Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

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1 未婚少子化社会及び特別縁故者に対する相続財産分与制度(民法958条の3)

 

(1)未婚少子化社会

 前回(2018年1月22日)の当ブログの記事(「離婚の本訴と反訴との関係,最大判昭和62年9月2日の一般論,離婚の動向その他に関して」)においては,国立社会保障・人口問題研究所の人口統計資料集(2017改訂版)の数字を引いて,2015年次における我が国の生涯未婚率(50歳時の未婚割合)は男性が23.37パーセント,女性が14.06パーセントであると御紹介したところです(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1069738803.html)。婚姻が少なくなるということは,婚姻外において子が生まれることは少ないという我が国における男女親子関係の特徴を前提とすれば(上記2017年改訂版人口統計資料集によれば,2015年次の出生総数に対する嫡出でない子の割合はなお2.29パーセントです。なお,この割合は1978年次には0.77パーセントだったのですが,1950年次(2.47パーセント)以前はむしろより高く,1920年次には8.25パーセントでした。),法定相続人の無いまま死亡する者の数が増加するということになります。一人っ子の場合,特にそうなります(一人の女性が再生産年齢(15歳から49歳まで)を経過する間に子供を生んだと仮定した場合の平均出生児数である合計特殊出生率は,2017年改訂版人口統計資料集によれば,2015年次において1.45です。)。

 

(2)相続人を定める我が民法の規定

 だれが相続人になるかに関する我が民法の規定は,あらまし次のとおりです。

 

  民法887条 被相続人の子は,相続人となる。

   〔子の代襲者等の相続権に関する第2項及び第3項は略〕

  同法890条 被相続人の配偶者は,常に相続人となる。〔配偶者の相続順位に関するただし書は略〕

  同法889条 次に掲げる者は,第887条の規定により相続人となるべき者がない場合には,次に掲げる順序の順位に従って相続人となる。

   一 被相続人の直系尊属。ただし,親等の異なる者の間では,その近い者を先にする。

   二 被相続人の兄弟姉妹

   〔被相続人の兄弟姉妹の代襲者の相続権に関する第2項は略〕

 

(3)相続人の無い場合及び相続財産法人

 相続人の無いことが明らかであるときは「相続人のあることが明らかでないとき」に含まれますから,当該相続においては,「相続財産は,法人とする。」ということになります(民法951条)。(なお,同条についての法哲学の長尾龍一教授の註釈は,「私なども学生の頃,〔中略〕民法951条の規定について,講義で,「乞食がふんどし一つで行き倒れになると,そのふんどしは法人になる」という話をきき,「ふんどしを盗めば法人格そのものを盗んだことになるから,回復請求権の主体がなくなって取り得になる」などときたない議論をしたことがある。」というものです(長尾龍一『法哲学入門』(日本評論社・1982年)31頁)。ただし,刑法的には,「盗んだ」といっても窃盗(同法235条)ではなく(死者からの窃盗が認められた最高裁判所昭和41年4月8日判決・刑集20巻4号207頁の事案は,人を殺害後財物奪取の意思を生じた当該犯人が当該被害者の財物を奪取したもの),占有離脱物横領(同法254条)の成否が問題になります。)

法人たる相続財産の管理人(民法952条1項。なお,唯一の相続財産たるふんどしも奪い去られてしまった行き倒れの乞食を被相続人とする相続財産の管理人の選任の請求をしても,「相続財産が存在しても管理費用さえも充たしえない程度のものであるとか,その他選任の必要を認めないときは,家庭裁判所は相続財産管理人を選任すべきではなく,請求を却下すべきである。」とされていますので(金山正信=高橋朋子『新版注釈民法(27)相続(2)相続の効果§§896959(補訂版)』(有斐閣・2013年)952条解説・690頁),却下されるのでしょう。)は,公告をして相続債権者及び受遺者に対して弁済をし(同法957条),更に相続人の捜索の公告(同法958条)をすることになりますが,「前条〔958条〕の期間〔同条の公告に係る相続人があるならばその権利を主張すべき期間であって,6箇月を下ることができないもの〕内に相続人としての権利を主張する者がないとき」は,「相続人並びに相続財産の管理人に知れなかった相続債権者及び受遺者は,その権利を行使することができない」ものと確定します(同法958条の2)。

 

(4)特別縁故者に対する相続財産分与制度(民法958条の3)

相続人としての権利を主張する者がなく相続人の権利行使はないものと確定した場合において活用されるべき規定が,「特別縁故者に対する相続財産の分与」との見出しが付された民法958条の3です。

 

958条の3 前条〔第958条の2〕の場合において,相当と認めるときは,家庭裁判所は,被相続人と生計を同じくしていた者,被相続人の療養看護に努めた者その他被相続人と特別の縁故があった者の請求によって,これらの者に,清算後残存すべき相続財産の全部又は一部を与えることができる。

2 前項の請求は,第958条の期間の満了後3箇月以内にしなければならない。

 

2 我が奮闘及び脱線

筆者は,この特別縁故者に対する相続財産分与の審判(家事事件手続法(平成23年法律第52号)39条,別表第一の101の項,203条以下)に係る手続代理人(同法22条。訴訟代理人(民事訴訟法54条)ではありません。)を務めたことがあります。

 

(1)狭き門か

当該審判手続の間,尊敬する先輩弁護士に「私は今,特別縁故者に対する相続財産分与の手続代理人をやっているんですがね,うまくいけばいいんですがねぇ。」と話したことがあったところ,ああ特別縁故者に対する相続財産分与か,それは大変だ,自分は2件やったことがあるけれど家庭裁判所は実に渋い,もうやりたくない案件だ,とのお言葉。大きな不安に包まれた記憶があります。

確かに,特別縁故者該当性に係る前例として引用される大阪高等裁判所昭和46年5月18日決定・家月24巻5号47頁は「同法条にいう被相続人と特別の縁故があつた者とはいかなる者を指すかは具体的に例を挙げることは困難であるけれども,同法条の立言の趣旨からみて同法条に例示する二つの場合に該当する者に準ずる程度に被相続人との間に具体的且つ現実的な精神的・物質的に密接な交渉のあつた者で,相続財産をその者に分与することが被相続人の意思に合致するであろうとみられる程度に特別の関係にあつた者というものと解するのが相当」と判示しているところ,これが,特別縁故者たるためには専ら「被相続人と生計を同じくしていた者」又は「被相続人の療養看護に努めた者」に準じろ,ということであれば狭き門です。当該決定は,抗告人(申立人)の特別縁故者性を否定しています。

しかし,そこにおいては,「同法条に例示する二つの場合に該当する者に準ずる」場合であること(「準ずる場合」)が求められているのではなく,「準ずる程度」の「具体的且つ現実的な精神的・物質的に密接な交渉」があった,との「交渉」の「程度」が求められているものと解すべきなのでしょう。しかしてその「交渉」及び「程度」はどれくらいの交渉の程度かといえば,当該大阪高等裁判所決定では抗告人(申立人)と被相続人との交渉が「いわゆる親類縁者として通例のこと」ないしは「親類縁者として世間一般通常のこと」であったかどうかが問題とされており,通常の親族間の交渉の程度を超えた交渉の程度がそれだ,ということのようです。平成になってからの裁判例を見ても,①「通常親族がなし又はなすべき相互扶助の程度を超えて援助,協力してきた」から(東京高等裁判所平成元年8月10日決定・家月42巻1号103頁。申立人は被相続人の伯母),②「被相続人と通常の親族としての交際ないし成年後見人の一般的職務の程度を超える親しい関係にあり,被相続人からも信頼を寄せられていたものと評価することができるから」(大阪高等裁判所平成201024日決定・家月61巻6号99頁。申立人は被相続人の父の妹の孫及びその夫),③「被相続人と申立人X₂〔被相続人の妻の従妹〕の関係は,通常の親戚付合いを超えた親密な関係にあったと認められ,また,被相続人が申立人X₂に財産の管理処分を託する遺言書を書いた旨伝えていたことからすれば,被相続人は,申立人X₂に相当程度の財産を遺す意向を有していたと認められる。これらの事情からすれば」(東京家庭裁判所平成24年4月20日審判・判時2275106頁),被相続人と特別の縁故があった者に該当するとする裁判例があるところです。

なお,特別縁故者は自然人に限られず,法人等でも特別縁故者として認められることができます。民法958条の3を導入すべく法案審議がされていた第40回国会の衆議院法務委員会において1962年2月23日に平賀健太政府委員(法務省民事局長検事)が,「必ずしもそういうふうに血族あるいは姻族関係があるという場合に限られませんので,たとえば孤独の老人が養老院でなくなった,若干の金品を残して死んだというような場合に,長年世話になった養老院にその遺産を与えるというようなことも考えられます。それからまた,これは非常に特殊な例かとも思うのでございますが,やはり孤独の老学者が大学の研究室をわが家同然にして生活してきた。その学者が蔵書その他のものを残して死亡したというような場合に,その蔵書なんかをその大学に与えるというようなことも,これは可能かと思います。」と,つとに答弁しています(第40回国会衆議院法務委員会議録第8号8頁)。

 

(2)脱線その1:ファウスト博士及びその研究室

1962年2月23日の前記国会答弁において平賀健太政府委員の想定する「老学者」と「研究室」とのイメージは,ファウスト博士とその研究室とのもののようなものでしょうか。

 

NACHT.

 

In einem hochgewölbten, engen, gothischen Zimmer

Faust unruhig auf seinem Sessel am Pulte.

 

・・・・・・

 

Weh! steck’ ich in dem Kerker noch?

Verfluchtes, dumpfes Mauerloch!

Wo selbst das liebe Himmelslicht

Trüb' durch gemahlte Scheiben bricht.

Beschränkt mit diesem Bücherhauf,

Den Würme nagen, Staub bedeckt,

Den, bis an's hohe Gewölb' hinauf,

Ein angeraucht Papier umsteckt;

Mit Gläsern, Büchsen rings umstellt,

Mit Instrumenten vollgepfropft,

Urväter Hausrath drein gestopft –

Das ist deine Welt! Das heißt eine Welt!

