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1 はじめに

平成29年法律第44号によって202041日から改正(同法附則1条柱書き及び平成29年政令第309号)された民法(明治29年法律第89号)95条については,当該条文を最初に見た際に筆者は,「今までは条文には書いてなくていわゆる基本書・参考書を見なければ分からなかったことがみんな書き込んである。親切なもんだなぁ。」と思ったことでした。そこで非常勤講師として大学で民法を教えるに当たっても,「錯誤については,まぁ,条文をしっかり読んでください。」などとのぬるやかな姿勢を示していたのでした。

しかし,やはり錯誤は難しい。

今年(2026年)に入ってから筆者は,次のように,民法95条の錯誤規定と長々お付合いをしております。本稿をもって何とか打ち止めにしたいものです。

 

ぬるやかな契約書実務の一事例及び錯誤論等:東京地方裁判所令和6527日判決にちなんで」(2026128日)

共通錯誤論管見」(2028228日)

 

 本稿は,上記「共通錯誤論管見」中の「6 日本民法953項(同項2号を除く。)とドイツ民法第一草案99条と」の続きということになります。

 

2 関係条文及び概念

 

(1)日本民法

 

ア 錯誤による意思表示の取消し又は無効

 まず関係条文の確認です。

 現在の民法95条は,次のとおり。

 

   (錯誤)

  第95条 意思表示は,次に掲げる錯誤に基づくものであって,その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは,取り消すことができる。

   一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤

   二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤

  2  前項第2号の規定による意思表示の取消しは,その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り,することができる。

  3  錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には,次に掲げる場合を除き,第1項の規定による意思表示の取消しをすることができない。

   一 相手方が表意者に錯誤があることを知り,又は重大な過失によって知らなかったとき。

   二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。

4  第1項の規定による意思表示の取消しは,善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

 

 平成29年法律第44号によって改正される前の民法95条は次のとおりでした。

 

   (錯誤)

  第95条 意思表示は,法律行為の要素に錯誤があったときは,無効とする。ただし,表意者に重大な過失があったときは,表意者は,自らその無効を主張することができない。

 

 更に同条は,平成16年法律第147号によって200541日から改正(同法附則1条及び平成17年政令第36号)される前は次のとおりでした。

 

  第95条 意思表示ハ法律行為ノ要素ニ錯誤アリタルトキハ無効トス但表意者ニ重大ナル過失アリタルトキハ表意者自ラ其無効ヲ主張スルコトヲ得ス

 

 我が民法旧95条のフランス語訳(富井政章=本野一郎によるものであって,1898年にパリで出版)は“La déclaration de volonté est nulle, lorsqu’il y a erreur sur les éléments essentiels de l’acte juridique. Toutefois, le déclarant ne peut lui-même se prévaloir de cette nullité, lorsqu’il y a eu faute grave de sa part.”でした。「意思表示」はフランス語では“déclaration de volonté”,「法律行為」は“acte juridique”であって,また,民法旧95条の「要素」は“éléments essentiels”であることが分かります。当該法律行為(l’acte juridique)の本質的部分(les éléments essentiels)が民法旧95条の「要素」なのでした(反対解釈すると,法律行為に本質的部分があるということは,それ以外の非本質的部分もあるということです。)。

(なお,意思表示と法律行為との関係は,初学者を混乱させるところですが,理窟っぽく説明すると,まず「法律関係においては,一定の生活関係が存在すると,これについて法律的保護のある一定の効果が発生することになる。そして,この効果を法律(●●)効果(●●)といい,この法律効果を生ずる生活関係を法律(●●)要件(●●)という。」ということが前提にあって(我妻榮『新訂民法総則(民法講義)』(岩波書店・1972年)230-231頁),①契約,②単独行為(債務免除(民法519条),遺言等)及び合同行為(社団法人設立行為が適例)に3分類(我妻・総則243-244頁参照)されるところの「法律行為(Rechtsgeschäft)とは,意思表示を要素とする私法上の法律要件」であるものとされています(我妻・総則238頁)。「初学者のうちは,法律行為イコール契約であるものと考えるのでいいよ。」と,筆者は教わったところです。しかしてここで法律行為が「意思表示を要素とする」というときの「要素」は,民法旧95条的な本質的部分という意味ではなく,「それによって構成されるもの(éléments constituants)」という意味でしょう(富井政章『民法原論 第一巻 総論』(有斐閣・1922年合冊版)442頁のいうところの「普通ノ意義タル法律(●●)行為(●●)()成立(●●)要件(●●)」です。)。法律行為は分解してしまえば要は1又は2以上の意思表示なのですが,意思表示の組み合わせ方によって,契約(対立する2個以上の意思表示が合致して成立する法律行為)となったり,単独行為(一人1個の意思表示で成立する法律行為)となったり,合同行為(方向を同じくする2個以上の意思表示が合致して成立する法律行為)となったりするのでした。)

 

イ 意思の欠缺又は錯誤

 

(ア)意思の欠缺(旧)

 「法律行為の要素に錯誤があったとき(lorsqu’il y a erreur sur les éléments essentiels de l’acte juridique)」にはその結果としてどういう状態になることになっているのか(当該状態こそが,当該意思表示の無効という法律効果をもたらす直接の法律要件であったわけです。),は民法旧95条を見るだけではよく分かりませんでした。そこで,平成29年法律第44号による改正前の民法1011項を見ることになります。すなわち同項にいわく,「意思表示の効力が意思の不存在,詐欺,強迫又はある事情を知っていたこと若しくは知らなかったことにつき過失があったことによって影響を受けるべき場合には,その事実の有無は,代理人について決するものとする。」と(なお同項は,平成16年法律第147号による改正前には,「意思表示ノ効力カ意思ノ欠缺,詐欺,強迫又ハ或事情ヲ知リタルコト若クハ之ヲ知ラサル過失アリタルコトニ因リテ影響ヲ受クヘキ場合ニ於テ其事実ノ有無ハ代理人ニ付キ之ヲ定ム」でした。)。

すなわち,「法律行為の要素に錯誤があったとき」には,「意思ノ欠缺(けんけつ)(意思の不存在)」がもたらされることとされていたわけです。

梅謙次郎の民法旧1011項解説も,「例ヘハ代理人ノ意思カ錯誤又ハ強迫ノ為メニ全く欠缺セルカ,詐欺若クハ強迫ニ因リテ其意思ニ瑕疵アルカ,第93条ノ場合ニ於テ代理人カ相手方タル表意者ノ真意ヲ知リ若クハ之ヲ知ルコトヲ得ヘカリシトキハ其意思表示ハ或ハ無効ト為リ或ハ取消シ得ヘキモノト為リ敢テ本人ノ意思如何ヲ問ハサルナリ」と述べていました(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1911年)262頁。下線は筆者によるもの)。本野一郎=富井政章のフランス語訳による民法旧1011項は“Lorsque l’efficacité de la déclaration de volonté se trouve atteinte, soit par l’absence de volonté, soit par le dol ou les menaces, soit enfin par la connaissance ou l’ignorance fautive de certaines circonstances, il faut, pour l’appréciation de ces éléments, prendre en considération la personne du représentant.ですから,「意思ノ欠缺」はフランス語では“absence de volonté”であるということになります。「錯誤ニ因リテ意思ノ欠缺ヲ生スヘキ場合トハ錯誤ニ因リテ意思ト表示ト合ハサル場合ニシテ即チ本条〔民法旧95条〕ニ所謂「法律行為ノ要素ニ錯誤アル」モノ」たる場合です(梅219頁)。

 

(イ)錯誤(新)

ただし,平成29年法律第44号による改正以後の民法現行1011項は「代理人が相手方に対してした意思表示の効力が意思の不存在,錯誤,詐欺,強迫又はある事情を知っていたこと若しくは知らなかったことにつき過失があったことによって影響を受けるべき場合には,その事実の有無は,代理人について決するものとする。」となっています(下線は筆者によるもの)。「意思の不存在」は,素直に考えると従来からの「錯誤ニ因リテ意思ト表示ト合ハサル場合」でしょうから,民法現行9511号の「意思表示に対応する意思を欠く錯誤」に基づく意思表示が陥っている状態は,伝統を重んずればこの「意思の不存在」に当てはめられるべきでしょう(ただし,後に見るように,同法現行1202項との関係で問題が生じます。)。そうだとすると,新出の民法現行1011項の「錯誤」は,残る同法現行9512号の「表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤」に基づく意思表示をした表意者が陥っている状態ということに,まずはなるわけです。表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反しているときの同人の状態,ということです。「〔平成29年法律第44号による改正以後の〕新法においては,「錯誤」を「表示の錯誤」と「動機の錯誤」とに区別して規定しているが(新法第95条〔略〕),「動機の錯誤」は「意思の不存在」に当たるとはいい難いものであることから,別途,代理行為の効力に影響を与え得る事実として「錯誤」を明示している(新法第101条第1項)。」ということです(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)29頁注1)。

従来は「錯誤(=表示の錯誤)」意思の欠缺」であったものが,現在は「動機の錯誤」「錯誤」になって,「錯誤」の本家・嫡流が,表示の錯誤から動機の錯誤に移動したということでしょう。フランス史でいえば,ブルボン本家からオルレアン分家に王統が移った1830年の七月革命のようなものでしょうか。「動機の錯誤」の場合には,成立した法律行為(契約)に表示された内容の「要素」についてそれに対応する意思が存在するかどうかを検討するのではなく,法律行為成立以前におけるその「基礎とした事情」に係る表意者の認識の正否が問題となるわけです。

ところが更には,民法現行1202項は,「錯誤,詐欺又は強迫によって取り消すことができる行為は,瑕疵ある意思表示をした者又はその代理人若しくは承継人に限り,取り消すことができる。」と規定しています。民法現9511号の錯誤に基づく意思表示の取消しも「瑕疵ある意思表示」たる「錯誤」による取消しである,ということになります。そうであれば,民法現1011項の「意思の不存在」と「錯誤」との間において,同法現9511号の錯誤を前者に,同項2号の錯誤を後者に振り分けるという煩瑣なことをするのは無用なことであって,「錯誤」一本でよろしいということになるのでしょう。すなわち,「錯誤は,心裡留保や虚偽表示と異なり,もっぱら,意思は存在するがその形成過程に問題のある場合といえるから,詐欺・強迫とならんで「瑕疵ある意思表示」(1202項)という言い方がされる」ということになります(内田貴『民法Ⅰ-1 第5版 総則』(東京大学出版会・2025年)86頁)。しかし民法現9511号の錯誤も含めてより精確に言えば,「意思表示は存在するがその形成過程に問題のある場合」たる瑕疵ある意思表示ということになるのでしょう。

本稿は,なお,当該錯誤家に係る2020年の「二号による乗っ取り」ないしは「易姓革命」前の立法史を取り扱います。

 

(2)ドイツ民法

 

ア 第一草案

 民法旧95条の「錯誤ノ効果ニ関スル規定ハ主トシテ独逸民法第一読会草案ニ則リタルモノナリ(独一草98条,991項)」とされていますので(富井448頁),ドイツ民法第一草案(1888年出版)の第98条及び第99条を見てみます。

 

§ 98

  Beruht der Mangel der Uebereinstimmung des wirklichen Willens mit dem erklärten Willen auf einem Irrthume des Urhebers, so ist die Willenserklärung nichtig, wenn anzunehmen ist, daß der Urheber bei Kenntniß der Sachlage die Willenserklärung nicht abgegeben haben würde; im entgegengesetzten Falle ist die Willenserklärung gültig. Im Zweifel ist anzunehmen, die Willenserklärung würde nicht abgegeben sein, wenn ein Rechtsgeschäft anderer Art, die Beziehung des Rechtsgeschäftes auf einen anderen Gegenstand oder die Wirksamkeit des Rechtsgeschäftes unter anderen Personen beabsichtigt wurde.

  第98条 実際の意思と表示された意思との合致の欠如が表意者の錯誤によるものである場合において,事実を知っていたならば表意者はその意思表示をしなかったものと認められるべきときは,当該意思表示は無効である。そうでないときには,意思表示は有効である。他の種類の法律行為,他の目的物との法律行為の結び付き又は他の人らとの間での法律行為の発効が意図されていた場合であって,疑わしいときにあっては,意思表示はされなかったものとの推定がされるものとする。

 

  § 99

    Die nach den Vorschriften des § 98 für nichtig zu erachtende Willenserklärung ist gültug, wenn dem Urheber derselben grobe Fahrlässigkeit zu Last fällt.

    Fällt dem Urheber eine Fahrlässigkeit zur Last, welche keine grobe ist, so haftet derselbe dem Empfänger für Schadenersatz nach Maßgabe des § 97 Abs. 3.

    Die Vorschriften des ersten und zweiten Absatzes finden keine Anwendung, wenn der Empfänger den Irrthum kannte oder kennen mußte.

  第99条 第98条の規定により無効であるものと判断されるべき意思表示は,その表意者に重大な過失があるときは有効である。

    表意者に重大ではない過失があるときは,同人は相手方に対して第97条第3項に応じた損害賠償をする責任を負う。

    相手方が錯誤を知っていたとき又は知っていなければならなかったときには,第1項及び第2項の規定は適用されない。

 

 ドイツ民法第一草案973項は次のとおりでした。

 

    Fällt dem Urheber eine Fahrlässigkeit zur Last, welche keine grobe ist, so haftet derselbe dem Empfänger für Schadenersatz, jedoch in keinem Falle über den Betrag hinaus, welchen er bei Voraussetzung der Gültigkeit der Willenserklärung wegen Nichterfüllung der daraus entstandenen Verpflichtung zu ersetzen gehabt hätte.

