カテゴリ: 刑法

1 横領の罪と「横領」の語と

 1907年制定の我が現行刑法(明治40年法律第45号)の第38章の章名は「横領の罪」とされ,同章冒頭の同法2521項は「自己の占有する他人の物を横領した者は,5年以下の懲役に処する。」と規定しています。

「横領」とは,国語辞典的には「人の物を不法に自分のものとすること。横取りすること。横奪。押領(おうりょう)。」という意味であるものとされています(『日本国語大辞典第二版第2巻』(小学館・2001年)885頁)。

法律的には,刑法2521項の単純横領罪について「「横領」とは,自己の占有する他人の物を不法に領得することをいい,それは,不法領得の意思を実現するすべての行為を意味する。その不法行為の意思が確定的に外部に発現されたとき,本罪は既遂になる。」ということであって(末永秀夫=絹川信博=坂井靖=大仲土和=長野哲生=室井和弘=中村芳生『-5訂版-犯罪事実記載の実務 刑法犯』(近代警察社・2007年)533頁。下線は筆者によるもの),具体的には,「売却,入質,貸与,贈与,転貸(以上は物の法律的処分),費消(物の物質的処分),拐帯,抑留,隠匿,着服(以上は物の事実的処分)などによって行なわれる」ものとされています(同頁)。なお,不法領得の意思の存在それ自体のみでは犯罪とはならず,行為を要するわけです。

 「横領」は,今日,広く理解された日常的概念であるように思われます。

 

2 明治の新造語であった「横領」

 しかしながら,「横領」は,実は明治時代における新造語であって,我が日本語の伝統的語彙には含まれていないものだったのでした。

『日本国語大辞典第二版第2巻』には「「横領」の語形は明治期まで資料に見当たらないが,明治15年〔1882年〕までに脱稿したとされる「稿本日本辞書言海」に「わうりやう 横領 恣ニ他ノ物ヲ奪フ事,ヨコドリ,横奪,侵略」とあり,挙例に見られるように明治中期に至って使用が定着したか。「おうりょう(押領)」の語誌。」とあります(885頁)。ここでの「挙例」中の一番早期のものは,「*内地雑居未来之夢(1886)(坪内逍遥)11「お店をあの儘に横領(ワウリャウ)して,自己(うぬ)が物にして踏張らうといふ了見」」です(同頁)。

したがって,1880717日に布告された我が旧刑法(明治13年太政官布告第36号。188211日から施行(明治14年太政官布告第36号))には,実は「横領」の名の罪は無かったのでした。

(なお,「押領」の「語誌」には,「〔略〕所領を奪う意で中世に多用されたが,対象が土地だけではなく金品に及ぶようになって「横領」へと変化していったものか。」とあります(『日本国語大辞典第二版第2巻』885頁)。すなわち「横領」は,元々は不動産侵奪(刑法235条の2参照)から始まったということでしょうか。)

 

3 旧刑法393条,395条,397条等

 「横領」の語の確立していなかった当時,「横領」の名の罪は無かったとはいえ,現行刑法252条の罪に対応する罪は,旧刑法第3編「身体財産ニ対スル重罪軽罪」の第2章「財産ニ対スル罪」中第5節「詐欺取財ノ罪及ヒ受寄財物ニ関スル罪」において,次のように規定されていました。

 

  第393条 他人ノ動産不動産ヲ冒認シテ販売交換シ又ハ抵当典物ト為シタル者ハ詐欺取財ヲ以テ論ス〔2月以上4年以下の重禁錮に処し,4円以上40円以下の罰金を附加〕

   自己ノ不動産ト雖モ已ニ抵当典物ト為シタルヲ欺隠シテ他人ニ売与シ又ハ重()テ抵当典物ト為シタル者亦同シ

  第394条 前数条ニ記載シタル罪ヲ犯シタル者ハ6月以上2年以下ノ監視ニ付ス〔「監視」は「主刑ノ終リタル後仍ホ将来ヲ撿束スル為メ警察官吏ヲシテ犯人ノ行状ヲ監視セシムル者」です(旧刑法附則(明治14年太政官布告第67号)21条)。〕

  第395条 受寄ノ財物借用物又ハ典物其他委託ヲ受ケタル金額物件ヲ費消シタル者ハ1月以上2年以下ノ重禁錮ニ処ス若シ騙取拐帯其他詐欺ノ所為アル者ハ詐欺取財ヲ以テ論ス

  第396条 自己ノ所有ニ係ルト雖モ官署ヨリ差押ヘタル物件ヲ蔵匿脱漏シタル者ハ1月以上6月以下ノ重禁錮ニ処ス但家資分散ノ際此罪ヲ犯シタル者ハ第388条ノ例ニ照シテ処断ス〔2月以上4年以下ノ重禁錮。なお,家資分散は,非商人のための破産手続です。〕

  第397条 此節ニ記載シタル罪ヲ犯サントシテ未タ遂ケサル者ハ未遂犯罪ノ例ニ照ラシテ処断ス〔已に遂げたる者の刑に1等又は2等を減ずる〕

  第398条 此節ニ記載シタル罪ヲ犯シタル者第377条ニ掲ケタル親属〔祖父母,父母,夫妻,子,孫及びその配偶者又は同居の兄弟姉妹〕ニ係ル時ハ其罪ヲ論セス

 

旧刑法393条の罪が,前記1の物の法律的処分に係る横領罪に対応するようです。しかし,詐欺取財をもって論ずるものとされています。「典物」の「典」は,「質に入れる」の意味ですが(『角川新字源』(123版・1978年)),広義には担保権を設定するということになりましょう。

旧刑法395条前段の罪は,前記1の物の物質的処分に係る横領罪に対応するようです。しかし,後段の「騙取拐帯其他詐欺ノ所為アル者ハ詐欺取材ヲ以テ論ス」るものとされる「騙取拐帯其他詐欺ノ所為」が,前記1の物の事実的処分に係る横領罪に正確に対応するものかどうかは分かりづらいところです。

 

4 旧刑法393

 

(1)1877年司法省案

旧刑法393条は,187711月の司法卿への上申案では「第437条 他人ノ動産不動産ヲ冒認シ人ヲ騙瞞シテ販売交換シタル者又ハ抵当典物ト為シタル者ハ詐欺取財ヲ以テ論ス/自己所有ノ不動産ト雖モ已ニ抵当ト為シタルヲ欺隠シテ他人ニ売典〔与〕シ又ハ重ネテ抵当ト為シタル者亦同シ但判決ノ前ニ於テ抵当ノ金額ヲ弁償シタル者ハ其罪ヲ論〔免〕ス」というものでした(『日本刑法草案会議筆記第分冊』(早稲田大学出版部・1977年)2441-2442頁)。

同年8月のフランス語文案では,“437. Est encore coupable d’escroquerie et puni des peines portées à l’article 434 celui qui, à l’aide de manœuvres frauduleuses, a vendu ou cédé à titre onéreux, hypothéqué ou donné en nantissement un immeuble ou un meuble dont il savait n’être pas propriétaire, ou qui, étant propriétaire, a vendu ou hypothéqué un immeuble, en dissimulant, à l’aide de mêmes manœuvres, tout ou partie des hypothèques dont il était grevé./ Le coupable, dans ce dernier cas, sera exempt de peine, s’il a remboursé, avant la condamnation, les créances hypothécaires par lui dissimulées.”となっていました。

“Nemo plus juris ad alium transferre potest quam ipse habet”(何人も自己の有する権利より大きな権利を他者に移転することはできない)原則を前提に,所有権を得られなかった買主,抵当権を取得できなかった抵当権者等を被害者とするものでしょうか。しかし,現在,不動産の二重売買の場合であっても第2の買主が先に登記を備えれば当該買主は所有権者になれますし(民法(明治29年法律第89号)177条),動産の場合には善意無過失の買主に即時取得の保護があります(同法192条)。ここで,1877年当時においては所有権を有さない者を売主とする売買によって買主は所有権を取得できなかったかどうかを検討しておく必要があるようです。

 

(2)1877年段階における無権利者から物を購入した場合における所有権取得の可否

 

ア 不動産:物権変動の効力要件としての地券制度及び公証制度

まず,不動産。「明治維新とともに,旧幕時代の土地取引の禁令が解除され(明治五年太政官布告50号),土地の所有と取引の自由が認められるにいたったが,同時に近代的な地租制度を確立するための手段として地券制度が定められた(明治五年大蔵省達25号)。すなわち,土地の売買譲渡があるごとに(後には所有者一般に),府知事県令(後に郡役所に移管さる)が地券(所在・面積・石高・地代金・持主名等を記載)正副2通を作成し,正本は地主に交付し,副本は地券台帳に編綴した。この地券制度のもとでは,地券の交付ないし裏書(府県庁が記入する)が土地所有権移転の効力発生要件とされた(初期には罰則により強制された)。/〔略〕地券制度によっては覆われえない土地の担保権設定や建物に関する物権変動につき,公証制度が採用された(明治6-8年)。その方法は,物権変動に関する証文に戸長が奥書・割印(公簿との)するものであるが,かかる公証制度は後に土地所有権にも拡げられた(明治13年)。なお,右公証は規定上は物権変動の効力発生要件とされたが,実際の運用上は第三者対抗要件とされていた。」ということですので(幾代通『不動産登記法』(有斐閣・1957年)3-4頁),1877年(明治10年)当時には,土地の所有権の移転については地券制度,その他不動産の物権変動については公証制度(奥書割印制度)がいずれも効力発生要件として存在していたということでしょう(「実際の運用上は第三者対抗要件とされていた」というのは,お上の手を煩わすことを厭う人民たる当事者間においては,公証を受けぬまま物権変動があるものとして通用していたということであって,司法省当局の建前は,飽くまでも効力発生要件であるものとしていたのでしょう。)。

未公証の売買の後に当該売主を売主として同一不動産について更に売買がされた場合において当該後からの売買について公証がされたときは,前の売買の買主はそもそも所有権を全然取得しておらず,後の売買の買主は完全な所有権者から有効に所有権を取得したということになります。自分の物を売っただけの売主に,横領罪(現行刑法2521項)が成立するということはないわけです。他方,公証された売買(したがって,所有権は買主に有効に移転して売主は無権利者となる。)の後に更に当該売主が同一不動産を他の者に対して売るというようなことは,後の売買の買主があらかじめしっかり戸長に確認するお上の制度を弁えた人物である限りは生じない建前のようです。

 

イ 動産:即時取得(即時時効)未導入

動産については,現行民法192条の案文を審議した1894529日の法典調査会の第16回議事速記録において,同条に係る参照条文は,旧民法証拠編(明治23年法律第28号)144条,フランス民法2279条,ロシア民法317条,イタリア民法707条,スイス債務法205条及びスペイン民法464条が挙げられているだけです(『法典調査会民法議事速記録第6巻』(日本学術振興会・1936年)163丁表裏)。即時時効(旧民法証拠編144条)ないしは即時取得制度は新規の輸入制度であったということでしょうか。1894529日の段階でなお土方寧は即時取得の効果について「私ノ考ヘデハ本条〔民法192条〕ニ所謂色々ノ条件ト云フモノガ具ツテ居ツテ他人ノ物ヲ取得スルトキニハ真ノ所有主即チ自分ヨリ優ツタ権利ヲ持テ居ル人ヨリ()()即チ一般ノ人ニ対シテハ所有権ヲ取得シタモノト看做スト云フコトニシテ全ク第三者ノ方ニ取ラナクテハナラヌト思ヒマス」と発言し(下線及び傍点は筆者によるもの),「夫レナラ丸デ削ツテ仕舞ハナケレバ徃カヌ」と梅謙次郎に否定されています(『法典調査会民法議事速記録第6巻』169丁裏-170丁表)。確かに,自らを所有権者であると思う善意の占有者は,結局はその物の真の所有権者からの返還請求に応じなくてはならないとはいえ,その間果実を取得でき(民法1891項),その責めに帰すべき事由によって占有物を滅失又は損傷させてしまったとしてもその滅失又は損傷によって現に利益を受けている限度において回復者に賠償をすればよいだけである(同法191条)との規定が既にあります。

 

(3)旧刑法393条起草時の鶴田=ボワソナアド問答

ところで,旧刑法393条の規定の原型は,司法省において,187612月より前の段階で,同省の鶴田皓の提議に基づき,フランスからのお雇い外国人であるボワソナアドによって起草されたものでした。なお,鶴田皓は「同じ肥前出身の大木喬任〔司法卿〕の信頼が厚かったといわれており,また,パリでボワソナアドから刑法などの講義を受け,ヨオロッパ法にも,一応の知見をもっていた」人物です(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波文庫・1998年)113頁)。

 

 鶴田 又爰ニ議定スヘキ一事アリ即二重転売ノ罪之レナリ例ハ甲者ヘ売渡スヘキ契約ヲ為シ其手付金ヲ受ケ取タル上又乙者ヘ売渡シ其代価ノ金額ヲ欺キ取タルノ類ヲ云フ之レハ矢張詐偽取財ヲ以テ論セサルヲ得ス

 Boissonade 其二重転売ハ固ヨリ詐偽取財ヲ以テ論セサルヲ得ス即第3条〔旧刑法390条の詐欺取財の罪の原型規定〕ノ「其他偽計ヲ用ヒテ金額物件云々」ノ内ニ含(ママ)スヘキ積ナリ

 鶴 然シ二重転売ヲ以テ第3条ノ〔「〕其他偽計ヲ用ヒテ金額物件云々」ノ内ニ含畜セシメントスルハ少シ無理ナリ故ニ此二重転売ノ詐偽取財ヲ以テ論スヘキ主意ハ別ニ1条ヲ以テ特書センコトヲ要ス

 

  此時教師ヨリ加条ノ粗案ヲ出ス

 

B 然ラハ別ニ左ノ主意ヲ以テ1条ヲ加フヘシ

 

  第 条 故意ヲ以テ己レニ属セサル動産ヲ要償ノ契約ヲ以テ譲シ又ハ典物ト為シタル事ヲ欺隠シテ売リ又ハ他ヘ書入ト為シタル者ハ詐偽取財ヲ以テ論ス

〔筆者註:「徳川時代に諸道具または品物の書入(〇〇)と称せしもの」は,質ならざる「動産抵当」のことです(中田薫『徳川時代の文学に見えたる私法』(岩波文庫・1984年)24頁)。〕

 

 鶴 此条ヘ動産(〇〇)云々ト記シテ不動産ヲ記セサルハ差〔蓋〕シ不動産ニハ二重転売スルコトナシトスルナラン

  然シ例ハ甲ノ狭小ナル地ヲ売ランカ為メ乙ノ広大ナル地ヲ人ニ示シ其広大ナル地ノ価額ヲ受取ルノ類ナキニアラス

  最モ仏国ニテハ不動産ノ売買ハイ()テーキ役所ニ於テ登記スヘキ規則アルニ付詐偽シテ売買スルコトナキ筈ナレ𪜈(トモ)日本ニテハ未タ〔「〕イボテーキ」役所ノ規則モ十分ナラス故ニ或ヒハ区戸長ト犯人ト私和シテ詐偽スルコトナキニモアラス故ニ日本ニテハ此条ヘ不動産(〇〇〇)ノ字ヲモ掲ケ置カンコトヲ要ス

  〔筆者註:フランスの「イポテーク役所」(bureau des hypothèquesに関しては,「民法177条とフランス1855323日法」記事を御参照ください(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1068990781.html)。〕

 

 B 仏国ニテハ不動産ノ売買ニ付テ詐偽スル者ナキ筈ナリ若シ之ヲ詐偽スル者アリタル時ハ民事上ニ於テ損害ノ償ヲ求ムル而已ナリ何トナレハ地面家屋等ノ不動産ハ他ヘ転輾セス何時迠モ其形迹ノ現在スル故ニ仮令一旦詐偽セラルトモ再ヒ其詐偽ヲ見出シ易キモノナレハナリ

  〔筆者註:これは,不動産取引についての詐欺は,どうせいつかは発覚するのであえて行う者はいないだろう,という趣旨でしょうか。〕

  然ルニ動産ハ他ヘ転輾シ竟ニ其形迹ヲ現在セサルニ至ル故ニ一旦詐偽セラレタル以上ハ到底其損害ヲ受クルヲ免レス仍テ動産ノ二重転売ハ詐偽取財ヲ以テ論スヘキナレ𪜈(トモ)不動産ハ之ヲ罪ト為スニ及ハサルヘシト思考ス

  〔筆者註:ここでのボワソナアド発言の趣旨は分かりにくいところですが,実は旧刑法393条の罪は,第1買主に対する横領の罪と第2買主に対する詐欺の罪との観念的競合であるものと考えられていたところでした。すなわち,鶴田皓が理解するところ「一体此前段ノ己レニ属セサル動産不動産ヲ要償契約ヲ以テ附与シ云々」ハ盗罪ト詐偽取財ト2罪ノ性質ヲ含畜スルニ似タリ何トナレハ其他人ニ属スル動産不動産ヲ己レノ所有物同様私ニ販売シ又ハ典物ト為ス点ヨリ論スレハ盗罪ノ性質ナリ又之ヲ己レノ所有物ナリト云ヒ他人ヲ欺キ販売又ハ典物ト為シテ利益ヲ得ル点ヨリ論スレハ詐偽取財ノ性質ナレハナリ」であって,同人が更に「然ルニ之ヲ詐偽取財ニ引付テ論スルハ盗罪ト詐偽取財トノ2倶発ト為シ其一ノ重キニ従テ処断スル主意ナリヤ」とボワソナアドに問うたところ,ボワソナアドは「然リ道理上ヨリ論スレハ固ヨリ貴説ノ如クナレ𪜈(トモ)其詐偽取財ノ成立タル以上ハ其以前ノ所為ハ之ヲ総テ1罪ヲ犯ス為メ数多ノ刑名ニ触レタル者ト見做サルヽ(ママ)ヲ得ス」と回答しています(『日本刑法草案会議筆記第分冊2488-2489頁)。このボワソナアド回答は,牽連犯規定(現行刑法541項後段。旧刑法には牽連犯規定はありませんでした。牽連犯規定に関しては,江藤隆之「牽連犯の来歴――その3つの謎を解く――」桃山法学33号(2020年)41頁以下が興味深いですね。)の先駆となるべき思考を示すものでもありましょう(また,『日本刑法草案会議筆記第分冊』2532頁では,旧刑法395条の前身条文案について「此蔵匿拐帯シタル物品ヲ以テ他人ヘ売却シテ利ヲ得タル時ハ前条〔旧刑法393条の前身条文案〕ノ詐偽取財ヲ以テ論スヘキナラン」との鶴田の問いに対してボワソナアドは「然リ此背信ノ罪〔旧刑法395条の前身条文案〕ハ蔵匿拐帯消費シタル而已ヲ以テ本罪ト為ス」と述べています。)。なお,動産の二重売買問題については,フランスにおいてはナポレオンの民法典1141条によって解決が与えられていたので,当該解決に慣れていたであろうボワソナアドにとっては,Nemo plus juris ad alium transferre potest quam ipse habet”原則が貫徹する場合における当該問題を改めて考えることには当初戸惑いがあったかもしれません。ナポレオンの民法典1141条はいわく,“Si la chose qu’on s’est obligé de donner ou de livrer à deux personnes successivement, est purement mobilière, celle des deux qui en a été mise en possession réelle est préférée et en demeure propriétaire, encore que son titre soit postérieur en date, pourvu toutefois que la possession soit de bonne foi.”2の相手方に順次与え又は引き渡されるべく義務付けられた物が純粋な動産の性質を有する場合においては,当該両者中先に現実の占有を得た者が,その権原の日付が劣後するものであっても,優先され,かつ,その所有者となる。ただし,当該占有が善意によるものであるときに限る。)と(我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)346条も「所有者カ1箇ノ有体動産ヲ2箇ノ合意ヲ以テ各別ニ2人ニ与ヘタルトキハ其2人中現ニ占有スル者ハ証書ノ日附ハ後ナリトモ其所有者タリ但其者カ自己ノ合意ヲ為ス当時ニ於テ前ノ合意ヲ知ラス且前ノ合意ヲ為シタル者ノ財産ヲ管理スル責任ナキコトヲ要ス/此規則ハ無記名証券ニ之ヲ適用ス」と規定しています。)。〕

 鶴 然ラハ不動産ヲ区戸長ト私和シテ二重転売又ハ二重ノ抵当ト為シタル時ハ其区戸長而已ヲ罰シ其本人ハ罰セサルヤ

 B 然リ其本人ヘ対シテハ民事上ニ於テ損害ノ償ヲ求ムル而已ナリ

 鶴 然シ日本ニテハ未タ「イホテーキ」ノ規則十分ナラサル故ニ不動産ニテモ或ハ之ヲ二重転売又ハ二重抵当ト為ス者ナキヲ保シ難シ故ニ右加条ノ粗案中ヘ不動産(〇〇〇)ノ字ヲ掲ケ置カンコトヲ要ス

 B 然ラハ先ツ貴説ノ如ク不動産(〇〇〇)ノ字ヲ之レニ掲ケ置クヘシ但他日「イボテーキ」ノ規則十分ニ確シタル時ハ全ク不用ニ属スヘシ即右加条ノ粗案ヲ左ノ如ク改ムヘシ

 

  第 条 故意ヲ以テ己レニ属セサル動産不動産ヲ要償ノ契約ヲ以テ譲与シ又ハ不動産ヲ書入ト為シ又ハ動産ヲ典物ト為シ又ハ所有者已ニ其不動産ヲ書入ト為シタル事ヲ欺隠シテ他人ヘ売渡シ又ハ他人ヘ書入ト為シタル者ハ詐偽取財ヲ以テ論シ前同刑ニ処ス

 

 鶴 右ノ主意ニテ別ニ1条ヲ置クハ最モ余カ説ニ適スル者トス

 B 右ノ主意ニ付テ再考スルニ〔「〕不動産云々」ノ事ヲ掲ケ置クハ至極良法ナリ

  仏国ニテモ「イボテーキ」ノ規則アル故ニ必ス登記役所ヘ徃テ其真偽ヲ検閲スレハ二重転売等ノ害ヲ受クルコトナキ筈ナレ𪜈(トモ)若シ其本人ノ辞ヲ信シ之ヲ検閲セサル時ハ其害ヲ受クルコトナシトハ保シ難キ恐レアレハナリ

 鶴 然ラハ不動産ノ二重転売ハ仏国ニテハ民事ノ償ト為ス而已ナレ𪜈(トモ)日本ニテハ之ヲ刑事ニ論スルヲ適当ト為スノ貴説ナリ

 B 然リ

   (『日本刑法草案会議筆記第分冊2475-2477頁)

 

(4)ボワソナアド解説

 187711月上申案437条における「他人ノ動産不動産ヲ冒認シ人ヲ騙瞞シテ販売交換シタル者又ハ抵当典物ト為シタル者」及び「自己所有ノ不動産ト雖モ已ニ抵当ト為シタルヲ欺隠シテ他人ニ売与シ又ハ重ネテ抵当ト為シタル者」の意味に関しては,後年ボワソナアドが解説を書いています(ただし,フランス語文は“celui qui, à l’aide de manœuvres frauduleuses, a frauduleusement vendu ou cédé à titre onéreux, hypothéqué ou donné en nantissement, un immeuble ou un meuble dont il savait n’être pas propriétaire, ou qui, étant propriétaire, a vendu ou hypothéqué un immeuble, consenti une aliénation, une hypothèque ou un droit réel quelconque sur ledit bien, en dissimulant, à l’aide de mêmes manœuvres frauduleusement, tout ou partie des hypothèques autres droits réel dont il était grevé.”(自己がその所有者ではないことを知っている不動産若しくは動産を欺罔行為に基づき売り,有償で譲渡し,それに抵当権を設定し,若しくは担保として供与する者又は,それが負担する他の物権の存在の全部若しくは一部を欺罔行為に基づき隠蔽して,当該物件に係る譲渡,抵当権設定又はその他の物権の設定の合意をするその所有者である者(新4343号)。))となっていて,18778月のものとは若干の相違があります(Gve. Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal pour L’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire; Tokio, 1886: p.1146)。)。

 

   恐らくフランスでは,ここで詐欺(escroquerie)の第3類型として規定された欺罔行為(fraude)を罰することは難しいであろう。当該行為は,同国ではローマ起源の転売(ステ)詐欺(リョナ)stellionat)という名で呼ばれている。しかし,ステリョナは,損害賠償だけを生じさせる私法上の犯罪としてのみ認識されている(フランス民法2059条,2066条及び2136条参照)。(b

 

     (b)ステリョナ行為者に対する唯一の厳格な取扱いは,損害賠償を保証させるための身体拘束であった(前掲各条参照)。しかしそれは,私法事項に係る身体拘束の一般的廃止の一環として,1867722日法により消滅した。

 

しかし,譲渡人が当該権利を有していることに係るここで規定されている欺瞞行為(tromperie)が,虚言的歪曲(altérations mensongères)のみにとどまらず,当該権利が存在するものと誤信させる欺罔工作又は姦策に基づくもの(appuyée de manœuvres frauduleuses ou d’artifices)であるときには,フランス刑法405条によって罰せられる詐欺をそこに見ることが可能であり,かつ,必要でもあることになるものと筆者には思われる。

ともあれ,この日本法案に当該困難はないであろう。先行し,かつ,当該権利と両立しない物権のために当該法律行為が約束の効果を生じない場合に係る,有償であり,主従各様であるところの物権の多様な在り方に対応できるように努力がされたところである〔筆者註:18776-8月段階においてボワソナアドは「後来ハ動産ヲ抵当ト為ス法ハ廃セサル可カラス」と主張していましたが(『日本刑法草案会議筆記第分冊』2525頁),当該主張は撤回されたもののように思われます。〕2度繰り返される「欺罔行為に基づき(frauduleusement)」の語の使用は,誤りや見落としであるものを処罰から免れさせるために十分である。しかし,法はここで精確に語の本来の意味での工作又は姦策の存在を求めることはしていない。目的物を,彼の物であるもの又は設定される権利と両立しない物権を負担するものではないものとして提示することで十分である。そして,当該法律行為は有償であるものと想定され,必然的に対価の約定又は受領があるのであるから,姦策性は十分なのである。

  (Boissonade, pp.1155-1156

 

 人の悪いすれっからしのフランス人の国ではステリョナ程度では不可罰とする伝統があるので二重売買について詐欺の成立を認めることは難しいが,他人は皆自分のために善意をもって献身奉仕してくれるものと図々しく信じている素直な心の日本人の国では,どしどし無慈悲に処罰しても問題はなかろう,ということでしょうか。

 

(5)ステリョナ

 なお,1804年のナポレオンの民法典2059条は,次のとおりでした。

 

2059.

La contrainte par corps a lieu, en matière civile, pour le stellionat.

Il y a stellionat,

Lorsqu’on vend ou qu’on hypothèque un immeuble dont on sait n’être pas propriétaire;

Lorsqu’on présente comme libres des biens hypothéqués, ou que l’on déclare des hypothèques moindres que celles dont ces biens sont chargés.

    

  第2059条 私法事項に係る身体拘束は,転売(ステ)詐欺(リョナ)について行われる。

    次の場合には,ステリョナがあるものとする。

    自分が所有者ではないものと知っている不動産を売り,又はそれに抵当権を設定する場合

    抵当権を負担する物件を当該負担のないものとして提示し,又は当該物件が負担するものよりも少ないものとして抵当権を申告する場合

  

 ステリョナが動産については認められないのは,同法1141条があるからでしょう。目的動産に係る現実の占有の取得と代金の支払との同時履行関係が維持される限り,当該目的物の所有権を取得できなかった買主も,当該代金についての損害を被ることはないわけです。当該動産の所有権を実際に取得していれば代金額を超えて得べかりしものであった利益に係る損害の問題は残るのでしょうが,その賠償を確保するために売主の身体を拘束するまでの必要はない,というわけだったのでしょう。しかしてそうであれば,いわんや詐欺罪横領罪の成立においてをや,ということになっていたものと思われます。

 

5 旧刑法395

 

(1)1877年司法省案及びナポレオンの刑法典408

 旧刑法395条の前身規定を187711月の司法卿宛て上申案及び同年8月のフランス語案について見ると,次のとおりでした。

 

  第438条 賃借恩借ノ物品又ハ典物受寄品其他委託ヲ受タル金額物品ヲ蔵匿拐帯シ若クハ費消シタル者ハ背信ノ罪ト為シ1月以上1年以下ノ重禁錮2円以上20円以下ノ罰金ニ処ス

   若シ水火震災其他非常ノ変ニ際シ委託ヲ受ケタル物品ニ係ル時ハ1等ヲ加フ

   (『日本刑法草案会議筆記第分冊』2442頁)

 

438. Est coupable d’abus de confiance et puni d’un emprisonnement avec travail de 1 mois à 1 an et d’une amende de 2 à 20 yens, celui qui a frauduleusement détourné, dissimulé ou dissipé des sommes, valeurs ou effet mobiliers quelconques qui lui avaient été confiés à titre de louage, de dépôt, de mandat, de gage ou de prêt à usage.

La peine sera augmentée d’un degré, en cas de dépôt confié pendant un incendie, une inondation ou une des autres calamités prévues à l’article 412.

 

 また,1810年のナポレオンの刑法典4081項は次のとおりでした。なお,下線が付されているのは,1832年法及び1863年法による追加(cf. Boissonade, p.1159)の部分です。

 

ARTICLE 408.

Quiconque aura détourné ou dissipé, au préjudice du propriétaire, possesseur ou détenteur, des effets, deniers, marchandises, billets, quittances ou tous autres écrits contenant ou opérant obligation ou décharge, qui ne lui auraient été remis qu'à titre de louage, de dépôt, de mandate, de nantissement, de prêt à usage, ou pour un travail salarié ou non salarié, à la charge de les rendre ou représenter, ou d'en faire un usage ou un emploi déterminé, sera puni des peines portées dans l'article 406.

  (専ら賃貸借,寄託,委任,担保の受領,使用貸借により,又は有償若しくは無償の仕事のために,返還若しくは再提出をし,又は決められた使用若しくは用途に用いる条件で預かった財産,金銭,商品,手形,受取証書又は義務若しくは弁済をその内容若しくは効果とする書面を,その所有者,占有者又は所持者の利益に反して脱漏又は費消した(aura détourné ou dissipé)者は,第406条に規定する刑に処せられる。)

 

 ここでいう第406条の刑とは,2月以上2年以下の重禁錮及び被害者に対する返還額と損害賠償額との合計額の4分の1を超えない25フラン以上の罰金並びに場合によっては停止公権でした。

 

(2)「脱漏」又は「拐帯」(détourner),「蔵匿」(dissimuler)及び「費消」(dissiper)の語義穿鑿

 フランス語の“détourner”の訳語は,我が旧刑法の立案過程において,「脱漏」から「拐帯」に改められています。鶴田皓によれば「元来蔵匿(〇〇)脱漏(〇〇)ト畢竟一事ナリ故ニ脱漏(〇〇)ノ字ヲ省キ之ニ換フルニ拐帯(〇〇)ノ字ヲ以テ塡スヘシ」ということでした(『日本刑法草案会議筆記第分冊』2506頁)。「拐帯」とは「①人をかどわかして売る。②人の財物を持ちにげする。」との意味です(『角川新字源』)。「蔵匿(〇〇)脱漏(〇〇)ト畢竟一事」と鶴田は言いますが,「脱漏」がそこに含まれるという「蔵匿」こと“dissimuler”は,むしろナポレオンの刑法典408条の構成要件に含まれてはいなかったのでした。

Le Nouveau Petit Robert (1993)によれば,“détourner”は,「方向を変える(changer la direction de (qqch.))」,「流れを変える(changer le cours de)」,「逸走させる(écarter (qqch) du chemin à suivre)」というような意味ですが,法律用語としては「(所有者から託された物件を)当該所有者に回復することが不可能となる状態に(dans l’impossibilité de restituer)自らを故意に置くこと。それのために定められたものとは異なる使用をし,又は用途に用いること。」ということになるようです。同辞書はまた“restituer”は「(不法又は違法(illégalement ou injustement)にある人から得た物を)その人に返還すること」であるとしていますから,「背信ノ罪ハ盗罪ト同シク一旦其所有主ヲ害スル意ニ出テ蔵匿脱漏スルトモ其所有主ノ覚知セサル内ニ悔悟シテ先キニ蔵匿脱漏シタル金額物件ヲ旧ノ如ク償ヒ置ケハ其先キ蔵匿脱漏シタル罪ハ免スヘキ者トス」というボワソナアドの発言が想起されるところです(『日本刑法草案会議筆記第Ⅳ分冊』2491頁。同所で続けてボワソナアドは「故ニ日本文ニハ損害ヲ為シタル者云々」ニ作ルヘシ」と付言しています。)。

更に同じLe Nouveau Petit Robert“dissiper”を見ると,これは,「散逸させる(anéantir en dispersant)」とか「浪費・蕩尽する(dépenser sans compter --- détruire ou aliéner)」ということのようです。

“dissimuler”は「隠す」ということでよいのでしょう。

 

(3)未遂処罰規定:旧刑法397

 

ア 詐欺取財ノ罪と受寄財物ニ関スル罪との(かすがい)

 旧刑法397条は,旧刑法第3編第2章第5節が「詐欺取財ノ罪及ヒ受寄財物ニ関スル罪」との一つの節であって,「詐欺取財ノ罪」の節と「受寄財物ニ関スル罪」の節との二つの節に分離されなかった原因となった規定です。

それまでの「倒産詐偽取財背信ノ罪」の節(『日本刑法草案会議筆記第分冊』2493頁)を「倒産。詐偽取財。背信ノ罪ヲ3節ニ分ケ」ることになり(同2513頁),18776月中には「第3節 倒産ノ罪」(同2514頁),「第4節 詐欺取財ノ罪」(同2518頁)及び「第5節 背信ノ罪」(同2530頁)の3節分立案が出来たのですが,未遂犯処罰規定は背信ノ罪の節にはあっても(同2531頁),詐欺取財ノ罪の節にはなかったのでした(同2518-2519頁)。鶴田はその不均衡を指摘して問題視し,詐欺取財は契約成立をもって既遂となると主張するボワソナアドとの妥協の結果,「詐欺取財ノ罪」の節と「背信ノ罪」の節とは再び一つにまとめられることになったのでした。

 

  鶴田皓 〔略〕未遂犯罪ノ刑ニ照シ云々ノ法ハ詐偽取財ニ置カサルニ付背信ノ罪ニモ置カスシテ相当ナラン元来詐偽取財ニハ或ヒハ「タンタチーフ」ト為スヘキ場合ナキニアラサルヘシ例ハ甲者ヨリ砂糖ヲ売リ渡ス契約ヲ為シ而シテ乙者ニテ現ニ之ヲ受取ラントスル時其砂糖ノ内ヘ土砂ヲ混和シアル見顕シタルノ類之ナリ

  ボワソナアド 然シ甲者ニテニ契約ヲ為シ而シテ乙者ヨリ砂糖ノ代価ヲ受取タレハ即詐偽取財ノ本罪ト為スヘシ

  鶴 然シ甲者ニテ乙者ヨリ其砂糖ノ代価ヲ受取ラサル以前ナレハ仮令契約ヲ為ストモ詐偽取財ノ本罪トハ為シ難シ即其タンタチーフト為スヘキナラン

  B 然シ其已ニ契約ヲ為シタル以上ハ代価ヲ受取ルト否トニ拘ハラス詐偽取財ノ本罪ト為シテ相当ナリ

  鶴 然シ其代価ヲ受取ラサル以前ハ詐偽取財ノ取財ト云フ本義ニ適セス故ニタンタチーフト為スヘシ

 

     此時教師ニテハ右契約ヲ為ス以上ハ詐偽取財ノ本罪ト為スヘキ説ヲ反復主張ス

 

  鶴 右ノ(ママ)論ハ暫ク置キ詐偽取財背信ノ罪ニ此条ノ如ク未遂犯罪ヲ罰スル法ヲ置クヘキカ否サルカヲ決議センコトヲ要ス

   尤支那律ニハ詐偽シテ未タ財ヲ得サルノ明文アリ之レハ即〔「〕タンタチーフ」ヲ罰スル法ナリ

   然シ契約而已ニテ詐偽取財ノ本罪ト為スナレハ詐偽取財ニハタンタチーフト為スヘキ場合ナカルヘシ

   然シ実際ニテハ詐偽取財ニハタンタチーフト為スヘキ場合ナキニアラス却テ背信ノ罪ニハタンタチーフト為スヘキ場合ナカルヘシ

  B 然ラハ此条ハ依然存シ置キ而シテ背信ノ罪ヲ詐偽取財ニ併1節中ニ置クヘシ

  鶴 然リ之レヲ1節中ニ置キ而シテ此条ヲ詐偽取財ト背信ノ罪トニ係ラシムル様ニ為スヘシ

  B 然リ

    (『日本刑法草案会議筆記第分冊』2539-2540頁)

 

イ 後日のボワソナアド解説

鶴田は背信ノ罪に係る「蔵匿拐帯シ若クハ費消」行為には「タンタチーフ(未遂行為)ト為スヘキ場合ナカルヘシ」と解していましたが,ボワソナアドはそうは思ってはいないところでした。すなわち後日にいわく,「通常の背信ノ罪においては,この〔実行の着手と既遂との〕分別は〔詐欺取財の場合よりも〕識別することがより難しい」が,「受託者が委託を受けた物の脱漏(détourner),蔵匿(dissimuler)又は損傷(détérioer)を始めたときには,更に背信の罪の未遂の成立を観念することができる。船長の不正の場合には,進むべき航路から正当な理由なしに既に逸れたときを捉えれば,未遂の成立は極めて明瞭であり得る。」と(Boissonade, pp.1173-1174)。これは前記1の物の事実的又は物質的処分の場合に係るものですね。

他方,詐欺取財の既遂の時期については,ボワソナアドは鶴田説に譲歩したようであって,「欺罔工作をされて財物を引き渡すべき意思形成に至った者が,当該引渡しを実行する前に危険を警告されたとき,又は少なくとも引渡しを始めただけであるときには,詐欺取財の未遂の成立がある」ものと述べています(Boissonade, p.1173)。

なお,ボワソナアドは,フランス刑法においては背信の罪(当時の第4003項(「被差押者であって,差押えを受け,かつ,同人に保管を命ぜられた物件を破壊し,若しくは脱漏し,又は破壊若しくは脱漏しようとしたものは,第406条に規定する刑に処せられる。」)の罪を除く。)に未遂処罰規定はないと述べつつ(Boissonade, p.1173),ナポレオンの刑法典408条の違反者に科される罰金の額が「被害者に対する返還額と損害賠償額との合計額の4分の1を超えない25フラン以上の罰金」であることによる同条に係る未遂処罰の困難性を指摘しています。「というのは,未遂が成立しただけである場合,返還債務又は損害賠償債務が生ずることは稀だからである。」と(Boissonade, p.1173 (m)。ただし,1810年の法典にその後加えられた上記当時のフランス刑法4003項の未遂処罰規定は,そのことに頓着しなかったようです。)。我が旧民法395条の罰則はこのような不都合をもたらす価額比例(ad valorem)方式ではありませんでした。

 

(4)条文解釈

蔵匿拐帯をも構成要件に含む187711月の司法卿への上申案4381項とは異なり,旧刑法395条前段は,費消のみが問題とされています。また,同条後段は読みづらい。

 

ア 後段の解釈

 

(ア)ボワソナアド説

旧刑法395条後段を先に論ずれは,当該部分は,ボワソナアドによれば,「騙取,拐帯其他詐欺ノ所為」とは読まずに,「騙取拐帯」と四文字熟語にして,「騙取拐帯その他の詐欺の所為」と読むべきものとされるようです。当該部分の趣旨をボワソナアドは“Les peines de l’escroquerie seront prononcées dans tous les cas où la détention précaire aurait été obtenue par des manœuvres frauduleuses avec intention d’en détourner ou d’en détruire l’objet ultérieurement(それによってその後当該物件を脱漏し,又は損壊する意図を伴う欺罔工作によって仮の所持が取得された全ての場合においては,詐欺取財の罪の刑が宣告される。)と解していたところです(Boissonade, pp.1148-1149)。この場合,「当該欺罔工作の時に,その後の脱漏の意思が既に存在していなければならない」ことに注意しなければなりません(Boissonade, p.1164)。

「拡張を要さずに法の正常な解釈によってこの刑〔詐欺取財の刑〕の適用に至るべきことについては疑いがない。しかしながら,法自身がそのことを明らかにしている方がよりよいのである。」ということですから(Boissonade, p.1164),為念規定です。

 

(イ)高木豊三説

しかし,高木豊三🎴(弄花事件時(1892年)は大審院判事)は旧刑法395条後段について「是レ亦他人ノ信任委託スル所ニシテ自己ノ手中ニ在ル物件ニ係ルト雖モ騙取拐帯其他詐欺ノ所為アル以上ハ即チ詐欺取財ト異ナル無シ」と説いており(高木豊三『刑法義解第7巻』(時習社=博聞社・1881年)1034頁),信任委託を受けて占有している物について更に騙取拐帯其他詐欺ノ所為がされた場合に係る規定であるものと解していたようであります。

 

(ウ)磯部四郎説

磯部四郎🎴(弄花事件時は大審院検事)は,大体ボワソナアド説のようですが,「騙取拐帯」四文字熟語説を採らず,「騙取,拐帯,其他詐欺ノ所為」と読んで,旧刑法395条後段は「拐帯」に係る特別規定であるものだとするようです。

 

 又()()拐帯其他詐(ママ)ノ所為アル者ハ詐偽取財ヲ以テ論ストハ本条後段ノ明示スル所ナリ「詐偽ノ所為」トハ信用ヲ置カシムルカ為メ欺罔手段ヲ施シ遂ニ寄託ヲ為サシメテ之ヲ費消シタル所為等ヲ云フニ外ナラスシテ是等ハ当然詐偽罪ヲ構成シ特ニ明文ヲ掲クルノ必要ナキカ如シ〔筆者註:以上はボワソナアドの説く為念規定説と同旨です。〕然レ𪜈(トモ)単純ノ詐偽トハ自ラ異ナル所アルノミナラス拐帯ノ如キハ全ク其性質ヲ異ニセリ「拐帯」トハ例ヘハ土方人足ニ鋤鍬等ヲ交付シテ土工ヲ為サシメタルノ際之ヲ持去テ費消シタル所為等ヲ云フ此所為ハ純然タル詐偽ト云フヲ得ス何トナレハ工事ノ為メ被害者ヨリ交付シタルモノニシテ犯者自ラ進ンテ之ヲ取リタルニハアラサレハナリ是特ニ「詐偽取財ヲ以テ論ス」トノ明文ヲ要シタル所以ナリ

 (磯部四郎『増補改正刑法講義下巻』(八尾書店・1893年)1034-1035頁)

 

 「持去テ費消シタル所為等」である「拐帯」は,同条前段の通常の「費消」よりも重く詐欺取財ノ罪の刑をもって罰するのだ,ということのようですが,果たしてこの重罰化を正当化するほどの相違が存在するものかどうか,悩ましいところです。

 

(エ)当局の説=高木説

 しかしながら,御当局は高木🎴説を採ったものでしょう。

1901年段階の法典調査会は,旧刑法395条について「現行法ハ又受寄財物ヲ費消スルカ又ハ騙取,拐帯等ノ行為ヲ為スニ非サレハ罪ト為ササルヲ以テ」,「修正案ハ改メテ費消又ハ拐帯等ノ行為ニ至ラストモ既ニ横領ノ行為アリタル場合ニハ之ヲ罪ト為シ」という認識を示しています(法典調査会編纂『刑法改正案理由書 附刑法改正要旨』(上田書店・1901年)225頁)。

 

イ 高木説に基づく条文全体の解釈

御当局の見解が上記ア(エ)のとおりであれば,高木🎴説的に旧刑法395条を解釈すべきことになります。

 

(ア)体系論

高木🎴によれば「此条ハ人ノ信任シテ寄託又ハ占有又ハ使用セシメタル物件ヲ擅ニ費消シ及ヒ騙取拐帯其他詐欺ノ所為ヲ以テ財ヲ取ル者ノ罪ヲ定ムルナリ」ということですから(高木1032頁。下線は筆者によるもの),旧刑法395条は,太政官刑法草案審査局での修正を経て1879625日付けで柳原前光刑法草案審査総裁から三条実美太政大臣に上申された「刑法審査修正案」において,旧刑法395条は既に最終的な形になっていました。また,同条は「旧律所謂費用受寄財産ニ類スル所為ヲ総称スル」ものだとされていますから(高木1025頁),その間新律綱領=改定律例的思考による修正があったものかもしれません。明治三年十二月二十日(187129日)頒布の新律綱領の賊盗律には監守自盗ということで「凡(アラタ)(メヤク)(アヅカ)(リヤク)。自ラ監守スル所ノ。財物ヲ盗ム者ハ。主従ヲ分タス。贓ヲ併セテ。罪ヲ論シ。窃盗ニ。2等ヲ加フ。」云々(以下「1両以下。杖70」から「200両以上。絞」までの刑が掲げられています。)とありました。),もはやボワソナード的に背信の罪(abus de confiance)一本であるものではなく,費消の罪と取財(拐帯等)の罪との二本立てとされた上で,後者は同じ取財の罪として詐欺取財をもって論ずることとされた,ということでしょう。

毀棄罪と領得財との関係が想起されるところ,それでは背信の罪はどこへ行ったのかといえば,旧刑法395条を含む節の節名はもはや「詐欺取財及ヒ背信ノ罪」ではなく,「詐欺取財ノ罪及ヒ受寄財物ニ関スル罪」となっています(下線は筆者によるもの。なお,「刑法審査修正案」での節名は「詐欺取財及ヒ受寄財物ニ関スル罪」でした。)。受寄財物に係る背信の罪ではなく,受寄財物に係る費消及び取財の罪ということであるように思われます(ただし,ナポレオンの刑法典においては,第3編第2章の財産に対する罪は盗罪(vols),破産,詐欺取財及びその他の欺罔行為に関する罪(banqueroutes, escroqueries et autres espèces de fraude)並びに損壊傷害に関する罪(destructions, dégradations, dommages)の三つの節に分類されていますが,背信の罪は第2節に属し,盗罪にも損壊傷害の罪にも分類されていません。)。187711月の司法卿宛て上申案4381項にあった「蔵匿」が旧刑法395条では落ちているのは,拐帯とは異なり蔵匿ではいまだ取財性がないから,ということなのでしょう。(なお,ボワソナアドは,「脱漏隠匿」は「盗取」よりも広い概念(「一体盗取スル而已ニアラス」)であると考えていたようです(『日本刑法草案会議筆記第Ⅳ分冊』2469頁)。)

 

(イ)「費消」論

旧刑法395条の「費消」については,「費消(○○)シタル(○○○)トハ費用消耗ノ義ニシテ必スシモ全部ノ費消ヲ云フニ非ス」とされています(高木1033頁。下線は筆者によるもの)。ここでの「費用」は,「①ついえ。入費。」の意味(『角川新字源』)ではなく,「②つかう。消費。」(同)のうちの「消費」の意味でしょう(少なくとも司法省案の元となったフランス語は“dissiper”です。)。

しかし,我が国刑事法実務界の一部では,ボワソナアド刑法学の影響が抜きがたく残っていたのではないでしょうか。磯部四郎🎴は,旧刑法395条の「費消」について「脱漏(détourner),蔵匿(dissimuler)又ハ費消(dissiper)」的解釈を維持しています。

 

 「費消」トハ必シモ減尽ニ帰セシメタルノミヲ云フニアラス所有者ヨリ返還ヲ促サレテ之ヲ返還セス又ハ返還スルコト能ハサルニ至ラシメタルヲ以テ足レリトス代替物タル米穀ノ如キハ之ヲ食シ尽スコトヲ得ヘシト雖モ金属製ノ特定物ノ如キハ決シテ其躰ヲ消滅ニ帰セシムルコトヲ得ヘキモノニアラス加害者ノ手裏ニ存セスト雖モ必ス何レノ処(ママ)ニカ存在スルコトヲ想像スヘシ故ニ費消ハ返還セス又ハ返還スルコト能ハサルニ至ラシメタルノ謂ヒタルニ外ナラス故ニ又蔵匿脱漏シタルトキト雖モ返還セサルニ至テハ費消ヲ以テ論セサルヘカラス背信ノ責メハ之ヲ自己ノ手裡ニ蔵匿シテ返還セサルト他人ノ手裡ニ帰セシメテ返還セサルトニ因テ消長スヘキモノニアラス唯タ返還セサルヲ以テ背信ノ所為トセサルヘカラス或ル論者ハ物躰ヲ消滅ニ帰セシメタルニアラサレハ費消ト云フヲ得スト云フト雖モ是レ特ニ代替物ノ場合ニ就テ云フヘキノミ特定物ニ関シテハ不通ノ説タルヲ免レス

 (磯部1032頁)

 

 磯部🎴は,現行刑法の政府提出法案が第23回帝国議会で協賛せられた際の衆議院刑法改正案委員長です。

Boissonade Tower1
Boissonade Tower2
ボワソナアド来日から150年(法政大学Boissonade Tower

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1 現行刑法38

 

(1)新旧の文言

 1995512日に公布された刑法の一部を改正する法律(平成7年法律第91号)が施行された同年61日(同法附則1条)から,刑法(明治40年法律第45号)38条は次のようになっています。

 

  (故意)

  第38条 罪を犯す意思がない行為は,罰しない。ただし,法律に特別の規定がある場合は,この限りでない。

  2 重い罪に当たるべき行為をしたのに,行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は,その重い罪によって処断することはできない。

  3 法律を知らなかったとしても,そのことによって,罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし,情状により,その刑を減軽することができる。

 

1995531日以前の刑法38条の文言は次のとおり。なお,現行刑法の施行日は,その別冊ではない部分の第2項に基づく明治41年勅令第163号により,1908101日です。

 

  第38条 罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罰セス但法律ニ特別ノ規定アル場合ハ此限ニ在ラス

   罪本重カル可クシテ犯ストキ知ラサル者ハ其重キニ従テ処断スルコトヲ得ス

   法律ヲ知ラサルヲ以テ罪ヲ犯ス意ナシト為スコトヲ得ス但情状ニ因リ其刑ヲ減軽スルコトヲ得

 

(2)第2項:抽象的事実の錯誤

刑法旧382項など甚だ古風で,どう読んでよいものか,いささか困惑します。「つみもとおもかるべくして」云々と訓ずるとのことでした。

また,刑法382項は,抽象的事実の錯誤について「軽い犯罪事実の認識で重い犯罪を実現した場合,重い犯罪の刑を適用してはならないと規定している」ものとされています(前田雅英『刑法総論講義 第4版』(東京大学出版会・2006年)254頁)。抽象的事実の錯誤論は「〔行使者が〕認識した犯罪類型と異なる犯罪類型に属する結果が生じた場合をどう処断するのかを扱う」ものですが(前田253頁),そこでは,「錯誤により認識した構成要件を超えた事実についての故意犯の成立を否定する」法定的符合説と「主観面と客観面が異なる構成要件にあてはまるにしても,「およそ犯罪となる事実を認識して行為し,犯罪となる結果を生ぜしめた」以上,38項の範囲内で故意既遂犯の成立を認めようとする見解」である抽象的符合説とが対立していたとされています(前田254頁)。「対立していた」と過去形なのは「わが国では,法定的符合説が圧倒的に有力になった」からですが(前田256頁),その間,偉い学者先生たちの難解煩瑣な学説の対立を丁寧に紹介されて,法学部の学生たちは消化不良でげんなりしていたものでした。

 

(3)第3項:法律の錯誤

刑法383項についても,同項の「法律を知らなかったとしても」の部分をほぼその文字どおり「「条文を知らなかったとしても」と解」した上での「(条文への)あてはめの錯誤は故意を否定しない」ことを意味するのだという解釈は,「しかし,条文を知らなくても処罰すべきなのは当然のことであり,それをわざわざ規定したと解するのはかなり無理がある」ということで一蹴されており,「やはり,38項は「違法性の意識が欠けても故意は否定されない」と読むべきである」とされています(前田216-217頁)。「法律ヲ知ラサルヲ以テ」が強引に「違法性ノ意識ノ欠缺ヲ以テ」と,別次元のものとして読み替えられるわけです(違法性の意識とは「「悪いことをしている」という意識」です(前田214頁)。)。「刑法は哲学的・理論的色彩の濃い法とされている」(前田3頁)ところの面目躍如です。

しかして,「法律ヲ知ラサルヲ以テ」を「違法性ノ意識ノ欠缺ヲ以テ」と読み替えるべしと唱えられただけでは刑法383項の解釈問題は実は解決せず,「学説は,(a)違法性の意識がなければ故意がないとする厳格故意説,(b)故意に違法性の意識は不要だが,その可能性は必要である(ないしは違法性の意識のないことに過失があれば故意犯として処罰する)という制限故意説,そして(c)違法性の意識がなくても故意は認められるとする考え方に三分し得る。そして,(c)説は,故意が認められても違法性の意識の可能性が欠ければ責任が阻却されるとする責任説と,故意があれば原則として可罰的とする判例の考え方に分かれると考えることもできる。」とのことです(前田215頁)。これまた諸説濫立で厄介であり,学習者には重い負担です。しかし,結局は「違法性の意識」(当該概念は刑法383項において明示されていません。)を不要とする判例説を採るのであれば(前田220頁参照),三つ巴に対立する学説状況を迂回する沿革的説明のようなものに拠る方がむしろ簡便であるように思われます。

なお,責任説は,「故意を構成要件の認識と捉え」,「違法性の意識の欠如を故意とは別個の責任阻却の問題として処理する立場」です(前田215頁)。故意を専ら構成要件の認識であるものと観念するのは,ドイツ法学の流儀なのでしょう。ドイツ刑法の現行161項前段は,„Wer bei Begehung der Tat einen Umstand nicht kennt, der zum gesetzlichen Tatbestand gehört, handelt nicht vorsätzlich.“(犯行の際に法律上の構成要件に属する事情の認識がない者は,故意をもって行為するものではない。)と規定しています。

 

2 旧刑法77

沿革的説明は筆者の好むところですが,188211日から施行された(明治14年太政官布告第36号)旧刑法(明治13年太政官布告第36号)77条は次のように規定していました。

 

 第77条 罪ヲ犯ス意ナキノ所為ハ其罪ヲ論セス但法律規則ニ於テ別ニ罪ヲ定メタル者ハ此限ニアラス

  罪トナルヘキ事実ヲ知ラスシテ犯シタル者ハ其罪ヲ論セス

  罪本重カル可クシテ犯ス時知ラサル者ハ其重キニ従テ論スル((こと))ヲ得ス

  法律規則ヲ知ラサルヲ以テ犯スノ意ナシト為スヿヲ得ス

 

 旧刑法77条の第4項にただし書を加え,その第2項を削ると,現行刑法38条と同様の規定となりますね。

 

3 旧刑法77条から現行刑法38条へ

 

(1)1901年法典調査会案

 旧刑法77条と現行刑法38条とをつなぐ,1901年の段階での刑法改正案における対応条項及び当該条項の形となった理由の説明は次のとおりでした(法典調査会編纂『刑法改正案理由書』(上田屋書店・1901年)55-56頁)。

 

  第48条 罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ之ヲ罰セス但法律ニ特別ノ規定アル場合ハ此限ニ在ラス  

   法律ヲ知ラサルヲ以テ罪ヲ犯ス意ナシト為スコトヲ得ス但情状ニ因リ其刑ヲ減軽スルコトヲ得

    (理由)本条ハ現行法第77条ニ修正ヲ加ヘタルモノニシテ現行法第77条第2項及ヒ第3項ハ共ニ同条第1項ノ適用ニ過キサルヲ以テ本案ハ其必要ヲ認メス之ヲ(さん)除シタリ

    本条第1項ハ現行法第77条ト全ク同一ノ主旨ヲ規定シタルモノニシテ本案ニ於テハ原則トシテ罪ヲ犯ス意ナキ行為ハ罪トナラサルコトヲ定メ唯例外トシテ法律ヲ以テ特別ノ規定ヲ設ケタルトキハ意ナキ行為ヲモ罪トナスコトヲ明ニシタルモノナリ

    第2項ハ現行法第77条第4項ト同シク法律ヲ知ラスト雖モ是ヲ以テ罪ヲ犯スノ意ナキモノト為ササル主旨ニシテ実際上ノ必要ニ基ク規定ナリ然リト雖モ真ニ法律ヲ知ラサルカ為メ不幸ニシテ或ハ罪名ニ触レ事情憫諒ス可キ者アルヲ以テ本条但書ニ於テ裁判所ヲシテ其情状ヲ見テ刑ヲ減軽スルコトヲ得セシメタルモノナリ

 

要は,旧刑法77条を引き継いだものであって,同条2項及び3項は1項で読めるので削り,「真ニ法律ヲ知ラサルカ為メ不幸ニシテ或ハ罪名ニ触レ事情憫諒ス可キ者」のために同条4項にただし書を付けたということのようです。

 

(2)「罪本重カル可クシテ」条項の復活

旧刑法773項の復活は,19061121日に開催された司法省の法律取調委員会総会でのことであって,同省の起草委員会が作成した次の条文案(前記1901年案48条に相当する条項(「第40条」)に続くべきもの)が江木衷委員の主唱によって削られた際の勝本勘三郎委員による「本条削除に決する以上は,第40条の2項として,左の1項を加へたし。/罪本重カルヘクシテ犯ス時知ラサルトキハ重キニ従テ論スルコトヲ得ス」との提案が,磯部四郎🎴等の多数委員の賛成によって可決されたことによるものです(佐立治人「現行日本刑法第38条第2項の由来について――旧中国の罪刑法定主義の「生きた化石」――」関西大学法学論集712号(20217月)524-523頁(当該論文は,横書きの雑誌に縦書きで掲載されているので,ページのナンバリングが逆行しています。))。

 

 第41条 犯罪事実犯人ノ信シタル所ト異リタル場合ニ於テハ左ノ例ニ依ル

  一 所犯犯人ノ信シタル所ヨリ重ク若クハ之ト等シキトキハ其信シタル所ニ従テ処断ス 

  二 所犯犯人ノ信シタル所ヨリ軽キトキハ其現ニ犯シタル所ニ従テ処断ス

 

19072月に第23回帝国議会に提出された現行刑法案の理由書である「刑法改正案参考書」においては,現行刑法382項について,「現行法〔旧刑法〕第77条第3項ト同一趣旨ナリ」と述べられていたそうです(佐立522頁)。

 

(3)ドイツ法の影響?

 旧刑法773項に対応する規定の復活は,旧刑法の施行の直前に我が司法省に提出されたドイツのベルナー(Albert Friedrich Berner)の『日本刑法ニ関スル意見書』において(当該意見書は,村田保との数箇月にわたる協議に基づいて作成されたもの),旧刑法77条「第2項は贅文である」として同条が批判されていること(青木人志「西欧の目に映った旧刑法」法制史研究47号(19983月)165頁,また164頁)の反対解釈(すなわち,同項ならざる同条3項は贅文ではないから,意味のある条項であるということになります。)によるものでしょうか。確かに,当時のドイツ刑法59条には,次のような規定があったところです。

 

  §. 59.

Wenn Jemand bei Begehung einer strafbaren Handlung das Vorhandensein von Thatumständen nicht kannte, welche zum gesetzlichen Thatbestande gehören oder die Strafbarkeit erhöhen, so sind ihm diese Umstände nicht zuzurechnen.

  (可罰的行為を犯した際に,犯行に関する事情であって,法律上の構成要件に属し,又は可罰性を加重するものの存在を知らなかった者に対しては,当該事情をもって帰責すべきではない。)

Bei der Bestrafung fahrlässig begangener Handlungen gilt diese Bestimmung nur insoweit, als die Unkenntniß selbst nicht durch Fahrlässigkeit verschuldet ist.

  (前項の規定は,過失により犯された行為を罰する場合においては,不知自体が過失によって有責ではないときに限り適用される。)

 

「犯行に関する事情であって,法律上の構成要件に属」するものの不知は我が旧刑法772項に対応し,「犯行に関係する事情であって,可罰性を加重するもの」の不知は同条3項に対応するようです。旧刑法772項が「贅文」だとベルナーが言うのは,同条1項との関係においてでしょう。そうだとすると,「罪トナルヘキ事実ヲ知ラス」という情態は「罪ヲ犯ス意ナキ」情態に含まれるということになるようです。ただし,ボワソナアドはつとに,旧刑法772項相当規定を削るべしとの鶴田皓の意見に対して「〔第2項は〕第1項トハ同シ主意ニアラス不論罪中尤緊要ノ事ニ付項ヲ分カチテ掲ケサルヲ得ス/例ヘハ処女ヲ姦シタリ然シ人ノ妻ナリシナレ𪜈(ども)之ヲ知ラス〔略〕等ノコトヲ云フ」と反論していました(「日本刑法草案会議筆記」『日本立法資料全書31 旧刑法(明治13年)(3)-1』(信山社・1996年)213頁。ナポレオンの刑法典の姦通罪は336条から第338条まで)。(ちなみに,ボワソナアドは,ドイツ刑法旧59条について「然シ独乙ノ刑法ノ書法ニテハ不十分ナリ何故ナレハ犯スノ意アリテ犯シタルコト而已ニテ犯スノ意ナクシテ犯シタル(こと)ヲ記セス故ニ其主意ヲ尽サルナリ」と鶴田相手に評しています(日本刑法草案会議筆記211頁)。旧刑法771項の規定がある点において,日本刑法はドイツ刑法に対して優越するのだというのでしょう。なお,旧刑法77条に対応する条項に係る「第1稿以前ノ草按」の第2項は「若シ犯人〔略〕止タ其犯罪ノ1箇又ハ2箇以上ノ性質ニ関シ又ハ犯人ノ犯シタル事ノ1箇又ハ2箇以上ノ模様ノ罪トナルヘキ又ハ其罪重カルヘキ事ヲ知ラスシテ為シタルトキモ亦同シ〔罰ス可カラス〕」と,旧刑法77条の第2項と第3項とが一体となったような書き振りとなっていましたが(日本刑法草案会議筆記210),これは,ドイツ刑法旧591風というべきでしょう。

なお,現行刑法の1901年案48条の解説は,旧刑法773項は同条1項の「適用」だといいますが,同項(ただし書を除く。)の適用の結果は,「其罪ヲ論セス」(無罪放免)ということになるはずです。しかし,旧刑法773項の場合は,通常の故意犯について,「重キニ従テ論スル」ことはしないが,なお軽きに従って「其罪ヲ論ス」ることになるのでしょうから,同条1項が素直にそのまま適用されるものではないでしょう。「「罪本重カル可クシテ犯」した行為は,軽い罪を犯そうと思って重い罪を犯した行為であるから,「罪ヲ犯ス意ナキノ所為」ではない。よって,旧刑法第77条第3項を同条第1項の「適用」と言うことはできない」わけです(佐立525頁)。あるいはむしろドイツ刑法旧591項の影響で,旧刑法77条の第2項と第3項とを一からげにしてしまった上で,両項とも同条1項で読んでしまおうとした勇み足だったのでしょうか。

ところで,以上見たような旧刑法77条と現行刑法38条との連続性に鑑みるに,「旧刑法はフランス,現行刑法はドイツに倣ったもの」(前田18頁)と断案しようにも,旧刑法77条がそこから更にドイツ風🍺🥔に改変されて現行刑法38条となったものとはとてもいえないようです。

 

4 1877年8月旧刑法フランス語案89

ちなみに,我が旧刑法77条の原型となった18778月のフランス語案における対応条項は,次のようなものでした。

 

   89. Il n’y a pas d’infraction, lorsque l’inculpé n’a pas eu l’intention de la commettre ou de nuire en la commettant, sauf dans les cas où la loi punit la seule inobservation de ses dispositions ou des règlements.

  (被告人に,当該犯罪をなす,又は当該犯行によって害する意思がなかった場合においては,犯罪は成立しない。ただし,法がその条項又は規則に係る単なる不遵守を罰するときは,この限りでない。)

   Il en est de même si l’inculpé a ignoré l’existence des circonstances constitutives de l’infraction.

  (当該犯罪を構成する事情の存在を被告人が知らなかったときも,前項と同様である。)

   Si l’inculpé a seulement ignoré une ou plusieurs circonstances aggravantes de l’infraction, il ne subit pas l’élévation de peine qui y est attachée.

  (被告人の不知が当該犯罪の犯情を悪化させる一又は複数の事情に専ら係るものであったときは,それらに伴う刑の加重は,同人について生じない。)

   L’ignorance de la loi ou des règlements ne peut être invoquée pour établir le défaut d’intention.

  (法律又は規則の不知をもって意思の欠缺を立証することはできない。)

 

犯罪(infraction)の成立に関して,第1項及び第4項において意思(intention)の有無が,第2項において当該犯罪を構成する事情(circonstances constitutives de l’infraction)の知又は不知(ignorance)が問題とされていますから,故意の本質に係る表象(認識)説(故意の成立を犯罪「事実の認識(表象)の有無」を中心に考える。),意思説(故意には,犯罪事実の表象に加えて犯罪事実実現の意思・意欲といった「積極的内心事情」が必要であるとする。)及び動機説(「認識が行為者の意思に結びついたこと,すなわち行為者が認識を自己の行為動機としたこと」が故意だとする。)の争い(前田206頁参照)の種は既にここに胚胎していたわけです。旧刑法77条の「故意・法の不知規定」は「仏刑法にない規定」(青木163頁)を創出したものであって,我が国の立法関係者が「故意という定義困難な対象の定式化を試みたこと」は,オランダのハメル(van Hamel)によって「評価」されたところです(同165頁)。

 

5 「罪本重カル可クシテ」条項の由来

 

(1)新律綱領

ところで,現行刑法382項に対応する規定は,旧刑法773項の前の時期においては,明治三年十二月二十日(187129日)の新律綱領巻3名例律下の本条別有罪名条に次のように規定されていました。

 

 凡本条。別ニ罪名アリテ。名例ト罪同カラサル者ハ。本条ニ依テ之ヲ科ス。

 若シ本条。罪名アリト雖モ。其心規避((はかりよける))スル所アリテ。本罪ヨリ重ケレハ。其重キ者ニ従テ論ス。其罪。本重カルヘクシテ。犯ス時。知ラサル者ハ。凡-人ニ依リテ論ス。仮令ハ。叔。姪。別処ニ生長シテ。(もと)相識ラス。姪。叔ヲ打傷シ。官司推問シテ。始テ其叔ナルヲ知レハ。止タ凡---法ニ依ル。又別処ニ窃盗シテ。大祀神御ノ物ヲ偸得ル如キ。並ニ犯ス時。知ラサレハ。止タ凡--律ニ依テ論ス。其罪。本軽カルヘキ者ハ。本法ニ従フ((こと))ヲ聴ス。仮令ハ。父。子ヲ識ラス。殴打ノ後。始テ子ナルヿヲ知ル者ハ。止タ父---法ニ依ル。凡-殴ヲ以テ論ス可ラス。

 

(2)唐土の律🐼及びその現在的意味

 この新律綱領の規定は,18世紀半ば(乾隆五年)の清律の本条別有罪名条を継受したものであるそうです(佐立535頁)。当該清律は14世紀末(洪武三十年)の明律の名例律における本条別有罪名条を引き継ぎ,更に当該明律は,唐の名例律における本条別有制条を引き継いだものです(佐立539537頁)。当該唐律の本条別有制条及びその疏(公定註釈)は次のとおり(佐立546-545頁)。

 

 (すべて)本条(べつに)有制(せいあり)与例(れいと)〔=名例律〕不同(おなじからざる)者,(ほん)本条(でうによる)(もし)当条(ざいめ)有罪名(いありといへども)所為(なすところ)(おもき)者,(おのづから)(おもきに)(したがふ)其本(それもと)応重而(まさにおもかるべくして)(をかす)(とき)不知(しらざる)者,(ぼんに)(よりて)(ろんず)。本(まさにかる)(かるべき)者,聴従本(もとにしたがふをゆるす)

疏。議曰,(もし)有叔姪,別処生長,(もと)未相識。姪打叔傷,官司推問始知,聴依凡人闘法。又(もし)別処行盗,盗得大祀神御之物。如此之類,並是犯時不知,得依凡論,悉同常盗断。其本応軽者,或有父不識子,主不識奴。殴打之後,然始知悉,須依打子及奴本法,不可以凡闘而論。是名本応軽者,聴従本。

 

「このように,律疏に挙げられている例では,事実を知らずに行おうとした犯罪と,実際に行った犯罪とは,どちらも傷害罪,窃盗罪,闘殴罪という同じ類型の犯罪であり,刑を加重・減軽する条件を含んでいるかいないかの違いがあるだけである。それもそのはずで,この律条の「凡に依りて論ず」という文言の「凡」とは,刑を加重・減軽する条件を持っていない対象という意味であるから,この律条の規定は,事実を知らずに行おうとした犯罪と,実際に行った犯罪とが,刑を加重・減軽する条件を含んでいるかいないかの違いがあるだけの,同じ類型の犯罪である場合だけに適用される規定なのである。よって,団藤重光『刑法綱要総論』(創文社,1990年第3版)が「唐律以来,382項に相当する規定の疏議には,構成要件の重なり合うばあいだけが例示されていたことを,注意しておかなければならない。」(第2編第4章第3節,303頁注34)と述べるのは正しい」わけで(佐立541-542頁,また521頁),旧刑法に係る18778月のフランス語案文893項(“Si l’inculpé a seulement ignoré une ou plusieurs circonstances aggravantes de l’infraction, il ne subit pas l’élévation de peine qui y est attachée.”)は「其罪。本重カルヘクシテ。犯ス時。知ラサル者ハ。凡-人ニ依リテ論ス。」の正当な理解の上に立ったものでもあったわけです。

この辺の沿革・経緯を知っていれば,現行刑法382項に係る抽象的符合説などに惑わされる余計な苦労は全く不要であったように思われます。(なお,19061121日の法律取調委員会総会で議論された起草委員会案41条は,佐立治人関西大学教授によって,抽象的符合説的な「犯そうとした罪と実際に犯した罪とが異なる類型の罪であるときにも適用できる条文」であるものと解されています(佐立523頁,また524頁)。すなわち,抽象的符合説の採用につながる可能性の大きな当該条文が現行刑法の制定前夜にあらかじめ排斥され,正に法定的符合説に親和的な「両者が同じ類型の罪であるときにだけ適用できる条文」(佐立523頁)たる旧刑法773項が復活していたのだというわけです。)

以下においては,18778月フランス語案文89条に基づくボワソナアドの解説の主なところを見てみましょう。

 

6 1877年8月案89条(旧刑法77条)に係るボワソナアド解説

 

(1)第1項

18778月案891項では,「①当該犯罪をなす,又は当該犯行によって害する意思がなかった場合」と規定されて,犯罪に係る二つの意思類型が提示されていますが,旧刑法771項では単に「罪ヲ犯ス意ナキノ所為」という形で一本化されています。これについては,ボワソナアド自身も「もっとも,一の意思類型を他のものから分別することに大きな実際的意義があるわけではない。悪性の弱い方,すなわち,犯罪をなす意思が認められれば十分だからである」と述べ(Gve Boissonade, Projet révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire; Kokoubounsha, Tokio, 1886: p.269),「法律(第77条)においては当該意思〔犯罪をなす意思〕のみが要求されているのは,恐らく(peut-être)この理由によるものだろう。」と註記しています(ibidem)。「恐らく」とはいっても,鶴田皓が日本文ではそのようにする旨あらかじめボワソナアドに明言し,ボワソナアドも了解していたところでした(日本刑法草案会議筆記216-217頁)。

 

(2)第2項

18778月案892項(旧刑法772項)に関するボワソナアドの説明は,次のようなものでした。すなわちまず,「892項及び3()()は,法律が学説に副っていうところの当該犯罪を「構成する事実(faits constitutif)」又は「構成する事情(circonstances constitutives)」たる事実又は事情の幾つかについて被告人が知らなかった場合を想定して,当該犯罪をなす意思についての規定を全きものとするものである」とされた上で,ある物の占有を取得する際それが他人のものであることを知らず,自分のもの又は無主物だと思っていた場合には盗犯の成立はないとの例が示された外,異性との婚外交渉において相手が婚姻していることを知らなかった場合,未成年の娘を堕落させる軽罪(délit)において当該女性が20歳未満であることを知らなかった場合〔ナポレオンの刑法典334条参照〕,現住建造物放火の重罪(crime)において当該建造物に居住者がおり,又は居住目的のものであることを知らなかった場合が提示されています(Boissonade, p.270)。しかして,「このように知られなかった事情中には,軽罪にとっての本質ないしは構成要件が存在する。もし被告人がそれらを知っていたら,彼は恐らく当該犯罪を行わなかったであろう。彼の意思するところは法の意思するところに反するものではなかった。彼の意思は法が罰しようとする不道徳性を有してはいなかった。」ということだそうです(Boissonade, pp.270-271)。

 

(3)第3項

18778月案893項(旧刑法773項)については,まず全体的に「軽罪本体の全体を構成するものではないが,その道徳的又は社会的な害悪を増加せしめ,そしてその理由により「加重的(aggravantes)」と呼ばれる他の事情についても〔同条2項と〕同様である。そのようなものとしては,使用人による盗犯の場合における盗品が被告人の主人のものであるという事情,暴行傷害の場合における被害者の尊属性,人の羞恥心に対する軽罪〔猥褻の罪〕の場合における法が刑の厳しさの大小をそこにかからしめている年齢及び親等の区分がある。」と説明された上で(Boissonade, p.271),「逆に,存在しない加重的事情の存在を誤って信じた者には,刑の加重は及ばないことに注意しよう。主人のものを盗んでいると信じて他人のものを盗む使用人,父を殴っていると信じて他人を殴る息子は,彼らがあえてやむを得ないと覚悟した刑の加重を被らないのである。後に実際に(第8章),事実を伴わない意思は,事実自体として罰せられることはないことが了解されるだろう。ここにおいては,刑の基礎として失われているものは,道徳的害悪ではなく,社会的害悪なのである。」と敷衍がされています(ibidem)。当該敷衍の意味するところは,現行刑法382項に係る「重い犯罪事実の認識で軽い犯罪事実を生ぜしめた場合はどうなるのであろうか」との発問(前田254頁)に対して,その場合は,罪本軽かるべくして犯すとき知らざる者は其軽きに従て処断することを(ゆる)ことになるのだ,と回答するということですね(なお,鶴田皓も同様の説であったことにつき,日本刑法草案会議筆記214頁)。

 

(4)第4項

18778月案894項に関する解説は,次のとおりです(Boissonade, pp.271-273)。

 

  165. 第89条の最終項は,法律の不知(l’ignorance de la loi)に関して,他の立法においては裁判所による解釈に委ねられている問題に解決を与えるものである。

   法律を知らなかった者は,確かにそれを犯す意思(intention)を有してはいなかった。しかし,法律が罰するのは,当該意思ではない。それは,悪しき行為(une action mauvaise)をなそうとする意思なのである。確かに,当該行為が法律によって正式に予想され,禁止され,かつ,罰せられていなかったならば,それは可罰的ではない。しかし,法律が公布されたときは,それは知られなければならない。それを知らない者には,それを知らないという落ち度(faute)があるのである。

   「何人も法律を知らないものとは評価されない(n’est censé)」(nemo legem ignorare censetur)とよく言われる。この法諺は,文言上,人々がそれについて思うとおりのことを述べているものではない。正確には,法律を知っていることが推定されるということを意味するものであるが,しかし,当該推定の反証を禁止するものではないのである。彼の法律の不知は彼の落ち度だとして,当該立証をした者に対して厳しく当たることは可能であろう。しかし,多くの場合において法律が訴訟当事者によって知られていないとしてもそれは常に彼らの落ち度によるものではない,ということは認められなければならない。法文は,全ての人が容易に接し得るものではない。基本法典を除き,諸法は――刑罰法規であっても――私人がその中で迷わないことが難しい諸種の法規集の中に散在しており,更に,法律が目の前にあっても,そこに,裁判所及び職業法律家をも悩ませる解釈上の難題があるということが稀ではないのである。したがって,法律を知っていることの推定又は法律を知らないことは落ち度であることの推定を,留保なしに認めることは正義にかなうものではないであろう。民事法に関係するときは特にそうである。

   しかし,刑事においては,より多くを求めること(d’être plus exigeant)が自然である。法律によって禁止され,かつ,罰せられる行為は常に,普遍的な道徳が多かれ少なかれ非難するようなものなのである。それらは,同時に,社会状態にとって有害である。それを知らなかったことによって当該法律によって警告されていなかった被告人も,そのような行為を避けるべきことを少なくとも彼の理性及び良心によって警告されていたのである。

   法律の不知は,単なる行政規則又は地域的措置に関するときは,より恕し得るものである(plus excusable)。しかしながら,被告人には,それらのことについて正確な知識を得なかったという落ち度がなお存在するのである。

   更に注意すべきは,我々の条項は,法律の不知の主張立証を被告人に禁ずるものではなく,それが示されたときに当該不知を考慮に入れることを裁判所に禁ずるものではないことである。禁止されているのは,この場合においては,意思の欠缺の理由によって被告人が全く刑を免れることである。というのは,彼には彼が知らなかった法律を犯す意思がなかったとしても,それでも彼は,道徳的及び社会的に悪い行為をなすという意思を有していたからである。

 

18778月案894項の“la loi”=旧刑法774項の「法律」=現行刑法383項の「法律」は,やはり違法性の意識というような抽象化されたものではなく,文字どおりの法律なのでしょう。刑法383項の原意は「法律を知らなかったとしても,違法性の意識が直ちに否定されることによって罪を犯す意思がないものとはされない」ということなのでしょう。

18778月案892項はl’ignorance de la loi ou des règlementsではなく“les circonstances constitutives de l’infraction”の不知をもって,旧刑法772項は「法律規則ヲ知ラサル」ことではなく「罪トナルヘキ事実」の不知をもって,「其罪ヲ論セス」とする理由としていたところです。

しかして,「法律によって禁止され,かつ,罰せられる行為は常に,普遍的な道徳が多かれ少なかれ非難するようなものなのである。それらは,同時に,社会状態にとって有害である。」ということですから,罪トナルヘキ事実を知っていれば,違法性の意識(悪しき行為をなす意識)があるものと推定されるわけなのでしょう。ちなみに「判例は,故意に違法性の意識提訴機能を認め」ているところです(前田221頁)。

また,ボワソナアドは,違法性の意識の存在が認められない場合(これは,「単なる行政規則又は地域的措置に関する(de simples règlements administratifs ou de mesures locales)」法律の不知の場合には多いのでしょうか。ただし,ボワソナナドは,「より恕し得る」とは言っていても,違法性の認識を欠くとまでははっきり言っておりませんが。)であっても,罪トナルヘキ事実を知っているのであれば,なお法律の不知に係る被告人の落ち度(faute)に基づく科罰は可能であるとするのでしょう。

最高裁判所昭和321018日判決(刑集11102663号)における「刑法383項但書は,自己の行為が刑罰法令により処罰さるべきことを知らず,これがためその行為の違法であることを意識しなかつたにかかわらず,それが故意犯として処罰される場合において,右違法の意識を欠くことにつき勘酌または宥恕すべき事由があるときは,刑の減軽をなし得べきことを認めたものと解するを相当とする。」との判示は,以上のような,被告人に違法性の意識までがある場合と落ち度のみがある場合との二段構えの文脈において理解すべきでしょうか。

しかして上記判決は,続いて,「従つて自己の行為に適用される具体的な刑罰法令の規定ないし法定刑の寛厳の程度を知らなかつたとしても,その行為の違法であることを意識している場合は,故意の成否につき同項本文の規定をまつまでもなく,また前記のような事由による科刑上の寛典を考慮する余地はあり得ないのであるから,同項但書により刑の減軽をなし得べきものでないことはいうまでもない。」と述べています。これについては,ボワソナアドの前記第165項説明の最終段落は「道徳的及び社会的に悪い行為をなすという意思」があっても刑の減軽は可能である(刑の免除まではできないだけ)という意味であると解されますところ,当該段落の記述と最高裁判所の所論との間には扞格があるようでもあります。しかし,ボワソナアドの当該説明は一般的な酌量減軽(18778月案99条・100条,旧刑法89条・90条)についてのものとなりますから(現行刑法383項ただし書に相当する規定は当時未存在),「道徳的及び社会的に悪い行為をなすという意思」があっても情状原諒すべきもの〔旧刑法89条の文言。「原」には,実情を調べ罪をゆるめる,という意味があります。〕があればそもそも刑の減軽が可能なのでありますし,減軽ですから,刑の免除に及ばないのは当然です。落ち度のみあって違法性の意識はない場合はどうなるのかの問題にボワソナアドは触れていませんが,刑の免除規定がない以上はやはり減軽にとどまらざるを得ないとするものだったのでしょうか(ただし,1等の減軽と2等の減軽とで差を付けることは可能でしょう(18778月案100条,旧刑法90条)。)。これに対して,現行刑法においてわざわざ新たに導入された同法383項ただし書の適用については,行為者における違法性の意識の有無という大きな区切りでまず切り分けることが自然でしょう。

