第1 申込みと承諾とによる契約の成立
民法(明治29年法律第89号)の第522条1項は,2020年4月1日から平成29年法律第44号の施行(同法附則1条及び平成29年政令第309号)によって新しくなって,「契約は,契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示(以下「申込み」という。)に対して相手方が承諾をしたときに成立する。」と規定しています。当該新規定の効能は,「契約は契約の申込みとこれに対する承諾によって成立するとの一般的な解釈を明文化するとともに,契約の「申込み」の定義を明文で定めている」ところにあるそうです(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)214頁)。
契約の内容が示されるのは申込みにおいてなので,「承諾」は,「申込をそのまま承諾する必要があり」ます(内田貴『民法Ⅱ 債権各論』(東京大学出版会・1997年)31頁)。「このように,申込をあたかも鏡のように反映した内容で承諾しなければならないという原則は,アメリカではミラーイメージ・ルールと呼ばれている」そうです(同頁)。“An
acceptance must be positive and unequivocal. It may not change
any of the terms of the offer, nor add to, subtract from, or qualify in any way
the provisions of the offer. It must be the mirror image of the offer.”ということになります(Len Young
Smith, G. Gale Robertson, Richard A. Mann, and Barry S. Roberts, Smith and
Robertson’s Business Law, Seventh Edition, St. Paul, MN (West Publishing,
1988), p.194)。「承諾者が,申込みに条件を付し,その他変更を加えてこれを承諾したときは,その申込みの拒絶とともに新たな申込みをしたものとみなす」ものとされます(民法528条)。
第2 贈与契約の冒頭規定(民法549条)における受贈者の「受諾」との文言
さて,申込みと承諾とによる契約の成立に係る前記のような予備知識を几帳面にしっかり学んだ上で,我が民法における13の典型契約の筆頭たる贈与契約に係る冒頭規定を見ると,いきなりいささか混乱します。承諾であるものと通常解されるべきであろう行為について,なぜか「受諾」という語が用いられているからです。
(贈与)
第549条 贈与は,当事者の一方がある財産を無償で相手方に与える意思を表示し,相手方が受諾をすることによって,その効力を生ずる。〔下線は筆者によるもの〕
なお,同条は,平成29年法律第44号による改正前は次のとおりでした。
(贈与)
第549条 贈与は,当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し,相手方が受諾をすることによって,その効力を生ずる。〔下線は筆者によるもの〕
それまでの民法549条を平成29年法律第44号によって改正した趣旨は,「旧法第549条は,文言上,贈与は「自己の財産」を無償で与えるものとしていたが,判例(最判昭和44年1月31日)は,他人の物を贈与する契約も有効であると解していたことから,同条の「自己の財産」を「ある財産」に改めている(新法第549条)」ものだそうです(筒井=村松264頁)。
平成16年法律第147号による2005年4月1日からの改正(同法附則1条及び平成17年政令第36号)前の民法549条は次のとおりでした。
第549条 贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示シ相手方カ受諾ヲ為スニ因リテ其効力ヲ生ス
なお,契約が申込みと承諾とにより成立することに関して指摘されるべき民法549条の文言の不自然性については,次のように説くものがあります。いわく,「贈与は契約である。申込をするのが贈与する者(贈与者)で,承諾をするのが贈与を受ける者(受贈者)であることを必要とするのではない(549条の文字はそう読めるが,普通の場合のことをいつているだけのことである)。然し,とにかく,当事者の合意を必要とする」と(我妻榮『債権各論 中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1973年)223頁)。しかし,承諾であるべきものが,なぜ法文では「受諾」と呼ばれて「承諾」ではないのかについては,やはりここでも触れられてはいません。(ちなみに,贈与者から申込みがされる場合を普通の場合とする我妻榮先生は,「ねぇ,あれちょうだい,これちょうだい」と受贈者側からおねだり(申込み)をされたことはなかったもの歟。なお,申込みをする側と承諾をする側とが固定されてあるべき場合があることについては,「陰神乃先唱曰,妍哉,可愛少男歟。陽神後和之曰,妍哉,可愛少女歟。遂為夫婦」であれば残念ながら「生蛭児」であって「便載葦船而流之」ということになったが,やり直して「陽神先唱曰,妍哉,可愛少女歟。陰神後和之曰,妍哉,可愛少男歟。然後同宮共住」と正せば「而生児,号大日本豊秋津洲」となった,との日本書紀の記述(巻第一神代上・第4段一書第一)を御参照ください。)
