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1 弁護士となる資格(現行弁護士法4条,5条及び6条)

 弁護士となる資格については,弁護士法(昭和24年法律第205号。194991日から施行(同法80条))の第4条,第5条及び第6条に規定があります(本記事52)及び6並びに「「二回試験」(あるいは「司法修習生考試」)及びその由来」記事(https://donttreadonme.blog.jp/archives/981057.html)参照)。

 

(1)弁護士法4条:司法修習生の修習を終えた者

本則は弁護士法4条で,「司法修習生の修習を終えた者は,弁護士となる資格を有する。」と規定しています。「司法修習制度の意義は,〔略〕歴史に照らしても明らかなとおり,判事,検事,弁護士が統一に修習を受けることにある。このことは「明治年代以来引き続いて判事,検事と弁護士との間に多少とも認められていた格差を払拭」したものとも評されている」とのことです(日本弁護士連合会調査室編著『条解弁護士法(第2版補正版)』(弘文堂・1998年)43頁)。

弁護士の前身たる明治時代における「代言人の地位・待遇は,当時にあって大変低く,判事・検事と差別的に取り扱われていた。一例を示せば,代言人が裁判所に入るためには,守衛に名刺を出してその認印を受けて裁判官に回してもらわなければならなかったし,退出するためには,先の名刺に裁判官の認印をもらって守衛に示さなければならなかった。廷吏が代言人を呼ぶのはすべて呼び捨てであり,退出の際は廷吏の「サガレ」という号令に従わなければならなかった。また,官吏に「不恭ノ言」があったときは,直ちに裁判官により弁護人たることを免ぜられることになっており,社会的に声望のあった星亨も,ある重罪事件で検事に抗議したため,弁護人を免ぜられている。」(司法研修所『平成18年版 刑事弁護実務』4頁)というような官尊民卑の伝統は,なかなか払拭できないものだったのでしょう。

 

(2)現行弁護士法5条:法務大臣の認定を受けた者

弁護士法4条の原則規定に対して,同法5条は法務大臣の認定を受けた者についての弁護士の資格の特例について定めていますが,当該認定を受けるためのそもそもの前提として,「司法修習生となる資格を得た」こと(同条1号,2号及び4号)又は「検察庁法(昭和22年法律第61号)第18条第3項に規定する考試を経た」こと(弁護士法53号及び4号)が必要となります。

 

ア 司法修習生となる資格=司法試験合格

よく知られているように,司法修習生となる資格を得るためには,司法試験に合格しなければなりません(裁判所法(昭和22年法律第59号)661項及び司法試験法(昭和24年法律第140号)12項)。

司法試験は短答式(択一式を含む。)及び論文式による筆記の方法で行われ(司法試験法21項),短答式試験は憲法,民法及び刑法の3科目について(同法31項),論文式試験は公法系科目(憲法及び行政法に関する分野の科目),民事系科目(民法,商法及び民事訴訟法に関する分野の科目),刑事系科目(刑法及び刑事訴訟法に関する分野の科目)及び専門的な法律の分野に関する科目のうちから受験者があらかじめ選択した1科目の4科目(同条2項)について行われます。

 

イ 検察官特別考試を経た者

検察庁法183項は「3年以上副検事の職に在つて政令で定める考試を経た者は,第1項の規定にかかわらず,これを二級の検事に任命及び叙級することができる。」と規定しています。ここでの政令は,検察官特別考試令(昭和25年政令第349号)です。

検察官特別考試は検察官・公証人特別任用等審査会(国家行政組織法(昭和23年法律第120号)8条並びに法務省組織令(平成12年政令第248号)54条及び56条)によって行われ,筆記及び口述の2段階があり(検察官特別考試令51項),筆記試験は憲法,民法,商法,民事訴訟法,刑法,刑事訴訟法及び検察の実務の7科目について行われ(同令6条),口述試験は憲法,刑法,刑事訴訟法及び検察の実務の4科目について行われます(同令81項)。

この考試は狭き門であるようで,202493日の検察官・公証人特別任用等審査会検察官特別任用分科会(出席委員は,寺脇一峰弁護士(分科会長),小川恵司弁護士,北川佳世子早稲田大学大学院法務研究科教授,佐伯仁志中央大学大学院法務研究科教授及び堀田眞哉最高裁判所事務総長)の議事概要を見ると,同年72日から同月4日まで行われた筆記試験においては8人が受験し,合格者無しであったそうです。2023年には筆記試験の受験者3人中合格者無しであり(同分科会議事概要同年95日),2022年には筆記試験受験者9人中2名が合格したものの(同議事概要同年96日),口述試験を経ての最終合格者はありませんでした(同議事概要同年1021日)。最後に最終合格者が出たのは,2020年の1名です(同議事概要同年1016日)。

(なお,検察庁法には,「検事は,一級又は二級とし,副検事は二級とする。」(同法152項)とか,「検察事務官は二級又は三級とする。」(同法272項)というような規定がありますが,ここでの一級,二級及び三級は,それぞれ,旧官吏制度における親任官及び勅任官(一級),奏任官(二級)並びに判任官(三級)に対応するものです(旧裁判所構成法(明治23年法律第6号)791項及び881項並びに検察庁法151項参照。)。)

 

ウ 元最高裁判所裁判官

司法試験又は検察官特別考試という試験を経ずに弁護士となり得る場合としては,弁護士法6条が「最高裁判所の裁判官の職に在つた者は,第4条の規定にかかわらず,弁護士となる資格を有する。」と規定しています。最高裁判所の裁判官に任命されるためには,確かに「識見の高い,法律の素養のある年齢40年以上の者」であればよいのであって(裁判所法411項),そこでは司法修習生となる資格を得たことは要求されていません。

「「最高裁判所裁判官の職に在つた」ということは,「司法修習生の修習を終えた」こととその内容を相当異にするものであることは否めない」ものの,「最高裁判所は,上告及び訴訟法で特に認める抗告について裁判権をもつ(裁判所法7条)他,規則制定権(憲法771項),法律等の違憲審査権(同81条),下級裁判所の裁判官の指名権(同801項),司法行政監督権(裁判所法801号)等の権能を有する。/最高裁判所裁判官は,かかる権能の行使の担い手として高度の法律的職責に携わってきたものであり,この職に在ったことのみで,特に弁護士の資格が付与されることとされたのである。」ということだそうです(日本弁護士連合会調査室50頁)。

 

2 弁護士法5条の原始規定(194991日)

現行弁護士法(昭和8年法律第53号の同名の法律(旧弁護士法)の全部を改正したもの)の成立当初は,現在の弁護士法5条及び6条に相当する規定が第5条一本にまとめられていました。(なお,同条1号から3号までの各号には句点が付されていますが,「号における字句の場合,その字句が名詞形で終るときには,〔略〕原則として句点を付けない。しかし,その字句が名詞形で終っても,「こと」又は「とき」で終るとき及びその号の中で更に字句が続くときには,〔略〕句点を付ける。また,その字句が動詞形で終わるときにも,〔略〕句点を付ける。」と説く(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)567頁)現在の立法技術上の美学からすると,当該美学がなおも確立していなかった昭和二十年代という時代を感じさせるものとなっています。)

 

(弁護士の資格の特例)

5条 左に掲げる者は,前条の規定にかかわらず,弁護士となる資格を有する。

 一 最高裁判所の裁判官の職に在つた者。

 二 司法修習生となる資格を得た後,5年以上簡易裁判所判事,検察官,裁判所調査官,裁判所事務官,法務府事務官又は司法研修所若しくは法務府研修所の教官の職に在つた者。

  三 5年以上別に法律で定める大学の学部,専攻科又は大学院において法律学の教授又は助教授の職に在つた者。

  四 前2号に掲げる職の2以上に在つて,その年数を通算して5年以上となる者。但し,第2号に掲げる職については,司法修習生となる資格を得た後の在職年数に限る。

 

これを見ると,最高裁判所の元裁判官(第1号)の外,別に法律で定める大学の学部,専攻科又は大学院において法律学の教授又は助教授の職に在った者(第3号)も司法試験を経ずに弁護士になり得るものとされていました。弁護士法53号の「別に法律で定める大学」は旧弁護士法第五条第三号に規定する大学を定める法律(昭和25年法律第188号)によって,同法施行日の1950518日から「学校教育法(昭和22年法律第26号)による大学で法律学を研究する大学院の置かれているもの及び旧大学令(大正7年勅令第388号)による大学」とされていました。

 

3 弁護士法5条等の変遷その1(中央省庁等改革(200116日)まで)

1950414日から,弁護士法52号の司法研修所の次に「,裁判所書記官研修所」が加えられます(裁判所法等の一部を改正する法律(昭和25年法律第96号)3条及び附則1項)。「簡易裁判所判事,検察官,裁判所調査官,裁判所事務官,法務府事務官又は司法研修所,裁判所書記官研修所若しくは法務府研修所の教官の職に在つた者。」となったわけです。

195169日からは,弁護士法52号の最後に「又は衆議院若しくは参議院の法制局参事」が加わりました(弁護士法の一部を改正する法律(昭和26年法律第221号))。その結果は「簡易裁判所判事,検察官,裁判所調査官,裁判所事務官,法務府事務官司法研修所,裁判所書記官研修所若しくは法務府研修所の教官又は衆議院若しくは参議院の法制局参事の職に在つた者。」となりました。日本国憲法と共に194753日から施行された国会法(昭和22年法律第79号)131条において既に各議院に法制部を置くこととされていましたが(当時の同条の内容は現在の同法1311項に相当する規定のみであって,「法制局」が「法制部」となっていたもの),194875日から法制局と改められ,法制局長及び参事に関する規定も整備されています(昭和23年法律第87号。同法により改正された国会法131条の内容は,現在の同条の規定に加えて第7項として「法制局の事務の処理に関し必要な規程を定めるには,議院運営委員会の承認を得なければならない。」という規定があったもの)。

ここで,衆議院法制局及び参議院法制局の各参事があるのに内閣法制局参事官がないのはどうしてだろう,という疑問が不図生ずるかもしれませんが,それは法務府事務官に含まれていたところです。

