前編(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1070538939.html)の続き
10 小泉純一郎内閣総理大臣
平成13年(2001年)5月7日の第151回国会における内閣発足後最初の小泉純一郎内閣総理大臣による所信表明演説では「安心」は4回登場しました。国家ないしは国民の目的(①)として「生きがいを持って,安心して暮らすことができる社会」が掲げられ,社会保障(②)に関して2回,並びに高齢者(③)及び障害者(④)(「バリアフリー」)並びに治安・防災(⑤)に関して1回。
平成13年9月27日の第153回国会における所信表明演説では3回登場。国家ないしは国民の目的(①)たるべき「小泉構造改革五つの目標」の一つとして「人をいたわり,安全で安心に暮らせる社会」が掲げられました。社会保障(②)に関して1回。消費者(⑦)に関して1回(証券市場関係)。
平成14年(2002年)2月4日の第154回国会における施政方針演説では3回登場。政治の目的(①)として「人をいたわり,安全で安心して暮らせる社会」が再び掲げられます。当該疾病に罹患した牛の肉を食べた人も発症するとされた牛海綿状脳症(BSE)の問題(⑨)を承けて「食の安全」が重視されるようになり,それに関して2回言及(「今後とも,食肉を始めとする「食の安全」と国民の安心を確保するため,最善を尽くします。」「消費者の求める安心・安全な農産物」)されています(⑦の消費者)。
平成14年10月18日の第155回国会における所信表明演説では1回でした。同月12日に発生したバリ島での爆弾テロ事件を承けての国際テロリズム対策に関してのものです(⑤)。
平成15年(2003年)1月31日の第156回国会における施政方針演説では2回。「暮らしの構造改革を進め,国民が安心して将来を設計することのできる社会を構築してまいります。」の部分(①なのでしょう。)及びバリアフリー化(③④)に関してのものです。「暮らしの構造改革」などを政府に勝手にされると国民は不安になり迷惑しそうですが,あえて難しく考える必要はないでしょう。
平成15年9月26日の第157回国会における所信表明演説では3回。「国民の安全と安心の確保は,政府の基本的な責務です。」と表明された上で(①),社会保障に関して言及され(②),更に「今の小学生が社会に出るころまでに,あらゆる分野で女性が指導的地位の3割を占めることを目指し,女性が安心して仕事ができ,個性と能力を発揮できる環境を整備します。」と述べられています(⑥のうち女性に係るもの)。しかしながら,女性ならぬ男性なれども既に皆「安心して仕事ができ,個性と能力を発揮でき」ていたわけではないでしょう。男性においてできなかったものが,女性においてはできるというのは,やはり女性の方が男性よりも「個性と能力」とにおいて優れているからでしょうか。苦労や不安なしに「安心して仕事」をしているうちにするすると「指導的地位」に就けるということは,素晴らしいことです。
平成16年(2004年)1月19日の第159回国会における施政方針演説では3回。「国は,国民の安全と安心を確保しなければなりません。」と述べられた上で(①),「安心の確保」の見出しの下,社会保障(②)及び子育て(⑥)に関して各1回言及されています。
平成16年10月12日の第161回国会における所信表明演説では,見出しに「暮らしの安心と安全」はありましたが,演説本体で「安心」の語が発せられることはありませんでした。
平成17年(2005年)1月21日の第162回国会における施政方針演説では5回と回復しました。「私は就任以来,「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」との改革を進める一方,国民の安全と安心を確保することこそ国家の重要な役割と考え,その実現に向け努力してまいりました。」と改めて言明されるとともに(①),治安・防災関係(⑤)で3回(前年の新潟県中越地震等との関係では⑨でしょうか。),「国民の「安心」の確保」の見出しの下に子育て(⑥)の関係で1回言及されています。
