Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

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1 保釈された外国人被告人の逃亡に係る罪

 

(1)「主権干犯」論

 刑事事件で公訴を提起された外国人が保釈されていたところ,その間我が国の入国審査官の知らぬうちに我が国から出国してその出身国に戻ってしまうということは,我が国の主権を干犯するとんでもない大罪である,というような議論があるようです。

 しかし,罪刑法定主義(大日本帝国憲法23条)からすると,「大罪」の具体的な根拠条文の指摘が欲しいところです。当該外国人の当該行為は,どのような罪に該当するのでしょうか。

 

(2)逃走の罪の不成立

 刑法に逃走罪ってのがあったからそれだよね,というわけにはいきません。

 刑法(明治40年法律第45号)の第6章(第97条から第102条まで)の逃走の罪においてその逃走が問題になる者は,①裁判の執行により拘禁された既決若しくは未決の者(同法97条),②勾引状の執行を受けた者若しくは①の者(同法98条)又は③法令により拘禁された者(同法99条から第101条まで)です(なお,同章の罪の未遂は罰せられます(同法102条)。)。保釈された者は,勾留による拘禁から正に解放された状態にあるので,本件帰国外国人は刑法第6章の罪を犯したことにはならないようです。

 

(3)入管法71条・25条2項(確認を受けざる出国既遂)

 入国審査官の知らぬうちに我が国から出国してしまったということは,出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号。以下「入管法」といいます。)252項に違反して出国した者として,同法71条によって1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金に処され,又はその懲役若しくは禁及び罰金が併科されることになります。

 入管法25条は,次のとおり。

 

   (出国の手続)

25条 本法外の地域に赴く意図をもつて出国しようとする外国人(乗員を除く。次条において同じ。)は,その者が出国する出入国港において,法務省令で定める手続により,入国審査官から出国の確認を受けなければならない。

2 前項の外国人は,出国の確認を受けなければ出国してはならない。

 

 入管法251項の出国の確認は,原則として,旅券に出国の証印をしてされます(出入国管理及び難民認定法施行規則(昭和56年法務省令第54号)274項。昭和56年法律第85号による改正前の入管法25条は,「旅券に出国の証印を受けなければならない」及び「旅券に出国の証印を受けなければ出国してはならない」とのみ規定していました。)。

 

2 外国人の本邦から出国する自由及びその制限に係る入管法25条の2

 

(1)外国人の本邦から出国する自由

 「外国人は本来,本邦から出国する自由,自国に帰る自由を有しているのであり,出国の確認は,出国しようとする外国人が本邦外の地域に赴く意図をもって出国するという事実を「確認」する行為であり,許可ではない。ただし,第25条の2の規定により出国確認の留保を受けることがある。」と説かれています(多賀谷一照=高宅茂『入管法大全――立法経緯・判例・実務運用――第1部 逐条解説』(日本加除出版・2015年)406頁)。

市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年条約第7号)122項は「すべての者は,いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができる。」と規定しています。ただし,同条3項には「〔略〕2の権利は,いかなる制限も受けない。ただし,その制限が,法律で定められ,国の安全,公の秩序,公衆の健康若しくは道徳又は他の者の権利及び自由を保護するために必要であり,かつ,この規約において認められる他の権利と両立するものである場合は,この限りでない。」とあります。

 

(2)入管法25条の2

 入管法25条の2の出国確認の留保制度は,市民的及び政治的権利に関する国際規約123項の法律で定められた出国の自由の制限に係るものということになります。

 

   (出国確認の留保)

  第25条の2 入国審査官は,本邦に在留する外国人が本邦外の地域に赴く意図をもつて出国しようとする場合において,関係機関から当該外国人が次の各号のいずれかに該当する者である旨の通知を受けているときは,前条〔第25条〕の出国の確認を受けるための手続がされた時から24時間を限り,その者について出国の確認を留保することができる。

   一 死刑若しくは無期若しくは長期3年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪につき訴追されている者又はこれらの罪を犯した疑いにより逮捕状,勾引状,勾留状若しくは鑑定留置状が発せられている者

   二 禁錮以上の刑に処せられ,その刑の全部につき執行猶予の言渡しを受けなかつた者で,刑の執行を終わるまで,又は執行を受けることがなくなるまでのもの(当該刑につき仮釈放中の者及びその一部の執行猶予の言渡しを受けて執行猶予中の者を除く。)

   三 逃亡犯人引渡法(昭和28年法律第68号)の規定により仮拘禁許可状又は拘禁許可状が発せられている者

2 入国審査官は,前項の規定により出国の確認を留保したときは,直ちに同項の通知をした機関にその旨を通報しなければならない。

 

 入管法25条の2の規定は,昭和56年法律第85号による入管法改正によって新設されたものです。しかしこれは反対解釈すると,入管法25条の2が設けられるまでは,保釈中の外国人刑事被告人が大きな箱の中に隠れたりなどせずに堂々と入国審査官に対して旅券に出国の証印をする手続を求めた場合においては,当該入国審査官としては当該外国人さまの出国の自由を妨げることはできず,淡々と,本邦外の地域に赴く意図をもって出国しようとするのですねと確認してその旅券に出国の証印をして,当該外国人を出国せしめていたということになります。神州の清潔を穢す不良外国人については,自分から出て行きたいというのならば,刑事訴訟などという面倒な手続の終了を待たずに自費でとっとと出て行ってもらえばかえってすがすがしくてよいではないか,あとは塩でも撒いておけ,とそれまでは判断されていたもののようです。我が国の主権干犯の大問題など,どこ吹く風です。

 

  出国確認の留保制度の創設は,重要な犯罪について訴追されている等の外国人について,関係機関から通知があったときは,出国の確認を受けるための手続がされたときから24時間を限り出国確認の手続を留保することができることとしたもので,出国の確認の手続を留保することにより,重要な犯罪について訴追されている等の外国人の国外逃亡を防止し,刑事手続等が適正に実行され得るようにしたものである。本来,外国人の在留管理の面だけから見れば,このような外国人は国外に退去させられるべきであるから,出国することを止める理由はないということにもなるが,刑事司法の適正な運用を確保する必要性との調和の上に立って本制度が設けられたのである。(多賀谷=高宅409頁注113)の引用する「昭和61年度入管白書」13頁。下線は筆者によるもの)

 

「入国審査官が出国を留保できるのは24時間が限度であり,関係機関は24時間以内に逮捕等の所要の措置を執ることが必要である。24時間経過後に,その外国人が当該出入国港から再度出国しようとする場合に,再度の出国確認の留保をすることはできない」そうです(多賀谷=高宅410頁)。なかなか忙しい。年末年始などは迷惑でしょう。「死刑又は無期若しくは長期3年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪について起訴されている外国人について,海外渡航を禁止する旨の条件を付して保釈を許可した場合〔刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)933項参照〕には,24時間を限度として出国確認留保の手続ができる(入管法25条の2)。この場合には,出国確認留保通知依頼書を対応する検察庁の検察官に送付するのが実務上の取扱いであるが(昭和561225日付け最刑二第260号最高裁刑事局長・同家庭局長通達「外国人被告人の出国確認留保の通知に係る事務の取扱いについて」に詳しい運用が記載されている),出国確認の留保は当然には身柄の拘束を伴わないので,直ちに身柄を拘束できるようその運用に留意しなければならない。」とは,裁判官側からの観察です(大島隆明「外国人被告人の保釈」『新実例刑事訴訟法Ⅱ』(青林書院・1998年)175頁)。入国審査官が出国留保と共に「直ちに」検察官に通報を行い(入管法25条の22項),当該通報を受けた検察官は裁判所又は裁判官(刑事訴訟法280条)に保釈の取消しを請求し(同法9615号・2号),当該裁判所又は裁判官は決定又は命令をもって保釈を取り消し(同項柱書き。ただし,「取消事由があっても,取り消すかどうかは裁量による」ものとされています(松本時夫=土本武司編集代表『条解刑事訴訟法第3版増補版』(弘文堂・2006年)165頁)。),かつ,裁判書の謄本を検察官に送付し(刑事訴訟規則(昭和23年最高裁判所規則第32号)361項本文),検察官の指揮(裁判書の謄本に検察官が認印をします(刑事訴訟法473条ただし書)。)により検察事務官,司法警察職員又は刑事施設職員が勾留状の謄本及び保釈を取り消す決定の謄本を被告人に示してこれを刑事施設に収容する(同法98条)という手続の流れとなります。

「出国確認の留保は当然には身柄の拘束を伴わない」のですから,出国確認の留保中は,当該外国人は自由にその場を離れることができる建前のようです(ただし,出国はできないのはもちろんです(入管法252項)。)。

 

3 入管法71条・25条2項(確認を受けざる出国を企てた場合)と現行犯逮捕

それでは,堂々と出国の確認を受ける手続によらずに,見つからないように大きな箱の中に入ってこっそり出国しようとして出国前に発覚した場合はどうなるかといえば,現行犯逮捕によって身柄が拘束され得ます(刑事訴訟法213条)。すなわち,当該残念な外国人は,入管法252項の規定に違反して「出国することを企てた者」として,1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金に処され,又はその懲役若しくは禁及び罰金が併科される犯罪者となるからです(同法71条。現行犯逮捕ができる場合が制限される刑事訴訟法217条の軽微事件には当たりません。)。

「「出国することを企てた者」に当たる場合としては,例えば,密航用船舶を用意して出国しようとした場合などがある。」とされています(多賀谷=高宅715頁)。

ちなみに,入管法71条・252項で現行犯逮捕されても,それだけでは退去強制事由には該当しないようです(同法24条参照)。

 

