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1 費用の概念

 費用という言葉は日常的によく使われますが,その意味は,細かくかつ厳密に考えると,やや難しい。

 漢語ですから,漢和辞典たる『角川新字源』(第123版・1978年)にまず当たってみると,「費用」とは,「ついえ。入費。つかう。消費。」という意味であるそうです。消費(つかう)の意味で「費用」の語を用いるのは,日本語というよりは漢文における用法でしょう。消費ではなく,入費(にゅうひ)費用と等号で結ばれるもののようです。

 『岩波国語辞典 第四版』(1986年)は,「入費」を「ある事柄をするのにかかる費用」と,「費用」を「そのことのために必要なお金。「旅行の――」」と定義しています。

 『新明解国語辞典 第五版』(三省堂・1997年)は,「入費」を「(仕事のための)費用。「大変な――だ」」と,「費用」を「何かをするために必要な金。「莫大(バクダイ)――をかける/――をつぎ込む(惜しまぬ・負担する・自弁する)/入院――」」と定義しています。

 「費用」は,これから支出され(「そのことのために必要なお金」「何かをするために必要な金」),あるいは現に支出されつつある(「――をかける」「――をつぎ込む」)金銭であるようです。

 しかし,「この仕事には大変な費用がかかってしまってさぁ。」と語る場合のように,既に支出されてしまった金銭についても「費用」とは云わないものでしょうか。

 ということで,元内閣法制局長官閣下らが編者としてずらりと名を連ねる吉國一郎等共編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)を見てみると,ここではさすがに,費用を「ある用途のために使用された,又は使用されるべき金銭をいう」と定義して,支出済みの(「使用された」)金銭も当該用途に係る費用と観念せられるべきものとしています(632頁)。

 

2 訴訟費用の償還請求

 

(1)訴訟費用の負担の裁判及び訴訟費用額確定処分に関する民事訴訟法の規定

 ところで,民事訴訟法(平成8年法律第109号)第1編総則の第4章は「訴訟費用」と題し,同章中の第61条は「訴訟費用は,敗訴の当事者の負担とする。」と,第64条は「一部敗訴の場合における各当事者の訴訟費用の負担は,裁判所が,その裁量で定める。ただし,事情により,当事者の一方に訴訟費用の全部を負担させることができる。」と,第67条は「裁判所は,事件を完結する裁判において,職権で,その審級における訴訟費用の全部について,その負担の裁判をしなければならない。ただし,事情により,事件の一部又は中間の争いに関する裁判において,その費用についての負担の裁判をすることができる。/2 上級の裁判所が本案の裁判を変更する場合には,訴訟の総費用について,その負担の裁判をしなければならない。事件の差戻し又は移送を受けた裁判所がその事件を完結する裁判をする場合も,同様とする。」と,第711項は「訴訟費用の負担の額は,その負担の裁判が執行力を生じた後に,申立てにより,第一審裁判所の裁判所書記官が定める。」と規定しています。

 「事件を完結する裁判」において訴訟費用の負担の裁判がされますところ,当該訴訟のために必要な金銭は,支出が必要だったのですから,「事件を完結する裁判」までには既に支出されているはずであるわけで,すなわち,民事訴訟法67条の訴訟費用は,ほとんどが既支出の費用であるということになります。(細かく考えると,判決書の送達は訴訟費用の負担の裁判がされた後に行われますが,そのために必要な費用は,後に見るように,郵便切手で裁判所に予納されているはずです。)

 

(2)訴訟費用の償還請求 vs. 支払請求又は弁償請求

 既支出の訴訟費用についてその負担者(敗訴当事者)に対して勝訴当事者がする請求は,それでは何を請求するのでしょうか。

 「費用の支払を請求」するならばよいとしても,「費用の支払を請求する」では今更おかしい。費用は既に使用され,支払われてしまっています。これは,「費用の償還を請求する」なのでしょう(民法(明治29年法律第89号)196条,299条,391条,570条,5832項,600条,605条の24項,608条,650条,664条の2702条,778条の37864項,9051項及び993条参照)。

 「職務を行う上などに要した費用を償うために金銭を支払うという場合」には「弁償」の語も用いられますが(地方自治法(昭和22年法律第67号)2032項・4項及び207条,労働組合法(昭和24年法律第174号)19条の8(中央労働委員会の委員),私立学校法(昭和24年法律第270号)14条(私立学校審議会の委員)等),この弁償の語はまた,「国,公共団体等において金銭,物品の出納保管その他経理事務に従事する職員が,その責任を怠つてその保管に係る金銭,物品等を亡失き損し,又は故意若しくは重大な過失により,法令に違反して予算を支出したこと等により,その職員の勤務する国,公共団体等に損害を与えたときに,その損害を償わせる場合」(会計法(昭和22年法律第35号)41-44条等)にも用いられます(法令用語辞典〈第八次改訂版〉669頁)。いずれもお役所に関係するものですし,また,特に後者は責任の懈怠や故意・過失を要件とする損害賠償ですから,「負担者は自分の支出した費用は当然負担するほか相手方の支弁した費用を弁償しなければならない。この相手方の弁償請求権(訴訟費用償還請求権)は訴訟法の定めるところに従って発生する法定の請求権である(その根拠は訴訟追行の不成功に求められるものであって原則として故意・過失の有無を問わない。〔略〕)。」(三ケ月章『民事訴訟法』(有斐閣・1959年)177頁)とされるところの訴訟費用の償還請求は,やはり「弁償」請求というよりは「償還」請求なのでしょう。

 

(3)訴訟費用の範囲

なお,民事訴訟法第1編第4章にいう「訴訟費用」は,「日常用語」でいう「訴訟につき裁判所・両当事者の支出する一切の費用」(上田徹一郎『民事訴訟法(第二版)』(法学書院・1997年)422頁)ではなく,民事訴訟費用等に関する法律(昭和46年法律第40号)2条に掲げられたものに限られます。

 

ア 弁護士報酬に関する問題

民事訴訟費用等に関する法律2条同条の規定する訴訟費用に弁護士費用が含まれないことは法律業界では有名な事実です(例外は,同条10号の「民事訴訟等に関する法令の規定により裁判所が選任を命じた場合において当事者等〔当事者又は事件の関係人〕が選任した弁護士又は裁判所が選任した弁護士に支払った報酬及び費用」)。しかし,法律業界外では必ずしも周知のことではないでしょうから,「勝訴して訴訟費用が相手方から取れるとお前は言ったのに,何でお前の報酬金とやらをおれがお前に払わなければならないんだ!」と受任弁護士に対して憤慨される勝訴当事者の方もおられるかもしれません。なお,ここに報酬金とは,「事件〔又は法律事務〕の性質上,委任事務処理の結果に成功不成功があるものについて,その成功の程度に応じて受ける委任事務処理の対価」をいいます(日本弁護士連合会旧報酬等基準規程(平成7年会規第38号)32項)。これに対して着手金は「事件又は法律事務〔略〕の性質上,委任事務処理の結果に成功不成功があるものについて,その結果のいかんにかかわらず受任時に受けるべき委任事務処理の対価」です(同項)。

民法6481項は「受任者は,特約がなければ,委任者に対して報酬を請求することができない。」と規定していますが,「弁護士が業務上訴訟委任を引き受けて処理する場合(大判大7615民録241126〔「弁護士カ其業務上訴訟委任ヲ受ケ之ヲ処理シタルトキハ委任者ニ対シテ其報酬ヲ請求シ得ヘキハ当然」〕,東京地判平232判時136460頁,東京地判平3419判時140342頁など)には,報酬に関する明示の特約がなくとも,弁護士による報酬請求が許容される」ところです(山本豊編『新注釈民法(14)債権(7)』290頁(一木孝之))。

「弁護士の報酬額につき当事者間に別段の定めのなかつた場合において,裁判所がその額を認定するには,事件の難易,訴額及び労力の程度だけからこれに応ずる額を定むべきではなく,当事者間の諸般の状況を審査し,当事者の意思を推定して相当報酬額を定むべきである」と最高裁判所は判示し(最判昭和3721日民集162157頁),当該事件では,弁護士がかねてから依頼者の法律顧問(顧問料月5000円)であったこと,訴訟事件委任の際のいきさつ,事件の進行状況,難易の程度,事件終結(当該事件は和解で完結)当時の顚末等を顧慮し,更に当該弁護士所属の弁護士会の報酬規程にも鑑み,その他諸般の状況をも斟酌して着手金及び成功報酬金の額を定めた原審の判断を是認しています。ちなみに,「2003年(平成15年)の〔弁護士〕法改正に伴い前記文言〔同法旧33条は弁護士会会則に定めるべきものとして「弁護士の報酬に関する標準」を挙げていました。〕が削除され,弁護士報酬の自由化が実現したため,依頼者との合意,とりわけ同人の経済的利益を基礎とする金額決定が優先されることにな」っていますが(山本編292頁(一木)),「弁護士報酬の標準を定める規定が廃止された後も,報酬額に関する当事者の意思が明らかでない場合にこの規定の内容を報酬額を定める1つの要素とする裁判例(東京地判平成19824判タ1288100頁)がある」そうです(日本弁護士連合会弁護士倫理委員会編『解説「弁護士職務基本規程」第3版』(日本弁護士連合会・2017年)69頁)。

 

イ 民事訴訟費用等に関する法律2

当事者(本稿では,当事者以外の「事件の関係人」及び「その他の者」(民事訴訟費用等に関する法律2条柱書き参照)は一応捨象し置きます。)が負担すべきものたる民事訴訟費用等に関する法律2条の訴訟費用は,裁判所の行為について要する裁判費用(民事訴訟法8311号参照)と当事者が訴訟追行をするに必要な当事者費用とに分かれます。

前者の①裁判費用は,訴えの提起等に係る手数料(民事訴訟費用等に関する法律21号・3条(収入印紙を訴状等に貼付して納付するのが原則です(同法82項)。))及び裁判所が証拠調べや書類の送達などをするのに必要な費用(同法22号・111項(証人等に対する旅費,日当及び宿泊料等を含みます。原則予納で(同法121項),送達等のための郵便料金に充てる費用については郵便切手で予納することになります(同法13条)。))です。

後者の当事者費用は,当事者若しくは事件の関係人,その法定代理人若しくは代表者又はこれに準ずる者の期日出頭のための旅費,日当及び宿泊料(同法24号),代理人(法定代理人及び特別代理人を除く。)の期日出頭に係る旅費,日当及び宿泊料(同条5号),訴状その他の書類(当該民事訴訟手続の資料とされたものに限る。)の作成及び提出の費用(同条6号),当該書類のうち官庁その他の公の団体又は公証人から交付を受けるものにつきそのために要する費用(同条7号),当該書類のうち訳文に係るものの翻訳料(同条8号)並びに文書又は物(裁判所が取り調べたものに限る。)を裁判所に送付した費用(同条10号)です。

訴訟費用の負担の裁判(民事訴訟法67条)が「執行力」を生じた後に,申立てにより,訴訟費用額の確定手続が行われることになります(同法711項)。

 

3 民事訴訟法711項の「執行力」:広義の執行力

民事訴訟法711項においては「執行力を生じた」という表現が用いられています。執行力とは,民事訴訟法の学習において出て来る由々しい概念です。

 

