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1 離婚請求の本訴と離婚請求の反訴との関係について

 

(1)離婚請求訴訟に対する離婚請求の反訴

 裁判上の離婚について,我妻榮はその1961年の著書において「両当事者がともに離婚を希望しながら,ただ相手方の主張する離婚原因に承服しないために訴訟となり,被告からの反訴となって争われることも稀ではない。」と述べ(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)169頁),更に「反訴に関していえば,夫が婚姻を継続し難い重大な事由を理由として離婚の訴を提起し,妻はこれに応訴しながら,さらに,夫の不貞の行為を理由として反訴を提起し,本訴では原告敗訴,反訴では反訴原告勝訴となっている事例がすこぶる多い。慰藉料を請求しうるのは,離婚の訴でその原因として主張する事実によって生じた損害に限る(人訴7条2項)のだから,現行法の適用としては,そうする他はないのであろう。」と述べています(我妻186頁註(1))。(人事訴訟法(平成15年法律第109号)附則2条によって2004年4月1日から廃止された旧人事訴訟手続法(明治31年法律第13号)7条2項は,「他ノ訴ハ之ヲ前項ノ訴〔離婚の訴え等〕ニ併合シ又ハ其反訴トシテ提起スルコトヲ得ス但訴ノ原因タル事実ニ因リテ生シタル損害賠償ノ請求〔略〕ハ此限ニ在ラス」と規定していました。)

 その四十余年後においても,「夫が〔民法〕770条〔1項〕5号の破綻〔「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。」〕を理由に離婚請求し,他方,妻は1号の不貞行為を理由に離婚の反訴を提起した。これに対して,裁判所は,夫の請求は有責配偶者からの請求であり,判例〔最高裁判所大法廷昭和62年9月2日判決・民集41巻6号1423頁〕の挙げる要件〔「①「相当の長期間」の別居,②未成熟子の不存在,③相手方配偶者が過酷な状態に置かれる等,著しく社会正義に反する特段の事情の不存在」〕も満たさないとして棄却し,他方で,妻の反訴を認容するということがある。/妻からすれば,要するに離婚できるのだから,夫からの離婚請求にあっさり応じても同じことのように思えるが,どちらの請求が認められるかで慰謝料額に影響するから,反訴を起こす意味はある。」と説かれています(内田貴『民法Ⅳ親族・相続』(東京大学出版会・2002年)121122頁)。

 上記の各著書において挙げられた例を見る限りにおいては不貞行為をしたと問題にされるのはいつも夫の方ばかりであるように印象されます。しかしながら,無論,「妻が婚姻を継続し難い重大な事由(前記昭和62年最大判によれば「夫婦が婚姻の目的である共同生活を達成しえなくなり,その回復の見込みがなくなった場合」)を理由として離婚の訴を提起し,夫はこれに応訴しながら,さらに,妻の不貞の行為を理由として離婚の反訴を提起した。」という事件も存在します。現に筆者もそのようなこじれた事件で,原告・妻の訴訟代理人側の仕事をしたことがあります。

 

(2)有責配偶者からの本訴に対する離婚の反訴及びそれらの処理の実務

 

ア 有責配偶者からの本訴に対する離婚の反訴

 ところで,「裁判所は,夫〔原告〕の請求は有責配偶者からの請求であり,判例の挙げる要件も満たさないとして棄却し,他方で,妻〔被告〕の反訴を認容するということがある。」というカウンター・アタック成功的な前記記述に関しては,更に詳しく裁判例を見てみる必要があるようです。

 まず,当該記述のある教科書の紹介する最判昭和39年9月17日・民集18巻7号1461頁の事案は,「妻は,夫の態度はとうてい我慢できないから「離婚を継続し難い重大な事由」にあたると主張し(「悪意の遺棄」も主張),夫は妻の態度こそ「婚姻を継続し難い重大な事由」にあたるとして離婚を請求した。裁判では,妻からの請求は棄却され夫からの請求が認容されて,結局離婚が成立した。」というものですが(内田110頁),被告(反訴原告)勝訴の事例であるものの,夫ではなく妻が敗訴したものです。当該事案においては最高裁判所では専ら妻の主張する夫による「悪意の遺棄」の成否が問題となっています(「前記認定の下においては,上告人〔妻〕が被上告人〔夫〕との婚姻関係の破綻について主たる責を負うべきであり〔妻が夫の意思に反して自分の兄らを夫婦の家庭に同居させて兄とばかり親密にして夫をないがしろにし,かつ,兄らのためにひそかに夫の財産から多額の支出をしたりしたので,夫が妻に対して同居を拒むようになったという事案〕,被上告人よりの扶助を受けざるに至つたのも,上告人自らが招いたものと認むべき以上,上告人はもはや被上告人に対して扶助請求権を主張し得ざるに至つたものというべく,従つて,被上告人が上告人を扶助しないことは,悪意の遺棄に該当しないものと為すべきである。」と判示)。
 しかし,有責配偶者からの離婚請求であっても,有責性を攻撃する被告(反訴原告)からのカウンター・アタックによって一方的に打ち倒されるばかりではありません。

 その後,下級審裁判例等の分析に基づき,「「有責配偶者からの離婚請求は認められない」というルール」の適用に係る「絞り」として,「第一に,相手方に離婚意思があるときは,有責配偶者からの離婚請求でも否定されることはない(〔略〕最判昭2911・5,〔略〕最判291214は,一般論としてその旨を述べる)。相手方が離婚の反訴を提起しているような場合が,その典型的な例である(東京高判昭52・2・28判時85270,横浜地判昭6110・6判タ626198など)。」と断乎として説くものがあります(阿部徹『新版注釈民法(22)親族(2)』(有斐閣・2008年)395頁)。
 これに関しては,また,「下級審の裁判例においては,〔略〕相手方配偶者が反訴を提起する等離婚意思のある場合(長野地判昭和
35年4月2日・判例時報22639頁,名古屋地半田支判昭和45年8月26日・下民集21巻7・8号1252頁,横浜地川崎支判昭和46年6月7日・判例時報67877頁,福岡地判昭和51年1月22日・判例タイムズ347278頁,東京高判昭和52年2月28日・判例時報85270頁,仙台地判昭和54年9月26日・判例タイムズ401149頁,東京高判昭和58年9月8日・判例時報1095106頁,浦和地判昭和59年9月19日・判例時報1140117頁),〔略〕有責配偶者からの離婚請求を認めるものがある。」と報告されるに至っています(門口正人[29]事件解説『最高裁判所判例解説民事篇昭和62年度』(法曹会・1990年)551頁。下線は筆者によるもの)。

 なお,最判昭和2911月5日・民集8巻112023頁の「一般論」は「民法770条1項5号にかゝげる事由が,配偶者の一方のみの行為によつて惹起されたものと認めるのが相当である場合には,その者は相手方配偶者の意思に反して同号により離婚を求めることはできない」というものであり,最判昭和291214日・民集8巻122143頁のそれは「民法第770条1項5号は相手方の有責行為を必要とするものではないけれども,何人も自己の背徳行為により勝手に夫婦生活破綻の原因をつくりながらそれのみを理由として相手方がなお夫婦関係の継続を望むに拘わらず右法条により離婚を強制するが如きことは吾人の道徳観念の到底許さない処であつて,かかる請求を許容することは法の認めない処と解せざるを得ない。」というものでした(下線は筆者によるもの)。

 

イ 処理の実務

 前記アの多数の下級審裁判例については,裁判所ウェッブ・サイトの「裁判例情報」のウェッブ・ページからは見ることができなかったので端折ってしまいつつ,捷径をとって実務家裁判官のまとめるところを参照すれば,1995年当時には次のような実務の状況であったところです。

 

  離婚訴訟において,〔略〕反訴が提起されている場合に,①本訴,反訴の離婚原因の有無をすべて検討し判断するものと,②双方に離婚意思があるならば,「それ以上に立ち入った審理をするのは無意味である。それは訴訟経済的な観点からもいえるが,離婚するか否かはできるだけ当事者の合意でという離婚制度全体の枠のなかで考えると,被告の離婚意思が明らかになった段階で裁判所としてはそれ以上の審理・判断をさしひかえるのがむしろ望ましい」とする学説(阿部〔徹〕・総判研民法(50)「離婚原因」69頁)に従い,離婚原因の詳細について審理・判断することなく,婚姻を継続し難い重大な事由があるとして,双方の離婚請求を認容するものがある(長野地判昭和35・3・9下民集11巻3号496頁,横浜地川崎支判昭和46・6・7判時67877頁,横浜地判昭和6110・6判時1238116頁,東京地判昭和611222判時124986頁など)。従来,裁判例は①の例が多く,その場合に,有責配偶者からの請求を認めるか否かについて判断が分かれていたが,近時の傾向としては,有責であるか否かを問わず双方の離婚請求を認めるのが有力となっている。本訴,反訴において婚姻を継続し難い重大な事由があると主張している場合は右のように解されるが,問題となるのは,原告が本訴で不貞だけを主張している場合はどうかである。不貞と婚姻を継続し難い重大な事由との訴訟物は同一でないとすれば,少なくとも原告の請求を認容するためには不貞の事実を認定することが必要になってこよう。このような場合には,釈明権を行使して,原告に不貞のほかに,婚姻を継続し難い重大な事由をも離婚原因として主張させ,夫婦関係の内容に立ち入って判断するまでもなく,本訴,反訴の離婚請求をともに認容することができるとするのが,近時の実務の一般的な取扱いであるといえよう。(村重慶一「離婚原因の主張方法」『家族法判例百選[第五版]』(有斐閣・1995年)35頁。下線は筆者によるもの)

 

「異なる離婚原因を掲げて反訴が提起された場合も,双方に5号を主張させ,双方を認容するという扱いがなされることも多いとのことである。離婚の成否と離婚後の処理を切り離して,離婚訴訟を早く解決することをねらった実務の知恵であろう。」ということになります(内田122123頁)。無論,民法770条1項5号の婚姻を継続し難い重大な事由があるとして離婚を請求する本訴原告に対して,同号による当該請求は有責配偶者からのものであって信義則違反であるから認められないとの抗弁を維持しつつ当該被告が反訴原告として同項1号による相手方配偶者の不貞行為を事由とする離婚を請求し,かつ,頑として当該不貞行為事由の離婚請求一本槍に固執するのであれば,審理の結果当該不貞行為の存在が認定され,本訴原告の請求は不貞行為によって婚姻関係の破綻をもたらした有責配偶者からの請求であって,かつ,判例の挙げる①「相当の長期間」の別居,②未成熟子の不存在及び③相手方配偶者が過酷な状態に置かれる等の著しく社会正義に反する特段の事情の不存在の3要件も満たさないものであるとして棄却され(ただし,実務上は「有責配偶者からの請求を認めるか否かについて判断が分かれていた」ことは前出のとおりです。),他方で,本訴被告の反訴は認容されるということもあり得るところではあります。

 筆者が本訴原告側において関与した事件では,民法770条1項5号に基づく本訴離婚請求に対して,しばらくは,有責配偶者による離婚請求であるから離婚は認められないなどと主張して抵抗していた被告がとうとう離婚を決意して提起した反訴においては,当初は同項1号の不貞行為及び2号の悪意の遺棄のみが主張されていましたが,結局同項5号の婚姻を継続し難い重大な事由があるとの事由も追加され,裁判所は,4年4箇月に及ぶ別居,その間夫婦として交流が行われたことはないこと及び当該夫婦はいずれも婚姻関係は破綻した旨を主張して離婚を請求していることという諸事実を認定した上で,本訴及び反訴の離婚請求をいずれも認めました(なお,人事訴訟においては,裁判所において当事者が自白した事実は証明することを要しないとする民事訴訟法179条等の適用はありません(人事訴訟法19条1項)。)。難件でしたが,筆者らの側は負けなかったわけです。

 

2 最大判昭和62年9月2日判決及び当該判決における一般論の位置付けに関して

ところで,筆者が関与した前記事案においては,原告が有責配偶者と認められた場合には更にどのような主張をするのかとの裁判所からのお題に対して筆者が起案して提出しておいた力作準備書面は結局出番がなかったところです。当該準備書面の起案に当たっては,別居期間が5年にも満たず,かつ,未成熟の子が2名あるという状況であったので,最高裁判所大法廷昭和62年9月2日判決に係る有責配偶者の離婚要求を認めるための前記いわゆる3要件の存在が大きな障害となっていました。そこで,筆者は,当該判例において具体的な当該3要件が提示されるに当たっての前段であった一般論部分に遡り,学説的論述を懸命に展開(こういうことをするのは,実務家としてはちょっと恥ずかしい)したところです。ちなみに,当該判例の調査官解説においても,当該一般論部分については,「右判示部分は,もとより判例部分ではないが,今後,有責配偶者からの離婚請求において,相手方から抗弁として信義則違背の主張がされることがありうるであろうから,傍論部分とはいえ,重要な意義を有することは否定できない」と指摘されていました(門口582頁)。

 

最高裁判所昭和62年9月2日大法廷判決(民集41巻6号1423頁)は,「有責配偶者からされた離婚請求であつても,夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び,その間に未成熟の子が存在しない場合には,相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り,当該請求は,有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されないとすることはできない」と判示する。ところで,当該判示に係る定式のそもそもの前提として,同裁判所は,民法770条1項5号の事由による離婚請求が有責配偶者からされた場合において当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうかを判断するに当たっては,有責配偶者の責任の態様・程度を考慮するほか,①相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情,②離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態,③夫婦間の子,殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況,並びに④別居後に形成された生活関係を斟酌するとともに,⑤時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないと当該判決において述べているところである。すなわち,前記の定式は,有責配偶者の離婚請求であっても信義誠実の原則に照らして許されるかどうかについての上記の考慮・斟酌の結果当該請求が認められる場合の一つを示したものである。したがって,例えば未成熟の子が存在して当該定式を必ずしも満たさない場合であっても,有責配偶者からの離婚請求が認められ得るところである(最高裁判所平成6年2月8日判決・集民171417頁)。