4 旅券の取上げ

なお,パスポートなんぞ遠慮会釈なく取り上げておけ,と直情径行に言う前に,やはり考えねばならないことがあります。

「海外渡航禁止の保釈条件を実効あらしめるために,旅券を大使館や検察庁,裁判所に事実上預けさせたり,あるいはこれを保釈条件とした例もあったようであるが,外国人には旅券の常時携帯義務があり(入管法231〔なお,同項各号に掲げる者については,旅券ではなく当該各号に定める文書〕),その違反の処罰規定もあるから(同法76条),裁判所が積極的に違法行為を命じるような条件を設定すべきではない。このような保釈条件を付けられるのは,〔在留カード〕を有している外国人に限られよう(入管法231項ただし書〔略〕)。」とのことです(大島175頁)。ただし,日本に長くいてその間悪いことをした外国人は,当然その長期在留に伴う在留カードを有しているものでしょう(入管法19条の3参照)。

 

5 特別背任罪及び重要事項虚偽記載有価証券報告書提出罪の入管法25条の2第1項1号適合性及び権利保釈非排除性

 

(1)入管法25条の2第1項1号適合性

入管法25条の211号にいう「死刑若しくは無期若しくは長期3年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪」に,取締役等の特別背任罪は該当します(会社法(平成17年法律第86号)96013号。10年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金又はこれの併科)。重要な事項につき虚偽の記載のある有価証券報告書提出の罪も同様です(金融商品取引法(昭和23年法律第25号)19711号。10年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金又はこれの併科)。

 

(2)権利保釈非排除性

ただし,特別背任罪も重要事項虚偽記載有価証券報告書提出罪も,死刑又は無期若しくは短期1年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪ではないので(有期懲役は1月以上(刑法121項)),「保釈の請求があったときは,必ずこれを許さなければならない」権利保釈(平野龍一『刑事訴訟法』(有斐閣・1958年)161頁)はなお可能です(刑事訴訟法891号参照)。

権利保釈の観念は,アメリカ法の影響のもとに導入されたものとされています(松尾浩也『刑事訴訟法(上)補正第三版』(弘文堂・1991年)193頁)。権利保釈が権利保釈であるゆえんは,逃亡の恐れがあっても権利保釈は許されるということです。これについては,「逃亡のおそれは,権利保釈の除外事由として掲げられていない。これは,保釈が逃亡を防止する制度である以上当然である〔刑事訴訟法932項は「保証金額は,犯罪の性質及び情状,証拠の証明力並びに被告人の性格及び資産を考慮して,被告人の出頭を保証するに足りる相当な金額でなければならない。」と規定〕。しかし,保証金の没取という経済的利益の喪失という威嚇によって出頭を強制できるのにも限度があることは否定できない。したがって,保釈は万能ではなく,これに代わるものまたはこれを補充するもの,が考えられなければならない。法が認めている勾留の執行停止も,その一つの方法であり,さらに,観察付釈放などの制度も考慮すべきであろう。」とつとに説かれています(平野164頁注(1))。

 

6 アメリカ法における保釈及びその歴史

保釈は,「身柄拘束による出頭確保を金銭的負担による出頭確保で代えるという発想に基づき,英米法で発達をみた」ものです(田宮裕『刑事訴訟法(新版)』(有斐閣・1996年)257頁)。英米法においては「被告人の犠牲回避という原理の問題のほか,一般納税者の負担で不必要に施設にとめおく理由はないという議論もある」そうで,また,「アメリカでは逮捕後,裁判官のもとへ引致されると直ちに保釈されうるが,保証会社(裁判所に窓口がある)が手数料をとって保証金を代納するという制度が高保釈率を支えている。しかし,高額の手数料の負担が保釈を困難にするという現実もあり,最近は自己誓約による釈放という制度が広がりをみせる傾向がある。」とのことです(田宮260頁注(1)。また,松尾194-195頁注*)。

保釈の歴史について,後に米国連邦最高裁判所判事となるホームズ(Oliver Wendell Holmes Jr.)は,契約の歴史を説く際に言い及んでいわく。

 

 しかし,〔保証に関して〕より顕著な例は,昔の法律の多くにおいて繰り返されているルールの中に見出されます。すなわち,不正のかどで訴追された被告は,担保(security)を提供するか,しからざれば収監されなければならないということです。この担保は,昔の時代の人質(the hostage of early days〔例えば,ボルドーのユオン(Huon of Bordeaux)がカール大帝(在位768-814)から課された無理難題の解決に取りかかるに当たって同帝に人質として提供した部下の騎士12名のごとし。〕でしたが,後に刑事訴訟と損害賠償訴訟とが相互に分離されてからは,刑事法の保釈保証人(bail)となりました。その責任は,保釈保証人が自己の身体を保証債権者の権力に(into the power of the party secured)現実に委ねたときと同様のものとして依然として理解されていました。

  サリカ法に対するカール大帝の追加条項の一つは,保証(surety)として他人の権力にその身を委ねた自由民について語っています。当該文言は,ヘンリー1〔在位1100-1135のイングランド法中にコピーされています。これが何を意味したかは,我々はボルドーのユオンの話において見たところです〔ユオンが命令に違背したと信じたカール大帝は,人質の騎士たちを吊るし首にしようとしました。また,ユオンの命令違背の有無を判断するための決闘は,ユオン及び弾劾者側のそれぞれがまず友人を人質として提供するところから始められました。〕。司法官の鑑(The Mirror of Justices)の伝えるところによれば,カヌート王〔在位1016-1035は本人(principals)が判決公判に出頭しなかった場合には出廷保証人(mainprisors)をそれにより本人として裁いていたそうですが,ヘンリー1世はカヌートのルールの適用を事実について同意している出廷保証人に限定しました。

  エドワード3〔在位1327-1377の治世まで時代が下っても,イングランドの裁判官であるシャード(Shard)は,現在も同様であるところの当該法律について,保釈保証人は被収監者の管理人(keepers)であり,及び被収監者が逃亡したときは訴追されるべきものであると論じた後に,保釈保証人は被収監者に代わって吊るし首となるべしと言われている,と述べています。これは,同様の事案における獄吏(jailer)に係る法でありました。この古来の観念は,重罪に係る保釈保証人の役割について現在の著者たちによって依然として与えられている説明の方法に痕跡をとどめています。彼らは「身体に身体をもって」(“body for body”)結び付けられているのであり,そして現代の法律書は,このことは本人である被告人が出頭しなかった場合に保釈保証人をしてその刑罰を受けるべきものとするものではなくて彼らは罰金(fine)の責任のみを負うのである,と述べなくてはならないこととなっています。当該契約は,成立(execution)の形式においても我々の現代的観念とは異なっていました。当該形式は,当該官吏の面前で責任を厳粛に認めることのみ(simply a solemn admission of liability)でした。保釈保証人の署名は必要ではなく,かつ,保釈される者が契約当事者として自らをそこに結び付けることは必要とされていませんでした。

  しかし,これらの特異点は制定法によって変更され,又は取り除かれていますし,私が本件についてお話したのは,他の全ての種類のものと異なる特殊な契約類型としてというよりは,その起源に係る歴史が我々の法における契約の最初の出現の一例を示すものであったからであります。それは,いざ身柄の提供を求められる場合となったときにおける人質の名誉心に対する信頼(faith in the honor of a hostage)の漸進的高まり及びそれに伴う現実に収監することの緩和に遡って跡付けられるものです。どういうものかということは,被収監者自身に係る併行の取扱い(the parallel mode of dealing with the prisoner himself)を見ることによってよく分かるでしょう。彼の保釈保証人は――同人に彼の身体は引き渡されたものと観念されておりますが(whom his body is supposed to be delivered)――いつでもどこでも彼の身柄を確保する権利(a right to seize him)を有しています,しかし彼は身柄提供の時までは自由(is allowed to go at large)なのです。この形の契約は,十二表法のローマ法によって規律された負債と同様に,そして違った手続によってではあるものの同様の動機でもって,契約当事者の身体を最終的満足のための引当てにしているということが,お分かりになるでしょう。(Holmes. The Common Law (1881). Cambridge, Mass.: The Belknap Press of Harvard University Press, 2009: pp.225-227

 

 なかなかうまく訳せなかったところですが,要は英米法における保釈は,元々は,三当事者(債権者,主たる債務者及び保証人)が登場する保証契約の起源に関係するものであったということのようです。

 

bailという言葉は,保護者,番人あるいは守備者を意味する,フランス語の『baile』に由来する。コモン・ローでは,告発された者は,その者が法執行官の管理から釈放されて,要求のあったときにその者を差し出すことを義務付けられる保証人の管理に委ねられたときに,保釈を認められると言われている。被逮捕者の釈放を獲得し,要求のあった時と場所に被釈放者が出頭することに対して責任を負う保証人は,被逮捕者又は被勾留者を自己の拘束下に引取り,そのようにして被疑者,被告人の裁判所への出頭に対して自らを束縛するが故に『baile』と呼ばれた。(木本強「アメリカ保釈制度の考察」早稲田法学会誌23号(19732月号)66頁)

 

 日本の刑事訴訟法942項及び3項は被告人以外の者による保証金の納付及び被告人以外の者の保証書の差し出しを認めていますが,これらの者は,金銭的損失のリスク負担を超えた「要求のあった時と場所に被釈放者が出頭することに対して責任を負う」までのことを厳格に求められてはいません。例えば,保証書を差し出した者については,「保証書を差し出した者は,保証金没取の裁判(96②③)があったときは,保証書記載の金額を納付すべき義務を負う。」とのみ説明されています(松本=土本162頁)。保釈請求に当たっては,「「被告人の身柄を引き受け,十分監督し,保釈許可の条件を堅く守らせ,お呼び出しのときはいつでも出頭させます」という趣旨を記載する」身柄引受書を併せ提出することが多いのですが,当該身柄引受書の名義人である身柄引受人についても,「法律上の責任を伴うものではないが,いわゆる道義的な責任はある」とのみ述べられています(松尾260頁)。保釈金の納付を要しない勾留の執行停止においては,「勾留されている被告人を親族,保護団体その他の者に委託」し(刑事訴訟法95条),当該親族,保護団体その他の者は「何時でも召喚に応じ被告人を出頭させる旨の書面」を裁判所又は裁判官に差し出すのですが(刑事訴訟規則90条),「しかし,出頭させなかったとき,委託を受けた者に対する制裁はない」ところです(平野164頁)。

