1 推定されない嫡出子の問題と民法772条
民法における分かりにくい概念のうちの一つに,「推定されない嫡出子」というものがあります。
婚姻成立後200日以内に妻が分娩した嬰児は直ちにその夫の子(法律上の子,の意味です。)となるものであるか否かが,民法772条の文言(「妻が婚姻中に懐胎した子は,夫の子と推定する。/婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。」)からははっきりしないところに分かりにくさの原因があります。(なお,夫が当該嬰児の父となる場合,当該嬰児を分娩した妻も当該嬰児の母となることは,当然の前提とされているものと解されます。)
2 嫡出子とは何者か
ちなみに,「嫡」の字の成り立ちは,「形声。女と音符啇(正対する意→敵)とから成り,正夫人。」ということだそうです(小川環樹=西田太一郎=赤塚忠編『角川新字源』(第123版・1978年))。「正夫人=敵」というところが,我が邦漢学者の家庭事情を窺知せしめて興味深いところです。
「嫡出子」は,そうすると,夫から見た表現であって,正妻(嫡)から出生した我が子,ということになります。我が民法の起草者の一人である梅謙次郎は,「嫡出子トハ婚姻ヲ為シタル男女間ニ生マレタル者ヲ謂」う,と定義しています(梅謙次郎『訂正増補第20版民法要義巻之四・親族編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)238頁。下線は筆者によるもの)。「既ニ妻カ懐胎シテ其子カ夫ノ子ナル以上ハ其嫡出子タルコト固ヨリ言フヲ竢タサル所ナリ」です(梅240頁。下線は筆者によるもの)。しかし,懐胎と出生との間には,十月十日(約9箇月)の時間の経過(time gap)があるところです。
3 フランス民法新旧312条
「婚姻中に懐胎された子は,夫を父とする。(L’enfant conçu pendant le mariage, a pour père le mari.)」と定めた同国民法旧312条1項の規定の下におけるフランスでは(当ブログの「ナポレオンの民法典とナポレオンの子どもたち」記事を御参照ください(http://donttreadonme.blog.jp/archives/2166630.html)。),「婚姻前の懐胎子を嫡出子とするかどうか」については,「否定する」とされていたそうです(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)215頁註(1))。
そうだとすると,フランス民法の現行312条(2006年7月1日以降)が「婚姻中に懐胎され,又は出生した子は,夫を父とする。(L’enfant conçu ou né pendant le mariage a pour père le mari.)」と規定して,あえて「婚姻中に出生した」もの(l’enfant né pendant le mariage)をも加えているのは,従前の文言では,婚姻中に妻から出生したものの既に婚姻前に懐胎されてしまっていた嬰児は,夫を父とするものとは解し得なかったからでしょう。
4 梅謙次郎の解釈
梅謙次郎は「妻カ婚姻成立前ニ懐胎シ〔略〕タルモノト認メタルトキト雖モ若シ妻カ常ニ夫タルヘキ者〔略〕ト同棲セシ証拠歴然トシテ而モ他ノ男子ト関係アリシ事跡ナキトキハ其子ハ夫ノ子ト看做ササルコトヲ得ス但此場合ニ於テハ其子ハ当然嫡出子タルニ非ス唯婚姻前ニ生マレタル子ニシテ其父母カ之ヲ認知シタルトキハ第836条〔現行789条〕ノ規定ニ依リ嫡出子タル身分ヲ取得スヘ」しと述べています(梅242頁。下線は筆者によるもの)。やはり嫡出子ではないようです。しかし,婚姻成立前に出生した場合は準正の問題だと述べつつ,肝腎の婚姻成立後出生の場合については説明がないのは不親切です。
(ただし,これについては,梅は民法旧824条(776条)の規定(「夫カ子ノ出生後ニ於テ其嫡出ナルコトヲ承認シタルトキハ其否認権ヲ失フ」)の活用を考えていたとの指摘があります(福永有利「推定されない嫡出子」星野英一編集代表『民法講座7 親族・相続』(有斐閣・1984年)182-183頁)。確かに,梅は同条に関して「所謂否認権トハ嫡出子タルコトヲ認メサルノ権利ナルカ故ニ本条ニ於テハ特ニ嫡出ナルコトヲ承認シタル場合ニ付テ規定セリト雖モ夫カ一旦其子ナルコトヲ承認シタルトキハ仮令〔旧〕第820条(772条)ノ規定ニ依リ嫡出子ト認メ難キ場合ト雖モ夫ハ復否認権ヲ行フコトヲ得サルヤ蓋シ論ヲ竢タサル所ナリ」と述べています(梅248頁。下線は筆者によるもの)。しかし,民法776条に係る現在の理解は,「いかなる事態がここでいう「承認」に当たるかは必ずしも明らかではない。自分の子だと信じて可愛がることで否認権を失うのでは,夫に酷である。〔略〕単に子供を可愛がったというだけで否認権を失うというのも妥当ではない。776条が適用されるのは,よほど明確に否認権を放棄した場合に限るべきだろう。裁判例において本条が適用された例はないといわれている。」というものです(内田貴『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)170頁)。そう言われてしまうと,同条はなかなか心もとない。)
「立法者は,婚姻前に懐胎された子は準正によって嫡出子となる他なし,と考えたと推測されることにつき,谷口〔知平〕・〔日本〕親族法325頁参照。」ということになるわけですが(我妻215頁註(1)),しかし,民法旧836条(789条)の規定は,梅によれば,「父母共ニ認メタル子ハ其父母ノ婚姻ニ因リテ当然嫡出子タル身分ヲ取得スルモノトシ」(同条1項),「婚姻前ニ父母共又ハ其一人カ之ヲ認知セサリシトキト雖モ猶ホ後日之ヲ認知スル時ハ其時ヨリ嫡出子タル身分ヲ取得スルモノトセリ」(同条2項)ということですから(梅270頁。下線は筆者によるもの。なお民法旧836条(789条)1項については「「〔略〕其父母ノ婚姻ニ因リ云々」ト云ヒ此場合ニ於テハ特ニ父母共ニ知レタル場合即チ父母共ニ認知シタル場合ニ付テ規定」したものだと念が押されています(梅271頁。下線は筆者によるもの)。),そこでは,婚姻前に認知の対象となるべき者が存在していたことが前提されています。この梅謙次郎の説明を厳格に適用すると,婚姻前に懐胎され婚姻成立後に出生した嬰児については,旧836条(789条)2項の類推適用(端的な適用ではない。)の可否が問題となるということになるわけですが(旧824条(776条)の活用説についてはここでは措いておきます。),これについては,「子が婚姻前に生まれている場合だけでなく,婚姻後に生まれた場合も含みうる――立法者の意思は必ずしもはっきりしないとされるが〔略〕」との789条2項適用説が大村敦志教授によって説かれています(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)132頁)。
