1 保釈された外国人被告人の逃亡に係る罪
(1)「主権干犯」論
刑事事件で公訴を提起された外国人が保釈されていたところ,その間我が国の入国審査官の知らぬうちに我が国から出国してその出身国に戻ってしまうということは,我が国の主権を干犯するとんでもない大罪である,というような議論があるようであるところです。
しかし,罪刑法定主義(大日本帝国憲法23条)からすると,「大罪」の具体的な根拠条文の指摘が欲しいところです。当該外国人の当該行為は,どのような罪に該当するのでしょうか。
(2)逃走の罪の不成立
刑法に逃走罪ってのがあったからそれだよね,というわけにはいきません。
刑法(明治40年法律第45号)の第6章(第97条から第102条まで)の逃走の罪においてその逃走が問題になる者は,①裁判の執行により拘禁された既決若しくは未決の者(同法97条),②勾引状の執行を受けた者若しくは①の者(同法98条)又は③法令により拘禁された者(同法99条から第101条まで)です(なお,同章の罪の未遂は罰せられます(同法102条)。)。保釈された者は,勾留による拘禁から正に解放された状態にあるので,本件帰国外国人は刑法第6章の罪を犯したことにはならないようです。
(3)入管法71条・25条2項(確認を受けざる出国既遂)
入国審査官の知らぬうちに我が国から出国してしまったということは,出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号。以下「入管法」といいます。)25条2項に違反して出国した者として,同法71条によって1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金に処され,又はその懲役若しくは禁及び罰金が併科されることになります。
入管法25条は,次のとおり。
(出国の手続)
第25条 本法外の地域に赴く意図をもつて出国しようとする外国人(乗員を除く。次条において同じ。)は,その者が出国する出入国港において,法務省令で定める手続により,入国審査官から出国の確認を受けなければならない。
2 前項の外国人は,出国の確認を受けなければ出国してはならない。
入管法25条1項の出国の確認は,原則として,旅券に出国の証印をしてされます(出入国管理及び難民認定法施行規則(昭和56年法務省令第54号)27条4項。昭和56年法律第85号による改正前の入管法25条は,「旅券に出国の証印を受けなければならない」及び「旅券に出国の証印を受けなければ出国してはならない」とのみ規定していました。)。
2 外国人の本邦から出国する自由及びその制限に係る入管法25条の2
(1)外国人の本邦から出国する自由
「外国人は本来,本邦から出国する自由,自国に帰る自由を有しているのであり,出国の確認は,出国しようとする外国人が本邦外の地域に赴く意図をもって出国するという事実を「確認」する行為であり,許可ではない。ただし,第25条の2の規定により出国確認の留保を受けることがある。」と説かれています(多賀谷一照=高宅茂『入管法大全――立法経緯・判例・実務運用――第1部 逐条解説』(日本加除出版・2015年)406頁)。
市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年条約第7号)12条2項は「すべての者は,いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができる。」と規定しています。ただし,同条3項には「〔略〕2の権利は,いかなる制限も受けない。ただし,その制限が,法律で定められ,国の安全,公の秩序,公衆の健康若しくは道徳又は他の者の権利及び自由を保護するために必要であり,かつ,この規約において認められる他の権利と両立するものである場合は,この限りでない。」とあります。
(2)入管法25条の2
入管法25条の2の出国確認の留保制度は,市民的及び政治的権利に関する国際規約12条3項の法律で定められた出国の自由の制限に係るものということになります。
(出国確認の留保)
第25条の2 入国審査官は,本邦に在留する外国人が本邦外の地域に赴く意図をもつて出国しようとする場合において,関係機関から当該外国人が次の各号のいずれかに該当する者である旨の通知を受けているときは,前条〔第25条〕の出国の確認を受けるための手続がされた時から24時間を限り,その者について出国の確認を留保することができる。
一 死刑若しくは無期若しくは長期3年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪につき訴追されている者又はこれらの罪を犯した疑いにより逮捕状,勾引状,勾留状若しくは鑑定留置状が発せられている者
二 禁錮以上の刑に処せられ,その刑の全部につき執行猶予の言渡しを受けなかつた者で,刑の執行を終わるまで,又は執行を受けることがなくなるまでのもの(当該刑につき仮釈放中の者及びその一部の執行猶予の言渡しを受けて執行猶予中の者を除く。)
三 逃亡犯人引渡法(昭和28年法律第68号)の規定により仮拘禁許可状又は拘禁許可状が発せられている者
2 入国審査官は,前項の規定により出国の確認を留保したときは,直ちに同項の通知をした機関にその旨を通報しなければならない。
