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第5 フランス民法894条

 

1 影響の指摘

 民法549条の分かりにくさ(前出我妻Ⅴ₂223頁参照)に関しては,「フランス民法894条の規定の体裁に従ったがためであろう。」とも説かれています(柚木馨=高木多喜男編『新版注釈民法(14)債権(5)』(有斐閣・1993年)26頁(柚木馨=松川正毅))。

 

2 条文及びその解釈

 

(1)条文

フランス民法894条は,次のとおり。

 

  Art. 894   La donation entre vifs est un acte par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement de la chose donnée en faveur du donataire qui l’accepte.(生前贈与は,それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,それを受ける受贈者のために,被贈与物を委棄する行為である。)

 

(2)山口俊夫教授

フランス民法894条に係る山口俊夫教授の説明は,「生前贈与は,贈与者(donateur)が現実に(actuellement)かつ取消しえないものとして(irrévocablement),それを受諾する受贈者(donataire)に対し無償で自己の財産を与える法律行為(片務契約)である(894条)。」というものです(山口俊夫『概説フランス法 上』(東京大学出版会・1978年)526頁)。筆者の蕪雑な試訳よりもはるかにエレガントです。

 

(3)矢代操

しかし,筆者としては,矢代操による次のように古格な文章を面白く思います。

 

  今日は,〔フランス〕民法中無償名義にて財産を処置するの方法唯2箇あるのみ。生存中(○○○)()贈遺(○○)及び(○○)遺嘱(○○)()贈遺(○○)是なり〔フランス民法893条〕。其生存中の贈遺の定義は載せて第894条にあり。曰く,⦅生存中の贈遺とは,贈遺者贈遺(○○)()領承(○○)する(○○)受贈者の為め即時(○○)()確定(○○)()贈遺物を棄与する所為(○○)を云ふ⦆。此定義中に所為(○○)と記するは妥当ならず。蓋し契約と云ふの意にあるなり。何となれば遺嘱の贈遺は契約にあらずして唯一の所為なりと雖ども,生存中の贈遺は純粋の契約なればなり。

  又本文中に即時(○○)と記するの語に糊着するときは,生存中の贈遺の適法となるには其目的物を引渡し(○○○)受贈者之を占有するを要するものの如し。然れども決して其意に解釈す可からず。蓋し其即時とは,〔略〕生存中の贈遺は〔略〕贈遺の時直に其効を生す可しとの意にあるなり。故に其契約成立の後此執行は之を贈遺者の死去に至るまで遅引するを得可きなり。

  又此生存中の贈遺は遺嘱の贈遺と異にして,一たび贈遺を為したる以上は一般の契約の原則に従ひ法律に定めたる原由あるにあらざれば之を取消すを得ざるなり。(明治大学創立百周年記念学術叢書出版委員会編『仏国民法講義 矢代操講述』(明治大学・1985年)46-47頁)

 

(4)生前贈与は契約か否か

はて,「蓋し契約と云ふの意にあるなり」との矢代の指摘に従ってフランス民法894条の生前贈与(donation entre vifs)の定義を見ると,確かに行為(acte)であって,契約(contrat)でも合意(convention)でもないところです(なお,フランス民法1101条は,「契約(contrat)は,それにより一又は複数の者が他の一又は複数の者に対して,何事かを与え,なし,又はなさざる義務を負う合意(convention)である。」と定義しています。)。しかも当該行為を行う者は贈与者のみです(“un acte par lequel…et le donataire l’accepte.”とは規定されていません。)。

こうしてみると,フランス民法931条と932条との関係も気になってくるところです。同法931条は“Tous actes portant donation entre vifs seront passés devant notaires dans la forme ordinaire des contrats; et il en restera minute, sous peine de nullité.”(生前贈与が記載される全ての証書は,公証人の前で,契約に係る通常の方式をもって作成される。また,その原本が保管され,しからざれば無効となる。)と規定しています。贈与者と受贈者とが共に当事者となって「契約に係る通常の方式」で証書が作成されるのならば,受贈者の出番もこれで終わりのはずです。しかしながら,同法932条はいわく。“La donation entre vifs n’engagera le donateur, et ne produira aucun effet, que du jour qu’elle aura été acceptée en termes exprès. / L’acceptation pourra être faite du vivant du donateur par un acte postérieur et authentique, dont il restera minute; mais alors la donation n’aura d’effet, à l’égard du donateur, que du jour où l’acte qui constatera cette acceptation lui aura été notifié.”(生前贈与は,それが明確な表示によって受諾された(acceptée)日からのみ贈与者を拘束し,及び効力を生ずる。/受諾(acceptation)は,贈与者の存命中において,事後の(postérieur)公署証書であって原本が保存されるものによってすることができる。しかしながら,この場合においては,贈与は,贈与者との関係では,当該受諾を証明する証書が同人に送達された日からのみ効力を生ずる。)と。すなわち,同条2項は,生前贈与がまずあることとされて,それとは別に,事後的に当該生前贈与の受諾があり得ることを前提としているようなのです(贈与者の意思表示とそれとが合致して初めて一つの合意ないし契約たる生前贈与が成立するということではないのならば,フランス民法9322項の“acceptation”に,契約に係るものたるべき「承諾」の語は用い難いところです。また,フランス民法894条で受贈者が受けるものである「それ」は,生前贈与ということになるようです。)。

梅謙次郎は「贈与(○○)Donatio, donation, Schenkung)ノ性質ニ付テハ古来各国ノ法律及ヒ学説一定セサル所ニシテ或ハ之ヲ契約トセス遺贈ヲモ此中ニ包含セシムルアリ或ハ贈与ヲ以テ贈与者ノ単独行為トシ受贈者ノ承諾ナキモ既ニ贈与ナル行為ハ成立スルモノトスルアリ」と述べていますが(梅謙次郎『訂正増補第30版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)462頁),これは実はフランス民法のことだったのでしょうか。

 

(5)コンセイユ・デタ

ここで,小樽商科大学ウェブ・サイトの「民法典に関するコンセイユ・デタ議事録(カンバセレス文庫)」を検すると,フランス民法894条の原案は,共和国11雨月(プリュヴィオーズ)7日(1803127日)に“La donation entre-vifs est un contrat par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement en faveur du donataire, de la propriété de la chose donnée.”(生前贈与は,それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,受贈者のために,被贈与物の所有権を委棄する契約である。)という形でビゴー・プレアムヌ(Bigot-Préameneu)からコンセイユ・デタ(国務院)に提出されており,同条に関する審議に入った劈頭ボナパルト第一執政閣下から「契約(contrat)っていうものは両当事者に相互的な負担を課するものだろう。よって,この表現は贈与にはうまく合わないようだな。」との御発言があり,ベレンジェ(Bérenger)があら捜しに追随して「この定義は,贈与者についてのみ述べて受贈者については述べていない点において不正確ですな。」と述べ,続いてルグノー(Regnaud)がそもそも定義規定は不必要なんじゃないのと言い出して法典における定義規定の要不要論に議論は脱線しつつ,その間トロンシェ(Tronchet)は「贈与及び遺言を定義することによってですな,我々は各行為に固有の性質を示そうとしており,そしてそこから両者を区別する相違点を引き出そうとしているのですよ。ここのところでは,両者を分かつ性質は,撤回可能性と不可撤回性ですな。」と指摘し,他方マルヴィル(Maleville)は「もし定義規定が必要であると判断されるのなら,贈与は“un acte par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement d’une chose, en faveur du donataire qui l’accepte.”(それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,それを受ける受贈者のために,ある物を委棄する行為である。)と定義できるのではないですか。」と,第一執政閣下の御指摘及びベレンジェ議員のいちゃもんを見事に取り入れた現行フランス民法894条の文言とほぼ同じ文言の案を早くも提示していたところですが,その場での結論は,一応,「同条は,「契約」(contrat)の語を「行為」(acte)の語に差し替えて,採択された。」ということでした。(Tome II, pp.321-323

 なお,ベレンジェが受贈者についての規定が必要だと言ったことの背景には,「生前贈与は,それによって,それを受諾する者がその条件を満たすべき義務を負う行為である。」,「また,全ての生前贈与は,相互的に拘束するもの(engagement réciproqueと観念されるので,与える者及び受諾する者の両当事者が関与することが不可欠である。このことは,宛先人が知っておらず,又は合意していないときは,恵与は存在するものとはなおみなされないものとするローマ法にかなうことである。」及び「全ての贈与について受諾は不可欠の要件であるので,それは明確な言葉でされることが求められる。」という認識がありました(カンバセレス文庫Ⅱ, p.804。共和国11花月(フロレアル)3日(1803423日)にコンセイユ・デタに提出された,立法府のための法案理由書)。正にフランス法では,「受贈者は贈与者に対して感謝の義務を負う。これは単なる精神的義務ではなく,〔略〕忘恩行為(ingratitude)は,一定の場合には贈与取消の制裁を蒙る」ところです(山口526-527頁)。(ボナパルト第一執政の前記認識との整合性をどううまくつけるかの問題はここでは措きます。)

 

第6 旧民法及びボワソナアド原案

 

1 旧民法

また,民法549条がその体裁に従うべき条文としては,フランス民法894条よりもより近い先例(というより以前にそもそもの改正対象)として,旧民法の関係規定があったところです。梅は,民法549条の参照条文として,旧民法財産取得編349条及び358条を掲げています(梅462頁)。当該両条は,次のとおり。

 

  第349条 贈与トハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ移転スル要式ノ合意ヲ謂フ

 

  第358条 贈与ハ分家ノ為メニスルモノト其他ノ原因ノ為メニスルモノトヲ問ハス普通ノ合意ノ成立ニ必要ナル条件ヲ具備スル外尚ホ公正証書ヲ以テスルニ非サレハ成立セス

   然レトモ慣習ノ贈物及ヒ単一ノ手渡ニ成ル贈与ニ付テハ此方式ヲ要セス

 

2 ボワソナアド原案

旧民法に先立つボワソナアド原案の第656条は,次のように贈与を定義しています(Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, nouvelle édition, Tome Troisième, des Moyens d’Acquérir les Biens. (Tokio, 1891) p.170)。

 

Art. 656.   La donation entre-vifs est une convention par laquelle le donateur confère gratuitement ou sans équivalent, au donataire qui accepte, un droit réel ou un droit personnel; [894.]

Elle peut consister aussi dans la remise ou l’abandon gratuit d’un droit réel du donateur sur la chose du donataire ou d’un droit personnel contre lui.

