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第1 はじめに

 「〔「大赦,特赦,減刑,刑の執行の免除及び復権を決定すること」を内閣の行う事務とする日本国憲法737号の〕これらの表現はそれのみで意味明確で,憲法の規定のみをもってしても,内閣は具体的決定をなすことが可能である。が,ここでも,憲法実施の現実は,これは内閣の排他的権限範囲とせず,現在,恩赦法なる法律が,それぞれの内容と手続を規定している。〔同法の規定〕には,恩赦のあり方に微妙な制限をくわえる部分があるが,このような恩赦法の規定が内閣の権限を縮減するものであるかどうかは,憲法論をはらむものと言えよう。合憲論は,恩赦の効力,内容や手続の決定を法律事項とするわけであるが,そう解すべき特別の根拠は指示されない。」と説かれています(小嶋和司「内閣の職務と責任」『小嶋和司憲法論集二 憲法と政治機構』(木鐸社・1988年)353頁)。

しかし,「天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス」と規定する大日本帝国憲法(明治22211日発布)16条自体がそもそも,法律たる当時の旧刑法(明治13年太政官布告第36号)及び旧治罪法(明治13年太政官布告第37号)の恩赦関係規定をむしろその前提としていたのでした。

また,日本国憲法についても,その737号においては内閣が恩赦の「決定」までしかしないということは実は194634日から翌5日にかけて行われた大日本帝国政府とGHQ民政部との間の大日本帝国憲法改正案をめぐる徹宵交渉の際の整理漏れ事項ですし,旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)538条(「死刑ノ執行ハ司法大臣ノ命令ニ依ル」)が既に存在していたにもかかわらずGHQが無邪気にreprieve(刑(特に死刑)の執行停止)を恩赦の一種として追加してしまったために,従来の「特赦」(旧恩赦令(大正元年勅令第23号)5条(「特赦ハ刑ノ執行ヲ免除ス但シ特別ノ事情アルトキハ将来ニ向テ刑ノ言渡ノ効力ヲ失ハシムルコトヲ得」))を現行恩赦法(昭和22年法律第20号)において特赦(同法5条(「特赦は,有罪の言渡の効力を失わせる。」))と刑の執行の免除(同法8条)とに分離するというacrobaticな概念操作をしなければならないことになった,とは筆者が前稿でくどくどと御紹介申し上げたところです(「「特赦」概念の変容をめぐって」https://donttreadonme.blog.jp/archives/1082719090.html)。

恩赦をめぐる憲法論は,実はなかなか多岐にわたる論点を包含し得るもののようです。

 

第2 大日本帝国憲法16条の由来

 ここでまず,大日本帝国憲法16条の由来を見てみましょう。

 

1 ロエスレル草案68

 1887430日に成立したロエスレル(Roesler)の憲法草案(小嶋和司「ロエスレル「日本帝国憲法草案」について」『小嶋和司憲法論集一 明治典憲体制の成立』(木鐸社・1988年)4頁参照)の第5章「司法(Von der Rechtspflege)」中には,第68条として,„Der Kaiser hat in Strafsachen das Recht der Begnadigung.(天皇ハ刑事ニ於テ赦免権ヲ有ス)という規定があったところです(小嶋(ロエスレル)2829頁)。「刑事ニ於テ(in Strafsachen)」です。すなわち,「恩赦とは訴訟法上の成規の手続に依らずして犯罪者に対し刑罰権の全部又は一部を抛棄し又は刑罰から生ずる法律上の効果を免除する行為を謂ふ。〔中略〕恩赦はその実質に於いては刑罰権の作用であるから,唯刑罰に関してのみ適用の有るもの」である,とは美濃部達吉の説くところです(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)308頁)。

 

2 井上毅の「乙案」「甲案」

 1887523日完成の井上毅の「乙案」「甲案」(小嶋(ロエスレル)3頁参照)においては,前者はその第53条で,後者はその第50条で,いずれも「天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ズ」と規定していました(伊藤博文編『秘書類纂 憲法資料上巻』(秘書類纂刊行会・1935年)619頁並びに476頁及び668頁)。赦免(Begnadigung)の具体的内容を当時の旧刑法及び旧治罪法の用語をもって列挙したものでしょう。大赦は旧刑法641項前段及び97条並びに旧治罪法95号及び22415号,特赦は旧刑法641項後段及び旧治罪法477条から480条まで並びに復権は旧刑法63条から65条まで及び旧治罪法470条から476条までに出てきます。減刑は,部分的な特赦(grâce partielle)ということで,旧刑法及び旧治罪法の「特赦」に勿論含まれるものとされたのでしょう(「「特赦」概念の変容をめぐって」参照)。

 

3 夏島草案及び浄書三月案

 18878月の夏島草案では,天皇の章の第14条に「天皇ハ赦免,減刑及復権ヲ命ス」との規定が置かれていました(国立国会図書館ウェブサイト・電子展示会「史料による日本の近代」2-7)。


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 夏島跡地(今では埋め立てによって地続きになっていて,島ではありません。)


18883月の浄書三月案の第16条(「天皇ハ赦免減刑及復権ヲ命ス」)の朱書解説には「赦免トハ大赦又ハ特赦ニ依リ罪ヲ免スルヲ謂フ」とあって,かつ,「仏国及白耳義ニ於テハ国王ハ特赦ノ権アリテ大赦ノ権ナシ(ヂヂトニッセン氏白国憲法注釈ニ依ル)仏国1875年ノ憲法第3条ニ云大統領ハ特赦ノ権ヲ有ス但シ大赦ハ法律ニ依ルニ非レハ之ヲ行フコトヲ得スト此レ(すなはち)行政ノ特権ヲ制限スルノ狭局ニ過ル者ニシテ我カ憲法ノ取ル所ニ非サルナリ」との「附記」がされています(「史料による日本の近代」2-7)。そうであれば,それまでの「大赦特赦」が「赦免」に一本化されたのは,大赦と特赦とを分離して書いておくと,特赦はともかく大赦は法律によるものとせよとの・おフランス=ベルギー国風の「行政ノ特権ヲ制限スルノ狭局ニ過ル」議論が出て来るのではないかという心配によるものだったのでしょうか。

 

   「ヂヂトニッセン」ことJ.-J. Thonissenによるベルギー国憲法73条(「国王は,裁判官によって宣告された刑を減免する権利(le droit de remettre ou de réduire les peines prononcées par les juges)を有する。ただし,大臣について別段の定めある場合は,この限りでない。」(日本語訳は,清宮四郎訳『世界憲法集 第二版』(岩波文庫・1976年)88頁))に関する解説(J.-J. Thonissen, La Constitution Belge annotée (1879, 3e édition))を現在インターネット上で見ることができます。

