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前編(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078645164.html)からの続き


6 開催都市契約66条:「不平等条約」

ところで,開催都市契約について,IOCのみがオリンピック開催中止を決定できるとする,当該契約の解除に係る第66条が「不平等条約だ」といわれています。これは,新型コロナウイルス感染症との関係では,そのa)項のi)後段が問題になるのでしょうか。また,オリンピック参加者の安全ばかりが心配されて,現地住民の安全が心配されていないことが,命をいとおしむ日本人としては不満なのでしょうか。

 

aIOCは,以下のいずれかに該当する場合,本契約を解除して,開催都市における本大会を中止する権利を有する。

i) 開催国が開会式前または本大会期間中であるかにかかわらず,いつでも,戦争状態,内乱,ボイコット,国際社会によって定められた禁輸措置の対象,または交戦の一種として公式に認められる状況にある場合,またはIOCがその単独の裁量で,本大会参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合。

ii)(本契約の第5条に記載の)政府の誓約事項が尊重されない場合。

iii) 本大会が2020(当初の規定)年中に開催されない場合。〔付属合意書4(2020107日)で変更〕

iv) 本契約,オリンピック憲章,または適用法に定められた重大な義務に開催都市,NOCJOC〕またはOCOG〔東京オリンピック組織委員会〕が違反した場合。

v) 本契約第72条の重大な違反があり,是正されない場合。

  (東京都オリンピック・パラリンピック準備局ウェブページ)

 

 一応もっともな解除事由が並べられているので,これらの事由に基づいて開催都市契約が解除されてもIOCが損害賠償責任を負わないということは全く道理に反する,ということにはなりにくいようです。

 

7 開催都市契約の典型契約への当てはめ:請負説及び組合説

しかし,そもそも,開催都市契約はどういった種類の契約なのでしょうか。東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会を請負人とし,IOCを注文者とする請負(民法632条参照)なのか,それともIOC,東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会を組合員とする組合(民法667条参照)なのか。

 

(1)請負説

請負であれば,我が国では「請負人が仕事を完成させない間は,注文者は,いつでも損害を賠償して契約の解除をすることができる」わけで(民法641条),スイス債務法377条も「Tant que l’ouvrage n’est pas terminé, le maître peut toujours se départir du contrat, en payant le travail fait et en indemnisant complètement l’entrepreneur.」(「仕事が完成しない間は,注文者は,なされた仕事の報酬を支払い,かつ,請負人に対して完全に補償をして,いつでも契約を解除することができる。」)と規定しています。他方,請負においては,注文者に債務不履行がないのに,請負人が一方的に契約を解除するわけにはいかないでしょう。なお,スイス債務法377条における補償の対象は,「得べかりし利益」と解釈されているそうであり,同条と我が民法641条とは「同一に帰するであろう」とされています(我妻榮『債権各論 中巻二(民法講義Ⅴ₃)』(岩波書店・1962年)651頁)。

ところで,開催都市契約66a)項の規定は,スイス債務法377条と差し替えられるものでしょうか,それとも,同条の適用を前提としつつ,請負契約を解除する注文者が「なされた仕事の報酬を支払い,かつ,請負人に対して完全に補償」する必要のない場合を特に規定したものでしょうか。金を払ってやるからお前らオリンピックはやめろ,といきなり言われても開催都市側としては納得できないでしょうから,差替え説を採るべきか。

ちなみに,「請負人からの解除」については,「なお,明文の規定はないが,両当事者の高度の信頼関係を基礎とする場合には,解除に関する委任の規定(民法651条)を類推適用するのが妥当であろう」とも説かれています(星野英一『民法概論Ⅳ(契約)』(良書普及会・1994年)278頁)。我が民法6511項は「委任は,各当事者がいつでもその解除をすることができる。」と規定しています。スイス債務法404条も同旨を規定しています(「Le mandat peut être révoqué ou répudié en tout temps. / Celle des parties qui révoque ou répudie le contrat en temps inopportun doit toutefois indemniser l’autre du dommage qu’elle lui cause.」(委任は,いつでも撤回又は破棄することができる。/しかし,不利な時期に契約を撤回又は破棄した当事者は,相手方に被らせた損害を補償しなければならない。))。とはいえ,やはり開催都市契約には第66条のみが存在しているという事実が重い。「高度の信頼関係を基礎とする」請負であっても,東京都,JOC又は東京オリンピック組織委員会はいつでも開催都市契約を解除できて,しかもIOCに不利な時期でなければIOCに対する損害の補償も不要である,というわけにはいかないのでしょうから,スイス債務法404条の(類推)適用が前提であれば,日本側の解除権を制限する条項が必要であったはずです。当該制限条項がない,ということは,スイス債務法404条の(類推)適用ははなからあり得ないものとされていたのでしょう。IOCとの関係において「高度の信頼関係」までを求めるのは,欲張りすぎであるということでしょうか。

 

