2021年06月

1 はじめに

 我が民法(明治29年法律第89号)593条以下に規定されている使用貸借は,なかなか難しい。前回のブログ記事においては,民法制定時には梅謙次郎等によって堂々たる双務契約と解されていた使用貸借がその後の解釈変更によって片務契約に分類替えされたことに関して,ついだらだらと埒もない文章を書き連ねてしまっていたところです(「双務契約に関して」(2021617日)http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078701464.html)。

 さて,平成29年法律第44号によって,202041日から(同法附則1条・平成29年政令第309号)使用貸借に関する規定もいろいろ改められています。これらの変更部分についてあれこれ吟味を試みてみると,やはりなかなか悩ましい。

 

2 民法593条

 使用貸借の冒頭規定である第593条は,「使用貸借は,当事者の一方が無償で使用及び収益をした後に返還をすることを約して相手方からある物を受け取ることによって〔②〕,その効力を生ずる。」から「使用貸借は,当事者の一方がある物を引き渡すことを約し〔②〕,相手方がその受け取った物について無償で使用及び収益をして契約が終了したときに〔①〕返還をすることを約することによって,その効力を生ずる。」に改められています(下線は筆者によるもの)。これは,「①使用貸借の意義」及び「②使用貸借の諾成化」に関する改正であるものとされています(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)301頁)。

 

(1)「使用貸借の意義」

 「使用貸借の意義」云々とはどういうことかといえば,「旧法に規定はなかったが,使用貸借が終了したときに借主が目的物を返還することは使用貸借の本質的要素であるため,新法においては,借主が契約が終了したときに目的物を返還することを約することが使用貸借の合意内容であることを明確化している(新法第593条)。」とのことだそうです(筒井=村松301頁。下線は筆者によるもの)。借主の返還約束自体は旧593条にも既に現れているので,返還義務発生の事由及びその時期がそれぞれ契約の終了及びその時であることが使用貸借契約の「本質的要素」であることになるようです。

 当該文言は,同じく平成29年法律第44号によって賃貸借の冒頭規定である第601条に挿入された「及び引渡しを受けた物を契約が終了したときに返還すること」(下線は筆者によるもの)に揃えられたものでしょう。なお,旧601条には,賃借人の返還約束は現れていませんでした。

 しかし,そうなると平成29年法律第44号によって改められなかった消費貸借の冒頭規定である第587条の文言(「消費貸借は,当事者の一方が種類,品質及び数量の同じ物をもって返還をすることを約して相手方から金銭その他の物を受け取ることによって,その効力を生ずる。」)との関係が問題となります。同条には「契約が終了したときに」との文言がありません。「消費貸借の終了とは返還時期の問題である」(内田貴『民法Ⅱ 債権各論』(東京大学出版会・1997年)240頁)はずだったところです(したがって,消費貸借においても「契約が終了したときに返還」がされるものであったはずです。)。民法593条及び601条を原則規定とした上で,同法587条について反対解釈を施せば(平成29年法律第44号による折角の条文整備に対しては,厳格な反対解釈をもって報いてあげなければなりません。),消費貸借は,契約の終了を待たず「契約の目的物を受け取るや否や〔すなわち,契約の成立と同時に〕直ちに返還すべき貸借」であって,「返還時期の合意があることは,それによって利益を受ける当事者が主張立証すべきことになる」ようでもあります(司法研修所『増補民事訴訟における要件事実 第1巻』(1986年)276頁参照)。「貸借型の契約は,一定の価値をある期間借主に利用させることに特色があり,契約の目的物を受け取るや否や直ちに返還すべき貸借は,およそ無意味であるから,貸借型の契約にあっては,返済時期の合意は,単なる法律行為の附款ではなく,その契約に不可欠の要素であると解すべきである(いわゆる貸借型理論)」(司法研修所276頁)とする考え方は最近はやらないそうですが,いわゆる貸借型理論は,少なくとも消費貸借については全面的に否定されたということになるのでしょうか。確かに,「期限の定のない消費貸借においては,貸主の返還請求権は契約成立と同時に弁済期にあり,借主は単に催告のなかつたことをもつて抗弁となし得るだけだとなし(大判大正221987頁等),この抗弁を主張しない限り,貸主の請求の時から借主は遅滞に陥〔る〕(大判大正3318191頁,大判昭和564595頁)」という判例があったそうです(我妻榮『債権各論中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1973年)372-373頁。民法5911項は「当事者が返還の時期を定めなかったときは,貸主は,相当の期間を定めて返還の催告をすることができる。」と規定しています。)。

 使用貸借に係る民法旧593条の文言は,旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)195条(「使用貸借ハ当事者ノ一方カ他ノ一方ノ使用ノ為メ之ニ動産又ハ不動産ヲ交付シ明示又ハ黙示ニテ定メタル時期ノ後他ノ一方カ其借受ケタル原物ヲ返還スル義務ヲ負担スル契約ナリ/此貸借ハ本来無償ナリ」)の第1項の規定から「明示又ハ黙示ニテ定メタル〔返還の〕時期」に言及されていた部分を削ったものとなっていましたが,これについては189567日の第92回法典調査会において富井政章が,「是ハ消費貸借ニ付テモ申シタコトデアリマス使用貸借ニ於テモ本案ハ孰レノ場合ニ於テモ当事者ガ返還ノ期日ヲ極メナイ場合ニ於テモ自ラ時期ガアルト云フ主義ヲ採ラナイ」ものとし,かつ,そうして「直チニ返還ヲ請求スル場合モアリマスカラ時期ノコトハ言ハナイコトニ致シマシタ」結果であるものと説明しています(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第32巻』52丁表。下線は筆者によるもの。また,同巻54丁表裏)。いわゆる貸借型理論(「契約の目的物を受け取るや否や直ちに返還すべき貸借は,およそ無意味である」)とはなかなか整合しない発言です。この起草担当者の重い発言等に鑑みると,民法593条及び601条に「契約が終了したときに」をわざわざ挿入した平成29年法律第44号による改正によって使用貸借及び賃貸借についてはいわゆる貸借型理論が再確認され強化された,とまでもいきなり早分かりはすべきではないのでしょう(ただし,親和的な方向の改正ではあります。)。忖度の先走り(又は過去の「お勉強」への執着)は,あるいは危険なことがあるでしょう。

 

(2)使用貸借の諾成化

 

ア 諾成化の理由

 使用貸借を要物契約から諾成契約に改めた理由は,「目的物を無償で貸すことについて貸主と借主が合意したにもかかわらず,貸主は,〔要物契約であるので〕契約はまだ成立していないとして,借主からの目的物の引渡請求を拒絶することができるとすれば,確実に目的物を無償で借りたい借主にとって不利益を生ずることになる。/そのため,旧法の下でも,当事者の合意のみで貸主に目的物を無償で貸すことを義務付ける契約をすることができると一般に解されており,これは諾成的使用貸借と呼ばれていた」からとのことのようです(筒井=村松303頁)。

 

イ 従来の学説

確かに,我妻榮は「使用貸借を要物契約としたのは,専ら沿革によるものである。然し,現代法の契約理論からいえば,使用貸借を要物契約としなければならない理由はない。〔略〕従つて,わが民法の下でも,諾成的使用貸借を有効と解してよい」と述べていました(我妻Ⅴ₂・377頁)。梅謙次郎も「純理ヨリ之ヲ言ヘハ使用貸借ニ限リ践成〔要物〕契約ニシテ賃貸借ハ諾成契約ナルヘキ理由アルコトナシ然リト雖モ諸国ノ古来ノ慣習ニ依リ使用貸借ハ貸主カ物ヲ借主ニ引渡シタル時ヨリ成立スルモノトシ賃貸借ハ双方ノ意思ノ合致アル以上ハ直チニ契約成立スヘキモノトスルヲ例トス是レ蓋シ使用貸借ニ在リテハ貸主ニ貸与ノ義務アリトスルモ此義務ハ通常引渡ニ因リテ履行セラレ借主ハ既ニ物ノ引渡ヲ受ケタル後始メテ其返還ノ義務ヲ生スルニ止マリ未タ物ノ引渡ヲ受ケサルニ既ニ返還ノ義務アリト云フハ普通ノ観念ニ反スルモノト謂フヘシ」と,「純理」上の諾成使用貸借の可能性を認めていました(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編(第33版)』(法政大学=有斐閣書房・1912年)606頁)。これに対して星野英一教授は「消費貸借の要物性は単に歴史的な沿革に基づくにすぎないものだが〔略〕,使用貸借の要物性は,その無償契約であることに基づくと解される。」と述べ(星野英一『民法概論Ⅳ(契約)』(良書普及会・1994年)175-176頁),使用貸借の要物性をその無償契約たる性質から説明しています。平成29年法律第44号の立法活動に関与した内田貴元法務省参与は,その民法教科書においては端的な諾成的使用貸借には言及しておらず,「当事者があえて使用貸借の合意をすれば,使用貸借の予約として有効としてよい」としていました(内田165頁。下線は筆者によるもの。また,星野176頁・177頁)。来栖三郎は,使用貸借の予約にも否定的であって,「使用貸借は無償だから,使用貸借の予約はみとむべきではない。少なくとも原則としてみとむべきではない。」と述べていました(来栖三郎『契約法』(有斐閣・1974年)393頁)。