いわく,「法律は,一般的な規則を規定することしかできない。立法者の経験及び智恵がどのようなものであっても,彼が社会生活の無限の複雑さの中で生じ得る全ての事項を予見できるものではない。ある状況においては極めて重罪的な行為と同一の行為が,他の仮定下にあっては,重大性を欠く軽罪の全ての性質を帯びたものとなるのである。/しかし,裁判官らが立法者に従わないことは全くできない。たとえ刑法の規定が明白に衡平の法則を侵害するときであっても,彼らはそれを適用するよう義務付けられている。したがって,このような例外的場合のために,法よりもより厳しくなく語ることによって法を和らげる権力を与えられた・最高の権威が存在することが必要なのである。/()()減免()の権利の利点は,更に他の面においても現れる。それは,権力に対して,死刑及び終身刑と切り離すことのできない危険及び不都合を減少させる手段を提供する。それにふさわしいことを示す全ての者に差し伸べられる国王の仁慈(clémence royale)の見込みが,有罪判決を受けた者の改悛を喚起する。それは,有罪判決を受けたが,法的手段では判決を変更させることの今やできなくなった無実の者に対して社会が提供する最後の救済手段である。疑いもなく,この権利の行使は,現実的濫用をもたらし得る。これは,全ての人間的制度と共有される弱さではある。しかし我々は,モンテスキューと共に,「(レット)(ル・ド・)減免状(グラス)は,穏和政体(gouvernements modérés)の偉大な権限(grand ressort)である。君主の有するこの赦免権は,智恵と共に用いられるとき,称賛すべき効果を発揮し得るのである。」と,少なくとも言わねばならない。」と(Thonissen: pp.230-231)。

また,我が大日本帝国憲法起草者らが確認したとおり,ベルギー国憲法においては,大赦(amnistie)を行う権限は国王にはなく,それは法律で行われることになっています(Thonissen: p.234)。その理由は,刑の減免は完了された裁判に対して行われるものであってそれより前の刑事司法(訴追及び司法警察活動)を妨げることはできないところ(Thonissen: p.232),大赦は公訴権自体を消滅させてしまう(なお,我が恩赦法32号参照)からだと説明されています。権力分立の政体下において,司法権と執行権との間の切り分けがされているわけです(Thonissen: p.232)。「フランスの1875225日の憲法的法律(loi constitutionnelle3条はベルギー国憲法73条よりもよい規定振りである。いわく,「共和国大統領は,刑の減免(grâce)を行う権限を有する。大赦(amnistie)は,法律によってのみ行われ得る。」と。」との紹介は,トニセン本の本文にではなく,註にありました(Thonissen p.234, note (2))。

 

4 枢密院における審議及び修正

1888618日午前に枢密院の第一読会に提出された原案においては,後の大日本帝国憲法16条は「天皇ハ赦免減刑及復権ヲ命ス」とされていました。同月22日午後の第二読会では森有礼文部大臣から「復権(〇〇)ノ文字ハ一般ニ用ヒ来ル()」との質問があり,井上毅書記官長が「現行治罪法ニ用ヒタリ」と答えています。同年713日午前の第三読会において山田顕義司法大臣から「委員会ノ修正案ニ於テ赦免(〇〇)2字ヲ大赦(〇〇)特赦(〇〇)4字ニ修正シタリ」と報告されています。枢密院においては面倒な大赦=法律事項論は出ぬまま,むしろ積極的に大赦を天皇大権に属するものとして明定したという形です。つとにボワソナアドが,「王又は皇帝の大権が憲法によって制限されているので当該君主制が「立憲的」であるといわれ,かつ,主権が君主と議会によって代表される国民(ナシオン)との間においていわば分割されている諸国においては,大赦を行う権限はなお,王又は皇帝の排他的属性とせられている。」と述べていたところです(Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal (1886): p.232)。

 

第3 復権論

さて,本稿においては大日本帝国憲法16条に規定された復権(réhabilitation)を問題とします。

 

1 旧刑法及び旧治罪法における規定

旧刑法においては,復権は,附加刑たる剥奪公権(同法101号及び31条)を受けた者(同法32条(「重罪ノ刑ニ処セラレタル者ハ別ニ宣告ヲ用ヒス終身公権ヲ剥奪ス」))について将来の公権を復せしむるものでした(同法631項(「公権ヲ剥奪セラレタル者ハ主刑ノ終リタル日ヨリ5年ヲ経過スルノ後其情状ニ因リ将来ノ公権ヲ復スル(こと)ヲ得」)この「復権ハ勅裁ニ非サレハ之ヲ得可カラス」とされていました(同法65条)。なお,剥奪される公権(旧刑法31条)については3を御覧ください。

また,旧治罪法4701項は,公権の剥奪を受けた当人が復権の願いを司法卿に対してすべきものとしていました(「復権ノ願ハ刑法第63条ニ定メタル期限経過シタル後刑ノ言渡ヲ受ケタル者ヨリ司法卿ニ之ヲ為ス可シ」)。同法においては,復権に関する手続と特赦及び減刑に関する手続とはそれぞれ別の章において規定されていました(前者は第6編第2章,後者は同編第3章)。

 

2 問題意識

筆者の問題意識は,復権を行うことは性質上当然に,「恩赦の権」(伊東巳代治の英語訳では“the right of pardon”)の行使として,「至尊慈仁の特典を以て法律の及ばざる所を補済」するもの(『憲法義解』第16条解説)なのかどうか,及び付加刑としての剥奪公権が廃された現行刑法(明治40年法律第45号)下において(同法9条後段参照),復権は「刑事ニ於テ」の「赦免」の一種といえるのかどうか(ロエスレル草案68条参照)ということです。

すなわち,①「法律の及ばざる所を補済」するものであれば,復権は法律の規定するところの外において行われなければならないことになります。②「慈仁の特典」(伊東巳代治の英語訳では“the special beneficient power)というからには,復権は一方的恩恵的なものでなければならないはずです。③「至尊」というからには,復権は元首(大日本帝国憲法4条(「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」))の専権事項ということになるのでしょう。また,「名誉刑とは,人の名誉を剥奪する刑罰で,公民権剥奪や公民権停止がこれにあたる」とされるところ(前田雅英『刑法総論講義 第4版』(東京大学出版会・2006年)512頁),名誉刑たる付加刑としての剥奪公権及び停止公権(旧刑法102号並びに33条及び34条)の廃された現行刑法下における刑の言渡しに伴う資格制限については,「なお,刑の言渡しに伴なって,種々の資格制限が行われることがある。例えば,公職に就く資格を喪失し(国家公務員法38条,地方公務員法16条,学校教育法9条),選挙権,被選挙権などを失う場合(公職選挙法11252条)等である。しかしこれらは,行政上の処分であり刑罰ではない」と言明されているところです(前田512頁)。行政上の処分に対する恩赦があり得るものかどうか。

 

3 各論

 

(1)「法律の及ばざる所を補済」するものかどうか

1に,大日本帝国憲法施行(18901129日から施行)当初はなお旧刑法及び旧治罪法第6編第2章「復権」を承けた旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)第8編第2章「復権」が存在しており(旧々刑事訴訟法は1890111日から施行),これらの法律に基づく復権は,少なくとも手続においては,大日本帝国憲法16条に関して『憲法義解』のいう「法律の及ばざる所を補済」するものではないことになります。(旧刑法及び旧々刑事訴訟法における復権関係規定が復権の実質要件をも含意するものであるかどうかは次の(2)で検討します。)

ただし,これらの法律に基づく個別的のものではない,勅令による一般的復権が行われれば(政令による復権に係る恩赦法9条本文前段参照),それは大日本帝国憲法16条に直接基づくものとなります。しかしながら,大日本帝国憲法16条の当初の解釈は,個別復権主義の旧刑法並びに旧治罪法及び旧々刑事訴訟法を前提として,復権は専ら個別に行われるべきものとしていたようです(「議会の協賛を経て定められた事柄は,やはり議会の協賛を経なければ之を変更することが出来ないのを当然の原則とすべきものであるから〔筆者註:旧刑法及び旧々刑事訴訟法は議会の協賛を経ていませんが,法律である以上はこの理が妥当するものでしょう。〕,立法大権の行為に対しては独裁の大権を以ては之を破ることができないのを原則とし,随つて立法権と狭義の大権との関係に於いては,原則として大権は立法権の下に在りその拘束を受くるものと解せねばならぬ」(美濃部165頁)。)。したがって,旧刑法の廃止及び旧々刑事訴訟法第8編第2章の削除(いずれも1908101日から)後であっても,1912年の旧恩赦令の第9条はなお「復権ハ刑ノ言渡ヲ受ケタル為法令ノ定ムル所ニ依リ資格ヲ喪失シ又ハ停止セラレタル特定ノ者ニ対シ之ヲ行フ」と規定していたのでした(下線は筆者によるもの)。