195281日に法務府が法務省と法制局に分かれた際(法務府設置法等の一部を改正する法律(昭和27年法律第268号)及び法制局設置法(昭和27年法律第252号)),弁護士法52号も「司法修習生となる資格を得た後,5年以上簡易裁判所判事,検察官,裁判所調査官,裁判所事務官,法務 事務官,司法研修所,裁判所書記官研修所若しくは法務 研修所の教官衆議院若しくは参議院の法制局参事又は法制局参事官の職に在つた者。」に改められています(昭和27年法律第26817条及び附則1項)。法制局の名称は総理府設置法等の一部を改正する法律(昭和37年法律第77号)6条によって内閣法制局に改められ(196271日からです(同法附則1項)。物事の名称は短い方が偉いのであって,内閣にある法制局が端的に法制局と名乗ってしまうと衆議院法制局及び参議院法制局はそれよりも格が落ちる亜流と受け取られてしまう,というような苦情があったのでしょう。),同法附則9項により弁護士法52号も196271日から「司法修習生となる資格を得た後,5年以上簡易裁判所判事,検察官,裁判所調査官,裁判所事務官,法務事務官,司法研修所,裁判所書記官研修所若しくは法務総合研究所の教官,衆議院若しくは参議院の法制局参事又は内閣法制局参事官の職に在つた者。」と改められています。法務研修所の法務総合研究所への改編は法務省設置法の一部を改正する法律(昭和34年法律第50号)によって195941日に既に行われていたので(同法附則),昭和37年法律第77号附則9項による弁護士法52号中の「法務研修所」を「法務総合研究所」に改める改正は,3年来の改正漏れを事後弥縫する「こっそり改正」でしょう。同項に続く昭和37年法律第77号附則10項には「改正後の弁護士法第5条の規定の適用については,第6条の規定の施行前における法務研修所の教官の在職は法務総合研究所の教官の在職と,法制局参事官の在職は内閣法制局参事官の在職とみなす。」との経過規定があります。なお,ここでねちっこく,同項の規定は正確かつ厳密に書くのならば「改正後の弁護士法第5条の規定の適用については,法務省設置法の一部を改正する法律(昭和34年法律第50号)の施行前における法務研修所の教官の在職は法務総合研究所の教官の在職と,6条の規定の施行前における法制局参事官の在職は内閣法制局参事官の在職とみなす。」であるべきだ,などというのは野暮なのでしょう。昭和34年法律第50号の施行日である195941日より前の時期は,昭和37年法律第77号の「第6条の規定の施行前」に含まれます。

また,裁判所書記官(裁判所法60条)及び検察事務官(検察庁法27条)の位置付けも気になりますが,弁護士法5条においては,前者は「裁判所事務官」に,後者は「法務事務官」に含まれています(日本弁護士連合会調査室51頁)。

国家行政組織法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律(昭和58年法律第78号)32条によって,同法施行日の198471日(同法附則1項)から法務総合研究所を置くことが法律事項から政令事項に落ちたため,同法39条によって弁護士法52号も「司法修習生となる資格を得た後,5年以上簡易裁判所判事,検察官,裁判所調査官,裁判所事務官,法務事務官,司法研修所,裁判所書記官研修所若しくは法務省設置法(昭和22年法律第193号)第3条第35号及び第36号の事務をつかさどる機関で政令で定めるものの教官,衆議院若しくは参議院の法制局参事又は内閣法制局参事官の職に在つた者。」に改められました。当該弁護士法52号の政令は昭和59年政令第221号で,その題名は当初は「弁護士法第五条第二号の機関を定める政令」でしたが,現在は「弁護士法第五条第一号の機関を定める政令」となっています。なお,中央省庁等改革関係法施行法(平成11年法律第160号)316条により,200116日から(同法附則1条),弁護士法52号は「司法修習生となる資格を得た後,5年以上簡易裁判所判事,検察官,裁判所調査官,裁判所事務官,法務事務官,司法研修所,裁判所書記官研修所若しくは法務省設置法(平成11年法律第93号)第4条第36号又は第38の事務をつかさどる機関で政令で定めるものの教官,衆議院若しくは参議院の法制局参事又は内閣法制局参事官の職に在つた者。」となりました。

 

4 弁護士法5条等の変遷その2(司法制度改革のための裁判所法等の一部を改正する法律(平成15年法律第128号)=200441日第1次改正)

 

(1)平成15年法律第128号による2004年4月1日第1次改正

現在の弁護士法5条から6条までに規定された制度の形に向けた・それまでの弁護士法5条の規定に係る大きな改正が,司法制度改革のための裁判所法等の一部を改正する法律(平成15年法律第128号)7条によってされることになりました(同法附則1条は,同法は200441日から施行されるものと規定)。

同法による改正直後の弁護士法を以下「200441日第1次弁護士法」といいます。

200441日第1次弁護士法などとは「同日には第1次に続いて第2,第3の弁護士法があったのであろうか」と訝しがられるものであろう面妖な呼称ですが,実はそのとおりで,200441日には,平成15年法律第128号によるもののほか,裁判所法の一部を改正する法律(平成16年法律第8号)附則5条による改正(「〔弁護士法〕第5条中「裁判所書記官研修所」を「裁判所職員総合研修所」に改める」もの)及び弁護士法の一部を改正する法律(平成16年法律第9号)による小さからざる改正が弁護士法に対して重畳的(3重)に行われていたのでした(平成16年法律第8号附則1条及び同年法律第9号附則1条はいずれも200441日を各法の施行日としています。)。その結果,後法は先法を破るとの原則によって(平成16年法律第8号及び同年法律第9号が平成15年法律第128号に対して後法の関係にあることは明らかでしょう。)――観念的にはともかくも(平成16年法律第9号の附則3条及び4条における「旧法」の存在を参照(註1))――200441日第1次弁護士法の一部には最初から効力を生じていない部分があるのでした。なお,後法・先法の「前後は,立法者の意思――法令の内容が最終的に確定した時(法律についていえば,法律案が法律として成立した時)を基準とするのが妥当とされている」ところ(前田編38頁),そうであれば,平成16年法律第8号及び同年法律第9号は2004331日に参議院本会議において法案が一括して採決されて同時に成立していますから(第159回国会参議院会議録第114頁),両法間には先法・後法の関係はないことになります(天皇による法律の裁可(大日本帝国憲法5条及び6条)ならぬ公布(日本国憲法71号)の前後で決めるわけにはいかないでしょう。)。

 

(2)2004年4月1日第1次弁護士法

 

ア 条文

200441日第1次弁護士法5条から6条までは,次のとおり。

 

  (司法修習生となる資格を得た後に簡易裁判所判事等の職に在つた者についての弁護士の資格の特例)

 第5条 司法修習生となる資格を得た後,簡易裁判所判事,検察官,裁判所調査官,裁判所事務官,法務事務官,司法研修所,裁判所書記官研修所若しくは法務省設置法(平成11年法律第93号)第4条第36号若しくは第38号の事務をつかさどる機関で政令で定めるものの教官,衆議院若しくは参議院の法制局参事又は内閣法制局参事官の職に在つた期間が通算して5年以上になる者は,前条の規定にかかわらず、弁護士となる資格を有する。

  (法務大臣の認定を受けた者についての弁護士の資格の特例)

 第5条の2 法務大臣が,次の各号のいずれかに該当し,その後に弁護士業務について法務省令で定める法人が実施する研修であつて法務大臣が指定するものの課程を修了したと認定した者は,第4条の規定にかかわらず,弁護士となる資格を有する。

  一 司法修習生となる資格を得た後に衆議院議員又は参議院議員の職に在つた期間が通算して5年以上になること。

  二 司法修習生となる資格を得た後に自らの法律に関する専門的知識に基づいて次に掲げる事務のいずれかを処理する職務に従事した期間が通算して7年以上になること。

   イ 企業その他の事業者(国及び地方公共団体を除く。)の役員,代理人又は使用人その他の従業者として行う当該事業者の事業に係る事務であつて,次に掲げるもの(第72条の規定に違反しないで行われるものに限る。)

    (1) 契約書案その他の事業活動において当該事業者の権利義務についての法的な検討の結果に基づいて作成することを要する書面の作成

    (2) 裁判手続等(裁判手続及び法務省令で定めるこれに類する手続をいう。以下同じ。)のための事実関係の確認又は証拠の収集

    (3) 裁判手続等において提出する訴状,申立書,答弁書,準備書面その他の当該事業者の主張を記載した書面の案の作成

    (4) 裁判手続等の期日における主張若しくは意見の陳述又は尋問

    (5) 民事上の紛争の解決のための和解の交渉又はそのために必要な事実関係の確認若しくは証拠の収集

   ロ 公務員として行う国又は地方公共団体の事務であつて,次に掲げるもの

    (1) 法令(条例を含む。)の立案,条約その他の国際約束の締結に関する事務又は条例の制定若しくは改廃に関する議案の審査若しくは審議

    (2) イ(2)から(5)までに掲げる事務

    (3) 法務省令で定める審判その他の裁判に類する手続における審理又は審決,決定その他の判断に係る事務であつて法務省令で定める者が行うもの

  三 検察庁法(昭和22年法律第61号)第18条第3項に規定する考試を経た後に検察官(副検事を除く。)の職に在つた期間が通算して5年以上になること。

 2 前項の規定の適用については,次の各号に掲げる期間(前条又は同項第1号に規定する職に在つた期間については司法修習生となる資格を得た後のものに限り,同項第3号に規定する職に在つた期間については検察庁法第18条第3項に規定する考試を経た後のものに限る。)は,それぞれ当該各号に定める規定に規定する職に在つた期間又は職務に従事した期間とみなす。

  一 前条又は第6条第1項第2号に規定する職に在つた期間 前項各号

  二 前項第1号に規定する職に在つた期間 同項第2

  三 前項第3号に規定する職に在つた期間 同項第1号及び第2

  (認定の申請)

 第5条の3 前条第1項の規定により弁護士となる資格を得ようとする者は,氏名,司法修習生となる資格を取得し,又は検察庁法第18条第3項の考試を経た年月日,前条第1項第1号若しくは第3号の職に在つた期間又は同項第2号の職務に従事した期間及び同号の職務の内容その他の法務省令で定める事項を記載した認定申請書を法務大臣に提出しなければならない。

 2 前項の認定申請書には,司法修習生となる資格を取得し,又は検察庁法第18条第3項の考試を経たことを証する書類,前条第1項第1号若しくは第3号の職に在つた期間又は同項第2号の職務に従事した期間及び同号の職務の内容を証する書類その他の法務省令で定める書類を添付しなければならない。

 3 第1項の規定による申請をする者は,実費を勘案して政令で定める額の手数料を納めなければならない。

  (認定の手続等)

 第5条の4 法務大臣は,前条第1項の規定による申請をした者(以下この章において「申請者」という。)が第5条の21項各号のいずれかに該当すると認めるときは,申請者に対し,その受けるべき同項の研修(以下この条において単に「研修」という。)を定めて書面で通知しなければならない。

 2 研修を実施する法人は,申請者がその研修の課程を終えたときは,遅滞なく,法務省令で定めるところにより,当該申請者の研修の履修の状況(当該研修の課程を修了したと法務大臣が認めてよいかどうかの意見を含む。)を書面で法務大臣に報告しなければならない。

 3 法務大臣は,前項の規定による報告に基づき,申請者が研修の課程を修了したと認めるときは,当該申請者について第5条の21項の認定(以下この章において単に「認定」という。)を行わなければならない。

 4 法務大臣は,前条第1項の規定による申請につき認定又は却下の処分をするときは,申請者に対し,書面によりその旨を通知しなければならない。

  (研修の指定)

