カテゴリ: 刑事訴訟法

1 保釈された外国人被告人の逃亡に係る罪

 

(1)「主権干犯」論

 刑事事件で公訴を提起された外国人が保釈されていたところ,その間我が国の入国審査官の知らぬうちに我が国から出国してその出身国に戻ってしまうということは,我が国の主権を干犯するとんでもない大罪である,というような議論があるようであるところです。

 しかし,罪刑法定主義(大日本帝国憲法23条)からすると,「大罪」の具体的な根拠条文の指摘が欲しいところです。当該外国人の当該行為は,どのような罪に該当するのでしょうか。

 

(2)逃走の罪の不成立

 刑法に逃走罪ってのがあったからそれだよね,というわけにはいきません。

 刑法(明治40年法律第45号)の第6章(第97条から第102条まで)の逃走の罪においてその逃走が問題になる者は,①裁判の執行により拘禁された既決若しくは未決の者(同法97条),②勾引状の執行を受けた者若しくは①の者(同法98条)又は③法令により拘禁された者(同法99条から第101条まで)です(なお,同章の罪の未遂は罰せられます(同法102条)。)。保釈された者は,勾留による拘禁から正に解放された状態にあるので,本件帰国外国人は刑法第6章の罪を犯したことにはならないようです。

 

(3)入管法71条・25条2項(確認を受けざる出国既遂)

 入国審査官の知らぬうちに我が国から出国してしまったということは,出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号。以下「入管法」といいます。)252項に違反して出国した者として,同法71条によって1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金に処され,又はその懲役若しくは禁及び罰金が併科されることになります。

 入管法25条は,次のとおり。

 

   (出国の手続)

25条 本法外の地域に赴く意図をもつて出国しようとする外国人(乗員を除く。次条において同じ。)は,その者が出国する出入国港において,法務省令で定める手続により,入国審査官から出国の確認を受けなければならない。

2 前項の外国人は,出国の確認を受けなければ出国してはならない。

 

 入管法251項の出国の確認は,原則として,旅券に出国の証印をしてされます(出入国管理及び難民認定法施行規則(昭和56年法務省令第54号)274項。昭和56年法律第85号による改正前の入管法25条は,「旅券に出国の証印を受けなければならない」及び「旅券に出国の証印を受けなければ出国してはならない」とのみ規定していました。)。

 

2 外国人の本邦から出国する自由及びその制限に係る入管法25条の2

 

(1)外国人の本邦から出国する自由

 「外国人は本来,本邦から出国する自由,自国に帰る自由を有しているのであり,出国の確認は,出国しようとする外国人が本邦外の地域に赴く意図をもって出国するという事実を「確認」する行為であり,許可ではない。ただし,第25条の2の規定により出国確認の留保を受けることがある。」と説かれています(多賀谷一照=高宅茂『入管法大全――立法経緯・判例・実務運用――第1部 逐条解説』(日本加除出版・2015年)406頁)。

市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年条約第7号)122項は「すべての者は,いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができる。」と規定しています。ただし,同条3項には「〔略〕2の権利は,いかなる制限も受けない。ただし,その制限が,法律で定められ,国の安全,公の秩序,公衆の健康若しくは道徳又は他の者の権利及び自由を保護するために必要であり,かつ,この規約において認められる他の権利と両立するものである場合は,この限りでない。」とあります。

 

(2)入管法25条の2

 入管法25条の2の出国確認の留保制度は,市民的及び政治的権利に関する国際規約123項の法律で定められた出国の自由の制限に係るものということになります。

 

   (出国確認の留保)

  第25条の2 入国審査官は,本邦に在留する外国人が本邦外の地域に赴く意図をもつて出国しようとする場合において,関係機関から当該外国人が次の各号のいずれかに該当する者である旨の通知を受けているときは,前条〔第25条〕の出国の確認を受けるための手続がされた時から24時間を限り,その者について出国の確認を留保することができる。

   一 死刑若しくは無期若しくは長期3年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪につき訴追されている者又はこれらの罪を犯した疑いにより逮捕状,勾引状,勾留状若しくは鑑定留置状が発せられている者

   二 禁錮以上の刑に処せられ,その刑の全部につき執行猶予の言渡しを受けなかつた者で,刑の執行を終わるまで,又は執行を受けることがなくなるまでのもの(当該刑につき仮釈放中の者及びその一部の執行猶予の言渡しを受けて執行猶予中の者を除く。)

   三 逃亡犯人引渡法(昭和28年法律第68号)の規定により仮拘禁許可状又は拘禁許可状が発せられている者

2 入国審査官は,前項の規定により出国の確認を留保したときは,直ちに同項の通知をした機関にその旨を通報しなければならない。

 

 入管法25条の2の規定は,昭和56年法律第85号による入管法改正によって新設されたものです。しかしこれは反対解釈すると,入管法25条の2が設けられるまでは,保釈中の外国人刑事被告人が大きな箱の中に隠れたりなどせずに堂々と入国審査官に対して旅券に出国の証印をする手続を求めた場合においては,当該入国審査官としては当該外国人さまの出国の自由を妨げることはできず,淡々と,本邦外の地域に赴く意図をもって出国しようとするのですねと確認してその旅券に出国の証印をして,当該外国人を出国せしめていたということになります。神州の清潔を穢す不良外国人については,自分から出て行きたいというのならば,刑事訴訟などという面倒な手続の終了を待たずに自費でとっとと出て行ってもらえばかえってすがすがしくてよいではないか,あとは塩でも撒いておけ,とそれまでは判断されていたもののようです。我が国の主権干犯の大問題など,どこ吹く風です。

 

  出国確認の留保制度の創設は,重要な犯罪について訴追されている等の外国人について,関係機関から通知があったときは,出国の確認を受けるための手続がされたときから24時間を限り出国確認の手続を留保することができることとしたもので,出国の確認の手続を留保することにより,重要な犯罪について訴追されている等の外国人の国外逃亡を防止し,刑事手続等が適正に実行され得るようにしたものである。本来,外国人の在留管理の面だけから見れば,このような外国人は国外に退去させられるべきであるから,出国することを止める理由はないということにもなるが,刑事司法の適正な運用を確保する必要性との調和の上に立って本制度が設けられたのである。(多賀谷=高宅409頁注113)の引用する「昭和61年度入管白書」13頁。下線は筆者によるもの)

  

「入国審査官が出国を留保できるのは24時間が限度であり,関係機関は24時間以内に逮捕等の所要の措置を執ることが必要である。24時間経過後に,その外国人が当該出入国港から再度出国しようとする場合に,再度の出国確認の留保をすることはできない」そうです(多賀谷=高宅410頁)。なかなか忙しい。年末年始などは迷惑でしょう。「死刑又は無期若しくは長期3年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪について起訴されている外国人について,海外渡航を禁止する旨の条件を付して保釈を許可した場合〔刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)933項参照〕には,24時間を限度として出国確認留保の手続ができる(入管法25条の2)。この場合には,出国確認留保通知依頼書を対応する検察庁の検察官に送付するのが実務上の取扱いであるが(昭和561225日付け最刑二第260号最高裁刑事局長・同家庭局長通達「外国人被告人の出国確認留保の通知に係る事務の取扱いについて」に詳しい運用が記載されている),出国確認の留保は当然には身柄の拘束を伴わないので,直ちに身柄を拘束できるようその運用に留意しなければならない。」とは,裁判官側からの観察です(大島隆明「外国人被告人の保釈」『新実例刑事訴訟法Ⅱ』(青林書院・1998年)175頁)。入国審査官が出国留保と共に「直ちに」検察官に通報を行い(入管法25条の22項),当該通報を受けた検察官は裁判所又は裁判官(刑事訴訟法280条)に保釈の取消しを請求し(同法9615号・2号),当該裁判所又は裁判官は決定又は命令をもって保釈を取り消し(同項柱書き。ただし,「取消事由があっても,取り消すかどうかは裁量による」ものとされています(松本時夫=土本武司編集代表『条解刑事訴訟法第3版増補版』(弘文堂・2006年)165頁)。),かつ,裁判書の謄本を検察官に送付し(刑事訴訟規則(昭和23年最高裁判所規則第32号)361項本文),検察官の指揮(裁判書の謄本に検察官が認印をします(刑事訴訟法473条ただし書)。)により検察事務官,司法警察職員又は刑事施設職員が勾留状の謄本及び保釈を取り消す決定の謄本を被告人に示してこれを刑事施設に収容する(同法98条)という手続の流れとなります。

「出国確認の留保は当然には身柄の拘束を伴わない」のですから,出国確認の留保中は,当該外国人は自由にその場を離れることができる建前のようです(ただし,出国はできないのはもちろんです(入管法252項)。)。
 

3 入管法71条・25条2項(確認を受けざる出国を企てた場合)と現行犯逮捕

それでは,堂々と出国の確認を受ける手続によらずに,見つからないように大きな箱の中に入ってこっそり出国しようとして出国前に発覚した場合はどうなるかといえば,現行犯逮捕によって身柄が拘束され得ます(刑事訴訟法213条)。すなわち,当該残念な外国人は,入管法252項の規定に違反して「出国することを企てた者」として,1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金に処され,又はその懲役若しくは禁及び罰金が併科される犯罪者となるからです(同法71条。現行犯逮捕ができる場合が制限される刑事訴訟法217条の軽微事件には当たりません。)。

「「出国することを企てた者」に当たる場合としては,例えば,密航用船舶を用意して出国しようとした場合などがある。」とされています(多賀谷=高宅715頁)。

ちなみに,入管法71条・252項で現行犯逮捕されても,それだけでは退去強制事由には該当しないようです(同法24条参照)。

 

4 旅券の取上げ

なお,パスポートなんぞ遠慮会釈なく取り上げておけ,と直情径行に言う前に,やはり考えねばならないことがあります。

「海外渡航禁止の保釈条件を実効あらしめるために,旅券を大使館や検察庁,裁判所に事実上預けさせたり,あるいはこれを保釈条件とした例もあったようであるが,外国人には旅券の常時携帯義務があり(入管法231〔なお,同項各号に掲げる者については,旅券ではなく当該各号に定める文書〕),その違反の処罰規定もあるから(同法76条),裁判所が積極的に違法行為を命じるような条件を設定すべきではない。このような保釈条件を付けられるのは,〔在留カード〕を有している外国人に限られよう(入管法231項ただし書〔略〕)。」とのことです(大島175頁)。ただし,日本に長くいてその間悪いことをした外国人は,当然その長期在留に伴う在留カードを有しているものでしょう(入管法19条の3参照)。

 

5 特別背任罪及び重要事項虚偽記載有価証券報告書提出罪の入管法25条の2第1項1号適合性及び権利保釈非排除性

 

(1)入管法25条の2第1項1号適合性

入管法25条の211号にいう「死刑若しくは無期若しくは長期3年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪」に,取締役等の特別背任罪は該当します(会社法(平成17年法律第86号)96013号。10年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金又はこれの併科)。重要な事項につき虚偽の記載のある有価証券報告書提出の罪も同様です(金融商品取引法(昭和23年法律第25号)19711号。10年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金又はこれの併科)。

 

(2)権利保釈非排除性

ただし,特別背任罪も重要事項虚偽記載有価証券報告書提出罪も,死刑又は無期若しくは短期1年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪ではないので(有期懲役は1月以上(刑法121項)),「保釈の請求があったときは,必ずこれを許さなければならない」権利保釈(平野龍一『刑事訴訟法』(有斐閣・1958年)161頁)はなお可能です(刑事訴訟法891号参照)。

権利保釈の観念は,アメリカ法の影響のもとに導入されたものとされています(松尾浩也『刑事訴訟法(上)補正第三版』(弘文堂・1991年)193頁)。GHQからの最初期の影響としては,先の大戦敗北の翌年である19462月から同年3月ころまでの間(GHQ側には同年220日との資料があるとされています。)に原文が我が司法省に提示された(井上正仁=渡辺咲子=田中開編著『刑事訴訟法制定資料全集―昭和刑事訴訟法編(2) 日本立法資料全集122』(信山社出版・2007年)23頁)GHQ民間情報局(CIS)公安課法律班のマニスカルコ大尉の手になる「刑事訴訟法ニ対スル修正意見」があります(同年322日付けで同省刑事局別室が仮訳をガリ版刷りしています。)。そこにおいてマニスカルコ大尉は,「保釈ノ請求アリタルトキハ検事ノ意見ヲ聴キ決定ヲ為スヘシ/保釈ヲ許ス場合ニ於テハ保証金額ヲ定ムヘシ/保釈ヲ許ス場合ニ於テハ被告人ノ住居ヲ制限スルコトヲ得」と規定する我が旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)116条を「被告人ハ拘禁刑ノ判決ノ未ダ確定セザル限リ当然保釈ニ付セラルベキ権限アルモノトス。其ノ保釈金額ハ適正ニシテ犯罪ノ軽重ニ相応スルモノタルベク,予審判事又ハ区裁判所判事ニ於テ被告人ノ拘置セラレタル時ヨリ24時間内ニ之ヲ定ムベシ。予審判事又ハ区裁判所判事ハ保証金額ヲ定ムルニ先立チ検事ニ対シ被告人及其ノ犯情ニ付其ノ報告ヲ求ムルコトヲ得/保釈ヲ許サレタル被告人ノ住居ハ之ヲ制限スルコトヲ得」(新94条)と修正することを提案していました(井上等33頁。下線は筆者によるもの)。原文は,“Art. 94. An accused against whom as sentence of confinement has not become binding shall as a matter of right be enti[t]led to bail. Such bail shall be reasonable in amount and commensurate with the gravity of the crime, and the amount of such bail shall be set by the Examining Judge or the Judge of a Local Court within twenty-four (24) hours from the time the accused has been placed in custody. The Examining Judge [or] the Judge of a Local Court may request information in regard to the accused and the circumstances of the crime from the Public Procurator before setting the amount of the bail. / A restriction may be imposed on the (liberty of) residence of the accused who has been liberated on bail.”です(井上等107頁)。当該「意見」を残して我が司法省関係者の視界から消えてしまったマニスカルコ大尉は何者かといえば,団藤重光教授によれば「テキサス州ヒューストンの地方検事であった者」だそうです(井上等22頁)。インターネットで見ることのできる1946623日付けのテキサス州のパンパ・ディリー・ニューズ紙1面の記事(Japssic Thank Texan For Law Services”)によれば,Anthony J. Maniscalco陸軍大尉は,1927年にライス大学(Rice institute)を卒業し,1931年にテキサス大学から法律の学位を取得,ハリス郡(ヒューストン市が所在)の地区検察官補佐(assistant district attorney),テキサス州司法長官補佐(assistant attorney general)及び米国連邦価格管理局法執行担当法務官(OPA enforcement attorney)を務め,半年勤務した我が国からの帰国に当たって1946622日に谷村唯一郎司法次官から「日本の司法制度の民主化における彼の仕事」に対する感謝状及び記念品を受領しています。
 権利保釈が権利保釈であるゆえんは,逃亡の恐れがあっても権利保釈は許されるということです。これについては,「逃亡のおそれは,権利保釈の除外事由として掲げられていない。これは,保釈が逃亡を防止する制度である以上当然である〔刑事訴訟法932項は「保証金額は,犯罪の性質及び情状,証拠の証明力並びに被告人の性格及び資産を考慮して,被告人の出頭を保証するに足りる相当な金額でなければならない。」と規定〕。しかし,保証金の没取という経済的利益の喪失という威嚇によって出頭を強制できるのにも限度があることは否定できない。したがって,保釈は万能ではなく,これに代わるものまたはこれを補充するもの,が考えられなければならない。法が認めている勾留の執行停止も,その一つの方法であり,さらに,観察付釈放などの制度も考慮すべきであろう。」とつとに説かれています(平野164頁注(1))。

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 左から二つ目の黒くて丸い物は,観察のためのカメラでしょう。(東京都中央区銀座四丁目交差点)

6 アメリカ法における保釈及びその歴史

保釈は,「身柄拘束による出頭確保を金銭的負担による出頭確保で代えるという発想に基づき,英米法で発達をみた」ものです(田宮裕『刑事訴訟法(新版)』(有斐閣・1996年)257頁)。英米法においては「被告人の犠牲回避という原理の問題のほか,一般納税者の負担で不必要に施設にとめおく理由はないという議論もある」そうで,また,「アメリカでは逮捕後,裁判官のもとへ引致されると直ちに保釈されうるが,保証会社(裁判所に窓口がある)が手数料をとって保証金を代納するという制度が高保釈率を支えている。しかし,高額の手数料の負担が保釈を困難にするという現実もあり,最近は自己誓約による釈放という制度が広がりをみせる傾向がある。」とのことです(田宮260頁注(1)。また,松尾194-195頁注*)。

保釈の歴史について,後に米国連邦最高裁判所判事となるホームズ(Oliver Wendell Holmes Jr.)は,契約の歴史を説く際に言い及んでいわく。

 

 しかし,〔保証に関して〕より顕著な例は,昔の法律の多くにおいて繰り返されているルールの中に見出されます。すなわち,不正のかどで訴追された被告は,担保(security)を提供するか,しからざれば収監されなければならないということです。この担保は,昔の時代の人質(the hostage of early days〔例えば,ボルドーのユオン(Huon of Bordeaux)がカール大帝(在位768-814)から課された無理難題の解決に取りかかるに当たって同帝に人質として提供した部下の騎士12名のごとし。〕でしたが,後に刑事訴訟と損害賠償訴訟とが相互に分離されてからは,刑事法の保釈保証人(bail)となりました。その責任は,保釈保証人が自己の身体を保証債権者の権力に(into the power of the party secured)現実に委ねたときと同様のものとして依然として理解されていました。

  サリカ法に対するカール大帝の追加条項の一つは,担保(surety)として他人の権力にその身を委ねた自由民について語っています。当該文言は,ヘンリー1〔在位1100-1135のイングランド法中にコピーされています。これが何を意味したかは,我々はボルドーのユオンの話において見たところです〔ユオンが命令に違背したと信じたカール大帝は,人質の騎士たちを吊るし首にしようとしました。また,ユオンの命令違背の有無を判断するための決闘は,ユオン及び弾劾者側のそれぞれがまず友人を人質として提供するところから始められました。〕。司法官の鑑(The Mirror of Justices)の伝えるところによれば,カヌート王〔在位1016-1035は本人(principals)が判決公判に出頭しなかった場合には出廷保証人(mainprisors)をそれにより本人として裁いていたそうですが,ヘンリー1世はカヌートのルールの適用を事実について同意している出廷保証人に限定しました。

  エドワード3〔在位1327-1377の治世まで時代が下っても,イングランドの裁判官であるシャード(Shard)は,現在も同様であるところの当該法律について,保釈保証人は被収監者の管理人(keepers)であり,及び被収監者が逃亡したときは訴追されるべきものであると論じた後に,保釈保証人は被収監者に代わって吊るし首となるべしと言われている,と述べています。これは,同様の事案における獄吏(jailer)に係る法でありました。この古来の観念は,重罪に係る保釈保証人の役割について現在の著者たちによって依然として与えられている説明の方法に痕跡をとどめています。彼らは「身体に身体をもって」(“body for body”)結び付けられているのであります,そして現代の法律書は,このことは本人である被告人が出頭しなかった場合に保釈保証人をしてその刑罰を受けるべきものとするものではなくて彼らは罰金(fine)の責任のみを負うのである,と述べなくてはならないこととなっています。当該契約は,成立(execution)の形式においても我々の現代的観念とは異なっていました。当該形式は,当該官吏の面前で責任を厳粛に認めることのみ(simply a solemn admission of liability)でした。保釈保証人の署名は必要ではなく,かつ,保釈される者が契約当事者として自らをそこに結び付けることは必要とされていませんでした。

  しかし,これらの特異点は制定法によって変更され,又は取り除かれていますところ,私が本件についてお話したのは,他の全ての種類のものと異なる特殊な契約類型としてというよりは,その起源に係る歴史が我々の法における契約の最初の出現の一例を示すものであったからであります。そのことについては,いざ身柄の提供を求められる場合となったときにおける人質の名誉心に対する信頼(faith in the honor of a hostage)の漸進的高まり及びそれに伴う現実に収監することの緩和に遡って跡付けられるものです。どういうものかということは,被収監者自身について併行的になされる取扱い(the parallel mode of dealing with the prisoner himself)を見ることによってよく分かるでしょう。彼の保釈保証人は――同人に彼の身体は引き渡されたものと観念されておりますが(whom his body is supposed to be delivered)――いつでもどこでも彼の身柄を確保する権利(a right to seize him)を有しています,しかし彼は身柄提供の時までは自由(is allowed to go at large)なのです。この形の契約は,十二表法のローマ法によって規律された負債と同様に,そして違った手続によってではあるものの同様の動機でもって,契約当事者の身体を最終的満足のための引当てにしているということが,お分かりになるでしょう。(Holmes. The Common Law (1881). Cambridge, Mass.: The Belknap Press of Harvard University Press, 2009: pp.225-227

 

 なかなかうまく訳せなかったところですが,要は英米法における保釈は,元々は,三当事者(債権者,主たる債務者及び保証人)が登場する保証契約の起源に関係するものであったということのようです。

 

bailという言葉は,保護者,番人あるいは守備者を意味する,フランス語の『baile』に由来する。コモン・ローでは,告発された者は,その者が法執行官の管理から釈放されて,要求のあったときにその者を差し出すことを義務付けられる保証人の管理に委ねられたときに,保釈を認められると言われている。被逮捕者の釈放を獲得し,要求のあった時と場所に被釈放者が出頭することに対して責任を負う保証人は,被逮捕者又は被勾留者を自己の拘束下に引取り,そのようにして被疑者,被告人の裁判所への出頭に対して自らを束縛するが故に『baile』と呼ばれた。(木本強「アメリカ保釈制度の考察」早稲田法学会誌23号(19732月号)66頁)

 

 日本の刑事訴訟法942項及び3項は被告人以外の者による保証金の納付及び被告人以外の者の保証書の差し出しを認めていますが,これらの者は,金銭的損失のリスク負担を超えた「要求のあった時と場所に被釈放者が出頭することに対して責任を負う」までのことを厳格に求められてはいません。例えば,保証書を差し出した者については,「保証書を差し出した者は,保証金没取の裁判(96②③)があったときは,保証書記載の金額を納付すべき義務を負う。」とのみ説明されています(松本=土本162頁)。保釈請求に当たっては,「「被告人の身柄を引き受け,十分監督し,保釈許可の条件を堅く守らせ,お呼び出しのときはいつでも出頭させます」という趣旨を記載する」身柄引受書を併せ提出することが多いのですが,当該身柄引受書の名義人である身柄引受人についても,「法律上の責任を伴うものではないが,いわゆる道義的な責任はある」とのみ述べられています(松尾260頁)。保釈金の納付を要しない勾留の執行停止においては,「勾留されている被告人を親族,保護団体その他の者に委託」し(刑事訴訟法95条),当該親族,保護団体その他の者は「何時でも召喚に応じ被告人を出頭させる旨の書面」を裁判所又は裁判官に差し出すのですが(刑事訴訟規則90条),「しかし,出頭させなかったとき,委託を受けた者に対する制裁はない」ところです(平野164頁)。

 米国において保釈保証人が「要求のあった時と場所に被釈放者が出頭することに対して責任を負う」ということが強調される意味は,何と,保釈金の納付者は獄吏の権限を持つ準司法官であるという理論があり,かつ,それがなおも生きているということなのでした。確かに,前記のとおりホームズは,被収監者の身体は保釈保証人に引き渡されるものと観念されていると述べていました

 

  〔米国で〕個人の絶対的保釈権が認められたことは,アメリカという大国では実務上諸々の困難をもたらした。辺境の開拓地は,無罪を獲得する見込がなくて逃亡を企てる者を招き入れたからである。そこでこのような事態に対して裁判所側が最初に示した反応は,保釈金を与える者に対し,その者は獄吏の権限を持つ準司法官であり,被告人に対して責任を持たねばならないことを想起させることであった。しかしながら,私的な保証人が逃亡者を全国的に捜索することは不可能であったから,被告人を出頭させるとの保証人の約束は,次第に,被告人が出頭しなければ単に金銭を支払うという約束となっていった。ここに今日的な意味での保釈制度が成立していったことがうかがえる。(木本71-72頁)

 

1873年の米国連邦最高裁判所のTaylor v. Taintor, 83 U.S. 366 (1872)判決には,次の一節があります(371頁)。

 

  保釈が許可されたとき,被告人本人(the principal)は,彼の保証人ら(his sureties)の管理下に引き渡されたもの(delivered to the custody)とみなされる。彼らによる支配管理は,元の収監状態の継続である(Their dominion is a continuance of the original imprisonment)。彼らは欲するときにはいつでも,彼の身柄を確保し(seize him),及び義務の履行として彼を引き渡すことができる。しかして,それが直ちに行い得ない場合においては,彼らはそれができるときまで彼を拘禁すること(imprison him)ができる。彼らは,彼らの権利を自ら又は代理人(agent)によって行使することができる。彼らは,彼の追跡を他州に入って行うことができ,安息日に彼の身柄を確保することができ,及び必要なときは当該目的のために彼の住居に強制的に立ち入ること(break and enter his house)ができる。当該身柄確保は新たな手続としてされるものではない〔令状不要〕。そのような必要は全くない。逃走する被収監者の身柄を保安官が再び逮捕することと同様である。

 

 「保釈の保証人となり,その報酬を依頼人から要求することを職とする保釈保証業者〔である〕ボンズマン〔bondsman〕は何時でも依頼人を逮捕しその身柄を当局に引渡すことのできる古典的な権利を有している。ボンズマンが探している保釈中失踪者が当該州を離れる場合には,ボンズマンは,逃亡者を捜索する法執行機関に要求される厳しい逃亡犯人引渡の条件に従う必要なしに失踪者を追跡し取り戻すことができる。」(木本72-73頁)との「古典的な権利」に関する古典的表明とされる判決文です。「彼らによる支配管理は,元の収監状態の継続である(Their dominion is a continuance of the original imprisonment)」ので,保釈保証人は司法官たる獄吏の権限をも引き継いでいるのだ,ということでしょう。しかも,その権限の行使は代理人(agent)によっても可能であるというところが更に荒っぽい。その結果,米国には,当該代理人たるバウンティ・ハンター(bounty-hunter。賞金稼ぎ)という職業が厳として存在しています。

 

 7 バウンティ・ハンター

 バウンティ・ハンター業に関するウェブ・サイト(https://www.bountyhunteredu.org)によれば,バウンティ・ハンターとは,簡単にいえば,ボンズマンに雇われて金銭的報酬と引換えに逃亡者を捜索逮捕する高度なプロフェッショナルであります。逃亡者を首尾よく逮捕して司直に引き渡すことができたときの報酬額は,当該逃亡者に係る保釈金額の10ないしは20パーセント相当額が相場であるようです(すなわち,保釈金額が15億円であれば,当該逃亡者狩りの成功報酬額は3億円くらいになるのでしょう。)。米国50州中でバウンティ・ハンター業務を禁じているのは4州(ウィスコンシン,ケンタッキー,オレゴン及びイリノイ)のみだそうで,「バウンティ・ハンターは今日,大多数の州においては免許又は登録制下にある専門職であり,保釈保証ビジネスにおいて,したがって全米の刑事司法システムにおいて,重要な役割を果たしています。彼らの役割は,州の保険庁及び他の許認可当局によって厳格に(closely)モニターされています。」,「バウンティ・ハンティングは,米国において,真っ当かつ尊敬される職業(accepted and respected profession)となっています。」と高らかに謳われています。全米におけるバウンティ・ハンターの平均年間報酬受領額は約47000ドルであるとされています。

 全国逃亡者再確保業協会(National Association of Fugitive Recovery Agents)というバウンティ・ハンターの全米業界団体がデラウエアにありますが,その一部門である全国保釈保証執行業協会(National Association of Bail Enforcement Agents)の試算によれば,保釈からの逃亡者の90パーセント近くは再確保されているそうです(“Delivery men”, The Economist, September 1st, 2016)。一見なかなかの数字であるように思われますが,現場の実態はどうなのでしょうか。

 バウンティ・ハンターは,防弾チョッキ,胡椒(ペッパー)スプレー,テーザー(長い電線の先につけた矢を発射する武器。電撃ショックを与える。),ハンドガンお手玉弾(ビーンバッグ)(暴徒鎮圧用に砂などの小散弾をキャンス袋に詰めたもの)の装填されたショットガン等を猛々しく装備しているばかりではなく,顔認証や各種データベース・サービスのような最新の情報通信技術を利用すると共に自らの狡知をも発揮して,逃亡者の子供やパートナーをペテンにかけてその居場所を探知し,逃亡者の睡眠中,不用意であるとき,スーパーマーケットをちょうど出て来て両手がふさがっているとき火器持込禁止のカジノに遊んでいるとき襲い更には宅配便の配達員を装って逃亡者宅を訪問したりするそうです(“Delivery men”参照)。正に,米国の刑事司法のrough justiceたることがここに躍如としています。