 米国において保釈保証人が「要求のあった時と場所に被釈放者が出頭することに対して責任を負う」ということが強調される意味は,何と,保釈金の納付者は獄吏の権限を持つ準司法官であるという理論があり,かつ,それがなおも生きているということなのでした。確かに,前記のとおりホームズは,被収監者の身体は保釈保証人に引き渡されるものと観念されていると述べていました

 

  〔米国で〕個人の絶対的保釈権が認められたことは,アメリカという大国では実務上諸々の困難をもたらした。辺境の開拓地は,無罪を獲得する見込がなくて逃亡を企てる者を招き入れたからである。そこでこのような事態に対して裁判所側が最初に示した反応は,保釈金を与える者に対し,その者は獄吏の権限を持つ準司法官であり,被告人に対して責任を持たねばならないことを想起させることであった。しかしながら,私的な保証人が逃亡者を全国的に捜索することは不可能であったから,被告人を出頭させるとの保証人の約束は,次第に,被告人が出頭しなければ単に金銭を支払うという約束となっていった。ここに今日的な意味での保釈制度が成立していったことがうかがえる。(木本71-72頁)

 

1873年の米国連邦最高裁判所のTaylor v. Taintor, 83 U.S. 366 (1872)判決には,次の一節があります(371頁)。

 

  保釈が許可されたとき,被告人本人(the principal)は,彼の保証人ら(his sureties)の管理下に引き渡されたもの(delivered to the custody)とみなされる。彼らによる支配管理は,元の収監状態の継続である(Their dominion is a continuance of the original imprisonment)。彼らは欲するときにはいつでも,彼の身柄を確保し(seize him),及び義務の履行として彼を引き渡すことができる。しかして,それが直ちに行い得ない場合においては,彼らはそれができるときまで彼を拘禁すること(imprison him)ができる。彼らは,彼らの権利を自ら又は代理人(agent)によって行使することができる。彼らは,彼の追跡を他州に入って行うことができ,安息日に彼の身柄を確保することができ,及び必要なときは当該目的のために彼の住居に強制的に立ち入ること(break and enter his house)ができる。当該身柄確保は新たな手続としてされるものではない〔令状不要〕。そのような必要は全くない。逃走する被収監者の身柄を保安官が再逮捕することと同様である。

 

 「保釈の保証人となり,その報酬を依頼人から要求することを職とする保釈保証業者〔である〕ボンズマン〔bondsman〕は何時でも依頼人を逮捕しその身柄を当局に引渡すことのできる古典的な権利を有している。ボンズマンが探している保釈中失踪者が当該州を離れる場合には,ボンズマンは,逃亡者を捜索する法執行機関に要求される厳しい逃亡犯人引渡の条件に従う必要なしに失踪者を追跡し取り戻すことができる。」(木本72-73頁)との「古典的な権利」に関する古典的表明とされる判決文です。「彼らによる支配管理は,元の収監状態の継続である(Their dominion is a continuance of the original imprisonment)」ので,保釈保証人は司法官たる獄吏の権限をも引き継いでいるのだ,ということでしょう。しかも,その権限の行使は代理人(agent)によっても可能であるというところが更に荒っぽい。その結果,米国には,当該代理人たるバウンティ・ハンター(bounty-hunter。賞金稼ぎ)という職業が厳として存在しています。

 

 7 バウンティ・ハンター

 バウンティ・ハンター業に関するウェブ・サイト(https://www.bountyhunteredu.org)によれば,バウンティ・ハンターとは,簡単にいえば,ボンズマンに雇われて金銭的報酬と引換えに逃亡者を捜索逮捕する高度なプロフェッショナルであります。逃亡者を首尾よく逮捕して司直に引き渡すことができたときの報酬額は,当該逃亡者に係る保釈金額の10ないしは20パーセント相当額が相場であるようです(すなわち,保釈金額が15億円であれば,当該逃亡者狩りの成功報酬額は3億円くらいになるのでしょう。)。米国50州中でバウンティ・ハンター業務を禁じているのは4州(ウィスコンシン,ケンタッキー,オレゴン及びイリノイ)のみだそうで,「バウンティ・ハンターは今日,大多数の州においては免許又は登録制下にある専門職であり,保釈保証ビジネスにおいて,したがって全米の刑事司法システムにおいて,重要な役割を果たしています。彼らの役割は,州の保険庁及び他の許認可当局によって厳格に(closely)モニターされています。」,「バウンティ・ハンティングは,米国において,真っ当かつ尊敬される職業(accepted and respected profession)となっています。」と高らかに謳われています。全米におけるバウンティ・ハンターの平均年間報酬受領額は約47000ドルであるとされています。

 全国逃亡者再確保業協会(National Association of Fugitive Recovery Agents)というバウンティ・ハンターの全米業界団体がデラウエアにありますが,その一部門である全国保釈保証執行業協会(National Association of Bail Enforcement Agents)の試算によれば,保釈からの逃亡者の90パーセント近くは再確保されているそうです(“Delivery men”, The Economist, September 1st, 2016)。一見なかなかの数字であるように思われますが,現場の実態はどうなのでしょうか。

 バウンティ・ハンターは,防弾チョッキ,胡椒(ペッパー)スプレー,テーザー(長い電線の先につけた矢を発射する武器。電撃ショックを与える。),ハンドガンお手玉弾(ビーンバッグ)(暴徒鎮圧用に砂などの小散弾をキャンス袋に詰めたもの)の装填されたショットガン等を猛々しく装備しているばかりではなく,顔認証や各種データベース・サービスのような最新の情報通信技術を利用すると共に自らの狡知をも発揮して,逃亡者の子供やパートナーをペテンにかけてその居場所を探知し,逃亡者の睡眠中,不用意であるとき,スーパーマーケットをちょうど出て来て両手がふさがっているとき火器持込禁止のカジノに遊んでいるとき襲い更には宅配便の配達員を装って逃亡者宅を訪問したりするそうです(“Delivery men”参照)。正に,米国の刑事司法のrough justiceたることがここに躍如としています。

 

8 レーグルス対カルターゴー人

 我々高潔な日本人にとっては,保釈といえば,前3世紀・第一次ポエニ戦争中の古代ローマ共和国の執政官であったレーグルスの気高い事績が思い起こされるばかりです。

 

  Marcus Regulus, imperator populi Romani, captivus apud Carthaginienses fuit. Qui cum sibi mallent a Romanis suos reddi quam eorum tenere captivos, ad hoc impetrandum etiam istum praecipue Regulum cum legatis suis Romam miserunt, prius juratione constrictum, si quod volebant minime peregisset, rediturum esse Carthaginem. Perrexit ille atque in senatu contraria persuasit, quoniam non arbitrabatur utile esse Romanae rei publicae mutare captivos. Nec post hanc persuasionem a suis ad hostes redire compulsus est, sed quia juraverat, id sponte complevit. At illi eum excogitatis atque horrendis cruciatibus necaverunt. Inclusum quippe angusto ligno, ubi stare cogeretur, clavisque acutissimis undique confixo, ut se in nullam ejus partem sine poenis atrocissimis inclinaret, etiam vigilando peremerunt. (Augustinus. I. 15, De Civitate Dei)

(ローマ人の最高司令官であるレーグルスは,カルターゴー人の捕虜であった。彼らは,ローマ人から彼らの同胞を彼らのもとに返してもらうことの方がローマ人の捕虜を抑留していることよりもよいと思っていたので,そのことを達成すべく,特にそのレーグルスを,彼らの望むところが達成されなければカルターゴーに戻って来るべしとの誓約をあらかじめさせた上で,更に彼らの使節らと共にローマに送った。(レーグルス)出頭たが捕虜交換はローマ共和国の国益にならないと考えていたので,元老院反対論もって説得した。当該説得の後,敵のもとに戻ることを同胞から強いられはしなかったが,誓約をしたのであるところから,彼は自らの意思でそのように身を処したしかし彼ら(カルターゴー人)は,新工夫かつ恐ろしい拷問をもって彼を殺害した。その中では起立していることを強いられ,かつ,とがった釘によってあらゆるところから刺し貫かれていて,残酷な傷害を被ることなしに体を傾けることのおよそできない実に狭い木箱の中に閉じ込められた彼を,更に不眠によって絶命させたのである。(アウグスティヌス『神の国』I.15))

 

いやいや,レーグルスはカルターゴーを出国しても再びカルターゴーに戻りますと誓約しましたけれども,保釈される被告人については,日本の刑事訴訟法及び刑事訴訟規則の文言においては必ず出頭しますとの誓約は要求されていないんであって〔治罪法(明治13年太政官布告第37号)210条及び旧々刑事訴訟法(明治23年法律第96号)150条においては保釈される被告人に「何時ニテモ呼出ニ応シ出頭ス可キ(ノ)証書ヲ差出」すことを求めていましたが,旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)となってからは当該証書の差し出しを求める規定が消えています。〕,保釈金が没取(これを「没収」と書いてしまう日本のマスコミ人士は,日本出国の自由を行使しただけの外国人に対する批判に雷同する以前に,自国の重要法律についてすら不勉強であることを暴露していますね。)されると困るので被告人は結局裁判所に出頭するということが確保されるだけの十分に高い保釈金額を裁判所又は裁判官が賢明に設定すればよかっただけではないのではありませんかね(刑事訴訟法932項参照),それに,レーグルスは馬鹿正直にカルターゴーに捕虜になりに戻って残忍なやり方で殺されてしまったけれども,全くもってくわばらくわばらですよ,差別と偏見の日本の人質司法もカルターゴーの捕虜取扱いに負けず劣らず野蛮で恐ろしいですからね,命と自由とがあっての物種ですよ――などとくだんの逃亡外国人被告人が,世界に向かってべらべらと「グローバル・エリート」風に屁理窟をこねると,我々の愛国的怒りは更に沸騰するのでしょう。