「この制度〔復権制度〕の始原は,確かにローマ法において見出される。」ところですが(R. Garraud, Traité du droit pénal français, T.II (Sirey, Paris, 1914, 3e éd.: https://ledroitcriminel.fr/la_science_criminelle/penalistes/le_proces_penal/suites_juéégement/garraud_rehabilitation.htm),6世紀東ローマのユスティニアヌス法典においては「破廉恥〔infamia〕が宣言せられた結果,訴訟法上の能力の缺除の外,さきの共和政の立法や戸口調査官の裁定で加えられた公法上の能力の制限(元老院議員,地方自治体職員,弁護士(ユ帝法では公職)になれぬ)その他が発生するという建前をと」り,当該破廉恥は,「或る行為をなし又はなさざることによつて当然に発生し」,「或いは刑事判決」等の「付加的効果として発生」したそうです(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)59-60頁)。破廉恥が個々人に属するものであるならば,破廉恥からの回復が一般的に生じているということは考えにくいわけだったものでしょう(旧刑法631項も「公権ヲ剥奪セラレタル者」の「其情状」を問題にしています。)。

なお,我が旧刑法における剥奪公権によって剥奪される権利は,①国民の特権,②官吏となるの権,③勲章・年金・位記・貴号・恩給を有するの権,④外国の勲章を佩用するの権,⑤兵籍に入るの権,⑥裁判所において証人となるの権(ただし,単に事実を陳述するは,この限りにあらず。),⑦後見人となるの権(ただし,親属の許可を得て子孫のためにするは,この限りにあらず。),⑧分散者の管財人となり,又は会社及び共有財産を管理するの権並びに⑨学校長及び教師・学監となるの権でした(同法31条)。悪いことをして重罪の刑に処されると兵隊にならずに済むというのは何だか変ですが(対照事例として,不図,野蛮なるРоссияの囚人部隊などが想起されます。ちなみに,兵役逃れ問題が深刻になっているといわれているウクライナの兵役法はどうなっているのでしょうか。),これは我が旧兵役法(昭和2年法律第47号)でも維持されていて,同法4条は「6年ノ懲役又ハ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタル者ハ兵役ニ服スルコトヲ得ズ」と規定していました。刑法施行法(明治41年法律第29号)33条は「死刑,無期又ハ6年以上ノ懲役若クハ禁錮ニ処セラレタル者ハ他ノ法律ノ適用ニ付テハ旧刑法ノ重罪ノ刑ニ処セラレタルモノト看做ス」と規定しています。旧刑法の重罪の刑で一番軽いのが,6年の禁獄(定役に服せず。)だったのでした(同法79号及び23条)。

ナポレオンの刑法典(1810年)においては,公権剥奪(dégradation civique)は,首枷晒し(carcan)及び国外追放(bannissement)と並ぶ名誉刑(peines infamantes)の一つでした(同法8条)。公権剥奪がされると,全ての公職務及び公の雇傭から馘首され,かつ,排除されるとともに,有期強制労働(travaux forcés à temps5年から20年まで),国外追放,禁錮重労働(réclusion5年から10年まで)又は首枷晒しに処せられた者らと同様,陪審員及び鑑定人となることができず,証書作成の際の証人となれず,単なる事実の陳述を除いて裁判所で証言することができず,家族の同意を得た上での自分の子に対するものを除くほか後見又は他人の財産管理(curatelle)をすることができず,武器の所持権及び帝国軍において兵役に就く権利を失うのでした(同法34条及び28条)。

我が国において勅令による一般的復権が可能になったのは,旧恩赦令9条が「復権ハ刑ノ言渡ヲ受ケタル為法令ノ定ムル所ニ依リ資格ヲ喪失シ又ハ停止セラレタル者ニ対シ勅令ヲ以テ要件ヲ定メ之ヲ行ヒ又ハ特定ノ者ニ付之ヲ行フ但シ刑ノ執行ヲ終ラサル者又ハ執行ノ免除ヲ得サル者ニ対シテハ此ノ限ニ在ラス」と昭和2年勅令第10号により改められた192725日以降のことでした(下線は筆者によるもの)。同月2日の枢密院会議における二上兵治報告員(書記官長)による審査報告によれば,「恩赦ノ大権ハ憲法上固ヨリ自由絶対ナルモ恩赦令ナル勅令ニ於テ此ノ大権ノ行動ノ形式順序等ニ関シ若干ノ規定ヲ設ケタルカ〔略〕現行ノ恩赦令ノ条項ニ於テハ復権ハ特定ノ者ニ対シ個別的ニ之ヲ行フノ一途アルノミナルモ此ノ個別的復権ノミニテハ復権恩赦ノ御趣旨ヲ全クスルニ適セサルモノアリ現ニ刑ノ執行ノ免除ニ関シテハ特定人ニ対シテ個別的ニ行フヘキ特赦ノ外ニ勅令ヲ以テ一般的ニ行フヘキ大赦アリ又減刑ニ関シテハ特定人ニ対スル個別的減刑ノ外ニ勅令ヲ以テスル一般的減刑アルニ比スルモ権衡ヲ失スルノ嫌アリ(より)テ茲ニ本案ヲ以テ大赦,特赦ノ別アルコト及減刑ニ2種アルコトノ例ニ做ヒ復権モ亦特定人ニ対シテ個別的ニ之ヲ行フノ外勅令ヲ以テ要件ヲ定メ一般的ニ之ヲ行フノ途ヲ新ニ設ケ」たということでした。大赦・特赦及び減刑との横並び論が素朴に説かれています。

大正天皇の大喪儀が行われた192727日,復権令(昭和2年勅令第13号)が裁可・公布され,同日から施行されています。

 

 勅令第13

    復権令

1条 罰金以上ノ刑ノ言渡ヲ受ケタル為資格ヲ喪失シ又ハ停止セラレタル者ニシテ其ノ刑ノ執行ヲ終リ又ハ執行ノ免除ヲ得タル日ヨリ昭和元年1225日ノ前日迄ニ10年以上ヲ経過シタルモノハ復権ス但シ大正51225日以後ニ再ビ罰金以上ノ刑ニ処セラレタル者ハ此ノ限ニ在ラズ

  第2条 18歳未満ノ時罪ヲ犯シ死刑又ハ無期刑ニ非ザル刑ニ処セラレタル者ニシテ昭和元年1225日ノ前日迄ニ其ノ刑ノ執行ヲ終リ又ハ執行ノ免除ヲ得タルモノハ其ノ刑ニ処セラレタル為喪失シ又ハ停止セラレタル資格ニ付復権ス

     附 則

  本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

 

 昭和元年(1926年)1225日午前125分に大正天皇は崩御しています。

 

DSCF1300(大正天皇多摩陵)
 大正天皇多摩陵(東京都八王子市)