 

8 レーグルス対カルターゴー人

 我々高潔な日本人にとっては,保釈といえば,前3世紀・第一次ポエニ戦争中の古代ローマ共和国の執政官であったレーグルスの気高い事績が思い起こされるばかりです。

 

  Marcus Regulus, imperator populi Romani, captivus apud Carthaginienses fuit. Qui cum sibi mallent a Romanis suos reddi quam eorum tenere captivos, ad hoc impetrandum etiam istum praecipue Regulum cum legatis suis Romam miserunt, prius juratione constrictum, si quod volebant minime peregisset, rediturum esse Carthaginem. Perrexit ille atque in senatu contraria persuasit, quoniam non arbitrabatur utile esse Romanae rei publicae mutare captivos. Nec post hanc persuasionem a suis ad hostes redire compulsus est, sed quia juraverat, id sponte complevit. At illi eum excogitatis atque horrendis cruciatibus necaverunt. Inclusum quippe angusto ligno, ubi stare cogeretur, clavisque acutissimis undique confixo, ut se in nullam ejus partem sine poenis atrocissimis inclinaret, etiam vigilando peremerunt. (Augustinus. I. 15, De Civitate Dei)

(ローマ人の最高司令官であるレーグルスは,カルターゴー人の捕虜であった。彼らは,ローマ人から彼らの同胞を彼らのもとに返してもらうことの方がローマ人の捕虜を抑留していることよりもよいと思っていたので,そのことを達成すべく,特にそのレーグルスを,彼らの望むところが達成されなければカルターゴーに戻って来るべしとの誓約をあらかじめさせた上で,更に彼らの使節らと共にローマに送った。(レーグルス)出頭たが捕虜交換はローマ共和国の国益にならないと考えていたので,元老院反対論もって説得した。当該説得の後,敵のもとに戻ることを同胞から強いられはしなかったが,誓約をしたのであるところから,彼は自らの意思でそのように身を処したしかし彼ら(カルターゴー人)は,新工夫かつ恐ろしい拷問をもって彼を殺害した。その中では起立していることを強いられ,かつ,とがった釘によってあらゆるところから刺し貫かれていて,残酷な傷害を被ることなしに体を傾けることのおよそできない実に狭い木箱の中に閉じ込められた彼を,更に不眠によって絶命させたのである。(アウグスティヌス『神の国』I.15))

 

いやいや,レーグルスはカルターゴーを出国しても再びカルターゴーに戻りますと誓約しましたけれども,保釈される被告人については,日本の刑事訴訟法及び刑事訴訟規則の文言においては必ず出頭しますとの誓約は要求されていないんであって〔治罪法(明治13年太政官布告第37号)210条及び旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)150条においては保釈される被告人に「何時ニテモ呼出ニ応シ出頭ス可キ(ノ)証書ヲ差出」すことを求めていましたが,192411日から施行の旧刑事訴訟法となってからは当該証書の差し出しを求める規定が消えています。〕,保釈金が没取(これを「没収」と書いてしまう日本のマスコミ人士は,日本出国の自由を行使しただけの外国人に対する批判に雷同する以前に,自国の重要法律についてすら不勉強であることを暴露していますね。)されると困るので被告人は結局裁判所に出頭するということが確保されるだけの十分に高い保釈金額を裁判所又は裁判官が賢明に設定すればよかっただけではないのではありませんかね(刑事訴訟法932項参照),それに,レーグルスは馬鹿正直にカルターゴーに捕虜になりに戻って残忍なやり方で殺されてしまったけれども,全くもってくわばらくわばらですよ,差別と偏見の日本の人質司法もカルターゴーの捕虜取扱いに負けず劣らず野蛮で恐ろしいですからね,命と自由とがあっての物種ですよ――などとくだんの逃亡外国人被告人が,世界に向かってべらべらと「グローバル・エリート」風に屁理窟をこねると,我々の愛国的怒りは更に沸騰するのでしょう。

何っ,お前は我々日本人が野蛮な刑事司法制度しか有さない劣等民族であって,かつ,レーグルス閣下を猟奇的に殺害したカルタゴ人のような嗜虐的残酷民族だというのか。日本の刑事司法はなぁ,横着かつ荒っぽい某国のrough justiceなどとは違う精密司法というものなのだ。精密司法はなぁ,「処罰に値する者だけを起訴=有罪とし,そうでない者は〔起訴便宜主義による検察官の不起訴処分(刑事訴訟法248条)によって〕早期にらち外に解放するものであるから,むだをはぶいた効率のよい,しかも人権保障に奉仕するやり方であり,このようなスムーズな司法運用が,ひいては低い犯罪発生率,高い検挙率に代表される日本の刑事司法政策成功の大きな要因となっていることもたしか」なのだ(田宮13頁)。正しい日本人であれば,真相の解明を重んじ,「被告人でさえも,しばしば精密司法への選好を隠そうとはしないのである」のだぞ(松尾16頁。「「綿密な審理を受けて納得した」という述懐,「真実はただ一つである」ことを理由とする統一公判要求など」を例として挙げる。)。お前の方こそ,言うことなすことやり方がPunica fideであってカルタゴ人のように信用ならん。屁理窟ばっかりこきやがって,くそっ,最後っ屁か。悪臭芬々,許せん,我慢がならん。

他人の屁が気になって仕方がなく,つい精密に勘定してしまうのは,我々日本人の昔からの性分です。

 

 五年も十年も人の(しり)に探偵をつけて,人のひる屁の勘定をして,それが人世だと思つてる。そうして人の前へ出て来て,御前は屁をいくつ,ひつた,いくつ,ひつたと頼みもせぬ事を教へる。前へ出て云ふなら,それも参考にして,やらんでもないが,後ろの方から,御前は屁をいくつ,ひつた,いくつ,ひつたと云ふ。うるさいと云へば猶々(なほなほ)云ふ。よせと云へば益々(ますます)云ふ。分つたと云つても,屁をいくつ,ひつた,ひつたと云ふ。さうして(それ)が処世の方針だと云ふ。方針は人々(にんにん)勝手である。只ひつたひつたと云はずに黙つて方針を立てるがいゝ。人の邪魔になる方針は差し控へるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云ふなら,こつちも屁をひるのを以て,こつちの方針とする(ばか)りだ。さうなつたら日本も運の尽きだらう。(夏目漱石『草枕』(1906年))

 

保釈された被告人の住居の周囲に鬱陶しく監視カメラを設置し,かつ,同人をしつこく尾行して,その動静を,ひられた屁の数まで勘定してやろうとする熱心な私人らはどういう人たちなのでしょうか。被告人が逃亡してしまうと自分の生命が危なくなる中世の英国のbail又は自分の財産が失われてしまう現在の米国のbondsmanであれば被告人を監視して自己又は自己の財産を守る必要があり,かつ,逃亡の可能性があると思えば被告人の身柄を拘束することができる(準司法官的)権限をも有するわけですが,そのような必要も権限もなしに監視をかって出て,何かがあれば検察官に対して被告人が屁をひりましたと御注進せむとするのは余計なお節介というべきか,お国に御協力申し上げむとする健気な追従というべきか,それともやはり純粋に他人の屁の数が気になるだけなのか,さらには営利企業たる株式会社であるのならばその費用は真に株主の利益になるものなのかどうか。また,関係者らとの口裏合わせによる罪証隠滅を恐れるということならば,当該被告人が必ず有罪にならないと困るということでしょうが,どうも業の深い話で,かえって監視者側に,当該関係者らが常に正義の側に立ってくれることについての不信があったり,そもそも検察官手持ちの証拠の強さに不安があったりというような,何か人に言えない心配事があるのではないかとも思われてしまうところです。なかなか非人情の世界に超然とするわけにはいかないようです。

なお,カルターゴー人の悪評については,「ポリュビオスとプルタルコスは声を揃えてカルタゴ人は人格低劣だと言っている。〔略〕二人ともカルタゴ人を,鯨飲馬食の徒,遊蕩児,欲張りとして描き出す。フィデス・プニカ〔fides Punica〕,すなわち「カルタゴ人の約束」というラテン語は,「裏切り」を意味するようになった。プルタルコスはローマのこの宿敵を評して「目下のものには傲慢,負けた時には卑屈,勝った時には残酷,この両極を揺れ動いた」と言う。ポリュビオスは,カルタゴ人は何でも欲得ずくでしか考えないと言う。」云々とあります(I・モンタネッリ著=藤沢道郎訳『ローマの歴史』(中公文庫・1996年)141頁)。

ちなみにカルターゴー人(Poeni)は,元来はポエニーキア(Phoenicia)からの植民者です。ポエニーキアとは,要はフェニキアですが,現在のレバノン共和国の辺りです。
 

  Ca...., perge quo coepisti, egredere aliquando ex urbe; patent portae; proficiscere. (Cicero)
カ〇〇〇よ,始まりに戻れ,いつでもいいからこの国から出ていけ,門は皆開いてあるのだ,往ね!(キケロー)



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1 2017年1月13日の大事件と鉄道営業法37条及び42条の規定

 2017年1月1313時過ぎ,京都市右京区嵯峨野野宮町において,五十代の女性二人が,JR山陰線の踏切を渡る途中写真を撮ってもらうために同線の線路内に1メートルほど立ち入ったという重大犯罪が発生したそうです。

鉄道営業法(明治33年法律第65号)には次のような条項があります。

 

 第37条 停車場其ノ他鉄道地内ニ妄ニ立入リタル者ハ10円以下ノ科料ニ処ス

 

 第42条 左ノ場合ニ於テ鉄道係員ハ旅客及公衆ヲ車外又ハ鉄道地外ニ退去セシムルコトヲ得

  一 有効ノ乗車券ヲ所持セス又ハ検査ヲ拒ミ運賃ノ支払ヲ肯セサルトキ

  二 第33条第3号〔列車中旅客乗用ニ供セサル箇所ニ乗リタルトキ〕ノ罪ヲ犯シ鉄道係員ノ制止ヲ肯セサルトキ又ハ第34条ノ罪〔制止を肯ぜずした,吸煙禁止違反又は婦人専用待合室車室等への男子の妄りな立入り〕ヲ犯シタルトキ

  三 第35条〔鉄道係員ノ許諾ヲ受ケスシテ車内,停車場其ノ他鉄道地内ニ於テ旅客又ハ公衆ニ対シ寄附ヲ請ヒ,物品ノ購買ヲ求メ,物品ヲ配付シ其ノ他演説勧誘等ノ所為ヲ為シタル者ハ科料ニ処ス〕,第37条ノ罪ヲ犯シタルトキ

  四 其ノ他車内ニ於ケル秩序ヲ紊ルノ所為アリタルトキ

  前項ノ場合ニ於テ既ニ支払ヒタル運賃ハ之ヲ還付セス

 

鉄道営業法37条にいう「10円以下ノ科料ニ処ス」の部分は,罰金等臨時措置法(昭和23年法律第251号)2条3項本文(「第1項の罪〔刑法(明治40年法律第45号),暴力行為等処罰に関する法律(大正15年法律第60号)及び経済関係罰則の整備に関する法律(昭和19年法律第4号)の罪以外の罪(条例の罪を除く。)〕につき定めた科料で特にその額の定めのあるものについては,その定めがないものとする。」)により,要は,「科料ニ処ス」ということになります。科料は,1000円以上1万円未満です(刑法17条)。

 

2 罰金と科料の差

「罰金と科料の差は,①罰金には執行猶予を付しうるが科料には認められない〔刑法25条1項は50万円以下の罰金についてその刑の全部の執行猶予を認めています(ただし,同法27条の2第1項は罰金について刑の一部の執行猶予を認めていません。)。〕,②資格制限について原則として科料には規定がない,③公訴時効〔罰金に当たる罪については3年(刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)250条2項6号),科料に当たる罪については1年(同項7号)〕および刑の時効〔罰金については3年(刑法32条5号),科料は1年(同条6号)〕に差がある,④科料にのみ処せられる犯罪の教唆・幇助は処罰されない〔刑法64条。ただし,同条の例外として,軽犯罪法(昭和23年法律第39号)3条があります。〕などの点で異なった扱いを受ける・・・科料は自由刑における拘留に対応するものであり,軽微な犯罪に対する制裁として資格制限に影響を及ぼさない刑として意味があると解すべきであるから,拘留を残しておく以上は,科料も存続させるべきである。」とされています(大谷實『刑事政策講義〔第4版〕』(弘文堂・1996年)155頁。下線は筆者)。

 

3 違警罪

旧刑法(明治13年太政官布告第36号)では罪について重罪(その主刑は,死刑,無期徒刑,有期徒刑,無期流刑,有期流刑,重懲役,軽懲役,重禁獄及び軽禁獄(同法7条)),軽罪(その主刑は,重禁錮,軽禁錮及び罰金(同法8条))及び違警罪(その主刑は,拘留及び科料(同法9条))の分類がありましたが,科料にしか該たらない鉄道営業法37条の罪は,違警罪ということになります。刑法施行法(明治41年法律第29号)31条は,「拘留又ハ科料ニ該ル罪ハ他ノ法律ノ適用ニ付テハ旧刑法ノ違警罪ト看做ス」と規定しています。

旧刑法において「「違警罪」は前2者〔重罪及び軽罪〕と異質の罪とされ,そのため,前2者〔重罪及び軽罪〕に存する附加刑としての剥奪公権〔国民ノ特権,官吏ト為ルノ権,勲章年金位記貴号恩給ヲ有スルノ権,兵籍ニ入ルノ権,会社及ヒ共有財産ヲ管理スルノ権,学校長及ヒ教師学監ト為ルノ権等が剥奪されました(同法31条)。〕・停止公権・禁治産・監視の制度はなく,「仮出獄」の制度も無縁であった。「加減例」においても「違警罪ノ刑ハ加ヘテ軽罪ニ入ルコトヲ得ス」とされ〔同法72条2項本文〕,期満免除は,禁錮罰金でも7年であるのに,1年であった。違警罪の未遂は常に「其罪ヲ論セス」とされたが〔同法113条3項〕,他方,重罪・軽罪に存した16歳以上20歳未満者の「宥恕シテ本刑ニ一等ヲ減ス」との制度〔同法81条〕はなかった〔同法83条1項〕。〔旧刑法〕最末尾の第430条は,同法2条〔「法律ニ正条ナキ者ハ何等ノ所為ト雖モ之ヲ罰スル(コト)ヲ得ス」〕の例外として次のように規定していた。/「前数条ニ記載スルノ外各地方ノ便宜ニヨリ定ムル所ノ違警罪ヲ犯シタル者ハ其罰則ニ従テ処断ス」」と紹介されているところです(小嶋和司「明治二三年法律第八四号の制定をめぐって」『小嶋和司憲法論集一 明治典憲体制の成立』(木鐸社・1988年)409410頁)。

なお,違警罪といえば違警罪即決例(明治18年太政官布告第31号)が出て来る人はマニアックですね。「違警罪即決の制度は,行政官庁をして裁判の正式を用ひず科刑の処分を為さしむるものである点に於て,すでに疑問とすべきものであるのみならず,其は屢々他の刑事捜査の目的上人身を拘束するの手段として濫用される弊害を伴うてゐる。」と批判されていた制度です(小野清一郎『刑事訴訟法講義 全訂第三版』(有斐閣・1933年)612613頁)。同例1条本文は「警察署長及ヒ分署長又ハ其代理タル官吏ハ其管轄地内ニ於テ犯シタル違警罪ヲ即決スヘシ」と,同例2条は「即決ハ裁判ノ正式ヲ用ヒス被告人ノ陳述ヲ聴キ証憑ヲ取調ヘ直チニ其言渡ヲ為スヘシ/又被告人ヲ呼出スコトナク若クハ呼出シタリト雖モ出廷セサル時ハ直チニ其言渡書ヲ本人又ハ其住所ニ送達スルコトヲ得」と規定していました。昭和22年法律第60号によって1947年5月3日から違警罪即決例が廃止されるまでは,鉄道営業法37条の事案は所轄の右京警察署限りの取扱いで済んで(ただし,正式裁判の請求に係る違警罪即決例3条参照),「送検」などと検察官を煩わせるまでのことにはならなかったものでしょう(無論正式裁判請求があったときは別で,同例6条は「警察署ニ於テ〔正式裁判請求の〕申立ヲ受ケタル時ハ24時内ニ訴訟ニ関スル一切ノ書類ヲ違警罪裁判所検察官ニ送致スヘシ」と規定していました。)。

 

4 科料に当たる罪と逮捕

犯罪,ということになると,すぐ,すわ逮捕か,という予想が発せられますが,科料にしか当たらない鉄道営業法37条の罪の被疑者が逮捕される事態は余り考えられません。

 

(1)通常逮捕

刑事訴訟法199条1項ただし書は,科料に当たる罪の被疑者を逮捕状によって逮捕することができる場合を,「被疑者が定まつた住居を有しない場合又は正当な理由がなく前条の規定による出頭の求め〔同条1項本文は「検察官,検察事務官又は司法警察職員は,犯罪の捜査をするについて必要があるときは,被疑者の出頭を求め,これを取り調べることができる。」と規定〕に応じない場合」に限っています。頭書重大犯罪の被疑者は,警察署での取調べに5時間応じたということですから,定まった住居を有している限りは,逮捕されることはないでしょう。(なお,5時間かかったのは「しぼられた」(懲罰的な響きがありますね。)からかどうか。人によっては,普段から記憶が欠落していたり,あいまいだったりし,また話が要領を得ないため,司法警察員又は検察官ならぬ熱心な弁護士が優しく事情を聴く場合においても思わず長く時間がかかることがあります。)

 

(2)緊急逮捕

あらかじめ逮捕状を要さぬ緊急逮捕は,死刑又は無期若しくは長期3年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪の被疑者にのみ可能であって(刑事訴訟法210条1項),科料のみの鉄道営業法37条の罪の被疑者が緊急逮捕されることはありません。

 

(3)現行犯逮捕

「現行犯人は,何人でも,逮捕状なくしてこれを逮捕することができる。」というのが刑事訴訟法213条の原則ですが,同条の規定も,科料に当たる罪の現行犯人については「犯人の住居若しくは氏名が明らかでない場合又は犯人が逃亡するおそれがある場合」以外の場合には適用されません(同法217条)。「停車場其ノ他鉄道地内ニ妄ニ立入リタル者」が堂々と,住所氏名を明らかにし,かつ,逃げも隠れもしないと高らかに宣言して仁王立ちした場合には,現行犯逮捕もできないようです。

 

5 科料に当たる現行犯罪の制止と警察官職務執行法5条,鉄道営業法42条1項等

 

(1)警察官職務執行法5条と刑事訴訟法217

刑事訴訟法217条に関連してここでちょっと脱線して,いささか問題になるのが,警察官職務執行法(昭和23年法律第136号)5条に関する解釈です。

警察官職務執行法5条は,「警察官は,犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは,その予防のため関係者に必要な警告を発し,又,もしその行為により人の生命若しくは身体に危険が及び,又は財産に重大な損害を受ける虞があつて,急を要する場合においては,その行為を制止することができる。」と規定しています。当該規定振りの結果,同「条は,犯罪の予防のための措置として定められており,現行犯罪の鎮圧を目的とするものではないように見え,他に犯罪の鎮圧にかかる規定は存しない。このため現行犯罪の制止については,その法的根拠,要件をめぐり,判例学説ともに種々の見解に分かれている」ところです(田宮裕・河上和雄編『大コンメンタール警察官職務執行法』(青林書院・1993年)331頁(渡辺咲子))。すなわち,現行犯罪の制止にも警察官職務執行法5条後段の要件(人の生命若しくは身体に危険が及び,又は財産に重大な損害を受ける虞があること。)が必要なのか,余計なしがらみなく組織法である警察法(昭和29年法律第162号)2条1項の規定(「警察は,個人の生命,身体及び財産の保護に任じ,犯罪の予防,鎮圧及び捜査,被疑者の逮捕,交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。」)を直接の根拠にして即時強制ができるのか,司法警察と行政警察とがあるところ現行犯逮捕は司法警察に係る刑事訴訟法に規定されているものの行政警察に係る犯罪鎮圧目的のためにも現行犯逮捕ができるのか,あるいは警察法2条,警察官職務執行法,刑事訴訟法などを総合して法秩序全体から合理的に警察官による現行犯罪の制止は認められるものと考えることができるか,といった議論になります(田宮・河上編332頁以下(渡辺))。

東京高等裁判所昭和471020日判決(高刑集25巻4号461頁)は「警職法5条は犯罪がまさに行なわれようとするのを認めたときに警察官に対し警告ないしは制止の権限を認めた規定であつて,まだ犯罪が行なわれない前の段階を対象としたものであるから,進んで犯罪が現に行なわれている場合にもこの規定がそのまま適用されると解するのは相当でない。けだし,同条が警察官の介入につき厳格にその要件と限度とを限定しているのは,まさにそれが行なわれようとしているにもせよ(ママ)まだ犯罪が現に実行されていない段階のことであるから,基本的人権保障のためにこれを明定する必要があるからと解せられるが,これに反し現に犯罪が実行されている段階に立ち至れば,これを阻止するのは公共の秩序の維持に当たる警察の当然の責務であるし,またこの場合には現行犯として行為者を令状なしに逮捕することすら認められているところからみても,あえてその要件ないし阻止行為の態様を限定するまでのこともないため,別段の規定を設けなかつたものと解されるからである。それゆえ,すでに犯罪が現に実行されている段階においては,警察官としては当該犯罪を鎮圧阻止するために必要と認められる限度において,しかも憲法に保障する個人の権利および自由を不当に侵害し権利の濫用にわたらないかぎりは,犯人に対し犯罪の実行をやめさせるため強制力を行使することが許され,この場合においては特に警職法5条後段の要件を必要としないものと解するのが相当である。」と判示していますが(下線は筆者),「この判決及びこれを維持した最決昭49・7・4判時74826頁により,現行犯については本条〔警察官職務執行法5条〕後段の要件がなくても同条にいう制止行為程度の即時強制は許されるとの判断が裁判例として定着し,確立されたものとみてよい」とされています(田宮・河上編340頁(渡辺))。しかし,警察官職務執行法5条後段の要件がなくとも現行犯の制止ができるという判断の前提として「現行犯として行為者を令状なしに逮捕することすら認められていること」,すなわち現行犯逮捕を行い得ることが必要であるということであれば,なおも「刑訴法217条に現行犯逮捕のできない軽微な犯罪の場合に問題」(田宮・河上編340341頁(渡辺))が残ることは否定できません。上記東京高等裁判所昭和471020日判決の事案において警察官による制止の対象となったのは,刑事訴訟法217条の適用のない威力業務妨害罪(刑法234条)であって,当該問題は表面に現れずにすんだところではありました。東京高等裁判所昭和41年8月26日判決(高刑集19巻6号631頁)は,括弧書きで,「現行犯であつても刑事訴訟法第217条に規定する軽微な犯罪にあつては,住居若しくは氏名が明らかでない場合等でなければ逮捕することを得ないのであるが,かかる場合においても,警察官は犯罪鎮圧のための制止行為はこれをなし得,またなすべき責務があるというべきである。」と判示していますが,これも事案は威力業務妨害罪の制止行為の適法性が争われたもので(東京高等裁判所昭和471020日判決の事案と同一の事案),傍論というべきでしょう。「現行犯逮捕の可能な場合の制止を是とする見解の多くが,逮捕という強力な手段が認められる以上,逮捕に至らない制止を行うことは適法であるとするのであるから,逮捕できない場合に制止ができるとするには,別個の説明を要するのではないかと思われる。」と批判されています(田宮・河上編341頁(渡辺))。

「結局,現行犯罪の鎮圧にあたっても,本条〔警察官職務執行法5条〕に従って警告・制止を行う,と解するのが妥当であるといえよう。」との見解が表明されています(田宮・河上編343頁(渡辺))。「実行の着手,犯罪の成立の前後を問わず,犯罪が継続し,被害の拡大の虞がある場合には,本条〔警察官職務執行法5条〕の「犯罪がまさに行われようとするとき」に含まれると解するのが正当であって,その他の要件を満たす限り,本条により現行犯罪の制止が可能であることは,当然」であるというわけです(田宮・河上編332333頁(渡辺))。

科料に当たる罪を制止するとなると,何だか面倒くさい議論に巻き込まれそうですね。

 

(2)鉄道営業法42条1項

「停車場其ノ他鉄道地内ニ妄ニ立入リタル者」が現にいるとしても,警察官としては,警察官職務執行法5条の要件やら刑事訴訟法217条の適用やらについてまず確認するのも大変で,「せっかく鉄道営業法42条1項3号があるのだから,鉄道係員がまず鉄道営業法37条の罪を犯している不心得者を退去させてくださいよ。」と言いたくなるかもしれません。

 鉄道営業法42条1項については,最高裁判所の判例があります(昭和48年4月25日大法廷判決(刑集27巻3号418頁))。いわく,「鉄道営業法42条1項は,旅客,公衆が停車場その他鉄道地内にみだりに立ち入つたとき等同項各号に定める所為に及んだ場合,鉄道係員は,当該旅客,公衆を車外または鉄道地外に退去させうる旨を規定している。けだし,鉄道施設は,不特定多数の旅客および公衆が利用するものであり,また,性質上特別の危険性を蔵するものであるから,車内または鉄道地内における法規ないし秩序違反の行動は,これをすみやかに排除する必要があるためにほかならない。すなわち,同条項は,鉄道事業の公共性にかんがみ,事業の安全かつ確実な運営を可能ならしめるため,とくにかかる運営につき責任を負う鉄道事業者に直接にこの排除の権限を付与したものである・・・。そして,鉄道営業法42条1項の規定により,鉄道係員が当該旅客,公衆を車外または鉄道地外に退去させるにあたつては,まず退去を促して自発的に退去させるのが相当であり,また,この方法をもつて足りるのが通常であるが,自発的な退去に応じない場合,または危険が切迫する等やむをえない事情がある場合には,警察官の出動を要請するまでもなく,鉄道係員において当該具体的事情に応じて必要最少限度の強制力を用いうるものであり,また,このように解しても,前述のような鉄道事業の公共性に基づく合理的な規定として,憲法31条に違反するものではないと解すべきである。」云々(うんぬん)。鉄道営業法42条1項に基づく公衆を退去させるための実力の行使に対する抵抗について,公務執行妨害罪(日本国有鉄道に係る事案でした。)成立の可能性が認められています(高等裁判所に差戻し)。

 

(3)鉄道営業法38

 ところで,日本国有鉄道は民営化されてJR各社となったので鉄道営業法42条1項に基づく行為に対する公務執行妨害罪ということはなくなったのですが,鉄道営業法38条(「暴行脅迫ヲ以テ鉄道係員ノ職務ノ執行ヲ妨害シタル者ハ1年以下ノ懲役ニ処ス」)の罪と刑法234条の威力業務妨害罪(3年以下の懲役又は50万円以下の罰金),同法208条の暴行罪(2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料)及び同法222条1項の脅迫罪(2年以下の懲役又は30万円以下の罰金)との関係はどうなるのでしょうか。これについては,鉄道営業法38条と威力業務妨害罪とは観念的競合の関係であって重い威力業務妨害罪の刑によって処断されるとともに(刑法54条1項前段),暴行罪又は脅迫罪も鉄道営業法38条の罪に吸収されることなく(吸収されるとかえって刑が軽くなって不合理)観念的競合の関係となるとされています(伊藤榮樹・小野慶二・荘子邦雄編『注釈特別刑法第六巻Ⅱ交通法・通信法編〔新版〕』(立花書房・1994年)3536頁(伊藤榮樹(河上和雄補正)))。「かくて,制定当時は,一般法である刑法に対して特別法の関係に立ち,もっぱら優先して適用されるものとされていた鉄道営業法第38条は,いまやほとんどの場合,刑法上の罪と同時に成立し,実際の処罰の場合には,重い刑法上の罪の刑で処断されることになり,それら刑法の罪の陰にかくれて,ひっそりと生存するにすぎないことになってしまったのである。」とは,伊藤榮樹元検事総長閣下の感慨でした(伊藤榮樹・河上和雄・古田佑紀『罰則のはなし(二版)』(大蔵省印刷局・1995年)63頁)。

 

6 鉄道営業法37条の罪

さて,遠回りしましたが,罰則規定としての鉄道営業法37条の解釈を見てみましょう。

 

(1)趣旨

まず,趣旨。鉄道営業法37条の趣旨は「人がみだりに鉄道地内に立ち入るときは,旅客の乗降や列車の運行の妨げとなり,ときには危険発生のおそれを生ずるので,これらの事態を未然に防止し,一般的保安を維持しようとする罰則規定である。」とされています(伊藤・小野・荘子編32頁(伊藤(河上)))。大阪高等裁判所昭和40年8月10日(高刑集18巻5号626頁)は,「鉄道営業の安全と,円滑な運営とを保護する規定」であると判示しています。

 