何っ,お前は我々日本人が野蛮な刑事司法制度しか有さない劣等民族であって,かつ,レーグルス閣下を猟奇的に殺害したカルタゴ人のような嗜虐的残酷民族だというのか。日本の刑事司法はなぁ,横着かつ荒っぽい某国のrough justiceなどとは違う精密司法というものなのだ。精密司法はなぁ,「処罰に値する者だけを起訴=有罪とし,そうでない者は〔起訴便宜主義による検察官の不起訴処分(刑事訴訟法248条)によって〕早期にらち外に解放するものであるから,むだをはぶいた効率のよい,しかも人権保障に奉仕するやり方であり,このようなスムーズな司法運用が,ひいては低い犯罪発生率,高い検挙率に代表される日本の刑事司法政策成功の大きな要因となっていることもたしか」なのだ(田宮13頁)。正しい日本人であれば,真相の解明を重んじ,「被告人でさえも,しばしば精密司法への選好を隠そうとはしないのである」のだぞ(松尾16頁。「「綿密な審理を受けて納得した」という述懐,「真実はただ一つである」ことを理由とする統一公判要求など」を例として挙げる。)。お前の方こそ,言うことなすことやり方がPunica fideであってカルタゴ人のように信用ならん。屁理窟ばっかりこきやがって,くそっ,最後っ屁か。悪臭芬々,許せん,我慢がならん。

他人の屁が気になって仕方がなく,つい精密に勘定してしまうのは,我々日本人の昔からの性分です。

 

 五年も十年も人の(しり)に探偵をつけて,人のひる屁の勘定をして,それが人世だと思つてる。そうして人の前へ出て来て,御前は屁をいくつ,ひつた,いくつ,ひつたと頼みもせぬ事を教へる。前へ出て云ふなら,それも参考にして,やらんでもないが,後ろの方から,御前は屁をいくつ,ひつた,いくつ,ひつたと云ふ。うるさいと云へば猶々(なほなほ)云ふ。よせと云へば益々(ますます)云ふ。分つたと云つても,屁をいくつ,ひつた,ひつたと云ふ。さうして(それ)が処世の方針だと云ふ。方針は人々(にんにん)勝手である。只ひつたひつたと云はずに黙つて方針を立てるがいゝ。人の邪魔になる方針は差し控へるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云ふなら,こつちも屁をひるのを以て,こつちの方針とする(ばか)りだ。さうなつたら日本も運の尽きだらう。(夏目漱石『草枕』(1906年))

 

保釈された被告人の住居の周囲に鬱陶しく監視カメラを設置し,又は同人をしつこく尾行して,その動静を,ひられた屁の数まで勘定してやろうとする熱心な私人らはどういう人たちなのでしょうか。被告人が逃亡してしまうと自分の生命が危なくなる中世の英国のbail又は自分の財産が失われてしまう現在の米国のbondsmanであれば被告人を監視して自己又は自己の財産を守る必要があり,かつ,逃亡の可能性があると思えば被告人の身柄を拘束することができる(準司法官的)権限をも有するわけですが,そのような必要も権限もなしに監視をかって出て,何かがあれば検察官に対して被告人が屁をひりましたと御注進せむとするのは余計なお節介というべきか,お国に御協力申し上げむとする健気な追従というべきか,それともやはり純粋に他人の屁の数が気になるだけなのか,さらには営利企業たる株式会社であるのならばその費用は真に株主の利益になるものなのかどうか。また,関係者らとの口裏合わせによる罪証隠滅を恐れるということならば,当該被告人が必ず有罪にならないと困るということでしょうが,どうも業の深い話で,かえって監視者側に,当該関係者らが常に正義の側に立ってくれることについての不信があったり,そもそも検察官手持ちの証拠の強さに不安があったりというような,何か人に言えない心配事があるのではないかとも思われてしまうところです。なかなか非人情の世界に超然とするわけにはいかないようです。

なお,カルターゴー人の悪評については,「ポリュビオスとプルタルコスは声を揃えてカルタゴ人は人格低劣だと言っている。〔略〕二人ともカルタゴ人を,鯨飲馬食の徒,遊蕩児,欲張りとして描き出す。フィデス・プニカ〔fides Punica〕,すなわち「カルタゴ人の約束」というラテン語は,「裏切り」を意味するようになった。プルタルコスはローマのこの宿敵を評して「目下のものには傲慢,負けた時には卑屈,勝った時には残酷,この両極を揺れ動いた」と言う。ポリュビオスは,カルタゴ人は何でも欲得ずくでしか考えないと言う。」云々とあります(I・モンタネッリ著=藤沢道郎訳『ローマの歴史』(中公文庫・1996年)141頁)。

ちなみにカルターゴー人(Poeni)は,元来はポエニーキア(Phoenicia)からの植民者です。ポエニーキアとは,要はフェニキアですが,現在のレバノン共和国の辺りです。

 

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  ユーモアはファイトの潤滑油である。ユーモアがないと,ファイトはぎすぎすして,磨擦をおこす。ファイトがないと卑屈な追従におちいってしまう。だからいい法律家(ローヤー)であるためには,ぜひともユー〔モ〕アが必要である。刑事訴訟法も実際に運用されるときは,ユーモアでなめらかにされなければならない。(平野龍一「ファイトとユーモア」法律学全集しおり第20号(有斐閣・195812月))

 


1 単純逃走罪と被逮捕者

 「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者が逃走したときは,1年以下の懲役に処す。」と規定される単純逃走罪(刑法97条)については,なぜ刑事訴訟法に基づいて逮捕中の者が逃走した場合には同条は適用されないことになっているのか,という複雑な問題が付随しています。

 我が刑事法制の沿革をさかのぼらねばならない問題です。戦前の資料をはじめとする一次資料に当たることを面倒臭がり,下請に適した特殊作業視するようなひ弱い根性では,なかなかいけないのでしょう。ため息が漏れるところですが,1981年から東京大学総長を務めた平野龍一教授(なお同年411日(土)の東京大学入学式における総長祝辞では,専ら文科一類の学生向けの「ファイトとユーモア」の話ではなく,全新入学生向けに,「coolhead」と「warmheart」の必要性が説かれました。)に「逃走罪の処罰範囲」(判時155636頁)という名論文があることを最近知りましたので,当該論文を頼りに,検討してみましょう。

 


2 刑法の規定の変遷

明治40年法律第45号である現行刑法制定当初(1907年)の同法97条及び98条は,次のとおりでした(なお,平成7年法律第91号による改正前の現行刑法は以後「原現行刑法」ということにします。)。

 


 97条 既決,未決ノ囚人逃走シタルトキハ1年以下ノ懲役ニ処ス

 第98条 既決,未決ノ囚人又ハ勾引状ノ執行ヲ受ケタル者拘禁場又ハ械具ヲ損壊シ若シクハ暴行,脅迫ヲ為シ又ハ2人以上通謀シテ逃走シタルトキハ3月以上5年以下ノ懲役ニ処ス

 


 「既決,未決ノ囚人」が「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者」になったのは,平成7年法律第91号による改正の結果です。

 原現行刑法の前の旧刑法(明治13年太政官布告第36号)144条本文は,「未決ノ囚人」の逃走罪について次のように規定していました。

 

 144条 未決ノ囚徒入監中逃走シタル者ハ第142条ノ例ニ同シ・・・

 


 旧刑法142条は,次のとおり。

 


 142条 已決ノ囚徒逃走シタル者ハ1月以上6月以下ノ重禁錮ニ処ス

  若シ獄舎獄具ヲ毀壊シ又ハ暴行脅迫ヲ為シテ逃走シタル者ハ3月以上3年以下ノ重禁錮ニ処ス

 


3 旧刑法時代の判例:留置された現行犯被逮捕者=未決ノ囚徒

この旧刑法時代の判例(大判明治35422日刑録84170頁)においては「逮捕されて留置されている者も「未決の囚人」であるとしていた」こと及び「学説も(小野〔清一郎〕説が出るまでは)一致してこれを支持していた」ことが,平野総長によってまず指摘されています(平野論文3頁)。当該判例の該当部分は次のとおり。

 


・・・警察官カ刑事訴訟法第58条ノ規定ニ基キ禁錮ノ刑ニ該ルヘキ軽罪ノ現行犯人ヲ認知シ令状ヲ待タスシテ之ヲ逮捕シタルトキハ其未決ノ囚徒タルコト論ヲ待タス又其囚徒ニシテ監獄ノ一部ナル警察署ノ留置場ニ拘禁セラルニ於テハ其入監中ナルコトモ亦明カナルニ依リ若シ該囚徒逃走スルトキハ刑法第144条第142条ヲ適用処断スヘキハ当然ナリ然ルニ原判決ハ被告Hカ窃盗ノ現行犯トシテ逮捕セラレ明治341212日夜岡山県岡田警察分署留置場第2房ニ留置中逃走シタル事実ヲ認メナカラ令状ノ執行ニ依リ入監シタルモノニアラサルニ付其所為罪トナラストシ無罪ヲ言渡シタルハ上告論旨ノ如ク擬律ノ錯誤ニシテ破毀ヲ免カレサルモノトス・・・

 


4 現行刑事訴訟法より前の刑事訴訟法典

 


(1)4代の刑事訴訟法典

さて,当該判例中の「刑事訴訟法」とは,もちろん現行の刑事訴訟法ではありません。旧々刑事訴訟法です。我が国の近代的刑事訴訟法典は,実は4代を経ています。

 


治罪法(明治13年太政官布告第37号)(ボアソナードの草案をもとに制定。フランス流)

(旧々)刑事訴訟法(明治23年法律第96号)(「明治刑訴」ともいう。)