  (第656条 生前贈与は,贈与者が,承諾をする受贈者に対して物権又は債権を無償又は対価なしに与える合意である。(フランス民法894条参照)

  ( 受贈者の物を目的とする物権又は同人に対する債権に係る無償の免除又は放棄もまた生前贈与とすることができる。)

 

ボワソナアドは,贈与を典型契約又は有名契約(contrat nommé)の一とし,「既に何度も言及された全ての法律効果,すなわち,物権又は債権の設定又は移転,変更又は消滅を生じさせることのできる唯一の無償合意(convention gratuite)である。これだけの可能な射程(étendue possible)を持つ他の契約は,有償である。もちろんなお他にも,使用貸借,寄託,委任のような無償又は無約因の契約が存在するが,それらは債権を生じさせるのみである。」と述べています(Boissonade III, p.172)。

ボワソナアド原案656条の解説は,次のとおり(Boissonade III, pp.172-173)。

 

   法は,生前贈与の定義から始める。その性質は,遺言とは異なり,合意(convention),すなわち意思の合致(un accord de volontés)である。疑いもなく,〔略〕人は自分の意思に反して受遺者となることはできない。しかし,遺贈は,受諾される(accepté)前に存在するのである。すなわち,受遺者は,それと知らずに,拒絶することなく取得するのである。他方,受贈者は,彼が欲する場合であって彼が欲する時にのみ取得するのである。すなわち,彼の承諾(acceptation)は,当該法律行為(l’acte)の成立自体(la formation même)のために必要なのである。

   フランスでは,法は明確な受諾(acceptation)を求めている(フランス民法894条及び932条)。感謝のためのものではない場合においては,その性質からして,受贈者を義務付けるものではないそのような行為〔生前贈与〕というもの〔があり得るなどということ〕には驚かされ得るところである。

   ここで条文は,承諾(acceptation)を求めているが,それ以上の具体的な規定は無い。すなわち,この承諾(acceptation)に要式的かつ明確な性格を与えることが適当であると判断されるのならば,贈与の方式について規定するときにそのことについての説明が必ずやされるであろう。

   当該定義は更に,贈与は利益を無償で〔下線部は原文イタリック〕与えるものであると我々に述べ,かつ,その文言が不確定性を残さないように,別の概念である「対価なしに」によって説明がされている。

   贈与者が受贈者に与えることのできる多様な利益が,同条の文言によって明らかになるようにされている。次のようなものである。

1に,物に係る物権。すなわち,所有権,用益権,使用権,地役権。

2に,債権(droit personnel)又は贈与者が債務者となり受贈者が債権者となる債権(créance)。

3に,贈与者が受贈者の物について有する用益権,使用権又は地上権のような物権の受贈者への移転(remise〔筆者註:これで当該物権は混同で消滅するはずです。〕又は放棄(abandon)。

4に,贈与者が受贈者に対して有していた債権についての受贈者の債務を消滅させる免除(remise)。

法は,これまで既に論ぜられた種々の区別,すなわち,まず特定物の所有権と種類物ないしは定量物の所有権との間の区別,及び次に作為債務と不作為債務との間の区別について再論する要を有しない。より特殊な事項であることから遺贈については再掲することが必要であると解されたこれらの区別は,合意が問題になっているところであるから,ここでは問題にならない。

 

第7 穂積陳重原案の背景忖度

 

1 不要式契約

 現行民法では,贈与は公正証書によることを要する要式契約ではありませんから(旧民法財産取得編3581項対照),旧民法財産取得編349条からその要式性を排除することとして条文を考えると「贈与トハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ移転スル合意ヲ謂フ」となります。

 

2 「移転スル」から「与える」へ

旧民法財産取得編349条では財産を「移転スル」こととなっていますが,現行民法549条では財産を「与える」ことになっています。これは,現行民法の贈与には,財産権の移転のみならず,財産権の設定等も含まれているからでしょう(なお,穂積陳重は「財産」について「物質的ノ権利ニシテ民法ニ認メラレテ居ル所ノ即チ物権,債権ノ全部ヲ含ム積リナノテアリマス」と述べています(民法議事速記録25141丁表)。)。いわく,「例ヘハ無償ニテ所有権,地上権,永小作権等ヲ移転若クハ設定スルハ勿論新ニ債権ヲ与ヘ又ハ既存ノ債権ノ為メニ無償ニテ質権,抵当権等ヲ与フルモ亦贈与ナリ之ニ反シテ相手方ノ利益ノ為メニ物権又ハ債権ヲ抛棄シ又ハ無利息ニテ金銭ヲ貸与シ其他無償ニテ自己ノ労力ヲ他人ノ用ニ供スル等ハ皆贈与ニ非ス」と(梅464頁)。

 

3 「合意」から「意思を表示し,相手方が受諾をする」へ

 

(1)民法549条の「趣旨」

 民法549条と旧民法財産取得編349条との相違は,更に,後者では単に「・・・合意ヲ謂フ」としていたところが前者では「・・・意思を表示し,相手方が受諾をすることによって,その効力を生ずる。」となっているところにあります。民法549条の趣旨は,穂積陳重によれば「贈与ノ効力ヲ生スル時ヲ定メマシタノテアリマス」,「本案ハ受諾ノ時ヨリ其効力ヲ生スルト云フコトヲ申シマシテ一方ニ於テハ此契約タル性質ヲ明カニ致シ一方ニハ何時カラシテ其効力ヲ生スルカト云フコトヲ示シタモノテアリマス」ということとなります(民法議事速記録25139丁表及び裏)。

しかし,贈与が契約であることは,贈与について規定する民法549条から554条までは同法第3編第2章の契約の章の第2節を構成しているところ,その章名からして明らかでしょう。更に,契約の成立については契約に係る総則たる同章の第1節中の「契約の成立」と題する第1款で既に規定されており(申込みと承諾とによる。),かつ,契約の効力の発生時期については,「契約上の義務は,一般に,特に期限の合意がない限り,契約成立と同時に直ちに履行すべきものである」ので(『増補民事訴訟における要件事実第1巻』(司法研修所・1986年)138頁),特殊な性質の契約でない限り,これらの点に関する規定は不要でしょう(民法549条は,これらの原則を修正するものではないでしょう。)。すなわち,筆者としては,穂積陳重のいう民法549条の前記趣旨には余り感心しないところです。

(2)民法550条との関係

 単純に考えれば,民法549条の原案は,「贈与ハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」ないしは「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」でよかったように思われます(終身定期金契約に係る同法689条参照)。

 しかし,民法550条(「書面によらない贈与は,各当事者が解除をすることができる。ただし,履行の終わった部分については,この限りでない。」)があって書面によらない贈与の拘束力は極めて弱いものになっていますので(同条について梅は「本条ハ贈与ヲ以テ要式契約トセル学説ノ遺物」であると指摘しています(梅464頁)。),他の典型契約同様の「約ス」という言葉では贈与者に対する拘束が強過ぎるものと思われたのかもしれません。そこで「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示スルコトニ因リテ其効力ヲ生ス」としてみると,今度は単独行為のようになってしまう。で,単独行為ではなく契約であることをはっきりさせるために「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示シ其相手方カ之ヲ承諾スルニ因リテ其効力ヲ生ス」とすると,お次はあるいは民法643条の委任の規定(受任者の「承諾」をいうもの)との関係で面白くない。同じ「承諾」であるのに,受任者は債務を負うのに受贈者は債務を負わないというのは変ではないか。ということで「受諾」の語を持って来たということはなかったでしょうか。

 と以上のように考えると一応もっともらしいのですが,第81回法典調査会において穂積陳重がそのような説明をせずに混乱してしまっているところからすると,違うようではあります。また,あえてフランス民法的発想を採るならば「全ての生前贈与は,相互的に拘束するもの」となるのですから,受贈者は何らの義務も負わないから「承諾」ではなく「受諾」なのだともいいにくいでしょう。

 それともあるいは民法550条との関係で,「承諾」であると契約が確定してしまうので,暫定的合意である場合(書面によらない贈与の場合)もあることをば示すために「受諾」ということにしたものか(梅によって「嫌ヤナ事ヲ承諾スル」と言われた際の「嫌ヤナ事」とは,この確定性を意味するのでしょうか。)。その上で,「暫定的合意であることを示すものです」と言ってしまうと,暫定的合意たる民法549条の贈与(書面によらないもの)は果たして契約か,また,要物契約だということになるとまだ契約は成立していないことになるのではないか云々ということで議論が面倒臭くなるので,「詰マリ感覚テアリマスナ」という,説明にならない説明的発言に留めたものであったのでしょうか。

穂積陳重は,第81回法典調査会で民法550条の原案(「贈与ハ書面ニ依リテ之ヲ為スニ非サレハ其履行ノ完了マテハ各当事者之ヲ取消スコトヲ得」)に関し「書面ナラバモウ完全ニ贈与契約ハ成立ツ」(民法議事速記録25146丁裏-147丁表)とは言いつつも,「書面テナクシテ口頭又ハ其他ノ意思表示ニ依テ為シタ贈与契約ハ如何ナモノテアルカ」という問題については,要式性を前提とする外国の法制における例として,①「此贈与契約ト云フモノハ成立タヌノテアル総テ成立タタヌノテアル手渡シヲシタナラバ之ヲ取返ヘスコトハ出来ヌ」とするもの〔筆者註:フランスでは,要式性の例外として,現実の手渡しによる現実贈与(don manuel)の有効性が判例で認められていますが,「しかし,現実の引渡が必要であるという要件から,現実贈与の約束なるものには効力を認めていない」そうです(柚木=高木28頁(柚木=松川))。この場合,必要な方式を欠くために無効である約束に法的に拘束されているものと誤信してされた出捐の履行は,返還請求可能の非債弁済と観念され得るようです(Vgl. Motive zu dem Entwurfe eines Bürgerlichen Gesetzbuches für das Deutsche Reich, Bd. II (Amtliche Ausgabe, 1888) S.295.)。(本稿の註1参照)並びに②「手渡ヲ以テ之ニヤツタトキニ於テハ其前カラ効力カアルト云フコトニナツテ居ル」もの及び③「前ニハ丸テ効力ガナカツタノテアルガ後トカラシテ其缺点ヲ補フト云フヤウナコトニナツテ居ル」もの〔筆者註:ドイツ民法5182項は„Der Mangel der Form wird durch die Bewirkung der versprochenen Leistung geheilt.“(方式の欠缺は,約束された給付の実現によって治癒される。)と規定しています。〕があると紹介した上で,「兎ニ角何時カラ契約トシテ成立ツカト云フコトハ能ク明カニナツテ居ラヌ」との残念な総括を述べ,更に旧民法〔財産取得編3582項〕について「此単一ノ手渡ニ為ル贈与ト云フコトハ贈与ノトキニ直クニ手渡ヲスルト云フコトテアラウト思ヒマス永イ間口頭ノ贈与ト云フモノガ成立ツテ居ルト云フコトテハアルマイト思フ」〔同項後段〕,「此慣習ノ贈物ト云フコトモ其範囲ガ明カテアリマセヌ」〔同項前段〕との解釈を語った上で,「夫故ニ書面ニ依ラナイモノハ兎ニ角贈与トシテ成立ツケレドモ其履行ノ完了ガアリマスルマテハ取消スコトガ出来ル」と述べるに留まっています(民法議事速記録25147丁表及び裏)。これはあるいは,方式を欠く贈与契約の拘束力欠如を前提とした上で,当該契約を無効としつつもその履行結果は是認することとした場合(債務がないのにした弁済ではないかとの問題を乗り越えることとした場合)の法律構成の難しさ(上記②及び③)を避けるために,契約は「兎ニ角」有効としつつ,拘束力の欠如をいう代わりに「取消し」の可能をいうことをもって置き換えたということでしょうか。この説明を思い付いて,筆者には自分なりに納得するところがあります。
 なお,この「取消し」の可能性は強行規定であって,弟の八束との兄弟対決において陳重は「書面ニ依ラスシテ取消サレヌ契約ヲ為スト云フヤウナ風ノコトハ許サナイ積リテアリマス」と述べています(民法議事速記録25169丁裏)。〔筆者註:ちなみに,米国では,“Because a gift involves no consideration or compensation, it must be completed by delivery of the gift to be effective. A gratuitous promise to make a gift is not binding.”ということになっているそうです(Smith et al., pp.1109-1110)。「英米法では捺印証書による贈与の場合にも特定履行を請求しえない」(来栖三郎『契約法』(有斐閣・1974年)235頁)。〕