(2)組合説

組合ならば,我が国においては,「やむを得ない事由があるときは,各組合員は,組合の解散を請求することができる」ことになっています(民法683条)。「組合の目的である事業の〔略〕成功の不能」の場合には組合は当然解散しますが(民法6821号),1904年のセント・ルイス大会における堂々たるグダグダの前例に鑑みれば,オリンピックの「成功の不能」なるもののハードルは極めて高いものと解すべきでしょう(「コロナ禍で,競技によっては予選に出られなかった選手がいる。ワクチン普及が進む国とそうでない国とで厳然たる格差が生じ,それは練習やプレーにも当然影響する。選手村での行動は管理され,事前合宿地などに手を挙げた自治体が期待した,各国選手と住民との交流も難しい。憲章が空文化しているのは明らかではないか。」と主張する前記朝日新聞社社説は,要求水準が高過ぎるようです。)。富井政章及び本野一郎による我が民法683条のフランス語訳は「Tout associé peut demander la dissolution de la société, lorsqu’il y est constraint par la nécessité.」です。必要(nécessité)があれば解散可というのも漠としていますが,ここでの「やむを得ない事由」の例としては,「組合員中不正ノ行為アル者多クシテ〔略〕容易ニ公平ナル計算ヲ得ルノ望ミナキ場合」,「仮令組合員ニ不正ノ行為ナキモ組合ノ帳簿整頓セサルカ為メ全ク之ヲ解散シテ清算ヲ為スニ非サレハ組合ノ財産上ノ状況ヲ明カニスルコト能ハザルコト」(以上梅822頁)及び「経済界の事情の変更,組合の財産状態,組合員間の不和などによつて,組合の目的を達することが――成功の不能とまではいえなくとも――著しく困難となることなど」(我妻Ⅴ₃844頁)が,6781項の「やむを得ない事由」の例としては「脱退員ト他ノ組合員ト意見相衝突シ脱退員ハ某ノ行為ヲ為スヲ以テ組合ノ為メ極メテ危険ナリトシ他ノ組合員ハ之ヲ断行セント欲スル場合ニ於テハ脱退員ハ速ニ脱退ヲ為スニ非サレハ其行為動モスレハ累ヲ自己ノ財産ニ及ホスノ虞」ある場合(梅810頁)が挙げられています。

スイス債務法545条は次のとおり。

 

La société prend fin:

1. par le fait que le but social est atteint ou que la réalisation en est devenue impossible;

2. par la mort de l’un des associés, à moins qu’il n’ait été convenu antérieurement que la société continuerait avec ses héritiers;

3. par le fait que la part de liquidation d’un associé est l’objet d’une exécution forcée, ou que l’un des associés tombe en faillite ou est placé sous curatelle de portée générale;

4. par la volonté unanime des associés;

5. par l’expiration du temps pour lequel la société a été constituée;

6. par la dénonciation du contrat par l’un des associés, si ce droit de dénonciation a été réservé dans les statuts, ou si la société a été formée soit pour une durée indéterminée, soit pour toute la vie de l’un des associés;

7. par un jugement, dans les cas de dissolution pour cause de justes motifs.

La dissolution peut être demandée, pour de justes motifs, avant le terme fixé par le contrat ou, si la société a été formée pour une durée indéterminée, sans avertissement préalable.

  (組合は,次に掲げる事由によって解散する。

  (一 組合の目的が達成されたこと又はその実現が不可能になったこと。

  (二 事前にその相続人と共に組合が継続するものと合意されていなかった場合における一組合員の死亡

  (三 一組合員の清算持分が強制執行の目的であること又は一組合員が破産したこと若しくは被後見人となったこと。

  (四 総組合員の同意

  (五 組合の存続期間の満了

  (六 告知権が組合規約において留保された場合又は組合の存続期間が定められていない場合若しくはある組合員の終身間存続すべきことが定められた場合における一組合員による契約の告知

  (七 正当な理由を原因とする解散の場合における裁判

(正当な理由に基づく解散の請求は,契約の存続期間の満了前(vor Ablauf der Vertragsdauer)に,又は組合の存続期間が定められていない場合においては事前の予告なしにすることができる。)

 

 正当な理由(justes motifs)とは何ぞやが問題ですが,フランス民法1844条の75号を参照すると,そこでは,一組合員の債務不履行の場合と組合の機能を麻痺させる組合員間の不和(mésentente entre associés paralysant le fonctionnement de la société)の場合とが,正当な理由(justes motifs)の例として条文上示されています。

 開催都市契約66a)項は,スイス債務法54516号の「組合規約において留保」の留保をするものと解し得るでしょう。また,スイス債務法54517号の適用までをも開催都市契約66a)項は排除するものではないでしょう。なお,開催都市契約87条がありますから,スイス債務法54517号の「裁判」(jugement)は,「仲裁判断」と読み替えられるべきものでしょう。

 しかし,IOCと東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会とは仲良し(ils sont en entente)なのでしょうから,仲裁判断においても正当な理由(justes motifs)は認められず,スイス債務法54517号の出番はない,ということになりそうです。


8 開催都市契約51条:「違約金」条項

 なお,開催都市契約には「違約金」条項は存在しないと巷間言われているようですが,どうしたものでしょうか。開催都市契約51条は日本側を債務者とする「約定損害賠償金」(正文たる英文では“liquidated damages”)について規定しています。視力の悪い筆者の見間違いでしょうか。大所高所から東京オリンピック中止問題を語る有識者の方々の力強い声の中で,このようなつまらない発見を小声で語ることは心細い限りです。

「違約金」に関しては,我が民法420条には「当事者は,債務の不履行について損害賠償の額を予定することができる。/賠償額の予定は,履行の請求又は解除権の行使を妨げない。/違約金は,賠償額の予定と推定する。」とあるところです。富井=本野のフランス語訳では,「賠償額の予定」は“fixation de dommages-intérêts faite par avance”,「違約金(条項)」は “clause pénale”です。