(2)「鉄道地内」

「鉄道地内」とは,「鉄道が所有ないし管理する用地・地域のうち,停車場,線路,踏切などのように直接鉄道運送業務に使用されるもの及び駅前広場のようにこれと密接不可分の利用関係にあるものをいう。塀,柵などで他と区画されているかどうかを問わない。鉄道運送業務に直接関係のない鉄道職員のための教育・訓練施設,宿舎などは,「鉄道地内」ではない。」とされています(伊藤・小野・荘子編32頁(伊藤(河上))。また,駅前広場が停車場に含まれるものと解されることにつき前記大阪高等裁判所昭和40年8月10日判決)。踏切及び線路は,「鉄道地内」に含まれます。

 

(3)「妄ニ」

(みだり)ニ」とは,「正当な理由がなく不法に,の意である。」とされています(伊藤・小野・荘子編32頁(伊藤(河上)))。すなわち,米子駅ホームでされた労働組合支援のためのデモ行進について鉄道営業法37条の罪の成立を認めた鳥取地方裁判所米子支部昭和44年4月19日判決(判タ240296号)は,「妄ニ」は「正当の事由なく不法に」を意味するものと判示しています。

日本国有鉄道の労働組合の委任を受けて委任事務を処理するために京都駅構内に立ち入った弁護士(乗車券も入場券もなし。)は,妄ニ立ち入ったものではないとされています(京都地方裁判所昭和48年2月23日判決(判時713111頁))。踏切及び線路に関する例としては「閉鎖中の踏切道に立ち入るような場合」や「線路上へのすわり込み(広島高判昭48・1・29刑裁月報5・1・28)」が挙げられていますが(伊藤・小野・荘子編32頁,33頁(伊藤(河上))),広島高等裁判所昭和48年1月29日判決の事案は,正確には,呉線広駅に列車で到着し①2番線線路内に入り込んでシュプレヒコールを繰り返しながら蛇行行進をして3番線線路内に至り,続いて②当該線路上で停車中の米軍の弾薬を輸送する列車の前の線路上に立ちふさがり,及び坐り込みをしたものであり,鉄道営業法37条が適用されたのは①の行為であって,②の行為については刑法234条(威力業務妨害罪)が適用されています。

なお,入ることを禁じた場所に正当な理由がなく入ることに係る軽犯罪法1条32号前段の罪の「正当な理由がなく」に関して,「天災・火事・人命救助・犯人追跡のためとか,犯人からの逃避のためにする場合は,正当な理由がある場合である。」とされています(安西溫『特別刑法7 準刑法・通信・司法・その他』(警察時報社・1988年)193頁)。

 

(4)「立入リ」

「立入リ」については,軽犯罪法1条32号前段の罪の「入る」について,「その場所に身体の全部を入れることをいい,一部が入っただけでは足りないと解されている。刑法の住居侵入罪においては,身体の全部が入らなくても未遂として処罰されるが(刑131条),本号の罪には未遂犯処罰の規定がないから,身体の一部が入ったにすぎないときは処罰されないことになる。入る行為については,その場所に滞留する時間の長短を問わないのであって,その場所を単に通過するにすぎない場合でも,入ったことになる。入る方法は,徒歩による場合のみならず,車両や馬に乗って入るのでもよいが,無人の牛馬を乗り入れさせた場合は,入ったことにはならない。」と説かれていること(安西192193頁)が参考になるでしょう。禁止されているのは「立入リ」だから坐って入ればよいのだ,坐り込みは広島高等裁判所昭和48年1月29日判決では威力業務妨害だったのだ,という一休さん頓智噺のような主張は,やはり認められないでしょう。

 

(5)罪数及び関係法

 

ア 罪数関係

罪数関係については,鉄道営業法37条の罪は,刑法130条の建造物侵入罪(「正当な理由がないのに,人の住居若しくは人の看守する邸宅,建造物若しくは艦船に侵入し・・・た者は,3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」)との関係では観念的競合,軽犯罪法1条32号前段の罪とも観念的競合,鉄道営業法35条の罪(「鉄道係員ノ許諾ヲ受ケスシテ車内,停車場其ノ他鉄道地内ニ於テ旅客又ハ公衆ニ対シ寄附ヲ請ヒ,物品ノ購買ヲ求メ,物品ヲ配付シ其ノ他演説勧誘等ノ所為ヲ為シタル者ハ科料ニ処ス」)とは牽連犯(刑法54条1項後段)ではなく併合罪(同法45条)の関係,新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法(昭和39年法律第111号)3条2号(「新幹線鉄道の線路内にみだりに立ち入った者」を1年以下の懲役又は5万円以下の罰金に処するもの)は鉄道営業法37条の特別規定であって前者の罪が成立するときには後者の適用はありません(伊藤・小野・荘子編33頁,28頁(伊藤(河上))。刑法130条の建造物侵入罪との関係につき旭川駅ホームへの不法侵入に係る札幌高等裁判所昭和33年6月10日判決(高刑裁特報5巻7号271頁)。軽犯罪法1条32号前段の罪との関係につき最高裁判所昭和41年5月19日決定(刑集20巻5号335頁。鉄道駅構内に許諾を得ることなく立ち入る行為について),安西193頁。なお,鉄道営業法37条と35条との関係につき大阪簡易裁判所昭和40年6月21日判決(下刑集7巻6号1263頁)は,牽連犯の関係になるとしています。)。

 

イ 新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法3条2号

新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法3条2号の立法趣旨は,「物件を置きますことがたいへん危険でありますように,線路内に人が立ち入るということになりますと,確かに当該列車の運行の妨げになることと考えられますし,またひいては,その列車に乗っておられる乗客の人たちの身体の危険というものも相当大きな蓋然性で考えられるわけでございます。そういう意味で物件を置きますのと同じ危険度が列車の運行に対してあると考えられるわけでございまして,そういう観点から,ごらんのように「1年以下の懲役又は5万円以下の罰金」ということで制裁を科することとしておるわけでございます。」とされ(1964年5月15日の衆議院運輸委員会における伊藤榮樹説明員(法務省刑事局総務課長事務取扱)の答弁(第46回国会衆議院運輸委員会議録第3413頁)),更に「なおこれは一部やはり人が入ってくることは物を置くということとも関連してまいりますので,物を置かせてはならぬということに関連いたしまして,人が入ってこなければ大体物を置くということはないわけですから,無用の者がみだりに立ち入るということは極力排除すべきである,これはやはり列車の安全運行ということに直接間接の関連があるというふうに私どもは考えております。」と説かれています(同日同委員会における廣瀬眞一政府委員(運輸省鉄道監督局長)の答弁(同会議録14頁))。

 

ウ 建造物侵入罪

「駅のホームは,駅舎と屋根でつながっていて柵があるような場合には,建造物となる。駅の構内は,乗降客のための通路部分であっても建造物とされる(最判昭591218刑集38123026,なお東京高判昭38・3・27高刑集16・2・194)。」とはいえ(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)137頁),踏切及び線路への立入りが刑法130条の建造物侵入罪になることはないでしょう。なお,軽犯罪法1条32号前段の罪は刑法130条の建造物侵入罪が成立するときには成立しません(安西190頁)。

 

エ 軽犯罪法1条32号前段

「軽犯罪法1条32号は,刑法第130条の補充規定であつて,住居侵入罪には該当しない違法性のより軽微な特定の場所に対する不法な侵入行為を禁止し,その場所に対する人の支配の平穏を維持しようとするもの」と解されています(前記大阪高等裁判所昭和40年8月10日判決)。同条前段については,「法令により一般的に立入りが禁止されている場所でも,立入り禁止の趣旨が外部的に表示されていなければ,入ることを禁じた場所に該当しない。」とされるとともに(安西191頁),同「号前段の罪が成立するには,行為者において,立ち入ろうとする場所が「入ることを禁じた場所」であることを認識してそこに入ることを要し,立札・標識・貼紙その他の表示に気付かなかったなどのため,右の認識を欠いたまま立ち入ったものであるときは,本号前段の故意を欠き,犯罪は成立しない。」とされています(安西193頁)。「立入禁止」の標識が現にそこに明らかにあるにもかかわらず,どういうわけかそれには気付かずに線路に入ってしまいましたぁと被疑者に天真爛漫に言われてしまった場合には,軽犯罪法1条32号前段の罪を成立させるために頑張ることは大変でしょう。

 

7 鉄道と軌道と

JR山陰線の線路は,鉄道の線路です。JR西日本の前身は,日本国有鉄道であり,鉄道省等でありました。しかしながら,JR山陰線の線路が新幹線鉄道の線路でないことは明らかです。

ところで,軌道については,軌道法(大正10年法律第76号)において鉄道営業法37条に相当する罰則規定が存在しません(軌道運輸規程(大正12年鉄道省令第4号)20条(「軌道係員ノ許諾ヲ受ケスシテ新設軌道内ニ立入リタル者ハ科料ニ処ス踏切番人ノ制止ニ反シ踏切道ニ立入リタル者亦同シ」)は,「命令の規定で,法律を以て規定すべき事項を規定するもの」として,現憲法下において1948年から失効しているものと解されます(昭和22年法律第72号1条)。なお,「新設軌道」の定義については,軌道建設規程(大正12年内務省・鉄道省令第1号)3条に「道路其ノ他公衆ノ通行スル場所ニ敷設スル軌道ヲ併用軌道ト謂ヒ其ノ他ノ軌道ヲ新設軌道ト謂フ」と規定されています。)。京都の嵐山辺りをキャピキャピ散歩するのであれば,JR山陰線沿いではなく,京福電気鉄道株式会社の嵐山線沿いにした方がよかったということになるのでしょうか。(なお,京福電鉄株式会社の2017年1月30日付け「軌道業の旅客運賃の上限変更認可申請について」ウェッブ・ページによると,同年4月1日から嵐山線の大人の普通旅客運賃(均一)が210円から220円に変更されるようです。)

 
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 JRの線路(JR東日本中央線吉祥寺駅から) みだりに立ち入ってはなりません。
 

8 16歳の場合

最後に,もう五十代ではなく, 例えば「まだ16だから」の場合はどうなるでしょうか。

少年法(昭和23年法律第168号)2条1項により,満16年の者は同法の「少年」となります。

少年法41条本文は「司法警察員は,少年の被疑事件について捜査を遂げた結果,罰金以下の刑にあたる犯罪の嫌疑があるものと思料するときは,これを家庭裁判所に送致しなければならない。」と規定していますので,科料に当たる鉄道営業法37条の罪に係る少年の被疑事件については,警察からは,送検されるのではなく,家庭裁判所へ送致されることになります(検察官から家庭裁判所への送致については少年法42条)。送致を受けた家庭裁判所は,事件について調査を行いますが(少年法8条1項),死刑,懲役又は禁錮に当たる罪の事件及び故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件に係る家庭裁判所から検察官への送致について規定する少年法20条の反対解釈からすると,科料にのみ当たる鉄道営業法37条の罪を犯した16歳の少女は当該罪について公訴を提起されることはないということになります(少年法45条5号本文参照)。すなわち科料を科されることはないことになります。しかし,少年審判の結果保護処分(保護観察所の保護観察,児童自立支援施設若しくは児童養護施設送致又は少年院送致(同法24条1項))を受ける等の可能性はあり得るわけです。

(なお,冒頭御紹介した2017年1月17日の大事件の両被疑者については,同年3月21日に京都地方検察庁の検察官によって起訴猶予の不起訴処分がされたそうです(刑事訴訟法248条参照)。) 

 

弁護士 齊藤雅俊

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1 我が国初の刑事弁護

 

  我が国において初めて刑事弁護らしいものが認められたのは明治8年の広沢参議暗殺事件である。同事件の審理に特別な裁判所が構成されたが,その際弁護官が裁判所から任命された。しかし,弁護官はこの事件限りで広く一般の制度として認められたものではなかった。(司法研修所『平成18年度 刑事弁護実務』10頁)

 

 我が国初めての刑事弁護を担ったこの弁護官の一人が,後に鷗外森林太郎の岳父となる荒木博臣でした。すなわち,森鷗外記念会の雑誌『鷗外』24号(1979年1月号)88頁以下の荒木博臣の略年譜によれば(坂本秀次「森鷗外と岳父荒木博臣―漢詩文集『猶存詩鈔』を中心に―」),明治8年(1875年)に数え39歳の荒木博臣について「2月14日,広沢参議暗殺事件弁護官に任ず(我が国最初の官選弁護人となる)。」とあるところです。

 

2 広沢参議暗殺事件と臨時裁判所別局及び弁護官

 さて,広沢参議暗殺事件とは何か,そして我らが荒木弁護官の弁護振りはいかん。

 

  ・・・「広沢参議暗殺事件」とは,明治四年(1871)一月九日〔グレゴリオ暦1871年2月27日〕未明,参議広沢真臣が麹町の自邸で斬殺された事件である。犯人は逃走し・・・「政敵による暗殺」を捜査し尽くした挙句の果てに,広沢が殺された寝室にいたにも関わらず軽傷で証言のあやふやな「妾」福井かねが逮捕され,彼女が「私通」を自白した家令の起田正一との共犯として両者に拷問を加えて「自白」させたのである。五年四月,司法省に送られてきた起田は自白を翻し,事態は膠着したまま明治7年が暮れ,ようやく8年になって「参座」の特別規則を設けた臨時裁判所別局で公判が開廷することになったのである。

  3月19日の開廷初日には司法卿大木喬任はじめ10名,外務卿寺島宗則,参座12名,弁護官2名,原告官7名が列席するという「空前絶後の大法廷」であった。・・・

  荒木博臣はこの2名の弁護官のうちの一人で,官職は明法中法官となっている。裁判官が「弁護官弁護の次第あらば参座に向ひ陳述ありたし」と述べたのに対し,弁護官は「別に弁護すべき意見なし,縦令抑圧せらるとも,真正の事実を述べられざる道理なき故,特に弁護するに及ばずと信ず」と陳述したという。・・・7月,参座の投票によって,起田とかねは「無罪ニ決スルヲ以テ解放候事」となり,事件は迷宮入りしたのである。(古澤夕紀子「鷗外岳父となった荒木博臣という人」言語文化論叢4巻(京都橘大学文学部野村研究室編・2010年8月)1516頁)

 

 「刑弁スピリット」もあらばこそ。
 輝かしかるべき我が国初の刑事弁護における弁論は,「別に弁護すべき意見なし・・・特に弁護するに及ばずと信ず」だったのでした。明治8年(1875年)7月10日のことです(尾佐竹猛『明治文化史としての日本陪審史』(邦光堂書店・1926年)123頁)。「弁論は,被告人の権利を擁護するための第一審最後の機会である。弁論を行うのは権利であり義務ではないが,これまでの弁護活動の集大成として裁判所を説得する重要な機会であるので,弁護人は,いかなる事案にあっても,十分な準備のもとに熱意を持って弁論をすべきであり,弁論をしなかったり,弁論をしても形式的,抽象的な内容に止まるのであれば,弁護人としての責任を果たしたことにはならない。」と熱く語る司法研修所の刑事弁護教官は(『平成18年度 刑事弁護実務』350頁。なお,下線は筆者によるもの),おかんむりだったのでしょう。刑事弁護教官室作成の教材において,広沢参議暗殺事件における刑事弁護に関する言及が淡泊になるわけです。

 なお,荒木博臣の同僚弁護官は長野文炳で,官職は明法権中法官となっています(尾佐竹119頁)。荒木の方が長野よりも位が上ですから,弁護官として「別に弁護すべき意見なし・・・特に弁護するに及ばずと信ず」と述べるべく判断したその判断は,やはり荒木に帰せられるべきでしょう。

 「薩の西郷と並び称された長州第一の人物」であると評価され,かつ,「参議の顕職に在つた」のに(尾佐竹95頁),広沢真臣は,現在では余り知られない人物になってしまっていますね。ただし,太っ腹の人だったようです。かねは「広沢の妾となつてからも起田との関係ばかりでなく広沢の甥とも関係し,従者の誰彼とも関係があり,来る若侍には巫山戯る,大酒呑みのズボラと来て居る,これを広沢に忠告してもそれでも広沢は寵愛して居つたといふ」ことで,広沢家の閨門は紊れていたそうです(尾佐竹108頁)。ところで,「かねは当時妊娠中で且つ持病のあつたのが拘留せられ,拘留中に分娩し,其子は広沢家に引取られたが,分娩後75日経たぬ内に拷問せられ・・・」とありますが(尾佐竹100頁),広沢家に引き取られた「其子」こそ,後の広沢金次郎伯爵なのでしょうか。

 起田及びかねの被疑事件については,警視庁で捜査の局に当った(ということで拷問についても責任者であり,かつ,「正直漢で鼻柱は強かつたが頭が単純では一度こうと思ひ込んでは思ひ返す事の出来ない男」(尾佐竹100頁)である)安藤則命中警視は張り切っていたのですが,司法省で取調べに当った判事たちは物にならないだろうとの見解,しかし広沢参議暗殺事件については明治天皇から「賊ヲ必獲ニ帰セヨ」との詔書が明治四年二月二十五日〔グレゴリオ暦1871年4月14日〕に発せられており(尾佐竹97頁),更に明治7年〔1874年〕8月11日には大木喬任司法卿が明治天皇に召されて「猶々精々尽力捜索を遂げよ」とのお言葉を賜ってしまっているので(尾佐竹107頁),司法省としてはなかなか引っ込みがつかず,そこで「空前絶後の大法廷」を設けて何とか事件に区切りをつけたということでしょうか。一種の「勧進帳」ですね。

ところで,広沢参議暗殺被告事件を取り扱う臨時裁判所別局の公判に付されたのは起田とかねとの事件だけではなく,「窃盗の為め忍入り,広沢参議に発見せられ,之を殺したといふ白状」を別途していた「無頼漢」青木鉄五郎及び「つまらぬ関係者」である坂口匡の事件もまた付されています(尾佐竹115頁)。起田が有罪ならば青木が無罪,青木が有罪なら起田は無罪,両者無罪はあっても両者有罪はあり得ません(なお,結論を先にいえば,青木及び坂口も無罪になっています(尾佐竹125127頁)。)。現在の「検察の実務においては,的確な証拠に基づき有罪判決が得られる高度の見込みがある場合に限って起訴するという原則に厳格に従っている」ので(司法研修所検察教官室『平成18年度 検察講義案』67頁),相互に有罪が両立しない二つの公訴を提起などしたら検察庁は一体どうなってしまったのかということになるのでしょうが,明治の昔はおおらかです。また,弁護人としても,起田と青木とは利害が相反するようにも思われるので厄介です。「〔弁護士〕職務〔基本〕規程上,利害相反する被疑者・被告人から弁護の依頼を受けても,これを受任することは許されない(職務規程28③)」とされています(『平成18年度 刑事弁護実務』49頁)。しかしながら,荒木・長野両弁護官は,起田も青木も一緒くたにして弁護するものとされていたようです。1875年7月13日の弁護官発言をより正確に引用すると「青木,坂口,起田,かね等に付き,別に弁護すべき意見なし,仮令抑圧せらるゝとも,真正の事実を述べられざる道理なき故,特に弁護するに及ばずと信ず」となっています(尾佐竹123124頁。下線は筆者によるもの)。 刑事訴訟規則29条5項は国選弁護人について「被告人又は被疑者の利害が相反しないときは,同一の弁護人に数人の弁護をさせることができる。」と規定していますが,起田と青木とは利害が相反していなかったということでしょうか。そもそもからして,両者とも有罪になる見込みが薄いので,実質的に考えて,利害相反など気にしなくともよいよと司法省は考えていたということでしょうか。

 

3 「正直」な裁判官となる。

弁護官としては「別に弁護すべき意見なし・・・特に弁護するに及ばずと信ず」で終始した荒木博臣でしたが,その分その後裁判官としての実質的弁護で埋め合わせをしてくれたのでしょうか。(「実質的弁護」とは,「裁判所や検察官も,勿論被告人の権利を護ってやらなければならない」ということです(平野龍一『刑事訴訟法』(有斐閣・1958年)73頁)。)しかしながら,どうもそうでもないようです。大阪で有名であった代言人・砂川(かつ)(たか)1918年の『法曹紙屑籠』で荒木博臣判事を評していわく。

 

裁判官は正直でなければならぬことは勿論であるが,余り(・・)正直すぎて(・・・・・)道徳(・・)()観念(・・)高い(・・)()刑事(・・)裁判(・・)など(・・)()()()失する(・・・)虞れ(・・)()ある(・・)。当時有名であつた判事荒木博臣氏は,最も正直謹厳而も温厚な人であつたが,同氏の裁判は刑が重いとて被告人等は恐れて居つた。知らず識らず自己の高尚なる道徳観念を標準とするためではなからうか。(圏点原文のまま。坂本82頁に引用されているもの)

 

 塩っ辛いというべきか,北海道弁でしょっぱいというべきか。ますます刑事弁護の側から遠いところに,司法官としての自己を規定していたようです。
 前記『鷗外』24号の略年譜によれば,広沢参議暗殺事件の弁護官を務めていた1875年5月にその年にできた大審院勤務を命ぜられていた荒木は,翌年の1876年9月23日に大阪上等裁判所詰,1877年6月29日に福島裁判所長,1880年3月19日に大審院刑事課勤務,1886年7月10日に大阪控訴院評定官,1890年10月22日に数え54歳で大審院判事,1893年3月19日に退職,という裁判官としての経歴であって,1914年4月17日に数え78歳で直腸癌で歿,長女志げが鷗外森林太郎と婚姻して「鷗外岳父」となったのは1902年1月4日のことでした(坂本89‐90頁)。 

 

4 文豪との縁と人気作家との薄い縁

 

(1)松本清張と『両像・森鷗外』

 若き日(といっても43歳の時ですが)『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞した松本清張は,1992年4月に病に倒れるまで(同年8月4日満82歳で死去)遺作となった『両像・森鷗外』(文藝春秋・1994年)の加筆を続けていました。書かれていたのは「鷗外の二人の岳父・赤松則良と荒木博臣のプロフィール」でした(『両像・森鷗外』編集部註)。しかしながら,当該「未整理の追加原稿」から『両像・森鷗外』の単行本に掲載された荒木博臣に関する記述は,なお次のものにすぎませんでした。

 

  荒木博臣は肥前佐賀藩の士族というだけで,これといった有力な背景がなかった。討幕運動は薩・長・土・肥の連合といわれるが,藩主鍋島直正(閑叟)は早くから藩士の人材登用に心をもちい,大隈重信,江藤新平,副島種臣などが新政府に参加し得たのは直正の後押しによった。

  荒木博臣のことはこれまでよくわからなかった。(ママ)艸太郎氏の『鷗外岳父・荒木博臣』は,同人雑誌の掲載ながら彼を知る労作である」(『両像・森鷗外』第1刷286頁)

 

『両像・森鷗外』の単行本は,ここで終わっています。

しかしながら,荒木博臣は,とことんよくわからなくなる定めにあるようです。松本清張の絶筆ともいうべき上記掲載部分の最後に登場する「山中艸太郎氏」とは,当該『鷗外岳父・荒木博臣』論文を読むべく筆者が国立国会図書館の蔵書検索をしたところ,実は「田中艸太郎氏」であるようでした。「田中艸太郎」で検索して,何とか国立国会図書館で同氏の論文「鷗外岳父・荒木博臣のこと」(九州文学197111月号(第34巻第11号・通巻第321号)16頁)を見ることができたのですが,これは何と1頁足らずの小品であって,娘・志げが鷗外に嫁して鷗外の岳父となったこと,鷗外と漢詩・漢籍に関してやり取りがあったこと及び「明治二年に東京に出て江藤新平を頼り,その奔走で官途に就」くまでの略歴が記されているばかりで,「彼を知る労作」とまではなかなかいいにくいようです。松本清張は最晩年に至ってどうしてしまったのだろうとまで頭を悩ませたのですが,インターネットのウェッブ・ページをうろうろしたところ,雑誌『西日本文化』の第83号及び第84号に著者を田中艸太郎とする「鷗外岳父・荒木博臣のこと」が2回にわたって掲載されているようです。なるほど,大部の労作のようです。しかし,いやはや,また出直しです。(なお, 「田中」を「山中」にしてしまった『両像・森鷗外』第1刷の誤植は, 当然のことながら, 文藝春秋社によって後に改められています。)

 

(2)司馬遼太郎とここでも『歳月』

小倉時代の鷗外の事績を追う孤独な青年の情熱を描いた『或る「小倉日記」伝』から『両像・森鷗外』まで,鷗外を終生一つの執筆テーマとして執念を燃やし続けていた松本清張とは残念ながら縁の薄かった荒木博臣ですが,松本清張と並ぶ昭和の人気作家であって,幕末・明治の時代を舞台とした作品を数多く残した司馬遼太郎からは,冷淡かつあっさり無視されています。

 ことは,明治二年十二月二十日(グレゴリオ暦1870年1月21日)の江藤新平暗殺未遂事件にかかります。

 当該事件の経過は,荒木博臣の次男・三雄が発起人となって今から百年前の1916年に虎ノ門に建てられ(商船三井のビルの脇にあります。)同年1112日に除幕された江藤新平の遭難遺址碑の碑文には次のようにあるところです。

 

 明治二年十二月二十日中辨従五位江藤君新平訪阪部長照於赤坂葵街佐賀藩邸会西岡逾明荒木博臣在座歓晤至夜半君先去竹輿出邸僅数歩暴客猝狙撃君躍身避溝中三人聞急提刀走出護君入邸招医療創・・・(下線は筆者によるもの)

 

(大意)明治二年十二月二十日に中辨で従五位の江藤新平が赤坂葵町の佐賀藩邸に阪部長照を訪ねて行ったら,西岡逾明と荒木博臣がいたので皆で夜半まで(酒を飲みながらでしょうね)面白く話をした。江藤新平は先に帰ることにしたが,かごが藩邸を出てわずか数歩のところで暴漢が突然江藤に襲いかかった。江藤は身を躍らせて溝の中に入って難を避けた。阪部,西岡及び荒木の三人は急を聞いて刀をひっつかんで走り出て,江藤を護って藩邸に入り,医者を招いて(きず)の治療をさせた。


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 これが,司馬遼太郎が江藤新平の生涯を小説として描いた『歳月』の「闇討ち」の章では,次のように改められています。すなわち,

 明治二年十二月二十日に江藤が訪れた佐賀藩邸は,赤坂葵町の藩邸ではなく溜池の藩邸とされ(同じ中屋敷のことをいっているのでしょうが,「溜池」といわれると今日の読者には今の溜池交差点辺りの印象であるのに対して,実際には現在虎の門病院などがある辺りです。),

 訪問相手は,佐賀藩士の阪部長照ではなく佐賀藩主の鍋島(なお)(ひろ)及び藩父閑叟とされ,

 酒は,阪部長照,西岡逾明(江藤の1歳年下)及び荒木博臣(江藤の3歳年下)とくつろいで飲んだのではなく謹直な閑叟と飲んだとされ,

 藩邸と襲撃場所との間の隔たりは,藩邸を出てわずか数歩ではなく駈けて1丁も行った時間及び距離とされ(1町は約109メートルです。),

 江藤は,ちょっと格好悪く溝の中に逃げたのではなく(なお,この「溝」は外堀のことでしょうか。),「脇差を片手頭上にかざして曲者のほうに突進」して「無礼であろう」と吠えて襲撃者らを追い払ったものとされ,

 阪部,西岡及び荒木が江藤を救出した武士の義侠話はまるまる消えて,お伴の黒沢鐘次郎という十五歳の少年が逃走してしまった幕府瓦解後の薄情話に差し替えられ,

 阪部,西岡及び荒木に護られて葵町の藩邸に担ぎ込まれた話もまるまる消えて,流血の江藤は傷を負ったまま琴平神社前から溜池藩邸まで独りでとぼとぼ歩いたとされ,更に江藤の策士性及びすさまじさを強調するためか,溜池藩邸前でそこにいた襲撃犯の一味二人に対して仲間を装って名を聞き出そうとした上「虎のように口をあけ,「わしは江藤新平だ」と,わめい」て両名を退散させた,という話が付加せられています。

 司馬遼太郎は小説家であり,『歳月』は飽くまでも小説です。

 なお,西岡逾明は,広沢参議暗殺事件の臨時裁判所別局の裁判官で,1875年7月13日に被告人らに無罪の言渡しをしています(尾佐竹120121頁,125127頁)。荒木博臣は司法卿・江藤新平の引きで明治五年十月(グレゴリオ暦1872年11月)に地方官から中央の司法官となったのですが(坂本79頁),西岡逾明も同様だったのでしょう。出世するためには,偉い人,偉くなる人とお酒を飲んでおくべきものです。


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1 ソクラテス的問答法

 

(1)星野英一教授のソクラティック・メソッド

 法学教育に関して,ソクラティック・メソッドとはよく聞く言葉です。2012年9月に86歳で亡くなった星野英一教授の回想にも「〔東京大学法学部で〕筆者は,最高裁判所判例研究の演習を,50人のクラスで,席次を決め,このメソッドだけで進めた。各人のあたる回数が同じになるように,席次表に印をつけていた。10回,各2時間以上の授業で,毎回20人程度,一人合計5回くらいあたるようにしていた。これは,かなり成功だったように思っている。」との記述があり(同『法学者のこころ』(有斐閣・2002年)146頁),また,「もちろん,法律の勉強には,ケース・メソッドというよりソクラティック・メソッドの授業があったほうがいいと思っています。法律的訓練のために有効だということです。私自身,ゼミですが,東大,千葉大,放送大を通じて,そのようなゼミを30年くらいやってきました。しかし,教えるほうは,その質問を考えておくことも大変だし,その場で思いがけない答えが出てきたときに臨機応変に対応するのでとても疲れます。やっと東大の停年〔1987年3月〕の数年前くらいから,自分である程度うまくできたと思えるようになりました。」とあります(同『ときの流れを超えて』(有斐閣・2006年)234頁)。「数年前くらい」を3ないし4年くらい前と考えれば,1983年度の冬学期くらいから最高裁判所判例研究の演習を「自分である程度うまくできたと思えるようになった。」ということでしょうか。当時の東京大学法学部の学生は,どのような様子だったものやら。なお,星野教授の理解では「ソクラティック・メソッドとは,授業進行の方法であって,授業の内容に関するものでない。教師の一方的な話でなく,対話的に授業を進める方法一般を意味するものであろう。それゆえ,よい方法」であるということでした(同『法学者のこころ』145頁)。

 

(2)「論理の万力」

他方,紀元前5世紀末のアテネにおける本家ソクラテスによる実際の問答はどのようなものであったのでしょうか。1917年にドイツ帝国のミュンヘンでされたマックス・ヴェーバーの講演『職業としての学問』において,次のような紹介があります。

 

  Die leidenschaftliche Begeisterung Platons in der »Politeia« erklärt sich letztlich daraus, daß damals zuerst der Sinn eines der großen Mittel allen wissenschaftlichen Erkennens bewußt gefunden war: des Begriffs. Von Sokrates ist er in seiner Tragweite entdeckt. … Hier zum erstenmal schien ein Mittel zur Hand, womit man jemanden in den logischen Schraubstock setzen konnte, so daß er nicht herauskam, ohne zuzugeben: entweder daß er nichts wisse: oder daß dies und nichts anders die Wahrheit sei, die ewige Wahrheit, die nie vergehen würde, wie das Tun und Treiben der blinden Menschen. Das war das ungeheure Erlebnis, das den Schülern des Sokrates aufging.

