カテゴリ: 民法

1 日本国内閣総理大臣の中南米的指導者化傾向

 

   岸田文雄首相は〔20246月〕21日に〔内閣総理大臣〕官邸で記者会見を開き,物価高対策として,〔同年〕5月使用分を最後に終了した電気・ガス料金の負担軽減策を「8月からの3カ月間行う」と述べ,補助を再開する方針を明らかにした。ガソリンや灯油など燃料価格の抑制策は年内に限り継続する。今年秋に経済対策の策定を目指すとした上で,年金世帯や低所得者を対象に給付金を支給することを検討する考えも示した。

   内閣支持率が低迷する中,物価高に直面する家計負担の軽減策を追加し,政権浮揚につなげる思惑もありそうだ。ただ国の財政負担はさらに膨らむ恐れがあり,政策の一貫性を欠く迷走ぶりも浮かぶ。〔後略〕

  (2024621228分共同通信配信記事・東京新聞ウェブサイトから。下線は筆者によるもの)

 

 「日本も中南米(ラテン・アメリカ)化しつつあるなぁ」とは筆者の感慨です。

口に苦い良薬の・真の構造的問題に対する厳しい取組からは目をそむけ,一見分かりやすく,かつ,人気につながりそうな甘く安易な目先のばら撒き施策に走って国家財政を破綻させ,やがて民心は腐敗し,国内は混乱し,若者は米国に向け脱出し,せっかくの国家的・国民的な潜在力が無慙にも無駄になってしまう,との道筋を思わず知らず描いてしまうのは,筆者の偏見でしょう。――無論,現在の日本国は既に高度に老化していますから,混乱といっても,若い男性の群れが暴れ回るといったギラギラと暑苦しいものではなく,黄昏の中,もはや福祉の手が回らなくなっていかんともしがたくなった無残な姿の認知症老人がおぼつかない足取りでふらふらと大量に,かつ,あまねく徘徊するといった形で顕在化されるのでしょうし,また,「せっかくの潜在力」というほどの精神的・肉体的(ポテンシャル)ももう我が衰廃民族には残されてはいないのでしょうが・・・。(なお,多くの日本人には米国の食事🍔は舌に合わないようで,“America, or bust”的な米国移住に向けた憧れは,我が国においては依然として大きくはないように観察されます。)

というような思いを触発させる,日本国の内閣総理大臣の中南米的指導者化傾向という事態に直面するとき,不図,四半世紀前の内閣総理大臣官邸において生じた,次のような印象深い親和力(ケミス)()作用(リー)が想起されるのでした。

 

2 小渕総理とチャベス大統領と

 

(1)小渕総理の羨望

 

   大統領の球は5倍速い/ベネズエラ大統領と小渕首相が野球談議

   小渕〔恵三〕首相は〔199910月〕13日,首相官邸で,ベネズエラのチャベス大統領と会談し,経済協力などについて意見交換した〔https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutiphoto/99_1001/1001_13b.html〕。引き続いて行われた首相主催の昼食会には,ベネズエラ出身で日本のプロ野球で活躍中のペタジーニ選手(ヤクルト)も出席し,両首脳は野球談議に花を咲かせた。

   45歳のチャベス大統領は大の野球好きで,少年時代の夢は「米大リーグで投げること」。2月には大リーグのホームランバッター,サミー・ソーサ選手に真剣勝負を挑んだという。歓迎のあいさつで首相が「私も5月に訪米した際,(始球式で)ソーサ選手に投げ込んだが〔https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutiphoto/99_0501/0501.html〕,大統領の球は私の5倍は速いと思う」とエールを送ると,大統領は「そんなに速くはない」と苦笑い。〔後略〕

  (読売新聞19991014144面)

 

和気藹々です

バリナス州の貧しい教師の家に6人兄弟の一人として生まれたチャベス大統領は,「地方の無名の子として生まれたが,一般ベネズエラ人から感情移入され得る無比の能力を有し,かつ,巧妙な策をも多々弄するところの,天性の演技者(パフォーマー)交感(コミュニ)能力者(ケイター)として頭角を現した。(Born in provincial obscurity, he proved to be a natural performer and communicator, with an unmatched ability to empathise with ordinary Venezuelans, combined with plenty of cunning.)」ということですから(“Hugo Chávez’s rotten legacy”, The Economist, March 9th, 2013),小渕総理もその魅力に抗うことができなかったものでしょう。メキシコの左翼作家であるカルロス・フエンテスは,チャベス大統領を「熱帯のムッソリーニ」と呼んでいたそうです(“Venezuela after Chávez / Now for the reckoning”, The Economist, March 9th, 2013)。また,コロンビアのノーベル賞作家であるガブリエル・ガルシア・マルケスは,ベネズエラ大統領に当選後のチャベス次期大統領について,「他と同様の専制者として歴史書に残ることになるのであろう幻想家」であるキューバのフィデル・カストロとの対比において,「運命の気まぐれにより,その国を救う機会を与えられた者」との印象を記していました(Michael Shifter, “In Search of Hugo Chávez”, Foreign Affairs, May/June 2006: p.45)。

 

   小渕首相の一日 〔199910月〕13 「小渕恵三も20年ぐらい若ければなあ」

   〔前略〕

   156分,チャベス大統領との会談の感想を聞かれ,「若い大統領のはつらつとした意欲を感じました。小渕恵三も二十年ぐらい若ければなあ・・・。あちらは45歳ですからね」

   〔後略〕

  (読売新聞19991014144面)

 

   首相日々

   〔前略〕

   (記者団の「会談を終えた感想は」に「若い大統領ですから,新ベネズエラをつくろうという熱心さを感じました。はつらつとした意欲を感じました。小渕恵三も20年ぐらい若ければなあ・・・。あちらは45歳ですからね。」)

   〔後略〕

  (毎日新聞19991014142面)

 

小渕総理の一日19991013日・内閣総理大臣官邸ホームページ)

https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutiphoto/1999_10_calender/10_13.html

 

(2)小渕総理の年齢及び死

1937625日生まれの小渕総理は,19991013日には,623箇月と19という年齢でした(明治35年法律第50号(年齢計算に関する法律)の第1項によって出生の日から起算し,同法2項により,暦に従って年及び月を数えた上(民法(明治29年法律第89号)143条),日数については最終日を含めて計算しています。以下同様です。なお,余計なことながら,明治35年法律第50号の第3項によって廃止された明治6年太政官布告第36号は「自今年齢ヲ計算候儀幾年幾月ト可相数(あひかぞふべき)事/但旧暦中ノ儀ハ1干支ヲ以テ1年トシ其生年ノ月数ハ本年ノ月数ト通算シ12ヶ月ヲ以テ1年ト可致(いたすべき)事」と規定していたものです。新旧の暦(明治6年(1873年)11日から新暦採用)の間の通算方法に苦心している様子が窺われます。)。頽齢をかこつにはまだ早かったようにも思われますが,その翌年の20004月に脳梗塞で倒れ同月2日に入院し,同年514日に6210箇月と20で死去しています。199910月には,既に何らかの体調不良を覚えていたのでしょう。また,小渕総理は1999年(平成11年)1112日に挙行された天皇陛下御在位十年記念式典の式典委員長を務めており(https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutiphoto/99_1101/1101_12.html),当該式典の一部参列者間においては「実は小渕(ぶっ)総理()も,絶対,在職十年超えを狙っているよな」という口さがないささやきがありましたが,小渕内閣の存続期間は結局,1998730日から200045日までの18箇月と6日ということで終わりました(初日不算入とし(民法140条),後継の第1次森内閣が成立した日を含めて計算。小渕内閣の総辞職は200044日)

なお,1957729日生まれの岸田総理は,2024621日には既に6610箇月と24日でありました。

 

(3)チャベス大統領の年齢及び死

ところで,その若さを小渕総理に羨ましがられたベネズエラのウゴ・チャベス大統領ですが1954728日生まれなので,19991013日には452箇月と16日。同年22日に446箇月と6日で大統領に就任していました。),在職十年は悠々突破したものの(「チャベス氏は,圧倒的であるものから余裕があるものまでの差をつけて四つの選挙に勝利し,6回行われた国民(レファレ)投票(ンダムズ)のうちわずか1回失敗しただけだった。」とのことです(“Hugo Chávez’s rotten legacy”, The Economist)。ただし,20024月の首都騒乱の際には,一時大統領職を辞しています。),しかし面会時の小渕総理の年齢まで生きることはできませんでした。癌を患い2011年に公表)201335日,ベネズエラ・ボリバル共和国大統領在任のまま,587箇月と6日で死亡しています。

 

  チャベス氏の死は,何百万ものベネズエラ人によって悼まれた。彼らにとって彼は,天恵により増大した石油収入をばら撒いてくれる(handing out)とともに,「帝国」(またも米国)及び「寡頭勢力」(すなわち富裕層)に対して挑戦的な言辞を浴びせかける,一種のロビン・フッドであったのである。

 (“Venezuela after Chávez”, The Economist

 

3 ベネズエラの経済政策(ボリバル革命)と我が経済政策(失われた三十年)と

 2000年から2012年までのベネズエラの石油輸出による総収入は,2000年以降は産出量が減少していたにもかかわらず,実質額においてその前13年間のそれの2倍半以上になっていたそうです(“Venezuela after Chávez”, The Economist)。これに対して我が国は石油産出国ではないので,ばら撒こうと思えば国債を発行することになりますが,財務省資料によれば,2000年度末の普通国債残高が3675547億円であったのに対し,2012年度末のそれは7050072億円と2倍近くになっています。2024年度末には1105兆円になる見込みであるそうです。橋本内閣期の1997年度の国債発行額は498900億円(借換債の314320億円を除くいわゆる新規国債は184580億円)でしたが,小渕内閣期の1999年度には775979億円(借換債の400844億円を除くいわゆる新規国債は375136億円)になっています。既に小渕総理は当時,世界一の借金王となってしまった,とぼやいていたところです。したがって,自身の政策の安易な前例化は受け付け得なかったものでしょう。ちなみに,2024年度の国債発行予定額は1819956億円(そのうちいわゆる新規国債は354490億円)であるそうです。嗚呼,失われた三十年。

 岸田総理は経済対策及び給付金支給を現在計画しているわけですが,これらは,早稲田大学の先輩である小渕総理的な施策というべきものでしょう(https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutisouri/obuchiyear/obuchi_oneyear_02.html)。19981116日に小渕内閣は「過去最大」の経済対策を決定し,更に1999129日には,全国で対象者約三千五百万人,一人当たり2万円の地域振興券の交付が始まっています(https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1079833/www.kantei.go.jp/jp/obutiphoto/99_0216/02202.html)。(なお,公明党と自由民主党との連立は,小渕政権下の199910月以来のことです。)

 ばら撒きのほかにチャベス大統領がしたベネズエラ人民喜ばせ策は,盟邦のキューバ政府肝煎りの「ミッションズ(missions)」であって,「実質的に無料の石油との引換えに,キューバは,何千人もの医師及びスポーツ指導者(トレイナーズ)をベネズエラに派遣した。とのことです(“Venezuela after Chávez”, The Economist)。無論,我ら病弱な日本の老国民も,医療及び福祉並びにスポーツ(観戦)は大好きです。来月(20247月)にはパリでオリンピックが開催されますところ,毎度のことながら,がんばれニッポン!

 しかしながら,「広報(プロパ)宣伝(ガンダ)の背後において,ボリバル革命は,腐敗し,不手際に運営された事業であった」ところです。「経済は,石油と輸入品にますます依存するようになった。農場の国有化は農業生産を減少させた。物価及び外国為替の管理は執拗なインフレーション及び生活必需品の不足を防止することができなかった。インフラストラクチャーは崩壊し,もう何年も,国の大部分において,頻繁な停電を忍ばねばならないことになっている。病院は腐敗し,「ミッションズ」すら,その多くが停頓した。犯罪は増加し,カラカスは世界で最も暴力的な首都の一つである。治安部隊の一部よる関与の下,ベネズエラは薬物取引の一経路となっているとのことでした“Venezuela after Chávez”, The Economist)。大統領官邸のチャベス大統領専用エレベータも水漏れがするようになっていたそうです(“Goodbye, Presidente”, The Economist, March 9th, 2013)。当局の無能・脆弱,製造業の空洞化,国家の保護下にある農業の不振,物価高及び通貨安,電力供給等に係る不安,医療不信並びに薬物事犯その他の犯罪の増加・・・と並べてみると,身につまされますね。ただし,「チャベス氏のなした至高の政治的達成は,多くの普通のベネズエラ人はばら撒きをもってチャベス氏を評価し,諸々の不手際について彼を非難することはしなかったということである。彼らは彼を彼らの一員,彼らの側に立つ者とみなしていた。彼の支持者ら,なかんずく女性たちは,言ったものである。「この人は,貧しい人々を助けるために神から遣わされたのです。」と。」ということでありました(ibidem)。我が国においても,政府からの給付金等を期待し歓迎する人々の層が厚みを増しているように感じられます。また,岸田総理も,女性におもてになるのでしょう。

ところで,主権者たる国民についてですが,「14年間,ベネズエラ人らは,彼らの問題はだれか別の者――米国又は「寡頭勢力」――によって生ぜしめられたものであると告げられ続けてきた。生活の向上は,能力(メリット)ではなく,政治的忠誠のいかんによった。主に広報(プロパ)宣伝(ガンダ)を教え込むものであるところの「大学」に何百万人もの者を大規模在籍させことは,実らないことがほぼ確実な期待のみを高めた。」とは(“Venezuela after Chávez”, The Economist),微妙な意地の悪さが感じられる口吻です。とはいえ無論,普通の人々が悪い(自己責任を負う)ということは全くあり得ない一方,能力を鼻にかけた鼻持ちならないThe Economistの読者的なエリートは粉砕されるべく,大学の無償化は異論の余地なく素晴らしいことであります。

 

4 蛇足🐍👣

 以上,いずれも在職中に病に倒れた小渕総理とチャベス大統領とに関して雑文を草したところですが,ここでかねてから筆者にとって気になっていた点に関して蛇足を付しておきましょう。

 

(1)受任者による事務処理の不能と委任契約の存否と

 小渕内閣の総辞職は,内閣総理大臣が脳梗塞で倒れて再起不能となったことをもって日本国憲法70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」(英語文では,“when there is a vacancy in the post of Prime Minister”)に該当するものとする,という解釈の下に行われたわけですが,民法上の委任との比較でいえば,受任者が意思能力を喪失したときには直ちに当該受任者が「欠けたとき」となって委任契約が終了することにはならないもののように一応解されます。民法653条は,委任の終了事由として「委任者又は受任者の死亡」(第1号),「委任者又は受任者が破産手続開始の決定を受けたこと」(第2号)及び「受任者が後見開始の審判を受けたこと」(第3号)を挙げておりますところ,同条3号によれば,受任者が「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠」いただけでは委任は終了せず,更に家庭裁判所による後見開始の審判が必要であることになるようではあるところです(同法7条参照。なお「精神上の障害により」とはくどい表現であるようですが,これは,刑事禁治産(旧民法人事編(明治23年法律第98号)236条及び237条,旧刑法(明治13年太政官布告第36号)旧103号並びに旧35条及び旧36条並びに民法施行法(明治31年法律第11号)14条から16条まで参照)との関係によるものであって,刑事禁治産ではないこと明らかにするための表現でしょう(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1911年(第33版))23-24頁参照)。)。このことは,「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者」も,意思能力を回復することが時々あり得るからでしょう。

しかして,「委任は,契約に共通な終了原因,例えば,〔略〕委任事務の履行不能〔略〕などによつて終了する」とされています(我妻榮『債権各論中巻二(民法講義Ⅴ₃)』(岩波書店・1962年)688頁。また,星野英一『民法概論Ⅳ(契約)』(良書普及会・1994年)290頁)。これについては,意識を不可逆的に全く失っていれば,法律行為の外観のある行為すら行うことができず,正に完全に委任事務の履行不能となるものと解してよいのでしょう。報酬支払特約(民法648条)のある双務契約たる委任契約における危険負担について考えてみても,平成29年法律第44号による改正前の民法5361項(「〔略〕当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債務者は,反対給付を受ける権利を有しない。」)においては,当事者双方の責めに帰することのできない事由によって受任者の事務処理が不能になった場合は反対給付たる報酬を受ける権利を当該受任者は失い,すなわち委任者も債務を免れ,当該委任契約は債権発生原因として結局無意味なものであることに帰することになりますから,委任契約終了ということでよいのでしょう。

しかしながら,平成29年法律第44号による改正以後の民法5361項は「当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債務者は,反対給付の履行を拒むことができる。」と規定して,事務処理をすることが不能になった受任者であっても名目的にはなお報酬請求権を有し,委任者はその支払を拒むことができるだけ,ということになるようです。すなわち,委任契約はなお生きており,その終了のためには解除が必要となるわけです。ところが,契約の解除は相手方に対する意思表示でされるものであるところ(民法5401項),意思能力のない相手方に対する意思表示は当該相手方に対して対抗できないものとされています(同法98条の2本文)。(なお,「対抗することができない」とは,無効の主張は当該相手方にのみ許されるという趣旨です(梅250頁)。)そうであるとすれば,やはり家庭裁判所の手を煩わして,意思能力を失った受任者のために成年後見人を付さねばならないことになるようです(民法98条の21号及び859条)。何だか面倒なことになっています。

ちなみに,現行の民法5361項に関して「債権者は,債務者に帰責事由がない場合には,危険負担制度に基づき当然に反対給付債権の履行を拒むことができる上,契約の解除をすることにより,反対給付債務を確定的に消滅させることもできることになる。」と説かれていますが(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)228頁),解除に遡及効のない委任契約の場合(民法652条及び620条),既発生の報酬支払債務は,履行拒絶権と共に気持ち悪く残ってしまうことになるのでしょう。消滅時効の適用も,受任者はそもそも当該債権を行使できないのですから無理であるように思われます(民法1661項及び破産免責決定の効力を受ける債権に係る最判平成11119日民集5381403頁参照)。

 

(2)米国憲法修正254節など

 小渕総理の不可逆的執務不能は,小渕内閣の他の閣僚の一致した見解によって認定され,「内閣総理大臣が欠けた」として国会法(昭和22年法律第79号)64条に基づき同内閣から両議院に通知されたということになるのでしょう。

これに対して,米国憲法の修正254節(ウッドロー・ウィルソン大統領が191910月に脳内出血のため執務不能に陥ったところ,その後17箇月間同大統領夫人が大統領職を代行していたという不祥事例に対応するものです(飛田茂雄『アメリカ合衆国憲法を英文で読む』(中公新書・1998年)237頁参照)。)1項は,米国大統領の執務不能は,副大統領と,行政部諸長官又は議会が法律で設けることある機関の構成員の過半数との意見の一致によって決定され,その旨書面で元老院(上院)臨時議長(註:同院の議長職は,副大統領が務めます。)及び代議院(下院)議長に通知された上で副大統領が大統領心得(Acting President)として執務を開始するということになっています(副大統領が大統領になるのは大統領が解任され,又は死亡し,若しくは辞職した場合であって(同条1節),意識不明であっても大統領が生きている限りは,飽くまでも大統領心得です。)。日本国政府の閣議は全会一致が原則である分,米国政府における大統領の執務不能認定よりも手続が厳重であることになるのでしょう。

米国憲法修正2542項は,副大統領と行政部諸長官又は議会が法律で設けることある機関の構成員の過半数とによる上記執務不能の通知に対抗して大統領が執務不能の不存在を元老院臨時議長及び代議院議長に書面で通知した場合についてのもので,副大統領と行政部諸長官又は議会が法律で設けることある機関の構成員の過半数とがなおも大統領に係る執務不能の認定を維持するときには,最終的に議会が裁定することになる旨の規定です(21日以内に両議院がいずれも3分の2以上の多数で大統領の執務不能を認定すれば副大統領による大統領職の代行は継続,それ以外の場合は大統領による執務が再開)。日本国においては,内閣総理大臣以外の閣僚の全員一致による判断を一応受け容れた上で,内閣総理大臣はなおも執務可能であると国会(衆議院)が自ら判断すれば,再び同人を内閣総理大臣に指名すればよいということになるのでしょう(日本国憲法67条)。

 余計なことながら,高齢のバイデン大統領は,お元気でしょうか。

 

(3)内閣総理大臣の辞職と任命者(天皇)との関係

 内閣総理大臣は天皇によって任命されるところ(日本国憲法61項),内閣総理大臣が辞職するときには,その辞表が天皇に奉呈されるべきものかどうか。

大日本帝国憲法下では,国務大臣を免ずることも天皇の大権事項でありました。すなわち,大日本帝国憲法10条は「天皇ハ〔略〕文武官ヲ任免ス〔後略〕」と規定していたところ,「国務大臣の任免は,憲法上,天皇の大権事項に属する。従つて内閣総理大臣の罷免――内閣の退陣は,一に聖旨に存する。例へば内閣総理大臣が,闕下に伏して骸骨を乞ひ奉るが如き場合に於ても,其の之を聴許し給ふと否とは,全く天皇の御自由である。また仮令内閣総理大臣の側に於て,進んで骸骨を乞ひ奉るが如きことなしとするも,天皇に於て之を免じ給ふことも亦全く御自由である。即ち〔略〕,内閣存続の基礎は,専ら至尊の信任に存するのである。」ということでありました(山崎丹照『内閣制度の研究』(高山書院・1942年)326頁)。このことに関する公務員法理論的な説明は次のとおりでしょう。いわく,「公務員関係の特色としては,辞職の意思表示ではなく,辞職願いを任命権者が承認することによって,始めて関係が消滅することがある。この点は,法律のレベルでは必ずしも明確ではないが,人事院規則はこのことを前提として,書面による辞職の申出があったときは,特に支障のない限り,これを承認するものとするとしている(人規8-1273条〔現在は第51条に「任命権者は,職員から書面をもって辞職の申出があったときは,特に支障のない限り,これを承認するものとする。」と規定。〕。地方公務員法には特段の規定がない)。この点は行政法関係において,行政行為によって成立した関係の消滅も行政行為(行政法一般理論における行政行為の撤回)によるという一般的了解の公務員関係への適用とも考えられるが,公務の突発的停廃を防止するのがその趣旨であろう。」と(塩野宏『行政法』(有斐閣・1995年)208頁)。

以上の公法的規整に対して,私法における民法651条による受任者による委任契約の解除は,同法5401項に基づき委任者に対する意思表示によりされ,同法971項によって委任者に到達した時に効力を生ずることになります。なお,民法655条は,解除の場合には適用がありません(我妻699頁。ドイツ民法674条は„Erlischt der Auftrag in anderer Weise als durch Widerruf, so gilt er zugunsten des Beauftragten gleichwohl als fortbestehend, bis der Beauftragte vom dem Erlӧschen Kenntnis erlangt oder das Erlӧschen kennen muss.“と規定しています(イタリック体は筆者によるもの)。)。解除の時期の不都合(事務処理の「突然の停廃」)によって生じた問題は,金銭賠償をもって清算されることになります(民法65121号)。

 ところで,日本国憲法下での内閣総辞職の手続については,実は当初は,内閣総理大臣から天皇に対する辞表の奉呈がface-to-faceでされていました。

 

  〔19475月〕20日 火曜日 第1回国会特別会召集日につき,午前10時より表拝謁の間において内閣総理大臣吉田茂の拝謁を受けられ,日本国憲法第70条中の「衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは,内閣は,総辞職をしなければならない」の規定に基づき,辞表の奉呈を受けられる。〔以下略〕

  (宮内庁『昭和天皇実録 第十』(東京書籍・2017年)330頁)

 

  〔19482月〕10日 火曜日 正午前より表拝謁の間において内閣総理大臣片山哲の拝謁を受けられ,奏上並びに内閣総理大臣の辞表の奉呈を受けられる。〔後略〕

  (宮内庁615頁)

 

これが,19483月の芦田均内閣成立の際,以後改められるということになりました。

 

  〔19483月〕10日 水曜日 午後,表拝謁の間において,法務総裁鈴木義男の拝謁を受けられ,片山内閣の総辞職及び芦田内閣の成立について法律面からの説明をお聞きになる。これより先,鈴木は「内閣総辞職の際の手続並慣行について」と題する意見書を閣議に提出し,去る2日閣議了解となる。同意見書によれば,日本国憲法上の天皇の地位に鑑み,辞意を表明した首相の参内・拝謁等は行うべきではなく,今後天皇に対する儀礼上の慣行として,新首相の親任式及び閣僚の認証官任命式の式前或いは式後に,適宜御挨拶を申し上げることが適当とされた。〔略〕

  午後,表拝謁の間において,内閣総理大臣片山哲より内閣の総辞職及び新内閣の成立についての内奏をお聞きになり,ついで午後230分,同所に出御され,内閣総理大臣芦田均の親任式を行われる。〔略〕

  表拝謁の間において,内閣総理大臣芦田均より新内閣の認証官任命についての内奏をお聞きになる。なお,内奏の後,芦田より共産党への対策や宮内府に対する連合国最高司令部の意見についてお聞きになる。ついで午後3時より同所において,国務大臣西尾末広以下15名の認証官任命式に臨まれる。〔中略〕なお,内閣総理大臣から官記を受領した各任官者に対し,この度よりそれぞれお言葉を賜うこととされる。〔略〕

  (宮内庁623-624頁)

 

 上記鈴木法務総裁の「内閣総辞職の際の手続並慣行について」意見書の由来は,「昭和23年〔1948年〕31日,「内閣総辞職の際辞意表明の相手方退任の手続等に関し実際上ならびに法律上疑義あるやにつき」ということで,法務総裁から内閣総理大臣あて次に述べるような意見(抄)が提出されたことがある。そして,その後における内閣の総辞職はこの意見を参考に行われるようになり,現在では,このような内閣総辞職の慣行は確立されているといえよう。」ということであるそうです(内閣制度百年史編纂委員会編集『内閣制度百年史 上巻』(大蔵省印刷局・1985年)132-133頁)。

 鈴木意見書の内容(抄)は,次のとおり。

 

  一 実際上の手続

(一)内閣が総辞職を決定したときは(閣議決定後)その旨文書をもつて衆参両院議長に通告すること。

  (二)内閣総理大臣および各国務大臣の文書による辞表の提出はこれをなす必要のないものと解する。

  (三)従つて新憲法上の天皇の地位にかんがみ誤解を生ずる虞あるをもつて辞意を表明した首相の参内拝謁等はその際は行わざるを適当と信ずる。

  (四)今後の政治上の慣行としては以下の如く取運ぶべきであろう。(1)総辞職の決定(2)国会への通告 (3)国会における後継内閣総理大臣の指名 (4)組閣完了 (5)組閣完了を国会および辞意を表明したる内閣総理大臣に通告 (6)閣議開催,新総理任命の助言と承認決定 (7)宮中の都合を打合せ旧新両首相ならびに新国務大臣参内,任命式ならびに認証式執行 (8)右式を終れば辞令等を用いずして前首相ならびに旧閣僚は当然退任となる(註,留任する大臣も一旦退任し新内閣の閣員として新に任命認証を受けるのである) (9)新内閣の成立を正式に国会へ通告。

(五)天皇に対する儀礼上の慣行としては右任命式に参内の節式前または式後において御挨拶申上ぐることとするのが適当であろう。退任した国務大臣はその後個別的に参内記帳等適当に御挨拶申上ぐること。(ただしこれは勿論各前大臣の任意である)

  二 法的根拠

    憲法の解釈として内閣総辞職の際退任する内閣総理大臣および各国務大臣に対し免官の式等を行わずまた特に辞令等を用うる必要のない理由はおおむね次の如くである。

     内閣の総辞職は,内閣から国会に対し総辞職する旨を通告してなされる内閣自体の一方的行為であり,その結果として内閣総理大臣および各大臣は当然に退任するのであつて,内閣総理大臣に対する免官の辞令その他各大臣の単独の退任の場合の如く各国務大臣より内閣総理大臣に対する辞表の提出,各大臣に対する免官の辞令,天皇の認証等特段の手続を必要としない。

    (内閣制度百年史編纂委員会133-134頁)

 

一(一)は,国会法64条の「内閣は,内閣総理大臣が〔略〕辞表を提出したときは,直ちにその旨を両議院に通知しなくてはならない。」との規定に対応するものでしょう。同条の「辞表の提出」は,本来は内閣総理大臣から天皇への「辞表の提出」を意味するものと解されていたのでしょうが(吉田茂(第1次)及び片山哲の前例),ここで読替えがされたわけです。なお,「内閣の存立が内閣総理大臣の在任意思にかかるものであるのは自明のことであって,内閣総理大臣が自ら辞意を表明したとき(国会法64条)が右〔日本国憲法70条〕の「欠けたとき」に含まれるかどうかは,あえて論ずるまでもない。」(内閣制度百年史編纂委員会132頁)ということですが,「内閣の総辞職は,内閣から国会に対し総辞職する旨を通告してなされる内閣自体の一方的行為」(二)であるところ,厳密にいえば,内閣総理大臣の辞職の意思表示が両議院に到達した時に日本国憲法70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」になるのでしょう。国家法人説的には,内閣総理大臣を任命する行為をする国家機関は天皇であるものの,内閣総理大臣の辞職の意思表示を受領する機関は専ら国会であることにしたということになるのでしょう。

一(二)における「内閣総理大臣の文書による辞表の提出」の要否が天皇との関係で問題となったわけですが(内閣総理大臣以外の国務大臣に係る辞表の提出先は内閣総理大臣となります(日本国憲法68条)。),国会法64条の通知で辞職の意思表示は実行済みなので屋上屋を架する必要なし,ということになったわけでしょう。

一(四)に関しては,内閣総理大臣の指名に係る衆議院議長から内閣を経由しての天皇への奏上(国会法652項)が,(3)と(7)との間にあるはずです。

一(四)(8)に関して一言すれば,内閣総理大臣の辞職は,その単独行為であるものの,次の内閣総理大臣の任命時に効力が生ずる不確定期限付きの法律行為であるということになるのでしょう。委任の終了後の処分に係る民法654条の場合についても,「立法の趣旨は,その間委任を継続させようとするものと見るのが妥当」であるものとされています(我妻698頁。ドイツ民法673条の„der Auftrag gilt insoweit als fortbestehend“(この場合において,委任は,継続しているものとみなされる。)との規定をもって,「ド民〔略〕673条」は「委任は継続すると規定する」と同所で紹介されています。)。

内閣総理大臣が突然辞職しても「公務の突発的停廃」は起らないものでしょうか。起る可能性があるとしても,その防止を担保するのに天皇の聴許権をもってすることは筋違いだということでしょう。既に美濃部達吉が,自らの進退に関する国務大臣の責任の重さを強調していました。いわく,「従来の実例に於いては,国務大臣が往々進退伺を陛下に奉呈することが行はれて居るけれども,是も国務大臣の地位とは相容れないものと言はねばならぬ。国務大臣は自己の進退に付いては,自己の責任を以て,自ら処決すべきもので,自分の進退に付き自ら処決せずして聖断を待つが如きは,自己の責任を回避し,責を至尊に帰するものである。」と(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)513-514頁)。

なお,内閣総理大臣と並んで天皇により任命される最高裁判所長官(日本国憲法62項)の辞職の意思表示は,やはりこれも天皇に対してすべきものではなく,指名権者である内閣に対してすべきものとされるのでしょう。

ところで,次の事実はどう考えるべきでしょうか。

 

 〔194810月〕6日 水曜日 〔略〕

 表拝謁の間において,内閣総理大臣芦田均・文部大臣森戸辰男・厚生大臣竹田儀一・商工大臣水谷長三郎・労働大臣加藤勘十・逓信大臣富吉栄二・国務大臣野溝勝地方財政委員会委員長・農林大臣永江一夫・国務大臣船田亨二行政管理庁長官兼賠償庁長官をお招きになり,茶菓を賜う。〔略〕

 表御座所において,内閣総理大臣芦田均の拝謁をお受けになる。その際,芦田は,内閣総辞職の決意を言上する。翌7日,芦田内閣は総辞職する。〔後略〕

 (宮内庁709頁)

 

 昭和天皇は偉大な立憲君主であり,政治的人間でありました。昭和天皇崩御時の内閣官房長官であった小渕総理(「平成おじさん」)も,尊敬する人物として昭和天皇を挙げていました。

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1 ミュンヒハウゼン男爵の冒険と札幌高等裁判所令和6314日判決と

 

Gleichwohl sprang ich auch zum zweiten Male noch zu kurz, und fiel nicht weit vom anderen Ufer bis an den Hals in den Morast. Hier hätte ich unfehlbar umkommen müssen, wenn nicht die Stärke meines eigenen Armes mich an meinem eigenen Haarzopfe, samt dem Pferde, welches ich fest zwischen meine Knie schloß, wieder herausgezogen hätte.

