Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

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1 三種ノ神器と後鳥羽天皇及び後醍醐天皇

 安徳天皇を奉じ三種ノ神器を具しての平家都落ちを承けて前年急遽践祚した第82代後鳥羽天皇の即位の大礼を,後白河法皇が翌七月に行おうとしていることに関する元暦元年(寿永三年)(1184年)六月廿八日の九条兼実日記(『玉葉』)の批判的記述。

 

 ・・・何況(なんぞいわんや)不帯剣璽(けんじをおびざる)即位之例出来者(いできたらば),後代乱逆之(もとい),只可在(このことに)此事(あるべし)・・・

 

 壇ノ浦の合戦において安徳天皇が崩御し,平家は滅亡,三種ノ神器のうち鏡及び璽は回収されたものの剣は失われてしまったのは,その翌年のことでした。
 承久三年の乱逆は,元暦元年から37年後のことです。九条家は,兼実の孫の道家の代となっていました。 

 また,頼山陽『日本外史』巻之五新田氏前記楠氏にいわく。

 

 〔建武三年(1336年),後醍醐〕帝の(けつ)(かえ)るや,〔足利〕尊氏(すで)に新帝〔光厳天皇〕の弟を擁立す。これを北朝光明帝となす。帝に神器を伝へんことを請ふ。〔後醍醐〕帝(ゆる)さず。尊氏,〔後醍醐〕帝を花山院に(とら)へ,従行の者僧(ゆう)(かく)らを殺し,その余を(こう)(しゅう)す。・・・〔三条〕(かげ)(しげ)(ひそか)に計を進め,(のが)れて大和に(みゆき)せしむ。〔後醍醐〕帝,夜,婦人の()を服し,(かい)(しょう)より出づ。(たす)けて馬に(のぼ)せ,景繁,神器を(にな)つて従ふ。・・・ここにおいて,行宮(あんぐう)を吉野に(),四方に号令す。(頼成一=頼惟勤訳『日本外史(上)』(岩波文庫・1976年)313314頁)

 

 同じく巻之七足利氏正記足利氏上にいわく。

 

 〔後醍醐〕帝,〔新田〕義貞をして,太子を奉じ越前に赴かしめ,(しこう)して()を命じて闕に還る。〔足利〕直義,兵に将としてこれを迎へ,(すなわ)ち新主〔光明天皇〕のために剣璽を請ふ。〔後醍醐〕帝,偽器(ぎき)を伝ふ。(頼成一=頼惟勤訳『日本外史(中)』(岩波文庫・1977年)26頁)

 

 しかし,偽器まで使って(あざむ)き給うのは,さすがにどうしたものでしょうか。

 

2 天皇の退位等に関する皇室典範特例法案要綱

昨日(2017年5月10日),京都新聞のウェッブ・サイトに「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案要綱」というものが掲載されていました。当該要綱(以下「本件要綱」といいます。)の第二「天皇の退位及び皇嗣の即位」には「天皇は,この法律の施行の日限り,退位し,皇嗣が,直ちに即位するものとすること。」とあり,第六「附則」の一「施行期日」には「1 この法律は,公布の日から起算して3年を超えない範囲内において政令で定める日から施行するものとすること。」とあります。すなわち,全国民を代表する議員によって組織された我が国会が,3年間の期間限定ながら,内閣(政令の制定者)に対し,在位中の天皇を皇位から去らしめ(「天皇は,この法律の施行の日限り,退位し」というのは,法律施行日の夜24時に天皇は退位の意思表示をするものとし,かつ,当該意思表示は直ちに効力を生ずるものとするという意味ではなくて,シンデレラが変身したごとく同時刻をもって天皇は自動的に皇位を失って上皇となるという意味でしょう。),皇嗣をもって天皇とする権限を授権するような形になっています。

 

3 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承と三種ノ神器

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承の際三種ノ神器はどうなるのかが気になるところです。

手がかりとなる規定は,本件要綱の第六の七「贈与税の非課税等」にあります。いわく,

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

 皇室経済法(昭和22年法律第4号)7条は,次のとおり。

 

 第7条 皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける。

 

(1)皇室経済法7条をめぐる解釈論:相続法の特則か「金森徳次郎の深謀」か

 本件要綱の第六の七には「皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物」とあります。ところで,これは,皇位継承があったときに,皇室経済法7条によって直接,三種ノ神器その他の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権は,特段の法律行為を要さずに前天皇から新天皇に移転するということでしょうか。見出しには「贈与税の非課税等」とありますが,ここでの「等」は,皇室経済法7条のこの効力を指し示すものなのでしょうか。

 皇室経済法7条については,筆者はかつて(2014年5月)「「日本国民の総意に基づく」ことなどについて」と題するブログ記事で触れたことがあります。ここに再掲すると,次のごとし。

 

皇室経済法7条は「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける。」と規定しています。同条の趣旨について,19461216日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会において,金森徳次郎国務大臣は次のように説明しています。天皇にも「民」法の適用があることが前提とされています。

 

次ぎに第7条におきまして,日本国の象徴である天皇の地位に特に深い由緒ある物につきましては,一般相続財産に関する原則によらずして,これらのものが常に皇位とともに,皇嗣がこれを受けらるべきものなる旨を規定いたしております,このことはだいたいこの皇室経済法で考えておりまするのは,民法等に規定せられることを念頭にはおかないのでありまするけれども,しかし特に天皇の御地位に由緒深いものの一番顕著なものは,三種の神器などが,物的な面から申しましてここの所にはいるかとも存じますが,さようなものを一般の相続法等の規定によつて処理いたしますることは,甚はだ目的に副わない結果を生じまするので,かようなものは特別なるものとして相続法より除外して,皇位のある所にこれが帰属するということを定めたわけであります。

 

  天皇に民法の適用があるのならば相続税法の適用もあるわけで,19461217日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会におけるその点に関する小島徹三委員の質疑に対し,金森徳次郎国務大臣は次のように答弁しています。

 

・・・だいたい〔皇室経済法〕第7条で考えております中におきましては,はつきり念頭に置いておりますのは,三種の神器でありますけれども,三種の神器を物の方面から見た場合でありますけれども,そのほかにもここに入り得る問題があるのではないか,かように考えております,所がその中におきまして,極く日本の古典的な美術の代表的なものというようなものがあります時に,一々それが相続税の客体になりますと,さような財産を保全することもできないというふうな関係になりまして,制度の関係はよほど考えなければなりませんので,これもまことに卑怯なようでありますけれども,今後租税制度を考えます時に,はっきりそこをきめたい,かように考えております

 

  相続税法12条1項1号に,皇室経済法7条の皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,相続税の非課税財産として掲げられています。

  三種の神器は,国有財産ではありません。19461221日,第91回帝国議会貴族院皇室経済法案特別委員会における大谷正男委員の質疑に対する金森徳次郎国務大臣の答弁は,次のとおり。

 

此の皇位に非常に由緒のあると云ふもの・・・今の三種の神器でありましても,皇位と云ふ公の御地位に伴ふものでありますが故に,本当から云へば国の財産として移るべきものと考ふることが,少くとも相当の理由があると思つて居ります,処がさう云ふ風に致しますると,どうしても神器などは,信仰と云ふものと結び付いて居りまする為に,国の方にそれは物的関係に於ては移つてしまふ,それに籠つて居る精神の関係に於ては皇室の方に置くと云ふことが,如何にも不自然な考が起りまして,取扱上の上にも面白くない点があると云ふのでありまするが故に,宗教に関しまするものは国の方には移さない方が宜いであらう,と致しますると,皇室の私有財産の方に置くより外に仕様がない,こんな考へ方で三種の神器の方は考へて居ります・・・

 

  http://donttreadonme.blog.jp/archives/1003236277.html

 

 要するに筆者の理解では,皇室経済法7条は民法の相続法の特則であって,崩御によらない皇位継承の場合(相続が伴わない場合)には適用がないはずのものでした。生前退位の場合にも適用があるとすれば(確かに適用があるように読み得る文言とはなっています。),これは,皇位継承の原因は崩御のみには限られないのだという理解が,皇室典範(昭和22年法律第3号)及び皇室経済法の起草者には実はあったということになりそうです(両法の昭和天皇による裁可はいずれも同じ1947年1月15日にされています。)。「金森徳次郎の深謀」というべきか。

 しかし,皇室経済法7条が生前退位をも想定していたということになると,現行皇室典範4条の規定(「天皇が崩じたときは,皇嗣が,直ちに即位する。」)は崩御以外の皇位継承原因を排除しているのだという公定解釈の存立基盤があやしくなります。そうなると,本件要綱の第一にある「皇室典範(昭和22年法律第3号)第4条の規定の特例として」との文言は,削るべきことになってしまうのではないでしょうか。