 

ウ 実益

しかし,諾成的使用貸借の有効性を説く民法学者においても,その実益についての評価は高くなかったところです。そもそも「〔使用貸借は〕要物契約だが,その合理性に問題がないので,消費貸借におけるようなめんどうな解釈問題は生じていない」(星野177頁)との前提がありました。我妻は,「然し,実際上の必要からいえば,諾成的な使用貸借を認めること,――すなわち,その契約によつて貸主が貸す債務を負う場合を認めること,――はそれほど必要なことではない。その点は,消費貸借と異る。従つて,実際には,目的物の引渡があつたときに使用貸借が成立すると認定すべき場合が多いと思われる。但し,使用貸借についても,――民法に規定はないが――予約(貸主の貸す債務を成立させるもの)が成立し得ることはいうまでもない。」と述べていたところです(我妻Ⅴ₂・377頁)。

使用貸借の諾成契約化は,民法を改正したいから改正するということであって,平成・令和の「やってる感」重視の時代に係る一つの象徴とはなるものでしょうか。

 

エ 旧民法における使用貸借の要物性

なお,旧民法財産取得編195条のフランス語文は,“Le prêt à usage est un contrat par lequel l’une des parties remet à l’autre une chose mobilière ou immobilière, pour s’en servir, à charge de la rendre en nature, après le temps expressément ou tacitement fixé. / Ce prêt est essentiellement gratuit.”です。

使用貸借の要物性についてボワソナアドが説くところは次のとおり。

 

  当該契約は要物的réel)であって純粋に諾成的consensuel)ではない。事実,その主要な目的は,使用を許すことにある。ところで,ある物を人は,それをその手中に所持する前には使用できないのである。当該契約はまた,注意義務をもって当該物を保管すること及び合意された時期にそれを返還することを借主に義務付ける。ところで,「受け取った」ものでなければ,「保管し,及び返還する」ことはできないのである。

  このことは,使用させるために貸す旨の純粋な諾成の約束promesse)があっても無効である,といわんとするものではない。しかしながら,それは無名innommé)契約となるのであって,かつ,その使用貸借との相違は当事者の立場が顚倒する(les rôle seraient renversés)ほどのものなのである。すなわち,目的物を保管し(例えば,他の者に譲渡せず,貸与しない),しかる後に交付する義務を負う者は,将来の貸主futur prêteur)となるのである。貸す約束が実現されて第1の契約が履行されるときまでは,貸借は始まらないのである。

Gve Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Troisième, Des Moyens d’Acquérir les Biens. (Tokio, 1891) pp.877-878

 

 ボワソナアドに言わせれば,平成29年法律第44号による改正後の日本民法の「使用貸借」は,沿革的使用貸借契約に将来の貸主の保管・交付義務契約を結合させた混合契約的chimère(キメラ)であるということになるのでしょうか。

 なお,フランス民法1875条(Le prêt à usage est un contrat par lequel l’une des parties livre une chose à l'autre pour s’en servir, à la charge par le preneur de la rendre après s’en être servi.(使用貸借は,当事者の一方が他の一方の使用のためにある物を交付し,使用の後にそれを返還する義務を受領者が負担する契約である。))は,我が旧民法財産取得編1951項から富井政章が忌避した返還時期に係る規定等を除いた形の文言です。

 

オ ドイツ民法学における解釈変遷:要物契約から諾成契約へ

ドイツ民法598条(Durch den Leihvertrag wird der Verleiher einer Sache verpflichtet, dem Entleiher den Gebrauch der Sache unentgeltlich zu gestatten.(使用貸借契約により,ある物の貸主は,借主にその物の使用を対価なしに許容する義務を負う。))については,「ローマ法において要物契約(Realvertrag)とされていたので」,また「本条において,貸主に単に使用許容の義務のみを課し,したがってその物を借主が使用するに際しての忍容義務のみを課していることによりみても明らかである」として,従来は同条の使用貸借は要物契約と解されていたが,「近時は使用貸借を要物契約とはみないで,一種の諾成契約(Konsensualvertrag)とみる説が支配的である(LARENZ)」とのことです(右近健男編『注釈ドイツ契約法』(三省堂・1995年)346頁(貝田守))。

ドイツ民法第一草案549条(Wer eine Sache von einem Anderen zum unentgeltlichen Gebrauche empfangen hat (Entleiher), ist verpflichtet, die Sache nur vertragsmäßig zu gebrauchen und dem Anderen (Verleiher) dieselbe Sache zu der vertragsmäßigen Zeit zurückzugeben. Der Verleiher ist verpflichtet, bis dahin dem Entleiher den vertragsmäßigen Gebrauch der Sache ze belassen.(相手方からある物を無償で使用するために受領した者(借主)は,契約で定まったところのみによってその物を使用し,かつ,相手方(貸主)に当該の物を契約で定まった時期に返還する義務を負う。貸主は,それまで,借主にその物の契約で定まったところによる使用を許容する義務を負う。))に関して同草案の理由書はつとにいわく,「ローマ法によれば,Kommodatは要物契約である。最初に貸与物の引渡しと受領とが,使用がされた後に当該の物を返還する受領者の義務を基礎付けるのである〔略〕。他方,相手方に物を貸す義務を,無式の契約(formloser Vertrag)で有効に基礎付けることはできなかった。――無式の契約の訴求可能性に関する今日の普通法によれば使用(コモ)貸借(ダート)はもはや要物契約ではなく諾成契約として観念されるべきであって相手方にある物を貸す義務の引受けはもはや予約の意味を有さずに使用貸借(ライフェアトラーク)の構成部分であ,かつ,意図された目的のための当該の物の引渡しは当該使用貸借から生ずる義務に係る履行として現れ,他方,当該の物を返還する相手方の義務は,その受領を条件とするもののその受領より前に基礎付けられている――となし得るものかどうかは争われている。当該争点は,関連規定に係るところの理解は要物契約としての契約の観念Auffassung des Vertrages als eines Realvertrages)にとってより有利である,といい得るものの,プロイセン,オーストリア及びザクセン法の領域においてもなお存在している。当該観念(Auffassung)が,ヘッセン草案248条及びバイエルン草案640条〔略〕の基礎となっているように見受けられる。これに対して,ドレスデン草案598条及びスイス連邦法321条は,使用(ゲブラウ)貸借(フスライエ)を諾成契約として構成している。本草案は,消費貸借に関係する第453条の理解にとって決定的であったものと同様の理由から〔略〕,この549条についても,使用貸借は諾成契約であるという表現をもたらすような理解を採るものではなく,物の引渡しがされたときの両当事者の主要な義務を一般的に記述することに自らを制約したものである〔略〕。」と。その後の審議でドイツ民法第一草案549条は「我々は,使用貸借をローマ法的意味での要物契約と見るべきかとの問題は,法典において決せられるべきものではなく,学問に委ねられるべきだとの見解であり,しかしてまた,立法者の立場からは,ある物の貸与を約束した者と貸主とを区別せず,むしろ使用貸借を一つのものとして取り扱うことにおいて,草案に比べて改正提案の方がより適切であると考える。」との理由から,「Durch den Leihvertrag wird der Verleiher verpflichtet, dem Entleiher den Gebrauch einer Sache unentgeltlich zu gestatten. Der Entleiher ist verpflichtet, die empfangene Sache nach Beendigung seiner Befugniß zum Gebrauche dem Verleiher zurückzugeben.(使用貸借契約により,貸主は,借主にある物の使用を対価なしに許容する義務を負う。借主は,受領した物を,使用権能の終了後貸主に返還する義務を負う。)」に改められています(Protokoll 121, VIII.)。更に続くドイツ民法第二草案538条は,制定されたドイツ民法598条とほぼ同じです(後者の「den Gebrauch der Sache」が前者では「den Gebrauch derselben」になっています。)。借主の借用物返還義務は,ドイツ民法では604条に規定があります。

