(上)法制審議会に対する諮問第118号及び旧刑法:
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(中)1886年のボワソナアド提案及びフランス法:
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第4 侮辱罪(刑法231条)削除論
1 第1回国会における政府提案(1947年)
ところで,現在の日本国憲法が施行されてから最初に召集された1947年の第1回国会において,侮辱罪は削除の憂き目に遭いかけていたところです。
昭和22年法律第124号の政府原案においては(第1回国会参議院司法委員会会議録第2号42頁参照),「事実の摘示を伴わない侮辱は,名誉を傷ける程度も弱く,刑罰を以て臨むのは聊か強きに過ぐるのではないかという趣旨に基」づき(1947年7月25日の参議院司法委員会における鈴木義男司法大臣による趣旨説明(第1回国会参議院司法委員会会議録第3号5頁)),刑法231条は削除されるということになっていたのでした(〈ただし,政府原案の決定に至るまでの課程における刑法改正法律案の要綱においては,むしろ侮辱罪の重罰化が提案されていたそうです(嘉門9頁)。〉)。
1947年8月6日の参議院司法委員会において國宗榮政府委員(司法省刑事局長)からは「34章のうちの231条侮辱罪の規定でありますが,「事実ヲ摘示セスト雖モ公然人ヲ侮辱シタル者ハ拘留又ハ科料ニ處ス」,この規定を削除いたしました。この削除いたしました趣旨は,今日の言論を尊重いたしまする立場から,たまたま怒りに乗じて発しましたような,軽微な,人を侮辱するような言葉につきましては,刑罰を以て臨まなくてもよいのではないか,かような考えからこれを削除いたしましたが,この点につきましては,尚考慮の余地があろうかと考えているのでございます。特に90条,91条を削除いたしました関係上,外国の使節等に対しまする単なる侮辱の言葉が,往々にして国交に関する問題を起すような場合も考えられまするので,これは削除いたしましたけれども,考慮を要するのではないかと考えております。」と説明されています(第1回国会参議院司法委員会会議録第9号4頁)。ここでは言論の尊重に言及がされています。また,軽微な侮辱は処罰しなくてもよいとされていますが,「たまたま怒りに乗じて発し」たような軽微なものではない,重大な侮辱は全くあり得ないといってよいものかどうか。ちなみに,起訴猶予制度は既に法定されていました(刑事訴訟法(大正11年法律第75号)279条)。続いて同月7日の同委員会において同政府委員は「侮辱罪は具体的な事実を示しませず,単に侮蔑の意思を表示したという場合でありましてこういう場合には被害者の感情を傷つけることはありましても,被害者の名誉,即ち社会的に承認されておるところの価値,又は地位,これを低下させる虞れは比較的少いと思われるのであります。いわば礼儀を失したような行為のやや程度の高いものに過ぎないのではないか,これに対しまして刑罰を科するのは一応適当ではない,こういう趣旨で,現に英米の名誉毀損罪は,かような行為までは包含していないというような点を参照いたしまして,一応この廃止案を立てた次第でございます。」と述べています(第1回国会参議院司法委員会会議録第10号2頁)。被害者の感情(名誉感情)よりもその社会的に承認されている価値又は地位としての名誉(外部的名誉)を重視するのは,侮辱罪と名誉毀損罪との保護法益をいずれも外部的名誉とする判例・通説の立場でしょう。英米の名誉毀損罪については,「イギリス法は名誉毀損defamationを其の表示の形式に従つて,文書誹謗libel及び口頭誹謗slanderの二に分かつてゐる。〔略〕前者は民事上の不法行為であると共に,刑事上の犯罪でもあるが,後者は民事上の不法行為たるに止まり,原則として刑事上の犯罪とはされないのである」ところ(小野・名誉の保護93頁),同法においては「いづれにしても単純なる侮辱mere insultは文書誹謗とならぬ」(同97頁)と説かれていました。