「承諾」の語は,申込みに対する意思表示について用いられるのであって(申込みのいわば外側で使用される。「申込み」←承諾),申込みにおいて示される契約の内容を民法において記述する際には用いられず(申込みのいわば内側においては使用されない。),当該内容記述のためには,「承諾」ではなくて「約する」とか「受諾」の語が用いられるのだ(「申込み:契約の内容の表示(「約する」,「受諾」等)」←承諾),という説明も考えてみました。しかし,委任に係る民法643条は,契約の内容を示す際に「承諾」の語を用いており(「委任は,当事者の一方が法律行為をすることを相手方に委託し,相手方がこれを承諾することによって,その効力を生ずる。」),うまくいきません。しかも,旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)230条では「代理ハ黙示ニテ之ヲ委任シ及ヒ之ヲ受諾スルコトヲ得」と「受諾」の語を用いていたものが,民法643条ではきちんと「承諾」に改められているところです。
第3 法典調査会における議論
1 第81回法典調査会
(1)原案
民法549条は,1895年4月26日の第81回法典調査会に提出された原案においては次のとおりの文言でした(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第25巻』138丁裏)。
第548条 贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示シ其相手方カ之ヲ受諾スルニ因リテ其効力ヲ生ス
(2)箕作麟祥の質疑
やはり似たようなことを考える人がいるもので,筆者と同様の疑問を,第81回法典調査会における審議の際箕作麟祥委員が担当起草委員の穂積陳重に対してぶつけ,両者(及び梅謙次郎)の間で次のような問答が交わされます(民法議事速記録25巻141丁裏-142丁裏)。
箕作麟祥君 一寸詰マラヌコトテアリマスガ伺ヒマスガ此「承諾」ト云フ字テアリマスガ是ハ前ノ申込ノ所ニアルヤウナ承諾ト云フ文字ノ方ガ当リハシナイカト思ヒマスガ何ウテアリマセウカ夫カラ「相手方カ之ヲ」ト云フコトガアリマスガ此「之ヲ」ハ何ヲ受諾スルノテアリマスカ
穂積陳重君 「受諾」ノ字ハお考ノ通リ「承諾」ノ方カ全体本統カモ分リマセヌガ贈与丈ハ何ンダカ「受諾」ト申ス方カ宜イヤウナ心持テアリマシテ屢々使ヒマス例ヘハ第15条ノ第7号ニモ「遺贈若クハ贈与ヲ拒絶シ又ハ負担附ノ遺贈若クハ贈与ヲ受諾スルコト〔平成11年法律第149号による改正前の民法12条1項7号は,準禁治産者がそれを行うには保佐人の同意を要する行為として「贈与若クハ遺贈ヲ拒絶シ又ハ負担附ノ贈与若クハ遺贈ヲ受諾スルコト」を掲げていました。〕夫レカラ第17条ノ第7号ニモアリマス贈与若クハ遺贈ヲ受諾シ又ハ拒絶スルコト〔昭和22年法律第222号で削除される前の民法14条2号は,妻がそれを行うには夫の許可を要する行為として「贈与若クハ遺贈ヲ受諾シ又ハ之ヲ拒絶スルコト」を掲げていました。〕」何ンタカ事ヲ諾フノテ承知シタト云フヨリ受ケル方カ宜イヤウナ心持テ是迄使ヒ来ツテ居ツタノテスカ・・・
箕作麟祥君 夫レハ承知シテ居リマスガ夫レハマダ練レヌ中ノ御案テ・・・
穂積陳重君 今度モ吾々ノ中テ考ヘテ見マシタガ贈与ト云フト此方カ宜イヤウニ思ヒマス夫レカラ「之ヲ」ト云フコトハ其前ノ事柄ヲト云フ意味ノ積リテアリマシタガ或ハ充分テナイカモ知レマセヌ
箕作麟祥君 意思ヲ表示シタ事柄ヲ受諾スルト云フノテアリマスカ
穂積陳重君 ソウテアリマス
箕作麟祥君 事柄ト云フト可笑シクハアリマセヌカ事柄ト云フナラハ尚ホ「承諾」ト云フ方カ宜イヤウニ思ヒマスガ然ウ云フ理由カアルナラハ強テ申シマセヌガ尚ホ一ツ御一考ヲ願ヒタイモノテアリマス
梅謙次郎君 詰マリ感覚テアリマスナ
穂積陳重君 夫レハモウ然ウナツテモ一向差支ヘナイノテス,マア一度考ヘテ見マセウ
箕作麟祥が「是ハ前ノ申込ノ所ニアルヤウナ承諾ト云フ文字ノ方ガ当リハシナイカト思ヒマスガ何ウテアリマセウカ」と法典の整合性論で攻めて来たのに対し,穂積陳重は「「受諾」ノ字ハお考ノ通リ「承諾」ノ方カ全体本統カモ分リマセヌガ」及び「夫レハモウ然ウナツテモ一向差支ヘナイノテス」と,箕作の正しさを認めたような形でたじたじとなっています。そこに梅謙次郎が――自分たちの原案擁護のためでしょうが――口を挟んでいるのですが,「詰マリ感覚テアリマスナ」とはいかにも軽い。(「感覚」で済むのなら,世の法律論議は気楽なものです。)真面目に議論している箕作は,あるいはむっとなったものかどうか。同席していた富井政章などは,はらはらしたのではないでしょうか。
〔自信力というものが非常に強かったことのほか,梅謙次郎の〕第2の欠点は,会議などには時時言葉が荒過ぎた,少し物を感情に持つ人は敬礼を失すると云ふやうな非難が時時あつた。私なども度度遭遇したのである(東川徳治『博士梅謙次郎』(法政大学=有斐閣・1917年)219-220頁(「富井政章氏の演説」))
(3)横田國臣の意見
また,第81回法典調査会における穂積陳重案548条の議論の最後に,横田國臣委員が次のように発言しています(民法議事速記録25巻144丁表)。