(Gottfried August Bürger, Wunderbare Reisen zu Wasser und Lande, Feldzüge und lustige Abenteuer des Freiherrn von Münchhausen. 1786)

それでも2度目も跳躍距離がなおも足らんで,向こう岸の手前でわしは落っこちてしもうて,首まで泥沼に浸かってしもうた。その場所でわしは間違いなくくたばっておったじゃろうな。自分で自分の辮髪を摑んで,わしが膝の間にしっかと挟み込んだ馬もろとも,わしがわしをわしの腕力をもって引き揚げ出しておらなんだらな。

(ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー『ミュンヒハウゼン男爵の水陸における驚くべき旅行,遠征及び愉快な冒険』(1786年))

 

 ミュンヒハウゼン男爵のように自分で自分を吊り上げ出して困難な状況を切り抜けてみせるという曲芸師的英雄的法律論もあるものです。我が憲法論の場合,男爵の辮髪に対応し得るものは,個人の尊重(日本国憲法13条。正確には「すべて国民は,個人として尊重される。」)ないしは個人の尊厳(同242項)並びに平等及び差別禁止(同141項)の各概念でしょうか。

 筆者はこれらの条項について,既にいくつかブログ記事を書いたことがあります

 

日本国憲法13条の「個人として尊重される」ことに関して

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1075180916.html

「人格を尊重」することに関して〔憲法24条は12)で論じられています。〕

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1081694748.html

「法の下の平等」(日本国憲法14条1項)の由来に関する覚書(前編)

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1041144048.html

「法の下の平等」(日本国憲法14条1項)の由来に関する覚書(後編)

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1041144259.html

大日本国帝国憲法19条とベルギー国憲法(1831年)6条〔日本国憲法14条の前史ということになります。〕

    https://donttreadonme.blog.jp/archives/1038090379.html

 

 これらの概念の働き振りがどのようなものかを,同性婚を認めていない現在の民法(明治29年法律第89号)及び戸籍法(昭和22年法律第224号)の婚姻に関する諸規定は憲法24条及び141項に違反していると判示した(ただし,国家賠償法(昭和22年法律第125号)11項に基づく損害賠償までは認められないものとされています。),最近の札幌高等裁判所(齋藤清文裁判長裁判官,吉川昌寛裁判官及び伊藤康博裁判官)の令和6年(2024年)314日判決(令和3年(ネ)第194号損害賠償請求控訴事件)について以下見てみましょう。

 ここで当該高裁判決の画期性について一言しておけば,立法によって民法及び戸籍法が同性婚を認めるように改正されたことに対する事後的判断としてならば,国権の最高機関(憲法41条)たる国会がそうお決めになったのだから当該改正は違憲ではない,との判決を裁判所が出すのはまだ易しいのでしょうが,「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。/配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」と規定して(下線は筆者によるもの),専ら異性婚に係るものである(と従来一般に考えられてきた)ところの憲法24条の定めが存在している手前,同性婚を予定せず,かつ,認めていない現在の民法及び戸籍法の諸規定をもって同条に反して違憲であるものと現段階で断ずることは,本来難しいことだったはずなのでした。この憲法24条を正面突破した上で,現状の民法及び戸籍法の婚姻に関する諸規定は同性婚を認めていないことによってかえって同条違反となるのだ,と議論をひっくり返してみせたのですから,そこにはein wunderbares Abenteuer(驚くべき冒険)の物語があったはずであるところです。


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札幌高等裁判所の新旧庁舎


2 札幌高裁判決の憲法13条論

 まずは札幌高等裁判所の憲法13条論です。同条前段の「すべて国民は,個人として尊重される。“All of the people shall be respected as individuals.”」における個人を,筆者はアメリカ独立宣言風に,かつ,マッカーサー三原則中の第3原則1項に基づくGHQ草案12条(日本国憲法13条に対応)の第1文(The feudal system of Japan shall cease.(日本国の封建制度は廃止される。))を勘案して,身分によって構成された封建制を脱し,臣民ならざる国民として,新たなres publicaを設立するための社会契約の当事者となる革命的かつ能動的な個人と解したいのですが,やはり通説的には,国家ないしは社会にその幸福の追求のための「尊重」をしてもらう権利を有する,生まれたままの受動的な個人(社会契約に基づき設けられた法律上の制度の利用が問題になっていますから,社会前的個人ではなく,社会契約発効後の社会内的個人ですね。)ということになるようです。

 (なお,社会契約は,現在の民法学上は,厳密には社会「契約」ではなく社会「合同行為」なのでしょうが(合同行為は,「方向を同じくする2個以上の意思表示が合致して成立するもの。各当事者にとって同一の意義を有する(社団法人設立行為〔略〕が適例)」ものです(我妻榮『新訂民法総則(民法講義)』(岩波書店・1972年)244頁)。),本稿では従来の用法を踏襲します。)

 

(1)個人の尊重において保護される性的指向

 

性的指向とは,人が情緒的,感情的,性的な意味で,人に対して魅力を感じることであ〔る。〕〔中略〕性的指向が障害や疾患の一つであるという考えは受け入れられなくなった〔。〕

〔前略〕恋愛や性愛は個人の尊重における重要な一要素であり,これに係る性的指向は,生来備わる人としてのアイデンティティであるのだから,個人の尊重に係わる法令上の保護は,異性愛者が受けているのであれば,同性愛者も同様に享受されるべきである。したがって,性的指向は,重要な法的利益であるといえる。〔後略〕

 以上のとおり,性的指向は本来備わる性向であり,社会的には異性愛者と同性愛者それぞれの取扱いを変える本質的な理由がないうえ,同時に,その個人からみれば,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格の象徴であって,人格権の一内容を構成し得るものというべきである。

(札幌高等裁判所令和6314日判決(令和3年(ネ)第194号損害賠償請求控訴事件)第322)ア。下線は筆者によるもの)

 

 個人の尊重は,典型的には社会契約締結の場である,飽くまでも公的な場における当該行為の当事者たる「個人として尊重」の話ではなく,私生活における各個人の恋愛や性愛をも公的かつ同様に保護せよというような方向におけるお話となるようです。

とはいえ,恋愛や性愛に係る各方向・各濃度の性癖が全て「個人の尊重」において尊重されるわけではないはずでしょう。異性愛者だからといって,その様々な性的指向の全てが法令上の保護を享受しているわけではないところであって,犯罪とされる性的指向の発現もあるわけです(児童ポルノを所持した者を1年以下の拘禁刑又は100万円以下の罰金に処する児童買春,児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律(平成11年法律第52号)71項等が想起されます。)。また,異性婚であればそれは自由かといえば,重婚,近親者間の婚姻,直系姻族間の婚姻及び養親子等の間の婚姻は禁止されており(民法732条及び734条から736条まで),婚姻適齢も元々の男満17歳・女満15歳(同法旧765条)から現在は男女とも満18歳となっていて(同法731条),男女の若者のいわゆる婚姻の自由は明治の昔よりも制限されています。

 なお,児ポ法及び重婚といえば,筆者はどうしても次のような自分のブログ記事を紹介したくなるのでした。

 

児童ポルノ単純所持罪導入に際しての国会審議模様のまとめ(上): 条文

   https://donttreadonme.blog.jp/archives/1007652309.html

  児童ポルノ単純所持罪導入に際しての国会審議模様のまとめ(下): 国会審議

   https://donttreadonme.blog.jp/archives/1007652893.html

三号児童ポルノの比較法

   https://donttreadonme.blog.jp/archives/1008822635.htm

  1999年児ポ法制定時の国会審議模様等

   https://donttreadonme.blog.jp/archives/1009309858.html

  令和4年法律第102号による改正後の民法773条における「第732条」出現の「異次元」性に関して

   https://donttreadonme.blog.jp/archives/1080634730.html

鷗外の『雁』における某巡査の「重婚」に関して

   https://donttreadonme.blog.jp/archives/1080722748.html

 

(2)民法及び戸籍法の婚姻関係現行規定の憲法13条非違反性

 しかしそもそも,憲法13条は間口が広漠過ぎて,それのみを用いて民法及び戸籍法の婚姻関係現行諸規定を違憲呼ばわりすることは難しいようです。

 

 〔前略〕憲法13条のみならず,憲法24条,さらには各種の法令,社会の状況等を踏まえて検討することが相当であり,このような観点からすると,憲法13条が人格権として性的指向及び同性間の婚姻の自由を保障しているものということは直ちにできず,本件規定〔民法及び戸籍法の婚姻に関する諸規定〕が憲法13条に違反すると認めることはできない。

(札幌高等裁判所令和6314日判決の第322)ウ)

 

(3)尊重される個人の尊厳とは何か

 ところで,個人の尊重ないしは個人の尊厳として守られるべきものは,次に見るようにアイデンティティの喪失「感」,人としての存在を否定されたとの「思い」,自分の存在の意義を失うという喪失「感」といったものが云々されていますから,感情的なものなのでしょう。こころが大切です。

 

 もっとも,性的指向及び同性間の婚姻の自由は,人格権の一内容を構成し得る重要な法的利益ということができる。性的指向は,〔略〕人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格の一要素でもあることから,社会の制度上取扱いに不利益があれば,そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱き,人としての存在を否定されたとの思いに至ってしまうことは容易に理解できることである。

 控訴人らは,人として,同じく人である同性パートナーを愛し,家族としての営みを望んでいるにもかかわらず,パートナーが異性でなく,同性であるという理由から,当事者以外の家族の間で,職場において,社会生活において,自身の存在の意義を失うという喪失感に苛まれているのであって〔略〕,個人の尊重に対する意識の高まった現在において,性的指向による区別を理由に,このような扱いを受けるいわれはなく,これは憲法が保護する個人の尊厳にかかわる問題であるということができる。〔後略〕

(札幌高等裁判所令和6314日判決の第323)。下線は筆者によるもの)

 

 しかし,個人の尊厳が毀損されれば「アイデンティティの喪失感を抱き,人としての存在を否定されたとの思いに至」るのだという命題が真であるとしても,逆は必ずしも真ならずなのですから,それが毀損されると「アイデンティティの喪失感を抱き,人としての存在を否定されたとの思いに至」るものは全て憲法が保護する個人の尊厳であり,又は「人格権の一内容を構成し得る重要な法的利益」なのである,とまでは必ずしもいえないでしょう。

 2015626日の米国連邦最高裁判所のObergefell et al. v. Hodges, Director, Ohio Department of Health, et al.事件(以下「オーバーゲフェル事件」といいます。)判決(評決は54裁判官9名中首席判事を含む4名が反対)の反対意見において,ロバーツ首席判事は,「確かに,〔同性婚の承認を求める〕請願者及び同様の人々に関する心に迫る個人的体験談が,同性カップルは婚姻をすることを許されるべきかについて多くの米国人が意見を変えた主要な理由であろう。しかしながら,憲法問題としては,請願者の望みの真摯性(the sincerity of petitioners’ wish)いかんが問題となるものではない。」と冷静に述べています(B1)。

 

3 米国連邦最高裁判所オーバーゲフェル事件判決

 ここで,他国のことながら我が国の裁判所にも重要な先例として受け止められている可能性のある米国連邦最高裁判所のオーバーゲフェル事件判決について脱線的検討をしましょう。

 オーバーゲフェル事件判決は,米国憲法修正141節の適正手続(due process)条項及び平等保護(equal protection)条項に基づき,米国の各州に対して同性婚の許可証の発給及び他州で有効に成立した同性婚の承認を義務付けたものです。

 ところでうがって,かつ,横着に考えると,当時既に,16の州及びワシントンDCが同性婚を制度化していたので(マサチューセッツ州が嚆矢で(2003年の判決),2006年のハワイ(立法),2008年のコネティカット(判決),2009年のアイオワ(判決)並びにニュー・ハンプシャー及びヴァモント(それぞれ立法),2010年のワシントンDC(立法),2011年のニュー・ヨーク(立法),2012年のメアリランド及びワシントン州(いずれも立法),2013年のニュー・メキシコ及びニュー・ジャージー(それぞれ判決)並びにミネソタ及びロード・アイランド(それぞれ立法)並びに2014年のデラウェア(立法)と続きます。なお,イリノイ及びメインもそれぞれ立法していますが,時期はオーバーゲフェル事件判決法廷意見に付された別表Bには記されていません。),オーバーゲフェル事件判決は,同性婚の取扱いについて米国内で不統一(同一のカップルが,ある州では婚姻関係にあると認められ,他の州では他人の関係とされる)があり,それに伴い全米的に混乱が生じているという「現状をこのままにすることは,不安定性及び不確実性を維持し,増進するということになろう」という判断から,同性婚の一律制度化の線で問題解決を図ったということでもあるかもしれません(法廷意見(ケネディ判事執筆)参照)。

 上記の憶測はともかく,オーバーゲフェル事件判決法廷意見の法律構成は,婚姻する権利(right to marry)を米国憲法修正14条(婚姻法は州権事項なので,連邦の介入は同条を通ずることとなります。)1節の“nor shall any State deprive any person of life, liberty, or property, without due process of law”(いかなる州も法の適正な手続なしに何人からも生命,自由又は財産を奪うことはできない)との規定におけるliberty(自由)に含ましめ,更に同規定に続く“nor deny to any person within its jurisdiction the equal protection of the laws”(〔いかなる州も〕その管轄内における何人に対しても法律の平等な保護を拒んではならない)との規定も援用する,というものでした。修正141節によって保護される基本的(ファンダメンタル・)自由(リバティズ)には,権利の章典に掲げられているものの大部分のほか,「個人の尊厳(individual dignity)及び自律(autonomy)にとって中心的な人格的(パーソナル・)選択(チョイスイズ)――人格(パーソナ)()なアイデンティティ及び信念(ビリーフス)を定義付ける親密圏のものに係る選択をも含む――のうちのあるもの」も含まれるものとされています(法廷意見)。婚姻の権利はパートナー選択の権利であるところ(あれ,パートナー選択の自由それ自体には,法律により認められる婚姻に伴うものとされる諸権利諸利益等は含まれないように思われますが・・・まあ,先に進みましょう。),パートナーの選択は個人の尊厳及び自律にとって中心的な人格的選択であり,その選択の自由は修正141節の適正手続条項によって保護される自由に含まれる,というわけでしょう。

 米国連邦最高裁判所は,1986年のBowers v. Hardwick判決においては同性愛行為を犯罪とすることの合憲性をなお支持しており,当該行為の犯罪としての取扱いは違憲であるとの判断を下したのはやっと2003年のLawrence v. Texas判決においてでした。婚姻(異性間のものですが)の権利を憲法によって守った米国連邦最高裁判所の判決としては,異人種間婚姻の禁止を無効とした1967年のLoving v. Virginia判決,養育費支払を怠る父親の婚姻を禁ずることは婚姻の権利に対する制約であるとした1978年のZablocki v. Redhail判決,受刑者の婚姻する権利を制限する規律は婚姻をする権利を侵害するものであるとした1987年のTurner v. Safly判決が挙げられています。婚姻の権利に係る自由(リバティ)を法廷において守るということは,米国ではなじみのある活動形態であるところ,また,かつては犯罪者扱いであった同性愛者に係る解放の動きは,その抑圧からの新鮮な反撥力をなおも失ってはいなかったものと思われます。

「当裁判所がLawrence判決で判示したように,同性カップルは,親密な関係性を享受することについて,異性カップルと同じ権利を有している。Lawrence判決は,同性間の親密を犯罪とする法律を無効とした。〔略〕しかし,Lawrence判決は,個人が刑事責任なしに親密な関係を取り結ぶことを可能とするところの自由の一面を確認したものである一方,自由は,そこで停止するということにはならない。法の保護の外にある者(outlaw)から社会から爪弾きされた者(outcast)への変化は,一歩前進であろう。しかしそれは,自由の約束するものの全てを達成するものではない。」(法廷意見)という部分の含意は,マイナスからゼロにされただけではもはや満足できない,ということでしょう。「問題とされている諸法律が同性カップルの自由を制約しているということは今や明らかであり,また,それらは平等の中心的要請を減殺していることも承認されなければならない。ここにおいて,応答者ら〔州側〕によって施行されている婚姻法は,本質的に不平等なのである。同性カップルは異性カップルに与えられている全ての利益を拒まれ,かつ,基本的権利の行使から閉め出されている。特に,彼らの関係の否定に係る長い歴史に鑑みるに,同性カップルに対する婚姻する権利のこの否認は,重大かつ継続的な害を及ぼすものである。男女の同性愛者にこの無能力を強いることは,彼らを軽んじ,かつ,劣位のものとすることになるのである。しかして,平等保護条項は,適正手続条項同様,婚姻をすることに係る基本的権利に対するこの正当化されぬ侵害を禁ずるのである。」というくだりは(法廷意見。下線は筆者によるもの),過去の差別によって加えられた侵害の回復のためには,更に積極的な措置が必要なのだ,ということが言いたいのでしょう。「Bowers判決は最終的にLawrence判決によって否認されたが,その間,多くの男女が傷つけられたのであり,Bowers判決が覆された後もこれらの侵害がもたらした本質的作用は疑いもなく長く残存したのである。尊厳に係る傷(dignitary wounds)は,ペン捌き一つで常に癒され得るものではない。/同性カップルに不利益な判決はこれと同様の作用を及ぼすであろう――そして,Bowers判決同様,修正14条の下では正当化されないであろう。」とは(法廷意見Ⅳ),オーバーゲフェル事件判決が,米国連邦最高裁判所が同性愛行為を21世紀に入るまで犯罪としてしまっていたことに対する償いでもあることを示すものでしょうか。

なお,法廷意見は,米国憲法において婚姻が基本的なものであることについての理由が同等の説得力をもって同性カップルにも妥当することは,以下の四つの原理及び伝統によって示されると述べています()。次のとおりです。①婚姻に係る人格的(パーソナル)選択は個人の自律(individual autonomy)の概念に内在的なものであること,②婚姻する権利は,二人の合同を,誓約した各個人に対するその重要性において,他の何ものにもまして支えるものであること(「婚姻する権利は,かくして,「相互のコミットメントによって彼ら自身を定義付けようと望む」カップルを尊厳あるものとする(dignifies)」),③婚姻は子供及び家族を保護し,そのようにして,子育て,生殖及び教育に係る関連の権利を意味あるものとすること(「婚姻がもたらす承認,安定性及び予測可能性がなければ,彼らの子供は,彼らの家族は何だか劣等なものなのだという心の傷を負うのである。」),並びに④婚姻は社会秩序の礎石であること(「同性カップルは,異性カップルであれば彼らの生活において耐え難いと感ずるであるような不安定状態に置かれている。州自身がそれに付与する重要性によって婚姻が一層貴重なものとされているところ,当該地位からの排除は,男女の同性愛者は重要な点において等しい存在ではないと教宣する効果を有するものである。国民社会の中心的制度から男女の同性愛者を州が締め出すことは,彼らを卑しめるものである。同性カップルも,婚姻の超越的目的に憧れ,それに係る最高の意義における達成を求め得るものである。」「同性カップルを婚姻の権利から排除する法律は,我々の基本章典によって禁じられている心の傷及び侮辱を与えるものである。」)。

同性カップルによる子育てあり得べしということであれば,我が国において次に問題となるのは,民法817条の3にいう「配偶者」及び「夫婦」の解釈でしょうか。

 

4 札幌高裁判決の憲法24条論

 

(1)憲法24条の新解釈

 

ア ミュンヒハウゼン的論証

 札幌高等裁判所の憲法24条解釈は,同条2項の超・性的「個人の尊厳」概念をミュンヒハウゼン的辮髪として,そこを摑んで,憲法13条の類似文言の助力をも併せた腕力をもって憲法24条全体を一段高い「個人の尊重」の高みに引き上げしめ,同条1項の婚姻当事者(ミュンヒハウゼンの馬)を,「両性」及び「夫婦」概念の泥濘から脱出せしめます。すなわち,

 

〔前略〕法令の解釈をする場合には,文言や表現のみでなく,その目的とするところを踏まえて解釈することは一般に行われており,これは,〔略〕憲法の解釈においても変わるところはないと考えられる。さらに,仮に立法当時に想定されていなかったとしても,社会の状況の変化に伴い,やはり立法の目的とするところに合わせて,改めて社会生活に適する解釈をすることも行われている。したがって,憲法24条についても,その文言のみに捉われる理由はなく,個人の尊重がより明確に認識されるようになったとの背景のもとで解釈することが相当である。

その上で,性的指向及び同性間の婚姻の自由は,現在に至っては,憲法13条によっても,人格権の一内容を構成する可能性があり,十分に尊重されるべき重要な法的利益であると解されることは上記のとおりである。憲法241項は,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解され,このような婚姻をすることについての自由は,同項の規定に照らし,十分尊重に値するものと解することができる(再婚禁止期間制度訴訟大法廷判決参照)。そして,憲法242項は,婚姻及び家族に関する事項についての立法に当たっては,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきと定めている。そうすると,性的指向及び同性間の婚姻の自由は,個人の尊重及びこれに係る重要な法的利益なのであるから,憲法241項は,人と人との間の自由な結びつきとしての婚姻をも定める趣旨を含み,両性つまり異性間の婚姻のみならず,同性間の婚姻についても,異性間の場合と同じ程度に保障していると考えることが相当である。

  (札幌高等裁判所令和6314日判決の第332)ウ。下線は筆者によるもの)

 

 と,ここで筆者はまた,上記判示部分で引用されている再婚禁止期間制度訴訟大法廷判決についてブログ記事をかつて書いたことを思い出しました。

 

  待婚期間問題について:平成271216日最高裁判所大法廷判決から皇帝たち(アウグストゥス,ナポレオン)の再婚まで

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1048584997.html

 

イ 「個人として尊重」と「個人の尊厳」との互換性問題

 札幌高等裁判所の憲法24条解釈については,社会契約の場におけるものたるべき憲法13条の「個人として尊重」と専ら夫婦の間におけるものたるべき(ウ参照)同242項の「個人の尊厳」とを互換的な概念として用いてよいのか,ということが,筆者にとってはそもそも問題です。とはいえこの点は,本稿では問題点の指摘にとどめます。

 ちなみに――なお,筆者はここで「ポエム的憲法論」という表現を使ってみますが――オーバーゲフェル事件判決に対するその反対意見において,保守派の重鎮たるかのスカリア判事は,ポエム的憲法論に対する羞恥及び嫌悪を表明しています。いわく,「もし,たとえ〔米国連邦最高裁判所の意見を決する〕5票目のために支払わねばならない対価であるとしても,次のように始まる法廷意見――すなわち,「憲法は,その管下にある全ての者に対して自由を約束する。当該自由は,人格(パーソンズ)が,法の許す範囲内において,そのアイデンティティを定義し,かつ,表現することを可能とするいくつかの特定権利を含むものである。」と始まるもの〔筆者註:これは,ケネディ判事の執筆に係るオーバーゲフェル事件判決の書き出し部分〕――に私が加わったとしたならば,私は〔顔を隠すために〕袋に首を突っ込んだことであろう。合衆国の最高裁判所は,〔第4代首席判事にして違憲立法審査制度の父〕ジョン・マーシャル1801年から1835年まで在任〕及び〔ハーヴァード・ロー・スクールの存立基盤の確立者にして9領域におけるアメリカ法の註釈書(コンメンタリーズ)の著者〕ジョゼフ・ストウリ1811年から1845年まで在任〕の規律ある法的推論〔筆者註:なお,マーシャルの知性は,ゆっくりかつ重厚(マッシヴ),ストウリのそれは,休むことなく,断奏(スタッカ)(ート)で,絶え間のないものだったそうです(Richard Brookhiser, John Marshall: the man who made the Supreme Court; Basic Books, New York, 2018: p.142)。〕から,フォーチュン・クッキー中の神秘の託宣(アフォリズムス)へと堕落してしまった。」と(同判事反対意見の註22)。

 「恋するフォーチュン・クッキー」は,同性間ならぬ異性間の恋愛に関する歌でした。

 

ウ 「個人の尊厳」か「両性の各々の尊厳」か

 

(ア)GHQ草案及びその私訳

「恋するフォーチュン・クッキー」が云々との平成歌謡に関する閑話は休題するとして,憲法24条に関して問題であることは――筆者は「「人格を尊重」することに関して」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1081694748.html)の12)を書いていて不図思い付いてそこに書いておいたのですが――同条2項の,すなわちGHQの草案23条の“…from the standpoint of individual dignity and the essential equality of the sexes”の部分における“of the sexes”“individual dignity”にもかかるようであり,当該部分は,2項構成としての「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」に「立脚して」ではなく,一団構成として「両性の各々の尊厳と本質的平等」に「立脚して」とでも訳すべきものであったようにも思われるということです。このような「両性の各々の尊厳」は,もはや超・性的な概念ではなく,同性婚には親和的ではないでしょう。札幌高等裁判所のミュンヒハウゼン的論証術にとっては迷惑でしょう。ちなみにローマ法においては,夫婦は「相互に尊敬すべく,少くともユ〔スティニアヌス〕帝時代には窃盗訴権〔略〕悪意の訴権〔略〕の如き罰金訴権〔略〕不名誉訴権〔略〕の提起は禁止せられ,一方が他方の財産を盗むも窃盗訴権の適用なく,離婚を当て込んで盗んだ場合には,物追求訴権〔略〕たる物移動訴権(actio rerum amotarum)を離婚後提起し得るのみ。」ということだったそうですが(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)295頁),これは,こじつけていえば,婚姻関係にある両性の各々に尊厳があるがゆえに相互に尊敬がされるということでしょう。

 

  〔大カトーは〕妻や子供を撲る男は最も神聖な事物に手を下すものだと云つてゐた。又,偉い元老院議員になるよりもいい夫となる方が賞讃に値すると云つてゐた。〔略〕カトーは,子供が生まれてからは,国事に関しない限りどんなに必要な用事があつても,妻が嬰児の体を洗つたり襁褓を当てる時には必ず傍にゐてやつた。

  (河野与一訳『プルターク英雄伝(五)』(岩波文庫・1954年)74-75頁)

 

(イ)アイルランド

 上記の筆者流の読み方を正当化すべく,「個人の尊厳」ならば本来は“dignity of the individual”と書く方がふさわしかったはずなのである,と考えていたところ,インターネットで検索してみると,現にアイルランド憲法英語版の前文にはso that the dignity and freedom of the individual may be assured”(下線は筆者によるもの)という表現があります。「個人の尊厳及び自由が確実なものとされるように」と訳されるものでしょう。

 

(ウ)モンタナ

また,“individual dignity”は,やはり“equality”と緊密に結び付いて一団のものとなり得るようです(後者の「平等」の方が主となり,前者の「個々の尊厳」がそれを理由付けるものでしょう。)。1972年の米国のモンタナ州憲法24節はSection 4. Individual dignity. The dignity of the human being is inviolable. No person shall be denied the equal protection of the laws. Neither the state nor any person, firm, corporation, or institution shall discriminate against any person in the exercise of his civil or political rights on account of race, color, sex, culture, social origin or condition, or political or religious ideas.”となっていて,“Individual Dignity”の見出しの下,本文は「人間の尊厳は不可侵である。何人も法律の平等な保護を否認されない。州又はあらゆる人,企業,法人若しくは団体は,何人をも,彼の公民的又政治的権利の行使において,人種,肌の色,性別,文化,社会的出自若しくは地位又は政治的若しくは宗教的意見を理由として差別してはならない。」と規定しています。不可侵の尊厳は人間であることに由来するものであるが,それが同節においては具体的に,法律の平等な保護を否認されない各個人のものとして,及び人種,肌の色,性別,文化,社会的出自若しくは地位又は政治的若しくは宗教的意見の相違にもかかわらず,公民的又政治的権利の行使において差別されることのない各個人のものとして特定的に観念される,ということでしょうか。見出しは“Individual Dignity”,すなわち裸の「個々の尊厳」で(individualの原義はこれ以上分割できないということですから,「個の尊厳」とは,それだけでは限定できません。),外延がどこまで広がるかはっきりせず落ち着かないのですが,同節本文において特定がされているわけでしょう。なお,モンタナ大学のウェブ・ページには,1972112日開催の公聴会に関して同節に係る次のような由来が紹介されています。

 

Delegate Richard Champoux, proponent of Delegate Proposal 61, the proposal from which Section 4 was largely drawn, was motivated by the story of his own mother, the discrimination in employment and indignities she faced, and her belief that “men and women should be treated equally and with dignity.”

  第4節が大きくそこから由来した代議員提案第61の提案者であるリチャード・シャンプー代議員は,彼女が嘗めさせられた就職差別及び屈辱に係る彼自身の母親の経験談並びに「男性も女性も平等に,かつ,尊厳あるものとして取り扱われるべきである」という彼女の信念よって動機付けられたものである。

 

 各自に尊厳があるから,全員が平等に取り扱われるわけです。

 

(エ)オーバーゲフェル事件判決から

 オーバーゲフェル事件判決の法廷意見にも「()(ヴァ)無能力(チャ)()の原理の漸進的崩壊にもかかわらず,〔略〕20世紀の半ばを通じて,婚姻における性別に基づく不愉快な区別が,普通のこととして存在していた。App. to Brief for Appellant in Reed v. Reed, O.T. 1971, No. 70-4, pp. 69-99を参照(1971年当時存在した諸法律であって,婚姻において女を男と同等ではないものとして取り扱っているものについての広範な論及)。これらの区別は,男と女との平等の尊厳the equal dignity of men and women)を否認していたのである。例えば,ある州法は,1971年に次のように規定していた。いわく,「夫は家族の頭であり,妻は彼に従属する。彼女自身の保護又は利益のために法律が彼女を別個のものとして承認する範囲外においては,彼女の私法的存在は彼に統合される。」と(Ga Code Ann, §53-501 (1935))。新たな自覚に対応して,当裁判所は,婚姻における性別に基づく不平等を強いる諸法律を無効とするために,平等保護原則に訴えた。」という表現があります(Ⅲ. 下線は筆者によるもの)。

 

エ 異性婚規定を同性婚に類推適用する理由付け

 札幌高等裁判所は,憲法242項の「個人の尊厳」をミュンヒハウゼンの辮髪として摑んで同条の泥沼を脱し,同条1項の「婚姻をすることについての自由」に類推適用の形をもって騎乗し(札幌高等裁判所は,類推適用ではなく目的的解釈の結果であるとするのでしょうが,一応,類推適用だと言わせてください。),前進します。異性婚に係る規定をもって同性婚に類推適用させるわけですが,当該類推適用を理由付ける異性婚と同性婚との類似性は「人と人との間の自由な結びつきとしての婚姻」だからだということです。ここでの「婚姻」と呼ばれる結び付きは,性的指向ゆえのもの,すなわち性欲の充足に向けられたものであって,床のみならず更に食卓をも共にする関係(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)55頁参照)なのでしょう。当事者間の合意に基づく自由な性的結び付きである限りにおいては,その性的指向がどのようなものであるかは第三者がとやかくいうべきものではないのでしょう。

なるほど確かに,人と人との間の自由な結びつきとしての性交等(「性交等」は刑法(明治40年法律第45号)1771項において定義されています。)は13歳以上の者の間では我が刑法上許されるのでしょう(同条3項)。しかし,どういうわけか16歳になるまでは,5年以上年上のおじさま・おばさまとの性交等の自由は認められていません(刑法1173項の括弧書きは分かりづらいですが,こういう意味でしょう。)。人事訴訟法(平成15年法律第109号)131項を見ると,未成年者であっても行為能力制度の制約なく,意思能力さえあれば婚姻関係訴訟(同法21号)に係る訴訟行為ができるのですが(未成年者である18歳未満の者の婚姻はあり得ない(民法4条,731条及び740条)わけではなく,その取消しに関する規定が用意されており(同法744条及び745条),取り消されるまでは有効な婚姻です(同法7481項)。),刑法では,意思能力(これは,ドイツ民法1041号的には満7歳で備わるものでしょう。)さえあれば性交等をしてもよいということにはなっていません。性交等を行うか否かについては,婚姻についてよりも高度な判断力を要するのでしょうか。

 

オ 保障の同程度性は必然か

 札幌高等裁判所は,最後に,「異性間の婚姻のみならず,同性間の婚姻についても,異性間の場合と同じ程度に保障している」とさらりと述べていますが,ここでの保障の同程度性については明示的な論証はされていません。異性婚も同性婚も個人の尊厳にかかわるところ,個人の尊厳は絶対だから絶対者間相互では比較ができず「同じ程度に保障」することに帰着するのだ,という理由付けを忖度せよ,ということでしょうか。しかし,憲法24条は同性婚を異性婚と「同じ程度に保障している」のだとあらかじめ決めてしまうことによって,同性婚を異性婚と同じ程度に保障していない民法及び戸籍法の婚姻関係現行諸規定は同条に違反するという結論が先取りされてしまうという関係になりますので,論証の追加が欲しいところです。いわんや異性婚内部でも,禁止されているもの(民法731条,732条及び734条から736条まで参照)とそうでないものという序列があるのですから,異性婚と新参の同性婚との間での序列付けを絶対的に排除するためには何がしかの理由付けが必要でしょう。

 また,人と人との間の自由な性的結びつきを保障するものは一つのものとしてある法的婚姻しかない,と選択肢をあらかじめ絞ってしまうのもいかがなものか。事実上の婚姻として放任することによって保障する,ということも可能であるようにも思われます。個人の自由ということであれば,その方がよさそうでもあります。事実上の婚姻は,両者の合意がなければ成立せず,そこでは両者が同等の権利を有し,両者の協力によってしか維持されないもののはずです(憲法241項参照)。また,事実上の婚姻についても,無法状態というわけではなく,パートナーの選択に制約はなく,財産関係は各自別々,相続はないが遺贈は可能,住居の選定は各自別々,関係解消は単意で可能,ということであるはずです(憲法242項参照)。既に異性婚についてすら,「近代において〔略〕,ついには愛なき結婚の否定(離婚の自由の強調)からさらに進んで,愛さえあれば法律上の「婚姻」という形態をとる必要はないのではないか,との疑問が生じ(「愛の制度化は愛の死である」との言も見られる),愛ある同棲を推奨し(同棲のない場合もある),「婚姻」否定論まで現れてきた。」(星野47頁)ということであったはずです。オーバーゲフェル事件判決におけるロバーツ首席判事の反対意見には「同性カップルは,彼らがそうしたいように同居し,親密な行為に及び,及び家族を養うことについて自由であり続けている。本件において問題とされている法律によって「孤独のうちに生きるべく宿命付けられている」者はいないのである――誰もいないのである。」とあります(B2)。更に同首席判事はいわく,「実のところ,本日の判決は,彼らがそう望むから同性カップルは婚姻を許されるべきであり,かつ,「彼らに当該権利を拒むことは,彼らの選択を(そし)り,かつ,彼らの人格性を(おとし)めることになる」という多数意見の独自の確信に基づくものでしかないのである。〔略〕道徳哲学の問題としていかなる力を当該信念が有していようとも,当該信念は,〔パン工場労働者の労働時間を制限するニュー・ヨーク州法を無効とした米国連邦最高裁判所の1905年〕ロックナー(Lochner)事件判決〔同判決の先例性は,その後否定されています。〕において採用された裸の政策選好以上の基礎を憲法の下に有してはいないのである」と(B3)。

 

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1 第213回国会の民法等の一部を改正する法律案及び民法821条:「人格を尊重」

 

(1)第213回国会の民法等の一部を改正する法律案における「人格を尊重」

 2024126日に召集された第213回国会において,現在,内閣から提出された民法等の一部を改正する法律案が審議されています。同法案が法律として成立した場合,2026年の春には(同法案における附則1条本文には「この法律は,公布の日から起算して2年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。」とあります。),民法(明治29年法律第89号)に次の条項が加えられることとなるそうです(下線は筆者によるもの)。

 

  (親の責務等)

  第817条の12 父母は,子の心身の健全な発達を図るため,その子の人格を尊重するとともに,その子の年齢及び発達の程度に配慮してその子を養育しなければならず,かつ,その子が自己と同程度の生活を維持することができるよう扶養しなければならない。

  2 父母は,婚姻関係の有無にかかわらず,子に関する権利の行使又は義務の履行に関し,その子の利益のため,互いに人格を尊重し協力しなければならない。

 

 「人格を尊重」という荘厳な文言が,まぶしい。目がつぶれそうです。「尊重」と「尊厳」ということで漢字は1字違いますが,「〔憲法〕13条は,「個人の尊重」(前段)と「幸福追求権」(後段)との二つの部分からなる。前段は,後段の「立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする」と一体化して,個人は国政のあらゆる場において最大限尊重されなければならないという要請を帰結せしめる。これは,一人ひとりの人間が「人格」の担い手として最大限尊重されなければならないという趣旨であって,これを「人格の尊厳」ないし「個人の尊厳」原理と呼ぶことにする。」(佐藤幸治『憲法(第三版)』(青林書院・1995年)444頁),「「人格の尊厳」原理は,まず,およそ公的判断が個人の人格を適正に配慮するものであることを要請し,第2に,そのような適正な公的判断を確保するための適正な手続を確立することを要求する。したがって,例えば,一人ひとりの事情を不用意に概括化・抽象化して不利益を及ぼすことは許されない。行政の実体・手続の適正性の問題については諸説があるが,基本的にはまさしく本条によって要請されるところであると解される。」(同444-445頁)というような,憲法学における高邁な議論が想起されるところです。

 しかし,憲法学上の難しい議論はさておき,我ら凡庸な人民の卑俗な日常生活の場において,他者の「人格を尊重」し,自己の「人格を尊重」せしめるとは具体的にどのような発現形態をとるのでしょうか。これらについての探究が本稿の課題です。

 

(2)脱線その1:「個人の尊厳」論

 

ア 民法2条の「個人の尊厳」

 なお,民法2条には「人格の尊重」ならぬ「個人の尊厳」の語が出て来ます。憲法学的には「〔憲法13条の〕「個人の尊厳」原理は,直接には国政に関するものであるが,民法1条ノ2〔現第2条〕を通じて解釈準則として私法秩序をも支配すべきものとされ」ていますが(佐藤幸治445頁),民法学的には,同条に規定するところの同法の「個人の尊厳を旨とした解釈」の標準は「主として親族・相続両編の解釈について意義を有する」ものとされ,「というのは,親族編と相続編〔筆者註:昭和22年法律第74(なお,同法は一般に「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」と呼ばれますが,これは正式な題名ではなく,件名です。)で手当てがされ,昭和22年法律第222号によって改正されるまでのもの〕は,家族制度を骨子として構成され,家を尊重して個人の尊厳を無視し,家父長の権利を強大にして家族の意思を拘束し〔略〕ていたからである。」と説明されています(我妻榮『新訂民法総則(民法講義)』(岩波書店・1965年)29-30頁)。

「個人の尊厳」概念は,明治的な家制度及び家父長制度の各遺制に対処すべきものであるということになります。

昭和22年法律第74号の第1条は「この法律は,日本国憲法の施行に伴い,民法について,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚する応急的措置を講ずることを目的とする。」と規定していますところ,憲法242(「配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」)の射程は,すなわち昭和22年法律第74号が措置を講じた範囲であるのだというのが我が国の公式解釈であったことになります。同法及び昭和22年法律第222号によって家制度と家父長制度とが既に退治せられたので,現在,新しい家族の形を尊重しつつ働くべき法概念は壊し屋たりし「個人の尊厳」ではなく,それとは異なる,例えば「人格の尊重」のような新たに穏健なものたるべし,ということになったわけでしょう。というのは,「個人の尊厳」概念については,「家族の問題について「個人の尊厳」をつきつめていくと,憲法24条は,家長個人主義のうえに成立していた近代家族にとって,――ワイマール憲法の家族保護条項とは正反対に――家族解体の論理をも含意したものとして意味づけられるだろう」(樋口陽一『国法学 人権原論』(有斐閣・2004年)56頁)ということでもありますので,当該概念の濫用はうっかりすると「家族解体」につながりかねず剣呑であるからです。

なお,1919811日のドイツ国憲法たる「ワイマール憲法の家族保護条項」はその第1191項であって,「婚姻は,家族生活及び国民の維持発展の基礎として,憲法の特別の保護を受ける。それは,両性の同権に基礎を置く。(Die Ehe steht als Grundlage des Familienlebens und der Erhaltung und Vermehrung der Nation unter dem besonderen Schutz der Verfassung. Sie beruht auf der Gleichberechtigung der beiden Geschlechter.)」と規定するものです。

 

イ GHQ草案23条の“individual dignity and the essential equality of the sexes”と憲法24条の「個人の尊厳と両性の本質的平等」との間

 ちなみに,日本国憲法24条がそれに基づいた案文であるGHQ草案23条は,“The family is the basis of human society and its traditions for good or evil permeate the nation. Marriage shall rest upon the indisputable legal and social equality of both sexes, founded upon mutual consent instead of parental coercion, and maintained through cooperation instead of male domination. Laws contrary to these principles shall be abolished, and replaced by others viewing choice of spouse, property rights, inheritance, choice of domicile, divorce and other matters pertaining to marriage and the family from the standpoint of individual dignity and the essential equality of the sexes.”と規定していました。日本国憲法242項は,GHQ草案23条における“from the standpoint of individual dignity and the essential equality of the sexes”の部分を「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して」の意味であるものと解して制定されたわけですGHQ草案23条の我が外務省による訳文は「家族ハ人類社会ノ基底ニシテ其ノ伝統ハ善カレ悪シカレ国民ニ滲透ス婚姻ハ男女両性ノ法律上及社会上ノ争フ可カラサル平等ノ上ニ存シ両親ノ強要ノ代リニ相互同意ノ上ニ基礎ツケラレ且男性支配ノ代リニ協力ニ依リ維持セラルヘシ此等ノ原則ニ反スル諸法律ハ廃止セラレ配偶ノ選択,財産権,相続,住所ノ選定,離婚並ニ婚姻及家族ニ関スル其ノ他ノ事項ヲ個人ノ威厳及両性ノ本質的平等〔筆者註:この「的平等」の3文字は,和文タイプでは打ち漏れています。〕ニ立脚スル他ノ法律ヲ以テ之ニ代フヘシ」というものでした。)