入管法25条の2の規定は,昭和56年法律第85号による入管法改正によって新設されたものです。しかしこれは反対解釈すると,入管法25条の2が設けられるまでは,保釈中の外国人刑事被告人が大きな箱の中に隠れたりなどせずに堂々と入国審査官に対して旅券に出国の証印をする手続を求めた場合においては,当該入国審査官としては当該外国人さまの出国の自由を妨げることはできず,淡々と,本邦外の地域に赴く意図をもって出国しようとするのですねと確認してその旅券に出国の証印をして,当該外国人を出国せしめていたということになります。神州の清潔を穢す不良外国人については,自分から出て行きたいというのならば,刑事訴訟などという面倒な手続の終了を待たずに自費でとっとと出て行ってもらえばかえってすがすがしくてよいではないか,あとは塩でも撒いておけ,とそれまでは判断されていたもののようです。我が国の主権干犯の大問題など,どこ吹く風です。
出国確認の留保制度の創設は,重要な犯罪について訴追されている等の外国人について,関係機関から通知があったときは,出国の確認を受けるための手続がされたときから24時間を限り出国確認の手続を留保することができることとしたもので,出国の確認の手続を留保することにより,重要な犯罪について訴追されている等の外国人の国外逃亡を防止し,刑事手続等が適正に実行され得るようにしたものである。本来,外国人の在留管理の面だけから見れば,このような外国人は国外に退去させられるべきであるから,出国することを止める理由はないということにもなるが,刑事司法の適正な運用を確保する必要性との調和の上に立って本制度が設けられたのである。(多賀谷=高宅409頁注113)の引用する「昭和61年度入管白書」13頁。下線は筆者によるもの)
「入国審査官が出国を留保できるのは24時間が限度であり,関係機関は24時間以内に逮捕等の所要の措置を執ることが必要である。24時間経過後に,その外国人が当該出入国港から再度出国しようとする場合に,再度の出国確認の留保をすることはできない」そうです(多賀谷=高宅410頁)。なかなか忙しい。年末年始などは迷惑でしょう。「死刑又は無期若しくは長期3年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪について起訴されている外国人について,海外渡航を禁止する旨の条件を付して保釈を許可した場合〔刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)93条3項参照〕には,24時間を限度として出国確認留保の手続ができる(入管法25条の2)。この場合には,出国確認留保通知依頼書を対応する検察庁の検察官に送付するのが実務上の取扱いであるが(昭和56年12月25日付け最刑二第260号最高裁刑事局長・同家庭局長通達「外国人被告人の出国確認留保の通知に係る事務の取扱いについて」に詳しい運用が記載されている),出国確認の留保は当然には身柄の拘束を伴わないので,直ちに身柄を拘束できるようその運用に留意しなければならない。」とは,裁判官側からの観察です(大島隆明「外国人被告人の保釈」『新実例刑事訴訟法Ⅱ』(青林書院・1998年)175頁)。入国審査官が出国留保と共に「直ちに」検察官に通報を行い(入管法25条の2第2項),当該通報を受けた検察官は裁判所又は裁判官(刑事訴訟法280条)に保釈の取消しを請求し(同法96条1項5号・2号),当該裁判所又は裁判官は決定又は命令をもって保釈を取り消し(同項柱書き。ただし,「取消事由があっても,取り消すかどうかは裁量による」ものとされています(松本時夫=土本武司編集代表『条解刑事訴訟法第3版増補版』(弘文堂・2006年)165頁)。),かつ,裁判書の謄本を検察官に送付し(刑事訴訟規則(昭和23年最高裁判所規則第32号)36条1項本文),検察官の指揮(裁判書の謄本に検察官が認印をします(刑事訴訟法473条ただし書)。)により検察事務官,司法警察職員又は刑事施設職員が勾留状の謄本及び保釈を取り消す決定の謄本を被告人に示してこれを刑事施設に収容する(同法98条)という手続の流れとなります。
「出国確認の留保は当然には身柄の拘束を伴わない」のですから,出国確認の留保中は,当該外国人は自由にその場を離れることができる建前のようです(ただし,出国はできないのはもちろんです(入管法25条2項)。)。
3 入管法71条・25条2項(確認を受けざる出国を企てた場合)と現行犯逮捕
それでは,堂々と出国の確認を受ける手続によらずに,見つからないように大きな箱の中に入ってこっそり出国しようとして出国前に発覚した場合はどうなるかといえば,現行犯逮捕によって身柄が拘束され得ます(刑事訴訟法213条)。すなわち,当該残念な外国人は,入管法25条2項の規定に違反して「出国することを企てた者」として,1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金に処され,又はその懲役若しくは禁及び罰金が併科される犯罪者となるからです(同法71条。現行犯逮捕ができる場合が制限される刑事訴訟法217条の軽微事件には当たりません。)。
「「出国することを企てた者」に当たる場合としては,例えば,密航用船舶を用意して出国しようとした場合などがある。」とされています(多賀谷=高宅715頁)。
ちなみに,入管法71条・25条2項で現行犯逮捕されても,それだけでは退去強制事由には該当しないようです(同法24条参照)。
4 旅券の取上げ
なお,パスポートなんぞ遠慮会釈なく取り上げておけ,と直情径行に言う前に,やはり考えねばならないことがあります。
