1 はじめに
契約ないしは契約書(註1)は,ビジネスを行う際そのビジネスを支えてくれる重要かつ必須の商売道具でしょう。
したがって,いやしくも主体的にビジネスに携わり,又は携わらんとする者は,その商売道具を大切にし,よく注意し,上手に使い得るようになっているべきものでしょう。当該自分の商売道具から目をそむけ,無視し,ビジネス・エリートたる自分のこの素晴らしく,かつ,漠たる大企画は,その思いの高さ及び篤さ並びに企画者の人格の貴さのゆえに,自ずと,周囲の誰かの献身若しくは「みんなのための思いやり」又は魔法のような洞察力を備えた「専門」能力によって都合よく法務上も肉付け・按排されるべきものであるから,漠と言ってさえ置けば,その後は放って置いても無事適切に実現されるであろう,当該ビジネスの成功の栄誉と利益とは己に帰せられるであろう,仮に失敗した場合には,その汚辱と非難とは怠惰・無能な当該関係担当者が専ら負うべきものである(ワタクシは,身を屈め,かつ,しょぼつく両目にわざわざ眼鏡をかけてまでして契約書を見るような細かいことなどはしないのだ),というような横着な夢の中にビジネス・キャリアを送っている人々は,「厳しい」ものと喧伝されている我が国のビジネス社会では絶滅危惧種でしょう。
しかし,現実の我が国ビジネス社会の現場はそう「厳しい」ものでは実はないのではないかい,何だか温るいんではないかい,と思わせる裁判例を筆者は最近目にしました。
トップが商談をまとめたものの,その内容の契約書への落とし込みの作業は,特段の指示もないまま素人同然(とまでは裁判所は言っていませんが,そう思っているのでしょう。)の担当者に委ねてしまい,当該担当者が上司と十分な相談をせずに依頼先の弁護士に作らせた契約書案(決まったはずの商談の内容としてトップが観念していたものとは異なった,相手方に極めて有利な内容のもの)が社内で誰もチェックせぬまま正式な契約書として取り扱われることになってしまってそれにより契約が締結され,その契約書の①「誤った」課金基準の記載に現場担当者が従ってしまって「過少」請求を行ってきてしまい,また,②相手方も別の「誤った」記載に乗じた支払拒否(相手方は相手方として,①の課金基準は契約書の記載が正しく,またそれとは別に,②本来契約書の記載上課金されるべからざる事項について課金・請求がされてきていて過払をさせられていたと主張します。)などをしてきた結果,2年間で76億円を超える金額を相手方から「取り損ねた」ので,「当該商談における本来の意思の合致内容」に基づく債権に係る当該未収金回収実現の正義を求めて裁判所に訴え出た,という騒動です。
76億円超という大きな金額を取り損ねたということなので,訴訟代理人弁護士らに支払った着手金の額は1億5千万円を超えたとも想定されますが(当該金額の算出方法については後記5(1)を参照),筆者としては羨ましい限りです。原告関係者らとしては,社内の素人的担当者に対する丁寧な指導監督(余り細かく,かつ,厳しくすると,最近は「パワハラ!」との逆噴射攻撃を受けるのでしょう。)や社外の専門家弁護士との緊密な意思疎通(まあ,細かくて理窟っぽいことは当然覚悟するとしても,その他諸々の性格特性等があるところ,弁護士は,付き合いたくない種類の人々ですよね。)というような何だかはたから見ても面倒臭そうな仕事についてつい省力対応をしてしまった「ちょっとした」横着の積もりだったのかもしれませんが,当該「横着」は高くつきました。
本稿は,当該裁判例(東京地方裁判所令和3年(ワ)第24988号卸供給等電力料金請求事件に係る令和6年5月27日同裁判所民事第42部判決・判例時報2628号100頁)を筆者流に御紹介するものです。
(註1)「契約」の定義ですが,旧民法財産編(明治23年法律第28号)296条によれば,「物権ト人権〔債権〕トヲ問ハス或ル権利ヲ創設シ若クハ移転シ又ハ之ヲ変更シ若クハ消滅セシムルヲ目的トスル二人又ハ数人ノ意思ノ合致」たる「合意」(同条1項)の一種であって,そのうちの「人権〔債権〕ノ創設ヲ主タル目的」とするものの名称(同条2項),ということになります。その後,民法(明治29年法律第89号)においては「契約」の意義が拡張されて「之ヲ要スルニ新民法ニ於テ契約トハ法律上ノ効力ヲ生セシムルヲ目的トスル二人以上ノ意思ノ合致是ナリ」ということになりましたが(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編』(私立法政大学=有斐閣書房・1899年)377頁),なおも契約の章が債権編中に置かれているのは,「契約」は本来的には債権の創設を主たる目的とする合意であるからでしょう。
ところで,「契約の成立には,法令に特別の定めがある場合を除き,書面の作成その他の方式を具備することを要しない。」(民法522条2項)とされていますので,当事者の意思の合致たる契約に,書面たる契約書が常に伴うわけではありません。契約と契約書とは別のものです。したがって,「契約の締結」と言うのはよいのですが,「契約書の締結」と言うのは,ちいとおかしいわけです。また,某某契約の契約書に「某某契約書」と標題を記すのも,記載されているのは「契約」の内容であってそれが記載された書面が「契約書」と呼ばれる物となるのですから,それはちょっとおかしいんじゃないのかなぁ(蛇足の「足」的ではないか)と筆者はしばしば思い,かつ,口にもしたところです。
しかしながら,旧民法証拠編(明治23年法律第28号)60条は「物権又ハ人権ヲ創設シ,移転シ,変更シ又ハ消滅セシムル性質アル総テノ所為ニ付テハ其所為ヨリ各当事者又ハ其一方ノ為メニ生スル利益カ当時五拾円ノ価額ヲ超過スルトキハ公正証書又ハ私署証書ヲ作ルコトヲ要ス/人証ハ右ノ価額ヲ超過スルニ於テハ法律上明示若クハ黙示ニテ例外ト為シタルトキニ非サレハ裁判所之ヲ受理セス」と規定していたのです。これはナポレオンの民法典1341条の規定(“Il doit être passé acte devant notaires ou sous signature privée, de toutes choses excédant la somme ou valeur de cent cinquante francs, même pour dépôts volontaires; et il n’est reçu aucune preuve par témoins contre et outre le contenu aux actes, ni sur ce qui serait allégué avoir été dit avant, lors ou depuis les actes, encore qu’il s’agisse d’une somme ou valeur moindre de cent cinquante francs; / Le tout sans préjudice de ce qui est prescrit dans les lois relatives au commerce.”「価額又は価値が150フランを超える全ての事項〔原文では“choses”ですが,ボワソナアドは,そこでは当該の語は「非常に法的(très-juridique)」なものではなく「平凡かつほとんど卑俗(banal et presque vulgaire)」なものとして表れているとして,自らの民法草案においては“fait”の語を用いています(Boissonade, Projet V (1889), p.185)。〕は,無償寄託であっても,公証人の前で,又は私署をもって証書化されなければならない。150フラン未満の価額又は価値にかかわるものであっても,当該証書の内容に反する又は含まれないことに係る人証は,証書の作成の前,作成の際又は作成の後に述べられたとされることのいずれについても認められない。/これら全ては,商に関する法律において規定されたことの適用を妨げない。」)を承けたものです。現在,我が民法における契約の「方式の自由」に関する規定については,「この点で日本法は,立法例には珍しく自由が徹底している〔略〕(一定の価額以上の債権を発生させる契約に書面を要するとしたり,その証明方法として証書を要するとする立法例が多い)」(星野英一『民法概論Ⅳ(契約)』(良書普及会・1994年)10頁)と評されておりますが,本来はそうではなかったわけです(現行民法による改正前の我が旧民法は,正に「一定の価額以上の債権を発生させる契約に書面を要するとしたり,その証明方法として証書を要するとする立法例」だったのです。)。民事訴訟の実務においては,「処分証書等が存在する場合は,特段の事情がない限り,一応その記載どおりの事実を認めるべきである。」とされています(司法研修所『民事訴訟における事実認定』(法曹会・2007年)21頁)。ここでの「処分証書等」とは「処分証書及び重要な報告文書」です(司法研修所19頁)。「処分証書」とは「立証命題である意思表示その他の法律行為が記載されている文書であり,契約書,手形,遺言書などがこれに当た」ります(司法研修所18頁。下線は筆者によるもの)。契約は,意思表示(Willenserklärung)を要素とする私法上の法律要件(法律要件たる生活関係から法律効果が生ずるのです。)たる法律行為(Rechtsgeschäft)の一種です。「報告文書」は「作成者の見聞,判断,感想などが記載されている文書」ですが,このうち領収証は,「金銭の授受が認定できるか否かが問題となる場合,領収証は,処分証書と同様,極めて重要な直接証拠」であるものとされています(司法研修所18頁)。
しかして我が母法国のフランスの言葉では,法律上の行為と証書とはいずれも同じ“acte”の語をもって指称されるのでした(各種仏和辞典参照)。そのように母法国では法律行為(acte juridique)とその証書(acte)とが同じ語(acte)をもって示されるのならば,法継受国たる我が国においては法律行為たる「契約」の語とその証書である「契約書」の語とを互換的に使用したっていいのではないか,というのが最近到達した筆者の心境です。雑でしょうか。しかしまあ,フランス人の御先祖はガリア人だそうですが,ランボオ曰く,“Les Gaulois étaient les écorcheurs de bêtes, les brûleurs d’herbes les plus ineptes de leur temps. / D’eux, j’ai: l’idolâtrie et l’amour du sacrilège; -- oh! tous les vices, colère, luxure, -- magnifique, la luxure; surtout mensonge et paresse.”と。
