2021年03月

1 成年年齢引下げ

平成30年法律第59号によって,202241日から(同法附則1条)民法(明治29年法律第89号)4条が「年齢20歳をもって,成年とする。」から「年齢18歳をもって,成年とする。」に改まります。いかにも「やってる感」ある法改正でした。しかしながら,大学生が1年生及び2年生をも含めて堂々とお酒を飲んで仲間と楽しくコンパできるようになってキャンパス・ライフが昭和化するというわけではありません(平成30年法律第59号附則7条参照)。

ちなみに昭和とは,我が国が「激動の日々を経て,復興を遂げた」栄光の時代です(国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)2条)。「復興」とはどの時代との対比でいうのかといえば,皇室は正嫡の四皇子(皇太子裕仁親王,雍仁親王,宣仁親王及び崇仁親王)が揃っておられて盤石,国家はパリ講和会議における戦勝五大国のメンバーにして国際聯盟の四常任理事国(日本,英国,仏国及び伊国)の一,人民は当時のスペイン風邪(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1077312171.html)など令和の新型コロナウイルス感染症が深刻な情況をもたらしているほど気には病まずに四大政策(教育の改善,交通通信機関の整備,国防の充実及び産業の奨励)を掲げる原敬内閣の下に活気をもってデモクラシーに邁進していた若々しかりし大正の御代との対比においてでしょう。

 

2 改正後民法4条と皇室典範22条と

ところで,皇室典範(昭和22年法律第3号)22条は「天皇,皇太子及び皇太孫の成年は,18年とする。」と現在規定しているところ,平成30年法律第59号による民法4条の改正に伴って同条と重複した規定となるので「削除」となる,とはならないことになっています。天皇及び皇族に民法の適用があり,したがって皇室典範22条が単に民法4条の特則であるのならば,本則が特則に揃った以上不要となった特則は引っ込むべきなのですが,引っ込まずにそのまま居残るとはこれいかに。

201828日付けの産経ニュース・ウェブサイトの記事によれば「法務省は〔同月〕8日,成年年齢を20歳から18歳に引き下げる民法改正案の概要を与党に示した。成年年齢引き下げに併せて皇室典範の成年年齢条文の削除も検討されているが,自民党の法務部会など合同会議では,この点について議員から「皇室典範を議論に入れるのは不敬なのでは」などとの発言があり紛糾した。」ということですから,法務省の法案作成担当者は確かに「皇室典範22条=民法4条の特則」説を採っていたものの,それを条文の改正で示すことは「不敬」であるということで皇室典範22条の削除は諦めたということのようです。

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Nolite majestatem laedere!


3 平成30年法律第59号施行後の皇室典範22条

で,そのように諦めた上での皇室典範22条存置の理由付けはどうだったのでしょうか。平成30年法律第59号の法案審議がされた第196回国会では明らかにされなかったようです(国立国会図書館の国会会議録検索システムで筆者が「皇室典範」の検索語で検索をかけてもヒットしませんでした。)。言いっぱなしで,とどめを刺すべき後の始末が尻抜けということでは,「不敬!」と怒号せられた自由民主党の国会議員諸賢も法制的な詰めが甘い。当該理由付けを,なお考えねばならないことになります。

 

(1)意図的「立法ミス」説

理由付けとして考えられるものの一つは,天皇及び皇族に民法の適用があることを前提とした上で,法制執務の美学を犠牲にして意図的に「立法ミス」を犯したことによる規定の重複であるとするものです。

しかし,「通常国会に法案を提出する期限だった〔20213月〕9日。坂井学官房副長官は衆院議院運営委員会理事会で4件の法案をめぐる問題を説明したうえで,陳謝した。/デジタル改革関連法案の誤字や表記ミス▽地域的包括的経済連携(RCEP)協定承認案の日本語訳の欠落や重複▽保険料誤徴収などの発覚による貿易保険法改正案提出見送り▽与党内の調整が進まず,土地規制強化法案の提出期限が間に合わなかったこと――の4件だ。/高木毅議運委員長(自民)は「国会に対して,少し緊張感を持って対応して頂かないと困る」と苦言を呈した。小川淳也・野党筆頭理事(立憲)は「前代未聞の緩みだ」と指摘した。」ということですから(202139日付け朝日新聞Digitalウェブサイト),「意図的に緊張感を解き,気を緩めて法制上の不体裁をあえてやっちゃいました。」というテヘペロ的言い訳が通るかどうか。「霞が関官僚たる上級国民のくせになんだ!業者から国家公務員倫理法違反の74203円の高額接待ばっかり受けていい気になってるんじゃないよ。」と再び怒号の渦が逆巻くとすれば,恐ろしいことです。

 

(2)独自「成年」説の挫折

それでは,皇室典範22条の「成年」は,人の行為能力に係る民法4条の成年とは異なる皇室典範独自の「成年」なのだ,それは,それ未満であれば摂政を置くべきこととなる天皇の年齢(同法161項),摂政に就任可能な皇族の年齢(同法171項・19条)並びに皇族会議議員及び同予備議員に係る互選権を有し,かつ,就任可能な皇族の年齢(皇室典範283項・302項)のみに係る「成年」なのだ,という主張は可能か。

しかしこれは,皇太子又は皇太孫以外の皇族に係る「成年」の年齢については皇室典範中には規定がないのですがどこから持って来るのですか,との質問で倒れます。皇太子又は皇太孫以外の皇族の「成年」は,他の法律仲間を見渡して,やはり民法4条から持って来た成年であると答えざるを得ないでしょう(園部逸夫博士も「皇太子及び皇太孫以外の成年は,民法により満20年と定められることになる。」と説いています(同『皇室法概論―皇室制度の法理と運用―(復刻版)』(第一法規・2016年)253頁)。)。そうであれば皇室典範22条の「成年」も,民法4条の成年を前提とした上での年齢の数字に係るその特則と解すべきものとなるようです。したがって,平成30年法律第59号の施行後は,やはり皇室典範22条は民法4条と重複する盲腸規定(この表現も「不敬」でしょうか?)となりそうです。

 このままでは,故意に法制的不体裁を作出した「意図的「立法ミス」説」を採らざるを得ないようです。美しくないですね。

 

(3)国の儀式たる成年式根拠説

 しかし諦めるわけにはいきません。どう考えるべきか。そうだ,残される皇室典範22条に,天皇並びに皇太子及び皇太孫に係る行為能力規定であるとの意味を超えた何らかの独自の意味を持たせればよいではないか。