5 婚姻後200日以内に妻が分娩した子の準正(上)
準正の要素を「準正=婚姻+認知(=生物学的親子関係+認知意思)」と考えれば,婚姻前に懐胎され婚姻成立後200日内に出生した嬰児を準正するということになれば,そのためには,更に夫婦それぞれによる認知が必要になります(本稿においては,「母とその非嫡出子との親子関係は,原則として,母の認知を俟たず,分娩の事実により当然発生する」ものとする例の有名な最高裁判所昭和37年4月27日判決(民集16巻7号1247頁)にかかわらず,民法の条文どおりの解釈を試みています。なお,当該判決に関しては,「「母」をたずねて」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1053701038.html)をも御参照ください。)。
(1)非嫡出子として母が出生の届出をする場合
婚姻成立後200日以内に妻が分娩した嬰児はその夫婦の嫡出子ではないとすれば(有名な大審院聯合部昭和15年1月23日判決(民集19巻54頁)より前には,正に「判例には,〔略〕婚姻成立の前に懐胎された子(婚姻成立の日から200日経たないうちに生まれた子)を非嫡出子としたものがあった」ところです(我妻215頁)。),当該嬰児の出生届は当該分娩をした妻がすることになり(戸籍法(昭和22年法律第224号)52条2項は「嫡出でない子の出生の届出は,母がこれをしなければならない。」と規定しています。旧戸籍法(大正3年法律第26号)72条2項後段も同様です。),自己が届出人となって自己を母と記載して(戸籍法49条2項3号)された当該出生の届出には認知の効力があるので(最高裁判所昭和53年2月24日判決(民集32巻1号110頁)は父の認知についてですが「嫡出でない子につき,父から,これを嫡出子とする出生届がされ,又は嫡出でない子としての出生届がされた場合において,右各出生届が戸籍事務管掌者によって受理されたときは,その各届は認知届としての効力を有する」と判示しています。)母の認知は備わるのですが(谷口知平『戸籍法』(有斐閣・1957年)75頁も「母の出生届があるときは認知の意思表示が含まれるものと解すべき」ものとします。),当該嬰児が民法789条2項の「婚姻中父母が認知した子」となるためにはなお父の認知が足りず,当該夫婦の嫡出子たるものとしてまだ準正されません。
(2)旧戸籍法83条後段の父母による届出
と,くよくよするのは迂路であって,戸籍法62条は,端的に,「民法第789条第2項の規定によつて嫡出子となるべき者について,父母が嫡出子出生の届出をしたときは,その届出は,認知の届出の効力を有する。」と定めています。前身条文である旧戸籍法83条は「父カ庶子出生ノ届出ヲ為シタルトキハ其届出ハ認知届出ノ効力ヲ有ス民法第836条第2項ノ規定ニ依リ嫡出子タルヘキ者ニ付キ父母カ嫡出子出生ノ届出ヲ為シタルトキ亦同シ」と規定していました。(なお,庶子とは何者かについては,「父カ認知シタル私生子ハ之ヲ庶子トス」との規定がありました(民法旧827条2項)。)
(3)嫡出子出生の届出に係る第1次義務者:父=夫のみ
しかし,嫡出子として出生届をするのならば,通常その第1次届出義務者は専ら当該嬰児を分娩した妻の夫であったところでした(旧戸籍法72条1項前段)。この子は我らの嫡出子だ,と思う夫婦においては,旧戸籍法83条後段に規定される父母による届出を,わざわざしようという発想にはなかなかなれなかったものでしょう。
(なお,嫡出子出生の第1次届出義務者に係る戸籍法52条1項の規定が,「父がこれをし,父が届出をすることができない場合又は」から「父又は母がこれをし,」に改められたのは,昭和51年法律第66号3条によるものです(1976年12月1日施行)。「母を第2順位の届出義務者とする合理的理由に乏しい等の理由」からの改正だったそうです(木村三男監修・竹澤雅二郎=荒木文明著『設題解説 戸籍実務の処理――Ⅲ出生・認知編――』(日本加除出版・1994年)105頁)。)
6 父の認知の母の認知に対する先行の可否及びベンジャミン・フランクリンの非嫡出子問題
(1)父の認知の先行:可
と,ここにおいて筆者にはふと,非嫡出子を,その母の認知がないままに父が認知できるものかしら,という疑問が生じます。これは,例の十三徳(節制,沈黙,規律,決断,節約,勤勉,誠実,正義,中庸,清潔,平静,純潔及び謙譲)を誇る大先生ベンジャミン・フランクリン(松本慎一=西川正身『フランクリン自伝』(岩波文庫・1957年)135-136頁)の庶子ウィリアム(後にロンドンの法曹学院(Inns of Court)で学び(Randall, Willard Sterne. Thomas Jefferson: a life. HarperPerennial,
New York, NY, 1994; p.46),ニュー・ジャージー植民地の王党派の知事閣下となるも,アメリカ独立革命に反対の立場から英国に移住。)の母が不明であるということ(松本=西川訳書5頁)を知って以来,筆者にとって気になっていたところです。戸籍法60条1号は,「父が認知をする場合には,母の氏名及び本籍」を認知届書に記載すべきものとしています。
大村敦志教授の著書においても同じ疑問が提起されていますが,父がまず認知するということは可能である,と民法起草者の富井政章も梅謙次郎も考えていたと報告されています(大村154-155頁)。
すなわち,梅によれば,旧々戸籍法(明治31年法律第12号)では「父カ認知ヲ為ス場合ニハ必ス母ノ氏名ヲ其届書ニ記載スヘキモノトセリト雖モ〔同法80条1項柱書「私生子認知ノ届書ニハ左ノ諸件ヲ記載スルコトヲ要ス」,同項4号「父カ認知ヲ為ス場合ニ於テハ母ノ氏名,職業及ヒ本籍地」〕棄児,無届ノ子等ニ付キ母カ認知ヲ為スコトヲ欲セス又ハ母ノ所在不分明ニシテ其認知ヲ得難ク又ハ母カ既ニ死亡セル場合ニ於テ父カ認知ヲ為サント欲スルトキハ法律上母ノ知レサル子ナルカ故ニ父ハ濫ニ自己ノ一存ヲ以テ母ノ氏名ヲ届書ニ記スルコトヲ得サルモノト謂ハサルコトヲ得ス殊ニ〔旧々戸籍法〕80条〔1項4号〕ニハ母ノ職業及ヒ本籍地マテヲモ記載スヘキコトヲ言ヘリト雖モ父ニ於テ之ヲ知ラサルコトハ敢テ稀ナリトセサルヘシ故ニ此等ノ個条ヲ解釈スルニ方リテハ宜シク〔旧々戸籍法〕第50条ノ通則〔「本法ノ規定ニ依リ届書ニ記載スヘキ事項中其事実ノ存セサルモノ又ハ知レサルモノアルトキハ其旨ヲ記載スルコトヲ要ス但戸籍吏ハ各届出事件ニ付キ特ニ重要ト認ムル事項ヲ記載セサル届書ヲ受理スルコトヲ得ス」〕ニ依リ特別ノ場合ニ於テ母ノ知レサルトキハ之ヲ記載スルコトヲ要セサルモノト解スヘキノミ」ということになります(梅256-257頁)。戸籍法34条1項も「届書に記載すべき事項であつて,存しないもの又は知れないものがあるときは,その旨を記載しなければならない。」と規定しています。ここでの「存しないもの又は知れないもの」の例として,「無職,本籍不存在・不明,父・母不明など,明治31年10月22日民刑局長回答民刑915号」が挙げられています(谷口64頁)。