現在のドイツでは「使用貸借は,二つに分類され,目的物の引渡しを同時に伴う現実使用貸借(Handleihe)と,時間的に先に引き渡すべきものである諾成的使用貸借(Versprechensleihe)とになる。この後者の場合に貸主の他の義務に加えて,その上に借主に目的物を引き渡すべき義務が加えられているのである。従来は,使用貸借を要物契約としていたので,このような諾成的使用貸借を予約(Vorvertrag zum Leihvertrag)の型で承認しようとしていたが,今日支配的見解によれば,このような作為的なものを認める必要性がなくなっているといえるのである。」と説かれています(右近編346-347頁(貝田))。

 

カ 制定時の現行民法における要物性

92回法典調査会に提出された我が民法593条の原案は「使用貸借ノ目的トシテ或物ヲ受取リタル者ハ無償ニテ之ヲ使用スル権利ヲ有ス」でしたが(民法議事速記録第3251丁裏・52丁裏),これは富井によれば,ドイツ民法第二草案538条の文章を借主の権利の側から書き改めたものでした(民法議事速記録第3252丁裏)。

ドイツ民法の草案作成者は前記のとおり既に使用貸借の要物契約性には執着していなかったところですが,ドイツ民法草案流の表現を採用しつつも富井はなおそこまで踏み切れなかったようです。消費貸借についてですが,189564日の第91回法典調査会において同人曰く,「尤モ近来消費貸借ヲ要物契約トセスシテ諾成契約トスルガ宜イト云フ説ガ起ツテ居ル是ハ近頃随分勢力ノアル説テアツテ現ニ瑞西債務法ノ如キハ即チ其主義ニ依テ消費貸借及ヒ使用(ママ)借ノ定義ヲ掲ケテ居ル位テアリマス併シ本案ニ於テハ多少迷ヒハシマシタ理論上ハ或ハ其方ガ正シイカモ知レマセヌ併シ古来普通ニ行ハレテ居ル考ヘヲ一変スル丈ケノ勇気ハナカツタ今ノ説ニ従ヘハ片務契約ト云フモノハ殆トナクナツテ仕舞ツテ大抵ノ契約ハ双務契約ニナツテ仕舞(ママ)何ウモ少シ不安心テアリマシタカラ矢張リ昔カラ行ハレテ居ル所ノ学説ニ依テ要物契約主義ヲ採ツテ受取ルト云フコトヲ必要トシタ」と(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第28巻』131丁表)。

18951230日の第12回民法整理会において,民法587条の応当条項(当時は「第585条」)が「消費貸借ハ当事者ノ一方カ同一ノ種類,品等及ヒ数量ノ物ヲ以テ返還ヲ為スコトヲ約シテ相手方ヨリ金銭其他ノ物ヲ受取ルニ因リテ其効力ヲ生ス」(日本学術振興会『民法整理会議事速記録第4巻』93丁裏)に改まりましたが,その趣旨は,富井政章によれば「此三ツノ消費貸借ト使用貸借ト寄託ト要物契約ト称スル者ニ付テモ斯ウ云フ風ニ受取リタルニ因リテ効力ヲ生スト書ケバ文ハミンナ揃(ママ)テサウシテ外ノ諾成契約タルモノニ付テ疑ノナイ者ニ付テ斯ウ云フ風ニ〔「約スルニ因リテ効力ヲ生ス」という風に(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第34巻』21丁表-22丁表参照)〕言ツテ居モノガ全ク生キテ来ルソレデ少シモ不都合ハナカラウト思ヒマシテ遂ニサウ云フコトニスルコトニ一致シタノテアリマス」ということでした(同93丁裏-94丁表)。それと同時に,使用貸借の民法593条の応当規定(当時は「第591条」)に係る「文字ヲ揃ヘル為メ」(富井)の修正がされています(同96丁表裏)。日本民法の方がドイツ民法よりもローマ的とはなりました。

 

キ 諾成化されたスイス債務法

スイス債務法305条(Le prêt à usage est un contrat par lequel le prêteur s’oblige à céder gratuitement l’usage d’une chose que l’emprunteur s’engage à lui rendre après s’en être servi.(使用貸借は,貸主がある物の使用を無償で許与することを約し,借主がその物を使用の後に貸主に返還することを約する契約である。))の規定振りは,明白に諾成契約のものです。

 

後編に続く(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078761677.html)(うまく移動しないときは,一番下のタグの「使用貸借」をクリックしてください。) 続きを読む
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1 「双務契約」

 我が民法(明治29年法律第89号)中の重要概念として,「双務契約」というものがあります。同法533条及び553条,破産法(平成16年法律第75号)531項,551項及び2項並びに14818号等に出て来る語です。平成29年法律第44号による改正(202041日から(同法附則1条,平成29年政令第309号))によって削除される前の民法534条及び535条にも出て来ていたところです。

 なお,平成29年法律第44号による改正前の民法5361項は「前2条〔第534条及び第535条〕に規定する場合を除き,当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債務者は,反対給付を受ける権利を有しない。」と規定しており,現在の同項は「当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債権者は,反対給付の履行を拒むことができる。」と規定していますが,この民法536条の適用のある契約は双務契約であるものと一般に説かれています(内田貴『民法Ⅱ 債権各論』(東京大学出版会・1997年)62-63頁等)。しかし,同条に「双務契約」との明文はありません。ある債務と対になる「反対給付」(の債務)の語の存在でもって,「双務契約」との語がなくとも双務契約関係にあることが分かるということでしょうか。当該「反対給付」のフランス語は,富井政章及び本野一郎の訳によれば,“la contre-prestation”です。

 民法に双務契約の定義規定が無いのは,18935月の法典調査会の法典調査ノ方針13条に「法典中文章用語ニ関シ立法上特ニ定解ヲ要スルモノヲ除ク外定義種別引例等ニ渉ルモノハ之ヲ刪除(さんじょ)ス」とあったからでしょう。確かに「また定義は,むしろ研究の結果次第にかかわり,最後にでてくるものである」ところです(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)はしがき3頁)。189545日の第75回法典調査会で,富井政章が「既成法典ハ仏蘭西民法抔ニ傚ツテ〔財産編〕297条カラ303条迄合意ノ種類ヲ列挙シテアリマス,是レモ学説ニ委ネテ少シモ差支ナイ法典全体ノ規定カラ契約ニ斯ウ云フ種類カアル又其種類分ケヲスルニ付テ(どう)云フ結果ニ違ヒカアルト云フコトハ法典全体ノ上カラ自ラ分ルト思フ依テ此合意ノ種類ニ関スル規定ハ悉ク削除致シマシタ」と説明していたところです(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第23巻』158丁表裏)。

 

2 旧民法の定義による「双務合意(契約)」

ということで削られたとはいえ,旧民法財産編(明治23年法律第28号)297条には,「双務合意(契約)」の定義規定がありました。いわく。

 

  第297条 合意ニハ双務ノモノ有リ片務ノモノ有リ

   当事者相互ニ義務ヲ負担スルトキハ其合意ハ双務ノモノナリ

   当事者ノ一方ノミカ他ノ一方ニ対シテ義務ヲ負担スルトキハ其合意ハ片務ノモノナリ 

 

「合意」であって「契約」ではないのですが,旧民法財産編2962項は,「合意」と「契約」との関係について,「合意カ人権〔債権〕ノ創設ヲ主タル目的トスルトキハ之ヲ契約ト名ツク」と規定していました。

旧民法財産編297条のフランス語文は,次のとおり。

 

 Art.297 Les conventions sont bilatérales ou unilatérales.