 

(2)贈与税課税の原因となる贈与と所得税の課税対象となる一時所得

 更に困ったことには,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に伴い直ちに皇室経済法7条によって「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権が前天皇から新天皇に移転するのであれば,これは新旧天皇間の贈与契約に基づく財産の授受ではなく,そもそも贈与税の課税対象とはならないのではないでしょうか。

相続税法(昭和25年法律第73号)1条の4第1項は,贈与税の納税義務者を「贈与により財産を取得した個人」としていますが,ここでいう「贈与」とは民法549条の贈与契約のことでしょう(金子宏『租税法(第17版)』(弘文堂・2012年)543頁参照)。相続税法5条以下には贈与により取得したものとみなす場合が規定されていますが,それらは,保険契約に基づく保険金,返還金等(同法5条),定期金給付契約に基づく定期金,返還金等(同法6条),著しく低い価額の対価での財産譲渡(同法7条),債務の免除,引受け及び第三者のためにする債務の弁済(同法8条),信託受益権(同法第1章第3節),並びにその他対価を支払わないで,又は著しく低い価額の対価で利益を受けること(同法9条)であるところ,皇室経済法7条による「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権の移転がみなし贈与であるためには, 相続税法9条の規定するところに該当するか否かが問題になるようです。しかしながら,相続税法9条の適用がある事例として挙げられているのは,同族会社等における跛行増資,同族会社に対する資産の低額譲渡及び妻が夫から無償で土地を借り受けて事業の用に供している場合(金子546頁)といったものですから,どうでしょうか。同条の「当該利益を受けさせた者」という文言からは,当該利益を受けさせた者の効果意思に基づき利益を受ける場合に限られると解すべきではないでしょうか。

むしろ新天皇(若しくは宮内庁内廷会計主管又は麹町税務署長若しくは麻布税務署長)としては,一時所得(所得税法(昭和40年法律第33号)34条1項)があったものとして所得税が課されるのではないか,ということを心配すべきではないでしょうか。一時所得とは「利子所得,配当所得,不動産所得,事業所得,給与所得,退職所得,山林所得及び譲渡所得以外の所得のうち,営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの」をいいます。(ちなみに,所得税法上の各種所得中最後に定義される雑所得は,「利子所得,配当所得,不動産所得,事業所得,給与所得,退職所得,山林所得,譲渡所得及び一時所得のいずれにも該当しない所得」です(同法35条1項)。)個人からの贈与により取得する所得には所得税は課税されませんが(所得税法9条1項16号),そうではない所得については,所得税の課税いかんを考えるべきです。

しかし,今井敬座長以下「高い識見を有する人々の参集」を求めて開催された天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議(2016年9月23日内閣総理大臣決裁)の最終報告(2017年4月21日)のⅣ2には「天皇の退位に伴い,三種の神器(鏡・剣・璽)や宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)などの皇位と共に伝わるべき由緒ある物(由緒物)は,新たな天皇に受け継がれることとなるが,これら由緒物の承継は,現行の相続税法によれば,贈与税の対象となる「贈与」とみなされる。」と明言されてしまっています。贈与税非適用説は,今井敬座長らの高い識見に盾突く不敬の解釈ということになってしまいます。

 

(3)本件要綱の第六の七の解釈論:贈与契約介在説

そうであれば,三種ノ神器等の受け継ぎが相続税法上の贈与税の課税原因たる「贈与」に該当することになるように,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に際しての三種ノ神器等の承継の法律構成を,本件要綱の第六の七の枠内で考えなければなりません。

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

とあるのは,

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定の趣旨に基づく前天皇との贈与契約により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

との意味であるものと理解すべきでしょうか。

皇室経済法7条により直接三種ノ神器等の所有権が移転するとしても,その原因たる「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承は実のところ現天皇の「譲位意思」に基づくものなのだから広く解して贈与に含まれるのだ,と頑張ろうにも,そもそも「83歳と御高齢になられ,今後これらの御活動〔国事行為その他公的な御活動〕を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じ」ていること(本件要綱の第一)のみから一義的に退位の意思,更に三種ノ神器の贈与の意思までを読み取ってしまうのは,いささか忖度に飛躍があるように思われるところです。

新旧天皇間の贈与については日本国憲法8条の規定(「皇室に財産を譲り渡し,又は皇室が,財産を譲り受け,若しくは賜与することは,国会の議決に基かなければならない。」)の適用いかんが一応問題となりますが,同条は皇室内での贈与には適用がないものと解することとすればよいのでしょう。

贈与税の非課税措置の発効は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の午前零時からです(本件要綱の第六の一)。課税問題を避けるためには,新旧天皇間の贈与契約の効力発生(書面によらない贈与の場合はその履行の終了(金子543頁))はそれ以後でなければならないということになります(国税通則法(昭和37年法律第66号)15条2項5号は贈与による財産の取得の時に贈与税の納税義務が成立すると規定)。しかし,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日当日の24時間中においてはなおも皇位継承は生じないところ(本件要綱の第二参照),その日のうちに三種ノ神器の所有権が次期天皇に移ってしまうのはフライングでまずい。そうであれば,あらかじめ天皇と皇嗣との間で,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の翌日午前零時をもって三種ノ神器その他の皇位とともに伝わるべき由緒ある物の所有権が前天皇から新天皇に移転する旨の贈与契約を締結しておくべきことになるのでしょう(午前零時きっかりに意思表示を合致させて贈与契約を締結するのはなかなか面倒でしょう。)。

ちなみに,上の行うことには下これに倣う。相続税については,皇室経済法7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物の価額は相続税の課税価格に算入しないものとされていること(相続税法12条1項1号)にあたかも対応するように,人民らの墓所,霊廟及び祭具並びにこれらに準ずるものの価額も相続税の課税価格に算入しないこととされています(同項2号)。そうであれば,贈与税について,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に際して皇嗣が贈与を受けた皇位とともに伝わるべき由緒ある物については贈与税を課さないものとするのであれば,人民向けにも同様の非課税措置(高齢による祭祀困難を理由とした祭祀主宰者からの墓所,霊廟及び祭具並びにこれらに準ずるものの贈与について非課税措置を講ずるといったようなもの)が考えられるべきなのかもしれません。

 

(4)三種ノ神器贈与の意思表示の時期

とここまで考えて,一つ難問が残っていることに気が付きました。

天皇から皇嗣に対する三種ノ神器の贈与は,正に皇室において新天皇に正統性を付与する行為(更に人によっては三種ノ神器の授受こそが「譲位」の本体であると思うかもしれません。)であって,三種ノ神器も国法的には天皇の私物にすぎないといえども,当該贈与の意思表示を華々しく天皇がすることは日本国憲法4条1項後段の厳しく禁ずるところとされている「国政に関する権能」の行使に該当してしまうのではないか,という問題です。皇位継承が既成事実となった後に,もはや天皇ではなくなった上皇からひそやかに贈与の意思表示があるということが憲法上望ましい,ということにもなるのではないでしょうか。(三種ノ神器の取扱いいかんによっては信教の自由に関する問題も生じ得るようなので,その点からも三種ノ神器を受けることが即位の要件であるという強い印象が生ずることを避けるべきだとする配慮もあり得るかもしれません。「天皇に対してはもろに政教分離の原則が及ぶ,と考えざるを得ない。なぜか。憲法第20条第3項は「国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定しているからである。実際のところ,神道儀式を日常的に公然とおこなう天皇が,神道以外のありとあらゆる宗教・宗派を信奉する国民たちの「統合の象徴」であるというのは,おかしな話である。天皇は「象徴」であるためには,宗教的に中立的であらねばならない。」と説く論者もあるところです(奥平康弘『「萬世一系」の研究(下)』(岩波現代文庫・2017年(単行本2005年))264頁)。)

しかしそうなると,新天皇は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の翌日午前零時に即位した時点においては三種ノ神器の所有権を有しておらず,当該即位は,九条兼実の慨嘆した不帯剣璽(けんじをおびざる)即位之例となるということもり得るようです。ただし,後醍醐前天皇が光明天皇にしたような三種ノ神器を受けさせないいやがらせは,現在では考えられぬことでしょう。(後醍醐前天皇としては,光明天皇の贈与税御負担のことを忖度したのだと主張し給うのかもしれませんが。)