なお,英米法においては,「債務不履行に際して債務者が支払うべき額をあらかじめ約定した場合に,それが「違約金(penalty)」であると判断されるとその効力が否定され,債権者は損害を証明して賠償を請求しなければならない。また,それが「損害賠償額の予定(liquidated damages)」であると判断されれば有効であり,実際に生じた損害額のいかんにかかわらず予定額を請求しうる。」とされているそうです(奥田昌道編『新版注釈民法(10)Ⅱ債権(1)債権の目的・効力(2)』(有斐閣・2011年)571頁(能見善久=大澤彩))。開催都市契約51条の「約定損害賠償金」は,“liquidated damages”という英文名称からすると,賠償額の予定(fixation de dommages-intérêts faite par avance)でなければならないもののようです。しかしながら,当該契約がそれに基づくスイス債務法では,“peine”(刑の意味があります。刑法は“Code pénal”です。)の語が用いられていてややこやしい。しかし“peine”ないしは“pénal”の語は刑に引き付けて狭く解する必要はないようで,我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)388条は「当事者ハ予メ過怠約款ヲ設ケ不履行又ハ遅延ノミニ付テノ損害賠償ヲ定ムルコトヲ得」と規定し,「過怠約款」をもって賠償額の予定としていますが,そのフランス語文は“Les parties peuvent faire, à l’avance, au moyen d’une clause pénale, le règlement des dommages-intérêts, soit pour l’inexécution, soit pour le simple retard.” でした(イタリック体による強調は筆者によるもの)。すなわち,「過怠約款」=“clause pénale”です(我が民法4203項の原則とするところ)。

 スイス債務法1601項は「Lorsqu’une peine a été stipulée en vue de l’inexécution ou de l’exécution imparfaite du contrat, le créancier ne peut, sauf convention contraire, demander que l’exécution ou la peine convenue.」(契約の不履行又は不完全履行について違約金の定めがある場合においては,反対の取決め(convention contraire)がない限り,債権者は,履行又は取り決められた違約金以外の請求をすることができない。)と規定しています。我が民法4202項に対応します。開催都市契約51条に「反対の取決め」があるかといえば,同条においてIOCは,その権利についていろいろ留保をしています。

スイス債務法1611項は「La peine est encourue même si le créancier n’a éprouvé aucun dommage.」(債権者が損害を立証しない場合であっても,違約金は課せられる。)と規定して,違約金額までの金銭については損害の立証がなくとも支払を受けることができるようにし,同条2項は「Le créancier dont le dommage dépasse le montant de la peine, ne peut réclamer une indemnité supérieure qu’en établissant une faute à la charge du débiteur.」(違約金額を超える損害を被った債権者は,債務者に帰せられる過失(faute)を立証しなければ,超過分の補償を請求することができない。)と規定しています。同項においては,同法971項と比較すると,過失の有無に係る立証責任の所在が転換されています。

スイス債務法163条は,次のとおり。

 

   Les parties fixent librement le montant de la peine.

La peine stipulée ne peut être exigée lorsqu’elle a pour but de sanctionner une obligation illicite ou immorale, ni, sauf convention contraire, lorsque l’exécution de l’obligation est devenue impossible par l’effet d’une circonstance dont le débiteur n’est pas responsable.

Le juge doit réduire les peines qu’il estime excessives.

  (当事者は,違約金額を自由に定める。

  (約定違約金は,違法若しくは不道徳な債務を実効化する(bekräftigen)目的である場合又は,反対の取決めがない限り,債務者の責任に属さない事情によって債務の履行が不可能になった場合には,請求することができない。

  (裁判官は,過大と認める違約金を減額することができる。)

 

スイス債務法1632項後段の「反対の取決め」が開催都市契約51条にあるかといえば,一見したところ,無いようです。同条a)項における“due to any cause directly or indirectly attributable to the City, the NOC or the OCOG”の場合に「約定損害賠償金」が問題となるという表現からしても,そういうことでよいのでしょう。

なお,スイス債務法1612項及び1633項に関して一言すると,我が民法4201項には,従来後段があって「この場合において,裁判所はその額を増減することができない。」とされていましたが,当該規定は平成29年法律第44号によって削られているところです。「裁判実務においては現に公序良俗違反(旧法第90条)等を理由に予定されていた損害賠償額を増減する判断をしていたことを踏まえ,削除している。」と説明されています(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)70頁)。我が賠償額の予約に関する規整は,スイス債務法の違約金(peine)に関するそれに近付いたものになっている,ということでよろしいのでしょうか。

 

9 日本国政府による中止

 日本国は開催都市契約の当事者ではありません。

 したがって,日本国政府がその公権力を行使して東京オリンピック開催を中止に追い込んだ場合には,それは,開催都市契約を発生原因とする日本国の債務(当該債務はありません。)の不履行の問題ではなく,第三者による債権侵害の不法行為の問題となるはずです。

 日本国は開催都市契約の当事者ではないので,当該契約に含まれる仲裁合意の当事者でもありません。IOCは,日本国を仲裁被申立人として仲裁手続を利用することはできません。

 IOCが日本国を相手取って裁判所に訴えを提起する場合,国際法上,ある国の裁判権は外国国家には及びませんから,日本の裁判所(恐らく東京地方裁判所(訴訟の目的の価額が140万円以下ということはないでしょう(裁判所法(昭和22年法律第59号)3311号参照)。))に訴状を提出することになります。