 仮に〔本件の〕原告が有責配偶者であっても,前記昭和62年の最高裁判所大法廷判決が挙げる前記の各事情について考慮・斟酌すれば,その離婚請求は認容されるべきものであることは明らかである。〔本件における〕原告と被告との間の婚姻関係破綻に至る両者の責任の態様・程度については既に訴状で述べているところであるので,以下においては,前記の①ないし⑤の各事情について述べる。

 

 云々。

 調査官解説は,「夫婦が長期間にわたり別居をしている場合にも,信義則を適用するに当たって斟酌すべきであるとされた事情をなお考慮すべきであろうか。」との問いを発した上で(門口582頁。なお,ここにいう「信義則を適用するに当たって斟酌すべきであるとされた事情」とは,当該判例の一般論部分に挙示された上記諸事情のことでしょう。),「いずれにせよ,長期別居の場合になお考慮すべきは,相手方配偶者が離婚により被る苛酷な状況からの救済と未成熟子に対する監護養育の確保に限られることになる。これによって,当事者は,婚姻破綻の責任等の諸事情に係る主張立証から解放されてプライバシーも保護されることになる。」と結論付けています(門口583頁。下線は筆者によるもの)。これは,本来は一般論において挙示された諸事情を全て考慮して信義則違背の主張の当否を判断しなければならないのだが,①長期間の別居の場合には,②未成熟子に対する監護養育の確保及び③相手方配偶者が苛酷な状態に置かれることからの救済についてだけ考えればよいのだよ,ということでしょうか(「時の経過がこれらの諸事情に与える影響」とは,時の経過=長期間別居によってこの考慮事項限定効果がもたらされることになるということを意味する趣旨のように思われます。すなわち,調査官解説は「更に,本件が長期間〔本訴提起まで35年に及ぶ〕にわたる別居の事案であることにかんがみ,時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないと判示したものであろう。」と述べているところです(門口582頁)。)。ということであれば,「長期別居」に当たらない場合でも,そこで直ちに諦める必要はなく,一般論に立ち返って必要な諸事情を全てクリアすることに努めていけばよいということになるはずです。「ここにいう別居期間は,有責配偶者からの請求の否定法理を排斥する要件として,前記のような有責性を含む諸事情から解放するに足りるものでなければならず」とされているところ(門口584頁),「長期別居」によって直ちに「前記のような有責性を含む諸事情から解放」されなくとも,なお当該「諸事情」の個々について別途クリアしていくことは可能であるはずだからです。(民法770条1項5号の規定については,「同号所定の事由〔略〕につき責任のある一方の当事者からの離婚請求を許容すべきでないという趣旨までを読みとることはできない」と当該判例自体において判示されています。)また,未成熟子の不存在要件については,つとに「これは,本件事案を前提に,未成熟子のいない多くの場合を想定して子の利益に関する特別の配慮を要しないことを示したものであって,未成熟子が存在する場合に原則的破綻主義を放棄したものではないことはいうまでもない。したがって,未成熟子が存在する場合については,おそらく,離婚によって子の家庭的・教育的・精神的・経済的状況が根本的に悪くなり,その結果,子の福祉が害されることになるような特段の事情のあるときには,離婚をすることは許されないということになるのであろう。」とその趣旨が明らかにされていました(門口585頁)。

 

なお,東京高等裁判所(平成26年(ネ)第489号)平成26年6月12日判決(判時223747頁)は,「〔民法770条1項〕5号所定の事由による離婚請求が,その事由につき専ら責任のある一方の当事者(有責配偶者)からなされた場合において,その請求が信義誠実の原則に照らして許容されるか否かを判断するに当たっては,有責配偶者の責任の態様・程度はもとより,相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情,離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態及び夫婦間の子,特に未成熟子の監護・教育・福祉の状況,別居後に形成された生活関係等が斟酌されるべきである(最高裁昭和61年(オ)第260号同62年9月2日大法廷判決(民集41巻6号1423頁)」と判示した上で,これまで有責配偶者からの離婚請求が否定されてきた実質的な理由の一つは「一家の収入を支えている夫が,妻以外の女性と不倫や不貞の関係に及んで別居状態となり,そのような身勝手な夫からの離婚請求をそのまま認めてしまうことは,残された妻子が安定的な収入を断たれて経済的に不安定な状態に追い込まれてしまい,著しく社会正義に反する結果となるため,そのような事態を回避するという目的があったものと解される」としつつ,婚姻後別居までの期間約7年,別居期間約2年の夫婦間の事案において,6歳の長男及び4歳の長女の二人の子らを連れて別居している36ないし37歳の有責配偶者である妻からする41ないし42歳の夫に対する離婚請求を,夫婦としての信義則に反するものではないというべきであるとして認容している。また,札幌家庭裁判所(平成26年(家ホ)第20号)平成27年5月21日判決は,婚姻後別居までの期間が約17年,別居期間約1年半の夫婦間の事案において,38ないし39歳の有責配偶者である夫からする,16ないし17歳の長男及び14ないし15歳の長女の二人の子らを監護する39ないし40歳の妻に対する離婚請求を,信義則上許されないものということはできないとして認容している。

  おって,最高裁判所平成161118日判決(集民215657頁)は,同居期間約6年7箇月,別居期間約2年4箇月の夫婦間において,有責配偶者である33歳の夫からされた,両者間の7歳の子を監護している33歳の妻に対する離婚請求について,別居期間は相当の長期間に及んでいないとしているが,夫の離婚請求に対して妻が離婚を拒んでいた事案であったとともに,被告である妻は子宮内膜症に罹患していて,離婚により精神的・経済的に苛酷な状況に置かれることが想定されることが明らかであると認められていた事案であって,本件とは事案を異にするものである。ちなみに,当該事案においても,原審判決である広島高等裁判所(平成15年(ネ)第307号)平成151112日判決は,離婚を認めていたものである。

 

東京高等裁判所平成26年6月12日判決については,最高裁判所に上告がされたと伝わっているけれどもさてその後はどうなっているのであろうかとは皆気にしていたところですが,東京3弁護士会の法律相談センターのウェッブ・サイトに掲載されたコラム記事(2016年6月1日)によれば,上告受理申立てがされたもののそのまま確定したそうです。

 

3 離婚の動向等に関して

 

(1)離婚の動向に関して

ところで,個別の離婚事案の法律問題を離れて,離婚事件の趨勢は今後どうなるのかを考えてみると,事件数は増加というよりはむしろ減少するのではないかと思われます。

まず,そもそもの婚姻が減少し,生涯未婚率(50歳時の未婚割合)が増加しています。すなわち,国立社会保障・人口問題研究所の人口統計資料集(2017改訂版)によれば,我が国の2015年の生涯未婚率は,男性が23.37パーセント,女性が14.06パーセントとなっています。同年から50年前の1965年(昭和40年)に生まれた当該世代は,その二十代においてはバブル経済の恩恵を受けて明るく楽しく青春を謳歌したはずであるものの,初老の50歳になった時には,男性の約4人に1人,女性の約7人に1人は結婚できずに終わっていたのでした。その10年前の2005年においては,男性の生涯未婚率が15.96パーセント,女性の生涯未婚率が7.25パーセントだったところです。Japan as No.1時代の1990年においては,男性・女性のそれぞれについて,5.57パーセント及び4.33パーセントでした。

 同じ人口統計資料集によれば,1883年以来の我が国で離婚の総数が1番多かった年は2002年であって,289836件ありましたが,2015年には226215件になっています。ピークから約22パーセント減ということになります。判決による離婚が1番多かった年は2005年で3245件ありましたが,2015年には2383件になっています。こちらはピークから約26.6パーセント減です。離婚率は,1940年以前は総人口について,1947年以降は日本人人口1000について算出されていますが,2015年は1.81‰(パーミル)です。1947年以降で離婚率が最高であった年はこれも2002年で2.30‰でしたが,平成の世になって離婚が増えて嘆かわしいなどと速断してはならず,明治の聖代の1883年には3.38‰と,当該統計資料上の最高値を示しています。

 西洋でも離婚は最近減少傾向であるようです。「もしそれ〔婚姻〕が続くものであるようにしようとするのならば,統計的には,イングランド及びウェールズにおいて結婚する最悪の時代は1990年代半ばであった。1996年に結ばれた者たちのうち,11パーセントが結婚から5年目までに別れており,及び25パーセントが10年目までにそうなった。10年後に結婚したカップルはそれよりよくやっている。2006年に結婚したもののうちでは,8パーセントが5年目までに別れており,及び20パーセントが10年目までにそうなった。より最近の世代は,より堅確(steadfast)であるようである。」と報告されており,更に,「同様のことが他の国でも生じている。」と述べられています(“For Richer” of “Special Report: Marriage”, The Economist, November 25, 2017)。

 

(2)古く新しい関係に関して

ア 2種の同性婚の婚姻数及び3種の婚姻の離婚率

 新たな離婚市場の開拓(この言い方は変ですが)を模索する弁護士は,新たな婚姻の形にも注目すべきでしょうか。既に同性間の婚姻の法制化がされた国があり,これらの動きの影響を受けて,我が国はどうなるのかとの議論もあるところですが,婚姻あるところやはり離婚ありです。

 

  女性は,挙式により積極的である(Women have been keenest to go down the aisle. (筆者註:これはキリスト教会での挙式のイメージですね。))。英国,スウェーデン及びオランダにおいては,女性間の婚姻数が男性間のそれを上回っている。女性間の結合はまた,より破綻しやすい。同性婚を2001年に法制化したオランダにおいては,2005年に結ばれた両性婚中82.1パーセントは2016年において依然存続していたところである一方,女性間の婚姻については69.6パーセントのみであった。男性同性愛者が,コミットメントについてのチャンピオンである。彼らの婚姻中84.5パーセントが存続していた。(“Adam and Steve” of “Special Report: Marriage”, The Economist, November 25, 2017

 

女にとっても男にとっても,男のパートナーとの関係の方が長続きするということでしょうか。何だか変な一般化ではありますが。しかし,そもそも婚姻は,「父がその子らを養育しなければならないという自然の義務が,当該義務を負うべき者を定める婚姻制度を成立せしめた。(L’obligation naturelle qu’a le père de nourrir ses enfants, a fait établir le mariage, qui declare celui qui doit remplir cette obligation.)」ということに由来するものであって(De l’Esprit des lois,ⅩⅩⅢ, 2),男を義務付け大人たらしめて子に父を与えるためのものですから,婚姻というものに当たっては実は男の方が深刻真剣になるのでしょう。他方,女子会は,これまたいろいろ大変そうですね。

イ ネロ

なお,同性婚は,決して新しいものではありません。紀元1世紀の古代ローマでの話。

 

彼〔ネロ〕は少年スポルスの生殖腺を切りとり,さらに彼の性まで女に変えようと試み,嫁入り資金を与え花嫁のベールをかぶせ,結婚式をあげ,賑やかなお伴の行列と一緒に,自分の家に来させ,妻として迎えた。(国原吉之助訳・スエトニウス「ネロ28」『ローマ皇帝伝(下)』(岩波文庫・1986年)163頁)

ネロとスポルスとの婚姻を見て,確かに同性婚も悪くはないな,との評価がありました。

 “exstatque cuiusdam non inscitus iocus bene agi potuisse cum rebus humanis, si Domitius pater talem habuisset uxorem. ” 

「親父のドミティウスも,こんな妻を持てばよかったのに。そうすれば人類にとってうまく行っただろうに。」という,何者かによるまずくはない冗句が存在する。

 最後に解放奴隷ドリュポルスによって仕上げがなされた。この者に,ちょうどスポルスがネロに嫁いだように,今度はネロが嫁ぎ(「ネロ
29」国原・スエトニウス164頁)


ウ 神聖部隊
 ところで,男同士の愛こそ,なかなか恐ろしい。古代ギリシアは紀元前4世紀にスパルタに代わって覇権を握ったテーバイでの話。

 

  さて『神聖部隊』〔Sacred Band〕といふものは〔略〕或る人はこの部隊が愛慕するものと愛慕されるもの(当時の風習であつた少年愛を指す)から成つてゐたのだと云ふ。さうしてパンメネース(前4世紀テーバイの将軍)が戯れに云つた言葉を引用している。〔略〕愛慕者を被愛慕者の側に置かなければいけない〔that he should have joined lovers and their beloved〕。〔略〕愛慕を籠めた友情によつて纏まつた部隊は,愛慕者は被愛慕者に対して,被愛慕者は愛慕者に対して恥を感ずるから,危険の場合にお互のために踏み留まるので,崩れもせず敗れもしないからである。相手が居合はせなくても目の前に居合はせる他の人々に対してよりも恥を感ずるとすれば,これは一向不思議な事ではない。それはあの,倒れてゐるところへ敵が来て刺さうとしたのに対して胸に刀を突き通してくれと頼み『自分を愛慕する友が自分の屍体の背中に傷が附いてゐるのを見て羞しい思ひをすると困るから』と云つた話からもわかる。〔略〕さて,プラトーンも(『ファイドロス』255b『饗宴』179a)愛慕者を神の霊感を受けた友人と名づけてゐる〔Plato calls a lover a divine friend〕ところから見ても,前に云つた部隊が『神聖』と呼ばれたのも当然である。この部隊はカイローネイア(ボイオーティアー西境北部の町,前338年アテーナイとテーバイとの聯合軍がマケドニアのフィリッポス〔アレクサンドロス大王の父〕に敗れた場所)の戦まで敗れたことがなかつたと云はれてゐる。その戦の後に屍体を検分してゐたフィリッポスが,丁度その300人が皆武器を取つてサリーナ(マケドニア兵の長い槍)に抵抗した挙句,互に混ざつて倒れてゐる場所で立止まり,その部隊が愛慕者と被愛慕者から成ると聞いて感服し涙を流して云つたさうである。『この人々が恥づべき事をしたりされたりしたと考へる奴ら〔any man who suspects that these men either did or suffered anything that was base〕はみじめな死に方をするぞ。』(「ペロピダース18」河野与一訳『プルターク英雄伝(四)』(岩波文庫・1953年)118120頁。英語訳はDrydenによるもの)