(旧)刑事訴訟法(大正11年法律第75号)(ドイツ法系に転化)

刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)

 


1907年の原現行刑法制定時の刑事訴訟法は,旧々刑事訴訟法でした。したがって,原現行刑法の逃走罪の規定は,旧々刑事訴訟法の仕組みを前提としていたことになります。

 


(2)旧々刑事訴訟法における逮捕の限定:現行犯逮捕

旧々刑事訴訟法58条1項は次のとおり。現行犯逮捕に関する規定です。

 


58条 司法警察官及ヒ巡査,憲兵卒其職務ヲ行フニ当リ重罪又ハ禁錮ノ刑ニ該ル可キ軽罪ノ現行犯アルコトヲ知リタルトキハ令状ヲ待タスシテ被告人ヲ逮捕スヘシ

 


 ところで,旧々刑事訴訟法に基づく逮捕は限定されていました。

 


・・・明治刑訴では,逮捕は現行犯人について認められたほか,所在不明の被告人について,予審判事の請求にもとづき,検事が発する逮捕状によって認められていた(この場合逮捕状は勾留状と同一の効力を持っていた。80条)。(平野論文5頁)

 


ここでの「逮捕状」は,実質は勾留状で,かつ,既に予審の始まっている被告人について発せられます。捜査過程において捜査機関が被疑者を逮捕するための現行刑事訴訟法の逮捕状とは異なります。旧々刑事訴訟法時代においては,現行刑事訴訟法における逮捕状による被疑者の逮捕に相当する制度は存在せず,現行犯逮捕が認められているだけであったわけです。

 


(3)予審と予審における強制処分

なお,予審とは検事の請求によって開始される裁判所の手続です。旧刑事訴訟法288条は「公訴ノ提起ハ予審又ハ公判ヲ請求スルニ依リテ之ヲ為ス」と規定していました。「予審ハ被告事件ヲ公判ニ付スヘキカ否ヲ決スル為必要ナル事項ヲ取調フルヲ以テ其ノ目的」とするものでした(旧刑事訴訟法2951項)。「裁判所に於ける手続を予審(Voruntersuchung)及び公判(Hauptverhandlung)に分つことは1808年のフランス治罪法以来近代刑事訴訟に於ける一般の構造となつてゐる」ものとされていました(小野清一郎『全訂第三版刑事訴訟法講義』(有斐閣・1933年)388頁)。予審を行う「予審判事は形式上裁判官たる地位を有するけれども,其の実質においては裁判官と謂ふことは出来ぬ。何故なれば,自ら事件そのものに付て裁判を下すものではないからである。其の行ふところの手続は形式上審理であるけれども,しかも其の実質に於ては事件を公判に付すべきか否を決定すると同時に,公判の審理に対して証拠を集収し,保全するといふことを目的とする。この点からは予審手続は寧ろ捜査手続の延長と見るべきもの」でした(小野・刑訴法392-393頁)。旧刑事訴訟法以前においては「強制処分は刑事訴訟法上原則として裁判機関に属し,捜査機関たる検事又は司法警察官は別段の規定ある場合を除く外自ら強制の処分を為すことを得」ませんでした(小野・刑訴法236頁)。これに対して予審判事は,勾引等の強制処分を自らすることができたところです(旧刑事訴訟法122条,169条,179条,213条等)。

 


5 監獄則

 なお,前記明治35年判例に係る検察側の上告趣意書では,旧刑法144条の「入監中トハ法律ノ規定ニ従ヒ法定ノ獄舎ニ投セラレタルモノヲ指シタルコト疑ヲ容レサル所ナレハ司法警察官カ刑事訴訟法第58条ノ規定ニ基キ令状ヲ待タスシテ被告人ヲ逮捕シ監獄ノ一部ナル警察ノ留置場(監獄則第1条第5号参照)ニ拘禁セシモノ入監中ナルコト明白ナリ」と説かれていたとされているので,当時の監獄則(明治22年勅令第93号)1条を見てみましょう。

 


第1条 監獄ヲ別テ左ノ6種ト為ス

  一 集治監 徒刑流刑及旧法懲役終身ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

  二 仮留監 徒刑流刑ニ処セラレタル者ヲ集治監ニ発遣スル迄拘禁スル所トス

   三 地方監獄 拘留禁錮禁獄懲役ニ処セラレタル者及婦女ニシテ徒刑ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   四 拘置監 刑事被告人ヲ拘禁スル所トス

   五 留置場 刑事被告人ヲ一時留置スル所トス但警察署内ノ留置場ニ於テハ罰金ヲ禁錮ニ換フル者及拘留ニ処セラレタル者ヲ拘禁スルコトヲ得

   六 懲治場 不論罪ニ係ル幼者及瘖唖者ヲ懲治スル所トス

 


 しかし,上記監獄則1条5号の文言を見ると,留置場に入り得るのは「刑事被告人」ですね。現行犯人であっても,現行犯逮捕されただけではまだ被告人ではないように思われ,疑問が生ずるところです。しかしながら,前掲の旧々刑事訴訟法58条を改めて見ると,現行犯逮捕される現行犯人は,既に「被告人」になっています。文言的には平仄は合っています。告訴についても,その段階で「被告人」という語が用いられています(同法491項)。「わが国最初の近代法典である治罪法(1880年)やつぎの明治刑訴法(1890年)には〔起訴便宜主義に係る〕関連規定がないので,当初は〔訴訟条件が具備し犯罪の嫌疑があるときは,検察官は必ず起訴しなければならないとする起訴〕法定主義を採用したものと解されていた。」ということでしょうか(田宮裕『刑事訴訟法〔新版〕』(有斐閣・1996年)173頁)。なお,旧々刑事訴訟法においては,現行犯については,不告不理の原則(「訴えなければ裁判なし」)の例外とされていました(同法142条,143条)。

 ところで,明治22年の監獄則6条は,1889年当初は「新ニ入監スル者アルトキハ典獄先ツ令状又ハ宣告書ヲ査閲シテ之ヲ領シ其領収証ヲ引致シ来リタル者ニ交付シタル後入監セシムヘシ其文書ナクシテ引致セラレタル者ヲ入監セシムルコトヲ得ス」とあって,これでは「令状又ハ宣告書」の無いはずの現行犯逮捕の場合に問題があったように思われます。旧々刑事訴訟法制定後9年たってからの明治32年勅令第344号による監獄則6条の改正は,この点の不整合を解消させるための,あるいは「こっそり」改正であったものでしょうか。当該勅令による改正後の監獄則6条は,次のとおり。「其ノ他適法ノ文書」が効いています。

 


 第6条 新ニ入監スル者アルトキハ令状宣告書執行指揮書其ノ他適法ノ文書ヲ査閲シタル後入監セシムヘシ

 


6 旧刑法から原現行刑法(平成7年改正前)へ

 


(1)未決ノ囚人の単純逃走罪における「入監中」の文字の取り去り

 さて,旧刑法144条に戻りますと,「未決ノ囚徒入監中逃走シタル」とあり,例えば,勾留状を執行された者が入監前に逃走したときは,逃走罪は成立しませんでした。

 ところが,原現行刑法97条からは「入監中」の3文字が消えます。平野総長の論文(3頁)が引用する改正理由書の記述は,次のとおり。

 


 「囚人とは既決,未決を問はず監獄に在る可き身分の者を示す意義なるを以て現行法の如く未決の囚人に付きて特に入監中と云うの必要を認めざるのみならず却って疑義を生ずるおそれ」があるからである。

 

 前記明治35年の大審院判例では「警察官カ・・・現行犯人ヲ認知シ令状ヲ待タスシテ之ヲ逮捕シタルトキハ其未決ノ囚徒タルコト論ヲ待タス」としていましたから,現行犯逮捕された留置前の現行犯人も「監獄に在る可き身分」の「囚人」ということになるのでしょうか。しかし,囚人の「囚」の字は,角川『新字源』によると会意文字で,「人を囲いの中に入れたさまにより,「とらえる」意を表わす」ものとされ,また,「囚人」及び「囚徒」は「罪を犯して,牢屋に入れられている人。罪人。めしうど。」となっていますから,まだ牢屋の囲い(「囗」)の中に入っていない「人」を「囚」人というのには若干の違和感があるところです。さりながら,対応するドイツの用語はGefangeneであり,フランスの用語はdétenuであって,監獄に入れられているところまでは必要とされていないようです。

 


(2)二つの解釈

 原現行刑法においては,1907年の制定当初には,現行犯で逮捕されてから留置されるまでの間においても,当該現行犯人が逃走した場合には単純逃走罪が成立するものとし,旧刑法144条よりも犯罪の成立範囲を拡張したものであったのでしょうか(前記明治35年の大審院判例における「未決ノ囚徒」の解釈をそのまま維持するとそうなるはずです。)。学説は,留置前の単純逃走罪の成否についてはっきり一致はしていなかったようです(平野論文3-4頁,5頁参照)。平野総長が「逮捕されて留置されている者」が「未決の囚人」であることは「学説も・・・一致してこれを支持していた。」と述べるとき,それは学説が一致する最大公約数的内容であったのでしょう。

 


ア 現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説

平野総長自身は,「監獄に拘禁されざる者は・・・未決の囚人にあらずということがごときは法理の上よりするもまた法文の上よりするも何等の根拠なきものとす」との大場茂馬判事の所説を引用し(平野論文3頁),また,刑法99条の被拘禁者奪取罪について(原現行刑法においては「法令ニ因リ拘禁セラレタル者ヲ奪取シタル者ハ3月以上5年以下ノ懲役ニ処ス」と規定していました。),囚人とは「「監獄にあるべき身分の者」とし,「監獄にある者」とはしていなかった」原現行刑法に係る前記改正理由書を援用して,「勾留状の執行を受け,あるいは逮捕状により逮捕されてまだ収監されていない者も,「拘禁された者」といわざるをえない」と述べていますから(平野論文6頁),現行犯で逮捕されてから留置されるまでの間においても,当該現行犯人が逃走した場合には単純逃走罪が成立することについて,積極に解するものでしょう。これを「現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説」と名付けましょう。