 

  『国家』におけるプラトンの情熱的熱狂は,つまりのところ,当時初めて,全ての学問的認識に係る偉大な手段の一つ,すなわち概念の意義が自覚されたということから説明される。ソクラテスによって,それは,その有効射程と共に発見されたのである。・・・ここにおいて,何人をも論理の万力に据えて,彼は何も知らないこと,又は他のものではなくあるものこそが真理,すなわち,盲目の人々の行為や営為のように廃れてしまうものではない永遠の真理であることを彼が認めざるを得ないようにすることができる手段が初めて手に入ったものと思われた。これが,ソクラテスの生徒らに対して明らかになった,おそるべき経験であった。

 

対話の相手方を論理の万力(der logische Schraubstock)に据えてギリギリと締め上げ,参りました私は間違っていました,そうです全く先生のおっしゃるとおりでございますと言わせてしまう,なかなか意地悪なものだったようです。これが古代ギリシャ人ということでしょうか。相手を気遣った優しいものではありません。これに対して星野教授のゼミにおいては,ソクラティック・メソッドといっても,「知識を正確にするためという場合もあ〔るが〕・・・しかし,私は,まず判例等における事実関係をきちんと把握する練習から始めました。・・・それから,法律的な考え方を自分でできる訓練をする趣旨で,答えが合っている秀才型の人には,さらに突っこんでゆきました。答えが間違いまたは不正確な人にも,類似の例などを示して,自分で考えて正解に達するようにしました。」というような配慮がされていました(星野『ときの流れを超えて234頁)。

 

(3)刑事弁護におけるソクラテス的意地悪質問

ところで,刑事公判における弁護人の被告人質問などにおいては,筆者はソクラテス的意地悪質問をするときがあります。証言台で緊張している被告人に任せておくだけでは,その内心の反省を表現する的確な言葉がなお十分出て来ないであろうときなどです。

「先生の弁護人質問の方が,検察官からの質問よりも怖かった。」

と国選弁護の被告人から言われたことがあります。

「それは君の考えが甘いよ。弁護士が付いたからって,何もせずに任せていればいい結果が出て来るものと,のほほんと期待されては困るよ。刑事訴訟における主役は飽くまでも君だよ。意地悪質問といわれたって,君のために有効な質問を考え出すのは大変なんだぞ。」

とは筆者の内心の声でした。

日本人たる筆者が,古代ギリシャ人のように意地悪になれるわけがありません。

 

2 書かれた言葉と語られる言葉

 

(1)判決の宣告と判決書

 なお,前記被告人は,かつて同種事犯で執行猶予付きの懲役刑の判決を受けたことがありました。

 国選弁護人として選任された当初筆者は,「前の判決については,執行猶予の言渡しが取り消されることなくその猶予の期間を経過しているのだから,刑法27条によって刑の言渡し自体の効力が失われているよね。だから,前に禁錮以上の刑に処せられたことがない者として,刑法25条1項1号で執行猶予付きの判決が可能だよね。」と楽観していました。しかしながら,検察官から公判での取調べを請求する予定の証拠書類として,閲覧の機会を与えられた(刑事訴訟法299条1項本文,刑事訴訟規則178条の6第1項1号),当該被告人に係る前の事件における判決書の写しを見て,絶句したものです。第一審では実刑判決だったところ,控訴審判決で執行猶予が付いたのですが,当該控訴審判決にいわく。

 

 ・・・被告人に対しては,今回に限り,その刑の執行を猶予するのが相当である。(下線は筆者)

 

 えっ,「今回に限り」なんだからまたやったら実刑だよ,という厳しい警告を高等裁判所から受けてしまっているではないか。それなのに,なぜまた同じような犯罪を行ってしまったのかね。執行猶予付き判決を受け得るチャンスは使い尽くしてしまっていることになっているではないか。今更,今回も執行猶予になるように先生よろしくお願いしますと頼まれても困るよ。裁判所にも立場というものがあるのだよ・・・。

情状弁護で頑張るとして,執行猶予になるのかどうかは,なお苦しいところです。

 「あのね,前の事件が無事執行猶予付き判決で終わった時にね,「今回に限り」だから次にまた同じことをやったら執行猶予は付かないよって,控訴審での弁護人の○○先生から注意されていなかったの。控訴審の判決書は見なかったの。」

と,保釈によって釈放中の被告人に問いただしたのですが(筆者は保釈も頑張っていたのでした。),回答は次のとおり。

 

 控訴審の弁護人がだれであったかは,覚えていない。

 判決書は,見ていない。

 

 頭を抱えそうになったのですが,確かに刑事裁判ではあり得ることです。○○先生(控訴審の判決書に名前が出ている。)は,ひょっとしたら控訴審の判決書謄本の交付を請求(刑事訴訟法46条)せず,したがって当該判決書謄本ないしはその写しを被告人に渡すこともしていなかったのではないでしょうか。民事訴訟では,判決書が当事者に送達されます(民事訴訟法255条)。しかしながら,刑事訴訟においては,「判決は,公判廷において,宣告によりこれを告知する」だけです(刑事訴訟法342条。控訴審につき,同法404条)。

刑事訴訟規則34条は,「裁判の告知は,公判廷においては,宣告によつてこれをし,その他の場合には,裁判書の謄本を送達してこれをしなければならない。但し,特別の定のある場合は,この限りでない。」と規定しています。裁判書の謄本の送達が,公判廷において宣告された裁判の告知のためにされることはないわけです。判決書の謄本又は抄本の送付については,検察官の執行指揮を要する場合にする旨の規定が刑事訴訟規則36条にありますが,その送付先は検察官だけです。(なお,同規則222条参照)

 ちなみに,刑事訴訟法46条に基づいて裁判書又は裁判を記載した調書の謄本又は抄本の交付を請求するには費用がかかり,その額は,「当分の間,その謄本又は抄本の用紙1枚につき60円」です(刑事訴訟法施行法(昭和23年法律249号)10条1項前段)。通常,収入印紙で納めることになります(刑事訴訟法施行法10条2項)。

 将来の戒めのためには,判決を耳で聞いたままにしておくよりも,何か書き物の形で被告人に交付しておく方がよいよう思われるので,筆者は,判決書又は判決書に代わる記載のある調書(調書判決)の写しを入手して被告人に送ることにしています。さすがに,額に入れて部屋に飾って毎日それを見ることまでは期待しませんが。

  己は主人と一しよに立ち上がつた。そして出口の方へ行かうとして,ふと壁を見ると,今迄気が附かなかつたが,あつさりした額縁に嵌めたものが今一つ懸けてあつた。それに荊(いばら)の輪飾(わかざり)がしてある。薄暗いので,念を入れて額縁の中を覗くと,肖像や画ではなくて,手紙か何かのやうな,書いた物である。己は足を留めて,少し立ち入つたやうで悪いかとも思つたが,決心して聞いて見た。

  「あれはなんだね。」

  「判決文です。」エルリングはかう云つて,目を大きく睜(みは)つて,落ち着いた気色で己を見た。

  「誰の。」

  「わたくしのです。」

  「どう云ふ文句かね。」

  「殺人犯で,懲役5箇年です。」緩やかな,力の這入つた詞で,真面目な,憂愁を帯びた目を,怯(おそ)れ気もなく,大きく睜つて,己を見ながら,かう云つた。

  ・・・

  ・・・その肩の上には鴉が止まつてゐる。この北国神話の中の神の様な人物は,宇宙の問題に思を潜めてゐる。それでも稀には,あの荊の輪飾の下の扁額に目を注ぐことがあるだらう。・・・(ハンス・ラント,森鷗外訳『冬の王』)

 

(2)ソクラテスの文字使用批判:『パイドロス』

ところでソクラテスは,書き物が嫌いであったようで,弟子プラトンの著作たる『パイドロス』の主人公「ソクラテス」として,エジプトの古い神が発明した文字の使用に対して全エジプトの王たる神アモン(又はThamus)がしたという批判を対話者たるパイドロスに紹介しています。すなわち,「(文字によって)学徒が記憶力を用いなくなるのであるから,(文字は)学徒の魂に忘れっぽさを生み出すだろう,彼らは自らを思い返すことなく,外界の書かれた記号を信用するようになるだろう。」及び「(文字は)想起の助けとはなっても記憶の助けにはならず,汝の弟子らに対して真理ではなく真理らしく見えるもののみを与えるものである。彼らは多くの事物についての耳学者とはなるが,何事をも学ばないだろう。彼らは全知のようにみえるだろうが,概して何も知らないことだろう。現実性の無い知恵ばかり誇示する彼らは,一緒にいるには煩わしい者となるであろう。」という文字批判です。ソクラテスとしては,書かれた言葉よりもむしろ,「学徒の魂に刻み込まれた知識の言葉であって,自らを守ることができ,語るべきときと沈黙すべきときとを知っているもの」を推奨しています。(以上はBenjamin Jowettの英訳からの重訳)

しかしながら,我々の日々の現実は,このような高尚な議論の場ではありません。世の中の皆が,向学心にあふれたソクラテスの弟子たちのような異常な人たちではありません。文字の使用によって記憶力が弱められる以前に,そもそも記憶することが苦手な人々が存在することを否定することは難しいでしょう。

 

(3)調書判決とその記載

前記の被告人にも, 調書判決の写しを入手して自宅に郵送しました。実は,ありがたいことに執行猶予が付き,判決はそのまま確定したのでした。ただし,執行猶予期間は5年であって,法律上の最長期間でした(刑法25条1項参照。執行猶予期間は,1年以上5年以下。3年が標準といわれています。)。ぎりぎりの執行猶予付き判決であったことが分かります(判決の宣告において量刑の理由が告げられる際にも「実刑も十分あり得る」ところだったと言われていました。)。

なお,調書判決とは,「裁判をするときは,裁判書を作らなければならない。但し,決定又は命令を宣告する場合には,裁判書を作らないで,これを調書に記載させることができる。」との刑事訴訟規則53条の原則(判決をするときには全て判決書を作らなければならないとの建前)の例外として,同規則219条で「地方裁判所又は簡易裁判所においては,上訴の申立てがない場合には,裁判所書記官に判決主文並びに罪となるべき事実の要旨及び適用した罰条を判決の宣告をした公判期日の調書の末尾に記載させ,これをもつて判決書に代えることができる。ただし,判決宣告の日から14日以内でかつ判決の確定前に判決書の謄本の請求があつたときは,この限りでない。」と規定されているものです(同条1項)。

ところで,前記被告人の調書判決の写しを見た際,そこに裁判官の訓戒等が記されていないのは当然なのですが(「裁判所としては軽く見るわけにはいきませんが,しかし,特に執行猶予付きの判決にしました。・・・あなたは今回が2回目ですから,次もやったら,実刑の可能性が高いですからね。ですから,3回目のときは,いくら深く反省しても,いくらいい弁護士さんが頑張っても,実刑になるものと理解してください。」といった趣旨の説諭がありました。――しかし,この部分については,「2回目の時の弁護では,いい弁護士さんが頑張っていたね」との評価までをも読み込んでよいものでしょうか。――),裁判官及び検察官の氏名はそれぞれ記載されている一方,弁護人の氏名は記載されないことに改めて気が付きました。裁判書には,裁判をした裁判官が署名押印しなければならず(刑事訴訟規則55条),判決書には公判期日に出席した検察官の官氏名を記載しなければならないのですが(同規則56条2項),弁護人の氏名は判決書に記載すべきものとはされていないのでした(同条参照)。お上からお上の御責任で下される文書なのですから,お上ならざる弁護人の氏名の記載は必須ではないわけでしょう(旧刑事訴訟法関係事件ですが,最大判昭和25年9月27日刑集4巻9号1783頁は,「原判決書には,本件公判に立会つた弁護人の氏名を記載していないことは所論のとおりであるが,しかしその為何等旧刑訴法の条規に反するところはなく,また憲法37条3項に反するものでもない。」とつとに判示していました。司法研修所『平成19年版 刑事判決書起案の手引』134頁以下の「判決書の例」にも弁護人の氏名は記載されていません。)。ただし,筆者が弁護人を務めた別の事件において,公訴事実について争ったりして正式の判決書が書かれたときには,弁護人である筆者の氏名も記載されていました。

せっかく調書判決の写しを入手して送付しても,そこに名前は無いわけですから,筆者も,前記被告人の記憶の中では,同人の前回被告事件における○○先生と同じ運命をたどりそうな気がします。

無論,いずれにせよ,被告人が無事更生することが一番です。


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1 勾留の裁判に対する準抗告及びその認容率

「勾留許可に対する準抗告の認容率はきわめて低い」といわれています(『刑事弁護ビギナーズ(季刊刑事弁護増刊)』(現代人文社・2007年)49頁)。また,「弁護人においては,準抗告は認められないと自制することなく,積極的に行うようにしたい。」(刑事弁護ビギナーズ50頁)とわざわざ発破をかけられています。当該発破を反対解釈すると,勾留状発付の裁判の取消し及び勾留請求の却下を求める準抗告はどうせ認められないから申立てなどしない方が利口である,というのが弁護士間での常識であるということでしょうか。

なお,被疑者が警察官に逮捕された場合における勾留のための手続ですが,検察官への送致を経て(刑事訴訟法2031項),身体拘束時から72時間以内に検察官から裁判官に勾留の請求がされます(同法20512項)。当該請求を受けた裁判官は,被疑者に対し被疑事件を告げてこれに関する陳述を聴いた後に(同法2071項,61条(勾留質問)),勾留状を発するか,被疑者の釈放を命ずるかを決める裁判をします(同法2074項)。「勾留の期間」は,検察官が勾留の請求をした日から起算して10日間です(同法2081項)。本稿は,勾留状を発する勾留の裁判に対する被疑者側からの不服の申立て(当該裁判官が簡易裁判所の裁判官である場合には管轄地方裁判所に,その他の場合は当該裁判官所属の裁判所に対してする。)たる準抗告(同法42912号)についてのお話です。

裁判所の司法統計によれば,2013年中の刑事訴訟法429条に基づく準抗告は9438件あったうち,原裁判又は原処分の取消し・変更の結果となったものが1512件あったということです。一応,申立てがいくらかでも認められたものは約16パーセントということになります。それほど絶望的ではないような気もしますが,ただし,この数字は刑事訴訟法429条に基づく準抗告全体のものですので(したがって,勾留請求却下の裁判に対する検察官の準抗告も含まれます。),その内数である「勾留許可に対する準抗告の認容率」は,やはり「きわめて低い」ものなのでしょう(東京地方裁判所平成27年(む)第80147号平成27年1月20日決定などは珍しい例外ということになります。)。そもそも,検察官からの勾留請求は裁判官によって認められるのが原則であって(刑事訴訟法2074項本文は「裁判官は,・・・勾留の請求を受けたときは,速やかに勾留状を発しなければならない。」と規定しています。),2013年中には請求による勾留状の発付数は113483件であるのに対して,却下数は2308件にすぎません(司法統計)。当該却下率はわずか約2パーセントです。


2 旧刑事訴訟法の準抗告規定及び勾留の裁判性問題

(1)旧刑事訴訟法の準抗告規定

 刑事訴訟法429条の準抗告制度は,旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)470条の規定を前身とするものです。同条は,次のとおり。


 第470条 裁判長,受命判事又ハ予審判事左ニ掲クル裁判ヲ為シタル場合ニ於テ不服アル者ハ判事所属ノ裁判所ニ其ノ裁判ノ取消又ハ変更ヲ請求スルコトヲ得

  一 忌避ノ申立ヲ却下スル裁判

  二 勾留,保釈,押収又ハ押収物ノ還付ニ関スル裁判

  三 鑑定ノ為被告人ノ留置ヲ命スル裁判

  四 証人,鑑定人,通事又ハ翻訳人ニ対シテ過料又ハ費用ノ賠償ヲ命スル裁判

  区裁判所判事前項第1号ノ裁判ヲ為シ又ハ受託判事トシテ前項第2号乃至第4号ノ裁判ヲ為シタル場合ニ於テハ其ノ裁判所ヲ管轄スル地方裁判所ニ其ノ裁判ノ取消又ハ変更ヲ請求スルコトヲ得

  第1項第4号ノ裁判ノ取消又ハ変更ノ請求ハ其ノ裁判アリタル日ヨリ3日内ニ之ヲ為スヘシ

  前項ノ請求期間内及其ノ請求アリタルトキハ裁判ノ執行ヲ停止ス


 柱書きにある予審判事は,サッカー日本代表のアギーレ監督のおかげで,スペインのそれについて最近有名になりましたね。

 なお,現在の刑事訴訟法429条1項2号(裁判官のした「勾留,保釈,押収又は押収物の還付に関する裁判」を準抗告の対象とするもの)は昭和24年法律第116号によって改正されていますが,実は立法時には刑事訴訟法429条1項2号には「保釈」が抜けていたところです。同法280条1項(「公訴の提起があつた後第1回の公判期日までは,勾留に関する処分は,裁判官がこれを行う。」)の存在を見落としていたものか。ここにも「こっそり」改正があります。

(2)勾留の裁判性問題

 旧刑事訴訟法470条1項2号の文言は,片仮名と平仮名との違いのみで現行刑事訴訟法429条1項2号のそれと同じであり,抗告を許す裁判所の決定に係る旧刑事訴訟法457条2項の文言(「前項ノ規定〔裁判所の判決前の決定に対する抗告は原則として認められないとする規定〕ハ勾留,保釈,押収又ハ押収物ノ還付ニ関スル決定及鑑定ノ為ニスル被告人ノ留置ニ関スル決定ニ付之ヲ適用セス」)も現行刑事訴訟法420条2項のそれとほぼ同一ですが,旧刑事訴訟法においては,裁判所の決定に対する抗告について,「勾留を更新する決定(第113条)・・・等に対して抗告を為し得ることは明かである。〔しかし,〕勾留・・・の処分そのものに対して抗告を為し得るであろうか。」という問題が提起されていました(小野清一郎『刑事訴訟法講義』(有斐閣・1933年)525頁。下線は筆者)。予審制度廃止後・逮捕前置主義下における検察官からの勾留の請求に対する処分に関する裁判官の権限に関して規定するものである現行刑事訴訟法207条に相当する規定を欠いていた予審制度下の旧刑事訴訟法においては(ただし,同法255条は,捜査のため検事は予審判事又は区裁判所判事に被疑者の勾留の処分を請求することができると規定していました。),勾留は原則として裁判所又は裁判長(同法93条)によってされるものとされた上で当該規定が予審判事に準用(同法122条)されており,また,「決定」との文言が用いられていなかったところ(同法901項等は「勾留スルコトヲ得」と,同法91条は「被告人ノ勾留ハ勾留状ヲ発シテ之ヲ為スヘシ」と規定。現行刑事訴訟法も同様),勾留が裁判である側面を有することが一般にはなお明らかではなかったようです。すなわち,「多くの学者は此の点〔勾留の処分そのものに対する抗告の可否〕を考へて居らぬか又は之を否定するものの如くであるが,私は勾留及び押収はいづれも裁判所の意思表示をその要素とするものであり,其の方式は特別の規定があつて,一般決定に関する規定の適用はないが,其は尚決定の性質を有するものとして之に対し抗告を許すものと考へるのである。」というのが小野清一郎教授の現状分析及び見解でした(小野525頁)。司法試験受験生が,「勾留とは,被疑者・被告人を拘束する裁判およびその執行をいう。」(田宮裕『刑事訴訟法[新版]』(有斐閣・1996年)82頁。下線は筆者)と暗唱させられる背景には,このような事情があったわけです。

 (なお,現行刑事訴訟法においては「勾留中の被疑者については,勾留事実と同一の事実で公訴提起された場合,特段の手続を要せず公訴提起の日から当然に被告人としての勾留が開始される(
20860②)。すでに勾留の際厳格な手続が履践されているからである。」ということで(松本時夫=土本武司編著『条解刑事訴訟法〔第3版増補版〕』(弘文堂・2006年)518頁),検察官の公訴の提起により被疑者の勾留が自動的に被告人の勾留(公訴の提起があった日から2箇月(刑事訴訟法602項))に切り替わるものとされていますが,これは一見,検察官の公訴提起の意思表示に基づく準法律行為的効果のような感じですね(ただし,旧刑事訴訟法では,そもそも原則的な勾留の客体である被告人には既に公訴が提起されていて,予審判事の取調べに基づき当該被告事件が当該予審判事によって更に公判に付される形(同法312条)になっていました。また,旧刑事訴訟法113条は「勾留ノ期間ハ2月トス特ニ継続ノ必要アル場合ニ於テハ決定ヲ以テ1月毎ニ之ヲ更新スルコトヲ得」と規定していて「公訴の提起のあつた日」をもって2箇月の期間が起算されるものとはしていませんでした。起算日は,指定の監獄に引致(旧刑事訴訟法103条2項)された日だったのでしょう(松本=土本121頁参照)。そうだとすると,「第255条ノ規定ニ依リ被疑者ヲ勾留シタル事件〔捜査の必要のために検事がした請求に基づき公訴提起前の被疑者を勾留した事件〕ニ付10日内ニ公訴ヲ提起セサルトキハ検事ハ速ニ被疑者ヲ釈放スヘシ」と規定する旧刑事訴訟法257条1項の10日の制限期間は,勾留ノ期間自体というわけではないのでしょう。「直ちに」釈放ではなく,「速ニ」釈放すればよいようでもありますから。現行刑事訴訟法208条の期間の性質も,釈放すべき期限に関するものであって勾留の期間を直接制限したものではないと解すべきなのでしょうか。)。ちなみに,検察官による勾留といえば,旧刑事訴訟法1291項は,現行犯及び要急事件についての判事ならぬ検事による勾留状の発付について規定していました(同法471条1項は,検事のした勾留ニ関スル処分に対して準抗告をし得る旨規定)。更に余談ですが,旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)下においては勾留期間に期限は設けられておらず(小野248頁参照),また,勾留状の執行に際しては「被告人ノ請求アルトキハ之〔勾留状の正本〕ヲ示ス可シ」ということで(同法77条2項),裁判所の意思表示の通知を全てきちんと被告人に到達させることは考えられていなかったようです(刑事訴訟法77条2項及び旧刑事訴訟法103条2項は勾留状を被告人に示すことを勾留状の執行の前提としています。)。)


3 勾留請求却下の裁判と釈放命令(それとしての「釈放命令の裁判」の不存在)

(1)勾留請求に対する裁判としての却下と釈放命令

 現行刑事訴訟法下では,裁判官が検察官からの勾留請求を却下したとき(同法2074項ただし書の場合。同ただし書は「ただし,勾留の理由がないと認めるとき,及び前条第2項の規定〔制限時間不遵守〕により勾留状を発することができないときは,勾留状を発しないで,直ちに被疑者の釈放を命じなければならない。」と規定。ただし,「釈放命令」については書いてあっても「却下」のことは書いてないですね。以下この刑事訴訟法の文言と実務との関係に関して論じます。)に関して,「勾留請求を却下した裁判に対して検察官が準抗告する場合,釈放命令の執行停止を求めることができるかが争われている。却下という消極的裁判には停止すべき効力がないので,執行停止はできないという意見もないわけではないが,これは妥当でない。却下は釈放命令と一体不可分のものであり,執行停止の対象となりうる。しかし,問題はそのことではなく,停止ができるにしても,停止までの拘束の根拠がないのである。すなわち,勾留請求による留置の効力は却下までは続くが,釈放命令で消失する(2072項〔現4項〕)。したがって,釈放命令の執行停止をして,準抗告による取消しを待つということはできないと解すべきである。」という議論があります(田宮87‐88頁)。
 「これに対して,まさに勾留を継続するために却下への準抗告を許したので,それに必要な手続きが行われる時間は拘束が認められるべきだという考えがあり,実務はこの立場で運用されている(検察官の準抗告を容れて却下の裁判を取り消し勾留の裁判をしたときは,却下後の身柄拘束の有無・適否は,勾留の裁判の効力に影響を及ぼさないとした判例がある。最決昭
44217判タ236204頁)。しかし,そのような必要性があることはそのとおりだが,強制処分ゆえに法的根拠を要するというルール(憲31条,197条参照)を曲げてはなるまい。したがって,この点法の欠缺があり立法による手当てが必要である」ということですが(田宮88頁),分かりづらいですね。
 却下の裁判と釈放命令とがあるようなのですが,両者の関係はどうなっているのでしょうか。

(2)「釈放命令」の執行停止を論ずる学説
 「勾留請求を却下した裁判の場合,検察官は準抗告をするとともに,釈放命令の執行停止を求めることができるだろうか。積極説は,
432条が424条を準用していることを根拠に,準抗告裁判所(または原裁判官)に執行停止の職権発動を求め,これによって,被疑者を拘束したまま準抗告審の決定を待つことができると論ずる」そうですから(松尾浩也『刑事訴訟法上 補正第三版』(弘文堂・1991年)8990頁),当該積極説としては,準抗告に刑事訴訟法432条によって準用される同法424条1項ただし書又は2項の規定(同条は,「抗告は,即時抗告を除いては,裁判の執行を停止する効力を有しない。但し,原裁判所は,決定で,抗告の裁判があるまで執行を停止することができる。/抗告裁判所は,決定で裁判の執行を停止することができる。」と規定)に基づき,釈放命令(勾留請求却下の裁判の方ではない。)の執行停止をするものとしているようです。しかし,勾留請求却下の裁判の時から釈放命令の執行停止の時までの間のタイム・ラグ中において,「勾留請求却下の裁判から準抗告申立まで拘束を続ける法文上の根拠は見出せない。」とされています(松尾90頁。田宮上掲の「勾留請求による留置の効力は却下までは続くが,釈放命令で消失する(2072項)」という表現は,「勾留請求による留置の効力は却下までは続くが,却下=釈放命令で消失する(2072項)」との意味でしょう。確かに,前記のとおり,刑事訴訟法207条4項(かつての第2項)には「却下」との表現はありませんので「却下=釈放命令」と解すべきようであり,また,現に田宮上掲は「却下は釈放命令と一体不可分のもの」と述べています。)。
 ただし,この点の懸念は,若き平野龍一教授にはまだなかったようです。「勾留請求があれば,その効力で,逮捕期間経過後も拘禁を継続できる。勾留の請求が却下されたときも,準抗告があると,勾留請求の効力は続くから,引き続いて拘禁できることになる。そこで,これを防ぐために,法は,勾留の請求を却下するときは,釈放命令を発して,釈放させることにした。だから,準抗告があったときは,釈放命令の執行前に,その執行停止の裁判があったときにかぎり,引き続き拘禁できる。」との文章(平野龍一『刑事訴訟法』(有斐閣・
1958年)104頁注(2))は,勾留請求に基づく逮捕期間経過後の拘禁継続の「効力」(刑事訴訟法204条4項又は205条4項の反対解釈によるものでしょう。)は釈放命令の執行までは続く,という理解を前提にしているのでしょう。