 

夜,高い天井の狭いゴシック風の部屋,牢獄,呪われたかび臭い壁の穴,虫が食い埃をかぶった天井まで届く本の山,たばこのやにが染みついた紙,ガラス容器,罐,器材,先祖伝来の古い家具・・・。

脱線ですね。

 

(3)脱線その2:「平賀書簡問題」

しかし脱線ついでにいえば,1962年の平賀政府委員は,後に1969年の「平賀書簡問題」の平賀所長として有名になります。

「平賀書簡問題」とは何かといえば,佐藤幸治教授の『憲法(第三版)』(青林書院・1995年)の事項索引には項目として堂々と立っているのですが,該当ページに当たると「地方裁判所長が,事件担当の裁判官に私信を送り,一定の方向を示唆したことが問題となったいわゆる平賀書簡問題がある。」というだけで(328頁),やや不親切です。

この点,樋口陽一教授の『憲法Ⅰ』(青林書院・1998年)における説明は,詳しい。

 

 〔裁判官の身分保障に関する〕本文でのべたさまざまの次元での問題が一連の出来事として集中的にあらわれたのが,1969年の平賀書簡事件をきっかけとする経緯である。憲法9条にかかわる長沼事件〔一審判決は1973年9月7日(判時71224頁)〕を審理していた札幌地方裁判所で,審理担当の福島重雄裁判長に,判断内容につき助言・示唆した書簡を送った平賀健太・同裁判所長に対し,札幌地裁裁判官会議〔裁判所法(昭和22年法律第59号)29条2項・3項〕が,「裁判権の行使に不当に影響を及ぼすおそれがある」との厳重注意処分を決定した(9月13日)。最高裁〔長官は石田和外〕も,9月20日,平賀所長を注意処分に付すとともに〔裁判所法80条1号〕,東京高裁判事に転出させた。この出来事につき,飯守重任鹿児島地家裁所長が自民党の外郭団体である国民協会の機関紙(10月1日号)に「平賀書簡問題の背景」と題する文章を寄せ,青年法律家協会〔略〕を問題として,事件を作り上げたのは「青法協加入の裁判官たちと,反体制弁護士集団と,これらを支援するマスコミ勢力」だとし,平賀書簡のような助言は今までも「例がなかったとは到底考えられない」として平賀前所長を擁護した。飯守所長が平賀書簡のような行為を「必要に応じて行なわれていたものと見てよい」としたことについては,福岡高裁が飯守所長を厳重注意処分に付した〔裁判所法80条2号〕。他方,平賀・福島両裁判官それぞれについて出されていた訴追請求〔裁判官弾劾法(昭和22年法律第137号)15条〕について,翌19701019日,裁判官訴追委員会〔同法5条以下。国会議員により構成される。〕は,平賀裁判官については,先輩としての老婆心から助言したもので裁判干渉ではないとして不訴追の決定をし,福島裁判官については,平賀書簡のコピーを東京の裁判官に送ってこれを公表するに任せたことにより裁判官会議非公開の原則〔下級裁判所事務処理規則(昭和23年最高裁判所規則第16号)15条1項本文〕に反して「職務上の義務に著しく違反」し〔裁判官弾劾法2条1号〕,青法協に加入したことにより「裁判官の威信」を失ったとして〔同条2号〕,不訴追ではなく訴追猶予の決定をした〔同法13条〕。〔後略〕(493494頁)

 

裁判官になってしまい,かつ,偉くなってしまうと,後輩裁判官とのお付き合いも,仕事に関する権威的講釈をせぬようおっかなびっくりになってしまわざるを得ないものでしょうか。

これに対して,検察官は,同一体です(司法研修所検察教官室『平成18年度 検察講義案』12頁参照)。

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札幌地方裁判所庁舎(札幌市中央区)

 

(4)脱線その3:検察官同一体の原則及びその相手方

とはいえ検察官はだれに向かって同一体かというと,在野の弁護士などはもちろん歯牙にもかけず,実は,裁判官に対してであったようです。

後の司法大臣にして元第一東京弁護士会会長たる貴族院議員岩田宙造,1935年1月29日の貴族院本会議における質問演説において獅子吼していわく。

 

〔前略〕検事が斯の如く予審判事〔旧刑事訴訟法(大正11年法律第75号)295条以下等参照〕に対して不当なる権力を持って居ると云ふことは,何に依って斯様な不当な権力を持つのであらうかと云ふことを考へて見たいのであります,是は所謂検事一体と云ふことを申すのでありまして,検事は上検事総長から下区裁判所の下級の検事に至りまする迄一体として働くのであります,で詰り上の命令に,服従しなければならぬことになって居る,なって居りまするから,普通は検事と云ふものは弱いものである,上官の命令通りに動かなければならぬから,自分の我意を,自分の独立した主張を通す訳にいかぬから,検事は普通弱いと言って居る,之に反し判事は各独立であって,上官の命令と雖も自分の意見に反すれば従ふ必要はないのでありますから,是は独立で,判事の地位は強いと普通に言って居るのであります,併ながら実際の結果はそれが反対の作用をして居る,検事は予審判事と対立を致しました場合に,検事の方は如何に下級の検事と雖も,検事総長と同じ力を以て予審判事に対抗し得るのであります,検事一体であるが故に・・・検事一体であるが故に其検事の言ふことは,検事総長が言ふことと同じ力を以て予審判事に向ふ,予審判事の方は独立でありまして,如何にも強いやうな地位に居りまするが,孤立である,孤立でありまするから,自分の言ふことは自分だけの力しかないのでありまして,決して上大審院長を初め其裁判官の同じ力を以て之に対抗すると云ふ力は無い,全く自分一個の力しかないのであります,でありまするから太刀打が出来ないと云ふことになる〔後略〕(第67回帝国議会貴族院議事速記録第6号51頁。原文は片仮名書き。なお,第一東京弁護士会会史編纂委員会編『われらの弁護士会史』(第一東京弁護士会・1971年)231232頁)

 

弱いように見える方が実は強く,強いように見える方が実は弱い。世の中には逆説が満ち満ちています。

閑話休題。

 

(5)特別縁故者該当性について

特別縁故の有無の決定は,申立人が「被相続人と生計を同じくしていた者」又は「被相続人の療養看護に努めた者」に準ずる者であるかどうかを直接検討してされるのではなく,広島高等裁判所平成15年3月28日決定・家月55巻9号60頁によれば,「その特別縁故の有無については,(1)①被相続人の生前における交際の程度,②被相続人が精神的・物質的に庇護恩恵を受けた程度,③死後における実質的供養の程度等の具体的実質的な縁故関係のほか,(2)被相続人との自然的血縁関係をも考慮して決すべきもの」とされています(番号及び下線は筆者によるもの)。

以上のゆえか,「判例上,特別縁故者に該当しないとして却下された事例は比較的少ない。」ということになります(梶村太市『裁判例からみた相続人不存在の場合における特別縁故者への相続財産分与審判の実務』(日本加除出版・2017年)42頁)。ただし,より詳しく見ると,次のような事情があります。

 

・・・たとえば2012(平成24)年の〔特別縁故者に対する相続財産の分与の審判事件の〕既済事件(総数1122件)について見てみれば,認容件数92882.7%),却下807.1%),取下げ1099.7%)となっている(2005年を見れば,認容率81.5%,却下率6.5%,取下げ率9.6%であり,それほどの違いはない)。〔家事事件手続法の〕別表一事件(旧甲類審判事件)は,もともと,認容率が高いといわれているが,その全既済事件につき,2012年の認容率は96.8%,却下率は0.4%,取下げ率2.3%であるから,別表一事件の中では,特別縁故者への相続財産分与事件の認容率は高くはないということになり,多少慎重に特別縁故関係の認定が行われるようになったといえる。他方,特別縁故者への相続財産分与事件取下げ率の高さは,依然続いている。この点について,実務家からは,死後縁故の問題との関連で,被相続人の死後,事務処理や祭祀法要等を行った者がこれら費用の清算を求めて特別縁故者としての相続財産分与を求めたような事例で,具体的・現実的縁故関係が認められないような場合は,直ちに申立てを却下せず,相続財産管理人にこれら費用の清算を認める権限外行為許可審判を出して,申立人に取下げを促しているという事情があるとの指摘がなされている・・・。(久貴忠彦=犬伏由子『新版注釈民法(27)相続(2)(補訂版)』958条の3解説・726頁)


「特別縁故者への相続財産分与申立ては,たとえ一部にせよ何らかの形で認容されることが多い」とともに「審理の途中で見込みなしと判断して取り下げられることも少なくない」わけです(梶村42頁)。

 

(6)全部分与か一部分与か

ところで,ここで「たとえ一部にせよ何らかの形で認容されることが多い」ということは,一部分与の審判が実は多いということなのでしょう。また,前記先輩弁護士の苦い体験談,丸山茂神奈川大学法務研究科教授が「特別縁故者と被相続人の意思―最近の審判例から―」(神奈川ロージャーナル9号23頁)で紹介している東京家庭裁判所平成28年5月30日審判(4分の1の一部分与)などが存在します。そうだとすると,次のような楽観的記述は,実は眉に唾をつけて読むべきものだったのでしょうか。

 

分与請求については,認容された「そのほとんどにおいては全部分与が認められている(一部分与事件は5%に満たない,と推測されたことがある(田中実ほか「特別縁故者に対する残存相続財産の分与制度をめぐる諸問題」私法30号(昭43151))。」(久貴=犬伏749頁)

 

「多くの審判例にあってかなり容易に多額の遺産の全部分与が認められている」(久貴=犬伏750頁)

 