横田國臣君 文字ノコトテアリマスカラ,モウ別ニ私ハ主張ハ致シマセヌガ此「其相手方」ト云フ「其」ト云フ字ハ要ルマイト思フノテス「当事者ノ一方カ」トアルカラナクテモ宜カラウト思フ夫レカラ「之ヲ」ト云フ字モ要ルマイト思フノテゴザイマス指スノモ其事柄ト云フ位テアルカラナイ方カ宜カラウ是ハ唯整理ノトキノ御参考ニ申シテ置キマス
2 第11回民法整理会
(1)梅謙次郎の説明
前記議論の結末は,1895年12月28日の法典調査会第11回民法整理会において,結局次のようになりました(日本学術振興会『法典調査会民法整理会議事速記録第4巻』68丁裏-69丁裏。なお,筆者において適宜段落分けをしました。)。
梅謙次郎君 之ハ当時横田さんカラ御注意カアツテ「其相手方」ト言フト上ニ「相手方」トアルカラ「其相手方」,「其相手方」カ一向分ラヌ当事者ノ一方ノ相手方ナラハ前ニ付テ居ル斯ウ云フ可笑シナ書キヤウハナイ
「之ヲ」ト言フト「之ヲ」カ,トウモ何ヲ受ケテ居ルノカ意思ヲ受諾スルノテモナカラウ余程可笑シナ文字タカラ能ク考ヘテ置テ呉レト云フコトテアリマシタ之モ退テ考ヘテ見マスルト成程文章カ悪ルイ,ソレテ「相手方カ受諾ヲ為スニ因リテ」トシマシタ
序テニ申シマスカ此「受諾」ト云フ文字ニ付テ箕作先生カラ之ハ既成法典ニモアツタカ可笑シナ字テ「承諾」ト云フヤウナ字ニテモ直シタラ,トウカト云フ御注意カアリマシタ之ニ付テモ相談ヲシマシタカ無論「受諾」ト云フ字テナケレハナラヌト云フコトモナイ「承諾」テモ宜シイ理窟ノ方カラ言フテモ契約ノ方ニモ「承諾」トアツテ「贈与」モ契約テアルカラ理窟カラ言ツテモ其方カ無論宜シイ
カ唯タ総則抔ニ「遺贈若クハ贈与ヲ受諾スル」ト云フヤウナ言葉カ使フテアリマシタカ,サウ云フヤウナトキハ契約テハアルカ大変意思ノ方ニ持ツテ来テ居リマスカラ同シ言葉テ言ヒ顕ハスコトカ出来ル
又吾々ノ中テモ貰ウコトヲ承諾スルト云フト嫌ヤナ事ヲ承諾スルト云フヤウニ聞ヘルカラ,ソレテ「受諾」ト言フ方カ宜シイト云ウヤウナ感シテ,ソレテ賛成スル方モアツタヤウテアリマスカラ旁々以テ此儘ニシテ置キマシタ
議長(箕作麟祥君) ソレテハ547条ハ御発議カナケレハ朱書ニ決シマス〔略〕
ということなのですが,よく理解するためには,なお細かな分析が必要であるようです。
(2)梅説明の分析
ア 「受諾」の対象(その1):「意思ヲ表示シタ事柄」ではない
梅は「「之ヲ」カ,トウモ何ヲ受ケテ居ルノカ意思ヲ受諾スルノテモナカラウ」と横田國臣から注意されたものと整理した上で(なお,横田の発言は,前記のとおり,「之ヲ」が「指スノモ其事柄ト云フ位テアル」という認識に基づくものです。),「成程文章カ悪ルイ,ソレテ「相手方カ受諾ヲ為スニ因リテ」トシマシタ」というのですから,穂積陳重原案にあったところの先立つ「之ヲ」を削った民法549条の「受諾」の対象は「意思ヲ表示シタ事柄」ではないことになります。すなわち贈与契約の申込みの内側において表示されている契約の内容の「受諾」ではなく,なおそれとは異なった次元のものの「受諾」なのだということなのでしょう。「意思ヲ受諾スルノテモナカラウ」との疑念が生ずるおそれを払拭するということであれば,事柄ではなく「意思」が「受諾」の対象となるのでしょう(2024年5月23日追記:久々に読み返してみてこのくだりは我ながら分かりにくいのですが,梅は,「意思ヲ受諾スルノテモナカラウ」との疑念に対して,いや実はそのとおり意思を受諾するのです(あえて,意思表示に対する承諾という端的な表現を用いない。),と返答しているものと筆者は解したわけです。「意思ヲ表示シタ事柄ヲ受諾スルト云フノテアリマスカ」という箕作の問いに対する「ソウテアリマス」との穂積陳重の前記返答は否定撤回され,「総則抔」で「「遺贈若クハ贈与ヲ受諾スル」ト云フヤウナ言葉」が使用される場合と同様に,ここでは「大変意思ノ方ニ持ツテ来テ居」るのだ,と梅は言いたかったのでしょう(下記エ参照)。なお,梅の『民法要義巻之三債権編』(1912年印刷発行版)の462頁に掲載されている民法549条の文言を見ると,「受諾」が「承諾」とされる誤植が放置されたままになっていますが(梅は1910年死去),本稿の主題の重みはその程度のものかとここで見放さずに,なお暫くお付き合いください。)。
イ 「受諾」の対象(その2):申込み
しかして,「理窟ノ方カラ言フテモ契約ノ方ニモ「承諾」トアツテ「贈与」モ契約テアルカラ理窟カラ言ツテモ其方カ無論宜シイ」との発言が続きます。結局民法549条の「受諾」は,贈与契約の申込みたる意思表示に対する承諾だったのかということになります。
ちなみに,富井政章及び本野一郎による1898年出版の我が民法549条のフランス語訳は“La donation produit effet par la déclaration de volonté que fait l’une des parties de
transmettre à l’autre un bien à titre gratuit
et par l’acceptation de celle-ci.”となっており(Code Civil
du l’Empire du Japon Livres I, II et III promulgués