 適用される法律は,不法行為の加害行為の結果が発生した地の法ということになります(法の適用に関する通則法(平成18年法律第78号)17条)。日本法の適用が素直でしょう。東京オリンピックの開催が中止されたことによってスイスにあるIOCが貧乏になったといっても,それは派生的・二次的な損害であって,スイスが結果発生地となるものではないでしょう(澤木=道垣内218頁参照)。そうなると国家賠償法(昭和22年法律第125号)11項(「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは,国又は公共団体が,これを賠償する責に任ずる。」)の問題となります。違法性の有無が争点になりそうです。

 ただし,IOCの名誉又は信用の毀損が問題とされたときは,準拠法はなおスイス法です(法の適用に関する通則法19条)。とはいえ,不法行為については,成立も効力も結局日本法の枠内です(法の適用に関する通則法22条)。

 なお,民法720条(国家賠償法4条)の考え方に拠ることとして,IOCに対する加害行為だと言われるけれども新型コロナウイルス感染者による当該ウイルス拡散という不法行為から国民の生命又は身体という彼らの権利を防衛するため「やむを得ず」したものだからよいのだ,と主張する場合においては,「①「他人ノ不法行為」に対して当方も問題の加害行為をする以外に適切な方法がなく,②防衛すべき法益と,相手方(当初の不法行為者又は第三者)に与える損害(相手方の被侵害利益)との間に,社会観念上ほぼ合理的な均衡が保たれていることを要する。たとえば,些少な財産権を防衛するために相手を殺傷するがごときは,正当防衛となり難い場合が多いであろう。」(幾代通著=徳本伸一補訂『不法行為法』(有斐閣・1993年)102頁)との「やむを得ず」に係る要件が満たされているかどうかが問題になるでしょう。


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On aime les jeux Olympiques. (東京都新宿区・日本オリンピックミュージアム前庭)


追記:開催都市契約=請負説

 筆者は,前記において,開催都市契約に係る請負説と組合説とを併記しました。しかし,あえていえば,請負説を採るべきなのでしょう。開催都市契約は,IOCを一方当事者,東京都及びJOC(東京オリンピック組織委員会は後に設立されて参加)を相手方当事者として締結されており,かつ,その第1条においてIOCが日本側に業務(大会のplanning, organizing, financing and staging(計画,組織,資金調達及び運営))をentrust(東京都オリンピック・パラリンピック準備局ウェブページでは「委任」)する旨規定しています。開催都市契約44条は大会開催の結果生じた剰余金が東京オリンピック組織委員会,JOC及びIOCの間で配分されるものとしていますが(その後IOCは付属合意書№48項で東京オリンピック組織委員会のために剰余金の取り分を放棄),請負の「報酬の種類に制限はない。金銭には限らない。仕事の完成によつて得られるものの一部を与える契約も少くない(国有林払下げの請負で払い下げを受けた山林の何割かを与える契約はその例)。」とされているところです(我妻Ⅴ₃・602頁)。

 なお,請負を,スイス債務法363条は“Le contrat d’entreprise est un contrat par lequel une des parties (l’entrepreneur) s’oblige à exécuter un ouvrage, moyennant un prix que l’autre partie (le maître) s’engage à lui payer.”(請負契約は,当事者の一方(請負人)が,相手方(注文者)が支払を約する報酬を対価として,ある仕事を果すことを約する契約である。)と定義しています。また,他の類型に属しないデフォルトの組合(“société”ですので,訳語を「会社」とすることもできます。)を,スイス債務法5301項は“La société est un contrat par lequel deux ou plusieurs personnes conviennent d’unir leurs efforts ou leurs ressources en vue d’atteindre un but commun.”(組合は,2以上の者が,共通の目的を達成するために,労務又は資源を共同にすることを合意する契約である。)と定義しています。


追記2:放送に関する払戻し契約

 開催都市契約の付属合意書の第3.3項においてはIOCと東京オリンピック組織委員会との間で2018224日に締結された「放送に関する払戻し契約(Broadcast Refund Agreement)」の存在が言及されるとともに,当該契約が1年延期後のオリンピック東京大会にも適用される旨が規定されています。これが,オリンピック開催中止に伴う放送事業者からの放送権料引上げによって必要となる清算に関するIOCとの合意なのでしょう。

 

   オリンピック開催中止の場合に放送事業者がIOCに対して既払いの放送権料の返還を求め,未払の放送権料の支払を行わないことについては,スイス債務法1192項に“Dans les contrats bilatéraux, le débiteur ainsi libéré est tenu de restituer, selon les règles de l’enrichissement illégitime, ce qu’il a déjà reçu et il ne peut plus réclamer ce qui lui restait dû.”(双務契約の場合においては,前項の規定により債務を免れた債務者〔帰責事由なくその債務の履行が不能となった債務者〕は,既に給付を受けたものを不当利得の規定に従って返還する義務を負い,かつ,未履行の反対給付を請求することはできない。)との規定があります。我が民法5361項は「当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債権者は,反対給付の履行を拒むことができる。」とのみ規定していますが,同項に関しては「債権者は履行拒絶権がある反対給付債務の履行を常に拒絶することができるのであり,このような履行拒絶権の内容からすると,この場合の反対給付債務については,そもそも給付保持を認める必要すらないことから,債務としては存在しないのと同様に評価することができる。そのため,新法においても,旧法と同様に,債権者は,既に反対給付債務を履行していたときには,不当利得として,給付したものの返還を請求することができると解される。」と,敷衍した解釈が表明されています(筒井=村松228頁(注3))。スイス債務法1192項においては,条文中に,不当利得の規定に従って返還すべき義務ありと明示されているところです。

