第1 序説

 

1 旧年回顧

 健康的に七草粥を喫すべき7日の日までの松の内🎍も新年を祝う飲酒快調🍶🍷のうちに過ぎ(なお,松の内は,元々は115日までだったそうです。),今更新年(2025🐍)の御挨拶,旧年(2024🐉)の回顧という時期ではないのですが,旧年中における筆者にとっての衝撃的な出来事の一つを挙げれば,大学時代の同級生の一人が難病を患って既に4年以上前に死去していたということをその妹さんによる追悼ブログ記事に逢着して知ったことでした。同年齢の知人らが死亡しつつあるという事実は,身につまされます。次は我が身かと思えば,ますますこの世に生き汚く執着するようになるのか,それともかえって脱力してしまって無気力になるのか,どちらの態度を採るべきか・・・。

 というようなことはともかく,当該故人についての思い出の一つとしては,彼は高校生時代に現代社会の担当の先生に勧められて,日本国憲法の全文を暗記していたということがありました。なるほど法学――特に憲法学――を真剣に学ぶほどの青年は,それくらいのことはあらかじめしておくことが当然です。

 

2 憲法条文(第10条から第31条まで)と記憶力と

 翻って筆者の憲法条文に関する記憶力はどうかといえば,昨年(2024年)中に掲載した本ブログの記事の一つにおいて,日本国憲法第3章の国民の権利及び義務規定に係るGHQ当局による4分類論(①総則,②自由,③社会的及び経済的権利(又は特定の権利及び機会)並びに④司法上の権利)などというものを発見したようでもあるらしく書いてしまっていたところ(「日本国憲法15条とGHQ草案14条及びアメリカ独立宣言と」の3https://donttreadonme.blog.jp/archives/1082157919.html)),不図,この正月の朝寝の蒲団の中で,当該GHQ的分類論に沿って日本国憲法第3章の条項の排列をおさらいし,己れの憲法知識の健在を確認しようではないかと思い立ち実際に行った結果は,次のようなお粗末なものとなっていたところです。

 

   えーっと,去年は第15条について書いたけれど,GHQのいう「総則」の枠組みはアメリカ独立宣言のそれのパクリだから,天賦人権論的議論(第11条。第97条との関係が問題だったなぁ(「日本国憲法第97条をめぐって:ロウスト中佐の頑張りからホイットニー局長の筆先へ」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1031859302.html))。)から始まって(なお,国籍決定法律主義の冒頭第10条は,日本側が後から入れたんだよね。),次に日本人どもに対する有り難いお説教(第12条)があった上で,社会契約の成立が前提される(第13条。これについては,「日本国憲法13条の「個人として尊重される」ことに関して」という記事を昔書いたね(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1075180916.html)。)

次の第14条は,マッカーサーが我が国における封建制の廃止を特に気にしていたから,大日本帝国憲法にはなかった平等条項(大日本帝国憲法におけるそれとしての平等条項の不在については,トニセン本を参考に「大日本帝国憲法19条とベルギー国憲法(1831年)6条」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1038090379.html)というのを書いた。)が付加されたんだったね(第14条についてもグダグダ長いものを書いたなぁ。「「法の下の平等」(日本国憲法141項)の由来に関する覚書」の前編(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1041144048.html)と後編(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1041144259.html)とだな。)

15条はアメリカ独立宣言流抵抗権規定に代わる代替条項で,第16条にある請願の話は,これもアメリカ独立宣言に出て来るのであった。第17条の国家賠償制度は日本側が自ら入れたものであった。

 

自由に関する諸条項は第24条の前までだったけど,偉大なリンカンの修正第13条にあやかった奴隷的拘束禁止の第18条が先頭に来て,これは身体の自由の話。次は精神的自由の話になって,まずは思想・良心の自由条項(第19条)。で,それから政教分離の第20条が来て(米国憲法修正第1条のようにいきなり政教分離が来ずに,思想・良心の話が先行するのは,GHQの担当者としては,――国家に優るとも劣らない宗教の権威を前提するという意味での,あるいは思想・良心に先行するものとしての宗教という意味での――宗教色を薄めたかったのかしら。),その次が集会結社言論出版等の自由に関する第21条だけれども(同条には筆者お得意の「通信の秘密」も含まれるのだ。「抜き刷り差し上げます:東海法科大学院論集3号の「憲法21条の「通信の秘密」について」」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1007481107.html)を参照されたし。),同条での自由は,むしろ本来は,宗教権力からの自由だろうね。(ちなみに,コロナ騒動において顕著だった,穢れ(新型コロナウィルス)を避ける強烈な清潔志向(自粛及びマスク着用)及び禊(ワクチン接種及び手指消毒)の徹底は,一種の宗教心の現われでもあったのかしらん。)で,次は,有名な居住移転職業選択の自由だ(第22条)。学問の自由・・・これは第23条で最後か。宗教権力からのガリレオ的学問の自由ということであれば,第22条より前の方がよろしいようではあるが,GHQの担当者としては,学者業も所詮職業の一種にすぎないと考えていたのだったかしら(註:GHQ草案の第22条には“Academic freedom and choice of occupation are guaranteed.”(学問の自由及び職業の選択は保障される。)と規定されていました。)。自由の部分の掉尾を飾るものとして,複合的な性格を有するものと考えたのかしら。まあ,第23条については難しい本も書かれているようだから,そちらに譲ろう。

 

司法上の権利については,アメリカ人としてはdue processが一番大事で,それが先頭の第31条に来た,と考えればよいのかな。うーんその後ろにいろいろ沢山条文があったけど,刑事訴訟法がらみの話だから,大学の憲法の講義では何だか飛ばされていたなぁ。今朝はやめておこう。

 

24条から第30条までの「特定の権利及び機会」に行ってみよう。

婚姻に関する第24条は,去年関係記事を二つ書いた,と。まずは,「「人格を尊重」することに関して」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1081694748.html)だった。最近は民法の改正が多くて困るんだよね。それから,「札幌高等裁判所令和6314日判決に関して」(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1081775588.html)も書いた。これは,同性婚を全米で一律権利化した判例である,本来もっと知られていて然るべき2015年のObergefell判決の紹介でもあるんだよね。当該判決はフォーチュン・クッキーの中の御御籤(おみくじ)的だとかのスカリア判事によって言われていたけど,今年の元旦の御御籤は,まあ悪くはなかったな(昔,2年連続同じ神社で凶を引いたことがある。)。

25条は有名な生存権規定であると。

財産権は第29条か。割と後ろの方なんだよな。自由の部にないということは,財産をもって個人の自由を確保するために必須のものであるとするとの位置付けをしていないんだよな。武士は食わねど高楊枝かね。

28条には労働法関係の規定があって,確か労働法関係規定は2箇条ほどあったから・・・第27条及び第28条がそれである,と。

で,納税義務の規定があったけど,これはやはり慎ましく,出しゃばらずに最後の第30条辺りだったかな。

であると第26条が残るんだけど,何に関する条項だったかな。あれっ,出て来ないぞ。あれっ。第26条・・・何だったっけ!?

 ということで,恐慌を来した筆者は,我が哀れな脳の老化疑惑に抗うべく記憶喚起のための努力を色々としてみたのでしたが,残念ながらどうしても思い出せませんでした(困ったものです。)。

 

3 憲法26条との再会

到頭諦めて,生ぬるく懐かしい冬の蒲団からままよとぬけ出し,1月の峻烈な朝の寒気の中で六法を確認したところ(刑事訴訟規則(昭和23年最高裁判所規則第32号)199条の11参照),日本国憲法26条は次のとおりでした。

 

    第26条 すべて国民は,法律の定めるところにより,その能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利を有する。

      すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は,これを無償とする。

 

Article 26.  All people shall have the right to receive an equal education corresponding to their ability, as provided by law.

All people shall be obliged to have all boys and girls under their protection receive ordinary education as provided for by law. Such compulsory education shall be free.

