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1 日本国内閣総理大臣の中南米的指導者化傾向

 

   岸田文雄首相は〔20246月〕21日に〔内閣総理大臣〕官邸で記者会見を開き,物価高対策として,〔同年〕5月使用分を最後に終了した電気・ガス料金の負担軽減策を「8月からの3カ月間行う」と述べ,補助を再開する方針を明らかにした。ガソリンや灯油など燃料価格の抑制策は年内に限り継続する。今年秋に経済対策の策定を目指すとした上で,年金世帯や低所得者を対象に給付金を支給することを検討する考えも示した。

   内閣支持率が低迷する中,物価高に直面する家計負担の軽減策を追加し,政権浮揚につなげる思惑もありそうだ。ただ国の財政負担はさらに膨らむ恐れがあり,政策の一貫性を欠く迷走ぶりも浮かぶ。〔後略〕

  (2024621228分共同通信配信記事・東京新聞ウェブサイトから。下線は筆者によるもの)

 

 「日本も中南米(ラテン・アメリカ)化しつつあるなぁ」とは筆者の感慨です。

口に苦い良薬の・真の構造的問題に対する厳しい取組からは目をそむけ,一見分かりやすく,かつ,人気につながりそうな甘く安易な目先のばら撒き施策に走って国家財政を破綻させ,やがて民心は腐敗し,国内は混乱し,若者は米国に向け脱出し,せっかくの国家的・国民的な潜在力が無慙にも無駄になってしまう,との道筋を思わず知らず描いてしまうのは,筆者の偏見でしょう(偏見であってほしいものです。)。――無論,現在の日本国は既に高度に老化していますから,混乱といっても,若い男性の群れが暴れ回るといったギラギラと暑苦しいものではなく,黄昏の中,もはや福祉の手が回らなくなっていかんともしがたくなった無残な姿の認知症老人がおぼつかない足取りでふらふらと大量に,かつ,あまねく徘徊するといった形で顕在化されるのでしょう。また,「せっかくの潜在力」というほどの精神的・肉体的(ポテンシャル)ももう我が衰廃民族には残されてはいないのでしょうが・・・。(なお,多くの日本人には米国の食事🍔は舌に合わないようで,“America, or bust”的な米国移住に向けた憧れは,我が国においては依然として大きくはないように観察されます。)

というような思いを触発させる,日本国の内閣総理大臣の中南米的指導者化傾向という事態に直面するとき,不図,四半世紀前の我が内閣総理大臣官邸において生じた,次のような印象深い親和力(ケミス)()作用(リー)が想起されるのでした。

 

2 小渕総理とチャベス大統領と

 

(1)小渕総理の羨望

 

   大統領の球は5倍速い/ベネズエラ大統領と小渕首相が野球談議

   小渕〔恵三〕首相は〔199910月〕13日,首相官邸で,ベネズエラのチャベス大統領と会談し,経済協力などについて意見交換した〔https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutiphoto/99_1001/1001_13b.html〕。引き続いて行われた首相主催の昼食会には,ベネズエラ出身で日本のプロ野球で活躍中のペタジーニ選手(ヤクルト)も出席し,両首脳は野球談議に花を咲かせた。

   45歳のチャベス大統領は大の野球好きで,少年時代の夢は「米大リーグで投げること」。2月には大リーグのホームランバッター,サミー・ソーサ選手に真剣勝負を挑んだという。歓迎のあいさつで首相が「私も5月に訪米した際,(始球式で)ソーサ選手に投げ込んだが〔https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutiphoto/99_0501/0501.html〕,大統領の球は私の5倍は速いと思う」とエールを送ると,大統領は「そんなに速くはない」と苦笑い。〔後略〕

  (読売新聞19991014144面)

 

和気藹々です

バリナス州の貧しい教師の家に6人兄弟の一人として生まれたチャベス大統領は,「地方の無名の子として生まれたが,一般ベネズエラ人から感情移入され得る無比の能力を有し,かつ,巧妙な策をも多々弄するところの,天性の演技者(パフォーマー)交感(コミュニ)能力者(ケイター)として頭角を現した。(Born in provincial obscurity, he proved to be a natural performer and communicator, with an unmatched ability to empathise with ordinary Venezuelans, combined with plenty of cunning.)」ということですから(“Hugo Chávez’s rotten legacy”, The Economist, March 9th, 2013),小渕総理もその魅力に抗うことができなかったものでしょう。メキシコの左翼作家であるカルロス・フエンテスは,チャベス大統領を「熱帯のムッソリーニ」と呼んでいたそうです(“Venezuela after Chávez / Now for the reckoning”, The Economist, March 9th, 2013)。また,コロンビアのノーベル賞作家であるガブリエル・ガルシア・マルケスは,ベネズエラ大統領に当選後のチャベス次期大統領について,「他と同様の専制者として歴史書に残ることになるのであろう幻想家」であるキューバのフィデル・カストロとの対比において,「運命の気まぐれにより,その国を救う機会を与えられた者」との印象を記していました(Michael Shifter, “In Search of Hugo Chávez”, Foreign Affairs, May/June 2006: p.45)。

 

   小渕首相の一日 〔199910月〕13 「小渕恵三も20年ぐらい若ければなあ」

   〔前略〕

   156分,チャベス大統領との会談の感想を聞かれ,「若い大統領のはつらつとした意欲を感じました。小渕恵三も二十年ぐらい若ければなあ・・・。あちらは45歳ですからね」

   〔後略〕

  (読売新聞19991014144面)

 

   首相日々

   〔前略〕

   (記者団の「会談を終えた感想は」に「若い大統領ですから,新ベネズエラをつくろうという熱心さを感じました。はつらつとした意欲を感じました。小渕恵三も20年ぐらい若ければなあ・・・。あちらは45歳ですからね。」)

   〔後略〕

  (毎日新聞19991014142面)

 

小渕総理の一日19991013日・内閣総理大臣官邸ホームページ)

https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutiphoto/1999_10_calender/10_13.html

 

(2)小渕総理の年齢及び死

1937625日生まれの小渕総理は,19991013日には,623箇月と19という年齢でした(明治35年法律第50号(年齢計算に関する法律)の第1項によって出生の日から起算し,同法2項により,暦に従って年及び月を数えた上(民法(明治29年法律第89号)143条),日数については最終日を含めて計算しています。以下同様です。なお,余計なことながら,明治35年法律第50号の第3項によって廃止された明治6年太政官布告第36号は「自今年齢ヲ計算候儀幾年幾月ト可相数(あひかぞふべき)事/但旧暦中ノ儀ハ1干支ヲ以テ1年トシ其生年ノ月数ハ本年ノ月数ト通算シ12ヶ月ヲ以テ1年ト可致(いたすべき)事」と規定していたものです。新旧の暦(明治6年(1873年)11日から新暦採用)の間の通算方法に苦心している様子が窺われます。)。頽齢をかこつにはまだ早かったようにも思われますが,その翌年の20004月に脳梗塞で倒れ同月2日に入院し,同年514日に6210箇月と20で死去しています。199910月には,既に何らかの体調不良を覚えていたのでしょう。また,小渕総理は1999年(平成11年)1112日に挙行された天皇陛下御在位十年記念式典の式典委員長を務めており(https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutiphoto/99_1101/1101_12.html),当該式典の一部参列者間においては「実は小渕(ぶっ)総理()も,絶対,在職十年超えを狙っているよな」という口さがないささやきがありましたが,小渕内閣の存続期間は結局,1998730日から200045日までの18箇月と6日ということで終わりました(初日不算入とし(民法140条),後継の第1次森内閣が成立した日を含めて計算。小渕内閣の総辞職は200044日)

なお,1957729日生まれの岸田総理は,2024621日には既に6610箇月と24日でありました。

 

(3)チャベス大統領の年齢及び死

ところで,その若さを小渕総理に羨ましがられたベネズエラのウゴ・チャベス大統領ですが1954728日生まれなので,19991013日には452箇月と16日。同年22日に446箇月と6日で大統領に就任していました。),在職十年は悠々突破したものの(「チャベス氏は,圧倒的であるものから余裕があるものまでの差をつけて四つの選挙に勝利し,6回行われた国民(レファレ)投票(ンダムズ)のうちわずか1回失敗しただけだった。」とのことです(“Hugo Chávez’s rotten legacy”, The Economist)。ただし,20024月の首都騒乱の際には,一時大統領職を辞しています。),しかし面会時の小渕総理の年齢まで生きることはできませんでした。癌を患い2011年に公表)201335日,ベネズエラ・ボリバル共和国大統領在任のまま,587箇月と6日で死亡しています。

 

  チャベス氏の死は,何百万ものベネズエラ人によって悼まれた。彼らにとって彼は,天恵により増大した石油収入をばら撒いてくれる(handing out)とともに,「帝国」(またも米国)及び「寡頭勢力」(すなわち富裕層)に対して挑戦的な言辞を浴びせかける,一種のロビン・フッドであったのである。

 (“Venezuela after Chávez”, The Economist

 

3 ベネズエラの経済政策(ボリバル革命)と我が経済政策(失われた三十年)と

 2000年から2012年までのベネズエラの石油輸出による総収入は,2000年以降は産出量が減少していたにもかかわらず,実質額においてその前13年間のそれの2倍半以上になっていたそうです(“Venezuela after Chávez”, The Economist)。これに対して我が国は石油産出国ではないので,ばら撒こうと思えば国債を発行することになりますが,財務省資料によれば,2000年度末の普通国債残高が3675547億円であったのに対し,2012年度末のそれは7050072億円と2倍近くになっています。2024年度末には1105兆円になる見込みであるそうです。橋本内閣期の1997年度の国債発行額は498900億円(借換債の314320億円を除くいわゆる新規国債は184580億円)でしたが,小渕内閣期の1999年度には775979億円(借換債の400844億円を除くいわゆる新規国債は375136億円)になっています。既に小渕総理は当時,世界一の借金王となってしまった,とぼやいていたところです。したがって,自身の政策の安易な前例化は受け付け得なかったものでしょう。ちなみに,2024年度の国債発行予定額は1819956億円(そのうちいわゆる新規国債は354490億円)であるそうです。嗚呼,失われた三十年。

 岸田総理は経済対策及び給付金支給を現在計画しているわけですが,これらは,早稲田大学の先輩である小渕総理的な施策というべきものでしょう(https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutisouri/obuchiyear/obuchi_oneyear_02.html)。19981116日に小渕内閣は「過去最大」の経済対策を決定し,更に1999129日には,全国で対象者約三千五百万人,一人当たり2万円の地域振興券の交付が始まっています(https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutiphoto/99_0216/02202.html)。(なお,公明党と自由民主党との連立は,小渕政権下の199910月以来のことです。)

 ばら撒きのほかにチャベス大統領がしたベネズエラ人民喜ばせ策は,盟邦のキューバ政府肝煎りの「ミッションズ(missions)」であって,「実質的に無料の石油との引換えに,キューバは,何千人もの医師及びスポーツ指導者(トレイナーズ)をベネズエラに派遣した。とのことです(“Venezuela after Chávez”, The Economist)。無論,我ら病弱な日本の老国民も,医療及び福祉並びにスポーツ(観戦)は大好きです。来月(20247月)にはパリでオリンピックが開催されますところ,毎度のことながら,がんばれニッポン!