(2)ベンジャミン・フランクリンの「青春の情熱」
1706年生れのフランクリン大先生の十三徳が樹立されたのは1731年のこととされており(松本=西川訳書293頁),「純潔」の徳については「性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い,これに耽りて頭脳を鈍らせ,身体を弱め,または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。」との戒律が付されています(同書136頁)。しかして,その頃の夫子の行状は次のとおり。
当時の彼の私生活は,極めて複雑であった。デボラ・リードは結婚したが,彼女の夫は彼女を棄て,姿を消していた。一つの縁談の試みは,事業上の負債を弁済するための100ポンドの持参金をフランクリンが求めていたため,失敗した。強い性的欲求,すなわち「かの抑えられがたき青春の情熱(that hard-to-be-govern’d Passion of Youth)」は,彼を“low Women”の許に赴かせしめつつあった。そして,彼は,結婚する必要が非常にあると考えた。彼のデボラに対する愛情は「復活し(revived)」,1730年9月1日,彼は「彼女を嫁に取った(took her to Wife)」。この時点において,デボラは,フィラデルフィアにおいて,彼を受け容れる唯一の女性であったであろう。というのは,彼は,ついにその身元が明らかにされることのなかった某女との間に生まれたばかりの非嫡出子であるウィリアムを,新婚家庭に連れ込んだからである。フランクリンのコモン・ロー上の婚姻は,1774年のデボラの死まで継続した。彼らは,4歳で死んだ息子・フランキィ及び彼ら両者の死後までも生存した娘・サラを儲けた。ウィリアムは当該家庭において育てられ,明らかにデボラとはうまくいっていなかった。(Encyclopædia Britannica. The Founding Fathers. John Wiley & Sons,
Inc., Hoboken, NJ, 2007; p.80. また,松本=西川訳書82-83頁及び109-112頁参照)
「頭脳を鈍らせ,身体を弱め,または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときこと」のない限りにおいては,「健康」のために大いにいそしもう,嫁とならば「子孫」のためにもなるしな,というような不埒なことを考えている絶倫人であったからこそ,フランクリンは後に大をなし得たものでしょうか。
閑話休題。
7 婚姻後200日以内に妻が分娩した子の準正(下)
(1)戸籍実務
ところで,実は,大審院昭和15年1月23日判決前の実務は,「甲乙婚姻後200日以内に生れた子丙は,〔略〕嫡出子の推定を受けないので一応乙の非嫡出子であるが,甲において認知した限り,或は甲から嫡出子出生届をして認知の意思を表示した限り,準正されて嫡出子の取扱を受けた。」ということでした(谷口177頁)。このうち夫甲による出生届については,「旧戸83条後段参照」とされていますが(我妻榮=有泉亨著・遠藤浩補訂『新版民法3 親族法・相続法』(一粒社・1992年)129頁),旧戸籍法83条後段は前記のように「父母カ嫡出子出生ノ届出ヲ為シタルトキ」と規定していて,母も共同届出人になるべきものとしていました。当該文理にかかわらず,母乙の名義(認知)は不要とされていたのでしょうか。民法旧836条(現行789条)2項との関係でいかがなものでしょうか(同項は「婚姻後ニ至リ父母共ニ認知スルニ至リタル場合ヲ言」うものです(梅271頁。下線は筆者によるもの)。)。どうも難しい。
この点,1914年4月1日から施行された旧戸籍法下の戸籍実務は,「「婚姻成立後200日以内の出生子は,たとえ父から嫡出子出生届がなされても準正嫡出子であって(旧民836条2項),生来の嫡出子ではないから受理できない。母からまず嫡出でない子の出生届をし,次いで,父からの認知をまって嫡出子として記載すべきであるが,しかし,むしろ戸籍法第83条(現行62条)後段の届出により嫡出子出生の記載をするのが適切であるとしていた(大正4・10・2民1557号回答第一,大正11・11・30民事4297号回答)。」とのことです(木村三男=竹澤雅二郎編著『詳解 処理基準としての戸籍基本先例解説』(日本加除出版・2008年)522頁)。(なお,戸籍実務上は,当時既に母の認知は問題とされていなかったそうです(「(3)早分かり」参照。)
(その前の旧々戸籍法下の戸籍実務については,「現在と同様に父母が婚姻中に出生した子であれば,婚姻成立後200日以内に出生した子は,法律上の嫡出性の推定(旧民820条)こそ受けないが,生来の嫡出子として取り扱うものとされていた(明治31・8・25民刑1025号回答,明治31・10・27民刑1132号回答)。」と解するものと(木村=竹澤522頁),「司法省の回答は,概して,嫡出子出生届が提出されたなら受理してよいというものであった(民刑局長回答1898(明治31)年8月25日民刑1025号,民刑局長回答1898(明治31)年9月6日民刑1079号など。)」が「嫡出推定と戸籍の扱いは別だとする趣旨ではなく,父からの嫡出子出生届には認知の効力がある(したがって,その子は準正嫡出子である),との考え方によるようである(民事局長回答1911(明治44)年7月4日民433号(父の死亡後は母から私生子出生届をすべきだとしたもの)参照)。この扱いは,1914年の戸籍法改正(大正3年法律第26号)により,制定法上の裏付けを与えられた(同法83条後段(現62条))。」とするものとがあります(阿部徹「民法772条・774条」広中俊雄=星野英一編『民法典の百年Ⅳ 個別的観察(3)親族編・相続編』(有斐閣・1998年)76頁)。)
(2)「理由付け」の忖度
しかし,旧戸籍法83条後段の届出は父のみでできるものとする解釈は,夫について説かれる次のような「当為」を,妻にも応用したものと考えるべきでしょうか。
しかしながら,フランスでは(そして日本の一部の学説においても暗黙裡に)婚姻にはそれ〔婚姻から妻の貞操義務と性関係の継続性という「事実」が導出されること。〕以上の意味があると考えられてきた。すなわち,婚姻は,妻がこれから産む子を〔夫が〕自己の子として引き受けるという合意(包括的な事前の認知)を含むというのである。(大村138頁)
ヨーロッパ(特にフランス)では,婚姻とは妻が産んだ子を自らの子として認めるという約束であるという考え方が根強く存在している(たとえば,カルボニエによれば,婚姻とは「女が産んだ子を当然に男に帰さしめる結合,あるいは,女が産んだすべての子を自分のものとすることを事前に承認する男の意思として定義されうる」(Carbonnier, [Droit civil, tome 2, PUF, 21e éd.