現在では,「アメリカの連邦,イギリスのイングランドとウェールズについては侮辱罪や名誉毀損罪に相当する罰則は設けられていないと承知しております。」との状況であるそうです(侮辱罪第2回議事録12頁(栗木幹事))。1947年8月13日の参議院司法委員会において國宗政府委員は更に「公然人を侮辱いたしますことは,我々が,希望いたしておりまする民主主義社会の人の言動といたしましては,遙かに遠いものでありまして,好ましくないところでございます。併しながらこの侮辱は時によりまするというと非常に教養のある人々でも時と場合によりまして多少感情的なことに走りまして,いわば単に礼儀を失したような行為のやや程度の高いもの,こういうふうに考えられる行動がある場合がございます。かようなものにつきましては刑罰を以つて処するということは妥当でないと一応こういう観点に立ちまして,やはりもう少し法律の規定に緩やかにして置きまして,感情の発露に任せた自由な言動というものを,暫くそのままにして置いて,これを社会の文化と慣習とによりまして洗練さして行くということも考えられるのではないか,そういうような観点から侮辱罪を廃止することにいたしたのでございます。」と,感情の発露たる洗練された自由な言動を擁護しています(第1回国会参議院司法委員会会議録第13号21頁)。
しかしながら,1947年10月3日に衆議院司法委員会は全会一致で社会党,民主党及び国民協同党の三派共同提案による刑法231条存置案を可決して(第1回国会衆議院司法委員会議録第44号377頁・385頁),他方では不敬罪(刑法旧74条・旧76条),外国君主・大統領侮辱罪(同法旧90条2項)及び外国使節侮辱罪(同法旧91条2項)が削除されたにもかかわらず(これについては「何人も法の下で特権的保護を享受すべきではないという連合国最高司令官の主張があったので,外国の首長や外交使節に対する犯罪を他の一般国民に対する犯罪よりも厳しい刑罰に処していた刑法典の規定を,私達も賛成する形をとって削除に導いた。」というGHQ内の事情もあったようです(アルフレッド・オプラー(内藤頼博監訳,納谷廣美=高地茂世訳)『日本占領と法制改革』(日本評論社・1990年)102頁)。),単純侮辱罪は残ったのでした。同月7日の参議院司法委員会において佐藤藤佐政府委員(司法次官)は後付け的に「極く軽微の単純侮辱罪は,そう事例も沢山これまでの例でありませんし,事件としても極く軽微でありまするから,かような軽微のものは一応削除したらどうかという意見の下に立案いたしたのでありまするけれども,現下の情勢に鑑みまして,現行刑法において事実を摘示しないで人を侮辱した場合,即ち単純侮辱罪を折角規定されてあるのを,これを廃止することによつて,却つて侮辱の行為が相当行われるのではなかろうかという心配もございまするし,又他面一般の名誉毀損罪の刑を高めて,個人の名誉をいやが上にも尊重しようという立案の趣旨から考えましても,いかに軽微なる犯罪と雖も,人の名誉を侮辱するというような場合には,やはりこれを刑法において処罰する方がむしろ適当であろうというふうにも考えられまするので,政府当局といたしましては,衆議院の刑法第231条の削除を復活して存置するという案に対しては,賛同いたしたいと考えておるのであります。」と説明しています(第1回国会参議院司法委員会会議録第31号3頁)。
しかし,74年前には侮辱罪の法定刑引上げどころかその廃止が企図されていたとは,隔世の感があります。
2 最決昭和58年11月1日における谷口裁判官意見(1983年)
その後,1983年には最決昭和58年11月1日刑集37巻9号1341頁が出て,そこにおける谷口正孝裁判官の意見が,「このように軽微な罪〔である侮辱罪〕は非犯罪化の検討に値するとする見解」として紹介されています(大コンメ66頁(中森))。