 しかしながら,「広報(プロパ)宣伝(ガンダ)の背後において,ボリバル革命は,腐敗し,不手際に運営された事業であった」ところです。「経済は,石油と輸入品にますます依存するようになった。農場の国有化は農業生産を減少させた。物価及び外国為替の管理は執拗なインフレーション及び生活必需品の不足を防止することができなかった。インフラストラクチャーは崩壊し,もう何年も,国の大部分において,頻繁な停電を忍ばねばならないことになっている。病院は腐敗し,「ミッションズ」すら,その多くが停頓した。犯罪は増加し,カラカスは世界で最も暴力的な首都の一つである。治安部隊の一部よる関与の下,ベネズエラは薬物取引の一経路となっているとのことでした“Venezuela after Chávez”, The Economist)。大統領官邸のチャベス大統領専用エレベータも水漏れがするようになっていたそうです(“Goodbye, Presidente”, The Economist, March 9th, 2013)。当局の無能・脆弱,製造業の空洞化,国家の保護下にある農業の不振,物価高及び通貨安,電力供給等に係る不安,医療不信並びに薬物事犯その他の犯罪の増加・・・と並べてみると,身につまされますね。ただし,「チャベス氏のなした至高の政治的達成は,多くの普通のベネズエラ人はばら撒きをもってチャベス氏を評価し,諸々の不手際について彼を非難することはしなかったということである。彼らは彼を彼らの一員,彼らの側に立つ者とみなしていた。彼の支持者ら,なかんずく女性たちは,言ったものである。「この人は,貧しい人々を助けるために神から遣わされたのです。」と。」ということでありました(ibidem)。我が国においても,政府からの給付金等を期待し歓迎する人々の層が厚みを増しているように感じられます。また,岸田総理も,女性におもてになるのでしょう。

ところで,主権者たる国民についてですが,「14年間,ベネズエラ人らは,彼らの問題はだれか別の者――米国又は「寡頭勢力」――によって生ぜしめられたものであると告げられ続けてきた。生活の向上は,能力(メリット)ではなく,政治的忠誠のいかんによった。主に広報(プロパ)宣伝(ガンダ)を教え込むものであるところの「大学」に何百万人もの者を大規模在籍させことは,実らないことがほぼ確実な期待のみを高めた。」とは(“Venezuela after Chávez”, The Economist),微妙な意地の悪さが感じられる口吻です。とはいえ無論,普通の人々が悪い(自己責任を負う)ということは全くあり得ない一方,能力を鼻にかけた鼻持ちならないThe Economistの読者的なエリートは粉砕されるべく,大学の無償化は異論の余地なく素晴らしいことであります。

 

4 蛇足🐍👣

 以上,いずれも在職中に病に倒れた小渕総理とチャベス大統領とに関して雑文を草したところですが,ここでかねてから筆者にとって気になっていた点に関して蛇足を付しておきましょう。

 

(1)受任者による事務処理の不能と委任契約の存否と

 小渕内閣の総辞職は,内閣総理大臣が脳梗塞で倒れて再起不能となったことをもって日本国憲法70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」(英語文では,“when there is a vacancy in the post of Prime Minister”)に該当するものとする,という解釈の下に行われたわけですが,民法上の委任との比較でいえば,受任者が意思能力を喪失したときには直ちに当該受任者が「欠けたとき」となって委任契約が終了することにはならないもののように一応解されます。民法653条は,委任の終了事由として「委任者又は受任者の死亡」(第1号),「委任者又は受任者が破産手続開始の決定を受けたこと」(第2号)及び「受任者が後見開始の審判を受けたこと」(第3号)を挙げておりますところ,同条3号によれば,受任者が「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠」いただけでは委任は終了せず,更に家庭裁判所による後見開始の審判が必要であることになるようではあるところです(同法7条参照。なお「精神上の障害により」とはくどい表現であるようですが,これは,刑事禁治産(旧民法人事編(明治23年法律第98号)236条及び237条,旧刑法(明治13年太政官布告第36号)旧103号並びに旧35条及び旧36条並びに民法施行法(明治31年法律第11号)14条から16条まで参照)との関係によるものであって,刑事禁治産ではないこと明らかにするための表現でしょう(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1911年(第33版))23-24頁参照)。)。このことは,「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者」も,意思能力を回復することが時々あり得るからでしょう。

しかして,「委任は,契約に共通な終了原因,例えば,〔略〕委任事務の履行不能〔略〕などによつて終了する」とされています(我妻榮『債権各論中巻二(民法講義Ⅴ₃)』(岩波書店・1962年)688頁。また,星野英一『民法概論Ⅳ(契約)』(良書普及会・1994年)290頁)。これについては,意識を不可逆的に全く失っていれば,法律行為の外観のある行為すら行うことができず,正に完全に委任事務の履行不能となるものと解してよいのでしょう。報酬支払特約(民法648条)のある双務契約たる委任契約における危険負担について考えてみても,平成29年法律第44号による改正前の民法5361項(「〔略〕当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債務者は,反対給付を受ける権利を有しない。」)においては,当事者双方の責めに帰することのできない事由によって受任者の事務処理が不能になった場合は反対給付たる報酬を受ける権利を当該受任者は失い,すなわち委任者も債務を免れ,当該委任契約は債権発生原因として結局無意味なものであることに帰することになりますから,委任契約終了ということでよいのでしょう。

しかしながら,平成29年法律第44号による改正以後の民法5361項は「当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債務者は,反対給付の履行を拒むことができる。」と規定して,事務処理をすることが不能になった受任者であっても名目的にはなお報酬請求権を有し,委任者はその支払を拒むことができるだけ,ということになるようです。すなわち,委任契約はなお生きており,その終了のためには解除が必要となるわけです。ところが,契約の解除は相手方に対する意思表示でされるものであるところ(民法5401項),意思能力のない相手方に対する意思表示は当該相手方に対して対抗できないものとされています(同法98条の2本文)。(なお,「対抗することができない」とは,無効の主張は当該相手方にのみ許されるという趣旨です(梅250頁)。)そうであるとすれば,やはり家庭裁判所の手を煩わして,意思能力を失った受任者のために成年後見人を付さねばならないことになるようです(民法98条の21号及び859条)。何だか面倒なことになっています。

ちなみに,現行の民法5361項に関して「債権者は,債務者に帰責事由がない場合には,危険負担制度に基づき当然に反対給付債権の履行を拒むことができる上,契約の解除をすることにより,反対給付債務を確定的に消滅させることもできることになる。」と説かれていますが(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)228頁),解除に遡及効のない委任契約の場合(民法652条及び620条),既発生の報酬支払債務は,履行拒絶権と共に気持ち悪く残ってしまうことになるのでしょう。消滅時効の適用も,受任者はそもそも当該債権を行使できないのですから無理であるように思われます(民法1661項及び破産免責決定の効力を受ける債権に係る最判平成11119日民集5381403頁参照)。

 

(2)米国憲法修正254節など

 小渕総理の不可逆的執務不能は,小渕内閣の他の閣僚の一致した見解によって認定され,「内閣総理大臣が欠けた」として国会法(昭和22年法律第79号)64条に基づき同内閣から両議院に通知されたということになるのでしょう。

これに対して,米国憲法の修正254節(ウッドロー・ウィルソン大統領が191910月に脳内出血のため執務不能に陥ったところ,その後17箇月間同大統領夫人が大統領職を代行していたという不祥事例に対応するものです(飛田茂雄『アメリカ合衆国憲法を英文で読む』(中公新書・1998年)237頁参照)。)1項は,米国大統領の執務不能は,副大統領と,行政部諸長官又は議会が法律で設けることある機関の構成員の過半数との意見の一致によって決定され,その旨書面で元老院(上院)臨時議長(註:同院の議長職は,副大統領が務めます。)及び代議院(下院)議長に通知された上で副大統領が大統領心得(Acting President)として執務を開始するということになっています(副大統領が大統領になるのは大統領が解任され,又は死亡し,若しくは辞職した場合であって(同条1節),意識不明であっても大統領が生きている限りは,飽くまでも大統領心得です。)。日本国政府の閣議は全会一致が原則である分,米国政府における大統領の執務不能認定よりも手続が厳重であることになるのでしょう。

米国憲法修正2542項は,副大統領と行政部諸長官又は議会が法律で設けることある機関の構成員の過半数とによる上記執務不能の通知に対抗して大統領が執務不能の不存在を元老院臨時議長及び代議院議長に書面で通知した場合についてのもので,副大統領と行政部諸長官又は議会が法律で設けることある機関の構成員の過半数とがなおも大統領に係る執務不能の認定を維持するときには,最終的に議会が裁定することになる旨の規定です(21日以内に両議院がいずれも3分の2以上の多数で大統領の執務不能を認定すれば副大統領による大統領職の代行は継続,それ以外の場合は大統領による執務が再開)。日本国においては,内閣総理大臣以外の閣僚の全員一致による判断を一応受け容れた上で,内閣総理大臣はなおも執務可能であると国会(衆議院)が自ら判断すれば,再び同人を内閣総理大臣に指名すればよいということになるのでしょう(日本国憲法67条)。

 余計なことながら,高齢のバイデン大統領は,お元気でしょうか。

 

(3)内閣総理大臣の辞職と任命者(天皇)との関係

 内閣総理大臣は天皇によって任命されるところ(日本国憲法61項),内閣総理大臣が辞職するときには,その辞表が天皇に奉呈されるべきものかどうか。

大日本帝国憲法下では,国務大臣を免ずることも天皇の大権事項でありました。すなわち,大日本帝国憲法10条は「天皇ハ〔略〕文武官ヲ任免ス〔後略〕」と規定していたところ,「国務大臣の任免は,憲法上,天皇の大権事項に属する。従つて内閣総理大臣の罷免――内閣の退陣は,一に聖旨に存する。例へば内閣総理大臣が,闕下に伏して骸骨を乞ひ奉るが如き場合に於ても,其の之を聴許し給ふと否とは,全く天皇の御自由である。また仮令内閣総理大臣の側に於て,進んで骸骨を乞ひ奉るが如きことなしとするも,天皇に於て之を免じ給ふことも亦全く御自由である。即ち〔略〕,内閣存続の基礎は,専ら至尊の信任に存するのである。」ということでありました(山崎丹照『内閣制度の研究』(高山書院・1942年)326頁)。このことに関する公務員法理論的な説明は次のとおりでしょう。いわく,「公務員関係の特色としては,辞職の意思表示ではなく,辞職願いを任命権者が承認することによって,始めて関係が消滅することがある。この点は,法律のレベルでは必ずしも明確ではないが,人事院規則はこのことを前提として,書面による辞職の申出があったときは,特に支障のない限り,これを承認するものとするとしている(人規8-1273条〔現在は第51条に「任命権者は,職員から書面をもって辞職の申出があったときは,特に支障のない限り,これを承認するものとする。」と規定。〕。地方公務員法には特段の規定がない)。この点は行政法関係において,行政行為によって成立した関係の消滅も行政行為(行政法一般理論における行政行為の撤回)によるという一般的了解の公務員関係への適用とも考えられるが,公務の突発的停廃を防止するのがその趣旨であろう。」と(塩野宏『行政法』(有斐閣・1995年)208頁)。

以上の公法的規整に対して,私法における民法651条による受任者による委任契約の解除は,同法5401項に基づき委任者に対する意思表示によりされ,同法971項によって委任者に到達した時に効力を生ずることになります。なお,民法655条は,解除の場合には適用がありません(我妻699頁。ドイツ民法674条は„Erlischt der Auftrag in anderer Weise als durch Widerruf, so gilt er zugunsten des Beauftragten gleichwohl als fortbestehend, bis der Beauftragte vom dem Erlӧschen Kenntnis erlangt oder das Erlӧschen kennen muss.“と規定しています(イタリック体は筆者によるもの)。)。解除の時期の不都合(事務処理の「突然の停廃」)によって生じた問題は,金銭賠償をもって清算されることになります(民法65121号)。

 ところで,日本国憲法下での内閣総辞職の手続については,実は当初は,内閣総理大臣から天皇に対する辞表の奉呈がface-to-faceでされていました。

 

  〔19475月〕20日 火曜日 第1回国会特別会召集日につき,午前10時より表拝謁の間において内閣総理大臣吉田茂の拝謁を受けられ,日本国憲法第70条中の「衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは,内閣は,総辞職をしなければならない」の規定に基づき,辞表の奉呈を受けられる。〔以下略〕

  (宮内庁『昭和天皇実録 第十』(東京書籍・2017年)330頁)

 

  〔19482月〕10日 火曜日 正午前より表拝謁の間において内閣総理大臣片山哲の拝謁を受けられ,奏上並びに内閣総理大臣の辞表の奉呈を受けられる。〔後略〕

  (宮内庁615頁)

 

これが,19483月の芦田均内閣成立の際,以後改められるということになりました。

 