また,穂積陳重の原案では「其履行ノ完了マテハ」当該贈与契約全体を取り消し得ることになっていましたが,第81回法典調査会での議論を経て出来上がった民法550条では「履行の終わった部分」以外の部分に対象が限定されてしまっています。これは,履行が終ったという事実の重みの方が優先されて,書面によらない贈与についてその諾成契約としての単位(契約の「取消し」は,その契約を単位としてされるべきものでしょう。)を重視しないということでしょう。当該修正も,書面によらない贈与も契約であるとの性格付けの意義を弱めるものでしょう。

我妻榮は,書面によらない贈与を「不完全な贈与」と呼んでいます(我妻Ⅴ₂230頁)。

 さてここまで来て不図気付くには,平成29年法律第44号による民法550条の改正が問題になりそうです。当該改正については,「旧法第550条本文は,各当事者は書面によらない贈与を「撤回」することができると定めていたが,ここでの「撤回」は契約の成立後にその効力を消滅させる行為を意味するものであった。もっとも,民法の他の条文ではこのような行為を意味する用語としては「解除」が用いられていることから,新法においては,民法中における用語の統一を図るため,「撤回」を「解除」に改めている(新法第550条本文)。」とされています(筒井=村松264頁)。しかしこれは,書面によらない贈与も堂々たる完全な普通の契約であることを前提とするものでしょう。すなわち,平成16年法律第147号による民法改正の結果として「意思表示に瑕疵があることを理由としないで契約の効力を消滅させる行為を意味する語として,「解除」と「撤回」が併存することとなったが」,用例を調べると,「この意味での撤回は同〔550〕条においてのみ用いられ」,「他方で,「撤回」の語については,同法第550条を除けば,意思表示の効力を消滅させる意味で用いられている」から,贈与という契約の効力の消滅に係るものである同条の「撤回」を「解除」に改めるということでした(法制審議会民法(債権関係)部会資料84-3「民法(債権関係)の改正に関する要綱案の原案(その1)補充説明」(20141216日)15頁)。一人ぼっちの550条を,「撤回」の仲間から省いて,「解除」の大勢に同調させようというわけです。20141216日の法制審議会民法(債権関係)部会第97回会議では,中田裕康委員から「これ自体は十分あり得ると思います。それから,要物契約が諾成化されたことに伴う引渡し前の解除という制度とも,恐らく平仄が合っているんだろうなとは思いまして,これでいいのかなという気もします。」と評されています(同会議議事録36頁)。(なお,当該改正は,深山雅也幹事にとって思い入れの深い,永年の懸案事項であったようで,次のような同幹事の発言があります。いわく,「今の「贈与」の点です。撤回を解除に変えるということについて,私はこの部会の当初,議論が始まった頃に,解除の方がいいのではないかという趣旨で,撤回という用語はあまりよくないということを申し上げた記憶があります。そのときは,ここは〔平成〕16年改正で変えたばかりなんだという御指摘を頂いて一蹴されて残念な思いをした覚えがあって,それで諦めていたところ〔筆者註:同部会第16回会議(20101019日)議事録6頁及び10頁参照〕,この土壇場で敗者復活したことについて非常に喜ばしく思っています。」と(同部会第97回会議議事録36頁)。ここで,「敗者復活」というのは,当該改正は,2014826日の民法(債権関係)の改正に関する要綱仮案には含まれていなかったからです。「この土壇場で」というのは,何やら,どさくさ紛れにという響きもあって不穏ですが,無論そのようなことはなかったものでしょう。)

 これに対して,民法549条において承諾ならぬ「受諾」の語にあえて固執した民法起草者らが,更に同法550条においては解除ならぬ「取消し」の語(同条の「解除」は,最初は「取消し」でした。「取消し」が「撤回」となったのは前記の平成16年法律第147号による改正の結果でした。ちなみに,富井=本野のフランス語訳では,民法550条の「取り消す」は“révoquer”,総則の「取り消す」は“annuler”,契約を「解除する」は“résilier”です。)をわざわざ用いたのは,彼らの深謀遠慮に基づくものではなかったと果たしていってよいものかどうか。(フランス民法的伝統の影をいうならば,生前贈与は契約にあらずとの前記ナポレオン・ボナパルト発言の重み及び贈与と遺贈との恵与(libéralités)としての統一的把握が挙げられるところです(「受諾」の語との関係で出て来た民法旧1217号及び旧142号は,いずれも贈与と遺贈とを一括りにする規定でした。また,「撤回」の語が示すものは,旧民法において「言消」(rétractation)又は「廃罷」(révocation)と呼称されたものを含んでいますが,旧民法においては廃罷は銷除,解除(本稿の註2参照)その他と共に義務の消滅事由の一つとされ(旧民法財産編4501項),贈与及び遺贈についてはその廃罷に係る規定があったところです(旧民法財産取得編363条から365条まで並びに399条から403条まで及び405条)。)。)

 とはいえ,民法549条の「受諾」の外堀が埋まりつつあるようにも思われます。同条の「受諾」の語は,早々に「承諾」に置き換えられるべきもの歟,それともなお保存されるべきもの歟。


 

  (註1)ドイツ民法第一草案の第440条は贈与契約の要式性を定めてその第1項は「ある者が他の者に何物かを贈与として給付する旨約束する契約は,その約束が裁判手続又は公証手続に係る方式で表示された場合にのみ有効である。(Der Vertrag, durch welchen Jemand sich verpflichtet, einem Anderen etwas schenkungsweise zu leisten, ist nur dann gültig, wenn das Versprechen in gerichtlicher oder notarieller Form erklärt ist.)」と規定し,続く同草案441条は「譲渡によって執行された贈与は,特別な方式の履践がない場合であっても有効である。(Die durch Veräußerung vollzogene Schenkung ist auch ohne Beobachtung einer besonderen Form gültig.)」と規定しています(ここの「譲渡」が誤訳でないことについては,以下を辛抱してお読みください。)。

   上記両条の関係について,第一草案理由書は,次のように説明しています(S.295)。ドイツ人は,理窟っぽい。

 

    第440441条の両規定は,自立しつつ並立しているものである。それらの隣接関係は,方式を欠く(受諾された(akzeptirten))贈与約束(Schenkungsversprechen)から,訴求不能ではあるものの,しかし履行のために給付された物の返還請求は許されない義務(自然義務(Naturalobligation))が発生すること,又は贈与約束の方式違背から生ずる無効性が執行によって治癒されることを意味するものではない。反対に,方式を欠き,又は方式に違背する贈与約束は,無効であり,かつ,執行によって事後的に治癒せられるものでもないのである。贈与者が,方式に違背し,したがって無効である契約の履行に法的に拘束されているという錯誤によって(solvendi causa(弁済されるべき事由により))給付した場合においては,第441条の意味において執行された贈与ではなく,存在するものと誤って前提された拘束力の実現があるだけである。したがって,存在しない債務(Nichtschuld)に係る給付に基づく返還請求に関する原則の適用がみられることになる。この結論は,反対の規定が欠缺しているところ(in Ermangelung entgegenstehender Bestimmungen),一般的法原則自体から生ずるものである〔略〕。このような場合,事実行為は,草案の意図するところの,譲渡によって執行された贈与である,との外観を有するだけである。贈与として給付されたのではなく,むしろ,〔有効な債務と誤解した無効な贈与債務を〕animo solvendi(弁済する意図で)されたものである。すなわち,有効な贈与約束の履行も,即自的にはそれ自体は贈与ではなく,存在する拘束力の実現であるがごとし,なのである。しかしながら,贈与者が,有効ではない贈与約束を見逃して(unter Absehen von dem ungültigen Schenkungsversprechen),ないしはその無効性の認識の下で(in Kenntnis von der Nichtichkeit des letzteren),贈与として給付すると約束したその物をanimo donandi(贈与する意図で)給付したときは,別様に判断される。そのときには,第441条によって有効な,独立の財産出捐が,すなわち,新しい,しかも執行済みの贈与が存在するのである。仮に,無効な約束がその動機をなしていたとしても,そうである。この法律関係は,先立つ約束なしに贈与者が直ちに「譲渡によって」受贈者に対してanimo domandi(贈与する意図で)贈与を執行する,かの場合と同一である。したがって,第441条の規定は,既存の(方式を欠く,又は方式に違背した)贈与約束を前提とするものでは全くないのである。それは,贈与者が既存の(無効な)約束を見逃して,又は先立つ約束なしに,被贈与物に応じた事実行為をもって贈与を執行したときに適用されるのである。



 (註
2)「解除」,「銷除」及び「廃罷」の使い分けについて,ボワソナアドは次のように説明しています(Boissonade II, pp.861-862)。

 

    慣用及び法律は,事実既に長いこと,「解除(résolution)」の語を,当該契約の成立後に生じた事情に基づく契約の廃棄(destruction)――ただし,合意又は法によってあらかじめ当該効果が付されている契約についてである――について使用するものと認めている。また,“résiliation”の語も,同じ意味で,特に賃貸借について,また場合によっては売買について,慣用に倣って法律において時に用いられる。「銷除(rescision)」の語は,〔略〕その成立における意思の合致(consentement)の瑕疵又はその際の無能力の理由をもって契約が廃棄される場合に用いられる。最後に,「廃罷(révocation)」の語は,まずもって,かつ,最も正確には,契約当事者が「その言葉を撤回する(retire sa parole)」,すなわち,譲渡した物を取り戻す(reprend ce qu’il a aliéné)場合に用いられる。特に,贈与の場合において,受贈者が忘恩的であり,又は課された負担の履行を欠くときである(フランス民法953条以下参照)。〔略〕

    「廃罷」の語は,また,債務者がした債権者の権利を詐害する譲渡又は約束を覆すためにされる債権者の訴訟(action)について用いられる。〔後略〕

 

なお,旧民法における契約の「解除」については,その財産編421条に「凡ソ双務契約ニハ義務ヲ履行シ又ハ履行ノ言込ヲ為セル当事者ノ一方ノ利益ノ為メ他ノ一方ノ義務不履行ノ場合ニ於テ常ニ解除条件ヲ包含ス/此場合ニ於テ解除(résolution)ハ当然行ハレス損害ヲ受ケタル一方ヨリ之ヲ請求スルコトヲ要ス然レトモ裁判所ハ第406条ニ従ヒ他ノ一方ニ恩恵上ノ期限ヲ許与スルコトヲ得」と規定していました(下線は筆者によるもの)。

  

 

 
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第1 申込みと承諾とによる契約の成立

 民法(明治29年法律第89号)の第5221項は,202041日から平成29年法律第44号の施行(同法附則1条及び平成29年政令第309号)によって新しくなって,「契約は,契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示(以下「申込み」という。)に対して相手方が承諾をしたときに成立する。」と規定しています。当該新規定の効能は,「契約は契約の申込みとこれに対する承諾によって成立するとの一般的な解釈を明文化するとともに,契約の「申込み」の定義を明文で定めている」ところにあるそうです(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)214頁)。

 契約の内容が示されるのは申込みにおいてなので,「承諾」は,「申込をそのまま承諾する必要があり」ます(内田貴『民法Ⅱ 債権各論』(東京大学出版会・1997年)31頁)。「このように,申込をあたかも鏡のように反映した内容で承諾しなければならないという原則は,アメリカではミラーイメージ・ルールと呼ばれている」そうです(同頁)。“An acceptance must be positive and unequivocal. It may not change any of the terms of the offer, nor add to, subtract from, or qualify in any way the provisions of the offer. It must be the mirror image of the offer.”ということになります(Len Young Smith, G. Gale Robertson, Richard A. Mann, and Barry S. Roberts, Smith and Robertson’s Business Law, Seventh Edition, St. Paul, MN (West Publishing, 1988), p.194)。「承諾者が,申込みに条件を付し,その他変更を加えてこれを承諾したときは,その申込みの拒絶とともに新たな申込みをしたものとみなす」ものとされます(民法528条)。