   表意者に重大ではない過失があるときは,同人は相手方に対して損害賠償をする責任を負う。ただし,その意思表示が有効であったとの前提において,それから生ずる義務に係る不履行により彼が賠償すべきであったであろう金額を超えないものとする。

 

イ 現行法

 なお,実際に立法されたドイツ民法(1896年制定,1900年施行)の119条は,次のとおりです。

 

§ 119

(1)  Wer bei der Abgabe einer Willenserklärung über deren Inhalt im Irrtum war oder eine Erklärung dieses Inhalts überhaupt nicht abgeben wollte, kann die Erklärung anfechten, wenn anzunehmen ist, dass er sie bei Kenntnis der Sachlage und bei verständiger Würdigung des Falles nicht abgegeben haben würde.

(2)  Als Irrtum über den Inhalt der Erklärung gilt auch der Irrtum über solche Eigenschaften der Person oder der Sache, die im Verkehr als wesentlich angesehen werden.

  第119条 意思表示をする際その内容について錯誤に陥っていた者又はその内容の表示をそもそもする意思のなかった者は,事実を知っており,かつ,事案を思慮深く判断したならばその表示をしなかったであろうものと認められるべき場合には,当該表示を取り消すことができる。

  2  取引上本質的なものとされる人又は物の性状についての錯誤も,表示の内容についての錯誤とみなされる。

 

 以上は「共通錯誤論管見」の6で御紹介したところですが,本稿では,ドイツ民法第一草案の理由書たるMotive1888年出版)の第98条部分の拙訳を御披露申し上げることとします。何を今更古い話を,という御感想もありましょうが,「子曰,温故而知新,可以為師」なのですぞ。


孔丘(東京都文京区湯島聖堂)
 
孔夫子こと孔丘先生(東京都文京区湯島聖堂)


3 ドイツ民法第一草案98条の解説の翻訳(註釈付き)

 

(1)錯誤による不慮の意思欠缺(Unbewußter Willensmangel infolge Irrthumes)

 

Giebt Jemand eine seinem wirklichen Willen nicht entsprechende Willenserklärung ohne Kenntniß des Zwiespaltes zwischen Wille und Erklärung ab, so kann dies seinen Grund darin haben, daß bei der Erklärung des Willens ein Irrthum unterläuft, welcher bewirkt, daß die Erklärung der bezweckten Willenskundgebung nicht gerecht wird (Irrthum in der Erklärungshandlung), oder darin, daß die Erklärung den Willen zwar wiedergiebt, der Wille aber auf einer falschen Vorstellung beruht, welche die Willenswirklichkeit ausschließt (Irrthum über den Inhalt der Erklärung). Mitunter scheidet man auch zwischen Irrung (Fälle des Sichversprechens, Sichverschreibens, Sichvergreifens, u. s. w.), Verlautbarungsirrthum (Fälle, in welchen mit der Erklärung ein anderer Sinn verbunden wird, als den gewählten Erklärungszeichen an sich zukommt) und Irrthum über den sachlichen Inhalt der Erklärung. Die Verschiedenheit des obwaltenden Irrthumes ist nur insofern von Belang, als je nach der Beschaffenheit desselben der Schluß auf das Vorhandensein einer Nichtübereinstimmung zwischen Wille und Erklärung mehr oder minder nahe liegt; die rechtliche Beurtheilung der Nichtübereinstimmung selbst, auf welche es allein ankommt, ist die gleiche. In dem Entwurfe wird deshalb von jeder Scheidung in dieser Richtung abgesehen und nur von Irrthum gesprochen. Ferner ist auch der Hinweis darauf unterblieben, daß es unerheblich sei, ob der Irrthum in Nicht= oder Falschwissen bestehe (sächs. G. B. §95); ein solcher Ausspruch ist entbehrlich und insofern vielleicht nicht einwandsfrei, als die Meinung sich vertreten läßt, daß das Nichtwissen vorwiegend, wenn nicht ausschließlich, dem Bereiche des Irrthumes in den Beweggründen (§102) angehöre.

 

ある者が,その実際の意思に対応しない意思表示を,意思と表示との間の当該不一致を認識せずにする場合(註1においては,その原因は,意図されたところの意思の通知にとって表示をふさわしくないものにしてしまう錯誤が意思の表示の際に混入すること(表示行為における錯誤)であるときがあり,表示は意思をそのとおり表現してはいるものの,当該意思が,意思の現実性(die Willenswirklichkeit)を排除する誤った表象に基づいていること(表示の内容についての錯誤)であるときがあり得る。時として,また次のような区分がされている。すなわち,間違い(言い間違い,書き間違い,選び間違い等の場合)と,表現の錯誤(そこで採られた表示の文字記号自体によるものとは異なる他の意味が当該表示に結び付けられる場合)と,及び表示の事実的内容に係る錯誤との区分である(註2。そこに存する錯誤には違いがあるとしても,その違いは,意思と表示との間に一致の欠如が存在するとの結論に,近いか遠いかということに係る当該錯誤自体の性質に応ずる限りにおいて重要性を有するものである。当該一致の欠如のみが重要であるところ,当該欠如に対する法的評価自体は,同じである。したがって,本草案においては,この方向での区分は度外視して,ただ錯誤について論ぜられる(註3。更には,錯誤が不知に存するのか誤知に存するのかは重要ではないということ(ザクセン法典95条)の指摘もしない。そのような言明は不必要であり,また,その意味するところが,不知は専らではなくとも主には動機の錯誤の領域(第102条)(註4に属するものである,ということであると解される限りにおいては,恐らく異議を免れないであろうところである。

 

(註1)民法旧95条の起草者である富井政章が「錯誤(○○)トハ不慮(●●)()真意(●●)()非サル(●●●)意思(●●)表示(●●)()()スコト(●●●)ヲ謂フ」と説いたのは,この部分を承けたものでしょう(富井政章『民法原論 第一巻 総論』(有斐閣・1922年合冊版)433頁)。梅謙次郎も「意思表示ニ就テ言ヘハ」錯誤とは「表意者カ其真意ニ非サル事項ヲ其意思ノ如ク表示シ而モ自ラ其意思ト表示ト齟齬セルコトヲ知ラサル場合」であると説明しています(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1911年)210頁)。我が国の「錯誤に関するリーディング・ケース」(大村敦志『民法読解 総則編』(有斐閣・2009年)315頁)である大審院大正3年(1914年)1215日判決(民録201101頁)は「意思表示ニ於ケル錯誤トハ内心的効果意思ト意思表示ノ内容タル表示的効果意思トノ間ニ於ケル不慮ノ不一致ナレハ民法第95条ニ所謂法律行為ノ要素ノ錯誤モ亦意思表示ノ内容ニ存セサルヘカラサルハ当然ナリ」と判示しています。

しかし,「表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤」に基づく意思表示の取消しの場合であって(民法現9512号),「その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたとき」は(同条2項),当該事情に係る事実と表意者の認識との間の齟齬があるだけであるので,「表示行為から推測される意思と表意者の真実の意思とが食い違ってい〔て,〕表意者自身それに気がついていない」ものと定義されるところの錯誤(内田貴『民法-1 第5版 総則』(東京大学出版会・2025年)72頁)にはうまく当てはまらないようです。この点の辻褄合わせのためには,「動機をも含めて表示されたことから推断されるところと,表意者の意図のどこかにくい違いがあれば錯誤である」とする我妻榮の定式(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)298頁)に対して加えられた次のような操作を援用すべきでしょうか。いわく,「まず,「表示されたことから推断されるところ」を定める(この指輪を金の指輪だと思って買う)。その上で,「意図」に動機形成のプロセスを読み込むのである(この指輪が金の指輪ならば買う→金の指輪でなければ買わない)。ここでは,事実認識における錯誤(事実と認識の不一致)がなければあったであろう仮定的な意思が想定されている」と(大村321頁)。当該仮定的意思(金の指輪ではないので買わない)と表示されたことから推断される意思(この指輪を金の指輪だと思って買う)とは,確かに食い違っています。

(註2)意思の欠缺をもたらす錯誤として,我が国では,「表示上の錯誤」(「£と$を書き間違える等」)及び「表示行為の意味に関する錯誤(内容の錯誤)」(「ドルとポンドが同じ価値であると思い込んでいたので,1万ポンドの価値のつもりで1万ドルと言った場合」)(内田73頁参照)又は「意思表示ノ行為(●●)ヲ誤リタル塲合」(「百(フランク)ト記セント欲シタルニ誤テ百円ト記」す等)たる「表示上(●●●)()錯誤(●●)」及び「意思表示ノ内容(●●)ヲ誤リタル塲合」(「意思表示ノ意義(●●)ヲ誤解シテ百法ト百円トハ同一ナリト信シテ百法ヲ百円ト記」ス等)たる「内容上(●●●)()錯誤(●●)」(富井438-439頁参照)という2種類が挙げられています。なお,実際に制定されたドイツ民法1191項前段は,その意思表示を取り消し得る錯誤者は「意思表示をする際その内容について錯誤に陥っていた者又はその内容の表示をそもそもする意思のなかった者」であるものと規定していますが,前者は内容(内容上)の錯誤に,後者は表示上の錯誤に陥っている者であるわけです(表示上の錯誤者は「其表示ニ対当スル行為意思(●●●●)及ヒ表示意思(●●●●)共ニ之ヲ缺クモノ」です(富井438頁)。)。

ところで,「先に,ドルとポンドとが同じ価値だと思ってポンドの代わりにドルと言った場合,表示行為の意味に関する錯誤であり,表示に対応する意思が欠けていると述べた。〔略〕しかし,もし表意者が,1ドルの為替レートが1ポンドであると誤信していたとすると,為替レートについて事実誤認があるが1万ドルで売るという効果意思があるから,動機の錯誤となる。だが,両者〔意思の欠缺と動機の錯誤と〕の違いは十分に明瞭であろうか。」と説かれていますが(内田78頁),Motiveにいう「表示の事実的内容に係る(über den sachlichen Inhalt der Erklärung)錯誤」とは,ドル・ポンドに係る上記2例中の後者(為替レートに係る事実誤認)のような錯誤のことであって,ドイツ民法第一草案の立場ではこれは動機の錯誤ではなく意思の欠缺の場合であると理解されていた,ということになるのでしょうか。悩ましいところです。

(註3)ただし,制定されたドイツ民法1191項前段は,抽象的な「実際の意思と表示された意思との合致の欠如」に代えて,註2で御紹介したとおり,より具体的な「意思表示をする際その内容について錯誤に陥っていた者又はその内容の表示をそもそもする意思のなかった者」との規定を採用しています。

(註4)ドイツ民法第一草案102条は „Ein Irrthum in den Beweggründen ist, sofern nicht das Gesetz ein Anderes bestimmt, auf die Gültigkeit eines Rechtsgeschäftes ohne Einfluß.“(動機における錯誤は,法律が別異に規定しない限りにおいて,法律行為の有効性に影響を及ぼさない。)と規定していました(ちなみ同条は,Motiveによると,単に「立法例の大多数に倣って(Nach dem Vorgange der Mehrzahl der Gesetzeswerke)」設けられたとのことです。)。反対解釈すると,動機の錯誤であっても,一切斟酌されないわけではなく,法律行為を取り消し得るものが法定されることが前提となっていたわけです。我が国では典型的な動機の錯誤とされた「特定物である目的物の性質(馬が受胎しているかどうか等)」に係る性状の錯誤(内田75頁)も,ドイツ民法1192項においては表示の内容の錯誤とみなされ得るものとされています。

これに対して,我が梅謙次郎は,「理由(○○)()錯誤(○○)erreur sur le motif, Irrthum in Beweggründen)」(梅219頁)について,「旧民法其他外国ノ大多数ノ例ニ依レハ理由ノ単純ノ錯誤〔動機(理由)の錯誤は詐欺によるものと単純なものとに二分されるところ,詐欺によるものではない動機の錯誤〕モ時トシテハ承諾ノ瑕疵ヲ生スルモノトシ法律行為ノ取消ノ原因トシテ之ヲ認ムルト雖モ本法ニ於テハ一切之ヲ認メス」と説いていたところです(梅227-228頁)。

動機の錯誤をばっさりと斬った理由は,「此場合ニ於テハ意思表示ノ内容ニハ毫モ錯誤アルコトナク唯表意者カ其意思表示ヲ為スニ至リタル理由ニ錯誤アルモノナリ然レトモ其理由ナルモノハ法律上相手方ノ知ルヲ要セサル所ニシテ又実際之ヲ知ラサルヲ常トスル所ナリ然ルニ其理由ニ錯誤アリタルニ拠リ内容ニ何等ノ瑕疵ナキ法律行為ノ取消ヲ許スモノトスルハ実ニ謂レナキノミナラス取引ノ安全ヲ重スル点ヨリ考フルモ甚タ不可ナリ殊ニ況ヤ単純ノ錯誤ニ在リテハ多クハ表意者ノ不注意ヨリ此錯誤ヲ来スモノニシテ其相手方タル者ハ毫モ過失ナキヲ常トスルニ於テヲヤ」ということでした(梅228頁)。しかし,この梅流の割り切りを貫徹できなかったその後の判例・学説の展開が,後進の法律書生らの困惑・迷走を生むことになりました。

ドイツ民法第一草案102条は,制定されたドイツ民法からは落とされています。「動機錯誤と行為意思における錯誤との間に境界線を引くことは到底できないので,「動機錯誤」なる概念が詳細に説明されないなら,実務にとってたいして役立たないこと」,「人における錯誤(error in persona),客体における錯誤(error in corpore),そしてとくに性質における錯誤(error in qualitate)を動機錯誤として特色付けることは学説に委ねられねばならないこと」等がその理由だったそうです(中谷崇「双方錯誤の歴史的考察(3)――ドイツ法の分析――」横浜国際経済法学第17巻第3号(20093月)268頁)。

 

   Die Rechtsentwickelung hat dazu geführt, daß nicht jedem durch Irrthum hervorgerufenen Willensmangel rechtliche Beachtung zu Theil wird. Man unterscheidet zwischen wesentlichem und unwesentlichem Irrthume in dem Sinne, daß das Auseinanderfallen von Wille und Erklärung rechtlich bedeutungsvoll oder bedeutungslos ist, je nachdem dasselbe einen wesentlichen oder unwesentlichen Theil der Willenserklärung trifft. Vielfach wird auch unter wesentlichem Irrthume der die Nichtigkeit der Willenserklärung nach sich ziehende, unter unwesentlichem Irrthume der dieselbe nicht vernichtende Irrthum verstanden. Es handelt sich dabei lediglich um eine Verschiedenheit der Ausdrucksweise, die zu demselben Ergebnisse führt, sofern der die wesentlichen Theile der Willenserklärung treffende Irrthum zugleich der die Willenserklärung entkräftende ist.

