1 はじめに
前回の記事「Zur ersten Feierstunde des Osterfestes (春のお祝いに際して)」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1082693799.html)を書いていて,恩赦制度に対する関心が筆者に喚起されました。刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)475条1項(「死刑の執行は,法務大臣の命令による。」)の死刑執行命令の職務を前にしての法務大臣閣下の御苦悩との関連においてです。同項の前身規定を尋ねて旧治罪法(明治13年太政官布告第37号)460条(「死刑ノ言渡確定シタル時ハ検察官ヨリ速ニ訴訟書類ヲ司法卿ニ差出スヘシ/司法卿ヨリ死刑ヲ執行ス可キノ命令アリタル時ハ3日内ニ其執行ヲ為スヘシ」)を経てボワソナアドの原案622条,623条及び625条(Boissonade, Projet de Code de Procédure Criminelle (1882): pp.916-917)にたどり着いた筆者は,旧治罪法460条は,天皇に対する司法卿の「特赦」上奏権(「司法卿ハ刑ノ言渡確定シタル後何時ニテモ特赦ノ申立ヲ為スヿヲ得」(同法478条1項)及び「特赦ノ申立アリタル時ハ司法卿ヨリ其書類ニ意見書ヲ添ヘ上奏スヘシ」(同法477条3項))を背景にした死刑囚に対する全件「特赦」検討主義を前提とするものであるとの認識に至ったのでした。
ということで,刑事訴訟法475条1項との関係という切り口から恩赦制度について論じてみようと思ったのですが,なかなか直ちにそれに取りかかるわけにはいきません。
まずは「特赦」をめぐる語義穿鑿です。
なお,ここで特赦の語を括弧の中に入れているのは,1947年5月3日施行の現行恩赦法(昭和22年法律第20号)5条が採用する特赦(これには括弧を付さないことにします。)の概念(「特赦は,有罪の言渡の効力を失わせる。」)とそれより前の「特赦」(これには括弧を付けます。)の概念との間には相違があり,かつ,後者については更に旧刑法(明治13年太政官布告第36号)及び旧治罪法施行後の時代(旧刑法及び旧治罪法の施行日は1882年1月1日)の用法と1889年2月11日発布の大日本帝国憲法の第16条を経た1908年10月1日施行の明治41年勅令第215号以後の用法とではその意味範囲が異なるからです。
2 旧治罪法及び旧々刑事訴訟法並びに旧刑法:明治41年勅令第215号による減刑の分離まで
(1)「特赦」:grâceとcommutation de peineと
そもそも,旧治罪法及び旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)における「特赦」の語義が厄介なのでした。ボワソナアドの治罪法原案においては,旧治罪法における「特赦」について,grâceとcommutation de peineとの二つの概念が提示されているのです。すなわち,旧治罪法第6編第3章の章名は「特赦」ですが(旧々刑事訴訟法第8編第3章も同じ),ボワソナアドの原案では“De la Grâce et de la Commutation de Peine”(「Grâce及びCommutation de Peineについて」)との章名になっています(Boissonade, PCPC: p.941)。また,死刑案件に係る天皇への上奏の要否についての司法卿の検討に関するボワソナアド原案623条には上奏内容として“la grâce ou une commutation de peine”(「grâce又はcommutation de peine」)とあり,旧治罪法477条及び478条には「特赦ノ申立」とのみありますが,その前身であるボワソナアド原案645条には“recours en grâce ou en commutation de peine”(「grâce又はcommutation de peineの申立て」)とあり(Boissonade, PCPC: p.941),旧治罪法480条には「特赦状」とのみありますが,ボワソナアド原案650条には“lettres de grâce et de commutation”(「grâce状及びcommutation状」)とあります(Boissonade, PCPC: p.942)。
当該2概念(grâce及びcommutation)の異同についてボワソナアドは,旧治罪法に係るボワソナアド原案の解説書において,「commutationは部分的なgrâceであるとよく言われる。刑の言渡しを受けた者により軽い刑を科するとともに(en plaçant le condamné sous une peine moindre)刑の免除を行う(elle fait remise d’une peine)という意味においてである。この定式は,大きな不都合なしに用いることができるものである。」と述べています(Boissonade, PCPC: p.943)。Commutationにおいては,重い刑から軽い刑への差替えがされるということでしょう。確かにフランス語辞書を見ると,commutationは“substitution, remplacement”であるということですから,入替え,取替え,差替えといった意味でよろしいのでしょう。刑の減軽(恩赦法7条2項前段)ということでしょう。
(2)旧刑法64条