 第5条の5 法務大臣は,研修の内容が,弁護士業務を行うのに必要な能力の習得に適切かつ十分なものと認めるときでなければ,第5条の21項の規定による研修の指定をしてはならない。

 2 研修を実施する法人は,前項の研修の指定に関して法務大臣に対して意見を述べることができる。

 3 法務大臣は,第5条の21項の研修の適正かつ確実な実施を確保するために必要な限度において,当該研修を実施する法人に対し,当該研修に関して,必要な報告若しくは資料の提出を求め,又は必要な意見を述べることができる。

  (資料の要求等)

 第5条の6 法務大臣は,認定に関する事務の処理に関し必要があると認めるときは,申請者に対し必要な資料の提出を求め,又は公務所,公私の団体その他の関係者に照会して必要な事項の報告を求めることができる。

  (法務省令への委任)

 第5条の7 この法律に定めるもののほか,認定の手続に関し必要な事項は,法務省令で定める。

  (最高裁判所の裁判官の職に在つた者等についての弁護士の資格の特例)

 第6条 次に掲げる者は,第4条の規定にかかわらず,弁護士となる資格を有する。

  一 最高裁判所の裁判官の職に在つた者

  二 別に法律で定める大学の学部,専攻科又は大学院における法律学の教授又は助教授の職に在つた期間が通算して5年以上となる者

 2 前項第2号の規定の適用については,司法修習生となる資格を得た後に第5条に規定する職に在つた期間は,同号に規定する職に在つた期間とみなす。

 

イ 元最高裁判所裁判官及び法律学教授・助教授に係る現状維持

 200441日第1次弁護士法5条は,それまでの弁護士法52号を踏襲したものです。それまでの弁護士法51号及び3号の規定は200441日第1次弁護士法61項に,それまでの弁護士法54号は200441日第1次弁護士法62項にまとめられています。

 

ウ 法務大臣の認定による特例の対象者

 

(ア)司法修習生となる資格を得た国会議員

 200441日第1次弁護士法5条の211号は,それまでの弁護士法5条「2号に「衆議院又は参議院の議員」を加えることが一時問題となったこともあ」ったところが(日本弁護士連合会調査室53頁),当該問題の蒸し返しに対する対応ということになるのでしょう。

 

(イ)企業法務等担当者

200441日第1次弁護士法5条の212号はいわゆる企業等に対応するものとなります。(しかし,かつては事業官庁というものがあり,また,「明治憲法以来のわが国の通説は,各種の国公営サービス,たとえば,交通,郵便,電話,水道などの利用は,特別の制定法の定めがない限り,民法上の契約として理解してきた」ところであり,かつ,「官庁土木の請負は当然民法上のものと理解されてきた」(塩野宏『行政法』(有斐閣・1991年)142頁)にもかかわらず,200441日第1次弁護士法5条の212号ロ(2)(現行弁護士法52号ロ(2))が「契約書案その他の事業活動において当該事業者の権利義務についての法的な検討の結果に基づいて作成することを要する書面の作成」を除外しているのはどうしたものでしょうか。)

 

(ウ)検察官特別考試を経た特任検事

200441日第1次弁護士法5条の213号は,いわゆる特任検事に関する規定ということになります。「いわゆる特任検事(検察庁法(ママ)〔一八〕条3項,検察官特別考試令・昭和25年政令349号)に弁護士資格を付与すべきであるとの立法論的提言がなされたことがある(昭和39年〔1964年〕8月の臨時司法制度調査会意見書)」ところ,「これに対しては,判・検事,弁護士が等しく司法試験及び司法修習を終えることを共通の資格要件とするわが国の法曹養成制度の根幹を乱すとの立場から,強い反対の意見が述べられている(昭和391219日付日弁連臨時総会決議)」(日本弁護士連合会調査室52-53頁)ということがあったにもかかわらず設けられたものということになるようです。

しかしこれについては,200441日第1次弁護士法5条の21項(現行弁護士法5条)の法務省令で定める法人は,弁護士となる資格に係る認定の手続等に関する規則(平成16年法務省令第13号)(註21条により日本弁護士連合会となっていますから,弁護士側に最終的研修実施権が留保され,かつ,修了認定に対する意見表明権(200441日第1次弁護士法5条の42項括弧書き,すなわち現行弁護士法5条の32項括弧書き)が確保されているので,よいのでしょう(これに対して当初の内閣提出案では,いわゆる特任検事に弁護士資格を認めるために,研修の修了の認定は要件とされていませんでした。)。なお,当該研修については,2004312日の衆議院法務委員会において寺田逸郎政府参考人(法務省大臣官房司法法制部長)から説明があって,「特任検事は,これはもう法廷の経験は十分にあるわけでございますけれども,現に民事面での理論的な問題等が若干欠けているという,〔略〕問題といたしまして,やはり民事でいいますと,どういうものが証拠として立証されるべきであるかということについての,私どもは要件事実と申しておりますけれども,そういうものについての理論面での共通した認識を持っていただくというための講義は,当然のことながら必要になります。/そのほかに,法廷面でのいろいろな問題もございますし,特に弁護士倫理というようなところは,やはり共通の問題としてしっかり踏まえていただかなきゃならないだろうというふうに考えております。/同時に,今度は個別の,それぞれの弁護士事務所での研修におきましては,やはり実際にどのように依頼者に対応するか,裁判所に対応するかというような実際面での必要な知識なりノウハウというようなものを学んでいただく,こういうようなことを予定しているわけでございます。」と述べられていました(第159回国会衆議院法務委員会議録第34頁。また,同号12頁及び同国会参議院法務委員会会議録第45頁)。

 

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1 条文

 民法(明治29年法律第89号)に次のような条項があります。

 

  (準消費貸借)

  第588条 金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において,当事者がその物を消費貸借の目的とすることを約したときは,消費貸借は,これによって成立したものとみなす。

 

平成29年法律第44号による202041日からの改正(同法附則1条,平成29年政令第309号)の前の条文は,次のとおりでした(下線は筆者によるもの)。

 

 (準消費貸借)

 第588条 消費貸借によらないで金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において,当事者がその物を消費貸借の目的とすることを約したときは,消費貸借は,これによって成立したものとみなす。

 

 更にその前,平成16年法律第147号による200541日からの改正(同法附則1条,平成17年政令第36号)の前の条文は,次のとおり。これが,明治天皇の裁可(大日本帝国憲法6条)に係るものです。

 

  第588条 消費貸借ニ因ラスシテ金銭其他ノ物ヲ給付スル義務ヲ負フ者アル場合ニ於テ当事者カ其物ヲ以テ消費貸借ノ目的ト為スコトヲ約シタルトキハ消費貸借ハ之ニ因リテ成立シタルモノト看做ス

 

2 準消費貸借の趣旨

 

(1)我妻榮の説明

準消費貸借の趣旨とするところは,我妻榮の説くところでは次のとおりでした。

なお,令和の読者のために,我妻説の民法学界における位置について付言すれば,「我妻栄『民法講義Ⅰ~Ⅴ₄』(岩波書店,1932年~71年)が,少なくとも戦後20年ほどの間は〔1945年頃~1965年頃ということになります。〕支配的な地位を占めていた(いわゆる「通説」であった)」ところです(大村敦志=道垣内弘人=森田宏樹=山本敬三『民法研究ハンドブック』(有斐閣・2000年)218頁)。

 

民法がかような規定を設けたのは,消費貸借の要物性を緩和しようとする目的であることは疑ない(ド〔イツ〕民〔法旧〕6072項も同旨を定める)。判例は,ややもすると,これを簡易の引渡によつて金銭の授受があつたとみなされる趣旨だと説く。然し,要物性を緩和して解するときは,強いて簡易の引渡の理論を援用する必要はない。民法の要物性は既存の債務の存在で足るという点まで緩和されているものと解するだけで充分であろう(大判昭和86131484頁は同旨を述べる〔後記筆者註1参照〕)。

  (我妻榮『債権各論中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1957年(補注1973年))365-366頁)

 

(2)受験秀才的早分かり

「準消費貸借=(民法587条の消費貸借が要物契約であることに対する)要物性の緩和」であるな,との定式で早分かりして準消費貸借の本質をつかんだ気になるのは,要領を貴ぶ受験秀才としては当然のところでしょう。

また,準消費貸借条項には,受験秀才好みの,文理に反する「落とし穴」がありました。

 

 〔前略〕民法は「消費貸借ニ因ラ(ママ)シテ」というが,既存の消費貸借上の債務を基礎として〔中略〕消費貸借を締結することも,さしつかえない(通説,判例も古くからこれを認める(大判明治4154519頁,大判大正212411頁等))。

 (我妻Ⅴ₂・366頁)

 

 我妻は「消費貸借を締結する」と書いていますが,正確には「当該債務における給付物を消費貸借の目的とすることを約する」ということになるのでしょう。

 この,受験秀才は上手に回避し,全く勉強していない横着者はかえって山勘で切り抜け(「既存の消費貸借に係る返還物を目的とする準消費貸借は可能か,などとあえて訊くのはひっかけであろう。消費貸借が消費貸借になるのならば同じことであって意味がないと判断して「不可」と答えるのが素直なのであろうが,ここはその逆張りだな。」というような思考ですね。),中途半端に条文の知識までのみはある受験者は落ち込むであろう「落とし穴」は,平成29年法律第44号によって塞がれたことになっています。

 

   旧法第588条は,消費貸借によらない物の返還債務を消費貸借の目的とする消費貸借(準消費貸借)を成立させることができるとしていたが,判例(大判大正2124日)は,消費貸借による物の返還債務を消費貸借の目的とする準消費貸借も認めていたことから,その旨を明確化している(新法第588条)。

  (筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)290頁)

 

なお,消費貸借の目的は物であって債務ではないはずなので,上記の文章にはちょっと不正確なところがあるようです。この点は,「民法の要性は既存の債務の存在で足る」という我妻の表現から,物と債務とが等号でつながれてしまったものでしょうか。

以上の2点の早分かり,すなわち,「準消費貸借=要物性の緩和」及び「既存の消費貸借に係る返還物を目的とする準消費貸借は可能」という知識まであれば天晴れ天下の受験秀才ということではあったのですが,進んで司法修習生になって要件事実論を学ばせられると,どんよりと暗い準消費貸借の深い藪に気が付くことになります。

 

3 準消費貸借の深い藪

 

(1)要件事実論:被告説及び原告説並びに二分説

 

ア 被告説vs.原告説

 

  準消費貸借に基づき,貸主が借主に対し目的物の返還を請求する場合に主張立証しなければならない要件は

  従前の債務の目的物と同種,同等,同量の金銭その他の代替物を返還する合意

 だけである。したがって,準消費貸借の合意の内容を明らかにするため,目的となった金銭その他の代替物を給付すべき旧債務を,特定できるように主張しなければならないが,その旧債務の存在についての主張立証は,準消費貸借の成立を主張する者の責任ではなく,かえってその不存在を主張し新債務の存在を争う相手方において,抗弁として主張立証しなければならない(大判大61151743頁,大9518823頁,大152151頁等)。

