1 ローマ人とゲルマン人と

 

(1)ギボン

 エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をとぼとぼと読み進んでその第31章,西ゴート族の王・アドルファス(Adolphus. 高貴な狼(edel + Wolf)ですな。ドイツ語ではアータウルフ(Ataulf)ともいわれますが,この場合,英語での発音は「ティアルフ」となるようです。)とローマ帝国の皇女にして当時の西皇帝の妹たるプラシディア(Placidia. ラテン語読みでは「プラキディア」です。静子さん,寛子さん又は優子さんといった意味ですね。)との婚姻を祝する,414年にガリアで行われた式典の場面となりました。

 

  〔前略〕ローマ皇后のように装われ飾られた花嫁は,上席の玉座に据わった。この場面においてはローマ式の衣装をまとっているゴート人の王は,彼女の脇の,威厳においては劣る座にあって満足していた。彼の民族の慣習に従ってプラシディアに与えられた婚姻に際しての贈り物は137,たぐいまれかつ豪勢な,彼女の国からの分捕品であった。50名の美しい若者が,絹のローブに身を包み,それぞれの手でもって容器を運んで来た。一方の容器は多くの金塊で満ちており,他方は評価できないほどの価値を有する多くの宝石で満ちていた。〔後略〕

 

ここでは,婚姻に際しての贈り物に関する註の137が面白いところです(流通する邦訳本では,全ての註まで執念深く訳してもらっていないのですが。)。いわく。

 

 137. 西ゴート人(アドルファスの臣民)は,その後の諸法によって,夫婦愛に係る惜しみのなさを抑制した。婚姻後最初の1年間において妻の利益のために夫が贈り物又は贈与をすることは違法であった。更に,彼の気前のよさは,常に,彼の財産の10分の1を超えることはできなかった。ランゴバルド人は,それよりはいくらか甘かった。彼らは,婚姻の夜の直後にするmorgingcapMorgengabeを許容した。処女性の対償であるこの有名な贈り物は,夫の身上の4分の1に達することもあった。用心深い娘たちがいて,全くのところそうなのだが,事前にプレゼントをねだっておくという十二分の賢さを有していた。彼女たちは,そのプレゼントに自分らが値しないことは分かり過ぎるほど分かっていたのだが。モンテスキュー『法の精神』第1925章,ムラトーリの『イタリアの古代について』第2巻第20論文243頁を参照。


Lupa Romana4
Die römische W
ölfin mit Edelrost

 

(2)モンテスキュー

 『法の精神』第19編第25章は,前後の章と共に「どのように法が習俗に従うか」の例を紹介するものです。

 

   ローマ法は,婚姻の前に贈り物をし合うことを許容していたが,婚姻後はもうそれを許さなかった。このことはローマ人の習俗に由来するものであって,彼らが婚姻するのは専ら質素,簡素及び節度のため(par la frugalité, la simplicité et la modestie)である一方,彼らは,家庭的な心遣い,媚態及び一生涯の幸福によって(par les soins domestiques, les complaisances et le bonheur de toute une vie)心動かされ得るのであった。

   西ゴート法は,婚姻しなければならない妻に対して夫はその財産の10分の1を超えた贈与ができないようにし,かつ,婚姻最初の1年間は夫が妻に一切贈与ができないようにしようとしていた。これもまた当該国の習俗から来たものである。立法者らは,華々しさを求めての過剰な気前のよさをもたらすばかりのこのスペイン的虚勢を止めようとしたのである。

   ローマ人は,彼らの法をもって,徳(la vertu)の支配というこの世で最も持続的な支配(l’empire du monde le plus durable)に係る不都合をいくらか抑止しようとしたのである。スペイン人は,彼らの法をもって,美(la beauté)の専横というこの世で最も脆い専横(la tyrannie du monde la plus fragile)による悪影響を防止しようとしたのである。

 

ローマ人は結婚してしまうとひたすら地味な夫婦生活を送るべきことになるので,結婚前の男女の自然な恋愛感情に基づく青年らしい気前のよさくらいは許してやろうよ,ということがローマ法の精神だったのでしょうか。西ゴートの老法律家たちは,1年もたてばどんな美人でも飽きる(美の脆弱性!)と分かっているのについ勢いで気前のよさを誇示して今現在ここでモテたがる(いい歳をしたおじさん連中をも含めた)同胞男児らの後先を考えない身上破壊的暴走癖に悩まされていたのでしょう。

 

(3)ローマ法及び日本民法旧754

ローマ法における贈与についてはどのような規制があったかといえば,「前204年のlex Cinciaは特殊の血族,姻族を除き(personae exceptae),或る一定の限度を超える(ultra modum)贈与を禁止した。但し不完全法〔実行すれば行為は有効,罰も付かない〕であるから,完全に履行すれば問題はない。〔中略〕lex Cinciaは帝政の後期には行われず,ユ〔スティニアヌス〕帝は長く不使用に帰した法律と云つている。〔中略〕夫婦間の贈与はlex Cinciaでは(ママ)特別例外者の中に包含せられて,好条件に置かれていたが,Augustusの時代には既に禁ぜられている。この禁止は完全法〔違反の行為は無効〕である。且つ引渡をなすも所有権は移転しないものとせられる〔略〕。ただし,206年のAntoninusの勅法により,かかる贈与は取り消されない限り,贈与者の死亡により有効な贈与となる。」ということでした(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)214頁)。婚姻前の恋人間の贈与は,lex Cincia下では一定額以下であればそもそも有効で,かつ,それを超えた額の贈与でも履行してしまえばそれまでであった一方(更に後にはlex Cincia自体が適用されなくなる。),夫婦間の贈与は,アウグストゥス帝期以降は無効とされ,セプティミウス・セウェルス帝の統治期(在位:193-211年)以降は取り消し得るもの(取り消さずに贈与者が死亡すれば以後取消しは不可)となった,ということになるようです。

「夫婦間の贈与の無効は恐らくAugustusの頃に発現した〔略〕。この流れを汲む民法(754条)の規定は,かかる契約は義理人情に委すべきもので,裁判沙汰で強行さるべきものではないというが,ローマでは(ママ)しくも夫婦の愛情が財産的利害で左右さるべきものでないならば,かかる契約は効力を認めないに如かずとの見方に立脚している。」ということですから(原田295頁),徳(la vertu)の支配すべきところ,贈与による卑しい機嫌取り行為はそこに立ち入るべからず,ということでしょうか。

 「夫婦間でした契約は,婚姻中,いつでも,夫婦の一方からこれを取り消すことができる。ただし,第三者の権利を害することはできない。」と規定していたのは我が民法(明治29年法律第89号)754条です。同条は,令和6年法律第33号により今年(2026年)41日から削除されていますが(同法附則1条及び令和7年政令第363号),当該民法旧754条にはなかなか興味深い由来があったわけです。

 

2 日本民法旧754条の立法理由

民法旧754条の立法理由としては「「妻は夫に威圧せられて十分の意思を述ぶるを得ざることあり,或は夫は妻の愛に溺れて不知の間に意思の自由を奪はるる等のあるを以て」〔『民法修正案参考書 親族編・相続編』(1898年)79頁〕ということや,夫婦間の問題を裁判所の力を借りて解決することは夫婦の円満を害する,といったこと」がいわれているとされています(内田貴『民法 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)45-46頁)。

そこでは特に,「まして〔略〕,「夫は妻の愛に溺れて」という理由にいたっては,どこまで現実的な根拠になるか疑問である(「修正案参考書」の筆者の婚姻観が窺えて興味深いが)」と(内田46頁),妻への愛に耽溺することの弊害に係る当該立法理由(のあるいは真剣度を)を疑問視する見解が述べられてもいます。しかし前記のとおり,「夫は妻の愛に溺れ」ることは,そもそも結婚に興味のない(現代の)淡白虚弱な日本男児ならぬ獰猛絶倫の西ゴート,ランゴバルド等の古代・中世ゲルマン戦士らにとっては現実的かつ真剣な問題だったのでした。

