2017年09月

 偉大な人物にも小さい側面――具体的には,「せこい」ところ――があることがあります。

 その「せこさ」ゆえにますますうんざりさせられる大人物もあれば,思わずにやりとさせられる偉い人もあります。要は普段の行い次第ということになるのでしょう。

 

1 大カトー

前者の代表人物として挙げられるのは,紀元前3世紀から同2世紀にかけての古代ローマの大カトーです。「ローマの周囲にある村や町で,これ〔弁舌〕を身につけるために練習し,頼んで来る人があるとその度毎に法廷で弁護に立ち,先づ熱心な論戦家,やがて有能な弁論家といふ名を取つた」後,「ローマの町に移ると直ぐ,法廷の弁護によつて自分でも崇拝者や友人を得」つつ(河野与一訳『プルターク英雄伝(五)』(岩波文庫・1954年)49頁,51頁)成り上がった弁護士上がりの名物政治家でした。

 

  ・・・〔大カトーは,〕様々の色をしたバビュロニア製の絨氈(じゅうせん) (embroidered Babylonian tapestry) を遺産として手に入れても直ぐ売払ひ,その別荘 (farmhouses) は一つとして壁土が塗つて (plastered) なく,1500ドラクメー以上出して奴隷を買つたこともなく,必要なのは洒落た美しい奴隷ではなくて,仕事をよくする丈夫な奴隷,例へば馬丁や牛飼のやうなものであるとした。しかもそれらの奴隷が年を取つて来ると,役に立たなくなつたものを養つて置かずに売払ふべきだと考へてゐた。・・・

  これを或るものはこの人の吝嗇(りんしょく) (petty avarice) な点に帰し,又或るものは他の人々を矯正して節度を教へるために自分も内輪に控へたのだと認めてゐる。但し奴隷を駄獣 (brute beasts) のやうに年を取るまで使ひ尽してから追ひ出したり売つたりするのはあまり冷酷な性格 (over-rigid temper ) から来るもので,人間と人間との間に利用 (profit) 以外の繫がりがないと考へてゐるやうに私〔プルタルコス〕は思ふ。しかしながら好意 (kindness or humanity) は正義心 (bare justice) よりも広い場所を占めてゐると私は見る。と云ふのは,我々は本来人間に対してだけ正義 (law and justice) といふものを当嵌(あては)めるが,恩恵や慈愛 (goodness and charity) となると物の言へない動物に対してまで豊富な泉から流れるやうに温和な心持 (gentle nature) から出て来る場合がある。年のためにはたらけなくなつた馬 (worn-out horses) を養つたり,若い犬を育てるばかりでなく年取つた犬の面倒を見たりするのは深切な人 (kind-natured man) の義務である。

  ・・・

  実際,生命を持つてゐるもの (living creatures) を靴や道具のやうに扱ひ,散々使つて(いた)んだからと云つて棄てて顧みないのは(よろし)しくない。他に理由がないとしても,深切な心持を養ふために (by way of study and practice in humanity) もそれらに対して柔和な態度 (a kind and sweet disposition) を取る癖をつけなければならない。少くとも私ははたらかした牛 (draught ox) を年を取つたからと云つて売ることはしない。(いわんや)して年を取つた人間をその祖国 (his own country) ともいふべき育つた場所 (the place where he has lived a long while) ()れた生活から僅かばかりの銅貨のために追出して,売つた人にも買つた人にも役に立たないやうな目に会はせたくない。ところがカトーはかういふ事を誇つてでもゐるやうに,コーンスル〔統領〕として数々の戦闘に使つた馬をヒスパニア (Spain) に残して来て,その船賃を国家に払はせまいとした (only because he would not put the public to the charge of his freight) と云つてゐる。・・・(河野訳5355頁。英語は,John Drydenの訳です。河野与一の文章は難しいのですが,そもそもその人物については,「仙台駅裏のガードをくぐり,狭いうらぶれた土の道を歩いていって,とある家の古風な土蔵の中に,この先生が縹緲(ひょうびょう)〔遠くはるかに見えるさま。ぼんやりしていてかすかなさま。〕と住んでいた。見ると,汚ない着物にチャンチャンコを着,一般地球人類とは様子が異なるお(じい)さんであった。頭蓋(ずがい)がでっかくて額がでっぱっていて,これはウエルズの火星人が化けているのではあるまいかと,ひそかに私は考えたものだ。」(北杜夫『どくとるマンボウ青春記』(新潮文庫・2000年)301頁)と報告されているような様子だったのですから,さもありなんです。)

 

大カトーがローマの統領(コンスル)となったのは紀元前2世紀初めの同195年,同194年にはヒスパニアからの凱旋式を挙げています。

 

2 馬の売却交渉

ところで,紀元18世紀の末の1797年3月に,アメリカ合衆国において,初めての大統領(プレジデント)の交代がありました。

 

 〔ペンシルヴァニア州フィラデルフィア市において1797年3月4日土曜日昼に行われた2代目大統領の就任式を終えて〕彼〔ジョン・アダムズ〕はフランシス・ホテルの宿所に戻った。ワシントン一家が「大統領の家」 (President’s House) をゆっくりと引き払う間,彼はその1週間の残りを同ホテルで過ごすことになっていた。その最初の午後には,彼への訪問客が途切れなく続いた。大多数は彼の幸運を祈り,一部の者は彼の就任演説を称賛した。彼と近しい一,二の者が急ぎやって来て,連邦(フェデラ)党員(リスツ)中に,就任演説が野党の共和党(リパブリカンズ)に対して宥和的に過ぎたと文句を言っている者がいると告げた。ワシントンは,アダムズをその午後遅く,そして再びの終わりに訪問した。当該1の半ばの一夜には,ワシントン夫妻は,新正副大統領〔新副大統領はトーマス・ジェファソン〕のための晩餐会を主催した。ワシントンによるフランシス・ホテル訪問は,主として社交的性格のものであったが,ビジネス的ないくつかの取引も行われた。ワシントンは,大統領の家」の全ての家具調度を執行の長としての報酬から支出して購入していた。不要な家財道具を〔ワシントンの自宅及び農園があるヴァジニア州の〕マウント・ヴァーノンに輸送することにより生ずる費用を負担することを望まないワシントンは,家具類についてアダムズの関心を惹くことを試みた。アダムズは,そのうちいくつかについて入手することにした。しかし,彼は,ワシントンが更に売ろうと望んだ2頭の馬の購入は断った。後にアダムズは,前任大統領は彼からぼったくろうgouge〕としていたのだと示唆している。おそらく彼の意見は正しかったであろう。ワシントンは,それらの馬は,彼がそうだと表明していたところよりも齢を取っていたのだよと友人に明かしていた。(Ferling, John E., John Adams: a life (Oxford University Press, 2010) pp.335-336. 日本語は拙訳。なお,ワシントン夫妻がアダムズ及びジェファソンを招いた上記晩餐会は3月6日のことだったようです(see Ferling p.341)。)

 

 「せこいぞ,ジョージくん!」と叫ぶべきでしょうか。

 ファーリングの上記文章に係る註 (Ferling p.497) によれば,アダムズがワシントン=不実な博労(ばくろう)説を唱えたのは,1797年3月5日又は同月9日付けの妻アビゲイル宛の書簡においてのようです(おそらく9日付けの方なのでしょう。)。また,ワシントンの「友人」とは,ダンドリッジか(1797年4月3日付けワシントン書簡。ダンドリッジ家は,ワシントンのマーサ夫人の実家です。),メアリー・ホワイト・モリスか(同年5月1日付けワシントン書簡)。フィラデルフィアの「大統領の家」の最初の賃貸人であり,かつ,ワシントンの友人であったロバート・モリスの妻であったのが,メアリー・ホワイト・モリスです。後に見るように,ワシントンは,家具調度売却に係る対アダムズ交渉についてメアリー・ホワイト・モリスに報告していますから,モリス夫人が当該「友人」であったように筆者には思われます。