(1)民事訴訟法711項における「執行力」は狭義の執行力か:消極

しかして,民事訴訟法711項における「執行力」についての説明は,「給付判決が確定するか仮執行の宣言が付せられると,その判決内容どおりに被告が任意に履行しないときには,原告はその判決を債務名義として強制執行の申立てができる」ところ「この債務名義になりうることを判決その他の証書の効力という面からとらえて執行力とよぶ」ということ(新堂幸司『新民事訴訟法(第二版)』(弘文堂・2001年)175頁)でよろしいでしょうか。しかし,これでは執行力は原告のためにのみあるみたいで,原告敗訴で訴訟費用を原告が負担するときの説明としてはちょっと違和感がありますね。より抽象的に,「裁判で命じられた給付内容を実現するために強制執行手続を利用できることを裁判の属性とみて執行力という。通常,執行力といえば,この意味の執行力を指す。この執行力は,判決の中では給付判決のみに生じ,判決の確定をまって生じるのが原則であるが,仮執行宣言によって確定前にも付与される(民執2212号参照)。」という方(新堂624頁)がよろしいでしょうか。しかし,訴訟費用の負担の裁判関係については,なお言及されていません。この点,金子宏=新堂幸司=平井宜男編集代表の『法律学小辞典 第4版補訂版』(有斐閣・2008年)の「執行力」の項では,「判決の中では,給付判決のみについて〔略〕執行力が認められ,確認判決や形成判決については,訴訟費用の裁判の部分を除くと,執行力がない。」と説明されており,反対解釈すると,判決中訴訟費用の裁判の部分については常に「強制執行に基づいて給付請求権を実現できる効力」たる執行力があるということになるようです。

しかし,例えば「訴訟費用は,原告の負担とする。」というようなものにすぎない判決中の「訴訟費用の裁判の部分」をもって直ちに強制執行手続ができるものでしょうか。債務名義は「国の強制力によつて執行されるべき請求権の存在及び範囲を表示し,かつ,法律により執行力を付与された裁判又はこれに準ずるものの証書」ですが(法令用語辞典〈第八次改訂版〉309頁),「訴訟費用は,原告の負担とする。」との裁判だけでは,その訴訟費用の償還を原告に求める請求権が被告にあることは分かりますが,その請求権の範囲はなお不定であって,「表示」されているものとはいえません。「債務名義の性質上執行の基準が執行機関に直ちに判定できる程度に特定していることが必要」なのです(三ケ月・民訴法449頁)。また,そもそも訴訟費用の償還請求に係る債務名義は,訴訟費用の負担の額を定める裁判所書記官の処分であって(民事執行法(昭和54年法律第4号)224号の2。なお,当該債務名義の証書性については民事訴訟規則(平成8年最高裁判所規則第5号)26条。),訴訟費用の負担の裁判のみによって強制執行を行うことはできません。

 

(2)広義の執行力

であれば,民事訴訟法711項の「執行力」とは,上記の狭義の執行力ではなく,広義の執行力なのでしょう。広義の執行力とは,「強制執行以外の方法によって判決内容に適合した状態を実現できる性質をいう。たとえば,確定判決に基づいて戸籍簿の記載・訂正,登記の抹消・変更を申請できることを,判決の効力としてみたいい方である(判決によって執行の停止・取消しを申し立てることができるのもやはり広義の執行力の一例である,民執39条〔1項〕1267号・40条)」と説明されています(新堂624頁)。訴訟費用の負担の裁判に係る広義の執行力に基づいて,強制執行手続ならぬその前段階の訴訟費用額確定処分を求める申立てができるのだ,と説明することになるのでしょうか。例えば,栗田隆・関西大学教授の「民事訴訟法講義」ウェブサイトの「判決の効力1」においては,「訴訟費用の負担の裁判(67条)は,負担者と負担割合を定めるだけであり,それ自体は債務名義とならず,狭義の執行力を持ち得ない。しかし,この裁判も711項で執行力が生ずることが予定されている。この執行力は,広義の執行力である。」と説明されています(下線は筆者によるもの)。谷口安平=井上治典編『新・判例コンメンタール民事訴訟法2 訴訟費用・口頭弁論・送達』(三省堂・1993年)46頁においては,旧民事訴訟法(明治23年法律第29号)1001項について,「申立ては,費用負担の裁判が確定するなど広義の執行力が生じた後であることを要するが,費用償還請求権が現存する必要はない〔略〕。ここに執行力とは,執行しうべき裁判の意であり,執行力ある債務名義の正本を意味しない(大決大565民録221137〔「〔旧〕民事訴訟法〔旧〕第84条第2項ニ執行シ得ヘキ裁判ト称スルハ執行力アル正本ヲ謂フモノニアラス」〕参照)。仮執行宣言付判決は広義の執行力を有するから(東京高決昭431028下民集199=10722頁),確定前においても本条の申立ては許される。また担保を条件とする仮執行宣言も執行力を有することに変わりはないから申立てはできるが,費用額確定決定に基づく強制執行は担保を条件とする。」と説かれています(山内八郎。下線は筆者によるもの)。民事訴訟法711項の「執行力を生じた」の「執行力」の発生時は,仮執行宣言が付されていないときは,訴訟費用の負担の裁判が含まれる判決についてはその確定時ということになるわけです。「訴訟費用の負担の裁判に対しては,独立して控訴をすることができない。」とされ(民事訴訟法282条),当該規定は上告及び抗告について準用されています(同法313条・331条本文)。

しかし,民事訴訟法の本文に堂々出て来る「執行力」の語が,正統的な狭義の執行力を意味するのではなく,実は枉げて・広義の執行力を意味するのだ,というのではいささか体裁が悪いようです。

 

(3)民事訴訟法典における「執行力」の用例

 

ア 現行民事訴訟法

実は「執行力」の語が現行民事訴訟法中に出てくるのは3箇所のみです。その1が同法711項,その2は同法731項,その3は同法1891項です。

民事訴訟法1891項は「この章の規定による過料の裁判は,検察官の命令で執行する。この命令は,執行力のある債務名義と同一の効力を有する。」ということですから,何だか分かりやすい気がします(しかし,民事執行法511項は,「第25条の規定により強制執行を実施することができる債務名義の正本〔原則として執行文の付された債務名義の正本〕」をもって「執行力のある債務名義の正本」といっていますね。すなわち,「の正本」が付いています。これに対して民事訴訟法1891には「の正本」がありません。しかしてこの点に関しては,「実務上は,過料の裁判が形式的に確定した後,過料の裁判の正本または謄本に検察官が,これに基づいて執行すべきことを命ずる旨を附記して署名押印し,年月日を記入して行なう。したがって,執行命令自体のなかに司法機関による執行力の公証を含んでいるため,執行文の付与を必要とせず,執行力ある債務名義(執行力ある正本)と同一の効力を有するとされているのである」という説明があります(兼子一,松浦馨=新堂幸司=竹下守夫『条解民事訴訟法』(弘文堂・1986年)980-981頁(松浦):旧民事訴訟法270条ノ2の解説)。過料の裁判の正本又は謄本と検察官の命令とが一体となって執行力ある債務名義の正本と同一の効力を有することになるということでしょうか。)。

民事訴訟法731項前段は「訴訟が裁判及び和解によらないで完結したときは,申立てにより,第一審裁判所は決定で訴訟費用の負担を命じ,その裁判所の裁判所書記官はその決定が執行力を生じた後にその負担の額を定めなければならない。」と規定していますので(下線は筆者によるもの),同法711項と同様の問題があります(しかし,決定は,「相当と認める方法で告知することによって,その効力を生ずる」のですから(同法119条),決定があってから更に「執行力を生」ずるのを待つ必要はないのではないでしょうか。ただし,当該決定に対して即時抗告があると(同法732項の準用する同法718項(令和4年法律第48号の施行前は第7項))執行停止ということになりますから(民事訴訟法3341項),当該執行停止中は負担の額を定める処分を裁判所書記官は行ってはならないということになるのでしょう。なお,判決も言渡しによって効力を生ずるはずですが(民事訴訟法250条),それにより強制執行を行うためには確定判決にならなければならないのでした(民事執行法221号・旧民事訴訟法5181項(「執行力アル正本ハ判決ノ確定シタルトキ又ハ仮執行ノ宣言アリタルトキニ限リ之ヲ付与ス」))。)。

民事訴訟法189条の前々身規定は旧民事訴訟法561条ノ2(「過料ノ裁判ハ検事ノ命令ヲ以テ之ヲ執行ス此命令ハ執行力アル債務名義ト同一ノ効力ヲ有ス」)であって大正15年法律第61号(旧民事訴訟法第1編から第5編までを全面改正するもの)によって1929101日から挿入されたもので,その後昭和54年法律第5号により1980101日から前身規定たる旧民事訴訟法270条ノ2(「本章ノ規定ニ依ル過料ノ裁判ハ検察官ノ命令ヲ以テ之ヲ執行ス此ノ命令ハ執行力アル債務名義ト同一ノ効力ヲ有ス/過料ノ裁判ノ執行ハ民事執行法(昭和54年法律第4)其ノ他強制執行ノ手続ニ関スル法令ノ規定ニ従ヒテ之ヲ為ス但シ執行ヲ為ス前裁判ノ送達ヲ為スコトヲ要セズ」)となっていたものです(なお,旧非訟事件手続法(明治31年法律第14号:現在の題名は「外国法人の登記及び夫婦財産契約の登記に関する法律」)においては,当初から旧2081が「過料ノ裁判ハ検事ノ命令ヲ以テ之ヲ執行ス此命令ハ執行力ヲ有スル債務名義ト同一ノ効力ヲ有ス」と規定していました。しかし当該規定は,大正15年法律第61号の制定当時においては,民法,民法施行法(明治31年法律第11),商法(明治32年法律第48号)及び商法施行法(明治32年法律第49号)に規定されている過料事件にのみ適用があったのでした(当時の旧非訟事件手続法旧206条参照。ただし,個別の法律で準用規定を設けることが可能であったことは勿論です(刑法施行法(明治41年法律第29号)50条による改正後の旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)3203項参照)。)。旧民事訴訟法561条ノ2は同法第6編「強制執行」中にあったので民事執行法の制定の際(1979)にはそのまま同法中の規定として旧民事訴訟法から去ってしまいそうなものでもありましたが,特に第2編「第一審ノ訴訟手続」中に移動して旧民事訴訟法中に残留したのでした。なお,大正15年法律第61号による旧民事訴訟法の改正前には同法に民事訴訟法189条の前々々身規定があったわけではなく(ただし,旧刑事訴訟法(大正11年法律第755531項は「・・・過料・・・ノ裁判ハ検察官ノ命令ニ因リ之ヲ執行ス此ノ命令ハ執行力アル債務名義ト同一ノ効力ヲ有ス」とつとに規定していました。また,民事訴訟法189条は,本来は民事執行法的な旧民事訴訟法6編の出身であるところです。他方,民事訴訟法73条に対応する旧民事訴訟法104条には「其ノ裁判カ執行力ヲ生シ」云々の文言はありませんでした。したがって,現行民事訴訟法711項こそが民事訴訟法における「執行力」の用例の本家本元というべきものでしょう。すなわち,同条の前身規定である旧民事訴訟法1001(なお,同条も大正15年法律第61号による旧民事訴訟法改正以後の規定です。)が「裁判所カ訴訟費用ノ負担ヲ定ムル裁判ニ於テ其ノ額ヲ定メサルトキハ第一審ノ受訴裁判所ハ其ノ裁判カ執行力ヲ生シタル後申立ニ因リ決定ヲ以テ之ヲ定ム」と規定していたとともに(下線は筆者によるもの),大正15年法律第61号による改正前から,842項(「〔訴訟費用額確定の〕申請ハ第72条第2項又ハ上訴取下ノ場合ヲ除ク外執行シ得ヘキ裁判ニ依ルトキニ限リ之ヲ為スコトヲ得」)という古い前々身規定を1890年の旧民事訴訟法制定時以来有していたところです。

