1 はじめに
平成29年法律第44号によって2020年4月1日から改正(同法附則1条柱書き及び平成29年政令第309号)された民法(明治29年法律第89号)95条については,当該条文を最初に見た際に筆者は,「今までは条文には書いてなくていわゆる基本書・参考書を見なければ分からなかったことがみんな書き込んである。親切なもんだなぁ。」と思ったことでした。そこで非常勤講師として大学で民法を教えるに当たっても,「錯誤については,まぁ,条文をしっかり読んでください。」などとのぬるやかな姿勢を示していたのでした。
しかし,やはり錯誤は難しい。
今年(2026年)に入ってから筆者は,次のように,民法95条の錯誤規定と長々お付合いをしております。本稿をもって何とか打ち止めにしたいものです。
「ぬるやかな契約書実務の一事例及び錯誤論等:東京地方裁判所令和6年5月27日判決にちなんで」(2026年1月28日)
「共通錯誤論管見」(2028年2月28日)
本稿は,上記「共通錯誤論管見」中の「6 日本民法95条3項(同項2号を除く。)とドイツ民法第一草案99条と」の続きということになります。
2 関係条文及び概念
(1)日本民法
ア 錯誤による意思表示の取消し又は無効
まず関係条文の確認です。
現在の民法95条は,次のとおり。
(錯誤)
第95条 意思表示は,次に掲げる錯誤に基づくものであって,その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは,取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
2 前項第2号の規定による意思表示の取消しは,その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り,することができる。
3 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には,次に掲げる場合を除き,第1項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
一 相手方が表意者に錯誤があることを知り,又は重大な過失によって知らなかったとき。
二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。
4 第1項の規定による意思表示の取消しは,善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。
平成29年法律第44号によって改正される前の民法95条は次のとおりでした。
(錯誤)
第95条 意思表示は,法律行為の要素に錯誤があったときは,無効とする。ただし,表意者に重大な過失があったときは,表意者は,自らその無効を主張することができない。
更に同条は,平成16年法律第147号によって2005年4月1日から改正(同法附則1条及び平成17年政令第36号)される前は次のとおりでした。
第95条 意思表示ハ法律行為ノ要素ニ錯誤アリタルトキハ無効トス但表意者ニ重大ナル過失アリタルトキハ表意者自ラ其無効ヲ主張スルコトヲ得ス
我が民法旧95条のフランス語訳(富井政章=本野一郎によるものであって,1898年にパリで出版)は“La déclaration de volonté est nulle, lorsqu’il y a erreur sur les éléments essentiels de l’acte juridique. Toutefois, le déclarant ne peut lui-même se prévaloir de cette nullité, lorsqu’il y a eu faute grave de sa part.”でした。「意思表示」はフランス語では“déclaration de volonté”,「法律行為」は“acte juridique”であって,また,民法旧95条の「要素」は“éléments essentiels”であることが分かります。当該法律行為(l’acte juridique)の本質的部分(les éléments essentiels)が民法旧95条の「要素」なのでした(反対解釈すると,法律行為に本質的部分があるということは,それ以外の非本質的部分もあるということです。)。
(なお,意思表示と法律行為との関係は,初学者を混乱させるところですが,理窟っぽく説明すると,まず「法律関係においては,一定の生活関係が存在すると,これについて法律的保護のある一定の効果が発生することになる。そして,この効果を法律効果といい,この法律効果を生ずる生活関係を法律要件という。」ということが前提にあって(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)230-231頁),①契約,②単独行為(債務免除(民法519条),遺言等)及び③合同行為(社団法人設立行為が適例)に3分類(我妻・総則243-244頁参照)されるところの「法律行為(Rechtsgeschäft)とは,意思表示を要素とする私法上の法律要件」であるものとされています(我妻・総則238頁)。「初学者のうちは,法律行為イコール契約であるものと考えるのでいいよ。」と,筆者は教わったところです。しかしてここで法律行為が「意思表示を要素とする」というときの「要素」は,民法旧95条的な本質的部分という意味ではなく,「それによって構成されるもの(éléments constituants)」という意味でしょう(富井政章『民法原論 第一巻 総論』(有斐閣・1922年合冊版)442頁のいうところの「普通ノ意義タル法律行為ノ成立要件」です。)。法律行為は分解してしまえば要は1又は2以上の意思表示なのですが,意思表示の組み合わせ方によって,契約(対立する2個以上の意思表示が合致して成立する法律行為)となったり,単独行為(一人1個の意思表示で成立する法律行為)となったり,合同行為(方向を同じくする2個以上の意思表示が合致して成立する法律行為)となったりするのでした。)
イ 意思の欠缺又は錯誤
(ア)意思の欠缺(旧)
「法律行為の要素に錯誤があったとき(lorsqu’il y a erreur sur les éléments essentiels de l’acte juridique)」にはその結果としてどういう状態になることになっているのか(当該状態こそが,当該意思表示の無効という法律効果をもたらす直接の法律要件であったわけです。),は民法旧95条を見るだけではよく分かりませんでした。そこで,平成29年法律第44号による改正前の民法101条1項を見ることになります。すなわち同項にいわく,「意思表示の効力が意思の不存在,詐欺,強迫又はある事情を知っていたこと若しくは知らなかったことにつき過失があったことによって影響を受けるべき場合には,その事実の有無は,代理人について決するものとする。」と(なお同項は,平成16年法律第147号による改正前には,「意思表示ノ効力カ意思ノ欠缺,詐欺,強迫又ハ或事情ヲ知リタルコト若クハ之ヲ知ラサル過失アリタルコトニ因リテ影響ヲ受クヘキ場合ニ於テ其事実ノ有無ハ代理人ニ付キ之ヲ定ム」でした。)。