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1 はじめに

 前回の記事「Zur ersten Feierstunde des Osterfestes (春のお祝いに際して)」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1082693799.html)を書いていて,恩赦制度に対する関心が筆者に喚起されました。刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)4751(「死刑の執行は,法務大臣の命令による。」)の死刑執行命令の職務を前にしての法務大臣閣下の御苦悩との関連においてです。同項の前身規定を尋ねて旧治罪法(明治13年太政官布告第37号)460(「死刑ノ言渡確定シタル時ハ検察官ヨリ速ニ訴訟書類ヲ司法卿ニ差出スヘシ/司法卿ヨリ死刑ヲ執行ス可キノ命令アリタル時ハ3日内ニ其執行ヲ為スヘシ」)を経てボワソナアドの原案622条,623条及び625条(Boissonade, Projet de Code de Procédure Criminelle (1882): pp.916-917)にたどり着いた筆者は,旧治罪法460条は,天皇に対する司法卿の「特赦」上奏権(「司法卿ハ刑ノ言渡確定シタル後何時ニテモ特赦ノ申立ヲ為ス(〔コト〕)ヲ得」(同法4781項)及び「特赦ノ申立アリタル時ハ司法卿ヨリ其書類ニ意見書ヲ添ヘ上奏スヘシ」(同法4773項))を背景にした死刑囚に対する全件「特赦」検討主義を前提とするものであるとの認識に至ったのでした。

 ということで,刑事訴訟法4751項との関係という切り口から恩赦制度について論じてみようと思ったのですが,なかなか直ちにそれに取りかかるわけにはいきません。

 まずは「特赦」をめぐる語義穿鑿です。

 なお,ここで特赦の語を括弧の中に入れているのは,194753日施行の現行恩赦法(昭和22年法律第20号)5条が採用する特赦(これには括弧を付さないことにします。)の概念(「特赦は,有罪の言渡の効力を失わせる。」)とそれより前の「特赦」(これには括弧を付けます。)の概念との間には相違があり,かつ,後者については更に旧刑法(明治13年太政官布告第36号)及び旧治罪法施行後の時代(旧刑法及び旧治罪法の施行日は188211日)の用法と1889211日発布の大日本帝国憲法の第16条を経た1908101日施行の明治41年勅令第215号以後の用法とではその意味範囲が異なるからです。

 

2 旧治罪法及び旧々刑事訴訟法並びに旧刑法:明治41年勅令第215号による減刑の分離まで

 

(1)「特赦」:grâcecommutation de peine

そもそも,旧治罪法及び旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)における「特赦」の語義が厄介なのでした。ボワソナアドの治罪法原案においては,旧治罪法における「特赦」について,grâcecommutation de peineとの二つの概念が提示されているのです。すなわち,旧治罪法第6編第3章の章名は「特赦」ですが(旧々刑事訴訟法第8編第3章も同じ),ボワソナアドの原案では“De la Grâce et de la Commutation de Peine”(「Grâce及びCommutation de Peineについて」)との章名になっています(Boissonade, PCPC p.941)。また,死刑案件に係る天皇への上奏の要否についての司法卿の検討に関するボワソナアド原案623条には上奏内容として“la grâce ou une commutation de peine”(「grâce又はcommutation de peine」)とあり,旧治罪法477条及び478条には「特赦ノ申立」とのみありますが,その前身であるボワソナアド原案645条には“recours en grâce ou en commutation de peine”(「grâce又はcommutation de peineの申立て」)とあり(Boissonade, PCPC: p.941),旧治罪法480条には「特赦状」とのみありますが,ボワソナアド原案650条には“lettres de grâce et de commutation”grâce状及びcommutation状」)とあります(Boissonade, PCPC: p.942)。

当該2概念(grâce及びcommutation)の異同についてボワソナアドは,旧治罪法に係るボワソナアド原案の解説書において,「commutationは部分的なgrâceであるとよく言われる。刑の言渡しを受けた者により軽い刑を科するとともに(en plaçant le condamné sous une peine moindre)刑の免除を行う(elle fait remise d’une peine)という意味においてである。この定式は,大きな不都合なしに用いることができるものである。」と述べています(Boissonade, PCPC: p.943)。Commutationにおいては,重い刑から軽い刑への差替えがされるということでしょう。確かにフランス語辞書を見ると,commutation“substitution, remplacement”であるということですから,入替え,取替え,差替えといった意味でよろしいのでしょう。刑の減軽(恩赦法72項前段)ということでしょう。

 

(2)旧刑法64

旧刑法64条は「大赦ニ因テ免罪ヲ得タル者ハ直チニ復権ヲ得特赦ニ因テ免罪ヲ得タル者ハ赦状中記載スルニ非サレハ復権ヲ得ス/赦ニ因リテ復権ヲ得タル者ハ自ラ監視ヲ免シタル者トス」と規定しています。ボワソナアドの原案のフランス語(Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal (1886): pp.96-97)と比較すると,旧刑法64条の「大赦」,「特赦」及び「復権」は,それぞれ“amnistie”“grâce”及び“réhabilitation”です。

旧刑法の復権は,同法における附加刑であった剥奪公権(同法101号及び32条)によって剥奪された公権(同法31条)を回復させるものでした(同法631項)。大赦又は特にその旨赦状に記された特赦による復権の場合は,附加刑であった監視(同法104号及び37条から41条まで)も免れることとなりました(同法642項)。

なお,旧刑法641項の「特赦」には,「部分的なgrâcegrâce partielle)」としてのcommutationが含まれていたものでしょう。同項に関して,「ところで,全部的なgrâceの事例は稀であろう。多くは単純なcommutation又は刑の執行の減軽(abaissement de la peine)がされ,かつ,ほとんど常に(presque toujours)それは死刑の言渡しに係るものであろう。」とボワソナアドは考えていたところです(Boissonade, PRCP: p.228)。おって,「刑の執行の減軽」(恩赦法72項後段参照)との訳語がここで出て来た理由は,「減軽」される刑(peine)に定冠詞(la)が付いているので,simple(単純な)commutationのように刑の差替えがされるのではなく,言い渡された定冠詞付きの刑が維持されつつその執行が減軽(abaissement)されるもののように解されるからです。

 

(3)ボワソナアドによるgrâcecommutation de peineとの各定義について

 

ア ボワソナアドによる定義

1886年に至って(旧刑法及び旧治罪法の施行日は前記のとおり188211日でした。),ボワソナアドは,旧刑法64条に定義のなかったgrâceについて「専ら主刑の執行を免除するもの(elle fait seulement remise de l’exécution de la peine principale)」との定義を,またそもそも同条に現れていなかったcommutationについて,「commutationは,確定した刑を減軽し,かつ,新しい刑は裁判で言い渡されたものとみなされる。」という定義を提示しています(Boissonade, PRCP: p.97)。

さて,悩ましい。

 

イ Grâce=刑の執行の免除

刑の執行を免除するものであるのならば,grâceは,現行恩赦法8条の刑の執行の免除に該当することになります(同法4条及び5条の特赦ではありません。)。

 

ウ Commutationと刑の減軽(及び刑の執行の減軽)と

Commutationは専ら刑を減軽するものであって,刑の執行を減軽するものではないであれば,「刑を減軽し,又は刑の執行を減軽する」(恩赦法72項)ものである恩赦法上の(特定の者に対する)減刑よりも狭い範囲のものということになります。

なお,commutationについて「部分的なgrâcegrâce partielle)」との観念を機械的に適用すれば,言い渡された刑を維持した上での,刑の執行の免除にまで至らない刑の執行の量的減軽こそが「本来」の“commutation”であることになります。しかし,刑の執行の減軽については,前記のとおり,ボワソナアドはabaissement de la peineの語を用いるものでしょう。