参議院において郵政改革法案が否決されたため平成17年8月8日に解散された衆議院の議員総選挙たるいわゆる「郵政選挙」における政権側の大勝を承けた同年9月26日の第163回国会における所信表明演説は,正に小泉節の真骨頂たるべきものでしたが,そこでは「安心」は2回しか登場していません。「郵政事業は,26万人の常勤の国家公務員を擁しています。国民の安全と安心をつかさどる全国の警察官が25万人,陸・海・空すべての自衛官は24万人,そして霞が関と全世界百数十か国の在外公館に勤務している外務省職員に至っては6千人にも及びません。今後も公務員が郵政事業を運営する必要があるのでしょうか。」という部分における「安心」は,安全を担当する夜警国家部門に係る定型的文飾にすぎず,要は,日本郵政公社の連中得々として安心してるんじゃねえよ,ということでしょうか。「国民の安全と安心」との見出しの下の「先日の台風などの災害〔略〕により被害に遭われた方々に対し,心からお見舞いを申し上げます。被災者が一日も早く安心した生活を送れるよう,国内の被災地の復旧と復興に万全を期すとともに,建築物の耐震化を促進するなど災害に強い国づくりを進めてまいります。」の部分は,防災関係(⑤)ですが,時事トピックでもあるのでしょう(⑨)。
郵政民営化法が成立し,念願を果たした後の平成18年(2006年)1月20日の第164回国会における施政方針演説においては,小泉内閣総理大臣は「安心」に4回言及しています。「主要銀行の不良債権残高はこの3年半で20兆円減少し,金融システムの安定化が実現した今日,「貯蓄から投資へ」の流れを進め,国民が多様な金融商品やサービスを安心して利用できるよう,法制度を整備します。」の部分は郵政民営化以外の「経済の活性化」における政権の成果を誇るものでしょう(⑧)。残りの3回のうち,2回は「暮らしの安心の確保」の見出しの下に放課後児童クラブの整備に関して(⑥の子育て)及び「食の安全と安心」に関して(⑦の消費者。ただし,2005年12月の米国産牛肉の輸入再開を承けての言及という意味では⑨),1回は犯罪被害者及びその遺族に関して(⑤の治安)言及されています。
小泉内閣総理大臣にとっては,「安心」はそれ自体としての意義を特に大きく強調すべきものではないもののようにとらえられていたように思われます。人気の高かった小泉内閣総理大臣が退任した後,小泉政権時代は「格差拡大」の時代であったと非難されるようになります。
11 安倍晋三内閣総理大臣(第1次内閣)
その第1次内閣時代,安倍晋三内閣総理大臣は,3回の所信表明演説ないしは施政方針演説を行っています。
平成18年(2006年)9月29日の第165回国会における所信表明演説では,安倍内閣総理大臣の「美しい国」の理念が披露されています。
私が目指すこの国のかたちは,活力とチャンスと優しさに満ちあふれ,自律の精神を大事にする,世界に開かれた,「美しい国,日本」であります。この「美しい国」の姿を,私は次のように考えます。
1つ目は,文化,伝統,自然,歴史を大切にする国であります。
2つ目は,自由な社会を基本とし,規律を知る,凛とした国であります。
3つ目は,未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国であります。
4つ目は,世界に信頼され,尊敬され,愛される,リーダーシップのある国であります。
「優しさに満ちあふれ」といわれれば,村山内閣総理大臣の「人にやさしい政治」の理念が想起されます。「心の豊かな美しい国家」は,既に森内閣総理大臣が提唱していたところです。
「美しい国」の理念に係る文言には「安心」は含まれていませんでしたが,当該所信表明演説において,「安心」は2回登場します。「健全で安心できる社会の実現」との見出しの下,社会保障に関して(②)2回登場したものです。「本格的な人口減少社会の到来に備え,老後や暮らしに心配なく,国民一人ひとりが豊かな生活を送ることができる,安心の社会を構築しなければなりません。」と宣言されるとともに,公的年金制度に対して「若い世代も安心できる」ようにすべきことが述べられています。