すなわち,「法律行為の要素に錯誤があったとき」には,「意思ノ欠缺(意思の不存在)」がもたらされることとされていたわけです。
梅謙次郎の民法旧101条1項解説も,「例ヘハ代理人ノ意思カ錯誤又ハ強迫ノ為メニ全く欠缺セルカ,詐欺若クハ強迫ニ因リテ其意思ニ瑕疵アルカ,第93条ノ場合ニ於テ代理人カ相手方タル表意者ノ真意ヲ知リ若クハ之ヲ知ルコトヲ得ヘカリシトキハ其意思表示ハ或ハ無効ト為リ或ハ取消シ得ヘキモノト為リ敢テ本人ノ意思如何ヲ問ハサルナリ」と述べていました(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1911年)262頁。下線は筆者によるもの)。本野一郎=富井政章のフランス語訳による民法旧101条1項は“Lorsque l’efficacité de la déclaration de volonté se trouve atteinte, soit par l’absence de volonté, soit par le dol ou les menaces, soit enfin par la connaissance ou l’ignorance fautive de certaines circonstances, il faut, pour l’appréciation de ces éléments, prendre en considération la personne du représentant.”ですから,「意思ノ欠缺」はフランス語では“absence de volonté”であるということになります。「錯誤ニ因リテ意思ノ欠缺ヲ生スヘキ場合トハ錯誤ニ因リテ意思ト表示ト合ハサル場合ニシテ即チ本条〔民法旧95条〕ニ所謂「法律行為ノ要素ニ錯誤アル」モノ」たる場合です(梅219頁)。
(イ)錯誤(新)
ただし,平成29年法律第44号による改正以後の民法現行101条1項は「代理人が相手方に対してした意思表示の効力が意思の不存在,錯誤,詐欺,強迫又はある事情を知っていたこと若しくは知らなかったことにつき過失があったことによって影響を受けるべき場合には,その事実の有無は,代理人について決するものとする。」となっています(下線は筆者によるもの)。「意思の不存在」は,素直に考えると従来からの「錯誤ニ因リテ意思ト表示ト合ハサル場合」でしょうから,民法現行95条1項1号の「意思表示に対応する意思を欠く錯誤」に基づく意思表示が陥っている状態は,伝統を重んずればこの「意思の不存在」に当てはめられるべきでしょう(ただし,後に見るように,同法現行120条2項との関係で問題が生じます。)。そうだとすると,新出の民法現行101条1項の「錯誤」は,残る同法現行95条1項2号の「表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤」に基づく意思表示をした表意者が陥っている状態ということに,まずはなるわけです。表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反しているときの同人の状態,ということです。「〔平成29年法律第44号による改正以後の〕新法においては,「錯誤」を「表示の錯誤」と「動機の錯誤」とに区別して規定しているが(新法第95条〔略〕),「動機の錯誤」は「意思の不存在」に当たるとはいい難いものであることから,別途,代理行為の効力に影響を与え得る事実として「錯誤」を明示している(新法第101条第1項)。」ということです(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)29頁注1)。
従来は「錯誤(=表示の錯誤)」⇒「意思の欠缺」であったものが,現在は「動機の錯誤」⇒「錯誤」になって,「錯誤」の本家・嫡流が,表示の錯誤から動機の錯誤に移動したということでしょう。フランス史でいえば,ブルボン本家からオルレアン分家に王統が移った1830年の七月革命のようなものでしょうか。「動機の錯誤」の場合には,成立した法律行為(契約)に表示された内容の「要素」についてそれに対応する意思が存在するかどうかを検討するのではなく,法律行為成立以前におけるその「基礎とした事情」に係る表意者の認識の正否が問題となるわけです。
ところが更には,民法現行120条2項は,「錯誤,詐欺又は強迫によって取り消すことができる行為は,瑕疵ある意思表示をした者又はその代理人若しくは承継人に限り,取り消すことができる。」と規定しています。民法現95条1項1号の錯誤に基づく意思表示の取消しも「瑕疵ある意思表示」たる「錯誤」による取消しである,ということになります。そうであれば,民法現101条1項の「意思の不存在」と「錯誤」との間において,同法現95条1項1号の錯誤を前者に,同項2号の錯誤を後者に振り分けるという煩瑣なことをするのは無用なことであって,「錯誤」一本でよろしいということになるのでしょう。すなわち,「錯誤は,心裡留保や虚偽表示と異なり,もっぱら,意思は存在するがその形成過程に問題のある場合といえるから,詐欺・強迫とならんで「瑕疵ある意思表示」(120条2項)という言い方がされる」ということになります(内田貴『民法Ⅰ-1 第5版 総則』(東京大学出版会・2025年)86頁)。しかし民法現95条1項1号の錯誤も含めてより精確に言えば,「意思表示は存在するがその形成過程に問題のある場合」たる瑕疵ある意思表示ということになるのでしょう。
本稿は,なお,当該錯誤家に係る2020年の「二号による乗っ取り」ないしは「易姓革命」前の立法史を取り扱います。
(2)ドイツ民法
ア 第一草案
民法旧95条の「錯誤ノ効果ニ関スル規定ハ主トシテ独逸民法第一読会草案ニ則リタルモノナリ(独一草98条,99条1項)」とされていますので(富井448頁),ドイツ民法第一草案(1888年出版)の第98条及び第99条を見てみます。
§ 98
Beruht der Mangel der Uebereinstimmung des wirklichen Willens mit dem erklärten Willen auf einem Irrthume des Urhebers, so ist die Willenserklärung nichtig, wenn anzunehmen ist, daß der Urheber bei Kenntniß der Sachlage die Willenserklärung nicht abgegeben haben würde; im entgegengesetzten Falle ist die Willenserklärung gültig. Im Zweifel ist anzunehmen, die Willenserklärung würde nicht abgegeben sein, wenn ein Rechtsgeschäft anderer Art, die Beziehung des Rechtsgeschäftes auf einen anderen Gegenstand oder die Wirksamkeit des Rechtsgeschäftes unter anderen Personen beabsichtigt wurde.