ちなみに,死刑については,死刑の執行の減軽というわけにはいかないでしょうから(死なない程度に絞首(旧刑法12条)するというのでは,死刑ならざる新たな身体刑の創出ということになります。),死刑を無期徒刑(同法72号及び17条)に差し替えて刑を減軽する(commutation)ということにならざるを得ないわけでしょう。なお,刑の減軽と刑の執行の減軽との効果の相違の例としてボワソナアドは,無期徒刑が有期徒刑に刑の減軽があれば,仮出獄(旧刑法53条)の後の監視の期間は有期徒刑の満期までであるのに対して,無期徒刑の刑の執行が有期に減軽されるだけであれば,監視期間は無期になってしまう(同法55条参照)との趣旨を述べています(Boissonade, PRCP: p.230)。

 

(4)総称としての「特赦」及びその終焉

旧刑法並びに旧治罪法及び旧々刑事訴訟法にいう「特赦」は,刑の執行の免除と刑の減軽との総称(なお,ボワソナアドは刑の執行の減軽も排除してはいなかったものでしょう。)であって,専ら「有罪の言渡の効力を失わせる」ものである現在の恩赦法(5条)の特赦とは異なることになります。

旧刑法時代は「特赦」概念に減刑までが含まれていたわけですが,同法が廃止されて現行刑法(明治40年法律第45号)に代わった日である1908101日に施行された旧特赦及び減刑に関する勅令(明治41年勅令第215号)に至って,「特赦」と減刑とが別のものとして書き分けられたところです(なお,同令の施行に伴い,旧々刑事訴訟法324条から334条までも,「刑事訴訟法中復権及ヒ特赦ニ関スル規定ハ之ヲ削ル」と規定する刑法施行法(明治41年法律第29号)52条によって同日から削除されています。

ちなみに,「特赦」に係る法律の規定が勅令に移されたのは,大日本帝国憲法16条に定められた恩赦大権に係る規律を帝国議会の協賛を要する法律(同5条及び37条)によってすることは大権の行使に議会の干与を許容することとなって好ましくないとされたからでしょう

 

3 大日本帝国憲法16条及び旧恩赦令

 

(1)大日本帝国憲法16

1889年発布の大日本帝国憲法16条は「天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス」と規定していますから,この時点で既に「特赦」と減刑とは書き分けられるべきものと認識されていたわけです。『憲法義解』の第16条解説においては,「大赦は特別の場合に於て殊例の恩典を施行する者にして,一の種類の犯罪に対し之を赦すなり。特赦は一個犯人に対し其の刑を赦すなり。減刑は既に宣告せられたるの刑を減ずるなり。復権は既に剥奪せられたるの公権を復するなり。」とあります。

伊東巳代治による大日本帝国憲法16条の英語訳は“The Emperor orders amnesty, pardon, commutation of punishments and rehabilitation.”です。伊東は,「大赦特赦減刑及復権」に係る『憲法義解』の上記解説部分を“ ‘Amnesty’ is to be granted, in a special case, as an exceptional favor, and is intended for the pardoning of a certain class of offences. ‘Pardon’ is granted to an individual offender to release him from the penalty he has incurred. ‘Commutation’ is the lessening of the severity of the penalties already pronounced in the sentence. ‘Rehabilitation’ is the restoration of public rights that have been forfeited.”と訳しています。

 

(2)旧恩赦令を踏まえての解説

 大日本帝国憲法16条の「特赦」においては,刑は赦されても罪は赦されないわけですから,これは,刑の執行の免除の意味でしょう。ボワソナアドも,grâcepardonであると言った上で,amnistieを受けた者が新たに罪を犯しても再犯にならぬが(旧刑法97条は「大赦ニ因テ免罪ヲ得タル者ハ再ヒ罪ヲ犯スト雖モ再犯ヲ以テ論スル(〔コト〕)ヲ得ス」と規定していました。)grâceを受けた者はそうではないと述べています(Boissonade, PRCP: p.225)。Amnistieの語は忘却を意味するギリシア語に由来し,それは「犯罪行為及びその刑を消し去り,そのどちらについても何ら法的痕跡を残さないもの」だそうです(ibid.)。これに対して,「grâceは主刑を免ずるのみ」なのでした(Boissonade, PRCP: p.229)。

 1912年の旧恩赦令(大正元年勅令第23号)5条は「特赦ハ刑ノ執行ヲ免除ス但シ特別ノ事情アルトキハ将来ニ向テ刑ノ言渡ノ効力ヲ失ハシムルコトヲ得」と規定しています。同条の「特赦」は,やはり刑の執行の免除であることが本則です。同条ただし書の部分は,ボワソナアドによる上記のgrâce本質論からすると,異質なamnistie的効果を付加せしめたということになるのでしょう。「刑ノ言渡ノ効力ヲ失ハシムル」ときは,5年を待たずに再犯に当たらなくなるほか(刑法56条),7年待たずに刑の執行猶予を受け得る(同法原252号・1号)ということになるわけです。また,刑の執行の免除の場合には「刑の言渡の結果として生じた権利能力の喪失は尚そのまゝであ」るのですが(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)313-314頁。また,旧刑法641項後段参照),刑の言渡しの効力までが失われるのであれば,刑の言渡しの結果として失われた権利能力はそれにより回復します。

 大日本帝国憲法16条の減刑は,「刑を減ずるなり」ということでは刑の減軽であるようですが,伊東の英語訳では「既に言い渡された刑の苛酷を緩和すること」ということですので刑の執行の減軽であるようであります。伊東は,commutationは「部分的なgrâcegrâce partielle)」であるとの説明に引っ張られ過ぎて,英語のcommutationにも「交換」の意味があることを失念したのでしょうか。

 旧恩赦令72項は「特定ノ者ニ対スル減刑ハ刑ノ執行ヲ減軽ス但シ特別ノ事情アルトキハ刑ヲ変更スルコトヲ得」と規定していますが,これは伊東の英語文的に,刑の執行の減軽本則論を採ったものでしょう。通常は,abaissement de la peineたる刑の執行の減軽がされるものであって,本来のcommutationである刑の減軽は「特別ノ事情アルトキ」に行われる例外,ということにされています。ちなみに,「刑の減軽とは刑期の短縮,罰金額の減少又は刑名の変更を包含する」ものとされています(美濃部314頁)。

 なお,旧恩赦令101項は「復権ハ将来ニ向テ資格ヲ回復ス」と規定して,回復されるものは「公権」ではなく「資格」であるものとしています。

 ちなみに,旧々刑事訴訟法にあった復権手続に関する規定(同法324条から330条まで)は前記のとおり刑法施行法52条により1908101日から削除されていて,旧恩赦令が1912926日から施行されるまでは復権手続規定については空白期間となっていました。現行刑法の付加刑は没収のみであって(7条),旧刑法にあった附加刑としての剥奪公権及び監視(同法101号及び4号)は廃されたからでしょう(また,刑法施行法18)。しかし,刑法以外の法令に,刑の言渡しによる資格の喪失又は停止に関する規定(旧恩赦令9条参照)が多々あることに由来する不都合が再発見されたものでしょう。

と,旧刑法及び旧治罪法の各原案のフランス語並びに大日本帝国憲法16条及びその『憲法義解』解説の英語訳を穿鑿し来った上で,ここで更に日本国憲法の英語文までを検分してしまうのが筆者の余計なところです。

 

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      Glockenklang und Chorgesang

 

    CHOR DER ENGEL.