しかし,“dignity of the individual”ならぬ“individual dignity”を,例えば「個々の尊厳」ではなく,「個人の尊厳(又は威厳)」と訳したことには何だかひっかかりが感じられます。そこで当該英文を改めて睨んでみると,あるいは,“individual dignity of the sexes”(両性各々の尊厳)及びそのように両性各々が尊厳あるものであることに基づく“the essential equality of the sexes”(両性の本質的平等)のstandpointから,と読むべきものだったのかもしれない,と思われてきました。男性性(夫)及び女性性(妻)はそれぞれ特有の尊厳を有するとともに,いずれも尊厳あるものであることにおいて,両性(夫婦)は本質的に平等である,という意味でしょうか。通常単数形で用いられるとされるstandpointがやはり単数形で用いられていますから,“individual dignity and the essential equality of the sexes”をひとかたまりのものとして捉える読み方を採るべきでもありましょう。Female sexのみならずmale sexにもdignityがあるのだと言われれば,男性は,救われます。

なるほど。そういえば確かに,GHQ草案23条においてそれらに反する法律は廃止せられるべしとされたところの婚姻に関する当該諸原則は,①家族は人間社会の基盤であること,及び婚姻は,②親の強要にではなく,(男女)相互の合意に基づき,かつ,③男性の支配によってではなく(夫婦の)協力によって維持されて,④両性の争うべからざる法的及び社会的平等の上に位置付けられたものたるべし,というものであって(なお,ここで男女の社会的平等までぬけぬけと憲法で保障しようとするのは,当時のソヴィエト社会主義共和国連邦憲法122条の影響でしょうか。GHQ草案23条の原案起草者であるベアテ・シロタ女史は起草準備作業の際に「ワイマール憲法とソビエト憲法は私を夢中にさせた」と回想しています(篠原光児「憲法24条の成立過程について」白鷗法学第8号(1997年)74頁)。),①はSollen(在るべきもの)ではなくSein(現に在るもの)について語っていますから,どうも②以下の男女平等が中心であったようです。④こそが主要原則でしょう。②及び③は,原則というには細かいですし,④に対する副次的なものでしょう(特に②については,昭和22年法律第222号による改正前の民法(以下「明治民法」といいます。)でも,男女の合意なしに親の意思のみで婚姻をさせることはできない建前でしたから(明治民法7781号は現行民法7421号と同旨),法律上の問題というよりは,社会事実上の問題でしょう。③に関しては,明治民法790条の「夫婦ハ互ニ扶養ヲ為ス義務ヲ負フ」及び789条の「妻ハ夫ト同居スル義務ヲ負フ/夫ハ妻ヲシテ同居ヲ為サシムルコトヲ要ス」が,現行民法752条では「夫婦は同居し,互いに協力し扶助しなければならない。」になっています。これで,「夫の権威中心から夫婦の協力に推移したことを明らかに看取しうるであろう。」ということであります(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)81頁)。なお,法定財産制に係る明治民法798条は「夫ハ婚姻ヨリ生スル一切ノ費用ヲ負担ス但シ妻カ戸主タルトキハ妻之ヲ負担ス/前項ノ規定ハ第790条及ヒ第8章〔扶養ノ義務〕ノ規定ノ適用ヲ妨ケス」というものでしたが,同条1項本文の規定は,男はつらいよ,というよりも,実は男性支配を法定する女性虐待規定であったということなのでしょう(婚姻費用を平等負担するものとする夫婦財産契約は可能であったはずですが(明治民法793条以下)。)。ちなみに現行民法には「協力」の語は2箇所でしか出現せず,憲法241項由来の第752条のそれのほかは離婚の際の財産分与に係る第7683項にあるのですが,同項における「協力」も,実はGHQの担当者から言い出した米国側由来のものであるそうです(我妻榮編『戦後における民法改正の経過』(日本評論社・1956年)140頁(小沢文雄(当時は司法省民法調査室主任)発言))。)。すなわち,家族法制全般について広く問題点が指摘されているというよりは,専ら男女間の婚姻の場面に焦点が当てられていたところです。

そもそもGHQ草案の起草段階におけるベアテ・シロタ女史の原案は,最終的にGHQ草案23条となった条項(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川ソフィア文庫・2014年)220-221頁参照)に続いて,母性保護条項,非嫡出子差別解消条項,養子に係る制限条項,長子権廃止条項,児童の教育,医療及び労働に関する各条項,労働権条項並びに社会保障条項が並ぶ長いものであって(鈴木279-281頁参照),最終的にGHQ草案23条となった条項も,実はそう広い射程のものとして意図されていなかったように思われます。

また,シロタ女史は「私は,どうしても女性の権利と子供の保護を憲法に詳しく書いておかなければならないと思って,とても細かく書きました。」と回想していますところ(鈴木276頁),保護されるべき者の細かい権利に専心する彼女にとっては,強い男性のそれをも包含する「個人の尊厳」というような普遍的な概念(なお,強い男性は,「個人の尊厳」の個人に包含されるというよりも,むしろ彼らによってこそ「個人の尊厳」が象徴されていたものでしょう。「近代西欧家族の「個人」が実は家長個人主義というべきものだった」こと(樋口56頁)に留意すべきです。)の称揚には興味がなかったのではないでしょうか。

また,「婚姻を「民族の維持・増殖の基礎」として憲法の保護対象とするワイマール憲法1191項と比べればもとより,〔1949年の〕ボン基本法6条が婚姻と家族に対する国家の保護に言及するにとどまっているのと比べても,「個人の尊厳」を家庭秩序内にまで及ぼそうとする点で,日本国憲法24条はきわ立っている」わけですが(樋口145頁),そのような「きわ立」ちまで,当時のGHQは意図していたものかどうか。現実には,明治民法の占領下における改正に関して,GHQは「正面きって家の制度を廃止しろといったようなことは全然ありませんでした」ということであって(我妻編13頁(奥野健一(当時は司法省民事局長)発言)),その報告書(Political Reorientation of Japan (1948))でも「家の制度の全面的廃止の問題は,憲法を履行するという憲法実施の要請以上の問題であるから,スキャップ〔聯合国最高司令官〕としてはこれを命令しなかった,スキャップとしては両性の平等とか個人の自由の原則は別として,家族法といったようなもののごときは,これを近代化し民主化するということはむしろ日本人自身の問題と考えたのであって,東洋の国に西洋的な家族関係の思想を標準として押しつけるというようなことは賢明とは考えなかったから命令しなかった,従って〔日本側の〕臨時法制調査会が家の制度の全廃を多数をもって決議〔19461024日の民法改正要綱決定〕したということを聞いたときは,スキャップとしては非常に驚いて,進歩的態度の表明としてその議決を歓迎した,というふうに報告して」いたところです(我妻編14頁(奥野による紹介))。家の制度と両立し難いものとしての「個人の尊厳」概念が,それとしてGHQ草案23条において提示されていたものとは考えにくいところです。

シロタ女史は,ワイマル憲法1191項を叩き台にして(篠原79頁(14)。同女史の原案には,GHQ草案23条においては削られている「したがって,婚姻及び家族は法によって保護される。(Hence marriage and the family are protected by law)」という文言が,「家族ハ人類社会ノ基底ニシテ其ノ伝統ハ善カレ悪シカレ国民ニ滲透ス」の部分の次にありました。これを再挿入すると,「婚姻は,家族生活及び国民の維持発展の基礎として,憲法の特別の保護を受ける」云々とするワイマル憲法1191項の組立てとの類似がより明らかになります。),同項を修正敷衍し,日本社会の当時の現実における男尊女卑的夫婦関係の問題点を指摘挿入し,かつ,当該問題点を是正すべき新立法を命ずることとして,結果として見られるような饒舌な条文をものしたものと思われます。

 

(3)民法821条の「人格を尊重」

 以上をもって長い憲法論をおえて,法令における「人格を尊重」のこれまでの用例に当たらんとするに,実は現行民法には既に「人格を尊重」云々の文言が存在していました。次のとおりです(下線は筆者によるもの)。

 

   (子の人格の尊重等)

  第821条 親権を行う者は,前条の規定による監護及び教育をするに当たっては,子の人格を尊重するとともに,その年齢及び発達の程度に配慮しなければならず,かつ,体罰その他の子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない。

 

令和4年法律第102号によって設けられ,20221216日から施行されている規定です(同法附則1条ただし書)。

 

(4)脱線その2:民法821条の位置論(「削除」を削る。)

ところで,ここでまた脱線して民法821条の位置について一言感想を述べれば,同条は「親権者の監護教育権(第820条)の行使一般についての行為規範を規定」する「総則的規律」であり,かつ,「監護教育権の各論的な規律の前の位置に」置かれるべきものであるそうですから(佐藤隆幸編著『一問一答 令和4年民法等改正――親子法制の見直し』(商事法務・2024年)130頁),「監護教育権の根拠規定」(同頁)である同法820(「親権を行う者は,子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し,義務を負う。」)の第2項として同条にまとめて規定される形でもよかったように思われます。しかし,あえてそれまでの第821(「子は,親権を行う者が指定した場所に,その居所を定めなければならない。」)を新822条に押しのけた上での新条追加の形が採られているところです。

そこでその理由をうがって考えれば,それまであった第822(「親権を行う者は,第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。」)の規定を令和4年法律第102号は敢然排除したところですが,そのために当該の条を削除しただけでは「第822条 削除」という形で痕跡が残り(これが,当該の条が全く蒸発し,したがってその後の全条が各々繰り上げられてその跡を埋める形となる「削る」との相違です(前田正道編『ワークブック 法制執務〈全訂〉』(ぎょうせい・1983年)468頁)。),将来,「おや,この条は「削除」か。削除されたここにはどういう規定があったのだろう。ああ,親権者の懲戒権に関する規定か。なるほど,日本が哀れな衰退途下国となってしまった平成=令和の国民元号の御代(筆者註:「国民元号」に関しては,「元号と追号との関係等について」(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073399256.html)の43)を御参照ください。)を迎える前の昔の立法者は丁寧だったんだね。親が自信をもって子のしつけを行うためにはやっぱり親権者の懲戒権の規定が必要なんだよね。そういうことであれば,いやいやいったんせっかく削ったことについては正当な理由があるのであって云々の難しい話はもういいから,一度は堂々あった懲戒権規定を新装復活させたらいいんじゃない。」という不必要に好奇心の強い者による旧規定の再発見及びそれを契機としての懲戒権規定の要否論争の蒸し返しを避けるためでしょう。民法典において「第822条 削除」との不審な表象が残らないように,そこを埋めるべく,新しい1条が必要であったわけでしょう。(なお,ここでいう懲戒権規定の要否論争については,「懲戒権に関する規定を削除してしまうと,親権の行使として許容される範囲内で行う適切なしつけまでできなくなるのではないかといった」心配は,「誤った受け止め方」であるということで(佐藤隆幸編著131頁),御当局筋では不要論が断乎採用され,けりがつけられています。)

回顧のよすがも残らないようにするdamnatio memoriaeを喰らうとは,民法旧822条の懲戒権規定は随分忌み嫌われていたものです。(筆者は民法旧822条に対して同情的であるようにあるいは思われるかもしれませんが,同情はともかくも,同条に関するblog記事(「民法旧822条の懲戒権及び懲戒場に関して」:

(前編)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080442857.html(モーセ,ソロモン,アウグストゥス,モンテスキュー,ナポレオン,カンバセレス及びミラボー)及び

(後編)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080442886.html(日本民法(附:ラヴァル政権及びド=ゴール政権によるフランス民法改正))

をかつて書いた者としては,思い入れは深いところです。)

 

2 新民法817条の12総論

 

(1)第1項前段

 さて,まず「子の人格を尊重」することに関して,民法821条と新民法(第213回国会の審議に付された頭書法律案が法律として成立して施行された後の民法を以下「新民法」といいます。)の第817条の121項前段とを比較すると,前者は「監護及び教育」をするに当たっての規律であり,後者は「養育」をすることについての規律です。規律の場面が異なっています。後者の場面については,20231128日に開催された法制審議会家族法制部会第34回会議に提出された家族法制部会資料34-2において「この資料では,父母の子への関わり合いのうち経済的・金銭的な側面から子の成長を支えるものを「扶養」と記載しており,これに加えて精神的・非金銭的な関与を含む広い概念として「養育」という用語を使っている。」と説明されている一方(4頁(注3)),「子の監護及び教育は,親権者の権利義務であり(〔民〕法第820条),〔中略〕この資料のゴシック体の記載のような規律〔新民法817条の12に対応〕を設けたとしても,親権者でない父母が監護及び教育をする権利義務を得ることとなるわけではな」いものとされています(4-5頁(注1))。

ところが,当該部会の部会長である大村敦志教授の著書の一節には,「「養育」という言葉の意味は明らかである。その「子の養育及び財産の管理の費用」(828条)という表現から,この言葉は,「監護・教育」を総称するものとして用いられていることがわかる」とあったところです(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)246頁)。したがって,夫子御自身の当該所論の扱いが問題になる可能性があったところ(世の中には,筆者のように面倒臭い人間がいるのです。)20231219日に開催された同部会第35回会議に提出された同部会資料35-2において,「なお,「養育」という用語は,民法第828条ただし書にも規定されているが,同条は親権者による子の養育等の費用の計算に関する規律である一方で,要綱案(案)第1の1で提示している規律〔新民法817条の12に対応〕における「養育」は,父母(親権者に限られない。)によるものであり,また,費用の支出を伴うものに限定するものではない点で,民法第828条ただし書の想定する「養育」と必ずしも一致しないと考えられる。」と,如才なく整理し去られています。そもそも民法上の父母の子へのかかわり合いのうちの「精神的・非金銭的な関与」の例としては,家族法制部会資料34-2は,監護及び教育ならざる「親子交流や親権喪失等の申立てなど」を挙げていました(2頁)。

ちなみに,フランス民法373条の215項は,「親権を行使する者ではない親は,子の監護及び教育を見守る権利及び義務を保持する。同人は,子の生活に関する重要な選択について了知していなければならない。同人は,第371条の2〔親の扶養義務に関する規定〕に基づき同人が負う義務を尊重しなくてはならない。(Le parent qui n'a pas l'exercice de l'autorité parentale conserve le droit et le devoir de surveiller l'entretien et l'éducation de l'enfant. Il doit être informé des choix importants relatifs à la vie de ce dernier. Il doit respecter l'obligation qui lui incombe en vertu de l'article 371-2.」と規定しており,親権を行使する者でない親であっても子の監護教育について全くの無権利ではないものとされています。これに対して,同項第1文流に我が新民法817条の12は解釈されるものではない,というのが立案御当局の御理解なのでしょうが,同条の文言のみからはやや分かりづらいところです。

 

(2)第2

 新民法の第8181項は,親権全般について,「親権は,成年に達しない子について,その子の利益のために行使しなければならない。」と規定します。これに対して,必ずしも親権者ならざる父母による新民法817条の121項の養育についても,当該父母はそれに係る「権利の行使又は義務の履行に関し」ては,「その子の利益のため」に「協力」すべきものとされています(同条2項)。父母の「協力」に関しては,新民法824条の21項本文(「親権は,父母が共同して行う。」)も,父母双方が親権者である場合について,親権共同行使の原則を定めています。これら新民法8181項及び同法824条の21項本文の規律(親権者による親権の行使に関するもの)と同法817条の122項の規律(父母による子に関する権利の行使及び義務の履行に関するもの)との関係は,親権者に限られぬ父母一般に係る後者の規律が総則的な位置に立つというものでしょうか。新民法817条の122項の「権利」及び「義務」は,文言上,同条1項の「養育」に係るものに必ずしも限定されてはいませんし,法制審議会家族法制部会資料34-2によれば,新民法817条の122項の「協力義務」に違反した場合には「親権者の指定・変更の審判や,親権喪失・親権停止の審判等において,その違反の内容が当該父母の一方にとって不利益に考慮されることになるとの解釈があり得る」とのことで(7頁(注1)),同項は親権行使の場面にも適用があることが前提とされています。

 しかし,新民法817条の122項については,「子の利益のため」はよいのでしょうが,「部会のこれまでの議論の中では,離婚後の父母の中には,子の養育に無関心・非協力的な親がいるとの指摘があった」ことから(法制審議会家族法制部会資料34-26頁),軽々(かるがる)と直ちに,婚姻関係にない「他人」の男女にまで両者間の「協力」を義務付けるのはいかがなものでしょうか。養育妨害禁止というような消極的なものにとどまらぬ積極的な協力の義務であるならば,それはやはり当事者の合意にその根拠付けを見出すべきもののように思われますが,両者間におけるそのような「合意」の契機のない子の父母というものも存在するのではないでしょうか。我が国の御当局には,いわゆる経済官庁による儚き「オール・ジャパン(日の丸)」プロジェクトの濫造に見られるように,「協力」のもたらすであろう神秘なsynergy効果を――「協力」が美しくも可能であることの絶対性と共に――安易かつ篤く信仰せられてしまう御傾向があるようではあります。「船頭多くして船山に登る」というような俗なことわざよりも,やはり「以和(わをもつて)(たふと)(しとなす)」と宣う聖徳太子の御訓えの方が重いのでしょうか。いずれにせよ,法的義務として成立するのならば,期待値の水準如何(いかん)はともかくも,そのときはそのようなものとしての取扱いがされなければなりません。(しかし,前記のとおり,これまでの民法において「協力」の語は,GHQ由来のものが2箇所(752条及び7683項)にしかなかったところであって,民法用語として熟したものであるかどうか。民法752条の「協力」の由来するところは,憲法のGHQ草案23条に鑑みると男性支配(male domination)の排除要請という消極的なものです。しかして「夫婦の協力義務は,義務の内容においても,分量においても,限定することはできない」漠としたものです(我妻・親族法84頁)。同法7683項の「協力」のそれは,財産分与の際に妻の取り分が2分の1になるべきことの確保にこだわるGHQ担当官が「協力によってえた財産の半分」などと口走ったことによるものです(我妻編140頁(小沢発言))。(この場面においては,「協力」に係る動機付けは,財産分与に当たっての有利性という形で,専ら経済的に劣位の配偶者に与えられることになります。)ちなみに,「婚姻中の財産の取得又は維持についての各当事者の寄与の程度は,その程度が異なることが明らかでないときは,相等しいものとする。」と規定する新民法7683項は,こうしてみると当該GHQ担当官の主張に近付いたもののように観察されます。)

なお,民法820条の「子の利益のために」との文言は,新民法8181項における当該文言と一見重複することになりそうですが,削られないようです。子の監護及び教育の場面においてこそ親権の濫用(「体罰その他の子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動」)が一番問題になるから重複をいとわなかったのだ,という説明になるのでしょう。ちなみに,民法821条の「「子の人格を尊重するとともに,その年齢及び発達の程度に配慮しなければならな」いとの規律」は,「監護及び教育が「子の利益のために」行われるべきとの〔同法820条の〕規律をより明確に表現する観点から」設けられた,当該規律を監護及び教育における「行為規範として更に具体化するもの」であるそうです(佐藤隆幸編著139頁)。

 

(3)第1項後段

ところで,新民法817条の121項後段の規定の意義は,「法律上の親である限り,たとえ親権がなくても,親として子に対する扶養義務を負う」こと及び当該扶養義務の負担については「「子に対し親権を有する者,又は生活を共同にする者が,扶養義務につき当然他方より先順位にあるものではなく,両者は,その資力に応じて扶養料を負担すべきものである」(大阪高決昭和37131日家月14-5-150。離婚後の非親権者についての判示)という立場が通説であり,裁判例の傾向でもある(非嫡出子の父について同旨,仙台高決昭和37615日家月14-11-103)」ということ(内田貴『民法 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)296頁)並びに親の子に対する扶養義務は,「相手方に自己と同一程度の生活を保障する義務(生活保持義務とよばれる)」であるということ(同23頁)を明文化したものということになります。

「親の未成年子に対する扶養義務に関しても877条によるという見解はあるものの,親であることによる,あるいは,親権の効力による,という見解が説かれてい」たところ(大村464-465頁),つとに,「夫婦間の扶養義務のほかに,親の未成年子に対する扶養義務を明文化すべきであろう。これらの義務については,権利者・義務者の同居・別居にかかわらず義務は存続することも明示した方がよい。」と唱えられていたところです(同472-473頁)。

新民法817条の121項後段においては,扶養を受けるべき子は未成年子に限定されていませんが,この非限定性は,フランス民法371条の22(「子の養育料を負担する親の義務は,親権が剥奪され,若しくは停止されたこと又は子が成年であることによっては当然消滅しない。(Cette obligation ne cesse de plein droit ni lorsque l'autorité parentale ou son exercice est retiré, ni lorsque l'enfant est majeur.)」)の後段においても同様です。ただし,新民法817条の121項の扶養義務については,同項においては「父母が子との関係で生活保持義務を負うのが「子の心身の健全な発達を図るため」であるとしている」ことに注目すべきでしょう(家族法制部会資料34-26頁(注)参照)。

 

3 民法821条における「子の人格を尊重する」こと。

ここで具体的に,既存の規定である民法821条における「子の人格を尊重する」ことの趣旨の検討をしてみましょう。

 

(1)御当局の解説について

民法821条の趣旨を手っ取り早く知るために御当局の改正法立案御担当者の解説本を参照すると,次のようにあります。「親権者に「子の人格を尊重するとともに,その年齢及び発達の程度に配慮しなければなら」ないとの義務を課すこととしていますが,その趣旨は何ですか。」との問いに対して回答がされ,いわく。

 

   親権者による虐待の要因としては,親が自らの価値観を不当に子に押し付けることや,子の年齢や発達の程度に見合わない過剰な要求をすることがあるとの指摘がされています。

   改正法では,このような指摘を踏まえ,親子関係において,独立した人格としての子の位置付けを明確にするとともに,子の特性に応じた親権者による監護及び教育の実現を図る観点から,親権者の監護教育権の行使における行為規範として,子の人格を尊重する義務並びに子の年齢及び発達の程度に配慮する義務を規定することとしたものです。

  (佐藤隆幸編著138頁。下線は筆者によるもの)

 

わざわざ押し付けようとする「価値観」ですから,高尚なものなのでしょう。「過剰な要求」も,よかれと思われる方向に向けての要求なのでしょう。このような過剰な要求の問題に対処するために「年齢及び発達の程度に配慮」することが求められ,その余の価値観の押し付け等の問題に対処するために「子の人格を尊重する」ことが求められるのでしょう。

しかしながら残念なことにあんたの子供の「特性」すなわち生来の資質・志向・能力は,そのような高尚な価値観に見事に適合し,かつ,よかれと思っての諸々の要求に着々応えることができるという高度な水準に達した立派なものではないんだよ,むしろ出来の良くない方なのだよ,早熟の天才であるわけなど全然ないんだよ,諦めるべきところは早々に諦めた方が変な「虐待」騒動に巻き込まれずに済んで家族みんなの幸福のためになるんだよ,子とはいっても所詮は他人(「独立の人格」)なのだよ,諦めるんだよ,と勧告するのが,民法821条の趣旨なのでしょうか。そうであれば,「人格の尊重」なるEuphemismusの内実は,高尚な価値観を受け付けない当該人の具合の悪さをそれとして認識・受容した上で,同人に期待するところをその人物(personne)の程度・性向に合わせて変更せよ,という消極的なResignationの勧めなのでしょう。高い価値に向かって引き上げよ,押し上げよ,相共に前進せよ,という積極的なものではないのでしょう。

「人格を尊重」せよと言われると,つい当該人格の帰属者の「価値観」に迎合してかいがいしく当該人物に(かしず)かねばならないように思ってしまいます。しかし,それは忖度の先走り過ぎであって,敬してあえて遠ざかる対応もあってよいはずです。内面における「人格の尊重」と外面的かつ積極的な「人格を尊重している旨の表示行為」とは同一ではありません。むしろ,尊重するに値する人格は手のかからないものであって,巧言令色(すう)恭なる表示行為を恥とするものでしょう(論語公冶長)「人格の尊重」は,積極的な給付を行うことを必ずしも義務付けるものではないのでしょう。

 

(2)家族法制部会長・大村教授の所説に関して

民法821条における「人格を尊重」の意義については,また,令和4年法律第102号として結実することとなった要綱案202221日「民法(親子法制)等の改正に関する要綱案」。そのまま採択された要綱は,佐藤隆幸編著147頁以下に掲載)を取りまとめた法制審議会の民法(親子法制)部会の部会長であった大村敦志教授の次の文章も参照されるべきでしょう。

 

〔略〕暴力によらない教育 懲戒権についても,基本的には削除してよい。ただし,〔民法旧822条の〕削除によってしつけができなくなるという誤解を避けるために,親権を行う者には,子に対してしつけ(discipline)を行うことができる,という趣旨の規定を置いた方がよいかもしれない。もっとも,懲戒(correction)の場合と異なり,しつけには「暴力 violence」の行使は含まれず子を「尊重 respect」して行われなければならない旨を注記することも必要だろう。

(大村256頁)

 

 フランス派である大村教授の用いるrespectの語は,「レスペ」と発音するフランス語でしょう。同教授の著書には,「フランスでは,最近の民法改正によって,夫婦の義務に「尊重(respect)」が追加されたが,これは,相互の尊重を害する行為として暴力行為を位置づけるためではないかと思われる。」との一節があります(大村117-118頁。ただし同258頁は,フランス民法212条に加えられた夫婦の義務を「尊敬 respect」であるものとし,訳語が異なっています。また,同条は“Les époux se doivent mutuellement respect, fidélité, secours, assistance. (夫婦は相互に尊重,貞操,扶助及び協力の義務を負う(大村258頁参照)。)ですので,尊重されるのは相手方配偶者そのものであって,その人格ではありません。)。

当該単語“respect”の意味をLe Nouveau Petit Robert (1993)で検してみると,①古義は「考慮すること(Fait de prendre en considération)」,②現代では「同人について認められる価値のゆえに当該某に対する嘆賞の思い(une considération admirative)を抱かしめ,かつ,同人に対して節度及び自制をもって(avec réserve et retenue)振る舞うようにさせる感情(sentiment)」,③複数形では「敬意の印」,④「よいと判断されたもの(une chose jugée bonne)に対する,侵害せず,違背しないようにとの気遣いを伴う(avec le souci de ne pas y porter atteinte, de ne pas l’enfreindre)配慮(considération)」,⑤やや古い表現である“respect humain”は「他者の判断に対する恐れ(crainte)であって,一定の態度を避けるに至らしめるもの」及び⑥熟語として“tenir qqn en respect”は,「武器を用いて誰それを近づけない」ということである,というような説明がありました。⑥において顕著ですが,respectは,相手と距離を置くこと(le tenir à distance)を伴うものであって,節度及び自制(②)並びに侵害及び違背の避止(④)という消極的な配慮によって特徴付けられる態度であるわけです。かしこんで,みだりに関与しないということでしょう。べたべたと積極的に世話を焼くことが求められているわけではありません。②の語義に関するバルザックからの引用には「尊重(le respect)は,父母もその子らも同様に保護する障壁(une barrière)である。」とありました。分け隔てる障壁であって,(ぬる)かな一体化を促進するものではありません。(ところで,余計なことながら,⑤のrespect humainは,我が新型コロナウイルス対策流行時代の日本語では「思いやり」ですね。)

 しかし,衒学的にフランス語辞典を振り回さずとも,「尊重(respect)」するとは,単に,相手方に暴力を振るわず,かつ,その「個人の尊厳」たる「名誉」を害しない,ということを意味するにすぎないのだ,ということでもよいのでしょうか。大村教授の著書においては,前記のとおり,フランス民法で夫婦の義務にrespectが追加されたのは「これは,相互の尊重を害する行為として暴力行為を位置づけるためではないかと思われる。日本法においても,同様の規定を置くことは考えられないではない。」と記載されているとともに(大村118頁。また,258頁),「今日においては,侮辱こそが重要な離婚原因であるのではないか」,婚姻において「再び「名誉」が重要になりつつある。もっとも,ここでの「名誉」とは,「個人の尊厳」にほかならない。「尊重」という言葉はこのことを表すのである。」との見解が表明されています(同118頁)。

ただし,専ら暴力及び侮辱の禁止ということであれば民法821条後段の「体罰その他の子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない」で読めてしまうので,同条前段にいう「人格を尊重」は,それより広義なものと解さなくては,後段との単なる重複規定となって面白くないことになります。そこで,「価値観の不当な押し付け等」の禁止が含まれるものとされたのでしょう。他方,新民法817条の12は,父母は「体罰その他の子の心身の健全な発達に有害な影響を及ぼす言動をしてはならない」旨まで明定することをしていませんが,これは,当該規律は「その子の人格を尊重する」というところに当然含まれているから,ということなのでしょう。

 

(3)フランス民法371条の1

 その後,フランス民法において,子の人格の尊重(respect)規定が設けられています。

 

   Article 371-1

L'autorité parentale est un ensemble de droits et de devoirs ayant pour finalité l'intérêt de l'enfant.

Elle appartient aux parents jusqu'à la majorité ou l'émancipation de l'enfant pour le protéger dans sa sécurité, sa santé, sa vie privée et sa moralité, pour assurer son éducation et permettre son développement, dans le respect dû à sa personne.

L'autorité parentale s'exerce sans violences physiques ou psychologiques.

Les parents associent l'enfant aux décisions qui le concernent, selon son âge et son degré de maturité.

 

  第371条の1 親権は,子の利益を志向する権利及び義務の総体である。

    親権は,その安全,健康,私生活及び徳性において子を保護するため,並びに,その人格に対して正当に払われるべき尊重をもって(dans le respect dû à sa personne)その教育を確保し,及びその発展を可能とするため,子の成年又は親権解放まで,父母に(aux parents)帰属する。

    親権は,肉体的又は精神的な暴力を伴わずに行使される。

    父母は,その年齢及び発達に応じて,子にかかわる決定にその子を参与させる。

 

フランス民法371条の1では,親権の行使における肉体的又は精神的な暴力の禁止の規律(同条3項。佐藤隆幸編著128頁では「親権は身体的暴力又は精神的暴力を用いずに行使される。」と訳されています。)とは直接結び付けられない場所において,子の「人格に対する正当に払われるべき尊重」が語られています(同条2項)。

「その人格に対する正当に払われるべき尊重をもって」の部分は「その安全,健康,私生活及び徳性において子を保護する」の部分にまでかかるものかどうかは難しいところですが,pour… pour…の区切りを大きいものと解してみました。確かに,安全やら健康にかかわる場面においては,最近の新型コロナウイルス感染対策の「徹底」的実施情況に鑑みても,いちいち各人の「人格に対する正当に払われるべき尊重」など気にしてはいられないでしょう。

しかしながら,子の「教育を確保し,及びその発展を可能とする」という場面(なお,ここでの教育及び発展は,単に肉体的なものではなく,そこにおいて尊重せられるべきものたる「人格」に係る「人格」的なものなのでしょう。)ならざる徳性(moralité)の保護の場面においては,その子の「人格に対する正当に払われるべき尊重」などというものに頓着する必要はないということになると,難しいことになるようです。教育及び発展に関する配慮と徳性の保護との切り分けが大きな重要性を帯びることになってしまうからです。特に家庭における宗教実践は,子の教育及び発展に係る配慮の側面とその徳性の保護の側面との両面を有するものでしょう。前者においては子の人格を尊重するが,後者においては子の異議は一切許さない,というような使い分けがうまく行くものかどうか。また,神聖な宗教の価値観の押し付けが「不当」なものであることは,切り分け云々以前に,そもそもあり得ないとの主張も当然あるでしょう。

なお,フランス民法371条の12項は子の「人格に対する正当に払われるべき()尊重」といって,単純に「人格に対する尊重」といっていませんが,父母としてふさわしからざる,子の人格に対する迎合的尊重まではする必要はない,という趣旨でしょうか。

 

(4)解釈論

 以上フランス民法をも参考にして民法821条における「子の人格を尊重」の意味するところを解せば,親権を行う者による子に対する暴力及び侮辱を禁止する(これは,子の虐待防止の緊要性に鑑み,同条後段において再び,単純な暴力及び侮辱の禁止よりもやや包括的な形で文字化されていることになります。)ほか,子の教育及びその人格的発展に係る監護においては,親権者はその理想を,子の特性(資質・志向・能力の限界又は偏向)の前に諦念と共に譲って(ただし,フランス民法371条の12項の“dû”の文言を重視すれば,無節操に子に迎合するということではないことになります。),自らの価値観の承継などということに執着すべからず,と義務付けるものということになるでしょうか。

 

4 新民法817条の12における「人格を尊重」すること。

 

(1)第1項

 新民法817条の121項の「子の人格を尊重」については,民法821条におけるもののように理解すれば大体のところはよいのでしょう。

ただし,新民法817条の121項の「子の人格を尊重」に関しては,法制審議会家族法制部会において,子の意見等を尊重・考慮(これは,2024130日に開催された同部会第37回会議に提出された同部会資料37-22頁によれば,「子の「意見」・「意思」・「意向」・「心情」等の「考慮」又は「尊重」」ということのようです。)する旨の規定を別に明示すべきではないかということが問題となり,最終的な整理は,同部会第37回会議における法務省民事局参事官である北村治樹幹事の発言(同会議議事録2頁)によれば,同項の「子の人格を尊重する」ことは,「子の意見等が適切な形で尊重されるべきとの考え方を含むもの」であるとされたとのことです。しかして結局このようにして子の意見等の尊重に係る規定を特に設けなかったことの意味は,同部会の資料34-2における記載(「子の人格の尊重等を掲げることに加えて,子の意見等を尊重・考慮すべきことを父母の義務として掲げるべきかどうかを検討するに当たっては,子の意見等を明示的に規定することの法的意味やそれが父母の行動に与える影響等を踏まえつつ,どのような表現により規律することが相当かも含め,慎重に検討する必要があるように思われる。この部会のこれまでの議論においても,例えば,具体的な事情の下では子が示した意見等に反しても子の監護のために必要な行為をすることが子の利益となることもあり得るとの指摘や,子の意見等を尊重すべきことを過度に重視しすぎると,父母が負うべき責任を子の判断に転嫁する結果となりかねないとの指摘,父母の意見対立が先鋭化している状況下において子に意見表明を強いることは子に過度の精神的負担を与えることとなりかねないとの指摘などが示されていた。」(5-6頁))等に鑑みると,子の意見等の尊重といっても,そこには自ずと限界があるということを含意するものでしょう(フランス民法371条の12項の“dû”参照)。確かに,子の意見表明権といってもその際親が「自己の都合のいいようにこどもに意見を言わせるというような行為は不適切な行為であって,それこそ子の人格の尊重にもとる行為」(202419日に開催された法制審議会家族法制部会第36回会議における池田清貴委員発言(同会議議事録14頁))となるものでしょう。子の人格の独立性もあらばこそ,親が子の人格を否認して,自己の人格に従属させることになるからです。

 

(2)第2項

他方,新民法817条の122項は,子の父母は「子に関する権利の行使又は義務の履行に関し,その子の利益のため,互いに人格を尊重し協力しなければならない」ということですから,そこでは父母間における相互的な「人格の尊重」が求められています。

これについては,親による「子の人格の尊重」の場面とは異なりますから――新民法817条の122項における父母は,夫婦すなわち婚姻関係にあるものに限定されていないものの――フランス民法212条の規定する夫婦相互の義務に関する前記大村教授流の解釈を採用することが可能であるようです(ただし,夫婦ではないので,「貞操,扶助及び協力(なおこの「協力」は "assistance"ですので,新民法817条の122項の「協力」とは異なる「助力」「補佐」といったものでしょう。)」の義務は相互に負いません。)。そうであれば,「互いに人格を尊重し」と文言は抽象的ながらも,その意味するところは両者間における暴力・侮辱の禁止にとどまることになりましょう(法制審議会家族法制部会資料34-2によれば「部会のこれまでの議論においては,離婚後の父母双方が子の養育に関して責任を果たしていくためには,父母が互いの人格を尊重できる関係にある必要があることや,父母が平穏にコミュニケーションをとることができるような関係を維持することが重要であることなどの意見が示された」ことを踏まえて「父母がその婚姻関係の有無にかかわらず互いの人格を尊重すべきである」との規定が生まれたそうですが(6頁),「互いの人格を尊重できる関係」といわれただけではなお具体的にどのようなものかが分かりにくいところ,「平穏なコミュニケーション」の確保が主眼ということになりましょうか。)。「協力」することの前提条件としてはこれで満足すべきなのでしょう。価値観の相違等は,協力の過程の中で解きほぐされて何とかされていくべきものでしょう。新民法817条の122項の「互いに人格を尊重し・・・なければならない」との「人格尊重義務」の違反には,「親権者の指定・変更の審判や,親権喪失・親権停止の審判等において,その違反の内容が当該父母の一方にとって不利益に考慮されることになるとの解釈があり得る」とのことですので(法制審議会家族法制部会資料34-27頁(注1)),当該義務の外延は明確に限定されてあるべきものでしょう。ちなみに,離婚後等の父母共同親権状態を父母のうちいずれか一方の単独親権に変更する場合の審判において適用される新民法81972号は,「父母の一方が他の一方から身体に対する暴力その他の心身に有害な影響を及ぼす言動(次項において「暴力等」という。)を受けるおそれ」等の事情を考慮するものとしています。父母が協力してする子の養育においても,両者間における当該暴力等が協力の阻害要因として特に懸念されるということでしょう。

