1 勾留質問からの逃走と単純逃走罪の成否
第一次世界大戦の発端となったサライェヴォ事件の百周年記念日を翌日に控えた一昨日(2014年6月27日)の夜,書面作成の仕事の合間に栄養補給のため,事務所の近所の店で油麺を食べつつスマート・フォンでインターネット・ニュースを見ていたところ,
「すわ,違法逮捕か!?」
という記事が目に入り,色めきました。
同日23時22分に日本経済新聞社のウェッブ・サイトに掲載されている,共同通信社のクレジットのある記事(「新潟地裁から容疑者逃走 勾留質問中,5分後に逮捕」)の内容は,次のとおりです(全文。容疑者の名前は仮名)。
27日午後3時15分ごろ,わいせつ目的略取未遂容疑で逮捕され,新潟市中央区の新潟地裁で勾留質問を受けていた無職,K容疑者(31)が逃走した。約5分後,約350メートル離れた新聞販売店に逃げ込んだところを駆け付けた警察官が取り押さえ,単純逃走容疑で現行犯逮捕した。
県警と地裁によると,勾留質問は午後3時ごろから地裁1階の勾留質問室で始まり,室内にはほかに男性裁判官と女性書記官がいた。K容疑者はいきなり机の上に立つと,そばの窓の鍵を開け,逃走防止柵を乗り越えて逃げた。けが人はなかった。
K容疑者は勾留質問が始まる前に裁判官の指示で手錠,腰縄が外されていた。移送を担当した警察官4人は廊下などで警戒していた。地裁職員の大声を聞き建物の外に出た警察官が,裁判所の外で容疑者が走っているのを発見,追いかけて取り押さえた。
勾留質問中の容疑者の身柄について監督責任がある地裁の青野洋士所長は「国民に不安を与え申し訳ない。再発防止に早急に対策を取りたい」とコメントを発表した。
「わいせつ目的略取未遂容疑で逮捕され,勾留質問(刑事訴訟法207条1項,61条)を受けていたのだから,まだ勾留の裁判もされていないということであって,逮捕段階にとどまるから,単純逃走罪(刑法97条)は成立せず,したがって「単純逃走」容疑での現行犯逮捕はあり得ないじゃないか。新潟県警は手続ミスをやらかしたな。」というのが,少なくとも司法試験受験生の真っ先の反応でしょう。
(註)逮捕と勾留
なお,ここで簡単に「逮捕」及び「勾留」に関する手続について説明しますと,警察官が被疑者を「逮捕」しても,それだけではその身柄を留置施設又は刑事施設にずっと拘束できるわけではないことに注意してください。身柄拘束を続けるためには,被疑者を書類及び証拠物とともに検察官に送致し(刑事訴訟法203条1項),検察官が裁判官に被疑者の「勾留」を請求し(同法205条1項(ただし同項3項)),裁判官が被疑者に被疑事件を告げてそれに関する陳述を聴いた上で(これが前記の記事の「勾留質問」),被疑者を勾留する裁判をしてくれなければなりません。この場合,検察官が勾留請求するのには逮捕時から72時間という時間制限がありますが(刑事訴訟法205条2項。この時間制限が守れないのならば被疑者は釈放(同条4項)),いったん勾留するとの裁判が出ると,検察官の勾留請求の日から起算して原則10日間,最大限20日間身柄拘束が継続されることになります(同法208条。ただし,同法208条の2)。短い期間の「逮捕」→長い期間の「勾留」という2段階手続になっていることを頭に入れておいてください。
2 逮捕と単純逃走罪
単純逃走罪について「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者が逃走したときは,1年以下の懲役に処する。」と定める刑法97条(未遂も処罰(同法102条))の解釈としては,「裁判の執行により拘禁された未決の者」には,逮捕されただけの者は含まれないとされています。
逮捕状により,ないし現行犯人として逮捕された者は含まない(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)528頁)
本罪〔単純逃走罪〕の主体は,平成7年の改正前は「既決又ハ未決ノ囚人」とされていたが,「囚人」という用語はマイナスイメージが強いという理由で現在のように修正された。「裁判の執行により拘禁された」という文言は,逮捕された者を除く趣旨を明確にするために入れられたものである・・・。(西田典之『刑法各論〔第3版〕』(弘文堂・2005年)405頁)
・・・未決の者とは,勾留状により拘置所または代用監獄(監獄法1条3項)に拘禁されている被告人(刑事訴訟法60条以下),被疑者(同法207条)をいうとするのが通説である・・・。(同406頁)。
上記にいう「拘置所または代用監獄」は旧監獄法下での用語で,現在の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律下では,「刑事施設又は留置施設若しくは海上保安留置施設」ということになるのでしょう。
