第1 序説
1 旧年回顧
健康的に七草粥を喫すべき7日の日までの松の内🎍も新年を祝う飲酒快調🍶🍷のうちに過ぎ(なお,松の内は,元々は1月15日までだったそうです。),今更新年(2025年🐍)の御挨拶,旧年(2024年🐉)の回顧という時期ではないのですが,旧年中における筆者にとっての衝撃的な出来事の一つを挙げれば,大学時代の同級生の一人が難病を患って既に4年以上前に死去していたということをその妹さんによる追悼ブログ記事に逢着して知ったことでした。同年齢の知人らが死亡しつつあるという事実は,身につまされます。次は我が身かと思えば,ますますこの世に生き汚く執着するようになるのか,それともかえって脱力してしまって無気力になるのか,どちらの態度を採るべきか・・・。
というようなことはともかく,当該故人についての思い出の一つとしては,彼は高校生時代に現代社会の担当の先生に勧められて,日本国憲法の全文を暗記していたということがありました。なるほど法学――特に憲法学――を真剣に学ぶほどの青年は,それくらいのことはあらかじめしておくことが当然です。
2 憲法条文(第10条から第31条まで)と記憶力と
翻って筆者の憲法条文に関する記憶力はどうかといえば,昨年(2024年)中に掲載した本ブログの記事の一つにおいて,日本国憲法第3章の国民の権利及び義務規定に係るGHQ当局による4分類論(①総則,②自由,③社会的及び経済的権利(又は特定の権利及び機会)並びに④司法上の権利)などというものを発見したようでもあるらしく書いてしまっていたところ(「日本国憲法15条とGHQ草案14条及びアメリカ独立宣言と」の3(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1082157919.html)),不図,この正月の朝寝の蒲団の中で,当該GHQ的分類論に沿って日本国憲法第3章の条項の排列をおさらいし,己れの憲法知識の健在を確認しようではないかと思い立ち実際に行った結果は,次のようなお粗末なものとなっていたところです。
えーっと,去年は第15条について書いたけれど,GHQのいう「総則」の枠組みはアメリカ独立宣言のそれのパクリだから,天賦人権論的議論(第11条。第97条との関係が問題だったなぁ(「日本国憲法第97条をめぐって:ロウスト中佐の頑張りからホイットニー局長の筆先へ」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1031859302.html))。)から始まって(なお,国籍決定法律主義の冒頭第10条は,日本側が後から入れたんだよね。),次に日本人どもに対する有り難いお説教(第12条)があった上で,社会契約の成立が前提される(第13条。これについては,「日本国憲法13条の「個人として尊重される」ことに関して」という記事を昔書いたね(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1075180916.html)。)。
次の第14条は,マッカーサーが我が国における封建制の廃止を特に気にしていたから,大日本帝国憲法にはなかった平等条項(大日本帝国憲法におけるそれとしての平等条項の不在については,トニセン本を参考に「大日本帝国憲法19条とベルギー国憲法(1831年)6条」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1038090379.html)というのを書いた。)が付加されたんだったね(第14条についてもグダグダ長いものを書いたなぁ。「「法の下の平等」(日本国憲法14条1項)の由来に関する覚書」の前編(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1041144048.html)と後編(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1041144259.html)とだな。)。
第15条はアメリカ独立宣言流抵抗権規定に代わる代替条項で,第16条にある請願の話は,これもアメリカ独立宣言に出て来るのであった。第17条の国家賠償制度は日本側が自ら入れたものであった。