(3)準抗告認容決定における釈放命令の不存在
 ところで,勾留の裁判に対する準抗告における申立ての趣旨は,「原裁判を取り消し,検察官の勾留請求を却下する/との決定を求める。」と書くものとされており(司法研修所『平成18年版 刑事弁護実務(別冊書式編)』6頁),認容決定の主文も「原裁判を取り消す。/本件勾留請求を却下する。」となるわけですが(前記東京地方裁判所平成27年1月20日決定),被疑者の釈放まで命じなくともよいものか。よく考えると議論があり得ますね。「勾留請求による留置の効力は〔略〕釈放命令で消失する」(田宮88頁),「法は,〔略〕釈放命令を発して,釈放させることにした」(平野104頁注(2)というのですから,釈放命令を発することは,素直に解すると不可欠であるように思われます。

 準抗告審の決定に対しては再抗告をすることはできませんが(刑事訴訟法432条によって準用される同法427条),憲法違反・判例相反を理由として最高裁判所に特別抗告をすることはでき(同法4331項),その場合,更に準抗告審の決定の執行停止を原裁判所又は最高裁判所はできることになります(同法434条によって準用される同法424条)。そうであれば,勾留の裁判が準抗告で覆った場合において,検察官が憲法違反等までをも理由として特別抗告し,何が何でも被疑者の身柄拘束を継続しようとするときには,勾留請求却下に対する準抗告に係る前記刑事訴訟法学諸文献記載の手続とパラレルに考えて,特別抗告と共に釈放命令の執行停止を求めることになるようです。しかしながら,勾留の裁判に対する準抗告を認容する決定の主文には,釈放命令は記載されていないのです。決定書に書いていないから執行停止の対象となるべき釈放命令はないのだという見解を採る場合においては,勾留の裁判が準抗告で覆ったときに,特別抗告がされても,準抗告審の決定に基づく身柄釈放に対する執行停止は空振りとなってできない(刑事訴訟法434条・4241項本文の原則が貫徹)ということになるようにも思われます。余り実益のない議論かもしれませんが,気にはなるところです。

(4)釈放命令ではなく却下がされることの根拠としての刑事訴訟規則140条

 この点は,検察官の勾留請求に対する刑事訴訟法207条4項の裁判官の裁判に関して「勾留請求却下の場合にも〔刑事訴訟規則〕140条が適用されると解すべきであ」る(松本=土本354頁)とされていることとかかわりがあります。
 刑事訴訟規則
140条は,「裁判官が令状の請求を却下するには,請求書にその旨を記載し,記名押印してこれに請求者に交付すれば足りる。」と規定しています。勾留状も令状の一種です。刑事訴訟規則140条の規定の上からは,勾留請求書に,請求を却下する旨のみが裁判官によって記載され,被疑者を釈放するよう命ずる旨の記載はされないようです。「〔刑事訴訟規則140〕条による却下手続がとられれば,検察官が,その裁判の執行停止を求めつつ準抗告をする場合を除き・・・,被疑者を留置しておく根拠・・・が失われるので,検察官は当然に被疑者を釈放しなければならない。実務もこのように行なわれて」いる,との記載(松本=土本354頁)は,釈放命令の記載がないことが前提になっていますね(田中智之弁護士の2013年12月19日のブログ記事に,「本件請求を却下する。」とだけ勾留請求書にゴム印などで記載するという書式(『令状実務(再訂補訂版)』(司法協会・2009年)87頁)が紹介されています。また,『刑事訴訟規則逐条説明第2編第1章・第2章捜査・公訴』(法曹会・1993年)2頁でも,刑事訴訟規則140条に関して,「本件勾留請求を却下する。理由 必要性なし」との記載形式が紹介されています。)。

(5)却下の裁判1本立て

 「法は,勾留の請求を却下するときは,釈放命令を発して,釈放させることにした。」との刑事訴訟法に関する平野教授の前記記述は,刑事訴訟規則140条に基づく実務(「釈放命令」はそれとしては発せられていない。)に裏切られている格好です。却下の裁判と釈放命令との2本立て論ではなく,却下の裁判1本立て論を採用すべきでしょうか。「その裁判の執行停止を求めつつ準抗告をする場合を除き」勾留請求の却下の裁判のみで検察官は当然に被疑者を釈放しなければならず,刑事訴訟法207条4項の「「釈放を命じなければならない」との規定はこの趣旨を強調するために置かれた」という解釈(松本=土本354頁)を採る立場は,1本立て論でしょう(裁判官が「釈放を命じなければならない」のではなく,検察官があたかも「釈放を命じ」られたかのように行為しなければならないという「趣旨」であるということなのでしょう。)。しかし,却下の裁判1本立て論では,執行停止されるのは「釈放命令」ではなく,消極的裁判たる勾留請求却下の裁判ないしは決定が執行停止されるということになるのでしょうね。「勾留請求却下の裁判に対して,検察官は,準抗告の申立てをすることができ(429(2)),実務上,この申立てと同時に原裁判の執行停止を申し立て(432424参照)て被疑者の身柄を継続している。」との記述(松本=土本354頁)における「原裁判」は,やはり「勾留請求却下の裁判」であって,「釈放命令」ではないですね。いわゆる基本書から出発しての遠回りでしたが,そういうことのようです。(なお, 捷径としては, 丸山哲巳判事の「勾留請求の却下と被疑者の釈放」(松尾浩也=岩瀬徹編『実例刑事訴訟法I捜査』(青林書院・2012年)をお読みください。)

 


4 勾留の裁判に対する準抗告の認容事例

 以上,勾留の裁判に対する準抗告をめぐっていろいろ書いてきましたが,その動機は何かといえば,実は筆者には,「認容率はきわめて低い」とされている「勾留許可に対する準抗告」の認容決定を受けた経験があるからです。

当該事案においては,被疑者国選弁護人の選任を受けた日のその晩,勾留質問から留置施設に戻って来た被疑者と当該留置施設で第1回接見を1時間半ほどかけて行い,「本件では,被疑事実に係る罪証隠滅のおそれも逃亡のおそれも無いではないか。」との心証を得て準抗告申立てを行うことに心を決め,翌日他の事件の公判等のかたわら準抗告申立書案を起案の上,同日深夜再び1時間半ほどの被疑者との接見を行って内容を確認・補正,3日目の午前中に裁判所に申立書を提出したところ,同日午後5時過ぎに準抗告認容との連絡があり,それから2時間弱後の午後7時ころ被疑者は勾留から釈放されました。

ところで,被疑者においては,勾留から釈放されたとはいえ,刑事訴訟手続はまだまだ続きます。しかしながら,被疑者国選弁護人の選任の効力は,被疑者の釈放で終了となりました(刑事訴訟法38条の2)。私選弁護人の場合と異なるところでしょう。

 


 


弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

渋谷区渋谷三丁目5‐16渋谷三丁目スクエアビル2階

電話:0368683194

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

被疑者の身柄について,裁判所の考え方も変わってきているのでしょうか。刑事事件に限らず,ビジネス関係等,法律問題についてお気軽に御相談ください。


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1 サッカー日本代表とスペイン検察庁の裁判所への「告発」
 年末ですので,もう「今年の十大ニュース」の選択などが話題にのぼる季節となりました。とはいえ,今年
2014年にサッカーのワールド・カップ大会があったということを,最近次のニュースを見るまですっかり忘れていました。サッカー日本代表は予選リーグで結局勝てなくて,早々にブラジルから帰国して来たのでしたっけ・・・それで,監督交代・・・。えーっと,優勝チームは,ドイツ代表でしたか。そういえば,開催国のブラジル代表が,準決勝でドイツ代表に1対7の歴史的大敗を喫したんでしたっけね・・・。

 

(時事通信から201412152316分に配信されたインターネット記事)

 

スペイン・サッカーの八百長疑惑に絡み,同国検察庁は15日,バレンシアの裁判所に対し,日本代表のA監督(56)ら42人を告発した。・・・

告発が受理されれば,強い権限を持つ予審判事の下で,本格的な捜査が行われ,起訴されるかどうかが決まる。A監督は予審法廷で聴取を受けるよう命じられる可能性があり・・・(下線部は筆者)


 問題意識をそそる記事です。

 ただし,筆者がまず関心を持ったのは,サッカー日本代表のことではなくて,下線部の訳語についてでした。

 スペイン語といえば昔メキシコに行ったときにcervezamasという単語だけを覚えて安酒場でしきりにビールのおかわりをした記憶しかなく,スペインの刑事訴訟法(又は治罪法)については門外漢なのですが,前記記事における用語法は,それぞれ,「告発」を「起訴」と,「起訴」を「公判に付」とするのが正しいのではないでしょうか。

2 検察官による予審請求=起訴と予審判事による公判に付する決定 

 すなわち,前記記事には「予審判事」及び「予審法廷」という語が出てきており,スペインの刑事司法制度は予審制度を採用しているものと判断されるところ,予審制度に係る我が国の旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)上の用語では,検察官の「公訴ノ提起」(=起訴。現在の刑事訴訟法でも,起訴のことは「公訴の提起」といわれ,「公訴の提起は,起訴状を提出してこれをしなければならない。」と規定されています(2561項)。)を受けて予審判事が強制力の伴う取調べを行い,当該取調べの結果,予審判事が,更に「公判ニ付スル」ものとし,又は嫌疑不足として免訴とする等の決定をしていたところです。

旧刑事訴訟法の条文を紹介すると,検察官による予審の請求は,二つある「公訴ノ提起」方法のうちの一つであって(同法288条。もう一つの方法は,公判の請求),「予審ハ被告事件ヲ公判ニ付スヘキカ否ヲ決スル為必要ナル事項ヲ取調フルヲ以テ其ノ目的」とし(同法2951項),「公判ニ付スルニ足ルヘキ犯罪ノ嫌疑アルトキハ予審判事ハ決定ヲ以テ被告事件ヲ公判ニ付スル言渡」をし(同法3121項),「被告事件罪ト為ラス又ハ公判ニ付スルニ足ルヘキ犯罪ノ嫌疑ナキトキハ予審判事ハ決定ヲ以テ免訴ノ言渡」をしていました(同法313条)。

3 予審請求がされた場合

(1)被告人訊問
 

予審となった場合,被告人(被疑者ではない。)は予審判事に訊問されるのがお約束であって(旧刑事訴訟法3001項は「予審判事ハ被告人ヲ訊問スヘシ」と規定していました。),訊問の「可能性」があるかどうかどころではありません。なお,大日本帝国憲法59条本文は「裁判ノ対審判決ハ之ヲ公開ス」と規定していましたが,「予審ニ於テハ取調ノ秘密ヲ保チ被告人其ノ他ノ者ノ名誉ヲ毀損セサルコトニ注意スヘシ」とされていました(旧刑事訴訟法296条)。大日本帝国憲法59条において「此に対審と謂へば,予審は其の中に在らざる」ものでした(『憲法義解』)。「予審法廷」において被告人の訊問が公開されていたわけではありません。

(2)官吏の休職 

文官分限令(明治32年勅令第62号)11条1項2号によれば,官吏が「刑事事件ニ関シ起訴セラレタルトキ」は「休職ヲ命スルコトヲ得」とされていました(昭和7年勅令第253号による改正以後。それより前はなぜか「起訴セラレタトキ」ではなく「告訴若ハ告発セラレタルトキ」との文言でした。)。ここでいう「起訴」には,当然,公判の請求のみならず予審の請求も含まれたはずです。なお,お役人の場合(現行の国会公務員法792号も文官分限令1112号と同様の規定),検察官に起訴されてしまうと多くの場合休職にならざるを得ないでしょうね。「「休職ヲ命スルコトヲ得」(又は「その意に反して,これを休職することができる。」)であって「休職ヲ命スヘシ」ではないから,自由裁量をもって休職させないことにしてもいいのだ。」とはなかなか開き直れないでしょう。

(3)「受理」 

「受理」という概念があれば,受理の有無が問題になります。「届出が届出書の記載事項に不備がないこと,届出書に必要な書類が添付されていることその他の法令に定められた届出の形式上の要件に適合している場合は,当該届出が法令により当該届出の提出先とされている機関の事務所に到達したときに,当該届出をすべき手続上の義務が履行されたものとする。」という行政手続法37条のような規定が必要になったりします。ところで,予審請求の「受理」という概念について我が旧法を尋ねると,旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)69条1項本文には「予審判事ハ検事ノ起訴ニ因リ重罪,軽罪ノ事件ヲ受理シタルトキハ被告人ニ対シ先ツ召喚状ヲ発ス可シ」とあり,旧治罪法(明治13年太政官布告第37号)118条本文も「予審判事ハ検事又ハ民事原告人ノ起訴ニ因リ重罪軽罪ノ事件ヲ受理シタル時ハ被告人ニ対シ先ツ召喚状ヲ発ス可シ」と規定しています。

(4)予審判事の権利義務 

なお,旧刑事訴訟法においては,「検事の予審請求は公訴提起の一態様であるから,之に依つて事件の訴訟繋属を生じ,予審判事は之を審理するの権利と同時に義務を有する」ことになっていました(小野清一郎『刑事訴訟法講義・全訂第三版』(有斐閣・1933年)396頁)。

4 予審判事に対する告発制度の前例 

旧治罪法においては民事原告人ノ起訴(同法322節の題名)というものがあって興味深いのですが,同法においては,告訴を受ける者が検事又は司法警察官に限られず,予審判事にも告訴をすることができるものとされていました(同法931項。告訴は「何人ニ限ラス重罪軽罪ニ因リ損害ヲ受ケタル者」がする。)。告発についても同様,検事又は司法警察官のほか予審判事に対してもされ得るものとなっていました(同法971項。告発は「何人ニ限ラス重罪軽罪アルヿヲ認知シ又ハ重罪軽罪アリト思料シタル時」する。)。この点からすると,「告訴・告発は検察官か司法警察員にしかできないから(現行刑事訴訟法2411項参照),「裁判所(予審判事)に対する告発」ということは概念上あり得ない。」とは言えないことになります。

5 我が国における予審の廃止 

なお,ナポレオン第一帝政下のフランス治罪法(1808年)由来の我が国における予審制度は,日本国憲法の施行の日である1947年5月3日から昭和22年法律第76号(「日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律」は件名)が施行されたことにより(同法附則1項),「予審は,これを行なわない。」とする同法9条によって廃止されています。


(追記:2021513日)A監督のその後はどうなったのか,スペインの刑事訴訟手続制度の実際はどうなっているのか,当該制度と他のヨーロッパ諸国(フランス,イタリア及びドイツ),更には我が国の各制度との関係はどうか,といった点について正確な知識を得るためには,荻村慎一郎立教大学法学部兼任講師の優れた論考「比較法・外国法で学べることの活かし方――スペイン法における「起訴」を題材として――」が必読です。同論考は,2021430日に東京大学出版会から出版された,岩村正彦・大村敦志・齋藤哲志編『現代フランス法の論点』(http://www.utp.or.jp/book/b561887.html)に収載されています(同書365頁以下の第12章)。



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1 多摩地区の司法の中心・立川

 裁判所の土地管轄上,東京都は東京地方裁判所及び東京家庭裁判所の管轄ですが,武蔵野市以西の多摩地区は,霞が関の本庁ではなく,各裁判所立川支部の管轄になります(なお,昔は,支部は八王子にありました。)。東京地方裁判所立川支部,東京家庭裁判所立川支部及び立川簡易裁判所の庁舎は,JR立川駅わきの立川北駅からモノレールで一駅の高松駅から歩いて少しのところにあります。JR立川駅から歩いていけない距離ではありませんが,夏の暑い盛りなどは,避けた方が賢明でしょう。汗で背広がクタクタになります。立川北・高松間のモノレール運賃は,片道100円です。なお,法テラス(日本司法支援センター)の多摩支部は,高松駅前ではなく,立川駅北口前にあります。

 弁護士として,立川を訪れる機会は少なくありません。


2 「聖」地・立川

 そんなある日,立川駅前で,車体に某人気ご当地漫画の主人公二人組が大きく描かれているバスを見かけました。

 「ああ,立川は,多摩地区の司法の中心であるばかりではなく,世界の宗教的にも,「聖」地の一つであるのであった。」

 とは,当該某漫画の読者としての感慨でしょう。

 他方,弁護士としては,当該某漫画の主人公二人を思うとき,次の二つの犯罪構成要件が気になりだしたところです。


 軽犯罪法1条 左の各号の一に該当する者は,これを拘留又は科料に処する。

  〔第1号から第21号まで略〕

  二十二 こじきをし,又はこじきをさせた者

  〔第23号から第34号まで略〕

 

 刑法234条 威力を用いて人の業務を妨害した者も,前条の例〔3年以下の懲役又は50万円以下の罰金〕による。


3 托鉢と軽犯罪法1条22

お坊さんの托鉢は,軽犯罪法1条22号にひっかからないのでしょうか。乞食(こつじき)自体が,そもそも仏教用語なのですよね。手元の『岩波国語辞典 第4版』(1986年)には,「こつじき(乞食)」とは,「〔仏〕僧が人家の門に立ち,鉢をささげ,食をこい歩くこと。托鉢。「乞食行脚」」とあります。

軽犯罪法の適用に当たっては,「国民の権利を不当に侵害しないように留意し,その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。」との訓示規定が同法4条に定められています(下線は筆者)。しかし,托鉢者がインド人であって日本国民でない場合には,同条の適用はどうなるのでしょうか。殊更につらく当たられることはないのでしょうが。

無論,軽犯罪法違反の罪は拘留又は科料に当たる罪でしかありませんから,原則として,現行犯逮捕はされず(刑事訴訟法217条),逮捕状による逮捕もされないはずです(同法1991項ただし書)。しかし,「もしもし,お坊さん,お坊さんの住居はどこですか。」と托鉢行為を現認した警察官に問われて,「私は出家の身なので,定まった住居などありません。カピラヴァストゥは滅びました。」と答えられてしまうと,困りますね。定まった住居がないのならば,軽犯罪法違反でも身柄拘束あり得べしになってしまいます。立川市内にアパートを借りて住んでいるのなら,そう言ってくれなくては困ります。

軽犯罪法1条22号は,仏教を弾圧するための条項なのでしょうか。

乞食(こつじき)は,大日本帝国憲法28条にいうところの「安寧秩序ヲ妨ケ」又は「臣民タルノ義務ニ背」く行為であって,保護される信教ノ自由の範囲外にあったものでしょうか。大日本帝国憲法28条の「臣民タルノ義務」については,その最も著しいものとして,「国家及び皇室に忠順なる義務及び之に伴うて国家及び皇室の宗廟たる神宮,歴代の山陵,皇祖皇宗及び歴代の天皇の霊を祭る神社等に対し不敬の行為を為さる義務」が挙げられ,「その外兵役義務,国民教育を受くる義務等」があるとされていましたが(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)399-400頁),托鉢は,「此等の義務を否定し,之を排斥する」までのもの(同400頁参照)だったのでしょうか。なかなかそこまでは行かないように思われます。また,「安寧秩序」は,「社会的秩序」の意味であるとされています(美濃部400頁)。しかるにそもそも,「わが現時の国法に於いて,国家と特別の関係に在るものは・・・仏教各宗である。・・・多年わが国家及び皇室と密接の関係の有つた歴史に基いて,今日に於いても国家は之に特別の保護を与へ, 随つて又之に特別の監督を加へて居る。就中・・・仏教各宗の管長は,勅任待遇の特典を受けて居る」ところであったものです(美濃部403頁)。明治の初めに廃仏毀釈運動があったとはいえ(明治五年十一月九日の府県あて教部省第25号達は「自今僧侶托鉢之儀禁止候事」とした。),仏教弾圧は,かえって我が国の社会秩序を乱すことになりかねないものではないでしょうか(明治14年8月15日内務省甲第8号布達は上記明治五年教部省第25号達を廃止し, 托鉢者に管長の免許証の携帯を求めることとした。「不都合之所業」があれば托鉢差止め及び所属宗派に通知(明治14年内務省乙第38号達・明治19年内務省令第9号)。)。聖徳太子の憲法の第2条にいわく,「篤く三宝を敬へ。三法とは仏法僧なり。即ち四生之終帰,万国之極宗なり。・・・」なお,軽犯罪法の前身(同法附則2項参照)である警察犯処罰令(明治41年内務省令第16号)の第2条2号は,「乞丐ヲ為シ又ハ為サシメタル者」は30日未満の拘留又は20円未満の科料に処せられるものとしており,そこでは「乞食」ではなく「乞丐(きっかい)」の文字が用いられていました。「丐(かい)」も請い求めるとの意味であり,また,乞丐は仏教用語ではないようです。

乞食(こつじき)行為と乞丐又は「こじき」行為とは異なるものと解さなければなりません。

両者を分別するものは,いかなる要件でしょうか。

ここで,軽犯罪法に関する各種の解説書を見ると,「こじき」行為においては相手方が憐れみないしは同情から金品を与えるものである,という理解がされているようです。


 こじきとは,不特定の他人に憐れみを乞い,自己または自己が扶養する者の生活のために必要な金品を,無償またはほとんどこれに近い名目的な対価で得ようとする行為をいう。(安西溫『特別刑法〔7〕』(警察時報社・1988年)166頁。下線は筆者)


なるほど,いかにも修行を積んだ御様子のお坊さまが堂々と托鉢をしているのを見ると,そこに生ずる感情は憐れみや同情ではなく,むしろ徳の高さのありがたさに感極まって思わず喜捨をしてしまうわけです。このように高々とした托鉢行為は,「こじき」行為ではありません。(なお, 警察犯処罰令2条1号は「喜捨ヲ強請」することを処罰していました。喜捨を受けるお坊さんは威張っていたのですね。)ということはすなわち,「こじき」行為による法益侵害によって生ずる状態とは,憐れみや同情を感ずることであって,これは換言すると,自らの窮状を言い募り,あるいは顕示して不特定者に憐れみや同情を感じさせることは,違法な法益侵害行為であるというわけですね。

Bettler aber sollte man ganz abschaffen! Wahrlich, man ärgert sich ihnen zu geben und ärgert sich ihnen nicht zu geben. (乞丐は禁止せらるべきなりき!まことに彼らに施すも不快,施さざるも不快である。)

ところで,

「同情するなら金をくれ。」

という発言は,どのように理解すべきでしょうか。

同情した上で金をくれ,というのならば,「こじき」行為を指向するものでしょう。

同情なんかする必要はない,とにかく金をよこせ,というのならば,「こじき」行為ではないものでしょう。


4 威力業務妨害罪の被疑者及びその弁護



(1)威力業務妨害罪及び保護される業務

さて,神殿の境内でにぎやかにお供え物販売等の商売をしていたおじさんたちを泥棒呼ばわりしつつ追い払い,またおじさんたちの出店の設備をひっくり返す行為は,威力業務妨害罪(刑法234条)に該当するようです。

「神聖な境内で卑しい商売をすることは神殿の目的外利用であって,彼らの商売行為は違法だったのです。私は,彼らによってもたらされた違法状態を取り除いただけなのです。」

と主張することになるのでしょうが,我が司法当局を説得できるかどうか。


 〔業務妨害罪によって保護される〕業務とは,職業その他社会生活上の地位に基づき継続して行う事務または事業をいう(大判大正101024刑録27643頁)。・・・業務は,刑法的保護に値するものであれば足り,適法であることを要しない。たとえば,知事の許可を得ていない湯屋営業(東京高判昭和2773高刑571134頁),行政取締法規に違反したパチンコ景品買入営業(横浜地判昭和61218刑月181=2127頁)についても本罪が成立する。・・・当該業務の反社会性が本罪による保護の必要性を失わせる程度のものであるか否かを基準とすべきであろう。(西田典之『刑法各論〔第3版〕』(弘文堂・2005年)112頁)


境内でのおじさんたちの商売は,社会的に受け容れられていたものなのですから,よその国の律法ではともかく,我が日本刑法の保護を受けないものとはいい難いところです。


(2)逮捕に基づく留置及びアメリカ法との相違

威力業務妨害罪の法定刑には懲役があり,また,罰金の多額は30万円を超えていますから,急を聞いて駆け付けた警察官によって,なおも荒ぶる我らの主人公は,すんなり現行犯逮捕されることでしょう(刑事訴訟法217条参照)。

逮捕された我らの主人公は,司法警察員から犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができることを告げられた上,弁解を聴取されることになります(憲法34条前段,刑事訴訟法216条・2031項)。現行犯ですから犯罪の嫌疑は十分であり,今までしていた仕事を辞めて田舎から都までやってきた30代前半の独身男性であって逃亡のおそれもありそうですから留置の必要(「犯罪の嫌疑のほか,逃亡のおそれ・罪証隠滅のおそれ等(最判平838民集50-3-408)」(松本時夫=土本武司編著『条解刑事訴訟法〔第3版増補版〕』(弘文堂・2006年)346頁))があると思料され,直ちに釈放されること(刑事訴訟法2031項参照)はないでしょう。

逮捕による身柄拘束期間中においては(警察官に逮捕されたときは,逮捕時から72時間以内に検察官から裁判官に勾留の請求がされなければ釈放されることになっています(刑事訴訟法205124項)。当該請求があって,裁判官の被疑者に対する勾留質問(同法2071項,61条)を経て裁判官から勾留状が発せられ(同法2074項),当該勾留状が執行されると,被疑者の身柄拘束は,逮捕されている状態から「勾留」されている状態に移行します。),我らの主人公と接見交通できるのは,弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者(同法391項)だけです(同法209条は同法80条を準用せず。)。家族・友人がどんなに心配しても,弁護士ならぬ身であれば,逮捕に基づき留置されている被疑者に会うことはできないわけです。勾留に移行すれば,「弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者」以外の者も被疑者と接見できるのですが(刑事訴訟法80条),なかなか直ちには逮捕から勾留に移行しません。


・・・〔米国の〕統一逮捕法では,「なるべくすみやかに,おそくとも24時間以内に」裁判官に引致しなければならないのである。わが法は,「なるべく速やかに」の語がないため,72時間は当然に留置できるかのように解釈し,運用されている。なお,英米法では,逮捕は裁判官に引致するためのものであるが,わが法の勾留請求は,逮捕の結果当然になされる処置ではなく,新たな処分である。逮捕は,捜査機関のところに72時間以内留置されるために行われるのである。したがって,英米法の逮捕とわが法の逮捕とは,全く性質を異にするものとなっている。(平野龍一『刑事訴訟法』(有斐閣・1958年)99頁)


 この72時間の間,「被疑者の地位は著しく危うくなっている。」わけです(平野98頁)。

 なお,「アメリカでは逮捕後,裁判官のもとへ引致されると直ちに保釈されうる」ものとされていますが(田宮裕『刑事訴訟法〔新版〕』(有斐閣・1996年)260頁。また,松尾浩也『刑事訴訟法(上)補正第三版』(弘文堂・1991年)194頁),我が刑事訴訟法の場合,起訴前の被疑者(起訴後の被告人ではないことに注意)勾留の段階では,保釈金を積んで釈放してもらう保釈制度の適用はありません(同法2071項ただし書)。我が国で起訴前保釈が認められないのは「被疑者の勾留期間が短いためだとされるが(団藤・綱要321頁),10日ないし20日という期間・・・は,短いものではない」ことから,「保釈を許さないのは,捜査が糺問手続であり,勾留を被疑者取調のため,ないし被疑者と外界との遮断のために用いることを暗に認めたもので,供述の強要を禁止した憲法の趣旨にも合致しないといわなければならない。」と批判されています(平野102頁)。また,そもそも,英米法では,勾留の必要として認められているのは「逃亡のおそれだけ」であるそうですから(平野100頁),「保釈金を没取するという威嚇によって,被告人の出頭を確保しようとする」保釈の制度(同161頁)によってしかるべく身柄解放がされやすいようです。これに対して我が国では,大陸法式に罪証隠滅のおそれも勾留の必要として認めているところ,「保釈は・・・罪証隠滅の防止を目的とする勾留には代りえない」ことになるわけですから,保釈が制限されてしまうことになります(平野100頁,164頁)。

 逮捕された被疑者の裁判官のもとへの速やかな引致が米国連邦法で求められている結果,「アメリカ合衆国の連邦裁判所では,いわゆるマクナブ・ルールがあり,引致が遅滞すればその間の自白を証拠から排除する(McNabb v. U.S. (1943)に由来する)」ものとされています(松尾61頁)。マクナブ事件においては,テネシー山間部でウィスキーの密売などしていたマクナブ一族に対して,連邦内国歳入庁の捜査官が密売現場に手入れに入ったところ捜査官のうち一名が殺害され,これについて双子の兄弟フリーマン及びレイモンド並びにいとこのベンジャミンがそれぞれ捜査段階における自白に基づき下級審で有罪とされていました。米国連邦最高裁判所のフランクファーター判事執筆に係る多数意見におけるさわりの部分は,次のとおり。