「海外渡航禁止の保釈条件を実効あらしめるために,旅券を大使館や検察庁,裁判所に事実上預けさせたり,あるいはこれを保釈条件とした例もあったようであるが,外国人には旅券の常時携帯義務があり(入管法23条1項〔なお,同項各号に掲げる者については,旅券ではなく当該各号に定める文書〕),その違反の処罰規定もあるから(同法76条),裁判所が積極的に違法行為を命じるような条件を設定すべきではない。このような保釈条件を付けられるのは,〔在留カード〕を有している外国人に限られよう(入管法23条1項ただし書〔略〕)。」とのことです(大島175頁)。ただし,日本に長くいてその間悪いことをした外国人は,当然その長期在留に伴う在留カードを有しているものでしょう(入管法19条の3参照)。
5 特別背任罪及び重要事項虚偽記載有価証券報告書提出罪の入管法25条の2第1項1号適合性及び権利保釈非排除性
(1)入管法25条の2第1項1号適合性
入管法25条の2第1項1号にいう「死刑若しくは無期若しくは長期3年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪」に,取締役等の特別背任罪は該当します(会社法(平成17年法律第86号)960条1項3号。10年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金又はこれの併科)。重要な事項につき虚偽の記載のある有価証券報告書提出の罪も同様です(金融商品取引法(昭和23年法律第25号)197条1項1号。10年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金又はこれの併科)。
(2)権利保釈非排除性
ただし,特別背任罪も重要事項虚偽記載有価証券報告書提出罪も,死刑又は無期若しくは短期1年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪ではないので(有期懲役は1月以上(刑法12条1項)),「保釈の請求があったときは,必ずこれを許さなければならない」権利保釈(平野龍一『刑事訴訟法』(有斐閣・1958年)161頁)はなお可能です(刑事訴訟法89条1号参照)。
権利保釈の観念は,アメリカ法の影響のもとに導入されたものとされています(松尾浩也『刑事訴訟法(上)補正第三版』(弘文堂・1991年)193頁)。(GHQからの最初期の影響としては,先の大戦敗北の翌年である1946年2月から同年3月ころまでの間(GHQ側には同年2月20日との資料があるとされています。)に原文が我が司法省に提示された(井上正仁=渡辺咲子=田中開編著『刑事訴訟法制定資料全集―昭和刑事訴訟法編(2) 日本立法資料全集122』(信山社出版・2007年)23頁)GHQ民間情報局(CIS)公安課法律班のマニスカルコ大尉の手になる「刑事訴訟法ニ対スル修正意見」があります(同年3月22日付けで同省刑事局別室が仮訳をガリ版刷りしています。)。そこにおいてマニスカルコ大尉は,「保釈ノ請求アリタルトキハ検事ノ意見ヲ聴キ決定ヲ為スヘシ/保釈ヲ許ス場合ニ於テハ保証金額ヲ定ムヘシ/保釈ヲ許ス場合ニ於テハ被告人ノ住居ヲ制限スルコトヲ得」と規定する我が旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)116条を「被告人ハ拘禁刑ノ判決ノ未ダ確定セザル限リ当然保釈ニ付セラルベキ権限アルモノトス。其ノ保釈金額ハ適正ニシテ犯罪ノ軽重ニ相応スルモノタルベク,予審判事又ハ区裁判所判事ニ於テ被告人ノ拘置セラレタル時ヨリ24時間内ニ之ヲ定ムベシ。予審判事又ハ区裁判所判事ハ保証金額ヲ定ムルニ先立チ検事ニ対シ被告人及其ノ犯情ニ付其ノ報告ヲ求ムルコトヲ得/保釈ヲ許サレタル被告人ノ住居ハ之ヲ制限スルコトヲ得」(新94条)と修正することを提案していました(井上等33頁。下線は筆者によるもの)。原文は,“Art. 94. An accused against whom as sentence of
confinement has not become binding shall as a matter of right be enti[t]led to
bail. Such bail shall be reasonable in amount and commensurate with the gravity
of the crime, and the amount of such bail shall be set by the Examining Judge or
the Judge of a Local Court within twenty-four (24) hours from the time the
accused has been placed in custody. The Examining Judge [or] the Judge of a
Local Court may request information in regard to the accused and the
circumstances of the crime from the Public Procurator before setting the amount
of the bail. / A restriction may be imposed on the (liberty of) residence of