自由に関する諸条項は第24条の前までだったけど,偉大なリンカンの修正第13条にあやかった奴隷的拘束禁止の第18条が先頭に来て,これは身体の自由の話。次は精神的自由の話になって,まずは思想・良心の自由条項(第19条)。で,それから政教分離の第20条が来て(米国憲法修正第1条のようにいきなり政教分離が来ずに,思想・良心の話が先行するのは,GHQの担当者としては,――国家に優るとも劣らない宗教の権威を前提するという意味での,あるいは思想・良心に先行するものとしての宗教という意味での――宗教色を薄めたかったのかしら。),その次が集会結社言論出版等の自由に関する第21条だけれども(同条には筆者お得意の「通信の秘密」も含まれるのだ。「抜き刷り差し上げます:東海法科大学院論集3号の「憲法21条の「通信の秘密」について」」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1007481107.html)を参照されたし。),同条での自由は,むしろ本来は,宗教権力からの自由だろうね。(ちなみに,コロナ騒動において顕著だった,穢れ(新型コロナウィルス)を避ける強烈な清潔志向(自粛及びマスク着用)及び禊(ワクチン接種及び手指消毒)の徹底は,一種の宗教心の現われでもあったのかしらん。)で,次は,有名な居住移転職業選択の自由だ(第22条)。学問の自由・・・これは第23条で最後か。宗教権力からのガリレオ的学問の自由ということであれば,第22条より前の方がよろしいようではあるが,GHQの担当者としては,学者業も所詮職業の一種にすぎないと考えていたのだったかしら(註:GHQ草案の第22条には“Academic freedom and choice of occupation are guaranteed.”(学問の自由及び職業の選択は保障される。)と規定されていました。)。自由の部分の掉尾を飾るものとして,複合的な性格を有するものと考えたのかしら。まあ,第23条については難しい本も書かれているようだから,そちらに譲ろう。
司法上の権利については,アメリカ人としてはdue processが一番大事で,それが先頭の第31条に来た,と考えればよいのかな。うーんその後ろにいろいろ沢山条文があったけど,刑事訴訟法がらみの話だから,大学の憲法の講義では何だか飛ばされていたなぁ。今朝はやめておこう。
第24条から第30条までの「特定の権利及び機会」に行ってみよう。
婚姻に関する第24条は,去年関係記事を二つ書いた,と。まずは,「「人格を尊重」することに関して」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1081694748.html)だった。最近は民法の改正が多くて困るんだよね。それから,「札幌高等裁判所令和6年3月14日判決に関して」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1081775588.html)も書いた。これは,同性婚を全米で一律権利化した判例である,本来もっと知られていて然るべき2015年のObergefell判決の紹介でもあるんだよね。当該判決はフォーチュン・クッキーの中の御御籤的だとかのスカリア判事によって言われていたけど,今年の元旦の御御籤⛩は,まあ悪くはなかったな(昔,2年連続同じ神社⚓で凶を引いたことがある。)。
第25条は有名な生存権規定であると。
財産権は第29条か。割と後ろの方なんだよな。自由の部にないということは,財産をもって個人の自由を確保するために必須のものであるとするとの位置付けをしていないんだよな。武士は食わねど高楊枝かね。
第28条には労働法関係の規定があって,確か労働法関係規定は2箇条ほどあったから・・・第27条及び第28条がそれである,と。
で,納税義務の規定があったけど,これはやはり慎ましく,出しゃばらずに最後の第30条辺りだったかな。
であると第26条が残るんだけど,何に関する条項だったかな。あれっ,出て来ないぞ。あれっ。第26条・・・何だったっけ!?
ということで,恐慌を来した筆者は,我が哀れな脳の老化疑惑に抗うべく記憶喚起のための努力を色々としてみたのでしたが,残念ながらどうしても思い出せませんでした(困ったものです。)。
3 憲法26条との再会
到頭諦めて,生ぬるく懐かしい冬の蒲団からままよとぬけ出し,1月の峻烈な朝の寒気の中で六法を確認したところ(刑事訴訟規則(昭和23年最高裁判所規則第32号)199条の11参照),日本国憲法26条は次のとおりでした。
第26条 すべて国民は,法律の定めるところにより,その能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利を有する。
すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は,これを無償とする。
Article 26. All people shall have the right to receive an equal education corresponding to their ability, as provided by law.
All people shall be obliged to have all boys and girls under their protection receive ordinary education as provided for by law. Such compulsory education shall be free.