Refondu, 2002] p.245)としている)。「Pater is est, quem nuptiae demonstrant=父は婚姻が示す」という法格言もこのような観点から解釈される。(大村149-150頁)
すなわち,夫に係る上記合意に加えて,「婚姻は,妻がこれから自ら分娩する嬰児を当該嬰児が夫の子とされる場合において自己の子として引き受けるという合意(包括的な事前の認知)を含む」のであり,しかして,妻が婚姻前に夫以外の者と性交渉を持ったかどうかは夫には実のところ分からないので,婚姻後200日以内の出生児については夫婦の嫡出子たらしめるにはなお夫の認知を要するものとする,という合意が婚姻の合意なのだという解釈が暗黙裡に採用されていたということなのではないか,というわけです。
妻の分娩した嬰児に係るここにおける夫の認知を,「合法婚姻の子のみ父に従い,父又はその家長の家父権に服する。古代には更に家長の取り上げる(tollere, suscipere)行為が,家に入るに必要との学説がある。」(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)296頁)との古代ローマの法に関する学説のいうtollere又はsuscipereになぞらえて考えてよいものかどうか。いずれにせよ,新生児を最初に抱くべき男性は,その父親でなければならないでしょう。
(3)早分かり
と,妻の認知意思に関していろいろ論じてみましたが,戸籍実務上は,最高裁判所昭和37年4月27日判決の出る前から,「嫡出でない子と母との法律上の親子関係については,母の認知をまつまでもなく分娩の事実によって当然に発生するもの〔略〕(〔略〕大正5・10・25民805号回答,大正7・5・30民1159号回答,大正11・5・16民事1688号回答)」とされていたそうです(木村・竹澤=荒木186頁。また,同書28頁)。
8 大審院昭和15年1月23日判決
大審院昭和15年1月23日判決は,次のようなものです(我妻228-229頁註(1)から引用)。
連合部判決の事案は,婚姻届の翌日生まれた子とその後の壻養子との家督相続の順位に関する〔家督相続の順位に関しては,民法旧970条1項2号は「親等ノ同シキ者ノ間ニ在リテハ男ヲ先ニス」と,同項3号は「親等ノ同シキ男〔略〕ノ間ニ在リテハ嫡出子ヲ先ニス」と,同項4号は「親等ノ同シキ嫡出子,庶子及ヒ私生子ノ間ニ在リテハ嫡出子及ヒ庶子ハ女ト雖モ之ヲ私生子ヨリ先ニス」と,及び同項5号は「前4号ニ掲ケタル事項ニ付キ相同シキ者ノ間ニ在リテハ年長者ヲ先ニス」と,並びに同条2項は「第836条〔準正〕ノ規定ニ依リ又ハ養子縁組ニ因リテ嫡出子タル身分ヲ取得シタル者ハ家督相続ニ付テハ其嫡出子タル身分ヲ取得シタル時ニ生マレタルモノト看做ス」と規定していました。〕。A男B女夫婦に女子Cがある。妻B死亡後,AはDと内縁関係を結び,D懐胎し,婚姻届の翌日X男を生んだが,他人の子として届け出た〔つまり,X男は,AD婚姻後に生まれたものの,A男からもD女からも認知されていない私生子であったわけです。私生子であれば,X男は戸主Aに係る家督相続の順位につき嫡出子であるC女に劣後します(民法旧970条1項4号)。〕。ついでC女に壻養子Yを迎え,その後Xを養子として家に入れた〔嫡出子たる養子(民法旧860条)同士としては,縁組が先であるYがXに優先します(同法旧970条1項5号・2項)。〕。それから,Aは隠居してYが家督相続をした〔「隠居ハ隠居者及ヒ其家督相続人ヨリ之ヲ戸籍吏ニ届出ツルニ因リテ其効力ヲ生スル」(民法旧757条)ので,A及びYから共同届出がされたわけです。〕。A死亡の後,XからYに対し,相続回復請求の訴〔民法旧966条(884条)〕を提起した。自分が法定推定家督相続人であるから〔AD夫婦の嫡出子たる男子として出生したので,C女にはもちろん(民法旧970条1項2号。なお,同項4号),その後養子となったYにも優先する(同条1項5号・2項)ということでしょう。〕,隠居は無効であり〔A及び真の家督相続人であるXの共同届出ではなかったから。〕,Aの死亡によって戸主となった〔民法旧964条1号〕という理由である。同様の子について,これより前に,大判大正8年10月8日(民録〔25輯〕1756頁)は,嫡出子と判示し〔「父母の婚姻成立後93日目に出生し,父によって嫡出子出生届のなされている子(Y)と,その子の出生届から約2週間たらずの時期に縁組された養子(X)との間で,どちらが亡父の相続権をもつかが争われた事件において,「民法第836条第1項(現789条1項)ノ法則ヲ基本トシテ推究スレハ父母ノ婚姻中ニ生レタル子ハ仮令其婚姻前ニ懐胎シタルモノト雖モ苟クモ其父ニ於テ否認セサル限リハ嫡出子ニ他ナラサルコトヲ知ルコトヲ得ヘシ」という理由で,Yが出生の時から嫡出子たる身分を有することは明白であり,Xに先立って父を相続すると判示した」(福永185頁)。父による嫡出子出生届はY出生2日後,また,Y出生の約1年半後に更に母がわざわざ認知の届出をしたもののようです(阿部73頁)。〕,大判昭和3年12月6日(新聞2957号7頁)は,非嫡出と判示した〔「A男B女の内縁関係中に懐胎され,婚姻成立から約180日後に出生した子Xが,Xの出生の20日前に死亡したAが生前,胎児であったXを自分の子と認めていたからAの嫡出子であると主張し,亡Aの遺族扶助料受給権を取得する目的で,祖父Yを被告として「嫡出子に変更届出手続請求」の訴えを提起したのに対し,「Xは其父A其母Bの子なりとするも其の父母の婚姻成立以前に懐胎したるものと認むるの外なく元より法律上当然Aの嫡出子たるものに非ず。唯婚姻外に生まれたる子として父母が之を認知するときは民法第836条(現789条)の規定に従ひ嫡出子たる身分を取得するに過ぎざるものとす」として,Xの主張を排斥した」(福永185頁)。Xの出生はAB婚姻後186日目であって,X出生後まもなく母も死亡したため養祖父が私生子出生届をしたものであって,Aによる胎児認知はされていないものです(阿部73頁)。〕。連合部判決は,これを統一し,嫡出子と宣言したものである。判示は「・・・既ニ事実上ノ夫婦トシテ同棲シ所謂内縁関係ノ継続中ニ内縁ノ妻ガ内縁ノ夫ニ因リテ懐胎シ而モ右内縁ノ夫妻ガ適式ニ法律上ノ婚姻ヲ為シタル後ニ於テ出生シタル子ノ如キハ,仮令婚姻ノ届出ト其〔ノ〕出生トノ間ニ民法〔第〕820条〔現行772条〕所定ノ200日ノ期間ヲ存セザル場合ト雖モ之ヲ民法上私生子ヲ以テ目スベキモノニアラズ。カクノ如キ子ハ特ニ父母ノ認知ノ手続ヲ要セズシテ出生ト同時ニ当然ニ父母ノ嫡出〔子〕タル身分ヲ有スルモノト解スルハ之ヲ民法中親子法ニ関スル規定全般ノ精神ヨリ推シテ当ヲ得タルモノト謂ハザルベカラズ・・・」。