なお,三種ノ神器は,国法上は不融通物ではありませんが(世伝御料と定められた物件は分割譲与できないものとする明治皇室典範45条も1947年5月2日限り廃止されています。),天皇といえども任意に売却等できぬことは(ただし,日本国憲法8条との関係では,相当の対価による売買等通常の私的経済行為を行う限りにおいてはその度ごとの国会の議決を要しません(皇室経済法2条)。なお,相当の対価性確保のためには,オークション等を利用するのがよろしいでしょうか。),皇室の家法が堅く定めているところでしょう。

面倒な話をしてしまいました。しかし,源義経のように三種ノ神器をうっかり長州の海の底に取り落としてしまうようなわけにはなかなかいきません。

ところで,長州といえば,尊皇,そして明治維新。現在,政府においては,明治元年(1868年)から150年の来年(2018年)に向け「明治150年」関連施策をすることとしているそうです。明治期の立憲政治の確立等に貢献した先人の業績等を次世代に(のこ)す取組もされるそうですが,ここでの「先人」に大日本帝国憲法の制定者である明治大帝は含まれるものか否か。
 大日本帝国憲法3条は,規定していわく。

 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

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仲恭天皇九条陵(京都市伏見区)(2017年11月撮影)
(仲恭天皇は,武装関東人らが京都に乱入した1221年の承久の変の結果,在位の認められぬ廃帝扱いとされてしまいました。)
 
(ところで,その仲恭天皇陵の手前の敷地に,長州出身の昭和の内閣総理大臣2名が記念植樹をしています。)
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「明治維新百年記念植樹 佐藤榮作」(佐藤は,東京オリンピック後の1964年11月9日から沖縄の本土復帰後の1972年7月6日まで内閣総理大臣在職)
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「明治維新百年記念植樹 岸信介」(岸は,1957年2月25日から現行日米安全保障条約発効後の1960年7月19日まで内閣総理大臣在職)
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(1868年1月27日(慶応四年一月三日)から翌日にかけての鳥羽伏見の戦いにおける防長殉難者之墓が実は仲恭天皇陵の手前にあるところ,1867年11月9日(慶応三年十月十四日)の大政奉還上表提出(有名な徳川慶喜の二条城の場面はその前日)から100年たったことを記念して,1967年(昭和42年)11月に信介・榮作の兄弟は東福寺(京都市東山区)の退耕庵に共に宿して秋の京都を楽しみ,かつ,長州・防州(山口県)の尊皇の先達の霊を慰めた,ということなのでしょう。当時現職の内閣総理大臣であった榮作は,この月12日から20日まで訪米し(米国大統領はジョンソン),15日ワシントンD.C.で発表された日米共同声明においては,沖縄返還の時期を明示せず,小笠原は1年以内に返還ということになりました。帰国後11月21日の記者会見において佐藤内閣総理大臣は,国民の防衛努力を強調しています。)

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東福寺の紅葉
(東福寺を造営した人物は,仲恭天皇の叔父にして,かつ,摂政だった九条道家。しかし,ふと思えば,承久の変の際箱根迎撃論を抑えて先制的京都侵攻を主張し,鎌倉方の勝利並びに仲恭天皇の廃位及び後鳥羽・順徳・土御門3上皇の配流に貢献してしまった大江広元は,長州藩主毛利氏の御先祖でした。その藩主の御先祖のいわば被害者である仲恭天皇の陵の前で,長州人らが自らの尊皇を誇り,明治維新百年を祝うことになったとは・・・。) 

1 相続税法34条1項の規定

 相続税法(昭和25年法律第73号)34条1項に,次のような規定があります。なお,〔 〕による補註は筆者によるもので,元の法文にはありません。

 

  (連帯納付の義務等)

 第34条 同一の被相続人〔亡くなった人〕から相続又は遺贈〔死因贈与(民法554条)を含む(相続税法1条の3第1号括弧書き)。〕(第21条の9第3項の規定の適用を受ける財産〔相続時精算課税制度に基づき贈与税額が計算される財産〕に係る贈与を含む。以下この項及び次項において同じ。)により財産を取得した全ての者は,その相続又は遺贈により取得した財産に係る相続税について,当該相続又は遺贈により受けた利益の価額に相当する金額を限度として,互いに連帯納付の責めに任ずる。ただし,次の各号に掲げる者の区分に応じ,当該各号に定める相続税については,この限りでない。

  一 納税義務者の第33条又は国税通則法第35条第2項若しくは第3項(申告納税方式による国税等の納付)の規定により納付すべき相続税額に係る相続税〔相続税法33条の規定に基づく納付は,期限内申告書を提出した者又は民法958条の3第1項による特別縁故者への相続財産の分与があった場合において既確定相続税額不足のため修正申告書を提出した者によるそれらの申告書の提出期限までの相続税の納付。国税通則法(昭和37年法律第66号)35条2項又は3項の規定に基づく納付は,前者は期限後申告書若しくは修正申告書を提出した者又は更正通知書(納税申告書が間違っていた場合)若しくは決定通知書(納税申告書の提出がなかった場合)を税務署長から発せられた者,後者は過少申告加算税,無申告加算税又は重加算税に係る賦課決定通知書を税務署長から発せられた者による相続税(なお,過少申告加算税,無申告加算税及び重加算税の税目は,その額の計算の基礎となる税額の属する税目である(国税通則法69条)。)の納付である。〕について,〔相続税法〕27条第1項の規定による申告書の提出期限〔相続の開始があったことを知った日の翌日から10月以内。この期限が法定納期限(相続税法33条,国税通則法28号)〕(当該相続税が期限後申告書若しくは修正申告書を提出したことにより納付すべき相続税額,更正若しくは決定に係る相続税額又は同法〔国税通則法〕32条第5項(賦課決定)に規定する賦課決定に係る相続税額に係るものである場合には,当該期限後申告書若しくは修正申告書の提出があつた日,当該更正若しくは決定に係る同法第28条第1項(更正又は決定の手続)に規定する更正通知書若しくは決定通知書を発した日又は当該賦課決定に係る同法第32条第3項に規定する賦課決定通知書を発した日とする。)から5年を経過する日まで〔なお,国税徴収権の消滅時効期間は法定納期限から5年(国税徴収法72条1項)〕に税務署長〔国税通則法43条1項によれば納税地を所轄する税務署長。なお,相続税法62条1項及び2項にかかわらず同法附則3項が存在しており,通常は被相続人の死亡の時における住所地が納税地。〕(同法第43条第3項(国税の徴収の所轄庁)の規定〔「国税局長は,必要があると認めるときは,その管轄区域内の地域を所轄する税務署長からその徴収する国税について徴収の引継ぎを受けることができる。」〕により国税局長が徴収の引継ぎを受けた場合には,当該国税局長。以下この条において同じ。)がこの項本文の規定により当該相続税について連帯納付の責めに任ずる者(当該納税義務者を除く。以下この条及び第51条の2〔延滞税の特則に関する条項〕において「連帯納付義務者」という。)に対し第6項の規定〔「税務署長は,前項の規定による通知〔連帯納付義務者に対する,督促状を発した日から1月を経過しても納付義務者がその相続税を完納していない旨の通知〕をした場合において第1項本文の規定により相続税を連帯納付義務者から徴収しようとするときは,当該連帯納付義務者に対し,納付すべき金額,納付場所その他必要な事項を記載した納付通知書による通知をしなければならない。」〕による通知を発していない場合における当該連帯納付義務者 当該納付すべき相続税額に係る相続税

  二 納税義務者が第38条第1項(第44条第2項において準用する場合を含む。)又は第47条第1項の規定による延納の許可を受けた場合における当該納税義務者に係る連帯納付義務者 当該延納の許可を受けた相続税額に係る相続税

  三 納付義務者の相続税について納税の猶予がされた場合として政令で定める場合における当該納税義務者に係る連帯納付義務者 その納税の猶予がされた相続税額に係る相続税〔相続税基本通達34‐4に「相続税の一部について延納の許可を受けた又は納税猶予(措置法第70条の6第1項,第70条の6の4第1項,第70条の7の2第1項又は第70条の7の4第1項)がされた場合においては,延納の許可を受けた又は納税猶予がされた相続税額以外の相続税については,法第34条第1項第1号に該当する場合を除き,同項による連帯納付の責めの対象となることに留意する。」とあります。〕

 

一般に租税法規の法文は法制執務ないしは立法技術に係る栄光と悲惨とが凝縮されたような代物で,相続税法34条1項の文言についてもまず書き写すだけで疲れ,いやになってきました。しかもそこに余計な補註を加えたので更にごてごてとし,読者にはお気の毒です。

しかし,取りあえずは,相続税法34条1項本文の規定が本稿の対象ではあります。

とはいえ,読みづらい法文をそのまま放置しておくのも無責任であるようなので,読みづらさの原因であるところの例外事項部分及び形式的部分を取り去ったものを次に掲げておきます。