       Christ ist erstanden!

       Freude dem Sterblichen,

       Den die verderblichen,

       Schleichenden, erblichen

       Mängel umwanden. 

 

  FAUST.

     Welch tiefes Summen, welch ein heller Ton,

     Zieht mit Gewalt das Glas von meinem Munde?

     Verkündiget ihr dumpfen Glocken schon

     Des Osterfestes erste Feierstunde?

     Ihr Chöre singt ihr schon den tröstlichen Gesang?

     Der einst, um Grabes Nacht, von Engelslippen klang,

     Gewißheit einem neuen Bunde.

 

 多くの人々にとって神聖かつ意義深いであろう春の一週末👼🥚🐇を迎え,またも季節物の記事を書いてしまいました。(2021年には「De Falsis Prophetis(旧刑法及び警察犯処罰令における若干の条項に関して)」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1078468873.html)という記事を書きましたが,今見ると非常に読みづらいですね。本稿もその二の舞になりそうです。)


麻布南部坂教会
 麻布南部坂教会(東京都港区)


1 違法勾引

 

  Et adhuc eo [Jesu] loquente venit Judas Scarioth unus ex duodecim

     et cum illo turba cum gladiis et lignis

     a summis sacerdotibus et a scribis et a senioribus

     …..

 et cum venisset statim accedens ad eum [Jesum] ait rabbi

     et osculatus est eum

     at illi manus injecerunt in eum et tenuerunt eum

     (Mc 14,43; 14,45-46)

 

 これは違法勾引です(逮捕ではなく勾引であると判断した理由は,裁判所の(a summis sacerdotibus et a scribis et a senioribus(祭司長ら,律法学者ら及び長老らの))手の者ら(turba)たる「彼らは(illi)彼に(in eum)手をかけ(manus injecerunt),かつ,彼を確保した(et tenuerunt eum)」ということだからです。身柄被拘束者が裁判所に引致されるべき勾引(刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)731項参照)であって,検察官,検察事務官又は司法警察職員による逮捕(同法1991項参照)ではないでしょう(検察事務官又は司法巡査が逮捕したときの被疑者の引致先は検察官又は司法警察員です(同法202条)。)。剣及び棒を持っていた(cum gladiis et lignis)というのですから直接強制性は歴然としており,召喚(刑事訴訟法57条)ではないですね(「召喚は強制処分ではあるけれども直接強制力を使うことはできず,不出頭の制裁もな」いものです(田宮裕『刑事訴訟法(新版)』(有斐閣・1996年)254頁)。)。ちなみに,旧治罪法(明治13年太政官布告第37号)の下では告訴・告発を直接受けた予審判事(同法931項・97条)の発した勾引状による勾引があり得たこと(同法932項・115条)を御紹介申し上げ置きます(荻村慎一郎「比較法・外国法で学べることの活かし方――スペイン法における「起訴」を題材として――」,岩村正彦=大村敦志=齋藤哲志編『現代フランス法の論点』(東京大学出版会・2021年)380頁参照)。)。ここでは,然るべき令状が被告人に示されていません(刑事訴訟法731項前段には「勾引状を執行するには,これを被告人に示した上,できる限り速やかに且つ直接,指定された裁判所その他の場所に引致しなければならない。」とあります。)。日本国憲法33条は「何人も,現行犯として逮捕される場合を除いては,権限を有する司法官憲が発し,且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ,逮捕されない。」と規定しており,「ここに「逮捕」とは,刑事訴訟法による被疑者の逮捕のみならず,勾引・勾留をも含むと解される」ものです(佐藤幸治『憲法(第三版)』(青林書院・1995年)592頁)。令状を所持しないためこれを示すことができない場合において急速を要するときは,被告人に対して公訴事実の要旨及び令状が発せられている旨を告げて,その執行をすることができますが(刑事訴訟法733項),「到着したので(cum venisset),直ちに被告人に近付いて(statim accedens ad eum)「先生」と呼びかけ(ait rabbi),そして同人に接吻した(et osculatus est eum)」ということをもって当該告知があったものとするわけにはいかないでしょう。

 なお,「なおも彼(被告人)が話していたところ(adhuc eo loquente)」において12人中の一人がやって来て(venit … unus ex duodecim)の身柄確保ですが,当該話の内容が犯罪を構成することを理由とした現行犯逮捕(刑事訴訟法212条以下)というわけではないでしょう。

 

2 土着法における瀆神の罪

 引致された先の裁判所における手続はグダグダになりかけたようですが(公訴事実自体がはっきりしていなかったのでしょう。),被告人が自爆的供述をして,裁判所の面子は確保されました。

 

  ille autem tacebat et nihil respondit

     rursum summus sacerdos interrogabat eum et dicit ei

     tu es Christus Filius Benedicti

     Jesus autem dixit illi

     ego sum

     et videbitis Filium hominis a dextris sedentem Virtutis

     et venientem cum nubibus caeli

     Summus autem sacerdos scindens vestimenta sua ait

     Quid adhuc desideramus testes

     audivistis blasphemiam quid vobis videtur

     qui omnes condemnaverunt eum esse reum mortis

     (Mc 14,61-64)

 

 「しかし彼(被告人)は沈黙しており,何も答えなかったので,/裁判長(summus sacerdos)は彼に改めて質問を行い,彼に言うには」ということで被告人に対して君はこれこれの者かねと誘導的に訊いたところ,被告人は当該誘導に応えて,そうなのだ(ego sum),俺は油を塗られた者で,かつ,祝福されたる高き存在の息子なのだ,「で,お前さん方は人の子たるおらが至徳の存在の右側に座しておって,/そして天の雲と一緒にやって来るのを見るんだずら。」と,今度は彼(裁判長)に供述したので(autem dixit illi),そこで裁判長は「自らの法服を引き裂き言うには,/これ以上証人の不足を嘆く理由があろうか,/諸君は瀆神の言を聞いたのである,諸君はどうすべきと思われるのか(quid vobis videtur)。/そこで全会一致で,被告人は死刑に処せられるべき者であるとの有罪判決が下された。」というわけです。法廷でいきなり裁判官が自分で自分の法服を引き裂くのは,その「品位を辱める行状」(裁判所法(昭和22年法律第59号)49条)にならないのかどうかちと心配ですが,この場合は問題がなかったのでしょう。

 瀆神罪を犯した者は死刑に処せられる旨律法に規定されています。

  

     et qui blasphemaverit nomen Domini morte moriatur

     lapidibus opprimet eum omnis multitudo

     sive ille civis seu peregrinus fuerit

     qui blasphemaverit nomen Domini morte moriatur

     (Lv 24,16)

 

  しかして,主の名を冒瀆した者は死刑に処せられるべし。

  全ての民が彼を石打ちにする。

     国民であっても外国人であっても,

  主の名を冒瀆した者は死刑に処せられるべし。

 

 当該の神(主=Dominus)を信じない外国人(peregrinus)に対しても瀆神罪が成立するものとされています。なお,この点我が刑法(明治40年法律第45号)のかつての不敬罪(同法旧74条及び旧76条(天皇,太皇太后,皇太后,皇后,皇太子若しくは皇太孫又は神宮若しくは皇陵に対するものについては3月以上5年以下の懲役(旧74条),皇族に対するものについては2月以上4年以下の懲役(旧76条)))は更に一歩念入りに規定されていて,日本国内及び日本国外の日本船舶内で不敬行為を行った外国人に対して成立する(同法1条)のみならず(ここまでならば,上記律法並びに礼拝所不敬及び説教等妨害に係る刑法188条と同じ。),日本国外において不敬行為を行った全ての者についても成立したのでした(昭和22年法律第124号による削除前の刑法21号)。

