第3 大阪高等裁判所令和2年11月27日判決(令和2年大阪高裁判決):妻(及び生殖補助医療提供者)に対する夫からの損害賠償請求の可否の問題
ところで,令和元年大阪家裁判決事件の元夫婦(「元」というのは,2017年(平成29年)11月30日に当該の子の親権者を妻と定めて協議離婚しているからです。)の争いは,当該判決では終わってはいませんでした。
1 元夫の「自己決定権」侵害に係る損害賠償の認容
元夫は,2017年中に元妻並びに当該生殖補助医療を行った診療所を経営する医療法人及び当該診療所の院長兼当該医療法人の理事長を相手取って共同不法行為に基づく損害賠償請求を提起していたのです。
第一審の大阪地方裁判所令和2年3月12日判決・判時2459号3頁は,医療法人及び院長兼理事長の責任は認めませんでしたが,「原告は,被告Y₁〔元妻〕との間で本件子をもうけるかどうかという自己決定権を侵害されるなどしたものであって,これにより多大な精神的苦痛を被った」として,元妻に対して慰謝料800万円及び弁護士費用80万円の合計額である「880万円及びこれに対する平成27年〔2015年〕4月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え」との判決を下しました(なお,大阪地方裁判所(菊池浩明裁判長並びに後藤誠裁判官及び足立瑞貴裁判官)は「融解胚移植の実施日である平成27年4月20日」といっていますが,当該胚移植の実施日は2015年4月22日ですので,同裁判所は誤判的誤記をしてしまったものでしょうか。)。
これに対して元夫及び元妻のいずれもが控訴し(元夫は,医療法人及び院長兼理事長に対する敗訴部分については控訴しませんでした。),控訴審の大阪高等裁判所令和2年11月27日判決・判時2497号33頁(以下「令和2年大阪高裁判決」といいます。確定しています。)は,「一審被告〔元妻〕は,一審原告〔元夫〕に対し,559万6400円及びこれに対する平成27年4月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。」との判決を下しています(559万円の内訳は,慰謝料500万円,令和元年大阪家裁判決に係る訴訟のためにかかったDNA鑑定費用8万6400円及び弁護士費用51万円)。元妻の控訴が一部認められたわけです。
2 「自分の子をもうけることについての自己決定権」
ア 判示
令和2年大阪高裁判決は,「自分の子をもうけることについての自己決定権」の存在を宣言しています。いわく,「個人は,人格権の一内容を構成するものとして,子をもうけるか否か,もうけるとして,いつ,誰との間でもうけるかを自分で決めることのできる権利,すなわち子をもうけることについての自己決定権を有すると解される。」と。すなわち,本件においては,民法709条(「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」)にいう侵害された「権利」は,「子をもうけることについての自己決定権」だ,というわけです。
堂々たる押し出しの,なかなかゆかしい「権利」のようです。子は親の自己決定権に基づいてもうけるものであってどこやらから授かるものではない,ということであれば,「子を授かった」という,最近多い表現に対する違和感の由来するところが分かったような気がします。
Dixit autem Maria ad angelum:
Quomodo fiet istud, quoniam virum non cognosco?