本件において「カクノ如キ子ハ特ニ父母ノ認知ノ手続ヲ要セズシテ」ということとなる理由(なお,準正に必要な要件のうち,父母の婚姻は既に備わっています。)を母及び父についてそれぞれ考えてみましょう。母の認知については,D女は,A男と婚姻することにより,これから(慌ただしくも翌日となりましたが。)自ら分娩する嬰児を当該嬰児が夫Aの子とされる場合において自己の子として引き受けるという合意(包括的な事前の認知)をしたと解すべきなのでしょう。父の認知については,A男は,D女を妻とする婚姻をすることによって「妻がこれから産む子を自己の子として引き受けるという合意(包括的な事前の認知)」をしたことを前提としつつ,婚姻前200日間における妻の性生活に係る認識不能性を理由として一般の婚姻においては夫に認められている婚姻後200日以内出生児に係る認知の留保は,Aについては,Xの懐胎前から継続していたADの内縁関係からして認められない,ということなのでしょう。
「外国の取扱も婚姻後の出生子は夫婦の嫡出子とする。懐胎した女と婚姻する者は父であることを認むるものだという思想が含まれている。谷口・親子法の研究25頁」といわれています(谷口80頁)。ナポレオンの民法典314条は「婚姻から180日目より前に生まれた子は,次の各場合には,夫によって否認され得ない。第1,同人が婚姻前に妊娠を知っていた場合,第2,同人が出生証書に関与し(s'il a assisté à l'acte de naissance),かつ,当該証書が同人によって署名され,又は署名することができない旨の同人の宣言が記されている場合,第3,子が生育力あるもの(viable)と認められない場合。」と規定していました。第3の場合は別として,第2の場合は我が民法・戸籍法における父による嫡出子出生の届出の場合に相当し,第1の場合に係る「婚姻前に妊娠を知っていた」ことが,大審院昭和15年1月23日判決における「既ニ事実上ノ夫婦トシテ同棲シ所謂内縁関係ノ継続中ニ内縁ノ妻ガ内縁ノ夫ニ因リテ懐胎シ」の部分に対応するのでしょう。
9 「判例の一歩先を行く」実務
しかしながら,大審院昭和15年1月23日判決の後,内縁関係の先行に言及することによって当該判決もなお原則的には認めていたものであろう婚姻後200日以内出生児に対する夫の認知の必要性は,有名無実化しました。実務は,「判例の一歩先を行く扱い」をしています(阿部96頁)。(なお,「生来嫡出子としての扱い」が「内縁先行または内縁中懐胎の場合に限定されるかどうかは,判例上いまだに明確化されていない。」とされています(阿部75頁(1998年))。)
昭和15年1月23日大審院聨合部判決によって内縁関係中懐胎し婚姻後生れた子は当然の嫡出子だとされた結果形式的審査権しか有しない戸籍吏としては,内縁関係中の懐胎なりや否やの事実審査ができぬので,とりあえず嫡出子として出生届を受理すべきものとされた(昭和15年4月8日民甲432号民事局長通達)。(谷口177-178頁)
なお,戸籍吏には実質的審査権がないので「婚姻後200日以内の出生子すべてについて嫡出子出生届を受理すべきものとされるに至った」のは,「事実審査をしないで届出を受理するのは大審院判決の趣旨に反するのではないかとの照会に対する回答」である民事局長回答昭和15年6月5日民甲701号からだそうです(阿部77頁)。
婚姻後200日以内の出生子については,昭和15年1月23日大審院連合部判決の趣旨により父の認知を待つまでもなく出生と同時に父母の嫡出子の身分を有するものとして取り扱う(昭15・4・8民事甲432号通牒)(『戸籍実務六法(平成31年版)』(日本加除出版・2018年)200-201頁)
昭和15年民事甲432号通牒は,「連合部判決ノ趣旨ニ依リ取扱フコトニ〔司法省〕省議決定」した旨の通牒です(阿部76頁)。
婚姻後200日以内の出生子については,父の認知を待つまでもなく出生と同時に父母の嫡出子の身分を有するものとして,出生の届出を受理する(昭和15・4・8民事甲432号通牒)(戸籍実務六法68頁)
戸籍担当者に内縁の存否を判断する審査権もないので,婚姻後の出生子は一応嫡出子として届出でしむることになっている〔略〕。例えば200日以内の出生子につき父が嫡出子出生届を拒んでいるときは母から届出ずべく(昭和27年1月29日民甲82号民事局長回答),婚姻届出後19日で夫死亡し,その後26日で出生〔婚姻中の出生ではないことになります。〕した子の嫡出子出生届をすれば受理される(昭和30年7月15日民甲1487号民事局長回答)。婚姻前に非本籍地で嫡出子出生届を受理された場合,父母の婚姻後に送附されたときは,本籍地では,出生届に父母婚姻の旨追完させて受理する。之は戸籍法62条の嫡出子出生届と解するわけである(昭和24年3月7日民甲499号,昭和23年11月30日民甲3186号各民事局長通達)。(谷口80頁)
生来嫡出子というのであるから,通常の嫡出子出生届による。したがって,母その他の後順位届出義務者(旧戸72条参照)からの嫡出子出生届も受理すべきことになるし,本人または父母死亡後の嫡出子出生届も受理される(民事局長回答1940(昭和15)年8月24日民甲1087号,民事局長回答1940(昭和15)年8月10日民甲1043号)。準正嫡出子ではないから,認知の扱いはしない(民事局長回答1941(昭和16)年5月20日民甲490号)。他男からの庶子出生届(非嫡出子であることが前提になる)も受理されない(民事局長回答1941(昭和16)年10月23日民甲970号)。(阿部77頁)