なお,旧民法証拠編60条では「五拾円」という金額が出て来ますが,1890年当時の「50円」は,現在の通貨価値で換算するとどれくらいになるのでしょうか。旧裁判所構成法(明治23年法律第6号)の立法当初の第14条1号を見ると,区裁判所の民事管轄の及ぶ範囲は「100円」以下の金額又は物に係る請求でしたから,「50円」はその上限額の半分ということになります。現在の簡易裁判所の民事管轄は「訴訟の目的の価額が140万円を超えない請求」(裁判所法(昭和22年法律第59号)33条1項1号)までであるところ,140万円の半分は70万円です。また,岩波書店の『近代日本総合年表 第四版』(2001年)の1890年6月条には「米価石当たり10円台を突破,10円85銭となる」とありますが,そうであれば,5石で50円ということになります。1石は10斗,1斗は10升,1升は10合で,1合の米の重さは約150グラム(筆者実測)です。150グラムの1000倍(1石=1000合)は150キログラムで,その5倍は750キログラム。現在(2026年1月),近所のスーパーマーケットを覗くと米価は5キログラム当たり5000円程度なので,5石の米の価額は約75万円となるようです。1890年の「50円」は,現在の70万円ないしは75万円相当ということでしょうか(ただし,1890年の米価及び2026年のそれは,本来あるべき価格よりも随分高いものであるところです(1888年6月の米価は1石当たり4円56銭だったそうですし,2026年現在米を安価に輸入することはできないところです。)。)。

皇居お濠の竹橋から我が国のビジネス・エリート集う大手町方面を望む。
2 当事者
本件訴訟の原告Xは,Ⓑ株式会社の100パーセント子会社たる電力卸供給事業者たる株式会社,被告Yは,小売電気事業者たる株式会社です。本件訴訟は,横着たるべからざる公益事業を営む電気事業者間での争いだったのでした。
なお,小売電気事業者とは,一般の需要に応じ電気を供給することたる小売供給(電気事業法(昭和39年法律第170号)2条1項1号)を行う事業(一般送配電事業,特定送配電事業及び発電事業に該当する部分を除く。)であるところの小売電気事業(同項2号)を営むことについて電気事業法3条の登録を受けた者です(同法2条1項3号)。
ところで,実際の事案における被告は,問題となった電力卸供給契約を2019年1月29日(註2)に原告Xと締結した当初の当事者たる株式会社Ⓐではなく,当該契約に基づく取引が開始された2019年4月1日のその日に当該Ⓐからその小売電気事業を譲り受けて当該事業に関するXとの契約上の一切の地位を承継し,かつ,小売電気事業者としての地位を承継して(電気事業法2条の7)小売電気事業を開始したY₁及び当該Y₁から2021年4月1日に吸収分割(註3)によってそのエネルギーに関する事業を承継し,かつ,その際Y₁のXに対する債務を「重畳的債務引受け」の方法(民法(明治29年法律第89号)470条及び471条の「併存的債務引受」ですね。)によって承継したY₂(併存的債務引受がされたのは,会社法(平成17年法律第86号)789条の債権者の異議を避けるためでしょうか(同条1項2号参照)。)の二つの株式会社(Y₁及びY₂)だったのですが,分かりやすさのため,本稿ではⒶがそのまま被告Yであるものとして御紹介します。
(註2)なお,当該契約締結日には,いわゆる債権法改正たる民法の一部改正に係る平成29年法律第44号は未施行状態でした。平成29年法律第44号の施行は,2020年4月1日からです(同法附則1条柱書及び平成29年政令309号)。
(註3)「吸収分割」については,会社法(平成17年法律第86号)2条29号に定義があり,そこにおける当事者は,その事業に関して有する権利義務を分割する株式会社又は合同会社と当該権利義務を承継させられる(当該権利義務を吸収する)会社との両者でありますが,「吸収分割」をする「吸収分割会社」は,吸収をする後者の会社ではなく,その権利義務を分割して承継させる前者の株式会社又は合同会社です(会社法757条及び758条柱書参照)。直感的にすらすらとは理解しづらい名称ですが,「被吸収分割」などとするとくどくかつ不恰好であるという判断がされたものでしょう。
また,『判例時報』では,X及びYに関係する自然人たる登場人物がP₃,P₄,P₅・・・と無機的に記号表示されていますが,本稿では,感情移入しやすいような仮名表示を試みてみました。その結果,裁判書を種本にした一種の小説のようになってしまいました。

旧江戸城天守台から見る大手町のビル群(なお,中央の建物は皇居東御苑の桃華楽堂)
3 事案
以下が本件における事実の流れです。
(1)前史
1999年4月,三鷹(仮名)さんがⒷ株式会社に入社しました。
にこっ きらっ
「白い歯がいーのよねー」
「金歯じゃないのに光るのよーっ」
(高橋留美子『特製ワイド版 めぞん一刻 第1集』(小学館・1992年)205頁「金網は越えられない‼」)
電力小売事業の一部自由化を受けて,2000年頃から,Ⓑは特別高圧需要家・高圧需要家向けの電力供給事業を行っていました。
2011年1月21日,XがⒷの100パーセント子会社として設立されました。
2012年1月,五代(仮名)さんがYに入社し(定期の新卒採用ではないわけです。),同年8月には同社グリーンエネルギー事業長(「福利厚生部長」(高橋留美子『My First Big Special めぞん一刻 恋の罠』(小学館・2012年)336頁「菊と積木」参照)ではありません。)に就任します。
2013年4月,四谷(仮名)さんがⒷに入社し,四谷さんは同年5月,Xに出向しました(採用後いきなりの子会社出向です。)。
ズン
「きゃつ。」
ばらばらばら もうもうもう
「お・ま・た・せ」
(高橋留美子『My First Big Special めぞん一刻 管理人さん』(小学館・2012年)182頁「怒りのウィドウ」)
2016年4月,Ⓑの三鷹さんがXの代表取締役に就任しました(入社後17年にして子会社の社長に就任ですね。)。この年,Xは親会社Ⓑから新しく電力小売事業を承継したところです。また,同年4月頃,XとYとの取引(Yが取次ぎの形態でXの供給する電力を販売しました(註4)。)が始まっています(五代事業長は,Y社エネルギー事業部のジェネラルマネジャーとしてXとの取引に関与します。)。
2017年2月,Yは小売電気事業者の登録を受けます。
(註4)電気(電力)の「販売」というのは,「今日の判例通説は,電気供給契約は売買契約に類似する有償契約であり継続的供給契約であるという立場をとっている」からです(電気供給規程研究会編『改訂版 電気供給規程の理論と実務』(日本電気協会新聞部・1992年)8頁)。なお,売買類似の契約であって売買契約ではないのは,「売買は,当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し,相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって,その効力を生ずる」ものであるところ(民法555条),有体物=物(同法85条)ではない電気については,物を客体とする権利である所有権を観念できないからでしょう。
(2)本件9月会議まで
平成も残り1年の2018年4月頃から,Yは,小売電気事業者として,本件電力卸供給契約の締結に向けたXとの契約交渉を開始しました。
同月,Xの四谷さん(Ⓑ入社後5年が経過しています。)は,バランシンググループ(以下「BG」といいます。)関連の業務を担当するようになりました。
ここで,BGとは何かといえば,判決文を鑑みるに次のごとしです。すなわち,小売電気事業業界においては,小売電気事業者が電力の需要予測や様々な調達先からの効率的な調達を単独で行うことは困難なことがあるため,またインバランス(計画値と実績値との差)の発生を極力低減させるために,小売電気事業者間で需要予測や電力調達のノウハウを有する小売電気事業者が代表事業者となってBGを組成し,当該代表事業者が,BGに属する他の事業者のために需要予測の業務を受託し,事業者のために電力の調達を行い,電力の卸供給を行うという仕組みがとられることがあるとのことです。
2018年6月頃から,Xの三鷹社長とYの五代事業長とが,XのBGへのYの参加条件について,担当者を介さずに一対一でトップ協議を行うようになりました。
「しかたない,いっちょもんでやろうか。」
「えっ。/三鷹さんとやるの?」
「誰とやれると思ったの?」
(高橋・管理人さん137頁「混乱ダブルス」)
Xの四谷さんは,上司である八神(仮名)営業企画部長から命じられてYに対する提案書を作成します。
2018年8月1日,Xの三鷹社長は,Yに対し,上記のとおり四谷さんが八神部長に命じられて作成した提案書(XがYから受託する業務範囲及びXが卸供給を行う際の供給条件等の提案を内容とするもの。以下「本件8月提案書」といいます。)を交付しました。
Xの本件8月提案書においては,市場連動型の卸供給単価として「①エリアSPOT価格+0.10円/kWh(+貴社インバランスご負担)」と「②エリアSPOT価格+0.30円/kWh(当社インバランス負担)」との2案が提示され,注記として「*SPOT連動は需要家の確定使用量ではなく,調達量(SPOTからの調達量)を使用致します。」と記載されていました(Xの電力調達地点におけるそれをもってYに対する卸供給量とする「送電端ベース」ということになります。ちなみに,「電気は送電線,配電線を通じて需要家に輸送されるが,この場合,導線の中にある電気抵抗によって導線を流れる電気の一部は熱となって失われる」ので(電気供給規程研究会編335頁),計量地点が上流であるほど卸が有利(それより下流における電気の喪失分は小売負担),下流であるほど小売が有利ということになります。)。
なお,ここでいうインバランスとは,小売事業者と発電事業者との間で計画された電力需給と実需給との間のずれのことです。当該ずれを解消するためには一般送配電事業者(電気事業法2条1項9号)が調整を行いますが,インバランス分の電気について,インバランスを発生させた小売事業者又は発電事業者と一般送配電事業者との間でインバランス料金により事後精算が行われる仕組みになっています。インバランス料金については,電気事業法18条に基づく一般送配電事業託送供給等約款料金算定規則(平成28年経済産業省令第22号)に規定があるところです。
