第1 おさらい:奈良家庭裁判所平成29年12月15日判決における傍論の前例
今からちょうど1年前(2021年1月19日)の「生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律(令和2年法律第76号)に関して」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078236437.html)において筆者は,夫の精子を用いた妻に対する人工授精(AIH=Artificial Insemination with Husband’s semen)について「ほとんど問題はない。〔AIHにより懐胎され生まれた子は〕普通の嫡出子として取扱うべきである。」とする我妻榮の見解(同『親族法』(有斐閣・1961年)229頁)を引用しつつ,その「ほとんど」の場合に含まれない例外的状況の問題として,夫の精子によって受精した妻の卵子が凍結保存され,その後当該受精卵(=胚)によって当該妻が懐胎出産した子に対して,同意の不存在を理由に当該夫が実親子(父子)関係不存在確認の訴え(人事訴訟法(平成15年法律第109号)2条2号)を提起した事案(第一審・奈良家庭裁判所平成29年12月15日判決,控訴審・大阪高等裁判所平成30年4月26日判決,上告審・最高裁判所令和元年6月5日決定(民事訴訟法(平成8年法律第109号)312条に定める上告事由に該当しないため棄却(稲葉実香「生殖補助医療と親子関係(一)」金沢法学63巻2号(2021年3月)41頁以下の55頁註10参照)))について御紹介するところがありました。
当該事案については,当該夫婦の関係は当該の子について嫡出推定(民法(明治29年法律第89号)772条)が及ぶに十分なものであったそうで(新聞報道によれば「別居していたが,旅行に出かけるなど夫婦の実態は失われていなかった」),嫡出否認の訴え(同法775条)によるべきであったのに当該訴えではなく実親子関係不存在確認の訴えを提起した,ということで夫の敗訴となっています。その際第一審の奈良家庭裁判所は「生殖補助医療の目的に照らせば,妻とともに生殖補助医療行為を受ける夫が,その医療行為の結果,仮に子が誕生すれば,それを夫と妻との間の子として受け入れることについて同意していることが,少なくとも上記医療行為を正当化するために必要である。以上によれば,生殖補助医療において,夫と子との間に民法が定める親子関係を形成するためには,夫の同意があることが必要であると解するべきである。」,「個別の移植時において精子提供者が移植に同意しないということも生じうるものであるから,移植をする時期に改めて精子提供者である夫の同意が必要であると解するべきである。」と判示していますが(稲葉53-54頁),当該判示は裁判官の学説たる傍論(obiter dictum=道行き(iter)のついで(ob)に言われたこと(dictum))にすぎないものと取り扱われるべきものでありました。すなわち,夫敗訴の結論は,嫡出否認の訴えではなく実親子関係不存在確認の訴えを提起した,という入口を間違えた論段階で既に出てしまっていたところです。なお,実親子関係不存在確認の訴えとは異なり,嫡出否認の訴えは,「夫が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない」ものです(民法777条)。入口を間違えた論というよりもむしろ,制限時間オーヴァー論というべきかもしれません。
AIH型(夫の精子を用いて妻が懐胎出産することを目的とする生殖補助医療には,人工授精によるものの外に体外受精及び体外受精胚移植によるものもあるので,AIH型といいます。)の生殖補助医療において妻による子の懐胎出産に夫の同意が存在しない場合における法律問題(これには,①夫と子との間における実親子(父子)関係の成否の問題並びに②妻及び生殖補助医療提供者に対する夫からの損害賠償請求の可否の問題があります。)に関する筆者の実務家(弁護士として家事事件の受任を承っております(電話:大志わかば法律事務所03-6868-3194,電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp)。大学の非常勤講師として学生諸君に民法を講じてもおります。よろずお気軽に御相談ください。)としての検討の深化及び解明のためには,その後更に裁判例が現れることが待たれていたところでした。
第2 大阪家庭裁判所令和元年11月28年判決(令和元年大阪家裁判決):実親子(父子)関係の成否の問題