また,〔昭和15年1月23日〕連合部判決以前の扱いにより非嫡出子として記載されている者について,嫡出子としての記載への訂正を許可する審判(戸113条)がなされたときは,訂正の申請を受理することになった(民事局長回答1963(昭和38)年9月5日民甲2564号)。(阿部77頁)
我妻榮は,次のようにその説くところをまとめています。
かような子が嫡出子であることは,戸籍の記載のいかんによって影響を生じない。(ⅰ)かような子も,夫婦の間の嫡出子として届け出られるときは,母〔戸籍法52条1項。同法62条に基づくものではない(我妻=有泉130頁)。〕や同居人〔同法52条3項第1〕が届出人であるときでも,受理される〔略〕。内縁の先行の有無に関係しない。内縁の先行の有無というような実質的な関係は,戸籍吏の調査しうることではないからである。(ⅱ)しかし,戸籍の記載が妻の非嫡出子とされている場合でも,他人の子とされている場合でも,嫡出子である実体には変りはない。(我妻227頁。下線は筆者によるもの)
夫の認知のいかんにかかわらず,婚姻後に妻の分娩した嬰児はいずれも当該夫婦の嫡出子とされ,父子関係を否定するためには,嫡出否認の訴えか,親子関係不存在確認の訴えによらなければならないとは,なかなかしんどい。そうであれば,「推定されない」といってもその否定には親子関係不存在確認の訴えが必要なのですから,看板に偽りありで,強くはなくとも「一応推定される」嫡出子であるわけです(内田183頁。また,同書181頁は「嫡出性を争う側が立証責任を負っているという点では,まさに訴訟法的な意味での推定が働いている。」と述べています。)。
ただし,この見解については,以下に見るように,妻が婚姻成立後200日以内に分娩したその子を非嫡出子として届出をすることが戸籍実務上認められていることが問題となります(あらかじめ父子関係不存在を裁判手続で明らかにする必要はありません。「そのような取扱いが何故許されるのかが逆に問題となろう。」とされています(福永193頁)。)。そうであれば,「〔自然的父子関係の〕不存在の証明(不存在を認める判決)があるまでは嫡出父子関係(法的効果)があると考えるものではない」ということとなり(福永192頁),「嫡出子としての戸籍の届出が直ちに受理されるのは,通達によってそのような取扱いがなされることになったにすぎないということ」になって(同頁。法律に基づくものではなく,単にお役所内の掟に従っているものということになります。),「夫側は嫡出否認の訴えによることなく,これを否認することができ,ひとたび否認された場合には,子の側で夫の子であることを証明しなければならない」(大村133頁)ということにもなりそうです。
10 妻の選択権:婚姻成立後200日以内に妻が分娩した嬰児の(本命彼氏との)非嫡出子としての戸籍記載
(1)妻の選択権:非嫡出子としての出生の届出
前記「戸籍の記載が妻の非嫡出子とされている場合」が生じ得ることについては,次のような取扱いがされているところです。
婚姻成立後200日以内に生れた子は,嫡出子として届出をすることが認められている。併し之は内縁中の懐胎を前提として父に異議なくば嫡出子扱をするという意味であるから,もし夫の子でないことに夫婦間で争がなければ母から嫡出でない子として届出してもよいとされ(昭和26年6月27日民甲1332号民事局長回答),かかる子は出生当時の母の戸籍に入ると解される(昭和24年4月5日札幌管内協議会決議,民事局承認)。(谷口82頁)
もつとも,結婚成立後200日以内の出生子は――本条〔民法772条〕の推定を受けない結果――常に嫡出子の扱いを受けるとは限らず,夫の子でないことについて夫婦間に異論がなければ,嫡出でない子(結婚外の子)として取り扱つてよく,出生届も,母から嫡出でない子として出すべきである(回答昭和26・6・27民甲1332号)。そうするとその子は,出生当時の母の戸籍に記載される(指示昭和25・1・17)。(我妻榮=立石芳枝『親族法・相続法』(日本評論新社・1952年)159頁(立石))
婚姻成立後200日以内に生まれた子を妻から嫡出でない子として届け出ることは差し支えない(昭和26・6・27民事甲1332号回答)(戸籍実務六法68頁)
しかし,母の夫によって懐胎された子でないときは,嫡出子ではないから,母から嫡出でない子として出生の届出があった場合は,これを受理して差し支えないこととされている(昭和26・6・27民事甲1332号回答)。右は結局,婚姻成立後200日以内に出生した子については,民法上,嫡出子・嫡出でない子の区別が明定されていないため,出生子の父が母の夫であるか,それとも夫以外の男性であるかの事実関係に基づいて,「嫡出子」又は「嫡出でない子」のいずれかに決定される性質のものだからである。(木村・竹澤=荒木13頁)
これはどう考えるべきでしょうか。大審院昭和15年1月23日判決は内縁の先行を前提としており,昭和15年4月8日民甲432号民事局長通牒による取扱いは戸籍吏に内縁先行の有無・期間に係る審査権がないことに基づくものであるところ,嬰児の当の母親から,「実は私は,婚姻前,冴えない今のダメ夫ではなく,カッコいい本命彼氏と熱い恋をしていたのです」との趣旨の強力かつ積極的な「自白」が,公正証書の原本として用いられる電磁的記録に記録されるべき申立てとして公務員に対してされたのならば(刑法157条があるので,虚偽の申立てにはハードルが高いはずです。),当該大審院判例が前提とするところ(婚姻前の当該妻の生活(vita sexualis)が当該嬰児の父が夫であることを正当化せしめ得るものであること。)が崩れたものとして,原則に戻って当該嬰児は非嫡出子として取り扱おう(夫の認知の必要性が復活する。),ということでしょうか。ただし,「生来嫡出子説に立つとすれば一貫しない」ところです(阿部77頁)。