 司法統計によると,2016年における特別縁故者に対する相続財産の分与の審判事件に係る既済件数の総数は984,そのうち認容は816件(82.9%),却下は86件(8.7%),取下げは77件(7.8%),その他5件となっています。しかしそこでは,認容された816件のうちどれだけが全部分与でどれだけが一部分与かの内訳はちょっと分かりません。「一部分与事件は5%に満たない」との「推測」は,今(2018年)を去る50年前の1968年(昭和43年)にされたものですから,安易かつ直ちに当てにしてはいけないもののようです。そもそも田中実=久貴忠彦=人見康子の当該「特別縁故者に対する残存相続財産の分与制度をめぐる諸問題」研究報告は,「制度発足の昭和37年から41年末までの相続財産の処分(家審9Ⅰ甲32の2〔民法第958条の3第1項の規定による相続財産の処分〕)審判事件申立数は672である。このうち,既済は534で,その内訳は,認容344,却下24,取下159,その他7,である」ところ,「37年10月より42年6月に至る間の,114審判事件(認容105,却下9)と4抗告事件(うち2件は取消差戻)」(審判事件申立人の内訳は「総数は149名であり,うち特別縁故者と認定された者123(うち3名は相当性なしとして却下),否定された者26」)を「報告の基礎として用いたもの」であって(私法30号150頁),その114審判事件及び4抗告事件について見れば「遺産の一部分与がなされることはきわめて少なく,本報告事例中では5件しかない。」というものだったのですから(同151頁),網羅的な調査ではないし,かつ,「報告の基礎」として用いられた事例に偏りがあった可能性もあり得るところです。また,既済534件中取下げが3割の159件では,正に「審理の途中で見込みなしと判断して取り下げられることも少なくない」状態だったわけです。

 

(7)相当性について

 民法958条の3第1項には実は二重のハードルが仕掛けられてあったのであって,でき得れば相続財産の全部の分与を受けようとする申立人は,①特別縁故者該当性のほか,②「相当と認めるときったは・・・相続財産の全部又は一部を与えることができる」ための相当性を,全部分与が受けられる程度までクリアしなければならないのでした。

 この相当性の基準について前記広島高等裁判所平成15年3月28日決定は,「被相続人と特別縁故者との縁故関係の厚薄,度合,特別縁故者の年齢,職業等に加えて,相続財産の種類,数額,状況,所在等の記録に現れた一切の事情を考慮して,上記分与すべき財産の種類,数額等を決定すべきものである」としています。

 しかし,これでは「すべては裁判所の裁量にかかり,明確な基準を見出すことはできない」ということで(久貴=犬伏749頁)抽象的に過ぎるようなので,どう対処すべきか。「親族が特別縁故者であるときは全部分与が容易に認められ,遠縁ないしは全くの他人がそれであるときには一部分与が考えられるというのであればそれは明らかに誤りである。特別縁故者としては親族であろうと他人であろうと等質でなければならない」(久貴=犬伏750頁)と裁判所に意見するより前に,足元を固めなくてはなりません。筆者は,全部分与を受けることを確保せむと申立書の補充書なるものを家庭裁判所に提出し,そこにおいて,「裁判例のうち一部分与となったものは枚挙にいとまがな」いとされたもの(梶村47頁)のうちから平成期の裁判例たる名古屋高等裁判所平成8年7月12日決定・家月481164頁,鳥取家庭裁判所平成201020日審判・家月61巻6号112頁,前記大阪高等裁判所平成201024日決定,前記東京家庭裁判所平成24年4月20日審判及び東京高等裁判所平成26年5月21日決定・判時227144頁の5件を取り上げ,それぞれについて一部分与の結論をもたらすこととなった理由であるものと考えられる特有の事情の摘出を試み,それらの特有の事情のような事情は筆者が手続代理人をしている案件においては無いのだと説明したのでした。更には,被相続人に関する諸事情の記述については申立書の段階では主に申立人の陳述に頼っていたのですが,追加的に被相続人のかつての知友親族に会い,ないしは電話をかけて,故人の人となり等を聴取しては聴取書又は電話聴取書にまとめて提出しています。Sachlichな実務家たるべき弁護士からのとんだ学者的学術論文ないしは伝記作家的文学作品の到来に,担当裁判官は苦笑されたことでしょう。

 

(8)Das Ende meines Kampfs

 筆者が頂いた審判書には,相当性判断の箇所において,申立人と被相続人との間の親族関係の存在(5親等の血族),申立人は長期間にわたって通常の親族としてのかかわりを超える援助を行っていて被相続人からも信頼を寄せられていたと考えられること並びに申立人は今後も継続して被相続人の祭祀を継続する意向を有すること及びその可能性の高さが摘示された上で,「相続財産から相続財産管理人の報酬を控除した残金を分与させるとしても,あながち不当とは言えない。」とのお言葉が記されていました。

 実質全部分与であります。しかし,「あながち不当とは言えない。」とは渋い表現です。

 とはいえ,これは,ボーダーライン・ケースではあるが何とか全部分与となることができたということでしょうか。ということは,もしかしたらそれは,担当代理人のお手柄なのかな,卓越した手腕なのかな・・・などと暫時図々しく自惚れかけていたのですが,人間自惚れると自惚れた分野において高転びに転ぶものです。

 

  …darum sollst du deine Tugenden lieben, -- denn du wirst an ihnen zu Grunde gehn. --

 

3 特別縁故者に対する相続財産分与に係る課税に関して

 最後に,税法関係についてもしっかりとフォローアップする弁護士として,特別縁故者に対する相続財産分与に係る課税に関して一言。

 特別縁故者に対する相続財産分与の「審判の確定により,特別縁故者は相続財産を取得することとなるが,その法的構成は,被相続人からの相続による承継取得ではなく,相続財産法人からの無償贈与である。」とされています(久貴=犬伏766頁。また,阿川清道「民法の一部を改正する法律について」曹時14巻4号66頁)。そこで,「当初は,所得税法による課税対象とされていた」とされています(久貴=犬伏767頁。また,梶村34頁,阿川66頁)。「贈与」だといわれるのに贈与税が課されないのはなぜかといえば,「法人からの贈与により取得した財産」の価額は贈与税の課税価格に算入されないのだ(相続税法(昭和25年法律第73号)21条の3第1項1号),と説明されたものなのでしょうか。現在の所得税法(昭和40年法律第33号)に当てはめると,「法人からの贈与」として一時所得(同法34条)になったということでしょうか(金子宏『租税法 第十七版』(弘文堂・2012年)247頁参照。なお,1964年3月26日に泉美之松政府委員(大蔵省主税局長)は参議院大蔵委員会において「従来は一時所得といたしておりました」と答弁していますが(第46回国会参議院大蔵委員会会議録第20号9頁),「法人からの贈与」だからというような理由付けまでは述べられていません。)。しかし,相続財産法人からの無償「贈与」といっても,不動産の所有権移転の登記を行う際の登記原因は「相続財産分与の審判」であって(久貴=犬伏766頁参照),贈与ではありません。(この点については,『法曹時報』1962年4月号の記事の段階において阿川清道法務省民事局第二課長は「不動産登記の関係では,相続登記ではなく,贈与による所有権移転登記手続をなすべきこととなるわけである。」との見解を示していましたが(阿川66頁),同年の昭和37年6月15日民事甲1606号法務省民事局長通達においては登記原因は「相続財産処分の審判」であるものとされています(沼辺愛一=藤島武雄「特別縁故者に対する相続財産の処分をめぐる諸問題」判タ155号76頁注3参照)。登記原因を「贈与」であるものとする第二課長の見解は,平賀健太局長のレヴェルで排斥されたということでしょうか。)また,神戸地方裁判所昭和58年11月14日判決・行集34巻11号1947頁は「財産分与は,従前は,相続財産法人に属していた財産を同法人から役務又は資産の譲渡の対価としてではなく取得するものであるから,所得税法に規定する一時所得に該当するものとして,所得税が課税されていた。」と判示しており,そこでは「贈与」の語が用いられてはいません。
 その後「昭和39年(法23)の相続税法3条の2(現4条)の新設によって,これ〔民法958条の3第1項による財産の取得〕が「遺贈に因り取得したものとみなす」とされて相続税の課税対象」となっています(久貴=犬伏767頁。また,梶村34頁)。他方所得税については,当該所得は「相続,遺贈又は個人からの贈与により取得するもの(相続税法(昭和25年法律第73号)の規定により相続,遺贈又は個人からの贈与により取得したものとみなされるものを含む。)」として,非課税となっています(所得税法9条1項16号)。

 「相続税法は,審判確定時ではなく相続開始時のそれが適用され,この場合の課税価格の算定に当たっては,分与審判に関する訴訟費用等の額を分与財産の価格から控除することはできないとされる(神戸地判昭和581114〔略〕)」とされています(梶村34頁)。前記神戸地方裁判所昭和581114日判決では,「特別縁故者は,自ら申立を行つてはじめて分与を受けうることになるものであるから,原告の主張する訴訟費用等は,被相続人の債務ではなく,また,被相続人に係る葬式費用でないこともいうまでもない。/従つて,右訴訟費用等が〔相続税〕法13条1項各号所定の遺産からの控除の対象となる債務に該当しないことは明らかである。」と判示されています課税価格に算入される価額から相続税法13条1項によって控除され得るものは,「被相続人の債務で相続開始の際現に存するもの(公租公課を含む。)」(同項1号)及び「被相続人に係る葬式費用」(同項2号)に係るもののみです。適用される相続税法は審判確定時のものであるべきだとする学説がありますが(金子528529頁),相続税課税が強化され気味の昨今,裁判所の見解でよろしいのではないでしょうか。なお,特別縁故者に対する相続財産分与の審判による財産取得に係る所得が一時所得であるのならば,「その収入を得るために支出した金額(その収入を生じた行為をするため,又はその収入を生じた原因の発生に伴い直接要した金額に限る。)」の控除が問題となったところでした(所得税法34条2項)。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

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1 三種ノ神器と後鳥羽天皇及び後醍醐天皇

 安徳天皇を奉じ三種ノ神器を具しての平家都落ちを承けて前年急遽践祚した第82代後鳥羽天皇の即位の大礼を,後白河法皇が翌七月に行おうとしていることに関する元暦元年(寿永三年)(1184年)六月廿八日の九条兼実日記(『玉葉』)の批判的記述。

 

 ・・・何況(なんぞいわんや)不帯剣璽(けんじをおびざる)即位之例出来者(いできたらば),後代乱逆之(もとい),只可在(このことに)此事(あるべし)・・・

 