  〔19483月〕10日 水曜日 午後,表拝謁の間において,法務総裁鈴木義男の拝謁を受けられ,片山内閣の総辞職及び芦田内閣の成立について法律面からの説明をお聞きになる。これより先,鈴木は「内閣総辞職の際の手続並慣行について」と題する意見書を閣議に提出し,去る2日閣議了解となる。同意見書によれば,日本国憲法上の天皇の地位に鑑み,辞意を表明した首相の参内・拝謁等は行うべきではなく,今後天皇に対する儀礼上の慣行として,新首相の親任式及び閣僚の認証官任命式の式前或いは式後に,適宜御挨拶を申し上げることが適当とされた。〔略〕

  午後,表拝謁の間において,内閣総理大臣片山哲より内閣の総辞職及び新内閣の成立についての内奏をお聞きになり,ついで午後230分,同所に出御され,内閣総理大臣芦田均の親任式を行われる。〔略〕

  表拝謁の間において,内閣総理大臣芦田均より新内閣の認証官任命についての内奏をお聞きになる。なお,内奏の後,芦田より共産党への対策や宮内府に対する連合国最高司令部の意見についてお聞きになる。ついで午後3時より同所において,国務大臣西尾末広以下15名の認証官任命式に臨まれる。〔中略〕なお,内閣総理大臣から官記を受領した各任官者に対し,この度よりそれぞれお言葉を賜うこととされる。〔略〕

  (宮内庁623-624頁)

 

 上記鈴木法務総裁の「内閣総辞職の際の手続並慣行について」意見書の由来は,「昭和23年〔1948年〕31日,「内閣総辞職の際辞意表明の相手方退任の手続等に関し実際上ならびに法律上疑義あるやにつき」ということで,法務総裁から内閣総理大臣あて次に述べるような意見(抄)が提出されたことがある。そして,その後における内閣の総辞職はこの意見を参考に行われるようになり,現在では,このような内閣総辞職の慣行は確立されているといえよう。」ということであるそうです(内閣制度百年史編纂委員会編集『内閣制度百年史 上巻』(大蔵省印刷局・1985年)132-133頁)。

 鈴木意見書の内容(抄)は,次のとおり。

 

  一 実際上の手続

(一)内閣が総辞職を決定したときは(閣議決定後)その旨文書をもつて衆参両院議長に通告すること。

  (二)内閣総理大臣および各国務大臣の文書による辞表の提出はこれをなす必要のないものと解する。

  (三)従つて新憲法上の天皇の地位にかんがみ誤解を生ずる虞あるをもつて辞意を表明した首相の参内拝謁等はその際は行わざるを適当と信ずる。

  (四)今後の政治上の慣行としては以下の如く取運ぶべきであろう。(1)総辞職の決定(2)国会への通告 (3)国会における後継内閣総理大臣の指名 (4)組閣完了 (5)組閣完了を国会および辞意を表明したる内閣総理大臣に通告 (6)閣議開催,新総理任命の助言と承認決定 (7)宮中の都合を打合せ旧新両首相ならびに新国務大臣参内,任命式ならびに認証式執行 (8)右式を終れば辞令等を用いずして前首相ならびに旧閣僚は当然退任となる(註,留任する大臣も一旦退任し新内閣の閣員として新に任命認証を受けるのである) (9)新内閣の成立を正式に国会へ通告。

(五)天皇に対する儀礼上の慣行としては右任命式に参内の節式前または式後において御挨拶申上ぐることとするのが適当であろう。退任した国務大臣はその後個別的に参内記帳等適当に御挨拶申上ぐること。(ただしこれは勿論各前大臣の任意である)

  二 法的根拠

    憲法の解釈として内閣総辞職の際退任する内閣総理大臣および各国務大臣に対し免官の式等を行わずまた特に辞令等を用うる必要のない理由はおおむね次の如くである。

     内閣の総辞職は,内閣から国会に対し総辞職する旨を通告してなされる内閣自体の一方的行為であり,その結果として内閣総理大臣および各大臣は当然に退任するのであつて,内閣総理大臣に対する免官の辞令その他各大臣の単独の退任の場合の如く各国務大臣より内閣総理大臣に対する辞表の提出,各大臣に対する免官の辞令,天皇の認証等特段の手続を必要としない。

    (内閣制度百年史編纂委員会133-134頁)

 

一(一)は,国会法64条の「内閣は,内閣総理大臣が〔略〕辞表を提出したときは,直ちにその旨を両議院に通知しなくてはならない。」との規定に対応するものでしょう。同条の「辞表の提出」は,本来は内閣総理大臣から天皇への「辞表の提出」を意味するものと解されていたのでしょうが(吉田茂(第1次)及び片山哲の前例),ここで読替えがされたわけです。なお,「内閣の存立が内閣総理大臣の在任意思にかかるものであるのは自明のことであって,内閣総理大臣が自ら辞意を表明したとき(国会法64条)が右〔日本国憲法70条〕の「欠けたとき」に含まれるかどうかは,あえて論ずるまでもない。」(内閣制度百年史編纂委員会132頁)ということですが,「内閣の総辞職は,内閣から国会に対し総辞職する旨を通告してなされる内閣自体の一方的行為」(二)であるところ,厳密にいえば,内閣総理大臣の辞職の意思表示が両議院に到達した時に日本国憲法70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」になるのでしょう。国家法人説的には,内閣総理大臣を任命する行為をする国家機関は天皇であるものの,内閣総理大臣の辞職の意思表示を受領する機関は専ら国会であることにしたということになるのでしょう。

一(二)における「内閣総理大臣の文書による辞表の提出」の要否が天皇との関係で問題となったわけですが(内閣総理大臣以外の国務大臣に係る辞表の提出先は内閣総理大臣となります(日本国憲法68条)。),国会法64条の通知で辞職の意思表示は実行済みなので屋上屋を架する必要なし,ということになったわけでしょう。

一(四)に関しては,内閣総理大臣の指名に係る衆議院議長から内閣を経由しての天皇への奏上(国会法652項)が,(3)と(7)との間にあるはずです。

一(四)(8)に関して一言すれば,内閣総理大臣の辞職は,その単独行為であるものの,次の内閣総理大臣の任命時に効力が生ずる不確定期限付きの法律行為であるということになるのでしょう。委任の終了後の処分に係る民法654条の場合についても,「立法の趣旨は,その間委任を継続させようとするものと見るのが妥当」であるものとされています(我妻698頁。ドイツ民法673条の„der Auftrag gilt insoweit als fortbestehend“(この場合において,委任は,継続しているものとみなされる。)との規定をもって,「ド民〔略〕673条」は「委任は継続すると規定する」と同所で紹介されています。)。

内閣総理大臣が突然辞職しても「公務の突発的停廃」は起らないものでしょうか。起る可能性があるとしても,その防止を担保するのに天皇の聴許権をもってすることは筋違いだということでしょう。既に美濃部達吉が,自らの進退に関する国務大臣の責任の重さを強調していました。いわく,「従来の実例に於いては,国務大臣が往々進退伺を陛下に奉呈することが行はれて居るけれども,是も国務大臣の地位とは相容れないものと言はねばならぬ。国務大臣は自己の進退に付いては,自己の責任を以て,自ら処決すべきもので,自分の進退に付き自ら処決せずして聖断を待つが如きは,自己の責任を回避し,責を至尊に帰するものである。」と(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)513-514頁)。

なお,内閣総理大臣と並んで天皇により任命される最高裁判所長官(日本国憲法62項)の辞職の意思表示は,やはりこれも天皇に対してすべきものではなく,指名権者である内閣に対してすべきものとされるのでしょう。

ところで,次の事実はどう考えるべきでしょうか。

 

 〔194810月〕6日 水曜日 〔略〕

 表拝謁の間において,内閣総理大臣芦田均・文部大臣森戸辰男・厚生大臣竹田儀一・商工大臣水谷長三郎・労働大臣加藤勘十・逓信大臣富吉栄二・国務大臣野溝勝地方財政委員会委員長・農林大臣永江一夫・国務大臣船田亨二行政管理庁長官兼賠償庁長官をお招きになり,茶菓を賜う。〔略〕

 表御座所において,内閣総理大臣芦田均の拝謁をお受けになる。その際,芦田は,内閣総辞職の決意を言上する。翌7日,芦田内閣は総辞職する。〔後略〕

 (宮内庁709頁)

 

 昭和天皇は偉大な立憲君主であり,政治的人間でありました。昭和天皇崩御時の内閣官房長官であった小渕総理(「平成おじさん」)も,尊敬する人物として昭和天皇を挙げていました。

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Das frägt und frägt und wird nicht müde: wie erhält sich der Mensch, am besten, am längsten, am angenehmsten? Damit – sind sie die Herrn von Heute. Vom höheren Menschen

 

1 内閣総理大臣の国会演説と「安心」

 

(1)平成30年(2018年)1月22日の内閣総理大臣施政方針演説と「安心」

 今上天皇の御宇29年を経たる平成30年(2018年)1月22日,安倍晋三内閣総理大臣は第196回国会の両議院において施政方針演説を行いました。そこにおいては,「安心」という言葉が4回出て来ました。

 

   来年〔2019年〕10月に引き上げる予定の消費税財源を活用し,お年寄りも若者も安心できる「全世代型」の社会保障制度へと,大きく転換してまいります。・・・

 

   女性活躍の旗を高く掲げ,引き続き,待機児童の解消に全力で取り組みます。補正予算の活用に加え,経済界の拠出金負担を引き上げ,「子育て安心プラン」を前倒しします。待機児童対策の主体である市区町村への支援を都道府県が中心となって強化します。2020年度までに32万人分の受け皿整備を目指し,来年度10万人分以上を整備いたします。

 

そして,「地方創生」と題された部分のうちの,更に「安全と安心の確保」との見出しが付された部分。

 

  2年後の東京オリンピック・パラリンピックを目指し,受動喫煙防止対策を徹底します。お年寄りや障害のある方が安心して旅行できるよう,あらゆる交通手段のバリアフリー化を進めます。成人年齢を18歳に引き下げる中で,消費者契約法を改正し,若者などを狙った悪質商法の被害を防ぎます。

  危機管理に万全を期すとともに,サイバーセキュリティ対策,テロなど組織犯罪への対策など,世界一安全・安心な国創りを推し進めます。

  災害時に,国が主要な道路の復旧を代行する制度を創設し,より早く人命救助や生活必需品の輸送を行えるようにします。防災インフラの整備が迅速に進められるよう,所有者が不明な土地を自治体が利用するための手続を整備します。

  昨年〔2017年〕も,全国各地で自然災害が相次ぎました。防災,減災に取り組み,国土強靭化を進めるとともに,熊本地震や九州北部豪雨をはじめとする災害からの復旧・復興を引き続き,力強く支援してまいります。

 

(2)安心(あんしん)について

 安全についてならばなお客観的な指標が探し出せそうですが(とはいえ,100パーセントの安全は不可能でしょう。),安心(あんしん)(『岩波国語辞典 第四版』(1986年)によれば「気にかかる事がなく,またはなくなって,心が安らかなこと。」ないしは「物事が安全・完全で,人に不安を感じさせないこと。」)ということになると主観的な感覚ないしは感情の問題ですから,「やっぱり気にかかってしまう」性分の人とか「どうしても不安だ」と感じてしまう人が一定数以上いる限りにおいては「安心(あんしん)目標」は常に未達に終わらざるを得ないことになるよう筆者などには思われます

「法律行為の目的が,事実上〔略〕,実現することのできないものであれば,法律は,その実現に助力することができない。従って,その法律行為は無効である。このことを明言する立法例もあるが(ド民306条。ス債20条に契約について同旨を定める),当然のことである。」と説かれ(我妻榮『新訂民法総則』(岩波書店・1972年)260頁),平成29年法律第44号による改正後の民法412条の2第1項には「債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは,債権者は,その債務の履行を請求することはできない。」とあり,更にちなみにドイツ民法306条3項は「契約は,その維持(das Festhalten an ihm)が前項の規定による変更〔契約を構成せず又は無効である条項に係る法令の規定による契約内容の補充〕を考慮に入れてもなお一方の当事者に期待すべからざる困難(eine unzumutbare Härte)をもたらすべきときは,無効である。」と規定しています。そこで,十二分の政策の実行にもかかわらずなお「心配性のおれを安心(あんしん)させろ」と言い募っていつまでも安心(あんしん)しない人々についてできないものはできないと無視してしまってよいのかといえば,苦戦の選挙活動中には選挙民の方々の前につい土下座までしてしまう政治家の方々にとっては,難しいことでしょう。