le 28 avril 1896(新青出版・1997年)),最後の“celle-ci”は“l’autre des parties”たる相手方のことです。この“par l’acceptation de celle-ci”(相手方の受諾により)と対になるのは“par la déclaration de volonté que fait l’une des parties”(当事者の一方がなす意思表示により)ですので,相手方の“l’acceptation”の対象は,「当事者の一方」の「意思表示」であるものと解すべきものでしょう。契約の効力の発生に際しての意思表示に対する“l’acceptation”ということになれば,「承諾」の文字が念頭に浮かぶところです(民法522条1項参照)。
ウ 旧民法における「言込」及び「受諾」並びに「承諾」
ついでながら,梅は「受諾」の文字は旧民法(「既成法典」)にあったという認識であったようなのでこれについて見てみると,贈与に係る旧民法財産取得編第14編(明治23年法律第98号)349条から367条までには「受諾」の文字はないのですが,旧民法財産編(明治23年法律第28号)304条1項の第1は,贈与がその一つである合意(贈与の定義に係る旧民法財産取得編349条参照)の成立要件として「当事者又ハ代人ノ承諾」を掲げ,旧民法306条1項は「承諾トハ利害関係人トシテ合意ニ加ハル総当事者ノ意思ノ合致ヲ謂フ」と「承諾」を定義しているところ(総当事者が「承諾」をするのであって,相手方のみが承諾をするのではありません。),遠隔者間において合意を取り結ぶ場合については,「合意ノ言込」及びその「受諾」ということがあるものとされていました(旧民法財産編308条)。
フランス語ではどうかというと,「承諾トハ利害関係人トシテ合意ニ加ハル総当事者ノ意思ノ合致ヲ謂フ」は,“Le consentement est l’accord des
volontés de toutes les parties qui figurent dans la convention comme
intéressées.”ということで(Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon
accompagné d’un commentaire, nouvelle édition, Tome Deuxième, Droits Personnels
et Obligations. (Tokio, 1891) p.53),「承諾」は“consentement”,また,「言込」は“offre”,「受諾」は“acceptation”となっていました(Boissonade II, p.53-54)。
現行民法の契約の章においては,「言込」が「申込み」に,「受諾」が「承諾」に改められたわけです。契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示を受けた相手方が「受諾」するものとする用語法であれば,旧民法の用語法を引きずったものということになります。
エ 民法旧12条1項7号及び旧14条2項との横並び論
結局,承諾ではあるが「受諾」の文字を使うということであれば,総則の民法旧12条1項7号及び旧14条2号との横並び論ということになるのでしょうが,これは,犬が尻尾を振るのであれば,尻尾が犬を振ってもいいじゃないか,というような議論であるようにも思われます。贈与に関することはまず贈与の節において決定されるべきであって,総則における用字は,それら各則における諸制度の共通性を踏まえて後から抽象化を経て決定されるべきものでしょう。
そもそも,総則の前記両号があるから贈与について当該両号に揃えたのだ,と言った場合,じゃあ遺贈についてはなぜ同じように当該両号と揃えなかったのかね,という反論が可能でありました。遺贈については,例えば民法旧1089条前段は「遺贈義務者其他ノ利害関係人ハ相当ノ期間ヲ定メ其期間内ニ遺贈ノ承認又ハ抛棄ヲ為スヘキ旨ヲ受遺者ニ催告スルコトヲ得」と規定していたところです(民法現行987条前段参照)。「遺贈義務者其他ノ利害関係人ハ相当ノ期間ヲ定メ其期間内ニ遺贈ノ受諾又ハ拒絶ヲ為スヘキ旨ヲ受遺者ニ催告スルコトヲ得」ではありません。
なお,「契約テハアルカ大変意思ノ方ニ持ツテ来テ居リマスカラ同シ言葉テ言ヒ顕ハスコトカ出来ル」との梅発言の意味は取りにくいのですが,これは,契約ならば厳密には申込みと承諾とによって成立することになるが,受遺者による遺贈の承認による効果(なお,遺贈は単独行為であって,契約ではありません。)と同様の効果を目的する受贈者の意思表示を当該遺贈の承認と一まとめにして「同シ言葉テ言ヒ顕ハ」して総称するのならば,「受諾」という言葉でいいじゃないか(効果意思は同様である。),ということでしょうか。しかし,民法旧12条1項7号及び旧14条2号における,遺贈関係とまとめて規定しなければならないという特殊事情に基づく総称を,そのような事情のない同法549条の贈与の本体規定にそのまま撥ね返らせるのは,おかしい。
オ 「承」諾と「受」諾との感覚論
(ア)ポツダム宣言
