1 はじめに
前日(2022年8月10日)掲載のブログ記事「国葬及び国葬令並びに国葬儀に関して」において,国葬対象者の死亡が国会開会中であったとき,その国葬費の手当ては予備費からの支出でよいのか,国会の予算議定権を尊重して補正予算の提出・議決の方途を執らなければならないかの問題に逢着したところです((中)の9エ)。
(上)大日本帝国憲法下の国葬令:
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079865191.html
(中)日本国憲法下の国葬令:
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079865197.html
(下)吉田茂の国葬儀の前例及びまとめ:
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079865200.html
本稿ではつい,前稿では敬遠していた, 畏き辺りの大喪の礼等に係る前例を見てみましょう。
2 昭和天皇の大喪の礼
1989年1月7日に崩御した昭和天皇に係る同年2月24日に行われた大喪の礼の経費は,当時は第114回通常国会の会期(1988年12月30日から1989年5月28日まで)中でありましたが,予備費から支出されています。帝国議会の協賛を経た昭和22年法律第3号たる皇室典範の第25条に「天皇が崩じたときは,大喪の礼を行う。」とあるので,昭和29年4月16日閣議決定「予備費の使用について」以来の閣議決定における予備費支出可能4項目中の「法令又は国庫債務負担行為により支出義務が発生した経費」ということで,補正予算の提出・議決の方途を採ることなく,予備費からの支出がされたものと考えられます。
当該予備費支出は,1991年の第122回国会に至って国会の承諾を得ていますが,その際問題となったのは昭和天皇武蔵野陵の鳥居の建設費が予備費から出たのはけしからぬ(日本社会党(第122回国会衆議院決算委員会議録第2号19頁(時崎雄司委員)及び同国会参議院決算委員会会議録第2号30頁(村田誠醇委員))),「絶対主義的天皇制を権威づけることを目的として制定された旧皇室諸礼にのっとって行われた葬場殿の儀などを含む大喪の礼」等に関係する予備費支出は容認できない,また,陵は天皇家の私的なものであって,公的行事に使用する宮廷費(皇室経済法(昭和22年法律第4号)3条・5条)から支出されるのはおかしく,憲法の政教分離原則にも反する(日本共産党(第122回国会衆議院決算委員会議録第2号20頁(寺前嚴委員)及び同国会参議院決算委員会会議録第2号30頁(諌山博委員)))というようなものでした(なお,陵墓についても,法律たる皇室典範の第27条において規定されています。)。補正予算の提出・議決によらなかったこと自体は問題視されていません。
3 節子皇太后(貞明皇后)の「大喪儀」
昭和天皇の母・節子皇太后(貞明皇后)の崩御(1951年5月17日)も第10回通常国会の会期(1950年12月10日から1951年6月5日まで)中でしたが,その喪儀の経費は予備費から支出されました。当該予備費支出は,1952年,第13回通常国会で承諾されています。
1952年4月15日の衆議院決算委員会において,井之口政雄委員から「〔昭和〕26年度の分を見てみますと,皇室費として大分出ておるようであります。多摩東陵の分とか,皇族に必要な経費というようなものが,たくさんでておるようでありますが,こうした費用は,一般予算の中からまかなえるものではないでしょうか。冠婚葬祭について,官吏にしたところで,別にだれしも政府から特別の支給は受けておりません。こういう皇室費は,皇太后の葬儀に必要な経費その他陵の造営等についての経費が出ておりますが,こうした修理費とかいうものも,予備費からいつも出すような仕組みになっておるのですか。」との質疑がありました(第13回国会衆議院決算委員会議録第10号3頁)。これに対する東條猛猪政府委員(主計局次長)の答弁は,「宮廷費にいたしましても,天皇が国の象徴としてのお立場におきましての必要経費でありますが,それらの経費につきましても,きわめて金額は切り詰めたものになつております。従いまして,この予備費の内容でごらんをいただきますように,当初予算の編成にあたつて予想いたしておりません皇太后陛下の崩御せられたという場合におきましては,この大喪儀に必要な経費でありますとか,あるいは多摩東陵を造営いたしますような経費は,とうてい当初予算ではまかなえないわけでありまして,2千9百万円と3千何万円の予備金支出をいたしておるわけであります。」というものでしたが,Wikipediaでは「革命家」と紹介されている井之口委員から更に厳しい追及がされるということはありませんでした(同会議録第10号3-4頁)。
前記昭和29年4月16日閣議決定の前の時代ではありました。(なお,昭和27年(1952年)4月5日の閣議決定では,例外的に国会開会中も予備費の使用ができる場合は,大蔵大臣の指定する経費の外,①事業量の増加などに伴う経常の経費,②法令又は国庫債務負担行為により支出義務が発生した経費及び③その他比較的軽微と認められる経費だったそうです(大西祥世「憲法87条と国会の予備費承諾議決」立命館法学2015年4号(362号)15-16頁)。)
貞明皇后多摩東陵(東京都八王子市)
4 大正天皇の大喪儀
以上,その妻及び長男の喪儀及び大喪の礼に係る経費の国庫負担については,予備費の支出といういわば捷径が採られたのですが,大正天皇自身の大喪儀に係る経費については,若槻禮次郎内閣総理大臣及び片岡直溫大蔵大臣の下,帝国議会に予算追加案を堂々提出してその協賛を得る(大日本帝国憲法64条1項)との正攻法が執られています。
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