  右に反し,旧債務の成立については,準消費貸借の成立を主張する者に主張立証責任があるとする説もある。

 (司法研修所民事教官室編『民事訴訟における要件事実について』(司法研修所)53-54頁)

 

 上記のような内容の教材を交付されれば,「準消費貸借に基づくその目的の返還請求に係る要件事実論においては,原告がまず旧債務の発生原因事実を主張立証しなければならないものとする異端説(原告説)があるようだけれども,司法研修所の公認説は,旧債務の不存在が被告の抗弁に回るという説(被告説)なのだね,被告説さえ覚えておけば,二回試験(裁判所法(昭和22年法律第59号)671項の試験)の準備は完璧だね。」と早分かりしたくなるのも無理からぬところでしょう。

 ところが,司法研修所の他の教材を見ると,被告説を採る判例の存在もものかは,そこではむしろ原告説によって請求原因に係る争点整理がされており(司法研究所民事裁判教官室『第3版 民事訴訟第一審手続の解説 別冊記録に基づいて』(司法研修所・20044月)45頁),判決書の事実摘示も原告説によってされています(司法研修所民事裁判教官室『「10訂民事判決起案の手引」別冊 事実摘示記載例集』(司法研修所・20068月)6頁)。こうなると,つかの間の早分かりは当の司法研修所自身によって裏切られ,司法修習生は被告説と原告説との両方を丸暗記せざるを得ないことになり,弁護士となっては原告訴訟代理人として,苦しいながらも安全サイドをとって原告説で訴状を起案して主張立証活動をすることになります。

 すっきりしませんね。

 原告説の由来するところは「民法587条が金銭その他の物の交付と返還の合意を消費貸借契約の要件事実としている点を民法588条においてもパラレルに考え,旧債務の存在と返還の合意が準消費貸借契約の要件事実となると考える。」ということだそうです(村田渉=山野目章夫編著『要件事実論30講(第2版)』(弘文堂・2009年)189頁)。要物性(金銭その他の物の交付)に代えるに旧債務の存在をもってしていますから,これは,準消費貸借における「民法の要物性は既存の債務の存在で足るという点まで緩和されているものと解する」前記の我妻説からの演繹ですね。準消費貸借本質論における我妻説の理論的権威こそが,原告説をして,判例の左袒する被告説に拮抗ないしはむしろ優位に立たせている理由でしょうか。

なお,被告説の理由とするところは,こちらは現場的で,「準消費貸借契約を締結する際,旧債務の証書等は貸主から借主に返還されるのが取引の実情で,貸主が旧債務の存在を立証するのは困難であるとの理解」である(村田=山野目189頁)等と説かれています(最判昭和43216日民集222217頁に係る宇野栄一郎調査官の解説における紹介に基づく理解のようです(梅本吉彦「準消費貸借における実体法と手続法の交錯」専修法学論集130号(20177月)344-345頁・349頁註(25))。)。しかし,これに対しては批判があります。その一つにいわく,「判例は,準消費貸借に関する事案に限って,紛争実態に着目し,当事者が旧債務関係の証書を廃棄してしまうこと,取引関係が錯綜していて債権債務関係が明確でないこともある等の事情を理由に,法律要件分類説の原則論とは異なる立証の難易を基準とする公平の観念から判断基準を設定している。契約関係の当事者は当該契約から紛争が生じたときに備えているべきこと(ママ)である。契約関係においては,当事者はその証書を通常それぞれ保持し,保存しているのであり,火災をはじめ災害によってそれらが消失してしまっているといった特別の事情がない限り,債権者・債務者が自己の立場を守るために,関係文書を保存することは契約関係に内在する責務である。この問題に限って,今ただちに法律要件分類説の基本的立場を変更すべき理由はまったく見いだすことができ」ない,と(梅本345-346頁。更に同349頁註(27)には,「この類いの問題については,調査官解説も文献の考証に終始するのではなく,取引実態を詳細に調査する姿勢が必要なのではないか。最近の調査官解説を見ても,比較的司法試験受験生に多く読まれている概説書に依拠し,平板的に記述しているものが顕著である。限られた時間的制約の下で業務を遂行しているのであろうが,一層の研鑽を重ねることを心より期待する。」との手厳しい記述があります。)。

 

イ 二分説:債務変更型と更改型と

 すっきりしないまま更に探究を続けると,二分説というものが出て来ます。同説によると,準消費貸借には実は債務変更型と更改型という二つの型があって,債務変更型(既存の債権関係を維持したまま個々の事項に変更を加えるもの)の場合は原告説を採り,更改型(既存の債務を消滅させ新たにそれとは別個の債権関係を発生させるもの)の場合は被告説を採り,どちらの型か不明の場合は債務変更型として取り扱うべしということになります(岡口基一『要件事実マニュアル 第2版 上』(ぎょうせい・2007年)534-535頁の紹介する松本博之説)。ここでまた疑問が生じます。はて,「既存の債権関係を維持」とはこれいかに,「旧債務」といったからには,準消費貸借においては既存の債務は当然消滅するのではなかったのか,すなわち準消費貸借は更改の一種ではなかったのか,というわけです。

 

(2)新旧債務の「同一性」問題

 

ア 更改との異同

準消費貸借と更改(民法513条から518条まで)との関係については,「準消費貸借においては,もとの債務と準消費貸借契約によって生じた債務との関係が問題となることが多い。更改〔略〕や和解〔略〕におけると共通の問題である。これを通常,両債務の「同一性」の有無の問題として論じている」ということで(星野英一『民法概論Ⅳ(契約)』(良書普及会・1994年)172頁),更改と準消費貸借とは併記されていますから,後者が前者に含まれるということではないようです。準消費貸借は更改ではないのでしょう。しかし,そうならば準消費貸借=債務変更型で一貫すればよいのですが,更改型のものも存在するのだといわれると,これは(ぬえ)ではないかということで,どう頭を整理してよいのか困ってしまいます。

 

イ 抗弁並びに担保及び保証の存否並びに消滅時効期間の基準

更に情況を悪化させることには,準消費貸借においては,従前の債務にそれぞれ伴っていた抗弁並びに担保及び保証は消滅しているのか,存続しているのか,また,準消費貸借の消滅時効は旧債務のそれと別箇に解すべきものかどうかというような問題があります(我妻Ⅴ₂・367-368頁参照)。新旧両債務の「同一性」の有無によって判断するのが素直なのでしょうが(例えば,抗弁並びに担保及び保証は,債務変更型ならば存続し,更改型ならば消滅する,消滅時効は,債務変更型ならば旧債務について考え,更改型ならば別箇に解する,というような思考方法),「一律に決すべきものではなく,いくつかの問題ごとに検討すべきものである」といわれ(星野Ⅳ・172頁),「「同一性」といっても無内容であり,決め手は当事者が準消費貸借をなした趣旨(当事者の意思)にある。」とされてしまうと(内田貴『民法Ⅲ 債権各論』(東京大学出版会・1997年)243頁),取り付くホールドのないままずるずると斜面を滑り落ちる無力感に(さいな)まれます。

 

(3)小括

以上,準消費貸借については,①旧債務は存続するのか(債務変更型),消滅するのか(更改型),②消滅するとした場合においては更改との関係をどう説明するのか,③要物性緩和論はどこから由来するのか(「要物性を緩和しようとする目的」については,「それでは,なぜ消費貸借の要物性を緩和する規定を設ける必要性があるのかという疑問を誘うことになるのであるが,立法の必要性ということからはまったく説得力に欠けている。」と評されています(梅本324頁)。),④準消費貸借の消滅時効はどう考えるのか,⑤旧債務に伴っていた抗弁並びに担保及び保証はどうなるのか,並びに⑥旧債務の発生原因事実の主張立証責任が目的の返還を請求する原告にあるのか(原告説),旧債務の不存在が被告の抗弁に回るのか(被告説),といった問題があるようです。準消費貸借を蔽い込む深い藪山のどの稜線を辿れば,無事藪抜けができるのかどうか。ここはひたすら無暗に目先の藪と格闘するのではなく,まずは登山口に戻り,山域の概念図を眺め,そしてそもそもの当初の山行計画を振り返ってみるべきでしょう。

ここでの登山口は日本民法の立法経緯です。山域概念図は,その際参照された又は参照されるべきであった母法における理論ということになりましょう。民法起草者の意図が当初の山行計画であることはもちろんです。

 

4 登山口:法典調査会民法整理会

準消費貸借に係る条文は,民法の法案審議が一通り終わった後で開催された法典調査会の民法整理会において,18951230日(第12回の民法整理会),富井政章から提案され,更改の規定に関してされた己が議論を振り返る梅謙次郎の発言はあったものの,その日そのまま承認されています。

 

 富井政章君 次ニ移リマス前ニ,此ニ1箇条入レテ戴キタイ条ガアリマス。先ヅ初メニ其条文ヲ読上ゲマス。ソレカラ説明イタシマス。

 

  第586条 消費貸借ニ因ラスシテ金銭其他ノ物ヲ給付スル義務ヲ負フ者アル場合ニ於テ当事者カ其物ヲ以テ消費貸借ノ目的ト為スコトヲ約シタルトキハ消費貸借ハ之ニ因リテ成立シタルモノト看做ス

 

此規定ハ,左ノ様ナ場合ニ適用ガアル。例ヘバ,買主ガマダ代金ヲ払ツテ居ラナイ,即チ,(ママ)貸借ノ名称デナイ他ノ名義ニ於テ或ル物ヲ給付スル義務ヲ負(ママ)テ居ル,金銭其他ノ代替物ヲ給付スル義務ヲ負(ママ)テ居ル場合ニ,当事者ガ其物ヲ以テ消費貸借ノ目的トスル旨ヲ約シタトキハ,実際物ノ交付ガナイニ拘ハラズ消費貸借ハ法律ノ力ニ依テ成立シタモノト看ル。斯ウ云フ規定デアリマス。

此規定ハ,消費貸借ヲ以テ要物契約トスル以上ハドウモナクテハイカナイノデアラウト兼テカラ考ヘテ居リマシタ。昨日協議〔第11回の民法整理会は18951228日の開催なので,この「協議」は民法整理会の協議ではありません。〕ノ時ニ,此問題ニ付テ議スルコトヲ失念シタノデアリマス。ソレ()今朝協議シマシテ,ドウモアツタ方ガ宜カラウト云フノ()一致シテ遂ニ之ヲ提出スルコトニナリマシタ。

是ハ独逸民法草案抔ニハアル。実ハ初メカラ気附イテハ居ツタ。初メ消費貸借ノ規定ヲ書クトキニハ,無クテ済マウト思ツタ。其訳ハ,占有ノ規定デ足リ様ト思(ママ)テ居ツタ。此占有ノ章ノ第182条ニ,現実ノ占有ガナクテモ既ニ占有物ヲ所持シテ居ル場合ニハ占有権ノ譲渡ハ当事者ノ意思ノミニ依テ為スコトガ出来ルト云フコトガアリマス。是デ宜カラウト云フ雑トシタ考ヘ()置カナンダ。