 

ああ,「教育を受ける権利」条項だったか,すまんすまん。有名な条項だったよね。旭川学テ事件判決(最高裁判所昭和51521日大法廷判決・刑集305615頁)などというものを勉強したんだったよなぁ。「国家の教育権」説対「国民の教育権」説が云々で,当該対立を踏まえた折衷説が云々だったね。

しかしま,何で忘れちゃったんだっけ。何で影が薄くなっちゃったんだっけ。そもそも第26条には,どういういわれがあるんだったっけ・・・。

 

 と,以上が例によって例のごとくの筆者流の冗長な前書きですが,年初早々我が脳の再賦活化を図るべく日本国憲法26条の由来を少々調べてみた結果が本稿です(なお,当該調べものにおいては,個々の場合についてそれとして明示していませんが,国立国会図書館ウェブサイトの「電子展示会」中にある「日本国憲法の誕生」掲載の諸資料を利用させていただきました。)。

 

4 脱線:憲法の中に見る人生の諸段階

 ちなみに,第26条由来論に入る前に日本国憲法24条から30条までの条項排列を改めて見てみると,日本人の生活に対するお国の関与の場面が,人生の諸段階を追って規定されているようにも思われます。

 

  第24条 誕生に先立つ両親間の夫婦円満💑

  第25条 誕生・即ち生存権取得👶

  第26条 まずはお勉強🏫📚✒

  第27条 やがて働く。🔨⚙🌾💻💦

  第28条 働くに当たっては,時には労働条件につき雇用主と争う。🥊👊

  第29条 形成された財産及びその確保🏠💎

  第30条 しかし最後はお国に税金で取られてしまう。👿👹

 

 第30条は「落ち」としてよく出来ています。ただし,当該規定はGHQ草案(1946213日に日本国政府に手交)にも日本国政府の第90回帝国議会提出案にもなく,衆議院において追加されたものです。

 しかしあえてこのように眺めてみると,第24条の想定する婚姻はやはり本来,そこから子供が生まれ出るべきものなのでしょうか。

 なお,我が憲法29条の位置については,ブリュメールのクーデタ後の憲法案提出に際して出された17991215日のフランス共和国執政官宣言には“La Constitution est fondée sur les vrais principes du Gouvernement représentatif, sur les droits sacrés de la propriété, de l'égalité, de la liberté.”(この憲法は,代表政体の真の諸原則並びに財産,平等及び自由に係る神聖な諸権利に基礎を置くものである。)とあって,財産に対して自由に先立つ地位を与えていたことと比べると――前記感慨の繰り返しになるようですが――隔世の感があります。

 

第2 日本国憲法26条誕生に向けた各方面の動き(194636日まで)

 

1 1946213日交付のGHQ草案24条(日本国憲法262項)

 さて,日本国憲法26条に対応するGHQ草案の条項は,次のとおりです(下線は筆者によるもの)。

 

  Article XXIV. In all spheres of life, laws shall be designed for the promotion and extension of social welfare, and of freedom, justice and democracy.

Free, universal and compulsory education shall be established.

The exploitation of children shall be prohibited.

The public health shall be promoted.

Social security shall be provided.

Standards for working conditions, wages and hours shall be fixed.

 

これを我が外務省が訳したものは次のとおりです。(下線は筆者によるもの。なお,第2項の「自由」は,本来「無償」と訳すべきものだったでしょう。第5項の「社会的安寧」は,「社会保障」とあるべきものでした。)

 

24条 有ラユル生活範囲ニ於テ法律ハ社会的福祉,自由,正義及民主主義ノ向上発展ノ為ニ立案セラルヘシ

自由,普遍的且強制的ナル教育ヲ設立スヘシ

児童ノ私利的酷使ハ之ヲ禁止スヘシ

公共衛生ヲ改善スヘシ

社会的安寧ヲ計ルヘシ

労働条件,賃銀及勤務時間ノ規準ヲ定ムヘシ

 

 第1項(「自由,正義及民主主義」の部分は除く。),第4項及び第5項が日本国憲法25条になり,第3項及び第6項はGHQ草案25条(“All men have the right to work.”(全ての人は働く権利を有する。))とまとめられて日本国憲法27条になり,第2項が日本国憲法26条になっています。ただし,GHQ草案242項に対応するのは,日本国憲法262項のみです。

それでは,日本国憲法261項はどこから由来したものか。

 

2 194632日の日本国政府案(日本国憲法261項)

GHQ草案の交付を承けて日本国政府は大日本帝国憲法全部改正案の作成作業を行いましたが,1946228日の佐藤達夫法制局第一部長の「初稿」において既に次のような規定が見られます(下線は筆者によるもの)。

 

 (第3章の)第15条 国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クル権利ヲ有ス。

  国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ保護スル児童ヲシテ(初等)普通教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フ。(特ニ法律ノ定ムル場合ヲ除クノ外初等普通教育ハ無償トス)

 

 194632日の日本国政府案(ただし閣議を経ていないもの。同月4GHQに提出され,昭和天皇にも奉呈されました。(宮内庁『昭和天皇実録 第十』(東京書籍・2017年)61頁))では次のようになっています。

 

  第23条 凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クルノ権利ヲ有ス。

凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ保護スル児童ヲシテ普通教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フ。其ノ教育ハ無償トス。

  第24条 凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ勤労ノ権利ヲ有ス。賃金,就業時間其ノ他勤労条件ニ関スル事項ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム。

 

  第29条 凡テノ国民ハ種類ノ如何ヲ問ハズ其ノ意ニ反シテ役務ニ服セシメラルルコトナク,且刑罰ノ場合ヲ除クノ外苦役ヲ強制セラルルコトナシ。

児童ノ虐使ハ之ヲ禁止ス。

 

  第38条 凡テ国民生活ニ関スル法令ハ自由ノ保障,正義ノ昂揚並ニ公共ノ福祉及民主主義ノ向上発展ヲ旨トシテ之ヲ定ムルコトヲ要ス。

 

3 194636日発表の「憲法改正草案要綱」及びそれに至る徹宵交渉

 

(1)「憲法改正草案要綱」

194634日から同月5日までの日本側とGHQとの徹宵交渉を経て,日本国政府から同月6日に発表された「憲法改正草案要綱」が成立します。当該要綱中GHQ草案24条関係部分は次のとおりでした。

 

 第23 法律ハ有ラユル生活分野ニ於テ社会ノ福祉及安寧,公衆衛生,自由,正義並ニ民主主義ノ向上発展ノ為ニ立案セラルベキコト

24 国民ハ凡テ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クルノ権利ヲ有スルコト

国民ハ凡テ其ノ保護ニ係ル児童ヲシテ初等教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フモノトシ其ノ教育ハ無償タルコト

25 国民ハ凡テ勤労ノ権利ヲ有スルコト

賃金,就業時間其ノ他ノ勤労条件ニ関スル基準ハ法律ヲ以テ之ヲ定ムルコト

児童ノ不当使用ハ之ヲ禁止スベキコト

 

 当該部分の英語文は,次のとおりです。

 

    Article XXIII. In all spheres of life, laws shall be designed for the promotion and extension of social welfare and security, and of public health, freedom, justice and democracy.

Article XXIV. Every person shall have the right to receive an equal education corresponding to his ability, as provided by law.

Every person shall be obligated to insure that all of the children under his protection receive elementary education. Such education shall be free.

Article XXV. All persons have the right to work. Standards for working conditions, wages and hours shall be fixed by law. The exploitation of children shall be prohibited.

 

(2)194634日から同月5日までの徹宵交渉

 前記部分に係る194634日から同月5日までの徹宵交渉の状況は,佐藤法制局第一部長の手記である「三月四,五両日司令部ニ於ケル顚末」によれば次のようなものでした。

 

  〔GHQ草案〕第24条 〔GHQからの〕交付案ハ雑然タルヲ以テ何トカシタキ旨殊ニ衛生,安寧云々ハ当然ノコト故削除シタシト(ママ)曲ニ申出タルニ先方モ同感ラシク,親身ニ整理方法ヲ考ヘテ呉レ,衛生,安寧云々ハ第1段(要綱第23)ノ処ニ入レルコトデ我慢セヨト云フ(今日考ヘレバ ソシアル,ウエルフエアニ当然含マル故削除シテモ可ナリシモノナルベシ)

  教育ハ〔日本国政府からの〕提出案通リ別条(要綱第24)トスルコトニ交渉ス,義務教育ハ国民学校ニ限ル要アルコトヲ述ベタルニ,何年制ナリヤト云フ故,今ハ6年制ナルモ近〔ク〕8年制ニナル旨説明納得ス。