無論,種々の問題を惹起しつつ進む生殖補助医療の発展はとどまるところはなく,その後,凍結保存されていた受精卵(胚)を用いて妻が懐胎出産した子について夫がその子との父子関係の不存在を主張するという同様の事案(夫の精子によって妻の卵子が受精したもの)で,きちんと嫡出否認の訴えをもって争われたものに係る判決が現れました。大阪家庭裁判所平成28年家(ホ)第568号嫡出否認請求事件平成29年家(ホ)第272号親子関係不存在確認請求事件令和元年11月28日判決です(第272号は却下,第568号は棄却。松井千鶴子裁判長,西田政博裁判官及び田中一孝裁判官。確定。各種データベースにはありますが,公刊雑誌には未掲載のようです。「原告は,当庁に対し,平成28年12月21日に甲事件〔嫡出否認請求事件〕を,平成29年6月21日に乙事件〔親子関係不存在確認請求事件〕をそれぞれ提起した。」ということですから,二宮周平編『新注釈民法(17)親族(1)』(有斐閣・2017年)683頁(石井美智子)の紹介する「2017年〔平成29年〕1月と2月に奈良と大阪の2つのケースが明らかになっている(毎日新聞2017年1月4日付朝刊,読売新聞2017年2月21日付朝刊)」もののうちの大阪の分でしょう。)。
当該大阪家庭裁判所判決(以下「令和元年大阪家裁判決」といいます。)の法律論は,2本立てになっています。本論の外に――当該本論の迫力を大いに減殺してしまうのですが――仮定論があるところです。以下,本論及び仮定論のそれぞれについて検討しましょう。
1 本論:自然生殖で生まれた子と同様に解する説
まずは本論です。
(1)判示
令和元年大阪家裁判決は,その本論において,嫡出推定の及ぶ範囲に係る判例の外観説を前提に(「民法772条所定の期間内に妻が懐胎,出産した子について,妻がその子を懐胎すべき時期に,外観上,既に夫婦が事実上の離婚をして夫婦の実態が失われ,又は夫婦が遠隔地に居住して夫婦間に性的関係を持つ機会がないことが明らかであるなどの事情がある場合に限り,その子は同条の嫡出推定が及ばない子として,親子関係不存在確認の訴えの提起が認められる」),当該事案に係る子には嫡出推定が及ぶものと判断した上で,「原告〔夫〕と被告〔子〕との間に生物学上の父子関係が認められることは前記1(12)で指摘したとおり〔すなわち,「被告〔の〕母〔原告の妻〕は,平成27年4月22日,本件クリニックにおいて,前記(2)のとおり,平成26年4月15日に凍結保存されていた受精卵(胚)〔すなわち,「平成26年4月10日に原告が提供した精子と被告母が提供した卵子を使用して作製された受精卵(胚)は培養され,同月15日,凍結保存された。」〕を融解させて被告母に移植する本件移植により,被告を懐胎し,●●●被告を出産した。」〕であり,原告の嫡出否認の請求は理由がない。」と夫の主張を一刀両断にしています。
「生物学上の父子関係」のみがいわれているということは,夫の同意の有無は問題にならないということでしょう。(なお,ここでの「生物学上の父子関係」は,子がそこから育った受精卵に授精した精子の提供者(提供の方法は性交渉に限定されない。)とその子との間の関係のことと解されます。)
大阪家庭裁判所は続けていわく。「これに対し,原告は,被告が,自然生殖ではなく,生殖補助医療である凍結受精卵(胚)・融解移植により出生していることから,本件移植につき,父である原告の同意がない本件では,原告と被告との間の法律上の父子関係は認められないと主張するが,生殖補助医療によって出生した子についての法律上の親子関係に関する立法がなされていない現状においては,上記子の法律上の父子関係については自然生殖によって生まれた子と同様に解するのが相当であることは前記2(1)で指摘したとおりであり〔すなわち,「生殖補助医療によって出生した子についても,法律上の親子関係を早期に安定させ,身分関係の法的安定を保持する必要があることは自然生殖によって生まれた子と同様であり,生殖補助医療によって出生した子についての法律上の親子関係に関する立法がなされていない現状においては,上記子の法律上の父子関係については自然生殖によって生まれた子と同様に解するのが相当である。」〕,採用の限りではない。」と。
(2)「自然生殖によって生まれた子と同様に解する」意味
妻が生殖補助医療によって出産した子について,夫との法律的父子関係を「自然生殖によって生まれた子と同様に解する」という場合,(ア)民法772条の嫡出推定の場面並びに(イ)当該推定の及ぶときに係る同法774条・775条の嫡出否認訴訟の要件事実に関する場面及び(ウ)当該推定が及ばないときに係る実親子(父子)関係不存在確認訴訟の要件事実に関する場面があることになります。
ア 嫡出推定
民法772条の嫡出推定の場面については,生殖補助医療によって出生した子についてもその出生日は当然観念できますし(同条2項),その懐胎された時期を基準とすること(同条1項)も容易に承認できます。妻の懐胎は,専ら母体側の事情です。