 

第2 贈与契約の冒頭規定(民法549条)における受贈者の「受諾」との文言

 さて,申込みと承諾とによる契約の成立に係る前記のような予備知識を几帳面にしっかり学んだ上で,我が民法における13の典型契約の筆頭たる贈与契約に係る冒頭規定を見ると,いきなりいささか混乱します。承諾であるものと通常解されるべきであろう行為について,なぜか「受諾」という語が用いられているからです。

 

   (贈与) 

  第549条 贈与は,当事者の一方がある財産を無償で相手方に与える意思を表示し,相手方が受諾をすることによって,その効力を生ずる。〔下線は筆者によるもの〕

 

 なお,同条は,平成29年法律第44号による改正前は次のとおりでした。

 

   (贈与)

  第549条 贈与は,当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し,相手方が受諾をすることによって,その効力を生ずる。〔下線は筆者によるもの〕

 

それまでの民法549条を平成29年法律第44号によって改正した趣旨は,「旧法第549条は,文言上,贈与は「自己の財産」を無償で与えるものとしていたが,判例(最判昭和44131日)は,他人の物を贈与する契約も有効であると解していたことから,同条の「自己の財産」を「ある財産」に改めている(新法第549条)」ものだそうです(筒井=村松264頁)。

 平成16年法律第147号による200541日からの改正(同法附則1条及び平成17年政令第36号)前の民法549条は次のとおりでした。

 

  第549条 贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示シ相手方カ受諾ヲ為スニ因リテ其効力ヲ生ス

 

なお,契約が申込みと承諾とにより成立することに関して指摘されるべき民法549条の文言の不自然性については,次のように説くものがあります。いわく,「贈与は契約(●●)である。申込をするのが贈与する者(贈与者)で,承諾(ママ)をするのが贈与を受ける者(受贈者)であることを必要とするのではない(549条の文字はそう読めるが,普通の場合のことをいつているだけのことである)。然し,とにかく,当事者の合意を必要とする」と(我妻榮『債権各論 中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1973年)223)。しかし,承諾であるべきものが,なぜ法文では「受諾」と呼ばれて「承諾」ではないのかについては,やはりここでも触れられてはいません。(ちなみに,贈与者から申込みがされる場合を普通の場合とする我妻榮先生は,「ねぇ,あれちょうだい,これちょうだい」と受贈者側からおねだり(申込み)をされたことはなかったもの歟。なお,申込みをする側と承諾をする側とが固定されてあるべき場合があることについては,「陰神乃先唱曰,妍哉,可愛少男歟。陽神後和之曰,妍哉,可愛少女歟。遂為夫婦」であれば残念ながら「生蛭児」であって「便載葦船而流之」ということになったが,やり直して「陽神先唱曰,妍哉,可愛少女歟。陰神後和之曰,妍哉,可愛少男歟。然後同宮共住」と正せば「而生児,号大日本豊秋津洲」となった,との日本書紀の記述(巻第一神代上・第4段一書第一)を御参照ください。)

「承諾」の語は,申込みに対する意思表示について用いられるのであって(申込みのいわば外側で使用される。「申込み」←承諾),申込みにおいて示される契約の内容を民法において記述する際には用いられず(申込みのいわば内側においては使用されない。),当該内容記述のためには,「承諾」ではなくて「約する」とか「受諾」の語が用いられるのだ(「申込み:契約の内容の表示(「約する」,「受諾」等)」←承諾),という説明も考えてみました。しかし,委任に係る民法643条は,契約の内容を示す際に「承諾」の語を用いており(「委任は,当事者の一方が法律行為をすることを相手方に委託し,相手方がこれを承諾することによって,その効力を生ずる。」),うまくいきません。しかも,旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)230条では「代理ハ黙示ニテ之ヲ委任シ及ヒ之ヲ受諾スルコトヲ得」と「受諾」の語を用いていたものが,民法643条ではきちんと「承諾」に改められているところです。

 

第3 法典調査会における議論

 

1 第81回法典調査会

 

(1)原案

民法549条は,1895426日の第81回法典調査会に提出された原案においては次のとおりの文言でした(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第25巻』138丁裏)。

 

 第548条 贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示シ其相手方カ之ヲ受諾スルニ因リテ其効力ヲ生ス

 

(2)箕作麟祥の質疑

やはり似たようなことを考える人がいるもので,筆者と同様の疑問を,第81回法典調査会における審議の際箕作麟祥委員が担当起草委員の穂積陳重に対してぶつけ,両者(及び梅謙次郎)の間で次のような問答が交わされます(民法議事速記録25141丁裏-142丁裏)。

 

 箕作麟祥君 一寸詰マラヌコトテアリマスガ伺ヒマスガ此「(ママ)諾」ト云フ字テアリマスガ是ハ前ノ申込ノ所ニアルヤウナ承諾ト云フ文字ノ方ガ当リハシナイカト思ヒマスガ何ウテアリマセウカ夫カラ「相手方カ之ヲ」ト云フコトガアリマスガ此「之ヲ」ハ何ヲ受諾スルノテアリマスカ

 穂積陳重君 「受諾」ノ字ハお考ノ通リ「承諾」ノ方カ全体本統カモ分リマセヌガ贈与丈ハ何ンダカ「受諾」ト申ス方カ宜イヤウナ心持テアリマシテ屢々使ヒマス例ヘハ第15条ノ第7号ニモ「遺贈若クハ贈与ヲ拒絶シ又ハ負担附ノ遺贈若クハ贈与ヲ受諾スルコト〔平成11年法律第149号による改正前の民法1217号は,準禁治産者がそれを行うには保佐人の同意を要する行為として「贈与若クハ遺贈ヲ拒絶シ又ハ負担附ノ贈与若クハ遺贈ヲ受諾スルコト」を掲げていました。〕夫レカラ第17条ノ第7号ニモアリマス贈与若クハ遺贈ヲ受諾シ又ハ拒絶スルコト〔昭和22年法律第222号で削除される前の民法142号は,妻がそれを行うには夫の許可を要する行為として「贈与若クハ遺贈ヲ受諾シ又ハ之ヲ拒絶スルコト」を掲げていました。〕」何ンタカ事ヲ諾フノテ承知シタト云フヨリ受ケル方カ宜イヤウナ心持テ是迄使ヒ来ツテ居ツタノテスカ・・・

  箕作麟祥君 夫レハ承知シテ居リマスガ夫レハマダ練レヌ中ノ御案テ・・・

  穂積陳重君 今度モ吾々ノ中テ考ヘテ見マシタガ贈与ト云フト此方カ宜イヤウニ思ヒマス夫レカラ「之ヲ」ト云フコトハ其前ノ事柄ヲト云フ意味ノ積リテアリマシタガ或ハ充分テナイカモ知レマセヌ

  箕作麟祥君 意思ヲ表示シタ事柄ヲ受諾スルト云フノテアリマスカ

  穂積陳重君 ソウテアリマス

  箕作麟祥君 事柄ト云フト可笑シクハアリマセヌカ事柄ト云フナラハ尚ホ「承諾」ト云フ方カ宜イヤウニ思ヒマスガ然ウ云フ理由カアルナラハ強テ申シマセヌガ尚ホ一ツ御一考ヲ願ヒタイモノテアリマス

  梅謙次郎君 詰マリ感覚テアリマスナ

  穂積陳重君 夫レハモウ然ウナツテモ一向差支ヘナイノテス,マア一度考ヘテ見マセウ

 

箕作麟祥が「是ハ前ノ申込ノ所ニアルヤウナ承諾ト云フ文字ノ方ガ当リハシナイカト思ヒマスガ何ウテアリマセウカ」と法典の整合性論で攻めて来たのに対し,穂積陳重は「「受諾」ノ字ハお考ノ通リ「承諾」ノ方カ全体本統カモ分リマセヌガ」及び「夫レハモウ然ウナツテモ一向差支ヘナイノテス」と,箕作の正しさを認めたような形でたじたじとなっています。そこに梅謙次郎が――自分たちの原案擁護のためでしょうが――口を挟んでいるのですが,「詰マリ感覚テアリマスナ」とはいかにも軽い。(「感覚」で済むのなら,世の法律論議は気楽なものです。)真面目に議論している箕作は,あるいはむっとなったものかどうか。同席していた富井政章などは,はらはらしたのではないでしょうか。

 

 〔自信力というものが非常に強かったことのほか,梅謙次郎の〕第2の欠点は,会議などには時時言葉が荒過ぎた,少し物を感情に持つ人は敬礼を失すると云ふやうな非難が時時あつた。私なども度度遭遇したのである(東川徳治『博士梅謙次郎』(法政大学=有斐閣・1917年)219-220頁(「富井政章氏の演説」))

 

(3)横田國臣の意見

 また,第81回法典調査会における穂積陳重案548条の議論の最後に,横田國臣委員が次のように発言しています(民法議事速記録25144丁表)。

 

  横田國臣君 文字ノコトテアリマスカラ,モウ別ニ私ハ主張ハ致シマセヌガ此「其相手方」ト云フ「其」ト云フ字ハ要ルマイト思フノテス「当事者ノ一方カ」トアルカラナクテモ宜カラウト思フ夫レカラ「之ヲ」ト云フ字モ要ルマイト思フノテゴザイマス指スノモ其事柄ト云フ位テアルカラナイ方カ宜カラウ是ハ唯整理ノトキノ御参考ニ申シテ置キマス

 

2 第11回民法整理会

 

(1)梅謙次郎の説明

 前記議論の結末は,18951228日の法典調査会第11回民法整理会において,結局次のようになりました(日本学術振興会『法典調査会民法整理会議事速記録第4巻』68丁裏-69丁裏。なお,筆者において適宜段落分けをしました。)。

 

  梅謙次郎君 之ハ当時横田さんカラ御注意カアツテ「其相手方」ト言フト上ニ「相手方」トアルカラ「其相手方」,「其相手方」カ一向分ラヌ当事者ノ一方ノ相手方ナラハ前ニ付テ居ル斯ウ云フ可笑シナ書キヤウハナイ
 「之ヲ」ト言フト「之ヲ」カ,トウモ何ヲ受ケテ居ルノカ意思ヲ受諾スルノテモナカラウ余程可笑シナ文字タカラ能ク考ヘテ置テ呉レト云フコトテアリマシタ之モ退テ考ヘテ見マスルト成程文章カ悪ルイ,ソレテ「相手方カ受諾ヲ為スニ因リテ」トシマシタ
 序テニ申シマスカ此「受諾」ト云フ文字ニ付テ箕作先生カラ之ハ既成法典ニモアツタカ可笑シナ字テ「承諾」ト云フヤウナ字ニテモ直シタラ,トウカト云フ御注意カアリマシタ之ニ付テモ相談ヲシマシタカ無論「受諾」ト云フ字テナケレハナラヌト云フコトモナイ「承諾」テモ宜シイ理窟ノ方カラ言
(ママ)テモ契約ノ方ニモ「承諾」トアツテ「贈与」モ契約テアルカラ理窟カラ言ツテモ其方カ無論宜シイ
 カ唯タ総則抔ニ「遺贈若クハ贈与ヲ受諾スル」ト云フヤウナ言葉カ使(ママ)テアリマシタカ,サウ云フヤウナトキハ契約テハアルカ大変意思ノ方ニ持ツテ来テ居リマスカラ同シ言葉テ言ヒ顕ハスコトカ出来ル
 又吾々ノ中テモ貰(ママ)コトヲ承諾スルト云フト嫌ヤナ事ヲ承諾スルト云フヤウニ聞ヘルカラ,ソレテ「受諾」ト言フ方カ宜シイト云ウヤウナ感シテ,ソレテ賛成スル方モアツタヤウテアリマスカラ旁々以テ此儘ニシテ置キマシタ