 

2 平成の初めにおける「安心」の空白

 現在においては,責任ある政治家が「国民の皆さまに安心(あんしん)を与えます」と頻繁かつ継続的公約することは当然のことですが,実はこれは,平成の時代入ってからの現象であるようです。

 

(1)竹下登内閣総理大臣

 平成になった時点で政権の座にあったのは竹下登内閣総理大臣でしたが,平成元年(1989年)2月10日の第114回国会における同内閣総理大臣の施政方針演説では「安心」という語は全く使われていません(政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所のデータベース「世界と日本」にあるデータに指定語検索をかけた結果。指定語検索機能は便利で面白いですね。以下羽田孜内閣総理大臣までについては同データベースを使用。)。

竹下内閣総理大臣は,昭和天皇の在位中には,①昭和62年(1987年)1127日に第111回国会で所信表明演説,②昭和63年(1988年)1月25日に第112回国会で施政方針演説及び③同年7月29日に第113回国会で所信表明演説を行っていますが,これら3回の国会演説中「安心」の語が発語されたのは2回目の昭和63年1月25日演説における2箇所だけでした。「広く国民に不安を与えるテロ・ゲリラ事件について,国民の皆様の御協力を得てその防圧に努めるなど法秩序の維持,犯罪の防圧,検挙に努めるとともに,事故や災害に強い国土づくりを進め,人を信じ,まじめに働いている者が報われる社会,国民が安心して生活することができるような社会づくりに努めてまいります。」及び「国民一人一人が健やかに生きがいをもって安心して暮らすことができるよう,健康づくり対策を推進するとともに,老人保健事業の充実,在宅保健福祉サービスの拡充や特別養護老人ホームなどの整備等を進めてまいります。また,がん対策,エイズ対策を初め難病の克服に万全の努力を傾注していくほか,精神保健対策,精神障害者の社会復帰の促進等心の健康づくりを進めてまいります。」の部分です。ここでいう「テロ・ゲリラ事件」は,北朝鮮による昭和621129日の大韓航空機爆破事件のことですね。厚生省エイズ調査検討委員会による我が国におけるエイズ初患者確認の発表は昭和60年(1985年)3月22日のことでしたが,同省エイズ対策専門家会議は昭和62年1月17日に初の女性患者を認定,同年末のエイズ患者数は約千人となっていました(『近代日本史総合年表 第四版』(岩波書店・2001年))。

 

(2)宇野宗佑内閣総理大臣及び海部俊樹内閣総理大臣

竹下内閣総理大臣の次の宇野宗佑内閣総理大臣が第114回国会において平成元年(1989年)6月5日に行った所信表明演説においても「安心」は全く登場しませんでした。

海部俊樹内閣総理大臣は,施政方針演説ないしは所信表明演説を5回行っていますが(①平成元年10月2日第116回国会所信表明演説,②平成2年(1990年)3月2日第118回国会施政方針演説,③同年1012日第119回国会所信表明演説,④平成3年(1991年)1月25日第120回国会施政方針演説及び⑤同年8月5日第121回国会所信表明演説),そのうち「安心」の語が唯一登場したのは最初の平成元年10月2日の所信表明演説においてでした。しかも,当該部分は「先般の抜本的な税制改革は,来るべき高齢化社会を展望し,すべての人々が社会共通の費用を公平に分かち合うとともに,税負担が給与所得に偏ることなどによる国民の重税感,不公平感をなくすことを目指したものであります。私は,この改革によってもたらされる安定的な税体系こそが,安心して暮らせる福祉社会をつくる基礎となるものと確信いたしております。消費税は,税負担の公平や我が国の将来展望から見て必要不可欠であり,これを廃止することは全く考えておりません。」というもので,安心(あんしん)を与えることを約束するというよりは,「消費税を払わないと老後が不安になりますよ。だから消費税を払いましょうね。」という趣旨の文脈での使用であったものでした消費税法(昭和63年法律第108号)は,19881224日に成立し,平成元年4月1日から適用されています(同法附則1条1項)。


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今上天皇による初めての任命(平成元年(1989年)63日)に係る内閣総理大臣・宇野宗佑(滋賀県守山市)
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Non tres, sed quinque digiti.
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3 宮沢喜一内閣総理大臣と「生活大国」構想

宮沢喜一内閣総理大臣は,注目すべき国会演説を行っています。宮沢内閣総理大臣は4回の施政方針演説ないしは所信表明演説を行っていますが(①平成3年(1991年)11月8日第122回国会所信表明演説,②平成4年(1992年)1月24日第123回国会施政方針演説,③同年1030日第125回国会所信表明演説及び④平成5年(1993年)1月22日第126回国会施政方針演説),2回目となる平成4年1月24日の施政方針演説において「生活大国」構想を打ち出し,そこに「安心」が4回登場したのでした(ただし,他の3回の演説においては,平成5年1月22日の施政方針演説において後述のように1回登場する外は「安心」は現れていません。)。

「生活大国」の6本の柱のうちの第3の柱が,「高齢者や障害者が,就業機会の整備などを通じ社会参加が適切に保障され,生きがいを持って安心して暮らせる社会」ということになっていました。しかしながら,「安心」はなお専ら高齢者及び障害者向けのものであったようで,「我が国の人口は今後急速に高齢化に向かい,30年後には国民の四人に一人が高齢者という本格的な高齢化社会となることが予測されます。「少しのことにも,先達はあらまほしき事なり。」と申しますが,高齢者の豊富な人生経験や知識は,我々の社会にとって貴重な資産であります。私は,高齢者の方々がこれを社会で生かしつつ,生き生きと安心してその人生を送ることができるような社会をつくりたいと考えます。このため,雇用・就業環境の整備などにより社会参加を促進するとともに,揺るぎない年金制度を確立し,また,適時に適切な保健,医療,介護が安心して受けられるような社会の実現に向けて真剣に努力してまいります。特に,今後一層困難になると見込まれる看護職員,福祉施設職員,ホームヘルパーなどの確保は重要な課題であり,その勤務条件の改善,養成の強化などに総合的な対策を講じてまいります。」及び「本年は,「国連障害者の10年」の最終年に当たります。障害を持つ人々が家庭や地域で安心して暮らすことができるよう,完全参加と平等の理念に沿ってきめ細かな施策を講じてまいります。」との追加的説明がされています。

宮沢内閣総理大臣が理想としていた国及び社会は,「ゆたかさ」に加わるに「ゆとり」の「生活大国」であって,労働時間が短縮され(第2の柱),「創造性,国際性を重んじる教育が普及し,国民が芸術,スポーツに親しみ,豊かな個性や香り高い文化が花開く社会」(第6の柱)であったようです。実は既にバブル経済は終わり(1991年中に潮目が変わっていたようです。),日本経済はそのピークを過ぎていたのですが,バブル的「ゆたかさ」をなおも以後継続的に,しかも苛烈なanimal spirit無しに「ゆとり」をもって享受できるとの「大国」意識は,今にして思えばやはりバブル()けででもあったものか1992年1月の米国ブッシュ(父)大統領訪日に向けて,日米ビジネス・グローバル・パートナーシップ(略して「ビジグロ」)などという構想を喧伝する向きもありました。)。26年を経た今年(2018年)読み返すと,いろいろ考えさせられます。

「高齢者の豊富な人生経験や知識は,我々の社会にとって貴重な資産であります。私は,高齢者の方々がこれを社会で生かしつつ,生き生きと安心してその人生を送ることができるような社会」云々の部分など,後期高齢者(高齢者の医療の確保に関する法律(昭和57年法律第80号)50条1号参照)の窃盗常習犯(累犯常習窃盗ということになると,法定刑は3年以上の懲役に跳ね上がります(盗犯等の防止及び処分に関する法律(昭和5年法律第9号)3条)。)の弁護人をもしなくてはならない弁護士には,ちょっと悪い冗談のように印象されるかもしれません。豊富な窃盗経験や刑事制度に関する知識という「貴重な資産」を生かしつつ生き生きと,窃盗という形で社会参加し,安心(あんしん)して国選弁護を受けることがいつまでも続いてしまっては困ります。とはいえ安心(あんしん)についていえば,わざわざ刑務所に入らなくとも,生活保護等娑婆(しゃば)の社会保障はなお機能しているところです。かつては日雇労働者のたむろする荒くれたイメージだったドヤ街も,今は身寄りのない生活保護受給の貧困老人たちの徘徊する何とも哀愁漂う街となっています。そこは,「香り高い文化が花開く」日本というよりは,よそから訪れた者にはちょっと居心地悪く,かつ鼻がむずむずする感じです。

「生活大国」演説から1年後の平成5年1月22日の施政方針演説において宮沢内閣総理大臣は,さすがにバブル経済の崩壊を承け,「現在,我が国経済は極めて厳しい状況にあります。今,国民は景気の早期回復を心から待ち望んでおり,これは官民が力を合わせて全力で取り組んでいかなければならない緊急の課題であります。他方,国民の意識は,これまでの成長や効率優先主義から,ゆとりや安心,公平,公正を重んずるものへと変化しつつあることも見逃せません。一日も早く景気の回復を図るとともに,国民一人一人が心からゆとりと豊かさを実感できる経済社会の実現に着実に進んでいく必要がございます。」と述べています。ただし,これは国民意識についての秀才の評言であって,内閣総理大臣が安心を約束するというものではありませんね。なお,「ゆとり,安心,公平,公正」の優先は経済成長とは親和的ではないという認識が窺われるようにも思われます。事実においては,その後の日本経済が停滞を続けていることは周知のとおりです。

 

4 細川内閣総理大臣及び羽田内閣総理大臣

 

(1)細川護熙内閣総理大臣

 1955年(昭和30年)以来長く続いていた当時の自由民主党政権を倒して組閣した細川護熙内閣総理大臣は,3回の所信表明演説ないしは施政方針演説を行っています(①平成5年(1993年)8月23日第127回国会所信表明演説,②同年9月21日第128回国会所信表明演説及び③平成6年(1994年)3月4日第129回国会施政方針演説)。

最初の2回の演説には「安心」の語は登場しませんが,最後の平成6年3月4日の施政方針演説においては4箇所「安心」が出て来ます。

第1は「安全で安心な生活は日本が世界に誇るべき財産ともいうべきものであり,これを守っていくことは政府の重要な役割であります。暴力団犯罪の悪質・巧妙化、薬物・けん銃事犯の多発化に加え,犯罪が広域化,国際化するなど最近の治安情勢には極めて厳しいものがある一方,交通死亡事故も高水準で推移しております。私は,法秩序の維持や安全の確保に遺漏なきよう取り組んでまいる所存であります。」の部分。これは新規に何かをするというよりは現状の維持でしょうか。しかし,日本国内で生活する者はそのあるがままに置かれた状態で安心できているのが当然,ということにはなるようです。

第2は「次に,高齢期にも健康で安心できる社会を築くために,財源の確保に配慮しつつ,「高齢者保健福祉推進10か年戦略」,いわゆるゴールドプランを抜本的に見直し,ホームヘルパーなど介護サービスの充実を図ってまいります。また,医療保険制度や老人保健制度については,付添看護に伴う患者負担の解消や保険給付の範囲,内容の見直しなどを行い,医療サービスの質の向上や患者ニーズの多様化に適切に対応できるようにしてまいりたいと思います。」の部分。高齢者の「安心」は,平成4年1月24日の宮沢「生活大国」演説にも出ていました。

第3は「出生率の低下や女性の社会進出など,子供や家庭を取り巻く環境は近年大きく変化してきております。ことしはちょうど国際家族年でもありますが,これを契機として,保育対策の充実や児童環境基金の創設など安心して子供を生み育てる環境づくりに取り組んでまいります。さらに,仕事と家庭が両立できるように雇用保険における育児休業給付制度の創設や介護休業の法制化の検討を含めた介護休業制度の充実を図るとともに,パー卜タイム労働対策なども進めてまいりたいと思います。」の部分。子を生むことは女性しかできませんので,これは「案ずるより生むが(やす)しだよ」と,出産に不安を感ずる若い女性を励ますものだったのでしょうか。しかし,「保育対策の充実や児童環境基金の創設」は出産それ自体に係るものではないですね。子を生んでしまってもその先は気にしなくても大丈夫,ということでしょうか。父たる若い男性の甲斐性云々を専ら気にするのはアナクロニズムなのでしょう。