Ecce virgo concipiet et pariet filium…(Is 7,14)
イ 嫡出否認訴訟の要件事実
(ア)生物学上の父子関係の不存在
嫡出推定が及ぶときに係る嫡出否認訴訟の要件事実の場面については,子の嫡出を否認しようとする夫が主張立証すべき事実として「自然血縁的父子関係の不存在」が挙げられています(岡口基一『要件事実マニュアル 第2版 下』(ぎょうせい・2007年)255頁)。父たらんとする意思の不存在はそこでは挙げられていません。専ら「子カ何人ノ胤ナルカ」が問題となるものでしょう(梅謙次郎『民法要義巻之四 親族編 第二十二版』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1912年)245頁)。
令和元年大阪家裁判決が,生殖補助医療によって生まれた子についても「自然生殖によって生まれた子と同様に解する」とあらかじめ宣言しているにもかかわらず,なお執拗に,生殖補助医療はそもそも不自然だからそれによって生まれた子には「自然血縁的父子関係」はおよそあり得ないのだ,我妻榮も嫡出子は「〔母と〕夫との性的交渉によって懐胎された子でなければならない。」と言っているのだ(我妻214頁)と頑張ってしまえば,「自然血縁的父子関係」の存在は認知の訴え(民法787条)の要件事実でもありますから(岡口259頁),生殖補助医療によって出生した子は,そもそも実父を有すべきものではないことになってしまいます。しかしながら我妻榮も,その嫡出子に係る定義について一貫せず,AIHによる出生子について,前記のとおり普通の嫡出子として取り扱うべきものとしています。過去の裁判例の用語としても,最高裁判所平成18年9月4日判決・民集60巻7号2563頁の原審である高松高等裁判所平成16年7月16日判決は「人工受精の方法による懐胎の場合において,認知請求が認められるためには,認知を認めることを不相当とする特段の事情が存しない限り,子と事実上の父との間に自然血縁的な親子関係が存在することに加えて,事実上の父の当該懐胎についての同意が存するという要件を充足することが必要であり,かつ,それで十分である」と判示しており(下線は筆者によるもの),生殖補助医療によって出生した子にも「自然血縁的父子関係」が存在することが前提となっています。いずれにせよ,令和元年大阪家裁判決における「生物学上の父子関係」という用語には,「自然」か「不自然」か云々に関する面倒な議論を避ける意味もあったものでしょう。
(イ)ナポレオンの民法典との比較等
なお,民法774条の前身規定案(「前条ノ場合ニ於テ子ノ嫡出子ナルコトヲ否認スル権利ハ夫ノミニ属ス」)についての富井政章の説明には「仏蘭西其他多クノ国ノ民法ヲ見ルト云フト種々ノ規定カアルヤウテアリマス夫ハ前条〔民法772条に対応する規定〕ノ場合ニ於テ遠方ニ居ツタトカ或ハ同居カ不能テアツタトカ云フコトヲ証明シナケレハナラヌトカ或ハ妻ノ姦通ヲ証明シタ丈ケテハ推定ハ頽レナイトカ或ハ内体上ノ無勢力夫レ丈ケテハ推定ヲ覆ヘス丈ケノ力ヲ持タナイトカ云フヤウナ趣意ノ規定カアリマスガ之ハ何レモ不必要ナ規定テアツテ全ク事実論トシテ置テ宜カラウト云フ考テ置カヌテアリマシタ」とあります(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第50巻』143丁裏-144丁表)。
対応するフランス法の条項は,ナポレオンの民法典の第312条から第316条までとされているところ(民法議事速記録第50巻143丁裏),それらの法文は次のとおりです(ただし,1804年段階のもの。拙訳は,8年前の「ナポレオンの民法典とナポレオンの子どもたち」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/2166630.html)のものの再録ということになります。)
312.
L’enfant conçu pendant le mariage, a pour père le mari.
(婚姻中に懐胎された子は,夫を父とする。)
Néanmoins celui-ci pourra désavouer l’enfant, s’il prouve que, pendant le temps qui a couru depuis le trois-centième jusqu’au cent-quatre-vingtième jour avant la naissance de cet enfant, il était, soit par cause d’éloignement, soit par l’effet de quelque accident, dans l’impossibilité physique de cohabiter avec sa femme.