第98条 実際の意思と表示された意思との合致の欠如が表意者の錯誤によるものである場合において,事実を知っていたならば表意者はその意思表示をしなかったものと認められるべきときは,当該意思表示は無効である。そうでないときには,意思表示は有効である。他の種類の法律行為,他の目的物との法律行為の結び付き又は他の人らとの間での法律行為の発効が意図されていた場合であって,疑わしいときにあっては,意思表示はされなかったものとの推定がされるものとする。
§ 99
Die nach den Vorschriften des § 98 für nichtig zu erachtende Willenserklärung ist gültug, wenn dem Urheber derselben grobe Fahrlässigkeit zu Last fällt.
Fällt dem Urheber eine Fahrlässigkeit zur Last, welche keine grobe ist, so haftet derselbe dem Empfänger für Schadenersatz nach Maßgabe des § 97 Abs. 3.
Die Vorschriften des ersten und zweiten Absatzes finden keine Anwendung, wenn der Empfänger den Irrthum kannte oder kennen mußte.
第99条 第98条の規定により無効であるものと判断されるべき意思表示は,その表意者に重大な過失があるときは有効である。
表意者に重大ではない過失があるときは,同人は相手方に対して第97条第3項に応じた損害賠償をする責任を負う。
相手方が錯誤を知っていたとき又は知っていなければならなかったときには,第1項及び第2項の規定は適用されない。
ドイツ民法第一草案97条3項は次のとおりでした。
Fällt dem Urheber eine Fahrlässigkeit zur Last, welche keine grobe ist, so haftet derselbe dem Empfänger für Schadenersatz, jedoch in keinem Falle über den Betrag hinaus, welchen er bei Voraussetzung der Gültigkeit der Willenserklärung wegen Nichterfüllung der daraus entstandenen Verpflichtung zu ersetzen gehabt hätte.
表意者に重大ではない過失があるときは,同人は相手方に対して損害賠償をする責任を負う。ただし,その意思表示が有効であったとの前提において,それから生ずる義務に係る不履行により彼が賠償すべきであったであろう金額を超えないものとする。
イ 現行法
なお,実際に立法されたドイツ民法(1896年制定,1900年施行)の119条は,次のとおりです。
§ 119
(1) Wer bei der Abgabe einer Willenserklärung über deren Inhalt im Irrtum war oder eine Erklärung dieses Inhalts überhaupt nicht abgeben wollte, kann die Erklärung anfechten, wenn anzunehmen ist, dass er sie bei Kenntnis der Sachlage und bei verständiger Würdigung des Falles nicht abgegeben haben würde.
(2) Als Irrtum über den Inhalt der Erklärung gilt auch der Irrtum über solche Eigenschaften der Person oder der Sache, die im Verkehr als wesentlich angesehen werden.