 ということで思い付いたのが,天皇並びに皇太子及び皇太孫の成年式を国事行為たる国の儀式として行うための根拠規定説です。確かに,その第13条で「天皇及皇太子皇太孫ハ満18年ヲ以テ成年トス」と,第14条で「前条ノ外ノ皇族ハ満20年ヲ以テ成年トス」と規定していた明治皇室典範の下,皇室成年式令(明治42年皇室令第4号)は,天皇(同令1条)並びに皇太子,皇太孫,親王及び王(同令9条)について成年式を行うべきことを定めていました。日本国憲法及び現行皇室典範下において満18歳となって成年に達した天皇又は皇太子(今上天皇が皇太子となったのは,28歳の時です。)若しくは皇太孫は,19511223日が満18歳の誕生日であった皇太子明仁親王(現在の上皇)のみですが,サン・フランシスコ講和条約発効(1952428日)後の19521110日に,立太子の礼(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1077209171.html)と併せて,皇太子成年式加冠の儀及び皇太子成年式・立太子の礼朝見の儀が国事行為たる国の儀式として行われています(更に同月12日から14日まで皇太子成年式・立太子の礼宮中饗宴の儀を開催)(園部262頁・263頁)。(なお,19511223日当日に祝賀行事が行われなかったのは,昭和天皇が依然御母・貞明皇后の崩御(同年517日)後の服喪中(期間は1年)であったためだそうです(宮内庁『昭和天皇実録 第十一』(東京書籍・2017年)323頁)。)他方,日本国憲法及び現行皇室典範下における他の親王及び王の成年式6件(王については例がありませんが。)については,国事行為たる儀式とはされなかったようです(園部263-264頁)。

ちなみに,人民の子女に係る「成人の日」(国民の祝日に関する法律2条)が初めて「国民の祝日」として祝われたのは,1949115日のことでした。

(なお,明治典憲体制下では,皇室の儀礼中,国の大典となるものは即位の礼,大嘗祭及び大喪儀その他の国葬のみだったようです(美濃部達吉『改訂憲法撮要』(有斐閣・1946年)217頁。現行皇室典範24条・25条参照)。)

 

4 17歳天皇に対する18歳摂政に係る不権衡問題等

 

(1)17歳天皇に対する18歳摂政に係る不権衡問題

 やれやれ,こじつけがましいけど,霞が関法制官僚の無謬性はこうして守られたわい,と思ったものでしたが,一難去ってまた一難,今度は実質面でまた別の問題が見つかりました。皇太子又は皇太孫以外の皇族の摂政就任可能年齢を,民法4条改正の効果に流されるまま漫然と20歳から18歳に引き下げてよいのか,との問題です。

 明治皇室典範14条が皇太子又は皇太孫以外の皇族の成年を満20年としたのには,実は由々しく重いおもんぱかりがあったのでした。すなわち,当該成案が得られるまでには次のような議論があったところです。いわく,「〔明治皇室典範の〕柳原案ニ摂政ノ成年ハ天皇及皇族ノ例ト同シク18歳トシタリ然ルニ今茲ニ17歳ノ天子アルノ場合ニ当リ最近ノ皇族摂政ノ順位ニ当レル人ハ僅カニ18歳ヲ踰エ現在天皇ト1歳ノ差アラント仮定セハ仍ホ其人ハ家憲ニ依リ摂政トナルヘシ此レ事情ニ適セサルニ似タリ故ニ仏国葡国ノ例ニ依リ摂政ノ為ノ成年ヲ25歳ト定ムルカ又ハ伊国ニ依リ21歳ト定ムヘキカ如シ」と(園部258頁註(4)が引用する小林宏=島善高編著『日本立法資料全集・16 明治皇室典範(明治22年)(上)』(信山社・1996年)391頁「皇室典憲ニ付疑題乞裁定件々(井上毅,1887年2月)」)。またいわく,「17歳ノ帝ニ18歳ノ摂政不権衡ノ説ハ正理ユ(ママ)摂政ハ本邦一般ノ丁年ニ依リ満20歳以上トセハ可ナラン」と(園部258頁註(4)が引用する小林=島399頁「疑題件々ニ付柳原伯意見(柳原前光,1887年)」)。この結果,現行皇室典範についても,「皇太子及び皇太孫以外の皇族であっても国事行為を18年で行うことは〔内閣の助言と承認によるものである〕国事行為の性質上可能であると考えられるが,天皇との関係では,例えば,天皇が17歳の場合に18歳の皇族が摂政となることは適当ではないことにより,皇太子及び皇太孫以外の皇族の成年を20歳としているものと考える。」と説かれています(園部255頁)。

 さて,我々人民のおませな子女の成年が年齢20歳から年齢18歳へと早熟化することをもって(おませといっても,女子の婚姻適齢は平成30年法律第59号によって16歳以上から18歳以上に引き上げられ,むしろ晩稲(おくて)になるのですが),従来の天皇と摂政との年齢関する不権衡論17歳の天皇に対して18歳の摂政が置かれるのはおかしい,との議論。なお,皇太子又は皇太孫が,父又は祖父である天皇が17歳のときに18歳で摂政となることはありません。)までが当然のこととして無効化されてしまうものでしょうか。少々関連性が薄いように思われます。天皇の尊厳を懸命に護持せんとする誠忠の士による真摯な公論を更に経る必要が,なおあるのではないかと心配されるところです。「不敬!」と哀れなお役人を怒鳴りつけるだけで済ますのでは,折角の尊皇の真心があるにもかかわらず,なお丁寧な目配りが足りず点睛を欠くということになるのではないでしょうか。「保守」とは,不作為,偸安,知的怠惰を意味するものでは決してありません。

 