(しかしながら,夫は,子の出生前300日目から同じく180日目までの期間において,遠隔地にいたことにより,又は何らかの事故により,その妻と同棲することが物理的に不可能であったことを証明した場合には,その子を否認することができる。)
313.
Le mari ne pourra, en alléguant son impuissance naturelle, désavouer l’enfant : il ne pourra le désavouer même pour cause d’adultère, à moins que la naissance ne lui ait été cachée, auquel cas il sera admis à proposer tous les faits propres à justifier qu’il n’en est pas le père.
(夫は,自己の性的不能を理由として,子を否認することはできない。夫は,同人に子の出生が隠避された場合を除き,妻の不倫を理由としてもその子を否認することはできない。ただし,上記の〔子の出生が隠避された〕場合においては,夫は,その子の父ではないことを理由付けるために適当な全ての事実を主張することが許される。)
314.
L’enfant né avant le cent-quatre-vingtième jour du mariage, ne pourra être désavoué par le mari, dans les cas suivans : 1.o s’il a eu connaissance de la grossesse avant le mariage ; 2.o s’il a assisté à l’acte de naissance, et si cet acte est signé de lui, ou contient sa déclaration qu’il ne sait signer ; 3.o si l’enfant n’est pas déclaré viable.
(婚姻から180日目より前に生まれた子は,次の各場合には,夫によって否認され得ない。第1,同人が婚姻前に妊娠を知っていた場合,第2,同人が出生証書に関与し,かつ,当該証書が同人によって署名され,又は署名することができない旨の同人の宣言が記されている場合,第3,子が生育力あるものと認められない場合。)
315.
La légitimité de l’enfant né trois cents jours après la dissolution du mariage, pourra être contestée.
(婚姻の解消から300日後に生まれた子の嫡出性は,争うことができる。)
316.
Dans les divers cas où le mari est autorisé à réclamer, il devra le faire, dans le mois, s’il se trouve sur les lieux de la naissance de l’enfant ;
(夫が異議を主張することが認められる場合には,同人がその子の出生の場所にあるときは,1箇月以内にしなければならない。)
Dans les deux mois après son retour, si, à la même époque, il est absent ;
(出生時に不在であったときは,帰還後2箇月以内にしなければならない。)
Dans les deux mois après la découverte de la fraude, si on lui avait caché la naissance de l’enfant.
(同人にその子の出生が隠避されていたときは,欺罔の発見後2箇月以内にしなければならない。)
ナポレオンの民法典においては例外的にのみ認められる「その子の父ではないことを理由付けるために適当な全ての事実を主張すること」(同法典313条末段)が,日本民法の嫡出否認の訴えにおいては常に認められることになっています。とはいえ,生殖補助医療出現より前の時代のことですから,自分の胤による子ではあるがその懐胎は自分の同意に基づくものではない,なる嫡出否認事由は,日本民法の制定時には想定されてはいないものでしょう。(ちなみに,富井政章はナポレオンの民法典の第312条以下を証拠法的なものと捉えていたようですが(ナポレオンの民法典312条1項を承けた旧民法人事編(明治23年法律第98号)91条1項の「婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子トス」を「之ハドウモ「推定ス」テナクテハナラヌト思ヒマス固ヨリ反証ヲ許ス事柄テアリマス〔略〕此場合ニハ「子トス」ト断定シテアリマス之ハ甚タ穏カテナイト思ヒマスカラ「推定ス」ニ直オシマシタ」と修正してもいます(民法議事速記録第50巻109丁裏-110丁表)。),それらの条項は実体法的なものでもあったところです(「民法は,嫡出子の定義を定めていない。」ということ(我妻215頁)になったのは,富井らが旧民法人事編91条1項の規定を改めてしまったせいでしょう。)。「フランス法においては,親子法は様々な訴権によって構成されているが,そこでの訴権は,他の場合と同様に,手続・実体の融合したもの(分離していないもの)としてとらえられていると見るべきではないか。」と説かれているところです(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)132頁)。)
昔から,人違いで結婚してしまった(imposuit mihi),目許醜い(lippis oculis),嫌いな(despecta, humiliata)嫁が,第三者の生殖補助で妊娠して(Dominus aperuit vulvam ejus)子を産んだのであっても(genuit filium),胤が自分のもの(fortitudo mea)であるのなら,その子はやはり自分の子です。
[Laban] habebat vero filias duas. Nomen majoris Lia. Minor appellabatur Rahel.