その余の種々の注文を取り除いた狭い解釈(専ら暴力・侮辱を禁ずるものとの解釈)を採用した方が,それについて「互いに人格を尊重」すべきものとされた(暴力・侮辱禁止以外の)多様な事項に係る諸々の事情が理由ないしは口実(例えば,「全面的に私の人格を尊重しないような奴と子育てについて協力するいわれはない」云々)とされて「その子の利益のため」の「協力」及びそれに向けた努力が放棄されてしまうという(子にとって残念であろう)場面が,より少なくなるものと思われます。

法制審議会家族法制部会第36回会議において示された原田直子委員の理解によれば,新民法317条の122項の「互いに人格を尊重し」なければならないとの規律に違反して「親権の変更とか,そういう問題に通じる」行為は,「父母間の対立をあおる行為」であって,①「DVや虐待」,②「濫訴的な申立て」,③「父母の同意なしに勝手にこどもの写真とかをネットに上げ」ること及び④「元配偶者の批判をするとかいう行為」が含まれるとされています(同会議議事録5頁)。しかし,同項での「人格を尊重し」の射程の限界付けを重んじようとする立場からすると,①はともかく,②は非協力・反協力の問題であり,③は子の利益に反するとともに非協力であるから問題なのでしょうし(なお,ちなみにフランス民法372条の11項は「父母は,第9条に規定する私生活の権利を尊重して,彼らの未成年子の肖像権を共同して保護する。(Les parents protègent en commun le droit à l'image de leur enfant mineur, dans le respect du droit à la vie privée mentionné à l'article 9.)」と規定しています。),④も,相手方に対する侮辱に相当することとなる場合に当然問題となるほかは,子に対してされる場合において,子の利益に反するときに問題となり,かつ,間接的に反協力行為となるものであると考えるべきではないでしょうか。

なお,別居親(les parents séparés)による親権行使に関するフランス民法373条の22項は「父母の各々は,子との個人的な関係を維持し,かつ,その子と他方の親とのつながりを尊重しなければならない。(Chacun des père et mère doit maintenir des relations personnelles avec l'enfant et respecter les liens de celui-ci avec l'autre parent.)」と規定しています。ここで父母の各々が尊重すべきもの(doit respecter)として規定されているのは,「子と他方の親とのつながり」です(ちなみに,当該つながり(liens)に対する「尊重」の意味するところは,要は,積極的作為義務ではなく,他方の親と子とのつながりを阻止し,又は稀薄化し,若しくは消滅せしめるような意地悪をするな,という消極的なものでしょう。)。これに対して,我が新民法817条の122項において,父母によって尊重されるべきものは専ら互いの人格です。しかし,相手方によって尊重されるべき父又は母の各「人格」にその子とのつながりまでが当然含まれるものかどうか。やはりそこまでは,ちょっと読み取りにくいように思われます(なお,20231128日開催の法制審議会家族法制部会に提出された同部会資料34-2には「部会資料32-1の第23の注2では,「監護者による身上監護の内容がその自由な判断に委ねられるわけではなく,これを子の利益のために行わなければならないこととの関係で,一定の限界があると考えられる。例えば,監護者による身上監護権の行使の結果として,(監護者でない)親権者による親権行使等を事実上困難にさせる事態を招き,それが子の利益に反する場合がある」との指摘を注記しているが,このような監護者による監護の限界を父母間の人格尊重義務と結びつけて整理することもできると考えられる。」とありますが,当該監護の限界は,やはり直接的には「子の利益に反する」ことによるとともに,親権者に対してはそもそもその権利を侵害してはならないことによるのではないでしょうか。)

父母の各々と子とのつながりに対する他方の「尊重」については,我が国ではむしろ,「親子の交流等」に係る新民法817条の131項の規定(「第766条〔協議離婚〕(第749条〔婚姻の取消し〕,第771条〔裁判上の離婚〕及び第788条〔父による認知〕において準用する場合を含む。)の場合のほか,子と別居する父又は母その他の親族と当該子との交流について必要な事項は,父母の協議で定める。この場合においては,子の利益を最も優先して考慮しなければならない。」)における「〔父母の協議〕の場合においては,子の利益を最も優先して考慮しなければならない」の部分が対応するということなのでしょう。しかし,「子の利益を最も優先して考慮」した結果,他方の親とのつながりを阻止し,又は稀薄化し,若しくは消滅せしめるべきであるとの結論に達した父母の一方の当該結論を,同項の規定自体によって否定することは難しいのではないでしょうか。

「面会交流はかえって父母の間の関係を複雑にする,という危惧も強く,その権利性を認めるのに慎重な見解」があったところ(大村98頁),2023718日に開催された法制審議会家族法制部会第29回会議に提出された同部会資料29に記載されているところは「(抽象的な)親子交流の法的性質についていかなる見解を採るにせよ,本文記載のとおり,父母の協議又は審判によって具体的に親子交流の定めがされた場合には,父母間に具体的な権利義務が発生するものと考えられる。この部会における議論の中では,父母は,離婚後も,子の養育に関して双方の人格を尊重しなければならないとする考え方も示されていたところ,仮にこの考え方を採用する場合には,父母の協議又は審判によって親子交流の定めがされ,これが具体的な権利となったときには,父母は,その実施に当たって相互に協力するとともに,互いの人格を尊重しなければならないとする考え方があり得る。他方で,仮に親子交流をすることが親の権利であると考える意見に立ったとしても,この「権利」は,子の利益のために行使すべきものである上,父母の協議又は審判によって親子交流の定めがされるまでは,その権利の内容が具体的に定まらないため,子と別居する親が,親であること(又は親権者であること)のみをもって,同居親に対し,自己の希望する方法や頻度での親子交流の実施を一方的に請求し,その強制をすることができるわけではないと考えられる。」というものでありました(35頁(注1))。結局,家族法制部会資料34-2においては,「親子交流については,父母の協議又は家庭裁判所の手続によって定めることが想定されているため(〔民〕法第766条),この資料のゴシック体の記載のような規律〔新民法817条の12に対応〕を設けたとしても,〔中略〕父母の協議等を経ることなく別居親が親子交流の実施を一方的に求めることができるようになるわけではないと考えられる。」とされています(4-5頁(注1))。

ちなみに,フランス民法373条の212項は,「訪問及び宿泊受入れの権利の行使は,重大な事由によらなければ,他方の親に対して拒絶され得ない。(L'exercice du droit de visite et d'hébergement ne peut être refusé à l'autre parent que pour des motifs graves.)」と規定しています。

 

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第1 一つの蝦夷地(総称)から北海道及び樺太への分離に関して

 

1 北海道には,北海道島は含まれるが樺太島は含まれない。

 前稿である「光格天皇の御代を顧みる新しい「国民の祝日」のために」(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1081364304.html)においては,つい北海道「命名」150年式典(201885日に札幌で挙行)に関しても論ずることになり,その際明治二年七月八日(1869815日)の職員令により設置された開拓使による開拓の対象には,当初は北海道のみならず樺太も含まれていたことに触れるところがありました。そうであれば,しかし,日本国五畿八道の八道の一たる北海道に,北海道島と同様に開拓がされるべきものであった樺太島の地が含まれなかったのはなぜであるのかが気になってしまうところです。

 

2 明治初年の開拓官庁の変遷

 ところで,2018年において北海道「開拓」(の数えでの)150年が記念されなかったことについては,王政復古後の明治天皇の政府において「諸地開拓を総判(総判諸地開拓)」すべき機関の設置は,実は1869年の開拓使が初めてのものではなかったからであって,折角天皇皇后両陛下の行幸啓を仰いでも,当該趣旨においては十日の菊ということになってしまうのではないかと懸念されたからでもありましょうか。

 

(1)外国事務総督及び外国事務掛から外国事務局を経て外国官まで

すなわち,既に慶応四年=明治元年一月十七日(1868210日)の三職(総裁,議定及び参与)の事務分課に係る規定において,議定中の外国事務総督が「外地交際条約貿易拓地育民ノ事ヲ督ス」るものとされて,「拓地育民」が取り上げられており(併せて,参与の分課中に外国事務掛が設けられました。),同年二月三日(1868225日)には外国事務総督と外国事務掛とが外国事務局にまとめられた上(「外国交際条約貿易拓地育民ノ事ヲ督ス」るものです。),同年閏四月二十一日(1868621日)の政体書の体制においては,外国官が「外国と交際し,貿易を監督し,疆土を開拓することを総判(総判外国交際監督貿易開拓疆土)」するものとされていたのでした(以上につき,山崎丹照『内閣制度の研究』(高山書院・1942年)4-5頁,7-8頁,1114頁及び2026頁参照)。外国交際と直接関係する疆土(「疆」は,「さかい」・「領土の境界」の意味です(『角川新字源』(1978年))。)の開拓ということですから,当該開拓の事業は,対外問題(有体に言えば,ロシア問題)対策の一環として明治政府によって認識されていたものでしょう。

 

(2)北蝦夷地(樺太)重視からの出発

 ロシア問題対策のための疆土開拓ということであれば蝦夷地開拓ということになりますが,その場合,四方を海に囲まれた北海道(東西蝦夷地)よりも,ロシア勢力と直に接する樺太(北蝦夷地)こそがむしろ重視されていたのではないでしょうか。

 

ア 慶応四年=明治元年三月九日の明治天皇諮詢

 早くも慶応四年=明治元年三月九日(186841(駿府で徳川家家臣の山岡鉄太郎が,江戸攻撃に向けて東進中の官軍を率いる西郷隆盛と談判した日です。))に,明治「天皇太政官代ニ臨ミ三職ヲ召シテ高野保建少将清水谷公考建議ノ蝦夷開拓ノ可否ヲ諮詢ス群議其利ヲ陳ス〔略〕復古記」ということがありましたが(「群議其利ヲ陳ス」の部分は,太政官日誌では「一同大ヒニ開拓可然(しかるべき)()旨ヲ言上ス」ということだったそうです。),そこでの高野=清水谷の建議書(二月二十七日付け)には「蝦夷島周囲二千里中徳川家小吏()一鎮所而已(のみ)無事()時モ懸念御坐(さうらふ)(ところ)今般賊徒 御征討(おほせ) 仰出(いでられ)候ニ付テハ東山道徃来相絶シ徳川荘内等()者共(ものども)彼地(かのち)ニ安居仕事(つかまつること)難相(あひなり)(がたく)島内民夷ニ制度無之(これなく)人心如何(いかが)当惑(つかまつり)候儀ニ有之(これある)ヘクヤ不軌ノ輩御坐候ヘハ(ひそか)ニ賊徒ノ声援ヲナシ(まうす)(べく)難計(はかりがたし)魯戎元来蚕食()念盛ニ候ヘハ此虚ニ乗シ島中ニ横行シ(かね)テ垂涎イタシ候北地()(シュン)古丹(コタン)等ニ割拠シ如何様之(いかやうの)挙動可有之(これあるべく)難計(はかりがたく)候ヘハ一日モ早ク以御人撰(ごじんせんをもつて)鎮撫使等御差下シテ御多務中モ閑暇(なさ)為在(れあり)候勢ヲ示シ御外聞ニモ相成候(あひなりさうらふ)(やう)仕度(つかまつりたく)〔中略〕海氷(りう)()()時節相至(あひいたり)候ヘハ魯人軍艦毎年()春内(シュンナイ)罷出候間(まかりいでさうらふあひだ)当月中ニモ御差下(さしくだし)相成候様(あひなりさうらふやう)被遊度(あそばされたき)積リ〔後略〕」とありました(アジア歴史資料センター・レファレンスコード:A15070634100)。

()(シア)が元来その地について蚕食之念を有しており,かつ,横行が懸念されること並びに久春古丹(大泊,コルサコフ)及び久春内(樺太島西岸北緯48度付近の地)といった地名からすると,ここでいう「蝦夷島」については,北海道島というよりは「北地」たる樺太島が念頭に置かれていたものでしょう。当該建議については,公家の清水谷公考(きんなる)に対する阿波人・岡本監輔の入れ智恵があったそうですが(秋月俊幸「明治初年の樺太――日露雑居をめぐる諸問題――」スラブ研究40号(1993年)2頁),岡本は「尊皇攘夷時代には珍しい北方問題の先駆者の一人で,文久3年(1863)すすんで樺太詰めの箱館奉行支配在住となり,慶応元年(1865)には間宮林蔵によっても実現できなかった樺太北岸の周廻を計画し,足軽西村伝九郎とともにアイヌ8名の助力をえて,独木舟で北知床岬を廻り,非常な苦労ののち樺太北端のエリザヴェータ岬(ガオト)に達し,西岸経由でクシュンナイに帰着した」という「ロシアの樺太進出に悲憤慷慨して奥地経営の積極化を望んでいた」憂国の士だったそうですから(同頁),当然樺太第一になるべきものだったわけです。

 

イ 慶応四年=明治元年三月二十五日の岩倉策問等(2道設置論)及び箱館府(箱館裁判所)の設置

 慶応四年=明治元年三月二十五日(1868417日)には,議事所において,三職及び徴士列坐の下,「蝦夷地開拓ノ事」について,「箱館裁判所被取建(とりたてられ)候事」,「同所総督副総督参謀等人撰ノ事」及び「蝦夷名目被改(あらためられ)南北二道被立置(たておかれ)テハ何如(いかん)」との3箇条の策問が副総裁である岩倉具視議定からされています(アジア歴史資料センター・レファレンスコード:A15070634300)。蝦夷地の改称の話は既にこの時点で出て来ていますが,ここでの2道のうち南の道が後の北海道(東蝦夷地及び西蝦夷地)で,北の道は樺太(北蝦夷地)なのでしょう。これらの点については更に,同年四月十七日(186859日)の「蝦夷地開拓ノ規模ヲ仮定ス」と題された「覚」7箇条中の最初の2箇条において「箱館裁判所総督ヘ蝦夷開拓ノ御用ヲモ御委任有之(これあり)候事」及び「追テ蝦夷ノ名目被相改(あひあらためられ)南北二道ニ御立(なら)()早々測量家ヲ差遣(さしつかはし)山川ノ形勢ニ随ヒ新ニ国ヲ分チ名目ヲ御定有之(これあり)候事」と記されているとともに,第6条において「サウヤ辺カラフトヘ近ク相望(あひのぞみ)候場所ニテ一府ヲ被立置度(たておかれたく)候事」と述べられています(アジア歴史資料センター・レファレンスコード:A15070634500)。箱館裁判所の設置は同月十二日(186854日)に既に決定されており,同裁判所は,同年閏四月二十四日(1868614日)に箱館府と改称されています(秋月2頁)。

 

ウ 明治二年五月二十一日の蝦夷地開拓の勅問

 箱館府を一時排除して五稜郭に拠り,最後まで天朝に反抗していた元幕臣の榎本武揚らが開城・降伏してから3日後の明治二年五月二十一日(1869630日)には,皇道興隆,知藩事被任及び蝦夷地開拓の3件につき明治天皇から政府高官等に勅問が下されています。そのうち蝦夷地開拓の条は次のとおりでした。

 

  蝦夷地ノ儀ハ 皇国ノ北門直チニ山丹満州ニ接シ経界粗々(あらあら)定マルトイヘドモ北部ニ至ツテハ中外雑居イタシ候所(さうらふところ)是レマテ官吏ノ土人ヲ使役スル甚ハタ苛酷ヲ極ハメ外国人ハ頗フル愛恤(あいじゅつ)ヲ施コシ候ヨリ土人往々我カ邦人ヲ怨離シ彼レヲ尊信スルニ至ル一旦民苦ヲ救フヲ名トシ土人ヲ煽動スルモノ()レアルトキハ其ノ禍(たち)マチ函館松前ニ延及スルハ必然ニテ禍ヲ未然ニ防クハ方今ノ要務ニ候間(さうらふあひだ)函館平定ノ上ハ速カニ開拓教導等ノ方法ヲ施設シ人民繁殖ノ域トナサシメラルヘキ儀ニ付利害得失(おのおの)意見忌憚無ク申出ツヘク候事

  (アジア歴史資料センター・レファレンスコード:A15070159100

 

ここでの「蝦夷地」は,東蝦夷地,西蝦夷地及び北蝦夷地のうち,北蝦夷地こと樺太のことでしょう。(なお,北蝦夷地ならざる東蝦夷地及び西蝦夷地の振り分けについていえば,明治二年八月十五日(1869920日)の太政官布告による北海道11箇国のうち,東部は胆振,日高,十勝,釧路,根室及び千島の6箇国,西部は後志,石狩,天塩及び北見の4箇国とされていました。11箇国目の渡島国は,東部・西部のいずれにも分類されていません。)山丹は黒龍江下流域のことですが,ユーラシア大陸の「山丹満州ニ接シ」ているのは,地図を見ればすぐ分かるとおり,北海道島ではなく,樺太島でしょう。「経界粗々定マルトイヘドモ北部ニ至ツテハ中外雑居イタシ候所」というのは,185527日に下田で調印された日魯通好条約2条後段の「「カラフト」島に至りては日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす是まて仕来の通たるへし」を承けた樺太島内の状況を述べるものでしょう。「是レマテ官吏ノ土人ヲ使役スル甚ハタ苛酷ヲ極ハメ外国人ハ頗フル愛恤ヲ施コシ候ヨリ土人往々我カ邦人ヲ怨離シ彼レヲ尊信スルニ至ル」については,文久元年(1861年)に,樺太においてトコンベ出奔事件というものがあったそうです。

 

   事件は,文久元年(1861)に北蝦夷地のウショロ場所〔樺太島西岸北緯49度付近〕で漁業に従事していたアイヌのトコンベが,番人の暴力に耐えかねてシリトッタンナイ〔樺太島西岸ウショロより北の地〕のロシア陣営に逃げ込んだことが発端であった。北蝦夷地詰の箱館奉行所官吏はロシア側の責任者であったジャチコーフにトコンベの引き渡しを要求したが,ジャチコーフはアイヌ使役の自由を主張して奉行所官吏の要求を拒否した。その後,トコンベは翌文久二年(1862)正月,ウショロに立ち戻ったところを奉行所役人に捕縛され久春内に移送された。しかし,同年三月にはジャチコーフが久春内に来航し,トコンベの引渡しを要求した。最終的にジャチコーフは暴力を伴いトコンベを「奪還」した。さらに,ウショロに在住したトコンベの家族やその周囲のアイヌ17人を連れ去るという事件に発展した。

  (檜皮瑞樹「19世紀樺太をめぐる「国境」の発見――久春内幕吏捕囚事件と小出秀実の検討から――」早稲田大学大学院文学研究科紀要:第4分冊日本史学・東洋史学・西洋史学・考古学・文化人類学・アジア地域文化学544号(20092月)18-19頁)

 

 ということで,明治二年五月二十一日(1869630日)の勅問は,樺太島重視の姿勢が窺われるものであったのですが,同年七月八日(1869815日)の職員令による開拓使設置を経た同年八月十五日(1869920日)の前記太政官布告においては,道が置かれたのは東西蝦夷地までにとどまり,樺太島は,新しい道たる北海道から外れてしまっています。(当該太政官布告により「蝦夷地自今(いまより)北海道ト被称(しょうされ)11ヶ国ニ分割」なので(下線は筆者によるもの),渡島,後志,石狩,天塩,北見,胆振,日高,十勝,釧路,根室及び千島の11箇国のみが北海道を構成するということになります。一番北の北見国には宗谷,利尻,礼文,枝幸,紋別,常呂,網走及び斜里の8郡が置かれていますが,宗谷郡,利尻郡又は礼文郡に樺太島が属したということはないでしょう。北海道庁版権所有『北海道志 上巻』(北海道同盟著訳館・1892年)5頁によれば,蝦夷地北海道改称の際「樺太ノ称ハ旧ニ仍ル」ということになったそうです。)蝦夷地開拓に係る上記勅問の段階からわずか3箇月足らずの期間中に,樺太の位置付けが低下したようでもあります。この間一体何があったのでしょうか。

 

3 函泊露兵占領事件及び樺太島仮規則(日露雑居制)確認並びにパークス英国公使の勧告 

 

(1)函泊露兵占領事件

 明治二年六月二十四日(186981日)に「露兵,樺太函泊を占領,兵営陣地を構築」(『近代日本史総合年表 第四版』(岩波書店・2001年))という事態が生じています。

「日本の本拠地クシュンコタンの丘一つ隔てた沢にあるハッコトマリ(凾泊)にデ・プレラドヴィチ中佐(この頃大隊長となる)の指揮する50人ほどのロシア兵が上陸し,陣営の構築を始めた。そこは場所請負人伊達林右衛門と栖原小右衛門が共同で経営するアニワ湾の一漁場で,海岸は水産乾場として使われ,多数の鰊釜が敷設されていた。ロシア側は丘の上に兵営を建てるので漁場の邪魔にはならぬと弁解したが,そこもアイヌの墓地となっており,アイヌたちはロシア人の立入りを止めさせるよう繰返し日本の役所に訴えている。しかし,デ・プレラドヴィチは,兵営の設置は本国からの命令によるものとして日本側の抗議を無視した。ロシア側は仮規則〔本稿の主題たる後出1867年の日露間の樺太島仮規則〕を盾にこの地に陣営を設けたのであるが,その意図はクシュンコタンに重圧をかけ,日本人の樺太からの退去を余儀なくする準備であった。やがてここにはトーフツから東シベリア第4正規大隊の本部が移され,多数の徒刑囚も到着して,その後の紛糾のもととなるのである。」(秋月3-4頁)ということです。

 

(2)樺太問題に係るパークス英国公使の寺島外務大輔に対する忠告

樺太担当(久春古丹駐在)の箱館府権判事(開拓使設置後は開拓判官)となっていた「岡本〔監輔〕が上京して開拓長官鍋島直正や岩倉具視,大久保利通らの政府要人たちにロシア軍の凾泊上陸を報告し,日本の出兵を訴えて間もない」(秋月4頁,2頁)同年八月一日(186996日)には,外務省で「寺島〔宗則〕外務大輔はパークス英国公使と会談し,英国側から北地におけるロシアの進出について厳しく忠告を受けた。日本政府は現地の情報に疎く,樺太の情勢だけでなくロシアの動向についてまったくと言ってよいほど捕捉していなかった。〔中略〕「小出大和〔守秀実〕魯都ニ参り雑居之約定取極メ調印致し候ニ付,此約定〔樺太島仮規則〕ハ動(ママ)〔す〕へからさる者に候。恐く唐太全島を失ふ而已(〔のみ〕)ならす蝦夷地に及ふへし」と,パークスの忠告は切迫した内容であった。」ということになっています(笠原英彦「樺太問題と対露外交」法学研究731号(2000年)102-103頁。『大日本外交文書』第2巻第2455-459頁,特に458頁)。更にパークスは,「唐太に於て無用に打捨あるを魯人ひろふて有用の地となす誰も是をこばむ能はさるを万国公法とす」と,日本がむざむざ樺太を喪失した場合における列強の支援は望み薄であるとの口吻でした(『大日本外交文書』第2巻第2458)。

 

(3)樺太島仮規則に係る明治政府官員の当初認識

 パークスが寺島外務大輔に樺太島仮規則の有効性について釘を刺したのは,我が国政府の樺太担当者が当該規則の効力を否認していたからでした。

例えば,樺太島における岡本監輔の明治二年五月二十六日(186975日)付けロシアのデ・プレラドヴィチ宛て書簡では,「貴方所謂(いはゆる)日本大君と(まうす)は国帝に無之(これなく)徳川将軍事にて二百年来国政委任に(あひ)成居候得共(なりをりさうらへども)将軍限りにて外国と国界等取極(さうろふ)(はず)無之処(これなきところ)(その)臣下たる小出大和守〔秀実〕輩一存を(もつて)雑居等相約候(あひやくしさうらふ)は僭越(いたり)申迄も無之(これなく)」して「不都合の次第」であるとし,「吾所有たる此〔樺太〕島を貴国吾国及ひ土人三属の地と御心得被成候(なられさうらふ)余り御鄙見にて貴国皇帝御趣意とは不存(ぞんぜず)ところ,仮規則締結については「貴国にても其権なき者と御約し被成候(なられさうらふ)は御不念事に可有之(これあるべく)と述べて日本側の「小出大和守輩」は無権代理人であったとし,かつ,勿論(もちろん)(この)島の儀未タ荒蕪空間の地所も有之(これある)(つき)土人漁民其外小前の者に至迄(いたるまで)差支無之(これなき)場所は開拓家作等(なら)(れさ)(うらひ)ても(よろ)(しく)御坐候に付此段此方詰合(つめあひ)()御届被成(なられ)差図被受(うけられ)(さうらふ)(やう)致度(いたしたく)候」として(以上『大日本外交文書』第2巻第1933-935頁),樺太島仮規則2条の「魯西亜人〔略〕全島往来勝手たるへし且いまた建物並園庭なき所歟総て産業の為に用ひさる場所へは移住建物等勝手たるへし」との規定にもかかわらず,「荒蕪空間の地所」についてもロシア人の勝手はならず日本国の官庁に届け出た上でその指示に従うべしと,樺太島南部における(同島周廻者である岡本の主観では,樺太全島における)我が国の排他的統治権を主張していました。

「雑居」を認める樺太島仮規則の効力を,小出秀実ら当該規則調印者の権限の欠缺を理由に否定した上で(民法(明治29年法律第89号)113条参照),それに先立つ日魯通好条約2条後段の「界を分たす是まて仕来の通たるへし」との規定は,樺太島における日露雑居を認めるものではなく,日露の各単独領土の範囲は「是まて仕来の通」であることを確認しつつ,その境界(岡本の主観では,間宮海峡がそれであるべきものでしょう。)の劃定がされなかったことを表明するにすぎないもの,と解するものでしょう(以下「境界不劃定説」といいます。)。

(ここで,「境界の劃定」とは何かといえば,その意義について美濃部達吉はいわく,「領土の変更とは領土たることが法律上確定せる土地の境界を変更することであり,境界の劃定とは何処に国の境界が有るかの不明瞭なる場合に実地に就いて之を確認し明瞭ならしむることである。一は権利を変更する行為であり,一は既存の権利を確認する行為である。即ち一は創設行為たり一は宣言行為たるの差がある。境界の確定は殊に陸地に於いて外国と境界を接する場合に必要であつて,ロシアより樺太南半分の割譲を受けた場合には,講和条約附属の追加約款第2に於いて両国より同数の境界劃定委員を任命して実地に就き正確なる境界を劃定すべきことを約し,此の約定に従つて翌年境界の劃定が行はれた。」と(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)88-89頁)。190595日に調印されたポーツマス条約に基づく日露間の境界劃定は北緯50度の線がどこにあるかを測定して決めることであったわけですが,1855年の下田条約(日魯通好条約)に基づく国境劃定を行う場合であれば,まず「是まて〔の〕仕来」が何であるかの確定から始まることになったわけのものでしょう。)

しかし,下田条約2条後段の文言は境界不劃定説によるものであり,かつ,一義的にそう解され得るものであったかどうか。後に考察します。

 

(4)明治政府要人との会見における樺太問題に係るパークスの慎重論

明治二年八月九日(1869914日)には,「パークスは東京運上所において,岩倉〔具視〕大納言・鍋島〔直正〕開拓長官・沢〔宣嘉〕外務卿・大久保〔利通〕参議・寺島〔宗則〕外務大輔・大隈〔重信〕大蔵大輔ら新政府の有力者たちと会見し,再び樺太問題を討議した。さきに寺島との会談で樺太への積極策〔日本側もクシュンコタン近辺に要害の地を占めること(「クシユンコタン辺に要害の地をしむれは唐太の北地処に人をうつすよりも切速なり」(『大日本外交文書』第2巻第2458頁))〕を勧めたパークスは,このたびは一変して「樺太はすでに大半がロシアに属しており,今から日本が着手するのは遅すぎる」ことを力説した。すでに彼は〔英国商船〕ジョリー号船長ウィルソンの〔ロシア軍の凾泊進出に係る〕詳報を検討の結果,ロシアがアニワ湾に2000人の兵力を集結して(これは過大である),日本人の追出しを意図していることを知ったのである。彼は日本側から近く高官とともに多数の移民を送る計画を聞いて,「それは火薬の傍らに火を近づけるのと同じ」といい,北海道の開拓に力をそそぐことを要望した。」という運びになっています(秋月5頁)。

「唯今に至り唐太を御開き被成(なられ)候は御遅延の事と存候」,「唐太を先に御開き被成(なられ)候は住居の屋根(ばか)りあつて礎無之(これなし)と申ものに有之(これあり)候」,「1867年小出大和守の約定は魯西亜と日本との人民雑居と申事に候へは当今同国人参り候ても追出し候権無之(これなき)事と存候」,「サカレン()御心配被成候内(なられさうらふうち)蝦夷は被奪(うばはれ)可申(まうすべく)候」というようなパークスの発言が記録されています(『大日本外交文書』第2巻第2465-478頁のうち,470頁,471頁,474頁及び477頁)。なお,同日段階では我が国政府は北海道島よりも樺太島の開拓を先行させるつもりであったようであり,「同所()は魯国人の来りしに付唐太を先に開らき候事にて蝦夷地ヲ差置候と申事には無之(これなく)候」及び「(まづ)差向唐太の方に尽力いたし候積に候」というような発言がありました(『大日本外交文書』第2巻第2472頁)。 

 蝦夷地改称に係る明治二年八月十五日の前記太政官布告が樺太島について触れなかったのは,樺太はもう駄目ではないかとパークスに冷や水を浴びせかけられてしまったばかりの我が国政府としては,きまりが悪かったからでしょうか。ただし,改称された北海道を11箇国に分割するところの当該太政官布告は,少なくともこれらの国が置かれた東西蝦夷地については,他の五畿七道諸国と同様のものとしてしっかり守ります,との決意表明ではあったのでしょう。なお,八月九日に我が国政府は,パークスからの「〔樺太島における事件に関し〕右様〔「御国内の事件を御存し無之(これなき)事」〕にては蝦夷地を被奪(うばはれ)(さうらふ)(とも)御存し有之(これある)間敷(まじく)」との皮肉に対して,「(これ)(より)開拓の功を成し国割にいたし郡も同しく分割いたし候積に候」と言い訳を述べていますところ(『大日本外交文書』第2巻第2476),そこでは,樺太島にも国及び郡を置くものとまでの明言はされてはいませんでした。

 

4 北海道と樺太との取扱いの区別へ

 

(1)三条右大臣の達し

 蝦夷地を北海道と改称した翌九月には(『法令全書 明治二年』では九月三日(1869107日)付け),三条実美右大臣から開拓使宛てに次のように達せられています(『開拓使日誌明治二年第四』)。

 

                              開拓使

  一北海道ハ

   皇国之北門最要衝之地ナリ今般開拓被仰付(おほせつけられ)候ニ付テハ(ふかく)

   聖旨ヲ奉体シ撫育之道ヲ尽シ教化ヲ広メ風俗ヲ(あつく)()キ事

  一内地人民漸次移住ニ付土人ト協和生業蕃殖(さうろふ)(やう)開化(こころ)ヲ尽ス可キ事

  一樺太ハ魯人雑居之地ニ付専ラ礼節ヲ主トシ条理ヲ尽シ軽率之(ふる)(まひ)曲ヲ我ニ取ルノ事アル可ラス自然(かれ)ヨリ暴慢非義ヲ加ル事アルトモ一人一己ノ挙動アル可カラス(かならず)全府決議之上是非曲直ヲ正シ渠ノ領事官ト談判可致(いたすべく)(その)(うへ)猶忍フ可カラサル儀ハ 廷議ヲ経全圀之力ヲ以テ(あひ)応スヘキ事ニ付平居小事ヲ忍ンテ大謀ヲ誤マラサル様心ヲ尽スヘキ事

  一殊方(しゆはう)〔『角川新字源』では,「異なった地域」・「異域」。もちろんここでは「外国」ではないですね。〕新造之国官員協和戮力ニ非サレハ遠大()業決シテ成功スヘカラサル事ニ付上下高卑ヲ論セス毎事己ヲ推シ誠ヲ(ひら)キ以テ従事決シテ面従腹非()儀アル可カラサル事

    九月        右大臣                                                                               

 

 最北の樺太ではなく,宗谷海峡を隔てたその南の北海道こそが「皇国之北門最要衝之地」であるものとされています。樺太については,ロシア人に気を遣って忍ぶべしと言われるばかりで,どうも面白くありません。東西蝦夷地のみに係る北海道命名の意義とは,東西蝦夷地と北蝦夷地との間のこの相違を際立たせることでもあったのでしょう。最終項に「新造之国」とありますが,当該新造之国11箇国の設置は北海道についてのみであったことは,既に述べたとおりです。

 北海道の命名を華やかに祝うに際しては,陰の主役たる失われた樺太(及び当該陰の主役に対するところの某敵役)をも思い出すべきなのでしょう。

 

(2)樺太放棄論者黒田開拓次官

 明治三年五月九日(187067日)兵部大丞黒田清隆が樺太専務の開拓次官に任ぜられますが,担務地たる樺太を視察した黒田はその年十月に政府に建議を行います。いわく,「夫レ樺太ハ魯人雑居ノ地ナルヲ以テ彼此親睦事変ヲ生セサラシメ(しかる)(のち)漸次手ヲ下シ功ヲ他日ニ収ムルヲ以テ要トス然レトモ今日雑居ノ形勢ヲ以テ(これ)ヲ観レハ僅ニ3年ヲ保チ得ヘシ」云々と(アジア歴史資料センター・レファレンスコード:A15070638700)。(ちなみに,鷗外森林太郎翻訳の『樺太脱獄記』(コロレンコ原作)において描かれた樺太島から大陸への脱獄劇を演じたロシアの囚人らが同島に到着した時期は,この年の夏のことでした。)また,同年十一月,黒田は「米国ニ官遊」しますが(樺太庁長官官房編纂『樺太施政沿革』(1912年)後篇上・従明治元年至同8年樺太行政施設年譜4頁),その際黒田は「上言シテ(いはく)力ヲ無用ノ地〔筆者註:樺太のことですね。〕ニ用テ他日ニ益ナキハ寧ロ之ヲ顧ミサルニ若カス故ニ之ヲ棄ルヲ上策ト為ス便利ヲ争ヒ紛擾ヲ致サンヨリ一着ヲ譲テ経界ヲ改定シ以テ雑居ヲヤムルヲ中策ト為ス雑居ノ約ヲ持シ百方之ヲ嘗試シ左支右吾遂ニ為ス可カラサルニ至ツテ之ヲ棄ルヲ下策ト為スト」ということがあったそうです(明治62月付け黒田清隆開拓次官上表(アジア歴史資料センター・レファレンスコード:A03023618600))。要は,黒田の樺太放棄論(「上策」)は明治三年中から始まっていたようです。

このようなことになって,「これまで樺太の維持のため努力を重ねてきた岡本監輔は,このような黒田の方針に追従できず,明治3年末に辞表を提出し,許可も届かないうちに離島した〔略〕。その後の樺太行政は,ロシアの軍事力に対抗して開拓を推進するよりは,むしろ移民や出稼人たちの保護に重点が移されたのである。」ということになりました(秋月7頁)。岡本の樺太統治の夢及び努力は,「樺太の行政官として下僚80余名と移民男女200余名を率いて,慶応46月末クシュンコタン(楠渓)に着任」(秋月2頁)してからわずか2年半ほどで終わりを告げたわけです。

その後,187557日にペテルブルクで調印され同年822日に批准書が交換された日露間の千島樺太交換条約によって,全樺太がロシア帝国の単独領有に帰したことは周知のとおりです。


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1 はじめに:配偶者及び兄弟姉妹が相続人である場合の配偶者の遺留分は8分の3か2分の1か

我が民法(明治29年法律第89号)の第1042条は,「遺留分の帰属及びその割合」との見出しの下に,次のように規定しています。

 

  第1042条 兄弟姉妹以外の相続人は,遺留分として,次条第1項に規定する遺留分を算定するための財産の価額に,次の各号に掲げる区分に応じてそれぞれ当該各号に定める割合を乗じた額を受ける。

   一 直系尊属のみが相続人である場合 3分の1

   二 前号に掲げる場合以外の場合 2分の1

  2 相続人が数人ある場合には,前項各号に定める割合は,これらに第900条及び第901条の規定により算定したその各自の相続分を乗じた割合とする。

 

これは,平成30年法律第72号たる民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律によって,それまでの民法1028条が,201971日から(同法附則1条柱書き,平成30年政令第316号)改められたものです。

平成30年法律第72号による改正前の民法1028(以下,昭和22年法律第222号の施行(194811日(同法附則1条))以後平成30年法律第72号による改正前の民法の第5編第8章(現在は第9章)の各条を「旧〇〇〇〇条」のように表記します。)は,次のとおりでした。

 

 (遺留分の帰属及びその割合)