 

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1 某巡査の重婚的「婿入」

 鷗外森林太郎の小説『雁』(1911-1915年)のヒロインである玉は,岡田医学生と淡い交渉を持った1880年(明治13年)の段階(「古い話である。僕は偶然それが明治13年の出来事だと云ふことを記憶してゐる。」)において,貸金業者の末造の妾でありましたが,飽くまでも妾にとどまる限りにおいては,末造と婚姻していたものではありません。しかしながら,末造の妾になる前に,玉には某巡査が「婿」としてやって来ていたという事情がありました。当該事情は下記のとおりですが,玉は法的には,未婚であったのでしょうか,それとも元・人妻となったものだったのでしょうか。

 

  或る時〔飴細工屋の爺いさんの家の〕入口に靴の脱いであるのを見た。それから間もなく,此家の戸口に新しい標札が打たれたのを見ると,巡査(なん)何某(なにがし)と書いてあつた。末造は松永町から,(なか)(おかち)(まち)へ掛けて,色々な買物をして廻る間に,又探るともなしに,飴屋の爺いさんの内へ婿入(むこいり)のあつた事を(たしか)めた。標札にあつた巡査がその婿なのである。お玉を目の(たま)よりも大切にしてゐた爺いさんは,こはい顔のおまはりさんに娘を渡すのを,天狗にでも(さら)はれるやうに思ひ,その婿殿が自分の内へ這入り込んで来るのを,此上もなく窮屈に思つて,平生心安くする誰彼に相談したが,一人もことわつてしまへとはつきり云つてくれるものがなかつた。〔中略〕末造が此噂を聞いてから,やつと三月ばかりも立つた頃であつただらう。飴細工屋の爺いさんの家に,ある朝戸が締まつてゐて,戸に「貸家差配(さはい)松永町西のはづれにあり」と書いて張つてあつた。そこで又近所の噂を,買物の(ついで)に聞いて見ると,おまはりさんには国に女房も子供もあつたので,それが出し抜けに尋ねて来て,大騒ぎをして,お玉は井戸へ身を投げると云つて飛び出したのを,立聞をしてゐた隣の上さんがやう〔やう〕止めたと云ふことであつた。おまはりさんが婿に来ると云ふ時,爺いさんは色々の人に相談したが,その相談相手の中には一人も爺いさんの法律顧問になつてくれるものがなかつたので,爺いさんは戸籍がどうなつてゐるやら,どんな届がしてあるやら,一切無頓着でゐたのである。巡査が髭を(ひね)つて,手続は万事己がするから好いと云ふのを,少しも疑はなかつたのである。

  (『鷗外選集第3巻 小説三』(岩波書店・1979年)216-217頁)

 

法律顧問は,有益かつ必要です(御連絡・御相談は,saitoh@taishi-wakaba.jpへ。あるいは,03-6868-3194へ)。

令和の御代となっては遅蒔きながら,玉と某巡査との婚姻の成否について考えてみましょう。当該「婿入」騒動があったのは,明治11年か12年(1878-1879年)の頃のことであったとの前提での解説です。

 

2 重婚の許否の問題

まず,前回記事(「令和4年法律第102号による改正後の民法773条における「第732条」出現の「異次元」性に関して」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080634730.html)以来の問題である重婚の許否について検討します。

1888年(明治21年)の旧民法人事編第一草案41条は「配偶者アル者ハ重ネテ婚姻ヲ為スコトヲ得ス」と規定していますが,熊野敏三起稿の理由書には「本条ハ重婚ヲ禁スルモノニシテ一夫一婦ノ制ニ帰着スルモノナリ此規則ハ或ハ旧来ノ慣習ニ反スルヤ知ルヘカラスト雖モ刑法中重婚ヲ罰スレハ既ニ之ヲ一変シタルモノト云フヘシ」とあります(『明治文化資料叢書第3巻 法律編上』(風間書房・1959年)63頁)。ここでの「刑法」は,1882年(明治15年)11日から施行された(明治14年太政官第36号布告)旧刑法(明治13717日太政官第36号布告)のことになります。旧刑法354条は「配偶者アル者重()テ婚姻ヲ為シタル時ハ6月以上2年以下ノ重禁錮ニ処シ5円以上50円以下ノ罰金ヲ附加ス」と規定していました(重禁錮は禁錮場に留置し定役に服せしめる刑です(同法241項。他方,定役に服さないのが軽禁錮でした(同項)。)。)。

熊野の口吻を反対解釈すると我が国の「旧来ノ慣習」はあるいは重婚制であったということになるようですが,ボワソナアドは,重婚(bigamie)の罪は日本社会では稀であり(raretéであるとされています。),その民俗(mœurs)は重婚に赴かせしめるものではないと観察していたところです(cf. Gve Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accmpagné d’un Commentaire, Tokio, 1886, p.1045)。稀ではあるが,重婚はあることはあった,ということになるようです。

梅謙次郎に至ると,きっぱりと,「蓋シ我邦ニ於テハ既ニ千有余年前ヨリ此〔一夫一婦の〕主義ヲ認メ敢テ一夫多妻若クハ一妻多夫ノ制ヲ取ラス」と述べています(梅謙次郎『民法要義巻之四 親族編(第22版)』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1912年(初版1899年))90頁)。民法(明治31年法律第9号)旧766条(「配偶者アル者ハ重ネテ婚姻ヲ為スコトヲ得ス」)の草案は18951122日の第139回法典調査会で審議されましたが,そこで参照条文等として掲げられたものは,我が国法関係では,旧民法人事編(明治23年法律第98号)31条(「配偶者アル者ハ重()テ婚姻ヲ為スコトヲ得ス」),旧刑法354条,戸婚律有妻更娶条,和娶人妻条,応政談,御定書百个条48(密通御仕置之事),明治8128日司法省指令,明治9623日太政官指令1条及び明治9717日「内務省1」となっています(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第46巻』91丁表)。これらの条文等が我が国における一夫一婦制の伝統を基礎付けていたのだ,ということでしょう。

 

 今日本に於ける沿革を案ずるに戸婚律に(第1)有妻更娶条(第2)和娶人妻条ありて配偶者ありながら他人と婚姻する者を罰し其婚姻を無効とせり。新律綱領,改定律(ママ)には明文なし。故に人の妻を娶るも罪なきに非さるやの疑を生するも実際は不応為罪中に之を含みたり。明治8128日司法省指令に由れば妻ある夫更に婚姻(ママ)ば不応為罪の重きに依て処断す。後婚の婦女其情を知らば同罪とすとあり。徳川時代に於ては百ヶ条に「密通致し候妻死罪,密通之男死罪」と規定したり。

 (中村進午『親族法』(東京専門学校・1899年)82頁)

 

 明治8年(1875年)128日司法省指令の事案は,玉と某巡査との事件と同型ですね。

 明治9年(1876年)717日「内務省1」の内容は筆者には調べがつかなかったのですが,同年623日の太政官指令1条は,18749月に夫が逃亡してしまったので妻が姑及び実家の父らに勧められてN松と「再婚」したところ,後に事実が当局に露見して187511月に妻の実父らはそれぞれ処分され,かつ,N松とは離隔せられたものの,18761月に妻が出産してしまった「後婚」の子を戸籍上どう取り扱うかについての回答であって,「子ハ双方ノ協議ニ任セ男又ハ女ニテ(ひき)引取(とりをなし)男ニテ引取候ハ庶子女ニテ引取候ハ私生ノ子ト記載スヘキ事」というものでした。N松との「後婚」は一妻多夫の重婚として無効なので,生まれた子は嫡出子にはならず(なお,同児は187511月の「離隔」前に懐妊されているところ,重婚も取消しまでは有効であって,かつ,取消しの効果は遡及しないとの現行民法(明治29年法律第89号)744条及び7481項の主義であれば,嫡出子たり得たところでしょう(同法7721項及び2項後段参照。また,旧民法人事編66条(「無効ノ言渡アリタル婚姻ハ子ニ付テハ其出生ノ婚姻前後ナルヲ問ハス法律上ノ効力ヲ生ス」))。),N松が認知(引取り)をすればその庶子となるが,そうでなければ(女ニテ引取の場合)父の知れない私生子であるということでしょう。

 不応為罪は,明治三年十二月二十日(187129日)の新律綱領の巻5雑犯律に「凡律令ニ正条ナシト雖モ情理ニ於テ為スヲ得()ヘカラサルノ事ヲ為ス者ハ笞30事理重キ者ハ杖70」との規定があったものです。罪刑法定主義(旧刑法2条「法律ニ正条ナキ者ハ何等ノ所為ト雖モ之ヲ罰スル(こと)ヲ得ス」)もあらばこそです。30及び杖70の刑は,明治6年(1873年)710日から施行の改定律例(明治6613日太政官第206号布告)によって,それぞれ30日の懲役及び70日の懲役に改められています(なお,改定律例は,新律綱領を廃止するものでも全部を改正するものでもなく,補充するものでした。)。ただし,玉の「婿」の某巡査は官吏でしょうから(「上は君主より下は交番の巡査に至る迄」いずれも国家機関である,とは美濃部達吉の不敬的かつ有名な表現です。),改定律例23条又は(平民の場合)24条の適用があり(重婚は,公務に係る公罪ではなく私罪でしょう。),重婚に係る不応為罪を犯したとしても,懲役70日ではなく,官吏私罪贖例図に照らして贖金1050銭に処せられるべきものだったのではないでしょうか(なお,等外吏ではなく,それより一つ偉い判任官であれば14円)。

 

3 婚姻の成立の問題

 次に重婚の成立,すなわち婚姻は何をもって成立することとされていたかの問題があります。

 「徳川時代の厳格なる用語にては,婚姻(〇〇)というは夫婦の関係を発生すべき祝言(〇〇)()挙行(〇〇)なり。而してこの婚姻を挙行する契約は即ち縁談取極にして,これは結納(〇〇)()授受(〇〇)に依りて成立するものとす」(中田薫『徳川時代の文学に見えたる私法』(1956年(岩波文庫版1984年))130頁),「江戸時代においては,武士と庶民とで違ったようであり,武士についての幕府法によると,双方の当主(戸主のようなもの)からそれぞれ幕府に縁組願いを出して許可を得た後に結納の授受と婚儀の挙行によって婚姻が成立し,その後その旨の届出を要し,庶民については,社会的には結納の授受と祝言の挙行が行われたが,法律上は変遷があり,末期には人別帳(当時の戸籍)に記載することを要した。」(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)56頁)というような状況であったところ,明治に入って,明治三年十一月四日(18701225日)に太政官から縁組規則(明治三年太政官第797号布告)というものが出ます。

 

  一華族ハ太政官ヘ願出士族以下ハ其管轄府藩県ヘ(ねがい)願出(いづべき)

  一華族士族取結候節ハ華族ハ太政官ヘ願出士族ハ其管轄官庁ヨリ太政官ヘ伺済ノ上可差許(さしゆるすべき)

  一府藩県管轄違ニテ取結候節ハ士族卒平民タリトモ双方ノ官ニテ聞済互ニ送リ状取替シ(もうす)(べき)

  右之通被定(さだめられ)候事

 

藩の字が出て来ますが,明治三年段階では,前年に版籍奉還はされているものの,なお廃藩置県はされていなかったところです(廃藩置県の詔書が出されたのは,明治四年七月十四日(1871829日)のことでした。)。

華族令(宮内省達)が出て五爵の制が定められたのは明治17年(1884年)77日のことですが,明治二年の版籍奉還の段階での「華族」は,それまでの公卿・諸侯の称を改めたものです。

明治三年の縁組規則は,翌明治四年四月二十二日(187169日)の太政官第198号布告で早速改められます。

 

 昨冬十一月御布告縁組規則中管轄違ニテ取結候節ハ士族卒平民トモ双方官庁ニテ聞済送リ状取替候様御達ニ相成居候処平民ハ不及其儀(そのぎにおよばず)今般御布告ノ戸籍法第5則ノ通可相(あひここ)心得(ろうべく)此段更ニ相達候事

 

 明治四年四月四日(1871522日)の太政官第170号布告たる戸籍法の第5則は,次のとおりです。

 

  編製ハ爾後6ヶ年目ヲ以テ改ムヘシト雖モ其間ノ出生死去出入等ハ必其時々戸長ニ届ケ戸長之ヲ其庁ニ届ケ出テ支配所アルモノハ支配所ニ届支配所ヨリ其庁ニ届ク其庁之ヲ受ケ人員ノ増減等本書ヘ加除シ毎年十一月中戸籍表ヲ改メ十二月中太政官ヘ差出スヘシ加除ハ生ルモノト入ルモノヲ加ヘ死者ト出ルモノヲ除ク類ヲ云フ

 

平民については「今般御布告ノ戸籍法第5則ノ通可相(あひここ)心得(ろうべく)」ということですから,平民の婚姻等については府藩県への願い出(及び当該府藩県からの許可)を要さず,戸長への報告的届出のみでよい,ということでしょうか。江戸時代の制とほぼ同様,ということになるのでしょう。

ただし,学説上「明治四年の戸籍法により,戸(ママ)への届出が婚姻の成立要件となったとする説」があるそうです(星野57頁)。しかし,明治四年太政官第170号布告戸籍法の趣旨については「戸籍人員ヲ詳ニシテ猥リナラサラシムルハ政務ノ最モ先シ重スル所ナリ夫レ全国人民ノ保護ハ大政ノ本務ナル(こと)素ヨリ云フヲ待タス然ルニ其保護スヘキ人民ヲ詳ニセス何ヲ以テ其保護スヘキヿヲ施スヲ得ンヤ是レ政府戸籍ヲ詳ニセサルヘカラサル儀ナリ又人民ノ各安康ヲ得テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ政府保護ノ庇蔭ニヨラサルハナシ去レハ其籍ヲ逃レ其数ニ漏ルモノハ其保護ヲ受ケサル理ニテ自ラ国民ノ外タルニ近シ此レ人民戸籍ヲ納メサルヲ得サルノ儀ナリ」とあるので,同法は,人民間における親族関係の私法的規整には直接の関心はなかったように思われます。

なお,明治四年戸籍法においては「届出をなすべき者は規定されていないが,戸主であることは常識として明文を待たぬ公理だったと指摘されている(福島正夫・「家」制度の研究資料篇一(195940-41頁)」そうです(二宮周平編集『新注釈民法(17)親族(1)』(有斐閣・2017年)3-4頁(二宮周平)。また,同81頁(二宮),谷口知平『戸籍法』(有斐閣・19577)。

明治四年八月二十三日(1871107日)太政官第437号布告によって,諸身分間の通婚が自由化されます。

 

 華族ヨリ平民ニ至ル迄互婚姻被差許(さしゆるされ)候条双方願ニ不及(およばず)其時々戸長へ可届出(とどけいづべき)

  但送籍方ノ儀ハ戸籍法第8則ヨリ11則迄ニ照準可致(いたすべき)

 

しかし,戸長への婚姻の届出は励行されなかったようです。

明治8129日の太政官第209号達(使府県宛て)は,次のように定めます。

 

 婚姻又ハ養子養女ノ取組若クハ其離婚離縁縦令(たとひ)相対熟談ノ上タリ𪜈(とも)双方ノ戸籍ニ登記セサル内ハ其効ナキ者ト看做スヘク候条右等ノ届方等閑ノ所業無之(これなき)(やう)精々説諭可致置(いたしおくべく)此旨相達候事

 

 この明治8年太政官第209号達についての重要な解釈を示す司法省達があります。明治10619日司法省丁第46号達(大審院・上等裁判所・地方裁判所宛て)です。

 

 8年第209号御達ノ儀ニ付有馬判事ヨリ甲号ノ通伺出ニ因リ乙号ノ通太政官ヘ上申候処丙号ノ通御裁令相成候条此段為心得(こころえのため)相達候事

   甲号  (ママ)律伺

 明治8年第209号公布婚姻又ハ養子養女ノ取組若クハ其離婚離縁縦令(たとひ)相対熟談ノ上タリトモ双方戸籍ニ登記セサル内ハ其効ナキ者ト看做ス可ク云々ト有之(これあり)候付テハ双方父母親属熟談ノ上人ノ妻トナリ男女ノ子アル者ト雖𪜈(とも)戸籍ニ登記無之(これなき)者ハ犯姦告訴等ノ節無論(ろんなく)処女ト看做シ処分致ス儀ニ可有之(これあるべく)尤右ノ者夫又ハ夫ノ祖父母父母ヲ謀殺故殺殴傷罵詈等ニ至ル迄総テ凡人ヲ以テ論シ且人ノ養子女トナリテ同居シ実際親子ノ会釈ヲ為ス者ト雖モ前同断ノ者ハ皆凡人ヲ以テ処分致シ可然(しかるべき)()已ニ戸籍法規則確定ノ上ハ婚姻又ハ養子女等其時々送籍等ヲ不為(なさざる)者ハ無之(これなき)筈ニ候得共(さうらへども)辺土僻隅ノ愚民(ママ)ニ至テハ絶テナシトモ難確定(かくていしがたく)候付(さうらふにつき)犯者アルニ臨ミ実際ト条理上ト不都合(しよう)(ずべき)有之(これある)関係不尠(すくなからず)(いささか)疑義ヲ生シ候条(あらかじ)メ御指揮ヲ受置度(うけおきたく)此旨相伺候也

                       在宮崎県

                        七等判事有馬純行

     明治9418

              司法卿大木喬任殿

   乙号  太政官ヘ上申

 婚姻又ハ養子女ノ取組若クハ離縁等ノ儀ニ付テハ8年第209号ヲ以テ使府県ヘ達セラレタリ然ルニ該達ハ文意稍々明確ヲ欠キ或ハ宮崎県伺ノ如キ疑団ヲ生スルアリト雖𪜈(とも)篤ト該達ノ文意ヲ熟案スルニ仮令ヒ相対熟談ノ上タリ𪜈(とも)云々ノ文字アリテ既ニ其婚姻ヲ行ヒ夫婦ト為リタル者ヲ指的スルニアラス其主意ヲ約言スレハ婚姻養子ノ取組等ヲ為スニ当リ双方ノ熟談ノミニテハ一概ニ之ヲ夫婦父子ト見ル可カラサル旨ヲ示シタルモノナリ(尤モ最初該達施行ノ際ハ此ノ辨明ト其旨意ヲ異ニセシヤモ知ル可カラサレト今日ノ日法律ノ改良修正ヲ要スルニ当テハ成ルヘク旧法ヲ破毀セス之カ辨明ヲ以テ其効ヲ得シムルヲ良トス)然ルニ若シ之ヲ以テ既ニ婚姻ヲ行ヒ親族隣里モ之ヲ認許セシ者ニ適用シテ凡人ヲ以テ処分スルハ実ニ人類社会ノ根本タル一家親族ノ大倫ヲ乱スヘキ法律ト云ハサルヲ得ス

 別紙有馬判事伺ノ如キ其実明々タル夫婦親子ニシテ独リ戸籍ノ登記ヲ欠ク者若シ謀殺故殺犯姦等ノ(こと)アランニ凡人ヲ以テ之ヲ論セン()是レ其形ヲ論シテ其実ヲ論セサル者大ニ法律ノ原旨ニ悖戻スト謂フ可シ

 然リト𪜈(とも)其戸籍登記ノ届ヲ為サヽル情実ニ因リ元ト其婚姻等ノ成リ立タサル不良ノ所為アルモノハ其効ヲ失ハシムル者モ之レアルヘシ因テ別紙ノ通指令可及(におよぶべし)ト存候且左ノ指令案ノ趣旨ニ従ヒ各裁判所ヘ念ノ為メ本省ヨリ布達ニ及ヒ(たく)此段相伺候条早速御裁令相成(たく)存候也

   丙号  太政官ヨリ御指令

 伺ノ趣8年第209号ノ諭達後其登記ヲ怠リシ者アリト雖モ既ニ親族近隣ノ者モ夫婦若シクハ養子女ト認メ裁判官ニ於テモ其実アリト認ムル者ハ夫婦若シクハ養父子ヲ以テ論ス可キ儀ト相心得ヘシ

 

 明治8年太政官第209号達と明治10年司法省丁第46号達との関係について,梅謙次郎は次のように述べています。

 

  〔前略〕我邦ニ於テハ明治8年ノ達(8129日太政官達209号)ニ依リテ夫婦双方ノ戸籍ニ登録スルヲ以テ其成立条件トセリ然レトモ此達ハ殆ト実際ニ行ハレス刑事ニ於テハ夙ニ明治10年司法省達(10619日司法省達丁46号)ニ依リテ苟モ親族,近隣ノ者夫婦ト認メ裁判官ニ於テモ其実アリト認ムル者ハ夫婦ヲ以テ論スヘキモノトセリ爾来民事ニ於テモ此達ニ依レル例尠カラス而シテ実際ノ慣習ニ於テハ上流社会ト雖モ先ツ事実上ノ婚姻ヲ為シタル後数日乃至数月ヲ経テ届出ヲ為ス者十ニ八九ナリ況ヤ下等社会ニ在リテハ竟ニ届出ヲ為ササル者頗ル多シトス此ノ如キハ実ニ神聖ナル婚姻ト私通トヲ混同スルノ嫌アリテ到底文明国ニ採用スヘキモノニ非サルナリ

  (梅105-106頁)

 

梅は,「刑事ニ於テハ」と,明治10年司法省丁第46号達の適用対象を刑事に限定していますが,これは同達発出の端緒たる有馬純行判事の司法卿宛て伺いが,直接には,犯姦謀殺故殺殴傷罵詈等の刑事事件に係る擬律の取扱いに係るものだったからでしょう。しかし,太政官への上申中において司法省は,明治8年太政官第209号達について,「文意稍々明確ヲ欠キ」,「実ニ人類社会ノ根本タル一家親族ノ大倫ヲ乱スヘキ法律ト云ハサルヲ得ス」といった射程の広い批判を加えており,当該太政官達が刑事関係以外でもなお無傷で残り得るということは,なかなか難しいところだったでしょう。「民事ニ於テモ此〔司法省〕達ニ依レル例尠カラス」とは,当然の成り行きでしょう。

我妻榮は,明治8年太政官第209号達と明治10年司法省丁第46号達との関係について,「明治8年第209号達は法律婚主義(戸籍の届出)を宣言したが,後の明治10年司法省達丁第46号は,事実婚主義に復帰したようにも思われる。実際上も,その後,届出のない夫婦関係を保護した判決はすこぶる多い。しかし,右の二つの法令の関係――復帰とみるか二本建になったとみるか――については,学説が分かれている」と述べています(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)38頁註(2))。ここでの「二本建」説は――梅による明治10年司法省丁第46号達の性格付けを前提にする――民事と刑事との二本建てであるとなす説であって,民事において当該司法省達によってしまったのは例外的事態であると解するものでしょうか(なお,星野57頁は「裁判実務にも混乱が見られるようである」と言っていますが,二宮編81頁(二宮)は,「大審院は,〔明治10年司法省丁第46号達〕を民事事件にも適用していた」とあっさり言い切っています。)。

しかし,明治10年司法省丁第46号達を乙号部分に注目して読めば,当該達と明治8年太政官第209号達との整合性の確保を司法省は志向し,両者は民事及び刑事において統一的に解釈・適用されるべきもの(換言すれば,司法省達は「文意稍々明確ヲ欠」く太政官達を,否定(「破毀」)はせずにその欠缺を補充するもの)と考えていたように思われます。しからばその解釈とはどのようなものかといえば,婚姻及び縁組については,

 

 婚姻又ハ養子養女ノ取組は,縦令(a)両家戸籍届出権者を含めての相対熟談ノ上タリ𪜈(とも)(b)双方ノ戸籍ニ登記をし,又は(β)親族近隣ノ者モ夫婦若シクハ養子女ト認メ裁判官ニ於テモ其実アリト認められなければ,其効ナキ者ト看做ス

 

ということになるのだ,ということではないでしょうか。

 江戸時代でいえば,(a)は縁談の取極ということになりましょう。当該縁談取極においては,太政官達の戸籍登記本則主義を司法省が真っ向から否認しない以上,両家戸籍届出権者の同意は必須でしょう。(a)を前提に,そこに(b)又は(β)の要件が加わることによって婚姻又は縁組が有効に成立するものとするのが当時の司法省及び裁判所の公定解釈であった,と筆者は考えてみたいのです。これは,民刑事共通に適用されるところの法律婚主義(「届出ありさえすれば現実の共同生活なくしても身分関係が認められた」(谷口9))と事実婚主義との二本建て説ということになりましょうか。建物賃借権の対抗要件に係る不動産登記(民法605条)と引渡し(借地借家法(平成3年法律第90号)31条)との二本建て主義と何だか似てしまっています(「民法605条僻見(後編)」(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079742276.html)が不図想起されます。)。

 

4 当てはめ

 玉と某巡査との「婚姻」においては,「爺いさんは戸籍がどうなつてゐるやら,どんな届がしてあるやら,一切無頓着でゐたのである。」ということですから,(b)の要件は欠けていたようです(なお,婚姻それ自体については,明治21年(1888)段階の旧民法人事編第一草案の理由書において「殊ニ近時ニ至テハ其礼式大ニ破レ諾成ノ行為ト云フモ不可ナカラン」と観察されています(明治文化資料叢書361)。)。(a)の要件については,玉の父と某巡査との間では「おまはりさんが〔略〕,大きな顔をして酒を飲んで,上戸でもない爺さんに相手をさせてゐた間,まあ,一寸楽隠居になつた夢を見たやうなものですな」という情況だったそうですから(鷗外選集第3217-218頁),晩酌仲間の両者ともに戸籍届出権者であったのであれば,一応要件充足でしょうか。しかし,(β)の親族近隣ノ者モ夫婦ト認メ要件はどうでしょうか。確かに東京の練塀町(ねりべいちょう)下谷(したや)間にあった某巡査・玉の同居宅の「近隣」の人々は夫婦ト認め,玉の親族たる爺さんも同様だったのでしょうが,前婚の妻及びその子供を始めとする某巡査の親族側は,某巡査と玉とを夫婦ト認めるものでは全然なかったものでしょう。この要件は,上記(b)要件と共に未充足であったようです。

 そうであれば,玉は岡田を見知った時にはなお未婚であって,また,某巡査も玉との重婚に係る不応為罪を犯したわけではない,ということになるようです。

 とはいえ,玉は,末造の妾である限りにおいては,なお末造に対する守操義務があったようです。すなわち,改定律例260条は「凡和姦。夫アル者ハ。各懲役1年。妾ハ。一等ヲ減ス。〔以下略〕」と規定していたのでした。改定律例では,懲役1年の次は懲役100日であったようなので,一等ヲ減ぜられれば懲役100日となったものでしょうか。


DSCF2166
末造の妾宅があった無縁坂(左東京都台東区,右同文京区)


上野警察署(2)
上野警察署(1)
所轄の警察署

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http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079619346.html:(前編:「三島,東京及び諸県から旧刑法へ」)からの続き



(3)傾向犯か否か:ボワソナアドの消極説

 ボワソナアドの強制わいせつ罪解説を見ると,「主に犯人がわいせつ傾向の満足(une satisfaction impudique)を意図している場合を念頭にここでは法が設けられているのではあるが,動機としては好奇心又は感情を傷つけ,若しくは侮辱する意思のみであった場合であっても可罰性が低下するものではない。当該行為は他者の性的羞恥心を侵害する性質のものである,ということを彼は認識していたという点に本質はあるのである。」とありました(Boissonade, p.1022)。(旧刑法258条の公然わいせつ罪におけるわいせつな行為については,ボワソナアドは「法の精神の内にあるためには,当該行為は,淫奔な情動(une passion lubrique)を満足させる目的をもってされなければならない。」と一応は述べつつも,「したがって,他の人々の目の毒となろうとする意図(une intention de blesser les yeux étrangers)が別にない限り,公の場所又は公衆の視界内の場所において,完全なものを含む裸体で入浴する行為は,わいせつ行為とはいえない。なお単なる違警罪にとどまる。」と(Boissonade, p.807),やはり他者が受ける印象に係る行為者の意思を重視しています。また,その少し前では,「他人の性的羞恥心を害する意図が無くとも,行為者が,他の人々に見られ得るということを知っていれば,〔公然わいせつの〕犯罪は成立する。このような場合,注意の欠如は,良き品位の敬重に係る可罰的な無頓着なのである。」と述べてもいます(ibid. p.806)。)

ところがこれに対して我が判例は,従来,「刑法176条前段のいわゆる強制わいせつ罪が成立するためには,その行為が犯人の性欲を刺戟興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なわれることを要し,婦女を脅迫し裸にして撮影する行為であつても,これが専らその婦女に報復し,または,これを侮辱し,虐待する目的に出たときは,強要罪その他の罪を構成するのは格別,強制わいせつの罪は成立しないものというべきである。」と判示し,強制わいせつ罪=傾向犯説を採っていました(最高裁判所昭和45129日判決刑集2411頁(ただし,入江俊郎裁判官の反対意見(長部謹吾裁判官同調)あり。))。

2017年に至ってやっと,「刑法176条にいうわいせつな行為に当たるか否かの判断を行うためには,行為そのものが持つ性的性質の有無及び程度を十分に踏まえた上で,事案によっては,当該行為が行われた際の具体的状況等の諸般の事情をも総合考慮し,社会通念に照らし,その行為に性的な意味があるといえるか否かや,その性的な意味合いの強さを個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断せざるを得ないことになる。したがって,そのような個別具体的な事情の一つとして,行為者の目的等の主観的事情を判断要素として考慮すべき場合があり得ることは否定し難い。しかし,そのような場合があるとしても,故意以外の行為者の性的意図を一律に強制わいせつ罪の成立要件とすることは相当でなく,昭和45年判例の解釈は変更されるべきである。」と強制わいせつ罪=傾向犯説の判例が放棄されており(最高裁判所大法廷平成291129日判決刑集719467頁),当初のボワソナアド的解釈への復帰がされています。随分大きな回り道であったように思われます。ちなみに,わいせつ行為性の認定に当たっては「個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断」すべきことについては,ボワソナアドも「それは,公訴が提起された事実について,事案の情況(circonstances du fait)を,ここでは恐らく他の全ての犯罪類型よりもよりよく考慮に入れた上で,裁判所が慎重に決すべきものである。」と述べていました(Boissonade, p.1020)。

 

(4)言葉によるわいせつ行為の可否:ボワソナアドの消極説

 なお,公然わいせつ罪に係る刑法174条についてですが,「本条のわいせつな行為には言語による場合も含み得る(平野271頁,大塚516頁)。実際にはほとんど問題になり得ないが,公衆の面前で極端にわいせつな内容を怒鳴り続ければ本条に該当することも考えられる。」と説かれています(前田481頁)。

しかしながら,ボワソナアドは,旧刑法258条の公然わいせつ罪に関し,「猥褻ノ所行」の部分が “un acte contraire à la pudeur”であるフランス語文について,「まず全ての破廉恥,卑猥又は淫らな(déshonnêtes, licencieuses ou obscènes)言葉又は歌謡(paroles ou chansons)は,除外されなければならない。これらは,道徳上いかにとがめられるべきものであっても,所行acte行為))という表現には当てはまらない。また,善良な人々に一過性の印象を与えるだけで,良き品位に対して同じ危険をもたらすものでもない。」と述べていました(Boissonade, p.806)。強制わいせつ罪におけるわいせつ行為についても,ボワソナアドの説くところは,「しかし筆者は,被害者に対して向けられた卑猥又は更に淫らな言説(discours)にこれらの規定を適用することはできないことに言及しなければならない。言葉は行為ではなく,法は「行為について」(“d’actes”)しか語っていないのである。」というものでした(Boissonade, p.1020)。

 

(5)性的羞恥心(pudeur)とわいせつ(猥褻)と

 

 Pudeur”

 ところでボワソナアドは,「子供に卑猥又は淫らな図画又は表象(dessins ou emblèmes)を示した者」には,旧刑法346条前段の適用があり得るものと考えていたようです(Boissonade, p.1020)。「すなわち,このような事案においては,画像(image)は実物と同様に,子供の性的羞恥心(la pudeur)及び操行(les mœurs)にとって危険であり得るからである。」ということでした(ibid.)。このくだりは,「強制わいせつ罪は,「性的自由・自己決定の侵害」で説明するのは妥当ではなく,広く性的人格権の侵害を処罰するものなのである。」との説(前田119頁)に親和的であるものというべきでしょうか。「性的人格権」という概念は漠としていますが,「幼女についても性的羞恥心を認めることができる(7歳の女児に対する強制わいせつの事案につき,新潟地判昭63826判時1299152参照)。」とありますから(前田119頁註7),そこにpudeurは含まれているのでしょう。

 なお,新潟地方裁判所昭和63826日判決はどのようなものかといえば,当該判決に係る罪となるべき事実は,「被告人は,昭和63年〔1988年〕531日午後3時ころ,新潟県西蒲原郡〇〇町大字◎◎×××番地×△△△△△方墓地内において,A子(昭和56年〔1981年〕54日生)を籾殻袋の上に座らせ,同女のポロシャツの前ボタン三つを全部外した上,そこから手を差し入れて,同女の右乳部を多数回撫でまわし,更に,スカートの中に手を差し入れてパンツの上から同女の臀部を撫で,もって,13歳未満の女子に対しわいせつの行為をしたものである。」というものでした。これに対して弁護人が,被告人は無罪であるとして「小学校1年生の女児は,その胸(乳部)も臀部も未だ何ら男児と異なるところなく,その身体的発達段階と社会一般の通念からして,胸や臀部が性の象徴性を備えていると言うことはできず,かかる胸や臀部を触ることは,けしからぬ行為ではあるが,未だ社会一般の性秩序を乱す程度に至っておらず,また,性的羞恥悪感を招来するものであると決め付けることは困難であるから,被告人の行為をもってわいせつ行為ということはできず,従って,被告人は無罪である。」と主張したものの,奥林潔裁判官は当該主張を採用せず,刑法176条後段の罪(累犯加重あり。)の成立を認めて14月の懲役を宣告しています(求刑懲役3年)。弁護人の主張を排斥して被告人の所為がわいせつ行為であること認めた判示において,同裁判官はいわく。「右認定事実によれば,右A子は,性的に未熟で乳房も未発達であって〔「身長約125センチメートル,体重約25キログラム」〕男児のそれと異なるところはないとはいえ,同児は,女性としての自己を意識しており,被告人から乳部や臀部を触られて羞恥心と嫌悪感を抱き〔「乳部を触ってきたため,気持ちが悪く,恐ろしくて泣き出したくなり,臀部を触られたときには,嫌で嫌で仕方がなかった」。犯行日の午後5時過ぎ頃祖母に対し「「あのおじさんエッチなおじさんなんよ。」と報告」し,祖母が「「何されたの」と訊き返したところ」本件被害状況を「恥ずかしそうに話した。」〕,被告人から逃げ出したかったが,同人を恐れてこれができずにいたものであり,同児の周囲の者は,これまで同児を女の子として見守ってきており,同児の母E子は,自己の子供が本件被害に遭ったことを学校等に知られたことについて,同児の将来を考えて心配しており,同児の父親らも本件被害内容を聞いて被告人に対する厳罰を求めていること(E子の検察官に対する供述調書,B子〔祖母〕の司法警察員に対する供述調書及びD〔父〕作成の告訴状),一方被告人は,同児の乳部や臀部を触ることにより性的に興奮をしており〔「右犯行により,被告人の胸はどきどきして,陰茎も勃起し」〕,そもそも被告人は当初からその目的で右所為に出たものであって,この種犯行を繰り返す傾向も顕著であり,そうすると,被告人の右所為は,強制わいせつ罪のわいせつ行為に当たるといえる。」と。すなわち,判例上のわいせつ概念からすると,被害者A子の「性的羞恥心」が害されたこと及び被告人において「徒に性欲を興奮または刺激せしめ」られた情況があったこと並びに被害者の周囲における「善良な性的道義観念に反すること」であったことが必要であったわけなのでしょう。

 しかし,被害者が子供である場合,その性的羞恥心の侵害までを必ず厳格に求める必要は無いようにも思われます。12歳未満の男女に対する猥褻ノ所行に係る旧刑法346条前段の規定に関して,ボワソナアドいわく。

 

  この場合,暴行又は脅迫をもって当該子供に対する犯行がされる必要は無い。無垢それ自体が,子供らが危険を予知し,かつ,間に合ううちにそれ〔予知〕をすることを妨げるのである。恐らく,何らかの好奇心さえもが子供を危険にさらし,しかして,彼の操行を損い得る有害な印象が,彼の脳裡に長く留められることになるのである(et son imagination conservera longtemps une funeste impression qui peut gâter ses mœurs.)。

 (Boissonade, pp.1020-1021

 

 ここでは,子供の現在の性的羞恥心のみならず,子供の精神の将来における健全な成長(「慎み」としてのpudeurを持つようになること)も,保護法益に加えられているものでしょう。ボワソナアドによれば,「元来暴行脅迫ヲ用フルト否ラサルトヲ論セス猥褻ノ所行ヲ罰スルハ女子ノ淫心ヲ動カシ行状ヲ乱タスノ害アル故ナリ」なのです(法制審議会刑事法(性犯罪関係)部会第1回会議(2015112日)配布資料13「強制わいせつ罪及び強姦罪の制定経緯等について」2頁(日本刑法草案会議筆記に記録されたボワソナアドと鶴田皓との問答が紹介されています。))。我が旧刑法の起草準備段階において,「鶴田〔皓〕は,フランス法は子どもの性器をただ見るような行為に対しては刑罰が重すぎないか〔略〕,日本の刑法ではその程度のことは公然猥褻の時だけ罰すればいいのではないかと意見する。ボワソナードは,暴行が加わらなくとも子どもへの猥褻が罰せられなくてはならないのは,その行為が子どもの「淫行」を導き,そのために「終身ノ行状ヲ乱ス」〔略〕からであると説明する〔筆者註:ボワソナアドは更に幼者の「健康ヲ害スル恐レ」も挙げています(法制審議会資料2頁)。〕。しかし,鶴田は強姦ならいざ知らずただ単に性器を玩弄する目的での猥褻罪は、真面目に扱わなくてもいいのではないかと譲らない。」という場面があったそうです(高島122頁)。(実際には鶴田も「成程強姦ニアラサル以上ハ幼者ニ対シテハ真ニ淫事ヲ遂クル目的ニテ猥褻ノ所行ヲ為ス訳ニモアラス畢竟之ヲ玩弄スル迄ノ事ト見做サヽルヲ得ス故ニ貴説ニ従フヘシ」とボワソナアドに同意しています(法制審議会資料2頁)。)

 

イ 「猥褻」

 ところで,改めて考えてみると,フランス語の“acte contraire à la pudeur”を訳するに,なぜ「猥褻ノ所行」の語をもってしたのかが気になるところです。前者は保護法益の面から,それに反するものとして当該行為がいわば反射的に定義されています。これに対して後者は,専ら行為それ自体の性格を直接語ろうとするもののようです。「猥」の字は,本来は「犬がほえる声」wěi 🐕の意味だったようで,「みだり」と読めば「入りまじる意で,そうするいわれもないのにそうする。」との意味であるそうです(『角川新字源』(123版・1978年))。これが修飾する「褻」の字は,本来は「身につける衣,はだぎ」の意味で,やがて「なれる」,「けがれる」,「けがらわしい」といった意味が生じたようです(同)。そうであれば「猥褻」である典型的状況を想像してみれば,男女が発情期の犬のようになって,その下着が入り乱れているというような光景なのでしょうか。『禮記』の内則第十二にいう「男女不通衣裳」との教え(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078601732.html)が守られていない有様であるようです。なるほど。しかし,結局,肉体についてではなく衣裳の有様からする間接的表現だったのでしょうか。

なお,諸葛亮の『出師表』には「先帝不以臣卑鄙,猥自屈」とあって「猥」の字が用いられていますが,劉備が猥褻に,孔明の前において自ら枉屈したということであっては,「三顧の礼」も台無しです。

ちなみに,江村北海による1783年の『授業編』巻之八詩学第十一則には,「初学ノ徒タマ〔タマ〕艶詩情詩ノ題ヲ得テ作ルトモ,ズイブン猥褻ニ遠ザカリ清雅ナルヤウニ作ルベシ。俗ニイヤラシキトイフ体ノ心モ辞モナキヤウニ心ヲ付クベシ。是レ詩ヲ作ルノタシナミナリ。芙蓉詩集ノ中江南楽ノ詩ニ,開牕対郎賞〔(まど)を開き郎に対して賞す〕李妾桃郎顔トイフ句アリ。余ガイヤラシキトイフハ,カル類ヲ云。(けだし),李妾桃郎顔〔李は妾,桃は郎が顔。筆者思うに,妾郎=女郎でしょうか。〕トイフハ,語ヲモ成サズ句ヲモナサズ,漢土人ニハ有ルマジキ句ナリ。然レドモ其人ノ詩ニ,大雅久休矣吾今泛海槎〔槎は,いかだ〕トアレバ,自負モ亦大矣。アヤシムベシ。其他近人ノ詩集ヲ見レバ,贈妓〔妓に贈る〕,宿妓家〔妓家に宿す〕ナドノ詩少ナカラズ。余オモフニ,左様ノ事ハタトヘアリトモ,耻ラヒテ,遍ク人ヘ語リ聞ヱ,詩ニモ作リ,印刻シテアラハニ伝ユル事ハスマジキコトナルヲ。反リテカルコトヲ,俗ニイフ,人ニヒケラカスナドハ,冶遊〔芸妓遊び〕ヲヨキコトヽ思ヘルニヤ。アヤシムベシ。要スルニ,風雅ノ罪人トモイフヘシ」とあります。冶遊を題材に選べばそれは猥褻の詩となってしまうようです。風雅の漢詩人たるは,厳しい。


(6)未遂処罰の要否:ボワソナアドの消極説

旧刑法346条及び347条の罪は軽罪であり(同法8条),両罪について未遂処罰はなかったのですが(同法1132項),現行刑法180条(平成29年法律第72号の施行(2017713日から(同法附則1条))までは刑法179条)は,強制性交等とともに,強制わいせつの未遂をも罰する旨規定しています。この点については,ボワソナアドは眉を顰めたかもしれません。ボワソナアドは,意図的に強制わいせつの未遂を処罰しないこととしていたからです。

 

  ここでは,性的羞恥心に対する加害(l’attentat à pudeur)は,強姦の実行の着手(la tentative de viol)と混同されることになり得る。しかしながらそれは,当該加害が暴行をもってされたときであっても,大きな誤りである。実際,その性質が第389条〔旧刑法348条〕においてのみ示されている強姦は,更に精確に表現しなければならないとすると,暴行又は脅迫による女又は娘との男の性交であり,しかして,そのような行為は,犯人の意思から独立の情況によって着手され,又は中止されることはないものと理解されている。これら両条〔旧刑法346条及び347条〕にかかわる性的羞恥心に反する行為(les actes contraires à la pudeur)は,非常に異なっている。〔強姦と〕同一の目的を有するものではないから〔筆者註:ボワソナアドによれば「「暴行ヲ以テ猥褻ノ所行云々」トハ男女間ノ情欲ヲ遂クル目的ニアラサルトモ例ハ人ノ陰陽ヲ出シテ之ヲ玩弄スル類ヲ云フ」とのことでした(法制審議会資料1頁)。〕,たとい暴行又は脅迫をもって犯されたときであっても,そこまでの重大性を有するものではない。それらは,わいせつな接触(attouchements impudiques〔「おさわり」との表現は軽過ぎるでしょうか。〕)又は性的羞恥心が隠すことを命じている身体の部分の曝露という行為(le fait de découvrir les parties du corps que la pudeur ordonne de cacher〔「スカートめくり」の類でしょうか。〕)によって構成されるものにすぎない。これらの行為がいかにとがめられるべきものであるとしても,それらは強姦とはその性質において非常に異なっているので,その結果,犯罪的な意図を欠くものとも観念され得るものである。例を挙げれば,第1に,傷病者に対する看護の一環の場合,第2に,だれもいないと思って,ある人がその身体を十分に覆っていない場合である。

   各行為の倫理的性質の相違に加えて,司法上の相違が存在する。すなわち,適法又は無関係な行為との混同がされない程度にまで十分その性格付けをすることができることから,強姦の実行の着手は可罰的である一方〔筆者註:なお,ボワソナアドは「而シ其強姦ノ目的ナル証古ナキ時ハ「暴行ヲ以テ猥褻ノ所行ヲ云々」ト為スベキ事アリ」と述べつつも,強姦未遂と強制わいせつとは「一体ハ其罪ノ性質ノ違ヒアリ」異なるものとしていました(法制審議会資料1頁。また,2頁)。〕,既遂の行為においてでなければ確実性をもって行為の犯罪性及び犯意を認定することができないため,性的羞恥心に反する行為の実行の着手は,法によって可罰的であるものと宣言されてはいないし,かつ,され得ないところである。言い換えれば,単なるなれなれしさ(une simple familiarité),いささか困ったいたずら(un jeu plus ou moins inconvenant)又は意図せざる若しくは偶然による行為(quelque fait involontaire et fortuit)ではない,ということを知ることは困難なのである。

  (Boissonade, pp.1018-1019

 

 現行刑法における強制わいせつ未遂処罰規定導入の理由は,「現行法〔旧刑法〕ハ唯強姦ノ未遂罪ヲ罰スト雖モ〔強制わいせつ〕ノ罪モ亦其必要アルヲ以テ」ということで,あっさりしています(法典調査会170頁)。未遂処罰規定がなくとも「〔強制わいせつの実行の着手〕が深刻にとがめられるべきものであるときには,その抑圧が達成され得ないものではない。すなわち,犯人が意図し,かつ,その実行が妨げられたより重大な行為が何であったとしても,実行行為の開始がそれ自体で性的羞恥心に対する侵害行為を構成し得るからである。」とのボワソナアドの予防線(Boissonade, p.1019)も空しかったわけです。

 

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1 大物主神の「犯罪」:強制わいせつ罪

 

  三島溝咋(みしまのみぞくひ)(むすめ),名は勢夜陀多良比売(せやだたらひめ),その容姿(かたち)(うる)()しくありき。故,美和の大物主神,見()でて,その美人の大便(くそ)まれる時,丹塗矢に()りて,その大便(くそ)まれる溝より流れ下りて,その美人の(ほと)を突きき。ここにその美人驚きて,立ち走りいすすきき〔あわてふためいた〕。すなはちその矢を()ち来て,床の()に置けば,忽ちに麗しき壮夫(をとこ)に成りて,すなはちその美人を(めと)して生める子,名は富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめの)命と謂ひ,亦の名は比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ) こはそのほとと云ふ事を悪みて,後に名を改めつるぞ。と謂ふ。(『古事記』神武天皇記)

 

これは刑法(明治40年法律第45号)176条の強制わいせつ罪(「13歳以上の者に対し,暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は,6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の者に対し,わいせつな行為をした者も,同様とする。」)に該当する行為ですね。同罪の暴行について「通説・判例は,暴行を手段とする場合に限らず,暴行自体がわいせつ行為である場合を含めている(大判大14121刑集4743)」ところ(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)119頁。また,大判大7820刑録241203),自ら「丹塗矢に化りて」,女子の意思に反して,それで「陰を突」くのは,暴行によるわいせつ行為です。

 

2 大審院の判例2題等:東京の歯科医師事件及び諸県の宴会事件

 

(1)東京の歯科医師事件

大審院第二刑事部の大正14年(れ)第1621号猥褻及歯科医師法違反被告事件同年121日判決(一審:東京区裁判所,二審:東京地方裁判所)に係る事案は,「大正13年〔1924年〕618日某歯科医院治療室ニ於テ某女当24年ノ需ニ応シ其ノ齲歯ノ治療ノ為1プロノコカイン水約半筒ヲ患部ニ注射シ治療台ニ横臥安静セシメタル際同女ノ意ニ反シテ着衣ノ裾ヨリ右手ヲ入レ其ノ陰部膣内ニ自己ノ右示指ヲ挿入シテ暴行ヲ加ヘ以テ猥褻行為ヲ為シタルモノ」です。刑法176「条ニ所謂暴行ハ如斯場合ヲ指称スルモノニ非ス暴行行為ヲ手段トシテ猥褻行為ヲ為シタルコトヲ要件トスルモノナリ」との弁護人の主張に対して大審院は,「刑法第176条ニ所謂暴行トハ被害者ノ身体ニ対シ不法ニ有形的ノ力ヲ加フルノ義ト解スヘク婦人ノ意思ニ反シ其ノ陰部膣内ニ指ヲ挿入スルカ如キハ暴行タルコト勿論ニシテ本件ノ猥褻行為ハ斯ル暴行行為ニヨリテ行ハレタルモノナレハ暴行行為自体カ同時ニ猥褻行為ト認メラルル場合ト雖同条ニ所謂暴行ヲ以テ猥褻行為ヲ為シタルモノニ該当スルコト明白ナリ論旨理由ナシ」と判示しています。

 

(2)諸県の宴会事件

 

ア 判例

大審院第一刑事部の大正7年(れ)第1935号猥褻致傷ノ件同年820日判決(一審:宮崎地方裁判所,二審:長崎控訴院)に係る事案は「被告ハ大正7年〔1918年〕321日ノ夜宮崎県北諸県(もろかた)郡○○村大字×××△△△△方ニ於テ外14名ト酒宴中相共ニ同家下女◎◎◎◎ト互ニ調戯(からか)ヒ其他数名ノ者カ◎◎ヲ押シ倒シ居ルニ乗シ被告ハ指ヲ◎◎ノ陰部ニ突込ミ因テ陰部ニ治療20日余ヲ要スル創傷ヲ負ハシメタルモノナリ」というもので,被害者を押し倒していた者らと被告人との間の共犯関係は認められなかったものの,刑法178条の罪(「抗拒不能に乗じ」た準強制わいせつ(この「抗拒不能」については,「他人の行為により,縛られた状態であったり身動きできない重傷を負っている場合が考えられる」とされています(前田125頁註17)。))ではなく同法176条の罪を犯し,よって人を死傷させたものとして,同法1811項の強制わいせつ致傷罪(刑は無期又は3年以上の懲役)の成立が認められたものです。大審院は,「婦人ノ意思ニ反シテ指ヲ陰部ニ挿入スルカ如キハ其自体暴行ニ因リ猥褻行為ヲ為スモノト謂ハサルヘカラス原判決カ前示被告ノ行為ヲ刑法第176条ニ問擬シタルハ相当ナリ」と判示しています。

ところで,1918321日といえば,第一次世界大戦の終わりの始まりであるドイツ軍による西部戦線大攻勢発起の日であるとともに,(現在のとてつもなく恐ろしい新型コロナウイルス感染症パンデミック💀に比べれば児戯のごときものではありますが)スペイン風邪の世界的流行の前夜でもありました(「スペイン風邪に関して」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1077312171.html)。女性との戯れを伴う大勢での長夜の飲🍶に耽っていたとは(当然「マスク会食」ではなかったのでしょう。),当時の宮崎県人には自粛の心も,風邪等の感染症に係る弱者の命を守る優しさも思いやりの心も全く見られず,ゆるみ切っていたとしかいいようがありません。真面目な日向人は全て,神武天皇に率いられて遠い昔に東に去ってしまっていたものでしょうか。

 

イ 諸県のゆかり:泉媛及び髪長媛

しかし,大正時代の刑事事件はともかくも,日向国諸県の人々の宴会といえば,古代以来のゆかしい由来があるのです。『日本書紀』景行天皇十八年三月条に「始めて(ひな)(もり)に到ります。是の時に,石瀬(いはせの)河の()に人(ども)集へり。(ここ)天皇(すめらみこと),遥に(みそこなは)して,左右に(みことのり)して(のたまは)く,「其の集へるは何人(なにひと)ぞ。(けだ)(あた)か。」とのたまふ。乃ち()夷守・(をと)夷守二人を遣して()しめたまふ。乃ち弟夷守,還り(まゐき)(まを)して(まを)さく,「諸県君泉媛(もろがたきみいづみひめ),大御食(みあへ)(たてまつ)らむとするに依りて,其の(やから)(つど)へり」とまをす。」とありました。諸県の人々が,そのお姫様を奉じて,現在の宮崎県小林市辺り(同市は諸県の北西方向に所在します。)の岩瀬河畔まで出張って,第十二代天皇陛下歓迎の大宴会の準備をしていたのでした。「地方豪族の娘が天皇の食事を奉るのは服従の表象」だったそうです(小島憲之=直木孝次郎=西宮一民=蔵中進=毛利正守校注・訳『新編日本古典文学全集2 日本書紀①』(小学館・1994年)359頁註4)。『日本書紀』にその旨の記載はありませんが,景行天皇は,泉媛を始めとする諸県の人々との宴会の夜を愉快に堪能されたことでしょう。その際宴に集う人々の間においては,男女が互ニ調戯フ場面もあったかもしれません。

また,諸県といえば,諸県君(うし)諸井(もろゐ)の娘であって,大鷦鷯(おほさざきの)(みこと)第十六代仁徳天皇)の妃となった髪長媛の出身地ということになります。美人が多いのでしょう。

髪長媛と大鷦鷯尊との間には,怪我が生じた云々といった悶着は生じなかったようです(『日本書紀』応神天皇十三年九月条)。

 

 道の(しり) こはだ嬢子(をとめ)を 神のごと 聞えしかど 相枕まく

  道の後 こはだ嬢子 争はず 寝しくをしぞ (うるは)しみ()

                                                   

 

3 旧刑法346条及び347条の猥褻ノ所行罪

 

(1)条文

現行刑法176条の前身規定は,旧刑法(明治13年太政官布告第36号)の第3編「身体財産ニ対スル重罪軽罪」中の第1章「身体ニ対スル罪」にある第11節「猥褻姦淫重婚ノ罪」の第346条に「12歳ニ満サル男女ニ対シ猥褻ノ所行ヲ為シ又ハ12歳以上ノ男女ニ対シ暴行脅迫ヲ以テ猥褻ノ所行ヲ為シタル者ハ1月以上1年以下ノ重禁錮ニ処シ2円以上20円以下ノ罰金ヲ附加ス」と,同法347条に「12歳ニ満サル男女ニ対シ暴行脅迫ヲ以テ猥褻ノ所行ヲ為シタル者ハ2月以上2年以下ノ重禁錮ニ処シ4円以上40円以下ノ罰金ヲ附加ス」とあった規定です。

(なお,旧刑法においては,公然猥褻罪(同法258条)及びに猥褻物等公然陳列販売罪(同法259条)は第2編「公益ニ関スル重罪軽罪」中の第6章「風俗ヲ害スル罪」において規定されており,これらの罪の保護法益と同法3111節の猥褻姦淫重婚ノ罪のそれとの分別が明らかにされていました。「〔現行〕刑法典は,強制わいせつ罪と強姦罪を社会法益の中に位置づけているが(22章〔「わいせつ,姦淫及び重婚の罪」〕),現在は一般に,個人法益に対する罪として捉えられている。〔略〕公然わいせつ罪,わいせつ物頒布罪等は,社会法益に対する罪(性的風俗に対する罪)として扱う。」ということであれば(前田117頁),分類学的正確性において現行刑法には旧刑法よりも劣るところがあり(大塚仁『刑法概説(各論)増補二版』(有斐閣・1980年)89頁註2参照),「現行法〔旧刑法〕第3編第1章第11節ノ猥褻,姦淫及ヒ重婚ノ罪モ身体ニ対スルヨリモ寧ロ風俗ヲ害スルモノト認メ」た(法典調査会編纂『刑法改正案理由書 附刑法改正要旨』(上田屋書店・1901年)166頁),そもそもの法典調査会の判断は間違っていたということになるのでしょう。)

旧刑法346条及び347条のフランス語文は,18778月のProjet de Code Pénal pour l’Empire du Japonにおいては,良き品位に対する(contre les bonnes mœurs)罪として,次のとおりでした(なお,旧刑法26章の風俗ヲ害スル罪は,フランス語文では,公道徳及び信仰の敬重に対する軽罪(délits contre la morale publique et le respect dû aux cultes)でした。)。

 

   386. Seront punis d’un emprisonnement avec travail de 1 mois à 1 an de d’une amende de 5 à 20 yens:

    1° Celui qui aura commis, sans violences, un acte contraire à la pudeur d’un enfant de l’un ou l’autre sexe âgé de moins de 12 ans accomplis;

        2° Celui qui aura commis le même acte avec violences ou menaces contre une personne de l’un ou de l’autre sexe âgée de plus de 12 ans.

 

      387. Si l’acte a été commis avec violences ou menaces contre un enfant ayant moins de 12 ans, la peine sera un emprisonnement de 2 mois à 2 ans et une amende de 10 à 40 yens.

 

(2)“un acte contraire à la pudeur” vs. „unzüchtige Handlungen “

 我が刑法176条の「わいせつな行為」にいう「わいせつ」については,「「徒に性欲を興奮または刺激せしめ,かつ普通人の性的羞恥心を害し,善良な性的道義観念に反すること」という定義が維持されている(最判昭26510刑集561026)」そうですが(前田119-120頁),猥褻ノ所行が“un acte contraire à la pudeur”,すなわち「性的羞恥心に反する行為」ということであると,「徒に性欲を興奮または刺激せしめ」の部分は不要であるようにも思われます。被害者のpudeur(性的羞恥心)が受ける侵害に専ら着目せず,行為者の心情をも問題にするのは,unzüchtige Handlungen(わいせつ行為)概念を中心に強制わいせつ罪を構成したドイツ刑法旧176条の影響でしょうか。

 1871年ドイツ刑法の第176条は次のとおりでした。

 

  第176条 次に掲げる者は,10年以下の懲役〔Zuchthaus. 重罪の刑(同法11項)〕に処せられる。

   一 婦女に対して,暴力をもって(mit Gewalt)わいせつ行為をなす者又は生命若しくは身体に対する現在の危険をもって脅迫してわいせつ行為の受忍を余儀なくさせる者

   二 意思若しくは意識の無い状態にあり,又は精神障碍のある婦女を婚姻外において姦淫する者

   三 14歳未満の者とわいせつ行為をする者又はこれらの者をわいせつ行為の実行若しくは受忍に誤導する(verleitet)者

宥恕すべき事情(milderne Umständeがあるときは,6月以上の重禁錮〔Gefängnißstrafe. (軽罪の刑(同法12項)。最長期は5年(同法161項))〕に処する。

    本条の罪は,告訴を待ってこれを論ずる。ただし,公訴の提起後は,告訴を取り下げることはできない。

 

 「メツガーは,「いわゆる傾向犯(Tendenzdelikte)は,行為者の内心的傾向の徴表として表出される犯罪であり,この傾向は法規定の中に含まれる。性器に対するあらゆる接触は,医師の診察上の目的によらないのであれば,強制わいせつ罪における『わいせつ行為(unzüchtige Handlung)』に当たる。それはすなわち,当該行為が,性欲を刺戟興奮させまたは満足させるという傾向を伴ってなされたということである。」と主張した」そうです(神元隆賢「強制わいせつ罪における性的意図の法的性質と要否」法政論叢54巻(2018年)2103頁における引用)。

 我が旧刑法のフランス語文原案の起草者であるボワソナアドによる,旧刑法258条の公然わいせつ罪(「公然猥褻ノ所行ヲ為シタル者ハ3円以上30円以下ノ罰金ニ処ス」)に関する「わいせつな行為(acte contraire à la pudeur publique)」の定義は,「何よりも,そしてほとんど専ら,単数又は複数の男性又は女性の陰部(les parties sexuelles)を故意に公衆の目にさらす行為」というものでした(Gve Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accompagé d’un commentaire (Tokio, 1886): pp.806-807)。旧刑法の起草準備段階において,鶴田皓から「一人ニテ陰陽[性器]ヲ出シタル時」にも公然わいせつ罪になるのかと問われたボワソナードは,罪となると答えた上で,「然シ国ノ寒熱帯度ニ依テ自ラ慣習ノ異ル所アレハ一概ニ仏国ノ例ヲ推シテ論シ難シ 然シ陰器[性器]ヲ出シタル以上ハ何レニモ猥褻ノ所行ト為サゝルヲ得ス/故ニ日本ニテハ上肢位迄ヲ出シタル者ハ猥褻ノ所行ト罰スルニ及ハサルヘシ」と述べていたそうです(高島智世「ボワソナードの自然法思想と法の継受――『日本刑法草案会議筆記』の性犯罪規定を分析対象として――」金城大学紀要第12号(2012年)122)。

 公然わいせつ罪についてどうもピンと来ない様子である日本人を見ながら,ボワソナアドの脳裡には,『法の精神』における次の一節の記憶がよみがえったものかどうか。

 

   世界のほとんど全ての国民において守られている性的羞恥心(pudeur)に係る規則がある。それを,秩序の再建を常に目的としなければならないものである犯罪の処罰において破ることは,不条理である。

   〔中略〕

   日本の当局者が,公共の場において裸の女らをさらし者にし,更に彼女らをして四つん這いで動かしめた時,彼らは性的羞恥心を震駭せしめたのである。しかし,彼らが母を強いて・・・させようとし,息子を強いて・・・させようとした時――私は,全部は書けない――彼らは自然(nature)自体を震駭せしめたのである。

  (Montesquieu, De l’Esprit des lois (Paris, 1748: Livre XII, Chapitre XIV

 

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第4 現行刑法93条及び94条解説

 

1 現行刑法93条:私戦予備及び陰謀の罪

 刑法93条の解釈論は,現在世間を悩ませているようです。これはそもそも,司法省の刑法草案取調掛の多数意見は不要としたいわくつきの条項だったのでした。それを少数派が頑張って,刑法草案審査局段階で逆転復活させたのはよいが,その際本来は内乱罪的に詳細なものであるべきであった構成要件が単純化されてしまったことが祟ったというべきでしょうか。

 

(1)国内犯

 現行刑法によっては,国外で行われるものであるところの私戦自体は罰しないということにした結果(同法2条から4条まで参照。勝てば日本国の生んだ英雄万歳になるし,負ければ当該外国の正義及び武勇を寿ぐばかりである,ということだったのでしょうか。),国内で犯され得る予備及び陰謀のみが同法93条に残ることになったのではないかと思われますところ(前記第322)ウ参照),1902214日の貴族院刑法改正案特別委員会において古賀廉造政府委員はその旨次のような答弁をしています。

 

  現行法デハ外患罪ノ中ニ「外国ニ対シ私ニ戦端ヲ開キタル者ハ」ト云フ規則ガ掲ゲテアルヤウデゴザイマス,然ルニ外国ニ対シ私ニ戦端ヲ開クト云フ事実ハ想像ニ浮ンデ来ナイノデゴザイマス,皆外国ヘ行ッテ向フノ土地デ戦争ヲスルト云フコトデアリアスレバ寧ロ向フノ国ノ犯罪ニナリハシナイカト云フ考ヲ持ッタノデアリマス,日本内地ニ居ッテ此行為ヲ為スコトハ殆ド出来得ル場合ガ無イモノデハアルマイカト云フ考デゴザイマス,ソコデ原案デハ日本内地ニ於テナサレルダケノ行為ヲ禁ジタ方ガ穏当デアラウ,加之是ハ外患罪ト云フ性質デハアルマイ,寧ロ交信ヲ破ル性質ノ犯罪デアラウト云フノデ茲ニ規定シタ次第デアリマス

  (第16回帝国議会貴族院刑法改正案特別委員会議事速記録第9132頁)


 更に同年36日の衆議院刑法改正案委員中調査委員会においては,外国に対して私に戦闘をなしたことを我が国で罰する方針は無い旨の政府答弁がありました。

 まず,倉富勇三郎政府委員(司法省民刑局長)。

  

  私カニ戦端ヲ開クト云フ事柄ガ,ムヅカシイコトデアリマスガ,兎角外国ニ往ッテ既ニ外国デ戦ヲ始メタコトデアレバ,向フハ向フデ勝手ニ処分モ出来ル,又場合ニ依ッテハ本統ノ戦争ニナルカモ知レヌ,サウ云フコトマデ本国ノ刑法デ罰スルコトガ,兎モ角モ不必要デアル,併ナガラ内国デ取締ノ附クダケハ,取締リヲ附ケナケレバナラヌタメニ,111条〔現行刑法93条に対応〕ヲ置イタノデ,予備陰謀デアレバ,之ヲ其儘ニスルコトハ出来ヌ,有形ノ戦ヲ始メタコトニナレバ,向フデドウトモスルコトモアリマスシ,場合ニハ引続イテ本統ノ戦ニナルカモ知レマセヌ

  (第16回帝国議会衆議院刑法改正案委員中調査委員会会議録第229頁)

 

 これを石渡敏一政府委員が敷衍しました。

 

  現刑法〔旧刑法〕ノ133条並ニ,草案ノ111条〔現行刑法93条に対応〕,実ニ斯ウ云フ考ヘ――外国カラ見レバ一ノ国事犯デアル,其国ノ政府ヲ倒ストカ,其国ヲ乗取ルトカ云フ場合ナラ,国事犯ト見テ外国デ処分ヲスルカラ,内地デ罰スル必要ハナイ,又一面カラ見レバ,外国ニ於ケル政治犯ナラバ,外国人ガ罪ヲ犯シテモ,内地ニ於テ罰セザルノミナラズ,場合ニ依ッテハ保護ト云フコトモオカシイガ,マア保護ヲスルト云フ位ニナッテ居ル,内国人デアルト云ッテ,罰スルノモオカシイ,ソレ故ニ外国トノ交際上,内国ヲ以テ外国ニ対スル政治犯ノ根拠地トシテハ,外国ニ対シ今日ノ如ク締盟国トシテ,親睦シテ居ル間柄デハ宜シクナカラウ,唯内国ダケデ取締ヲ付ケル,外国ニ於テ戦端ヲ開イタラ,一ノ政治犯トナルカラ,内地ニ於テ罰スル必要ハナイノミナラズ,場合ニ依ッテハ保護スル位ナモノニナッテ居リマスカラ,之ヲ変ヘタ方ガ宜カラウト云フノデ,此ノ如ク変ヘタノデアリマス

  (第16回帝国議会衆議院刑法改正案委員中調査委員会会議録第229頁)

 

ア 脱線1:樺太国境越しの対露私戦の問題

ただし,現行刑法が制定された明治40年(1907年)には樺太に国境線があったので,理屈だけならば,国境線越しに我が国内からロシア帝国と私戦を行うことは可能ではあったのでしょう。しかし,元ロシア領の樺太に刑法が直接施行されることはなかったので,現行刑法制定に当たって樺太の日露国境のことを考える必要はなかったのでしょう。明治40年法律第25号が「法律ノ全部又ハ一部ヲ樺太ニ施行スルヲ要スルモノハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム〔ただし書略〕」と規定しており,刑法の樺太施行には明治41年勅令第192号が必要だったのでした。

 

イ 脱線2:在日米軍に対する私戦の問題

今日的問題としては,在日米軍相手に(すなわち国内において外国たる米国に対し)私に戦闘をなした場合はどうなるか,があります。既遂であっても刑法93条の予備又は陰謀の範囲でしか罰せられないというのも変ですね。日米安保体制は「憲法の定める統治の基本秩序」(日本国憲法がその前提とする統治の基本秩序)であるということで,内乱罪で処断すべきでしょうか。

 

(2)日本国憲法9条

ここで,日本人らが(国外で)外国相手に私戦をすることは現行刑法によって処罰されないとしても,法律レヴェルならざる日本国憲法9条との関係ではどうなのか,ということが疑問となります(大塚536頁は同条違反とするようです。)。しかしこれについては,極端な反対解釈をした上での屁理屈としては,「日本国民といえども,日本国憲法91項で放棄しているのは日本国の戦争,日本国の武力による威嚇及び日本国の武力の行使に限られ,同条2項後段で認めないのは国の交戦権のみである。したがって,日本国憲法によっては,私の戦闘,私の武力による威嚇及び私の武力の行使は放棄されておらず,かつ,私の交戦権も否認されていないのである。」ともいい得るようです(なお,人民の武装権を保障する米国憲法修正第2条参照)。

また,「国の交戦権」を認めないからといって,外国の軍隊がなす戦闘の正当業務性(刑法35条)までを否定するものではないでしょう。

 

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(3)第155条(私戦の罪に係る外国人の刑の減軽規定)解説

18778月案の第155条により,日本国在住の外国人について,同案154条の2の重罪の犯人又は共謀者となったときには,1等の減軽がされるものとしています。「日本国はそうではないが彼らの国が交戦中である他の外国に対する遠征を日本国内で組織しようとする外国人は,確かに,日本国にとって危険な行為をするものである。しかしながら,道徳的観点からすると,彼らの行為はしかく罪深いものではない。したがって,日本国家に対して直接なされた企てに係る場合と同様の刑1等の減軽を与えることは自然であるように思われる」からということでした(Boissonade, p.523)。

なお,1878227日に伊藤博文から刑法草案審査局に口達された政府の予決により,旧刑法から「外国人関係ハ一切之ヲ削除スルコト」となったところです(浅古弘「刑法草案審査局小考」早稲田法学573号(1982年)386頁。当該予決4項目のうち,他の3項目は「皇室ニ対スル罪ヲ設クルコト」,「国事犯ノ巨魁ヲ死刑ニ処シ刑名ヲ区別シテ設クルコト」及び「附加刑ハ之ヲ設クルモ政権ハ削除スルコト」でした。)。

 

(4)第156条(中立命令違反の罪の前身規定)解説

中立違反の罪に係る18778月案156条は,犯罪の主体に係る日本臣民との限定が外され,軽禁錮の上限が2年から3年に引き上げられ,「局外中立に反する行為をした者」が「其布告〔局外中立の布告〕ニ違背シタル者」に改められて旧刑法134条となっています。

 

ア 趣旨

ボワソナアドによれば,「局外中立を保っている国家は,その国民が交戦国に武器弾薬を供給すること(これは,利潤の追求が彼らをして大きな良心の痛みなしになさせしめ得るところであるが)をせずに彼ら自身当該局外中立を守ることに多大の利益を有している。そうでない場合には,当該投機者が属する国は,交戦国の一方を優遇するものとの疑いにさらされ,否応なしに戦争に巻き込まれ得るし,また少なくとも,復仇représailles),すなわち復讐の行為を受け得るところなのである。/そのために,局外中立を保ちたい諸国は正式かつ公の局外中立宣言をする慣習である。それと同時に,局外中立に反したその国民に対する刑を定めるが,当該刑が基本的な形で当該国の既存の法律において定められているときには,局外中立宣言において市民にその刑を知らせるのである。」(Boissonade, p.524)ということが中立違反の罪を設ける趣旨となります。しかし,対応する条項がフランス刑法にあるものとして紹介されてはいません(cf. Boissonade, p.506)。

 

イ 局外中立宣言の必要性

「我々のこの条項によって科される罰の適用のためには,当該宣言が必要である。この点が,違反の重大性自体からしてこの事前の宣言を必要としない〔私戦の罪に係る〕条項の適用との大きな違いである。」(Boissonade, p.525

 「局外中立に反することに係る刑は刑法に書かれていることが明らかにされなければならないので,局外中立宣言をするときには,必須ではないが,それを知らせるのがよいであろう。」(Boissonade, p.525

 

ウ 構成要件

 ところでボワソナアドは,局外中立に反するものである犯罪行為に係る構成要件を別途設ける必要はないものと考えていたようです。「我々は,違反者に対する罰の原則を定めるにとどめた。事件が生じたときには,最も安定した国際慣行を特に参酌し,事柄の原則に従って裁判することになる。疑いがあるときは,被告人を無罪にすることになる。」と述べるとともに(Boissonade, p.526),何が「局外中立に反すること(violation de la neutralité)」に当たるかについての解説を展開しています。一般的には戦時禁制品(contrebande de guerre)の交戦国中の一方に対する供給が当たるとされ(武器,爆発物,武装した又は武装し得る船舶及び兵員輸送用に整備された船舶は戦時禁制品であることについて意見の一致があるものの,偵察に用いることのできる小型船舶,石炭並びに食糧及び装備の補給には疑いがあるとされています。),中立国の船舶による封鎖の突破もそうであるとされている一方(なお,交戦国の一に対する陸上部隊又は海上部隊の遠征の組織は,私戦処罰の問題とされています。),「日本臣民が交戦国の軍隊に個人的に加入する行為は,局外中立に反するものとみなしてはならないであろう。それは,復仇をもたらし得ないことから法が制約する必要のない,個人の自由の発現である。」と述べられています(Boissonade, pp.525-526)。

 

エ 刑の重さについて

 局外中立に反する罪に対する刑の重さに係る考え方については,「我々の本条が適用される多様な事案に対し,罰はかなり軽いものとなっている。それに対して当該行為がされた交戦当事国が有し,かつ,もしものときに当たって当該国が行使することを怠ることはないであろう没収権を考慮に入れたからである。」とされています(Boissonade, p.526)。

 

3 旧刑法133条及び134条解説

 

(1)旧刑法133条:私に外国に戦端を開く罪

 旧刑法133条の解釈としては,戦端を開く行為が客観的にどのようなもので,その主体がだれかということが問題になるようです。当該主体は,未遂及び予備の主体とも同一たるべきものでしょう。

 

ア 「戦端ヲ開」くことについて

 「外国」について,高木豊三は「敵国ト否ト同盟国ト否ト和親国ト否トヲ別タサルナリ」といっています(高木豊三『校訂 刑法義解』(時習社=博聞社・1882年)403頁)。「敵国」も含む点は,18778月案154条の21項にあった「日本国が宣戦している交戦相手国ではない」との限定句がなくなったことによる反対解釈でしょうか。(なお,高木は,18759月からボワソナアドの下で法を学び,18767月に卒業した,司法省法学校正則科第1期生です(大久保53頁)。)

「戦端ヲ開」くとは,18778月案154条の2に鑑みるに組織的な遠征(expédition)の部隊についていわれるのですから,正に「組織的な武力攻撃」(前掲前田・各論584-585頁。下線は筆者によるもの)を開始することでしょう。

陸軍刑法(明治41年法律第46号)は,擅権の罪に係るその第2編第2章の第35条において「司令官外国ニ対シテ故ナク戦闘ヲ開始シタルトキハ死刑ニ処ス」と,海軍刑法(明治41年法律第48号)はこれも擅権の罪に係る第2編第2章の第30条において「指揮官外国ニ対シテ故ナク戦闘ヲ開始シタルトキハ死刑ニ処ス」と規定しています。「司令官」とは「軍隊ノ司令ニ任スル陸軍軍人」であり(陸軍刑法17条),「指揮官」は「艦船,軍隊ヲ指揮スル海軍軍人」です(海軍刑法13条)。部下が呆れてついてこないまま司令官又は指揮官一人が武器を使って外国を攻撃した場合は陸軍刑法35条及び海軍刑法30条の「戦闘ヲ開始シタルトキ」にはならないでしょうから,両条での「戦闘」は,軍隊・軍艦レヴェルでの組織的なものでなければならないのでしょう。高木は,「陸海軍ノ兵ヲ率ヒ若クハ暴徒ヲ集嘯シテ」といっています(高木403頁)。

(なお,陸軍刑法38条及び海軍刑法33条は「命令ヲ待タス故ナク戦闘ヲ為シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ禁錮ニ処ス」と規定しており戦闘の主体が司令官又は指揮官に限定されていませんが,「現に,戦時状態に在る敵国に対して,勝手に戦闘を為す場合」についてのものであるとされ(田家秀樹『改正陸軍刑法註解 附陸軍刑法施行法』(高橋慶蔵・1908年)93頁。また,軍事警察雑誌社『改正陸軍刑法正解 附同施行法釈義』(軍事警察雑誌社・1909年)68頁),「主眼トスル所ハ例ヘバ戦闘ノ開始後ニ在リテ戦ノ機未ダ熟セズ命令ナクンバ戦争行為ヲ為ス可ラズト云フガ如キ場合ニ於テ其命令ヲ待タズシテ擅ニ戦争行為ヲ為シタル場合ヲ処罰スルノ規定ナリ」といわれています(引地虎治郎『改正陸軍刑法講義』(川流堂・1909年)76頁)。戦闘を「開始」することと,戦闘を「為」すこととは異なるようです。組織がいったん起動した後は動きやすくなるが,組織をまず起動させることはそもそもそのための権限がある者しかできない,ということでしょうか。)

 

イ 犯行の主体について

司法省刑法草案取調掛の多数意見は広く参加者を罰する18778月案154条の2の私戦の罪全体を不要としていたこと及び残された法定刑の重さが既遂で有期流刑であることからすると,旧刑法133条の「外国ニ対シ私ニ戦端ヲ開」く者は,当該私戦(expédition)の首魁級が想定されていたように思われます。

「私戦にはまた,国家に対する裏切りの性格は全く無い。むしろ,過大な,しかし時宜を得ずかつ違法な情熱があるところである。」といわれていますから(Boissonade, p.521),内乱罪と刑が同等以上ではおかしいところです。内乱罪において有期流刑以上の刑罰があったのは,死刑を科される首魁及び教唆者(旧刑法1211号)並びに無期流刑又は有期流刑を科される群衆の指揮をなしその他枢要の職務をなしたる者(同条2号(有期は「其情軽キ者」))についてのみでした。したがって,私戦の罪については,内乱罪にいう,兵器金穀を資給し,若しくは諸般の職務をなしたる者(旧刑法1213号)又は教唆に乗じて付和随行し,若しくは指揮を受けて雑役に供したる者(同条4号),すなわち,現場の兵隊レヴェルの者(18778月案154条の23項(2年から5年の軽禁錮)該当者)は,旧刑法133条の「戦端ヲ開」く者ではない,ということになります。また,そうだとすると,共犯処罰についても,戦端を開く行為におけるその手段としての兵隊の存在は当然予想されるところですから(必要的共犯),処罰規定がない以上は,兵隊は不可罰ということになりましょう(前田雅英『刑法総論講義 第4版』(東京大学出版会・2006年)404-405頁。内乱罪及び騒乱罪が必要的共犯の例として挙げられています。)。

また,内乱罪については,「首謀者は必ず存在しなければならない点が騒乱罪との相違点である」とされています(前田・各論504頁)。換言すると,群衆の指揮をなし,その他枢要の職務をなす者が欠ける内乱もあるわけです。私戦においても同様でしょう。首魁が旧刑法133条の有期流刑の対象となることに疑いはありません。(ただし,群衆の指揮をなし,その他枢要の職務をなした者は対象とならないとまでは確言できません。征服王となるかもしれぬ首魁と,その場合その臣下となる者らとの間で刑に差を設けないことは不適当ではないかといえば,そうなのではありますが。なお,内乱罪について,「首謀者は必ずしも1人とは限らない」とされています(前田・各論504頁)。)「凡ソ日本ノ兵権ヲ有スル者若クハ其他ノ者陸海軍ノ兵ヲ率ヒ若クハ暴徒ヲ集嘯シテ以テ私ニ外国ト戦争ノ端緒ヲ開」く者が「外国ニ対シ私ニ戦端ヲ開キタル者」であるといわれていますところ(高木403頁),これはやはり首魁でしょう。ただし,「日本ノ兵権ヲ有スル者」が「陸海軍ノ兵」を率いる場合については,陸軍刑法海軍刑法が適用されるものでしょう。

 

ウ 予備

 予備行為の意味については,18778月案154条の25項の規定するところでよいのでしょう(前記22)エ参照)。予備の法定刑は,有期流刑が1等又は2等減ぜられるのですから,重禁獄又は軽禁獄になったわけです(旧刑法68条)。重禁獄は9年以上11年以下,軽禁獄は6年以上8年以下でした(旧刑法23条)。

 前記22)イの丸山作楽は,88月ほど獄に繋がれていました。

 

エ 未遂

旧刑法133条の未遂処罰については,前記22)ウを参照。法定刑は上記の予備と同じです(旧刑法1131項,112条)。

 

(2)旧刑法134条:局外中立の布告に違背する罪

 

ア 白地刑罰法規化

 ボワソナアドは,18778月案156条は構成要件としても十分であって,局外中立宣言が発せられれば(当該宣言は,天皇の外交大権(大日本帝国憲法13条)の施行に関する勅旨の宣誥として詔書でされたわけです(公式令11項)。),それのみで中立違反の罪に係る罰条が起動するものと考えていたようです(前記24)ウ)。しかしながら,国際法頼みの「局外中立に反する行為」なる構成要件は――あるいは,罪刑法定主義の建前からもいかがなものか,ということにでも刑法草案審査局でなったのでしょうか――旧刑法134条の構成要件においては,局外中立の「布告ニ違背」することとなっています。(ただし,高木豊三は旧刑法134条について「蓋シ日本其戦争ニ就テ自国ノ利害栄辱ニ関スルモノナキ時ハ局外中立ノ法ヲ守リ且ツ其旨ヲ布告ス是時ニ当リ若シ其布告ニ違背シ一方ノ敵国ニ兵器弾薬船舶ノ類ヲ売与シ若クハ兵馬糧食ヲ資給シ其他中立ノ布告ヲ破ル可キ所為アル者」は同条に照らして罰せられると述べており(高木405頁),白地刑罰法規であるとの認識を明示してはおらず,むしろボワソナアド風の解釈を維持していました。)しかしてその布告(公文式(明治19年勅令第1号)の制定前は,法規の形式でもありました。)の形式は,詔書ではなく,天皇の発する命令である勅令(公文式1条から3条まで参照)でした。

 

イ 米西戦争時の前例:交戦国の軍隊への応募従事等禁止勅令等

 1898年の米西戦争(同年425日に米国が同月21日からスペインとの戦争状態が存在することを宣言,同年1210日のパリ条約調印で終結。この戦争の結果,米国はフィリピン,グアム及びプエルト・リコを獲得しました。)の際の対応が前例となります。

 明治天皇は1898430日付けで次の詔勅(公式令の施行前でした。)を発します(同年52日付けの官報で公布)。

 

  朕ハ此ノ次北米合衆国ト西班牙国トノ間ニ不幸ニシテ釁端ヲ啓クニ方リ帝国ト此ノ両国トノ間ニ現存スル平和交親ヲ維持セムコトヲ欲シ茲ニ局外中立ニ関スル条規ヲ公布セシム帝国臣民並ニ帝国ノ版図内ニ在ル者ハ戦局ノ終ハルマテ国際法ノ原則ト此ノ条規トニ依リ厳正中立ノ義務ヲ完フスヘシ背ク者ハ独リ交戦国ノ処分ニ対シ帝国ノ保護ヲ享クル能ハサルノミナラス亦帝国裁判所ニ於テ成条ニ照シ処分セシムヘシ

 

 最後の「帝国裁判所ニ於テ成条ニ照シ処分」の「成条」が,旧刑法134条ですね。

詔勅中の「局外中立ニ関スル条規」が,旧刑法134条の「布告」ということになります。しかしてそれらは,いずれも1898430日に裁可されて同年52日付けの官報で公布された,明治31年勅令第86号(北米合衆国及西班牙国交戦中帝国臣民及帝国の版図内に在る外国人の行為に関する件)及び同年勅令第87号(北米合衆国及西班牙国交戦中其の交戦に関係ある艦船にして帝国領海内に在るものの取締に関する件)でした(なお,大塚仁『刑法概説(各論)(増補二版)』(有斐閣・1980年)537頁註(2)には「米西戦争の際の明治31430日の中立詔勅86号・87号」とありますが,「中立詔勅及び勅令86号・87号」といわんとして「勅令」を脱したものか,それとも「中立勅令86号・87号」といわんとして「詔勅」と混同したものか,悩ましい。)

これらの勅令は,旧刑法134条による委任に基づくものというよりは,大日本帝国憲法9条の「公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム」る天皇の大権に基づくものでしょう。となると,旧刑法134条は,有名な明治23年法律第84号(「命令ノ条項ニ違犯スル者ハ各其命令ニ規定スル所ニ従ヒ200円以内ノ罰金若ハ1年以下ノ禁錮ニ処ス」)の特則ということになるようです。

明治31年勅令第86号の内容は,次のとおり。

 

 帝国臣民及帝国ノ版図内ニ在ル外国人ハ現ニ北米合衆国及西班牙国間ノ交戦ニ関シ左ニ掲クル行為ヲナスコトヲ得ス

  第一 私船ヲ以テ商船捕獲ヲ行フノ免許若ハ委任ヲ交戦国ヨリ受クルコト

  第二 交戦国ノ陸軍海軍ノ募集ニ応シ若ハ其ノ軍務ニ従事シ又ハ軍用ニ供スル船舶,捕獲私船ノ船員ト為リ若ハ其ノ募集ニ応スルコト

  第三 交戦国ノ陸軍海軍ノ軍務ニ従事セシムルノ目的ヲ以テ又ハ軍用ニ供スル船舶,捕獲私船ノ船員タラシメ若ハ其ノ募集ニ応セシムルノ目的ヲ以テ他人ト契約ヲ為シ又ハ他人ヲ帝国版図外ニ送遣スルコト

  第四 交戦国ノ一方ノ戦争又ハ捕獲ノ用ニ供スル目的ヲ以テ艦船ノ売買貸借ヲ為シ又ハ武装若クハ艤装ヲ為シ又ハ其ノ幇助ヲ為スコト

  第五 交戦国ノ一方ノ軍艦,軍用ニ供スル船舶又ハ捕獲私船ニ兵器弾薬其ノ他直接ニ戦争ノ用ニ供スル物品ヲ供給スルコト

 本令ハ発布ノ日ヨリ施行ス

 

 ボワソナアドからすると,第2号などは個人の自由に対する余計な制約でしょう(前記24)ウ参照)。ただし,同号の行為は,旧刑法133条では不可罰であったということになります。



私戦予備及び陰謀の罪(刑法93条)並びに中立命令違反の罪(同条94条)に関して

 (起):現行解釈 http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079505630.html

 (承):旧刑法の条文及び18778月案154条の2(私戦の罪)

     http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079505646.html

 (結):まとめ http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079505660.html

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第3 旧刑法及びボワソナアドに遡る。

 

1 旧刑法の条文(133条及び134条)及びボワソナアドの関与

 私戦予備及び陰謀の罪は旧刑法(明治13年太政官布告第36号)133条を,中立命令違反の罪は同法134条をそれぞれ前身規定としています。

 

  第133条 外国ニ対シ私ニ戦端ヲ開キタル者ハ有期流刑ニ処ス其予備ニ止ル者ハ1等又ハ2等ヲ減ス(未遂は1等又は2等を減ずる(旧刑法112条,1131項)。)

  第134条 外国交戦ノ際本国ニ於テ局外中立ヲ布告シタル時其布告ニ違背シタル者ハ6月以上3年以下ノ軽禁錮ニ処シ10円以上100円以下ノ罰金ヲ附加ス

 

旧刑法の条文に関しては,ボワソナアド(Gustave Boissonade)のProjet Révisé1886年)が国立国会図書館のウェブサイトで見ることができ,同書は,その理解の大きな助けになっています。条文のみを睨んだ上での「法的な推論」にすぎざる各論者の私見よりは,よりもっともらしい解釈論を引き出すことができるでしょう。

旧刑法の制定に当たっては「司法省では〔略〕まずボワソナアドに草案を起草させ,それを翻訳して討論を重ね,さらにボワソナアドに仏文草案を起草させる,という手続を何回かくりかえした後,最終案を作成する,という手順にした。このやり方にしたがって,「日本刑法草案・第一稿」(4524条)ができ上がり,〔明治〕9年〔1876年〕12月末,正院に上申された。〔略〕/翌〔明治〕10年〔1877年〕に入って,前年の草案は論議し直され修正されて「日本刑法草案・第二稿」(3473条)となり,さらに第4編違警罪の編纂も終了した。ボワソナアドによると,それは同年の7月のことである。その後草案は整理校正され,1128日,司法省から太政官に「日本刑法草案」(4478条)として上呈された。以上で草案は司法省の手をはなれ,またこの段階まででボワソナアドの関与も終了するのである。」という作業が司法省でされていました(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1977年(追補1998年))114-115頁)。

 

2 18778月案(フランス語)154条の2から156条まで

 

(1)条文及びその背景

司法省における作業の最終段階である18778月に司法卿から元老院に提出された刑法草案のフランス語版(Projet de Code Pénal pour l’Empire du Japon; Imprimerie Kokubunsha, août 1879。これも国立国会図書館のウェブサイトで見ることができます。日本語訳は,中村義孝立命館大学名誉教授による「日本帝国刑法典草案(1)」立命館法学329号(2010年)260頁以下があります。)には,私戦及び中立命令違反の処罰に関して次のようにありました(pp.51-52. 同書には乱丁があるので注意)。

 

  154 bis  () Sera puni de la détention majeure, tout sujet japonais qui aura entrepris et commandé une expédition militaire ou maritime contre un pays étranger avec lequel le Japon n’était pas en guerre déclarée.