平成19年(2007年)1月26日の第166回国会における施政方針演説では,「安心」は4回登場しています。社会保障に関して(②)1回,「「健全で安心できる社会」の実現」の見出しの下に医療(②)及び子育て(⑥)に関して各1回,並びに治安・防災(⑤)に関して1回です。
夏の参議院議員選挙での大敗を承けた平成19年9月10日の第168回国会における所信表明演説では,出現回数は5回です。最初の「自由民主党及び公明党の連立政権の下,「政策実行内閣」として一丸となり,地に足のついた政策を着実に進めてまいります。将来にわたり国民の皆様が安心して暮らせるよう,堂々と政策論を展開し,野党の皆様とも建設的な議論を深め,一つ一つ丁寧に答えを出していくことに最善を尽くします。」の部分は,参議院議員選挙敗北の総括結果の一環でしょうか(①)。「安心して暮らせる社会を実現する」との見出しの下に表明された「安心して暮らせる社会は,国づくりの土台です。国民の皆様が日々の暮らしの中で感じる不安に常に心を配り,迅速に対応します。」との政治理念(①)は,御用聞き的低姿勢ともいうべきでしょうか。その他子育て(⑥)に関し1回及び公的年金に関し(②)1回「安心」が言及されています。「安全・安心な食を生み出す日本の農林水産業が活力を持ち続けることは,我が国の将来にとって,極めて大切なことです。」の部分における「安心」は,消費者対応に係るものというよりは,農山漁村施策の根拠に係る枕詞的修飾語でしょう。
12 福田康夫内閣総理大臣と「国民の安全・安心を重視する政治への転換」
第1次安倍内閣が1年で倒れた後は,福田康夫内閣が発足しました。福田内閣総理大臣にとって「安心」概念は,大きな意味を持っていたようです。国会演説におけるその出現頻度が,急上昇しています。
平成19年(2007年)10月1日の第168回国会における最初の所信表明演説においては,そもそも「国民の安全・安心を重視する政治への転換」という見出しが登場していますが(これは,反対解釈すると,第1次安倍内閣以前は「国民の安全・安心」が重視されていなかったということでしょう。),「安心」が,何と12回も出現しています。「成熟した先進国となった我が国においては,生産第一という思考から,国民の安全・安心が重視されなければならないという時代になったと認識すべきです。」という見解に基づくものでしょう(①)。「私は,「自立と共生」を基本に,政策を実行してまいりたいと思います。老いも若きも,大企業も中小企業も,そして都市も地方も,自助努力を基本としながらも,お互いに尊重し合い,支え,助け合うことが必要であるとの考えの下,温もりのある政治を行ってまいります。その先に,若者が明日に希望を持ち,お年寄りが安心できる,「希望と安心」の国があるものと私は信じます。」ということですが(①及び③),これを,「老人が希望で若者を釣って安心する国」などと言い換えてみるのは誤読でしょう。残りの9回の内訳は,社会保障(②)に関して1回,防災(⑤)に関して1回,子育て(⑥)に関して1回,消費者(⑦)に関して4回(消費者保護に関して1回,耐震偽装問題に関して1回及び食卓・食品に関して2回)及び農山漁村施策に関して2回(「安全・安心な食」及び「高齢者や小規模な農家も安心」)となっています。
平成20年(2008年)1月18日の第169回国会における施政方針演説においては,「安心」の登場は8回です。まずは,福田内閣の五つの基本方針のうちの一つとして登場します(①及び②)。
第1に,生活者・消費者が主役となる社会を実現する「国民本位の行財政への転換」
第2に,国民が安心して生活できる「社会保障制度の確立と安全の確保」
第3に,国民が豊かさを実感できる「活力ある経済社会の構築」
第4に,地球規模の課題の解決に積極的に取り組む「平和協力国家日本の実現」
第5に,地球温暖化対策と経済成長を同時に実現する「低炭素社会への転換」