  尚教育ニ付テハ提出案第1項第2項共「法律ノ定ムル所ニ依リ」ヲ入レルコトハ憲法保障ノ意味ナシ,削ルベシト云フ,1〔項丈〕ハ生カシ,2項ハ削レト云フ故夫レニ応ズ。児童虐使ハ労働条件ト共ニ次条労働権ノ方ニ移スコトトス,之ハ簡単ニ同意。尤モ勤労ノ権利モ「法律ノ定ムル所ニ依リ」ハ不可,之ヲ入レテハ何ニ〔モナ〕ラヌト云フ。

 

(3)国民学校について

 我が国における義務教育に関する佐藤部長の説明の中で国民学校が出てきています。

国民学校令(昭和1631日勅令第148号)によれば,「国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」るものであり(同令1条),初等科と高等科とが置かれて(同令2条本文),初等科の修業年限は6年,高等科のそれは2年(同令3条),「保護者(児童ニ対シ親権ヲ行フ者,親権ヲ行フ者ナキトキハ後見人又ハ後見人ノ職務ヲ行フ者ヲ謂フ以下同ジ)ハ児童ノ満6歳ニ達シタル日ノ翌日以後ニ於ケル最初ノ学年ノ始ヨリ満14歳ニ達シタル日ノ属スル学年ノ終迄之ヲ国民学校ニ就学セシムル義務ヲ負フ」ものとされていました(同令8条)。国民学校令46条ただし書が「昭和641日以前ニ出生シタル児童ヲ就学セシムベキ期間ニ付テハ第8条ノ規定ニ拘ラズ仍従前ノ例ニ依ル」と規定していたものの,既に義務教育8年制になっていたようではあります。しかし,佐藤部長がなお「今ハ6年制」と言っていたのは,1944216日公布の国民学校令等戦時特例(昭和19年勅令第80号)2条による「特例」のゆえです。また,国民学校においては,原則として授業料は徴収されないものとされていました(国民学校令36条。例外として,「特別ノ事情アルトキハ」尋常科・高等科についても地方長官の許可を得て授業料の徴収ができるものとされていました(同条2項)。)。

 

4 GHQ市民の権利委員会によるGHQ草案24条起草状況

ところで,GHQ草案24条が「雑然」としていたのは,原案作成者である例のベアテ・シロタ嬢が沢山書き過ぎたからでもあります(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川ソフィア文庫・2014年(創元社・1995年)224-225頁,279-281頁及び288-290頁参照))。

 

(1)194628日段階:第1稿

194628日のGHQ民政局運営委員会との会合に提出された同局の市民の権利委員会の第1稿における学校関係条項は次のとおり。

 

 21. Every child shall be given equal opportunity for individual development, regardless of the conditions of its birth. To that end free, universal and compulsory education shall be provided through public elementary schools, lasting eight years. Secondary and higher education shall be provided free for all qualified student who desires it. School supplies shall be free. State aid may be given to deserving students who need it.

  (全ての子供には,その生まれに係る条件にかかわらず,個人としての発展のための平等な機会が与えられる。この目的のために,8年間の無償,普通及び義務的な教育が公立の初等学校を通じて授けられる。中等及び高等教育は,資格を認められ,かつ,それを望む全ての学生に対して無償で授けられる。学校用品は無償である。国の援助が,ふさわしい学生であってそれを必要とするものに対して与えられ得る。)

  22. Private educational institutions may operate insofar as their standards for curricula, equipment, and the scientific training of their teachers do not fall below those of the public institutions as determined by the State.

  (私立の教育機関は,その履修課程,設備及び教師の科学的訓練に係る水準が国によって定められる公立機関に対するそれらを下回らない限りにおいて,運営することができる。)

23. All schools, public or private, shall consistently stress the principles of democracy, freedom, equality, and justice, and social obligation; they shall emphasize the paramount importance of peaceful progress, and always insist upon the observance of truth and scientific knowledge and research in the content of their teaching.

 (公私を問わず全ての学校は,民衆政,自由,平等及び正義並びに社会的責務の諸原則を一貫して強調しなければならない。また,平和的進歩の至高の重要性を努めて説き,並びに真理及び科学的知識に遵い,かつ,その教授内容の研究がされることを常に求めなければならない。)

24. The children of the nation, whether in public or private schools, shall be granted free medical, dental and optical aid. They shall be given proper rest and recreation, and physical exercise suitable to their development.

 (国民の子供には,公立学校又は私立学校のいずれにあっても,無償の医科的,歯科的及び視覚補助的援助が与えられる。また,適切な休養及びリクリエーション並びにその発達に適した身体的修練が与えられる。)

25. There shall be no full-time employment of children and young people of school age for wage-earning purposes, and they shall be protected from exploitation in any form. The standards set by the International Labor Office and the United Nations Organization shall be observed as minimum requirements in Japan.

 (賃金稼得を目的とするものである学齢期の子供及び少年に係る常勤雇用は認められず,かつ,彼らはいかなる形態の搾取からも保護される。国際労働機関及び国際聯合が定めた基準は,日本国における最低限の要請として守られなければならない。)

 

 「エラマン・ノート」によれば,運営委員会の講評は,「一生懸命よく書いたとは思うけど(mer[i]torious though they might be),これらの規定は制定法によって規律されるべき事項(the concern of statutory regulation)であって,憲法事項ではないなあ。」でした。それでも市民の権利委員会側は,社会立法関係の詳細な規定を憲法に設けることの必要性を執拗に主張して譲らなかったため,最後はホイットニー民政局長の裁定を仰ぐことになり,「社会立法に係る詳細規定は削って,社会保障(social security)が提供されるべしとの一般的言明(general statement)を設けるようにせよ」との勧告がされています。

 

(2)194629日段階:報告書

 194629日における市民の権利委員会の報告書の段階では,学校関係規定は次の条項中にまとめられていましたが,当該条項に更に運営委員会の斧鉞が加えられて,GHQ草案24条となっています。

 

  Article     In all spheres of life laws shall be designed only for the promotion and extension of social welfare, and of freedom, justice and democracy. All laws, agreements, contracts or relationships, public or private, which restrict or tend to destroy the welfare of the people shall be replaced by others which promote it. To this end the Diet shall enact legislation which shall:

(全ての生活部面において,法律は,社会福祉並びに自由,正義及び民衆政の増進及び発展のみを目的としなければならない。人民の福祉を制限し,又は破壊する傾向のある全ての法律,合意,契約又は関係は,分野の公私を問わず,それを増進する他のものによって置き換えられなければならない。この目的のために,国会は次のようなことに係る立法を行う。)
Protect and aid expectant and nursing mothers, promote infant and child welfare, and establish just rights for illegitimate and adopted children, and for the underprivileged;

(妊娠中及び育児中の母親を保護し,かつ,援助すること,乳幼児及び子供の福祉を増進すること,並びに嫡出ではない子及び養子のため並びに恵まれない者のために正義にかなった権利を確立すること。)
Establish and maintain free, universal and compulsory education, based on ascertained truth;

(確立した真理に基づく無償,普通及び義務的な教育を確立し,かつ,維持すること。)

Prohibit the exploitation of children;

(子供の搾取を禁止すること。)
Promote the public health;

(公衆の健康を増進すること。)
Provide social insurance for all the people;

(社会保険を全ての人民に提供すること。)
Set proper standards for working conditions, wages and hours and establish the right of workers to organize and to bargain collectively, and to strike in all except essential occupations; and

(労働条件,賃金及び労働時間に係る適切な基準を定めること並びに団結し,及び団体交渉をし,並びに不可欠的職務以外のすべての職務において同盟罷業を行うことに係る労働者の権利を確立すること。)
Protect intellectual labor and the rights of authors, artists, scientists, and inventors whether native or foreign.

   (知的労働並びに内外国人を問わぬ著作者,芸術家,科学者及び発明家の諸権利を保護すること。)

 

以上に鑑みるに,日本国憲法261項の「教育を受ける権利」規定は,GHQに由来するものではなく,194634日から5日にかけての徹宵交渉の際日本側がかねて用意のものを提案してそれがGHQによって認められたものであったのでした。

そうであれば,GHQではなく,日本側の大日本帝国憲法改正案作成作業の状況についてこれから見てみなければなりません。

 

5 憲法問題調査委員会における作業

 

(1)毎日新聞スクープ記事(194621日)

実は,194621日の毎日新聞にスクープ記事として掲載された日本国政府の憲法問題調査委員会(委員長:松本烝治国務大臣)の大日本帝国憲法改正に係る一試案に既に,次のような条項があったのでした。

 

 第30条の2 日本臣民は法律の定むる所に従ひ教育を受くるの権利及義務を有す

 

 翌2日付けのホイットニー局長のマッカーサー宛てメモにおいては,同条は次のように訳されています。

 

  Every Japanese subject shall have a right and duty to receive education under the provisions of the law.

