以前の記事「看板は簡潔たるべきこと」(2013年11月10日)では,フィラデルフィアでの大陸会議においてされたアメリカ独立宣言の原案修正に対して,原案起草者であったトマス・ジェファソンは心穏やかではなく,1776年7月4日に採択された独立宣言の出来上がりには当初不満足であったとの話を紹介しました。
ジェファソンは,大陸会議による修正をmutilationsと呼んでいますから,当該「修正」は彼の原案に対する不当な毀損行為であるものと感じていたのでしょう。(Mutilationは,手足切断の意味です。)
前の記事で取り上げた古代ローマの毒舌弁護士キケローが法廷で揶揄嘲笑した「天分も学識もないくせに法律家を自称している男」(河野与一教授の注によると,この男の名前についてはカストゥスその他諸説あるようです。よくあるタイプの人間なのでしょう。)のような気取った似非エリートらが北アメリカの大陸会議にもおり,もったいぶった態度で,青年ジェファソン渾身の仕事に対して不遜かつ不適正な削除・改変を加え,しかもさもありがたいことをしてやったかのような恩着せがましい顔をしていたのでしょうか。ありそうな話ではあります。
しかしながら,大陸会議においてされた独立宣言案修正の実際を見ると,さすがは米国の建国の父たち(Founding Fathers)であって,"mutilations"といわれることから想像されるような余計な台無し仕事のようなものではなかったところです。「トムくん,まあ,そうカリカリしなさんな」とは,ジョン・トンプソンの小咄をしている際にベンジャミン・フランクリンが思っていたところでしょう。
以下,米国の独立記念館協会のushistory.orgウェッブ・サイトにある資料に基づき,大陸会議において独立宣言案から削除された部分のうち主なものを見てみましょう。
「未来においては,一人の人間〔イギリス現国王(ジョージ3世)〕が大胆不敵にも,わずか12年の短い期間中に,自由の原則において育まれ,かつ,その下に定住する〔北アメリカ植民地の〕人民に対して,専制のためのかくも広範かつ無差別的な基礎を築くことを敢えてしたということが,ほとんど信じられないことであろう。」
この部分は,その前の部分で,ジョージ3世(在位1760‐1820年)について,植民地人からの重ね重ねの請願に対して侮辱の繰り返しのみによって応じたことから,「このように専制者的行為によって特徴づけられる性格を有している君主は,自由な人民の支配者としてふさわしくない。」と既に書かれてあるので,余計ではあったところでしょう。いずれにせよ,人民からの請願に誠実に対応しない,仁愛なき君主とされたジョージ3世は,植民地人の叛乱という大きな困難に逢着してしまったところです。
我々(北アメリカ植民地人)の移住及び植民の事情の「いずれも,〔イギリス立法府が我々に対する管轄を有しているとの〕当該奇妙な主張を基礎付けるものではない。すなわち,それらは,イギリスの富及び力に頼ることなく,我々が自ら血を流し,及び財を費やすことによってなされたものである。また,我々の各種政体を実際に樹立するに当たっては,我々は一人の共通の王を戴くことにし,彼ら〔イギリスの同胞〕との恒久的連盟及び友好の基礎を置いたところであるが,彼らの議会に対して服従することは,我々の国制の一部をなすものではなく,歴史の伝えるところを信ずれば,そのようなことは考えられてもいなかったところである。」
七年戦争(1756‐1763年)において,イギリスは北アメリカでフランス及びアメリカ原住民族の連合軍と戦い(フレンチ=インディアン戦争),その出費で国庫が疲弊したために,相応の分担を求めて当の現地である植民地に対する課税が試みられたという経緯であるはずなのに・・・ちょっと恩知らずに聞こえますね。また,17世紀末の名誉革命の後はイギリスは議会主権の国制(正確にいうと,ここで主権を有する「議会」は"King in Parliament"であって,国王は議会の外にあってこれと対抗するのではなく,議会の一構成要素と観念されます。)となっていたので,90年近くたってから今更,イギリス国王とは関係があるが,イギリス議会とは関係が無い,と言うのも,これまたちょっと難しいですね。
