第1 はじめに

 「〔「大赦,特赦,減刑,刑の執行の免除及び復権を決定すること」を内閣の行う事務とする日本国憲法737号の〕これらの表現はそれのみで意味明確で,憲法の規定のみをもってしても,内閣は具体的決定をなすことが可能である。が,ここでも,憲法実施の現実は,これは内閣の排他的権限範囲とせず,現在,恩赦法なる法律が,それぞれの内容と手続を規定している。〔同法の規定〕には,恩赦のあり方に微妙な制限をくわえる部分があるが,このような恩赦法の規定が内閣の権限を縮減するものであるかどうかは,憲法論をはらむものと言えよう。合憲論は,恩赦の効力,内容や手続の決定を法律事項とするわけであるが,そう解すべき特別の根拠は指示されない。」と説かれています(小嶋和司「内閣の職務と責任」『小嶋和司憲法論集二 憲法と政治機構』(木鐸社・1988年)353頁)。

しかし,「天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス」と規定する大日本帝国憲法(明治22211日発布)16条自体がそもそも,法律たる当時の旧刑法(明治13年太政官布告第36号)及び旧治罪法(明治13年太政官布告第37号)の恩赦関係規定をむしろその前提としていたのでした。

また,日本国憲法についても,その737号においては内閣が恩赦の「決定」までしかしないということは実は194634日から翌5日にかけて行われた大日本帝国政府とGHQ民政局との間の大日本帝国憲法改正案をめぐる徹宵交渉の際の整理漏れ事項ですし,旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)538条(「死刑ノ執行ハ司法大臣ノ命令ニ依ル」)が既に存在していたにもかかわらずGHQが無邪気にreprieve(刑(特に死刑)の執行停止)を恩赦の一種として追加してしまったために,従来の「特赦」(旧恩赦令(大正元年勅令第23号)5条(「特赦ハ刑ノ執行ヲ免除ス但シ特別ノ事情アルトキハ将来ニ向テ刑ノ言渡ノ効力ヲ失ハシムルコトヲ得」))を現行恩赦法(昭和22年法律第20号)において特赦(同法5条(「特赦は,有罪の言渡の効力を失わせる。」))と刑の執行の免除(同法8条)とに分離するというacrobaticな概念操作をしなければならないことになった,とは筆者が前稿でくどくどと御紹介申し上げたところです(「「特赦」概念の変容をめぐって」https://donttreadonme.blog.jp/archives/1082719090.html)。

恩赦をめぐる憲法論は,実はなかなか多岐にわたる論点を包含し得るもののようです。

 

第2 大日本帝国憲法16条の由来

 ここでまず,大日本帝国憲法16条の由来を見てみましょう。

 

1 ロエスレル草案68

 1887430日に成立したロエスレル(Roesler)の憲法草案(小嶋和司「ロエスレル「日本帝国憲法草案」について」『小嶋和司憲法論集一 明治典憲体制の成立』(木鐸社・1988年)4頁参照)の第5章「司法(Von der Rechtspflege)」中には,第68条として,„Der Kaiser hat in Strafsachen das Recht der Begnadigung.(天皇ハ刑事ニ於テ赦免権ヲ有ス)という規定があったところです(小嶋(ロエスレル)2829頁)。「刑事ニ於テ(in Strafsachen)」です。すなわち,「恩赦とは訴訟法上の成規の手続に依らずして犯罪者に対し刑罰権の全部又は一部を抛棄し又は刑罰から生ずる法律上の効果を免除する行為を謂ふ。〔中略〕恩赦はその実質に於いては刑罰権の作用であるから,唯刑罰に関してのみ適用の有るもの」である,とは美濃部達吉の説くところです(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)308頁)。

 

2 井上毅の「乙案」「甲案」

 1887523日完成の井上毅の「乙案」「甲案」(小嶋(ロエスレル)3頁参照)においては,前者はその第53条で,後者はその第50条で,いずれも「天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ズ」と規定していました(伊藤博文編『秘書類纂 憲法資料上巻』(秘書類纂刊行会・1935年)619頁並びに476頁及び668頁)。赦免(Begnadigung)の具体的内容を当時の旧刑法及び旧治罪法の用語をもって列挙したものでしょう。大赦は旧刑法641項前段及び97条並びに旧治罪法95号及び22415号,特赦は旧刑法641項後段及び旧治罪法477条から480条まで並びに復権は旧刑法63条から65条まで及び旧治罪法470条から476条までに出てきます。減刑は,部分的な特赦(grâce partielle)ということで,旧刑法及び旧治罪法の「特赦」に勿論含まれるものとされたのでしょう(「「特赦」概念の変容をめぐって」参照)。

 

3 夏島草案及び浄書三月案

 18878月の夏島草案では,天皇の章の第14条に「天皇ハ赦免,減刑及復権ヲ命ス」との規定が置かれていました(国立国会図書館ウェブサイト・電子展示会「史料による日本の近代」2-7)。


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 夏島跡地(今では埋め立てによって地続きになっていて,島ではありません。)