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

 


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 民法733条 女は,前婚の解消又は取消しの日から6箇月を経過した後でなければ,再婚をすることができない。

 2 女が前婚の解消又は取消しの前から懐胎していた場合には,その出産の日から,前項の規定を適用しない。

 

1 最高裁判所大法廷平成271216日判決

 最近の最高裁判所大法廷平成271216日判決(平成25年(オ)第1079号損害賠償請求事件。以下「本件判例」といいます。)において,法廷意見は,「本件規定〔女性について6箇月の再婚禁止期間を定める民法733条1項の規定〕のうち100日の再婚禁止期間を設ける部分は,憲法14条1項にも,憲法24条2項にも違反するものではない。」と判示しつつ,「本件規定のうち100日超過部分〔本件規定のうち100日を超えて再婚禁止期間を設ける部分〕が憲法24条2項にいう両性の本質的平等に立脚したものでなくなっていたことも明らかであり,上記当時〔遅くとも上告人が前婚を解消した日(平成20年3月の某日)から100日を経過した時点〕において,同部分は,憲法14条1項に違反するとともに,憲法24条2項にも違反するに至っていた」ものとの違憲判断を示しています。

 女性が再婚する場合に係る待婚期間の制度については,かねてから「待婚期間の規定は、十分な根拠がなく,立法論として非難されている。」と説かれていましたが(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)31頁。なお,下線は筆者によるもの),最高裁判所は本件判例において違憲であるとの判断にまで踏み込んだのでした。

 

2 我妻榮の民法733条批判

 待婚期間規定に対して,我妻榮は次のように批判を加えていました(我妻3132頁)。

 

  第1に,この制度が父性決定の困難を避けるためなら,後婚がいやしくも成立した後は,〔民法744条に基づき〕取り消しても意味がない。少なくとも,この制度を届書受理の際にチェックするだけのものとして,取消権を廃止すべきである。

  第2に,父性推定の重複を避けるためには,――父性の推定は・・・,前婚の解消または取消後300日以内であって後婚の成立の日から200日以後だから〔民法772条〕――待婚期間は100日で足りるはずである。

  第3に,待婚期間の制限が除かれる場合(733条2項)をもっと広く定むべきである。

  第4に,以上の事情を考慮すると,待婚期間という制限そのものを廃止するのが一層賢明であろう。ことにわが国のように,再婚は,多くの場合,前婚の事実上の離婚と後婚の事実上の成立(内縁)を先行している実情の下では,弊害も多くはないであろう。

 

 民法733条を批判するに当たって我妻榮は,同条は「専ら父性確定に困難を生ずることに対する配慮」から設けられたものと解する立場を採っています(我妻3031頁)。

 

  妻は,婚姻が解消(夫の死亡または離婚)しても,あまりに早く再婚すべきものではない,とする制限は,以前から存在したが,それは別れた夫に対する「貞」を守る意味であった・・・。しかし,現在の待婚期間には,そうした意味はなく,専ら父性確定に困難を生ずることに対する配慮である。第2項の規定は,このことを示す。

 

3 待婚期間に係る梅謙次郎の説明

民法起草者の一人梅謙次郎は,民法733条の前身である民法旧767条(「女ハ前婚ノ解消又ハ取消ノ日ヨリ6个月ヲ経過シタル後ニ非サレハ再婚ヲ為スコトヲ得ス/女カ前婚ノ解消又ハ取消ノ前ヨリ懐胎シタル場合ニ於テハ其分娩ノ日ヨリ前項ノ規定ヲ適用セス」)に関して,次のように説明しています(梅謙次郎『民法要義 巻之四 親族編 訂正増補第二十版』(法政大学・中外出版社・有斐閣書房・1910年)9193頁)。

 

 本条ノ規定ハ血統ノ混乱ヲ避ケンカ為メニ設ケタルモノナリ蓋シ一旦婚姻ヲ為シタル女カ其婚姻消滅ニ帰シタル後直チニ再婚ヲ為ストキハ其後生マレタル子ハ果シテ前婚ノ子ナルカ将タ後婚ノ子ナルカ之ヲ判断シ難キコト稀ナリトセス而シテ若シ其判断ヲ誤レハ竟ニ血統ヲ混乱スルニ至ルヘシ故ニ前婚消滅ノ後6个月ヲ経過スルニ非サレハ再婚ヲ為スコトヲ得サルモノトセリ而シテ此6个月ノ期間ハ法医学者ノ意見〔本件判例に係る山浦善樹裁判官反対意見における説明によれば「懐胎の有無が女の体型から分かるのは6箇月であるとの片山国嘉医学博士(東京帝国大学教授)の意見」〕ヲ聴キテ之ヲ定メタルモノナリ

 ・・・

 民法施行前ニ在リテハ婚姻解消ノ後300日ヲ過クルニ非サレハ再婚ヲ為スコトヲ得サルヲ原則トシ唯医師ノ診断書ニ由リ遺胎ノ徴ナキコトヲ証明スルトキハ例外トシテ再婚ヲ許シ若シ遺胎ノ徴アルトキハ分娩ノ後ニ非サレハ之ヲ許ササルコトトセリ〔明治7年(1874年)9月29日の太政官指令では「自今婦タル者夫死亡セシ日又ハ離縁ヲ受ケシ日ヨリ300日ヲ過サレハ再婚不相成候事/但遺胎ノ徴ナキ旨2人以上ノ証人アル者ハ此限ニアラス」とされていました。〕是レ稍本条ノ規定ニ類スルモノアリト雖モ若シ血統ノ混乱ヲ防ク理由ノミヨリ之ヲ言ヘハ300日ハ頗ル長キニ失スルモノト謂ハサルコトヲ得ス蓋シ仏国其他欧洲ニ於テハ300日ノ期間ヲ必要トスル例最モ多シト雖モ是レ皆沿革上倫理ニ基キタル理由ニ因レルモノニシテ夫ノ死ヲ待チテ直チニ再婚スルハ道義ニ反スルモノトスルコト恰モ大宝律ニ於テ夫ノ喪ニ居リ改嫁スル者ヲ罰スルト同一ノ精神ニ出タルモノナリ(戸婚律居夫喪改嫁条)然ルニ近世ノ法律ニ於テハ此理由ニ加フルニ血統ノ混乱ヲ防クノ目的ヲ以テシタルカ故ニ分娩後ハ可ナリトカ又ハ遺胎ノ徴ナケレハ可ナリトカ云ヘル例外ヲ認ムルニ至リシナリ然リト雖モ一旦斯ノ如キ例外ヲ認ムル以上ハ寧ロ血統ノ混乱ヲ防クノ目的ヲ以テ唯一ノ理由ト為シ苟モ其混乱ノ虞ナキ以上ハ可ナリトスルヲ妥当トス殊ニ再婚ヲ許ス以上ハ6月〔約180〕ト10月〔約300〕トノ間ニ倫理上著シキ差異アルヲ見ス是新民法ニ於テモ旧民法ニ於ケルカ如ク右ノ期間ヲ6个月トシタル所以ナリ 

 
4 6箇月の待婚期間の立法目的

 

(1)山浦反対意見

 梅謙次郎の上記『民法要義 巻之四』等を検討した山浦善樹裁判官は,本件判例に係る反対意見において「男性にとって再婚した女性が産んだ子の生物学上の父が誰かが重要で,前夫の遺胎に気付かず離婚直後の女性と結婚すると,生まれてきた子が自分と血縁がないのにこれを知らずに自分の法律上の子としてしまう場合が生じ得るため,これを避ける(つまりは,血統の混乱を防止する)という生物学的な視点が強く意識されていた。しかし,当時は血縁関係の有無について科学的な証明手段が存在しなかった(「造化ノ天秘ニ属セリ」ともいわれた。)ため,立法者は,筋違いではあるがその代替措置として一定期間,離婚等をした全ての女性の再婚を禁止するという手段をとることにしたのである。・・・多数意見は,本件規定の立法目的について,「父性の推定の重複を回避し,もって父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐこと」であるとするが,これは,血縁判定に関する科学技術の確立と家制度等の廃止という社会事情の変化により血統の混乱防止という古色蒼然とした目的では制度を維持し得なくなっていることから,立法目的を差し替えたもののように思える。・・・単に推定期間の重複を避けるだけであれば,重複も切れ目もない日数にすれば済むことは既に帝国議会でも明らかにされており,6箇月は熟慮の結果であって,正すべき計算違いではない。・・・民法の立案者は妻を迎える側の立場に立って前夫の遺胎を心配していたのであって,生まれてくる子の利益を確保するなどということは,帝国議会や法典調査会等においても全く述べられていない。」と述べています(下線は筆者によるもの)。

 しかし,「蓋シ一旦婚姻ヲ為シタル女カ其婚姻消滅ニ帰シタル後直チニ再婚ヲ為ストキハ其後生マレタル子ハ果シテ前婚ノ子ナルカ将タ後婚ノ子ナルカ之ヲ判断シ難キコト稀ナリトセス而シテ若シ其判断ヲ誤レハ竟ニ血統ヲ混乱スルニ至ルヘシ」といった場合の「血統」の「混乱」とは,再婚した母の出産した子について前夫及び後夫に係る嫡出の推定(民法772条2項,旧820条2項)が重複してしまうこと(前婚解消の日及び後婚成立の日が同日であれば,その日から200日経過後300日以内の100日間においては嫡出推定が重複によって父を定めることを目的とする訴え(同法773条,旧821条)が提起されたところ,生物学上の父でない方を父と定める判決又は合意に相当する審判(家事事件手続法277条)がされてしまう事態を指すように一応思われます(重複なく嫡出推定が働いていれば,少なくとも法律上の父子関係については「混乱」はないはずです。)。嫡出の推定が重複するこの場合を除けば,「生物学な視点」から問題になるのは,「前夫の子と推定されるが事実は後夫の子なので,紛争を生じる」場合(前夫との婚姻期間中にその妻と後夫とが関係を持ってしまった場合)及び「後夫の子と推定されるが事実は前夫の子なので,紛争を生じる」場合(妻が離婚後も前夫と関係を持っていた場合。後夫の視点からする,山浦裁判官のいう前記「血統の混乱」はこの場合を指すのでしょう。)であるようですが,これらの紛争は,嫡出推定の重複を防ぐために必要な期間を超えて再婚禁止期間をいくら長く設けても回避できるものではありません(本件判例に係る木内道祥裁判官の補足意見参照)。確かに,“Omnia vincit Amor et nos cedamus Amori.”(Vergilius)です。

 

(2)再婚の元人妻に係る妊娠の有無の確認及びその趣旨

 「血統ノ混乱ヲ避ケンカ為メ」には,元人妻を娶ろうとしてもちょっと待て,妊娠していないことがちゃんと分かってから嫁に迎えろよ,ということでしょうか。

旧民法人事編32条(「夫ノ失踪ニ原因スル離婚ノ場合ヲ除ク外女ハ前婚解消ノ後6个月内ニ再婚ヲ為スコトヲ得ス/此制禁ハ其分娩シタル日ヨリ止ム」)について,水内正史編纂の『日本民法人事編及相続法実用』(細謹舎・1891年)は「・・・茲ニ一ノ論スヘキハ血統ノ混淆ヨリ婚姻ヲ防止スルモノアルコト是ナリ即夫ノ失踪シタル為ニ婦ヲ離婚シタル場合ヲ除キ其他ノ原因ヨリ離婚トナル場合ニ於テハ女ハ前婚期ノ解消シタル後6ヶ月ハ必ス寡居ス可キモノニシテ6ヶ月以内ハ再婚スルコトヲ得ス是レ6ヶ月以内ニ再婚スルヿヲ許ストキハ其生レタル子ハ前夫ノ子ナルカ将タ後夫ノ子ナルカ得テ知リ能ハサレハナリ而シテ寡居ノ期間ヲ6ヶ月ト定メタルハ子ノ懐胎ヨリ分娩ニ至ル期間ハ通常280日ナレトモ時トシテハ180日以後ハ分娩スルコトアルヲ以テ180日即6ヶ月ヲ待ツトキハ前夫ノ子ヲ懐胎シタルニ於テハ其懐胎ヲ知リ得ヘク従テ其生レタル子ハ前夫ノ子ナルコトヲ知リ得レハナリ此故ニ此制禁ハ其胎児ノ分娩シタルトキハ必スシモ6ヶ月ヲ待ツヲ要セス其時ヨリ禁制ハ息ムモノトス(32)」と説いており(2728頁。下線は筆者によるもの),奥田義人講述の『民法人事編』(東京専門学校・1893年)は「()()失踪(・・)()源因(・・)する(・・)離婚(・・)()場合(・・)()除く(・・)外女(・・)()前婚(・・)解消(・・)()()6ヶ月内(・・・・)()再離(・・)〔ママ〕()()さる(・・)もの(・・)()なす(・・)()()()()制限(・・)()()なり(・・)(第32条)而して此の制限の目的は血統の混合を防止するに外ならさるものとす蓋し婚姻解消の後直ちに再婚をなすを許すことあらんか再婚の後生れたる子ハ果して前夫の子なるか将た又後夫の子なるか之れを判明ならしむるに難けれはなり其の前婚解消の後6ヶ月の経過を必要となすは懐胎より分娩に至るまての最短期を採りたること明かなり去りなから若充分に血統の混淆を防止せんと欲せハ此の最短期を採るを以て決して足れりとすへからさるは勿論なるのみならす既に通常出産の時期を300日となす以上は少なく共此時限間の経過を必要となさるへからさるか如し・・・」と説いていました(85頁)。ちなみに,旧民法人事編91条2項は「婚姻ノ儀式ヨリ180後又ハ夫ノ死亡若クハ離婚ヨリ300日内ニ生マレタル子ハ婚姻中ニ懐胎シタルモノト推定ス」と規定していました(下線は筆者によるもの)。