最後に第4は「農業に携わる人々の不安感を払拭し,安心して営農にいそしむことができるよう政府として万全を期していかなければならないと考えております。昨年〔1993年〕末に設置された緊急農業農村対策本部の陣頭に立って,農業再生のビジョンづくりと国内対策に全力で取り組んでまいる決意であります。」の部分。これは,「昨年〔1993年〕12月,7年以上にわたったウルグアイ・ラウンド交渉がついに妥結した」ことを承けての緊急措置でしょう。「米は関税化の特例措置が認められる一方,米以外の農産物については関税化するという内容の農業合意案を受け入れ」たものの,なお不安だとの声があるので,とにかく新協定を呑んでもらうための状況対処型政治的措置ということでしょう。

 

(2)羽田孜内閣総理大臣

 細川内閣総理大臣が辞任した後を襲った羽田孜内閣総理大臣は,第129回国会において平成6年(1994年)5月10日,結局唯一かつ最後となった所信表明演説を行います。そこでの「安心」の登場は2回です。「私は,今後,開かれた中での政策決定を旨とし,国民の皆様と積極的に意見を交わしながら我が国の進むべき方向を見定めてまいるつもりであります。そうした国民合意のもとで,より豊かで安心のできる社会をつくり,国際社会の中で信頼される国となるために,着実に改革を進めてまいる決意であります。」及び「私は,普通の言葉で政治を語り,国民の皆様とともに,だれもが安心して生活のできる国,そして世界に日本人であることを誇りに思える国づくりを目指してまいりたいと思います。」の部分です。「ゆたかさ」及び「安心」は,政策目標として掲げるのが既にお約束になっていたということでしょうか。

 

5 「人にやさしい政治」,「安心できる政治」の村山富市内閣総理大臣

 羽田内閣が短期間で倒れた後の,自由民主党,日本社会党及び新党さきがけの3党連立政権の首班たる村山富市内閣総理大臣は,「人にやさしい政治」,「安心できる政治」を標榜します。ここに至って,「安心」が政権の表看板になるようになったわけです。「安心」の連呼が始まります。

村山内閣総理大臣は,4回の施政方針演説ないしは所信表明演説を行っています(①平成6年(1994年)7月18日第130回国会所信表明演説,②同年9月30日第131回国会所信表明演説,③平成7年(1995年)1月20日第132回国会施政方針演説及び④同年9月29日第134回国会所信表明演説)。

 

(1)脱思想・脱イデオロギーの時代の「やさしさ」と「安心」

注目すべきは最初の平成6年(1994年)7月18日所信表明演説です(村山内閣総理大臣以後のデータは,内閣総理大臣官邸ホームページのもの。ただし,前記政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所のデータベース「世界と日本」のデータも参照)。当該国会演説においては,「安心」が7回出現します。まずは「安心」を登場させる前の背景説明から。

 

冷戦の終結によって,思想やイデオロギーの対立が世界を支配するといった時代は終わりを告げ,旧来の資本主義対社会主義の図式を離れた平和と安定のための新たな秩序が模索されています。このような世界情勢に対応して,我が国も戦後政治を特色づけた保革対立の時代から,党派を超えて現実に即した政策論争を行う時代へと大きく変わろうとしています。

この内閣は,こうした時代の変化を背景に,既存の枠組みを超えた新たな政治体制として誕生いたしました。今求められているのは,イデオロギー論争ではなく,情勢の変化に対応して,闊達な政策論議が展開され,国民の多様な意見が反映される政治,さらにその政策の実行が確保される政治であります。これまで別の道を歩んできた3党派〔自由民主党,日本社会党及び新党さきがけ〕が,長く続いたいわゆる55年体制に終止符を打ち,さらに,1年間の連立政権の経験を検証する中から,より国民の意思を反映し,より安定した政権を目指して,互いに自己変革を遂げる決意の下に結集したのがこの内閣であります。〔後略〕

 

 日本社会党の党首たる村山内閣総理大臣が自ら「社会主義」離れを宣言し,1991年(平成3年)末に消滅してしまったソ同盟を母国とする「イデオロギー」ではなく,日本の「国民の意思」を反映した政治体制を目指すのだというわけです。日本にインターナショナルな社会主義をもたらすべき日本・社会党から,日本社会に寄り添う日本社会・党になりました,ということでしょう。すなわち,社会党としての日本社会党の終焉は既にここにおいて明らかだった,ということになるわけでしょう。とはいえ,「旧来の資本主義対社会主義の図式を離れ」るということは,資本主義からも離れるのであってその全面受容まではしませんよということで,これは社会党党首としての最後の意地であったものか。

 それでは,「旧来の資本主義対社会主義の図式を離れた」ところの日本の「国民の意思を反映」した政治とはどういうものかといえば,次のとおり。ここに2度「安心」が出て来ます。

 

我々が目指すべき政治は,まず国家あり,産業ありという発想ではなく,額に汗して働く人々や地道に生活している人々が,いかに平和に,安心して,豊かな暮らしを送ることができるかを発想の中心に置く政治,すなわち,「人にやさしい政治」,「安心できる政治」であります。内にあっては,常に一庶民の目の高さで物事を見つめ直し,生活者の気持ちに軸足を置いた政策を心かけ,それをこの国の政治風土として根付かせていくことを第一に考えます。

   世界に向かっては,先の大戦の反省の下に行った平和国家への誓いを忘れることなく,我が国こそが世界平和の先導役を担うとの気概と情熱をもって,人々の人権が守られ,平和で安定した生活を送ることができるような国際社会の建設のために積極的な役割を果たしてまいりたいと思います。我々の進むべき方向は,強い国よりもやさしい国,であると考えます。

 

要は,日本国民が真に求めているものは「やさしさ」及び「安心」なのだ,ということです。なるほど。確かに平成の時代を振り返ってみると,我々は一貫していました。

しかし,脱国家,脱産業であって,飽くまでも額に汗し続ける地道な庶民たる個人をモデルとし,かつ,その目の高さを尺度とする社会ですか。(なお,ここで「個人」といったのは,当該村山演説においては,「家庭」は2箇所,「これまでの人や物の流れを変え,家庭の生活様式や企業活動を根底から変革する可能性のある,情報化の推進が重要であります。」及び「男女が政治にも,仕事にも,家庭にも,地域にも,ともに参加し,生き生きと充実した人生を送れるよう,最善を尽くしてまいります。」の場面にしか出て来ず,また,「家族」の語は全く用いられなかったからです。これに対して,その施政方針演説ないしは所信表明演説において初めて「安心」に言及したとき(昭和58年(1983年)1月24日第98回国会施政方針演説),中曽根康弘内閣総理大臣は,「社会的連帯の中で新しい生きがいと安心を見出させ」るものとし,併せて「政治の光を家庭に当てること」を付言しています。)
 また,村山内閣総理大臣は,世
界に向かって「先導役を担うとの気概と情熱をもって」「積極的な役割を果たしてまい」ると力んではいますが,余り広がりは感じられません。夫子御自身が,当該演説と同じ月の8日からのナポリにおける7箇国〔日米英仏独伊加〕首脳会談でぶっ倒れてしまっており,外国及び外国人が苦手であったようです。所詮日本は,「強い国」ではなく,「やさしい国」なのです。

 

  我が国は,世界第2位の経済大国でありながら,生活者の視点からは真の豊かさを実感できない状況にあります。加えて,人口構成上最も活力のある時代から最も困難な時代に急速に移行しつつあります。こうした情勢の中で,お年寄りや社会的に弱い立場にある人々を含め,国民一人一人がゆとりと豊かさを実感し,安心して過ごせる社会を建設することが,私のいう「人にやさしい政治」,「安心できる政治」の最大の眼目であります。同時に,そうした社会を支える我が国経済が力強さを失わないよう,中長期的に,我が国経済フロンティアの開拓に努めていくことも忘れてはなりません。このような経済社会の実現に向けての改革は,21世紀の本格的な高齢社会を迎えてからの対応では間に合いません。今こそ,行財政,税制,経済構造の変革など内なる改革を勇気をもって断行すべき時期であります。

 

 日本が「世界第2位の経済大国」だったことがあるとは,中華人民共和国からの観光客・買い物客が大勢闊歩している最近の日本の子供にはよく分からない既に遠い歴史上の事実かもしれません。

 しかし,「最も困難な時代に急速に移行」しつつあるのならば,何もしなければ「我が国経済が力強さを失わない」どころか当然活力を失い,「豊かさ」もそれと共に消え去っていくはずなのですが,それにもかかわらず,のんびり「ゆとり」を実感できるしぜひ実感しよう,ということはどういうことなのでしょうか。「我が国経済フロンティアの開拓」がされるから大丈夫だということでしょうか。しかし,だれがその「我が国経済フロンティアの開拓」をするのでしょうか。正に「額に汗して働く人々や地道に生活している人々」なのでしょうか。それとも,「中長期的に」ということなので,現在世代ではなく将来世代が何とかしてくれるよ,ということでしょうか。

 「ゆとり」と「勇気をもって断行」してやっと確保される「豊かさ」との二者択一を前にすると,やさしい選択として,つい前者が採られてしまうように思われます。

 

私は,国づくりの神髄は,常に視点の基本を「人」に置き,人々の心がやすらぎ,安心して暮らせる生活環境を作っていくことにあると信じます。そのため,安定した年金制度の確立,介護対策の充実などにより,安心して老いることのできる社会にしていくこと,子育てへの支援の充実により次代を担う子どもたちが健やかに育つ環境を整備していくこと,また,体が弱くなっても,障害を持っていても,できる限り自立した個人として参加していける社会を築くことなど,人々が安心できる暮らしの実現に全力を挙げる決意であります。さらに,人々が落ち着いて暮らしていける個性のある美しい景観や街並を築き,緑豊かな国土と地球を作り上げていくため,環境間題にも十分意を用いてまいります。

 

 安心(あんしん)して落ち着き,やすらいだ生活をしている人と,危機感を持った改革断行者や冒険的フロンティア開拓者とが同一人格内で共存することは難しいように思われるのですが,どうしたものなのでしょうか。「しかしながら,わたくしのいう新しい(ニュー)フロンティアは,お約束promises)の一揃いではありません。一連の挑戦(challenges)なのであります。それは,わたくしが〔略〕国民の皆さんに提供させていただこうと思っているものではなく,国民から要求しようと意図しているものの総体なのであります。〔略〕それが示すものは,より大きな安全(more security)ではなく,より多くの犠牲(more sacrifice)の見込みなのであります。〔略〕/このフロンティアから逃避すること,過ぎた日の安全な凡庸(safe mediocrity)を当てにすること並びに善意(good intentions)及び美しい修辞に慰撫されること(to be lulled)の方が簡単なのではありましょう――そして,その方がよいと思う方々は,支持政党のいかんにかかわらず,私に投票すべきではありません。」などと,格好をつけてジョン・F・ケネディ的修辞(Brian MacArthur, ed. The Penguin Book of Twentieth-Century Speeches, 1999, pp.295-296)を弄ぶ選挙候補者に対しては,そうですかそれでは投票しませんよという我が日本の選挙民による冷厳な対応が待っていることでしょう。


(2)その後の展開

 村山内閣総理大臣2回目の平成6年(1994年)9月30日演説においては「安心」は4回登場しています。総論部分に3回であって,いわく「政権を安定させ,国民から安心感をもって迎えられる政治を実現することは,山積する課題に対処するためにも,我が国への国際社会の高まる期待に応えるためにも急務と言わねばなりません。それには,「人にやさしい政治」,「安心できる政治」を目指すという私の政治理念を現実の政策に具体化し,この内閣の誕生で何が変わったか,何を変えようとしているのかを国民の前に明らかにしていく努力が求められます。〔中略〕この内閣がその真価を問われるのはこれからであります。改革を更に押し進め,世界から信頼され,国民が安心して暮らせる社会の実現へと結実させていけるかどうかは,今後の努力にかかっております。」各論部分に1回であって,いわく「我々は豊かさを手に入れるため懸命に走り続けてきた結果,ややもすれば,利潤追求と物質万能の考えに偏りがちな側面があったことは否定できません。私は,国民一人一人が,その人権を尊重され,家庭や地域に安心と温もりを感ずることのできる社会を作り上げていくことが「人にやさしい政治」の真骨頂ではないかと考えます。このため,迫りくる本格的少子・高齢社会に備え,年金,医療,福祉等の社会保障についてその再構築を図ります。」