18883月の浄書三月案の第16条(「天皇ハ赦免減刑及復権ヲ命ス」)の朱書解説には「赦免トハ大赦又ハ特赦ニ依リ罪ヲ免スルヲ謂フ」とあって,かつ,「仏国及白耳義ニ於テハ国王ハ特赦ノ権アリテ大赦ノ権ナシ(ヂヂトニッセン氏白国憲法注釈ニ依ル)仏国1875年ノ憲法第3条ニ云大統領ハ特赦ノ権ヲ有ス但シ大赦ハ法律ニ依ルニ非レハ之ヲ行フコトヲ得スト此レ(すなはち)行政ノ特権ヲ制限スルノ狭局ニ過ル者ニシテ我カ憲法ノ取ル所ニ非サルナリ」との「附記」がされています(「史料による日本の近代」2-7)。そうであれば,それまでの「大赦特赦」が「赦免」に一本化されたのは,大赦と特赦とを分離して書いておくと,特赦はともかく大赦は法律によるものとせよとの・おフランス=ベルギー国風の「行政ノ特権ヲ制限スルノ狭局ニ過ル」議論が出て来るのではないかという心配によるものだったのでしょうか。

 

   「ヂヂトニッセン」ことJ.-J. Thonissenによるベルギー国憲法73条(「国王は,裁判官によって宣告された刑を減免する権利(le droit de remettre ou de réduire les peines prononcées par les juges)を有する。ただし,大臣について別段の定めある場合は,この限りでない。」(日本語訳は,清宮四郎訳『世界憲法集 第二版』(岩波文庫・1976年)88頁))に関する解説(J.-J. Thonissen, La Constitution Belge annotée (1879, 3e édition))を現在インターネット上で見ることができます。

いわく,「法律は,一般的な規則を規定することしかできない。立法者の経験及び智恵がどのようなものであっても,彼が社会生活の無限の複雑さの中で生じ得る全ての事項を予見できるものではない。ある状況においては極めて重罪的な行為と同一の行為が,他の仮定下にあっては,重大性を欠く軽罪の全ての性質を帯びたものとなるのである。/しかし,裁判官らが立法者に従わないことは全くできない。たとえ刑法の規定が明白に衡平の法則を侵害するときであっても,彼らはそれを適用するよう義務付けられている。したがって,このような例外的場合のために,法よりもより厳しくなく語ることによって法を和らげる権力を与えられた・最高の権威が存在することが必要なのである。/()()減免()の権利の利点は,更に他の面においても現れる。それは,権力に対して,死刑及び終身刑と切り離すことのできない危険及び不都合を減少させる手段を提供する。それにふさわしいことを示す全ての者に差し伸べられる国王の仁慈(clémence royale)の見込みが,有罪判決を受けた者の改悛を喚起する。それは,有罪判決を受けたが,法的手段では判決を変更させることの今やできなくなった無実の者に対して社会が提供する最後の救済手段である。疑いもなく,この権利の行使は,現実的濫用をもたらし得る。これは,全ての人間的制度と共有される弱さではある。しかし我々は,モンテスキューと共に,「(レット)(ル・ド・)減免状(グラス)は,穏和政体(gouvernements modérés)の偉大な権限(grand ressort)である。君主の有するこの赦免権は,智恵と共に用いられるとき,称賛すべき効果を発揮し得るのである。」と,少なくとも言わねばならない。」と(Thonissen: pp.230-231)。

また,我が大日本帝国憲法起草者らが確認したとおり,ベルギー国憲法においては,大赦(amnistie)を行う権限は国王にはなく,それは法律で行われることになっています(Thonissen: p.234)。その理由は,刑の減免は完了された裁判に対して行われるものであってそれより前の刑事司法(訴追及び司法警察活動)を妨げることはできないところ(Thonissen: p.232),大赦は公訴権自体を消滅させてしまう(なお,我が恩赦法32号参照)からだと説明されています。権力分立の政体下において,司法権と執行権との間の切り分けがされているわけです(Thonissen: p.232)。「フランスの1875225日の憲法的法律(loi constitutionnelle3条はベルギー国憲法73条よりもよい規定振りである。いわく,「共和国大統領は,刑の減免(grâce)を行う権限を有する。大赦(amnistie)は,法律によってのみ行われ得る。」と。」との紹介は,トニセン本の本文にではなく,註にありました(Thonissen p.234, note (2))。

 

4 枢密院における審議及び修正

1888618日午前に枢密院の第一読会に提出された原案においては,後の大日本帝国憲法16条は「天皇ハ赦免減刑及復権ヲ命ス」とされていました。同月22日午後の第二読会では森有礼文部大臣から「復権(〇〇)ノ文字ハ一般ニ用ヒ来ル()」との質問があり,井上毅書記官長が「現行治罪法ニ用ヒタリ」と答えています。同年713日午前の第三読会において山田顕義司法大臣から「委員会ノ修正案ニ於テ赦免(〇〇)2字ヲ大赦(〇〇)特赦(〇〇)4字ニ修正シタリ」と報告されています。枢密院においては面倒な大赦=法律事項論は出ぬまま,むしろ積極的に大赦を天皇大権に属するものとして明定したという形です。つとにボワソナアドが,「王又は皇帝の大権が憲法によって制限されているので当該君主制が「立憲的」であるといわれ,かつ,主権が君主と議会によって代表される国民(ナシオン)との間においていわば分割されている諸国においては,大赦を行う権限はなお,王又は皇帝の排他的属性とせられている。」と述べていたところです(Boissonade, Projet Révisé de Code Pénal (1886): p.232)。

 

第3 復権論

さて,本稿においては大日本帝国憲法16条に規定された復権(réhabilitation)を問題とします。

 