 しかし,民法旧767条1項の文言からすると,女性の前婚解消後正に6箇月がたってその間前婚期間中に懐胎したことが分かってしまった場合であっても,当事者がこれでいいのだと決断すれば,再婚は可能ということになります。ところが,これでいいのだと言って再婚したとしても,後婚夫婦間に生まれた子が直ちに後夫の法律上の子になるわけではありません。民法旧820条も「妻カ婚姻中ニ懐胎シタル子ハ夫ノ子ト推定ス/婚姻成立ノ日ヨリ200日後又ハ婚姻ノ解消若クハ取消ノ日ヨリ300日内ニ生レタル子ハ婚姻中ニ懐胎シタルモノト推定ス」と規定していました。すなわち,前婚中前夫の子を懐胎していた女性とその前婚解消後6箇月たって当該妊娠を確実に承知の上これでいいのだと婚姻した後夫にとって,新婚後3箇月足らずで妻から生まれてくる子(通常の妊娠期間は9箇月)は自分の子であるものとは推定されません(3箇月は約90日であって,200日には足りません。)。そうであれば,後の司法大臣たる奥田義人の前記講述中「もし充分に血統の混淆を防止せんと欲せハ此の最短期を採るを以て決して足れりとすへからさるは勿論なるのみならす既に通常出産の時期を300日となす以上は少なく共此時限間の経過を必要となさるへからさるか如し」の部分に注目すると,「血統の混淆」とは,再婚した元人妻が新しい夫との婚姻早々,前夫の子であることが嫡出推定から明らかな子を産む事態を実は指しているということでしょうか。本件判例に係る木内裁判官の補足意見における分類によれば,「前夫の子と推定され,それが事実であるが,婚姻後に前夫の子が出生すること自体により家庭の不和(紛争)が生じる」事態でしょう。

旧民法人事編32条及び民法旧767条は,嫡出推定の重複を避けることに加えて,当該重複を避けるために必要な期間(旧民法で120日,民法で100日)を超える部分については,恋する男性に対して,ほれた元人妻とはいえ,前夫の子を妊娠しているかいないかを前婚解消後6箇月の彼女の体型を自分の目で見て確認してから婚姻せよ,と確認の機会を持つべきものとした上で,当該確認の結果妊娠していることが現に分かっていたのにあえて婚姻するのならば「婚姻後に前夫の子が出生すること自体により家庭の不和(紛争)が生じる」ことは君の新家庭ではないものと我々は考えるからあとは自分でしっかりやってよ,と軽く突き放す趣旨の条項だったのでしょうか。彼女が妊娠しているかどうか分からないけどとにかく早く結婚したい,前夫の子が産まれても構わない,ぼくは彼女を深く愛しているから家庭の平和が乱されることなんかないんだと言い張るせっかちな男性もいるのでしょうが,実際に彼女が前夫の子かもしれない子を懐胎しているのが分かったら気が変わるかもしれないよなとあえて自由を制限する形で醒めた配慮をしてあげるのが親切というものだったのでしょうか。そうだとすると,一種の男性保護規定ですね。大村敦志教授の紹介による梅謙次郎の考え方によると,「兎に角婚姻をするときにまだ前の種を宿して居ることを知らぬで妻に迎へると云ふことがあります・・・さう云ふことと知つたならば夫れを貰うのでなかつたと云ふこともあるかも知れぬ」ということで〔(梅・法典調査会六93頁)〕,「「6ヶ月立つて居れば先夫の子が腹に居れば,・・・もう表面に表はれるから夫れを承知で貰つたものならば構はぬ」(法典調査会六94頁)ということ」だったそうです(大村敦志『民法読解 親族編』(有斐閣・2015年)2829頁)。なお,名古屋大学のwww.law.nagoya-ふu.ac.jp/jalii/arthis/1890/oldcivf2.htmlウェッブページによれば,旧民法人事編の待婚期間の長さは,第1草案及び再調査案においては嫡出推定の重複を避け,かつ,切れ目がないようにするためのきっちり4箇月(約120日)であったところ,法取委〔法律取調委員会〕上申案以後6箇月になっています。旧民法人事編の「第1草案」については「明治21年〔1888年〕7月頃に,「第1草案」の起草が終わった。分担執筆した幾人かの委員とは,熊野敏三,光明寺三郎,黒田綱彦,高野真遜,磯部四郎,井上正一であり,いずれもフランス法に強い「報告委員」が担当した。「第1草案」の内容は,かなりヨオロッパ的,進歩的なものであった。」と述べられ(大久保泰甫『日本近代法の父 ボアソナアド』(岩波新書・1998年)157頁),更に「その後,法律取調委員会の・・・本会議が開かれ,「第1案」「第2按」「再調査案」「最終案」と何回も審議修正の後,ようやく明治23年〔1890年〕4月1日に人事編が・・・完成し,山田〔顕義〕委員長から〔山県有朋〕総理大臣に提出された。」と紹介されています(同158頁)。

 

(3)本件判例

 本件判例の法廷意見は,民法旧767条が目的としたところは必ずしも一つに限られてはいなかったという認識を示しています。いわく,「旧民法767条1項において再婚禁止期間が6箇月と定められたことの根拠について,旧民法起訴時の立案担当者の説明等からすると,その当時は,専門家でも懐胎後6箇月程度経たないと懐胎の有無を確定することが困難であり,父子関係を確定するための医療や科学技術も未発達であった状況の下において,①再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,②再婚後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から,再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けようとしたものであったことがうかがわれる。③また,諸外国の法律において10箇月の再婚禁止期間を定める例がみられたという事情も影響している可能性がある。」と(①②③は筆者による挿入)。続けて,法廷意見は「しかし,その〔昭和22年法律第222号による民法改正〕後,医療や科学技術が発達した今日においては,上記のような各観点から,再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けることを正当化することは困難になったといわざるを得ない。」と述べていますが,ここで維持できなくなった観点は,②の「父子関係が争われる事態」における「父子関係」とは飽くまでも法的なものであると解せば,①及び③であろうなと一応思われます(③については判決文の後の部分で「また,かつては再婚禁止期間を定めていた諸外国が徐々にこれを廃止する立法をする傾向にあり,ドイツにおいては1998年(平成10年)施行の「親子法改革法」により,フランスにおいては2005年(平成17年)施行の「離婚に関する2004年5月26日の法律」により,いずれも再婚禁止期間の制度を廃止するに至っており,世界的には再婚禁止期間を設けない国が多くなっていることも公知の事実である。」と述べられています。)。

 ところで,本件判例の法廷意見は更にいわく,「・・・妻が婚姻前から懐胎していた子を産むことは再婚の場合に限られないことをも考慮すれば,再婚の場合に限って,①前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,②婚姻後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から,厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間を超えて婚姻を禁止する期間を設けることを正当化することは困難である。他にこれを正当化し得る根拠を見いだすこともできないことからすれば,本件規定のうち100日超過部分は合理性を欠いた過剰な制約を課すものとなっているというべきである。」と(①②は筆者による挿入)。さて,100日を超えた約80日の超過部分を設けることによって防止しようとした「婚姻後に生まれる子の父子関係が争われる事態」とはそもそも何でしょう。当該約80日間が設けられたことによって,前婚解消後6箇月で直ちに再婚した妻の産む子のうち後婚開始後約120日経過後200日経過前の期間内に生まれた子には前夫及び後夫いずれの嫡出推定も及ばないことになります。むしろ(認知のいかんをめぐって)父子関係が争われやすくなるようでもありました(昭和15年(1940年)1月23日の大審院連合部判決以前は,婚姻成立の日から200日たたないうちに生まれた子を非嫡出子としたものがありました(我妻215頁参照)。)。嫡出推定の切れ目がないよう前婚解消後100日経過時に直ちに再婚したがる女性には何やら後夫に対する隠し事があるように疑われ,後夫が争って,つい嫡出否認の訴えを提起したくなるということでしょうか。しかし,(DNA鑑定を通じて)嫡出否認の訴えが成功すればそもそも父子関係がなくなるので,この争い自体から積極的な「血統に混乱」は生じないでしょう。(なお,前提として,「厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間」の範囲内については②の観点は依然として有効であることが認められていると読むべきでしょうし,そう読まれます。)「再婚禁止期間を厳密に父性の推定が重複するための期間に限定せず,一定の期間の幅を設けようとした」ことと②の「再婚後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点」との結び付きはそもそも強いものではなかったように思われます。また,前夫の嫡出推定期間内に生まれる子の生物学上の父が実は後夫である場合は,むしろ嫡出推定が重複する期間を設けて紛戦に持ち込み,父を定めることを目的とする訴えを活用して生物学上の父と法律上の父とが合致するようにし,もって「血統の混乱」を取り除くことにする方がよいのかもしれません。しかし,そのためには逆に,待婚期間は短ければ短い方がよく,理想的には零であるのがよいということになってしまうようです(なお,待婚期間がマイナスになるのは,重婚ということになります。)。この点については更に,大村教授は「嫡出推定は婚姻後直ちに働くとしてしまった上で,二つの推定の重複を正面から認めよう,という発想」があることを紹介しています(大村29頁)。

それでは,①の「再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点」と現在は「医療や科学技術が発達した」こととの関係はどうでしょうか。現在は6箇月たたなくとも妊娠の有無が早期に分かるから,そこまでの待婚期間は不要だということでしょう。しかし,「懐胎の有無が女の体型から分かるのは6箇月であるとの片山国嘉医学博士(東京帝国大学教授)の意見」においては「女の体型」という外見が重視されているようであり,女性が妊娠を秘匿している事態も懸念されているようではあります。妊娠検査薬があるといっても,女性の協力がなければ検査はできないでしょうが,その辺の事情には明治や昭和の昔と平成の現代とで変化が生じているものかどうか。

本件判例の法廷意見は,憲法24条1項は「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたもの」と解した上で「上記のような婚姻をするについての自由」は「十分尊重に値するもの」とし,さらには,再婚について,「昭和22年民法改正以降,我が国においては,社会状況及び経済状況の変化に伴い婚姻及び家族の実態が変化し,特に平成期に入った後においては,晩婚化が進む一方で,離婚件数及び再婚件数が増加するなど,再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっている事情も認めることができる」ものとしています。「婚姻をするについての自由」に係る憲法24条1項は昭和22年民法改正のそもそもの前提だったのですから,その後に①の「再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点」の有効性が減少したことについては,やはり,後者の「再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっている事情」が大きいのでしょうか。「再婚」するにはそもそも主に離婚が前提となるところ,離婚の絶対数が増えれば早く再婚したいという人の絶対数も増えているのでしょう。ちなみに,女性が初婚時よりも再婚時の方が良い妻になることが多いという精神分析学説がありますが(„Ich meine, es muß dem Beobachter auffallen, in einer wie ungewönlich großen Anzahl von Fällen das Weib in einer ersten Ehe frigid bleibt und sich unglücklich fühlt, während sie nach Lösung dieser Ehe ihrem zweiten Manne eine zärtliche und beglückende Frau wird.“(Sigmund Freud, Das Tabu der Virginität, 1918)),これは本件判例には関係ありません。

しかし,現代日本の家族は核家族化したとはいえ,「家庭の不和」の当事者としては,夫婦のみならず,子供も存在し得るところです。

 

5 待婚期間を不要とした実例:アウグストゥス

 

(1)アウグストゥスとリウィアとリウィアの前夫の子ドルスス

 ところで,前夫の子を懐胎しているものと知りつつ,当該人妻の前婚解消後直ちにこれでいいのだと婚姻してしまった情熱的な男性の有名な例としては,古代ローマの初代皇帝アウグストゥスがいます。

 

  〔スクリボニアとの〕離婚と同時にアウグストゥスは,リウィア・ドルシラを,ティベリウス・ネロの妻でたしかに身重ですらあったのにその夫婦仲を裂き,自分の妻とすると(前38年),終生変らず比類なく深く愛し大切にした。(スエトニウス「アウグストゥス」62(国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(上)』(岩波文庫・1986年)))

 

