2021年08月


(上)日本民法:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900158.html

(中)旧民法及びローマ法:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900161.html


8 フランス民法673

フランス民法を見てみましょう。

 

(1)条文及びその沿革

民法233条に対応する条項は,ボナパルト第一統領政権下の1804年の段階ではフランス民法672条に,1881820日法による改正後は673条にあって,同条は,1921212日法によって更に改正されています。

共和暦12(ブリュ)(メール)4日(18031126日)に国務院(コンセイユ・デタ)に提出された案には当該条項はありませんでしたが,同12(ニヴォ)(ーズ)14日(180415日)の同院提出案に第665条として出現しています。

 

Code napoléon (1804)

1804年ナポレオン法典)

Art. 672.

Le voisin peut exiger que les arbres et haies plantés à une moindre distance soient arrachés.

  (隣人は,必要な距離を保たずに栽植された木及び生垣を抜去することを請求することができる。)

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres du voisin, peut contraindre celui-ci à couper ces branches.

  (その所有物の上に隣人の木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。)

Si ce sont les racines qui avancent sur son héritage, il a droit de les y couper lui-même.

  (彼の地所に延びて来たものが根である場合においては,彼はそれをそこにおいて自ら截去する権利を有する。)

 

Après la Loi du 20 août 1881

1881820日法による改正後)

Art. 673.

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres du voisin peut contraindre celui-ci à les couper. Les fruits tombés naturellement de ces branches lui appartiennent.

  (その所有物の上に隣人の木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。当該枝から自然に落下した果実は,同人に属する。)

Si ce sont les racines qui avancent sur son héritage, il a le droit de les y couper lui-même.

(彼の地所に延びて来たものが根である場合においては,彼はそれをそこにおいて自ら截去する権利を有する。)

Le droit de couper les racines ou de faire couper les branches est imprescriptible.

  (根を截去し,又は木の枝を剪除させる権利は,消滅時効にかからない。)

 

Après la Loi du 12 février 1921

1921212日法による改正後)

Art. 673.

Celui sur la propriété duquel avancent les branches des arbres, arbustes et arbrisseaux du voisin peut contraindre celui-ci à les couper. Les fruits tombés naturellement de ces branches lui appartiennent.

(その所有物の上に隣人の木,小低木及び低木の枝が延びて来た者は,当該隣人をしてそれを剪除せしめることができる。当該枝から自然に落下した果実は,同人に属する。)

Si ce sont les racines, ronces ou brindilles qui avancent sur son héritage, il a le droit de les couper lui-même à la limite de la ligne séparative.

(彼の地所に延びて来たものが根,茨又は小枝である場合においては,彼はそれらを境界線において自ら截去する権利を有する。)

Le droit de couper les racines, ronces et brindilles ou de faire couper les branches des arbres, arbustes et arbrisseaux est imprescriptible.

  (根,茨及び小枝を截去し,又は木,小低木及び低木の枝を剪除させる権利は,消滅時効にかからない。)

 

(2)破毀院1965年4月6日判決

 フランス民法673条の趣旨については,次のフランス破毀院民事第1196546日判決(61-11025)が参考になります。

 

   2項目にわたる上告理由については――

      攻撃されている原審による是認判決の確認した事実によれば,Xに属する所有地に要保持適正距離に係る規則に従った距離を隣地から保って2本のポプラの木が栽植されていたところ,それらの根が,隣人Yの地所に侵入し,そこにおいて損害をもたらしたこと,

   彼の木によってこのようにして惹起された被害についてXは責任を負うと宣告したことについて控訴院に対する不服が申し立てられたこと,すなわち,〔当該不服申立てに係る上告理由の主張するところは,〕第1に,民法673条は,根の侵襲に係る責任(la faute d’immissio de racines)を設定したものではなく,根がその土地に侵入した当該土地所有者の利益のために,添付に係る一つの場合について規整したものであって,当該根は同人のものとなりもはや相隣関係問題に係る請求の目的とならなくなるものである(…organise un cas d’accession au profit du propriétaire, sur le fonds duquel pénétrent des racines, qui, devenant la chose de ce dernier, ne peuvent plus faire l’objet d’une réclamation pour troubles de voisinage)とのこと,

   第2に,上告によれば,損害被害者である寡婦Yの懈怠(négligence)は,民法673条が彼女に与えている,オージュロー(Augerau)の木から延びた根を截去する権利を知らなかったことによるとのことに鑑み,

 

   しかしながら,攻撃されている判決は,立法者は民法673条の規定によって,発生した損害の賠償を受ける権利を制限すること(restreindre le droit à réparation du dommage réalisé)を意図していたものではなく,反対に,隣人の利益のための手段を設けることによってより有効な保護の確保(assurer une protection plus efficace en instituant des mesures de prévention au profit des voisins)を図っていたものであるということを正当な資格でもって(à juste titre)強調している(souligne)こと,

   控訴院は,このことから,木の所有者は,それが規定の距離を保って栽植されたものであっても,隣の地所に延びた根によって惹起された損害について責任を負うものであるという結論を導き出し得たことに鑑み,

   並びに,事実審の裁判官が職権をもって,被害が発生する時まで彼女の不動産に脅威を与えつつある危険を知らなかった寡婦Yには何ら懈怠はなかったものと認めたこと,

   かくして,上告理由はその両項目のいずれについても受け容れられないことに鑑み,

   以上の理由をもって,X対寡婦Y事件(61-11025パリ控訴院19601213日判決に対する上告を棄却する。

 

 上告理由の拠った,侵入した根の所有権に係る土地所有者帰属説は,破毀院の採用するところとはならなかったわけでしょう。

 

(3)破毀院2010年6月30日判決

 なお,我妻榮は,民法2331項について,「竹木の枝が境界線を越えていても相隣者に何らの害を与えない場合に,剪除を請求するのは,権利の濫用となる。多少の損害を与える場合にも,剪除することの損害がさらに大きいときは,第209条を類推して,償金を請求することができるだけだと解すべきではあるまいか(ス民6872項〔ママ。同項は越境した枝に成った果実の所有権に関する規定ですので,同条1項のことと解すべきでしょう。〕参照)」と説いています(我妻Ⅱ・295頁(なお,同書の第1版は1932年,改訂第1版は1952年に発行されています。)。また,能見=加藤編273頁(松尾))。新潟地方裁判所昭和391222日判決下民集15123027頁も「ところで,民法2331項によれば,隣地の樹木の枝が境界線を越え他人の地内にさしかゝつた場合には,その樹木の所有者をして枝を剪除させることができるのであるが,相隣接する不動産の利用をそれぞれ充分に全うさせるために,その各所有権の内容を制限し,また各所有者に協力義務を課する等その権利関係相互に調節を加えている同法の相隣関係規定の趣旨に照らすとき,右越境樹枝剪除の請求も,当該越境樹枝により何等の被害も蒙つていないか,あるいは蒙つていてもそれが極めて僅少であるにも拘らずその剪除を請求したり,又はその剪除によつて,被害者が回復する利益が僅少なのに対比して樹木所有者が受ける損害が不当に大きすぎる場合には,いわゆる権利濫用としてその効力を生じないと解さなければならない。従つて結局越境樹枝の剪除を行うに際しても,単に越境部分のすべてについて漫然それを行うことは許されず,前記相隣関係の規定が設けられた趣旨から,当事者双方の具体的利害を充分に較量してその妥当な範囲を定めなければならないと解すべきである。」と判示しています(15本の樹木の枝が隣地に越境していたのに対し,同裁判所は11本についてのみ剪除を命じ,かつ,剪除すべきものとされた枝の部分も越境部分全部ではありませんでした。)。しかしながら,我が民法と直系関係にあるフランス民法にではなく,傍系関係のスイス民法に拠るのはいかがなものでしょうか。

フランス破毀院民事第3部の2010630日判決(09-16.257)は,隣地のヒマラヤ杉(樹齢100年超)の枝の剪除を請求する訴えを,①当該樹木自体を伐採するのでなければ,枝の剪除では5メートル以上の高さから落下する針葉による迷惑は解消されないこと,②剪除請求者らは,木の多い地にあるその土地を入手する際に庭やプールを定期的に掃除しなければならなくなることを当然知っていたこと,③同人らは当該樹木の生長が弱まっていることを知り得たこと,④同人らは当該樹木の寿命を侵害する意図を有していないこと及び⑤彼らの訴えが濫用(abus)になることなしに境界内に全ての枝が収まるようにさせることを請求することはできないこと,との理由をもって退けたリヨン控訴院の2009611日判決を,フランス民法6731項前段及び3項に違背するものとして破棄しています。判決要旨は,「隣地から越境してきた木の枝に対する土地所有者の消滅時効にかからない権利には何らの制限も加えることができないところ,原告らはその訴えが濫用になることなしに境界内に全ての木の枝が収まるようにさせることはできない旨を摘示して木の剪定の請求を排斥した控訴院は,民法673条に違背する。」というようなものになっています(Bulletin 2010, III, n˚137)。無慈悲です。