 壇ノ浦の合戦において安徳天皇が崩御し,平家は滅亡,三種ノ神器のうち鏡及び璽は回収されたものの剣は失われてしまったのは,その翌年のことでした。
 承久三年の乱逆は,元暦元年から37年後のことです。九条家は,兼実の孫の道家の代となっていました。 

 また,頼山陽『日本外史』巻之五新田氏前記楠氏にいわく。

 

 〔建武三年(1336年),後醍醐〕帝の(けつ)(かえ)るや,〔足利〕尊氏(すで)に新帝〔光厳天皇〕の弟を擁立す。これを北朝光明帝となす。帝に神器を伝へんことを請ふ。〔後醍醐〕帝(ゆる)さず。尊氏,〔後醍醐〕帝を花山院に(とら)へ,従行の者僧(ゆう)(かく)らを殺し,その余を(こう)(しゅう)す。・・・〔三条〕(かげ)(しげ)(ひそか)に計を進め,(のが)れて大和に(みゆき)せしむ。〔後醍醐〕帝,夜,婦人の()を服し,(かい)(しょう)より出づ。(たす)けて馬に(のぼ)せ,景繁,神器を(にな)つて従ふ。・・・ここにおいて,行宮(あんぐう)を吉野に(),四方に号令す。(頼成一=頼惟勤訳『日本外史(上)』(岩波文庫・1976年)313314頁)

 

 同じく巻之七足利氏正記足利氏上にいわく。

 

 〔後醍醐〕帝,〔新田〕義貞をして,太子を奉じ越前に赴かしめ,(しこう)して()を命じて闕に還る。〔足利〕直義,兵に将としてこれを迎へ,(すなわ)ち新主〔光明天皇〕のために剣璽を請ふ。〔後醍醐〕帝,偽器(ぎき)を伝ふ。(頼成一=頼惟勤訳『日本外史(中)』(岩波文庫・1977年)26頁)

 

 しかし,偽器まで使って(あざむ)き給うのは,さすがにどうしたものでしょうか。

 

2 天皇の退位等に関する皇室典範特例法案要綱

昨日(2017年5月10日),京都新聞のウェッブ・サイトに「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案要綱」というものが掲載されていました。当該要綱(以下「本件要綱」といいます。)の第二「天皇の退位及び皇嗣の即位」には「天皇は,この法律の施行の日限り,退位し,皇嗣が,直ちに即位するものとすること。」とあり,第六「附則」の一「施行期日」には「1 この法律は,公布の日から起算して3年を超えない範囲内において政令で定める日から施行するものとすること。」とあります。すなわち,全国民を代表する議員によって組織された我が国会が,3年間の期間限定ながら,内閣(政令の制定者)に対し,在位中の天皇を皇位から去らしめ(「天皇は,この法律の施行の日限り,退位し」というのは,法律施行日の夜24時に天皇は退位の意思表示をするものとし,かつ,当該意思表示は直ちに効力を生ずるものとするという意味ではなくて,シンデレラが変身したごとく同時刻をもって天皇は自動的に皇位を失って上皇となるという意味でしょう。),皇嗣をもって天皇とする権限を授権するような形になっています。

 

3 「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承と三種ノ神器

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承の際三種ノ神器はどうなるのかが気になるところです。

手がかりとなる規定は,本件要綱の第六の七「贈与税の非課税等」にあります。いわく,

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

 皇室経済法(昭和22年法律第4号)7条は,次のとおり。

 

 第7条 皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける。

 

(1)皇室経済法7条をめぐる解釈論:相続法の特則か「金森徳次郎の深謀」か

 本件要綱の第六の七には「皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物」とあります。ところで,これは,皇位継承があったときに,皇室経済法7条によって直接,三種ノ神器その他の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権は,特段の法律行為を要さずに前天皇から新天皇に移転するということでしょうか。見出しには「贈与税の非課税等」とありますが,ここでの「等」は,皇室経済法7条のこの効力を指し示すものなのでしょうか。

 皇室経済法7条については,筆者はかつて(2014年5月)「「日本国民の総意に基づく」ことなどについて」と題するブログ記事で触れたことがあります。ここに再掲すると,次のごとし。

 

皇室経済法7条は「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける。」と規定しています。同条の趣旨について,19461216日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会において,金森徳次郎国務大臣は次のように説明しています。天皇にも「民」法の適用があることが前提とされています。

 

次ぎに第7条におきまして,日本国の象徴である天皇の地位に特に深い由緒ある物につきましては,一般相続財産に関する原則によらずして,これらのものが常に皇位とともに,皇嗣がこれを受けらるべきものなる旨を規定いたしております,このことはだいたいこの皇室経済法で考えておりまするのは,民法等に規定せられることを念頭にはおかないのでありまするけれども,しかし特に天皇の御地位に由緒深いものの一番顕著なものは,三種の神器などが,物的な面から申しましてここの所にはいるかとも存じますが,さようなものを一般の相続法等の規定によつて処理いたしますることは,甚はだ目的に副わない結果を生じまするので,かようなものは特別なるものとして相続法より除外して,皇位のある所にこれが帰属するということを定めたわけであります。

 

  天皇に民法の適用があるのならば相続税法の適用もあるわけで,19461217日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会におけるその点に関する小島徹三委員の質疑に対し,金森徳次郎国務大臣は次のように答弁しています。

 

・・・だいたい〔皇室経済法〕第7条で考えております中におきましては,はつきり念頭に置いておりますのは,三種の神器でありますけれども,三種の神器を物の方面から見た場合でありますけれども,そのほかにもここに入り得る問題があるのではないか,かように考えております,所がその中におきまして,極く日本の古典的な美術の代表的なものというようなものがあります時に,一々それが相続税の客体になりますと,さような財産を保全することもできないというふうな関係になりまして,制度の関係はよほど考えなければなりませんので,これもまことに卑怯なようでありますけれども,今後租税制度を考えます時に,はっきりそこをきめたい,かように考えております

 

  相続税法12条1項1号に,皇室経済法7条の皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,相続税の非課税財産として掲げられています。

  三種の神器は,国有財産ではありません。19461221日,第91回帝国議会貴族院皇室経済法案特別委員会における大谷正男委員の質疑に対する金森徳次郎国務大臣の答弁は,次のとおり。

 

此の皇位に非常に由緒のあると云ふもの・・・今の三種の神器でありましても,皇位と云ふ公の御地位に伴ふものでありますが故に,本当から云へば国の財産として移るべきものと考ふることが,少くとも相当の理由があると思つて居ります,処がさう云ふ風に致しますると,どうしても神器などは,信仰と云ふものと結び付いて居りまする為に,国の方にそれは物的関係に於ては移つてしまふ,それに籠つて居る精神の関係に於ては皇室の方に置くと云ふことが,如何にも不自然な考が起りまして,取扱上の上にも面白くない点があると云ふのでありまするが故に,宗教に関しまするものは国の方には移さない方が宜いであらう,と致しますると,皇室の私有財産の方に置くより外に仕様がない,こんな考へ方で三種の神器の方は考へて居ります・・・

 

  http://donttreadonme.blog.jp/archives/1003236277.html

 

 要するに筆者の理解では,皇室経済法7条は民法の相続法の特則であって,崩御によらない皇位継承の場合(相続が伴わない場合)には適用がないはずのものでした。生前退位の場合にも適用があるとすれば(確かに適用があるように読み得る文言とはなっています。),これは,皇位継承の原因は崩御のみには限られないのだという理解が,皇室典範(昭和22年法律第3号)及び皇室経済法の起草者には実はあったということになりそうです(両法の昭和天皇による裁可はいずれも同じ1947年1月15日にされています。)。「金森徳次郎の深謀」というべきか。

 しかし,皇室経済法7条が生前退位をも想定していたということになると,現行皇室典範4条の規定(「天皇が崩じたときは,皇嗣が,直ちに即位する。」)は崩御以外の皇位継承原因を排除しているのだという公定解釈の存立基盤があやしくなります。そうなると,本件要綱の第一にある「皇室典範(昭和22年法律第3号)第4条の規定の特例として」との文言は,削るべきことになってしまうのではないでしょうか。

 

(2)贈与税課税の原因となる贈与と所得税の課税対象となる一時所得

 更に困ったことには,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に伴い直ちに皇室経済法7条によって「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権が前天皇から新天皇に移転するのであれば,これは新旧天皇間の贈与契約に基づく財産の授受ではなく,そもそも贈与税の課税対象とはならないのではないでしょうか。

相続税法(昭和25年法律第73号)1条の4第1項は,贈与税の納税義務者を「贈与により財産を取得した個人」としていますが,ここでいう「贈与」とは民法549条の贈与契約のことでしょう(金子宏『租税法(第17版)』(弘文堂・2012年)543頁参照)。相続税法5条以下には贈与により取得したものとみなす場合が規定されていますが,それらは,保険契約に基づく保険金,返還金等(同法5条),定期金給付契約に基づく定期金,返還金等(同法6条),著しく低い価額の対価での財産譲渡(同法7条),債務の免除,引受け及び第三者のためにする債務の弁済(同法8条),信託受益権(同法第1章第3節),並びにその他対価を支払わないで,又は著しく低い価額の対価で利益を受けること(同法9条)であるところ,皇室経済法7条による「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の所有権の移転がみなし贈与であるためには, 相続税法9条の規定するところに該当するか否かが問題になるようです。しかしながら,相続税法9条の適用がある事例として挙げられているのは,同族会社等における跛行増資,同族会社に対する資産の低額譲渡及び妻が夫から無償で土地を借り受けて事業の用に供している場合(金子546頁)といったものですから,どうでしょうか。同条の「当該利益を受けさせた者」という文言からは,当該利益を受けさせた者の効果意思に基づき利益を受ける場合に限られると解すべきではないでしょうか。