ああ,「教育を受ける権利」条項だったか,すまんすまん。有名な条項だったよね。旭川学テ事件判決(最高裁判所昭和51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁)などというものを勉強したんだったよなぁ。「国家の教育権」説対「国民の教育権」説が云々で,当該対立を踏まえた折衷説が云々だったね。
しかしま,何で忘れちゃったんだっけ。何で影が薄くなっちゃったんだっけ。そもそも第26条には,どういういわれがあるんだったっけ・・・。
と,以上が例によって例のごとくの筆者流の冗長な前書きですが,年初早々我が脳の再賦活化を図るべく日本国憲法26条の由来を少々調べてみた結果が本稿です(なお,当該調べものにおいては,個々の場合についてそれとして明示していませんが,国立国会図書館ウェブサイトの「電子展示会」中にある「日本国憲法の誕生」掲載の諸資料を利用させていただきました。)。
4 脱線:憲法の中に見る人生の諸段階
ちなみに,第26条由来論に入る前に日本国憲法24条から30条までの条項排列を改めて見てみると,日本人の生活に対するお国の関与の場面が,人生の諸段階を追って規定されているようにも思われます。
第24条 誕生に先立つ両親間の夫婦円満💑
第25条 誕生・即ち生存権取得👶
第26条 まずはお勉強🏫📚✒
第27条 やがて働く。🔨⚙🌾💻💦
第28条 働くに当たっては,時には労働条件につき雇用主と争う。🥊👊
第29条 形成された財産及びその確保🏠💎
第30条 しかし最後はお国に税金で取られてしまう。👿👹
第30条は「落ち」としてよく出来ています。ただし,当該規定はGHQ草案(1946年2月13日に日本国政府に手交)にも日本国政府の第90回帝国議会提出案にもなく,衆議院において追加されたものです。
しかしあえてこのように眺めてみると,第24条の想定する婚姻はやはり本来,そこから子供が生まれ出るべきものなのでしょうか。
なお,我が憲法29条の位置については,ブリュメールのクーデタ後の憲法案提出に際して出された1799年12月15日のフランス共和国執政官宣言には“La Constitution est fondée sur les vrais principes du Gouvernement représentatif, sur les droits sacrés de la propriété, de l'égalité, de la liberté.”(この憲法は,代表政体の真の諸原則並びに財産,平等及び自由に係る神聖な諸権利に基礎を置くものである。)とあって,財産に対して自由に先立つ地位を与えていたことと比べると――前記感慨の繰り返しになるようですが――隔世の感があります。
第2 日本国憲法26条誕生に向けた各方面の動き(1946年3月6日まで)
1 1946年2月13日交付のGHQ草案24条(日本国憲法26条2項)
さて,日本国憲法26条に対応するGHQ草案の条項は,次のとおりです(下線は筆者によるもの)。
Article XXIV. In all spheres of life, laws shall be designed for the promotion and extension of social welfare, and of freedom, justice and democracy.
Free, universal and compulsory education shall be established.
The exploitation of children shall be prohibited.
The public health shall be promoted.
Social security shall be provided.
Standards for working conditions, wages and hours shall be fixed.
これを我が外務省が訳したものは次のとおりです。(下線は筆者によるもの。なお,第2項の「自由」は,本来「無償」と訳すべきものだったでしょう。第5項の「社会的安寧」は,「社会保障」とあるべきものでした。)
第24条 有ラユル生活範囲ニ於テ法律ハ社会的福祉,自由,正義及民主主義ノ向上発展ノ為ニ立案セラルヘシ
自由,普遍的且強制的ナル教育ヲ設立スヘシ
児童ノ私利的酷使ハ之ヲ禁止スヘシ
公共衛生ヲ改善スヘシ
社会的安寧ヲ計ルヘシ
労働条件,賃銀及勤務時間ノ規準ヲ定ムヘシ
第1項(「自由,正義及民主主義」の部分は除く。),第4項及び第5項が日本国憲法25条になり,第3項及び第6項はGHQ草案25条(“All men have the right to work.”(全ての人は働く権利を有する。))とまとめられて日本国憲法27条になり,第2項が日本国憲法26条になっています。ただし,GHQ草案24条2項に対応するのは,日本国憲法26条2項のみです。
それでは,日本国憲法26条1項はどこから由来したものか。
2 1946年3月2日の日本国政府案(日本国憲法26条1項)
GHQ草案の交付を承けて日本国政府は大日本帝国憲法全部改正案の作成作業を行いましたが,1946年2月28日の佐藤達夫法制局第一部長の「初稿」において既に次のような規定が見られます(下線は筆者によるもの)。
(第3章の)第15条 国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クル権利ヲ有ス。