(2)皇室典範及び国事行為の臨時代行に関する法律の改正案

 しかし,筆者も言いっぱなしではいけません。

 次のような改正はいかがでしょうか。すなわち,現行皇室典範161項を「天皇が年齢18に達しないときは,摂政を置く。」と,同法171項柱書きを「摂政は,皇族であって年齢20年(皇太子又は皇太孫の場合にあっては,年齢18年。第19条及び第28条第3項(第30条第2項において準用する場合を含む。)において同じ。)に達したものが,左の順序により,これに就任する。」と(同項については,書かれざる第7号として,皇女たらざる親王妃及び王妃も摂政となり得るように解され得るかもしれませんが,あえてそのままにしました(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1077588867.html)。),同法第19条を「摂政となる順位にあたる者が,年齢20に達しないため,又は前条の故障があるために,他の皇族が,摂政となつたときは,先順位にあたつていた皇族が,年齢20に達し,又は故障がなくなつたときでも,皇太子又は皇太孫に対する場合を除いては,摂政の任を譲ることがない。」と,同法283項を「議員となる皇族及び最高裁判官の長たる裁判官以外の裁判官は,各々年齢20に達した皇族又は最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官の互選による。」と,国事行為の臨時代行に関する法律(昭和39年法律第83号)22項を「前項の場合において,同項の皇族が年齢20年(皇太子又は皇太孫の場合にあつては,年齢18年。以下本項及び次条において同じ。)に達しないとき,又はその皇族に精神若しくは身体の疾患若しくは事故があるときは,天皇は,内閣の助言と承認により,皇室典範第17条に定める順序に従つて,年齢20に達し,かつ,故障がない他の皇族に同項の委任をするものとする。」と,同法3条を「天皇は,その故障がなくなつたとき,前条の規定による委任を受けた皇族に故障が生じたとき,又は同条の規定による委任をした場合において,先順位にあたる皇族が年齢20に達し,若しくはその皇族に故障がなくなつたときは,内閣の助言と承認により,同条の規定による委任を解除する。」と改めるわけです。

 

5 昭和22年法律第3号に対する畏怖の由来論

 とはいえ,前記のような改正に対しても,少なくとも昭和22年法律第3号(題名は「皇室典範」)のそれについては「皇室典範を〔国会の〕議論に入れるのは不敬なのでは」という懸念がやはりなおあるかもしれません。(例えば,土屋正忠衆議院議員の20161021日付けウェブページには「そもそも皇室典範は「憲法第1章・天皇」の条項から直接導き出されている特別法で,一般法の延長ではない。」との認識が示されています。)

 

(1)明治40年皇室典範増補7条及び8条

「皇室典範」という題名の法規に係る前記「不敬なのでは」的畏怖の由来するところは,そもそもは1907年(明治40年)211日公布の皇室典範増補(1889年の明治皇室典範62条参照)の次の2箇条ではないでしょうか。

 

  第7条 皇族ノ身位其ノ他ノ権義ニ関スル規程ハ此ノ典範ニ定メタルモノノ外別ニ之ヲ定ム

皇族ト人民トニ渉ル事項ニシテ各々適用スヘキ法規ヲ異ニスルトキハ前項ノ規程ニ依ル

 

  第8条 法律命令中皇族ニ適用スヘキモノトシタル規定ハ此ノ典範又ハ之ニ基ツキ発スル規則ニ別段ノ条規ナキトキニ限リ之ヲ適用ス

 

 美濃部達吉は説明していわく。

 

  (イ)皇室に関する事項は原則として皇室の自ら定むる所に依る。皇室に関する事項とは天皇及皇族の御一身に属する権利義務に関する定を謂ふ。皇室の自ら定むる所の法規は即ち皇室典範及皇室令にして,天皇及皇族の権利義務は総て此等の皇室法に依り之を定むることを原則とするなり。明治40年の典範増補(71項)は此の趣意を言明して〔いる〕。『別ニ之ヲ定ム』とは別の皇室法即ち皇室令を以て之を定むるの意なり。其の皇族と曰へるは天皇に付ては言を待たずと為せるなり。

  (ロ)皇室に関する事項については皇室の定むる所の法が同時に国法として国家及国民を拘束する力を有す。即ち国家の統治権が事の皇室に関する限度に於て皇室に委任せらるるなり。〔略〕〔大日本帝国〕憲法(2条,171項)は皇位の継承及摂政の設置に付ては明文を以て之を皇室の自ら定むる所に任ずることを明にせり。其の他の事項に付ては明白には之を規定せずと雖も,憲法(741項)が『皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セズ』と曰へるは,総て皇室法は議会の議を経るを要せざるの意にして,而して議会の議を経るを要せずとは本来議会の議を経るを要する性質の事項なることを示す。本来議会の議を経るを要する事項は即ち性質上国の立法権に属するものならざるべからず。換言すれば此の憲法の規定は皇室に関する事項に付ては国の立法権を皇室に委任し,皇室の定むる所の法が国法たる効力を有することを示せるなり。典範増補(72項)は此の趣意を言明〔する〕。即ち皇族と人民との法律関係に付ても皇室法を以て之を定むることを得べく,人民は之に遵由することを要するの趣意なり。〔略〕是れ敢て典範増補に依り始めて定まれるものに非ず,憲法に於て既に定まれるものにして,典範増補は唯之を明白ならしめたるのみ。

  (ハ)一般の法律命令は原則として皇室に対し其の効力を及ぼすことなし。法律命令が皇室に適用せらるるは唯皇室が自ら其の適用を忍容する場合に限る。之を皇室の治外法権と謂ふことを得。典範増補(8条)は此の趣意を言明して〔いる〕。即ち皇室法を以て一般国法の皇室に対する適用を排除することを得べく,皇室に関する事項に付ては皇室法の規定が法律勅令に勝る効力を有す,一般国法は皇室法に反対の規定なき範囲に於てのみ皇室に其の効力を及ぼすことを得るに止まるなり。是も典範増補に依り始めて定まりたるものに非ず,憲法には此の点に付き別段の明文なしと雖も,是れ皇室自治の原則より生ずる当然の結果に外ならず。何となれば皇室の事は皇室自ら之を定むと謂ふは,其の反面に於て皇室の事は皇室の意に反しては国の立法に依り之を定むることなしと謂ふの意を含むものなればなり。

   以上の原則に基き,総て皇室に関する事項は単に皇室一家の内事に関するものは勿論,事同時に国家及人民に関渉あるものと雖も,尚皇室に於て自ら之を定め自ら之を処理するの権能を有す。之を皇室自治の大権と謂ひ,又は単に皇室大権と謂ふ。(美濃部210-213頁。原文の片仮名書きを平仮名書きに改めました。)

 

 明治典憲体制下においては,「総て皇室に関する事項」について皇室法が一般国法に優先するものとされています。両法とも制定権は天皇にあったわけですが(ただし,皇室法の制定には帝国議会は関与不可(大日本帝国憲法741項参照)である一方,一般国法たる法律の制定には帝国議会の協賛を要しました(同537条)。),前者に係る天皇は「皇室の家長たる天皇」,後者に係る天皇は「国の元首たる天皇」でした。何やら同君連合めいていますね。先の大戦において大日本帝国は連合国に敗れたのですが,当該敗戦に伴い,大日本帝国と大日本国皇室との関係にも大きな変動が生じたのでした。

