1 「等」に注意すべきこと
官庁文を読むに当たっては「等」に注意し,その「等」が具体的に何を意味しているかを適宜よろしく確認しおくべきことを,前回の記事(「会社法改正の年に当たって(又は「こっそり」改正のはなし)」)中において御注意申し上げました。
「えっ,この文章から何でこういうことになるんだ。そういうことは書かれてなかったぞ。」
「いえいえ先生,それはここの「等」に含まれてございます。で,具体的には,こちらのより詳しい文書に書かれてございます。」
といったやり取りが,日常的にされているものと思われます。お役人としては大真面目です。我が国のお役人には物堅いところがあって,「等」による合図も無いまま,書かれていないものを書かれているものとするまでの強弁は,さすがにしないところです。
――この先生,学問があるからってプライドが高いのはいいけど,自分で実際に資料に当たるっていう基本動作はしないのかい。横着だねぇ,あぶないねぇ・・・。
などとは,内心思っているかもしれませんが。
2 輸出入品等に関する臨時措置に関する法律等
(1)吉野信次元商工大臣の回想
この「等」の威力を示す適例と思われるものに,第一次近衛内閣下の1937年9月に成立した輸出入品等に関する臨時措置に関する法律(昭和12年法律第92号)という法律がありました。ここでは,「輸出入品等」における「等」の字を見落としてはいけないのです。
当時の吉野信次商工大臣の回想にいわく。
一見貿易関係を律する法律のように思われるが,「等」という一字がくせものですね。輸出入関係以外になんでもやれるという法律なんです。・・・実際問題としては,原料などでは輸出入品に関係のない重要物資というものはほとんどないわけですから,物資の全面的統制の法律といってよいわけです。だから,代議士諸君の中には,輸出入品とあるから貿易統制の立法だと思ったら,なんぞ知らんや全面的に物資統制をやるので,看板に偽りがあるのではないかというような話をした人もありました。(長尾龍一「帝国憲法と国家総動員法」『思想としての日本憲法史』(信山社・1997年)126-127頁において引用されている『昭和史の天皇』(読売新聞社)16巻81頁)
(2)1937年の日中衝突
強力かつ広範な統制立法である輸出入品等に関する臨時措置に関する法律が制定された背景には,日中間の全面軍事衝突がありました。1937年6月4日の第一次近衛内閣発足の翌月,同年7月7日に華北において発生した盧溝橋事件を発端として,戦火が上海周辺にまで「飛び火」したものとされているものです。
盧溝橋事件は,義和団事件を処理する北清事変最終議定書(1901年)に基づき北平(北京)・天津間の平津地区に駐屯していた我が支那駐屯軍(天津軍)の部隊が盧溝橋(Marco Polo Bridge)付近で夜間演習中,同軍と宋哲元(地方軍閥出身)の第29軍との間で起こった衝突ですが,事件発生から約1箇月後の1937年8月6日,中華民国中央の国防会議で蒋介石の構想,すなわち「華北の日本軍が南下して心臓部の武漢地区で中国を東西に分断されるのを防ぐため,華北では一部で遅滞作戦をやりつつ後退,主力を上海に集中し増兵してくると予想された日本軍に攻勢をかけ,主戦場を華北から華東へ誘致する戦略」が合意されて「国府は上海を戦場とする対日決戦」に進みます(秦郁彦『盧溝橋事件の研究』(東京大学出版会・1996年)345-346頁)。盧溝橋事件後の「平津作戦における第29軍の急速崩壊を見た蒋介石は華北決戦を断念し,「日本軍を上海に増兵させ,日本軍の作戦方向を変更させる」(蒋緯国『抗日戦争八年』57ページ)戦略を採用した」わけです(秦・前掲321頁)。
「1932年の第一次上海事件で戦った〔中華民国〕中央軍の精鋭第87師と第88師は,〔1937年〕8月11日に上海郊外の包囲攻撃線へ展開を終り,海軍も揚子江の江陰水域を封鎖・・・張治中将軍は13日未明を期し日本軍へ先制攻撃をかけたいと南京に要請し」,その日の夕方に日中両軍(日本側は兵力4000に増勢されていた海軍陸戦隊。これに対して,優勢な中華民国中央軍が攻勢的に進出。)の間で本格的戦闘が始まっています(秦・前掲346頁,322頁注(2))。中華民国中央軍にはファルケンハウゼン将軍以下46人の軍事顧問団がナチス政権下のドイツから派遣されており,ファルケンハウゼン将軍は自信満々,上海決戦の前月である1937年7月21日のドイツ国防相への報告では,「蒋介石は戦争を決意した。これは局地戦ではなく,全面戦争である。ソ連の介入を懸念する日本は,全軍を中国に投入できないから,中国の勝利は困難ではない。中国軍の歩兵は優秀で,空軍はほぼ同勢,士気も高く,日本の勝利は疑わしい(Hsi-Huey Liang, pp.126-127)。」と述べていたとされています(秦・前掲372頁)。