La convention est bilatérale ou synallagmatique, lorsque les parties s’obligent réciproquement;

    Elle est unilatérale, lorsqu’une des parties s’oblige seule envers l’autre.

 

これは,次のボワソナアド案を若干簡約したものになっています。なお,法典調査会の審議が契約の章に入った18954月の前月の8日(189538日),「政府との契約もすでに終了した「禿頭白髯の老博士」〔ボワソナアドはこの時69歳〕は,朝野の熱烈な見送りを受けつつ,令嬢とともに新橋駅を発ち,午後6時,横浜港でシドニイ号に乗船した。その数日前,かれは外国人として初めて,勲一等瑞宝章を贈られることに決定していた。しかし老博士は,第二の祖国と呼び,永住するつもりであった日本を,結局は去っていった。」ということがありました(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1998年)195-196頁)。

 

 Art.318 Les conventions sont bilatérales ou unilatérales.

La convention est bilatérale ou synallagmatique, lorsque les parties s’obligent l’une envers l’autre ou réciproquement;

    Elle est unilatérale, lorsqu’une ou plusieurs parties s’obligent envers une ou plusieurs autres, sans réciprocité.

  (Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations (Tokio, 1891). p.21)

 

 しかしてこのボワソナアド案は,フランス民法の次の両条に由来します。

 

Art.1102 (ancien) Le contrat est synallagmatique ou bilatéral lorsque les contractants s’obligent réciproquement les unes envers les autres.

 

      Art.1103 (ancien) Il est unilatéral lorsqu’une ou plusieurs personnes sont obligées envers une ou plusieurs autres, sans que de la part de ces dernières il y ait d’engagement.

 

上記両条は,現在は第1106条にまとめられています。

 

Article 1106 Le contrat est synallagmatique lorsque les contractants s’obligent réciproquement les uns envers les autres.

Il est unilatéral lorsqu’une ou plusieurs personnes s’obligent envers une ou plusieurs autres sans qu’il y ait d’engagement réciproque de celles-ci.

 

 ここで“synallagmatique”とは難しい綴りの単語ですが,元は古代ギリシア語のσυνάλλαγμαであるそうです(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)171頁)。

 なお,フランス民法における契約の種類の列挙及び定義に係る規定は,提案者であるビゴー=プレアムヌ(Bigot-Préameneu)によれば,「それを損なういくつかの煩瑣(quelques subtilités)を取り除きつつも,ほとんど全面的にローマ法から汲み出されたもの(sont puisées presque en entier dans le droit romain)」ということになるようです(共和国12(ブリュ)(メール)11日(1803113日)の国務院審議。民法典に関するコンセイユ・デタ議事録第3243頁)。確かにローマ法上の双務契約は,「一個の契約により当事者双方に(ultro citroque)債務を発生するもの」をいうそうです(原田171頁)。

 

3 民法533条の「双務契約」(富井政章)

 我が民法の起草担当者の意図していた同法533条の「双務契約」の意味については,1895416日の第78回法典調査会において富井政章から説明がありました。いわく。

 

双務契約ト云フコトハ契約ニ依ツテ双方ガ義務ヲ負フト云フ場合テアル然ウシテアル格段ナル場合ニ是レハ双務契約テアルカナイカト云フコトヲ法律()極メルコトハナイノテアリマスカラ夫レハ一々学者ニ任カス日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第24巻』206丁裏)

 

ここで負担付贈与について一言していわく。

 

而シテ〔略〕仏蘭西当リテ負担附ノ贈与ト云フコトガアル斯ウ云フ品ヲオマヘニ贈与スルカラ其代リ斯ウ云フコトヲシテ呉レト云フ契約ガアル夫レハ双務カ片務カト云フコトニ付テ余程議論ガアル,ケレトモ苟モ反対給付ヲ以テ一方ノ義務ノ成立スル条件ト当事者ガシタ以上ハ矢張リ双務契約ノ中ニ入レルト云フ説ガ今日ニ於テハ最モ勢力ヲ持ツテ居ル,矢張リ事実ニ依テ極メナケレハナラヌコトテアツテ一般ニ極メルコトハ出来得ナイト思フ,ケレトモ概シテ然ウ云フ場合ハ双務契約ト云フ方カ宜カラウ(民法議事速記録第24206丁裏-207丁表)

 

また改めていわく。

 

何処迄モ原則ハ契約ニ依テ双方ガ義務ヲ負フノガ双務契約テアルト云フ趣意テ立テ居ル併シ或ル格段ナル場合ニハ我々デモ各々意見ヲ異ニスル様ナコトガアラウト思フ(民法議事速記録第24207丁表裏)

 

「有償契約」との関係について更にいわく。

 

例ヘハ貸借ト云フモノニ付テハ此事ニ付テ少シ説ガアリマスガ我々ノ内テモ意見ガ皆同一テナイカモ知ラヌガ利息附ノ貸借ハ確カニ有償契約テアル債権者ハ利息ヲ取ル債務者ハ其借リタモノヲ使用シテ利益ヲ受クルト云フノテアルカラドチラニモ利益ヲ生スルカラ立派ナ有償テアリマスガ是レガ双務契約テアルカト云フト普通ノ見方テハ双務契約テナイ貸借ト云フモノハ貸主カラ物ヲ引渡シテ初メテ成立スル〔民法587条参照〕其成立シタ契約ニ依テドンナ義務ガ生シタカト言ヘハ借主ト云フ一方ニ返還スル義務ガ生ジタト云フ丈ケノ話シテ是レハ双務契約テハナイ,ケレトモ有償契約テアルニハ違ヒナイ,夫故ニ有償契約ニシテ双務契約テナイモノハアルガ双務契約ニシテ有償契約テナイト云フモノハナカラウ(民法議事速記録第24208丁表裏)

 

 「双務契約ト云フコトハ契約ニ依ツテ双方ガ義務ヲ負フト云フ場合テアル」ないしは「何処迄モ原則ハ契約ニ依テ双方ガ義務ヲ負フノガ双務契約テアルト云フ趣意テ立テ居ル」ということであれば,削られたとはいえ,なお旧民法財産編2972項の規定が生きていたようです。

 

4 双務・有償契約たりし負担付贈与

 また,富井政章の負担付贈与(イコール)双務契約説を承けてということになるのでしょうが,民法553条の旧規定は「負担附贈与ニ付テハ本節〔贈与の節〕ノ規定ノ外双務契約ニ関スル規定ヲ適用ス」でありました(下線は筆者によるもの)。梅謙次郎も,当該旧規定について「本条ハ負担附(○○○)贈与(○○)ノ性質ヲ定メタルモノナリ〔略〕本条ニ於テハ本節ノ規定ノ外双務契約ニ関スル規定ヲ適用スヘキコトヲ明言セルカ故ニ其性質ノ双務契約即チ有償契約ナルコト蓋シ明カナリ〔略〕而シテ余ハ之ヲ以テ最モ正鵠ヲ(ママ)タル学説ニ拠レルモノナリト信ス蓋シ贈与者カ自己ノ財産ヲ相手方ニ与ヘ相手方モ亦之ニ対シテ一ノ義務ヲ負担スル以上ハ是レ固ヨリ報償アルモノニシテ且当事者双方ニ義務ヲ生スルモノナルコト最モ明カナレハナリ」と賛意を表しています(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編(第33版)』(法政大学=有斐閣書房・1912年)470-471頁)。

 しかし,民法553条は,平成16年法律第147号によって,200541日から(同法附則1条,平成17年政令第36号)「負担付贈与については,この節に定めるもののほか,その性質に反しない限り,双務契約に関する規定を準用する。」に改められてしまっています(下線は筆者によるもの)。適用ではなく準用ですから,負担付贈与は双務契約ではない,ということが前提となっています。同条旧規定に対する「(法文は適用といつているが,正確にいえば準用である)」との我妻榮の括弧書きコメント(我妻榮『債権各論中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1973年)235頁)を承けての変更でしょうか。我妻の負担付贈与()双務契約説の理由付けは,後に出て来ます(6,11(3)。また,7(3))。

 

5 双務契約にして有償契約でないものの存在(梅謙次郎及びボワソナアド)

 富井政章は「有償契約ニシテ双務契約テナイモノハアルガ双務契約ニシテ有償契約テナイト云フモノハナカラウ」と述べています。現在の民法学者も,「双務契約は常に有償契約であるが,有償契約が全て双務契約であるとは限らない。」と,同様のことを語っています(内田20頁)。

 ちなみに,有償契約については,これも旧民法財産編298条に定義規定がありました。

 

  第298条 合意ニハ有償ノモノ有リ無償ノモノ有リ

   各当事者カ出捐ヲ為シテ相互ニ利益ヲ得又ハ第三者ヲシテ之ヲ得セシムルトキハ其合意ハ有償ノモノナリ

   当事者ノ一方ノミカ何等ノ利益ヲモ給セスシテ他ノ一方ヨリ利益ヲ受クルトキハ其合意ハ無償ノモノナリ

 

 同条のフランス語文は,次のとおり。

 

  Art.298 Les conventions sont à titre onéreux ou à titre gratuit.