 前掲の「かかる〔夫婦間の〕契約は義理人情に委すべきもので,裁判沙汰で強行さるべきものではない」ということ(原田)ないしは「夫婦間の問題を裁判所の力を借りて解決することは夫婦の円満を害する」ということ(内田)は,要は「夫婦間で契約をしても,それに基づく権利を裁判所の力を借りて実現することは,夫婦間の円満を害する,さような契約の履行は,夫婦間の愛情と道義とにまかせるべきだ,という趣旨」(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)96頁)なのでしょう。当該趣旨は,穂積重遠がその『親族法』(岩波書店・1930年)327頁において説いたものであるそうです(我妻・親族96頁・註1)。「妻は夫に威圧せられて十分の意思を述ぶるを得ざることあり,或は夫は妻の愛に溺れて不知の間に意思の自由を奪はるる等のあるを以て」という当初の立法理由のみではどうも弱いと思われた上での穂積重遠による後付けでしょう。しかし,契約の取消しをしても結局更に贈与物の返還請求に進んだ局面,すなわち「原状回復(不当利得返還)の局面では,相手が応じない限り訴訟を起こすことになるから,結局裁判沙汰になりうるのである」(内田46頁)ということであって,折角の後付け説も力不足であったようです(我妻・親族96頁も「一度贈与したものも取り消してその返還を訴求しうるというのでは,趣旨は通るまい」と指摘します。)。「民法改正臨時委員会(昭和4年〔1929年〕以降)の人事法案が確定案となる前に,日支事変が起こり〔1937年〕」云々と言及されている「人事法案」(我妻・親族6頁)は,「戦後の改正の際に参考とされたものであり,新法の解釈にとっても,重要な意味がある」とされていますが(我妻・親族7頁),当該人事法案における民法旧754条の前身規定は,夫婦間における著しく不当な法律行為の取消し又は変更を婚姻解消又は取消しの日から6箇月経過前は家事審判所に請求することができるとするものであって(我妻・親族96-97頁・註2),結局「裁判(審判所)沙汰」を容認するものとなっています。平成期には穂積重遠理論は,「後には夫婦間の契約を裁判所で争うのは適当でないとの理由が言われたこともある。」と(星野英一『家族法』(放送大学教育振興会・1994年)73頁。下線は筆者によるもの),過去形で述べられる理由付けとなってしまっていました。

「妻が「夫に威圧せられて」契約を結んでしまうことがあるという理由は,今日ではどこまで説得的な想定か異論の余地があろう」(内田46頁)という今日の(内田本が出版された2002年以降の)事情は,穂積『親族法』が出た1930年当時からも既に妥当していたものかどうか。しかし,やはり妥当はしないとされていたようであって,上記人事法案においてされたところの婚姻解消又は取消後更に6箇月間にわたる法律行為の取消し・変更請求可能期間の設定は,「婚姻継続中は夫に威圧されて取り消し得ない妻の立場を主として考えたものであろう。〔略〕この態度は,〔略〕修正案理由書の趣旨に従ったものといわねばなるまい。」と評されています(我妻・親族97頁・註2。下線は筆者によるもの)。

 

3 日本民法旧754条の弊害:「夫の横暴」

「取消権は夫にもあるのだから,むしろ夫の横暴に利用される恐れが強い(実際にその例は多い)」(内田46頁)といわれる場合の夫の「横暴」とは,「妻の愛に溺れて」の理由以外の理由に基づいて妻と締結した同女に有利な契約を夫が一方的に取り消すことは「横暴」であるということなのでしょう。

「夫の横暴」を制限するために判例は「あるいは,夫婦関係が破綻に瀕している際の契約には〔民法旧754条の〕適用なしといい,あるいは,離婚の合意と関連させた財産分与の契約は,離婚の際の財産分与の合意(768条)として効力が維持されるという」ということですから(我妻・親族96頁),夫婦関係の破綻ないしは破綻に瀕しているどころかそれ以前の夫婦相和の美しい日々において「妻の愛に溺れて」つい締結してしまった契約を後から夫が取り消すことは,「夫の横暴」ということにはならないのでしょう。

 

4 ナポレオンの民法典

 

(1)日本民法の母法:第1096条及び第1595

我が民法旧754条の母法については「フランス民法は,夫婦間の贈与(無制限)と売買(一定の制限あり)について規定する(1096条・1595条)。民法は,これに倣って,その範囲を拡大したものである。」と紹介されています(我妻・親族96頁・註1)。

 

ア 第1096条:夫婦間の贈与の取消可能性

1804年段階のフランス民法(以下「ナポレオンの民法典」といいます。)の第1096条は次のとおりでした。

 

1096.

  Toutes donations faites entre époux, pendant le mariage, quoique qualifiées entre-vifs, seront toujours révocables.

La révocation pourra être faite par la femme, sans y être autorisée par le mari ni par justice.

Ces donations ne seront point révoquées par la survenance d’enfans.

   

   婚姻中にされた配偶者間の全ての贈与は,生前贈与とされたとしても,いつでも取消しが可能である。

   妻による取消しは,夫又は裁判所の許可なしにされることができる。

   これらの贈与は,子の出生によっては取り消されない。

 

イ 第1595条:夫婦間の売買の原則禁止

 ナポレオンの民法典の第1595条は次のとおりです。

 

1595.

Le contrat de vente ne peut avoir lieu entre époux que dans les trois cas suivans:

1. o Celui où l’un des deux époux cède des biens à l’autre séparé judiciairement d’avec lui, en paiement de ses droits;

2. o Celui où la cession que le mari fait à sa femme, même non séparée, a une cause légitime, telle que le remploi de ses immeubles aliénés, ou de deniers à elle appartenant, si ces immeubles ou deniers ne tombent pas en communauté;

3. o Celui où la femme cède des biens à son mari en paiement d’une somme qu’elle lui aurait promise en dot, et lorsqu’il y a exclusion de communauté;

Sauf, dans ces trois cas, les droits des héritiers des parties contractantes, s’il y a avantage indirect.

 

   配偶者間では,次の3箇の場合を除いて,売買をすることができない。

   一 法的に同人と別居した他方配偶者に対し配偶者中の一方が婚姻費用の支払として財産を移転する場合

   二 当該不動産又は金銭が夫婦の共有に属しない場合において,別居の有無にかかわらずその妻に対して夫がする移転について,譲渡した不動産又は妻に属する金銭に係る再利用のような正当な原因があるとき。

   三 共通財産制が排除されている場合において,妻が夫に対して婚資として約束した金額の支払として前者が財産を後者に対して移転するとき。

これら3箇の場合においても,間接的利益があるときには,契約当事者の相続人の権利に係るものを除く。

 

ナポレオンの民法典1595条が認めている三つの例外は,実は売買(vente)では全くなくて代物弁済(dation en payement)ではないか,というのがボワソナアドの理解であって(Gve Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon, Tome III (Des Moyens d’Acquérir les Biens), Nouvelle Édition, Tokio, 1891: p.218),その結果,我が旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)35条の規定は「配偶者ノ間ニ於テハ動産ト不動産トヲ問ハス売買ノ契約ヲ禁ス/配偶者ノ一方カ他ノ一方ニ対シテ負担スル真実且正当ナル債務ヲ消滅セシムルニハ相互ニ代物弁済ヲ為スコトヲ得〔第3項・第4項略〕」となっています。

とはいえ第1595条は,本稿では措くこととしましょう。以下ナポレオンの民法典1096条について検討を行います。

 

(2)ナポレオンの民法典1096条に関する理由書の記述

 その第1096条に関連するナポレオンの民法典の理由書(Exposés des Motifs)における記述を拾うと,次のごとし。

 

ア 夫婦財産契約による贈与の自由

 

   共和国2(ニヴ)(ォーズ)17日〔179416日〕以前の全ての法律は,配偶者らが夫婦財産契約によってその間ですることができる贈与を,婚姻期間中にされるそれらから常に分別していた。

   婚姻(夫婦財産契約)は,そこにおける彼らの権利に係る要約及び彼らの得ようと利益に係る規整について,親の補佐を受けた未成年者,又は成年者が,自由に交渉すべきところ(doivent être libre)の契約である。しかして,全ての彼らのエネルギーの中には相互的やり取りの感覚が存在しているとともに,夫権が与え,又は共同生活の結果であるところのかの支配力を一方が他方に対して有しているということはいまだ全くないのである。婚姻という特別のはからいのためは,彼らがその絆を結ぶ際に,彼らが適当とみなす,相互の,又は一方から他方への贈与を行うことについての自由(la liberté)が要請されるのである。