Et respondens angelus dixit ei:
Spiritus Sanctus superveniet in te et virtus Altissimi obumbrabit tibi,
ideoque et quod nascetur sanctum vocabitur Filius Dei. (Lc 1,34-35)
イ 人格権であることの意味
ところで,令和2年大阪高裁判決を「自分の子をもうけることについての自己決定権」を「人格権」に由来するものとして裁判所は基礎付けているものと読んではいけないのでしょう。これは,「自分の子をもうけることについての自己決定権」があることを先に決めた上での分類学上の整理(物権でも債権でもない。)でしょう。
「判例は,名誉,氏名,肖像等の個別の人格的利益を指して人格権概念を用いるにとどまる(最大判昭61・6・11民集40巻4号872頁(名誉),最判昭63・2・16民集42巻2号27頁(氏名)など)。また,人格権論の法技術的有用性も,確たるものではない。第1に,人格権概念は,保護法益性が承認された人格的利益を総称する集合概念にとどまり,そこから個別の利益の法的保護が導き出されるような性質のものではない。」と説かれているところです(窪田充見編『新注釈民法(15)債権(8)』(有斐閣・2017年)319-320頁(橋本佳幸))。「あなたの行為は私に精神的苦痛という損害を与え,したがって,人格権という私の権利ないしは法律上保護される利益を侵害した」と宣言するだけで損害賠償金の支払を受け得るということは,本来はないはずです(「権利又は法律上保護された利益」の「侵害」とそれによって生じた「損害」とは,民法709条においては別個の要件です。)。「自分の子をもうけることについての自己決定権」の権利性を基礎付ける事由は,別途具体的に探究されなければなりません。
ウ その働く場面
「子をもうけるか否か,もうけるとして,いつ,誰との間でもうけるかを自分で決めることのできる権利」の侵害は,生殖補助医療以前の時代であれば,一般的には性的自由の侵害に包摂され,他方,特に断種手術のような場合(生殖補助医療とは反対方向です。)については,身体の自由に対する侵害ないしは身体的自己決定権(「医療による身体侵襲との関連〔における〕患者〔の〕自らの意思で治療行為を選択・決定することができる地位」(窪田編321頁(橋本)))の侵害の問題に含められ得ていたはずです。性的自由の侵害については,「性的自由(貞操)も,〔身体の自由と〕同様に,身体支配の発露として絶対的保護を受ける(絶対権侵害型)。被害者を欺罔して性的自由を侵害した場合(大判明44・1・26民録17輯16頁(名誉毀損とする),最判昭44・9・26民集23巻9号1727頁)は,情交が被害者自らの意思に基づくことになるが,詐欺の場面〔略〕と同じ図式があてはまる。」と説かれています(窪田編321頁(橋本))。「自分の子をもうけることについての自己決定権」は,専ら生殖補助医療の場面において働くようです。
生殖補助医療の場面においても,懐胎・出産を行う女性については,従来からの,身体の自由ないし身体的自己決定権で対応できそうです。卵子を提供した女性及び精子を提供した男性について,身体から分離後の卵子若しくは精子又は受精卵(胚)の運命についてどこまでの権利を認めるべきかが「自分の子をもうけることについての自己決定権」の問題になるようです。
エ 「子」の範囲の問題
なお,ここで「自分の子」という場合,その子は法的な実親子関係のある子に限られるのでしょうか,それとも生物学上の親子関係があるにとどまるものも含まれるのでしょうか。本件の原告は,嫡出否認の訴え(令和元年大阪家裁判決)と「自己決定権」の侵害に係る不法行為に基づく損害賠償請求の訴え(令和2年大阪高裁判決)とを同時並行的に提起し,両方とも勝訴するつもりだったのでしょうから,生物学上の親子関係があるにとどまるものも含まれるものと理解していたはずです。自ら出産までしなければ卵子を提供した女性は出生子の法律上の母にはならず(生殖補助親子関係等法9条),AID型の生殖補助医療による出生子が出産女性の夫の嫡出子として確定した場合は精子を提供した男性が認知の訴えを提起されることはないことになってはいますが(同法10条),将来的には「生殖補助医療に用いられた精子又は卵子の提供者及び当該生殖補助医療により生まれた子に関する情報」の「開示」もあり得るようですから(同法附則3条1項3号),生物学上の親子関係があるにとどまるものも含まれると解しておくべきでしょう。