(なお,ヒマラヤ杉仲間の事件としては,大阪高等裁判所平成元年914日判決判タ715180頁があります。枝が延びて迷惑な別荘地のヒマラヤ杉3本(樹齢約30年)を隣地の旅館主が伐採してしまったものですが,民法2331項等を援用しての,自救行為であるから不法行為は成立しないとの旅館主側の主張は排斥されています。「本件ヒマラヤ杉の枝が境界を越えて伸びており,そのため本件〔旅館〕建物の看板が見えにくくなり,あるいは車両等の通行の妨害となっていたとしても,控訴人〔旅館主〕らがなし得るのは枝のせん除にとどまり,木そのものを伐採することは許されない。」というわけです。ちなみに,旅館の土地に1番近いヒマラヤ杉は境界線から約1.7メートルしか離れていなかったそうですから(木の正確な高さは判決書からは不明ですが,当然2メートルは超えていたでしょう。),フランス民法6711項及び6721項の適用があれば,原則として,当該樹木の抜去又は高さ2メートル以下までの剪定を請求できたはずです。この場合,原告は特定の損害(un préjudice particulierの証明を要しないものとされています(フランス破毀院民事第32000516日判決(98-22.382))。)

                          

9 ドイツ民法第一草案

 竹木がドイツ民法流に土地の本質的構成部分(wesentlicher Bestandteil)であるのであれば,前者の後者に対する独立性は弱いことになるはずです。したがって,当該独立性の弱さを前提とすれば,竹木の一部分を構成するものである根が,そうではあっても当該竹木本体とは別に,侵入した隣りの土地にその本質的構成部分として付合してその所有権に包含されるべきこと,及びその結果,一の植物の一部に他の部分とは別個の所有権が存在することにはなるがそのことは可能であり,またむしろそれが必然であること,を是認する理解が自然に出て来るようになるもののように思われます。すなわち,越境した根の所有権に係る土地所有者帰属説は,あるいはドイツ民法的な法律構成なのではないかと考えられるところです。

 そうであれば,ドイツにおいて実際に土地所有者帰属説が採られているものかどうかが気になるところです。ドイツ民法を調べるに当たっては,筆者としてはついドイツ民法第一草案の理由書(Motive)に当たるのが便利であるものですから本稿における調査はそこまでにとどめることとし,以下においてはドイツ民法第一草案の第784条及び第861条並びにMotiveにおける後者の解説を訳出します。

 

  第784条 土地の本質的構成部分には,土とつながっている限りにおいてその産出物が属する。

    種子は播種によって,植物は根付いたときに,土地の本質的構成部分となる(eine Pflanze wird, wenn sie Wurzel gefaßt hat, wesentlicher Bestandtheil des Grundstückes.)。

 

  §861

   Wenn Zweige oder Wurzeln eines auf einem Grundstücke stehenden Baumes oder Strauches in das Nachbargrundstück hinüberragen, so kann der Eigenthümer des letzteren Grundstückes verlangen, daß das Hinüberragende von dem Eigenthümer des anderen Grundstückes von diesem aus beseitigt wird. Erfolgt die Beseitigung nicht binnen drei Tagen, nachdem der Inhaber des Grundstückes, auf welchem der Baum oder Strauch sich befindet, dazu aufgefordert ist, so ist der Eigenthümer des Nachbargrundstückes auch befugt, die hinüberragenden Zweige und Wurzeln selbst abzutrennen und die abgetrennten Stücke ohne Entschädigung sich zuzueignen.

  (ある土地上に生立する樹木又は灌木の枝又は根が隣地に越境した場合においては,当該隣地の所有者は,相手方土地所有者によって当該隣地から越境物が除去されることを求めることができる。当該樹木又は灌木が存在する土地の占有者にその旨要求されてから3日以内に当該除去がされなかったときは,隣地の所有者も,越境した枝及び根を自ら切り取ること並びに切り取った物を補償なしに自己のものとすることが認められる。)

 

  第861条解説

   第861条の第1文は,当該所有者は越境した根及び枝の除去を所有権に基づく否認の訴え(妨害排除請求の訴え)によって(mit der negatorischen Eigenthumsklage)請求することができること(第943条)に注意を喚起する。それによって,特に,次の文で規定される自救権が通常の法的手段と併存するものであること及びそれがプロイセンの理論が主張するように隣人のための排他的な唯一の保護手段を設けるものではないことを明らかにするためである。枝及び根が越境して生長することは確かに間接的侵襲にすぎず,人の行為の直接の結果ではない。しかし,当該事情は,この種の突出を被ることが隣地所有権に対する障害である事実を何ら変えるものではない。隣人はある程度の高さ――地表カラ15(ペデス)ノ高サ〔ラテン語〕――からはこの種の突出を受忍しなければならないとの法律上の所有権の制限は,確かにときおり普通法理論において及び自力での除去を一定の高さまでのみにおいて認める地方的規則の結果として唱道されるが,近代的立法においては認められていないものである。

   枝及び根の越境は,それに対して実力での防衛が可能である禁止された自力の行使行為ではないので,法が沈黙している限りにおいては,隣人は,否認訴権的法的手段(das negatorische Rechtsmittel)によるしかないという限定的状況に置かれるであろう。根の除去のためには,普通法は特段の定めをしていない。枝の張出しの除去は,その枝を耕地の上に地表カラ15(ペデス)ノ高サに,又はその枝を家の上に突き出した樹木の所有者が自ら張出部分を除去しないときは,隣人が当該張出部分を伐り取って自らのものとすることができるものとする樹木伐除命令(interdictum de arboribus caedendis 〔伐られるべき木の命令〕)によって,そこでは規律されている。プロイセン一般ラント法は,越境する枝及び根に係る自力除去権を隣人に与えるが,それを自分のものとすることは認めていない。フランス民法は,根の截去のみを認める。ザクセン法は,截去した根を当該隣人に属すべきものとする点を除いて,プロイセン法と同一である。

   草案は,植物学的表現は違いをもたらさないことを明らかにするため,及び灌木の張出し,取り分け生垣に係るそれが特に多いことから,樹木に加えて灌木にも言及している。更に草案は,枝及び根の双方を考慮しつつ自力での除去の許容について定めるとともに,低い位地の枝についての制約を設けていない。この種の区別を正当化する十分な理由が欠けているとともに,そのような区別は,法律の実際の運用を難しくするからである。事前の求めの必要性の規定及び自らの手による除去のために与えられた期間によって,樹木の所有者に対して厳し過ぎないかとの各懸念は除去されている。截去した物を自らのものとすることを隣人に認めるその次の規定は,単純であるとの長所を有するとともに,当該取得者が截去の手間(Mühe)を負担したことから,公正(Billigkeit)にかなうものである。

 

隣地から木の根の侵入を被った土地の所有者は,当該侵入根の除去を求めて当該土地の所有権に基づく妨害排除請求ができるというのですから,当該木の根の所有権は隣地の木の所有者になお属しているわけでしょう。また,截去した侵入根の所有権取得の理由も,既に当該侵入根が截去者の土地に付合していたことにではなくて,手間賃代りとして截去者に与えることの公正性に求められています。越境根の所有権に係る土地所有者帰属説は,ドイツにおいても採用されていないようです。

なお,枝の除去について,高さ15(ペデス)より上の高いものが除去されるのが原則なのか下の低いものが除去されるのが原則なのかはっきりしないのですが(特に耕地の上に枝が突き出した場合は,ドイツ語原文自体がはっきりしない表現を採っています。15(ペデス)より上又は下のものがどうなるものかがそこでは不明で,首をひねりながらの翻訳となりました。),これはローマ法自体がはっきりしていなかったので,ドイツ人も参ってしまっていたものでしょうか。この点に関するローマ法の昏迷状況に係る説明は,いわく,「樹木の枝が隣の家屋を覆うを許さず。〔略〕又樹木の枝が隣の田地を覆う場合は其の枝が15ペデスpedes (foot)[歩尺]或はそれ以上に達するときはこれを伐り採ることを要せざるも15ペデス以下の枝はことごとくこれを伐り取らざるべからず。但しこの15ペデス以上或は以下についてDigestaの中の文面が甚だ不明瞭なるために,これについて異論あり。異論とは,15ペデス以上の枝はかえってこれを伐り採ることを要す。而して15ペデス以下の枝はこれらを伐り採ることを要せずと。」と(吉原編85頁)。