 

 (連帯納付の義務等)

 第34条 同一の被相続人から相続又は遺贈・・・により財産を取得した全ての者は,その相続又は遺贈により取得した財産に係る相続税について,当該相続又は遺贈により受けた利益の価額に相当する金額を限度として,互いに連帯納付の責めに任ずる。ただし,次の各号に掲げる者の区分に応じ,当該各号に定める相続税については,この限りでない。

  一 納税義務者の第33条・・・の規定により納付すべき相続税額に係る相続税について,第27条第1項の規定による申告書の提出期限・・・から5年を経過する日までに税務署長・・・がこの項本文の規定により当該相続税について連帯納付の責めに任ずる者(当該納税義務者を除く。以下・・・「連帯納付義務者」という。)に対し第6項の規定による通知を発していない場合における当該連帯納付義務者 当該納付すべき相続税額に係る相続税

  二 納税義務者が・・・延納の許可を受けた場合における当該納税義務者に係る連帯納付義務者 当該延納の許可を受けた相続税額に係る相続税

  三 納付義務者の相続税について納税の猶予がされた場合として政令で定める場合における当該納税義務者に係る連帯納付義務者 その納税の猶予がされた相続税額に係る相続税

 

2 相続税法34条1項の趣旨及び解釈上の問題

 

(1)「連帯納付の義務」に関する金子宏教授の解説

 この相続税法34条1項に関して,金子宏教授は次のように説明しています。

 

  相続税法34条は,相続税の徴収確保のために,連帯納付の義務を定めている・・・。・・・同一の被相続人から相続または遺贈により財産を取得したすべての者は,その相続・遺贈にかかる相続税について,その相続・遺贈により受けた利益の価額・・・に相当する金額を限度として,互いに連帯納付の責に任ずる(1項)。この連帯納付の義務は,連帯納税義務ではなく,他の相続人の納税義務に対する一種の人的責任であるが,その基礎にある思想は,一の相続によって生じた相続税については,その受益者が共同して責任を負うべきであるという考え方である。・・・

  これらの連帯納付義務は,受益を限度とする特殊な人的責任であって・・・,その範囲は,各相続人,受遺者または受贈者の相続税ないし贈与税の納税義務の確定によって自動的に確定するから,それを確定するための特別の行為は必要でないと解されてきた(最判昭和55年7月1日民集34巻4号535頁,大阪地判平成13年5月25日月報48巻8号2035頁)。しかし,自らは,納税義務を適正に履行した者が,さらに共同相続人の納税義務について,自己の意思に基づくことなく連帯納付の責任を負わなければならないことは,その責任の内容がときとして過大ないし苛酷でありうることを考えると,今日の法思想のもとでは,異例のことであるといわなければならない。そこで,この規定の解釈・運用にあたっては,不合理な結果が生じないようにする必要がある。この連帯納付義務は,民法上の連帯保証債務と同様に附従性をもち,共同相続人の納税義務がなんらかの理由で消滅した場合には,消滅すると解すべきである。共同相続人に対する延納許可によって連帯納付義務が消滅することはないが,延納許可の継続中は,連帯納付義務者から徴収することはできないと解すべきである。連帯納付義務は,民法上の連帯保証債務と異なり,契約(当事者の自由な意思の合致)に基づくものではなく,一種の法定債務であるから,履行の請求等によって本来の納税義務者に対して生じた時効中断の効力は,連帯納付義務者には及ばないと解すべきであろう(反対,名古屋高金沢支判平成17年9月21日月報52巻8号2537頁,東京高判平成20年4月30日月報55巻4号1952頁,東京高判平成20年6月25日月報55巻4号1988頁)。連帯納付義務は補充性はもたないが,納税義務者が十分な資力をもっている場合に,連帯納付義務者から徴収することは,権利の濫用にあたり違法になると解すべき場合が多いであろう(これらの点については,名古屋高金沢支判平成17年9月21日月報52巻8号2537頁,東京地判平成10年5月28日判タ1016121頁,前掲の大阪地判平成13年5月25日月報48巻8号2035頁,大阪地判平成191031日判タ1279165頁,月報55巻1号44頁参照)。(金子宏『租税法 第十七版』(弘文堂・2012年)521523頁)

 

(2)国税通則法8条の適用における連帯納税義務との比較

 

 ア 「連帯納税義務」

「連帯納付の義務」と非常によく似た名で呼ばれるものの,やはり別のものとして,「連帯納税義務」があります。

 

 複数の者が連帯して1つの納税義務を負担する場合に,これらの者を連帯納税義務者といい,その納税義務を連帯納税義務という。国税では,①共有物,共同事業または当該事業に属する財産にかかる租税(税通9条),②無限責任社員の第二次納税義務(税徴33条),③共同登記等の場合の登録免許税(登税3条),④共同文書作成の場合の印紙税(印税3条2項)について,連帯納税義務が成立する。・・・(金子145頁)

 

イ 国税通則法8条

 ところで,「国税についての基本的な事項及び共通的な事項を定め,税法の体系的な構成を整備し,かつ,国税に関する法律関係を明確にする」法律(国税通則法1条)である国税通則法の第8条は,「国税の連帯納付義務についての民法の準用」との見出しの下,「国税に関する法律の規定により国税を連帯して納付する義務については,民法第432条から第434条まで,第437条及び第439条から第444条まで(連帯債務の効力等)の規定を準用する。」と規定しています。

 

ウ 連帯納税義務と国税通則法8条の適用

「連帯納税義務については,一定の範囲で民法の規定が準用される(税通8条,地税10条)」ということですから(金子145頁。下線は筆者によるもの),連帯納税義務については,国税通則法8条によって,民法第432条から第434条まで,第437条及び第439条から第444条までが全てそのまま準用されるということでしょう。

 

 エ 本稿の中心テーマ

それでは,相続税法34条1項の連帯納付の義務についてはどうでしょうか。これが本稿の中心テーマとなります。

 

3 相続税法34条1項の連帯納付義務と国税通則法8条による民法の準用

 

(1)相続税法34条1項の連帯納付義務と国税通則法8条

東京高等裁判所平成20年4月30日判決(訟務月報55巻4号1952頁[1]事件)は,相続税法34条1項の「連帯納付義務は,国税通則法8条にいう「国税に関する法律の規定により国税を連帯して納付する義務」に該当するということができる」と判示しています(同判決第3,2(2)イ)。

 

(2)国税通則法8条による「準用」における民法440条の不準用及び同法457条1項の出現

 ところが,前記東京高等裁判所平成20年4月30日判決は,「ただし,「準用」とは,ある事柄に関する法規を適当な修正を施して他の事柄に適用することを意味するものである。」と述べ,かつ,相続税法34条1項の連帯納付の義務について「相続税徴収の確保の目的で,・・・他の相続人等の固有の相続税について納付義務を特別に負担させるもので,相続人の内部関係では連帯納付義務を負わされる相続人には負担部分がないことに照らすと,本来の納税義務者と当該連帯納付義務者との関係は民法上の主たる債務者と連帯保証人との関係に類似するもので,その本質は,民法上の連帯保証債務に準ずる特殊な法定の人的担保と解するのが相当である。」との「本質」論を展開した上で,「連帯保証について定める民法458条が同法434条から440条までの規定を準用しているにもかかわらず,連帯保証債務の時効の中断に関しては,同法440条が準用されず,同法457条1項が適用されると解されているのと同様に,相続税法34条1項の連帯納付義務の時効の中断に関しては,民法440条は準用されず,むしろ保証債務の時効の中断に関する民法457条1項が適用されると解するのが相当である。」と判示しています(同判決第3,2(2)イ)。国税通則法8条に民法440条(「第434条から前条までに規定する場合を除き,連帯債務者の一人について生じた事由は,他の連帯債務者に対してその効力を生じない。」)が書いてあるからといって,そのまま準用されるものと安心していると(また,民法457条1項は国税通則法8条には書いてありません。),とんだ落とし穴があるわけです。「相続税徴収の確保の目的」は重いわけです。

これについては,「履行の請求等によって本来の納税義務者に対して生じた時効中断の効力は,連帯納付義務者には及ばないと解すべき」だとして当該判例に反対する金子宏教授としては,「この連帯納付義務は,民法上の連帯保証債務と同様に附従性をもち」といった(以上の下線は筆者によるもの),連帯保証が出てくる比喩を用いてしまったことがまずかったでしょうか(また,国税通則法8条は民法434条(「連帯債務者の一人に対する履行の請求は,他の連帯債務者に対しても,その効力を生ずる。」)を準用しているのですから,金子教授のように「履行の請求」による時効の中断(我妻榮『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)414415頁参照)まで否定するのは(ちから)(わざ)でしょう。