  (Procès-Verbaux du Conseil d’État contenant la discussion du Projet de Code Civil, 1800-1804, Tome II: p.826

 

上記の記述はナポレオンの民法典の第1095“Le mineur ne pourra, par contrat de mariage, donner à l’autre époux, soit par donation simple, soit par donation réciproque, qu’avec le consentement et l’assistance de ceux dont le consentement est requis pour la validité de son mariage; et, avec ce consentement, il pourra donner tout ce que la loi permet à l’époux majeur de donner à l’autre conjoint.” 我が旧民法財産取得編(明治23年法律第98号)366条「未成年ノ夫又ハ婦ハ婚姻ノ許諾ヲ与フ可キ人ノ許諾及ヒ立会ヲ得且夫婦財産契約ヲ以テスルニ非サレハ贈与ヲ為スコトヲ得ス」に対応するもの)に関するものでしょう。しかし,我が旧民法財産取得編366条については,その草案(「夫婦ハ未成年者ト雖モ一方ヨリ他ノ一方ニ又ハ互相ニ贈与ヲ為スコヨヲ得/然レトモ其婚姻ノ有効ナル為メ承諾ヲ与フ可キ人ノ承諾及ヒ立会ヲ得且ツ夫婦財産契約ニ依ルニ非サレハ其贈与ヲ為スコトヲ得ス」)に付された「民法草案獲得編第2部理由書」における磯部四郎🎴による「理由」において,ナポレオンの民法典の理由書における説明とはいささか異なった角度からの説明がされています。すなわち磯部はいわく,「而シテ未成年者ノ夫婦間ノ贈与ハ必ス夫婦財産契約ニ由ルニアラサレハ之ヲ為スコトヲ得スト定メタルハ夫婦財産契約ハ結婚以前ニ之ヲ為スモノナルカ故ニ其際ニ他人ノ関渉スルハ夫婦ノ親睦ヲ害スルニ至ラスト雖モ夫婦ト為リテ後他人ノ其間ニ関渉シテ事ヲ監督スルカ如キコトアルハ其親睦ヲ害スルニ至ルヘシ是ヲ以テ他人ノ関渉シテ其親睦ヲ害セサルノ間ニ贈与ヲ為スコトヲ許シ以テ一ハ財産将来ノ取締ヲ確保シ二ハ婚姻ノ後他人ノ関渉スルコトヲ絶チ其親睦ヲ永ク維持センコトヲ期シタルモノトス(仏国民法第1095条参看)」と(明治文化資料叢書刊行会編(石井良助編)『明治文化資料叢書第3巻 法律篇下』(風間書房・1960年)139頁)。ナポレオンの民法典の理由書では,相互主義の精神で交渉が行われる夫婦財産契約の段階では「夫権が与え,又は共同生活の結果であるところのかの支配力を一方が他方に対して有しているということはいまだ全くない」からということで――すなわち配偶者間の力関係にいまだ偏りがないものと見て――そこでの配偶者間の贈与には問題がないものとされていると筆者には解されるのに対して,磯部は婚姻後における他人(「婚姻ノ承諾ヲ与フ可キ人」)の容喙を避けるために婚姻前に贈与を済ましてしまおうという,夫婦間の力関係よりも夫婦と第三者との間の関係に着眼をした説明をしています。何だかずれているように筆者には思われるのです。

 

イ 婚姻中の夫婦間贈与に係るローマ法=成文法による規制と慣習法による規制と

 ナポレオンの民法典の理由書は,引き続いていわく。

 

   配偶者らが婚姻期間中にその間でしようとする贈与は,これとは〔夫婦財産契約による贈与とは〕また別の話である。

   最初ローマの法律は,配偶者間の贈与を絶対的な在り方で禁止した。彼らの相互的な愛情(leur tendresse réciproque)のもたらす無分別な結果によって彼らがお互いにその家産を失うこととなる様を見ること,婚姻が金銭ずくのものとなること(de rendre le mariage vénal),正直な一方を他方が強いて贈与の名目下の犠牲によって平和を贖う羽目に陥らせることが恐れられたのである。

   この絶対的禁止はアントニヌス〔筆者註:セプティミウス・セウェルス帝の息子であるカラカラの名〕の治下において修正された。彼は,全ての不都合は,婚姻期間中に彼らが自分たちのためにした贈与を取り消す権能を配偶者らに与えることによって防止できると信じたのである。

   この主義は,フランスにおいては,成文法地域の大部分において踏襲されていた。

慣習法地域では,生存する者の利益において当該贈与が相互的でない限り,夫と妻との間の婚姻期間中における全ての贈与が絶対的に禁止されるという古来の原則が保持されていた。しかして許容される種類の贈与は更に,許される財産の種類及び量の範囲について,大なり小なり制限がされていたのである。

この枠は,大部分の慣習において,婚姻の解消の際に子供がいる場合の方が,子供がいない場合よりもより狭められていた。

絶対的な禁止をこのように修正しつつ,結果としては,相互性又は生存に係る条件が,配偶者の一方が他方の犠牲において利得をするという全ての忌まわしい企図を遠ざけることとなり,また,その中にそれらの贈与が狭め入れられた枠は,各家の財産を保存することとなったところである(conservaient les biens de chaque famille)。

   我々はこれらの〔成文法地域及び慣習法地域の〕二つの制度から,婚姻の尊厳(la dignité des mariages),配偶者の相互利益及び子供のそれ(celui [l’intérêt] des enfans)にとって最も適切なものを採用したのである。

  (PVCE, Tome II: pp.826-827

 

 「彼らの相互的な愛情のもたらす無分別な結果によって彼らがお互いにその家産を失うこととなる様を見ること」(岩田健次「ローマ法における嫁資の法――その序説――」関西大学法学論集11345号(19623月)283頁では,ローマ法において夫婦間贈与が禁止されていた理由は「浪費性で気前良い夫婦などの間で,相互の愛情のために贈与を認めることによって,相互の財産を奪い合うことのないためである。それに付随して,夫婦の間で小供を養育する熱意が減少することを防止するためである。」と述べられています。)は,「夫(妻)は妻(夫)の愛に溺れて不知の間に意思の自由を奪はるる」場合の結果なのでしょう。「正直な一方を他方が強いて贈与の名目下の犠牲によって平和を贖う羽目に陥らせること」(ローマ法における夫婦間贈与禁止の理由を述べる岩田283頁には,更に,「贈与をなしうる配偶者が,贈与しない場合に,婚姻が破壊される虞があることを配慮したといわれ」ている,とあります。は,「妻(夫)は夫(妻)に威圧せられて十分の意思を述ぶるを得ざることあり」の場合の一場面なのでしょう。

しかし,「婚姻が金銭ずくのものとなること」における形容詞“vénal”は,きつい(仏和辞典で“fille vénale”“amour vénal”の意味を調べてみてください。)。我が民法に係る「妻は夫に威圧せられて十分の意思を述ぶるを得ざることあり,或は夫は妻の愛に溺れて不知の間に意思の自由を奪はるるのあるを以て」との立法理由における「等」は,「婚姻が金銭ずくのものとなること」だったのでしょうか。Vénalitéは正に,「夫婦の愛情が財産的利害で左右さるべきものでない」こと――すなわち「婚姻の尊厳」――に反することでしょう(この点,岩田283頁も「夫婦間の贈与を承認することにより,婚姻自体が売買の対象となることを〔ローマ法は〕恐れたともいわれる。」と述べます。)。

ローマ法における夫婦間の贈与の規制は,経済面及び尊厳面において各婚姻を保護するための手段であった,ということでしょうか。(ちなみに,その他の「国家的な意図」としては,「Augustus婚姻法の成立に当って,禁止された婚姻や子のない婚姻の当事者である夫婦が相続法上相続財産取得を制限されていたのを,夫婦間における贈与によって,巧みに回避することを防止する意味などを有」したものとも紹介されています(岩田284)。)