盧溝橋事件から始まった日中間の事変処理のための動きとしては,ドイツが仲介する和平工作(トラウトマン工作)がありました。しかし,1937年12月13日の南京占領を経て,1938年1月16日,我が国政府はドイツの駐華大使トラウトマンを通じて蒋介石政権に対して和平交渉打切りを通告し,更に「爾後国民政府を対手とせず」との声明を発表して当該工作による和平の途を閉ざします。前日の同月15日に開催された大本営と政府との連絡会議においては,陸軍の参謀本部が,政府の和平交渉打切り案に強く反対しましたが,最後にはやむなく屈服しています。その時,前日の家族の慶事もあって近衛文麿内閣総理大臣は高揚していたのでしょうか。同月14日,近衛総理の次女である温子とその夫・細川護貞との間に長男が誕生しています。近衛総理のその孫息子には,護煕という名がつけられました。
(3)法律の概要
1937年9月3日に召集され,同月4日に開会,同月8日に閉会した第72回帝国議会において協賛され(貴族院・衆議院いずれも反対無し。),同月9日に昭和天皇の裁可があって成立した輸出入品等に関する臨時措置に関する法律の主要部分は,成立時において次のとおりです。(1937年8月15日の南京政府断固膺懲声明から1箇月足らずでの,迅速な立法です。我が国のお役人は優秀ですね。)
朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム御名御璽
昭和12年9月9日
内閣総理大臣 公爵 近衛文麿
外務大臣 廣田弘毅
大蔵大臣 賀屋興宣
農林大臣 伯爵 有馬頼寧
商工大臣 吉野信次
法律第92号
第1条 政府ハ支那事変ニ関聯シ国民経済ノ運行ヲ確保スル為特ニ必要アリト認ムルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ物品ヲ指定シ輸出又ハ輸入ノ制限又ハ禁止ヲ為スコトヲ得
第2条 政府ハ支那事変ニ関聯シ国民経済ノ運行ヲ確保スル為特ニ必要アリト認ムルトキハ輸入ノ制限其ノ他ノ事由ニ因リ需給関係ノ調整ヲ必要トスル物品ニ付左ノ措置ヲ為スコトヲ得
一 命令ノ定ムル所ニ依リ当該物品ヲ原料トスル製品ノ製造ニ関シ必要ナル事項ヲ命ジ又ハ制限ヲ為スコト
二 当該物品又ハ之ヲ原料トスル製品ノ配給,譲渡,使用又ハ消費ニ関シ必要ナル命令ヲ為スコト
〔第3条略〕
第4条 第1条ノ規定ニ依リテ為ス制限又ハ禁止ニ違反シテ輸出又ハ輸入ヲ為シ又ハ為サントシタル者ハ3年以下ノ懲役又ハ1万円以下ノ罰金ニ処ス
前項ノ場合ニ於テハ輸出又ハ輸入ヲ為シ又ハ為サントシタル物品ニシテ犯人ノ所有シ又ハ所持スルモノヲ没収スルコトヲ得若シ其ノ全部又ハ一部ヲ没収スルコト能ハザルトキハ其ノ価額ヲ追徴スルコトヲ得
第5条 第2条ノ規定ニ依ル命令若ハ処分又ハ其ノ命令ニ基キテ為ス処分ニ違反シタル者ハ1年以下ノ懲役又ハ5000円以下ノ罰金ニ処ス
〔第6条から第8条まで略〕
附 則
本法ハ公布ノ日〔1937年9月10日〕ヨリ之ヲ施行ス
本法ハ支那事変終了後1年内ニ之ヲ廃止スルモノトス
なるほど。天皇の上諭中「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律」の部分にある「等」に,強力かつ広範な第2条の規定が含まれていたわけです。「これが配給制,代用品の強制などの根拠法規」となったものです(長尾・前掲127頁)。