Sed Lia lippis erat oculis,
Rahel decora facie et venusto aspectu,
quam diligens Jacob ait:
Serviam tibi pro Rahel filia tua minore septem annis. (Gn 29,16-18)
…vocatis multis amicorum turbis ad convivium, [Laban] fecit nuptias,
et vespere filiam suam Liam introduxit ad eum
…ad quam cum ex more Jacob fuisset ingressus,
facto mane, vidit Liam et dixit ad socerum:
Quid est quod facere voluisti?
Nonne pro Rahel servivi tibi? Quare imposuisti mihi? (Gn 29,22-25)
Videns autem Dominus quod [Jacob] despiceret Liam aperuit vulvam ejus…
quae conceptum genuit filium vocavitque nomen ejus Ruben, dicens:
Vidit Dominus humilitatem meam. Nunc amabit me vir meus. (Gn 29,31-32)
Ruben, primogenitus meus,
tu fortitudo mea… (Gn 49,3)
(ウ)子をもうけることに係る夫の「自己決定権」
令和元年大阪家裁判決事件において原告である夫は,判決文によれば,「原告の同意がない以上」「本件移植は,原告の自己決定権という重要な基本的人権を侵害するものであり,正当な医療とはいえず,許されないから,原告と被告との間の法律上の親子(父子)関係は認められるべきではない。」と主張していたところです。ここでの「原告の同意」は,「凍結受精卵(胚)を融解し,母胎に移植する時期に必要とすべきである」とされており,胚の母胎への移植時に存在する必要があったものとされています。また,「原告の自己決定権」といわれるだけでは何に関する自己決定権であるのか分かりませんが,これは,文脈上「子をもうけること」に係る自己決定の権利のことであるものと解されます。
しかし,ここで原告の「自己決定権」を侵害し得た者はその妻又は当該生殖補助医療を行った医師であって,生まれた子には関係がありませんから,当該「侵害」が当該子との父子関係の有無に影響を与えるのだとの主張には,当該子の立場からすると少々納得し難いところがあるようでもあります。
令和元年大阪家裁判決の本論においては,原告の主張に係るその「自己決定権」に言及して応答するところがありません。難しい議論をして状況を流動化させるよりも,ルールに関する明確性・安定性を求め(「法律上の親子関係を早期に安定させ,身分関係の法的安定を保持する必要」ということは,ルール及びその適用の明確性・安定性が必要であるということでしょう。),生殖補助医療により出生した子の法律上の父子関係についても「自然生殖によって生まれた子と同様に解するのが相当」であるものと判断されたものでしょう。
(エ)フランス的な方向性?
幸運にも他の男の胤ではない,他ならぬあなたの胤であなたの妻が懐胎して出産した子なのですから,あなたがこの子の父であることについて何の不足があるのですか,男児たるもの,妻の産む子の父とされることについて,「自己決定権」云々と青臭いことを結婚してしまった後から愚図愚図言うものではありません,ということであれば,筆者には,我が民法の母法国である(少なくとも19世紀の)フランス的な方向での割切りであるように納得されます。
〔前略〕ヨーロッパ(特にフランス)では,婚姻とは妻が産んだ子を自らの子として認めるという約束であるという考え方が根強く存在している(たとえば,カルボニエによれば,婚姻とは「女が産んだ子を当然に男に帰さしめる結合,あるいは,女が産んだすべての子を自分のものとすることを事前に承認する男の意思として定義されうる」(Carbonnier, 〔Droit civil, tome 2, PUF, 21e éd. refondu, 2002〕p.245)としている)。「Pater is est, quem nuptiae demonstrant = 父は婚姻が示す」という法格言もこのような観点から解釈される。
(大村149-150頁)
〔前略〕限られた要件の下に反証を許すという条件付きで「子とす」というのが,フランス式の考え方であり,旧民法の規定も明治民法の規定も,その内容においてはこの考え方に立つものなのである。
(大村131頁。下線は筆者によるもの。ここでの「明治民法の規定」とは,民法旧820条1項の「妻カ婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子ト推定ス」のことでしょう。)
