前回の記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1045278800.html「三百代言の世話料に関して」)を書いていて,和歌山県の野道において,いたいけな幸之助少年が寛永通宝一文銭(穴あき一厘銭)を鬼のように兇暴な男から強取される場面を想像するに至ったのですが,その有様を書いてみるとなると,ヴィクトル・ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』におけるプティ・ジェルヴェ事件のパロディになってしまうところです。プティ・ジェルヴェ事件では,南仏デーニュから約12キロメートル離れた人気の無い野道で,ミリエル司教に助けられたばかりのジャン・ヴァルジャンが,その夕方,約10歳のプティ・ジェルヴェ少年が歩きながらそれで遊んでいて落とした40スー(2フラン)銀貨を足で踏みつけ,更に同少年を追い払って奪ってしまったのでした。
Comme le soleil déclinait au couchant, allongeant sur le sol
l’ombre du moindre caillou, O’nisaka était assis derrière un buisson.
Il entendit un
bruit joyeux. Il tourna la tête, et vit venir par le sentier un petit Wakayamard
d’une dizaine d’années qui chantait --- Ils sont lumineux, les produits de National!
L’enfant s’arrêta à côté du buisson sans voir
O’nisaka et fit sauter son rin que
jusque-là il avait reçu avec assez d’adresse sur le dos de sa main.
Cette fois la
pièce d’un rin lui échappa,
et vint rouler vers la broussaille jusqu’à O’nisaka.
O’nisaka posa
le pied dessus.
Cependant
l’enfant avait suivi sa pièce du regard, et l’avait vu.
Il ne s’étonna
point et marcha droit à l’homme.
C’était
un lieu absolument solitaire. Aussi loin que le regard pouvait s’étendre,
il n’y avait personne dans la plaine ni dans le sentier. Le soleil empourprait
d’une lueur sanglante la face sauvage d’O’nisaka.
--- Monsieur,
dit le petit Wakayamard, avec cette confiance de l’enfance qui se compose
d’ignorance et d’innocence, --- ma pièce?
--- Comment
t’appelles-tu? dit O’nisaka.
--- Kônosuké,
monsieur.
--- Va-t’en, dit
O’nisaka.
--- Monsieur, reprit l’enfant, rendez-moi ma pièce.
O’nisaka baissa la tête et ne répondit pas.
--- Je veux ma pièce! ma pièce d’un rin trouée!
L’enfant
pleurait. La tête d’O’nisaka se releva. Il était toujours
assis. Il étendit la main vers son bâton et se dressant brusquement tout debout, le pied toujours sur la pièce
de cuivre, il cria d’une voix terrible: --- Veux-tu bien te sauver!
L’enfant effaré le
regarda, puis commença à trembler de la tête aux pieds,
et, après quelques seconds de stupeur, se mit à s’enfuir en
courant de toutes ses forces sans oser tourner le cou ni jeter un cri.
2 日本刑法
(1)鬼坂の犯罪
ア 占有離脱物横領非該当