感覚論としては,「承諾」はいやなことについてで,「受諾」はいいものを貰うときの用語である,というような説明がされています。しかし,そうだとすると,1945年8月14日の詔書に「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇4国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」とあって「承諾スル旨」とされていなかったのは,昭和天皇にとってポツダム宣言はありがたい申込みであって,渋々「承諾」するようなものではなく,実は欣然「受諾」せられたのであった,ということになるのでしょうか。(ただし,「受諾」は「条約において,acceptの訳語として多く用いられる」ので(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)377頁),4敵国に対するポツダム宣言の「受諾」といういい方をここでもしただけなのだ,ということかもしれません。)
(イ)漢字「承」及び「受」並びに「諾」の成り立ち
なお,『角川新字源』(1978年・第123版)によれば,「承」の成り立ちは,「会意形声。もと,手と,持ち上げる意と音とを示す丞とからなり,手でささげすすめる,転じて「うける」意を表わす。」ということだそうです。また,同辞書は,「受」の成り立ちについて,「形声。引き合っている手〔象形文字略。上の「爪」の部分と下の「又」の部分が対応するようです。〕と,音符舟(ワは変わった形。うつす意→輸)とから成り,うけわたしする,転じて「うける」意を表わす。」ということであると説明しています。手を上げる所作が必要な「承」に比べて「受」の方はより事務的である,ということになるのでしょうか。
同じ漢和辞書における「諾」の成り立ちの説明は,「会意形声。言と,従う意と音とを示す若ジャク→ダクとからなり,「うべなう」意を表わす。」というものです。「うべなう」の意味は,『岩波国語辞典第四版』(1986年)によれば「いかにももっともだと思って承知する。」,『角川新版古語辞典』(1973年)では「①服従する。承服する。〔略〕②謝罪する。〔略〕③承諾する。」と説かれています。
カ 民法の現代語化改正による横並び論の根拠文言の消失(2005年4月)
ところで,民法旧12条は,平成16年法律第147号によって2005年4月1日から(同法附則1条及び平成17年政令第36号)民法13条に移動し,同条1項7号は「贈与の申込みを拒絶し,遺贈を放棄し,負担付贈与の申込みを承諾し,又は負担付遺贈を承認すること。」に改められて,同号から「受諾」の語は消えています。すなわち,同号においては,負担付きのものについてですが,贈与の申込みに対する肯定の意思表示は「受諾」ではなく承諾であるものと明定されるに至っているわけです。
民法現行13条1項7号の改正は,「民法現代語化案」に関する意見募集に際して法務省民事局参事官室から発表された2004年8月4日付けの「民法現代語化案補足説明」において,「確立された判例・通説の解釈で条文の文言に明示的に示されていないもの等を規定に盛り込む」ものとも,「現在では存在意義が失われている(実効性を喪失している)規定・文言の削除・整理を行う」ものともされていませんので,当該「補足説明」にいう,民法「第1編から第3編までの片仮名・文語体の表記を平仮名・口語体に改める」と共に「全体を通じて最近の法制執務に則して表記・形式等を整備する」ことの一環だったのでしょう。「現代では一般に用いられていない用語を他の適当なものに置き換える」ということではなかったのでしょう。
しかしながら,他方,民法13条1項7号(旧12条1項7号)との横並び論もあらばこそ,平成16年法律第147号による改正を経ても民法549条の「受諾」は「承諾」に改められずにそのままとされました。同条の「受諾」がそのまま維持されたことが平成16年法律第147号の法案起草担当者による見落としによるものでないのならば,当該受諾について,これは契約の申込みに対する承諾そのものではないという判断が,「最近の法制執務に則して」されたことになるようです。
第4 現行法令における「受諾」の用法
1 辞典的定義
ところで,村上謙・元内閣法制局参事官によれば,「受諾」は「相手方又は第三者の主張,申出,行動等に同意することをいう」ものであって,前記のとおり「条約において,acceptの訳語として多く用いられる」ほか,「国内法上では調停案の受諾(労働関係調整法26)等の用例のほか,旧「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」(昭和20勅令542号)などというのがある」とのことです(吉国等377頁)。
2 実際の用例
(1)調停等,ポツダム命令,国際的約束及びその他
ということで,その実際を見るべく,e-Gov法令検索を利用して現行の法律並びに政令及び勅令(すなわち内閣法制局参事官の審査を経た法令)の本則中「受諾」の語を用いている条が何条あるかを調べてみると全部で69箇条であって,その内訳を4種類に分類して示せば,①調停案,和解案又は斡旋案について「受諾」をいうもの計40箇条(労働関係調整法(昭和21年法律第25号)26条1項及び2項,労働関係調整法施行令(昭和21年勅令第478号)10条,地方自治法(昭和22年法律第67号)250条の19,251条の2第3項,4項及び7項並びに251条の3第11項から13項まで,金融商品取引法(昭和23年法律第25号)77条の2第3項,156条の44第2項4号及び5号並びに6項並びに156条の50第6項,建設業法(昭和24年法律第100号)25条の13第4項,中小企業等協同組合法(昭和24年法律第181号)9条の2の2第3項,土地改良法(昭和24年法律第195号)6条5項,酪農及び肉用牛生産の振興に関する法律(