第1 戒厳宣告 v. 「戒厳令発出」

 

1 戒厳宣告:大日本帝国憲法14条及び旧戒厳令

 かつて「戒厳令(明治15年太政官布告第36号)の周囲を巡る」と題した記事を当ブログに掲載(https://donttreadonme.blog.jp/archives/1035523162.html)した筆者としては,戒厳は,戒厳法(註1の定める要件に従って,憲法により「宣告」されるものであり(註2,かつ,「解止」されるもの(註3と思っていました(註4。戒厳法又は法律としての効力を有する戒厳令があって既に施行されている場合には,「普通の行政行為を以て」戒厳の宣告を行えばよいのであって(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)285頁),更に戦時又は事変(旧戒厳令1条)若しくは土寇(同令5条)の都度,一般命令たる「戒厳令を発出」したり「戒厳令を()」いたりすることは無用のことであり,巷間横行しているそれらの表現は誤用であると思っていました。

 

(註1)大日本帝国憲法142項によって「戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」るものとされていたところ(下線は筆者によるもの),明治1585日太政官布告第36号たる旧戒厳令は,同憲法761項(「法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス」)により,同憲法下において「法律として効力を有」していました(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)285頁及び739頁)。

   旧戒厳令は,昭和22517日政令第52号(件名は,昭和20年勅令第542号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づき陸軍刑法を廃止する等の政令)1条によって,遡及的に,194753日から廃止されています(昭和22年勅令第526条)。昭和20年勅令第542号は大日本帝国憲法81項の緊急勅令(「法律ニ代ハルヘキ勅令」)であって,したがって,当該勅令(「政府ハ「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得」)に基づく政令であれば,それによって法律を廃止することも可能だったのでした。

(註2)大日本帝国憲法141項(「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス」(下線は筆者によるもの))及び旧枢密院官制(明治21年勅令第22号)67号(「帝国憲法第14条ノ戒厳ノ宣告」(下線は筆者によるもの)について諮詢を受けて会議を開き意見を上奏することを枢密院の職掌とするもの)並びに旧戒厳令4条及び5条(いずれも司令官(同令6条)による戒厳の「宣告」に係るもの))参照。

なお,旧戒厳令3条は,司令官の宣告による臨時戒厳(同令4条及び5条)ならざる戒厳は「布告」されるもの(布告は「布告式にもとづいて勅旨を奉じて太政大臣」が行い(大江志乃夫『戒厳令』(岩波新書・1978年)60頁),旧戒厳令の布告自体も「奉勅旨布告候事」という形でされています。)と規定していましたが,この「布告」は大日本帝国憲法141項の「宣告」によっていわば上書きされました(大江・同頁)。日清戦争に際して明治天皇の発布した明治27106日(裁可は同月5日)勅令第174号(件名は,戒厳宣告の件)の第1項の文言は「広島県下広島市全部及宇品ヲ臨戦地境ト定メ本令発布ノ日ヨリ戒厳ヲ施行スルコトヲ宣告ス」というものでした(下線は筆者によるもの)。日露戦争に際しての明治37214日(裁可も同日)勅令第36号ないし第39号(それぞれ長崎要塞地帯及びその隣接区域(第36号),佐世保要塞地帯及びその隣接区域(第37号),対馬島及びその沿海(第38号)並びに函館要塞地帯及びその隣接区域(第39号)を臨戦地境とするもの),明治38414日(裁可は同月13日)勅令第133号(澎湖島馬公要港境域内及びその沿海を臨戦地境とするもの)及び明治38513日(裁可は同月12日)勅令第160号(台湾全島及びその沿海を臨戦地境とするもの)も同様の件名及び書式でした(ただし「戒厳ヲ施行スルコト」が「戒厳ヲ行フコト」に改められています。)。

   これらの戒厳の宣告は,直接大日本「帝国憲法第14条ニ依」ったものとされていて,旧戒厳令によるものとはされていなかったことについては,上記各勅令の上諭を参照してください。

   なお,臨戦地境とは「戦時若クハ事変ニ際シ警戒ス可キ地方ヲ区画シテ臨戦ノ区域ト為ス」ものであって(旧戒厳令2条第1号),旧戒厳令におけるもう一つの戒厳の種類に係る合囲地境(同条第2号(「合囲地境ハ敵ノ合囲若クハ攻撃其他ノ事変ニ際シ警戒ス可キ地方ヲ区画シテ合囲ノ区域ト為ス者ナリ」))とは戒厳の効力において差がありました。合囲地境の方が強い効力を有するのであって,当該地境においては,地方行政事務及び司法事務の軍事に関係ある事件のみならず(臨戦地境に係る旧戒厳令9条),地方行政事務及び司法事務は(同令10条)その地の司令官の管掌するところとなり(なお,ここでの司法事務とは「裁判権を含まず,司法警察,刑の執行,不動産登記その他民事非訟事件に関する事務」をいいます(美濃部286頁)。),一部の裁判管轄は民事刑事とも軍法会議に移るものとされ(同令11条),更に「合囲地境内ニ裁判所ナク又其管轄裁判所ト通路断絶セシ時」は全ての裁判管轄が軍法会議に移りました(同令12条。なお,合囲地境内での軍法会議の裁判に対する上訴は認められていませんでした(同令13条)。)。戒厳下における司令官による人民の権利の制限(補償は認められず。)についても,①集会又は新聞,雑誌,広告等の時勢に妨害ありと認めるものの停止,②軍需用品の調査及び輸出禁止,③危険物の検査及び押収,④通信の検閲(「郵信電報ヲ開緘」),出入りの船舶及びその物品の検査並びに陸海通路の停止並びに⑤やむを得ざる場合における動産不動産の破壊燬焼のみならず,合囲地境においては,⑥家屋,建造物及び船舶への随時の立入検察並びに⑦寄宿者を退去させることが可能となるのでした(旧戒厳令14条)。