 

20171226日の東京都議会オリンピック・パラリンピック及びラグビーワールドカップ推進対策特別委員会に東京都庁から提出された「IOC拠出金の払戻しに関する契約について」資料がインターネット上にあります。それによると,東京オリンピック組織委員会は,IOCが集めた放送権料中から850億円を拠出してもらう予定で,オリンピック開催中止となると,当該拠出金につき,拠出元たるIOCに返還をせねばならないことになっています。ただし,保険が付される予定でもあったようです。

 しかし,偶発的事由(Contingency Events)による開催中止の場合についての取決めであって,日本側の責めに帰すべき事由による中止の場合には,これだけ返せば後は知らない,というわけにはいかないように思われます。

 

Addendum III: Scenes of the Namamugi Incident

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The Deathplace of Richardson(力査遜)

[On the 14th September 1862…] Namamugi, where poor Richardson’s corpse was found under the shade of a tree by the roadside. His throat had been cut as he was lying there wounded and helpless. The body was covered with sword cuts, any one of which was sufficient to cause death. (Ernest Satow, A Diplomat in Japan. London, 1921)


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The Spot, where the incident happened.

[Richardson], in company with a Mrs Borradaile of Hongkong, and Woodthorpe C. Clarke and Wm. Marshall both of Yokohama, were riding along the high road between Kanagawa and Kawasaki, when they met with a train of daimiô’s retainers, who bid them stand aside. They passed on at the edge of the road, until they came in sight of a palanquin, occupied by Shimadzu Saburô, father of the Prince of Satsuma. They were now ordered to turn back, and as they were wheeling their horses in obedience, were suddenly set upon by several armed men belonging to the train, who hacked at them with their sharp-edged heavy swords. (Satow)

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“Restaurant for Satsuma Boys” (Namamugi, Yokohama)

With unfailingly sanguine appetite, Satsuma samurai are fearsomely formidable even after 160 years.

 

[On 15th August 1863…] About three quarters of an hour after the engagement commenced we saw the [British] flagship hauling off, and next the “Pearl” (which had rather lagged behind) swerved out of the line. The cause of this was the death of Captain Josling and Commander Wilmot of “Euryalus” from a roundshot fired from fort No.7 [of Kagoshima, Satsuma]. Unwittingly she had been steered between the fort and a target at which the Japanese gunners were in the habit of practising, and they had her range to a nicety. A 10-inch shell exploded on her main-deck about the same time, killing seven men and wounding an officer, and altogether the gallant ship had got into a hot corner; under the fire of 37 guns at once from 10-inch down to 18 pounders. (Satow)

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1 神州の清潔に対する脅威

 牧歌的運動会のグダグダもまた楽し(「A Spirit of St. Louishttp://donttreadonme.blog.jp/archives/1078569029.html)などと思ってしまう筆者は,やはり不謹慎・不真面目な人間なのでしょうか。安政五年,その年六月からのコレラ大流行を予見し給うてのことか(しかし,当該流行による江戸での死者は結局3万余人にすぎなかったそうですから(『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年)12頁),今般の新型コロナウイルス感染症が撒き散らしつつある空前絶後の兇悪に比べれば,大したことはありませんよね。),日米修好通商条約締結につきついに勅許を下し給うことのなかった孝明天皇の(かしこ)き御潔癖の如く(しかし,叡意を(なみ)する井伊直弼政権によって,1858729日,同条約及び貿易章程が調印されてしまっています。),多数の外国人らの渡来から我が神州の清潔を守るべく,日本のジャーナリズムの良心たる朝日新聞社の2021526日付け社説を始めとして,今年(2021年)夏の東京オリンピック開催を決然中止すべしとの声が現在澎湃として全国から沸き起こっています。(上記朝日新聞社社説によれば,「無観客にしたとしても,ボランティアを含めると十数万規模の人間が集まり,活動し,終わればそれぞれの国や地元に戻る。世界からウイルスが入りこみ,また各地に散っていく可能性は拭えない。/IOCや組織委員会は「検査と隔離」で対応するといい,この方式で多くの国際大会が開かれてきた実績を強調する。しかし五輪は規模がまるで違う。/選手や競技役員らの行動は,おおむねコントロールできるかもしれない。だが,それ以外の人たちについては自制に頼らざるを得ない部分が多い。」したがって「「賭け」は許されない」ということです。しかし,日本人特有の生真面目さをもってするマスク着用と手の消毒と外飲み禁止とによって新型コロナウイルスに対する我々の守りは既に鉄壁であったはずなのに,なぜ,数は多いといっても選手村等に隔離されて現地一般住民たる我々とはさほど接触は無いであろう外国人らの渡来を今更恐れなければならないのでしょうか。当局者が頑張れば,彼らを「おおむねコントロール」できるのでしょう。マスク着用も手の消毒も外飲み禁止も,実は単なる気休めで,何の効果もなかったのだよ,ということでしょうか。そういうことではないでしょうし,我が従順な日本の民草の「自制」には,安心して頼ることができるはずです(「自制」の軛を打ち破る叛逆の野性が超高齢化段階に達した我が民族にもまだあることが発見されれば,それはそれで結構なことです。それとも実は,現在の日本は,良識ある朝日新聞関係者を除く全国民(特に若者)が暴徒と化しており,全く「自制」せずにヒャッハーと新型コロナウイルスを放出撒布しつつある無法の巷状態にある,というのが正しい認識なのでしょうか。)。それに,大学での対面授業を禁じつつ学徒を大量動員し,ボランティアとしてオリンピックに献身奉仕させるということももう流行らないでしょう。であれば,選手村で兇悪な新型コロナウイルスに感染した選手らが帰国する先の諸外国にかかる迷惑が心配なのでしょうか。しかし,その心配は当該外国がすればよいことであって,心配ならば自国民のオリンピック参加をあらかじめ禁じ,又は対応可能な規模に参加者数を制限した上で帰国時に厳格な隔離・検査を行なえばよいだけのことのように思われます。とはいえ,そういう自存自衛のための配慮のできる国ないしは人は少ないのでしょう。やはり我々日本国民は,八紘一宇の精神をもって世界人類の幸福を考えなければなりません。)