 「国税通則法8条は,国税の連帯納付義務について民法の連帯債務に関する規定が準用されることを通則的に定めたものであるところ,民法上の個別の規定の準用の当否は,当該国税の性質や当該連帯納付義務が課されている理由を考慮して個別に判断すべき」ものであるわけです(東京地方裁判所平成23年3月23日判決(平成21年(行ウ)第301号差押処分取消等請求事件)の第3,2(3)ア(ア)。なお,当該判示の少し後で,「本来的な納税義務者に生じた時効中断の効力は,履行の請求以外の時効中断事由によるものであっても,連帯納付義務者に及ぶものと解する」との表現が見られます(下線は筆者によるもの)。履行の請求による時効の中断効は堅いところであるようです。)。

 

(3)国税通則法8条による民法442条の準用

 それでは,互いに相続税の連帯納付の責めに任ずる関係にある共同相続人間で相続税の立替納付があったときの求償額について,国税通則法8条に基づき民法442条2項(「前項の規定〔連帯債務者の弁済等による他の連帯債務者に対する求償権の取得に係る規定〕による求償は,弁済その他免責があった日以後の法定利息及び避けることができなかった費用その他の損害の賠償を包含する。」)の準用があるものかどうか。常識的には,「相続税徴収の確保の目的」に協力するのであるから立法者はそこまで当然配慮すべく準用ありであるのだということでよさそうですが,やはり裁判所が「個別に判断」したところの結果である裁判例が現にないと一抹の不安が残るでしょう。

相続税法34条1項の連帯納付義務者については,国税通則法8条の明文からでは分からない民法457条1項が「本質」論からあれよと出てきて履行の請求によるもの以外の時効の中断も広く認められる(連帯納付義務の消滅が認められにくくなる。)というように,お国はつらく当たっていますから,神経質になるのも無理からぬところです。また,贈与税に係る相続税法34条4項の贈与者の連帯納付義務について,当該連帯納付義務を履行した贈与者は受贈者に対して求償権を取得すると判示した静岡地方裁判所平成元年6月9日判決(行裁例集40巻6号573頁)においては,当該「求償権を行使することによつてその損失を補填することもできる」と述べられつつ,「受贈者が無資力の状況にあつて求償権を行使しても納付した税額に相当する金員の返済を受ける見込みが全くないなどの特別の事情」という表現も用いられており(判決の第三,二2(一)。下線は筆者によるもの),そこでは求償の範囲が必ずしも明らかにされていませんでした(なお,「求償権がある場合において,その求償権が放棄されたことにより贈与税の課税要件が充足されれば,贈与税が課税されることは税法上当然のこと」(相続税法8条参照)になります(同判決の第三,二2(二))。)

 この点,東京地方裁判所平成28年3月29日判決(平成26年(ワ)第16522号費用償還請求事件)において裁判所は,相続税法34条1項の連帯納付義務者がした立替納付について,国税通則法8条による民法442条の準用を認めています。

 民法442条2項の準用がなく,かつ,共同相続人による相続税の立替納付が民法上の事務管理にすぎないということになると,民法702条1項では「支出した以後の利息は請求しえないとするのが民法の文理に適するらしく思われる(650条1項を準用していない(702条参照))。」ということに一応なるようでもありますが(我妻榮『債権各論下巻一(民法講義Ⅴ)』(岩波書店・1972年)919頁),他方,「管理者は支払日以降の利息も請求することができる(民650Ⅰ類推,我妻・債各下(一)919頁,三宅正男・新注民(18294頁)。」と主張する者もあったところです(岡口基一『要件事実マニュアル 第2版 下』(ぎょうせい・2007年)127頁)。なお,意思無能力の相続人に係る相続税の申告及び立替納付をした共同相続人について事務管理に基づく費用償還請求権を認め得るものとした最高裁判所平成18年7月14日判決(判時194645頁)の事案では,そもそも利息の請求がされていませんでした。また,当該事案においては,委任契約又は事務管理に基づく費用償還請求がされていたものの,相続税法34条1項の連帯納付義務者のした立替納付に基づく国税通則法8条により準用される民法442条の求償権の主張はされていなかったようです。

 

4 法定利息と延滞税との比較等

 法定利率は,現在年5パーセントです(民法404条)。マイナス金利の時代においては,ウホッ!という金利です。法律の規定によって生ずる債務は別段の定めのない限り期限の定めのない債務ですので(ただし,不法行為による損害賠償債務は成立と同時に遅滞にあるものと解されています。)(我妻・民法講義Ⅳ105頁参照),それに加えて年5パーセントの割合による遅延損害金支払債務を更に発生させるには履行の請求をすることが必要ですが(民法412条3項),直ちに履行の請求やらないかと言われても世の中はいい男ばかりではなく,グズグズした人がいるものです。先んずれば人を制すとは,中華人民共和国の現在にも伝わる古代からの知恵なのでしょうが,(メー)法子(ファーズ)です。これに対して民法442条の求償に含まれる法定利息は,弁済があった日以後(弁済があった日にも発生します。),弁済したことの通知又は求償することの催告を要さずに当然生じます(我妻・民法講義Ⅳ434頁参照)。優しい仕組みになっています。

 しかし,国税通則法8条により準用される民法442条2項に基づき連帯納付義務者から求償される法定利息の利率年5パーセントを高いと恨んではいけません。お国の利率は,もっと厳しい。国税通則法60条の延滞税の利率は,特別基準割合が年1.8パーセントである2016年についてみれば,納期限の翌日から2月を経過するまでの期間は年換算2.8パーセントですが,その後は年9.1パーセントだからです(同条2項,租税特別措置法(昭和32年法律第26号)94条1項,93条2項,平成271211日財務省告示394号)。

 

 1 自由民主党憲法改正草案1条

 日本国憲法1条は,「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」と規定しています。これに対し,2012年4月27日決定の自由民主党の日本国憲法改正草案では,「天皇は,日本国の元首であり,日本国及び日本国民統合の象徴であって,その地位は,主権の存する日本国民の総意に基づく。」と改めるものとしています。


2 元首

 自由民主党の日本国憲法改正草案では,元首という言葉が用いられています。

同党の上記草案に係るQ&Aによると,「元首とは,英語ではHead of Stateであり,国の第一人者を意味します。明治憲法には,天皇が元首であるとの規定が存在していました。また,外交儀礼上でも,天皇は元首として扱われています。」といったことから,「したがって,我が国において,天皇が元首であることは紛れもない事実」であるという同党の認識の下,「世俗の地位である「元首」をあえて規定することにより,かえって天皇の地位を軽んずることになるといった意見」はあったものの,同党内の「多数の意見を採用して,天皇を元首と規定することとし」たものとされています。