 

ただし,194627日に昭和天皇が松本烝治大臣から奏上を受け,同月8日にGHQに提出されたものである「憲法改正要綱」は「松本の「憲法改正私案」を憲法問題調査委員会委員の東京帝国大学教授宮沢俊義が要綱化し,さらに松本自身が加筆した私案で,小範囲の改正を内容とし」たものであって(実録十32頁),そこには教育を受ける権利に関する項目は含まれていませんでした。

 

(2)左翼対策:第14回調査会(1946123日)での松本烝治発言

そもそもの憲法問題調査委員会における議論はどのようなものであったかといえば,その第14回調査会(1946123日,内閣総理大臣官舎放送室で開催)の議事録に次のような注目すべき記述があります(下線は筆者によるもの)。

 

 劈頭松本〔烝治〕大臣出席アリ

前囘ノ小委員会〔註:総会ではない調査会のこと〕ニ於テ〔今後設置が想定されている憲法改正〕審議会ニ提案スベキ改正要綱ヲ作製シテミルコトヲ申合セ,宮沢〔俊義〕委員モソノ案ヲ提出サレタガ,松本大臣モ試ミニ之ヲ作ツテミラレタ由ニテ,ソレハ新聞ニ発表スル時ノコト等ヲ考ヘテ出来ルダケ平易ナ表現ヲ試ミテミタトノコト。シカシ乍ラ,コノ要綱ヲ審議会デ固執スルツモリデハナイ。審議会ニ代表セラレルイハバ左翼〔註:具体的には高野岩三郎でしょう。同月16日の第12回調査会において松本大臣は,審議会委員候補として高野の名を挙げ,「憲法研究会ノメンバーデモアルカラ一層出テモラヒタイ」と述べています。〕カラノ攻撃ニ対シテハ,甲案〔註:これは同月4日に宮沢委員が作成した甲乙両案のうち,より大幅な改正を志向する甲案に基づく案のことです。ほぼその内容が,同年21日に毎日新聞にスクープされています。〕ノ中カラ若干ノモノヲ採用スル用意ガアル,例ヘバ勤労教育等ニ関スル条文等。之ニ反シイハバ右翼カラノ攻撃ニ対シテハ何ヲ譲歩スルカノ問題ガアル。カウ云フ点ハ政策的ニ考慮スルコトガ必要デ,要スルニ弾力的ニ考ヘタイト思ツテヰル


以下甲案ニツイテ雑談的ニ意見ヲ交換シタ

〔略〕
四,入江〔俊郎法制局次長〕第30条ノ2 「教育ヲ受クルノ権利及業務」トアルガ文教政策ハ重大故法律事項トスルコトハ当然デアルガ,就学資格等ノ規定ハ勅令デヤルノガ適当デアル。従ツテ「教育ニ関スル重要事項」ハ法律ノ定ムル所ニヨルト云フ趣旨デアル。サウ考ヘレバムシロ〔大日本帝国憲法〕19条的ニ「日本国民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク教育ヲ受クルノ権利及〔義〕務ヲ有ス」ト云フ表現ノ方ガイイノデハナイカ,ナホ「教育ヲ受クルノ〔義〕務」モ厳密ニ考ヘレバ保護者ガ教育ヲ受ケシムルノ義務ノコトナノデアルカラ,コノ表現モ考ヘル必要ガアル。〔略〕総会デモ考ヘルコトニシヨウ。

 

 なお,大日本帝国憲法19条(「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」)の伊東巳代治による英語訳は,“Japanese subjects may, according to qualifications determined in laws or ordinances, be appointed to civil or military or any other public offices equally.”です。

 ちなみに,大日本帝国憲法19条にいう「資格」は『憲法義解』によれば「年齢・納税及試験能力」ですが,要は試験能力(=「能力」)であってそれは受けた教育によって示されるものであるものとここで解すれば,同条と日本国憲法261項との接合関係及び両者の表現の同型式性の意味するところについてよく納得され得るところです。ただし,そのようなものとして理解される教育制度は,国家・社会のための「自然の貴族」を発掘・育成するためのジェファソン流の仕組み(「福沢諭吉とジョージ・ワシントンの「子孫」等」の51)のジェファソン書簡を参照(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1023525125.html))ということになって,少々以上「成り上がりエリート」臭が過ぎるようです。(「成り上がり」ということについては,大日本帝国憲法19条にいう「均ク」の意味は,これも『憲法義解』によれば,「門閥に拘らず」ということであるとされています(後出第333)のヴァイマル憲法1461項も参照)。)

 

(3)最終段階での議論:第7回総会(194622日)

 194622日の憲法問題調査委員会第7回総会(同委員会の最後の会合)には従来の甲案の第30条ノ2は「日本国民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ教育ヲ受クルノ権利及義務ヲ有ス」として提出されています(同年14日の宮沢甲案の「日本臣民」が「日本国民」に改められています。)。当該総会では,次のような議論がありました。

 

尚此処デ〔従来の甲案に基づく憲法改正案〕ノ問題ニ触レ,若シ〔同改正〕案ノ様ニ改正スル結果非常ニ「デモクラチツク」ニナルトイフ感ヲ懐カセルナラバ,特ニ第2章国民権利義務ニ付テハ〔同改正〕案ノ様ニ改正スル方ガ望マシイトイフ意見ガ多ク出タ。

然シ乍ラ〔同改正〕案ニ「勤労ノ権利」ヲ有スルトイフ点ニ付テハ,ソノ意味ハ如何ナルコトデアルノカ,国家ガ国民ニ勤労スルポストヲ与ヘルトイフ義務ヲ負フコトデアルト説明セラレタノデアルガ,嘗テ,ソ聯ノスターリンハ勤労ノ権利ヲ人民ニ満足セシムルハ唯ソヴィエートニ於テノミ可能デアリ他ノ如何ナルブルジヨア国家モ之ヲ為シ能ハザル所デアツテ,若シブルジヨア国家ニ於テ斯ルスローガンヲ掲ゲテモ,ソレハ唯口頭禅ニ過ギズ物ワラヒノ種トナルニ止マル旨ヲ述ベタコトガアル。ワイマール憲法ニ於テモ其故カアラヌカ,「勤労ノ権利」トイフコトハ云ツテヰナイ。「勤労ノ義務」ハ謳ツテヰルノデアルガ,ソノ他ハ国家ハ可及的ニ労働ノ機会ヲ与ヘヨト云フニ止マルノデアル。

「教育ノ権利」トイフコトニ付テモ成績ガ悪クテ常ニ入学試験ニ落第シテヰル輩ガ之ヲ楯ニ文句ヲ云フカモ知レナイ。〔註:「其ノ能力ニ応ジ均シク」が入る前の文言に対する感想です。〕

以上二ツノ点ヲ除イテ〔同改正〕案ノ様ニ修正スルノモ一案デアル。

2章全体ニ付テ「臣民」トイフ文字ヲ「国民」ト改メタ方ガ良イトイフ意見ガ多数アツタ。然シ英国ノ様ナ民主主義的ナ国家デモ「ブリチツシユ・サブジエクト」トイフテ「臣民」ニ相当スル言葉ヲ用ヰテヰルノデアルカラ必シモ国民ト改メナクテモ良イノデハナイカトイフ意見モアツタ。

 

 昭和天皇に奏上後194628日にGHQに提出された前記「憲法改正要綱」には「勤労ノ権利」も「教育ノ権利」も改正事項として含まれていません。同月2日の憲法問題調査委員会第7回総会においては,そもそも「教育ノ権利」に関する条項の文言について「総会デモ考ヘルコトニシヨウ」どころではなかったわけで,同年123日の第14回調査会で入江法制局次長から提起された文言修正の課題は,同年213日にGHQ草案の交付があった後に対応されることとなったのでした。

 

(4)松本烝治大臣の帝国議会答弁(194512月)