  第1028条 兄弟姉妹以外の相続人は,遺留分として,次の各号に掲げる区分に応じてそれぞれ当該各号に定める割合に相当する額を受ける。

   一 直系尊属のみが相続人である場合 被相続人の財産の3分の1

   二 前号に掲げる場合以外の場合 被相続人の財産の2分の1

 

民法旧1028条には現行10422項に相当する規定がありませんが,この点は,民法旧1044条で手当てがされていました(下線は筆者によるもの)。

 

 (代襲相続及び相続分の規定の準用)

 第1044条 第887条第2項及び第3項,900条,第901,第903条並びに第904の規定は,遺留分について準用する

 

六法を調べるのが億劫な読者もおられるでしょうから,民法900条及び901条の条文を次に掲げておきます。

 

 (法定相続分)

 第900条 同順位の相続人が数人あるときは,その相続分は,次の各号の定めるところによる。

  一 子及び配偶者が相続人であるときは,子の相続分及び配偶者の相続分は,各2分の1とする。

  二 配偶者及び直系尊属が相続人であるときは,配偶者の相続分は,3分の2とし,直系尊属の相続分は,3分の1とする。

  三 配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは,配偶者の相続分は,4分の3とし,兄弟姉妹の相続分は,4分の1とする。

  四 子,直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは,各自の相続分は,相等しいものとする。ただし,父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は,父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の2分の1とする。

 

 (代襲相続人の相続分)

 第901条 第887条第2項又は第3項の規定により相続人となる直系卑属の相続分は,その直系尊属が受けるべきであったものと同じとする。ただし,直系卑属が数人あるときは,その各自の直系尊属が受けるべきであった部分について,前条の規定に従ってその相続分を定める。

 2 前項の規定は,第889条第2項の規定により兄弟姉妹の子が相続人となる場合について準用する。

 

民法旧1028条及び旧1044条の当該部分(同法900条及び901条の準用の部分)を現行1042条の形に改めた趣旨は,平成30年法律第72号を立案起草された御当局の御担当者によれば,「〔平成30年法律第72号による改正前の〕旧法ではこれらの規律が明確に規定されておらず,一般国民からみて極めて分かりにくいという問題があったことから,新法においては,遺留分の額(第1042条)や遺留分侵害額(第1046条第2項)の算定方法を明確化することとしたものである。」とのことです(堂薗幹一郎=野口宣大『一問一答 新しい相続法――平成30年民法等(相続法)改正,遺言書保管法の解説』(商事法務・2019年)134頁)。

しかして,「明確化」された遺留分の額の「算定方法」は,要するに,「遺留分の具体的金額については,遺留分を算定するための財産の価額に,遺留分割合(原則2分の1)を乗じ,さらに遺留分権利者の法定相続分を乗じて,これを求める」とのことです(堂薗=野口133頁)。ここにいう「法定相続分」とは,民法10422項にいう同法「第900条及び第901条の規定により算定したその各自の相続分」であるものと了解されます(民法900条の見出しは,正に「法定相続分」です。)。

更により明確に数式化された「遺留分を求める計算式」は,次のとおりです(堂薗=野口134頁(注1))。

 

 遺留分=(遺留分を算定するための財産の価額)×1/2)(×(遺留分権利者の法定相続分)

 直系尊属のみが相続人である場合には,1/3

 

 ということで,「被相続人の弟及び妹並びに配偶者の計3人を相続人とする相続において,各相続人の遺留分は,それぞれ,遺留分を算定するための財産の価額の何分の1か。」と問われれば,弟及び妹については民法10421項柱書きによってそもそも遺留分が認められていないからそれぞれゼロであり,同柱書きによって遺留分権利者と認められている配偶者については,遺留分割合の2分の1(同法104212号。被相続人の配偶者及び兄弟姉妹は,いずれもその直系尊属ではありませんから,「3分の1」(同項1号)にはなりません。)に――民法9003号においては妻の法定相続分は4分の3であるので――4分の3を乗じて8分の3となりますよ,と素直に答えればよいように思われます。

 ところが,インターネット上の諸ウェブページを検するに,この場合,遺留分を算定するための財産の価額の8分の3をもって配偶者の遺留分とするのはよくある残念な間違いであって,正解は,遺留分を算定するための財産の価額の2分の1である,とするものが多く目に入ります(なお,「配偶者と兄弟姉妹が相続人になるとき配偶者の遺留分は1/23/8か?! - あなたのまちの司法書士事務所グループ|神戸・尼崎・三田・西宮・東京・北海道 (anamachigroup.com)」を参照)。遺留分権者は配偶者一人なので,専ら民法104212号そのままに,遺留分を算定するための財産の価額の2分の1を独り占めできるのだ,この場合同条2項は最初から問題にならないのだ,ということのようです。はてさて,せっかく「明確化」されたはずの条文の文理に素直に従って解釈したつもりが,無慈悲にも間違いとされるとは,トホホ・・・と若干自信を失いかけたところで,気を取り直して事態を明確化すべく,筆者は本稿を草することとしたのでした。

 

2 平成30年法律第72号制定前の通説:2分の1説

 まず諸書を検するに,配偶者及び兄弟姉妹が相続人である場合における配偶者の遺留分が遺留分を算定するための財産の価額の8分の3ではなく2分の1となるということは,通説であったようです。「あったようです」と留保するのは,これらの書物は,平成30年法律第72号の制定前に書かれたものであって,解釈の対象となっているのは民法旧1028条だからです。

 

  配偶者と兄弟姉妹が相続人となるときには,2分の1の遺留分は全て配偶者にいく。

(内田貴『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)505頁)

 

配偶者と兄弟姉妹が相続人であるときは,配偶者は2分の1,兄弟姉妹には遺留分がない。

(我妻榮=有泉亨著・遠藤浩補訂『民法3 親族法・相続法(新版)』(一粒社・1992年)394頁)

 

〔旧1028条において,直系尊属のみが相続人である場合以外の〕場合は,〔総体的遺留分の率は〕2分の1である(同条2号)。直系卑属のみ,配偶者のみ,配偶者と直系卑属,配偶者と直系尊属,⑤配偶者と兄弟姉妹の五つの場合があるが,兄弟姉妹は遺留分を有しないから,⑤の場合は,②の場合と同じに,配偶者だけが2分の1の遺留分をもつ。

(遠藤浩等編『民法(9)相続(第3版)』(有斐閣双書・1987年)244-245頁(上野雅和))

 

配偶者と兄弟姉妹が相続人の場合は,配偶者のみ3分の1

(中川善之助『相続法』(有斐閣・1964年)406頁)

 

  なお,中川善之助教授の1964年の上記著書『相続法』において「配偶者のみ3分の1」となっているのは,昭和55年法律第51号によって198111日から改正(同法附則1項)されるまで,民法旧1028条は次のとおりだったからでした。

 

     第1028条 兄弟姉妹以外の相続人は,遺留分として,左の額を受ける。

      一 直系卑属のみが相続人であるとき,又は直系卑属及び配偶者が相続人であるときは,被相続人の財産の2分の1

      二 その他の場合には,被相続人の財産の3分の1

 

    昭和55年法律第51号による改正後の民法旧1028条は次のとおりでした。

 

     第1028条 兄弟姉妹以外の相続人は,遺留分として,左の額を受ける。

      一 直系尊属のみが相続人であるときは,被相続人の財産の3分の1

      二 その他の場合には,被相続人の財産の2分の1

    

    民法旧1028条がその最終的な姿になったのは,平成16年法律第147号による改正によってでした(200541日から施行(同法附則1条,平成17年政令第36号))。当該改正は,配偶者の遺留分拡大に係る昭和55年法律第51号による改正のような実質的内容の改正ではありませんから,正に民法旧1028条の「明確化」のためのものだったのでしょうが,それでもなお,平成30年法律第72号による改正が更に必要だったのでした。

 

   配偶者と四人の兄弟姉妹があるとき〔略〕。兄弟姉妹には遺留分がないから,配偶者だけ一人で3分の1。従つて,被相続人は,遺産の3分の2は自由に処分することができる。

   (我妻榮=立石芳枝『親族法・相続法』(日本評論新社・1952年)633頁(我妻))

 

 確かに民法旧1028条の規定は,それ自体で一応完結しているので,遺留分権利者が一人であるときはそこで終わりだったのでしょう。遺留分権利者が複数であるときに初めて,同法旧1044条による900条及び901条の準用が必要となるものと解されていたのでしょう。

ちなみに,昭和22年法律第222号による改正前の民法1146(以下,昭和22年法律第222号の施行前の民法の第5編の各条を「旧々〇〇〇〇条」のように表記します。いわゆる「明治民法」ですね。なお,旧民法(明治23年法律第28号・第98号)は,「明治民法」の一つ前の別の法典です(施行はされず。)。)は,「〔略〕第1004条〔略〕ノ規定ハ遺留分ニ之ヲ準用ス」と規定し,旧々1004条は「同順位ノ相続人数人アルトキハ其各自ノ相続分ハ相均シキモノトス但直系卑属数人アルトキハ嫡出ニ非サル子ノ相続分ハ嫡出子ノ相続分ノ2分ノ1トス」と規定していましたところ,梅謙次郎は旧々1146条について淡々と「此条〔旧々1004条〕ハ遺産相続ニ於テ同順位ノ相続人数人アル場合ニ付キ各自ノ相続分ヲ定メタルモノナリ而シテ遺留分モ亦其相続分ノ割合ニ応シテ之ヲ定ムヘキモノトシタルナリ」と説明しています(梅謙次郎『民法要義巻之五 相続編(第21版)』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1913年)454頁。下線は筆者によるもの)。遺留分についても,遺留分権利者が「数人アル場合」が問題となるのだということでしょう。

民法旧々1131条は「遺産相続人タル直系卑属ハ遺留分トシテ被相続人ノ財産ノ半額ヲ受ク/遺産相続人タル配偶者又ハ直系尊属ハ遺留分トシテ被相続人ノ財産ノ3分ノ1ヲ受ク」と規定していました。当該規定の前提となる遺産相続に係る同法旧々994条から996条までは,直系卑属,②配偶者,③直系尊属,④戸主の順序の順位で遺産相続人となるものとしていましたので,遺留分権利者が存在する場合において,その範囲と遺産相続人の範囲とが異なるという事態(民法現行規定においては,配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは,配偶者のみが遺留分権利者となります。)はなかったところです(遺留分のない戸主(旧々1131条参照)が遺産相続人となるのは,遺留分権利者でもある先順位の遺産相続人がないときでした。)。

なお,「遺産相続」といって単純に「相続」といわないことには理由があります。昭和22年法律第74号の施行(194753日から(同法附則2項))前の我が民法の相続制度は,家督相続と遺産相続との2本立てだったのでした(前者に係る規定は同法71項により適用停止)。家督相続は戸主権の相続で,遺産相続は,戸主ではない家族の死亡の場合におけるその遺産の相続です。(ちなみに,「日本国憲法施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」は,昭和22年法律第74号の題名ではなく,件名です(当該官報を見るに,上諭における用語は「日本国憲法施行」であって,「日本国憲法の施行」ではありません。)。)

 

3 脱線その1:特別受益の価額は遺留分から減ずるのか遺留分侵害額から減ずるのか問題の解決の「明確化」

 しかし,平成30年法律第72号による民法1042条の「明確化」は,主に,遺留分についての同法旧1044条による「第903条〔略〕の規定」(同条は,特別受益者の相続分に係るもの)の準用の在り方(遺留分権利者が受けた特別受益の価額を,同人の遺留分の額からあらかじめ減じておくのか,それとも次の遺留分侵害額算定の段階においてそこから減ずるのか)に係るものでした。

なお,「特別受益者」は,共同相続人中「被相続人から,遺贈を受け,又は婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として贈与を受けた者」ですので(民法9031項。同項は「共同相続人中に,被相続人から,遺贈を受け,又は婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として贈与を受けた者があるときは,被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与の価額を加えたものを相続財産とみなし,第900条から第902条までの規定により算定した相続分の中からその遺贈又は贈与の価額を控除した残額をもってその者の相続分とする。」と規定しています。),遺留分権利者が受けたことになる特別受益には,民法9031項の贈与のみならず,遺贈も含まれることになります(民法104621号参照)。

 最判平成81126日民集50102747頁が,「不明確性」の元凶ということになるのでしょうか。

当該平成8年最判の判示にいわく,「被相続人が相続開始の時に債務を有していた場合の〔①〕遺留分の額は,民法〔旧〕1029条〔現行1043条に相当〕,〔旧〕1030条〔現行10441項に相当〕,〔旧〕1044条に従って,被相続人が相続開始の時に有していた財産全体の価額にその贈与した財産の価額を加え〔この「贈与」については,当時,特別受益に係る9031項の贈与は,相続開始前1年間より前のものも全て含まれました(旧1044条による9031項前段の準用(我妻=立石637頁・656頁(我妻),遠藤等247頁(上野),内田505頁。最判平成10324日民集522433頁参照)。特別受益に係る贈与の加算を原則として相続開始前10年間のものに限定する現行10443項は新設規定です。)。〕,その中から債務の全額を控除して遺留分算定の基礎となる財産額を確定し,それに同法〔旧〕1028条所定の遺留分の割合を乗じ,複数の遺留分権利者がいる場合は更に遺留分権利者それぞれの法定相続分の割合を乗じ,遺留分権利者がいわゆる特別受益財産を得ているときはその価額を控除して算定すべきものであり,〔②〕遺留分の侵害額は,このようにして算定した遺留分の額から,遺留分権利者が相続によって得た財産がある場合はその額を控除し,同人が負担すべき相続債務がある場合はその額を加算して算定するものである。」と(下線は筆者によるもの)。

すなわち,平成8年最判においては「厳密には,遺留分権利者の特別受益の額の取扱いが第1046条第2項の規律とは異なる(上記判例では,遺留分額の算定の中で,この額を予め控除しているものと考えられる。)」というのが,平成30年法律第72号の法案立案御当局の事実認識でした(堂薗=野口134頁(注3))。確かに,現行104621号は,特別受益の価額を「遺留分の算定の中で」ではなく,遺留分侵害額の算定の段階において初めて減ずる処理をすることにしています。すなわち,遺留分の額を算定するに当たって,特別受益の価額が,1042条又は1043条においてあらかじめ控除されるものではありません。

「明確化」を必要とする前提状況として,従来の学説は,(a)平成8年判決方式を採るものと(b)現行民法1042条=10462項方式を採るものとに分かれていました。

a)平成8年最判方式を採る学説としては,①「各自の遺留分の額は,〔「被相続人が相続の時に有した財産の価額に贈与した財産の価額を加え,そこから債務の全額を控除した額である」ところの「元になる財産」〕の額に各自の遺留分と法定相続分の割合を掛けたものから特別受益を引いた額である」とするもの(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)168頁),②「各人の遺留分額は,遺留分算定の基礎となる遺産額〔略〕に各遺留分権利者の遺留分率(全体の遺留分率に法定相続分率を掛けたもの)を掛け,ここから相続人の特別受益額を差し引いたもの(1044条による903条の準用)ということになる」とするもの(内田506頁。ここで「〔旧〕1044条による903条の準用」というのは,民法9031項後段の「算定した相続分の中からその遺贈又は贈与の価額を控除した残額をもってその者の相続分とする」の部分を「算定した遺留分の中からその遺贈又は贈与の価額を控除した残額をもってその者の遺留分とする」と読み替えて準用するという意味でしょう。)及び③「〔旧々〕第1007条〔現行9031-3項に対応〕ニ依リ相続財産ニ算入スヘキモノハ遺留分ノ算定ニ付テモ亦之ヲ算入スヘク而シテ之ヲ遺留分中ヨリ控除スヘク尚ホ其額カ遺留分ニ均シキカ又ハ之ニ超ユルトキハ一切遺留分ヲ受クルコトヲ得サルモノトス」とするもの(梅455-456頁)があります。

b)現行民法1042条=10462項方式を採る学説としては,①遺産総額に相続人に対する生前贈与の額を加えた和(旧1029条,旧1044条・903条)に旧1028条の当該割合を乗じて得られた積に更に法定相続分に係る900条を準用(旧1044条)してそれぞれ算定した額を「各自の遺留分」とした上で,当該各自の遺留分額と各自の相続利益額(特別受益額(受贈額及び受遺額)と相続額との和)とを比較して後者が前者に及ばないときに遺留分侵害があるとする例を示すもの(我妻=立石639-641頁(我妻))及び②「それぞれの遺留分権利者の計算上の遺留分の額は,遺留分算定の基礎となる財産額〔「「被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加え,その中から債務の全額を控除して」定める」〕に,その者の遺留分の率〔「遺留分権利者が複数あるときは,全体の遺留分の率に,それぞれの遺留分権利者の法定相続分の率を乗じたもの」〕を乗じたものである」とする一方,「遺留分侵害額の算出式」を「遺留分侵害額=遺留分算定の基礎となる財産額(A)×当該相続人の遺留分の率(B)-当該相続人の特別受益額(C)-当該相続人の純相続分額(D)」(ただし,「C=当該相続人の受贈額+受遺額 D=当該相続人が相続によって得た財産額-相続債務分担額」)とするもの(遠藤等247-249頁(上野))があります。

 平成30年法律第72号は,平成8年最判の存在にかかわらず,(a)星野vs.b)我妻の師弟対決において師匠の我妻説(b)を採用したものと解されます。「いずれの整理をしたとしても最終的に算出される遺留分侵害額に変わりはない」が「いわゆる遺留分超過額説を採用した判例(最一判平成10226日民集521274頁)では,「遺留分」の概念について第1046条第2項と同様の理解をしているのではないかと考えられること等を踏まえて」,(b)説が採用されたものとされています(堂薗=野口134頁(注3))。

 このうち,最判平成10226日以外の理由である「等」たる理由については,相続人の遺留分は「割合を乗じた額」なので(民法1042条参照),その算定作業は掛け算をもって終わるべきであるから,ということもあるでしょうか。確かに,特定受益の額を減ずるということで個々に更に引き算が加わると凹凸ができて,「割合を乗じた額」ではなくなってしまいます。

 

しかしてこの割合方式はローマ法時代からの伝統でしょうか。いわく,「lex Falcidia(前40年の平民会議決) 相続人は少くとも相続財産の4分の1を取得する。4分の3を超える遺贈の超過額は無効となり,受遺者多数のときは按分的に減額せられる。〔略〕知らずして超過額を相続人が履行すれば,非債弁済の不当利得返還請求訴権〔略〕を発生する。4分の1quarta Falcidia)とは相続債務,埋葬費用,解放せらるべき奴隷の値を全部遺産より控除した額の4分の1である。」と(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)371頁)。

ただし,我が民法の遺留分制度は,ローマ法と直結したものではありません。すなわち,「〔日本〕民法の遺留分制度(〔旧〕1028条以下参照)は,ゲルマン法系統の流を汲むフランス固有法のréserve制を模倣したものである。ローマ法の義務分制度と類似したものがあるが,又幾多の点で異つている。歴史的にいつてもローマの義務分が遺言の自由を制限して設けられた部分であるのに対して,遺留分は遺言の不能が解除せられた場合に依然として解除せられない部分であり,存在理由も倫理的義務よりは,家の維持のための経済的理由にあり(従つて遺留分額はもとは家産たる祖先伝来の不動産の幾分の一としてきめられた),又法定相続人が法定相続人として有する権利で(従つて被相続人の遠い親族でも相続人となれば遺留分はある),義務分の如く一定近親として与えられる権利ではなく(義務分では相続を拒絶しても義務分は請求できる),又遺留分の訴は不倫遺言の訴querela inofficiosi testamenti. 遺言者の一定近親者が遺言者の死亡に伴い受けた額が,無遺言相続人であったならば受けたところの額(pars legitima)の4分の1(義務分)に達しないときに,無遺言相続分(義務分ではない。)に障碍を与える限度において遺言を取り消すべく,当該近親者が提起し得る訴え〕の如く相続分額を求めることなく,遺留分額を要求するものであるが,その請求はローマの義務分補充の訴の如き単なる債権的な訴ではない。」とのことです(原田345-347頁)。「ゲルマン法では当初遺言制度を認めなかつた」ところです(原田329頁)。

 

 他方,主要な理由とされる最判平成10226日について見ると,同判決は,次のような判示をしています。いわく,「相続人に対する遺贈が遺留分減殺の対象となる場合においては,右遺贈の目的の価額のうち受遺者の遺留分額を超える部分のみが,民法〔旧〕1034〔「遺贈は,その目的の価額の割合に応じてこれを減殺する。但し,遺言者がその遺言に別段の意思を表示したときは,その意思に従う。」〕にいう目的の価額に当たるものというべきである。けだし,右の場合には受遺者も遺留分を有するものであるところ,遺贈の全額が減殺の対象となるものとすると減殺を受けた受遺者の遺留分が侵害されることが起こり得るが,このような結果は遺留分制度の趣旨に反すると考えられるからである。そして,特定の遺産を特定の相続人に相続させる趣旨の遺言による当該遺産の相続が遺留分減殺の対象となる場合においても,以上と同様に解すべきである。以上と同旨の原審の判断は,正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく,論旨は採用することができない。」と。

 当該最判は,直接には現行10471項柱書きの第3括弧書きに対応する,ということは分かります。

 しかしながら,当該最判と平成8年最判との食い合わせの悪さは,一見すると分かりづらいところです。最判平成10226日に係る調査官解説を見ると,そこには「本件における遺留分侵害額の算定及び減殺すべき額の計算例」が記載されており,確かに当該「計算例」においては,(b)現行民法1042条=10462項方式が採られています(野山宏「相続人に対する遺贈と民法1034条にいう目的の価額」『最高裁判所判例解説民事編平成10年度(上)(1月~5月分)』(法曹会・2001年)198-199頁)。しかし,当該解説は,平成8年最判が採用するところの遺留分概念に係る(a)説の否認にまで直接説き及んでいるものではありません。

それでも,極端な仮設例をもって考えてみると何だか分かってくるようではあります。相続人が息子3名のみの被相続人たる父が,6世紀前半漢土南朝梁の武帝こと蕭衍(皇帝菩薩)のように宗教に入れあげて,死亡前の1年間に正味財産の6分の5を某宗教法人にお布施(生前贈与)してしまったものの,宇宙大将軍🚀(実在の称号です。)こと侯景👽の乱的末期(まつご)の混乱の中,残った6分の1は辛うじて長男に遺贈されることを得た(なお,中世ヨーロッパのキリスト教「教会は,霊魂救済のための喜捨が,教会を受遺者として行われることを認め,進んではこれを勧奨し,後には,無遺言者は懺悔をしない者と視られ,敬虔な遺贈をしない死者は埋葬を禁じられるというようなことにまでなった」そうです(中川309頁)。強欲なキリスト教✞⛪を禁じた我が豊臣秀吉🐒は,烈士だったのですな。),という場合を考えてみましょう。平成10年最判は,このような場合の長男を,次男三男(3兄弟の遺留分の率はそれぞれ6分の1(民法1042条))から最初にされる遺留分減殺請求(現在は遺留分侵害額請求)攻撃(受贈者である某宗教法人より先に,受遺者である長男が遺留分侵害額を負担しなければなりません(民法104711号)。)から守って過ぎ越されしめ,矛先を本尊たる某宗教法人に向けさせようというものでしょう。ところが,平成8年最判ないしは星野説(a)風に長男の遺留分の額を算定すると,民法1042条によって算定される遺留分の価額と同額の遺贈(特別受益の供与)が当該相続人にされてしまっているので,その分を差し引いて,残額ゼロということにならざるを得ません。そうであれば,次男三男からの最初の遺留分侵害額請求によって――せっかくの平成10年最判の理論ないしは民法10471項柱書きの第3括弧書きの規定もものかは――受遺価額の全額につき身ぐるみを剝がされてしまうことになります。これは確かにおかしいところです。

 

4 本題:遺留分に係る民法900条及び901条の準用に関する「明確化」の成否

 

(1)御当局の御趣旨

 ところで,実はこちらが本稿の本題ですが,民法現行1042条におけるもう一つの「明確化」は,遺留分についての民法旧1044条による同法900条及び901条の準用の在り方に係るものであったと解されます。

すなわち,民法旧1044条及びそこにおいて遺留分について準用されるものとされた条項については,「これらの規定が具体的にどのように準用されるのか判然とせず,分かりにくいとの指摘がされていた」ところ,「法定相続分を規定する第900条,第901条については,相続人が複数いる場合の遺留分を算定するために適用する規律として第1042条第2項に」規定することとしたものとされています(堂薗=野口159頁。下線は筆者によるもの)。

 

(2)立法ミス説:相続人≠遺留分権利者

御当局による前記説明において「相続人が複数いる場合の」規律であるぞという趣旨が表明されています。民法900条柱書きの「同順位の相続人が数人あるときは」との表現に引きずられたのでしょうか(なお,ここでの「同順位の」は贅語でしょう。同順位だからこそ同時に相続人になっているわけです。ただし,民法旧々1004条も「同順位ノ相続人数人アルトキハ」云々と規定していました。ちなみに,明治23年法律第98号の旧民法財産取得編においては,同順位の相続人が複数いて相続人が複数となる場合はなかったところです(同編295条並びに313条及び314条)。)。出来上がりの民法現行10422項も「相続人が数人ある場合」に係る規定であるものと自己規定しています。

 しかし,最判平成81126日の「複数の遺留分権利者がいる場合は更に遺留分権利者それぞれの法定相続分の割合を乗じ」との判示部分ないしは「それぞれの遺留分権利者の遺留分(個別的遺留分)の率 遺留分権利者が複数あるときは,全体の遺留分の率に,それぞれの遺留分権利者の法定相続分の率を乗じたものが,その者の遺留分の率である(1044条による900条・901条の準用)。」という民法教科書の記述(遠藤編245頁(上野)。下線は筆者によるもの)がせっかくあるのに,何ゆえ「遺留分権利者」概念から出発するそれらが民法現行10422項の起草者によって無視されてしまったのかは疑問です。配偶者及び兄弟姉妹が相続人である場合に係る同項の規定の不都合(前記1末尾における筆者の困惑参照)の存在及び当該不都合回避のための解釈方法に関して特に喋々されていないところからすると(堂薗=野口133-134頁参照),立法過程において当該不都合が気付かれることはなかったのでしょう。民法旧1028条の規定と同法900条及び901条の規定とを機械的に接合してみた際に生じた見落としによる他意なき立法ミスだったのでしょうか。

 「10422項の「相続人が数人ある場合」は「遺留分権利者が数人ある場合は」と当然読むのだ。これは,同条1項が「兄弟姉妹以外の相続人は」と書いているから,当然そう解されるのだ。」と言って,従来からの解釈(配偶者及び兄弟姉妹が相続人である場合の配偶者の遺留分は,遺留分の算定のための財産の価額の8分の3ではなく2分の1)を維持しようとするのが,いわゆる大人の態度なのでしょう。

しかし,「遺留分権利者」概念が既にあるところ(民法1044条等参照),当該概念があるにもかかわらず,素直に当該概念が使用されずに「相続人」概念が使用されるということは,当該「相続人」概念は「遺留分権利者(=兄弟姉妹(なお,甥姪について次の(3)を参照)以外の相続人)」概念と同一のものではない,と解するのが法文解釈の常道でしょう。そうであれば,「明確化」を志向した改正によってかえって条文の趣旨が従来の解釈との関係で不明確になってしまった,ということになるようです。

 

(3)脱線その2:甥姪が遺留分権利者たり得る可能性(887条2項3項準用廃止の反対解釈)

相続人たる甥姪にも遺留分はないはずです。しかし,平成30年法律第72号による改正後の民法における文理上の根拠は難しい。

10422項で準用される9012項(同項により準用される同条1項によって,代襲者である甥姪の遺留分は,被代襲者である兄弟姉妹と同じゼロとなります。)がその根拠である,ということに一見なりそうです。しかし,甥又は姪一人のみが相続人であるときは,10422項の適用はないのでしょう(同項は「相続人が複数ある場合」の規定)。

この点,旧1044条においては,いわば二重の為念的手当てがされていたものと解されます。

まず,旧1044条においては,直系卑属の代襲相続に係る8872項・3項の準用はありましたが,甥姪の代襲相続に係る8892項の準用はありませんでしたので(なお,昭和37年法律第40号による改正(同法附則1項により196271日から施行)前は,「第888条」の準用はあったが第889条第2項の準用はなかった,という形になります。),反対解釈的に,甥姪が遺留分権利者であることはないのだ,と言い得たでしょう。

また,上記のような反対解釈がされずに類推解釈がされて,仮に甥姪が遺留分権利者になるものとされたとしても,旧1044条による9012項の準用は,甥又は姪一人のみが相続人であるときであっても可能であったはずです。(なお,我妻=立石656頁(我妻)は,旧1044条による901条の準用について「但し,兄弟姉妹及びその代襲者に関する部分が準用されないことはいうまでもない。」としていますので,8892項の準用がないことをもって甥姪排除には既に十分であるものと理解していたように思われます。これに対して,潮見佳男教授は現行規定について,「代襲相続に関しては,10422項で代襲相続に関する901条が指示されていることから,代襲相続人が遺留分権利者であることがわかる」ものとしています(潮見佳男『詳解相続法(第2)』(弘文堂・2022650)。)

以上に対して,平成30年法律第72号による改正以後の民法の現行規定においては「〔旧1044条による〕第887条第2項及び第3項の準用の趣旨を明らかにすることはしていない」とされているところ(堂薗=野口159頁(注)),その意味が問題となります。当該趣旨を明らかにすることをしないこととした理由は「代襲相続人も再代襲相続人も,「相続人」であることには変わりなく,遺留分権利者の範囲についてのみ相続人に代襲相続人等が含まれることを明文化することは,他の条文の解釈に影響を与えることから」であるとされています(堂薗=野口159頁(注))。そうであれば,甥姪についても「「相続人」であることには変わりなく」ということは同様に当てはまるはずであり,かつ,甥姪は被相続人の「兄弟姉妹」ではありませんから,その非遺留分権利者性については,改めて丁寧な論証が必要となるように思われます。「他の条文の解釈に影響を与えること」を嫌ってあえて「明文化」しなかったところ,こじつけ気味の甥姪の遺留分権利者性問題として足下の1042条の解釈に影響が出てしまったことになったとすれば,皮肉な結果です。

 

5 民法1042条解釈の方向性

 

(1)伝統的解釈態度

 とはいえ,「わが民法の伝統的解釈態度は,かなり特殊なものである。第一に,あまり条文の文字を尊重せず(文理解釈をしない),たやすく条文の文字を言いかえてしまう。〔略〕第二に,立法者・起草者の意図を全くといってよいほど考慮しない。第三に,それではどんなやり方をしているのかというと,目的論的解釈をも相当採用しているが,特殊な論理解釈をすることが多い。すなわち,適当にある「理論」を作ってしまって,各規定はその表現である。従ってそう解釈せよと論ずる。〔略〕これは,ドイツ民法学,それもある時代の体系をそっくり受け入れ,これを「理論」と称し,後に述べるように実はフランス民法により近い我が民法をドイツの学説体系からむりに説明しようとしたことに由来する。」(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1971年(1993年改訂))61-62頁(一))と五十余年前に星野英一教授が歎ぜられた我が民法の伝統的解釈態度の特殊性は,令和の御代においても依然として尊重され続けるべきものなのでしょう。

したがって,今後も,平成30年第72号制定前の伝統的「理論」をもって民法の文言を超えた不易の真理として捧持しつつ,当該「理論」に基づく,配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときの配偶者の遺留分は2分の1であるのだ説をもって正解とすることが正統解釈であり続けるのでしょう。現に,潮見教授は,現行1042に関して,妻並びに妹及び弟が相続人である場合,「〔妻〕に遺留分権があるが,〔妹・弟〕にはない。なお,〔妻〕の遺留分は,104212号により2分の1である(〔妹・弟〕が遺留分権利者でないため,9003を準用する余地がない点に注意を要する)。」とその遺著で説いて(潮見650),2分の1説支持の立場を明らかにしておられます。(ただし,「〔妹・弟〕が遺留分権利者でないため,9003を準用する余地がない」との命題は,理論というよりも,平成30年第72号によってされたのは専ら「明確化」であるものとされているので,新文言についての文理解釈がどのようなものとなっても従来の解釈による結論(2分の1)の変更を伴うこと(「明確化」からの逸脱)はあり得ないのだ,というような「理論」から導出された結論がいきなり表明されているものでしょう。なお,「明確化」といっても,文言の修正にとどまらず,そこでは例えば遺留分概念の内容にまで触れ得たことにつき,前記3を参照。)


(2)文理解釈及びフランスの脱落に伴う独伊との提携

 しかしやはり,筆者としては,民法現行1042条の筆者流の文理解釈(配偶者及び兄弟姉妹が相続人である場合の配偶者の遺留分は,遺留分の算定のための財産の価額の2分の1ではなく8分の3)をあえて正当化してみたいとの内心の欲求を抑えることができません。以下のごとき蛇足🐍👣が描かれるゆえんです。

 

ア ゲルマン(フランク)=フランス法型からローマ=ドイツ法型へ

 手掛かりとして,平成30年法律第72号によって遺留分制度の効果が,遺贈又は贈与の物権的な減殺権(民法旧1031条)から債権的な遺留分侵害額請求権(同法現行10461項)に改められたことに注目すべきもののように思われます。つまり,我が遺留分制度は,今やゲルマン=フランス法型からローマ=ドイツ法型(独伊型)に決定的に移行したのだ,と解するところからの敷衍を試みるわけです。

 

   (a)フランス法型は,遺産のうち被相続人が自由に処分しうる割合額(自由分・可譲分)を定め,その残りを法定相続人のうち直系親に保障する。被相続人が可譲分を超えて財産を処分していた場合は,原則として,現物を取り戻すことができる。遺留分は,相続分の一部であり,遺留分権者たる相続人全体に帰属する遺産部分である。

   (b)ドイツ法型は,被相続人が遺産のうちから最近親者――直系卑属,親および配偶者に残さなければならない割合額(義務分・遺留分)を定め,これらの者に,被相続人から財産を承継した者に対して,遺留分を金銭で補償請求する権利を与える。遺留分は,最近親者に保障されるべき法定相続分の代償であり,各遺留分権者に個人的に帰属する債権的権利である。

   (遠藤編240頁(上野)。下線は筆者によるもの)

 

従来は,①民法旧1028条において「遺留分権者たる相続人全体に帰属する遺産部分」(総体的遺留分)を決め,②遺留分権利者が複数の場合には旧1044条の準用する900条及び901条によって内部的分配(個別的遺留分)を決めるという2段階方式であったが,現在は,「各遺留分権者に個人的に帰属する債権的権利」である遺留分権利者の権利の割合を,10421項の割合と同項2項の割合の掛け算によって――「遺留分権者たる相続人全体に帰属する遺産部分」なる概念を介さず(なお,当該概念は,「財産が家に固着せしめられて来た」(中川403頁)ゲルマン法的な「家の維持のため」(原田346頁)という目的に親和的ですね(なお,ゲルマンというと正にドイツGermanyなので混乱しますが,Frankreichのフランス法ですから,それはフランク的ということになるのでしょうか。)。しかし,我が憲法24条は「個人の尊厳と両性の本質的平等」を言挙げしていますが,「家の維持」には言及していません。)――一挙かつ直接に算定するのだ,と解してはどうでしょうか。すなわち,現在の遺留分は,各相続人の法定相続分(10422項参照)から出発するものであって,それに10421項の割合を乗じたものになるのだ,と割り切るわけです。

しかし,平成30年法律第72号による民法改正を解説する文献における「配偶者と兄弟姉妹が共同相続人となる場合,2分の1を乗じて計算される総体的遺留分を前提として,配偶者の個別的遺留分が決まる。他方,遺留分権利者ではない兄弟姉妹には,当然であるが,遺留分は認められない。」(窪田充見『家族法 民法を学ぶ 第4版』(有斐閣・2019569頁。下線は筆者によるもの)及び「1042条は,1028条とは異なって2項を新設し,相続人が数人ある場合に遺留分額の全体額を各相続人(遺留分権利者)に配分する際の割合は,900条および901条の規定によって算定した各相続人の相続分,すなわち法定相続分の割合であることを明確に規定するに至っているのである。」(潮見佳男=窪田充見=中込一洋=増田勝久=水野紀子=山田攝子編著『Before/After相続法改正』(弘文堂・2019175頁(川淳一)。下線は筆者によるもの)というような記述は,フランス法型的発想の根強さを示すものでしょう。ただし,遺留分額の全体額である総体的遺留分を――残さず――配分するのであれば2分の1説が帰結せられるのでしょうが,そこまでの明示はされていません。特に前者の文献においては,「前提として・・・決まる」という含みのある表現が採用された上で,当該部分に直接続けて「次に,この総体的遺留分に,さらに各自の法定相続分を乗じて,それぞれの遺留分権利者の遺留分(個別的遺留分)が決まる(改正民10422)。」と述べられており(窪田569頁。下線は筆者によるもの),8分の3説は必ずしも排除されていない,という読み方も可能であるものと筆者には思われます。

 

イ ドイツ民法2303

我が新母法たるべきドイツ民法2303条は,次のように規定しています(中川17頁参照)。

 

§ 2303 Pflichtteilsberechtigte; Höhe des Pflichtteils

(1) Ist ein Abkömmling des Erblassers durch Verfügung von Todes wegen von der Erbfolge ausgeschlossen, so kann er von dem Erben den Pflichtteil verlangen. Der Pflichtteil besteht in der Hälfte des Wertes des gesetzlichen Erbteils.