幸之助少年に対する鬼のように兇暴な,ジャン・ヴァルジャンならぬ鬼坂(O’nisaka)の行為は,我が現行刑法では,まず,やはり占有離脱物横領にはならないでしょう(同法254条は「遺失物,漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は,1年以下の懲役又は10万円以下の罰金若しくは科料に処する。」と規定)。和歌山の野道を通る幸之助少年は,放り上げつつ遊んでいた寛永通宝一文銭を手の甲で受け止め損ね,当該一文銭は,道端の藪のそばに腰を下ろしていた鬼坂のところまで転がって行ったのですが(Cette fois la pièce d’un rin
lui échappa, et vint rouler vers la broussaille jusqu’à O’nisaka.),その間の距離も時間も短いようであり,かつ,幸之助少年は当該銅銭が鬼坂の足下まで転がる様を目で追いかけていて見失っていません(Cependant l’enfant avait suivi sa pièce du regard, et l’avait vu.)。すなわち,当該寛永通宝は,所有者である幸之助少年の占有を離れてはいないものと判断されます。
なお,幸之助少年の場合は被害品が被害者のもとから遠ざかって行ったのですが,それとは逆に被害者が被害品から遠ざかって行った場合について最高裁判所平成16年8月25日決定は,「〔前刑出所後いわゆるホームレス生活をしていた〕被告人が本件ポシェットを〔本件ベンチ上から〕領得したのは,被害者がこれを置き忘れてベンチから約27mしか離れていない場所まで歩いて行った時点であったことなど本件の事実関係の下では,その時点において,被害者が本件ポシェットのことを一時的に失念したまま現場から立ち去りつつあったことを考慮しても,被害者の本件ポシェットに対する占有はなお失われておらず,被告人の本件領得行為は窃盗罪に当たる」と判示しています。
イ 窃盗
そうなると,まず,鬼坂には窃盗罪が成立するように思われます(刑法235条は「他人の財物を窃取した者は,窃盗の罪とし,10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」と規定)。足下に転がって来た幸之助少年の一文銭を鬼坂が踏みつけた行為(O’nisaka posa le pied dessus.)が窃取行為であって,それにより直ちに鬼坂が占有を取得し,既遂に達したと見るべきでしょう。
ウ 事後強盗
幸之助少年が自分の穴あき一厘銭(ma pièce d’un rin trouée)を返してくれと言ってきたのに対して窃盗犯・鬼坂は「あっちへ行け(Va-t’en.)」と言うばかりで応じません。幸之助少年は泣き出します。これに対して鬼坂は,更に杖に手を伸ばし突然乱暴に立ち上がり,恐ろしい声で「失せやがるのが身のためだぞ!」と吠えたところ(Il étendit la main vers son bâton et se dressant brusquement tout
debout, le pied toujours sur la pièce de cuivre, il cria d’une voix terrible:
--- Veux-tu bien te sauver!),驚愕して鬼坂を見た幸之助少年は全身わなわなと震え出し,茫然自失,一目散に逃げ去ります(L’enfant effaré le regarda, puis commença à trembler de la tête aux
pieds, et, après quelques seconds de stupeur, se mit à s’enfuir en courant de
toutes ses forces sans oser tourner le cou ni jeter un cri.)。
これは,刑法238条の事後強盗でしょう。同条は,「窃盗が,財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために,暴行又は脅迫をしたときは,強盗として論ずる。」と規定しています。強盗は,5年以上の有期懲役に処されます(刑法236条1項。有期懲役の上限は20年(同法12条1項))。
なお,プティ・ジェルヴェ事件の際のジャン・ヴァルジャンのごとく,鬼坂も刑期を終えて間がなければ,再犯です(刑法56条1項「懲役に処せられた者がその執行を終わった日又はその執行の免除を得た日から5年以内に更に罪を犯した場合において,その者を有期懲役に処するときは,再犯とする。」)。再犯の場合,再犯加重で(刑法57条は「再犯の刑は,その罪について定めた懲役の長期の2倍以下とする。」と規定),当該事後強盗により,5年以上30年以内の範囲で懲役に処されることになります(同法14条2項は「有期の懲役又は禁錮を加重する場合においては30年にまで上げることができ,これを減軽する場合においては1月未満に下げることができる。」と規定)。
子供から小銭を奪って懲役30年とは,なかなか重いでしょうか。
(2)鬼坂の弁護
激発型の和歌山の暴れん坊将軍・鬼坂の弁護人としては,どのような弁護方針を採るべきか。
ア 裁判権の不存在