  議長(箕作麟祥君) ソレテハ547条ハ御発議カナケレハ朱書ニ決シマス〔略〕

 

 ということなのですが,よく理解するためには,なお細かな分析が必要であるようです。

 

(2)梅説明の分析

 

ア 「受諾」の対象(その1):「意思ヲ表示シタ事柄」ではない

梅は「「之ヲ」(),トウモ何ヲ受ケテ居ルノカ意思ヲ受諾スルノテモナカラウ」と横田國臣から注意されたものと整理した上で(なお,横田の発言は,前記のとおり,「之ヲ」が「指スノモ其事柄ト云フ位テアル」という認識に基づくものです。),「成程文章カ悪ルイ,ソレテ「相手方カ受諾ヲ為スニ因リテ」トシマシタ」というのですから,穂積陳重原案にあったところの先立つ「之ヲ」を削った民法549条の「受諾」の対象は「意思ヲ表示シタ事柄」ではないことになります。すなわち贈与契約の申込みの内側において表示されている契約の内容の「受諾」ではなく,なおそれとは異なった次元のものの「受諾」なのだということなのでしょう。「意思ヲ受諾スルノテモナカラウ」との疑念が生ずるおそれを払拭するということであれば,事柄ではなく「意思」が「受諾」の対象となるのでしょう。

 

イ 「受諾」の対象(その2):申込み

しかして,「理窟ノ方カラ言(ママ)テモ契約ノ方ニモ「承諾」トアツテ「贈与」モ契約テアルカラ理窟カラ言ツテモ其方カ無論宜シイ」との発言が続きます。結局民法549条の「受諾」は,贈与契約の申込みたる意思表示に対する承諾だったのかということになります。

ちなみに,富井政章及び本野一郎による1898年出版の我が民法549条のフランス語訳は“La donation produit effet par la déclaration de volonté que fait l’une des parties de transmettre à l’autre un bien à titre gratuit et par l’acceptation de celle-ci.”となっており(Code Civil du l’Empire du Japon Livres I, II et III promulgués le 28 avril 1896(新青出版・1997年)),最後の“celle-ci”“l’autre des parties”たる相手方のことです。この“par l’acceptation de celle-ci”(相手方の受諾により)と対になるのは“par la déclaration de volonté que fait l’une des parties”(当事者の一方がなす意思表示により)ですので,相手方の“l’acceptation”の対象は,「当事者の一方」の「意思表示」であるものと解すべきものでしょう。契約の効力の発生に際しての意思表示に対する“l’acceptation”ということになれば,「承諾」の文字が念頭に浮かぶところです(民法5221項参照)。

 

ウ 旧民法における「言込」及び「受諾」並びに「承諾」

ついでながら,梅は「受諾」の文字は旧民法(「既成法典」)にあったという認識であったようなのでこれについて見てみると,贈与に係る旧民法財産取得編第14編(明治23年法律第98号)349条から367条までには「受諾」の文字はないのですが,旧民法財産編(明治23年法律第28号)3041項の第1は,贈与がその一つである合意(贈与の定義に係る旧民法財産取得編349条参照)の成立要件として「当事者又ハ代人ノ承諾」を掲げ,旧民法3061項は「承諾トハ利害関係人トシテ合意ニ加ハル総当事者ノ意思ノ合致ヲ謂フ」と「承諾」を定義しているところ(総当事者が「承諾」をするのであって,相手方のみが承諾をするのではありません。),遠隔者間において合意を取り結ぶ場合については,「合意ノ言込」及びその「受諾」ということがあるものとされていました(旧民法財産編308条)。

フランス語ではどうかというと,「承諾トハ利害関係人トシテ合意ニ加ハル総当事者ノ意思ノ合致ヲ謂フ」は,“Le consentement est l’accord des volontés de toutes les parties qui figurent dans la convention comme intéressées.”ということで(Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, nouvelle édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations. (Tokio, 1891) p.53),「承諾」は“consentement”,また,「言込」は“offre”,「受諾」は“acceptation”となっていました(Boissonade II, p.53-54)。

現行民法の契約の章においては,「言込」が「申込み」に,「受諾」が「承諾」に改められたわけです。契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示を受けた相手方が「受諾」するものとする用語法であれば,旧民法の用語法を引きずったものということになります。

 

エ 民法旧1217号及び旧142項との横並び論

結局,承諾ではあるが「受諾」の文字を使うということであれば,総則の民法旧1217号及び旧142号との横並び論ということになるのでしょうが,これは,犬が尻尾を振るのであれば,尻尾が犬を振ってもいいじゃないか,というような議論であるようにも思われます。贈与に関することはまず贈与の節において決定されるべきであって,総則における用字は,それら各則における諸制度の共通性を踏まえて後から抽象化を経て決定されるべきものでしょう。

そもそも,総則の前記両号があるから贈与について当該両号に揃えたのだ,と言った場合,じゃあ遺贈についてはなぜ同じように当該両号と揃えなかったのかね,という反論が可能でありました。遺贈については,例えば民法旧1089条前段は「遺贈義務者其他ノ利害関係人ハ相当ノ期間ヲ定メ其期間内ニ遺贈ノ承認又ハ抛棄ヲ為スヘキ旨ヲ受遺者ニ催告スルコトヲ得」と規定していたところです(民法現行987条前段参照)。「遺贈義務者其他ノ利害関係人ハ相当ノ期間ヲ定メ其期間内ニ遺贈ノ受諾又ハ拒絶ヲ為スヘキ旨ヲ受遺者ニ催告スルコトヲ得」ではありません。

なお,「契約テハアルカ大変意思ノ方ニ持ツテ来テ居リマスカラ同シ言葉テ言ヒ顕ハスコトカ出来ル」との梅発言の意味は取りにくいのですが,これは,契約ならば厳密には申込みと承諾とによって成立することになるが,受遺者による遺贈の承認による効果(なお,遺贈は単独行為であって,契約ではありません。)と同様の効果を目的する受贈者の意思表示を当該遺贈の承認と一まとめにして「同シ言葉テ言ヒ顕ハ」して総称するのならば,「受諾」という言葉でいいじゃないか(効果意思は同様である。),ということでしょうか。しかし,民法旧1217号及び旧142号における,遺贈関係とまとめて規定しなければならないという特殊事情に基づく総称を,そのような事情のない同法549条の贈与の本体規定にそのまま撥ね返らせるのは,おかしい。

 

オ 「承」諾と「受」諾との感覚論

 

(ア)ポツダム宣言

感覚論としては,「承諾」はいやなことについてで,「受諾」はいいものを貰うときの用語である,というような説明がされています。しかし,そうだとすると,1945814日の詔書に「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇4国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」とあって「承諾スル旨」とされていなかったのは,昭和天皇にとってポツダム宣言はありがたい申込みであって,渋々「承諾」するようなものではなく,実は欣然「受諾」せられたのであった,ということになるのでしょうか。(ただし,「受諾」は「条約において,acceptの訳語として多く用いられる」ので(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)377頁),4敵国に対するポツダム宣言の「受諾」といういい方をここでもしただけなのだ,ということかもしれません。)

 

(イ)漢字「承」及び「受」並びに「諾」の成り立ち

なお,『角川新字源』(1978年・第123版)によれば,「承」の成り立ちは,「会意形声。もと,手と,持ち上げる意と音とを示す(ショウ)とからなり,手でささげすすめる,転じて「うける」意を表わす」ということだそうです。また,同辞書は,「受」の成り立ちについて,「形声。引き合っている手〔象形文字略。上の「爪」の部分と下の「又」の部分が対応するようです。〕と,音符(シゥ)(ワは変わった形。うつす意→(シュ))とから成り,うけわたしする,転じて「うける」意を表わす。」ということであると説明しています。手を上げる所作が必要な「承」に比べて「受」の方はより事務的である,ということになるのでしょうか。
 同じ漢和辞書における「諾」の成り立ちの説明は,「会意形声。言と,従う意と音とを示す若ジャク→ダクとからなり,「うべなう」意を表わす。」というものです。「うべなう」の意味は,『岩波国語辞典第四版』(1986年)によれば「いかにももっともだと思って承知する。」,『角川新版古語辞典』(1973年)では「①服従する。承服する。〔略〕②謝罪する。〔略〕③承諾する。」と説かれています。
 

カ 民法の現代語化改正による横並び論の根拠文言の消失(2005年4月)

ところで,民法旧12条は,平成16年法律第147号によって200541日から(同法附則1条及び平成17年政令第36号)民法13条に移動し,同条17号は「贈与の申込みを拒絶し,遺贈を放棄し,負担付贈与の申込みを承諾し,又は負担付遺贈を承認すること。」に改められて,同号から「受諾」の語は消えています。すなわち,同号においては,負担付きのものについてですが,贈与の申込みに対する肯定の意思表示は「受諾」ではなく承諾であるものと明定されるに至っているわけです。

民法現行1317号の改正は,「民法現代語化案」に関する意見募集に際して法務省民事局参事官室から発表された200484日付けの「民法現代語化案補足説明」において,「確立された判例・通説の解釈で条文の文言に明示的に示されていないもの等を規定に盛り込む」ものとも,「現在では存在意義が失われている(実効性を喪失している)規定・文言の削除・整理を行う」ものともされていませんので,当該「補足説明」にいう,民法「第1編から第3編までの片仮名・文語体の表記を平仮名・口語体に改める」と共に「全体を通じて最近の法制執務に則して表記・形式等を整備する」ことの一環だったのでしょう。「現代では一般に用いられていない用語を他の適当なものに置き換える」ということではなかったのでしょう。

しかしながら,他方,民法1317号(旧1217号)との横並び論もあらばこそ,平成16年法律第147号による改正を経ても民法549条の「受諾」は「承諾」に改められずにそのままとされました。同条の「受諾」がそのまま維持されたことが平成16年法律第147号の法案起草担当者による見落としによるものでないのならば,当該受諾について,これは契約の申込みに対する承諾そのものではないという判断が,「最近の法制執務に則して」されたことになるようです。

 

第4 現行法令における「受諾」の用法

 

1 辞典的定義

ところで,村上謙・元内閣法制局参事官によれば,「受諾」は「相手方又は第三者の主張,申出,行動等に同意することをいう」ものであって,前記のとおり「条約において,acceptの訳語として多く用いられる」ほか,「国内法上では調停案の受諾(労働関係調整法26)等の用例のほか,旧「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」(昭和20勅令542号)などというのがある」とのことです(吉国等377頁)。

 

2 実際の用例

 