 

(2)日本国憲法下における天皇及び皇族の国法上の地位

 日本国憲法下においては,「皇室に関する事項」であっても「国家及人民に関渉あるもの」は専ら一般国法の管轄となり,皇室法はそこから排除されるに至ったものと解されます(明治40年皇室典範増補72項の規定が一般国法絶対優位にひっくり返った,ということになります。)。また,皇室自ら「皇族ノ身位其ノ他ノ権義ニ関スル規程」を定めること(明治40年皇室典範増補71項参照)についても,天皇及び皇族の「国法上ノ地位」を定めるものはもはや皇室典範(これは憲法でも法律でもない正に皇室典範です。)以下の皇室法ではなく「普通ノ法律命令」それ自体ということになるのでしょうから(伊藤博文編『秘書類纂 雑纂 其壱』(秘書類纂刊行会・1936年)33頁の「皇室典範増補上議文案」第7条解説の記述参照),それは一般国法の許容する範囲内でしか認められないわけでしょう(なお,一般国法において皇室に関する事項について規定することが可能であることは,そもそも明治40年皇室典範増補8条自身がその前提としていました。)。皇室典範(1889年の皇室典範及び1907年の皇室典範増補のほか,1918年の皇室典範増補がありました。)及びそれ以下の皇室法が,194751日裁可同日公布の皇室典範及び同日裁可同月2日公布の昭和22年皇室令第12号によって同日限り全て「廃止」されということは,この意味でしょう。明治40年皇室典範増補の「廃止」は,明治天皇によるその裁定前の「従来此ノ点〔皇族の国法上ノ地位〕ニ関スル解釈区々ニ出テ法制亦帰一セザル」状態(伊藤編33頁)への単なる消極的な復帰をもたらすものではなく,より積極的に,天皇及び皇族の「国法上ノ地位」は,皇室典範(皇室法)及び帝国憲法(一般国法)の並立下にあって前者の下に位置付けられていた時のものとはもはや同じではなく,一般国法の下に位置付けられることになったことを明らかにするものでしょう。

昭和22年法律第3号(現行「皇室典範」)は,皇室に関する事項であって国家及び人民に関渉あるもの(国家に関渉ある事項中の皇位継承及び摂政に関するものは,国家の憲法事項ということになります(日本国憲法2条及び5条)。)等について,日本国憲法の施行前に国家の立法権が発動され置かれたものでしょう。皇室自治権が発動され得る範囲も,昭和22年法律第3号及び関係法令から読み取ることになるのでしょう。例えば,昭和22年法律第326条は「天皇及び皇族の身分に関する事項は,これを皇統譜に登録する。」と規定して天皇及び皇族に対する戸籍法(昭和22年法律第224号)の適用を排除していますので(園部613-614頁の引用する1979417日の衆議院内閣委員会における真田秀夫内閣法制局長官答弁参照),民法の規定事項中戸籍を前提にしたものについては,皇室自治権で補充されるものということになるのでしょう。

 皇室一家の内事についてなお残る皇室自治権については,次のような記述があります。

 

   なお,天皇と皇族との関係について,国としては,皇族を皇位継承資格者とし(〔現行皇室典範〕第2条),皇族の範囲につき天皇を中心とした規定(同第6条)を定める外,天皇が国の機関として行う国事行為についての制度化(摂政,国事行為の臨時代行)及び皇室経済〔筆者註:日本国憲法8条及び88条に基づき国家化されています。〕についての制度化(天皇と内廷皇族との関係)をしているものの,他には法制度上は存在しない。これは,天皇と皇族との関係の在り方は,国の機関としての地位にかかわる事項以外は皇室内の規範であるとして,国が積極的に関与することとしていないことによるものであると考える。仮に皇室内部の規範につき皇室からの要請があれば,皇室に関する事務として国がその制定を手伝うことはあるとしても,その制定権限は国にではなく,皇室にあり,そこで定められる規範は国法としての位置付けは有しないことになる。(園部479頁)

 

(3)昭和天皇の「御会釈」

 しかしなお,国会単独立法が可能な法律(日本国憲法41条・59条)ではあるとはいえ,現行皇室典範に対する畏怖はなかなか振り払い得ないものか。現行皇室典範の制定者であった昭和天皇(大日本帝国憲法5条)と当該大権行使の協賛機関であった帝国議会(同37条)の衆議院議員らとの間に同法の「不磨ノ大典」性に関して何らかの黙契があったものでもありましょうか(なお,当時はまだ参議院はありません。)。19461213日金曜日,衆議院皇室典範案委員に対して昭和天皇が「御会釈」をしています。

 

  午後,内廷庁舎御車寄前において衆議院皇室典範案委員会委員一行に御会釈を賜う。同委員会は,1126日衆議院に提出された皇室典範案の審議のため,去る125日院内に設置され,衆議院議員〔筆者註:前同議院議長〕樋貝詮三を委員長として,7日以降,実質審議を開始し,14日に賛成多数により原案どおり可決する。さらに同委員会においては,1210日に衆議院に提出された皇室経済法案についても審議を行い,19日全会一致を以て可決する。(宮内庁『昭和天皇実録 第十』(東京書籍・2017年)249頁)

 

 龍顔厳粛にして,重い叡旨があった(と委員らは感じて圧倒された)のかもしれません。

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1 「確定日付のある証書」

 

(1)民法467条2項

 民法(明治29年法律第89号)4672項に「確定日付のある証書」という語が出て来ます。

 

   (債権の譲渡の対抗要件)

  467 債権の譲渡(現に発生していない債権の譲渡を含む。)は,譲渡人が債務者に通知をし,又は債務者が承諾をしなければ,債務者その他の第三者に対抗することができない。

  2 前項の通知又は承諾は,確定日付のある証書によってしなければ,債務者以外の第三者に対抗することができない。

 

民法467条の本野一郎及び富井政章によるフランス語訳Code Civil de l’Empire du Japon, Livres I, II & III(新青出版・1997年))は,次のとおり(ただし,第1項は,平成29年法律第44号による改正前の法文です。)。

 

  La cession d’une créance nominative n’est opposable au débiteur et aux autres tiers que si elle a été notifiée par le cédant au débiteur ou acceptée par celui-ci.