しかし,利潤及び物質並びにその結果としての豊かさがあると,かえって「安心」できなくなるのだという発想が窺われるようなのですが,どうしたものなのでしょうか。

 3回目の平成7年(1995年)1月20日演説は,同月17日に発生した阪神・淡路大震災の直後に行われました。「安心」の登場は5回です。

 

平成7年,1995年は,戦後50年の節目の年であります。私は,あらためて,これまでの50年を振り返り,来るべき50年を展望して,世界の平和と繁栄に貢献し,国民に安心とゆとりを約束する国づくりに取り組む決意を新たにいたしております。この年を過去の50年から未来の50年へとつなぐ大きな転機の年としたい,年の初めに当たっての私の願いであります。

 

 豊後人村山富市個人の単なる新年の誓いではなく,日本の国家は国民に「安心」及び「ゆとり」を「約束」するのだという内閣総理大臣の宣言ということになります(「豊かさ」は抜けています。)。「約束」という言葉は重いですね。

 

 思い切った改革によって「自由で活力のある経済社会」,「次の世代に引き継いでいける知的資産」,「安心して暮らせるやさしい社会」を創造していくこと,また,世界に向かっては,「我が国にふさわしい国際貢献による世界平和」の創造に取り組んでいくこと,この四つの目標が私の「人にやさしい政治」の目指すところであります。

 

 「人にやさしい政治」と「安心できる政治」との関係は,前者が後者を包括するもののようです。

 

まず,老後の最も大きな不安要因である介護問題に対処し,安心して老後を迎えることができる社会を築くために,高齢者介護サービスの整備目標を大幅に引き上げるなど施策の基本的枠組みを強化した新ゴールドプランを推進するとともに,新しい公的介護システムの検討を進めてまいります。

 

国民生活の安全は,「安心できる政治」の実現の上で不可欠な要素であります。製造物責任法が本年7月に施行されますが,製品の安全性に関する消費者利益の増進を図る観点から,総合的な消費者被害防止・救済策の確立に努めてまいります。最近,一般市民を対象とした凶悪な発砲事件や薬物をめぐる事件が多発しております。良好な治安は,世界に誇るべき我が国の最も貴重な財産とも言うべきものであります。これを守るために,国民の皆様とともに,今後とも全力を尽くす所存であります。

 

 老人及び消費者並びに治安維持が「安心」の約束の対象として特に言及されています。

 

以上申し述べました,「自由で活力のある経済社会の創造」,「次の世代に引き継いでいける知的資産の創造」,「安心して暮らせるやさしい社会の創造」という政策目標の達成のためには,相互に連関した各種の課題を総合的にとらえ,計画的に解決していかなければなりません。このため,政府として,21世紀に向け,新たな経済社会の創造や国土づくりの指針となる,経済計画や全国総合開発計画を策定し,これらの「創造」のための施策を積極的に展開してまいります。

 

 「経済計画」や「全国総合開発計画」というものは,かつては随分重みのあるものだったわけです。「総合的計画経済体制の確立」があれば,「日本の経済は醇化せられ強化せられ」,「生産拡充を断行」することができ,「経済的にも必勝不敗の強力なる体制が確立」されるものとは我が国の革新官僚が説いたところです(奥村喜和男『尊皇攘夷の血戦』(旺文社・1943年)372373頁)。ソ同盟型社会主義計画経済に倣わんとしたもの()しかして社会主義計画経済建設の指導者であるスターリンは何でもお見通しのはずでした。

 

   スターリンが生活の現実を考慮しようとしなかったこと及び地方における現実の状況について無知であったとの事実は,彼の農業政策指導によって明らかにされ得るものであります。少しでも国の状況に関心のある者は全て,農業の置かれた困難な状況を見て取っていたのでありますが,しかしながら,スターリンは,そのことの認識をすらしなかったのであります。我々はそのことについてスターリンに意見したでありましょうか?もちろん,我々は彼に意見したのであります,しかし彼は我々の意見を支持しなかったのであります。なぜでありましょうか?スターリンはどこにも全く旅行しなかったからであります,都市及びコルホーズ(集団農場)の労働者と会わなかったからであります。彼は,地方における実際の状況を知らなかったのであります。彼は,田舎と農業とについては,映像フィルムによってのみ知っていたのであります。しかしてそれらの映像フィルムは,農業において実存しているところの状況を粉飾し,かつ,美化していたのであります。

   多くの映像フィルムがコルホーズ生活を,食卓が七面鳥及び鵞鳥の重みでたわんでいるもののように描いていたのであります。明らかに,スターリンは,それは実際にそうなのだと考えていたのであります。(1956年2月25日フリシチョフ演説。MacArthur, ed. pp.272-273

 

ところが,村山内閣総理大臣の最後の所信表明演説である平成7年9月29日の演説からは,「ゆとり」,「やさしさ」及び「やさしい」といった言葉が消滅しています。阪神・淡路大震災に加え,同年3月20日には尊師・麻原彰晃率いるオウム真理教団による首都東京の霞が関官庁街を狙った地下鉄サリン事件が発生していますから,さすがに村山内閣総理大臣にも理想を語る余裕がなくなってきたのでしょうか。しかし,「安心」はなお4回登場します。まずは「安全で安心できる社会の構築」との見出しが付された部分において3回です。

 

 震災や無差別テロ事件などにより,国民の安全への危惧が強まっておりますが,安全で安心できる社会を構築することは,国政の基本であり,本内閣が最も重視する課題の一つであります。〔中略〕私は,今回の震災の経験から得た貴重な教訓を風化させることなく,総合的な災害対策の一層の充実・強化に取り組むことが,尊い犠牲を無駄にしない唯一の道であると信じるものであります。

  無差別テロ事件や銃器を用いた凶悪犯罪の頻発は,私たちが目指す安全で安心できる社会への許しがたい挑戦であります。特に,オウム真理教信者らによる一連の事件においては,平穏な市民社会においてサリン等の大量殺戮兵器として使用しうる物質が使用されたことが内外に大きな衝撃を与えたことを踏まえ,関係国との国際協力を推進するとともに,再発防止のため政府が一体となった対策を講じてまいりました。〔後略〕

  また,国民が健康で安心して暮らすことのできる公正な社会を構築することを忘れてはなりません。高齢化や核家族化の進展により深刻化している高齢者介護や少子化の問題への対応を図るとともに,ハンディキャップを背負った人々が普通の生活ができるよう,今後とも,保健・福祉施策の一層の充実にも力を注いでいくほか,人権が守られ差別のない社会の建設を推進してまいります。

 

4回目は結論部で出て来ます。

 

戦後50年を経て,今私たちは,幾多の困難な課題を抱えるとはいえ,過去の苦難の 時代を振り返るに,それらの時代とは比較にならない,豊かさと安寧を享受いたしております。このような時代にあればこそ,私たちに求められていることは,先人が築き上げた貴重な資産の浪費ではなく,現在の平和と繁栄を土台として、次なる50年のこの国と世界のありように思いを巡らせ,21世紀に生きる我々の子供や孫が安心して豊かに暮らせる世界,この国に生まれてよかったと思える日本を創出することであろうと考えます。
 

平成30年(2018年)3月現在では,「次なる50年」のうち22年半は既に過ぎてしまいましたが,その間現在の青少年とその子供の世代のために日本において「創出」されたものは何であったのか。携帯電話及びインターネットの普及でしょうか。

 

6 橋本龍太郎内閣総理大臣

平成8年(1996年)早々村山内閣総理大臣が辞意を表明し,その後任となった自由民主党総裁の橋本龍太郎内閣総理大臣は,施政方針演説ないしは所信表明演説を5回行っています(①平成8年1月22日第136回国会施政方針演説,②同年1129日第139回国会所信表明演説,③平成9年(1997年)1月20日第140回国会施政方針演説,④同年9月29日第141回国会所信表明演説及び⑤平成10年(1998年)2月16日第142回国会施政方針演説)。様々な「改革」に取り組むこととなった橋本内閣総理大臣の当該5回の国会演説においては,「やさしさ」又は「やさしい」との語が1度も使用されていないことが,前任の村山内閣総理大臣との最も顕著な相違点ということになるでしょう。また,「安心」の語も,最初の平成8年1月22日演説では全く登場していません。改革は,「やさしい」ものではないとともに,当然変化を伴うものであって,変化はそもそも安心(あんしん)とは両立し難いということでしょうか。

ただし,「安心」の語は,2回目の国会演説以降は復活します。しかしながら,総論における堂々たる柱というよりは,各論における定型的表現の一部として用いられていると観察すべきでしょう。

2回目の平成8年1129日演説には2回登場していて,福祉・医療に関して「構造的赤字体質に陥っている医療保険の現状を直視し,21世紀にも安心して適切かつ効率的な医療サービスを人々が受けられるよう,医療提供体制と医療保険制度全般にわたる総合的な改革を段階的に実施することとし,医療保険改革法案を次期通常国会に提出する考えです。 」の部分及び地域開発,防災,治安等に関して「これらの課題とともに,豊かさを実感し,安心して暮らすことのできる国づくりも重要です。東京圏への一極集中や,阪神・淡路大震災の教訓などを踏まえ,複数の国土軸の形成を含む新しい全国総合開発計画の策定,災害対策の充実,危機管理体制の強化に努めるとともに,移転先候補地の選定という段階を迎えた首都機能移転に積極的に取り組みます。」の部分に現れます。防災及び治安と安心(あんしん)との関係は分かりやすいのですが,東京以外の地域の開発が安心(あんしん)どうつながるものか,それともつなげる必要はないのか。東京は不安だけれどもそれ以外の場所は安心(あんしん)であるということならば東京を安心(あんしん)にすればよいわけですので,地方であっても東京に置いて行かれず遅れないということについての安心(あんしん)が問題になっているのでしょうか。

3回目の平成9年1月20日の演説においては,「安全で安心できる国民生活」という見出しの部分が再登場したということが重要でしょうか。「安全と安心」はその後橋本内閣総理大臣の国会演説における構成部分となります。ただし,当該平成9年1月20日演説における「安心」への言及は2箇所のみです。医療制度に関する「大幅な赤字体質となっている医療保険制度をこのまま放置することは許されません。国民皆保険の仕組みを維持しながら,適切かつ効率的な医療サービスを安心して受けられるよう,今国会に提出する法案を出発点として,医療の提供体制と保険制度全般にわたる総合的な改革を行います。」との前回に引き続いての言及と,同月2日にロシア船籍のタンカーであるナホトカが島根県沖で沈没したことに伴う大量の重油流出事故というその当時のトピックに関する「日本海で発生したタンカー海難事故により流出した重油は,広い範囲の海岸に漂着しており,自然環境や漁業への影響が懸念されます。いち早く重油の回収に当たられた地域の皆様方やボランティアの方々に一日も早く安心して頂けるよう,政府としては,地方公共団体と緊密に連携を取りながら,また,民間のご協力を得ながら,関係省庁が一体となって被害の拡大防止に万全を期します。」との部分における言及とがあったところです。

4回目の平成9年9月29日の演説においては「安全で安心できる国民生活」という見出しの項目は立っていますが,演説の本文自体では「安心」は登場しません。

最後となった5回目の平成10年2月16日の演説には「かけがえのない環境,国土と伝統・文化,暮らしの安全と安心」という長くなった見出しの項目が登場しています。「安心」の語は,演説本文では3回登場しています。福祉・医療に関して2回(「社会保障に係る負担の増大が見込まれる中で,国民皆年金・皆保険制度を守り,安心して給付を受けられる制度を維持していくためには,少子高齢化や経済成長率の低下という環境の変化などに対応し,改革を進めなければなりません。」「医療については,いつでも安心して医療を受けられるよう,医療費の適正化と負担の公平の観点から,薬価,診療報酬の見直しをはじめ,抜本的な改革を段階的に行います。」)及び「かけがえのない環境,国土と伝統・文化,暮らしの安全と安心」という見出しに対応する「かけがえのない環境,国土,伝統・文化を大切に守り,暮らしの安全と安心を確保することは,国の果たすべき責務であり,なかでも,地球環境を守り,子孫に引き継ぐことは,最も重い責任の一つです。」の部分に1回です。「伝統・文化を大切に守」るというのは,若干「改革」疲れも出て来たゆえだったのでしょうか。