鬼坂が,例えば某国を代表する外交官たる閣下であれば,外交官特権を盾に,被疑者段階では身柄解放を要求し(外交関係に関するウィーン条約(昭和39年条約第14号)29条1・2文は「外交官の身体は,不可侵とする。外交官は,いかなる方法によっても抑留し又は拘禁することができない。」と規定),公訴が提起されたのなら公訴棄却の申立てをすることになるでしょう(同条約31条1項前段(「外交官は,接受国の刑事裁判権からの免除を享有する。」),刑事訴訟法338条1号。ただし,「刑訴法は,公訴棄却の裁判の申立権を認めていないのであるから,公訴棄却を求める申立は,職権の発動を促す意味をもつに過ぎず,したがつて,これに対して申立棄却の裁判をする義務はない」とされています(最決昭45・7・2刑集24・7・412)。)。
イ 可罰的違法性論
被害額が一厘にすぎず法益侵害が軽微であるとして無罪を主張すべきか。しかし,一厘事件判決(大判明43・10・11刑録16・1620)は,行為が零細であり,かつ,危険性が無かったので,たばこ耕作者によるたばこ2.625グラムを手刻みとして消費した行為を葉煙草専売法(明治29年法律第35号)21条違反の犯罪を構成しないものとしたものと解されるのであって,前記鬼坂被告人の悪質な行為に危険性は無いとは「健全ナル共同生活上ノ観念」からして到底いえないでしょう。(また, 和歌山の幸之助少年の一厘銭がゴウライボーシ(カッパ)の変身したものであったなら, やはりその価値は零細であるとはいえません。)
かっぱ河太郎(東京都台東区合羽橋)
東京では,「ゴウライボーシ」とは言わないようです。
ウ 示談
被害弁償をして示談で穏便に済ますことはできないか。しかし,富豪となった幸之助翁は,1厘の弁償金など歯牙にもかけず(明治17年の一厘銭は,筆者の行った古銭ショップでは45万倍の450円もしたのですが。),「国家国民の繁栄と世界平和の向上に寄与」することのない人にはもはや関心はないとて,鬼坂被告人に同情してはくれないのではないかと懸念されます。鬼坂被告人は,まず,「真に国家と国民を愛し,新しい人間観に基づく政治・経営の理念を探求し,人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献」する人間にならなければなりません。
エ 占有離脱物との認識
鬼坂被告人は幸之助少年の当該寛永通宝一文銭を占有離脱物であるものとばかり思っていたという主張はどうでしょうか。占有離脱物横領ということになれば窃盗ではないので,窃盗犯が主体となる事後強盗とも関係がなくなります。東京高等裁判所昭和35年7月15日判決(下刑集2・7=8 ・989)は,午前8時頃の国鉄渋谷駅出札口横に置き忘れられたもののなお被害者の占有下にあると認められたカメラの持ち去り行為について,被告人は,窃盗の犯意ではなく,「遺失物横領の犯意でこれを持ち去つたものと認めるのが相当」と判示しています(なお,同判決は「刑法235条,第38条第2項,第254条を適用すべき」としていますが,これは客観的に窃盗罪を犯したのだから窃盗罪が成立し,科刑は刑法38条2項(「重い罪に当たるべき行為をしたのに,行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は,その重い罪によって処断することはできない。」)により占有離脱物横領罪のそれに限定されるということでしょうか。しかし,現在の考え方では,故意は占有離脱物横領なので,刑法254条に該当するということになります。(前田雅英『刑法総論講義[第4版]』(東京大学出版会・2006年)258頁参照)指定薬物を業として販売目的で陳列又は貯蔵していても,医薬品の陳列又は貯蔵の認識しかなければ,適用罰条は,医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律(昭和35年法律第145号)84条9号,24条1項であり,同法83条の9及び刑法38条2項は出て来ないわけです。)。
しかしながら,上記東京高等裁判所判決の事案は,原審の公判において,被告人が次のような供述をしていたような事案であったところです。
(問)女の人〔被害者〕がカメラを置いて行つたのは見なかつたか。
(答)見て居りません。
(問)被告人はその場にいた男の人に何と云つてカメラを持つて来たのか。
(答)これはあなたのカメラですかと尋ねたところ違うというので持つて行つたのです。
幸之助少年が一厘銭を落とすところを鬼坂被告人が見ていたのであれば,当該一厘銭が幸之助少年の物であって,かつ,なおその占有下にあるという認識の存在は,なかなか争えないでしょう。
オ 不法領得の意思の不存在
鬼坂被告人が寛永通宝一文銭を踏みつけたのは,単に幸之助少年に意地悪をするためだけであって,「権利者ヲ排除シテ他人ノ物ヲ自己ノ所有物トシテ其経済的用方ニ従ヒ之ヲ利用若クハ処分スルノ意思」たる不法領得の意思(大判大4・5・21刑録21・663)は無かったのだ,という主張はどうでしょうか。「単タ物ヲ毀壊又ハ隠匿スル意思ヲ以テ他人ノ支配内ニ存スル物ヲ奪取スル行為ハ領得ノ意思ニ出テサルヲ以テ窃盗罪ヲ構成セサルヤ疑ヲ容レス」ということになり,校長を失脚させる目的で教育勅語の謄本等を持ち出して天井裏に隠匿する行為は窃盗には当たらないとされています(大判大4・5・21)。なるほど。しかし,奪った一文銭でアメ玉を買って食べたり,古銭ショップに売りに行ったりしていては言い訳も難しくなるところです。ちなみに,寛永通宝は大量にあるので,古銭ショップでも安いです。
カ 事後強盗としての脅迫の不存在