 ちなみに,公判廷において重罪(死刑が主刑である罪は重罪です(旧刑法(明治13年太政官布告第36号)71号)。)が発生したときの取扱いについて旧治罪法275条は「公廷ニ於テ重罪ヲ犯シタル者アル時ハ裁判長被告人及ヒ証人ヲ訊問シ調書ヲ作リ裁判所ニ於テ検察官ノ意見ヲ聴キ通常ノ規則ニ従ヒ裁判スル為メ予審判事ニ送付スルノ言渡ヲ為ス可シ」と規定していました。

 

3 刑の執行権の所在問題及び適用される法の問題

 しかし,前記石打刑の執行は当時の当該地においては停止されていたようです。

 

     dixit ergo eis Pilatus

     accipite eum vos et secundum legem vestram judicate eum

     dixerunt ergo ei Judaei

     nobis non licet interficere quemquam

  (Io 18,31)

 

  そこで(ergo)総督が彼らに(eis)言ったには(dixit),「君らが彼を引き取って,君らの法律に従って彼を裁きなさい。」と。そこで(ergo),彼に対して(ei)彼ら土着民が言ったには(dixerunt),「いかなる者についても我々は死刑を行う(interficere=殺す)ことを許されておりません。」と。

 

二つの解釈が可能であるようです。専ら死刑執行の権限が土着民政府から総督府に移されていたという趣旨か,②土着刑法に基づいては死刑を科することができず,被告人を死刑に処し得る法は当該地に施行されている総督の本国法に限られるという趣旨か。

 

4 死刑の執行命令制度の機能

 

(1)旧治罪法460条と恩赦大権と

前記①については,裁判所による死刑の裁判と行政機関によるその執行との関係ということでは,刑事訴訟法475条(「死刑の執行は,法務大臣の命令による。/前項の命令は,判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し,上訴権回復若しくは再審の請求,非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は,これをその期間に算入しない。」)が不図想起されるところです。同条は,そもそもは旧治罪法460条(「死刑ノ言渡確定シタル時ハ検察官ヨリ速ニ訴訟書類ヲ司法卿ニ差出ス可シ/司法卿ヨリ死刑ヲ執行ス可キノ命令アリタル時ハ3日内ニ其執行ヲ為ス可シ」)に由来します。

ボワソナアドのProjet de Code de Procédure Criminelle (1882)を見ると,旧治罪法460条に対応するボワソナアド案は次のとおりです(pp. 916-917)。(なお,これらボワソナアド622条及び623条にはフランス治罪法(1808年法)の対応条文が掲げられていません。これに対して旧治罪法461条(「死刑ヲ除クノ外刑ノ言渡確定シタル時ハ直チニ之ヲ執行スヘシ」)の原案であったボワソナアド案624条については(ただし,そこでは刑の執行時期は「直チニ」ではなく「3日以内」になっています。,フランス治罪法375(同条では刑の執行期限は24時間以内です。)が対応条文として掲げられています(Boissonade, p.917)。)

 

   Art. 622.  En cas de condamnation à mort, s’il n’y a pas eu de pourvoi en cassation, soit du condamné, soit du ministère public, et qu’il y ait, ou non, recours en grâce, le commissaire du Gouvernement près le tribunal qui a statué transmettra, sans délai, au Ministre de la justice les pièces de la procédure. 

 第622条 死刑判決の場合において,被告人からも検察局からも破毀上告がされないときは,恩赦申立ての有無を問わず,当該裁判をした裁判所に対応する検察官は,遅滞なく,訴訟書類を司法卿に送付するものとする。

 

   623.  S’il n’y a pas eu recours en grâce et que le Ministre de la justice ne croye pas devoir proposer à l’Empereur la grâce ou une commutation de peine, comme il est prévu au Chapitre IIIe, ci-après, il renverra les pièces, dans les dix jours, audit commissaire du Gouvernement, avec l’ordre d’exécution, laquelle aura lieu dans les trois jours. 

  623条 恩赦申立てがなく,かつ,後の第3章に規定されるところにより天皇に特赦又は減刑の上奏をしなければならないものではないと司法卿が信ずるときは,同卿は,執行の命令と共に当該検察官に対して10日以内に書類を返付するものとする。当該執行は3日以内に行われるものとする。

 

 ボワソナアド案622条及び623条に関する解説は次のとおり(Boissonade, pp.923-924)。

 

ここにおいて死刑の有罪判決は,被告人の利益のためにする,共同の権利に対する一つの例外を提示するが,それはその絶対的不可修復性によるものである。破毀上告の棄却後にも,行使されなかった上告の期限の経過後にも,すぐに刑の執行がされるものではない。

裁判をした裁判所に対応する検察局は全ての訴訟書類を司法卿に送付しなければならず,同卿は,それを取り調べて,第3章において取り扱われている特赦又は減刑を天皇に上奏する余地があるかどうかを判断する。同卿が特赦も減刑も上奏しないときは,刑法(〔旧刑法13条〕)に則った執行の命令と共に,10日以内に当該書類を返付する。当該命令の到達から3日以内に執行がされなければならない。

司法卿による当該特別命令の必要性の正当化は容易である。もし執行が,特別な命令の到達までは延期されるものではなく,反対に,猶予命令のない限りは当該官吏にとって義務的なものであったならば,(不幸なことにこの事象の発生は1箇国にとどまらないが)猶予命令が発送されたものの到達せず,しかして取り返しのつかない不幸が実現せしめられたということが起り得るのである。


 死刑判決に対する破毀上告が棄却され,又は大審院が自ら死刑判決をしたときも同様の手続(ボワソナアド案622条及び623の手続)が採られるものとされていました(ボワソナアド案625条(Boissonade, p.917

 執行権者による恩赦の許否の判断過程が,裁判所の死刑判決と当該裁判の執行との間に介在するわけです。なお,当該判断の量的重大度をボワソナアドがどのように見ていたかといえば,ボワソナアドがその1115日に来日した1873大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1977年(第3刷・199850当時のフランスでは,「1873を境に,死刑判決にたいする恩赦の数が,実際の執行の数を上回るようになった」ところであって(福田真希「フランスにおける恩赦の法制史的研究(八・完)」法政論集2442012120),すなわち,死刑判決を受けた者の少なくとも半数近くは減刑(さすがに特赦にまではいかないでしょうが)の恩典に浴するものとボワソナアドは考えていたのではないでしょうか。ちなみに,フランス七月王制の「1830年の憲章第58条は,1814年の憲章と同じように,国王による恩赦と減刑を認めた」ところ「国王ルイ=フィリップ(在位1830年~1848)は積極的に恩赦を与え,1830927日の通達からは,死刑判決の場合には,たとえ嘆願がなかったとしても,恩赦の可能性が検討されることとな」り(福田真希「フランスにおける恩赦の法制史的研究(七)」法政論集2432012122),第二帝制及び第三共和制の下においても同様に「死刑の場合には,嘆願がなかったとしても,恩赦の可能性が検討された」ところです(同124)。

