1 はじめに

 前回の「ぬるやかな契約書実務の一事例及び錯誤論等:東京地方裁判所令和6527日判決にちなんで」記事(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1083317218.html)において筆者は,共通錯誤論に関する余計な脱線をして(4「裁判所の判断」中の(4)「XYとの「共通の錯誤」」の部分),三鷹社長(P₃),四谷さん(P₄),五代事業長(P₅),六本木ジェネラルマネジャー(P₆),七尾弁護士(P₇),八神部長(P₈)らの織りなした折角の人間ドラマを間延びしたものにしてしまいました。

 そこで罪滅ぼしというべきか,業の深い病膏肓というべきか,今回は脱線した列車たる共通錯誤号を性懲りもなく更に前進せしめてみることにしたものです。筆者にとっては,鉄路無き荒野であります。逸走はそう長くは続かないことを祈ります。

 

2 東京地方裁判所土谷判決及び内田『民法

 

(1)ベストセラー・マニュアルからの出発

 さて,暴走列車の出発点は,当法律業界の若手陣にとっての必携的ベストセラーからの引用です。「錯誤の抗弁」(民法(明治29年法律第89号)951項参照)に関しての,重過失の再抗弁(同条3項柱書き参照)に対する再々抗弁(同項2号参照)に係る次の一節です。

 

  (2)再々抗弁

   共通錯誤であること

   共通錯誤(当事者双方が錯誤に陥っていること)の場合,契約を有効にして保護すべき利益が〔錯誤ある意思表示がされた相手方である〕原告にあるとはいえないから,民法95条ただし書は適用されない(東京地判平成1438日判時180064頁,内田・民法76頁)。

  (岡口基一『要件事実マニュアル 第2版 上』(ぎょうせい・2007年)116頁)

 

なお,平成29年法律第44号によって202041日から改正(同法附則1条柱書き及び平成29年政令第309号)される前の民法95条は次のとおりでした。

 

  (錯誤)

 第95条 意思表示は,法律行為の要素に錯誤があったときは,無効とする。ただし,表意者に重大な過失があったときは,表意者は,自らその無効を主張することができない。

 

 六法が手元に無いという読者のために,念のため現在の民法95条を書き写しておくと,次のとおりです。

 

   (錯誤)

  第95条 意思表示は,次に掲げる錯誤に基づくものであって,その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは,取り消すことができる。

   一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤

   二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤

  2  前項第2号の規定による意思表示の取消しは,その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り,することができる。

  3  錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には,次に掲げる場合を除き,第1項の規定による意思表示の取消しをすることができない。

   一 相手方が表意者に錯誤があることを知り,又は重大な過失によって知らなかったとき。

   二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。

4  第1項の規定による意思表示の取消しは,善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

 

 「共通錯誤の再々抗弁」を根拠付ける権威的法律文書として,裁判例たる東京地方裁判所の平成1438日判決と学説たる「内田・民法 76頁」とが挙げられています。

上記「内田・民法」は,平成29年法律第44号による民法(債権関係)改正の主要推進者たりし内田貴元法務省参与の『民法(総則・物権総(ママ)3』(東京大学出版会・2005年)です(岡口・凡例)。筆者は,同書の初版(1994年)から共通錯誤に関する説明の部分(68頁)を前回の記事に抜き書きしていたところです(44)イ(ウ))。

 

(2)土谷判決

 ギュスターヴ・モローの「ガニメデスの略奪」の贋作を真作と信じて買った買主が錯誤による売買契約の無効を主張して代金の返還等を求めた事案に係る東京地方裁判所平成1438日判決(土谷裕子裁判官)における共通錯誤に関する判示は「本件においては,被告自身が本件絵画が贋作であるとは疑っていなかった供述していることからも明らかなように,買主である原告と売主である被告の双方が錯誤に陥って本件売買契約の締結をしたものであるが,このような場合には,契約を有効にして保護すべき利益が被告にあるとはいえないから民法95条但書は適用されないと解するのが相当である。」というものでした(判決書の第33)。ただし,真作であるとの錯誤に陥っていた原告に重大な過失があったものとは認められない,との認定もされていましたから(これだけで,民法旧95条ただし書の適用は排斥されます。),蛇足的判示です。更にいえば,この共通錯誤の主張を原告がしていたわけでもないようですので(原告に重過失があるとの被告の主張に対して,原告は「否認ないし争う。」との主張のみをしていたとされています(判決書の第232))。),当該共通錯誤論は,学説に学ばれた土谷裁判官による法創造の試みでもあったものなのでしょうか(なお,同裁判官は,判事在任中の2010114日に亡くなっています。)。

 今回の記事たる脱線逸走においては,学説の線に沿い,内田元法務省参与の著書から共通錯誤論の源への溯上を試みてみましょう。

 

(3)内田『民法Ⅰ』

 さて,現在の民法95条においては共通錯誤が同条32号に規定されており,共通錯誤論は錯誤論中の一部分という位置付けになっているようです。しかして同号については,「相手方も表意者と同一の錯誤に陥っていたときには,法律行為の当事者が互いに誤解をしていた以上,その効力を維持して相手方を保護すべき要請は低い。」と(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)20頁),簡単に整理されています。

夫子も最近の基本書において,民法9532号の共通錯誤の場合について「このような場合,たとえ表意者が錯誤に陥ったことに重大な過失があったとしても,あえて契約の効力を維持して表意者の損失において相手方〔略〕を保護しなければならない事情がない。/以上の〔略〕場合には,表意者に重過失があっても錯誤による取消しができる,〔略〕改正前から存在した解釈論の明文化である。」とのみ述べています(内田貴『民法Ⅰ-1 第5版 総則』(東京大学出版会・2025年)84頁)。

 しかし,平成29年法律第44号による民法改正前における共通錯誤に係る解釈論は,単純に錯誤論の枠内のみで論じられていたものかどうか。実は夫子御自身が,共通錯誤論は錯誤論の枠内にとどまりきらないものである旨自認していました。

 