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7 旧民法財産編262条4項と34条等との関係論及び「ローマ法的解決」

 

(1)民法233条の同法上の位置付け問題

民法233条の趣旨をどう考えるべきかの問題に改めて立ち戻って考えるとしても,同条の民法中における位置付けは難しい。「土地の所有権は,法令の制限内において,その土地の上下に及ぶ。」(民法207条)とされている以上,民法2331項は,当該所有権に基づく妨害排除請求権と重複します(民法・不動産登記法部会資料72頁参照)。民法2332項は,土地に侵入した根の所有権が当該土地の所有者に属するのならば(この点が正に問題ですが。),「所有物の使用,収益及び処分」(同法206条)そのものの一環ということになり得ますから,これも重複しそうです。

 

(2)旧民法財産編34条等と同編2624項(民法233条)との関係

ただし,民法233条は旧民法財産編2624項を承けた規定であるということなので,旧民法の中での位置付けを考えると,ある程度なるほどと合点し得る説明ができそうではあります。

 

ア 旧民法財産編34条論

 

(ア)旧民法財産編34

実は旧民法における土地の所有権については,民法207条のような一般的な規定は伴われてはいませんでした。確かに旧民法財産編301項は「所有権トハ自由ニ物ノ使用,収益及ヒ処分ヲ為ス権利ヲ謂フ」と規定していましたが,所有物が土地である場合について同編34条は,「土地ノ所有者ハ其地上ニ一切ノ築造,栽植ヲ為シ又ハ之ヲ廃スルコトヲ得/又其地下ニ一切ノ開鑿及ヒ採掘ヲ為スコトヲ得/右孰レノ場合ニ於テモ公益ノ為メ行政法ヲ以テ定メタル規則及ヒ制限ニ従フコトヲ要ス/此他相隣地ノ利益ノ為メ所有権ノ行使ニ付シタル制限及ヒ条件ハ地役ノ章ニ於テ之ヲ規定ス」と規定していました(フランス民法5522項及び3項に対応)。民法207条の規定と比較すると,伸び伸びとした土地所有権の行使を認めるもののようには印象されません。

なお,不動産たる土地についてボワソナアドは,「真の不動産をなすものは,土地を構成する物というよりはそれが占める空間である(ce qui constitute le véritable immeuble, c’est moins la substance du sol que l’espace qu’il occupe)」と言っています(Gve Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Premier, Des Droits Réels ; Tokio, 1890: p.34)。(しかし,空間は,有体物でしょうか。)

 

(イ)民法207

民法207条は,旧民法財産編34条の規定だけでは「事柄が足りないので,一般的な原則」を掲げるべく「同条を修正してつくられたもの」,と報告されています(川島=川井編319頁(野村=小賀野))。189468日の第19回法典調査会で梅謙次郎は民法207条の規定を置くべき必要について「唯疑ヒノ起ルノハ空中ノ話シテアリマス譬ヘバ私ノ地面ノ右ノ方ノ隣リノ者カ恰度(ちやうど)左ノ方ニ地面ヲ持ツテ居ルト仮定スル其間ニ電話ヲ架設シヤウトシテ私ノ地面ノ上ヲ通(ママ)ス其場合ニ空中ハ御前ノ所有物テナイカラ斯ウ云フコトヲシテモ構ハヌト言ツテヤラシテハ叶ハヌ是カラ段々世ノ中カ進歩スルニ従ツテ然ウ云フ事柄ハ余程多クナツテ来ヤウト思ヒマス然ウ云フコトヲ規定スベキ必要ガアラウト思フ」(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録』第7119丁裏-120丁表)等と説明しています。こう言われると,土地の所有権に基づく妨害排除権の及ぶ範囲が第一に問題になっているように見えます。2055分まで審議が続き,磯部四郎からは修正案が出(追随者なし),奥田義人,村田保,菊池武夫,都筑馨六及び三浦安からは削除説が唱えられました。削除説についていえば,梅も当該規定について「若シ之カナカツタナラハ所有権ト云フモノハ土地ノ上下ニ及ハヌモノテアルノヲ此箇条ヲ以テ特ニ及ホシタモノデアルカト云フ御問ヒテアリマスガ私共ハ然ウハ思ツテ居リマセヌ」,「〔上の方,空中については〕疑ヒノアル点テアリマスカラ此処ニ規定シヤウト考ヘタノテアリマス」と述べており(民法議事速記録第7121丁裏-122丁表),したがって,民法207条は絶対不可欠とまでは言えなかったわけです。最後は議長の西園寺公望が採決し,削除説への賛成少数で梅の原案が可決されています。

 民法207条は難産で,梅謙次郎は苦労したわけですが,実は三起草委員の一人である富井政章は同条についてニュアンスの違った解釈をしていたようでもあります。同条に係る富井=本野のフランス語訳は “La propriété du sol emporte, sous réserve des restrictions apportées par les lois et ordonnances, la propriété du dessus et du dessous.” であって,直訳すれば,「土地の所有権は,法令の制限内において,その上下の所有権の取得を伴う。」でしょうか,「法令の制限内において」の部分を除いてフランス民法5521項と同じ表現となっています。しかしてフランス民法552条は,不動産上の添付(accession)に関する規定なのでした。添付は,所有権取得の一態様です。ローマの添付法には「地上物は土地に従う(superficies solo cedit)」とあります。

 

イ 旧民法財産編34条と枝の剪除請求権との関係及び同編36条の本権訴権等

 

(ア)枝の剪除請求権との関係

旧民法財産編341項及び4項を見ると,越境した枝の剪除を越境された土地の所有者が求めるためには,明文の特則があった方がよかったようです。

確かに,ボワソナアドは,「土地の所有者は,当該土地の上の空間の主人である。したがって,隣人は,分界線上において,当該分界線から垂直に伸ばした線を越える建築をすることはできない。また,隣人は,一所有地と他の所有地との間に橋を差し掛けて,中間の他人所有地の上を通過することもできない。何ら難しいことはない。」との解釈を説いてはいました(Boissonade, p.93)。しかしながら,土地上の空間に係る妨害排除のために占有訴権たる保持訴権を行使しようとすると,それは「其ノ占有ニ関シ〔略〕妨害ヲ受」けた者が「妨害ヲ止マシメ又ハ賠償ヲ得ルヲ目的」として行うものということになりました(旧民法財産編362項・200条)。そこにおいては,当該空間下の土地の占有に関する妨害の有無及び妨害を止ましめる方法は何であるべきかの判断が面倒そうでありました。

 

(イ)旧民法財産編36条の本権訴権等

ところで,従来,物権的請求権については,「民法には,所有権に基づく物権的請求権そのものの規定はありません。しかし,占有権については占有訴権が認められており,これより強力な所有権についてこれに基づく請求権を認めることが相当であることや,民法202条が占有の訴えのほかに本権の訴えを認めていることに照らし,所有権について物権的請求権が発生するものと解されています。」(司法研修所民事裁判教官室『改訂 問題研究 要件事実――言い分方式による設例15題――』と説かれていましたが(司法研修所・20069月)56頁),「本権の訴え」といわれるだけでは――筆者一人の感想でしょうか――漠としています。「本権ノ訴(action pétitoire, petitorische klage)即チ占有(ママ)ル権利其物ノ主張ヲ目的トスルモノ」とやや敷衍していわれても(梅87頁),フランス語及びドイツ語のお勉強にはなっても,なおよく分かりません。(『ロワイヤル仏和中辞典』(旺文社・1984年)には“action pétitoire”は「不動産所有権確認の訴訟」とあり,『独和大辞典(第2版)コンパクト版』(小学館・2000年)には„petitorische Ansprüche“は「本権上の請求権」とあるばかりです。)しかし,せっかく旧民法財産編361項本文に「所有者其物ノ占有ヲ妨ケラレ又ハ奪ハレタルトキハ所持者ニ対シ本権訴権ヲ行フコトヲ得(Si le propriétaire est troublé dans la possession de sa chose ou en est privé, il peut exercer contre tout détenteur l’action pétitoire)」とありますから,ここで,本権訴権とは何かについてボワソナアドの説くところを聴いてみましょう。

 