 


イ 現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説

 しかし,最大公約数的学説(現行犯逮捕されても留置されていなければ未決ノ囚人ではないものとする。)もそれなりに理由があるようです。原現行刑法に係る改正理由書の記述は,身柄拘束一般について述べているものではなく,飽くまで「監獄」にこだわっており,また,確かに現行犯逮捕されても全員が「監獄に在る可き身分の者」として留置されるわけではなく,留置の必要なしとして釈放される場合もあったはずです(「其ノ他適法ノ文書」の作成がなければ,監獄則6条によって,入監が許されなかったでしょう。1922年の旧刑事訴訟法127条前段は「司法警察官現行犯人ヲ逮捕シ若ハ之ヲ受取リ又ハ勾引状ノ執行ヲ受ケタル被疑者ヲ受取リタルトキハ即時訊問シ留置ノ必要ナシト思料スルトキハ直ニ釈放スヘシ」と規定していました。)。「未決の囚人に付きて特に入監中と云うの必要を認めざるのみならず却って疑義を生ずるおそれ」という記述についても,囚人が入監しているのは当然のことであるから「特に入監中と云うの必要を認め」ないという趣旨であり(「車に乗する」とは言うべきではない類),入監していない段階で既に「未決ノ囚徒」であるとした前記明治35年判例は,正に,「入監中」という冗語が招いた「疑義」が誤った解釈を導出してしまった一例であると考えられていた,ともいえそうです。「監獄に在る可き身分の者」とは,「いったん収監され」た上,「移監や出廷のため護送中の者や監獄外で作業に従事している者」を意味するものである(西田典之『刑法各論 第三版』(弘文堂・2005年)405頁参照),という解釈も可能でしょう。こちらは,「現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説」と呼びましょう。

 


7 監獄法及び旧刑事訴訟法

 


(1)監獄法

 なお,監獄則に代わる法律として,原現行刑法制定後の1908年には監獄法(明治41年法律第28号)が制定されます。制定当初の同法1条及び11条は,次のとおり。

 


 第1条 監獄ハ之ヲ左ノ4種トス

   一 懲役監 懲役ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   二 禁錮監 禁錮ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   三 拘留場 拘留ニ処セラレタル者ヲ拘禁スル所トス

   四 拘置監 刑事被告人及ヒ死刑ノ言渡ヲ受ケタル者ヲ拘禁スル所トス

  拘置監ニハ懲役,禁錮又ハ拘留ニ処セラレタル者ヲ一時拘禁スルコトヲ得

  警察官署ニ附属スル留置場ハ之ヲ監獄ニ代用スルコトヲ得但懲役又ハ禁錮ニ処セラレタル者ヲ1月以上継続シテ拘禁スルコトヲ得ス

 

11条 新ニ入監スル者アルトキハ令状又ハ判決書及ヒ執行指揮書其他適法ノ文書ヲ査閲シタル後入監セシム可シ

 


 現行犯逮捕された現行犯人は,旧々刑事訴訟法では「被告人」ですから,「刑事被告人」として拘置監又は留置場に入監したのでしょう。

 

(2)旧刑事訴訟法

 ところが,1922年の旧刑事訴訟法においては,もはや現行犯逮捕された現行犯人を「被告人」とは呼称していませんでした。となると,監獄法1条1項4号及び3項との関係では,現行犯逮捕された現行犯人の起訴前(予審請求又は公判請求の前)の在監の説明は厄介なことになったもののようにも思われます。しかし,旧々刑事訴訟法からの経緯で説明され,問題視されなかったもののようであります。

現行刑事訴訟法の制定時にも,監獄法1条1項4号は改正されていません。

「拘置監に「刑事被告人」すなわち被告人および被疑者を収容するものとし(監114号)」(大谷實『刑事政策講義 第四版』(弘文堂・1996年)288-289頁)という表現に見られるように,監獄法にいう「刑事被告人」は,刑事訴訟法における被告人及び被疑者の総称であると解釈されていたわけです。

 


8 現在の通説

 


(1)小野=団藤説

 さて,学説情況を一変させた小野清一郎博士(第一東京弁護士会会長も務める。)の新説を見てみましょう。平野論文にいわく(4頁)。

 


 ・・・通説に対して異説を唱えられたのは,小野博士であった。博士はいわれる。「未決の囚人とは,刑事被疑者又は被告人として勾留状により拘禁されている者をいう。逮捕状又は勾引状により一時拘禁されている者を含まない(第98条参照)。現行犯として逮捕された者をも含まないであろう。」博士は「第98条参照」とされるだけで,何故逮捕された者を含まないのか,その理由を詳しく述べてはおられない。おそらく,逮捕による拘禁も「一時の拘禁」であり,それならやはり「一時の拘禁」である勾引状の執行による拘禁とおなじように取り扱うべきだ,というのであろう。

 


この小野博士の新説は,「小野,刑法講義各論27頁」(平野5頁)によって出されたそうですが,平野総長は,『刑法講義各論』のどの版を引用しているのか明示してくれていません。同書は,1932年に初版,1945年に全訂版,1949年に新訂版が出,当該新訂版の1950年の重版に当たって「新少年法,新刑事訴訟法,罰金等臨時措置法など,その後の新立法による訂正」が行なわれています(小野清一郎『新訂 刑法講義各論』(有斐閣・1950年(3版))序)。「逮捕状」という記載に注目すると,「旧刑訴では,逮捕は現行犯人についてだけ認められ」ていたのですから(平野論文5頁),逮捕状による通常逮捕の制度の本格導入を伴う「新刑事訴訟法・・・による訂正」がされた1950年以降の版でしょう(第一東京弁護士会図書館にあるものは同年版。文言,頁番号も一致)。

 「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」については加重逃走罪のみが成立して単純逃走罪は成立しないものとされていたことを前提に,現行刑事訴訟上で導入された裁判官の発する逮捕状も従前の勾引状と同様のものと考え,逮捕状により逮捕された者についても加重逃走罪のみが成立して単純逃走罪は成立しないものとする推論が,小野博士においてされたものでしょう(平野論文4頁参照)。その場合,前記明治35年判例で「未決ノ囚人」に含まれるものとされた現行犯逮捕された者の扱いが問題になるのですが,現行刑事訴訟法では「逮捕」といえば逮捕状による逮捕が本道なので,むしろ現行犯逮捕の方がそちらに合わせろということでの「現行犯として逮捕された者をも含まないであろう。」との暫定的な意見表明となったものではないでしょうか。いわゆる側杖(そばづえ)ですね。

 なお,単純逃走罪について小野博士が説くところには,平野総長引用部分の後に,また続きがありました。いわく。

 


・・・旧刑法(第144条)は「入監中」なることを必要とした。現行刑法第97条には其の規定がないけれど,牧野博士は一旦入監したものであることを必要とすると解される。(小野・刑法各論27頁)

 


 後に最高裁判所判事を務めることになる団藤重光教授に至ると,「未決の囚人とは裁判の確定前に刑事手続において拘禁を受けている者,すなわち勾留されている被疑者または被告人である。勾引状の執行を受けた者を含まないことは,98条との対比からあきらかである。逮捕状により,または現行犯人として逮捕された者も含まれない。」とされ(平野論文4頁に引用されている団藤『刑法綱要各論(改訂版)』72頁),現行犯逮捕された者の非「未決ノ囚人」性が躊躇なく肯定されています。現在の通説です。これに対して,「ここでも理由は述べられていないし,判例,学説にもまったく言及されていない。」と,平野総長は不満を表明しています(平野論文4頁)。

なお,小野博士の所説は,「未決ノ囚人」となる拘禁は,「一時拘禁」たる留置では足りず,勾留状による勾留の段階になることまでを要するとするものでしょう。「ドイツやスイスなどでは,単純逃走行為を処罰しない」そうですから(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)527頁),単純逃走罪の主体となる「未決ノ囚人」を従前より限定的に解釈する解釈論であっても,理由が全く無いわけではないということでしょう。ただし,「単純逃走は処罰しないという方法で,逃走罪の成立範囲を限定するのは一つの考え方であるが,囚人の範囲を限定するという技巧的な方法をとることは,妥当とは思われない。」とされています(平野論文6頁)。

 


(2)原現行刑法98条の「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」

 原現行刑法制定時に同法98条の加重逃走罪の主体に「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」が加えられたことの意味が問題になります。平野論文(3頁)の引用する改正理由書の記述は,次のとおり。

 


 現行法〔旧刑法〕に依れば,囚人逃走を為したるときはこれを罪となすと雖も勾引状の執行を受けたる者同一の行為を為したるときは罪責を負担せず・・・改正案は此欠点を補正するため修正を加えたり

 


上記記述の解釈は,現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説と現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説とでは異なるようです。

現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説では,現行犯逮捕されて身柄を拘束された「被告人」が未決ノ囚人である以上,勾引状で身柄を拘束され引致される被告人も当然未決ノ囚人になるので,囚人以外で「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」は証人等ということになるとされるようです(大場茂馬説(平野論文4頁)参照)。

 現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説では,監獄に拘禁されないと囚人ではありませんから,勾引状を執行された証人等のほか,勾引状を執行され,いまだ収監されていない護送中の被告人も「勾引状ノ執行ヲ受ケタル者」に含まれ,他方拘禁後は「未決ノ囚人」となることになります(岡田庄作説(平野論文4頁)参照)。