  〔略〕特色を考慮し,一方的錯誤との性質の違いを考えると,共通錯誤は別の類型の錯誤として説明した方が適当であろう(最近の下級審裁判例にはこのような傾向が見られる)。

  (内田・民法初版68頁)

 

「別の類型」というわけですから従来の(一方的)錯誤論の枠組みからは外れるのでしょう。しかし,それでは具体的にはどのような類型であるのか,という肝腎な点については述べられていなかったので,読者に不全感を起さしめる記述でした。

 

3 四宮説:行為基礎論からの出発

 

(1)四宮『民法総則』

しかして最近筆者は知ったのですが,内田元法務省参与がかつて言及された前記「別の類型」は,行為基礎論なるものに係るものであったようです。

 

  当事者双方が同一の錯誤(共通錯誤)に陥っていることを表意者の重過失不顧慮と初めて結びつけたのは,四宮和夫『法律学講座双書 民法総則(新版)』であると思われる。同書の初版では,共通錯誤は主観的行為基礎の脱落の問題として処理する方が妥当であるという説明がなされていたが(四宮和夫『民法総則』(弘文堂,1972191頁。),新版では,契約の当事者双方が契約の基礎について誤った表象を有し,それを前提として契約している場合には,当事者双方に動機の錯誤が見られ,この場合には,「表意者の重過失の存しないことも問うべきではないであろう。両当事者がともに同じ錯誤に陥っているのであり,相手方との関係を考慮して表意者の保護を奪うというようなことは,問題になりえないからである」(四宮和夫『民法総則(新版)』(弘文堂,1976187頁。この新版では,「要するに,この場合は,主観的行為基礎の脱落の理論的発想によって捉えるに適した場面なのである」との記述が続いていたが,第3版(弘文堂,1982)以降は主観的行為基礎論への言及はなくなり,共通錯誤も純粋に錯誤法の問題として扱われている。)と改められた。

  その後,内田貴『民法 総則・物権総論』も同様の見解をとり〔・・・以下略。筆者の前回記事における引用を御覧ください。〕(内田貴『民法 総則・物権総論』(東京大学出版会,199468頁。)

  これらの強い影響力もあって,共通錯誤における表意者の重過失不顧慮説は広く支持されるようになった(たとえば,近江幸治『民法講義 民法総則』(弘文堂,第3版,2001176頁,潮見佳男『民法総則講義』(有斐閣,2005171頁。)。今次改正の部会資料でも,共通錯誤の場合に表意者の重過失を不顧慮とするのは,この場合には法律行為の効力を維持して保護すべき信頼ないし正当な利益を相手方は有していないという有力な見解に従うものであると説明されている〔略〕。

  (川元主税「錯誤者の重過失不顧慮規定(民法9531号・2号)に関する一考察」名城法学7212号(2022年)17-18頁)

 

1976年の前半,錯誤による意思表示の無効の成否を左右すべき相手方の事情に係る四宮説については,「日本では四宮教授が共通の錯誤を区別して取り扱うべきであるとされて」おり,かつ,「共通の動機の錯誤の場合には,行為基礎論(行為基礎というのは,「契約の基礎にある一定の事態であり,その不存在または消失が契約の効力に影響を与えるもの」を意味する)によって錯誤者を救済すべきであるとされている」ものと観察されていたところです(野村豊弘「意思表示の錯誤(7・完)――フランス法を参考にした要件論――」法協936号(19766月)904頁)。

行為基礎論ないしは主観的行為基礎論とは何かといえば,かの事情変更の原則に関するドイツ法学上の理論であるそうです。

 

(2)事情変更の原則

まず,事情変更の原則について。

 

  (ア)契約締結後その基礎となった事情が,当事者の予見しえなかった事実の発生によって変更し,このため当初の契約内容に当事者を拘束することがきわめて苛酷になった場合に,契約の解除または改訂が認められるか,という問題はわが国では「事情変更の原則」という名称で論ぜられている。この法理の起源はローマ法源に見られないことはないが,それよりも,中世カノン法に端を発し,注解学派によって発展させられたclausula rebus sic stantibus理論に,その起源を求めることができるといわれる。それによれば,すべての契約には,その基礎となる事情が変わらないかぎり〔rebus sic stantibus(これは条件を表す独立奪格構文であって,rebusは名詞res(事情)の複数奪格形,sicは「そのように」という意味の副詞,stantibusは動詞stare(英語のstand)の現在分詞複数奪格形です。)〕効力を存続する,という条項〔clausula〕が含まれており,したがって,事情が変更すれば契約に対する拘束力は失われる,と解された。このclausula理論は,近世に入ると,多くの学者の支持を得,18世紀中葉より19世紀の初頭にかけて制定された近世私法典の多く(バイエルン民法典,プロイセン一般ラント法典,オーストリア一般民法典)に採用されたが,なお明確な法制度にまで高められなかった。〔後略〕

  第一次世界大戦中および戦後の社会的経済的動乱は,この忘れられた法理の復活をもたらした。動乱の影響を受けたヨーロッパ各国は,判例の活躍や特別法の制定により,この法理をそれぞれの形で採用した。とくに,最も大きな変動にみまわれたドイツの学説・判例の発展は,めざましいものがあった。〔後略〕

(イ)今日の比較法における事情変更の原則の基礎理論は,英米法の「契約のフラストレーション法理(the doctrine on frustration of contract)」,フランス法の「不可予見理論(la théorie de l’imprévision)」およびドイツ法の「行為基礎論(die Lehre von der Geschäftsgrundlage)」に3分される。

  (谷口知平=五十嵐清編『新版注釈民法(13) 債権(4)(補訂版)』(有斐閣・2006年)66-67頁(五十嵐清))

 

 ここで行為基礎論が出て来ました。

 

(3)ドイツの行為基礎論

 

ア 概要

 行為基礎論については次のように説明されています。

 