 

法の発展の結果,錯誤によってもたらされた意思の欠缺の全てに法的顧慮が与えられるものではないということになった。本質的な錯誤と非本質的な錯誤とは次のように区別される。すなわち,意思と表示との乖離は,それが意思表示の本質的な,又は非本質的な部分に係るものであるかどうかに応じて,法的に意味があったり意味がなかったりするのである。またしばしば,本質的錯誤としては意思表示の無効をそれによりもたらす錯誤がそれとして,非本質的錯誤としては意思表示を無効にしない錯誤がそれとして理解されている。ここにおいては,意思表示の本質的部分に係る錯誤は同時に意思表示を無効力化する錯誤である限りにおいて同一の結果に至るところの,表現方法の違いが単に問題となっているのである(註5

 

(註5)「19世紀ドイツ普通法学においては「本質的錯誤(wesentlicher Irrtum)」という概念が用いられていたという。普通法学の錯誤論はサヴィニーによって基礎づけられるが,サヴィニーは「意思の欠缺」をもたらす錯誤のみが法律行為に影響を与えるとし,「意思の欠缺」をもたらすか否かの基準を,「本質的錯誤」であるかどうかに求めた。」とのことです(大村331頁)。なお,サヴィニー(Friedrich Carl von Savigny1779-1861年)は,姓がフランス風ですし,後にプロイセン政府の高官になっていますから,筆者としては1685年のかのポツダム勅令(「80年前のものならぬ340年前のポツダム勅令に関して」)の招きに応じてフランスを脱出したユグノーの子孫ではないかと不図思ったのですが,そうではないそうです。サヴィニーは「ロートリンゲンLothringenの一族の出身で,この一族は,1630年頃プロテスタント信仰のゆえに,郷里を棄て去った。」とのことでした(F.ヴィーアッカ著,鈴木禄弥訳『近世私法史――特にドイツにおける発展を顧慮して―』(創文社・1961年)472頁)。1630年頃であれば,ルイ14世はまだ生まれてもいません(1638年生まれ)。

    ちなみに,「意思表示の本質的部分に係る錯誤」としての本質的な錯誤はヴィントシャイト流の理解であり,「意思表示を無効力化する錯誤」としての本質的な錯誤はサヴィニー流の理解であるそうです(中谷277-278頁註43)。Windscheid1817-1892年)は,その著した「『パンデクテン法〈全3巻〉Pandektenrecht, I-III)』(1862-1870年)は,その多くの版がドイツ民法典(BGB)の下地となった」(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法――ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)47頁)という大学者です。Motiveのこの辺は,現代の読者にとって,「要はトートロジーなの?何のためにこんなことを書いているのか分からん。」と思わせる箇所ですが,実は当時のドイツ私法学界の先生方にとっては,二大巨匠の見解の相違にかかわる重大問題だったのでした。

 

(2)顧慮される錯誤と顧慮されない錯誤と(Beachtlicher und unbeachtlicher Irrthum

 

   Der Entwurf folgt dem Gange der Rechtsentwickelung, indem er sowohl hinsichtlich der Willenserklärungen unter Lebenden als hinsichtlich der Verfügungen von Todeswegen (§§1779, 1947, 1957 Abs. 4, §2020) zwischen beachtlichem und unbeachtlichem Irrthume scheidet. Der in der Wissenschaft aufgestellte Grundsatz, daß eine Willenserklärung schlechthin in allen Punkten der Willenswirklichkeit entsprechen müsse, wenn sie Bestand haben solle, weil jeder Punkt gleichwerthig sei, ist in seiner Durchführung von unleidlichen Folgen begleitet und mit der im Verkehrsinteresse liegenden thunlichsten Aufrechterhaltung der Rechtsgeschäfte nicht vereinbar. Bedenklich ist desgleichen, an den bezüglich eines unwesentlichen Theiles einer Willenserklärung infolge Irrthumes bestehenden Willensmangel die Folge zu knüpfen, daß die Erklärung zwar im Uebrigen besteht, der betreffende Theil aber nichtig ist. Dem Leben entspricht es ungleich mehr, einen solchen nebensächlichen Punkt, obwohl er nicht gewollt ist, in Kraft zu erhalten. Streng genommen mag hierin eine Abweichung von dem Willensdogma zu finden sein; allein die Korrektur des Willens ist jedenfalls nur eine geringe und liegt ebensowohl im eigenen Interesse des Erklärenden als im Verkehrsinteresse.

 

生者間の意思表示に関しても,また死因処分(第1779条,1947条,19574項,2020条)に関しても,顧慮される錯誤と顧慮されないそれとを区別する点において,本草案は,法発展の足跡をたどるものである(註6。学問上唱えられている原則,すなわち,各項目は同価値であるので,その存在のためには,およそ意思表示たるものは全ての項目において意思の実際に対応するものでなければならないという原則は,それを貫徹しようとすると耐え難い帰結を伴うとともに,取引上の利益の要請に係るところの法律行為の可能な限りでの維持ということにも合致しない。同様に,意思表示の非本質的な部分に係るところの錯誤により存在することとなる意思の欠缺について,意思表示の他の部分は存在するが問題の部分は無効となる,というような帰結を結び付けることについても憂慮がされるところである。生活の実際に断然かなうのは,そのような副次的な点は,それが意思されていないとしても,効力のあるものとして維持するということである。厳密にいえば,ここにおいて意思ドグマ(註7からの逸脱が見出されるところである。意思の修正は常に小さいもののみであり,かつ,表意者自身の利益にも取引界の利益にも同様にかなうものではあるが。

 

(註6)富井政章も「法律行為ノ成立(ママ)ヲ妨クヘキ錯誤ハ意思(●●)()表示(●●)トノ(●●)不一致(●●●)ヲ来スモノ換言スレハ意思(●●)()欠缺(●●)ヲ生スヘキ性質及ヒ程度ノモノニ限ル」と説き(富井433頁。下線は筆者によるもの),意思表示の無効をもたらす錯誤には,それにふさわしい性質及び程度のものであることを要するとしています。また,「〔意思表示の〕内容ニ関スル錯誤中ニ於テモ或程度ニマテ重要(○○)ナルモノニ限リ意思表示ノ効力ヲ妨クルモノト為ササルヘカラス」とも述べられています(富井439頁)。

(註7)ドイツ民法第一草案のMotiveの第1編総則・第4章法律行為・第5節意思の欠缺(Willensmängel)の前註中に „Die herrschende Lehre des gemeinen Rechtes behandelt eine dem wirklichen Willen nicht entsprechende Erklärung als nichtig. Die Gesetze, besonders das ALR., der Code, das sächs., öst. und zürch. GB., der bayer., hess. und dresd. Entw., sowie das schweiz. ObligR. versagen einer solchen Erklärung im Prinzipe gleichfalls die Gültigkeit. Leitend ist die Grundauffassung, daß der entscheidende Umstand, der eine Erklärung tauglich macht, rechtliche Wirkungen hervorzubringen, in dem durch die Erklärung an den Tag gelegten Wollen dieser Wirkungen liegt (Willensdogma).とあります。すなわちいわく,「普通法の支配的学説は,実際の意思に対応しない表示を無効であるものとして取り扱っている。諸法律,特に,一般ラント法,フランス民法典,ザクセン,オーストリア及びチューリッヒ法典並びにバイエルン,ヘッセン及びドレスデン法案並びにスイス債務法は,原則として,同様に,そのような表示に有効性を与えることを拒んでいる。法的効力を発生させるべく表示をそれにふさわしいものとする決定的な事情は,当該の効力に係る意欲であって当該表示によって顕出されたところのものにあるとする基本観念(意思ドグマ)に導かれてのことである。」と(中谷257-258頁参照)。

 

(3)現行法におけるそれらの区別のための基準(Maßstab für diese Scheidung im geltenden Rechte

 

   Schwierigkeiten bereitet die Aufstellung eines geeigneten Maßstabes für die Bestimmung dessen, was bei einer Willenserklärung als wesentlich anzusehen ist. Die herrschende gemeinrechtliche Doktrin bezeichnet als wesentliche Bestandtheile des Rechtsgeschäftes, über welche der Erklärende sich nicht irren darf, die Natur des Geschäftes und den Gegenstand, auf welchen dasselbe gerichtet ist. Bei der Person, in Bezug auf welche der Wille erklärt wird, soll es Thatfrage sein, ob dem Erklärenden die eine Person so lieb war wie die andere, ob also sein Geschäftswille als eine allgemeiner und eventueller sich erweise. Hinsichtlich der Eigenschaften des Gegenstandes, auf welchen die Willenserklärung sich bezieht, soll der Erklärende, der gewöhnlichen Ansicht nach, wenigstens insoweit eine richtige Vorstellung haben müssen, als ein Anderssein dieser Eigenschaften den Gegenstand zu einem anderen Verkehrsobjekte machen würde. Nach dem preuß. A. L. R. ist beachtlich der Irrthum über das Wesentliche des Geschäftes oder den Hauptgegenstand der Willenserklärung (I, 4 §75), über die Person, wenn eine bestimmte in’s Auge gefaßt war (§76), über ausdrücklich oder gewöhnlich vorausgesetzte Eigenschaften der Person oder Sache (§§77, 81; I, 5 §§325, 329). Der code civil Art. 1110 bezeichnet als cause de nulité de la convention den Irrthum über die Substanz der Sache, welche den Gegenstand des Vertrages bildet, und den Irrthum über die Person des Mitkontrahenten, sofern die Rücksicht auf diese Person den Hauptgrand des Vertrages ausmachte. Man darf hieraus nicht schließen, daß ein Irrthum über den Vertragsgegenstand selbst oder über die rechtliche Natur des Vertrages keine Beachtung finden solle. Das ital. G. B. folgt in Art. 1110 dem Vorbilde des code civil. Das bad. L. R. Satz 1110 stellt dem Irrthume über das Wesen der Sache denjenigen über die Eigenschaften, d. h. die Art des Vertrages gleich. Mit der herrschenden gemeinrechtlichen Lehre stimmen in der Hauptsache überein das sächs. G. B. §§95, 96, 838, 841, 842, der bayr. Entw. Th. I Art. 25-27, der hess. Entw. Abth. IV, I Art. 64-66, der dresd. Entw. Art. 59-64, das österr. G. B. §§871-873, das zür. G. B. §§927-929, das schweiz. Gesetz über das Obligationenrecht Art. 18-21. Ein Irrthum über Eigenschaften der Person ist erheblich nach dem sächs. G. B. §84 und dresd. Entw. Art. 64, wenn ohne diese die Erfüllung des Vertrages unmöglich ist, nach dem bayr. Entw. Art. 27, wenn anzunehmen ist, daß das Rechtsgeschäft nur aus Rücksicht auf die bestimmten Eigenschaften eingegangen ist, nach dem hess. Entw. Art. 66, wenn eine bestimmte Eigenschaft nach der Natur und dem Zwecke des Vertrages Voraussetzung der Einwilligung ist.