  ここまで論じられてきたrevendicationの訴え(action en revendication)は,まず,本権のpétitoire)〔訴え〕との名を占有のpossessoire)訴えとの対照において称する。本権の訴え(action pétitoire)は,原告が真にvraiment)所有権を有するものかどうかを裁判させようとするものであるf。占有の訴えは,原告が現実に(en fait)所有権を行使しているexerce)こと(占有するposséder),といわれること)を確認させようとのみするものである。本権の訴えは,権利の根拠le fond)について裁判せしめる。占有の訴えは,占有すなわち現実の行使l’exercice de fait)についてのみ裁判せしめるものである。

 (Boissonade, pp.96-97

 

  (f)ラテン語のpetere,すなわち「求める(demander)」に由来するpétitoireの語は,それ自体では十分確定した意味を有しない。しかし,ローマ法に影響された全ての立法において,上記の意味と共に,術語とされている(consacré)。

   本権の訴えは,所有権のみならず他の物権の多くについてそもそものau fond)その存在について裁判させるためにも行われる。

  (Boissonade, p.96

 

 本権の訴えは所有権その他の物権の存否を裁判させようとするものであるのはよいのですが,当該争点に係る肯定の裁判の結果,どのような請求を実現させようとするものであるのかというと,旧民法財産編36条に対応するボワソナアド草案37条の第1項及び第2項を見ると(Boissonade, p.76),action en revendication(所有物取戻訴権)及び’action négatoire(否認訴権)の行使が想定されていたところです。

フランス語のrevendicationは,ラテン語のrei vindicatio(所有物取戻訴権,所有物取戻しの訴え)に由来します。ローマ法においては「所有物取戻訴権は物権中の王位の権利の最強武器である。「予が予の物を発見するところ予これを取り戻す」(ubi rem meam invenio, ibi vindico)原則は何等の制限を受けない。何人の手からでも何等の補償も要せずして取り戻せるのである。その者が如何に善意で過失なくして取得したにしても,彼は保護せられない。比較法制史上個人主義がかくほど徹底した法制も稀である。」とのことでした(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)120頁)。

ローマ法における否認訴権(actio negatoria)については,「役権否認の訴権である。ドイツ普通法時代には占有侵奪以外のあらゆる妨害排除の訴権に高められている。目的は制限なき所有権の確認,侵害の排除,目的物(人役権〔用益権(旧民法財産編44条参照),準用益権,使用権(同編1101項参照)並びに住居権(同条2項参照)及び奴隷又は獣の労務権(原田127-128頁)〕につき問題となる)利益の返還,損害の賠償及び将来妨害せずとの担保問答契約の提供である。」と説明されています(原田120頁)。ボワソナアドは,否認訴権を説明していわく,「この場合,所有権者は彼の地所をなお占有しているので,彼がそれを要求するrevendiquer),彼がそれを取り戻そうとする,とはいえない。彼は専ら自由,解放を求めるのである。したがって,彼はその所有権を確認するのではない。その権利は争われていないからである。彼は,他者によって主張されている役権を争い,否認するdénie)のである。ここから,否認négatoire)訴権の名が生ずる。全くローマ由来の名である。」と(Boissonade, p.96)。

実は,旧民法財産編36条には立法上の不体裁があって,その第1項はaction en revendicationにのみ係るものでした(cf. Boissonade, p.76)。確かに同項の本権訴権行使の相手方は「所持者」です。ボワソナアドも,否認訴権はaction en revendicationの一種であると述べつつも,「否認訴権(action négatoire)は古いテキスト(l’ancien texte [sic])においては言及されていない〔筆者註:ボワソナアドのProjet1880年版及び1882年版のいずれにも否認訴権に係る規定はちゃんとありましたので,「古いテキスト」とは旧民法財産編36条のことを指すのでしょうか。〕。これは修正されなければならなかった脱漏であった。地役権の行使によって妨害された所有権者がそれを争うのは所有物取戻しの訴えによるものでないことを理解するには,〔ボワソナアド草案〕288条〔すなわち旧民法財産編2692項〕を待つまでもない。」と述べています(Boissonade, pp.95, 96(1))。

否認訴権に係るボワソナアド草案372項は次のとおりです(Boissonade, p.76)。

 

   Il peut aussi intenter une action négatoire contre ceux qui exerceraient sur son fonds des droits de servitude qu’il prétendrait ne pas exister.

  (所有権者は,また,彼が存在しないと主張する役権を彼の地所に行使する者に対して否認の訴えを提起することができる。)

 

「否認の訴え」というと嫡出否認の訴え(民法775条等)や,破産法(平成16年法律第75号)上の否認権の行使に係る訴え(同法173条)と紛らわしいですね。やはり旧民法財産編2692項流に「拒却訴権」の行使ないしは「拒却」の訴えとでもいうべきでしょうか。いずれにせよ,否認訴権を読み出しにくい旧民法財産編361項を前提とすれば,土地所有権に対する妨害の排除手段の明示に係る同編2624項の存在はその分の有用性を有していたわけです。

なお,我妻榮は「所有権についても,これ〔占有訴権〕に対応する所有物返還請求権(rei vindicatio)・所有物妨害除去請求権(actio negatoria)・所有物妨害予防請求権が,学説上一般に認められている。のみならず他の物権にも――物権それぞれの内容に応じて多少の差はあるが――これらに対応するものが認められている。そしてこれを物権一般の効力として,物上請求権または物権的請求権という(ドイツ民法は所有権について規定し(985条以下),他の物権に準用する。〔略〕)。」と述べており(我妻Ⅱ・22頁),そこでは所有物妨害予防請求権にラテン語名が付いていません。この点に関しては,ボワソナアドも,旧民法財産編36条に関して所有物妨害予防訴権については言及していなかったところです(Boissonade, pp.95-97)。

 

ウ 旧民法財産編34条と根の截去権との関係

また,根の截去についても,旧民法財産編342項の「開鑿及ヒ採掘(excavations, fouilles et extractions de matériaux)」にぴったり当てはまらないとともに(大は小を兼ねるのでしょうが,それでも,邪魔物たる隣地からの根の截去は,有益物であろうし,かつ,土地所有者の所有物又は無主物たるべきものであろうmatériauxの採掘に含まれ得るものでしょうか。),相隣関係なので地役の章を見なければならず(旧民法財産編344項),そこで同章を見れば,旧民法財産編261条は井戸,用水溜,下水溜及び糞尿坑,地窖並びに水路用石樋及び溝渠を穿つについて分界線から保つべき距離を規定しており,すなわち,分界線付近で穴を掘ることは注意してすべきものとされてあるところ,隣地から侵入して来た根の截去のための土堀りは分界線からどれだけ離れてすべきか,又は分界線に接してすることができるかは,やはり明文で規定されるべきものだった,とも考えられないものでしょうか。あるいはこじつけ気味に,第25回法典調査会における前記土方=梅問答にヒントを探してみると,旧民法財産編2624項は,竹木の存在する隣地を要役地とし,その枝又は根が侵入する土地を承役地とする地役権の存在を否定する趣旨であるように解されます(梅の言う「時効ニ依テ取得」するものは,地役権でしょう。)。旧民法財産編2621項から3項までは竹木の栽植又は保持において保つべき分界線からの距離を規定していますが,当該距離を保ちさえすればあとは枝又は根の侵入について隣地に対する地役権までが付随して認められるというわけではないよ,ということが同条4項の趣旨だったということもできないでしょうか。

しかし,さかしらなこじつけは,素直な事実認識を阻害しそうではあります。

結局のところ,越境した根の所有権の帰属はどうなっていたのでしょうか。

ちなみに,ある土地に生立している草木(及びその根)は土地の本質的構成部分となるという,いささか重たい表現である例のドイツ民法941項後段に相当する明示規定は,管見の限り旧民法にはないようです。旧民法財産編81項第5本文は「樹林,竹木其ノ他植物」を「耕地,宅地其他土地ノ部分」(同項第1)と並置して「性質ニ因ル不動産」としており(「性質ニ因ル不動産」は,その性質に因り遷移することを得ない物(同編7条)),同編81項第5ただし書を承けた同編12条は「植木師及ヒ園丁カ売ル為メニ培養シ又ハ保存シタル草木」(第3)及び「収去スル為メニ譲渡シタル樹木及ヒ収穫物」(第4)のような「仮ニ土地ニ定著セシメタル物」を「用法ニ因ル動産」としています。ただし,ボワソナアドは,樹林,木,小低木及びその他の植物並びに果実及び収穫物について,「土地から(du sol)分離して動産にすることが非常に容易(bien facile)な物であるが,そこにつながっている間は,それと一体をなし(tant qu’ils y sont attachés, ils font corps avec lui),かつ,性質上の不動産である。」とし,また,「栽植又は播種の場合,木及び種子は,なお根を下ろしていなくとも,地中に置かれるとともに不動産となる。」と述べています(Boissonade, p.35)。