 ただし,そもそも「『天皇ハ国ノ元首』なりといふ語は,正確なる法律上の観念を言ひ表は」すものではない(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)123頁)ようです。「国の元首といふ語はchef d’état, Staatsoberhauptの語に相当するもので,それは国家を人間に比較し,人間の総ての働きが頭脳にその源を発して居ると同様に,国家の総ての活動は君主にその源を発するが故に,君主は国家の頭脳であり,元首であるといふのである。」とされていますから(美濃部122頁),元首というのは比喩表現なのでしょう。伊藤博文の『憲法義解』の冒頭部分には「・・・上元首の大権を統べ,下股肱の力を展べ・・・」という表現がありますから,元首は股肱(また及びひじ)と対になるべきもののようです。自由民主党憲法改正草案においては,元首たる天皇の股肱として,どのような存在が考えられているのでしょうか。ちなみに,「立法・行政百揆の事,凡そ以て国家に臨御し,臣民を綏撫する所の者,一に皆之を至尊に総べて其の綱領を攬らざることなきは,譬へば,人身の四支百骸ありて,而して精神の経絡は総て皆其の本源を首脳に取るが如きなり。」という『憲法義解』による大日本帝国憲法4条(「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」)の説明は,天皇は統治権を総攬するからこそ元首であるという認識を意味するものでしょう。アジア歴史資料センターのウェッブ・サイトの『憲法草案枢密院会議筆記』によれば,1888年6月18日午後の枢密院の憲法草案第二読会において,東久世通禧顧問官から「国ノ元首ニシテ」の文字の削除論(「本邦ノ天皇ハ憲法ニ記セストモ国ノ元首タルコト天下ノ人皆之ヲ熟知スルモノナリ然ルニ外国ニ於テハ或ハ人民ノ撰挙ニ依リ帝位ニ登リシ者アリ或ハ外国ヨリ来テ帝位ヲ継キタルモノアリテ人民往往主権ノ所在ニ付キ争ヲ惹起シ疑ヲ生シタルモノア〔ママ〕之ヲ憲法ニ明記スルノ必要アリ」との理由付け。山田顕義司法大臣も賛成)が提議されたところ,それに対して議長の伊藤博文は,「国ノ元首ノ文字ハ無用ナリトノ説アレトモ決シテ然ラス天皇ハ国ノ元首ナレハコソ統治権ヲ総攬シ給フモノナリ国ノ元首ト統治権トハ常ニ密着シテ離レサルモノナリ」と説明していました(第37コマから第39コマまで)。元首でなければ統治権を総攬しないというわけです。なお,統治権の総攬者たる元首としての天皇の地位に係る大日本帝国憲法4条は,天皇の「国家機関としての地位を規定せるもの」とされていましたので(美濃部121頁),この「国家機関としての地位」が,自由民主党内の少数意見にいうところの「世俗の地位」なのでしょう。
 ところで,『憲法義解』の原案作成者である井上毅も,「元首」の語には実は反対だったようです。国立国会図書館ウェッブ・サイトにある伊東巳代治関係文書の『井上毅子爵 逐条意見』(1887年8月)には,「帝国ノ元首トハ学理上ノ語ニシテ憲法ノ成文ニ必要ナラス但独乙各邦ノ憲法ニハ多クハ此語ヲ以テ本条ト同一ナル条則ニ冠冒セシメタルハ各邦ニ於テ僅ニ独乙帝国ノ管制ヲ離レテ独立ノ主権ヲ得タルノ時ニ当レルヲ以テ此ノ一句ヲ確定シテ国主無上ノ独立権ヲ表明シタルカ故ニ由レルナリ我邦ハ固ヨリ独乙各小邦ノ如キ歴史上ノ関係アルニ非サレバ此ノ一句ハ幾ト要用ナキノミナラズ亦第1条ト重複ノ意義ヲ顕ス者ニ疑ハシ」とあります(第6コマ)。自由民主党の意識下の認識においては,「独乙帝国」ならぬ「某帝国」に「管制」されている「小邦」のように我が国は見えているから,せっかくの憲法の改正に際して当該「某帝国」に「管制」されるものではない「独立ノ主権」のあることをくどいながらもあえて表明してそのこだわっていたところの鬱懐を晴らそう,という思いもあるものでしょうか。

3 「日本国民の総意に基づく」

 いずれにせよ,自由民主党憲法改正草案においても,天皇の地位が日本国民の総意に基づくものであることには変化はないようです。これこそ,「日本らしい日本の姿」ということなのでしょう。

 『憲法義解』は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定する大日本帝国憲法1条について「・・・本条首めに立国の大義を掲げ,我が日本帝国は一系の皇統と相依て終始し,古今永遠に亙り,一ありて二なく,常ありて変なきことを示し,以て君民の関係を万世に昭かにす。/統治は大位に居り,大権を統べて国土及臣民を治むるなり。古典に天祖の勅を挙げて「瑞穂国是吾子孫可王之地宜爾皇孫就而治焉〔瑞穂の国は,是れ吾が子孫の王たるべきの地なり,宜しく爾皇孫就いて治せ〕」と云へり。・・・」と述べていますが,自由民主党の憲法改正草案は,天皇の地位は神意に基づくものとは解さないものでしょう。美濃部達吉は「わが万世一系の帝位は,民意に基いたものでもなければ,又敢て超人的の神意に基いたものとしても認められぬ,それは一に皇祖皇宗から伝はつた歴史的成果であつて,〔大日本帝国憲法の上諭に〕『祖宗ノ遺烈ヲ承ケ』とあるのは即ち此の意を示されたものである。」と述べており(美濃部54頁),また,「皇嗣が皇位に就きたまふのは,専ら血統上の権利に基くのであつて,民意に基くものでもなければ,西洋の基督教国の思想の如くに神意に基くものでもない。」とされています(同102頁)。この説明に対して,自由民主党憲法改正草案にいう「日本国民の総意」は,どう解されるものか。美濃部的な解釈としては歴史的なものとしての総意ということになりそうですが,畢竟,現在の総意(民意)の方が強そうでもあります。

 なお,1946年1月1日の昭和天皇の詔書においては「朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯ハ,終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ,単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」とされています。我が国民は,終始天皇を信頼し,かつ,敬愛してきたものであり,「日本国民の総意」には,この点も読み込むべきものでしょうか。
 第90回帝国議会において,金森徳次郎憲法担当国務大臣は,1946年7月3日の衆議院帝国憲法改正案委員会で「第1条ニアリマスル日本国民ト申シマスルノハ,理念的ニ申シマスレバ,現在ノ瞬間ニ生キテ居ル日本国民デハナクテ,是ト同一性ヲ認識シ得ル過去及ビ将来ノ人ヲモ併セ考フル考ヘ方デアリマス」と,同月12日の同委員会で「日本国民ノ総意ト云フモノハ,統合シテ一ツニナツテ居ルモノデアリマシテ,一人々々ノ人間ニ繋ガリハ持ツテ居リマスルケレドモ,一人々々ノ人間其ノモノデハアリマセヌ,サウ云フモノガ過去,現在,未来ト云フ区別ナク,一ツノ総意ガアル訳デアルト思ツテ居リマス」と答弁しています(内閣総理大臣の「皇室典範に関する有識者会議」第5回会合(2005年5月11日)資料)。


4 後光厳天皇の践祚

 天皇の地位は歴史的に「日本国民の総意に基く」ものであって「単ナル神話ト伝説トニ」基づくものではないとして,そのようなものであるということの歴史上の根拠を示す事例としてはどのようなものが考えられるでしょうか。

 話は14世紀の南北朝時代にさかのぼります。

 南北朝時代の観応二年(1351年)の正平一統によって,京都の崇光天皇及び皇太子直仁親王が廃され(同年十一月),神器は後村上天皇の吉野方に接収され(同年十二月),3上皇(光厳・光明・崇光)及び廃太子(直仁親王)が京都から吉野方に連れ去られる(正平七年(1352年)閏二月)という事態が生じました。そのため,皇位が空白となった京都の朝廷では,足利義詮の要請により,光厳上皇の第三皇子(光明上皇の甥,崇光上皇の弟)である弥仁王を新天皇(後光厳天皇)に立てることになりましたが,三種の神器もなければ皇位を与えるべき上皇もいないという異例の事態での践祚となりました(観応三年(1352年)八月)。上皇の代わりは新天皇の祖母の広義門院が務め,神器の代わりには神器の容器であった小唐櫃が用いられました。「何事も先例なしではすまない貴族は,継体天皇の例を持ちだしてこの手続きを合理化しようとした」といいます(佐藤進一『日本の歴史9 南北朝の動乱』(中央公論社・1965年)276頁)。

6世紀初めの継体天皇の即位の事情はどうかというと,「武烈天皇には子がなかったので,大伴金村は,まず丹波の桑田の倭彦王を天皇にしようとして,兵仗を設けて迎えに行った。ところが,その兵を遠くから見た王は色を失って逃げ,ゆくえがわからなくなったので,つぎに〔越前三国生まれの〕男大迹王〔継体天皇〕に白羽の矢をたてた。」「使者に迎えられた男大迹王が河内の樟葉宮に到着すると,金村は神器を奉った。王は位につき,金村を大連,許勢男人を大臣,物部麁鹿火を大連とした。」と日本書紀では伝えられています(井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』(中央公論社・1965年)450頁)。王朝交替論のうち水野祐説は,「当時,大和朝廷で最大の権力を握っていた大伴金村は,前王朝とは血縁関係のない継体天皇を擁立したのであろう」としています(井上452頁)。「時の権臣豪族の集議に依つて新帝を推戴した」ものです(美濃部102頁)。

しかし,観応三年当時の宮廷では,「天皇がなければ,幕府以上に皇室・貴族が困る」ところではありつつも(佐藤276頁),継体天皇の前例だけでは,公卿らはなお落ち着かなかったようです。

ここで,我が国のconstitutional historyにおいて注目すべき名啖呵が飛び出します。


・・・公卿,剣璽なくして〔弥仁王の〕位に即くの不可なるを議す。関白藤原良基曰く,

「尊氏,剣となり,良基,璽となる。何ぞ不可ならん」

と。遂に立つ。これを後光厳院となす。(頼山陽『日本外史』巻之七(頼成一・頼惟勤訳))