むしろ新天皇(若しくは宮内庁内廷会計主管又は麹町税務署長若しくは麻布税務署長)としては,一時所得(所得税法(昭和40年法律第33号)34条1項)があったものとして所得税が課されるのではないか,ということを心配すべきではないでしょうか。一時所得とは「利子所得,配当所得,不動産所得,事業所得,給与所得,退職所得,山林所得及び譲渡所得以外の所得のうち,営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないもの」をいいます。(ちなみに,所得税法上の各種所得中最後に定義される雑所得は,「利子所得,配当所得,不動産所得,事業所得,給与所得,退職所得,山林所得,譲渡所得及び一時所得のいずれにも該当しない所得」です(同法35条1項)。)個人からの贈与により取得する所得には所得税は課税されませんが(所得税法9条1項16号),そうではない所得については,所得税の課税いかんを考えるべきです。(なお,民法958条の3第1項の特別縁故者に対する相続財産の分与については,1964年の相続税法改正後は遺贈による取得とみなされることとなって相続税が課されることになっていますが(相続税法4条),1962年の制度発足当初は,「相続財産法人からの贈与とされるところから」所得税法による課税対象となっていました(久貴忠彦=犬伏由子『新版注釈民法(27)相続(2)(補訂版)』(有斐閣・2013年)958条の3解説・767頁。また,阿川清道「民法の一部を改正する法律について」曹時14巻4号66頁)。ただし,「贈与」とした上で「法人からの贈与」だからという理由付けで贈与税非課税(相続税法21条の3第1項1号)とせずとも,所得税の課される一時所得であることの説明は可能であったように思われます。1964年3月26日の参議院大蔵委員会において泉美之松政府委員(大蔵省主税局長)は「従来は一時所得といたしておりました」と答弁していますが(第46回国会参議院大蔵委員会会議録第20号10頁),そこでは「法人からの贈与」だからとの言及まではされていません。そして,神戸地方裁判所昭和58年11月14日判決・行集34巻11号1947頁は「財産分与は,従前は,相続財産法人に属していた財産を同法人から役務又は資産の譲渡の対価としてではなく取得するものであるから,所得税法に規定する一時所得に該当するものとして,所得税が課税されていた。」と判示していて,「贈与」の語を用いていません。)

しかし,今井敬座長以下「高い識見を有する人々の参集」を求めて開催された天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議(2016年9月23日内閣総理大臣決裁)の最終報告(2017年4月21日)のⅣ2には「天皇の退位に伴い,三種の神器(鏡・剣・璽)や宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)などの皇位と共に伝わるべき由緒ある物(由緒物)は,新たな天皇に受け継がれることとなるが,これら由緒物の承継は,現行の相続税法によれば,贈与税の対象となる「贈与」とみなされる。」と明言されてしまっています。贈与税非適用説は,今井敬座長らの高い識見に盾突く不敬の解釈ということになってしまいます。

 

(3)本件要綱の第六の七の解釈論:贈与契約介在説

そうであれば,三種ノ神器等の受け継ぎが相続税法上の贈与税の課税原因たる「贈与」に該当することになるように,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に際しての三種ノ神器等の承継の法律構成を,本件要綱の第六の七の枠内で考えなければなりません。

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

とあるのは,

 

第二により皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定の趣旨に基づく前天皇との贈与契約により皇位とともに皇嗣が受けた物については,贈与税を課さないものとすること。

 

との意味であるものと理解すべきでしょうか。(「贈与税の対象となる「贈与」と見なされる。」との文言からは贈与それ自体ではないはずなのですが,みなし贈与に係る相続税法9条該当説は難しいと思われることは前記のとおりです。)

皇室経済法7条により直接三種ノ神器等の所有権が移転するとしても,その原因たる「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承は実のところ現天皇の「譲位意思」に基づくものなのだから広く解して贈与に含まれるのだ,と頑張ろうにも,そもそも「83歳と御高齢になられ,今後これらの御活動〔国事行為その他公的な御活動〕を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じ」ていること(本件要綱の第一)のみから一義的に退位の意思,更に三種ノ神器の贈与の意思までを読み取ってしまうのは,いささか忖度に飛躍があるように思われるところです。

新旧天皇間の贈与については日本国憲法8条の規定(「皇室に財産を譲り渡し,又は皇室が,財産を譲り受け,若しくは賜与することは,国会の議決に基かなければならない。」)の適用いかんが一応問題となりますが,同条は皇室内での贈与には適用がないものと解することとすればよいのでしょう。

贈与税の非課税措置の発効は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の午前零時からです(本件要綱の第六の一)。課税問題を避けるためには,新旧天皇間の贈与契約の効力発生(書面によらない贈与の場合はその履行の終了(金子543頁))はそれ以後でなければならないということになります(国税通則法(昭和37年法律第66号)15条2項5号は贈与による財産の取得の時に贈与税の納税義務が成立すると規定)。しかし,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日当日の24時間中においてはなおも皇位継承は生じないところ(本件要綱の第二参照),その日のうちに三種ノ神器の所有権が次期天皇に移ってしまうのはフライングでまずい。そうであれば,あらかじめ天皇と皇嗣との間で,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の翌日午前零時をもって三種ノ神器その他の皇位とともに伝わるべき由緒ある物の所有権が前天皇から新天皇に移転する旨の贈与契約を締結しておくべきことになるのでしょう(午前零時きっかりに意思表示を合致させて贈与契約を締結するのはなかなか面倒でしょう。)。

ちなみに,上の行うことには下これに倣う。相続税については,皇室経済法7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物の価額は相続税の課税価格に算入しないものとされていること(相続税法12条1項1号)にあたかも対応するように,人民らの墓所,霊廟及び祭具並びにこれらに準ずるものの価額も相続税の課税価格に算入しないこととされています(同項2号)。そうであれば,贈与税について,「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」による皇位継承に際して皇嗣が贈与を受けた皇位とともに伝わるべき由緒ある物については贈与税を課さないものとするのであれば,人民向けにも同様の非課税措置(高齢による祭祀困難を理由とした祭祀主宰者からの墓所,霊廟及び祭具並びにこれらに準ずるものの贈与について非課税措置を講ずるといったようなもの)が考えられるべきなのかもしれません。

 

(4)三種ノ神器贈与の意思表示の時期

とここまで考えて,一つ難問が残っていることに気が付きました。

天皇から皇嗣に対する三種ノ神器の贈与は,正に皇室において新天皇に正統性を付与する行為(更に人によっては三種ノ神器の授受こそが「譲位」の本体であると思うかもしれません。)であって,三種ノ神器も国法的には天皇の私物にすぎないといえども,当該贈与の意思表示を華々しく天皇がすることは日本国憲法4条1項後段の厳しく禁ずるところとされている「国政に関する権能」の行使に該当してしまうのではないか,という問題です。皇位継承が既成事実となった後に,もはや天皇ではなくなった上皇からひそやかに贈与の意思表示があるということが憲法上望ましい,ということにもなるのではないでしょうか。(三種ノ神器の取扱いいかんによっては信教の自由に関する問題も生じ得るようなので,その点からも三種ノ神器を受けることが即位の要件であるという強い印象が生ずることを避けるべきだとする配慮もあり得るかもしれません。「天皇に対してはもろに政教分離の原則が及ぶ,と考えざるを得ない。なぜか。憲法第20条第3項は「国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定しているからである。実際のところ,神道儀式を日常的に公然とおこなう天皇が,神道以外のありとあらゆる宗教・宗派を信奉する国民たちの「統合の象徴」であるというのは,おかしな話である。天皇は「象徴」であるためには,宗教的に中立的であらねばならない。」と説く論者もあるところです(奥平康弘『「萬世一系」の研究(下)』(岩波現代文庫・2017年(単行本2005年))264頁)。)

しかしそうなると,新天皇は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日の翌日午前零時に即位した時点においては三種ノ神器の所有権を有しておらず,当該即位は,九条兼実の慨嘆した不帯剣璽(けんじをおびざる)即位之例となるということもり得るようです。ただし,後醍醐前天皇が光明天皇にしたような三種ノ神器を受けさせないいやがらせは,現在では考えられぬことでしょう。(後醍醐前天皇としては,光明天皇の贈与税御負担のことを忖度したのだと主張し給うのかもしれませんが。)

なお,三種ノ神器は,国法上は不融通物ではありませんが(世伝御料と定められた物件は分割譲与できないものとする明治皇室典範45条も1947年5月2日限り廃止されています。),天皇といえども任意に売却等できぬことは(ただし,日本国憲法8条との関係では,相当の対価による売買等通常の私的経済行為を行う限りにおいてはその度ごとの国会の議決を要しません(皇室経済法2条)。なお,相当の対価性確保のためには,オークション等を利用するのがよろしいでしょうか。),皇室の家法が堅く定めているところでしょう。

面倒な話をしてしまいました。しかし,源義経のように三種ノ神器をうっかり長州の海の底に取り落としてしまうようなわけにはなかなかいきません。

ところで,長州といえば,尊皇,そして明治維新。現在,政府においては,明治元年(1868年)から150年の来年(2018年)に向け「明治150年」関連施策をすることとしているそうです。明治期の立憲政治の確立等に貢献した先人の業績等を次世代に(のこ)す取組もされるそうですが,ここでの「先人」に大日本帝国憲法の制定者である明治大帝は含まれるものか否か。
 大日本帝国憲法3条は,規定していわく。

 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

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仲恭天皇九条陵(京都市伏見区)(2017年11月撮影)
(後鳥羽天皇の孫である仲恭天皇は,武装関東人らが京都に乱入した承久三年(1221年)の乱逆の結果,在位の認められぬ廃帝扱いとされてしまいました。)
 
(ところで,その仲恭天皇陵の手前の敷地に,長州出身の昭和の内閣総理大臣2名が記念植樹をしています。)
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「明治維新百年記念植樹 佐藤榮作」(佐藤は,東京オリンピック後の1964年11月9日から沖縄の本土復帰後の1972年7月6日まで内閣総理大臣在職)
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「明治維新百年記念植樹 岸信介」(岸は,1957年2月25日から現行日米安全保障条約発効後の1960年7月19日まで内閣総理大臣在職)
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(1868年1月27日(慶応四年一月三日)から翌日にかけての鳥羽伏見の戦いにおける防長殉難者之墓が実は仲恭天皇陵の手前にあるところ,1867年11月9日(慶応三年十月十四日)の大政奉還上表提出(有名な徳川慶喜の二条城の場面はその前日)から100年たったことを記念して,1967年(昭和42年)11月に信介・榮作の兄弟は東福寺(京都市東山区)の退耕庵に共に宿して秋の京都を楽しみ,かつ,長州・防州(山口県)の尊皇の先達の霊を慰めた,ということなのでしょう。当時現職の内閣総理大臣であった榮作は,この月12日から20日まで訪米し(米国大統領はジョンソン),15日ワシントンD.C.で発表された日米共同声明においては,沖縄返還の時期を明示せず,小笠原は1年以内に返還ということになりました。帰国後11月21日の記者会見において佐藤内閣総理大臣は,国民の防衛努力を強調しています。)