「人にやさしい政治」,「安心できる政治」を標榜した前任の村山内閣総理大臣に比べると,橋本内閣総理大臣の政見における「安心」の位置付けは高くはなかったようです。

7 「明日の安心」,「安心への架け橋」及び「安心への挑戦」の小渕恵三内閣総理大臣

平成9年(1997年)11月には三洋証券,北海道拓殖銀行,そして山一証券が次々と破綻し,橋本内閣総理大臣は,翌平成10年(1998年)7月12日の参議院議員選挙における自由民主党の惨敗を承けてその職を退きます。その後任に選ばれた小渕恵三内閣総理大臣は,自らの内閣を「経済再生内閣」であるものと位置付けます。更に小渕内閣総理大臣は,村山内閣総理大臣に続いて,「安心」を重視します。

小渕内閣総理大臣は,施政方針演説ないしは所信表明演説を5回行っています(①平成10年8月7日第143回国会所信表明演説,②同年1127日第144回国会所信表明演説,③平成11年(1999年)1月19日第145回国会施政方針演説,④同年1029日第146回国会所信表明演説及び⑤平成12年(2000年)1月28日第147回国会施政方針演説)。

 

(1)「明日の安心」

最初の平成10年(1998年)8月7日演説においては「安心」の語は3回しか登場しませんが,既にその政見の重要部分に据えられています。ただし,冒頭部分における「安心」の登場は次の部分で,いわば定型的です。(なお,政治に与えてもらわなければ夢も希望も無い国民というのは一体どういう国民なのだろうか,という感想は余計なことです。)

 

  今日,わが国は,急速な少子高齢化,情報化,国際化などが進展する中で,大きな変革期に直面しております。国民の間に,わが国経済・社会の将来に対する不安感が生まれています。政治は,国民の不安感を払拭し,国民に夢と希望を与え,そして国民から信頼されるものでなければなりません。私は,この難局を切り拓き豊かで安心できる社会を築き上げるため,政治主導の下,責任の所在を明確にしながらスピーディーに政策を実行してまいります。

 

 締めくくりの部分が注目すべきところです。

 

   〔前略〕日本の経済的な基礎条件は極めて強固です。他方,社会秩序は良好であり,国民の教育水準,勤労モラルは極めて高い水準にあります。日本は,社会的にも実に強固な基盤を有しております。国民の皆様には,日本という国に自信と誇りを持っていただきたいのです。

   こうした力強い基盤を持つわが国は,現在の厳しい状況を乗り切れば,再び力強く前進すると考えます。私は,この国に「今日の信頼」を確立することで,「明日の安心」を確実なものといたします。

   21世紀を目前に控え,私は,この国のあるべき姿として,経済的な繁栄にとどまらず国際社会の中で信頼されるような国,いわば「富国有徳」を目指すべきと考えます。来るべき新しい時代が,私たちや私たちの子孫にとって明るく希望に満ちた世の中であるために,「鬼手仏心」を信条として,国民の叡智を結集して次の時代を築く決意であります。私は,日本を信頼と安心のできる国にするため,先頭に立って死力を尽くします。

 

「信頼」及び「安心」を鍵概念として,不安になっていた国民を力づけようということであったようです。なおも日本は一等国であり日本国民は一流国民であるので,明日の日本には安心(あんしん)が間違いなく訪れるものと今日の日本において信頼していてよいのだ,という論理のようです。(明日の安心(あんしん)に今日既に信頼していてよいのなら,今日はゆとりをもって仕事を切り上げて明日安心(あんしん)が向こうからやって来るのを懐手で待っていよう・・・などとの怠け心を起こしてはなりませ

 金融対策関係立法を前国会で終え,景気回復のため過去最大規模(総額239000億円)の緊急経済対策が打ち出され,補正予算等を審議すべく召集された臨時会における小渕内閣総理大臣の2回目の平成101127日演説では,「安心」の登場は1回のみです。「景気回復策の第1の柱である「21世紀先導プロジェクト」は,先端電子立国の形成,未来都市の交通と生活,安全・安心,ゆとりの暮らしの創造,高度技術と流動性のある安定雇用社会の構築の4テーマにつき,未来を先取りするプロジェクトの実現に取り組み,日本全体を活性化させることを狙いとするものであります。特に,情報通信など多くの省庁に関連するプロジェクトにつきましては,私が直轄する,いわばバーチャル・エージェンシーとでも呼ぶべき体制を設け,省庁の枠にとらわれることなく力を結集して,その推進を図ってまいります。」という忙しくかつ賑やかな補正予算の内容に関する説明の中で触れられたものでした。「安全・安心,ゆとりの暮らし」をテーマに掲げられれば,大蔵省も財布の紐を緩めざるを得なかったということでしょうか。

 

(2)「安心への架け橋」

 3回目の平成11年(1999年)1月19日演説においては,「安心」が6回登場します。当該演説において小渕内閣総理大臣が目玉としてぶち上げた「21世紀への五つの架け橋」のうちの一つが「安心への架け橋」でした(「私は,21世紀に向けた国政運営を,次の「五つの架け橋」を基本にして考えてまいります。第1に「世界への架け橋」,第2に「繁栄への架け橋」,第3に「安心への架け橋」,第4に「安全への架け橋」,第5に「未来への架け橋」であります。」)。

小渕内閣総理大臣の基本認識においては,「もとより最も重要なのは,国民おひとりおひとりが豊かで幸せに安心して暮らせる社会を築くことであります。」ということでしたから,「安心への架け橋」は他の四つの架け橋よりも政治の究極目的により近いということになるのでしょう(「繁栄の架け橋」は経済的豊かさにつながるのでしょうが,「豊か」さとの関係はなお間接的ということになるのでしょう。「幸せ」は,「五つの架け橋」の総合的併せ技によって達成されるものなのでしょう。)。「「他人にやさしく,美しきものを美しいとごく自然に感じ取ることのできる」社会,隣人がやさしく触れ合うことのできる社会,そして何よりも住みやすい地域社会を建設することが必要だと考えるものであります。」との小渕内閣総理大臣の政見は,「人にやさしい政治」を目指した村山内閣総理大臣のそれを彷彿とさせるものがあります。

 ただし,具体的には,「安心への架け橋」は高齢者を対象にした老後の不安対策ということのようでした。「今日,日本国民の多くが,人類の古くからの願いである長寿を享受できるようになりました。その一方で,国民の中には老後の生活に対する不安も広がっております。21世紀の本格的な少子高齢社会に向けて,「安心への架け橋」を今から整備し,明るく活力あるわが国社会を築き上げていかなければなりません。 」と述べられています。

 「安全への架け橋」と表裏一体をなすものとして「安心」もまたあるわけで,「国民が安心して暮らせる安全な国土,社会の整備も,政府が引き続き取り組むべき重要な課題であり,阪神・淡路大震災や昨年の度重なる豪雨災害等の教訓を踏まえ,災害対策や危機管理の充実に最大限努力してまいります。また,国の発展は良好な治安に支えられるものであり,情報通信技術を悪用したハイテク犯罪や市民生活の安全を脅かす毒物犯罪,組織的な犯罪,更に深刻さを増す国境を越えた薬物犯罪に断固として対処してまいります。 」ということになります。

 「未来への架け橋」における「未来」には当然「安心」が用意されているものでした。「本格的な少子高齢社会の到来に備え,国民一人一人が将来に夢を持ち,生涯の生活に安心を実感できるような社会基盤を整備していくことが必要であります。このため,広く快適な住空間や高齢者にやさしい空間などの実現を目指し,かねてより私が提唱してきた「生活空間倍増戦略プラン」を今月末を目途に取りまとめ,向こう5年間を視野に入れた「明日への投資」を推進するとともに,バリアフリー化への取組などの「安心への投資」に重点的に取り組んでまいります。」と述べられています。すなわち,21世紀において日本の各個人が持つ将来の「夢」とは,老人が転んでけがなどすることは許されない「バリアフリー」な社会における「安心」かつ「やさしい」空間における老後を前提とするもののようです。“Quid est autem tam secundum naturam quam senibus emori?”Marcus Tullius Cicero, Cato Major, De Senectute 19.)などという不埒かつ乱暴なことを言ったり書いたりしておしまいということは許されません。そのような者の首と手とは,ぶった切られなければなりません(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1438013.html)。

 4回目の平成111029日演説においては,「安心」の語は2回しか出て来ません。しかしながら「安心」は,当該所信表明演説における3本柱の一つです(「「1000年代」という一つのミレニアムの締めくくりの時期に開かれる今国会を実り多いものとすべく,本日は,今国会でご審議願いたいと考えているテーマを中心に,特に当面する,経済,安全,安心の三つの課題に絞り、国民の皆様に内閣の基本方針をお示しいたします。」)。ここでの「安心」は老人対策でした。

 

少子高齢化が急速に進展する中で,将来にわたり国民が安心して暮らせる活力ある社会を築くためには,社会保障制度の構造改革を進め,安定的に運営できる制度を構築することが重要な課題であります。

とりわけ年金につきましては,将来世代の過重な負担を防ぐとともに確実な給付を約束するとの考え方に立ち,制度全般を見直すための法案を先の国会に提出いたしました。年金制度に対する国民の信頼を揺るぎないものとするため,その一日も早い成立に向け全力で取り組んでまいります。

また,介護保険につきましては,老後の最大の不安要因である高齢者の介護を社会全体で支えるべく,来年〔2000年〕4月からの実施に向けた準備に万全を期してまいります。なお,高齢者の負担軽減や財政支援など制度の円滑な実施のための対策につきましては,与党間の協議を踏まえ適切に対応してまいります。

 

「安心」と共に社会の「活力」の必要性が言及されていますが,これは「将来世代の過重な負担を防ぐ」ことによって社会の活力を維持しようということだったのでしょうか。しかし,「安心」と「活力」とが現前においてトレード・オフの関係にあるのならば,優先されるのはもちろん前者でしょう。

 

(3)「安心への挑戦」

 小渕内閣総理大臣の最後の施政方針演説となった平成12年(2000年)1月28日演説では,「安心」は6回登場しました。「「経済再生内閣」と銘打って内閣をお預かりしてから1年半が過ぎました。まだまだ安心できるような状況ではありませんが,時折ほのかな明るさが見えるところまでたどり着いたように思います。「立ち向かう楽観主義」で,この明るさを確かなものとするため,更なる努力を傾注してまいることをお誓いいたします。」との部分で登場した1回を除いて,他の5回は(今度は)「五つの挑戦」のうちの「安心への挑戦」に係るものです。

 

   昨年〔1999年1月19日〕の施政方針演説で掲げました「五つの架け橋」を更に進め,国民の決意と叡智を持って取り組むべき課題に,私は本年「五つの挑戦」と名づけました。「創造への挑戦」,「安心への挑戦」,「新生への挑戦」,「平和への挑戦」,「地球への挑戦」の五つであります。

 

   人々が生き生きと,しかも安心して暮らせる社会,そのような社会を築くことは政治にとって最も重要な責任であります。青少年も,働き盛りの世代も,そして老後を暮らす人々も,みな健康で豊かで安心して生活できる社会をつくるために,私は「安心への挑戦」に取り組みます。

   充実した人生を送るために必要な教育,雇用,育児,社会保障などを国民一人一人が自ら選択し,人生設計ができるようにしていかなければなりません。

   世界に例を見ない少子高齢化が進行する中で,国民の間には社会保障制度の将来に不安を感じる声も出ております。医療,年金,介護など,制度ごとに縦割りに検討するのではなく,実際に費用を負担し,サービスを受ける国民の視点から,税制を始め関連する諸制度まで含めた総合的な検討が求められております。