(註3)旧戒厳令15条は「戒厳ハ平定ノ後ト雖𪜈(〔ども〕)解止ノ布告若クハ宣告ヲ受クルノ日迄ハ其効力ヲ有スル者トス」と規定していました(下線は筆者によるもの)。ただし,同条には「布告若クハ宣告」とありましたが,日清戦争の際の戒厳の解止に係る明治28619日(裁可は同月18日)勅令第76号(件名は,戒厳解止の件)は「広島県下広島市全部及宇品ノ戒厳ハ明治28620日限リ解止ス」と規定していて,「布告」の語も「宣告」の語も用いていません。日露戦争の際の戒厳の解止に係る2件の勅令であっていずれも件名を戒厳解止の件とする明治3877日(裁可は同月6日)勅令第193号(台湾全島及び澎湖島馬公要港境域内並びにそれらの沿海に係る戒厳の分)及び明治381016日(裁可は同日)勅令第219号(長崎要塞地帯及びその隣接区域,佐世保要塞地帯及びその隣接区域,対馬島及びその沿海並びに函館要塞地帯及びその隣接区域に係る戒厳の分)も,単に「解止ス」と表現しています。

   なお,上記3勅令の上諭を見ると,いずれも枢密顧問の諮詢を経たものとされています。すなわち,旧枢密院官制67号の「帝国憲法第14条ノ戒厳ノ宣告」には,戒厳の解止も含まれるものと解されていたのでしょう。

(註4)なお,そもそも戒厳とは,戦時又は事変に際して「兵備ヲ以テ全国若クハ一地方ヲ警戒スル」こととされていました(旧戒厳令1条)。「兵備ヲ以テ」とは,「兵力を以て」の意味であり(日高巳雄『軍事法規』(日本評論社・1938年)663頁註4),「警戒スル」とは「兵力を以てする対内的防衛を謂ふ」ものとされています(同663頁註5及び10頁註8)。すなわちここでの「警戒」は,「兵力を以てする対外的防衛」である「守備」(日高10頁註7)とは異なるようです。

伊藤博文の『憲法義解』は,戒厳について,「戒厳は外敵内変の時機に鑑み,常法を停止し,司法及行政の一部を挙げて之を軍事処分に委ぬる者なり。」と説明しています(第14条解説)。更に戒厳の目的とするところについては,美濃部達吉は「専ら,軍事上の必要の為にするもの」(美濃部282頁)ないしは「専ら軍事行動の必要の為にするもので,戦争又は内乱に際し,軍隊を以て戦闘行為を為す場合にのみ行はれ得べきもの」(同285頁)と解しています。

旧陸軍大学校の「統帥参考」(19327月)においては「戒厳の宣告せられたる場合に於ては,国家統治作用の一部は軍権の権力に移され,行政及司法権の全部又は一部は軍権の掌る所と為る。軍事占領地の統治亦然り。而して戒厳の宣告其物に就ては政府責任を負はざるべからざれども,其後軍権の行使する行政に関しては議会に対し責任を負ふ者なく,軍事占領地の統治亦然り。」と述べられています(『統帥綱領・統帥参考』(偕行社・1962年)28頁。原文は,片仮名書きで句読点なし。)。戒厳が宣告された地は,我が国内であっても,我が軍によって軍事占領されたことになってしまうのだ,ということでしょうか。なお,「議会に対して責任を負ふ者なく」とは,「兵権に付いて天皇を輔弼し,又は天皇の下に兵権の一部を委任せられて居る者は,国務大臣の監督の下に属せずして天皇に直隷するものとせられて居」るところ(美濃部255頁),「議会の参与し得べき政務の範囲は,国務大臣の職務に属する国家事務の範囲と同一であ」る(同424頁)にすぎない,という理論によるものでしょう。

ところで,外国の領土の軍事占領に係る美濃部達吉の説明はいわく。「或る地域が既に平定して完全にわが軍の勢力の下に置かれた後には,その地域に於いては敵国の統治権を排除し,軍隊の実力を以てその統治を行ふことになるのであつて,その占領中は一時日本の統治権がその地域に行はれる。併し此の場合の日本の統治は一時の経過的現象であつて,法律上の権利として統治権が成立するのではなく,実力に依る統治に外ならぬ。それが結局に於いて,日本の権利として承認せらるゝや又は原状に回復せらるゝやは,講和条約に待たねばならないのである。」と(美濃部96頁)。ここでは「実力に依る統治」という文句が目を惹きます。しかし,よく読むと,法によらざる無法の「実力に依る統治」ということではなく,そこでの統治権行使の根拠となるものが端的に専ら実力であるということのようです。統治自体は,占領地の現行法令を尊重して行われなければなりません。明治天皇が1911116日に批准した陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(明治45113日条約第4号)の附属書たる陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則(いわゆるハーグ陸戦法規)43条には「国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ占領者ハ絶対的ノ支障ナキ限占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ」との規定があります。

 

 「戒厳令を発出」ないしは「戒厳令を布く」誤用説に対しては,日清戦争及び日露戦争の際の戒厳の宣告は「戒厳宣告の件」を件名とする勅令の発布によってされているので(なお,件名とは何かについては,これも昔のものですが,「題名のないはなし」記事(https://donttreadonme.blog.jp/archives/2986694.html)を御参照ください。),「「戒厳宣告の勅令の発布」をつづめ,かつ,微修正して「戒厳令の発出」と言い得るのだ」とあるいは強弁する人もいるかもしれません。しかし,戒厳の宣告を勅令の発布をもって行う形式は,旧公式令(明治4021日勅令第6号)の施行(190721日から(同令附則1項))と共に終焉を迎えています。

旧公式令11項は「〔略〕大権ノ施行ニ関スル勅旨ヲ宣誥スルハ別段ノ形式ニ依ルモノヲ除クノ外詔書ヲ以テス」と規定しており,このように「勅令と詔書とを判然区別するに至つてから後は,凡て法律に基いて勅旨を以て行はるる行政行為は,詔書の形式を以てするの例となつたから,戒厳の宣告も将来は恐くは詔書の形式に依ることと信ぜられる」こととなっていたのでした(美濃部283-284頁)。詔書とは「国の機関としての天皇の意思表示に係る公文書で一般に公示されるもの」です(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)400頁)。

(ただし,旧公式令の施行後には,大日本帝国憲法14条による戒厳の宣告は行われませんでした。先の大戦末期の聯合国軍が迫る時期にも戒厳宣告がなかったとは,不思議なことではありました。なお,関東大震災(1923年)及び二・二六事件(1936年)の際の「戒厳」は,同憲法81項の緊急勅令に基づき,旧戒厳令9条及び14条が適用されることとなったものです。)