La convention est à titre onéreux, quand chacune des parties fait un sacrifice en faveur de l’autre ou en faveur d’un tiers;

Elle est à titre gratuit, quand l’une des parties reçoit avantage de l’autre, sans en fournir aucun, de son côté.

 

 ボワソナアドは,次のように解説しています。

 

当該「onéreux」の語は,「負担 “charge”」の意たるラテン語の「onus」に由来する。有償(à titre onéreux)契約においては,両当事者に負担ないしは出捐(sacrifice)が存在する。(Boissonade, p.34

 

 ところで,我が民法の制定当初において,梅謙次郎は,何と「双務契約ニシテ有償契約テナイト云フモノ」があることを高唱していました。いわく。

 

  双務(○○)契約(○○)Contrat synallagmatique, gegenseitiger Vertarg)トハ其成立ニ因リテ直チニ当事者双方ニ債務ヲ負担セシムルモノヲ謂フ例ヘハ売買,賃貸借,組合等ノ如キ是ナリ使用貸借ハ古来之ヲ片務契約トセリト雖モ余ハ双務契約ナリト信ス旧民法ニ於テモ初ノ草案ノ理由書ニハ之ヲ片務契約トセリト雖モ竟ニ其双務契約タルコトヲ認メタリ(梅411頁。下線は筆者によるもの)

  使用貸借ニ因リテ貸主ハ借主ヲシテ其所有物ノ使用及ヒ収益ヲ為サシムルノ義務ヲ負ヒ借主ハ其使用,収益ヲ為シタル後其物ヲ返還スル義務ヲ負フ〔したがって,双務契約である。〕(梅607頁)

古来一般ノ学説ニ拠レハ使用貸借ハ唯借主ヲシテ返還ノ義務ヲ負ハシメ貸主ハ何等ノ義務ヲモ負ハサルモノトセリ蓋シ使用貸借ハ概ネ貸主ノ好意ニ因レルモノナルカ故ニ古代ノ法律ニ在リテハ借主ハ敢テ物ヲ使用スル権利ヲ有スルニ非ス唯貸主ノ好意カ変セサル限リハ徳義上借主ヲシテ物ノ使用ヲ為サシムルニ過キサルモノトシ即チ貸主ハ何時ニテモ物ノ返還ヲ求ムルコトヲ得ルモノトセシヲ以テ使用貸借ハ真ニ借主ニ義務ヲ負ハシムルノミニシテ之ニ権利ヲ与ヘサリシモノト謂フヘシ(梅607-608頁)

然リト雖モ法律漸ク進歩スルニ及ヒテハ敢テ貸主カ故ナク物ノ返還ヲ求ムルコトヲ許サス唯自己ノ入用アルトキハ之ヲ求ムルコトヲ得ルモノトシ竟ニ普通ノ入用アルモ未タ返還ヲ求ムルコトヲ許サス唯臨時ノ必要ヲ生シタル場合ニ限リ其返還ヲ促スコトヲ得ルモノトスルニ至レリ(梅608頁)

殊ニ新民法ニ於テハ貸主ハ自己ノ為メニ如何ナル必要アルモ敢テ契約ヲ無視シテ物ノ返還ヲ求ムルコトヲ得サルモノトセルカ故ニ借主ハ純然タル権利ヲ有スルコト敢テ疑ナシト雖モ仏国法〔1889条〕,我旧民法〔財産取得編(明治23年法律第28号)2032項〕等ニ於テハ或場合ニ貸主ヲシテ物ノ返還ヲ求ムルコトヲ得セシムルニ拘ハラス余ハ夙ニ借主カ一ノ債権ヲ有スルコトヲ信シテ疑ハサリシナリ而シテ「ボワッソナード」氏カ之ヲ認メタルハ仏法学者中ニ在リテハ実ニ卓見ト謂フヘシ(同頁。下線は筆者によるもの)

 

使用貸借は「当事者の一方がある物を引き渡すことを約し,相手方がその受け取った物について無償で使用及び収益をして契約が終了したときに返還をすることを約することによって,その効力を生ずる」契約ですから(民法593条。下線は筆者によるもの),当然無償契約であり(梅605頁,606頁等),有償契約ではありません。しかし,梅及びボワソナアドによれば,双務契約であるというのです。(ただし,ボワソナアドは「しかし最後まで心中のしこりとして残るのは,かくして我々は,無償(gratuit ou de bienfaisance)であると同時に双務(synallagmatique)である契約を有するわけであるが,この二つの性質は,通常は両立不能なのである。」との苦衷を明かしてはいます(Boissonade, p34: note(4))。)

我が民法制定時の二大権威の使用貸借=双務・無償契約説に対して,現在の民法学説の使用貸借=片務・無償契約説(我妻榮『債権各論上巻(民法講義Ⅴ₁)』(岩波書店・1954年)49-50頁,内田165-166頁等)が対立します。

 

6 双務契約の現在の定義

前記の対立の由来はいずこにありや,と法律書の小さな文字を追って気が付くのは,現在の双務契約の定義が,旧民法財産編2972項のそれと微妙に異なっていることです。

 

  契約の各当事者が互に対価的な意義を有する債務を負担する契約が双務契約で,そうでない契約が片務契約である。(我妻Ⅴ₁・49頁。下線は筆者によるもの)

 

(イ)対価的な意義があるかどうかは,客観的に定められるのではなく,当事者の主観で定められる。代金がいかに廉くとも,当事者が売買のつもりなら,その代金は,対価的な意義があり,負担がいかに重くとも,当事者が贈与のつもりなら,その負担は対価的意義がない。〔負担付贈与≠双務契約説の理由付けは,これでしょう。

  (ロ)契約の各当事者が債務を負担する場合でも,その債務が互に対価的な意義をもたないときは,片務契約である。すなわち,(a)契約の当然の効果として双方の当事者が債務を負担するが,その債務が互に対価的な意義をもたない場合,例えば,使用貸借(貸主の使用させる債務と借主の返還債務とは対価的意義がない)は,不完全双務契約と呼ばれることもあるが,民法のいう双務契約ではない。また,(b)契約の成立後に一方の当事者が特別の事情で債務を負担する場合,例えば,無償委任(委任者は費用償還債務を負担することがある)は,双務契約ではない。(我妻Ⅴ₁・49頁)

 

 ここでは,「対価性」の要件が,旧民法ないしはフランス民法流の双務契約概念に追加されています(したがって,双務契約の範囲がより狭くなる。)。

また,現在の学説においては,一方当事者の債務と他方当事者の債務との間に対価的な関係があることこそが,「双務契約上の債務における牽連性」が認められる理由とされています。

 

   売主と買主の債務は,対価的な関係にあるために,両債務の間には特別な関係が生ずる。売主の債務をα,買主の債務をβで表すと,αとβとは,双務契約上の債務として特殊な関係に立つのである。この関係のことを牽連関係とか牽連性といい,3つのレベルに分けて論ずることができる。すなわち,債務の成立上の牽連性,履行上の牽連性,そして債務の存続上の牽連性である。(内田46頁。下線は筆者によるもの)

 

