(上)令和元年大阪家裁判決本論(夫との父子関係:フランス的な方向性?)
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2 仮定論:胚移植時の夫の同意必要説
次は,(„leider auch“との語句を挿むべきかどうかは悩ましい)仮定論です。
(1)判示
令和元年大阪家裁判決は,本論のフランス的な方向性(でしょう。)では一貫できず,なお仮定論を論ずることによって,現代日本的な(といってよいのでしょう。)迷いを公然吐露した上で,それでも結論は同じになるのだ,との正当化を行っています。いわく。
なお,仮に,原告と被告との間の法律上の父子関係を認めるためには父である原告の同意が必要であるとしても,原告は,別居〔筆者註:この別居は,嫡出推定を妨げるものではないとされています。〕直前の平成26年4月10日の体外受精に際し,精子を提供するとともに,同日付けの「体外受精・顕微授精に関する同意書」,「卵子,受精卵(胚)の凍結保存に関する同意書」及び「凍結保存受精卵(胚)を用いる胚移植に関する同意書」等からなる1通の本件同意書1に署名しており〔略〕,本件同意書1に基づく体外受精,受精卵(胚)の凍結保存及び凍結保存受精卵(胚)移植に同意したと認められる。そして,その後,〔略〕原告が,〔平成27年4月22日の〕本件移植時までに,上記同意を明確に撤回したとまで認めるに足りる的確な証拠はない。そうすると,本件移植については,原告の個別の明示的な同意があったとはいえない〔略〕が,原告の意思に基づくものということができるから,本件で,原告と被告の法律上の父子関係を否定することはできない。
ここで仮定論をあえて展開しなければならなかったということは,日本民法における,前記奈良家庭裁判所平成29年12月15日判決の傍論的思考の強さを示すものでしょう。しかし,当該「思考の強さ」はどこから生じて来ているのでしょうか。
(2)生殖補助親子関係等法10条との関係
ア AID型に関する規整
AID(=Artificial Insemination with Donor’s semen)型の生殖補助医療に関し,生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律(以下「生殖補助親子関係等法」と略称します。)10条が「妻が,夫の同意を得て,夫以外の男性の精子(その精子に由来する胚を含む。)を用いた生殖補助医療により懐胎した子については,夫は,民法第774条の規定にかかわらず,その子が嫡出であることを否認することができない。」と規定していることと関係があるのでしょうか。(ちなみに,同条における夫の同意は,法案提案者によれば,「懐胎に至った生殖補助医療の実施時に存在している必要があると考えてございます。懐胎に至った生殖補助医療の実施前に同意が撤回された場合には,第10条の夫の同意は存在しないと考えてございます。」とされています(秋野公造参議院議員・第203回国会衆議院法務委員会議録第3号6頁)。すなわち,体外受精胚移植(「体外受精により生じた胚を女性の子宮に移植すること」(生殖補助親子関係等法2条2項))たる生殖補助医療(同条1項)の場合においては,当該移植時に夫の同意が必要であることになるものと解されます。)他人の精子を用いる場合には移植前に同意の撤回は可能である,いわんや我が精子においてをや,という論理は,あり得るところでしょう。
(なお,生殖補助親子関係等法10条の法案提出者の解釈は,懐胎に至った生殖補助医療の実施時を夫の同意撤回可能の最終期限としていますが,これは,人工授精(「男性から提供され,処理された精子を,女性の生殖器に注入すること」(同法2条2項))の場合はよいとしても,体外受精胚移植の場合についてはどうでしょうか。体外受精(「女性の卵巣から採取され,処置された未授精卵を,男性から提供され,処置された精子により受精させること」(生殖補助親子関係等法2条2項))後・体外受精胚移植前に夫の同意が撤回されたときには,当該体外受精により生じた胚はどうなるのでしょうか。当該胚は破棄されるということであれば,「これを人とみるか物とみるかについて,倫理上の問題が生じる。