1 旧刑法及び旧治罪法における規定

旧刑法においては,復権は,附加刑たる剥奪公権(同法101号及び31条)を受けた者(同法32条(「重罪ノ刑ニ処セラレタル者ハ別ニ宣告ヲ用ヒス終身公権ヲ剥奪ス」))について将来の公権を復せしむるものでした(同法631項(「公権ヲ剥奪セラレタル者ハ主刑ノ終リタル日ヨリ5年ヲ経過スルノ後其情状ニ因リ将来ノ公権ヲ復スル(こと)ヲ得」)この「復権ハ勅裁ニ非サレハ之ヲ得可カラス」とされていました(同法65条)。なお,剥奪される公権(旧刑法31条)については3を御覧ください。

また,旧治罪法4701項は,公権の剥奪を受けた当人が復権の願いを司法卿に対してすべきものとしていました(「復権ノ願ハ刑法第63条ニ定メタル期限経過シタル後刑ノ言渡ヲ受ケタル者ヨリ司法卿ニ之ヲ為ス可シ」)。同法においては,復権に関する手続と特赦及び減刑に関する手続とはそれぞれ別の章において規定されていました(前者は第6編第2章,後者は同編第3章)。

 

2 問題意識

筆者の問題意識は,復権を行うことは性質上当然に,「恩赦の権」(伊東巳代治の英語訳では“the right of pardon”)の行使として,「至尊慈仁の特典を以て法律の及ばざる所を補済」するもの(『憲法義解』第16条解説)なのかどうか,及び付加刑としての剥奪公権が廃された現行刑法(明治40年法律第45号)下において(同法9条後段参照),復権は「刑事ニ於テ」の「赦免」の一種といえるのかどうか(ロエスレル草案68条参照)ということです。

すなわち,①「法律の及ばざる所を補済」するものであれば,復権は法律の規定するところの外において行われなければならないことになります。②「慈仁の特典」(伊東巳代治の英語訳では“the special beneficient power)というからには,復権は一方的恩恵的なものでなければならないはずです。③「至尊」というからには,復権は元首(大日本帝国憲法4条(「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」))の専権事項ということになるのでしょう。また,「名誉刑とは,人の名誉を剥奪する刑罰で,公民権剥奪や公民権停止がこれにあたる」とされるところ(前田雅英『刑法総論講義 第4版』(東京大学出版会・2006年)512頁),名誉刑たる付加刑としての剥奪公権及び停止公権(旧刑法102号並びに33条及び34条)の廃された現行刑法下における刑の言渡しに伴う資格制限については,「なお,刑の言渡しに伴なって,種々の資格制限が行われることがある。例えば,公職に就く資格を喪失し(国家公務員法38条,地方公務員法16条,学校教育法9条),選挙権,被選挙権などを失う場合(公職選挙法11252条)等である。しかしこれらは,行政上の処分であり刑罰ではない」と言明されているところです(前田512頁)。行政上の処分に対する恩赦があり得るものかどうか。

 

3 各論

 

(1)「法律の及ばざる所を補済」するものかどうか

1に,大日本帝国憲法施行(18901129日から施行)当初はなお旧刑法及び旧治罪法第6編第2章「復権」を承けた旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)第8編第2章「復権」が存在しており(旧々刑事訴訟法は1890111日から施行),これらの法律に基づく復権は,少なくとも手続においては,大日本帝国憲法16条に関して『憲法義解』のいう「法律の及ばざる所を補済」するものではないことになります。(旧刑法及び旧々刑事訴訟法における復権関係規定が復権の実質要件をも含意するものであるかどうかは次の(2)で検討します。)

ただし,これらの法律に基づく個別的のものではない,勅令による一般的復権が行われれば(政令による復権に係る恩赦法9条本文前段参照),それは大日本帝国憲法16条に直接基づくものとなります。しかしながら,大日本帝国憲法16条の当初の解釈は,個別復権主義の旧刑法並びに旧治罪法及び旧々刑事訴訟法を前提として,復権は専ら個別に行われるべきものとしていたようです(「議会の協賛を経て定められた事柄は,やはり議会の協賛を経なければ之を変更することが出来ないのを当然の原則とすべきものであるから〔筆者註:旧刑法及び旧々刑事訴訟法は議会の協賛を経ていませんが,法律である以上はこの理が妥当するものでしょう。〕,立法大権の行為に対しては独裁の大権を以ては之を破ることができないのを原則とし,随つて立法権と狭義の大権との関係に於いては,原則として大権は立法権の下に在りその拘束を受くるものと解せねばならぬ」(美濃部165頁)。)。したがって,旧刑法の廃止及び旧々刑事訴訟法第8編第2章の削除(いずれも1908101日から)後であっても,1912年の旧恩赦令の第9条はなお「復権ハ刑ノ言渡ヲ受ケタル為法令ノ定ムル所ニ依リ資格ヲ喪失シ又ハ停止セラレタル特定ノ者ニ対シ之ヲ行フ」と規定していたのでした(下線は筆者によるもの)。

「この制度〔復権制度〕の始原は,確かにローマ法において見出される。」ところですが(R. Garraud, Traité du droit pénal français, T.II (Sirey, Paris, 1914, 3e éd.: https://ledroitcriminel.fr/la_science_criminelle/penalistes/le_proces_penal/suites_juéégement/garraud_rehabilitation.htm),6世紀東ローマのユスティニアヌス法典においては「破廉恥〔infamia〕が宣言せられた結果,訴訟法上の能力の缺除の外,さきの共和政の立法や戸口調査官の裁定で加えられた公法上の能力の制限(元老院議員,地方自治体職員,弁護士(ユ帝法では公職)になれぬ)その他が発生するという建前をと」り,当該破廉恥は,「或る行為をなし又はなさざることによつて当然に発生し」,「或いは刑事判決」等の「付加的効果として発生」したそうです(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)59-60頁)。破廉恥が個々人に属するものであるならば,破廉恥からの回復が一般的に生じているということは考えにくいわけだったものでしょう(旧刑法631項も「公権ヲ剥奪セラレタル者」の「其情状」を問題にしています。)。