 なお,大村敦志教授の指摘によると,「〔我が〕旧民法の規定はフランス法に由来するが,フランスにおいてはまさにこの点〔筆者註:ここの「この点」は,「家の財産が他人に往くと云ふ虞がない」親子間契約と対比されるところの夫婦間契約の特徴ということですから,夫婦間契約においては「家の財産が他人に往くと云ふ虞」があるということでしょう。〕を重視して本条〔民法旧754条〕に相当する規定が設けられていることに注意する必要がある。」とのことです(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)68頁)。しかし,当該「この点」に係る顧慮は,ナポレオンの民法典においては実は,ローマ法(夫婦間贈与はそもそも原則禁止)的な前記1096条(同条が,我が民法旧754条に対応)の規定に反映している,というよりもむしろ,「各家の財産を保存すること」に配意するゲルマン法的な同法典の下記1094条等の規定にこそより直接的に反映しているというべきではないでしょうか。


ウ 夫婦間贈与に係る規制の概要

 閑話休題。更にナポレオンの民法典の理由書は続いています。

 

   夫婦財産契約によっても,婚姻期間中であっても,一方配偶者が他方配偶者に贈与をすることが認められる。贈与者が子孫を遺さない場合にあっては,他人に与えることのできるもの全部を与え,また更に,直系の〔筆者註:条文にはこの形容詞directsはありません。〕相続人を害して処分することを法が禁ずる部分の全てについて用益権を設定できる。〔筆者註:これはナポレオンの民法典10941項(L’époux pourra, soit par contrat de mariage, soit pendant le mariage, pour le cas où il ne laisserait point d’enfans ni descendans, disposer en faveur de l’autre époux, en propriété, de tout ce dont il pourrait disposer en faveur d’un étranger, et, en outre, de l’usufruit de la totalité de la portion dont la loi prohibe la disposition au préjudice des héritiers.)の内容です。〕

   贈与者が子供を遺す場合にあっては,所有権として全財産の4分の1及び用益権として他の4分の1を,又は用益権として全財産の2分の1を超える贈与をすることはできない。〔筆者註:これはナポレオンの民法典10942項(Et pour le cas où l’époux donateur laisserait des enfans ou descendans, il pourra donner à l’autre époux, ou un quart en propriété et un autre quart en usufruit, ou la moitié de tous ses biens en usufruit seulement.)の内容です。〕

   婚姻中にされた配偶者間の全ての贈与は,生前贈与としてされたとしても,いつでも取消しが可能である。しかして妻は,この権利を行使するために,彼女の夫又は裁判所の許可を得ることを要しない。〔筆者註:これはナポレオンの民法典10961項及び2項の内容です。〕

   この法律では,他人のためであっても,直系の相続人に留保されたもの以外の全ての財産を処分する権能を与えているところ,配偶者からその自由を,婚姻期間中,他の配偶者に対する関係では奪うということであっては首尾一貫しないことになる。血のつながりを断つことはないものの,彼らの不安及び愛の感情が向けられるのは,生存する配偶者を相続すべき親族についてよりもむしろ,両者のうちの生き残る者についてであるということが,配偶者の親密な一体性の正に結果なのである。そこで我々は,子供を全く遺さない配偶者らについては財産中処分可能な部分の全体に係る用益権を設定することができるものと決定して,愛の感情の赴くところになお従ったのである。

   もし配偶者が子供を遺すならば,その愛の感情は子供らと他方配偶者との間で分割される。しかして子供を遺す当該配偶者が,子供らにとって最も有益な使用収益をその財産の全体について生存配偶者が行うということを確信している場合であっても,父性の義務は個人的なものであり,贈与配偶者が当該義務を他方配偶者に委ねてしまうときには,義務違反を犯すことになるのである。したがって,当該配偶者は,その財産の一定割合しか他方配偶者に遺すことが認められないこととなるのである。しかして当該割合は,所有権について全財産の4分の1及び用益権について他の4分の1,又は用益権について全体の半分と設定されたのである。

   処分の権能をこのように枠付けた後には,婚姻期間中に配偶者間でされる贈与から生じ得る不都合を防止することのみが残されている。

   ローマの立法で採用された方法が,より望ましいものと思われた。取消しが自由である(libre de les révoquer)にもかかわらず配偶者がその死までそれをそのままにしていた場合においては,当該取消しを行うために妻は何らの許可をも要さない場合においては,並びに〔筆者註:以下はナポレオンの民法典1097条の規定(Les époux ne pourront, pendant le mariage, se faire, ni par acte entre-vifs, ni par testament, aucune donation mutuelle et réciproque par un seul et même acte.)のことです。〕当該取消しをより自由にするために,及び同一の行為による複数の処分に係る不可分性が高められるということがないようにするために,両配偶者は婚姻期間中においては一にして同じものである行為によっていかなる相互的かつ反対的な贈与も自分たちのためにすることができないように規制されている場合においては,贈与が自由な同意の結果(l’effet d’un consentement libre)であること,及びそれらが従属(subordination)にも,又は一時的若しくは無分別な愛情(affection momentanée ou incosidérée)にも帰せられるべきものでないことは最早疑う余地のないことなのである。

   更に我々は,彼らが新しい絆を取り結ぶ場合においても,子供たちとの関係で父性の義務に係る違反は生じない旨の賢明な規定〔筆者註:これはナポレオンの民法典1098条のことです。同条は“L’homme ou la femme qui, ayant des enfans d’un autre lit, contractera un second ou subséquent mariage, ne pourra donner à son nouvel époux qu’une part d’enfant légitime le moins prenant, et sans que, dans aucun cas, ces donations puissent excéder le quart des biens.”と規定していました。〕を維持したが,この規定は,第二の婚姻に係る否定的評価に,というよりは,子持ちの父たち又は母たちに係る義務に帰せられるものである。上記の場合においては,新しい配偶者のための贈与は,取り分の一番少ない嫡出子の相続分を超えることはできず,かつ,いかなるときにも当該贈与は財産の4分の1を超えることはできないものと規制されている。この用心より以上のことは不要であると判断されたものである。

  (PVCE, Tome II: pp.827-828

 

 「取消しが自由であるにもかかわらず配偶者がその死までそれをそのままにしていた場合」といわれると,遺贈に関する規定が準用される死因贈与(民法554条)が想起されるところです。死因贈与は,民法1022条の準用により,いつでも撤回ができるというのが判例です。

 『民法修正案参考書』のいう「妻は夫に威圧せられて十分の意思を述ぶるを得ざることあり,或は夫は妻の愛に溺れて不知の間に意思の自由を奪はるる」における「威圧せられ」た状態は“subordination”であり,「溺れ」る「愛」は“affection momentanée ou incosidérée”なのでしょう。「どこまで現実的な根拠になるか疑問である」とされた「「夫は妻の愛に溺れて」という理由」は,「「修正案参考書」の筆者の婚姻観」を窺わせたものというよりも,直接的には,ナポレオンの民法典の理由書の当該部分において記述されるところから窺われるフランス男児の婚姻の現実(ないしはフランスの立法者の懸念)に由来するものでしょう。

むしろ,ナポレオンの民法典10961項及び2項に対応する旧民法財産取得編3671(「夫婦間ノ贈与ハ何等ノ約款アルニ拘ハラス婚姻中贈与者随意ニ之ヲ廃罷スルコトヲ得」)に係る草案(「夫婦間ノ贈与ハ贈与者随意ニ之ヲ廃棄スルコトヲ得/婦ハ夫又ハ裁判所ノ允許ヲ要セスシテ贈与ノ廃棄ヲ為スコトヲ得但シ婚姻ノ継続中ニ非サレハ此廃棄ヲ訴求スルコトヲ得ス」)に付された「民法草案獲得編第2部理由書」の「理由」においては,その筆者である磯部四郎の婚姻観が窺われるようです。パリ留学経験のある磯部なのですが,「夫は妻の愛に溺れて」云々というようなおフランス風に軟弱なことは日本男児には生じないと思ったようで,溺れる愛についての言及はありません。いわく。

 

   夫婦ハ概シテ平等ノ地位ニ互ニ在ルモノニアラス或ハ夫ノ権威婦ニ優ルカ或ハ婦ノ勢力夫ニ超ユルカ其権勢ノ一方ニ偏スルハ世間普通ノ状態ナリ而シテ其権勢ノ一方ニ偏スルハ悪シト云フニアラス其何レニ在ルヲ問ハス夫婦ノ交リ和ヲ得レハ婚姻ノ目的ニ達シタルモノトシテ之ヲ尊敬セサルヘカラス然レトモ其権勢ヲ濫用シテ強テ贈与ヲ為サシムルカ如キ結果ヲ生スルニ至リテハ法律之ヲ黙(ママ)スヘキニアラス宜シク其弊害ヲ矯正スルノ方法ヲ設定セサルヘカラス而シテ其方法ハ今日贈与スルコトヲ諾スルモ其意ニ適セサルニ於テハ常ニ之ヲ廃棄スルコトヲ得セシムルニ在ルヘシ斯ノ如クセハ一方ノ抑制ニ出テタル贈与ハ其効力ヲ生スルコトアラサルヘキヲ以テナリ〔後略〕