ただし,よく注意して読めば分かるように,当該谷口意見は,端的に侮辱罪は直ちに非犯罪化されるべきであると宣言したものではありません。
すなわち,当該意見において谷口裁判官は,「侮辱罪の保護法益を名誉感情・名誉意識と理解」した上で「私のこのような理解に従えば,本件において法人を被害者とする侮辱罪は成立しないことになる。(従つて又幼者等に対する同罪の成立も否定される場合がある。このような場合こそはモラルの問題として解決すればよく,しかも,侮辱罪は非犯罪化の方向に向うべきものであると考えるので,私はそれでよいと思う。)」と述べていたところです。ただし,「非犯罪化の方向に向かうべきものであると考える」その理由は具体的には示されていません(これに対して,かえって,「たしかに,名誉感情・名誉意識というのは完全に本人の主観の問題ではある。然し・公然侮辱するというのは日常一般的なことではない。名誉感情・名誉意識がたとえ高慢なうぬぼれや勝手な自尊心であつたにせよ,現に人の持つている感情を右のように日常一般的な方法によらずに侵害することをモラルの問題として処理してよいかどうかについてはやはり疑問がある。可罰的違法性があるものとしても決して不当とはいえまい。」と少し前では同裁判官によって言われています。)。また,当該事案の解決としても,法人に対する侮辱罪の成立は否定するものの法人にあらざる被害者に対する侮辱罪の成立を谷口裁判官は是認するものでした(したがって,「反対意見」ではなく,「意見」)。
第5 改正刑法準備草案(1961年)及び改正刑法草案(1974年)
ただし,谷口正孝裁判官の侮辱罪に対する消極的な態度は,侮辱罪改正に係る一般的な方向性からは例外的なものと評し得たものでありましょうか。
刑法改正準備会による1961年の改正刑法準備草案の第330条は「公然,人を侮辱した者は,1年以下の懲役もしくは禁固又は5万円以下の罰金もしくは拘留に処する。」と規定し,法制審議会による1974年の改正刑法草案の第312条は「公然,人を侮辱した者は,1年以下の懲役もしくは禁固,10万円以下の罰金,拘留又は科料に処する。」と規定していたところです。罰金の上限額は別として,法制審議会は,47年前にも同様の結論に達していたのでした。〈ちなみに,改正刑法草案における侮辱罪の法定刑引上げの理由は,「本〔侮辱〕罪に事実を摘示しない公然の名誉侵害が含まれるとすると,事実摘示の名誉毀損との間に差がありすぎる」からということだったそうです(嘉門9頁)。〉
第6 法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会における議論(2021年)
さて,2021年。
1 諮問第118号に至る経緯及び侮辱罪の保護法益論議の可能性
2021年9月22日の法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会第1回会議においては,侮辱罪の法定刑引上げを求める法務大臣の諮問がされるに至った経緯が,吉田雅之幹事(法務省刑事局刑事法制管理官)から次のように説明されています。
近時,インターネット上において,誹謗中傷を内容とする書き込みを行う事案が少なからず見受けられます。
このような誹謗中傷は,容易に拡散する一方で,インターネット上から完全に削除することが極めて困難となります。また,匿名性の高い環境で誹謗中傷が行われる上,タイムライン式のSNSでは,先行する書き込みを受けて次々と書き込みがなされることから,過激な内容を書き込むことへの心理的抑制力が低下し,その内容が非常に先鋭化することとなります。インターネット上の誹謗中傷は,このような特徴を有することから,他人の名誉を侵害する程度が大きいなどとして,重大な社会問題となっています。