 ロバート・モリス(1734年生,1806年歿)は,商人にして銀行家,大陸会議代議員及びペンシルヴァニア邦議会議員,独立宣言には採択の数週間後に署名,アメリカ独立戦争中・戦争後は財政面で活躍,1789年から1795年までは合衆国上院議員,商業・銀行業から土地投機に転じたもののやがて破産し,1801年まで3年以上債務者監獄に収監されています。(see Encyclopaedia Britannica, Founding Fathers: the essential guide to the men who made America (Wiley & Sons, 2007) p.175

 President’s Houseを「大統領の家」と訳して大統領「官」邸と訳さなかったのは,当該不動産はアメリカ合衆国の国有財産ではなかったからです。1790年に合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンがニュー・ヨーク市からフィラデルフィア市に移った際「シティ・タヴァン (City Tavern) では,彼のがっしりとして外向的な友人であるロバート・モリスが手をさし伸ばして待っていた。フィラデルフィア市は,六番街との角に近いハイ・ストリート(後にマーケット・ストリート)190番地のモリスの屋敷を,新しい大統領邸宅として借り受けていた (had rented)。」と報告されています(Chernow, Ron, Washington: a life (Penguin Press, 2010) p.633. 日本語は拙訳)。我が民法用語によれば,ロバート・モリスが賃貸人,フィラデルフィア市が賃借人,ジョージ・ワシントンが転借人ということになっていたようです。

 ところで,「せこいぞ,ジョージくん!」と叫ぶよりも,「あっ,ジョンくん,暗い。」と慨嘆すべきではないかとの解釈もあるようです。チェーナウのワシントン伝にいわく。

 

 ・・・ワシントンは,鷹揚に,〔「大統領の家」の〕二つの大きな客間 (drawing rooms) の家具調度を値引いた価格で提供する旨〔アダムズに対して〕申し込み,その際「一番良いものを取りのけておいて,残りの余り物を彼に提供する」ということはしなかった〔1797年5月1日付けメアリー・ホワイト・モリス宛ワシントン書簡〕。しかしながら,アダムズ夫妻 (the Adamses) は,それらの物件に手を出そうとはしなかった。さらには,つまらぬ悪口 (petty sniping) の発作を起こしたアダムズは,ワシントンは2頭の老いぼれ馬を2000ドルで彼につかませようとまでしたのだ (even tried to palm off two old horses on him for $2,000),とぶつぶつ文句を言った。(Chernow p.769

 

合衆国2代目大統領の年俸は2万5000ドルで,アダムズは既に馬車を1500ドルで買ってしまっていたところでした (Ferling p.334)。また,アダムズの支払に係るフィラデルフィアの「大統領の家」の転借料は,月225ドルだったそうです (Ferling p.336)

 

3 馬齢詐称と詐欺未遂とに関して

 

(1)詐欺未遂罪容疑に関して

我が刑法246条1項は詐欺罪について「人を欺いて財物を交付させた者は,10年以下の懲役に処する。」と規定し,同法250条により詐欺罪の未遂も罰せられます。無論,日本国民ではない者が日本国外で詐欺未遂罪を犯しても日本刑法が適用されることはないのですが(同法2条参照),ペンシルヴァニア州フィラデルフィア市において1797年3月4日から同月8日(同月9日木曜日早朝にワシントン一家は同市を退去 (Ferling p.336))までの間にヴァジニア州で農場を経営するジョージ・ワシントン氏(当時65歳)が,実際の齢よりも若いものと偽って老馬2頭をアメリカ合衆国大統領ジョン・アダムズ氏(当時61歳)に対して売り付けようとした行為は,仮に日本刑法が適用される場合,詐欺未遂で有罪でしょうか。

 

 日常の商取引においては,例えば販売者,購買者ともに自己に有利になるように駆引きを行い,地域や職種によっては一定の誇張・虚偽の宣伝が通常のものとなっている。これらの行為を,形式的に一般人を錯誤に陥らせるものとして,これらのすべてを処罰することは明らかに妥当ではない。刑法上の詐欺は,ある程度強度なものに限る。誇大広告も,著しいもの以外は詐欺罪には該当しない。(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)266頁)

 

アダムズに一蹴されてしまっている程度のようですから,詐欺未遂罪容疑云々で騒ぎ立てるほどのことではないのでしょう。

 

(2)民事法における詐欺に関して

他方,我が民事法の方面での詐欺とは,どのようなものでしょうか。日本民法96条1項は「詐欺又は強迫による意思表示は,取り消すことができる。」と規定しています。

 

違法性のあるもの,すなわち,信義の原則に反するものでなければ,詐欺ではない。社会生活上,多少の欺罔行為は,放任されるべきだからである。ドイツ民法(ド民123条)にarglistige Täuschung(悪意の欺罔)というのは,善意に対する悪意というだけでなく,倫理的な意義を含むものと解されている〔略〕。この意味で,沈黙・意見の陳述などは,詐欺とならない場合が多いのである。(我妻榮『新訂民法総則』(岩波書店・1965年)310頁)

 

ドイツ民法123条1項は„Wer zur Abgabe einer Willenserklärung durch arglistige Täuschung oder widerrechtlich durch Drohung bestimmt worden ist, kann die Erklärung anfechten.“と規定しています。すなわち,「悪意の欺罔により,又は違法に強迫によって意思表示をさせられた者は,当該意思表示を取り消すことができる。」とあります。Arglistigの訳語には,手元の独和辞典によれば「悪だくみのある,邪悪な奸知にたけた」(小学館『独和大辞典〔第2版〕』),「悪がしこい,悪ぢえのある」(三修社『現代独和辞典』)というような言葉が当てられています。

(ちなみに,「《ドイツ民族》,つまり,だまし民族と呼ばれたのは(うべ)なるかなだ。――」(木場深定訳のニーチェ『善悪の彼岸』244の最終文)と註釈なしに言われるだけでは何のことやらよく分かりませんが,原文は„man heisst nicht umsonst das »tiusche« Volk, das Täusche-Volk ...“で,何のことはない,Deutsche(ドイッチェ)täuschen(トイッシェン)(動詞で,「だます」)との駄洒落でした。さらには,Tauschen(タウッシェン) ist Täuschen(トイッシェン) .“(交換とはだますことである。)ともいいます。

馬の売買は,絵画の売買と並んで社会生活上買主側に大きな注意ないしは判断力の働きが要求される取引領域である,といい得たようです。

 

・・・イギリスのコモン・ローでは,売買,殊に動産売買には「買主をして注意せしめよ」(caveat emptor)のマキシムが適用され,売主の明示の担保があるか,売主に詐欺があるかするのでなければ,たとえ売買の目的物に隠れた瑕疵があっても売主の責任を追及しえないのが一般的ルールであった。・・・

 アメリカにおける売主の瑕疵担保責任の出発点をなしたのも,イギリスのコモン・ローであり,やはりcaveat emptor のマキシムが適用され,売買の目的物について売主による黙示の担保がないのを一般的ルールとしつつ,それに対する例外としての黙示の担保をみとめ,その範囲を拡大する傾向にあったが,統一売買法はその傾向に沿って制定され多くの州で採用され,現在では統一商事法典がそれに代っている。

 ・・・

 このように,動産売買においてはcaveat emptorの一般的ルールに対して,その例外として商品性と特定目的への適性の黙示の担保がみとめられているが,その例外が広汎にみとめられてきたので,caveat emptorは実際には例外となったといわれる(イギリス)。或いは「caveat emptorは,かつてはいかに活力をもっていたとしても,死にかかっている」。「現在のルールは『売主をして注意せしめよ』であるし,またあるべきである」ともいわれる(アメリカ)。