 ところで,1945128日,松本烝治国務大臣は第89回帝国議会の衆議院予算委員会における質問に対して私見として憲法改正上の要件4条を述べており,その「要件4条は,第1に,天皇が統治権を総攬するという大原則を変更する必要はないこと,第2に,議会の決議を必要とする事項を拡充し,これに伴い従来の大権事項を制限すること,第3に,国務大臣の責任が国政全般にわたり,同時に議会に対しても責任を持つこと,国務大臣以外の者が国務に介在出来ないようにすること,第4に,人民の自由・権利に対する保護・確保を強化すること」でしたが(実録十10頁),更に同月12日,貴族院の衆議院議員選挙法中改正法律案特別委員会において,松本国務大臣は次のように答弁しています(第89回帝国議会貴族院衆議院議員選挙法中改正法律案特別委員会議事速記録第114頁。原文は片仮名書き)。

 

  改正せらるべき憲法に於きましては,矢張り臣民の権利とか自由と云ふことに付ては,今の規定は必ずしも十分と思へませぬので,是はもう少し広くと申すか,個人の権益と云ふものは十分に尊重せらるるやうに規定をしなければならぬ,即ち範囲に於て今足りないものは,多少之を広めて明かにすると同時に,其の保護に付ても,現行憲法に少し足りない所があるのではなからうか,若しありとすれば,之を強めると云ふことが必要ではなからうか,斯樣に考へて居る

 

 「範囲に於て今足りないものは,多少之を広めて明かにする」ですか。いわゆる「加憲」が必要になるようです。

 

(5)義務又は社会的な規定に係る「加憲」の必要性の認識:第7回調査会(19451224日)

 「加憲」に関しては,19451224日の憲法問題調査委員会第7回調査会において,次のような議論がありました(下線は筆者によるもの)。

 

  〇第2章ノ表題,兵役ノ義務ガ削〔ラ〕レ,納税ノ義務ダケトナリ,又ソレモ〔租税法律主義を定める〕第62条ノ規定デ充分ナリトシテ第2章カラ削除サレル様ニデモナレバ,臣民権利義務ト云フ表題ガ問題トナル。但兵役ノ義務ニ(ママ)ル他ノ義務ヲ新タニ設ケルコトモ考ヘラレルカラ表題ニツイテハ後デ考ヘルコトトスル。

〇第19条ニ平等権ヲ規定スルコトニツイテハ,特ニ議論モナク,総会デ研究スルコトトスル。

〇兵役ノ義務ニ代ル義務トシテ,河村〔又介〕委員案ハ〔納税の義務を規定する〕第21条ノ次ニ「勤労ノ義務」ヲ規定シテヰルガ〔「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ勤労ノ義務ヲ有ス/法律ハ勤労者ノ生活ヲ保証シ失業者及就労不能者ヲ救護スル為ニ必要ナル規定ヲ設クヘシ」〕,コレハ精神的,肉体的両方面ノ意味ヲ含ムツモリデ,第2章ニ手ヲ入レル以上ハ,カウ云フ社会的ナ要素ヲ入レルコトガ考慮ノ価値ガアル。

労働ノ権利ニツイテ規定スルコトハ実際上極メテムツカシイノデ,ワイマール憲法的ニ法律ハ労働者ノ保護ト救護ニツイテ定ムベシト云フ風ニシタ。即チ勤労ハ国家ノタメニ働クト云フコトデナシニ,働カザルモノハ食フベカラズ式ノ考ヘデアリ,従ツテ働キタル者ハ生存権ヲ保障セラレネバナラヌト云フ考ヘデアル。

「勤労ノ権利ヲ有シ義務ヲ負フ」ト云フ形ハ如何?

以上ノ意見ニ対シテハ,実際問題トシテ将来ノ日本ハ失業問題ガ必至デアルカラ,カウ云フコトヲ憲法デ規定スルト,出来ナイ相談ヲ掲ゲルト云フ結果ニナリ,憲法ト実際トノ間ニ大キナギヤツプガ出来テクル,政府ハソレニヨツテ束縛サレルコトニナツテ困ルコトニナルノデハナイカ,折角規定ハシテモ空文ニナツテシマフノデハナイカト云フ意見ガ出タ。

之ニ対シテハ,タトヒ出来ナイコトデモ今日ノ社会状態上,国家ノ最高方針トシテ掲ゲル必要ガアルノデハナイカ,凡ソ変革ノ際ノ憲法ハ,出来ナイコトデモ施政ノ大方針トシテ掲ゲル必要ガアルト云フ反対論ガ出タ。

ドノ程度マデソレヲ入レルカハ問題ダガ,勤労ノ権利位ハ当然入レルベキデハナイカ。

今日ノ状勢ハドウセ改正ヲスルノナラ相当積極的ニヤラネバ乗リ切レナイ状勢ニ近ツキアルノデ,〔天皇の地位に係る〕第1条乃至第4条スラヤハリ手ヲ入レネバスマナイ勢ニナリツツアル。サウ云フ点ヲ考慮シテ,調査会トシテモモツト積極的ニ手ヲ入レル方針ヲトラネバナラナイト云フ意見ガ支配的ナ空気デアツタ。

〇個別的ナ自由ヲ増ヤスコトデハ「営業ノ自由」ガ問題ニナルガ,第2章ノ最後ニ河村案第30条〔ノ次(「本章ニ列挙シタル場合ノ外臣民ノ権利義務ニ関スル規定ハ凡テ法律ヲ以テ之ヲ定ム」)〕ノ様ニ,包括的ニ権利自由ヲ規定スルコトモ問題トナル。

〇各個ノ自由ノ定メ方ニツイテモ,現行第27〔「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルコトナシ公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」〕ノ様ニシテ,法律ニヨル制限デモ無制限ナ制限ハ許サレナイノダト云フコトヲ明カニスル方ガイイノデハナイカ。タトヘバ河村案第28〔「日本臣民ハ信教ノ自由ヲ有ス/安寧秩序ヲ維持スル為ニ必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル/(国教ハ設ケス)神社ハ一般ノ宗教ト異ナル待遇ヲ亨クルコトナシ」〕ノ様ナ形ヲ全部ニ亘ツテトルコトハ出来ナイカ。

 

  以上コノ小委員会デハ,各委員ノ案ヲ参照シテ問題ノ所在ヲ検討シタガソノ際特ニ新シク問題トナツタノハ

一,今迄アマリニ注意サレテヰナカツタ第2章〔臣民権利義務〕関係ヲモツト重視シテ行カネバナラヌコト

二,右ト関聯シテ特ニ社会的ナ規定ヲ設クベキコト

  〔三は略〕

 

 兵役義務がなくなって義務が足りなくなると折角の「臣民権利義務」の章なのに心細いから「勤労の義務」を入れよう,ということがあったというわけでしょうか。そうであれば,大日本帝国における臣民の三大義務の一つであった「教育の義務」(衆議院憲法調査会事務局「衆憲資第31号 基本的人権と公共の福祉に関する基礎的資料――国家・共同体・家族・個人の関係の再構築の視点から――」(20036月)34頁参照。他の二つの義務は兵役の義務(大日本帝国憲法20条)及び納税の義務(同21条))の出番は間近でしょう。しかも教育関係規定は「社会的ナ規定」でもあるでしょうし,義務教育制度は,国民学校制度として既に存在していたところです。

 

(6)教育関係事項法律事項化の必要性の示唆:第6回総会(19451226日)

 19451226日の憲法問題調査委員会第6回総会においては,次のような議論が出てきています(下線は筆者によるもの)。

 

  〇〔大日本帝国憲法〕20条,兵役ノ義務ニ代ルベキ義務ノ諸案

勤労ノ権利義務ハ現状カラミテ空手形ニナル虞アリ,サウ云フ時ニ困ラナイ様ニウマク書ケレバ書イテモイイダラウ。

ロシヤ憲法的ニ,休養ノ権利マデ列挙スル必要ハナイ。

大改正ヲスル場合ハ入レテモイイ。

教育ニ関シテハ従来スベテ勅令デヤツテルガ,ソレヲ法律事項ニスルコトハ必要。

 

 ここでの「教育ニ関シテハ従来スベテ勅令デヤツテル」ことについては,美濃部達吉が次のように論じていました。

 