第119条 意思表示をする際その内容について錯誤に陥っていた者又はその内容の表示をそもそもする意思のなかった者は,事実を知っており,かつ,事案を思慮深く判断したならばその表示をしなかったであろうものと認められるべき場合には,当該表示を取り消すことができる。
2 取引上本質的なものとされる人又は物の性状についての錯誤も,表示の内容についての錯誤とみなされる。
以上は「共通錯誤論管見」の6で御紹介したところですが,本稿では,ドイツ民法第一草案の理由書たるMotive(1888年出版)の第98条部分の拙訳を御披露申し上げることとします。何を今更古い話を,という御感想もありましょうが,「子曰,温故而知新,可以為師矣」なのですぞ。
3 ドイツ民法第一草案98条の解説の翻訳(註釈付き)
(1)錯誤による不慮の意思欠缺(Unbewußter Willensmangel infolge Irrthumes)
Giebt Jemand eine seinem wirklichen Willen nicht entsprechende Willenserklärung ohne Kenntniß des Zwiespaltes zwischen Wille und Erklärung ab, so kann dies seinen Grund darin haben, daß bei der Erklärung des Willens ein Irrthum unterläuft, welcher bewirkt, daß die Erklärung der bezweckten Willenskundgebung nicht gerecht wird (Irrthum in der Erklärungshandlung), oder darin, daß die Erklärung den Willen zwar wiedergiebt, der Wille aber auf einer falschen Vorstellung beruht, welche die Willenswirklichkeit ausschließt (Irrthum über den Inhalt der Erklärung). Mitunter scheidet man auch zwischen Irrung (Fälle des Sichversprechens, Sichverschreibens, Sichvergreifens, u. s. w.), Verlautbarungsirrthum (Fälle, in welchen mit der Erklärung ein anderer Sinn verbunden wird, als den gewählten Erklärungszeichen an sich zukommt) und Irrthum über den sachlichen Inhalt der Erklärung. Die Verschiedenheit des obwaltenden Irrthumes ist nur insofern von Belang, als je nach der Beschaffenheit desselben der Schluß auf das Vorhandensein einer Nichtübereinstimmung zwischen Wille und Erklärung mehr oder minder nahe liegt; die rechtliche Beurtheilung der Nichtübereinstimmung selbst, auf welche es allein ankommt, ist die gleiche. In dem Entwurfe wird deshalb von jeder Scheidung in dieser Richtung abgesehen und nur von Irrthum gesprochen. Ferner ist auch der Hinweis darauf unterblieben, daß es unerheblich sei, ob der Irrthum in Nicht= oder Falschwissen bestehe (sächs. G. B. §95); ein solcher Ausspruch ist entbehrlich und insofern vielleicht nicht einwandsfrei, als die Meinung sich vertreten läßt, daß das Nichtwissen vorwiegend, wenn nicht ausschließlich, dem Bereiche des Irrthumes in den Beweggründen (§102) angehöre.
ある者が,その実際の意思に対応しない意思表示を,意思と表示との間の当該不一致を認識せずにする場合(註1)においては,その原因は,意図されたところの意思の通知にとって表示をふさわしくないものにしてしまう錯誤が意思の表示の際に混入すること(表示行為における錯誤)であるときがあり,表示は意思をそのとおり表現してはいるものの,当該意思が,意思の現実性(die Willenswirklichkeit)を排除する誤った表象に基づいていること(表示の内容についての錯誤)であるときがあり得る。時として,また次のような区分がされている。すなわち,間違い(言い間違い,書き間違い,選び間違い等の場合)と,表現の錯誤(そこで採られた表示の文字記号自体によるものとは異なる他の意味が当該表示に結び付けられる場合)と,及び表示の事実的内容に係る錯誤との区分である(註2)。そこに存する錯誤には違いがあるとしても,その違いは,意思と表示との間に一致の欠如が存在するとの結論に,近いか遠いかということに係る当該錯誤自体の性質に応ずる限りにおいて重要性を有するものである。当該一致の欠如のみが重要であるところ,当該欠如に対する法的評価自体は,同じである。したがって,本草案においては,この方向での区分は度外視して,ただ錯誤について論ぜられる(註3)。更には,錯誤が不知に存するのか誤知に存するのかは重要ではないということ(ザクセン法典95条)の指摘もしない。そのような言明は不必要であり,また,その意味するところが,不知は専らではなくとも主には動機の錯誤の領域(第102条)(註4)に属するものである,ということであると解される限りにおいては,恐らく異議を免れないであろうところである。
(註1)民法旧95条の起草者である富井政章が「錯誤トハ不慮ニ真意ニ非サル意思表示ヲ為スコトヲ謂フ」と説いたのは,この部分を承けたものでしょう(富井政章『民法原論 第一巻 総論』(有斐閣・1922年合冊版)433頁)。梅謙次郎も「意思表示ニ就テ言ヘハ」錯誤とは「表意者カ其真意ニ非サル事項ヲ其意思ノ如ク表示シ而モ自ラ其意思ト表示ト齟齬セルコトヲ知ラサル場合」であると説明しています(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1911年)210頁)。我が国の「錯誤に関するリーディング・ケース」(大村敦志『民法読解 総則編』(有斐閣・2009年)315頁)である大審院大正3年(1914年)12月15日判決(民録20輯1101頁)は「意思表示ニ於ケル錯誤トハ内心的効果意思ト意思表示ノ内容タル表示的効果意思トノ間ニ於ケル不慮ノ不一致ナレハ民法第95条ニ所謂法律行為ノ要素ノ錯誤モ亦意思表示ノ内容ニ存セサルヘカラサルハ当然ナリ」と判示しています。