なお,我が旧刑法における剥奪公権によって剥奪される権利は,①国民の特権,②官吏となるの権,③勲章・年金・位記・貴号・恩給を有するの権,④外国の勲章を佩用するの権,⑤兵籍に入るの権,⑥裁判所において証人となるの権(ただし,単に事実を陳述するは,この限りにあらず。),⑦後見人となるの権(ただし,親属の許可を得て子孫のためにするは,この限りにあらず。),⑧分散者の管財人となり,又は会社及び共有財産を管理するの権並びに⑨学校長及び教師・学監となるの権でした(同法31条)。悪いことをして重罪の刑に処されると兵隊にならずに済むというのは何だか変ですが(対照事例として,不図,野蛮なるРоссияの囚人部隊などが想起されます。ちなみに,兵役逃れ問題が深刻になっているといわれているウクライナの兵役法はどうなっているのでしょうか。),これは我が旧兵役法(昭和2年法律第47号)でも維持されていて,同法4条は「6年ノ懲役又ハ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタル者ハ兵役ニ服スルコトヲ得ズ」と規定していました。刑法施行法(明治41年法律第29号)33条は「死刑,無期又ハ6年以上ノ懲役若クハ禁錮ニ処セラレタル者ハ他ノ法律ノ適用ニ付テハ旧刑法ノ重罪ノ刑ニ処セラレタルモノト看做ス」と規定しています。旧刑法の重罪の刑で一番軽いのが,6年の禁獄(定役に服せず。)だったのでした(同法79号及び23条)。

ナポレオンの刑法典(1810年)においては,公権剥奪(dégradation civique)は,首枷晒し(carcan)及び国外追放(bannissement)と並ぶ名誉刑(peines infamantes)の一つでした(同法8条)。公権剥奪がされると,全ての公職務及び公の雇傭から馘首され,かつ,排除されるとともに,有期強制労働(travaux forcés à temps5年から20年まで),国外追放,禁錮重労働(réclusion5年から10年まで)又は首枷晒しに処せられた者らと同様,陪審員及び鑑定人となることができず,証書作成の際の証人となれず,単なる事実の陳述を除いて裁判所で証言することができず,家族の同意を得た上での自分の子に対するものを除くほか後見又は他人の財産管理(curatelle)をすることができず,武器の所持権及び帝国軍において兵役に就く権利を失うのでした(同法34条及び28条)。

我が国において勅令による一般的復権が可能になったのは,旧恩赦令9条が「復権ハ刑ノ言渡ヲ受ケタル為法令ノ定ムル所ニ依リ資格ヲ喪失シ又ハ停止セラレタル者ニ対シ勅令ヲ以テ要件ヲ定メ之ヲ行ヒ又ハ特定ノ者ニ付之ヲ行フ但シ刑ノ執行ヲ終ラサル者又ハ執行ノ免除ヲ得サル者ニ対シテハ此ノ限ニ在ラス」と昭和2年勅令第10号により改められた192725日以降のことでした(下線は筆者によるもの)。同月2日の枢密院会議における二上兵治報告員(書記官長)による審査報告によれば,「恩赦ノ大権ハ憲法上固ヨリ自由絶対ナルモ恩赦令ナル勅令ニ於テ此ノ大権ノ行動ノ形式順序等ニ関シ若干ノ規定ヲ設ケタルカ〔略〕現行ノ恩赦令ノ条項ニ於テハ復権ハ特定ノ者ニ対シ個別的ニ之ヲ行フノ一途アルノミナルモ此ノ個別的復権ノミニテハ復権恩赦ノ御趣旨ヲ全クスルニ適セサルモノアリ現ニ刑ノ執行ノ免除ニ関シテハ特定人ニ対シテ個別的ニ行フヘキ特赦ノ外ニ勅令ヲ以テ一般的ニ行フヘキ大赦アリ又減刑ニ関シテハ特定人ニ対スル個別的減刑ノ外ニ勅令ヲ以テスル一般的減刑アルニ比スルモ権衡ヲ失スルノ嫌アリ(より)テ茲ニ本案ヲ以テ大赦,特赦ノ別アルコト及減刑ニ2種アルコトノ例ニ做ヒ復権モ亦特定人ニ対シテ個別的ニ之ヲ行フノ外勅令ヲ以テ要件ヲ定メ一般的ニ之ヲ行フノ途ヲ新ニ設ケ」たということでした。大赦・特赦及び減刑との横並び論が素朴に説かれています。

大正天皇の大喪儀が行われた192727日,復権令(昭和2年勅令第13号)が裁可・公布され,同日から施行されています。

 

 勅令第13

    復権令

1条 罰金以上ノ刑ノ言渡ヲ受ケタル為資格ヲ喪失シ又ハ停止セラレタル者ニシテ其ノ刑ノ執行ヲ終リ又ハ執行ノ免除ヲ得タル日ヨリ昭和元年1225日ノ前日迄ニ10年以上ヲ経過シタルモノハ復権ス但シ大正51225日以後ニ再ビ罰金以上ノ刑ニ処セラレタル者ハ此ノ限ニ在ラズ