La peine sera la détention mineure contre ceux qui auront exercé dans ladite expédition une fonction ou emploi emportant autorité.

     Tous autres co-auteurs seront punis d’un emprisonnement simple 2 à 5 ans.

La peine sera diminuée d’un à deux degrés, pour tous les coupables, s’il y a eu seulement commencement d’exécution résultant d’une tentative de départ.

  Elle sera diminuée de deux à trois degrés, s’il n’y a eu que des actes préparatoires, consistant en levées ou enrôlements de troupes, en approvisionnements ou équipements militaires ou maritimes.

  Le bénéfice des articles 139 à 141 [sic] sera applicable à ceux des coupables qui se trouveront dans les cas prévus auxdits articles.

  Les articles 144 et 145 seront applicables à tous ceux qui se rendront coupables de crimes ou délits communs, à l’occasion de ladite expédition.

  S’il y a eu des actes de piraterie, les dispositions du Chapitre III bis, Sect. 1ère seront applicables.

 

   () Article proposé par la minorité de la Commission.

 

   155.  Les étrangers qui, résidant au Japon, seraient auteurs ou complices des crimes prévus aux articles 149 et suivants seront punis des peines qui y sont portées avec diminution d’un degré.

 

   156.  Sera puni d’un emprisonnement simple de 6 mois à 2 ans et d’une amende de 10 à 100 yens tout sujet japonais qui, en cas de guerre entre deux ou plusieurs nations étrangères à l’égard desquelles le Japon s’est déclaré neutre, aura commis un acte constituant une violation de la neutralité.

 

外国との私戦に係る18778月案の第154条の2154 bis)は,その註()によれば,司法省の刑法草案取調掛(Commission)中の少数意見によるものです。当該取調掛は1875915日に設けられ,掛員は鶴田皓,平賀義質,藤田高之,名村泰蔵,昌谷千里ほか合計11名,更に司法卿大木喬任が総裁,司法大輔山田顕義が委員長となり,鶴田皓が纂集長に任じられていたそうです(大久保113頁)。

ボワソナアドによれば,当該私戦処罰条項は取調掛によって当初採択されたものの,後に司法省の決定稿作成の際に削られることとなり,その後政府と元老院とによる刑法草案審査局に非公式に提出されるについては困難が伴ったものであろうとのことです(Boissonade, p.514)。刑法草案審査局は,18771225日に太政官によって設けられたもので,「総裁に参議伊藤博文(後に柳原前光にかわる),委員として幹事陸奥宗光(後に議官中島信行にかわる),議官細川潤次郎,同津田出,同柳原前光(以上元老院),大書記官井上毅(太政官法制局,途中で辞任),司法大書記官鶴田皓,(太政官)少書記官村田保および同山崎直胤が委員に任命され,そのほか,御用掛として,司法少書記官名村泰蔵と判事昌谷千里が命ぜられた。(なお後に〔明治〕11年〔1878年〕2月,司法大輔山田顕義が委員に加えられた。)」というような陣容だったそうです(大久保115頁)。

 

(2)第154条の2(私戦予備及び陰謀の罪の前身規定)解説

私戦の処罰に係る18778月案154条の2は大幅に単純化されて旧刑法133条となっています。

 

ア 第1項から第3項まで:三つの行為者類型

18778月案154条の2の構成要件及びそれに対応する刑は,既遂段階のものについて,①「日本国が宣戦している交戦相手国ではない外国に対して陸上又は海上の遠征(expédition militaire ou maritime)を企て,かつ,指揮した(aura entrepris et commandé)日本臣民」に重禁獄(同条1項),②「前項の遠征において権限ある役割又は職務(fonction ou emploi emportant autorité)を果たした者」に軽禁獄(同条2項)及び③その他の共犯には2年から5年までの軽禁錮(同条3項)というように3分されていましたが,旧刑法133条においては「外国ニ対シ私ニ戦端ヲ開キタル者」に対して有期流刑と科するものと一本化されています。18778月案での重禁獄は11年から15年まで内地の獄に入れられて定役に服さないもの(同案29条),軽禁獄は6年から10年まで内地の獄に入れられて定役に服さないもの(同条),軽禁錮は特別の禁錮場に留置されて定役に服さないもの(同案31条,旧刑法24条)ですが,旧刑法での有期流刑は,12年以上15年以下島地の獄に幽閉されて定役に服さないものです(同法20条)。

(「愛の「徒」刑地?」:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079020156.html

 

イ 征韓論及び西南戦争との関係並びにフランス1810年刑法84条及び85

私戦の罪に係る旧刑法133条は,幕末の薩英戦争や馬関戦争を念頭に置いて設けられたものというよりは,西郷隆盛のごとき者を警戒して,内乱罪とパラレルのものとして設けられたもののようです。

 

  日本国においては,〔私戦の処罰に関する〕このような規定に特段の有用性があったもののように観察される。王政復古以来何度となく,国内において――特に士族の精神に対して――巨大な影響力を有する人物群が,日本国からする朝鮮国遠征の主唱者となっていた。彼らは,政府の朝鮮国人に対する宥和的かつ平和的な対応を非難し,重大な不満があるとしても日本国としては平和的かつ友好的な関係を維持したい当該隣国に対する遠征を,彼ら自身の手で(pour leur propre compte)行う姿勢を放棄してはいなかった。

  そのような企ては,確かに,不平家らがそこに身を投じた内戦ほどは不幸なものではなかったであろう。しかし,刑法に係る最初の作業の際人々には二つの企てのいずれも可能性のあるものと思われたし,内戦と同じくらい人々を懸念させていた当該企てに対する刑罰を規定することは賢明なことであった。

  政府の許可のないまま,そのようにして日本臣民によって企てられた遠征が,攻撃された国,更にはその同盟国からする重大な復仇に政府をさらすこととなるとともに,日本国を対外戦争に引き込み得るということには疑いのないところである。

 (Boissonade, pp.520-521

 

旧刑法の18778月案154条の21810年フランス刑法84条及び85条の流れを汲むものとされていますところ(Boissonade, pp.505 et 520),当該両条よりも内乱罪風に具体的かつ厳しい構成要件となっているのは,当時なお戦われていた西南戦争の影のゆえでしょうか(鹿児島城山における西郷の自刃は1877924日)。

1810年フランス刑法84条は「政府によって承認されていない敵対行為によって国家を宣戦にさらした者は,国外追放に処する。そこから戦争が生じたときは,流刑に処する。(Quiconque aura, par des actions hostiles non approuvées par le gouvernement, exposé l'état à une déclaration de guerre, sera puni du bannissement; et, si la guerre s'en est suivie, de la déportation.)」と,同法85条は「政府によって承認されていない行為によって復仇を受けることにフランス人をさらした者は,国外追放に処する。(Quiconque aura, par des actes non approuvés par le gouvernement, exposé des Français à éprouver des représailles, sera puni du bannissement.)」と規定していました。いささか抽象的です。

なお,大物ではありませんが,外務権大丞丸山作楽という者がおり,1871511日,征韓陰謀の嫌疑で拘禁されています。

 

  庶民はなお徳川体制ふうの愚民でありつづけているが,「志士」を気どる連中のあいだでは,政府の態度決定をうながすために有志で韓国に上陸し私戦を開始しようと考えている暴発計画者の一団があった。その中心人物は政府のなかにいた。外務大丞(ママ)の丸山作楽という幕末の志士あがりの男である。丸山は旧島原藩士で,幕末,狂信的攘夷主義者の多かった平田篤胤の神国思想の学派に属し,維新後,官途についたが,新政府の欧化主義が気に入らず,この征韓論をさいわい,政府を戦争にひきずりこみ,そのどさくさに乗じて一挙に政府を転覆しようと考えた。この神国思想家は単に夢想家ではなく現実的な活動能力ももっており,いちはやく横浜のドイツ商人に計画をうちあけ,その商人から軍資金20万円を借りうけ,汽船の手あてなどをする一方,過激攘夷主義の生き残りや旧佐幕派の不平士族を(かたら)って同志の数をふやした。もっとも事(あらわ)れて丸山は捕縛され,終身刑に処せられた。

 (司馬遼太郎『歳月』(講談社・1969年)173頁)

 

 ただし,丸山は,1880年に恩赦で出獄しています。

 

ウ 第4項:未遂処罰に関する規定

18778月案154条の24項は未遂に係る規定です。「進発(départ)の試みから生ずる実行の着手(commencement d’exécution)のみがあるときは,全ての犯人につき刑を1等又は2等を減ずる。」ものとされています。これに関して,ボワソナアドはいわく。

 

   失敗した犯行(crime manqué)についても規定されていない。しかしながら,特に当該場合について,法は最も重い刑で罰するものであることを考慮しなければならない。というのは,法は,出発がなされた遠征(expédition partie)の企て及び指揮を処罰するのである。日本国の港を離れた時に,出発がなされ,遠征は始まり(entreprise),犯罪がなされ(commis),完了する(consommé)。遠征が成功したか,それともあるいは外国の港に到着しただけであるかなどということを調べる必要はない。

   それとは反対に,遠征が港において制止arrêtée)されたのであれば,それは未遂tentée)にとどまったのであり,失敗したmanquée)のではない。

   (Boissonade, p.522

 

これに対して旧刑法133条は,既遂時期を外国ニ対シ戦端ヲ開キタル時まで遅らせています。同条の罪については未遂を罰するのですが(旧刑法1131項,112条(刑を1等又は2等減ずる。)),戦端を開くことに係る実行の着手の時期はどこに求められたものか。現行刑法93条が予備及び陰謀のみを罰しているところから逆算すると,日本国を遠く離れて,遠征の目的たる外国に相当近付いた時点と観念されていたのかもしれません。しかして現行刑法93条は,国内犯のみを対象としているところです(同法2条から4条まで参照)。

 

エ 第5項:予備処罰(及び陰謀処罰の不在)

18778月案154条の25項は,予備について規定しています。「兵士の徴募又は陸上部隊若しくは海上部隊に係る補給若しくは装備による予備(actes préparatoires)のみがされたときは,刑を2等又は3等減ずる。」とされています。旧刑法133条ただし書では1等又は2等減ずるのみですので,未遂と重なってしまっています。

18778月案において重禁獄を2等又は3等減ずる場合,まず1等減じて軽禁獄(6年から10年),2等減じて2年から5年の軽禁錮及び20円から50円の罰金の併科(同案82条),3等減じて1年6月から39月までの軽禁錮及び15円から3750銭までの罰金の併科(同案83条)になったようです。

18778月案154条の2及び旧刑法133条では私戦の陰謀は処罰されないことになっていました。「共謀又は陰謀については規定されていない。それを抑止することが必要であるものとするほど,社会的害悪がまだ十分はっきりしているものとは考えられなかったからである。」ということでした(Boissonade, pp.521-522)。

 

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第1 余りなじみのない刑法93条及び94

 天下太平の平和国家である日本国の司法試験では,その短答式による筆記試験の刑法科目(司法試験法(昭和24年法律第140号)313号)及び論文式による筆記試験の刑事系科目(同条23号)において,

 

刑法(明治40年法律第45号)93条(私戦予備及び陰謀) 外国に対して私的に戦闘行為をする目的で,その予備又は陰謀をした者は,3月以上5年以下の禁錮に処する。ただし,自首した者は,その刑を免除する。

又は

同法94条(中立命令違反) 外国が交戦している際に,局外中立に関する命令に違反した者は,3年以下の禁錮又は50万円以下の罰金に処する。

 

に関する出題がされることはないでしょう(ただし,司法試験法33項の法務省令の定めである司法試験法施行規則(平成17年法務省令第84号)21項によって,両条が出題範囲から除外されているということはありませんので,念のため。)。したがって,弁護士であるからといって,刑法93条又は94条について十分な学識があるとは限りません(これは,我が国の裁判官,検察官又は弁護士になろうとする者に必要な学識(司法試験法11項)は,刑法93条及び94条については,我らの平和の現実に鑑みるに,理想的に十分なものまでである必要は必ずしもないだろうといううがった見方,ということになるでしょうか。)。また,司法試験では「学識及びその応用能力」(司法試験法11項),「専門的な法律知識及び法的な推論の能力」(同法31項),「専門的な学識並びに法的な分析,構成及び論述の能力」(同条2項)及び「法律に関する理論的かつ実践的な理解力,思考力,判断力等」(同条4項)の有無の判定はされるようですが,そこにおいて前提となる専門的な法律知識ないしは学識は,法科大学院又は予備校で素直に学ばれることが想定されており,更にその奥ないしは背後に貫穿する尖った調査研究能力までは特に求められてはいないのでしょう。

 

第2 いわゆる基本書における解説

 いわゆる基本書においても,刑法93条及び94条の解説は薄くなっているところです。

 

1 私戦予備及び陰謀の罪

 刑法93条の私戦予備及び陰謀の罪については,

 

  目的犯 外国に対し私的に戦闘を為す目的でその予備又は陰謀をする罪である。外国とは外国の一地方や特定の外国人の集団ではなく,国家としての外国である。私的に戦闘行為をするとは国の命令を経ずに組織的な武力攻撃を行うことである。ただ,日本国憲法は国権の発動としての戦争を禁じている。予備とは,兵器の調達や兵士の訓練等,外国との戦闘の準備行為一般を指す。陰謀とは,私戦の実行を目指して複数の者が犯罪意思をもって謀議することである。

   自首した者に刑の必要的免除を定める。通常の自首(42条Ⅰ項)の特別規定である。

   (前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)584-585頁)

 

とあるばかりです。なお,「組織的な武力攻撃」とありますから,さいとう・たかを(2021年歿)のゴルゴ13がするようなone-man armyによる単独戦闘行為は,私戦には含まれないようです。


 刑法学の泰斗の著書には,刑法93条が「私戦そのものについては規定を欠く」ことについて,「私戦が実際に開始されるということはほとんど想像ができないから規定を省いたのであろう。殺人罪その他の規定の適用にゆだねられることになる。」との記載があります(団藤重光『刑法各論』(有斐閣・1961年)102頁三註(1))。刑法の「各論」は「論理的よりも事実的・歴史的な考察が重視されなければならないことがすくなくない」とされておりますところ(団藤1頁),この点に関しては,後に,現行刑法案の帝国議会審議の場に遡って,法案提出者の意思に係る資料を御提供します(第411))。

  

2 中立命令違反の罪

刑法94条の中立命令違反の罪については,

 

 白地刑罰法規 外国交戦の際,すなわち複数の国家間で現に戦争が行われている場合に,局外中立に関する命令に違反する罪である。局外中立に関する命令とは,わが国が中立の立場にある場合に,国際法上の義務に従い交戦当(ママ)国のいずれにも加担しない旨指示する命令で,具体的内容は,個々の中立命令により異なる2。本罪の構成要件は,個別の局外中立命令の内容に左右されるので,典型的な白地刑罰法規とされる。

  2)具体的には,普仏戦争や米西戦争の際に太政官布告や詔勅の形で中立命令が出された。現行刑法下では,伊土戦争の際の明治44103日の詔(ママ)がある。

  (前田・各論585頁)

 

ということで,これも「構成要件は,個別の局外中立命令の内容に左右される」ということではっきりせず,肩透かしです。

 そこで,1911年(明治44年)103日付け(同日の官報号外で公布)の明治天皇の詔書(公式令(明治40年勅令第6号)1条,12条参照)を見ると,これまた,

 

 朕ハ此ノ次伊太利国ト土耳其国トノ間不幸ニシテ釁端ヲ啓クニ方リ帝国ト此ノ両国トノ間ニ現存スル平和ノ関係ヲ維持セムコトヲ欲シ茲ニ局外中立ヲ宣言ス帝国臣民並ニ帝国ノ管轄内ニ在ル者ハ戦局ノ終ハルニ至ルマテ厳正中立ト相容レサル一切ノ行動ヲ避ケムコトヲ期セヨ

 

とあるばかりです。「個別の局外中立命令の内容」なるものは,「厳正中立ト相容レサル一切ノ行動ヲ避ムコトヲ期セヨ」というものにすぎないようでもあって,甚だ漠としています。(なお,中立命令違反の罪については,国外犯の処罰はありません(刑法2条から4条まで)。)「具体的内容は,個々の中立命令によ」るものとして片付けて安心してはならなかったもので,結局,刑法94条自体についての具体的な説明が求められるもののようです(ちなみに,団藤102頁四註(2)においては,伊土戦争に係る明治44103日の詔書は,中立命令の前例として掲げられていません。)

 なお,1911年の伊土戦争は,イタリア王国がオスマン=トルコ帝国にトリポリを要求する同年928日の最後通牒を同帝国が拒絶し,同月29日に開始せられたもので,19121018日調印のローザンヌ条約によりリビアがイタリアの支配下に入る結果となっています。




私戦予備及び陰謀の罪(刑法93条)並びに中立命令違反の罪(同条94条)に関して

 (承):旧刑法の条文及び18778月案154条の2(私戦の罪)

     http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079505646.html

(転):18778月案155条(外国人の刑の減軽)及び156条(中立違反の罪)並びに旧刑法133条及び134

    http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079505655.html

 (結):まとめ http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079505660.html

 

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(上)法制審議会に対する諮問第118号及び旧刑法:

   http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079121894.html

(中)1886年のボワソナアド提案及びフランス法:

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079121910.html

 

第4 侮辱罪(刑法231条)削除論

 

1 第1回国会における政府提案(1947年)

 ところで,現在の日本国憲法が施行されてから最初に召集された1947年の第1回国会において,侮辱罪は削除の憂き目に遭いかけていたところです。

昭和22年法律第124号の政府原案においては(第1回国会参議院司法委員会会議録第242頁参照),「事実の摘示を伴わない侮辱は,名誉を傷ける程度も弱く,刑罰を以て臨むのは聊か強きに過ぐるのではないかという趣旨に基」づき(1947725日の参議院司法委員会における鈴木義男司法大臣による趣旨説明(第1回国会参議院司法委員会会議録第35頁)),刑法231条は削除されるということになっていたのでした(〈ただし,政府原案の決定に至るまでの課程における刑法改正法律案の要綱においては,むしろ侮辱罪の重罰化が提案されていたそうです(嘉門9頁)。〉)

194786日の参議院司法委員会において國宗榮政府委員(司法省刑事局長)からは「34章のうちの231条侮辱罪の規定でありますが,「事実ヲ摘示セスト雖モ公然人ヲ侮辱シタル者ハ拘留又ハ科料ニ處ス」,この規定を削除いたしました。この削除いたしました趣旨は,今日の言論を尊重いたしまする立場から,たまたま怒りに乗じて発しましたような,軽微な,人を侮辱するような言葉につきましては,刑罰を以て臨まなくてもよいのではないか,かような考えからこれを削除いたしましたが,この点につきましては,尚考慮の余地があろうかと考えているのでございます。特に90条,91条を削除いたしました関係上,外国の使節等に対しまする単なる侮辱の言葉が,往々にして国交に関する問題を起すような場合も考えられまするので,これは削除いたしましたけれども,考慮を要するのではないかと考えております。」と説明されています(第1回国会参議院司法委員会会議録第94頁)。ここでは言論の尊重に言及がされています。また,軽微な侮辱は処罰しなくてもよいとされていますが,「たまたま怒りに乗じて発し」たような軽微なものではない,重大な侮辱は全くあり得ないといってよいものかどうか。ちなみに,起訴猶予制度は既に法定されていました(刑事訴訟法(大正11年法律第75号)279条)。続いて同月7日の同委員会において同政府委員は「侮辱罪は具体的な事実を示しませず,単に侮蔑の意思を表示したという場合でありましてこういう場合には被害者の感情を傷つけることはありましても,被害者の名誉,即ち社会的に承認されておるところの価値,又は地位,これを低下させる虞れは比較的少いと思われるのであります。いわば礼儀を失したような行為のやや程度の高いものに過ぎないのではないか,これに対しまして刑罰を科するのは一応適当ではない,こういう趣旨で,現に英米の名誉毀損罪は,かような行為までは包含していないというような点を参照いたしまして,一応この廃止案を立てた次第でございます。」と述べています(第1回国会参議院司法委員会会議録第102頁)。被害者の感情(名誉感情)よりもその社会的に承認されている価値又は地位としての名誉(外部的名誉)を重視するのは,侮辱罪と名誉毀損罪との保護法益をいずれも外部的名誉とする判例・通説の立場でしょう。英米の名誉毀損罪については,「イギリス法は名誉毀損defamationを其の表示の形式に従つて,文書誹謗libel及び口頭誹謗slanderの二に分かつてゐる。〔略〕前者は民事上の不法行為であると共に,刑事上の犯罪でもあるが,後者は民事上の不法行為たるに止まり,原則として刑事上の犯罪とはされないのである」ところ(小野・名誉の保護93頁),同法においては「いづれにしても単純なる侮辱mere insultは文書誹謗とならぬ」(同97頁)と説かれていました。現在では,「アメリカの連邦,イギリスのイングランドとウェールズについては侮辱罪や名誉毀損罪に相当する罰則は設けられていないと承知しております。」との状況であるそうです(侮辱罪第2回議事録12頁(栗木幹事))。1947813日の参議院司法委員会において國宗政府委員は更に「公然人を侮辱いたしますことは,我々が,希望いたしておりまする民主主義社会の人の言動といたしましては,遙かに遠いものでありまして,好ましくないところでございます。併しながらこの侮辱は時によりまするというと非常に教養のある人々でも時と場合によりまして多少感情的なことに走りまして,いわば単に礼儀を失したような行為のやや程度の高いもの,こういうふうに考えられる行動がある場合がございます。かようなものにつきましては刑罰を以つて処するということは妥当でないと一応こういう観点に立ちまして,やはりもう少し法律の規定に緩やかにして置きまして,感情の発露に任せた自由な言動というものを,暫くそのままにして置いて,これを社会の文化と慣習とによりまして洗練さして行くということも考えられるのではないか,そういうような観点から侮辱罪を廃止することにいたしたのでございます。」と,感情の発露たる洗練された自由な言動を擁護しています(第1回国会参議院司法委員会会議録第1321頁)。

しかしながら,1947103日に衆議院司法委員会は全会一致で社会党,民主党及び国民協同党の三派共同提案による刑法231条存置案を可決して(第1回国会衆議院司法委員会議録第44377頁・385頁),他方では不敬罪(刑法旧74条・旧76条),外国君主・大統領侮辱罪(同法旧902項)及び外国使節侮辱罪(同法旧912項)が削除されたにもかかわらず(これについては「何人も法の下で特権的保護を享受すべきではないという連合国最高司令官の主張があったので,外国の首長や外交使節に対する犯罪を他の一般国民に対する犯罪よりも厳しい刑罰に処していた刑法典の規定を,私達も賛成する形をとって削除に導いた。」というGHQ内の事情もあったようです(アルフレッド・オプラー(内藤頼博監訳,納谷廣美=高地茂世訳)『日本占領と法制改革』(日本評論社・1990年)102頁)。),単純侮辱罪は残ったのでした。同月7日の参議院司法委員会において佐藤藤佐政府委員(司法次官)は後付け的に「極く軽微の単純侮辱罪は,そう事例も沢山これまでの例でありませんし,事件としても極く軽微でありまするから,かような軽微のものは一応削除したらどうかという意見の下に立案いたしたのでありまするけれども,現下の情勢に鑑みまして,現行刑法において事実を摘示しないで人を侮辱した場合,即ち単純侮辱罪を折角規定されてあるのを,これを廃止することによつて,却つて侮辱の行為が相当行われるのではなかろうかという心配もございまするし,又他面一般の名誉毀損罪の刑を高めて,個人の名誉をいやが上にも尊重しようという立案の趣旨から考えましても,いかに軽微なる犯罪と雖も,人の名誉を侮辱するというような場合には,やはりこれを刑法において処罰する方がむしろ適当であろうというふうにも考えられまするので,政府当局といたしましては,衆議院の刑法第231条の削除を復活して存置するという案に対しては,賛同いたしたいと考えておるのであります。」と説明しています(第1回国会参議院司法委員会会議録第313頁)。

しかし,74年前には侮辱罪の法定刑引上げどころかその廃止が企図されていたとは,隔世の感があります。

 

2 最決昭和58111日における谷口裁判官意見(1983年)

その後,1983年には最決昭和58111日刑集3791341頁が出て,そこにおける谷口正孝裁判官の意見が,「このように軽微な罪〔である侮辱罪〕は非犯罪化の検討に値するとする見解」として紹介されています(大コンメ66頁(中森))。

ただし,よく注意して読めば分かるように,当該谷口意見は,端的に侮辱罪は直ちに非犯罪化されるべきであると宣言したものではありません。

すなわち,当該意見において谷口裁判官は,「侮辱罪の保護法益を名誉感情・名誉意識と理解」した上で「私のこのような理解に従えば,本件において法人を被害者とする侮辱罪は成立しないことになる。(従つて又幼者等に対する同罪の成立も否定される場合がある。このような場合こそはモラルの問題として解決すればよく,しかも,侮辱罪は非犯罪化の方向に向うべきものであると考えるので,私はそれでよいと思う。)」と述べていたところです。ただし,「非犯罪化の方向に向かうべきものであると考える」その理由は具体的には示されていません(これに対して,かえって,「たしかに,名誉感情・名誉意識というのは完全に本人の主観の問題ではある。然し・公然侮辱するというのは日常一般的なことではない。名誉感情・名誉意識がたとえ高慢なうぬぼれや勝手な自尊心であつたにせよ,現に人の持つている感情を右のように日常一般的な方法によらずに侵害することをモラルの問題として処理してよいかどうかについてはやはり疑問がある。可罰的違法性があるものとしても決して不当とはいえまい。」と少し前では同裁判官によって言われています。)。また,当該事案の解決としても,法人に対する侮辱罪の成立は否定するものの法人にあらざる被害者に対する侮辱罪の成立を谷口裁判官は是認するものでした(したがって,「反対意見」ではなく,「意見」)。

 

第5 改正刑法準備草案(1961年)及び改正刑法草案(1974年)

 ただし,谷口正孝裁判官の侮辱罪に対する消極的な態度は,侮辱罪改正に係る一般的な方向性からは例外的なものと評し得たものでありましょうか。

刑法改正準備会による1961年の改正刑法準備草案の第330条は「公然,人を侮辱した者は,1年以下の懲役もしくは禁固又は5万円以下の罰金もしくは拘留に処する。」と規定し,法制審議会による1974年の改正刑法草案の第312条は「公然,人を侮辱した者は,1年以下の懲役もしくは禁固,10万円以下の罰金,拘留又は科料に処する。」と規定していたところです。罰金の上限額は別として,法制審議会は,47年前にも同様の結論に達していたのでした。〈ちなみに,改正刑法草案における侮辱罪の法定刑引上げの理由は,「本〔侮辱〕罪に事実を摘示しない公然の名誉侵害が含まれるとすると,事実摘示の名誉毀損との間に差がありすぎる」からということだったそうです(嘉門9頁)。〉

 

第6 法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会における議論(2021年)

 さて,2021年。

 

1 諮問第118号に至る経緯及び侮辱罪の保護法益論議の可能性

2021922日の法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会第1回会議においては,侮辱罪の法定刑引上げを求める法務大臣の諮問がされるに至った経緯が,吉田雅之幹事(法務省刑事局刑事法制管理官)から次のように説明されています。

 

  近時,インターネット上において,誹謗中傷を内容とする書き込みを行う事案が少なからず見受けられます。

  このような誹謗中傷は,容易に拡散する一方で,インターネット上から完全に削除することが極めて困難となります。また,匿名性の高い環境で誹謗中傷が行われる上,タイムライン式のSNSでは,先行する書き込みを受けて次々と書き込みがなされることから,過激な内容を書き込むことへの心理的抑制力が低下し,その内容が非常に先鋭化することとなります。インターネット上の誹謗中傷は,このような特徴を有することから,他人の名誉を侵害する程度が大きいなどとして,重大な社会問題となっています。

  他方で,他人に対する誹謗中傷は,インターネット以外の方法によるものも散見されるところであり,これらによる名誉侵害の程度にも大きいものがあります。

  こうした誹謗中傷が行われた場合,刑法の名誉毀損罪又は侮辱罪に該当し得ることになりますが,侮辱罪の法定刑は,刑法の罪の中で最も軽い「拘留又は科料」とされています。

  こうした現状を受け,インターネット上の誹謗中傷が特に社会問題化していることを契機として,誹謗中傷全般に対する非難が高まるとともに,こうした誹謗中傷を抑止すべきとの国民の意識も高まっていることに鑑みると,公然と人を侮辱する侮辱罪について,厳正に対処すべき犯罪であるという法的評価を示し,これを抑止することが必要であると考えられます。

  そこで,早急に侮辱罪の法定刑を改正する必要があると思われることから,今回の諮問に至ったものです。

 (侮辱罪第1回議事録4-5頁)

 

 「他人の名誉を侵害する程度が大きい」ということですが,具体的には,公然性が高まって他人の名誉を侵害する程度が大きくなったということでしょうか(「容易に拡散する一方で,インターネット上から完全に削除することが極めて困難」),それとも「内容が非常に先鋭化」して被害者の名誉感情を傷つける度合いが高まったということでしょうか。しかし,後者についていえば,侮辱には事実の摘示が伴わない以上,付和雷同の勢いそれ自体の有する力は別として,純内容的には,少なくとも第三者的に見る場合,具体性及び迫力をもって名誉を侵害する先鋭的内容としようにも限界があるように思われます。そもそも,侮辱罪の保護法益を外部的名誉とする判例・通説の立場においては,侮辱罪においては「具体的な事実摘示がなく,名誉に対する危険の程度が低い」(大コンメ66頁(中森))とされていたはずです。「何等の事実的根拠を示さざる価値判断に因つて人の社会的名誉を毀損することは寧ろ極めて稀であると考へられ」(小野・名誉の保護201頁),「他人の前で侮蔑の表示をすることは,他人に自己の侮蔑の感情ないし意思を情報として伝達することにはなるが,かようなものは情報としての価値が低く伝達力も弱いから,情報状態,情報環境を害するという面はとくに考えなくてもよいとおもわれる。むしろ侮辱行為をしたという情報が流通することによって社会的名誉を失うのは,侮辱行為をした当人ではなかろうか。」(平川宗信『名誉毀損罪と表現の自由』(有斐閣・1983年)23頁)というわけです。

 しかし,インターネット上のものに限られず(これは単に契機にすぎない。),「誹謗中傷全般に対する非難が高まるとともに,こうした誹謗中傷を抑止すべきとの国民の意識も高まっている」ということですから,公然性の高まりだけでは説明がつかないようです。むしろ侮辱罪の保護法益自体の見直しがされ,その上で新たに「厳正に対処すべき犯罪であるという法的評価」を下そうとしているようにも読み得るところです。

 侮辱罪の法定刑引上げのための立法事実を示すものの一つとして,法務省当局は,「令和3年〔2021年〕49日付け東京新聞は,「侮辱罪は明治時代から変わっておらず,「拘留又は科料」とする侮辱罪の法定刑は,刑法の中で最も軽い,死に追いつめるほど人格を深く傷つける結果に対し,妥当な刑罰なのか,時効期間も含めて,法務省のプロジェクトチームで議論が進んでおり,注視したい」との意見を掲載」している旨報告しています(侮辱罪第1回議事録7-8頁(栗木幹事))。ここで「死に追いつめるほど人格を深く傷つける」といわれていますが,これは被害者の感情を深く傷つけたということでしょう。

 ということで,今次の侮辱罪の法定刑引上げは,侮辱罪の保護法益を外部的名誉とする従来の判例・通説から,名誉感情こそがその保護法益であるとする小野清一郎等の少数説への転換の契機になるものかとも筆者には当初思われたところです。小野清一郎は名誉の現象を「社会的名誉(名声・世評),国家的名誉(栄典)及び主観的名誉(名誉意識・名誉感情)の3種に分つて其の論理的形式を考察」し(小野・名誉の保護180頁),「主観的名誉即ち人の名誉意識又は名誉感情といふ如きものは,其の個人の心理的事実である限り,他人の行為によつて実質的に侵害され,傷けらるることの可能なるは明かである。固有の意味に於ける侮辱,即ちドイツ刑法学者の謂ゆる「単純なる」侮辱,我が刑法第231条の侮辱などは,此の意味に於ける名誉の侵害即ち人の名誉意識又は名誉感情を傷くることを謂ふものであると信ずる。」と述べています(同203頁。また,235-236頁・252頁)。

 ただし,1940年の改正刑法仮案,1961年の改正刑法準備草案及び1974年の改正刑法草案における侮辱罪の法定刑に係る各改正提案に鑑みると,「誹謗中傷を抑止すべきとの国民の意識」の高まりは少なくとも既に八十年ほど前からあって,今回は当該既に高まっていた意識が再認識ないしは再覚醒されたということにすぎない,ということだったのかもしれません。「文明の進むに従ひ〔略〕文明人の繊細なる感情生活そのものに付ての保護の要求は次第に高まる」ものだったのでした(小野・名誉の保護224頁)。

 (なお,ボワソナアドは,名誉意識・名誉感情が外部から傷つけられることに係る可能性については,そのような可能性を超越した強い人間像をもって対応していました。名誉毀損罪等成立における公然性の必要に関していわく,「我々が我々自身について有している評価については,我々がそれに価する限り,我々以外のものがそれを侵害することはできない。封緘され,かつ,我々にのみ宛てられたものであれば,我々が受領する侮辱的通信文が可罰的でないのは,それは我々の栄誉を侵害しないからである。立会人なしに我々に向かってされる言語又は動作による侮辱についても同様である。我々の軽蔑(mépris)のみで,正義の回復には十分なのである。」と(Boissonade, p.1052)。)


2 侮辱罪の保護法益に係る判例・通説(外部的名誉説)の維持

 いずれにせよ,法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会は,侮辱罪の保護法益について判例・通説の外部的名誉説を堅持する姿勢を崩してはいませんでした。第1回会議で栗木幹事いわく。

 

   名誉毀損罪と侮辱罪は,いずれも社会が与える評価としての外部的名誉を保護法益とするものと解されておりまして,両罪の法定刑の差は,事実の摘示の有無という行為態様の違いによるものとされております。しかしながら,これまでもいろいろ例が出ておりますが,事実の摘示がない事案であっても,その態様等によっては,他人の名誉を侵害する程度が大きいものが少なからず見られるところでございます。〔略〕

   また,事実を摘示したかどうか,すなわち,どのような事実をどの程度具体的に摘示すれば足りるかについての評価は,その性質上微妙なところがございます。事実の摘示があったと評価し難い事案は,侮辱罪で処理せざるを得ない結果,名誉侵害に対する法的評価を適切に行うことが困難な場合がございます。特に,中谷〔昇〕委員〔一般社団法人セーファーインターネット協会副会長〕からも御紹介がございましたが,タイムライン式のSNSで最初の書き込みをした者が,事実の摘示を伴う誹謗中傷を行って,これを前提として別の者が引き続いて誹謗中傷の書き込みを行った場合には,それ自体に事実の摘示が含まれておらず,したがって侮辱罪で処理せざるを得ないものであるとしても,一連の書き込みを見る者からしますと,その当該別の者の書き込みについて事実の摘示を伴っているのと同じように受け止められ,名誉侵害の程度が大きい場合があると考えられます。

   以上申し上げたことからしますと,名誉毀損罪の法定刑と比較して,侮辱罪の法定刑が軽きに失すると言わざるを得ません。侮辱罪の法定刑を名誉毀損罪に準じたものに引き上げ,厳正に対処すべき犯罪という法的評価を示し,これを抑止することが必要であると考えられるため,侮辱罪の法定刑のみを引き上げることとしているものでございます。

  (侮辱罪第1回議事録17-18頁)

 

ここでは,保護法益を共通のものとする名誉毀損罪と侮辱罪との同質性を前提に,両者を分かつものたる事実摘示の有無に係る判断の困難性から,後者の法定刑を前者のそれに近付けることが理由付けられています。

したがって飽くまで,「侮辱行為の結果,人が亡くなったこと自体を,どこまで量刑上評価できるかについては,議論があり得ると思うのですけれども,亡くなったこと自体ではなくて,どの程度その社会的な評価を毀損する危険性の高い行為であったかを評価する限りにおいて,量刑上考慮されることはあり得るように思われます。」ということになります(侮辱罪第1回議事録22-23頁(吉田幹事))。「一般的にこういった被害者の方の感情を,裁判所が量刑に当たってどう考慮していくかということにつきましては,その感情そのものを量刑に反映させるというよりは,その罪なりの保護法益を踏まえ,例えば行為の危険性や結果の重大性の表れの一つという形で考慮していくということになるのだろうな」というわけです(侮辱罪第1回議事録27頁(品川しのぶ委員(東京地方裁判所判事)))。人を死に致すような侮辱であっても,その社会的評価を毀損する危険性の低いもの,というものはあるのでしょう。

なお,「例えば,性犯罪について考えてみますと,一般に,保護法益については性的自由,性的自己決定権ということが言われておりますが,被害者が負った心の傷,精神的な苦痛というものも量刑上考慮され得るものだと思われます。性的自由というものが,誰と性的な行為を行うかを決める自由であると捉えた場合,その自由が侵害された場合の精神的な苦痛というのは,その保護法益からやや外に出るものという捉え方もできると思われますが,そうしたものも,現在量刑上考慮されているということだと思いますので,法益侵害やその危険に伴う精神的な苦痛というのを量刑上考慮するということはあり得ることだと考えております。」とも言われていますが(侮辱罪第1回議事録23頁(吉田幹事)),侮辱を原因として死がもたらされた場合,その死をもたらした苦痛は,通常,専ら自己の外部的名誉が侮辱により侵害されたことに一般的に伴う苦痛にとどまらない幅広くかつ大きな苦痛であるものであるように思われます(外部的名誉が侵害されたことが直ちに死に結び付く人は無論いるのでしょうが。)。当該例外的に大きな苦痛を,外部的名誉侵害の罪の量刑判断にそのまま算入してよいものかどうか。〈すなわち,侮辱罪について「私生活の平穏といった法益」をも問題にすることになるのでしょうが(深町晋也「オンラインハラスメントの刑法的規律――侮辱罪の改正動向を踏まえて」法学セミナー80315。また,19),外部的名誉の侵害はなくとも私生活の平穏が害されることはあるのでしょうから,どうも単純に外部的名誉に係る「付加的な法益」視できないもののようにも思われるところです。〉

 

3 侮辱罪の保護法益に関する議論再開の余地いかん

ところで,インターネットにおける誹謗中傷の場合,「耳を塞ぎたくても塞げないような状況に現在なっていて,しかも,相手が誰かも分からないのが何十人も書き込んで,もう世間からというか,周りから本当に叩かれている感じになって〔略〕もう本当に心が折れているという」情態になるわけですが(侮辱罪第1回議事録10頁(柴田崇幹事(弁護士)発言)),ここで心が折れた被害者が感ずる侵害はその実存の基底に徹し,専らその外部的名誉に係るものにとどまるものではないのでしょう。

あるいは,侮辱には「人の尊厳を害し,人を死に追いやるような危険性を含んだものがあるという事実」という表現(侮辱罪第2回議事録14-15頁(安田拓人幹事(京都大学教授))。下線は筆者によるもの)からすると,「普遍的名誉すなわち人間の尊厳が保持されている状態」(平川宗信『刑法各論』(有斐閣・1995年)222頁・224頁・235頁参照)が侵害されているということになるのでしょうか(ただし,平川説は名誉意識・名誉感情は保護法益ではないとしており,かつ,そこでいう「人間の尊厳」は,名誉としてのそれということになっています。侮辱罪(刑法231条)は「名誉に対する罪」の章に属している以上「名誉」の縛りが必須となるものでしょう。),それとも感情に対する侵害であると素直に認めて,名誉感情=保護法益説を再評価すべきでしょうか(しかし,同説においても「人の社会的名誉に相応する主観的名誉を保護し,其の侵害を処罰する」との縛りがあります(小野・名誉の保護307頁)。)。あるいは,名誉にのみこだわらずに,ローマ法上の広いiniuria概念(「iniuriaはユ〔スティニアヌス〕帝時代には広く人格権又は名誉の侵害とも称すべき広概念であつて,人の身体を傷け,無形的名誉を毀損し,公共物の使用を妨げるが如き行為,窃盗の未遂まで包含せられるが,古い時代には第一の身体傷害のみを指していた」ものです(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)230頁)。モムゼンの訳では「人格的侵害Personalverletzung」となります(小野・名誉の保護14頁)。)までをも想起すべきものでしょうか。ちなみに,ドイツ刑法のBeleidigung(「侮辱」と訳されます。)については,広く「凡そ人に精神的苦痛を与ふる行為」と解し,その結果「侮辱の罪に於ける保護法益は名誉に限らぬことになる」少数説(Barの説)があったそうです(小野・名誉の保護250頁。また,60頁。なお,ドイツ刑法においては章名も“Beleidigung”であって,すなわち同法では「Beleidigungなる語は広義に於て侮辱及び名誉毀損を含む意味に用ひられてゐ」ます(同474頁註(2))。)。しかし,日本刑法第34章「名誉に対する罪」の罪は,飽くまで,個々の人格者の名誉を攻撃の客体とするとともに当該名誉を保護の客体とする罪のはずです(小野・名誉の保護249頁参照)。しかして,名誉は「人格的法益として生命は勿論,身体・自由よりも下位に在るものと考へられる」ものとされてしまっているところです(小野・名誉の保護221頁)。(ところで,また別の問題ですが,「世間」や「周り」は,犯罪の主体たり得るものでしょうか。)

難しいところです。「直接的な保護法益ではない被害感情がいかなる法的意味を持つかは相当に難問です。〔略〕いずれにしても,侮辱罪の保護法益が外部的名誉であることはきちんと踏まえられるべきであるし,そのことの持つ意味については,理論的な整理が必要なのではないかと,個人的には思いました。」とは,現在の法制審議会会長の発言です(侮辱罪第1回議事録28-29頁(井田委員))。しかし,侮辱を苦にした被害者の死がもたらされても刑法の保護法益論上直ちに侮辱者に重刑が科されるとは限らない,被害者の外部的名誉の侵害に応じた刑にとどまらざるを得ず,かつ,事実の摘示がない侮辱ではそもそも外部的名誉の侵害も限定的であるはずだ,ということになると,「なぜ被害者の極めて重大な苦痛を真摯に正面から受け止めないのだ!」と国会審議の際に改めて問題となるかもしれません。「その点は保護法益として捉え直さなければいけない問題なのか,あるいは保護法益は現通説のままでも,そうした感情侵害の面も当然考慮できるという整理をするか,議論に値する問題ですが,個人的には後者の理解が十分可能と考えているところです。」とも言われています(侮辱罪第1回議事録30頁(小池信太郎幹事(慶応義塾大学教授)))。議論の火種は残っているようではあります。無論,社会的評価をそう気にすべきではない,「文化低き社会に於ける程個人は他人の評価に従属するの意識が強い」のであって「偉大なる精神」であれば「他人の評価から独立なることを得る」のである(小野・名誉の保護141頁参照),「他人の誹毀又は侮辱に因り自己人格の核心を傷けらるる如く考ふるは甚しき誤想である」(同221-222頁)などと言い放てば,炎上必至でしょう。

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3 1886年のボワソナアド提案:軽罪としての侮辱罪及び違警罪としての侮辱罪

 

(1)ボワソナアドの提案

 

ア 軽罪としての侮辱罪

1886年の『註釈付き改訂日本帝国刑法案』において,ボワソナアドは,違警罪にとどまらない,軽罪(délit)としての侮辱罪を提案しています。

 

  400 bis.  L’injure, l’offense, l’outrage, ne contenant pas l’imputation d’un fait déshonorant ou d’un vice déterminé, commis envers un particulier, sans provocation, publiquement, par parole ou par écrit, seront punis d’un emprisonnement simple de 11 jours à 1 mois et d’une amende de 2 à 10 yens, ou de l’une de ces deux peines seulement.

 (Boissonade, p.1049

 (第400条の2 挑発されることなく,破廉恥な行為又は特定の悪徳(悪事醜行)を摘発せずして,公然と(publiquement)口頭又は文書で私人(particulier)を侮辱した者は.11日以上1月以下の軽禁錮及び2円以上10円以下の罰金に処し,又はそのいずれかの刑を科する。)

 

 第400条の2が含まれる節名は,1877年案のものから変わらず“Des crimes et délits contre la réputation d’autrui”のままでした。他人の評判(réputation)に対する罪ということであれば,ボワソナアドは,侮辱罪の保護法益は外部的名誉であるものと考えていたように思われます(ボワソナアドは同節の冒頭解説で人のhonneur及びdignitéの保護をいいつつ,そこでのhonneurは他人による評価(l’estime des autres)だとしています(Boissonade, pp.1051-1052)。)。フランス法系の考え方は「外部的名誉の毀損を中心とし」,「主観的感情の侵害を中心とするドイツ法系の考へ方と趣を異に」するものです(小野・名誉の保護90頁)。ちなみに,現在の刑法の英語訳でも第34章の章名は“Crimes against Reputation”になっているようです。

 

イ 違警罪としての侮辱罪

 軽罪としての侮辱罪の提案に伴い,違警罪としての侮辱罪の構成要件も修正されています。

 

   489.  Seront punis de 1 à 2 jours d’arrêts et de 50 sens à 1 yen 50 sens d’amende, ou de l’une de ces deux peines seulement:

     Ceux qui auront, par paroles ou par gestes, commis une injure ou une offense simple contre un particulier, en présence d’une ou plusieurs personnes étrangères;

  (Boissonade, p. 1277

  (第489条 次の各号の一に該当する者は,1日以上2日以下の拘留及び50銭以上150銭以下の科料に処し,又はそのいずれかの刑を科する。

    一 一又は複数の不特定人の現在する場所において,言語又は動作をもって私人を罵詈嘲弄(une injure ou une offense simple)した者)

 

なお,1886年案においては,違警罪に係る第4編においても章及び節が設けられて条文整理がされています。すなわち,同編は第1章「公益ニ関スル違警罪(Des contraventions contre la chose publique)」と第2章「私人に対する違警罪(Des contraventions contre les particuliers)」との二つに分かれ,第2章は更に第1節「身体ニ対スル違警罪(Des contraventions contre les personnes)」と第2節「財産ニ対スル違警罪(Des contraventions contre les biens)」とに分かたれました。しかして,第489条は,第2章第1節中に設けられていました。

 

(2)ボワソナアドの解説

 

ア 軽罪としての侮辱罪

 

(ア)ボワソナアド

軽罪としての侮辱罪に係る第400条の2に関するボワソナアドの解説は,次のとおりでした。

 

18778月の〕刑法草案は,口頭又は文書による侮辱(l’injure verbale ou écrite)であって名誉毀損(diffamation)の性質を有さいないものに関する規定をここに〔軽罪として〕設けていなかった。口頭の侮辱を違警罪として罰するにとどめていたものである(第47620号)。そこには一つの欠缺(けんけつ)une lacune)があったものと信ずる。公然と私人に向けられた侮辱(l’injure, l’offense, l’outrage)は,文書によるものであっても口頭によるものであっても,決闘を挑むためという目的〔〈旧刑法編纂の際「ボアソナードと日本側委員との間で,「元来,罵詈は闘殴のタンタチーフのようなもの」という発言が見られ」たそうです(嘉門7頁註9)。〉〕がある(前記第3節の2の第1条において規定されている場合)のではないときであっても,軽罪のうちに数えられなければならない。面目(considération)に対する侵害が軽いことに応じて,その刑が軽くなければならないだけである。また,禁錮は定役を伴わないものであり〔重禁錮ならば定役に服する(旧刑法241項)。〕,裁判所は罰金を科するにとどめることもできる。

法は,侮辱(une injure, une offense ou un outrage)を構成する表現の性格付けを試みる必要があるものとは信じない。すなわち,侮辱(l’injure)を罰する他の場合(第132条及び第169条)においてもそれはされていない。フランスのプレス法は,「全ての侮辱的表現(expression outrageante),軽蔑の語(terme de mépris)又は罵言(invective)」(第29条)について語ることによって,全ての困難を予防してはいない。侮辱(l’injure, l’offense, l’outrage)を構成するものの評価は,常に裁判所に委ねられる。侮辱者及び被侮辱者の各事情,前者の教育,なかんずくその意図.居合わせた人々の種類等がその際考慮されるのである。

しかし,可罰的侮辱の構成要素がここに二つある。それらは,いわば2個の消極的条件である。

すなわち,①侮辱は「破廉恥な行為又は特定の悪徳の摘発を含まない」ものでなければならない。そうでなければ,名誉毀損(diffamation)の事案ということになる。〔筆者註:反対解釈すると,「破廉恥な行為又は特定の悪徳の摘発」以外の事実の摘示を伴うものも侮辱罪に包含されることになります。〕②それは,同じように侮辱的な(injurieux ou offensants)言葉又は行為によって「挑発された」ものであってはならない。反対の場合には,各当事者が告訴できないものとは宣言されない限りにおいて,最初の侮辱者のみが可罰的である。

  (Boissonade, pp. 1060-1061

 

 フランスの1881729日のプレスの自由に関する法律29条及び33条が,ボワソナアドの1886年案400条の2に係る参照条文として掲げられています(Boissonade, p.1049)。

当該1881年プレスの自由法の第29条は名誉毀損と侮辱との分類に係る規定であって,その第1項は「当該行為(le fait)が摘発された当の人(personne)又は団体(corps)の名誉(honneur)又は面目(considération)の侵害をもたらす行為に係る(d’un fait)全ての言及(allégation)又は摘発(imputation)は,名誉毀損(diffamation)である。」と,第2項は「全ての侮辱的表現,軽蔑の語又は罵言であって何らの行為の(d’aucun fait)摘発を含まないものは,侮辱(injure)である。」と規定していました。

また,1881年プレスの自由法33条はその第1項で「この法律の第30条及び第31条に規定されている団体又は人に対して同じ方法で〔裁判所(cours, tribunaux),陸海軍,法定の団体(corps constitués)及び公行政機関に対し,並びにその職務又は資格ゆえに大臣,議員,官吏,公の権威の受託者若しくは代理人,国家から報酬を得ている宗派の聖職者,公のサービス若しくは職務に服している市民,陪審員又はその証言ゆえに証人に対して,公共の場所若しくは集会における演説,叫び若しくは威嚇によって,文書若しくは公共の場所若しくは集会において販売に付され,若しくは展示されて販売され若しくは配布された印刷物によって,又は公衆が見ることのできるプラカード若しくは張り紙によって,並びに図画,版画,絵画,標章又は画像の販売,配布又は展示によって〕侮辱をした者は,6日以上3月以下の禁錮及び18フラン以上500フラン以下の罰金に処し,又はそのいずれかの刑を科する。」と,第2項で「挑発が先行することなしに同様の方法で私人(particulier)を侮辱した者は,5日以上2月以下の禁錮及び16フラン以上300フラン以下の罰金に処し,又はそのいずれかの刑を科する。」と,第3項は「侮辱が公然とされなかったときは,刑法第471条に定める刑〔1フラン以上5フラン以下の科料(1810年)〕のみが科される。」と規定していました。

 なお,injure, offense及びoutrage相互間の違いは何かといえば,その改訂刑法案169条の解説において,ボワソナアドは次のように述べています。

 

   我々はここに,offense, injure, outrageという三つの表現を見出すが,それらは重さに係る単純なニュアンス(simples nuances de gravité)を示すだけのものであって,刑に変化をもたらすものではない。

   (Boissonade, p. 571

 

筆者の手もとのLe Nouveau Petit Robert1993年)には,injureの古義として“Offense grave et délibérée”とあり,outrageの語義は“Offense ou injure extrêmement grave”とありますから,重さの順は,offense injure outrageとなるのでしょう。

 

(イ)フランス法的背景

ところで,旧刑法で軽罪としての侮辱罪が設けられなかった欠缺(lacune)の原因は何だったのでしょうか。どうも,今年(2021年)が死後200年になるナポレオンのようです。(前記1881年プレスの自由法は,我が旧刑法制定の翌年の法律です。)

1810年のナポレオンの刑法典375条は「何らの精確な行為の摘発を含まない侮辱であって,特定の悪徳を摘発するものについては,公共の場所若しくは集会において表示され,又は拡散若しくは配布に係る文書(印刷されたものに限られない。)に記入されたときは,その刑は16フラン以上500フラン以下の罰金である。(Quant aux injures ou aux expressions outrageantes qui ne renfermeraient l'imputation d'aucun fait précis, mais celle d'un vice déterminé, si elles ont été proférées, dans des lieux ou réunions publics, ou insérées dans des écrits imprimés ou non, qui auraient été répandus et distribués, la peine sera d'une amende de seize francs à cinq cents francs.)」と規定し,続いて同法典376条は「他の全ての侮辱であって,重大性及び公然性というこの二重の性質を有さないものは,違警罪の刑にしか当たらない。(Toutes autres injures ou expressions outrageantes qui n'auront pas eu ce double caractère de gravité et de publicité, ne donneront lieu qu'à des peines de simple police.)」と規定しており,違警罪に係る同法典47111号は「挑発されずに人を侮辱した者であって,それが第367条から第378条まで〔誣言(calomnies),侮辱(injures)及び秘密の漏洩に関する条項群〕に規定されていないものであるもの(Ceux qui, sans avoir été provoqués, auront proféré contre quelqu'un des injures, autres que celles prévues depuis l'article 367 jusque et compris l'article 378)」は1フラン以上5フラン以下の科料に処せられるものと規定していました。ナポレオンの刑法典375条は「侮辱」(injures, expressions outrageantes)といいますが,「特定の悪徳」を適発するのであれば我が1877年司法省案的(ボワソナアド的)には誹毀の罪(後に名誉毀損罪となるもの)ですから,結局ナポレオンの刑法典においては,(日本法的意味での)侮辱罪は,違警罪でしかなかったわけです(ここでは,ナポレオンの刑法典376条における「重大性」を,同375条の「特定の悪徳を摘発するもの」の言い換えと解します。)

ナポレオンの刑法典の誣言及び侮辱に関する規定は,後に1819517日法に移されますが,同法においても,特定の悪徳の摘発を含まず,又は公然とされたものではない侮辱は1フラン以上5フラン以下の科料に処せられるものとされていました(同法20条)。私人に対する侮辱は16フラン以上500フラン以下の罰金(軽罪の刑)に処せられるものとするという一見して原則規定であるような規定があっても(1819517日法192項),そのためには特定の悪徳を摘発し,かつ,公然とされる必要があったわけです。すなわち,ナポレオンの刑法典時代と変わっていなかったわけです。(〈旧刑法編纂の際「日本側委員である鶴田皓は,罵詈が喧嘩の原因となることが問題である以上,「公然」の字を削除すべきとしたが,ボアソナードは,対面の罵詈はフランスでは無罪であることや,実際上の証明の困難性を理由に,公然性要件の必要性を説き,維持されることとなった」そうですが(嘉門7頁),ここでのボワソナアドのフランス法の説明は,条文だけからでは分かりづらいところです。〉)

と,以上において筆者はimputationを「摘発」と訳して「摘示」としていませんが,これには理由があります。ジョゼフ・カルノー(フランス革命戦争における「勝利の組織者」ラザールの兄たるこちらは法律家)が,そのExamen des Lois des 17, 26 mai; 9 juin 1819, et 31 mars 1820 (Chez Nève, Libraire de la Cour de Cassation, Paris; 1821 (Nouvelle Édition))なる書物において,1819517日法における名誉毀損罪の成立に関し,imputationのみならず単純なallégation(筆者は「言及」と訳しました。)でも成立するものであると指摘した上で,それは「したがって,告発を繰り返したrépéter l’inculpation)だけではあるが,それについて摘発imputation)をした者と同様に,名誉毀損者として処罰されなければならない」旨記していたからです(p.36)。「摘示」と「摘発」との語義の違いについては,「〔日本刑法230条の〕事実の摘示といふは,必ずしも非公知の事実を摘発するの意味ではない。公知の事実であつても,之を摘示し,殊に之を主張することに依つて,人をして其の真実なることを信ぜしむる場合の如き,名誉毀損の成立あることは疑ひない」一方,我が「旧刑法(第358条)は悪事醜行の「摘発」を必要とし,その解釈として判例は「公衆の認知せざる人の悪事醜行を暴露することなり」とした」と説明されています(小野・名誉の保護280頁)。

筆者が「特定の悪徳」と訳したvice déterminéについてのカルノーの説明は,「vice déterminéによって法は,肉体的欠陥une imperfection corporelle)の単純な摘発を意図してはいない。そのような摘発は,その対象となった者に対して不愉快なもの(quelque chose de désagréable)であり得ることは確かである。しかし,それは本来の侮辱une injure proprement dite)ではない。特定の悪徳の摘発は,法又は公の道徳la morale publique)の目において非難されるべきことをする(faire quelque chose de répréhensible習慣的傾向une disposition habituelle)のそれ以外のものではあり得ない。」というものでした(Carnot, p.58)。

フランス法においては,vice déterminéfaitには含まれないようです。侮辱の定義(1881729日法292項と同じもの)に関してカルノーは,「侮辱的表現,軽蔑の語又は罵言が何ら行為の摘発l’imputation d’aucun faitを含まないときは,単純な侮辱であって名誉毀損ではない。そこから,特定の悪徳の摘発も,告発(prévention)の性質を変えるものではないということになる。〔すなわち,名誉毀損になるものではない。〕なおも侮辱injure)があるばかりである。」といっています(Carnot, p.37)。この点ボワソナアド式日本法とは異なるようです(vice déterminéの摘発も,「悪事醜行」の摘発を「誹毀」でもってまとめる旧刑法358条の原案たる18778月案398条の構成要件となっていました。)。しかし,フランス1881729日法になると,侮辱を違警罪ではなく軽罪として処罰するための要件として,公然性は依然求めるものの,特定の悪徳の摘発はもはや求めないこととなっていたわけです。

フランス法の名誉毀損の定義はナポレオンの刑法典3671項の誣言(calomnieの定義から由来し,同項は「個人について,もしそれが事実であれば当該表示対象者を重罪若しくは軽罪の訴追の対象たらしめ,又はなお同人を市民の軽蔑若しくは憎悪にさらすこととはなる何らかの行為(quelconque des faits)を摘発」することを構成要件としていましたので(cf. Carnot, p.36),ここでのfaits(行為)は広い意味での事実ではなく,犯罪を構成し得るような限定的なものでなければならないわけだったのでしょう。これに対して日本刑法230条の「事実」は,「具体的には,政治的・社会的能力,さらに学問的能力,身分,職業に関すること,さらに被害者の性格,身体的・精神的な特徴や能力に関する等,社会生活上評価の対象となり得るものを広く含む」とされています(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)153頁)。

 

(ウ)付論:讒謗律に関して

なお,フランス法的背景といえば,明治政府による言論取締りの法として著名な1875年の我が讒謗律は,小野清一郎によって,イギリス法の影響下に制定されたものと説かれていましたが(小野・名誉の保護126-128頁),1967年には奥平康弘助教授(当時)によってフランス法を母法とするものであるとする説が唱えられています(手塚1-2頁による紹介。同5頁註(3)によれば,奥平説は,奥平康弘「日本出版警察法制の歴史的研究序説(4)」法律時報39872頁において提唱されたものです。)。

小野は,讒謗律1条の「凡ソ事実ノ有無ヲ論セス人ノ栄誉ヲ害スヘキノ行事ヲ摘発公布スル者之ヲ讒毀トス人ノ行事ヲ挙ルニ非スシテ悪名ヲ以テ人ニ加ヘ公布スル者之ヲ誹謗トス著作文書若クハ画図肖像ヲ用ヒ展観シ若クハ発売シ若クハ貼示シテ人ヲ讒毀シ若クハ誹謗スル者ハ下ノ条別ニ従テ罪ヲ科ス」との条文について論じて,「茲に「事実の有無を論ぜず」とあるも恐らく1843年の誹謗文書法以前に於けるイギリス普通法の思想に依つたもの」とし,更に「なほ,讒毀又は誹謗が文書図書に依る場合に於て之を処罰すべきものとしてゐることもイギリスの‘libel’の観念を継受した証左である」とイギリス法の影響を主張しています(小野・名誉の保護127頁)。しかし,前者については,フランス1819517日法の名誉毀損についても―――名誉毀損の定義規定には「事実の有無を論ぜず」との明文はありませんでしたが――カルノーは,「517日法によってそれ〔名誉毀損〕がそう定義されているとおり,それ〔名誉毀損〕は全ての侮辱的な〔古風には,「不正な」〕行為(tout fait injurieux)に係る摘発又は言及によって成立する。事実の証明が認められないときは,たとえそれが事実であっても(fût-il même vrai)そうなのである。」と述べています(Carnot, p.35)。(事実の証明が認められる場合は,後に見る1819526日法(同月17日法とは関連しますが,別の法律です。)201項において限定的に定められていました。)後者については,あるいは単に,讒謗律の布告された1875628日の前段階においては,我が国ではなお演説というものが一般的なものではなかったということを考えるべきかもしれません。187412月に刊行された『学問のすゝめ』12編において福沢諭吉いわく。「演説とは,英語にてスピイチと云ひ,大勢の人を会して説を述べ,席上にて(わが)思ふ所を人に(つたう)るの法なり。我国には(いにしえ)より其法あるを聞かず,寺院の説法などは先づ此類なる可し。」,「然るに学問の道に於て,談話,演説の大切なるは既に明白にして,今日これを実に行ふ者なきは何ぞや。」と(第1回の三田演説会の開催は,1874627日のことでした。)。すなわち,讒謗律布告の当時の「自由民権論者の活動は,もつぱら新聞,雑誌その他の出版物を舞台として行われ,政談演説は一般にまだ普及していなかつた」のでした(手塚3頁)。

讒謗律の法定刑とフランス1819517日法のそれとを比較すると(なお,讒謗律の讒毀は専ら摘発に係るものであること等,構成要件の細かいところには違いがあり得ることには注意),次のとおりです。

天皇に対する讒毀又は誹謗は3月以上3年以下の禁獄及び50円以上1000円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されたのに対して(讒謗律2条),フランス国王に対するそれは6月以上5年以下の禁錮及び500フラン以上1万フラン以下の罰金並びに場合により公権剥奪も付加されるものでした(1819517日法9条)。

皇族に対する讒毀又は誹謗は15日以上2年半以下の禁獄及び15円以上700円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されたのに対して(讒謗律3条),フランス王族に対するそれは1月以上3年以下の禁錮及び100フラン以上5000フランの罰金でした(1819517日法10条)。

日本帝国の官吏の職務に関する讒毀は10日以上2年以下の禁獄及び10円以上500円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され,同じく誹謗は5日以上1年以下の禁獄及び5円以上300円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されたのに対し(讒謗律4条),フランス王国の官吏の職務に関する名誉毀損は8日以上18月以下の禁錮及び50フラン以上3000フラン以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され(1819517日法16条。裁判所又は法定の団体に対しては15日以上2年以下の禁錮及び50フラン以上4000フラン以下の罰金(同法15条)),侮辱は5日以上1年以下の禁錮及び25フラン以上2000フラン以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処されました(同法191項。裁判所又は法定の団体に対しては15日以上2年以下の禁錮及び50フラン以上4000フラン以下の罰金(同法15条。Cf. Carnot, pp.38-39))。

日本帝国の華士族平民に対する讒毀は7日以上1年半以下の禁獄及び5円以上300円以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され,誹謗は3円以上100円以下の罰金に処されたのに対し(讒謗律5条),フランス王国の私人に対する名誉毀損は5日以上1年以下の禁錮及び25フラン以上2000フラン以下の罰金の併科又はそのいずれかの刑に処され(1819517日法18条),侮辱は16フラン以上500フラン以下の罰金に処されました(同法192項。ただし,特定の悪徳の摘発を含まず,又は公然とされたものでない侮辱の刑は1フラン以上5フラン以下の科料(同法20条,フランス刑法471条))。こうしてみると,讒謗律1条にいう誹謗に係る「悪名ヲ以テ人ニ加ヘ」とは,vice déterminéimputationすることのようでもあります。(なお,讒謗律5条違反の刑の相場は「大概罰金5円に定まつて居た」そうです(手塚5頁註(10)の引用する宮武外骨)。)

讒謗律71項(「若シ讒毀ヲ受ルノ事刑法ニ触ルヽ者検官ヨリ其事ヲ糾治スルカ若クハ讒毀スル者ヨリ検官若クハ法官ニ告発シタル時ハ讒毀ノ罪ヲ治ムルヿヲ中止シ以テ事案ノ決ヲ俟チ其ノ被告人罪ニ坐スル時ハ讒毀ノ罪ヲ論セス」)に対応する条項は,「事案ノ決ヲ俟チ」までは1819526日法25条,「其ノ被告人罪ニ坐スル」以後はcalomnie(誣言)に係るナポレオンの刑法典370条でした(1819526日法201項は,名誉毀損(diffamation)について事実の証明が許される場合を,公の権威の受託者若しくは代理人又は公的資格で行動した全ての者に対する摘発であって,その職務に関する行動に係るものの場合に限定しています。「其の他の場合には全然真実の証明を許さざることとした」ものです(小野・名誉の保護450頁)。)。官吏の職務に関する讒毀及び誹謗並びに華士族平民に対するそれらの罪は親告罪である旨規定する讒謗律8条に対応する条項は,1819526日法5条でした。

 

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第1 法制審議会と諮問第118号(2021916日)

 

1 2021916日の法制審議会

 2021916日に開催された法務省の法制審議会の第191回会議において上川陽子法務大臣から諮問第118号が発せられ,当該諮問は,新設の「刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会」に付託され審議され,当該部会から報告を受けた後改めて法制審議会の総会において審議されることになりました(法務省法制審議会ウェブページ)。

 諮問第118号は,次のとおりです。

 

  諮問第118

    近年における侮辱の罪の実情等に鑑み,早急にその法定刑を改正する必要があると思われるので,別紙要綱(骨子)について御意見を承りたい。

 

  別紙

       要綱(骨子)

侮辱の罪(刑法第231条)の法定刑を1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料とすること。


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 法務省(東京都千代田区霞が関)

 

2 侮辱罪関係条文

 ちなみに,刑法(明治40年法律第45号)231条の条文は「事実を摘示しなくても,公然と人を侮辱した者は,拘留又は科料に処する。」というものです。

拘留及び科料については,それぞれ,「拘留は,1日以上30日未満とし,刑事施設に拘置する。」(刑法16条)及び「科料は,1000円以上1万円未満とする。」(同法17条)と規定されています。

また,侮辱罪は「告訴がなければ公訴を提起することができない」親告罪です(刑法2321項)。

なお,「拘留又ハ科料ニ該ル罪」ですので,旧刑法(明治13年太政官布告第36号)の違警罪とみなされます(刑法施行法(明治41年法律第29号)31条)。旧刑法は,罪を重罪(crime),軽罪(délit)及び違警罪(contravention)の3種に分類していましたが(同法1条),違警罪はその中で最も軽いものです。違警罪については,かつては違警罪即決例(明治18年太政官布告第31号)によって,警察署長及び分署長又はその代理たる官吏が,正式の裁判によらずに即決することができました。

 

3 近年における侮辱の罪の実情

 

(1)テラハ事件

 諮問第118号にいう「近年における侮辱の罪の実情」については,当該諮問についていち早く報道した読売新聞によると「侮辱罪を巡っては,フジテレビの番組「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラーの木村花さん(当時22歳)が昨年〔2020年〕5月に自殺した問題で,ツイッターにそれぞれ「生きてる価値あるのかね」「きもい」などと書き込んだ男2人が略式命令を受けたが,9000円の科料にとどまり,厳罰化を求める声が上がっていた。/同省は昨年6月にプロジェクトチームを設置し,罰則のあり方などを検討。SNSなどでの中傷は不特定多数から寄せられる上,拡散してネットに残り続けるなど被害が深刻化しており,懲役刑の導入は必須とした。その上で,侮辱罪は対象となる行為が広いため,名誉毀損罪と同じ「3年・50万円以下」とはせず,「1年以下の懲役・禁錮」と「30万円以下の罰金」を追加することにした。」とのことです(読売新聞オンライン2021830日「【独自】ネット中傷対策,侮辱罪に懲役刑導入へ・・・テラハ事件では科料わずか9千円」)。

「被害が深刻化」ということなので,侮辱罪の有罪件数は増加傾向にあり,かつ,量刑も重罰化が進んでいるものと一応思われます。

 

(2)科刑状況に関して

 

ア 科刑状況

しかしながら,2016年から2020年までの5年間における侮辱罪の科刑状況を示す法制審議会第191回会議配布資料(刑6)によると,侮辱罪で刑を科された者の数は,それぞれ23人(2016年),16人(2017年),24人(2018年),27人(2019年)及び30人(2020年)ということで,30人まで増えたのだと言われれば確かに増えてはいるのでしょうが,その絶対数を見る限りでは,侮辱罪事件は今や「深刻」なまでに多いのだというのにはいささか追加説明が必要であるようです(2021922日の法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会第1回会議における井田良委員(中央大学教授)の発言によると「ドイツでは侮辱罪で年間2万件の有罪判決が出されている」そうです(法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会第1回会議議事録(以下「侮辱罪第1回議事録」と略称します。)14頁)。)。

また,同じ前記法制審議会配布資料によれば,量刑も,科料額は確かに上限近くの9000円以上のところに貼り付いているようですが,自由刑である拘留に処された者は当該5年間において一人もいません(当該5年間中に刑を科された120人中,116人が9000円以上の科料,2人が5000円以上9000円未満の科料(2016年及び2017年)及び2人が3000円以上5000円未満の科料(2017年及び2019年))。1万円以上の罰金刑(刑法15条)の導入は分かるけれども,拘留を使わないでいきなり懲役・禁錮を導入したいとはどういうことか,とも言われそうです(2021106日の法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会第2回会議における池田綾子委員(弁護士)発言参照(法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会第2回会議議事録(以下「侮辱罪第2回議事録」と略称します。)12-13頁))。ただし,拘留には執行猶予がないこと(刑法25条及び27条の2)にも注意すべきもののようです(侮辱罪第1回議事録21頁の保坂和人幹事(法務省大臣官房審議官)発言参照)。

 

イ 拘留に関して

なお,拘留については,「現行の拘留制度は,威嚇力もなければ改善の効果もない致命的欠陥をもっている」,「現行の拘留は禁錮と同じ性格をもち,刑期が1日以上30日未満である点で異なるにすぎない。戦前の昭和3年〔1928年〕には10万人余の拘留受刑者がいたが,現在では,拘留を執行される者は年間数十名にすぎず〔司法統計年報によると,2019年の通常第一審終局処理人員中拘留に係るものは6名〕,改善の処遇は望むべくもないといわれる。このように拘留が減少したのは,制度に欠陥があるからであるとされ,また,昭和初期に比べれば,現在の拘留制度は無きに等しいともいわれている。」ということでよいのでしょうか(大谷實『刑事政策講義(第4版)』(弘文堂・1996年)137頁・138頁参照)。

しかしながら,拘留受刑者の大幅減少は,違警罪即決例の廃止(裁判所法施行法(昭和22年法律第60号)1条により194753日から(同法附則,裁判所法(昭和22年法律第59号)附則1項,日本国憲法1001項))によるところが大きいようにも筆者には思われます。すなわち,『日本国司法省第五十四刑事統計年報 昭和三年』によると,1928年(昭和3年)の第一審裁判終局被告人のうち科刑が拘留であったものは188名にすぎません(22頁)。いわれるところの10万余人の拘留受刑者は,裁判所の手を煩わさずに警察署限りで処理されたものではないでしょうか。

とはいえ拘留はなお現在も見捨てられてはおらず,「拘留は刑事施設に短期間拘置するものでありますが,特定の種類の犯罪や犯人に対するショック療法的効果が認められ,いわゆる小暴力犯罪者や営利的小犯罪を繰り返す者に対する刑罰という性格を有しているとされており,懲役・禁錮及び罰金が選択刑として定められた後も,侮辱罪については,単なる偶発的な罵詈雑言を繰り返す事案など,比較的当罰性の低い事案も想定されることからすると,拘留も存置しておくことが,個別具体的な事案に応じた適切な量刑に資するものと考えられる」とされています(侮辱罪第2回議事録13頁(栗木傑幹事(法務省刑事局参事官)))。

 

第2 法制審議会による迅速答申(20211021日)

 諮問第118号には「早急に」改正する必要があるとあり,かつ,当該改正の内容も「第231条中「拘留又は科料」を「1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」に改める。」とあらかじめ決められていたので,ここで法制審議会が法務省の事務当局から期待されていた機能は,rubber stamp的なものであったものと考えるのは忖度(そんたく)過剰でしょうか。いずれにせよ,同審議会の刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会の会議は2021922日及び同年106日の2回開催されて,賛成8名反対1名(第2回会議の出席委員総数は佐伯仁志部会長を除いて9名)で法務大臣提示の要綱(骨子)が可決されています(侮辱罪第2回議事録17頁)。同年1021日には法制審議会総会を経て同審議会会長から古川禎久法務大臣にその旨の答申がされました。

この迅速処理に対して,20211017日に朝日新聞Digitalに掲載された同社社説は批判的な見解を表明し,「見直しに向けた議論の必要性は理解できる。それにしても,今回の進め方は拙速に過ぎ,将来に禍根を残さないか。そんな疑問を拭えない。」,「どのような表現が「侮辱」とされ,国家が刑罰を科すべきかという線引きはあいまいだ。厳罰化の後,恣意(しい)的に運用されるようなことがあれば,言論・表現の自由の萎縮につながる恐れがある。」,「厳罰化するのであれば,免責する場合について広く意見を聞き,法律に盛り込む方向で検討を深めるべきではないか。」と評しています。朝日新聞社的角度というべきでしょうか。

なお,「「國賊朝日新聞」といふ如き」ことについては,侮辱罪の成立があり得るものであると解せられています(小野清一郎『刑法に於ける名誉の保護(再版)』(有斐閣・1956年(初版は1934年))311頁。また,212頁)。

 

第3 侮辱罪の脱違警罪化論の濫觴(Boissonade en l’année 1886

 さはさりながら,侮辱罪の重罰化(脱違警罪化)論は,旧刑法施行後(同法は明治14年太政官布告第36号により188211日から施行)程なくして生じた同法改正問題の一環としてつとにボワソナアドが提起していたところであり,百三十余年の歴史があるものです。今になって拙速云々ということになったのも思えば不思議な話です。

 

1 旧刑法及び18778月フランス語文司法省案

 

(1)罵詈嘲弄罪

 侮辱罪の前身規定は,旧刑法においては,違警罪の構成要件等を規定する第4編中の第42612号にありました。

 

  第426条 左ノ諸件ヲ犯シタル者ハ2日以上5日以下ノ拘留ニ処シ又ハ50銭以上150銭以下ノ科料ニ処ス

   十二 公然人ヲ罵詈嘲弄シタル者但訴ヲ待テ其罪ヲ論ス

 

同号は,187711月に司法省(司法卿・大木喬任)から太政官に提出された案のフランス語文(同年8月)においては,次のとおりでした(Projet de Code Pénal pour l’Empire du Japon présenté au Sénat par le Ministre de la Justice le 8e mois de la 10e année de Meiji (Août 1877). Imprimerie Kokubunsha, Tokio, 1879. pp.154, 156)。

 

  476.  Seront punis de 1 jour à 3 jours d’arrêts et de 20 sens à 1 yen 25 sens d’amende, soit cumulativement, soit séparément:

 

      20˚  Ceux qui auront dit une injure simple à un particulier, en public ou en  présence de deux ou plusieurs personnes étrangères;

 

    Dans les deux alinéas qui précèdent [20˚ et 21˚], la poursuite n’aura lieu que sur la plainte de la personne offensée.