   教育ニ関スル法規ノ著シキ一ノ特色ハ地方学事通則(大正3法律13)ヲ除クノ外総テ勅令又ハ其ノ他ノ命令ヲ以テ定メラレ,法律ヲ以テ定メラルルモノナキコトナリ。本来ノ性質ヨリ謂ヘバ就学強制,学校負担,私立学校ノ監督ノ如キハ,憲法上法律ヲ以テ定ムルヲ当然ト為スベク,其ノ他一般学制ノ如キモ人民ニ負担ヲ命ズルモノニ非ズト雖モ,事国民各個人ノ人格ノ完成ニ関シ,国民生活ニ最モ重大ナル関係アルモノナルヲ以テ,法律ヲ以テ定ムルヲ穏当ト為スベシ。他ノ総テノ事項ニ付テハ稍重要ナル法規ハ総テ法律ヲ以テ定メラルルニ至レルニ反シテ独リ教育法規ニ付テノミ今日ニ至ル迄尚総テ命令ヲ以テ定メラルルヲ例トセルハ,多年ノ慣習ナリト雖モ正当ノ理由アルモノト認メ難ク,我ガ国法上一ノ大ナル変例ナリ。

  (美濃部達吉『行政法撮要 下巻(第3版)』(有斐閣・1932年)501頁)


文部科学省庁舎

 文部科学省庁舎(東京都千代田区霞が関)

 

(7)194614日付け甲案(宮沢甲案)における臣民権利義務の変更及びその後

大日本帝国憲法の改正に係る194614日付け宮沢俊義作成の甲案においては,同憲法第2章列挙の臣民の権利義務に更に加えられたところがありました。第19条に新第1項を加えて「日本臣民ハ法律上平等ナリ」と規定し,第22条の居住移転の自由に「職業ノ自由」を加えたほか,新たに第30条ノ2に「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ教育ヲ受クルノ権利及義務ヲ有ス」との規定,第30条ノ3に「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ勤労ノ権利及義務ヲ有ス」との規定が加えられています。その他の変更は,第30条ノ4で「日本臣民ハ本章ニ掲ケタルモノノ外凡テ法律ニ依ルニ非スシテ其ノ自由及権利ヲ侵サルルコトナシ」と規定されたほか,軍の解体に伴う修正(第19条及び第20条)及び削除(第31条及び第32条)がされ,並びに権利保護の在り方についての変更がされています(第22条,第25条,第26条及び第28条から第30条まで)。

 194615日の憲法問題調査委員会第9回調査会では,次のようになりました(下線は筆者によるもの)。

 

甲案ニ於テハ

(1)法律ノ前ニ平等ノ趣旨ヲ特ニ規定スルコト
(2)新ラシイ権利義務――就中教育労働――ヲ掲ゲルコト
(3)自由権ノ規定ニヨリ自由主義的ナラシムルタメ27条ノ如ク書クコトヲ目標トスル改正ヲ意図シ

(1)ハ「法律ノ前ニ平等ナリ」ト特ニ1条ヲ設クルハ現代ニ於テハ既ニ其意義ニ乏シイモノデアルカラ第19条ヲ先ノ如ク〔「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク公務ニ参与スルコトヲ得」と〕改ムレバ足ルコトトシ

(2)ハ社会的色彩ノ条文モ甲案トシテ一応取入レルコトヲ希望サレ教育ノ権利義務,労働ノ権利義務ヲ新タニ規定スルコトトシ

(3)ハ22条ヨリ29条迄逐条検討ヲ加ヘ此ノ方針ニ則リ規定ノ仕方ヲ改メタ。

 

 ただし,「教育ノ権利義務」条項の文言を更に具体的にどうすべきかについては,次の第10回調査会(194619日)で実は既に問題になっていたところでした。いわく,「尚前回「教育ヲ受クル権利義務」ニ付規定ヲ設クベキ旨論ゼラレタルモ,「教育ヲ受クル権利」ハ兎モ角,「教育ヲ受クル義務」ハ国民ノ義務デハ無クシテ「親ノ義務」即チ親ガ子ヲ教育スル義務デアルカラ表現ヲ変ヘル必要ガアル旨意見ガ出テ,更ニ立法例ヲ調ベルコトニナツタ。」と。

 

6 左翼勢力からの要求及び1936年ソ同盟憲法121

 

(1)左翼勢力からの要求

 それにしても,松本烝治国務大臣は,1946123日の憲法問題調査委員会第14回調査会において,左翼からの攻撃に対する一種の取引材料として教育を受けるの権利義務及び勤労の権利義務に係る各規定の導入を考えているとの趣旨の発現をしていましたが,それでは,これらの権利義務に対するそれまでの左翼勢力の態度はどのようなものだったのでしょうか。

 

ア 日本共産党

 この点については,19451111日に日本共産党から発表された「新憲法の骨子」が次のようなものであったことが注目されます(下線は筆者によるもの)。

 

  日本共産党の新憲法の骨子(昭和201111発表)

一,主権は人民に在り

二,民主議会は主権を管理す民主議会は18歳以上の選挙権被選挙権の基礎に立つ,民主議会は政府を構成する人々を選挙する

三,政府は民主議会に責任を負ふ議会の決定を遂行しないか又はその遂行が不十分であるかは或は曲げた場合その他不正の行為あるものに対しては即時止めさせる

四,人民は政治的,経済的,社会的に自由であり且つ議会及び政府を監視し批判する自由を確保する

五,人民の生活権,労働権,教育される権利を具体的設備を以て保証する

六,階級的並びに民族的差別の根本的廃止

 

これに対して,1946121日の自由党の「憲法改正要綱」には,教育を受けるの権利義務に関する言及はありません。

 

イ 高野岩三郎ら

雑誌『新生』19462月号に掲載された高野岩三郎の「改正憲法私案要綱」中,国民ノ権利義務の部分は次のとおりでした(下線は筆者によるもの)。

 

2 国民ノ権利義務

国民ハ居住及ビ移転ノ自由ヲ有ス
国民ハ通信ノ自由ヲ有ス
国民ハ公益ノ必要アル場合ノ外其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ
国民ハ言論著作出版集会及ビ結社ノ自由ヲ有ス
国民ハ憲法ヲ遵守シ社会的協同生活ノ法則ヲ遵奉スルノ義務ヲ有ス
国民ハ納税ノ義務ヲ有ス
国民ハ労働ノ義務ヲ有ス
国民ハ生存ノ権利ヲ有ス
国民ハ教育ヲ受クルノ権利ヲ有ス
国民ハ休養ノ権利ヲ有ス
国民ハ文化的享楽ノ権利ヲ有ス

 

 ただし,高野らの憲法研究会(高野岩三郎,馬場恒吾,杉森孝次郎,森戸辰男,岩淵辰雄,室伏高信及び鈴木安蔵)が19451226日に発表した「憲法草案要綱」では,国民権利義務の一つとして「国民ハ教育ヲ受クルノ権利ヲ有ス」との記載はありませんでした。「一,国民ハ民主主義並平和思想ニ基ク人格完成社会道徳確立諸民族トノ協同ニ努ムルノ義務ヲ有ス」との義務規定があるばかりでした。

 

(2)1936年ソ同盟憲法121

 当時の左翼の聖典は,1936年のソヴェト社会主義共和国同盟(聯邦)憲法(スターリン憲法)であったでしょう。

 

ア 条文

1936年ソ同盟憲法121条(ただし,1956年改正後のもの)は,いわく。

 

  第121条 ソ同盟の市民は教育を受ける権利(право на образование)を有する。

    この権利は,7年制の普通義務教育,中等教育の広汎な発達,中等および高等教育をふくめたあらゆる種類の教育の無償制,高等の学校における優秀な学生に対する国家的給費の制度,学校における母語による授業,ならびに工場,国営農場,機械トラクター・ステーションおよびコルホーズにおける勤労者に対する生産,技術および農業の無料教育組織によって保障される。

   (高木八尺=末延三次=宮沢俊義編『人権宣言集』(岩波文庫・1957年)293-294頁(稲子恒夫訳))

 

1項において「教育を受ける権利(право(プラーヴァ) на() образование(アブラザヴァーニエ))」とわざわざ原語が記されているところが気になるのですが,これは,前置詞наの次のобразование(教育。ただし,教養又は(教育によって得られた)知識との語義もあります。)が対格ですので,逐語訳的には「教育のための権利(право)」というべきものだからでしょうか。

 1936年当初のソ同盟憲法121条は,次のとおりです。

 

Статья 121. Граждане СССР имеют право на образование.

(ソ同盟の市民は教育を受ける権利を有する。)

Это право обеспечивается всеобщеобязательным начальным образованием, бесплатностью образования, включая высшее образование, системой государственных стипендий подавляющему большинству учащихся в высшей школе, обучением в школах на родном языке, организацией на заводах, в совхозах, машиннотракторных станциях и колхозах бесплатного производственного, технического и агрономического обучения трудящихся.