 しかし,梅謙次郎の理解する「双務契約」は,上記の牽連関係もあらばこそ,負担付贈与及び使用貸借も含むものであったのですから,我が民法の双務契約関係規定は,制定時においては,上記学説にいう牽連関係ないしは牽連性なるものを必ずしも前提とするものではなかったのでしょう。


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前編(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078645164.html)からの続き


6 開催都市契約66条:「不平等条約」

ところで,開催都市契約について,IOCのみがオリンピック開催中止を決定できるとする,当該契約の解除に係る第66条が「不平等条約だ」といわれています。これは,新型コロナウイルス感染症との関係では,そのa)項のi)後段が問題になるのでしょうか。また,オリンピック参加者の安全ばかりが心配されて,現地住民の安全が心配されていないことが,命をいとおしむ日本人としては不満なのでしょうか。

 

aIOCは,以下のいずれかに該当する場合,本契約を解除して,開催都市における本大会を中止する権利を有する。

i) 開催国が開会式前または本大会期間中であるかにかかわらず,いつでも,戦争状態,内乱,ボイコット,国際社会によって定められた禁輸措置の対象,または交戦の一種として公式に認められる状況にある場合,またはIOCがその単独の裁量で,本大会参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合。

ii)(本契約の第5条に記載の)政府の誓約事項が尊重されない場合。

iii) 本大会が2020(当初の規定)年中に開催されない場合。〔付属合意書4(2020107日)で変更〕

iv) 本契約,オリンピック憲章,または適用法に定められた重大な義務に開催都市,NOCJOC〕またはOCOG〔東京オリンピック組織委員会〕が違反した場合。

v) 本契約第72条の重大な違反があり,是正されない場合。

  (東京都オリンピック・パラリンピック準備局ウェブページ)

 

 一応もっともな解除事由が並べられているので,これらの事由に基づいて開催都市契約が解除されてもIOCが損害賠償責任を負わないということは全く道理に反する,ということにはなりにくいようです。

 

7 開催都市契約の典型契約への当てはめ:請負説及び組合説

しかし,そもそも,開催都市契約はどういった種類の契約なのでしょうか。東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会を請負人とし,IOCを注文者とする請負(民法632条参照)なのか,それともIOC,東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会を組合員とする組合(民法667条参照)なのか。

 

(1)請負説

請負であれば,我が国では「請負人が仕事を完成させない間は,注文者は,いつでも損害を賠償して契約の解除をすることができる」わけで(民法641条),スイス債務法377条も「Tant que l’ouvrage n’est pas terminé, le maître peut toujours se départir du contrat, en payant le travail fait et en indemnisant complètement l’entrepreneur.」(「仕事が完成しない間は,注文者は,なされた仕事の報酬を支払い,かつ,請負人に対して完全に補償をして,いつでも契約を解除することができる。」)と規定しています。他方,請負においては,注文者に債務不履行がないのに,請負人が一方的に契約を解除するわけにはいかないでしょう。なお,スイス債務法377条における補償の対象は,「得べかりし利益」と解釈されているそうであり,同条と我が民法641条とは「同一に帰するであろう」とされています(我妻榮『債権各論 中巻二(民法講義Ⅴ₃)』(岩波書店・1962年)651頁)。

ところで,開催都市契約66a)項の規定は,スイス債務法377条と差し替えられるものでしょうか,それとも,同条の適用を前提としつつ,請負契約を解除する注文者が「なされた仕事の報酬を支払い,かつ,請負人に対して完全に補償」する必要のない場合を特に規定したものでしょうか。金を払ってやるからお前らオリンピックはやめろ,といきなり言われても開催都市側としては納得できないでしょうから,差替え説を採るべきか。

ちなみに,「請負人からの解除」については,「なお,明文の規定はないが,両当事者の高度の信頼関係を基礎とする場合には,解除に関する委任の規定(民法651条)を類推適用するのが妥当であろう」とも説かれています(星野英一『民法概論Ⅳ(契約)』(良書普及会・1994年)278頁)。我が民法6511項は「委任は,各当事者がいつでもその解除をすることができる。」と規定しています。スイス債務法404条も同旨を規定しています(「Le mandat peut être révoqué ou répudié en tout temps. / Celle des parties qui révoque ou répudie le contrat en temps inopportun doit toutefois indemniser l’autre du dommage qu’elle lui cause.」(委任は,いつでも撤回又は破棄することができる。/しかし,不利な時期に契約を撤回又は破棄した当事者は,相手方に被らせた損害を補償しなければならない。))。とはいえ,やはり開催都市契約には第66条のみが存在しているという事実が重い。「高度の信頼関係を基礎とする」請負であっても,東京都,JOC又は東京オリンピック組織委員会はいつでも開催都市契約を解除できて,しかもIOCに不利な時期でなければIOCに対する損害の補償も不要である,というわけにはいかないのでしょうから,スイス債務法404条の(類推)適用が前提であれば,日本側の解除権を制限する条項が必要であったはずです。当該制限条項がない,ということは,スイス債務法404条の(類推)適用ははなからあり得ないものとされていたのでしょう。IOCとの関係において「高度の信頼関係」までを求めるのは,欲張りすぎであるということでしょうか。

 

(2)組合説

組合ならば,我が国においては,「やむを得ない事由があるときは,各組合員は,組合の解散を請求することができる」ことになっています(民法683条)。「組合の目的である事業の〔略〕成功の不能」の場合には組合は当然解散しますが(民法6821号),1904年のセント・ルイス大会における堂々たるグダグダの前例に鑑みれば,オリンピックの「成功の不能」なるもののハードルは極めて高いものと解すべきでしょう(「コロナ禍で,競技によっては予選に出られなかった選手がいる。ワクチン普及が進む国とそうでない国とで厳然たる格差が生じ,それは練習やプレーにも当然影響する。選手村での行動は管理され,事前合宿地などに手を挙げた自治体が期待した,各国選手と住民との交流も難しい。憲章が空文化しているのは明らかではないか。」と主張する前記朝日新聞社社説は,要求水準が高過ぎるようです。)。富井政章及び本野一郎による我が民法683条のフランス語訳は「Tout associé peut demander la dissolution de la société, lorsqu’il y est constraint par la nécessité.」です。必要(nécessité)があれば解散可というのも漠としていますが,ここでの「やむを得ない事由」の例としては,「組合員中不正ノ行為アル者多クシテ〔略〕容易ニ公平ナル計算ヲ得ルノ望ミナキ場合」,「仮令組合員ニ不正ノ行為ナキモ組合ノ帳簿整頓セサルカ為メ全ク之ヲ解散シテ清算ヲ為スニ非サレハ組合ノ財産上ノ状況ヲ明カニスルコト能ハザルコト」(以上梅822頁)及び「経済界の事情の変更,組合の財産状態,組合員間の不和などによつて,組合の目的を達することが――成功の不能とまではいえなくとも――著しく困難となることなど」(我妻Ⅴ₃844頁)が,6781項の「やむを得ない事由」の例としては「脱退員ト他ノ組合員ト意見相衝突シ脱退員ハ某ノ行為ヲ為スヲ以テ組合ノ為メ極メテ危険ナリトシ他ノ組合員ハ之ヲ断行セント欲スル場合ニ於テハ脱退員ハ速ニ脱退ヲ為スニ非サレハ其行為動モスレハ累ヲ自己ノ財産ニ及ホスノ虞」ある場合(梅810頁)が挙げられています。

スイス債務法545条は次のとおり。

 

La société prend fin:

1. par le fait que le but social est atteint ou que la réalisation en est devenue impossible;

2. par la mort de l’un des associés, à moins qu’il n’ait été convenu antérieurement que la société continuerait avec ses héritiers;

3. par le fait que la part de liquidation d’un associé est l’objet d’une exécution forcée, ou que l’un des associés tombe en faillite ou est placé sous curatelle de portée générale;

4. par la volonté unanime des associés;

5. par l’expiration du temps pour lequel la société a été constituée;

6. par la dénonciation du contrat par l’un des associés, si ce droit de dénonciation a été réservé dans les statuts, ou si la société a été formée soit pour une durée indéterminée, soit pour toute la vie de l’un des associés;

7. par un jugement, dans les cas de dissolution pour cause de justes motifs.