昭和29年法律第182号)22条及び23条,生活衛生関係営業の運営の適正化及び振興に関する法律(昭和32年法律第164号)14条の12第2項,小売商業調整特別措置法(昭和34年法律第55号)16条3項,小売商業調整特別措置法施行令(昭和34年政令第242号)8条及び9条1項,入会林野等に係る権利関係の近代化の助長に関する法律(昭和41年法律第126号)8条4項,農業振興地域の整備に関する法律(昭和44年法律第58号)15条4項,公害紛争処理法(昭和45年法律第108号)23条の2第4項2号,34条1項及び3項並びに36条2項,公害紛争処理法施行令(昭和45年政令第253号)3条2項及び12条,雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(昭和47年法律第113号)22条,銀行法(昭和56年法律第59号)52条の67第2項4号及び5号並びに6項並びに52条の73第6項,貸金業法(昭和58年法律第32号)41条の44第2項4号及び5号並びに6項並びに41条の50第6項,保険業法(平成7年法律第105号)308条の7第2項4号及び5号並びに6項並びに308条の13第6項,民事訴訟法(平成8年法律第109号)264条,特定債務等の調整の促進のための特定調停に関する法律(平成11年法律第158号)16条,独立行政法人国民生活センター法(平成14年法律第123号)25条,信託業法(平成16年法律第154号)85条の7第2項4号及び5号並びに6項並びに85条の13第6項並びに家事事件手続法(平成23年法律第52号)17条3項2号,24条2項2号,252条2項及び270条1項),②旧「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」が出て来るもの計9箇条(金融機関再建整備法(昭和21年法律第39号)33条6項及び37条の6第3項,昭和22年法律第72号1条の2,ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く大蔵省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第43号)8条13号,国の債権の管理等に関する法律施行令(昭和31年政令第337号)9条2項5号,連合国財産の返還等に伴う損失の処理等に関する法律(昭和34年法律第165号)1条,国民年金法等の一部を改正する法律の施行に伴う経過措置に関する政令(昭和61年政令第54号)12条4号,日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(平成3年法律第71号)3条1号イ並びに特別会計に関する法律施行令(平成19年政令第124号)41条1号),③国際的約束に係る「受諾」をいうもの計9箇条(関税定率法(明治43年法律第54号)7条3項2号,9項から11項まで及び28項並びに8条2項2号,8項から10項まで及び31項,相殺関税に関する政令(平成6年政令第415号)4条5項及び11条2項から5項まで,不当廉売関税に関する政令(平成6年政令第416号)7条5項及び14条2項から5項まで,国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律(平成16年法律第115号)3条1号ロ並びに武力紛争の際の文化財の保護に関する法律(平成19年法律第32号)2条3号及び6条1項)及び④その他計11箇条(民法496条1項及び549条,手形法(昭和7年法律第20号)56条3項,国会法(昭和22年法律第79号)102条の15第3項及び4項並びに104条2項及び3項,国家公務員法(昭和22年法律第120号)109条1号,議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律(昭和22年法律第225号)5条2項及び3項並びに5条の3第4項及び5項,宗教法人法(昭和26年法律第126号)13条4号,港湾法施行令(昭和26年政令第4号)6条5号並びに特定外貿埠頭の管理運営に関する法律施行令(平成18年政令第278号)3条7号)ということになります。
(2)「その他」の内訳(更に6分類)
問題は,前記④の11箇条です。
ア 立法府対行政府
まず,国会法102条の15及び104条並びに議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律5条及び5条の3については,各議院又はその委員会等と内閣,官公署若しくは行政機関の長(国会法)又は公務所,監督庁若しくは行政機関の長(議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律)との間の関係において,前者の求めを後者が拒否する場合においてその理由として疎明されたところを前者が受け容れるときに「受諾」するという言葉が使われているものとして整理できそうです。無論これらの場面は,契約の申込みを承諾する場面とは異なります。
イ 公務員の任用等