 

(3)「ローマ法的解決」

 隣地の竹木から侵入して来た根の被侵入地内における所有権について,旧民法は土地所有者帰属説及び竹木所有者帰属説のうちどちらを採っていたのかがなおよく分からないのであれば,同法の母法たるフランス民法についてそれを問うべし,ということになります(我が民法233条と同様の規定として,フランス民法673条が存在します。当該条文は,後に御紹介します。)。ということで筆者は,頑ななる我がPCに手を焼きつつ,おフランス語でインターネット検索を重ねたのですが,そこで思わぬ収獲がありました。

フランス民法の淵源であるところのローマ法においては,隣地に侵入した根(radix)について樹木所有者帰属説が採られていたことが分かったのです(フランス民法及び我が旧民法も同説採用でしょう。)。日本民法の解釈問題は残るとしても,筆者の問題意識の主要部分はこれでひとまず解消したようです。

 当該収獲は,1823年にパリのImprimerie de Dondey-Dupréから出版されたポチエ(R.J.Pothier)の『ユスティニアヌスの学説彙纂(Pandectae Justinianeae, in Novum Ordinem Digestae, cum Legibus Codicis et Novellis quae Jus Pandectarum Confirmant, Explicant aut Abrogant)』第19巻の538-539頁にありました(Lib.XLVII. Pandectarum Tit.VII: III)。

 

   Non ideo minus autem furtim caesa arbor videbitur, quod qui radices hujus caecidit, eas in suo s[o]lo caecidit.

  (しかし,木の根を截った者が彼の地所でそれをしたからといって,それだけより窃盗的にではなくその木が伐られたことにはならない。)

   Enimvero si arbor in vicini fundum radices porrexit, recidere eas vicino non licebit: agere autem licebit non esse ei jus, sicuti tignum aut protectum immissum habere. Si radicibus vicini arbor aletur, tamen ejus est, in cujus fundo origo ejus (1) fuerit. l.6. §2. Pomp. lib.20. ad Sab.

  (確かに,「木が隣人の地所に根を伸ばした場合,当該隣人はそれを截ることはできない。彼に権利はない。しかし,梁又は廂が侵入してきたときと同様に行動することはできる。隣人の木がその根で養分を吸収するとしても,しかしそれは,それが最初に生えた場所がその地所内にある者のものである1。」6節第2款ポンポニウス第20編サビヌスについて

 

    (1Nec obstat quod in institut. lib.2. tit.1. §31 dicitur, ejus arborem videri, in cujus fundo radices egit. Hoc enim intelligendum quum integras radices egit, ita ut omnino ex hoc solo arbor alatur. Quod si mea arbor extremas du[m]taxat radices egerit in solo vicini: quamvis haec inde aliquatenus alatur, tamen mea manet; quum in meo solo et radicum maxima pars, et origo arboris sit.

     (『法学提要』第2編第1章第31節において,その地所に根が張った者に木は属するものと見られるといわれていることは,妨げにならない。それは,当該土地からその木が全ての養分を吸収するように全ての根が張っている場合のこととして理解されるべきものなのである。私の木が隣人の土地にせいぜい根の先端を延ばしたとして,その木がそこから幾分かの養分を吸収したとしても,根の大部分が,及び木の生え出した場所が,私の土地内にあれば,それは依然私のものである。)

 

ローマ法では,隣地の木の根が境界線を越えるときであっても,被越境地の所有者はその根を切り取ってはならないのでした。その理由は,隣人の梁や廂が侵入してきたときと同様に振る舞えというところからすると,越境した根はなお,その木の所有者の所有に属するから,ということになるわけでしょう。この点,S.P.スコットのDigesta英訳(1932年)では“but he can bring an action to show that the tree does not belong to him; just as he can do if a beam, or a projecting roof extends over his premises.(しかし,彼は,ちょうど梁又は廂が彼の地所に突き出てきたときにできるように,その木は彼のものではないことを示すために訴えを提起することができる。)となっていますnon esse ei jus”の不定法句は,agereを言説動詞とした,間接話法の内容ということでしょうか。当該不定詞句は,ポチエのフランス語では最後の文にくっつけて訳されていて,筆者の頭を悩ませたのでした。)

邦語でも「地下にある〔突出してきた〕根についても,これを切断させることが,可能です。相手方がその作業をしないときには,その人が自力で〔略〕根を切り取る行動に出ても差し支えありません。これは,法上許された「自力救済」の一つのパターンですね。」ということが紹介されています(柴田光蔵「ROMAHOPEDIA(ローマ法便覧)第五部」京都大学学術情報リポジトリ・紅(20184月)37頁)。自力截去は直ちにはできません。「又我が樹木根が隣地[に]出でるときは,隣人はこれを有害と認むるときは任意にこれを除去することを得。」というのは(吉原達也編「千賀鶴太郎博士述『羅馬法講義』(5)完」広島法学333号(2010年)85-86頁),反対解釈すると任意の除去は有害のときに限られ,無害のときは手を出せないということですが,これは当該越境樹木根の所有権を当該隣人が有していないからでしょう。

ローマ法においては,木の所有権は,その木が最初に生えた場所(origo)の属する土地の所有者に属する,ということでよいのでしょうか。註では根の大部分の所在をも要件としていますが,本文の方が簡明であるようです。

なお,名詞origoは,動詞oririに由来し,当該動詞には太陽等の天体が昇るという意味もあります(おやじギャグ的に「下りる」わけではありません。)。日出る東方を示すOrientの語源ですね。


(4)ボワソナアドの旧民法財産編262条4項解説探訪(空振り)

なお,民法財産編2624項の趣旨をボワソナアドのProjetに尋ねてみても,空振りです。同条はフランス民法の1881820日法による改正後671条から673条まで及びイタリア民法579条から582条までを参考にしたものであること並びに旧民法財産編262条における分界線・竹木間距離保持規定の目的は通気及び日照の確保による居住及び耕作の保護であり,「市街地では木は実用のためというよりは楽しみのためのものであるし,田園地においてはその広さが規定された距離を容易に遵守することを可能とすることから」,法は遠慮なし(sans scrupules)に所有権者の自由を制限しているものであることは説かれていますが,同条4項について特段の説明はありません(Boissonade, pp.565, 568-570)。

 

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    民法2332項は,面白い条文として紹介されることが多い一方,基本書・註釈書の類ではその説明はあっさりとしたものとなっています(我妻榮著・幾代通=川井健補訂『民法案内4 物権法下』(勁草書房・2006年)においては,同項の説明に当たって,末弘厳太郎と(たけのこ)とのエピソードが紹介されています(32-33頁)。)。最近筆者のブログ記事はみな一様に長く,くどくなり過ぎて評判が非常に悪そうだと懸念していたところ,同項についてならばコンパクトにまとまった気の利いたものが落語的に書けて名誉挽回かなと楽観視しつつ本稿を書き始めたのですが,あに図らんや,問題は意外に根深く,収拾をつけるためには旧民法から更にフランス法・ドイツ法のみならずローマ法まで掘り返さなければならない破目となりました。

 

1 条文

 民法(明治29年法律第89号)2332項(令和3年法律第24号の施行(2021428日から起算して2年を超えない範囲内において政令で定める日から施行(同法附則1条))からは2334項)は,土地の所有者は「隣地の竹木の根が境界線を越えるときは,その根を切り取ることができる。」と規定しています。富井政章及び本野一郎によるフランス語訳文では “Quant aux racines des arbres ou bambous du fonds voisin, qui dépassent la ligne séparative, il est permis de les couper.” となります。

平成16年法律第147号が施行された200541日(同法附則1条,平成17年政令第36号)より前は,「隣地ノ竹木ノ根カ疆界線ヲ踰ユルトキハ之ヲ截取スルコトヲ得」との文言でした。

 

2 根の切取りの費用負担問題

 しかし,びっしりと,あるいは深々と伸びた竹木の根を截取するのも大変な作業で物入りでしょう。自分で截取した後に当該竹木の所有者にその費用の償還を請求できないと,せっかくの民法2332項も画竜点睛を欠きます。ところが,意外とこの辺がはっきりしません。