 

意思表示において本質的なものと観念されるべきものを定めるための適切な基準を定立することには,困難を伴う。支配的な普通法(註8上の教理は,(法律)行為の性格と,当該行為がそれに対して向けられたところの目的物とをもって,それらについて表意者が錯誤すべからざるものである法律行為の本質的構成要素たるものと説いている。その人との関係で意思が表示されたところの当事者に関しては,表意者にとって当該一当事者の好ましさが他の当事者と同様のものであるのか,したがって,彼の行為意思は一般的かつ開放的のものとして示されたものであるのかどうかは,事実問題たるべきものである。(註9意思表示が関係するところの目的物に係る性状に関しては,通常の見解によれば,少なくともその性状が異なることが当該目的物を違った取引対象物にしてしまうであろう限りにおいて,表意者は正しい表象を有していなければならないところである(註10。プロイセン一般ラント法によれば,顧慮すべきであるものは,行為の本質に係る錯誤,あるいは,意思表示の主要目的物に係る錯誤(第I編第4章第75条),特定の人が着目されていた場合における当事者に係る錯誤(第76条)又は人若しくは物についてその旨示されていて,若しくは通常的に前提であるものとされる性状に係る錯誤(第77条及び第81条並びに第編第5章第325条及び第329)である。フランス民法第1110条は,合意の無効の原因として,物の実体であって契約の目的物を形成するものに係る錯誤及びその人に対する着目が契約の主要理由をなす限りにおける契約相手方の人違いの錯誤を規定している(註11。これらのことからして,契約の目的物自体又は契約の法的性格に係る錯誤は顧慮されるべきものではないと結論することはできないのである。イタリア法典は,その第1110条においてフランス民法の手本に従っている。バーデン・ラント法第1110段は,性質すなわち契約の種類に係る錯誤を物の本質に係る錯誤と同じものとしているのである。ザクセン法典第95条,第96条,第838条,第841条及び第842条,バイエルン法案第1部第25条から第27条まで,ヘッセン法案第4部第1章第64条から第66条まで,ドレスデン法案第59条から第64条まで,オーストリア法典第871条から第873条まで,チューリッヒ法典第927条から第929条まで並びにスイス債務法第18条から第21条までは,支配的な普通法上の学説に主要な点で一致しているところである。人の性状に係る錯誤が重要であるのは,ザクセン法典第84条及びドレスデン法案第64条によればそれがなければ当該契約の履行が不可能である場合,バイエルン法案第27条によれば当該定められた性状のみを顧慮して当該法律行為が成立せしめられたものと観念されるべき場合,ヘッセン法案第66条によれば当該契約の性質及び目的によれば一定の性状がその合意の前提である場合である。(註12)(註13)(註14

 

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1 はじめに

 前回の「ぬるやかな契約書実務の一事例及び錯誤論等:東京地方裁判所令和6527日判決にちなんで」記事(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1083317218.html)において筆者は,共通錯誤論に関する余計な脱線をして(4「裁判所の判断」中の(4)「XYとの「共通の錯誤」」の部分),三鷹社長(P₃),四谷さん(P₄),五代事業長(P₅),六本木ジェネラルマネジャー(P₆),七尾弁護士(P₇),八神部長(P₈)らの織りなした折角の人間ドラマを間延びしたものにしてしまいました。

 そこで罪滅ぼしというべきか,業の深い病膏肓というべきか,今回は脱線した列車たる共通錯誤号を性懲りもなく更に前進せしめてみることにしたものです。筆者にとっては,鉄路無き荒野であります。逸走はそう長くは続かないことを祈ります。

 

2 東京地方裁判所土谷判決及び内田『民法

 

(1)ベストセラー・マニュアルからの出発

 さて,暴走列車の出発点は,当法律業界の若手陣にとっての必携的ベストセラーからの引用です。「錯誤の抗弁」(民法(明治29年法律第89号)951項参照)に関しての,重過失の再抗弁(同条3項柱書き参照)に対する再々抗弁(同項2号参照)に係る次の一節です。

 

  (2)再々抗弁

   共通錯誤であること

   共通錯誤(当事者双方が錯誤に陥っていること)の場合,契約を有効にして保護すべき利益が〔錯誤ある意思表示がされた相手方である〕原告にあるとはいえないから,民法95条ただし書は適用されない(東京地判平成1438日判時180064頁,内田・民法76頁)。

  (岡口基一『要件事実マニュアル 第2版 上』(ぎょうせい・2007年)116頁)

 

なお,平成29年法律第44号によって202041日から改正(同法附則1条柱書き及び平成29年政令第309号)される前の民法95条は次のとおりでした。

 

  (錯誤)

 第95条 意思表示は,法律行為の要素に錯誤があったときは,無効とする。ただし,表意者に重大な過失があったときは,表意者は,自らその無効を主張することができない。

 

 六法が手元に無いという読者のために,念のため現在の民法95条を書き写しておくと,次のとおりです。

 

   (錯誤)

  第95条 意思表示は,次に掲げる錯誤に基づくものであって,その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは,取り消すことができる。

   一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤

   二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤

  2  前項第2号の規定による意思表示の取消しは,その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り,することができる。

  3  錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には,次に掲げる場合を除き,第1項の規定による意思表示の取消しをすることができない。

   一 相手方が表意者に錯誤があることを知り,又は重大な過失によって知らなかったとき。

   二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。

4  第1項の規定による意思表示の取消しは,善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

 

 「共通錯誤の再々抗弁」を根拠付ける権威的法律文書として,裁判例たる東京地方裁判所の平成1438日判決と学説たる「内田・民法 76頁」とが挙げられています。

上記「内田・民法」は,平成29年法律第44号による民法(債権関係)改正の主要推進者たりし内田貴元法務省参与の『民法(総則・物権総(ママ)3』(東京大学出版会・2005年)です(岡口・凡例)。筆者は,同書の初版(1994年)から共通錯誤に関する説明の部分(68頁)を前回の記事に抜き書きしていたところです(44)イ(ウ))。

 

(2)土谷判決

 ギュスターヴ・モローの「ガニメデスの略奪」の贋作を真作と信じて買った買主が錯誤による売買契約の無効を主張して代金の返還等を求めた事案に係る東京地方裁判所平成1438日判決(土谷裕子裁判官)における共通錯誤に関する判示は「本件においては,被告自身が本件絵画が贋作であるとは疑っていなかった供述していることからも明らかなように,買主である原告と売主である被告の双方が錯誤に陥って本件売買契約の締結をしたものであるが,このような場合には,契約を有効にして保護すべき利益が被告にあるとはいえないから民法95条但書は適用されないと解するのが相当である。」というものでした(判決書の第33)。ただし,真作であるとの錯誤に陥っていた原告に重大な過失があったものとは認められない,との認定もされていましたから(これだけで,民法旧95条ただし書の適用は排斥されます。),蛇足的判示です。更にいえば,この共通錯誤の主張を原告がしていたわけでもないようですので(原告に重過失があるとの被告の主張に対して,原告は「否認ないし争う。」との主張のみをしていたとされています(判決書の第232))。),当該共通錯誤論は,学説に学ばれた土谷裁判官による法創造の試みでもあったものなのでしょうか(なお,同裁判官は,判事在任中の2010114日に亡くなっています。)。

 今回の記事たる脱線逸走においては,学説の線に沿い,内田元法務省参与の著書から共通錯誤論の源への溯上を試みてみましょう。

 

(3)内田『民法Ⅰ』

 さて,現在の民法95条においては共通錯誤が同条32号に規定されており,共通錯誤論は錯誤論中の一部分という位置付けになっているようです。しかして同号については,「相手方も表意者と同一の錯誤に陥っていたときには,法律行為の当事者が互いに誤解をしていた以上,その効力を維持して相手方を保護すべき要請は低い。」と(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)20頁),簡単に整理されています。

夫子も最近の基本書において,民法9532号の共通錯誤の場合について「このような場合,たとえ表意者が錯誤に陥ったことに重大な過失があったとしても,あえて契約の効力を維持して表意者の損失において相手方〔略〕を保護しなければならない事情がない。/以上の〔略〕場合には,表意者に重過失があっても錯誤による取消しができる,〔略〕改正前から存在した解釈論の明文化である。」とのみ述べています(内田貴『民法Ⅰ-1 第5版 総則』(東京大学出版会・2025年)84頁)。

 しかし,平成29年法律第44号による民法改正前における共通錯誤に係る解釈論は,単純に錯誤論の枠内のみで論じられていたものかどうか。実は夫子御自身が,共通錯誤論は錯誤論の枠内にとどまりきらないものである旨自認していました。

 

  〔略〕特色を考慮し,一方的錯誤との性質の違いを考えると,共通錯誤は別の類型の錯誤として説明した方が適当であろう(最近の下級審裁判例にはこのような傾向が見られる)。

  (内田・民法初版68頁)

 

「別の類型」というわけですから従来の(一方的)錯誤論の枠組みからは外れるのでしょう。しかし,それでは具体的にはどのような類型であるのか,という肝腎な点については述べられていなかったので,読者に不全感を起さしめる記述でした。

 

3 四宮説:行為基礎論からの出発

 

(1)四宮『民法総則』

しかして最近筆者は知ったのですが,内田元法務省参与がかつて言及された前記「別の類型」は,行為基礎論なるものに係るものであったようです。

 

  当事者双方が同一の錯誤(共通錯誤)に陥っていることを表意者の重過失不顧慮と初めて結びつけたのは,四宮和夫『法律学講座双書 民法総則(新版)』であると思われる。同書の初版では,共通錯誤は主観的行為基礎の脱落の問題として処理する方が妥当であるという説明がなされていたが(四宮和夫『民法総則』(弘文堂,1972191頁。),新版では,契約の当事者双方が契約の基礎について誤った表象を有し,それを前提として契約している場合には,当事者双方に動機の錯誤が見られ,この場合には,「表意者の重過失の存しないことも問うべきではないであろう。両当事者がともに同じ錯誤に陥っているのであり,相手方との関係を考慮して表意者の保護を奪うというようなことは,問題になりえないからである」(四宮和夫『民法総則(新版)』(弘文堂,1976187頁。この新版では,「要するに,この場合は,主観的行為基礎の脱落の理論的発想によって捉えるに適した場面なのである」との記述が続いていたが,第3版(弘文堂,1982)以降は主観的行為基礎論への言及はなくなり,共通錯誤も純粋に錯誤法の問題として扱われている。)と改められた。

  その後,内田貴『民法 総則・物権総論』も同様の見解をとり〔・・・以下略。筆者の前回記事における引用を御覧ください。〕(内田貴『民法 総則・物権総論』(東京大学出版会,199468頁。)

  これらの強い影響力もあって,共通錯誤における表意者の重過失不顧慮説は広く支持されるようになった(たとえば,近江幸治『民法講義 民法総則』(弘文堂,第3版,2001176頁,潮見佳男『民法総則講義』(有斐閣,2005171頁。)。今次改正の部会資料でも,共通錯誤の場合に表意者の重過失を不顧慮とするのは,この場合には法律行為の効力を維持して保護すべき信頼ないし正当な利益を相手方は有していないという有力な見解に従うものであると説明されている〔略〕。

  (川元主税「錯誤者の重過失不顧慮規定(民法9531号・2号)に関する一考察」名城法学7212号(2022年)17-18頁)

 

1976年の前半,錯誤による意思表示の無効の成否を左右すべき相手方の事情に係る四宮説については,「日本では四宮教授が共通の錯誤を区別して取り扱うべきであるとされて」おり,かつ,「共通の動機の錯誤の場合には,行為基礎論(行為基礎というのは,「契約の基礎にある一定の事態であり,その不存在または消失が契約の効力に影響を与えるもの」を意味する)によって錯誤者を救済すべきであるとされている」ものと観察されていたところです(野村豊弘「意思表示の錯誤(7・完)――フランス法を参考にした要件論――」法協936号(19766月)904頁)。

行為基礎論ないしは主観的行為基礎論とは何かといえば,かの事情変更の原則に関するドイツ法学上の理論であるそうです。

 

(2)事情変更の原則

まず,事情変更の原則について。

 

  (ア)契約締結後その基礎となった事情が,当事者の予見しえなかった事実の発生によって変更し,このため当初の契約内容に当事者を拘束することがきわめて苛酷になった場合に,契約の解除または改訂が認められるか,という問題はわが国では「事情変更の原則」という名称で論ぜられている。この法理の起源はローマ法源に見られないことはないが,それよりも,中世カノン法に端を発し,注解学派によって発展させられたclausula rebus sic stantibus理論に,その起源を求めることができるといわれる。それによれば,すべての契約には,その基礎となる事情が変わらないかぎり〔rebus sic stantibus(これは条件を表す独立奪格構文であって,rebusは名詞res(事情)の複数奪格形,sicは「そのように」という意味の副詞,stantibusは動詞stare(英語のstand)の現在分詞複数奪格形です。)〕効力を存続する,という条項〔clausula〕が含まれており,したがって,事情が変更すれば契約に対する拘束力は失われる,と解された。このclausula理論は,近世に入ると,多くの学者の支持を得,18世紀中葉より19世紀の初頭にかけて制定された近世私法典の多く(バイエルン民法典,プロイセン一般ラント法典,オーストリア一般民法典)に採用されたが,なお明確な法制度にまで高められなかった。〔後略〕

  第一次世界大戦中および戦後の社会的経済的動乱は,この忘れられた法理の復活をもたらした。動乱の影響を受けたヨーロッパ各国は,判例の活躍や特別法の制定により,この法理をそれぞれの形で採用した。とくに,最も大きな変動にみまわれたドイツの学説・判例の発展は,めざましいものがあった。〔後略〕

(イ)今日の比較法における事情変更の原則の基礎理論は,英米法の「契約のフラストレーション法理(the doctrine on frustration of contract)」,フランス法の「不可予見理論(la théorie de l’imprévision)」およびドイツ法の「行為基礎論(die Lehre von der Geschäftsgrundlage)」に3分される。

  (谷口知平=五十嵐清編『新版注釈民法(13) 債権(4)(補訂版)』(有斐閣・2006年)66-67頁(五十嵐清))

 

 ここで行為基礎論が出て来ました。

 

(3)ドイツの行為基礎論

 

ア 概要

 行為基礎論については次のように説明されています。

 