 

 (第476条 次の各号の一に該当する者は,1日以上3日以下の拘留若しくは20銭以上125銭以下の科料に処し,又はこれを併科する。

 

  (二十 公然(en public)又は2名以上の不特定人(personnes étrangères)の現在する場所において私人(particulier)を罵詈嘲弄(une injure simple)した者

 

  (前2号の罪は,被害者の告訴がなければ公訴を提起することができない。)

 

なお,3日間の拘留というと,逮捕されると72時間くらいはすぐ経過しそうなのですが(刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)2052項参照),当時違警罪を犯した者は,氏名住所が分明でなく,又は逃亡の恐れがあるときに違警罪裁判所に引致されることはあっても現行犯逮捕はされなかったところです(治罪法(明治13年太政官布告第37号)1022項参照)。現在の刑事訴訟法においては,30万円以下の罰金,拘留又は科料に当たる罪については,犯人の住居若しくは氏名が明らかでない場合又は犯人が逃亡するおそれがある場合に限り現行犯逮捕が可能であり(同法217条),逮捕状による通常逮捕は,被疑者が定まった住居を有しない場合又は正当な理由がなく取調べのための出頭の求めに応じない場合に限り可能であるということになっています(同法1991項ただし書)。「1年以下の懲役若しくは禁錮」が法定刑に含まれれば,現行犯逮捕及び通常逮捕に係るこれらの制約が外れることになります(なお,緊急逮捕はできません(刑事訴訟法2101項参照)。)。

〈おって,旧刑法42612号の淵源を,明治618日の司法省布達第1号で第56条として東京違式詿違条例(違式詿違条例については,http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078601732.htmlを参照ください。)に追加された「格子ヲ撥キ墻塀ヲ攀チ徒ニ顔面ヲ出シ往来ヲ瞰ミ或ハ嘲哢スル者」との条項(詿違の罪です。)ではないかと示唆するものと解される見解もあります(嘉門優「侮辱罪の立法過程から見た罪質と役割――侮辱罪の法定刑引き上げをめぐって」法学セミナー803号(202112月)7頁註8)。しかし,旧刑法の編纂については,「司法省では方針を大転換し,まずボワソナアドに草案を起草させ,それを翻訳して討論を重ね,さらにボワソナアドに仏文草案を起草させる,という手続を何回かくりかえした後,最終案を作成する,という手順」だったそうですから(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1998年)114頁),やはり直接フランス法の影響を考えた方がよいのではないでしょうか。また,旧刑法42612号の「罵詈」の語は,元の「誹謗」が鶴田皓によって改められたものだそうです(嘉門7頁註10)。


(2)官吏侮辱罪

ところで,「侮辱」の語が用いられている点においては,旧刑法141条の官吏侮辱罪がむしろ重視されるべきかもしれません。

 

141条 官吏ノ職務ニ対シ其目前ニ於テ形容若クハ言語ヲ以テ侮辱シタル者ハ1月以上1年以下ノ重禁錮ニ処シ5円以上50円以下ノ罰金ヲ附加ス

 其目前ニ非スト雖モ刊行ノ文書図画又ハ公然ノ演説ヲ以テ侮辱シタル者亦同シ

 

旧刑法141条に対応する18778月フランス語文司法省案の条文は次のとおりです(Projet de Code Pénal (Août 1877), pp.59-60)。

 

169.  L’offense, l’injure, l’outrage, commis publiquement et directement, par gestes ou par paroles, envers un officier public dans l’exercice de ses fonctions ou à l’occasion de ses fonctions et en sa présence, sera puni d’un emprisonnement avec travail de 2 mois à 2 ans et d’une amende de 5 à 50 yens.

Si l’infraction a été commise hors la présence du fonctionnaire, par la voie de la presse ou par des discours tenus en public, la peine sera un emprisonnement avec travail de 1 mois à 1 an et une amende de 3 à 30 yens.

 

  (第169条 動作(gestes)又は言語(paroles)をもって,その職務を執行中の又はその職務に当たっている官吏に向かって,その現在する場所において(en sa présence)公然と(publiquement)かつ直接に侮辱(l’offnese, l’injure, l’outrage)をした者は,2月以上2年以下の重禁錮に処し,5円以上50円以下の罰金を付加する。

   (罪が,その官吏の現在する場所以外の場所において,出版又は公然の演説(discours tenus en public)をもって犯されたときは,1月以上1年以下の重禁錮に処し,3円以上30円以下の罰金を付加する。)

 

(3)誹毀罪

現行刑法においては,侮辱罪(231条)と名誉毀損罪(「公然と事実を摘示し,人の名誉を毀損した者は,その事実の有無にかかわらず,3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。」(同法2301項))とは「名誉に対する罪」として同じ第34章に規定されていますが,旧刑法においては,前者の前身規定はさきに御紹介したように違警罪として第4編に,後者の前身規定は「身体財産ニ対スル重罪軽罪」に係る第3編に規定されており(同編中の「身体ニ対スル罪」に係る第1章のうち「誣告及ヒ誹毀ノ罪」に係る第12節中),泣き別れ状態でした。なお,18778月フランス語文司法省案の条文によると,第3編の編名は“Des crimes et délits contre les particuliers”(「私人に対する重罪軽罪」ということで,第2編の「公益ニ関スル重罪軽罪(Des crimes et délits contre la chose publique)」に対応しています。),第3編第1章の章名は“Des crimes et délits contre les personnes”(「身体に対する重罪軽罪」),同章第12節の節名は“Des crimes et délits contre la réputation d’autrui”(「人の評判に対する重罪軽罪」)でした。

旧刑法における名誉毀損関係条項は,次のとおりでした。

 

  第358条 悪事醜行ヲ摘発シテ人ヲ誹毀シタル者ハ事実ノ有無ヲ問ハス左ノ例ニ照シテ処断ス

   一 公然ノ演説ヲ以テ人ヲ誹毀シタル者ハ11日以上3月以下ノ重禁錮ニ処シ3円以上30円以下ノ罰金ヲ附加ス

   二 書類画図ヲ公布シ又ハ雑劇偶像ヲ作為シテ人ヲ誹毀シタル者ハ15日以上6月以下ノ重禁錮ニ処シ5円以上50円以下ノ罰金ヲ附加ス

 

 第359条 死者ヲ誹毀シタル者ハ誣罔ニ出タルニ非サレハ前条ノ例ニ照シテ処断スル(こと)ヲ得ス

 

 第361条 此節ニ記載シタル誹毀ノ罪ハ被害者又ハ死者ノ親属ノ告訴ヲ待テ其罪ヲ論ス

 

 上記各条項に対応する18778月フランス語文司法省案の条文は,次のとおりでした(Projet de Code Pénal (Août 1877), pp.128-130)。

 

   398.  Quiconque aura, dans l’intention de nuire, imputé publiquement à un particulier un fait déshonorant ou un vice déterminé, sera, sans qu’il y aît lieu de rechercher si le fait ou le vice imputé est vrai ou faux, coupable de diffamation et puni comme il suit:

          Si la diffamation a eu lieu par des paroles ou des discours tenus en public, la peine sura un emprisonnement avec travail de 11 jours à 2 mois et une amende de 2 à 10 yens;

          Si la diffamation a eu lieu par des écrits ou imprimés, par des dessins ou emblèmes distribués, vendus, ou affichés en public, ou par des représentations théatrales, la peine sera un emprisonnement avec travail de 15 jours à 3 mois et une amende de 3 à 30 yens.

 

   400.  La diffamation envers les morts est punissable, d’après l’article 398, mais seulement quand elle est faite de mauvaise foi et avec le caractère de calomnie.

 

      403.  La poursuite des délits de diffamation n’a lieu que sur la plainte de la partie offensée, ou sur celle de sa famille, si elle est décédée.

 

重禁錮(「禁錮」ではありますが,定役に服しました(旧刑法241項)。)が主刑ですから,旧刑法358条の罪は軽罪です(同法81号)。

なお,旧刑法358条の「誹毀」は,後に32)ア(ウ)で見る讒謗律(明治8年太政官布告第110号)1条の「讒毀と誹謗とを合せたものであらう。」といわれています(小野・名誉の保護129頁)。

 ところで,書類を公布して悪事醜行を摘発して人を誹毀すること(旧刑法3582号)の例として大審院の明治16年(1883年)1024日判決の事案がありますが(手塚豊「讒謗律の廃止に関する一考察」法学研究4710号(197410月)6-7頁),いささか疑問を感じさせる裁判です。すなわち,「被告ハ明治15年〔1882年〕622日北陸日報第532号雑報欄内ニ於テ如何ナル者ノ所業ニヤ昨日午前6時頃本区広坂通兼六園ノ入口ナル掲示板ニ中折即チ半紙ニテ〔略〕有髷公ノ咽喉首以上ヲ画キ「恰モ獄門首ノ如シ」勿躰ナクモ我賢明ナル千(ママ)高雅氏〔石川県令〕ニ模擬シタル者カ有像ノ傍ニ国ヲ亡シ人民ヲ害スル千阪高雅ト特書シアリタルヨシ云々トノ文ヲ掲ケ」たとのことによって,当該被告人は禁錮2月及び罰金20円附加の刑に処せられてしまっているところです(16歳以上20歳未満なので罪一等は減ぜられています(旧刑法81条)。なお,原審(金沢軽罪裁判所)では讒謗律5条が適用されてしまって,罰金6円でした。)。悪口を書いた似顔絵を兼六園入口の掲示板にさらされてしまったことが千阪県令の「悪事醜行」となるわけではないでしょうし,「国ヲ亡シ人民ヲ害スル」の徒呼ばわりすることが「事実ノ有無ヲ問」い得る具体的な「悪事醜行」を千阪県令について「摘発」することになるものでもないでしょう。

 

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1 『愛の流刑地』

 筆者の郷土・北海道の生んだ偉大な文豪にして愛の街・銀座の征服者たる渡辺淳一(1933年生-2014年歿)の名作に『愛の流刑地』があります(単行本上下2006年・文庫本上下2007年,いずれも幻冬舎)。200411月から20061月まで日本経済新聞朝刊に連載されていた恋愛等小説です。

現在の衰廃長寿大国日本の朝の通勤電車内においては,背中を丸めてスマート・フォンの小さな画面をのぞき込みつつ,せわしなく指を動かしてゲームをしたり電子メールを打ったり漫画を読んだり,ちまちまとしたことをしているマスク姿の人々ばかりを見るようになりましたが,かつての興隆経済大国日本の朝の通勤電車内においては,企業戦士らは満員の乗客に身を揉まれつよじりつ,その朝入手の日本経済新聞を器用かつコンパクトに折り畳んで眼前僅かに存在する空間中に巧緻に保持し,むさぼるようにその最終面に目を通しつつ,「私の履歴書」の自慢話には,よしこの金満ラッキーじいさんができたのならばこの優秀なオレ様も!と脂肪に覆われたぽっちゃりお(なか)の上の小さな胸をわくわくと高鳴らせ,渡辺作品の男女話には,よしこの艶福ダンディ大先生に続いてこの二枚目のボクちゃんもとマスクに覆われざる露わな鼻の下をでれでれと長く伸ばし,今日もこれから打ち続く勤務先組織内における生存のための気配り(こころ)配りの辛労(仕事が大変,とはあえていいません。)に雄々しく立ち向かうべく,新たな元気をもらっていたものでした。妖艶な美女の露わな肢体の写真が大胆に掲載された賑やかなスポーツ新聞の紙面を,女性乗客の厳しい視線もかまわずその鼻先に無邪気に露呈する豪の者もいましたが,さすがにそれは下品というもの(現在であれば,セクハラということで直ちに社会的に抹殺されるものでしょう。),渡辺作品(及び小松久子閨秀画伯描くところの挿絵)までにとどめておくところが紳士の嗜みというものでありました。

ところで「名作」とは申し上げましたが,実は『愛の流刑地』の後半は殺人被告事件の被告人となった村尾菊治をめぐる刑事訴訟関係のお話になっており,「刑事訴訟法のお勉強はもういいよ」と,筆者は途中で読むのをやめてしまっていたところです。小説家としては,ストーカー行為によって自らが警察に逮捕された経験もあり(と確か「私の履歴書」に書かれていたようです。),刑事法関係の知識を誇示したかったのでしょうが,せっかくリラックスして小説を読もうとして今更昔の法律勉強の復習をさせられそうになる筆者としては,辛いところでした。(無論現在においては,お金持ちの文豪から刑事弁護の依頼があれば,二つ返事で駆けつけて,一心不乱にその刑事法関係蘊蓄話を承り,まずいところは「うーん,それは検察官が・・・」,「裁判官も保守的ですからねえ・・・」とやんわり舵取りをさせていただくことになります,とは筆者の願望的空想です。なお,読者の皆さまにおかれましては,まさかの際には筆者への刑事弁護依頼をよろしく御考慮ください(大志わかば法律事務所。電話:03-6868-3194,電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp)。)

しかしながら最近,旧刑法(明治13年太政官第36号布告)を調べていて,同法下においては我が国においても流刑というものがあったことを再確認し(同法74号・5号,20条及び21条),つい『愛の流刑地』を思い出してしまったところです(なお,現行刑法(明治40年法律第45号)下においては,流刑はありません(同法9条)。)。しかして,当該想起と共に,次のような疑問が湧いてしまったところです。

旧刑法下において,「流刑地」ってどこであったのであろうか。

 

2 「島地」(une île du Japon déterminée par le Gouvernement

旧刑法においては,無期流刑及び有期流刑(12年以上15年以下)が重罪(同法においては,罪は,重罪,軽罪及び違警罪の3級に分かれていました(同法1条)。)の主刑のうちの二つとして掲げられており(同法74号・5号,202項),かつ,「流刑ハ無期有期ヲ分タス島地ノ獄ニ幽閉シ定役ニ服セス」とありました(同法201項)。この「島地」というのが「流刑地」ということになります。なんだか江戸幕府の遠島刑のようだから八丈島等であろうかとも一見思われます。しかし,旧刑法はフランス刑法を第一の基礎としたものであり,その叩き台となった草案はフランス人御傭外国人ボワソナアドによって起草されたものですから(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1998年)113-115頁),「島地」がそれに対応するところのフランス語の原語をまず見てみるべきでしょう。

18778月に大木喬任司法卿から元老院に提出された旧刑法の司法省案のフランス語版中旧刑法201項に相当する部分は,次のとおりでした(Projet de Code Pénal pour l’Empire du Japon présenté au Sénat par le Ministre de la Justice le 8e mois de la 10e année de Meiji (Août 1877); Tokio, Imprimerie Kokubunsha, 1879: p.7)。

 

  25.  Les condamnés à la déportation, soit perpétuelle, soit temporaire, sont transportés, dans une île du Japon déterminée par le Gouvernement.

      Ils y sont détunus dans une prison spéciale, sans travail obligatoire.

 (第25条 無期又は有期の流刑に処せられた者は,政府によって定められた国内の一島(une île du Japon déterminée par le Gouvernement)に移送される。

  (流刑受刑者は,特別の刑事施設に拘置され,所定の作業に服さない。)

 

文字どおりには島流しですが,ある一島を政府が監獄島(「島地」)として指定することが想定されていたようです。その趣旨は,1886年に印刷されたボワソナアドによる改訂刑法草案及びその解説によれば,「流刑囚を人口の集中地から遠ざけること及び何らかの混乱に乗じて流刑囚が自ら,又はその徒党の助けによって脱出することがないようにすることであった。」とのことであり,「同時に,〔ボワソナアドの改訂刑法草案〕第27条〔旧刑法21条,旧刑法附則(明治14年太政官第67号布告)13条等に相当〕に基づき一定の期間の後に与えられ得る恩典を別として,家族との引き離しがより強調されることとなるものである。」とのことでもありました(Gve Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire; Tokio, 1886: p.143)。

なお,旧刑法21条は「無期流刑ノ囚5年ヲ経過スレハ行政ノ処分ヲ以テ幽閉ヲ免シ島地ニ於テ地ヲ限リ居住セシムル(こと)ヲ得/有期流刑ノ囚3年ヲ経過スル者亦同シ」と,旧刑法附則13条は「徒刑ノ囚仮出獄ヲ許サレタル者又ハ流刑ノ囚幽閉ヲ免セラレタル者家属ヲ招キ同居スルヲ請フ時ハ之ヲ許スヿヲ得但其路費ハ自ラ之ヲ弁ス可シ」と規定していました。

政府による流刑の島地の選択については,「立法の問題というよりは行政の問題であるので,法律と同じ固定性を有するものではない。したがって,経験によって有用性が示されれば変更がされ得る。」とのことで(Boissonade: p.143),また,流刑同様重罪(crime)の主刑である無期及び有期(12年以上15年以下)の徒刑(旧刑法72号・3号,172項)が執行される「島地」(同法171項は「徒刑ハ無期有期ヲ分タス島地ニ発遣シ定役ニ服ス」と規定していました。)と同一である必要も,法的にはありませんでした。しかし,「単一の監視並びに単一の海軍及び陸軍の備えをもって兼ねようとする経済上の理由に基づきその旨決定され得るところであるが,徒刑囚が〔流刑囚と〕同一の島地に置かれるという場合」もあり得るものとされ,その場合には「刑の執行の場所について,実際上分離(une séparation de fait)がされる。法が流刑囚は特別の刑事施設において拘置される〔幽囚される〕ものと規定しているのはこのためである。」とのことでした(Boissonade: p.144)。徒刑囚は定役に服しますが,流刑囚は定役に服しません。

他方,徒刑囚のための島地の選択については,ボワソナアドいわく。「脱獄の機会をより少なくするために,男子徒刑囚は,島地に置かれる〔女子徒刑囚は島地に発遣されず内地の懲役場に拘置されました(旧刑法18条)。〕。島地の決定は後に行われる。経験が必要とするならば,当該決定は変更され得る。それは行政上の問題であって,もはや刑事立法の問題ではない。」と(Boissonade: p.141)。当該部分に係るボワソナアドの註は,更にいわく。

 

  (h) 治罪法草案628条について既に触れる機会があったところであるが(926b),日本は列島であるので,最も大きく,最も中央にあり,かつ,政府の所在地である本州(l’île de Nippon)をもって一種の大陸(continent)とみなす慣習がある。

  刑罰の一般規則(le Règlement général des peines)は,北海道(la grande île de Yéso)を徒刑の執行地と定めた。

 (Boissonade: p.141

 

 この「刑罰の一般規則」が何なのかはボワソナアドの文章からは直接分かりませんが,これは,188211日からの旧刑法の施行(明治14年太政官第36号布告)に向けて1881919日に発せられた監獄則(明治14年太政官第81号達)でしょうか。

 

3 監獄則等と監獄と

 

(1)1881年の監獄則に関して

1881年の監獄則1条は,次のとおり。

 

1条 監獄ヲ別テ左ノ6種ト為ス

   一 留置場 裁判所及ヒ警察署ニ属スルモノニシテ未決者ヲ一時留置スルノ所トス但時宜ニ由リ拘留ノ刑ニ処セラレタル者ヲ拘留スルコトヲ得

   二 監倉 未決者ヲ拘禁スルノ所トス

   三 懲治場 徴治人ヲ徴治スルノ所トス

   四 拘留場 拘留ノ刑ニ処セラレタル者ヲ拘留スルノ所トス

   五 懲役場 懲役ノ刑及ヒ禁錮ノ刑ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   六 集治監 徒刑流刑及ヒ禁獄ノ刑ニ処セラレタル者ヲ集治スルノ所トス

    北海道ニ在ル本監ハ徒刑流刑ニ処セラレタル者ヲ集治ス

 

特に北海道に言及されています。ただし,「北海道ニ在ル本監ハ徒刑流刑ニ処セラレタル者ヲ集治ス」の部分については,第12なのか第16後段なのかが細かいながら問題です。これについては,第12項ならば1字上がっていなければならないこと(「文語体・片仮名書きの法令では,行を変えるだけで項の区切りを付けていた」ところです(前田正道編『ワークブック法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)160頁)。)及び「本」といわれていて「監獄」ではないことからすると,第16号の一部たる同号後段なのでしょう。

禁獄囚は,「内地ノ獄ニ入レ定役ニ服セス」(旧刑法231項。下線は筆者によるもの)ということなので,そもそも,徒刑流刑に処せられた者を集治する北海道(すなわち北海道は徒刑流刑に共通の島地であるということになるようです。)で入獄することは――内地・島地の別を重んじて――ないものとされていたのでしょうか。旧刑法231項の「内地ノ」はフランス語文では “située dans l’intérieur du Japon”であるようであり(Projet (Août 1877): p.8; Boissonade: p.80),これに関してボワソナアドは,禁獄囚は「島地(une île)に押送されることはない。」と述べていたところです(Boissonade: p.149)。なお,重罪の主刑たる禁獄には重禁獄と軽禁獄とがありましたが(旧刑法78号・9号),「重禁獄ハ9年以上11年以下軽禁獄ハ6年以上8年以下」でした(同法232項)。無期流刑が二等又は有期流刑が一等を免ぜられると重禁獄,有期流刑が二等を免ぜられると軽禁獄になります(旧刑法68条)。定役に服するとなると,禁獄ではなく,懲役になります(旧刑法221項)。

しかし,監獄則16号本文によれば,集治監が北海道外にあれば,道外ながらも当該集治監に徒刑囚を入獄させ,流刑囚を幽閉することもできるわけであり,すっきりしないところが残っています(集治監が本州にあれば,徒刑流刑の執行地が島地たることを求める旧刑法との関係で疑問ですが,ボワソナアドももはや行政の問題だと言ってはいたところです。)。

ということで,旧刑法の施行当時どのような集治監があったのかを知るべく法務省の『犯罪白書 昭和43年版』第3編第22「刑務所」を見てみると,18794月に「徒刑,流刑,終身懲役などの罪囚を収容するため,内務省直轄の集治監が東京府葛飾郡小菅村および宮城県宮城郡小泉村におかれ」,「さらに,内務省は,〔1881〕年8月,開拓使管下(北海道)石狩国樺戸郡に既決監を設け,樺戸集治監としたほか,〔1882〕年6月,石狩国空知郡市来知村に空知集治監,翌〔1883〕年3月,福岡県三池郡下里村に三池集治監,〔1885〕年9月,釧路国川上郡熊牛村に釧路集治監を設置した。また,〔1884〕年7月,兵庫県下兵庫に仮留監を設置して,内務省の直轄とし,東京,宮城,三池の3集治監に仮留監を付設し,北海道集治監に発遣する囚徒を一時拘禁せしめた。〔1891〕年6月,北見国網走郡に釧路集治監網走分監を設置し,同年7月北海道集治監の組織を変更し,本監を樺戸に,分監を空知,釧路,網走に設置した。」ということでした。旧刑法施行開始の188211日の段階では,流刑囚が幽囚され得る監獄は,小菅集治監,宮城集治監及び樺戸集治監の3監であったようです。本州島にある東京府小菅村及び宮城県小泉村を「島地」とはなかなかいいにくいところですが,おフランス流の旧刑法との間のねじれではあったものでしょう。

ところで,さきに出て来た「内地」の語について更にいえば,重罪の主刑たる懲役(旧刑法76号・7号)については――島地で執行されるものとされる徒刑との関係なのでしょうが――「懲役ハ内地ノ懲役場ニ入レ定役ニ服ス」とあります(同法221項。下線は筆者によるもの)。また「内地」が出てきたぞということで,この懲役の「内地」は禁獄の「内地」と同じかと思ってフランス語の案文を見てみると,懲役の「内地」は“l’intérieur du pays”であって(Projet (Août 1877): p.8; Boissonade: p.80),禁獄の「内地」とは違った用語となっています。ボワソナアドの説明によれば,懲役の執行場所は「遠く離れた特別の島(une île, éloignée et spéciale)ではもはやなく,くにの中に置かれた刑事施設(une prison de l’intérieur du pays)においてである。一般的には,有罪判決が言い渡された地方(contrée)のものにおいてである。」となっています(Boissonade: p.148)。要は,「内地」というよりは「地元」ないしは「当地」と訳した方がよかったものでしょうか。確かに,こう解さないと,北海道内で判決を言い渡された懲役囚をその都度わざわざ道外に押送しなければならないことになります。

 

(2)1889年の監獄則及び明治16年太政官第4号達に関して

1881年の監獄則を全部改正した,1889712日裁可・同月13日布告の監獄則(明治22年勅令第93号)の第1条は次のようになっていました(なお,当該勅令には施行日の規定がありませんから,公文式(明治19年勅令第1号)10条から12条までの規定によったものでしょう。)。ちなみに,監獄則が法律ではなく勅令の法形式を採っているのは,監獄に収監中の者の監獄関係は特別権力関係だとする理論(塩野宏『行政法Ⅰ』(有斐閣・1991年)30頁参照)に基づくものでしょうか。

 

1条 監獄ヲ別テ左ノ6種ト為ス

 一 集治監 徒刑流刑及旧法懲役終身ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

 二 仮留監 徒刑流刑ニ処セラレタル者ヲ集治監ニ発遣スル迄拘禁スル所トス

 三 地方監獄 拘留禁錮禁獄懲役ニ処セラレタル者及婦女ニシテ徒刑ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

 四 拘置監 刑事被告人ヲ拘禁スル所トス

 五 留置場 刑事被告人ヲ一時留置スル所トス但警察署内ノ留置場ニ於テハ罰金ヲ禁錮ニ換フル者及拘留ニ処セラレタル者ヲ拘禁スルコトヲ得

 六 懲治場 不論罪ニ係ル幼者及瘖啞者ヲ懲治スル所トス

 

 1881年の監獄則16号後段のような,北海道に係る難しい規定は削られています。

 なお,「旧法懲役終身ニ処セラレタル者」というのは旧刑法の施行前の裁判に係るものでしょう。旧刑法の懲役は重懲役と軽懲役とですが(同法76号・7号),「重懲役ハ9年以上11年以下軽懲役ハ6年以上8年以下ト為ス」とされており(同法222項),すなわち旧刑法には,無期といえば無期徒刑及び無期流刑があるだけで(同法72号・4号),無期懲役という刑はなかったのでした。

ちなみに,旧刑法の禁錮は,罰金と並んで軽罪(délit)の主刑であって(同法8条),無期はなくて,刑期は11日以上5年以下(同法242項),軽禁錮であれば定役に服しませんでしたが,重禁錮は定役に服しました(同条1項)。無期があり,かつ,全て定役に服さない現行刑法の禁錮(同法13条)とは,「禁錮」との名称は同一ですが,異なります。

罰金を禁錮に換えることについては旧刑法27条に規定があります。

拘留は,科料と並んで違警罪(contravention)の主刑の一つであり,「拘留所ニ留置シ定役ニ服セス其刑期ハ1日以上10日以下」のものでした(旧刑法9条,28条)。

不論罪に係る幼者及び瘖啞者の懲治については旧刑法79条,80条及び82条に規定があります。

 懲役囚のみならず禁獄囚も地方監獄で拘禁することになったのは,旧刑法231項の「内地」の解釈が,同法221項の「内地」のそれ(l’intérieur du pays ou de la contrée où la condamnation a été prononcée”. 筆者流には「地元」ないしは「当地」)に揃えられたものでしょうか。

 ところで,高倉健等ゆかりの網走分監が設置された1891年の段階では,流刑囚が幽閉され得る監獄は小菅,宮城,三池,樺戸,空知,釧路及び網走の7監であったか,といえばそうとも言い切れないようです。

 旧刑法施行から1年少しが経過した1883125日付けで,次の明治16年太政官第4号達が発せられています。

 

  沖縄県人民ニ限リ徒刑流刑ニ処セラレタルモノハ同県下八重山島ニ発配スルヲ得ヘシ此旨相達候事

  但囚人取扱方ハ旧慣ニ因リ沖縄県令之ヲ管理スヘシ

 

流刑囚が沖縄県民であった場合は,その幽囚地は,三池,小菅,宮城又は遠い北海道ではなく,八重山諸島であり得たわけです(実際には石垣島でしょうか。)。明治16年太政官第4号達は,「旧刑法施行ノ為メ公布シタル法令」の一として刑法施行法(明治41年法律第29号)附則2項によって現行刑法施行の日である1908101日から廃止(刑法施行法附則1項,刑法上諭,明治41年勅令第163号)されるまで効力を有したものとされています。ただし,1903319日に裁可され,同月20日に公布された監獄官制(明治36年勅令第35号)を見ると沖縄県の監獄は島尻郡小禄間切に沖縄監獄があるだけで,同官制2条に基づく分監も沖縄県にはなかったようです(明治36323日司法省告示第18号)。すなわち,1903年当時(なお,監獄官制は同年41日から施行(同官制附則1項))には,八重山諸島には,警察署内の留置場はともかくそれ以外の監獄はなかったようなのですが,どうしていたものでしょうか。

 

(3)1903年の監獄官制に関して

1903年の監獄官制においては,前記『犯罪白書 昭和43年版』によれば,「集治監および府県監獄署は単に監獄と改称され,小菅監獄等57監獄の名称および位置が定められた」ところです。しかし,こうなると,57監獄中の某監獄が監獄則1条における監獄6分類中のどれに当たるのかが監獄官制上の名称だけでは不明となります。したがって,監獄官制122項は「各監獄ノ種類ハ司法大臣之ヲ指定ス」と規定し,同項に基づき明治36323日司法省告示第17号が出されています。

しかし,この明治36年司法省告示第17号が難しい。

まず,57監獄中,留置場として指定されたものは一つもありません。これは,留置場は全て警察署内に設けられていたものであって,かつ,警察署内の留置場は司法大臣の管理外であるということでしょう。すなわち,内務省所管の留置場と司法大臣の管理に属する監獄官制上の監獄(同官制1条は「監獄ハ司法大臣ノ管理ニ属ス」と規定しています。)とを共に「監獄」とする監獄則上の監獄概念と,監獄官制上の監獄概念は異なるということでしょう(前者の方が留置場を含むだけ広い。)。朕の勅令で同じ「監獄」の語を使っておいてこれは何だ,とて明治天皇に逆鱗の気味はなかったものかどうか。

次に,集治監として指定されているものは,樺戸,網走及び十勝(北海道河西郡下帯広村)の3監獄だけです(いずれも地方監獄及び拘置監を兼ねます。なお,空知及び釧路の施設は消滅していますが,北海道内には他に函館監獄及び札幌監獄が存在しており,いずれも地方監獄,拘置監及び懲治場として指定されています。函館監獄には更に根室分監が設けられています。)。小菅,宮城及び三池はどうしたのだといえば,いずれも仮留監及び地方監獄としてのみ指定されています(なお,仮留監については,当該3監獄以外の監獄で指定されたものはありません。)。これは,従来からの運用の実際において,小菅,宮城及び三池は「集治監」との看板を掲げつつも,既に徒刑囚流刑囚の終着地ではなく,通過地にすぎないものとなっていたということでしょう。

結局,旧刑法下の流刑地は,(八重山諸島問題を別とすれば)やはり原作者・渡辺淳一の出身地たる北海道であったということになるようです。

 

4 「愛の徒刑地」から「女=政治の罪の流刑地」へ

 

(1)政治犯→流刑地

さて,)の最後において,筆者が「流刑地」とのみ言ってあえて「愛の流刑地」と言わなかったことには理由があります。

旧刑法における流刑は,政治犯に科せられるものとされていたからです(同法682号・3号と672号・3号とを対照)。

1886年の自らの改訂刑法草案を説明しつつボワソナアドいわく。

 

  無期流刑は,政治犯に対する死刑を廃する本草案において,政治犯に対する最も重い刑である。

  これについては,本草案は,相当の注目に値する点でフランス法と異なっている。

  フランスにおいては,政治事件について死刑が廃止された際に,それは「要塞監獄(enceinte fortifiée」への流刑をもって代えられた。これは,脱走に対する厳重な警戒をするものであると同時に,自由の剥奪をより苦しいものとするものであった。より軽い政治犯罪については,島地におけるもの(dans une île)ではあるが,監視と両立するものたる相当程度の自由が認められる,「単純」と形容される流刑が維持された。

  日本においても確かに2種類の流刑が存在する。しかし,それらは期間において相違するのみであって,その処遇内容(régime)においては相違しない。一方は無期であり,他方は有期(16年以上20年以下)である。両者のイメージは,無期及び有期の徒刑の緩和版というものである。両流刑において,流刑囚は島地において受刑することに加えて,特別の刑事施設に拘置(幽閉)される。しかしながら,後者〔幽閉〕の苦しみは必ずしも刑期中続くものではない。〔略〕〔ボワソナアド改訂刑法草案〕第27条は,その緩和をもたらす規定である。

 (Boissonade: pp.142-143

 

 旧刑法の制定に向けて「政治犯については,ボワソナアドは,フランス第二共和制以来の考え方を踏襲して,死刑の廃止を実定法化しようと努力した。そして,〔18771128日に〕司法省が太政官に上申した「日本刑法草案」の段階では,内乱罪の首魁にも,死刑は廃止され,無期流刑が科されることになっていた。」ところです(大久保119頁)。しかしながら,司法省案は太政官の刑法草案審査局における審査の段階で,「明けて〔1878〕年1月,審査局では,内閣に重要問題の予決を求め,ここで,皇室に対する罪を置くこと,国事犯(政治犯)を死刑に処すること,など4点が決定された(伊藤博文-井上毅ラインによる)。皇室に対する罪は,新律綱領では不吉であるという理由で除かれたが,今回の刑法では加えられ,また国事犯に対する死刑は,ボワソナアドの廃止論が審査局でくつがえされたのである。」ということでした(大久保115頁)。

 なお,フランス法による政治犯の流刑地は,いずれも南太平洋のマルキーズ諸島やヌーヴェル・カレドニーにあったそうです。

 国事ニ関スル罪に係る我が旧刑法第2編第2章を見ると,次のような規定があります。

 

  第121条 政府ヲ顚覆シ又ハ邦土ヲ僭窃シ其他朝憲ヲ紊乱スルヿヲ目的ト為シ内乱ヲ起シタル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス

   二 群衆ノ指揮ヲ為シ其他枢要ノ職務ヲ為シタル者ハ無期流刑ニ処シ其情軽キ者ハ有期流刑ニ処ス

 

  第131条 本国及ヒ同盟国ノ軍情機密ヲ敵国ニ漏泄シ若クハ兵隊屯集ノ要地又道路ノ険夷ヲ敵国ニ通知シタル者ハ無期流刑ニ処ス

    敵国ノ間諜ヲ誘導シテ本国管内ニ入ラシメ若クハ之ヲ蔵匿シタル者亦同シ

 

  第132条 陸海軍ヨリ委任ヲ受ケ物品ヲ供給シ及ヒ工作ヲ為ス者交戦ノ際敵国ニ通謀シ又ハ其賄遺ヲ収受シテ命令ニ違背シ軍備ノ欠乏ヲ致シタル時ハ有期流刑ニ処ス

 

  第133条 外国ニ対シ私ニ戦端ヲ開キタル者ハ有期流刑ニ処ス其予備ニ止ル者ハ一等又ハ二等ヲ免ス

 

(2)故殺犯→徒刑地

これに対して,性交中の快感増進のためについ相手方を絞殺する行為は,「予メ謀リテ人ヲ殺シタル者」ではないから死刑にはならないとしても(旧刑法292条参照),「故意ヲ以テ人ヲ殺シタル者ハ故殺ノ罪ト為シ無期徒刑ニ処ス」との規定の適用があるものでしょう(同法294条)。徒刑であって,流刑ではありません。また,無期徒刑ですから懲役8年などというやわなものではありません。期間が無期であるのみならず,旧刑法の条文では単なる「定役」なのですが,フランス語案文によると,徒刑男囚(les hommes condamnés aux travaux forcés)の服する定役は,最も苦しい作業(les ouvrages les plus pénibles)なのです(Projet (Août 1877): p.6; Boissonade: p.78)。travaux forcésに服さしめられるのですから,徒刑は,フランス語の文字どおりには強制労働の刑です。その作業は,鬼哭啾々白骨累々,北辺の地の鬱蒼たる原生林における「囚人道路」開鑿(かいさく)作業のようなものでしょうか。五十代後半の文弱の物書きだからとて容赦はされず,徒刑囚たるもの60歳になるまでは壮丁同様の重い苦役に日々服して(旧刑法19条反対解釈),過去の性愛の悦びを思い出しては自らを慰めるその妄念も妄執も全て(ほこり)と汗とにまみれた疲労によって奪われ果てなければなりません。雪女が出て来ても,反応する元気はもうピクとも残っていないでしょう。仮出獄も,無期徒刑の場合は15年間待たねばなりませんし(旧刑法532項),かつ,仮出獄後も当該島地に留まらなければなりません(同法54条)。

定役には服さずに北海道で過ごし,5年もたったら集治監の幽閉から解放してもらって家族を呼び寄せて暮らそうかという政治犯についてならば「(家族)愛の流刑地」ともいい得たのでしょう。しかし,故殺の刑は無期徒刑である以上「流刑地」とはいかがなものでしょうか。性愛に溺れて犯した故殺の結果発遣される「愛の徒刑地」,しかして重い苦役の毎日に,みだらな性愛の思い出も(つい)には無情に解け去ってしまう最果ての徒刑地,略して「愛トケ」では駄目であったのでしょうか。

 

(3)女(les femmes)=政治(la politique

さはさりながら,我が母法国・おフランスの悪魔的外交官の悪魔的外交術をもってすれば,女は政治だから女がらみの犯罪は政治犯罪だ,だから徒刑ではなくて流刑に処せられるべきだ,と言い張り得るかもしれません。

 

  その後,タレイランについてティエールは,ガンベッタに対して次のように語った。

  ――ド・タレイラン氏のもとに僕は足しげく通ったものさ。彼は僕に対して大いに好意を示してくれていた,けれども,やり切れなかったな。僕はいつも話題を,ヨーロッパ,時事問題,要は政治に持って行きたかったんだけれども,彼ときたら専ら女の話ばかりするのだからね。僕はいらいらしていた。で,ある日彼に言ったのさ。

  ――大公,あなたはいつも女性のお話をなさいますが,私としては,むしろ政治のお話ができれば嬉しいのですが,ってね。

  で,やっこさんが僕に向かって言うにはこうだ――しかし,女・・・しかしこれは政治ですぞ,だってさ。(--- Mais les femmes, me répondit-il, mais c’est la politique.

 (Jacques Dyssord, Les belles amies de Monsieur de Talleyrand; Nouvelles Édition Latines, Paris, 2001: p.273

 

 ウィーン等の華麗な宮廷ではかようなespritに富んだ外交術が功を奏したのでしょうが,しかし,日本の質朴な法廷においてこのような“de la merde dans un bas de soie”(ナポレオンによるタレイランの人物評🧦💩的弁論術を弄せんとすると,真面目な裁判官に,ふざけないでください!と厳しく叱責されそうです。


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1 「世界が東京に押し寄せる!」2020年を前に

早や令和も第2年になろうとしています。令和2年夏には,札幌と東京とで夏季オリンピック競技会が開催されます。

夏季オリンピックの華にしてクライマックスたるマラソン競技が開催される札幌においては,準備が順調に進んでいることでしょう。とはいえ札幌市民が沿道で応援しようにも,暑さ対策ということで,競技開始時刻は朝早いようです。これは,実は米国の放送事業者の御都合により同国東海岸時間に合わさせられてしまうものだとも言われているようですが,150年前開基の札幌の創成期においては米国出身の同市関係者も多かったところですから,米国人のわがまま云々などとひがんだりせずに札幌市民はおおらかに対応するのでしょう。

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Horace Capron from Massachusetts(札幌市中央区大通公園)


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William S. Clark from Massachusetts(札幌市北区北海道大学構内)

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Edwin Dun from Ohio(札幌市南区真駒内)

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A Benson Bubbler from Portland, Oregon (札幌市中央区大通公園)

 他方,東京都においては,同都の都庁の「2020年夏/世界が東京に押し寄せる!」との警告ポスターが地下鉄駅構内(特に都営地下鉄のもの)などに貼ってあるのを見て,筆者はぎょっとしたものです。「これは・・・Aux armes, citoyens! In the coming summer of 2020, alien nations will swarm out of far corners of the world into Tokyo!”という呼びかけかいな。いかがなものかな。しかし,これから押し寄せてくるという人たちは,既に適法に居住しているところの本邦外出身者(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年法律第68号)2条参照)ではないから,本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律的にはいいのかな。しかし,東京都のお役人たちはオリンピックで外国から人が大勢集まってしまうことに迷惑を感じてしまっているのかな。しかし,そんなに迷惑ならば,そもそも,高い都民税を使って余計なオリンピックなどわざわざしなければよいのに。」というわけです。

とはいえ,外国人が押し寄せる押し寄せる大変だ大変だといっても,狼少年的な杞憂に終わることもあるようです。出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号)を改正する平成30年法律第102号の成立・施行によって「一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人材を幅広く受け入れていく仕組み」たる特定技能外国人の在留資格制度が20194月から鳴り物入りで始まりましたが(「ウァレンス政権の入国在留管理政策に関して」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1072912488.html)参照),法務省のウェブ・ページ(http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri07_00215.html)を見ると,同年9月末における特定技能1号資格による在留外国人はわずか219人しかいないそうです。日本は日本人自身がうぬぼれているほど人気のある豊かで上品な国ではもはやないのではないのか,という反省も,もしかしたら無用ではないものでしょう。

 

2 対女性交際における日本人男子とドイツ人男子との違い

ところで我が国の品ないしは品格の有無をいいだすと,そもそも日本人男子は国際的に見てお下劣だ,ということで従来からよくお叱りを受けてきたところです。それに引き比べると西洋人男子は上級だよね,ということになるようです。

 

   〔前略〕欧洲人の同人種間良家の女に対する感情はこれを我国人に比すれば,甚だ高尚なるを見る。単に表面の観察を以てするも,中江篤介氏が一年有半に云へる如く,欧洲人は,我国人の如く,良家の女子の(おもて)を見て,心に婬褻の事を想ひ,口に卑猥の言を出すこと無し。進んで婚姻の事に至れば,良家の男女は,多少の日子を費して相交り相知り,愛情を生ずるに非では,礼を行はず。嘗て一士官の利害上より富家の(むすめ)を娶り,一年余の間同衾せず,後に愛情を表白して,同衾するに至れりと云ふ話説あり。此の如きは彼十字軍後の武士道に伴へる,女子を尊崇する遺風にして,一説にはMADONNA信仰より淵源すと云ふ。此思想より見るときは,我国の婚姻は殆ど強姦に近き者となる。(森林太郎「北清事件の一面の観察」(19011223日於小倉偕行社)『鷗外選集第13巻 評論・随筆三』(岩波書店・1979年)71頁)

 

 日本人妻に対する日本人夫は皆強姦犯のようなものだ,という比喩はすさまじい。

 兆民中江篤介の『一年有半』(19019月)には次の一節があります。

 

   わが邦男子,その少壮婦人に接する,(ただち)に肉慾晦事に想及す,故にこれと()話する往々男女の事に及ぶを常とす,良家夫人に対するもほとんど妓輩におけると異なるなし。而して人これを怪まず,即ち当話婦人もまたこれを以て非礼と為して(いか)ることなし。これ風俗の日々に崩壊して,而して令嬢令夫人の交際の高尚に赴かざる所以(ゆゑん)なり,これ(すみや)かに改むべし。(中江兆民『一年有半・続一年有半』(岩波文庫・1995年)66-67頁)

 

 芸妓輩が令嬢令夫人を男子との高尚な交際から疎外する機序については,これも『一年有半』において次のごとし。

 

   〔前略〕かつ彼輩その業たる,専ら杯酌に侍し宴興を(たす)くるにありて,而して(しん)(しん)の徒これを聘する者,初めより褻瀆を事として少も敬意を表するを要せず,良家の令嬢令夫人に接するに比すれば,(おのづか)(ほしいまま)にしていささかの慎謹を(もち)ゐざるが故に,自然に令嬢令夫人をして,男子との交際外に斥けられざるを得ざらしむ。わが邦婦女の交際の趣味を解せざるは,芸妓ありて男子の歓を(ほしいまま)にするがためなり。(中江48頁)

 

 であるからむしろ女の敵は女か,と言うのは男の側からのいわゆるセクハラ的無責任・身勝手発言ということになるのでしょう。いけません。

 しかしながら,西洋人男子といえども常にお上品な聖人君子であるわけではありません。北清事変(義和団事件)中19008月の八か国(日米英仏独墺伊露)連合軍による在北京列国公使館の解放に際して「各国の将兵,略奪・惨殺・焼毀などをつづける」と歴史年表にあります(『近代日本総合年表第四版』(岩波書店・2001年)165頁)。この「各国の将兵」の西洋人男子ら(特にドイツ兵が目立ったようです。)の悪魔的狂態を前にして,むしろお下劣では本家のはずの日本人男子の方が引いてしまっていたようです。鷗外森林太郎,解説していわく。

 

   〔北清事変におけるドイツ兵の〕所謂(いはゆる)敗徳汚行中,婦女を犯したるは其の主なる者の一なり。皮相の観察を以てすれば,強姦の悪業たるは,東西殊なることなし。これを敢てするものゝ彼我の多少は,直ちに比較して二者の道義心を(はか)るに堪へたるが如し。然れども実は此間,少くもの顧慮す()き条件あらん。

   今省略してこれを言はん。第一,欧米白皙(はくせき)人の黄色,黒色若くは褐色人に対する感情は,頗る冷酷にして,全く白皙人相互の感情と殊なり。これを我国人の支那人に対する感情に比すれば,其懸隔甚だ大なり。何を以て然るか。欧米人は自ら信じて,世界最上の人と為す。一の因なり。欧米人は,縦令(たとへ)悉く中心より基督教を信ずるに非ざるも,殆ど皆新旧約全書を挟んで小学校に往反したるものなり。此間父兄及教師は異教の民を蔑視する心を注入せり。二の因なり。猶此条件は次の者と相関聯す。第二,欧米人は賤業婦を蔑視すること我邦人に倍()し,随て其の婦女を虐遇する習慣には,我邦人の知るに及ばざる所の者あり。我邦人は藝娼妓にもてんと欲す。ほれられんと欲す。欧米人は賤業婦を貨物視し,これに暴力を加へて怪まず。此虐遇の習慣は,或は戦敗国の異色人種に対して発動することを免れざりしならん。第三,欧米軍人は洒脱磊落にして狭斜の豪遊を為し,又同僚相爾汝(じじよ)する間に於いて,公会に非ざる限は,汚瀆の事を談ずるを怪まず。婦女を虐遇したる事と雖,又忌むことなし。〔後略〕(森69-70頁)

 

 「彼我の多少」は,無論ドイツ兵が多く,日本兵については少なかったのです。そこで「直ちに比較して二者の道義心を(はか)」れば,実は日本人男子の方がドイツ人男子よりも高尚な道義心を有していたことになっていたところなのでした。(とはいえ,1942年に至ると昭和17年法律第35号(同年219日裁可,同月20日公布)によって我が陸軍刑法(明治41年法律第46号)の第9章の章名が「掠奪ノ罪」から「掠奪及強姦ノ罪」に改められるとともに,同法に第88条ノ2が加えられて「戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ1年以上ノ懲役ニ処ス/前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ3年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ懲役ニ処ス」と特に規定されるに至っています。これは,非親告罪(昭和17年法律第35号附則2項参照)であって,未遂も罰せられました(陸軍刑法89条)。(当時は,刑法177条の強姦罪(国民の国外犯も処罰(同法35号))の刑は2年以上の有期懲役で,かつ,同罪は親告罪であり(同法180条),また強姦致死傷罪の刑は無期又は3年以上の懲役でした(同法181条)。)盧溝橋事件から4年半たって,大陸の我が軍の軍紀は,残念ながら紊れていたのでしょう。)

 しかしながら,女性に「もてんと欲す。ほれられんと欲す。」の男子と,一部の女性を「貨物視し,これに暴力を加へて怪まず。」かつ「婦女を虐遇する習慣」を有する男子とは,妻から見た夫としてはどうでしょうか。前者の方が外の女性に余計なお金と時間とをついつい浪費してしまうのに対して,後者の方が冷酷な分なだけ余計な後腐れなく済むものでしょうか。女の敵は女,というような陳腐な感慨の繰り返しは,これまたいわゆるセクハラ的なものとして,許されません。


DSCF0765(Maibaum)

»Maibaum« aus München札幌市中央区大通公園
 

3 事後強盗をめぐる日独比較

 

(1)ヴェーデキントの「伯母殺し」

 

ア 詩と犯罪

 

(ア)詩

 狂暴なドイツ青年といえば,筆者はヴェーデキント(Frank Wedekind 1864-1918)のDer Tantenmörderを想起してしまうところです(生野幸吉=檜山哲彦編『ドイツ名詩選』(岩波文庫・1993年)174-177頁「伯母殺し」(檜山哲彦訳)参照)。

 

 Ich hab meine Tante geschlachtet,

    Meine Tante war alt und schwach;

    Ich hatte bei ihr übernachtet

    Und grub in den Kisten-Kasten nach.

 

    Da fand ich goldene Haufen,

    Fand auch an Papieren gar viel

    Und hörte die alte Tante schnaufen

    Ohne Mitleid und Zartgefühl.

 

    Was nutzt es, daß sie sich noch härme ----

    Nacht war es rings um mich her ----

    Ich stieß ihr den Dolch in die Därme,

    Die Tante schnaufte nicht mehr.

 

    Das Geld war schwer zu tragen,

    Viel schwerer die Tante noch.

    Ich faßte sie bebend am Kragen

    Und stieß sie ins tiefe Kellerloch. ----

 

    Ich hab meine Tante geschlachtet,

    Meine Tante war alt und schwach;

    Ihr aber, o Richter, ihr trachtet

    Meiner blühenden Jugend-Jugend nach.

 

(イ)殺人及び窃盗

 この青年,自分の伯母(叔母)(meine Tante)を,「そのはらわたにナイフを突き刺して(Ich stieß ihr den Dolch in die Därme)」「殺しちまった(Ich hab meine Tante geschlachtet)」(刑法(明治40年法律第45号)199条「人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」)のみならず,その前に同女の長持・箱類をあさった上で(Und grub in den Kisten-Kasten nach)「糞たくさんの金」及び多量の有価証券(Papiereを,筆者は法律家的偏屈でWertpapiereの略であろうと見て「有価証券」と訳します。檜山訳では「お(さつ)です。探し出してDa fand ich goldene Haufen, / Fand auch an Papieren gar viel),窃取していたところです(刑法235条「他人の財物を窃取した者は,窃盗の罪とし,10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」)

窃取というのは,「おばちゃんばばあが荒い息づかいをしているのが聞こえたけれど,同情とか思いやりなんざ感じなかった(Und hörte die alte Tante schnaufen / Ohne Mitleid und Zartgefühl.)」ということですから,伯母さんは呼吸に苦しみながらも眠っていたようだからですし(伯母さんが起きていて現認し,青年による金銭及び有価証券の取得に承諾を与えていたわけではないでしょう。),見つけただけではなくて領得までしたのであって,領得後の「金は運ぶのに重かった(Das Geld war schwer zu tragen)」との供述があるところです。

 

(ウ)死体遺棄

金銭よりもっと重い伯母の死体を震えながらも襟髪つかんで地下の穴蔵深くに放り込むという(Viel schwerer die Tante noch. / Ich faßte sie bebend am Kragen / Und stieß sie ins tiefe Kellerloch)死体遺棄の罪も犯しています(刑法190条「死体,遺骨,遺髪又は棺に納めてある物を損壊し,遺棄し,又は領得した者は,3年以下の懲役に処する。」)。「殺人犯人が死体を現場にそのまま放置する行為は,〔死体〕遺棄ではない」ところ,死体遺棄成立のためには死体を「犯跡を隠蔽しようとして移動したり,隠したりすることを要する」のですが(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)499頁),そこまでやってしまっています。なお,判例上,殺人罪と死体遺棄罪とは牽連犯(刑法541項「〔略〕犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは,その最も重い刑により処断する。」)となるものとはされていません。

 

(エ)住居侵入(保留)

伯母さん宅に泊まった(Ich hatte bei ihr übernachtet)その晩における,周囲はぐるりと夜(Nacht war es rings um mich her)の闇の中での犯行ですが,その夜に伯母さん宅に泊まり込んだことは窃盗ないしは殺人の目的をもってした伯母さんの住居への侵入であったとして住居侵入罪(刑法130条「正当な理由がないのに,人の住居若しくは人の看守する邸宅,建造物若しくは艦船に侵入し,又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は,3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」)の成立までを認めるべきかどうかは微妙です。最高裁判所大法廷の昭和24722日判決(刑集381363)は「強盗の意図を隠して「今晩は」と挨拶し,家人が「おはいり」と答えたのに応じて住居にはいつた場合には,外見上家人の承諾があつたように見えても,真実においてはその承諾を欠くものであることは,言うまでもないことである。されば,〔略〕住居侵入の事実を肯認することができるのである。」と判示してはいるのですが(なお,この判例の事案は,若い男の3人組(一人は18歳未満の少年だといいますから,皆若かったのでしょう。)のうち一人が1948131日の23時頃(夜遅いですね。)に香川県の現在の三豊市の農家(世帯主の名前からすると女所帯であったようです。また,海に近い開けたところ(横に人家があると被告人が供述しています。)であったようで,人里離れた山奥ではありません。)の表口で「今晩は今晩は」と連呼したところ,丁度その頃目が覚めていた長女(24歳)が当該今晩はと言う低い声を聞いたので「おはいり」と言ったのになかなか3人は這入って来ず,そこで同女が寝床の中から起き出して庭に出て表入口の雨戸を開けてあげて,また「おはいり」と言いつつ頭を下げ云々(「丁度その頃目が覚めていた」から「云々」までは,弁護人の引用した同女に係る司法警察官作成の関係人聴取書の記載によります。),それから3人組は当該家屋(の表の土間)に入って所携の匕首の鞘を払って同女に突き付けて脅迫した上で金品を強取しようとしたが家人に騒ぎ立てられたためその目的を遂げなかった,というものでした。被告人の供述によると,3人組は,お這入りなさいと言う同女にいて表口家屋内に這入ったうです。所帯真夜中ない招じ入ってしょうか。大胆。また,寝床の中にいたままで「おはいり」と言って,そのまま自分が寝床の中にいる状態で来客を迎えようということであったのならば,横着ですね。というどうも連想が飛びますが,我が国の古俗たる若衆制に関する次のような記述を筆者は思い出してしまったところです。いわく,「若衆たちはムラの祭礼を執行する一方,自分の集落むらの娘たちについては自分たちで彼女らを支配しているとおもっていた。一種の神聖意識というべき感覚で,他村の若衆がムラに忍んでくるのをゆるさなかった。/かれらは,夜中,気に入ったムラの娘の家の雨戸をあけ,ひそかに通じる。一人の娘に複数の若衆がかよってくる場合がしばしばあったが,もし彼女が妊娠した場合,娘の側に,父親はだれだと指名する権利があった。」と(司馬遼太郎「若衆制」『この国のかたち 一』(文藝春秋・1990年)195頁)。またいわく,「高度成長へと緩やかに時代が動きだしていた1957年の『米』は,『青い山脈』(1949)で知られる今井正監督の最初のカラー映画ですが,霞ケ浦近辺の半農半漁の村落に暮らす若き男女の青春を描いて郷愁を誘います。隣村に集団でナンパ(夜這い?)に向かう船中でのアドバイスは,「俺,長男だッて言うンだぞ。次男だの三男だの言ってみれバヨ,どんな娘でも相手にしねエゾ」・・・」と(與那覇潤『中国化する日本』(文藝春秋・2011年)102頁)。「村落における若衆制は,ポリネシア,メラネシア,インドネシアなど太平洋諸島全円にひろく存在しているもので,中国(古代の越人の地だった福建省や広東省には存在したろう)や朝鮮には存在しない」そうですが(司馬193頁),ドイツにも無いのでしょう。),一応消極に取り扱うべきでしょうか。伯母さん宅に泊まっているうちに窃盗の犯意が生じたようでもあるからです。ただし,伯母殺しの兇器(Dolch)が伯母さん宅の台所辺りにあったナイフではなく青年が事前の計画に基づき自ら持参した短刀(檜山訳では「匕首」となっています。)であったのならば,別異に解すべきものでしょう。

Dolchの訳として小学館の『独和大辞典(第2版)コンパクト版』(2000年)に「⦅話⦆(Messer)ナイフ」とあったので,筆者はこの青年の供述は口語的だなと思ってこちらを採用したのですが,本来Dolchは「短剣,短刀」です。

 

イ 老婆の資産と青年の無資産と

 伯母さんの「糞たくさんの金」(Haufenには,お下劣ながら「(一かたまりの)糞便」という意味があるそうです。)及び多量の有価証券の価額はどれくらいかと,我が総務省統計局の平成26年全国消費実態調査の結果を見ると,2014年の70歳以上の女性単身世帯における平均貯蓄現在高は1432万円,うち有価証券分は2501千円,平均負債現在高は408千円(したがって,ネットではプラス13912千円)となっています。平均年間収入は2149千円,また,持ち家率は83.4パーセントです。

これに対して30歳未満の単身世帯男子はどうかといえば,同じ統計で見るに,平均貯蓄現在高は1908千円,うち有価証券分69千円,平均負債現在高4396千円(したがって,ネットではマイナス2488千円),平均年間収入3822千円,持ち家率14.1パーセントとなっています。我が伯母殺し青年は,上記のような政府の統計調査にまでわざわざ協力する意識の高い立派な30歳未満男子層(上記統計数字は,この層に係るものということになるのでしょう。)に属するものではなく,そのはるか下までこぼれ落ちてしまっている存在でしょうから,もっと悲惨な経済状況にあるのでしょう。

 

ウ 病身の老婆と華やぐ元気と若さの青年と

 「おばちゃんこれ以上悲しんでみたり嘆いてみたりしたって仕方がないだろ(Was nutzt es, daß sie sich noch härme)」と青年は思ったというのですが,伯母さんは何について悲しみ嘆くのか。大事にしていた虎の子の金銭及び有価証券がなくなってしまっていることについてか。しかし,「おばちゃん,ばばあでよぼよぼだった(Meine Tante war alt und schwach)」ということが繰り返されて強調されおり,「おばちゃんの荒い息づかいは止まった(Die Tante schnaufte nicht mehr)」と伯母さんの苦しそうな荒い息づかいに青年の注意は向けられていたのであるとも主張し得るところ,弁護人としては,いやいや青年は歳を取って健康状態が悪化している自分の伯母の身体的苦痛についてこれ以上見ていることは忍び難いと思っていたのです,と主張するのでしょう。

 老人は,確かにお医者さんの厄介になるばかりで,自らの心身の衰えを悲しみ嘆く日々を過ごすこととなるのでしょう。厚生労働省の「平成29年度国民医療費の概況」を見ると,2017年度の人口一人当たり国民医療費(保険診療の対象となり得る傷病の治療に要した費用)は,二十代前半男子が738百円,二十代後半男子は887百円であるのに対して,七十代前半女子は5677百円,七十代後半女子が7112百円,八十代前半女子が8639百万円で,85歳以上女子は大台を超えて10342百円となっています。

 ちなみに,2017年度の国民全体での一人当たり国民医療費は3399百円です。年代別に見て医療費額が一番低いのは十代後半で833百円,一番高いのは85歳以上で10829百円です。変な計算ですが,医療費額だけで比べると,十代後半と比べて八十代後半以降は13倍以上不健康であるということになります。

健康保険料の負担は重い。さりとて自分も「元を取る」んだとわざわざ病気になろうとするのは変な話です。健康保険料の年間納付総額から自己の年間国民医療費総額を減じて得られる差が相当しんどい額となってしまう者は,公共交通機関を利用して病院等に通わねばならない方々のためにも有益な存在として,せめて打ちひしがれて優先席に座っていても許されるということになるものでしょうか。しかし,そのようなせこいことを考える連中は,裁判官のように厳しく断罪する冷たい視線が周囲から自分に浴びせかけられているように感じてようやく初めて「ところであんたたち,やれやれ裁判官様方よ,あんたたちは,俺の華やぐ元気と若さと(したがって席を譲ってくれること)を狙っているんだね(Ihr aber, o Richter, ihr trachtet / Meiner blühenden Jugend-Jugend nach.)」と心の内でぼやいてから渋々席を立つような連中なのでしょう。お下劣です。華やぐ元気と若さとを謳歌する青年男女は,自ら進んで弱い者を助け,これからの長い人生,素晴らしい我が祖国日本の少子高齢化社会を支えるために生きていかなければなりません。

 

(2)日本刑法238条(及び240条)をめぐる問題

 さて,問題は,伯母殺し青年の前記窃盗及び殺人行為は,併せて事後強盗(刑法238条「窃盗が,財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために,暴行又は脅迫をしたときは,強盗として論ずる。」)を構成するものとなるかどうかです。ライン川を挟んでドイツのヴェーデキントもフランスのユゴーも,どういうわけか事後強盗問題で筆者を悩ませます(ジャン・ヴァルジャンをモデルとする鬼坂による事後強盗に関しては「「和歌山の野道で盗られた一厘銭」をめぐる空想」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1046231399.html)を参照)。

 まず,刑法238条の「暴行又は脅迫」に殺害行為は含まれないのだ,という議論があり得ます。

 しかし,上告審弁護人鈴木喜三郎(これは,検事総長の経験者であって,後に司法大臣となる鈴木喜三郎でしょうか。)のそのような屁理屈に対して,大審院は,殺害行為は暴行に含まれるとし,「〔刑法238条の〕暴行トハ被害者ノ反抗ヲ抑圧スルニ足ルヘキ行為ヲ謂ヒ而シテ殺害行為ハ被害者ノ反抗ヲ全然不能ナラシムヘキモノナレハ之ヲ以テ暴行ト目スヘキコト固ヨリ論ヲ俟タス」と判示しています(大判大15223日刑集546)。

 強盗犯人が故意をもって人を殺したときの適用法条についても,①刑法240(「強盗が,人を負傷させたときは無期又は6年以上の懲役に処し,死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。」)後段のみか,②同法240条後段と同法199条との観念的競合(同法541項「1個の行為が2個以上の罪名に触れ〔略〕るときは,その最も重い刑により処断す。」)となるか,又は③同法236(「暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は,強盗の罪とし,5年以上の有期懲役に処する。/前項の方法により,財産上不法の利益を得,又は他人にこれを得させた者も,同項と同様とする。」)と同法199条との観念的競合若しくは併合罪(同法45条以下)となるか,との3説間での選択の問題があります(前田254-255頁)。判例は,「強盗の機会に殺人行為が行われる場合には刑法240条後段を適用すべきもの」と判示して(最判昭3281日刑集1182065),①説を採用しています(なお,当該判示は,上告理由に当たらない旨の判断が示された上で付加された括弧書き中におけるなお書き判示でした。)。

 伯母殺し青年が伯母さんを殺した目的は,「財物を得てこれを取り返されることを防」ぐためか,「逮捕を免れ」るためか,それとも「罪跡を隠滅するため」か。これらの目的のうちのいずれかの目的がなければ,事後強盗は成立しません(前田242頁参照)。ただし,必要なのは窃盗犯人側の目的ばかりであって,「窃盗が財物の取還を拒き又は逮捕を免かれ若しくは罪跡を湮滅する為暴行又は脅迫を加へた以上」は,「被害者において財産を取還せんとし又は加害者を逮捕せんとする行為を為したと否とに拘はらず強盗を以て論」ぜられます(最判昭221129日刑集140)。

 伯母殺し青年の供述には「財物の取還を拒き又は逮捕を免かれ若しくは罪跡を湮滅する」との目的は直接現れていないのですが,しかし,常識的に考えると「罪跡を隠滅するため」にやったな,と思われるところです。

前記大審院大正15223日判決の事案も「〔被告人が〕更ニ2階ニ上リY某ノ蒲団ノ下ヲ捜リタル処同人カ目ヲ醒シタル為メ右窃取ノ目的ヲ達セス然ルニ被告人ハ右Y某ト(かね)テ面識ノ間柄ナルヲ以テ茲ニ犯罪ノ発覚センコトヲ怖レ其ノ罪跡ヲ湮滅スル為メY某ヲ殺害スヘシト決意シ携ヘ行キタル短刀(大正13年押第90号ノ1)ヲ揮ツテ同人ノ右頸部ヲ突刺シ動静両脈ヲ切断シテ即死セシメタルモノ」でした。

千葉地方裁判所木更津支部昭和53316日判決(判時903109)の事案も,被告人の自宅内で酒に酔って寝入っている被害者O(当時39年の離婚経験のある男性,9歳の一人娘を実家に預けて単身生活中。前夜20時頃から木更津市内の呑み屋を6軒,被告人におごりつつ同人とはしごをし,翌朝4時頃タクシーで被告人宅近くまで来たところで被告人に誘われて同人宅に上がり込み,炬燵に入って清酒をコップ3杯くらい飲んでごろ寝,更に720分ないしは30分ころに目覚めてコップ2杯くらいを飲み,8時過ぎ用便を済ませて家に帰ろうと言ったが腰がまだふらついていて玄関隣の6畳間に布団を敷いてもらって寝入ってしまったもの)の背広(Oが着たまま寝たので被告人が先に脱がしてやって部屋の鴨居に吊るしておいたもの)の左内ポケットから取り出した財布及び外側ポケット内から現金合計約53000円を830分頃にふと窃取した被告人が,同日19時過ぎに至って北側3畳の板の間(これは,金銭窃取後下記のとおりOの殺害を決意した被告人に8時半過ぎに引きずり込まれていた場所)でなお昏々と眠り続けているOを「北側3畳の間の手製ベッドの上に血で汚れないようにカーペットを敷き,台所から〔略〕あじ切り包丁を持ち出し,さらにベッドの側に立ち右カーペットの上に寝入っているOを両手で抱き上げて頭を南向きにして横たえ,被告人に背を向けている同人の上体を起こすようにして被告人の方に向け,長袖ワイシャツのボタンをはずすなどして胸をはだけたうえ,所携の右あじ切り包丁で同人の左胸部を心臓めがけて2回突き刺し,よって左乳部刺創による肺動脈損傷による失血死によりその場で同人を死亡させた」ものですが,その朝の窃盗後間もなく生じた「同人〔O〕が起きた際に右窃盗の犯行が発覚することをおそれて,罪跡を湮滅するため同人を殺害すること〔略〕を決意し」た決意が10時間半以上持続していたものと認定されています。「なるほど本件窃盗行為と殺害行為との間には弁護人指摘のとおり約11時間位の長時間の時間的間隔があるが,前記認定のとおり被告人は窃盗行為の後まもなく罪跡湮滅のため被害者に対する殺意を生じ,犯行を容易にするため被害者を別の部屋に移し,台所に同人殺害に使用するための兇器である包丁を取りに行こうとしたところに突然たまたま友人2名が来訪した意外の障害に本件殺害の犯行をそれ以上継続することができなかったものの,その時点ですでに本件殺害の犯行の着手に密接した行為を行っており,友人らが来てからも極力家をあけないように努め,また被害者が起きてこないように気を配っており,友人らが帰ってしまってからまもなく本件殺害の犯行に及んでいるのであって,この間殺意は依然として継続していたものと推認される。」というのが千葉地方裁判所木更津支部の判示です。

これらの前例を前にドイツの伯母殺し青年の弁護人は,被告人はその伯母の身体的・精神的苦痛を取り除いてあげるために伯母殺し行為をしてしまったのであって「罪跡を隠滅するため」などということは全く考えておりませんでした,と頑張ることになります。

 

(3)ドイツ刑法252条並びに旧刑法382条及びボワソナアド

 しかし,「罪跡を隠滅するため」との目的の存在を否認する前記の弁護人の頑張りの必要は,特殊日本的なものかもしれません。事後強盗に係るドイツ刑法252条は,次のような規定だからです。

 

  Wer, bei einem Diebstahl auf frischer Tat betroffen, gegen eine Person Gewalt verübt oder Drohungen mit gegenwärtiger Gefahr für Leib oder Leben anwendet, um sich im Besitz des gestohlenen Gutes zu erhalten, ist gleich einem Räuber zu bestrafen.

  (窃盗の際犯行現場において発覚し,盗品の占有を保持するために,人に暴行を加え,又は身体若しくは生命に対する現在の危険をもって脅迫を行った者は,強盗と同様に処断される。)

 

窃盗(Diebstahl)をした者が「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」に暴行又は脅迫を行っても,なお強盗(Räuber)扱いはされないということです。

フランス人ボワソナアドの起草に係る旧刑法(明治13年太政官布告第36号)382条もドイツ刑法252条と同様に「窃盗財ヲ得テ其取還ヲ拒ク為メ臨時暴行脅迫ヲ為シタル者ハ強盗ヲ以テ論ス」とのみ規定していました。ボワソナアド原文の『刑法草案注釈巻之下』(司法省・1886年)の659頁には「犯者其所為ノ発露シタルニ因リ盗取物ヲ保存センカ為メ暴行又ハ脅迫ヲ用ヰルトキハ始メニハ窃カニ盗取セシト雖モ之レヲ「強盗」ト看做ス(こと)当然ナリ蓋シ此場合ニ於テハ或ハ暴行ヲ加ヘントノ予謀アラサルヘキモ其大胆心ト人身ノ危険トハ之レナシトスルヲ得サレハナリ/然レトモ犯者窃盗ニ着手シタル後チ逃走ヲ容易ナラシメントノ目的ヲ以テ人ニ暴行ヲ加ヘタルトキハ其所為ヲ強盗ト称セサルヘシ此場合ニ於テハ犯罪ノ合併即チ窃盗ノ未遂犯ト暴行又ハ脅迫(暴行ハ他ニ犯罪ノ附着スルヿナシト雖モ罰セラルモノナリ)トノ俱発アレハナリ」とあります。

「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」は,1907年の現行刑法制定に当たり新たに付加され,窃盗犯を強盗犯並みに取り扱う範囲が拡張されたものということになります。日本人は,白皙人よりも生真面目で厳しい。

しかし,「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」は,つまりは「逃走ヲ容易ナラシメントノ目的」ということではないでしょうか。ということであると,現行刑法238条においては,ボワソナアドが明示的に強盗扱いしないとした場合が強盗扱いされるということになってしまっていたのでした。

ところで,事後強盗成立に必要な暴行・脅迫に係る「反抗を抑圧する程度」を通常の強取の場合よりも厳しく認定すべきものとする一連の裁判例があり(窃盗犯が「逮捕を免れ」ようとする事案に主に係るもののようです。強盗傷人では刑が重過ぎるという配慮によるものです。),これに対して「ただ,逮捕を免れるにはより大きな暴行・脅迫が必要だとするのは説得性を欠くようにも思われる」と苦慮する学説が存在するところですが(前田245-246頁),泉下のボワソナアドとしては,だから窃盗犯が逮捕を免れるために暴行・脅迫しても事後強盗にならないんだよと言っておいたでしょう,西洋流では本来事後強盗に含まれないとされる類型まで日本人のさかしらで事後強盗に加えたから面倒なことになっているんですよ,と嘆息しているものかどうか。(なお,平成7年法律第91号による改正前の刑法238条は「窃盗財物ヲ得テ其取還ヲ拒キ又ハ逮捕ヲ免レ若クハ罪跡ヲ湮滅スル為メ暴行又ハ脅迫ヲ為シタルトキハ強盗ヲ以テ論ス」と規定されていて(下線は筆者によるもの),「又は」は一番大きな選択的連結に用いられ「若しくは」それより小さな選択的連結に用いられますから,同条における三つの目的は,旧刑法以来の「其取還ヲ拒キ」と現行刑法からの「逮捕ヲ免レ」及び「罪跡ヲ湮滅スル」との二つのグループに分かれるということが読み取り得る書き振りとなっていました。これに対して平成7年法律第91号による改正後の刑法238条は「財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために」とのっぺらぼうに規定していますから,3者は同一平面において単純に並べられていることになります。)

  

(4)日本の木更津事件の罪と罰とドイツの伯母殺し事件の罪と罰

前記千葉地方裁判所木更津支部昭和53316日判決の事案においては,被告人は更に死体損壊(死体をバラバラにした。)及び死体遺棄(バラバラにした死体の各部を土中に埋めたり水溜まりに投棄したりした。)をも犯しています。バラバラにされた死体の部分うち「冷蔵庫に入れておいた大腿部の肉を食べてみる気になり,右肉を取り出して前記包丁で薄く刺身状に十切れぐらいに切ってフライパンで焼き,味塩をふりかけて焼肉にして皿に盛って食べようとしたが,いやな臭いがしたため食べるのをやめ内臓の入ったビニール袋の中に捨て,今度は同じく冷蔵庫に入れてあった陰部を取り出してまな板の上で陰のうと陰茎に切断したうえ,陰のうの切り口から睾丸を押し出し,また陰茎を尿道に沿って切り開くなどして弄ぶなどした後,陰のうの一部は両上,下肢のダンボール箱に,残りはごみを入れる紙袋の中に捨てた。」というのですから,ひどい。「死者に対する冒瀆行為としてこれに過ぎるものはなく,まさに天人ともに許されない行為というほかはない。」との千葉地方裁判所木更津支部の裁判官らの激しい憤りはもっともです。

と,思わず我が日本の事後強盗殺人事件の猟奇性に胸が悪くなってしまったところですが,窃盗,殺人及び死体遺棄(及び損壊)の罪ということではドイツの伯母殺し青年の犯した罪のリスト(窃盗,殺人及び死体遺棄)と揃ってはいるところです。

ということで,Der Tantenmörderの文学鑑賞においても適用法条や量刑相場という無粋なことが気になる法律家のさがとして,木更津事件判決の「法令の適用」の部分を見てみると次のようになっていました。

 

  被告人の判示1の所為〔事後強盗(窃盗及び殺人)〕は刑法240条後段(238条)に,判示第2の所為〔死体損壊及び遺棄〕は包括して同法190条に該当し,以上は同法45条前段〔「確定裁判を経ていない2個以上の罪を併合罪とする。」〕の併合罪であるが,後記の情状〔計画的な犯行ではないこと,被害者に対する殺害方法自体は通常の殺人に比べて特に残虐とはいえないこと,矯正不可能とはいえないこと(無前科でもあった。)及びある程度改悛の情が認められること〕を考慮して判示第1の罪の刑につき無期懲役刑を選択するのを相当と認め,同法462項本文〔「併合罪のうちの1個の罪について無期の懲役又は禁錮に処するときも,他の刑を科さない。」〕を適用して他の刑を併科せず被告人を無期懲役に処すべく押収してあるあじ切り包丁1丁は判示第1の強盗殺人の用に供した物で犯人以外の者に属しないから,同法1912〔「犯罪行為の用に供し,又は供しようとしたもの」は没収することができる。〕2〔「没収は,犯人以外の者に属しない物に限り,これをすることができる。ただし,犯人以外の者に属する物であっても,犯罪の後にその者が情を知って取得したものであるときは,これを没収することができる。」〕を適用してこれを没収することとする。

  訴訟費用については刑事訴訟法1811項但書〔「但し,被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるときは,この限りでない。」〕により被告人に負担させないこととする。

 

 無期懲役。「罪跡を隠滅するため」に暴行(殺人を含む。)又は脅迫をしたときも窃盗犯が強盗犯扱いになってしまって(刑法238条),しかして強盗犯が人を殺すと法定刑としては死刑又は無期懲役しかないということ(同法240条)が大きいところです。

 なお,我が刑法240条に対応するドイツ刑法251条は,次のとおり。

 

  Verursacht der Täter durch den Raub (§§ 249 und 250) wenigstens leichtfertig den Tod eines anderen Menschen, so ist die Strafe lebenslange Freiheitsstrafe oder Freiheitsstrafe nicht unter zehn Jahren.

  (犯人が強取行為(第249条及び第250条)によって少なくとも過失をもって(leichtfertig)他人の死をもたらしたときは,刑は,終身自由刑又は10年以上の自由刑である。)

 

ところで,我が事後強盗規定がドイツ刑法252条並みであったならば,木更津事件の犯人は事後強盗犯とはならず,窃盗,殺人及び死体損壊遺棄の3罪が併合罪となっていたのでしょう。ヴェーデキントの伯母殺し青年についても,そのようになるのでしょう。

しかし,ドイツ刑法211条は,厳しい。

 

 (1) Der Mörder wird mit lebenslanger Freiheitsstrafe bestraft.