従来は「根の切取りについては,費用負担に関する規定がなく,現行法上は越境された土地所有者が費用を負担するものと解される」(「民法・不動産登記法部会資料7 相隣関係規定等の見直し」(法制審議会民法・不動産登記法部会第4回会議(2019611日))6(ただし,大谷太幹事(法務省民事局参事官)は「根の方は,これはどう考えられているのかなというのも,ややよく分からないというところがございまして,根の方も同じように,恐らく,きちんとやろうとすれば,かなりお金が掛かることもあり得ると思いますけれども,今は少なくとも,根の方は,根を切り取る方が費用を負担しているということを前提に書きました。論理的に必ずそうだというわけではないとは思います。」と述べてはいます(同会議議事録52頁)。)),「民法第233条は,費用負担に関しては何らの定めもない。枝については竹木所有者に切除させ,根については土地所有者自らが切除するわけであるから,枝の切除に係る費用は竹木所有者が,根の切除に係る費用は土地所有者が負担することになり,本条に基づく限りでは特段の費用償還関係は生じないであろう。」(齋藤哲郎「リサーチ・メモ 隣地の樹木の枝や根が境界を越えてきたら:民法233条をめぐって」(土地総合研究所・2019731日)5頁),「事前通告等なしに切除が可能である分その費用は土地所有者の負担とするものと考えられる。」(同6頁)ということであったようです。

 

3 起草者の説明

民法233条の条文は,189473日の第25回法典調査会に「第236条」として提案され梅謙次郎が説明したものがそのまま採択されていますが(その第1項は「隣地ノ竹木ノ枝カ疆界線ヲ踰ユルトキハ其竹木ノ所有者ヲシテ其枝ヲ剪除セシムルコトヲ得」),梅は「是レハ既成法典財産編第262条第4項ニ文字ノ修正ヲ加ヘマシタ丈ケデ,是レハ誠ニ当然ノ規定ト思ヒマスカラ茲ニ掲ケマシタ」と述べているだけです(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録』第931丁表)。

旧民法財産編(明治23年法律第28号)2624項は「右孰レノ場合〔分界線に接着して,又はそこから2尺若しくは6尺離して竹木を栽植若しくは保持することができ,又はしなければならない各場合〕ニ於テモ相隣者ハ竹木ノ所有者ニ対シ分界線ヲ踰エタル枝ノ剪除ヲ要求スルコトヲ得又自己ノ土地ヲ侵セル根ヲ自ラ截去スルコトヲ得」と規定していました(フランス語文は “Dans tous les cas, le voisin pourra requérir le propriétaire desdits arbres d’élaguer les branches qui dépasseraient la ligne séparative; il pourra lui-même couper les racines qui pénétreraient dans son fonds.” )。

なお,土方寧から「植(ママ)テカラ幾ラカ経ツタ樹木デ合意上ノ地役ト云フ様ナモノニ依ツテ隣地ノ所有者トノ約束ガ出来テ居ル場合ハ夫レデ後ノ所有者抔モ束縛スル様ナコトモ出来マスカ夫レハドウ云フ御考ヘデスカ」との質問が一つだけ出ていたところ,梅は「勿論地役ヲ設ケレバ其地役ニ依テ枝ヲ蔓コラセルコトハ相当ノコトト考ヘル,孰レ地役ノ事項ニ付テハ必ズはつきりシタ条文ガ極マルダラウト思ヒマスガ私一己ノ考ヘデハ斯ウ云フコトモ時効ニ依テ取得セシメテモ宜カラウト思ヒマス」と回答しています(民法議事速記録第931丁裏)。

梅は,その『訂正増補民法要義巻之二 物権編(第31版)』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1911年)においても,「仮令自己ノ所有地ニ之ヲ植ウルモ其枝又ハ根カ隣地ニマテ跋扈スルトキハ隣地ノ所有者ハ之ニ因リテ其土地ノ使用ヲ妨ケラレ為メニ損害ヲ受クルノ虞アリ故ニ隣地ノ所有者ハ其土地ニ蔓リタル枝ハ其所有者ヲシテ之ヲ剪除セシメ其蔓リタル根ハ自ラ之ヲ截取スルコトヲ得ルモノトセリ而シテ枝ト根トノ間ニ此区別ヲ設ケタルモノハ他ナシ根ハ自己ノ土地ニ於テ之ヲ截取スルコトヲ得ヘク又其土地ニ於テセサレハ之ヲ截取スルコト能ハサルカ故ニ若シ隣人ヲシテ之ヲ截取セシムヘキモノトセハ自己ノ土地ニ立入ラシメサルヘカラサルノ不便アルモ枝ハ往往ニシテ隣地ヨリスルニ非サレハ之ヲ剪除スルコト能ハサルカ故ニ若シ自ラ之ヲ剪除セント欲セハ隣地ニ立入ラサルヘカラサルノ不便アリ且枝ハ概シテ其価貴ク(果樹ニシテ已ニ成熟セル果実ヲ着クル場合ニ於テハ殊ニ然リトス)根ハ概シテ其価卑キヲ以テナリ」と述べているだけです(149-150頁)。

 

4 我妻榮の説明

我妻榮も「隣地の竹木の根が境界線を越えるときは,相隣者は自分で截取(●●)することができる(2332項)。枝に比して根は重要でないと考え,また,根の場合は移植の機会を与えるほどの必要はない,と考えて,枝と根との取扱いを異にしたのであろう。したがって,根の場合にも,何ら特別の利益がないのに截取することは,権利の濫用となる。なお,截取した根の所有権は,截取した者に属すと解されている(ス民6871項参照)。」と述べているだけです(我妻榮著=有泉亨補訂『新訂物権法(民法講義Ⅱ)』(岩波書店・1984年)295頁)。

ちなみに,スイス民法6871項は “Tout propriétaire a le droit de couper et de garder les branches et racines qui avancent sur son fonds, si elles lui portent préjudice et si, après réclamation, le voisin ne les enlève pas dans un délai convenable.(全ての所有者は,それらが彼に損害を及ぼし,かつ,催告後隣人が相当な期間内にそれらを除去しない場合においては,彼の土地に侵入する枝及び根を切断し,かつ,保持する権利を有する。)と規定するものです。

 

5 越境した根の所有権問題

しかし,截取の前後を問わず,越境した根の所有権の問題は重要でしょう。

 

(1)最判昭和461116日と物権的請求権と

 

ア 最判昭和461116

最高裁判所昭和461116日判決集民104295頁は,「原判決の認定したところによれば,本件係争地は被上告人らの所有に属し,上告人は,苗木を植え付けこれを維持管理するにつき正当な権原を有することなく,本件係争地内に本件杉および檜苗木を植え付けて同地を占有しているというのである。しかるに,権原のない者が他人の土地に植栽した樹木またはその苗木は,民法242条本文の規定に従い,土地に附合し,土地所有者がその所有権を取得するものと解されるから,右認定によれば,本件苗木は上告人の所有に属するものではなく,したがって,上告人において被上告人らに対しこれを収去する義務を負うものではないというべきである。してみれば,上告人に対して本件苗木を抜去して本件係争地を明け渡すことを求める被上告人らの請求を認容すべきものとした原判決は,右規定の解釈適用を誤り,ひいて理由にそごをきたしたものといわなければならず,論旨は理由がある。」と判示しています。

すなわち,隣地から侵入して来た竹木の根の所有権が被侵入地内の部分については被侵入地の所有者に属することになるのであれば(民法242条本文参照),当該被侵入地の所有者が自分の所有物である当該根を切り取り得ることは当然のこととなる一方,当該根の截去義務を隣地の当該竹木所有者は負わない,ということになりそうです。

 

イ 所有権に基づく妨害排除請求権

所有権に基づく所有物妨害排除請求権については,「所有権内容の実現が占有の喪失以外の事情によって妨げられている」所有者がその主体であって,「この請求権の相手方は,現に妨害を生じさせている事実をその支配内に収めている者である。」といわれています(我妻Ⅱ・266頁。下線は筆者によるもの)。確かに,自分の土地に対して,自分の土地内にある自分が所有する根が妨害を生じさせている場合,現に妨害を生じさせている当該事実をその支配内に収めている者は自分ですから,この場合には,当該土地の所有権に基づく妨害排除請求の相手方はいなくなってしまいます(自分で自分を訴えてどうするのでしょうか。)。

 

(2)土地所有者帰属説vs.竹木所有者帰属説

 