 

2 202412月3日の大韓民国における「戒厳令の発出」

 と,以上は(註が特に)長い前置きだったのですが,今月(202412月)3日から4日にかけて大韓民国の大統領が惹起した同国憲法77条の戒厳に係る戒厳宣告・解止騒動に関しての感慨が,筆者による本稿執筆の動機となっており,当該騒動の理解・解釈のための補助線としてまず我が国の旧戒厳制度に関する復習がされたものであったのでした。

しかして筆者の当該動機は具体的にはどのように生じたかといえば,一番大きなところは,大韓民国における上記騒動の直後,次のような記事(同月4日の石破茂内閣総理大臣の記者会見)が我が内閣総理大臣官邸ホームページに掲載されているのを筆者は見てしまったことであるのでした。唖然とし,「軍事オタク」っぽくないなと思いました。

 

韓国における戒厳令発出についての会見

 

他国の内政について,あれこれ申し上げる立場にはございません。しかしながら,昨晩の戒厳令発出以来,私どもとして,特段の,かつ重大な関心を持って,注視をいたしておるところであります。在留邦人の安全につきましては,領事メールを直ちに発出する等々において,できる限りの対応をとっております。在留邦人の安全については,引き続き,その安全に万全を期してまいる所存でございます。〔以下略〕

  (https://www.kantei.go.jp/jp/103/statement/2024/1204kaiken.html

 

 下線は筆者によるものです。「戒厳令発出」ではなく,大韓民国憲法77条の文言及び我が法制の伝統に則って日本語で言えば「戒厳宣告」(又は同国憲法の用語の基底にある漢字にこだわれば「戒厳宣布」)とあるべきところでしょう。

大韓民国憲法77条の日本語訳は次のとおりです(一般的に流通しているものとして,Wikisourceから転載)。

 

77条 大統領は,戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態において,兵力を以つて軍事上の必要に応じ,又は公共の安寧秩序を維持する必要があるときは,法律の定めるところに依り,戒厳を宣布することができる。

 2 戒厳は,非常戒厳及び警備戒厳とする。

3 非常戒厳が宣布されたときは,法律が定めるところに依り令状制度,言論・出版・集会・結社の自由,政府又は裁判所の権限に関して,特別の措置を取ることができる。

4 戒厳を宣布したときは,大統領は,遅滞なく国会に通告しなければならない。

5 国会が在籍議員過半数の賛成に依り戒厳の解除を要求したときは,大統領は,これを解除しなければならない。

 

大韓民国憲法77条の用語の基底にある漢字に忠実に訳すれば,確かに,戒厳は宣告されるものではなく・(皇道又は大教ならねど)「宣布」されるものであり,解止されるものではなく・(契約ならねど)「解除」されるもののようです。この点については,念のためには「https://ko.wikisource.org/wiki/%EB%8C%80%ED%95%9C%EB%AF%BC%EA%B5%AD%ED%97%8C%EB%B2%95_(%ED%95%9C%EC%9E%90%ED%98%BC%EC%9A%A9)」を御確認ください。

しかしながら,大韓民国は漢字離れをして,現在はハングル中心の国語政策をとっているそうですから,同国の国語から日本語訳をするときにはハングルで書かれた当該国語からの翻訳として,日本語としての自然さを重視して文を綴ることは許されるものと思われます。すなわち,同国の国語のいわば頭越しに,当該国語の単語の基底にある漢字を直接訳語として採用する必要はないのではないでしょうか。

更にいえば,大韓民国憲法77条の規定には,我が大日本帝国憲法14条及び旧戒厳令が大きな影響を与えているようにも思われるのです(旧戒厳令は,大正2年勅令第283号により,1913925日から朝鮮においても施行されています。)。

 

3 大日本帝国のそれとの比較における大韓民国の戒厳法制検討

 

(1)大日本帝国憲法14条との比較

大韓民国憲法771項の「大統領は〔略〕戒厳を宣布することができる。」の部分は大日本帝国憲法141項を,大韓民国憲法771項の「戦時・事変〔略〕において,兵力を以つて軍事上の必要に応じ〔略〕るときは,法律の定めるところに依り,戒厳を宣布することができる。」の部分は大日本帝国憲法142項前段及び旧戒厳令1条を,大韓民国憲法773項は大日本帝国憲法142項後段をそれぞれ承けたものでしょう。

 

(2)行政戒厳の戒厳への取り込み

ただし,大韓民国憲法771項の「大統領は,戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態において,兵力を以つて〔略〕公共の安寧秩序を維持する必要があるときは,法律の定めるところに依り,戒厳を宣布することができる。」の部分は,大日本帝国憲法81項の緊急勅令によって行われていたいわゆる行政戒厳を戒厳に取り込んだもののようです。

行政戒厳について,美濃部達吉はいわく,「是は兵力を以て或る地域を警備することに於いて戒厳の宣告と頗る類似して居るものであるが,真の戒厳は,専ら軍事行動の必要の為にするもので〔略〕あるに反して,行政戒厳は或る地方の秩序が乱れて警察力を以ては秩序を維持することが出来なくなつた為に,兵力を以てその地域の治安を回復し之を維持せんとするものであることに於いて性質を異にして居る。一は軍事の必要の為すものであり,一は治安の必要の為にするものである。」と(美濃部284-285頁)。すなわち,大韓民国憲法上の戒厳概念は,大日本帝国憲法上のそれよりも行政戒厳が含まれる分だけ広いことになります。

なお,軍事の必要のための戒厳が「真の戒厳」であるというのは,「戒厳という言葉は漢語であり,その語義は,「厳,およそ彊敵のまさに至らんとして備を設く戒厳といい,敵退きやや備を弛む解厳という」(正字通)の意」であるから(大江志乃夫『戒厳令』(岩波新書・1978年)i頁)なのでしょう。戒厳は本来,外からの彊(強)敵の襲来に備えるものです。ただし,「戒厳という漢語を誰が法律用語に転用したのかはわからない」そうです(大江5頁)。

 