the accused who has been liberated on bail.”です(井上等107頁)。当該「意見」を残して我が司法省関係者の視界から消えてしまったマニスカルコ大尉は何者かといえば,団藤重光教授によれば「テキサス州ヒューストンの地方検事であった者」だそうです(井上等22頁)。インターネットで見ることのできる1946年6月23日付けのテキサス州のパンパ・ディリー・ニューズ紙1面の記事(“Japs Thank Texan For Law Services”)によれば,Anthony J. Maniscalco陸軍大尉は,1927年にライス大学(Rice institute)を卒業し,1931年にテキサス大学から法律の学位を取得,ハリス郡(ヒューストン市が所在)の地区検察官補佐(assistant district attorney),テキサス州司法長官補佐(assistant attorney general)及び米国連邦価格管理局法執行担当法務官(OPA enforcement attorney)を務め,半年勤務した我が国からの帰国に当たって1946年6月22日に谷村唯一郎司法次官から「日本の司法制度の民主化における彼の仕事」に対する感謝状及び記念品を受領しています。)
権利保釈が権利保釈であるゆえんは,逃亡の恐れがあっても権利保釈は許されるということです。これについては,「逃亡のおそれは,権利保釈の除外事由として掲げられていない。これは,保釈が逃亡を防止する制度である以上当然である〔刑事訴訟法93条2項は「保証金額は,犯罪の性質及び情状,証拠の証明力並びに被告人の性格及び資産を考慮して,被告人の出頭を保証するに足りる相当な金額でなければならない。」と規定〕。しかし,保証金の没取という経済的利益の喪失という威嚇によって出頭を強制できるのにも限度があることは否定できない。したがって,保釈は万能ではなく,これに代わるものまたはこれを補充するもの,が考えられなければならない。法が認めている勾留の執行停止も,その一つの方法であり,さらに,観察付釈放などの制度も考慮すべきであろう。」とつとに説かれています(平野164頁注(1))。
左から二つ目の黒くて丸い物は,観察のためのカメラでしょう。(東京都中央区銀座四丁目交差点)
6 アメリカ法における保釈及びその歴史
保釈は,「身柄拘束による出頭確保を金銭的負担による出頭確保で代えるという発想に基づき,英米法で発達をみた」ものです(田宮裕『刑事訴訟法(新版)』(有斐閣・1996年)257頁)。英米法においては「被告人の犠牲回避という原理の問題のほか,一般納税者の負担で不必要に施設にとめおく理由はないという議論もある」そうで,また,「アメリカでは逮捕後,裁判官のもとへ引致されると直ちに保釈されうるが,保証会社(裁判所に窓口がある)が手数料をとって保証金を代納するという制度が高保釈率を支えている。しかし,高額の手数料の負担が保釈を困難にするという現実もあり,最近は自己誓約による釈放という制度が広がりをみせる傾向がある。」とのことです(田宮260頁注(1)。また,松尾194-195頁注*)。
保釈の歴史について,後に米国連邦最高裁判所判事となるホームズ(Oliver Wendell Holmes Jr.)は,契約の歴史を説く際に言い及んでいわく。
しかし,〔保証に関して〕より顕著な例は,昔の法律の多くにおいて繰り返されているルールの中に見出されます。すなわち,不正のかどで訴追された被告は,担保(security)を提供するか,しからざれば収監されなければならないということです。この担保は,昔の時代の人質(the hostage of early days)〔例えば,ボルドーのユオン(Huon of Bordeaux)がカール大帝(在位768-814)から課された無理難題の解決に取りかかるに当たって同帝に人質として提供した部下の騎士12名のごとし。〕でしたが,後に刑事訴訟と損害賠償訴訟とが相互に分離されてからは,刑事法の保釈保証人(bail)となりました。その責任は,保釈保証人が自己の身体を保証債権者の権力に(into
the power of the party secured)現実に委ねたときと同様のものとして依然として理解されていました。
サリカ法に対するカール大帝の追加条項の一つは,担保(surety)として他人の権力にその身を委ねた自由民について語っています。当該文言は,ヘンリー1世〔在位1100-1135〕のイングランド法中にコピーされています。これが何を意味したかは,我々はボルドーのユオンの話において見たところです〔ユオンが命令に違背したと信じたカール大帝は,人質の騎士たちを吊るし首にしようとしました。また,ユオンの命令違背の有無を判断するための決闘は,ユオン及び弾劾者側のそれぞれがまず友人を人質として提供するところから始められました。〕。司法官の鑑(The Mirror of Justices)の伝えるところによれば,カヌート王〔在位1016-1035〕は本人(principals)が判決公判に出頭しなかった場合には出廷保証人(mainprisors)をそれにより本人として裁いていたそうですが,ヘンリー1世はカヌートのルールの適用を事実について同意している出廷保証人に限定しました。