3 逮捕中の被疑者が逃亡した場合の対応
さて,改めて,逮捕された被疑者が逃亡してしまった場合はどうすべきなのでしょうか。
逮捕・勾留の途中に逃亡した場合 逮捕については,引致までに逃亡しても前の逮捕状で逮捕行為を続行すればよいが,引致後は,留置は逮捕自体の内容ではないので原状回復はできず,新逮捕状による(再逮捕となる)ほかはないとされる(もっとも反対説がある)。勾留は一定期間の拘束が裁判の内容なので,勾留状を示して原状回復すればよい。なお,逮捕は逃走罪(刑97条)の対象とならないが,勾留はなるので,それを根拠に逮捕状をえて逮捕できることはもちろんである。(田宮裕『刑事訴訟法』(有斐閣・1992年)94‐95頁)
やはり逮捕中の被疑者が逃亡しても単純逃走罪になりませんから,その逮捕からの逃亡行為をもって単純逃走罪を犯すものだとして現行犯逮捕するわけにはいかないわけです。K容疑者の場合は,単純逃走罪での現行犯逮捕ではなくて,わいせつ目的略取未遂容疑で再逮捕の手続をとらなくてはならなかったはずです。
4 勾留の諸段階と単純逃走罪
なお,勾留中の被疑者又は被告人が逃亡するのは単純逃走罪になるのですが,勾留にも段階があり(「勾留とは,被疑者・被告人を拘束する裁判およびその執行をいう。」(田宮82頁)),どの段階まで進めばそこからの逃亡が単純逃走罪になるかが問題になります。
流れとしては,裁判官又は裁判所による勾留の裁判があって勾留状が発せられ(刑事訴訟法62条),原則として検察官の指揮で司法警察職員又は検察事務官が当該勾留状を執行し(同法70条),被疑者又は被告人は,原則として勾留状を示された上(同法73条2項,3項),指定された刑事施設に引致されます(同条2項。なお,以上につき同法207条1項)。刑法97条は,単純逃走罪の成立のためには逃走者が「裁判の執行により拘禁された」者になっていることを要求していますから,「勾留状の執行を受けたが引致中の者は含まれない」ものとされ(西田406頁),「監獄〔刑事施設〕に引き渡される途中で逃走しても,まだ拘禁されてはいないので逃走罪にはならない」わけです(前田528頁)。勾留状の執行を受けた者が刑事施設に引き渡されていなければなりません。
勾留質問がされた裁判所は引致先の刑事施設ではありませんから,まだまだ裁判所段階では,勾留状の執行により拘禁されている状態には至り得ません。
5 様々な記事の書き方
(1)新潟県警察は違法逮捕をしたのか
と,以上のように考えると,前記の記事を書いた共同通信社の記者は,新潟地方裁判所所長の責任者としての見解を求めるだけではなく,「単純逃走罪は成立していないのにKさんを現行犯逮捕したのは,違法逮捕ではないかっ」と新潟県警察本部長をも吊し上げるべきであったようにも思われます。
とはいえ,そう慌てて早合点で人を非難してはいけません。他の報道機関のウェッブ・サイトを見てみましょう。
(2)そのように読めるもの
産経新聞のウェッブ・サイトの記事(2014年6月27日18時12分配信),時事通信のウェッブ・サイトの記事(同日19時16分配信),毎日新聞のウェッブ・サイトの記事(同日21時33分配信)を読んでも,前記日経=共同の記事を読んだときと同じ「違法逮捕?」という結論になります。
(3)既起訴事件に言及するもの及びそこからの推認
朝日新聞のウェッブ・サイトの記事(同日19時31分配信)を見ると,一連の報道は,新潟県警察新発田警察署の報道発表に基づいたもののようです。警察が自ら,「違法逮捕」を得々と自慢するのは変ですね。どうしたものかと記事を最後まで読むと,最後に「K容疑者はこれまで,別の2件の強姦(ごうかん)事件で起訴されている。」とあります。むむ,これはどういうことでしょうか。
日本テレビ放送網のウェッブ・サイトは「勾留質問」を「拘留質問」とする誤記があったようですが(キャッシュに残っている。),現在は修正されていますね。それはそれとして(しかし,勾留と拘留とは全く異なります。後者は,1日以上30日未満刑事施設に拘置する刑罰ということになってしまいます(刑法16条)。),ここでも記事の最後に,「K容疑者は今月中旬,強姦などの罪で起訴され,その後わいせつ略取未遂の容疑で再逮捕されていた。」と記されています(2014年6月27日22時1分配信記事)。
どうもK容疑者は,現在強姦罪で起訴されていて,既に被告人として勾留されていたようです。当該勾留については,刑事施設に引致されて,拘禁まで完了していたのでしょうから,確かにこの段階で逃亡すれば単純逃走罪は優に成立しますね。