事後強盗であるとの認定を阻止するために,鬼坂被告人が幸之助少年に吠えたといっても当該発言は刑法238条にいう脅迫には該当しない, と主張するのはどうでしょうか。
(ア)相手方の反抗を抑圧すべき程度の不足
“Veux-tu bien te sauver!”を「失せやがるのが身のためだぞ!」と訳したのは誤訳であって,本来の意味は「坊や,もう遅くなるからおうちに帰ろうね。」と優しく諭したにすぎない,すなわち,「恐怖心を生ぜしめる害悪の告知」(前田雅英『刑法各論講義[第4版]』(東京大学出版会・2007年)229頁)をしたものではないとはいえないでしょうか。しかし, あるいは通訳人又は翻訳人の先生がムッとするでしょう(刑法171条参照)。申し訳ない。
事後強盗の成立に必要な「刑法第238条ニ所謂暴行ハ相手方ノ反抗ヲ抑圧スベキ程度ノモノタルヲ要スル」ので(大判昭19・2・8刑集23・1。大東亜戦争に際し燈火管制中の愛媛県の畑における西瓜泥棒に係る事案。戦時刑事特別法(昭和17年法律第64号)5条1項により,戦時に際し燈火管制中事後強盗を犯すと死刑又は無期若しくは10年以上の懲役でした。),脅迫も相手方の反抗を抑圧すべき程度のものであることが必要です。しかしながら,銀行の「現金出納の窓口事務を担当していた女子行員の○○(当時23歳)に対し,その顔をにらみつけながら,「金を出せ」と語気鋭く申し向け」た脅迫について(当時被告人は「33歳の男性であり,身長が約167センチメートル,体重が58キログラム位という通常の体格であって,目つきが鋭いようにもみられ・・・トレーナーにトレーニングパンツという服装であった」。なお,凶器等は示していません。),「社会通念上一般的に判断しても,銀行の窓口で執務している女子行員の反抗を抑圧するに足りる程度のものであった」として強盗の手段としての脅迫に該当するものと認定されている事例があります(東京高判昭62・9・14判時1266・149)。夕暮れ時(… le soleil déclinait
au couchant, allongeant sur le sol l’ombre du moindre caillou…),人気の無い和歌山の野中の道端で(C’était un lieu absolument solitaire. Aussi loin que le regard pouvait
s’étendre, il n’y avait personne dans la plaine ni dans le sentier.),血のような夕日に真っ赤に照らされた兇悪な形相の鬼坂被告人が(Le soleil empourprait d’une lueur sanglante la face sauvage
d’O’nisaka.),杖に手を伸ばし,立ち上がり,恐ろしい声で約10歳の少年に吠えたのですから,やはり当該状況においては,社会通念上一般的に判断しても反抗を抑圧するに足りる程度の脅迫であったものと判断されるようであります。和歌山県の人が,罵声を浴びせかけられることに対して特に慣れているということもないでしょう。
(イ)財物の取還防止等目的の不存在
鬼坂被告人は,単に幸之助少年に対してムカついて吠えたのであって,財物を「取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪証を隠滅する」目的で吠えたものではない,との主張はどうでしょうか。私人による現行犯逮捕の際逮捕者からネクタイを引っ張りまわされた窃盗犯が当該逮捕者に対して暴行を加えた事案について,「右暴行は,主として逮捕を免れるために出た行為というよりも,主として憤激の念から出た行為と評価すべき余地があるといつてよく,このような場合,事後強盗の成立を認めるのは相当ではない。」とする裁判例があり(札幌地判昭47・3・9刑月4・3・516),多年浮浪者として生活し,無銭飲食で有罪判決を受け執行猶予中の被告人が,たらこ1パック(時価約432円)を万引きし,店の前の路上で警備会社社員の女性(当時55歳)から「呼び止められ「おじさん,まだ会計が終わってないでしょう。始めから見ていたんですよ。」などと詰問されたことに憤激し,「てめえこの野郎,俺に因縁をつける気か。俺もヤクザだ,ただじゃすまねえぞ。」などと怒鳴りながら,同女の着衣をつかんで振り回すなどして路上に転倒させた上,うつぶせに倒れた同女に馬乗りとなり,その頸部を両手で絞めつけるなどの暴行を加え」た事案について,「被告人の暴行は,もっぱら,女性から万引きを指摘され,詰問されたことに対する立腹に出たものとの疑いが強く,事後強盗にいう財物の取還を防ぎ,あるいは逮捕を免れるためであると断定するには疑問が残る」として,事後強盗の成立を認めなかった裁判例もあります(東京地判平8・2・7判時1600・160)。鬼坂被告人が,ふだんからスピッツのようにキャンキャンやたら吠えまくる人物であるのなら,裁判官もなるほどなと思ってくれるかもしれません。しかし現実には,正に幸之助少年の財物取戻要求に対して鬼坂被告人は吠えたものでありました。
3 フランス刑法
(1)1810年ナポレオン刑法典
ところで,本家『レ・ミゼラブル』のプティ・ジェルヴェ事件(1815年発生)に対する適用法条は,ナポレオン刑法典(1810年)の383条です(http://ledroitcriminel.free.fr/)。
ARTICLE 383.