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東福寺の紅葉
(東福寺を造営した人物は,仲恭天皇の叔父にして,かつ,摂政だった九条道家。しかし,ふと思えば,承久の変の際箱根迎撃論を抑えて先制的京都侵攻を主張し,鎌倉方の勝利並びに仲恭天皇の廃位及び後鳥羽・順徳・土御門3上皇の配流に貢献してしまった大江広元は,長州藩主毛利氏の御先祖でした。その藩主の御先祖のいわば被害者である仲恭天皇の陵の前で,長州人らが自らの尊皇を誇り,明治維新百年を祝うことになったとは・・・。) 

1 相続税法34条1項の規定

 相続税法(昭和25年法律第73号)34条1項に,次のような規定があります。なお,〔 〕による補註は筆者によるもので,元の法文にはありません。

 

  (連帯納付の義務等)

 第34条 同一の被相続人〔亡くなった人〕から相続又は遺贈〔死因贈与(民法554条)を含む(相続税法1条の3第1号括弧書き)。〕(第21条の9第3項の規定の適用を受ける財産〔相続時精算課税制度に基づき贈与税額が計算される財産〕に係る贈与を含む。以下この項及び次項において同じ。)により財産を取得した全ての者は,その相続又は遺贈により取得した財産に係る相続税について,当該相続又は遺贈により受けた利益の価額に相当する金額を限度として,互いに連帯納付の責めに任ずる。ただし,次の各号に掲げる者の区分に応じ,当該各号に定める相続税については,この限りでない。

  一 納税義務者の第33条又は国税通則法第35条第2項若しくは第3項(申告納税方式による国税等の納付)の規定により納付すべき相続税額に係る相続税〔相続税法33条の規定に基づく納付は,期限内申告書を提出した者又は民法958条の3第1項による特別縁故者への相続財産の分与があった場合において既確定相続税額不足のため修正申告書を提出した者によるそれらの申告書の提出期限までの相続税の納付。国税通則法(昭和37年法律第66号)35条2項又は3項の規定に基づく納付は,前者は期限後申告書若しくは修正申告書を提出した者又は更正通知書(納税申告書が間違っていた場合)若しくは決定通知書(納税申告書の提出がなかった場合)を税務署長から発せられた者,後者は過少申告加算税,無申告加算税又は重加算税に係る賦課決定通知書を税務署長から発せられた者による相続税(なお,過少申告加算税,無申告加算税及び重加算税の税目は,その額の計算の基礎となる税額の属する税目である(国税通則法69条)。)の納付である。〕について,〔相続税法〕27条第1項の規定による申告書の提出期限〔相続の開始があったことを知った日の翌日から10月以内。この期限が法定納期限(相続税法33条,国税通則法28号)〕(当該相続税が期限後申告書若しくは修正申告書を提出したことにより納付すべき相続税額,更正若しくは決定に係る相続税額又は同法〔国税通則法〕32条第5項(賦課決定)に規定する賦課決定に係る相続税額に係るものである場合には,当該期限後申告書若しくは修正申告書の提出があつた日,当該更正若しくは決定に係る同法第28条第1項(更正又は決定の手続)に規定する更正通知書若しくは決定通知書を発した日又は当該賦課決定に係る同法第32条第3項に規定する賦課決定通知書を発した日とする。)から5年を経過する日まで〔なお,国税徴収権の消滅時効期間は法定納期限から5年(国税徴収法72条1項)〕に税務署長〔国税通則法43条1項によれば納税地を所轄する税務署長。なお,相続税法62条1項及び2項にかかわらず同法附則3項が存在しており,通常は被相続人の死亡の時における住所地が納税地。〕(同法第43条第3項(国税の徴収の所轄庁)の規定〔「国税局長は,必要があると認めるときは,その管轄区域内の地域を所轄する税務署長からその徴収する国税について徴収の引継ぎを受けることができる。」〕により国税局長が徴収の引継ぎを受けた場合には,当該国税局長。以下この条において同じ。)がこの項本文の規定により当該相続税について連帯納付の責めに任ずる者(当該納税義務者を除く。以下この条及び第51条の2〔延滞税の特則に関する条項〕において「連帯納付義務者」という。)に対し第6項の規定〔「税務署長は,前項の規定による通知〔連帯納付義務者に対する,督促状を発した日から1月を経過しても納付義務者がその相続税を完納していない旨の通知〕をした場合において第1項本文の規定により相続税を連帯納付義務者から徴収しようとするときは,当該連帯納付義務者に対し,納付すべき金額,納付場所その他必要な事項を記載した納付通知書による通知をしなければならない。」〕による通知を発していない場合における当該連帯納付義務者 当該納付すべき相続税額に係る相続税

  二 納税義務者が第38条第1項(第44条第2項において準用する場合を含む。)又は第47条第1項の規定による延納の許可を受けた場合における当該納税義務者に係る連帯納付義務者 当該延納の許可を受けた相続税額に係る相続税

  三 納付義務者の相続税について納税の猶予がされた場合として政令で定める場合における当該納税義務者に係る連帯納付義務者 その納税の猶予がされた相続税額に係る相続税〔相続税基本通達34‐4に「相続税の一部について延納の許可を受けた又は納税猶予(措置法第70条の6第1項,第70条の6の4第1項,第70条の7の2第1項又は第70条の7の4第1項)がされた場合においては,延納の許可を受けた又は納税猶予がされた相続税額以外の相続税については,法第34条第1項第1号に該当する場合を除き,同項による連帯納付の責めの対象となることに留意する。」とあります。〕

 

一般に租税法規の法文は法制執務ないしは立法技術に係る栄光と悲惨とが凝縮されたような代物で,相続税法34条1項の文言についてもまず書き写すだけで疲れ,いやになってきました。しかもそこに余計な補註を加えたので更にごてごてとし,読者にはお気の毒です。

しかし,取りあえずは,相続税法34条1項本文の規定が本稿の対象ではあります。

とはいえ,読みづらい法文をそのまま放置しておくのも無責任であるようなので,読みづらさの原因であるところの例外事項部分及び形式的部分を取り去ったものを次に掲げておきます。

 

 (連帯納付の義務等)

 第34条 同一の被相続人から相続又は遺贈・・・により財産を取得した全ての者は,その相続又は遺贈により取得した財産に係る相続税について,当該相続又は遺贈により受けた利益の価額に相当する金額を限度として,互いに連帯納付の責めに任ずる。ただし,次の各号に掲げる者の区分に応じ,当該各号に定める相続税については,この限りでない。

  一 納税義務者の第33条・・・の規定により納付すべき相続税額に係る相続税について,第27条第1項の規定による申告書の提出期限・・・から5年を経過する日までに税務署長・・・がこの項本文の規定により当該相続税について連帯納付の責めに任ずる者(当該納税義務者を除く。以下・・・「連帯納付義務者」という。)に対し第6項の規定による通知を発していない場合における当該連帯納付義務者 当該納付すべき相続税額に係る相続税

  二 納税義務者が・・・延納の許可を受けた場合における当該納税義務者に係る連帯納付義務者 当該延納の許可を受けた相続税額に係る相続税

  三 納付義務者の相続税について納税の猶予がされた場合として政令で定める場合における当該納税義務者に係る連帯納付義務者 その納税の猶予がされた相続税額に係る相続税

 

2 相続税法34条1項の趣旨及び解釈上の問題

 

(1)「連帯納付の義務」に関する金子宏教授の解説

 この相続税法34条1項に関して,金子宏教授は次のように説明しています。

 

  相続税法34条は,相続税の徴収確保のために,連帯納付の義務を定めている・・・。・・・同一の被相続人から相続または遺贈により財産を取得したすべての者は,その相続・遺贈にかかる相続税について,その相続・遺贈により受けた利益の価額・・・に相当する金額を限度として,互いに連帯納付の責に任ずる(1項)。この連帯納付の義務は,連帯納税義務ではなく,他の相続人の納税義務に対する一種の人的責任であるが,その基礎にある思想は,一の相続によって生じた相続税については,その受益者が共同して責任を負うべきであるという考え方である。・・・

  これらの連帯納付義務は,受益を限度とする特殊な人的責任であって・・・,その範囲は,各相続人,受遺者または受贈者の相続税ないし贈与税の納税義務の確定によって自動的に確定するから,それを確定するための特別の行為は必要でないと解されてきた(最判昭和55年7月1日民集34巻4号535頁,大阪地判平成13年5月25日月報48巻8号2035頁)。しかし,自らは,納税義務を適正に履行した者が,さらに共同相続人の納税義務について,自己の意思に基づくことなく連帯納付の責任を負わなければならないことは,その責任の内容がときとして過大ないし苛酷でありうることを考えると,今日の法思想のもとでは,異例のことであるといわなければならない。そこで,この規定の解釈・運用にあたっては,不合理な結果が生じないようにする必要がある。この連帯納付義務は,民法上の連帯保証債務と同様に附従性をもち,共同相続人の納税義務がなんらかの理由で消滅した場合には,消滅すると解すべきである。共同相続人に対する延納許可によって連帯納付義務が消滅することはないが,延納許可の継続中は,連帯納付義務者から徴収することはできないと解すべきである。連帯納付義務は,民法上の連帯保証債務と異なり,契約(当事者の自由な意思の合致)に基づくものではなく,一種の法定債務であるから,履行の請求等によって本来の納税義務者に対して生じた時効中断の効力は,連帯納付義務者には及ばないと解すべきであろう(反対,名古屋高金沢支判平成17年9月21日月報52巻8号2537頁,東京高判平成20年4月30日月報55巻4号1952頁,東京高判平成20年6月25日月報55巻4号1988頁)。連帯納付義務は補充性はもたないが,納税義務者が十分な資力をもっている場合に,連帯納付義務者から徴収することは,権利の濫用にあたり違法になると解すべき場合が多いであろう(これらの点については,名古屋高金沢支判平成17年9月21日月報52巻8号2537頁,東京地判平成10年5月28日判タ1016121頁,前掲の大阪地判平成13年5月25日月報48巻8号2035頁,大阪地判平成191031日判タ1279165頁,月報55巻1号44頁参照)。(金子宏『租税法 第十七版』(弘文堂・2012年)521523頁)