 前63年生まれのアウグストゥスは,前38年に25歳になりました。リウィアは前58年の生まれですから,アウグストゥスの5歳年下です。両者の婚姻後3箇月もたたずに生まれたリウィアの前夫ティベリウス・クラウディウス・ネロの息子がドルススです。

 

  〔4代目皇帝〕クラウディウス・カエサルの父ドルススは,かつて個人名をデキムスと,その後でネロと名のった。リウィアは,この人を懐妊したまま,アウグストゥスと結婚し,3ヶ月も経たぬ間に出産した(前38年)。そこでドルススは,継父の不義の子ではないかと疑われた。たしかにドルススの誕生と同時に,こんな詩句が人口に膾炙した。

  「幸運児には子供まで妊娠3ヶ月で生れるよ」

  ・・・

  ・・・アウグストゥスは,ドルススを生存中もこよなく愛していて,ある日元老院でも告白したように,遺書にいつも,息子たちと共同の相続人に指名していたほどである。

  そして〔前9年に〕彼が死ぬと,アウグストゥスは,集会で高く賞揚し,神々にこう祈ったのである。「神々よ,私の息子のカエサルたちも,ドルススのごとき人物たらしめよ。いつか私にも,彼に授けられたごとき名誉ある最期をたまわらんことを」

  アウグストゥスはドルススの記念碑に,自作の頌歌を刻銘しただけで満足せず,彼の伝記まで散文で書いた。(スエトニウス「クラウディウス」1(国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(下)』(岩波文庫・1986年)))

 

(2)アウグストゥス家の状況

しかし,共和政ローマの名門貴族クラウディウス一門(アッピア街道で有名なアッピウス・クラウディウス・カエクスもその一人)のティベリウス・クラウディウス・ネロ(前33年没)を法律上の父として持つドルススは,母の後夫であり,自分の生物学上の父とも噂されるアウグストゥスの元首政に対して批判的であったようです。

 

 〔ドルススの兄で2代目皇帝の〕ティベリウスは・・・弟ドルスス・・・の手紙を公開・・・した。その手紙の中で弟は,アウグストゥスに自由の政体を復活するように強制することで兄に相談をもちかけていた。(スエトニウス「ティベリウス」50(国原吉之助訳『ローマ皇帝伝(上)』(岩波文庫・1986年)))

 

 少なくとも皇帝としてのアウグストゥスに対しては,反抗の意思があったわけです。

 

 ところでドルススには名声欲に劣らぬほど,民主的な性格が強かったと信じられている。

 ・・・彼はそうする力を持つ日がきたら,昔の共和政を復活させたいという希望を,日頃から隠していなかったといわれているからである。

 ここに,ある人らが大胆にも次のような説を伝えている根拠があると私は思うのである。

 ドルススはアウグストゥスに不信の念を抱かれ,属州から帰還を命じられても逡巡していて毒殺されたと。この説を私が紹介したのは,これが真実だとか,真相に近いと思ったからではなく,むしろこの説を黙殺したくなかったからにすぎない。(スエトニウス「クラウディウス」1)

 

 自分の本当の父親が誰であるのか悩むことがあったであろうドルススの心事を忖度することには興味深いものがあります。

 アウグストゥスの家庭は,余り平和ではありませんでした。

 

 〔アウグストゥスは,リウィアと再婚する際離婚した〕スクリボニアからユリアをもうける。リウィアからは熱烈に望んでいたのに一人の子供ももうけなかった。もっとも胎内に宿っていた赤子が月足らずで生まれたことはあるが。(スエトニウス「アウグストゥス」63

 

  娘と孫娘のユリアは,あらゆるふしだらで穢れたとして島に流した。(スエトニウス「アウグストゥス」65

 

6 待婚期間を回避した実例:ナポレオン

 

(1)ナポレオンの民法典

 「我々は,良俗のためには,離婚と2度目の婚姻との間に間隔を設けることが必要であると考えた。(Nous avons cru, pour l’honnêteté publique, devoir ménager une intervalle entre le divorce et un second mariage.)」と述べたのは,ナポレオンの民法典に係る起草者の一人であるポルタリスです(Discours préliminaire du premier projet de Code civil, 1801)。1804年のナポレオンの民法典における待婚期間に関する条項にはどのようなものがあったでしょうか。

 

 第228条 妻は,前婚の解消から10箇月が経過した後でなければ,新たに婚姻することができない。(La femme ne peut contracter un nouveau mariage qu’après dix mois révolus depuis la dissolution du mariage précédent.

 

これは我が民法733条1項及び旧767条1項並びに旧民法民事編32条1項に対応する規定ですね。ただし,待婚期間が6箇月ではなく10箇月になっています。また,ナポレオンの民法典228条は,離婚以外の事由による婚姻の解消(主に死別)の場合に適用がある規定です。

共和国10年葡萄月(ヴァンデミエール)14日(180110月6日)に国務院(コンセイユ・デタ)でされた民法典に関する審議の議事(同議事録http://archives.ih.otaru-uc.ac.jp/jspui/handle/123456789/53301第1巻294295頁)を見ると,同条の原案には,décence”(品位,節度)がそれを要請するであろうとして(ブーレ発言),後段として「夫も,当該解消から3箇月後でなければ,2度目の婚姻をすることができない。(le mari ne peut non plus contracter un second mariage qu’après trois mois depuis cette dissolution.)」という規定が付け足されていました。同条の原案に対する第一執政官ナポレオンの最初の感想は,「10箇月の期間は妻には十分長くはないな。」であり,司法大臣アブリアルが「我々の風習では,その期間は1年間で,喪の年(l’an de deuil)と呼ばれています。」と合の手を入れています。トロンシェが,「実際のところ,妻に対する禁制の目的は,la confusion de partを防ぐことであります。夫についてはそのような理由はありません。彼らの家計を維持する関係で妻の助力を必要とする耕作者,職人,そして人民階級の多くの諸個人にとっては,提案された期間は長過ぎます。」と発言しています。議長であるナポレオンが「アウグストゥスの例からすると妊娠中の女とも婚姻していたのだから,古代人はla confusion de partの不都合ということを気にしてはいなかったよな。夫の方については,規定せずに風習と慣例とに委ねるか,もっと長い期間婚姻を禁ずるかのどちらかだな。この点で民法典が,慣習よりもぬるいということになるのはまずい。」と総括し,結局同条については,後段を削った形で採択されています。しかして残った同条は,端的にla confusion de partを防ぐための条項であるかといえば,アウグストゥスの例に触れた最終発言によれば第一執政官はその点を重視していたようには見えず,さりとて「喪の年」を2箇月縮めたものであるとも言い切りにくいところです。(ただし,この10箇月の期間にはいわれがあるところで,古代ローマの2代目国王「ヌマは更に喪を年齢及び期間によつて定めた。例へば3歳以下の幼児が死んだ時には喪に服しない。もつと年上の子供も10歳まではその生きた年数だけの月数以上にはしない。如何なる年齢に対してもそれ以上にはせず,一番長い喪の期間は10箇月であつて,その間は夫を亡くした女たちは寡婦のままでゐる。その期限よりも前に結婚した女はヌマの法律に従つて胎児を持つてゐる牝牛を犠牲にしなければならな」かった,と伝えられています(プルタルコス「ヌマ」12(河野与一訳『プルターク英雄伝(一)』(岩波文庫・1952年)))。また,ヌマによる改暦より前のローマの暦では1年は10箇月であったものともされています(プルタルコス「ヌマ」18・19)。なお,“La confusion de part”“part”は「新生児」の意味で,「新生児に係る混乱」とは,要は新生児の父親が誰であるのか混乱していることです。これが我が国においては「血統ノ混乱」と訳されたものでしょうか。

離婚の場合については,特別規定があります。

 

296条 法定原因に基づき宣告された離婚の場合においては,離婚した女は,宣告された離婚から10箇月後でなければ再婚できない。(Dans le cas de divorce prononcé pour cause déterminée, la femme divorcée ne pourra se remarier que dix mois apès le divorce prononcé.

 

297条 合意離婚の場合においては,両配偶者のいずれも,離婚の宣告から3年後でなければ新たに婚姻することはできない。(Dans le cas de divorce par consentement mutuel, aucun des deux époux ne pourra contracter un nouveau mariage que trois ans après la pronunciation du divorce.

 

 面白いのが297条ですね。合意離婚の場合には,男女平等に待婚期間が3年になっています。ポルタリスらは当初は合意離婚制度に反対であったので(Le consentement mutuel ne peut donc dissoudre le mariage, quoiqu’il puisse dissoudre toute autre société.(ibid)),合意離婚を認めるに当たっては両配偶者に一定の制約を課することにしたのでしょう。男女平等の待婚期間であれば,我が最高裁判所も,日本国憲法14条1項及び24条2項に基づき当該規定を無効と宣言することはできないでしょう。

 ただ,ナポレオンの民法典297条が皇帝陛下にも適用がある(ないしは国民の手前自分の作った民法典にあからさまに反することはできない)ということになると,一つ大きな問題が存在することになったように思われます。

 18091215日に皇后ジョゼフィーヌと婚姻解消の合意をしたナポレオンが,どうして3年間待たずに1810年4月にマリー・ルイーズと婚姻できたのでしょうか。

 ジョゼフィーヌの昔の浮気を蒸し返して法定原因に基づく離婚(ナポレオンの民法典296条参照)とするのでは,皇帝陛下としては恰好が悪かったでしょう。どうしたものか。

 

(2)18091216日の元老院令

 実は,18091215日のナポレオンとジョゼフィーヌとの合意に基づく婚姻解消は,合意離婚ではなく,立法(同月16日付け元老院令)による婚姻解消という建前だったのでした。合意離婚でなければ,夫であるナポレオンが再婚できるまで3年間待つ必要はありません。

 上記元老院令は,その第1条で「皇帝ナポレオンと皇后ジョゼフィーヌとの間の婚姻は,解消される。(Le mariage contracté entre l’Empereur Napoléon et l’Impératrice Joséphine est dissous.)」と規定しています。

 大法官は,カンバセレス。ナポレオンに最終的に「婚姻解消,やらないか。」と言ったのは,フーシェでもタレイランでもなく彼だったものかどうか。いずれにせよ,厄介な法律問題を処理してくれたカンバセレスの手際には,皇帝陛下も「いい男」との評価を下したことでしょう。

 こじつけのようではありますが,1809年においても2015年においても,1216日は,離婚後の長い待婚期間の問題性が表面化された日でありました。



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 「前々回(20141031日)の記事(「離婚と「カエサルの妻」」)では,諸碩学の著書を種々引用させていただきましたが,そこで紹介されている裁判例の事案が,実際にはどういうものであるのかが気になるところです。4件の裁判例について調べてみました。

 

1 名古屋地方裁判所昭和26年6月27日判決(夫が徒食して生計を顧みない場合と「婚姻を継続し難い重大な事由」)

 まずは,「2ヵ月に及ぶ異性関係を「一時の迷と考えられぬことはない」として,不貞行為の成立を否定した例」として紹介された(『新版注釈民法(22)』(有斐閣・2008年)360頁)名古屋地方裁判所昭和26年6月27日判決の事例(下級裁判所民事裁判例集第2巻第6号824頁以下)。

 実は,当該事件において離婚を求める原告(妻)の請求原因においては,被告である夫について,民法770条1項1号の「不貞な行為」があったとは主張されていませんでした。

「・・・右の次第で原告母子は被告と婚姻関係を継続していけば生活を維持して行くことが出来なくなつて自滅の他はないので止むなく被告と正式に離婚して将来原告母子が生活を立て行く途を講じ度いために,こゝに民法第770条第2号及び第5号を理由として裁判上の離婚を求めるため本訴に及んだ。」ということでした(下民集26826)。すなわち,配偶者からの悪意の遺棄(2号)及び婚姻を継続し難い重大な事由の存在(5号)が理由とされていたわけです。

 判決は,結局,婚姻を継続し難い重大な事由の存在を認めて原告の離婚請求を認容しています(下民集26829)。

 「被告が他に女をもつたといつても右は前記・・・の如く〔「・・・昭和21年2,3月から約2ヶ月程のことではあつたが他に女をもつたこともあり・・・」〕期間も短いことでもあるからこれは一時の迷と考えられぬことはないので直に離婚の事由とは認められぬ。」と判示はされていますが(下民集26828829),原告の請求は夫の当該異性関係を不貞行為として直ちに離婚を求めるもの(民法77011号)ではなかったので,当該異性関係だけからでは直ちに離婚の事由としての「婚姻を継続し難い重大な事由」(同項5号)の存在は認められないよ,ということでしょうか。むしろそもそも,本件事案の夫婦が入籍したのは昭和23年4月26日のことなので,昭和21年2,3月といえば実は婚姻前のことであったところです。

 しかし,この事案を見ていると,先の大戦で散華された若き英霊たちが不憫でならなくなりますね。

 

  被告〔仮名で「又太郎」ということにしましょう。〕は現在41歳になつているが昭和16年頃同じ会社に勤務中知り合つた5歳年上の右証人松子〔仮名〕と夫婦約束をし同女方に入つて同棲を始めたもので・・・(下民集26826

 

 昭和26年に41歳ですから,又太郎は昭和16年には31歳。すると,31歳の又太郎が,当時36歳だった松子と同棲を始めたということになります。昭和16年(1941年)といえば,西に大陸における泥沼の戦闘は長引き,東に強硬なフランクリン・ルーズヴェルト率いるアメリカ合衆国との開戦前夜という時期で,お国としては深刻な事態であったはずなのですが,職場で年上女性との恋愛やら同棲やら,何やらのどかな話です。「ABCD包囲網」ならぬ恋のABCですか。