併シ能ク能ク考ヘテ見マスト,成程今申シタ債務者ガ物ノ占有ヲ為シテ居レバ此規定デ宜シイ,併シ実際物ヲ占有シテ居ラヌ場合ガアル,却テサウ云フ場合ニ今申シタ訳ナ契約ガ起ルコトガ多イ。売買ノ代金トシテ金ヲ払ハナケレバナラヌ,丸デからつぽうデ一文モナイ,ソレヲ消費貸借ノ名義デ借リタコトニシテ居ル,サウ云フ場合ニハ182条ニ所謂占有物ヲ所持スル場合ニ於テト云フコトガ当リ憎イ。ソレデドウモ此規定ガアツタ方ガ便利デアラウト云フコトカラ,此規定ヲ置キタイト思ツタノデアリマス。何卒御採用ニナラムコトヲ希望シマス。

 

  梅 謙次郎君 一寸私モ関係ノアルコトデアリマスカラ説明致シマス。

実ハ更改ノ所デ書カウト思ツタガ,斯ウ云フ幅デ出サウト云フナラバ,賛成シタ方ガもつと広イ幅デ書カウト思ツタカラ反対シタ。

初メ売買ノ名義デ居ツタモノガ当事者ノ意思デ貸借ノ義務ヲ負フト広ク書クト,極端ノ場合ダガ,借リテ居ツタ物ヲ売却スル,交換ノ名義デ取ツタ物ヲ売買ニシヤウトカ,和解ノ名義デ取ツタ物ヲ売買ニシヤウトカ,契約ノ性質ノ違(ママ)物ヲ当事者ノ意思斗リテ勝手ニシヤウト云フノハ絶対的ニ反対ダト申シタノデ,多分意思解釈デ徃ケヤウト思ツタガ,併シ当事者ノ意思ニ任カセルト云フト動モスレバ意思ノ不明ナル為メニ問題ヲ生()ルト思ツテ之ヲ置クコトニ同意シタノデアリマス。

 

  議長(箕作麟祥君) ソレデハ他ニ御発議ガナケレバ,挿入ノ条ハ之ニ決シマス。

  (『民法整理会議事速記録第4巻』(日本学術振興会)94丁裏-96丁表。句読点及び改行は筆者が補ったもの)

 

「是ハ独逸(ドイツ)民法草案(など)ニハアル」ということですので,富井政章は,我が準消費貸借条項の起案に当たって当時のドイツ民法第一草案(1887年)及び第二草案(1894-1895年)を参考としたもののようです。両草案における準消費貸借関係規定は次のとおり。

 

ドイツ民法第一草案

§.454.

     Hat Jemand einem Anderen aus einem zwischen ihnen bestehenden Schuldverhältnisse eine Geldsumme zu zahlen oder andere vertretbare Sachen zu leisten, so kann zwischen denselben vereinbart werden, daß der Verpflichtete die Geldsumme oder die sonstigen vertretbaren Sachen als Darlehen schulden solle.

(ある者が,相手方に対して,両者間に存在する債権債務関係に基づき一定の金額の支払又はその他の代替物の給付をすべき義務を負う場合においては,当該両者間において,当該金額又はその他の代替物について,消費貸借の目的としての債務を義務者が負う旨の合意をすることができる。)

 

ドイツ民法第二草案(これは,1896年に制定されたドイツ民法旧607条と同じです。)

§.547.

     Wer Geld oder andere vertretbare Sachen als Darlehen empfangen hat, ist verpflichtet, dem Darleiher das Empfangene in Sachen von gleicher Art, Güte und Menge zurückzuerstatten.

     Wer Geld oder andere vertretbare Sachen aus einem anderen Grunde schuldet, kann mit dem Gläubiger vereinbaren, daß das Geld oder die Sachen als Darlehen geschuldet werden sollen.

(金銭又はその他の代替物を消費貸借の目的として受領した者は,貸主に対して,同じ種類,品質及び数量の物をもって受領物を返還する義務を負う。)

(他の原因により金銭又はその他の代替物に係る債務を負う者は,当該金銭又は物について,消費貸借の目的としての債務を負うものとする旨の合意を債権者とすることができる。)

 

 我が民法588条の書き振り(平成29年法律第44号による改正前)は,ドイツ民法第一草案454条よりも,第二草案5472項の方によりよく似ています。しかし,「消費貸借によらないで金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において,当事者その物を消費貸借の目的とすることを約することができる。」ではなく,「消費貸借によらないで金銭その他の物を給付する義務を負う者がある場合において,当事者がその物を消費貸借の目的とすることを約したときは,消費貸借は,これによって成立したものとみなす。」と,ドイツ民法より一歩踏み込んで,当事者の合意の効果についてまで規定しています。新たな消費貸借契約が当該合意によって成立・登場するということでしょう。また,「みなす」なので,当該効果について例外は認められないのでしょう。富井政章=本野一郎のフランス語訳では,“Lorsque celui qui doit de l’argent ou d’autres choses à un autre titre qu’en vertu d’un prêt de consommation convient avec son créancier que l’argent ou les choses dont s’agit seront dus à l’avenier à titre de prêt, le prêt est considéré comme s’étant formé par ce fait.”となっています。


(中):概念図及び当初山行計画

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079396057.html

(下):山域鳥瞰図

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079396090.html


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1 ソクラテス的問答法

 

(1)星野英一教授のソクラティック・メソッド

 法学教育に関して,ソクラティック・メソッドとはよく聞く言葉です。2012年9月に86歳で亡くなった星野英一教授の回想にも「〔東京大学法学部で〕筆者は,最高裁判所判例研究の演習を,50人のクラスで,席次を決め,このメソッドだけで進めた。各人のあたる回数が同じになるように,席次表に印をつけていた。10回,各2時間以上の授業で,毎回20人程度,一人合計5回くらいあたるようにしていた。これは,かなり成功だったように思っている。」との記述があり(同『法学者のこころ』(有斐閣・2002年)146頁),また,「もちろん,法律の勉強には,ケース・メソッドというよりソクラティック・メソッドの授業があったほうがいいと思っています。法律的訓練のために有効だということです。私自身,ゼミですが,東大,千葉大,放送大を通じて,そのようなゼミを30年くらいやってきました。しかし,教えるほうは,その質問を考えておくことも大変だし,その場で思いがけない答えが出てきたときに臨機応変に対応するのでとても疲れます。やっと東大の停年〔1987年3月〕の数年前くらいから,自分である程度うまくできたと思えるようになりました。」とあります(同『ときの流れを超えて』(有斐閣・2006年)234頁)。「数年前くらい」を3ないし4年くらい前と考えれば,1983年度の冬学期くらいから最高裁判所判例研究の演習を「自分である程度うまくできたと思えるようになった。」ということでしょうか。当時の東京大学法学部の学生は,どのような様子だったものやら。なお,星野教授の理解では「ソクラティック・メソッドとは,授業進行の方法であって,授業の内容に関するものでない。教師の一方的な話でなく,対話的に授業を進める方法一般を意味するものであろう。それゆえ,よい方法」であるということでした(同『法学者のこころ』145頁)。

 

(2)「論理の万力」

他方,紀元前5世紀末のアテネにおける本家ソクラテスによる実際の問答はどのようなものであったのでしょうか。1917年にドイツ帝国のミュンヘンでされたマックス・ヴェーバーの講演『職業としての学問』において,次のような紹介があります。

 

  Die leidenschaftliche Begeisterung Platons in der »Politeia« erklärt sich letztlich daraus, daß damals zuerst der Sinn eines der großen Mittel allen wissenschaftlichen Erkennens bewußt gefunden war: des Begriffs. Von Sokrates ist er in seiner Tragweite entdeckt. … Hier zum erstenmal schien ein Mittel zur Hand, womit man jemanden in den logischen Schraubstock setzen konnte, so daß er nicht herauskam, ohne zuzugeben: entweder daß er nichts wisse: oder daß dies und nichts anders die Wahrheit sei, die ewige Wahrheit, die nie vergehen würde, wie das Tun und Treiben der blinden Menschen. Das war das ungeheure Erlebnis, das den Schülern des Sokrates aufging.

 

  『国家』におけるプラトンの情熱的熱狂は,つまりのところ,当時初めて,全ての学問的認識に係る偉大な手段の一つ,すなわち概念の意義が自覚されたということから説明される。ソクラテスによって,それは,その有効射程と共に発見されたのである。・・・ここにおいて,何人をも論理の万力に据えて,彼は何も知らないこと,又は他のものではなくあるものこそが真理,すなわち,盲目の人々の行為や営為のように廃れてしまうものではない永遠の真理であることを彼が認めざるを得ないようにすることができる手段が初めて手に入ったものと思われた。これが,ソクラテスの生徒らに対して明らかになった,おそるべき経験であった。

 

対話の相手方を論理の万力(der logische Schraubstock)に据えてギリギリと締め上げ,参りました私は間違っていました,そうです全く先生のおっしゃるとおりでございますと言わせてしまう,なかなか意地悪なものだったようです。これが古代ギリシャ人ということでしょうか。相手を気遣った優しいものではありません。これに対して星野教授のゼミにおいては,ソクラティック・メソッドといっても,「知識を正確にするためという場合もあ〔るが〕・・・しかし,私は,まず判例等における事実関係をきちんと把握する練習から始めました。・・・それから,法律的な考え方を自分でできる訓練をする趣旨で,答えが合っている秀才型の人には,さらに突っこんでゆきました。答えが間違いまたは不正確な人にも,類似の例などを示して,自分で考えて正解に達するようにしました。」というような配慮がされていました(星野『ときの流れを超えて234頁)。

 

(3)刑事弁護におけるソクラテス的意地悪質問

ところで,刑事公判における弁護人の被告人質問などにおいては,筆者はソクラテス的意地悪質問をするときがあります。証言台で緊張している被告人に任せておくだけでは,その内心の反省を表現する的確な言葉がなお十分出て来ないであろうときなどです。

「先生の弁護人質問の方が,検察官からの質問よりも怖かった。」

と国選弁護の被告人から言われたことがあります。

「それは君の考えが甘いよ。弁護士が付いたからって,何もせずに任せていればいい結果が出て来るものと,のほほんと期待されては困るよ。刑事訴訟における主役は飽くまでも君だよ。意地悪質問といわれたって,君のために有効な質問を考え出すのは大変なんだぞ。」

とは筆者の内心の声でした。

日本人たる筆者が,古代ギリシャ人のように意地悪になれるわけがありません。

 

2 書かれた言葉と語られる言葉

 