エドワード3世〔在位1327-1377〕の治世まで時代が下っても,イングランドの裁判官であるシャード(Shard)は,現在も同様であるところの当該法律について,保釈保証人は被収監者の管理人(keepers)であり,及び被収監者が逃亡したときは訴追されるべきものであると論じた後に,保釈保証人は被収監者に代わって吊るし首となるべしと言われている,と述べています。これは,同様の事案における獄吏(jailer)に係る法でありました。この古来の観念は,重罪に係る保釈保証人の役割について現在の著者たちによって依然として与えられている説明の方法に痕跡をとどめています。彼らは「身体に身体をもって」(“body for body”)結び付けられているのであります,そして現代の法律書は,このことは本人である被告人が出頭しなかった場合に保釈保証人をしてその刑罰を受けるべきものとするものではなくて彼らは罰金(fine)の責任のみを負うのである,と述べなくてはならないこととなっています。当該契約は,成立(execution)の形式においても我々の現代的観念とは異なっていました。当該形式は,当該官吏の面前で責任を厳粛に認めることのみ(simply a solemn admission of liability)でした。保釈保証人の署名は必要ではなく,かつ,保釈される者が契約当事者として自らをそこに結び付けることは必要とされていませんでした。
しかし,これらの特異点は制定法によって変更され,又は取り除かれていますところ,私が本件についてお話したのは,他の全ての種類のものと異なる特殊な契約類型としてというよりは,その起源に係る歴史が我々の法における契約の最初の出現の一例を示すものであったからであります。そのことについては,いざ身柄の提供を求められる場合となったときにおける人質の名誉心に対する信頼(faith in the honor of a hostage)の漸進的高まり及びそれに伴う現実に収監することの緩和に遡って跡付けられるものです。どういうものかということは,被収監者自身について併行的になされる取扱い(the parallel mode of dealing with the prisoner himself)を見ることによってよく分かるでしょう。彼の保釈保証人は――同人に彼の身体は引き渡されたものと観念されておりますが(whom his body is supposed to be delivered)――いつでもどこでも彼の身柄を確保する権利(a right to seize him)を有しています,しかし彼は身柄提供の時までは自由(is allowed to go at large)なのです。この形の契約は,十二表法のローマ法によって規律された負債と同様に,そして違った手続によってではあるものの同様の動機でもって,契約当事者の身体を最終的満足のための引当てにしているということが,お分かりになるでしょう。(Holmes. The Common Law
(1881). Cambridge, Mass.: The Belknap Press of Harvard University Press, 2009: pp.225-227)
なかなかうまく訳せなかったところですが,要は英米法における保釈は,元々は,三当事者(債権者,主たる債務者及び保証人)が登場する保証契約の起源に関係するものであったということのようです。
bailという言葉は,保護者,番人あるいは守備者を意味する,フランス語の『baile』に由来する。コモン・ローでは,告発された者は,その者が法執行官の管理から釈放されて,要求のあったときにその者を差し出すことを義務付けられる保証人の管理に委ねられたときに,保釈を認められると言われている。被逮捕者の釈放を獲得し,要求のあった時と場所に被釈放者が出頭することに対して責任を負う保証人は,被逮捕者又は被勾留者を自己の拘束下に引取り,そのようにして被疑者,被告人の裁判所への出頭に対して自らを束縛するが故に『baile』と呼ばれた。(木本強「アメリカ保釈制度の考察」早稲田法学会誌23号(1973年2月号)66頁)
日本の刑事訴訟法94条2項及び3項は被告人以外の者による保証金の納付及び被告人以外の者の保証書の差し出しを認めていますが,これらの者は,金銭的損失のリスク負担を超えた「要求のあった時と場所に被釈放者が出頭することに対して責任を負う」までのことを厳格に求められてはいません。例えば,保証書を差し出した者については,「保証書を差し出した者は,保証金没取の裁判(96②③)があったときは,保証書記載の金額を納付すべき義務を負う。」とのみ説明されています(松本=土本162頁)。保釈請求に当たっては,「「被告人の身柄を引き受け,十分監督し,保釈許可の条件を堅く守らせ,お呼び出しのときはいつでも出頭させます」という趣旨を記載する」身柄引受書を併せ提出することが多いのですが,当該身柄引受書の名義人である身柄引受人についても,「法律上の責任を伴うものではないが,いわゆる道義的な責任はある」とのみ述べられています(松尾260頁)。保釈金の納付を要しない勾留の執行停止においては,「勾留されている被告人を親族,保護団体その他の者に委託」し(刑事訴訟法95条),当該親族,保護団体その他の者は「何時でも召喚に応じ被告人を出頭させる旨の書面」を裁判所又は裁判官に差し出すのですが(刑事訴訟規則90条),「しかし,出頭させなかったとき,委託を受けた者に対する制裁はない」ところです(平野164頁)。