国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ保護スル児童ヲシテ(初等)普通教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フ。(特ニ法律ノ定ムル場合ヲ除クノ外初等普通教育ハ無償トス)
1946年3月2日の日本国政府案(ただし閣議を経ていないもの。同月4日GHQに提出され,昭和天皇にも奉呈されました。(宮内庁『昭和天皇実録 第十』(東京書籍・2017年)61頁))では次のようになっています。
第23条 凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クルノ権利ヲ有ス。
凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ保護スル児童ヲシテ普通教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フ。其ノ教育ハ無償トス。
第24条 凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ勤労ノ権利ヲ有ス。賃金,就業時間其ノ他勤労条件ニ関スル事項ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム。
第29条 凡テノ国民ハ種類ノ如何ヲ問ハズ其ノ意ニ反シテ役務ニ服セシメラルルコトナク,且刑罰ノ場合ヲ除クノ外苦役ヲ強制セラルルコトナシ。
児童ノ虐使ハ之ヲ禁止ス。
第38条 凡テ国民生活ニ関スル法令ハ自由ノ保障,正義ノ昂揚並ニ公共ノ福祉及民主主義ノ向上発展ヲ旨トシテ之ヲ定ムルコトヲ要ス。
3 1946年3月6日発表の「憲法改正草案要綱」及びそれに至る徹宵交渉
(1)「憲法改正草案要綱」
1946年3月4日から同月5日までの日本側とGHQとの徹宵交渉を経て,日本国政府から同月6日に発表された「憲法改正草案要綱」が成立します。当該要綱中GHQ草案24条関係部分は次のとおりでした。
第23 法律ハ有ラユル生活分野ニ於テ社会ノ福祉及安寧,公衆衛生,自由,正義並ニ民主主義ノ向上発展ノ為ニ立案セラルベキコト
第24 国民ハ凡テ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クルノ権利ヲ有スルコト
国民ハ凡テ其ノ保護ニ係ル児童ヲシテ初等教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フモノトシ其ノ教育ハ無償タルコト
第25 国民ハ凡テ勤労ノ権利ヲ有スルコト
賃金,就業時間其ノ他ノ勤労条件ニ関スル基準ハ法律ヲ以テ之ヲ定ムルコト
児童ノ不当使用ハ之ヲ禁止スベキコト
当該部分の英語文は,次のとおりです。
Article XXIII. In all spheres of life, laws shall be designed for the promotion and extension of social welfare and security, and of public health, freedom, justice and democracy.
Article XXIV. Every person shall have the right to receive an equal education corresponding to his ability, as provided by law.
Every person shall be obligated to insure that all of the children under his protection receive elementary education. Such education shall be free.
Article XXV. All persons have the right to work. Standards for working conditions, wages and hours shall be fixed by law. The exploitation of children shall be prohibited.
(2)1946年3月4日から同月5日までの徹宵交渉
前記部分に係る1946年3月4日から同月5日までの徹宵交渉の状況は,佐藤法制局第一部長の手記である「三月四,五両日司令部ニ於ケル顚末」によれば次のようなものでした。
〔GHQ草案〕第24条 〔GHQからの〕交付案ハ雑然タルヲ以テ何トカシタキ旨殊ニ衛生,安寧云々ハ当然ノコト故削除シタシト円曲ニ申出タルニ先方モ同感ラシク,親身ニ整理方法ヲ考ヘテ呉レ,衛生,安寧云々ハ第1段(要綱第23)ノ処ニ入レルコトデ我慢セヨト云フ(今日考ヘレバ ソシアル,ウエルフエアニ当然含マルヽ故削除シテモ可ナリシモノナルベシ)
教育ハ〔日本国政府からの〕提出案通リ別条(要綱第24)トスルコトニ交渉ス,義務教育ハ国民学校ニ限ル要アルコトヲ述ベタルニ,何年制ナリヤト云フ故,今ハ6年制ナルモ近〔ク〕8年制ニナル旨説明納得ス。
尚教育ニ付テハ提出案第1項第2項共「法律ノ定ムル所ニ依リ」ヲ入レルコトハ憲法保障ノ意味ナシ,削ルベシト云フ,1〔項丈〕ハ生カシ,2項ハ削レト云フ故夫レニ応ズ。児童虐使ハ労働条件ト共ニ次条労働権ノ方ニ移スコトトス,之ハ簡単ニ同意。尤モ勤労ノ権利モ「法律ノ定ムル所ニ依リ」ハ不可,之ヲ入レテハ何ニ〔モナ〕ラヌト云フ。
(3)国民学校について
我が国における義務教育に関する佐藤部長の説明の中で国民学校が出てきています。