 それでは,現在,caveat emptorはどんな場合に適用されるかというに――買主が任意に買う物を選んだとき適用されるのであるが,特に適用されるのは――買主が自分自身の判断を行使しうるし,また通常行使する特定物売買,例えば,絵とか,なかんずく馬などの売買である。(来栖三郎『契約法』(有斐閣・1974年)7779頁)
 

(3)馬齢及び歯に関して

 馬の齢は,馬の歯を調べれば分かるといいますから,隠れた瑕疵にもなるのかどうか。

 とはいえ,歯の話は,1797年3月当時,新旧のアメリカ合衆国大統領としては避けたかった話題でしょう。歯の弱かった初代大統領の最後の歯(左下の小臼歯)は1796年に抜かれてしまっており,大統領退任時のワシントンは既に歯の無い老人となっていました(see Chernow pp. 642, 644)。第2代大統領は,副大統領時代の1792年から歯槽膿漏を患って歯が抜けてしまうようになっており,発音も悪くなっていたところです(see Ferling p.319)。

 

4 「大統領の家」をめぐって

ところで,フィラデルフィアの「大統領の家」の所有者は,1795年3月,ロバート・モリスからアンドリュー・ケネディに代わっていました。

 

 1790年代の半ば,ワシントン大統領の居住中に,ロバート・モリスは,チェストナット,ウォルナット,七番及び八番の各ストリートに囲まれたブロックに建設を計画していた宏壮な邸宅のための費用を調達するために,彼のマーケット・ストリートの全不動産を売却した。「大統領の家」及び東側の林園 (wood yard) は,1795年3月にアンドリュー・ケネディに3万7000ドルで売却されたのである。ケネディは,裕福な商人であって,執行権の長の邸宅として当該不動産を市に対して賃貸することを継続した。(Lawler, Edward, Jr., The President’s House in Philadelphia: The Rediscovery of a Last Landmark (The Pennsylvania Magazine of History of Biography, January 2002 (Parts I&II)) Part II. 日本語は拙訳)

 

「売買は賃貸借を破る。」かどうかが問題となるところですが(我が国法では,売買が不動産賃貸借を破らないようにするためには,賃借権の登記をし(民法605条,不動産登記法3条8号・81条),建物所有目的の土地の賃貸借については土地の上に借地権者が登記されている建物を所有し(借地借家法10条1項),又は建物の賃貸借については建物の引き渡し(同法31条1項)をすることになります。),新しい所有者が現状維持を認めたのですから問題はなかったのでしょう。

フィラデルフィアは1800年にコロンビア特別区ワシントンに合衆国の首都が移転するまでの暫定首都とされていましたが,フィラデルフィア市当局は,合衆国の首都としての地位を恒久化すべく,同市の九番街に大統領用の邸宅を建造していました。

 

 ワシントンの第2の任期が終了するまでに,及び11万ドル以上の費用をかけた上で,九番街の大統領用邸宅が完成した。新しい建物は巨大だった。面積ではマーケット・ストリートの家屋の3倍以上,独立記念館 (Independence Hall) の2倍以上の大きさがあった。ペンシルヴァニア州知事は,当該邸宅の賃貸を,次期大統領に選出されたアダムズに対して,「フィラデルフィアにおいて他の適当な家屋を使用することが (obtain) できる額の賃料」であればよいと,いささか必死になって申し込んだ。アダムズは「合衆国憲法の素直な解釈からして,議会の意思及び権威の無いまま貴申込みを承諾する自由が私にあるのかどうか,大きな疑問を有しているところです・・・」と回答しつつ,申込みを拒絶した。当該大邸宅の占用――当該動きは,全国の首都にとどまることに係るフィラデルフィアの沈下しつつあるチャンスを回復させるものとなった可能性がある――をするように彼に加えられる圧力をおそらく増大させるためであろうが,市当局は,マーケット・ストリートの家屋の年間賃料額をペンシルヴァニア通貨1000ポンド(約2666ドル)に倍増させた。新大統領は頑張り,1797年3月半ばにはマーケット・ストリートの建物に移り住んだ。アダムズ一家の家事使用人団は,ワシントン一家のものよりも少人数であり,かつ,彼らの社交活動はより質素であったようである。(ワシントンは大統領在任中ほとんどの年において報酬額以上の出費をしていたところ,彼の後継者は報酬の15パーセント以上を貯蓄するようにやり繰りをした。)1790年の首都法 (Residence Act of 1790) 180012月の第1月曜日からコロンビア特別区が正式に全国の首都となるものとしていた。マサチューセッツの彼の農場に滞在後,アダムズは11月1日に新しい連邦市 (Federal City) に移転した。

 アダムズはフィラデルフィアの「大統領の家」を1800年5月遅くまで占用した。彼の退去後数週間で,当該家屋はジョン・フランシスに貸し出された。フランシスは,アダムズ及びジェファソンがそれぞれの副大統領時代に宿所にした滞在施設の所有者であり,それまでの「大統領の家」はフランシス・ユニオン・ホテルとなった。(Lawler Part II

 

なお,アンドリュー・ケネディは独身のまま1800年2月に死亡しており,前の「大統領の家」をホテル用にフランシスに貸し出したのはアンドリューの同胞(きょうだい)で相続人のアンソニーであったということになります(see Lawler Part II)。

フィラデルフィアは,当時は夏になるごとに黄熱病が流行していたそうですから,そもそも合衆国の恒久首都となる見込みは薄かったところです。

 さて,1797年3月9日に行われたフィラデルフィアの「大統領の家」からのワシントン一家の退去は,あまり見事ではなかったようです。ワシントン一家の退去後,アダムズ新大統領は「大統領の家」に入ったのですが・・・

 

 ・・・しかしながら,その優美さにかかわらず,当該邸宅はワシントン一家の出発後きちんと清掃されていなかったこと,及び前大統領の召使らが,酔いどれて,おそらく主人のポトマック河畔の邸宅〔マウント・ヴァーノン〕における厳しい労働の生活に戻る将来の悲観のゆえ,彼の新しい調度類のいくつかを損壊してしまっていることを発見したアダムズは,ショックを受けた。更にアダムズは,いくつかの部屋が小さな役に立たない小部屋に没論理的に分割されていることを見出した。したがって,広い家屋の一隅に落ち着きつつ,彼は,他の場所について小修繕がされるように指示をした。(Ferling p.336

 

ジョン・アダムズ夫人アビゲイルは1797年3月にはフィラデルフィアには未着であって,マサチューセッツ州から同市に到着したのは同年5月の中旬でした(Ferling p.346)。したがって,アビゲイルの意見はジョンからの伝聞に基づくもののように思われるのですが,ワシントン一家退去直後の「大統領の家」の状況について,アビゲイルの批評は殊更厳しかったとチェーナウは伝えます。

 

・・・執行権の長の邸宅がだらしのない状態にあることにぞっとしたとジョン及びアビゲイル・アダムズは主張した。特にアビゲイルは当該家屋を,「私が今まで聞いた中で (that I ever heard of) 最もスキャンダラスな,召使ら仲間による飲酒及び無秩序の現場」であるところの豚小屋 (pigsty) といってけなした。・・・(Chernow p.769

 

 

5 「大統領の家」におけるワシントン一家の家事使用人団に関して

 フィラデルフィアの「大統領の家」でワシントン一家に仕えていた召使らとは,アフリカ系奴隷やらドイツ系の年季奉公人やらだったようです。「ワシントンは大体20人から24人ほどの家事使用人団をフィラデルフィアにおいて維持していた――これらのうち,アフリカ系奴隷の数は,同市において職務を開始した直後の8名から最後の2ないしは3名へと推移した。」及び「アフリカ系奴隷の大部分は,ドイツ系の年季奉公人 (German indentured servants) に置き換えられた。」とあります(Lawler Part I)。ドイツ人は,das Täusche-Volkであるとともに,ビール等のお酒を飲むのが好きそうです。アフリカ系奴隷の一人,料理長のハーキュリーズは,1797年3月9日のワシントン一家フィラデルフィア退去の際に逃亡しています。