 

(2)国税通則法8条の適用における連帯納税義務との比較

 

 ア 「連帯納税義務」

「連帯納付の義務」と非常によく似た名で呼ばれるものの,やはり別のものとして,「連帯納税義務」があります。

 

 複数の者が連帯して1つの納税義務を負担する場合に,これらの者を連帯納税義務者といい,その納税義務を連帯納税義務という。国税では,①共有物,共同事業または当該事業に属する財産にかかる租税(税通9条),②無限責任社員の第二次納税義務(税徴33条),③共同登記等の場合の登録免許税(登税3条),④共同文書作成の場合の印紙税(印税3条2項)について,連帯納税義務が成立する。・・・(金子145頁)

 

イ 国税通則法8条

 ところで,「国税についての基本的な事項及び共通的な事項を定め,税法の体系的な構成を整備し,かつ,国税に関する法律関係を明確にする」法律(国税通則法1条)である国税通則法の第8条は,「国税の連帯納付義務についての民法の準用」との見出しの下,「国税に関する法律の規定により国税を連帯して納付する義務については,民法第432条から第434条まで,第437条及び第439条から第444条まで(連帯債務の効力等)の規定を準用する。」と規定しています。

 

ウ 連帯納税義務と国税通則法8条の適用

「連帯納税義務については,一定の範囲で民法の規定が準用される(税通8条,地税10条)」ということですから(金子145頁。下線は筆者によるもの),連帯納税義務については,国税通則法8条によって,民法第432条から第434条まで,第437条及び第439条から第444条までが全てそのまま準用されるということでしょう。

 

 エ 本稿の中心テーマ

それでは,相続税法34条1項の連帯納付の義務についてはどうでしょうか。これが本稿の中心テーマとなります。

 

3 相続税法34条1項の連帯納付義務と国税通則法8条による民法の準用

 

(1)相続税法34条1項の連帯納付義務と国税通則法8条

東京高等裁判所平成20年4月30日判決(訟務月報55巻4号1952頁[1]事件)は,相続税法34条1項の「連帯納付義務は,国税通則法8条にいう「国税に関する法律の規定により国税を連帯して納付する義務」に該当するということができる」と判示しています(同判決第3,2(2)イ)。

 

(2)国税通則法8条による「準用」における民法440条の不準用及び同法457条1項の出現

 ところが,前記東京高等裁判所平成20年4月30日判決は,「ただし,「準用」とは,ある事柄に関する法規を適当な修正を施して他の事柄に適用することを意味するものである。」と述べ,かつ,相続税法34条1項の連帯納付の義務について「相続税徴収の確保の目的で,・・・他の相続人等の固有の相続税について納付義務を特別に負担させるもので,相続人の内部関係では連帯納付義務を負わされる相続人には負担部分がないことに照らすと,本来の納税義務者と当該連帯納付義務者との関係は民法上の主たる債務者と連帯保証人との関係に類似するもので,その本質は,民法上の連帯保証債務に準ずる特殊な法定の人的担保と解するのが相当である。」との「本質」論を展開した上で,「連帯保証について定める民法458条が同法434条から440条までの規定を準用しているにもかかわらず,連帯保証債務の時効の中断に関しては,同法440条が準用されず,同法457条1項が適用されると解されているのと同様に,相続税法34条1項の連帯納付義務の時効の中断に関しては,民法440条は準用されず,むしろ保証債務の時効の中断に関する民法457条1項が適用されると解するのが相当である。」と判示しています(同判決第3,2(2)イ)。国税通則法8条に民法440条(「第434条から前条までに規定する場合を除き,連帯債務者の一人について生じた事由は,他の連帯債務者に対してその効力を生じない。」)が書いてあるからといって,そのまま準用されるものと安心していると(また,民法457条1項は国税通則法8条には書いてありません。),とんだ落とし穴があるわけです。「相続税徴収の確保の目的」は重いわけです。

これについては,「履行の請求等によって本来の納税義務者に対して生じた時効中断の効力は,連帯納付義務者には及ばないと解すべき」だとして当該判例に反対する金子宏教授としては,「この連帯納付義務は,民法上の連帯保証債務と同様に附従性をもち」といった(以上の下線は筆者によるもの),連帯保証が出てくる比喩を用いてしまったことがまずかったでしょうか(また,国税通則法8条は民法434条(「連帯債務者の一人に対する履行の請求は,他の連帯債務者に対しても,その効力を生ずる。」)を準用しているのですから,金子教授のように「履行の請求」による時効の中断(我妻榮『新訂債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)414415頁参照)まで否定するのは(ちから)(わざ)でしょう。

 「国税通則法8条は,国税の連帯納付義務について民法の連帯債務に関する規定が準用されることを通則的に定めたものであるところ,民法上の個別の規定の準用の当否は,当該国税の性質や当該連帯納付義務が課されている理由を考慮して個別に判断すべき」ものであるわけです(東京地方裁判所平成23年3月23日判決(平成21年(行ウ)第301号差押処分取消等請求事件)の第3,2(3)ア(ア)。なお,当該判示の少し後で,「本来的な納税義務者に生じた時効中断の効力は,履行の請求以外の時効中断事由によるものであっても,連帯納付義務者に及ぶものと解する」との表現が見られます(下線は筆者によるもの)。履行の請求による時効の中断効は堅いところであるようです。)。

 

(3)国税通則法8条による民法442条の準用

 それでは,互いに相続税の連帯納付の責めに任ずる関係にある共同相続人間で相続税の立替納付があったときの求償額について,国税通則法8条に基づき民法442条2項(「前項の規定〔連帯債務者の弁済等による他の連帯債務者に対する求償権の取得に係る規定〕による求償は,弁済その他免責があった日以後の法定利息及び避けることができなかった費用その他の損害の賠償を包含する。」)の準用があるものかどうか。常識的には,「相続税徴収の確保の目的」に協力するのであるから立法者はそこまで当然配慮すべく準用ありであるのだということでよさそうですが,やはり裁判所が「個別に判断」したところの結果である裁判例が現にないと一抹の不安が残るでしょう。

相続税法34条1項の連帯納付義務者については,国税通則法8条の明文からでは分からない民法457条1項が「本質」論からあれよと出てきて履行の請求によるもの以外の時効の中断も広く認められる(連帯納付義務の消滅が認められにくくなる。)というように,お国はつらく当たっていますから,神経質になるのも無理からぬところです。また,贈与税に係る相続税法34条4項の贈与者の連帯納付義務について,当該連帯納付義務を履行した贈与者は受贈者に対して求償権を取得すると判示した静岡地方裁判所平成元年6月9日判決(行裁例集40巻6号573頁)においては,当該「求償権を行使することによつてその損失を補填することもできる」と述べられつつ,「受贈者が無資力の状況にあつて求償権を行使しても納付した税額に相当する金員の返済を受ける見込みが全くないなどの特別の事情」という表現も用いられており(判決の第三,二2(一)。下線は筆者によるもの),そこでは求償の範囲が必ずしも明らかにされていませんでした(なお,「求償権がある場合において,その求償権が放棄されたことにより贈与税の課税要件が充足されれば,贈与税が課税されることは税法上当然のこと」(相続税法8条参照)になります(同判決の第三,二2(二))。)

 この点,東京地方裁判所平成28年3月29日判決(平成26年(ワ)第16522号費用償還請求事件)において裁判所は,相続税法34条1項の連帯納付義務者がした立替納付について,国税通則法8条による民法442条の準用を認めています。

 民法442条2項の準用がなく,かつ,共同相続人による相続税の立替納付が民法上の事務管理にすぎないということになると,民法702条1項では「支出した以後の利息は請求しえないとするのが民法の文理に適するらしく思われる(650条1項を準用していない(702条参照))。」ということに一応なるようでもありますが(我妻榮『債権各論下巻一(民法講義Ⅴ)』(岩波書店・1972年)919頁),他方,「管理者は支払日以降の利息も請求することができる(民650Ⅰ類推,我妻・債各下(一)919頁,三宅正男・新注民(18294頁)。」と主張する者もあったところです(岡口基一『要件事実マニュアル 第2版 下』(ぎょうせい・2007年)127頁)。なお,意思無能力の相続人に係る相続税の申告及び立替納付をした共同相続人について事務管理に基づく費用償還請求権を認め得るものとした最高裁判所平成18年7月14日判決(判時194645頁)の事案では,そもそも利息の請求がされていませんでした。また,当該事案においては,委任契約又は事務管理に基づく費用償還請求がされていたものの,相続税法34条1項の連帯納付義務者のした立替納付に基づく国税通則法8条により準用される民法442条の求償権の主張はされていなかったようです。

 

4 法定利息と延滞税との比較等

 法定利率は,現在年5パーセントです(民法404条)。マイナス金利の時代においては,ウホッ!という金利です。法律の規定によって生ずる債務は別段の定めのない限り期限の定めのない債務ですので(ただし,不法行為による損害賠償債務は成立と同時に遅滞にあるものと解されています。)(我妻・民法講義Ⅳ105頁参照),それに加えて年5パーセントの割合による遅延損害金支払債務を更に発生させるには履行の請求をすることが必要ですが(民法412条3項),直ちに履行の請求やらないかと言われても世の中はいい男ばかりではなく,グズグズした人がいるものです。先んずれば人を制すとは,中華人民共和国の現在にも伝わる古代からの知恵なのでしょうが,(メー)法子(ファーズ)です。これに対して民法442条の求償に含まれる法定利息は,弁済があった日以後(弁済があった日にも発生します。),弁済したことの通知又は求償することの催告を要さずに当然生じます(我妻・民法講義Ⅳ434頁参照)。優しい仕組みになっています。