  第2条 18歳未満ノ時罪ヲ犯シ死刑又ハ無期刑ニ非ザル刑ニ処セラレタル者ニシテ昭和元年1225日ノ前日迄ニ其ノ刑ノ執行ヲ終リ又ハ執行ノ免除ヲ得タルモノハ其ノ刑ニ処セラレタル為喪失シ又ハ停止セラレタル資格ニ付復権ス

     附 則

  本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

 

 昭和元年(1926年)1225日午前125分に大正天皇は崩御しています。

 

DSCF1300(大正天皇多摩陵)
 大正天皇多摩陵(東京都八王子市)


(2)「慈仁の特典」性いかん

2に復権の「慈仁の特典」性いかんです。これについては,我が母法国であるフランスにおいては次のような経緯があったところです。

 

  復権は初めて,〔フランス革命期の〕1791年刑法において標準化され,かつ,体系化された制度に含まれることになった。それは,それがそれ以前の立法においてそうであったもの,すなわち,専ら主権者の意思に依拠する赦免(grâce)の一形態ではなくなった。それは,立法において,一つの権利(un droit)として規定された。それ以後においては,有罪の裁判を受けた者のかつての地位(status)への復帰(réintégration)――当該地位(l’état)は有罪の裁判によって貶められたものであるが――は,特別の手続に服する法的制度となった。〔後略〕

 (Garraud: ibid.

 

 復権について規定するフランス1791年刑法第1編第7章を見ると,復権を得るための要件は一定期間(短くはないですが)のよい行状(bonne conduite)であり(同章2条参照。同章62項では「非の打ちどころのない(irréprochable)」行状。また,同章4条),その効力発生要件としては損害賠償の完済及び金銭の完納がありました(同章11条)。我が旧治罪法においても復権の願人の行状が問題となっており(同法472条は「検事ハ願人ノ品行其他必要ノ取調ヲ為」すものと規定していました。),復権の願書には「賠償及裁判費用ヲ弁済シ又ハ其費用ヲ免レタルノ証書」を添付すべきものとされていました(同法4714号)。旧治罪法において求められたところの復権を受け得るための願人の「品行」とはどのようなものかといえば,同法472条に対応するボワソナアド原案63811号によれば同人は軽禁錮(旧刑法82号及び24条)以上の刑に処せられていてはならず,同項2号によれば方正(de bonne vie et mœurs)であって,かつ,自らの生計維持手段(ses moyens d’exisitence)を有するもの(旧治罪法4715号後段参照)でなければならないものだったようです(Boissonade, Projet de Code de Procédure Criminelle (1882): p.932 et pp.936-938)。

 革命期において運用された復権制度は現実には評判のよいものではなかったそうですが,カンバセレス(「いい男」🌈)及びベルリエ(Berlier)のおかげをもって,当該制度はナポレオンの治罪法典(1808年)においても,革命期の立憲議会において与えられたものと同じ性格を有するものとして維持されています。しかしてその際,

 

  治罪法案の当該関係規定を立法院に説明するに当たって,レアル(Réal)説明員は復権を次のように定義した。「既得の権利の承認である(la reconnaissance d’un droit acquis)」と。更に後になって,182338日の国務院(コンセイユ・デタ)の意見は,仁慈の行為acte de clémence)である赦免(グラス)との対比において,それ復権裁判行為acte de justice)であるとした。しかしながら,1885年まで復権は,同時に司法的,行政的かつ政治的(à la fois judiciaire, administratif et gouvernemental)な混合行為であるものと観念されていた。その管轄地内に復権出願者が住所を有する控訴院が願いに対して簡潔な意見を付する,しかして,この最初の検討結果が積極であれば書類が検事総長(procureur général)〔我が旧治罪法に倣えば控訴院検事長〕を通じて法務大臣(garde des sceaux)に送られ,法務大臣は,元首(chef de l’État)の最終判断(décision souveraine)を仰ぐ〔ナポレオンの治罪法典630条参照〕。このようにして,復権の獲得は法的な要件及び手続に服するものであったが,その決定自体は主権者の意思に由来するもの(émanait du bon plaisir du souverainn)であった。

 (Garraud: ibid.

 

ということでした。

「〔ナポレオンの〕治罪法の体系においては,特別の手続を経,かつ,一定の要件の満足が正当化された後(après justification de l’accomplissement de certaines conditions)に元首によって与えられていた復権」というのですから(Garraud: ibid. 下線は筆者によるもの),復権の付与をもって完全な自由裁量行為とするわけにはいかないでしょう。

 したがって,復権をもって,純粋に,大赦,特赦及び減刑のような「慈仁の特典」と解することはできないようです。

 

  〔近代の立法において〕それ〔復権〕は,始原においてはそのうちの一形態であった赦免(グラス)から分離した。それ〔復権〕は体系化され規整せられたが,他方,赦免(グラス)は,君主権の行為(acte de souveraineté)という性格を有するため,法的規整の枠組みになお入り得ないでいる。

  (Garraud: ibid.