輸出入品等に関する臨時措置に関する法律に基づき,1940年までに「物資節約の為めにする統制」として,「主として商工省令を以つて,鉄鋼・鉄屑・銅・白金・鉛・錫・アルミニウム・綿糸・綿製品・毛製品・皮革・揮発油及重油・新聞用巻取紙等種種の物資に付き,其の配給・売買・使用に関する厳重な制限」が設けられており(美濃部達吉『日本行政法 下巻』(有斐閣・1940年)433-434頁),また, 同法の「広汎な委任に基づき政府は其の〔需給関係の調整を必要とする物品に付き当該物品又は之を原料とする製品の〕譲渡価格をも調整する権限を有するものと解せられ」(同435-436頁),「物品販売価格取締規則(昭和13商令56)が発せられ,これに依り物価の統制を行つて居」たところです(同519頁)。ただし,物品販売価格取締規則は,国家総動員法(昭和13年法律第55号)19条に基づく価格等統制令(昭和14年勅令703号。同令2条1項本文によって原則として1939年9月18日の価格が価格の上限とされる。同令17条により,内地では同年10月20日から施行。)19条1項によって,後に廃止されています。
(4)法案の提出理由
ア 吉野商工大臣の説明
輸出入品等に関する臨時措置に関する法律の法案提出の理由として,吉野信次商工大臣は,1937年9月5日の衆議院本会議で次のように述べています。(なお,帝国議会議事録の原文は片仮名書き)
今次の事変の推移に鑑みまして,此非常時に対応しまするやうに,我が産業経済の体制を整へなければならないことは申す迄もないのでありまして,殊に軍需及び国防用として,或は又時局に緊要適切なる色々な事業用と致しまして,相当巨額の物資の需要があるのでありますから,是等の物資を潤沢且つ円滑に供給することに努めなければならないのであります,然るに我国資源の現状から申しますと,差当って外国から輸入致しまして,急の間に合せなければならない物が少くないのであります,そこで国際収支の関係から致しまして,或は物資の輸出制限を致しましたり,或は比較的不急不要なる物資は勿論のこと,国家産業上有用なる物に付きましても,尚幾許かの数量の輸入を抑制しまして,以て必要物資の輸入の増大に努めなければならない必要があるのであります,是が即ち本法案に於きまして,政府は必要に応じて輸出又は輸入の禁止制限を為し得ることを規定致しました理由であります,而して斯く物資の輸入を抑制致しまする結果,之を其儘自然に放置致して置きまする時は,価格の暴騰,供給の不安定などを来しまして,国民経済の運行に著しい支障を及ぼす虞がありますが故に,本法案は又需給関係の調整を必要とする物品に付きまして,政府は必要に応じて適当なる措置を為し得ることと致したのであります(第72回帝国議会衆議院議事速記録第2号23-24頁)
「輸入の増大に努め」るために「輸入の禁止制限」をするというのは,矛盾した行動のようで,一読して分かりにくいところがあります。吉野商工大臣の言う「国際収支の関係」が,疑問を解くかぎのようです。
・・・然るに我国の最近の貿易の情勢は,申上ぐる迄もなく入超でございまして,国際収支の関係に於きまして,唯自然の成行に放任致して置きましたのでは,此上必要な物資を海外から輸入するの余地が乏しいのでありますから,どう致しましても必要な物資と云ふものの輸入を図りまして,戦闘行為の遂行と云ふものに妨げがないやうに致します為には,輸出入に関しまして相当な手加減と申しますか,制限の措置を講ずる必要がございますので,本法案の第1条に於きまして,其趣旨を明に致しました次第であります・・・(吉野商工大臣・第72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第1回2頁)
国際収支が「入超」だと,「自然の成行に放任致して置きましたのでは,此上必要な物資を海外から輸入するの余地が乏しい」ことになるとは,国際収支が入超で赤字であると円安になり,そうなると円建ての輸入品価額が高額になって輸入が大変になるということでしょうか。確かに,吉野商工大臣の答弁に,そのような趣旨のものがあります。
私も大体〔賀屋興宣〕大蔵大臣と同じやうな考であります,此際此秋としては有ゆる努力を払ひまして,為替の水準を是非とも堅持致したいと考へます(第72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第2回39頁)
自国通貨の外国為替相場が高いことを喜び,安いことを憂うるというのは,現在の某国政府の外国為替相場に対する姿勢と正反対ですね。
イ 当時の通貨制度との関係
当時の我が国の通貨制度は,次のようなものでした。