(3)戒厳宣告権者及び宣告手続

我が旧戒厳令4条及び5条は軍の司令官が臨時戒厳を宣告することができる場合について規定していましたが,大韓民国における戒厳宣告は大統領のみができるものとされているそうです(方勝柱「大韓民国憲法上の国家緊急権制度」ノモス30号(20126月)39頁。なお,大韓民国戒厳法の条文の日本語訳をインターネット上で見つけることができなかったので,同法の内容については,方博士の当該論文における記述を手掛かりにした推定に基づき以下論じます。)。

大韓民国では,大統領による戒厳の宣告及び解止については国務会議の審議を経なければならないものとされていますが(同国憲法895号),これは我が旧枢密院官制67号の規定に対応するものでしょうか。大韓民国の国務会議は「大統領・国務総理及び15人以上30人以下の国務委員で構成」され(同国憲法882項),「行政各省の長は,国務委員の中から国務総理の提請に依り大統領が任命する」ものとされています(同憲法94条)。(なお,我が枢密院においては「各大臣ハ其職権上ヨリ枢密院ニ於テ顧問官タルノ地位ヲ有シ議席ニ列シ表決ノ権ヲ有ス」るものとされていました(旧枢密院官制11条前段)。)

 

(4)非常戒厳及び警備戒厳と合囲地境及び臨戦地境と

大韓民国憲法772項の非常戒厳と警備戒厳とについては,同国戒厳法2条において,「非常戒厳は大統領が戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態において敵と交戦状態にあり,又は社会秩序が極度に攪乱され,行政および司法機能の遂行が著しく困難な場合に軍事上の必要に応じ,又は公共の安寧秩序を維持するために宣布する」と(同条2項),「警備戒厳は大統領が戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態において社会秩序が攪乱され,一般の行政機関だけでは治安を確保できない場合に公共の安寧秩序を維持するために宣布する」と(同条3項)と規定しているそうです(方34頁)。

非常戒厳には美濃部達吉が言うところの真の戒厳(又は「軍事戒厳」(方38頁))及び行政戒厳が含まれ,警備戒厳は非常戒厳よりも緊急度の低い(「一般の行政機関だけでは治安を確保」できないが「行政及び司法機能の遂行が著しく困難」なところまでは至っていない。)行政戒厳であるということになるようです(ただし,方博士は,大韓民国憲法771項が「軍事上の必要に応じ」という目的を挙げていることから,警備戒厳レヴェルの軍事戒厳も認めるべきだという意見のようです(方37-38頁)。)。

なお,非常戒厳と警備戒厳との2種類の戒厳は「義勇戒厳令における臨戦地境と合囲地境(義勇戒厳令第2条)に対応したものである」そうです(方38頁)。臨戦地境及び合囲地境といえば,我が旧戒厳令そのものです。

 

(5)国家非常事態

戦時・事変に「準ずる国家非常事態」とは「戦時又は事変に該当しない場合であって,武装又は非武装の集団や群衆による社会秩序攪乱状態と,自然災難による社会秩序攪乱状態」をいうそうです(方37頁)。

「戦時又は事変に該当しない場合」ですから,当該「国家非常事態」は行政戒厳を行うための要件ということになります。「兵力を以て」対応するのにふさわしいものとして,集団若しくは群衆又は自然災害による社会秩序攪乱状態が挙げられているのでしょう(ただし,方博士は,非武装の集団及び群衆による,並びに自然災害による社会秩序攪乱状態において兵力を動員するのは行き過ぎだとしています(方37頁)。)。

 

(6)人民の権利の制限

 大韓民国憲法773項を承けた同国「戒厳法第9条によると,非常戒厳地域内で戒厳司令官は軍事上必要なときには逮捕・拘禁・押収・捜索・居住・移転・言論・出版・集会・結社又は団体行動に対して特別措置を行うことができる」そうです(方41頁。下線は筆者によるもの)。我が旧戒厳令14条によっては,逮捕・拘禁をし,並びに結社及び団体行動に対する制限まではできなかったはずであるところです(なお,大韓民国戒厳法においても(同法13条),国会議員の不逮捕特権は,現行犯の場合を除き,非常戒厳によっても制限できないそうです(方41頁)。)。

また,大韓民国「戒厳法第9条第2項は非常戒厳地域内で戒厳司令官は法律が定めるところにより,動員又徴発することができ,必要な場合には軍需に供する物品の調査・登録と搬出禁止を命ずることができるとしている」そうで,そこでは「国民財産に対する破壊又は焼燬措置」も含まれるもののようですが(方42頁),それらは戒厳法以外の法律によってされるものでしょうか(なお,我が国においては,旧戒厳令と並んで旧徴発令(明治15年太政官布告第43号)がありました。)。我が旧戒厳令14条第2号は司令官に対し「軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スル(〔こと〕)」を,同条第5号は「戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルヿ」を認めていました。

 

(7)司令官による行政事務及び司法事務の管掌

 「非常戒厳が宣布されれば,戒厳司令官は戒厳地域のすべての行政事務と司法事務を管掌する(戒厳法第7条第1項)」とは(方42頁),合囲地境に係る我が旧戒厳令10条の規定に対応します。また,「警備戒厳が宣布されれば,戒厳司令官は戒厳地域の軍事に関する行政事務と司法事務とを管掌する(〔戒厳法7〕条第2項)」とは(方42頁),臨戦地境に係る我が旧戒厳法9条の規定に対応するものです(ただし,同条について美濃部達吉は「軍事ニ関係アル事件ニ限リ」は司法事務のみを修飾するものと解しています(美濃部286頁)。)。

「戒厳地域の行政機関(情報および保安業務を管掌する機関を含む)および司法機関は遅滞なく,戒厳司令官の指揮・監督を受けなければならない(戒厳法第8条第1項)」との規定(方42頁)は,我が旧戒厳令9条及び10条の各後段に対応します(ただし,両条においては,「遅滞なく」ではなく「速カニ」司令官に「指揮ヲ請フ可シ」と規定されています。)。

 