La dissolution peut être demandée, pour de justes motifs, avant le terme fixé par le contrat ou, si la société a été formée pour une durée indéterminée, sans avertissement préalable.

  (組合は,次に掲げる事由によって解散する。

  (一 組合の目的が達成されたこと又はその実現が不可能になったこと。

  (二 事前にその相続人と共に組合が継続するものと合意されていなかった場合における一組合員の死亡

  (三 一組合員の清算持分が強制執行の目的であること又は一組合員が破産したこと若しくは被後見人となったこと。

  (四 総組合員の同意

  (五 組合の存続期間の満了

  (六 告知権が組合規約において留保された場合又は組合の存続期間が定められていない場合若しくはある組合員の終身間存続すべきことが定められた場合における一組合員による契約の告知

  (七 正当な理由を原因とする解散の場合における裁判

(正当な理由に基づく解散の請求は,契約の存続期間の満了前(vor Ablauf der Vertragsdauer)に,又は組合の存続期間が定められていない場合においては事前の予告なしにすることができる。)

 

 正当な理由(justes motifs)とは何ぞやが問題ですが,フランス民法1844条の75号を参照すると,そこでは,一組合員の債務不履行の場合と組合の機能を麻痺させる組合員間の不和(mésentente entre associés paralysant le fonctionnement de la société)の場合とが,正当な理由(justes motifs)の例として条文上示されています。

 開催都市契約66a)項は,スイス債務法54516号の「組合規約において留保」の留保をするものと解し得るでしょう。また,スイス債務法54517号の適用までをも開催都市契約66a)項は排除するものではないでしょう。なお,開催都市契約87条がありますから,スイス債務法54517号の「裁判」(jugement)は,「仲裁判断」と読み替えられるべきものでしょう。

 しかし,IOCと東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会とは仲良し(ils sont en entente)なのでしょうから,仲裁判断においても正当な理由(justes motifs)は認められず,スイス債務法54517号の出番はない,ということになりそうです。


8 開催都市契約51条:「違約金」条項

 なお,開催都市契約には「違約金」条項は存在しないと巷間言われているようですが,どうしたものでしょうか。開催都市契約51条は日本側を債務者とする「約定損害賠償金」(正文たる英文では“liquidated damages”)について規定しています。視力の悪い筆者の見間違いでしょうか。大所高所から東京オリンピック中止問題を語る有識者の方々の力強い声の中で,このようなつまらない発見を小声で語ることは心細い限りです。

「違約金」に関しては,我が民法420条には「当事者は,債務の不履行について損害賠償の額を予定することができる。/賠償額の予定は,履行の請求又は解除権の行使を妨げない。/違約金は,賠償額の予定と推定する。」とあるところです。富井=本野のフランス語訳では,「賠償額の予定」は“fixation de dommages-intérêts faite par avance”,「違約金(条項)」は “clause pénale”です。

なお,英米法においては,「債務不履行に際して債務者が支払うべき額をあらかじめ約定した場合に,それが「違約金(penalty)」であると判断されるとその効力が否定され,債権者は損害を証明して賠償を請求しなければならない。また,それが「損害賠償額の予定(liquidated damages)」であると判断されれば有効であり,実際に生じた損害額のいかんにかかわらず予定額を請求しうる。」とされているそうです(奥田昌道編『新版注釈民法(10)Ⅱ債権(1)債権の目的・効力(2)』(有斐閣・2011年)571頁(能見善久=大澤彩))。開催都市契約51条の「約定損害賠償金」は,“liquidated damages”という英文名称からすると,賠償額の予定(fixation de dommages-intérêts faite par avance)でなければならないもののようです。しかしながら,当該契約がそれに基づくスイス債務法では,“peine”(刑の意味があります。刑法は“Code pénal”です。)の語が用いられていてややこやしい。しかし“peine”ないしは“pénal”の語は刑に引き付けて狭く解する必要はないようで,我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)388条は「当事者ハ予メ過怠約款ヲ設ケ不履行又ハ遅延ノミニ付テノ損害賠償ヲ定ムルコトヲ得」と規定し,「過怠約款」をもって賠償額の予定としていますが,そのフランス語文は“Les parties peuvent faire, à l’avance, au moyen d’une clause pénale, le règlement des dommages-intérêts, soit pour l’inexécution, soit pour le simple retard.” でした(イタリック体による強調は筆者によるもの)。すなわち,「過怠約款」=“clause pénale”です(我が民法4203項の原則とするところ)。

 スイス債務法1601項は「Lorsqu’une peine a été stipulée en vue de l’inexécution ou de l’exécution imparfaite du contrat, le créancier ne peut, sauf convention contraire, demander que l’exécution ou la peine convenue.」(契約の不履行又は不完全履行について違約金の定めがある場合においては,反対の取決め(convention contraire)がない限り,債権者は,履行又は取り決められた違約金以外の請求をすることができない。)と規定しています。我が民法4202項に対応します。開催都市契約51条に「反対の取決め」があるかといえば,同条においてIOCは,その権利についていろいろ留保をしています。

スイス債務法1611項は「La peine est encourue même si le créancier n’a éprouvé aucun dommage.」(債権者が損害を立証しない場合であっても,違約金は課せられる。)と規定して,違約金額までの金銭については損害の立証がなくとも支払を受けることができるようにし,同条2項は「Le créancier dont le dommage dépasse le montant de la peine, ne peut réclamer une indemnité supérieure qu’en établissant une faute à la charge du débiteur.」(違約金額を超える損害を被った債権者は,債務者に帰せられる過失(faute)を立証しなければ,超過分の補償を請求することができない。)と規定しています。同項においては,同法971項と比較すると,過失の有無に係る立証責任の所在が転換されています。

スイス債務法163条は,次のとおり。

 

   Les parties fixent librement le montant de la peine.

La peine stipulée ne peut être exigée lorsqu’elle a pour but de sanctionner une obligation illicite ou immorale, ni, sauf convention contraire, lorsque l’exécution de l’obligation est devenue impossible par l’effet d’une circonstance dont le débiteur n’est pas responsable.

Le juge doit réduire les peines qu’il estime excessives.

  (当事者は,違約金額を自由に定める。

  (約定違約金は,違法若しくは不道徳な債務を実効化する(bekräftigen)目的である場合又は,反対の取決めがない限り,債務者の責任に属さない事情によって債務の履行が不可能になった場合には,請求することができない。

  (裁判官は,過大と認める違約金を減額することができる。)

 

スイス債務法1632項後段の「反対の取決め」が開催都市契約51条にあるかといえば,一見したところ,無いようです。同条a)項における“due to any cause directly or indirectly attributable to the City, the NOC or the OCOG”の場合に「約定損害賠償金」が問題となるという表現からしても,そういうことでよいのでしょう。

なお,スイス債務法1612項及び1633項に関して一言すると,我が民法4201項には,従来後段があって「この場合において,裁判所はその額を増減することができない。」とされていましたが,当該規定は平成29年法律第44号によって削られているところです。「裁判実務においては現に公序良俗違反(旧法第90条)等を理由に予定されていた損害賠償額を増減する判断をしていたことを踏まえ,削除している。」と説明されています(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)70頁)。我が賠償額の予約に関する規整は,スイス債務法の違約金(peine)に関するそれに近付いたものになっている,ということでよろしいのでしょうか。

 

9 日本国政府による中止

 日本国は開催都市契約の当事者ではありません。

 したがって,日本国政府がその公権力を行使して東京オリンピック開催を中止に追い込んだ場合には,それは,開催都市契約を発生原因とする日本国の債務(当該債務はありません。)の不履行の問題ではなく,第三者による債権侵害の不法行為の問題となるはずです。

 日本国は開催都市契約の当事者ではないので,当該契約に含まれる仲裁合意の当事者でもありません。IOCは,日本国を仲裁被申立人として仲裁手続を利用することはできません。

 IOCが日本国を相手取って裁判所に訴えを提起する場合,国際法上,ある国の裁判権は外国国家には及びませんから,日本の裁判所(恐らく東京地方裁判所(訴訟の目的の価額が140万円以下ということはないでしょう(裁判所法(昭和22年法律第59号)3311号参照)。))に訴状を提出することになります。