以上5つの基本方針に基づき,私は,国政に取り組んでまいります。
その他7回の内訳は,国の予算における重要政策課題の一つとしての「国民の安全・安心」として1回,社会保障・医療(②)に関して4回,「安全・安心の確保」との見出しの下治安(⑤)に関して1回,更に小規模・高齢農家に関して1回です。
13 麻生太郎内閣総理大臣と「安心と活力ある社会」
平成20年(2008年)9月24日には麻生太郎内閣が発足します。同月29日の第170回国会における所信表明演説において麻生内閣総理大臣は「安心」の語を3回用いています。まずは,同年のいわゆるリーマン・ショック不況に対する経済対策に関して(⑧)2回です(「政府・与党には「安心実現のための緊急総合対策」があります。その名のとおり,物価高,景気後退の直撃を受けた人々や農林水産業・中小零細企業,雇用や医療に不安を感じる人々に,安心をもたらすとともに,改革を通じて経済成長を実現するものです。」)。更には「暮らしの安心」との見出しの下,「暮らしの安心」についても論じられています。「不満とは,行動のバネになる。不安とは,人をしてうつむかせ,立ちすくませる。実に忌むべきは,不安であります。」とは麻生内閣総理大臣の人間哲学でしょうが,続く「国民の暮らしから不安を取り除き,強く,明るい日本を,再び我が物としなくてはなりません。」とはその政治哲学でしょう(①)。暮らしの中における国民の不安の有無を尺度とした政治ということのようです。
平成21年(2009年)1月28日の第171回国会における施政方針演説において,麻生内閣総理大臣は「安心」の語を10回用いるに至ります。平成19年(2007年)10月の福田内閣総理大臣の12回に次ぐものです。演説の初めの部分で「日本自身もまた,時代の変化を乗り越えなければなりません。目指すべきは,「安心と活力ある社会」です。 」という国の目的が提示されています(①)。当該「安心と活力」とのそれぞれの内容については,「世界に類を見ない高齢化を社会全体で支え合う,安心できる社会。世界的な課題を創意工夫と技術で克服する,活力ある社会です。」と説明されています(①及び③)。「創意工夫と技術」に係る能力のある人が社会の活力維持を担当して,「世界に類を見ない高齢化」の結果たる老人人口の「安心」を確保するということのようです。当該「安心と活力ある社会」との関係で「安心」は4回登場しています。残り6回中5回は社会保障(②)に関するもの,1回は「食料の安全・安心」にからめた農政関係での言及です。
14 鳩山及び菅両内閣総理大臣
平成21年(2009年)9月には,今はその名すら失われた民主党の政権ができました。
(1)鳩山由紀夫
平成21年(2009年)10月26日の第173回国会における鳩山由紀夫の内閣総理大臣所信表明演説では「安心」が5回登場しました。いずれも社会保障(②)に関するものです。すなわち,「国民皆年金や国民皆保険の導入から約五十年が経った今,生活の安心,そして将来への安心が再び大きく揺らいでいます。これを早急に正さなければなりません。」,「公平・透明で,かつ,将来にわたって安心できる新たな年金制度の創設に向けて,着実に取り組んでまいります。」,「年金,医療,介護など社会保障制度への不信感からくる,将来への漠然とした不安を拭い去ると同時に,子ども手当の創設,ガソリン税の暫定税率の廃止,さらには高速道路の原則無料化など,家計を直接応援することによって,国民が安心して暮らせる「人間のための経済」への転換を図っていきます。」,及び「暮らしの安心を支える医療や介護〔略〕などの分野で,しっかりとした産業を育て,新しい雇用と需要を生み出してまいります。」と唱えるものです。国が「家計を直接応援する」といってもその財源はどうするんだとか,「医療や介護」の分野で「新しい雇用」と言うけれども随分疲弊している現場もあるやに聞くぞ,などと言うことは野暮だったのでしょう。