他方で,他人に対する誹謗中傷は,インターネット以外の方法によるものも散見されるところであり,これらによる名誉侵害の程度にも大きいものがあります。
こうした誹謗中傷が行われた場合,刑法の名誉毀損罪又は侮辱罪に該当し得ることになりますが,侮辱罪の法定刑は,刑法の罪の中で最も軽い「拘留又は科料」とされています。
こうした現状を受け,インターネット上の誹謗中傷が特に社会問題化していることを契機として,誹謗中傷全般に対する非難が高まるとともに,こうした誹謗中傷を抑止すべきとの国民の意識も高まっていることに鑑みると,公然と人を侮辱する侮辱罪について,厳正に対処すべき犯罪であるという法的評価を示し,これを抑止することが必要であると考えられます。
そこで,早急に侮辱罪の法定刑を改正する必要があると思われることから,今回の諮問に至ったものです。
(侮辱罪第1回議事録4-5頁)
「他人の名誉を侵害する程度が大きい」ということですが,具体的には,公然性が高まって他人の名誉を侵害する程度が大きくなったということでしょうか(「容易に拡散する一方で,インターネット上から完全に削除することが極めて困難」),それとも「内容が非常に先鋭化」して被害者の名誉感情を傷つける度合いが高まったということでしょうか。しかし,後者についていえば,侮辱には事実の摘示が伴わない以上,付和雷同の勢いそれ自体の有する力は別として,純内容的には,少なくとも第三者的に見る場合,具体性及び迫力をもって名誉を侵害する先鋭的内容としようにも限界があるように思われます。そもそも,侮辱罪の保護法益を外部的名誉とする判例・通説の立場においては,侮辱罪においては「具体的な事実摘示がなく,名誉に対する危険の程度が低い」(大コンメ66頁(中森))とされていたはずです。「何等の事実的根拠を示さざる価値判断に因つて人の社会的名誉を毀損することは寧ろ極めて稀であると考へられ」(小野・名誉の保護201頁),「他人の前で侮蔑の表示をすることは,他人に自己の侮蔑の感情ないし意思を情報として伝達することにはなるが,かようなものは情報としての価値が低く伝達力も弱いから,情報状態,情報環境を害するという面はとくに考えなくてもよいとおもわれる。むしろ侮辱行為をしたという情報が流通することによって社会的名誉を失うのは,侮辱行為をした当人ではなかろうか。」(平川宗信『名誉毀損罪と表現の自由』(有斐閣・1983年)23頁)というわけです。
しかし,インターネット上のものに限られず(これは単に契機にすぎない。),「誹謗中傷全般に対する非難が高まるとともに,こうした誹謗中傷を抑止すべきとの国民の意識も高まっている」ということですから,公然性の高まりだけでは説明がつかないようです。むしろ侮辱罪の保護法益自体の見直しがされ,その上で新たに「厳正に対処すべき犯罪であるという法的評価」を下そうとしているようにも読み得るところです。
侮辱罪の法定刑引上げのための立法事実を示すものの一つとして,法務省当局は,「令和3年〔2021年〕4月9日付け東京新聞は,「侮辱罪は明治時代から変わっておらず,「拘留又は科料」とする侮辱罪の法定刑は,刑法の中で最も軽い,死に追いつめるほど人格を深く傷つける結果に対し,妥当な刑罰なのか,時効期間も含めて,法務省のプロジェクトチームで議論が進んでおり,注視したい」との意見を掲載」している旨報告しています(侮辱罪第1回議事録7-8頁(栗木幹事))。ここで「死に追いつめるほど人格を深く傷つける」といわれていますが,これは被害者の感情を深く傷つけたということでしょう。