 

イ 旧民事訴訟法旧第6編「強制執行」:「執行力アル正本」と第5501号と

ただし,旧民事訴訟法の旧第6編「強制執行」中,第5501号(民事執行法3911号に対応)は「強制執行ハ左ノ書類ヲ提出シタル場合ニ於テ之ヲ停止シ又ハ之ヲ制限スヘシ/第1 執行ス可キ判決若クハ其仮執行ヲ取消ス旨又ハ強制執行ヲ許サストシテ宣言シ若クハ其停止ヲ命シタル旨ヲ記載シタル執行力アル裁判ノ正本」と規定しており,実はここでの「執行力」の用例が,同法1001項(及び561条ノ2)の「執行力」に先行していたのでした。とはいえ,前記(新堂624頁)のとおり,民事執行法3911号は広義の執行力の働く場合の一つとして例示されていますから,同号及び旧民事訴訟法5501の「執行力」は正に広義の執行力なのでしょう。

ちなみに,旧民事訴訟法の当初規定においては執行力の語は39箇所に出現しますが,「執行力アル裁判」という表現は上記第5501号にあるばかりで,残りの38箇所では全て「執行力アル正本」という形となっています。旧民事訴訟法の当初規定における「執行力アル正本」とは,それぞれ執行文の付された・判決の正本(旧民事訴訟法516条以下),公証人の作った執行証書(同法5595号・560条・562条),抗告をもってのみ不服を申し立て得る裁判の正本(同法5591号・560条),裁判上の和解の正本(同法5593号・560条),訴え提起前の和解の正本(同法5594号・560条)及びそれを発した後に債権者又は債務者に承継があった場合の執行命令の正本(同法5592号・560条・5611項。支払命令(現在の支払督促)に係る仮執行宣言は当該命令に執行命令を付することによってされました(同法旧3932項)。)並びに執行文の付与不要の・それを発した後に債権者又は債務者に承継がない執行命令の正本(同法5611項の反対解釈として,通常の執行命令については執行文の付与なしに強制執行が可能であることになります。)です。旧民事訴訟法5161項は「強制執行ハ執行文ヲ付シタル判決ノ正本ニ基キ之ヲ為ス」と規定し,これが同法560条によって他の債務名義に準用されているのですから(ただし,執行命令に係る同法5611項に注意),狭義の執行力は,本来は執行力アル正本について観念されたものなのでしょう。前記大審院大正565日決定は,「〔旧民事訴訟法〕第550条第1号ニ執行力アル裁判ノ正本トアルハ是亦執行シ得ヘキ裁判ノ正本ノ意義ニシテ執行力アル正本ヲ指スモノニアラス」とも判示しています。旧民事訴訟法5501号の「執行力ノアル裁判ノ正本」については,裁判(判決であれば確定したもの又は仮執行宣言が付されたもの(旧民事訴訟法5181項参照))の正本であればよく,執行文の付与は不要ということでしょう。

 

4 1877年ドイツ民事訴訟法とテヒョー及びモッセと

以上狭義の執行力と広義の執行力との関係についてくだくだしい考証をしてしましました。

しかし,法令に関してこの条項はどうも変だなぁというときは,グダグダ思弁するより先に,当該問題条項の出生の秘密を探るべきでしょう。

我が明治の旧民事訴訟法の原案は,ドイツの実務家・テヒョー(Hermann Techow)によって作成されたのでした(三ケ月章『法学入門』(弘文堂・1982年)68頁・73-74頁)。

 

(1)1877年ドイツ民事訴訟法関連条項

テヒョーが当然参考にしたであろう1877年のドイツ民事訴訟法98条には,我が民事訴訟法711項に対応するものとして次のような規定があります。

 

§. 98.

Der Anspruch auf Erstattung der Prozeßkosten kann nur auf Grund eines zur Zwangsvollstreckung geeigneten Titels geltend gemacht werden.

Das Gesuch um Festsetzung des zu erstattenden Betrags ist bei dem Gericht erster Instanz anzubringen; es kann vor dem Gerichtsschreiber zu Protokoll erklärt werden. Die Kostenberechnung, die zur Mittheilung an den Gegner bestimmte Abschrift derselben und die zur Rechtfertigung der einzelnen Ansätze dienenden Belege sind beizufügen. 

 

  第98条 訴訟費用の償還請求は,強制執行をすることができる名義に基づいてのみ主張することができる。

    償還されるべき金額の確定の申請は,第一審裁判所に対してされるものとする。当該申請は,調書とするため裁判所書記に対して表明することができる。費用計算書,相手方に対する通知用のその謄本及び各計上項目を証明するため資料が添付されるものとする。

 

 我が民事執行法3911号及び旧民事訴訟法5501号に対応する1877年ドイツ民事訴訟法6911号は次のとおりです。我が旧民事訴訟法5501は,1877年ドイツ民事訴訟法6911号を直訳したものでした。旧民事訴訟法550号では„vollstreckbare Entscheidung“が「執行力アル裁判」とdas zu vollstreckende Urtheil“が「執行ス可キ判決」と訳し分けられています。

 

§. 691.

Die Zwangsvollstreckung ist einzustellen oder zu beschränken:

1. wenn die Ausfertigung einer vollstreckbaren Entscheidung vorgelegt wird, aus welcher sich ergiebt, daß das zu vollstreckende Urtheil oder dessen vorläufige Vollstreckbarkeit aufgehoben, oder daß die Zwangsvollstreckung für unzulässig erklärt oder deren Einstellung angeordnet ist;

 

 我が旧民事訴訟法5161項(民事執行法25条本文)に対応するものは,1877年ドイツ民事訴訟法6621項であって,同項を直訳したものが旧民事訴訟法5161項だったのでした。ただし,1877年ドイツ民事訴訟法6621項には「執行文ヲ付シタル判決ノ正本」をもって「執行力アル正本(vollstreckbare Ausfertigung)」と称する旨注記する括弧書き規定があって,より親切です。

 

§. 662.

Die Zwangsvollstreckung erfolgt auf Grund einer mit der Vollstreckungsklausel versehenen Ausfertigung des Urtheils (vollstreckbare Ausfertigung).

 

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1 イギリスの弁護士制度瞥見

 

(1)バリスタ

 1981年度夏学期に東京大学教養学部文科一類の1年生を相手に講ぜられた法学の入門講義を基に著された三ケ月章教授の『法学入門』(弘文堂・1982年)を読むと,「イギリスの弁護士はバリスタというのか」と当該講義を受けた初々しい若者たちは理解したもののように思われます。

 

  法律家――法廷実務家――の役割には二つの異なったものがあることが,西欧とくに英米では強調されてきた。その一つは,裁判官として法を運用するという役割であり,もう一つは,相対立する当事者の利益をお互いに代弁しつつ裁判官に働きかけるという役割である。弁護士というものは,もっぱら後者の役割を果たすために存在するものであることはいうまでもない。そして,裁判官層のことをベンチといい,弁護士層のことをバーと呼ぶ慣例がある。裁判官はベンチに腰をかけて訴訟指揮を行ない,弁護士(イギリスにおいてはバリスター)は,法廷に設けられるバー(横木)のところに立って発言するというところから名付けられたものである。(三ケ月122123頁)

 

 「弁護士(イギリスにおいてはバリスター)」といわれれば,日本の弁護士とイギリスのバリスタとが一対一対応するものと理解するのが当然でしょう。

 法学教育に関しても,バリスタのみが言及されています。

 

  ・・・徒弟教育の伝統が現在までなお顕著に認められるのは,イギリスにおける法学教育である。元来イギリスにおいては,コモン・ローは大学での学習の対象ではないという伝統が形づくられており――大学で法が教育されることがあっても,それはローマ法を主軸とするものであった――,ひいてイギリス固有の法を学ぶことを志す青年達は,大学ではなく,法廷実務家――バリスター――の自治的集団ともいえるインズ・オブ・コート(Inns of Court,法曹学院と訳しておく)において,一種の共同生活を通じて法を学ぶという仕組みが確立するに至ったのであった。そして,こうした伝統は現在でも形の上では引き継がれているのである。(三ケ月147148頁)

 

 法廷実務家になるための勉強は大学などでするものではなくて,大学アカデミズム外で先輩後輩関係の下みっちり親身の手ほどきを受けるのが正則だよ,ということであれば,確かになるほどとうなずかれる点があります。これに対して,現在の我が国の法科大学院制度は,文部科学省隷下の大学側が,単なる当てはめに堕することなき知的かつ質の高い研究を本来専らとすべきその教員らを惜しむことなく動員して,法廷実務家育成の領域に大きく踏み込むことを意図した制度のように思われます。ただし,その成果についてはいろいろ議論があるようです。(なお,文部科学省は,国立大学法人には法学教育は余り期待していないようです。千葉大学時代の故星野英一教授が生前同省にわざわざ出頭して陳情しても,同大学に法学部の設立は認められなかったということでした。いわく,「千葉大時代も,千葉大は法経学部法学科だったのですが,法学部を独立させようという運動があり,私も法学科主任として千葉県選出の国会議員や,文部省の大学局長,大学課長,課長補佐の所まで行っています。法経学部長などと一緒でした。しかし,国立の法学部はあまり増やしたくないというのが文部省の戦後一貫した考えだということのようでした。戦後初め九つ,後から増やしたのが六つで止めています。」(星野英一『ときの流れを超えて』(有斐閣・2006年)230‐231頁))

 

(2)バリスタとソリシタ

ところが,現実には,イギリスにおける弁護士に相当する専門家はバリスタばかりではありません。ソリシタという専門家が存在します。

 

ア 両者の概要

両者について,司法研修所『平成18年度 刑事弁護実務』には次のようにあります(16頁)。

 

  イギリスでは,バリスターは原則として主要な裁判所での弁論権を独占し,ソリシターは依頼者から事件の依頼を受け,法律問題について助言し法律的文書を作成する等の法律事務を行っていた。ソリシターは,一定の下級裁判所以外では弁論を行うことはできないし,バリスターは,ソリシターを通じて訴訟事件を受任するので,原則として直接に依頼者に会うことはできなかった。しかし,1990年(平成2年)11月に「裁判所及び法律サービス法」が成立し,一定の要件を満たしたソリシターに上位裁判所の法廷弁論権が認められることになった。また,バリスターもソリシターを介さずに直接依頼者から受任できるようになり,バリスターとソリシターがパートナーシップも組めるようになったので,弁護士職種の区分制度は変更されつつある。

 

 イギリスでは,弁護士職種が2分されている。バリスタ及びソリシタである。少なくとも1990年より前の段階においては,両者はパートナーシップを組むことはなく,依頼者とのアクセスはソリシタが独占していた。一定の下級裁判所で解決できる程度までの法律問題はソリシタが処理してしまい,主要な裁判所での弁論が必要なときにだけバリスタにお呼びがかかっていた,ということのようです。

 兼子一教授の『裁判法』(有斐閣・1959年)では,「各国の弁護士制度」中イギリスの制度については次のように説明されていました(248249頁・注(2))。

 