  La notification et l’acceptation, dont il est parlé à l’alinéa précedent, ne sont opposables aux tiers, autre que le débiteur, que si elles ont été faites dans un acte ayant date certaine.

 

 「確定日付」は,フランス語では“date certaine”ということになります。「証書」は,“acte”です。合わせて「確定日付のある証書」は,“un acte ayant date certaine”です。(なお,“acte”には「(法律)行為」との意味もあります。)

 

(2)民法施行法5条1項

 で,確定日付のある証書とは何ぞや,ということで民法中を探しても,分からないことになっています。民法467条の起草者である梅謙次郎は,1895322日の72法典調査会において「成程此確定日附ノ方法ト云フモノハ余程困難ニハ相違アリマセヌ,ケレトモ六ケ敷イカラト云ツテ規定シナイト云フ訳ニハ徃キマセヌカラ孰レ特別法ヲ以テ規定スヘキモノテアラウト考ヘマス」と述べていました(『法典調査会民法議事速記録第22巻』(日本学術振興会)139丁裏)。すなわち,当該特別法たる民法施行法(明治31年法律第11号)という,民法とはまた別の法律の第51項を見なければなりません。

 

  5 証書ハ左ノ場合ニ限リ確定日付アルモノトス

   一 公正証書ナルトキハ其日付ヲ以テ確定日付トス

   二 登記所又ハ公証人役場ニ於テ私署証書ニ日付アル印章ヲ押捺シタルトキハ其印章ノ日付ヲ以テ確定日付トス

   三 私署証書ノ署名者中ニ死亡シタル者アルトキハ其死亡ノ日ヨリ確定日付アルモノトス

   四 確定日付アル証書中ニ私署証書ヲ引用シタルトキハ其証書ノ日付ヲ以テ引用シタル私署証書ノ確定日付トス

   五 官庁又ハ公署ニ於テ私署証書ニ或事項ヲ記入シ之ニ日付ヲ記載シタルトキハ其日付ヲ以テ其証書ノ確定日付トス

   六 郵便認証司(郵便法(昭和22年法律第165号)第59条第1項ニ規定スル郵便認証司ヲ謂フ)ガ同法第58条第1号ニ規定スル内容証明ノ取扱ニ係ル認証ヲ為シタルトキハ同号ノ規定ニ従ヒテ記載シタル日付ヲ以テ確定日付トス

 

ア 柱書き

ここでいう「証書」とは,「紙片,帳簿,布その他の物に,文字その他の符号をもつて,何らかの思想又は事実を表示したもので,その表示された内容が証拠となり得る物,すなわち書証の対象となり得る文書」をいいます(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)400頁)

 

イ 第1号

民法施行法511号の「公正証書」は,公証人が作成するものに限られず,「公務員がその権限内において適法に作成した一切の証書」たる広義のものです(吉国等250頁)

 

ウ 第4号

民法施行法514号に関しては,「同号にいう「確定日付ある証書中に私署証書を引用したるとき」とは,確定日付ある証書それ自体に当該私署証書の存在とその同一性が明確に認識しうる程度にその作成者,作成日,内容等の全部又は一部が記載されていることをいうと解すべきである。」と判示する最高裁判所判決があります(昭和58322日・集民138303頁)。

 

エ 第5号

民法施行法515号の「官庁又ハ公署」は,郵政事業庁(かつては,郵便事業は政府直営でした。)の後身たる日本郵政公社の存続期間中(200341日から2007930日まで)は「官庁(日本郵政公社ヲ含ム)又ハ公署」となっていました(日本郵政公社法施行法(平成14年法律第98号)90条による改正)。ここでの「官庁又ハ公署」は,「国または地方公共団体等の事務執行機関一般を指すもの」です(奥村長生「101 市役所文書課係員が受け付けた事実を記入し受付日付を記載した債権譲渡通知書と確定日付のある証書」『最高裁判所判例解説民事篇(下)昭和43年度』(法曹会・1969年)931頁)。確定日付の付与に係る事務を郵便局〠で行わせてはどうかという話は,民法467条に係る審議を行った第72回法典調査会で既に出ていたところです(『法典調査会民法議事速記録第22巻』156丁表)

民法施行法515号に関する判例として,最高裁判所第一小法廷昭和431024日判決・民集22102245頁があります。横浜市を債務者とする債権の譲渡に関する事件に係るものです。いわく,「本件通告書と題する文書(乙第3号証)は,地方公共団体たる被上告人市〔債務者〕の文書受領権限のある市役所文書課係員が,同市役所の文書処理規定にもとづき,私署証書たる訴外D作成の本件債権譲渡通知の書面に,「横浜市役所受付昭和三四・八・一七・財第六三九号」との受付印を押捺し,その下部に P.M.4.25 と記入したものであるというのであるから,これは,公署たる被上告人市役所において,受付番号財639号をもつて受け付けた事実を記入し,これに昭和34817日午後425分なる受付日付を記載したものというべく,従つて,右証書は民法施行法55号所定の確定日付のある証書に該当するものと解すべきである。/してみれば,右通告書をもつて,未だ確定日付ある証書とはいえないとして,上告人の本訴請求を排斥した原判決は,民法施行法55号の解釈適用を誤り,ひいては,民法4672項の解釈適用を誤つた違法のあるものといわなければならない。」と。

民法施行法515号が「同号にいう「確定日附」の要件として,〔略〕私署証書に「或事項ヲ記入」することを要求しているのは,登記所または公証人役場が,「私署証書ニ確定日附ヲ附スルコト」自体を,その本来の職務としている(民法施行法52号,6条)のに対し,その他の官庁または公署はそのようなことをその本来の職務とするものではないため,登記所または公証人役場以外の官庁または公署が私署証書に単なる日付のみを記載するということは通常考えられず,したがって,そのような官庁または公署の単なる日付のみの記載をもってしてはいまだ「確定日附」とはいえないという消極的な理由からにすぎない,と解するのが相当」であり,判例,学説も結論的に同旨の見解に立つものと解されています(奥村932頁)。昭和43年最高裁判所判決は,当該消極的趣旨を前提として「或事項ヲ記入シ」とは「格別に制限的に解しなければならない理由はなく,官庁または公署がその職務権限に基づいて作成する文書,すなわち,公文書と認めうる記載さえあれば充分であると解し」た上で,更に,「「官庁又ハ公署」の作成する文書の記載内容には,私署証書,すなわち,私人の作成する文書の記載内容に比して,高度の信用性があると認められる」という信用性は,当該公署が債権譲渡の通知を受ける債務者であるという当事者の場合であっても同様に認められるということができるから,当該事案における「通告書」を民法施行法515号所定の確定日付のある証書に該当するものと認めたもの,と評価されています(奥村931-932頁)