2018年8月8日,Yの五代事業長はXの三鷹社長と会談し,同社長に対し,再度の提案を要望する事項を記載した書面(以下「再提案要望書」といいます。)を交付しました。再提案要望書の「卸供給単価」欄には「0.10円/kWh+インバランスCap年間20百万円未満」との提案が記載されていました。本件8月提案書における①案を基本的に採りつつ,「+貴社インバランスご負担」の額について上限を設けようとするものですね。
再提案要望書を承け,X社内では,八神部長に指示された四谷さんがYとの取引において「インバランス」が発生する場合の追加費用の試算をしたところ,「年間630万円程度」と見込まれるという結果が出ました。そこで八神部長から,三鷹社長に対し,卸供給単価についてYの再提案を受け入れることが可能である旨の報告がされました。(しかし,当時の四谷さんは,「インバランス」の意味について,「卸供給電力量全量にSPOT価格を乗じた調達コストとは別に生じる追加コスト」の意味といった程度の理解しか有していなかったところです。)
2018年8月24日,Xの三鷹社長は,Yの五代事業長に対し,Xの再提案を記載した書面を交付して条件の再提示を行いました。当該書面には,卸供給単価の検討結果として「0.10円/kWh+インバランスCap年間20百万円未満」と記載されていました。
同年9月11日,五代事業長から三鷹社長に対し,YがXのBGに参加することを決定したとの連絡がありました。
同月12日,XとYとの担当者同士で契約の詳細条件を詰めるためのキックオフ会議が開催されました。当該会議において,三鷹社長と五代事業長との間でこの時点までに合意された内容としては,スキームが市場連動型で決定したこと,卸供給単価が市場価格プラス0.1円であることが確認されています。しかし,X側の出席者からYの担当者に対して,上記の卸供給単価を不足インバランス相当電力量を含む卸供給電力量全量に乗じるものかについて明示的に確認が行われるなどのことは,まだありませんでした(ただし,この問題は具体的には,後の契約書案作成段階で,当該契約書案文の採用した表現の結果生じたものですので,この段階で問題とならなかったことは当然です(エ(ア)(ウ)及びカ参照)。)。
同月15日,Yに六本木(仮名)さんが入社し,同社の五代事業長に代わって,同社エネルギー事業部ジェネラルマネジャーに就任しました。
同月19日,Yの五代事業長及び六本木ジェネラルマネジャーがXの三鷹代表取締役社長を訪問し会議(以下「本件9月会議」といいます。)を行いました。裁判所の認定では,三鷹社長は本件9月会議での五代事業長とのやり取りをもって,「本件取引のアウトラインとして」,同年「8月24日付で提示した取引条件のとおりの合意,すなわち,①原告〔X〕からYに対して卸供給する電力については,その全量を市場価格プラス0.1円で供給する契約を締結すること,②インバランスが発生した場合には,そのことによる追加コストのY負担を年間2000万円上限とすることについて合意がなされたと認識し,また,卸供給電力量の算定は本件〔8月〕提案書に記載されたとおり送電端において行うことが前提とされたと認識」したものの(下線は筆者によるもの),本件9月会議の際に,「それらの認識を明示的に」五代事業長に対して「確認することはしなかった」ところです。
(3)契約書案の作成から契約書の取り交わしまで
ア 三鷹社長からの指示及び八神部長=四谷さんコンビ
三鷹社長は,Xにおいて卸供給契約の契約書の作成を担当する営業部に対して,自己の認識していたアウトラインに沿った形で契約書を作成することを指示します。しかし,三鷹社長は,契約書の作成を担当する八神部長又は四谷さんに対し,「契約書の具体的な記載内容やドラフティングの留意事項などの具体的な指示はしなかった」というのが裁判所の認定です。
それでも社長の指示ですから,八神部長及び四谷さんは契約書の作成作業に取り掛かったのですが,Xには当時,市場連動型卸供給取引の契約書のひな形がなかったところから,固定卸型の契約書のひな形をかつて作成してくれた七尾(仮名)弁護士に,まず市場連動型の契約書ひな形を作成してもらうことにしました。しかして,七尾弁護士とのやり取りは,専ら四谷さんが行うこととされ,四谷さんは,電子メールのやり取りについて八神部長に情報共有をしたり,同時受信者に八神部長を加えたりすることはしませんでした。
イ 七尾弁護士への発注
2018年9月26日,四谷さんは,七尾弁護士に対して電子メールを送付します。いわく,「現行契約書雛形では固定卸単価での雛形となっております。今回作成したいものは,固定卸型では無く,各エリアの市場価格+手数料数十銭(インバランスの負担を①子BGとする場合と②親BGとする場合に対応できるもの)としたく考えております」云々と(なお,子BGとは,代表事業者以外のBGを構成する小売電気事業者のことです。)。しかし四谷さんは,さきの本件8月提案書を七尾弁護士と共有することはしておらず,Yとの取引における手数料部分が0.10円/kWhであることや,想定されているYの需要量等の情報の説明もしていません。
「わかんないんですよね・・・」
(高橋留美子『My First Big Special めぞん一刻 初めてのキス』(小学館・2012年)110頁「こずえちゃん気をつけて」)
ウ X・Y間のBG参加覚書取り交わし及び五代事業長の退職
2018年10月1日,XとYとは,Xを代表事業者とするBGにYが参加することに関する基本的な合意事項を確認する覚書を取り交わしました。同日,Yは,電力小売事業に参入することを公表しています。ただし,上記覚書には,卸供給電力量の算定地点や卸料金の算出方法に関する記載は全くありませんでした。
同月頃,Xとの契約交渉を最高責任者として従来担当していた五代事業長が,Yを退職しています。
「長いことお世話になりましたっ。」
「えっ,ちょっと・・・・・・/待ってっ,どういうことですか⁉/理由を・・・」
「もう自分がいやになったんですっ。/ひとりになって・・・/自分を見つめ直したいんです。/さよならっ。」
「本気で出て行きましたな。」
「これからどうすんのかしら。」
「さーねー・・・とりあえず・・・/起きあがるんじゃない?」
(高橋・管理人さん345-346頁「事件」)
エ 四谷さん v. 七尾弁護士
(ア)七尾第1次案
2018年10月9日,七尾弁護士は四谷さん宛てに,契約書のひな形のドラフトとして,後記カ(2019年1月29日段)にある電力卸供給に係る契約書(以下「本件契約書」といいます。)の第5条1項に関して同項のただし書が無いものを送付します。そこに付された七尾弁護士のコメントは,「余剰インバランスは精算せず,不足インバランスのみを精算する形としています。このような考え方も,需要量に応じて貴社が乙〔Y〕に電力を供給をするという考え方を前提とすれば,不合理ではないと考えられます。乙にインバランスリスクを負わせる方法として,ご想定と異ならないか,ご確認ください。」というものでした。
(イ)四谷さんのコメント
2018年10月12日,四谷さんは七尾弁護士にコメントを返信し,そこにおいていわく,「雛形と致しましては,以下の条文〔筆者註:七尾弁護士提案の条文,ということでしょう。〕を活用させて頂こうと存じますが,ことY殿に関しましては,インバランス費用負担が20百万円(1年間)を上限とする形で妥結しておりますので,その場合の条文の記載方法もご教示頂けますと幸甚で御座います。」,「想定通りで御座います。有難う御座います。」と。
この四谷さんのコメントにおいては,「インバランスによる追加費用の負担」というような表現は採用されておらず,「インバランス費用負担」と書かれただけであったので,不足インバランス相当電力量に対応する全料金に係るY負担の上限が年2000万円であるというように七尾弁護士は受け取ったように思われます。
(ウ)七尾修正案及び本件紛争に係るその原因性
七尾弁護士は,四谷さんからの上記コメントを承けて,2018年10月12日のその日,本件契約書5条1項についてそのただし書(「但し,〔略〕(b)〔略〕に係る卸供給等電力量料金〔すなわち,Yの不足インバランス相当電力量に係る・接続対象計画差対応補給電力及び給電指令時補給電力による調達に係る卸供給等電力量の料金〕については,合計で年間(12ヶ月)2000万円(消費税等相当額を含む。)を上限とする。」)に相当する内容の規定を追記した契約書ひな形のドラフトを四谷さんに送付しています。このただし書が問題を惹起することになります。
なお,インターネットを処々検した上での筆者なりでの理解では,「接続対象計画差対応補給電力」とは,30分ごとの接続対象電力量が接続対象計画電力量を上回る場合に一般送配電事業者が補給する不足分の電力であり,また,「給電指令時補給電力」とは発電契約者に係るもので,給電指令などにより一定条件の下発電者の発電を制限又は中止したときにおいて,制限又は中止の解除までにそれにより生じた不足電力を補給するため一般送配電事業者が補給する電力です。
この七尾ドラフトでは,①XがYに供給する電力量については――Xにとって有利な供給端ベースではなく,七尾弁護士の下でどういうわけがあったのか不明ですが――需要端ベースの考え方(送電後に需要家に供給される地点のそれをもってYに対する卸供給量とする考え方)に基づき算定することとされ(本件契約書4条1項。送電端と需要端との間における送電過程で発生する送電ロスをXが負担することになります。),また,②不足インバランス相当電力量が卸供給単価に基づく請求の計算から控除されるとともに(本件契約書5条1項(a)),「不足インバランス相当電力量料金が接続対象差対応補給電力料金に基づいて計算され〔本件契約書5条1項(b)参照。なお(b)では「接続対象差対応補給電力」と記載されていますが,「計画」漏れでしょう。〕,かつ年間2000万円を上限とすること〔本件契約書5条1項ただし書〕とされていた」のでした(下線は筆者によるもの。なお,判決書の当該部分では「給電指令時補給電力料金」に言及されていないのです。)。「2百万円(1年)を上限とする」との当該上限に係る理解としては,不足インバランス相当電力量に係るSPOT価格で計算したその料金額と,当該電力量について実際に生じた接続対象計画差対応補給電力料金額との間の増加分差額(接続対象計画差対応補給電力の価格は,SPOT価格よりも高いのでしょう。)に専ら係るものという理解が三鷹社長の意図に適するものだったのでしょうが,この荒っぽい本件契約書5条1項ただし書によって,差額分以外の金額の部分も道連れにされてしまって全て年2000万円の枠内に押し込められるべきものとされる結果となったわけです。