  弁護士に相当するものとして,バリスター(barrister)とソリシター(solicitor)の2種がある。前者は〔,〕1608年ジェームス1世の時代に特許された法廷弁護士ともいうべきもので,法廷で弁論することを職務とし,特に最高裁判所(註)ではこの資格がなければ出廷できない。バリスターの養成は特殊コースで,インズ・オブ・コート(Inns of Court)の一で,先輩によって法曹及び紳士としての訓練を受けて修業する必要があり,資格取得後もその所属インの監督を受ける。一般には依頼者と直接交渉せず,又報酬も受けないで,ソリシターを通じて事件を引受ける。バリスターは,社会的地位も高く,上級裁判所の裁判官は,この資格を有する者から任用される。ソリシターは,1874年に設けられ,いわば法廷外弁護士で,当事者の依頼を受けて契約書の作成,法律事件の相談に応じ,又訴訟になればバリスターの下準備をする外に,下級裁判所では自ら弁論もできる。資格としては,先輩のソリシターの下で5年間修習して試験に合格することである。・・・

 

(註)なお,兼子教授のいう「最高裁判所」は,「一審の裁判所としてのHigh CourtCrown Court(刑事裁判所),二審のCourt of Appeal(控訴院)――これらを併せてSupreme Court of Judicature(最高法院)とよぶ」(田中英夫『英米法総論 下』(東京大学出版会・1980年)366頁)とされるSupreme Court of Judicatureのことであって,最高の裁判所としてのHouse of Lordsのことではないように思われます。

 

イ バリスタ先生の収入と矜持

「社会的地位も高く」といわれても,我が国でいうところの武士は食わねど高楊枝で(「お武家さま」だから,裁判官はそこから任用されるのでしょうか。),見栄を張って報酬を直接受け取ることもないバリスタ(しかも自らの「報酬額の決定にはいっさい口出しをしてはならないとされている」そうです(田中・下405頁)。)よりは,お客さまを自らしっかり握っているソリシタの方が強いですね,これは。

 

・・・成功したバリスタは高い収入をあげることができるが,若い間は,同じ年頃の開業医,歯科医,ソリシタ,会計士よりもずっと低い収入に甘んじざるをえない。そのために,バリスタになるのは,親が金持ちで,若い時に収入がない間をどうにかやっていけるような人々が多くなった。・・・(田中・下412頁)

 

 バリスタは,ソリシタよりも「ずっと」収入が低いそうです。無論「成功したバリスタ」は別なのでしょうが,成功したバリスタがいるということはその反面として成功しないバリスタもいるということになりますので,成功しないで貧乏なままの(そしてやがて廃業する)バリスタもまた存在するわけでしょう。「バリスタという称号は,正確にいえば学位のようなもので,バリスタ号をもっていても実務に従事しているとは限らないし,実際にも,実務に従事しないバリスタの数はかなり多い」そうです(田中・下404頁)。Superior courts(管轄権について事物・訴額などに制限のない一般的管轄権をもつ裁判所であって,巡回制が活用されているもののイングランド及びウェイルズを通じてロンドンに一つしかない。)で弁論できるのはバリスタに限られるといっても,イギリスの民事・刑事事件の大部分はソリシタが弁論できる裁判所(county court, magistrates’ court, 各種administrative tribunals等。なお,管轄権について事物・訴額などで制限のある裁判所がinferior courts)で処理されているそうですから(田中・下365367頁,407頁),経済的に,バリスタの弁論独占権の有難味は絶対的なものではないようです。(なお,1970年代の観察では,「むしろソリシターの方が試験が難しい」とされています(吉川精一『英国の弁護士制度』(日本評論社・2011年)46頁。また98頁)。バリスタ試験に合格するための試験勉強も,予備校(Crammer School)で3箇月も勉強すればよかったようです(吉川97頁参照)。)

 「依頼者との交渉から解放されているバリスタは,学者的実務家とでもいうべき存在であるといえる」とは田中英夫教授のバリスタ評です(田中・下405頁)。「学者的」という形容詞を,自らも学者である田中教授は肯定的に用いたものか否か。(「英国では大学で法律を教えているのは実務家として成功できないからだといわれている。ラスキは,ある夕食会で,裁判官は「無限の優越感」を,大学の先生は「完全な劣等感」をもっていることを発見したと語っている」そうではあります(吉川97頁・注(8))。)

「社会的地位もバリスタのほうが〔ソリシタよりも〕高く,・・・経験を積んだソリシタが,かけだしのバリスタの事務所におもむき,バリスタの時間の空くのを待つというような現象も起こりうるわけである。」ということで,「バリスタが「先生」的扱いをうける」そうですが(田中・下404頁),確かに大学の「教授」「准教授」というような学者的肩書のある方々のところへはこちらから赴くのが我が国においてもエチケットでしょう。しかしながら,当該作法が示されることをもって直ちに自らの学問ないしは業績に対する評価又は自己に対する献身であるものと勘違いするような軽忽な「先生」は,そこで自得してしまって小さな部屋に閉居してそこに訪れに来る熱意ある少数者と有益な議論をしてさまざまな思考へと導かれているばかりとなっては,やがてだれからも相手にされなくなるかもしれません。無論杞憂でありましょうが。
 「1970年代のソリシターはパブリック・スクールを卒業しオックスフォードやケンブリッジに学んだ経験のある者が多く,その社会的地位もバリスターに匹敵している」のでした(吉川67頁)。 

 

イギリスの法曹の2部門は,機能を異にしながら,上下関係にはなく対等関係にあることに注意しなければならない。(田中・下406頁)

 

ウ Man of affairs vs.学者的実務家

 ソリシタは,「依頼者からどんな事件を持ち込まれても,それを一応こなしうるだけの能力」を持ち,「family lawyer的な存在」であって,「雑多なトラブルを法律家の眼で整理し,適切な(法律的あるいは実際的)助言を与え,必要があれば法律文書の作成,手紙の起草,交渉等」を主に行うman of affairs”であるとされています(田中・下408409頁)。やり手でなくては務まりませんね。

 「バリスタは,ソリシタによって整理された形で事件を見」ますので,「裁判官になる前から,裁判官の眼に近いような一歩離れた立場で事件を眺める習慣」を有するようになります(田中・下428頁)。バリスタは,田中英夫教授によれば,「専門医的存在」であり,「依頼者との応接から解放され,手紙や電話に煩わされることもずっと少な」く「特定の法分野について深い知識を備えるだけの余裕」を持ち,「学者的実務家とでもいうべき風格を備えるにいたる」ものとされています(田中・下409頁)。ちなみに,田中教授は1982年度から1983年度までの東京大学法学部長でしたが,学内行政に関する応接や手紙・電話は苦手であったのではないかとも想像されます。

 バリスタ・ソリシタの二分主義について,田中英夫教授は,「とくに法曹一元の制度のもとでは,望ましいことのように思われる。」としています(田中・下416頁)。「法曹一元の制度のもとでは」というところが微妙な限定句です。依頼者の時として混乱した言い分を辛抱強く聴き取り,あるいはその欠落した記憶の隙間を埋め,紛失した証拠に代わる証拠を捜索して準備書面等にまとめるというような現場に密着したソリシタ的業務の部分は,裁判官にとっては本来直接関係すべき業務ではないということでしょう(本人訴訟対応の場合はまた別なのでしょうが。)。

 弁護士実務の実際においても,ソリシタ的業務のリズムとバリスタ的業務のリズムとの相違はしばしば感じられるところです。じっくりと問題について調べ,考え,起案するバリスタ的業務のリズムをかき乱す者は,実はman of affairsとしての弁護士に何でも頼ることにしてしまった慌ただしい当の依頼者であることが往々にしてあるようです。

 

2 ソリシタ等の歴史

 

(1)1873年のSupreme Court of Judicature Act

 ところで,前記兼子教授は「ソリシターは,1874年に設けられ」と述べていますが,これでは,我が国の代言人制度が1872年に始まったことと比べても遅いようです。実は,ソリシタ制度にはやはり長い前史があり,「バリスタとの利害の抗争の中で,アトーニ,ソリシタ,プロクタの三者は,一体感を強め」,「その中でソリシタが優位に立つ」ようになったところで,「1873年のSupreme Court of Judicature Actにより,アトーニ,ソリシタ,プロクタの三者が統合され,solicitor of the Supreme Court”となったのである」そうです(田中英夫『英米法総論 上』(東京大学出版会・1980年)170頁)。

 

(2)追放されたアトーニ(コモン・ロー系)

 アトーニ(attorney)は,コモン・ロー法曹として,13世紀の中葉に「当事者の代理人として事件を裁判所に持ち出す役」として登場したものだそうです(田中・上76頁)。あるいは,アトーニについては,「訴訟当事者の「身代わり」alter egoたる機能をもつ者として英国裁判史に登場」し,「元来訴訟当事者の身代わりとして出頭義務を果たす機能をもつにすぎなかったので・・・必ずしも弁論術や法知識を必要とせず,当初は,訴訟当事者の身内・知人がこの身代わり役になっていた〔が,やがて〕第三者からも選ばれるに至る。そして,最も多く選任の対象となった者は,裁判手続にも最も関係の深いシェリフ,ベイリフ等の裁判所吏員だった」とされています(吉川8頁)。ただし,アトーニは,13世紀後半に成立した「当事者の主張を法的に構成することをその任としたnarrator」(14世紀からはサージェント(serjeant)。「国王はかなり早くから,その裁判官をサージェントの中から選ぶという政策をとった。」)及びサージェントの下で法曹としての訓練を受けたapprentice14世紀末には今日のバリスタの前身としての性格を持つに至る。)の下位であって,バリスタの属するInns of Courtの従位機関であるInns of Chancery15世紀に発生)に属していました(田中・上7677頁。なお,吉川15頁によればInns of Court構成員中における最上層にあるBencherからサージェントが選ばれる慣行であったわけであり,同16頁によれば主要な国王裁判所における弁論権がバリスタに与えられる慣行については「いつこのような慣行が生じたかは明らかでないが,少なくとも16世紀中期にはバリスターはこの権限を有していた。」とされ,同12頁はInns of CourtとInns of Chanceryとの関係は必ずしも明確ではなかったとし,同17頁によればアトーニもInns of Courtに属するものの「もっとも多くのアトーニーは,インズ・オブ・チャンセリーに所属した」とされています。)。しかしながら,16世紀の中頃にはアトーニはInns of Courtから追い出され(印刷術の発達で書物が容易に入手できるようになり,Inns of Courtの講莚に列することをサボるようになったからだそうです。),17世紀後半にはアトーニからバリスタへの昇進の道も閉ざされ,バリスタとは独立の法律家層を形成し,ソリシタ及びプロクタと肩を並べることになります(田中・上126頁)。このバリスタとアトーニとの分立の理由としては更に,「アトーニーの資格授与およびその監督は当該アトーニーが実務を行う裁判所によって行われたが,バリスターの場合にはその所属するインズ・オブ・コートがこれを行った」という資格授与の方法及び監督に関する相違並びに「アトーニーの業務はプリー〔と呼ばれる書面〕の提出や令状の「購入」〔金を払って発行を受けること〕といった事務的色彩が強く,したがって裁判所の書記官との接触がきわめて多かったのに対し,バリスターの業務は裁判所において法理論を展開し,証人尋問を行うことなど学問的・法廷技術的要素が強かった」という職務内容の違いがあったことも挙げられています(吉川18頁)。
 なお,サージェントも
1873年の改革の際になくなり,バリスタに一本化されます(田中・上170頁参照)。「サージェントが没落していった最も大きな原因は,サージェントが本質的に中世コモン・ローを修めた純粋法律家であって流動的な新時代の要求に応えきれなかった点にある」とされています(吉川21頁)。