 

  ハーキュリーズは,1797年3月に自由に向けて逃亡した。伝えられるところによると,引退したばかりの大統領とその家族とがヴァジニアへ帰る旅行を開始した朝のことである。当該逃亡から1箇月たたないうちにルイ=フィリップ(後のフランス国王)がマウント・ヴァーノンを訪れた。彼の男性召使の一人がハーキュリーズの娘と言葉を交わし,「小さなお嬢ちゃんはお父さんと二度と会えなくなったことについてきっと深く動転しているのだろうと言ってみた。彼女は,とんでもありません,だんなさま,とても喜んでいます,だって父は今や自由なのですから,と答えた。」

  ワシントンの遺言の規定によって,ハーキュリーズは1801年に解放され,彼は逃亡奴隷ではなくなった。彼についてはそれ以上のことは知られていない。〔ハーキュリーズの子である〕リッチモンド,エヴェイ及びデリアは母を通じて寡婦産奴隷であり,奴隷のままでとどめおかれた。(Lawler, Edward, Jr., The President’s House in Philadelphia: The Rediscovery of a Last Landmark (The Pennsylvania Magazine of History of Biography, October 2005) Revisited

 

ハーキュリーズがフィラディフィアで謳歌した自由は,逃亡に向け彼を大胆ならしめる一方,ヴァジニアに帰るという将来像をより抑圧的なものに感じさせただけであっただろう。(Chernow p.762

 

アメリカ南部・ヴァジニア州のマウント・ヴァーノンは評判が悪く,ワシントンの大統領任期末期には,フィラデルフィアの家事使用人団の士気は頽廃していたということでしょうか。
 (
なお,マサチューセッツ人であるアダムズは,奴隷を所有していませんでした。)

料理長ハーキュリーズは逃亡したものの,アダムズから引取りを拒否された2頭の老馬は,ぽっくりぽっくり,フィラデルフィアからマウント・ヴァーノンへの陸路6日間の旅(see Chernow p.769)に同行したものでしょうか。まさか,泥酔した召使たちに食べられてしまっていたわけではないでしょう。

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マウント・ヴァーノン

 

6 古代ローマの奴隷所有者とアメリカ合衆国建国期の奴隷所有者

遺言で自分の奴隷(ただし,妻の寡婦産に属するものではありません。)を解放するなど,奴隷に対するワシントンの態度は,大カトーほどドライではなかったようです。

大カトーは「友人や同僚を饗応した時に,食事が終ると直ぐ,何事についても粗略な振舞をした給仕人や料理人を笞で懲らしめ」,「何か死罪に当るやうな事を犯したと思はれるものはすべての奴隷のゐるところで裁判に掛け,有罪と決まればこれを殺した」りしたようです(河野訳77頁。なお,Dryden訳によれば,有罪判決は奴隷仲間に出させしめたようです。)。

これに対して,ワシントンは,「通常は奴隷が鞭打たれることを許さなかったが,他の方法が尽きたときはときどき (sometimes) それを許した。「無精」かつ「怠惰」とマーサが認定したシャーロットという名の奴隷に係る1793年1月の一件は,その一例である。」といった具合にとどまり,「〔アメリカ独立〕戦争前にワシントンは,困った奴隷2名を西インド諸島に船で送り出した。同地においては,熱帯性気候のため,想定される余命は短かった。」程度であったそうではあります(Chernow p.640)。

 

7 時効管理

しかしながら,大カトーとワシントンと,どちらがより「せこい」かというと,むしろワシントンだったかもしれません。

 

1791年4月の初め,司法長官エドモンド・ランドルフがワシントン夫妻に驚くべきニュースを告げた。1780年のペンシルヴァニア法により,6箇月連続して同州〔当時のアメリカ合衆国の首都は同州のフィラデルフィア市にあったことは前記のとおりです。〕に居住する成人奴隷は自動的に自由民となるのであった。〔ヴァジニア出身の〕ランドルフ自身の奴隷のうち3名が,彼らの自由となる権利を行使する予定である旨通告してきていた。奇態なことであるが,合衆国の司法長官は,大統領及びファースト・レディに対して,当該現地法を潜脱 (evade) することを勧めた。どうしたらよいかと説明しつつ,彼が言うには,いったん奴隷がペンシルヴァニア州外に移出されて,それからまた移入されたのならば,時計の針は元に戻るのであって,それから彼らが自由民となることを請求することができるためには,また6箇月が経過しなければならないのであった。(Chernow p.637

 

 ランドルフ司法長官の「ニュース」とは,1780年の上記ペンシルヴァニア法(漸次奴隷制廃止法 Gradual Abolition Law)の適用除外対象を,連邦議会の議員及び彼らの奴隷の外(1780年当時には,連邦の行政府も司法府も存在していませんでした。),合衆国大統領,副大統領及び各省長官並びに合衆国最高裁判所判事と彼らの奴隷とに拡張しようというペンシルヴァニア州議会に1791年2月に提出された法案(連邦の首都がコロンビア特別区に更に移転することを阻止するために必要だという考えも同州においてはあったのでしょう。)が,ペンシルヴァニア奴隷制廃止協会(Pennsylvania Abolition Society)の強力な反対運動等によって同議会において否決されたことだったようです(see Lawler Revisited)。

 

  間違いが起きないように,ワシントンは,6箇月の制限期間が経過してしまわないうちに,彼の奴隷らを〔ペンシルヴァニア州外での〕短期間の滞在のためにマウント・ヴァーノンとの間で往復させるよう決定した。クリストファー・シールズ〔その後1799年9月に逃亡計画が発覚しましたが,同年1214日のワシントンの最期に立ち会うことになったワシントンの従者です(see Chernow p.801, 809)。〕,リッチモンド〔前記ハーキュリーズの息子。後に金を盗みますが,当該窃盗はハーキュリーズと共に逃亡する計画があったがゆえのようです(see Chernow p.763)。〕及びオネィ・ジャッジ〔ワシントン夫人マーサの女召使。1796年5月に逃亡し,ニュー・ハンプシャー州ポーツマスに居住(see Chernow p.759)。同州グリーンランドで1848年2月25日に死亡しましたが,1793年にワシントン大統領の署名した逃亡奴隷法の下で最後まで逃亡奴隷身分でした(see Lawler Revisited)。〕は未成年者であったので,皆,自由民身分の取得からは除外されていた。成人の奴隷を奴隷身分にとどめるために,ワシントンは様々な策略 (ruses) を用い,彼らがなぜ短期間家に帰されるのかが彼らに知られないようにした。彼がずばり言うには,「彼ら(すなわち奴隷ら)及び公衆双方を欺き (deceive) おおせるような口実でもって本件を処理したい。」ということであった〔1791年4月12日付けの秘書トビアス・リア宛書簡〕。これは,ジョージ・ワシントンによる密謀 (scheming) の稀有の例であり,マーサ・ワシントンとトビアス・リアとはその間彼との秘密の共謀関係にあった。(Chernow p.638

 