米国において保釈保証人が「要求のあった時と場所に被釈放者が出頭することに対して責任を負う」ということが強調される意味は,何と,保釈金の納付者は獄吏の権限を持つ準司法官であるという理論があり,かつ,それがなおも生きているということなのでした。確かに,前記のとおりホームズは,被収監者の身体は保釈保証人に引き渡されるものと観念されていると述べていました
〔米国で〕個人の絶対的保釈権が認められたことは,アメリカという大国では実務上諸々の困難をもたらした。辺境の開拓地は,無罪を獲得する見込がなくて逃亡を企てる者を招き入れたからである。そこでこのような事態に対して裁判所側が最初に示した反応は,保釈金を与える者に対し,その者は獄吏の権限を持つ準司法官であり,被告人に対して責任を持たねばならないことを想起させることであった。しかしながら,私的な保証人が逃亡者を全国的に捜索することは不可能であったから,被告人を出頭させるとの保証人の約束は,次第に,被告人が出頭しなければ単に金銭を支払うという約束となっていった。ここに今日的な意味での保釈制度が成立していったことがうかがえる。(木本71-72頁)
1873年の米国連邦最高裁判所のTaylor v. Taintor, 83 U.S. 366 (1872)判決には,次の一節があります(371頁)。
保釈が許可されたとき,被告人本人(the principal)は,彼の保証人ら(his
sureties)の管理下に引き渡されたもの(delivered to the custody)とみなされる。彼らによる支配管理は,元の収監状態の継続である(Their dominion is a continuance of the original imprisonment)。彼らは欲するときにはいつでも,彼の身柄を確保し(seize him),及び義務の履行として彼を引き渡すことができる。しかして,それが直ちに行い得ない場合においては,彼らはそれができるときまで彼を拘禁すること(imprison him)ができる。彼らは,彼らの権利を自ら又は代理人(agent)によって行使することができる。彼らは,彼の追跡を他州に入って行うことができ,安息日に彼の身柄を確保することができ,及び必要なときは当該目的のために彼の住居に強制的に立ち入ること(break and enter his house)ができる。当該身柄確保は新たな手続としてされるものではない〔令状不要〕。そのような必要は全くない。逃走する被収監者の身柄を保安官が再び逮捕することと同様である。
「保釈の保証人となり,その報酬を依頼人から要求することを職とする保釈保証業者〔である〕ボンズマン〔bondsman〕は何時でも依頼人を逮捕しその身柄を当局に引渡すことのできる古典的な権利を有している。ボンズマンが探している保釈中失踪者が当該州を離れる場合には,ボンズマンは,逃亡者を捜索する法執行機関に要求される厳しい逃亡犯人引渡の条件に従う必要なしに失踪者を追跡し取り戻すことができる。」(木本72-73頁)との「古典的な権利」に関する古典的表明とされる判決文です。「彼らによる支配管理は,元の収監状態の継続である(Their dominion is a continuance of the original imprisonment)」ので,保釈保証人は司法官たる獄吏の権限をも引き継いでいるのだ,ということでしょう。しかも,その権限の行使は代理人(agent)によっても可能であるというところが更に荒っぽい。その結果,米国には,当該代理人たるバウンティ・ハンター(bounty-hunter。賞金稼ぎ)という職業が厳として存在しています。
バウンティ・ハンター業に関するウェブ・サイト(https://www.bountyhunteredu.org)によれば,バウンティ・ハンターとは,簡単にいえば,ボンズマンに雇われて金銭的報酬と引換えに逃亡者を捜索逮捕する高度なプロフェッショナルであります。逃亡者を首尾よく逮捕して司直に引き渡すことができたときの報酬額は,当該逃亡者に係る保釈金額の10ないしは20パーセント相当額が相場であるようです(すなわち,保釈金額が15億円であれば,当該逃亡者狩りの成功報酬額は3億円くらいになるのでしょう。)。米国50州中でバウンティ・ハンター業務を禁じているのは4州(ウィスコンシン,ケンタッキー,オレゴン及びイリノイ)のみだそうで,「バウンティ・ハンターは今日,大多数の州においては免許又は登録制下にある専門職であり,保釈保証ビジネスにおいて,したがって全米の刑事司法システムにおいて,重要な役割を果たしています。彼らの役割は,州の保険庁及び他の許認可当局によって厳格に(closely)モニターされています。」,「バウンティ・ハンティングは,米国において,真っ当かつ尊敬される職業(accepted and respected profession)となっています。」と高らかに謳われています。全米におけるバウンティ・ハンターの平均年間報酬受領額は約4万7000ドルであるとされています。
全国逃亡者再確保業協会(National Association of
Fugitive Recovery Agents)というバウンティ・ハンターの全米業界団体がデラウエアにありますが,その一部門である全国保釈保証執行業協会(National Association of Bail Enforcement Agents)の試算によれば,保釈からの逃亡者の90パーセント近くは再確保されているそうです(“Delivery men”, The Economist, September 1st,