 

(2)事件屋ソリシタ(エクイティ系)

 ソリシタは,コモン・ロー法曹ではなく,エクイティを専門とする法曹として登場しています。「エクイティの手続の複雑化に伴い,一定の事項については,書面で答弁することが許されるようになった〔エクイティでは,当事者本人が大法官のもとに出頭して申し開きをするのが本来の原則〕。そして,15世紀に入ると,この書面の起草を引き受ける人間が出て来る。そして,16世紀中葉には,エクイティの手続でソリシタを用いることが一般化し,一つの職業と認められるようになったといわれる。とはいっても,ソリシタは,その言葉の元来の意味通り事件屋的存在であり,この時代には専門職業としての自律もなく,裁判所による規律の手も及んでいなかったといわれる。」とのことでした(田中・上125頁)。ソリシタが事件屋的存在であるということについては,訴訟当事者若しくはアトーニのために「相手方の動きを調査したり,訴訟の状況を当事者に報告したりするような補助者」又は「自分の所属していない裁判所」で「その裁判所所属のアトーニーに依頼して自らの依頼者の事件処理を行った」アトーニもソリシタの母体となったというような由来があるからであるということでしょうか(吉川19頁参照)。

 

(3)アトーニとソリシタとの協力

 アトーニとソリシタとは,18世紀には一つの階層にまとまって行く傾向を示します。バリスタに対して自らの職業的利益を守るために協力した彼らは1729年にSociety of Gentlemen Practisers in the Courts of Law and Equityを結成,また,同じ「1729年のAn Act for the Better Regulation of Attornies and Solicitors(アトーニおよびソリシタの規制の強化に関する法律)は,アトーニとソリシタの訴訟代理権を保障」し,更に「18世紀の中頃には,訴訟に関連のある事務のみならず,訴訟に直接関連のない事務についても,バリスタはアトーニかソリシタの手をへなければ事件を引き受けてはならないという原則が,樹立」されます(田中・上149頁)。

 

(4)少数派プロクタ(ローマ法系)

 「Court of Admiraltyおよび教会裁判所では,中世以来,ローマ法・教会法に詳しい者が弁論していた」ところ,これらローマ法系の法曹におけるサージェントないしバリスタに相当する人々はadvocate”と呼ばれ,そのadvocateの下に「アトーニないしソリシタに相当する階層」として発生して17世紀初めに一つの法律家層として認められるようになったのがプロクタ(proctor)です(田中・上125126頁)。

 

(5)ソリシタへの統合

 1873年にアトーニ,ソリシタ及びプロクタの三者がソリシタに統合された理由は,「プロクタの地位は,彼らが実務に従事していた〔ローマ法系の〕海事裁判所と教会裁判所の重要性の減少とともに,低下した」からであり,「〔コモン・ロー起源の〕アトーニとソリシタの間では,複雑な計算関係を含む――従って商事関係の,利益の多い――事件がエクイティ裁判所の管轄に属していたこともあって,ソリシタのほうが重要な地位を占めるようになった」からだそうです(田中・上170頁)。なお,「アトーニーとソリシターは18世紀初頭までに区分できなくなっていたが,彼らは「アトーニー」よりも「ソリシター」という名称を好んだ。というのは,「ソリシター」という言葉には「三百代言的」などの悪い形容詞との結びつきがな」かったからだともされています(吉川29頁)。18世紀初頭には,追剥ぎ兼業のアトーニや住所不定のvagabond attorneyもいたそうです(吉川24頁注(95))。

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 (東京都大田区の「追剥坂(おいはぎ坂)」。 追剥弁護士が出る坂か,vagabond弁護士が浮浪する坂か。)
 

 ちなみに,「弁護士について単層主義がとられ,かつそれがイギリスのソリシタの線で組み立てられたことが,アメリカの弁護士制度の基本を決定」したそうですが,「ただしその名称としては,エクイティ起源のソリシタでなく,コモン・ロー起源のアトーニという言葉が選ばれた」そうです(田中・上252頁)。


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1 法学と語学


(1)三ケ月教授の「法学入門」

 法学の学習は,外国語の学習にたとえられることがあります。1981年の4月から9月まで東京大学教養学部文科一類の新入生を対象に駒場においてされた「法学入門」の講義を基に著された『法学入門』(弘文堂・1982年)において,三ケ月章教授のたまわく。



・・・法を学ぶには,外国語を学ぶ場合とまったく同じく,反覆を気にしてはならず,むしろそれを意欲すべきなのである。何回も何回も異なる角度からではあるが同じ問題を撫で直すことが,法の学習には不可欠である。ただ忘れてはならないことは,同じ問題を撫で直すたびに,ちょうどらせん形の階段を昇るように,少しずつでもあれ高みに上ってゆかねばならないということであり,単なる繰り返しを重ねていればいいというものではないということである。・・・(「法学をこれから学ぼうと志す人たちに―凡例を兼ねて―」
6頁)


 さらにいえば,法学の履修と語学の履修との間には思わぬ類似性があることも,ここで指摘しておくべきだろう。

 (a)語学の学習というものは,いわば底のないものであり,一定の範囲内のものをマスターすればそれで終わるというものでは決してない。・・・一定の完結した理論や体系を観念的に消化すればそれで事足りるという性質のものではないのである。ところで法学の履修ということも,これと酷似する一面がある。・・・他者の思考の産物をただ取り込んだものを吐き出せるようになれば法学の履修が完成した,などといえるものではないのであって,わがものとした知識を無限に新しく生じてくる問題に適切な形で活用しうるような応用力を自らの中に貯えるということが,法学学習の一つの目標なのである。・・・

 (b)語学力をつけるためには,文法や構文の原理等の一定の規則を身につけることが基礎になければならないが,法を学ぶ場合にも似たような面があるわけである。また,語学力を伸ばすためには・・・苦心して単語を記憶するという労をふまねばならぬわけであるが,法律を学ぶについても,条文の内容はもちろん,過去の判例や現在の学説など法的思考の道具となるものを正確に記憶し,いつでもそれが取り出せるような形で頭の中に整頓しておくということが必要である。・・・「予習」と「復習」が不可欠であることでも,語学の学習と法学の履修の間には,大きな共通性があるのである。

 (c)・・・法を学ぶ者は,過去において少なくも一度は語学の学習という新しい壁にぶつかり,それと格闘してやがてそれを突き抜けたという経験をもつはずであるから,それを思い起こしてみれば,法の学習の過程で突き当たる戸惑いを克服する上で大きな参考となる・・・。(260-261頁)


 ところで,法学履修に当たっては語学学習の方法論が生かされるということのみが三ケ月教授によって説かれたわけではありませんでした。語学の習得は,また,それ自体として,来るべき時代の我が国の法律関係者にとって極めて重要な素養であるということも熱く説かれていました。



・・・自らのもつ問題を自主的に解決するためにも,目を外国の動向に注ぎ,ひろく世界の現況を見わたすという能力が,これからの法律家にとっても強く要求されることになる。そして,そのためには,これらの国の文献を自ら読破することが不可欠であるのはいうまでもない。・・・法に携わる者が,世界の動向を洞察するための最も基礎的な武器として語学力を磨くという必要は,今後も増大することはあっても減少する見込みはない・・・。(三ケ月・前掲260頁)


・・・今や,外国法を学び外国語をマスターするということは,これまでとは違った新しい意味を帯びてきつつあるということも,われわれは見抜かなければならない。それは右にみたように,世界各国が共通に解決しなければならない法律問題のために,日本もまた法の先進諸国とまったく同じ立場において競争し,場合によっては指導さえしなければならないということとも関連するし,また,日本の打ち出す独創的な解決方法が,諸外国の法律家の視線を浴びることが,これまでよりも繁くならざるをえないという事態とも対応する。今後日本の法に携わる者は,単に「自国のため」という狭い視野にとらわれることなく,ひろく世界共通の問題の解決のために自らの工夫を公開し,共通の問題と苦闘する諸外国での解決のための一つの参考例を提供し続けるということが,日本の法および法学の一つの新しい任務となってくるはずなのである。(274-275頁)


・・・日本が次に暗黙に目標として掲げたのは,経済力を背景として世界の列強に伍するということであった。このような努力はある程度は成果をあげたとはいいながら,そのような形を通じての国際社会への参画のみでは,一種の成金趣味という批判を免れることはできまい。これにくらべて,国際社会に真に尊敬されうる形で仲間入りをし,永続する形で影響力を及ぼしてゆくためには,文化的な面での貢献をなすことが必要であるはずである。(277頁) 


 当時の若者たちは,三ケ月教授から重い期待をかけられていたようです。しかし,"Japan as No. 1"の時期から,プラザ合意を経て,貿易摩擦,バブル経済の狂騒と崩壊,そして長い停滞の時代・・・どれだけの達成があったものか。少なくとも,日本にとってふさわしい必要な語学力を身につけた人材が足りていないではないかという慷慨は,結局昔の日本人の間でも今の日本人の間でも変わっていないようです。


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(2)「断片」の深み

 語学の学習は「底のない」ものではあります。しかし,一応の到達目標はどれくらいのものでしょうか。例えば,古代ギリシャ語については,「紙に書かれた断片を見ても,すぐこれがサッフォーのギリシャ語か,ルキアヌスのものか,プラトンのものか分かるようになる」レベルにまで至ると――「考えてみれば,われわれも清少納言と西鶴と漱石と芥川龍之介と大江健三郎のテキストを見せられれば,その区別はつくので」――ほぼ「母語のレベル」に達したことになるものであるとされ,また,そこまで古代ギリシャ語の知識のレベルを上げるための詳しい学習書とそれに附属の「二十数冊」の厖大な練習問題とが実はこの世には存在するということが紹介されています(千野栄一『外国語上達法』(岩波新書・1986年)92-93頁)。

 「ヨーロッパの伝統的な大学の「文献学」の卒業試験は,多くの場合一片のテキストが与えられ,そのテキストの書かれた時代と地方をいろいろな言語特徴から当てることなので,これが専門家のためのレベルということになる」そうです(千野・前掲93頁)。


 以上は外国語の学習のはなしです。それでは法学の履修効果はどのように現れるものでしょうか。

 一片のテキストから,どれくらいのことが当てられるものか,一つの興味深い断片を材料に検討してみましょう。


2 公社に関するテキスト分析


(1)あるテキスト

 ある法律関係書の中に,次のような一節がありました。



・・・同氏は内閣総理大臣の任命により○○公社の・・・総裁に就任・・・


 一見極めてもっともらしいテキストです。

 しかし,当該分野に関する経験,理解又は知識が相当ある人間がこれを読むと,当該テキストが書かれた環境について何ともいいようのない感覚に襲われてしまうものなのです。

 とはいえ,その感覚とはどのようなものかを御説明するためには,上記テキストを細かく分析することが必要ですね。


(2)様々な公社

 まず,「○○公社」の正体を探りましょう。

 法令用語としての「公社」については,吉国一郎ほか歴代内閣法制局長官共編の『法令用語辞典<第八次改定版>』(学陽書房・2001年)において,次のように説明されています。