1931年12月以降「貨幣法が形式上に改正せられたのではないが,同法の定むる金本位の貨幣制度は停止せられ・・・即ち現在に於ける我が貨幣制度は,経済情勢から生じた已むを得ざる変態として,金本位制を離脱し紙幣本位制となつたものと謂ひ得べく,通貨の価格は金の相場に依つて定まらず,国の財政的信用,国際収支勘定,其の他国内国外の経済事情に依つて定まり,金本位制に於けるが如き貨幣価値の安定性を缺くこととなつた。・・・兌換の停止及び金輸出禁止の結果は,必然に銀行券の価格と金の価格との間に隔離を来すことは已むを得ない結果であり,随つて及ぶべきだけ通貨としての銀行券価格の動揺を避くる為めには,特別の統制作用が必要となる。外国為替管理法・産金法・金使用規則・金準備評価法・輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律等は何れも主として此の目的のために定められたものである。」(美濃部・前掲298-299頁)
「外国為替管理法(昭和8法律28号)及びこれに基づく命令(昭和8大令7)は,昭和7年の資本逃避防止法に代ふる為めに制定せられたもので,これと等しく,主として資本の国外逃避及び為替の思惑取引を防止することを目的とするもの」でした(美濃部・前掲299-300頁)。
「産金法(昭和12法律59)・同法施行令(昭和12勅令454)・同法施行規則(昭和12商令16)・産金買上規則(昭和12大令32)は,国際収支勘定の不均衡より生ずる金の対外現送の必要に応じ金準備を成るべく豊富ならしむる為めに,国内の産金を増加しこれを政府に集中せしめんとすることを目的とするもの」でした(美濃部・前掲301頁)。
「金使用規則(昭和12大令60)に依り,金を用ゐた製品の製造を制限し,及び金箔・金糸・金粉・金液の使用をも制限」されていましたが,これは,「金は国際収支の調整・邦貨価格の維持に缺くべからざるものであるから,已むを得ざる必要の外は,他の目的に使用することを禁止し,成るべく多くの金を貨幣制度の安定に資せしめよう」とするものとされていました(美濃部・前掲302頁)。
「金準備評価法(昭和12法60)は,日本銀行(朝鮮銀行券・台湾銀行券を発行する朝鮮銀行・台湾銀行もこれに準ず)の兌換準備として保有する金の評価を,国際的時価に近き程度に換算することを目的とするもの」でした(美濃部・前掲302頁)。
そして,「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律・・・の中輸入貨物の制限は主として国際収支の調整を目的とするもので,臨時輸出入許可規則(昭和12商令23)に依り,政府の許可が無ければ輸入するを得ない品目を列記指定」していたわけです(美濃部・前掲303-304頁)。
しかしまた,円高維持のために国際収支の赤字縮小ないしは黒字化を目指し,そのために輸入規制を行うというのは,理論的にはそうなのでしょうが,今にしてみれば,真面目かつ先回りし過ぎる対策であったようにも思われます。「通貨の価格は金の相場に依つて定まらず,国の財政的信用,国際収支勘定,其の他国内国外の経済事情に依つて定ま」るわけなのですが,現在の某国は,国の財政は慢性的な赤字であり,貿易収支も赤字に転じているにもかかわらず,「其の他国内国外の経済事情」のゆえか,なお当該某国通貨の為替相場は高きにあって輸出が十分に伸びていないものとされているところです。
ウ クレジット設定・外債募集に係る消極見通し
貿易収支が赤字でも,信用(クレジット)の供与を受けることができれば,輸入継続は可能であるはずですが,我が国のお役人は,真面目なので,なかなか楽観的な発想にはなれません。
・・・棉花の輸入に付きましても,若しクレヂットが設定出来ますれば,之に越したことはないのでありまして・・・其方面と話をするやうに進めて居る次第であります,唯計画を立てます時に,相手があることでありますから・・・出来ないものとしての計画は立てて居ります・・・(吉野商工大臣・第72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第2回20-21頁)
・・・政府としては大体日本帝国の外債と云ふものを此の際募るかどうかと云ふことに付ては,必ずしも容易に募れるものとは考へて居らぬのであります・・・(吉野商工大臣・第72回帝国議会貴族院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案特別委員会議事速記録第2号3頁)