3 卵子又は精子の提供者の同意と「自分の子をもうけることについての自己決定権」との関係
ア 同意による制約
しかし,生殖補助医療のために卵子又は精子を提供する者の「自分の子をもうけることについての自己決定権」は,提供に当たっての当該提供者の同意により,その内容(公序良俗に反するものを除く。)に従って制約されるものではないでしょうか。
「自分の子をもうけることについての自己決定権」の具体的内容の各項目(「①子をもうけるか否か,もうけるとして,③いつ,②誰との間でもうけるかを自分で決めることのできる権利」)に即して考えてみましょう。令和2年大阪高裁判決事案の原告である元夫は,2014年4月10日の精子提供に当たって「私達夫婦は凍結保存してあった受精卵(胚)を用いての胚移植に同意します。」,「受精卵(胚)の凍結期間は1年であり〔筆者註:この「1年」は初月不算入の月単位のものであったようで,診療所からの2015年3月19日付け元夫・元妻両名宛て書面には「平成27年〔2015年〕4月末日をもって保存期間が満了となる」との記載があったと認定されています。〕,それ以降の継続に,毎年,継続意思確認書類の手続きと費用の支払いが必要であることを理解しています。」等との内容の同意書(「本件同意書1」)を元妻と連署して作成し,かつ,診療所に提出していますから,①「子をもうけるか否か」については,肯定,②「誰との間でもうけるか」については,元妻との間でもうける,③「いつ」もうけるかについては,2015年4月末頃までの懐胎(胚移植)によってもうける,との同意をしていたことになります。当該同意の範囲内であれば(元妻が胚移植を受けたのは2015年4月22日でした。),その撤回がない限り(米国UPA第707条参照),元夫の「自分の子をもうけることについての自己決定権」の侵害はなかったことになる,というのが素直な結論でしょう。
イ 診療所の場合(責任否定)と元妻の場合(責任肯定)と
現に第一審の大阪地方裁判所令和2年3月12日判決は,診療所についてその旨の判示をし,不法行為責任を認めていません。いわく「原告が本件同意書1に自署しているところ,同書面には,手術前に取りやめたくなった場合には同意書を取り下げることができると明確に記載されていることを指摘できるところ,原告が,本件移植以前に,被告医療法人Y₂らに対して,同意を撤回するとの意思表示をしていないことに照らせば,被告医療法人Y₂らは,胚移植の同意を含む本件同意書1に顕れた原告の同意に基づき,本件移植を実施したと認められる。」と。
そうであると,なぜ診療所には不法行為責任が認められなかったのに元妻の責任が認められたのかが疑問となります。元妻の責任を認定する部分の上記大阪地方裁判所判決の判示は,元妻に対する元夫の明確な同意撤回までは認定しなかったものの「原告は,被告Y₁〔元妻〕が本件同意書2に原告名の署名をした平成27年4月20日時点において,本件移植に同意していなかったものと認められ,被告Y₁も,同時点において,原告が本件移植に同意していないことを認識していたか容易に認識し得たものであったと認められる。/(2)したがって,被告Y₁は,原告に対し,被告Y₁との間で本件子をもうけるかどうかという自己決定権を侵害するなどした不法行為責任を負うものである。」ということです。元妻が本件同意書2に夫の名で署名した2015年(平成27年)4月20日の情態が論ぜられている一方,肝腎の同月22日の胚移植については言及されていないのでよく分からないところがありますが,言葉足らずかも知れないところ(前記のとおり,大阪地方裁判所令和2年3月12日判決は,主文において遅延損害金の発生日を2015年4月20日としている不思議な判決でもあります。)を無理に補わずに解釈すれば,妻たるもの,明示されていない夫の内心の真実をちゃんと忖度して,よく弁えて,胚移植を断念すべきだったのだ,ということなのでしょう(令和2年大阪高裁判決に係る内藤陽「公法判例研究」北大法学論集72巻4号(2021年11月)275頁以下においては,「原判決では本件移植への同意の有無それ自体に判断の重心を置いている」との読み方が示されています(同282頁)。)。しかし,「原告と被告Y₁とは,そもそも夫婦関係が良好でなかった」ものであっても,子がいったん生まれれば,夫婦にとって子は鎹ということもありますから,妻にそこまでの忖度及び遠慮を要求することいかがなものか,過度ではないか,夫婦に子どもが出来るのは当然じゃないか,という反論もあり得そうです。