  (明治文化資料叢書刊行会編(石井良助編)140頁)

 

5 梅謙次郎の民法旧々792条=旧754条論

 ところで梅謙次郎は,民法旧々792条(「夫婦間ニ於テ契約ヲ為シタルトキハ其契約ハ婚姻中何時ニテモ夫婦ノ一方ヨリ之ヲ取消スコトヲ得但第三者ノ権利ヲ害スルコトヲ得ス」。これが昭和22年法律第222号により194811日から民法旧754条となったものです。)の趣旨について,1895129日の第146回法典調査会(なお,当該会議には,磯部四郎は残念ながら欠席でした。)において,専ら瑕疵ある意思表示の取消しの一種であるかのような口吻で説明していました。

 いわく,「夫婦間ト云フモノハ間柄カ至ツテ親密ノモノテアリマスカラ動モスレハ契約ヲスルト言ツテモ他人ト契約ヲスル程ノ意思ハナイノテス唯一時ノ愛情ニ依テ遣ラウトカ或ハソレテ宜シイト言フトカ,場合ニ依テハ夫カ妻君ヲ強迫シ又場合ニ依テハ妻君カ夫ヲ強迫スルトウモ他人間ノ契約ト全ク同一視スルト云フコトハ事情六ケ敷イコトテアラウト考ヘマスカラソレテ兎ニ角特例ヲ設ケルト云フコトハ矢張リ既成法典ノ如ク本案テ採用致シタノテアリマス〔中略〕併ナカラトウモ一旦其主義ヲ採ル以上ハ贈与ト売買トニ限ル理由ハナイ況ヤ贈与許リニ限ルト云フ理由ハ毛頭ナイ」と(『法典調査会民法議事速記録』(日本学術振興会)4893表裏)。

 すなわち,「蓋シ夫婦間ノ契約ハ他人間ノ契約ト同一視シ難キモノアリ何トナレハ夫婦ハ一ニ愛情ヲ以テ成ルヘキモノナルカ故ニ或ハ愛ニ溺レテ無謀ノ契約ヲ為シ或ハ又夫ハ妻ニ対シテ権力ヲ有スルカ故ニ往往妻ヲ圧シテ己ニ従ハシムルコトナシトセス故ニ其契約ハ必スシモ十分ノ自由ヲ以テ締結セラレタルモノト為スコトヲ得ス是レ本条ニ於テ「其契約ハ婚姻中何時ニテモ夫婦ノ一方ヨリ之ヲ取消スコトヲ得」ルモノトシタル所以ナリ」ということで(梅謙次郎『民法要義巻之四 親族編』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1899年)151-152頁),意思表示における「十分ノ自由」の欠如が問題とされています(また,法典調査会4896表及び106裏参照)。したがってそのまま論理を追えば,夫婦間の意思表示における十分の自由の欠如は他の契約類型においても同様であるはずである以上,当該規制が贈与及び売買(売買も旧民法において規制されるのは,「当事者ハ往往ニシテ名ヲ売買ニ仮リ以テ贈与ヲ為スコトアルヲ以テ」です(梅152頁。また,法典調査会4893-94表及び94-95表。Aussi, Boissonade: p.221)。)に限定される必然性は無いこととなり,その結果,「他ノ契約ハ総テ之ヲ許シ一切之ヲ取消スコトヲ許ササルハ実ニ権衡ヲ得サルモノト謂ハサルコトヲ得ス故ニ本条ニ於テハ一切ノ契約ニ付キ画一ノ原則ヲ設ケ総テ夫婦間ニ於テハ何時ニテモ之ヲ取消スコトヲ得ルモノトシ」たというわけです(梅152-153頁)。

しかし,梅による民法旧々792条=旧754条の規制に係る上記理由付けの採用(なおこれは,旧民法財産取得編3671項に関する磯部四郎の前記説明(「権勢ヲ濫用シテ強テ贈与ヲ為サシムル」)にも影響されたものでしょうか。)は,我が民法における当該規制をして,母法における同様の規制が本来由来するところとは異なったところにその基礎を求めさせることとしてしまったもののようです。というのは,配偶者間の売買禁止(旧民法財産取得編351項)の理由付けの説明においてボワソナアドは,一方配偶者の他方配偶者に対する影響力によってもたらされる後者における十分な自由の欠如を理由とすることを,既に明示的に排斥していたからです(Boissonade: pp.220-221)。ボワソナアドによれば,もしフランスの立法者たちが当該理由を採用していたのであれば,同様の規制が,売買のみならず,消費・使用貸借,交換,組合,賃貸借等にも及んでいなければならなかったはずであるが,そうなってはないではないかというわけです(Boissonade: p.221)。また,旧民法財産取得編3671項は夫婦間の贈与の随意の取消しを「廃罷」と呼称していましたが,他方瑕疵ある意思表示の取消しは,同法においては「銷除」と呼称されていたところです(旧民法財産編(明治23年法律第28号)第2部第3章(義務の消滅)の第7節(銷除)と第8節(廃罷)とを対照)。

梅の理由付けには,「婚姻が金銭ずくのもの(vénal)となること」の防止は含まれていません。梅が保護しようとしたものは,意思表示における自由であって(近代的ですね),経済面・尊厳面からする婚姻の保護という(ローマ的に古臭い)ことは直接の目的とはされていませんでした。

婚姻中に配偶者間でされた契約を民法旧754条の規定により取り消す場合として第146回法典調査会で梅が挙げた例としては次のようなものがあります。いわく,「婚姻中テアルナラハ何時カ愛情ヲ以テ一旦ハ遣ルト言ツタカトウモ能ク考ヘテ見ルトあれヲ遣ツテ仕舞ウト例ヘハ自分ノ子供ノ為メニ困ルカラあれヲ取消スサウ云フコトモ〔略〕已ムヲ得サル場合ニハ行ハレテモ仕方ナイ」(法典調査会4899表),「契約ヲ結フトキニ自由ノ意思ノナイコトカ随分多カラウト云フコトヲ想像スルカラ斯ウ云フ規定ヲ設クルニ相違アリマセヌカ併シ其自由ノ意思ノナイト云フ事柄カ瞬間モ離レスニ婚姻ノ始メヨリ婚姻ノ終リ迄続イテ居ルト云フコトハ稀テアラウト考ヘマス愛情ノ酷ク盛ンテ丸テ自由ノ意思カナクナル前後ヲ弁ヘナイ程ニ熾ンテアルト云フコトカ何時モ何時モ続イテ居ルモノテアリマセヌカラ何時カシラ取消スト云フコトニ若シ真ニ自由ノ意思カナイモノテアツタナラハナルテアラウソレテ取消ヲシナイテ死ンテ仕舞ツタトカ或ハ離婚ヲシタトカ云フヤウナトキニハ多クハ自由ノ意思カアツテ為シタル契約ト看テ宜カラウト思ヒマス」(法典調査会48100表裏),「第三者ノ権利ヲ害セヌケレハ夫婦間ノ関係丈ケテアレハ貰ツタ物ヲ返ヘシテモ元々テアル借リタ物ヲ始メハ10年貸シテ呉レト言ツタノヲ直クニ返ヘシタ所カソレハ成程一時ハ困ルカモ知レヌケレトモ畢竟ハ返ヘサナケレハナラヌソレテトウモ実際ニ困ルヤウナコトハ多分ナカラウ」(法典調査会48108表)云々。

 

6 民法旧754条の削除の理由及びその影響いかん

 

(1)削除の理由

民法旧754条は,前記のとおり,令和6年法律第33号によって,202641日から削除されています。その理由付けは次のとおりです。

 