ア 土地所有者帰属説

越境した根の所有権の帰属については,一般に,「根は土地の一部となっているため,土地所有権に基づいて根も切り取ることができるなどと解することもできると思われ,実際の処理としても簡便で,〔民法2332項の規定には〕相応の合理性があると考えられる。」と(民法・不動産登記法部会資料76頁),あるいは,「侵入した竹木の根は,それが土地の構成部分か定着物かにはかかわらず,侵入当初より土地の所有権に包含」されると解すべきもの(齋藤5頁,また4頁),「境界線を越えて入り込んだ根は侵入を受けた土地の所有権の客体の一部となったと解される」もの(能見善久=加藤新太郎編集『論点体系 判例民法〈第3版〉2物権』(第一法規・2019年)274頁(松尾弘)),「竹木の根は土地の構成部分となり,土地所有者の所有に属する(242条本文参照)」もの(石田穣『民法大系(2)物権法』(信山社・2008年)327頁)とされているようです。

 

イ 竹木所有者帰属説

とはいえ根は,稈(竹の場合)又は幹(樹木の場合)及び枝葉花と共に構成される1個の竹木の一部のはずです。一物一権主義もあればこそ,「物権の目的物は独立(●●)()()であることを要する。物の一部ないし構成部分に対しては,直接的支配の実益を収めえないのみならず,公示することが困難であって,排他的権利を認めるに適さないからである。」と説かれています(我妻Ⅱ・12頁)。そこで,土地の人為的な筆界を分界線(面)として一物たる竹木の部分について各別の所有権を認めるとはいかがなものであろうかということでしょうか,民法2332項に基づき切断された根は「やはり竹木所有者に返すのが妥当であろう。」とする説もあります(川島武宜=川井健編『新版注釈民法(7)物権(2)』(有斐閣・2007年)365頁(野村好弘=小賀野晶一))。

なお,土地も竹木も不動産ではないものとしての解釈論として,「集合動産である土地Aに隣地Bから竹木という動産の一部が侵入することにより集合動産である土地Aの所有権が侵害されていることになることから,この場合に限って,集合動産である土地Aの所有権の優位を認め,当該集合動産としての土地A所有者の自救行為として隣地Bから伸びてくる竹木の根を切除することを認める違法性阻却事由として同法〔民法〕2332項が存在していると解する。違法性が阻却される結果,隣地竹木所有者は,当該竹木の根の切除を理由として損害賠償請求をすることができない。」と説くものがあります(夏井高人「艸――財産権としての植物(2)」法律論叢876号(20153月)152頁)。

 

ウ 対立の現状

法制審議会民法・不動産登記法部会第4回会議においては,佐久間毅幹事(同志社大学大学院司法研究科教授)は土地所有者帰属説に拠って,根は土地に付合していると思うと述べつつも「間違っているかもしれませんが。」との留保を付し,水津太郎幹事(慶応義塾大学法学部教授)は「隣地の竹木の根が境界線を越える場合に,その根のうち,越境している部分だけが,越境された土地に付合するのか,それとも付合することなく,その根は,枝と同じように,越境している部分も含め,隣地の土地所有者にとどまるのかは,議論の余地がありそうです。」と竹木所有者帰属説に理解を示す発言をしています(同会議議事録49頁)。

梅謙次郎は,土地と「之ニ栽植シタル草木」とは「2物」であって一物をなすものではないと見ていましたが(梅173頁),これは竹木所有者帰属説成立の余地を示すものでしょう。

なお,栽植された草木が土地と一体となってその構成要素となってしまう(土地に包含されてしまう)というのはドイツ法においては明らかな考え方のようであって,ドイツ民法941項は „Zu den wesentlichen Bestandteilen eines Grundstücks gehören die mit dem Grund und Boden fest verbundenen Sachen, insbesondere Gebäude, sowie die Erzeugnisse des Grundstücks, solange sie mit dem Boden zusammenhängen. Samen wird mit dem Aussäen, eine Pflanze wird mit dem Einpflanzen wesentlicher Bestandteil des Grundstücks.(土地(不動産)の本質的構成部分には,大地の定着物,特に建物及び土とつながっている限りにおいて当該土地の産出物が属する。種子は播種によって,草木は栽植によって土地の本質的構成部分となる。)と規定しています。「ドイツ民法は,動産と土地(Grundstück)とを対立させ,建物・樹木などを土地の本質的構成部分(wesentlicher Bestandteil)として土地と同一にとり扱う(ド民94条以下)。」というわけです(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)211頁)。

しかし,要は竹木に係る所有権の単位を法律でどう決めるかの問題です。

 

(3)竹木に係る所有権の単位と土地との関係

 

ア 樹木:立木法等

竹木のうち樹木についてですが,明治42年法律第22号(立木に関する法律(立木法)。題名のない法律です。)11項には「本法ニ於テ立木ト称スルハ一筆ノ土地又ハ一筆ノ土地ノ一部分ニ生立スル樹木ノ集団ニシテ其ノ所有者カ本法ニ依リ所有権保存ノ登記ヲ受ケタルモノヲ謂フ」と,同条2項に基づいて樹木の集団の範囲を定める勅令(昭和7年勅令第12号)の第2条には「同一ノ土地ニ生立スル樹木ノ集団ニ付2箇以上ノ立木ノ登記ヲ為スコトヲ得ズ」と,同法13条には「立木登記簿ハ1個ノ立木ニ付1登記記録ヲ備フ」とありますから,樹木に係る所有権の単位は土地の筆による(また,1個の立木の所有権に属する樹木は複数であるのがむしろ原則)ということになるようです。

立木法によらない立木も,「ある程度の独立を有するものが判例によって認められるようになった。その理論は,要するに,立木は,その生育する山林(地盤)の一部であることを原則とするが,とくに地盤から独立した別個の物として取引をすれば,別個の物権の目的となり,明認方法(例えば木を削って所有者名を墨書するなど,所有権の所在を公示すること)を施せば,第三者に対抗することもできるというのである。」ということですから(我妻Ⅰ・215頁。下線は筆者によるもの),本来各筆の土地の一部として筆を単位に取り扱われ,明認方法をもって地盤から分離されるときも一般的には地盤に係る筆がその単位となるのでしょう。樹木の所有権の単位は,当該樹木が土地の定着物たる不動産である場合においては,土地の単位に従うのが自然であるわけです。

材木(これは動産)ならざる樹木の個別取引は,移植するためでしょうが(しからざれば,他人の土地の中に自分の木が1本ぽつんと生立していてそれを一体どうするのでしょうか。),移植の際にはそれは動産となります。「個々の樹木については,一般に,独立の物権変動は認められない。けだし,取引慣行は,普通(●●)()(),かようなものを生立したままでは独立の取引価値あるものと認めないからである。しかし,とくに独立の取引価値を認められる場合には,樹木の集団と同様に取扱ってさしつかえない。判例もこの理論を認めている(大判大正611101955頁――根まわししただけで,大根を切断しない場合は動産ではなく,所有権移転を第三者に対抗するためには明認方法を必要とする)。」と説かれています(我妻Ⅱ・204頁)。

 

イ 竹:最判昭和351129

竹については,次の判例があります。

最高裁判所昭和351129日判決集民46563頁は「所論の竹は「隣地から竹の根(地下茎)が本件土地へはいつて来て,それからはえた竹」であること,原審の認定するところであり,原判決挙示の証拠からみれば右竹材を土地の果実とみた原審の判断は首肯するに足りる」と判示しています(上告棄却)。ここでは竹材が土地の果実とされていますから,元物は土地です。筍,竹ないしは竹林は,筍として頭を出した地点に係る土地の一部とされるものであり(「未分離の天然果実は,普通は,元物の一部であって,独立の物ではなく(一般に土地の一部),従って,一般に,独立の物権の客体となりえない。」とされています(我妻Ⅰ・228頁)。),かつ,隣地からの地下茎も,侵入以後の部分は当該被侵入地に付合して,被侵入地の所有者がその所有権者となるということでしょうか。

この点,上記昭和35年判決に係る事実関係を具体的に知りたいところですが,上告代理人の上告理由及び当該判決の匿名解説(判時24447頁)によれば,「本件土地」は農地改革における農地買収処分の結果上告人の所有から被上告人らの先代の所有に移ったもののその後当該買収処分が取り消されたものであって(その結果,農地買収処分時からその取消時までの期間(「本件期間」)も上告人の所有であったことになります。),本件土地上に生育していた「所論の竹」を本件期間中被上告人らの先代が「〔生えてから〕1年ないし数年の間に切りとって利用」していたところ,その伐採について上告人が被上告人らに対して損害賠償を請求したもののようであって,これに対して「被上告人等は原審に於て係争の竹林は隣地より竹の根が係争地に入り其根から生育した竹であるから此竹林は被上告人等に於て勝手に伐採し得る権利ありと抗弁」があったということのようです。当該抗弁の趣旨はなおはっきりしませんが,当該「隣地」は被上告人らの先代に属し,その結果,そこから地下茎が延びてその地下茎から生育した「係争の竹林」も被上告人らの先代の所有に係るものである(「勝手に伐採し得る権利あり」)との主張だったものでしょうか。