 

 フランス1791年刑法第1編第7章は復権について規定しましたが,他方同章13条は,陪審員によって裁かれた罪についての特赦(刑の執行の免除)や減刑を廃止していたのでした。

いずれにせよ,ボワソナアドが我が旧刑法の起草作業に関与した頃(1875年から1877年まで)のフランス法においては,復権は「同時に司法的,行政的かつ政治的な混合行為」とされつつ,そこでは「1808年の立法者によって元首に与えられた判断の至高権(le pouvoir d’appréciation souverain)が〔その後の治罪法の改正法によっても〕維持されていた。」(Garraud: ibid.)ということになっていたのでした。(なお,ボワソナアドは,「復権の願いは,司法的というよりは行政的な措置に係るものであるから,裁判所にではなく,嘆願の形をもって司法卿に宛ててなされる。しかし,それは検察官の仲介をもって同卿に宛てられるのである。」と述べています(Boissonade, PCPC: p.935)。)

ボワソナアドは,復権の効果は「君主の仁慈(la clémence du Souverain)の結果」であると述べつつも(Boissonade, PRCP: p.223),「復権は,仮出獄と同様に,よき行状(bonne conduite)に対する対償でなければならない。」としています(Boissonade, PRCP: p.224)。また,ボワソナアドによれば「大赦,特赦及び減刑は,復権と同様,法によって(par la Loi)君主の仁慈に(à la clémence du Souverain)委ねられた恩恵(bienfaits)である」(Boissonade, PRCP: p.224)とされる一方,「復権は,法による(de la loi)とともに天皇による恩恵」であるもの(Boissonade, PCPC: p.935)とされています。専ら天皇の思召し次第の恩恵なのではなく,法による恩恵でもあるのでした。

 

(3)復権を命ずる主体は元首でなくてはならないか

 第3の復権を命ずる主体の問題については,旧刑法65条(「復権ハ勅裁ニ非サレハ之ヲ得可カラス」)の由来をまず見てみましょう。

 実は,旧刑法65条に対応するフランス語原案(第77条)は当初「減刑,特赦及び大赦は,天皇以外の者から与えられることはできない。」と規定しており(Boissonade, PRCP: p.97),「復権に言及していなかった」のでした(Boissonade, PRCP: p.231 (k)。なお,同註には続けて,「しかし,治罪法〔のフランス語原案〕(640条及び642条)がそれを天皇の大権事項であるものと決定しているので(décidant),ここでそれ〔復権〕に言及するのがよいものと思われる。」とあります。)。ボワソナアドにおいては,大赦,特赦及び減刑についてとは異なり,復権をもって君主の専権事項と直ちにすることには若干の躊躇があったようです。

 その案出に係る旧刑法案77条(「大赦常赦特典及ヒ復権ハ勅裁ニ非サレハ之ヲ施行スヘカラズ」)(『早稲田大学図書館資料叢刊1 日本刑法草案会議筆記 第Ⅰ分冊』(早稲田大学出版部・1976年)217頁)についてボワソナアドは我が司法省の担当者に説明していわく,「復権ハ刑法上ニ記スルト雖モ之ヲ許可スル塲合ニ於テハ粗赦典ニ類似シタルモノナレハ矢張国君ニ於テ之ヲ免レシムルノ特典ヲ有スルモノトス故ニ勅裁ニアラサレハ許可ス可カラサルノ明文ヲ此条ヘ記セサルヲ得ス」と(同210頁)及び「仏国ニテハ復権ハ皇帝ヨリ允許スルモノト為ス故ニ日本ニテハ天皇ノ勅裁ニ限ル事ヲ刑法ニ記スヘキナリ」と(同217頁)。復権を与えることは性質上当然に君主の大権に属するものではなく,当然の大権事項である赦免に「(ほぼ)」「類似」していること及びフランス帝国の前例との横並びを勘案しての復権許可の大権事項化だったのでした。

 しかし,上記のボワソナアド案に対する鶴田皓(纂集長)の発言及びそれに基づく条文修正が憲法論的には興味深いところです。鶴田はいわく,「日本ニテモ赦典ノ法ハ国式ニ属スヘキモノナレハ其国式ニ譲リテ相当ナリ且赦典ハ天皇ノ特権ニ出ツルモノナレハ之ヲ天皇ニテ行ハレタル時ハ斯クノ如ク取扱トノコト而已(のみ)ヲ刑法ニ記スレハ其以上赦典ノ方法ノ区別ヲ詳記スルニ及ハサルヘシ一体大赦常赦特典ノ方法ハ憲国法ニ於テ別ニ定メ置キ刑法ニハ復権ノヿ而已ヲ記シ全ク此条ヲ削ラントス」と(日本刑法草案会議筆記Ⅰ・217頁)。大赦,特赦及び減刑は憲法上の天皇の大権事項であるけれども復権はそうではない,ということのようです。旧刑法65条は復権が憲法上の天皇大権に属するから設けられたのではなくて,むしろ同条によって創設的に復権の許可が天皇の権限に属せしめられたということになるようです。

 そうであれば,大日本帝国憲法16条中「天皇ハ・・・復権ヲ命ス」の部分は,非憲法事項たる法律事項(旧刑法65条)をうっかり憲法事項に格上げしてしまった井上毅の勇み足であったことになるわけです(前記1887523日完成の井上の「乙案」「甲案」参照)。

 更に,井上は我が母法国たるフランスにおける当時の立法の動きも見落としていたようです。

 

  再犯を防止するための方策に係る1885814日の法律は当該制度〔復権制度〕を二つの意味で変更した。復権は,司法権の行為(acte de pouvoir judiciaire)となった。②それは,効果として,有罪の裁判(condamnation)自体を消滅させることになった。

  (Garraud: ibid.