(4)今回の最優秀記事
となると,読売新聞のウェッブ・サイトの次の記事(「裁判所の窓から強姦男逃げた,5分後捕まった」。2014年6月27日21時16分配信)が,法律関係者の目からは,他の記事に比べて一番妥当な書き方であるもののように思われます。
27日午後3時15分頃,新潟市中央区の新潟地裁で,強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された男が,1階の窓から逃走した。
男は約5分後に警察官らに取り押さえられ,逃走容疑で現行犯逮捕された。
・・・K被告は,わいせつ略取未遂容疑で再逮捕され,勾留質問を受けるために警察官と同地裁1階の勾留質問室に入室。手錠と腰縄を外され,裁判官の指示で警察官が室外に出た直後,窓の錠を開けて逃走した。
・・・
強姦罪での起訴に係る勾留から逃亡したのですから,それにより単純逃走罪を犯したK被告人はやはり「強姦男」ですよね(どぎつい見出しですが。)。「強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された男」が,「強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された勾留中の男」という記述になっていれば完璧だったのですが。しかし,逮捕されれば当然引き続き勾留されて身柄拘束が続いているものという前提で書くのが新聞記者業界のお約束なのでしょうか。被疑者を身柄拘束から解放するために努力している弁護人からすると,つらい世間常識です。
6 ちょっと単純ではない感想
それはともあれ,本件では,逃亡の場面が裁判所内での勾留質問の場という珍しい所であったというところに真っ先に目が行って,警察官らによるK被告人の身柄再確保に係る法律上の根拠にまで,多くの記者諸氏の頭は十分回らなかったものでしょうか。しかし,当該記事だけを読むと,新発田警察署は違法逮捕をしてしまったのではないかというあらぬ疑いを同署の警察官の方々にかけることになり,さらには司法試験受験生等を始めとする法律関係者の胸を無用にときめかせる(「違法逮捕?それとも俺の単純逃走罪の条文理解が間違ってたっけ?」)こととなるような記事の書き方はいかがなものでしょう。新潟地方裁判所の監督責任云々もありますが,プロであれば,誤解を招かないような記事を書くべき責任もあるわけです。報道機関の記者の方々向けの刑事法セミナーないしは手引き本というようなものも,あるいは企画として成り立ち得るものでしょうか。
たとい虚偽の事実が書かれていなくとも,必要な事実に言及されていないと,とんでもない結論が引き出され得てしまうものです。うそを一切言わずとも,必要な情報を与えないことによって人々を誤導する技術は,確か,「編集の詐術」といったように記憶します。編集の詐術に対しては,反対尋問,そして(悪魔の)弁護人は,やはり無用のものではないようです。
最後にもう一点。K容疑者の単純逃走罪は既遂であったのか,未遂であったのかの問題があります。単純逃走罪の既遂時期については,「被拘禁者自身が,看守者の実力的支配を脱することである。それは一時的なものであっても足りる。実行の着手時期は,拘禁作用を侵害し始める時点であり,既遂時期は拘禁状態から完全に離脱した時点である。例えば,監獄の外塀を乗り越えれば,通常は既遂となる。しかし,追跡が継続している場合には実力支配を脱したとはいえない(福岡高判昭29・1・12高刑集7・1・1)。追跡者が,一時逃走者の所在を見失っても実質的な支配内にある以上未遂である。」(前田528-529頁)とされています。したがって,K被告人の場合,精確には,単純逃走未遂罪で現行犯逮捕されたわけですね。ところで,単純逃走罪は状態犯(法益侵害などの結果発生による犯罪成立と同時に犯罪は終了し,その後は法益侵害の状態が残るにすぎないもの)であるとされています。ということであれば,単純逃走未遂犯の現行犯逮捕は当然可能であるとしても,既遂となった単純逃走犯の現行犯逮捕は概念上難しそうです。緊急逮捕(刑事訴訟法210条)も,単純逃走罪の法定刑は長期1年の懲役であって「長期3年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪」ではありませんから,単純逃走罪を理由としてはできません。勾留状を示しての原状回復か,逮捕状を取っての逮捕になるのでしょう(田宮前出95頁)。
弁護士 齊藤雅俊
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