   (c)行為基礎論 今日のドイツ私法学では,事情変更の原則は,行為基礎の喪失の問題として論ぜられている。この理論は,第一次大戦後のインフレーション期にエルトマン(Oertmann)によって創始され,判例により採用されたものであるが,第二次大戦後,ラーレンツ(Larenz)の新研究が出るにおよんで,学界の共通財産となった。行為基礎とは,一言でいえば,契約の基礎にある一定の事態であり,その不存在または消失が契約の効力に影響を与えるものをいう。ラーレンツはこの行為基礎を主観的なものと客観的なものに分けている。前者〔主観的行為基礎〕は両契約当事者に共通の一定の表象または期待であり,その不存在または消失は共通錯誤の問題となる。後者は契約の客観的基礎,すなわち,契約当事者が知ると否とに関せず,その存在または継続が契約に当然に前提されている事態の全体であり,それなしでは契約目的が実現しえないものをいう。このような客観的行為基礎の喪失は,さらに等価関係の破壊と契約目的の到達不能の2場合に分けられる。行為基礎の不存在または消失の法律効果としては,誠実な当事者が,事態の発生を知ったならば当然に合意したであろうような効果が生じ,裁判官は訂正的契約解釈により,それを発見しなければならない,とされる。以上のようなラーレンツの見解に対しては,ドイツにおいても異論が多く,わが国でどの程度採用されうるかは疑問であるが,事情変更の原則に関する基礎理論として注目を集めている〔略〕。1992年に公表された「債務法改訂委員会の最終報告」においても,新たに民法306条に「行為基礎の障害」と題して,契約の基礎が著しく変更された場合には,契約の適応または解除を求めることができる,という趣旨の規定を設けるべきことが提案され〔略〕,この規定はほぼそのままの形で,2002年より施行された債務法現代化法により,民法313条として実を結んだ〔略〕。

  (谷口=五十嵐編68-69頁(五十嵐)。下線は筆者によるもの)

 

イ エルトマン

エルトマンの定式化に係る行為基礎とは「取引締結にあたり顕在化しているところの,相手方当事者がその重要性を認識し且つ異議を唱えていない一方当事者の観念ないし複数の当事者に共通する観念(Vorstellung)が,一定の事情の存在ないし発生に関係しており,且つ当事者の効果意思(Geschäftswille)がその事情の基礎に基づいているとき,「行為基礎」である。」というものだったそうです(中谷崇「双方錯誤の歴史的考察(4・完)――ドイツ法の分析――」横浜国際経済法学181号(20099月)99頁・166頁註109)。あるいは,「当事者の行為意思がこれらの観念に基づく限り,総ての契約締結時に現れ,相手方に認識可能であり,かつ彼によって異議が述べられなかった,一当事者の観念または特定の事情の存在または)将来の発生についての両当事者の共通の観念が行為基礎に属する」(半田吉信『ドイツ債務法現代化法概説』(信山社出版・2003年)213-214頁)ともいい得るものでしょう。


ウ ラーレンツ

ラーレンツのいう主観的行為基礎は,「当事者の一方ないし双方の意思決定の「主観的」基礎として,つまり取引締結の際に顕在化しており,且つ動機付けの過程において特定の役割を演じた観念として理解され」るものであって,「契約両当事者が契約締結に際して,そのことを基礎にし且つ両当事者の意思決定にとって重要な意義をもった両当事者に共通する観念」と定義され,かつ,当該「観念ないし期待」は「両当事者が――誠実な考え方(redliche Denkweise)をしたならば――その観念が不正確であることを知っていたら,両者ともその契約を締結しなかったであろう,または現実に締結されたようには締結しなかったであろうという意味」において両当事者にとって「決定的なもの」であったものだそうです(中谷120頁)。すなわち,「主観的行為基礎とは,両契約当事者に共通の一定の表象または期待であって,それによってその当事者が契約の締結に導かれたものである。各当事者がこの表象または期待を考量に入れたこと,および,当事者がこの正しくないことを知っていたならば,契約を締結しなかったか,もしくはそのような内容では締結しなかったか,あるいは,契約を相手方に求めることが誠実に反したであろうこと,が必要である。将来の関係の変更を単に期待しなかったことだけでは不十分であり,相手方がその動機を知り,かつ『異議を述べなかった』としても,一方当事者だけの動機では不十分である。」ということでしょう(野村904-905頁)。

しかしてラーレンツによると,「行為基礎の脱落ないし欠缺の場合には,裁判官が「修正的契約解釈〔korrigierende Vertragsauslesung〕」という方法で,具体的な契約の意味および契約に内在する正義という原則が要求するような法律効果を見つけなければならない」そうで(ちなみに,修正的契約解釈は,「契約の解釈に類似するが,文言を単に補充するのではなく,修正するのだから,解釈以上のものである」そうです。),契約の改訂(Anpassung(「適合」とも訳されます。))ないしは解除権の発生という効果が生ずるものとされます(中谷121-122頁)。(ただし,主観的行為基礎喪失の効果の発動が不要である場面として,「ラーレンツは,売買の目的物の性質に関する共通の錯誤については,瑕疵担保の規定が優先的に適用される」ものとしていたそうです(野村905頁)。)

ラーレンツは,その説の実定法上の根拠をドイツ民法157条(Verträge sind so auszulegen, wie Treu und Glauben mit Rücksicht auf die Verkehrssitte es erfordern.(契約は,取引上の社会通念に鑑みて信義誠実の要求するところにより解釈されるものとする。))及び同法242条(Der Schuldner ist verpflichtet, die Leistung so zu bewirken, wie Treu und Glauben mit Rücksicht auf die Verkehrssitte es erfordern.(債務者は,取引上の社会通念に鑑みて信義誠実の要求するところにより給付を行うよう義務付けられる。))に求めていたそうです(中谷122頁)。

 

4 ドイツ民法3132

 

(1)法文

ところで,五十嵐清教授はドイツ民法313条の条文を示すところまではしておられませんでしたので,次に拙訳を掲げます。

 

 § 313 Störung der Geschäftsgrundlage

(1) Haben sich Umstände, die zur Grundlage des Vertrags geworden sind, nach Vertragsschluss schwerwiegend verändert und hätten die Parteien den Vertrag nicht oder mit anderem Inhalt geschlossen, wenn sie diese Veränderung vorausgesehen hätten, so kann Anpassung des Vertrags verlangt werden, soweit einem Teil unter Berücksichtigung aller Umstände des Einzelfalls, insbesondere der vertraglichen oder gesetzlichen Risikoverteilung, das Festhalten am unveränderten Vertrag nicht zugemutet werden kann.