時効管理も大変です。

我が民法は,平成29年法律第44号によって一部改正されることになり,同法施行後の民法(以下「改正後民法」といいます。)からは,3年,2年又は1年の短期消滅時効に関する条項(民法170条から174条まで)は削除されます。「飲み屋のツケの消滅時効は1年」ということで有名な民法174条4号等も当該被削除条項に含まれますが,平成29年法律第44号の附則10条4項は同法の施行日前に債権が生じた場合(当該施行日以後に債権が生じた場合であって,その原因である法律行為が施行日前にされたときを含む。)におけるその債権の消滅時効の期間については,なお従前の例によるものとしています。平成29年法律第44号施行日の前夜には不良呑み助が酒場を徘徊して「最後の晩だからツケで飲ませろ。」と飲み屋の経営者らにせこく迷惑をかけまくるなどということがあるのでしょうか(法律行為が施行日前であればよいので,注文をして,「ヘーイ,承りましたぁ。」という返事が返ってきた時が正子前であればよいのでしょう。)。弁護士の職務に関する債権に係る短期消滅時効期間の規定(民法172条。同条1項は「弁護士・・・の職務に関する債権は,その原因となった事件が終了した時から2年間行使しないときは,消滅する。」)も削除されます。

現在の民法167条1項は「債権は,10年間行使しないときは,消滅する。」と規定していますが,改正後民法166条1項は次のように規定しています。

 

166条 債権は,次に掲げる場合には,時効によって消滅する。

 一 債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき。

 二 権利を行使することができる時から10年間行使しないとき。

 

 商事消滅時効に係る商法522条(「商行為によって生じた債権は,この法律に別段の定めがある場合を除き,5年間行使しないときは,時効によって消滅する。ただし,他の法令に5年間より短い時効期間の定めがあるときは,その定めるところによる。」)も,民法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(平成29年法律第45号)3条によって削除されます。経過規定として同法4条7項は「施行日前にされた商行為によって生じた債権に係る消滅時効の期間については,なお従前の例による。」としています。

 不法行為による損害賠償の請求権は「被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは,時効によって消滅」しますが(民法724条前段),この消滅時効期間は,「人の生命又は身体を害する不法行為」については3年から5年に延ばされます(改正後民法724条の2)。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

150-0002  東京都渋谷区渋谷三丁目5-16 渋谷三丁目スクエアビル2階

電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp

 

民法改正への対応準備も重要です。


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1 定額小為替証書の「有効期間」

 

(1)規定

 ゆうちょ銀行の定額小為替証書の表面には「下記の金額をこの証書の発行の日から6か月以内にゆうちょ銀行または郵便局でお受け取りください。」との記載があり,裏面には「8 発行の日から6か月以内に為替金をお受け取りにならなかったときは,お申出により証書を再交付いたします。なお,発行の日から5年間そのままにしておきますと,証書の再交付を請求する権利および為替金を受け取る権利がなくなります。」という記載があります。

 定額小為替証書表面の上記記載及び裏面第8項前段の記載は,ゆうちょ銀行の為替規定9条3項の「為替証書の有効期間は,その発行の日から6か月とします。」との規定に対応するものでしょう(なお,旧郵便為替法(昭和23年法律第59号)20条は「郵便為替証書(普通為替証書,電信為替証書又は定額小為替証書をいう。以下同じ。)の有効期間は,その発行の日から6箇月とする。/差出人又は受取人が,その責に帰すべからざる事由により,前項の有効期間内に為替金の払渡し又は払戻しの請求をすることができなかつたときは,その事由により請求をすることができなかつた日数は,それを同項の有効期間に算入しない。」と規定していました。)。旧郵便為替法20条2項を参照した上で考えると,郵便為替証書の「有効期間」とは,当該証書により為替金の払渡し(受取人が受けるもの)又は払戻し(差出人が受けるもの。後の逓信省通信局長である田中次郎の『通信法釈義』(博文館・1901年)564頁には旧々郵便為替法(明治33年法律第55号)に関して「注意すへきは払戻は差出人に於てのみ請求するを得之れ其文字より見るも明なり」とあります。)を受けることができる期間,ということのようです。

旧々郵便為替法の研究書によれば,「有効期間経過後の証書〔略〕は為替証書として全く払渡を要求するの力なかるべし」であったようでした(田中561頁)。とはいえ,旧々郵便為替規則(明治33年逓信省令第45号)30条2項は「差出人通常為替証書ノ有効期間ヲ経過シタル場合ニ於テ為替金ノ払戻ヲ請求セムトスルトキハ亦前項ノ手続ヲ為スヘシ」と規定して「通常為替証書ニ記名調印シ通常為替金受領証書ト共ニ振出郵便局ニ差出ス」こと(同条1項参照)を求めており(同規則42条及び49条によって電信為替及び小為替について準用),同規則50条2項は再度証書の交付の請求に際して「有効期間経過ノ郵便為替証書ヲ添付差出ス」ことを求めていました。「差出」が必要なのですから,有効期間が経過した郵便為替証書が全く無用無価値のものとなったわけではありません。

 

(2)趣旨

郵便為替証書に有効期間が設けられた趣旨については,旧々郵便為替法に関して,「元来証書には一定の有効期間を設けざれば永く支払の義務を負はしめ頗る処理上に困難を来たす恐あり為替本来の精神は送達する地に於て払渡を為さしめんとするに在れば之には一定の効力期間を附し之を過れば効力を失はしむるは至当なりと謂ふべし」とありました(田中558頁)。「永く支払の義務を負はしめ頗る処理上に困難を来たす恐あり」のみではなお抽象的に過ぎるようですが,1875年(明治8年)1月の郵便為替の「創業の際は為替資金の運転に最も苦しめたるが如し初は1ヶ所300500円を配付するとし3万1500円を予算せしが(〔明治〕7年5月太政官達あり)実際不足を感ママ取扱役の私金準備方法を設け300円以上500円迄は1年6分の利を付すとせり其間資金を増加し〔明治〕8年6月には31万円余となれり〔明治〕18年5月立替金の法を設け〔明治〕20年には10円に付3厘の利とせり此の如くして今は資金の準備整ひ其数亦大に増加し東京市内のみにても1日二三万円を要するに至れり」というような経緯があり(田中522523頁),旧々郵便為替規則には「払渡資金欠乏ノトキ」は「為替金ノ払渡ヲ停延ス」との規定(22条5号,42条,49条。なお,旧々郵便為替法15条は「郵便官署ハ郵便為替金払渡ノ遅延ニ因リ生シタル損害ニ付賠償ノ責ニ任セス」と規定していました。)もあったところからすると,振出郵便局所から通常為替又は電信為替の振出しの案内を受けた払渡郵便局所(旧々郵便為替規則13条,40条1項)における折角の為替資金のいわゆるブタ積みを避けようとするものでもあったのでしょうか。

旧郵便為替法時代の『時の法令』1320号(19871230日)の記事「郵便為替及び郵便振替サービスの改善 郵便為替法及び郵便振替法の一部を改正する法律(62529公布法律第39号)」(上田伸)には,旧郵便為替法20条1項の改正に関して,「郵便為替証書の有効期間は,長期間にわたって為替金の払渡しがなされないようであれば,証拠書類の保管や計算事務などの面で繁雑であること,また,亡失・盗難などによる払渡警戒に対する事務負担の問題があることなど,手作業処理においては業務運営上支障を来すことになるため,できるだけ早めに払渡しを受けてもらうという趣旨から設けられているものである。/しかしながら,この有効期間を経過した場合には,証書再発行の手続をしないと為替金の払渡しを受けることができず,利用者にとっても,郵便局の事務取扱上も繁雑であるので,この期間を2か月から6か月に延長することとされた(郵便為替法20条1項)。」とあります(33頁)。しかしながら,為替金に関する差出人及び受取人の権利は,郵便為替証書の有効期間の経過によってではなく,「郵便為替証書の有効期間の経過後,普通為替及び電信為替にあつては3年間,定額小為替にあつては1年間,郵便為替証書の再交付又は為替金の払もどしの請求がないとき」に初めて消滅したのですから(旧郵便為替法22条),郵便為替証書の有効期間経過後も「証拠書類の保管や計算事務」は残っていたわけですし,「手作業処理」に係る業務運営上の支障は機械化・オンライン化によって解消されたわけでしょう。郵便為替証書の有効期間を設けてしまった結果「証書再発行の手続をしないと為替金の払渡しを受けることができず,利用者にとっても,郵便局の事務取扱上も繁雑である」というに至っては,やや本末転倒のようでもあります。結局「できるだけ早めに払渡しを受けてもらうという趣旨」という郵便局側のお願いにすぎないものが,「郵便為替証書の有効期間」という仰々しい制度になっていたようでもあります。
 ただし,旧郵便為替法下では,郵便為替証書の有効期間が経過すると,有効期間が経過した当該郵便為替証書を受取人に所持させたままでも差出人が為替金の払戻しを受けることができるようになるという効果もあったようなのですが(同法
32条2項(同条1項と異なり郵便為替証書との引換えは不要),38条及び38条の2並びに旧郵便為替規則(昭和23年逓信省令第31号)38条2項,62条及び68条),同法の昭和62年法律第39号による改正に際しては,重視されていなかったようです。