 …Freeman and Raymond McNabb were arrested in the middle of the night at their home. Instead of being brought before a United States Commissioner or a judicial officer, as the law requires, in order to determine the sufficiency of the justification for their detention, they were put in a barren cell and kept there for fourteen hours. For two days, they were subjected to unremitting questioning by numerous officers. Benjamin’s confession was secured by detaining him unlawfully and questioning him continuously for five or six hours. The McNabbs had to subject to all this without the aid of friends or the benefit of counsel. The record leaves no room for doubt that the questioning of the petitioners took place while they were in the custody of the arresting officers and before any order of commitment was made. Plainly, a conviction resting on evidence secured through such a flagrant disregard of the procedure which Congress has commanded cannot be allowed to stand without making the courts themselves accomplices in willful disobedience of law. Congress has not explicitly forbidden the use of evidence so procured. But to permit such evidence to be made the basis of a conviction in the federal courts would stultify the policy which Congress has enacted into law…

 (・・・フリーマン・マクナブ及びレイモンド・マクナブは,真夜中,彼らの家において逮捕された。法律によって要求されているように,彼らの抑留に十分な理由があるかどうかを判断するために合衆国の理事官又は司法官憲のもとに引致される代わりに,彼らは粗末な獄房に投ぜられ,そこに14時間留め置かれた。二日間にわたって,彼らは多数の捜査官による間断のない取調べに服せしめられた。ベンジャミンの自白は,彼を違法に抑留し,5ないし6時間にわたって取り調べることによって得られたものである。マクナブ一族は,これらすべてに,友人からの支援及び法的助言の利益なしに服さしめられた。申立人らの取調べが,逮捕した捜査官のもとに留置されている時に,彼らを拘禁する何らの裁判もされない段階でされたことについては,記録上,何らの疑いもない。連邦議会が定めた手続に係るあからさまな無視によって獲得された証拠に基づく有罪判決が維持されるということは,裁判所自身を,法に対する意図的な不服従に係る共犯者とすることなしには不可能であることは明白である。連邦議会は,そのようにして獲得された証拠を用いることを明示的には禁じてはいない。しかしながら,そのような証拠を,連邦裁判所において有罪判決の基礎とすることを許すことは,連邦議会が法律化した政策を台無しにするものである・・・)


市民及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年条約第7号)9条3項は「刑事上の罪に問われて逮捕され又は抑留された者は,裁判官又は司法権を行使することが法律によつて認められている他の官憲の面前に速やかに連れて行かれるものとし,妥当な期間内に裁判を受ける権利又は釈放される権利を有する。裁判に付される者を抑留することが原則であつてはならず,釈放に当たつては,裁判その他の司法上の手続のすべての段階における出頭及び必要な場合における判決の執行のための出頭が保証されることを条件とすることができる。」と規定しています。

田宮裕教授の著書において,勾留に係る「逮捕前置主義」について,「私見によれば「拘束したら裁判官のところへつれていく」という近代法原理にそうべく,裁判官の審問たる勾留質問(61条)と逮捕を結びつけて,「裁判官への予備出頭のための引致」という形を整えたものだと思う。」と述べられていますが(田宮84頁),これは勾留のために逮捕前置主義が採られているのだというよりも,逮捕の近代法原理適合性を確保するために逮捕について「勾留質問後置主義」が採られているのだということでしょう。

閑話休題。


(3)被疑者に対する弁護人の援助の確保

逮捕段階ですから,弁護士ならざる家族・友人らは我らが主人公に接見してaid of friends(友人からの支援)を与えることはできないにしても,弁護士によるbenefit of counsel(法的助言の利益)は,どうしたら得ることができるでしょうか。

なお,接見交通の機能としては,次のようなことが挙げられています。


・・・①まず,身柄を拘束された被疑者は外界と遮断されているので,自由に交通できる弁護人が外界との窓口となりうる。・・・その結果,心理的安定により市民としての自己回復ができる。②つぎに,継続的な取調べによる不当なプレッシャーを回避させるという意義をもつ。つまり,黙秘権を中心とした適正手続の担保である。③さらに,弁護人と相談することにより,被疑者側の「訴訟準備」が可能になる。つまり,依頼人としての打合わせの確保である。(田宮142143頁)


ア 当番弁護士

弁護士の知り合いがいない場合であっても,「当番弁護士を呼んでください。」と被疑者から警察官,検察官若しくは裁判官に言うか,又は家族から地元の弁護士会に依頼することができます。要請があれば,弁護士会から当番弁護士が,1回無料で接見にやって来て,相談に応じてくれます。

しかし,当番弁護士が無料で接見して相談に応じてくれるのは1回限りなので,更に弁護人による援助を受けようとすれば,弁護士を弁護人として選任しなければなりません。


イ 被疑者国選弁護制度及びその範囲

「あの,国選弁護っていう制度があるそうですけれど,国選弁護人は頼めませんか。」

という質問もあるかと思われますが,実は,逮捕段階の被疑者に国選弁護人を付ける制度はいまだありません。

まず,憲法37条3項は「刑事被告人は,いかなる場合にも,資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは,国でこれを附する。」と規定していますが,これは「被告人」の権利に関する規定であって,公訴を提起される前の「被疑者」には直接適用されません(被疑者の国選弁護制度を設けるか設けないか,設けるとした場合その範囲はどうするかは国会が裁量で決めることができるということです。)。

 とはいえ現在,刑事訴訟法は,被疑者のための国選弁護の制度を導入してはいます。


 37条の2 死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮に当たる事件について被疑者に対して勾留状が発せられている場合において,被疑者が貧困その他の事由により弁護人を選任することができないときは,裁判官は,その請求により,被疑者のため弁護人を付さなければならない。ただし,被疑者以外の者が選任した弁護人がある場合又は被疑者が釈放された場合は,この限りでない。

   前項の請求は,同項に規定する事件について勾留を請求された被疑者も,これをすることができる。


 読みづらいですね。被疑者に国選弁護人を付する制度が存在することが分かるでしょうか。ただし,逮捕されて留置されている被疑者であっても,検察官が勾留請求をするまでは国選弁護人を付けるように請求をすることはできず,また,勾留請求がされ,勾留状が発せられても,一定以上の重い罪に係る事件の被疑者でなければ,これまた国選弁護人を付けるように請求することはできないというのが,現在の制度です。


ウ 弁護人の私選及び私選弁護人の報酬(の一応の)相場

 要は,逮捕段階で弁護人を付けるには,国選弁護制度がないので,私選しなければならないのです。

 選任権者は,被疑者のほか,被疑者の法定代理人,保佐人,配偶者,直系の親族及び兄弟姉妹です(刑事訴訟法30条)。「弟子」は選任権者になりません。内縁の妻でも駄目です(松本=土本43頁)。

いずれにせよ,刑事弁護を依頼するとなれば最も気になり,かつ,機微に触れるのが弁護士報酬の問題です。どれくらいかかるものでしょうか。これについては,


 刑事弁護は事案によってかかる時間や労力,大変さはさまざまであり,弁護料の相場を出すのは難しい。東京三弁護士会が当番弁護士のために示している標準を示すと,次のとおりである(依頼者の資力や事案の性質によって変動することはありうる)。

①被疑者段階の弁護活動の着手金として15万円

②公判請求されなかった場合(不起訴・略式命令)は報酬金として30万円

③公判請求された場合は,起訴後第一審判決までの弁護活動の着手金として30万円

④第一審判決による報酬金として30万円


と紹介するものがあります(『刑事弁護ビギナーズ(季刊刑事弁護増刊)』(現代人文社・2007年)43頁)。上記の額に消費税額が加算されます。無論,飽くまでも目安です。事件の難易度,弁護活動の内容,依頼者の資力等により,上記の額よりも安い額での契約も当然あり得ます。


エ 我らが主人公の窮状

 我らが主人公はお金が無いようなので,ちょっと私選による弁護人の依頼は無理でしょうか。

 しかし,勾留段階に至っても,我らの主人公は被疑者国選弁護制度を利用することができないようです。実は威力業務妨害罪の法定刑の上限が懲役3年であって3年を超えていないため,我らの主人公が「貧困」であっても刑事訴訟法37条の2第1項本文の場合に該当しないからです。



オ 刑事被疑者弁護援助制度

 この場合であっても,なお,弁護士と相談して,「刑事被疑者弁護援助制度」という制度を利用する方法が残されています。かつては(財)法律扶助協会が運営していましたが,現在は法テラスが委託を受けて運営している制度です(逮捕段階から利用可能)。ただし,審査の結果,被疑者に弁護費用償還義務があるものとされる場合があります。 (ちなみに,刑事訴訟法1811項は「刑の言渡をしたときは,被告人に訴訟費用の全部又は一部を負担させなければならない。但し,被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるときは,この限りでない。」と規定し,刑事訴訟費用等に関する法律(昭和46年法律第41号)23号は国選弁護人に支給すべき旅費,日当,宿泊料及び報酬を刑事の手続における訴訟費用に含めていますが,「現在の実際的運用では,特段の資産もなく,職をもっていてもさほど高い給料を得ていないような被告人であれば,弁護人が私選の場合には別として,貧困と認められ訴訟費用の負担を命じられないことになるのが通常といってよいようである。」とされています(松本=土本300頁)。)


(4)刑事弁護活動の一例:ある保釈請求成功例

 最近,我らが主人公同様に,弁護人を私選するだけの資力がないが,事件が被疑者国選弁護人を付してもらえるほど重いものではない(法定刑が,3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金)ものであった被告人の国選弁護人を務めましたが,保釈許可を得ることができ,かつ,執行猶予付き判決であったので,「これが起訴前の被疑者段階から弁護人がついていたのなら,そもそも起訴猶予ということで公訴を提起されずに済んだかもしれないし,公訴が提起されても,実際の保釈より2週間は早く保釈されていただろうな。」とかえって気の毒に思ったものです。

 起訴猶予(刑事訴訟法248条)の可能性についてはともかくも,保釈についてですが(保釈は,起訴されて被告人になってから可能になります。),実は,上記国選弁護人の選任は当該被告人の起訴の日から起算して13日目であって,ここで既に12日の遅れが生じていました。弁護人は,急ぎ同日警察署内の留置施設で被告人と第1回接見をし,翌14日目に検察庁で証拠の閲覧・謄写,事件の現場確認及び被告人の家族との面談を行い,15日目(金)には小菅の東京拘置所で第2回接見を行って公判対応の方針決定,翌週保釈請求をする運びとしたところです。(ちなみに,警察署の留置施設の方が近くて,接見をする側からすると便利なところもあるのですが,居住環境や特に食事は,遠いながらも小菅の方がよいそうです。)16日目(土)には,身元引受人となる被告人の奥さんに会って,身元引受書を作成してもらうとともに(ちなみに,旧刑事訴訟法118条は「裁判所ハ検事ノ意見ヲ聴キ決定ヲ以テ勾留セラレタル被告人ヲ親族其ノ他ノ者ニ責付・・・スルコトヲ得/責付ヲ為スニハ被告人ノ親族其ノ他ノ者ヨリ何時ニテモ召喚ニ応シ被告人ヲ出頭セシムヘキ旨ノ書面ヲ差出サシムヘシ」と規定していました。身元引受人及び身元引受書は,同条由来の伝統でしょうか。なお,責付とは,「勾留状の執行を停止すると同時に被告人を其の親族又は其の他適当の者に引渡すことを謂ふ。此の制度は徳川時代に於ける「お預け」(親類預け,五人組預け等)の制度に其の源を有する。」とされています(小野清一郎『刑事訴訟法講義 全訂第三版』(有斐閣・1933年)252頁)。),併せて裁判官に提出する奥さんの上申書の内容を一緒に考えました。17日目(日)には休日ながらも事務所で保釈請求書の起案,18日目(月)は早朝5時に起きて午前7時に奥さんと会って,手書きでしたためられた上申書を受け取り,更に保釈請求書に最後の推敲をして,午前1015分ころ東京地方裁判所刑事第14部に書類一式を提出しました。窓口の書記官の説明では,翌19日目が国民の祝日であるため,検察官の意見(刑事訴訟法921項)は20日目又は21日目に出,裁判官面接は検察官の意見が出た翌日になるだろうということであったため,「国民の祝日」を恨めしく思ったものですが(201454日付け記事参照),休日明けの20日目(水)の午後に裁判官から弁護人に「電話面接」があってそれから1時間もたたずして保釈許可決定が出,21日目(木)の午前に虎ノ門の銀行で大金をおろして11時過ぎに東京地方裁判所出納二課に保釈金納付,1133分に刑事第14部の窓口で手続を終了することができました。同日1233分に東京拘置所に電話をかけるともう釈放手続が始まっているということで,被告人の家族に「早く迎えにいかねば。」と連絡,14時ころめでたく釈放となりました。保釈請求書を提出してから実質3日目に釈放になったわけです。すなわち,当該被告人のそもそもの起訴があったのは金曜日だったのですが,起訴前から保釈請求の準備をしておいて遅くとも翌週月曜日(起訴日から4日目)の朝に保釈請求書を提出していれば,起訴から6日目の水曜日には釈放され得ていた計算になります。「弁護士がいるいない,弁護士が仕事をするしないで,随分違いがあるものだね。」と思ったものです。

 今月(20147月)151343分に日本経済新聞のウェッブ・サイトに掲載された記事(「連絡ミスで保釈3日遅れる 大阪地裁」)によると,「被告は5月に逮捕・起訴され,地裁が6月12日に保釈を認める決定を出した。被告は13日に保釈金を納付したが,地裁の担当書記官が担当の部に連絡せず,保釈金が納付されたことが地検に伝わらなかった。/保釈されないことを不審に思った弁護人が地裁に指摘し,手続きミスが発覚。3日後の6月16日に釈放され,地裁は被告に謝罪と経緯の説明をした。・・・」という事件が大阪地方裁判所であったそうですが,この被告人は,気にしてくれる人がよっぽど少なかった人物だったものでしょうか。(なお,保釈される「被告人は,その日のうちに釈放されるが,帰宅のための交通費さえ所持していないという場合や,家族のもとに帰ろうとしない場合もあるから,弁護人としては,拘置所に出迎えるなり,家族・友人に連絡するなど,きめ細かな配慮を要することもある」とされています(松尾261頁)。)それとも,「まだ釈放されていないんですか。」という執拗な問い合わせにもかかわらず,よっぽど巧妙な「蕎麦屋の出前」的な言い訳がされ続けたものでしょうか。ちょっと不思議です。


(5)再び我が主人公について

 ところで,われらが主人公の保釈の見込みですが,権利保釈の除外事由中,刑事訴訟法89条5号(「被告人が,被害者その他事件の審判に必要な知識を有すると認められる者若しくはその親族の身体若しくは財産に害を加え又はこれらの者を畏怖させる行為をすると疑うに足りる相当な理由があるとき。」)に引っかかるのではないかと心配されるところです。我らが主人公は,何とわずか一人で境内の大勢の商売人のおじさんたちを追い出し,かつ,荒ぶっていたといいますし,以前は家業の建築関係の肉体労働に従事していたといいますから,たくましい筋骨の持ち主であって,必ずしもやさ男ではないようです。おじさんたちは,やはり怖くて逃げたのでしょう。

 さらに権利保釈の除外事由中問題になるのは,刑事訴訟法89条2号(「被告人が前に死刑又は無期若しくは長期10年を超える懲役若しくは禁錮に当たる罪につき有罪の宣告を受けたことがあるとき。」)です。確かに我らが主人公は,かつて,死刑の判決及びその執行まで受けています。しかし,刑の消滅(刑法34条の2)の場合は,同号の適用はないものとされています(松本=土本156頁)。


DSCF0083

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所(渋谷区代々木一丁目572号ドルミ代々木1203

電話:0368683194

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

(読者の方が被疑者・被告人になられることはないでしょうが,念のため,弊事務所をお見知りおきください。)


 



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  ユーモアはファイトの潤滑油である。ユーモアがないと,ファイトはぎすぎすして,磨擦をおこす。ファイトがないと卑屈な追従におちいってしまう。だからいい法律家(ローヤー)であるためには,ぜひともユー〔モ〕アが必要である。刑事訴訟法も実際に運用されるときは,ユーモアでなめらかにされなければならない。(平野龍一「ファイトとユーモア」法律学全集しおり第20号(有斐閣・195812月))

 


1 単純逃走罪と被逮捕者

 「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者が逃走したときは,1年以下の懲役に処す。」と規定される単純逃走罪(刑法97条)については,なぜ刑事訴訟法に基づいて逮捕中の者が逃走した場合には同条は適用されないことになっているのか,という複雑な問題が付随しています。

 我が刑事法制の沿革をさかのぼらねばならない問題です。戦前の資料をはじめとする一次資料に当たることを面倒臭がり下請に適した特殊作業視するようなひ弱い根性では,なかなかいけないのでしょう。ため息が漏れるところですが,1981年から東京大学総長を務めた平野龍一教授(なお同年411日(土)の東京大学入学式における総長祝辞では,専ら文科一類の学生向けの「ファイトとユーモア」の話ではなく,全新入学生向けに,「coolhead」と「warmheart」の必要性が説かれました。)に「逃走罪の処罰範囲」(判時15563-6頁)という名論文があることを最近知りましたので,当該論文を頼りに,検討してみましょう。

 


2 刑法の規定の変遷

明治40年法律第45号である現行刑法制定当初(1907年)の同法97条及び98条は,次のとおりでした(なお,平成7年法律第91号による改正前の現行刑法は以後「原現行刑法」ということにします。)。

 


 97条 既決,未決ノ囚人逃走シタルトキハ1年以下ノ懲役ニ処ス

 第98条 既決,未決ノ囚人又ハ勾引状ノ執行ヲ受ケタル者拘禁場又ハ械具ヲ損壊シ若シクハ暴行,脅迫ヲ為シ又ハ2人以上通謀シテ逃走シタルトキハ3月以上5年以下ノ懲役ニ処ス

 


 「既決,未決ノ囚人」が「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者」になったのは,平成7年法律第91号による改正の結果です。

 原現行刑法の前の旧刑法(明治13年太政官布告第36号)144条本文は,「未決ノ囚人」の逃走罪について次のように規定していました。

 

 144条 未決ノ囚徒入監中逃走シタル者ハ第142条ノ例ニ同シ・・・

 


 旧刑法142条は,次のとおり。

 


 142条 已決ノ囚徒逃走シタル者ハ1月以上6月以下ノ重禁錮ニ処ス

  若シ獄舎獄具ヲ毀壊シ又ハ暴行脅迫ヲ為シテ逃走シタル者ハ3月以上3年以下ノ重禁錮ニ処ス

 


3 旧刑法時代の判例:留置された現行犯被逮捕者=未決ノ囚徒

この旧刑法時代の判例(大判明治35422日刑録84170頁)においては「逮捕されて留置されている者も「未決の囚人」であるとしていた」こと及び「学説も(小野〔清一郎〕説が出るまでは)一致してこれを支持していた」ことが,平野総長によってまず指摘されています(平野論文3頁)。当該判例の該当部分は次のとおり。(実は当該判例によれば,逮捕段階で既に「未決ノ囚徒」であって,留置までは不要であるように読めます。)

 


・・・警察官カ刑事訴訟法第58条ノ規定ニ基キ禁錮ノ刑ニ該ルヘキ軽罪ノ現行犯人ヲ認知シ令状ヲ待タスシテ之ヲ逮捕シタルトキハ其未決ノ囚徒タルコト論ヲ待タス又其囚徒ニシテ監獄ノ一部ナル警察署ノ留置場ニ拘禁セラルニ於テハ其入監中ナルコトモ亦明カナルニ依リ若シ該囚徒逃走スルトキハ刑法第144条第142条ヲ適用処断スヘキハ当然ナリ然ルニ原判決ハ被告Hカ窃盗ノ現行犯トシテ逮捕セラレ明治341212日夜岡山県岡田警察分署留置場第2房ニ留置中逃走シタル事実ヲ認メナカラ令状ノ執行ニ依リ入監シタルモノニアラサルニ付其所為罪トナラストシ無罪ヲ言渡シタルハ上告論旨ノ如ク擬律ノ錯誤ニシテ破毀ヲ免カレサルモノトス・・・

 


4 現行刑事訴訟法より前の刑事訴訟法典

 


(1)4代の刑事訴訟法典

さて,当該判例中の「刑事訴訟法」とは,もちろん現行の刑事訴訟法ではありません。旧々刑事訴訟法です。我が国の近代的刑事訴訟法典は,実は4代を経ています。

 


治罪法(明治13年太政官布告第37号)(ボアソナードの草案をもとに制定。フランス流)

(旧々)刑事訴訟法(明治23年法律第96号)(「明治刑訴」ともいう。)

(旧)刑事訴訟法(大正11年法律第75号)(ドイツ法系に転化)

刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)

 


1907年の原現行刑法制定時の刑事訴訟法は,旧々刑事訴訟法でした。したがって,原現行刑法の逃走罪の規定は,旧々刑事訴訟法の仕組みを前提としていたことになります。

 


(2)旧々刑事訴訟法における逮捕の限定:現行犯逮捕

旧々刑事訴訟法58条1項は次のとおり。現行犯逮捕に関する規定です。

 


58条 司法警察官及ヒ巡査,憲兵卒其職務ヲ行フニ当リ重罪又ハ禁錮ノ刑ニ該ル可キ軽罪ノ現行犯アルコトヲ知リタルトキハ令状ヲ待タスシテ被告人ヲ逮捕スヘシ

 


 ところで,旧々刑事訴訟法に基づく逮捕は限定されていました。

 


・・・明治刑訴では,逮捕は現行犯人について認められたほか,所在不明の被告人について,予審判事の請求にもとづき,検事が発する逮捕状によって認められていた(この場合逮捕状は勾留状と同一の効力を持っていた。80条)。(平野論文5頁)

 


ここでの「逮捕状」は,実質は勾留状で,かつ,既に予審の始まっている被告人について発せられます。(公訴提起前の)捜査過程において捜査機関が被疑者を逮捕するための現行刑事訴訟法の逮捕状とは異なります。旧々刑事訴訟法時代においては,現行刑事訴訟法における逮捕状による被疑者の逮捕に相当する制度は存在せず,現行犯逮捕が認められているだけであったわけです。

 


(3)予審と予審における強制処分

なお,予審とは検事の請求によって開始される裁判所の手続です。旧刑事訴訟法288条は「公訴ノ提起ハ予審又ハ公判ヲ請求スルニ依リテ之ヲ為ス」と規定していました。「予審ハ被告事件ヲ公判ニ付スヘキカ否ヲ決スル為必要ナル事項ヲ取調フルヲ以テ其ノ目的」とするものでした(旧刑事訴訟法2951項)。「裁判所に於ける手続を予審(Voruntersuchung)及び公判(Hauptverhandlung)に分つことは1808年のフランス治罪法以来近代刑事訴訟に於ける一般の構造となつてゐる」ものとされていました(小野清一郎『全訂第三版刑事訴訟法講義』(有斐閣・1933年)388頁)。予審を行う「予審判事は形式上裁判官たる地位を有するけれども,其の実質においては裁判官と謂ふことは出来ぬ。何故なれば,自ら事件そのものに付て裁判を下すものではないからである。其の行ふところの手続は形式上審理であるけれども,しかも其の実質に於ては事件を公判に付すべきか否を決定すると同時に,公判の審理に対して証拠を集収し,保全するといふことを目的とする。この点からは予審手続は寧ろ捜査手続の延長と見るべきもの」でした(小野・刑訴法392-393頁)。旧刑事訴訟法以前においては「強制処分は刑事訴訟法上原則として裁判機関に属し,捜査機関たる検事又は司法警察官は別段の規定ある場合を除く外自ら強制の処分を為すことを得」ませんでした(小野・刑訴法236頁)。これに対して予審判事は,勾引等の強制処分を自らすることができたところです(旧刑事訴訟法122条,169条,179条,213条等)。

 


5 監獄則

 なお,前記明治35年判例に係る検察側の上告趣意書では,旧刑法144条の「入監中トハ法律ノ規定ニ従ヒ法定ノ獄舎ニ投セラレタルモノヲ指シタルコト疑ヲ容レサル所ナレハ司法警察官カ刑事訴訟法第58条ノ規定ニ基キ令状ヲ待タスシテ被告人ヲ逮捕シ監獄ノ一部ナル警察ノ留置場(監獄則第1条第5号参照)ニ拘禁セシモノ入監中ナルコト明白ナリ」と説かれていたとされているので,当時の監獄則(明治22年勅令第93号)1条を見てみましょう。

 


第1条 監獄ヲ別テ左ノ6種ト為ス

  一 集治監 徒刑流刑及旧法懲役終身ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

  二 仮留監 徒刑流刑ニ処セラレタル者ヲ集治監ニ発遣スル迄拘禁スル所トス

   三 地方監獄 拘留禁錮禁獄懲役ニ処セラレタル者及婦女ニシテ徒刑ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   四 拘置監 刑事被告人ヲ拘禁スル所トス

   五 留置場 刑事被告人ヲ一時留置スル所トス但警察署内ノ留置場ニ於テハ罰金ヲ禁錮ニ換フル者及拘留ニ処セラレタル者ヲ拘禁スルコトヲ得

   六 懲治場 不論罪ニ係ル幼者及瘖唖者ヲ懲治スル所トス

 


 しかし,上記監獄則1条5号の文言を見ると,留置場に入り得るのは「刑事被告人」ですね。現行犯人であっても,現行犯逮捕されただけではまだ被告人ではないように思われ,疑問が生ずるところです。しかしながら,前掲の旧々刑事訴訟法58条を改めて見ると,現行犯逮捕される現行犯人は,既に「被告人」になっています。文言的には平仄は合っています。告訴についても,その段階で「被告人」という語が用いられています(同法491項)。「わが国最初の近代法典である治罪法(1880年)やつぎの明治刑訴法(1890年)には〔起訴便宜主義に係る〕関連規定がないので,当初は〔訴訟条件が具備し犯罪の嫌疑があるときは,検察官は必ず起訴しなければならないとする起訴〕法定主義を採用したものと解されていた。」ということでしょうか(田宮裕『刑事訴訟法〔新版〕』(有斐閣・1996年)173頁)。なお,旧々刑事訴訟法においては,現行犯については,不告不理の原則(「訴えなければ裁判なし」)の例外とされていました(同法142条・143条(検事より先に予審判事が現行犯を認知した場合))。

 ところで,明治22年の監獄則6条は,1889年当初は「新ニ入監スル者アルトキハ典獄先ツ令状又ハ宣告書ヲ査閲シテ之ヲ領シ其領収証ヲ引致シ来リタル者ニ交付シタル後入監セシムヘシ其文書ナクシテ引致セラレタル者ヲ入監セシムルコトヲ得ス」とあって,これでは「令状又ハ宣告書」の無いはずの現行犯逮捕の場合に問題があったように思われます。旧々刑事訴訟法制定後9年たってからの明治32年勅令第344号による監獄則6条の改正は,この点の不整合を解消させるための,あるいは「こっそり」改正であったものでしょうか。当該勅令による改正後の監獄則6条は,次のとおり。「其ノ他適法ノ文書」が効いています。

 


 第6条 新ニ入監スル者アルトキハ令状宣告書執行指揮書其ノ他適法ノ文書ヲ査閲シタル後入監セシムヘシ

 


6 旧刑法から原現行刑法(平成7年改正前)へ

 


(1)未決ノ囚人の単純逃走罪における「入監中」の文字の取り去り

 さて,旧刑法144条に戻りますと,「未決ノ囚徒入監中逃走シタル」とあり,例えば,勾留状を執行された者が入監前に逃走したときは,逃走罪は成立しませんでした。

 ところが,原現行刑法97条からは「入監中」の3文字が消えます。平野総長の論文(3頁)が引用する改正理由書の記述は,次のとおり。

 


 「囚人とは既決,未決を問はず監獄に在る可き身分の者を示す意義なるを以て現行法の如く未決の囚人に付きて特に入監中と云うの必要を認めざるのみならず却って疑義を生ずるおそれ」があるからである。

 

 前記明治35年の大審院判例では「警察官カ・・・現行犯人ヲ認知シ令状ヲ待タスシテ之ヲ逮捕シタルトキハ其未決ノ囚徒タルコト論ヲ待タス」としていましたから,現行犯逮捕された留置前の現行犯人も「監獄に在る可き身分」の「囚人」ということになるのでしょうか。しかし,囚人の「囚」の字は,角川『新字源』によると会意文字で,「人を囲いの中に入れたさまにより,「とらえる」意を表わす」ものとされ,また,「囚人」及び「囚徒」は「罪を犯して,牢屋に入れられている人。罪人。めしうど。」となっていますから,まだ牢屋の囲い(「囗」)の中に入っていない「人」を「囚」人というのには若干の違和感があるところです。さりながら,対応するドイツの用語はGefangeneであり,フランスの用語はdétenuであって,監獄に入れられているところまでは必要とされていないようです。