(2) Einer Veränderung der Umstände steht es gleich, wenn wesentliche Vorstellungen, die zur Grundlage des Vertrags geworden sind, sich als falsch herausstellen.

(3) Ist eine Anpassung des Vertrags nicht möglich oder einem Teil nicht zumutbar, so kann der benachteiligte Teil vom Vertrag zurücktreten. An die Stelle des Rücktrittsrechts tritt für Dauerschuldverhältnisse das Recht zur Kündigung.

 

  第313条(行為基礎の障碍) 契約の基礎となった事情に契約締結後重大な変更が生じ,かつ,両当事者が当該変更を予見していたならば当該契約を締結せず,又は別の内容で締結していたであろう場合にあっては,当該事案の全ての事情,なかんずく契約上又は法律上の危険分配を顧慮した上で,変更されない契約の固守を一方当事者に対して求めることができなくなり得る限りにおいて,契約の改訂(Anpassung)を請求することができる。

  2  契約の基礎となった本質的表象が誤りであることが明らかになることは,事情の変更と同様である。

  3  契約の改訂が不可能であり,又は一方当事者に要求し得ないときには,不利益を被る当事者は契約を解除することができる。継続的債務関係については,解除権に代わって,告知権が生ずる。

 

(2)日本民法95条との比較

ドイツ民法3132項に基づく規整が我が日本民法においては同法9532号をめぐるそれに対応するということになるでしょうか。要件・効果等にわたって両民法間の比較をしてみましょう。

 

ア 主観的行為基礎の脱落に関して

要件としては,日本民法9512号の「表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する場合」は,契約に係るドイツ民法3132(同項は,「主観的行為基礎が当初から欠けている場合に関係」し,「共通の動機錯誤の諸事例」等を重要な対象とするものです(中谷135頁の紹介するドイツ連立与党議員団から同国連邦議会に提出された資料における説明)。)に対応するものでしょう(契約は,法律行為の一種です。)。そもそも日本民法9512号の文言は「立法化に向けて準備が進んでいた事情変更の原則の原則で使われていた表現だった(事情変更の原則の規定は経済界の反対で条文化は最終的に断念された)」のでした(内田・民法Ⅰ-179頁)。ただし,ドイツ民法3132項では「本質的な(wesentlich)」という絞りがかけられています(ただし,この「wesentlich」の語は,初めて2000年の討議草案(Diskussionsentwurf)から付加されていますが,その理由は明示されていないそうです(中谷172頁註158)。)。

 

イ 錯誤の「重要性」に関して

 

(ア)重要性

日本民法951項柱書きの「その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであること」については,「「法律行為の目的」では,当事者がその取引で企図した目的が重要性の判断で考慮され,「取引上の社会通念に照らして」においては,当該当事者だけでなく同じ立場に立った通常人も,そのような錯誤がなければ契約を締結しない(あるいは同じ条件では契約を締結しない)であろう程に重要な錯誤であることを要求している」ものであるとされています(内田・民法Ⅰ-181頁)。これは,ドイツ民法3131項の「重大な変更」及び「当該契約を締結せず,又は別の内容で締結していたであろう場合」要件に対応するものでしょう。

 

(イ)危険(リスク)分配

更に,「〔日本民法951項柱書きにおいて〕「取引上の社会通念に照らして」と明記された点は重要である。なぜなら,当事者の合意を超える事情を考慮すべきことを意味するからである。」とされ,「取引上の社会通念に照らして判断し,そもそも自分が引き受けるべきリスクについての錯誤であれば,主観的にいかに重要であっても,契約の拘束力を考えるうえでは重要な錯誤と評価されない。他方で,通常は自分が引き受けるべきリスクについての錯誤であっても,相手方がその錯誤に付け込むことが信義に反するといえるような状況がある場合は,重要な錯誤となることもある。」と敷衍されている点(内田・民法Ⅰ-182頁)は,確かに重要です。当該敷衍部分は,ドイツ民法3131項の「なかんずく契約上又は法律上の危険分配(Risikoverteilung)を顧慮」要件を彷彿とさせるところです。

しかして,地下鉄駅の新規開設の噂を事実と誤信する錯誤に基づいて締結された高値の土地売買契約(民法9512号参照)に関する,錯誤について買主に重大な過失があっても契約両当事者の共通錯誤を理由に(同条32号)当該買主による契約の取消しがなおも認められ得るかどうかの例の問題(内田・民法初版68頁。内田説は,認める。)については,我が「取引上の社会通念に照らし」た危険分配上新駅開設の有無に係るリスクを負うべき者は買主であるから,したがって当該買主にとって当該錯誤はそもそも「重要なもの」ではないことになり(同条1項柱書き),認められない,という結論になるというのが落ち着きのよいところでしょう。すなわち,「こうした投機的な取引では,見込みが外れた場合のリスク分配の合意を契約解釈によって導くことができる場合が多いであろうし,そうした合意を認定できない場合には,不確実な価格高騰に賭けて契約した投機売買の買主は目論見どおりにいかないリスクがあることも認識していたのであるから,認識と事実の相違としての錯誤は存在しないというべきである。したがって,共通錯誤における重過失不顧慮の例として相応しいものとは思われない。」との評価がつとにされていたところ(川元24-25頁),夫子は2025年出版の基本書において民法9532号の共通錯誤の例示として最早地下鉄駅開設の噂事例を採用しておらず(ただし,夫子が当該地下鉄電車から降りることにした理由は,「錯誤は存在しない」からではなく,錯誤は存在するが重大ではないから,ということになるのでしょう。),最高裁判所平成元年914日判決・判時133693頁の事案に差し替えを行っています(内田・民法Ⅰ-184頁)。