 「公社」の用語は,昭和246月旧日本専売公社法(昭和23法律215号)により,それまでの大蔵省専売局が独立の公法人たる「日本専売公社」に改組された際初めて用いられた用語である。旧日本専売公社と同時に設立された旧日本国有鉄道には「公社」の名称は用いられなかつたが,昭和277月,「日本電信電話公社」が設立されるに及んで,これら3者を総称する用語として,しばしば「公社」の用語が用いられるようになつた。・・・ちなみに,「公社」の名称をもつ公法人としては,昭和31年に設立された原子燃料公社があつた・・・なお,地方住宅供給公社,地方道路公社及び土地開発公社は,それぞれ地方住宅供給公社法,地方道路公社法及び公有地の拡大の推進に関する法律に基づいて設立された特殊法人であつて,「公社」の名称を有するが,これらの設立は地方公共団体によつて行われ,その業務は地方公共団体の行政事務の処理に当たるものであるから,上記の政府関係法人たる「公社」と異なる。・・・(246-247頁)


 本件テキストにおいては,「○○公社」であってその名称中に「公社」が含まれていますから,「○○公社」が旧日本国有鉄道である可能性は排除されます。「内閣総理大臣」が総裁を任命するというのであるから日本国政府の関係法人であって,地方公共団体によって設立される地方住宅供給公社,地方道路公社及び土地開発公社も除かれます。そうであれば,「○○公社」は,旧日本専売公社か,旧日本電信電話公社か,旧原子燃料公社か,それともあるいは,2003年に設立され2007年に解散した旧日本郵政公社か。

 しかし,旧日本専売公社,旧日本電信電話公社,旧原子燃料公社及び旧日本郵政公社以外にも「公社」を名称に含む法人が存在し,ないしは存在していたのではないかなおも心配ではあります。そこで,国立国会図書館のウェッブ・サイトの「日本法令索引」ウェッブ・ページで,「公社」の文字を題名又は件名に含む法律,勅令及び政令について「制定法令検索」をかけてみたところ,やっぱり,次のような旧法律が見つかりました。


 連合国軍人等住宅公社法(昭和25年法律第82号)

 特別鉱害復旧臨時措置法(昭和25年法律第176号)


 特別鉱害復旧臨時措置法については,特別鉱害復旧公社解散令(昭和25年政令第355号)という関連政令があったところです。

 では,旧日本専売公社,旧日本電信電話公社,旧原子燃料公社,旧日本郵政公社,旧連合国軍人等住宅公社及び旧特別鉱害復旧公社について,それぞれのトップと,その任命権者について見てみましょう。


 まず,特別鉱害復旧公社。トップは理事長であって(特別鉱害復旧臨時措置法191-2項),「総裁」ではありません。理事長の任命権者は通商産業大臣(同法20条)。(ところで,この公社の主たる事務所は福岡市にあったのですね(同法141項)。)

 連合国軍人等住宅公社。トップは理事長で(連合国軍人等住宅公社法10条,111項),やはり「総裁」ではない。理事長は,「特別調達庁長官をもつてこれに充てる」ものとされていました(121項)。

 日本郵政公社。トップは堂々たる響きの総裁(日本郵政公社法(平成14年法律第97号)8条,101-2項,111項)。しかし,総裁の任命権者は,小泉純一郎内閣総理大臣自らが郵政民営化に熱心であったにもかかわらず,総務大臣となっていました(同法121項)。

 原子燃料公社。トップはやはり理事長(原子燃料公社法(昭和31年法律第94号)8条,91項)。マイナーな公社のトップでは,「総裁」とは名乗れないようです。しかし,原子燃料公社の理事長の任命権者は,内閣総理大臣です(同法101項)。

 日本電信電話公社。トップは総裁(日本電信電話公社法(昭和27年法律第250号)19条,201項)。総裁の任命権者は,おっ,内閣(同法211項)。

 最後に日本専売公社。トップはこれも総裁でしたが(日本専売公社法10条,111項),その任命権者は大蔵大臣でした(同法121項)。

 (ちなみに,日本国有鉄道ですが,トップはこれも重い職名の総裁で(日本国有鉄道法(昭和23年法律第256号)18条,191項),その任命権者は内閣でした(同法201項)。)


 以上見たところから,「総裁の人事の話だし,「内閣総理大臣内閣」だろうから,「○○公社」の○○には「電電」が入って,これは,日本電信電話公社のことを対象に書かれたテキストなんだね。」と推理した人は,正解です。本件テキストの実際は,



・・・同氏は内閣総理大臣の任命により電電公社の・・・総裁に就任・・・


と書かれていたものでした。

 しかし,脱力です。


(3)お花畑の発見

 なぜ脱力感にさいなまれるのか。

 堂々たる法律関係書籍中に本件テキストを書いてしまった人物は,そもそもの基礎的な1次資料である日本電信電話公社法の条文に注意して当たって裏をとらずに,ないしは,同じ傾向の現れということになりますが,「法的思考の道具となるものを正確に」記憶ないし理解しないまま勇敢にもものした作文をもって「仕事」をしたことにしてしまい,そして,そのように果敢な節約が許容され,かつ,更にそのような「仕事」が評価される環境にあって優美に盤踞しているものと想像されるからです。厳しい作法のアカデミズムの世界,とは全く異なった,お花畑ですね。前者にあっては,「他者の思考の産物をただ取り込んだものを吐き出」す場合であっても,それ相応の丁寧さが必要である云々ということでわずらわしいのでしょうが。

 しかし,


 内閣と内閣総理大臣とは,違います。

 法律の専門家は,両者を混同しないものです。


 とはいえ,脱力状態から気を取り直して考えれば,上記横着は,そこから問題意識が喚起され,さまざまな思考へと導かれるきっかけではあります。


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3 内閣と内閣総理大臣
(1)内閣
 

 内閣は,「その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する」ものと規定されています(憲法661項,内閣法2条)。合議体の機関であって,「内閣がその職権を行うのは,閣議によ」ります(内閣法41項)。


(2)内閣総理大臣とその三つの顔

 内閣総理大臣は,三つの顔を持っています。一つ目は前記の憲法及び内閣法の規定のとおり,内閣の首長です。ただし,飽くまでも首長であって,内閣それ自体ではありません。二つ目は,内閣府の長です(内閣府設置法(平成11年法律第89号)6条)。三つ目は,内閣官房,内閣法制局,国家安全保障会議といった内閣補助部局の主任の大臣です(内閣法24条,内閣法制局設置法(昭和27年法律第252号)7条,国家安全保障会議設置法(昭和61年法律第71号)13条)。


ア 内閣府について

 200116日に内閣府が発足するまでの総理府は,国家行政組織法(昭和23年法律第120号)上は他省と並びの国の行政機関とされていたので,総理府の長たる内閣総理大臣は各省の長である各省大臣(同法5条)と同じだよという説明が可能でした。しかしながら,内閣府は,国家行政組織法から外れて,同法に基づく「行政組織のため置かれる国の行政機関」(同法32項)ではなくなったので,ちょっと性格が複雑です。

 省は,「内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として置かれる」(国家行政組織法33項)のに対し,内閣府は,端的に,「内閣に,内閣府を置く。」(内閣府設置法2条)とされて,内閣官房同様(内閣法121項),内閣に置かれます。「統轄」は,「上級の行政機関等がその管轄権の下にある他の下級の行政機関等を包括的に総合調整しつつ,すべること」(吉国ほか・前掲559頁)であるのに対して,「統轄」抜きですから,内閣との関係が直接的です。

 また,省は「行政事務をつかさどる機関」ですから,各省大臣は,「内閣法・・・にいう主任の大臣として,それぞれ行政事務を分担管理」します(国家行政組織法51項)。ところが,内閣府の長である内閣総理大臣は,「内閣府に係る事項についての内閣法にいう主任の大臣」ではあるのですが,内閣府設置法「第4条第3項に規定する事務を分担管理する」ものと規定されているだけであり(同法62項),同法4条に規定されている内閣府の所掌事務のうち,同条1項及び2項に掲げられたものについては当該「事務を分担管理する」ものとはされていません。「分担管理」は「行政事務を分担して管理すること」(吉国ほか・前掲663頁)ですが,それでは内閣府設置法41項及び2項の事務は内閣総理大臣によって分担管理されるべき行政事務ではないのか,ということになります。しかしながら,それはそのとおりであって,「閣議の事務を直接に補佐する事務及びこれに付随する事務(例えば,内閣官房及び内閣法制局の事務)のごときは,上記の意味での分担管理の対象とはされていない」のです(吉国ほか・前掲663頁)。すなわち,「内閣の職権に属する行政事務のうちには,その性質上,まれに,内閣総理大臣その他の国務大臣の分担管理に属させられることなく,その意味で,内閣に直接属すると認められる事務」があるところ,「内閣府設置法41項及び2項に規定する事務は,その性質上内閣に直接属すると認められる事務であるが,特に内閣総理大臣を主任の事務ママ。「大臣」の誤りでしょう。と定めているものといえよう(内閣府設置法3Ⅰ・Ⅱ・46Ⅱ)」とされています(吉国ほか・前掲379-380頁)。

 内閣府の所掌事務のうち,内閣府設置法41項及び2項に属するものは,200116日より前ならば内閣官房の所掌事務(内閣法122項・3項参照)とされ,内閣府設置法43項に属するものは総理府の所掌事務であった,というふうに考えるのが分かりやすいでしょう。なるほど,内閣府設置法41項及び2項の事務は同法31項の「任務」である「内閣の重要政策に関する内閣の事務を助けること」を達成するための事務とされていますが,当該任務を遂行するに当たっては,内閣府は本家の「内閣官房を助けるもの」とされています(同条3項)。


イ 主任の大臣について

 ところで,「主任の大臣」とは,「ある行政事務を主管する立場における大臣」(吉国ほか・前掲379頁)ないしは「行政事務を分担管理する立場における各大臣」(同663頁)とされています(内閣法31項,国家行政組織法51項)。他方,内閣府設置法41項及び2項の事務は「その性質上内閣に直接属すると認められる事務」であるので,内閣総理大臣は当該事務を分担管理していないのですが,それでもそれらの事務事項についての「内閣法にいう主任の大臣」は内閣総理大臣とされています(同法62項)。「主任の大臣」であるためには,定義上,当該行政事務を主管ないしは分担管理しなければならないはずなのに,当該事務を分担管理していなくても当該事務事項の「主任の大臣」であるというのはどういうことでしょうか。「主任の大臣」の定義が破綻していて,行政事務の分担管理は実はその要素ではないと考えるべきでしょうか。それとも,行政事務の分担管理を「主任の大臣」の要素とする原則は維持しつつ,「その性質上内閣に直接属すると認められる事務」については当該事務を分担管理しない大臣であっても「主任の大臣」とするという例外があるものと考えるべきでしょうか。歴代内閣法制局長官共編の『法令用語辞典<第八次改定版>』は後者の立場を採るもののように観察されます。



・・・もつとも,閣議の事務を直接に補佐する事務及びこれに付随する事務(例えば,内閣官房及び内閣法制局の事務)のごときは,上記の意味での分担管理
内閣の職権に属する行政事務の内閣総理大臣その他の国務大臣による分担管理の対象とはされていないが,この場合でも,これらの事務に関する法律,政令の署名などの必要(憲法74)から,別に主任の大臣が定められる(例えば,内閣法23ママ,内閣法制局設置法7)。(吉国ほか・前掲663頁)