 


(2)二つの解釈

 原現行刑法においては,1907年の制定当初には,現行犯で逮捕されてから留置されるまでの間においても,当該現行犯人が逃走した場合には単純逃走罪が成立するものとし,旧刑法144条よりも犯罪の成立範囲を拡張したものであったのでしょうか(前記明治35年の大審院判例における「未決ノ囚徒」の解釈をそのまま維持するとそうなるはずです。)。学説は,留置前の単純逃走罪の成否についてはっきり一致はしていなかったようです(平野論文3-4頁,5頁参照)。平野総長が「逮捕されて留置されている者」が「未決の囚人」であることは「学説も・・・一致してこれを支持していた。」と述べるとき,それは学説が一致する最大公約数的内容であったのでしょう。

 


ア 現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説

平野総長自身は,「監獄に拘禁されざる者は・・・未決の囚人にあらずということがごときは法理の上よりするもまた法文の上よりするも何等の根拠なきものとす」との大場茂馬判事の所説を引用し(平野論文3頁),また,刑法99条の被拘禁者奪取罪について(原現行刑法においては「法令ニ因リ拘禁セラレタル者ヲ奪取シタル者ハ3月以上5年以下ノ懲役ニ処ス」と規定していました。),囚人とは「「監獄にあるべき身分の者」とし,「監獄にある者」とはしていなかった」原現行刑法に係る前記改正理由書を援用して,「勾留状の執行を受け,あるいは逮捕状により逮捕されてまだ収監されていない者も,「拘禁された者」といわざるをえない」と述べていますから(平野論文6頁),現行犯で逮捕されてから留置されるまでの間においても,当該現行犯人が逃走した場合には単純逃走罪が成立することについて,積極に解するものでしょう。これを「現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説」と名付けましょう。

 


イ 現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説

 しかし,最大公約数的学説(現行犯逮捕されても留置されていなければ未決ノ囚人ではないものとする。)もそれなりに理由があるようです。原現行刑法に係る改正理由書の記述は,身柄拘束一般について述べているものではなく,飽くまで「監獄」にこだわっており,また,確かに現行犯逮捕されても全員が「監獄に在る可き身分の者」として留置されるわけではなく,留置の必要なしとして釈放される場合もあったはずです(「其ノ他適法ノ文書」の作成がなければ,監獄則6条によって,入監が許されなかったでしょう。1922年の旧刑事訴訟法127条前段は「司法警察官現行犯人ヲ逮捕シ若ハ之ヲ受取リ又ハ勾引状ノ執行ヲ受ケタル被疑者ヲ受取リタルトキハ即時訊問シ留置ノ必要ナシト思料スルトキハ直ニ釈放スヘシ」と規定していました。)。「未決の囚人に付きて特に入監中と云うの必要を認めざるのみならず却って疑義を生ずるおそれ」という記述についても,囚人が入監しているのは当然のことであるから「特に入監中と云うの必要を認め」ないという趣旨であり(「車に乗する」とは言うべきではない類),入監していない段階で既に「未決ノ囚徒」であるとした前記明治35年判例は,正に,「入監中」という(旧刑法144の)冗語が招いた「疑義」が誤った解釈(「入監中」でない「未決ノ囚徒」もあると解するもの)を導出してしまった一例であると考えられていた,ともいえそうです。「監獄に在る可き身分の者」とは,「いったん収監され」た上,「移監や出廷のため護送中の者や監獄外で作業に従事している者」を(専ら)意味するものである(西田典之『刑法各論 第三版』(弘文堂・2005年)405頁参照),という解釈も可能でしょう。こちらは,「現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説」と呼びましょう。

 


7 監獄法及び旧刑事訴訟法

 


(1)監獄法

 なお,監獄則に代わる法律として,原現行刑法制定後の1908年には監獄法(明治41年法律第28号)が制定されます。制定当初の同法1条及び11条は,次のとおり。

 


 第1条 監獄ハ之ヲ左ノ4種トス

   一 懲役監 懲役ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   二 禁錮監 禁錮ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   三 拘留場 拘留ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   四 拘置監 刑事被告人及ヒ死刑ノ言渡ヲ受ケタル者ヲ拘禁スル所トス

  拘置監ニハ懲役,禁錮又ハ拘留ニ処セラレタル者ヲ一時拘禁スルコトヲ得

  警察官署ニ附属スル留置場ハ之ヲ監獄ニ代用スルコトヲ得但懲役又ハ禁錮ニ処セラレタル者ヲ1月以上継続シテ拘禁スルコトヲ得ス

 

11条 新ニ入監スル者アルトキハ令状又ハ判決書及ヒ執行指揮書其他適法ノ文書ヲ査閲シタル後入監セシム可シ

 


 現行犯逮捕された現行犯人は,旧々刑事訴訟法では「被告人」ですから,「刑事被告人」として拘置監又は留置場に入監したのでしょう。

 

(2)旧刑事訴訟法

 ところが,1922年の旧刑事訴訟法においては,もはや現行犯逮捕された現行犯人を「被告人」とは呼称していませんでした。となると,監獄法1条1項4号及び3項との関係では,現行犯逮捕された現行犯人の起訴前(予審請求又は公判請求の前)の在監の説明は厄介なことになったもののようにも思われます。しかし,旧々刑事訴訟法からの経緯で説明され,問題視されなかったもののようであります。

現行刑事訴訟法の制定時にも,監獄法1条1項4号は改正されていません。

「拘置監に「刑事被告人」すなわち被告人および被疑者を収容するものとし(監114号)」(大谷實『刑事政策講義 第四版』(弘文堂・1996年)288-289頁)という表現に見られるように,監獄法にいう「刑事被告人」は,刑事訴訟法における被告人及び被疑者の総称であると解釈されていたわけです。

 


8 現在の通説

 


(1)小野=団藤説

 さて,学説情況を一変させた小野清一郎博士(第一東京弁護士会会長も務める。)の新説を見てみましょう。平野論文にいわく(4頁)。

 


 ・・・通説に対して異説を唱えられたのは,小野博士であった。博士はいわれる。「未決の囚人とは,刑事被疑者又は被告人として勾留状により拘禁されている者をいう。逮捕状又は勾引状により一時拘禁されている者を含まない(第98条参照)。現行犯として逮捕された者をも含まないであろう。」博士は「第98条参照」とされるだけで,何故逮捕された者を含まないのか,その理由を詳しく述べてはおられない。おそらく,逮捕による拘禁も「一時の拘禁」であり,それならやはり「一時の拘禁」である勾引状の執行による拘禁とおなじように取り扱うべきだ,というのであろう。

 


この小野博士の新説は,「小野,刑法講義各論27頁」(平野5頁)によって出されたそうですが,平野総長は,『刑法講義各論』のどの版を引用しているのか明示してくれていません。同書は,1932年に初版,1945年に全訂版,1949年に新訂版が出,当該新訂版の1950年の重版に当たって「新少年法,新刑事訴訟法,罰金等臨時措置法など,その後の新立法による訂正」が行なわれています(小野清一郎『新訂 刑法講義各論』(有斐閣・1950年(3版))序)。「逮捕状」という記載に注目すると,「旧刑訴では,逮捕は現行犯人についてだけ認められ」ていたのですから(平野論文5頁),逮捕状による通常逮捕の制度の本格導入を伴う「新刑事訴訟法・・・による訂正」がされた1950年以降の版でしょう(第一東京弁護士会図書館にあるものは同年版。文言,頁番号も一致)。

 「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」については加重逃走罪のみが成立して単純逃走罪は成立しないものとされていたことを前提に,現行刑事訴訟上で導入された裁判官の発する逮捕状も従前の勾引状と同様のものと考え,逮捕状により逮捕された者についても加重逃走罪のみが成立して単純逃走罪は成立しないものとする推論が,小野博士においてされたものでしょう(平野論文4頁参照)。その場合,前記明治35年判例で「未決ノ囚人」に含まれるものとされた現行犯逮捕された者の扱いが問題になるのですが,現行刑事訴訟法では「逮捕」といえば逮捕状による逮捕が本道なので,むしろ現行犯逮捕の方がそちらに合わせろということでの「現行犯として逮捕された者をも含まないであろう。」との暫定的な意見表明となったものではないでしょうか。いわゆる側杖(そばづえ)ですね。

 なお,単純逃走罪について小野博士が説くところには,平野総長引用部分の後に,また続きがありました。いわく。

 


・・・旧刑法(第144条)は「入監中」なることを必要とした。現行刑法第97条には其の規定がないけれど,牧野博士は一旦入監したものであることを必要とすると解される。(小野・刑法各論27頁)

 


 後に最高裁判所判事を務めることになる団藤重光教授に至ると,「未決の囚人とは裁判の確定前に刑事手続において拘禁を受けている者,すなわち勾留されている被疑者または被告人である。勾引状の執行を受けた者を含まないことは,98条との対比からあきらかである。逮捕状により,または現行犯人として逮捕された者も含まれない。」とされ(平野論文4頁に引用されている団藤『刑法綱要各論(改訂版)』72頁),現行犯逮捕された者の非「未決ノ囚人」性が躊躇なく肯定されています。現在の通説です。これに対して,「ここでも理由は述べられていないし,判例,学説にもまったく言及されていない。」と,平野総長は不満を表明しています(平野論文4頁)。

なお,小野博士の所説は,「未決ノ囚人」となる拘禁は,「一時拘禁」たる留置では足りず,勾留状による勾留の段階になることまでを要するとするものでしょう。「ドイツやスイスなどでは,単純逃走行為を処罰しない」そうですから(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)527頁),単純逃走罪の主体となる「未決ノ囚人」を従前より限定的に解釈する解釈論であっても,理由が全く無いわけではないということでしょう。ただし,「単純逃走は処罰しないという方法で,逃走罪の成立範囲を限定するのは一つの考え方であるが,囚人の範囲を限定するという技巧的な方法をとることは,妥当とは思われない。」とされています(平野論文6頁)。

 


(2)原現行刑法98条の「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」

 原現行刑法制定時に同法98条の加重逃走罪の主体に「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」が加えられたことの意味が問題になります。平野論文(3頁)の引用する改正理由書の記述は,次のとおり。

 


 現行法〔旧刑法〕に依れば,囚人逃走を為したるときはこれを罪となすと雖も勾引状の執行を受けたる者同一の行為を為したるときは罪責を負担せず・・・改正案は此欠点を補正するため修正を加えたり

 


上記記述の解釈は,現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説と現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説とでは異なるようです。

現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説では,現行犯逮捕されて身柄を拘束された「被告人」が未決ノ囚人である以上,勾引状で身柄を拘束され引致される被告人も当然未決ノ囚人になるので,囚人以外で「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」は証人等ということになるとされるようです(大場茂馬説(平野論文4頁)参照)。

 現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説では,監獄に拘禁されないと囚人ではありませんから,勾引状を執行された証人等のほか,勾引状を執行され,いまだ収監されていない護送中の被告人も「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」に含まれ,他方拘禁後は「未決ノ囚人」となることになります(岡田庄作説(平野論文4頁)参照)。

 ただし,「勾引状の執行を受けた者」の解釈については,「その他の学者はほとんどこの点に触れていない」状況だったそうです(平野論文4頁)。

 原現行刑法の前記改正理由書は,現行犯逮捕及び留置=未決の囚人説に基づいて書かれたものと解すべきでしょうか。「現行法に依れば,囚人逃走を為したるときはこれを罪となす」とありますから,逆にいうと,囚人というのはすべて単純逃走罪の主体となるべきものであって,「現行法」たる旧刑法(第144条)において単純逃走をしても不可罰である入監前の未決ノ囚徒は,実は囚人ではないということになるようだからです。なお,勾引中の証人の逃走が,問題になるほど多かったかどうかは分かりませんが,不出頭の証人に対しては,罰金(過料)の制裁及び費用賠償請求の制度もありました(旧々刑事訴訟法118条)。

平野総長が,未決ノ囚人から現行犯逮捕された者を含む被逮捕者を除外する小野=団藤説を攻撃するため,次のように述べるときの「判例・学説」は,(二通り考えられますが,まず)一応は,最大公約数的な,現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説のことでしょうか(平野論文3頁冒頭参照)。

 


  しかし〔明治40年の原現行刑法の〕立案者は,逮捕された者は囚人に含まれるという判例・学説を前提とし,勾引状を執行された者が逃走しても処罰されないのは法の欠陥であるとして,これを補うために,「勾引状の執行を受けた者」という語を付け加え,あらたに処罰することにしたのである。これによって,囚人のなかに既に含まれていた被逮捕者を条文から除いて不可罰なものとした,あるいはこれを97条から98条に移したとは到底考えられない。・・・(平野論文4頁)

 


 現行犯逮捕されて留置されている現行犯人は未決ノ囚人であるという前例が既に確立しているのであるから,同じ被逮捕者仲間である,逮捕状によって逮捕され,留置された被疑者も未決ノ囚人とせよ,ということでしょうか。

 しかし,「逮捕された者は囚人に含まれるという判例・学説」とあって,「留置」の文言が抜けていますから,現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説に基づく所論のようでもありますし,前記6(2)アからはそのように思われます。

 


(3)平野総長の批判(現行刑事訴訟法の逮捕状と旧々刑事訴訟法の勾引状との相違等)

 現行刑事訴訟法に基づく逮捕状による被疑者の逮捕と,旧々刑事訴訟法による勾引状による被告人の勾引とを同じものとすることはできない,ということが,平野総長が更に説くところの趣旨でしょうか。旧々刑事訴訟法の「勾引は起訴後被告人について,判事の令状によって認められ,勾引して引致した被告人は48時間内に訊問すべしとされていたが,これを留置できる旨の規定はなかった」(同法73条参照)とされる一方,現行刑事訴訟法では「逮捕は身柄を確保する制度である」と述べられています(平野論文5頁)。小野=団藤説が勾引状と逮捕状との同様性を語るとき,そこでいう勾引状としては旧刑事訴訟法の要急事件に係る被疑者に対して検事が発する勾引状(同法123条)が念頭にあるのではないかとも考えられたようですが,「現行刑法は明治刑訴の勾引を前提として作られたのであって,旧刑訴の勾引を前提として議論することはできない。」と断ぜられています(平野論文4頁)。「旧刑訴についてみても,逮捕と勾引とでは,訴訟法上要件・効果に違いがあるのであって,ただ名前だけの違いではない。逮捕状は勾引状に「含まれる」とすることはできないし,「準ずる」とするのも,罪刑法定主義上無理がある。」と追い打ちがかけられています(平野論文4頁)。

 その他,勾留前に留置場にいる段階で,逮捕状で逮捕された被疑者が暴行脅迫して逃走すると加重逃走罪になると解釈する場合(勾引状ノ執行ヲ受ケタル者と同様だから)には,同様の段階で現行犯逮捕された現行犯人が同じことをしても加重逃走罪が成立しないことになるから(未決ノ囚人でもないし,勾引状ノ執行ヲ受ケタル者でもないから)不整合が生ずると,通説に基づく解釈論((すなわち)団藤説)のもたらす不都合な帰結が指摘されています(平野論文4頁)。

 なお,旧刑事訴訟法123条は,次のとおり。

 


 123条 左ノ場合ニ於テ急速ヲ要シ判事ノ勾引状ヲ求ムルコト能ハサルトキハ検事ハ勾引状ヲ発シ又ハ之ヲ他ノ検事若ハ司法警察官ニ命令シ若ハ嘱託スルコトヲ得

  一 被疑者定リタル住居ヲ有セサルトキ

  二 現行犯人其ノ場所ニ在ラサルトキ

  三 現行犯ノ取調ニ因リ其ノ事件ノ共犯ヲ発見シタルトキ

  四 既決ノ囚人又ハ本法ニ依リ拘禁セラレタル者逃亡シタルトキ

  五 死体ノ検証ニ因リ犯人ヲ発見シタルトキ

  六 被疑者常習トシテ強盗又ハ窃盗ノ罪ヲ犯シタルモノナルトキ

 


 第4号が,「既決又ハ未決ノ囚人」ではなく,「既決ノ囚人又ハ本法ニ依リ拘禁セラレタル者」になっていますね。検事が勾引状を発し得る対象の者を広くとるために,「未決ノ囚人」とすると漏れがあるから,「本法ニ依リ拘禁セラレタル者」にしたということであれば,「未決ノ囚人」概念論争にも関係がありそうですが,どうなのでしょうか。(あるいは,「未決ノ囚人」では広くなり過ぎるのでしょうか。)

 


9 平成7年法律第91号による通説の確認

 平野総長の「逃走罪の処罰範囲」論文の結末は,「いずれにせよ,逃走罪の規定はもう一度整理しなおす必要がある。」(6頁)と,平成7年法律第91号による「実質的にみても,妥当な改正とは思われない」改正に対する不満を改めて表明するような形になっています(3頁)。

 しかし,平野総長の後輩ら刑法学界の反応は,次のようなものだったようです。

 


 ・・・立法の沿革等から,逮捕状の執行により留置された被疑者を含むとする見解(平野〔龍一『刑法概説』(東京大学出版会・1977年)〕283頁,同「逃走罪の処罰範囲」判時15563頁)も有力であるが,・・・平成7年の改正により立法的に解決された・・・(西田406頁)

 


 もう終わった議論である,ということのようです。

 


旧網走監獄獄舎(パノプティコンが採用されていました。)DSCF0067


 





弁護士 齊藤雅俊 大志わかば法律事務所 渋谷区代々木一丁目57番2号ドルミ代々木1203 電話: 03-6868-3194 電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp
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1 勾留質問からの逃走と単純逃走罪の成否

 第一次世界大戦の発端となったサライェヴォ事件の百周年記念日を翌日に控えた一昨日(2014627日)の夜,書面作成の仕事の合間に栄養補給のため,事務所の近所の店で油麺を食べつつスマート・フォンでインターネット・ニュースを見ていたところ,

 

 「すわ,違法逮捕か!?」



という記事が目に入り,色めきました。

 同日2322分に日本経済新聞社のウェッブ・サイトに掲載されている,共同通信社のクレジットのある記事(「新潟地裁から容疑者逃走 勾留質問中,5分後に逮捕」)の内容は,次のとおりです(全文。容疑者の名前は仮名)。



  27日午後3時15分ごろ,わいせつ目的略取未遂容疑で逮捕され,新潟市中央区の新潟地裁で勾留質問を受けていた無職,K容疑者(31)が逃走した。約5分後,約350メートル離れた新聞販売店に逃げ込んだところを駆け付けた警察官が取り押さえ,単純逃走容疑で現行犯逮捕した。

  県警と地裁によると,勾留質問は午後3時ごろから地裁1階の勾留質問室で始まり,室内にはほかに男性裁判官と女性書記官がいた。K容疑者はいきなり机の上に立つと,そばの窓の鍵を開け,逃走防止柵を乗り越えて逃げた。けが人はなかった。

  K容疑者は勾留質問が始まる前に裁判官の指示で手錠,腰縄が外されていた。移送を担当した警察官4人は廊下などで警戒していた。地裁職員の大声を聞き建物の外に出た警察官が,裁判所の外で容疑者が走っているのを発見,追いかけて取り押さえた。

  勾留質問中の容疑者の身柄について監督責任がある地裁の青野洋士所長は「国民に不安を与え申し訳ない。再発防止に早急に対策を取りたい」とコメントを発表した。



「わいせつ目的略取未遂容疑で逮捕され,勾留質問(刑事訴訟法2071項,61条)を受けていたのだから,まだ勾留の裁判もされていないということであって,逮捕段階にとどまるから,単純逃走罪(刑法97条)は成立せず,したがって「単純逃走」容疑での現行犯逮捕はあり得ないじゃないか。新潟県警は手続ミスをやらかしたな。」というのが,少なくとも司法試験受験生の真っ先の反応でしょう。



(註)逮捕と勾留

なお,ここで簡単に「逮捕」及び「勾留」に関する手続について説明しますと,警察官が被疑者を「逮捕」しても,それだけではその身柄を留置施設又は刑事施設にずっと拘束できるわけではないことに注意してください。身柄拘束を続けるためには,被疑者を書類及び証拠物とともに検察官に送致し(刑事訴訟法2031項),検察官が裁判官に被疑者の「勾留」を請求し(同法2051項(ただし同項3項)),裁判官が被疑者に被疑事件を告げてそれに関する陳述を聴いた上で(これが前記の記事の「勾留質問」),被疑者を勾留する裁判をしてくれなければなりません。この場合,検察官が勾留請求するのには逮捕時から72時間という時間制限がありますが(刑事訴訟法2052項。この時間制限が守れないのならば被疑者は釈放(同条4項)),いったん勾留するとの裁判が出ると,検察官の勾留請求の日から起算して原則10日間,最大限20日間身柄拘束が継続されることになります(同法208条。ただし,同法208条の2)。短い期間の「逮捕」→長い期間の「勾留」という2段階手続になっていることを頭に入れておいてください。



2 逮捕と単純逃走罪

単純逃走罪について「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者が逃走したときは,1年以下の懲役に処する。」と定める刑法97条(未遂も処罰(同法102条))の解釈としては,「裁判の執行により拘禁された未決の者」には,逮捕されただけの者は含まれないとされています。



逮捕状により,ないし現行犯人として逮捕された者は含まない(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)528頁)



  本罪〔単純逃走罪〕の主体は,平成7年の改正前は「既決又ハ未決ノ囚人」とされていたが,「囚人」という用語はマイナスイメージが強いという理由で現在のように修正された。「裁判の執行により拘禁された」という文言は,逮捕された者を除く趣旨を明確にするために入れられたものである・・・。(西田典之『刑法各論〔第3版〕』(弘文堂・2005年)405頁)

 ・・・未決の者とは,勾留状により拘置所または代用監獄(監獄法13項)に拘禁されている被告人(刑事訴訟法60条以下),被疑者(同法207条)をいうとするのが通説である・・・。(同406頁)。



上記にいう「拘置所または代用監獄」は旧監獄法下での用語で,現在の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律下では,「刑事施設又は留置施設若しくは海上保安留置施設」ということになるのでしょう。



3 逮捕中の被疑者が逃亡した場合の対応

さて,改めて,逮捕された被疑者が逃亡してしまった場合はどうすべきなのでしょうか。



逮捕・勾留の途中に逃亡した場合 逮捕については,引致までに逃亡しても前の逮捕状で逮捕行為を続行すればよいが,引致後は,留置は逮捕自体の内容ではないので原状回復はできず,新逮捕状による(再逮捕となる)ほかはないとされる(もっとも反対説がある)。勾留は一定期間の拘束が裁判の内容なので,勾留状を示して原状回復すればよい。なお,逮捕は逃走罪(刑97条)の対象とならないが,勾留はなるので,それを根拠に逮捕状をえて逮捕できることはもちろんである。(田宮裕『刑事訴訟法』(有斐閣・1992年)9495頁)



 やはり逮捕中の被疑者が逃亡しても単純逃走罪になりませんから,その逮捕からの逃亡行為をもって単純逃走罪を犯すものだとして現行犯逮捕するわけにはいかないわけです。K容疑者の場合は,単純逃走罪での現行犯逮捕ではなくて,わいせつ目的略取未遂容疑で再逮捕の手続をとらなくてはならなかったはずです。



4 勾留の諸段階と単純逃走罪

なお,勾留中の被疑者又は被告人が逃亡するのは単純逃走罪になるのですが,勾留にも段階があり(「勾留とは,被疑者・被告人を拘束する裁判およびその執行をいう。」(田宮82頁)),どの段階まで進めばそこからの逃亡が単純逃走罪になるかが問題になります。

流れとしては,裁判官又は裁判所による勾留の裁判があって勾留状が発せられ(刑事訴訟法62条),原則として検察官の指揮で司法警察職員又は検察事務官が当該勾留状を執行し(同法70条),被疑者又は被告人は,原則として勾留状を示された上(同法732項,3項),指定された刑事施設に引致されます(同条2項。なお,以上につき同法2071項)。刑法97条は,単純逃走罪の成立のためには逃走者が「裁判の執行により拘禁された」者になっていることを要求していますから,「勾留状の執行を受けたが引致中の者は含まれない」ものとされ(西田406頁),「監獄〔刑事施設〕に引き渡される途中で逃走しても,まだ拘禁されてはいないので逃走罪にはならない」わけです(前田528頁)。勾留状の執行を受けた者が刑事施設に引き渡されていなければなりません。

勾留質問がされた裁判所は引致先の刑事施設ではありませんから,まだまだ裁判所段階では,勾留状の執行により拘禁されている状態には至り得ません。



5 様々な記事の書き方




(1)新潟県警察は違法逮捕をしたのか

と,以上のように考えると,前記の記事を書いた共同通信社の記者は,新潟地方裁判所所長の責任者としての見解を求めるだけではなく,「単純逃走罪は成立していないのにKさんを現行犯逮捕したのは,違法逮捕ではないかっ」と新潟県警察本部長をも吊し上げるべきであったようにも思われます。

 とはいえ,そう慌てて早合点で人を非難してはいけません。他の報道機関のウェッブ・サイトを見てみましょう。



(2)そのように読めるもの

 産経新聞のウェッブ・サイトの記事(20146271812分配信),時事通信のウェッブ・サイトの記事(同日1916分配信),毎日新聞のウェッブ・サイトの記事(同日2133分配信)を読んでも,前記日経=共同の記事を読んだときと同じ「違法逮捕?」という結論になります。



(3)既起訴事件に言及するもの及びそこからの推認

 朝日新聞のウェッブ・サイトの記事(同日1931分配信)を見ると,一連の報道は,新潟県警察新発田警察署の報道発表に基づいたもののようです。警察が自ら,「違法逮捕」を得々と自慢するのは変ですね。どうしたものかと記事を最後まで読むと,最後に「K容疑者はこれまで,別の2件の強姦(ごうかん)事件で起訴されている。」とあります。むむ,これはどういうことでしょうか。

 日本テレビ放送網のウェッブ・サイトは「勾留質問」を「拘留質問」とする誤記があったようですが(キャッシュに残っている。),現在は修正されていますね。それはそれとして(しかし,勾留と拘留とは全く異なります。後者は,1日以上30日未満刑事施設に拘置する刑罰ということになってしまいます(刑法16条)。),ここでも記事の最後に,「K容疑者は今月中旬,強姦などの罪で起訴され,その後わいせつ略取未遂の容疑で再逮捕されていた。」と記されています(2014627221分配信記事)。

 どうもK容疑者は,現在強姦罪で起訴されていて,既に被告人として勾留されていたようです。当該勾留については,刑事施設に引致されて,拘禁まで完了していたのでしょうから,確かにこの段階で逃亡すれば単純逃走罪は優に成立しますね。



(4)今回の最優秀記事

 となると,読売新聞のウェッブ・サイトの次の記事(「裁判所の窓から強姦男逃げた,5分後捕まった」。20146272116分配信)が,法律関係者の目からは,他の記事に比べて一番妥当な書き方であるもののように思われます。



  27日午後3時15分頃,新潟市中央区の新潟地裁で,強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された男が,1階の窓から逃走した。

  男は約5分後に警察官らに取り押さえられ,逃走容疑で現行犯逮捕された。

  ・・・K被告は,わいせつ略取未遂容疑で再逮捕され,勾留質問を受けるために警察官と同地裁1階の勾留質問室に入室。手錠と腰縄を外され,裁判官の指示で警察官が室外に出た直後,窓の錠を開けて逃走した。

  ・・・



強姦罪での起訴に係る勾留から逃亡したのですから,それにより単純逃走罪を犯したK被告人はやはり「強姦男」ですよね(どぎつい見出しですが。)。「強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された男」が,「強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された勾留中の男」という記述になっていれば完璧だったのですが。しかし,逮捕されれば当然引き続き勾留されて身柄拘束が続いているものという前提で書くのが新聞記者業界のお約束なのでしょうか。被疑者を身柄拘束から解放するために努力している弁護人からすると,つらい世間常識です。



6 ちょっと単純ではない感想

それはともあれ,本件では,逃亡の場面が裁判所内での勾留質問の場という珍しい所であったというところに真っ先に目が行って,警察官らによるK被告人の身柄再確保に係る法律上の根拠にまで,多くの記者諸氏の頭は十分回らなかったものでしょうか。しかし,当該記事だけを読むと,新発田警察署は違法逮捕をしてしまったのではないかというあらぬ疑いを同署の警察官の方々にかけることになり,さらには司法試験受験生等を始めとする法律関係者の胸を無用にときめかせる(「違法逮捕?それとも俺の単純逃走罪の条文理解が間違ってたっけ?」)こととなるような記事の書き方はいかがなものでしょう。新潟地方裁判所の監督責任云々もありますが,プロであれば,誤解を招かないような記事を書くべき責任もあるわけです。報道機関の記者の方々向けの刑事法セミナーないしは手引き本というようなものも,あるいは企画として成り立ち得るものでしょうか。