   (c)行為基礎論 今日のドイツ私法学では,事情変更の原則は,行為基礎の喪失の問題として論ぜられている。この理論は,第一次大戦後のインフレーション期にエルトマン(Oertmann)によって創始され,判例により採用されたものであるが,第二次大戦後,ラーレンツ(Larenz)の新研究が出るにおよんで,学界の共通財産となった。行為基礎とは,一言でいえば,契約の基礎にある一定の事態であり,その不存在または消失が契約の効力に影響を与えるものをいう。ラーレンツはこの行為基礎を主観的なものと客観的なものに分けている。前者〔主観的行為基礎〕は両契約当事者に共通の一定の表象または期待であり,その不存在または消失は共通錯誤の問題となる。後者は契約の客観的基礎,すなわち,契約当事者が知ると否とに関せず,その存在または継続が契約に当然に前提されている事態の全体であり,それなしでは契約目的が実現しえないものをいう。このような客観的行為基礎の喪失は,さらに等価関係の破壊と契約目的の到達不能の2場合に分けられる。行為基礎の不存在または消失の法律効果としては,誠実な当事者が,事態の発生を知ったならば当然に合意したであろうような効果が生じ,裁判官は訂正的契約解釈により,それを発見しなければならない,とされる。以上のようなラーレンツの見解に対しては,ドイツにおいても異論が多く,わが国でどの程度採用されうるかは疑問であるが,事情変更の原則に関する基礎理論として注目を集めている〔略〕。1992年に公表された「債務法改訂委員会の最終報告」においても,新たに民法306条に「行為基礎の障害」と題して,契約の基礎が著しく変更された場合には,契約の適応または解除を求めることができる,という趣旨の規定を設けるべきことが提案され〔略〕,この規定はほぼそのままの形で,2002年より施行された債務法現代化法により,民法313条として実を結んだ〔略〕。

  (谷口=五十嵐編68-69頁(五十嵐)。下線は筆者によるもの)

 

イ エルトマン

エルトマンの定式化に係る行為基礎とは「取引締結にあたり顕在化しているところの,相手方当事者がその重要性を認識し且つ異議を唱えていない一方当事者の観念ないし複数の当事者に共通する観念(Vorstellung)が,一定の事情の存在ないし発生に関係しており,且つ当事者の効果意思(Geschäftswille)がその事情の基礎に基づいているとき,「行為基礎」である。」というものだったそうです(中谷崇「双方錯誤の歴史的考察(4・完)――ドイツ法の分析――」横浜国際経済法学181号(20099月)99頁・166頁註109)。あるいは,「当事者の行為意思がこれらの観念に基づく限り,総ての契約締結時に現れ,相手方に認識可能であり,かつ彼によって異議が述べられなかった,一当事者の観念または特定の事情の存在または)将来の発生についての両当事者の共通の観念が行為基礎に属する」(半田吉信『ドイツ債務法現代化法概説』(信山社出版・2003年)213-214頁)ともいい得るものでしょう。


ウ ラーレンツ

ラーレンツのいう主観的行為基礎は,「当事者の一方ないし双方の意思決定の「主観的」基礎として,つまり取引締結の際に顕在化しており,且つ動機付けの過程において特定の役割を演じた観念として理解され」るものであって,「契約両当事者が契約締結に際して,そのことを基礎にし且つ両当事者の意思決定にとって重要な意義をもった両当事者に共通する観念」と定義され,かつ,当該「観念ないし期待」は「両当事者が――誠実な考え方(redliche Denkweise)をしたならば――その観念が不正確であることを知っていたら,両者ともその契約を締結しなかったであろう,または現実に締結されたようには締結しなかったであろうという意味」において両当事者にとって「決定的なもの」であったものだそうです(中谷120頁)。すなわち,「主観的行為基礎とは,両契約当事者に共通の一定の表象または期待であって,それによってその当事者が契約の締結に導かれたものである。各当事者がこの表象または期待を考量に入れたこと,および,当事者がこの正しくないことを知っていたならば,契約を締結しなかったか,もしくはそのような内容では締結しなかったか,あるいは,契約を相手方に求めることが誠実に反したであろうこと,が必要である。将来の関係の変更を単に期待しなかったことだけでは不十分であり,相手方がその動機を知り,かつ『異議を述べなかった』としても,一方当事者だけの動機では不十分である。」ということでしょう(野村904-905頁)。

しかしてラーレンツによると,「行為基礎の脱落ないし欠缺の場合には,裁判官が「修正的契約解釈〔korrigierende Vertragsauslesung〕」という方法で,具体的な契約の意味および契約に内在する正義という原則が要求するような法律効果を見つけなければならない」そうで(ちなみに,修正的契約解釈は,「契約の解釈に類似するが,文言を単に補充するのではなく,修正するのだから,解釈以上のものである」そうです。),契約の改訂(Anpassung(「適合」とも訳されます。))ないしは解除権の発生という効果が生ずるものとされます(中谷121-122頁)。(ただし,主観的行為基礎喪失の効果の発動が不要である場面として,「ラーレンツは,売買の目的物の性質に関する共通の錯誤については,瑕疵担保の規定が優先的に適用される」ものとしていたそうです(野村905頁)。)

ラーレンツは,その説の実定法上の根拠をドイツ民法157条(Verträge sind so auszulegen, wie Treu und Glauben mit Rücksicht auf die Verkehrssitte es erfordern.(契約は,取引上の社会通念に鑑みて信義誠実の要求するところにより解釈されるものとする。))及び同法242条(Der Schuldner ist verpflichtet, die Leistung so zu bewirken, wie Treu und Glauben mit Rücksicht auf die Verkehrssitte es erfordern.(債務者は,取引上の社会通念に鑑みて信義誠実の要求するところにより給付を行うよう義務付けられる。))に求めていたそうです(中谷122頁)。

 

4 ドイツ民法3132

 

(1)法文

ところで,五十嵐清教授はドイツ民法313条の条文を示すところまではしておられませんでしたので,次に拙訳を掲げます。

 

 § 313 Störung der Geschäftsgrundlage

(1) Haben sich Umstände, die zur Grundlage des Vertrags geworden sind, nach Vertragsschluss schwerwiegend verändert und hätten die Parteien den Vertrag nicht oder mit anderem Inhalt geschlossen, wenn sie diese Veränderung vorausgesehen hätten, so kann Anpassung des Vertrags verlangt werden, soweit einem Teil unter Berücksichtigung aller Umstände des Einzelfalls, insbesondere der vertraglichen oder gesetzlichen Risikoverteilung, das Festhalten am unveränderten Vertrag nicht zugemutet werden kann.

(2) Einer Veränderung der Umstände steht es gleich, wenn wesentliche Vorstellungen, die zur Grundlage des Vertrags geworden sind, sich als falsch herausstellen.

(3) Ist eine Anpassung des Vertrags nicht möglich oder einem Teil nicht zumutbar, so kann der benachteiligte Teil vom Vertrag zurücktreten. An die Stelle des Rücktrittsrechts tritt für Dauerschuldverhältnisse das Recht zur Kündigung.

 

  第313条(行為基礎の障碍) 契約の基礎となった事情に契約締結後重大な変更が生じ,かつ,両当事者が当該変更を予見していたならば当該契約を締結せず,又は別の内容で締結していたであろう場合にあっては,当該事案の全ての事情,なかんずく契約上又は法律上の危険分配を顧慮した上で,変更されない契約の固守を一方当事者に対して求めることができなくなり得る限りにおいて,契約の改訂(Anpassung)を請求することができる。

  2  契約の基礎となった本質的表象が誤りであることが明らかになることは,事情の変更と同様である。

  3  契約の改訂が不可能であり,又は一方当事者に要求し得ないときには,不利益を被る当事者は契約を解除することができる。継続的債務関係については,解除権に代わって,告知権が生ずる。

 

(2)日本民法95条との比較

ドイツ民法3132項に基づく規整が我が日本民法においては同法9532号をめぐるそれに対応するということになるでしょうか。要件・効果等にわたって両民法間の比較をしてみましょう。

 

ア 主観的行為基礎の脱落に関して

要件としては,日本民法9512号の「表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する場合」は,契約に係るドイツ民法3132(同項は,「主観的行為基礎が当初から欠けている場合に関係」し,「共通の動機錯誤の諸事例」等を重要な対象とするものです(中谷135頁の紹介するドイツ連立与党議員団から同国連邦議会に提出された資料における説明)。)に対応するものでしょう(契約は,法律行為の一種です。)。そもそも日本民法9512号の文言は「立法化に向けて準備が進んでいた事情変更の原則の原則で使われていた表現だった(事情変更の原則の規定は経済界の反対で条文化は最終的に断念された)」のでした(内田・民法Ⅰ-179頁)。ただし,ドイツ民法3132項では「本質的な(wesentlich)」という絞りがかけられています(ただし,この「wesentlich」の語は,初めて2000年の討議草案(Diskussionsentwurf)から付加されていますが,その理由は明示されていないそうです(中谷172頁註158)。)。

 

イ 錯誤の「重要性」に関して

 

(ア)重要性

日本民法951項柱書きの「その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであること」については,「「法律行為の目的」では,当事者がその取引で企図した目的が重要性の判断で考慮され,「取引上の社会通念に照らして」においては,当該当事者だけでなく同じ立場に立った通常人も,そのような錯誤がなければ契約を締結しない(あるいは同じ条件では契約を締結しない)であろう程に重要な錯誤であることを要求している」ものであるとされています(内田・民法Ⅰ-181頁)。これは,ドイツ民法3131項の「重大な変更」及び「当該契約を締結せず,又は別の内容で締結していたであろう場合」要件に対応するものでしょう。

 

(イ)危険(リスク)分配

更に,「〔日本民法951項柱書きにおいて〕「取引上の社会通念に照らして」と明記された点は重要である。なぜなら,当事者の合意を超える事情を考慮すべきことを意味するからである。」とされ,「取引上の社会通念に照らして判断し,そもそも自分が引き受けるべきリスクについての錯誤であれば,主観的にいかに重要であっても,契約の拘束力を考えるうえでは重要な錯誤と評価されない。他方で,通常は自分が引き受けるべきリスクについての錯誤であっても,相手方がその錯誤に付け込むことが信義に反するといえるような状況がある場合は,重要な錯誤となることもある。」と敷衍されている点(内田・民法Ⅰ-182頁)は,確かに重要です。当該敷衍部分は,ドイツ民法3131項の「なかんずく契約上又は法律上の危険分配(Risikoverteilung)を顧慮」要件を彷彿とさせるところです。

しかして,地下鉄駅の新規開設の噂を事実と誤信する錯誤に基づいて締結された高値の土地売買契約(民法9512号参照)に関する,錯誤について買主に重大な過失があっても契約両当事者の共通錯誤を理由に(同条32号)当該買主による契約の取消しがなおも認められ得るかどうかの例の問題(内田・民法初版68頁。内田説は,認める。)については,我が「取引上の社会通念に照らし」た危険分配上新駅開設の有無に係るリスクを負うべき者は買主であるから,したがって当該買主にとって当該錯誤はそもそも「重要なもの」ではないことになり(同条1項柱書き),認められない,という結論になるというのが落ち着きのよいところでしょう。すなわち,「こうした投機的な取引では,見込みが外れた場合のリスク分配の合意を契約解釈によって導くことができる場合が多いであろうし,そうした合意を認定できない場合には,不確実な価格高騰に賭けて契約した投機売買の買主は目論見どおりにいかないリスクがあることも認識していたのであるから,認識と事実の相違としての錯誤は存在しないというべきである。したがって,共通錯誤における重過失不顧慮の例として相応しいものとは思われない。」との評価がつとにされていたところ(川元24-25頁),夫子は2025年出版の基本書において民法9532号の共通錯誤の例示として最早地下鉄駅開設の噂事例を採用しておらず(ただし,夫子が当該地下鉄電車から降りることにした理由は,「錯誤は存在しない」からではなく,錯誤は存在するが重大ではないから,ということになるのでしょう。),最高裁判所平成元年914日判決・判時133693頁の事案に差し替えを行っています(内田・民法Ⅰ-184頁)。

夫子は民法951項柱書きの「「重要性」要件の重要性」を強調しています(内田・民法Ⅰ-181-83頁)。しかし,同条31号及び2号の新設が同項の重過失要件が担うべき錯誤取消しの可否調整の「最終的チェック機能」の不全をもたらすことを懸念し,「〔その結果〕錯誤の重要性〔同条1項柱書き〕や基礎事情としての表示〔同条2項〕などの要件」の「負担を過重にするとともに,実質的理由が覆い隠されて判断構造の不透明化をもたらす恐れがあ」り「これは,分かりやすい民法という今次改正のコンセプトにも逆行するものである。」との憂慮を表明している論者もあるところです(川元28-29頁)。

なお,ドイツ民法3132項に係る事案におけるリスク分配に関しては,同国連邦(最高)裁判所(Bundesgerichtshof2005425日判決の例があり,当該判決は,当該入院患者に健康保険の適用がないのに適用があるものと共に誤信して(共通錯誤)入院契約を締結した病院(原告)と当該患者の母である契約相手方(被告)との間の診療報酬請求事件において,当該入院契約は保険の適用があることを専ら前提とし,かつ,保険の適用がない場合における被告の報酬支払義務に係る定めの無いものであったものの,保険適用の有無に係るリスクは患者側に分配されるとして(同条1項参照),原告病院の求める契約の改訂(被告に法定額による診療報酬支払義務を課するもの)を認めています(中谷139-142頁)。

 