相手方の中華民国はともかくも,そもそも諸外国が日本帝国の債券を買ってくれないだろうという状況認識です。前年1936年7月31日の国際オリンピック委員会において,同年のベルリン・オリンピックに続く第12回オリンピックの開催地に首都・東京が,世界から評価されて選ばれた国の政府の大臣がする発言としては,元気が出ていないように思われます。世界に日本の力と心とが通ずるとの自信が感じられません。(東京における第12回オリンピック開催の返上決定は,1938年7月15日になってからのことですので,当時の我が国はなお次期オリンピックのホスト国でした。)あるいは,外国の力など借りるには及ばないとの自負心の,屈折した現れでもあったのでしょうか。
(5)「ぐるりから鋏を入れて,根さへ枯れぬ程度にして」おくことへの懸念
衆議院の輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員であった田中源三郎代議士は,クレジット問題に触れつつ,我が国政府の真面目な秀才的こだわりに対する心配を表明していました。
・・・頑になって,さうして自分自身だけが何処も相手にして呉れないと云ふやうな,自分自らが卑屈な考を持たないでも宜しいと思ふ,私はもっとのんびりした考を以て,商売は別問題だと云ふ考でやれば,十分茲にクレヂットを民間側が為すことも出来るのでありまして,唯為替の基準が大切である,もう之に一生懸命になってしまって,何も彼も周囲から伐って行く,丁度伸び切って居る木をぐるりから鋏を入れて,根さへ枯れぬ程度にして置いたら宜い,さう云ふやり方のやうに思はれる・・・(第72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第2回20頁)
田中代議士の心配した,「為替の基準」の一事にこだわって「木をぐるりから鋏を入れて,根さへ枯れぬ程度にして置」くやり方というのは,恐らく,次のように想定されていた政府施策のことでしょう。
・・・仮に棉花なら棉花と云ふものを輸入を制限致しました,或は羊毛なら羊毛と云ふものを輸入を制限したと云ふ時には,国民に対して消費の節約,其のものだけに付いての節約と云ふことも御願する必要もありませうが,是等を原料とする生産業者・・・さう云ふものの仕事に対しまして,或は代用品と致しましてステーブル,フアイバーと云ふやうなものの混用を命ずるとか,それから又原料が国全体としては当分間に合ふ,唯何の某が余計持ち過ぎて居って,何の某が少く持って居ると云ふ場合には,若し之を其業全体として平均致します時には,当分輸入する必要がないと云ふ場合も生じて参ります,其時に多く持って居る人に対して,乏しい方にそれを分けてやると云ふやうなことを,御願する必要も段々生じて来ようかと思ふのであります・・・(吉野商工大臣・第72回帝国議会衆議院輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律案委員会議録(速記)第1回2頁)
大いに持てる活力を発揮し,生産力を拡大しようというときに,将来の円相場の下落予感に今からくよくよ反応して,いきなり消費の節約やら品質の落ちる代用品の使用やら自分の仕事に集中する前に他人の仕事準備の心配をするやら,身を縮めるところから始まるというのは,若干陰性かつ窮屈であるようにも思われますが,無論贅沢は敵であり,国を愛する心をもって努力せねばならなかったところであります。
なお,吉野信次商工大臣は,民本主義の吉野作造の弟。その商工官僚時代の部下に,岸信介がいました。
(6)1941年改正時の状況
その後,昭和16年法律第20号によって,輸出入品等に関する臨時措置に関する法律5条の罰則の「1年」が「7年」に,「5000円」が「5万円」に改められ,輸出入品に係る同法1条よりも,国内統制に係る同法2条の方がその違反に対する刑罰が重くされています。輸出入品等に関する臨時措置に関する法律による統制の中心は「輸出入品」ではなく,「等」であることが明らかになったわけです。そもそもからして,物品について「需給関係ノ調整ヲ必要トスル」事由は,「輸入ノ制限」には限られず,「其ノ他ノ事由」でもよかったものでありました。