国民学校令(昭和16年3月1日勅令第148号)によれば,「国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」るものであり(同令1条),初等科と高等科とが置かれて(同令2条本文),初等科の修業年限は6年,高等科のそれは2年(同令3条),「保護者(児童ニ対シ親権ヲ行フ者,親権ヲ行フ者ナキトキハ後見人又ハ後見人ノ職務ヲ行フ者ヲ謂フ以下同ジ)ハ児童ノ満6歳ニ達シタル日ノ翌日以後ニ於ケル最初ノ学年ノ始ヨリ満14歳ニ達シタル日ノ属スル学年ノ終迄之ヲ国民学校ニ就学セシムル義務ヲ負フ」ものとされていました(同令8条)。国民学校令46条ただし書が「昭和6年4月1日以前ニ出生シタル児童ヲ就学セシムベキ期間ニ付テハ第8条ノ規定ニ拘ラズ仍従前ノ例ニ依ル」と規定していたものの,既に義務教育8年制になっていたようではあります。しかし,佐藤部長がなお「今ハ6年制」と言っていたのは,1944年2月16日公布の国民学校令等戦時特例(昭和19年勅令第80号)2条による「特例」のゆえです。また,国民学校においては,原則として授業料は徴収されないものとされていました(国民学校令36条。例外として,「特別ノ事情アルトキハ」尋常科・高等科についても地方長官の許可を得て授業料の徴収ができるものとされていました(同条2項)。)。
4 GHQ市民の権利委員会によるGHQ草案24条起草状況
ところで,GHQ草案24条が「雑然」としていたのは,原案作成者である例のベアテ・シロタ嬢が沢山書き過ぎたからでもあります(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川ソフィア文庫・2014年(創元社・1995年)224-225頁,279-281頁及び288-290頁参照))。
(1)1946年2月8日段階:第1稿
1946年2月8日のGHQ民政局運営委員会との会合に提出された同局の市民の権利委員会の第1稿における学校関係条項は次のとおり。
21. Every child shall be given equal opportunity for individual development, regardless of the conditions of its birth. To that end free, universal and compulsory education shall be provided through public elementary schools, lasting eight years. Secondary and higher education shall be provided free for all qualified student who desires it. School supplies shall be free. State aid may be given to deserving students who need it.
(全ての子供には,その生まれに係る条件にかかわらず,個人としての発展のための平等な機会が与えられる。この目的のために,8年間の無償,普通及び義務的な教育が公立の初等学校を通じて授けられる。中等及び高等教育は,資格を認められ,かつ,それを望む全ての学生に対して無償で授けられる。学校用品は無償である。国の援助が,ふさわしい学生であってそれを必要とするものに対して与えられ得る。)
22. Private educational institutions may operate insofar as their standards for curricula, equipment, and the scientific training of their teachers do not fall below those of the public institutions as determined by the State.
(私立の教育機関は,その履修課程,設備及び教師の科学的訓練に係る水準が国によって定められる公立機関に対するそれらを下回らない限りにおいて,運営することができる。)
23. All schools, public or private, shall consistently stress the principles of democracy, freedom, equality, and justice, and social obligation; they shall emphasize the paramount importance of peaceful progress, and always insist upon the observance of truth and scientific knowledge and research in the content of their teaching.
(公私を問わず全ての学校は,民衆政,自由,平等及び正義並びに社会的責務の諸原則を一貫して強調しなければならない。また,平和的進歩の至高の重要性を努めて説き,並びに真理及び科学的知識に遵い,かつ,その教授内容の研究がされることを常に求めなければならない。)
24. The children of the nation, whether in public or private schools, shall be granted free medical, dental and optical aid. They shall be given proper rest and recreation, and physical exercise suitable to their development.