(8)軍法会議の裁判管轄

 大韓民国では「非常戒厳地域で第14条(戒厳司令官の措置に対する不応又は違反罪など),又は次の各号のいずれかに該当する罪を犯した人に対する裁判は軍事法院が行う。但し,戒厳司令官は必要な場合には当該管轄法院に裁判を行わせることができる。1.内乱の罪,2.外患の罪,3.国交に関する罪,4.公安を害する罪,5.爆発物に関する罪,6.公務妨害に関する罪,7.防火の罪,8.通貨に関する罪,9.殺人の罪,10.強盗の罪,11.「国家保安法」に定められた罪,12.「銃砲・刀剣・火薬類など取締法」に定められた罪,13.軍事上の必要により制定された法令に定められた罪がそれである(法第10条第1項)。そして非常戒厳地域に法院がない場合,又は当該管轄法院との交通が遮断された場合にはすべての刑事事件に対する裁判は軍事法院が行うようになっている(同条第2項)。」と説かれる(方43-44頁)ところの同国戒厳法10条の第1項及び第2項の規律は,それぞれ,合囲地境に係る我が旧戒厳令11条(ただし,そこで掲げられている罪は大韓民国戒厳法101項のものとは完全に一致はしません。)及び12条に対応するものです。

なお,旧戒厳令11条では軍事に係る民事事件,同令12条では全ての民事事件をも軍法会議の管轄に属せしめています。

 

(9)戒厳解止の効果

 大韓民国戒厳法では「戒厳が解除されると,そのときからすべての行政事務と司法事務は平常状態に復帰する(法第12条第1項)」そうですが,この規律は「戒厳解止ノ日ヨリ地方行政事務司法事務及ヒ裁判権ハ統テ其常例ニ復ス」という我が旧戒厳令16条の文言を彷彿とさせます。

 

4 元検察総長閣下取調べ

 以上の検討を前提として,大韓民国の戒厳の要件及び効力に鑑み,今次の尹錫悦同国大統領による非常戒厳の宣告が適法であったかどうかを見てみましょう。

 

(1)非常戒厳宣告の要件の面から

 まず,非常戒厳宣告の要件が満たされていたかどうかなのですが,今月3日の戒厳宣告に当たって,尹大統領は次のような緊急談話を出したそうです(読売新聞オンライン2024124029分掲載記事(ソウル=小池和樹特派員)。

 

私は大統領として,血を吐くような心境で国民の皆さんに訴える。

   これまで国会は,我が政府発足以来,22件の政府官僚の弾劾(だんがい)訴追を発議し,今年6月の国会発足後も10回目の弾劾を推進中だ。世界のどの国にも前例がないだけでなく,韓国建国以来,全く前例がない状況だ。

   国家予算の処理も,国家の本質機能と麻薬犯罪の取り締まり,民生治安維持のためのすべての主要予算を全額削減し,国家の本質機能を損ない,韓国を麻薬天国に,民生治安をパニック状態にした。

   このような暴挙は国家財政をもてあそぶことだ。予算さえも政争の手段として利用する「共に民主党」の立法独裁は予算の弾劾さえもちゅうちょしなかった。

   国政はまひし,国民のため息は増えている。これは韓国の憲政秩序を踏みにじり,憲法と法律によって建てられた正当な国家機関を妨害するもので,内乱を画策する明らかな反国家的行為だ。

   国会は犯罪者集団の巣窟となり,立法独裁を通じて国家の司法行政システムをまひさせ,自由民主主義体制の転覆をたくらんでいる。

   私は北朝鮮の共産主義勢力の脅威から韓国を守り,国民の自由と幸福を略奪している悪徳な従北反国家勢力を一挙に粛清し,自由憲法秩序を守るために非常戒厳を宣言する。

   私はこれまで悪事を働いた亡国の元凶である反国家勢力を必ず殲滅(せんめつ)する。これは,体制転覆を狙う反国家勢力の蠢動(しゅんどう)から国民の自由と安全,そして国家の持続可能性を保証し,未来世代に正しい国を引き継ぐための必然的な措置だ。

   可能な限り早い時間内に反国家勢力を粛清し,国家を正常化させる。戒厳令の宣布により善良な国民に多少の不便があるが,不便を最小化することに力を注ぐ。

   このような措置は,韓国の永続性のためにやむを得ないもので,韓国が国際社会で責任と貢献を果たすという対外政策基調には何の変化もない。

   私は身命をささげて韓国を守る。私を信じてください。

 

 大韓民国戒厳法22項の非常戒厳宣告の要件中,「敵と交戦状態」にあることはないでしょう。そうだとすると,「国家非常事態において社会秩序が極度に攪乱され,行政および司法機能の遂行が著しく困難な場合に公共の安寧秩序を維持する」必要があるかどうかが問題になるのでしょう。ソウルの一角における政治上の混乱はともかくも,大韓民国の「社会秩序が極度に攪乱され」ていたものかどうか,行政のみならず「および司法機能の遂行」も「著しく困難」になっていたものかどうか。そもそも国会における野党の抵抗は,「兵力を以つて」対処するにふさわしいものたる「国家非常事態」に該当するものかどうか。要件未達と考える方が自然ではないでしょうか。

 

(2)非常戒厳の効力の面から

 更には,非常戒厳の効力としても,大韓民国戒厳法9条によれば「軍事上必要なとき」にのみ「逮捕・拘禁・押収・捜索・居住・移転・言論・出版・集会・結社又は団体行動に対して特別措置を行うことができる」ようですが(方41頁),そうであれば,国家非常事態における公共の安寧秩序を維持するための行政戒厳の場合にはそれらの措置を執ることはできないのでしょう。大統領は国会議員の逮捕を考えていたという報道もあるようですが,議員の不逮捕特権を確認する大韓民国戒厳法13条からすると,戒厳の効力を越えた違法行為ということになるようです。そもそも,「非常戒厳が宣布されれば,戒厳司令官は戒厳地域のすべての行政事務と司法事務を管掌する(戒厳法第7条第1項)」というだけであって,管掌対象には立法事務は含まれておらず,非常戒厳下であれば国会の閉鎖が合法的にできると考えるなど烏滸の沙汰であったということにもなるようです(なお,戒厳宣告によって臨戦地境とされた広島市において,18941018日から同月21日まで,第7回帝国議会が堂々開かれています。これはむしろ帝国議会が広島に召集されるからこそ戒厳が宣告されたもののようで,「狙いは,〔略〕戒厳を宣告し,臨戦地境という疑似戦地を作りだし,この疑似戦地に第7議会を召集することによって,議会に戦時議会であるということの認識を叩きこみ,〔日清〕戦前以来の対議会政策の最終的実現をはかるにあったと考えてよい。〔略〕この策はみごとに的中した。第7議会においては,もはや〔政党対藩閥政府の〕「横断」的対抗も〔対外硬六派対政府・自由党の〕「縦断」的対抗もなく,ただ議会をあげての戦争の追認と戦争政策への積極的支持があったのみであった。」と説かれています(大江91頁)。これに対して日露開戦時の戒厳宣告の主目的は,間諜に対する警戒(軍事情報の漏洩防止)及び海面防備でした(大江92頁及び94頁)。)。