しかし,「表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤」に基づく意思表示の取消しの場合であって(民法現95条1項2号),「その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたとき」は(同条2項),当該事情に係る事実と表意者の認識との間の齟齬があるだけであるので,「表示行為から推測される意思と表意者の真実の意思とが食い違ってい〔て,〕表意者自身それに気がついていない」ものと定義されるところの錯誤(内田貴『民法Ⅰ-1 第5版 総則』(東京大学出版会・2025年)72頁)にはうまく当てはまらないようです。この点の辻褄合わせのためには,「動機をも含めて表示されたことから推断されるところと,表意者の意図のどこかにくい違いがあれば錯誤である」とする我妻榮の定式(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)298頁)に対して加えられた次のような操作を援用すべきでしょうか。いわく,「まず,「表示されたことから推断されるところ」を定める(この指輪を金の指輪だと思って買う)。その上で,「意図」に動機形成のプロセスを読み込むのである(この指輪が金の指輪ならば買う→金の指輪でなければ買わない)。ここでは,事実認識における錯誤(事実と認識の不一致)がなければあったであろう仮定的な意思が想定されている」と(大村321頁)。当該仮定的意思(金の指輪ではないので買わない)と表示されたことから推断される意思(この指輪を金の指輪だと思って買う)とは,確かに食い違っています。
(註2)意思の欠缺をもたらす錯誤として,我が国では,「表示上の錯誤」(「£と$を書き間違える等」)及び「表示行為の意味に関する錯誤(内容の錯誤)」(「ドルとポンドが同じ価値であると思い込んでいたので,1万ポンドの価値のつもりで1万ドルと言った場合」)(内田73頁参照)又は「意思表示ノ行為ヲ誤リタル塲合」(「百法ト記セント欲シタルニ誤テ百円ト記」す等)たる「表示上ノ錯誤」及び「意思表示ノ内容ヲ誤リタル塲合」(「意思表示ノ意義ヲ誤解シテ百法ト百円トハ同一ナリト信シテ百法ヲ百円ト記」ス等)たる「内容上ノ錯誤」(富井438-439頁参照)という2種類が挙げられています。なお,実際に制定されたドイツ民法119条1項前段は,その意思表示を取り消し得る錯誤者は「意思表示をする際その内容について錯誤に陥っていた者又はその内容の表示をそもそもする意思のなかった者」であるものと規定していますが,前者は内容(内容上)の錯誤に,後者は表示上の錯誤に陥っている者であるわけです(表示上の錯誤者は「其表示ニ対当スル行為意思及ヒ表示意思共ニ之ヲ缺クモノ」です(富井438頁)。)。
ところで,「先に,ドルとポンドとが同じ価値だと思ってポンドの代わりにドルと言った場合,表示行為の意味に関する錯誤であり,表示に対応する意思が欠けていると述べた。〔略〕しかし,もし表意者が,1ドルの為替レートが1ポンドであると誤信していたとすると,為替レートについて事実誤認があるが1万ドルで売るという効果意思があるから,動機の錯誤となる。だが,両者〔意思の欠缺と動機の錯誤と〕の違いは十分に明瞭であろうか。」と説かれていますが(内田78頁),Motiveにいう「表示の事実的内容に係る(über den sachlichen Inhalt der Erklärung)錯誤」とは,ドル・ポンドに係る上記2例中の後者(為替レートに係る事実誤認)のような錯誤のことであって,ドイツ民法第一草案の立場ではこれは動機の錯誤ではなく意思の欠缺の場合であると理解されていた,ということになるのでしょうか。悩ましいところです。
(註3)ただし,制定されたドイツ民法119条1項前段は,抽象的な「実際の意思と表示された意思との合致の欠如」に代えて,註2で御紹介したとおり,より具体的な「意思表示をする際その内容について錯誤に陥っていた者又はその内容の表示をそもそもする意思のなかった者」との規定を採用しています。
(註4)ドイツ民法第一草案102条は „Ein Irrthum in den Beweggründen ist, sofern nicht das Gesetz ein Anderes bestimmt, auf die Gültigkeit eines Rechtsgeschäftes ohne Einfluß.“(動機における錯誤は,法律が別異に規定しない限りにおいて,法律行為の有効性に影響を及ぼさない。)と規定していました(ちなみ同条は,Motiveによると,単に「立法例の大多数に倣って(Nach dem Vorgange der Mehrzahl der Gesetzeswerke)」設けられたとのことです。)。反対解釈すると,動機の錯誤であっても,一切斟酌されないわけではなく,法律行為を取り消し得るものが法定されることが前提となっていたわけです。我が国では典型的な動機の錯誤とされた「特定物である目的物の性質(馬が受胎しているかどうか等)」に係る性状の錯誤(内田75頁)も,ドイツ民法119条2項においては表示の内容の錯誤とみなされ得るものとされています。
これに対して,我が梅謙次郎は,「理由の錯誤(erreur sur le motif, Irrthum in Beweggründen)」(梅219頁)について,「旧民法其他外国ノ大多数ノ例ニ依レハ理由ノ単純ノ錯誤〔動機(理由)の錯誤は詐欺によるものと単純なものとに二分されるところ,詐欺によるものではない動機の錯誤〕モ時トシテハ承諾ノ瑕疵ヲ生スルモノトシ法律行為ノ取消ノ原因トシテ之ヲ認ムルト雖モ本法ニ於テハ一切之ヲ認メス」と説いていたところです(梅227-228頁)。
動機の錯誤をばっさりと斬った理由は,「此場合ニ於テハ意思表示ノ内容ニハ毫モ錯誤アルコトナク唯表意者カ其意思表示ヲ為スニ至リタル理由ニ錯誤アルモノナリ然レトモ其理由ナルモノハ法律上相手方ノ知ルヲ要セサル所ニシテ又実際之ヲ知ラサルヲ常トスル所ナリ然ルニ其理由ニ錯誤アリタルニ拠リ内容ニ何等ノ瑕疵ナキ法律行為ノ取消ヲ許スモノトスルハ実ニ謂レナキノミナラス取引ノ安全ヲ重スル点ヨリ考フルモ甚タ不可ナリ殊ニ況ヤ単純ノ錯誤ニ在リテハ多クハ表意者ノ不注意ヨリ此錯誤ヲ来スモノニシテ其相手方タル者ハ毫モ過失ナキヲ常トスルニ於テヲヤ」ということでした(梅228頁)。しかし,この梅流の割り切りを貫徹できなかったその後の判例・学説の展開が,後進の法律書生らの困惑・迷走を生むことになりました。
ドイツ民法第一草案102条は,制定されたドイツ民法からは落とされています。「動機錯誤と行為意思における錯誤との間に境界線を引くことは到底できないので,「動機錯誤」なる概念が詳細に説明されないなら,実務にとってたいして役立たないこと」,「人における錯誤(error in persona),客体における錯誤(error in corpore),そしてとくに性質における錯誤(error in qualitate)を動機錯誤として特色付けることは学説に委ねられねばならないこと」等がその理由だったそうです(中谷崇「双方錯誤の歴史的考察(3)――ドイツ法の分析――」横浜国際経済法学第17巻第3号(2009年3月)268頁)。