(エ)四谷さんの理解あるいは無理解
しかし,四谷さんは,七尾弁護士のドラフトをそもそも理解していなかったようです。
裁判所の認定にいわく,「〔四谷さん〕は,本件契約書のドラフト作成当時,BG関連業務に関する知識や経験はほとんどなく,卸供給電力量の算定地点を送電端とするか需要端とするかにより送電ロス分のコスト負担が生じることを十分に理解しておらず,また,「インバランス」の意味について,卸供給電力量全量にSPOT価格を乗じた調達コストとは別に生じる追加コストの意味といった程度の理解しか有していなかったことから上記の〔七尾〕弁護士から送付を受けた契約書のひな形に疑問を抱くことはなかった。」と。
「四谷さん,五代くんが言ったことわかったの?」
「いえ・・・〔略〕/印象的な単語だけは覚えてるんですが・・・」
どろ〰〰ん
(高橋・管理人さん404頁「明るい5号室」)
本件8月提案書を起案したのは四谷さんなのですが,その際も四谷さんは,実は内容を理解しないまま器用にcopy & pasteをしただけだったということになるようです。一見仕事ができる風なのがかえって罪深いところでした。
「さて,今日のお勉強は・・・/自習です。/わからない箇所は五代くんに聞くように――以上」
「はい,四谷先生。」
(高橋・恋の罠140頁「めまい」)
(オ)八神部長の反応
八神部長も頼りになりませんでした。「〔四谷さん〕は,上記の〔七尾〕弁護士から送付を受けた契約書のひな形のドラフトを〔八神部長〕にも見せたが,〔八神部長〕からも特段のコメントはなかった。」とのことです。
「ん?五代?誰だそりゃ。お〰いぶき,いつ帰ったんだ?/ひっく」
「んも〰〰なにも覚えてないの⁉」
(高橋留美子『My First Big Special めぞん一刻 案ずるより』(小学館・2012年)152頁「振り袖コネクション」)
2018年11月6日,XはYに対し,七尾弁護士から送付を受けた契約書のひな形に手数料の数字(0.10円)を入れた本件契約書のドラフトを送付してしまいました。
オ 四谷さん in X社の決裁ルーティーン
四谷さんは2019年1月8日に本件契約書等に基づくこととなるべきYとの取引に係る社内決裁を申請します。しかし,Xの社内取扱いにおいては,一定の取引条件でYとのBG取引を行うことが決裁の対象であって,契約書の内容や文言そのものは必ずしも社内決裁の対象とはされていなかったのでした(なお,契約期間を同年4月1日から1年とし,卸契約に係る取引条件については,固定単価ではなく市場連動型であり,Xの手数料は0.10円/kWh(税抜)であること等という説明で決裁申請がされています。)。
その結果,当該取引に係るX社内の決裁担当者は八神部長及び三鷹社長を含めて計5名(Xの主張によれば,営業部から管理部を経て代表取締役に決裁申請が上がっていったそうです。)でありましたが,2019年1月16日付けで決裁がされるまで,「その過程において,決裁権者の誰も決裁の申請に添付された本件契約書のドラフトを確認しなかった」とともに,「〔四谷さん〕に対して本件契約書の記載内容について説明を求めることもしなかった」のでした。
契約書に係る社内決裁がないとすれば,当該契約書に署名する者が,それまで見たこともない当該契約書の内容に単独で責任を負うということなのでしょうか。それとも,みんな契約書を読むのは面倒で嫌いでみんな読まなかったのだからみんなの責任になってみんな誰も責任を負わなくてもよいのだ,という部内理論があるのでしょうか。乱暴ないしは実に横着な話ではあります。
「いわゆる例文解釈――契約が印刷文字だから当事者がよく読んで承認したとは認められない,という理由で無効とすること」(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)276頁参照)ということがあるそうだから「読んでませんでした」という理由で赦してもらえないかなぁ,というのも無理筋でしょう。本件契約書はXが自ら起草したのですから,そもそも「読んでませんでした」という言い訳は認められません。また,いわゆる例文解釈論自体がもう古いのです。「要するに,例文解釈は,個人の意思の効力を尊重する傾向が一層強かった時代に,明白な意思による承諾なしという根拠によって不当な約款の効力を否定しようとしたものである。しかし,今日においては,信義誠実の原則を正面に出し,不当な約款は,当事者が一応承諾した場合でも,この〔信義誠実の〕原則によってその効力が否定されるものであることを承認すべきである。」と説かれています(我妻257頁)。例文解釈論を今更振り回してしまうのは,中途半端なお勉強がかえって弊害をもたらすことの一例でしょう(なお,例文解釈論は下級審判決で採用されたものですが,当時から「大審院は,この下級審の態度に好感を持っていたとはいえなかった」ところで(星野英一『借地・借家法』(有斐閣・1969年)37頁),「大審院には,例文とした判決はないようである。はっきりと,例文でないとしたものに,大判昭和2年3月17日(新聞2676号19頁)(2年の期間について)がある。」とのことです(同38頁註(4))。)。
X社内のとほほな状況に対して,Y社内においては,法務部のリーガルチェックを経て決裁がされています。
カ 取り交わされた本件契約書
2019年1月29日,XとYとは需要予測業務等委託契約書を取り交わします。当該契約書に係る業務等委託契約(以下「本件業務委託契約」といいます。)では,XがYから①需要予測業務,②需要計画に応じた電力の調達等業務,③需要計画等作成・提出業務,④一般送配電事業者からインバランス補給(調達)を受け,又は一般送配電事業者への余剰インバランス供給をする業務,⑤託送供給等約款における託送料金支払等の託送手続代行業務等を受託しています。
また同日,本件業務委託契約の②及び④の業務に対応するものとして,次に掲げる内容の条項(下線は筆者によるもの)を有する本件契約書が取り交わされ,本件電力卸供給契約がX・Y間で締結されています。
第1条 本件電力卸供給契約は,本件業務委託契約に基づき,XがYのために調達した電力及び一般送配電事業者〔中略〕から供給を受けた接続対象計画差対応補給電力及び給電指令時補給電力(以下総称して「卸供給等電力」という。)のYに対する供給に係る料金その他必要な事項を定めることを目的とする。
第4条1項 X及びYは,Yの需要家の需要場所毎の供給地点において一般送配電事業者により計量された値の合計値(以下「需要家の需要実績値」という。)から,Yが自ら調達する電力に係る調達計画値の合計値を控除した値に相当する電力量について,X及びYとの間の卸供給等電力の受給が受給地点において行われたものとみなし,当該値に相当する電力量を卸供給等電力量とする。但し,高圧及び特別高圧の需要家のうち毎月1日を検針日とする需要場所の需要家に係る常時バックアップに係る契約に基づき供給される電力については,翌月の電力量から控除するものとする(註5)。
(註5)このただし書に出て来る「常時バックアップ」は,第5条4項にも出て来ます。
第5条1項 XがYに供給する卸供給等電力に係る料金(以下「卸供給等電力料金」という。)は,それぞれ以下〔原文には「のa及びb」とあって,bは卸電力取引所のない沖縄電力株式会社の供給区域に係る特則なのですが,本稿ではaの規定で代表させて,bは捨象します。〕のとおりとする。但し,〔略〕(b)〔略〕に係る卸供給等電力量料金については,合計で年間(12ヶ月)2000万円(消費税等相当額を含む。)を上限とする。
(a)卸供給等電力量料金((b)を除く。)
下記の電力量料金単価に〔第4条第1項〕の規定に基づき計量された卸供給等電力量から対象供給区域毎に算定されるYに係る不足インバランス相当電力量(需要家に係る30分毎の接続対象電力量が,Xの作成する需要家に係るその30分の接続対象計画電力量を上回る場合に生じた不足電力量の補給に充てるための電力量(以下「Yの不足インバランス相当量」という。以下同じ。))を控除した電力量を乗じた金額を合計した金額に,消費税等相当額を加算した金額とし,1月を単位とする。
記
卸電力取引所のスポット市場の価格(市場分断が生じている場合は,本件需要家の供給区域におけるものとする。)+手数料0.10円
(b)卸供給等電力量料金(接続対象差対応補給電力,給電指令時補給電力による調達に係るもの)
対象供給区域毎に算定されるYの不足インバランス相当量に係る接続対象差対応補給電力料金及び給電指令時補給電力料金の合計金額とし,1月を単位とする。
第5条4項 Yは,Xから送付を受けた請求書に基づき,請求書発行月末日までに,当該請求に係る月の卸供給等電力料金からXが一般送配電事業者に支払うべきYの小売電気事業に係る常時バックアップの前々月料金相当額を減算した額及び本件電力卸供給計画において卸供給等電力料金と共に支払うこととされている金額の合計額をXの口座に振り込む方法で支払う。
(4)X・Y間の本件取引の開始から決裂まで
2019年4月1日,X・Y間で,YがXのBGに参加した・本件業務委託契約及び本件電力卸供給契約に基づく取引(以下「本件取引」といいます。)が開始されます。
XにおけるYに対する料金請求業務担当者に四谷さんがした説明は「原告〔X〕が卸供給する電力量全量に卸供給単価(SPOT価格プラス0.10円/kWh)を乗じた金額を,Yに対して請求することに加え,それとは別途,「インバランス」分として年間2000万円を上限に請求できることを〔四谷さん〕は説明したがそれ以上の説明はしなかった」というものでした。
2019年4月分の料金としてXは,卸供給料金とは別に「インバランス分の請求」として本件契約書5条1項ただし書の年間上限額2000万円の請求をしています。この2000万円の請求に対してはY内では,同年6月20日付け請求書でXから同月「4月分料金の請求がされた際,本件取引に関する不足インバランス料金の合計額は,1億2000万円を上回る金額となっていた」ので,「原告〔X〕を心配する声も上がり,〔六本木ジェネラルマネジャー〕は,被告Yの担当者に確認したが,原告〔X〕に確認するなどのことはしなかった」そうです。Y内では,不足インバランス相当電力量(本件契約書5条1項(b)参照)と当該電力量控除後の卸供給等電力量(同項(a)参照)との2種の電力量はそれぞれ別計算になることが理解されていたわけです。しかし,X内では,全卸供給等電力量から不足インバランス相当電力量を控除しないまま(前記の四谷さんの説明では控除を要しないことになっています。料金請求部署でも本件契約書を精読はしなかったのでしょう。),当該全卸供給等電力量に基づき本件契約書5条1項(a)の料金を算出して請求し続けていたところです。しかして不足インバランス相当電力量を控除せずにXが(a)の料金を算出して請求して来ていることがYに気付かれなかったのは,2019年5月分以降の請求書は卸供給料金1本になり,「インバランス分」の請求書は無かったからでしょう(「インバランス分」は同年4月分をもって支払済みとはYも認識していたところです。)。「原告〔X〕は,〔2019〕年5月分以降の請求においては,インバランス分の料金を分けて請求することはなく,不足インバランス相当電力量を含む供給電力量全量に卸供給単価を乗じた金額を被告Yに対して請求し,被告Yは,〔2020〕年12月分までの請求について特段異議を述べることなく,その支払をした」ところです。