2016)。一見なかなかの数字であるように思われますが,現場の実態はどうなのでしょうか。
バウンティ・ハンターは,防弾チョッキ,胡椒スプレー,テーザー(長い電線の先につけた矢を発射する武器。電撃ショックを与える。),ハンドガン,お手玉弾(暴徒鎮圧用に砂などの小散弾をキャンバス袋に詰めたもの)の装填されたショットガン等を猛々しく装備しているばかりではなく,顔認証や各種データベース・サービスのような最新の情報通信技術を利用すると共に自らの狡知をも発揮して,逃亡者の子供やパートナーをペテンにかけてその居場所を探知し,逃亡者の睡眠中,不用意であるとき,スーパーマーケットをちょうど出て来て両手がふさがっているとき,火器持込禁止のカジノに遊んでいるとき等を襲い,更には宅配便の配達員を装って逃亡者宅を訪問したりするそうです(“Delivery men”参照)。正に,米国の刑事司法のrough justiceたることがここに躍如としています。
8 レーグルス対カルターゴー人
我々高潔な日本人にとっては,保釈といえば,前3世紀・第一次ポエニ戦争中の古代ローマ共和国の執政官であったレーグルスの気高い事績が思い起こされるばかりです。
Marcus Regulus, imperator populi Romani, captivus apud
Carthaginienses fuit. Qui cum sibi mallent a Romanis suos reddi quam eorum
tenere captivos, ad hoc impetrandum etiam istum praecipue Regulum cum legatis
suis Romam miserunt, prius juratione constrictum, si quod volebant minime
peregisset, rediturum esse Carthaginem. Perrexit ille atque in senatu contraria
persuasit, quoniam non arbitrabatur utile esse Romanae rei publicae mutare
captivos. Nec post hanc persuasionem a suis ad hostes redire compulsus est, sed
quia juraverat, id sponte complevit. At illi eum excogitatis atque horrendis
cruciatibus necaverunt. Inclusum quippe angusto ligno, ubi stare cogeretur,
clavisque acutissimis undique confixo, ut se in nullam ejus partem sine poenis
atrocissimis inclinaret, etiam vigilando peremerunt. (Augustinus. I. 15, De Civitate Dei)
(ローマ人の最高司令官であるレーグルスは,カルターゴー人の捕虜であった。彼らは,ローマ人から彼らの同胞を彼らのもとに返してもらうことの方がローマ人の捕虜を抑留していることよりもよいと思っていたので,そのことを達成すべく,特にそのレーグルスを,彼らの望むところが達成されなければカルターゴーに戻って来るべしとの誓約をあらかじめさせた上で,更に彼らの使節らと共にローマに送った。彼は出頭したが,捕虜交換はローマ共和国の国益にならないと考えていたので,元老院を反対論でもって説得した。当該説得の後,敵のもとに戻ることを同胞から強いられはしなかったが,誓約をしたのであるところから,彼は自らの意思でそのように身を処した。しかし,彼らは,新工夫かつ恐ろしい拷問をもって彼を殺害した。その中では起立していることを強いられ,かつ,とがった釘によってあらゆるところから刺し貫かれていて,残酷な傷害を被ることなしには体を傾けることのおよそできない実に狭い木箱の中に閉じ込められた彼を,更に不眠によって絶命させたのである。(アウグスティーヌス『神の国』I.15))
いやいや,レーグルスはカルターゴーを出国しても再びカルターゴーに戻りますと誓約しましたけれども,保釈される被告人については,日本の刑事訴訟法及び刑事訴訟規則の文言においては必ず出頭しますとの誓約は要求されていないんであって〔治罪法(明治13年太政官布告第37号)210条及び旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)150条においては保釈される被告人に「何時ニテモ呼出ニ応シ出頭ス可キ(ノ)証書ヲ差出」すことを求めていましたが,1924年1月1日から施行の旧刑事訴訟法となってからは当該証書の差し出しを求める規定が消えています。〕,保釈金が没取(これを「没収」と書いてしまう日本のマスコミ人士は,日本出国の自由を行使しただけの外国人に対する批判に雷同する以前に,自国の重要法律についてすら不勉強であることを暴露していますね。)されると困るので被告人は結局裁判所に出頭するということが確保されるだけの十分に高い保釈金額を裁判所又は裁判官が賢明に設定すればよかっただけではないのではありませんかね(刑事訴訟法93条2項参照),それに,レーグルスは馬鹿正直にカルターゴーに捕虜になりに戻って残忍なやり方で殺されてしまったけれども,全くもってくわばらくわばらですよ,差別と偏見の日本の人質司法もカルターゴーの捕虜取扱いに負けず劣らず野蛮で恐ろしいですからね,命と自由とがあっての物種ですよ――などとくだんの逃亡外国人被告人が,世界に向かってべらべらと「グローバル・エリート」風に屁理窟をこねると,我々の愛国的怒りは更に沸騰するのでしょう。