 

(3)感慨

 元検察総長たる大統領閣下ともあろう方が,一体何を考えておられたものか。閣下が企図せられていたものは,本当に,フランス,ドイツ及び大日本帝国の流れを汲む戒厳の宣告(declaration of a state of siege)であったものか。(ちなみに,大日本帝国憲法14条の伊東巳代治による英語訳は,第1項が“The Emperor declares a state of siege.”,第2項は“The conditions and effects of a state of siege shall be determined by law.”です。)

 

第2 Loi sur l’état de siège (Law on the State of Siege) v. Martial Law

 

1 大韓民国における戒厳は,Martial Lawか。

 あるいは,尹大統領の企図は,成文法によって規制されたstate of siegeに係る法(我が旧戒厳令等。「合囲状態法」といわれるべきものです(大江5頁)。)の発動にとどまるものではなく,その名を借りつつする不文のmartial lawの発動だったのかもしれません(註5

 というのは実は,大韓民国憲法の英語訳が掲載されている同国の公的機関の出版物がないかとインターネットを探していたところ,同国憲法裁判所が2024年に出版した小冊子であるThe Constitution of the Republic of Koreaに逢着し,筆者はそこで,同国憲法77条が次のように訳されているのを発見してしまっていたのでした。

 

  Article 77

(1) When it is required to cope with a military necessity or to maintain the public safety and order by mobilization of the military forces in time of war, armed conflict or similar national emergency, the President may proclaim martial law under the conditions as prescribed by Act.

(2) Martial law shall be of two types: extraordinary martial law and precautionary martial law.

(3) Under extraordinary martial law, special measures may be taken with respect to the necessity for warrants, freedom of speech, the press, assembly and association, or the powers of the Executive and the Judiciary under the conditions as prescribed by Act.

(4) When the President has proclaimed martial law, he shall notify it to the National Assembly without delay.

(5) When the National Assembly requests the lifting of martial law with the concurrent vote of a majority of the total members of the National Assembly, the President shall comply.

 

 『憲法義解』を伊東巳代治が訳したCommentaries on the Constitution of the Empire of Japan(中央大学から出版されています。)は,大韓民国には流通していなかったのでしょうか。大韓民国大統領の「戒厳を宣布する」は,同国憲法裁判所が御認容される英語では――仏独日の正統に連なる“declares a state of siege”ではなく――和(韓)英辞典風に,“may proclaim martial law”となっているのでした(確かに増田綱編『新和英中辞典』(研究社・1968年)を見ると,「戒厳令を布く」(again!)の英語訳は“proclaim martial law”であるものと記載されています。)。

 

 (註5)大韓民国憲法の英語訳からする議論とは別に,理論的・歴史的にも,この想像は可能なのでしょう。法系が本来異なる合囲状態法とmartial lawとはそれでも接合し得るものとした上で,合囲状態法に基づく戒厳下の司令官の権限をmartial lawの下のそれと同じものとして拡張しようという理論は,日露戦争の際我が陸軍省が作成した「戒厳令実行ニ関スル大方針」にもありました(大江94頁以下)。すなわちそこでは,martial lawの法理論が紹介された上で「学者ハ之〔martial law〕ガ定義ヲ下シテ,形式ヲ具ヘタル司令官ノ意思ナリトス,而シテ軍法〔martial law〕ノ実行ニ関シテ其適法不適法ノ問題ハ一ニ必要不必要ノ事実問題ヲ以テ之ヲ解決スト云フ。我戒厳令及仏国ノ合囲法等ハ之ト同ジカラザルモ,其趣旨及其精神ニ於テハ共通ノモノアルヲ信ズ」(大江102頁にある引用。下線は筆者によるもの)との確認がされ,その上で我が陸軍省は「戒厳司令官タル人其任務ヲ果スニ必要ナリト認メバ必ズシモ〔戒厳〕令ノ明文ヲ()タズ臨機応変責任ヲ以テ適当ノ措置ヲ採ラバ可ナリ,要ハ唯其事ノ必要如何ニアルノミナルヲ以テ,此主義ニ依リ戒厳令ヲ実行スルニ決シ」た(大江97頁にある引用。下線は筆者によるもの)というわけです。

   

2 Martial Law=英米法系

 

(1)概念

 Martial lawは不文の法ですから厄介です。これは英米法系のもので「イギリスやアメリカには,普通法common lawにたいするものとして,不文法である(非常法としての)軍法martial lawという概念が存在している。それは,〔略〕シビリアン・コントロールの原則が堅持されているのと,まったく異なったものである」そうです(大江37-38頁)。「非常法としての軍法martial lawの発動は,通常の法の停止および軍の裁判所による一国の全部または一部の支配を実現することであるから,軍隊指揮官が独裁的に執行権力を行使することを意味する。」ということになるわけです(大江38頁)。