ウ 効果に関して

効果については,日本民法951項は取消しであるのに対し,ドイツ民法313条は契約の改訂を原則としつつ(同条1項),契約改訂が不適当である場合には解除又は告知ということになっています(同条3項)。ドイツ民法3132項の場合に解除又は告知であって取消しにならないのは,原則たる事情変更の原則に係る規定(同条1項・3項)に引きずられたからでしょうか。なお,日本民法についても,錯誤による取消しの要件のほか担保責任追及の要件をも満たす場合においては「いずれを主張することもできると解すべきであろう」とされていますところ(内田・民法Ⅰ-190頁),そのような場合であれば,代金減額請求も可能ということになるのでしょう(民法583条・559条)。

 

エ 行為基礎論か錯誤論か

2017年改正で採用された新95条の文言は,ドイツ法の影響下にあった学説をもとに展開されてきた判例理論そのものの明文化ではなく,またそれ以外の国の錯誤理論を採用したものでもな」かったそうですが(内田・民法Ⅰ-181頁),結論的にはどこの国でも同じような解決策にたどり着くようではあります。

ところで,「わが国では行為基礎論の導入について学説は消極的である。」とされていました(中谷149頁)。確かに,前記のとおり四宮教授はその『民法総則』において共通の錯誤を論ずる際の主観的行為基礎の脱落に係る言及を後に廃し,内田元法務省参与も『民法-1 第5版 総則』においては最早「一方的錯誤との性質の違いを考えると,共通錯誤は別の類型の錯誤として説明した方が適当であろう」(内田・民法初版68)と述べることなく共通錯誤を錯誤論の中で論じ了えています。平成29年法律第44号による改正後は,錯誤に係る民法95条中に「相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。」(同条32号)として共通錯誤が実定法上位置付けられてしまったことによるものともいえるのでしょうが,従来の状況については次のように説かれています。いわく,「行為基礎論の導入に消極的な学説の主張を要約すれば,次のようなものになるだろう。即ち,ドイツにおける行為基礎論は,原則として法的に顧慮されない動機錯誤を錯誤とは別の構成で法的に顧慮するために発展してきたものであり,意思欠缺錯誤と動機錯誤を区別しない一元的・表示主義的錯誤論に立つならば,動機の錯誤も95条で処理できるため,わが国ではこの理論は不要である。」と(中谷150頁)。

 

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1 はじめに

 契約ないしは契約書(註1は,ビジネスを行う際そのビジネスを支えてくれる重要かつ必須の商売道具でしょう。

したがって,いやしくも主体的にビジネスに携わり,又は携わらんとする者は,その商売道具を大切にし,よく注意し,上手に使い得るようになっているべきものでしょう。当該自分の商売道具から目をそむけ,無視し,ビジネス・エリートたる自分のこの素晴らしく,かつ,漠たる大企画は,その思いの高さ及び篤さ並びに企画者の人格の貴さのゆえに,自ずと,周囲の誰かの献身若しくは「みんなのための思いやり」又は魔法のような洞察力を備えた「専門」能力によって都合よく法務上も肉付け・按排されるべきものであるから,漠と言ってさえ置けば,その後は放って置いても無事適切に実現されるであろう,当該ビジネスの成功の栄誉と利益とは己に帰せられるであろう,仮に失敗した場合には,その汚辱と非難とは怠惰・無能な当該関係担当者が専ら負うべきものである(ワタクシは,身を屈め,かつ,しょぼつく両目にわざわざ眼鏡をかけてまでして契約書を見るような細かいことなどはしないのだ),というような横着な夢の中にビジネス・キャリアを送っている人々は,「厳しい」ものと喧伝されている我が国のビジネス社会では絶滅危惧種でしょう。

 しかし,現実の我が国ビジネス社会の現場はそう「厳しい」ものでは実はないのではないかい,何だか()るいんではないかい,と思わせる裁判例を筆者は最近目にしました。

トップが商談をまとめたものの,その内容の契約書への落とし込みの作業は,特段の指示もないまま素人同然(とまでは裁判所は言っていませんが,そう思っているのでしょう。)の担当者に委ねてしまい,当該担当者が上司と十分な相談をせずに依頼先の弁護士に作らせた契約書案(決まったはずの商談の内容としてトップが観念していたものとは異なった,相手方に極めて有利な内容のもの)が社内で誰もチェックせぬまま正式な契約書として取り扱われることになってしまってそれにより契約が締結され,その契約書の①「誤った」課金基準の記載に現場担当者が従ってしまって「過少」請求を行ってきてしまい,また,②相手方も別の「誤った」記載に乗じた支払拒否(相手方は相手方として,①の課金基準は契約書の記載が正しく,またそれとは別に,②本来契約書の記載上課金されるべからざる事項について課金・請求がされてきていて過払をさせられていたと主張します。)などをしてきた結果,2年間で76億円を超える金額を相手方から「取り損ねた」ので,「当該商談における本来の意思の合致内容」に基づく債権に係る当該未収金回収実現の正義を求めて裁判所に訴え出た,という騒動です。

76億円超という大きな金額を取り損ねたということなので,訴訟代理人弁護士らに支払った着手金の額は15千万円を超えたとも想定されますが(当該金額の算出方法については後記51)を参照),筆者としては羨ましい限りです。原告関係者らとしては,社内の素人的担当者に対する丁寧な指導監督(余り細かく,かつ,厳しくすると,最近は「パワハラ!」との逆噴射攻撃を受けるのでしょう。)や社外の専門家弁護士との緊密な意思疎通(まあ,細かくて理窟っぽいことは当然覚悟するとしても,その他諸々の性格特性等があるところ,弁護士は,付き合いたくない種類の人々ですよね。)というような何だかはたから見ても面倒臭そうな仕事についてつい省(エネ)対応をしてしまった「ちょっとした」横着の積もりだったのかもしれませんが,当該「横着」は高くつきました。

本稿は,当該裁判例(東京地方裁判所令和3年(ワ)第24988号卸供給等電力料金請求事件に係る令和6527日同裁判所民事第42部判決・判例時報2628100頁)を筆者流に御紹介するものです。

 

  (註1)「契約」の定義ですが,旧民法財産編(明治23年法律第28号)296条によれば,「物権ト人権〔債権〕トヲ問ハス或ル権利ヲ創設シ若クハ移転シ又ハ之ヲ変更シ若クハ消滅セシムルヲ目的トスル二人又ハ数人ノ意思ノ合致」たる「合意」(同条1項)の一種であって,そのうちの「人権〔債権〕ノ創設ヲ主タル目的」とするものの名称(同条2項),ということになります。その後,民法(明治29年法律第89号)においては「契約」の意義が拡張されて「之ヲ要スルニ新民法ニ於テ契約(○○)トハ法律上ノ効力ヲ生セシムルヲ目的トスル二人以上ノ意思ノ合致是ナリ」ということになりましたが(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編』(私立法政大学=有斐閣書房・1899年)377頁),なおも契約の章が債権編中に置かれているのは,「契約」は本来的には債権の創設を主たる目的とする合意であるからでしょう。

     ところで,「契約の成立には,法令に特別の定めがある場合を除き,書面の作成その他の方式を具備することを要しない。」(民法5222項)とされていますので,当事者の意思の合致たる契約に,書面たる契約が常に伴うわけではありません。契約と契約書とは別のものです。したがって,「契約の締結」と言うのはよいのですが,「契約の締結」と言うのは,ちいとおかしいわけです。また,某某契約の契約書に「某某契約」と標題を記すのも,記載されているのは「契約」の内容であってそれが記載された書面が「契約書」と呼ばれる物となるのですから,それはちょっとおかしいんじゃないのかなぁ(蛇足の「足」的ではないか)と筆者はしばしば思い,かつ,口にもしたところです。

     しかしながら,旧民法証拠編(明治23年法律第28号)60条は「物権又ハ人権ヲ創設シ,移転シ,変更シ又ハ消滅セシムル性質アル総テノ所為ニ付テハ其所為ヨリ各当事者又ハ其一方ノ為メニ生スル利益カ当時五拾円ノ価額ヲ超過スルトキハ公正証書又ハ私署証書ヲ作ルコトヲ要ス/人証ハ右ノ価額ヲ超過スルニ於テハ法律上明示若クハ黙示ニテ例外ト為シタルトキニ非サレハ裁判所之ヲ受理セス」と規定していたのです。これはナポレオンの民法典1341条の規定(“Il doit être passé acte devant notaires ou sous signature privée, de toutes choses excédant la somme ou valeur de cent cinquante francs, même pour dépôts volontaires; et il n’est reçu aucune preuve par témoins contre et outre le contenu aux actes, ni sur ce qui serait allégué avoir été dit avant, lors ou depuis les actes, encore qu’il s’agisse d’une somme ou valeur moindre de cent cinquante francs; / Le tout sans préjudice de ce qui est prescrit dans les lois relatives au commerce.”「価額又は価値が150フランを超える全ての事項〔原文では“choses”ですが,ボワソナアドは,そこでは当該の語は「非常に法的(très-juridique)」なものではなく「平凡かつほとんど卑俗(banal et presque vulgaire)」なものとして表れているとして,自らの民法草案においては“fait”の語を用いています(Boissonade, Projet V (1889), p.185)。〕は,無償寄託であっても,公証人の前で,又は私署をもって証書化されなければならない。150フラン未満の価額又は価値にかかわるものであっても,当該証書の内容に反する又は含まれないことに係る人証は,証書の作成の前,作成の際又は作成の後に述べられたとされることのいずれについても認められない。/これら全ては,商に関する法律において規定されたことの適用を妨げない。」)を承けたものです。現在,我が民法における契約の「方式の自由」に関する規定については,「この点で日本法は,立法例には珍しく自由が徹底している〔略〕(一定の価額以上の債権を発生させる契約に書面を要するとしたり,その証明方法として証書を要するとする立法例が多い)」(星野英一『民法概論(契約)』(良書普及会・1994年)10頁)と評されておりますが,本来はそうではなかったわけです(現行民法による改正前の我が旧民法は,正に「一定の価額以上の債権を発生させる契約に書面を要するとしたり,その証明方法として証書を要するとする立法例」だったのです。)。民事訴訟の実務においては,「処分証書等が存在する場合は,特段の事情がない限り,一応その記載どおりの事実を認めるべきである。」とされています(司法研修所『民事訴訟における事実認定』(法曹会・2007年)21頁)。ここでの「処分証書」とは「処分証書及び重要な報告文書」です(司法研修所19頁)。「処分証書」とは「立証命題である意思表示その他の法律行為が記載されている文書であり,契約書,手形,遺言書などがこれに当た」ります(司法研修所18頁。下線は筆者によるもの)。契約は,意思表示(Willenserklärung)を要素とする私法上の法律要件(法律要件たる生活関係から法律効果が生ずるのです。)たる法律行為(Rechtsgeschäft)の一種です。「報告文書」は「作成者の見聞,判断,感想などが記載されている文書」ですが,このうち領収証は,「金銭の授受が認定できるか否かが問題となる場合,領収証は,処分証書と同様,極めて重要な直接証拠」であるものとされています(司法研修所18頁)。

     しかして我が母法国のフランスの言葉では,法律上の行為と証書とはいずれも同じ“acte”の語をもって指称されるのでした(各種仏和辞典参照)。そのように母法国では法律行為(acte juridique)とその証書(acte)とが同じ語(acte)をもって示されるのならば,法継受国たる我が国においては法律行為たる「契約」の語とその証書である「契約書」の語とを互換的に使用したっていいのではないか,というのが最近到達した筆者の心境です。雑でしょうか。しかしまあ,フランス人の御先祖はガリア人だそうですが,ランボオ曰く,“Les Gaulois étaient les écorcheurs de bêtes, les brûleurs d’herbes les plus ineptes de leur temps. / D’eux, j’ai: l’idolâtrie et l’amour du sacrilège; -- oh! tous les vices, colère, luxure, -- magnifique, la luxure; surtout mensonge et paresse.”と。

     なお,旧民法証拠編60条では「五拾円」という金額が出て来ますが,1890年当時の「50円」は,現在の通貨価値で換算するとどれくらいになるのでしょうか。旧裁判所構成法(明治23年法律第6号)の立法当初の第141号を見ると,区裁判所の民事管轄の及ぶ範囲は「100円」以下の金額又は物に係る請求でしたから,「50円」はその上限額の半分ということになります。現在の簡易裁判所の民事管轄は「訴訟の目的の価額が140万円を超えない請求」(裁判所法(昭和22年法律第59号)3311号)までであるところ,140万円の半分は70万円です。また,岩波書店の『近代日本総合年表 第四版』(2001年)の18906月条には「米価石当たり10円台を突破,1085銭となる」とありますが,そうであれば,5石で50円ということになります。1石は10斗,1斗は10升,1升は10合で,1合の米の重さは約150グラム(筆者実測)です。150グラムの1000倍(1石=1000合)は150キログラムで,その5倍は750キログラム。現在(20261月),近所のスーパーマーケットを覗くと米価は5キログラム当たり5000円程度なので,5石の米の価額は約75万円となるようです。189050円」は,現在の70万円ないしは75万円相当ということでしょうか(ただし,1890年の米価及び2026年のそれは,本来あるべき価格よりも随分高いものであるところです(18886月の米価は1石当たり456銭だったそうですし,2026年現在米を安価に輸入することはできないところです。)。)。


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皇居お濠の竹橋から我が国のビジネス・エリート集う大手町方面を望む。

 

2 当事者

 本件訴訟の原告Xは,株式会社の100パーセント子会社たる電力卸供給事業者たる株式会社,被告Yは,小売電気事業者たる株式会社です。本件訴訟は,横着たるべからざる公益事業を営む電気事業者間での争いだったのでした。