(1)判決の宣告と判決書

 なお,前記被告人は,かつて同種事犯で執行猶予付きの懲役刑の判決を受けたことがありました。

 国選弁護人として選任された当初筆者は,「前の判決については,執行猶予の言渡しが取り消されることなくその猶予の期間を経過しているのだから,刑法27条によって刑の言渡し自体の効力が失われているよね。だから,前に禁錮以上の刑に処せられたことがない者として,刑法25条1項1号で執行猶予付きの判決が可能だよね。」と楽観していました。しかしながら,検察官から公判での取調べを請求する予定の証拠書類として,閲覧の機会を与えられた(刑事訴訟法299条1項本文,刑事訴訟規則178条の6第1項1号),当該被告人に係る前の事件における判決書の写しを見て,絶句したものです。第一審では実刑判決だったところ,控訴審判決で執行猶予が付いたのですが,当該控訴審判決にいわく。

 

 ・・・被告人に対しては,今回に限り,その刑の執行を猶予するのが相当である。(下線は筆者)

 

 えっ,「今回に限り」なんだからまたやったら実刑だよ,という厳しい警告を高等裁判所から受けてしまっているではないか。それなのに,なぜまた同じような犯罪を行ってしまったのかね。執行猶予付き判決を受け得るチャンスは使い尽くしてしまっていることになっているではないか。今更,今回も執行猶予になるように先生よろしくお願いしますと頼まれても困るよ。裁判所にも立場というものがあるのだよ・・・。

情状弁護で頑張るとして,執行猶予になるのかどうかは,なお苦しいところです。

 「あのね,前の事件が無事執行猶予付き判決で終わった時にね,「今回に限り」だから次にまた同じことをやったら執行猶予は付かないよって,控訴審での弁護人の○○先生から注意されていなかったの。控訴審の判決書は見なかったの。」

と,保釈によって釈放中の被告人に問いただしたのですが(筆者は保釈も頑張っていたのでした。),回答は次のとおり。

 

 控訴審の弁護人がだれであったかは,覚えていない。

 判決書は,見ていない。

 

 頭を抱えそうになったのですが,確かに刑事裁判ではあり得ることです。○○先生(控訴審の判決書に名前が出ている。)は,ひょっとしたら控訴審の判決書謄本の交付を請求(刑事訴訟法46条)せず,したがって当該判決書謄本ないしはその写しを被告人に渡すこともしていなかったのではないでしょうか。民事訴訟では,判決書が当事者に送達されます(民事訴訟法255条)。しかしながら,刑事訴訟においては,「判決は,公判廷において,宣告によりこれを告知する」だけです(刑事訴訟法342条。控訴審につき,同法404条)。

刑事訴訟規則34条は,「裁判の告知は,公判廷においては,宣告によつてこれをし,その他の場合には,裁判書の謄本を送達してこれをしなければならない。但し,特別の定のある場合は,この限りでない。」と規定しています。裁判書の謄本の送達が,公判廷において宣告された裁判の告知のためにされることはないわけです。判決書の謄本又は抄本の送付については,検察官の執行指揮を要する場合にする旨の規定が刑事訴訟規則36条にありますが,その送付先は検察官だけです。(なお,同規則222条参照)

 ちなみに,刑事訴訟法46条に基づいて裁判書又は裁判を記載した調書の謄本又は抄本の交付を請求するには費用がかかり,その額は,「当分の間,その謄本又は抄本の用紙1枚につき60円」です(刑事訴訟法施行法(昭和23年法律249号)10条1項前段)。通常,収入印紙で納めることになります(刑事訴訟法施行法10条2項)。

 将来の戒めのためには,判決を耳で聞いたままにしておくよりも,何か書き物の形で被告人に交付しておく方がよいよう思われるので,筆者は,判決書又は判決書に代わる記載のある調書(調書判決)の写しを入手して被告人に送ることにしています。さすがに,額に入れて部屋に飾って毎日それを見ることまでは期待しませんが。

  己は主人と一しよに立ち上がつた。そして出口の方へ行かうとして,ふと壁を見ると,今迄気が附かなかつたが,あつさりした額縁に嵌めたものが今一つ懸けてあつた。それに荊(いばら)の輪飾(わかざり)がしてある。薄暗いので,念を入れて額縁の中を覗くと,肖像や画ではなくて,手紙か何かのやうな,書いた物である。己は足を留めて,少し立ち入つたやうで悪いかとも思つたが,決心して聞いて見た。

  「あれはなんだね。」

  「判決文です。」エルリングはかう云つて,目を大きく睜(みは)つて,落ち着いた気色で己を見た。

  「誰の。」

  「わたくしのです。」

  「どう云ふ文句かね。」

  「殺人犯で,懲役5箇年です。」緩やかな,力の這入つた詞で,真面目な,憂愁を帯びた目を,怯(おそ)れ気もなく,大きく睜つて,己を見ながら,かう云つた。

  ・・・

  ・・・その肩の上には鴉が止まつてゐる。この北国神話の中の神の様な人物は,宇宙の問題に思を潜めてゐる。それでも稀には,あの荊の輪飾の下の扁額に目を注ぐことがあるだらう。・・・(ハンス・ラント,森鷗外訳『冬の王』)

 

(2)ソクラテスの文字使用批判:『パイドロス』

ところでソクラテスは,書き物が嫌いであったようで,弟子プラトンの著作たる『パイドロス』の主人公「ソクラテス」として,エジプトの古い神が発明した文字の使用に対して全エジプトの王たる神アモン(又はThamus)がしたという批判を対話者たるパイドロスに紹介しています。すなわち,「(文字によって)学徒が記憶力を用いなくなるのであるから,(文字は)学徒の魂に忘れっぽさを生み出すだろう,彼らは自らを思い返すことなく,外界の書かれた記号を信用するようになるだろう。」及び「(文字は)想起の助けとはなっても記憶の助けにはならず,汝の弟子らに対して真理ではなく真理らしく見えるもののみを与えるものである。彼らは多くの事物についての耳学者とはなるが,何事をも学ばないだろう。彼らは全知のようにみえるだろうが,概して何も知らないことだろう。現実性の無い知恵ばかり誇示する彼らは,一緒にいるには煩わしい者となるであろう。」という文字批判です。ソクラテスとしては,書かれた言葉よりもむしろ,「学徒の魂に刻み込まれた知識の言葉であって,自らを守ることができ,語るべきときと沈黙すべきときとを知っているもの」を推奨しています。(以上はBenjamin Jowettの英訳からの重訳)

しかしながら,我々の日々の現実は,このような高尚な議論の場ではありません。世の中の皆が,向学心にあふれたソクラテスの弟子たちのような異常な人たちではありません。文字の使用によって記憶力が弱められる以前に,そもそも記憶することが苦手な人々が存在することを否定することは難しいでしょう。

 

(3)調書判決とその記載

前記の被告人にも, 調書判決の写しを入手して自宅に郵送しました。実は,ありがたいことに執行猶予が付き,判決はそのまま確定したのでした。ただし,執行猶予期間は5年であって,法律上の最長期間でした(刑法25条1項参照。執行猶予期間は,1年以上5年以下。3年が標準といわれています。)。ぎりぎりの執行猶予付き判決であったことが分かります(判決の宣告において量刑の理由が告げられる際にも「実刑も十分あり得る」ところだったと言われていました。)。

なお,調書判決とは,「裁判をするときは,裁判書を作らなければならない。但し,決定又は命令を宣告する場合には,裁判書を作らないで,これを調書に記載させることができる。」との刑事訴訟規則53条の原則(判決をするときには全て判決書を作らなければならないとの建前)の例外として,同規則219条で「地方裁判所又は簡易裁判所においては,上訴の申立てがない場合には,裁判所書記官に判決主文並びに罪となるべき事実の要旨及び適用した罰条を判決の宣告をした公判期日の調書の末尾に記載させ,これをもつて判決書に代えることができる。ただし,判決宣告の日から14日以内でかつ判決の確定前に判決書の謄本の請求があつたときは,この限りでない。」と規定されているものです(同条1項)。

ところで,前記被告人の調書判決の写しを見た際,そこに裁判官の訓戒等が記されていないのは当然なのですが(「裁判所としては軽く見るわけにはいきませんが,しかし,特に執行猶予付きの判決にしました。・・・あなたは今回が2回目ですから,次もやったら,実刑の可能性が高いですからね。ですから,3回目のときは,いくら深く反省しても,いくらいい弁護士さんが頑張っても,実刑になるものと理解してください。」といった趣旨の説諭がありました。――しかし,この部分については,「2回目の時の弁護では,いい弁護士さんが頑張っていたね」との評価までをも読み込んでよいものでしょうか。――),裁判官及び検察官の氏名はそれぞれ記載されている一方,弁護人の氏名は記載されないことに改めて気が付きました。裁判書には,裁判をした裁判官が署名押印しなければならず(刑事訴訟規則55条),判決書には公判期日に出席した検察官の官氏名を記載しなければならないのですが(同規則56条2項),弁護人の氏名は判決書に記載すべきものとはされていないのでした(同条参照)。お上からお上の御責任で下される文書なのですから,お上ならざる弁護人の氏名の記載は必須ではないわけでしょう(旧刑事訴訟法関係事件ですが,最大判昭和25年9月27日刑集4巻9号1783頁は,「原判決書には,本件公判に立会つた弁護人の氏名を記載していないことは所論のとおりであるが,しかしその為何等旧刑訴法の条規に反するところはなく,また憲法37条3項に反するものでもない。」とつとに判示していました。司法研修所『平成19年版 刑事判決書起案の手引』134頁以下の「判決書の例」にも弁護人の氏名は記載されていません。)。ただし,筆者が弁護人を務めた別の事件において,公訴事実について争ったりして正式の判決書が書かれたときには,弁護人である筆者の氏名も記載されていました。

せっかく調書判決の写しを入手して送付しても,そこに名前は無いわけですから,筆者も,前記被告人の記憶の中では,同人の前回被告事件における○○先生と同じ運命をたどりそうな気がします。

無論,いずれにせよ,被告人が無事更生することが一番です。


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1 法学と語学


(1)三ケ月教授の「法学入門」

 法学の学習は,外国語の学習にたとえられることがあります。1981年の4月から9月まで東京大学教養学部文科一類の新入生を対象に駒場においてされた「法学入門」の講義を基に著された『法学入門』(弘文堂・1982年)において,三ケ月章教授のたまわく。



・・・法を学ぶには,外国語を学ぶ場合とまったく同じく,反覆を気にしてはならず,むしろそれを意欲すべきなのである。何回も何回も異なる角度からではあるが同じ問題を撫で直すことが,法の学習には不可欠である。ただ忘れてはならないことは,同じ問題を撫で直すたびに,ちょうどらせん形の階段を昇るように,少しずつでもあれ高みに上ってゆかねばならないということであり,単なる繰り返しを重ねていればいいというものではないということである。・・・(「法学をこれから学ぼうと志す人たちに―凡例を兼ねて―」
6頁)