なお,「本件同意書2」とは,本件胚移植の日に元妻が診療所に提出した「融解胚移植に関する同意書」と題する書面であって,「「私たち夫婦は,現在凍結保存中の胚を貴院にて融解し胚移植を受けることに同意します」との記載があり,夫氏名及び妻氏名をそれぞれ記載する欄が設けられているところ,被告Y₁は,妻氏名欄に自署するとともに,夫氏名欄に自署と筆跡を変えて原告氏名を記載した(以下「本件署名」という。)」ものです。ちなみに,第一審判決は,本件署名の真正を認めたことについて診療所に過失はないものとしています。いわく,「本件同意書2の原告〔名義〕の署名は,その体裁に照らして,原告の従前の署名と対比して異なることが容易に判明するものであるとはいえない上,〔公益社団法人日本産科婦人科〕学会の見解(会告)においても,本件各同意書の書式及び作成方法はこれに沿ったものであり,同意書への署名以外に,本人に直接電話をかけるなどしてその同意を確認することまでを推奨してはいないから〔略〕,このような取り扱いが不妊治療についての医療水準として不相当なものといえないことに照らすと,原告が主張するその他の事情を考慮しても,被告医療法人Y₂らが,本件移植に際して,原告に対し,直接の意思確認をすべきであったのにこれを怠ったとは認められない。」と。
ウ 胚移植に対する改めての明示的な同意の必要性
(ア)判示
夫が明示的に同意を撤回していない以上,やはり夫婦にとって子が鎹となる期待もあるのだから,そのまま胚移植に進んでも,夫の「自分の子をもうけることについての自己決定権」が侵害されたと評価してしまうのはやはりいかがなものか論を封ずるためでしょうか,令和2年大阪高裁判決は,胚移植について,その際改めてそれに対する明示的な同意を必要とする規範があったのだ,としています。いわく,「一審被告が本件子を出産したのは本件移植を受けたからであるところ,本件移植を受けるためには夫である一審原告の明示的な同意が必要であったことは,本件同意書2に夫の署名欄が設けてあったことから明らかである。本件同意書2は一審原告・一審被告夫婦と本件クリニックとの間で取り交わされるものであるけれども,夫婦の間においても,子をもうけるか否か,もうけるとしていつもうけるかは,各人のその後の人生に関わる重大事項であるから,一審被告の立場からしても,平成26年4月12日の別居以降,子をもうけることについて一審原告が積極的な態度を示していなかった経緯を踏まえれば,本件移植を受けるに先立ち,改めて一審原告の同意を得る必要があったことは明らかであったといえる。ところが,一審被告は,一審原告の意思を確認することなく,無断で本件同意書2に本件署名をして本件クリニックに提出し,本件移植を受けたのであるから,一審被告のこの一連の行為は,一審原告の自己決定権を侵害する不法行為(以下「本件不法行為」という。)に当たるというべきである。そして,本件不法行為のあった日は,一審被告が本件同意書2を本件クリニックに提出して本件移植を受けた平成27年4月22日である。」と。遅延損害金は2015年(平成27年)4月22日から発生するものとされていますから,元夫の精神的苦痛等の損害は,移植=懐胎の時(子の出生時ではない。)に発生していることになります。
(イ)仕組みに対する妨害
大阪高等裁判所(山田陽三裁判長並びに倉地康弘裁判官及び池町知佐子裁判官)は,お気楽的な「子は鎹」論を抑えるためでしょうか,子をもうけることは「各人のその後の人生に関わる重大事項である」と,慎重な立場を採るべきことを説いています。「夫婦のその後の人生」ではなく,「各人のその後の人生」の問題とされていますから,夫婦関係の継続を前提とするにぎやかな「子は鎹」論は,当該裁判所からはこの形で門前払いされているのでしょう。