(2) Mörder ist, wer

aus Mordlust, zur Befriedigung des Geschlechtstriebs, aus Habgier oder sonst aus niedrigen Beweggründen,

heimtückisch oder grausam oder mit gemeingefährlichen Mitteln oder

um eine andere Straftat zu ermöglichen oder zu verdecken,

einen Menschen tötet.

 ((1)謀殺犯は,終身自由刑に処す。

  2)謀殺犯とは,

    性衝動の満足のための殺意,利得欲若しくは他の低劣な動機から,

    陰険に,若しくは残虐に,若しくは公共に害のある手段をもって,又は

    他の犯罪行為を可能とするために,若しくは隠蔽するために,

   人を殺す者である。)

 

 ドイツの伯母殺し青年も,金銭及び有価証券の窃盗という他の犯罪行為を隠蔽するため(zu verdecken)に伯母さんを殺したのだということになれば,我が木更津事件の犯人が無期懲役刑に処せられたのと同様,謀殺犯として終身自由刑に処せられそうでもあります。

 結論としての罰が,妙に収束してきてしまいました。洋は東西異なっていても,法律家の世界においては,何やら不思議な統一的親和力があるということでしょうか。




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1 福岡高等裁判所平成28年6月24日判決(判タ1439136頁):指定薬物

 福岡高等裁判所第1刑事部平成28年6月24日判決(平成28年(う)第181号薬事法違反被告事件)が『判例タイムズ』第1439号(201710月号)136頁以下で紹介されています。薬事法(平成25年法律第84号による改正前のもの。以下同様)2条14項の指定薬物を所持する罪の故意の有無が争われた事件です(故意が認められ,被告人の控訴棄却。懲役6月)。『判例タイムズ』で紹介された判決文中,下線が施されていた部分は次のとおりです。

 

   当該薬物の薬理作用を認識し,そのような薬理作用があるために当該薬物が指定薬物として指定されている薬物と同様に規制され得る同種の物であることを認識していれば,当該薬物を所持し,販売し,譲り受けることなどが犯罪に該当すると判断できる社会的な意味の認識,すなわち故意の存在を認めるに足りる事実の認識に欠けるところはないということができる。

 

本件の事実関係の下では,被告人が本件植物片には指定薬物として指定されている薬物が含有されていないと信じたことに合理的な理由があったことなど,被告人の故意を否定するに足りる特異な状況も認められないというべきである。

 

 なお,薬事法2条14項は,「この法律で「指定薬物」とは,中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用(当該作用の維持又は強化の作用を含む。)を有する(がい)然性が高く,かつ,人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物(大麻取締法(昭和23年法律第124号)に規定する大麻,覚せい(﹅﹅)剤取締法(昭和26年法律第252号)に規定する覚せい剤,麻薬及び向精神薬取締法(昭和28年法律第14号)に規定する麻薬及び向精神薬並びにあへん法(昭和29年法律第71号)に規定するあへん及びけしがらを除く。)として,厚生労働大臣が薬事・食品衛生審議会の意見を聴いて指定するものをいう。」と規定していました。

 薬事法8420号は,同法76条の4の規定に違反した者(同法83条の9に該当する者を除く。)は3年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金に処せられ,又はこれを併科されると規定していました。

 薬事法76条の4は,「指定薬物は,疾病の診断,治療又は予防の用途及び人の身体に対する危害の発生を伴うおそれがない用途として厚生労働省令で定めるもの(以下この条及び次条において「医療等の用途」という。)以外の用途に供するために製造し,輸入し,販売し,授与し,所持し,購入し,若しくは譲り受け,又は医療等の用途以外の用途に使用してはならない。」と規定しています。これは,平成25年法律第103号により2014年(平成26年)4月1日から改正されたものです。ちなみに,平成25年法律第84号の施行日は2014年(平成26年)1125日でしたので,あとで成立した第103号の方が先に成立した第84号より先に施行された形になります。Sic erunt novissimi primi et primi novissimi.”(マタイ20.16)ということの実例の一つですね。

 

 福岡高等裁判所平成28年6月24日判決の事案は,「平成26年〔2014年〕8月19日,被告人に対する脅迫の被疑事実による被告人方居室の捜索差押許可状が執行され,その際本件〔乾燥〕植物片が発見され,被告人は,自身で購入したことを自認して,それを任意提出し〔略〕,その後,本件植物片が鑑定され,本件薬物の成分が検出されたことが認められるから〔略〕,被告人が本件薬物を含有する本件植物片を所持していたことは明らかである。/また,本件薬物は,平成26年7月15日公布,同月25日施行の厚生労働省令第79号により,当時の薬事法(昭和25年法律第84号による改正前のもの,現在は法律名が「医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律」と改正されており,同法において同じ規制がされている)2条14項に規定する薬物に指定された(以下「指定薬物」という)ものである。」,「被告人は,本件植物片が,中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用や当該作用の維持又は強化の作用を有する蓋然性が高く,人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある薬物を含有していること,すなわち,当時の薬事法によって規制しようとしていた薬理作用やその薬理作用による危険性を十分認識するとともに,その薬理作用を期待して本件植物片を購入し所持していたということができる。そして,被告人は,本件植物片がいわゆる危険ドラッグであることを前提に,それを購入して所持していた上,危険ドラッグの危険性や取締りの強化は十分承知しており,そのため販売員に本件植物片の規制の有無を確認しているのであるから,本件植物片の含有する本件薬物が,他の指定薬物と同様に規制され得るそれらと同種の物であり,指定薬物として取締りの対象に入る可能性を認識していたものというべきである。」,「被告人は,販売員から合法だと告げられるなどしたから合法だと信じたというのであるが,販売員でしかない者が違法か合法かを適切に判断できる立場にないことも,その言葉が信頼に足りる状況にないことも,いずれも明らかであるし,取締りの対象となって閉店した店が,再度オープンしたからといって,販売店で取り扱う商品が合法なものと推認できないこともまた明らかである。」というものでした。

平成25年法律第103号によって2014年4月1日から改正する前の薬事法76条の4は「指定薬物は,疾病の診断,治療又は予防の用途及び人の身体に対する危害の発生を伴うおそれがない用途として厚生労働省令で定めるもの(次条において「医療等の用途」という。)以外の用途に供するために製造し,輸入し,販売し,授与し,又は販売若しくは授与の目的で貯蔵し,若しくは陳列してはならない。」というものでしたから,2014年の3月中に当該植物片が押収されていたのならば販売又は授与の目的がない限り被告人は指定薬物所持罪に問擬されることはなかったのでした。

 

2 故意の成立に必要な事実の認識の範囲に係る判例の立場に関する説明

 ところで,『判例タイムズ』第1439号の匿名解説は「本判決は,このような判例の立場に関する説明と軌を一にするものといえよう。」と述べています。そこでいう「このような判例の立場に関する説明」は,どのようなものでしょうか。いわく。

 

判例は,故意の成立に必要な事実の認識の範囲は,当該構成要件の該当事実そのものを認識していることが必要であり,その一部である違法性の意識を喚起しうる範囲の事実を認識していることは故意の成立を認める証拠に止まるとしている。そして,さらに,構成要件に該当する自然的事実を認識しているだけでは足りず,構成要件に該当するとの判断を下しうる社会的意味の認識が必要であるとしている(香城敏麿・最高裁判所判例解説刑事篇平成元年度15事件)。

 

〔行政取締法規違反の罪については,〕違法性を喚起しうる一部の事実を認識していたことと行為当時の状況をあわせて考慮すると,少なくとも未必的,概括的には構成要件該当事実を認識していたと認定しうる場合には,その錯誤は法律の錯誤にとどまる。これに対し,自然的な意味での事実の認識は存在していたものの,それが構成要件事実に当たるという意味の認識を妨げる特異な事情が介在していたため,故意の成立に必要な程度に事実の認識があったとは判断できない場合には,事実の錯誤となる(香城・前掲261頁)

 

 この香城敏麿最高裁判所上席調査官は,後に福岡高等裁判所長官となっています。したがって,福岡高等裁判所の後輩裁判官としては,元長官閣下の見解を重視すべきことは当然,ということになったのでしょう。

 

3 同窓生たち

 香城敏麿長官は,刑事法のみならず,憲法分野でも名前の出て来る著名な裁判官です。筆者も不敏ながらも法律の勉強はしたわけなので,その際同長官の氏名を目にするたびに,香城敏麿とは変わった名前だなぁ,「まろ」といわれると京都の貴族みたいだなぁ,しかし,そういえば札幌での中学生時代に香城○麿さんという上級生がいたけど親戚なのかなぁ,などと漠然と考えることがあったところです。とはいえいつまでも漠然とした思いのままでは埒が開きません,インターネットでいろいろ便利になったのでふと香城長官の出身高等学校を調べたところ,何のことはない,長官は北海道立札幌南高等学校の御出身でした。香城一族は,男子は○麿と命名せられることとなっているらしい,札幌の名族であったのでした。

 で,堅い裁判官の香城敏麿長官が1935年生まれであると分かると,今度は柔らかい小説家の渡辺淳一先生と同じ時期に札幌南高校にいたのかしら,が気になるところです。後に男女の愛とその官能を綴ることで有名になる渡辺先生は1933年生まれでした。ということは,両者は2歳違いであって,同級生の加清純子嬢と付き合ってめろめろ中の将来の大作家が3年生になった時(1951年4月)に,その半世紀後の20011130日に電気通信事業紛争処理委員会(現在は電気通信紛争処理委員会(電気通信事業法(昭和59年法律第86号)144条以下))の初代委員長(同法146条)となる香城少年が入学して来たという関係であったわけです。『阿寒に果つ』の加清純子事件は,後の電気通信事業紛争処理委員会委員長が高校1年生として迎えた新年(1952年1月)に起きたのでした。


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時計台(札幌市中央区)

 

4 東京地方裁判所立川支部平成27年9月4日判決等:医薬品及び製造たばこ代用品

 

(1)薬事法24条1項・84条5号

 ところで,福岡高等裁判所平成28年6月24日判決の事案は,指定薬物の所持者について指定薬物を所持する故意があったということで公訴提起がされ,当該故意の認定が問題となった事案でした。他方,指定薬物に係る故意の認定の困難を回避するためか,いわゆる危険ドラッグの販売業者について,業として医薬品を販売の目的で貯蔵又は陳列したもの(薬事法24条1項違反。刑は,同法84条5号により3年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金に処され,又はこれを併科される。)として起訴した事例もあります。東京地方裁判所立川支部平成26年(わ)第1563号・平成27年(わ)第385号薬事法違反被告事件平成27年9月4日判決の事案などがそうです。薬事法83条の9の規定は「第76条の4の規定に違反して,業として,指定薬物を製造し,輸入し,販売し若しくは授与した者又は指定薬物を所持した者(販売又は授与の目的で貯蔵し,又は陳列した者に限る。)は,5年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金に処し,又はこれを併科する。」(平成25年法律第103号による2014年4月1日からの改正以降の条文)となっていましたが,これと比べれば同法84条5号では刑が軽くなっています。検察官としては,刑が軽くなってしまうとしても故意立証における安全性を優先したものでしょう。(福岡高等裁判所平成28年6月24日判決に係る『判例タイムズ』の匿名解説は,「本判決は,指定薬物として指定された事実についての認識をまったく不要としているものとはいえないであろう。」としつつ「指定の事実についての認識を故意に必要な認識の上でどのように位置付けるかは,今後の裁判例の集積にゆだねられているとみるべきであろう。」と述べています。「指定の事実の認識」の位置付けにくよくよしなければならない指定薬物ではなく,そのような苦労のなさそうな医薬品で行こうということだったのでしょうか。)

薬事法24条1項は,「薬局開設者又は医薬品の販売業の許可を受けた者でなければ,業として,医薬品を販売し,授与し,又は販売若しくは授与の目的で貯蔵し,若しくは陳列(配置することを含む。以下同じ。)してはならない。ただし,医薬品の製造販売業者がその製造等をし,又は輸入した医薬品を薬局開設者又は医薬品の製造販売業者,製造業者若しくは販売業者に,医薬品の製造業者が,その製造した医薬品を医薬品の製造販売業者又は製造業者に,それぞれ販売し,授与し,又はその販売若しくは授与の目的で貯蔵し,若しくは陳列するときは,この限りでない。」と規定しています。

しかし,医薬品貯蔵・陳列罪に係る故意の認定も難しい。

 

(2)医薬品の概念

医薬品の定義は,薬事法2条1項において次のように規定されていました。

 

 一 日本薬局方に収められている物

 二 人又は動物の疾病の診断,治療又は予防に使用されることが目的とされている物であつて,機械器具,歯科材料,医療用品及び衛生用品(以下「機械器具等」という。)でないもの(医薬部外品を除く。)

 三 人又は動物の身体の構造又は機能に影響を及ぼすことが目的とされている物であつて,機械器具等でないもの(医薬部外品及び化粧品を除く。)

 

指定薬物たるいわゆる危険ドラッグは薬事法2条1項3号の医薬品であるということで起訴がされたということになったのですが,「摂取して人の身体の機能に影響を及ぼすことが目的の医薬品である,いわゆる危険ドラッグ」というのみの簡単な言い方で,「摂取して人の身体の機能に影響を及ぼすこと」を「目的」としている物を皆医薬品にしてしまうということでよいものかどうか。

薬食同源といわれるところ,普通の飲食物も「人の身体の機能に影響を及ぼすこと」を「目的」として摂取されるものではないでしょうか。眠気覚ましのために砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲むことまでが,医薬品の摂取になるものかどうか。(なお,砂糖を入れたコーヒーが眠気覚ましになるのは,砂糖による胃もたれ感によるものというよりはやはり,カフェインの効果に加えて糖分が疲れた脳に速やかに栄養を補給するからでしょう。)「医薬品ノ中ニハ御承知ノ如ク薬トシテ売出シマス場合ニハ非常ニ難カシイ名前ガ附イテ居ルガ,八百屋ヘ行ケバ食物デアリ,薬屋デ売ルトキハ医薬品デアルト云フヤウナモノモ中ニハナイコトハナイ」と,つとに述べられています(第81回帝国議会衆議院薬事法案外2件委員会議録(速記)第6回106頁(灘尾弘吉政府委員(厚生省衛生局長)))。(ちなみに,81回帝国議会の協賛を得た昭和18年法律第48号の旧々薬事法には医薬品の定義がそもそもありませんでした。この点については灘尾政府委員から「出来ルコトナラバ,医薬品ニ関スル定義ヲ此ノ法律案ニ規定致シタイト考ヘマシタ次第デアリマスガ,色々勘考致シマシタケレドモ,中々此ノ点ハ政治的ニ非常ニ難カシイノデアリマス,形式ヲ申シマスレバ,日本薬局方ニ所載セラレテ居リマスモノハ薬品ト言フト云フヤウナコトハ簡単ニ行キマスガ,段々押詰メテ参リマスト,境目ニナツテ来マスト,曖昧ナモノガ出来テ来ルト云フ状況デアリマス,是等ヲ包括致シマシテ,総テニ妥当スルヤウナ定義ト云フモノヲ文字ニ表ハスコトハ中々困難デアリマスノデ,一応ソレ等ノ点ニ付キマシテハ,従来モ左様ニナツテ居ルノデアリマスルガ,薬ニ関スル吾々ノ通念ニ従ツテ処置シテ行キ,疑問ノモノニ付テハ行政的ニ然ルベク処理シテ行クト云フ風ナ考ヘ方ヲ致シテ居ル次第デアリマス」と説明されています(第81回帝国議会衆議院薬事法案外2件委員会議録(速記)第6回106頁)。)

 薬事法2条1項3号の前身は昭和23年法律第197号の旧薬事法2条4項3号の「人又は動物の身体の構造又は機能に影響を与えることが目的とされているもの(食品を除く。)」との規定でしたが(旧薬事法に至って「医薬品」の定義規定が設けられたわけです。),同号の括弧書きに注意すべきです。食品も,医薬品同様「人又は動物の身体の構造又は機能に影響を与えることが目的とされているもの」なのでした。(この括弧書きが昭和35年法律第145号の薬事法において取り去られたことについては,「なお,食品との関係につきましては,従来現行法には「(食品を除く)」という言葉が入っておりましたけれども,これは法制上検討いたしまして,食品衛生法の方に医薬品及び医薬部外品を除くという規定をおきまして,両方の調整をはかったわけでございますが,実態としては食品と医薬品,あるいは医薬部外品との関係は現在と変わらないというふうに考えております。」と説明されていますが(第34回国会参議院社会労働委員会会議録第28号3頁(高田浩運政府委員(厚生省薬務局長))),確かに医薬品が原則で食品が例外であるというよりは食品が原則で医薬品等が例外であるとする方が「法制上」落ち着きがよいでしょう。)すなわち,「人又は動物の身体の構造又は機能に影響を与えることが目的とされているもの」との文言だけでは覚束なく,もう一つ縛りをかけなくては,食品と医薬品との分別ができません。(ちなみに,食品衛生法(昭和22年法律第233号)4条1項は現在「この法律で食品とは,全ての飲食物をいう。ただし,医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律(昭和35年法律第145号)に規定する医薬品,医薬部外品及び再生医療等製品は,これを含まない。」と規定しています。)

ところで,いわゆる危険ドラッグの植物片は,喫煙用に供されています。そうだとすると,食品とはいいにくい。そうであれば,食品ではないところの「人又は動物の身体の構造又は機能に影響を及ぼすことが目的とされている物」であるのだから直ちに医薬品なのだといえるかといえば,まだなかなかそうはいきません。

 

(3)製造たばこ代用品

たばこ事業法(昭和59年法律第68号)38条2項は,次のように規定しています。

 

製造たばこ代用品とは,製造たばこ以外の物であつて,喫煙用に供されるもの(大麻取締法(昭和23年法律第124号)第1条に規定する大麻,麻薬及び向精神薬取締法(昭和28年法律第14号)第2条第1号に規定する麻薬,あへん法(昭和29年法律第71号)第3条第2号に規定するあへん並びに医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律(昭和35年法律第145号)第2条第1項に規定する医薬品及び同条第2項に規定する医薬部外品を除く。)をいう。

 

 これを見ると,喫煙用に供される植物片は,それだけでは医薬品ということにならず,積極的に医薬品等であるものとされない限り,製造たばこ代用品にとどまることになります。

 製造たばこ代用品は,たばこ事業法38条1項によって,合法の嗜好品であるところの製造たばことみなされて同法の規定が適用されるものとなっています。

 なお,製造たばこ代用品とは「葉たばこ以外のものを原料として,製造たばこと同様の形態に製造されて喫煙用に供されるもの」であって,「代用品の例としては,〔略〕アメリカにはカカオビーンズの皮を主原料としたフリーとか,イギリスではタンポポを主原料とした,どんな味がするのかよくわかりませんけれど,ハニーローズとかいうのがあるそうでございます。」と紹介されています(第101回国会衆議院大蔵委員会議録第2935頁(小野博義政府委員(大蔵大臣官房日本専売公社監理官)))。


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 札幌のタンポポ
  

(4)たばこと医薬品との分別

 ところで,薬事法2条1項3号の医薬品に該当するものとしてたばこを厳しく規制すべきだとの主張は,確かに理論の上ではあり得るところではありました。しかしながら,禁煙主義の方々のそのような主張がすげなく退けられた裁判例として,東京高等裁判所平成22年(ネ)第2176号損害賠償請求控訴事件平成24年3月14日判決があります。いわく。

 

   しかし,たばこが,大人が自由な意思で吸う吸わないを判断する嗜好品として製造・販売されてきたことは,これまで認定・説示してきたとおりである。ニコチン依存症候群に陥った者が離脱状態を緩和するために喫煙するということはあり得るが,そのことから,たばこが離脱症状の緩和を目的としているとはいえない。そして,喫煙者が喫煙をする理由の中には,手の操作的満足〔手持ちぶさた〕や娯楽的満足〔雰囲気,楽しみ〕など精神作用以外のものも含まれており〔略〕,たばこは精神作用を得ることのみを目的としているものではない。

   もっとも,たばこは,気分転換,ストレス解消,落ち着くなどの精神作用を理由としても嗜好されているものではあるが,そのことは,カフェインを含むコーヒー・茶やアルコール類など社会的に許容されている他の嗜好品においても同様である(なお,ICD-10〔略〕やDSM-(4)〔略〕においても,アルコール依存,カフェイン関連障害は一つの診断分類とされている。)しかし,薬事法が医薬品の製造・販売等について各種の規制を設けているのは,医薬品が国民の生命及び健康を保持する上での必需品であることから,医薬品の安全性を確保し,不良医薬品による国民の生命,健康に対する侵害を防止するためであり,そのため,医薬品は,治療上の効能,効果と副作用とを比較考量して,医薬品としての有用性を有しない限り,承認されることがないのである(最高裁平成7年6月23日第二小法廷判決・民集49巻6号1600頁参照)。これに対して,嗜好品は,国民の生命及び健康を保持する上での必需品ではなく,一定の健康上のリスクがあっても,これを摂取することに個人が自由な意思で価値を認めて嗜好するものであって,その価値が客観的に認められる必要やその価値が客観的にリスクを上回っていることが要求されるものではない。そうすると,嗜好品として許容されている範囲内の精神作用は,薬事法2条1項3号の人の機能への影響には該当しないと解するのが相当である。

   そして,ニコチン依存に関する今日の知見の下でも,たばこが嗜好品として許容されていることは,被控訴人日本たばこらに対する請求について説示したとおりである〔略〕。控訴人らは,たばこが嗜好品であるから医薬品に当たらないという考え方は,ニコチンの依存性が明らかにされる以前の古い認識であると主張し,たばこが今後も許容された嗜好品であり続けるかどうかは,今後の喫煙者の状況と知見の状況等を踏まえた社会一般の意見とそれを反映した立法に委ねられる問題であるが,少なくとも現時点においては,たばこの精神作用は,薬事法2条1項3号の人の機能への影響には当たらず,たばこが医薬品に該当するとはいえない。(第5の1(2)イ)

 

東京高等裁判所の当該判示に拠って強弁すれば,製造たばこ代用品たり得る植物片は,嗜好品たる製造たばこ代用品として許容されている範囲内の精神作用を有するにとどまる限りにおいては当該精神作用を目的として用いられる場合であっても薬事法2条1項3号にいう人の機能への影響を有するものではなく,したがって医薬品ではない,と言い得そうです。当該許容される精神作用の範囲は「社会一般の意見とそれを反映した立法に委ねられる」ということになれば,結局,当該植物片に係る医薬品の無許可販売業目的貯蔵・陳列罪の成立のためには,指定薬物として厚生労働省令によって現に指定されるに足る精神作用がある事実(既に指定された指定薬物を含有しているのであればこちらの要件は充足されるでしょう。)及び当該事実に係る認識が必要であるということになりそうです。

 

(5)指定薬物指定省令の公布後施行前の取締りについて

2014年9月19日の政府薬物乱用対策推進会議において厚生労働省の神田裕二医薬食品局長は「今日,新しく14物質を,規制対象となる「指定薬物」に指定しましたので,無承認医薬品としての医薬品としての指定を受けまして,先ほど申し上げた店舗数の多い4都府県に対しましては,本日既に立入検査に入って,今度規制する薬物を売っていたら無承認医薬品として取り締まる,というのを,早速今,立ち入りにちょうど今日行っているところです。」と発言しています。ここでいう「指定」は平成26年厚生労働省令第106号の公布のことで,当該省令が施行されるのは同月29日からのことでした。指定薬物としての指定自体の効力はいまだ発動されてはいないが,「社会一般の意見とそれを反映した立法」(この場合は当該省令の公布)によって当該14物質についてはその精神作用が嗜好品として許容されている範囲を超えることは明らかになったので,医薬品に係る薬事法24条1項・55条2項違反で取り締まるのだ,ということなのでしょう。

 

(6)東京地方裁判所立川支部平成27年9月4日判決における医薬品性に係る故意の認定

「摂取して人の身体の機能に影響を及ぼすことが目的」であるかどうかの目的の有無についてのいわばディジタル的判断のみでは医薬品性は立証できず,更に許容範囲を超える(すなわち指定薬物指定相当の)精神作用の存在の認識が必要になるのでしょう。しかしそうであると,医薬品所持で起訴した場合であっても,指定薬物の所持に係る福岡高等裁判所平成28年6月24日判決にいう「当該薬物の薬理作用を認識し,そのような薬理作用があるために当該薬物が指定薬物として指定されている薬物と同様に規制され得る同種の物であることを認識していれば,当該薬物を所持し,販売し,譲り受けることなどが犯罪に該当すると判断できる社会的な意味の認識,すなわち故意の存在を認めるに足りる事実の認識に欠けるところはないということができる。」の判断基準と余り変わらない判断基準となるように思われます。

東京地方裁判所立川支部平成27年9月4日判決においては,薬事法84条5号・24条1項の無許可販売業目的医薬品陳列・貯蔵罪に係る被告人の故意の認定に,次のように多くの言葉が費やされています。

 

 〔前略〕本件植物片は,上記〔略〕のとおり,吸引等の方法による人体摂取を目的として販売,使用されていたものであるところ,被告人自身そのことを認識していた。そして,被告人が,上記〔略〕のとおり,ハーブ店経営者として自ら危険ドラッグの仕入れを行い,アッパー系,ダウン系,強い,弱いなどの効能を,仕入先業者から聞かされ,これを従業員に伝えるなどしていたことや,被告人自身も店内で扱われる商品のうち,リキッドやパウダーと呼ばれる危険ドラッグを使用してその使用感を確かめるなどしていたことからすれば(被告人の供述によっても,ハーブについても1回は使用している。),被告人が〔自店〕で扱っている危険ドラッグに人体への薬理作用があることを認識していたことはもちろん,その程度についてもそれなりに認識していたものと認められる。

  このことに加えて,〔中略〕などからすれば,被告人が,本件植物片が,指定薬物等を含む規制薬物を含有し,または,薬事法に基づく医薬品成分に該当する成分を含むおそれがあり,人の身体の機能や構造に影響を及ぼすことを目的とするものであることを十分認識していたこと,すなわち,本件植物片が医薬品に該当することの基礎となる事実を十分認識していたことは明らかである。そして,以上の経緯等からすれば,被告人が,本件植物片を販売目的で貯蔵又は陳列することが違法であるとの意識を有していたことも優に認められる。(第2の2(2))

 

 「指定薬物等を含む規制薬物を含有し,または,薬事法に基づく医薬品成分に該当する成分を含むおそれ」までの認識が必要ということで,「人の身体の機能や構造に影響を及ぼすことを目的とするもの」のみについてのあっさりとした認定では済まなかったところです。

 返す刀で弁護人の主張もばっさり。

 

 〔前略〕被告人が本件植物片を使用した経験がなかったとしても,本件植物片がそれなりに強い薬理作用を有していることを十分認識し得たといえる。これらのことに加え,上記〔略〕で認定した本件における事実経過等からすれば,被告人は,本件植物片が,嗜好品として許容されている範囲を超えた強い精神作用を有するものであり,指定薬物等の規制薬物を含有する可能性があり,購入客がその薬理作用を求めて身体に摂取する目的で本件植物片を使用しているということを十分認識していたと認められ,弁護人の主張〔「被告人は,①〔自店〕で販売されている植物片について,顧客が嗜好品として使用しているとの認識を有しており,②本件植物片を自身で使用したことはなく,仕入れ先業者からは本件植物片について大まかな定型的性質を聞いていただけである上,指定薬物を含有している商品については,そのことが発覚し次第,取扱を中止するなど,指定薬物を含有する商品を排除すべく努力をしていたものであるから,自身が,指定薬物を含有する医薬品を販売しているとの認識も抱いてはいなかった,などという」〕は採用することができない。(第2の2(3)ア)

 

 と,以上はいわゆる危険ドラッグ関係の剣呑な話でした。

 

(7)健康増進法改正に関して

 ちなみに,葉っぱに火をつけてプカプカすることについて論じてしまうとつい想起されるのは,受動喫煙対策が目玉の健康増進法(平成14年法律第103号)の今次改正案です。2018年3月に内閣から第196回国会に提出された健康増進法の一部改正法案が成立すると,製造たばこ代用品も健康増進法上の「たばこ」の一種とされます(改正後同法25条の4第1号)。「受動喫煙」は「人が他人の喫煙によりたばこから発生した煙にさらされることをいう。」と定義され(改正後健康増進法25条の4第3号),「喫煙」は「人が吸入するため,たばこを燃焼させ,又は加熱することにより煙(蒸気を含む。次号において同じ。)を発生させることをいう。」と定義されています(同条2号。ここでの「たばこ」には上記のとおり製造たばこ代用品が含まれます。)。葉たばこを原材料とする喫煙用製造たばこからの煙及び蒸気のみならず,カカオビーンズの皮やタンポポを原材料とする製造たばこ代用品からの煙及び蒸気も規制対象となるということは,要はニコチンの有無にかかわらずおよそ煙は健康に害があるので取り締まられねばならないということになるようです。PM2.5なども恐ろしいですからね。人前でわざわざ火をつけて煙を出すのはけしからんということなので,人のいるところでの焚火もしてはいけないのでしょう(関係する童謡も演奏・唱歌禁止ですね。)。焼肉焼鳥焼魚の煙はどうなるのでしょうか。今の時代,「(けぶ)(),国に満てり。百姓(おほみたから)(おの)づからに富めるか」などとのたまわれてしまうと困ってしまいます。

 

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 しかし,焼肉屋さんの焼肉は,煙が出ないのですね。
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1 内田貴『民法Ⅳ』と浅田次郎「ラブ・レター」

 東京大学出版会の『民法Ⅰ~Ⅳ』教科書シリーズで有名な内田貴教授は,現在弁護士をされているそうです。

 専ら民事法関係の仕事をされるわけでしょうか(最高裁判所平成28年7月8日判決・判時232253頁の被上告人訴訟代理人など)。しかし,刑事弁護でも御活躍いただきたいところです。

 

 内田貴教授の『民法Ⅳ 親族・相続』(2002年)6364頁に「白蘭の婚姻意思」というコラムがあります。

 

  外国人の日本での不法就労を可能とするための仮装結婚が,ときにニュースになる。そのような行為も目的を達すれば有効だなどと言ってよいのだろうか。ベストセラーとなった浅田次郎の『鉄道員(〔ぽっぽや〕)』(集英社,1997年)に収録されている「ラブ〔・〕レター」という小説が,まさにそのような婚姻を描いている。中国人女性(ぱい)(らん)新宿歌舞伎町の裏ビデオ屋の雇われ店長である吾郎との婚姻届を出し,房総半島の先端付近にある千倉という町で不純な稼ぎをしていたが,やがて病死する。死を前にした白蘭は,会ったこともない夫の吾郎に宛てて感謝の手紙を書いた。遺体を荼毘に付すため千倉に赴いた吾郎はこの手紙を読む。

  さて,白蘭の手紙がいかに読者の涙を誘ったとしても,見たこともない男との婚姻など無効とすべきではないだろうか。

  〔中略〕小説とは逆に,白蘭ではなく吾郎が病死し,法律上の妻である白蘭と吾郎の親〔ママ。小説中の吾郎の夢によれば,吾郎の両親は既に亡くなり,オホーツク海沿いの湖のほとりにある漁村に兄が一人いることになっていました。〕との間で相続争いが生じたとしたらどうだろうか。伝統的な民法学説は,吾郎と白蘭の婚姻は無効だから,白蘭に相続権はないと言うだろう。しかし,たとえ不法就労を助けるという目的であれ,法律上の婚姻をすれば戸籍上の配偶者に相続権が生ずることは当事者にはわかっていたことである。それを覚悟して婚姻届を出し,当事者間では目的を達した以上,評価規範としては婚姻を有効として相続権をめぐる紛争を処理すべきだというのが本書の立場である。つまり,評価規範としては,見たこともない相手との婚姻も有効となりうる。法制度としての婚姻を当事者が利用した以上,第三者が口を挟むべきではない,という考え方であるが,読者はどのように考えられるだろうか。

 

「裏ビデオ屋」であって「裏DVD屋」でないところが前世紀風ですね。(ちなみに,刑事弁護の仕事をしていると,裏DVDに関係した事件があったりします。証拠が多くて閉口します。)

「目的の達成」とか「評価規範」といった言葉が出てきます。これは,婚姻の成立要件である婚姻意思(民法742条1号は「人違いその他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき」は婚姻は無効であると規定しています。)に係る内田教授の次の定式と関係します。

 

 「婚姻意思とは,法的婚姻に伴う法的効果を全面的に享受するという意思である。しかし,〔事後的な〕評価規範のレベルでは,たとえ一部の効果のみを目的とした婚姻届がなされた場合でも,結果的に婚姻の法的効果を全面的に生ぜしめて当事者間に問題を生じない場合には,有効な婚姻と認めて差し支えない」(内田63頁)

 

法的婚姻には数多くの法的効果(同居協力扶助義務(民法752条),貞操義務(同法770条1項1号),婚姻費用分担義務(同法760条),夫婦間で帰属不明の財産の共有推定(同法762条2項),日常家事債務連帯責任(同法761条),夫婦間契約取消権(同法754条),相続(同法890条),妻の懐胎した子の夫の子としての推定(同法772条),準正(同法789条),親族(姻族)関係の発生(同法725条),成年擬制(同法753条),夫婦の一方を死亡させた不法行為による他方配偶者の慰謝料請求権(同法711条),離婚の際の財産分与(同法768条)等)が伴いますが,これらの効果は一括して相伴うmenuであって,自分たちに都合のよい一部の効果のみを目的としてà la carte式に摘み食いするわけにはいきません。

吾郎と白蘭としては,白蘭が日本人の配偶者としての地位を得て,出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号。以下「入管法」といいます。)別表第2の上欄の日本人の配偶者等としての在留資格に在留資格を変更(入管法20条)することができるようになる効果のみを目的として婚姻届をした(民法739条1項)ということでしょう。
 (なお,婚姻の成立は吾郎については日本民法,白蘭については中華人民共和国民法により(法の適用に関する通則法(平成
18年法律第78号。以下「法適用法」といいます。)24条1項(旧法例(明治31年法律第10号)13条1項)。白蘭には,中華人民共和国の駐日代表機関が発給した証明書の添付が求められることになります(谷口知平『戸籍法』(有斐閣・1957年)107頁参照)。),婚姻の方式は日本民法及び戸籍法により(法適用法24条2項・3項(旧法例13条2項・3項)),婚姻の効力は日本民法による(法適用法25条(旧法例14条))こととなったもののようです。ちなみに,中華人民共和国婚姻法5条は,婚姻は男女双方の完全な自由意思によらなければならない旨規定しています。)

入管法の「「別表第2の上欄の在留資格をもつて在留する者」すなわち地位等類型資格をもって在留する外国人は,在留活動の範囲について〔入管法上〕何ら制限がないので,本法においてあらゆる活動に従事することができ」ます(坂中英徳=齋藤利男『出入国管理及び難民認定法逐条解説(改訂第四版)』(日本加除出版・2012年)366頁)。ただし,日本人の配偶者等の在留期間は,入管法2条の2第3項の法務省令である出入国管理及び難民認定法施行規則(昭和56年法務省令第54号。以下「入管法施行規則」といいます。)3条及び別表第2によれば,5年,3年,1年又は6月となります。入管法20条2項の法務省令である入管法施行規則20条2項及び別表第3によれば,白蘭は,日本人の配偶者等に在留資格を変更する申請をするに当たって,資料として「当該日本人〔吾郎〕との婚姻を証する文書及び住民票の写し」,「当該外国人〔白蘭〕又はその配偶者〔吾郎〕の職業及び収入に関する証明書」及び「本邦に居住する当該日本人〔吾郎〕の身元保証書」の提出を求められたようです。また,在留期間の更新(入管法21条)の都度「当該日本人〔吾郎〕の戸籍謄本及び住民票の写し」,「当該外国人〔白蘭〕,その配偶者〔吾郎〕・・・の職業及び収入に関する証明書」及び「本邦に居住する当該日本人〔吾郎〕の身元保証書」を提出していたことになります(入管法21条2項,入管法施行規則21条2項・別表第3の5)

(なお,入管法20条3項及び21条3項は「法務大臣は,当該外国人が提出した文書により・・・適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」と規定していますが,文書審査以外をしてはいけないわけではなく,同法20条3項につき「法務大臣は原則として書面審査により在留資格の変更の許否を決定するという趣旨である。しかし,法務大臣が適正な判断を行うために必要と認める場合には入国審査官をして外国人その他の関係人に対し出頭を求め,質問をし,又は文書の提出を求める等の事実の調査(第59条の2)をさせることができるほか,審査の実務においては,任意の方法により外国人の活動実態等を実地に見聞することが行われている。」と説明されています(坂中=齋藤454455頁)。)

内田教授は,「「婚姻には婚姻意思がなければならない(婚姻意思のない婚姻は無効である)」という法的ルールが〔事前の〕行為規範として働く場面では,〔略〕やはりその法的効果を全面的に享受するという意思をもって届出をなすべきであり,単なる便法としての婚姻〔略〕は望ましくないという議論は,十分説得的である。」としつつ,「しかし,ひとたび便法としての婚姻届〔略〕が受理されてしまった場合,この行為をどのように評価するかという局面では別の考慮が働く。たとえ婚姻の法的効果を全面的に享受する意思がなかった場合であっても,当事者が便法による目的をすでに達しており,婚姻の法的効果を全面的に発生させても当事者間にはもはや不都合は生じないという場合には(たとえば,当事者間には紛争がなく,もっぱら第三者との関係で紛争が生じている場合など),〔事後の〕評価規範を〔事前の〕行為規範から分離させて,実質的婚姻意思(全面的享受意思)がなくても婚姻は有効であるという扱いを認める余地がある。〔略〕最判昭和381128日〔略〕は,便法としての離婚がその目的を達した事案であるが,まさにこのような観点から正当化できるのである。」と説いています(内田62頁)。「最判昭和381128日」は,「旧法下の事件であるが,妻を戸主とする婚姻関係にある夫婦が,夫に戸主の地位を与えるための方便として,事実上の婚姻関係を維持しつつ協議離婚の届出を行ない,その後夫を戸主とする婚姻届を改めて出したという事案」であって,「訴訟は,妻の死後,戸籍上いったん離婚したことになっているために戦死した長男の遺族扶助料を受けられなくなった夫が,離婚の届出の無効を主張してものであるが,最高裁は便法としての離婚を有効とした」ものです(内田58頁)。

「〔以上の内田説が採用されたならば〕便法として婚姻届を出すことが増えるのではないかという心配があろう。しかし,〔当事者間で〕もめごとが生ずればいつ無効とされるかもしれないというリスクはあるのであって,それを覚悟して行なうなら,あえて問題とするまでもないだろう。なぜなら,便法としての婚姻届そのものは,道徳的に悪というわけではないからである。」というのが内田貴弁護士の価値判断です(内田63頁)。

 

2 吾郎と白蘭の犯罪

しかしながら,吾郎と白蘭とが婚姻届を出した行為は,「道徳的に悪というわけではない」日中友好のほのぼのとした話であるどころか,犯罪行為なのです。

 

 (公正証書原本不実記載等)

刑法157条 公務員に対し虚偽の申立てをして,登記簿,戸籍簿その他の権利若しくは義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせ,又は権利若しくは義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に不実の記録をさせた者は,5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

2 〔略〕

3 前2項の罪の未遂は,罰する。

 

 吾郎と白蘭との婚姻の方式は日本民法及び戸籍法によったものと解されるわけですが,「日本人と外国人との婚姻の届出があつたときは,その日本人について新戸籍を編成する。ただし,その者が戸籍の筆頭に記載した者であるときは,この限りでない。」と規定されています(戸籍法16条3項)。「日本人と外国人が婚姻した場合,婚姻の方式について日本法が準拠法になれば必ず婚姻届が出され,その外国人は日本戸籍に登載されないとしても,この婚姻は日本人配偶者の身分事項欄にその旨の記載がなされるので,婚姻関係の存在だけは戸籍簿上に表示される」ところです(澤木敬郎・道垣内正人『国際私法入門(第4版補訂版)』(有斐閣・1998年)136137頁)。「国籍の変更はないから日本人たる夫或は妻の戸籍に何国人某と婚姻の旨記載する。氏や戸籍の変更はない(夫婦の称する氏欄の記載の要がない)」ところ(谷口107頁),日本国民の高野吾郎と中華人民共和国民の康白蘭とが婚姻したからといって両者の氏が同一になるわけではありません(民法750条どおりというわけにはいきません。ただし,戸籍法107条2項により吾郎は婚姻から6箇月以内の届出で氏を康に変えることができたところでした。)。「外国人にも戸籍法の適用があり出生,死亡などの報告的届出義務を課せられ(日本在住の外国人間の子及び日本在住米国人と日本人間の子につき出生届出義務を認める,昭和24年3月23日民甲3961号民事局長回答),創設的届出も日本において為される身分行為についてはその方式につき日本法の適用がある結果,届出が認められる。但し外国人の戸籍簿はないから,届書はそのまま綴り置き戸籍に記載しない。ただ身分行為の当事者一方が日本人であるときは,その者の戸籍にのみ記載することとなる。」というわけです(谷口5455頁)。

吾郎の戸籍の身分事項欄に当該公務員によって記載又は記録(戸籍法119条1項)された白蘭との婚姻の事実が虚偽の申立てによる不実のものであれば,刑法157条1項の罪が,婚姻届をした吾郎及び白蘭について成立するようです。第一東京弁護士会刑事弁護委員会編『量刑調査報告集Ⅳ』(第一東京弁護士会・2015年)144145頁には「公正証書原本不実記載等」として2008年7月から2013年2月までを判決日とする19件の事案が報告されていますが,そのうち18件が吾郎・白蘭カップル同様の日本人と外国人との「偽装婚姻」事案となっています。大体執行猶予付きの判決となっていますが,さすがに同種前科3犯の被告人(日本人の「夫」)は実刑判決となっています。外国人の国籍は,ベトナム,中華人民共和国,大韓民国,フィリピン及びロシアとなっていて,その性別は女性ばかりではなく男性もあります。

 内田弁護士の前記理論は,見事に無視されている形です。

 実務は次の最高裁判所の判例(昭和441031日第二小法廷判決民集23101894頁)に従って動いているのでしょう。

 

 〔民法742条の〕「当事者間に婚姻をする意思がないとき」とは,当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思を有しない場合を指すものと解すべきであり,したがってたとえ婚姻の届出自体について当事者間に意思の合致があり,ひいて当事者間に,一応,所論法律上の夫婦という身分関係を設定する意思はあったと認めうる場合であっても,それが単に他の目的を達するための便法として仮託されたものにすぎないものであって,前述のように真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がなかった場合には,婚姻はその効力を生じないものと解すべきである。

  これを本件についてみるに,〔中略〕本件婚姻の届出に当たり,XYとの間には, B女に右両名間の嫡出子としての地位を〔民法789条により〕得させるための便法として婚姻の届出についての意思の合致はあったが,Xには,Y女との間に真に前述のような夫婦関係の設定を欲する効果意思はなかったというのであるから,右婚姻はその効力を生じないとした原審の判断は正当である。所論引用の判例〔便法的離婚を有効とした前記最判昭和381128日〕は,事案を異にし,本件に適切でない。

 

 内田弁護士の主張としては,最判昭和441031日の事案では「一方当事者が裏切った」ことによって「便法が失敗」したから「全面的に婚姻〔略〕の法的効果を生ぜしめることは,明らかに当事者の当初の意図に反する。そこで,原則通り行為規範をそのまま評価規範として用いて,結果的に意思を欠くから無効という判断」になったのだ(内田63頁),しかし,最判昭和381128日の事案では問題の便法的離婚について「当該身分行為の効果をめぐって当事者間に紛争が生じた場合」ではなかったのだ(夫婦間で紛争のないまま妻は既に死亡),最判昭和441031日で最高裁判所の言う「事案を異にし」とはそういう意味なのだ,だから,吾郎・白蘭間の「偽装婚姻」被告事件についても当事者である吾郎と白蘭との間で紛争がなかった以上両者の婚姻は有効ということでよいのだ,公正証書原本不実記載等の罪は成立しないのだ,検察官は所詮第三者にすぎないのだからそもそも余計な起訴などすべきではなかったのだ,ということになるのでしょうか。

 (なお,筆者の手元のDallozCODE CIVIL (ÉDITION 2011)でフランス民法146条(Il n’y a pas de mariage lorsqu’il n’y a point de consentement.(合意がなければ,婚姻は存在しない。))の解説部分を見ると,19631120日にフランス破毀院第1民事部は,「夫婦関係とは異質な結果を得る目的のみをもって(ne…qu’en vue d’atteindre un résultat étranger à l’union matrimoniale)両当事者が挙式に出頭した場合には合意の欠缺をもって婚姻は無効であるとしても,これに反して,両配偶者が婚姻の法的効果を制限することができると信じ,かつ,特に両者の子に嫡出子としての地位(la situation d’enfant légitime)を与える目的のみのために合意を表明した場合には,婚姻は有効である。」と判示したようです。)
 (入管法74条の8第1項は「退去強制を免れさせる目的で,第24条第1号又は第2号に該当する外国人を蔵匿し,又は隠避させた者は,3年以下の懲役又は300万円以下の罰金に処する。」と規定していますが(同条2項は営利目的の場合刑を加重,同条3項は未遂処罰規定),入管法24条1号に該当する外国人とは同法3条の規定に違反して本邦に入った者(不法入国者(我が国の領海・領空に入った段階から(坂中=齋藤525頁))),同法24条2号に該当する外国人は入国審査官から上陸の許可等を受けないで本邦に上陸した者(不法上陸者)であって,白蘭は合法的に我が国に入国・上陸しているでしょうから,白蘭との「偽装婚姻」が入管法74条の8に触れるということにはならないでしょう。むしろ,平成28年法律第88号で整備され,2017年1月1日から施行されている入管法70条1項2号の2の罪(偽りその他不正の手段により在留資格の変更又は在留資格の更新の許可を受けた者等は3年以下の懲役若しくは禁錮若しくは300万円以下の罰金又はその懲役若しくは禁錮及び罰金を併科)及び同法74条の6の罪(営利の目的で同法70条1項2号の2に規定する行為の実行を容易にした者は3年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金又はこれを併科)が「偽装婚姻」に関係します。「偽りその他不正の手段」は,入管法22条の4第1項1号について「申請人が故意をもって行う偽変造文書,虚偽文書の提出若しくは提示又は虚偽の申立て等の不正行為をいう。」と説明されています(坂中=齋藤489頁)。「営利の目的で」は,入管法74条2項について「犯人が自ら財産上の利益を得,又は第三者に得させることを目的としてという意味」であるとされています(坂中=齋藤1016頁)。入管法74条の6の「実行を容易にした」行為については,「「営利の目的」が要件になっているが,行為態様の面からは何ら限定されていないから,「〔略〕実行を容易にした」といえる行為であれば本罪が成立する。」とされています(坂中=齋藤1027頁)。)


3 婚姻事件に係る検察官の民事的介入

 しかし,検察官は婚姻の有効・無効について全くの第三者でしょうか。

 

(1)検察官による婚姻の取消しの訴え

 

ア 日本

民法744条1項は「第731条から第736条までの規定に違反した婚姻〔婚姻適齢未満者の婚姻,重婚,再婚禁止期間違反の婚姻,近親婚,直系姻族間の婚姻又は養親子等の間の婚姻〕は,各当事者,その親族又は検察官から,その取消しを家庭裁判所に請求することができる。ただし,検察官は,当事者の一方が死亡した後は,これを請求することができない。」と規定しているところです。検察庁法(昭和22年法律第61号)4条に規定する検察官の職務に係る「公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務」に当たるものです。「前記のような要件違反の婚姻が存続することは,社会秩序に反するのみならず,国家的・公益的立場からみても不当であって放置すべきでないため,たとえ各当事者やその親族などが取消権を行使しなくても,公益の代表者たる検察官をして,その存続を解消させるべきだという理由によるものと思われる。」とされています(岡垣学『人事訴訟の研究』(第一法規・1980年)61頁)。

 

イ フランス

 母法国であるフランスの民法では,「婚姻取消の概念はなく,合意につき強迫などの瑕疵があって自由な同意がない場合(同法180条),同意権者の同意を得なかった場合(同法182条)には,その婚姻は相対的無効であり(理論上わが民法の婚姻取消に相当),特定の利害関係人が一定の期間内に無効の訴を提起することができるが,検察官が原告となることはない〔ただし,その後の改正により,第180条の自由な同意の無い場合は検察官も原告になり得ることになりました。〕。これに対して,不適齢婚,〔合意の不可欠性,出頭の必要性,〕重婚,近親婚に関する規定(同法144条・〔146条・146条の1・〕147条・161条‐163条)に違反して締結された公の秩序に関する実質的要件を欠く婚姻は絶対無効とし,これを配偶者自身,利害関係人のほか,検察官も公益の代表者として主当事者(Partieprincipale(sic))となり,これを攻撃するため婚姻無効の訴を提起することができるのみならず,その義務を負うものとしている(同法184条・190条)」そうです(岡垣6162頁)。フランス民法190条は「Le procureur de la République, dans tous les cas auxquels s’applique l’article 184, peut et doit demander la nullité du mariage, du vivant des deux époux, et les faire condamner à se séparer.(検察官は,第184条が適用される全ての事案において,両配偶者の生存中は,婚姻の無効を請求し,及び別居させることができ,かつ,そうしなければならない。)」と規定しています。

 フランスにおける婚姻事件への検察官による介入制度の淵源は,人事訴訟法(平成15年法律第109号)23条の検察官の一般的関与規定(「人事訴訟においては,裁判所又は受命裁判官若しくは受託裁判官は,必要があると認めるときは,検察官を期日に立ち会わせて事件につき意見を述べさせることができる。/検察官は,前項の規定により期日に立ち会う場合には,事実を主張し,又は証拠の申出をすることができる。」)に関して,次のように紹介されています。

 

 〔前略〕フランス法が婚姻事件につき検察官の一般的関与を認めた淵源を遡ると,近世教会法における防禦者(matrimonü)関与の制度にいたる。もともとローマ法には身分関係争訟に関する特別手続がなく,民事訴訟の原則がそのまま適用されており,右の特別手続を定めたのは教会法である。すなわち,近世ヨーロッパでは婚姻事件は教会(教会裁判所)の管轄に属しており,174111月3日の法令をもって,婚姻無効事件には防禦者が共助のために関与すべきものとし,これに婚姻を維持するための事情を探求し,また証拠資料を提出する職責を与えたため,防禦者は事件に関する一切の取調に立ち合うことを必要とした。――今日のバチカン教会婚姻法が,婚姻無効訴訟を審理する教会裁判所は,3名の裁判官,1名の公証人のほかに,被告の弁護人で婚姻の有効を主張して争うことを職務とする婚姻保護官(defensor vinculi)からなるとしているのは(同法1966条以下),この流れを引くものとみられる。――その後婚姻事件に関する管轄が教会から通常裁判所に移るとともに,フランスでは防禦者に代って公益の代表者たる検察官が訴訟に関与するものとされたのである。(岡垣116頁)

 

  フランスでは,人事訴訟のみならず民事事件全般につき,検察官の一般的関与の権限を認める1810年4月20日の法律(Sur l’organization(sic) de l’odre(sic) judiciaire et l’administration de la justice46条が現在でも有効である。検察官は当事者でない訴訟においても,法廷で裁判官に意見を述べるため,従たる当事者(partie jointe)として関与するのである。この関与は原則として任意的であって,検察官はとくに必要であると認めるときでなければ関与しない。しかし,破毀院の事件,人の身分および後見に関する事件その他検察官に対し事件の通知――記録の事前回付――をすべきものと法定されている事件ならびに裁判所が職権をもって検察官に対し通知すべきことを命じた事件(フランス民訴法83条)については,検察官の関与が必要的であって,意見の陳述をなすべきものとされている。(岡垣118頁)

 

  1810年4月20日の司法部門組織及び司法行政に関する法律46条は,次のとおり(どういうわけか,ルクセンブルク大公国の官報局のウェッブ・サイトにありました。)。

 

 46.

  En matière civile, le ministère public agit d’office dans les cas spécifiés par la loi.

  Il surveille l’exécution des lois, des arrêts et des jugements; il poursuit d’office cette exécution dans les dispositions qui intéressent l’ordre public.

(民事については,検察官(le ministère public)は,法律で定められた事件において職責として(d’office)訴訟の当事者となる(agit)。

 検察官は,法律並びに上級審及び下級審の裁判の執行を監督し,公の秩序にかかわる事項における当該執行は,職責として訴求する。)

 

 この辺,現在のフランス民事訴訟法は次のように規定しています。

 

Article 421

Le ministère public peut agir comme partie principale ou intervenir comme partie jointe. Il représente autrui dans les cas que la loi détermine.

(検察官は,訴訟の主たる当事者となり,又は従たる当事者として訴訟に関与することができる。検察官は,法律の定める事件において他者を代理する。)

 

Article 422

Le ministère public agit d’office dans les cas spécifiés par la loi.

(検察官は,法律で定められた事件において職責として訴訟の当事者となる。)

 

Article 423

En dehors de ces cas, il peut agir pour la défense de l’ordre public à l’occation des faits qui portent atteinte à celui-ci.

 (前条に規定する場合以外の場合において,検察官は,公の秩序に侵害を及ぼす事実があるときは,公の秩序の擁護のために訴訟の当事者となることができる。)

 

Article 424

Le ministère public est partie jointe lorsqu’il intervient pour faire connaître son avis sur l’application de la loi dans une affaire dont il a communication.

 (検察官は,事件通知があった事件について法の適用に係る意見を述べるために関与したときは,従たる当事者である。)

 

Article 425

Le ministère public doit avoir communication:

1° Des affaires relatives à la filiation, à l’organisation de la tutelle des mineurs, à l’ouverture ou à la modification des mesures judiciaires de protection juridique des majeurs ainsi que des actions engagées sur le fondement des dispositions des instruments internationaux et européens relatives au déplacement illicite international d’enfants;

2° Des procédures de sauvegarde, de redressement judiciaire et de liquidation judiciaire, des causes relatives à la responsabilité pécuniaire des dirigeants sociaux et des procédures de faillite personnelle ou relatives aux interdictions prévues par l’article L.653-8 du code de commerce.

Le ministère public doit également avoir communication de toutes les affaires dans lesquelles la loi dispose qu’il doit faire connaître son avis.

(次に掲げるものについては,検察官に対する事件通知がなければならない。

第1 親子関係,未成年者の後見組織関係,成年者の法的保護のための司法的手段の開始又は変更関係の事件並びに子供の国際的不法移送に係る国際的及び欧州的文書の規定に基づき提起された訴訟

第2 再生,法的更生及び法的清算の手続,会社役員の金銭的責任に関する訴訟並びに個人の破産又は商法典L第653条の8の規定する差止めに関する手続

それについて検察官が意見を述べなくてはならないと法律が定める全ての事件についても,検察官に対する事件通知がなければならない。)

 

Article 426

Le ministère public peut prendre communication de celles des autres affaires dans lesquelles il estime devoir intervenir.

(検察官は,その他の事件のうち関与する必要があると思料するものについて,事件通知を受けることができる。)

 

Article 427

Le juge peut d’office décider la communication d’une affaire au ministère public.

 (裁判官は,その職責に基づき,事件を検察官に事件通知することを決定することができる。)

 

Article 428

La communication au ministère public est, sauf disposition particulière, faite à la diligence du juge.

Elle doit avoir lieu en temps voulu pour ne pas retarder le jugement.

 (検察官に対する事件通知は,別段の定めがある場合を除いては,裁判官の発意により行う。

 事件通知は,裁判の遅滞をもたらさないように適切な時期に行われなければならない。)

 

Article 429

Lorsqu’il y a eu communication, le ministère public est avisé de la date de l’audience.

 (事件通知があったときには,検察官は弁論期日の通知を受ける。)

 

ウ ドイツ

ドイツはどうかといえば,第二次世界大戦敗戦前は「詐欺・強迫などの事由のある婚姻は取り消しうるものとし,特定の私人が一定の期間内に婚姻取消の訴を提起することができるが,検察官の原告適格を認めていない。しかし,重婚,近親婚などの制限に違反した婚姻は無効とし,該婚姻につき検察官および各配偶者などにその訴の原告適格を認めていた。ところが,〔略〕右の無効原因がある場合につき,第二次大戦後の婚姻法改正によって,西ドイツでは検察官の原告適格を全面的に否定した」そうです(岡垣62頁)。

 

(2)検察官による婚姻の無効の訴え(消極)

 民法742条1号に基づく婚姻の無効の訴え(人事訴訟法2条1号)の原告適格を検察官が有するか否かについては,しかしながら,「民法その他の法令で検察官が婚姻無効の訴について原告適格を有することを直接または間接に規定するものはなく,その訴訟物が〔略〕私法上の実体的権利であることを考えると,民法は婚姻取消の特殊性にかんがみ,とくに検察官に婚姻取消請求権なる実体法上の権利行使の権能を与えたものとみるべきであり,婚姻取消の訴につき検察官の原告適格が認められているからといって,婚姻無効の訴にこれを類推することは許されないというべきである。」と説かれています(岡垣66頁)。

婚姻関係の存否の確認の訴え(人事訴訟法2条1号)についても,「この訴における訴訟物は夫婦関係の存否確認請求権であって,その本質は実体私法上の権利であるところ,民法その他の法令で検察官にその権利を付与したとみるべき規定がないため」,婚姻の無効の訴えについてと同様「この訴についても検察官の原告適格を認めることができないであろう。」とされています(岡垣73頁)。

戸籍法116条2項は,適用の場面の無い空振り規定であるものと解されているところです(法務省の戸籍制度に関する研究会の第5回会合(2015年2月19日)に提出された資料5の「戸籍記載の正確性の担保について」6頁・11頁)。戸籍法116条は,「確定判決によつて戸籍の訂正をすべきときは,訴を提起した者は,判決が確定した日から1箇月以内に,判決の謄本を添附して,戸籍の訂正を申請しなければならない。/検察官が訴を提起した場合には,判決が確定した後に,遅滞なく戸籍の訂正を請求しなければならない。」と規定しています。これに対して,検察官の提起した婚姻取消しの訴えの勝訴判決に基づく戸籍記載の請求に係る戸籍法75条2項の規定は生きているわけです。

 

(3)検察官による民事的介入の実態

 婚姻の無効の訴えについて検察官には原告適格は無いものとされているところですが,そもそも検察官による婚姻の取消しの訴えの提起も,2001年4月1日から同年9月30日までの間に調査したところその間1件も無く,検察庁で「これについて実際にどういう手続をとっているかということも分からない」状態でした(法制審議会民事・人事訴訟法部会人事訴訟法分科会第3回会議(20011116日)議事録)。

 また,検察官の一般的関与について,旧人事訴訟手続法(明治31年法律第13号)には下記のような条項があったところですが,同法5条1項は大審院も「検事ニ対スル一ノ訓示規定ニ外ナラ」ないとするに至り(大判大正9・1118民録261846頁),弁論期日に検察官が出席し立ち会わないことは裁判所が審理を行い判決をするにつきなんらの妨げにもならないとされていたところです(岡垣129頁・128頁)。同法6条については,「人事訴訟手続法6条・26条に「婚姻(又ハ縁組)ヲ維持スル為メ」という文言のあるのは,単に〔当時のドイツ民事訴訟法を範としたという〕沿革的な意味をもつにとどまり,一般に婚姻または縁組を維持するのが公益に合致することが多く,かつ,望ましいところでもあるので,その趣旨が示されているにすぎず,それ以上の意義をもつものではない。したがって,右人事訴訟手続法上の文言にもかかわらず,検察官は婚姻事件および養子縁組事件のすべてにつき,婚姻または縁組を維持する為めであると否とを論ぜず,事実および証拠方法を提出することが可能というべきである。」と説かれていました(岡垣149頁)。要は,旧人事訴訟手続法の規定と検察官の仕事の実際との間には齟齬があったところです。2001年4月1日から同年9月30日までの間に係属した人事訴訟事件について,検察庁は4248件の通知を受けていますが(旧人事訴訟手続法5条3項),「これに対して検察官の方がとった措置というのはゼロ件」でありました(法制審議会民事・人事訴訟法部会人事訴訟法分科会第3回会議(20011116日)議事録)。

 

 第5条 婚姻事件ニ付テハ検察官ハ弁論ニ立会ヒテ意見ヲ述フルコトヲ要ス

  検察官ハ受命裁判官又ハ受託裁判官ノ審問ニ立会ヒテ意見ヲ述フルコトヲ得

  事件及ヒ期日ハ検察官ニ之ヲ通知シ検察官カ立会ヒタル場合ニ於テハ其氏名及ヒ申立ヲ調書ニ記載スヘシ

 

 第6条 検察官ハ当事者ト為ラサルトキト雖モ婚姻ヲ維持スル為メ事実及ヒ証拠方法ヲ提出スルコトヲ得

 

(4)仏独における婚姻の無効の訴え

 

ア フランス

 これに対してフランスはどうか。「フランス民法は,その146条で,合意なきときは婚姻なしと規定し,婚姻は当事者の真に自由な合意の存在を要するという大原則を宣言するとともに,右の規定に違反して締結された婚姻は,前に婚姻取消の関係において述べたと同じく配偶者自身,利害関係人または検察官が主当事者としてこれを攻撃しうべく,検察官は配偶者双方の生存中にかぎって婚姻無効の訴を提起することができ,しかもこれを提起すべき義務を有するとしている(同法184条・190条)。さらに婚姻の形式的要件とされる公開性の欠如または無管轄の身分官吏の面前で挙式された婚姻は,配偶者自身,父母などのほか検察官もこれを攻撃するため,婚姻無効の訴を提起することができるとしている(同法191条)。」と報告されています(岡垣6667頁)。

 

イ ドイツ

 次は,ドイツ。「ドイツでは,もと民事訴訟法632条が婚姻無効の訴につき検察官の原告適格を認めるとともに,1938年の婚姻法は検察官のみが婚姻無効の訴を提起しうる場合,検察官および配偶者の一方が婚姻無効の訴を提起しうる場合,婚姻が当事者の一方の死亡や離婚によって解消後は検察官のみが原告適格を有すること,当事者双方が死亡したときは何びとも訴を提起しえない旨を規定し(同法21条ないし28条。同民訴法632条・636条・628条参照),1946年の婚姻法も手続的には同趣旨の規定をしていた(同法24条。1938年婚姻法28条において,検察官が訴を提起しうる場合についてはナチス的色彩が強度であったが,これが改正された点が著しく異る)。そのほか,同民事訴訟法640条3項後段は,検察官が子の両親に対して,または一方の親の死亡後生存する親に対して婚姻無効の訴を提起した場合に,判決確定前両親が死亡したときは,検察官は婚姻無効の訴を子に対する非嫡出確定の訴に変更すべきものとしていた。しかるに,西ドイツでは第二次大戦後1961年の改正婚姻法が非嫡出子確定の訴を削除したため,それにともなって右の制度も廃止されるにいたった。」とのことです(岡垣67頁)。

 

4 婚姻の無効の性質と刑事訴訟

 婚姻の無効の性質については,「多数説は当然無効説を支持」しているところ(すなわち,裁判による無効の宣言をもって無効となるとする形成無効説を採らない。),「判例も当然無効説に立つ(最判昭和34年7月3日民集13‐7‐905。その結果,人訴法2条1号の定める婚姻無効の訴えは確認の訴えと解することになる。ただし,同法24条により対世的効力がある)」ものとされています(内田82頁)。

 日本の民法の世界では検察官には婚姻の無効の訴えを吾郎及び白蘭を被告として提起する(人事訴訟法12条2項)原告適格はないにもかかわらず,刑法の世界では,婚姻の無効は当然無効であることを前提として,公正証書原本不実記載等の罪の容疑で吾郎及び白蘭を逮捕・勾留した上でぎゅうぎゅう取り調べ,公訴を提起して有罪判決を得て二人を前科者にしてしまうことができるという成り行きには,少々ねじれがあるようです。「婚姻意思」が無い婚姻であっても「社会秩序に反するのみならず,国家的・公益的立場からみても不当であって放置すべきでない」ほどのものではないから婚姻の無効の訴えについて検察官に原告適格を与えなかったものと考えれば,民事法の世界では関与を謝絶された検察官が,刑事法の世界で「夫婦たるもの必ず「食卓と床をともにする関係」たるべし(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)55頁参照),「社会で一般に夫婦関係と考えられているような男女の精神的・肉体的結合」あるべし(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)14頁参照),「永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真しな意思をもって共同生活を営む」べし(最高裁判所平成141017日判決・民集56巻8号1823頁参照)。そうでないのに婚姻届を出したけしからぬ男女は処罰する。」と出張(でば)って来ることにやややり過ぎ感があります。検察官が原告適格を有する婚姻取消事由のある婚姻を戸籍簿に記載又は記録させても,それらの婚姻は取消しまでは有効なので(民法748条1項),公正証書原本不実記載等の罪にならないこととの比較でも不思議な感じとなります。実質的には出入国管理の問題として立件されてきているのでしょうから,今後は入管法70条1項2号の2及び同法74条の6を適用するか(ただし,日本弁護士連合会の2015年3月19日付けの意見書の第2の1(2)は,従来の刑法157条による対処で十分だとしているようではあります。),あるいは後記フランス入管法L623‐1条のような規定を我が入管法にも設けて対処する方が分かりやすいかもしれません。

 
  
5 有罪判決の後始末:戸籍の訂正

 検察官が婚姻の取消しの訴えを提起して勝訴したときについては,前記の戸籍法75条2項が「裁判が確定した後に,遅滞なく戸籍記載の請求をしなければならない。」と規定しています。これに対して,吾郎と白蘭との婚姻が無効であることが公正証書原本不実記載等の罪に係る刑事事件の判決で明らかになり,当該判決が確定した場合は吾郎の戸籍をどう訂正すべきでしょうか。

 戸籍制度に関する研究会の第5回会合に提出された資料5「戸籍記載の正確性の担保について」に「偽装婚姻について,刑事訴訟法第498条第2項ただし書の規定により市区町村に通知があった件数は,統計を開始した平成201218日から平成261231日までの累計で448件に及ぶ。」とありますので(5頁(注17)),「偽装婚姻」に係る公正証書原本不実記載等の罪の裁判を執行する一環として,「〔偽造し,又は変造された〕物が公務所に属するときは,偽造又は変造の部分を公務所に通知して相当な処分をさせなければならない。」との刑事訴訟法498条2項ただし書に基づく処理をしているようです。(この「公務所への通知も,没収に準ずる処分であるから,押収されていると否とにかかわらず,490条および494条の規定に準じて,検察官がなすべきである。」とされています(松尾浩也監修・松本時夫=土本武司編集代表『条解刑事訴訟法 第3版増補版』(弘文堂・2006年)1008頁)。)通知を受ける公務所は上記会合に提出された参考資料6「戸籍訂正手続の概要」によれば本籍地の市区町村長であり,これらの市区町村長が届出人又は届出事件の本人に遅滞なく通知を行い(戸籍法24条1項),届出人又は届出事件の本人が戸籍法114条の家庭裁判所の許可審判(家事事件手続法(平成23年法律第52号)別表第1の124項)を得て市区町村長に訂正申請をするか,又は同法24条1項の通知ができないとき,若しくは通知をしても戸籍訂正の申請をする者がないときは,当該市区町村長が管轄法務局又は地方法務局の長の許可を得て職権で戸籍の訂正(同条2項)をすることになるようです。

ところが,「戸籍訂正の対象となる事件の内容が戸籍法114条によって処理するを相当とする場合には本人にその旨の通知をし,本人が訂正申請をしないときは戸籍法24条2項により監督法務局又は地方法務局長の許可を得て市町村長が職権訂正をすべきであり(昭和25年7月20日民甲1956号民事局長回答),そしてこの場合のみ市町村長の職権訂正を監督庁の長は許可する権限がある」ものの,「戸籍法116条によって処理するのを相当とするものに対しては許可の権限がないとせられる(昭和25年6月10日民甲1638号民事局長回答)。」ということであったようであって(谷口162頁),前記戸籍制度に関する研究会の第5回会合においても「戸籍法第114条の訂正は,創設的な届出が無効な場合が対象となるが,一つ条件があり,無効であることが戸籍面上明らかであることが必要とされている。例えば,婚姻届の届出がされ,戸籍に記載された後,夫か妻の(婚姻前の日付で)死亡届が出されて,死亡の記載がされたような場合が考えられる。」との,呼応するがごとき発言がありました(議事要旨3頁)。「戸籍法114条は,届出によって効力を生ずべき行為について戸籍の記載をした後に,その行為が無効であることを発見したときは,届出人または届出事件の本人は,家庭裁判所の許可を得て,戸籍の訂正を申請することができると定めている。だから,第三者が戸籍の訂正をするには審判または判決によらねばならないが,婚姻の当事者がなすには,この規定によって家庭裁判所の許可だけですることもできると解する余地がある。前記の116条は「確定判決によ(ママ)て戸籍の訂正をすべきときは,・・・」というだけで,いかなる場合には確定判決もしくは家裁の審判によるべく,いかなる場合には家裁の許可で足りるか,明らかでない。実際の取扱では,利害関係人の間に異議がないときは許可だけでよいとされており,判例〔大判大正13年2月15日(民集20頁),大判大正6年3月5日(民録93頁)〕も大体これを認めているようである。正当だと思う。」と説かれていたところですが(我妻57頁。大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)45頁は,簡単に,「婚姻が無効となった後,戸籍の記載はどうなるのだろうか。この場合,届出人または届出事件の本人は,家裁の許可を得て,戸籍の訂正を申請することができる。」と述べています。),しかし判例はそうだが「戸籍実務上は,無効が戸籍の記載のみによって明かな場合(戦死者との婚姻届の場合,昭和241114日民甲2651号民事局長回答。甲の既に認知した子を,乙が認知する届をなし受理記載され後の認知は無効となる場合,大正5年11月2日民1331号法務局長回答)は,114条の手続でよいが,戸籍面上明かでない場合は,当事者間の異議の有無にかかわらず116条の手続即ち確定判決又は審判を得て訂正すべきものと解せられている(昭和26年2月10日民甲209号民事局長回答)。」と言われていたところでした(谷口160頁)。利害関係者に異議のないまま戸籍法114条の手続を執ってくれれば,又は大げさながら婚姻の無効の訴えを提起して同法116条1項の手続を執ってくれればよいのですが,そうでない場合,同法24条2項に基づく職権訂正にはなおもひっかかりがあるようでもあります(「戸籍法116条によって処理するのを相当とするものに対しては〔管轄法務局又は地方法務局の長に〕許可の権限がないとせられる(昭和25年6月10日民甲1638号民事局長回答)。」)。すなわち,「訂正事項が身分関係に重大な影響を及ぼす場合には,職権で戸籍訂正を行うことができないと解する見解」もあるところです(「戸籍記載の正確性の担保について」9頁)。しかし,「実務上は,十分な資料により訂正事由があると認められる場合には,職権訂正手続を行っている」そうです(同頁)。

 

6 吾郎と白蘭の弁護方針

吾郎又は白蘭を公正証書原本不実記載等の罪の被告事件において弁護すべき弁護人は,前記内田理論を高唱して両者間の婚姻の有効性を力説する外には,どのような主張をすべきでしょうか。

愛,でしょうか。

前記Dallozのフランス民法146条(「合意がなければ,婚姻は存在しない。」)解説を見ると,「妻にその出身国から出国するためのヴィザを取得させ得るようにするのみの目的をもって挙式がされた婚姻は,合意の欠缺のゆえに無効である。」とされつつも(パリ大審裁判所1978年3月28日),「追求された目的――例えば,在留の権利,国籍の変更――が,婚姻の法的帰結を避けることなく真の夫婦関係において生活するという将来の両配偶者の意思を排除するものでなければ,偽装婚姻ではない。」とされています(ヴェルサイユ控訴院1990年6月15日)。フランス入管法L623‐1条1項も「在留資格(titre de séjour)若しくは引き離しから保護される利益を得る,若しくは得させる目的のみをもって,又はフランス国籍を取得する,若しくは取得させる目的のみをもって,婚姻し,又は子を認知する行為は,5年の禁錮又は15000ユーロの罰金に処せられる。この刑は,婚姻した外国人が配偶者に対してその意図を秘匿していたときも科される。」と規定しており,「目的のみをもって(aux seules fins)」が効いています。

しかし,吾郎は,前年の夏「戸籍の貸し賃」50万円を仲介の反社会的勢力からもらったきりで,白蘭とは一度も会ったことがなく,翌春同女が死んだ後になって初めてその名を知った有様です。トゥールーズ控訴院1994年4月5日も,同棲及び性的関係の不存在を,婚姻が在留資格目的で偽装されたものと認定するに当たって重視しています(前記Dallozフランス民法146条解説)。

やはり内田弁護士の理論にすがるしかないのでしょうか。

 なお,内田弁護士の尽力によって吾郎と白蘭との間の婚姻は民法上有効であるものとされても,入管法上は白蘭の日本在留は必ずしも保証されません。「外国人が「日本人の配偶者」の身分を有する者として〔入管法〕別表第2所定の「日本人の配偶者等」の在留資格をもって本邦に在留するためには,単にその日本人配偶者との間に法律上有効な婚姻関係にあるだけでは足りず,当該外国人が本邦において行おうとする活動が日本人の配偶者の身分を有する者としての活動に該当することを要」し,「日本人との間に婚姻関係が法律上存続している外国人であっても,その婚姻関係が社会生活上の実質的基礎を失っている場合には,その者の活動は日本人の配偶者の身分を有する者としての活動に該当するということはでき」ず,そのような「外国人は,「日本人の配偶者等」の在留資格取得の要件を備えているということができない」からです(前記最高裁判所平成141017日判決)。(しかも「婚姻関係が社会生活上の実質的基礎を失っているかどうかの判断は客観的に行われるべきものであり,有責配偶者からの離婚請求が身分法秩序の観点からは信義則上制約されることがあるとしても,そのことは上記判断を左右する事由にはなり得ない」とされています(ということで,当該最高裁判所判決は,4年前に日本人の夫が別に女をつくって家を出て行って,その後は在留資格更新申請の際等を除いて夫に会うこともなく,また相互に経済的関係もなかったタイ人妻に係る日本人の配偶者等としての在留資格更新を不許可とした処分を是認しました。)。)入管法22条の4第1項7号は,日本人の配偶者等の在留資格で在留する日本人の配偶者たる外国人が,「その配偶者の身分を有する者としての活動を継続して6月以上行わないで在留していること(当該活動を行わないで在留していることにつき正当な事由がある場合を除く。)」を在留資格取消事由としています(同条7項により30日以内の出国期間を指定され,当該期間経過後は退去強制になります(同法24条2号の4)。)。「偽装婚姻一般に共通して見られる同居の欠如(配偶者の身分を有する者としての活動実体の欠如)は,本号〔入管法22条の4第1項7号〕にいう「配偶者としての活動を行わずに在留している場合」にも該当し,同居していないことにつき正当理由がないことも明らかであるので,本号の取消し事由は偽装婚姻対策上も有効であると考えられる。」と説かれています(坂中=齋藤498頁)。 


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師直冢(兵庫県伊丹市池尻一丁目)

1 象徴的役割にふさわしい待遇を求める憲法的規範とそれに対する横着者の発言

 

 憲法は,「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く」(1条)と規定する。「象徴」とは,無形の抽象的な何ものかを,ある物象を通じて感得せしめるとされる場合に,その物象を前者との関係においていうものである。鳩が「平和」の,ペンが「文」の象徴とされるがごときがその例である。したがって,この「象徴」は元来社会心理的なものであって,それ自体としては法と関係を有しうる性質のものではない。にもかかわらず,「象徴」関係が法的に規定されることがあるのは,基本的には,右の社会心理の醸成・維持を願望してのことである。・・・

  日本国憲法が天皇をもって「日本国」「日本国民統合」の「象徴」とするのも,基本的には右のような意味において理解される(ここに「日本国の象徴」と「日本国民統合の象徴」とある点については諸説があるが,前者は一定の空間において時間的永続性をもって存在する抽象的な国家それ自体に関係し,後者はかかる国家を成り立たしめる多数の日本国民の統合という実体面に関係していわれているものと解される)。・・・ただ,ここで「象徴」とされるものは,国旗などと違って人格であるため,その地位にあるものに対して象徴的役割にふさわしい行動をとることの要請を随伴するものとみなければならず,また,そのような役割にふさわしい待遇がなされなければならないという規範的意味が存することも否定できないであろう。・・・(佐藤幸治『憲法〔第三版〕』(青林書院・1995年)238239頁。なお,下線は筆者によるもの)

 

憲法的規範として,①象徴たる天皇の側においては「象徴的役割にふさわしい行動」をとるよう自制せられることが要請されており,②他方,国民の側においては「そのような役割」すなわち象徴的役割に「ふさわしい待遇」を 天皇に対してなすことが当然求められているということでしょう。(「国民としてもまた政府としても,象徴たるにふさわしい処遇といいますか,お取り扱いをするということは,その〔憲法の〕第1条から当然読み取れるということでございます。」との政府答弁があります(真田秀夫政府委員(内閣法制局長官)・第87回国会衆議院内閣委員会議録第8号19頁)。)しかしながら,あさましいことには,象徴的役割にふさわしい待遇をなし申し上げるのを面倒臭がる横着者もいるもののようです。

 

「都に,王と云ふ人のましまして,若干(そこばく)の所領をふさげ〔多くの所領を占有し〕内裏(だいり),院の御所と云ふ所のありて,馬より()るるむつかしさよ〔うっとうしさよ〕。もし王なくて(かな)ふまじき道理あらば,木を以て作るか,(かね)を以て()るかして,生きたる院,国王をば,いづくへも皆流し捨てばや」(兵藤裕己校注『太平記(四)』(岩波文庫・2015年)280頁・第二十七巻7(なお,この岩波文庫版は西源院本を底本とする。))

 

2 皇室費,皇室用財産等

 「若干(そこばく)の所領をふさげ,内裏(だいり),院の御所と云ふ所のありて」についての不平は,毎年度の国の予算に皇室の費用が計上され憲法88条後段。皇室経済法(昭和22年法律第4号)3条は「予算に計上する皇室の費用は,これを内廷費,宮廷費及び皇族費とする。」と規定),その額が約62億円となること(宮内庁のウェッブ・サイトによると,皇室費の平成29年度歳出概算要求額は合計6238百万円です。内訳は,内廷費が3億24百万円,宮廷費が5684百万円,皇族費が2億30百万円です。そのほか平成28年度末の予算定員が1009人である宮内庁の宮内庁費が11157百万円要求されていますが,これは大部分人件費です。),国有財産中に「国において皇室の用に供し,又は供するものと決定したもの」である行政財産たる皇室用財産(国有財産法(昭和23年法律第73号)3条2項3号)が存在することなどについてのものでしょうか。

 

(1)内廷費

 皇室経済法4条1項は「内廷費は,天皇並びに皇后,太皇太后,皇太后,皇太子,皇太子妃,皇太孫,皇太孫妃及び内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるものとし,別に法律で定める定額を毎年支出するものとする。」と規定し,当該定額について皇室経済法施行法(昭和22年法律第113号)7条は,「法第4条第1項の定額は,3億2400万円とする。」と規定しています(平成8年法律第8号による改正後)。「内廷費として支出されたものは,御手元金となるものとし,宮内庁の経理に属する公金としない」ものとされています(皇室経済法4条2項)。また,内廷費及び皇族費として受ける給付には所得税が課されない旨丁寧に規定されています(所得税法(昭和40年法律第33号)9条1項12号)。
 ちなみに,宮中祭祀は「純然たる皇室御一家の祭祀であつて,皇室の家長たる御地位に於いて天皇の行はせらるる所であり,国家とは何等の直接の関係の無いもの」となっているところ(美濃部達吉『改訂憲法撮要』(有斐閣・1946年)555頁),天皇の祭祀に関与する「内廷職員とよばれる25名の掌典,内掌典は,天皇の私的使用人にすぎない」のですから(村上重良『天皇の祭祀』(岩波新書・1977年)214頁),その報酬は内廷費から出るわけです。なお,今上天皇即位の際の大嘗祭(1990年)の費用は内廷費からではなく後に説明する公金たる宮廷費から出ていますが,大嘗祭は「皇室の宗教上の儀式」ということですから理由付けは難しく,「その際,皇位世襲制を採用する憲法のもとで皇位継承にあたっておこなわれる大嘗祭には,公的性格がある,と説明された(即位の礼準備委員会答申に基づく政府見解)。ここでは,政教分離違反の問題が生じないというための大嘗祭の私事性と,それへの公金支出を説明するための「公的性格」とを,皇位世襲制を援用することによって同時に説明しようと試みられている。」と指摘されています(樋口陽一『憲法Ⅰ』(青林書院・1998年)124頁)。
 内廷費の定額は1947年当初は800万円でしたが,その内訳については,「御内帑金,これは御服装とかお身の回りの経費でございますが,その御内帑金が約50%,皇子の御養育費が約5%,供御供膳の費用,これはお食事とか御会食の経費でございますが,その供御供膳の経費が約10%,公でない御旅行の費用が約17%,お祭りの費用,用度の費用が残りというような説明がなされていた」とされています(第136回国会衆議院内閣委員会議録第3号3頁(角田素文政府委員(皇室経済主管)))。 