2019年10月1日,三鷹さんはXの代表取締役及び取締役を辞任します(従業員としては残る。)。
2020年11月頃,XからYに対して,本件取引に関する卸料金の請求について,電力量の算定を送電端ベースで行うべきところ,需要端ベースで行われていた誤り(送電端と需要端との間における送電過程で発生する送電ロスをXが負担する「誤り」)があった旨連絡がありました(しかし,本件契約書4条1項は需要端ベースで規定されているのです。)。その後,XとYとの間でその取扱いをめぐって協議が行われるようになります。
2021年1月12日,XからYに対して2019年4月から2020年10月までの分に係る送電端ベースでの計算値との差額である6億3106万2228円の「未払料金」支払を求める請求書が送付されました(2020年11月以降の料金についても,送電端ベースによるものと需要端ベースによるものとの差額を加味した請求を併せて行っています。)。これに対してYは,契約上の根拠なく支払に応ずることはできないとして拒絶しています。
2021年1月22日,Yは,Xに対し,本件業務委託契約及び本件電力卸供給契約について,同年4月以降に係る契約更新を行わない旨通知します。
同年3月22日,Yは,Xに対して書面を送付して,本件取引においては,卸供給電力量から不足インバランス相当電力量を控除した卸供給量に対して卸供給単価を乗じて卸料金を算定すべきであるところ,Xは,不足インバランス相当電力量を含む卸電力量全体に卸供給単価を乗じてYに対して請求し,Yがこれに応じた支払をしていた誤りがあり(この誤りは,同年1月頃以降にY社内で過去の不足インバランス料金に関する請求について検証を行い,Xから「「通告値(計算値)」が記載された試算表」の提供を受けて確認したところ発覚しています。),その結果2020年12月分までに18億4713万0057円の過払が生じていると主張しました。更にYは,当該過払金債権及びその利息3300万3093円をもって2021年1月分の卸供給等電力量料金支払債務(同年3月12日に請求があったもの)と相殺する旨等の主張を行います。またYは,2021年1月以降分の請求に対して不足インバランス相当電力量相当分に対する支払を拒絶しました。
グジャグジャですね。
その後裁判沙汰となったわけですが,事件番号に「平成3年」とありますから,Xは2021年中に本件訴訟を提起したわけです。
2021年9月,三鷹元社長はXを退職します。
パン・・・
「ああ,空が高い・・・/夏も終わりですね。」
「・・・ ・・・」
「え?」
「・・・なんでもない・・・」
(さよなら三鷹さん・・・/本当にさよなら・・・)
(高橋留美子『My First Big Special めぞん一刻 桜の樹の下で』(小学館・2012年)166-167頁「しあわせ曲線」)
4 裁判所の判断
(1)原告Xの請求
本件訴訟においてXはYに対して,主位的請求として,送電端ベースの全卸電力量を基準とした料金に係る未回収分として76億3693万4369円及びこれらに対する年14.6パーセントの遅延損害金(本件契約書5条5項)を,予備的請求として無効の契約に基づく電力供給に係る不当利得として77億8759万7467円及びこれらに対する年3パーセントの遅延損害金(民法404条2項)の支払を求めていました。筆者としては細かく気になるところの請求額の具体的算出根拠も,主位的請求と予備的請求とにおける請求元本額の相違の由来も,判決文だけからはなおよくわからないのですが,いずれにせよ76億3693万4369円は大きいですね。
(2)争点に対する裁判所の判断
しかし,本件訴訟においては,Xの請求額の計算の妥当性が云々される以前に,①X・Y間において本件契約書の内容どおりの契約が成立していたものと裁判所によって前提され(本件9月会議において成立した合意の内容こそが本件電力卸供給契約の内容なのだとのXの主張(なお,旧民法財産編(明治23年法律第28号)356条は「合意ノ解釈ニ付テハ裁判所ハ当事者ノ用ヰタル語辞ノ字義ニ拘ハランヨリ寧ロ当事者ノ共通ノ意思ヲ推尋スルコトヲ要ス」と規定していました。)については,当該合意の成立自体が認められないものと判示されています。),②当該契約に係るX(三鷹社長)の意思表示には平成29年法律第44号による改正前の民法95条(「意思表示は,法律行為の要素に錯誤があったときには,無効とする。ただし,表意者に重大な過失があったときは,表意者は,自らその無効を主張することができない。」。2020年4月1日より前の2019年1月29日に成立した本件電力卸供給契約に係る意思表示については,平成29年法律第44号附則6条1項により,同法による改正前の民法95条の例によることになるのです。)の要素の錯誤はあるものの,③それと同時に同条ただし書の重大な過失があるからXは本件電力卸供給契約の無効を主張することはできず,④XはまたXとYとが共通の錯誤に陥っていたこと(民法現95条3項2号参照)をも云々するけれども当該共通錯誤の存在を推認させる事情は認められない,との非情かつ無慈悲な請求棄却・X敗訴の判決が下されたのでした(X控訴)。
(3)重大な過失に関する判示
ア 三鷹社長の重大な過失
本件電力卸供給契約に係る三鷹社長の意思表示における錯誤について同社長の重大な過失を認定した東京地方裁判所の判示は次のとおりでした。
〔三鷹〕社長は,本件契約書を取り交わして本件電力卸供給契約を締結するに当たり,自らの認識している〔五代〕事業長との間で了解されたと考えていた取引の重要な条件(卸供給電力量の算定地点や卸料金の算定方法)を適切に契約書のドラフトを担当する部門に伝えず,契約書の担当部門が適切な事務処理態勢を構築しているかについて確認することをせず,自らの意思と異なる内容の契約書がドラフトされている状態を放置し,契約書の内容を確認することもしないまま本件契約書を作成し,結果として自らの認識と全く異なる契約書の取り交わしを行ったというのであるから,原告代表者として契約を締結するに当たり,普通になすべき注意を著しく欠いていたものといわざるを得ない。
さすがは裁判官,おっしゃるとおり,と言うべきでしょう。
なお,重大な過失とまではいかぬ軽過失による錯誤であれば無効の主張が通ったのかと言われても,やはり過失がある以上なかなかそうはならないものかもしれません。「しかし,表意者に軽い過失がある場合でも,表意者を保護する必要がないのではないか。そこで,立法論としては,民法の規定は妥当でないと思う。解釈論としても,できるだけゆるく重過失を認定すべきでろう。」との説があります(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)199頁)。「言葉によって相手方を信頼させた者はその信頼を裏切ってはならない,ということは,社会生活上の一つの格率である(このことは心裡留保の規定の背景にも存在する)」(星野Ⅰ・198頁)というわけでしょう。
イ Xの錯誤に対するYの悪意又は善意(重)過失の主張に関して
なお,本件訴訟においてXは,「Yは,〔三鷹〕社長が錯誤に陥っていることを知っていたか,知らないことについて過失があった」ことを主張して,民法旧95条ただし書の効果を打ち消そうとしています。
表意者の重過失の存在にかかわらざる相手方悪意による意思表示の錯誤無効の主張については,梅謙次郎以来の通説であり,判例も認めているとされているところです(ただし,川元主税「錯誤者の重過失不顧慮規定(民法95条3項1号・2号)に関する一考察」名城法学72巻1=2号(2022年)5頁は「戦後の裁判例の中には,単に相手方が表意者の錯誤を知り,また重過失によって知らなかったことのみをもって重過失のある表意者による錯誤の主張を認めたものは見当たらない。」と指摘しています。)。梅は「但意思表示ノ当時相手方カ表意者ノ錯誤ニ陥レルコトヲ知レル場合ニ於テハ本条〔旧95条〕但書ヲ適用スヘキ限ニ在ラス蓋シ本条但書ノ規定ハ過失者ニ対シ善意ノ相手方ヲ保護セント欲シタルニ過キサレハナリ唯法文ニ之ヲ明言セサリシハ或ハ缺点ナランカ」と説いていたところです(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編』(私立法政大学=有斐閣書房・1905年)227頁)。民法現行95条3項1号においては,相手方が悪意の場合のみならず,相手方が善意であっても重大な過失がある場合には,重大な過失による錯誤に基づく意思表示をした表意者による当該意思表示の取消しを認めるものとしています。「表意者に重大な過失があっても,相手方が表意者に錯誤があることを知っているときや,重大な過失によって知らなかったときには,相手方にも落ち度があるから,相手方を保護すべき要請は低い」からだと御当局によって説明されています(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)20頁)。
本件訴訟において裁判所は,Xの当該主張を一蹴しています。
本件全証拠によるも,Yが本件電力卸供給契約締結当時に,〔三鷹〕社長が錯誤に陥っていたことを知っていたことを認めることはできないし,本件取引についての決裁が原告〔X〕内で適式に行われ,その後に本件契約書の取り交わしが行われ,本件契約書の内容や体裁に特段の不審点もないという本件において,原告〔X〕の取引の相手方たるYにおいて,〔三鷹〕社長が錯誤に陥っていたことを知らなかったこととしても,Yに過失があったということはできない。したがって,原告〔X〕の上記主張は採用の限りでない。