(2)妻の選択権の欠如:母としての届出
なお,嬰児を分娩した人妻がその嬰児を懐胎せしめたものたる本命彼氏の存在を自白しようとする場合,当該出生の届出を当該嬰児の母として(戸籍法52条2項)しなければならないのでしょうか(すなわち,母の認知が伴うことになります。)。出生の届書の様式は,戸籍法28条に基づく戸籍法施行規則(昭和22年司法省令第94号)59条・附録第11号様式によって定められていますが,そこでは届出人の資格(戸籍法52条・56条)を明らかにすることが求められています。
この点,出生の届出がされないままである場合又は父若しくは第三者が届出をした場合はやはり当該嬰児は当該夫婦の嫡出子のままなのでしょうから,いったん婚姻した以上は,妻は,婚姻中に自ら分娩した嬰児の母たることからなかなか逃れることはできないのだ,ということでよいのだというべきでしょうか。
むしろそもそも,戸籍事務上は,婚姻の有無を問わず「戸籍法は非嫡出子は母に出生届をなす義務を課している(戸52条2項)」ところ,「出生届は認知の意思表示を認めるとして,出生届義務を認めるとすれば,母については父と異って任意認知というものはなく子の請求なくとも母子血縁の証明を第三者がすることによって〔それによって当該母の出生届出義務が明らかになり〕公法上認知を強制せられている」のだ(谷口85-86頁),難しく考える必要はないのだ,ということでよいのでしょう。戸籍法137条は「正当な理由がなくて期間内にすべき届出又は申請をしない者は,5万円以下の過料に処する。」と規定しています。(婚姻後200日以内に分娩した嬰児の母たることを回避するためには,当該女性は,戸籍法52条2項及び137条にかかわらず,母として出生の届出(母の認知)を自らすることは避けつつ,当該嬰児と夫との父子関係の不存在を裁判手続(判決(人事訴訟法2条2号)ないしは合意に相当する審判(家事事件手続法277条・281条))において明らかにし置けばよいのだ,ということになりましょうか。)
ア 夫の認知の復活からその再否定まで
大審院昭和15年1月23日判決の前の原則に戻るのならば,夫による認知が改めて脚光を浴びます。
〔婚姻後200日以内出生児については〕戸籍上〔略〕,妻から嫡出でない子として出生届をすることは差支えなく,又かかる届出をした後,夫がその子を認知することもできるとされる(昭和26年6月27日民甲1332号民事局長回答)。(谷口178頁(1957年)。下線は筆者によるもの)
しかし,夫による認知の必要性は,実は本格復活していなかったようです。父の認知を可能としていた上記昭和26年民甲1332号回答による取扱いを改める次のような通達が,1959年に出ています。
父母婚姻後200日以内の出生子につき非嫡出子の出生届がされた後に,父から認知届があつた場合は,子の戸籍を生来の嫡出子に訂正する旨の申出として扱う(昭34・8・28民事甲1827号通達)(戸籍実務六法206頁)
そのように「認知届」を訂正の申出として取り扱った上で「本籍地の市町村長は,監督局の長の許可〔戸籍法24条2項〕を得て職権で左記振合いの記載により,その子の父欄に父の氏名を記載し,母欄の氏を消除し,父母との続柄を訂正することとされている(昭和34・8・28民事甲1827号通達)〔略〕。/「父の申出により平成9年2月6日許可同月9日父欄記載父母との続柄訂正㊞」」とのことです(木村・竹澤=荒木270頁)。昭和26年民甲1332号回答以来の過去の取扱いも全否定されて,こちらは,「〔婚姻後200日以内に出生した〕子について,従前の取扱いにより,既に母の夫である父の認知届を受理して,父と子の戸籍に認知事項を記載し,子の父欄の記載及び父母との続柄欄の訂正がなされている場合には,本籍地の市町村長は,これを発見の都度監督局の長の許可〔戸籍法24条2項〕を得て,左記の振合いにより父と子の双方の戸籍の認知事項の記載のみを消除すべきものとされている(前記〔昭和34年民甲1827号〕通達二参照)。/「誤記につき○年○月○日許可同年○月○日認知の記載消除㊞」」とのことです(木村・竹澤=荒木271頁)。
なお,昭和34年民事甲1827号通達の論理は,「母からの嫡出でない子の出生届がなされた後,母の夫からの認知届ができるとするのは,生来の嫡出子に対し父からの認知届を認める結果となり妥当ではない。」というものです(木村=竹澤523頁)。「この訂正申出は,本来嫡出子として出生届をすべきであったにもかかわらず,母から嫡出でない子の出生届により戸籍の記載がなされたものであることが,後日,父の申出により判明したために採られる措置であるから,出生届の追完ではなく,あくまでも訂正の申出と解して取り扱うべきもの」だそうです(木村=竹澤523頁)。夫からあえて申出があった場合には,妻の子の心情及び将来を考えて,なるべく準正嫡出子よりは生来嫡出子にしてあげようということでしょうか。
イ 本命彼氏による任意認知の許容
ところで,婚姻成立後200日以内に分娩した子をあえて非嫡出子(すなわち夫の子ではないもの)として出生の届出をする人妻としては,任意認知,すなわち「真実の父〔略〕が,他人の嫡出子の推定を受け又は嫡出子として戸籍に記載せられてない子又は,他人の認知を受けておらない子について,市町村長に対して認知の届出をなすことによって有効になされる」ものであるところの認知(谷口87頁)を,gallantな本命彼氏が直ちに我が子に対してしてくれることを期待するものでしょう(なお,嫡出推定が働きませんから,本命彼氏に対して子又はその法定代理人から認知の訴え(民法787条)を提起できることは当然です(最高裁判所昭和41年2月15日判決(民集20巻2号202頁)参照)。)。