 我が国では恩赦については,大日本帝国憲法16条(「天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス」)の恩赦大権がかかわっていました。旧治罪法4773項は「特赦ノ申立アリタル時ハ司法卿ヨリ其書類ニ意見書ヲ添ヘ上奏ス可シ」と,同法4781項は「司法卿ハ刑ノ言渡確定シタル後何時ニテモ特赦ノ申立ヲ為ス(〔こと〕)ヲ得」と,旧恩赦令(大正元年勅令第23号)12条は「特赦又ハ特定ノ者ニ対スル減刑若ハ復権ハ司法大臣之ヲ上奏ス」と規定していました。

 なお,旧恩赦令131項はまた「刑ノ言渡ヲ為シタル裁判所ノ検事又ハ受刑者ノ在監スル監獄ノ長ハ司法大臣ニ特赦又ハ減刑ノ申立ヲ為スコトヲ得」と規定していたところ,いわゆる朴烈事件に係る大逆罪(刑法旧73)による大審院(旧裁判所構成法(明治23年法律第650条第2により大逆罪についての第一審にして終審の裁判所)の朴烈及び金子文子に対する死刑判決(1926325)については,直ちに「検事総長〔旧裁判所構成法561項により大審院の検事局に置かれていました。〕ヨリ恩赦ノ上申ガアリマスルヤ,内閣ニ於キマシテハ10日ニ亙リマシテ仔細ノ情状ヲ調査致シマシテ,而シテ後ニ総理大臣ハ〔摂政に対して減刑の〕奏請ヲセラレタ」(1927118日の衆議院本会議における江木翼司法大臣の答弁(第52回帝国議会衆議院議事速記録第430))という運びとなり(すなわち,192645日に摂政宮裕仁親王は「午前,内閣総理大臣若槻礼次郎参殿につき謁を賜い,言上を受けられ」ています(宮内庁『昭和天皇実録 第四』(東京書籍・2015439頁)。),192645,朴・金子に対する無期懲役への減刑がされています。また,恩赦をするについては,有罪判決を受けた者について「決シテ改悛ノ情ガ必ズシモ必要デナイ」旨が明らかにされています(江木司法大臣(第52回帝国議会衆議院議事速記録第430)。朴・金子に係る減刑問題は内閣で取り扱われ,内閣総理大臣から上奏がされていますが,これは,事件が大きくて司法大臣限りでは処理できなかったからでしょう。

 

(2)日本国憲法下における恩赦法等との関係

しかしながら,日本国憲法737号は「大赦,特赦,減刑,刑の執行の免除及び復権を決定すること」を内閣の事務としており,更に恩赦法(昭和22年法律第20号)12条は「特赦,特定の者に対する減刑,刑の執行の免除及び特定の者に対する復権は,中央更生保護審査会の申出があつた者に対してこれを行うものとする。」と規定しています(「中央更生保護審査会の申出があった者についてのみ行なうものとされている」わけです(佐藤213頁。下線は筆者によるもの)。)。しかして恩赦法15条に基づき同法の施行に関し必要な事項を定める恩赦法施行規則(昭和22年司法省令第78号)1条を見ると,恩赦法12条の規定に拠る中央更生保護審査会の申出は刑事施設若しくは保護観察所の長又は検察官の上申があった者に対してこれを行うものとする,ということにされていて,法務大臣閣下の直接の出番はないようです(なお,本人から特赦,減刑若しくは刑の執行の免除又は復権の出願があったときは,刑事施設の長,保護観察所の長又は検察官は,意見を付して「中央更生保護審査会にその上申をしなければならない」と規定されています(同規則1条の22項,32項)。)。恩赦に係る司法卿ないしは司法大臣の上奏権に基づくボワソナアド的ないしは旧治罪法460条的な理由付けは,現在の刑事訴訟法4751項には妥当しづらいようです。(ただし,刑事訴訟法の施行(194911日から)の後6箇月間(同630日まで)は,恩赦法12条は「特赦,特定の者に対する減刑,刑の執行の免除及び特定の者に対する復権は,検察官又は受刑者の在監する監獄の長の申出があつた者に対してこれを行うものとする。」と規定されていました(下線は筆者によるもの。犯罪者予防更生法施行法(昭和24年法律第1436によって申出をする機関が「中央更生保護委員会」に改められ(同委員会は,国家行政組織法(昭和23年法律第12032項の委員会でした(旧犯罪者予防更生法(昭和24年法律第14231)。),195281日からは更に「中央更生保護審査会」に改められています(法務府設置法等の一部を改正する法律(昭和27年法律第2685)。)。)

現在は「まず執行指揮検察官の所属する検察庁から,検事長ないし検事正の名義で,死刑執行に関する上申書が法務大臣に提出される。法務省では,裁判の確定記録など関係資料を取り寄せ,再審,非常上告,あるいは刑の執行の停止の事由がないかどうか,また,恩赦を認める余地がないかどうかを綿密に審査した上で,執行起案書を作成する。刑事局,矯正局,保護局のすべてが関与して,誤りなきを期するための努力が払われ,最後に大臣の命令が発せられるのである。」ということですが(松尾浩也『刑事訴訟法(下)新版』(弘文堂・1993年)310頁),恩赦について中央更生保護審査会に上申するのは前記のとおり法務大臣ではなく刑事施設若しくは保護観察所の長又は検察官ですし,再審の請求ができる者は検察官並びに有罪の言渡しを受けた者,有罪の言渡しを受けた者の法定代理人及び保佐人並びに有罪の言渡しを受けた者が死亡し,又は心神喪失の状態に在る場合の配偶者,直系の親族及び兄弟姉妹に限られており(刑事訴訟法439条),非常上告ができる者は専ら検事総長であり(同法454条),死刑の執行停止を命ずる者は法務大臣ですが,当該停止事由である心神喪失及び女子の懐胎(同法479条)の有無の判断は医師の診断に頼ればよいようです(なお,当該死刑の執行停止制度は,刑法施行法(明治41年法律第29号)48条によって旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)318条ノ3として追加されています。懐胎した女子のそれは,旧刑法15条(分娩後100日経過まで執行停止)に既にあったものです。)。法務大臣閣下が御自らくよくよされる必要は余りないのではないでしょうか。

 

5 死刑判決執行前の特赦か

 本件における総督閣下も,特赦の可否を考えたようです。

 

  Per diem autem sollemnem consueverat praeses dimittere populo unum vinctum quem voluissent

  Habebat autem tunc vinctum insignem qui dicebatur (Jesus) Barabbas

     congregatis ergo illis dixit Pilatus

 quem vultis dimittam vobis

 (Jesum) Barabban an Jesum qui dicitur Christus

       (Mt 27,15-17)

 

 括弧内の語は,これを記さない写本も多いそうです。

 「ところで(autem)長官は(praeses),祭日には(per diem sollemnem),人民に対して(populo)彼らの欲する囚人を一人(unum vinctum quem voluissent)特赦してやる習慣であった(consueverat dimittere)」ということです。当該総督は自ら特赦することができる点で,天皇への特赦上奏権までしかなかった大日本帝国の朝鮮総督・台湾総督(旧恩赦令12条・19条)よりも権限が大きかったようですが,中央更生保護審査会ならぬ群衆に(congregatis illis)だれを特赦すべきか(「JBJCか,諸君のためにどちらを特赦するのを諸君は希望するのかな(quem vultis dimittam vobis J.B. an J. … C.)」)と諮る必要があった点では権限が制限されていたというべきでしょう。(なお,barabbasの意味は,インターネットを処々検するに,何のことはない,「親父(abba)の息子(bar)」ということであるそうです。)

 

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