結局上告人の損害賠償請求は認められませんでしたが,これは,切り取られた竹(生えている段階の竹ではありません。)は本件土地の天然果実であって,「その元物から分離する時に,これを収取する権利を有する者に帰属する」ところ(民法891項),被上告人らの先代は本件土地の善意の占有者として当該収取する権利を有するもの(同法1891項。上告理由には「竹林が同人〔被上告人らの先代〕の所有に属すると信じて居つたと否とに拘はらず」とのくだりがあります。ただし,果実たる本件竹材の元物は土地なので,善意で占有された物は本件土地でしょう。)と認められたものでしょう。隣地から地下茎が延びて来て生えた竹だからその所有権は隣地の所有者に属するということの認定は,されていません。

この認定省略の前提は,地下茎が境界線を越えると越えた先の部分の所有権は当該被侵入地の所有者に帰属する,当該「竹木の〔地下茎又は〕根から竹木が地上に成育している場合,その成育している竹木も土地所有者の所有に属する。」(石田327頁)ということでしょうか。しかし,民法2332項の根(地下茎)の截取権の対象には当該根(地下茎)から生えた竹木までもが含まれると解すれば,当該竹木の截取(果実の帰属に係る民法891項にいう「これを収取する権利」に基づく竹木材の収取)のためには土地の所有権があれば十分であって当該竹木の所有権までは不要であるということになり,したがってその所有権の帰属をあえて明らかにする必要のないまま,当該土地の善意の占有者による当該竹木に係る竹木材の取得について民法1891項の適用を見ることが可能であることとはなりましょう。

 

(4)土地所有者帰属説における付合に伴う償金問題

延びた根が隣地に付合するとなると(民法242条本文参照),当該越境した根に係る竹木の所有者が,民法248条に基づき隣地の所有者に償金を請求できるのではないかが問題になります。この点については「竹木の根は土地の構成部分であり,初めから土地所有者の所有に属する。したがって,附合による償金請求(248条)の問題は生じないと解される。」と説かれています(石田327頁。また,齋藤5頁)。少々分かりにくいので筆者なりに理解を試みると,根は延びつつ隣地に侵入するわけですが,延びて隣地に侵入する時及びその時以降は,根が新たに延びることと隣地に付合することとが同時に発生するのであって,竹木の所有者において当該延びた部分の所有権を取得する余地はなく(被侵入地の所有者が原始的に取得),したがって竹木の所有者について民法248条にいう損失はそもそも発生しない,ということでしょうか。根が延びるのは,その先端においてであるはずです。

 

 光る地面に竹が生え,

 青竹が生え,

 地下には竹の根が生え,

 根がしだいにほそらみ,

根の先より繊毛が生え,

 かすかにけぶる繊毛が生え,

 かすかにふるへ。

 (萩原朔太郎「竹」より)

 

6 法制審議会民法・不動産登記法部会における議論の揺らぎ

 しかしながら,以上の論点に係る解釈は,法制審議会民法・不動産登記法部会の場においては揺らぎを示しており,明快な公的解釈は示されなかったものと評価すべきように思われます。

 

(1)土地所有者帰属説隠し及び土地所有権に基づく妨害排除請求可能説の提起:201910

 20191029日の民法・不動産登記法部会第9回会議に提出された「民法・不動産登記法部会資料18 中間試案のたたき台(相隣関係規定等の見直し)」においては,「根については,民法第233条第2項に基づいて,隣地所有者は切り取った根の所有権をも取得すると解されており」と(10頁),截取した根の所有権を土地所有者が有するものとされる根拠が,土地への付合(民法・不動産登記法部会資料76頁)から,根の截取に係る民法2332項の効果に変更されています(水津幹事の指摘参照(第9回会議議事録58頁))。これは,「土地所有者は竹木の所有者に対し,土地所有権に基づく妨害排除請求として根の切除を請求することも可能と解され,その場合の強制執行の方法は〔略〕,竹木所有者の費用負担で第三者に切除させる代替執行の方法によることになると考えられる」とし,かつ,「隣地所有者が民法第233条第2項に基づいて切り取る場合の費用も,竹木の所有者の負担と整理することも考えられる」とするに当たって(民法・不動産登記法部会資料1810頁),侵入した根の所有権がなお竹木の所有者にあることにしようとしたゆえでしょうか(前記最判昭和461116日参照)。

なお,民法2332項を切り取った根の所有権取得の根拠条項とし得るとの主張の根拠は,筆者の忖度によれば,根は「価卑キ」ものであること(梅謙次郎前掲)のほか,旧民法財産編2624項では「截()」であった文言が平成16年法律第147条による改正前の民法2332項では「截()」となっていたことでありましょうか。

20201月付けの法務省民事局参事官室・民事第二課の「民法・不動産登記法(所有者不明土地関係)等の改正に関する中間試案の補足説明」103頁においても,民法・不動産登記法部会資料1810頁と同様の記述が維持されています。)

 

(2)不法行為に基づく損害賠償請求権の確認:2020年6月

 2020623日の民法・不動産登記法部会第14回会議の「民法・不動産登記法部会資料32 相隣関係規定等の見直し」においては,「現行法では,竹木の枝や根が越境する場合には,所有権に基づく妨害排除請求権として枝や根の切除を求めることが可能であると考えられるが,枝や根の越境について通常は不法行為が成立し,損害賠償請求権が発生することや,切除の強制執行方法が代替執行の方法によることになることを踏まえると,特に規律を設けなくとも,切除費用は通常竹木所有者の負担となると考えられるため,規律を設けないとすることも考えられる。」との記述となり(14-15頁),不法行為法への言及が登場します(切除された根の所有権の所在に関する記述は見られません。)。

 

(3)土地所有権に基づく妨害排除請求隠し:2020年9月

 2020915日の民法・不動産登記法部会第18回会議の「民法・不動産登記法部会資料46 相隣関係規定等の見直し」に至ると,「部会資料32(第212))では,竹木の枝の切除及び根の切取りの費用の規律を設けることについて取り上げていたが,第14回会議において,このような費用については新たな規律を設けるべきでないという意見や,現行法のもとで,枝や根の越境について通常は不法行為が成立し,損害賠償請求権が発生することなどを踏まえると,特に規律を設けなくても,切除費用は通常竹木所有者の負担となると考えられるため,あえて規律を設けないという考え方もあるとの意見があった。これらの議論を踏まえて,本資料では,この論点について特別の規律を設けないこととしている。」という記述となりました(6頁)。いろいろ難しい議論があるから特別の規律を設けないことにしてこの話はおしまいにします,という曖昧な決着です。「所有権に基づく妨害排除請求権として〔略〕根の切除を求めることが可能であると考えられる」との「考え」は,結局は考えのままで終わってしまいました。せっかくの令和3年法律第24号による改正の機会でしたが,民法2332項の趣旨・性格については,なおはっきりしないままとはなりました。

 土地所有権に基づく妨害排除請求権ではなく,土地所有権に対する不法行為に基づく損害賠償請求権に拠るべし,ということになるのでしょうか。(境界線を越えて入り込んだ根は侵入を受けた土地の所有権の客体の一部になると解する松尾弘慶応義塾大学大学院法務研究科教授は問題の法制審議会民法・不動産登記法部会の幹事でもありましたが,同教授の民法233条解説には「竹木の根が越境したことにより,隣地に何らかの損害があれば,隣地所有者は土地所有権に基づき,竹木の根の越境に対して何らの措置を施さなかった竹木所有者の不作為等を理由に,損害賠償請求(709条)をすることができよう。」とのみ記載されています(能見=加藤編274頁)。)

 いずれにせよ,「竹木が生物としては1個の個体であっても,土地の所有権の帰属に服する以上,法律上では,土地境界線を区切りとして異なる所有者の所有に属する財産権として扱うこととするほうが筋の通った論理になるはずである。しかし,それでは論理が破綻する。」(夏井151頁)というような,土地所有者帰属説に対する反対説は,なおもまだ,否定し去られてはいないようです。


(中)旧民法及びローマ法:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900161.html

(下)フランス民法及びドイツ民法第一草案:

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078900162.html

 

 

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