夫子は民法951項柱書きの「「重要性」要件の重要性」を強調しています(内田・民法Ⅰ-181-83頁)。しかし,同条31号及び2号の新設が同項の重過失要件が担うべき錯誤取消しの可否調整の「最終的チェック機能」の不全をもたらすことを懸念し,「〔その結果〕錯誤の重要性〔同条1項柱書き〕や基礎事情としての表示〔同条2項〕などの要件」の「負担を過重にするとともに,実質的理由が覆い隠されて判断構造の不透明化をもたらす恐れがあ」り「これは,分かりやすい民法という今次改正のコンセプトにも逆行するものである。」との憂慮を表明している論者もあるところです(川元28-29頁)。

なお,ドイツ民法3132項に係る事案におけるリスク分配に関しては,同国連邦(最高)裁判所(Bundesgerichtshof2005425日判決の例があり,当該判決は,当該入院患者に健康保険の適用がないのに適用があるものと共に誤信して(共通錯誤)入院契約を締結した病院(原告)と当該患者の母である契約相手方(被告)との間の診療報酬請求事件において,当該入院契約は保険の適用があることを専ら前提とし,かつ,保険の適用がない場合における被告の報酬支払義務に係る定めの無いものであったものの,保険適用の有無に係るリスクは患者側に分配されるとして(同条1項参照),原告病院の求める契約の改訂(被告に法定額による診療報酬支払義務を課するもの)を認めています(中谷139-142頁)。

 

ウ 効果に関して

効果については,日本民法951項は取消しであるのに対し,ドイツ民法313条は契約の改訂を原則としつつ(同条1項),契約改訂が不適当である場合には解除又は告知ということになっています(同条3項)。ドイツ民法3132項の場合に解除又は告知であって取消しにならないのは,原則たる事情変更の原則に係る規定(同条1項・3項)に引きずられたからでしょうか。なお,日本民法についても,錯誤による取消しの要件のほか担保責任追及の要件をも満たす場合においては「いずれを主張することもできると解すべきであろう」とされていますところ(内田・民法Ⅰ-190頁),そのような場合であれば,代金減額請求も可能ということになるのでしょう(民法583条・559条)。

 

エ 行為基礎論か錯誤論か

2017年改正で採用された新95条の文言は,ドイツ法の影響下にあった学説をもとに展開されてきた判例理論そのものの明文化ではなく,またそれ以外の国の錯誤理論を採用したものでもな」かったそうですが(内田・民法Ⅰ-181頁),結論的にはどこの国でも同じような解決策にたどり着くようではあります。

ところで,「わが国では行為基礎論の導入について学説は消極的である。」とされていました(中谷149頁)。確かに,前記のとおり四宮教授はその『民法総則』において共通の錯誤を論ずる際の主観的行為基礎の脱落に係る言及を後に廃し,内田元法務省参与も『民法-1 第5版 総則』においては最早「一方的錯誤との性質の違いを考えると,共通錯誤は別の類型の錯誤として説明した方が適当であろう」(内田・民法初版68)と述べることなく共通錯誤を錯誤論の中で論じ了えています。平成29年法律第44号による改正後は,錯誤に係る民法95条中に「相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。」(同条32号)として共通錯誤が実定法上位置付けられてしまったことによるものともいえるのでしょうが,従来の状況については次のように説かれています。いわく,「行為基礎論の導入に消極的な学説の主張を要約すれば,次のようなものになるだろう。即ち,ドイツにおける行為基礎論は,原則として法的に顧慮されない動機錯誤を錯誤とは別の構成で法的に顧慮するために発展してきたものであり,意思欠缺錯誤と動機錯誤を区別しない一元的・表示主義的錯誤論に立つならば,動機の錯誤も95条で処理できるため,わが国ではこの理論は不要である。」と(中谷150頁)。

 

5 四宮説再見

 

(1)共通錯誤に陥った相手方のみなし悪意ないしは過失

ところで,筆者の手元にある四宮和夫『民法総則(第四版)』(弘文堂・1986年)をここで改めて検するに,四宮教授は表意者の錯誤無効(当時)の主張が認められるための要件として相手方の悪意ないしは過失が必要であるとする当時の学説(なお,ここでの悪意ないしは過失ある善意の対象は,「表意者の錯誤」(川島武宜説)又は「錯誤に陥っている事項(例,にせものの美術品の売買で,本物であるということ)が錯誤者(例,買主)にとって重要であること」(野村豊弘説(野村915-916頁・921頁・922頁))のいずれでもよいものとされています(180頁註2)。)を説明するに当たって「共通の錯誤に関しては,この要件はつねに充たされる,といえよう。」としています(178頁)。それは,「契約の当事者双方が契約の共通の基礎について誤った表象を有し,それを前提として契約している場合〔略〕には,当事者双方に動機の錯誤が見られる」ところ,「かような共通の錯誤」の特色として「表意者の錯誤に陥った事項が表意者にとって重要であること〔筆者註:これは,悪意ないしは過失ある善意の対象について,野村説によったものでしょう。〕をたがいに知りまたは知りうべき場合といえるから」であるとされています(四宮・民法総則4181頁註3)。表意者の表象と同じ表象が主観的行為基礎として共通に相手方の脳中にあったのならば,それが表意者にとって重要であるか重要でないか,(あるいは更に,事実において正しいか正しくないか,)相手方としては当然自分で認識できたよね,ということでしょう。当該「誤った表象」は当該相手方にとっても契約締結の前提(動機)であったので,表意者においても同様に「重要」な事項であったことが当然理解されるはずだ,となるわけです。なお,ここでは行為基礎論(当該行為基礎が脱落していた云々)には触れられていません。錯誤論(ただし,相手方の悪意ないしは過失を錯誤無効の要件とするもの)内において共通錯誤の位置付けをしたということになるのでしょう。