 

オ 第6号

民法施行法516号は,郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成17年法律第102号)3条によって追加されたものです(併せて同条により,民法施行法51項中の「日附」が「日付」に改められました。)。従来は,民法施行法515号に含まれていたものです。内容証明郵便制度は,「郵便の送達により権利義務の発生保存移転若くは消滅等を証明せんとするものの利用に供するの目的を以て」(逓信省『郵便』(逓信省・1914年)48頁),当時の郵便規則(明治33年逓信省令第42号)が1910115日公布の逓信省令第106号によって改正されて,同月16日から発足しています(当時の逓信大臣は後藤新平)。

 

カ 第2項及び第3項

指定公証人が電磁的方式によって「日付情報」を付した「電磁的記録ニ記録セラレタル情報」を「確定日付アル証書ト看做ス」とともに,当該日付情報の日付をもって確定日付とする民法施行法52項及び3項は,商業登記法等の一部を改正する法律(平成12年法律第40号)3条によって追加されたものです。

 

(3)民法施行法旧4条

なお,民法施行法4条は,「証書ハ確定日附アルニ非サレハ第三者ニ対シ其作成ノ日ニ付キ完全ナル証拠力ヲ有セス」と従来規定していましたが,民法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成29年法律第45号)1条によって,202041日からさりげなく「削除」となっています。

民法施行法旧4条は,実は(有害)無益な規定であったにもかかわらず,従来何となく目こぼしされてきていたものであったのでしょうか。同条の削除は,「この規定は現在では意味を失ったと解されることによるものと思われる。」とされています(山本宣之「民法改正整備法案による改正の実像」産大法学511号(20174月)196頁)

 

本槁においては,民法施行法51項及び旧4条について調べてみたところを記していきます。

 

2 民法467条に係る先行規定

なお,ここで,民法467条に係る先行規定を掲げておきます。

 

(1)明治9年7月6日太政官布告第99号

先ず,明治976日太政官布告第99号。

 

 金穀等借用証書ヲ其貸主ヨリ他人ニ譲渡ス時ハ其借主ニ証書ヲ書換ヘシムヘシ若シ之ヲ書換ヘシメサルニ於テハ貸主ノ譲渡証書有之モ仍ホ譲渡ノ効ナキモノトス此布告候事

  但相続人ヘ譲渡候ハ此限ニアラス

 

当該太政官布告に言及しつつ梅謙次郎は,「我邦ニ於テハ従来債権ノ譲渡ヲ許ササルヲ本則トセシカ如シ(976日告99号参観)」と述べていました(梅謙次郎『訂正増補第33版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=有斐閣書房・1912年)204頁)

「外国人の起草した〔旧〕民法への反発から巻き起こった法典論争においては,「民法出テゝ忠孝亡フ」という有名なキャッチフレーズで争われた家族法の論点と並んで,財産法では債権譲渡が槍玉に挙げられた。(旧)民法典の施行延期を主張する延期派は,債権譲渡の自由は経済社会を攪乱し,弱肉強食を進めるものだと批判したのである。」とのことです(内田貴『民法Ⅲ 第4版 債権総論・担保物権』(東京大学出版会・2020年)245頁)

 

(2)旧民法財産編347条

続いて旧民法財産編(明治23年法律第28号)347条。

 

347 記名証券ノ譲受人ハ債務者ニ其譲受ヲ合式ニ告知シ又ハ債務者カ公正証書若クハ私署証書ヲ以テ之ヲ受諾シタル後ニ非サレハ自己ノ権利ヲ以テ譲渡人ノ承継人及ヒ債務者ニ対抗スルコトヲ得ス

 債務者ハ譲渡ヲ受諾シタルトキハ譲渡人ニ対スル抗弁ヲ以テ新債権者ニ対抗スルコトヲ得ス又譲渡ニ付テノ告知ノミニテハ債務者ヲシテ其告知後ニ生スル抗弁ノミヲ失ハシム

 右ノ行為ノ一ヲ為スマテハ債務者ノ弁済,免責ノ合意,譲渡人ノ債権者ヨリ為シタル払渡差押又ハ合式ニ告知シ若クハ受諾ヲ得タル新譲渡ハ総テ善意ニテ之ヲ為シタルモノトノ推定ヲ受ケ且之ヲ以テ懈怠ナル譲受人ニ対抗スルコトヲ得

 当事者ノ悪意ハ其自白ニ因ルニ非サレハ之ヲ証スルコトヲ得ス然レトモ譲渡人ト通謀シタル詐害アリシトキハ其通謀ハ通常ノ証拠方法ヲ以テ之ヲ証スルコトヲ得

 裏書ヲ以テスル商証券ノ譲渡ニ特別ナル規則ハ商法ヲ以テ之ヲ規定ス

 

(3)ボワソナアド草案367条

旧民法財産編347条は,ボワソナアド草案の367条に対応しますGustave Boissonade, Projet de Code Civil pour L’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations. Tokio, 1891; pp.202-203

 

  367. Le cessionnaire d’une créance nominative ne peut opposer son droit aux ayant[sic]-cause du cédant ou au débiteur cédé qu’à partir du moment où la cession a été dûment signifiée à ce dernier, ou acceptée par lui dans un acte authentique ou ayant date certaine.

  Le signification d’une cession faite sous seing privé doit être faite à la requête conjointe du cédant et du cessionnaire ou du cédant seul.

  L’acceptation du cédé l’empêche d’opposer au cessionnaire toutes les exceptions ou fins de non-recevoir qu’il eût pu opposer au cédant; la simple signification ne fait perdre au cédé que les exceptions nées depuis qu’elle a été faite.

   Jusqu’à l’un desdits actes, tous payements ou conventions libératoires du débiteur, toutes saisies-arrêts ou oppositions des créanciers du cédant, toutes acquisitions nouvelles de la créance, dûment signifiées ou acceptées, sont présumées faites de bonne foi et sont opposables au cessionnaire négligent.

   La mauvaise foi des ayant-cause ne peut être prouvée que par leur aveu fait par écrit ou en justice; toutefois, s’il y a eu fraude concertée avec le cédant, la collusion pourra être établie par tous les moyens ordinaires de preuve.