なお,小売電気事業者とは,一般の需要に応じ電気を供給することたる小売供給(電気事業法(昭和39年法律第170号)211号)を行う事業(一般送配電事業,特定送配電事業及び発電事業に該当する部分を除く。)であるところの小売電気事業(同項2号)を営むことについて電気事業法3条の登録を受けた者です(同法213号)。

 

ところで,実際の事案における被告は,問題となった電力卸供給契約を2019129(註2に原告Xと締結した当初の当事者たる株式会社Ⓐではなく,当該契約に基づく取引が開始された201941日のその日に当該からその小売電気事業を譲り受けて当該事業に関するXとの契約上の一切の地位を承継し,かつ,小売電気事業者としての地位を承継して(電気事業法2条の7)小売電気事業を開始したY₁及び当該Y₁から202141日に吸収分割(註3によってそのエネルギーに関する事業を承継し,かつ,その際YXに対する債務を「重畳的債務引受け」の方法(民法(明治29年法律第89号)470条及び471条の「併存的債務引受」ですね。)によって承継したY₂(併存的債務引受がされたのは,会社法(平成17年法律第86号)789条の債権者の異議を避けるためでしょうか(同条12号参照)。)の二つの株式会社(Y₁及びY)だったのですが,分かりやすさのため,本稿ではがそのまま被告Yであるものとして御紹介します。

 

(註2)なお,当該契約締結日には,いわゆる債権法改正たる民法の一部改正に係る平成29年法律第44号は未施行状態でした。平成29年法律第44号の施行は,202041日からです(同法附則1条柱書及び平成29年政令309号)。

(註3)「吸収分割」については,会社法(平成17年法律第86号)229号に定義があり,そこにおける当事者は,その事業に関して有する権利義務を分割する株式会社又は合同会社と当該権利義務を承継させられる(当該権利義務を吸収する)会社との両者でありますが,「吸収分割」をする「吸収分割会社」は,吸収をする後者の会社ではなく,その権利義務を分割して承継させる前者の株式会社又は合同会社です(会社法757条及び758条柱書参照)。直感的にすらすらとは理解しづらい名称ですが,「被吸収分割」などとするとくどくかつ不恰好であるという判断がされたものでしょう。

 

また,『判例時報』では,X及びYに関係する自然人たる登場人物がP₃,P₄,P₅・・・と無機的に記号表示されていますが,本稿では,感情移入しやすいような仮名表示を試みてみました。その結果,裁判書を種本にした一種の小説のようになってしまいました。

 

DSCF3330
旧江戸城天守台から見る大手町のビル群(なお,中央の建物は皇居東御苑の桃華楽堂)


3 事案

 以下が本件における事実の流れです。

 

(1)前史

 19994月,三鷹(仮名)さんがⒷ株式会社に入社しました。

 

   にこっ きらっ

   「白い歯がいーのよねー」

   「金歯じゃないのに光るのよーっ」

    (高橋留美子『特製ワイド版 めぞん一刻 第1集』(小学館・1992年)205頁「金網は越えられない」)

 

 電力小売事業の一部自由化を受けて,2000年頃から,は特別高圧需要家・高圧需要家向けの電力供給事業を行っていました。

 2011121日,X100パーセント子会社として設立されました。

 20121月,五代(仮名)さんがYに入社し(定期の新卒採用ではないわけです。),同年8月には同社グリーンエネルギー事業長(「福利厚生部長」(高橋留美子『My First Big Special めぞん一刻 恋の罠』(小学館・2012年)336頁「菊と積木」参照)ではありません。)に就任します。

 20134月,四谷(仮名)さんがに入社し,四谷さんは同年5月,Xに出向しました(採用後いきなりの子会社出向です。)。

 

   ズン

   「きゃつ。」

   ばらばらばら もうもうもう

   「お・ま・た・せ」

    (高橋留美子『My First Big Special めぞん一刻 管理人さん』(小学館・2012年)182頁「怒りのウィドウ」)

 

 20164月,の三鷹さんがXの代表取締役に就任しました(入社後17年にして子会社の社長に就任ですね。)。この年,Xは親会社から新しく電力小売事業を承継したところです。また,同年4月頃,XYとの取引(Yが取次ぎの形態でXの供給する電力を販売しました(註4。)が始まっています(五代事業長は,Y社エネルギー事業部のジェネラルマネジャーとしてXとの取引に関与します。)。 

20172月,Yは小売電気事業者の登録を受けます。

 

  (註4)電気(電力)の「販売」というのは,「今日の判例通説は,電気供給契約は売買契約に類似する有償契約であり継続的供給契約であるという立場をとっている」からです(電気供給規程研究会編『改訂版 電気供給規程の理論と実務』(日本電気協会新聞部・1992年)8頁)。なお,売買類似の契約であって売買契約ではないのは,「売買は,当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し,相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって,その効力を生ずる」ものであるところ(民法555条),有体物=物(同法85条)ではない電気については,物を客体とする権利である所有権を観念できないからでしょう。

 

(2)本件9月会議まで

 平成も残り1年の20184月頃から,Yは,小売電気事業者として,本件電力卸供給契約の締結に向けたXとの契約交渉を開始しました。

 同月,Xの四谷さん(入社後5年が経過しています。)は,バランシンググループ(以下「BG」といいます。)関連の業務を担当するようになりました。

 

ここで,BGとは何かといえば,判決文を鑑みるに次のごとしです。すなわち,小売電気事業業界においては,小売電気事業者が電力の需要予測や様々な調達先からの効率的な調達を単独で行うことは困難なことがあるため,またインバランス(計画値と実績値との差)の発生を極力低減させるために,小売電気事業者間で需要予測や電力調達のノウハウを有する小売電気事業者が代表事業者となってBGを組成し,当該代表事業者が,BGに属する他の事業者のために需要予測の業務を受託し,事業者のために電力の調達を行い,電力の卸供給を行うという仕組みがとられることがあるとのことです。

 

 20186月頃から,Xの三鷹社長とYの五代事業長とが,XBGへのYの参加条件について,担当者を介さずに一対一でトップ協議を行うようになりました。

 

   「しかたない,いっちょもんでやろうか。」

   「えっ。/三鷹さんとやるの?」

   「誰とやれると思ったの?」

    (高橋・管理人さん137頁「混乱ダブルス」)

 

 X四谷さんは,上司である八神(仮名)営業企画部長から命じられてYに対する提案書を作成します。

 201881日,Xの三鷹社長は,Yに対し,上記のとおり四谷さんが八神部長に命じられて作成した提案書(XYから受託する業務範囲及びXが卸供給を行う際の供給条件等の提案を内容とするもの。以下「本件8月提案書」といいます。)を交付しました。

 

Xの本件8月提案書においては,市場連動型の卸供給単価として「①エリアSPOT価格+0.10円/kWh(+貴社インバランスご負担)」と「②エリアSPOT価格+0.30円/kWh(当社インバランス負担)」との2案が提示され,注記として「*SPOT連動は需要家の確定使用量ではなく,調達量(SPOTからの調達量)を使用致します。」と記載されていました(Xの電力調達地点におけるそれをもってYに対する卸供給量とする「送電端ベース」ということになります。ちなみに,「電気は送電線,配電線を通じて需要家に輸送されるが,この場合,導線の中にある電気抵抗によって導線を流れる電気の一部は熱となって失われる」ので(電気供給規程研究会編335頁),計量地点が上流であるほど卸が有利(それより下流における電気の喪失分は小売負担),下流であるほど小売が有利ということになります。)。

なお,ここでいうインバランスとは,小売事業者と発電事業者との間で計画された電力需給と実需給との間のずれのことです。当該ずれを解消するためには一般送配電事業者(電気事業法219号)が調整を行いますが,インバランス分の電気について,インバランスを発生させた小売事業者又は発電事業者と一般送配電事業者との間でインバランス料金により事後精算が行われる仕組みになっています。インバランス料金については,電気事業法18条に基づく一般送配電事業託送供給等約款料金算定規則(平成28年経済産業省令第22号)に規定があるところです。

 

 201888日,Yの五代事業長はXの三鷹社長と会談し,同社長に対し,再度の提案を要望する事項を記載した書面(以下「再提案要望書」といいます。)を交付しました。再提案要望書の「卸供給単価」欄には「0.10円/kWh+インバランスCap年間20百万円未満」との提案が記載されていました。本件8月提案書における案を基本的に採りつつ,「+貴社インバランスご負担」の額について上限を設けようとするものですね。

 再提案要望書を承け,X社内では,八神部長に指示された四谷さんがYとの取引において「インバランス」が発生する場合の追加費用の試算をしたところ,「年間630万円程度」と見込まれるという結果が出ました。そこで八神部長から,三鷹社長に対し,卸供給単価についてYの再提案を受け入れることが可能である旨の報告がされました。(しかし,当時の四谷さんは,「インバランス」の意味について,「卸供給電力量全量にSPOT価格を乗じた調達コストとは別に生じる追加コスト」の意味といった程度の理解しか有していなかったところです。)

 2018824日,Xの三鷹社長は,Yの五代事業長に対し,Xの再提案を記載した書面を交付して条件の再提示を行いました。当該書面には,卸供給単価の検討結果として「0.10円/kWh+インバランスCap年間20百万円未満」と記載されていました。

 同年911日,五代事業長から三鷹社長に対し,YXBGに参加することを決定したとの連絡がありました。

 同月12日,XYとの担当者同士で契約の詳細条件を詰めるためのキックオフ会議が開催されました。当該会議において,三鷹社長と五代事業長との間でこの時点までに合意された内容としては,スキームが市場連動型で決定したこと,卸供給単価が市場価格プラス0.1円であることが確認されています。しかし,X側の出席者からYの担当者に対して,上記の卸供給単価を不足インバランス相当電力量を含む卸供給電力量全量に乗じるものかについて明示的に確認が行われるなどのことは,まだありませんでした(ただし,この問題は具体的には,後の契約書案作成段階で,当該契約書案文の採用した表現の結果生じたものですので,この段階で問題とならなかったことは当然です(エ(ア)(ウ)及びカ参照)。)。

 同月15日,Yに六本木(仮名)さんが入社し,同社の五代事業長に代わって,同社エネルギー事業部ジェネラルマネジャーに就任しました。

 同月19日,Yの五代事業長及び六本木ジェネラルマネジャーがXの三鷹代表取締役社長を訪問し会議(以下「本件9月会議」といいます。)を行いました。裁判所の認定では,三鷹社長は本件9月会議での五代事業長とのやり取りをもって,「本件取引のアウトラインとして」,同年「824日付で提示した取引条件のとおりの合意,すなわち,①原告〔X〕からYに対して卸供給する電力については,その全量を市場価格プラス0.1円で供給する契約を締結すること,②インバランスが発生した場合には,そのことによる追加コストY負担を年間2000万円上限とすることについて合意がなされたと認識し,また,卸供給電力量の算定は本件〔8月〕提案書に記載されたとおり送電端において行うことが前提とされたと認識」したものの(下線は筆者によるもの),本件9月会議の際に,「それらの認識を明示的に」五代事業長に対して「確認することはしなかった」ところです。

 

(3)契約書案の作成から契約書の取り交わしまで

 

ア 三鷹社長からの指示及び八神部長=四谷さんコンビ

 三鷹社長は,Xにおいて卸供給契約の契約書の作成を担当する営業部に対して,自己の認識していたアウトラインに沿った形で契約書を作成することを指示します。しかし,三鷹社長は,契約書の作成を担当する八神部長又は四谷さんに対し,「契約書の具体的な記載内容やドラフティングの留意事項などの具体的な指示はしなかった」というのが裁判所の認定です。

 それでも社長の指示ですから,八神部長及び四谷さんは契約書の作成作業に取り掛かったのですが,Xには当時,市場連動型卸供給取引の契約書のひな形がなかったところから,固定卸型の契約書のひな形をかつて作成してくれた七尾(仮名)弁護士に,まず市場連動型の契約書ひな形を作成してもらうことにしました。しかして,七尾弁護士とのやり取りは,専ら四谷さんが行うこととされ,四谷さんは,電子メールのやり取りについて八神部長に情報共有をしたり,同時受信者に八神部長を加えたりすることはしませんでした。

 

イ 七尾弁護士への発注

 2018926日,四谷さんは,七尾弁護士に対して電子メールを送付します。いわく,「現行契約書雛形では固定卸単価での雛形となっております。今回作成したいものは,固定卸型では無く,各エリアの市場価格+手数料数十銭(インバランスの負担を①子BGとする場合と②親BGとする場合に対応できるもの)としたく考えております」云々と(なお,子BGとは,代表事業者以外のBGを構成する小売電気事業者のことです。)。しかし四谷さんは,さきの本件8月提案書を七尾弁護士と共有することはしておらず,Yとの取引における手数料部分が0.10円/kWhであることや,想定されているYの需要量等の情報の説明もしていません。

 

   「わかんないんですよね・・・」

(高橋留美子『My First Big Special めぞん一刻 初めてのキス』(小学館・2012年)110頁「こずえちゃん気をつけて」)

 

ウ XY間のBG参加覚書取り交わし及び五代事業長の退職

 2018101日,XYとは,Xを代表事業者とするBGYが参加することに関する基本的な合意事項を確認する覚書を取り交わしました。同日,Yは,電力小売事業に参入することを公表しています。ただし,上記覚書には,卸供給電力量の算定地点や卸料金の算出方法に関する記載は全くありませんでした。