(2) Das gleiche Recht steht den Eltern und dem Ehegatten des Erblassers zu, wenn sie durch Verfügung von Todes wegen von der Erbfolge ausgeschlossen sind. Die Vorschrift des § 1371 bleibt unberührt.

 

  第2303条 義務分権利者,義務分の額

  (1)被相続人の直系卑属が死因処分によって相続から排除された場合においては,同人は,相続人から義務分を請求することができる。義務分は,法定相続分の価額の2分の1とする。

  (2)同様の権利が,死因処分によって相続から排除された場合において,被相続人の親及び配偶者に与えられる。ただし,第1371Zugewinnausgleich im Todesfallということですから,「夫婦財産剰余共同制における死亡による剰余の清算」ということになります。の規定に影響を及ぼさない。

 

 義務分の出発点は,正に各相続人の法定相続分(das gesetzliche Erbteil)となっています。

 1888年のドイツ民法第一草案19751項は「被相続人は,法定相続人として相続するもの又は被相続人の死因処分がなければ法定相続人として相続することになっていたものであるその直系卑属及び親のそれぞれに対して(jedem),並びに同様にその配偶者に対して,残されたものの価額が法定相続分の価額の2分の1に達する(daß der Werth des Hinterlassenen die Hälfte des Werthes des gesetzlichen Erbtheiles erreicht)だけの物を残さなければならない(義務分(Pflichttheil))。」という法文を提示していました。この義務分(Pflichtteil)に関して,当該草案に係る同年の理由書(Motive)は,「「法定相続分」の意味するところは,法律上与えられるべき相続分であって,実際に帰属した(又は取得された)相続分ではない。」と(S.388),更に「法定相続分の代償としての義務分は,各個の(einzelnen)権利者に対して,他の者とは独立に帰属する。権利者は,その権利を自己のためのものとして行使すること(für sich geltend machen)ができなければならないので,その法定相続分に応じた自立的な割当てを受けたものとして(nach seinem gesetzlichen Erbtheile selbständig zugemessen),当該権利を保有するのでなければならないのである。」と述べていたところです(ibidem)。総体的遺留分概念の介在は,ありません。

 なお,ドイツ民法においては,第1順位の法定相続人は直系卑属です(同法1924条。子らの相続分は均等(同条4項))。第2順位は両親及びその直系卑属ですが(同法19251項),相続開始時に両親健在の場合には両親のみが均等割合で相続し(同条2項),父母の一方が死亡していた場合には,当該死亡者の直系卑属が当該死亡者を代襲するものの,当該死亡者に直系卑属がないときは,生存している親のみが相続します(同条3項)。第3順位は祖父母及びその直系卑属で(同法19261項),全祖父母が健在ならば彼らのみが均等割合で相続し(同条2項),一方の祖父母夫妻中の祖父又は祖母が相続開始時に死亡していた場合には当該死亡者の直系卑属が当該死亡者を代襲し,当該直系卑属がないときは当該死亡者の配偶者に,当該配偶者が生存していないときはその直系卑属に当該死亡者の相続分が帰属し(同条3項),相続開始時に一方の祖父母夫妻がいずれも死亡しており,かつ,当該死亡者らの直系卑属もない場合には,他方の祖父母又はその直系卑属のみが相続します(同条4項)。第4順位は曽祖父母及びその直系卑属であって(同法19281条),相続開始時に曽祖父母が生存している場合には,当該生存者のみが(属する家系にかかわらず)均等の割合で相続し(同条2項),曽祖父母がいずれも生存していない場合にはその直系卑属のうち被相続人に最も親等の近い者が(複数のときは均等の割合で)相続します(同条3項)。以下どんどん世代を遡った先祖及びその直系卑属が順次法定相続人となります(同法1929条。同条2項は,19282項及び3項を準用しています。)。

 ドイツ民法上の配偶者の法定相続権は,次のとおり。

 

  第1931

  (1)被相続人の生存配偶者は,第1順位の血族と共に相続財産の4分の1の割合の,第2順位の血族又は祖父母と共に2分の1の割合の法定相続人となる。祖父母と祖父母の直系卑属とが相続にかかわるときは,配偶者は,他の2分の1の割合のうち,第1926条によれば直系卑属に帰属すべきものとなる部分をも受ける。

  (2)第1順位若しくは第2順位の血族又は祖父母のいずれもないときは,生存配偶者は全相続財産を受ける。

  (3)第1371条の規定に影響は及ばない。

  (4)相続開始時に夫婦財産別産制が行われており,かつ,生存配偶者と共に被相続人の一人又は二人の子が法定相続人であるときは,生存配偶者及びそれぞれの子は,均等の割合で相続する。第1924条第3項〔代襲相続〕が準用される。

 

ドイツにおいて配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは,配偶者及び兄弟姉妹の相続分はいずれも2分の1,義務分は,配偶者に4分の1,兄弟姉妹にはゼロとなるようです。我が国の相続法は,こうしてみると,配偶者に手厚くないわけではないですね。

 

ウ 民法1046条1項の「承継人」及び1049条2項に関して

 

(ア)民法1046条1項の「承継人」と遺留分権利者の権利の一身専属性と

 ただし,今般我が民法は遺留分制度についてローマ=ドイツ法型を採用したのだと高々と言うためには,民法10461項が遺留分権利者のみならず,「その承継人」による遺留分侵害額請求をも認めていることが若干障碍となるように思われるところです(ここでの「承継人」は「包括承継人(遺留分権利者の相続人等)のほか,特定承継人も含む」ものとされています(内田507頁)。)。というのは,ローマ法の不倫遺言(「不倫」といっても,inofficiosusですから,「義務を果たさない」とか,「思いやりのない」といった意味です。)の訴えは,遺言者死亡の際義務分以上の額を受け得なかった近親者自身のみが(「自ら――その相続人には訴権は移転せず(復讐呼吸訴権〔「(actio vindictam spirans)――被害者の相続人に移転しない訴権」〕)」)提起し得るものとされていたからです(原田345頁・221頁)。(「復讐呼吸訴権」とはラテン語の生硬な直訳ですが,復讐・処罰vindicta. vindictamは対格形)の精神を表わすspirare. spiransは現在分詞形)訴権actioということですね。)また,遺言相続における遺留分制度の趣旨は,ローマ=ドイツ法型風であると思われる「被相続人死亡ノ後其近親カ饑餓ニ迫マルノ虞ナキ為メ多少ノ遺留分ヲ認ルノ必要アリ」ということだったそうであるところ(梅426頁),そうであったのであれば,「饑餓ニ迫マ」られた当該近親者のみに当該権利の行使を認めれば十分であったように解され得るところです。

しかしこの点,我が判例はつとに,民法の明文上遺留分権利者の権利に帰属上の一身専属性まで認めることはできないものの(「民法〔旧〕1031条が,遺留分権利者の承継人にも遺留分減殺請求権を認めていることは,この権利がいわゆる帰属上の一身専属性を有しないことを示すものにすぎず」云々),当該権利の行使上の一身専属性を認めて,債権者代位権の目的とはならないもの(民法4231項ただし書)としています(最判平成131122日民集5561033頁)。このように行使上の一身専属性は既に認められている一方,帰属上の一身専属性はなお認められていないことについての理論上の不都合の有無を更に考えれば,「饑餓ニ迫マ」られるような,困っている(困った)被相続人の相続人はやはり貧乏なのでしょうし,遺留分権利者がその権利を「第三者に譲渡」(上記平成13年最判はこれを認めています。)して換金するのも「饑餓」対策としてあり得るところですから,当該帰属上の一身専属性まで,純ローマ式に要求する必要はないのでしょう。民法10461項にある「承継人」の文言について,筆者は結局余計な気をまわしたにすぎないということになるのでしょう。

なお,民法10461項の文言は,旧々1134条(「遺留分権利者及ヒ其承継人ハ遺留分ヲ保全スルニ必要ナル限度ニ於テ遺贈及ヒ前条ニ掲ケタル贈与ノ減殺ヲ請求スルコトヲ得」)に由来するわけですが,実は旧々1134条は家督相続及び遺産相続の両者に共通の規定なのでした。家督相続における遺留分制度の趣旨は,「家督相続ニ在リテハ苟モ家督相続ヲ認ムル以上ハ家督相続人カ家名ヲ維持スルニ足ルヘキ方法ヲ講セサルコトヲ得ス故ニ家名ヲ維持スルニ必要ナ財産ハ必ス之ヲ家督相続人ニ遺スヘキモノトセサルコトヲ得ス」ということですので(梅425-426頁。下線は筆者によるもの),遺留分権利者たる家督相続人は家名のために当然当該権利を行使すべきものであって当該権利に係る行使上の一身専属性は認められず,また,当該権利については,家の財産に関するものとしての財産権性が前面に出て来るものであったわけです。このような家督相続を念頭に置いた遺留分制度についての解釈(梅は,家督相続と遺産相続とを区別せずに,遺留分権利者の権利をもって「一身ニ専属スル権利ト認ムヘカラサ」るものとしています(梅436頁)。)が,遺産相続における遺留分制度の解釈をも覆ってしまっていたのでしょう。「現行民法の遺留分規定の内容は,「単独相続である家督相続を中心とした(ママ)民法の規定を家督相続の廃止にともなって最小限度の修正を加えたのみでほとんどそのまま踏襲したものであるといわれている。そのため,現行民法のとる共同相続を前提として,共同相続人間で生起しうる遺留分の問題については何らの配慮もされていないといっても過言でない」(野田愛子=太田豊「共同相続と遺留分の減殺」ジュリスト439102頁)とされる」ところであったのでした(野山202頁)。

 

(イ)民法1049条2項と各相続人に係る個人的なものとしての遺留分と

前記のとおり,昭和22年法律第222号は遺留分に係る旧々条項をほとんどそのまま踏襲したものであるといわれているとはいえ,同法による新設規定である民法1049条の第2項が,筆者の立場からは注目に値します(なお,同条は,「農業資産相続の場合を考えて」,「遺産の細分防止の方法の一つとして」,「少なくとも均分相続に対する攻撃の矛先をそらす手段にはなるだろう」ということで立案されたものです(我妻榮編『戦後における民法改正の経過』(日本評論社・1956年)190-191頁)。)。同項は「共同相続人の一人のした遺留分の放棄は,他の各共同相続人の遺留分に影響を及ぼさない。」と規定していますが,これは「遺留分は,各相続人それぞれについて個人的に定められるものだから」とされています(我妻=立石655頁(我妻))。各相続人について,直接,個人的に帰属するということでしょう。すなわち,「遺留分権者たる相続人全体に帰属する遺産部分」としての総体的遺留分概念は,ここにおいて既に退場せしめられていたのでありました。

 

エ 結語

 以上長々とした駄文にお付き合いいただき,ありがとうございました。

我が8分の3説は,民法1042条の文理に忠実なものでもありますので,「ドイツ式に体系化し解釈する」ことはこの場面では「奇妙な状況」(星野・概論Ⅰ・62頁(一))ではないのだ,とここで改めて強弁することをお許しください。

更に付言しますと,平成30年法律第72号の法案可決の際衆議院法務委員会(2018615)及び参議院法務委員会(同年75)はいずれも附帯決議を付していますところ,両決議の各第2項は同文で「性的マイノリティを含む様々な立場にある者が遺言の内容について事前に相談できる仕組みを構築するとともに,遺言の積極的活用により,遺言者の意思を尊重した遺産の分配が可能となるよう,遺言制度の周知に努めること」について「格段の配慮」をするよう「政府」に対して要求しています(堂薗=野口7-8頁参照。下線は筆者によるもの)。「遺言者の意思を尊重した遺産の分配が可能」となるために「遺言制度の周知」を行うべきだということですから,遺言制度に附随する遺留分制度に関する解釈問題の解決も「遺言者の意思を尊重」する方向でされるべきだということが平成30年法律第72号の解釈に係る立法者たる国会の意図なのでありましょう。遺留分の割合について二つの可能な解釈があれば,遺言者の自由が大きくなる方(遺留分が小さくなる方)を採用すべし,ということになるのでしょう。

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1 某巡査の重婚的「婿入」

 鷗外森林太郎の小説『雁』(1911-1915年)のヒロインである玉は,岡田医学生と淡い交渉を持った1880年(明治13年)の段階(「古い話である。僕は偶然それが明治13年の出来事だと云ふことを記憶してゐる。」)において,貸金業者の末造の妾でありましたが,飽くまでも妾にとどまる限りにおいては,末造と婚姻していたものではありません。しかしながら,末造の妾になる前に,玉には某巡査が「婿」としてやって来ていたという事情がありました。当該事情は下記のとおりですが,玉は法的には,未婚であったのでしょうか,それとも元・人妻となったものだったのでしょうか。

 

  或る時〔飴細工屋の爺いさんの家の〕入口に靴の脱いであるのを見た。それから間もなく,此家の戸口に新しい標札が打たれたのを見ると,巡査(なん)何某(なにがし)と書いてあつた。末造は松永町から,(なか)(おかち)(まち)へ掛けて,色々な買物をして廻る間に,又探るともなしに,飴屋の爺いさんの内へ婿入(むこいり)のあつた事を(たしか)めた。標札にあつた巡査がその婿なのである。お玉を目の(たま)よりも大切にしてゐた爺いさんは,こはい顔のおまはりさんに娘を渡すのを,天狗にでも(さら)はれるやうに思ひ,その婿殿が自分の内へ這入り込んで来るのを,此上もなく窮屈に思つて,平生心安くする誰彼に相談したが,一人もことわつてしまへとはつきり云つてくれるものがなかつた。〔中略〕末造が此噂を聞いてから,やつと三月ばかりも立つた頃であつただらう。飴細工屋の爺いさんの家に,ある朝戸が締まつてゐて,戸に「貸家差配(さはい)松永町西のはづれにあり」と書いて張つてあつた。そこで又近所の噂を,買物の(ついで)に聞いて見ると,おまはりさんには国に女房も子供もあつたので,それが出し抜けに尋ねて来て,大騒ぎをして,お玉は井戸へ身を投げると云つて飛び出したのを,立聞をしてゐた隣の上さんがやう〔やう〕止めたと云ふことであつた。おまはりさんが婿に来ると云ふ時,爺いさんは色々の人に相談したが,その相談相手の中には一人も爺いさんの法律顧問になつてくれるものがなかつたので,爺いさんは戸籍がどうなつてゐるやら,どんな届がしてあるやら,一切無頓着でゐたのである。巡査が髭を(ひね)つて,手続は万事己がするから好いと云ふのを,少しも疑はなかつたのである。

  (『鷗外選集第3巻 小説三』(岩波書店・1979年)216-217頁)

 

法律顧問は,有益かつ必要です(御連絡・御相談は,saitoh@taishi-wakaba.jpへ。あるいは,03-6868-3194へ)。

令和の御代となっては遅蒔きながら,玉と某巡査との婚姻の成否について考えてみましょう。当該「婿入」騒動があったのは,明治11年か12年(1878-1879年)の頃のことであったとの前提での解説です。

 

2 重婚の許否の問題

まず,前回記事(「令和4年法律第102号による改正後の民法773条における「第732条」出現の「異次元」性に関して」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080634730.html)以来の問題である重婚の許否について検討します。

1888年(明治21年)の旧民法人事編第一草案41条は「配偶者アル者ハ重ネテ婚姻ヲ為スコトヲ得ス」と規定していますが,熊野敏三起稿の理由書には「本条ハ重婚ヲ禁スルモノニシテ一夫一婦ノ制ニ帰着スルモノナリ此規則ハ或ハ旧来ノ慣習ニ反スルヤ知ルヘカラスト雖モ刑法中重婚ヲ罰スレハ既ニ之ヲ一変シタルモノト云フヘシ」とあります(『明治文化資料叢書第3巻 法律編上』(風間書房・1959年)63頁)。ここでの「刑法」は,1882年(明治15年)11日から施行された(明治14年太政官第36号布告)旧刑法(明治13717日太政官第36号布告)のことになります。旧刑法354条は「配偶者アル者重()テ婚姻ヲ為シタル時ハ6月以上2年以下ノ重禁錮ニ処シ5円以上50円以下ノ罰金ヲ附加ス」と規定していました(重禁錮は禁錮場に留置し定役に服せしめる刑です(同法241項。他方,定役に服さないのが軽禁錮でした(同項)。)。)。

熊野の口吻を反対解釈すると我が国の「旧来ノ慣習」はあるいは重婚制であったということになるようですが,ボワソナアドは,重婚(bigamie)の罪は日本社会では稀であり(raretéであるとされています。),その民俗(mœurs)は重婚に赴かせしめるものではないと観察していたところです(cf. Gve Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accmpagné d’un Commentaire, Tokio, 1886, p.1045)。稀ではあるが,重婚はあることはあった,ということになるようです。

梅謙次郎に至ると,きっぱりと,「蓋シ我邦ニ於テハ既ニ千有余年前ヨリ此〔一夫一婦の〕主義ヲ認メ敢テ一夫多妻若クハ一妻多夫ノ制ヲ取ラス」と述べています(梅謙次郎『民法要義巻之四 親族編(第22版)』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1912年(初版1899年))90頁)。民法(明治31年法律第9号)旧766条(「配偶者アル者ハ重ネテ婚姻ヲ為スコトヲ得ス」)の草案は18951122日の第139回法典調査会で審議されましたが,そこで参照条文等として掲げられたものは,我が国法関係では,旧民法人事編(明治23年法律第98号)31条(「配偶者アル者ハ重()テ婚姻ヲ為スコトヲ得ス」),旧刑法354条,戸婚律有妻更娶条,和娶人妻条,応政談,御定書百个条48(密通御仕置之事),明治8128日司法省指令,明治9623日太政官指令1条及び明治9717日「内務省1」となっています(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第46巻』91丁表)。これらの条文等が我が国における一夫一婦制の伝統を基礎付けていたのだ,ということでしょう。

 

 今日本に於ける沿革を案ずるに戸婚律に(第1)有妻更娶条(第2)和娶人妻条ありて配偶者ありながら他人と婚姻する者を罰し其婚姻を無効とせり。新律綱領,改定律(ママ)には明文なし。故に人の妻を娶るも罪なきに非さるやの疑を生するも実際は不応為罪中に之を含みたり。明治8128日司法省指令に由れば妻ある夫更に婚姻(ママ)ば不応為罪の重きに依て処断す。後婚の婦女其情を知らば同罪とすとあり。徳川時代に於ては百ヶ条に「密通致し候妻死罪,密通之男死罪」と規定したり。

 (中村進午『親族法』(東京専門学校・1899年)82頁)

 

 明治8年(1875年)128日司法省指令の事案は,玉と某巡査との事件と同型ですね。

 明治9年(1876年)717日「内務省1」の内容は筆者には調べがつかなかったのですが,同年623日の太政官指令1条は,18749月に夫が逃亡してしまったので妻が姑及び実家の父らに勧められてN松と「再婚」したところ,後に事実が当局に露見して187511月に妻の実父らはそれぞれ処分され,かつ,N松とは離隔せられたものの,18761月に妻が出産してしまった「後婚」の子を戸籍上どう取り扱うかについての回答であって,「子ハ双方ノ協議ニ任セ男又ハ女ニテ(ひき)引取(とりをなし)男ニテ引取候ハ庶子女ニテ引取候ハ私生ノ子ト記載スヘキ事」というものでした。N松との「後婚」は一妻多夫の重婚として無効なので,生まれた子は嫡出子にはならず(なお,同児は187511月の「離隔」前に懐妊されているところ,重婚も取消しまでは有効であって,かつ,取消しの効果は遡及しないとの現行民法(明治29年法律第89号)744条及び7481項の主義であれば,嫡出子たり得たところでしょう(同法7721項及び2項後段参照。また,旧民法人事編66条(「無効ノ言渡アリタル婚姻ハ子ニ付テハ其出生ノ婚姻前後ナルヲ問ハス法律上ノ効力ヲ生ス」))。),N松が認知(引取り)をすればその庶子となるが,そうでなければ(女ニテ引取の場合)父の知れない私生子であるということでしょう。

 不応為罪は,明治三年十二月二十日(187129日)の新律綱領の巻5雑犯律に「凡律令ニ正条ナシト雖モ情理ニ於テ為スヲ得()ヘカラサルノ事ヲ為ス者ハ笞30事理重キ者ハ杖70」との規定があったものです。罪刑法定主義(旧刑法2条「法律ニ正条ナキ者ハ何等ノ所為ト雖モ之ヲ罰スル(こと)ヲ得ス」)もあらばこそです。30及び杖70の刑は,明治6年(1873年)710日から施行の改定律例(明治6613日太政官第206号布告)によって,それぞれ30日の懲役及び70日の懲役に改められています(なお,改定律例は,新律綱領を廃止するものでも全部を改正するものでもなく,補充するものでした。)。ただし,玉の「婿」の某巡査は官吏でしょうから(「上は君主より下は交番の巡査に至る迄」いずれも国家機関である,とは美濃部達吉の不敬的かつ有名な表現です。),改定律例23条又は(平民の場合)24条の適用があり(重婚は,公務に係る公罪ではなく私罪でしょう。),重婚に係る不応為罪を犯したとしても,懲役70日ではなく,官吏私罪贖例図に照らして贖金1050銭に処せられるべきものだったのではないでしょうか(なお,等外吏ではなく,それより一つ偉い判任官であれば14円)。

 

3 婚姻の成立の問題

 次に重婚の成立,すなわち婚姻は何をもって成立することとされていたかの問題があります。

 「徳川時代の厳格なる用語にては,婚姻(〇〇)というは夫婦の関係を発生すべき祝言(〇〇)()挙行(〇〇)なり。而してこの婚姻を挙行する契約は即ち縁談取極にして,これは結納(〇〇)()授受(〇〇)に依りて成立するものとす」(中田薫『徳川時代の文学に見えたる私法』(1956年(岩波文庫版1984年))130頁),「江戸時代においては,武士と庶民とで違ったようであり,武士についての幕府法によると,双方の当主(戸主のようなもの)からそれぞれ幕府に縁組願いを出して許可を得た後に結納の授受と婚儀の挙行によって婚姻が成立し,その後その旨の届出を要し,庶民については,社会的には結納の授受と祝言の挙行が行われたが,法律上は変遷があり,末期には人別帳(当時の戸籍)に記載することを要した。」(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)56頁)というような状況であったところ,明治に入って,明治三年十一月四日(18701225日)に太政官から縁組規則(明治三年太政官第797号布告)というものが出ます。

 

  一華族ハ太政官ヘ願出士族以下ハ其管轄府藩県ヘ(ねがい)願出(いづべき)

  一華族士族取結候節ハ華族ハ太政官ヘ願出士族ハ其管轄官庁ヨリ太政官ヘ伺済ノ上可差許(さしゆるすべき)

  一府藩県管轄違ニテ取結候節ハ士族卒平民タリトモ双方ノ官ニテ聞済互ニ送リ状取替シ(もうす)(べき)

  右之通被定(さだめられ)候事

 

藩の字が出て来ますが,明治三年段階では,前年に版籍奉還はされているものの,なお廃藩置県はされていなかったところです(廃藩置県の詔書が出されたのは,明治四年七月十四日(1871829日)のことでした。)。

華族令(宮内省達)が出て五爵の制が定められたのは明治17年(1884年)77日のことですが,明治二年の版籍奉還の段階での「華族」は,それまでの公卿・諸侯の称を改めたものです。

明治三年の縁組規則は,翌明治四年四月二十二日(187169日)の太政官第198号布告で早速改められます。

 

 昨冬十一月御布告縁組規則中管轄違ニテ取結候節ハ士族卒平民トモ双方官庁ニテ聞済送リ状取替候様御達ニ相成居候処平民ハ不及其儀(そのぎにおよばず)今般御布告ノ戸籍法第5則ノ通可相(あひここ)心得(ろうべく)此段更ニ相達候事

 

 明治四年四月四日(1871522日)の太政官第170号布告たる戸籍法の第5則は,次のとおりです。

 

  編製ハ爾後6ヶ年目ヲ以テ改ムヘシト雖モ其間ノ出生死去出入等ハ必其時々戸長ニ届ケ戸長之ヲ其庁ニ届ケ出テ支配所アルモノハ支配所ニ届支配所ヨリ其庁ニ届ク其庁之ヲ受ケ人員ノ増減等本書ヘ加除シ毎年十一月中戸籍表ヲ改メ十二月中太政官ヘ差出スヘシ加除ハ生ルモノト入ルモノヲ加ヘ死者ト出ルモノヲ除ク類ヲ云フ

 

平民については「今般御布告ノ戸籍法第5則ノ通可相(あひここ)心得(ろうべく)」ということですから,平民の婚姻等については府藩県への願い出(及び当該府藩県からの許可)を要さず,戸長への報告的届出のみでよい,ということでしょうか。江戸時代の制とほぼ同様,ということになるのでしょう。

ただし,学説上「明治四年の戸籍法により,戸(ママ)への届出が婚姻の成立要件となったとする説」があるそうです(星野57頁)。しかし,明治四年太政官第170号布告戸籍法の趣旨については「戸籍人員ヲ詳ニシテ猥リナラサラシムルハ政務ノ最モ先シ重スル所ナリ夫レ全国人民ノ保護ハ大政ノ本務ナル(こと)素ヨリ云フヲ待タス然ルニ其保護スヘキ人民ヲ詳ニセス何ヲ以テ其保護スヘキヿヲ施スヲ得ンヤ是レ政府戸籍ヲ詳ニセサルヘカラサル儀ナリ又人民ノ各安康ヲ得テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ政府保護ノ庇蔭ニヨラサルハナシ去レハ其籍ヲ逃レ其数ニ漏ルモノハ其保護ヲ受ケサル理ニテ自ラ国民ノ外タルニ近シ此レ人民戸籍ヲ納メサルヲ得サルノ儀ナリ」とあるので,同法は,人民間における親族関係の私法的規整には直接の関心はなかったように思われます。

なお,明治四年戸籍法においては「届出をなすべき者は規定されていないが,戸主であることは常識として明文を待たぬ公理だったと指摘されている(福島正夫・「家」制度の研究資料篇一(195940-41頁)」そうです(二宮周平編集『新注釈民法(17)親族(1)』(有斐閣・2017年)3-4頁(二宮周平)。また,同81頁(二宮),谷口知平『戸籍法』(有斐閣・19577)。

明治四年八月二十三日(1871107日)太政官第437号布告によって,諸身分間の通婚が自由化されます。

 

 華族ヨリ平民ニ至ル迄互婚姻被差許(さしゆるされ)候条双方願ニ不及(およばず)其時々戸長へ可届出(とどけいづべき)

  但送籍方ノ儀ハ戸籍法第8則ヨリ11則迄ニ照準可致(いたすべき)

 

しかし,戸長への婚姻の届出は励行されなかったようです。

明治8129日の太政官第209号達(使府県宛て)は,次のように定めます。

 

 婚姻又ハ養子養女ノ取組若クハ其離婚離縁縦令(たとひ)相対熟談ノ上タリ𪜈(とも)双方ノ戸籍ニ登記セサル内ハ其効ナキ者ト看做スヘク候条右等ノ届方等閑ノ所業無之(これなき)(やう)精々説諭可致置(いたしおくべく)此旨相達候事

 

 この明治8年太政官第209号達についての重要な解釈を示す司法省達があります。明治10619日司法省丁第46号達(大審院・上等裁判所・地方裁判所宛て)です。

 

 8年第209号御達ノ儀ニ付有馬判事ヨリ甲号ノ通伺出ニ因リ乙号ノ通太政官ヘ上申候処丙号ノ通御裁令相成候条此段為心得(こころえのため)相達候事

   甲号  (ママ)律伺

 明治8年第209号公布婚姻又ハ養子養女ノ取組若クハ其離婚離縁縦令(たとひ)相対熟談ノ上タリトモ双方戸籍ニ登記セサル内ハ其効ナキ者ト看做ス可ク云々ト有之(これあり)候付テハ双方父母親属熟談ノ上人ノ妻トナリ男女ノ子アル者ト雖𪜈(とも)戸籍ニ登記無之(これなき)者ハ犯姦告訴等ノ節無論(ろんなく)処女ト看做シ処分致ス儀ニ可有之(これあるべく)尤右ノ者夫又ハ夫ノ祖父母父母ヲ謀殺故殺殴傷罵詈等ニ至ル迄総テ凡人ヲ以テ論シ且人ノ養子女トナリテ同居シ実際親子ノ会釈ヲ為ス者ト雖モ前同断ノ者ハ皆凡人ヲ以テ処分致シ可然(しかるべき)()已ニ戸籍法規則確定ノ上ハ婚姻又ハ養子女等其時々送籍等ヲ不為(なさざる)者ハ無之(これなき)筈ニ候得共(さうらへども)辺土僻隅ノ愚民(ママ)ニ至テハ絶テナシトモ難確定(かくていしがたく)候付(さうらふにつき)犯者アルニ臨ミ実際ト条理上ト不都合(しよう)(ずべき)有之(これある)関係不尠(すくなからず)(いささか)疑義ヲ生シ候条(あらかじ)メ御指揮ヲ受置度(うけおきたく)此旨相伺候也

                       在宮崎県

                        七等判事有馬純行

     明治9418

              司法卿大木喬任殿

   乙号  太政官ヘ上申

 婚姻又ハ養子女ノ取組若クハ離縁等ノ儀ニ付テハ8年第209号ヲ以テ使府県ヘ達セラレタリ然ルニ該達ハ文意稍々明確ヲ欠キ或ハ宮崎県伺ノ如キ疑団ヲ生スルアリト雖𪜈(とも)篤ト該達ノ文意ヲ熟案スルニ仮令ヒ相対熟談ノ上タリ𪜈(とも)云々ノ文字アリテ既ニ其婚姻ヲ行ヒ夫婦ト為リタル者ヲ指的スルニアラス其主意ヲ約言スレハ婚姻養子ノ取組等ヲ為スニ当リ双方ノ熟談ノミニテハ一概ニ之ヲ夫婦父子ト見ル可カラサル旨ヲ示シタルモノナリ(尤モ最初該達施行ノ際ハ此ノ辨明ト其旨意ヲ異ニセシヤモ知ル可カラサレト今日ノ日法律ノ改良修正ヲ要スルニ当テハ成ルヘク旧法ヲ破毀セス之カ辨明ヲ以テ其効ヲ得シムルヲ良トス)然ルニ若シ之ヲ以テ既ニ婚姻ヲ行ヒ親族隣里モ之ヲ認許セシ者ニ適用シテ凡人ヲ以テ処分スルハ実ニ人類社会ノ根本タル一家親族ノ大倫ヲ乱スヘキ法律ト云ハサルヲ得ス

 別紙有馬判事伺ノ如キ其実明々タル夫婦親子ニシテ独リ戸籍ノ登記ヲ欠ク者若シ謀殺故殺犯姦等ノ(こと)アランニ凡人ヲ以テ之ヲ論セン()是レ其形ヲ論シテ其実ヲ論セサル者大ニ法律ノ原旨ニ悖戻スト謂フ可シ

 然リト𪜈(とも)其戸籍登記ノ届ヲ為サヽル情実ニ因リ元ト其婚姻等ノ成リ立タサル不良ノ所為アルモノハ其効ヲ失ハシムル者モ之レアルヘシ因テ別紙ノ通指令可及(におよぶべし)ト存候且左ノ指令案ノ趣旨ニ従ヒ各裁判所ヘ念ノ為メ本省ヨリ布達ニ及ヒ(たく)此段相伺候条早速御裁令相成(たく)存候也

   丙号  太政官ヨリ御指令

 伺ノ趣8年第209号ノ諭達後其登記ヲ怠リシ者アリト雖モ既ニ親族近隣ノ者モ夫婦若シクハ養子女ト認メ裁判官ニ於テモ其実アリト認ムル者ハ夫婦若シクハ養父子ヲ以テ論ス可キ儀ト相心得ヘシ

 

 明治8年太政官第209号達と明治10年司法省丁第46号達との関係について,梅謙次郎は次のように述べています。

 

  〔前略〕我邦ニ於テハ明治8年ノ達(8129日太政官達209号)ニ依リテ夫婦双方ノ戸籍ニ登録スルヲ以テ其成立条件トセリ然レトモ此達ハ殆ト実際ニ行ハレス刑事ニ於テハ夙ニ明治10年司法省達(10619日司法省達丁46号)ニ依リテ苟モ親族,近隣ノ者夫婦ト認メ裁判官ニ於テモ其実アリト認ムル者ハ夫婦ヲ以テ論スヘキモノトセリ爾来民事ニ於テモ此達ニ依レル例尠カラス而シテ実際ノ慣習ニ於テハ上流社会ト雖モ先ツ事実上ノ婚姻ヲ為シタル後数日乃至数月ヲ経テ届出ヲ為ス者十ニ八九ナリ況ヤ下等社会ニ在リテハ竟ニ届出ヲ為ササル者頗ル多シトス此ノ如キハ実ニ神聖ナル婚姻ト私通トヲ混同スルノ嫌アリテ到底文明国ニ採用スヘキモノニ非サルナリ

  (梅105-106頁)

 

梅は,「刑事ニ於テハ」と,明治10年司法省丁第46号達の適用対象を刑事に限定していますが,これは同達発出の端緒たる有馬純行判事の司法卿宛て伺いが,直接には,犯姦謀殺故殺殴傷罵詈等の刑事事件に係る擬律の取扱いに係るものだったからでしょう。しかし,太政官への上申中において司法省は,明治8年太政官第209号達について,「文意稍々明確ヲ欠キ」,「実ニ人類社会ノ根本タル一家親族ノ大倫ヲ乱スヘキ法律ト云ハサルヲ得ス」といった射程の広い批判を加えており,当該太政官達が刑事関係以外でもなお無傷で残り得るということは,なかなか難しいところだったでしょう。「民事ニ於テモ此〔司法省〕達ニ依レル例尠カラス」とは,当然の成り行きでしょう。

我妻榮は,明治8年太政官第209号達と明治10年司法省丁第46号達との関係について,「明治8年第209号達は法律婚主義(戸籍の届出)を宣言したが,後の明治10年司法省達丁第46号は,事実婚主義に復帰したようにも思われる。実際上も,その後,届出のない夫婦関係を保護した判決はすこぶる多い。しかし,右の二つの法令の関係――復帰とみるか二本建になったとみるか――については,学説が分かれている」と述べています(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)38頁註(2))。ここでの「二本建」説は――梅による明治10年司法省丁第46号達の性格付けを前提にする――民事と刑事との二本建てであるとなす説であって,民事において当該司法省達によってしまったのは例外的事態であると解するものでしょうか(なお,星野57頁は「裁判実務にも混乱が見られるようである」と言っていますが,二宮編81頁(二宮)は,「大審院は,〔明治10年司法省丁第46号達〕を民事事件にも適用していた」とあっさり言い切っています。)。

しかし,明治10年司法省丁第46号達を乙号部分に注目して読めば,当該達と明治8年太政官第209号達との整合性の確保を司法省は志向し,両者は民事及び刑事において統一的に解釈・適用されるべきもの(換言すれば,司法省達は「文意稍々明確ヲ欠」く太政官達を,否定(「破毀」)はせずにその欠缺を補充するもの)と考えていたように思われます。しからばその解釈とはどのようなものかといえば,婚姻及び縁組については,

 

 婚姻又ハ養子養女ノ取組は,縦令(a)両家戸籍届出権者を含めての相対熟談ノ上タリ𪜈(とも)(b)双方ノ戸籍ニ登記をし,又は(β)親族近隣ノ者モ夫婦若シクハ養子女ト認メ裁判官ニ於テモ其実アリト認められなければ,其効ナキ者ト看做ス

 

ということになるのだ,ということではないでしょうか。

 江戸時代でいえば,(a)は縁談の取極ということになりましょう。当該縁談取極においては,太政官達の戸籍登記本則主義を司法省が真っ向から否認しない以上,両家戸籍届出権者の同意は必須でしょう。(a)を前提に,そこに(b)又は(β)の要件が加わることによって婚姻又は縁組が有効に成立するものとするのが当時の司法省及び裁判所の公定解釈であった,と筆者は考えてみたいのです。これは,民刑事共通に適用されるところの法律婚主義(「届出ありさえすれば現実の共同生活なくしても身分関係が認められた」(谷口9))と事実婚主義との二本建て説ということになりましょうか。建物賃借権の対抗要件に係る不動産登記(民法605条)と引渡し(借地借家法(平成3年法律第90号)31条)との二本建て主義と何だか似てしまっています(「民法605条僻見(後編)」(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079742276.html)が不図想起されます。)。

 