ちなみに,民法の現行95条については,同条12号に係る同条2項の「その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り」要件が,錯誤取消しのためには錯誤についての相手方の認識可能性が必要であるということをその趣旨としているものと解されています(内田・民法Ⅰ-177頁・80頁)。(おって,民法9511号の錯誤の場合については,「とくに,1号の錯誤には2項の表示要件がかからないことからも,相手方の認識可能性を問うことなく,契約の拘束力を生じさせることが正義に反すると感じられるような場面に適用を限定するのが望ましい。そこで,従来の類型における表示上の錯誤(言い間違い・書き間違い・ボタンの押し間違い等)を意味すると解するのが適切である。」と説かれています(内田・民法Ⅰ-180頁)。「もっとも,言い間違いのような錯誤が訴訟になることはあまりな」いそうです(同73頁)。ただし,意思表示に対応する意思を契約の各当事者がいずれも欠く錯誤の場合であって(民法9511号参照),しかし両当事者の意思が一致しているときについては,そもそも当該一致した意思の内容による契約が成立するのであって問題にならない,ということでよいのでしょう(星野英一『民法概論(序論・総則)』(良書普及会・1993年)175-176頁参照)。)

 ところで,大阪地方裁判所昭和62227日判決・判時1238143頁は「契約の当事者双方が,その締結に際して契約の前提ないし基礎として予定した事項について,共通して錯誤に陥っていた場合は,当事者双方に共通の動機の錯誤が認められるところ,このような場合には,その錯誤が法律行為の要素即ち意思表示の内容の重要な部分についてのものであると認められるときに限り,通常の一方の動機の錯誤の場合とは異なり,共通の錯誤として,動機の表示を要することなく意思表示の無効を認めるのが相当である。けだし,この場合には契約当事者双方が共通してその錯誤がなかったならばその意思表示をしなかったであろうと考えられるのであるから,通常の場合と異なって相手方の保護を図る必要はなく,また,動機の表示を要件とするときは,錯誤が契約の前提ないし基礎として予定した事項についてのものであるから,動機の表示がされる場合を殆ど想定できず,実際上無効を認める事案が考えられないからである。」と判示しています(下線は筆者によるもの)。当該事案は,保険金受取人が,それまでに行われていた保険金目当て殺人事件の関係者であったこと(当該殺人事件の主犯は当該保険金受取人の兄)をいずれも知らない保険契約者兼被保険者と保険会社との間で締結された生命保険契約に係るもので,当該保険金受取人からの生命保険金請求(保険契約者兼被保険者は失火で焼死したのですが,当該保険事故の発生についても保険金受取人の関与が疑われていたところです。)に対して保険会社が共通錯誤による保険契約無効の抗弁を主張していたものです。ただし,そこでの「共通錯誤」は,主観的行為基礎に係るものではなく,むしろ,「契約当事者が知ると否とに関せず,その存在または継続が契約に当然に前提されている事態の全体であり,それなしでは契約目的が実現しえないもの」である客観的行為基礎に係るものだったのではないでしょうか。過去において故意に保険事故の招致又はその未遂行為をしたり,仮想事故等による不正な保険金請求をしたような者には,将来にわたって再度同様の行為をする道徳的な危険性がありますところ,そのような者らは保険契約関係から当然排除されてあるべきものでありましょう(保険法(平成20年法律第56号)57条・5923号等参照)。

 

(2)民法9532号の意義論

共通錯誤の場合に民法旧95条ただし書の適用を排除し(四宮・民法総則4179頁),その理由付けとして「さらに,表意者の重過失の存しないことも問うべきではないであろう,両当事者がともに同じ錯誤に陥っているのであり,相手方との関係を考慮して表意者の保護を奪うというようなことは,問題になりえないからである。」と述べるところの四宮教授の言明(同書181頁註3)に係る解釈は,民法9532号との関係でなお問題です。行為基礎論をもって端的に説明されていれば分かりやすかったようなものの,行為基礎の脱落は理由として明示されていません。

民法の立法当初から,表意者が錯誤に陥っていることを相手方が知っているときは同法旧95条ただし書の適用はないものとされていました(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1911年)227頁及び富井政章『民法原論 第一巻 総論』(有斐閣・1922年合冊版)448頁)。理由としては「蓋シ本条但書ノ規定ハ過失者ニ対シ善意ノ相手方ヲ保護セント欲シタルニ過キサレハナリ」との説明がされています(梅227頁)。ところが,共通錯誤の場合には,相手方は,表意者が錯誤に陥っていることについて常に善意であることになります。表意者に錯誤があることを知るとは,「錯誤者がある事実を存在する(あるいは存在しない)と思っているために意思表示をしたこと,②およびその事実が存在しない(あるいは存在する)ことの二つ」を知ることであるところ(野村909頁),共通錯誤者の場合とは「相手方もまた錯誤者と同じようにある事実が存在する(あるいは存在しない)と思っていたが,その事実が存在しない(あるいは存在する)場合」ですので(野村913頁),常に②が欠けるからです。

 共通錯誤の場合は「表意者の錯誤に陥った事項が表意者にとって重要であることをたがいに知りまたは知りうべき場合といえるから」(四宮・民法総則4181頁註3),これだけの主観要件が意思表示の相手方にあれば民法旧95条ただし書の適用はないのだ,といい得るでしょうか。しかし,四宮説においても,「相手方が悪意である場合には,95条但書は適用すべきではない(学説判例)。」とのみあって(四宮・民法総則4178頁),民法旧95条ただし書の適用を排除するための相手方の主観要件は飽くまでも悪意に限定されています。また,「表意者の錯誤に陥った事項が表意者にとって重要であることをたがいに知りまたは知りうべき場合」要件は,当時の学説においては民法旧95条本文適用のための要件でしたので,それが同条ただし書の適用までをも排除するとなると,結局同条からただし書を全く削り去ってしまう結果になってしまいます。

 あるいは,当時の学説とは異なり,「相手方の事情(善意無過失)を顧慮」することを「95条の規定そのままにこれを要求しない」ところの「かつての支配的学説」(四宮・民法総則4178頁)の下では無過失の善意者である相手方に対する錯誤無効も成立可能であったわけですが,当該「かっての支配的学説」の有効性を前提に,民法旧95条ただし書は無過失の善意者たる相手方についてのみ適用されるべきもの,とされていたのでしょうか。しかし,現在の民法9531号の文言では,善意・無過失のみならず善意・軽過失の相手方も,錯誤について重過失ある表意者からの取消し請求を阻止できることになっています。軽過失分のギャップの説明が難しい。