たとい虚偽の事実が書かれていなくとも,必要な事実に言及されていないと,とんでもない結論が引き出され得てしまうものです。うそを一切言わずとも,必要な情報を与えないことによって人々を誤導する技術は,確か,「編集の詐術」といったように記憶します。編集の詐術に対しては,反対尋問,そして(悪魔の)弁護人は,やはり無用のものではないようです。

 最後にもう一点。K容疑者の単純逃走罪は既遂であったのか,未遂であったのかの問題があります。単純逃走罪の既遂時期については,「被拘禁者自身が,看守者の実力的支配を脱することである。それは一時的なものであっても足りる。実行の着手時期は,拘禁作用を侵害し始める時点であり,既遂時期は拘禁状態から完全に離脱した時点である。例えば,監獄の外塀を乗り越えれば,通常は既遂となる。しかし,追跡が継続している場合には実力支配を脱したとはいえない(福岡高判昭29112高刑集711)。追跡者が,一時逃走者の所在を見失っても実質的な支配内にある以上未遂である。」(前田528-529頁)とされています。したがって,K被告人の場合,精確には,単純逃走未遂罪で現行犯逮捕されたわけですね。ところで,単純逃走罪は状態犯(法益侵害などの結果発生による犯罪成立と同時に犯罪は終了し,その後は法益侵害の状態が残るにすぎないもの)であるとされています。ということであれば,単純逃走未遂犯の現行犯逮捕は当然可能であるとしても,既遂となった単純逃走犯の現行犯逮捕は概念上難しそうです。緊急逮捕(刑事訴訟法210条)も,単純逃走罪の法定刑は長期1年の懲役であって「長期3年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪」ではありませんから,単純逃走罪を理由としてはできません。勾留状を示しての原状回復か,逮捕状を取っての逮捕になるのでしょう(田宮前出95頁)。

弁護士 齊藤雅俊
大志わかば法律事務所
渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階
電話:03-6868-3194
電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

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1 第一次世界大戦勃発及びサライェヴォ事件の百周年

 今年(2014年)の6月28日は,第一次世界大戦の発端となったサライェヴォ事件から百周年に当たりますから,いろいろ記念行事がされるものと思います。

 当該事件は,1914年6月28日,快晴の日曜日,オーストリア=ハンガリー帝国領ボスニア(1908年に正式に併合)の主都サライェヴォ市を訪問中の同帝国皇嗣フランツ・フェルディナント大公及びその妻ゾフィーが無蓋自動車で移動中,同夫妻を,セルビア民族主義者の19歳の青年ガヴリロ・プリンツィプがピストルで撃って殺害したというもの。当該暗殺には隣国セルビアが関与していたとしてオーストリア=ハンガリー帝国政府はセルビア王国政府を非難。オーストリア=ハンガリー帝国からセルビア王国への最後通牒(同年7月23日)及びセルビア王国の最後通牒一部受諾拒否(同月25日)を経て,1914年7月28日,オーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に宣戦,第一次世界大戦が始まります。

 


2 サライェヴォ事件の事実関係に係る様々な記述

 サライェヴォ事件の具体的な事実関係を見てみましょう。まずは,我が国の標準的な歴史書における記述から。

 


  途中の道筋の変更されたことが運転手には徹底していなかった。陪乗の総督の声に注意され,あわてて方向転換するために車が速度をゆるめたとき,街路からこんどは銃声がおこった。やっぱり,この町は刺客でいっぱいなのだった。〔同じ午前,この前にも,大公夫妻の自動車にカブリノウィッチによって爆弾が投げつけられている。〕皇太子夫妻はしばらく端然としているように見えたが,妃のゾフィーは皇太子の胸に倒れかかり,やがて皇太子の口からは血がほとばしり出て,二人は折り重なって車中に倒れた。自動車はただちに病院に走ったが,傷は致命的だった。大公は,その途中でもみずからの痛みに耐えながら,

  「ゾフィー,ゾフィー,生きていておくれ,子供たちのために!」

 と妃を力づけていたが,まず大公妃が,数分後皇太子が絶命した。銃声がおこってから,わずかに15分ばかりののち,午前1130分ごろであった。

  犯人はガブリエル=プリンチプという19歳の学生であった。セルビア人であったが,国籍はオーストリアにあった。カブリノウィッチもプリンチプも,オーストリアの横暴とボスニアにおけるセルビア人の解放計画とを心にきざみつけられている民族主義者であった。(江口朴郎編『世界の歴史14 第一次世界大戦後の世界』(中公文庫・1975年(1962年))56頁(江口朴郎))

 


 さて,ここで法律家として気になるのは,銃声は1回(観念的競合)だったのか,複数回(併合罪)だったのか。

 


  ・・・しかし,彼の運転手は指示を受けていなかった。彼は間違った角を曲がり,そして車を止め,後退した。〔暗殺団の〕生徒の一人であるガヴリロ・プリンツィプ(Gavrilo Princip)は,自分でも驚いたことに,目の前に車が止まっているのを見た。彼は踏み板に上り(stepped on to the running-board),1弾でもって大公を殺し,前部座席のお付き(an escort)を狙ったが後部座席に座っていた大公の妻を2弾目で撃った。彼女もまた,即死に近い形で死亡した。サライェヴォにおける暗殺は,このようなものであった。(Taylor, A.J.P, The First World War (London, 1963), p.14

 


 2回のようです。

なお,プリンツィプの名がガブリエルであったりガヴリロであったりしますが,どちらも大天使ガブリエルと同じ名ということです。ガヴリロは,セルビア語形でしょうか。英語ならばガブリエルですから,前記日本の歴史書は,ひょっとすると英語文献に基づいて書かれたものなのでしょう。

しかしながら,サライェヴォ事件の顛末については,いろいろと脚色が加えられるに至っているようです。日本語版ウィキペディアで「サラエボ事件」の記事を見てみると,次のようにあります。

 


  ・・・一方,食事を摂るためにプリンツィプが立ち寄った店の前の交差点で,病院へ向かう大公の車が道を誤り方向転換をした事で,プリンツィプはその車に大公が乗っていることに偶然気がついた。ちょうどサンドイッチを食べた後だった彼はピストルを取り出して,車に駆け寄って1発目を妊娠中の妃ゾフィーの腹部に,2発目を大公の首に撃ち込んだ。大公夫妻はボスニア総督官邸に送られたが,2人とも死亡した。

 


 プリンツィプがサンドウィッチを食べていたという話が加えられ(世界史を変えたサンドウィッチということになりますから,大変興味深いエピソードですね。),撃たれた順序が,「大公が先,その妻が後」(Taylor)から「妻が先,大公が後」に変わり,更にフランツ・フェルディナントの妻ゾフィーは妊娠していたことにされています。ゾフィーはプリンツィプの狙撃目標でなかったように読めましたが(Taylor),プリンツィプは胎児もろとも意図的にその命を奪おうとしていたように読めます(後に見るようにゾフィーはオーストリア=ハンガリー帝国の皇族ではなく,その子に同帝国の皇位継承権はありませんでしたから,オーストリア=ハンガリー帝国にのみ抵抗する国事犯ならば,ゾフィー及びその胎児に危害を加えるべきものではなかったはずです。これではただの残忍な手当り次第の人殺しであって,犯情がはなはだ悪いです。)。(なお, キッシンジャーのDiplomacy (1994)では, 最初の暗殺失敗も含めて同一単独犯の犯行ということになっていて, サンドウィッチを食べているどころか, 午前中からカフェでお酒をあおっていたことになっています(Touchstone, p.209)。)

 有名な事件でも,事実認定の細部となると混乱していますね。

 しかし,この事実認定,外国での事件なので外国語での資料を見てみなければなりません。

 


3 外国語で作成された文書の証拠調べについて

ところで,ここで脱線ですが,我が国の裁判所での外国語の文書の取扱いについては,裁判所法74条が「裁判所では,日本語を用いる。」と規定していることとの関係で問題となります。

 


(1)民事訴訟の場合

 民事訴訟については,民事訴訟規則138条が次のように規定しています。

 


  (訳文の添付等)

 第138条 外国語で作成された文書を提出して書証の申出をするときは,取調べを求める部分についてその文書の訳文を添付しなければならない。〔後段略〕

 2 相手方は,前項の訳文の正確性について意見があるときは,意見を記載した書面を裁判所に提出しなければならない。

 


 「訳文の内容について当事者間に争いがないときは,基本的には訳文の正確性は問題にしないで,裁判所もその訳文に基づき審理を行うことが一般的であった」実務の取扱いが,明文で追認されています(最高裁判所事務総局民事局監修『条解民事訴訟規則』(司法協会・1997年)294頁)。すなわち,「訳文の正確性」は,当事者が気にしなければ裁判所は原則的に気にしないことになっているのですね。いちいち偉い翻訳者を雇わずとも,英語やらフランス語やらドイツ語について当ブログでよくあるように,訴訟代理人弁護士が自力で訳を作るということでよいようです。なお,訴状や準備書面については日本語を使用しなければならないことは,裁判所法74条により当然のこととされています(最高裁判所民事局監293頁)。

 


(2)刑事訴訟の場合

 刑事訴訟については,証拠書類又は証拠物中書面の意義が証拠となるものの取調べは公判廷において(刑事訴訟法2821項)その朗読(同法30512項,307条)又は要旨の告知(刑事訴訟規則203条の2)によってするものとされていますが,外国語による証拠書類等については,日本語の訳文の朗読(又はそれについての要旨の告知)がされなければならないことになります。「原文を合わせて朗読しなければならないかどうかについては,見解が分かれている」とされており,最高裁判所の昭和271224日判決(刑集6111380)を参照すべきものとされています(松本時夫=土本武司編著『条解 刑事訴訟法〔第3版増補版〕』(弘文堂・2006年)600頁)。当該昭和27年最高裁判所判決の「裁判要旨」は,「英文で記載した証拠書類がその訳文とともに朗読されている場合には,その証拠調をもつて裁判所法第74条に違反するものということはできない。」というものですから,原文の朗読は許容されているものであって必須ではないということでしょうか。ただし,当該判決の「裁判要旨」は敷衍されたものであって,判決の本文自体においては,「(なお,第一審判決が証拠としているCIDの犯罪捜査報告書とは犯罪調査報告として訳文のある調査報告書の一部を意味すること明らかであつて,これについては適法に証拠調べをしたことが認められる。)」と括弧書きで述べられているだけです。なお,訳文が添付されていない外国語による証拠書類等については,「国語でない文字又は符号は,これを翻訳させることができる。」とする刑事訴訟法177条に基づいて,裁判所は翻訳人に翻訳させることができます。上告趣意書(上告の申立ての理由を明示するもの(刑事訴訟法407条))について,「被告人本人は,上告趣意書と題する書面を提出したが,その内容は中国語で記載されており,日本語を用いていないから,裁判所法74条に違反し不適法である。従てこれに対し説明を与える限りでない。」と多数意見において判示した判例があります(最決昭和35年3月23日・刑集144439)。すなわち,日本語は,the Chinese languageの一種の方言であるわけではありません。

 


4 ウィキペディアと形式的証拠力

 また,民事訴訟法228条1項は,「文書は,その成立が真正であることを証明しなければならない。」と規定しています。ここでいう真正とは,「文書が挙証者の主張する特定人の意思に基づいて作成された場合に,訴訟上,その文書の成立が真正であるという」というものです(新堂幸司『新民事訴訟法 第二版』(弘文堂・2001年)541頁)。文書とは,「概ね,文字その他の記号の組合せによって,人の思想を表現している外観を有する有体物」と定義されています(司法研修所編『民事訴訟における事実認定』(法曹会・2007年)5253頁)。

 ウィキペディアの記事をプリント・アウトしたものを民事訴訟の場に証拠として提出する場合はどうなるのでしょうか。前記の「文書」の定義からすると,当該プリント・アウトは文書ということになるようです。そうなると,民事訴訟法228条1項によってその成立の真正を証明しなければならないようなのですが,ウィキペディアの記事は不特定の人々によって書かれたものですから,「特定人の意思に基づいて作成された」ものとはいえないようです。「例外的に,文書を特定人の思想の表現としてでなく,その種の文書の存在を証拠にする場合(たとえば,ビラや落書を当時の流行や世論の証拠として用る場合)は,それに該当する文書であれば足り,だれの思想の表現であるかは問題にならない」から,形式的証拠力(「文書の記載内容が,挙証者の主張する特定人の思想の表現であると認められること」)は問題にならない(新堂541頁),との解釈でいくべきでしょうか。なお,「現行民訴法には証拠能力の制限に関する一般的な規定はおかれておらず,自由心証主義の下,・・・証拠調べの客体となり得ない文書(証拠として用いられるための適格を欠く文書)は基本的に存在しないと解されてい」ます(司法研修所編72頁)。

 


5 サライェヴォ事件の事実関係に係るプリンツィプの伝記作家ティム・ブッチャーの主張 

 プリンツィプの伝記であるThe Trigger: Hunting the Assassin Who Brought the World to War” Chatto&Windus, 2014)を書いたティム・ブッチャーによれば(すなわち形式的証拠力のある(インターネット上の)文書(centenarynews.com, 28 May 2014)によれば),暗殺前にプリンツィプが街角のカフェにサンドウィッチを食べに立ち寄ったという事実はなく,プリンツィプは大公の車の踏み板に上ってはおらず(A.J.P. Taylorも余計なことを書いているわけです。),大公の妻ゾフィーは暗殺された時に妊娠しておらず,暗殺された夫妻の結婚記念日は6月28日ではなかったとされています。さらにブッチャーによれば,「逮捕されるプリンツィプ」として広く流布されている有名な写真に写っている人物は,実はプリンツィプではなく,別人であって,プリンツィプが群衆に殺されそうになっているのを止めようとして警察官に阻止されているサライェヴオの一市民Ferdinand Behrであるそうです。

 プリンツィプが暗殺前にサンドウィッチを食べていたという話は,暗殺の現場が,Schillerのデリカテッセン屋の前であったことから思いつかれたもののようです。英語でデリカテッセンといえば,まずはサンドウィッチが連想されるということでしょう。マイク・ダッシュ氏は(smithsonianmag.com, 15 September 2011),サンドウィッチのエピソードが広く流布したのは2003年の英国のテレビ・ドキュメンタリー番組“Days That Shook the World”で紹介されてからであろうとし,それ以前の段階では,ブラジルの娯楽小説『十二本指』(英訳本は2001年出版)において,フランツ・フェルディナントの暗殺直前に当該小説の主人公(左右の手それぞれに6本の指を持つプロの暗殺者。我がゴルゴ13のようなものか。)にサライェヴォの現場の街角で遭ったものとされたプリンツィプが,ちょうどサンドウィッチを食べていたというお話が描かれていた,と報告しています。

 ゾフィーの妊娠も,暗殺された時の年齢が,夫50歳,妻46歳であったことからすると,考えられにくいですね。

 


6 プリンツィプの犯罪に対する適用法条

 第一次世界大戦では何百万という人が命を落とすことになりましたが,この大惨事を惹き起こした当のプリンツィプはどうなったのでしょうか。暗殺直後にオーストリア=ハンガリー帝国の官憲に逮捕されたといいますから,裁判を経て死刑でしょうか。

これが当時の大日本帝国であれば,当然,死刑及びピストル没収でしょう。

 


(1)当時の日本法に準じた場合

 すなわち,フランツ・フェルディナントの殺害は我が刑法(明治40年法律第45号)旧75条(「皇族ニ対シ危害ヲ加ヘタル者ハ死刑ニ処シ危害ヲ加ヘントシタル者ハ無期懲役ニ処ス」)前段に当たり,ゾフィーの殺害は同法199条(「人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ3年以上ノ懲役ニ処ス」)に当たり,両者は併合罪(同法45条)の関係になって(ピストルから1回撃った1個の銃弾で二人を殺したのではないから,観念的競合の場合(同法541項前段)には当たりません。),同法旧75条前段の死刑が科されて同法199条の刑は科されず(同法461項本文),暗殺に用いられたピストルは犯罪行為の用に供した物(同法1911号)ですから,当該ピストルが犯人以外の者に属するものでない限り(同条2項)没収され得ます(同条1項柱書き)。1914年当時,いまだ(旧)少年法(大正11年法律第42号)は制定されていません。

 なお,フランツ・フェルディナントはオーストリア=ハンガリー帝国の皇嗣ではありましたが,皇帝フランツ・ヨーゼフの甥ではあっても子でも孫でもないので,刑法旧73条(「天皇,太皇太后,皇太后,皇后,皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」)の適用はありません。明治の皇室典範15条は「儲嗣タル皇子ヲ皇太子トス皇太子在ラサルトキハ儲嗣タル皇孫ヲ皇太孫トス」と規定し,伊藤博文の『皇室典範義解』は同条につき「今既に皇位継承の法〔皇室典範〕を定め,明文の掲ぐる所と為すときは,立太子・立太孫の外,支系より入て大統を承くるの皇嗣は立坊の儀文に依ることを須ゐず。而して皇太子・皇太孫の名称は皇子皇孫に限るべきなり。」と解説しています。

 ゾフィーは身分が低いため皇族扱いされていなかったそうですから,皇族に係る刑法旧75条の保護対象にはなりません。明治皇室典範30条は,親王妃及び王妃(親王の妻及び王の妻)も皇族と称えるものとしていましたが,同39条は「皇族ノ婚嫁ハ同族又ハ勅旨ニ由リ特ニ認許セラレタル華族ニ限ル」としており,正式な配偶者となり得る者の範囲は我が皇族についても限定されていました。とはいえ,我が明治皇室典範4条は「皇子孫ノ皇位ヲ継承スルハ嫡出ヲ先ニス皇庶子孫ノ皇位ヲ継承スルハ皇嫡子孫皆在ラサルトキニ限ル」と,同8条は「皇兄弟以上ハ同等内ニ於テ嫡ヲ先ニシ庶ヲ後ニシ長ヲ先ニシ幼ヲ後ニス」と規定しており,庶出であっても皇位継承権が否定されていたわけではありませんでした。しかしながら,これに対して,ハプスブルク家のフランツ・フェルディナントとゾフィーとの間に生まれる子については,オーストリア=ハンガリー帝国においては,厳しく,皇位継承権はないものとされていました。

 刑法199条の懲役刑の短期が3年から5年になったのは,平成16年法律第156号によるもので,2005年1月1日からの施行です(同法附則1条,平成16年政令第400号)。

 


(2)19世紀オーストリア=ハンガリー帝国法の実際

 しかしながら,オーストリア=ハンガリー帝国においては,プリンツィプは死刑にはなりませんでした。

 


  のちに二人〔プリンチプ及びカブリノウィッチ〕は未成年のため死刑をまぬかれ,20年の懲役を宣告されて入獄したが,いずれも肺結核患者であり,カブリノウィッチは1916年1月に,プリンチプは1918年春に病死して,この大戦の放火者たちは大戦の終結を知らずして短い生命を終わった。(江口編6頁(江口))

 


 当時のオーストリア=ハンガリー帝国の刑法はどうなっていたのか,ということが問題になります。訴訟の場面において,「法規を知ることは裁判官の職責であるから,裁判官は,当事者の主張や証明をまたずに知っている法を適用して差しつかえない」のですが,「外国法,地方の条例,慣習法などを知っているとは限らず,そのままではこれを適用されないおそれがあ」り,「そこで,その適用を欲する者は,その法の存在・内容を証明する必要があ」ります(新堂463頁)。

 1852年のオーストリア刑法52条後段は,次のとおり。

 


 Wenn jedoch der Verbrecher zur Zeit des begangenen Verbrechens das Alter von zwanzig Jahren noch nicht zurückgelegt hat, so ist anstatt der Todes- oder lebenslangen Kerkerstrafe auf schweren Kerker zwischen zehn und zwanzig Jahren zu erkennen.

 


 民事訴訟規則138条1項に従って訳文を添付すると,次のとおり。

 


 ―ただし,犯人が罪を犯す時20歳に満たない場合は,死刑又は無期禁錮刑に代えて,10年以上20年以下において重禁錮に処する。

 


 プリンツィプは1894年7月25日の生まれということですから,1箇月弱の差で死刑を免れました。(なお,プリンツィプが獄死したのは1918年4月28日とされていますが,「29日」とする人名事典が書店で見かけられたところです。)

 我が少年法(昭和23年法律第168号)51条1項は「罪を犯すとき〔ママ〕18歳に満たない者に対しては,死刑をもつて処断すべきときは,無期刑を科する。」と規定しています。これに比べて,オーストリア帝国は18歳と19歳とに対して優しかったわけです。

 しかし,我が旧刑法(明治13年太政官布告第36号)は次のように規定しており,その第81条を見ると,やはり犯行時満20歳になっていなかった者は最高刑の死刑にはならなかったようです(「本刑ニ1等ヲ減」じられてしまう。)。オーストリア刑法ばかりが20歳未満の者に対して優しいものであったというわけではありません。

 


79条 罪ヲ犯ス時12歳ニ満サル者ハ其罪ヲ論セス但満8歳以上ノ者ハ情状ニ因リ満16歳ニ過キサル時間之ヲ懲治場ニ留置スルヲ得

80条 罪ヲ犯ス時満12歳以上16歳ニ満サル者ハ其所為是非ヲ弁別シタルト否トヲ審案シ弁別ナクシテ犯シタル時ハ其罪ヲ論セス但情状ニ因リ満20歳ニ過キサル時間之ヲ懲治場ニ留置スルヲ得

若シ弁別アリテ犯シタル時ハ其罪ヲ宥恕シテ本刑ニ2等ヲ減ス

81条 罪ヲ犯ス時満16歳以上20歳ニ満サル者ハ其罪ヲ宥恕シテ本刑ニ1等ヲ減ス

 


 なお,1923年1月1日から施行された旧少年法は,次のように規定していました。16歳未満について原則として死刑及び無期刑がないものとされています。

 


 第7条 罪ヲ犯ス時16歳ニ満タサル者ニハ死刑及無期刑ヲ科セス死刑又ハ無期刑ヲ以テ処断スヘキトキハ10年以上15年以下ニ於テ懲役又ハ禁錮ヲ科ス

刑法第73条,第75条又ハ第200条ノ罪ヲ犯シタル者ニハ前項ノ規定ヲ適用セス

 


 ただし,第2項によれば,天皇及び皇族に対し危害を加え,若しくは加えようとし,又は尊属殺人を犯したときは,14歳以上でさえあれば(刑法41条),16歳未満であっても容赦はされなかったわけです。

 


7 暗殺者プリンツィプの情状に係る弁論

 現行犯ですから,フランツ・フェルディナント夫妻を殺害したという事実はなかなか争えません。プリンツィプの弁護人は,20年の重禁錮を何とか10年に近づけるべく,情状弁護で頑張ろうと考えたものでしょうか。

 情状として,どのような事項に着目すべきかについては,検察官の起訴裁量に係る刑事訴訟法248条がよく挙げられます。

 


 248条 犯人の性格,年齢及び境遇,犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは,公訴を提起しないことができる。

 


なるほど,ということになるわけですが。なおまだまだ抽象的です。この点,刑法並監獄法改正調査委員会総会決議及び留保条項に係る未定稿の改正刑法仮案(1940年)の次の条項は,具体的なものとなっており,参考になります。

 


 57条 刑ノ適用ニ付テハ犯人ノ性格,年齢及境遇並犯罪ノ情状及犯罪後ノ情況ヲ考察シ特ニ左ノ事項ヲ参酌スヘシ

  一 犯人ノ経歴,習慣及遺伝

  二 犯罪ノ決意ノ強弱

  三 犯罪ノ動機カ忠孝其ノ他ノ道義上又ハ公益上非難スヘキモノナリヤ否又ハ宥恕スヘキモノナリヤ否

  四 犯罪カ恐怖,驚愕,興奮,狼狽,挑発,威迫,群集暗示其ノ他之ニ類似スル事由ニ基クモノナリヤ否

  五 親族,後見,師弟,雇傭其ノ他之ニ類似スル関係ヲ濫用又ハ蔑視シテ罪ヲ犯シ又ハ罪ヲ犯サシメタルモノナリヤ否

  六 犯罪ノ手段残酷ナリヤ否及巧猾ナリヤ否

  七 犯罪ノ計画ノ大小及犯罪ニ因リ生シタル危険又ハ実害ノ軽重

  八 罪ヲ犯シタル後悔悟シタリヤ否損害ヲ賠償シ其ノ他実害ヲ軽減スル為努力シタリヤ否

 


 被告人プリンツィプの犯罪の決意は強いものでした(第2号)。オーストリア=ハンガリー帝国の統治を否認して,帝国の皇嗣を殺したのであるから帝国臣民としての忠の道に反するものであって,道義において言語道断(第3号),多文化多民族のヨーロッパ主義という公益にも反します(同号)。セルビア民族主義は,オーストリア=ハンガリー帝国当局の立場からすれば危険思想であって,それをもって宥恕するわけにはいかないでしょう。計画的犯行であって,恐怖,驚愕等によって犯されたものでは全くありません(第4号)。セルビア王国の要人の影までが背後にちらつく国際的陰謀の一環ということになれば,犯罪の計画は大であって,当該犯罪は帝国に危険をもたらし,かつ,害をなしたものであります(第7号)。また,プリンツィプは,セルビア民族主義の志士たらんと欲せば,当然悔悟の情など示さなかったものでしょう(第8号)。何だか検察官の論告になってきましたね,これでは。

 被告人プリンツィプは,本件犯行において,親族,後見,師弟,雇傭等の関係を濫用し,又は蔑視したわけではありません(第5号),と言ってはみても,だからどうした,マイナスがないだけだろう,ということになるようです。被告人プリンツィプは貧乏で,結核にかかった可哀想な少年なのです(第1号),本件犯行は失敗しかかっていた暗殺計画が偶然によって成功してしまったものであって,巧猾なものでは全くありません(第6号),といったことを強調したのでしょう,プリンツィプの弁護人は。

 


8 第一次世界大戦とオーストリア=ハンガリー帝国の実力

 さて,1914年7月28日のオーストリア=ハンガリー帝国のセルビア王国に対する宣戦布告に続く諸国の動きはどうだったかというと,同月30日にロシアが総動員を発令,2日後の8月1日にはフランス及びドイツがそれぞれ総動員を発令して,同日,ドイツはロシアに宣戦を布告します。有名なシュリーフェン・プラン下にあったドイツ軍は,同月2日にルクセンブルクに,同月3日にはベルギーに侵入して,同日ドイツはフランスに宣戦を布告しました。同月4日には,英国の対独宣戦,ドイツの対ベルギー宣戦が続きます。しかして,そもそもの出火元であるオーストリア=ハンガリー帝国は,何をしていたのか。

 


  哀れな老オーストリア=ハンガリーは一番もたついた(took longest to get going)。すべての激動を始めた(started all the upheaval)のは同国であったのにもかかわらず,交戦状態に入ったのは最後になった(the last to be involved)。ドイツに促されてロシアに宣戦したのは,やっと8月6日だった。オーストリア=ハンガリー軍がセルビア侵攻のためにドナウ川を渡ったのは8月11日であったが,結果は芳しくなかった(to no good purpose)。2箇月ほどのうちにオーストリア=ハンガリー軍は撃退され(thrown out),セルビア軍はハンガリー南部に侵入した。(Taylor, p.21

 


 ドイツはなぜ,上記「ぬるい」有様であるオーストリア=ハンガリー帝国の側に立って,第一次世界大戦のドンパチを始めてしまったのでしょうかねぇ。7月28日の宣戦に続くべき大国オーストリア=ハンガリー帝国から小国セルビア王国への武力攻撃に対して,スラヴ民族・正教徒仲間のロシア帝国がセルビア王国のための集団的自衛権発動の準備として総動員を発令したところ,それがドイツ帝国の軍部を刺激して,対仏露二正面作戦のシュリーフェン・プラン発動のボタンを押させてしまったということでしょうか。結果として見れば,ロシアの助太刀がなくとも,セルビア軍はオーストリア=ハンガリー帝国軍相手に結構いい勝負ができていたかもしれないように思われます。

 


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(後記)上掲の写真のサンドウィッチは,世界史を大きく変えたものではありませんが,依頼者さまの正当な利益の実現のために入念の訴状を仕上げるに当たって,精力的に仕事をこなすために必要なエネルギーを補給してくれたものです。ただし,弁護士(avocat)がアボカド(avocat)・サンドウィッチを食べたのですから,フランス語的には共食いですね。(相手方の訴訟代理人弁護士(avocat)の先生には申し訳ありません。)

 赤くつややかな大粒のさくらんぼは,以前の法律相談の依頼者の方から,お礼にということで頂いたものです。今後とも,依頼者の皆さまの信頼に応え,満足していただける仕事を続けていこうと,甘くおいしいさくらんぼを次々と口に運びながら,改めて心に誓ったものでした。

 本ブログの読者の方の中にも,法律関係で何か問題等を抱えることになってしまった方がいらっしゃいましたら,お一人で悩まずに,ぜひお気軽にお電話ください。

 


弁護士 齊藤雅俊

 大志わかば法律事務所

 東京都渋谷区代々木一丁目57番2号ドルミ代々木1203

 電話: 0368683194

 電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp

 

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