「支那事変以前に17箇師団,20数万人であった〔我が陸軍の〕兵力が,ほぼ4年半を経過した日米開戦の時点には,51箇師団,210万人に膨れ上がってい」たとはいえ(戸部良一『逆説の軍隊』(中央公論社・1998年)307頁),30歳を過ぎてしまうともう召集はされなかったものでしょうか。「1927(昭和2)年の兵役法によれば,陸軍の常備兵役は現役2年,それを終えたあとの予備役が5年4ヵ月で,そのあとに10年の後備兵役に編入されることになっていた(1941年に後備兵役を廃止,予備役が15年4ヵ月となった)」そうで,「現役徴集率は1933年(昭和8)年に20パーセントだったが,37年に23パーセント,40年に47パーセント,44年には68パーセント」だったそうです(戸部327326頁)。徴兵検査の結果の「甲種と乙種が現役に適すとされたが,平時では甲種でも全員が現役徴集されたわけではなかったのに,支那事変以降は乙種まで現役徴集されるようになった」ということですから(戸部326327頁),換言すれば,現役ならぬ予備役以下の年配者には,なお余裕があったということでしょうか。

 

 ・・・〔又太郎は〕昭和20年初頃から松子の二女で当時17歳ばかりの原告〔仮名で「竹子」ということにしましょう。〕と肉体関係を結ぶようになり,間もなく松子に右関係を知られたが其頃竹子は既に又太郎の子を懐姙していて同年12月病院で之を死産し,竹子及び又太郎は其儘松子方に戻らす〔ママ〕同月から又太郎の現肩書住所地で事実上の夫婦として同棲を始めるに至つた・・・(下民集26826-827

 

34歳のおじさんが内縁の妻の17歳の娘(まあ義理の娘のようなものですね。)に手を出してしまったわけです。若い男性が戦争で少なくなると,おじさんであっても女の子にもてるようになるものでしょうか。それとも,今では児童福祉法34条1項6号,60条1項で罰せられるような情況であったのか。

ところで,昭和20年(1945年)初めといえば,硫黄島の戦いの時期です。玉砕しつつある若い兵隊さんたちに申し訳ない,とは思わなかったのでしょうかね,又太郎は。名古屋空襲で大変だったということでしょうか。いずれにせよ,松子・竹子の女性二人にかしずかれて御機嫌だったのでしょう。

 

・・・竹子と又太郎とが右の如く別居同棲を始めてから間もなく一時絶えていた松子との往来も次第に回復するに至つたものゝ右・・・記載の如く又太郎がもともと松子と内縁関係にあつたものであり,竹子より17歳も年長である等の関係から竹子と又太郎との婚姻は松子の同意が得られず為に・・・長女梅子〔仮名〕が出生した後の昭和23年4月13日〔ママ。13日は梅子の出生の日。両者の婚姻は同月26日〕になつて漸く其の届出を為した・・・(下民集26827

 

 ところで,女に囲まれていい気になるのは大好きな又太郎ですが,とにかく仕事をしない(あるいは,仕事ができない。)。ばくちと徒食と家庭内暴力との日々となりました。

 

  又太郎は右記の如く竹子と共に現在地で〔昭和2012月から〕同棲を始めて後間もなく勤先の会社を退いて独立して建築の設計,請負の仕事を始めたがこの仕事で工事の前受金等といつたような金が入つて一時手元が潤沢になると早くも喫茶店等に出入して金銭を費消することが次第に多くなり昭和21年2,3月から約2ヶ月程のことではあつたが他に女をもつたこともあり,其後も金を手にすれば賭博に費す等金銭を浪費して得意先に不義理を重ねたので次第に信用を失つて昭和24年9月頃には営業上の収入は殆んどないような状況になり,竹子及び又太郎には共に格別の資産はなかつたので生活上の借財,不義理もかさみ,豊かでもない竹子の母からもその頃までに現金で合計3万7,8千円,外に質草として衣類等を借受けたまゝになつているという始末で又太郎方の生活は全く行きづまり状態に立到つたのに又太郎は依然註文もなくなつた右営業以外の仕事には従事せぬといつて,十分健康体でありながら他に収入をあげる仕事方法を尋ねる等のこともなしに徒食し,竹子に他から金借して来ることを強要し時に暴力をふるうという始末で,為に生活の破綻から竹子と又太郎との間に風波絶えず竹子の又太郎に対する愛情も冷却の一途を辿つて,遂に・・・〔昭和24年9月〕竹子の家出となつた・・・(下民集26827

 

 よくある話ですが,才能もないのに,プライドばかり高いんでしょうかねぇ。

 困ったものです。

 

2 東京高等裁判所昭和471130日判決(夫と不貞の関係にあることの確証はないがその交際の程度が一定の程度を超えこれが夫婦の婚姻関係破綻の要因となったことを理由に妻から夫の相手の女性に対する慰藉料請求を認容した事例)

次は,「特定の女性を中心とした徹夜麻雀・グループ旅行などの交遊関係を夫が婚姻後も継続」したことが「不貞行為には該当しないとされる貞節義務違反(性的非行)」であって民法770条1項5号の婚姻を継続し難い重大な事由の一要素であるとされたとの趣旨で紹介されているものと解され得る(『新版注釈民法(22)』366頁)東京高等裁判所昭和471130日判決の事例です(判例時報68860頁以下)。

結婚前からのグループでの交遊を結婚後も継続していたら奥さんが嫉妬したということですと,若干,いやはや悋気持ちだなぁという気にもなるようですが,どういうことだったのでしょうか。「特定の女性を中心」にしていることがやはり問題なのでしょうが,当該グループ自体は,当該女性の外は男友達ばかりのようでもあります。まあ,確かに,妻帯者となると男同士で独身時代のようにつるんでいるわけにはいかないとはいえ,同性愛(下記4参照)でなければ,男友達同士で赤ちょうちんを飲み歩く程度のようなことは「貞節義務違反」ではないですよね。「いつまでも,皆で昔のマドンナを追っかけてるんじゃないよ。」ということでしょうか。やはり具体的な状況が分からないとピンと来ません。

 

・・・原告〔妻〕は〔昭和42〕年5月ごろから〔同年2月25日挙式の上同年5月1日婚姻届をした夫である甲野〕一郎方が有限会社組織で営む食肉販売業のうち○○市内○○○にある店の手伝いを時々していたところ,客の一人から一郎と乙山〔夏子〕との間に特殊な関係があるらしきことを暗示され,このことを一郎に問いたしたが,同人はたゞ,乙山は自分のプレーン〔ママ〕の一人で,若いときから口では言えない位,世話になっていると答えるのみであったので,原告はこのころから一郎と乙山との関係につき不満の念をもつにいたった。・・・また乙山が男の子との二人住いで市内に洋裁店等を開いているうえ,男まさりともいうべき気性で気軽に男性ともつき合うところから,同人宅には麻雀や飲食のため男の仲間達が集ること多く,土曜の夜などはしばしば徹夜し,中には寝込んでしまう者もあった。一郎自身は高校時代からこのような状態でここに出入りするもっとも古い連中の一人であって,・・・〔見合いのうえ,一郎側から懇望されて婚姻した初婚の〕原告はもとよりあらかじめこのような事情を明かされることなく,前記の経緯の後も乙山と一郎との関係について疑惑をもち,それにつれて生ずる一郎に対する不信感に悩んでいた。・・・(判時68861

 

 一郎は,高校生(15歳ないし18歳)の時から徹夜麻雀と飲酒ですか,困ったものですね。

 しかし,乙山夏子は当時,色気も既に枯れた,豪快な肝っ玉中年女性ででもあったものか。

 そうではないようで,元気な盛りの男子高校生・一郎が付き合いだしたころ,夏子は12歳年上の20代後半のバツイチ女性だったのでした。

 

 ・・・ところで乙山は一郎より12才も年長で昭和30年ごろ先夫と離婚し,一人息子(現在19才位〔ということは昭和30年には2歳くらい〕)の正一と二人暮しで女手一つで○○市内に洋裁店を持ち,あわせてアパートの経営もしていて,同人の性格は男まさりのいわゆる姉御肌ともいうべきものであって,酒や遊びごとも辞さないところから同人宅には常に男性の出入りが多く,土曜の夜などは一郎や他の男性達と徹夜で麻雀をすることもしばしばあり,また,男女相携えてグループで旅行するなど,その派手で無軌道とも見える生活振りから一部世間の者のひんしゅくを買い,とかくの噂をする者もあるが,同人は一々そのようなことを気にすることなく,現在もその生活態度をかえていない。・・・(判時68862

 

麻雀と酒ばかりで学校の勉強はしないとはいえ,高校生なのですから,大人からいろいろ教えてもらうことはあったはずではあります。

しかし,「一郎同様乙山宅に出入りしていた他の男性達は,一郎と乙山との間に特に肉体関係があるなどとは疑うこともなく,現在もなお乙山宅に出入し,遊び仲間として依然交際を続けてい」たそうです(判時68862)。やっぱり夏子には色気は余りなかったものか。裁判所も,「一郎の乙山宅への出入りは度を過すものがあり,両者の関係は相当密着の感があるとはいえ,右両者間に不純な情交関係があったものと認めるには十分でなく・・・本件にあらわれたすべての証拠によっても右両者の間は怪しい,或いは原告主張の如き交情があるのではなかろうかとの推測を示すに止まるのみであって,一方前記のような乙山の性格,生活態度,交遊関係等からすれば,そのような関係はないのではないかとの合理的疑いを解消しえず,結局において一郎が乙山との間に不貞の関係を有するとの事実はこれを認定するには不十分であるとせざるをえない」と判示しています(判時68862)。「前記のような乙山の性格,生活態度,交遊関係等」は,むしろ不純な情交関係の存否の判断において消極方向に働く事実とされていますね。

とはいえ,いずれにせよ,男児たるもの,夫となった以上は,己の誕生日には注意しなければいけません。

 

・・・たまたま〔昭和42〕年1130日は婚姻後はじめて迎える一郎の誕生日であったのに,一郎が原告を避けるようで同人の挙動に不審の点があったので原告は,同日午后7時ころ乙山宅を訪れたところ,案の定一郎はそこにいて丙川夫妻や丁村ら乙山方に出入りする者達とともに誕生パーティと称して飲食していた。そこで原告はますます乙山との関係に疑惑の念を深めるにいたり,丙川夫妻らが帰宅した後,深夜まで乙山を交えて3人で話合ったが,それによっては右疑惑を解くにいたらなかった。・・・(判時68861

 

 実は筆者は,かつて,法曹関係の有名な方(男性)が,自分の誕生日の晩に職場の関係者と華やかな夜の街で豪快華麗に飲んでおられるのを見たことがあるのですが,お家の方は大丈夫だったのでしょうか・・・。

 一郎は,上記「誕生日パーティ事件」直後の昭和42年の「12月はじめごろには2度も乙山から電話で,一郎が酔っぱらって来ているので引取りに来るように連絡があり」,甲野家の家族で迎えに行くという状態だったそうですから(判時68861),相も変わらず,反省の色がありませんでした。

 また,男児たるもの,下着には常に意を払わなければなりません。

 

 ・・・一郎は,幼時特に祖母に可愛がられて育ち,一人息子であるところから比較的甘やかされていた風もあり,・・・資金の貸借とか,乙山の性格にひかれて,頻繁に乙山宅に出入りし,前記の無軌道とも見える環境に没入し,麻雀でそのまま夜を明かしたり,乙山方から洗濯に出した一郎の下着に乙山のマークがつけられても意に介せず原告の目にふれしめる等のこと〔が〕あった・・・(判時68862

 

 「乙山のマーク」とは,「乙山のネーム」だったそうです(判時68864)。

結論として裁判所は,「原告と一郎との間には民法770条1項5号にいう婚姻を継続しがたい重大な事由がある」と認定していますが,当該認定の際挙げられた事実は,一郎と乙山夏子との関係について原告が「払拭し難い疑惑の念を抱いている」こと及び「かかる場合夫たる者はよろしくその疑惑を解き妻の不信を回復するよう百方誠意を尽しその生活態度を改めるべきであるのに,一郎はなんらそのことなく」終始したこと, だけではありませんでした。原告と一郎との間の長女秋子(昭和43827日生)の「出産を是とするか否かの意見の対立〔一郎は「原告にすでに相当月の進んだ胎児をおろすよう強要」〕,秋子出産後の一郎の態度〔「秋子を一目見に来院したのみで,生活費,養育費,入院費など全く負担しようとせず秋子の健康保険加入も拒絶」〕,原告が〔昭和43年4月中旬に〕甲野家を出てすでに4年半にも達すること,両名間に互いにもはや婚姻を継続する意思が存しないことなどの事実」が徴されています。(判時68862

 

3 東京高等裁判所昭和37年2月26日判決(過去における配偶者でない者との性的交渉が「不貞な行為」にはあたらないが,それに起因する現在の言動が「婚姻を継続し難い重大な事由」にあたるとして離婚を認めた事例)

三つ目は,「妻の同意のもとでの夫の女性関係」が「不貞行為には該当しないとされる貞節義務違反(性的非行)」であって民法770条1項5号の婚姻を継続し難い重大な事由の一要素であるとされたとの趣旨で紹介されているものと解され得る(『新版注釈民法(22)』366頁)東京高等裁判所昭和37年2月26日判決の事例(下級裁判所民事裁判例集第13巻第2号288頁以下)です。