  しかし,この〔民法旧754条の〕規定に対しては,当事者の真意を問題とせずに一律に夫婦間の契約取消しを認めることは相当でないとの指摘や,真意に反する契約は意思表示一般に関する規定(心裡留保,錯誤,詐欺,強迫等)に基づいて取消しを認めれば足りるので,このような規定を設ける合理性はないとの指摘がされていた。また,判例(最判昭和4222日・民集21188頁)は,同条の「婚姻中」とは,形式的にも実質的にも婚姻が継続していることをいい,婚姻が実質的に破綻している場合には同条の適用はないとしていた。なお,法制審議会総会が平成82月に決定した民法の一部を改正する法律案要綱においても,この規定を削除することを含む改正案が提案されていた。

  そこで,改正法は,旧民法第754条を削除することとしている。

  (北村治樹編著『一問一答 令和6年民法等改正――家族法制の見直し(親権・養育費・親子交流等)』(商事法務・2025年)173頁)

 

民法旧754条では当事者の真意いかんが問題になっているのだ,というのは,専ら梅謙次郎の理由付けを前提とした上での問題設定でしょう。この点に関してはつとに,「夫婦間の契約は一方の威力または溺愛に影響されやすいので合理性を缺く」という「理由なら,箇々の場合に判断すればよいので,一般的に取消し得るものとするのは,行過ぎである。」,「威力が強迫に及べば,取消し得ることはもちろんだし,それまでにゆかないものや,溺愛によるものなどに,法律が干渉する必要はあるまい。」と論じられていました(我妻榮「夫婦間の契約の取消し得ない場合」民事法判例研究会『判例民事法(23)昭和18年度・昭和19年度・昭和20年度・昭和21年度』(有斐閣・1955年)昭和19年度186-187頁)。「沿革的理由を考えた場合,根本となる夫婦間の贈与の禁止といったもののなかにあっては,さらに強度の倫理性が作用し,いやしくも夫婦間の愛情は,財産的な打算や利害で左右されるべきものでなく,その目的のために夫婦間の贈与の効力は原則として認めるべきでないという基本的な人生観が存在していたことを認識しなければならない。」と説示されてはいましたが(岩田289),婚姻とvénalitéの問題は,問題とされなかったのでしょう。

最高裁判所昭和4222日判決は,「民法754条にいう「婚姻中」とは,単に形式的に婚姻が継続していることではなく,形式的にも,実質的にもそれが継続していることをいうものと解すべきであるから,婚姻が実質的に破綻している場合には,それが形式的に継続しているとしても,同条の規定により,夫婦間の契約を取り消すことは許されないものと解するのが相当である。」と判示したものです。これ以上の特段の理由付けはそこではありません。調査官解説によれば,当該判決は,我妻榮が大審院昭和19105日判決・民集2318579頁の評釈で「「正常な関係にある夫婦の間で締結された契約を正常な関係にある間だけ」本条〔民法旧754条〕の規定により取り消すことができる(判民昭和19年度188頁)」ものとするものと解したところの「判例の態度を踏襲したもの」で,「「婚姻中」の意義を明らかにし,取消権行使の時期を限定することによって本条の適用を制限している。本判決によれば,夫婦間の契約は,夫婦関係が円満である際締結されたものであっても,それがすでに破綻した後においては,取り消すことができないことになろう。」ということでした(『最高裁判所判例解説民事篇(昭和42年度)』(法曹会・1968年)54頁(枡田文郎))。「さう解釈すると,〔旧々〕第792条〔旧754条〕は,実際にはほとんど利用されないことになるであらうが,私はそれでよいのだと思ふ。立法論としては削除論である。」という我妻説(判民昭和19年度188頁)が最高裁判所によって採用されたということなのでしょう。

1996年(平成8年)2月の法制審議会要綱は,民法旧754条は「今日ではあまり意味がない規定として削除せよとの立法論が強い」こと(星野73頁)を承けてのものだったのでしょう。すなわち,「〔民法旧〕754条は,裁判規範としては事実上空文化したと言ってよい。なぜなら,判例によれば,取消が認められるのは夫婦関係が円満な間に締結した夫婦間の契約につき,円満な間に取り消す場合であるが,そのような場合にはそもそも裁判にはならない。そして,仮に裁判沙汰になれば,多くの場合,その時点で婚姻は実質的に破綻しているだろうから,結局,取消はできないことになる。つまり,裁判で契約取消が認められるような場面はほとんど想定できないのである。そこで,立法論としては削除論が圧倒的であり,法制審議会が平成81996)年に採択した婚姻法改正の法律案要綱〔略〕では同条の廃止を提案している。」とのことです(内田47-48頁)。しかし,裁判規範として役に立たないからといって,直ちに削除してよかったものかどうか。夫婦関係にvénalitéを持ち込むべからずとの理念を採用した上でそれを宣明する規範として,何らかの形で残すということを考えた人はいなかったものかどうか。

 

(2)削除の影響いかん

いずれにせよ,民法旧754条を削除せしめた指導原理は,「夫婦はそれぞれ独立人(●●●)()して(●●)協力扶助すべきものという理想からいえば,普通の契約と差別を認むべきでない,という削除説となろう。」(我妻・親族97頁・註2)という我妻説である,というのが筆者の理解です。独立人と独立人との関係ということであれば,それは,双務有償契約(典型は,売買(民法559条))をもって規律されるべきことが原則ということになりましょうか。「各人を権利能力の主体として,他人の支配から解放し,その自主性を確立することは,疑いもなく,文化の向上なのだから,人類文化の発達の過程は,「身分から契約へ」という標語で示されることになる」(我妻榮『債権各論上巻(民法講義Ⅴ₁)』(岩波書店・1954年)5-6頁)というわけですから(Sed, et venus venum ire potest?)。ただしこの我妻理論に対しては,そうすると「夫婦財産契約に対する考え方も大幅に変更しなければならないことになる」ことから,「直ちに削除説を採ってよいと断言することはできないとだけ述べておく。」(大村69頁)との消極的姿勢を示す論者もありました(この点,岩田289-290も,「沿革的意義において,夫婦間の契約取消権は,夫婦の自由な約定夫婦財産制にささえられることがなければ,殆ど裏付けの乏しい規定となる危険があることは,自明の理である。すなわち,婚姻の届出までになされる夫婦の約定財産制をそのまま強固に維持するためにこそ,夫婦間の契約取消権の真の意義の一つがある。夫婦間の贈与の禁止は,かかる目的のために重要な機能を有していたことに注目しなければならない。」と述べていました。)。

また,民法760(「夫婦は,その資産,収入その他一切の事情を考慮して,婚姻から生ずる費用を分担する。」)に関して,「最近では,解釈論としても760条・761条を半強行規定化(合理的な理由がなければ異なる定めをすることができない規定と解する)しようとするものがある(大村など)」(大村82頁)とのことでしたが,民法旧754条が削除されたことによって,「夫婦はそれぞれ独立人」であることが明らかになったとして,更に騎虎の勢いをもって,夫婦間の合意による民法760条の適用排除(同法755条の文言解釈的反対解釈を夫婦間の合意にも類推適用)の可能性も明らかになったというべきでしょうか(なお,民法旧754条の削除によって,同条によって夫婦間の婚姻費用分担に関する合意(法定財産制下のもの)が取り消される心配がなくなったと同時に,同条の存在にかかわらず当該合意が取り消され得べきものでないことを理由付けるためにされていた同法760条の存在の援用の必要もなくなったわけです(大村78頁参照)。狡兔(754)死して走狗(760)は烹られるのか。烹られるとして,夫婦財産契約の場合は対抗要件として登記が必要なのですが(民法756条),民法「760条は,夫婦の内部関係を定めるだけのものである」(我妻・親族86頁)ので,民法760条に代わる夫婦間合意が第三者との関係で問題になることは余りないということで割り切ってよいのでしょう。問題になったときは,改めて民法760条の適用があるものとして処理するのでしょう。)。民法760条は応能負担の原則を定めるように解されますが,独立人と独立人との関係においては,同居・協力・扶助(同法752条参照)に係る応益負担方式の採用も可能でしょうか。

なお,「家族法制の見直しに関する要綱案」(その第71において,民法旧754条が削除されるべきものとする。)を2024130日に取りまとめた法制審議会家族法制部会の部会長は,大村敦志学習院大学法務研究科教授でした。

 