(国民の子供には,公立学校又は私立学校のいずれにあっても,無償の医科的,歯科的及び視覚補助的援助が与えられる。また,適切な休養及びリクリエーション並びにその発達に適した身体的修練が与えられる。)
25. There shall be no full-time employment of children and young people of school age for wage-earning purposes, and they shall be protected from exploitation in any form. The standards set by the International Labor Office and the United Nations Organization shall be observed as minimum requirements in Japan.
(賃金稼得を目的とするものである学齢期の子供及び少年に係る常勤雇用は認められず,かつ,彼らはいかなる形態の搾取からも保護される。国際労働機関及び国際聯合が定めた基準は,日本国における最低限の要請として守られなければならない。)
「エラマン・ノート」によれば,運営委員会の講評は,「一生懸命よく書いたとは思うけど(mer[i]torious though they might be),これらの規定は制定法によって規律されるべき事項(the concern of statutory regulation)であって,憲法事項ではないなあ。」でした。それでも市民の権利委員会側は,社会立法関係の詳細な規定を憲法に設けることの必要性を執拗に主張して譲らなかったため,最後はホイットニー民政局長の裁定を仰ぐことになり,「社会立法に係る詳細規定は削って,社会保障(social security)が提供されるべしとの一般的言明(general statement)を設けるようにせよ」との勧告がされています。
(2)1946年2月9日段階:報告書
1946年2月9日における市民の権利委員会の報告書の段階では,学校関係規定は次の条項中にまとめられていましたが,当該条項に更に運営委員会の斧鉞が加えられて,GHQ草案24条となっています。
Article In all spheres of life laws shall be designed only for the promotion and extension of social welfare, and of freedom, justice and democracy. All laws, agreements, contracts or relationships, public or private, which restrict or tend to destroy the welfare of the people shall be replaced by others which promote it. To this end the Diet shall enact legislation which shall:
(全ての生活部面において,法律は,社会福祉並びに自由,正義及び民衆政の増進及び発展のみを目的としなければならない。人民の福祉を制限し,又は破壊する傾向のある全ての法律,合意,契約又は関係は,分野の公私を問わず,それを増進する他のものによって置き換えられなければならない。この目的のために,国会は次のようなことに係る立法を行う。)
Protect and aid expectant and nursing mothers, promote infant and child
welfare, and establish just rights for illegitimate and adopted children, and
for the underprivileged;
(妊娠中及び育児中の母親を保護し,かつ,援助すること,乳幼児及び子供の福祉を増進すること,並びに嫡出ではない子及び養子のため並びに恵まれない者のために正義にかなった権利を確立すること。)
Establish and maintain free, universal and compulsory education, based on
ascertained truth;
(確立した真理に基づく無償,普通及び義務的な教育を確立し,かつ,維持すること。)
Prohibit the exploitation of children;
(子供の搾取を禁止すること。)
Promote the public health;
(公衆の健康を増進すること。)
Provide social insurance for all the people;
(社会保険を全ての人民に提供すること。)
Set proper standards for working conditions, wages and hours and establish the
right of workers to organize and to bargain collectively, and to strike in all
except essential occupations; and
(労働条件,賃金及び労働時間に係る適切な基準を定めること並びに団結し,及び団体交渉をし,並びに不可欠的職務以外のすべての職務において同盟罷業を行うことに係る労働者の権利を確立すること。)
Protect intellectual labor and the rights of authors, artists, scientists, and
inventors whether native or foreign.
(知的労働並びに内外国人を問わぬ著作者,芸術家,科学者及び発明家の諸権利を保護すること。)
以上に鑑みるに,日本国憲法26条1項の「教育を受ける権利」規定は,GHQに由来するものではなく,1946年3月4日から5日にかけての徹宵交渉の際日本側がかねて用意のものを提案してそれがGHQによって認められたものであったのでした。
そうであれば,GHQではなく,日本側の大日本帝国憲法改正案作成作業の状況についてこれから見てみなければなりません。
5 憲法問題調査委員会における作業
(1)毎日新聞スクープ記事(1946年2月1日)
実は,1946年2月1日の毎日新聞にスクープ記事として掲載された日本国政府の憲法問題調査委員会(委員長:松本烝治国務大臣)の大日本帝国憲法改正に係る一試案に既に,次のような条項があったのでした。
第30条の2 日本臣民は法律の定むる所に従ひ教育を受くるの権利及義務を有す
翌2日付けのホイットニー局長のマッカーサー宛てメモにおいては,同条は次のように訳されています。
Every Japanese subject shall have a right and duty to receive education under the provisions of the law.