 さらにいえば,法学の履修と語学の履修との間には思わぬ類似性があることも,ここで指摘しておくべきだろう。

 (a)語学の学習というものは,いわば底のないものであり,一定の範囲内のものをマスターすればそれで終わるというものでは決してない。・・・一定の完結した理論や体系を観念的に消化すればそれで事足りるという性質のものではないのである。ところで法学の履修ということも,これと酷似する一面がある。・・・他者の思考の産物をただ取り込んだものを吐き出せるようになれば法学の履修が完成した,などといえるものではないのであって,わがものとした知識を無限に新しく生じてくる問題に適切な形で活用しうるような応用力を自らの中に貯えるということが,法学学習の一つの目標なのである。・・・

 (b)語学力をつけるためには,文法や構文の原理等の一定の規則を身につけることが基礎になければならないが,法を学ぶ場合にも似たような面があるわけである。また,語学力を伸ばすためには・・・苦心して単語を記憶するという労をふまねばならぬわけであるが,法律を学ぶについても,条文の内容はもちろん,過去の判例や現在の学説など法的思考の道具となるものを正確に記憶し,いつでもそれが取り出せるような形で頭の中に整頓しておくということが必要である。・・・「予習」と「復習」が不可欠であることでも,語学の学習と法学の履修の間には,大きな共通性があるのである。

 (c)・・・法を学ぶ者は,過去において少なくも一度は語学の学習という新しい壁にぶつかり,それと格闘してやがてそれを突き抜けたという経験をもつはずであるから,それを思い起こしてみれば,法の学習の過程で突き当たる戸惑いを克服する上で大きな参考となる・・・。(260-261頁)


 ところで,法学履修に当たっては語学学習の方法論が生かされるということのみが三ケ月教授によって説かれたわけではありませんでした。語学の習得は,また,それ自体として,来るべき時代の我が国の法律関係者にとって極めて重要な素養であるということも熱く説かれていました。



・・・自らのもつ問題を自主的に解決するためにも,目を外国の動向に注ぎ,ひろく世界の現況を見わたすという能力が,これからの法律家にとっても強く要求されることになる。そして,そのためには,これらの国の文献を自ら読破することが不可欠であるのはいうまでもない。・・・法に携わる者が,世界の動向を洞察するための最も基礎的な武器として語学力を磨くという必要は,今後も増大することはあっても減少する見込みはない・・・。(三ケ月・前掲260頁)


・・・今や,外国法を学び外国語をマスターするということは,これまでとは違った新しい意味を帯びてきつつあるということも,われわれは見抜かなければならない。それは右にみたように,世界各国が共通に解決しなければならない法律問題のために,日本もまた法の先進諸国とまったく同じ立場において競争し,場合によっては指導さえしなければならないということとも関連するし,また,日本の打ち出す独創的な解決方法が,諸外国の法律家の視線を浴びることが,これまでよりも繁くならざるをえないという事態とも対応する。今後日本の法に携わる者は,単に「自国のため」という狭い視野にとらわれることなく,ひろく世界共通の問題の解決のために自らの工夫を公開し,共通の問題と苦闘する諸外国での解決のための一つの参考例を提供し続けるということが,日本の法および法学の一つの新しい任務となってくるはずなのである。(274-275頁)


・・・日本が次に暗黙に目標として掲げたのは,経済力を背景として世界の列強に伍するということであった。このような努力はある程度は成果をあげたとはいいながら,そのような形を通じての国際社会への参画のみでは,一種の成金趣味という批判を免れることはできまい。これにくらべて,国際社会に真に尊敬されうる形で仲間入りをし,永続する形で影響力を及ぼしてゆくためには,文化的な面での貢献をなすことが必要であるはずである。(277頁) 


 当時の若者たちは,三ケ月教授から重い期待をかけられていたようです。しかし,"Japan as No. 1"の時期から,プラザ合意を経て,貿易摩擦,バブル経済の狂騒と崩壊,そして長い停滞の時代・・・どれだけの達成があったものか。少なくとも,日本にとってふさわしい必要な語学力を身につけた人材が足りていないではないかという慷慨は,結局昔の日本人の間でも今の日本人の間でも変わっていないようです。


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(2)「断片」の深み

 語学の学習は「底のない」ものではあります。しかし,一応の到達目標はどれくらいのものでしょうか。例えば,古代ギリシャ語については,「紙に書かれた断片を見ても,すぐこれがサッフォーのギリシャ語か,ルキアヌスのものか,プラトンのものか分かるようになる」レベルにまで至ると――「考えてみれば,われわれも清少納言と西鶴と漱石と芥川龍之介と大江健三郎のテキストを見せられれば,その区別はつくので」――ほぼ「母語のレベル」に達したことになるものであるとされ,また,そこまで古代ギリシャ語の知識のレベルを上げるための詳しい学習書とそれに附属の「二十数冊」の厖大な練習問題とが実はこの世には存在するということが紹介されています(千野栄一『外国語上達法』(岩波新書・1986年)92-93頁)。

 「ヨーロッパの伝統的な大学の「文献学」の卒業試験は,多くの場合一片のテキストが与えられ,そのテキストの書かれた時代と地方をいろいろな言語特徴から当てることなので,これが専門家のためのレベルということになる」そうです(千野・前掲93頁)。


 以上は外国語の学習のはなしです。それでは法学の履修効果はどのように現れるものでしょうか。

 一片のテキストから,どれくらいのことが当てられるものか,一つの興味深い断片を材料に検討してみましょう。


2 公社に関するテキスト分析


(1)あるテキスト

 ある法律関係書の中に,次のような一節がありました。



・・・同氏は内閣総理大臣の任命により○○公社の・・・総裁に就任・・・


 一見極めてもっともらしいテキストです。

 しかし,当該分野に関する経験,理解又は知識が相当ある人間がこれを読むと,当該テキストが書かれた環境について何ともいいようのない感覚に襲われてしまうものなのです。

 とはいえ,その感覚とはどのようなものかを御説明するためには,上記テキストを細かく分析することが必要ですね。


(2)様々な公社

 まず,「○○公社」の正体を探りましょう。

 法令用語としての「公社」については,吉国一郎ほか歴代内閣法制局長官共編の『法令用語辞典<第八次改定版>』(学陽書房・2001年)において,次のように説明されています。



 「公社」の用語は,昭和246月旧日本専売公社法(昭和23法律215号)により,それまでの大蔵省専売局が独立の公法人たる「日本専売公社」に改組された際初めて用いられた用語である。旧日本専売公社と同時に設立された旧日本国有鉄道には「公社」の名称は用いられなかつたが,昭和277月,「日本電信電話公社」が設立されるに及んで,これら3者を総称する用語として,しばしば「公社」の用語が用いられるようになつた。・・・ちなみに,「公社」の名称をもつ公法人としては,昭和31年に設立された原子燃料公社があつた・・・なお,地方住宅供給公社,地方道路公社及び土地開発公社は,それぞれ地方住宅供給公社法,地方道路公社法及び公有地の拡大の推進に関する法律に基づいて設立された特殊法人であつて,「公社」の名称を有するが,これらの設立は地方公共団体によつて行われ,その業務は地方公共団体の行政事務の処理に当たるものであるから,上記の政府関係法人たる「公社」と異なる。・・・(246-247頁)


 本件テキストにおいては,「○○公社」であってその名称中に「公社」が含まれていますから,「○○公社」が旧日本国有鉄道である可能性は排除されます。「内閣総理大臣」が総裁を任命するというのであるから日本国政府の関係法人であって,地方公共団体によって設立される地方住宅供給公社,地方道路公社及び土地開発公社も除かれます。そうであれば,「○○公社」は,旧日本専売公社か,旧日本電信電話公社か,旧原子燃料公社か,それともあるいは,2003年に設立され2007年に解散した旧日本郵政公社か。

 しかし,旧日本専売公社,旧日本電信電話公社,旧原子燃料公社及び旧日本郵政公社以外にも「公社」を名称に含む法人が存在し,ないしは存在していたのではないかなおも心配ではあります。そこで,国立国会図書館のウェッブ・サイトの「日本法令索引」ウェッブ・ページで,「公社」の文字を題名又は件名に含む法律,勅令及び政令について「制定法令検索」をかけてみたところ,やっぱり,次のような旧法律が見つかりました。


 連合国軍人等住宅公社法(昭和25年法律第82号)

 特別鉱害復旧臨時措置法(昭和25年法律第176号)


 特別鉱害復旧臨時措置法については,特別鉱害復旧公社解散令(昭和25年政令第355号)という関連政令があったところです。

 では,旧日本専売公社,旧日本電信電話公社,旧原子燃料公社,旧日本郵政公社,旧連合国軍人等住宅公社及び旧特別鉱害復旧公社について,それぞれのトップと,その任命権者について見てみましょう。


 まず,特別鉱害復旧公社。トップは理事長であって(特別鉱害復旧臨時措置法191-2項),「総裁」ではありません。理事長の任命権者は通商産業大臣(同法20条)。(ところで,この公社の主たる事務所は福岡市にあったのですね(同法141項)。)

 連合国軍人等住宅公社。トップは理事長で(連合国軍人等住宅公社法10条,111項),やはり「総裁」ではない。理事長は,「特別調達庁長官をもつてこれに充てる」ものとされていました(121項)。

 日本郵政公社。トップは堂々たる響きの総裁(日本郵政公社法(平成14年法律第97号)8条,101-2項,111項)。しかし,総裁の任命権者は,小泉純一郎内閣総理大臣自らが郵政民営化に熱心であったにもかかわらず,総務大臣となっていました(同法121項)。

 原子燃料公社。トップはやはり理事長(原子燃料公社法(昭和31年法律第94号)8条,91項)。マイナーな公社のトップでは,「総裁」とは名乗れないようです。しかし,原子燃料公社の理事長の任命権者は,内閣総理大臣です(同法101項)。

 日本電信電話公社。トップは総裁(日本電信電話公社法(昭和27年法律第250号)19条,201項)。総裁の任命権者は,おっ,内閣(同法211項)。

 最後に日本専売公社。トップはこれも総裁でしたが(日本専売公社法10条,111項),その任命権者は大蔵大臣でした(同法121項)。

 (ちなみに,日本国有鉄道ですが,トップはこれも重い職名の総裁で(日本国有鉄道法(昭和23年法律第256号)18条,191項),その任命権者は内閣でした(同法201項)。)


 以上見たところから,「総裁の人事の話だし,「内閣総理大臣内閣」だろうから,「○○公社」の○○には「電電」が入って,これは,日本電信電話公社のことを対象に書かれたテキストなんだね。」と推理した人は,正解です。本件テキストの実際は,