7 判例の推移:弁論主義の一般条項(権利濫用)への適用問題を妻たちのために回避

 

(1)昭和19年判決

ところで,民法旧754条(旧々792条)の適用に関する昭和19105日の大審院の上告棄却判決は,「右原審認定ノ事実関係ノ下ニ於テ為サレタル右家屋ノ所有権移転契約ハ夫婦間ノ契約ナルノ故ヲ以テ之ヲ取消シ被上告人〔妻〕ヨリ其ノ生活ノ保障トモ見ルヘキ唯一ノ財産タル右家屋ヲ取戻サントスル如キハ被上告人ニ損害ヲ加フルコトノミヲ目的トスル権利ノ濫用ナリトシテ右取消ハ其ノ効力ヲ発生セサルモノト判定スルモ必スシモ不当ト謂フヲ得サルノミナラス右契約ハ夫婦関係ノ円満ヲ缺キ破綻ニ瀕スル状態ニ在ル際親族ノ協議ヲ経テ為サレタルモノナルヲ以テ之ヲ取消スコトヲ得サルモノト解スルヲ相当トスヘシ」と判示しています。広島地方裁判所尾道支部による原審判決は,「夫婦間ニ於ケル契約ハ婚姻中何時ニテモ取消スコトヲ得ルコト明カナレドモ,該契約ノ取消ハ正当ナル夫婦関係ヲ前提トシテノミ容認サルベキモノニシテ,夫婦関係ノ既ニ破綻ニ瀕セル場合ニ於テ,夫婦ノ一方ガ其ノ相手方ニ損害ヲ加フルコトノミノ目的ヲ以テ,夫婦間ノ契約ヲ取消スガ如キハ,取消権ノ濫用トシテ其取消ノ効果ヲ生ゼザル」ものと判示していたものであって(判民昭和19年度185頁),要は権利濫用法理によって,取消しの効果が排斥されるということになったのでした(繰り返しですが,上告棄却判決です。)。

そうであると大審院判決の「右契約ハ夫婦関係ノ円満ヲ缺キ破綻ニ瀕スル状態ニ在ル際親族ノ協議ヲ経テ為サレタルモノナルヲ以テ之ヲ取消スコトヲ得サルモノト解スルヲ相当トスヘシ」の部分は,蛇足ということになりそうです(大審院民事判例集の編集者は,この部分をこそ判決要旨であるものとしていますが。)。

この「蛇足」はどこから生えたかというに,当該訴訟においては権利濫用の事実の主張が当事者からされていなかったこと(上告理由第4点)が理由として考えられます。弁論主義の適用において,当事者の主張のないまま一般条項に基づいて裁判をしてよいものかどうかは,大きな問題であるからです。大審院は「上告人〔夫〕ノ為シタル右所有権移転契約ノ取消ノ効果ヲ判断スルニ付右取消カ正当ナル権利行使ナリヤ又ハ其ノ濫用ナリヤハ原審ニ於テ当事者ノ主張ヲ俟タスシテ自由ニ判断シ得ルハ当然ナルヲ以テ此ノ点ニ於テ当事者ノ主張セス又ハ申立テサル事項ニ付判断シタルモノト謂フヲ得ス」と判示して原審の判断を一応是認したものの(しかし,併せて間接的に,当事者からの主張はやはり無かったということを認めたことになりましょう。),気が咎めたものか弱気になったものか,そのいずれかのゆえなのでしょうが,「夫婦関係ノ円満ヲ缺キ破綻ニ瀕スル状態」において「親族ノ協議ヲ経テ」結ばれた契約であるという二重の例外状況の存在(愛に溺れた「十分ノ自由」の欠如というような梅的な懸念は不要ということでしょう。)をもって夫婦間契約の取消しに係る民法旧々792=754条の適用を排除するという,同条自体の限定解釈に係る後付け的理由を権利濫用論に付加するということがその結果としてされたものと考えられるところです(我妻榮は「親族ノ協議ヲ経テ」要件の挿入について「よけいなことであらう。関係当事者の協議した合理的(●●●)()もの(●●)いうふつもりであらうが,少くとも,〔昭和22年法律第222号による〕改正法の解釈としては,無視しなければならない。」と述べていますが(判民昭和19年度188頁),夫婦のみの間の閉じた場における契約ではないということを示す趣旨とは読まずに,家制度的なものの影をそこに見たのでしょうか。)。次の権威的論述に示されているように,裁判所御当局としても,「正当ナル権利行使ナリヤ又ハ其ノ濫用ナリヤハ原審ニ於テ当事者ノ主張ヲ俟タスシテ自由ニ判断シ得ルハ当然」と言い切ってしまうことにはうしろめたさがあるようなのです。「権利濫用の判決には,当事者の主張を必要としないといふことは,もとより正当であらう。」(判民昭和19年度189頁)というような我妻榮的な割り切った元気のよさはありません。

 

 〔前略〕一般条項の中でも,信義誠実(民法12項),権利濫用(同条3項),公序良俗違反(民法90条)などのように公益的要素に基づく規制を目的としたいわゆる狭義の一般条項については,その公益的要請を弁論主義の原則に優先させるべきか否かが問題となる。

  狭義の一般条項といえども弁論主義の例外でないと考えるならば,その主要事実についても主張責任が存在することになるが,狭義の一般条項のすべて又はその中でも特に公益的要請が強いとされる一部の条項(例えば民法90条)については公益性を優先させ,弁論主義の例外となると考えるならば,その主要事実については主張責任が存在しないことになる。

  この問題の解決は,公益性の確保という要請と当事者特に相手方にとって不意打ちとなることを防止し,防御の機会を保障している弁論主義の機能とを訴訟上いかに調整すべきかという価値判断に委ねられることになろう。ただし,狭義の一般条項とはいっても,その公益的要請は強弱さまざまであるから,すべて一律に弁論主義の例外となるとは考えられないし,最も公益性が強いとされる公序良俗違反の場合でも,なお公益的要請には事案によって強弱があることが考えられるから,いかなる場合に主張責任が生じ,いかなる場合に生じないか,その基準又は限界が不明確なものとなるおそれがあり,弁論主義の例外を肯定する考え方には難点が残ることになる。

 (司法研修所『増補民事訴訟における要件事実 第1巻』(1986年)15-16頁)

 

 しかし上記の議論は,次の最高裁判所昭和3336日判決の法律構成に影響され過ぎた解釈かもしれません。昭和19年判決の段階では,大審院はなお権利濫用論の枠内にとどまっていたのかもしれないところです。すなわち,「右家屋ヲ取戻サントスル如キハ被上告人〔妻〕ニ損害ヲ加フルコトノミヲ目的トスル」権利の濫用であるという原審の事実認定の部分については,「判旨は極めて正当,名判決といつてよからう」(判民昭和19年度186頁)と本件大審院判決を称えた我妻榮も「事実の認定としてこぢつけの憾がある」(同188頁)と評さざるを得なかったという苦しい事情があるので,「損害ヲ加フルコトノミヲ目的トスル」こととはまた別の権利濫用性の基礎付け事実が必要であるものと感ぜられ,そのために「夫婦関係ノ円満ヲ缺キ破綻ニ瀕スル状態」における当該契約の合理性(「関係当事者の協議した合理的(●●●)()もの(●●)」)が更に援用されたのかもしれないと思われるところなのです。当該夫婦関係が破綻に瀕しているという状況を承けて締結された・関係当時者にとって合理的な契約を,一己の意思をもって破壊(すなわち,取消し)するのであるから権利の濫用である,ということになるのでしょう。

 

(2)昭和33年判決

 ところで,民法旧754条に基づく夫による契約取消しの主張を権利濫用法理によって排斥して妻を守ろうとしても,肝腎の妻の側が権利濫用の主張をしてくれない,という困った状況があるいは普通であったのかもしれません。東京高等裁判所昭和3078日判決は「右取消権の行使が権利の濫用として許すべからざるものであるという如き主張は,控訴人〔妻〕において口頭弁論で明らかにしてはいないけれども,右述べた如く民法の右法条〔民法旧754条〕を本件の場合に適用すべきかどうかの判断に関することであるから,当事者の主張をまたずとも当然考慮に入れねばならぬ」と判示して妻を逆転勝訴させていますが,夫の上告を承けた最高裁判所昭和3336日判決・民集123414頁は,上告は棄却したものの,取消権行使に対する権利濫用法理の適用は放棄してしまっています。やはり弁論主義との関係で,一般条項の特殊性を強調することはどうも落ち着きが悪かったものでしょう。代わって,契約締結時の事情に係る民法旧754条自体の構成要件論が展開されることになりました。