ただし,1946年2月7日に昭和天皇が松本烝治大臣から奏上を受け,同月8日にGHQに提出されたものである「憲法改正要綱」は「松本の「憲法改正私案」を憲法問題調査委員会委員の東京帝国大学教授宮沢俊義が要綱化し,さらに松本自身が加筆した私案で,小範囲の改正を内容とし」たものであって(実録十32頁),そこには教育を受ける権利に関する項目は含まれていませんでした。
(2)左翼対策:第14回調査会(1946年1月23日)での松本烝治発言
そもそもの憲法問題調査委員会における議論はどのようなものであったかといえば,その第14回調査会(1946年1月23日,内閣総理大臣官舎放送室で開催)の議事録に次のような注目すべき記述があります(下線は筆者によるもの)。
劈頭松本〔烝治〕大臣出席アリ
前囘ノ小委員会〔註:総会ではない調査会のこと〕ニ於テ〔今後設置が想定されている憲法改正〕審議会ニ提案スベキ改正要綱ヲ作製シテミルコトヲ申合セ,宮沢〔俊義〕委員モソノ案ヲ提出サレタガ,松本大臣モ試ミニ之ヲ作ツテミラレタ由ニテ,ソレハ新聞ニ発表スル時ノコト等ヲ考ヘテ出来ルダケ平易ナ表現ヲ試ミテミタトノコト。シカシ乍ラ,コノ要綱ヲ審議会デ固執スルツモリデハナイ。審議会ニ代表セラレルイハバ左翼〔註:具体的には高野岩三郎でしょう。同月16日の第12回調査会において松本大臣は,審議会委員候補として高野の名を挙げ,「憲法研究会ノメンバーデモアルカラ一層出テモラヒタイ」と述べています。〕カラノ攻撃ニ対シテハ,甲案〔註:これは同月4日に宮沢委員が作成した甲乙両案のうち,より大幅な改正を志向する甲案に基づく案のことです。ほぼその内容が,同年2月1日に毎日新聞にスクープされています。〕ノ中カラ若干ノモノヲ採用スル用意ガアル,例ヘバ勤労教育等ニ関スル条文等。之ニ反シイハバ右翼カラノ攻撃ニ対シテハ何ヲ譲歩スルカノ問題ガアル。カウ云フ点ハ政策的ニ考慮スルコトガ必要デ,要スルニ弾力的ニ考ヘタイト思ツテヰル
以下甲案ニツイテ雑談的ニ意見ヲ交換シタ
〔略〕
四,入江〔俊郎法制局次長〕第30条ノ2 「教育ヲ受クルノ権利及業務」トアルガ文教政策ハ重大故法律事項トスルコトハ当然デアルガ,就学資格等ノ規定ハ勅令デヤルノガ適当デアル。従ツテ「教育ニ関スル重要事項」ハ法律ノ定ムル所ニヨルト云フ趣旨デアル。サウ考ヘレバムシロ〔大日本帝国憲法〕19条的ニ「日本国民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク教育ヲ受クルノ権利及〔義〕務ヲ有ス」ト云フ表現ノ方ガイイノデハナイカ,ナホ「教育ヲ受クルノ〔義〕務」モ厳密ニ考ヘレバ保護者ガ教育ヲ受ケシムルノ義務ノコトナノデアルカラ,コノ表現モ考ヘル必要ガアル。〔略〕総会デモ考ヘルコトニシヨウ。
なお,大日本帝国憲法19条(「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」)の伊東巳代治による英語訳は,“Japanese subjects may, according to qualifications determined in laws or ordinances, be appointed to civil or military or any other public offices equally.”です。