すなわち足利尊氏が代表する民と二条(藤原)良基が代表する官とによって構成される我が国民の総意こそが天皇の地位が基づくべき最重要の要素であって,上皇の意思表示及び神器の所在といったものによって代表される皇室自律主義は二次的なものにすぎないというのでしょう(なお,神器の無いまま上皇(後白河法皇)の意思に基づいて即位した前例としては,既に寿永二年(1183年),平家都落ち後の後鳥羽天皇の例がありました。)。

二条良基は,文和五年(1356年)に『菟玖波集』を撰し,応安五年(1372年)には「連歌新式追加(応安新式)を定めて,ことばのかけ合いに興味の中心をおいた自由な詠みかたに枠をはめて,連歌の高踏化に一歩をふみ出し」た(佐藤408頁)連歌の大成者であり,能の分野では世阿弥(藤若)を保護したほか,師として足利義満に「宮廷の儀式典礼,貴族の教養と見なされていた和歌・管弦・書道その他」を教えて義満が「儀式に参列するばかりか,節会などの儀式で主役を演じさえ」できるようにする(佐藤447頁)など,主に文化史上の人物としてとらえられているようです。しかしながら,やはりまず,日本の歴史に影響を与えた政治家でありました。

なお,継体天皇推戴の功労者である大伴金村は,二条良基が位人臣を極め,かつ,我が文化史上に名を遺したのとは対照的に,没落しました。大伴金村は,欽明天皇(継体天皇の子)の代には,朝鮮政策の失敗で力を失っていたようです。日本書紀によれば,欽明天皇元年に新羅対策が問題になったとき,「大伴金村は住吉の宅にいて朝廷には出仕していなかった。天皇は人をやってねぎらったが,金村は言った。「わたくしが病気と称して出仕しないわけはほかでもありません。諸臣らは,わたくしが任那を滅ぼしたのだと申しており,わたくしは恐れて出仕しないのです。」と。」いう出来事があったそうです(井上479頁)。我が半島政策は,いつも難しいものです。


5 「南北朝の合体」の意味

 後光厳天皇の皇統(その子である後円融天皇,孫である後小松天皇(一休さんの父)へと続く。)の話に戻ると,「南朝が正平一統のとき,北朝の〔崇光〕天皇を廃して神器を接収したため,その後の北朝は皇位のシンボルを欠くことからくる正統性への不安をいつまでも解消できなかった」ということになり(佐藤441442頁),明徳三年(1392年)閏十月の「南北朝の合体」に当たって足利義満が承諾した条件は「〔南朝〕後亀山天皇は譲国の儀式をもって三種の神器を後小松天皇に渡す。」という「南朝の正統を認めたもの」とならざるを得ませんでした(佐藤443頁)。しかしながら,足利義満がした約束は義満の約束であって,実行においては,三種の神器は後小松天皇が吉野方から回収したものの,後亀山天皇から後小松天皇に対する譲国の儀による「譲位」はされませんでした。


  三種の神器の受け渡しにしても,「譲国之儀式」は実際には行われず,義満の命によって「文治之例」,つまり源平合戦の際に平家方によって安徳天皇とともに西国に持ち去られた神器が平家滅亡の後に京都の後鳥羽天皇のもとに返ってきた際の例,に準拠するとされている。これでは,皇位の受け渡しではなく,正統な天皇のもとから離れていた神器が本来の場所に帰還した,という解釈を許すことになる。さらに実際には「文治之例」そのままではなく,幾つかの儀礼が義満の命によって省略されており,その結果随分と軽い扱いにな〔った。〕(河内祥輔=新田一郎『天皇の歴史04 天皇と中世の武家』(講談社・2011年)246頁(新田一郎執筆))


正に後小松天皇の宮廷は,後亀山天皇と後小松天皇との間に「皇位の受け渡し」があったものとは解釈していませんでした。


〔明徳五年(1394年)に後亀山天皇に太上天皇の尊号が贈られるに際し〕廷臣の間では,皇位に就かず天皇の父でもない人物に尊号を贈ることの是非が議論となり,結局詔書の文面も「準的ノ旧蹤無シトイヘドモ,特ニ礼敬ノ新制ヲ垂レ,ヨロシク尊号ヲタテマツリテ太上天皇トナスベシ」と,前例のない特例であることを強調したものになっている。

  〔左大臣一条〕経嗣はまた,「此ノ尊号,希代ノ珍事ナリ」として,後醍醐天皇の皇胤を断絶させぬことへの批判を記している。後世にはこの尊号一件は「帝位ニアラザル人ノ尊号ノ例」として挙げられており,北朝方廷臣には,後亀山を天皇とし南朝を皇統とする認識は,〔南北朝の〕合一の前にも後にも,なかったに違いない。(河内=新田246頁(新田))


足利幕府の不安がどのようなものであったかはともかく,京都の朝廷内の意識においては,その「正統性への不安」は,正に三種の神器という「皇位のシンボルを欠く」ことだけだったようです。すなわち,臣民が協力輔翼して新たに後光厳天皇を擁立した二条良基的正統性は,それ自体で天皇の地位が基づくに十分であるものと考えられていて,三種の神器が無いことは不安の種ではあったものの,あえて正平一統時の統一天皇である後村上天皇の子孫から譲位を受ける形で正統性を承継し,又は注入・補強する必要は更になかったということでしょう。この二条良基的なものとして始まった後光厳天皇の正統性が継承せられているのが,現在の皇統であります。

南朝正統論を採って少なくとも後光厳天皇以降数代の天皇の正統性を否定する場合には,吉野方から現在の皇統への正統性の接続を,後亀山天皇から後小松天皇への譲位ないしは譲国の儀式による神器の授受をもって説明しなければならないことになります。この点については,「この年〔明徳三年〕冬,〔後亀山天皇は〕遂に法駕を備へて吉野を発し,大覚寺に御し,父子の礼を以て,神器を後小松帝に授く」(『日本外史』巻之五)というのが,幕末維新期までの南朝正統尊王論者の認識だったようです。これならば,現在の皇統の正統性に問題はないですね。1911年段階でも「北朝は辞を厚くして合体の儀を申入れ,南朝の後亀山天皇は父子禅譲の儀にて御承諾ありたるなり。父子禅譲の伝説は固より信ずべし。」と頑張っている者がいます(笹川臨風『南朝正統論』(春陽堂・1911年)21頁)。しかしながら,さきに見たように,歴史学的にはなかなかそのような事実があったとはいいにくいようです。ということで,後亀山天皇から後小松天皇への譲位の儀式がなかったにもかかわらず南朝の正統性が後小松天皇に継承されたことを説明するために,南朝正統論者は次のように工夫して論じます。


 かくて南北合一神器之〔後小松天皇〕に帰し且つ南帝〔後亀山天皇〕好意の承認を経たる上は,また南朝もなく北朝もなく,〔後小松天皇は〕一点曇りなき万世一系の天津日嗣と成らせ給うたのである。此意味に於て余は北朝の御系統を今日に伝へられたる皇室の尊厳が聊も減ずることなく,天壌と共に窮まりなからんことを断言する。(黒板勝美「南北両朝の由来と其正閏を論ず」友声会編『正閏断案国体之擁護』(松風書院・1911年)41頁)


 これは,後小松天皇側からあった正統性移転の黙示の申込みに対して,後亀山天皇が承諾(「好意の承認」)をしたことにより契約が成立し(「接続取引」ということになるのでしょうか。),その効力として正統性が後小松天皇に移ったとするものでしょうか。しかし,前記のとおり,後小松天皇側は,三種の神器の返還は求めたけれども,そもそも正統性を認めていない相手方からの正統性の授与など求めるわけがない,という態度であったようです。

 後小松天皇と後亀山天皇との間の契約構成が採り得ない場合には,後亀山天皇の単独行為としての説明が試みられます。


  ・・・後小松帝が正当の天子と為られたることは,先帝〔後円融天皇〕よりの位を継承せられたるが為めにあらずして,唯後亀山天皇が其の位を抛棄せられ,既に天皇にあらざるが為めに此時より正当の天皇と為られたるなり・・・(副島義一「法理上より観たる南北正閏論争」友声会67頁)


これは,二人共有の場合に,一方がその持分を放棄すると,他の一方の持分がその分膨らんで完全な所有者になる,という共有の性質(民法255条参照)を連想させる説明ですね。しかしながら,そうだとすると,後小松天皇の有していた「持分」は何に由来したのでしょうか。やはり,後光厳天皇即位に当たっての二条良基的正統性ではなかったでしょうか。

 