 

(3)現状

 

ア 形骸化か

 実は,現在のゆうちょ銀行の取扱いでは,普通為替証書及び定額小為替証書の各「有効期間」及び当該期間経過後の為替証書の再交付の制度は形骸化しているようです。すなわち,現在の同行の為替規定においては,有効期間経過後の為替証書を所持する受取人が為替金の払渡しを受けるためには,いったん為替証書の再交付を受ける手続は不要とされるに至っています。また,為替証書の有効期間が経過したからといって,差出人が為替証書との引換えなしに為替金の払戻しを受け得るものとはされていません。

 

イ 為替金の払渡しの場合

ゆうちょ銀行の為替規定9条1項は「普通為替の為替金の払渡しを請求しようとするときは,受取人が,普通為替証書に住所を記入し,記名押印又は署名のうえ,これを本支店等〔ゆうちょ銀行の本支店若しくは出張所又は郵便局(日本郵便株式会社の委託を受けて同行に係る銀行代理業を行う簡易郵便局を含む。)〕に提出してください。ただし,普通為替証書の有効期間が既に経過している場合は,普通為替証書に当行所定の事項を記入してください。」とのみ規定しています(下線は筆者によるもの。同条2項は定額小為替について同様の規定)。ここでの「当行所定の事項」とは,郵便為替証書の再交付の請求に係る旧郵便為替法21条3号に対応する旧郵便為替規則14条ただし書が「郵便為替証書の有効期間が経過したためにする請求であつて,もとの郵便為替証書があるときは,その裏面に,再交付請求の旨及び住所を記載し,且つ,記名調印して,これを請求書とするものとする。」と規定していたことにかんがみると,「再交付請求の旨」ならぬ有効期間経過後の払渡請求である旨,ということになるのでしょうか。

 

ウ 為替金の払戻しの場合

また,有効期間経過後の為替証書を所持する差出人による為替金の払戻請求については,ゆうちょ銀行の為替規定10条1項は「普通為替の為替金の払戻しを請求しようとするときは,差出人が,普通為替証書に住所を記入し,記名押印又は署名のうえ,本支店等に提出し,かつ,為替金受領証書を提示してください。ただし,普通為替証書の有効期間が既に経過している場合は,普通為替証書に当行所定の事項を記入してください。」と規定しています(下線は筆者によるもの。同条2項は定額小為替について同様の規定)。ここでの「当行所定の事項」とは,普通為替の為替金の払戻請求に係る旧郵便為替規則38条2項が「〔前略〕普通為替証書の有効期間が経過した場合における法32条第2項の規定による為替金の払戻しの請求は,差出人が,普通為替金受領証書の記号番号,為替金額,受入年月日及び差出人の住所を記載し,かつ,記名調印した普通為替金払戻請求書に当該普通為替証書があるときはこれを添えて郵便局に差し出し,かつ,普通為替金受領証書を提示してするものとする。」と規定していたこと(同規則68条により定額小為替に準用)にかんがみると,為替金の払戻しを請求する旨及び「普通為替金受領証書の記号番号,為替金額,受入年月日」のみということになるように思われます。

なお,旧郵便為替法時代と異なり(同法32条2項及び38条の2並びに旧郵便為替規則38条2項及び68条参照),有効期間経過後の為替証書がなければ差出人は当該期間経過後であっても為替金の払戻請求ができない形になっていますので(旧々郵便為替規則30条2項に戻ったような形になっています。),実際には,当該証書を所持している受取人に対する払渡しが優先されることになるのでしょう。

 

エ 為替金に関する権利の移転との関係

為替金を受け取るためには「有効期間」経過後の為替証書でも大丈夫ということになれば,ゆうちょ銀行の為替規定11条2項の「〔前略〕為替証書の有効期間が経過したときは,差出人又は受取人は,当行所定の書類に必要事項を記入し,記名押印又は署名をし,かつ,元の為替証書を添えて,為替証書の再交付の請求をすることができます。」との規定に基づく為替証書の再交付は,何のためにされるのでしょうか。「有効期間」が経過してしまうと,為替証書に差出人が受取人の氏名を記入(同規定4条1項)しても当該記入による受取人の指定は効力を生じないということでしょうか。それとも,同規定12条(「為替金に関する受取人の権利は,他の銀行その他当行所定の金融機関(次項において「他の銀行等」といいます。)以外の者に譲り渡すことができません。/他の銀行等へ為替金に関する受取人の権利を譲渡しようとするときは,為替証書を引き渡すことにより行ってください。」。また,定額小為替証書裏面の第2項には「この証書は,他の銀行その他当行の定める金融機関以外の者に譲り渡すことができません。」と記載されています。)に基づく為替金に関する受取人の権利の譲渡は,為替証書の「有効期間」中に当該「為替証書を引き渡」してする(同条2項)のでなければ効力を生じないということでしょうか。しかし,指定受取人名記入欄には指定の日付を記入すべきものとはされていませんし,為替規定12条2項の引渡しの際に為替証書に当該引渡しの日付を記載すべきものともされていないでしょう。黙って郵便局に為替証書を提出してしまえば受取人指定日又は為替金に関する受取人の権利の譲渡日は問題にされずにそれまでのようでもあり,少々議論の実益性に疑問があるところです。

ちなみに,旧郵便為替法時代の郵便為替の為替金に関する受取人の権利の銀行等への譲渡の方法については,旧郵便為替規則11条2項及び3項に「法第12条の規定による為替金に関する受取人の権利の銀行等への譲渡は,受取人が郵便為替証書の裏面に2条の平行線を引き,なお譲渡を受ける銀行等を指定する場合には,その平行線内にその銀行等の名称を記載し,当該郵便為替証書を銀行等に引き渡して,これをする。/線引郵便為替証書に表示された為替金は,銀行等以外の者には,払い渡さない。又平行線内に銀行等の名称が記載されているときは,その銀行等以外の者には,払い渡さない。」という規定がありました。やはり日付の記載は求められていません。(なお,小切手の線引制度(小切手法37条・38条)が想起せられる規定です。)

 

2 為替金に関する受取人の権利の譲渡制限

旧郵便為替法12条1項は「為替金に関する受取人の権利は,差出人が受取人を指定しない普通為替及び定額小為替に関するものを除いては,銀行その他公社の定める金融機関(以下「銀行等」という。)以外の者に譲り渡すことができない。」と規定していたのに対し,ゆうちょ銀行の現在の為替規定12条1項からは「,差出人が受取人を指定しない普通為替及び定額小為替に関するものを除いては」の部分が取り除かれています。定額小為替証書裏面の第2項も「この証書は,他の銀行その他当行の定める金融機関以外の者に譲り渡すことができません。」との記載です。

差出人が受取人を指定しない普通為替又は定額小為替は想定されておらず,差出人によって受取人名が記入されていない為替証書は未完成品扱いになるということでしょうか。しかし,未完成品による不正規な払渡請求であるものとしながら「差出人が受取人を指定していない為替については持参人に為替金を払い渡すこととし,これにより生じた損害については,当行等は責任を負いません。」(ゆうちょ銀行の為替規定9条4項)と開き直るのも変な話です。