旧刑法64条は「大赦ニ因テ免罪ヲ得タル者ハ直チニ復権ヲ得特赦ニ因テ免罪ヲ得タル者ハ赦状中記載スルニ非サレハ復権ヲ得ス/赦ニ因リテ復権ヲ得タル者ハ自ラ監視ヲ免シタル者トス」と規定しています。ボワソナアドの原案のフランス語(Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal (1886): pp.96-97)と比較すると,旧刑法64条の「大赦」,「特赦」及び「復権」は,それぞれ“amnistie”,“grâce”及び“réhabilitation”です。
旧刑法の復権は,同法における附加刑であった監視(同法10条4号及び37条から41条まで)を免れさせるのみならず(同法64条2項),同じく附加刑であった剥奪公権(同法10条1号及び32条)によって剥奪された公権(同法31条)を回復させるものでした(同法63条1項)。
なお,旧刑法64条1項の「特赦」には,「部分的なgrâce(grâce partielle)」としてのcommutationが含まれていたものでしょう。同項に関して,「ところで,全部的なgrâceの事例は稀であろう。多くは単純なcommutation又は刑の執行の減軽(abaissement de la peine)がされ,かつ,ほとんど常に(presque toujours)それは死刑の言渡しに係るものであろう。」とボワソナアドは考えていたところです(Boissonade, PRCP: p.228)。おって,「刑の執行の減軽」(恩赦法7条2項後段参照)との訳語がここで出て来た理由は,「減軽」される刑(peine)に定冠詞(la)が付いているので,simple(単純な)commutationのように刑の差替えがされるのではなく,言い渡された定冠詞付きの刑が維持されつつその執行が減軽(abaissement)されるもののように解されるからです。
(3)ボワソナアドによるgrâceとcommutation de peineとの各定義について
ア ボワソナアドによる定義
1886年に至って(旧刑法及び旧治罪法の施行日は前記のとおり1882年1月1日でした。),ボワソナアドは,旧刑法64条に定義のなかったgrâceについて「専ら主刑の執行を免除するもの(elle fait seulement remise de l’exécution de la peine principale)」との定義を,またそもそも同条に現れていなかったcommutationについて,「commutationは,確定した刑を減軽し,かつ,新しい刑は裁判で言い渡されたものとみなされる。」という定義を提示しています(Boissonade, PRCP: p.97)。
さて,悩ましい。
イ Grâce=刑の執行の免除
刑の執行を免除するものであるのならば,grâceは,現行恩赦法8条の刑の執行の免除に該当することになります(同法4条及び5条の特赦ではありません。)。
ウ Commutationと刑の減軽(及び刑の執行の減軽)と
Commutationは専ら刑を減軽するものであって,刑の執行を減軽するものではないであれば,「刑を減軽し,又は刑の執行を減軽する」(恩赦法7条2項)ものである恩赦法上の(特定の者に対する)減刑よりも狭い範囲のものということになります。
なお,commutationについて「部分的なgrâce(grâce partielle)」との観念を機械的に適用すれば,言い渡された刑を維持した上での,刑の執行の免除にまで至らない刑の執行の量的減軽こそが本来の“commutation”であることになります。しかし,刑の執行の減軽については,前記のとおり,ボワソナアドはabaissement de la peineの語を用いるものでしょう。
ちなみに,死刑については,死刑の執行の減軽というわけにはいかないでしょうから(死なない程度に絞首(旧刑法12条)するというのでは,死刑ならざる新たな身体刑の創出ということになります。),死刑を無期徒刑(同法7条2号及び17条)に差し替えて刑を減軽する(commutation)ということにならざるを得ないわけでしょう。なお,刑の減軽と刑の執行の減軽との効果の相違の例としてボワソナアドは,無期徒刑が有期徒刑に刑の減軽があれば,仮出獄(旧刑法53条)の後の監視の期間は有期徒刑の満期までであるのに対して,無期徒刑の刑の執行が有期に減軽されるだけであれば,監視期間は無期になってしまう(同法55条参照)との趣旨を述べています(Boissonade, PRCP: p.230)。
(4)総称としての「特赦」及びその終焉
旧刑法並びに旧治罪法及び旧々刑事訴訟法にいう「特赦」は,刑の執行の免除と刑の減軽との総称(なお,ボワソナアドは刑の執行の減軽も排除してはいなかったものでしょう。)であって,専ら「有罪の言渡の効力を失わせる」ものである現在の恩赦法(5条)の特赦とは異なることになります。
旧刑法時代は「特赦」概念に減刑までが含まれていたわけですが,同法が廃止されて現行刑法(明治40年法律第45号)に代わった日である1908年10月1日に施行された旧特赦及び減刑に関する勅令(明治41年勅令第215号)に至って,「特赦」と減刑とが別のものとして書き分けられたところです。
なお,「特赦」に係る法律の規定が勅令に移されたのは,大日本帝国憲法16条に定められた恩赦大権に係る規律を帝国議会の協賛を要する法律(同5条及び37条)によってすることは大権の行使に議会の干与を許容することとなって好ましくないとされたからでしょう。
3 大日本帝国憲法16条及び旧恩赦令
(1)大日本帝国憲法16条
1889年発布の大日本帝国憲法16条は「天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス」と規定していますから,この時点で既に「特赦」と減刑とは書き分けられるべきものと認識されていたわけです。『憲法義解』の第16条解説においては,「大赦は特別の場合に於て殊例の恩典を施行する者にして,一の種類の犯罪に対し之を赦すなり。特赦は一個犯人に対し其の刑を赦すなり。減刑は既に宣告せられたるの刑を減ずるなり。復権は既に剥奪せられたるの公権を復するなり。」とあります。