平成22年(2010年)1月29日の第174回国会における施政方針演説では,「安心」は「誰もが安心して医療を受けられるよう」にする(②)ということで1度だけ出て来ます。しかし当該演説については,「安心」云々以前に,冒頭の,「いのちを,守りたい。/いのちを守りたいと,願うのです。/生まれくるいのち,そして,育ちゆくいのちを守りたい。」云々の絶唱に度肝を抜かれたものでした。ルソー的には“quand le prince lui (au citoyen)
a dit: ≪Il est expédient à l’État que tu meures≫, il doit mourir”のはずであり(Du contrat social, Chapitre V du Livre II),所詮国家にできることできたことは伝統的にはその程度であったものと思っていたので,余りにも大胆かつ臆面のないものと感じたことでした。
(2)菅直人
平成22年(2010年)6月11日の第174回国会における菅直人の内閣総理大臣所信表明演説では「安心」の登場は5回。医療・介護等の社会保障(②)に関して4回,子育てに関して1回。
同人による同年10月1日の第176回国会における所信表明演説では「安心」の登場は3回。「ものづくりでも,サービス産業でも,業種を問わず,新しい需要を引き出し,豊かで安心な暮らしを実現するイノベーションを起こすことが重要です。」とは,日本経済の将来について語ったというよりは,「豊かで安心な暮らしを実現」することが日本の国家目的だということでしょう(①)。社会保障(②)に関する「一般論として,多少の負担をしても安心できる社会を作っていくことを重視するのか,それとも,負担はできる限り少なくして,個人の自己責任に多くを任せるのか,大きく二つの道があります。私は,多少の負担をお願いしても安心できる社会を実現することが望ましいと考えています。」との価値判断については議論があり得るでしょう。ただし,「負担」といっても,それが結局自分に全て戻って来るのならばそもそもその多少がそれほど問題にされることはないでしょう(朝三暮四ということはありますが。)。
平成23年(2011年)1月24日の第177回国会における施政方針演説における「安心」の登場は5回。社会保障(②)に関して4回及び「この国会では,来年度予算と関連法案を成立させ,早期のデフレ脱却により,国民の皆様に安心と活気を届けなければなりません。」の部分で1回でした。「安心と活気」といえば麻生内閣総理大臣の「安心と活力ある社会」が想起されるのですが,民主党による「政権交代」にかかわらず,結局同じようなところに落ち着くものであったということでしょうか。
15 野田佳彦内閣総理大臣と「明日の安心」及びエネルギー構成の「安心」
民主党政権最後の野田佳彦内閣総理大臣による「安心」言及は尻上がりに増え,最後は「明日の安心」を提唱するに至ります。「明日の安心」は,野田内閣総理大臣の早稲田大学の先輩である小渕内閣総理大臣の最初の所信表明演説で用いられていた表現です。また,原子力ないしは放射線に対する「安心」が問題とされます。
平成23年(2011年)9月13日の第178回国会における所信表明演説では「安心」は3回登場しました。消費者(⑦)に係る「食品の安全・安心」,農林漁業施策を論じるに当たっての枕詞としての食の「安全・安心」及びエネルギー構成に関するもの(「エネルギー安全保障の観点や,費用分析などを踏まえ,国民が安心できる中長期的なエネルギー構成の在り方を,幅広く国民各層の御意見を伺いながら,冷静に検討してまいります。」)です。
平成23年10月28日の第179回国会における所信表明演説では「安心」は4回。農林漁業施策に関する「農林漁業者」の「安心」以外は同年3月11日の東日本大震災及びそれに伴い発生した福島第1原子力発電所の事故に関連(⑨)するもので,「被災者のこれからの暮らしの安心」,放射線量に係る「周辺住民の方々」の「安心」及び「原子力への依存度を最大限減らし,国民が安心できるエネルギー構成を実現するためのエネルギー戦略の見直し」について言及されています。原子力への依存度を減らすと「国民が安心」するというのですから,素直に考えると,国民の完全な「安心」のためには,エネルギー構成において原子力への依存度を零にしなければならないことになります。