 適用される法律は,不法行為の加害行為の結果が発生した地の法ということになります(法の適用に関する通則法(平成18年法律第78号)17条)。日本法の適用が素直でしょう。東京オリンピックの開催が中止されたことによってスイスにあるIOCが貧乏になったといっても,それは派生的・二次的な損害であって,スイスが結果発生地となるものではないでしょう(澤木=道垣内218頁参照)。そうなると国家賠償法(昭和22年法律第125号)11項(「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは,国又は公共団体が,これを賠償する責に任ずる。」)の問題となります。違法性の有無が争点になりそうです。

 ただし,IOCの名誉又は信用の毀損が問題とされたときは,準拠法はなおスイス法です(法の適用に関する通則法19条)。とはいえ,不法行為については,成立も効力も結局日本法の枠内です(法の適用に関する通則法22条)。

 なお,民法720条(国家賠償法4条)の考え方に拠ることとして,IOCに対する加害行為だと言われるけれども新型コロナウイルス感染者による当該ウイルス拡散という不法行為から国民の生命又は身体という彼らの権利を防衛するため「やむを得ず」したものだからよいのだ,と主張する場合においては,「①「他人ノ不法行為」に対して当方も問題の加害行為をする以外に適切な方法がなく,②防衛すべき法益と,相手方(当初の不法行為者又は第三者)に与える損害(相手方の被侵害利益)との間に,社会観念上ほぼ合理的な均衡が保たれていることを要する。たとえば,些少な財産権を防衛するために相手を殺傷するがごときは,正当防衛となり難い場合が多いであろう。」(幾代通著=徳本伸一補訂『不法行為法』(有斐閣・1993年)102頁)との「やむを得ず」に係る要件が満たされているかどうかが問題になるでしょう。


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On aime les jeux Olympiques. (東京都新宿区・日本オリンピックミュージアム前庭)


追記:開催都市契約=請負説

 筆者は,前記において,開催都市契約に係る請負説と組合説とを併記しました。しかし,あえていえば,請負説を採るべきなのでしょう。開催都市契約は,IOCを一方当事者,東京都及びJOC(東京オリンピック組織委員会は後に設立されて参加)を相手方当事者として締結されており,かつ,その第1条においてIOCが日本側に業務(大会のplanning, organizing, financing and staging(計画,組織,資金調達及び運営))をentrust(東京都オリンピック・パラリンピック準備局ウェブページでは「委任」)する旨規定しています。開催都市契約44条は大会開催の結果生じた剰余金が東京オリンピック組織委員会,JOC及びIOCの間で配分されるものとしていますが(その後IOCは付属合意書№48項で東京オリンピック組織委員会のために剰余金の取り分を放棄),請負の「報酬の種類に制限はない。金銭には限らない。仕事の完成によつて得られるものの一部を与える契約も少くない(国有林払下げの請負で払い下げを受けた山林の何割かを与える契約はその例)。」とされているところです(我妻Ⅴ₃・602頁)。

 なお,請負を,スイス債務法363条は“Le contrat d’entreprise est un contrat par lequel une des parties (l’entrepreneur) s’oblige à exécuter un ouvrage, moyennant un prix que l’autre partie (le maître) s’engage à lui payer.”(請負契約は,当事者の一方(請負人)が,相手方(注文者)が支払を約する報酬を対価として,ある仕事を果すことを約する契約である。)と定義しています。また,他の類型に属しないデフォルトの組合(“société”ですので,訳語を「会社」とすることもできます。)を,スイス債務法5301項は“La société est un contrat par lequel deux ou plusieurs personnes conviennent d’unir leurs efforts ou leurs ressources en vue d’atteindre un but commun.”(組合は,2以上の者が,共通の目的を達成するために,労務又は資源を共同にすることを合意する契約である。)と定義しています。


追記2:放送に関する払戻し契約

 開催都市契約の付属合意書の第3.3項においてはIOCと東京オリンピック組織委員会との間で2018224日に締結された「放送に関する払戻し契約(Broadcast Refund Agreement)」の存在が言及されるとともに,当該契約が1年延期後のオリンピック東京大会にも適用される旨が規定されています。これが,オリンピック開催中止に伴う放送事業者からの放送権料引上げによって必要となる清算に関するIOCとの合意なのでしょう。

 

   オリンピック開催中止の場合に放送事業者がIOCに対して既払いの放送権料の返還を求め,未払の放送権料の支払を行わないことについては,スイス債務法1192項に“Dans les contrats bilatéraux, le débiteur ainsi libéré est tenu de restituer, selon les règles de l’enrichissement illégitime, ce qu’il a déjà reçu et il ne peut plus réclamer ce qui lui restait dû.”(双務契約の場合においては,前項の規定により債務を免れた債務者〔帰責事由なくその債務の履行が不能となった債務者〕は,既に給付を受けたものを不当利得の規定に従って返還する義務を負い,かつ,未履行の反対給付を請求することはできない。)との規定があります。我が民法5361項は「当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債権者は,反対給付の履行を拒むことができる。」とのみ規定していますが,同項に関しては「債権者は履行拒絶権がある反対給付債務の履行を常に拒絶することができるのであり,このような履行拒絶権の内容からすると,この場合の反対給付債務については,そもそも給付保持を認める必要すらないことから,債務としては存在しないのと同様に評価することができる。そのため,新法においても,旧法と同様に,債権者は,既に反対給付債務を履行していたときには,不当利得として,給付したものの返還を請求することができると解される。」と,敷衍した解釈が表明されています(筒井=村松228頁(注3))。スイス債務法1192項においては,条文中に,不当利得の規定に従って返還すべき義務ありと明示されているところです。

 

20171226日の東京都議会オリンピック・パラリンピック及びラグビーワールドカップ推進対策特別委員会に東京都庁から提出された「IOC拠出金の払戻しに関する契約について」資料がインターネット上にあります。それによると,東京オリンピック組織委員会は,IOCが集めた放送権料中から850億円を拠出してもらう予定で,オリンピック開催中止となると,当該拠出金につき,拠出元たるIOCに返還をせねばならないことになっています。ただし,保険が付される予定でもあったようです。

 しかし,偶発的事由(Contingency Events)による開催中止の場合についての取決めであって,日本側の責めに帰すべき事由による中止の場合には,これだけ返せば後は知らない,というわけにはいかないように思われます。

 

Addendum III: Scenes of the Namamugi Incident

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The Deathplace of Richardson(力査遜)

[On the 14th September 1862…] Namamugi, where poor Richardson’s corpse was found under the shade of a tree by the roadside. His throat had been cut as he was lying there wounded and helpless. The body was covered with sword cuts, any one of which was sufficient to cause death. (Ernest Satow, A Diplomat in Japan. London, 1921)


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The Spot, where the incident happened.

[Richardson], in company with a Mrs Borradaile of Hongkong, and Woodthorpe C. Clarke and Wm. Marshall both of Yokohama, were riding along the high road between Kanagawa and Kawasaki, when they met with a train of daimiô’s retainers, who bid them stand aside. They passed on at the edge of the road, until they came in sight of a palanquin, occupied by Shimadzu Saburô, father of the Prince of Satsuma. They were now ordered to turn back, and as they were wheeling their horses in obedience, were suddenly set upon by several armed men belonging to the train, who hacked at them with their sharp-edged heavy swords. (Satow)

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“Restaurant for Satsuma Boys” (Namamugi, Yokohama)

With unfailingly sanguine appetite, Satsuma samurai are fearsomely formidable even after 160 years.

 

[On 15th August 1863…] About three quarters of an hour after the engagement commenced we saw the [British] flagship hauling off, and next the “Pearl” (which had rather lagged behind) swerved out of the line. The cause of this was the death of Captain Josling and Commander Wilmot of “Euryalus” from a roundshot fired from fort No.7 [of Kagoshima, Satsuma]. Unwittingly she had been steered between the fort and a target at which the Japanese gunners were in the habit of practising, and they had her range to a nicety. A 10-inch shell exploded on her main-deck about the same time, killing seven men and wounding an officer, and altogether the gallant ship had got into a hot corner; under the fire of 37 guns at once from 10-inch down to 18 pounders. (Satow)

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