Die Rechtsentwickelung hat dazu geführt, daß nicht jedem durch Irrthum hervorgerufenen Willensmangel rechtliche Beachtung zu Theil wird. Man unterscheidet zwischen wesentlichem und unwesentlichem Irrthume in dem Sinne, daß das Auseinanderfallen von Wille und Erklärung rechtlich bedeutungsvoll oder bedeutungslos ist, je nachdem dasselbe einen wesentlichen oder unwesentlichen Theil der Willenserklärung trifft. Vielfach wird auch unter wesentlichem Irrthume der die Nichtigkeit der Willenserklärung nach sich ziehende, unter unwesentlichem Irrthume der dieselbe nicht vernichtende Irrthum verstanden. Es handelt sich dabei lediglich um eine Verschiedenheit der Ausdrucksweise, die zu demselben Ergebnisse führt, sofern der die wesentlichen Theile der Willenserklärung treffende Irrthum zugleich der die Willenserklärung entkräftende ist.
法の発展の結果,錯誤によってもたらされた意思の欠缺の全てに法的顧慮が与えられるものではないということになった。本質的な錯誤と非本質的な錯誤とは次のように区別される。すなわち,意思と表示との乖離は,それが意思表示の本質的な,又は非本質的な部分に係るものであるかどうかに応じて,法的に意味があったり意味がなかったりするのである。またしばしば,本質的錯誤としては意思表示の無効をそれによりもたらす錯誤がそれとして,非本質的錯誤としては意思表示を無効にしない錯誤がそれとして理解されている。ここにおいては,意思表示の本質的部分に係る錯誤は同時に意思表示を無効力化する錯誤である限りにおいて同一の結果に至るところの,表現方法の違いが単に問題となっているのである(註5)。
(註5)「19世紀ドイツ普通法学においては「本質的錯誤(wesentlicher Irrtum)」という概念が用いられていたという。普通法学の錯誤論はサヴィニーによって基礎づけられるが,サヴィニーは「意思の欠缺」をもたらす錯誤のみが法律行為に影響を与えるとし,「意思の欠缺」をもたらすか否かの基準を,「本質的錯誤」であるかどうかに求めた。」とのことです(大村331頁)。なお,サヴィニー(Friedrich Carl von Savigny:1779年-1861年)は,姓がフランス風ですし,後にプロイセン政府の高官になっていますから,筆者としては1685年のかのポツダム勅令(「80年前のものならぬ340年前のポツダム勅令に関して」)の招きに応じてフランスを脱出したユグノーの子孫ではないかと不図思ったのですが,そうではないそうです。サヴィニーは「ロートリンゲンLothringenの一族の出身で,この一族は,1630年頃プロテスタント信仰のゆえに,郷里を棄て去った。」とのことでした(F.ヴィーアッカ―著,鈴木禄弥訳『近世私法史――特にドイツにおける発展を顧慮して――』(創文社・1961年)472頁)。1630年頃であれば,ルイ14世はまだ生まれてもいません(1638年生まれ)。
ちなみに,「意思表示の本質的部分に係る錯誤」としての本質的な錯誤はヴィントシャイト流の理解であり,「意思表示を無効力化する錯誤」としての本質的な錯誤はサヴィニー流の理解であるそうです(中谷277-278頁註43)。Windscheid(1817年-1892年)は,その著した「『パンデクテン法〈全3巻〉(Pandektenrecht, I-III)』(1862-1870年)は,その多くの版がドイツ民法典(BGB)の下地となった」(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法――ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)47頁)という大学者です。Motiveのこの辺は,現代の読者にとって,「要はトートロジーなの?何のためにこんなことを書いているのか分からん。」と思わせる箇所ですが,実は当時のドイツ私法学界の先生方にとっては,二大巨匠の見解の相違にかかわる重大問題だったのでした。
(2)顧慮される錯誤と顧慮されない錯誤と(Beachtlicher und unbeachtlicher Irrthum)
Der Entwurf folgt dem Gange der Rechtsentwickelung, indem er sowohl hinsichtlich der Willenserklärungen unter Lebenden als hinsichtlich der Verfügungen von Todeswegen (§§1779, 1947, 1957 Abs. 4, §2020) zwischen beachtlichem und unbeachtlichem Irrthume scheidet. Der in der Wissenschaft aufgestellte Grundsatz, daß eine Willenserklärung schlechthin in allen Punkten der Willenswirklichkeit entsprechen müsse, wenn sie Bestand haben solle, weil jeder Punkt gleichwerthig sei, ist in seiner Durchführung von unleidlichen Folgen begleitet und mit der im Verkehrsinteresse liegenden thunlichsten Aufrechterhaltung der Rechtsgeschäfte nicht vereinbar. Bedenklich ist desgleichen, an den bezüglich eines unwesentlichen Theiles einer Willenserklärung infolge Irrthumes bestehenden Willensmangel die Folge zu knüpfen, daß die Erklärung zwar im Uebrigen besteht, der betreffende Theil aber nichtig ist. Dem Leben entspricht es ungleich mehr, einen solchen nebensächlichen Punkt, obwohl er nicht gewollt ist, in Kraft zu erhalten. Streng genommen mag hierin eine Abweichung von dem Willensdogma zu finden sein; allein die Korrektur des Willens ist jedenfalls nur eine geringe und liegt ebensowohl im eigenen Interesse des Erklärenden als im Verkehrsinteresse.