 

(2)皇族費

 内廷費の対象となる皇族以外の皇族に係る皇族費は,皇室経済法6条1項の定額が皇室経済法施行法8条において3050万円となっていますので(平成8年法律第8号による改正後),独立の生計を営む親王については年額3050万円(皇室経済法6条3項1号),その親王妃については年額1525万円(同項2号本文),独立の生計を営まない未成年の親王又は内親王には年額305万円(同項4号本文),独立の生計を営まない成年の親王又は内親王には年額915万円(同号ただし書),王,王妃及び女王に対してはそれぞれ親王,親王妃及び内親王に準じて算出した額の10分の7に相当する額の金額(同項5号)ということになります(なお,親王,内親王,王及び女王について皇室典範(昭和22年法律第3号)6条は,「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は,男を親王,女を内親王とし,3世以下の嫡男系嫡出の子孫は,男を王,女を女王とする。」と規定)。部屋住みの成年の王又は女王には,年額640万5千円という計算です。皇族費も,御手元金となり,宮内庁の経理に属する公金とはされません(皇室経済法6条8項)。
 1996年当時の国会答弁によると,各宮家には平均5人程度の宮家職員が雇用されており,給与は国家公務員の給与に準じた取扱いがされ,一般企業の従業員と同様に社会保険・労働保険に加入して事業主負担分については皇族費から支弁がされています(第136回国会衆議院内閣委員会議録第3号5頁(森幸男政府委員(宮内庁次長)))。
 なお,内廷費及び皇族費の定額改定は,1968年12月に開催された皇室経済に関する懇談会(皇室経済会議の構成員に総理府総務長官を加えた懇談会)において,物価の上昇(物件費対応)及び公務員給与の改善(人件費対応)に基づいて算出される増加見込額が定額の1割を超える場合に実施するという基本方針(「原則として,物価のすう勢,職員給与の改善その他の理由に基づいて算出される増加見込額が,定額の1割をこえる場合に,実施すること」)が了承されています(第136回国会衆議院内閣委員会議録第3号4頁・同国会参議院内閣委員会会議録第3号2頁(
角田政府委員))。 

 

(3)宮廷費及び会計検査院の検査

 宮廷費は,「内廷諸費以外の宮廷諸費に充てるものとし,宮内庁で,これを経理」します(皇室経済法5条)。宮廷費は宮内庁の経理に属する公金であるので,会計検査院の検査を受けることになるわけです。会計検査院法(昭和22年法律第73号)12条3項に基づく会計検査院事務総局事務分掌及び分課規則(昭和22年会計検査院規則第3号)の別表によると,宮内庁の検査に関する事務は会計検査院事務総局第一局財務検査第二課が分掌しているところです。平成21年度決算検査報告において,宮廷費について,「花園院宸記コロタイプ複製製造契約において,関係者との間の費用の負担割合を誤ったなどのため,予定価格が過大となり契約額が割高となっていたもの」8百万円分が指摘されています。

 これは,花園天皇に関する狼藉というべきか。しかし,才なく,徳なく,勢いがなくなれば,万世一系といえどもあるいは絶ゆることもあらんかと元徳二年(1330年)二月の『誡太子書』において甥の量仁親王(光厳天皇)に訓戒していた花園天皇としては,宮廷費に一つ不始末があるぞと臣下が騒いでもさして動揺せらるることはなかったものではないでしょうか。「余聞,天生蒸民樹之君司牧所以利人物也,下民之暗愚導之以仁義,凡俗之無知馭之以政術,苟無其才則不可処其位,人臣之一官失之猶謂之乱天事,鬼瞰無遁,何況君子之大宝乎」。また更に「而諂諛之愚人以為吾朝皇胤一統不同彼外国以徳遷鼎依勢逐鹿・・・纔受先代之余風,無大悪之失国,則守文之良主於是可足・・・士女之無知聞此語皆以為然」,「愚人不達時変,以昔年之泰平計今日之衰乱,謬哉・・・」云々。唐土の皇帝らとは異なっているので何もせずとも代々終身大位に当たってさえおれば我が国の万世一系は安泰だと奏上するのは諂諛(てんゆ)之愚人で,そうか安泰なのかと思わされるのは士女之無知だ,必要な才がないのであればその位におるべからず,時変・衰乱の今日にあっていつまでも昔のやり方でよいというのは愚人のあやまであるというようなこととされているのでしょう。

なお,大日本帝国憲法下では,「皇室経費に付いては,国家は唯定額を支出する義務が有るだけで,その支出した金額が如何に費消せらるゝかは,全然皇室内部の事に属し,政府も議会も会計検査院も之に関与する権能は無い。皇室の会計は凡て皇室の機関に依つて処理せられるのである。」ということにされていました(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)686頁)。明治皇室典範48条は「皇室経費ノ予算決算検査及其ノ他ノ規則ハ皇室会計法ノ定ムル所ニ依ル」と規定していましたが,この「皇室会計法」は「法」といっても帝国議会の協賛を経た法律ではありませんでした。1912年には,皇室令たる皇室会計令(明治45年皇室令第2号)が制定されています。皇室令は,1907年の公式令(明治40年勅令第6号)によって設けられた法形式で,「皇室典範ニ基ツク諸規則,宮内官制其ノ他皇室ノ事務ニ関シ勅定ヲ経タル規程ニシテ発表ヲ要スルモノ」です(同令5条1項)。

 

(4)ちょっとした比較

 天皇制維持のための毎年の皇室の費用約62億円及び宮内庁費約112億円は高いか安いか。ちなみに,「議会制民主政治における政党の機能の重要性にかんがみ・・・政党の政治活動の健全な発達の促進及びその公明と公正の確保を図り,もって民主政治の健全な発展に寄与することを目的」として(政党助成法(平成6年法律第5号)1条),国民一人当たり250円という計算で毎年交付される政党交付金の総額(同法7条1項)は,2016年につき31892884千円で,そのうち自由民主党分が1722079万円,民進党分が974388万円,公明党分が297209万8千円となっています(2016年4月1日総務省報道資料「平成28年分政党交付金の交付決定」)。

 

(5)国有財産及び旧御料

 GHQの意図に基づき「憲法施行当時の天皇の財産(御料)および皇族の財産を,憲法施行とともにすべて国有財産に編入するという意味」で日本国憲法88条前段は「すべて皇室財産は,国に属する。」と規定していますので(佐藤260頁),現在の「所領をふさげ」等の主体は,「王と云ふ人」ではなく,国ということになります(行政財産を管理するのは,当該行政財産を所管する各省各庁の長(衆議院議長,参議院議長,内閣総理大臣,各省大臣,最高裁判所長官及び会計検査院長)です(国有財産法5条,4条2項)。)。(なお,「皇室の御料」の沿革は,「明治維新の後は唯皇室敷地,伊勢神宮及び各山陵に属する土地及び皇族賜邸があつたのみで,その他には一般官有地の外に特別なる御料地は全く存しなかつたのであつたが,〔大日本帝国〕憲法の制定に先ち,将来憲政の施行せらるに当つては皇室の独立の財源を作る必要あることを認め,一般官有地の内から,御料地として宮内省の管轄に移されたものが頗る多く,皇室典範の制定せらるに及んでは,新に世伝御料の制をも設けられた〔明治皇室典範45条は「土地物件ノ世伝御料ト定メタルモノハ分割譲与スルコトヲ得ス」と規定〕。」というもので,「此等の御料から生ずる収入は,皇室に属する収入の重なる部分を為すもので,国庫より支出する皇室経費は其の以外に皇室の別途の収入となるもの」であったそうです(美濃部・精義685頁)。)「院の御所」は,太上天皇の住まいですから,天皇の生前退位を排除する皇室典範4条(「天皇が崩じたときは,皇嗣が,直ちに即位する。」)の現在の解釈を前提とすると,問題にはなりません。

 (ちなみに,世伝御料は「皇室ノ世襲財産」で(皇室の家長が天皇),「世伝御料タル土地物件ハ法律上ノ不融通物タルモノニシテ,売買贈与等法律行為ノ目的物タルコトヲ得ズ,又公用徴収若クハ強制執行ノ目的物トナルコトナシ」とされていますが(美濃部・撮要229230頁),これにはなかなかの慮り(おもんぱかり)があったようです。すなわち,『皇室典範義解』は「(つつしみ)て按ずるに,世伝御料は皇室に係属す。天皇は之を後嗣に伝へ,皇統の遺物とし,随意に分割し又は譲与せらることを得ず。故に,〔父の〕後嵯峨天皇,〔その兄息子であって持明院統の祖である〕後深草天皇をして〔弟息子であって大覚寺統の祖である〕亀山天皇に位を伝へしめ,遺命を以て長講堂領二百八十所を後深草天皇の子孫に譲与ありたるが如きは,一時の変例にして将来に依るべきの典憲に非ざるなり。」と述べていますが(宮沢俊義校註『憲法義解』(岩波文庫・1940年)166頁),これは,南北朝期における皇統間の争いは,皇位のみならず御料の継承をもめぐるものとの側面もあったという認識を示唆するものでしょう。また,長講堂領については正に,「若干そこばくの所領をふさげ」ということになります。ただし,現在においては,御料は前記のとおり国有財産に編入されてしまっていて皇室の所有権から離れていますから,そういう点では南北朝期的事態の発生原因の一つは消えているというべきでしょうか。)

 

3 太上天皇襲撃の罪と罰

 「馬より()るるむつかしさ」といっても,さすがに「からからと笑うて,「なに院と云ふか。犬ならば射て置け」と云ふままに,三十余騎ありける郎等(ろうどう)ども,院の御車を真中(まんなか)()()め,索涯(なわぎわ)(まわ)して追物(おうもの)()にこそ射たりけれ。御牛飼(おんうしかい)(ながえ)を廻して御車を(つかまつ)らんとすれば,胸懸(むながい)を切られて(くびき)も折れたり。供奉(ぐぶ)雲客(うんかく),身を以て御車に()たる矢を防かんとするに,皆馬より射落とされて()()ず。(あまっさ)へ,これにもなほ飽き足らず,御車の下簾(したすだれ)かなぐり落とし,三十輻(みそのや)少々踏み折つて,(おの)が宿所へぞ帰りける。」(『太平記(四)』60頁・第二十三巻8)ということが許されないことはもちろんです。しかし,この場合,院(太上天皇)の身体に対する行為に係る刑罰はどうなるか。

 

(1)暴力行為等処罰に関する法律及び刑法

傷害の結果が生じていれば,「銃砲又ハ刀剣類」を用いたものとして暴力行為等処罰に関する法律(大正15年法律第60号)1条ノ2第1項に基づき1年以上15年以下の懲役に処し得るものとなるかといえば,「銃砲」にも「刀剣類」にも弓矢は含まれないようなので(銃砲刀剣類所持等取締法(昭和33年法律第6号)2条),やはり刑法(明治40年法律第45号)204条の傷害罪ということで15年以下の懲役又は50万円以下の罰金ということになるようです。ただし,常習としてしたものならば1年以上15年以下の懲役です(暴力行為等処罰に関する法律1条ノ3)。

なお,暴力行為等処罰に関する法律1条ノ3にいう常習性については「反復して犯罪行為を行なう習癖をいい(常習賭博についての,大審院昭和2・6・29集6・238参照),それは行為の特性ではなく,行為者の属性であると解せられており,かような性癖・習癖を有する者を常習者または常習犯人とよぶ」と説明されています(安西搵『特別刑法〔7〕』(警察時報社・1988年)54頁)。(ついでながら更に述べれば,常習性は,必要的保釈に係る刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)89条3号においても同様に解すべきでしょう。この場合,業として行うことは,習癖の発現として行うこと(安西55頁参照)には当たらないでしょう。筆者は,「業として」長期3年以上の懲役又は禁錮に当たる罪を犯した被告人について,保釈許可決定を得たことがあります。)

傷害の結果が生ぜず暴行にとどまれば(刑法208条参照),「団体若ハ多衆ノ威力ヲ示シ・・・又ハ兇器ヲ示シ若ハ数人共同シテ」行っていますから,暴力行為等処罰に関する法律1条により3年以下の懲役又は30万円以下の罰金ということになります。暴行を常習として行ったのならば3月以上5年以下の懲役です(暴力行為等処罰に関する法律1条ノ3)。

院に傷害が生じたかどうかが明らかではないこと,また,「猛将として知られ,青野原合戦で活躍」した「元来(もとより)酔狂(すいきょう)の者」であって「この(ころ)特に世を世ともせざ」るものであっても(『太平記(四)』59頁),それだけで直ちに暴力行為を累行する習癖が同人にあるものと断定してよいものかどうか躊躇されることといった点に鑑みて保守的に判断すると,刑罰は3年以下の懲役又は30万円以下の罰金ということになりましょうが,少々軽いようにも思われます(しかし,平安時代の花山院襲撃事件の下手人である藤原伊周・隆家兄弟は「むつかし」いこともなく大宰府及び出雲国にそれぞれ左遷で済んでいますから,むしろ重過ぎるというべきか。)。

 

(2)皇室ニ対スル罪

この点,昭和22年法律第124号によって19471115日から削除される前の刑法73条又は75条によれば,太上天皇襲撃事件の犯人は院に「危害ヲ加ヘタル者」としてすっぱりと死刑とされたことでしょう。皇室ニ対スル罪に係る両条における「危害(・・)とは生命・身体に対する侵害又は其の危険を謂ふ。」とされています(小野清一郎『刑法講義各論』(有斐閣・1928年)7頁)。現実にも康永元年(1342年)の光厳院襲撃犯である土岐頼遠は,「六条河原にて首を刎ね」られています(『太平記(四)』62頁)。ただし,太上天皇は「天皇,太皇太后,皇太后,皇后,皇太子又ハ皇太孫」に含まれるものとして刑法旧73条を適用するか,その他の皇族として同法旧75条を適用するかの問題が残っています。

 

4 象徴の必要性

ところで,前記横着者は,「王なくて(かな)ふまじき道理あらば」と認容的な言葉も発していますから,我が国体においては「日本国及び日本国民統合の象徴」(2012年4月27日決定の自由民主党日本国憲法改正草案1条の文言)の存在が不可欠であるということを完全に否認するものではないのでしょう。「日本国は,長い歴史と固有の文化を持ち,国民統合の象徴である天皇を戴く国家」なのであります(自由民主党日本国憲法改正草案前文)。

 

5 国王遺棄及び「金を以て鋳」た象徴の例

 「木を以て作るか,(かね)を以て()るかして,生きたる院,国王をば,いづくへも皆流し捨てばや」という発言は,王を移棄するぞということなのでしょうが,神聖王家の王を遺棄去って代わりに木造又は金で鋳造した御神体(象徴)を奉戴するという方法も含まれるのでしょう。後者については次のような前例がありますが,余り快適な結果にはならなかったようです。

 

 かくてイスラエル(みな)〔レハベアム。同王は,ソロモンの子,すなわちダビデの孫〕(おのれ)(きか)ざるを見たり(ここ)において(たみ)王に答へて(いひ)けるは我儕(われら)ダビデの(うち)(なに)(ぶん)あらんやヱサイ〔ダビデの父〕の子の(うち)に産業なしイスラエルよ(なんぢ)()天幕(てんまく)に帰れダビデよ(いま)(なんぢ)の家を視よと(しか)してイスラエルは(その)天幕に去りゆけり

 然れどもユダの諸邑(まちまち)(すめ)るイスラエルの子孫(ひとびと)の上にはレハベアム(その)王となれり

 レハベアム王徴募頭(ちやうぼがしら)なるアドラムを遣はしけるにイスラエル(みな)石にて彼を(うち)(しな)しめたればレハベアム王急ぎて(その)車に登りエルサレムに逃れたり

 (かく)イスラエル,ダビデの家に背きて今日にいたる 

(列王紀略上第121619

 

古代イスラエルでも王は臣民から推戴されるものだったようです。紀元前10世紀のソロモン王の死後その息子レハベアムを国王に推戴するためシケムで集会があった際,臣民の側からソロモン王時代の重い負担を軽減してくれとの請願があったところ,舐められてはならぬと思ったものか,偉大な親父の貫目に負けじとレハベアムは,お前らの負担をむしろもっと重くしてやると答えてしまったのでした。そこで,ソロモンの王国は,ダビデ王朝に反発して離反した北の十部族のイスラエル王国と,引き続きダビデ王朝の下に留まった南のユダ王国(ユダはダビデの出身部族)との二つに分裂したというわけです。イスラエル王国の初代国王としては,王位を窺う者として,ソロモン王の生前エジプトに逃れていたヤラベアムが推戴されました(列王紀略上第1220)。ところが,

 

(ここ)にヤラベアム(その)心に(いひ)けるは国は今ダビデの家に帰らん

(もし)此民(このたみ)エルサレムにあるヱホバの家に礼物(そなへもの)(ささ)げんとて上らば(この)(たみ)の心ユダの王なる(その)(しゅ)レハベアムに帰りて我を殺しユダの王レハベアムに帰らんと

(ここ)に於て王計議(はかり)(ふたつ)の金の(こうし)を造り人々に(いひ)けるは(なんぢ)らのエルサレムに上ること既に(たれ)りイスラエルよ(なんぢ)をエジトの地より導き上りし汝の神を視よと

(しか)して(かれ)(ひとつ)をベテルに()(ひとつ)をダンに(おけ)

此事(このこと)罪となれりそ(たみ)ダンに(まで)(ゆき)(その)(ひとつ)の前に(まうで)たればなり

(列王紀略上第122630

 

「時代の隔たりや権力の規模とかかわりなく,およそ王権は,宗教的基盤を離れては存在しえない」ところです(村上4頁)。新たに独立したイスラエル王国の初代王ヤラベアムとしては,ダビデの神聖王家が擁する宗教的権威に対抗するために,「(かね)を以て()」った(こうし)2体必要とたのでした。

けれども,「(かね)を以て()」った(こうし)では,「生前退位」云々といった面倒はないものの生きて務めを果たしてくれるものではなく,やはり霊験が不足するのか,ヤラベアムの王朝は2代目で断絶してしまいました。

 

ユダの王アサの第二年にヤラベアムの子ナダブ,イスラエルの王と()り二年イスラエルを治めたり

彼ヱホバの目のまへに悪を(なし)(その)父の道に歩行(あゆ)(その)イスラエルに犯させたる罪を行へり

(ここ)にイツサカルの家のアヒヤの子バアシヤ彼に敵して党を結びペリシテ人に属するギベトンにて彼を(うて)()はナダブとイスラエル(みな)ギベトンを囲み()たればなり

ユダの王アサの第三年にバアシヤ彼を殺し彼に代りて王となれり

バアシヤ王となれる時ヤラベアムの全家を撃ち気息(いき)ある者は一人もヤラベアムに残さずして尽く之を(ほろぼ)せり

(列王紀略上第152529

 

ヤラベアム王朝を滅ぼしたバアシヤの王朝も,2代目が暗殺され,全家が滅ぼされて断絶します(列王紀略上第161012)。イスラエル王国ではその後最後まで頻繁に王朝交代が生ずることになりました(同王国は前721年頃にアッシリアに滅ぼされ, その構成部族は離散して「失われた十支族」となる。)。これに対してダビデ神聖王家のユダ王国は,同一王朝の下に前587年頃まで存続しました(バビロン捕囚となったものの, 後に帰還。)。神聖王家を戴く方が,「(かね)を以て()」った(こうし)を戴くよりも安定するのだと言うのは即断でしょうか。

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 こちらは,銅を以て鋳った牛(東京都文京区湯島神社)

6 妙吉侍者対高師直・師泰兄弟及び不敬罪

さて,本稿における前記横着者は,一般に高武蔵(こうのむさし)(のかみ)師直(もろなお)であるとされています。しかしながら発言主体を明示せずに書かれた『太平記』の当該部分の文からは,その兄弟である越後守(もろ)(やす)の発言であるという読み方も排除できないようです。「天皇・・・ニ対シ不敬ノ行為アリタル者」として3月以上5年以下の懲役に処せられるべき不敬罪(刑法旧74条1項)を犯したということになるようですが,このことは,高師直にとっての濡れ衣である可能性はないでしょうか。

そもそも,高師直・師泰兄弟に帰せられる当該発言は,(みょう)(きつ)侍者(じしゃ)とい,高僧・夢窓疎石の同門であることがわずかな取り柄といえども道行(どうぎょう)ともに足らずして,われ程の(がく)()の者なしと思」っている慢心の仏僧(『太平記(四)』170頁・第二十六巻2)が,足利直義に告げ口をしたものです。妙吉の人となり及び学問は,兄弟弟子の夢窓疎石の成功を「見て,羨ましきことに思ひければ,仁和寺に()一房(いちぼう)とて外法(げほう)成就の人のありけるに,(だぎ)尼天(にてん)の法を習ひて,三七日(さんしちにち)行ひけるに,頓法(とんぽう)立ちどころに成就して,心に願ふ事(いささ)かも(かな)はずと云ふ事なし。」なったというものですが(『太平記(四)』267268頁・第二十七巻5),有名人(夢窓疎石)の出るような大学に入ったものの,学者としての見栄えばかりを求める人柄で(「羨ましきことに思ひ」),そのくせ腰を入れ年月をかけて学問を成就する根気及び能力がないものか,優秀な学者・実務家が集まって伝統的仏法に係る主要経典の解釈に携わる正統的な解釈学等の学問分野からは脱落して「外法」に踏み入り,速習可能で(「三七日」すなわち21日学ぶだけ),かつ,すぐ目先の願望確保に役立つであろう浮華な流行的分野(「頓法」は,「速やかに願望を成就する修法」)に飛びついて専攻し,咜祇(だぎ)尼天(にてん)が云々と一見難解・結局意味不明禅語的言辞をもって衆人をくらまし自己を大きく見せようとばかりする,一種さもしい似非学者といったような人物だったのでしょう。夢窓疎石が妙吉を,自分に代わる禅の教師として「語録なんどをかひがひしく沙汰し,祖師〔達磨大師〕の心印をも(じき)に承当し候はんずる事,恐らくは恥づべき人〔うわまわる人〕も候は」ずと足利直義に推薦し,「直義朝臣,一度(ひとたび)この僧を見奉りしより,信心肝に銘じ,渇仰類なかりけ」りということになったのですが『太平記(四)』268頁),夢窓疎石には,同一門下の兄弟弟子らが身を立てることができるように世話を焼いてついつい法螺まで吹いてしまうという俗なところがあり(頼まれれば前記土岐頼遠の助命嘆願運動もしています(『太平記(四)』62頁)。),他方,足利直義が後に観応の擾乱の渦中においてよい死に方をしなかったのは,そもそも同人には人を見る目がなかったからだということになるのでしょうか。(また,妙吉坊主なんぞの告げ口を真に受けたということは,「権貴幷びに女性禅律僧の口入を止めらるべき事」との建武式目8条違反でもあったわけです。)

しかし,高師直・師泰兄弟のような実務の実力者からすると,似非学者の中身の無さはお見通しであり,それを夢窓疎石に対する配慮か何か知らぬが妙にありがたがっている足利直義の様子は片腹痛く,妙吉は,軽蔑・無視・嘲弄の対象にしかならなかったところです。

 

 かやうに〔妙吉侍者に対する〕万人崇敬(そうきょう)類ひなかりけれども,師直,師泰兄弟は,何条〔どうして〕その僧の智恵才学,さぞあるらんと(あざむ)いて〔たいしたことあるまいと侮って〕,一度(ひとたび)も更に相看せず。(あまっさ)へ門前を乗り打ちにして,路次(ろし)に行き合ふ時も,大衣(だいえ)を沓の鼻に蹴さする(てい)にぞ振る舞ひける。(『太平記(四)』269頁)

 

しかし,似非学者たりとはいえ(あるいは似非学者であるからこそ),妙吉のプライドは極めて高い。

 

・・・(きつ)侍者,これを見て,安からぬ事に思ひければ,物語りの端,事の(つい)でに,ただ執事兄弟の振る舞ひ(穏)便ならぬ物かなと,云沙汰せられ・・・

 吉侍者も,元来(もとより)(にく)しと思ふ高家の者どもの振る舞ひなれば,事に触れて,かれらが所行の(あり)(さま),国を乱し(まつりごと)を破る最長たりと,〔足利直義に〕讒し申さるる事多かりけり。・・・

(『太平記(四)』269270頁)

 

すなわち,前記「皆流し捨てばや」発言の出どころは似非学者の讒言であって,かつ,伝聞に基づくものであったのでした(師直・師泰兄弟とは「一度(ひとたび)も更に相看せず」ですから,妙吉が直接聞いたものではないでしょう。)。軽々に高師直を不敬罪で断罪するわけにはいかないようです。

正面から自己の智恵才学を高々と示して高兄弟を納得改心させ,その尊敬を獲得しようとはせず,妙吉侍者のわずかばかりの「智恵才学」は,権力者に媚び,告げ口によって高兄弟の失脚を狙おうとする御殿○中的かつ陰湿なものでありました。福沢諭吉ならば,妙吉とその取り巻きに対して,次のようにでも説諭したものでしょうか。いわく,「廊下その他塾舎の内外往来頻繁の場所にては,たとい教師先進者に行き合うとも,ていねいに辞儀するは無用の沙汰なり。」とおれは言っていたではないか,「教師その他に対していらざることに敬礼なんかんというような田舎らしいことは,塾の習慣において許さない。」(『福翁自伝』(慶応義塾創立百年記念・1958年)197頁),「独立自尊の人たるを期するには,男女共に,成人の後にも,自ら学問を勉め,知識を開発し,徳性を修養するの心掛を怠る可らず。」であって,「怨みを構へ仇を報ずるは,野蛮の陋習にして卑劣の行為なり。恥辱を雪ぎ名誉を全うするには,須らく公明の手段を択むべし。」だよ(「修身要領」『福沢諭吉選集第3巻』(岩波書店・1980年)294頁),文明開化期に示された「識者の所見は,蓋し今の日本国中をして古の御殿の如くならしめず,今の人民をして古の御殿女中の如くならしめず,怨望に(かう)るに活動を以てし,嫉妬の念を絶て相競ふの勇気を励まし,禍福誉悉く皆自力を以て之を取り,満天下の人をして自業自得ならしめんとするの趣意」なのだろうけど(「学問のすゝめ 十三編」『福沢諭吉選集第3巻』144頁),おれもそう思うよ自分の学問で勝負せずに陰険な告げ口ばかりするのは見苦しいからやめろよ恥ずかしいよお前らからは腐臭がするよと。

(なお,本文とは関係がありませんがついでながら,刑法旧74条1項の不敬罪の成立については判例(大審院明治44年3月3日判決・刑録17輯4巻258頁)があるので紹介します。「不敬罪ハ不敬ノ意思表示ヲ為スコトニ因リテ完成シ他人ノ之ヲ知覚スルト否トハ問フ所ニ非ス左レハ被告カ至尊ニ対スル不敬ノ事項ヲ自己ノ日誌ニ記載シ以テ不敬ノ意思ヲ表示シタルコト判示ノ如クナル以上ハ其行為タルヤ直ニ刑法第74条第1項の罪を構成シ被告以外ノ者ニ於テ右不敬ノ意思表示ヲ知覚セサリシ事実アリトスルモ同罪ノ成立ニ何等ノ影響ヲ及ホササル」ものとされているものです。どういうわけか児童買春,児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(平成11年法律第52号)7条1項の構成要件が想起されるところです。)

 
 しかし,似非学者はなかなかしぶとく生き残るものです。

 貞和(じょうわ)五年(1349年),足利直義と高師直・師泰兄弟との最初の対決が,直義の逃げ込んだ足利尊氏邸を取り囲んだ高兄弟の勝利に終わり,直義は政務から引退することになった翌朝,

 

 ・・・やがて人を遣はして,(きつ)侍者らん先立堂舎(こぼ)取り散浮雲(ふうん)富貴(ふっき)(たちま)り。

 (『太平記(四)』299頁・第二十七巻11

 

その後の妙吉侍者はもと住所すみかって太平記(314頁・第二十七巻13閑居して,残された数少ない献身的かつ熱意ある信奉者と有益な議論などをし,更に農事などに手を染めつつ,我は夢窓疎石の同門なるぞとの誇りとともに,つつがなく余生を過ごしたものでしょうか。

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 お局様及びその墓(東京都文京区麟祥院)


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前編(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1057864864.html)からの続き

 

(3)『晩年の父』

 

ア 「はじめて理解できた『父・鷗外』」と「不律安楽死殺人事件」

不律は殺されたものとする主張の出典はどこにあるのかと探したところ,『諸君』1979年1月号に掲載された197810月7日付けの「はじめて理解できた『父・鷗外』」という記事(小堀杏奴(鷗外の二女。1909年生まれ)の著述。同著者の岩波文庫版『晩年の父』(1981年)に,「あとがきにかえて はじめ悪しければ終り善し」と改題して併載されています。筆者が読んだのは,当該岩波文庫に収載されたものです。)にありました。

 

・・・その大切な不律が,父の小説,『金毘羅』にあるように,百日咳にかかり,一医師の提案により,モルヒネの注射によって安楽死させられているのである。この事件については,こうして父自身書いており,私も『晩年の父』に,当事者の一人である母から聞いたままを,正直に書き記している。兄はその折,看護に当った某女の話を伝えているが,当時,祖母と,母との確執は,表面上,一応おさまっている如く見えるだけで,母にとって不利な証言をすることは,祖母側の人々を喜ばせる効果のあることを心得ている某女の言辞を私は全く信頼出来ない。いずれにしても,軽々に論ずべき事柄でなく,当事者である父母の言を信じ,余分の臆測は慎むべきである。ただ,私にとって,最愛の亡母のために一言!何処の国に,全く,母方の祖父の言葉ではないが,何処の国に肉親の,血をわけた我が子に,「早く楽に死なせる薬を注射して下さい」などと,愚かしい叫びをあげる母親があろうか!(岩波文庫版『晩年の父』204頁)

 

 不律及び茉莉の百日咳をめぐる1908年1月から同年3月にかけての出来事に基づく森鷗外の小説『金毘羅』(1909年)では,「半子(はんす)及び「百合」が百日咳にかかり,「半子」が死亡したことは書かれてありますが,「半子」が「一医師の提案により,モルヒネの注射によって安楽死」させられたことは書かれてありません。そうであれば,記の「この事件」が「不律安楽死殺人事件」であるのならば,「この事件については,こうして父自身〔『金毘羅』において〕書いており」ということはなかったはずです。当時の旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)8条1号では死刑に該たる罪に係る公訴時効期間は15年でしたので,1908年に殺人事件があったのならば,その公訴時効が成立するのは1923年ということになります。1922年に亡くなった森鷗外が,刑事事件捜査がらみで家族や知人に迷惑がかかる可能性のあるような話を『金毘羅』以外においてどこかで公表されるような形で文章にしていたものとも考え難いところです。

 「私も『晩年の父』に,当事者の一人である母から聞いたままを,正直に書き記している。」の部分ですが,これは岩波文庫版の『晩年の父』では,「母から聞いた話」(19351115日記)中の181頁から185頁までのことでしょう。しかし,そこにも,「不律が・・・百日咳にかかり,一医師の提案により,モルヒネの注射によって安楽死させられている」ことは書かれていません。
 森鷗外の長男の『屍室断想』(森於菟(解剖学者)。時潮社・
1935年)中「高瀬舟と父鷗外」において紹介された不律の死に関する次の挿話が,異母妹・杏奴の『晩年の父』中の「母から聞いた話」においては「・・・恐らく兄が内科の教授某氏から直接聞いたか,あるいはその人の口から他の人に伝わり,間接に耳にしたかは明瞭しないが,とにかく事実とは全然違った事柄である」として否認されており,そこでは代わりに下記「茉莉安楽死殺人予備事件」が紹介されているものです。(ということで,前記の「はじめて理解できた『父・鷗外』」における当該記述は,明晰であるものとはなかなかいえません。)

 

  ・・・これについて余程前のことですから,云つても悪くないと思ひますのでお話してみませう。

  それは,私の弟に不律といふのがありましたが,父の二男で,極く小さい頃死にました。・・・こんな赤ん坊が,苦しいのを我慢して愛想笑するのが,父はいぢらしくて,見るに堪へなかつたのです。その時もそんなことをする必要はないと思つたのに,注射して,生かしては又苦しめた事がいつまでも父の心残りであつたでせう。

  その時,橋本軍医の外に参考医として,ある大学の内科の教授を頼んでゐましたが,その人が来た時,父に「どうです?もう止めませうか,」と父の考へを推し測つてきいたので,父は「それはもう止めた方がいゝ,注射したら続くことは続くけれども」といつたのです。すると母は一生懸命子供の世話をしてゐたから興奮してゐたのでせう,「それぢや早く楽に死なせる薬を注射して下さい」と大声で云ひました。

  其時父は「さう云ふことは,暗黙の裡にやるべきことで,口に出していつては決して医者としては出来ないことである。又することではないと云つて断然母の乞を斥けて注射を続けさせました。・・・

  この子供の死んだのは明治41年で,「高瀬舟」の書かれたのはずつと後ですが,かうした心持があつた上に,更に「翁草」の故事があつたために,更に刺戟されて,あの小説が出来たのではなからうかと思ひます。(森於菟214216頁)

 

 橋本軍医は,幼時の森茉莉のかかりつけ医であったようです。森茉莉の「幼い日々」(初出1954年)に,「熱があると陸軍省に電話を掛けて,橋本先生という軍医の人を呼んで貰った。」,「仏蘭西の帝政時代の(ずる)武士(さむらい)といった風貌」であったと紹介されています(森茉莉『父の帽子』(講談社文芸文庫・1991年)48頁)。

 当時の「大学の内科の教授」であって鷗外とも親しかった人物といえば,鷗外の日露戦争からの凱旋を新橋駅に出迎えることもした(岩波文庫版『晩年の父』175頁参照)東京帝国大学医科大学教授たる入沢達吉でしょうか。『金毘羅』に出て来る医学の大学教授の氏は「広沢」ですから,「入沢」と「広沢」と何やら符合するところがありそうです。なお,入沢達吉教授の治療中止に関する態度をうかがわせるものとしては,次のようなエピソードがあります。いわく,「伊東〔忠太〕氏の胃腸の工合依然としてよくないので再三〔入沢達吉〕先生に訴へた。先生一寸思案して思ひ出したやうに「いいものがある,それは近頃独逸で発明した妙薬で万病に特効があつて,然も薬価が非常に安く,何処でも得られる,(それ)を試みるがよい」と,ちと変だと思つて「其薬は何と言ふ」と訊ねると,先生は莞爾として「夫は「ほつとけ」だ〔」〕と言はれた。成程と伊東氏も感心したといふことであります。」と(楠本長三郎「恩師入沢先生を偲びて」『入沢先生追憶』(水曜会・1939年)34頁)。ちなみに,『金毘羅』の当時は百日咳の治療薬としての抗生物質が登場する前の時代であって,当該小説中で半子らに施されていたものも対症療法にすぎませんでした。

 『晩年の父』中1935年執筆の「母から聞いた話」においては,兄が書いて同年に本で出している話は実は勘違いで,不律の治療中止の話があったのではなくて「茉莉安楽死殺人予備事件」があったのだ,という主張であったように理解されるのですが,1978年になると,実は不律については治療中止の話があったどころか安楽死させられたのだ,というように話が発展しています。

 

イ 「母から聞いた話」における「茉莉安楽死殺人予備事件」

 1936年に初版が出た『晩年の父』の「母から聞いた話」において,「後日誤ったまま世間に伝えられる事を恐れて,此処に本当の話を書いておく。」とて書かれた「母から聞いたまま」の話は,次のとおりでした。

 

  その時某氏は姉の命がもう廿四時間であることを宣告し,死ぬにしても甚だしい苦痛が伴うのであるからむしろ注射をして楽に死なせたらどうだろうか,モルヒネを注射すれば十分間で絶命するといわれ,父に計るところがあった。

  父もその気になって母にその事をいって聞かせたので,母も父のいうままにそうするような気持になって,()う注射するばかりになっているところへ母の実家の父が見舞に来た。

  母は祖父に

  「既う茉莉はとても助かる見込はないので,某さんが注射して下さるそうです」

 と話すと祖父は眼を洞穴(うろ)のようにして大声で

  「馬鹿な」

 というより大変なけんまくで

  「人間は天から授った命というものがある。天命が自然に尽きるまでは例えどんな事があろうとも生かしておかなくてはならない。私も子供を3人まで既う駄目だと医者に見放された事があったが3人とも立派に助かって生きているじゃないか」

  といって断然注射を行う事を退けさせた。

  某氏は

  「こういう事は一人でも他人の耳に入ったら実行出来ません」

 といってそれを中止したそうである。

  その後容態が変って姉はずんずん()くなって行った。だから姉の命は全く明舟町の祖父のために救われたと言ってもよいので,実に命の恩人であった。

  自分は兄がこの事を書かないずっと以前から,この話は度々母に聞かされていたので,兄がこの事を誤って書いた時,直接彼にその誤りを直し,彼自身で改めて事実を書いてもらった方が好いとも考えたが,兄は医者という位置にあるし,事柄が事柄であるから,かえって彼をして苦しい立場に陥らせてはと考慮して,無関係の私が事の真相を書かしてもらった。

 (「母から聞いた話」岩波文庫版『晩年の父』183185頁)

 

確かに,ここでの鷗外夫人は,「肉親の,血をわけた我が子に,「早く楽に死なせる薬を注射して下さい」などと,愚かしい叫びをあげる母親」ではありません。とはいえ,「愚かしい叫び」はあげていませんが,鷗外夫人が「そうするような気持になって」はいたことは認められているところです。しかし,鷗外夫人の同じような内容の発言によって,「不律治療中止検討事件」では不律が死亡するまで対症療法の注射を受け続けることになったのに反して,「茉莉安楽死殺人予備事件」では注射がされずに茉莉の命が助かった功名になっています。また,ここでは,安楽死を言い出したのが夫人ではなく鷗外であるということが大きいのでしょうか。しかし,家長たる鷗外がいったん決定したとなると森家ではだれも止めることができなくなるので,鷗外夫人の父である荒木博臣判事閣下が折よく現れてくれて止めてくれたのでよかった,ということになるのでしょう。(なお,裁判所構成法(明治23年法律第6号)67条によれば,判事は終身官でした。荒木博臣「大審院判事」という表現もありますが,現在は最高裁判所判事という官名があるものの(裁判所法39条等参照),裁判所構成法上は「大審院判事」という官名はありませんでした。荒木博臣の「閣下」性については,坂本秀次「森鷗外と岳父荒木博臣―漢詩文集『猶存詩鈔』を中心に―」(鷗外(森鷗外記念会)24号(1979年1月号)70頁以下)の荒木博臣略年譜に,明治27年「3月19日退官,高等官2等従四位となる。」とあります。高等官官等俸給令(明治25年勅令第96号)1条は「親任式ヲ以テ叙任スル官ヲ除ク外高等官ヲ分テ9等トス親任式ヲ以テ叙任スル官及1等官2等官ヲ勅任官トシ3等官乃至9等官ヲ奏任官トス」と規定していました。荒木博臣判事はそれまでの奏任官から,退職に当たって勅任官閣下にしてもらったということでしょうか。判事は終身官ですから「退官」よりも「退職」の方がよいでしょう。)

 

ウ 理由付き否認としての「茉莉安楽死殺人予備事件」

『屍室断想』が1935年に出て,その「高瀬舟と父鷗外」の内容を知ったなお存命の鷗外未亡人又は二女が,「肉親の,血をわけた我が子に,「早く楽に死なせる薬を注射して下さい」などと,愚かしい叫びをあげる母親」ではない,と柳眉を逆立て,そこで同年1115日までに「母から聞いた話」の中に反論が書かれたものでしょうか。とはいえ,「高瀬舟と父鷗外」にある話は全く架空のでっち上げだと端的に否認して済まさずに,「茉莉安楽死殺人予備事件」の披露ということになったのはなぜでしょう。民事訴訟規則79条3項は「準備書面において相手方の主張する事実を否認する場合には,その理由を記載しなければならない。」とありますから,否認の理由を付加したということでしょうか。しかし,民事訴訟規則79条3項の「理由」としては「これと両立し得ない事実がある」こと等が想定されているところ(最高裁判所事務総局民事局監修『条解民事訴訟規則』(司法協会・1997年)173頁参照),「茉莉安楽死殺人予備事件」と「不律治療中止検討事件」とは両立し得るので,「茉莉安楽死殺人予備事件」の紹介をもって「不律治療中止検討事件」の主張に対する鮮やかな理由付き否認(積極否認)がされたということにはなっていないように思われます。

 

エ 伝聞供述

しかし,「茉莉安楽死殺人予備事件」の現場にいた鷗外,同夫人,荒木判事及び某医師のうち(瀕死の患者には記憶はなかったでしょうし,「看護に当った某女」のいるところで機微にわたる話がされたということはなかなかないでしょう。),当該「事件」について「はじめて理解できた『父・鷗外』」の著者に語ったのは鷗外夫人だけだったようです(「自分は兄がこの事を書かないずっと以前から,この話は度々母に聞かされていた」)。「不律治療中止検討事件」については,『屍室断想』には話の出所が書かれていないので,全くの創作でなければ,鷗外当人又は「ある大学の内科の教授」から話が出た可能性を考えざるを得ないのでしょう(当該「事件」の否認者である鷗外夫人からは話は出ていないのでしょう。)。その後の「不律安楽死殺人事件」の主張については,これも専ら鷗外夫人の話に基づいたものなのでしょう(「当事者の一人である母から聞いたままを,正直に書き記している」)。

仮に,「はじめて理解できた『父・鷗外』」の著者を,不律にモルヒネ致死注射をした医師を被告人とする殺人被告事件の公判期日に召喚して供述を求めた場合,当該供述は既に亡くなった鷗外夫人の供述を内容とするものとなりますから,現行刑事訴訟法324条2項により同法321条1項3号が準用されることになります(同号の規定は,「前2号に掲げる書面以外の書面〔被告人以外の者が作成した供述書又はその者の供述を録取した書面で供述者の署名若しくは押印のあるもの〕については,供述者が死亡,精神若しくは身体の故障,所在不明又は国外にいるため公判準備又は公判期日において供述することができず,且つ,その供述が犯罪事実の存否の証明に欠くことができないものであるとき〔は,証拠とすることができる〕。但し,その供述が特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限る。」というものです。被告人及び弁護人は同法326条の同意をしないものとします。)。当該準用に係る刑事訴訟法321条1項3号のただし書への該当性いかんが問題となります。しかし,「はじめて理解できた『父・鷗外』」の文章からは,亡鷗外夫人がどのような状況で当該原供述をしたかも分からないのですよねえ。
(なお,同じ「はじめて理解できた『父・鷗外』」によれば,「不律兄を失った母も,
恰度(ちょうど)半年ばかりというものは,団子坂の自宅から電車に乗り,隅田河畔で一銭蒸気に乗換えて,寒い日も暑い日も,雨の日も風の日も,一日も欠かさず,不律兄の墓に通いつめたという」(岩波文庫版『晩年の父』205頁)とのことです。しかしながら,『鷗外全集第35巻』(岩波書店・1975年)の鷗外の明治41年日記によれば,1908年3月15日(日)に「家人等不律の遺骨を弘福寺に葬る。」のところ,鷗外夫人はその前日14日(土)に「妻単独大原に徃く。」ということで墓への埋葬には立ち会っておらず,同月19日(木)に至って「妻日在より帰る。大原の松濤館に宿り,中ごろ日在の別墅に遷りたりしに,是日還り来ぬるなり。」ということであり,同年4月5日(日)の項に「妻不律の墓に詣づ。」とありました。お墓参りが毎日のことであればわざわざ墓参が特記されることもなかったようにも思われますが,どういうものでしょう。)


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東京都墨田区向島の弘福寺(鷗外ら森家の墓は,後に三鷹市の禅林寺に移されています。)

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隅田川越しに向島方面を望む4月5日の風景(ただし,撮影は2017年。なお,気象庁のデータによれば,1908年3月下旬から同年4月上旬までの東京はどんよりとしていて,降雨が無かったのは,3月下旬は22日,23日及び31日,4月上旬は3日及び10日のみでした。同年4月4日には26.2ミリメートル,同月5日は5.8ミリメートルの降水量が記録されています。)
 

 (4)父と娘とそれぞれの『半日』及び『金毘羅』

鷗外の母・峰子の関与が初めて示唆されたのは,1953年初出の森茉莉の『「半日」』でしょうか。森茉莉の『「半日」』は,先の大戦後の鷗外全集で初めて読んだ父・鷗外の『半日』(夫の母を嫌う妻から苦情を受ける困惑した夫の視線から描く鷗外の家庭をモデルにした小説。鷗外夫人の反対によってそれまでは単行本・全集に収載されていませんでした。)に触発されて書かれたものでした。

森鷗外の『半日』(1909年)の冒頭は「六畳の間に,床を三つ並べてとつて,七つになる娘を真中に寝かして,夫婦が寝てゐる。」となっています。森茉莉をモデルにしたこの娘の名は,玉。森茉莉は1903年生まれなので,数えで七つであるのは1909年です。文章中「今日は孝明天皇祭」とありますので(孝明天皇祭は1月30日(明治6年太政官布告第344号)),『半日』は1909年1月30日の出来事を描いた小説ということになります。『金毘羅』の百日咳事件からちょうど約1年後のことです。

しかし,森茉莉の『「半日」』では,「「半日」に描かれたのは,「奥さん」が「博士」の所に嫁して来たばかりの時期の様子である。」(森茉莉67頁)とされています。夫婦間の娘が数えで七つなので「「奥さん」が「博士」の所に嫁して来たばかりの時期」ではないわけですし,1902年1月4日の鷗外の再婚後当時の様子について1903年生まれの長女が知っていることもないでしょう。「8歳の「玉」の見た「博士」は,「母君」と食卓を共にしたいと言うような感情を,持っていなかった。「奥さん」は大分おとなしくなっていた。やはり「博士」に向ってヒステリックな苦情を言っていたが,苦情の中味は,「母君」の事から去って,「博士」と「奥さん」との間のことに,移っていた。」(森茉莉67頁)と書かれていますが,この「8歳」が数えならば1910年の状況の観察,満年齢ならば1911年の状況の観察ということになるのでしょう(次に見るように,玉が「5歳」の時に百日咳にかかったとされていますから,それならば満年齢でしょう。)。「「半日」に描かれた時期と,「玉」がものを観察し始めるようになった頃との間には,3年程の月日がある。その月日の間には,一つの事件があった。その月日の間を,「博士」の家に起った一つの事件が横切っていてそれが3人〔「博士」,「奥さん」及び「母君」〕の関係を,変えたのである。その間の時期に「博士」の家で,5歳になった「玉」と,次に生れた赤ん坊とが,死にかけた。病名は百日咳である。」(同頁)とありますが,これでは,1908年1月から同年3月までを描いた『金毘羅』の時期と,1909年1月30日のことであるはずの『半日』の時期との時間的前後関係が逆転してしまっています。

更に森茉莉は,『金毘羅』で描かれた出来事をリライトします。

 

・・・その時,その寂しい,暗い家の片隅で,或相談がなされていた。「百合さん」の苦痛を無くす為に,致死量の薬を射とうと言う計画である。この「安楽死(ユウタナジイ)」を思い立って,医者に計ったのが,「母君」であった。医者がそれを「博士」に仄めかした。子供の苦しむのを日夜みていて,精神が弱った父と母とは遂に,医者の仄めかしに乘って,注射を肯んじようとした。幸,この計画は,医者が注射の仕度をしていた時偶々部屋に入って来た,「奥さん」の父親によって阻止せられた。・・・「安楽死(ユウタナジイ)」は哀れみから,成り立つものである。その時「母君」の心にあったのは,哀れみである。医者が相談に乗ったのも哀れみからである。それが「博士」に解っていて尚,胸の中に素直に溶けてゆかない,なにものかがあった。それが「博士」の心に,あるか無いかの(おり)になって,残った。「百合さん」は,奇蹟的に生きたが,その事があってから,「博士」と「母君」との間柄は,微妙な変化をしたのである。

 その時の「博士」の心痛は,後に「高瀬舟」を生んだ。・・・「高瀬舟」の裏にあるのが,「博士」の心の痛みと怒りとであり,「半日」の中にあるものが,「博士」の一時的な興奮であった事は,人は知らない。・・・(森茉莉6869頁)

 

 8歳の「玉」の見たところ「「博士」は,「母君」と食卓を共にしたいと言うような感情を,持っていなかった。」と,娘によって父の感情の情態が忖度決定された上で,当該決定と符合しない『半日』の出来事の時期が鷗外自身の示唆する時期から3年ほど前にずらされ,更に「博士」の当該情態の淵源を尋ねる「玉」は,『半日』と前後順序交代させられた上でリライトされた『金毘羅』における「百合さん」の「安楽死(ユウタナジイ)」計画発案者であった「母君」に対する「博士」の心に残った「滓」をそこに発見したということでしょうか。

 ところで,森茉莉は,事実の主張をしているものとの断乎たる姿勢は,示してはいません。予防線が張られています。

 

  以上の文章は,(ママ)歳の頃の私の観察と,成長してから後の考えとによるものだが,「観察違いである」,或は「考え方が間違っている」と言うような批難をする人があるかも知れない。若しあった場合は,「人間には間違いのあるものだ」と言う事に於て,お許しを願うより他はない。何しろ「奥さん」から生まれた「玉」の考える事である。観察違いも,ヒステリックな思惑も,あり得ないとは,言えまい。・・・(森茉莉70頁。下線は筆者によるもの)

 

確かに,森茉莉の『「半日」』は,鷗外の『半日』に触発されて書かれたものであって,「唯「半日」という小説だけの為に,「親類」という,何処の家でも兎角嫉み,反目,小競合い等の塊りである一群の,母に対する批難が正当化される事に対しては,落胆しない訳にはいかない」ところ(森茉莉69頁),「この文章は言ってみれば成長した「玉」の「博士」に対する,哀しい訴えである。「私」の文章である。」とあります(同70頁)。小説『半日』の「玉」からする当該小説の「博士」に対する「訴え」は,やはり当該小説中のものでしょう(また,森茉莉のエッセイ「注射」(初出1949年)も,未里(マリイ)の話ということになっていて,小説仕立てになっています。)

 

(5)明治41年鷗外日記等

なお,「某氏は姉〔森茉莉〕の命がもう廿四時間であることを宣告」したという事態になった日は,『金毘羅』によれば1908年2月8日(土)のことのようです。しかし,明治41年鷗外日記の同日の項には「松本三郎来話す。/〔欄外〕午後1時華族会館茶会」とのみあって,荒木博臣判事の訪問は記されていません。同月9日及び同月10日はそもそも日記に何ら記載なし。松本三郎というのは,第1師団軍医部長として森林太郎陸軍省医務局長の後任である松本三郎軍医監のことでしょう。

ただし,この時期の荒木博臣判事の森家訪問は,同月3日には確実にありました。不律が死亡した同月5日の2日前です。明治41年鷗外日記に「2月3日(月) 夜親族会を自宅に開く。荒木博臣,小金井良精,長谷文,森久子至る。/〔欄外〕午後5時親族会」とあります。同年1月10日に亡くなった鷗外の弟・森篤次郎の家に係る今後についての会議でした(森鷗外『本家分家』,大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)382383頁参照)。その折荒木判事が百日咳に苦しむ孫・茉莉及び不律を見舞い,心配している娘・鷗外夫人に対して「人間は天から授った命というものがある。天命が自然に尽きるまでは例えどんな事があろうとも生かしておかなくてはならない。私も子供を3人まで既う駄目だと医者に見放された事があったが3人とも立派に助かって生きているじゃないか」というようなことを言って励ましたことはあるかもしれません。

ちなみに,森茉莉は,その「明舟町の家」の中で「この祖父〔荒木博臣〕は私が百日咳に罹った時,虎の門の金比羅神社に願を懸けて呉れた。もう24時間より()たないと医者から宣告される所まで行った私の容態が,ふと好転してどうやら助かるという目星のついた日,丁度来ていたが「よかった。よかった。」と喜び,その日明舟町の家に帰ると玄関から大きな声で,「まりはもうこっちのものだ。まりはもうこっちのものだ。」と言い言い,右肩を怒らせ,畳ざわりも荒々しく奥まで入って行ったので,祖母は吃驚したそうだ。」とのみ書いており(森茉莉81頁),「茉莉安楽死殺人予備事件」及び当該予備を予備のみに止めた荒木判事の一喝については触れていません。「明舟町の家」は初出不詳ですが,1957年に筑摩書房から出た単行本『父の帽子』に収載されていたものです。1957年の21年前に,森茉莉の妹による『晩年の父』は出ていました。

虎ノ門金刀比羅宮の月次祭は毎月10日(同宮は京極藩邸内にあったので,江戸時代は毎月十日に限り一般の参拝が許可されていたそうです(同宮ウェッブ・サイト参照)。)ですが,『金毘羅』によれば「これが百合さんの病気の好くなる初で,それから一日々々と様子が直つた」発端である百合の「牛と葱」摂取が1908年2月9日(日)のことでしたので,10日はその翌日になります。その2月10日も,金刀比羅宮に参詣する人が多かったことでしょう。孫娘の快癒を祈る荒木判事閣下もその中に含まれていたものかどうか。明治41年鷗外日記には,3月に入り,「10日(火) 茉莉始て起坐す。」と記されています。

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東京・虎ノ門金刀比羅宮境内で:「大願成就」

なお,今般筆者が虎ノ門金刀比羅宮で神籤を抽いたところ,
「病ひ」は「充分保養せよ」,
「老後(ゆきさき)」は「辛抱すれば末は安楽」でした。
ちなみに,弁護士にとっては気になる「諍ひ(いさかい)」は,「勝つ 自然(かみ)に逆ふな」。
 


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東京・虎ノ門金刀比羅宮(祭神は,大物主神及び 崇徳天皇。社殿設計校閲者は,伊東忠太。)


1 人生百年時代

 医療・福祉大国にして世界に冠たる長寿を誇る我が日本国においては,現在,かえって「長生きリスク」ということが心配されています。人生百年時代において長生きしているうちに,「老後破産」ということで破産法と関係ができたり,生活保護法に基づき各種の扶助を受けることになったり,当該「リスク」が現実化するとなかなか法律との縁は切れません。あるいは病気になって入院して,からだは苦しくこころ寂しく,「安楽死」についてふと考えることもあるかもしれません。

 どうも辛気臭くなって申し訳ありません。しかし,人にとって不可避である死についていろいろ考える際には,「安楽死」の問題が念頭に去来するときもあるであろうことは,事実でしょう。

 

2 治療中止

 

(1)川崎協同病院事件最高裁判所決定

ところで,一般に「安楽死」といってもいろいろな形態があるわけですが(「広義の安楽死とは,死期が迫っていることが明らかな場合に,患者の苦痛をやわらげるために,一定の条件の下にその死期を早める,あるいは死期を人工的に延ばすのを止めることで,2つの型に大別しうる。1つは,末期患者から人工的な生命維持装置をはずす延命措置の中止(尊厳死)である。・・・これに対して,死期の迫ったしかも苦痛の甚だしい患者の苦痛を柔らげるためにモルヒネなどを投与したり,積極的に死期を早める措置をとる行為が狭義の安楽死である。」(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)14‐15頁)),そのうち治療中止(延命措置の中止)については,法律上許容されるもの(医師による殺人行為に該当しないもの)があるということが最高裁判所の判例であるものと解されます。すなわち,気管支(ぜん)の重積発作で心肺停止状態となって病院に搬送され,心肺は蘇生したが(こん)状態が続いていた患者(大脳機能のみならず脳幹機能にも重い後遺症が残り,細菌感染症に敗血症を合併)について,気道確保のため鼻から気管内に挿入されていた気管内チューブの被告人医師)による抜管行為(なお,抜管に伴い当該患者は「身体をのけぞらせるなどして苦もん様呼吸を始め」,その後()剤であるミオブロック3アンプルの静脈注射を受け絶命した。)の違法性に関し職権で判断を行った最高裁判所平成2112月7日決定(刑集63111899。川崎協同病院事件最高裁判所決定)は,次のとおりです。

 

  所論は,被告人は,終末期にあった被害者について,被害者の意思を推定するに足りる家族からの強い要請に基づき,気管内チューブを抜管したものであり,本件抜管は,法律上許容される治療中止であると主張する。

  しかしながら,上記の事実経過によれば,被害者が気管支ぜん息の重積発作を起こして入院した後,本件抜管時までに,同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されておらず,発症からいまだ2週間の時点でもあり,その回復可能性や余命について的確な判断を下せる状況にはなかったものと認められる。そして,被害者は,本件時,こん睡状態にあったものであるところ,本件気管内チューブの抜管は,被害者の回復をあきらめた家族からの要請に基づき行われたものであるが,その要請は上記の状況から認められるとおり被害者の病状等について適切な情報が伝えられた上でされたものではなく,上記抜管行為が被害者の推定的意思に基づくということもできない。以上によれば,上記抜管行為は,法律上許容される治療中止には当たらないというべきである。

  そうすると,本件における気管内チューブの抜管行為をミオブロックの投与行為と併せ殺人行為を構成するとした原判断は,正当である。

(下線は筆者によるもの)

 

(2)東海大学安楽死事件判決における治療中止

 

ア 事案

 川崎協同病院事件最高裁判所決定を読むに当たって参照すべき治療中止の許否についての先行裁判例としては,横浜地方裁判所平成7年3月28日判決(判時153028。東海大学安楽死事件判決)があります。多発性骨髄腫で入院し末期状態であって死が迫っていた患者に対する当該殺人被告事件においては,治療中止行為自体は公訴提起の対象外であったものの(対象となった事実は,最終段階における,徐脈・一過性心停止等の副作用のある不整脈治療剤である塩酸ベラパミル製剤(商品名「ワソラン」注射液)の通常の2倍の使用量の静脈注射及び希釈しないで使用すれば心停止を引き起こす作用のある塩化カリウム製剤(商品名「KCL」注射液)の希釈しないでの静脈注射によって患者を死に致した行為),当該公訴提起対象事実に先立って被告人(医師)によってされた,点滴(栄養や水分を補給),フォーリーカテーテル(排尿用のカテーテル)及びエアウェイ(舌根低下対策の管)を患者から外した当該治療中止行為の適法性いかんが裁判所によって検討されたものです。

 

イ 要件

当該判決において横浜地方裁判所は,「治療行為の中止は,意味のない治療を打ち切って人間としての尊厳性を保って自然な死を迎えたいという,患者の自己決定を尊重すべきであるとの患者の自己決定権の理論と,そうした意味のない治療行為までを行うことはもはや義務ではないとの医師の治療義務の限界を根拠に,一定の要件の下に許容される」とし,要件としては,①患者が治癒不可能な病気に冒され,回復の見込みがなく死が避けられない末期状態にあること,②治療行為の中止を求める患者の意思表示が存在し,それは治療行為の中止を行う時点で存在すること,しかし,中止を検討する段階で患者の明確な意思表示が存在しないときには,患者の推定的意思によることを是認してよい(患者の事前の意思表示が何ら存在しないときは,家族の意思表示から患者の意思を推定することが許される。),③どのような措置をいつどの時点で中止するかは,死期の切迫の程度,当該措置の中止による死期への影響の程度等を考慮して,医学的にはもはや無意味であるとの適正さを判断し,自然の死を迎えさせるという目的に沿って決定されるべきである,ということを挙げています。

 

ウ 当てはめ

しかし,東海大学安楽死事件に係る具体的事案についての横浜地方裁判所の判断においては,事件当日の患者の余命はあと1日ないしは2日と診断されており上記①の要件は満たされているとされたのですが,事前のものを含め患者の明確な意思表示が存在していなかったため上記②の要件については家族の意思表示からの推定が問題になったところ,家族は治療の中止を求める旨強く意思表示していたものの「その家族の意思表示の内容をなお吟味してみると,家族自身が患者の病状,特に治療行為の中止の大きな動機となる苦痛の性質・内容について,十分正確に認識していたか疑わしく,最終的に治療の中止を強く要望した4月13日当時の患者の状態は,すでに意識も疼痛反応もなく,点滴,フォーリーカテーテルについて痛みや苦しみを感じる状態にはなかったにもかかわらず,その状態について,家族は十分な情報を持たず正確に認識していなかったのであり,家族自身が患者の状態について正確な認識をして意思表示をしたものではなかったのである。そうすると,この家族の意思表示をもって患者の意思を推定するものに足りるものとはいえない。」ということで,③にたどり着く前に,②で倒れてしまいました。「患者の病状,治療内容,予後等について,十分な情報と正確な認識を持っていることが必要」であるのに,当該認識がなかったというわけです。

 この家族は,そもそも夜中に担当医の自宅にまで電話をかけることもあったところ(熱心ですね。),患者死亡当日の4月13日の4日前である同月9日から治療中止を求め始め,病院側の抵抗にかかわらず当該要求は執拗に続き,同月11日には被告人と共に担当医であった女性研修医が前夜自宅にかかってきた患者の妻からの抗議電話等を理由としてそれまでの家族対応から外れて(どうしたのでしょうね。)同月1日に赴任したばかりの超多忙(「超・・・」という表現は使いたくないのですが,判決文に表れた被告人の仕事及び生活の状況は,「超多忙」としかいいようがありません。例えば,事件前日の同月12日は「この日はほとんど他の危篤状態の患者の治療に当たり,その患者が死亡したので,夜その病理解剖のための書類作りをし,一旦結婚記念日のため妻と外で食事をした後病院に戻り,翌午前3時過ぎころ帰宅した。」という状態だったそうです。)な被告人(ちなみに助手です。)が家族対応をすることになったところ,同月13日の患者家族による治療中止の意思表示の内容は,「もう1週間も寝ずに付き添ってきたので疲れました。もう治らないのなら治療を全てやめてほしいのです。」「点滴やフォーリーカテーテルを抜いてほしい。もうやるだけのことはやったので早く家に連れて帰りたい。これ以上父の苦しむ姿を見ていられないので,苦しみから解放させてやりたい。楽にしてやってほしい,十分考えた上でのことですから。」「家族としてこれ以上見ておれない。私たちも疲れたし,患者もみんな分かっているのです。もうやるだけのことはやったので,早く家に連れて帰りたい。楽にしてやってください。」というようなもので,かつ,「強固な態度」を伴うものでした。「患者が苦しそうにしているとみじめでかわいそう」という憐憫の情はそれとして貴いのですが,裁判所のいうように患者は既に「点滴,フォーリーカテーテルについて痛みや苦しみを感じる状態にはなかった」ことを飽くまで前提とするのであれば,患者を見守る苦しみから解放されて楽になって今日は早く家に帰りたいのは患者ではなく実はその家族ばかりであったということになるのでしょうか。治療中止を求める当該意思表示は家族自身のものであるばかりであって,「患者の立場に立った上での真摯な考慮に基づいた意思表示」ではなかったということにもなるのでしょうか。家族だからとて,実は専ら自分の感情や希望であるものをもって安易にもの言わぬ立場の他の家族に投影して,当該他の家族に対する「同情」と共に「患者もみんな分かっているのです。」などというように自己都合を言い張ってはならないということになるもの()(ちなみに,最後の静脈注射の直前には患者の長男は,夕食をとろうと外出していた被告人をポケットベルで病院に呼び戻させ,「怒ったような顔をし腕組みをしたまま,「先生は何をやっているんですか。まだ息をしているじゃないですか。早く父を家に連れて帰りたい。何とかして下さい。」と,激しい調子で被告人に迫った」そうです。

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 東海大学病院(神奈川県伊勢原市・
2019年撮影)


3 『高瀬舟』の作家の子らと安楽死問題

 ところで,「安楽死」といえば,鷗外森林太郎がちょうど100年前に発表した時代小説『高瀬舟』(1916年)が連想されるところです。


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 京の三条小橋から高瀬川を下流方向に見る。


(1)ウィキペディアの風説

その鷗外の妻・森志げに係るウィキペディアの記事を最近ふと読んだのですが,次のような記載があって驚きました。

 

 1907年に第二子になる不律を出産(鷗外にとっては第三子)。翌年,〔鷗外との長女〕茉莉と不律が百日咳にかかり,不律が亡くなる。茉莉はのちに著書で,不律の死は,苦しむ不律を不憫に思った〔鷗外の母〕峰が医師に頼んで薬物で安楽死させたものと聞いたと書き,この安楽死事件以降,鷗外は峰を疎むようになったとされていたが,のちに〔鷗外との二女・小堀〕杏奴は,鷗外も峰の提案を了承しており,苦しむ茉莉にも薬を飲ませようとしたところ,志げの父親に発覚して断念した,と書いた。鷗外の『高瀬舟』はこの一件をきっかけに書かれたものと言われている。

 

1908年2月5日に鷗外の二男・不律(ふりつ)が百日咳死亡していますが(生後半年),これは実は医師による殺人(現行刑法199条「人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」)であって,また,同時期には,同じく百日咳に罹患していた長女・茉莉(1903年1月7日生まれの当時満5歳)に対する殺人予備(現行刑法201条「第199条の罪を犯す目的で,その予備をした者は,2年以下の懲役に処する。ただし,情状により,その刑を免除することができる。」)もされていたところ,黒幕は鷗外の母・峰子であって,かつ,鷗外も加担していた,ということでしょうか。

しかし,ウィキペディアの当該記述については,出典が明らかにされていません。また,飽くまでも「・・・聞いたと書き・・・と書いた。」という文体を用いて伝聞の態がとられており,堂々たる事実の主張の形になっておりません。姑息に逃げ道は用意されているようで,横着ですね。これに対して,旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)277条は,「犯罪ニ関シ匿名ノ申告又ハ風説アル場合ニ於テハ特ニ其ノ出所ニ注意シ虚実ヲ探査スヘシ」と規定していたところです。

 

(2)旧刑法との関係

 

ア 旧刑法の適用

なお,現行刑法が施行され,かつ,旧刑法が廃止されたのは190810月1日からなので(明治40年法律第45号(現行刑法)の別冊以外の部分第2項及び明治41年勅令第163号),不律及び茉莉の百日咳をめぐる出来事が起きた同年1月から3月にかけては,旧刑法(明治13年太政官布告第36号)が適用されていました。

 

イ 謀殺

旧刑法293条によれば,薬物による殺人は死刑でしょう(「毒物ヲ施用シテ人ヲ殺シタル者ハ謀殺ヲ以テ論シ死刑ニ処ス」)。同法105条によれば,教唆者も死刑です(「人ヲ教唆シテ重罪軽罪ヲ犯サシメタル者ハ亦正犯ト為ス」)。「重罪軽罪違警罪ヲ分タス所犯情状原諒ス可キ者ハ酌量シテ本刑ヲ減軽スル(こと)ヲ得」るところ(旧刑法89条1項),「酌量減軽ス可キ者ハ本刑ニ1等又ハ2等ヲ減ス」ですから(同90条),実際は無期徒刑又は有期徒刑でしょうか(同法67条2・3号)。「徒刑ハ無期有期ヲ分タス島地ニ発遣シ定役ニ服ス」ものであり(旧刑法17条1項),「有期徒刑ハ12年以上15年以下ト為ス」とされていました(同条2項)。ただし,「徒刑ノ婦女ハ島地ニ発遣セス内地ノ懲役場ニ於テ定役ニ服ス」とされていました(旧刑法18条)。男女差別ですね。

 

ウ 殺人予備

ところで,殺人予備ですが,旧刑法111条は「罪ヲ犯サンヿヲ謀リ又ハ其予備ヲ為スト雖モ未タ其事ヲ行ハサル者ハ本条別ニ刑名ヲ記載スルニ非サレハ其刑ヲ科セス」と規定しており,同法に内乱予備陰謀(同法125条),私戦予備(同法133条後段),貨幣偽造予備(同法186条2項)の規定はあるのですが,殺人予備の規定はないので,不可罰だったのでしょう(罪刑法定主義の帰結ですね。もっとも,大日本帝国憲法23条(「日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ」)については「本条は唯法律に依らずして処罰を加ふることを禁止して居るのであつて,司法権及び行政権に対する制限であるに止まり,立法権を制限する意味を含んで居らぬ。故に本条の規定のみから言へば,法律を以て遡及的の処罰を定めたとしても,本条に違反するものとは言ひ難い。」ということではありました(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)363頁)。)。ちなみに,殺人予備の意義については,「殺人予備とは,殺害の実行の着手にいたる以前の準備行為一般を意味する。例えば,殺害の為の凶器を準備して,被害者の家の周りを徘徊するとか,不特定の人の殺害の目的で毒入り飲料を道端に置く行為などである。ただ,準備行為のすべてが予備罪として可罰的であるわけではなく,目的地との距離,準備の程度などから判断して,客観的に殺人の危険性が顕在化する必要がある。」と説明されています(前田21頁)。

 

後編に続く(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1057864958.html


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1 和歌山の野道で盗られた一厘銭

 前回の記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1045278800.html「三百代言の世話料に関して」)を書いていて,和歌山県の野道において,いたいけな幸之助少年が寛永通宝一文銭(穴あき一厘銭)を鬼のように兇暴な男から強取される場面を想像するに至ったのですが,その有様を書いてみるとなると,ヴィクトル・ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』におけるプティ・ジェルヴェ事件のパロディになってしまうところです。プティ・ジェルヴェ事件では,南仏デーニュから約12キロメートル離れた人気の無い野道で,ミリエル司教に助けられたばかりのジャン・ヴァルジャンが,その夕方,約10歳のプティ・ジェルヴェ少年が歩きながらそれで遊んでいて落とした40スー(2フラン)銀貨を足で踏みつけ,更に同少年を追い払って奪ってしまったのでした。

 

  Comme le soleil déclinait au couchant, allongeant sur le sol l’ombre du moindre caillou, O’nisaka était assis derrière un buisson.

    Il entendit un bruit joyeux. Il tourna la tête, et vit venir par le sentier un petit Wakayamard d’une dizaine d’années qui chantait --- Ils sont lumineux, les produits de National! 

   L’enfant s’arrêta à côté du buisson sans voir O’nisaka et fit sauter son rin que jusque-là il avait reçu avec assez d’adresse sur le dos de sa main.

    Cette fois la pièce d’un rin lui échappa, et vint rouler vers la broussaille jusqu’à O’nisaka.

    O’nisaka posa le pied dessus.

    Cependant l’enfant avait suivi sa pièce du regard, et l’avait vu.

    Il ne s’étonna point et marcha droit à l’homme.

    C’était un lieu absolument solitaire. Aussi loin que le regard pouvait s’étendre, il n’y avait personne dans la plaine ni dans le sentier. Le soleil empourprait d’une lueur sanglante la face sauvage d’O’nisaka.

--- Monsieur, dit le petit Wakayamard, avec cette confiance de l’enfance qui se compose d’ignorance et d’innocence, --- ma pièce?

--- Comment t’appelles-tu? dit O’nisaka.

--- Kônosuké, monsieur.

--- Va-t’en, dit O’nisaka.

    --- Monsieur, reprit l’enfant, rendez-moi ma pièce.

    O’nisaka baissa la tête et ne répondit pas.

    --- Je veux ma pièce! ma pièce d’un rin trouée!

    L’enfant pleurait. La tête d’O’nisaka se releva. Il était toujours assis. Il étendit la main vers son bâton et se dressant brusquement tout debout, le pied toujours sur la pièce de cuivre, il cria d’une voix terrible: --- Veux-tu bien te sauver!

    L’enfant effaré le regarda, puis commença à trembler de la tête aux pieds, et, après quelques seconds de stupeur, se mit à s’enfuir en courant de toutes ses forces sans oser tourner le cou ni jeter un cri.

 DSCF0109
「悲しみの道」の坂の先にいる鬼
 

2 日本刑法

 

(1)鬼坂の犯罪

 

ア 占有離脱物横領非該当

幸之助少年に対する鬼のように兇暴な,ジャン・ヴァルジャンならぬ鬼坂(O’nisaka)の行為は,我が現行刑法では,まず,やはり占有離脱物横領にはならないでしょう(同法254条は「遺失物,漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は,1年以下の懲役又は10万円以下の罰金若しくは科料に処する。」と規定)。和歌山の野道を通る幸之助少年は,放り上げつつ遊んでいた寛永通宝一文銭を手の甲で受け止め損ね,当該一文銭は,道端の藪のそばに腰を下ろしていた鬼坂のところまで転がって行ったのですが(Cette fois la pièce d’un rin lui échappa, et vint rouler vers la broussaille jusqu’à O’nisaka.),その間の距離も時間も短いようであり,かつ,幸之助少年は当該銅銭が鬼坂の足下まで転がる様を目で追いかけていて見失っていません(Cependant l’enfant avait suivi sa pièce du regard, et l’avait vu.)。すなわち,当該寛永通宝は,所有者である幸之助少年の占有を離れてはいないものと判断されます。

なお,幸之助少年の場合は被害品が被害者のもとから遠ざかって行ったのですが,それとは逆に被害者が被害品から遠ざかって行った場合について最高裁判所平成16年8月25日決定は,「〔前刑出所後いわゆるホームレス生活をしていた〕被告人が本件ポシェットを〔本件ベンチ上から〕領得したのは,被害者がこれを置き忘れてベンチから約27mしか離れていない場所まで歩いて行った時点であったことなど本件の事実関係の下では,その時点において,被害者が本件ポシェットのことを一時的に失念したまま現場から立ち去りつつあったことを考慮しても,被害者の本件ポシェットに対する占有はなお失われておらず,被告人の本件領得行為は窃盗罪に当たる」と判示しています。

 

イ 窃盗

そうなると,まず,鬼坂には窃盗罪が成立するように思われます(刑法235条は「他人の財物を窃取した者は,窃盗の罪とし,10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」と規定)。足下に転がって来た幸之助少年の一文銭を鬼坂が踏みつけた行為(O’nisaka posa le pied dessus.)が窃取行為であって,それにより直ちに鬼坂が占有を取得し,既遂に達したと見るべきでしょう。

 

ウ 事後強盗

幸之助少年が自分の穴あき一厘銭(ma pièce d’un rin trouée)を返してくれと言ってきたのに対して窃盗犯・鬼坂は「あっちへ行け(Va-t’en.」と言うばかりで応じません。幸之助少年は泣き出します。これに対して鬼坂は,更に杖に手を伸ばし突然乱暴に立ち上がり,恐ろしい声で「失せやがるのが身のためだぞ!」と吠えたところ(Il étendit la main vers son bâton et se dressant brusquement tout debout, le pied toujours sur la pièce de cuivre, il cria d’une voix terrible: --- Veux-tu bien te sauver!),驚愕して鬼坂を見た幸之助少年は全身わなわなと震え出し,茫然自失,一目散に逃げ去ります(L’enfant effaré le regarda, puis commença à trembler de la tête aux pieds, et, après quelques seconds de stupeur, se mit à s’enfuir en courant de toutes ses forces sans oser tourner le cou ni jeter un cri.)。

これは,刑法238条の事後強盗でしょう。同条は,「窃盗が,財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために,暴行又は脅迫をしたときは,強盗として論ずる。」と規定しています。強盗は,5年以上の有期懲役に処されます(刑法236条1項。有期懲役の上限は20年(同法12条1項))。

なお,プティ・ジェルヴェ事件の際のジャン・ヴァルジャンのごとく,鬼坂も刑期を終えて間がなければ,再犯です(刑法56条1項「懲役に処せられた者がその執行を終わった日又はその執行の免除を得た日から5年以内に更に罪を犯した場合において,その者を有期懲役に処するときは,再犯とする。」)。再犯の場合,再犯加重で(刑法57条は「再犯の刑は,その罪について定めた懲役の長期の2倍以下とする。」と規定),当該事後強盗により,5年以上30年以内の範囲で懲役に処されることになります(同法14条2項は「有期の懲役又は禁錮を加重する場合においては30年にまで上げることができ,これを減軽する場合においては1月未満に下げることができる。」と規定)。

子供から小銭を奪って懲役30年とは,なかなか重いでしょうか。

 

(2)鬼坂の弁護

激発型の和歌山の暴れん坊将軍・鬼坂の弁護人としては,どのような弁護方針を採るべきか。

 

ア 裁判権の不存在

鬼坂が,例えば某国を代表する外交官たる閣下であれば,外交官特権を盾に,被疑者段階では身柄解放を要求し(外交関係に関するウィーン条約(昭和39年条約第14号)29条1・2文は「外交官の身体は,不可侵とする。外交官は,いかなる方法によっても抑留し又は拘禁することができない。」と規定),公訴が提起されたのなら公訴棄却の申立てをすることになるでしょう(同条約31条1項前段(「外交官は,接受国の刑事裁判権からの免除を享有する。」),刑事訴訟法338条1号。ただし,「刑訴法は,公訴棄却の裁判の申立権を認めていないのであるから,公訴棄却を求める申立は,職権の発動を促す意味をもつに過ぎず,したがつて,これに対して申立棄却の裁判をする義務はない」とされています(最決昭4572刑集247412)。)。

 

イ 可罰的違法性論

被害額が一厘にすぎず法益侵害が軽微であるとして無罪を主張すべきか。しかし,一厘事件判決(大判明431011刑録161620)は,行為が零細であり,かつ,危険性が無かったので,たばこ耕作者によるたばこ2.625グラムを手刻みとして消費した行為を葉煙草専売法(明治29年法律第35号)21条違反の犯罪を構成しないものとしたものと解されるのであって,前記鬼坂被告人の悪質な行為に危険性は無いとは「健全ナル共同生活上ノ観念」からして到底いえないでしょう。(また, 和歌山の幸之助少年の一厘銭がゴウライボーシ(カッパ)の変身したものであったなら, やはりその価値は零細であるとはいえません。)

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 かっぱ河太郎(東京都台東区合羽橋)
 東京では,「ゴウライボーシ」とは言わないようです。

 

ウ 示談

被害弁償をして示談で穏便に済ますことはできないか。しかし,富豪となった幸之助翁は,1厘の弁償金など歯牙にもかけず(明治17年の一厘銭は,筆者の行った古銭ショップでは45万倍の450円もしたのですが。),「国家国民の繁栄と世界平和の向上に寄与」することのない人にはもはや関心はないとて,鬼坂被告人に同情してはくれないのではないかと懸念されます。鬼坂被告人は,まず,「真に国家と国民を愛し,新しい人間観に基づく政治・経営の理念を探求し,人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献」する人間にならなければなりません。

 

エ 占有離脱物との認識

鬼坂被告人は幸之助少年の当該寛永通宝一文銭を占有離脱物であるものとばかり思っていたという主張はどうでしょうか。占有離脱物横領ということになれば窃盗ではないので,窃盗犯が主体となる事後強盗とも関係がなくなります。東京高等裁判所昭和35年7月15日判決(下刑集2・7=8 989)は,午前8時頃の国鉄渋谷駅出札口横に置き忘れられたもののなお被害者の占有下にあると認められたカメラの持ち去り行為について,被告人は,窃盗の犯意ではなく,「遺失物横領の犯意でこれを持ち去つたものと認めるのが相当」と判示しています(なお,同判決は「刑法235条,第38条第2項,第254条を適用すべき」としていますが,これは客観的に窃盗罪を犯したのだから窃盗罪が成立し,科刑は刑法38条2項(「重い罪に当たるべき行為をしたのに,行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は,その重い罪によって処断することはできない。」)により占有離脱物横領罪のそれに限定されるということでしょうか。しかし,現在の考え方では,故意は占有離脱物横領なので,刑法254条に該当するということになります。(前田雅英『刑法総論講義[第4版]』(東京大学出版会・2006年)258頁参照)指定薬物を業として販売目的で陳列又は貯蔵していても,医薬品の陳列又は貯蔵の認識しかなければ,適用罰条は,医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律(昭和35年法律第145号)84条9号,24条1項であり,同法83条の9及び刑法38条2項は出て来ないわけです。)。

しかしながら,上記東京高等裁判所判決の事案は,原審の公判において,被告人が次のような供述をしていたような事案であったところです。

 

(問)女の人〔被害者〕がカメラを置いて行つたのは見なかつたか。

(答)見て居りません。

(問)被告人はその場にいた男の人に何と云つてカメラを持つて来たのか。

(答)これはあなたのカメラですかと尋ねたところ違うというので持つて行つたのです。

 

 幸之助少年が一厘銭を落とすところを鬼坂被告人が見ていたのであれば,当該一厘銭が幸之助少年の物であって,かつ,なおその占有下にあるという認識の存在は,なかなか争えないでしょう。

 

オ 不法領得の意思の不存在

鬼坂被告人が寛永通宝一文銭を踏みつけたのは,単に幸之助少年に意地悪をするためだけであって,「権利者ヲ排除シテ他人ノ物ヲ自己ノ所有物トシテ其経済的用方ニ従ヒ之ヲ利用若クハ処分スルノ意思」たる不法領得の意思(大判大4521刑録21663)は無かったのだ,という主張はどうでしょうか。「単タ物ヲ毀壊又ハ隠匿スル意思ヲ以テ他人ノ支配内ニ存スル物ヲ奪取スル行為ハ領得ノ意思ニ出テサルヲ以テ窃盗罪ヲ構成セサルヤ疑ヲ容レス」ということになり,校長を失脚させる目的で教育勅語の謄本等を持ち出して天井裏に隠匿する行為は窃盗には当たらないとされています(大判大4521)。なるほど。しかし,奪った一文銭でアメ玉を買って食べたり,古銭ショップに売りに行ったりしていては言い訳も難しくなるところです。ちなみに,寛永通宝は大量にあるので,古銭ショップでも安いです。

                                                     

カ 事後強盗としての脅迫の不存在

 事後強盗であるとの認定を阻止するために,鬼坂被告人が幸之助少年に吠えたといっても当該発言は刑法238条にいう脅迫には該当しない, と主張するのはどうでしょうか。

 

(ア)相手方の反抗を抑圧すべき程度の不足

“Veux-tu bien te sauver!”を「失せやがるのが身のためだぞ!」と訳したのは誤訳であって,本来の意味は「坊や,もう遅くなるからおうちに帰ろうね。」と優しく諭したにすぎない,すなわち,「恐怖心を生ぜしめる害悪の告知」(前田雅英『刑法各論講義[第4版]』(東京大学出版会・2007年)229頁)をしたものではないとはいえないでしょうか。しかし, あるいは通訳人又は翻訳人の先生がムッとするでしょう(刑法171条参照)。申し訳ない。

事後強盗の成立に必要な「刑法第238条ニ所謂暴行ハ相手方ノ反抗ヲ抑圧スベキ程度ノモノタルヲ要スル」ので(大判昭1928刑集231。大東亜戦争に際し燈火管制中の愛媛県の畑における西瓜泥棒に係る事案。戦時刑事特別法(昭和17年法律第64号)5条1項により,戦時に際し燈火管制中事後強盗を犯すと死刑又は無期若しくは10年以上の懲役でした。),脅迫も相手方の反抗を抑圧すべき程度のものであることが必要です。しかしながら,銀行の「現金出納の窓口事務を担当していた女子行員の○○(当時23歳)に対し,その顔をにらみつけながら,「金を出せ」と語気鋭く申し向け」た脅迫について(当時被告人は「33歳の男性であり,身長が約167センチメートル,体重が58キログラム位という通常の体格であって,目つきが鋭いようにもみられ・・・トレーナーにトレーニングパンツという服装であった」。なお,凶器等は示していません。),「社会通念上一般的に判断しても,銀行の窓口で執務している女子行員の反抗を抑圧するに足りる程度のものであった」として強盗の手段としての脅迫に該当するものと認定されている事例があります(東京高判昭62914判時1266149)。夕暮れ時(… le soleil déclinait au couchant, allongeant sur le sol l’ombre du moindre caillou…),人気の無い和歌山の野中の道端で(C’était un lieu absolument solitaire. Aussi loin que le regard pouvait s’étendre, il n’y avait personne dans la plaine ni dans le sentier.),血のような夕日に真っ赤に照らされた兇悪な形相の鬼坂被告人が(Le soleil empourprait d’une lueur sanglante la face sauvage d’O’nisaka.),杖に手を伸ばし,立ち上がり,恐ろしい声で約10歳の少年に吠えたのですから,やはり当該状況においては,社会通念上一般的に判断しても反抗を抑圧するに足りる程度の脅迫であったものと判断されるようであります。和歌山県の人が,罵声を浴びせかけられることに対して特に慣れているということもないでしょう。

 

(イ)財物の取還防止等目的の不存在

 鬼坂被告人は,単に幸之助少年に対してムカついて吠えたのであって,財物を「取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪証を隠滅する」目的で吠えたものではない,との主張はどうでしょうか。私人による現行犯逮捕の際逮捕者からネクタイを引っ張りまわされた窃盗犯が当該逮捕者に対して暴行を加えた事案について,「右暴行は,主として逮捕を免れるために出た行為というよりも,主として憤激の念から出た行為と評価すべき余地があるといつてよく,このような場合,事後強盗の成立を認めるのは相当ではない。」とする裁判例があり(札幌地判昭4739刑月43516),多年浮浪者として生活し,無銭飲食で有罪判決を受け執行猶予中の被告人が,たらこ1パック(時価約432円)を万引きし,店の前の路上で警備会社社員の女性(当時55歳)から「呼び止められ「おじさん,まだ会計が終わってないでしょう。始めから見ていたんですよ。」などと詰問されたことに憤激し,「てめえこの野郎,俺に因縁をつける気か。俺もヤクザだ,ただじゃすまねえぞ。」などと怒鳴りながら,同女の着衣をつかんで振り回すなどして路上に転倒させた上,うつぶせに倒れた同女に馬乗りとなり,その頸部を両手で絞めつけるなどの暴行を加え」た事案について,「被告人の暴行は,もっぱら,女性から万引きを指摘され,詰問されたことに対する立腹に出たものとの疑いが強く,事後強盗にいう財物の取還を防ぎ,あるいは逮捕を免れるためであると断定するには疑問が残る」として,事後強盗の成立を認めなかった裁判例もあります(東京地判平827判時1600160)。鬼坂被告人が,ふだんからスピッツのようにキャンキャンやたら吠えまくる人物であるのなら,裁判官もなるほどなと思ってくれるかもしれません。しかし現実には,正に幸之助少年の財物取戻要求に対して鬼坂被告人は吠えたものでありました。

 

3 フランス刑法

 

(1)1810年ナポレオン刑法典

 ところで,本家『レ・ミゼラブル』のプティ・ジェルヴェ事件(1815年発生)に対する適用法条は,ナポレオン刑法典(1810年)の383条です(http://ledroitcriminel.free.fr/)。

 

 ARTICLE 383.