他方,夫婦・親子の関係についての価値判断的問題に深入りせずに結論を出すためでしょうか,令和2年大阪高裁判決の当該判示は,本件同意書2の重要性を再確認し,その意義論を展開した上で,生殖補助医療の提供の過程中における「自分の子をもうけることについての自己決定権」の尊重の必須性及びそのための仕組みの侵害を問題としたもののように思われます。すなわち,本件同意書2の取り交わしを求めた本件クリニックは,「本件同意書2に夫の署名欄が設けてあったことから明らか」なとおり,胚移植を行うためにはその段階において(その「自分の子をもうけることについての自己決定権」の侵害を避けるため,ということなのでしょう。)夫の「明示的な同意」を得ることを必要とするという規範に服していたところ,元妻は,夫名義の無断署名をして本件同意書2を作成し,かつ,提出するという欺罔行為をもって,夫の明示的な同意はないという事実を本件クリニックが了知することを妨害し,そのまま胚移植を受け,その結果夫の「自分の子をもうけることについての自己決定権」を侵害したのだ,という筋道が読み取れそうです。(一種の債権侵害的構図ともいえましょうか。)元妻による不法行為は「本件移植を受けた」ことのみならざる「一連の行為」によるものとされ,それがあった日は,単に「本件移植を受けた平成27年4月22日」ではなく,「一審被告が本件同意書2を本件クリニックに提出して本件移植を受けた平成27年4月22日」とされています。
なお,「本件同意書2は一審原告・一審被告夫婦と本件クリニックとの間で取り交わされるものであるけれども,夫婦の間においても,〔略〕重大事項であるから,一審被告の立場からしても〔略〕改めて一審原告の同意を得る必要があったことは明らかであったといえる。」との文の意義については,これを中心に据えた読み方もありますが(内藤291頁),筆者においては,「けれども」,「おいても」,「からしても」と「も」の多い文体から見ても,同文は,本件同意書2論にちなんだ副次的な言明と見るべきものと思われます。本件クリニックが本件同意書2をもって元夫について明示的な同意の有無を確認することを妨害してはならない,との元妻に係る当為を,違った角度からながら,重いものとして位置付けるための文ではないでしょうか。令和2年大阪高裁判決は,「不妊治療と出産に至る経緯」に係る判示を,「本件クリニックは,本件署名のある本件同意書2が提出されたからこそ本件移植を行ったのであり,その提出がなければ,本件移植は行われず,本件子が出生することもなかった。」との認識で締め括っており(その直後に「自分の子をもうけることについての自己決定権」の存在宣言が続きます。),そこでは本件同意書2こそが問題の中心に据えられているものと解されます。
(ウ)訴訟戦略の奏功?
しかし以上の読み方を採る場合,元夫のためには,控訴の相手方から診療所経営の医療法人及び院長兼理事長を外したという訴訟戦略がうまく功を奏したもの,といい得ることになるように思われます。当該医療法人及び院長兼理事長が第一審で主張したところによれば,本件同意書2は,胚移植について改めて同意を取る趣旨のものではなかったからです。胚移植によって懐胎された胎児に障碍があり,母体に悪影響が生じたときのための用心だったようです。
本件同意書2は,既に本件同意書1の同意を得ている本件移植を実施することに対する同意を得るためではなく,今一度,融解のリスク等を確認してもらい,万が一,そのリスクが顕在化した場合であっても被告医療法人Y₂らが損害賠償責任を負わないようにするために取得する書面であって,本件同意書2の本件署名が被告Y₁によるものであったとしても,少なくとも移植を受ける被告Y₁の同意を得ることで本件同意書2の目的は果たせているため,〔夫である〕原告の同意との関係で問題はない。
控訴審においてもこの説明が繰り返されると,いささか厄介なことになったように思われます。
ただし,生殖補助医療の仕組みに関しては「これらの医療行為は,一個の不妊治療行為として包括的に概念把握されるべきものではなく,多種の行為のそれぞれについて医師の説明が行われ,当事者が決定し,実施されるものである,という思想のもとで制度設計がなされている。」ともいわれています(内藤290頁)。しかしながら,現実的問題としては,「胚移植は成功率が必ずしも高くなく,多ければ月に一度,何度もチャレンジすることが多い。そのたびに夫の同意を要求すると,それこそ形式的な,妻が代筆して済むような軽い同意になりはしないだろうか。」との懸念も表明されています(稲葉62頁)。
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