ちなみに,大日本帝国憲法19条にいう「資格」は『憲法義解』によれば「年齢・納税及試験能力」ですが,要は試験能力(=「能力」)であってそれは受けた教育によって示されるものであるものとここで解すれば,同条と日本国憲法26条1項との接合関係及び両者の表現の同型式性の意味するところについてよく納得され得るところです。ただし,そのようなものとして理解される教育制度は,国家・社会のための「自然の貴族」を発掘・育成するためのジェファソン流の仕組み(「福沢諭吉とジョージ・ワシントンの「子孫」等」の5(1)のジェファソン書簡を参照(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1023525125.html))ということになって,少々以上「成り上がりエリート」臭が過ぎるようです。(「成り上がり」ということについては,大日本帝国憲法19条にいう「均ク」の意味は,これも『憲法義解』によれば,「門閥に拘らず」ということであるとされています(後出第3の3(3)のヴァイマル憲法146条1項も参照)。)
(3)最終段階での議論:第7回総会(1946年2月2日)
1946年2月2日の憲法問題調査委員会第7回総会(同委員会の最後の会合)には従来の甲案の第30条ノ2は「日本国民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ教育ヲ受クルノ権利及義務ヲ有ス」として提出されています(同年1月4日の宮沢甲案の「日本臣民」が「日本国民」に改められています。)。当該総会では,次のような議論がありました。
尚此処デ〔従来の甲案に基づく憲法改正案〕ノ問題ニ触レ,若シ〔同改正〕案ノ様ニ改正スル結果非常ニ「デモクラチツク」ニナルトイフ感ヲ懐カセルナラバ,特ニ第2章国民権利義務ニ付テハ〔同改正〕案ノ様ニ改正スル方ガ望マシイトイフ意見ガ多ク出タ。
然シ乍ラ〔同改正〕案ニ「勤労ノ権利」ヲ有スルトイフ点ニ付テハ,ソノ意味ハ如何ナルコトデアルノカ,国家ガ国民ニ勤労スルポストヲ与ヘルトイフ義務ヲ負フコトデアルト説明セラレタノデアルガ,嘗テ,ソ聯ノスターリンハ勤労ノ権利ヲ人民ニ満足セシムルハ唯ソヴィエートニ於テノミ可能デアリ他ノ如何ナルブルジヨア国家モ之ヲ為シ能ハザル所デアツテ,若シブルジヨア国家ニ於テ斯ルスローガンヲ掲ゲテモ,ソレハ唯口頭禅ニ過ギズ物ワラヒノ種トナルニ止マル旨ヲ述ベタコトガアル。ワイマール憲法ニ於テモ其故カアラヌカ,「勤労ノ権利」トイフコトハ云ツテヰナイ。「勤労ノ義務」ハ謳ツテヰルノデアルガ,ソノ他ハ国家ハ可及的ニ労働ノ機会ヲ与ヘヨト云フニ止マルノデアル。
「教育ノ権利」トイフコトニ付テモ成績ガ悪クテ常ニ入学試験ニ落第シテヰル輩ガ之ヲ楯ニ文句ヲ云フカモ知レナイ。〔註:「其ノ能力ニ応ジ均シク」が入る前の文言に対する感想です。〕
以上二ツノ点ヲ除イテ〔同改正〕案ノ様ニ修正スルノモ一案デアル。
第2章全体ニ付テ「臣民」トイフ文字ヲ「国民」ト改メタ方ガ良イトイフ意見ガ多数アツタ。然シ英国ノ様ナ民主主義的ナ国家デモ「ブリチツシユ・サブジエクト」トイフテ「臣民」ニ相当スル言葉ヲ用ヰテヰルノデアルカラ必シモ国民ト改メナクテモ良イノデハナイカトイフ意見モアツタ。
昭和天皇に奏上後1946年2月8日にGHQに提出された前記「憲法改正要綱」には「勤労ノ権利」も「教育ノ権利」も改正事項として含まれていません。同月2日の憲法問題調査委員会第7回総会においては,そもそも「教育ノ権利」に関する条項の文言について「総会デモ考ヘルコトニシヨウ」どころではなかったわけで,同年1月23日の第14回調査会で入江法制局次長から提起された文言修正の課題は,同年2月13日にGHQ草案の交付があった後に対応されることとなったのでした。
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