「生物学上の父子関係」の不存在一般までをも,嫡出否認に係る「限られた要件」として日本民法は認めています(日本民法における要件の絞りは専ら手続的です。)。これは,当初のナポレオンの民法典が認めていた「限られた要件」よりも広いものです。そこに更に当該の「子をもうけること」に係る夫の同意という要件までを加えて反証(嫡出否認)の可能である場合を拡大する必要があるものかどうかが問題となります。婚姻自体が,包括的な「妻が産んだ子を自らの子として認めるという約束」であったはずです。また,敷衍して論じて――嫡出推定制度は「同棲中の夫婦には性的交渉があり,妻は貞操上の誠実を守るものであり,仮に妻と他の男との性的交渉があったとしても,子の父は夫とすべきだという一連の事実と当為に支えられて成立しているもの」とされており(我妻221頁),かつ,当該「当為」は「夫の子か第三者の子かが不明の場合には,夫の子とすべきである」ということと解されているようであるところ(大村138頁。梅240頁にも「苟モ有夫姦ニ因リテ生マレタル証拠ナキ以上ハ其子ヲ夫ノ子ト推定スルハ固ヨリ当然ト謂ハサルコトヲ得ス」とあります。),妻が産んだ子が第三者の子ではないことは明らかであるのに,子をもうけることに係る婚姻後の自分の意思を云々することを夫に許すのは,当該「当為」を蔑するものであって,単なる非婚カップル関係とは異なる婚姻の特別性を損なうこととなるから許されない――という主張も可能でしょう。無論,これに対しては,男女の婚姻制度の特別視は時代遅れであって克服されるべき偏見にすぎない,という見解も尊重されなければならないものであるのでしょう。
ウ 嫡出推定の及ばない子の場合
婚姻期間中又は婚姻解消若しくは取消しの日から300日以内に出生した妻の子であって嫡出推定が及ばないものとの父子関係を否定しようとする夫は,実親子(父子)関係不存在確認の訴えを提起することになります。しかし,そこでの要件事実には「法律上の実親子関係がないこと」とあるばかりです(岡口266頁)。法律上の実親子関係を否定しようとする者は法律上の実親子関係がないことを主張立証せよ,と言われるだけでは,答えになっていません。
この点に関して,婚姻成立後その日から200日が経過する前に妻が産んだいわゆる推定されない嫡出子について,次のように述べられています。
推定されない嫡出子という名称は極めてミスリーディングである。嫡出性を争う側が立証責任を負っているという点では,まさに訴訟法的な意味での推定が働いている。ただ,772条の嫡出推定を受けていないという限りにおいて,「推定されない」という表現が用いられていることに注意する必要がある。
(内田貴『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)181頁)
民法772条の嫡出推定の効果は,否認権者,否認方法及び否認可能期間の制限(同法774条(否認権者は夫),775条(否認方法は嫡出否認の訴え)及び777条(否認可能期間は夫が子の出生を知った時から1年間))にとどまるものと解されるところです。そうであれば,父子関係不存在確認の訴えは嫡出否認の訴えを上記3点のみにおいて緩和したものと解して,父子関係不存在確認の訴えにおける要件事実たる「法律上の実親子関係のないこと」とは嫡出否認の訴えにおける「自然血縁的父子関係の不存在」と同じことである,との結論が得られそうです。なお,認知無効の訴えにおいては認知者の意思が意思無能力や認知意思の不存在という形で問題となりますが(岡口262頁),実親子関係の存否の確認の訴えと認知の無効及び取消しの訴えとは別個のものです(人事訴訟法2条2号参照)。
しかし,事実上の離婚中に懐胎され,当該事実上の離婚の事実ゆえに嫡出推定が及ばない子についてはどうでしょうか。夫としては,事実上離婚しているのだから,女は妻と称していても事実上は妻ではなく,その産んだ子と自分との父子関係は,認知(民法779条又は787条)によってしか成立しないのだ,と主張したいところでしょう。これについては,当該主張の提示する問題を前記フランス式の考え方によって再構成すれば,妻の産んだ子を自分の子として認める旨の約束は事実上の離婚によって失効するのか否かの問題となります。当該考え方に基づき,かつ,「法律上の親子関係を早期に安定させ,身分関係の法的安定性を保持する必要」に鑑みつつ按ずると,日本民法下では「世界でも珍しいほどの離婚の自由を認めた」(内田102頁)協議離婚も可能なのですから(同法763条),非制度的なものである事実上の離婚のみでは失効しないものと解すべきでしょうか。
(中)令和元年大阪家裁判決仮定論(夫との父子関係:米国的発想?)
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079345817.html
(下)令和2年大阪高裁判決(「自分の子をもうけることについての自己決定権」)
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