   (この権利は,普通義務初等教育,高等教育を含む教育の無償制,高等の学校における学生の圧倒的多数のための国家的給費の制度,学校における母語による授業,ならびに工場,国営農場,機械トラクター・ステーションおよびコルホーズにおける勤労者に対する生産,技術および農業の無料教育組織によって保障される。)

 

イ 「教育を受ける権利」の解釈

 

(ア)非具体的権利性

 1936年ソ同盟憲法121条において「教育を受ける権利」が堂々謳われることになったところですが,当該「権利」の性質は,具体的な請求権ではなく,「権利を権利たらしむるもの」であって「下位の個別法規によって現実化されるほかなく,かかる法規を欠くときは宣言にとどまらざるをえない」ものだったようです(藤田勇=畑中和夫=中山研一=直川誠蔵『ソビエト法概論』(有斐閣双書・1983年)111頁(畑中執筆))。

 

(イ)「労働の権利」との関係性

 また,この「教育の権利は,労働の権利との関係でとらえられていた」そうです(藤田等115頁(畑中))。「労働の質と量に応じた賃金という原則から,労働の質を向上させるための教育という位置づけがなされていた」わけです(同頁)。即物的であって,「人格の完成をめざし,平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値をたつとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期」す(旧教育基本法(昭和22年法律第25号)1条。下線は筆者によるもの)というような形而上的に高尚なものではなかったのでしょう。

1936年ソ同盟憲法における「労働の権利」は,「その経済的側面すなわち完全雇用と労働に応じた賃金を受け取る権利としてとらえられていた」そうであって(藤田等112頁(畑中)),そうであれば,何でも仕事が与えられればよいではないか(完全雇用),与えられた仕事をドカチンやってそこで「労働に応じた賃金」(しかし,市場メカニズム以外に適正賃金を決め得るものがあるのかどうか・・・けれどもそこは,「科学的」社会主義・共産主義の超越的な知恵が働くのでしょう。)を貰うことが出来れば,同志よ,文句なんか言うんじゃねえよ,という横着な仕組みの社会主義経済に適合したものだったのでしょう。「労働の権利」に「その人の適性,能力,職業訓練および教育にしたがい,社会的要請を考慮して,職業,職種などを選択する権利をも含」まれるものと憲法上とらえられるようになったのは,1977年ソ同盟憲法(40条)になってからのことだったそうです(藤田等112頁(畑中))。

 

(ウ)考察

 上記のような社会経済体制内でさせられる「労働」の質を向上させるためにされる労働者教育ということであれば,1936年ソ同盟憲法1212項に基づき提供される教育においては,むしろその後段の「工場,国営農場,機械トラクター・ステーションおよびコルホーズにおける勤労者に対する生産,技術および農業の無料教育組織」が重視されていたのでしょうか。そうであれば,同項前段の学校教育も,専らそのような職域における勤労者を養成するためのものだったのでしょう。そのような内容の教育だけでよいのかと論じようにも,「教育の権利によって保障される教育の内容そのものについては,規定されていない。すなわち教育の自由については,明確な規定をもたないばかりか,学説上も問題とされてはいない。〔略〕社会主義社会における,イデオロギー的・政治的・道徳的統一が,かような観念を必要としないとするかのごとくである」という状況だったそうです(藤田等115頁(畑中))。

無論,「正しいこと」は一つであるのであって「科学的に」明らかにされ,統一されるべきものであり,かつ,定義上,「教育」は「正しいこと」を教え込むことなのでしょう。

 要は無償(タダ)だからいいではないか。無償で「教育」を提供するという素晴らしいことができるのは,徴税力を有し,かつ,「科学的」に「正しいこと」を認定する能力を専有する()権力(かみ)だけであるのだぞ。「正しいこと」に係る「教育」を無償で受けることができることによって,同志よ,君の「教育を受ける権利」は十二分に充足されているのだ。内容がどうこうと批判的言辞を弄するのはブルジョワ的頽廃である。また,そもそも教育を受けようとする者が,それを修了してその内容を内面化するより先に当該教育の内容を批判するなどということは,人民内部の分断をもたらす僭上の沙汰である。黙って「教育」を受け終えよ。なに,金を払って別のところで勉強したいだって,当該有償教育も憲法上保護されるはずだから援助してくれだって。同志よ,我が憲法上,教育は無償で提供されるものである。したがって,有償で提供されるものは憲法上の教育ではないのであって,よって憲法による保護の埒外にあるのだ。「正しいこと」に係る「教育」が無償で提供されている以上,それを受けることはむしろ義務なのだよ。同志よ,ブルジョワ的異端邪説という致死的な悪魔の道に迷い込んだ挙句更に周囲の人々にも感染させるというようなことがないようにするため,進んで有り難い「教育」を受けるのは,みんなのためでもあるのだよ。それは,善良かつ進歩的たらんとする我々愛国的市民の義務なのだ。

 Doublespeakの世界ですな。

 

第3 三つの立場からのまとめ

 これまでの調べものの結果を,日本国憲法26条の形成過程における関係三者(左翼勢力,日本国政府及びGHQ)の立場からここで整理をすると次のようになるでしょうか。

 

1 左翼勢力の立場から

 まず左翼勢力。

当時の彼らは,право на образование》に係る聖なる1936年ソ同盟憲法121に無邪気に憧れて,同様の憲法規定を我が国においても導入すべきだと騒ぎ回っていたのでしょう。しかして1936年ソ同盟憲法121条と同様のものであると信じられ得る・日本国憲法26条の規定が設けられたことにより,一種の勝利感ないしは達成感を味わったものでしょう。日本国憲法は,素晴らしい憲法です。

 しかし,1936年ソ同盟憲法121条の内実が実際はどのようなものであるのか,当の左翼人士間でどこまで実証的に調査・研究がされ,理解がされていたのかはよく分からないところです。

 

2 日本国政府の立場から

 

(1)三つの効用

 次に日本国政府ですが,日本国憲法26条は,兵役義務に代わって「国民の権利及び義務」の章に掲げられる義務を補充するとともに1992年段階においてなお「義務の条項が数少ないことを,憲法の欠点のひとつとし,社会一般の倫理意識の低下の責任をそこに負わせようとする主張がある。」と観察されています(樋口陽一『憲法』(創文社・1992年)284頁)。),更に同条において「教育を受ける権利」を規定することによって,「人民の〔略〕教育される権利を具体的設備を以て保証する」ことを求める彼らの要求を一応呑んだことにして当時盛んだった左翼運動の陣営を宥め,かつ,その効果として日本社会の過激化を抑えんとするための政略的材料でもあったのでしょう。また,それまで命令で規定されてしまっていた教育関係事項について,それらは法律によって規定されるべきものであるのだということを明らかにして,「我ガ国法上一ノ大ナル変例」(美濃部前掲)を解消しようとの意識もあったわけです。

 

(2)現状追認性

しかして更に,日本国憲法26条は実は現状追認規定であるので実行上問題はない,とも考えられたのでしょう。

 

ア 第2項の児童のための無償の普通義務教育制度:国民学校制度

日本国憲法262項の児童のための無償の普通義務教育制度は,既に国民学校制度として存在していました(国民学校令1条,8条及び36条)。

なお,第90回帝国議会に政府が提出した原案では「すべて国民は,その保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ。初等教育は,これを無償とする。」となっていたものが(下線は筆者によるもの),衆議院での修正を経て「すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は,これを無償とする。」との出来上がりになっていますが(下線は筆者によるもの),この修正の意味するところについて,1946919日の貴族院帝国憲法改正案特別委員会において示された金森徳次郎国務大臣の認識は次のとおりでした(原文は片仮名書き)。

 

  是は多少の推測を加へての御答ではありますけれども,衆議院に於きまして,此の第2項に於て,義務教育の範囲を高めるやうに,或は範囲を拡張するやうに企てられた訳であります,政府原案は児童と云ふことで制限をし,初等教育と云ふことで制限を致しましたのを,それを子女に普通教育と云ふ風に範囲を高められたのであります,左様になりますと,言葉の内容に於きましても,相当幅の広いものになつて来ますので,其の儘当然に此の憲法の「義務を負ふ。」と云ふ規定を当嵌めますと,或はそこに多少の考慮を要すべき場面が起つて来るのであります,それを的確に,法律上間違のないやうにする為には,何等かの制限を加へる必要がある,故に法律の定める所に依りと云ふ言葉が入つたのであります