4 当てはめ

 玉と某巡査との「婚姻」においては,「爺いさんは戸籍がどうなつてゐるやら,どんな届がしてあるやら,一切無頓着でゐたのである。」ということですから,(b)の要件は欠けていたようです(なお,婚姻それ自体については,明治21年(1888)段階の旧民法人事編第一草案の理由書において「殊ニ近時ニ至テハ其礼式大ニ破レ諾成ノ行為ト云フモ不可ナカラン」と観察されています(明治文化資料叢書361)。)。(a)の要件については,玉の父と某巡査との間では「おまはりさんが〔略〕,大きな顔をして酒を飲んで,上戸でもない爺さんに相手をさせてゐた間,まあ,一寸楽隠居になつた夢を見たやうなものですな」という情況だったそうですから(鷗外選集第3217-218頁),晩酌仲間の両者ともに戸籍届出権者であったのであれば,一応要件充足でしょうか。しかし,(β)の親族近隣ノ者モ夫婦ト認メ要件はどうでしょうか。確かに東京の練塀町(ねりべいちょう)下谷(したや)間にあった某巡査・玉の同居宅の「近隣」の人々は夫婦ト認め,玉の親族たる爺さんも同様だったのでしょうが,前婚の妻及びその子供を始めとする某巡査の親族側は,某巡査と玉とを夫婦ト認めるものでは全然なかったものでしょう。この要件は,上記(b)要件と共に未充足であったようです。

 そうであれば,玉は岡田を見知った時にはなお未婚であって,また,某巡査も玉との重婚に係る不応為罪を犯したわけではない,ということになるようです。

 とはいえ,玉は,末造の妾である限りにおいては,なお末造に対する守操義務があったようです。すなわち,改定律例260条は「凡和姦。夫アル者ハ。各懲役1年。妾ハ。一等ヲ減ス。〔以下略〕」と規定していたのでした。改定律例では,懲役1年の次は懲役100日であったようなので,一等ヲ減ぜられれば懲役100日となったものでしょうか。


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末造の妾宅があった無縁坂(左東京都台東区,右同文京区)


上野警察署(2)
上野警察署(1)
所轄の警察署

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1 「異次元の少子化対策」宣言

 岸田文雄内閣総理大臣は,今年(2023年)14日の伊勢神宮における年頭記者会見で,同年を「異次元の少子化対策に挑戦する」年としたいとの力強い抱負を述べられました。

異次元とは由々しい言葉です。これまでの常識を覆すような,行儀のよい保守派からするとスキャンダラスと指弾されるような「対策」が講じられるものかと緊張させられます。

しかし,続けて提示された三つの「対策の基本的な方向性」はどのようなものかといえば,「第1に,児童手当を中心に経済的支援を強化することです。第2に,学童保育や病児保育を含め,幼児教育や保育サービスの量・質両面からの強化を進めるとともに,伴走型支援,産後ケア,一時預かりなど,全ての子育て家庭を対象としたサービスの拡充を進めます。そして第3に,働き方改革の推進とそれを支える制度の充実です。」というものでした。より大きな財政赤字及び徴税並びに増額された社会保険料によって折角集めたお金を国民に撒き戻しつつ,関係省庁の関係業界を細やかな干渉を通じて助長する一方,従業員福祉を更に強化する実践及びその負担を企業に求めるということであれば,従来の政策次元の拡大延長面上にあるようでもあります。現状が既にスキャンダラスな衰退途下国においては,陳腐化した前例を同一次元において偸安的に踏襲することこそが,あるいは最悪のスキャンダルとなるかもしれません。

しかし,岸田救国内閣たるもの,謙虚を装いつつも,そのような因循姑息策にとどまることはあり得ません。別次元に飛び移るような爆発的な量的拡大による「異次元」化が意図されているのかもしれません。

 

2 民法新773条からの同法732条への脚光

 ところで最近筆者は,20221216日公布の令和4年法律第102号たる民法等の一部を改正する法律を研究していて,「実はこれが,岸田内閣からの隠された「異次元」メッセージなのではないか」などと不図妄想してしまう民法(明治29年法律第89号)の改正条項に逢着したのでした(当該改正は,202441日から施行されます(令和4年法律第102号附則1条本文,令和5年政令第173号)。)。

 

    (父を定めることを目的とする訴え)

 (現)第773条 733条第1の規定に違反して再婚をした女が出産した場合において,前条の規定によりその子の父を定めることができないときは,裁判所が,これを定める。

 

    (父を定めることを目的とする訴え)

 (新)第773条 732の規定に違反して婚姻をした女が出産した場合において,前条の規定によりその子の父を定めることができないときは,裁判所が,これを定める。

 

 民法732条は,重婚禁止の規定です(「配偶者のある者は,重ねて婚姻をすることができない。」)。

 これは,女性の再婚禁止期間を定める民法現733条が令和4年法律第102号によって削除され,かつ,同法によって民法772条の嫡出推定規定が整備されることに伴って現773条が不要となるはずのところ(人妻である彼女の前婚の解消又は取消しがあれば直ちに(再婚禁止期間なしに)人妻好き男性は当該彼女と婚姻できることになるのですから,「第733条第1項の規定に違反して再婚」をすることとなる女性はそもそもいなくなるわけです。),従来「重婚関係が存在する場合にも,〔嫡出〕推定重複の場合が生じうる。その場合にも,773条を準用(ママ)すべきである。」(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)218頁)とされて潜在していた重婚妻の生んだ子に係る現773条類推適用の必要性が,その背後にうまく隠れ得るとともに当該類推適用については抜かりなく可能であるものとしてくれていた773条の現行文言を失うことによってはしなくも表面化し,あからさまな適用規定たる新773条としてはしたなくも規定し直されたということになります。(202459日追記:令和4年法律第102号の立案御担当者の御説明は,「改正法では,女性の再婚禁止期間の廃止により,再婚禁止期間の定めに違反して再婚をした女性が出産すること自体がなくなるものの,重婚禁止の定めに違反して婚姻した女性が出産し,父性推定が重複することは今後も引き続き生じ得るため,父を定めることを目的とする訴えに関する規定を,重婚禁止の定めに違反して婚姻した女性が出産した場合に適用されるものであることを明確にする形で見直しています(773)。」というものです(佐藤隆幸編著『一問一答 令和4年民法等改正――親子法制の見直し』(商事法務・202497)。)

 

3 重婚の有効性

 重婚が成立してもそれは婚姻の取消事由にしかならず(民法744条。無効ではありません。「婚姻ヲ無効トスルハ重大ナル影響ヲ夫婦間ノ関係及ヒ其子ノ利害ニ及ホシ延イテ一家ノ浮沈ニモ関スルコト稀ナリトセサルカ故ニ苟モ利害関係人ノ請求ナキ以上ハ暫ク之ヲ黙認シ敢テ之ニ干渉セサルコトトセリ」と梅謙次郎は説明しています(同『民法要義巻之四 親族編(第22版)』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1912年)120頁)。),かつ,婚姻の取消しは将来に向かってのみ効力を有する(遡及効はない)のですから(同法7481項),確かに重婚夫婦から生まれた子は,後婚配偶者の子であっても,本来は堂々たる嫡出子たるべきものであるところです。婚姻が取り消されても「夫婦間ニ挙ケタル子ハ之ヲ嫡出子ト看做シ総テ嫡出子ノ権利義務ヲ有スル者トスル」わけです(梅139-140頁)。

 しかし,重婚の後婚も取消しまでは有効な婚姻である(ちなみに,重婚でない婚姻も所詮は離婚まで有効なものにすぎず,後処理は重婚中の後婚取消しの場合のそれと同様です(民法749条)。),ということを想起せしめる規定振りは,余りうまくないように思われます(「第732条」と具体的な条番号が書かれていても,条文に当らない者が大部分なのでしょうが,たまに筆者のように細かくうるさい人間もいます。)。民法現7331項違反であるならば所詮再婚禁止期間違反にすぎず(梅も「余ハ敢テ我邦ノ公安ヲ害スルモノト云フヲ得スト信ス」と言っています(梅112)。),また,妻の前婚解消後直ちにされたアウグストゥスとリウィアとの婚姻に係る前例(ちなみに,両者婚姻時,リウィアは離婚した前夫ティベリウス・クラウディウス・ネロとの間の子であるドルススを妊娠中でした。)もあって,激しい愛の情熱が二人を急がせてしまったのだということでなお許されるのでしょうが(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1048584997.html),重婚となれば,刑法(明治40年法律第45号)184条に拘禁刑(令和4年法律第67号の施行までは「懲役」)の規定のある堂々たる犯罪です。重婚の民法上の有効性を示唆してしまって横着者に高を括らせてしまうような規定は,避けるべしというのが立法技術上の美学ではないでしょうか。我が国の戸籍吏は戸籍制度を前提に民法740条に基づき真面目に確認を行うから同法732条違反の重婚となる婚姻の届出を受理することはあり得ないのだ,だから気にするには及ばないのだ,とは言い切れないでしょう。いわんや法の適用に関する通則法(平成18年法律第78号)24条が適用される婚姻がからむ場合においてをや(刑法184条は,日本国外でも日本国民には適用はされますが(同法35号),ボワソナアドの旧刑法(明治13年太政官布告第36号)354条(「配偶者アル者重子テ婚姻ヲ為シタル時ハ6月以上2年以下ノ重禁錮ニ処シ5円以上50円以下ノ罰金ヲ附加ス」)解釈に倣えば,重婚罪は継続犯ではなく,状態犯となります(Gve. Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal pour l’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire, Tokio, 1886, pp.1046-1047)。2年以下の拘禁刑が法定刑である場合,公訴時効期間は3年です(刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)25026号)。)。

 

  (重婚)

  〔刑法〕第184条 配偶者のある者が重ねて婚姻をしたときは,2年以下の拘禁刑に処する。その相手方となって婚姻をした者も,同様とする。

 

4 多夫の妻が生んだ子の父を定める訴え

 嫡出推定に係る民法新7721項(「妻が婚姻中に懐胎した子は,当該婚姻における夫の子と推定する。女が婚姻前に懐胎した子であって,婚姻が成立した後に生まれたものも同様とする。」)及び同条新3項(「第1項の場合において,女が子を懐胎した時から子の出生の時までの間に2以上の婚姻をしていたときは,その子は,その出生の直近の婚姻における夫の子と推定する。」)を重婚の場合に適用し,新773条を不要化できないかと考えても(すなわち,後婚の夫が父と推定されるものとする。),同時に2箇所で婚姻届が受理されて重婚が成立したとき(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)60頁の挙げる例)はどうするのだ,という問題が残ります。というよりも,そもそも,民法新773条の立案者は,新7723項の規定は重婚の場合には適用されないものと考えているのでした。すなわち,2021112日の法制審議会民法(親子法制)部会第21回会議に提出された「部会資料21-2 補足説明(要綱案のたたき台(1))」の7頁には,「母が離婚した後に再婚したところ,前婚の離婚が無効とされた場合は,重婚状態となる。そして,その状態で子が生まれた場合には,前婚の夫も再婚後の夫も,子の出生時に母と婚姻中となり,子の出生の直近の婚姻における夫として,いずれも嫡出推定が及ぶこととなる。」と記されていたところです。

 竹内まりや作詞・作曲(河合奈保子が歌ったのは1982年ですか。嗚呼昭和は遠くなりにけり。)の「けんかをやめて」状態的一妻多夫の重婚の場合,共通妻のために二人が争うことはもはやなくとも,子が生まれてしまうと今度はパパを決めるために,二人はやはり争わなければならないのでした(令和4年法律第102号による改正後の人事訴訟法(平成15年法律第109号)4522号及び3号(前婚の夫vs.後婚の夫)。ただし,子又は母が男たちを訴える場合もあります(同項1号)。)。その間出生届は,取りあえず父未定として母がすることになっています(戸籍法(昭和22年法律第224号)54条)。生まれるとともに当然母の夫が父となる一夫多妻の重婚から生まれた子の場合とは異なります。嫡出推定が重複するから両方パパだよ,けんかをやめて,ということにはならないようです。あるいはこの辺が,将来,憲法24条ないしは141項に違反する男女差別の違憲立法だということで問題になるところかもしれません(一夫の妻と多夫の妻との間における女性対女性の同性内差別問題なのだということには,ならないのでしょうね,きっと。)。

なお,父を定めることを目的とする訴えについては「訴えの性質上,嫡出推定が重複しているため判決で父を定めるべき旨を主張すればよい。請求の趣旨において重複する父のいずれかを特定する必要はない。また,特定したとしても,裁判所は請求の趣旨に拘束されない」とのことで(二宮周平編『新注釈民法(17)親族(1)』(有斐閣・2017年)570頁(野沢紀雅)),民事訴訟法(平成8年法律第109号)246条の適用のない形式的形成訴訟(実質的には非訟事件)であるとされています。二人をとめる裁判官の作業は,「法が形成原因をはじめから具体的に規定せず」という状態なので,「要件事実の存否を判定するというよりは,合理的と思われる結果を直接に実現する合目的的処分行為という性格を強く帯び,法を適用するという性格(要件事実の存否を判断し,法的効果の有無を判断するという性格)が稀薄」となっているとのことです(新堂幸司『新民事訴訟法(第二版)』(弘文堂・2001年)181頁)。法的に父であることの要件事実とは何ぞや,という問題がここでも出て来ます。ちなみに,父を定めることを目的とする訴えについては「常に裁判上の形成の必要性が肯定され,裁判所は何等かの形成をしなければならぬ〔略〕(従って請求棄却の余地はない)」ということ(三ケ月章『民事訴訟法』(有斐閣・1959年)53頁)だったそうですが,現在は「審理の結果双方とも父でないとの心証に至った場合について,多数説は請求を棄却すべきであるとする〔略〕が,訴えを却下すべきであるとする説もある」とのことです(二宮編571頁(野沢))。

 

5 重婚の効用

 ところで,重婚といえば,通常は一夫多妻の場合が念頭に浮かんでしまうところです。

 しかして,民法新773条における一夫多妻等婚姻(同法732条違反)の(取消しがあるまでの)有効性の摘示と「異次元の少子化対策」とがなぜつながるのかというと,筆者がかつて読んだ経済学の教科書に(したがって,以下は筆者の私見ではありません。),一夫多妻制の方が一夫一婦制よりも女性の経済的厚生が高くなるのだなどというけしからぬことが書いてあったからでした(Roger D. Blair & Lawrence W. Kenny, Microeconomics with Business Applications, John Wiley & Sons, 1987, pp.8-9)。

 

   婚姻を,供給曲線と需要曲線とによって描写することができる。妻らの需要曲線と妻らの供給曲線とが存在しているのである。同様に,夫らの需要曲線と夫らの供給曲線とが存在する。一夫一婦制社会においては,婚姻は,(同時的には)一人の夫と一人の妻とによってなされるものと制限されている。一夫多妻婚は,一人の夫と複数の妻らとによってなされる婚姻である。一夫多妻婚は,世界中で行われてきた。例えば,イスラム教徒及び初期モルモン教徒は一夫多妻婚者である。一夫多妻婚は一人の男に1を超えた数の妻を持つことを認めるところから,一夫一婦制の下におけるよりも,一夫多妻制の下における方が妻らに対する需要が大きくなる。一夫多妻制下における高い妻需要は,彼女らの収入を増加させる。すなわち,女性は,一夫一婦制よりも一夫多妻制における方が,よい暮らしができるのである。この興味深い仮説は,経験的証拠によって支持されている。一夫一婦制社会においては,しばしば花嫁は,婚姻するに当たって持参金――これは,花嫁の家からの夫に対する贈物である――を用意しなければならない。反対に,一夫多妻制社会における花婿は,妻に対して,婚資と呼ばれる贈物をするのである。一夫多妻制社会における女性に対する婚姻のより大きな利益は,彼女らをして,一夫一婦制社会の女性たちよりも若い年齢での婚姻に向かわせる。恐らくよりよい暮らしを求めてのことであろうが,一夫一婦制社会から一夫多妻制社会に移住する女性もいる。a

   a  Gary A. Becker, A Treatise on the Family, Cambridge, Mass.; Harvard Univ. Press, 1981, pp.56-57

 

一夫一婦制社会は,あるいはむしろ,けんかをやめた男たちの互助協定によって皆に花嫁が行きわたるようにする,平凡な男本位の発想に基づく微温的な社会にすぎないのかもしれません。

シェアリング・エコノミーといいますが,有り余るほどお金のある男の当該余裕資産を一人の妻が不当に独占しないで他の女性たちと一緒に仲良く快適にシェアすれば,女性の経済的厚生が全体的に向上し,ひいてはその経済的余裕がより多くの嫡出子出産につながるのではないか,という発想は異次元的でしょうか,それとも単に,古臭い男性(ただし,男性といっても,競争に敗れ,かつ,うまく立ち回れない劣位男子を除く。)優位社会的発想への回帰にすぎないものでしょうか。

 重婚噺が続きそうです。

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1 はじめに:国語辞典及び創世神話

 企業法務の仕事をしていると,一週間の単位が問題となることがあり,そうなると週の最初の日が何曜日かが問題となります。

 筆者の手元の『岩波国語辞典 第四版』(1986年)には,「日曜」について「曜日の一つ。週の第1日で,役所・学校などが休日とする。」と,「月曜」について「曜日の一つ。日曜のつぎ。」とあります。したがって,週の初め(「週の第1日」)は日曜日であることが確定しているものと,筆者は漠然と考えていました。

 更にここに,宗教的権威も加わっています。

 

 igitur perfecti sunt caeli et terra et omnis ornatus eorum

    complevitque Deus die septimo opus suum quod fecerat

    et requievit die septimo ab universo opere quod patraverat

    et benedixit diei septimo et sanctificavit illum

    quia in ipso cessaverat ab omni opere suo quod creavit Deus ut faceret

    (Gn 2,1-3)

 

 すなわち,

 

  (かく)天地および(その)衆群(ことごと)(なり)ぬ 第七日(なぬかめ)に神其造りたる(わざ)(をへ)たまえり即ち其造りたる工を竣て七日(なぬか)安息(やすみ)たまへり 神七日を祝して之を神聖(きよ)めたまへり()は神其創造(つくり)(なし)たまへる工を(ことごと)く竣て(この)日に安息みたまひたればなり

  (創世記第21-3

 

 ということであって,ユダヤ人がその神に倣って土曜日を第七日の安息日(Sabbath)として休んでいるのなら,日曜日が週の初めということになるではないか,ということになります。

 しかしながら,国語辞典の記述やら異教の神話やらを根拠とした議論は法律家としていかがなものでしょうか。端的な法的根拠,が欲しいところです。

 

2 民法の143条の規定及び諸書における解説(の有無)

 ところで,民法(明治29年法律第89号)には次のような条文があります(下線は筆者によるもの)。

 

  (暦による期間の計算)

  第143条 週,月又は年によって期間を定めたときは,その期間は,暦に従って計算する。

  2 ,月又は年の初めから期間を起算しないときは,その期間は,最後の週,月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。ただし,月又は年によって期間を定めた場合において,最後の月に応当する日がないときは,その月の末日に満了する。

  

 「週の初め」という概念が,当然のように出て来ています。

 そうであれば,民法1432項について研究をすると,①週の初めが何曜日であるか,及びその根拠が明らかになりそうです。

 しかしながら,民法のいわゆる基本書に当たっても,なかなかはっきりしないのです。

 

  内田貴『民法 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)256-257頁 記載なし。

遠藤浩等編『民法(1)総則(第3版)』(有斐閣・1987年)234-236頁(岡本坦) 記載なし。

  四宮和夫『民法総則 第四版』(弘文堂・1986年)284-285頁 記載なし。

  星野英一『民法概論(序論・総則)』(良書普及会・1971年)245-248頁 記載なし。

  我妻榮『新訂民法総則(民法講義)』(岩波書店・1965年)426-429頁 記載なし。

 

 荒寥たるものです。

 むしろ,民法143「条が週を加えることは無意味である。」と(我妻428頁),週ははなから切って棄てられてもおり(同条1項について遠藤等235頁(岡本),四宮285頁も同様),したがって,週の初めは何曜日かの問題も捨象されてしまっています。

 こうなると,現行民法の起草者の一人である梅謙次郎の著書に当たるしかありません。さすがにそこには,週の初めが日曜日であることを示唆する記述が,何とかありました。

 

  例ヘハ期間ノ初何曜日タルニ拘ハラス1週ト云ヘハ或ハ翌週ノ日曜日ヨリ土曜日ニ至ルマテヲ算スヘキカノ疑アリ(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1905年)366頁。下線は筆者によるもの)

 

 ただし,間接的な言及にとどまっています。

 この点,例外的に直截なのが,次の論述です。

 

   暦によれば,週の初めが日曜日,週の終りが土曜日,月の初めがその月の1日,月の終りがその月の末日であることは,明らかである。(川島武宜編『注釈民法(5)総則(5)』(有斐閣・1967年)9頁(民法143条解説・野村好弘))

 

前記の二つの問題のうち,①週の初めの曜日は日曜日であり,②その根拠は,民法1431項で「暦に従」うことになっているからだ,ということになります。

 

 ちなみに,法典調査会において,週の初めが日曜日なのか,それとも月曜日なのか,ということで認識のくいちがいが見られた(法典調査会速記録(学術振興会版)4117122126など参照)。暦による,とすれば,そのようなくいちがいは解消されることになる。だから,本条1項に週の文字を加えたのは,必ずしも無意味なことではない(反対説,〔我妻〕428)。

 (川島編9頁(野村))

 

野村説は,法典調査会における磯部四郎🎴(筆者註:この花札マークは,待合茶屋における芸妓を交えての花札博奕事件である1892年の弄花事件🍶🎴の関係者(大審院の司法高官)に付されます。)の議論を採用したものです。

 

3 189454日の法典調査会審議模様

野村好弘(当時は若き)東京都立大学助教授によって参照すべしとされた,189454日に開催された第9回の法典調査会の議事速記録を見てみましょう。同日の議長は,その二十代の大部分をパリで過ごし(1871-1880年),ソルボンヌ大学で法律を学んだ,後の内閣総理大臣・西園寺公望でした。

審議の対象となった案文はどのようなものであったかというと,法典調査会民法議事速記録第4111丁表に記載されているものを明治天皇裁可の民法143条の法文と比較すると,第1項と第2項との間の改行がされておらず,かつ,第2項の〔〕内部分が脱落し,更に《》内部分が付加されている形となっていますが(次に掲げるものを参照),少なくとも,各委員の手元資料では,第1項と第2項との間は改行がされており,かつ,〔〕内は脱落してはいなかったものでしょう。ただし,審議案に係る条の番号は,「第144条」となっていました。報告担当の起草委員は,梅謙次郎でした。

 

 期間ヲ定ムルニ週,月又ハ年ヲ以テシタルトキハ暦ニ従ヒテ之ヲ算ス

 週,月又ハ年ノ始ヨリ期間ヲ〔起算セサルトキハ其期間ハ最後ノ週,月又ハ年ニ於テ其〕起算日ニ応当スル《ノ》日ノ前日ヲ以テ《期間》満了ス《ルモノトス》但月又ハ年ヲ以テ期間ヲ定メタル場合ニ於テ最後ノ月ニ応当日ナキ〔トキ〕ハ其月ノ末日ヲ以テ満期日トス

 

 梅の冒頭説明が終ると,直ちに西園寺から疑問が発せられます。(なお,原文は,片仮名書き,句読点なし。以下,筆者において,原文の片仮名を平仮名に,平仮名を片仮名にし,かつ,句読点を補っています。)

 

  議長(西園寺侯) 週の始めは,何時からでありませうか。

  梅謙次郎君 月曜か日曜かでありませう。私は日曜であると考へますが,或は私の考へが間違つて居るかも知れませぬ。

   (民法議事速記録第4116丁裏)

 

冒頭から調子が狂ったのか,回答が明確ではありません。「強て梅君の缺点を挙ぐれば自信力が少し強過ぎた。」と起草委員仲間の富井政章に評された(東川徳治『博士梅謙次郎』(法政大学=有斐閣・1917年)219頁)梅らしくありません。

 続いて土方寧が質問します。

 

  土方寧君 週の暦に従うと云ふのは,疑ひが起りやしませぬか。

  梅謙次郎君 是は大分是迄疑ひの出たことでありますけれども,私は悉く此週に付て暦に従ふと云ふことは出て来やうと思ひます。古い暦には日子月子火子と皆書いてある。アレガ即ち必要である。此必要は決して西洋から来たことでなく,西洋の慣習が這入つて来てから多く用ゐらるると云ふことになつたのであります。加之((しかのみ))ならず,今日の暦には必ず日曜日が書いてあつて,自ら他の何が分かるやうに柱暦に迄書いてあるのであります。夫れで暦に従ふと云つて分らうと思ひます。

   (民法議事速記録第4116丁裏-117丁表)

 

この梅の回答のいわんとするところは,七曜日がめぐって1期間=1週間という観念は,嘉永六年(1853年)のペリー来航後に初めて「西洋から来たことでなく」,昔から我が国にあって,暦に日月火水木金土と書いてもあったのだが,明治の文明開化後,七曜日の1週間を主要な時間単位の一つとする「西洋の慣習が這入つて来てから多く用ゐらるると云ふことになつたので」,民法の期間の計算の章においては,週によるものについても規定しておくのがよかろう(「1週間の後とか2週間の後とか云ふやうなことは,今日随分やると思ひます」(民法議事速記録第4122丁裏)),ということのようです。

明治より前の暦に日月火水木金土の記載があるのかということで,インターネットで各種の具註暦を調べてみると(仕事振りがしつこいですね。国を,政府を,「専門家の技術的・専門的知識💉」を信じていたのに裏切られました。ひどい!くやしい‼とたやすく嘆き悲しむ善良温順な日本人ならざる不逞の筆者は,トマスの徒なのです。“nisi videro in manibus ejus figuram clavorum et mittam digitum meum in locum clavorum et mittam manum meam in latus ejus, non credam” (Io 20,25),確かに,各日の頭書部分に日月火水木金土が朱書されているものなどがあります(例えば,https://dl.ndl.go.jp/pid/1287511/1/8)。なお,アラビア数字及び左からの横書き導入前の時代のものなので,それらの暦は,我々が見慣れた,各月4段ないしは6段に7日分ずつアラビア数字を左から並べるという形のもの🗓ではありません。

しかしてこの七曜日の制は,9世紀初めに空海が唐土から請来した宿曜経こと文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経に由来するのだと言われています。それでは弘法大師の御請来目録にあるのかなと,不信のトマスの徒がまたもインターネット画像を見てみると,確かに空海が請来した経典中に宿曜経が含まれています(12齣目です。https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012887)。

 しかし,梅の回答は若干方向違いであったかもしれません。土方は,週の初日が不確実であるという点を問題にしていたようです。

 

  土方寧君 〔前略〕週の始めは日曜か月曜か分からぬと云ふやうな疑ひもあるから,夫れで私は,12項共に「週」の字は除いた方が宜からうと思ひます。

  横田國臣君 賛成。

  梅謙次郎君 此「週」の字を除くことは格別遺(ママ)はありませぬが,唯,之を此処に加へた理由丈けを申上げます。前に日を以てするときは云々,時を以てするときは云々と書いてあります。週丈け丸で除けものにして仕舞うと,始めに月,年,週と云ふやうに書いて置いたのと合はぬやうになる。夫れで週の始めが極まつて居らぬと云ふことでありますが,唯私が知らないと云ふことを申上げたのであつて,日曜日が始めと是迄心得て居つたのであります。疑ひの起らぬことでありますから,格別辯ずる程の必要はない。

   (民法議事速記録第4120丁表裏)

  

 「始めに月,年,週と云ふやうに書いて置いた」場所は,初日不算入の原則に係る民法140条本文です(「期間ヲ定ムルニ日,週,月又ハ年ヲ以テシタルトキハ期間ノ初日ハ之ヲ算入セス」)。

 梅としては,週の初日が日曜日であることについては自信がある(「疑ひの起らぬことであります」),ただその法的根拠を説明できないだけである,ということのようです。(と,当初は考えましたが,これは筆者が,富井流の「梅=自信力強過ぎ」説に引きずられ過ぎたようです。実は梅も,我妻流に,民法143条において週について規定することは本来不必要と考えていて,日曜始まりでも月曜始まりでも「起算日ニ応当スル日ノ前日ヲ以テ満了ス」で「疑ひの起らぬこと」だから,「格別辯ずる程の必要はない」と思ってはいたものの,やはり同法140条との平仄上「週ノ始」を書いたのだ,ということではないかと,皇紀2683年の春分日になって思い至りました。)

 箕作麟祥は,「成程週の始めが分からぬと云ふことでありましたが,私は始めは日曜と思ふて居る」と言ってくれました(民法議事速記録第4121丁表)。しかし,実は,おフランスかぶれの議長が難しかったところです。

 

  議長(西園寺侯) 私は今日白状するが,是迄週の始めは月曜と思つて居つたが,日曜が本統ですか。

  奥田義人君 西洋の暦では月曜日。

  議長(西園寺侯) 週の始めは,西洋では矢張り月曜日でせう。

  (民法議事速記録第4121丁裏)

 

  元田肇君 一寸伺ひますが,此週の始めと云ふのは何時の積りでありますか。

  梅謙次郎君 私は日曜日の積りであります。

  議長(西園寺侯) 私は何うも日本の週の始めの日と西洋の週の始めの日と違うのは甚だ遺憾に思ふ。奈何となれば,暦と云ふのは,今日西洋の暦を用ゐて居る。

   (民法議事速記録第4125丁表)

 

ここで西園寺のいう「西洋の暦」とは,明治五年太政官布告第337号によって採用された太陽暦のことですね(なお,1894年段階では,明治31年勅令第90号がまだ出ていなかったので,1900年も1年が366日のうるう年になってしまうユリウス暦的な太陽暦でした。したがって,精確には,1900年を平年とするグレゴリウス暦ではありません。)。

しかし,日本国は日本国,西洋は西洋ということで,別であってもよいではないか(筆者註:確かに,上記のとおり,当事者の意識にかかわらず,グレゴリウス暦は実は我が国においてなおも完全採用されていませんでした。),日本国の民法は日本国の暦に従って解釈すればよいのだ,そこは第1項の「暦ニ従ヒテ」規定を援用すればよいのだとの趣旨の磯部四郎🎴発言があって,明示の決議はありませんが,法典調査会においては,民法1432項にいう週の初めの日は日曜日ということで了解がされたようです。

 

 磯部四郎君 〔前略〕私は,此期間に関する法文中で此144条〔民法143条〕の如くに明瞭なる法文はなからうと思ひます。修正論の為めに此本体に多少の傷の付くやうなことがあつては如何にも慨嘆に堪へませぬから一言申して置きます。夫れで先程から此144条〔民法143条〕の「週」と云ふ文字に付て議論もありましたけれども,詰り,日曜が始まり日であるか,又は月曜が始まり日であるか分からぬと云ふことでありますが,然う云ふ所で暦に従ふと云ふので,暦に従つて(ママ)ある,日本の暦では日曜から書いてある。日曜が始めの日になるから,夫れで,144条〔民法143条〕の第1項に暦に従ふと云ふことで明になつて来る。夫れからして,始めの日から計へぬときは最後に応当する(ママ)を以て期間が満了すると云ふことが丁度分りますが,彼の日月火水木金土と云ふことが分り切つて居れば暦に従ふと云ふ必要はないかも知れませぬが,既に「週」と云ふ字に付て色々分からぬと云ふやうなことがあるから,週と云ふものは暦に従ふと云ふので,是は最も便利であらうと思ひますから,何うか是は成る可く傷の付かぬやうに希望致します。

 尾崎三良君 週の始めは日曜日に極まつて居ると云ふことでありますが,夫れは何処から然う云ふことが出るのでございませうか。

 磯部四郎君 夫れは日曜からと云ふことに暦に書いてあります。日月火水と云ふやうに,日が一番始めに書いてあります。

  (民法議事速記録第4126丁表裏)

 

 ということが,明治の立法経緯であったのでした。

しかし,暦といってもいろいろなものがあって,正に週が月曜日始まりのものも売られているのではないかしら,磯部🎴は「暦に書いてある」で単純に押し切ってしまい,尾崎はあっさり引っ込んでしまったけれども,そして野村先生は「暦による,とすれば,そのようなくいちがいは解消されることになる。」と妙に納得してしまっておられるけれども,何か変だよなぁ,まだ何かが足りないよなあ,との感想は,令和の我々にとってはもっともなところではないでしょうか。

ということで,筆者としては,衒学的にして空疎な「その先の議論」に陥らないように戒心しつつなおも研究を進めたのですが,行き着いたところは,法哲学や経済学の過去の業績なるものをおしゃれに踏まえたアカデミックな理論ではなく,やはり神様仏様なのでした。

 

4 本暦及び略本暦頒布の神宮による独占

現行民法制定の当時,暦(本暦及び略本暦)を頒布することは,神宮の専権に属しており,実は暦は統一されていました。すなわち,日曜日始まりやら月曜日始まりやらのいろいろな暦の並存はあり得なかったのでした。

1882426日の明治15年太政官布達第8号(内務卿連署)は,次のように規定していました。

 

 本暦並略本暦ハ明治16年暦ヨリ伊勢神宮ニ於テ頒布セシムヘシ

 一枚摺略暦ハ明治16年暦ヨリ何人ニ限ラス出版条例ニ準拠シ出版スルコトヲ得

  但明治910内務省甲第39号布達ハ取消ス

 右布達候事

 

 明治15年太政官布達第8号の前提として,明治三年四月二十二日の太政官布告は,「頒暦授時之儀ハ至重之典章ニ候処近来種々之類暦世上ニ流布候趣無謂(いはれなき)事ニ候自今弘暦者之外取扱候儀一切厳禁(おほ) 仰出(せいだされ)候事」と規定していました。

 明治9年内務省甲第39号布達は,「来明治10年暦ヨリ本暦略暦共別紙雛形印紙貼用可致(いたすべく)候略暦出版ノ儀ハ自今本暦頒布ノ後草稿相添出版書式ニ照準シ府県庁ヲ経テ当省ヘ可願出(ねがひいづべく)出版差許候分ハ右印紙相渡候間枚数ヲ限リ願出毎暦面ニ貼付ノ上販売可致(いたすべく)無印紙ノ暦ハ売買不相成(あひならざる)条此旨布達候事」というものでした。

 明治三年四月二十二日の太政官布告及び明治15年太政官布達第8号は,1946731日公布の昭和21年内務省令第32号によって同日限り廃止されています。換言すると,その時まで,内務省令たる法規として,大日本帝国憲法9条及び761項に基づき効力を有していたのでした。

暦の製造頒布は神宮の附属事業であり,大宮司(神宮司庁に置かれる祭主(皇族又は公爵)の下にある神官中の事務長官)の管理の下に置かれていた神宮神部署がこれを掌っていました(美濃部達吉『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)662-663頁参照)。神宮のウェブサイトには,「神宮の暦は,御師(おんし)の配った伊勢暦の伝統を受け継ぎ,明治16年より迷信的記述を排除し,科学的情報のみを記述した我が国唯一の「正暦」として全国に頒布されました。暦の作成や販売が自由になった今日も,その心を受け継ぎ,科学的で実用的な暦として奉製され,神宮大麻とともに配られています。神宮暦は農林漁業関係者をはじめ,近年では家庭菜園やガーデニング等にも広く活用されています。」とあります。ちなみに,神宮大麻とはいわゆるお札であって,その所持等が昭和23年法律第124号によって取り締まられるものではありません。

 

なお,明治三年四月二十二日の太政官布告にも明治15年太政官布達第8号にも「取締ニ制裁ガゴザリマセヌ」ということで(第10回帝国議会貴族院議事速記録第948頁(中村元雄政府委員)参照),違反した暦等の刻版及び印本を差し押さえ,又は毀棄することができるようにするほか,違反した著作者及び発行者を11日以上6月以下の重禁錮に処し,かつ,10円以上200円以下の罰金をこれに附加しようという守札及暦ニ関スル取締法案が1897215日に政府から帝国議会に提出されていますが,同年315日には撤回されています。暦を頒布する「神宮ノ利益ヲ主トシテ保護スルノデソレカラコノ暦ハ成ルヘク諸方カラ出ルコトハ忌ミ且ツ色〻ノ歴史上法令ヲ以テ神宮ヘ許サレテアルコトデゴザイマスシ,又神宮ノ今日余程ノ収入モ関係スルコトデアリマス,其利益ヲ保護スルタメニ出シマスノデゴザイマス」ということでしたが(第10回帝国議会貴族院議事速記録第949頁(三崎龜之助政府委員)),残念でした。1897218日の貴族院本会議において,曽我祐準,村田保,何禮之,伊達宗敦,堀田正養らの諸議員に責め立てられて,「疎漏」・「迂闊」(第10回帝国議会貴族院議事速記録第950頁参照)の内務省は懲りたのでしょう。

 

明治16年(1883)の略本暦の写真がインターネット・オークションの見本として出ていて,それを筆者が確認するに,「七値」(「値」の漢字は,実物はちょっと違います。)の欄には右から順番に日曜・月曜・火曜・・・と並んでいて,日曜が週の最初の曜日とされていることが分かります(縦書きです。この七値ノ名の掲載は,1875の略本暦から1907年の略本暦まであったそうです(高橋潤三「略本暦内容及び体裁の変遷」(19541028日東京天文台暦研究課編))。1875の略本暦でも日曜日が七値の先頭です(同)。)。また,日曜表というものがあって,各月の日曜日の日付が記されています。1946129日の東京天文台の「編暦の方針案」には,「二十四節気,雑節,干支,日曜表,大祭日」について,「本項は古来暦象の基本事項なる故,当然これを〔国民暦たる「暦象年表」に〕載す。」との記載があるところ,ここでのゆゆしき「古来」は,キリスト教国流に日曜日が休日となる時期(官庁の日曜休業は1876312日の明治9年太政官達第27号により同年4月からです)より前からの伝統によって日曜表は意義付けられるのだ(「日曜は七値の筆頭だからなのだ」ということでしょうか。),という意識を示すものでしょう。ただし,日曜表が登場するのは,1880年の略本暦からです(高橋)。なお,現行民法制定当時の官俗ならぬ我が民俗は,「我邦ニ於テハ日曜日,大祭日等ニ其業ヲ休ム者ハ極メテ少数ニシテ未タ西洋ノ如キ慣習アラサル」状態でした(梅364)。