前記1の又太郎事件では,又太郎は母・松子及び娘・竹子を相手に二股をかけていたのですが,東京高等裁判所昭和37年2月26日判決に係る事案においては,姉妹相手の二股が問題になっています。離婚を請求された二股夫(「又次」という仮名にしましょう。)は,妻である月子(仮名)と結婚する前にその妹の花子(仮名)と肉体関係があったのに,月子及び花子姉妹の母である雪子(仮名)は,「花子よりも先に月子に身を堅めさせる方が一家のために好都合であると考え」,又次に「懇望」して姉の月子と結婚してもらった,というこれまた不思議複雑な経緯がありました(下民集132289)。

「月子と又次が昭和301212日結婚の式を挙げ」たのですが,夫婦水入らずの生活ではなく,「月子の母雪子方で同棲生活を始め」ています(下民集132289)。雪子には,既に夫はいなかったものでしょう。また,「昭和34年5月頃雪子が花子を別居させれば月子らの夫婦仲も少しは良くなるであろうと考え,花子を東京都練馬区のそば屋に住込みで勤めさせた」といいますから(下民集132290),又次は,妻の月子とその母・雪子とのみならず,かつて肉体関係があった花子とも同居していたことになります。これでは問題が起きない方がおかしい。

 

・・・雪子はこのこと〔又次と花子との間に以前から肉体関係があったこと〕を知つていたが,花子よりも先に月子に身を堅めさせる方が一家のために好都合であると考え,月子にはこのことを知らせずにいた。なお,花子は雪子の説得によつて月子と又次との結婚を認め,一応又次との関係を断つた。(下民集132289-290

 

 というのですから,花子は又次に未練があったでしょうし,又次も同様

 

 ・・・結婚後も花子に未練を有し,それがまま素振りに表われた。そして,4,5カ月して月子が花子の告白により右肉体関係の事実を知り,又次をなじると,又次は月子に対し「おれは本当は花子が好きだつたが,おかあさんが引き離してお前と一緒にさせたのだ」とか「お前との結婚は同情結婚だ,花子は愛情が細やかであたかかつたがお前は冷い」等といい,その後は何かにつけて同様の侮辱的言辞を弄するばかりでなく,格別の理由もなく暴行したり,勤務先を欠勤して月子に将来に対する不安を抱かせるようにな〔った。〕(下民集132290

 

これが昭和31年の前半のことですが,依然として花子と又次らとの同居は,前記昭和34年5月ころのそば屋住込みまで約3年間続いていたわけです。花子には,実家を出て生活できないような事情があったものか。判決文からは当事者の年齢は分かりませんが,花子は若過ぎたものか。

しかし,又次は花子との同居に固執していたようで,これはまた,困ったものです。

 

・・・花子を東京都練馬区のそば屋に住込みで勤めさせたとき等は,〔又次は〕月子に対し「お前が花子を隠した」「花子は良かつた,お前のようにきつくなかつた」等といつて怒り,花子は結局〔昭和34年5〕月25日雪子によつて連れ帰られた・・・(下民集132290

 

花子を出せ,と婿の又次に言われて,雪子が素直に花子を又次のもとに連れて来てしまったというのは変ですね。又次の機嫌をとるのではなく,花子はあんたの女じゃない,と言って頑張るべきだったように思われますが,どうしたことでしょう。ただし,裁判所は,「又次が月子との婚姻中に月子の承諾なしに花子と性的交渉をもつたことを認めるに足りる証拠はない。」と判示しているところです(下民集132291)。

しかしながら,

 

・・・月子は又次との夫婦生活に絶望し,その頃又次〔,〕花子,雪子の3名と善後処置を話し合い,月子と又次とは離婚し,又次は花子と結婚することとし,又次は同年〔昭和34年〕6月9日頃花子と一緒に他に引き越した・・・(下民集132290

 

というのですから,又次と花子との関係は実は切れずに続いていたようでもあります。とはいえ,月子と別れて,又次が花子と結婚するというのならば,本来あるべきであった形になったということで,一応これで落着したかと思えば,さにあらず。

 

・・・又次は〔花子との引っ越し後〕ものの半月もたつと月子に対し復縁を求めるようになつた・・・(下民集132290

 

「愛情が細やかであたか」であったはずの妹・花子の正体は,実はそうではなかったのでしょうか。分からないものです。

又次の復縁の求めに対し,月子は「子供が二人もあることを考えて又次の許に復縁した。」ということで,二人は振り出しに戻ります(下民集132290)。しかし,それからの又次がまた相変わらずいけない。

 

・・・しかるに,又次は月子が復縁すると間もなく同年〔昭和34年〕7月13日頃月子に対し金策を要求し,月子がこれを拒絶すると,折りたたみ傘で直ぐには起き上れない程に殴つた。このときは,又次が直ぐに謝つたので月子も折れて又次の許に止まることとし,又次の現住所の家を二人で探して引き越したが,10日もすると又次は勤務先を休み,月子が出勤するように勧めても出勤しなくなつた。かくて,月子は今はこれまでと思い定めて雪子方え〔ママ〕帰り,次で同年9月中又次を相手取り横浜家庭裁判所に離婚並びに慰藉料支払の調停申立をした・・・(下民集132290

 

 家事事件手続法257条1項は「第244条の規定により調停を行うことができる事件について訴えを提起しようとする者は,まず家庭裁判所に家事調停の申立てをしなければならない。」と規定していて,離婚を求める訴えを提起する前には,まず家事調停を申し立てなければならないことになっています。同法244条は,「家庭裁判所は,人事に関する訴訟事件・・・について調停を行うほか,この編〔第3編「家事調停に関する手続」〕の定めるところにより審判をする。」と規定しています。

 横浜家庭裁判所の調停委員からは2年くらい様子を見たらとの勧告があったので,月子は調停では所期の目的を遂げるのは難しいと考え,昭和35年1月14日に調停申立てを取り下げ,同年4月28日に離婚を求める訴えを提起したのですが(下民集132290-291),第一審では敗訴したようです(月子が離婚を求めて控訴しています(下民集132288-289)。)。なお,控訴審では,月子は又次に対して慰謝料請求をしていません。

 月子側は,民法770条1項1号の不貞行為が又次と花子との間にあったと主張しましたが,これは認められていません。「前認定の又次と花子の性的交渉が,或は月子と又次の婚姻前のものであり,又は月子の承諾に基くもの」であるからです(下民集132291)。この月子の「承諾」は,又次と花子とが結婚することを認めていったん又次と別れることにした昭和34年6月ころの経緯におけるものでしょう(なお,裁判所は「不承不承の承諾」であるものと認めてはいます(下民集132291)。)。

 しかし,東京高等裁判所は,民法770条1項5号の「婚姻を継続し難い重大な事由」が月子と又次の間にあることは認めて,両者を離婚させました。

 

 ・・・夫婦の一方が婚姻前に性的交渉をもつていた異性に対し婚姻後も長く未練を有し,それを何かにつけ相手方に対する言動に表わし,果ては格別の理由もないのに暴行したり,勤務先を休んで夫婦生活の将来に不安を感ぜさせるようなことが相手方に対し致命的な侮辱感と絶望感を与え婚姻の継続を妨げる重大な事由となるものであることは疑の余地のないところである・・・(下民集132291-292

 

「未練」を月子に対して表す「言動」,月子に対する暴行及び勤め先の欠勤が,月子に侮辱感及び絶望感を与え,それが「婚姻を継続し難い重大な事由」を構成したということであって,「妻の同意のもとでの夫の女性関係」がそれとして直ちに「婚姻を継続し難い重大な事由」を構成する一要素とされてはいないようです。未練を表す言動の一環ということでしょうか。「婚姻を継続し難い重大な事由」に係る『新版注釈民法(22)』の分類(385-393頁)に従って整理すると,本件では,又次について,月子に対する「重大な侮辱」,月子に対する「暴行・虐待」及び勤労意欲がないことによる「家族の放置」があったということになるようです。

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これは,札幌市南区のバス停です。

 

4 名古屋地方裁判所昭和47年2月29日判決(同性愛)

 最後に,「同性愛」が「不貞行為には該当しないとされる貞節義務違反(性的非行)」であって民法770条1項5号の婚姻を継続し難い重大な事由の一要素であるとされたとの趣旨で紹介されているものと解され得る(『新版注釈民法(22)』366頁)名古屋地方裁判所昭和47年2月29日判決の事例(判時67077)ですが,これについては,内田貴教授の『民法Ⅳ[補訂版]』(東京大学出版会・2004年)における紹介があります。

 「結婚後数ヵ月で夫が同性愛に陥り,妻に全く性的関心を示さなくなって,その後特定の男性に執拗につきまとうようになった,という事案で,770条1項5号の離婚原因があるとして,妻からの離婚請求を認めた」ものです(内田116頁)。民法770条1項1号の不貞行為との関係については,「同性愛を,異性との不貞行為に匹敵する有責行為と考える社会意識があるかどうか」が問題であるとされ,「もしそれが怪しいのであれば,あえて「不貞行為」を拡大することなく,端的に5号で破綻を認定するのが安全であろう。名古屋地裁の事案は,原告が5号に基づく離婚を請求したために,裁判所もそれを認容したものと思われる」とされています(内田116頁)。
 時系列的には,下記のようになります。
 なお,要件事実をやってみると,離婚請求の要件事実は,①婚姻の届出がなされていること,及び②①の婚姻を継続し難い重大な事由があること,ということになります(岡口基一『要件事実マニュアル 第2版 下』(ぎょうせい・2007年)240頁)。

 昭和39年11月26日に,原告(甲野花子(仮名))と被告(甲野正樹(仮名))とが結婚(婚姻届はいまだ出さず。)。
 昭和40年2月頃には早くも,正樹は,花子に対して性交渉を全く求めようとしなくなる。花子からの求めにも一向に意欲を示そうとはしない。
 同年3月5日,原被告の婚姻の届出。
  同年8月28日,原被告間に長女星子(仮名)誕生。
 昭和43年頃,正樹,乙山高和(仮名)と知り合って同性愛の関係に陥る。
 正樹・高和間では,男女間におけると同様の関係が繰り返される。
 昭和45年頃,乙山高和に結婚話が持ち上がったのを機に,いったん正樹・高和間の関係解消。
しかし,正樹は,高和に対する未練をいまだ断ちがたく,執拗につきまとう。

 昭和46年2月頃,花子,派出所の警察官から,正樹が他の男性と同性愛関係にあると知らされる。花子は,驚きのあまり,直ちに星子を連れて実家に帰り,以来正樹と別居する。
 同年6月9日 本件離婚等請求訴訟に係る訴状の正樹への送達。

 既に「セックスレス」になっていたのですから,あえて婚姻届を出すべきではなかったようにも思われますが,花子は星子を懐胎してしまっていたところです(女性を妊娠させる能力については,正樹には問題がなかったわけです。)。派出所の警察官から同性愛の事実が告げられたというのは,正樹の愛が暴走して,警察沙汰を起こしたものでしょうか。
 「右認定の事実によれば,被告は,性的に異常な性格を有していることが明らかである。」とずばり判示されていますが(判時670・77),「同性愛即異常」との認定には,現在では異議の声を挙げる人が少なくないかもしれません。
 なお,「原告が被告との離婚によって受けた精神的損害に対する慰藉料」として150万円を花子に支払うべきことが正樹に対して命じられています。
           

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所(弊事務所の鈴木宏昌弁護士が「離婚・男女関係」に強い辣腕弁護士として,週刊ダイヤモンド(20141011日号)で紹介されました。)

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1 ポンペイヤとクロディウス

 「カエサルの妻」(uxor caesaris)といった場合,「薬鑵頭の女たらし」であったカエサルの女性遍歴が問題になるというよりは,「李下の冠」又は「瓜田の履」といった意味になります。

 故事にいわく。

 

  〔カエサルは〕コルネリアの後添えとして,クィントゥス・ポンペイユスの娘で,ルキウス・スラの孫娘でもあるポンペイヤを家に迎えた。やがて彼女を,プブリウス・クロディウスに犯されたと考えて離婚した。この男は女に変装し,公けの祭礼の中に忍びこみ,ポンペイヤに不倫な関係をせまったという噂がたって,なかなか消えず,ついに元老院は,祭儀冒涜の件に関して真相を究明することを決議したほどであった。

  ・・・

  プブリウス・クロディウスがカエサルの妻ポンペイヤを犯した罪で,そして同じ理由で聖儀冒涜の罪で告発されたとき,カエサルは証人として呼び出されても,「私は何も知らない」と主張した。母アウレリアも姉ユリアも,同じ審判人の前で一部始終を自信たっぷりと陳述していたのであるが。「ではどうして妻を離婚したのか」と尋ねられ,カエサルはこう答えた。

  「私の家族は,罪を犯してはならぬことは勿論,その嫌疑すらかけられてはならぬと考えているからだ〔Quoniam meos tam suspicione quam crimine iudico carere oportere〕」と。

(スエトニウス『ローマ皇帝伝』「カエサル」6,74(国原吉之助訳・岩波文庫))

 

  ・・・カエサルに有難くない出来事がその家庭に起つて来た。プーブリウス クローディウスは家柄が貴族で財産も弁舌も立派であつたが,傲慢と横暴にかけては厚顔で有名な何人にも劣らなかつた。この男がカエサルの妻のポンペーイアに恋慕し,女の方も厭とは云はなかつたが,女たちの部屋の警戒が厳重であつた上,カエサルの母アウレーリアは貞淑な人で嫁を監視してゐたので,二人の密会はいつも困難で危険を伴なつてゐた。