 

大日本帝国憲法の制定当時,フランスにおいては復権を与えることについて元首の意思は不要となってしまっていました。現在では控訴院の予審部(chambre d’instruction)が復権を管轄しているそうです(フランス刑事訴訟法7831項後段)。

ちなみに,革命期のフランス1791年刑法第1編第7章においては,復権の決定は出願者が住所を有する地方自治体の議会において多数決でされ(同章1条,4条,5条及び61項),復権の宣告は刑事裁判所の所長(le président du tribunal)が法と裁判所との名において行うのでした(同章7条)。宣告の文言は,「汝の国による証し及び求めに基づき,法及び裁判所は,汝の罪の穢れを消除する。(Sur l’attestation et la demande de votre pays, la loi et le tribunal effacent la tache de votre crime.)」でした(同条)。荘重な「新しい「市民としての洗礼(baptême civique)」」ということになりますが(Garraud: ibid.),それは,フランス1791年刑法の復権によって回復されるものが,「能動市民(citoyen actif)」としての権利だったからでしょう(同法第1編第41条)。1791年のフランス王国憲法下においては「選挙によって選ばれる立法府についても,制限・間接選挙制であり,それに参加するのは「能動市民」に限られる。「能動市民」であるための要件は,25歳以上の男性であることのほか,特に納税額(3労働日の価額以上の直接税)と住所の要件(当時の産業形態のもとでは,これもまた無産者の排除に役立つ)が重要である(第3編第1章第22条)が,間接選挙制における選挙人となるためには,さらに,一定以上に評価される財産の所有者または用益権者であるか,一定以上に評価される住居の賃借人または一定以上に評価される財産の小作人であることが要求されていた。こうして,全人口約2,400万のうち能動市民は430万で,選挙人(能動市民100人につき一人)の数はエタ・ジェネローの有権者よりも少なくなったという。」ということでした(樋口陽一『比較憲法(全訂第三版)』(青林書院・1992年)66頁)。

なお,大日本帝国憲法下においても,1926年の臨時法制審議会の決議に係る刑法改正ノ綱領第12項は「刑ノ免除ヲ受ケ又ハ刑ノ執行ヲ終リ若ハ刑ノ執行ノ免除ヲ受ケタル者ニ対シ法律上,裁判上判決ノ効力ヲ消滅セシムヘキ規定ヲ設クルコト」と掲げ(下線は筆者によるもの)1940年の刑法並監獄法改正調査委員会総会決議に係る改正刑法仮案122条は「資格ヲ喪失シ又ハ停止セラレタル者善行ヲ保持シ資格喪失ニ付テハ5年,資格停止ニ付テハ其ノ期間ノ3分の1ヲ経過シタルトキハ裁判所ハ将来ニ向テ資格ヲ回復スル旨ノ言渡ヲ為スコトヲ得」と,同124条は「前3条ノ場合ニ於テハ刑ノ言渡ハ其ノ効力ヲ失フ」と規定していました。しかし,これらの裁判上の復権規定案は,遅まきながら1885814日のフランス法から学んだというわけではなく,「1920年(大正9年)ドイツにおいて刑抹消法が制定され,さらに,そのころ公表されたドイツ,イタリア,スイス等の各国の刑法草案には,共通して復権や前科抹消の規定が置かれるなど,犯罪者の人的地位を認めその更生を助長しようとする国際的な刑事政策思潮がわが国にも大きく影響してにわかに刑の消滅に関する規定の新設を含む刑法改正の動きが高まり,翌大正10年には臨時法制審議会が設置され,同15年〔1926年〕同審議会が答申した刑法改正要綱」云々という運びであったそうです(傅法谷弘『前科登録と犯歴事務』(日本加除出版・1992年)111頁)。ドイツ法の影響ですか。我が国におけるフランス法の影響の衰滅は,正に(てのひら)返しのごとし。

いわゆる前科の抹消に係る刑法34条の2は昭和22年法律第124号によって19471115日から設けられた規定ですが,これは1940年の改正刑法仮案119条の規定(「刑ノ執行ヲ終リ又ハ刑ノ執行ノ免除ヲ得タル者禁錮以上ノ刑ニ処セラルルコトナク10年ヲ経過シタルトキハ刑ノ言渡ハ其ノ効力ヲ失フ/譴責又ハ刑ノ免除ノ言渡ヲ受ケタル者其ノ言渡後禁錮以上ノ刑ニ処セラルルコトナク2年ヲ経過シタルトキハ譴責又ハ刑ノ免除ノ言渡ハ其ノ効力ヲ失フ」)を承けたものです。

資格の法律上の回復については,同じ1940年の改正刑法仮案の第121条に「資格ヲ喪失シタル者禁錮以上ノ刑ニ処セラルルコトナク10年ヲ経過シタルトキハ将来ニ向テ資格ヲ回復ス」とありました。ちなみに,フランスにおいては「189985日及び1900711日の法律は我々の法制中に法律による復権を導入した」ということであり,「有罪の裁判からの経過期間に係る自動的な方途による法律上の復権は,ベレンジェ(Bérenger)氏の粘り強い働きかけによってフランス法制に導入された。・・・法律上の復権は,刑の執行を終えてから経過した期間に係る自動的な効果である。」ということでありました(Garraud: ibid.)。自然人についての法律上の復権に要する期間についてはフランス刑法133条の13に規定があります。

 

(4)復権の対象たる資格の喪失及び停止は刑罰としてのそれに限定されるか

4の問題は,刑の言渡しに基づく資格の喪失及び停止は行政法上の効果か刑事上の効果かとの問いに係るものです。

1908101日の現行刑法の施行に伴い,付加刑としての剥奪公権が廃止されると共に旧々刑事訴訟法の復権手続に関する規定が削除された後,「現今恩赦ニ関スル規定ハ単ニ特赦及減刑ノ手続ヲ定メタル明治41年第215号,第216号及第230号の3勅令アルノミ」(1912925日の枢密院会議における河村金五郎報告員(書記官長)の報告)という状態になったのは,資格の喪失が刑罰たる付加刑(剥奪公権)の内容ではなくなった以上,「唯刑罰に関してのみ適用の有る」恩赦(美濃部・前掲308頁)の一種である復権は,出番がなくなったはず,ということだったのでしょう。