何っ,お前は我々日本人が野蛮な刑事司法制度しか有さない劣等民族であって,かつ,レーグルス閣下を猟奇的に殺害したカルタゴ人のような嗜虐的残酷民族だというのか。日本の刑事司法はなぁ,横着かつ荒っぽい某国のrough justiceなどとは違う精密司法というものなのだ。精密司法はなぁ,「処罰に値する者だけを起訴=有罪とし,そうでない者は〔起訴便宜主義による検察官の不起訴処分(刑事訴訟法248条)によって〕早期にらち外に解放するものであるから,むだをはぶいた効率のよい,しかも人権保障に奉仕するやり方であり,このようなスムーズな司法運用が,ひいては低い犯罪発生率,高い検挙率に代表される日本の刑事司法政策成功の大きな要因となっていることもたしか」なのだ(田宮13頁)。正しい日本人であれば,真相の解明を重んじ,「被告人でさえも,しばしば精密司法への選好を隠そうとはしないのである」のだぞ(松尾16頁。「「綿密な審理を受けて納得した」という述懐,「真実はただ一つである」ことを理由とする統一公判要求など」を例として挙げる。)。お前の方こそ,言うことなすことやり方がPunica fideであってカルタゴ人のように信用ならん。屁理窟ばっかりこきやがって,くそっ,最後っ屁か。悪臭芬々,許せん,我慢がならん。
他人の屁が気になって仕方がなく,つい精密に勘定してしまうのは,我々日本人の昔からの性分です。
五年も十年も人の臀に探偵をつけて,人のひる屁の勘定をして,それが人世だと思つてる。そうして人の前へ出て来て,御前は屁をいくつ,ひつた,いくつ,ひつたと頼みもせぬ事を教へる。前へ出て云ふなら,それも参考にして,やらんでもないが,後ろの方から,御前は屁をいくつ,ひつた,いくつ,ひつたと云ふ。うるさいと云へば猶々云ふ。よせと云へば益々云ふ。分つたと云つても,屁をいくつ,ひつた,ひつたと云ふ。さうして夫が処世の方針だと云ふ。方針は人々勝手である。只ひつたひつたと云はずに黙つて方針を立てるがいゝ。人の邪魔になる方針は差し控へるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云ふなら,こつちも屁をひるのを以て,こつちの方針とする許りだ。さうなつたら日本も運の尽きだらう。(夏目漱石『草枕』(1906年))
保釈された被告人の住居の周囲に鬱陶しく監視カメラを設置し,かつ,同人をしつこく尾行して,その動静を,ひられた屁の数まで勘定してやろうとする熱心な私人らはどういう人たちなのでしょうか。被告人が逃亡してしまうと自分の生命が危なくなる中世の英国のbail又は自分の財産が失われてしまう現在の米国のbondsmanであれば被告人を監視して自己又は自己の財産を守る必要があり,かつ,逃亡の可能性があると思えば被告人の身柄を拘束することができる(準司法官的)権限をも有するわけですが,そのような必要も権限もなしに監視をかって出て,何かがあれば検察官に対して被告人が屁をひりましたと御注進せむとするのは余計なお節介というべきか,お国に御協力申し上げむとする健気な追従というべきか,それともやはり純粋に他人の屁の数が気になるだけなのか,さらには営利企業たる株式会社であるのならばその費用は真に株主の利益になるものなのかどうか。また,関係者らとの口裏合わせによる罪証隠滅を恐れるということならば,当該被告人が必ず有罪にならないと困るということでしょうが,どうも業の深い話で,かえって監視者側に,当該関係者らが常に正義の側に立ってくれることについての不信があったり,そもそも検察官手持ちの証拠の強さに不安があったりというような,何か人に言えない心配事があるのではないかとも思われてしまうところです。なかなか非人情の世界に超然とするわけにはいかないようです。
なお,カルターゴー人の悪評については,「ポリュビオスとプルタルコスは声を揃えてカルタゴ人は人格低劣だと言っている。〔略〕二人ともカルタゴ人を,鯨飲馬食の徒,遊蕩児,欲張りとして描き出す。フィデス・プニカ〔fides Punica〕,すなわち「カルタゴ人の約束」というラテン語は,「裏切り」を意味するようになった。プルタルコスはローマのこの宿敵を評して「目下のものには傲慢,負けた時には卑屈,勝った時には残酷,この両極を揺れ動いた」と言う。ポリュビオスは,カルタゴ人は何でも欲得ずくでしか考えないと言う。」云々とあります(I・モンタネッリ著=藤沢道郎訳『ローマの歴史』(中公文庫・1996年)141頁)。
ちなみにカルターゴー人(Poeni)は,元来はポエニーキア(Phoenicia)からの植民者です。ポエニーキアとは,要はフェニキアですが,現在のレバノン共和国の辺りです。
Ca...., perge quo coepisti, egredere aliquando ex urbe; patent
portae; proficiscere. (Cicero)
カ〇〇〇よ,始まりに戻れ,いつでもいいからこの国から出ていけ,門は皆開いてあるのだ,往ね!(キケロー)

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