(1)調停等,ポツダム命令,国際的約束及びその他

ということで,その実際を見るべく,e-Gov法令検索を利用して現行の法律並びに政令及び勅令(すなわち内閣法制局参事官の審査を経た法令)の本則中「受諾」の語を用いている条が何条あるかを調べてみると全部で69箇条であって,その内訳を4種類に分類して示せば,①調停案,和解案又は斡旋案について「受諾」をいうもの計40箇条(労働関係調整法(昭和21年法律第25号)261項及び2項,労働関係調整法施行令(昭和21年勅令第478号)10条,地方自治法(昭和22年法律第67号)250条の19251条の23項,4項及び7項並びに251条の311項から13項まで,金融商品取引法(昭和23年法律第25号)77条の23項,156条の4424号及び5号並びに6項並びに156条の506項,建設業法(昭和24年法律第100号)25条の134項,中小企業等協同組合法(昭和24年法律第181号)9条の223項,土地改良法(昭和24年法律第195号)65項,酪農及び肉用牛生産の振興に関する法律(昭和29年法律第182号)22条及び23条,生活衛生関係営業の運営の適正化及び振興に関する法律(昭和32年法律第164号)14条の122項,小売商業調整特別措置法(昭和34年法律第55号)163項,小売商業調整特別措置法施行令(昭和34年政令第242号)8条及び91項,入会林野等に係る権利関係の近代化の助長に関する法律(昭和41年法律第126号)84項,農業振興地域の整備に関する法律(昭和44年法律第58号)154項,公害紛争処理法(昭和45年法律第108号)23条の242号,341項及び3項並びに362項,公害紛争処理法施行令(昭和45年政令第253号)32項及び12条,雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(昭和47年法律第113号)22条,銀行法(昭和56年法律第59号)52条の6724号及び5号並びに6項並びに52条の736項,貸金業法(昭和58年法律第32号)41条の4424号及び5号並びに6項並びに41条の506項,保険業法(平成7年法律第105号)308条の724号及び5号並びに6項並びに308条の136項,民事訴訟法(平成8年法律第109号)264条,特定債務等の調整の促進のための特定調停に関する法律(平成11年法律第158号)16条,独立行政法人国民生活センター法(平成14年法律第123号)25条,信託業法(平成16年法律第154号)85条の724号及び5号並びに6項並びに85条の136項並びに家事事件手続法(平成23年法律第52号)1732号,2422号,2522項及び2701項),②旧「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」が出て来るもの計9箇条(金融機関再建整備法(昭和21年法律第39号)336項及び37条の63項,昭和22年法律第721条の2,ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く大蔵省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第43号)813号,国の債権の管理等に関する法律施行令(昭和31年政令第337号)925号,連合国財産の返還等に伴う損失の処理等に関する法律(昭和34年法律第165号)1条,国民年金法等の一部を改正する法律の施行に伴う経過措置に関する政令(昭和61年政令第54号)124号,日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(平成3年法律第71号)31号イ並びに特別会計に関する法律施行令(平成19年政令第124号)411号),③国際的約束に係る「受諾」をいうもの計9箇条(関税定率法(明治43年法律第54号)732号,9項から11項まで及び28項並びに822号,8項から10項まで及び31項,相殺関税に関する政令(平成6年政令第415号)45項及び112項から5項まで,不当廉売関税に関する政令(平成6年政令第416号)75項及び142項から5項まで,国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律(平成16年法律第115号)31号ロ並びに武力紛争の際の文化財の保護に関する法律(平成19年法律第32号)23号及び61項)及び④その他計11箇条(民法4961項及び549条,手形法(昭和7年法律第20号)563項,国会法(昭和22年法律第79号)102条の153項及び4項並びに1042項及び3,国家公務員法(昭和22年法律第120号)1091号,議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律(昭和22年法律第225号)52項及び3項並びに5条の34項及び5,宗教法人法(昭和26年法律第126号)134号,港湾法施行令(昭和26年政令第4号)65号並びに特定外貿埠頭の管理運営に関する法律施行令(平成18年政令第278号)37号)ということになります。


 
(2)「その他」の内訳(更に6分類)

問題は,前記④の11箇条です。

 

ア 立法府対行政府

まず,国会法102条の15及び104条並びに議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律5条及び5条の3については,各議院又はその委員会等と内閣,官公署若しくは行政機関の長(国会法)又は公務所,監督庁若しくは行政機関の長(議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律)との間の関係において,前者の求めを後者が拒否する場合においてその理由として疎明されたところを前者が受け容れるときに「受諾」するという言葉が使われているものとして整理できそうです。無論これらの場面は,契約の申込みを承諾する場面とは異なります。

 

イ 公務員の任用等

次に,国家公務員法1091号(「第7条第3項の規定〔「人事官であつた者は,退職後1年間は,人事院の官職以外の官職に,これを任命することができない。」〕に違反して任命を受諾した者」)及び宗教法人法134号(「代表役員及び定数の過半数に当る責任役員に就任を予定されている者の受諾書」)は,人事上の就任行為に関するものですが,委任契約であれば,当然承諾の語が用いられるべきものです(民法643条参照)。一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(平成18年法律第48号)においては,一般社団法人の設立時理事,設立時監事及び設立時代表理事並びに一般財団法人のそれら及び設立時評議員について就任の「承諾」という語が用いられています(同法31823号及び31925号。また,株式会社につき商業登記法(昭和38年法律第125号)47210号)。

しかし,公務員の任用行為の法律上の性質については,「任用行為の性質については,公法上の契約説と,単独行為説とがある。前者は,公務員の任用に本人の同意を要する点を重視し,後者は,公務員関係の内容が任命権者の一方的に定めるところである点を重視する。しかし,これは,法律上には格別意義のない論争で,かつては,この論争が政治的目的に悪用される弊害さえ生じたことがある。公法上の契約説は,天皇の任官大権を侵犯するものとして非難したごときこれである。その実体に即し,「相手方の同意を要件とする特殊の行為」と考えるべき」ものとされているところ(田中二郎『新版 行政法 中巻 全訂第2版』(弘文堂・1976年)245-246頁註(1)),特殊の行為であるがゆえに契約のように承諾の語を使うことができず(公法上の契約説にかつて加えられた上記非難に係るトラウマもあるいはあったかもしれません。),かつ,「同意」は「他の者がある行為をすることについて賛成の意思を表示することをいう」とされているので(吉国等558頁),任用行為の当事者である被任用者が他人事のように同意をするというのも変であろうということから(なお,国家公務員法51項参照),「任命の受諾」ということになったものでしょうか。

宗教法人の役員については,宗教団体法(昭和14年法律第77号)時代には「寺院又ハ教派,宗派若ハ教団ニ属スル教会ノ設立ノ認可ヲ申請セントスルトキハ申請書ニ寺院規則又ハ教会規則及管長又ハ教団統理者ノ承認書ノ外左ノ事項ヲ記載シタル書類並ニ住職又ハ教会主管者タルベキ者及総代タルベキ者ノ同意書ヲ添附シ之ヲ地方長官ニ提出スベシ(宗教団体法施行規則(昭和15年文部省令第1号)131項柱書き。下線は筆者によるもの。また,同条2項柱書き。なお,寺院は当然法人です(宗教団体法22項)。)とされていましたが,ここでの住職又ハ教会主管者タルベキ者の「同意」は,寺院又は教会の設立に対する同意ではなく,それぞれの就任についてのものであったように思われます。委任において用いられる「承諾」ではなく「同意」の語が用いられたのは,「大審院判例(大正7419,大正6125民)は右の太政官布達〔明治17811日太政官布達第19号〕に寺院の住職を任免することは「各管長ニ委任シ」云々とあることを根拠として,住職の任免は国家から管長に委任せられたもので,現在に於いてもそれは国の行政事務の一部であるとする見解を取つて居る」(美濃部達吉『日本行政法下巻』(有斐閣・1940年)564頁)という我が国の政教分離前の伝統によるものでもありましょうか。行政事務ということになれば,公務員の任用行為同様,民法の契約の概念を直接当てはめるわけにはいかないわけでしょう。しかして同意は,前記のとおり「他の者がある行為をすることについて賛成の意思を表示することをいう」ということなので,宗教法人法134号を起草するに当たって,役員らの就任行為については,「承諾」の語を避けつつ,自らするのは変はである「同意」ではなく,受諾のいかんが問題になるのだというふうに書き振りを改めたものでしょうか。


 
ウ 執行受諾行為

3に,港湾法施行令65号及び特定外貿埠頭の管理運営に関する法律施行令37号ですが,これは,港湾管理者の貸付金に関する貸付けの条件の基準の一つとして「貸付けを受ける者〔又は指定会社〕は,港湾管理者の指示により,貸付金についての強制執行の受諾の記載のある公正証書を作成するために必要な手続をとらなければならないものとすること。」を掲げるものです。債務名義たる執行証書に関する規定です。執行証書は,金銭の一定の額の支払又はその他の代替物若しくは有価証券の一定の数量の給付を目的とする請求について公証人が作成した公正証書で,債務者が直ちに強制執行に服する旨の陳述が記載されているもの」(民事執行法(昭和54年法律第4号)225号)ですが,「債務者が公証人に対して,直ちに強制執行に服する旨の意思を陳述することを執行受諾行為」というものとされています(『民事弁護教材 改訂民事執行(補正版)』(司法研修所・2005年)5頁)。「執行受諾行為は,執行力という訴訟上の効果を生ずる行為であり,また,公証人という準国家機関に対してする行為であるから,訴訟行為である」ところです(同頁)。

 

エ 参加引受け

4に,手形法563項(「参加ノ他ノ場合ニ於テハ所持人ハ参加引受ヲ拒ムコトヲ得若所持人ガ之ヲ受諾スルトキハ被参加人及其後者ニ対シ満期前ニ有スル遡求権ヲ失フ」)は,参加引受けという手形行為に関する規定です。参加引受けに対する所持人の承諾の有無ではなく受諾の有無が問題になるということは,参加引受けは参加引受人と所持人との間での契約(申込みと承諾とで成立)ではない,と観念されていることになるようです。

手形行為に関しては,周知のとおり交付契約説,創造説及び発行説があるわけですが,創造説,発行説又は参加引受けは手形の相手方への交付という単独行為と解する説(上柳克郎等編『手形法・小切手法』(有斐閣双書・1978年)47頁(上柳克郎)参照)からすると,「所持人ガ之ヲ受諾スルトキ」と規定されていることは自説の補強材料になるのだ,ということになるのでしょう。

なお,そもそもの為替手形及約束手形ニ関シ統一法ヲ制定スル条約(193067日ジュネーヴにおいて署名)第一附属書563項を見ると“In other cases of intervention the holder may refuse an acceptance by intervention. Nevertheless, if he allows it, he loses his right of recourse before maturity against the person on whose behalf such acceptance was given and against subsequent signatories.”ということであって,実はあっさりしたものです。参加は英語では“intervention”,引受けは“acceptance”です。すなわち,英語の“acceptance”には,契約の申込みに対する承諾との意味の外に,手形法上の引受けとの意味もあるのでした。さすがに“acceptance”“acceptance”するとは書けませんね。「acceptance=承諾」の出番はなかったのでした。

 

オ 供託

5に,供託に係る民法4961項(「債権者が供託を受諾せず,又は供託を有効と宣告した判決が確定しない間は,弁済者は,供託物を取り戻すことができる。この場合においては,供託をしなかったものとみなす。」)ですが,そもそも供託自体が弁済者と債権者との間での契約ではないところです。「供託の法律的性質は,第三者のためにする寄託契約である(537-539条・657条以下参照)。すなわち,供託者と供託所との契約は寄託であるが,これによって債権者をして寄託契約上の権利を取得せしめるものである。本来の債務者に代って供託所が債務者となるようなものである」と説かれています(我妻榮『新訂 債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)307頁)。供託者からの供託の申込みを承諾するのは供託所であるということになるようです。「「放擲」(特殊な観念)と事務管理の融合したものとする異説」もあるそうですが(星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』(良書普及会・1981年)275頁参照),この場合も債権者は契約の当事者になりません。民法4961項は富井=本野のフランス語訳では “La chose consignée peut être retirée, tant que le créancier n’a pas déclaré accepter la consignation ou qu’il n’a pas été rendu un jugement passé en forece de chose jugée déclarant la consignation régulière. Dans ce cas, la consignation est censée n’avoir pas été faite.となっていますので,フランス語の“accepter”は,「承諾する」及び「受諾する」のいずれをも含む幅広い意味の言葉であるということになります。なお,同項は,旧民法財産編4782項(「然レトモ債権者カ供託ヲ受諾セス又其供託カ債務者ノ請求ニテ既判力ヲ有スル判決ニ因リテ有効ト宣告セラレサル間ハ債務者ハ其供託物ヲ引取ルコトヲ得但此場合ニ於テハ義務ハ旧ニ依リ存在ス」)に由来するところ,旧民法財産編4782項の本となったボワソナアド原案の501条の21項は,次のとおりでした(Boissonade II, p.621)。

 

  500 bis.   Toutefois, tant que le créancier n’a pas accepté la consignation ou qu’elle n’a pas été, à la demande du débiteur, déclarée valable par jugement ayant acquis force de chose jugée, celui-ci peut la retirer et la libération est réputée non avenue.