平成24年(2012年)1月24日の第180回国会における施政方針演説では6回。東日本大震災(⑨)の被災者に係る「安心して暮らせる生活環境の再建」で1回,原子力発電問題で2回(エネルギー政策における「国民の安心・安全」(これは「安心」が「安全」に先行しています。)及び「国民が安心できる中長期的なエネルギー構成」),社会保障(②)について2回及び子育て(⑥)について1回でした。
民主党政権最後のものとなった平成24年10月29日の第181回国会における所信表明演説では,野田内閣総理大臣はdesperatelyに「安心」を9回繰り返すことになりました。「明日の安心」及び「明日への責任」をもって政権回生のキャッチ・フレーズとする試みがされたところです。
「明日の安心」を生み出したい。私は,雇用を守り,格差を無くし,分厚い中間層に支えられた公正な社会を取り戻したいのです。原発に依存しない,安心できるエネルギー・環境政策を確立したいのです。
「明日への責任」を果たしたい。私は,子や孫たち,そして,まだ見ぬ将来世代のために,今を生きる世代としての責任を果たしたいのです。
「決断する政治」は,今を生きる私たちに「明日の安心」をもたらし,未来を生きる者たちに向けた「明日への責任」を果たすために存在しなければなりません。
「明日の安心」は,演説の最終部において更に3回連呼されています。
残り3回の「安心」は各論的なものとなりますが,経済問題(⑧)中特に雇用について2回(「日本経済の再生に道筋を付け,雇用と暮らしに安心感をもたらすことは,野田内閣が取り組むべき現下の最大の課題です。」及び「経済全体の再生やミスマッチの解消を通じて,雇用への安心感を育みます。」)及び社会保障(②)について1回(「年金や高齢者医療など,そのあるべき姿を見定め,社会保障の将来に揺るぎない安心感を示していこうではありませんか。」)言及されています。
「安心感」の大売り出しです。
For courage – not complacency – is our
need today – leadership – not salesmanship.
(J.F.K., op. cit.)
16 安倍晋三内閣総理大臣(第2次内閣以降)
第2次内閣以降の安倍晋三内閣総理大臣の施政方針演説ないしは所信表明演説においては,「安心」が特に強調されるということはなくなっています。
政権復帰後平成25年(2013年)1月28日の第183回国会における所信表明演説では「安心」は2回登場しています。社会保障(②)に関し1回及び補正予算の3本の柱(「復興・防災対策」「成長による富の創出」「暮らしの安心・地域活性化」)のうちの一つとして1回言及されています。
平成25年2月28日の第183回国会における施政方針演説では3回。社会保障(②)に関して1回言及されたほか,「世界一安全・安心な国」の見出しの下に,インフラストラクチュア改修(笹子トンネル事故関連⑨),防災・治安(⑤)及び悪徳商法に対し「消費者の安全・安心」を守ること(⑦)に取り組む「世界一安心な国」が目指される旨言明されています。
夏の参議院議員選挙勝利を承けた平成25年10月15日の第185回国会における所信表明演説では2回。高齢者(③)及び防災(⑤)に関して各1回です。
平成26年(2014年)1月24日の第186回国会における施政方針演説では4回。年金(②),農業経営者,悪質商法等に対する消費者保護(⑦)及び自衛隊の防災活動(⑤)に関して各1回です。
平成26年9月29日の第187回国会における所信表明演説では2回。3年半前の東日本大震災の被災者の暮らし及び被災地の子供のそれぞれに関するものでした。
衆議院議員総選挙勝利を承けた第3次内閣発足後最初の平成27年(2015年)2月12日の第189回国会における施政方針演説では1回。「安心なまちづくり」の見出しの下,治安(⑤)に関して言及されています。