次に,国家公務員法109条1号(「第7条第3項の規定〔「人事官であつた者は,退職後1年間は,人事院の官職以外の官職に,これを任命することができない。」〕に違反して任命を受諾した者」)及び宗教法人法13条4号(「代表役員及び定数の過半数に当る責任役員に就任を予定されている者の受諾書」)は,人事上の就任行為に関するものですが,委任契約であれば,当然承諾の語が用いられるべきものです(民法643条参照)。一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(平成18年法律第48号)においては,一般社団法人の設立時理事,設立時監事及び設立時代表理事並びに一般財団法人のそれら及び設立時評議員について就任の「承諾」という語が用いられています(同法318条2項3号及び319条2項5号。また,株式会社につき商業登記法(昭和38年法律第125号)47条2項10号)。
しかし,公務員の任用行為の法律上の性質については,「任用行為の性質については,公法上の契約説と,単独行為説とがある。前者は,公務員の任用に本人の同意を要する点を重視し,後者は,公務員関係の内容が任命権者の一方的に定めるところである点を重視する。しかし,これは,法律上には格別意義のない論争で,かつては,この論争が政治的目的に悪用される弊害さえ生じたことがある。公法上の契約説は,天皇の任官大権を侵犯するものとして非難したごときこれである。その実体に即し,「相手方の同意を要件とする特殊の行為」と考えるべき」ものとされているところ(田中二郎『新版 行政法 中巻 全訂第2版』(弘文堂・1976年)245-246頁註(1)),特殊の行為であるがゆえに契約のように承諾の語を使うことができず(公法上の契約説にかつて加えられた上記非難に係るトラウマもあるいはあったかもしれません。),かつ,「同意」は「他の者がある行為をすることについて賛成の意思を表示することをいう」とされているので(吉国等558頁),任用行為の当事者である被任用者が他人事のように同意をするというのも変であろうということから(なお,国家公務員法5条1項参照),「任命の受諾」ということになったものでしょうか。
宗教法人の役員については,宗教団体法(昭和14年法律第77号)時代には「寺院又ハ教派,宗派若ハ教団ニ属スル教会ノ設立ノ認可ヲ申請セントスルトキハ申請書ニ寺院規則又ハ教会規則及管長又ハ教団統理者ノ承認書ノ外左ノ事項ヲ記載シタル書類並ニ住職又ハ教会主管者タルベキ者及総代タルベキ者ノ同意書ヲ添附シ之ヲ地方長官ニ提出スベシ(宗教団体法施行規則(昭和15年文部省令第1号)13条1項柱書き。下線は筆者によるもの。また,同条2項柱書き。なお,寺院は当然法人です(宗教団体法2条2項)。)とされていましたが,ここでの住職又ハ教会主管者タルベキ者の「同意」は,寺院又は教会の設立に対する同意ではなく,それぞれの就任についてのものであったように思われます。委任において用いられる「承諾」ではなく「同意」の語が用いられたのは,「大審院判例(大正7・4・19,大正6・12・5民)は右の太政官布達〔明治17年8月11日太政官布達第19号〕に寺院の住職を任免することは「各管長ニ委任シ」云々とあることを根拠として,住職の任免は国家から管長に委任せられたもので,現在に於いてもそれは国の行政事務の一部であるとする見解を取つて居る」(美濃部達吉『日本行政法下巻』(有斐閣・1940年)564頁)という我が国の政教分離前の伝統によるものでもありましょうか。行政事務ということになれば,公務員の任用行為同様,民法の契約の概念を直接当てはめるわけにはいかないわけでしょう。しかして同意は,前記のとおり「他の者がある行為をすることについて賛成の意思を表示することをいう」ということなので,宗教法人法13条4号を起草するに当たって,役員らの就任行為については,「承諾」の語を避けつつ,自らするのは変はである「同意」ではなく,受諾のいかんが問題になるのだというふうに書き振りを改めたものでしょうか。
ウ 執行受諾行為
第3に,港湾法施行令6条5号及び特定外貿埠頭の管理運営に関する法律施行令3条7号ですが,これは,港湾管理者の貸付金に関する貸付けの条件の基準の一つとして「貸付けを受ける者〔又は指定会社〕は,港湾管理者の指示により,貸付金についての強制執行の受諾の記載のある公正証書を作成するために必要な手続をとらなければならないものとすること。」を掲げるものです。債務名義たる執行証書に関する規定です。執行証書は,金銭の一定の額の支払又はその他の代替物若しくは有価証券の一定の数量の給付を目的とする請求について公証人が作成した公正証書で,債務者が直ちに強制執行に服する旨の陳述が記載されているもの」(民事執行法(昭和54年法律第4号)22条5号)ですが,「債務者が公証人に対して,直ちに強制執行に服する旨の意思を陳述することを執行受諾行為」というものとされています(『民事弁護教材 改訂民事執行(補正版)』(司法研修所・2005年)5頁)。「執行受諾行為は,執行力という訴訟上の効果を生ずる行為であり,また,公証人という準国家機関に対してする行為であるから,訴訟行為である」ところです(同頁)。
エ 参加引受け
第4に,手形法56条3項(「参加ノ他ノ場合ニ於テハ所持人ハ参加引受ヲ拒ムコトヲ得若所持人ガ之ヲ受諾スルトキハ被参加人及其後者ニ対シ満期前ニ有スル遡求権ヲ失フ」)は,参加引受けという手形行為に関する規定です。参加引受けに対する所持人の承諾の有無ではなく受諾の有無が問題になるということは,参加引受けは参加引受人と所持人との間での契約(申込みと承諾とで成立)ではない,と観念されていることになるようです。