 米国司法省の正義(ジャスティス)プログラム室のウェブサイトにあるE.W. Killam“Martial Law in Times of Civil Disorder”論文(Law and Order, Vol. 37 Issue 9, September 1989, pp.44-47)の要約(アブストラクト)には次のようにあります。いわく,「Martial lawが発動されているときには,一地域又は一国の軍隊指揮官は,法を定立し,かつ,執行する無制限の権限を有する。Martial lawが正当化される場合は,文民当局が機能しなくなり,完全に不在であり,又は有効性を失ったときである。更に,martial lawは文民当局及び通常の司法機能に加えて全ての既存の法を停止させる。米国においては,martial lawは大統領又は州知事の布告によって宣言され得る〔筆者註:ただし,後記のナン論文においては,大統領には当該権限はないものとされています。〕。しかし,そのような正式の布告は不要である。合衆国憲法はmartial lawの発動について特段の規定を有していないが,ほとんど全ての州は,政府がmartial lawを発動することを認める憲法規定を有している。かつてはほとんど絶対的なものとされていたが,martial lawの効力には限界がある。例えば,通常裁判所が機能している限りは,文民は軍法会議において裁判され得ない〔筆者註:米国最高裁判所による1866年のミリガン事件判決の法意です(田中英夫『英米法総論 上』(東京大学出版会・1980年)289頁)。〕。しかしながら,裁判所の裁判の制限内において,martial lawの下における司令官の権力は実質的に無制限である。第二次世界大戦後,martial law9回宣言されており,そのうち5回は,南部における連邦政府の人種(デセグ)隔離(レゲー)是正(ション)命令に対する抵抗を目的としていた。軍事の及び文民の法執行機関間には相互援助の気風が常に存在していたし,また今後も存在すべきであるが,文民法の執行において,国防省の人員ができることには制限がある。軍人は,監視又は潜入活動に使用できないし,当該捜査が,当該事件の結果に軍が利害を有する軍と文民との合同活動ではない限りは,情報提供,捜査又は取調べに使用されることもできないであろう。」と(https://www.ojp.gov/ncjrs/virtual-library/abstracts/martial-law-times-civil-disorder)。

 

(2)英国

本家の英国についてはどうかというと,「藤田〔嗣雄〕『軍隊と自由』によれば,イギリスでは,危急にさいし国王の特権の発動による通常法の停止ができ,非常法を宣告したということ自体が非常法適法のただひとつの根拠であり,したがって宣告の適否――宣告することの判断における錯誤の有無――は,議会または政府(宣告に政府が干与しなかったばあい)の審査にゆだねられる。藤田は,イギリスにおける非常法にかんする結論として,非常法は適法に存在し,裁判所は戦時状態および非常法の必要の存否をみずから決定し,いったん戦時状態が立証されたときは裁判所は軍事官憲が適当と認めた処置に介入せず,非常法の終了にあたっては,これらの処置にたいする免責法を議会が立法する〔筆者註:この免責立法が上記の「議会または政府(宣告に政府が干与しなかったばあい)の審査」に当たるそうです(大江103頁参照)。〕,という説をとっている。ただ,イギリスにおける非常法発動は具体例がなく(アイルランドおよび植民地を除く),理論としての存在にとどまっている。」とのことです(大江38-39頁)。

 

(3)米国:アンドリュー・ジャクソン,ロード・アイランド州議会,etc.

米国におけるmartial law概念については,正義のためのブレナン・センター(Brennan Center for Justice)のウェブサイトに掲載されているジョゼフ・ナン氏の論文「合衆国におけるMartial Law:その意味,その歴史及びなぜ大統領はその宣言ができないか」の第1部「Martial Lawとは何か?」に筆者がざっと目を通したところから抜書きをしてみましょう。(https://www.brennancenter.org/our-work/research-reports/martial-law-united-states-its-meaning-its-history-and-why-president-cant

“Martial law”には確立した定義はない。」「通常,しかし常にではないが,“martial law”の語は〔「軍隊が文民政府にとって代わる。これは第二次世界大戦中にハワイで起きたことである。」と〕の範疇を意味する。それは,非常時において軍隊が文民当局を押しのけて特定の地域の住民を管轄することを許す権力を記述するものである。法の執行は現地の警察によってではなく兵士によって行われる。政策の決定は選挙された公務員らによってではなく,軍の士官らによってなされる。刑事被告人は通常の裁判所にではなく軍法会議に召喚される。要するに,軍隊がことをなすのである。」

「米国法は,19世紀の半ばまで,martial lawを緊急権として認知していなかった。」

 

 1812年の戦争の終わりも近い181412月,アンドリュー・ジャクソン将軍〔筆者註:20ドル札にその肖像がある後の米国第7代大統領であって,ドナルド・トランプ次期米国大統領のお気に入りです。〕は少数の軍隊を率いて,より多勢の英侵略軍に対するニュー・オーリンズ防衛に赴いた。彼の防衛準備の一環として,ジャクソンは同市をmartial lawの下に置いた。彼はプレスを検閲し,夜間の外出を禁止し,起訴なしに多くの文民の身柄を拘束した。以上に加えて,彼の有名なニュー・オーリンズ戦の勝利によって英国軍からの実際的な脅威が終ってから後も2箇月間以上,彼は軍隊統治を続けた。

  英国軍からの攻撃が迫る中,その結果としてニュー・オーリンズ市政府は機能しなくなっており,同市を守り得る唯一の存在として残されていたのは軍隊であったのであるから,彼の行為は正当化されるのであるとジャクソンは論じた。あの状況においてはニュー・オーリンズを維持するために「必要である(necessary)」あらゆることをする権限が軍隊にはあったのである,と彼は主張した。新奇な議論であった。しかして当該議論は,なぜかくも長い期間かれは同市をmartial lawの下に置いていたのかをよく説明するものではなかった。

  その当時には,ほとんど全ての人がジャクソンの理論を排斥したが,それは恐らく驚くべきことではないであろう。〔略〕

  1815年の一事案において,ルイジアナの最高裁判所は,ニュー・オーリンズにおけるジャクソンの振る舞いを「憲法及び我が国の法を踏みにじるもの」であると描出した。〔略〕

  ジャクソンがニュー・オーリンズの管理権を文民政府に返還した後,現地の連邦地方裁判所裁判官は彼を法廷侮辱罪に問い,1000ドルの罰金を科した〔筆者註:ジャクソンはmartial law期間中人身保護令状を発することも禁じ,当該令状を発した連邦地方裁判所裁判官を収監したからだそうです(Jon Meacham, American Lion: Andrew Jackson in the White House. Random House, New York, 2008:pp.31-32)。〕。ジャクソンは当該罰金を納付し,その後27年間当該事件については何ごともなかった。しかし,1840年代の初めになって,今や老齢の元大統領は,罰金による損害額及びその利息の償還を求める連邦議会内運動を画策・演出した。