五代事業長が退職してしまったので,三鷹社長が同事業長と具体的にどういう交渉を行っていたのかは六本木ジェネラルマネジャー以下Y社内では分からないようになり,2018年11月6日にXから届いた本件契約書のドラフトを見て初めて,ああ前任者が交渉してまとめていた商談は具体的にはこういう契約になるものだったのね,と理解したのでしょう。したがって,そのX作成の契約書ドラフトの内容と商談過程で示された三鷹社長の意向との間に齟齬があるものとは思いもよらず,Yは同社長の錯誤を知らなかった,とされてももっともなところです。「本件契約書の内容」自体に関しても,Yとしては本件契約書の内容で本件取引を行った場合に自社が黒字になるかどうかまでは検討するにしても,Xが赤字になるかどうかまでシミュレートしてあげる義理もないでしょうから,一見して「不審点」がなければそれまででしょう。当社内での「適式」な決裁を御社はなお信用することはできません当社起案の契約書の内容と当社の内心の意思との間に錯誤がないかどうかを御社がその注意義務を十全に発動して更に確認しなければならないのです,と言うのは厚かましく,かつ,図々し過ぎるでしょう。
「うるせえなっ!!/ピーピーわめくともう一発かますぞっ。」
(高橋・初めてのキス39頁「キッスのある情景」)
(4)XとYとの「共通の錯誤」
ア 本件訴訟における「共通の錯誤」の主張に関して
民法現行95条3項2号によれば,錯誤が表意者の重大な過失によるものであっても,「相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき」には,表意者はその錯誤に基づく意思表示を取り消すことができるものとされています。「相手方も表意者と同一の錯誤に陥っていたときには,法律行為の当事者が互いに誤解をしていた以上,その効力を維持して相手方を保護すべき要請は低い」からだそうです(筒井=村松編20頁)。なお,同条で問題となる「錯誤」は,同条1項によれば,「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なもの」(同項柱書)であるところの「意思表示に対応する意思を欠く錯誤」(同項1号)又は「表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤」(同項2号)です。
本件電力卸供給契約に係る三鷹社長の意思表示は平成29年法律第44号の施行前にされていますから,当該意思表示に適用される条項は民法旧95条であることはさきに述べたとおりです。その民法旧95条の時代においても,意思表示の無効を主張する同条本文の錯誤の抗弁に対する重過失の再抗弁(同条ただし書。意思表示の無効の主張が封じられます。)が成立したときにおける再々抗弁として,「共通錯誤であること」の主張が可能であるものとされていたようです(岡口基一『要件事実マニュアル 第2版 上』(ぎょうせい・2007年)116頁)。ここでいう「共通錯誤」については,民法現行95条3項2号の規定するところと同様に考えてよいのでしょう。
ところで本件訴訟においては,自分がした意思表示(本件契約書によるもの)に対応する意思(本件契約書4条1項及び5条1項の部分)を三鷹社長は欠いていたという錯誤(民法現行95条1項1号)があったとの主張がされ,要素の錯誤として認められたのでした。そうだとするとそれと「同一」のYの錯誤とは,Yにも本件契約書の当該部分の内容に対応する効果意思が無かった(効果意思が対応していないのであればよく,その意思の内容は問わない)という錯誤なのでしょうか。しかし,民法現行95条3項2号に関する法制審議会の審議においては,同号にいう「同一の錯誤とは同一の事項について錯誤に陥っていることなのか,それとも錯誤の中身も同一であるのか」という質問に対して,「錯誤の内容も同じであることを前提としつつ,解釈によってもう少し広がる余地はある」との見解(なお,ここで「もう少し広がる」のは錯誤取消しを認めて当該表意者を保護する必要が認められた場合でしょう。)が述べられていたそうですから(川元24頁及び同頁註42),Xの内心の意思と一致しなかった意思表示事項(同一の事項)に対するYの内心の意思の不一致だけでは不十分で,当該表示と一致しないYの意思の内容が更に当該事項に係るXの意思のそれと同一であることまでが必要なのでしょう。
本件訴訟においてXは,Yが「表意者(X)と同一の錯誤」に陥っていたことを立証するために,本件電力卸供給契約に係るYの効果意思の内容は,本件契約書にかかわらず,本件9月会議において三鷹社長と五代事業長との間に成立した合意の内容なのだという主張をしています。しかし,そのような合意の成立なるもの自体が既に否定されていたところであって,結局裁判所は,「原告の指摘する事実は,被告Yが原告と同様の錯誤に陥っていたことを推認する事情ということはできず,原告の上記主張は採用することができない。」と判示して,Xを斬って捨てています。
また,前にも述べたように,Yを去った五代事業長の後任のジェネラルマネジャーたる六本木さんとしては,2018年11月6日にXから届いた本件契約書のドラフトを見て初めて,本件9月会議で前任者がしていた商談はこういう契約になるのだなとの認識を形成したのでしょうし,さらには,本件電力卸供給契約の締結前にYにおいてはその内容たる本件契約書について法務部によるリーガルチェックまでがされているのですから,Yの側としては,我々は契約締結時には本件契約書の内容と正に同一内容の効果意思を有していたのだ,ということになるのでしょう。
ところでそもそも,「両当事者が同一の表示錯誤に陥っている場合,双方がその表示に付与した内容で法律行為が成立したと解すべきであり(誤表は害さず falsa demonstratio non nocet),錯誤は問題にならない」のですから(川元22頁),本件訴訟におけるXの「共通の錯誤」の主張は,錯誤無効のための主張としては変な主張となっていました(むしろ,本件9月会議における合意の内容による契約成立の主張でしょう。)。民法現行「95条3項2号の対象は同一の基礎事情錯誤の場合に限られる」とされているところです(川元22頁)。民法現行95条3項2号の規定は,文言上は同条1項1号の錯誤についても適用があるように読み得るのですが,同号の錯誤にも適用があって取消しが認められることになると,せっかく両当事者の内心の意思が無事合致して契約が成立した場合にも取消しが認められるということになって,かえっておかしなことになるのでしょう。
イ 共通錯誤論の歩んだ鉄路🚞🚉等
なお,法律行為の基礎事情(動機)に係る相手方の同一の錯誤が,錯誤取消しに対する重過失の抗弁を封ずる機能を果たし得るようになるまでには,幻の鉄道計画に踊らされた錯誤に基づく土地売買の効力をめぐっての民法学の大家間における評価の変遷がありました。以下は,明治以来の当該変遷に関する「鉄ちゃん」的好事趣味による叙述です。
(ア)明治:梅謙次郎
まず,つとに旧民法財産編309条2項は「合意ノ縁由ノ錯誤ハ其錯誤ノミニテハ無効ノ原因ヲ成サス但当事者ノ一方ノ詐欺ニ関シテ定ムルモノハ此限ニ在ラス」と規定していましたところ,現行民法の起草者の一人である明治の梅謙次郎は,幻の鉄道計画に踊らされた土地売買の錯誤無効などあり得ない,という立場でした。
例ヘハ土地ヲ買ハント欲スルニ方リ其近傍ニ鉄道ノ停車場ノ設置アルヘキコトヲ聞キ始メテ之ヲ買ハント決意シタルニ其風聞ハ訛伝ニシテ停車場ノ設置ナキコト判然スルニ至リタルカ如キ是レ何人ト雖モ理由ノ錯誤〔「意思表示ノ内容ニハ毫モ錯誤アルコトナク唯表意者カ其意思表示ヲ為スニ至リタル理由ニ錯誤アルモノ」〕ニ過キサルモノトシテ法律上何等ノ効力〔当該意思表示を無効とする効力〕ナキモノタルヲ認ム〔後略〕
(梅・巻之一229-230頁,また228頁)。
(イ)昭和:我妻榮
これが昭和の我妻榮になると,動機(縁由)の錯誤に基づく無効を認めてもよい場合があるのではないかということになります。
(ハ)意思表示をする動機(縁由)に誤りのあるもの 動機の錯誤という。例えば,鉄道が敷設される予定地と誤信して,そうでない土地を高価で買った場合,受胎している良馬と誤信して駄馬を買った場合などがその例である。かような錯誤が相手方の詐欺によるときは,詐欺による意思表示として第96条の問題となる。しかし,そうでない場合でも,相手方に不測の損害を被らせない限り,表意者を保護することが適当だと考えられる。〔略〕すなわち,心理的にみて動機であること自体は,特別に問題とならない。ただ,動機は表示されず相手方が知らない場合が多いので,そのために問題とされないだけである。従って,表示された動機は,意思表示の内容となり,その限りで錯誤の影響を受ける。いいかえれば,動機が表示され,相手方がこれを知っているときは,その範囲内における錯誤は,法律行為の内容の錯誤となる。右の諸例が,鉄道敷設地としての売買,受胎している良馬としての売買であるときは錯誤の問題となる(大判大正6・2・24民284頁は後の例)。これに反し,動機が表意者の内心に秘められ,表示に現れないとき――右の諸例がこの土地,この馬として売買されただけのとき――は,法律行為の内容の錯誤とならない。かように解することは,表意者本人の保護と取引の安全とを調和させることになるであろう〔略〕。
(我妻297-298頁)
(ウ)平成:内田貴法務省参与
そしていよいよ,平成です。平成の内田貴法務省参与の教科書においては共通錯誤論の乗り入れがあって,買主に重過失がある場合であっても,共通錯誤の理論をもって錯誤無効が認められることとされました。
(Ⅱ-19)ある地区に地下鉄が通り駅ができるという話を聞きつけたAは,駅前に当たる地域に住んでいるBに対し,駅前スーパーを建てたいからと言って,土地の売買交渉を行ない,将来の地価高騰を見込んで時価よりかなり高い価格で売買契約を締結した。しかし,その後,地下鉄の噂は事実無根だと判明した。契約はどうなるか。
一方的錯誤と共通錯誤の違い 本件の錯誤は動機の錯誤であるが,当事者双方とも錯誤に陥っており(共通錯誤と呼ばれる),動機は意思表示の内容となっている(契約内容になっている)。したがって,伝統的理論によっても,要素の錯誤として無効となり得る事例である。
今日の多数説の立場からいっても,当事者はともに地下鉄の開通を契約の前提としており,BがAの意思表示を信頼したという場面とは異なるから〔「今日の多数説」は「錯誤無効が狭く限定されるのは,表示に対する信頼を保護することによって取引の安全を図るためだと説明」〕,無効の主張を認めてよい(ただし,〔「今日の多数説」が錯誤無効の要件とする〕相手方の悪意・有過失という点の説明には多少の技巧を要する)。
では,Aに重過失があるときはどうなるか。例えば,Aがこの種の情報を集めるのが商売であるなら,誤った情報に基づいて契約交渉を行なったことに重過失ありとされる可能性があろう。ここで95条但書を適用すれば,Aは無効を主張できずBは望外の利を得る。しかし,B自身も錯誤に陥っていたのであり,契約を有効にして保護すべき正当な利益を持っているわけではない。ゆえに共通錯誤に95条但書の適用なしとすべきである。