ということで,今次の侮辱罪の法定刑引上げは,侮辱罪の保護法益を外部的名誉とする従来の判例・通説から,名誉感情こそがその保護法益であるとする小野清一郎等の少数説への転換の契機になるものかとも筆者には当初思われたところです。小野清一郎は名誉の現象を「社会的名誉(名声・世評),国家的名誉(栄典)及び主観的名誉(名誉意識・名誉感情)の3種に分つて其の論理的形式を考察」し(小野・名誉の保護180頁),「主観的名誉即ち人の名誉意識又は名誉感情といふ如きものは,其の個人の心理的事実である限り,他人の行為によつて実質的に侵害され,傷けらるることの可能なるは明かである。固有の意味に於ける侮辱,即ちドイツ刑法学者の謂ゆる「単純なる」侮辱,我が刑法第231条の侮辱などは,此の意味に於ける名誉の侵害即ち人の名誉意識又は名誉感情を傷くることを謂ふものであると信ずる。」と述べています(同203頁。また,235-236頁・252頁)。
ただし,1940年の改正刑法仮案,1961年の改正刑法準備草案及び1974年の改正刑法草案における侮辱罪の法定刑に係る各改正提案に鑑みると,「誹謗中傷を抑止すべきとの国民の意識」の高まりは少なくとも既に八十年ほど前からあって,今回は当該既に高まっていた意識が再認識ないしは再覚醒されたということにすぎない,ということだったのかもしれません。「文明の進むに従ひ〔略〕文明人の繊細なる感情生活そのものに付ての保護の要求は次第に高まる」ものだったのでした(小野・名誉の保護224頁)。
(なお,ボワソナアドは,名誉意識・名誉感情が外部から傷つけられることに係る可能性については,そのような可能性を超越した強い人間像をもって対応していました。名誉毀損罪等成立における公然性の必要に関していわく,「我々が我々自身について有している評価については,我々がそれに価する限り,我々以外のものがそれを侵害することはできない。封緘され,かつ,我々にのみ宛てられたものであれば,我々が受領する侮辱的通信文が可罰的でないのは,それは我々の栄誉を侵害しないからである。立会人なしに我々に向かってされる言語又は動作による侮辱についても同様である。我々の軽蔑(mépris)のみで,正義の回復には十分なのである。」と(Boissonade, p.1052)。)
2 侮辱罪の保護法益に係る判例・通説(外部的名誉説)の維持
いずれにせよ,法制審議会刑事法(侮辱罪の法定刑関係)部会は,侮辱罪の保護法益について判例・通説の外部的名誉説を堅持する姿勢を崩してはいませんでした。第1回会議で栗木幹事いわく。
名誉毀損罪と侮辱罪は,いずれも社会が与える評価としての外部的名誉を保護法益とするものと解されておりまして,両罪の法定刑の差は,事実の摘示の有無という行為態様の違いによるものとされております。しかしながら,これまでもいろいろ例が出ておりますが,事実の摘示がない事案であっても,その態様等によっては,他人の名誉を侵害する程度が大きいものが少なからず見られるところでございます。〔略〕
また,事実を摘示したかどうか,すなわち,どのような事実をどの程度具体的に摘示すれば足りるかについての評価は,その性質上微妙なところがございます。事実の摘示があったと評価し難い事案は,侮辱罪で処理せざるを得ない結果,名誉侵害に対する法的評価を適切に行うことが困難な場合がございます。特に,中谷〔昇〕委員〔一般社団法人セーファーインターネット協会副会長〕からも御紹介がございましたが,タイムライン式のSNSで最初の書き込みをした者が,事実の摘示を伴う誹謗中傷を行って,これを前提として別の者が引き続いて誹謗中傷の書き込みを行った場合には,それ自体に事実の摘示が含まれておらず,したがって侮辱罪で処理せざるを得ないものであるとしても,一連の書き込みを見る者からしますと,その当該別の者の書き込みについて事実の摘示を伴っているのと同じように受け止められ,名誉侵害の程度が大きい場合があると考えられます。
以上申し上げたことからしますと,名誉毀損罪の法定刑と比較して,侮辱罪の法定刑が軽きに失すると言わざるを得ません。侮辱罪の法定刑を名誉毀損罪に準じたものに引き上げ,厳正に対処すべき犯罪という法的評価を示し,これを抑止することが必要であると考えられるため,侮辱罪の法定刑のみを引き上げることとしているものでございます。
(侮辱罪第1回議事録17-18頁)