  ・・・

  この祭〔男子禁制のボナ・デアの祭。男は皆家を出て,家に残った妻が主宰。主要な行事は夜営まれる。女たちで戯れ,音楽が盛んに催される。〕をこの頃(前6212月)ポンペーイアが催ほしたが,クローディウスはまだ髭が生えてゐなかつたので人目に附かないと考へ,琴弾き女の衣装と飾りを著け,若い女のやうな風をしてその家へ向つた。行つて見ると,門が開いてゐて,諜し合はせて置いた召使の女の手で無事に引入れられたが・・・クローディウスは,入れてくれた召使の部屋に逃げ込んでゐるのを発見され,何者だか明らかになつた上,女たちに戸口から追ひ出された。この事をそこから出て来た女たちが夜の間に直ぐ夫に話し,夜が明ける頃には,クローディウスが不敬な行為をして,その侮辱を受けた人々ばかりでなく国家及び神々からも裁きを受けなければならないといふ噂が町中に弘まつた。そこでトリブーヌス プレービスの一人がクローディウスを不敬の廉で告発し(前61年),元老院の有力者はこれを有罪にするために協力・・・した。しかしこれらの人の努力に対抗した民衆はクローディウスを擁護し,それに驚き恐れてゐた裁判官を向ふに廻してクローディウスに非常な援助を与へた。カエサルは直ちに(前61年1月)ポンペーイアを離別したが,法廷に証人として呼び出された時にはクローディウスに対して述べられた事実は何も知らないと云つた。その言葉が背理と思はれたので,告発者が「ではどうして妻を離別したのか。」と訊くと,「私の妻たるものは嫌疑を受ける女であつてはならないから。」と云つた。

  或る人はこれをカエサルが考へてゐる通り述べたのだと云ひ,或る人はクローディウスを一心に救はうとしてゐる民衆の機嫌を取つたのだと云つてゐる。とにかくクローディウス〔は〕この告発に対して無罪となつた・・・

(『プルターク英雄伝』「カエサル」9,10(河野与一訳・岩波文庫))

 

2 離婚原因としての「不貞な行為」

 我が民法770条1項1号によれば,「配偶者に不貞な行為があったとき」は,夫婦の一方は離婚の訴えを提起することができる(つまり,離婚できる。)と規定しています。

 カエサルの妻ポンペイヤは「不貞な行為」をしたのでしょうか。

 

 「不貞行為とは,夫婦間の貞節義務(守操義務)に反する行為をいう。姦通がその代表的な場合であり,実際上も姦通の事例が多い。しかし,不貞行為の概念はかなり漠然としている。」とされます(阿部徹『新版注釈民法(22)親族(2)』(有斐閣・2008年)360頁)。微妙な言い回しですが,これは,不貞行為を姦通の場合に限定すべきか否かについては学説上の対立があり,判例の立場も必ずしも明らかではないからです(阿部徹362頁)。「不貞行為」に含まれ得る姦通以外の性関係としては,「不正常な異性関係,同性愛,獣姦・鶏姦など」が考えられています(阿部徹363頁参照。ただし,鶏姦といっても相手は鶏ではないはずです。)。

 「姦通」は,フランス語のadultèreですね。

 1804年のナポレオンの民法典にいわく。

 

   229

 Le mari pourra demander le divorce pour cause d’ adultère de sa femme.

 (夫は,妻の姦通を原因として離婚を請求することができる。)

 

      230.

  La femme pourra demander le divorce pour cause d’ adultère de son mari, lorsqu’il aura tenu sa concubine dans la maison commune.

 (妻は,夫の姦通を原因として離婚を請求することができる。ただし,夫が姦通の相手を共同の家に同居させたときに限る。)

 

詰まるところ,おれは浮気はするけれどジョゼフィーヌに妻妾同居を求めることまではしないよ,というのがナポレオンの考えであったようです。

昭和22年法律第222号で1948年1月1日から改正される前の我が民法813条は,「妻カ姦通ヲ為シタルトキ」には夫が(2号),「夫カ姦淫罪ニ因リテ刑ニ処セラレタルトキ」には妻が(3号)離婚の訴えを提起することができるものと規定していました。

 昭和22年法律第124号により19471115日から削除される前の我が刑法183条は次のとおり。人妻でなければよかったようです。したがって,ナポレオンの民法典が気にしたようには妻妾同居は問題にならなかったようです。

 

 第183条 有夫ノ婦姦通シタルトキハ2年以下ノ懲役ニ処ス其相姦シタル者亦同シ

  前項ノ罪ハ本夫ノ告訴ヲ待テ之ヲ論ス但本夫姦通ヲ縦容シタルトキハ告訴ノ効ナシ

 

 ところで,民法の旧813条3号及び刑法旧183条並びにそれぞれの改正日付だけを見ると,19471115日から同年1231日までは,夫はいくら姦通をしても妻から離婚の訴えを提起されることはなかったようにも思われるのでドキドキしますが,その辺は大丈夫でした。昭和22年法律第74号(「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」は件名)によって,日本国憲法施行の日(1947年5月3日)から19471231日までは(同法附則),「配偶者の一方に著しい不貞の行為があつたときは,他の一方は,これを原因として離婚の訴を提起することができる。」とされていました(同法5条3項)。なお,ここでの「著しい不貞の行為」の意味は,「姦通も場合によっては著しい不貞の行為とならず,また反対に,姦通まで至らなくとも場合によっては著しい不貞の行為となりうるという趣旨であった,と解するのが正しいであろう。」とされています(我妻榮『親族法』(有斐閣・1961年)176頁注1)。

 それでは,ポンペイヤとクロディウスとの関係が,1回限りの過ちであった場合はどうでしょうか。

 

 ・・・実際の離婚訴訟では,原告はさまざまの事実を併せて主張するのが普通であり,裁判所も,1度の性交渉が証明されただけで離婚を認めることはまずない。しかし,ときには被告が,性交渉の事実を認めながらも,それは「一時の浮気」にすぎないとか,「酔余の戯れ」でしかないといった抗弁を出すことがあり,下級審判例の中には,2ヵ月に及ぶ異性関係を「一時の迷と考えられぬことはない」として,不貞行為の成立を否定した例もある(名古屋地判昭26627下民集26824)。しかし,一時的な関係は不貞ではないとの解釈は無理であり,学説は一般に,不貞行為にあたると解している・・・(阿部徹360頁)

 

これによれば,学説では,1度限りの姦通でもやはり不貞行為になるということのようです。「離婚請求の最低線」(「裁判官の自由裁量の余地なく,必ず離婚が認められるという保障」(我妻121122頁参照))を維持するためにこそ,学説は,「不貞な行為」を「姦通(性交関係)に限ると解したい。」としています(我妻171頁)。「例えば,夫に不貞の行為があった場合にも,裁判官の裁量によって離婚の請求を棄却することができるとすることは,妻の離婚請求の最低線を崩すことになって不当ではないか。」というわけです(我妻124頁)。

「姦通の事実がある場合にも離婚の請求を認めないのは,〔民法770条〕2項〔「裁判所は,前項第1号から第4号までに掲げる事由がある場合であっても,一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは,離婚の請求を棄却することができる。」〕の適用に限る。」とされ(我妻171頁),「原告が事後的にこれを「宥恕」したとか,異性関係を知りつつ黙認していたような場合は本条〔民法770条〕2項の問題になる。」とされています(阿部徹360頁)。

 

3 「婚姻を継続し難い重大な事由」

しかし,カエサルは,法廷において,そもそもポンペイヤとクロディウスとの間に姦通があったとの主張をしていません。(なお,「不貞行為の証明責任は〔離婚を求める〕原告側にあ」ります(阿部徹363頁)。)

そうであれば,カエサルは,我が民法でいえば第770条1項5号の「その他婚姻を継続し難い重大な事由」があるものとしてポンペイヤと離婚したものでしょうか。「厳格な意味で姦通といえない場合(肉体的関係の存在までは立証されない場合)・・・などにも,それらの事由によって婚姻が明らかに破綻しているときは,この〔民法770条1項5号の〕重大な事由にあたる。」とされています(我妻174頁)。ちなみに,「婚姻を継続し難い重大な事由」とは,「一般に,婚姻関係が深刻に破綻し,婚姻の本質に応じた共同生活の回復の見込みがない場合をいうもの」と解されています(阿部徹375頁)。(なお,婚姻を継続し難い重大な事由存在の「証明責任は〔離婚を求める〕原告にあ」ります(阿部徹382頁)。)

 

 不貞行為には該当しないとされる貞節義務違反(性的非行)が破綻離婚(770)の一要素として考慮され,結局,離婚が認められるに至る場合も少なくない(・・・東京高判昭37226〔妻の同意のもとでの夫の女性関係〕,名古屋地判昭47229判時67077〔同性愛〕,東京高判昭471130判時68860〔特定の女性を中心とした徹夜麻雀・グループ旅行などの交遊関係を夫が婚姻後も継続〕など)。本条〔民法770条〕1項5号は具体的離婚原因に該当しない場合を包摂する離婚原因であるから,実体法の理論としては,とくに問題はないであろう。(阿部徹366頁)

 

 実際の訴訟では,「不貞行為が認定されることはそれほどないのです。」とされています(阿部潤「「離婚原因」について」『平成17年度専門弁護士養成連続講座・家族法』(東京弁護士会弁護士研修センター運営委員会編,商事法務・2007年)16頁)。「もちろん,被告が不貞の事実を認めている場合は認定します。また,絶対的な証拠がある場合にも認定します。」とは裁判官の発言ですが,「しかし,多くの場合には,怪しいという程度にとどまるのです。」ということのようです(阿部潤16頁)。

 そこで,民法770条1項5号が登場します。「離婚訴訟を認容するには,不貞行為の存在は必要条件ではありません。婚姻が破綻していれば,不貞行為が認定できなくても,離婚請求は認容されます。例えば,婚姻関係にありながら,正当化されない親密な交際の事実が立証できれば十分です。」ということになるわけです(阿部潤16頁)。民法770条1項1号ばかりが念頭にあると,「親密な交際の事実を認めながら,性的関係はないので,離婚原因はないとの答弁をする場合がありますが,これは正しくはありません(これまた,弁護士が被告代理人となっていながら,このような答弁書が多いのです)。」ということになってしまいます(阿部潤1617頁)。他方,同項5号の「婚姻を継続し難い重大な事由があるかどうかという観点」からは,「夫が妻以外の女性と,複数回,ラブホテルに宿泊」した場合には,被告である夫がいくら「性的関係をもたなかった」と主張しても,「すでに,自白が成立しているようなもの」だとされてしまうわけです(阿部潤17頁)。

 なお,不貞行為の立証のための証拠収集作業としては,「不貞行為の相手の住民票及び戸籍謄本の徴求,写真,録音テープ,メールの保存,携帯電話の受信・着信履歴の保存,クレジットカードの利用明細書の収集等」及び「興信所による素行調査報告書」が挙げられています(東京弁護士会法友全期会家族法研究会編『離婚・離縁事件実務マニュアル(改訂版)』(ぎょうせい・2008年)87頁)。「夫と交際相手の女性との間の不貞行為について争われた事案において,妻や娘等が夫を尾行して見た夫と交際相手の女性との行動,交際相手の女性のことで夫と妻が争っている際の夫の妻に対する発言内容,盗聴によって録音された夫と交際相手の女性との電話での会話内容などから,夫の不貞行為の存在を推定できるとした裁判例がある(水戸地判平成3年1月・・・)。」とされていますが,「収集方法によってはプライバシーの侵害,違法収集証拠性が問題となる」のはもちろんです(東京弁護士会法友全期会家族法研究会8788頁)。

 

4 ローマの離婚

 古代ローマの離婚制度に関しては,初代王ロムルスについて次のように伝えられています。

 

 ・・・ロームルスは尚幾つかの法律を定めた。その中でも烈しいのは,妻が夫を見棄てることを禁じながら,毒を盛つたり代りの子供をそつと連れて来たり鍵を偽造したり姦通する妻を追ひ出すことを認めた法律である。但し他の理由で妻を離別した夫の財産は一部分妻のものとして残りをケレース(収穫の女神)に献ぜさせ,その夫は地下の神々に犠牲を供へるやうに命じてゐる。・・・(『プルターク英雄伝』「ロームルス」22(河野・岩波文庫))

 

離婚貧乏ですね。

なお,古代アテネの法におけると同様,古代ローマの女性も,夫を離別する権利を保持していたとされています(De l’Espris des lois, Livre XVI, Chapitre XVI)。「合意による離婚の自由は,婚姻自由に対応するものとして,少なくとも古典期末までは不可侵とされてい」ました(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法―ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)146頁)。「というのは,妻又は夫がそれぞれ離別権を有する以上,両者は協議により,すなわち合意によって別れることができることはもちろんのことであったのである。」というわけです(De l’Espris des lois, Livre XVI, Chapitre XVI)。

ここで,divorcerépudiationとの意味は異なるとされています。同じ離婚の結果を生ずるとしても,前者は配偶者両者の合意によるもの,後者は配偶者の一方のみの意思によるものとされています(De l’Espris des lois, Livre XVI, Chapitre XV)。カエサルとポンペイヤとの離婚はどちらだったのでしょうか。スエトニウスは,divortium facereであったとしつつ(Divus Julius 6),法廷ではカエサルはなぜポンペイヤをrepudiareしたのかと訊問されたと伝えています(Divus Julius 74)。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

渋谷区渋谷三丁目5-16番渋谷三丁目スクエアビル2 

電話:0368683194

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

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