 やはり,悪意か善意か並びに善意の場合は過失の有無及び過失があるときはその軽重いかんを問題とする平面を離れて,「両当事者がともに同じ錯誤に陥っている」ということこそに特別の意味があるものと考えるべきなのでしょう。

要は,「両当事者がともに同じ錯誤に陥っている」ということをもって――錯誤について重大な過失があるにもかかわらず――錯誤ある当該表意者が相手方に対して,やはり意思表示の取消しだと開き直るわけです。当該開き直りの具体的論理(屁理屈)を筆者なりに考えるに,あるいは,自分も一緒に同じ錯誤に陥っていたくせに当該錯誤に係る表意者の重過失を今更云々するということは目糞鼻糞論(汚い比喩ですね。)ないしは五十歩百歩論というものであって信義則上取り上げられるべきものではないのだ,ということになるのでしょうか。

 

 孟子対曰,王好戦,請以戦喩,塡然鼓之,兵刃既接,棄甲曳兵而走,或百歩而後止,或五十歩而後止,以五十歩笑百歩,則何如。曰,不可,直不百歩耳,是亦走也。

 (『孟子』梁恵王章句上の三)

 

 古代漢土の梁の恵王も,戦場から五十歩逃げた者が百歩逃げた者を笑うということは不可である,と(のたも)うていたところです。

具体的な物言いとしては,その重大な過失によって錯誤に陥った表意者の錯誤取消しの主張に対して,同じ錯誤に陥っていた相手方が民法953項柱書きに基づき当該主張を阻止しようとした場合において,当該相手方が過失なく又は軽過失により同じ錯誤に陥っていたときには表意者は,「私より注意義務をよりよく働かしていた立派なあなたですら錯誤に陥っていたんですよ,うっかり者の不肖私が錯誤に陥ってしまったことは仕方がないじゃないですか。」と言い訳ができ,相手方が重過失によって錯誤に陥っていたときには,「あなたも私同様にだらしない人間であるくせに,何で私の錯誤取消しの主張を真人間面して偉そうに邪魔できるんですか。」と反論できる,ということになるのでしょうか。

 

6 日本民法953項(同項2号を除く。)とドイツ民法第一草案99条と

 最後にまた余計な御紹介です。

 我が民法旧95条について同法起草者の一人である富井政章は,「錯誤ノ効果ニ関スル規定ハ主トシテ独逸民法第一読会草案ニ則リタルモノナリ(独一草98条,991項)」と述べています(富井448頁)。

そこで,ドイツ民法第一草案の第98条及び第99条を見てみると,次のとおりです。

 

 § 98

   Beruht der Mangel der Uebereinstimmung des wirklichen Willens mit dem erklärten Willen auf einem Irrthume des Urhebers, so ist die Willenserklärung nichtig, wenn anzunehmen ist, daß der Urheber bei Kenntniß der Sachlage die Willenserklärung nicht abgegeben haben würde; im entgegengesetzten Falle ist die Willenserklärung gültig. Im Zweifel ist anzunehmen, die Willenserklärung würde nicht abgegeben sein, wenn ein Rechtsgeschäft anderer Art, die Beziehung des Rechtsgeschäftes auf einen anderen Gegenstand oder die Wirksamkeit des Rechtsgeschäftes unter anderen Personen beabsichtigt wurde.

 

  第98条 実際の意思と表示された意思との合致の欠如が表意者の錯誤によるものである場合において,事実を知っていたならば表意者はその意思表示をしなかったものと認められるべきときは,当該意思表示は無効である。そうでないときには,意思表示は有効である。他の種類の法律行為,他の目的物との法律行為の結び付き又は他の人らとの間での法律行為の発効が意図されていた場合であって,疑わしいときにあっては,意思表示はされなかったものとの推定がされるものとする。

 

  § 99

    Die nach den Vorschriften des § 98 für nichtig zu erachtende Willenserklärung ist gültug, wenn dem Urheber derselben grobe Fahrlässigkeit zu Last fällt.

    Fällt dem Urheber eine Fahrlässigkeit zur Last, welche keine grobe ist, so haftet derselbe dem Empfänger für Schadenersatz nach Maßgabe des § 97 Abs. 3.

    Die Vorschriften des ersten und zweiten Absatzes finden keine Anwendung, wenn der Empfänger den Irrthum kannte oder kennen mußte.

 

  第99条 第98条の規定により無効であるものと判断されるべき意思表示は,その表意者に重大な過失があるときは有効である。

    表意者に重大ではない過失があるときは,同人は相手方に対して第97条第3項に応じた損害賠償をする責任を負う。

    相手方が錯誤を知っていたとき又は知っていなければならなかったときには,第1項及び第2項の規定は適用されない。

 

 ドイツ民法第一草案973項は次のとおりでした。

 

    Fällt dem Urheber eine Fahrlässigkeit zur Last, welche keine grobe ist, so haftet derselbe dem Empfänger für Schadenersatz, jedoch in keinem Falle über den Betrag hinaus, welchen er bei Voraussetzung der Gültigkeit der Willenserklärung wegen Nichterfüllung der daraus entstandenen Verpflichtung zu ersetzen gehabt hätte.

 

   表意者に重大ではない過失があるときは,同人は相手方に対して損害賠償をする責任を負う。ただし,その意思表示が有効であったとの前提において,それから生ずる義務に係る不履行により彼が賠償すべきであったであろう金額を超えないものとする。

 

富井は,表意者の重過失に係る我が民法旧95条ただし書の趣旨を「是往往ニシテ不確実ナル損害賠償ニ代フルニ損害ノ原因ヲ除去スルコトヲ以テシタルモノニ外ナラサルナリ」と説明し(富井448頁),当該ただし書による効果を,錯誤により無効である意思表示をした表意者が相手方に対してする損害賠償がもたらす効果の延長線上に位置付けています(また,梅226-227頁)。一読しただけではピンと来ないところがありましたが,ドイツ民法第一草案992項を見た上で同条1項を見るとよりよく得心がされるころです。

 ところで,実際に立法されたドイツ民法の119条及び122条は,次のとおりです。

 

§ 119 Anfechtbarkeit wegen Irrtums

(1) Wer bei der Abgabe einer Willenserklärung über deren Inhalt im Irrtum war oder eine Erklärung dieses Inhalts überhaupt nicht abgeben wollte, kann die Erklärung anfechten, wenn anzunehmen ist, dass er sie bei Kenntnis der Sachlage und bei verständiger Würdigung des Falles nicht abgegeben haben würde.