平成28年(2016年)1月22日の第190回国会における施政方針演説では3回。TPP(Trans-Pacific Partnership)協定がらみで(⑨)農業生産者に関して1回,「安全で安心な暮らしを守る」としてサイバー犯罪対策,消費者に対する悪徳商法対策等に関して(⑤及び⑦)1回及び社会保障(②)に関して1回です。
夏の参議院議員選挙を経た平成28年9月26日の第192回国会では2回。その夏のリオデジャネイロ・オリンピックにあやかった(⑨)シリア難民のユスラ・マルディニ選手(難民選手団の女子バタフライ選手。ドイツ在住)の紹介に関して1回及び割賦販売法(昭和36年法律第159号)の改正に関する「クレジットカードのIC対応を義務化し, 外国人観光客の皆さんが安心して決済できる環境を整えます。」で更に1回でした。(なお,同国会において成立した平成28年法律第99号による割賦販売法の改正は今年2018年6月1日からです。決済端末のIC対応は改正後割賦販売法35条の17の15に基づくものとなります。同条は「クレジットカード等購入あつせん関係販売業者又はクレジットカード等購入あつせん関係役務提供事業者は,経済産業省令で定める基準に従い,利用者によるクレジットカード番号等の不正な利用を防止するために必要な措置を講じなければならない。」と規定しており,当該経済産業省令である平成29年内閣府・経済産業省令第2号による改正後の割賦販売法施行規則(昭和36年通商産業省令第95号)133条の14第1号は「クレジットカード番号等の通知を受けたとき,当該通知がクレジットカード等購入あつせん業者から当該クレジットカード番号等の交付又は付与を受けた利用者によるものであるかの適切な確認その他の不正利用を防止するために必要かつ適切な措置を講ずること。」を基準として定めています。決済端末の「IC対応を義務化」したということは,法令の文言自体からは必ずしも明らかではありません。経済産業省も,「改正割賦販売法の施行後,決済端末のIC対応は加盟店の義務となる」としつつも,「加盟店に対する直接の改善命令や罰則は規定されていない」ことを認めています(平成29年内閣府・経済産業省令第2号案に係るパブリック・コメントに対する同省の考え方資料(2017年11月22日))。同省の当該解釈に基づき,直接的には,クレジットカード番号等取扱契約締結事業者をして加盟店を指導させしめようとするもののようです(改正後割賦販売法施行規則133条の9参照)。)
平成29年(2017年)1月20日の第193回国会における施政方針演説では,「安心」の発語はありませんでした。ただし,大見出しに「安全・安心の国創り」,小見出しに「生活の安心」というものがありました。
野党の希望が潰えた衆議院議員総選挙を経て第4次内閣の発足後最初の平成29年11月17日の第195回国会における所信表明演説では3回。子育て(⑥),社会保障(②)及び農業従事者に関して各1回「安心」に言及がされています。
そうして冒頭の第196回国会における施政方針演説に至るわけです。
17 安心について
ところで,「安心」は,元々は仏教用語の安心です。『岩波国語辞典第四版』によれば「仏に帰依して心に疑いをもたない意」ということになります。
であれば,「お年寄りも若者も安心できる「全世代型」の社会保障制度」とは,老いも若きもお寺に対して十分お布施をすべきことを旨として給付を行う社会保障制度,ということになるのでしょうか。「子育て安心プラン」とは,幼いうちから御仏の教えに親しみ安心を得るようにしようという,幼児に対する仏道の英才教育プランということでしょうか(頓智小僧一休さんのような子供が増えるのでしょうか。)。「お年寄りや障害のある方が安心して旅行できるよう」という場合の旅行とはお遍路のことで,「あらゆる交通手段のバリアフリー化」は四国から進められるのでしょうか。「危機管理に万全を期すとともに,サイバーセキュリティ対策,テロなど組織犯罪への対策など,世界一安全・安心な国創りを推し進めます。」といった場合,危機に対しては管理するのみならず危機を前にして安心を保つよう日頃から仏道修行を怠らず,仏の正しい教えの情報に係るサイバーセキュリティには特に注意し,テロリストらに対しても仏教僧による充実した教誨活動(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(平成17年法律第50号)68条参照)を行って安心に至らしめる世界一の仏の国を創ろうということになるのでしょうか。