胚は,母体に戻せば人間になり得るからである。主体的価値からは,破棄は認められないことになる。かねて胎児に関しては,母親の決定権と胎児の生存権とが独立の問題となった。胚や受精卵についても,この二重の主体の関与が不可欠となる。」という難しい話があります(山野目章夫編『新注釈民法(1)総則(1)』(有斐閣・2018年)792頁(小野秀誠))。「二重の主体」のみならず,「自己決定権」を主張する夫も加わった三重の主体が関与する問題となるようです。懐胎に至った体外受精胚移植の場合は,その前段の体外受精の実施時に夫の同意が必要であり,その後の撤回は認められないのだ,との問題回避的追加説明もあるいは可能かもしれませんが,生殖補助親子関係等法2条は,体外受精と体外受精胚移植とを一連のものとしてではなく,別個の生殖補助医療として定義しています。)
イ AID型における父子関係とAIH型におけるそれとの相違
しかし,AID型とAIH型との場合を安易に同一視してよいのでしょうか(同一視するのならば,結果を先取りすることになります。)。AID型の場合においては,子の出生前に夫の同意がないときはもちろん,あるときであっても,民法の文言上,出生子は夫からの嫡出否認の対象となり得るところ(同法776条は子の出生後の夫による承認に否認権喪失の効果を認めていますが,反対解釈(出生前の承認には当該効果なし。)が可能です(梅248頁)。),生殖補助親子関係等法10条は,その嫡出否認権を否認するために夫の同意の意思を改めて根拠付けに用いた上で,解釈上更に慎重に,当該意思の撤回を,懐胎に至った生殖補助医療が行われた時までは可能であるとするものでしょう。これに対して,AIH型の場合は,夫の同意がないときであってもそもそも出生子が夫によって嫡出否認され得るのかという出発点自体が問題となっています。
(3)精子の所有権との関係
おれの精子はおれのものだから,勝手に使ってはならぬのだ,ということでしょうか。確かに,精子の所有権は,まずはその提供者に属するものと解してよいようです。「身体から分離した,毛髪や血液は,公序良俗に反しない場合には,〔権利の客体たる〕物となる。」(山野目編790頁(小野)),「身体から分離された皮膚や血液,臓器などは,公序良俗の範囲内で物となる」(同791頁(小野))とされているところです。しかし,受精卵が育って生まれた子の実父はだれかを決めるに当たって,当該卵子を受精させた精子に係る所有権という権利がだれに属していたかを問題にするのは,いかがなものでしょうか。日本民法においては,人は,物として権利の客体となることはありません(山野目編790頁(小野))。また,素朴論としてもむしろ,勝手に使われたとしてもあなたの精子だったのであるから,勝手に使った人の責任は別としても,生まれた子はやはりあなたの子ではないですか,ということにもなりそうです。あるいは,おれは精子の所有権を放棄したから,かくして無主となった精子によって受精した卵子が育って生まれた子は実父を有しないのだ,ということでしょうか。しかし,やはり,繰り返しになりますが,父子関係の認定に当たって,精子の所有権を云々するのは筋が違うように思われます。(そもそも,あえて精子の所有権をあらかじめ放棄しなくとも,少なくとも母体内における懐胎の段階では,当該受精卵(胚)を客体とする精子提供者の所有権(共有持分でしょうか。)の存否を云々することはもうできないはずです。また,体外受精された受精卵(胚)が所有権の客体である物であるとしても,卵子と精子とを比べて卵子の方が主たる動産であるということであるのならば,精子提供者の所有権はそこでは既に消滅していることとなりましょう(民法243条)。)
(なお,所有権の効能の拡張という発想は,筆者に「「物に関するパブリシティ権」と所有権」に関する議論を想起させるところです。当該議論については,こちらは3年前の「法学漫歩2:電波的無から知的財産権の尊重を経て偶像に関する法まで」記事を御参照ください(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073804586.html)。)
(4)米国的発想?