6 三種の神器など

 なお,三種の神器については,明治22年の皇室典範ではその第10条で「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と規定していました。同条については,伊藤博文の『皇室典範義解』において,「恭て按ずるに,神祖以来鏡,剣,璽三種の神器を以て皇位の御守と為したまひ,歴代即位の時は必神器を承くるを以て例とせられたり。・・・本条は皇位の一日も曠闕すべからざるを示し,及神器相承の大義を掲げ,以て旧章を昭明にす。若乃継承の大義は践祚の儀文の有無を問はざるは,固より本条の精神なり。」と説かれていました。「践祚に伴うて行はせらる践祚の儀式及び詔勅は,唯皇位継承の事実を公に確認し宣言したまふに止まり,その効力発生の要件ではない」わけです(美濃部104105頁)。

南北朝時代の乱の原因に関して『皇室典範義解』は,「・・・聖武天皇・光仁天皇に至て遂に〔譲位が〕定例を為せり。此を世変の一とす。其の後権臣の強迫に因り両統互立を例とするの事あるに至る。而して南北朝の乱亦此に源因せり。本条〔明治22年皇室典範10条〕に践祚を以て先帝崩御の後に即ち行はる者と定めたるは,上代の恒典に因り中古以来譲位の慣例を改むる者なり。」と述べています。選定主義がまずかったということのようです。そこで,明治22年の皇室典範においては「皇位の継承は法律上当然に発生する事実であつて,法律行為ではない」ものとされたわけです(美濃部104頁)。


なお,「権臣の強迫」というのでは,北条時宗に気の毒ですね。持明院統・大覚寺統の両統迭立の始まりについて,『増鏡』第九「草枕」は次のように伝えています。


〔北条〕時宗朝臣もいとめでたきものにて,「本院〔後深草上皇。持明院統の祖〕のかく世を思し捨てんずる〔弟である亀山上皇(大覚寺統の祖)の系統が皇統を継ぐことになることをはかなんで出家しようとする〕,いとかたじけなくあはれなる御ことなり。故院〔後嵯峨上皇。後深草上皇の父〕の御掟〔皇統を亀山天皇系に伝えたいとするもの〕は,やうこそあらめなれど,〔後深草上皇は〕そこらの御このかみ〔兄〕にて,させる御誤りもおはしまさざらん。いかでかはたちまちに,名残なくは物し給ふべき。いと怠々しきわざなり」とて,新院〔亀山上皇〕へも奏し,かなたこなた宥め申して,東御方の若宮〔後深草上皇の子である後の伏見天皇〕を坊〔亀山上皇の子である後宇多天皇の皇太子〕にたてまつりぬ。


怖い顔の人が「誠意を見せろ。」というと恐喝(刑法2491項「人を恐喝して財物を交付させた者は,10年以下の懲役に処する。」)になりますが,鎌倉幕府の執権がマアマアと「かなたこなた宥め申」すのも「強迫」になったようです。北条時宗は,モンゴル大帝国の侵略を受けた国々を助ける集団的自衛権を行使する余裕もあらばこそ,個別的自衛権の発動のみで大陸及び半島からの我が国に対する安全保障上の危険に対処してしまったような強面の人でした。


現在の昭和22年法律第3号「皇室典範」4条は「天皇が崩じたときは,皇嗣が,直ちに即位する。」と規定しており,そこでは神器に言及されていません。これについては,194612月5日の第91回帝国議会衆議院本会議において,吉田安議員の質疑に対して金森徳次郎国務大臣が次のように答弁しています。すなわち,政教分離原則に由来する沈黙であるとされているわけです。


 次ぎに皇位の継承と,三種の神器との関係がいかになるかというお尋ねでありましたが,これは皇位が継承せられますれば,三種の神器がそれに追随するということは,こととして当然のことと考えてをります。しかしながらこれに関しまする規定を,皇室典範の中には設けておりません。その次第は,他に考うべき点もありますけれども,主たる点は,三種の神器は一面におきまして信仰ということと結びつけておる場面が非常に多いのでありますから,これを皇室典範そのものの中に表わすことが必ずしも適当でないというふうに考えまして,皇室典範の上にその規定が現れてはいないわけであります。しかしながら三種の神器が皇位の継承と結びついておることはもとよりでありまするので,その物的の面,詰まり信仰の面ではなくして,物的の面におきましての結びつきを,何らか予想しなければなりませんので,その点は,恐らく後に御審議を煩わすことになるであろうと存じまするところの皇室経済法の中に,片鱗を示す規定があることと考えております。


 皇室経済法7条は「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける。」と規定しています。同条の趣旨について,19461216日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会において,金森徳次郎国務大臣は次のように説明しています。天皇にも「民」法の適用があることが前提とされています。


  次ぎに第7条におきまして,日本国の象徴である天皇の地位に特に深い由緒ある物につきましては,一般相続財産に関する原則によらずして,これらのものが常に皇位とともに,皇嗣がこれを受けらるべきものなる旨を規定いたしております,このことはだいたいこの皇室経済法で考えておりまするのは,民法等に規定せられることを念頭にはおかないのでありまするけれども,しかし特に天皇の御地位に由緒深いものの一番顕著なものは,三種の神器などが,物的な面から申しましてここの所にはいるかとも存じますが,さようなものを一般の相続法等の規定によつて処理いたしますることは,甚はだ目的に副わない結果を生じまするので,かようなものは特別なるものとして相続法より除外して,皇位のある所にこれが帰属するということを定めたわけであります。


 天皇に民法の適用があるのならば相続税法の適用もあるわけで,19461217日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会におけるその点に関する小島徹三委員の質疑に対し,金森徳次郎国務大臣は次のように答弁しています。


 ・・・だいたい〔皇室経済法〕第7条で考えております中におきましては,はつきり念頭に置いておりますのは,三種の神器でありますけれども,三種の神器を物の方面から見た場合でありますけれども,そのほかにもここに入り得る問題があるのではないか,かように考えております,所がその中におきまして,極く日本の古典的な美術の代表的なものというようなものがあります時に,一々それが相続税の客体になりますと,さような財産を保全することもできないというふうな関係になりまして,制度の関係はよほど考えなければなりませんので,これもまことに卑怯なようでありますけれども,今後租税制度を考えます時に,はっきりそこをきめたい,かように考えております


 相続税法12条1項1号に,皇室経済法7条の皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,相続税の非課税財産として掲げられています。

 三種の神器は,国有財産ではありません。19461221日,第91回帝国議会貴族院皇室経済法案特別委員会における大谷正男委員の質疑に対する金森徳次郎国務大臣の答弁は,次のとおり。


  此の皇位に非常に由緒のあると云ふもの・・・今の三種の神器でありましても,皇位と云ふ公の御地位に伴ふものでありますが故に,本当から云へば国の財産として移るべきものと考ふることが,少くとも相当の理由があると思つて居ります,処がさう云ふ風に致しますると,どうしても神器などは,信仰と云ふものと結び付いて居りまする為に,国の方にそれは物的関係に於ては移つてしまふ,それに籠つて居る精神の関係に於ては皇室の方に置くと云ふことが,如何にも不自然な考が起りまして,取扱上の上にも面白くない点があると云ふのでありまするが故に,宗教に関しまするものは国の方には移さない方が宜いであらう,と致しますると,皇室の私有財産の方に置くより外に仕様がない,こんな考へ方で三種の神器の方は考へて居ります・・・


 さて,話は14世紀に戻りますが,後光厳天皇は,吉野方から攻撃されていたばかりではなく,延文二年(1357年)二月に崇光上皇が吉野方に許されて帰京してからは,その正統性について兄の上皇からも圧迫を受けていたようです。


・・・〔崇光上皇及び後光厳天皇の父である〕光厳院の没後の応安四年(1371)になって,〔後光厳〕天皇は皇子緒仁親王への譲位を図るが,持明院統の正嫡を自任する崇光院は,皇子栄仁親王の立太子を望んで武家に働きかけた。これに対し,若年の将軍義満を補佐する管領細川頼之は「聖断たるべし」として天皇に判断を返上し,天皇は緒仁親王(後円融天皇)に譲位して院政を執り,その3年後に没した。・・・「天照大神以来一流の正統」を自任する崇光院流の存在は,皇位継承をめぐってなお紛れの余地を残すことになる。(河内=新田207頁(新田))


ところでこの崇光上皇の系統が世襲親王家の伏見宮家で,先の大戦後に至って,この流れの宮家は,皇籍を離脱することになりました。皇籍復帰いかんが時に話題になる旧宮家です(ただし,明治天皇裁定の明治40年皇室典範増補6条は「皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族ニ復スルコトヲ得ス」と規定していました。)。

 いずれにせよ,そもそもは,足利尊氏が悪いのです。


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 深草北陵(深草十二帝陵)(京都市伏見区)
 後光厳天皇を含む持明院統の12天皇が合葬されています。

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