以上のような特色を考慮し,一方的錯誤との性質の違いを考えると,共通錯誤は別の類型の錯誤として説明した方が適当であろう(最近の下級審裁判例にはこのような傾向が見られる)。
(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)68頁,また64頁)
(エ)令和の感慨
しかし,共通錯誤論の妥当性の論証に係る「B自身も錯誤に陥っていたのであり,契約を有効にして保護すべき正当な利益を持っているわけではない。ゆえに共通錯誤に95条但書の適用なしとすべきである。」とか,「相手方も表意者と同一の錯誤に陥っていたときには,法律行為の当事者が互いに誤解をしていた以上,その効力を維持して相手方を保護すべき要請は低い」とかいう抽象的な理由付けは,筆者にはどうにも腑に落ちなかったところです。
共通錯誤となる場合が専ら「相手方〔B〕も95条1項・2項の要件を充足しており,当事者双方に錯誤取消権が成立している場合」であれば一応納得できそうですが(しかしそもそもこのような場合には,錯誤取消しの規定がなくとも両当事者において契約の合意解除がされそうですが,そのことは別に措きます。),「Bにとってこの契約は新駅の噂が真実かどうかにかかわりなく有利なものであるから,その錯誤がなければその意思表示をしなかったであろうし,通常人を基準としても同様であるという主観的因果関係・客観的重要性の要件(95条1項)をBは満たしていない」ところです(川元22-23頁)。
「将来の地価高騰を前提として現在の時価よりも相当に高い代金額が決定された場合には,売主も投機売買の片棒を担いでいるのであるから,たしかに売主を保護する必要性は乏しいと言え」るとしても,「こうした投機的な取引では,見込みが外れた場合のリスク分配の合意を契約解釈によって導くことができる場合が多いであろうし,そうした合意を認定できない場合には,不確実な価格高騰に賭けて契約した投機売買の買主は目論見どおりにはいかないリスクがあることも認識していたのであるから,認識と事実の相違としての錯誤は存在しないというべきである。」とされています(川元24-25頁)。また,投機性については,共通錯誤に基づく意思表示取消しの問題というよりも,公序良俗に反する射倖性による法律行為の無効(民法90条)の問題として検討されるべきものでしょう。
更に,「一方錯誤の場合,錯誤無効の主張の有無は錯誤者に委ねられている。つまり不利益を被る錯誤者でさえ契約維持が認められ得るにもかかわらず,共通動機錯誤の場合の利益を受ける錯誤者にはなぜ認められないのであろうか。また,95条ただし書は,重過失ある錯誤者から相手方を保護するための規定である。そうであるならば,共通動機錯誤の場合には一方の錯誤者(A)には重過失があり,他方の錯誤者(B)には過失がないのだとしたら,むしろAのような者こそ保護に値する理由はないというべきである。」とも説かれています(中谷崇「共通動機錯誤における95条ただし書の適用の可否」TKCローライブラリー新・判例解説Watch民法(財産法)No.134(2017年8月4日)3頁)。
(オ)ローマの昔
ところで不図思うに,この共通錯誤論の濫觴は,やはりローマ法にあるのでしょうか。かの『学説彙纂』中で法学者ユリアヌスの説くところとして,次のように紹介されています。
Mensam argento coopertam mihi ignoranti pro solida vendidisti imprudens: nulla est emptio pecuniaque eo nomine data condicetur. (Dig. 18.1.41.1)
銀で(argento)覆われた(coopertam)卓を(Mensam),それと知らぬ私に(mihi ignoranti),知らずに(imprudens)本物として(pro solida),あなたは売ったのである(vendidisti)。この購入は(emptio)無効であり(nulla est),また(-que),その名義で(eo nomine)渡された(data)お金は(pecunia)返還されるのである(condicetur)。
銀鍍金の卓を銀無垢製だと売買契約の当事者双方が誤信した共通錯誤の場合においては,当該売買契約は無効,というわけですか。
しかし,共通錯誤の効果は専ら無効である,というわけでもないようです。マルキアヌスの紹介するところでは,ユリアヌスにおいては担保責任の追及という選択肢も用意されていたようです。
Labeo libro posteriorum scribit, si vestimenta interpola quis pro novis emerit, Trebatio placere ita emptori praestandum quod interest, si ignorans interpola emerit. Quam sententiam et Pomponius probat, in qua et Julianus est, qui ait, si quidem ignorabat venditor, ipsius rei nomine teneri, si sciebat, etiam damni quod ex eo contingit: quemadmodum si vas aurichalcum pro auro vendidisset ignorans, tenetur, ut aurum quod vendidit praestet. (Dig. 18.1.45)
ラベオが(Labeo)最近の事例に関する(posteriorum)本で(libro)書いているには(scribit),ある人が(quis)新品として(pro novis)仕立て直された(interpola)衣類を(vestimenta)買った(emerit)場合であって(si),当該仕立て直された品物を(interpola)それと知らずに(ignorans)買った(emerit)ときには(si),それゆえ(ita)買主に(emptori)その差分相当を(quod interest)給付すること(praestandum)がトレバティウスには(Trebatio)好ましいのである(placere)とのことである。この意見を(Quam sententiam)ポンポニウス(Pomponius)も(et)是認しており(probat),ユリアヌスも(et Julianus)同意見である(in qua … est)。同人(qui)〔ユリアヌス〕いわく(ait),もし(si)売主が(venditor)確かに(quidem)不知であったとしても(ignorabat),正にその行為の(ipsius rei)名義によって(nomine)義務付けられたのであり(teneri),もし(si)知っていたのであれば(sciebat),更に(etiam)彼から(ex eo)生ずるところの(contingit)損害賠償の(damni)それにもよって〔義務付けられたの〕である。もし(si)真鍮(黄銅)の(aurichalcum)薬鑵(vas)をそうと知らずに(ignorans)金無垢のものとして(pro auro)売ったならば(vendidisset),彼は,売ったところの(quod vendidit)金を(aurum)給付するように(ut…praestet)義務付けられるものである(tenetur)がごとし(quemadmodum)。
土地の「鉄道敷設地としての売買」における共通錯誤の場合,売主は鉄道敷設地ではないことについて不知であったゆえに損害賠償責任を負わず(不知について過失があっても,正に共通錯誤はお互いさまなので,信義則上請求は不可となるのでしょう。),当該土地を「鉄道敷設地として」給付するよう義務付けられるだけであるが,それは不能の義務であるからその理由によって結局当該売買契約は無効に帰する,ということでしょうか。
民法412条の2が想起されます。「「不可能なものの債務はない」(impossibilium nulla obligatio est)」なのです(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)81頁)。
なお,真鍮の薬鑵を金瓶と勘違いする話は,梅謙次郎の民法95条解説にも出て来ます(梅・巻之一228-229頁)。古代ローマ以来のお約束の話柄なのでしょう。ちなみに,古代ローマといっても長いのですが,ユリアヌスはハドリアヌス帝の時代の人であるそうですから(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法――ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)105頁),西暦紀元後2世紀の人ということになります(同書111頁によれば,100年頃生・170年歿)。その頃はまだ,鉄道交通はありませんでした。
鉄道敷設・停車場設置の夢の跡(北見相生廃駅:北海道網走郡津別町)
〔2026年2月7日追記:内田貴元法務省参与の新しい『民法Ⅰ-1 第5版 総則』(東京大学出版会・2025年)においては,共通錯誤を説明するための事例が,地下鉄開通及びそれに伴う駅の開設についての錯誤から別のものに差し替えられています。いわく,「たとえば,〔略〕最判平成元年9月14日〔略〕は,離婚の際の夫から妻への不動産の財産分与について,妻に課税されると誤解していた夫の錯誤が問題となったが,実は,妻も同じ誤解をしていた事案であった。このような場合,たとえ表意者が錯誤に陥ったことに重大な過失があったとしても,あえて契約の効力を維持して表意者の損失において相手方(妻)を保護しなければならない事情がない。」と(84頁)。この最高裁判所平成元年9月14日判決は「離婚の際の財産分与において,分与者である夫が分与を受ける妻に贈与税が課されると誤解していた事例である(実際には夫に譲渡所得税〔所得税法(昭和40年法律第33号)33条〕が課される〔判決文にある税理士の試算によれば2億2224万余円〕)。最高裁は夫からの錯誤の主張について,動機が黙示的にであれ表示されて「法律行為の内容」となることで要素の錯誤となる余地がある旨判示した。」というものです(同書75頁)。差戻し後の東京高等裁判所平成3年3月14日判決・判例時報1387号62頁は,夫からの錯誤無効の主張を認めるとともに,夫(勤続29年の銀行員)には当該錯誤について重大な過失があったとする妻の側からの主張を排斥しています。共通錯誤の有無が争点になっていたわけではありません。(なお,当該東京高等裁判所判決においては「本件財産分与契約に当たっては,控訴人〔夫〕が自己に課税されないことを当然の前提とし,かつ,その旨を黙示的に表示していたものと認め」られましたが,法律行為(契約)の内容となったとまで端的に判示されてはいません。)〕