生者間の意思表示に関しても,また死因処分(第1779条,1947条,1957条4項,2020条)に関しても,顧慮される錯誤と顧慮されないそれとを区別する点において,本草案は,法発展の足跡をたどるものである(註6)。学問上唱えられている原則,すなわち,各項目は同価値であるので,その存在のためには,およそ意思表示たるものは全ての項目において意思の実際に対応するものでなければならないという原則は,それを貫徹しようとすると耐え難い帰結を伴うとともに,取引上の利益の要請に係るところの法律行為の可能な限りでの維持ということにも合致しない。同様に,意思表示の非本質的な部分に係るところの錯誤により存在することとなる意思の欠缺について,意思表示の他の部分は存在するが問題の部分は無効となる,というような帰結を結び付けることについても憂慮がされるところである。生活の実際に断然かなうのは,そのような副次的な点は,それが意思されていないとしても,効力のあるものとして維持するということである。厳密にいえば,ここにおいて意思ドグマ(註7)からの逸脱が見出されるところである。意思の修正は常に小さいもののみであり,かつ,表意者自身の利益にも取引界の利益にも同様にかなうものではあるが。
(註6)富井政章も「法律行為ノ成立ヲ妨クヘキ錯誤ハ意思ト表示トノ不一致ヲ来スモノ換言スレハ意思ノ欠缺ヲ生スヘキ性質及ヒ程度ノモノニ限ル」と説き(富井433頁。下線は筆者によるもの),意思表示の無効をもたらす錯誤には,それにふさわしい性質及び程度のものであることを要するとしています。また,「〔意思表示の〕内容ニ関スル錯誤中ニ於テモ或程度ニマテ重要ナルモノニ限リ意思表示ノ効力ヲ妨クルモノト為ササルヘカラス」とも述べられています(富井439頁)。
(註7)ドイツ民法第一草案のMotiveの第1編総則・第4章法律行為・第5節意思の欠缺(Willensmängel)の前註中に „Die herrschende Lehre des gemeinen Rechtes behandelt eine dem wirklichen Willen nicht entsprechende Erklärung als nichtig. Die Gesetze, besonders das ALR., der Code, das sächs., öst. und zürch. GB., der bayer., hess. und dresd. Entw., sowie das schweiz. ObligR. versagen einer solchen Erklärung im Prinzipe gleichfalls die Gültigkeit. Leitend ist die Grundauffassung, daß der entscheidende Umstand, der eine Erklärung tauglich macht, rechtliche Wirkungen hervorzubringen, in dem durch die Erklärung an den Tag gelegten Wollen dieser Wirkungen liegt (Willensdogma).“とあります。すなわちいわく,「普通法の支配的学説は,実際の意思に対応しない表示を無効であるものとして取り扱っている。諸法律,特に,一般ラント法,フランス民法典,ザクセン,オーストリア及びチューリッヒ法典並びにバイエルン,ヘッセン及びドレスデン法案並びにスイス債務法は,原則として,同様に,そのような表示に有効性を与えることを拒んでいる。法的効力を発生させるべく表示をそれにふさわしいものとする決定的な事情は,当該の効力に係る意欲であって当該表示によって顕出されたところのものにあるとする基本観念(意思ドグマ)に導かれてのことである。」と(中谷257-258頁参照)。
(3)現行法におけるそれらの区別のための基準(Maßstab für diese Scheidung im geltenden Rechte)
Schwierigkeiten bereitet die Aufstellung eines geeigneten Maßstabes für die Bestimmung dessen, was bei einer Willenserklärung als wesentlich anzusehen ist. Die herrschende gemeinrechtliche Doktrin bezeichnet als wesentliche Bestandtheile des Rechtsgeschäftes, über welche der Erklärende sich nicht irren darf, die Natur des Geschäftes und den Gegenstand, auf welchen dasselbe gerichtet ist. Bei der Person, in Bezug auf welche der Wille erklärt wird, soll es Thatfrage sein, ob dem Erklärenden die eine Person so lieb war wie die andere, ob also sein Geschäftswille als eine allgemeiner und eventueller sich erweise. Hinsichtlich der Eigenschaften des Gegenstandes, auf welchen die Willenserklärung sich bezieht, soll der Erklärende, der gewöhnlichen Ansicht nach, wenigstens insoweit eine richtige Vorstellung haben müssen, als ein Anderssein dieser Eigenschaften den Gegenstand zu einem anderen Verkehrsobjekte machen würde. Nach dem preuß. A. L. R. ist beachtlich der Irrthum über das Wesentliche des Geschäftes oder den Hauptgegenstand der Willenserklärung (I, 4 §75), über die Person, wenn eine bestimmte in’s Auge gefaßt