あるいは,指定受取人名記入欄空白の定額小為替証書又は普通為替証書は認められるとしても,他の銀行等以外の者に為替金に関する受取人の権利を譲渡することはやはり認められないということでしょうか。しかし,戸籍謄本等の交付申請手続において指定受取人名記入欄空白の定額小為替証書を手数料の「お釣り」として役場から受け取ることがありますところ,筆者は「他の銀行等」ではありませんから,そのような「お釣り」の授受が無効ということになってしまってはいかにも不都合です。

なお,平成元年法律第26号による旧郵便為替法12条1項の改正に際して「為替金〔略〕に関する権利については,法律関係をできるだけ簡明にし,簡易な取扱いを維持するため,原則として譲渡を禁止し,銀行に対する譲渡のみを利用者の便宜のために例外的に認めておりましたが,銀行以外の金融機関であっても,利用者との間に預金その他の取引関係が多く,譲渡を認めることが利用者の取引上の利便を図ることになると考えられるところから,これらの金融機関についても譲渡ができるように譲渡制限を緩和したものです。」と説かれていましたが(寺田利信「郵便為替法及び郵便振替法の一部改正について―料金の法定制緩和の実現―」『郵便貯金』(郵便貯金振興会・1989年9月号)25頁),これは,差出人が受取人を指定しないということができなかった電信為替を専ら念頭に置いたものでしょう(電信為替における受取人の指定は郵便局にされて,郵便局は電信為替証書を当該受取人に送達しました(旧郵便為替法9条)。当該指定は,普通為替や定額小為替の場合のように郵便局の知らぬうちに郵便為替証書に記載してされたもの(旧郵便為替規則18条の2及び65条)ではありません。ちなみに,ゆうちょ銀行の現在の為替規定からは,もはや電信為替は消えています。)。

3 為替に関する契約の「解除」

 

(1)為替規定13

 定額小為替証書裏面第8項後段の「なお,発行の日から5年間そのままにしておきますと,証書の再交付を請求する権利および為替金を受け取る権利がなくなります。」という記載は,ゆうちょ銀行の為替規定に対応する規定があるのでしょうか。当該規定の第13条は次のようなものですが,同条はいかにも解釈が難しい。

 

 13 契約の解除

(1)為替証書発行の日から5年間,為替金の払渡し若しくは払戻し又は為替証書の再交付の請求がないときは,当行は,この規定による為替に関する契約を解除します。なお,為替証書の発行の日から5年間,受取人から為替金の払渡し又は為替証書の再交付の請求がなかった場合であっても,当行から差出人へその旨の通知は行いません。

(2)前項による契約解除に関する為替金に相当する額の返還の請求は,差出人が必要事項を記入し,記名押印又は署名をした当行所定の書類に当該為替証書又は為替金受領証書を添えて本支店等に提出してください。

 

 定額小為替証書裏面第8項後段は為替金の受取債権等に係る消滅時効期間に関する記載のように見えるのですが,為替規定13条1項前段は,ゆうちょ銀行の約定解除権を定めたもののように思われます。約定解除権の行使は,相手方に対する意思表示によってされなくてはなりません(民法540条1項)。為替に関する契約におけるゆうちょ銀行の相手方は,差出人ということになります。ところが,為替規定13条1項後段を見ると,ゆうちょ銀行は,その約定解除権の行使が可能になったときであっても,差出人とは没交渉を貫くこととしているようです。すなわち,ゆうちょ銀行から差出人に対する解除の意思表示の通知はされないようです。であれば,結局,為替規定13条1項は,前段でゆうちょ銀行に約定解除権を認めつつ,後段でその行使を封印するという,いわゆる「マッチ・ポンプ」的規定であるように見えます。

 ということで,実際には発動されることはないであろうゆうちょ銀行の為替規定13条なのですが,ついでに同条2項について考えると,同項は,約定解除の効果としての原状回復義務(民法545条1項)に関する規定ということになるのでしょう。為替金の返還と為替証書及び為替金受領証との返還とは同時履行関係に立つということでしょう(民法546条参照)。なお,明文で排除されていない以上,ゆうちょ銀行は,為替金受領時からの利息(民法545条2項)も支払うことになるのでしょうか。

 

(2)差出人による解除と払渡しの停止について

ところで,為替に関する契約に係るゆうちょ銀行の解除権の話が出てくると,差出人の解除権はどうかという話もおのずと出てきます。

為替契約は一種の請負であるとすると,「請負人が仕事を完成しない間は,注文者は,いつでも損害を賠償して契約の解除をすることができる。」(民法641条)ということになりそうです。商法582条には「荷送人又ハ貨物引換証ノ所持人ハ運送人ニ対シ運送ノ中止,運送品ノ返還其他ノ処分ヲ請求スルコトヲ得此場合ニ於テハ運送人ハ既ニ為シタル運送ノ割合ニ応スル運送賃,立替金及ヒ其処分ニ因リテ生シタル費用ノ弁済ヲ請求スルコトヲ得/前項ニ定メタル荷送人ノ権利ハ運送品カ到達地ニ達シタル後荷受人カ其引渡ヲ請求シタルトキハ消滅ス」とあります。

しかしながら,送金小切手などの銀行の自己宛小切手(小切手法6条3項参照)については,「振出依頼人が振出人〔銀行〕に対して自由に支払委託を撤回することはできない〔略〕。自己宛小切手の振出人は,呈示期間内に小切手が呈示された場合には遡求義務を負うし,呈示期間経過後であっても,自己宛小切手が支払われるという一般的期待があることを考えると,振出依頼人からの支払委託の撤回があったからといって,振出人が当然にそれに応じて支払を拒絶しなければならないと解することは妥当ではない。そうだとすると,自己宛小切手の振出依頼人と振出人との間には,支払委託の撤回は振出依頼人の権利としては(振出人がそれに応じて支払を差し止めることはあるとしても)認められないという前提のもとに,その振出の依頼がなされていると解すべきである。したがって,振出依頼人からの支払委託の撤回がなされても,法律的にはそれはたんに事故届として,支払人が小切手の無権利者に支払った場合に免責されるかどうかを判断する資料の一つとしての意味しか有しないと解すべきである」と説かれています(前田庸『手形法・小切手法入門』(有斐閣・1983年)401402頁)。旧々郵便為替法3条は「郵便官署ハ差出人ノ請求ニ因リ通常為替証書及電信為替証書ニ対スル郵便為替金ノ払渡前ニ於テ其払渡ヲ停止シ又ハ其ノ払戻ヲ為スコトヲ得」と規定していましたが,これは郵便官署の権能を定める規定です。「受取人は証書を持参し強て其払渡を強要することあるべし然れども官署は本条の規定に原て之を拒絶することを得るなり」とまでの郵便官署本位の効果があったところです(田中544頁)。

旧郵便為替法は,その第37条で電信為替について払渡しの停止制度(「差出人の払渡しの停止の請求がある場合には,公社は,為替金をまだ払い渡していないときは為替金の払渡しを停止し」と,差出人の請求権とされたものと解される文言です。)を定めていましたが(同条3項に基づき料金を徴収。なお,差出人に対する為替金の払戻しは,同法38条により準用される32条2項に基づき電信為替証書の有効期間経過後にされたものでしょう。),普通為替及び定額小為替については当該制度を認めていませんでした(昭和26年法律第255号による普通為替導入の際第29条を削除)。

ゆうちょ銀行の為替規定においては為替金の払渡しの停止について規定されていませんが,これは,差出人にそのような請求権を認めないという趣旨でしょう。

 

4 定額為替証書の喪失と再交付

 