 内閣官房,内閣法制局といった内閣補助部局の主任の大臣としての内閣総理大臣の三つ目の顔は,この,主任の大臣の本来の定義からすると例外的なものである,分担管理していないところの内閣の事務事項に係る主任の大臣としての顔ということになります。


 しかし,「これらの事務に関する法律,政令の署名などの必要(憲法74)から,別に主任の大臣が定められる」という説明には興味がそそられます。行政事務は主任の大臣間で分担管理されるということを我が憲法は前提としていて,「法律及び政令には,すべて主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。」と規定する憲法74条は,当該前提に基づくと同時に当該前提の存在の証拠となるものである(「憲法は「行政各部」と「主任の大臣」について定め(72条・74条),法律の立案・運用について所管するものの存在を予定している。」(佐藤幸治『憲法第三版』(青林書院・1995年)219頁),というのが通常の説明なのですが,憲法74条の「署名」の必要から主任の大臣をひねくり出すという,逆立ちした論理がここに現れているように見えるからです。そうだとすると,そもそも憲法74条の存在が必要とされることとなった直接の理由であるものと解される同条の署名及び連署とは何なのだ,ということが問題になります。よく考えると,これらの署名及び連署の趣旨は分かりにくいところです。しかし,この問題は,ここで寄り道して論ずるには大き過ぎるでしょう。


(3)帝国憲法時代の内閣と内閣総理大臣 

 ところでちなみに,内閣及び内閣総理大臣が憲法上の存在ではなかった大日本帝国憲法の時代には,実は,内閣と内閣総理大臣との区別はあいまいであったところです。



 行政官庁としての総理大臣の職務に付いては,各省大臣と異なり,特別の一省を置かず,省に相当する名称としては,内閣と称して居る。故に内閣といふ語は,二の全く異つた意義に用ゐられて居り,或は全国務大臣の合議体を意味することが有り,或は内閣総理大臣を意味することも有る。内閣所属職員と曰ひ,内閣に隷すと曰ふやうな場合は,何れも内閣総理大臣の意味である。(美濃部達吉『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)418頁)


 内閣と内閣総理大臣とを混同した本件テキストの筆者は,戦前派の頽齢のお年寄りだったのではないかという推理も可能です。(近代的内閣制度発足に当たって,18851222日の明治18年太政官達第69号は「内閣総理大臣及外務内務大蔵陸軍海軍司法文部農商務逓信ノ諸大臣ヲ以テ内閣ヲ組織ス」としていましたが,同日の三条実美太政大臣による奉勅の達である内閣職権では,「内閣」職権といいつつ,本文中に「内閣総理大臣」はあっても「内閣」はありませんでした。)そうだとすると,体も弱いことでしょうし,今更余り難しいことをいうのもお気の毒ですね。

 

4 公社トップの任命権者としての内閣総理大臣と内閣

 内閣総理大臣がその理事長を任命した原子燃料公社は,内閣によって監督されるものではなく,内閣総理大臣によって監督されました(原子燃料公社法351項)。具体的には,当該事務は,総理府の外局である科学技術庁(科学技術庁設置法(昭和31年法律第49号)2条)の所掌でした(同法88号は「原子力研究所及び原子燃料公社に関すること。」を同庁原子力局の所掌事務とする。なお,科学技術庁の初代長官は,読売新聞・読売ジャイアンツ等で有名な正力松太郎でした。)。

 日本電信電話公社総裁が内閣総理大臣によって任命(閣議決定を経ない。)されたのならば,原子燃料公社との並びからいっても,電電公社は内閣総理大臣によって監督され,当該事務は総理府又はその外局の所掌とされるものであったはずです。しかしながら,現実には,電電公社総裁は内閣によって任命(閣議決定を経たもの)されたところ(辞令の紙の交付は内閣を代表して内閣総理大臣がしたかもしれませんが。),電電公社の監督事務は,内閣が自ら行うものではなく,また内閣総理大臣によって分担管理されるものでもなく,郵政大臣によって分担管理されるものとされ(日本電信電話公社法75条。総裁が内閣によって任命される仲間の国鉄も運輸大臣によって監督されていました(日本国有鉄道法52条)。),郵政大臣の当該事務は郵政省の所掌とされていました(郵政省設置法(昭和23年法律第244号)422号の2等)。


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1 はじめに(民事訴訟のイメージをどうつかむか)


 「貸したお金が返ってこない。困った。」


 というときには,最終的には民事訴訟を通じてお金を取り戻すということになります。

 しかし,民事訴訟のイメージは,一般にはやや分かりにくいようです。(大学新入生向けの「法学入門」の講義を担当された民事訴訟法学の大家であった三ケ月章教授も,「民事訴訟法,略して民訴法のミンソとは,眠たくなる眠素の意味だよ」と韜晦されていたところです。)


 「石松が,あっしから5両借りたのに,そんな金を借りた覚えはねぇってシラを切りやがって返さないんでさぁ。石松は江戸で学問も少しはしたと言うから,真っ当な人間になったと思って証文も取らずに貸してやったのに(そういえば,あの時立会人になってくれた遊び人の金さん,あれから姿を消しちゃったけど,どこへ行ってしまったのだろう。),あっしは悔しくて,悔しくて。お奉行さま,何とかしてくだせぇ。」


 と言って訴え出ると,お奉行さまが横着者の石松をお白洲に呼び付けて,


 「石松,その方,ここにおる政五郎から5両を借りたまま返さないであろう。神妙に耳をそろえて早々に5両を返せ。さもないと,お仕置きが待っておるぞよ。」


 と原告のために恐喝してくれ,かつ,


 「とんでもございません,お奉行さま。政五郎はうそをついているのでございます。そもそも,わたくしが政五郎から5両借りたとの証拠が無いではございませんか。5両もの大金,証文もなしに貸すなんてことがあるわけがないではございませんか。」

 

 と横着者が飽くまでもシラを切り通そうとすると,


 「やいやいやいやい。てやんでぇ。この桜吹雪がすべてお見通しでぇ。」

 「あっ,お前はあの時の立会人の,遊び人の金さん・・・。」


 と,お奉行自ら証人にまでなってくれ,


 「石松,その方,家財は没収,打ち首,獄門。」


 と胸のすくような刑罰まで科してくれる・・・というのは時代劇でのお話です。

 

 民事訴訟は,刑事訴訟とは違って,被告に刑を科するためのものではありません。(民事訴訟では「被告」は飽くまで原告から訴えられた立場の被告にすぎず,犯罪行為をした者として検察官から公訴を提起された刑事訴訟での「被告」とは異なります。ここでの「人」の有る無しは,法律の世界ではよくある,一字違うと大違いの一例です。

 また,裁判官が自分で証人になることはできません。証人となると,「除斥」されて,当該事件について裁判官としての職務の執行ができなくなります(民事訴訟法2314号。刑事訴訟でも同じ(刑事訴訟法204号)。)。時代劇の例えでいうと,桜吹雪の北町奉行は証人になってしまったのでお裁きができないから,南町奉行がする,というような感じになりますでしょうか。遊び人の金さんが,評判の悪い南町奉行・鳥居耀蔵のお白洲に,証人としてのこのこ出頭するというのも妙ですね。

 裁判所が原告又は被告のどちらかをえこひいきするということもありません。裁判所は,原告及び被告を公正に取り扱います。(この点については,ただし,明治5年(1872年)810日の司法省第6号が「聴訟之儀ハ人民ノ権利ヲ伸シムル為メニ其曲直ヲ断スルノ設ニ候得者候らえば懇説篤諭シテ能ク其情ヲ尽サシムヘキノ所右事務ヲ断獄ト混同シ訴訟原被告人ヘ笞杖ヲ加ヘ候向モ候ふ向きも有之哉これあるやニ相聞ヘ甚無謂いはれなき次第ニ付自今右様之儀無之様これなきやう注意可致事致すべきこと」と注意していますから,そのころまでは,民事訴訟において原被告に対して裁判所が拷問をすることもあったようです。)


 ということで,時代劇のお白洲と現在の裁判所は違うのだ,ということは分かりますが,これではまだ,民事訴訟のイメージをどうつかむかという,出発点の問題提起から一歩も進んでいません。さて,どうしたものか。

 何事も初めが肝腎ということで,民事訴訟における訴えの提起のために原告から最初に裁判所に提出される「訴状」という書面に着目して,民事訴訟のイメージの説明を試みてみましょう。(民事訴訟法1331項は「訴えの提起は,訴状を裁判所に提出してしなければならない。」と規定しています。ただし,例外として同法271条などがあります。)



2 民事訴訟規則53条1項と訴状の記載事項


 最高裁判所の定めた民事訴訟規則(これは,国会の制定した法律である民事訴訟法とはまた別のもので,民事訴訟法を補充しているものです(同法3条)。「法律」ではありませんが,憲法77条に規定があり,関係者が従うべきことは同じです。)の第531項は,訴状の記載事項について次のように規定しています。



民事訴訟規則53条1項「訴状には,請求の趣旨及び請求の原因(請求を特定するのに必要な事実をいう。)を記載するほか,請求を理由づける事実を具体的に記載し,かつ,立証を要する事由ごとに,当該事実に関連する事実で重要なもの及び証拠を記載しなければならない。」


 わずか1項,これだけの分量の規定なのですが,見慣れない概念というか言葉が,既にぎゅうぎゅう詰まっていますね。最初の「訴状」は,訴えを提起するために原告が裁判所に提出する書面であるということを前に説明したからよいとして,①「請求」,②「請求の趣旨」,③「請求を特定するのに必要な事実」である「請求の原因」,④「請求を理由づける事実」,⑤「立証を要する事由」並びに⑥「当該事実に関連する事実」及び「証拠」について,それぞれいわく因縁があるところです。

 以下順を追って説明します。


(1)「請求」

 「請求」は日常用語なのですが,民事訴訟法令でいう「請求」は,「一定の権利又は法律関係の存否の主張」ということです(より広義には「それに基づく裁判所に対する特定の判決の要求」をも含みます。)。(ここでいう「一定の権利又は法律関係」を「訴訟物」といっています。)

 「権利」又は「法律関係」という堅いものに係る主張なので,法律的に根拠のある主張でなければなりません。

 お江戸で学問を少々聞きかじってうぬぼれた石松が,そんな生学問など歯牙にもかけない政五郎に腹を立て,政五郎に尊敬心を持たせようと,同人を被告として裁判所に訴えを提起しようと思って弁護士に相談しても,「はて,政五郎さんの内心の真心において,あなたに対する尊敬心を政五郎さんに持ってもらう・・・政五郎さんの真心に関するあなたの不満に基づくその欲求が,あなたの法的権利といえますかねぇ。難しいですねぇ。」とひたすら困惑されるでしょう。(あるいは,「まあ,石松さん,まずはお寿司でも食べて機嫌を直してくださいよ。けれど,私はおごりませんよ。」とでも当該弁護士は考えているのでしょうが。)

 この点,貸したお金を返せ,という場合は,原告の請求は,「消費貸借契約に基づく貸金返還請求権」という堂々たる権利の存在の主張であるということになります。

 消費貸借契約とはまたいかめしい名前ですが,民法がそういう名前を付けているところです。民法第3編第2章は「契約」の章ですが,その第5節が「消費貸借」の節で,同節冒頭の第587条が「消費貸借は,当事者の一方が種類,品質及び数量の同じ物をもって返還することを約して相手方から金銭その他の物を受け取ることによって,その効力を生ずる。」と規定しているところです。