 

 フランス語で“accepter”とあれば機械的に「承諾」と訳すのではなく,訳語の選択には工夫がされていたわけです。

 

カ 民法549条

 契約であるところの贈与に係る民法549条における用法に似た「受諾」の用法は,以上見た範囲では,ほかにはなさそうです。法制執務的には,一人ぼっちでちょっと心細い。

後編に続く(
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078025256.html




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1 三種ノ神器と後鳥羽天皇及び後醍醐天皇

 安徳天皇を奉じ三種ノ神器を具しての平家都落ちを承けて前年急遽践祚した第82代後鳥羽天皇の即位の大礼を,後白河法皇が翌七月に行おうとしていることに関する元暦元年(寿永三年)(1184年)六月廿八日の九条兼実日記(『玉葉』)の批判的記述。

 

 ・・・何況(なんぞいわんや)不帯剣璽(けんじをおびざる)即位之例出来者(いできたらば),後代乱逆之(もとい),只可在(このことに)此事(あるべし)・・・

 

 壇ノ浦の合戦において安徳天皇が崩御し,平家は滅亡,三種ノ神器のうち鏡及び璽は回収されたものの剣は失われてしまったのは,その翌年のことでした。
 承久三年の乱逆は,元暦元年から37年後のことです。九条家は,兼実の孫の道家の代となっていました。 

 また,頼山陽『日本外史』巻之五新田氏前記楠氏にいわく。

 

 〔建武三年(1336年),後醍醐〕帝の(けつ)(かえ)るや,〔足利〕尊氏(すで)に新帝〔光厳天皇〕の弟を擁立す。これを北朝光明帝となす。帝に神器を伝へんことを請ふ。〔後醍醐〕帝(ゆる)さず。尊氏,〔後醍醐〕帝を花山院に(とら)へ,従行の者僧(ゆう)(かく)らを殺し,その余を(こう)(しゅう)す。・・・〔三条〕(かげ)(しげ)(ひそか)に計を進め,(のが)れて大和に(みゆき)せしむ。〔後醍醐〕帝,夜,婦人の()を服し,(かい)(しょう)より出づ。(たす)けて馬に(のぼ)せ,景繁,神器を(にな)つて従ふ。・・・ここにおいて,行宮(あんぐう)を吉野に(),四方に号令す。(頼成一=頼惟勤訳『日本外史(上)』(岩波文庫・1976年)313314頁)

 

 同じく巻之七足利氏正記足利氏上にいわく。

 

 〔後醍醐〕帝,〔新田〕義貞をして,太子を奉じ越前に赴かしめ,(しこう)して()を命じて闕に還る。〔足利〕直義,兵に将としてこれを迎へ,(すなわ)ち新主〔光明天皇〕のために剣璽を請ふ。〔後醍醐〕帝,偽器(ぎき)を伝ふ。(頼成一=頼惟勤訳『日本外史(中)』(岩波文庫・1977年)26頁)

 

 しかし,偽器まで使って(あざむ)き給うのは,さすがにどうしたものでしょうか。

 

2 天皇の退位等に関する皇室典範特例法案要綱

昨日(2017年5月10日),京都新聞のウェッブ・サイトに「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案要綱」というものが掲載されていました。当該要綱(以下「本件要綱」といいます。)の第二「天皇の退位及び皇嗣の即位」には「天皇は,この法律の施行の日限り,退位し,皇嗣が,直ちに即位するものとすること。」とあり,第六「附則」の一「施行期日」には「1 この法律は,公布の日から起算して3年を超えない範囲内において政令で定める日から施行するものとすること。」とあります。すなわち,全国民を代表する議員によって組織された我が国会が,3年間の期間限定ながら,内閣(政令の制定者)に対し,在位中の天皇を皇位から去らしめ(「天皇は,この法律の施行の日限り,退位し」というのは,法律施行日の夜24時に天皇は退位の意思表示をするものとし,かつ,当該意思表示は直ちに効力を生ずるものとするという意味ではなくて,シンデレラが変身したごとく同時刻をもって天皇は自動的に皇位を失って上皇となるという意味でしょう。),皇嗣をもって天皇とする権限を授権するような形になっています。

 

3 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承と三種ノ神器

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承の際三種ノ神器はどうなるのかが気になるところです。

手がかりとなる規定は,本件要綱の第六の七「贈与税の非課税等」にあります。いわく,

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

 皇室経済法(昭和22年法律第4号)7条は,次のとおり。

 

 第7条 皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける。

 

(1)皇室経済法7条をめぐる解釈論:相続法の特則か「金森徳次郎の深謀」か

 本件要綱の第六の七には「皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物」とあります。ところで,これは,皇位継承があったときに,皇室経済法7条によって直接,三種ノ神器その他の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権は,特段の法律行為を要さずに前天皇から新天皇に移転するということでしょうか。見出しには「贈与税の非課税等」とありますが,ここでの「等」は,皇室経済法7条のこの効力を指し示すものなのでしょうか。

 皇室経済法7条については,筆者はかつて(2014年5月)「「日本国民の総意に基づく」ことなどについて」と題するブログ記事で触れたことがあります。ここに再掲すると,次のごとし。

 

皇室経済法7条は「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける。」と規定しています。同条の趣旨について,19461216日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会において,金森徳次郎国務大臣は次のように説明しています。天皇にも「民」法の適用があることが前提とされています。

 

次ぎに第7条におきまして,日本国の象徴である天皇の地位に特に深い由緒ある物につきましては,一般相続財産に関する原則によらずして,これらのものが常に皇位とともに,皇嗣がこれを受けらるべきものなる旨を規定いたしております,このことはだいたいこの皇室経済法で考えておりまするのは,民法等に規定せられることを念頭にはおかないのでありまするけれども,しかし特に天皇の御地位に由緒深いものの一番顕著なものは,三種の神器などが,物的な面から申しましてここの所にはいるかとも存じますが,さようなものを一般の相続法等の規定によつて処理いたしますることは,甚はだ目的に副わない結果を生じまするので,かようなものは特別なるものとして相続法より除外して,皇位のある所にこれが帰属するということを定めたわけであります。

 

  天皇に民法の適用があるのならば相続税法の適用もあるわけで,19461217日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会におけるその点に関する小島徹三委員の質疑に対し,金森徳次郎国務大臣は次のように答弁しています。

 

・・・だいたい〔皇室経済法〕第7条で考えております中におきましては,はつきり念頭に置いておりますのは,三種の神器でありますけれども,三種の神器を物の方面から見た場合でありますけれども,そのほかにもここに入り得る問題があるのではないか,かように考えております,所がその中におきまして,極く日本の古典的な美術の代表的なものというようなものがあります時に,一々それが相続税の客体になりますと,さような財産を保全することもできないというふうな関係になりまして,制度の関係はよほど考えなければなりませんので,これもまことに卑怯なようでありますけれども,今後租税制度を考えます時に,はっきりそこをきめたい,かように考えております

 

  相続税法12条1項1号に,皇室経済法7条の皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,相続税の非課税財産として掲げられています。

  三種の神器は,国有財産ではありません。19461221日,第91回帝国議会貴族院皇室経済法案特別委員会における大谷正男委員の質疑に対する金森徳次郎国務大臣の答弁は,次のとおり。

 

此の皇位に非常に由緒のあると云ふもの・・・今の三種の神器でありましても,皇位と云ふ公の御地位に伴ふものでありますが故に,本当から云へば国の財産として移るべきものと考ふることが,少くとも相当の理由があると思つて居ります,処がさう云ふ風に致しますると,どうしても神器などは,信仰と云ふものと結び付いて居りまする為に,国の方にそれは物的関係に於ては移つてしまふ,それに籠つて居る精神の関係に於ては皇室の方に置くと云ふことが,如何にも不自然な考が起りまして,取扱上の上にも面白くない点があると云ふのでありまするが故に,宗教に関しまするものは国の方には移さない方が宜いであらう,と致しますると,皇室の私有財産の方に置くより外に仕様がない,こんな考へ方で三種の神器の方は考へて居ります・・・

 

  http://donttreadonme.blog.jp/archives/1003236277.html

 

 要するに筆者の理解では,皇室経済法7条は民法の相続法の特則であって,崩御によらない皇位継承の場合(相続が伴わない場合)には適用がないはずのものでした。生前退位の場合にも適用があるとすれば(確かに適用があるように読み得る文言とはなっています。),これは,皇位継承の原因は崩御のみには限られないのだという理解が,皇室典範(昭和22年法律第3号)及び皇室経済法の起草者には実はあったということになりそうです(両法の昭和天皇による裁可はいずれも同じ1947年1月15日にされています。)。「金森徳次郎の深謀」というべきか。

 しかし,皇室経済法7条が生前退位をも想定していたということになると,現行皇室典範4条の規定(「天皇が崩じたときは,皇嗣が,直ちに即位する。」)は崩御以外の皇位継承原因を排除しているのだという公定解釈の存立基盤があやしくなります。そうなると,本件要綱の第一にある「皇室典範(昭和22年法律第3号)第4条の規定の特例として」との文言は,削るべきことになってしまうのではないでしょうか。

 

(2)贈与税課税の原因となる贈与と所得税の課税対象となる一時所得

 更に困ったことには,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に伴い直ちに皇室経済法7条によって「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権が前天皇から新天皇に移転するのであれば,これは新旧天皇間の贈与契約に基づく財産の授受ではなく,そもそも贈与税の課税対象とはならないのではないでしょうか。

相続税法(昭和25年法律第73号)1条の4第1項は,贈与税の納税義務者を「贈与により財産を取得した個人」としていますが,ここでいう「贈与」とは民法549条の贈与契約のことでしょう(金子宏『租税法(第17版)』(弘文堂・2012年)543頁参照)。相続税法5条以下には贈与により取得したものとみなす場合が規定されていますが,それらは,保険契約に基づく保険金,返還金等(同法5条),定期金給付契約に基づく定期金,返還金等(同法6条),著しく低い価額の対価での財産譲渡(同法7条),債務の免除,引受け及び第三者のためにする債務の弁済(同法8条),信託受益権(同法第1章第3節),並びにその他対価を支払わないで,又は著しく低い価額の対価で利益を受けること(同法9条)であるところ,皇室経済法7条による「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権の移転がみなし贈与であるためには, 相続税法9条の規定するところに該当するか否かが問題になるようです。しかしながら,相続税法9条の適用がある事例として挙げられているのは,同族会社等における跛行増資,同族会社に対する資産の低額譲渡及び妻が夫から無償で土地を借り受けて事業の用に供している場合(金子546頁)といったものですから,どうでしょうか。同条の「当該利益を受けさせた者」という文言からは,当該利益を受けさせた者の効果意思に基づき利益を受ける場合に限られると解すべきではないでしょうか。