  それにより惹起された当該償還に関する議会の議論は,米国人がどのようにmartial lawを理解するかについての変化の始まりを画するものであった。償還を要求することによって,一歴史家によればジャクソンは「国家的緊急事態に際しては憲法及び市民的自由を侵害することも正統であること」に係る前例を作ることを望んでいたのであった。彼はきっちりと,彼の欲するところのものを得た。18442月に連邦議会は償還議案を可決し,それが終ってからおよそ三十年後に,ジャクソンによる3箇月間のニュー・オーリンズのmartial law統治を象徴的に是認したのであった。

   その時,ロード・アイランドにおいては,米国の2度目のmartial law経験が既に進行中であった。〔同州で,1842年に独自の制憲会議によって対立州政府を樹立したその指導者である〕ドーが彼の支持者を糾合して実力で彼の権威を貫徹させようとした時,ロード・アイランド州議会はmartial lawを宣言し,叛乱を制圧するため州兵を召集した。

1849年,米国最高裁判所は,ルーサー対ボーデン事件において,ロード・アイランドのmartial law宣言の合法性を認めた。

多数意見を執筆しつつ,ロジャー・トーニー首席判事〔略〕は,martial lawは緊急事態において文民を軍隊の管轄下に置くことを許すものであるとのアンドリュー・ジャクソンの考えを受け入れた。彼は,この力を州の自衛権における不可欠の部分として描き出し,かつ,それは全ての主権的政府に固有のものであると示唆した。Martial lawの合憲性を是認することによって,最高裁判所は,連邦議会が償還議案で始めたことを完結させたのである。ルーサー事件判決は,martial lawは米国において,少なくとも州議会によって発動せしめられ得る緊急権として存在することを明らかにした。

 

 「南北戦争中,そこで合衆国軍が南部連合国の叛徒と戦ったミズーリ及びケンタッキーのような境界州においてそれを発動し,合衆国は幅広くmartial lawを活用した〔筆者註:ちなみに,リンカンは南北戦争中に人身保護令状を停止する際ニュー・オーリンズにおけるジャクソンの前例を挙げたそうです(Meacham:p.31-32)。〕。南部連合国もそれに大きく依頼した。当該実行は,戦争と共には終わらなかった。南北戦争の開始から第二次世界大戦の終了までの90年間において,martial lawは少なくとも60回宣言された。」

 「これらの宣言下における軍の展開の全てが,我々が今日“martial law”の特徴として認識しているところのもの――文民当局の排除――を伴うものではなかった。多くの場合において,現地の警察力の強化のために軍隊が使用されたのであった。しかし,他の場合においては,軍隊が警察を実効的に代替した。更にいくつかの場合においては,彼らは法執行のためではなく,州又は地元当局の意思を強いるために用いられた。」(その他,市民暴動又は自然災害対策,使用者側に有利な労働争議の解決等が使用例として挙げられています。)

 

(4)小括

 以上martial lawについては,「これを要するに,イギリス,アメリカでは,不文法としての非常法は,国家の緊急避難を意味する自然法的な存在として適法であり,したがって,必要こそが法であり,必要についての判断の適否が非常法発動の適法不適法を決定するという考え方に立脚している。したがって,必要の存否をイギリスでは裁判所,アメリカでは議会が判断し,その判断の適否をイギリスでは議会がアメリカでは裁判所が審査するというように,分立した三権相互のコントロールによって成立するバランスが,この不文法を限定しているということができよう。」ということ(大江39-40頁)のようです。

 

3 大韓民国大統領と二人のジョージア州知事と

 ところで,前記ナン論文において紹介されたmartial lawの発動事例中に,あるいは尹大統領の関心をいささかそそるのではないかというものがあります(既に御承知かもしれませんが。)。 

 

  1933年,〔略〕ジョージアのユージーン・タルマッジ(Talmadge)知事は,委員らを罷免する法的権限が彼にないところ,そのうちの幾人かを排除するための計画の一環として,州の道路委員会(Highway Board)の本部庁舎の「内部及び周囲(in and around)」におけるmartial lawを宣言した。この「道路局顚覆(coup de highway department)」は最終的に成功した。注目されることは,タルマッジの後任であるユーリス・リヴアーズ(Rivers)知事も同じことをしようと1939年に試みたが,当該試みは失敗したことである。

 

 道路委員を国会議員に置き換えた上で,尹大統領は東洋のタルマッジたらんとの意欲に燃えていたのでしょうか。しかしながら結果は,戒厳宣告の建議者たる金龍顕前国防部長官(大韓民国戒厳法26項によれば,国防部長官(他に,内務部長官(行政自治部長官))は,国務総理を経て大統領に戒厳の宣告を建議できるそうです(方39頁)。)ら離職しつつある側近たちと共にぼろぼろと,リヴァーズの川流れということになりました。

 

4 結語

 しかし,state of siegemartial lawとの両概念については,そもそも法系からして異なりますので,言葉の上で両者を明確に弁別することが混乱防止のために必要でしょう。しかして,前者に戒厳の語が既に法制的に充てられている以上(大日本帝国憲法14条及び旧戒厳令),後者の訳語に「戒厳」の文字を含ましめることは本来妥当ではないでしょう。とはいえ,martial lawの訳語は,英和辞典的には「戒厳(令)」であることが定着してしまっています(松田徳一郎編集代表『リーダーズ英和辞典 第2版』(研究社・1999年)には「戒厳(令);軍政下の法;《古》軍法(military law)」とあります。)。何とも困ったことですが,そうであれば,二文字熟語たる戒厳(state of siege)と三文字熟語たる戒厳令(martial law)という2種類の普通名詞があることにして,固有名詞たる明治15年太政官布告第36号については旧戒厳令と呼称することにして小賢しく区別をつけるということではどうでしょうか。それともあるいは,現在戒厳法制は我が国において不在であることを幸い,敢えてstate of siegeの方がmartial lawに戒厳の称を譲って,今後は合囲状態と名乗る方がよろしいでしょうか。将来の国家緊急権法立法の際に課題の一つとなるかもしれません。