 これに対して,しかし日本側が勝手にオリンピック開催を中止したら国際オリンピック委員会(IOC)に対して巨額の損害賠償金を支払わなければならないんじゃない,と懸念する声もあります。生麦事件等で多額の賠償金を支払わされたりなどした我が近代史上の対西洋列強トラウマは,なお根深いものがあるのでしょうか。懸念の声が上がるのはもっともです。しかし,懸念する良識の誇示ばかりで,具体的な事実関係は今一つはっきりしません。

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生麦事件碑(神奈川県横浜市鶴見区)

 

2 スイス民法・債務法

 この点,筆者は,良識的苦悩の思弁以前に具体的取材活動を元気に敢行する東京スポーツを極めて高く評価するところです。東スポWeb2021519日に掲載された「「東京五輪中止なら多額の賠償金」は本当? 判断基準スイス法の専門家は意外な見解」記事に,次のようにあったところです。

 

実は,開催都市契約の87条には「本契約はスイス法に準拠する」と明記されており,IOCのお膝元でもあるスイスの法律に答えが隠されているのだ。そこでスイス法に詳しい奧野総合法律事務所・外国法共同事業スイス連邦法弁護士のミハエル・ムロチェク氏を直撃した。

まず,同氏はスイス(ママ)法第971項「義務を全く履行しなかった債務者は,自分に過失がないことを証明できない限り,損害を賠償しなければならない」を示した。原則としては支払い義務を負うようだ。その一方で同氏は第1191項「債務者に帰責事由(落ち度)がない状況により履行が不可能になった場合,履行義務が消滅したとみなされる」を掲げる。つまり不可抗力の場合は支払いが免除されるのだ。

 

 つまり,専ら日本側によって東京オリンピック開催の中止がされた場合におけるIOC損害賠償請求は,開催都市契約を発生原因とする日本側の債務の不履行に対する損害賠償請求としてされるものであるわけです。我が民法(明治29年法律第89号)4151項には「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは,債権者は,これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし,その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは,この限りでない。」とあるところです。スイス債務法(Code des Obligations; Obligationenrecht971項のフランス語文は「Lorsque le créancier ne peut obtenir l’exécution de l’obligation ou ne peut l’obtenir qu’imparfaitement, le débiteur est tenu de réparer le dommage en résultant, à moins qu’il ne prouve qu’aucune faute ne lui est imputable.」,ドイツ語文は「Kann die Erfüllung der Verbindlichkeit überhaupt nicht oder nicht gehörig bewirkt werden, so hat der Schuldner für den daraus entstehenden Schaden Ersatz zu leisten, sofern er nicht beweist, dass ihm keinerlei Verschulden zur Last falle.」です。拙訳は,フランス語文については「債権者が債務の履行を受けることができないとき又は不完全にしか受けることができないときは,債務者は,その責めに帰すべき過失(faute)がないことを証明しない限り,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」,ドイツ語文については「義務の履行がおよそされ得ないとき又は適切に(gehörig)され得ないときは,債務者は,帰責事由(Verschulden)がないことを証明しない限り,これによって生じた損害を賠償しなければならない。」です。

 スイス法といっても我が民法と似たようなものであるなぁ,という感想を持たれませんでしょうか。スイス民法及び同債務法について,我妻榮は次のように紹介しています。

 

  〔略〕欧洲大陸では,第18世紀末から第19世紀の初めにかけて,国家の中央権力の強大と自然法論の隆盛とによって,民法典編纂の気運が大いに勃興し,大民法典があいついで編纂された,そして,その産物のうち,1804年のフランスの「ナポレオン法典」(以後フ民何条として引用する)は,今日なお効力を有し,その後第19世紀の末尾1896年に編纂されたドイツ民法典(以後ド民何条として引用する)及び第20世紀初頭1907年のスイス民法典(以後ス民何条として引用する)(債権法については1911年のスイス債務法(以後ス債何条として引用する))とともに,今日における代表的な大民法典である。

   これらの民法典の法思想史上における地位を一言すれば,フランス民法典は,第18世紀の個人主義的法思想の結晶であるが,ドイツ民法典は,第19世紀の総決算として,個人主義思想の爛熟を示すものということができるであろう。そして,日本民法もまたこれらとその思想と同じくし,むしろ後者に近い。これに対し,第20世紀初頭のスイス民法典は,フランス,日本,ドイツの3民法典に比すれば,個人主義思想のうちに社会本位の思想の萌芽が現れてくることを示すものである。本書においては,必要に応じてこれらの法典を引用する。

  (我妻榮『新訂 民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)7-8頁)

 