(2) Als Irrtum über den Inhalt der Erklärung gilt auch der Irrtum über solche Eigenschaften der Person oder der Sache, die im Verkehr als wesentlich angesehen werden.

 

  第119条(錯誤による取消可能性) 意思表示をする際その内容について錯誤に陥っていた者又はその内容の表示をそもそもする意思のなかった者は,事実を知っており,かつ,事案を思慮深く判断したならばその表示をしなかったであろうものと認められるべき場合には,当該表示を取り消すことができる。

  2  取引上本質的なものとされる人又は物の性状についての錯誤も,表示の内容についての錯誤とみなされる。

 

§ 122 Schadensersatzpflicht des Anfechtenden

(1) Ist eine Willenserklärung nach § 118 nichtig oder auf Grund der §§ 119, 120 angefochten, so hat der Erklärende, wenn die Erklärung einem anderen gegenüber abzugeben war, diesem, andernfalls jedem Dritten den Schaden zu ersetzen, den der andere oder der Dritte dadurch erleidet, dass er auf die Gültigkeit der Erklärung vertraut, jedoch nicht über den Betrag des Interesses hinaus, welches der andere oder der Dritte an der Gültigkeit der Erklärung hat.

(2) Die Schadensersatzpflicht tritt nicht ein, wenn der Beschädigte den Grund der Nichtigkeit oder der Anfechtbarkeit kannte oder infolge von Fahrlässigkeit nicht kannte (kennen musste).

 

  第122条(取消者の損害賠償義務) 意思表示が第118条によって無効であり,又は第119条・第120条に基づき取り消された場合においては,表示者は,当該表示が他の人に対してされるべきものであったときはその人に対して,そうでないときは各第三者に対して,相手方又は第三者が表示の有効性を信頼したことによって被った損害を賠償しなければならない。ただし,相手方又は第三者が表示の有効性について有する利害(Interesse)の額を超えないものとする。

  2   損害を被った者が無効の又は取消可能性の原因を知っていた場合又は過失により知らなかった場合(知らなくてはならなかった場合)には,損害賠償義務は発生しない。

 

ドイツ民法の錯誤規定からは,錯誤に係る表意者の重大な過失が特別な意義(効果)を有する(ドイツ民法第一草案991項参照),ということがなくなっています。そうであれば,錯誤に係る重過失が表意者にあるときに,共通錯誤者である相手方が当該表意者による意思表示の取消しを阻止できるか,できるとしてその範囲はどこまでか,という問題は,ドイツ法学では論じられないものなのでしょう。我が民法953項の第2号をめぐる問題は,行為基礎論なるドイツ的なるものを淵源とするとはいえ,やはり日本民法学の問題なのでしょう。

なお,ドイツ民法1221項の規定する損害賠償の範囲については,条文だけからは分かりづらいようですが,要するに,「これは契約が有効であれば得られた利益の賠償(履行利益の賠償という)ではなく,意思表示が有効だと信じたために相手方が費やした費用の賠償(信頼利益の賠償という)であって,相手方を契約締結前の状態に戻すための損害賠償である。なぜなら,錯誤者は,意思表示の取消しにより無効となる契約を締結させたことが違法と評価されるのであって,有効な契約の債務の履行を怠った(債務不履行)わけではないからである。」ということだそうです(内田・民法Ⅰ-189頁)。無過失責任です(四宮・民法総則4183頁註1)。ドイツ民法第一草案992項及び973項の場合とは異なる,ということでよいのでしょう〔202633日追記:無過失責任ということでは,ドイツ民法1221項は,過失責任主義のドイツ民法第一草案992項及び973項の場合とは確かに異なります。しかし,損害賠償の範囲については,ドイツ民法1221項ただし書をも見ると,それはドイツ民法第一草案992項(973項ただし書)のものと同様の上限規定であり,また,ドイツ民法第一草按のMotive97解説部分を按ずるに――そこでは,同条3項の責任は契約締結上の過失(culpa in contrahendo)に係る責任であって「当該意思表示がされることがなければ被ることがなかったであろう不利益のみが賠償される(nur diejenigen Nachtheile kommen zum Ersatz, welche ohne die Abgabe der Willenserklärung nicht eingetreten sein würden)」ものとされ,また,それらはいわゆる消極利益(negatives Interesse),すなわち「相手方が当該意思表示の法的な安定性に信頼し,及び同人がそのことに応じた行為を更にしたことによって当該相手方に生じた損害(... Schaden ..., welcher dem Erklärungsempfänger dadurch erwächst, daß er auf die Rechtsbeständigkeit der Willenserklärung vertraut und bei seinem weiteren Verhalten sich darnach gerichtet hat)」だとされていますから――異なることはないのでしょう。なお,いわゆる信頼利益が履行利益よりも大きい場合もあるのでしょうが(例えば,土地の転売利益の額とその土地の売買契約締結のための旅費等の額とを比較した場合,常に前者が後者よりも大きいというわけではないのでしょう。),その場合,「法律行為が成立したときに債務不履行のゆえに相手方に賠償されるべきであったであろうものより多くを,不成立のときに,正当なものとして義務付け,かつ,請求することはできない(mehr, als bei dem Zustandekommen des Rechtsgeschäftes dem anderen Theile wegen Nichterfüllung zu ersetzen sein würde, kann bei dem Nichtzustandekommen  füglich nicht geschuldet und gefordert werden )」ことになるわけです。〕。