・・・同氏は内閣総理大臣の任命により電電公社の・・・総裁に就任・・・


と書かれていたものでした。

 しかし,脱力です。


(3)お花畑の発見

 なぜ脱力感にさいなまれるのか。

 堂々たる法律関係書籍中に本件テキストを書いてしまった人物は,そもそもの基礎的な1次資料である日本電信電話公社法の条文に注意して当たって裏をとらずに,ないしは,同じ傾向の現れということになりますが,「法的思考の道具となるものを正確に」記憶ないし理解しないまま勇敢にもものした作文をもって「仕事」をしたことにしてしまい,そして,そのように果敢な節約が許容され,かつ,更にそのような「仕事」が評価される環境にあって優美に盤踞しているものと想像されるからです。厳しい作法のアカデミズムの世界,とは全く異なった,お花畑ですね。前者にあっては,「他者の思考の産物をただ取り込んだものを吐き出」す場合であっても,それ相応の丁寧さが必要である云々ということでわずらわしいのでしょうが。

 しかし,


 内閣と内閣総理大臣とは,違います。

 法律の専門家は,両者を混同しないものです。


 とはいえ,脱力状態から気を取り直して考えれば,上記横着は,そこから問題意識が喚起され,さまざまな思考へと導かれるきっかけではあります。


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3 内閣と内閣総理大臣
(1)内閣
 

 内閣は,「その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する」ものと規定されています(憲法661項,内閣法2条)。合議体の機関であって,「内閣がその職権を行うのは,閣議によ」ります(内閣法41項)。


(2)内閣総理大臣とその三つの顔

 内閣総理大臣は,三つの顔を持っています。一つ目は前記の憲法及び内閣法の規定のとおり,内閣の首長です。ただし,飽くまでも首長であって,内閣それ自体ではありません。二つ目は,内閣府の長です(内閣府設置法(平成11年法律第89号)6条)。三つ目は,内閣官房,内閣法制局,国家安全保障会議といった内閣補助部局の主任の大臣です(内閣法24条,内閣法制局設置法(昭和27年法律第252号)7条,国家安全保障会議設置法(昭和61年法律第71号)13条)。


ア 内閣府について

 200116日に内閣府が発足するまでの総理府は,国家行政組織法(昭和23年法律第120号)上は他省と並びの国の行政機関とされていたので,総理府の長たる内閣総理大臣は各省の長である各省大臣(同法5条)と同じだよという説明が可能でした。しかしながら,内閣府は,国家行政組織法から外れて,同法に基づく「行政組織のため置かれる国の行政機関」(同法32項)ではなくなったので,ちょっと性格が複雑です。

 省は,「内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として置かれる」(国家行政組織法33項)のに対し,内閣府は,端的に,「内閣に,内閣府を置く。」(内閣府設置法2条)とされて,内閣官房同様(内閣法121項),内閣に置かれます。「統轄」は,「上級の行政機関等がその管轄権の下にある他の下級の行政機関等を包括的に総合調整しつつ,すべること」(吉国ほか・前掲559頁)であるのに対して,「統轄」抜きですから,内閣との関係が直接的です。

 また,省は「行政事務をつかさどる機関」ですから,各省大臣は,「内閣法・・・にいう主任の大臣として,それぞれ行政事務を分担管理」します(国家行政組織法51項)。ところが,内閣府の長である内閣総理大臣は,「内閣府に係る事項についての内閣法にいう主任の大臣」ではあるのですが,内閣府設置法「第4条第3項に規定する事務を分担管理する」ものと規定されているだけであり(同法62項),同法4条に規定されている内閣府の所掌事務のうち,同条1項及び2項に掲げられたものについては当該「事務を分担管理する」ものとはされていません。「分担管理」は「行政事務を分担して管理すること」(吉国ほか・前掲663頁)ですが,それでは内閣府設置法41項及び2項の事務は内閣総理大臣によって分担管理されるべき行政事務ではないのか,ということになります。しかしながら,それはそのとおりであって,「閣議の事務を直接に補佐する事務及びこれに付随する事務(例えば,内閣官房及び内閣法制局の事務)のごときは,上記の意味での分担管理の対象とはされていない」のです(吉国ほか・前掲663頁)。すなわち,「内閣の職権に属する行政事務のうちには,その性質上,まれに,内閣総理大臣その他の国務大臣の分担管理に属させられることなく,その意味で,内閣に直接属すると認められる事務」があるところ,「内閣府設置法41項及び2項に規定する事務は,その性質上内閣に直接属すると認められる事務であるが,特に内閣総理大臣を主任の事務ママ。「大臣」の誤りでしょう。と定めているものといえよう(内閣府設置法3Ⅰ・Ⅱ・46Ⅱ)」とされています(吉国ほか・前掲379-380頁)。

 内閣府の所掌事務のうち,内閣府設置法41項及び2項に属するものは,200116日より前ならば内閣官房の所掌事務(内閣法122項・3項参照)とされ,内閣府設置法43項に属するものは総理府の所掌事務であった,というふうに考えるのが分かりやすいでしょう。なるほど,内閣府設置法41項及び2項の事務は同法31項の「任務」である「内閣の重要政策に関する内閣の事務を助けること」を達成するための事務とされていますが,当該任務を遂行するに当たっては,内閣府は本家の「内閣官房を助けるもの」とされています(同条3項)。


イ 主任の大臣について

 ところで,「主任の大臣」とは,「ある行政事務を主管する立場における大臣」(吉国ほか・前掲379頁)ないしは「行政事務を分担管理する立場における各大臣」(同663頁)とされています(内閣法31項,国家行政組織法51項)。他方,内閣府設置法41項及び2項の事務は「その性質上内閣に直接属すると認められる事務」であるので,内閣総理大臣は当該事務を分担管理していないのですが,それでもそれらの事務事項についての「内閣法にいう主任の大臣」は内閣総理大臣とされています(同法62項)。「主任の大臣」であるためには,定義上,当該行政事務を主管ないしは分担管理しなければならないはずなのに,当該事務を分担管理していなくても当該事務事項の「主任の大臣」であるというのはどういうことでしょうか。「主任の大臣」の定義が破綻していて,行政事務の分担管理は実はその要素ではないと考えるべきでしょうか。それとも,行政事務の分担管理を「主任の大臣」の要素とする原則は維持しつつ,「その性質上内閣に直接属すると認められる事務」については当該事務を分担管理しない大臣であっても「主任の大臣」とするという例外があるものと考えるべきでしょうか。歴代内閣法制局長官共編の『法令用語辞典<第八次改定版>』は後者の立場を採るもののように観察されます。



・・・もつとも,閣議の事務を直接に補佐する事務及びこれに付随する事務(例えば,内閣官房及び内閣法制局の事務)のごときは,上記の意味での分担管理
内閣の職権に属する行政事務の内閣総理大臣その他の国務大臣による分担管理の対象とはされていないが,この場合でも,これらの事務に関する法律,政令の署名などの必要(憲法74)から,別に主任の大臣が定められる(例えば,内閣法23ママ,内閣法制局設置法7)。(吉国ほか・前掲663頁)


 内閣官房,内閣法制局といった内閣補助部局の主任の大臣としての内閣総理大臣の三つ目の顔は,この,主任の大臣の本来の定義からすると例外的なものである,分担管理していないところの内閣の事務事項に係る主任の大臣としての顔ということになります。


 しかし,「これらの事務に関する法律,政令の署名などの必要(憲法74)から,別に主任の大臣が定められる」という説明には興味がそそられます。行政事務は主任の大臣間で分担管理されるということを我が憲法は前提としていて,「法律及び政令には,すべて主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。」と規定する憲法74条は,当該前提に基づくと同時に当該前提の存在の証拠となるものである(「憲法は「行政各部」と「主任の大臣」について定め(72条・74条),法律の立案・運用について所管するものの存在を予定している。」(佐藤幸治『憲法第三版』(青林書院・1995年)219頁),というのが通常の説明なのですが,憲法74条の「署名」の必要から主任の大臣をひねくり出すという,逆立ちした論理がここに現れているように見えるからです。そうだとすると,そもそも憲法74条の存在が必要とされることとなった直接の理由であるものと解される同条の署名及び連署とは何なのだ,ということが問題になります。よく考えると,これらの署名及び連署の趣旨は分かりにくいところです。しかし,この問題は,ここで寄り道して論ずるには大き過ぎるでしょう。


(3)帝国憲法時代の内閣と内閣総理大臣 

 ところでちなみに,内閣及び内閣総理大臣が憲法上の存在ではなかった大日本帝国憲法の時代には,実は,内閣と内閣総理大臣との区別はあいまいであったところです。



 行政官庁としての総理大臣の職務に付いては,各省大臣と異なり,特別の一省を置かず,省に相当する名称としては,内閣と称して居る。故に内閣といふ語は,二の全く異つた意義に用ゐられて居り,或は全国務大臣の合議体を意味することが有り,或は内閣総理大臣を意味することも有る。内閣所属職員と曰ひ,内閣に隷すと曰ふやうな場合は,何れも内閣総理大臣の意味である。(美濃部達吉『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)418頁)


 内閣と内閣総理大臣とを混同した本件テキストの筆者は,戦前派の頽齢のお年寄りだったのではないかという推理も可能です。(近代的内閣制度発足に当たって,18851222日の明治18年太政官達第69号は「内閣総理大臣及外務内務大蔵陸軍海軍司法文部農商務逓信ノ諸大臣ヲ以テ内閣ヲ組織ス」としていましたが,同日の三条実美太政大臣による奉勅の達である内閣職権では,「内閣」職権といいつつ,本文中に「内閣総理大臣」はあっても「内閣」はありませんでした。)そうだとすると,体も弱いことでしょうし,今更余り難しいことをいうのもお気の毒ですね。

 

4 公社トップの任命権者としての内閣総理大臣と内閣

 内閣総理大臣がその理事長を任命した原子燃料公社は,内閣によって監督されるものではなく,内閣総理大臣によって監督されました(原子燃料公社法351項)。具体的には,当該事務は,総理府の外局である科学技術庁(科学技術庁設置法(昭和31年法律第49号)2条)の所掌でした(同法88号は「原子力研究所及び原子燃料公社に関すること。」を同庁原子力局の所掌事務とする。なお,科学技術庁の初代長官は,読売新聞・読売ジャイアンツ等で有名な正力松太郎でした。)。

 日本電信電話公社総裁が内閣総理大臣によって任命(閣議決定を経ない。)されたのならば,原子燃料公社との並びからいっても,電電公社は内閣総理大臣によって監督され,当該事務は総理府又はその外局の所掌とされるものであったはずです。しかしながら,現実には,電電公社総裁は内閣によって任命(閣議決定を経たもの)されたところ(辞令の紙の交付は内閣を代表して内閣総理大臣がしたかもしれませんが。),電電公社の監督事務は,内閣が自ら行うものではなく,また内閣総理大臣によって分担管理されるものでもなく,郵政大臣によって分担管理されるものとされ(日本電信電話公社法75条。総裁が内閣によって任命される仲間の国鉄も運輸大臣によって監督されていました(日本国有鉄道法52条)。),郵政大臣の当該事務は郵政省の所掌とされていました(郵政省設置法(昭和23年法律第244号)422号の2等)。


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