「今日のニュー・ヨークが,2週間後の東京です。」との警鐘が,新型コロナウイルス感染症(covid-19)に関して過去2年間頻繁に鳴らされ続けました。我が善良可憐な日本国民は真摯に当該警鐘を信じ,従順に従い,煩わしさに慣れつつ四六時中マスクを着用し,副反応に耐えつつ重ねてワクチンの接種を受けてきたところでした。
「今日の米国の生殖補助親子関係法制が,2年後の日本のそれです。」ということにもなるのでしょうか。(ちなみに,生殖補助親子関係等法附則3条に基づく,生殖補助医療の適切な提供等を確保するための法制上の措置(同条3項参照)その他の必要な措置を講ずるための検討の期間は「おおむね2年」とされています。)
親子関係に係る米国の州法統一のために,統一州法委員全国会議(National Conference of Commissioners on Uniform State Laws. これは,民間の団体です(田中英夫『英米法総論 下』(東京大学出版会・1980年)642頁)。)によって作成された2017年統一親子法案(Uniform Parentage Act)の第7章を見てみましょう。同法案では,生殖補助医療(assisted reproduction. 「性交渉(sexual intercourse)以外の妊娠をもたらす方法」と定義されています(同法案102条4号)。)による出生子の親子関係については「第7章 生殖補助医療」において,性交渉による妊娠から出生した子の親子関係に係るものとは別立てで規定されています。
第701条 (本章)の適用範囲
本(章)は,性交渉(又は第8(章)の代理母合意に基づく生殖補助医療)によって懐胎された子の出生には適用されない。
第702条 配偶子提供者の親としての地位
配偶子提供者は,生殖補助医療によって懐胎された子の親ではない。
〔筆者註:配偶子(gamete)は「精子,卵子又は精子若しくは卵子の一部」です(同法案102条10号)。配偶子提供者(donor)は,「有償無償を問わず,生殖補助医療において使用されるための配偶子を提供する個人」ですが(同条9号柱書き),例外があって,「(第8(章)で別異に規定される場合を除き)生殖補助医療によって懐胎された子を出産する女性」(同号(A))及び「第7(章)に基づく親(又は第8(章)における親となる意思の表明者(intended parent))」(同号(B))は除かれています。〕
第703条 生殖補助医療における親子関係
当該生殖補助医療により懐胎された子の親となる意思をもって,女性の受ける生殖補助医療(assisted reproduction by a woman)に第704条に基づき同意した個人が,当該の子の親である。
〔筆者註: “assisted reproduction by a woman”は,「女医による生殖補助医療」という意味ではないでしょう。〕
第704条 生殖補助医療に対する同意
(a)(b)項において別異に規定されている場合を除き,第703条の同意は,生殖補助医療によって懐胎された子を出産する女性と当該の子の親となる意思の個人とが署名した記録によるものでなければならない。
(b)(a)項によって求められる記録による同意が子の出生の前後を通じてされなかった場合であっても,裁判所は,次のときには,親となることに対する同意の存在を認定することを妨げられない。
(1)当該個人及び当該女性が両者そろって当該の子の親となる意思である旨の懐胎の前にされた明示の合意(express agreement)の存在を,当該女性又は当該個人が明白かつ説得的な(clear-and-convincing)証拠をもって立証したとき,又は
(2)当該女性と当該個人とが,一時的な不在期を含めて当該の子の出生後最初の2年間,当該の子と共に同一の世帯において同居し,かつ,両者とも当該の子が当該個人の子であることを公然と示していたとき。ただし,当該個人が当該の子が2歳になる前に死亡し,若しくは意思無能力となり,又は当該の子が2歳にならずに死亡した場合においては,当該女性及び当該個人は同一の世帯において当該の子と共に同居する意思であったものであり,かつ,両者とも当該の子が当該個人の子であることを当該個人が公然と示すことを意図していたものの,当該個人は死亡又は意思無能力によって当該意図を実現できなかったということが明白かつ説得的な証拠をもって立証されたときには,裁判所は本項の親となることに対する同意を認めることができる。
第705条 親であることを配偶者が争うことに対する制限
(a)(b)項において別異に規定されている場合を除き,子の出生時において生殖補助医療によって当該の子を出産した女性の配偶者である個人は,当該個人が当該の子の親であることを争うことができない。ただし,次に掲げる場合は,この限りでない。
(1)当該の子の出生後2年以内に,当該個人が当該個人と当該の子との間の親子関係に係る裁定手続を開始し,かつ,
(2)裁判所が,当該個人は当該の子の出生の前後を通じて当該生殖補助医療に同意していなかったこと又は第707条に基づき同意を撤回していたことを認めた場合