要は,スイス民法・債務法は,フランス民法及びドイツ民法と共に,日本民法の仲間なのです。フランス語及びドイツ語併用という点では,スイス民法学は,フランス法及びドイツ法学の影響を共に受けた我が国の民法学とあるいはよく似た情況にあるともいい得ましょうか。いずれにせよ,我妻榮の引用を通じて,その影響は何らかの形で日本の法律家に既に及んでいるはずです。外国法だ大変だ,と無暗矢鱈と緊張する必要はないでしょう。

 

3 スイス債務法1191項と我が債務転形論と

スイス債務法1191項の法文はフランス語文で「L’obligation s’éteint lorsque l’exécution en devient impossible par suite de circonstances non imputables au débiteur.」,ドイツ語文で「Soweit durch Umstände, die der Schuldner nicht zu verantworten hat, seine Leistung unmöglich geworden ist, gilt die Forderung als erloschen.」です。拙訳は,フランス語文について「債務は,債務者の責めに帰することのできない事情によってその履行が不能になったときは,消滅する。」,ドイツ語文について「債務者が責めを負わなくてよい事情によってその債務の履行が不可能になったときは,当該債権は消滅したものとする。」です。平成29年法律第44号によって挿入された我が民法412条の21項には「債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは,債権者は,その債務の履行を請求することができない。」とあります。従来は,「履行不能(〇〇〇〇)ノ如キ当然言フヲ俟タサル〔債権の〕消滅原因アリ新民法〔明治29年法律第89号〕ニ於テハ之ニ付テ別段ノ規定ヲ設クルノ必要ナシト認メタリ但此事ヲ前(ママ)シタル第415条,第534条乃至第536条等ノ規定アルヲ以テ自ラ明カナル所ナリ」とされていたところです(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編(第33版)』(法政大学=有斐閣書房・1912年)231頁)。

ところで,日本民法412条の21項には,債務者の責めに帰すべき事由によって履行不能となった場合も含まれます。これに対してスイス債務法1191項においては,債務者の責めに帰すべき事情によって履行不能となったときは,なお債務が存続するものとされています。この点,両者間にはアルプスの峻峰の如く越えがたい相違があるようにも見えます。しかしながら,我が民法415条に関して,従来,「債務不履行による損害賠償請求権は,本来の債権の拡張(遅延賠償の場合)または内容の変更(塡補賠償の場合)であって,本来の債務と同一性を有する。」と解されていたところです(我妻榮『新訂 債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)101頁)。この考え方(債務転形論)は,スイス債務法1191項と親和的です(同項は,債務者の責めに帰すべき事情によって債務の履行が不能になった場合には当該債務は損害賠償債務に転形されて存続するという意味である,というのが我妻榮的な読み方なのでしょう。)。ただし,この点については,平成29年法律第44号による改正によって,(非スイス的に,ということになるのでしょうか,)債務転形論は否定されたとされています(内田貴『民法Ⅲ(第4版)債権総論・担保物権』(東京大学出版会・2020年)146頁。「塡補賠償請求権が,本来の債務の履行を請求する権利と併存し,選択的に行使できる救済手段であることが明らか」になっているところです(民法41522号及び3号後段参照)。)。

 

4 開催都市契約87条:準拠法選択・仲裁合意

IOC並びに東京都,公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)及び公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(東京オリンピック組織委員会)の4者を当事者とする(日本国は当事者ではありません。)東京オリンピックの開催都市契約87条は,次のように規定しています(東京都オリンピック・パラリンピック準備局のウェブページに掲載されている日本語訳)。

 

  本契約はスイス法に準拠する。その有効性,解釈または実施に関するいかなる争議も,スイスまたは開催国における通常の裁判所を排除して,仲裁によって最終的に判断され,スポーツ仲裁裁判所のスポーツ仲裁規則に従いスポーツ仲裁裁判所によって決定される。仲裁はスイスのヴォー州ローザンヌで行われる。スポーツ仲裁裁判所が何らかの理由でその権限を否定する場合,争議はスイスのローザンヌにある通常裁判所で最終的に判断されるものとする。〔以下略〕

 

 開催都市契約の当事者間における当該契約に関する紛争は,スポーツ仲裁規則に従って,スイスのローザンヌを仲裁地とする仲裁廷によって解決されるわけです。東京都,JOC又は東京オリンピック組織委員会に対する損害賠償請求権をIOCに認める仲裁判断が出た場合,それに基づく民事執行をIOCが我が国内でしようとするときには,仲裁法(平成15年法律第138号)46条の執行決定を(大方の場合)東京地方裁判所(同条4項,同法513号)から得なければなりません(同法451項,民事執行法(昭和54年法律第4号)226号の2)。スイス法に基づく仲裁判断であれば,我が国の公の秩序又は善良の風俗に反するもの(仲裁法4529号)として我が国の地方裁判所によって却下されること(同法468項)は,まあないのでしょう。なお,IOCは,我が国では外国法人として認許されませんが(民法351項。澤木敬郎=道垣内正人『国際私法入門(第8版)』(有斐閣・2018年)164頁),執行決定の申立て及び民事執行の申立ては可能です(仲裁法10条・民事執行法20条,民事訴訟法(平成8年法律第109号)29条)。

 

5 スイス債務法における損害賠償の範囲及び損害額の認定

 債務不履行による損害賠償の範囲については,我が民法はその第416条において規定しており,これは英国の判例法を継受したものです(「「直接損害」の謎に迫る」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1068320185.html)。これに対して,大陸法の正嫡ならむスイス債務法の規定はどうかといえば,その第99条に次のようにあります。

 フランス語文。

 

En général, le débiteur répond de toute faute.