ここでは,保護法益を共通のものとする名誉毀損罪と侮辱罪との同質性を前提に,両者を分かつものたる事実摘示の有無に係る判断の困難性から,後者の法定刑を前者のそれに近付けることが理由付けられています。
したがって飽くまで,「侮辱行為の結果,人が亡くなったこと自体を,どこまで量刑上評価できるかについては,議論があり得ると思うのですけれども,亡くなったこと自体ではなくて,どの程度その社会的な評価を毀損する危険性の高い行為であったかを評価する限りにおいて,量刑上考慮されることはあり得るように思われます。」ということになります(侮辱罪第1回議事録22-23頁(吉田幹事))。「一般的にこういった被害者の方の感情を,裁判所が量刑に当たってどう考慮していくかということにつきましては,その感情そのものを量刑に反映させるというよりは,その罪なりの保護法益を踏まえ,例えば行為の危険性や結果の重大性の表れの一つという形で考慮していくということになるのだろうな」というわけです(侮辱罪第1回議事録27頁(品川しのぶ委員(東京地方裁判所判事)))。人を死に致すような侮辱であっても,その社会的評価を毀損する危険性の低いもの,というものはあるのでしょう。
なお,「例えば,性犯罪について考えてみますと,一般に,保護法益については性的自由,性的自己決定権ということが言われておりますが,被害者が負った心の傷,精神的な苦痛というものも量刑上考慮され得るものだと思われます。性的自由というものが,誰と性的な行為を行うかを決める自由であると捉えた場合,その自由が侵害された場合の精神的な苦痛というのは,その保護法益からやや外に出るものという捉え方もできると思われますが,そうしたものも,現在量刑上考慮されているということだと思いますので,法益侵害やその危険に伴う精神的な苦痛というのを量刑上考慮するということはあり得ることだと考えております。」とも言われていますが(侮辱罪第1回議事録23頁(吉田幹事)),侮辱を原因として死がもたらされた場合,その死をもたらした苦痛は,通常,専ら自己の外部的名誉が侮辱により侵害されたことに一般的に伴う苦痛にとどまらない幅広くかつ大きな苦痛であるものであるように思われます(外部的名誉が侵害されたことが直ちに死に結び付く人は無論いるのでしょうが。)。当該例外的に大きな苦痛を,外部的名誉侵害の罪の量刑判断にそのまま算入してよいものかどうか。〈すなわち,侮辱罪について「私生活の平穏といった法益」をも問題にすることになるのでしょうが(深町晋也「オンラインハラスメントの刑法的規律――侮辱罪の改正動向を踏まえて」法学セミナー803号15頁。また,19頁),外部的名誉の侵害はなくとも私生活の平穏が害されることはあるのでしょうから,どうも単純に外部的名誉に係る「付加的な法益」視できないもののようにも思われるところです。〉
3 侮辱罪の保護法益に関する議論再開の余地いかん
ところで,インターネットにおける誹謗中傷の場合,「耳を塞ぎたくても塞げないような状況に現在なっていて,しかも,相手が誰かも分からないのが何十人も書き込んで,もう世間からというか,周りから本当に叩かれている感じになって〔略〕もう本当に心が折れているという」情態になるわけですが(侮辱罪第1回議事録10頁(柴田崇幹事(弁護士)発言)),ここで心が折れた被害者が感ずる侵害はその実存の基底に徹し,専らその外部的名誉に係るものにとどまるものではないのでしょう。