なお,大英帝国ならぬ大日本帝国においては,美濃部達吉によれば,日本内地と法域の異なる「殖民地に於ける立法権は憲法上当然に天皇の大権に属し,初より議会の協賛を必要としない」とされつつも(『逐条憲法精義』159頁。すなわち,大日本帝国憲法5条は内地にのみ係る属地的規定であるものと説かれたわけです。),「帝国議会┉┉は天皇に協賛〔す〕るもので,天皇の統治の及ぶ限りは,・・・当然之に追随してその権限を有〔し,帝国議会に関する大日本帝国憲法の〕規定も亦施行区域を限らるべきものでないことは明瞭」とされていました(同37頁)。すなわち,「敢て殖民地に関する立法に付いては議会は全く之に協賛するの権が無いといふのではない。議会は広く天皇の立法権に協賛する権能を有するもので,それは内地と殖民地とに依つて異なるものではなく,随つて殖民地に施行せらるべき立法についても,議会の協賛を経て行はるゝことは,勿論差支ないのみならず,事情の許す限りはそれが正則の方法である。・・・唯殖民地の立法に付いて一々議会の協賛を経ることは,事情の許さない所であるから,それを以て憲法上の要件と認むることが出来ぬといふに止まる。」とされていたところです(同150‐151頁)。朝鮮においては,内地では法律をもって規定されるべき事項を朝鮮総督の発する「制令」をもって定めることができ(ただし,天皇の勅裁を要する。),台湾では同様に,台湾総督の「律令」によって定めることができたところです。
「彼ら〔イギリスの同胞〕が,彼らの法律による通常の手続に従い,我々の間の調和を乱す者たちを彼らの諸院から排除する機会を有したときにおいても,彼らは,その自由な選挙によって,その者たちを再び権力の座につけた。正に現時においても,彼らは,我々と同血の兵士たちのみならず,スコットランド人及び外国人の傭兵を,我々を侵略し,破壊するために派遣することを,彼らの政府(their chief magistrate)に対して許容している。これらの事実は,悩める情愛に対して最後の一刺しを加えたものであって,男性的精神は,我らをして,これら無情の同胞(unfeeling brethren)を永遠に否認せしめるものである。我々は,彼らに対するかつての愛を忘れるべく努めなければならない・・・。我々は共にあって自由かつ偉大な国民であり得たかもしれない。しかし,見るところ,偉大及び自由を共にすることは,彼らの潔しとしないところである。そうあらしめよ, 彼らがそれを欲するのであるから。幸福と栄光とへの道は,我々にも開かれている。我々は,彼らとは別個に,その道を歩むものである。」
「スコットランド人の傭兵」という文言は,スコットランド出身の代議員のお気に召さなかったそうです。
しかし,イギリスの同胞(British Brethren)に対して何やら恨みがましいですね。男性的精神(manly spirit)をもって男らしく,つれない彼女と別れて,昔の愛も忘れるんだぁ,とわざわざ言うのは,かえって未練があるようでもあり,何だか心配です。「これからは,いいお友だちでいましょうね。」ということにするのなら,むしろ余計なことを言わない方がいいわけです。あるいは,後にフランス革命戦争の時代に親仏派を率いることとなるジェファソンとしては,文字どおりイギリスとは縁切りするつもりだったようでもありますが。
我々(大陸会議代議員)は,これら植民地の善き人民の名及び権威において,「イギリス国王に対するすべての忠誠及び服従(王により,王を通じ,又は王の下でそれらを要求する者に対するものを含む。)を拒否し,かつ,否認する。我々は,我々とイギリスの人民又は議会との間にこれまで存在したとされるすべての政治的関係を完全に解除する。」
イギリスの人民及び議会の中には,なお良好な関係を保つに値する勢力が存在すると考えることは,ジェファソンが非難するように,怯懦な考え(pusillanimous idea)であると単純にいうわけにはいかないでしょう。後々のことを考えれば,余計な敵を作る必要はないでしょう。しかしながら,イギリス人民及び議会に対する直接の非難の言葉が削られた結果,ジョージ3世ばかりが悪者にされる形になったことは,何やらお気の毒ではあります。(ジョージ3世は,1765年,1788‐1789年及び1803‐1804年に精神病を発症し,1811年からのそれは,その最期まで治癒しませんでした。)
次の削除部分が,最も議論を喚起しているところです。