  Les vols commis dans les chemins publics, emporteront également la peine des travaux forcés à perpétuité.

 

  383

 公道で犯された盗犯についても〔前条〕同様に,無期懲役刑が科せられる。

 

 いきなり無期懲役とは,重いですね。

しかも,重罪(crime)に係る前科者(Quiconque, ayant été condamné pour crime)が無期懲役刑が科されるべき重罪を犯した場合には,死刑に処せられます(ナポレオン刑法典56条5項: “Si le seconde crime entraîne la peine des travaux forcés à perpétuité, il sera condamné à la peine de mort.”)。斬首(“Tout condamné à mort aura la tête tranchée.(同刑法典12条))。ジャン・ヴァルジャン危うし。

 

(2)1791年刑法典

ですから当時のフランスで,夜間パン屋の陳列窓のガラスを割って格子の間から手を入れてパン1個を盗んだだけで懲役5年に処せられるということも,さもありなんです。

 

Ceci se passait en 1795. Jean Valjean fut traduit devant les tribunaux du temps pour vol avec effraction la nuit dans une maison habitée.

…Jean Valjean fut condamné à cinq ans de galères.

 

 ジャン・ヴァルジャンが処せられたのは5年のgalèresですから,これは5年の漕役と訳すべきか,懲役と訳すべきか。また,事件が起きたのは1795年のことですから,公訴事実によるところの「損壊を伴い夜間住居内において犯された盗犯」に科される刑が当時どうなっていたかを調べるためには,1791年のフランス刑法典を見るべきことになります。

 1791年フランス刑法典第2編第2章第2節財産に対する重罪及び軽罪の第6条及び第7条は,次のようなものでした(http://ledroitcriminel.free.fr/)。

 

 Article 6

  Tout autre vol commis sans violence envers des personne, à l’aide d’effraction faite, soit par le voleur, soit par son complice, sera puni de huit année de fers.

 

 Article 7

  La durée de la peine dudit crime sera augméentée de deux ans, par chacune des circonstances suivantes qui s’y trouvera réunie.

  La première, si l’effraction est faite aux portes et clôtures extérieures de bâtiments, maisons ou édifices;

  La deuxième, si le crime est commis dans une maison actuellement habitée ou servant à habitation;

  La troisième, si le crime a été commis la nuit;

  …

 

 第6条

人に向けられた暴行を伴わず,盗犯犯人又はその共犯よってなされた損壊を利用して犯された他の全ての盗犯は,8年の鉄鎖刑によって処罰される。

 

第7条

上記の重罪の刑期は,次に掲げる事由であってそれに伴うものごとに,各2年延長される。

第1,損壊が,建物,家屋又は建造物の外側の門戸牆壁に対してされたとき。

第2,当該重罪が,人の現に居住し又は人の居住に供される家屋内において犯されたとき。

第3,当該重罪が,夜間犯されたとき。

〔第4及び第5は略〕

 

 ジャン・ヴァルジャンのパン泥棒に対する刑罰は,懲役5年どころか,本来は鉄鎖刑14年(第6条の8年に加えて,第7条の第1から第3までで各2年(小計6年)の刑期延長があって,合計14年)であるべきものだったのではないでしょうか。

 ちなみに,鉄鎖刑においては,片足に重り球が鉄鎖でつながれることになり(1791年フランス刑法典第1編第1章第1節第7条),かつ,受刑者は国家のための強制労働に服しました(同節第6条)。また,受刑前には6時間公衆の面前でさらし者です(同節第28条)。

 いずれにせよ,ここまで書いてきて,ジャン・ヴァルジャンのパン泥棒の刑期がどのようにして5年と決まったのかを探るのが,大きな調査課題として残ってしまいました。



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1 多摩地区の司法の中心・立川

 裁判所の土地管轄上,東京都は東京地方裁判所及び東京家庭裁判所の管轄ですが,武蔵野市以西の多摩地区は,霞が関の本庁ではなく,各裁判所立川支部の管轄になります(なお,昔は,支部は八王子にありました。)。東京地方裁判所立川支部,東京家庭裁判所立川支部及び立川簡易裁判所の庁舎は,JR立川駅わきの立川北駅からモノレールで一駅の高松駅から歩いて少しのところにあります。JR立川駅から歩いていけない距離ではありませんが,夏の暑い盛りなどは,避けた方が賢明でしょう。汗で背広がクタクタになります。立川北・高松間のモノレール運賃は,片道100円です。なお,法テラス(日本司法支援センター)の多摩支部は,高松駅前ではなく,立川駅北口前にあります。

 弁護士として,立川を訪れる機会は少なくありません。


2 「聖」地・立川

 そんなある日,立川駅前で,車体に某人気ご当地漫画の主人公二人組が大きく描かれているバスを見かけました。

 「ああ,立川は,多摩地区の司法の中心であるばかりではなく,世界の宗教的にも,「聖」地の一つであるのであった。」

 とは,当該某漫画の読者としての感慨でしょう。

 他方,弁護士としては,当該某漫画の主人公二人を思うとき,次の二つの犯罪構成要件が気になりだしたところです。


 軽犯罪法1条 左の各号の一に該当する者は,これを拘留又は科料に処する。

  〔第1号から第21号まで略〕

  二十二 こじきをし,又はこじきをさせた者

  〔第23号から第34号まで略〕

 

 刑法234条 威力を用いて人の業務を妨害した者も,前条の例〔3年以下の懲役又は50万円以下の罰金〕による。


3 托鉢と軽犯罪法1条22

お坊さんの托鉢は,軽犯罪法1条22号にひっかからないのでしょうか。乞食(こつじき)自体が,そもそも仏教用語なのですよね。手元の『岩波国語辞典 第4版』(1986年)には,「こつじき(乞食)」とは,「〔仏〕僧が人家の門に立ち,鉢をささげ,食をこい歩くこと。托鉢。「乞食行脚」」とあります。

軽犯罪法の適用に当たっては,「国民の権利を不当に侵害しないように留意し,その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。」との訓示規定が同法4条に定められています(下線は筆者)。しかし,托鉢者がインド人であって日本国民でない場合には,同条の適用はどうなるのでしょうか。殊更につらく当たられることはないのでしょうが。

無論,軽犯罪法違反の罪は拘留又は科料に当たる罪でしかありませんから,原則として,現行犯逮捕はされず(刑事訴訟法217条),逮捕状による逮捕もされないはずです(同法1991項ただし書)。しかし,「もしもし,お坊さん,お坊さんの住居はどこですか。」と托鉢行為を現認した警察官に問われて,「私は出家の身なので,定まった住居などありません。カピラヴァストゥは滅びました。」と答えられてしまうと,困りますね。定まった住居がないのならば,軽犯罪法違反でも身柄拘束あり得べしになってしまいます。立川市内にアパートを借りて住んでいるのなら,そう言ってくれなくては困ります。

軽犯罪法1条22号は,仏教を弾圧するための条項なのでしょうか。

乞食(こつじき)は,大日本帝国憲法28条にいうところの「安寧秩序ヲ妨ケ」又は「臣民タルノ義務ニ背」く行為であって,保護される信教ノ自由の範囲外にあったものでしょうか。大日本帝国憲法28条の「臣民タルノ義務」については,その最も著しいものとして,「国家及び皇室に忠順なる義務及び之に伴うて国家及び皇室の宗廟たる神宮,歴代の山陵,皇祖皇宗及び歴代の天皇の霊を祭る神社等に対し不敬の行為を為さる義務」が挙げられ,「その外兵役義務,国民教育を受くる義務等」があるとされていましたが(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)399-400頁),托鉢は,「此等の義務を否定し,之を排斥する」までのもの(同400頁参照)だったのでしょうか。なかなかそこまでは行かないように思われます。また,「安寧秩序」は,「社会的秩序」の意味であるとされています(美濃部400頁)。しかるにそもそも,「わが現時の国法に於いて,国家と特別の関係に在るものは・・・仏教各宗である。・・・多年わが国家及び皇室と密接の関係の有つた歴史に基いて,今日に於いても国家は之に特別の保護を与へ, 随つて又之に特別の監督を加へて居る。就中・・・仏教各宗の管長は,勅任待遇の特典を受けて居る」ところであったものです(美濃部403頁)。明治の初めに廃仏毀釈運動があったとはいえ(明治五年十一月九日の府県あて教部省第25号達は「自今僧侶托鉢之儀禁止候事」とした。),仏教弾圧は,かえって我が国の社会秩序を乱すことになりかねないものではないでしょうか(明治14年8月15日内務省甲第8号布達は上記明治五年教部省第25号達を廃止し, 托鉢者に管長の免許証の携帯を求めることとした。「不都合之所業」があれば托鉢差止め及び所属宗派に通知(明治14年内務省乙第38号達・明治19年内務省令第9号)。)。聖徳太子の憲法の第2条にいわく,「篤く三宝を敬へ。三法とは仏法僧なり。即ち四生之終帰,万国之極宗なり。・・・」なお,軽犯罪法の前身(同法附則2項参照)である警察犯処罰令(明治41年内務省令第16号)の第2条2号は,「乞丐ヲ為シ又ハ為サシメタル者」は30日未満の拘留又は20円未満の科料に処せられるものとしており,そこでは「乞食」ではなく「乞丐(きっかい)」の文字が用いられていました。「丐(かい)」も請い求めるとの意味であり,また,乞丐は仏教用語ではないようです。

乞食(こつじき)行為と乞丐又は「こじき」行為とは異なるものと解さなければなりません。

両者を分別するものは,いかなる要件でしょうか。

ここで,軽犯罪法に関する各種の解説書を見ると,「こじき」行為においては相手方が憐れみないしは同情から金品を与えるものである,という理解がされているようです。


 こじきとは,不特定の他人に憐れみを乞い,自己または自己が扶養する者の生活のために必要な金品を,無償またはほとんどこれに近い名目的な対価で得ようとする行為をいう。(安西溫『特別刑法〔7〕』(警察時報社・1988年)166頁。下線は筆者)


なるほど,いかにも修行を積んだ御様子のお坊さまが堂々と托鉢をしているのを見ると,そこに生ずる感情は憐れみや同情ではなく,むしろ徳の高さのありがたさに感極まって思わず喜捨をしてしまうわけです。このように高々とした托鉢行為は,「こじき」行為ではありません。(なお, 警察犯処罰令2条1号は「喜捨ヲ強請」することを処罰していました。喜捨を受けるお坊さんは威張っていたのですね。)ということはすなわち,「こじき」行為による法益侵害によって生ずる状態とは,憐れみや同情を感ずることであって,これは換言すると,自らの窮状を言い募り,あるいは顕示して不特定者に憐れみや同情を感じさせることは,違法な法益侵害行為であるというわけですね。

Bettler aber sollte man ganz abschaffen! Wahrlich, man ärgert sich ihnen zu geben und ärgert sich ihnen nicht zu geben. (乞丐は禁止せらるべきなりき!まことに彼らに施すも不快,施さざるも不快である。)

ところで,

「同情するなら金をくれ。」

という発言は,どのように理解すべきでしょうか。

同情した上で金をくれ,というのならば,「こじき」行為を指向するものでしょう。

同情なんかする必要はない,とにかく金をよこせ,というのならば,「こじき」行為ではないものでしょう。


4 威力業務妨害罪の被疑者及びその弁護



(1)威力業務妨害罪及び保護される業務

さて,神殿の境内でにぎやかにお供え物販売等の商売をしていたおじさんたちを泥棒呼ばわりしつつ追い払い,またおじさんたちの出店の設備をひっくり返す行為は,威力業務妨害罪(刑法234条)に該当するようです。

「神聖な境内で卑しい商売をすることは神殿の目的外利用であって,彼らの商売行為は違法だったのです。私は,彼らによってもたらされた違法状態を取り除いただけなのです。」

と主張することになるのでしょうが,我が司法当局を説得できるかどうか。


 〔業務妨害罪によって保護される〕業務とは,職業その他社会生活上の地位に基づき継続して行う事務または事業をいう(大判大正101024刑録27643頁)。・・・業務は,刑法的保護に値するものであれば足り,適法であることを要しない。たとえば,知事の許可を得ていない湯屋営業(東京高判昭和2773高刑571134頁),行政取締法規に違反したパチンコ景品買入営業(横浜地判昭和61218刑月181=2127頁)についても本罪が成立する。・・・当該業務の反社会性が本罪による保護の必要性を失わせる程度のものであるか否かを基準とすべきであろう。(西田典之『刑法各論〔第3版〕』(弘文堂・2005年)112頁)


境内でのおじさんたちの商売は,社会的に受け容れられていたものなのですから,よその国の律法ではともかく,我が日本刑法の保護を受けないものとはいい難いところです。


(2)逮捕に基づく留置及びアメリカ法との相違

威力業務妨害罪の法定刑には懲役があり,また,罰金の多額は30万円を超えていますから,急を聞いて駆け付けた警察官によって,なおも荒ぶる我らの主人公は,すんなり現行犯逮捕されることでしょう(刑事訴訟法217条参照)。

逮捕された我らの主人公は,司法警察員から犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができることを告げられた上,弁解を聴取されることになります(憲法34条前段,刑事訴訟法216条・2031項)。現行犯ですから犯罪の嫌疑は十分であり,今までしていた仕事を辞めて田舎から都までやってきた30代前半の独身男性であって逃亡のおそれもありそうですから留置の必要(「犯罪の嫌疑のほか,逃亡のおそれ・罪証隠滅のおそれ等(最判平838民集50-3-408)」(松本時夫=土本武司編著『条解刑事訴訟法〔第3版増補版〕』(弘文堂・2006年)346頁))があると思料され,直ちに釈放されること(刑事訴訟法2031項参照)はないでしょう。

逮捕による身柄拘束期間中においては(警察官に逮捕されたときは,逮捕時から72時間以内に検察官から裁判官に勾留の請求がされなければ釈放されることになっています(刑事訴訟法205124項)。当該請求があって,裁判官の被疑者に対する勾留質問(同法2071項,61条)を経て裁判官から勾留状が発せられ(同法2074項),当該勾留状が執行されると,被疑者の身柄拘束は,逮捕されている状態から「勾留」されている状態に移行します。),我らの主人公と接見交通できるのは,弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者(同法391項)だけです(同法209条は同法80条を準用せず。)。家族・友人がどんなに心配しても,弁護士ならぬ身であれば,逮捕に基づき留置されている被疑者に会うことはできないわけです。勾留に移行すれば,「弁護人又は弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者」以外の者も被疑者と接見できるのですが(刑事訴訟法80条),なかなか直ちには逮捕から勾留に移行しません。


・・・〔米国の〕統一逮捕法では,「なるべくすみやかに,おそくとも24時間以内に」裁判官に引致しなければならないのである。わが法は,「なるべく速やかに」の語がないため,72時間は当然に留置できるかのように解釈し,運用されている。なお,英米法では,逮捕は裁判官に引致するためのものであるが,わが法の勾留請求は,逮捕の結果当然になされる処置ではなく,新たな処分である。逮捕は,捜査機関のところに72時間以内留置されるために行われるのである。したがって,英米法の逮捕とわが法の逮捕とは,全く性質を異にするものとなっている。(平野龍一『刑事訴訟法』(有斐閣・1958年)99頁)


 この72時間の間,「被疑者の地位は著しく危うくなっている。」わけです(平野98頁)。

 なお,「アメリカでは逮捕後,裁判官のもとへ引致されると直ちに保釈されうる」ものとされていますが(田宮裕『刑事訴訟法〔新版〕』(有斐閣・1996年)260頁。また,松尾浩也『刑事訴訟法(上)補正第三版』(弘文堂・1991年)194頁),我が刑事訴訟法の場合,起訴前の被疑者(起訴後の被告人ではないことに注意)勾留の段階では,保釈金を積んで釈放してもらう保釈制度の適用はありません(同法2071項ただし書)。我が国で起訴前保釈が認められないのは「被疑者の勾留期間が短いためだとされるが(団藤・綱要321頁),10日ないし20日という期間・・・は,短いものではない」ことから,「保釈を許さないのは,捜査が糺問手続であり,勾留を被疑者取調のため,ないし被疑者と外界との遮断のために用いることを暗に認めたもので,供述の強要を禁止した憲法の趣旨にも合致しないといわなければならない。」と批判されています(平野102頁)。また,そもそも,英米法では,勾留の必要として認められているのは「逃亡のおそれだけ」であるそうですから(平野100頁),「保釈金を没取するという威嚇によって,被告人の出頭を確保しようとする」保釈の制度(同161頁)によってしかるべく身柄解放がされやすいようです。これに対して我が国では,大陸法式に罪証隠滅のおそれも勾留の必要として認めているところ,「保釈は・・・罪証隠滅の防止を目的とする勾留には代りえない」ことになるわけですから,保釈が制限されてしまうことになります(平野100頁,164頁)。

 逮捕された被疑者の裁判官のもとへの速やかな引致が米国連邦法で求められている結果,「アメリカ合衆国の連邦裁判所では,いわゆるマクナブ・ルールがあり,引致が遅滞すればその間の自白を証拠から排除する(McNabb v. U.S. (1943)に由来する)」ものとされています(松尾61頁)。マクナブ事件においては,テネシー山間部でウィスキーの密売などしていたマクナブ一族に対して,連邦内国歳入庁の捜査官が密売現場に手入れに入ったところ捜査官のうち一名が殺害され,これについて双子の兄弟フリーマン及びレイモンド並びにいとこのベンジャミンがそれぞれ捜査段階における自白に基づき下級審で有罪とされていました。米国連邦最高裁判所のフランクファーター判事執筆に係る多数意見におけるさわりの部分は,次のとおり。


 …Freeman and Raymond McNabb were arrested in the middle of the night at their home. Instead of being brought before a United States Commissioner or a judicial officer, as the law requires, in order to determine the sufficiency of the justification for their detention, they were put in a barren cell and kept there for fourteen hours. For two days, they were subjected to unremitting questioning by numerous officers. Benjamin’s confession was secured by detaining him unlawfully and questioning him continuously for five or six hours. The McNabbs had to subject to all this without the aid of friends or the benefit of counsel. The record leaves no room for doubt that the questioning of the petitioners took place while they were in the custody of the arresting officers and before any order of commitment was made. Plainly, a conviction resting on evidence secured through such a flagrant disregard of the procedure which Congress has commanded cannot be allowed to stand without making the courts themselves accomplices in willful disobedience of law. Congress has not explicitly forbidden the use of evidence so procured. But to permit such evidence to be made the basis of a conviction in the federal courts would stultify the policy which Congress has enacted into law…

 (・・・フリーマン・マクナブ及びレイモンド・マクナブは,真夜中,彼らの家において逮捕された。法律によって要求されているように,彼らの抑留に十分な理由があるかどうかを判断するために合衆国の理事官又は司法官憲のもとに引致される代わりに,彼らは粗末な獄房に投ぜられ,そこに14時間留め置かれた。二日間にわたって,彼らは多数の捜査官による間断のない取調べに服せしめられた。ベンジャミンの自白は,彼を違法に抑留し,5ないし6時間にわたって取り調べることによって得られたものである。マクナブ一族は,これらすべてに,友人からの支援及び法的助言の利益なしに服さしめられた。申立人らの取調べが,逮捕した捜査官のもとに留置されている時に,彼らを拘禁する何らの裁判もされない段階でされたことについては,記録上,何らの疑いもない。連邦議会が定めた手続に係るあからさまな無視によって獲得された証拠に基づく有罪判決が維持されるということは,裁判所自身を,法に対する意図的な不服従に係る共犯者とすることなしには不可能であることは明白である。連邦議会は,そのようにして獲得された証拠を用いることを明示的には禁じてはいない。しかしながら,そのような証拠を,連邦裁判所において有罪判決の基礎とすることを許すことは,連邦議会が法律化した政策を台無しにするものである・・・)


市民及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年条約第7号)9条3項は「刑事上の罪に問われて逮捕され又は抑留された者は,裁判官又は司法権を行使することが法律によつて認められている他の官憲の面前に速やかに連れて行かれるものとし,妥当な期間内に裁判を受ける権利又は釈放される権利を有する。裁判に付される者を抑留することが原則であつてはならず,釈放に当たつては,裁判その他の司法上の手続のすべての段階における出頭及び必要な場合における判決の執行のための出頭が保証されることを条件とすることができる。」と規定しています。

田宮裕教授の著書において,勾留に係る「逮捕前置主義」について,「私見によれば「拘束したら裁判官のところへつれていく」という近代法原理にそうべく,裁判官の審問たる勾留質問(61条)と逮捕を結びつけて,「裁判官への予備出頭のための引致」という形を整えたものだと思う。」と述べられていますが(田宮84頁),これは勾留のために逮捕前置主義が採られているのだというよりも,逮捕の近代法原理適合性を確保するために逮捕について「勾留質問後置主義」が採られているのだということでしょう。

閑話休題。


(3)被疑者に対する弁護人の援助の確保

逮捕段階ですから,弁護士ならざる家族・友人らは我らが主人公に接見してaid of friends(友人からの支援)を与えることはできないにしても,弁護士によるbenefit of counsel(法的助言の利益)は,どうしたら得ることができるでしょうか。

なお,接見交通の機能としては,次のようなことが挙げられています。


・・・①まず,身柄を拘束された被疑者は外界と遮断されているので,自由に交通できる弁護人が外界との窓口となりうる。・・・その結果,心理的安定により市民としての自己回復ができる。②つぎに,継続的な取調べによる不当なプレッシャーを回避させるという意義をもつ。つまり,黙秘権を中心とした適正手続の担保である。③さらに,弁護人と相談することにより,被疑者側の「訴訟準備」が可能になる。つまり,依頼人としての打合わせの確保である。(田宮142143頁)


ア 当番弁護士

弁護士の知り合いがいない場合であっても,「当番弁護士を呼んでください。」と被疑者から警察官,検察官若しくは裁判官に言うか,又は家族から地元の弁護士会に依頼することができます。要請があれば,弁護士会から当番弁護士が,1回無料で接見にやって来て,相談に応じてくれます。

しかし,当番弁護士が無料で接見して相談に応じてくれるのは1回限りなので,更に弁護人による援助を受けようとすれば,弁護士を弁護人として選任しなければなりません。


イ 被疑者国選弁護制度及びその範囲

「あの,国選弁護っていう制度があるそうですけれど,国選弁護人は頼めませんか。」

という質問もあるかと思われますが,実は,逮捕段階の被疑者に国選弁護人を付ける制度はいまだありません。

まず,憲法37条3項は「刑事被告人は,いかなる場合にも,資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは,国でこれを附する。」と規定していますが,これは「被告人」の権利に関する規定であって,公訴を提起される前の「被疑者」には直接適用されません(被疑者の国選弁護制度を設けるか設けないか,設けるとした場合その範囲はどうするかは国会が裁量で決めることができるということです。)。

 とはいえ現在,刑事訴訟法は,被疑者のための国選弁護の制度を導入してはいます。


 37条の2 死刑又は無期若しくは長期3年を超える懲役若しくは禁錮に当たる事件について被疑者に対して勾留状が発せられている場合において,被疑者が貧困その他の事由により弁護人を選任することができないときは,裁判官は,その請求により,被疑者のため弁護人を付さなければならない。ただし,被疑者以外の者が選任した弁護人がある場合又は被疑者が釈放された場合は,この限りでない。

   前項の請求は,同項に規定する事件について勾留を請求された被疑者も,これをすることができる。


 読みづらいですね。被疑者に国選弁護人を付する制度が存在することが分かるでしょうか。ただし,逮捕されて留置されている被疑者であっても,検察官が勾留請求をするまでは国選弁護人を付けるように請求をすることはできず,また,勾留請求がされ,勾留状が発せられても,一定以上の重い罪に係る事件の被疑者でなければ,これまた国選弁護人を付けるように請求することはできないというのが,現在の制度です。


ウ 弁護人の私選及び私選弁護人の報酬(の一応の)相場

 要は,逮捕段階で弁護人を付けるには,国選弁護制度がないので,私選しなければならないのです。

 選任権者は,被疑者のほか,被疑者の法定代理人,保佐人,配偶者,直系の親族及び兄弟姉妹です(刑事訴訟法30条)。「弟子」は選任権者になりません。内縁の妻でも駄目です(松本=土本43頁)。

いずれにせよ,刑事弁護を依頼するとなれば最も気になり,かつ,機微に触れるのが弁護士報酬の問題です。どれくらいかかるものでしょうか。これについては,


 刑事弁護は事案によってかかる時間や労力,大変さはさまざまであり,弁護料の相場を出すのは難しい。東京三弁護士会が当番弁護士のために示している標準を示すと,次のとおりである(依頼者の資力や事案の性質によって変動することはありうる)。

①被疑者段階の弁護活動の着手金として15万円

②公判請求されなかった場合(不起訴・略式命令)は報酬金として30万円

③公判請求された場合は,起訴後第一審判決までの弁護活動の着手金として30万円

④第一審判決による報酬金として30万円


と紹介するものがあります(『刑事弁護ビギナーズ(季刊刑事弁護増刊)』(現代人文社・2007年)43頁)。上記の額に消費税額が加算されます。無論,飽くまでも目安です。事件の難易度,弁護活動の内容,依頼者の資力等により,上記の額よりも安い額での契約も当然あり得ます。


エ 我らが主人公の窮状

 我らが主人公はお金が無いようなので,ちょっと私選による弁護人の依頼は無理でしょうか。

 しかし,勾留段階に至っても,我らの主人公は被疑者国選弁護制度を利用することができないようです。実は威力業務妨害罪の法定刑の上限が懲役3年であって3年を超えていないため,我らの主人公が「貧困」であっても刑事訴訟法37条の2第1項本文の場合に該当しないからです。



オ 刑事被疑者弁護援助制度

 この場合であっても,なお,弁護士と相談して,「刑事被疑者弁護援助制度」という制度を利用する方法が残されています。かつては(財)法律扶助協会が運営していましたが,現在は法テラスが委託を受けて運営している制度です(逮捕段階から利用可能)。ただし,審査の結果,被疑者に弁護費用償還義務があるものとされる場合があります。 (ちなみに,刑事訴訟法1811項は「刑の言渡をしたときは,被告人に訴訟費用の全部又は一部を負担させなければならない。但し,被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるときは,この限りでない。」と規定し,刑事訴訟費用等に関する法律(昭和46年法律第41号)23号は国選弁護人に支給すべき旅費,日当,宿泊料及び報酬を刑事の手続における訴訟費用に含めていますが,「現在の実際的運用では,特段の資産もなく,職をもっていてもさほど高い給料を得ていないような被告人であれば,弁護人が私選の場合には別として,貧困と認められ訴訟費用の負担を命じられないことになるのが通常といってよいようである。」とされています(松本=土本300頁)。)


(4)刑事弁護活動の一例:ある保釈請求成功例

 最近,我らが主人公同様に,弁護人を私選するだけの資力がないが,事件が被疑者国選弁護人を付してもらえるほど重いものではない(法定刑が,3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金)ものであった被告人の国選弁護人を務めましたが,保釈許可を得ることができ,かつ,執行猶予付き判決であったので,「これが起訴前の被疑者段階から弁護人がついていたのなら,そもそも起訴猶予ということで公訴を提起されずに済んだかもしれないし,公訴が提起されても,実際の保釈より2週間は早く保釈されていただろうな。」とかえって気の毒に思ったものです。

 起訴猶予(刑事訴訟法248条)の可能性についてはともかくも,保釈についてですが(保釈は,起訴されて被告人になってから可能になります。),実は,上記国選弁護人の選任は当該被告人の起訴の日から起算して13日目であって,ここで既に12日の遅れが生じていました。弁護人は,急ぎ同日警察署内の留置施設で被告人と第1回接見をし,翌14日目に検察庁で証拠の閲覧・謄写,事件の現場確認及び被告人の家族との面談を行い,15日目(金)には小菅の東京拘置所で第2回接見を行って公判対応の方針決定,翌週保釈請求をする運びとしたところです。(ちなみに,警察署の留置施設の方が近くて,接見をする側からすると便利なところもあるのですが,居住環境や特に食事は,遠いながらも小菅の方がよいそうです。)16日目(土)には,身元引受人となる被告人の奥さんに会って,身元引受書を作成してもらうとともに(ちなみに,旧刑事訴訟法118条は「裁判所ハ検事ノ意見ヲ聴キ決定ヲ以テ勾留セラレタル被告人ヲ親族其ノ他ノ者ニ責付・・・スルコトヲ得/責付ヲ為スニハ被告人ノ親族其ノ他ノ者ヨリ何時ニテモ召喚ニ応シ被告人ヲ出頭セシムヘキ旨ノ書面ヲ差出サシムヘシ」と規定していました。身元引受人及び身元引受書は,同条由来の伝統でしょうか。なお,責付とは,「勾留状の執行を停止すると同時に被告人を其の親族又は其の他適当の者に引渡すことを謂ふ。此の制度は徳川時代に於ける「お預け」(親類預け,五人組預け等)の制度に其の源を有する。」とされています(小野清一郎『刑事訴訟法講義 全訂第三版』(有斐閣・1933年)252頁)。),併せて裁判官に提出する奥さんの上申書の内容を一緒に考えました。17日目(日)には休日ながらも事務所で保釈請求書の起案,18日目(月)は早朝5時に起きて午前7時に奥さんと会って,手書きでしたためられた上申書を受け取り,更に保釈請求書に最後の推敲をして,午前1015分ころ東京地方裁判所刑事第14部に書類一式を提出しました。窓口の書記官の説明では,翌19日目が国民の祝日であるため,検察官の意見(刑事訴訟法921項)は20日目又は21日目に出,裁判官面接は検察官の意見が出た翌日になるだろうということであったため,「国民の祝日」を恨めしく思ったものですが(201454日付け記事参照),休日明けの20日目(水)の午後に裁判官から弁護人に「電話面接」があってそれから1時間もたたずして保釈許可決定が出,21日目(木)の午前に虎ノ門の銀行で大金をおろして11時過ぎに東京地方裁判所出納二課に保釈金納付,1133分に刑事第14部の窓口で手続を終了することができました。同日1233分に東京拘置所に電話をかけるともう釈放手続が始まっているということで,被告人の家族に「早く迎えにいかねば。」と連絡,14時ころめでたく釈放となりました。保釈請求書を提出してから実質3日目に釈放になったわけです。すなわち,当該被告人のそもそもの起訴があったのは金曜日だったのですが,起訴前から保釈請求の準備をしておいて遅くとも翌週月曜日(起訴日から4日目)の朝に保釈請求書を提出していれば,起訴から6日目の水曜日には釈放され得ていた計算になります。「弁護士がいるいない,弁護士が仕事をするしないで,随分違いがあるものだね。」と思ったものです。

 今月(20147月)151343分に日本経済新聞のウェッブ・サイトに掲載された記事(「連絡ミスで保釈3日遅れる 大阪地裁」)によると,「被告は5月に逮捕・起訴され,地裁が6月12日に保釈を認める決定を出した。被告は13日に保釈金を納付したが,地裁の担当書記官が担当の部に連絡せず,保釈金が納付されたことが地検に伝わらなかった。/保釈されないことを不審に思った弁護人が地裁に指摘し,手続きミスが発覚。3日後の6月16日に釈放され,地裁は被告に謝罪と経緯の説明をした。・・・」という事件が大阪地方裁判所であったそうですが,この被告人は,気にしてくれる人がよっぽど少なかった人物だったものでしょうか。(なお,保釈される「被告人は,その日のうちに釈放されるが,帰宅のための交通費さえ所持していないという場合や,家族のもとに帰ろうとしない場合もあるから,弁護人としては,拘置所に出迎えるなり,家族・友人に連絡するなど,きめ細かな配慮を要することもある」とされています(松尾261頁)。)それとも,「まだ釈放されていないんですか。」という執拗な問い合わせにもかかわらず,よっぽど巧妙な「蕎麦屋の出前」的な言い訳がされ続けたものでしょうか。ちょっと不思議です。


(5)再び我が主人公について

 ところで,われらが主人公の保釈の見込みですが,権利保釈の除外事由中,刑事訴訟法89条5号(「被告人が,被害者その他事件の審判に必要な知識を有すると認められる者若しくはその親族の身体若しくは財産に害を加え又はこれらの者を畏怖させる行為をすると疑うに足りる相当な理由があるとき。」)に引っかかるのではないかと心配されるところです。我らが主人公は,何とわずか一人で境内の大勢の商売人のおじさんたちを追い出し,かつ,荒ぶっていたといいますし,以前は家業の建築関係の肉体労働に従事していたといいますから,たくましい筋骨の持ち主であって,必ずしもやさ男ではないようです。おじさんたちは,やはり怖くて逃げたのでしょう。

 さらに権利保釈の除外事由中問題になるのは,刑事訴訟法89条2号(「被告人が前に死刑又は無期若しくは長期10年を超える懲役若しくは禁錮に当たる罪につき有罪の宣告を受けたことがあるとき。」)です。確かに我らが主人公は,かつて,死刑の判決及びその執行まで受けています。しかし,刑の消滅(刑法34条の2)の場合は,同号の適用はないものとされています(松本=土本156頁)。


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弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所(渋谷区代々木一丁目572号ドルミ代々木1203

電話:0368683194

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

(読者の方が被疑者・被告人になられることはないでしょうが,念のため,弊事務所をお見知りおきください。)


 



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  ユーモアはファイトの潤滑油である。ユーモアがないと,ファイトはぎすぎすして,磨擦をおこす。ファイトがないと卑屈な追従におちいってしまう。だからいい法律家(ローヤー)であるためには,ぜひともユー〔モ〕アが必要である。刑事訴訟法も実際に運用されるときは,ユーモアでなめらかにされなければならない。(平野龍一「ファイトとユーモア」法律学全集しおり第20号(有斐閣・195812月))

 


1 単純逃走罪と被逮捕者

 「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者が逃走したときは,1年以下の懲役に処す。」と規定される単純逃走罪(刑法97条)については,なぜ刑事訴訟法に基づいて逮捕中の者が逃走した場合には同条は適用されないことになっているのか,という複雑な問題が付随しています。

 我が刑事法制の沿革をさかのぼらねばならない問題です。戦前の資料をはじめとする一次資料に当たることを面倒臭がり下請に適した特殊作業視するようなひ弱い根性では,なかなかいけないのでしょう。ため息が漏れるところですが,1981年から東京大学総長を務めた平野龍一教授(なお同年411日(土)の東京大学入学式における総長祝辞では,専ら文科一類の学生向けの「ファイトとユーモア」の話ではなく,全新入学生向けに,「coolhead」と「warmheart」の必要性が説かれました。)に「逃走罪の処罰範囲」(判時15563-6頁)という名論文があることを最近知りましたので,当該論文を頼りに,検討してみましょう。

 


2 刑法の規定の変遷

明治40年法律第45号である現行刑法制定当初(1907年)の同法97条及び98条は,次のとおりでした(なお,平成7年法律第91号による改正前の現行刑法は以後「原現行刑法」ということにします。)。

 


 97条 既決,未決ノ囚人逃走シタルトキハ1年以下ノ懲役ニ処ス

 第98条 既決,未決ノ囚人又ハ勾引状ノ執行ヲ受ケタル者拘禁場又ハ械具ヲ損壊シ若シクハ暴行,脅迫ヲ為シ又ハ2人以上通謀シテ逃走シタルトキハ3月以上5年以下ノ懲役ニ処ス

 


 「既決,未決ノ囚人」が「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者」になったのは,平成7年法律第91号による改正の結果です。

 原現行刑法の前の旧刑法(明治13年太政官布告第36号)144条本文は,「未決ノ囚人」の逃走罪について次のように規定していました。

 

 144条 未決ノ囚徒入監中逃走シタル者ハ第142条ノ例ニ同シ・・・

 


 旧刑法142条は,次のとおり。

 


 142条 已決ノ囚徒逃走シタル者ハ1月以上6月以下ノ重禁錮ニ処ス

  若シ獄舎獄具ヲ毀壊シ又ハ暴行脅迫ヲ為シテ逃走シタル者ハ3月以上3年以下ノ重禁錮ニ処ス

 


3 旧刑法時代の判例:留置された現行犯被逮捕者=未決ノ囚徒

この旧刑法時代の判例(大判明治35422日刑録84170頁)においては「逮捕されて留置されている者も「未決の囚人」であるとしていた」こと及び「学説も(小野〔清一郎〕説が出るまでは)一致してこれを支持していた」ことが,平野総長によってまず指摘されています(平野論文3頁)。当該判例の該当部分は次のとおり。(実は当該判例によれば,逮捕段階で既に「未決ノ囚徒」であって,留置までは不要であるように読めます。)

 


・・・警察官カ刑事訴訟法第58条ノ規定ニ基キ禁錮ノ刑ニ該ルヘキ軽罪ノ現行犯人ヲ認知シ令状ヲ待タスシテ之ヲ逮捕シタルトキハ其未決ノ囚徒タルコト論ヲ待タス又其囚徒ニシテ監獄ノ一部ナル警察署ノ留置場ニ拘禁セラルニ於テハ其入監中ナルコトモ亦明カナルニ依リ若シ該囚徒逃走スルトキハ刑法第144条第142条ヲ適用処断スヘキハ当然ナリ然ルニ原判決ハ被告Hカ窃盗ノ現行犯トシテ逮捕セラレ明治341212日夜岡山県岡田警察分署留置場第2房ニ留置中逃走シタル事実ヲ認メナカラ令状ノ執行ニ依リ入監シタルモノニアラサルニ付其所為罪トナラストシ無罪ヲ言渡シタルハ上告論旨ノ如ク擬律ノ錯誤ニシテ破毀ヲ免カレサルモノトス・・・

 


4 現行刑事訴訟法より前の刑事訴訟法典

 


(1)4代の刑事訴訟法典

さて,当該判例中の「刑事訴訟法」とは,もちろん現行の刑事訴訟法ではありません。旧々刑事訴訟法です。我が国の近代的刑事訴訟法典は,実は4代を経ています。

 


治罪法(明治13年太政官布告第37号)(ボアソナードの草案をもとに制定。フランス流)

(旧々)刑事訴訟法(明治23年法律第96号)(「明治刑訴」ともいう。)

(旧)刑事訴訟法(大正11年法律第75号)(ドイツ法系に転化)

刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)

 


1907年の原現行刑法制定時の刑事訴訟法は,旧々刑事訴訟法でした。したがって,原現行刑法の逃走罪の規定は,旧々刑事訴訟法の仕組みを前提としていたことになります。

 


(2)旧々刑事訴訟法における逮捕の限定:現行犯逮捕

旧々刑事訴訟法58条1項は次のとおり。現行犯逮捕に関する規定です。

 


58条 司法警察官及ヒ巡査,憲兵卒其職務ヲ行フニ当リ重罪又ハ禁錮ノ刑ニ該ル可キ軽罪ノ現行犯アルコトヲ知リタルトキハ令状ヲ待タスシテ被告人ヲ逮捕スヘシ

 


 ところで,旧々刑事訴訟法に基づく逮捕は限定されていました。

 


・・・明治刑訴では,逮捕は現行犯人について認められたほか,所在不明の被告人について,予審判事の請求にもとづき,検事が発する逮捕状によって認められていた(この場合逮捕状は勾留状と同一の効力を持っていた。80条)。(平野論文5頁)

 


ここでの「逮捕状」は,実質は勾留状で,かつ,既に予審の始まっている被告人について発せられます。(公訴提起前の)捜査過程において捜査機関が被疑者を逮捕するための現行刑事訴訟法の逮捕状とは異なります。旧々刑事訴訟法時代においては,現行刑事訴訟法における逮捕状による被疑者の逮捕に相当する制度は存在せず,現行犯逮捕が認められているだけであったわけです。

 


(3)予審と予審における強制処分

なお,予審とは検事の請求によって開始される裁判所の手続です。旧刑事訴訟法288条は「公訴ノ提起ハ予審又ハ公判ヲ請求スルニ依リテ之ヲ為ス」と規定していました。「予審ハ被告事件ヲ公判ニ付スヘキカ否ヲ決スル為必要ナル事項ヲ取調フルヲ以テ其ノ目的」とするものでした(旧刑事訴訟法2951項)。「裁判所に於ける手続を予審(Voruntersuchung)及び公判(Hauptverhandlung)に分つことは1808年のフランス治罪法以来近代刑事訴訟に於ける一般の構造となつてゐる」ものとされていました(小野清一郎『全訂第三版刑事訴訟法講義』(有斐閣・1933年)388頁)。予審を行う「予審判事は形式上裁判官たる地位を有するけれども,其の実質においては裁判官と謂ふことは出来ぬ。何故なれば,自ら事件そのものに付て裁判を下すものではないからである。其の行ふところの手続は形式上審理であるけれども,しかも其の実質に於ては事件を公判に付すべきか否を決定すると同時に,公判の審理に対して証拠を集収し,保全するといふことを目的とする。この点からは予審手続は寧ろ捜査手続の延長と見るべきもの」でした(小野・刑訴法392-393頁)。旧刑事訴訟法以前においては「強制処分は刑事訴訟法上原則として裁判機関に属し,捜査機関たる検事又は司法警察官は別段の規定ある場合を除く外自ら強制の処分を為すことを得」ませんでした(小野・刑訴法236頁)。これに対して予審判事は,勾引等の強制処分を自らすることができたところです(旧刑事訴訟法122条,169条,179条,213条等)。

 


5 監獄則

 なお,前記明治35年判例に係る検察側の上告趣意書では,旧刑法144条の「入監中トハ法律ノ規定ニ従ヒ法定ノ獄舎ニ投セラレタルモノヲ指シタルコト疑ヲ容レサル所ナレハ司法警察官カ刑事訴訟法第58条ノ規定ニ基キ令状ヲ待タスシテ被告人ヲ逮捕シ監獄ノ一部ナル警察ノ留置場(監獄則第1条第5号参照)ニ拘禁セシモノ入監中ナルコト明白ナリ」と説かれていたとされているので,当時の監獄則(明治22年勅令第93号)1条を見てみましょう。

 


第1条 監獄ヲ別テ左ノ6種ト為ス

  一 集治監 徒刑流刑及旧法懲役終身ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

  二 仮留監 徒刑流刑ニ処セラレタル者ヲ集治監ニ発遣スル迄拘禁スル所トス

   三 地方監獄 拘留禁錮禁獄懲役ニ処セラレタル者及婦女ニシテ徒刑ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   四 拘置監 刑事被告人ヲ拘禁スル所トス

   五 留置場 刑事被告人ヲ一時留置スル所トス但警察署内ノ留置場ニ於テハ罰金ヲ禁錮ニ換フル者及拘留ニ処セラレタル者ヲ拘禁スルコトヲ得

   六 懲治場 不論罪ニ係ル幼者及瘖唖者ヲ懲治スル所トス

 


 しかし,上記監獄則1条5号の文言を見ると,留置場に入り得るのは「刑事被告人」ですね。現行犯人であっても,現行犯逮捕されただけではまだ被告人ではないように思われ,疑問が生ずるところです。しかしながら,前掲の旧々刑事訴訟法58条を改めて見ると,現行犯逮捕される現行犯人は,既に「被告人」になっています。文言的には平仄は合っています。告訴についても,その段階で「被告人」という語が用いられています(同法491項)。「わが国最初の近代法典である治罪法(1880年)やつぎの明治刑訴法(1890年)には〔起訴便宜主義に係る〕関連規定がないので,当初は〔訴訟条件が具備し犯罪の嫌疑があるときは,検察官は必ず起訴しなければならないとする起訴〕法定主義を採用したものと解されていた。」ということでしょうか(田宮裕『刑事訴訟法〔新版〕』(有斐閣・1996年)173頁)。なお,旧々刑事訴訟法においては,現行犯については,不告不理の原則(「訴えなければ裁判なし」)の例外とされていました(同法142条・143条(検事より先に予審判事が現行犯を認知した場合))。

 ところで,明治22年の監獄則6条は,1889年当初は「新ニ入監スル者アルトキハ典獄先ツ令状又ハ宣告書ヲ査閲シテ之ヲ領シ其領収証ヲ引致シ来リタル者ニ交付シタル後入監セシムヘシ其文書ナクシテ引致セラレタル者ヲ入監セシムルコトヲ得ス」とあって,これでは「令状又ハ宣告書」の無いはずの現行犯逮捕の場合に問題があったように思われます。旧々刑事訴訟法制定後9年たってからの明治32年勅令第344号による監獄則6条の改正は,この点の不整合を解消させるための,あるいは「こっそり」改正であったものでしょうか。当該勅令による改正後の監獄則6条は,次のとおり。「其ノ他適法ノ文書」が効いています。

 


 第6条 新ニ入監スル者アルトキハ令状宣告書執行指揮書其ノ他適法ノ文書ヲ査閲シタル後入監セシムヘシ

 


6 旧刑法から原現行刑法(平成7年改正前)へ

 


(1)未決ノ囚人の単純逃走罪における「入監中」の文字の取り去り

 さて,旧刑法144条に戻りますと,「未決ノ囚徒入監中逃走シタル」とあり,例えば,勾留状を執行された者が入監前に逃走したときは,逃走罪は成立しませんでした。

 ところが,原現行刑法97条からは「入監中」の3文字が消えます。平野総長の論文(3頁)が引用する改正理由書の記述は,次のとおり。

 


 「囚人とは既決,未決を問はず監獄に在る可き身分の者を示す意義なるを以て現行法の如く未決の囚人に付きて特に入監中と云うの必要を認めざるのみならず却って疑義を生ずるおそれ」があるからである。

 

 前記明治35年の大審院判例では「警察官カ・・・現行犯人ヲ認知シ令状ヲ待タスシテ之ヲ逮捕シタルトキハ其未決ノ囚徒タルコト論ヲ待タス」としていましたから,現行犯逮捕された留置前の現行犯人も「監獄に在る可き身分」の「囚人」ということになるのでしょうか。しかし,囚人の「囚」の字は,角川『新字源』によると会意文字で,「人を囲いの中に入れたさまにより,「とらえる」意を表わす」ものとされ,また,「囚人」及び「囚徒」は「罪を犯して,牢屋に入れられている人。罪人。めしうど。」となっていますから,まだ牢屋の囲い(「囗」)の中に入っていない「人」を「囚」人というのには若干の違和感があるところです。さりながら,対応するドイツの用語はGefangeneであり,フランスの用語はdétenuであって,監獄に入れられているところまでは必要とされていないようです。

 


(2)二つの解釈

 原現行刑法においては,1907年の制定当初には,現行犯で逮捕されてから留置されるまでの間においても,当該現行犯人が逃走した場合には単純逃走罪が成立するものとし,旧刑法144条よりも犯罪の成立範囲を拡張したものであったのでしょうか(前記明治35年の大審院判例における「未決ノ囚徒」の解釈をそのまま維持するとそうなるはずです。)。学説は,留置前の単純逃走罪の成否についてはっきり一致はしていなかったようです(平野論文3-4頁,5頁参照)。平野総長が「逮捕されて留置されている者」が「未決の囚人」であることは「学説も・・・一致してこれを支持していた。」と述べるとき,それは学説が一致する最大公約数的内容であったのでしょう。

 


ア 現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説

平野総長自身は,「監獄に拘禁されざる者は・・・未決の囚人にあらずということがごときは法理の上よりするもまた法文の上よりするも何等の根拠なきものとす」との大場茂馬判事の所説を引用し(平野論文3頁),また,刑法99条の被拘禁者奪取罪について(原現行刑法においては「法令ニ因リ拘禁セラレタル者ヲ奪取シタル者ハ3月以上5年以下ノ懲役ニ処ス」と規定していました。),囚人とは「「監獄にあるべき身分の者」とし,「監獄にある者」とはしていなかった」原現行刑法に係る前記改正理由書を援用して,「勾留状の執行を受け,あるいは逮捕状により逮捕されてまだ収監されていない者も,「拘禁された者」といわざるをえない」と述べていますから(平野論文6頁),現行犯で逮捕されてから留置されるまでの間においても,当該現行犯人が逃走した場合には単純逃走罪が成立することについて,積極に解するものでしょう。これを「現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説」と名付けましょう。

 


イ 現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説

 しかし,最大公約数的学説(現行犯逮捕されても留置されていなければ未決ノ囚人ではないものとする。)もそれなりに理由があるようです。原現行刑法に係る改正理由書の記述は,身柄拘束一般について述べているものではなく,飽くまで「監獄」にこだわっており,また,確かに現行犯逮捕されても全員が「監獄に在る可き身分の者」として留置されるわけではなく,留置の必要なしとして釈放される場合もあったはずです(「其ノ他適法ノ文書」の作成がなければ,監獄則6条によって,入監が許されなかったでしょう。1922年の旧刑事訴訟法127条前段は「司法警察官現行犯人ヲ逮捕シ若ハ之ヲ受取リ又ハ勾引状ノ執行ヲ受ケタル被疑者ヲ受取リタルトキハ即時訊問シ留置ノ必要ナシト思料スルトキハ直ニ釈放スヘシ」と規定していました。)。「未決の囚人に付きて特に入監中と云うの必要を認めざるのみならず却って疑義を生ずるおそれ」という記述についても,囚人が入監しているのは当然のことであるから「特に入監中と云うの必要を認め」ないという趣旨であり(「車に乗する」とは言うべきではない類),入監していない段階で既に「未決ノ囚徒」であるとした前記明治35年判例は,正に,「入監中」という(旧刑法144の)冗語が招いた「疑義」が誤った解釈(「入監中」でない「未決ノ囚徒」もあると解するもの)を導出してしまった一例であると考えられていた,ともいえそうです。「監獄に在る可き身分の者」とは,「いったん収監され」た上,「移監や出廷のため護送中の者や監獄外で作業に従事している者」を(専ら)意味するものである(西田典之『刑法各論 第三版』(弘文堂・2005年)405頁参照),という解釈も可能でしょう。こちらは,「現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説」と呼びましょう。

 


7 監獄法及び旧刑事訴訟法

 


(1)監獄法

 なお,監獄則に代わる法律として,原現行刑法制定後の1908年には監獄法(明治41年法律第28号)が制定されます。制定当初の同法1条及び11条は,次のとおり。

 


 第1条 監獄ハ之ヲ左ノ4種トス

   一 懲役監 懲役ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   二 禁錮監 禁錮ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   三 拘留場 拘留ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   四 拘置監 刑事被告人及ヒ死刑ノ言渡ヲ受ケタル者ヲ拘禁スル所トス

  拘置監ニハ懲役,禁錮又ハ拘留ニ処セラレタル者ヲ一時拘禁スルコトヲ得

  警察官署ニ附属スル留置場ハ之ヲ監獄ニ代用スルコトヲ得但懲役又ハ禁錮ニ処セラレタル者ヲ1月以上継続シテ拘禁スルコトヲ得ス

 

11条 新ニ入監スル者アルトキハ令状又ハ判決書及ヒ執行指揮書其他適法ノ文書ヲ査閲シタル後入監セシム可シ

 


 現行犯逮捕された現行犯人は,旧々刑事訴訟法では「被告人」ですから,「刑事被告人」として拘置監又は留置場に入監したのでしょう。

 

(2)旧刑事訴訟法

 ところが,1922年の旧刑事訴訟法においては,もはや現行犯逮捕された現行犯人を「被告人」とは呼称していませんでした。となると,監獄法1条1項4号及び3項との関係では,現行犯逮捕された現行犯人の起訴前(予審請求又は公判請求の前)の在監の説明は厄介なことになったもののようにも思われます。しかし,旧々刑事訴訟法からの経緯で説明され,問題視されなかったもののようであります。

現行刑事訴訟法の制定時にも,監獄法1条1項4号は改正されていません。

「拘置監に「刑事被告人」すなわち被告人および被疑者を収容するものとし(監114号)」(大谷實『刑事政策講義 第四版』(弘文堂・1996年)288-289頁)という表現に見られるように,監獄法にいう「刑事被告人」は,刑事訴訟法における被告人及び被疑者の総称であると解釈されていたわけです。

 


8 現在の通説

 


(1)小野=団藤説

 さて,学説情況を一変させた小野清一郎博士(第一東京弁護士会会長も務める。)の新説を見てみましょう。平野論文にいわく(4頁)。

 


 ・・・通説に対して異説を唱えられたのは,小野博士であった。博士はいわれる。「未決の囚人とは,刑事被疑者又は被告人として勾留状により拘禁されている者をいう。逮捕状又は勾引状により一時拘禁されている者を含まない(第98条参照)。現行犯として逮捕された者をも含まないであろう。」博士は「第98条参照」とされるだけで,何故逮捕された者を含まないのか,その理由を詳しく述べてはおられない。おそらく,逮捕による拘禁も「一時の拘禁」であり,それならやはり「一時の拘禁」である勾引状の執行による拘禁とおなじように取り扱うべきだ,というのであろう。

 


この小野博士の新説は,「小野,刑法講義各論27頁」(平野5頁)によって出されたそうですが,平野総長は,『刑法講義各論』のどの版を引用しているのか明示してくれていません。同書は,1932年に初版,1945年に全訂版,1949年に新訂版が出,当該新訂版の1950年の重版に当たって「新少年法,新刑事訴訟法,罰金等臨時措置法など,その後の新立法による訂正」が行なわれています(小野清一郎『新訂 刑法講義各論』(有斐閣・1950年(3版))序)。「逮捕状」という記載に注目すると,「旧刑訴では,逮捕は現行犯人についてだけ認められ」ていたのですから(平野論文5頁),逮捕状による通常逮捕の制度の本格導入を伴う「新刑事訴訟法・・・による訂正」がされた1950年以降の版でしょう(第一東京弁護士会図書館にあるものは同年版。文言,頁番号も一致)。

 「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」については加重逃走罪のみが成立して単純逃走罪は成立しないものとされていたことを前提に,現行刑事訴訟上で導入された裁判官の発する逮捕状も従前の勾引状と同様のものと考え,逮捕状により逮捕された者についても加重逃走罪のみが成立して単純逃走罪は成立しないものとする推論が,小野博士においてされたものでしょう(平野論文4頁参照)。その場合,前記明治35年判例で「未決ノ囚人」に含まれるものとされた現行犯逮捕された者の扱いが問題になるのですが,現行刑事訴訟法では「逮捕」といえば逮捕状による逮捕が本道なので,むしろ現行犯逮捕の方がそちらに合わせろということでの「現行犯として逮捕された者をも含まないであろう。」との暫定的な意見表明となったものではないでしょうか。いわゆる側杖(そばづえ)ですね。

 なお,単純逃走罪について小野博士が説くところには,平野総長引用部分の後に,また続きがありました。いわく。

 


・・・旧刑法(第144条)は「入監中」なることを必要とした。現行刑法第97条には其の規定がないけれど,牧野博士は一旦入監したものであることを必要とすると解される。(小野・刑法各論27頁)

 


 後に最高裁判所判事を務めることになる団藤重光教授に至ると,「未決の囚人とは裁判の確定前に刑事手続において拘禁を受けている者,すなわち勾留されている被疑者または被告人である。勾引状の執行を受けた者を含まないことは,98条との対比からあきらかである。逮捕状により,または現行犯人として逮捕された者も含まれない。」とされ(平野論文4頁に引用されている団藤『刑法綱要各論(改訂版)』72頁),現行犯逮捕された者の非「未決ノ囚人」性が躊躇なく肯定されています。現在の通説です。これに対して,「ここでも理由は述べられていないし,判例,学説にもまったく言及されていない。」と,平野総長は不満を表明しています(平野論文4頁)。

なお,小野博士の所説は,「未決ノ囚人」となる拘禁は,「一時拘禁」たる留置では足りず,勾留状による勾留の段階になることまでを要するとするものでしょう。「ドイツやスイスなどでは,単純逃走行為を処罰しない」そうですから(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)527頁),単純逃走罪の主体となる「未決ノ囚人」を従前より限定的に解釈する解釈論であっても,理由が全く無いわけではないということでしょう。ただし,「単純逃走は処罰しないという方法で,逃走罪の成立範囲を限定するのは一つの考え方であるが,囚人の範囲を限定するという技巧的な方法をとることは,妥当とは思われない。」とされています(平野論文6頁)。

 


(2)原現行刑法98条の「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」

 原現行刑法制定時に同法98条の加重逃走罪の主体に「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」が加えられたことの意味が問題になります。平野論文(3頁)の引用する改正理由書の記述は,次のとおり。

 


 現行法〔旧刑法〕に依れば,囚人逃走を為したるときはこれを罪となすと雖も勾引状の執行を受けたる者同一の行為を為したるときは罪責を負担せず・・・改正案は此欠点を補正するため修正を加えたり

 


上記記述の解釈は,現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説と現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説とでは異なるようです。

現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説では,現行犯逮捕されて身柄を拘束された「被告人」が未決ノ囚人である以上,勾引状で身柄を拘束され引致される被告人も当然未決ノ囚人になるので,囚人以外で「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」は証人等ということになるとされるようです(大場茂馬説(平野論文4頁)参照)。

 現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説では,監獄に拘禁されないと囚人ではありませんから,勾引状を執行された証人等のほか,勾引状を執行され,いまだ収監されていない護送中の被告人も「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」に含まれ,他方拘禁後は「未決ノ囚人」となることになります(岡田庄作説(平野論文4頁)参照)。

 ただし,「勾引状の執行を受けた者」の解釈については,「その他の学者はほとんどこの点に触れていない」状況だったそうです(平野論文4頁)。

 原現行刑法の前記改正理由書は,現行犯逮捕及び留置=未決の囚人説に基づいて書かれたものと解すべきでしょうか。「現行法に依れば,囚人逃走を為したるときはこれを罪となす」とありますから,逆にいうと,囚人というのはすべて単純逃走罪の主体となるべきものであって,「現行法」たる旧刑法(第144条)において単純逃走をしても不可罰である入監前の未決ノ囚徒は,実は囚人ではないということになるようだからです。なお,勾引中の証人の逃走が,問題になるほど多かったかどうかは分かりませんが,不出頭の証人に対しては,罰金(過料)の制裁及び費用賠償請求の制度もありました(旧々刑事訴訟法118条)。

平野総長が,未決ノ囚人から現行犯逮捕された者を含む被逮捕者を除外する小野=団藤説を攻撃するため,次のように述べるときの「判例・学説」は,(二通り考えられますが,まず)一応は,最大公約数的な,現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説のことでしょうか(平野論文3頁冒頭参照)。

 


  しかし〔明治40年の原現行刑法の〕立案者は,逮捕された者は囚人に含まれるという判例・学説を前提とし,勾引状を執行された者が逃走しても処罰されないのは法の欠陥であるとして,これを補うために,「勾引状の執行を受けた者」という語を付け加え,あらたに処罰することにしたのである。これによって,囚人のなかに既に含まれていた被逮捕者を条文から除いて不可罰なものとした,あるいはこれを97条から98条に移したとは到底考えられない。・・・(平野論文4頁)

 


 現行犯逮捕されて留置されている現行犯人は未決ノ囚人であるという前例が既に確立しているのであるから,同じ被逮捕者仲間である,逮捕状によって逮捕され,留置された被疑者も未決ノ囚人とせよ,ということでしょうか。

 しかし,「逮捕された者は囚人に含まれるという判例・学説」とあって,「留置」の文言が抜けていますから,現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説に基づく所論のようでもありますし,前記6(2)アからはそのように思われます。

 


(3)平野総長の批判(現行刑事訴訟法の逮捕状と旧々刑事訴訟法の勾引状との相違等)

 現行刑事訴訟法に基づく逮捕状による被疑者の逮捕と,旧々刑事訴訟法による勾引状による被告人の勾引とを同じものとすることはできない,ということが,平野総長が更に説くところの趣旨でしょうか。旧々刑事訴訟法の「勾引は起訴後被告人について,判事の令状によって認められ,勾引して引致した被告人は48時間内に訊問すべしとされていたが,これを留置できる旨の規定はなかった」(同法73条参照)とされる一方,現行刑事訴訟法では「逮捕は身柄を確保する制度である」と述べられています(平野論文5頁)。小野=団藤説が勾引状と逮捕状との同様性を語るとき,そこでいう勾引状としては旧刑事訴訟法の要急事件に係る被疑者に対して検事が発する勾引状(同法123条)が念頭にあるのではないかとも考えられたようですが,「現行刑法は明治刑訴の勾引を前提として作られたのであって,旧刑訴の勾引を前提として議論することはできない。」と断ぜられています(平野論文4頁)。「旧刑訴についてみても,逮捕と勾引とでは,訴訟法上要件・効果に違いがあるのであって,ただ名前だけの違いではない。逮捕状は勾引状に「含まれる」とすることはできないし,「準ずる」とするのも,罪刑法定主義上無理がある。」と追い打ちがかけられています(平野論文4頁)。

 その他,勾留前に留置場にいる段階で,逮捕状で逮捕された被疑者が暴行脅迫して逃走すると加重逃走罪になると解釈する場合(勾引状ノ執行ヲ受ケタル者と同様だから)には,同様の段階で現行犯逮捕された現行犯人が同じことをしても加重逃走罪が成立しないことになるから(未決ノ囚人でもないし,勾引状ノ執行ヲ受ケタル者でもないから)不整合が生ずると,通説に基づく解釈論((すなわち)団藤説)のもたらす不都合な帰結が指摘されています(平野論文4頁)。

 なお,旧刑事訴訟法123条は,次のとおり。

 


 123条 左ノ場合ニ於テ急速ヲ要シ判事ノ勾引状ヲ求ムルコト能ハサルトキハ検事ハ勾引状ヲ発シ又ハ之ヲ他ノ検事若ハ司法警察官ニ命令シ若ハ嘱託スルコトヲ得

  一 被疑者定リタル住居ヲ有セサルトキ

  二 現行犯人其ノ場所ニ在ラサルトキ

  三 現行犯ノ取調ニ因リ其ノ事件ノ共犯ヲ発見シタルトキ

  四 既決ノ囚人又ハ本法ニ依リ拘禁セラレタル者逃亡シタルトキ

  五 死体ノ検証ニ因リ犯人ヲ発見シタルトキ

  六 被疑者常習トシテ強盗又ハ窃盗ノ罪ヲ犯シタルモノナルトキ

 


 第4号が,「既決又ハ未決ノ囚人」ではなく,「既決ノ囚人又ハ本法ニ依リ拘禁セラレタル者」になっていますね。検事が勾引状を発し得る対象の者を広くとるために,「未決ノ囚人」とすると漏れがあるから,「本法ニ依リ拘禁セラレタル者」にしたということであれば,「未決ノ囚人」概念論争にも関係がありそうですが,どうなのでしょうか。(あるいは,「未決ノ囚人」では広くなり過ぎるのでしょうか。)

 


9 平成7年法律第91号による通説の確認

 平野総長の「逃走罪の処罰範囲」論文の結末は,「いずれにせよ,逃走罪の規定はもう一度整理しなおす必要がある。」(6頁)と,平成7年法律第91号による「実質的にみても,妥当な改正とは思われない」改正に対する不満を改めて表明するような形になっています(3頁)。

 しかし,平野総長の後輩ら刑法学界の反応は,次のようなものだったようです。

 


 ・・・立法の沿革等から,逮捕状の執行により留置された被疑者を含むとする見解(平野〔龍一『刑法概説』(東京大学出版会・1977年)〕283頁,同「逃走罪の処罰範囲」判時15563頁)も有力であるが,・・・平成7年の改正により立法的に解決された・・・(西田406頁)

 


 もう終わった議論である,ということのようです。

 


旧網走監獄獄舎(パノプティコンが採用されていました。)DSCF0067


 





弁護士 齊藤雅俊 大志わかば法律事務所 渋谷区代々木一丁目57番2号ドルミ代々木1203 電話: 03-6868-3194 電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp
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1 勾留質問からの逃走と単純逃走罪の成否

 第一次世界大戦の発端となったサライェヴォ事件の百周年記念日を翌日に控えた一昨日(2014627日)の夜,書面作成の仕事の合間に栄養補給のため,事務所の近所の店で油麺を食べつつスマート・フォンでインターネット・ニュースを見ていたところ,

 

 「すわ,違法逮捕か!?」



という記事が目に入り,色めきました。

 同日2322分に日本経済新聞社のウェッブ・サイトに掲載されている,共同通信社のクレジットのある記事(「新潟地裁から容疑者逃走 勾留質問中,5分後に逮捕」)の内容は,次のとおりです(全文。容疑者の名前は仮名)。



  27日午後3時15分ごろ,わいせつ目的略取未遂容疑で逮捕され,新潟市中央区の新潟地裁で勾留質問を受けていた無職,K容疑者(31)が逃走した。約5分後,約350メートル離れた新聞販売店に逃げ込んだところを駆け付けた警察官が取り押さえ,単純逃走容疑で現行犯逮捕した。

  県警と地裁によると,勾留質問は午後3時ごろから地裁1階の勾留質問室で始まり,室内にはほかに男性裁判官と女性書記官がいた。K容疑者はいきなり机の上に立つと,そばの窓の鍵を開け,逃走防止柵を乗り越えて逃げた。けが人はなかった。

  K容疑者は勾留質問が始まる前に裁判官の指示で手錠,腰縄が外されていた。移送を担当した警察官4人は廊下などで警戒していた。地裁職員の大声を聞き建物の外に出た警察官が,裁判所の外で容疑者が走っているのを発見,追いかけて取り押さえた。

  勾留質問中の容疑者の身柄について監督責任がある地裁の青野洋士所長は「国民に不安を与え申し訳ない。再発防止に早急に対策を取りたい」とコメントを発表した。



「わいせつ目的略取未遂容疑で逮捕され,勾留質問(刑事訴訟法2071項,61条)を受けていたのだから,まだ勾留の裁判もされていないということであって,逮捕段階にとどまるから,単純逃走罪(刑法97条)は成立せず,したがって「単純逃走」容疑での現行犯逮捕はあり得ないじゃないか。新潟県警は手続ミスをやらかしたな。」というのが,少なくとも司法試験受験生の真っ先の反応でしょう。



(註)逮捕と勾留

なお,ここで簡単に「逮捕」及び「勾留」に関する手続について説明しますと,警察官が被疑者を「逮捕」しても,それだけではその身柄を留置施設又は刑事施設にずっと拘束できるわけではないことに注意してください。身柄拘束を続けるためには,被疑者を書類及び証拠物とともに検察官に送致し(刑事訴訟法2031項),検察官が裁判官に被疑者の「勾留」を請求し(同法2051項(ただし同項3項)),裁判官が被疑者に被疑事件を告げてそれに関する陳述を聴いた上で(これが前記の記事の「勾留質問」),被疑者を勾留する裁判をしてくれなければなりません。この場合,検察官が勾留請求するのには逮捕時から72時間という時間制限がありますが(刑事訴訟法2052項。この時間制限が守れないのならば被疑者は釈放(同条4項)),いったん勾留するとの裁判が出ると,検察官の勾留請求の日から起算して原則10日間,最大限20日間身柄拘束が継続されることになります(同法208条。ただし,同法208条の2)。短い期間の「逮捕」→長い期間の「勾留」という2段階手続になっていることを頭に入れておいてください。



2 逮捕と単純逃走罪

単純逃走罪について「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者が逃走したときは,1年以下の懲役に処する。」と定める刑法97条(未遂も処罰(同法102条))の解釈としては,「裁判の執行により拘禁された未決の者」には,逮捕されただけの者は含まれないとされています。



逮捕状により,ないし現行犯人として逮捕された者は含まない(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)528頁)



  本罪〔単純逃走罪〕の主体は,平成7年の改正前は「既決又ハ未決ノ囚人」とされていたが,「囚人」という用語はマイナスイメージが強いという理由で現在のように修正された。「裁判の執行により拘禁された」という文言は,逮捕された者を除く趣旨を明確にするために入れられたものである・・・。(西田典之『刑法各論〔第3版〕』(弘文堂・2005年)405頁)

 ・・・未決の者とは,勾留状により拘置所または代用監獄(監獄法13項)に拘禁されている被告人(刑事訴訟法60条以下),被疑者(同法207条)をいうとするのが通説である・・・。(同406頁)。



上記にいう「拘置所または代用監獄」は旧監獄法下での用語で,現在の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律下では,「刑事施設又は留置施設若しくは海上保安留置施設」ということになるのでしょう。



3 逮捕中の被疑者が逃亡した場合の対応

さて,改めて,逮捕された被疑者が逃亡してしまった場合はどうすべきなのでしょうか。



逮捕・勾留の途中に逃亡した場合 逮捕については,引致までに逃亡しても前の逮捕状で逮捕行為を続行すればよいが,引致後は,留置は逮捕自体の内容ではないので原状回復はできず,新逮捕状による(再逮捕となる)ほかはないとされる(もっとも反対説がある)。勾留は一定期間の拘束が裁判の内容なので,勾留状を示して原状回復すればよい。なお,逮捕は逃走罪(刑97条)の対象とならないが,勾留はなるので,それを根拠に逮捕状をえて逮捕できることはもちろんである。(田宮裕『刑事訴訟法』(有斐閣・1992年)9495頁)



 やはり逮捕中の被疑者が逃亡しても単純逃走罪になりませんから,その逮捕からの逃亡行為をもって単純逃走罪を犯すものだとして現行犯逮捕するわけにはいかないわけです。K容疑者の場合は,単純逃走罪での現行犯逮捕ではなくて,わいせつ目的略取未遂容疑で再逮捕の手続をとらなくてはならなかったはずです。



4 勾留の諸段階と単純逃走罪

なお,勾留中の被疑者又は被告人が逃亡するのは単純逃走罪になるのですが,勾留にも段階があり(「勾留とは,被疑者・被告人を拘束する裁判およびその執行をいう。」(田宮82頁)),どの段階まで進めばそこからの逃亡が単純逃走罪になるかが問題になります。

流れとしては,裁判官又は裁判所による勾留の裁判があって勾留状が発せられ(刑事訴訟法62条),原則として検察官の指揮で司法警察職員又は検察事務官が当該勾留状を執行し(同法70条),被疑者又は被告人は,原則として勾留状を示された上(同法732項,3項),指定された刑事施設に引致されます(同条2項。なお,以上につき同法2071項)。刑法97条は,単純逃走罪の成立のためには逃走者が「裁判の執行により拘禁された」者になっていることを要求していますから,「勾留状の執行を受けたが引致中の者は含まれない」ものとされ(西田406頁),「監獄〔刑事施設〕に引き渡される途中で逃走しても,まだ拘禁されてはいないので逃走罪にはならない」わけです(前田528頁)。勾留状の執行を受けた者が刑事施設に引き渡されていなければなりません。

勾留質問がされた裁判所は引致先の刑事施設ではありませんから,まだまだ裁判所段階では,勾留状の執行により拘禁されている状態には至り得ません。



5 様々な記事の書き方




(1)新潟県警察は違法逮捕をしたのか

と,以上のように考えると,前記の記事を書いた共同通信社の記者は,新潟地方裁判所所長の責任者としての見解を求めるだけではなく,「単純逃走罪は成立していないのにKさんを現行犯逮捕したのは,違法逮捕ではないかっ」と新潟県警察本部長をも吊し上げるべきであったようにも思われます。

 とはいえ,そう慌てて早合点で人を非難してはいけません。他の報道機関のウェッブ・サイトを見てみましょう。



(2)そのように読めるもの

 産経新聞のウェッブ・サイトの記事(20146271812分配信),時事通信のウェッブ・サイトの記事(同日1916分配信),毎日新聞のウェッブ・サイトの記事(同日2133分配信)を読んでも,前記日経=共同の記事を読んだときと同じ「違法逮捕?」という結論になります。



(3)既起訴事件に言及するもの及びそこからの推認

 朝日新聞のウェッブ・サイトの記事(同日1931分配信)を見ると,一連の報道は,新潟県警察新発田警察署の報道発表に基づいたもののようです。警察が自ら,「違法逮捕」を得々と自慢するのは変ですね。どうしたものかと記事を最後まで読むと,最後に「K容疑者はこれまで,別の2件の強姦(ごうかん)事件で起訴されている。」とあります。むむ,これはどういうことでしょうか。

 日本テレビ放送網のウェッブ・サイトは「勾留質問」を「拘留質問」とする誤記があったようですが(キャッシュに残っている。),現在は修正されていますね。それはそれとして(しかし,勾留と拘留とは全く異なります。後者は,1日以上30日未満刑事施設に拘置する刑罰ということになってしまいます(刑法16条)。),ここでも記事の最後に,「K容疑者は今月中旬,強姦などの罪で起訴され,その後わいせつ略取未遂の容疑で再逮捕されていた。」と記されています(2014627221分配信記事)。

 どうもK容疑者は,現在強姦罪で起訴されていて,既に被告人として勾留されていたようです。当該勾留については,刑事施設に引致されて,拘禁まで完了していたのでしょうから,確かにこの段階で逃亡すれば単純逃走罪は優に成立しますね。



(4)今回の最優秀記事

 となると,読売新聞のウェッブ・サイトの次の記事(「裁判所の窓から強姦男逃げた,5分後捕まった」。20146272116分配信)が,法律関係者の目からは,他の記事に比べて一番妥当な書き方であるもののように思われます。



  27日午後3時15分頃,新潟市中央区の新潟地裁で,強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された男が,1階の窓から逃走した。