むしろ新天皇(若しくは宮内庁内廷会計主管又は麹町税務署長若しくは麻布税務署長)としては,一時所得(所得税法(昭和40年法律第33号)34条1項)があったものとして所得税が課されるのではないか,ということを心配すべきではないでしょうか。一時所得とは「利子所得,配当所得,不動産所得,事業所得,給与所得,退職所得,山林所得及び譲渡所得以外の所得のうち,営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの」をいいます。(ちなみに,所得税法上の各種所得中最後に定義される雑所得は,「利子所得,配当所得,不動産所得,事業所得,給与所得,退職所得,山林所得,譲渡所得及び一時所得のいずれにも該当しない所得」です(同法35条1項)。)個人からの贈与により取得する所得には所得税は課税されませんが(所得税法9条1項16号),そうではない所得については,所得税の課税いかんを考えるべきです。(なお,民法958条の3第1項の特別縁故者に対する相続財産の分与については,1964年の相続税法改正後は遺贈による取得とみなされることとなって相続税が課されることになっていますが(相続税法4条),1962年の制度発足当初は,「相続財産法人からの贈与とされるところから」ということで所得税法による課税対象となっていたとのことです(久貴忠彦=犬伏由子『新版注釈民法(27)相続(2)(補訂版)』(有斐閣・2013年)958条の3解説・767頁。また,阿川清道「民法の一部を改正する法律について」曹時14巻4号66頁)。ただし,「贈与」とした上で「法人からの贈与」だからという理由付けで贈与税非課税(相続税法21条の3第1項1号)とせずとも,所得税の課される一時所得であることの説明は可能であったように思われます。1964年3月26日の参議院大蔵委員会において泉美之松政府委員(大蔵省主税局長)は「従来は一時所得といたしておりました」と答弁していますが(第46回国会参議院大蔵委員会会議録第20号10頁),そこでは「法人からの贈与」だからとの言及まではされていません。そして,神戸地方裁判所昭和58年11月14日判決・行集34巻11号1947頁は「財産分与は,従前は,相続財産法人に属していた財産を同法人から役務又は資産の譲渡の対価としてではなく取得するものであるから,所得税法に規定する一時所得に該当するものとして,所得税が課税されていた。」と判示していて,「贈与」の語を用いていません。)

しかし,今井敬座長以下「高い識見を有する人々の参集」を求めて開催された天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議(2016年9月23日内閣総理大臣決裁)の最終報告(2017年4月21日)のⅣ2には「天皇の退位に伴い,三種の神器(鏡・剣・璽)や宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)などの皇位と共に伝わるべき由緒ある物(由緒物)は,新たな天皇に受け継がれることとなるが,これら由緒物の承継は,現行の相続税法によれば,贈与税の対象となる「贈与」とみなされる。」と明言されてしまっています。贈与税課税規定非適用説は,今井敬座長らの高い識見に盾突く不敬の解釈ということになってしまいます。

 

(3)本件要綱の第六の七の解釈論:贈与契約介在説

そうであれば,三種ノ神器等の受け継ぎが相続税法上の贈与税の課税原因たる「贈与」に該当することになるように,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に際しての三種ノ神器等の承継の法律構成を,本件要綱の第六の七の枠内で考えなければなりません。

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

とあるのは,

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定の趣旨に基づく前天皇との贈与契約により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

との意味であるものと理解すべきでしょうか。(「贈与税の対象となる「贈与」と見なされる。」との文言からは贈与それ自体ではないはずなのですが,みなし贈与に係る相続税法9条該当説は難しいと思われることは前記のとおりです。)

皇室経済法7条により直接三種ノ神器等の所有権が移転するとしても,その原因たる「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承は実のところ現天皇の「譲位意思」に基づくものなのだから広く解して贈与に含まれるのだ,と頑張ろうにも,そもそも「83歳と御高齢になられ,今後これらの御活動〔国事行為その他公的な御活動〕を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じ」ていること(本件要綱の第一)のみから一義的に退位の意思,更に三種ノ神器の贈与の意思までを読み取ってしまうのは,いささか忖度に飛躍があるように思われるところです。

新旧天皇間の贈与については日本国憲法8条の規定(「皇室に財産を譲り渡し,又は皇室が,財産を譲り受け,若しくは賜与することは,国会の議決に基かなければならない。」)の適用いかんが一応問題となりますが,同条は皇室内での贈与には適用がないものと解することとすればよいのでしょう。

贈与税の非課税措置の発効は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の午前零時からです(本件要綱の第六の一)。課税問題を避けるためには,新旧天皇間の贈与契約の効力発生(書面によらない贈与の場合はその履行の終了(金子543頁))はそれ以後でなければならないということになります(国税通則法(昭和37年法律第66号)15条2項5号は贈与による財産の取得の時に贈与税の納税義務が成立すると規定)。しかし,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日当日の24時間中においてはなおも皇位継承は生じないところ(本件要綱の第二参照),その日のうちに三種ノ神器の所有権が次期天皇に移ってしまうのはフライングでまずい。そうであれば,あらかじめ天皇と皇嗣との間で,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の翌日午前零時をもって三種ノ神器その他の皇位とともに伝わるべき由緒ある物の所有権が前天皇から新天皇に移転する旨の贈与契約を締結しておくべきことになるのでしょう(午前零時きっかりに意思表示を合致させて贈与契約を締結するのはなかなか面倒でしょう。)。

ちなみに,上の行うことには下これに倣う。相続税については,皇室経済法7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物の価額は相続税の課税価格に算入しないものとされていること(相続税法12条1項1号)にあたかも対応するように,人民らの墓所,霊廟及び祭具並びにこれらに準ずるものの価額も相続税の課税価格に算入しないこととされています(同項2号)。そうであれば,贈与税について,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に際して皇嗣が贈与を受けた皇位とともに伝わるべき由緒ある物については贈与税を課さないものとするのであれば,人民向けにも同様の非課税措置(高齢による祭祀困難を理由とした祭祀主宰者からの墓所,霊廟及び祭具並びにこれらに準ずるものの贈与について非課税措置を講ずるといったようなもの)が考えられるべきなのかもしれません。

 

(4)三種ノ神器贈与の意思表示の時期

とここまで考えて,一つ難問が残っていることに気が付きました。

天皇から皇嗣に対する三種ノ神器の贈与は,正に皇室において新天皇に正統性を付与する行為(更に人によっては三種ノ神器の授受こそが「譲位」の本体であると思うかもしれません。)であって,三種ノ神器も国法的には天皇の私物にすぎないといえども,当該贈与の意思表示を華々しく天皇がすることは日本国憲法4条1項後段の厳しく禁ずるところとされている「国政に関する権能」の行使に該当してしまうのではないか,という問題です。皇位継承が既成事実となった後に,もはや天皇ではなくなった上皇からひそやかに贈与の意思表示があるということが憲法上望ましい,ということにもなるのではないでしょうか。(三種ノ神器の取扱いいかんによっては信教の自由に関する問題も生じ得るようなので,その点からも三種ノ神器を受けることが即位の要件であるという強い印象が生ずることを避けるべきだとする配慮もあり得るかもしれません。「天皇に対してはもろに政教分離の原則が及ぶ,と考えざるを得ない。なぜか。憲法第20条第3項は「国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定しているからである。実際のところ,神道儀式を日常的に公然とおこなう天皇が,神道以外のありとあらゆる宗教・宗派を信奉する国民たちの「統合の象徴」であるというのは,おかしな話である。天皇は「象徴」であるためには,宗教的に中立的であらねばならない。」と説く論者もあるところです(奥平康弘『「萬世一系」の研究(下)』(岩波現代文庫・2017年(単行本2005年))264頁)。)

しかしそうなると,新天皇は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の翌日午前零時に即位した時点においては三種ノ神器の所有権を有しておらず,当該即位は,九条兼実の慨嘆した不帯剣璽(けんじをおびざる)即位之例となるということもり得るようです。ただし,後醍醐前天皇が光明天皇にしたような三種ノ神器を受けさせないいやがらせは,現在では考えられぬことでしょう。(後醍醐前天皇としては,光明天皇の贈与税御負担のことを忖度したのだと主張し給うのかもしれませんが。)

なお,三種ノ神器は,国法上は不融通物ではありませんが(世伝御料と定められた物件は分割譲与できないものとする明治皇室典範45条も1947年5月2日限り廃止されています。),天皇といえども任意に売却等できぬことは(ただし,日本国憲法8条との関係では,相当の対価による売買等通常の私的経済行為を行う限りにおいてはその度ごとの国会の議決を要しません(皇室経済法2条)。なお,相当の対価性確保のためには,オークション等を利用するのがよろしいでしょうか。),皇室の家法が堅く定めているところでしょう。

面倒な話をしてしまいました。しかし,源義経のように三種ノ神器をうっかり長州の海の底に取り落としてしまうようなわけにはなかなかいきません。

ところで,長州といえば,尊皇,そして明治維新。現在,政府においては,明治元年(1868年)から150年の来年(2018年)に向け「明治150年」関連施策をすることとしているそうです。明治期の立憲政治の確立等に貢献した先人の業績等を次世代に(のこ)す取組もされるそうですが,ここでの「先人」に大日本帝国憲法の制定者である明治大帝は含まれるものか否か。
 大日本帝国憲法3条は,規定していわく。

 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

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仲恭天皇九条陵(京都市伏見区)(2017年11月撮影)
(後鳥羽天皇の孫である仲恭天皇は,武装関東人らが京都に乱入した承久三年(1221年)の乱逆の結果,在位の認められぬ廃帝扱いとされてしまいました。)
 
(ところで,その仲恭天皇陵の手前の敷地に,長州出身の昭和の内閣総理大臣2名が記念植樹をしています。)
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「明治維新百年記念植樹 佐藤榮作」(佐藤は,東京オリンピック後の1964年11月9日から沖縄の本土復帰後の1972年7月6日まで内閣総理大臣在職)
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「明治維新百年記念植樹 岸信介」(岸は,1957年2月25日から現行日米安全保障条約発効後の1960年7月19日まで内閣総理大臣在職)
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(1868年1月27日(慶応四年一月三日)から翌日にかけての鳥羽伏見の戦いにおける防長殉難者之墓が実は仲恭天皇陵の手前にあるところ,1867年11月9日(慶応三年十月十四日)の大政奉還上表提出(有名な徳川慶喜の二条城の場面はその前日)から100年たったことを記念して,1967年(昭和42年)11月に信介・榮作の兄弟は東福寺(京都市東山区)の退耕庵に共に宿して秋の京都を楽しみ,かつ,長州・防州(山口県)の尊皇の先達の霊を慰めた,ということなのでしょう。当時現職の内閣総理大臣であった榮作は,この月12日から20日まで訪米し(米国大統領はジョンソン),15日ワシントンD.C.で発表された日米共同声明においては,沖縄返還の時期を明示せず,小笠原は1年以内に返還ということになりました。帰国後11月21日の記者会見において佐藤内閣総理大臣は,国民の防衛努力を強調しています。)

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東福寺の紅葉
(東福寺を造営した人物は,仲恭天皇の叔父にして,かつ,摂政だった九条道家。しかし,ふと思えば,承久の変の際箱根迎撃論を抑えて先制的京都侵攻を主張し,鎌倉方の勝利並びに仲恭天皇の廃位及び後鳥羽・順徳・土御門3上皇の配流に貢献してしまった大江広元は,長州藩主毛利氏の御先祖でした。その藩主の御先祖のいわば被害者である仲恭天皇の陵の前で,長州人らが自らの尊皇を誇り,明治維新百年を祝うことになったとは・・・。) 


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