あるいは,侮辱には「人の尊厳を害し,人を死に追いやるような危険性を含んだものがあるという事実」という表現(侮辱罪第2回議事録14-15頁(安田拓人幹事(京都大学教授))。下線は筆者によるもの)からすると,「普遍的名誉すなわち人間の尊厳が保持されている状態」(平川宗信『刑法各論』(有斐閣・1995年)222頁・224頁・235頁参照)が侵害されているということになるのでしょうか(ただし,平川説は名誉意識・名誉感情は保護法益ではないとしており,かつ,そこでいう「人間の尊厳」は,名誉としてのそれということになっています。侮辱罪(刑法231条)は「名誉に対する罪」の章に属している以上「名誉」の縛りが必須となるものでしょう。),それとも感情に対する侵害であると素直に認めて,名誉感情=保護法益説を再評価すべきでしょうか(しかし,同説においても「人の社会的名誉に相応する主観的名誉を保護し,其の侵害を処罰する」との縛りがあります(小野・名誉の保護307頁)。)。あるいは,名誉にのみこだわらずに,ローマ法上の広いiniuria概念(「iniuriaはユ〔スティニアヌス〕帝時代には広く人格権又は名誉の侵害とも称すべき広概念であつて,人の身体を傷け,無形的名誉を毀損し,公共物の使用を妨げるが如き行為,窃盗の未遂まで包含せられるが,古い時代には第一の身体傷害のみを指していた」ものです(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)230頁)。モムゼンの訳では「人格的侵害Personalverletzung」となります(小野・名誉の保護14頁)。)までをも想起すべきものでしょうか。ちなみに,ドイツ刑法のBeleidigung(「侮辱」と訳されます。)については,広く「凡そ人に精神的苦痛を与ふる行為」と解し,その結果「侮辱の罪に於ける保護法益は名誉に限らぬことになる」少数説(Barの説)があったそうです(小野・名誉の保護250頁。また,60頁。なお,ドイツ刑法においては章名も“Beleidigung”であって,すなわち同法では「Beleidigungなる語は広義に於て侮辱及び名誉毀損を含む意味に用ひられてゐ」ます(同474頁註(2))。)。しかし,日本刑法第34章「名誉に対する罪」の罪は,飽くまで,個々の人格者の名誉を攻撃の客体とするとともに当該名誉を保護の客体とする罪のはずです(小野・名誉の保護249頁参照)。しかして,名誉は「人格的法益として生命は勿論,身体・自由よりも下位に在るものと考へられる」ものとされてしまっているところです(小野・名誉の保護221頁)。(ところで,また別の問題ですが,「世間」や「周り」は,犯罪の主体たり得るものでしょうか。)
難しいところです。「直接的な保護法益ではない被害感情がいかなる法的意味を持つかは相当に難問です。〔略〕いずれにしても,侮辱罪の保護法益が外部的名誉であることはきちんと踏まえられるべきであるし,そのことの持つ意味については,理論的な整理が必要なのではないかと,個人的には思いました。」とは,現在の法制審議会会長の発言です(侮辱罪第1回議事録28-29頁(井田委員))。しかし,侮辱を苦にした被害者の死がもたらされても刑法の保護法益論上直ちに侮辱者に重刑が科されるとは限らない,被害者の外部的名誉の侵害に応じた刑にとどまらざるを得ず,かつ,事実の摘示がない侮辱ではそもそも外部的名誉の侵害も限定的であるはずだ,ということになると,「なぜ被害者の極めて重大な苦痛を真摯に正面から受け止めないのだ!」と国会審議の際に改めて問題となるかもしれません。「その点は保護法益として捉え直さなければいけない問題なのか,あるいは保護法益は現通説のままでも,そうした感情侵害の面も当然考慮できるという整理をするか,議論に値する問題ですが,個人的には後者の理解が十分可能と考えているところです。」とも言われています(侮辱罪第1回議事録30頁(小池信太郎幹事(慶応義塾大学教授)))。議論の火種は残っているようではあります。無論,社会的評価をそう気にすべきではない,「文化低き社会に於ける程個人は他人の評価に従属するの意識が強い」のであって「偉大なる精神」であれば「他人の評価から独立なることを得る」のである(小野・名誉の保護141頁参照),「他人の誹毀又は侮辱に因り自己人格の核心を傷けらるる如く考ふるは甚しき誤想である」(同221-222頁)などと言い放てば,炎上必至でしょう。