  男は約5分後に警察官らに取り押さえられ,逃走容疑で現行犯逮捕された。

  ・・・K被告は,わいせつ略取未遂容疑で再逮捕され,勾留質問を受けるために警察官と同地裁1階の勾留質問室に入室。手錠と腰縄を外され,裁判官の指示で警察官が室外に出た直後,窓の錠を開けて逃走した。

  ・・・



強姦罪での起訴に係る勾留から逃亡したのですから,それにより単純逃走罪を犯したK被告人はやはり「強姦男」ですよね(どぎつい見出しですが。)。「強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された男」が,「強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された勾留中の男」という記述になっていれば完璧だったのですが。しかし,逮捕されれば当然引き続き勾留されて身柄拘束が続いているものという前提で書くのが新聞記者業界のお約束なのでしょうか。被疑者を身柄拘束から解放するために努力している弁護人からすると,つらい世間常識です。



6 ちょっと単純ではない感想

それはともあれ,本件では,逃亡の場面が裁判所内での勾留質問の場という珍しい所であったというところに真っ先に目が行って,警察官らによるK被告人の身柄再確保に係る法律上の根拠にまで,多くの記者諸氏の頭は十分回らなかったものでしょうか。しかし,当該記事だけを読むと,新発田警察署は違法逮捕をしてしまったのではないかというあらぬ疑いを同署の警察官の方々にかけることになり,さらには司法試験受験生等を始めとする法律関係者の胸を無用にときめかせる(「違法逮捕?それとも俺の単純逃走罪の条文理解が間違ってたっけ?」)こととなるような記事の書き方はいかがなものでしょう。新潟地方裁判所の監督責任云々もありますが,プロであれば,誤解を招かないような記事を書くべき責任もあるわけです。報道機関の記者の方々向けの刑事法セミナーないしは手引き本というようなものも,あるいは企画として成り立ち得るものでしょうか。

たとい虚偽の事実が書かれていなくとも,必要な事実に言及されていないと,とんでもない結論が引き出され得てしまうものです。うそを一切言わずとも,必要な情報を与えないことによって人々を誤導する技術は,確か,「編集の詐術」といったように記憶します。編集の詐術に対しては,反対尋問,そして(悪魔の)弁護人は,やはり無用のものではないようです。

 最後にもう一点。K容疑者の単純逃走罪は既遂であったのか,未遂であったのかの問題があります。単純逃走罪の既遂時期については,「被拘禁者自身が,看守者の実力的支配を脱することである。それは一時的なものであっても足りる。実行の着手時期は,拘禁作用を侵害し始める時点であり,既遂時期は拘禁状態から完全に離脱した時点である。例えば,監獄の外塀を乗り越えれば,通常は既遂となる。しかし,追跡が継続している場合には実力支配を脱したとはいえない(福岡高判昭29112高刑集711)。追跡者が,一時逃走者の所在を見失っても実質的な支配内にある以上未遂である。」(前田528-529頁)とされています。したがって,K被告人の場合,精確には,単純逃走未遂罪で現行犯逮捕されたわけですね。ところで,単純逃走罪は状態犯(法益侵害などの結果発生による犯罪成立と同時に犯罪は終了し,その後は法益侵害の状態が残るにすぎないもの)であるとされています。ということであれば,単純逃走未遂犯の現行犯逮捕は当然可能であるとしても,既遂となった単純逃走犯の現行犯逮捕は概念上難しそうです。緊急逮捕(刑事訴訟法210条)も,単純逃走罪の法定刑は長期1年の懲役であって「長期3年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪」ではありませんから,単純逃走罪を理由としてはできません。勾留状を示しての原状回復か,逮捕状を取っての逮捕になるのでしょう(田宮前出95頁)。

弁護士 齊藤雅俊
大志わかば法律事務所
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1 第一次世界大戦勃発及びサライェヴォ事件の百周年

 今年(2014年)の6月28日は,第一次世界大戦の発端となったサライェヴォ事件から百周年に当たりますから,いろいろ記念行事がされるものと思います。

 当該事件は,1914年6月28日,快晴の日曜日,オーストリア=ハンガリー帝国領ボスニア(1908年に正式に併合)の主都サライェヴォ市を訪問中の同帝国皇嗣フランツ・フェルディナント大公及びその妻ゾフィーが無蓋自動車で移動中,同夫妻を,セルビア民族主義者の19歳の青年ガヴリロ・プリンツィプがピストルで撃って殺害したというもの。当該暗殺には隣国セルビアが関与していたとしてオーストリア=ハンガリー帝国政府はセルビア王国政府を非難。オーストリア=ハンガリー帝国からセルビア王国への最後通牒(同年7月23日)及びセルビア王国の最後通牒一部受諾拒否(同月25日)を経て,1914年7月28日,オーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に宣戦,第一次世界大戦が始まります。

 


2 サライェヴォ事件の事実関係に係る様々な記述

 サライェヴォ事件の具体的な事実関係を見てみましょう。まずは,我が国の標準的な歴史書における記述から。

 


  途中の道筋の変更されたことが運転手には徹底していなかった。陪乗の総督の声に注意され,あわてて方向転換するために車が速度をゆるめたとき,街路からこんどは銃声がおこった。やっぱり,この町は刺客でいっぱいなのだった。〔同じ午前,この前にも,大公夫妻の自動車にカブリノウィッチによって爆弾が投げつけられている。〕皇太子夫妻はしばらく端然としているように見えたが,妃のゾフィーは皇太子の胸に倒れかかり,やがて皇太子の口からは血がほとばしり出て,二人は折り重なって車中に倒れた。自動車はただちに病院に走ったが,傷は致命的だった。大公は,その途中でもみずからの痛みに耐えながら,

  「ゾフィー,ゾフィー,生きていておくれ,子供たちのために!」

 と妃を力づけていたが,まず大公妃が,数分後皇太子が絶命した。銃声がおこってから,わずかに15分ばかりののち,午前1130分ごろであった。

  犯人はガブリエル=プリンチプという19歳の学生であった。セルビア人であったが,国籍はオーストリアにあった。カブリノウィッチもプリンチプも,オーストリアの横暴とボスニアにおけるセルビア人の解放計画とを心にきざみつけられている民族主義者であった。(江口朴郎編『世界の歴史14 第一次世界大戦後の世界』(中公文庫・1975年(1962年))56頁(江口朴郎))

 


 さて,ここで法律家として気になるのは,銃声は1回(観念的競合)だったのか,複数回(併合罪)だったのか。

 


  ・・・しかし,彼の運転手は指示を受けていなかった。彼は間違った角を曲がり,そして車を止め,後退した。〔暗殺団の〕生徒の一人であるガヴリロ・プリンツィプ(Gavrilo Princip)は,自分でも驚いたことに,目の前に車が止まっているのを見た。彼は踏み板に上り(stepped on to the running-board),1弾でもって大公を殺し,前部座席のお付き(an escort)を狙ったが後部座席に座っていた大公の妻を2弾目で撃った。彼女もまた,即死に近い形で死亡した。サライェヴォにおける暗殺は,このようなものであった。(Taylor, A.J.P, The First World War (London, 1963), p.14

 


 2回のようです。

なお,プリンツィプの名がガブリエルであったりガヴリロであったりしますが,どちらも大天使ガブリエルと同じ名ということです。ガヴリロは,セルビア語形でしょうか。英語ならばガブリエルですから,前記日本の歴史書は,ひょっとすると英語文献に基づいて書かれたものなのでしょう。

しかしながら,サライェヴォ事件の顛末については,いろいろと脚色が加えられるに至っているようです。日本語版ウィキペディアで「サラエボ事件」の記事を見てみると,次のようにあります。

 


  ・・・一方,食事を摂るためにプリンツィプが立ち寄った店の前の交差点で,病院へ向かう大公の車が道を誤り方向転換をした事で,プリンツィプはその車に大公が乗っていることに偶然気がついた。ちょうどサンドイッチを食べた後だった彼はピストルを取り出して,車に駆け寄って1発目を妊娠中の妃ゾフィーの腹部に,2発目を大公の首に撃ち込んだ。大公夫妻はボスニア総督官邸に送られたが,2人とも死亡した。

 


 プリンツィプがサンドウィッチを食べていたという話が加えられ(世界史を変えたサンドウィッチということになりますから,大変興味深いエピソードですね。),撃たれた順序が,「大公が先,その妻が後」(Taylor)から「妻が先,大公が後」に変わり,更にフランツ・フェルディナントの妻ゾフィーは妊娠していたことにされています。ゾフィーはプリンツィプの狙撃目標でなかったように読めましたが(Taylor),プリンツィプは胎児もろとも意図的にその命を奪おうとしていたように読めます(後に見るようにゾフィーはオーストリア=ハンガリー帝国の皇族ではなく,その子に同帝国の皇位継承権はありませんでしたから,オーストリア=ハンガリー帝国にのみ抵抗する国事犯ならば,ゾフィー及びその胎児に危害を加えるべきものではなかったはずです。これではただの残忍な手当り次第の人殺しであって,犯情がはなはだ悪いです。)。(なお, キッシンジャーのDiplomacy (1994)では, 最初の暗殺失敗も含めて同一単独犯の犯行ということになっていて, サンドウィッチを食べているどころか, 午前中からカフェでお酒をあおっていたことになっています(Touchstone, p.209)。)

 有名な事件でも,事実認定の細部となると混乱していますね。

 しかし,この事実認定,外国での事件なので外国語での資料を見てみなければなりません。

 


3 外国語で作成された文書の証拠調べについて

ところで,ここで脱線ですが,我が国の裁判所での外国語の文書の取扱いについては,裁判所法74条が「裁判所では,日本語を用いる。」と規定していることとの関係で問題となります。

 


(1)民事訴訟の場合

 民事訴訟については,民事訴訟規則138条が次のように規定しています。

 


  (訳文の添付等)

 第138条 外国語で作成された文書を提出して書証の申出をするときは,取調べを求める部分についてその文書の訳文を添付しなければならない。〔後段略〕

 2 相手方は,前項の訳文の正確性について意見があるときは,意見を記載した書面を裁判所に提出しなければならない。

 


 「訳文の内容について当事者間に争いがないときは,基本的には訳文の正確性は問題にしないで,裁判所もその訳文に基づき審理を行うことが一般的であった」実務の取扱いが,明文で追認されています(最高裁判所事務総局民事局監修『条解民事訴訟規則』(司法協会・1997年)294頁)。すなわち,「訳文の正確性」は,当事者が気にしなければ裁判所は原則的に気にしないことになっているのですね。いちいち偉い翻訳者を雇わずとも,英語やらフランス語やらドイツ語について当ブログでよくあるように,訴訟代理人弁護士が自力で訳を作るということでよいようです。なお,訴状や準備書面については日本語を使用しなければならないことは,裁判所法74条により当然のこととされています(最高裁判所民事局監293頁)。

 


(2)刑事訴訟の場合

 刑事訴訟については,証拠書類又は証拠物中書面の意義が証拠となるものの取調べは公判廷において(刑事訴訟法2821項)その朗読(同法30512項,307条)又は要旨の告知(刑事訴訟規則203条の2)によってするものとされていますが,外国語による証拠書類等については,日本語の訳文の朗読(又はそれについての要旨の告知)がされなければならないことになります。「原文を合わせて朗読しなければならないかどうかについては,見解が分かれている」とされており,最高裁判所の昭和271224日判決(刑集6111380)を参照すべきものとされています(松本時夫=土本武司編著『条解 刑事訴訟法〔第3版増補版〕』(弘文堂・2006年)600頁)。当該昭和27年最高裁判所判決の「裁判要旨」は,「英文で記載した証拠書類がその訳文とともに朗読されている場合には,その証拠調をもつて裁判所法第74条に違反するものということはできない。」というものですから,原文の朗読は許容されているものであって必須ではないということでしょうか。ただし,当該判決の「裁判要旨」は敷衍されたものであって,判決の本文自体においては,「(なお,第一審判決が証拠としているCIDの犯罪捜査報告書とは犯罪調査報告として訳文のある調査報告書の一部を意味すること明らかであつて,これについては適法に証拠調べをしたことが認められる。)」と括弧書きで述べられているだけです。なお,訳文が添付されていない外国語による証拠書類等については,「国語でない文字又は符号は,これを翻訳させることができる。」とする刑事訴訟法177条に基づいて,裁判所は翻訳人に翻訳させることができます。上告趣意書(上告の申立ての理由を明示するもの(刑事訴訟法407条))について,「被告人本人は,上告趣意書と題する書面を提出したが,その内容は中国語で記載されており,日本語を用いていないから,裁判所法74条に違反し不適法である。従てこれに対し説明を与える限りでない。」と多数意見において判示した判例があります(最決昭和35年3月23日・刑集144439)。すなわち,日本語は,the Chinese languageの一種の方言であるわけではありません。

 


4 ウィキペディアと形式的証拠力

 また,民事訴訟法228条1項は,「文書は,その成立が真正であることを証明しなければならない。」と規定しています。ここでいう真正とは,「文書が挙証者の主張する特定人の意思に基づいて作成された場合に,訴訟上,その文書の成立が真正であるという」というものです(新堂幸司『新民事訴訟法 第二版』(弘文堂・2001年)541頁)。文書とは,「概ね,文字その他の記号の組合せによって,人の思想を表現している外観を有する有体物」と定義されています(司法研修所編『民事訴訟における事実認定』(法曹会・2007年)5253頁)。

 ウィキペディアの記事をプリント・アウトしたものを民事訴訟の場に証拠として提出する場合はどうなるのでしょうか。前記の「文書」の定義からすると,当該プリント・アウトは文書ということになるようです。そうなると,民事訴訟法228条1項によってその成立の真正を証明しなければならないようなのですが,ウィキペディアの記事は不特定の人々によって書かれたものですから,「特定人の意思に基づいて作成された」ものとはいえないようです。「例外的に,文書を特定人の思想の表現としてでなく,その種の文書の存在を証拠にする場合(たとえば,ビラや落書を当時の流行や世論の証拠として用る場合)は,それに該当する文書であれば足り,だれの思想の表現であるかは問題にならない」から,形式的証拠力(「文書の記載内容が,挙証者の主張する特定人の思想の表現であると認められること」)は問題にならない(新堂541頁),との解釈でいくべきでしょうか。なお,「現行民訴法には証拠能力の制限に関する一般的な規定はおかれておらず,自由心証主義の下,・・・証拠調べの客体となり得ない文書(証拠として用いられるための適格を欠く文書)は基本的に存在しないと解されてい」ます(司法研修所編72頁)。

 


5 サライェヴォ事件の事実関係に係るプリンツィプの伝記作家ティム・ブッチャーの主張 

 プリンツィプの伝記であるThe Trigger: Hunting the Assassin Who Brought the World to War” Chatto&Windus, 2014)を書いたティム・ブッチャーによれば(すなわち形式的証拠力のある(インターネット上の)文書(centenarynews.com, 28 May 2014)によれば),暗殺前にプリンツィプが街角のカフェにサンドウィッチを食べに立ち寄ったという事実はなく,プリンツィプは大公の車の踏み板に上ってはおらず(A.J.P. Taylorも余計なことを書いているわけです。),大公の妻ゾフィーは暗殺された時に妊娠しておらず,暗殺された夫妻の結婚記念日は6月28日ではなかったとされています。さらにブッチャーによれば,「逮捕されるプリンツィプ」として広く流布されている有名な写真に写っている人物は,実はプリンツィプではなく,別人であって,プリンツィプが群衆に殺されそうになっているのを止めようとして警察官に阻止されているサライェヴオの一市民Ferdinand Behrであるそうです。

 プリンツィプが暗殺前にサンドウィッチを食べていたという話は,暗殺の現場が,Schillerのデリカテッセン屋の前であったことから思いつかれたもののようです。英語でデリカテッセンといえば,まずはサンドウィッチが連想されるということでしょう。マイク・ダッシュ氏は(smithsonianmag.com, 15 September 2011),サンドウィッチのエピソードが広く流布したのは2003年の英国のテレビ・ドキュメンタリー番組“Days That Shook the World”で紹介されてからであろうとし,それ以前の段階では,ブラジルの娯楽小説『十二本指』(英訳本は2001年出版)において,フランツ・フェルディナントの暗殺直前に当該小説の主人公(左右の手それぞれに6本の指を持つプロの暗殺者。我がゴルゴ13のようなものか。)にサライェヴォの現場の街角で遭ったものとされたプリンツィプが,ちょうどサンドウィッチを食べていたというお話が描かれていた,と報告しています。

 ゾフィーの妊娠も,暗殺された時の年齢が,夫50歳,妻46歳であったことからすると,考えられにくいですね。

 


6 プリンツィプの犯罪に対する適用法条

 第一次世界大戦では何百万という人が命を落とすことになりましたが,この大惨事を惹き起こした当のプリンツィプはどうなったのでしょうか。暗殺直後にオーストリア=ハンガリー帝国の官憲に逮捕されたといいますから,裁判を経て死刑でしょうか。

これが当時の大日本帝国であれば,当然,死刑及びピストル没収でしょう。

 


(1)当時の日本法に準じた場合

 すなわち,フランツ・フェルディナントの殺害は我が刑法(明治40年法律第45号)旧75条(「皇族ニ対シ危害ヲ加ヘタル者ハ死刑ニ処シ危害ヲ加ヘントシタル者ハ無期懲役ニ処ス」)前段に当たり,ゾフィーの殺害は同法199条(「人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ3年以上ノ懲役ニ処ス」)に当たり,両者は併合罪(同法45条)の関係になって(ピストルから1回撃った1個の銃弾で二人を殺したのではないから,観念的競合の場合(同法541項前段)には当たりません。),同法旧75条前段の死刑が科されて同法199条の刑は科されず(同法461項本文),暗殺に用いられたピストルは犯罪行為の用に供した物(同法1911号)ですから,当該ピストルが犯人以外の者に属するものでない限り(同条2項)没収され得ます(同条1項柱書き)。1914年当時,いまだ(旧)少年法(大正11年法律第42号)は制定されていません。

 なお,フランツ・フェルディナントはオーストリア=ハンガリー帝国の皇嗣ではありましたが,皇帝フランツ・ヨーゼフの甥ではあっても子でも孫でもないので,刑法旧73条(「天皇,太皇太后,皇太后,皇后,皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」)の適用はありません。明治の皇室典範15条は「儲嗣タル皇子ヲ皇太子トス皇太子在ラサルトキハ儲嗣タル皇孫ヲ皇太孫トス」と規定し,伊藤博文の『皇室典範義解』は同条につき「今既に皇位継承の法〔皇室典範〕を定め,明文の掲ぐる所と為すときは,立太子・立太孫の外,支系より入て大統を承くるの皇嗣は立坊の儀文に依ることを須ゐず。而して皇太子・皇太孫の名称は皇子皇孫に限るべきなり。」と解説しています。

 ゾフィーは身分が低いため皇族扱いされていなかったそうですから,皇族に係る刑法旧75条の保護対象にはなりません。明治皇室典範30条は,親王妃及び王妃(親王の妻及び王の妻)も皇族と称えるものとしていましたが,同39条は「皇族ノ婚嫁ハ同族又ハ勅旨ニ由リ特ニ認許セラレタル華族ニ限ル」としており,正式な配偶者となり得る者の範囲は我が皇族についても限定されていました。とはいえ,我が明治皇室典範4条は「皇子孫ノ皇位ヲ継承スルハ嫡出ヲ先ニス皇庶子孫ノ皇位ヲ継承スルハ皇嫡子孫皆在ラサルトキニ限ル」と,同8条は「皇兄弟以上ハ同等内ニ於テ嫡ヲ先ニシ庶ヲ後ニシ長ヲ先ニシ幼ヲ後ニス」と規定しており,庶出であっても皇位継承権が否定されていたわけではありませんでした。しかしながら,これに対して,ハプスブルク家のフランツ・フェルディナントとゾフィーとの間に生まれる子については,オーストリア=ハンガリー帝国においては,厳しく,皇位継承権はないものとされていました。

 刑法199条の懲役刑の短期が3年から5年になったのは,平成16年法律第156号によるもので,2005年1月1日からの施行です(同法附則1条,平成16年政令第400号)。

 


(2)19世紀オーストリア=ハンガリー帝国法の実際

 しかしながら,オーストリア=ハンガリー帝国においては,プリンツィプは死刑にはなりませんでした。

 


  のちに二人〔プリンチプ及びカブリノウィッチ〕は未成年のため死刑をまぬかれ,20年の懲役を宣告されて入獄したが,いずれも肺結核患者であり,カブリノウィッチは1916年1月に,プリンチプは1918年春に病死して,この大戦の放火者たちは大戦の終結を知らずして短い生命を終わった。(江口編6頁(江口))

 


 当時のオーストリア=ハンガリー帝国の刑法はどうなっていたのか,ということが問題になります。訴訟の場面において,「法規を知ることは裁判官の職責であるから,裁判官は,当事者の主張や証明をまたずに知っている法を適用して差しつかえない」のですが,「外国法,地方の条例,慣習法などを知っているとは限らず,そのままではこれを適用されないおそれがあ」り,「そこで,その適用を欲する者は,その法の存在・内容を証明する必要があ」ります(新堂463頁)。

 1852年のオーストリア刑法52条後段は,次のとおり。

 


 Wenn jedoch der Verbrecher zur Zeit des begangenen Verbrechens das Alter von zwanzig Jahren noch nicht zurückgelegt hat, so ist anstatt der Todes- oder lebenslangen Kerkerstrafe auf schweren Kerker zwischen zehn und zwanzig Jahren zu erkennen.

 


 民事訴訟規則138条1項に従って訳文を添付すると,次のとおり。

 


 ―ただし,犯人が罪を犯す時20歳に満たない場合は,死刑又は無期禁錮刑に代えて,10年以上20年以下において重禁錮に処する。

 


 プリンツィプは1894年7月25日の生まれということですから,1箇月弱の差で死刑を免れました。(なお,プリンツィプが獄死したのは1918年4月28日とされていますが,「29日」とする人名事典が書店で見かけられたところです。)

 我が少年法(昭和23年法律第168号)51条1項は「罪を犯すとき〔ママ〕18歳に満たない者に対しては,死刑をもつて処断すべきときは,無期刑を科する。」と規定しています。これに比べて,オーストリア帝国は18歳と19歳とに対して優しかったわけです。

 しかし,我が旧刑法(明治13年太政官布告第36号)は次のように規定しており,その第81条を見ると,やはり犯行時満20歳になっていなかった者は最高刑の死刑にはならなかったようです(「本刑ニ1等ヲ減」じられてしまう。)。オーストリア刑法ばかりが20歳未満の者に対して優しいものであったというわけではありません。

 


79条 罪ヲ犯ス時12歳ニ満サル者ハ其罪ヲ論セス但満8歳以上ノ者ハ情状ニ因リ満16歳ニ過キサル時間之ヲ懲治場ニ留置スルヲ得

80条 罪ヲ犯ス時満12歳以上16歳ニ満サル者ハ其所為是非ヲ弁別シタルト否トヲ審案シ弁別ナクシテ犯シタル時ハ其罪ヲ論セス但情状ニ因リ満20歳ニ過キサル時間之ヲ懲治場ニ留置スルヲ得

若シ弁別アリテ犯シタル時ハ其罪ヲ宥恕シテ本刑ニ2等ヲ減ス

81条 罪ヲ犯ス時満16歳以上20歳ニ満サル者ハ其罪ヲ宥恕シテ本刑ニ1等ヲ減ス

 


 なお,1923年1月1日から施行された旧少年法は,次のように規定していました。16歳未満について原則として死刑及び無期刑がないものとされています。

 


 第7条 罪ヲ犯ス時16歳ニ満タサル者ニハ死刑及無期刑ヲ科セス死刑又ハ無期刑ヲ以テ処断スヘキトキハ10年以上15年以下ニ於テ懲役又ハ禁錮ヲ科ス

刑法第73条,第75条又ハ第200条ノ罪ヲ犯シタル者ニハ前項ノ規定ヲ適用セス

 


 ただし,第2項によれば,天皇及び皇族に対し危害を加え,若しくは加えようとし,又は尊属殺人を犯したときは,14歳以上でさえあれば(刑法41条),16歳未満であっても容赦はされなかったわけです。

 


7 暗殺者プリンツィプの情状に係る弁論

 現行犯ですから,フランツ・フェルディナント夫妻を殺害したという事実はなかなか争えません。プリンツィプの弁護人は,20年の重禁錮を何とか10年に近づけるべく,情状弁護で頑張ろうと考えたものでしょうか。

 情状として,どのような事項に着目すべきかについては,検察官の起訴裁量に係る刑事訴訟法248条がよく挙げられます。

 


 248条 犯人の性格,年齢及び境遇,犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは,公訴を提起しないことができる。

 


なるほど,ということになるわけですが。なおまだまだ抽象的です。この点,刑法並監獄法改正調査委員会総会決議及び留保条項に係る未定稿の改正刑法仮案(1940年)の次の条項は,具体的なものとなっており,参考になります。

 


 57条 刑ノ適用ニ付テハ犯人ノ性格,年齢及境遇並犯罪ノ情状及犯罪後ノ情況ヲ考察シ特ニ左ノ事項ヲ参酌スヘシ

  一 犯人ノ経歴,習慣及遺伝

  二 犯罪ノ決意ノ強弱

  三 犯罪ノ動機カ忠孝其ノ他ノ道義上又ハ公益上非難スヘキモノナリヤ否又ハ宥恕スヘキモノナリヤ否

  四 犯罪カ恐怖,驚愕,興奮,狼狽,挑発,威迫,群集暗示其ノ他之ニ類似スル事由ニ基クモノナリヤ否

  五 親族,後見,師弟,雇傭其ノ他之ニ類似スル関係ヲ濫用又ハ蔑視シテ罪ヲ犯シ又ハ罪ヲ犯サシメタルモノナリヤ否

  六 犯罪ノ手段残酷ナリヤ否及巧猾ナリヤ否

  七 犯罪ノ計画ノ大小及犯罪ニ因リ生シタル危険又ハ実害ノ軽重

  八 罪ヲ犯シタル後悔悟シタリヤ否損害ヲ賠償シ其ノ他実害ヲ軽減スル為努力シタリヤ否

 


 被告人プリンツィプの犯罪の決意は強いものでした(第2号)。オーストリア=ハンガリー帝国の統治を否認して,帝国の皇嗣を殺したのであるから帝国臣民としての忠の道に反するものであって,道義において言語道断(第3号),多文化多民族のヨーロッパ主義という公益にも反します(同号)。セルビア民族主義は,オーストリア=ハンガリー帝国当局の立場からすれば危険思想であって,それをもって宥恕するわけにはいかないでしょう。計画的犯行であって,恐怖,驚愕等によって犯されたものでは全くありません(第4号)。セルビア王国の要人の影までが背後にちらつく国際的陰謀の一環ということになれば,犯罪の計画は大であって,当該犯罪は帝国に危険をもたらし,かつ,害をなしたものであります(第7号)。また,プリンツィプは,セルビア民族主義の志士たらんと欲せば,当然悔悟の情など示さなかったものでしょう(第8号)。何だか検察官の論告になってきましたね,これでは。

 被告人プリンツィプは,本件犯行において,親族,後見,師弟,雇傭等の関係を濫用し,又は蔑視したわけではありません(第5号),と言ってはみても,だからどうした,マイナスがないだけだろう,ということになるようです。被告人プリンツィプは貧乏で,結核にかかった可哀想な少年なのです(第1号),本件犯行は失敗しかかっていた暗殺計画が偶然によって成功してしまったものであって,巧猾なものでは全くありません(第6号),といったことを強調したのでしょう,プリンツィプの弁護人は。

 


8 第一次世界大戦とオーストリア=ハンガリー帝国の実力

 さて,1914年7月28日のオーストリア=ハンガリー帝国のセルビア王国に対する宣戦布告に続く諸国の動きはどうだったかというと,同月30日にロシアが総動員を発令,2日後の8月1日にはフランス及びドイツがそれぞれ総動員を発令して,同日,ドイツはロシアに宣戦を布告します。有名なシュリーフェン・プラン下にあったドイツ軍は,同月2日にルクセンブルクに,同月3日にはベルギーに侵入して,同日ドイツはフランスに宣戦を布告しました。同月4日には,英国の対独宣戦,ドイツの対ベルギー宣戦が続きます。しかして,そもそもの出火元であるオーストリア=ハンガリー帝国は,何をしていたのか。

 


  哀れな老オーストリア=ハンガリーは一番もたついた(took longest to get going)。すべての激動を始めた(started all the upheaval)のは同国であったのにもかかわらず,交戦状態に入ったのは最後になった(the last to be involved)。ドイツに促されてロシアに宣戦したのは,やっと8月6日だった。オーストリア=ハンガリー軍がセルビア侵攻のためにドナウ川を渡ったのは8月11日であったが,結果は芳しくなかった(to no good purpose)。2箇月ほどのうちにオーストリア=ハンガリー軍は撃退され(thrown out),セルビア軍はハンガリー南部に侵入した。(Taylor, p.21

 


 ドイツはなぜ,上記「ぬるい」有様であるオーストリア=ハンガリー帝国の側に立って,第一次世界大戦のドンパチを始めてしまったのでしょうかねぇ。7月28日の宣戦に続くべき大国オーストリア=ハンガリー帝国から小国セルビア王国への武力攻撃に対して,スラヴ民族・正教徒仲間のロシア帝国がセルビア王国のための集団的自衛権発動の準備として総動員を発令したところ,それがドイツ帝国の軍部を刺激して,対仏露二正面作戦のシュリーフェン・プラン発動のボタンを押させてしまったということでしょうか。結果として見れば,ロシアの助太刀がなくとも,セルビア軍はオーストリア=ハンガリー帝国軍相手に結構いい勝負ができていたかもしれないように思われます。

 


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(後記)上掲の写真のサンドウィッチは,世界史を大きく変えたものではありませんが,依頼者さまの正当な利益の実現のために入念の訴状を仕上げるに当たって,精力的に仕事をこなすために必要なエネルギーを補給してくれたものです。ただし,弁護士(avocat)がアボカド(avocat)・サンドウィッチを食べたのですから,フランス語的には共食いですね。(相手方の訴訟代理人弁護士(avocat)の先生には申し訳ありません。)

 赤くつややかな大粒のさくらんぼは,以前の法律相談の依頼者の方から,お礼にということで頂いたものです。今後とも,依頼者の皆さまの信頼に応え,満足していただける仕事を続けていこうと,甘くおいしいさくらんぼを次々と口に運びながら,改めて心に誓ったものでした。

 本ブログの読者の方の中にも,法律関係で何か問題等を抱えることになってしまった方がいらっしゃいましたら,お一人で悩まずに,ぜひお気軽にお電話ください。

 


弁護士 齊藤雅俊

 大志わかば法律事務所

 東京都渋谷区代々木一丁目57番2号ドルミ代々木1203

 電話: 0368683194

 電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp

 

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1 様々な鉄道オタク

 大志わかば法律事務所は,JR代々木駅北口からすぐ,山手線沿いにあるので,事務所にいると一日中ガタンゴトンと電車の音が聞こえてきます。JR東日本の本社も近くにあります。鉄道ファンの人にとっては好立地でしょう。

しかし,一口に鉄道ファンといっても,いろいろな種類の人がいるようです。

 ウィキペディアの「鉄道ファン」項目の記事によれば,いわゆる「鉄」にも,「車両鉄」,「撮り鉄」,「音鉄」,「蒐集鉄」,「乗り鉄」,「降り鉄」,「駅弁鉄」,「時刻表鉄」,「駅鉄」等と呼ばれる様々な人々がいるそうです。女性の場合は,「鉄子」ですか。

 しかし,「鉄道関係法オタク」というジャンルは,いまだに大々的には認知されていないようですね。(ただし,「法規鉄」という細分類があるようではあります。)

 鉄道関係法の世界は,19世紀末年制定の鉄道営業法(明治33年法律第65号)がなお現役で頑張っていたりして,なかなか味わい深いものがあります。しかし,さすがに片仮名書き文語体の古色蒼然たる鉄道営業法に代表される法律分野は敬遠されてしまうということでしょうか。確かに,鉄道営業法に関する解説書は古いものばかりです。

 


2 伊藤榮樹元検事総長と鉄道関係法

 ところが意外なところに鉄道関係法オタクがいるもので,故伊藤榮樹元検事総長がその一人であったようです。伊藤榮樹=河上和雄=古田佑紀『罰則のはなし(二版)』(大蔵省印刷局・1995年)におけるエッセイで,伊藤元検事総長は,新幹線鉄道における列車運行の安全を妨げる行為の処罰に関する特例法(昭和39年法律第111号)の立法について(20頁以下),鉄道営業法26条の「鉄道係員旅客ヲ強ヒテ定員ヲ超エ車中ニ乗込マシメタルトキハ30円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス」との規定とラッシュ時の「尻押し部隊」との関係について(48頁以下),同法38条の「暴行脅迫ヲ以テ鉄道係員ノ職務ノ執行ヲ妨害シタル者ハ1年以下ノ懲役ニ処ス」との規定と刑法208条(暴行。2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料),222条1項(脅迫。2年以下の懲役又は30万円以下の罰金),234条(威力業務妨害。3年以下の懲役又は50万円以下の罰金)及び95条1項(公務執行妨害。3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金)との関係について(54頁以下)解説しています。実は,『注釈特別刑法 第六巻Ⅱ 交通法・通信法編〔新版〕』(伊藤榮樹=小野慶二=荘子邦雄編,立花書房・1994年)における鉄道営業法の罰則の解説は,伊藤元検事総長が執筆したものでした(河上和雄補正)。

 なお,伊藤元検事総長によれば,鉄道営業法26条の罰則と「尻押し部隊」との関係については,「旅客が自発的に定員を超えて乗り込もうとする場合において,それが社会常識上相当とされるときに,旅客の意思にこたえて,これを乗り込ませるべく助力する行為も,「強ヒテ」の要件を欠き,本条の罪は成立しないものと解すべきである。」とされ(伊藤=小野=荘子10頁),同法38条の罪と刑法の暴行罪,脅迫罪,威力業務妨害罪又は公務執行妨害罪との関係は,現在はいずれも観念的競合(刑法541項前段)になるものとされています(伊藤=小野=荘子3536頁)。

 


3 鉄道営業法と軌道法

 鉄道営業法の性格について,伊藤元検事総長の解説にいわく。

 


  鉄道営業法は,鉄道に関する基本法として制定され,鉄道の責任,旅客・荷主との契約関係(この点では,商法の運送契約に関する規定の特別法の性格を持つ。),鉄道係員の服務,旅客・公衆及び鉄道係員に対する罰則等を規定している。

鉄道とは,レールを敷設し,その上に動力を用いて車両を運行させ,旅客・荷物を運送する設備をいう。それは地方公共団体その他の公共団体又は私(法)人が経営する鉄道とを含む。軌道法による軌道は,鉄道と似ているが,鉄道が原則として道路に敷設することができない(〔旧〕地方鉄道法4参照)のに対し,軌道は,原則として道路に敷設すべきものとされる(軌道2)ところから,沿革的に道路の補助機関として観念されたため,法制上鉄道とは別個のものとして取り扱われている。(伊藤=小野=荘子3頁)

 


鉄道営業法は,当該鉄道が一般公衆によって利用されるものである限り,公有鉄道又は私人所有の鉄道であろうと,そのすべてに適用される。しかし,「鉄道」にあたらない軌道については,原則として適用されない(182参照)。(伊藤=小野=荘子4頁)

 


 軌道の典型は路面電車です(伊藤「古い話,つづき」伊藤=河上=古田47頁参照)。軌道法(大正10年法律第76号)2条には「軌道ハ特別ノ事由アル場合ヲ除クノ外之ヲ道路ニ敷設スヘシ」とありますから,道路上に敷設されるものである軌道を走る路面電車には,鉄道営業法ではなく軌道法が適用されるわけです。

それでは道路下に敷設されるものの場合はどうかといえば,「もともと〔旧〕建設省(以前の内務省)の主張では,道路下の地下鉄は「鉄道」ではなく「軌道」とするのが正しいとされ」ているそうです(和久田康雄『やさしい鉄道の法規―JRと私鉄の実例―』(交通研究協会・1997年)11頁)。とはいえ,普通,地下「鉄道」は軌道ではなく鉄道として,鉄道事業法(昭和61年法律第92号)61条1項(「鉄道線路は,道路法(昭和27年法律第180号)による道路に敷設してはならない。ただし,やむを得ない理由がある場合において,国土交通大臣の許可を受けたときは,この限りでない。」(旧地方鉄道法(大正8年法律第52号)4条と同旨))のただし書の許可を受けて道路の下にその「鉄道線路」を敷設しています(和久田12頁)。ただし,「大阪市営の地下鉄だけは当時の内務省の指導が強かったのか,伝統的に「軌道」となっている」そうです(和久田11頁)。

 なお,鉄道営業法18条ノ2は「第3条,第6条乃至第13条,第14条,第15条及第18条ノ規定ハ鉄道ト通シ運送ヲ為ス場合ニ於ケル船舶,軌道,自動車又ハ索道ニ依ル運送ニ付之ヲ準用ス」と規定しています。

 


4 キセル乗車等をめぐって

 


(1)キセル乗車:有人改札の場合

 ところで,検事総長御専門の刑事法,なかんずく刑法と鉄道といえば,刑法11章の往来を妨害する罪のうちの第125条以下が有名ですが,刑法246条2項(「前項の方法により〔=「人を欺いて」〕,財産上不法の利益を得,又は他人にこれを得させた者も,同項と同様とする〔=「10年以下の懲役に処する」〕。」)の二項詐欺との関係で,キセル乗車に係る詐欺利得罪の成否が一つの論点になっており,法学部の刑法の授業で学生たちは混乱しつつ,いろいろ頭をひねるものです。高等裁判所の判例が分かれているからです。

 (なお念のため,キセル乗車とは,乗車駅(A)からの短区間(AB)の乗車券と降車駅(Z)までの短区間(YZ)の乗車券とをそれぞれ持ち,それらの乗車券でカヴァーされていない間の区間(BY)については無賃乗車をすることです。刻みたばこを吸うための道具であるキセル(煙管)は,たばこを詰める雁首と喫煙者が口をつける吸い口とだけが金属でできていて,その間をつなぐ羅宇(らお)は金属ではない竹であることから,最初と最後との部分だけについて乗車券を買って金を払う不正乗車をキセル乗車と呼ぶようになったものです。)

 


 刑法学の教授いわく。

 


  判例上,キセル乗車の下車時に処分行為を認めることが困難であったため(⇒275頁〔「下車駅の改札係員は,改札口を通しはするが,不足運賃を請求しないという意味で通しているわけではなく,不足運賃を免除するという明確な意思表示があったとはいえないので,詐欺罪の成立を否定した判例も多かった(東京高判昭35222東高刑時報11243,広島高松江支判昭51126高刑集294651)。」〕),乗車駅の行為について詐欺罪を認めようとする判例がみられた。大阪高判昭和44年8月7日(刑月18795)は,キセル乗車の意図で提示された乗車券は,旅客営業規則により本来無効であり,そのような提示行為自体が欺罔行為にあたり,改札係員が入場させた行為および国鉄職員による運送が処分行為に該当するとした。このように考えると,輸送の利益を得た時点,すなわち列車が動いた時点でⅡ項詐欺が既遂となる。しかし,このような構成は,処分者が誰なのかという点に曖昧さを残す。そこで,処分者は被欺罔者と同様,改札係員だと考えると,改札係は被告人に財産的利益を与えていない。一般の入場券入場者の利益しか与えていないからである。そこで,実質的な処分行為は,輸送を担当した乗務員が行ったといわざるを得ない。しかし,そうなると被欺罔者と処分者が異なってしまう。そこで,広島高松江支判昭和5112月6日(高刑集294651)は,「処分行為者とされる乗務員が被欺罔者とされる改札係員の意思支配の下に被告人を輸送したとも認められない」とし,キセル乗車については,欺罔行為により生じた錯誤に基づいた処分が為されなければならない詐欺罪は成立し得ないと判示したのである。被欺罔者と処分者をともに旧国鉄と解することも考えられるが〔昭和44年8月7日の大阪高等裁判所判決は,二項詐欺は「被欺罔者以外の者が・・・処分行為をする場合であっても,被欺罔者が日本国有鉄道のような組織体の一職員であって,被欺罔者のとった処置により当然にその組織体の他の職員から有償的役務の提供を受け,これによって欺罔行為をした者が財産上の利益を得・・・る場合にも成立する」と説いていた。〕,詐欺の錯誤はやはり自然人について考えられるべきであろう。そうだとすると,乗車時に詐欺罪を認めることはかなり困難である。(前田雅英『刑法各論講義[第4版]』(東京大学出版会・2007年)278頁)

 


理屈っぽいですね。詐欺罪が成立するためには「欺罔行為により生じた錯誤に基づいた処分が為されなければならない」という各行為及びそれらの行為の間の因果連鎖がなければならないところが難しさの原因です。

 


(2)キセル乗車:磁気乗車券と自動改札機の場合

ところで,改札係の自然人を欺罔して,その結果同人を錯誤に陥らせて,その結果同人に処分をさせて,その結果財産上不法の利益を得ることになったのかどうかが問題になったキセル乗車ですが,「改札の機械化により問題は減少した」(前田267頁)とされています。確かに,自然人に対する欺罔行為以下が問題となる二項詐欺は,人にあらざる自動改札機相手には問題にならないのは当然です。そこで今度は,昭和62年法律第52号で追加(1987622日から施行)された刑法246条の2の電子計算機使用詐欺の成否が問題になることになりました。

 


246条の2 前条に規定するもののほか,人の事務処理に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与えて財産権の得喪若しくは変更に係る不実の電磁的記録を作り,又は財産権の得喪若しくは変更に係る虚偽の電磁的記録を人の事務処理の用に供して,財産上不法の利益を得,又は他人にこれを得させた者は,10年以下の懲役に処する。

 


第7条の2 この法律〔刑法〕において,「電磁的記録」とは,電子的方式,磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって,電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。

 


東京地方裁判所平成24年6月25日判決(判タ1384363)は,有効乗車区間の連続しない磁気乗車券を用いていわゆるキセル乗車を行い,途中運賃の支払を免れる行為は,事実と異なる入場(乗車駅)情報の記録された磁気乗車券を下車駅の自動改札機に読み取らせることにより虚偽の電磁的記録を人の事務処理の用に供したといえるから,刑法246条の2後段の罪が成立すると判示しています(被告人は最高裁判所まで争ったものの,有罪が確定)。(なお,磁気乗車券ですから,Suica, PASMOの類(以下「Suica等」)ではありません。)確かに,下車駅の自動改札機が扉を閉ざさずに乗客を外に出してくれるときは,人間の改札係のように「改札口を通しはするが,不足運賃を請求しないという意味で通しているわけではなく,不足運賃を免除するという明確な意思表示があったとはいえない」といい得ることにはならないでしょう。下車駅の自動改札機の電子計算機は,しっかりと,各乗客につき不足運賃がないかどうかいちいち確認し,不足運賃がないと判断した上で運賃精算を請求しないという「意思」でもって,扉を開いたままにしておくのでしょう。人の場合における「欺かれなかったならば,出場を拒否し運賃の支払を要求したであろう状況のもとで,欺罔された結果,出場を許容しているのであるから不作為の処分行為に該当する」(前田276頁)場合に相当するものといい得るものでしょう。

なお,刑法246条の2にいう「虚偽の情報」について,最高裁判所平成18年2月14日決定(刑集602165)は,窃取したクレジットカードの名義人氏名,番号及び有効期限を冒用してインターネットでクレジットカード決済代行業者の電子計算機に入力送信して電子マネー利用権を取得した行為について,「被告人は,本件クレジットカードの名義人による電子マネーの購入の申込みがないにもかかわらず,本件電子計算機に同カードに係る番号等を入力送信して名義人本人が電子マネーの購入を申し込んだとする虚偽の情報を与え」たものと判示しています。窃取されたクレジットカードの名義人,番号及び有効期限自体はそれとしてはその通りであるから「虚偽の情報」には当たらない,とはいえないというわけです。

 


(3)自動改札機の強行突破:磁気乗車券の場合

 


ア 鉄道営業法29

東京地方裁判所平成24年6月25日判決の事案は,小賢しく複数の磁気乗車券を使って,自動改札機の電子計算機を「欺罔」したケースでした。

それでは,もっと素朴に,うっかり乗り越してしまった場合において,入場に使った磁気乗車券をそのまま下車駅の自動改札機に挿入し,自動改札機が,乗り越しであって不足運賃があるものと正しく判断し,不足運賃の支払を求めて扉を閉ざしたにもかかわらず,えいままよとその扉を突破して出場したときはどうなるでしょうか。乗り越した旨をはっきり正直に示す磁気乗車券を自動改札機に挿入していますから,刑法246条の2後段の「虚偽の電磁的記録を人の事務処理の用に供した」わけではありません。同条の罪は成立しないように思われます。とはいえドロボー行為ではあります。しかし,刑法235条には「他人の財物を窃取した者は,窃盗の罪とし,10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」とあって,物(「財物」)ではない財産上の利益(不足運賃の踏み倒し等)は,そもそも同条で罰せられる窃盗の対象として考えられていません。「タクシーの代金を踏み倒す行為,キセル乗車も,不正に運行の利益を受ける行為と評価しうる」ものとされていて(前田182頁),財物の窃取にはなりません。利益窃盗は,「立法者が明確に不可罰としている」ものです(前田275頁)。

ここで登場するのが,鉄道営業法29条です。

 


29 鉄道係員ノ許諾ヲ受ケスシテ左ノ所為ヲ為シタル者ハ50円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス

 一 有効ノ乗車券ナクシテ乗車シタルトキ

 二 乗車券ニ指示シタルモノヨリ優等ノ車ニ乗リタルトキ

 三 乗車券ニ指示シタル停車場ニ於テ下車セサルトキ

 


30条ノ2 前2条ノ所為ハ鉄道ノ告訴アルニ非ザレバ公訴ヲ提起スルコトヲ得ズ

 


15 旅客ハ営業上別段ノ定アル場合ノ外運賃ヲ支払ヒ乗車券ヲ受クルニ非サレハ乗車スルコトヲ得ス

  〔第2項略〕

 


    罰金等臨時措置法(昭和23年法律第251号)

第2条 刑法(明治40年法律第45号),暴力行為等処罰に関する法律(大正15年法律第60号)及び経済関係罰則の整備に関する法律(昭和19年法律第4号)の罪以外の罪(条例の罪を除く。)につき定めた罰金については,その多額が2万円に満たないときはこれを2万円とし,その寡額が1万円に満たないときはこれを1万円とする。〔ただし書省略〕

  〔第2項以下略〕

 


鉄道営業法29条は,「旅客の不正乗車を禁ずるための罰則規定」で,「不正乗車のうち刑法246条2項で処罰できないものを処罰する規定,つまり,刑法246条2項の補充規定の性格を有するもの」とされています(伊藤=小野=荘子15頁)。鉄道営業法29条の罪は故意犯です(伊藤=小野=荘子16頁)。なお,同条の「鉄道係員」は,「鉄道の運輸,運転,保線,電気その他の分野,すなわち,現場において,直接,間接に鉄道運送の業務に従事するいわゆる現業員」のうち同条各号の行為について許諾を与える権限を有する係員ということになります(伊藤=小野=荘子16頁,6頁)。

鉄道営業法29条の「適用をみることとなる典型的なもの」としては,「駅員が不在,あるいは居ねむりをしている隙に有効な乗車券なしに乗車する,普通乗車券でグリーン車に乗るなど」が挙げられています(伊藤=小野=荘子17頁)。

キセル乗車に係る東京高等裁判所の昭和35年2月22日判決は,「乗客が下車駅において〔乗り越し〕精算することなく,恰も正規の乗車券を所持するかのように装い,係員を欺罔して出場したとしても,係員が免除の意思表示をしないかぎり,・・・正規の運賃は勿論,増運賃の支払義務は依然として存続し,出場することによってこれを免れ得るものではないから,これを以て財産上不法の利益を得たものということはできない。」として,刑法246条2項の詐欺利得罪の成立を否定しましたが,鉄道営業法29条の罪は成立するものとしています(伊藤=小野=荘子17頁参照)。磁気乗車券で乗り越してしまって下車駅の自動改札機を強行突破するときも鉄道営業法29条の罪は成立するでしょう。天網恢恢疎にして漏らさず,しっかり鉄道営業法29条が控えているわけでした。

 


イ 身柄の拘束の可否に係る刑法246条・246条の2と鉄道営業法29条との相違

しかし,刑法246条2項及び246条の2の罪の罰は10年以下の懲役であるのに対して,鉄道営業法29条の罪の罰は2万円以下の罰金(罰金等臨時措置法21項)又は科料(1000円以上1万円未満(刑法17条))にすぎません。この刑の相違は,刑事手続上も大きな違いを生みます。

まず,二項詐欺又は電子計算機使用詐欺の場合は,公訴時効は7年(刑事訴訟法25024号)であって,逮捕状を待たずの緊急逮捕もできる(同法2101項)ところです。

ところが,これに対して,鉄道営業法29条の罪の場合は,公訴時効は3年にすぎず(刑事訴訟法25026号),緊急逮捕はおろか現行犯逮捕もできず(同法217条。「犯人の住居若しくは氏名が明らかでない場合又は犯人が逃亡するおそれがある場合」を除く。),逮捕状による逮捕もできず(同法1991項ただし書(被疑者が定まった住居を有しない場合又は正当な理由がなく検察官,検察事務官若しくは司法警察職員による取調べのための被疑者に対する出頭の求め(同法198条)に応じない場合を除く。)),勾留もされません(同法603項(被告人(又は被疑者(同法2071項))が定まった住居を有しない場合を除く。))。となると,うっかり乗り越してしまって,磁気乗車券が挿入された自動改札機の扉がバタンと閉まったにもかかわらず,ズイと図々しく出場したときに,「ちょっとあんた,何してるの。鉄道営業法29条違反の犯罪だよ。」と呼び止められても,堂々と氏名を名乗り,住所を告げ,「逃げも隠れもしない。ただ,今は所用があるのでちょっと失礼する。」と高々と宣言すれば,身柄が拘束されることもなく,すたすたと立ち去ることができるということでしょうか。しかも,鉄道営業法29条の罪は親告罪(同法30条ノ2)なので,捜査当局は被疑者の身柄拘束にますます慎重にならざるを得ません。犯罪捜査規範(昭和32年国家公安委員会規則第2号)121条は「逮捕状を請求するに当つて,当該事件が親告罪に係るものであつて,未だ告訴がないときは,告訴権者に対して告訴するかどうかを確かめなければならない。」と規定しています。告訴権者から「告訴しません。」という返事があってもやはり逮捕状を請求するというのであれば同条の意味は無いでしょう。鉄道営業法29条の罪に係る親告罪の告訴期間は,告訴権者が「犯人を知つた日から6箇月」です(刑事訴訟法2351項)。

 


ウ 鉄道の場合と軌道の場合との相違

ところでそういえば,大阪市営地下鉄は軌道でした。下車駅における自動改札機強行突破を刑罰の威嚇をもって制止すべく,軌道法にもやはり鉄道営業法29条に相当する規定があるのでしょうか。(なお,都市モノレールの整備の促進に関する法律(昭和47年法律第129号)にいう都市モノレールも「支柱が道路面を占めていることから軌道」とされているそうです(和久田13頁)。ちなみに,同法に係る旧運輸省と旧建設省との「都市モノレールに関する覚書」締結までは,関東の京浜急行電鉄の大師線,関西の京阪電気鉄道の京阪線・宇治線,阪急電鉄の宝塚線・箕面線・神戸線・今津線・伊丹線・甲陽線,阪神電気鉄道の全線,能勢電気軌道の妙見線及び山陽電気鉄道の本線も,軌道であったそうです(和久田1213頁)。)

しかし,どういうわけか,軌道法には,鉄道営業法29条に相当する罰則が見当たりません。日本国憲法(736号ただし書参照)の施行の結果効力を失った罰則(和久田156頁)が並んでいる軌道運輸規程(大正12年鉄道省令第4号)の第4章にもありません(なお,また古い話ですが,軌道運輸規程4章は明治23年法律第84号(命令の条項違犯に関する罰則の件)に基づいていたもののようです。ちなみに,明治23年法律第84号については,佐藤幸治教授による『デイリー六法』の「創刊時はしがき」を参照。また,昭和22年法律第72号1条参照)。

これはどういうことでしょうか。鉄道営業法29条,15条1項及び18条ノ2を見比べながら考えると,どうも同法29条は乗車券の存在を前提とした規定であるということのようです。通し運送の場合に係る同法18条ノ2によって,乗車券の必要に係る同法15条1項が軌道に準用されるものとされているところからすると,鉄道との通し運送のときを除けば,軌道の乗客は乗車券を持たないことが原則であるようです。路面のチンチン電車を利用するのに鉄道のように事前に運賃を前払していちいち乗車券を買うということはない,ということは,確かにもっともではあります(ただし,前記の軌道運輸規程の第62項,第8条などは「乗車券」に言及してはいます。)。

それでは,「乗車券」とは何でしょうか。鉄道営業法2条1項で「本法其ノ他特別ノ法令ニ規定スルモノノ外鉄道運送ニ関スル特別ノ事項ハ鉄道運輸規程ノ定ムル所ニ依ル」と定められている鉄道運輸規程(法令番号は昭和17年鉄道省令第3号ですが,国土交通省令です(同条2項)。)の第12条は,「乗車券ニハ通用区間,通用期間,運賃額及発行ノ日附ヲ記載スルコトヲ要ス但シ特別ノ事由アル場合ハ之ヲ省略スルコトヲ得」と規定しています(軌道運輸規程には同条に対応する条項は見当たらず。)。換言すれば,通用区間,通用期間,運賃額及び発行日付の記載があって初めてまっとうな乗車券になるということでしょう。「乗車券ニ指示シタル停車場ニ於テ下車セサルトキ」には処罰されるべき旨を定める鉄道営業法29条3号の規定は,正に「通用区間」が乗車券に記載されていることを前提としているもののようです。

(なお,明治33年逓信省令第36号の旧鉄道運輸規程14条(「乗車券ニハ通用区間及期限,客車ノ等級,運賃額並発行ノ日附ヲ記載スヘシ/特殊及臨時発行ノ乗車券ニ在リテハ前項ノ記載事項ヲ省略スルコトヲ得」)に関して,「乗車券は運賃の領収証となり又通用区間の通券となるものなれは記載の事項を一定し,旅客をして一見誤謬なからしむることを要す,是れ本条に於て特に其の記載すへき事項を規定したる所以」と説明されていました(帝国鉄道協会『鉄道運輸規程註釈』(帝国鉄道協会・1901年)11頁)。)

 


(4)自動改札機の強行突破:Suica等のSFサービスの場合

鉄道営業法29条が乗車券を前提としているのならば,乗車券を使わずに鉄道を利用する場合には同条の罰則の適用があるのかどうかが問題になります。例えば,Suica等のSFStored Fare)サービスを利用して,入金(チャージ)し置いた金額での精算払い方式で電車に乗るときは,これは乗車券を持って乗車することになるのかならないのか。鉄道営業法15条1項は,「営業上別段ノ定アル場合」は乗車するのに乗車券を受ける必要がないとわざわざ規定してくれていますから,無理にSF利用時のSuica等をもって乗車券と観念する必要はないように思われます。いわんや,SFサービス利用時のSuica等のカード上には当該利用に係る「通用区間」は記載されず,また,当該利用時において下車すべき「停車場」も指示されざるにおいておや。Suica等のSFサービスを使って電車に乗ったが下車駅で自動改札機に入金額不足だと扉を閉められたので,そこでままよと自動改札機をそのまま突破したという場合には,鉄道営業法29条の適用もない,とのもっともらしい主張も一応はでき得るように思われます。(そもそも軌道には鉄道営業法29条又は同条同様の罰則の適用がないというのであれば,Suica等のSFサービス利用のときに同条の適用がないものとしても,同条の適用がある磁気乗車券の場合との不均衡をそれほど気にする必要はないということになるようでもあります。)

 


5 車内で一杯

 さてさて,いつものように長い記事でお疲れさまです。(これ以上長過ぎると,ブログにアップロード不能になるようです。)

 たまたま長距離列車に乗って旅をされている読者の方は,ここで持参のお酒を取り出して,ほっと一杯やりたくなりませんか。

 鉄道旅行のよいところは,事故を起こさないようにしらふで緊張して車を運転して,移動するだけでへとへとになるドライブ旅行とは違って,車窓風景をゆったりと味わいつつ,いい気分でお酒を楽しめることではないでしょうか。

 とはいえ,持参のお酒は残さず飲まなければなりません。

 多少量が多くても,がまんして飲み干すことが期待されます。

 鉄道運輸規程23条1項を御覧ください。

 


 23 旅客ハ自ラ携帯シ得ル物品ニシテ左ノ各号ノ一ニ該当セザルモノニ限リ之ヲ客車内ニ持込ムコトヲ得

  一 〔略〕

  二 酒類,油類其ノ他引火シ易キ物品但シ旅行中使用スル少量ノモノヲ除ク

  〔第3号から第7号まで略〕

 


 実はお酒は,飲まないならば,客車内持込禁止なのです。

 持ち込んだ以上は,そのお酒は,「旅行中使用スル少量ノモノ」なのです。

 ということは,鉄道旅行に向け準備したお酒は,車内で全部飲み干してしまって,「少量だったねぇ」と名残を惜しむものだということになるのです。

 


 しかしここから先は,「呑み鉄」の世界になるようです。


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多摩モノレール(立川北駅):ただし,これは,鉄道ではなく軌道です。

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1 国民の祝日に関する法律に定める休日と死刑不執行

 「国民の祝日」と刑事弁護との関係について前回の記事で少し触れるところがありました。しかし,死刑廃止論者の方々は,国民の祝日に関する法律に規定する休日の拡大は歓迎されるのではないでしょうか。刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(平成17年法律第50号)178条2項が次のように規定しているからです。



  日曜日,土曜日,国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日,1月2日,1月3日及び1229日から1231日までの日には,死刑を執行しない。



 なお,死刑の執行について,刑事訴訟法は次のように規定しています。



 475 死刑の執行は,法務大臣の命令による。

   前項の命令は,判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。〔以下略〕



 476 法務大臣が死刑の執行を命じたときは,5日以内にその執行をしなければならない。



しかし,死刑廃止は「世界の大勢」です。ギロチンでルイ16世以下多数の人々をどしどし処刑したフランス人まで,なぜ日本は死刑を廃止しないのかなどと言います。



  Pourquoi n’abolissez-vous pas la peine de mort au Japon? La peine de mort, c’est inhumaine, n’est-ce pas?



 しかし,死刑をしないという点については,日本の政府には過去に実績があります。フランス人に教えを垂れられる必要はありません。



  Nous l’avons fait une fois. Notre ancien gouvernement bouddhiste suspendait l’exécution capitale du neuvième siècle au douzième siècle. Car on avait peur des esprits mauvais des morts autrefois. Mais, sans la peine capitale, ça ne marchait pas.



 実際の会話では,つっかえつっかえなのですが,このように,日本国では9世紀から12世紀まで死刑が停廃されていた云々と何やら難しいことを言い出すと,むこうも閉口してくれます。

 一般的には,9世紀初めの薬子の変から12世紀半ばの保元の乱までが我が国における死刑停廃期間とされています。



  ・・・たとえ二,三の民族がほんの短い間にせよ,死刑を廃止していたのだとしたら,私は人類のためにこのことをほこりに思う。人類をおおっている暗愚の長い夜のさなかに,たった一すじだけかがやいているのが,こうした偉大な真理の運命なのだ。(ベッカリーア『犯罪と刑罰』(岩波文庫・1959年)101頁)



2 保元の乱

 保元の乱は,共に待賢門院を母とする崇徳上皇(顕仁)と後白河天皇(雅仁)の兄弟(ただし,待賢門院を中宮とした鳥羽天皇から見ると,雅仁は子であるが,顕仁は叔父子であって疎外の対象でした。なお,待賢門院は,先月(20144月)30日に亡くなった渡辺淳一の小説『天上紅蓮』のヒロインです。)をそれぞれ擁する勢力の間で,保元元年(1156年)七月,鳥羽法皇崩御直後に起こりました。戦いは天皇方の勝利で終わり,同月二十七日,敗れた上皇方にくみした公卿・武士らの罪が定められ,翌「二十八日には平清盛が六波羅のへんで,叔父の平忠貞(忠正)・同族の長盛・忠綱・正綱,忠貞の郎党道行を斬り」ますが,これが12世紀に至っての死刑執行復活です(源義朝が父の為義らを斬ったのは同月三十日(竹内理三『日本の歴史6 武士の登場』(中央公論社・1965年)351頁))。

 武士はやはり野蛮だねぇ,ということになりそうですが,現実に死刑執行復活を主張したのは,元少納言の藤原通憲(出家して信西)でした。



 保元の「乱後の敵方の処分も峻烈をきわめ,平安朝の初めの藤原薬子の乱以後二百〔ママ〕年間たえて行われなかった死罪を復活し,子に親を,甥に叔父を斬首させたのも信西であった。『法曹類林』〔全230巻。法律家が罪状判定のさいに参考にするために,古くからの明法家の意見や慣例あるいは法令などを事項別に集めたもの〕を著した知識がフルに活用され,法理にもとづくかれの裁断にはだれも反対することができなかったろう」(竹内361362頁,359頁)。


 崇徳上皇は,讃岐に流されます。


 おしなべて憂き身はさこそなるみ潟満ち干る潮の変るのみかは

3 薬子の変

大同五年(810年)九月の薬子の変も,平城上皇(安殿)と嵯峨天皇(賀美能)の兄弟(父は平安遷都の桓武天皇,母は藤原乙牟漏)間での争いでした。

さて,変の名前となった藤原薬子とはどういう女性でしょうか。

薬子は藤原式家の種継(桓武天皇の側近で長岡京遷都を推進,延暦四年(785年)に暗殺される。)の娘であって,種継は乙牟漏といとこですから,薬子と平城天皇とはまたいとこです。さらに,薬子は,平城天皇の義母にも当たります。



薬子は・・・藤原縄主(式家)に嫁し,3男2女をうんだ。そしてその長女が平城の東宮時代に選ばれてその宮にはいった。これがきっかけとなり,薬子は安殿太子に近づき,関係を結ぶにいたった。桓武はこの情事をきらい,薬子を東宮からしりぞけたと伝えられている。

安殿が即位すると,二人の仲はもとにもどった。この女の朝廷でのポストは尚侍(天皇に常侍する女官の長)であった。平城にあっては,これ以後,人妻薬子との関係はいっそう深まったようである。しかし天皇は,さすがに上記のごときかんばしからぬ来歴をもつこの女性を,公然と妻の座―一夫多妻の―にすえることができなかった。(北山茂夫『日本の歴史4 平安京』(中央公論社・1965年)113頁)



 藤原縄主はまた,どういう人なのか興味がわきますが,大同元年(806年)五月の平城天皇即位当初における政府高官名簿では,参議になっています(北山104105頁)。平城天皇との関係は円満だったということのようです。(縄主は後に中納言)

 平城天皇は,「そうとうの政治的見識をそなえていたとみてよく,また天皇としての執政に強い意欲(パトス)をもっていた」とされますが(北山105頁),大同四年(809年)に病み,同年四月,弟の嵯峨天皇に譲位します。平城上皇は,自分の「身体の不調を怨霊のしわざに帰して悩みつづけ,王位をはなれさえすればその禍いからまぬがれて生命をたもちうるのではないかと考えた」ようです(北山115頁)。
 同年十二月,平城上皇は,平城古京に移ります。嵯峨天皇の平安京と平城上皇の平城京との間で「二所朝廷」という状況が生じます。

  ふるさととなりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり

 翌大同五年(810年)九月六日,「平城は異例にも,上皇の立場において,平安京を廃して皇都を平城の故地にうつすことを命令した。・・・嵯峨天皇と政府にとっては,この遷都宣言はまさに青天の霹靂ともいうべき大事件であったろう。」ということになります(北山119頁)。しかし,嵯峨天皇は,4日後の同月十日には決意を固め,断乎たる処置に出ます。同日,政府は伊勢・近江・美濃に使節を派して関と当該3国を固めさせたほか,薬子の位官を奪い,その兄である参議・仲成を逮捕監禁します(北山120121頁)。これに対して,平城上皇は「激怒のあまり,ついにみずから東国におもむき,大兵を結集して朝廷に反撃しようとした。薬子がそばで挙兵をすすめたらしい。・・・上皇は,薬子とともに駕に乗じて平城宮から進発した」ということになったのですが(北山121頁),「途中で士卒の逃れ去るものが続出したらしい。そして,上皇らが大和国添上郡越田村(奈良市帯解付近)にいたったときに,朝廷の武装兵が前方をさえぎっていた。上皇はやむなく平城宮にひきかえした。わるあがきのうちにすべてが終わったのである。平城上皇は頭をまるめて出家し,薬子は自殺した。」というあっけない結末とはなりました(北山121122頁)。「嵯峨天皇は,平城宮における上皇の出家,薬子の自害の報をえて,〔同月〕十三日に,詔をくだして乱の後始末をつけ」,寛大な措置をとる旨を明らかにし(北山122123頁),同月十九日には元号を大同から弘仁に改めています。寛大な措置の中でだれが死刑になったかといえば,薬子の兄の藤原仲成で,同月十一日の「夜,朝廷は官人を遣わして,仲成を禁所〔右兵衛府〕において射殺させた。」とあります(北山121頁)。これより後, 死刑が停廃されたわけです。

  なお,死刑停廃は弘仁元年からではなく,弘仁九年又は同十三年からであるという説もあります。刑法の大塚仁教授いわく,「嵯峨天皇の弘仁九年(818年)から,後白河天皇の保元元年(1156年)にいたる339年の間,少なくとも朝臣に対しては,死刑が行なわれなかったという刑政史上特筆すべき事実があったことに注意すべきである」(同『刑法概説(総論)〔増補〕』(有斐閣・1975年)32頁)。またいわく,「わが国でも,平安初期の弘仁一三年の太政官符以来,337年にわたって,死刑が,少なくとも朝臣に対しては停廃されていた事実があることはすでに述べた」(同338頁)。しかし,「すでに述べた」と言われても,弘仁九年が正しいのか,同十三年が正しいのかはっきりしないのは困ります。それに,弘仁九年から保元元年までを339年と数えるのならば,弘仁十三年から337年目の年は保元元年ではなく,保元三年になるのではないでしょうか。



4 嵯峨天皇と後白河天皇

 天皇家におけるいずれも弟側が勝った兄弟争いの結果,死刑が打ち止めになり,また死刑が再開されたわけです。

「嵯峨天皇は,性格的に兄の上皇とはちがい,おだやかでゆったりした人物であった。かれは,けっして親政の姿勢をくずさなかったが,政治を多く公卿グループにゆだねるという方針をとっていた。そして,父桓武とは大いに異なり,14年間の執政にあきあきして,なんとかして王座をはなれようとしていた。かれのせつに欲したところは,「山水に詣でて逍遥し,無事無為にして琴書を翫ぶ」ことであった」そうですから(北山132133頁),三筆の一人でもある文人であり,かつ,子沢山の嵯峨天皇の時代に死刑が停廃されたのは,いかにもと思われます。それに,嵯峨天皇も死者の怨霊に苦しめられるタイプで,薬子の変の前の大同五年七月中旬に病臥したときには,「朝廷は天皇の平復のために,早良・伊予,そして吉子の追福ということで,それぞれ100人・10人・20人の度者(得度した者)をさだめ」ています(北山119頁)。早良親王(崇道天皇)は桓武天皇の同母の皇太弟で,藤原種継暗殺事件への関与を疑われて自ら飲食を断って憤死しています(延暦四年)。伊予親王は平城・嵯峨両天皇の異母兄弟で,藤原吉子はその母,平城天皇時代に謀叛の嫌疑をかけられ,両名は幽閉先の大和国川原寺で毒を仰いで自死しています(大同二年)。(また,薬子の変で処刑された藤原仲成も祟るようになったらしく,貞観年中の御霊会では,仲成も御霊として,崇道天皇,伊予親王,藤原吉子らと共になぐさめられています(北山226頁)。)
 以上に対して,後白河天皇の人物の評ですが,側近であるはずのところの信西が,次のようなけしからぬことを言っています。



  後白河法皇は和漢を通じて類の少ないほどの暗君である。謀叛の臣がすぐそばにいても全然ご存じない。人がお気付きになるように仕向けても,それでもおさとりにならぬ。こんな愚昧な君主はいままでに見聞したことがないほどだ。(竹内375頁)



  ・・・ただ二つだけ徳をもっていられる。その一つは,もし何かしようと思われることがあれば,あえて人の制法(とりきめ)に拘束されず,かならずこれをなしとげられる。これは賢主のばあいには大失徳となることだが,当今〔後白河天皇〕はあまりに暗愚であるのでせめてこれが徳にあげられる。つぎの徳は,聞かれたことはけっしてお忘れにならない。年月がたっても心の底におぼえておられることである。(竹内185186頁)



 俗にいう,「根に持つタイプ」ということでしょうか。

 また,後白河天皇は,親王時代から今様,すなわち当時流行の歌謡曲が大好きで,毎日毎晩歌い暮らしていたといいますから(竹内370372頁参照),今でいえば,カラオケ・セットを献上申し上げれば,龍顔莞爾ということでしょうか。父親としては行く末を心配するところで,「鳥羽上皇をはじめ一部の人々のあいだでは,天子のなすべきことではないとの批判」がささやかれていました(竹内373頁)。息子の二条天皇ともうまくいっていなかったようで,後白河上皇宿願の三十三間堂完成供養(長寛二年(1164年)十二月)に当たっても二条天皇は全然協力する気配を見せず,「上皇は目に涙をいっぱいうかべて,「ああ,なにが憎さにそんな仕打ちをするのか」と仰せられ・・・当時の人々は,「今上天皇(二条)は他のことについてはまことに賢主であるが,孝行という点でははなはだ欠けておられる。だから聖代とはいえない」とささやきあった」といいます(竹内386頁)。

 源頼朝による「日本国第一の大天狗はさらに他に居申さぬぞ」との後白河法皇評はどうでしょうか。これは,平氏滅亡後,文治元年(1185年)に義経・行家に与えられた頼朝追討宣旨に対する鎌倉からの法皇糾弾状の一節であって,「法皇の無責任を痛撃・罵倒する威嚇の第一砲であり,院中はこれを見て色を失った」というものです(石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』(中央公論社・1965年)166頁)。

 讃岐に配流された崇徳「上皇は五部大乗経を血書し,「われ日本国の大魔王となり,皇を取って民となし,民を皇となさん」と誓ったといい,1164年(長寛二)八月二十六日,上皇が崩ぜられて火葬したときには,その烟は都のほうへとなびいた」そうですが(竹内353頁),後白河上皇は兄のものを含め怨霊には余り苦しめられないタイプだったのでしょうか。さきにも見たように,同年十二月に気に病んでいたのは専ら息子の二条天皇との不仲だったようです。



5 「大死神」の末路

 死刑執行を進める者は「死神」ということになるようですが,我が国の長きにわたる死刑停廃を終了せしめた「大死神」たる信西入道の末路はいかん。

 後白河上皇の側近であった信西に出世の望みを阻止され,また面目をつぶされた藤原信頼・源義朝らの反信西勢力が,平治元年(1159年)十二月九日夜半にクーデタを敢行(平治の乱の始まり),信西はいち早く京都南方綴喜郡の田原に逃走します。しかしながら,大学者信西(渡来した宋人と唐語で会話もできたそうです。)の知恵を振り絞った土遁の術も空しく,同月「十三日には,信西を追及していた検非違使源光保が,田原の山中で土中に穴を掘って身をかくしていた信西を発見し,首を切ってかえったので梟首にした。」ということになりました(竹内376頁)。ここでの信西の直接の死因については,自殺したとするものもありますが,さて,どうでしょうか。やはり,土中から無残に掘り出されて首を斬られる方がそれらしく思われます。

 平治の乱の戦闘は,その後,クーデタ派のもとから脱出した二条天皇を奉じた清盛率いる平家の勝利をもって終わりますが,それはまた別の話です。



 死刑廃止論者であるベッカリーアも,死刑が許される場合として,「混乱と無秩序が法律にとってかわっている無政府状態の時代にあって,国家の自由が回復されるか失われるかのせとぎわにあるとき,ある一人の国民の生存が,たとえ彼が自由を束ばくされていても,彼のもつ諸関係と名望とによって公共の安全に対する侵害となるような状勢にあるばあい,彼の生存が現存の政体をあやうくする革命を生む危険があるなら,その時その一国民の死は必要になる。」と説いています(『犯罪と刑罰』9192頁)。信西はかつて不遇の時代,後に保元の乱では敵対関係となる藤原頼長相手に「わたくしは運がわるくて一職も帯びていません。もしこのさいわたくしが出家したならば,世間の人は,才がすぐれているから天がその人を亡ぼすのだと考えて,いよいよ学問をしなくなるでしょう。どうかあなただけは学をやめないでください」と語り,それに対して頼長は「けっしてお言葉は忘れますまい」と答えつつ思わず落涙したということがあるそうですが(竹内360頁),才すぐれ,その諸関係と名望とが国家的な危険をももたらし得るような人物になってしまった以上,時代の中心にいて時代の変転ゆえに天に亡ぼされることとなることも,あるいは信西としてはもって瞑すべきことであったのかもしれません。

 学問をやり過ぎるのも危険人物への途のようです。みんなで気持ちよく過ごす職場に気持ちよく調和するためには,お勉強は,ちょっとかしこそうに見えるアクセサリー程度にとどめておくべきでしょうか。しかしそれは,平和なサラリーマン(ウーマン)の道ではあっても,自由な法律家の道ではないでしょう。


つけたり:ベッカリーアの死刑廃止論

 イタリアのベッカリーア(1738年‐1794年)は,近代死刑廃止論の首唱者とされています(『犯罪と刑罰』が最初に出たのが1764年)。ただし,その死刑廃止論の理由は,刑死者の御霊の祟りを恐れるというようなものではなくて,社会契約論,犯罪抑止力への疑問,犯罪抑止力における終身隷役刑の優位性及び公開処刑が社会の良俗に与える悪影響が挙げられています。

 まず,社会契約において各人は彼の生命を奪う権利を法律ないしは社会に譲渡していない,というのがベッカリーアの社会契約論です(『犯罪と刑罰』(前記風早八十二・二葉訳の岩波文庫版)9091頁)。しかし,この点については,社会契約論者中にも別異に解するものが多いようです。

「あらゆる時代の歴史は経験として証明している。死刑は社会を侵害するつもりでいる悪人どもをその侵害からいささかもさまたげなかった。」とは,死刑の現実の犯罪抑止力に対する疑問です(同92頁)。これに対して我らが弁護士(第一東京弁護士会会長)・小野清一郎博士は,1956年5月10日,第24回国会参議院法務委員会の公聴会で,当時の死刑廃止法案に反対の立場から,死刑の犯罪抑止作用の実在を力強く公述しました。いわく,「・・・死刑廃止の結果として,殺人罪の永続的増加を証明した例はありませんとありますが,その資料として用いられている統計の類は,はなはだ不十分なものであります。犯罪は社会科学的に見ますると,複雑な原因と条件とによって生ずるものであります。死刑の存在は犯罪を抑制する一つの契機であるにすぎないのであります。でありますから,これを廃止したからといって,直ちに殺人その他の犯罪が増加を見ないことは,むしろ当然のことであります。10年や15年の粗末な統計を材料にして,数字の魔術にかかるようでは科学的なものということができないと思うのであります。・・・いかなる場合にも自己の生命についてだけは絶対の安全を保障されつつ犯罪に着手することができるというのでは,現実の政治的社会的秩序は相当の危惧を感ぜざるを得ないでありましょう。死刑の威嚇力を過重に評価してはなりません。しかし死をおそれない政治犯人や,絶望的な強盗犯人に対して死刑が無意味であるからといって,その威嚇力または一般予防の作用を否定することはできないと思います。死刑の存在が社会一般に対して抑制の作用を持つことは明らかな心理的事実であります。これを否定されるならば全刑法の組織を否定するほかないのであります。刑法は応報的な社会教育の機構であります。死刑の存在するということが意識下の意識として,いわば無意識的な抑制作用を営むことを,私は心理学的な事実として十分立証することができると思います。死刑を廃止した国における若干の刑事統計によって,死刑に予防作用がないということを立証しようとすることは,その方法自体に疑問があるのであります。私はもっと深い心理学的な研究を必要とすると思っているものであります。以上。(拍手)」

死刑の犯罪抑止力に対する疑問に続いて,ベッカリーアは,犯罪抑止力における終身隷役刑の死刑に対する優位性を説きます。いわく,「人間の精神にもっとも大きな効果を与えるのは刑罰の強度ではなくてその継続性である。・・・この道理でいけば,犯罪へのクツワとしては,一人の悪人の死は力よわいものでしかなく,強くながつづきのする印象を与えるのは自由を拘束された人間が家畜となりさがり,彼がかつて社会に与えた損害を身をもってつぐなっているその姿である」(『犯罪と刑罰』93頁)。またいわく,「・・・死刑と置きかえられた終身隷役刑は,かたく犯罪を決意した人の心をひるがえさせるに十分なきびしさを持つのである。それどころか,死刑より確実な効果を生むものだとつけ加えたい」(同95頁)。更にいわく,「・・・不幸な者たちによってあらわされるみせしめは死刑よりも強く人の心をうつ。死刑は人を矯正しないで,かえって人の心をかたくなにしてしまうが」(同98頁)。

ただし,「家畜」やら「みせしめ」という言葉からすると,ベッカリーアの想定している終身隷役刑は,「被収容者・・・の人権を尊重」する(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律1条参照)我が無期懲役刑とは少々違うようです。「・・・狂熱も虚栄も,鉄格子の中,おう打の下,くさりの間では罪人どもを見すてて行ってしまう。」というのですから(『犯罪と刑罰』95頁),鎖につながれ,殴られるのは当たり前ということでしょう。また,「永い年月あるいは全生涯をドレイ状態と苦しみのうちにすごし,かつてはなかまであつた人々の目にさらされ,今は彼らと同等ではなく,彼らのように自由でもなく社会の一員でもなくなりかつては自分を保護した法律のドレイとなった自分を感じねばならない・・・」と(同98頁),奴隷状態の姿を人々の目にさらされるものとされています。したがって,「へき地での隷役という刑」は,「いいかえれば犯人の侵害行為を受けない地方の国民に無用な犯罪人の手本を送ること」であり,「犯罪が事実行われた地方の国の国民からはみせしめをなくす結果になる」わけです(同113頁)。(なお,我が国でも囚人の使役について, 1885年の金子堅太郎の『北海道三県巡視復命書』では,「彼等〔囚人〕ハ固ヨリ暴戻ノ悪徒ナレバ,其苦役ニ堪ヘズ斃死スルモ,尋常ノ工夫ガ妻子ヲ遺シテ骨ヲ山野ニ埋ムルノ惨情ト異ナル」,「斃レ死シテ其人員ヲ減少スルハ,監獄費支出ノ困難ヲ告グル今日ニ於テ,万止ムヲ得ザル政策ナリ」,「囚人ヲ駆テ尋常工夫ノ堪ユル能ハザル困難ノ衝ニ当ラシムベシ」と,囚人の北海道における土木工事従事について書かれていましたが(色川大吉『日本の歴史21 近代国家の出発』(中央公論社・1966年)245246頁参照),現在ではなかなか許されないことでしょう。)
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  博物館網走監獄(向かって左の人形が「五寸釘寅吉」)

 ベッカリーアのいう「死刑はまた,人々にざんこく行為の手本を与えるということで,もう一つ社会にとって有害だ。」との立論は(『犯罪と刑罰』98頁),当時の公開処刑制度を前提とするものでしょう。「「われわれに非道な犯罪として示されている殺人が,いま目のまえで冷然と,なんの良心の苛責もなく犯された。この手本を合法的なものとみていけないことはないはずだ。・・・」以上が,・・・その精神がすでに正常を欠いて犯罪にはしりかけている人々の考えることだ。」とは(同100頁),死刑の見物人の心理に関する描写でしょう。なお,我が国における死刑の執行は非公開で,「死刑は,刑事施設内において,絞首して執行する」ものとされ(刑法111項),「検察官又は刑事施設の長の許可を受けた者でなければ,刑場に入ることはできない」ものとされています(刑事訴訟法4772項)。

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