,これを「誠実に」処理するとは,放置したりしてはならないことであり,誠実に処理するという名の下に,将来の請願行為をしにくくすることや請願をした者を萎縮させることが許されないのはいうまでもない。」と判示しています。


6 非国民の請願権


 非国民には請願権は認められないのでしょうか。
 しかし,「外国人でも請願が出来る」と考えられているところです(第
92回帝国議会貴族院請願法案特別委員会議事速記録15頁・金森大臣)。

                                              




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