   Les règles particulières à la cession des effets de commerce, par voie d’endossement, sont établies au Code de Commerce.

 

(4)民法467条,旧民法財産編347条及びボワソナアド草案367条間の比較若干

 

ア 「記名証券」か「指名債権」か

 ボワソナアド草案3671項の“créance nominative”が旧民法財産編3471項では「記名証券」となっていますが,これはやはり「指名債権」と訳されるべきものだったのでしょう(平成29年法律第44号による改正前の民法4671項参照)。「指名債権トハ債権者ノ誰タルコト確定セルモノ」をいいます(梅208頁)

 

イ 「合式ニ告知」から譲受人通知主義を経て譲渡人通知主義へ

 民法4671項の譲渡人通知主義は,ボワソナアド草案3671(そのフランス語文言は,旧民法案審議当時も本稿のものと同じ(池田真朗『債権譲渡の研究(増補二版)』(弘文堂・2004年)28-29頁註(25))の「誤訳」により,旧民法財産編3471項においては譲受人が合式ニ告知するもののようになっていたところ(池田24-25頁),ボアソナアドの考えに「感服」した現行民法起草者によって採用されたものです(『法典調査会民法議事速記録第22巻』140丁表-141丁表)

ただし,ボワソナアド草案3672項は「私署証書によってされた譲渡に係る告知は,譲渡人及び譲受人共同の又は譲渡人単独の申請に基づいてされなければならない。」と規定するものなので,債権譲渡の当事者が自ら同条1項の告知を債務者に直接することは想定されておらず,申請を受けたお役所筋において債務者に対する告知を合式ニ(dûment)するものと考えられていたようです。旧民法において「告知」となっているフランス語の“signification”は,法律用語としては「[令状などの]通達」を意味するものとされています“signification d’un jugement par un huissier”は「執達吏による判決の通達」です。他方,“notification”は,法律用語ならぬ日常的な意味の語のようです。『ロワイヤル仏和中辞典』(旺文社・1985年))。わざわざ “dûment”の語をもって修飾しているのですから正にお役所の手を煩わすべきものなのでしょう。ボワソナアドは,「通達(signification)については,公証吏(officier public)によってされなければならないことから,これも確定日付を有することになるものである。」と述べていますBoissonade II, p.218。「執行官に通知してもらい,その執行官が何月何日何時に通知が着いたということを公正証書で証明するといった方法」が「債権譲渡法制の母法国フランスで用いられる方法であり,起草者もこれを想定していた」そうです(内田267頁)。ただし,ボワソナアドはともかく(池田35頁註(8)・80頁),梅謙次郎はそこまで具体的に「想定」していたものかどうか。梅は「執達吏カ只我々ノ手紙ヲ使ヒヲ以テヤル様ニ手数料ヲヤレハ持ツテ徃クトイフモノテハナイ執達吏規則ニ「告知及ヒ催告ヲ為スコト」トアリマスケレトモ告知及催告状ノ送達ヲ為スト云フコトハナイ「当事者ノ委任ニ依リ左ノ事務ヲ取扱フ」ト云フコトカアルカライツレ執達吏ニ依テ通知スルト云フトキハ所謂告知ニナツテ其証書自身カ証拠ニナルノテナクシテ執達吏カ其告知ノ手続ヲ履ンタノカ夫レカ証明ニナルト思フ」と述べています(『法典調査会民法議事速記録第22巻』164丁表裏)。「イツレ・・・其証書自身カ証拠ニナルノテナクシテ・・・夫レカ証明ニナルト思フ」ということで,曖昧であり,かつ,その手続は確定日付のある「証書」の証拠力(民法施行法旧4条参照)の発動の場ではないよというような口ぶりです(ただし,池田128頁註(20))

旧執達吏規則は,「規則」といっても法律(明治23年法律第51号)で(執行官法(昭和41年法律第111号)附則2条により19661231日から廃止(同法附則1条及び昭和41年政令第380号)),その旧執達吏規則2条の第1により,執達吏は当事者の委任によって「告知及催告ヲ為スコト」を「得」るものとされていたものです。なお,梅は「告知及催告状ノ送達ヲ為スト云フコトハナイ」と言っていましたが,現在の執行官法附則91項は「執行官は,当分の間,第1条に定めるもののほか,私法上の法律関係に関する告知書又は催告書の送付の事務を取り扱うものとする。」と規定しています。

 

ウ 「確定日付のある証書によってする」のは,通知又は承諾であってその証明ではない。

また,「古い判例には,4672項にいう「確定日付のある証書によって」とは,債務者が通知を受けたことを確定日付のある証書で証明せよということであって,単に確定日付のある証書で通知せよということではない,としたものもあった(大判明治36330日民録9-361)」そうですが,「大(連)判大正31222日(民録20-1146〔略〕)が明治36年判決を改め,確定日付のある証書による通知・承諾とは,通知・承諾が確定日付のある証書でなされることであって,通知・承諾が到達したこと〔「通知又ハ承諾アリタルコト」。ちなみに,最高裁判所昭和4937日判決・民集282174号は,確定日付のある債務者の承諾の場合は,到達の日時ではなく「確定日附のある債務者の承諾の日時の前後」を問題にしています。〕を確定日付のある証書で証明せよということではない,とした」ところです(内田267頁)。つとに第72回法典調査会において,民法4672項の文言を「前項ノ通知又ハ承諾ハ確定日附アル証書ヲ以テ証明スルニ非サレハ之ヲ以テ債務者以外ノ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス」とすべきではないか,「仮令ヒ確定日附ノアルモノテナクテモ執達吏ニ頼ンテ或ル通知証書ヲイツ幾日何々ノ証書ヲ誰々ノ所ニヤツタト云フコトテモ夫レテモ本条2項ノ目的ハ十分達シ得ラルルト思ヒマス」との田部芳の修正案(『法典調査会民法議事速記録第22巻』162丁裏)には,賛成がなかったところです(同164丁裏)