従来は「他男からの庶子出生届(非嫡出子であることが前提になる)も受理されない(民事局長回答1941(昭和16)年10月23日民甲970号)」とされていたのですが(阿部77頁),当該子は確かに夫の嫡出子としての推定を受けず(民法772条参照),かつ,夫婦の嫡出子としては戸籍に記載されておらず(父親欄が空欄である妻の非嫡出子として戸籍に記載),更に出生届のその段階ではどの男性からも「認知」がされていないのですから,当該人妻の健気な期待は満足せしめられてもよさそうに思われます。すなわちこの場合,「他男からこれを認知することはもとより差し支えない」ものとされているところです(木村・竹澤=荒木270頁)。
ウ 本命彼氏 v.現夫:けんかをやめて
しかし,本命彼氏による任意認知の効果に関しては,夫からの認知届を子の戸籍を生来の嫡出子に訂正する旨の申出として扱うものとする前記昭和34年8月28日民事甲1827号通達並びに認知をした男性からの民法786条に基づく認知無効の主張を認めた最高裁判所平成26年1月14日判決(民集68巻1号1頁)に付された次の木内道祥裁判官の補足意見及び寺田逸郎裁判官の意見が気になるところです。
木内補足意見は,いわく。
なお,原審の認定によると,上告人〔被認知者〕にはフィリピン人である血縁上の実父が存在しており,既に法律上の父が存在する子に対する認知としてその効力が問題となりうる(既に存在する法律上の父のあり方によっては,後の認知が無効なのか取消うべきものかが異なりうる。例えば,我が国において認知届が誤って受理されたとして,被認知者が推定を受ける嫡出子,認知判決による子であるか,既に任意認知された子,推定を受けない嫡出子であるかによって異なりうる)が,本件においては,その点を論じるまでもなく,被上告人の認知無効の請求が認められるものである。
「推定を受けない嫡出子」(法律上の父はいることになります。)であれば,その子を被認知者とする認知届の受理は,「誤って」されたものになるようです。
また,寺田意見は,いわく。
ところで,日本の民法下では,認知は,その性格上,現に父がある子を対象としてはすることができないと解される。父が重複することがあってはならないことは,嫡出子の場合に限られるものではなく嫡出でない子にも共通の制約であるはずで,これは親子関係の公的な秩序として許されるべきではないのである。この点については明文の規定を欠くが,より一般的に父子関係がないことを理由に無効となることが786条で明らかにされているから,ことさらに規定を置くことは避けられたのであろう。〔略〕
(注)779条は,嫡出でない子は,その父又は母が認知をすることができる旨を定めるが,これは嫡出子については認知が問題とならないということを前提とした上で,認知の主体がその子と父又は母の関係に立つ者に限られることを規定したものであって,これを反対解釈して,既に他の者の「嫡出でない子」となっている子を別の者が認知することは認められるのであると解することは相当でない。〔後略〕
とはいえ,本命彼氏が認知してその旨戸籍に記載されある場合,当該子は夫の「生来の嫡出子」であるとしても,夫とその子との父子関係には民法772条の嫡出推定が働かない以上,夫が既成事実に抗ってみても,生物学上の父であり,かつ,認知意思を有する本命彼氏が,結局は勝ってそのまま父として認められ続けるのでしょう。
となれば,問題となるのは,婚姻前の恋に係る人妻の未練がすげなく無視されて,同女によるせっかくの非嫡出子出生届にもかかわらず本命彼氏が認知をしなかった場合,ということになるようです。
その場合に夫が,「これはおれの子だ。」と名乗り出れば,前記昭和34年8月28日民事甲1827号通達的処理がされることになるのでしょう。「現行の戸籍処理は,父が拒んでも母から嫡出子出生届をすることができる一方,母は任意に嫡出でない子の出生届をすることもできるというものであり,あたかも母が否認権をもつような取扱いとなっている」ものの(福永188頁),本命彼氏が冷たければ,最後に夫による一種のどんでん返しが可能なようではあります。
しかし,夫が,「何を今更」と,妻による非嫡出子出生届に係る訂正の申出をいつまでもしない場合はどうなるのでしょうか。「右の出生子について,嫡出子として届出をするべきところ,母から誤って嫡出でない子として届出をし,戸籍の記載がされている場合に,父(母の夫)の死亡後,戸籍の記載を嫡出子と訂正するには,原則として戸籍法113条の戸籍訂正手続によるべきであるが,出生届書の誤記を理由として子の記載を嫡出子とする旨の追完届があった場合には,これを受理して子の父欄の父の氏名を記載し,母欄の氏を消除するとともに父母との続柄を訂正して差し支えない取扱いである(昭和39・8・~6島根県戸住協決,昭和39・12・16民事二発458号民事局変更指示)。」とはされています(木村・竹澤=荒木270頁)。しかしこれは,「父(母の夫)の死亡後」の取扱いです(あの世で亡夫はどう思うのでしょうか。)。夫の生前においては,「親子関係の戸籍訂正はほとんどが親族相続法上の重要な影響ある場合であるから〔戸籍法113条ではなく〕,戸籍法116条により確定判決・審判によるべき」ことになる(谷口158頁)ということで,実親子関係の存在確認の訴えに係る勝訴判決を要することになるようです。法務省の戸籍制度に関する研究会の第5回会議(2015年2月19日)の資料5においては「従来の通説及び大審院判例〔略〕は,〔戸籍法113条の〕戸籍訂正許可は,訂正事項が戸籍の記載自体で一見明白である場合(明白性の要件)又は訂正事項が軽微で訂正の結果親族法・相続法上重大な影響を生ずることのない場合(軽微性の要件)に限り認められるとするものとされるが,戦後は学説・裁判例が錯綜しており,最高裁判所の判例もないが,上記各要件のほか,関係者間に争いのないこと等を考慮する裁判例が多い。」とされており(9頁),かつ,実親子関係存否確認,認知無効及び取消し等は,確定判決により戸籍訂正をすべき場合とされているものとして挙げられています(7頁(注20))。
いささか悩ましい。「母からの非嫡出子出生届を受理する扱いについては,学説上,賛否両論がある」そうです(阿部78頁。また,同80頁註(14))。
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