(2)「請求の趣旨」

 「請求の趣旨」とは,「一定の権利又は法律関係の存否の主張」(請求)をしたことによる結論のことです。訴状においては,裁判所から出してもらいたい判決の主文と同じ文言で書かれます。裁判所は,訴状のこの記載で,原告がどういう裁判を求めているかが分かるわけです。

 例えば,50万円貸したからせめて元本の50万円は返してくれ,という場合,「消費貸借契約に基づく貸金返還請求権」という権利の存在を主張した結論としての「請求の趣旨」は,「被告は,原告に対し,50万円を支払え」との裁判を求める,と書かれることになります。

 なお,元本50万円の返還を求めて請求の趣旨に50万円と書いた以上,「政五郎は50万円と言っているけれども,石松の支払が遅れているんだから,政五郎のために年5パーセントの割合の遅延損害金も石松に払わせてやろう。」と,裁判所が気を利かせて50万円を超える金額の支払を命ずる判決を出してくれることはありません。民事訴訟法246条は,「裁判所は,当事者が申し立てていない事項について,判決をすることができない。」と規定しています。


(3)「請求を特定するのに必要な事実」である「請求の原因」

 「請求の原因」は,つづめて「請求原因」といったり,ここでの原因は「事実」であることから,その旨はっきりさせて「請求原因事実」といったりします。

 「請求を特定」しなければならないのは,確かに,そうです。例えば,原告が被告に対する消費貸借契約に基づく貸金返還請求権の存在を主張して「被告は,原告に対し,50万円を支払え」との裁判を求める場合,原告が被告に対して実は何度も50万円を貸していたときには,どの貸金50万円に係る貸金返還請求権の存在が主張されているのかが分からなければ困ります。このようなときには,消費貸借契約が締結された日付によってどの貸金返還請求権の存在が主張されているのかを特定することになりましょうか。(無論,請求の特定のためにどこまで「請求の原因」を具体的に書くかは,他との誤認混同の恐れの程度によって相対的に決まります。一日中に何度も貸付けがあったのならば,締結の「日」よりも細かい記載が必要になったりするでしょう。)


(4)「請求を理由づける事実」

 ここでの「請求を理由づける事実」の事実とは,「主要事実」のことです。

 しかし,「請求を理由づける事実」の事実とは「主要事実」であると,言葉を言い換えただけでは意味が無いですね。

 それでは主要事実とは何かといえば,「一定の法律効果(権利の発生,障害,消滅,阻止)を発生させる要件に該当する具体的事実」のことです。「要件事実」ともいいます。

 図式化すると,


 主要事実a   

 主要事実b

   

  主要事実x    

     

  法律効果(権利の発生など)


 ということになります。

 要するに,風が吹けば桶屋がもうかるではありませんが,要件(主要事実(要件事実))が充足されれば効果(法律効果)が出てくるというわけです。法律効果とそのための要件事実とを結び付けているのが法律の規定であって,法律学生はそこのところを勉強して,専門家になることを目指しているということになります。

 法律効果として,貸金返還請求権に基づく貸金返還請求が認められるためには,次のaからcまでの主要事実が必要です。

 

 主要事実a:金銭の返還及び弁済期の合意 

 主要事実b:金銭の交付

 主要事実c:弁済期の到来

      

 法律効果:貸金返還請求権に基づく貸金返還請求


 以上まででは,まだ抽象的な枠組みです。訴状には具体的な事実(そもそも事実は具体的なものですね。)を書いていかなければなりません。

 上記主要事実a及びbについては,例えば,次のように書きます。


「原告は,被告に対し,平成○年○月○日,弁済期を平成×年×月×日として,○万円を貸し付けた。」


 「貸し付けた」とは意外に平易な表現ですが,ここでは「貸し付けた」によって,金銭の返還合意及び金銭の交付が共に表現されています。


 政五郎が石松に貸した50万円を民事訴訟を通じて取り戻したいと思って弁護士に相談すると,弁護士としては,訴状を書くためには,いつ石松に50万円を渡したのか(主要事実b関係),いつになったら返すという約束だったのか(弁済期の合意。主要事実a関係)を当該事実の当事者たる政五郎に問いただすことになります。「えっ,先生,何でそんな細かいことを訊くんですか。」と言われるかもしれませんが,求める法律効果を得るために必要な主要事実に係る前記のような事情があるところです。具体的な事実を訴状に書かなければなりません。民事訴訟の場合,裁判所は,当事者の主張しない主要事実をしん酌してくれません。また,弁護士は「真実を尊重」するところであります(弁護士職務基本規程5条)。


(5)「立証を要する事由」

 「事由」というのもまた見慣れない言葉です。事由とは,「理由又は原因となる事実」のことです。抽象的な理由ではなく,その理由となる具体的な事実を指すというわけです。

 民事訴訟規則53条1項の文脈では,同項の「事由」は,「請求を理由づける事実」(前記の請求を理由づける主要事実(要件事実))のことになります。

 さて,「立証を要する事由」と書かれていますが,これは,反対方向から見ると,「立証を要さない主要事実(要件事実)」があるということを前提にしています。

 民事訴訟法179条は「裁判所において当事者が自白した事実及び顕著な事実は,証明することを要しない。」と規定しています。

 貸金返還請求に係る前記の主要事実のうち,弁済期の到来(主要事実c)は,暦を見れば分かる顕著な事実なので,証明(立証)することを要しないことになります。主要事実a及びbについては,そのような事実があった(「はい,わたくし石松は,政五郎さんから,平成○年○月○日,弁済期を平成×年×月×日として,50万円の貸付けを受けました。」)と被告が認めてくれれば(自白してくれれば),原告はそれらの立証を要しないことになります(これに対して,刑事訴訟では,被告人の自白だけでは,その被告人は有罪になりません(憲法38条3項,刑事訴訟法319条2項)。)。

 しかし,被告が金銭借受けの事実を否認した場合,原告は,それらの主要事実を立証しなければいけません。この立証が不十分で失敗すると,法律効果を発生させるために必要な要件が充足されていないというわけで,原告の請求は認められず,請求の趣旨に応じた「被告は,原告に対し,50万円を支払え」との判決がもらえないことになります。 


(6)「当該事実に関連する事実」及び「証拠」

 「証拠」には,証拠書類などの物的なもののほか,証人も含まれます。

 立証を要する主要事実(要件事実)を立証するために証拠が必要なのは,分かりやすいところです。「証拠を出せ,証拠を。」とお白洲で開き直るのは,時代劇で悪役がする定番の作法です。

 しかしながら,刑事訴訟の世界では組織力を持つ警察官等が強制力をも用いて証拠を捜査してくれるのですが,民事訴訟の場合はそうはいきません。

 民事訴訟における証拠調べは,裁判所が職権で行うものではなく,当事者のイニシャティヴに委ねられています。裁判所ではなく,当事者が証拠の収集・提出をしなければなりません。

 石松に貸した50万円を取り戻したいとの相談を政五郎から受けた弁護士は,まずは政五郎に証拠について尋ねることになります。


 「現金を渡したんでしたっけ。証拠になる契約書とか取ってありますか。」

 「うーん,ないんですよ。石松は,口ぶりはかしこぶって偉そうなんだけど,相変わらず,物を書くってことができなくてね。」

 「えっ,それはちょっと・・・。じゃあ,お金を貸す時にだれか一緒にいた人はいませんか。だれかいてくれていたのであれば,証人になってもらうよう頼みましょう。」

 「いやぁ,遊び人の金さんていう人がいて,立会人になってもらったんですがね。金さんあれからどこかへ行っちゃって,今どこにいるか分かんないんですよ。」

 「えっ。いや,その金さんて人の住所とか職場とか家族とか分かりませんかねぇ。」

 「いゃあ,金さんは遊び人だからねぇ。あっしとも,まぁ,行きつけの店での楽しい飲み友だちということで,余り身の上の細かい話は訊かなかったんですよ。そこんところは,先生,何とかなりませんかねぇ。」

 「えっ・・・。私は遊び人じゃないから,その方面には詳しくないですよ・・・。」


 次に,「当該事実に関連する事実」とは,立証を要する主要事実(要件事実)に関連する事実ということになります。しかし,関連する事実といわれるだけでは漠然としています。

 「関連する事実」には,①「間接事実」,②「補助事実」及び③その他の事情が含まれます。


ア 間接事実

 間接事実は,主要事実(要件事実)ではない事実で,その存否を推認させる事実です。

 主要事実の存否は,常に証拠(例えば契約書)によって直接証明され得るものとは限りません。その場合には間接事実を積み重ねて,正に間接的に主要事実の存否が推認されるようにしなければなりません。

 政五郎の主張する貸付日の直前に石松が別の知人に50万円の借金を申し込んで断られ,「こうなったら太っ腹の政五郎に頼るしかないか」と言っていた事実や,政五郎の主張する貸付日の直後にいつも貧乏な石松が「政五郎銀行さまさまだよ」と言いながら50万円の買い物をしたという事実などは,当該主張に係る貸付日に政五郎が石松に50万円を貸し付けたとの主要事実の存在を推認させる方向に働く間接事実といえるでしょう。

 民事訴訟規則53条1項の「関連する事実で重要なもの」としては,まず,重要な間接事実があるところです。

 

    主要事実――――認定――→法律効果

  証明  推認

   証拠   間接事実

    

 補助事実


イ 補助事実

 補助事実は,証拠の証明力(証拠の信用性など)に影響を与える事実です。

 例えば,遊び人の金さんの居場所が分かって証人になってもらう場合,金さんが「遊び人」をしているのは仮の姿で,実は金さんは,うそと不正とを認めることのできない立場である非常にお堅い仕事に就いている人であるという事実などは,当該証人の信用性を高める補助事実といえるでしょう。


ウ その他の事情

 主要事実又は間接事実若しくは補助事実に該当しない事情であっても,紛争の全体像を理解するために重要な役割を果たし,裁判所にとって有益であるものがあるところです。



3 まとめ


 また長い記事になってしまいました。

 反省しつつ,ここで要約をしてみると,次のようなことになるでしょうか。


 民事訴訟の場合,求める判決(「請求の趣旨」として訴状に書かれます。)というアウトプットを得るためには,そのための「一定の権利又は法律関係の存否の主張」(請求)をしなければならず,そこにおいて,一定の権利が存在することを理由づけるためには,まず,その権利が発生したとの法律効果を発生させる要件であるところの主要事実に係る主張をしなければならないこと。

 各種法律効果を発生させるために必要な主要事実は法律で決まっていること。(したがって,分かっている事実の範囲次第で,主張し得る法律効果も決まってくること。主張する権利の種類が変わることによって,そのために主張が必要になる主要事実も変わってくること。)

 相手方が自白してくれない主要事実は証拠等によって立証しなければならないこと。

 以上,民事訴訟においては,法律を介して出てくるアウトプットの前提であるインプットとして,事実の主張及び証拠の提出が必要であるが,このインプットが,実は裁判所ではなく,当事者が自分のイニシャティヴでするものとされていること(弁論主義)。捜査機関が犯人及び証拠を捜査し,検察官が公判で犯罪を証明する刑事訴訟とは異なること。


 やはり,分かりにくいですね。 

 いずれにせよ,依頼者の方々からの信頼に応えるために,まず弁護士が研鑽を積まなければなりません。(弁護士法2条は「弁護士は,常に,深い教養の保持と高い品性の陶やに努め,法令及び法律事務に精通しなければならない。」と規定しています。)

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