なお,前記明治36年大審院判決は,民法4672項の「確定日附アル証書ヲ以テスル」「通知」は主に執達吏によってされることを想定していたようで「而シテ債務者ニ於テ通知ヲ受ケタル事実ヲ確定日附アル証書ヲ以テ証明スルニハ種々ナル方法ニ依ルヲ得可キモ猶其中ニ就テ例ヘハ執達吏規則第2条第10条ニ依レハ執達吏ハ当事者ノ委任ニ依リ告知等ヲ為ス可キ職務ヲ有シ且正当ノ理由アルニ非サレハ之ヲ拒ムコトヲ得サル責任アリ且若シ正当ノ理由アリテ之ヲ拒ミ委任ヲ為スコトヲ得サル場合ニ於テハ第11条乃至第13条等其手続完備シアルニヨリ同法律ノ規定ニ従ヒ執達吏ニ委任シテ通知ヲ為サシメ執達吏カ職務ノ執行ニ付キ作製セル公正証書ヲ以テ証明スルカ如キハ譲渡人及ヒ譲受人ノ為メ他日安全ニ立証シ得可キモノナリ」と判示しています。

エ 債務者の承諾

 

(ア)確定日付の要否

債務者の承諾については,ボワソナアド草案3671項においては債務者の承諾は「公正証書若しくは確定日付のある私署証書」ですべきものとなっていたところ,旧民法財産編3471項では,当該私署証書に確定日付を要求しないものとされていました。旧民法の制定過程において,確定日付制度を採用すべきものとするボワソナアドの提案は却下されてしまっていたのでした。

 

(イ)「承諾」の性質

民法467条における債務者の承諾は,「承諾」との文言にもかかわらず,「債務者が,債権が譲渡された事実についての認識――譲渡の事実を了承する旨――を表明することである。従って,その性質は,通知と同じく,観念の表示である(通説)。判例は,かつて,異議を留めない承諾は意思表示であって,譲受人に対してすることを要する,といったことがある(大判大正61021510頁。但し傍論)。然し,その後は,異議を留めない承諾もすべて観念の通知としているようである(例えば,大判昭和97111516頁〔略〕)。」(我妻榮『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)532頁)と,また,「ここでいう承諾は,通知の機能的代替物だから,契約の成立の際の「承諾」のような意思表示ではない。譲渡に対する「同意」でもない。単に債権譲渡の事実を認識した旨の債務者の表示であり,これも「観念の通知」とされる。承諾の相手は,譲渡人でも譲受人でもよいとされている。」(内田234頁)ということで,観念の表示であるものと解されています。そうであれば,せっかくの平成29年法律第44号による改正の機会に,民法467条の「承諾」の語を同法152条における用語に揃えて「承認」とでも改めておけばよかったのにそれをしなかったのは,将来債権譲渡についての事前の包括的承諾というような「実務で用いられる「承諾」は,単なる観念の通知というより,意思表示としての「同意」とみる余地がある」から(内田273頁)でしょうか。

この「承諾」の性質問題についての起草者の認識はどうだったかといえば,梅謙次郎は,あっさり,「債務者カ承諾スルト言ヘハ夫レハ一ツノ契約テアル其契約ハ固ヨリ有効テアル」と,意思表示である旨述べていました(『法典調査会民法議事速記録第22巻』138丁裏)。そうだとすると,承諾に係る民法4672項の証書(acte)は,法律行為(acte)たる契約に係る処分証書であるということになるようです(ただし,契約書については「厳密にいえば,契約条項の部分は処分証書であるが,契約書作成の日時,場所,立会人などの記載部分は報告文書であると考えられている」そうです(司法研修所『民事訴訟における事実認定』(法曹会・2007年)18頁(*26))。)。また,梅は,債務者の承諾が用いられる場合として,債権譲渡がされるより前の事前の承諾の例を挙げています(『法典調査会民法議事速記録第22巻』151丁裏-152丁表)。フランスの「破棄院は1878年に至って〔略〕,債務者と譲受人との関係においては,債務者のした承諾は,それが私署証書によるものでも,口頭でされたものでも,さらには黙示のものであってさえも,そこから生じた債務者の対人的な約束engagement personnel)は債務者を譲受人に拘束するに十分であり,債務者に対し,譲受人以外に弁済をすることを禁じるものである,と認め」ていたそうです(池田311頁。下線は筆者によるもの)


オ 民法467条はボワソナアド草案367条の如クか?

なお,梅は民法467条について「本案ニ於テハ本トノ草案ノ如ク外国ニ於テ之ト同シ方式ヲ採用シテ居ル国ニ於ケルカ如ク確定日附ヲ必要ト致シタ」と述べていますが(『法典調査会民法議事速記録第22巻』140丁表),同条2項について見ても(同条1項の通知及び承諾は,そもそも確定日付のある証書を必要としていません。),承諾の方式についてはともかくも,ボワソナアド草案3671項(旧民法財産編3471項)の「合式ニ告知」の方式をどう解釈していたものでしょうか。債権譲渡の通知の方式(確定日付のある証書による通知)については「本トノ草案ノ如ク外国ニ於テ之ト同シ方式ヲ採用シテ居ル国ニ於ケルカ如ク」の方式であるとは言い切れないのではないか,と思われます。ボワソナアドは「「書記局ノ吏員ニ依テ」とか,「執達吏又ハ書記ノ証書ヲ以テ」」の方式を想定していたそうですし(池田80頁),「フランス法にいうsignificationは,「通知」ではなく「送達(●●)」もしくは「送達による通知」である。つまりそれは,huissier(執達吏)によって,exploit(送達証書)をもって行われる」そうです(同74-75頁)。当該exploit(送達証書)は,すなわち公証吏ないしは執達吏のexploitであるそうですから(池田75頁・76頁。また,同292-293頁),委任者作成の私署証書を送達するということではないようです。

 

(5)フランス民法1690条及び1691条

さて,次はボワソナアドの母国フランスの民法1690条及び1691条です。

 

 Art. 1690 Le cessionnaire n’est saisi à l’égard des tiers que par la signification du transport faite au débiteur.

  Néanmoins le cessionnaire peut être également saisi par l’acceptation du transport faite par le débiteur dans un acte authentique.

  (譲受人は,第三者との関係では,債務者に対して譲渡の通達がなければ権利者ではない。

  (ただし,譲受人は,公正証書でされた債務者による譲渡の承諾によっても同様に権利者となることができる。)

 

ここでの“saisir”は,“mettre (qqn) en possession (de qqch)”の意味(Le Nouveau Petit Robert)でしょう。

 

  Art. 1691 Si, avant que le cédant ou le cessionnaire eût signifié le transport au débiteur, celui-ci avait payé le cédant, il sera valablement libéré.

  (譲渡人又は譲受人によって債務者に対する譲渡の通達がなさしめられた前に当該債務者が譲渡人に弁済していたときは,債務の消滅は有効である。)


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