Les vols commis
dans les chemins publics, emporteront également la peine des travaux forcés à
perpétuité.
第383条
公道で犯された盗犯についても〔前条〕同様に,無期懲役刑が科せられる。
いきなり無期懲役とは,重いですね。
しかも,重罪(crime)に係る前科者(Quiconque, ayant été condamné pour crime)が無期懲役刑が科されるべき重罪を犯した場合には,死刑に処せられます(ナポレオン刑法典56条5項: “Si le seconde crime entraîne la peine des travaux
forcés à perpétuité, il sera condamné à la peine de mort.”)。斬首(“Tout condamné à mort aura la tête tranchée.”(同刑法典12条))。ジャン・ヴァルジャン危うし。
(2)1791年刑法典
ですから当時のフランスで,夜間パン屋の陳列窓のガラスを割って格子の間から手を入れてパン1個を盗んだだけで懲役5年に処せられるということも,さもありなんです。
Ceci se passait en 1795. Jean Valjean fut traduit devant les
tribunaux du temps 《pour vol avec effraction la nuit dans une maison habitée.》…
…Jean Valjean fut condamné à cinq ans de galères.
ジャン・ヴァルジャンが処せられたのは5年のgalèresですから,これは5年の漕役と訳すべきか,懲役と訳すべきか。また,事件が起きたのは1795年のことですから,公訴事実によるところの「損壊を伴い夜間住居内において犯された盗犯」に科される刑が当時どうなっていたかを調べるためには,1791年のフランス刑法典を見るべきことになります。
1791年フランス刑法典第2編第2章第2節財産に対する重罪及び軽罪の第6条及び第7条は,次のようなものでした(http://ledroitcriminel.free.fr/)。
Article 6
Tout autre vol
commis sans violence envers des personne, à l’aide
d’effraction faite, soit par le voleur, soit par son complice, sera puni de
huit année de fers.
Article 7
La durée
de la peine dudit crime sera augméentée de deux ans, par chacune des circonstances
suivantes qui s’y trouvera réunie.
La première,
si l’effraction est faite aux portes et clôtures extérieures
de bâtiments, maisons ou édifices;
La deuxième,
si le crime est commis dans une maison actuellement habitée
ou servant à habitation;
La troisième,
si le crime a été
commis la nuit;
…
第6条
人に向けられた暴行を伴わず,盗犯犯人又はその共犯よってなされた損壊を利用して犯された他の全ての盗犯は,8年の鉄鎖刑によって処罰される。
第7条
上記の重罪の刑期は,次に掲げる事由であってそれに伴うものごとに,各2年延長される。
第1,損壊が,建物,家屋又は建造物の外側の門戸牆壁に対してされたとき。
第2,当該重罪が,人の現に居住し又は人の居住に供される家屋内において犯されたとき。
第3,当該重罪が,夜間犯されたとき。
〔第4及び第5は略〕
ジャン・ヴァルジャンのパン泥棒に対する刑罰は,懲役5年どころか,本来は鉄鎖刑14年(第6条の8年に加えて,第7条の第1から第3までで各2年(小計6年)の刑期延長があって,合計14年)であるべきものだったのではないでしょうか。
ちなみに,鉄鎖刑においては,片足に重り球が鉄鎖でつながれることになり(1791年フランス刑法典第1編第1章第1節第7条),かつ,受刑者は国家のための強制労働に服しました(同節第6条)。また,受刑前には6時間公衆の面前でさらし者です(同節第28条)。
いずれにせよ,ここまで書いてきて,ジャン・ヴァルジャンのパン泥棒の刑期がどのようにして5年と決まったのかを探るのが,大きな調査課題として残ってしまいました。

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