(1)為替規定11

定額小為替証書の裏面第8項前段(「発行の日から6か月以内に為替金をお受け取りにならなかったときは,お申出により証書を再交付いたします。」)は,当該証書の「有効期間」経過後における証書の再交付に係る記載ですが,定額小為替証書が喪失された際の再交付に係るゆうちょ銀行の為替規定11条の下記規定については言及されていません。

 

11 為替証書の再交付

(1)為替証書を失ったときは,差出人は,当行所定の書類に必要事項を記入し,記名押印又は署名をし,かつ,為替金受領証書を添えて,為替証書の再交付の請求をすることができます。

 (2) 〔略〕

 (3)前2項の請求があったときは,当行は,為替金が払い渡されていないことを確認したうえ,為替証書を当行所定の方法により発行してこれを請求人に交付します。ただし,定額小為替証書を失った場合においては,当該定額小為替証書の有効期間内は,為替証書の発行及び交付は行いません。

 (4)為替証書が再発行されたときは,元の為替証書は,為替金の払渡し又は払戻しの請求に使用することはできません。

 

旧郵便為替法における同様の規定として,郵便為替証書の再交付に関する同法21条は,「普通為替証書又は電信為替証書を亡失したとき」(同条1号)又は「郵便為替証書の有効期間が経過したとき」(同条3号。定額小為替証書の亡失の場合は,その有効期間の経過を待って同号に基づき証書の再交付を受けたわけです。)には,日本郵政公社は,「郵便為替の差出人又は受取人の請求があるときは,郵便為替証書を再交付する」ものと規定していました。郵便為替証書の再交付に係る当該請求があったときには,「貯金事務センター又は郵便局において,当該為替金がまだ払い渡されていないことを確かめた上,貯金事務センター(郵便局長が支障がないと認めたときは,郵便局)において,郵便為替証書を再発行し,かつ,受取人の住所氏名(受取人が指定されている場合に限る。)を当該証書の相当欄に記載して,これを請求人に交付」しました(旧郵便為替規則15条1項)。そして,「郵便為替証書が再発行されたときは,もとの証書は,為替金の払渡及び払もどしの請求に使用することができない」ものとされていました(旧郵便為替規則15条2項)。

 ただし,旧郵便為替法及び旧郵便為替規則は法令であったのに対して(したがって,民法施行法57条の特則でもあり得たところです。),ゆうちょ銀行の為替規定は,同行と為替に関する契約を締結した者(差出人)との間の契約の内容をなすものにすぎません。

 とはいえ,公示催告手続を行うことに比べれば,為替証書を亡失した差出人にとっては,為替規定11条1項の為替証書再交付の制度は便利でしょう。

 

(2)元の為替証書の「無効化」について

 ところで,旧々郵便為替法12条2項では「再度証書ヲ発行シタルトキハ原証書ハ無効トス」とされていた規定が旧郵便為替法では削られ,省令である旧郵便為替規則15条2項に落ちています。

これはあるいは,再度証書発行後も原証書がなお存在する場合は,郵便局による当該原証書所持人に対する為替金の払渡しが有効であるという解釈があって,その解釈との整合性を取るためのものだったのでしょうか。すなわち,旧々郵便為替規則54条は「小為替証書ノ亡失ニ因ル再度証書ノ請求ニ対シテハ其ノ発行ノ日ヨリ150日ヲ経過シタル後ニ非サレハ再度証書ヲ発行セス但シ相当保証人ヲ立テ請求スルトキハ此ノ限ニ在ラス」と規定し,当該規定については「小為替に付ては亡失のとき発行日より150日を経過したる后に非れは再証書を発行せす尤も相当保証人を立て其亡失の真を証し偽なる場合の弁償義務を負はしむれは150日以内にても再証書を発行すべし」と説明されていたこと(田中563頁)が問題になります。再度証書の発行を受けた者及びその保証人のこの弁償義務は国(郵便局)に対するものだったのでしょうが,原証書が出て来ても,失効していれば,郵便局がそれに対して為替金の払渡しをすることもないし(「再度証書を発行したるときは原証書は全然其効力を失ふべし故に之を以て払戻を請ふも許されす況んや払渡をや此の如くせされば重複に為替金を払渡すの恐なしとせざるなり」(田中564頁)),仮に払い渡してしまっても国は原証書を所持していた受取人に対して不当利得として返還請求ができたはずです。(そうだとすれば,弁償義務は,むしろ本来,国の頭越しに,原証書の所持人と過誤に基づく再度証書の交付を受けた者との間でまず問題になったように思われます(原証書が無効になったことによって原証書の所持人が為替金の払渡しを受けることができなくなったことが損害)。)国に対して不当利得が全て返還されなかったときの残額部分の国に対する弁償のための保証人だったのだと考えることも可能ですが,間接に過ぎるようです。実は亡失していなかった原証書の所持人に対する為替金の払渡しを有効とした上で,その場合においては亡失に係る主張が偽であったものと発覚した再度証書の所持人に対する払渡しは無効であるものとしての当該所持人に対する弁償請求に係る保証人と考えた方が素直ではないでしょうか。1901年当時の米国,ベルギー国及び英国の各郵便為替法令においては「何れの国も原証券の無効を明記することなき」状況だったそうですが(田中564565頁),当該沈黙にはそれなりの意味があったのでしょう。

 ゆうちょ銀行の為替規定11条4項の規定も,亡失したはずの為替証書が出て来てしまったときにはその効力いかんが問われるところですが,そもそも為替に関する契約の当事者である差出人以外には対抗できないのではないでしょうか。

 

(3)普通為替証書と定額小為替証書との取扱いの違いについて

 かつては普通為替証書についても,その有効期間内の証書の再交付は認められていませんでした。定額小為替証書との差がついたのは,昭和56年法律第52号による旧郵便為替法21条の改正の結果です。

 

 《普通為替証書を亡失した場合は,当該為替証書の有効期間内においても,差出人又は受取人の請求により普通為替証書を再交付すること及び差出人の請求により払戻しをすることとされた(21条,32条2項)》

     払渡郵便局の指定がなされていない普通為替証書については,受取人は,全国のどこの郵便局でも払渡しを受けることができるので普通為替証書を亡失した場合に為替証書の有効期間内の再交付及び払戻しを認めると,亡失された証書による払渡しがされ,重複払が生ずる危険があることから,これまで有効期間内はこれを認めていなかった。しかしながら,全国の郵便局が総合機械化され,オンライン網が完成した時点では,郵便局で払渡しの際に,即時に重複払のチェックが可能となるため,有効期間内においても,普通為替証書の亡失再交付及び払戻しができるようサービスの改善を図ることとされた。

    (田中博「国民の要望に応えて郵便為替及び郵便振替サービスの改善を図るオンライン化に伴う改正 郵便為替法及び郵便振替法の一部を改正する法律(56525公布 法律第52号)」『時の法令』1128号(198112月3日)15頁)

 

払渡郵便局がされず全国のどこの郵便局でも払渡しを受けることができる点では普通為替も定額小為替も同じなのですが,新サービスが普通為替についてのみのものにとどまったのは,「即時に重複払のチェックが可能」となるオンライン化がなお定額小為替関係については達成されていなかったものか,あるいは単に,普通為替と料金の安い定額小為替との間であえてサービスの差別化を図ったものか。手間のコストに引き合うように郵便為替証書の再交付料金を取って調整すればよいではないかと提案しようとしても,当該料金徴収について定めていた旧郵便為替法21条旧2項は,10年振りの郵便為替料金値上げを行うために旧郵便為替法の一部を改正した昭和36年法律第79号によって削られてしまっていたところでした(なお,昭和36年法律第79号による旧郵便為替法の改正については,定額小為替制度導入との関係で,前回(2017年8月31日)のブログ記事「再び定額小為替証書について」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1067546421.htmlで御紹介するところがありました。)。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階

電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp


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