一枚摺略暦については,18901031日に公布された明治23年文部省令第2号が掲載可能事項を限定列挙しているところ,曜日については専ら日曜表が認められています。「今日の暦には必ず日曜日が書いてあつて,自ら他の何が分かるやうに柱暦に迄書いてあるのであります。」と梅が言っていたのは,この間の消息を示すものでしょうか。

 

 一一枚摺略暦ハ左ニ列記スル事項ニ限リ記載スルモノトス

  一年号及紀元ノ年数干支

  一毎月ノ1

  一日月食並其時間

  一大祭祝日並神社例祭大祓

  一日曜表甲子表庚申表己巳表

  一二十四節気及雑節

  一新月満月

  一前各項ニ相当スル陰暦日干支及陰暦ノ朔日干支並之ニ相当スル陽暦日

    以上ノ事項ハ帝国大学ニ於テ編纂スル所ノ暦ニ依ルヘシ但前各項規定ノ外本暦略本暦ニ掲載セサル事項ヲ記入スルハ此限ニ在ラス

 

 いずれにせよ,神宮は(ひの)(かみ)である天照大神大日孁(おほひるめの)(むち)祭っているのですから,その頒布する「正暦」において,七曜の第一が日曜とならなければおかしいでしょう。(つきの)(かみ)たる(つく)(ゆみの)(みこと)月夜(つくよ)(みの)(みこと)月読(つくよみの)(みこと)の神社が頒布する暦であれば,月曜始まりもあり得のでしょうが,事実においてそうではありませんでしたしかし,日本神話では,弟の素戔嗚尊に元気があり過ぎるせいか,月神は影が薄いです🌑


5 宿曜経及びそこにおける七曜

 ここで念のため,お大師様御請来の宿曜経における七曜の排列について,先頭は日曜🌞なのか月曜🌛なのか,やはり確認しておきましょう。


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弘法大師空海(成田山新勝寺)


 国立国会図書館のデジタルコレクションにある脇田文紹が18974月に出版した『縮刷宿曜経 二冊合巻』の30頁には,次のようにあります。

 

  宿曜経序七曜直品第四

  七曜者日月火水木金土也其精上曜於天神下直干人所以司善悪而主吉凶也其法一日一当直七日一周周而復始推求七曜直日法入此経巻末第七暦籌法中

 

 大正新脩大蔵経テキストデータベースでは,

 

    宿曜暦経序七曜直日品第四

  夫七曜日月五星也。其精上曜于天其神下直于人。所以司善悪而主理吉凶也。其行一日一易七日一周周而復始。直神善悪言具説之耳景風曰推求七曜直日法。今具在此経巻末第八暦算法中。具備足矣

 

です。

文言は必ずしも同一ではありませんが,要は,「七曜は,日月火水木金土なり。」又は「それ七曜は日月五星なり。」であって日曜🌞が先頭,「七日で一周し,周して復た始まる」ということです。やはり日曜日が週の初めなのでありました。

宿曜経請来から約二百年が経過した宮中においては同経に基づく占星術が流行っていたようです。光源氏の臣籍降下の決定に当たっては,その誕生日が何曜日であったかも勘案されたかもしれません。

 

 (きは)ことに賢くて,ただ人にはいとあたらしけれど,親王(みこ)となりたまひなば,世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば,宿曜(すくえう)の賢き道の人に(かんが)へさせたまふにも,同じさまに申せば,源氏になしたてまつるべく(おぼ)しおきてたり。

 (源氏物語・桐壺)

 

(ところで,紫式部の絵姿が,20007月に出た2千円札にあったことを筆者は覚えているのですが,あの2千円札はどこに消えてしまったのでしょうか。20進法嫌いの日本人には,おフランス式(フランス語で80は,quatre-vingts (=4×20)です。)は(週の月曜日始まりを含めて)駄目なのでしょうね。日本銀行法(平成9年法律第89号)461項は「日本銀行は,銀行券を発行する。」と,同法471項は「日本銀行券の種類は,政令で定める。」と規定しているところ,当該政令である日本銀行法施行令(平成9年政令第385号)の第13条にはなお2千円札が日本銀行券の種類の一つとして規定し残されてはいるのですが・・・。2千円札(及び紫式部の容姿)がどのようなものであるかについては,次のリンク先の一番下の部分を御覧ください。)

https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3487509/www.kantei.go.jp/jp/kidsold/school/school_lesson.html

 

6 東京天文台と国立天文台と

なお,1890年の前記明治23年文部省令第2号には「帝国大学ニ於テ編纂スル所ノ暦」とありました。神宮頒布の「迷信的記述を排除し,科学的情報のみを記述した我が国唯一の「正暦」」も,実は当該帝国大学編纂の暦に拠ったものでしょう。1888126日付け官報によって布告された明治21年勅令第81号は「天象観測及暦書調製ハ自今文部大臣ヲシテ之ヲ管理セシム」と規定していたところ,文部大臣は,暦書調製の実務は帝国大学にやらせていたわけです。

この明治21年勅令第81号は,19211124日公布・同日施行の東京天文台官制(大正10年勅令第450号)によって廃止されますが(同官制附則),同官制の第1条は「東京帝国大学ニ東京天文台ヲ附置ス」と,第2条は「東京天文台ハ天文学ニ関スル事項ヲ攻究シ天象観測,暦書編製,時ノ測定,報時及時計ノ検定ニ関スル事務ヲ掌ル」と規定していました。それまでは文部大臣の下請けだったものが,勅令ですから,暦書の編製を大正天皇から直接命じられた形になっています。「正朔を奉ずる」という言葉がありますが,「天子のこよみを用いることは天子の統治権下にあることになる」ところ(『角川新字源』),東京天文台は,天皇の統治大権の施行における重要な機関であったのでした。

東京天文台官制は,1949531日公布・施行の国立学校設置法(昭和24年法律第150号)によって廃止され(同法附則1項・2項),東京天文台は,「天文学に関する事項の攻究並びに天象観測,暦書編製,時の測定,報時及び時計の検定に関する事務」を目的とする研究所(東京大学に附置)となりました(同法4条)。

しかして現在,従来の東京天文台は,大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台となっています。国立天文台の法的位置付けはどうなっているかというと,国立大学法人法(平成15年法律第112号)52項及び別表第2に基づき国立大学法人法施行規則(平成15年文部科学省令第57号)1条及び別表第1によって大学共同利用機関法人自然科学研究機構が設置する大学共同利用機関であって,当該機関としての目的は「天文学及びこれに関連する分野の研究,天象観測並びに暦書編製,中央標準時の決定及び現示並びに時計の検定に関する事務」であるものとされています(国立大学法人施行規則別表第1)。暦書編製を行うこと自体は,東京天文台時代と変わりません。

しかし,東京天文台のしていた暦書編製は我が国政府の行政事務の一環であったのでしょうが,国立天文台のする暦書編製についても同じであると果たしていえるものかどうか。

すなわち,大学共同利用機関とは何かといえば,国立大学法人法24項によれば「この法律において「大学共同利用機関」とは,別表第2の第2欄に掲げる研究分野について,大学における学術研究の発展等に資するために設置される大学の共同利用の研究所をいう。」とされているところ,同法別表第2を見れば,大学共同利用機関法人自然科学研究機構に係る研究分野は「天文学,物質科学,エネルギー科学,生命科学その他の自然科学に関する研究」とされています。であれば,国立天文台の編製する暦書は,専ら,天文学その他の自然科学に関する研究分野について大学における学術研究の発展等に資するためのものであり,大学ないしはその関係者ならざる一般人民が直接利用すべきものではない,ということになってしまいそうです。何だかおかしいですね。暦書の編製が「国民生活及び社会経済の安定等の公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務及び事業であって,国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち,民間の主体に委ねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの又は一の主体に独占して行わせることが必要であるもの」に含まれるのならば(独立行政法人通則法(平成11年法律第103号)21項参照),個別法に基づく国立研究開発法人(同条3項)たる独立行政法人に行わせてもよさそうなところです。

ともあれ,対象が大学ないしはその関係者に限定されているのかもしれないものの,国立天文台(暦計算室)は現に暦書を編製しているわけで,翌年の暦要項を毎年2月初めに官報で発表しています。そこで,最新の2024年の暦要項を見てみると,おお,そこには依然日曜表が「古来」的に掲載されているのでした(https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/yoko/pdf/yoko2024.pdf)。すなわち,「古来」的かつ(かつて日曜を筆頭として「七値」の名を掲載していた)略本暦的体裁が維持されていることにより,国立大学法人法及び国立大学法人法施行規則に基づき国立天文台が編製する公的な暦書においては日曜日が週の初日であるものとなお示されているのであるといい得るのでありましょう。磯部四郎🎴(今年(2023年)91日をもって歿後100周年を迎えます。)及び民法1431と共に,我ら暦に従うべし。

(なお,「国立天文台の暦要項からいい得ることは,大学における自然科学に関する研究関係では日曜日が週の初日であるということまでであって,法律学上の議論はまた別である」というような強弁は――筆者は本稿をこの辺で終えたいので――勘弁してください。)

 

皇紀2683年春分日追記: しかし,インターネットでフランス翰林院の辞典(le Dictionnaire de l’Académie française)を過去のものまで遡って見ることができる今日は,なかなか油断がなりません。実は,我が民法143条の条文案が審議されていた1894年当時における現行版であった当該辞典の1878年版(第7版)を調べると,semaine(週)は日曜日から土曜日まで,dimanche(日曜日)は週の最初の日,lundi(月曜日)は週の2番目の日とそれぞれ定義されていたのでした。休みの日は働く日々の後に来るものだろ,だから週の始まりは月曜日なのだ,とお偉いアカデミーの辞典などには頓着なく信ずるフランス庶民の感覚を西園寺は語ったものであったか。しかし,後の法制局長官=司法大臣=中央大学学長たる奥田義人の「西洋の暦では月曜日。」との議長閣下に対するもっともらしい合いの手は,そうだとするといかなる典拠に基づいたものだったのでしょうか。

ロシア語では,月曜日は働かない日(неделя(ニジェーリャ))の翌日という意味のпонедельник(パニジェーリニク)であるところ,火曜日は2番目の日の意味のвторник(フトルニク),木曜は4番目の日のчетверг(チトベルク),金曜日は5番目の日のпятница(ピヤートニッツァ)であって,週月曜日から始まるようなのですが,果たして4世紀のフン族のようにスキタイの地を現在東方から攻撃中のロシアは,西洋文明の国なのでしょうか。


  (なお,現在当該スキタイの地を訪問中の我らが岸田総理の尊い命をロシア軍が狙うことはないものか,と人民の一員としては余計な心配をしていると不図,1943418日の米国海軍による山本五十六大将殺害作戦の発動は,山本がirreplaceableであるからこそその抹殺がadvisableであるのだという彼らの人事判断に基づいていたということを思い出しました(cf. Dan van der Vat, The Pacific Campaign (Simon & Schuster, New York, 1991) p.262)。山本殺害後,山本以上の才能がある提督が敵艦隊の司令長官になってしまってはかえって藪蛇で剣呑だという心配をしたのでしょう。)

 

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(前編):モーセ,ソロモン,アウグストゥス,モンテスキュー,ナポレオン,カンバセレス及びミラボー

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080442857.html



7 西暦1872年の監獄則(明治五年太政官第378号布告)及び西暦1881年の監獄則(明治14年太政官第81号達)

 

明治五年十一月二十七日(18721227日)の我が監獄則中典造十二条の第10条懲治監には,次のような規定がありました。第3項に御注目ください。

 

    第10条懲治監

 此監亦界区ヲ別チ他監ト往来セシメス罪囚ヲ遇スル他監ニ比スレハ稍寛ナルヘシ

 20歳以下懲役満期ニ至リ悪心未タ悛ラサル者或ハ貧窶営生ノ計ナク再ヒ悪意ヲ挟ムニ嫌アルモノハ獄司之ヲ懇諭シテ長ク此監ニ留メテ営生ノ業ヲ勉励セシム21歳以上ト雖モ逆意殺心ヲ挟ム者ハ獄司ヨリ裁判官ニ告ケ尚此監ニ留ム

 平民其子弟ノ不良ヲ憂フルモノアリ此監ニ入ン(こと)ヲ請フモノハ之ヲ聴ス

 〔第4項以下略〕

 

懲治監は,1881年に至って,明治14年太政官第81号達の監獄則では「懲治人ヲ懲治スルノ所」たる懲治場となり(同則13款),同則19条は,懲治人を定義して,旧刑法(明治13年太政官布告第36号)79条,80条及び82条の不論罪に係る幼年の者及び瘖啞者(明治14年監獄則191款)並びに「尊属親ノ請願ニ由テ懲治場ニ入リタル者」を掲げています(同条2款)。この尊属親の請願による懲治人については,「前条第2款ニ記載シタル懲治人ハ戸長ノ証票ヲ具スルニ非サレハ入場ヲ許サス但在場ノ時間ハ6個月ヲ1期トシ2年ニ過ルヲ得ス」(明治14年監獄則201項)及び「入場ヲ請ヒシ尊属親ヨリ懲治人ノ行状ヲ試ル為メ宅舎ニ帯往セント請フトキハ其情状ニ由リ之ヲ許スヘシ」(同条2項)という規定がありました。

 しかし,懲治場は,明治22年勅令第93号の監獄則では専ら「不論罪ニ係ル幼者及瘖啞者ヲ懲治スル所」となってしまっています(同則16号)。なお,明治22年勅令第93号は1889713日の官報で布告されていますが,その施行日は,公文式(明治19年勅令第1号)10条から12条までの規定によったのでしょう。

その附則2項で明治22年の監獄則を廃止した監獄法(明治41年法律第28号)は現行刑法(明治40年法律第45号)と共に1908101日から施行されたものですが(監獄法附則1項,明治41年勅令第163号),そこには懲治場の規定はありません(ただし,懲治人に関する明治22年の監獄則の規定は当分の内なお効力を有する旨の規定はありました(同法附則2項ただし書。また,刑法施行法(明治41年法律第29号)16条)。)。

なお,現行刑法の施行は旧少年法(大正11年法律第42号)のそれを伴うものではなく(後者の法律番号参照),旧少年法の施行は,192311日(同法附則及び大正11年勅令第487号)を待つことになります。

 

8 西暦1890年の旧民法人事編


(1)旧民法人事編の規定


  第149条 親権ハ父之ヲ行フ

   父死亡シ又ハ親権ヲ行フ能ハサルトキハ母之ヲ行フ

   父又ハ母其家ヲ去リタルトキハ親権ヲ行フコトヲ得ス

 

  第151条 父又ハ母ハ子ヲ懲戒スル権ヲ有ス但過度ノ懲戒ヲ加フルコトヲ得ス

  第152条 子ノ行状ニ付キ重大ナル不満意ノ事由アルトキハ父又ハ母ハ区裁判所ニ申請シテ其子ヲ感化場又ハ懲戒場ニ入ルルコトヲ得

   入場ノ日数ハ6个月ヲ超過セサル期間内ニ於テ之ヲ定ム可シ但父又ハ母ハ裁判所ニ申請シテ更ニ其日数ヲ増減スルコトヲ得

   右申請ニ付テハ総テ裁判上ノ書面及ヒ手続ヲ用ユルコトヲ得ス

   裁判所ハ検事ノ意見ヲ聴キテ決定ヲ為ス可シ父,母及ヒ子ハ其決定ニ対シテ抗告ヲ為スコトヲ得

 

旧民法人事編151条は,ナポレオンの民法典375条を承けたもののようではありますが,フランスでは「日常的な懲戒権は,「監護権の存在からも出てくる」が,「自然に慣習上存する」(谷口知平『現在外国法典叢書(14)佛蘭西民法[1]人事法』有斐閣1937 p.361ものとされる」とのことですから(広井多鶴子「親の懲戒権の歴史-近代日本における懲戒権の「教育化」過程-」教育学研究632号(19966月)17頁註2)),我が国産規定なのでしょう。確かに,ナポレオンの民法典375条は厳密にいえば懲戒の手段(moyens de correction)たるその次条以下の拘禁について,更にその前身である1802930日国務院提出案6条は矯正の施設に拘禁させる父の権能についていきなり語っているものであって,いずれもそれに先立つ懲戒権それ自体を基礎付けるものではありません。旧民法人事編151条の前身は,熊野敏三,光明寺三郎,黒田綱彦,高野真遜,磯部四郎🎴及び井上正一が分担執筆し,18887月頃に起草が終了(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1977年(1998年追補))157頁)した旧民法人事編第一草案の第243条(「父若クハ母ハ家内ニ於テ其子ヲ懲戒スルノ権ヲ有ス但シ過度ノ懲戒ヲ加フルコトヲ得ス」)であったところですが,そこにおいて「画期的」であったのはただし書で,理由書によれば「「我国ノ如キ父母・・・懲戒モ往々過度残酷ニ流ル」,ゆえに「過度ノ懲戒ヲ禁」じる必要があるという趣旨」で設けられ,更に親権の失権制度までも準備されていたのでした(小口恵巳子「明治民法編纂過程における親の懲戒権-名誉維持機能をめぐって-」比較家族史研究20号(2005年)71頁)。その際の起草委員らの意気込みは,これも理由書によれば,「此思想〔「親権ハ父母ノ利益ノ為メ之ヲ与フルモノニ非ス」,「子ノ教育ノ為」であるとの思想〕ハ我国ノ親族法ニ反スヘシト雖モ従来ノ慣習ヲ維持スルヲ得ヘカラス」,「其原則ヲ一変セスンハ是等ノ不都合ヲ改正スルヲ得ヘカラス」」(小口77頁)という勢いであって,「かなりヨオロッパ的,進歩的」であるのみならず(大久保157頁),むしろフランス民法よりも更に「進歩的」であったように思われます。当時の「仏国学者中ニハ民法ノ頒布以来父母ノ権力微弱ト為リタルコトヲ歎息シ羅馬ノ古制ヲ追慕スル者」がなおあったようです(旧民法人事編第一草案理由書『明治文化資料叢書第3巻 法律編上』(風間書房・1959年)183頁(熊野敏三起稿))。

旧民法人事編152条は,フランス的伝統が原則とするナポレオンの民法典376条には倣ってはいません。同法典377条以下の規定に倣っています。

旧民法人事編1524項は入場申請に関する決定に対する抗告を認めていますが,父の権威のために父子間の争訟を避けようという1802930日の国務院審議におけるブウレ発言の立場からするとどうしたものでしょうか。旧民事訴訟法(明治23年法律第29号)4622項には「抗告裁判所ハ抗告人ト反対ノ利害関係ヲ有スル者ニ抗告ヲ通知シテ書面上ノ陳述ヲ為サシムルコトヲ得」とありました。ナポレオンの民法典3822項の手続においては,父子直接対決ということにはならないようです。

 

(2)西暦1888年の旧民法人事編第一草案244条及び245

なお,旧民法人事編152条の前身は,その第一草案の第244条及び第245条ですが,両条の文言及びその理由は,次のとおりです。

 

 第244条 父若クハ母其子ノ行状ニ付重大ナル不満ノ事由ヲ有スルトキハ地方裁判所長ニ請願シテ其子ヲ相当ノ感化場若クハ懲戒場ニ入ルコトヲ得

  此請願ハ口頭ニテ之ヲ為スコトヲ得ヘク又拘引状ニハ其事由ヲ明示シ且ツ其他裁判上ノ書面及ヒ手続ヲ用ユルコトヲ得ス

  入場ノ日数ハ16年未満ノ子ナレハ3个月又満16年以上ノ子ナレハ6个月ヲ超過スルコトヲ得ス但シ父若クハ母ハ常ニ裁判所長ニ請願シテ其日数ヲ延長シ又ハ減縮スルコトヲ得(仏第375条以下,伊第222条)

 第245条 父母及ヒ子ハ裁判所長ノ決定ニ対シテ控訴院長ニ抗告スルコトヲ得

  所長及ヒ院長ハ検事ノ意見ヲ聴キ裁判ス可シ(伊第223条)

 (理由)若シ子ノ性質不良ニシテ尋常ノ懲戒ヲ以テ之ヲ改心セシムル能ハサルトキハ法律ハ一層厳酷ナル懲戒処分ヲ用フルコトヲ允許ス即チ其子ヲ拘留セシムルノ権是レナリ本条ハ其手続ヲ規定スルモノトス父母ハ其事由ヲ具シテ地方裁判所長ニ請願スヘシ所長ハ其事情ヲ調査シ検事ノ意見ヲ聴キ其請願ノ允当ナルトキハ其允許ヲ与フヘシ此拘留ハ子ノ為メ一生ノ恥辱トナルヘケレハ成ル可ク之ヲ秘密ニシ其痕跡ヲ留メサルヲ要ス故ニ其請求ハ口頭ニテモ之ヲ為スヲ得ヘク且ツ一切ノ書類及ヒ手続ヲ要セサルモノトス拘引状云々ハ之ヲ削除スヘシ然レトモ其子ヲ拘留スヘキ場所ハ如何是レ特別ノ懲戒場タラサルヘカラス若シ之ヲ普通ノ監獄ニ入レ罪囚ト同居セシムルトキハ懲戒ニ非ラスシテ却テ悪性ヲ進ムルニ至ルヘシ拘留ノ日数ハ子ノ年齢ニ従ヒ之ヲ定メ満16年以下ナレハ3ケ月又16年以上ナレハ6ケ月ヲ超ユヘカラサルモノトナセリ但シ場合ニ由リ其期限ヲ伸縮スルヲ得ヘシ若シ子其拘留ヲ不当ト信スルトキハ之ヲ控訴院長ニ抗告スルヲ得ヘシ

   (旧民法人事編第一草案理由書187頁(熊野))

 

「拘引状云々ハ之ヲ削除スヘシ」と条文批判をしている熊野敏三は,「理由」は起稿したものの,当該条項の起草担当者ではなかったのでしょう。確かに,「拘引状ニハ其事由ヲ明示シ」では,ナポレオンの民法典3781項(身体拘束令状に理由は記載されない。)と正反対になっておかしい。あるいは,「拘引状ニハ其の事由ヲ明示シ〔する〕コトヲ得ス」の積もりだったのかもしれませんが,それでも誤訳的仏文和訳だったというべきなのでしょう(筆者も人様のことは言えませんが。)。しかし,「拘引状」が消えてしまうと,ミラボー的問題児の身柄を強制的に抑える肝腎の手段がないことになって,同人が同意して自ら感化場又は懲戒場に入ってくれなければいかんともし難いことになり,かつ,素直に感化場又は懲戒場に入ってくれるようなよい子には,そもそもそこまでの懲戒は不要であるということにはならなかったでしょうか。

 

9 西暦1898年の民法第4編第5編(明治31年法律第9号)及び旧非訟事件手続法(明治31年法律第14号)

 

(1)親権

 

  民法877条 子ハ其家ニ在ル父ノ親権ニ服ス但独立ノ生計ヲ立ツル成年者ハ此限ニ在ラス  

   父カ知レサルトキ,死亡シタルトキ,家ヲ去リタルトキ又ハ親権ヲ行フコト能ハサルトキハ家ニ在ル母之ヲ行フ

 

 親権について,梅謙次郎は次のように説明しています。

 

  我邦に於ては,従来,法律上確然親権を認めたるの迹なし。唯,事実に於て多少之に類するものなきに非ずと雖も,戸主権熾なりしが為めに十分の発達を為すことを得ざりしなり。維新後に至りては漸く戸主権の必要を減じたるを以て,茲に親権の必要を生じ,民法施行前に在りても父は父として子の代理人となり,子の財産に付き全権を有するものとせるが如し。是れ即ち親権なりと謂ふも可なり。然りと雖も,其父は子の身上に付き果して如何なる権力を有せしか頗る不明に属す。又其財産に付ても多少の制限なくんば竟に子の財産は,寧ろ父の財産たるかの観あるを免れず。

  (梅謙次郎『民法要義巻之四 親族編(第22版)』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1912年)342-343頁。原文は片仮名書き,句読点・濁点なし。)

 

  蓋し親権は,自然の愛情を基礎とし,父をして子の監護,教育等を掌らしむるものな〔り〕。

  (梅346-347頁)

 

「自然の愛情を基礎」とする梅の考え方の根底は,ローマ法的というよりはフランス法的なのでしょう。

 

(2)懲戒権

 

ア 条文

 

  民法882条 親権ヲ行フ父又ハ母ハ必要ナル範囲内ニ於テ自ラ其子ヲ懲戒シ又ハ裁判所ノ許可ヲ得テ之ヲ懲戒場ニ入ルルコトヲ得

   子ヲ懲戒場ニ入ルル期間ハ6个月以下ノ範囲内ニ於テ裁判所之ヲ定ム但此期間ハ父又ハ母ノ請求ニ因リ何時ニテモ之ヲ短縮スルコトヲ得

 

民法旧882条の参照条文としては,旧民法人事編151条及び152条,フランス民法375条から383条まで,オーストリア民法145条,イタリア民法222条,チューリッヒ民法662条,スペイン民法156条から158条まで,ベルギー民法草案3612項及び363条並びにドイツ民法第1草案1504条及び同第2草案15262項が挙げられており(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第50巻』6丁裏-7丁表),1896115日の第152回会合において梅謙次郎が「本条ハ人事編ノ第151条及ヒ第152条ト同シモノテアリマス」と述べていますから(民法議事速記録507丁表),民法旧882条はフランス民法の影響を色濃く受けた条文であったものといってよいのでしょう。

 

イ ドイツ民法(参考)

ちなみにドイツ民法第1草案1504条は,次のとおりでした。

 

§. 1504.

      Die Sorge für die Person umfaßt insbesondere die Sorge für die Erziehung des Kindes und die Aufsicht über dasselbe. Sie gewährt die Befugniß, bei Ausübung des Erziehungsrechtes angemessene Zuchtmittel anzuwenden.

  (身上に対する配慮は,特に,子の教育に対する配慮及びその子の監督を包含するものであるとともに,教育権の行使に当たって,相応な懲戒手段を用いる権限を与えるものである。)

      Das Vormundschaftsgericht hat den Berechtigten auf dessen Antrag durch geeignete Zwangsmaßregeln in der Ausübung des elterlichen Zuchtrechtes nach verständigem Ermessen zu unterstützen.

  (後見裁判所は,当該権利者からの申立てがあるときには,適切な強制手段を執ることにより,親の懲戒権の行使において権利者を賢慮ある裁量をもって支援しなければならない。)

 

 結果として,ドイツ民法1631条は次のとおりとなりました。

 

§. 1631.

   Die Sorge für die Person des Kindes umfaßt das Recht und die Pflicht, das Kind zu erziehen, zu beaufsichtigen und seinen Aufenthalt zu bestimmen.

  (子の身上に対する配慮は,子を教育し,監督し,及びその居所を定める権利及び義務を包含する。)

      Der Vater kann kraft des Erziehungsrechts angemessene Zuchtmittel gegen das Kind anwenden. Auf seinen Antrag hat das Vormundschaftsgericht ihn durch Anwendung geeigneter Zuchtmittel zu unterstützen.

  (父は,教育権に基づき,相応な懲戒手段を子に対して用いることができる。父の申立てがあるときには,後見裁判所は,適切な懲戒手段を用いることによって同人を支援しなければならない。)

 

ウ 懲戒権に関する学説

 懲戒権については,次のように説かれ,ないしは観察されています。

 

  蓋し懲戒権は,主として教育権の結果なりと雖も,我邦に於ては之を未成年者に限らざるを以て,必ずしも教育権の結果なりと為すことを得ず。而して懲戒権の作用は敢て一定せず。或は之を叱責することあり,或は之を打擲することあり,或は之を一室内に監禁することあり。此等は皆,親権者が自己の一存にて施すことを得る所なり。唯,其程度惨酷に陥らざることを要す。法文には「必要ナル範囲内ニ於テ」と云ひ,実に已むことを得ざる場合に於てのみ懲戒を為すべきことを明かにせり。而して其方法も,亦自ら其範囲を脱することを得ざるものとす(若し惨酷に失するときは,896〔親権の喪失〕の制裁あり。)。

  (梅355-356頁)

 

  懲戒権は監護・教育には収まりきらない特殊な性質を持っている。おそらくこれは,親権が私的な権力であることが端的に表れている,と見るべきだろう。父は子に対して自律的な権力を有しており,子が社会に対して迷惑を及ぼさないよう,予防をする義務を負い権利を有するというわけである。

  (大村254頁)

 

懲戒権の対象となる子を未成年者に限るように起草委員の原案を改めるべきではないかという提案が法典調査会の第152回会合で井上正一から出ましたが,当該提案は賛成少数で否決されています(民法議事速記録5011丁表-12丁表)。その際原案維持(すなわち,成年の子も親権に服する以上懲戒の対象とする。)の方向で「実際ハ未成年者ヨリ成年者カ困ルカモ知レヌ未成年ハ始末カ付クガ成年ニ為ルト始末ノ付カヌコトカアラウト思ヒマス」(民法議事速記録5012丁表)と発言したのが村田保であったのが(筆者には)面白いところです。人間齢を取ると素直さを失って始末に困るようになる,ということでしょうが,夫子自身も,「村田は性格が執拗,偏狭という評を受け,貴族院における「鬼門」だといわれた」そうです(大久保164頁)。

 

エ 懲戒場に関して

 

(ア)梅謙次郎の説明

 

  親権者は尚ほ進んで之を懲戒場に入るることを得べし。唯,是が為めには特に裁判所の許可を得ることを必要とせり。蓋し子の身体を拘束すること殊に甚しく,且,其処分が子の徳育,智育,体育に重大なる影響を及ぼすべきを以て,単に親権者の一存に任せず,裁判所に於て果して其必要なるや否やを審査し,又之を必要なりとするも,其期間の長短に付き裁判所に於て必要と認めたる範囲内に於てのみ之を許すべきものとせり。而して,如何なる場合に於ても其期間は6个月を超ゆることを得ざるものとし,尚ほ一旦定めたる期間も亦親権者の請求に因り何時にても之を短縮することを得るものとせり。

  (梅356頁)

 

旧民法人事編1521項の「感化場又ハ懲戒場」から感化場が落ちたことについて梅は,「字ノ如ク感化丈ケテアルナラハ寧ロ之ハ教育上ニ属スヘキモノト思ヒマス夫レテアレハ之ハ教育権ノ範囲内テ態々裁判所ヲ煩スコトヲ要セス父カ勝手ニ出来ル事テアラウト思ヒマス」と述べる一方,「若シ又感化場ト云フ名ハアツテモ矢張リ幾分カ懲戒ノ方法ヲ用ヰルモノテ身体ヲ拘束スルトカ苦痛ヲ与ヘルトカ云フモノテアレハ矢張リ法律ノ上カラ見レハ懲戒場テアリマス詰リ此箇条ノ精神ト云フモノハ子ヲ監禁スルノテアリマス其監禁スルコトハ幾ラ父ト雖モ勝手ニハ出来ヌ幾ラ父ト雖モ裁判所ノ許可ヲ得ナケレハナラヌト云フコトテアラウト思ヒマス」と弁じて,懲戒場の機能における拘禁(détention)の本質性を明らかにしています(民法議事速記録507丁表裏)。

ただし,フランス語の“correction”は「懲戒」と訳し得るものの,“maison de correction”には「感化院」という訳が現在あるところです(1938年のフランス映画『格子なき牢獄(Prison sans barreaux)』の舞台であるmaison de correctionは,「感化院」であるとされています。わざわざ「格子なき」というのですから,感化院には通常は格子があるわけでしょう。)。これに対して,我が国初の感化院は1883年に池上雪枝が大阪の自宅に開設したものだそうですが,自宅であったそうですから,その周囲を格子で囲みはしなかったものでしょう。1885107日には高瀬眞卿により東京の本郷区湯島称仰院内に私立予備感化院が開設されていますが,これはお寺ですね。フランス式の方が,日本式よりごついのでしょう。

梅はフランス式で考えていたのでしょうが,感化場ではない懲戒場とは,具体的には何でしょうか。

 

   懲戒場(〇〇〇)とは如何なる場所なるか民法に於て之を定めざるのみならず,民法施行法其他の法令に於て未だ之を定むるものあらず。故に裁判所は,親権者の意見を聴き,適当の懲戒場を指定することを得べし。然と雖も,将来に於ては之に付き一定の規定を設くる必要あるべし。

  (梅356-357頁)

 

ただし,梅は,旧刑法79条(また,80条及び82条)の懲治場との関係については,当該施設において「刑事ノ被告人カ出マシテサウシテ年齢ノ理由ヲ以テ放免サレタ者ト又普通ノ唯タ暴ハレ小僧ト一緒ニスルト云フコトハ如何テアラウカ」,「例ヘハ無闇ト近所ノ子供ト喧嘩ヲシテ困ルト云フヤウナ事丈ケテ別ニ盗坊ヲスルト云フヤウナ者テモナイ者ヲ刑事ノ被告人ト一緒ニスルト云フコトハ危険テアラウト思ヒマス」ということで,「可成ハ別ナ処ヘ入レルコトカ出来ルナラハ別ノ所ニ入レタイト云フ考ヲ持ツテ居リマスカラ夫レテ態サト「懲治場」ト云フ字ヲ避ケマシタ」と述べています(民法議事速記録509丁表)。

また,梅は家内懲戒場を認めていたようであって,「此「相当ノ」ト云フコトカ這入ツテ居ル以上ハ親カ内ニ檻テモ造ツテ入レルト云フコトナラハ夫レヲモ許ス積リテアリマスカ」との横田國臣の質問に対して,「私ハ其積リテアリマス身分テモアル人ハ其方カ却テ宜シイカモ知レヌ」と回答しています(民法議事速記録509丁裏-10丁表)。しかし,当該問答がされた際の条文案は「親権ヲ行フ父又ハ母ハ必要ナル範囲内ニ於テ自ラ其子ヲ懲戒シ又ハ裁判所ノ許可ヲ得テ之ヲ相当ノ懲戒場ニ入ルルコトヲ得」というものであったのでしたが(下線は筆者によるもの),当該「相当ノ」の文言は,法律となった民法旧8821項からは落ちています。したがって,やはり「懲戒場」は「公の施設であることはいうまでもない」(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)331頁)という整理になるのでしょうか。後記17で見る平成23年法律第61号による懲戒場関係規定の削除に当たっては,法定の懲戒場の不存在がすなわち懲戒場の不存在としてその理由とされていること等に鑑みると,梅の意思にかかわらず,懲戒場=公の施設説が公定説となったものでしょう。


DSCF2164

20233月の称仰院(東京都文京区湯島四丁目)


(イ)手続規定

 

  旧非訟事件手続法13条 審問ハ之ヲ公行セス但裁判所ハ相当ト認ムル者ノ傍聴ヲ許スコトヲ得

 

  旧非訟事件手続法15条 検事ハ事件ニ付キ意見ヲ述ヘ審問ヲ為ス場合ニ於テハ之ニ立会フコトヲ得

   事件及ヒ審問期日ハ検事ニ之ヲ通知スヘシ

 

  旧非訟事件手続法20条 裁判ニ因リテ権利ヲ害セラレタリトスル者ハ其裁判ニ対シテ抗告ヲ為スコトヲ得

   申立ニ因リテノミ裁判ヲ為ス場合ニ於テ申立ヲ却下シタル裁判ニ対シテハ申立人ニ限リ抗告ヲ為スコトヲ得

 

  旧非訟事件手続法25条 抗告ニハ前5条ニ定メタルモノヲ除ク外民事訴訟法ノ抗告ニ関スル規定ヲ準用ス

 

  旧非訟事件手続法92条 子ノ懲戒ニ関スル事件ハ子ノ住所地ノ区裁判所ノ管轄トス

   検事ハ前項ノ許可ヲ与ヘタル裁判ニ対シテ抗告ヲ為スコトヲ得

   第78条ノ規定〔抗告手続の費用及び抗告人の負担に帰した前審の費用の負担者を定めるもの〕ハ前項ノ抗告ニ之ヲ準用ス

 

10 西暦17世紀末-18世紀前半の日本国

懲戒場に関する梅の所論がどうしても抽象的になってしまうのは,公の施設としてのhôpitaux générauxVincennes城等に対応するものが,我が国には現実のものとしてなかったからでしょうか。

我が国の伝統的な子の懲戒観及び懲戒方法はどのようなものだったのか,時代は前後しますが,ここで江戸時代の様子を見てみましょう。

 

   父母は子を懲戒(〇〇)するの権利を有す。西沢与四作「風流今平家」〔元禄十六年(1703年)〕五六之巻第三に

    「入道耳にいれず,()()()()