Cette responsabilité est plus ou moins étendue selon la nature particulière de l’affaire; elle s’apprécie notamment avec moins de rigueur lorsque l’affaire n’est pas destinée à procurer un avantage au débiteur.

Les règles relatives à la responsabilité dérivant d’actes illicites s’appliquent par analogie aux effets de la faute contractuelle.

  (一般的に,債務者は,全ての過失(faute)について責任を負う。

  (当該責任の範囲は,事件の特性に応じて伸縮する。特に,債務者が特典を得るためのものに係るものでない事件の場合においては,それは,厳格性を減じて評定される。

  (不法行為から生ずる責任に関する規定が,契約に係る過失の効果について準用される。)

 

 ドイツ語文。

 

   Der Schuldner haftet im Allgemeinen für jedes Verschulden.

Das Mass der Haftung richtet sich nach der besonderen Natur des Geschäftes und wird insbesondere milder beurteilt, wenn das Geschäft für den Schuldner keinerlei Vorteil bezweckt.

Im übrigen finden die Bestimmungen über das Mass der Haftung bei unerlaubten Handlungen auf das vertragswidrige Verhalten entsprechende Anwendung.

  (債務者は,一般的に,全ての帰責事由(Verschulden)について責任を負う。

  (責任の量(Mass)は,行為の特性に従って評定され,かつ,行為が債務者にとっての利益(Vorteil)を目的とするものでないときは,特に,よりゆるやかに判断される。

  (その他不法行為における責任の量に関する規定が,契約違反行為について準用される。)

 

「不法行為から生ずる責任に関する規定」ないし「不法行為における責任の量に関する規定」とは,スイス債務法42条及び43条がそうでしょうか。

スイス債務法421項及び2項は,次のとおり(同条3項は省略)。

フランス語文。

 

La preuve du dommage incombe au demandeur.

Lorsque le montant exact du dommage ne peut être établi, le juge le détermine équitablement en considération du cours ordinaire des choses et des mesures prises par la partie lésée.

  (損害の立証責任は,原告に属する。

  (損害の正確な総額が立証できないときは,裁判官が,事物の通常の成り行き及び被害者によってとられた処置を考慮して,衡平をもって(équitablement)当該額を定める。)

 

 ドイツ語文。

 

   Wer Schadenersatz beansprucht, hat den Schaden zu beweisen.

Der nicht ziffernmässig nachweisbare Schaden ist nach Ermessen des Richters mit Rücksicht auf den gewöhnlichen Lauf der Dinge und auf die vom Geschädigten getroffenen Massnahmen abzuschätzen.

  (損害賠償を請求する者は,損害を証明しなければならない。

  (数額を明らかにできない損害は,事物の通常の成り行き及び被害者によってとられた処置を考慮し,裁判官の裁量(Ermessen)によって評定される。)

 

 スイス債務法431項は,次のとおり(同条2項及び3項は省略)。

 フランス語文。

 

   Le juge détermine le mode ainsi que l’étendue de la réparation, d’après les circonstances et la gravité de la faute.

  (損害賠償の方法及び範囲(l’étendue)は,過失(faute)に係る事情及び重さに応じて,裁判官が定める。)

 

 ドイツ語文。

 

   Art und Grösse des Ersatzes für den eingetretenen Schaden bestimmt der Richter, der hiebei sowohl die Umstände als die Grösse des Verschuldens zu würdigen hat.

  (生じた損害に係る賠償の方法及び大きさ(Grösse)は,裁判官が定める。この場合において,当該裁判官は,帰責事由(Verschulden)に係る事情及び大きさを衡量しなければならない。)

 

スイス債務法422項は,我が民事訴訟法248条(「損害が生じたことが認められる場合において,損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときは,裁判所は,口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき,相当な損害額を認定することができる。」)を想起せしめます。前者は,後者の適用において参考となるというべきでしょうか。

スイス債務法431項は,損害賠償の範囲ないしは大きさ(l’étendue de la réparation Grösse des Ersatzes)について,我が国でいうところの相当因果関係に係る相当性の内実を示唆するものでしょうか。過失ないしは帰責事由の事情及び重さ(les circonstances et la gravité de la faute; sowohl die Umstände als die Grösse des Verschuldens)を考慮すべき要件としていますから,いわゆる義務射程=保護範囲説に親和的であるようです。

東京オリンピック開催を自ら中止してしまった場合,東京都,JOC又は東京オリンピック組織委員会としては,まず,「その責めに帰すべき過失がないことを証明」すべく頑張るわけですが(スイス債務法971項。なお,仲裁地たるローザンヌはフランス語圏内ですので,以下スイス債務法の紹介はフランス語文に拠ります。),当該立証がうまくいかなかったときは,損害賠償額の減額を狙って,「いやいや,オリンピックはそもそも非営利目的の催しのはずですし,我々も金儲けのためにやっていたわけではありません。」と主張するものか(同法992項参照),あるいは「良識あり,かつ,年齢を重ねて命(自己のものを含む。)をいとおしむようになった,知的容姿のwoke的端麗を好む日本国民の間に絶大な影響力を有する天下の大朝日新聞に「やめろ!」と言われてしまった,という深刻な事情を酌んでくださいよぉ。」と泣きを入れるものか(同条3項によって準用される同法431項参照)。

 

後編に続く(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078653594.html

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