 ただし,「勾引状の執行を受けた者」の解釈については,「その他の学者はほとんどこの点に触れていない」状況だったそうです(平野論文4頁)。

 原現行刑法の前記改正理由書は,現行犯逮捕及び留置=未決の囚人説に基づいて書かれたものと解すべきでしょうか。「現行法に依れば,囚人逃走を為したるときはこれを罪となす」とありますから,逆にいうと,囚人というのはすべて単純逃走罪の主体となるべきものであって,「現行法」たる旧刑法において単純逃走をしても不可罰である入監前の未決ノ囚徒は,実は囚人ではないということになるようだからです。なお,勾引中の証人の逃走が,問題になるほど多かったかどうかは分かりませんが,不出頭の証人に対しては,罰金(過料)の制裁及び費用賠償請求の制度もありました(旧々刑事訴訟法118条)。

平野総長が,未決ノ囚人から現行犯逮捕された者を含む被逮捕者を除外する小野=団藤説を攻撃するため,次のように述べるときの「判例・学説」は,一応は,最大公約数的な,現行犯逮捕及び留置=未決ノ囚人説のことでしょうか(平野論文3頁冒頭参照)。

 


  しかし〔明治40年の原現行刑法の〕立案者は,逮捕された者は囚人に含まれるという判例・学説を前提とし,勾引状を執行された者が逃走しても処罰されないのは法の欠陥であるとして,これを補うために,「勾引状の執行を受けた者」という語を付け加え,あらたに処罰することにしたのである。これによって,囚人のなかに既に含まれていた被逮捕者を条文から除いて不可罰なものとした,あるいはこれを97条から98条に移したとは到底考えられない。・・・(平野論文4頁)

 


 現行犯逮捕されて留置されている現行犯人は未決ノ囚人であるという前例が既に確立しているのであるから,同じ被逮捕者仲間である,逮捕状によって逮捕され,留置された被疑者も未決ノ囚人とせよ,ということでしょうか。

 しかし,「逮捕された者は囚人に含まれるという判例・学説」とあって,「留置」の文言が抜けていますから,現行犯逮捕引致中=未決ノ囚人説に基づく所論のようでもありますし,前記6(2)アからはそのように思われます。

 


(3)平野総長の批判(現行刑事訴訟法の逮捕状と旧々刑事訴訟法の勾引状との相違等)

 現行刑事訴訟法に基づく逮捕状による被疑者の逮捕と,旧々刑事訴訟法による勾引状による被告人の勾引とを同じものとすることはできない,ということが,平野総長が更に説くところの趣旨でしょうか。旧々刑事訴訟法の「勾引は起訴後被告人について,判事の令状によって認められ,勾引して引致した被告人は48時間内に訊問すべしとされていたが,これを留置できる旨の規定はなかった」(同法73条参照)とされる一方,現行刑事訴訟法では「逮捕は身柄を確保する制度である」と述べられています(平野論文5頁)。小野=団藤説が勾引状と逮捕状との同様性を語るとき,そこでいう勾引状としては旧刑事訴訟法の要急事件に係る被疑者に対して検事が発する勾引状(同法123条)が念頭にあるのではないかとも考えられたようですが,「現行刑法は明治刑訴の勾引を前提として作られたのであって,旧刑訴の勾引を前提として議論することはできない。」と断ぜられています(平野論文4頁)。「旧刑訴についてみても,逮捕と勾引とでは,訴訟法上要件・効果に違いがあるのであって,ただ名前だけの違いではない。逮捕状は勾引状に「含まれる」とすることはできないし,「準ずる」とするのも,罪刑法定主義上無理がある。」と追い打ちがかけられています(平野論文4頁)。

 その他,勾留前に留置場にいる段階で,逮捕状で逮捕された被疑者が暴行脅迫して逃走すると加重逃走罪になると解釈する場合(勾引状ノ執行ヲ受ケタル者と同様だから)には,同様の段階で現行犯逮捕された現行犯人が同じことをしても加重逃走罪が成立しないことになるから(未決ノ囚人でもないし,勾引状ノ執行ヲ受ケタル者でもないから)不整合が生ずると,通説に基づく解釈論(団藤説)のもたらす不都合な帰結が指摘されています(平野論文4頁)。

 なお,旧刑事訴訟法123条は,次のとおり。

 


 123条 左ノ場合ニ於テ急速ヲ要シ判事ノ勾引状ヲ求ムルコト能ハサルトキハ検事ハ勾引状ヲ発シ又ハ之ヲ他ノ検事若ハ司法警察官ニ命令シ若ハ嘱託スルコトヲ得

  一 被疑者定リタル住居ヲ有セサルトキ

  二 現行犯人其ノ場所ニ在ラサルトキ

  三 現行犯ノ取調ニ因リ其ノ事件ノ共犯ヲ発見シタルトキ

  四 既決ノ囚人又ハ本法ニ依リ拘禁セラレタル者逃亡シタルトキ

  五 死体ノ検証ニ因リ犯人ヲ発見シタルトキ

  六 被疑者常習トシテ強盗又ハ窃盗ノ罪ヲ犯シタルモノナルトキ

 


 第4号が,「既決又ハ未決ノ囚人」ではなく,「既決ノ囚人又ハ本法ニ依リ拘禁セラレタル者」になっていますね。検事が勾引状を発し得る対象の者を広くとるために,「未決ノ囚人」とすると漏れがあるから,「本法ニ依リ拘禁セラレタル者」にしたということであれば,「未決ノ囚人」概念論争にも関係がありそうですが,どうなのでしょうか。

 


9 平成7年法律第91号による通説の確認

 平野総長の「逃走罪の処罰範囲」論文の結末は,「いずれにせよ,逃走罪の規定はもう一度整理しなおす必要がある。」(6頁)と,平成7年法律第91号による「実質的にみても,妥当な改正とは思われない」改正に対する不満を改めて表明するような形になっています(3頁)。

 しかし,平野総長の後輩ら刑法学界の反応は,次のようなものだったようです。

 


 ・・・立法の沿革等から,逮捕状の執行により留置された被疑者を含むとする見解(平野〔龍一『刑法概説』(東京大学出版会・1977年)〕283頁,同「逃走罪の処罰範囲」判時15563頁)も有力であるが,・・・平成7年の改正により立法的に解決された・・・(西田406頁)

 


 もう終わった議論である,ということのようです。

 


旧網走監獄獄舎(パノプティコンが採用されていました。)DSCF0067


 





弁護士 齊藤雅俊 大志わかば法律事務所 渋谷区代々木一丁目57番2号ドルミ代々木1203 電話: 03-6868-3194 電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp
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1 勾留質問からの逃走と単純逃走罪の成否

 第一次世界大戦の発端となったサライェヴォ事件の百周年記念日を翌日に控えた一昨日(2014627日)の夜,書面作成の仕事の合間に栄養補給のため,事務所の近所の店で油麺を食べつつスマート・フォンでインターネット・ニュースを見ていたところ,

 

 「すわ,違法逮捕か!?」



という記事が目に入り,色めきました。

 同日2322分に日本経済新聞社のウェッブ・サイトに掲載されている,共同通信社のクレジットのある記事(「新潟地裁から容疑者逃走 勾留質問中,5分後に逮捕」)の内容は,次のとおりです(全文。容疑者の名前は仮名)。



  27日午後3時15分ごろ,わいせつ目的略取未遂容疑で逮捕され,新潟市中央区の新潟地裁で勾留質問を受けていた無職,K容疑者(31)が逃走した。約5分後,約350メートル離れた新聞販売店に逃げ込んだところを駆け付けた警察官が取り押さえ,単純逃走容疑で現行犯逮捕した。

  県警と地裁によると,勾留質問は午後3時ごろから地裁1階の勾留質問室で始まり,室内にはほかに男性裁判官と女性書記官がいた。K容疑者はいきなり机の上に立つと,そばの窓の鍵を開け,逃走防止柵を乗り越えて逃げた。けが人はなかった。

  K容疑者は勾留質問が始まる前に裁判官の指示で手錠,腰縄が外されていた。移送を担当した警察官4人は廊下などで警戒していた。地裁職員の大声を聞き建物の外に出た警察官が,裁判所の外で容疑者が走っているのを発見,追いかけて取り押さえた。

  勾留質問中の容疑者の身柄について監督責任がある地裁の青野洋士所長は「国民に不安を与え申し訳ない。再発防止に早急に対策を取りたい」とコメントを発表した。



「わいせつ目的略取未遂容疑で逮捕され,勾留質問(刑事訴訟法2071項,61条)を受けていたのだから,まだ勾留の裁判もされていないということであって,逮捕段階にとどまるから,単純逃走罪(刑法97条)は成立せず,したがって「単純逃走」容疑での現行犯逮捕はあり得ないじゃないか。新潟県警は手続ミスをやらかしたな。」というのが,少なくとも司法試験受験生の真っ先の反応でしょう。



(註)逮捕と勾留

なお,ここで簡単に「逮捕」及び「勾留」に関する手続について説明しますと,警察官が被疑者を「逮捕」しても,それだけではその身柄を留置施設又は刑事施設にずっと拘束できるわけではないことに注意してください。身柄拘束を続けるためには,被疑者を書類及び証拠物とともに検察官に送致し(刑事訴訟法2031項),検察官が裁判官に被疑者の「勾留」を請求し(同法2051項(ただし同項3項)),裁判官が被疑者に被疑事件を告げてそれに関する陳述を聴いた上で(これが前記の記事の「勾留質問」),被疑者を勾留する裁判をしてくれなければなりません。この場合,検察官が勾留請求するのには逮捕時から72時間という時間制限がありますが(刑事訴訟法2052項。この時間制限が守れないのならば被疑者は釈放(同条4項)),いったん勾留するとの裁判が出ると,検察官の勾留請求の日から起算して原則10日間,最大限20日間身柄拘束が継続されることになります(同法208条。ただし,同法208条の2)。短い期間の「逮捕」→長い期間の「勾留」という2段階手続になっていることを頭に入れておいてください。



2 逮捕と単純逃走罪

単純逃走罪について「裁判の執行により拘禁された既決又は未決の者が逃走したときは,1年以下の懲役に処する。」と定める刑法97条(未遂も処罰(同法102条))の解釈としては,「裁判の執行により拘禁された未決の者」には,逮捕されただけの者は含まれないとされています。