十戒の歌よみ侍りけるに 不殺生戒 寂然法師
わたつ海の深きに沈むいさりせで保つかひある法を求めよ
不偸盗戒
浮草のひと葉なりとも磯隠れ思ひなかけそ沖つ白波
澄むと濁るとでは大違いです。
とはいえ,仏教については,聖徳太子は「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏法僧也。」とその憲法の第2条に記され,北条泰時らも「寺塔を修造し,仏事等を勤行す可き事」を御成敗式目の第2条に掲げています。更に『続日本紀』巻十七の天平勝宝元年(749年)夏四月甲午朔の条には,「〔聖武〕天皇東大寺ニ幸シ,廬舎那仏ノ像ノ前殿ニ御シテ,北面シテ像ニ対ス。〔中略〕勅シテ左大臣橘ノ宿祢諸兄ヲ遣シテ,仏ニ白サク。三宝ノ奴ト仕奉ル天皇ラガ命廬舎那仏像ノ大前ニ奏シ賜ヘト奏ク。〔中略〕陸奥国守従五位上百済王敬福イ部内少田郡ニ黄金出在奏テ献。〔中略〕廬舎那仏ノ慈賜ヒ福ハフ賜物ニ有ト念ヘ受賜リ恐リ戴持百官ノ人等率テ礼拝仕奉事ヲ挂畏三宝ノ大前ニ恐ム恐ムモ奏賜ハクト奏。」云々とあったところです(下線は筆者)。
比叡山中堂建立の時 伝教大師
滋賀県大津市から見る比叡山
我が国においては,20世紀の半ばまでは,「〔前略〕仏教各宗派は其の我が国に於ける歴史的伝統に基づき,他の一般の宗教とは異なり,従来常に国家から特別の保護を受け又国家の特別の監督に服して来た。其の保護の最も著しいのは各〔略〕宗派の管長は勅任官の待遇を与へらるること(明治17・8・11太政官達68号〔「神仏各宗派一般」宛てに「管長身分ノ儀ハ総テ勅任官取扱ノ例ニ依ル」と達〕)で,それは固より待遇上の特典なるに止まり,管長が国家の公の職員たるのでないことは勿論であるが,此の如き特別の待遇を賜はることのみに依つても,各〔略〕宗派が国家の特別の保護を受くる宗教であることが知られ得る。其の外寺院には国有財産の無償貸付が行はれて居り(国有財産法〔大正10年法律第43号〕24条),又寺院の資産状態を安全ならしむる為めに,其の債務の負担に付き特別の制限を定め(明治10太政官布告43号),其の境内地の使用しついても法律上の制限が有る(明治36内令12)。/要するに,神道及び仏教は他の一般の宗教とは異なり国家の公認教として行政上特別の保護及び統制を受けて居たものである。」ということであったところです(美濃部達吉『日本行政法下巻』(有斐閣・1940年)564‐565頁)。
大日本帝国憲法28条は「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と規定していましたが,仏教を信ずることなく“Non veni pacem mittere sed gladium."と公然宣言する者については,「やさしい国」である我が国の「安寧秩序ヲ妨」げるものとせざるを得なかったものでしょう。
なお,現在,日本国憲法20条1項後段は「いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない。」と,同条3項は「国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定しています。
不酤酒戒 寂然法師
花のもと露の情はほどもあらじ酔ひなすすめそ春の山風
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弁護士 齊藤雅俊
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