確かに,資格の喪失が行政上の処分であるということになると,恩赦の対象にはならないはずです。すなわち,「刑罰以外に於いては,特別の法律の規定の有る場合を除くの外,大権を以て恩赦に類する権力を行ひ得るものではない。故に例へば,等しく「復権」と称せられて居つても,本条〔大日本帝国憲法16条〕に所謂復権は唯刑罰の効果として生じた権利能力の喪失を回復せしむることを意味するもので,破産宣告を受けた者の復権を命ずるが如きは本条の大権に属するものではなく,それは唯破産法の定むる成規の手続に従つてのみ行はれ得る。其の他,禁治産者の能力を回復せしめ,弁護士の懲罰を免除するが如きも,大権に依つては行はれ得るものではない。官吏の懲戒処分を赦免し及び出納官吏の賠償責任を免除することは,大権に依つて行はれ得るものであるが,前者は官吏の任免大権の作用であり,後者は特別の法律〔旧会計検査院法(明治22年法律第15号)21条(「会計検査院ノ判決ニ拠リ弁償ノ責ヲ負フ者ハ天皇ノ恩赦ニ由ルノ外本属長官之ヲ減免スルコトヲ得ス」)〕に基くもので,何れも本条の恩赦大権に含まるゝものではない。」(美濃部309頁)ということになるはずです。

この点,現在の復権は,法律たる恩赦法に基づくものとして説明がされ得るのでしょう。

しかし,大日本帝国憲法時代は,同憲法16条の復権大権と旧恩赦令9条及び10条の復権との関係がやはり問題となります。同令9条のいう「法令ノ定ムル所ニ依リ資格ヲ喪失シ又ハ停止セラレタル」場合において,当該資格の喪失又は停止が法律に基づくものである場合には,天皇といえども下位の法形式である勅令に基づいて当該喪失又は停止を引っ繰り返すわけにはいかず,憲法又は法律に基づく必要がありました。旧恩赦令は勅令でしたので,その第101項の効果(「復権ハ将来ニ向テ資格ヲ回復スル」)は大日本帝国憲法16条に直接基礎付けられねばなりませんでした。

1912925日の枢密院会議においては明言されていませんでしたが,大日本帝国憲法16条における刑事性(ロエスレル草案68条参照)について拡張解釈が一つ採用されたようです。すなわち,旧恩赦令9条の資格の喪失及び停止には,刑罰として直接生ずるもののみならず,「刑ノ言渡ヲ受ケタル為法令ノ定ムル所ニヨリ」ですから,刑の言渡しを要件として他の法令により間接的に生ずるものも含まれるのでした。前記の美濃部達吉の所論においても,よく読むと,「刑罰の効果として生じた権利能力の喪失」といわれています。

確かに,下位の法律の改正によって上位の憲法中に空振り規定が生ずるというのは格好が悪い。「一個ノ項目ニ二様ノ意義アリテ其一カ項目ヲ有効ナラシムルトキハ其意義ニ従フ」です(旧民法財産編(明治23年法律第28号)3582項)。

また,実質的にも,「資格制限は現行法上の刑罰ではない。しかし,一定の犯罪について刑に処せられた場合,これに伴う付随効果として法律上種々の資格制限が設けられている。これらは,いずれも犯罪の成立を要件として科されるものであるから,刑として裁判所が宣告しない場合であっても,実質上は刑罰の一種と解することができる。」(大谷實『刑事政策講義(第4版)』(弘文堂・1996年)161-162頁)ということでよいのでしょう。

 

第4 おわりに

 今上天皇の即位礼正殿の儀の当日である20191022日に次の復権令が出されています。大赦及び政令による減刑はされていません。また,同月18日に閣議決定された「即位の礼に当たり行う特別恩赦基準」においては,①病気等で長期間刑の執行が停止され,なお長期にわたり執行困難な者に対する刑の執行の免除及び刑を受けたことが社会生活上の障害となっている罰金刑の執行終了者に対する復権が当該特別恩赦の内容となったそうです。

 本稿において以上考察してきたところからすると,復権は,君主にとっては恩赦としてはいささか物足りないものであるところです。また,既に病気等で長期間刑の執行が停止されている者に対して今更刑の執行の免除(旧恩赦令5条本文の「特赦」)がされても有難みは薄いようです。

 皇位継承ならざる天皇廃立(天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)2条)を経ての令和共和政下の日本国においては,新天皇即位のめでたさも中くらい,といったところだったものでしょうか。

 

復権を認証し,復権令をここに公布する。

御 名  御 璽

      令和元年1022

      内閣総理大臣 安倍 晋三


政令第131

     復権令

   内閣は,恩赦法(昭和22年法律第20号)第9条の規定に基づき,この政令を制定する。

   1個又は2個以上の裁判により罰金に処せられた者で,その全部の執行を終わり,又は執行の免除を得た日から令和元年1022日(以下「基準日」という。)の前日までに3年以上を経過したものは,基準日において,その罰金に処せられたため法令の定めるところにより喪失し,又は停止されている資格を回復する。ただし,他に禁錮以上の刑に処せられているときは,この限りでない。

     附 則

 この政令は,公布の日から施行する。

                            法務大臣 河井 克行

                          内閣総理大臣 安倍 晋三

 

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