逮捕状により,ないし現行犯人として逮捕された者は含まない(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)528頁)



  本罪〔単純逃走罪〕の主体は,平成7年の改正前は「既決又ハ未決ノ囚人」とされていたが,「囚人」という用語はマイナスイメージが強いという理由で現在のように修正された。「裁判の執行により拘禁された」という文言は,逮捕された者を除く趣旨を明確にするために入れられたものである・・・。(西田典之『刑法各論〔第3版〕』(弘文堂・2005年)405頁)

 ・・・未決の者とは,勾留状により拘置所または代用監獄(監獄法13項)に拘禁されている被告人(刑事訴訟法60条以下),被疑者(同法207条)をいうとするのが通説である・・・。(同406頁)。



上記にいう「拘置所または代用監獄」は旧監獄法下での用語で,現在の刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律下では,「刑事施設又は留置施設若しくは海上保安留置施設」ということになるのでしょう。



3 逮捕中の被疑者が逃亡した場合の対応

さて,改めて,逮捕された被疑者が逃亡してしまった場合はどうすべきなのでしょうか。



逮捕・勾留の途中に逃亡した場合 逮捕については,引致までに逃亡しても前の逮捕状で逮捕行為を続行すればよいが,引致後は,留置は逮捕自体の内容ではないので原状回復はできず,新逮捕状による(再逮捕となる)ほかはないとされる(もっとも反対説がある)。勾留は一定期間の拘束が裁判の内容なので,勾留状を示して原状回復すればよい。なお,逮捕は逃走罪(刑97条)の対象とならないが,勾留はなるので,それを根拠に逮捕状をえて逮捕できることはもちろんである。(田宮裕『刑事訴訟法』(有斐閣・1992年)9495頁)



 やはり逮捕中の被疑者が逃亡しても単純逃走罪になりませんから,その逮捕からの逃亡行為をもって単純逃走罪を犯すものだとして現行犯逮捕するわけにはいかないわけです。K容疑者の場合は,単純逃走罪での現行犯逮捕ではなくて,わいせつ目的略取未遂容疑で再逮捕の手続をとらなくてはならなかったはずです。



4 勾留の諸段階と単純逃走罪

なお,勾留中の被疑者又は被告人が逃亡するのは単純逃走罪になるのですが,勾留にも段階があり(「勾留とは,被疑者・被告人を拘束する裁判およびその執行をいう。」(田宮82頁)),どの段階まで進めばそこからの逃亡が単純逃走罪になるかが問題になります。

流れとしては,裁判官又は裁判所による勾留の裁判があって勾留状が発せられ(刑事訴訟法62条),原則として検察官の指揮で司法警察職員又は検察事務官が当該勾留状を執行し(同法70条),被疑者又は被告人は,原則として勾留状を示された上(同法732項,3項),指定された刑事施設に引致されます(同条2項。なお,以上につき同法2071項)。刑法97条は,単純逃走罪の成立のためには逃走者が「裁判の執行により拘禁された」者になっていることを要求していますから,「勾留状の執行を受けたが引致中の者は含まれない」ものとされ(西田406頁),「監獄〔刑事施設〕に引き渡される途中で逃走しても,まだ拘禁されてはいないので逃走罪にはならない」わけです(前田528頁)。勾留状の執行を受けた者が刑事施設に引き渡されていなければなりません。

勾留質問がされた裁判所は引致先の刑事施設ではありませんから,まだまだ裁判所段階では,勾留状の執行により拘禁されている状態には至り得ません。



5 様々な記事の書き方




(1)新潟県警察は違法逮捕をしたのか

と,以上のように考えると,前記の記事を書いた共同通信社の記者は,新潟地方裁判所所長の責任者としての見解を求めるだけではなく,「単純逃走罪は成立していないのにKさんを現行犯逮捕したのは,違法逮捕ではないかっ」と新潟県警察本部長をも吊し上げるべきであったようにも思われます。

 とはいえ,そう慌てて早合点で人を非難してはいけません。他の報道機関のウェッブ・サイトを見てみましょう。



(2)そのように読めるもの

 産経新聞のウェッブ・サイトの記事(20146271812分配信),時事通信のウェッブ・サイトの記事(同日1916分配信),毎日新聞のウェッブ・サイトの記事(同日2133分配信)を読んでも,前記日経=共同の記事を読んだときと同じ「違法逮捕?」という結論になります。



(3)既起訴事件に言及するもの及びそこからの推認

 朝日新聞のウェッブ・サイトの記事(同日1931分配信)を見ると,一連の報道は,新潟県警察新発田警察署の報道発表に基づいたもののようです。警察が自ら,「違法逮捕」を得々と自慢するのは変ですね。どうしたものかと記事を最後まで読むと,最後に「K容疑者はこれまで,別の2件の強姦(ごうかん)事件で起訴されている。」とあります。むむ,これはどういうことでしょうか。

 日本テレビ放送網のウェッブ・サイトは「勾留質問」を「拘留質問」とする誤記があったようですが(キャッシュに残っている。),現在は修正されていますね。それはそれとして(しかし,勾留と拘留とは全く異なります。後者は,1日以上30日未満刑事施設に拘置する刑罰ということになってしまいます(刑法16条)。),ここでも記事の最後に,「K容疑者は今月中旬,強姦などの罪で起訴され,その後わいせつ略取未遂の容疑で再逮捕されていた。」と記されています(2014627221分配信記事)。

 どうもK容疑者は,現在強姦罪で起訴されていて,既に被告人として勾留されていたようです。当該勾留については,刑事施設に引致されて,拘禁まで完了していたのでしょうから,確かにこの段階で逃亡すれば単純逃走罪は優に成立しますね。



(4)今回の最優秀記事

 となると,読売新聞のウェッブ・サイトの次の記事(「裁判所の窓から強姦男逃げた,5分後捕まった」。20146272116分配信)が,法律関係者の目からは,他の記事に比べて一番妥当な書き方であるもののように思われます。



  27日午後3時15分頃,新潟市中央区の新潟地裁で,強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された男が,1階の窓から逃走した。

  男は約5分後に警察官らに取り押さえられ,逃走容疑で現行犯逮捕された。

  ・・・K被告は,わいせつ略取未遂容疑で再逮捕され,勾留質問を受けるために警察官と同地裁1階の勾留質問室に入室。手錠と腰縄を外され,裁判官の指示で警察官が室外に出た直後,窓の錠を開けて逃走した。

  ・・・



強姦罪での起訴に係る勾留から逃亡したのですから,それにより単純逃走罪を犯したK被告人はやはり「強姦男」ですよね(どぎつい見出しですが。)。「強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された男」が,「強姦(ごうかん)容疑などで逮捕,起訴された勾留中の男」という記述になっていれば完璧だったのですが。しかし,逮捕されれば当然引き続き勾留されて身柄拘束が続いているものという前提で書くのが新聞記者業界のお約束なのでしょうか。被疑者を身柄拘束から解放するために努力している弁護人からすると,つらい世間常識です。



6 ちょっと単純ではない感想

それはともあれ,本件では,逃亡の場面が裁判所内での勾留質問の場という珍しい所であったというところに真っ先に目が行って,警察官らによるK被告人の身柄再確保に係る法律上の根拠にまで,多くの記者諸氏の頭は十分回らなかったものでしょうか。しかし,当該記事だけを読むと,新発田警察署は違法逮捕をしてしまったのではないかというあらぬ疑いを同署の警察官の方々にかけることになり,さらには司法試験受験生等を始めとする法律関係者の胸を無用にときめかせる(「違法逮捕?それとも俺の単純逃走罪の条文理解が間違ってたっけ?」)こととなるような記事の書き方はいかがなものでしょう。新潟地方裁判所の監督責任云々もありますが,プロであれば,誤解を招かないような記事を書くべき責任もあるわけです。報道機関の記者の方々向けの刑事法セミナーないしは手引き本というようなものも,あるいは企画として成り立ち得るものでしょうか。

たとい虚偽の事実が書かれていなくとも,必要な事実に言及されていないと,とんでもない結論が引き出され得てしまうものです。うそを一切言わずとも,必要な情報を与えないことによって人々を誤導する技術は,確か,「編集の詐術」といったように記憶します。編集の詐術に対しては,反対尋問,そして(悪魔の)弁護人は,やはり無用のものではないようです。

 最後にもう一点。K容疑者の単純逃走罪は既遂であったのか,未遂であったのかの問題があります。単純逃走罪の既遂時期については,「被拘禁者自身が,看守者の実力的支配を脱することである。それは一時的なものであっても足りる。実行の着手時期は,拘禁作用を侵害し始める時点であり,既遂時期は拘禁状態から完全に離脱した時点である。例えば,監獄の外塀を乗り越えれば,通常は既遂となる。しかし,追跡が継続している場合には実力支配を脱したとはいえない(福岡高判昭29112高刑集711)。追跡者が,一時逃走者の所在を見失っても実質的な支配内にある以上未遂である。」(前田528-529頁)とされています。したがって,K被告人の場合,精確には,単純逃走未遂罪で現行犯逮捕されたわけですね。ところで,単純逃走罪は状態犯(法益侵害などの結果発生による犯罪成立と同時に犯罪は終了し,その後は法益侵害の状態が残るにすぎないもの)であるとされています。ということであれば,単純逃走未遂犯の現行犯逮捕は当然可能であるとしても,既遂となった単純逃走犯の現行犯逮捕は概念上難しそうです。緊急逮捕(刑事訴訟法210条)も,単純逃走罪の法定刑は長期1年の懲役であって「長期3年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪」ではありませんから,単純逃走罪を理由としてはできません。勾留状を示しての原状回復か,逮捕状を取っての逮捕になるのでしょう(田宮前出95頁)。

弁護士 齊藤雅俊
大志わかば法律事務所
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