 

   上告人〔夫〕は原審において,本件建物の贈与は〔略〕被上告人〔妻〕との間に離婚問題を生じ,離婚届を被上告人に交付すると同時になされたものであると主張しているのであつて,したがつて,原審が証拠に基き右贈与当時当事者間に不和がこうじ,夫婦関係がすでに破綻に瀕していたと認定してもこれをもつて当事者の申し立てない事実を認定したということはできない。そして右のように夫婦関係が破綻に瀕しているような場合になされた夫婦間の贈与はこれを取り消し得ないと解すべきことは,原判決の判示するとおりであるから(昭和19105日大審院判決,民集23579頁参照),原審が適法に確定した事実につき,当事者の主張を待たずに民法第754条を適用すべからざる旨判示したことも正当というべきである。なお原審は本件贈与の取消は権利の濫用であつて許されない旨判示しているが,右は単に本件につき民法第754条を適用すべからざるゆえんを補足的に説明したものにすぎないから,その判示をもつて原判決の前記判断を違法とする根拠となしえない。

 

 調査官も「私も理論として権利濫用の法理を援用することは,必ずしも妥当ではあるまいと考えている。」と述べています(『最高裁判所判例解説民事篇(昭和33年度)』(法曹会・1959年)42頁(長谷部茂吉))。ここでの「妥当」性の欠如は,理論的にというよりも,救われるべき弱い者の自救能力不足(独自の見解に酔ってしまっているせいなのか,権利濫用の主張立証をきちんとして助け舟に無難に乗り込むということをしてくれない)という現実において生じたものなのでしょうか。

 なお,最高裁判所は,贈与契約締結時に夫婦関係が破綻に瀕していた旨の認定を原審はしたものと認めた上で,原審の当該「認定」を弁論主義との関係で「上告人〔夫〕は原審において,本件建物の贈与は〔略〕被上告人〔妻〕との間に離婚問題を生じ,離婚届を被上告人に交付すると同時になされたものであると主張している」ということをもって正当化していますが,これは調査官によって,「原審を救」い,かつ,「結論の具体的妥当性を企図したがための権道であろう」(『最高裁判所判例解説民事篇(昭和33年度)』42頁(長谷部))と評されている荒業です(「贈与が夫婦関係の破綻に際してなされたものであるからその取消をなしえない旨の主張は被上告人〔妻〕からなされていない」のでしたが(同頁),それでも事実に係る上告人の主張を上記のように捉えて弁論主義の適用があったものとなし得るので,端的に弁論主義不適用を宣言しなければならない権利濫用構成よりはましであると判断されたものでしょう。)。当該「認定」がどのような法律効果のために必要であったかについては,最高裁判所は「夫婦関係が破綻に瀕しているような場合になされた夫婦間の贈与はこれを取り消し得ないと解すべきことは,原判決の判示するとおり」と言い,大審院の昭和19年判決を引用しています。すなわち,権利濫用法理ではない理由付けを採用するための前提としての事実認定です。併せて,昭和19年判決の正統解釈が,この時点において明らかになったということにもなるのでしょう。

上記の最高裁判所の判示に対応する東京高等裁判所昭和3078日判決の部分(贈与契約締結時に夫婦関係が破綻に瀕していた旨の認定がされ,及び夫婦関係が破綻に瀕しているような場合になされた夫婦間の贈与は取り消し得ない旨の言明がされている部分)を求むるに,その部分は,「然し乍ら民法の右法条〔旧754条〕は,本来原則として夫婦関係が通常の状態にある場合に適用せられるべきものと解すべく,前記認定した如く,夫が他の女との関係を絶ち切れずに妻との不和がこうじ,離婚届を妻につきつけて家を出て了つたような,夫婦関係がすでに破綻に瀕している場合には,真に已むを得ざる特別の事由でもあれば格別,然らざる限り適用すべきではなく,」との部分でしょうか。しかし,当該文の続きは「ことに本件の場合には控訴人〔妻〕としては,〔中略〕本件建物の贈与を受けたのを,一方的に取消されることは,回復し難い損害を蒙ることとなるのは,容易に推認し得るところである。」というものであって,更にその直後の文は「然らばかかる取消権の行使は,〔中略〕決して正当なる権利の行使ということはできない。」というものでした。東京高等裁判所は専ら取消権の行使の場面に着目していたのに,最高裁判所は,枉げて夫婦間契約締結時の事情をも含む広い射程を有する言明であるものと解したのでしょうか。「権道」は,単純な一本道ではなかったのでした。

 ということですので,権道をあえて進んで昭和33年判決を下した裁判官たちはどういう人たちだったのかが不図気になり出し確認するに,入江俊郎(裁判長),斎藤悠輔及び下飯坂潤夫の3人の最高裁判所判事でした。入江裁判長は,日本国憲法制定時の法制局長官ですね。また,斎藤及び下飯坂両判事は,最高裁判所裁判官としてそれぞれ極めて個性的な意見を残しています。斎藤判事については,尊属傷害致死罪に係る最判昭和251011日・刑集4102037頁の意見(https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-54413.pdf)が有名であって,GHQにいたオプラー博士から「法律家としては有能であるが,絶望的なほど反改革的である斎藤判事」と評されるに至っています(A.オプラー著,内藤頼博監,納谷廣美=高地茂世訳『日本占領と法制改革』(日本評論社・1990年)103頁)。下飯坂判事については,松川事件に係る最判昭和38912日刑集176661頁におけるその少数意見(有罪論)がPDF版の39頁から370頁まで延々と続く異様な超大作となっています(https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-57787.pdf)。

 

(3)昭和42年判決

最高裁判所昭和4222日判決は,民法旧754条の「婚姻中」との要件について一刀両断的にその終期を明らかにして,期限経過後の取消しであるということで取消しの効力を否定しています。しかし,取消権行使の可否について権利濫用法理でもって考えた場合には,婚姻が実質的には継続していないということは,厳密には,取消権の行使が濫用になるための一要素にすぎないものでしょう。そういう意味では,昭和42年最高裁判所判決は一般化が過ぎたようです(無論,我妻榮のような民法旧754条削除論者からすれば,権利濫用論のような姑息策自体がそもそも不純で排除されるべきことであったのでしょうが。)。

なお,平成期には,「婚姻が円満なうちに夫が甘言によって妻名義の不動産を自分に贈与させ,その後妾をつくって婚姻を破綻させたような場合を考えると,妻から取消ができないのはおかし」く,かつ,「確かにこのような場合には取消権を認めた方が妥当だと思える」ので,「今後は,婚姻が破綻しているか否かという基準を形式的に当てはめるのではなく,問題となっている契約の目的・内容(離婚の際の財産分与かどうか等),婚姻破綻に至るまでの当事者の態度,取消権行使の意図等を考慮して判断すべきだといえよう。」と論者によって説かれていました(内田48頁)。そしてその際「その意味で,〔最判昭和4422日〕の事件の一審判決が,妻側に破綻の責任が多いことを挙げて取消を認めていることが注目される」とされていたところです(内田48頁)。しかして当該「一審判決」たる岡山地方裁判所勝山支部昭和37126日判決は,一般条項違反の有無を問題とする法律構成を依然として採用していたのでした。いわく,「このように破綻した夫婦間においても民法754条により契約の取り消しをなしうるかは問題であるが,この場合においても婚姻中である限り同条の適用があり,ただ取り消し権を行使する夫婦の一方に社会通念および信義則からみて取消権の行使を許すことが不当と認むべき特段の事情がある場合に限りこれを許さないと解すべきである。」と。

とはいえ,令和の御代の今日でも一般には,「婚姻が円満なうちに妻が甘言によって夫名義の不動産を自分に贈与させ(une femme vénale!),その後燕をつくって婚姻を破綻させたような場合を考えると,夫から取消ができないのはおかしい」といった場合の「おかしい」は,「可笑しい」の意味にとられるべきものでしょう。

 

いやはや,いい齢をして,高い授業料だったねぇ。