war (§76), über ausdrücklich oder gewöhnlich vorausgesetzte Eigenschaften der Person oder Sache (§§77, 81; I, 5 §§325, 329). Der code civil Art. 1110 bezeichnet als cause de nulité de la convention den Irrthum über die Substanz der Sache, welche den Gegenstand des Vertrages bildet, und den Irrthum über die Person des Mitkontrahenten, sofern die Rücksicht auf diese Person den Hauptgrand des Vertrages ausmachte. Man darf hieraus nicht schließen, daß ein Irrthum über den Vertragsgegenstand selbst oder über die rechtliche Natur des Vertrages keine Beachtung finden solle. Das ital. G. B. folgt in Art. 1110 dem Vorbilde des code civil. Das bad. L. R. Satz 1110 stellt dem Irrthume über das Wesen der Sache denjenigen über die Eigenschaften, d. h. die Art des Vertrages gleich. Mit der herrschenden gemeinrechtlichen Lehre stimmen in der Hauptsache überein das sächs. G. B. §§95, 96, 838, 841, 842, der bayr. Entw. Th. I Art. 25-27, der hess. Entw. Abth. IV, I Art. 64-66, der dresd. Entw. Art. 59-64, das österr. G. B. §§871-873, das zür. G. B. §§927-929, das schweiz. Gesetz über das Obligationenrecht Art. 18-21. Ein Irrthum über Eigenschaften der Person ist erheblich nach dem sächs. G. B. §84 und dresd. Entw. Art. 64, wenn ohne diese die Erfüllung des Vertrages unmöglich ist, nach dem bayr. Entw. Art. 27, wenn anzunehmen ist, daß das Rechtsgeschäft nur aus Rücksicht auf die bestimmten Eigenschaften eingegangen ist, nach dem hess. Entw. Art. 66, wenn eine bestimmte Eigenschaft nach der Natur und dem Zwecke des Vertrages Voraussetzung der Einwilligung ist.
意思表示において本質的なものと観念されるべきものを定めるための適切な基準を定立することには,困難を伴う。支配的な普通法(註8)上の教理は,(法律)行為の性格と,当該行為がそれに対して向けられたところの目的物とをもって,それらについて表意者が錯誤すべからざるものである法律行為の本質的構成要素たるものと説いている。その人との関係で意思が表示されたところの当事者に関しては,表意者にとって当該一当事者の好ましさが他の当事者と同様のものであるのか,したがって,彼の行為意思は一般的かつ開放的のものとして示されたものであるのかどうかは,事実問題たるべきものである。(註9)意思表示が関係するところの目的物に係る性状に関しては,通常の見解によれば,少なくともその性状が異なることが当該目的物を違った取引対象物にしてしまうであろう限りにおいて,表意者は正しい表象を有していなければならないところである(註10)。プロイセン一般ラント法によれば,顧慮すべきであるものは,行為の本質に係る錯誤,あるいは,意思表示の主要目的物に係る錯誤(第I編第4章第75条),特定の人が着目されていた場合における当事者に係る錯誤(第76条)又は人若しくは物についてその旨示されていて,若しくは通常的に前提であるものとされる性状に係る錯誤(第77条及び第81条並びに第Ⅰ編第5章第325条及び第329条)である。フランス民法第1110条は,合意の無効の原因として,物の実体であって契約の目的物を形成するものに係る錯誤及びその人に対する着目が契約の主要理由をなす限りにおける契約相手方の人違いの錯誤を規定している(註11)。これらのことからして,契約の目的物自体又は契約の法的性格に係る錯誤は顧慮されるべきものではないと結論することはできないのである。イタリア法典は,その第1110条においてフランス民法の手本に従っている。バーデン・ラント法第1110段は,性質すなわち契約の種類に係る錯誤を物の本質に係る錯誤と同じものとしているのである。ザクセン法典第95条,第96条,第838条,第841条及び第842条,バイエルン法案第1部第25条から第27条まで,ヘッセン法案第4部第1章第64条から第66条まで,ドレスデン法案第59条から第64条まで,オーストリア法典第871条から第873条まで,チューリッヒ法典第927条から第929条まで並びにスイス債務法第18条から第21条までは,支配的な普通法上の学説に主要な点で一致しているところである。人の性状に係る錯誤が重要であるのは,ザクセン法典第84条及びドレスデン法案第64条によればそれがなければ当該契約の履行が不可能である場合,バイエルン法案第27条によれば当該定められた性状のみを顧慮して当該法律行為が成立せしめられたものと観念されるべき場合,ヘッセン法案第66条によれば当該契約の性質及び目的によれば一定の性状がその合意の前提である場合である。(註12)(註13)(註14)
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