5 弁護士たちと依頼者(の担当者)たちと
(1)本件訴訟の弁護士着手金額試算
「はじめに」において,本件訴訟に係る弁護士の着手金額は1億5千万円を超えたであろうとの想定を申し上げましたが,その算出根拠は次のとおりです。
すなわち,日本弁護士連合会の旧報酬等基準規程(平成7年9月11日会規第38号)によれば,着手金(「事件又は法律事務(以下「事件等」という。)の性質上,委任事務処理の結果に成功不成功があるものについて,その結果のいかんにかかわらず受任時に受けるべき委任事務処理の対価」(3条2項))は「事件等の経済的利益の額」を基準として算定され(13条),かつ,金銭債権に係る経済的利益の額は「債権総額(利息及び遅延損害金を含む。)」をもって算定されますところ(14条1項1号),保守的に遅延損害金を除いて,本件訴訟における経済的利益の額を76億3693万4369円として着手金の額を計算すると次のとおりとなったのでした(17条1項)。
300万円以下の部分はその8パーセントで,24万円
300万円を超え3000万円以下の部分はその5パーセントで,135万円
3000万円を超え3億円以下の部分はその3パーセントで,810万円
3億円を超え76億3693万4369円までの部分はその2パーセントで,1億4673万8687円ということになって,
合計1億5642万8687円也。
本件訴訟の代理人弁護士の先生方は超一流弁護士事務所に所属されておられるので,1億5642万8687円の着手金といっても,ふんこんな額,ということで眉一つ動かされずに冷然と受領せられたことでしょう。
(2)Xの担当者らの心理忖度
Xの担当者さんたちとしても,超一流弁護士事務所の最強弁護士軍団に受任してもらってほっとしたことでしょう。超一流弁護士事務所が受任したということは,「勝てる」と当該事務所が判断したということになります。「勝てる」ということは,悪いのはYであって,三鷹社長以下Xの担当者さんたちの仕事には結果オーライ的ではあるが間違いはなかった,ということになります。そしてこの推論にお墨付きを与えてくれたのは,繰り返しになりますが,超一流弁護士事務所なのでした。しかして当該お墨付きの有難みは,お布施の額たる弁護士報酬金額の高さに当然正比例するものでありましょう。また,報酬額が高いからこそ超一流弁護士事務所と称せられ,かつ,称し得るものなのでしょう。
「勝てないから」と潔く受任を断る弁護士(「被騙取金回収の見込みのないインターネット詐欺被害事件を積極的に受任する弁護士に対する懲戒がはやってもいるからね。桑原桑原。」)は論外ですが,受任はしてくれたもののうっかり「この案件はどうにもしょうがなくて,勝ち味が薄くて申し訳ないから,着手金を減額して差し上げますよ。」などと言い出す弁護士も,「良心的」ではなく,かえって迷惑野郎でしょう。弁護士報酬の相場に詳しい経理部員などに「何で相場よりこんなに安いの?」と不審に思われて突っ込まれると,本件契約書案の作成過程の実態についての当該受任弁護士による辛辣な評価の存在に係る供述に追い込まれかねず,そのような評価が流布してしまうと,本件契約書案の決裁に関与した営業部・管理部の担当者さんたちとしては自分らの将来が危うくなってしまうことになります。
本件においてはXが控訴しています。しかしてその理由を筆者が想像するに,1億5千万円余の高額着手金をsunk costとして見切ることができなかったゆえでもありましょうし,また,裁判の確定までの期間中は,堂々高額報酬で受任してくれた超一流弁護士事務所の発する威光に守られてXの関係担当者さんたちとしては,俺たちは悪くない悪いのは俺たちのちょっとした間違いに乗じて暴利を貪ったYなのだこのことについてはあの最強弁護士軍団も同意見なのだ,と言い募ることができるからでもありましょうか。三鷹元社長は,そのようにして「逃げ切った」ものかどうか(註6)。
否々,そのようなことではないのでしょう。本件においてXの訴訟代理を行うのは,超一流弁護士事務所の最強弁護士軍団なのです。超一流かつ最強なのですから,当然,控訴審で轟然炸裂する回天の隠し玉があるのでしょう。Xは,当該隠し玉の威力に十分納得して控訴したのであって,そこに錯誤は無いのでしょう。
なお,暴利行為云々という場合,我が民法90条によるその無効化に関して比較法的参考条項として紹介されることのあるドイツ民法138条2項は,„Nichtig ist insbesondere ein Rechtsgeschäft, durch das jemand unter Ausbeutung der Zwangslage, der Unerfahrenheit, des Mangels an Urteilsvermögen oder der erheblichen Willensschwäche eines anderen sich oder einem Dritten für eine Leistung Vermögensvorteile versprechen oder gewähren lässt, die in einem auffälligen Missverhältnis zu der Leistung stehen. (中でも,相手方の窮迫,未経験,判断力の不足又は著しい意志薄弱に乗じて,ある給付に対してそれとは顕著に不均衡な自己又は第三者に対する財産上の利益を約束させ,又は与えさせる法律行為は,無効である。)“と細かく規定しています。つまりここでは,給付と財産的利益との間の不均衡さえあればよいというものではなく,更に「相手方の窮迫,未経験,判断力の不足又は著しい意志薄弱に乗じて」という要件が必要なのでした。Xは「窮迫,未経験,判断力の不足又は著しい意志薄弱」の状態にあったわけではないですし,乗ずる(unter Ausbeutung …)にしても,YはそもそもXの錯誤を認識してはいなかったと認定されているのでした。
(註6)しかし,会社法423条1項の責任はついて回りそうです。同法424条に基づきⒷ社(総株主)の同意を得てXの後継経営陣が三鷹元社長の責任を免除した,ということは,裁判で自社の業務の正当性をなお主張して争っている以上まだないのでしょう。なお,裁判で「重大な過失」があったものと藪蛇的に認定されると,会社法425条1項・426条1項及び427条1項並びに国家賠償法(昭和22年法律第125号)1条2項等との並びで苦しくなるかもしれません。
(3)七尾弁護士のその後・・・
ところで,七尾弁護士は,本件騒動の「元凶」としてXとの取引から切られたのでしょうね。
「法律の専門家の弁護士のくせに,何でこんな変な契約書を作ったのだ。」
「法律の専門家と言われてましも,御社のお仕事についての専門家ではないので,契約の対象となるビジネスのスキームについて具体的に説明していただかなくては契約書の書きようがなくて・・・本件の場合,申し上げにくいのですが,実は四谷さんが・・・」
「四谷にまあ問題があったことは認める。しかし,四谷の認識や知識の不足については,専門家であるあんたが適宜,指摘・教育等してくれるべきだったんじゃないのか。あんた法律の専門家なんだろ。また,四谷で埒が明かなかったら,どうしてその上司に連絡・相談するということをしなかったのだ。」
しかしこれは,七尾弁護士に対して酷ですね。
取引先企業様の御担当者様の御機嫌を損ねるようなことが,また,その内部の職務関係・人間関係に介入するようなことが,一介の出入業者にすぎない弁護士風情に出来るわけがないではありませんか(弱気に過ぎるでしょうか。)。
「八神さん,あなたね,四谷さんがどういう人か知ってるの?」
「どうって・・・どういう人なんですか。」
「そりゃ私だってね,〔略〕こんなふうに言いたくはないけど・・・/変態よ,あの人。目つき見てわからない?〔略〕」
〔略〕
「それだけあしざまに言えればたいしたものです。」
(高橋・恋の罠122頁「キック・オフ」)
「それだけあしざまに言えればたいしたものです。」とつぶやく御担当者様のお怒りをかうと,当該企業様とのお仕事もそれまでとなってしまいます。
また,弁護士も所詮は凡夫に毛が生えた程度のものであって,telepathicな超能力者ではありません。
したがって例えば,契約書作成の場合,契約書の対象となるビジネスの仕組みの精確な理解,そこにおいて法律上取り得る選択肢の取捨に係るビジネスの観点からする判断,必要な関係事項に係る調査・研究,これらのための社内調整等は,まず発注元企業で行っていただかなければならないことどもでしょう。しかし,当該社内調整等についてまで社外の弁護士が差し出がましく口を出してよいものやらどうか。
いずれにせよ,「専門家」の弁護士に丸投げして任せておけば大丈夫だ,と安価かつ安易に安心していると,2年間で76億円余を取り損ねた上で,更に訴訟代理人弁護士費用として着手金1億5千万円余が消えるということになるのでした。企業側において戒心されるべきことでしょう。
ところで,七尾弁護士としては,同人がXから稼得する弁護士報酬総額が1億5千万円を超えることなど,何年かけても無理だと思っていたのではないでしょうか(ちなみに,法務部員の年収をざっと800万円とすると,当該部員が1億5千万円稼ぐには18年9箇月かかります。)。そういう期待をし得るほど高額の弁護士報酬を得ておられたお金持ちであれば筆者は七尾弁護士にそう深く同情はしませんが,そのような事情の存在が明らかではない以上,訴訟代理人となられた超一流弁護士事務所の先生方の御稼得(当該御稼得額は,筆者には極めて高いものと思われるのですが,しかし,これら超一流の先生方にとっては,はした金にすぎないのかもしれません。)と引き比べて,当該御稼得の原因を作出してしまった「貢献者(?)」である七尾弁護士が不遇であるように思われてならないのです。
「あたしのこと嫌いにならないで。」
(あくひく ひくっ)
「お願い・・・」
「待って,やっぱりいい・・・/さよなら,/元気で。」
「さよなら・・・」
たたた・・・
(高橋・桜の樹の下で397頁・405頁「本当のこと」)




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