  (第90回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会議事速記録第177頁)

 

 

イ 第1項の「能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利」

 

(ア)営造物利用関係上の「権利」

問題は日本国憲法261項の「能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利」なのですが,この権利については,行政法学にいう営造物利用関係上の権利であって,したがって,これも当然既に存在しているものであると考えられていたのかもしれません(「営造物利用関係とは,例へば,〔略〕学校生徒と学校との間〔略〕などの如く,営造物の利用に関して,其の利用者と営造物主体との間に生ずる法律関係を謂ふのである。」とされています(美濃部達吉『日本行政法 下』(有斐閣・1940年)610頁)。)。営造物(öffentliche Anstalt)とは,「国又は公共団体により特定の公の目的に供される人的物的施設の統一体をいうのが通常の用法」です(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年))。ちなみに,1919年のドイツ国ヴァイマル憲法1431項前段は,„Für die Bildung der Jugend ist durch öffentliche Anstalten zu sorgen.(青少年の教育のためには,営造物によって配慮されるものとする。)と規定していました。

営造物利用関係上の権利とはどういうものであるかについて,美濃部達吉はいわく。「営造物主体の側に於いては,営造物が公共の利益の為めに広く公衆の需要を充たすことを目的とするものであることの性質上,其の意思は常に拘束せられたもので,任意に其の利用を許容し又は拒絶することの自由を有するものではない。其の管理庁は適法の条件を備へた者に対しては其の施設の許す限り其の利用を拒絶することを得ない義務を負ふもので,即ち営造物管理庁に対して契約を為すべき義務が課せられて居るのである。市制(〔明治44年法律第68号〕82項)町村制(〔明治44年法律第69号〕62項)に,市町村住民が市町村の営造物を共用する権利を有す〔「市(町村)住民ハ本法ニ従ヒ市(町村)ノ財産及営造物ヲ共用スル権利ヲ有シ市(町村)ノ負担ヲ分任スル義務ヲ負フ」〕と曰つて居るのは,即ち市町村が正当の理由なくして其の住民に対し営造物の利用を拒絶することを得ない義務あることを明示して居るものである。」と(美濃部・日本下622頁)。現在の地方自治法(昭和22年法律第67号)はその第102項で「住民は,法律の定めるところにより,その属する普通地方公共団体の役務をひとしく受ける権利を有し,その負担を分任する義務を負う。」と規定するほか,第2442項で「普通地方公共団体〔略〕は,正当な理由がない限り,住民が公の施設を利用することを拒んではならない。」と,同条3項で「普通地方公共団体は,住民が公の施設を利用することについて,不当な差別的取扱いをしてはならない。」と規定し,第244条の4では「公の施設を利用する権利」云々と「権利」の語を用いています。

19465月の法制局の「憲法改正草案逐条説明(第1輯の2)」では,第1項については,「本条第1項は,国民が教育を受けるに当つては機会均等なるべき旨を定めるものであります。」と書き出して,「第13条〔第14条になった平等条項〕が茲に適用されてゐるのであります。」と説明しています。

 

(イ)憲法学上の正統解釈

 しかし,正統憲法学的には,日本国「憲法26条に保障する「教育を受ける権利」とは,国民が「幸福追求権」の一環として教育の自由を有することを前提に,国に対して合理的な教育制度と施設を通じて適切な教育の場を提供することを要求する権利である。」とされています(佐藤幸治『憲法(第三版)』(青林書院・1995年)626頁)。「場を提供することを要求する」ことに係る権利であるようですから,既設の営造物に係る利用関係を云々する前の段階で働くものであるようです。しかし,具体性には乏しいですな(「法的権利であっても,抽象的なものであることは否定し難い」と,プログラム規定説の見地を採らぬとする法的権利論者も自認しています(佐藤627頁)。)。

 

3 GHQの立場から:児童の福祉の一環としての関心

 

(1)児童の福祉

 GHQとしては――GHQ草案242項が無償の普通義務教育制度のみを要求し,また,その市民の権利委員会の原案第1稿の前記(第241))第21条第1文,第24条及び第25条が,当該各規定の対象が子供(child or children)であることを明示していること等に鑑みると――日本国憲法26条をめぐってのその関心の対象は児童の福祉であって,1936年ソ同盟憲法121条的な「市民(граждане(グラージダネ)(これには大人たちという意味もあります。))の教育を受ける権利」ではなかったものと判断されます。市民の権利委員会における担当者であったベアテ・シロタ氏も,「私は,どうしても女性の権利と子供の保護を憲法に詳しく書いておかなければならないと思って,とても細かく書きました。」と証言しています(鈴木276頁)。日本国憲法262項は児童のための規定として,GHQ的思考においては,同条1項よりもむしろ第273項に親近なものだったのでした。第261項で「国民」の「教育を受ける権利」が更に規定されることについては,GHQにおいては執着というようなものは特になかったものでしょう。

 

(2)公立学校ないしは義務教育に対する米国的反感

 GHQの米国人らとしては,児童のための義務教育制度を憲法に書き込め得ただけで大満足だったことでしょう。

憲法上の(すなわち公権力を義務付けるものとしての)「教育を受ける権利」に関しては,そもそも米国的思考においては,「公立学校の設置自体が修正1条と衝突する(親の自由を侵害),という仕方で議論が出され」てしまうのでした(樋口・憲法263頁)。「アメリカで,合衆国最高裁は,16歳まで公立または私立の学校に通学させることを義務づけ,違反に罰金を科しているウィスコンシン州法について,アーミッシュを信仰する親の子弟にそれを適用することを修正1条違反とし,かつ,彼らに特免を与えることは政教分離に違反しない,と判示した(Wisconsin v. Yoder, 406 U.S. 205, 1972, 〔略〕)。」と紹介されているところです(樋口陽一『国法学 人権原論』(有斐閣・2004年)151頁)。

ちなみに,今から200年前の第6代米国大統領であるジョン・クインジー・アダムズは国立(聯邦立)の大学(a national university. ただし,ハーヴァード又はイェール大学のように人文学に注力するものではなく,地理学及び天文学の進んだ科学領域を専門とするもの)の設立を提唱しましたが,米国憲法の権威であるマディソン元(第4代)大統領の「憲法上の理由からする(on constitutional grounds)」反対もあって挫折しています(James Traub, John Quincy Adams: militant spirit (Basic Books, New York, NY: Basic Books, 2016), pp. 324 & 326)。

 

(3)ヴァイマル憲法

 なお,教育に関してGHQの市民の権利委員会が参考にしたものは,1936年ソ同盟憲法121条も無視できないものの,主にヴァイマル憲法第2編(ドイツ人の基本権及び基本的義務)第4章(教育(Bildung)及び学校)の諸条項だったのでしょう。

 参考に,ヴァイマル憲法145条及び1461項を掲げると,次のとおりです。

 

  第145条 就学は,一般の義務である〔Es besteht allgemeine Schulpflicht.〕。その義務の履行は,原則としてすくなくとも8年の修学年限を有する小学校〔Volksschule(国民学校)〕と,これにつづく18歳までの上級教育学校[への就学によって]なされる。小学校および上級教育学校(Fortbildungsschule)における授業および学用品〔Lernmittel〕は,無償〔unentgeltlich〕である。

  第146条 公立学校制度は,有機的にこれを構成しなければならない。すべての者に共通な基礎学校の上に〔Auf einer für alle gemeinsamen Grundschule〕,中級および上級の学校制度がつくられる。これをつくるについては,多種多様の生業に応ずべきであり,子を一定の学校に入学させるについては,その資質と性向とを標準とすべきであって,その両親の経済的および社会的地位,または宗教上の信仰を標準とすべきではない。

   〔第2項及び第3項略〕

   (高木等編209-210頁(山田晟訳))

 

 ちなみに,ヴァイマル憲法において「教育の権利」は,教育を受ける権利としてではなく,親のその子に対する教育の義務の反面として規定されていました(第2編第2章(共同生活))。

 

  第120条 子を教育して,肉体的,精神的および社会的に有能にすること〔Die Erziehung des Nachwuchses zur leiblichen, seelischen und gesellschaftlichen Tüchtigkeit〕は,両親の最高の義務であり,かつ,自然の権利〔natürliches Recht〕であって,その実行については,国家共同社会(staatliche Gemeinschaft)がこれを監督する。

   (高木等編204頁(山田))