 

 なお,「安全」施策は「安心への挑戦」に含まれるものとされたようです。

 

   安心できる生活の基盤は,良好な治安によってもたらされます。治安を支える警察は国民と共になければなりません。一連の不祥事によって揺らいだ警察に対する国民の信頼を回復するため,公安委員会制度の充実強化を始め,必要な施策を推進いたします。また,時代の変化に対応し,国民にとって利便性の高い司法制度にするために必要な改革を行います。

   阪神・淡路大震災から5年が経ちました。多くの犠牲者の上に得られた教訓を決して忘れてはなりません。災害対策を始めとする危機管理に終わりはなく,更なる対策の充実・強化に努めてまいります。

 

ここでいう警察の不祥事とは,平成11年(1999年)秋に発覚した一連の神奈川県警の不祥事(女子大生恐喝,署内での集団暴行,元警部補の覚醒剤使用を組織ぐるみでもみ消し等(『近代日本史総合年表 第四版』650頁))に代表されるものでしょう(平成12年1月11日に関口祐弘警察庁長官が辞任しています。)。「国民にとって利便性の高い司法制度」にするために弁護士の数は増えましたが,さて現在(2018年)のその結果は如何(いかん)

 平成12年4月2日に小渕内閣総理大臣は脳梗塞で倒れ,同月5日森喜朗内閣が成立しました。


 
8 森喜朗内閣総理大臣

平成12年(2000年)4月5日に内閣を発足させた森喜朗内閣総理大臣(https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/234460/www.kantei.go.jp/jp/morisouri/mori_photo/2000/04/moritoku_01/index.html)は,施政方針演説ないしは所信表明演説を4回行っています(①平成12年4月7日第147回国会所信表明演説,②同年7月28日第149回国会所信表明演説,③同年9月21日第150回国会所信表明演説及び④平成13年(2001年)1月31日第151回国会施政方針演説)。

 

(1)平成12年4月7日演説

最初の平成12年4月7日演説においては小渕前内閣総理大臣の施政方針の継承が表明され,「安心」が4回登場しています。

 

「次なる時代」への改革を躊躇してはなりません。私は本内閣を「日本新生内閣」として,「安心して夢を持って暮らせる国家」,「心の豊かな美しい国家」,「世界から信頼される国家」,そのような国家の実現を目指してまいります。このため,前総理の施政方針を継承しながら施策の発展を図り,内政・外交の各分野にわたり,果断に政策に取り組んでまいります。

 

 「安心して夢を持って暮らせる国家」における「安心」の中核は,やはり「老後の安心」でした。

 

  わが国が目指すべき姿の第1は,「安心して夢を持って暮らせる国家」であります。

  〔中略〕

急速な少子高齢化の進展の中で生涯を安心して暮らせる社会を築くため,意欲と能力に応じて生涯働くことができる社会の実現を目指すとともに,老後の安心を確保すべく社会保障構造改革を推進してまいります。既に,世代間の負担の公平化を図るための年金制度改正法案が国会で成立し,またこの4月からは介護保険制度がスタートするなど,取り巻く環境の変化に対応した制度の整備を着実に進めているところであります。今後さらに,先に設置された「社会保障構造の在り方について考える有識者会議」における議論を踏まえ,私は,年金,医療,介護などの諸制度について横断的な観点から検討を加え,将来にわたり持続的・安定的で効率的な社会保障制度の構築に全力を挙げてまいります。

 

 なお,「心の豊かな美しい国家」が目標として掲げられつつも,この演説では「やさしさ」の語の登場はありませんでした。

 ちなみに,「IT革命を起爆剤とした経済発展を目指す」ことが,既に森内閣発足当初の当該演説において表明されています。

 

(2)平成12年7月28日演説

 森内閣総理大臣2回目の平成12年(2000年)7月28日演説において「安心」は3回登場しています。

「本年4月に内閣総理大臣に就任した際,私は国民の皆様に,「安心して夢を持って暮らせる国家」,「心の豊かな美しい国家」,「世界から信頼される国家」の実現を目指す「日本新生」に取り組んでいくことを申し上げました。次なる時代への改革のプログラムである「日本新生プラン」を政策の基本に据え,大胆かつ的確にその実現を図ってまいります。」として発表された「日本新生プラン」は,「経済の新生」,「社会保障の新生」,「教育の新生」,「政府の新生」(平成13年(2001年)1月6日から中央省庁等再編が行われることになっていました。)及び「外交の新生」(平成12年7月に九州・沖縄サミットが開催されたばかりでした。)の5本の柱からなっていましたが,そのうち「社会保障の新生」の項において,働く女性の託児及び各国民の生涯(要は老後でしょうか。)のそれぞれに係る「安心」に言及がされています。

 

少子化の急激な進行を踏まえ,働く女性が安心して子どもを預けられるよう,保育サービスの整備,充実を図るなど,社会全体で子育てへの支援に取り組んでまいります。また,女性も男性も喜びと責任を分かち合える男女共同参画社会の実現に向けて,引き続き努力してまいります。

   さらに,次世代の先端科学や医療技術の活用により,がん,心臓病の克服と,寝たきりや痴呆にならない健康な高齢期の実現を目指して,メディカル・フロンティア戦略を推進します。

   これらの施策をライフステージに応じて有効に機能するよう総合的に推進し,国民が生涯にわたって可能な限り身体的,精神的,経済的に自立し,安心して暮らせる社会の実現を目指してまいります。

 

(3)平成12年9月21日演説

 3回目の平成12年(2000年)9月21日演説では,「安心」は2回登場します。社会保障改革に関して1回及び経済対策に関して1回です。

 まずは社会保障改革に関して。

 

   人生八十年時代と言われて既に久しく,今日,我々は,世界一の長寿を享受できるようになり,これまで高齢者と言われてきた65歳の方々も,いまや十分現役世代であります。来るべき世紀を活力に満ちた高齢社会とするため,豊かな知識,経験を有する高齢者が意欲と能力に応じて多様な働き方ができるよう「70歳まで働くことを選べる社会」の実現に向けて努力してまいります。さらに,その後も,社会に参加し,安心して自立した生活を送ることができる「明るく活力ある高齢社会」を実現してまいります。

 

 次は経済対策に関して。

 

   近く取りまとめる経済対策の主眼は,我が国経済を,量的拡大指向から夢と安心と個性が沸き立つ世の中に変えることであります。この眼目は,IT革命の飛躍的推進,循環型社会の構築など環境問題への対応,少子高齢化対策及び便利で住みやすい街づくりなど都市基盤の整備の4分野にあります。

 

(4)平成13年1月31日演説

森内閣総理大臣最後の平成13年(2001年)1月31日演説においては,21世紀が「希望の世紀」,「人間の世紀」,「信頼の世紀」及び「地球の世紀」であるべき旨が表明されました。「安心」は6回登場しています。

まずは,「希望の世紀」の項で2回です。

 

今般の中央省庁再編において,有識者の参加を得て,内閣府に経済財政諮問会議を設置しました。景気を着実な自律的回復軌道に乗せるための経済財政運営とともに,財政を含む我が国の経済社会全体の構造改革に向けた諸課題について,具体的な政策を主導するとの決意を持って,実質的かつ包括的な検討を行うこととしております。会議では,マクロ経済モデル等も活用し,中長期的な経済社会全体の姿を展望しつつ議論を行い,国民が安心と希望を持てる処方箋を示してまいります。

 

誰もが安心して参加できる制度基盤と市場ルールを整備するため,電子商取引の特質に応じた新たなルールを定めるとともに,個人情報の取扱いに関する基本原則,取扱い事業者の義務等を定める個人情報の保護のための法律案を提出します。さらに,セキュリティ確保のための技術開発や安全性・信頼性確保策を推進し,ハイテク犯罪への対応を含め,情報セキュリティ対策を強力に推進してまいります。 

 

次に「人間の世紀」の項に3回出て来ます。

 

社会保障制度は,老齢期を迎え,また,疾病,失業などの人生の困難に直面したときに,社会全体で支え合う仕組みとして,国民の「安心」や社会経済の「安定」に欠かせないものとなっています。今世紀,我が国は世界でも類を見ない急速な少子高齢化に直面し,経済の伸びを大きく上回って社会保障の給付と負担が増大することが見込まれていますが、このような中にあって,持続可能な社会保障制度を再構築し,後代に継承していくことは,我々に課された重要な務めであると考えております。

 

   男女共同参画社会の実現は,我が国社会の在り方を決定する重要課題の一つであり,昨年〔2000年〕12月に決定された男女共同参画基本計画を着実に推進し,一層の努力を継続してまいります。また,新たに設置された男女共同参画会議において,「仕事と子育ての両立支援策」について早急に取りまとめ,子どもを産むという尊い役割を果たす女性が,社会で活躍できる可能性を広げ,女性にとっても男性にとっても,家庭と仕事が両立し,安心して子育てができる社会を築いてまいります。

 「人間の世紀」を支えるためには,便利で,暮らしに楽しさがある都市づくりを目指すことは,極めて重要であります。国境を越えた都市間競争の時代を迎えた今,世界に誇れる都市づくりを国家的課題として明確に位置付け,官民の力を結集して,生き生きとした都市生活や経済活動を支える都市基盤を整備してまいります。特に,大規模な工場跡地を活用した拠点づくりや,まちの中心となるターミナル駅などの交通結節点の総合的整備など,魅力的な都市拠点の創造に努めてまいります。また,高齢者が安心して生活できる居住環境を実現するため,高齢者の居住の安定確保に関する法律案を提出するとともに,生活空間,公共交通機関のバリアフリー化を推進してまいります。

 

最後に「地球の世紀」で1回出て来ます。

 

「地球の世紀」たる21世紀において,国民が真に豊かで安心できる暮らしを実現していく上で,その基盤となる恵み豊かな環境を守り,我々の子孫に引き継いでいくことは,我が国のみならず世界においても最も重要な課題の一つであります。地球温暖化問題については,2002年までの京都議定書発効を目指し,本年開催が予定されているCOP6再開会合に向け,最大限努力するとともに,国際交渉の進捗状況も踏まえつつ,国民の理解と協力を得て,温室効果ガスの6%削減目標を達成するための国内制度に総力で取り組んでまいります。さらに,大量生産・大量消費・大量廃棄という経済社会の在り方から脱却するため,循環型社会の構築に向け,関連する法律の施行を通じ,具体的な取組を進めてまいります。これらの課題を着実に解決し,21世紀において地球との共生を実現してまいります。

 

9 中間まとめ

 以上平成最初の12年間の内閣総理大臣国会演説(施政方針演説及び所信表明演説)における「安心」概念の使われ方を見て来て,今世紀(21世紀)の初頭に至りました。ここで,一応の中間まとめをしてみようと思います。平成13年(2001年)1月21日の森内閣総理大臣演説における6回の「安心」は,次のように分類され得るようです。

 

ア 国家ないしは国民の目的としての「安心」(「豊かで安心できる暮らし」)

イ 社会保障に対する「安心」

ウ 高齢者の「安心」

エ 子育てに係る「安心」

オ IT社会における「安心」

  カ 日本経済の将来に対する「安心」

 

 上記に加えてそれまでの内閣総理大臣演説に現れた「安心」概念をも勘案すると,「安心」は次の9項目において問題となると整理できます。

 

①国家ないしは国民の目的

②社会保障(医療を含む。)

③高齢者

④障害者

⑤治安・防災

⑥子育て・女性

IT社会・消費者

⑧日本経済の将来

  ⑨その他トピック的なもの(ウルグアイ・ラウンドと農業,重油流出事故)

 

 我が国(State & Nation)の目的は,国民の生活における「豊かさ」及び「安心」ということでしょう。しかし,「豊かさ」は経済の発展を前提とし,経済発展は当然変化を伴うところ,変化は必ずしも「安心」とは両立しません。どちらかを選ばなければなりませんが,現在の日本では,「安心」が変化に優先されるということでしょうか。皆齢を取りましたからね。

 上記9分類を用いて,小泉純一郎内閣総理大臣以降の各内閣総理大臣の施政方針演説ないしは所信表明演説を見て行きましょう。

 

後編に続く(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1070539114.html


 


  



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