(b)生殖補助医療によって生まれた子と配偶者との親子関係に係る裁定手続は,裁判所が次に掲げる全ての事項を認めたときは,何時でも開始することができる。
(1)当該配偶者は,当該生殖補助医療のために,配偶子の提供も同意もしていなかったこと。
(2)当該配偶者と当該の子を出産した女性とは,生殖補助医療がされたであろう時期以来同棲していないこと。
(3)当該配偶者は,当該の子を当該配偶者の子として公然示したことはないこと。
(c)本条は,生殖補助医療が行われた後に当該配偶者の婚姻が無効であると認められた場合であっても,親であることを配偶者が争う場合に適用される。
〔筆者註:(c)項は,無効の婚姻は本来当初から無効であるところ,この場合は遡及効のないものとして取り扱おうとするものと解されます(次条参照)。しかして更に,本来無効なので,(c)項の適用は,離婚等で終らせようがないわけなのでしょう。〕
第706条 婚姻に係る一定の法的手続の効果
生殖補助医療によって懐胎した子を出産する女性の婚姻が,配偶子又は胚が当該女性に移植又は注入(transfer)される前に(離婚若しくは解消で終了し,法的別居若しくは別居手当授受関係となり,無効と認められ,又は取り消された)場合においては,当該女性の前配偶者は,当該の子の親ではない。ただし,生殖補助医療が(離婚,婚姻解消,取消し,無効確認,法的別居又は別居手当授受関係)の後に行われても当該前配偶者は当該の子の親となる旨の記録による同意が当該前配偶者によってされており,かつ,当該前配偶者が第707条に基づき同意を撤回していなかった場合は,この限りでない。
第707条 同意の撤回
(a)第704条に基づき生殖補助医療に同意する個人は,妊娠に至る移植又は注入の前には同意の撤回をいつでも,生殖補助医療によって懐胎した子を出産することに合意した女性及び当該生殖補助医療を提供する病院又は医療提供者に対する記録による同意撤回通知を行うことによってすることができる。病院又は医療提供者に対する通知の欠缺は,本(法)による親子関係の決定に影響を与えない。
(b)(a)項に基づき同意を撤回する個人は,当該の子の本(章)に基づく親ではない。
第708条 死亡した個人の親としての地位
(a)生殖補助医療によって懐胎された子の親となる意思の個人が,配偶子又は胚の移植又は注入と当該の子の出生との間に死亡した場合においては,本(法)の他の規定に基づき当該個人が当該の子の親となるときは,当該個人の死亡は当該個人が当該の子の親となることを妨げない。
(b)子を出産することに合意した女性の受ける生殖補助医療に記録により同意した個人が配偶子又は胚の移植又は注入の前に死亡した場合においては,次のときに限り,当該死亡した個人は当該生殖補助医療により懐胎された子の親である。
(1)(A)当該個人が,当該個人の死後に生殖補助医療がされても当該個人が当該の子の親となる旨記録による同意をしていたとき,又は
(B)当該個人の死後に生殖補助医療によって懐胎された子の親となろうとする当該個人の意思が,明白かつ説得的な証拠によって立証されたときであって,かつ,
(2)(A)当該個人の死後(36)箇月以内に当該胚が母胎内にあったとき,又は,
(B)当該個人の死後(45)箇月以内に当該の子が出生したとき。
令和元年大阪家裁判決事件の原告たる夫(又はその訴訟代理人)においては,UPAの第705条(a)項(2)号を援用したものでしょうか。確かに,同号によれば,夫の同意が,生殖補助医療によって懐胎・出産された子の父を出産女性の夫とするための要件とされています。この点では,米国法は,原告側に有利に働きそうです。
しかし,UPA第704条(a)項に準ずる形で同意してしまった以上,その撤回は生殖補助医療を受ける女性及び当該医療を提供する病院又は医療提供者に記録による形での(in record)通知(notice)でされなければなりません(UPA第707条(a)項)。「上記同意を明確に撤回したとまで認めるに足りる的確な証拠はない」以上,米国法にすがろうとしても,結局,ゴールの手前で無情にも見捨てられることとはなるのでした。
なお,将来的には,米国的法制の我が国への導入の可能性を全く否定することはできないでしょう。「〔生殖補助医療による〕親子関係を,実親子・養親子とは異なる第三のカテゴリーとしてとらえるべきでない」という考え方もありますが(大村123頁),生殖補助親子関係等法が「第三のカテゴリー」たる親子関係の受皿となり得るものとして既に存在しています。立派な新しい皿があれば,そこに新しい料理を盛りつけたくなるのは人情でしょう。
…vinum novum in utres novos mittunt et ambo conservantur. (Mt 9,17)
(下)令和2年大阪高裁判決(「自分の子をもうけることについての自己決定権」)
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