「彼〔現国王(ジョージ3世)〕は,人間性それ自体に対する残酷な戦争を遂行した。すなわち,彼は,彼に何らの害をも加えたことのない遠い土地の人々に対して,身体に係る生命及び自由という人間性にとって最も神聖な権利の侵害をしたのであって,それは,他の半球において奴隷にするために,又はそこへ彼らを運送する過程において悲惨な死を被らしめるために,彼らを捕らえ,運搬することによって遂行された。異教国にとっておぞましいこの海賊的戦争行為は,キリスト教徒たるイギリス国王による戦争行為である。人間が売買される市場が開かれてあることを維持せんがために,彼はその拒否権を濫用し,この忌まわしい商取引を禁止し,又は制限しようとするすべての立法の試みを抑圧した。そして,that this assemblage of horrors might want no fact of distinguished die, 今や彼は,この当の人々〔黒人奴隷〕が我々のただ中において武装蜂起し,正に彼によって彼らを押し付けられた(obtruded)ところの人々を彼らが殺すことによって,彼らから彼が奪った当の自由をあがなうように彼らをけしかけている。このようにして彼は,一方の人々の自由に対して犯した以前の犯罪を,その人々が犯すべくそそのかしている他の人々の生命に対する犯罪によって,清算するのである。」
奴隷の輸入を求めていたサウス・カロライナ及びジョージアの代議員の強い反対によって,奴隷貿易を激しく非難するこの部分は削除されたそうです。また,北部植民地の商人も奴隷貿易に関与していないわけではなかったところです。
しかし,奴隷制度を非難する,この理想主義的な一節を書いたジェファソン自身が,終生奴隷所有主であったところです。
なぜ奴隷所有主がこのようなことが書けたのでしょうか。矛盾を感じなかったのでしょうか。飽くまでも悪いのはジョージ3世で,ジェファソンが奴隷を所有していたのは,悪いイギリス国王によって押し付けられた(obtruded)仕方のない事情によるものだったからでしょうか。それとも,ジェファソンはジェファソンだったからでしょうか。
アメリカ独立革命期において既に大きな問題であった奴隷制が廃止されるためには,南北戦争を待たなければならなかったところでした。(リンカンによる奴隷解放は1863年のことであって,我が国へのペリー来航から10年後のことです。)
ジェファソンの人物論は難しいところですが,また,"that this assemblage of horrors might want no fact of distinguished die"の部分をどう訳すかも少々首をひねるところです。
常識的なところでは,ここでの"die"は"dye"のことであるとして(ushistory.orgウェッブ・サイトにおける独立宣言案の文言変化比較表では,最初の"die"が次には"dye"になっています。),「これら一連の恐るべきことどもがおどろおどろしさを欠くことのないように」とでも訳すべきでしょうか。『リーダーズ英和辞典』には,"of the deepest dye"をもって,「第一級の,極悪の」という意味であるとあります。
ただし,Greg Warnusz氏のウェッブ・ページでは,"fact"は"facet"又は"facets"の誤りであって,"want no facet of distinguished die"は切り出されたさいころ(die)の六つの面がすべてそろっていること,すなわち完全であることを意味し,問題の部分は,「これら一連の恐るべきことどもを完結させるために」という意味ではないか,としています。
(参考)田中英夫『英米法総論 上』(東京大学出版会・1980年)140頁,143頁; Randall, W.S., Thomas Jefferson: a life: 276-278


」と,帽子の絵を添えることにしてね。ところが,やっこさん,どこか直すところがないか友だちに見てもらうことにしちまったんだな。で,一人目が言うには,「帽子職人」は余計だというんだよ。「帽子を製作」でそのことは分かるというんだね。で,「帽子職人」は削られた。二人目は今度は「製作」は要らないと言う。品物が良くて気に入りさえすれば,客はだれがその帽子を作ったかなんぞには頓着しないで買ってくれるというわけさ。で,「製作」は削られた。三人目は,こちらは,「現金払いにて」とわざわざ書く必要はないとの御託宣だ。この近隣では掛売りの習慣はない,皆即金で支払ってくれるということだ。で,その部分も削られて,今や看板の案は「ジョン・トンプソン。帽子を販売仕り候。