伊東巳代治による大日本帝国憲法16条の英語訳は“The Emperor orders amnesty, pardon, commutation of punishments and rehabilitation.”です。伊東は,「大赦特赦減刑及復権」に係る『憲法義解』の上記解説部分を“ ‘Amnesty’ is to be granted, in a special case, as an exceptional favor, and is intended for the pardoning of a certain class of offences. ‘Pardon’ is granted to an individual offender to release him from the penalty he has incurred. ‘Commutation’ is the lessening of the severity of the penalties already pronounced in the sentence. ‘Rehabilitation’ is the restoration of public rights that have been forfeited.”と訳しています。
(2)旧恩赦令を踏まえての解説
大日本帝国憲法16条の「特赦」においては,刑は赦されても罪は赦されないわけですから,これは,刑の執行の免除の意味でしょう。ボワソナアドも,grâceはpardonであると言った上で,amnistieを受けた者が新たに罪を犯しても再犯にならぬが(旧刑法97条は「大赦ニ因テ免罪ヲ得タル者ハ再ヒ罪ヲ犯スト雖モ再犯ヲ以テ論スルヿヲ得ス」と規定していました。),grâceを受けた者はそうではないと述べています(Boissonade, PRCP: p.225)。Amnistieの語は忘却を意味するギリシア語に由来し,それは「犯罪行為及びその刑を消し去り,そのどちらについても何ら法的痕跡を残さないもの」だそうです(ibid.)。これに対して,「grâceは主刑を免ずるのみ」なのでした(Boissonade, PRCP: p.229)。
1912年の旧恩赦令(大正元年勅令第23号)5条は「特赦ハ刑ノ執行ヲ免除ス但シ特別ノ事情アルトキハ将来ニ向テ刑ノ言渡ノ効力ヲ失ハシムルコトヲ得」と規定しています。同条の「特赦」は,やはり刑の執行の免除であることが本則です。同条ただし書の部分は,ボワソナアドによる上記のgrâce本質論からすると,異質なamnistie的効果を付加せしめたということになるのでしょう。「刑ノ言渡ノ効力ヲ失ハシムル」ときは,5年を待たずに再犯に当たらなくなるほか(刑法56条),7年待たずに刑の執行猶予を受け得る(同法原25条2号・1号)ということになるわけです。また,刑の執行の免除の場合には「刑の言渡の結果として生じた権利能力の喪失は尚そのまゝであ」るのですが(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)313-314頁。また,旧刑法64条1項後段参照),刑の言渡しの効力までが失われるのであれば,刑の言渡しの結果として失われた権利能力はそれにより回復します。
大日本帝国憲法16条の減刑は,「刑を減ずるなり」ということでは刑の減軽であるようですが,伊東の英語訳では「既に言い渡された刑の苛酷を緩和すること」ということですので刑の執行の減軽であるようであります。伊東は,commutationは「部分的なgrâce(grâce partielle)」であるとの説明に引っ張られ過ぎて,英語のcommutationにも「交換」の意味があることを失念したのでしょうか。
旧恩赦令7条2項は「特定ノ者ニ対スル減刑ハ刑ノ執行ヲ減軽ス但シ特別ノ事情アルトキハ刑ヲ変更スルコトヲ得」と規定していますが,これは伊東の英語文的に,刑の執行の減軽本則論を採ったものでしょう。通常は,abaissement de la peineたる刑の執行の減軽がされるものであって,本来のcommutationである刑の減軽は「特別ノ事情アルトキ」に行われる例外,ということにされています。ちなみに,「刑の減軽とは刑期の短縮,罰金額の減少又は刑名の変更を包含する」ものとされています(美濃部314頁)。
なお,旧恩赦令10条1項は「復権ハ将来ニ向テ資格ヲ回復ス」と規定して,回復されるものは「公権」ではなく「資格」であるものとしています。
ちなみに,旧々刑事訴訟法にあった復権手続に関する規定(同法324条から330条まで)は刑法施行法(明治41年法律第29号)52条により1908年10月1日から削除されていて,旧恩赦令が1912年9月26日から施行されるまでは復権手続規定については空白期間となっていました。現行刑法の付加刑は没収のみであって(7条),旧刑法にあった附加刑としての剥奪公権及び監視(同法10条1号及び4号)は廃されたからでしょう。しかし,刑法以外の法令に,刑の言渡しによる資格の喪失又は停止に関する規定(旧恩赦令9条参照)が多々あることが再発見されたものでしょう。
と,旧刑法及び旧治罪法の各原案のフランス語並びに大日本帝国憲法16条及びその『憲法義解』解説の英語訳を穿鑿し来った上で,ここで更に日本国憲法の英語文までを検分してしまうのが筆者の余計なところです。
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