 同月頃,Xとの契約交渉を最高責任者として従来担当していた五代事業長が,Yを退職しています。

 

   「長いことお世話になりましたっ。」

   「えっ,ちょっと・・・・・・/待ってっ,どういうことですか理由(わけ)を・・・」

   「もう自分がいやになったんですっ。/ひとりになって・・・/自分を見つめ直したいんです。/さよならっ。」

   「本気で出て行きましたな。」

   「これからどうすんのかしら。」

   「さーねー・・・とりあえず・・・/起きあがるんじゃない?」

    (高橋・管理人さん345-346頁「事件」)

 

エ 四谷さん v. 七尾弁護士

 

(ア)七尾第1次案

 2018109日,七尾弁護士は四谷さん宛てに,契約書のひな形のドラフトとして,後記カ(2019129日段)にある電力卸供給に係る契約書(以下「本件契約書」といいます。)の第51項に関して同項のただし書が無いものを送付します。そこに付された七尾弁護士のコメントは,「余剰インバランスは精算せず,不足インバランスのみを精算する形としています。このような考え方も,需要量に応じて貴社が乙〔Y〕に電力を供給をするという考え方を前提とすれば,不合理ではないと考えられます。乙にインバランスリスクを負わせる方法として,ご想定と異ならないか,ご確認ください。」というものでした。

 

(イ)四谷さんのコメント

 20181012日,四谷さんは七尾弁護士にコメントを返信し,そこにおいていわく,「雛形と致しましては,以下の条文〔筆者註:七尾弁護士提案の条文,ということでしょう。〕を活用させて頂こうと存じますが,ことY殿に関しましては,インバランス費用負担が20百万円(1年間)を上限とする形で妥結しておりますので,その場合の条文の記載方法もご教示頂けますと幸甚で御座います。」,「想定通りで御座います。有難う御座います。」と。

この四谷さんのコメントにおいては,「インバランスによる追加費用の負担」というような表現は採用されておらず,「インバランス費用負担」と書かれただけであったので,不足インバランス相当電力量に対応する全料金に係るY負担の上限が年2000万円であるというように七尾弁護士は受け取ったように思われます。

 

(ウ)七尾修正案及び本件紛争に係るその原因性

 七尾弁護士は,四谷さんからの上記コメントを承けて,20181012日のその日,本件契約書51項についてそのただし書(「但し,〔略〕(b)〔略〕に係る卸供給等電力量料金〔すなわち,Yの不足インバランス相当電力量に係る・接続対象計画差対応補給電力及び給電指令時補給電力による調達に係る卸供給等電力量の料金〕については,合計で年間(12ヶ月)2000万円(消費税等相当額を含む。)を上限とする。」)に相当する内容の規定を追記した契約書ひな形のドラフトを四谷さんに送付しています。このただし書が問題を惹起することになります。

なお,インターネットを処々検した上での筆者なりでの理解では,「接続対象計画差対応補給電力」とは,30分ごとの接続対象電力量が接続対象計画電力量を上回る場合に一般送配電事業者が補給する不足分の電力であり,また,「給電指令時補給電力」とは発電契約者に係るもので,給電指令などにより一定条件の下発電者の発電を制限又は中止したときにおいて,制限又は中止の解除までにそれにより生じた不足電力を補給するため一般送配電事業者が補給する電力です。

 この七尾ドラフトでは,XYに供給する電力量については――Xにとって有利な供給端ベースではなく,七尾弁護士の下でどういうわけがあったのか不明ですが――需要端ベースの考え方(送電後に需要家に供給される地点のそれをもってYに対する卸供給量とする考え方)に基づき算定することとされ(本件契約書41項。送電端と需要端との間における送電過程で発生する送電ロスをXが負担することになります。),また,②不足インバランス相当電力量が卸供給単価に基づく請求の計算から控除されるとともに(本件契約書51項(a)),「不足インバランス相当電力量料金が接続対象差対応補給電力料金に基づいて計算され〔本件契約書51項(b)参照。なお(b)では「接続対象差(ママ)対応補給電力」と記載されていますが,「計画」漏れでしょう。〕かつ年間2000万円を上限とすること〔本件契約書51項ただし書〕とされていた」のでした(下線は筆者によるもの。なお,判決書の当該部分では「給電指令時補給電力料金」に言及されていないのです。)。「2百万円(1年)を上限とする」との当該上限に係る理解としては,不足インバランス相当電力量に係るSPOT価格で計算したその料金額と,当該電力量について実際に生じた接続対象計画差対応補給電力料金額との間の増加分差額(接続対象計画差対応補給電力の価格は,SPOT価格よりも高いのでしょう。)に専ら係るものという理解が三鷹社長の意図に適するものだったのでしょうが,この荒っぽい本件契約書51項ただし書によって,差額分以外の金額の部分も道連れにされてしまって全て年2000万円の枠内に押し込められるべきものとされる結果となったわけです。

 

(エ)四谷さんの理解あるいは無理解

しかし,四谷さんは,七尾弁護士のドラフトをそもそも理解していなかったようです。

裁判所の認定にいわく,「〔四谷さん〕は,本件契約書のドラフト作成当時,BG関連業務に関する知識や経験はほとんどなく,卸供給電力量の算定地点を送電端とするか需要端とするかにより送電ロス分のコスト負担が生じることを十分に理解しておらず,また,「インバランス」の意味について,卸供給電力量全量にSPOT価格を乗じた調達コストとは別に生じる追加コストの意味といった程度の理解しか有していなかったことから上記の〔七尾〕弁護士から送付を受けた契約書のひな形に疑問を抱くことはなかった。」と。

 

  「四谷さん,五代くんが言ったことわかったの?」

  「いえ・・・〔略〕/印象的な単語だけは覚えてるんですが・・・」

    どろ〰〰ん

   (高橋・管理人さん404頁「明るい5号室」)

 

本件8月提案書を起案したのは四谷さんなのですが,その際も四谷さんは,実は内容を理解しないまま器用にcopy & pasteをしただけだったということになるようです。一見仕事ができる風なのがかえって罪深いところでした。

 

  「さて,今日のお勉強は・・・/自習です。/わからない箇所は五代くんに聞くように――以上」

  「はい,四谷先生。」

   (高橋・恋の罠140頁「めまい」)

 

(オ)八神部長の反応

八神部長も頼りになりませんでした。「〔四谷さん〕は,上記の〔七尾〕弁護士から送付を受けた契約書のひな形のドラフトを〔八神部長〕にも見せたが,〔八神部長〕からも特段のコメントはなかった。」とのことです。

 

  「ん?五代?誰だそりゃ。おいぶき,いつ帰ったんだ?/ひっく」

  「んも〰〰なにも覚えてないの

   (高橋留美子『My First Big Special めぞん一刻 案ずるより』(小学館・2012年)152頁「振り袖コネクション」)

 

2018116日,XYに対し,七尾弁護士から送付を受けた契約書のひな形に手数料の数字(0.10円)を入れた本件契約書のドラフトを送付してしまいました。

 

オ 四谷さん in X社の決裁ルーティーン 

四谷さんは201918日に本件契約書等に基づくこととなるべきYとの取引に係る社内決裁を申請します。しかし,Xの社内取扱いにおいては,一定の取引条件でYとのBG取引を行うことが決裁の対象であって,契約書の内容や文言そのものは必ずしも社内決裁の対象とはされていなかったのでした(なお,契約期間を同年41日から1年とし,卸契約に係る取引条件については,固定単価ではなく市場連動型であり,Xの手数料は0.10円/kWh(税抜)であること等という説明で決裁申請がされています。)。

その結果,当該取引に係るX社内の決裁担当者は八神部長及び三鷹社長を含めて計5Xの主張によれば,営業部から管理部を経て代表取締役に決裁申請が上がっていったそうです。)でありましたが,2019116日付けで決裁がされるまで,「その過程において,決裁権者の誰も決裁の申請に添付された本件契約書のドラフトを確認しなかった」とともに,「〔四谷さん〕に対して本件契約書の記載内容について説明を求めることもしなかった」のでした。

契約書に係る社内決裁がないとすれば,当該契約書に署名する者が,それまで見たこともない当該契約書の内容に単独で責任を負うということなのでしょうか。それとも,みんな契約書を読むのは面倒で嫌いでみんな読まなかったのだからみんなの責任になってみんな誰も責任を負わなくてもよいのだ,という部内理論があるのでしょうか。乱暴ないしは実に横着な話ではあります。

「いわゆる例文解釈――契約が印刷文字だから当事者がよく読んで承認したとは認められない,という理由で無効とすること」(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)276頁参照)ということがあるそうだから「読んでませんでした」という理由で赦してもらえないかなぁ,というのも無理筋でしょう。本件契約書はXが自ら起草したのですから,そもそも「読んでませんでした」という言い訳は認められません。また,いわゆる例文解釈論自体がもう古いのです。「要するに,例文解釈は,個人の意思の効力を尊重する傾向が一層強かった時代に,明白な意思による承諾なしという根拠によって不当な約款の効力を否定しようとしたものである。しかし,今日においては,信義誠実の原則を正面に出し,不当な約款は,当事者が一応承諾した場合でも,この〔信義誠実の〕原則によってその効力が否定されるものであることを承認すべきである。」と説かれています(我妻257頁)。例文解釈論を今更振り回してしまうのは,中途半端なお勉強がかえって弊害をもたらすことの一例でしょう(なお,例文解釈論は下級審判決で採用されたものですが,当時から「大審院は,この下級審の態度に好感を持っていたとはいえなかった」ところで(星野英一『借地・借家法』(有斐閣・1969年)37頁),「大審院には,例文とした判決はないようである。はっきりと,例文でないとしたものに,大判昭和2317日(新聞267619頁)(2年の期間について)がある。」とのことです(同38頁註(4))。)。

X社内のとほほな状況に対して,Y社内においては,法務部のリーガルチェックを経て決裁がされています。

 

カ 取り交わされた本件契約書

 2019129日,XYとは需要予測業務等委託契約書を取り交わします。当該契約書に係る業務等委託契約(以下「本件業務委託契約」といいます。)では,XYから①需要予測業務,②需要計画に応じた電力の調達等業務,③需要計画等作成・提出業務,④一般送配電事業者からインバランス補給(調達)を受け,又は一般送配電事業者への余剰インバランス供給をする業務,⑤託送供給等約款における託送料金支払等の託送手続代行業務等を受託しています。

 また同日,本件業務委託契約の②及び④の業務に対応するものとして,次に掲げる内容の条項(下線は筆者によるもの)を有する本件契約書が取り交わされ,本件電力卸供給契約がXY間で締結されています。

 

  第1条 本件電力卸供給契約は,本件業務委託契約に基づき,XYのために調達した電力及び(ママ)一般送配電事業者〔中略〕から供給を受けた接続対象計画差対応補給電力及び給電指令時補給電力(以下総称して「卸供給等電力」という。)のYに対する供給に係る料金その他必要な事項を定めることを目的とする。

 

  第41項 X及びYは,Y需要家の需要場所毎の供給地点において一般送配電事業者により計量された値の合計値(以下「需要家の需要実績値」という。)から,Yが自ら調達する電力に係る調達計画値の合計値を控除した値に相当する電力量について,X及びYとの間の卸供給等電力の受給が受給地点において行われたものとみなし,当該値に相当する電力量を卸供給等電力量とする。但し,高圧及び特別高圧の需要家のうち毎月1日を検針日とする需要場所の需要家に係る常時バックアップに係る契約に基づき供給される電力については,翌月の電力量から控除するものとする(註5

 

     (註5)このただし書に出て来る「常時バックアップ」は,第54項にも出て来ます。

 

  第51項 XYに供給する卸供給等電力に係る料金(以下「卸供給等電力料金」という。)は,それぞれ以下〔原文には「のa及びb」とあって,bは卸電力取引所のない沖縄電力株式会社の供給区域に係る特則なのですが,本稿ではaの規定で代表させて,bは捨象します。〕のとおりとする。但し,〔略〕b〔略〕に係る卸供給等電力量料金については,合計で年間(12ヶ月)2000万円(消費税等相当額を含む。)を上限とする。

a)卸供給等電力量料金(b)を除く。

    下記の電力量料金単価に〔第4条第1項〕の規定に基づき計量された卸供給等電力量から対象供給区域毎に算定されるYに係る不足インバランス相当電力量(需要家に係る30分毎の接続対象電力量が,Xの作成する需要家に係るその30分の接続対象計画電力量を上回る場合に生じた不足電力量の補給に充てるための電力量(以下「Yの不足インバランス相当量」という。以下()同じ()。))を控除した電力量を乗じた金額を合計した金額に,消費税等相当額を加算した金額とし,1月を単位とする。

               記

    卸電力取引所のスポット市場の価格(市場分断が生じている場合は,本件需要家の供給区域におけるものとする。)+手数料0.10

    (b)卸供給等電力量料金(接続対象差対応補給電力,給電指令時補給電力による調達に係るもの)

    対象供給区域毎に算定されるYの不足インバランス相当量に係る接続対象差対応補給電力料金及び給電指令時補給電力料金の合計金額とし,1月を単位とする。 

 

  第54項 Yは,Xから送付を受けた請求書に基づき,請求書発行月末日までに,当該請求に係る月の卸供給等電力料金からXが一般送配電事業者に支払うべきYの小売電気事業に係る常時バックアップの前々月料金相当額を減算した額及び本件電力卸供給計画において卸供給等電力料金と共に支払うこととされている金額の合計額をXの口座に振り込む方法で支払う。

 

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