手形行為に関しては,周知のとおり交付契約説,創造説及び発行説があるわけですが,創造説,発行説又は参加引受けは手形の相手方への交付という単独行為と解する説(上柳克郎等編『手形法・小切手法』(有斐閣双書・1978年)47頁(上柳克郎)参照)からすると,「所持人ガ之ヲ受諾スルトキ」と規定されていることは自説の補強材料になるのだ,ということになるのでしょう。
なお,そもそもの為替手形及約束手形ニ関シ統一法ヲ制定スル条約(1930年6月7日ジュネーヴにおいて署名)第一附属書56条3項を見ると“In other cases of intervention the holder may refuse an acceptance
by intervention. Nevertheless, if he allows it, he loses his right of recourse
before maturity against the person on whose behalf such acceptance was given
and against subsequent signatories.”ということであって,実はあっさりしたものです。参加は英語では“intervention”,引受けは“acceptance”です。すなわち,英語の“acceptance”には,契約の申込みに対する承諾との意味の外に,手形法上の引受けとの意味もあるのでした。さすがに“acceptance”を“acceptance”するとは書けませんね。「acceptance=承諾」の出番はなかったのでした。
オ 供託
第5に,供託に係る民法496条1項(「債権者が供託を受諾せず,又は供託を有効と宣告した判決が確定しない間は,弁済者は,供託物を取り戻すことができる。この場合においては,供託をしなかったものとみなす。」)ですが,そもそも供託自体が弁済者と債権者との間での契約ではないところです。「供託の法律的性質は,第三者のためにする寄託契約である(537条-539条・657条以下参照)。すなわち,供託者と供託所との契約は寄託であるが,これによって債権者をして寄託契約上の権利を取得せしめるものである。本来の債務者に代って供託所が債務者となるようなものである」と説かれています(我妻榮『新訂 債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)307頁)。供託者からの供託の申込みを承諾するのは供託所であるということになるようです。「「放擲」(特殊な観念)と事務管理の融合したものとする異説」もあるそうですが(星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』(良書普及会・1981年)275頁参照),この場合も債権者は契約の当事者になりません。民法496条1項は富井=本野のフランス語訳では
“La chose consignée peut être retirée,
tant que le créancier n’a pas déclaré accepter la consignation ou qu’il n’a pas été rendu un jugement
passé en forece de chose jugée déclarant la consignation régulière. Dans ce
cas, la consignation est censée n’avoir pas été faite.”となっていますので,フランス語の“accepter”は,「承諾する」及び「受諾する」のいずれをも含む幅広い意味の言葉であるということになります。なお,同項は,旧民法財産編478条2項(「然レトモ債権者カ供託ヲ受諾セス又其供託カ債務者ノ請求ニテ既判力ヲ有スル判決ニ因リテ有効ト宣告セラレサル間ハ債務者ハ其供託物ヲ引取ルコトヲ得但此場合ニ於テハ義務ハ旧ニ依リ存在ス」)に由来するところ,旧民法財産編478条2項の本となったボワソナアド原案の501条の2第1項は,次のとおりでした(Boissonade II, p.621)。
500 bis. Toutefois, tant que le créancier
n’a pas accepté la consignation ou qu’elle n’a pas été, à la demande du débiteur, déclarée
valable par jugement ayant acquis force de chose jugée, celui-ci peut la
retirer et la libération est réputée non avenue.
フランス語で“accepter”とあれば機械的に「承諾」と訳すのではなく,訳語の選択には工夫がされていたわけです。
カ 民法549条
契約であるところの贈与に係る民法549条における用法に似た「受諾」の用法は,以上見た範囲では,ほかにはなさそうです。法制執務的には,一人ぼっちでちょっと心細い。
後編に続く(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078025256.html)
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