前記の吉野元商工大臣の回想にある「看板に偽りがあるのではないかというような話をした」代議士とは,1941年2月7日,第76回帝国議会の衆議院昭和12年法律第92号中改正法律案(輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件)委員会において次のような発言をした森田福市衆議院議員であったように思われます。
―― 一体此の臨時輸出入措置法は,御承知の通りに是が出た時には臨時輸出入措置に関する法律だと思つて吾々議員は皆賛成した,所が其の後之に依つて国内の経済統制を行ふのだと云ふので,何に依つてそんなことが出来るかと言つたら,それは「其ノ他」と云ふ字があるではないか,「其ノ他」で全部やるのだ,本題の方は目的ぢやなかつた,実は「其ノ他」を使ふのにやつたのだと云ふ意味のことを後で聴いたのであります・・・(第76回帝国議会衆議院昭和12年法律第92号中改正法律案(輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件)委員会議録(速記)第3回19頁)
「本題の方は目的ぢやなかつた,実は「其ノ他」を使ふのにやつたのだ」というのが本当であれば,商工省には,知恵の黒光りする秀才官僚がいたものです。
輸出入品等に関する臨時措置に関する法律5条の罰則強化に係る昭和16年法律第20号の法案の提出理由中関係部分は次のとおりでした。
・・・事変下に於ける経済統制に関する諸方策は,主として本法律〔輸出入品等に関する臨時措置に関する法律〕と昭和13年公布せられました国家総動員法の運用に依つてなされて居るのであります,経済統制に当りましては,極力経済界の実情に即したる方策を講じますると共に,其の実施に当りましても国民の自発的協力を期待致して居るのでありますが,経済統制違反件数が現に相当多数に上り,而も一度処罰を受けたにも拘らず尚ほ再三違反を繰返す者すら少くない実情でありまして,経済統制の効果を減殺して居りますことは,事変下真に遺憾に堪へぬ次第でございます,経済統制違反を敢てする事情は,色々の理由があらうと思ひまするが,現在の罰則は犯罪状況に照し軽きに失する点がございますので,此の際同法の罰則の一部を強化致し,以て戦時経済政策の実施を確保致したいと存ずる次第でございます・・・(小林一三商工大臣・第76回帝国議会衆議院議事速記録第10号80頁)
ここでいう「経済統制違反件数が現に相当多数に上」る状況とは具体的にはどのようなものかといえば,これはなかなかのものです。
・・・然るに経済統制法令違反の状況を見まするに,其の数に於て著しくなりまして,是は国家総動員法に基づくものとの合計ではありますが,昭和15年11月末までに全国検事局に於て受理致しましたものが既に15万人を超え,殊に昨年下半期に於ける激増振は洵に著しきものがありまして,前年同期に比して数倍に上つて居りますのみならず,其の質に於ても悪化の一途を辿り,種々の脱法手段を弄し,或は証拠煙滅を図り,検挙に困難を加へつつあるのであります・・・(秋山要政府委員(司法省刑事局長)・第76回帝国議会衆議院昭和12年法律第92号中改正法律案(輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル件)委員会議録(速記)第2回3頁)
15万人といえば,2013年3月31日の我が陸上自衛隊の定員が15万1063人です。検事局としては,帝国臣民相手の経済統制戦において,既に赫々たる大戦果を挙げていたということになるのでしょうか。議員からも,決められた統制価格で売っては赤字になってしまう業者等の実例が多々委員会において紹介されており,不条理な状況下での混乱と違反とが日常化してしまっていたようです。
しかしながら,喧嘩両成敗でしょう。国家総動員法の改正法案の審議も行われていた第76回帝国議会の開会中,同法の実施機関たる企画院の統制官僚たちが治安維持法違反で次々検挙されるという「企画院事件」が進行していました。当時の第二次近衛内閣の内務大臣は,「赤を潰すことと涜職官吏の征伐一点張」の平沼騏一郎でありました(長尾・前掲148-149頁参照。同「二つの「悪法」」ジュリ769号)。また,商工次官となっていた岸信介は,企画院事件に関係しているとして小林一三商工大臣から引責を迫られ,1941年1月に商工次官の職から退いています(原彬久『岸信介』(岩波新書・1995年)84頁参照)。(ただし,岸は同年10月には東條内閣の商工大臣として大きく復活しています。)