 しかし,国税通則法8条により準用される民法442条2項に基づき連帯納付義務者から求償される法定利息の利率年5パーセントを高いと恨んではいけません。お国の利率は,もっと厳しい。国税通則法60条の延滞税の利率は,特別基準割合が年1.8パーセントである2016年についてみれば,納期限の翌日から2月を経過するまでの期間は年換算2.8パーセントですが,その後は年9.1パーセントだからです(同条2項,租税特別措置法(昭和32年法律第26号)94条1項,93条2項,平成271211日財務省告示394号)。

 

 1 自由民主党憲法改正草案1条

 日本国憲法1条は,「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」と規定しています。これに対し,2012年4月27日決定の自由民主党の日本国憲法改正草案では,「天皇は,日本国の元首であり,日本国及び日本国民統合の象徴であって,その地位は,主権の存する日本国民の総意に基づく。」と改めるものとしています。


2 元首

 自由民主党の日本国憲法改正草案では,元首という言葉が用いられています。

同党の上記草案に係るQ&Aによると,「元首とは,英語ではHead of Stateであり,国の第一人者を意味します。明治憲法には,天皇が元首であるとの規定が存在していました。また,外交儀礼上でも,天皇は元首として扱われています。」といったことから,「したがって,我が国において,天皇が元首であることは紛れもない事実」であるという同党の認識の下,「世俗の地位である「元首」をあえて規定することにより,かえって天皇の地位を軽んずることになるといった意見」はあったものの,同党内の「多数の意見を採用して,天皇を元首と規定することとし」たものとされています。

 ただし,そもそも「『天皇ハ国ノ元首』なりといふ語は,正確なる法律上の観念を言ひ表は」すものではない(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)123頁)ようです。「国の元首といふ語はchef d’état, Staatsoberhauptの語に相当するもので,それは国家を人間に比較し,人間の総ての働きが頭脳にその源を発して居ると同様に,国家の総ての活動は君主にその源を発するが故に,君主は国家の頭脳であり,元首であるといふのである。」とされていますから(美濃部122頁),元首というのは比喩表現なのでしょう。伊藤博文の『憲法義解』の冒頭部分には「・・・上元首の大権を統べ,下股肱の力を展べ・・・」という表現がありますから,元首は股肱(また及びひじ)と対になるべきもののようです。自由民主党憲法改正草案においては,元首たる天皇の股肱として,どのような存在が考えられているのでしょうか。ちなみに,「立法・行政百揆の事,凡そ以て国家に臨御し,臣民を綏撫する所の者,一に皆之を至尊に総べて其の綱領を攬らざることなきは,譬へば,人身の四支百骸ありて,而して精神の経絡は総て皆其の本源を首脳に取るが如きなり。」という『憲法義解』による大日本帝国憲法4条(「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」)の説明は,天皇は統治権を総攬するからこそ元首であるという認識を意味するものでしょう。アジア歴史資料センターのウェッブ・サイトの『憲法草案枢密院会議筆記』によれば,1888年6月18日午後の枢密院の憲法草案第二読会において,東久世通禧顧問官から「国ノ元首ニシテ」の文字の削除論(「本邦ノ天皇ハ憲法ニ記セストモ国ノ元首タルコト天下ノ人皆之ヲ熟知スルモノナリ然ルニ外国ニ於テハ或ハ人民ノ撰挙ニ依リ帝位ニ登リシ者アリ或ハ外国ヨリ来テ帝位ヲ継キタルモノアリテ人民往往主権ノ所在ニ付キ争ヲ惹起シ疑ヲ生シタルモノア〔ママ〕之ヲ憲法ニ明記スルノ必要アリ」との理由付け。山田顕義司法大臣も賛成)が提議されたところ,それに対して議長の伊藤博文は,「国ノ元首ノ文字ハ無用ナリトノ説アレトモ決シテ然ラス天皇ハ国ノ元首ナレハコソ統治権ヲ総攬シ給フモノナリ国ノ元首ト統治権トハ常ニ密着シテ離レサルモノナリ」と説明していました(第37コマから第39コマまで)。元首でなければ統治権を総攬しないというわけです。なお,統治権の総攬者たる元首としての天皇の地位に係る大日本帝国憲法4条は,天皇の「国家機関としての地位を規定せるもの」とされていましたので(美濃部121頁),この「国家機関としての地位」が,自由民主党内の少数意見にいうところの「世俗の地位」なのでしょう。
 ところで,『憲法義解』の原案作成者である井上毅も,「元首」の語には実は反対だったようです。国立国会図書館ウェッブ・サイトにある伊東巳代治関係文書の『井上毅子爵 逐条意見』(1887年8月)には,「帝国ノ元首トハ学理上ノ語ニシテ憲法ノ成文ニ必要ナラス但独乙各邦ノ憲法ニハ多クハ此語ヲ以テ本条ト同一ナル条則ニ冠冒セシメタルハ各邦ニ於テ僅ニ独乙帝国ノ管制ヲ離レテ独立ノ主権ヲ得タルノ時ニ当レルヲ以テ此ノ一句ヲ確定シテ国主無上ノ独立権ヲ表明シタルカ故ニ由レルナリ我邦ハ固ヨリ独乙各小邦ノ如キ歴史上ノ関係アルニ非サレバ此ノ一句ハ幾ト要用ナキノミナラズ亦第1条ト重複ノ意義ヲ顕ス者ニ疑ハシ」とあります(第6コマ)。自由民主党の意識下の認識においては,「独乙帝国」ならぬ「某帝国」に「管制」されている「小邦」のように我が国は見えているから,せっかくの憲法の改正に際して当該「某帝国」に「管制」されるものではない「独立ノ主権」のあることをくどいながらもあえて表明してそのこだわっていたところの鬱懐を晴らそう,という思いもあるものでしょうか。

3 「日本国民の総意に基づく」

 いずれにせよ,自由民主党憲法改正草案においても,天皇の地位が日本国民の総意に基づくものであることには変化はないようです。これこそ,「日本らしい日本の姿」ということなのでしょう。

 『憲法義解』は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定する大日本帝国憲法1条について「・・・本条首めに立国の大義を掲げ,我が日本帝国は一系の皇統と相依て終始し,古今永遠に亙り,一ありて二なく,常ありて変なきことを示し,以て君民の関係を万世に昭かにす。/統治は大位に居り,大権を統べて国土及臣民を治むるなり。古典に天祖の勅を挙げて「瑞穂国是吾子孫可王之地宜爾皇孫就而治焉〔瑞穂の国は,是れ吾が子孫の王たるべきの地なり,宜しく爾皇孫就いて治せ〕」と云へり。・・・」と述べていますが,自由民主党の憲法改正草案は,天皇の地位は神意に基づくものとは解さないものでしょう。美濃部達吉は「わが万世一系の帝位は,民意に基いたものでもなければ,又敢て超人的の神意に基いたものとしても認められぬ,それは一に皇祖皇宗から伝はつた歴史的成果であつて,〔大日本帝国憲法の上諭に〕『祖宗ノ遺烈ヲ承ケ』とあるのは即ち此の意を示されたものである。」と述べており(美濃部54頁),また,「皇嗣が皇位に就きたまふのは,専ら血統上の権利に基くのであつて,民意に基くものでもなければ,西洋の基督教国の思想の如くに神意に基くものでもない。」とされています(同102頁)。この説明に対して,自由民主党憲法改正草案にいう「日本国民の総意」は,どう解されるものか。美濃部的な解釈としては歴史的なものとしての総意ということになりそうですが,畢竟,現在の総意(民意)の方が強そうでもあります。

 なお,1946年1月1日の昭和天皇の詔書においては「朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯ハ,終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ,単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」とされています。我が国民は,終始天皇を信頼し,かつ,敬愛してきたものであり,「日本国民の総意」には,この点も読み込むべきものでしょうか。
 第90回帝国議会において,金森徳次郎憲法担当国務大臣は,1946年7月3日の衆議院帝国憲法改正案委員会で「第1条ニアリマスル日本国民ト申シマスルノハ,理念的ニ申シマスレバ,現在ノ瞬間ニ生キテ居ル日本国民デハナクテ,是ト同一性ヲ認識シ得ル過去及ビ将来ノ人ヲモ併セ考フル考ヘ方デアリマス」と,同月12日の同委員会で「日本国民ノ総意ト云フモノハ,統合シテ一ツニナツテ居ルモノデアリマシテ,一人々々ノ人間ニ繋ガリハ持ツテ居リマスルケレドモ,一人々々ノ人間其ノモノデハアリマセヌ,サウ云フモノガ過去,現在,未来ト云フ区別ナク,一ツノ総意ガアル訳デアルト思ツテ居リマス」と答弁しています(内閣総理大臣の「皇室典範に関する有識者会議」第5回会合(2005年5月11日)資料)。


4 後光厳天皇の践祚

 天皇の地位は歴史的に「日本国民の総意に基く」ものであって「単ナル神話ト伝説トニ」基づくものではないとして,そのようなものであるということの歴史上の根拠を示す事例としてはどのようなものが考えられるでしょうか。

 話は14世紀の南北朝時代にさかのぼります。

 南北朝時代の観応二年(1351年)の正平一統によって,京都の崇光天皇及び皇太子直仁親王が廃され(同年十一月),神器は後村上天皇の吉野方に接収され(同年十二月),3上皇(光厳・光明・崇光)及び廃太子(直仁親王)が京都から吉野方に連れ去られる(正平七年(1352年)閏二月)という事態が生じました。そのため,皇位が空白となった京都の朝廷では,足利義詮の要請により,光厳上皇の第三皇子(光明上皇の甥,崇光上皇の弟)である弥仁王を新天皇(後光厳天皇)に立てることになりましたが,三種の神器もなければ皇位を与えるべき上皇もいないという異例の事態での践祚となりました(観応三年(1352年)八月)。上皇の代わりは新天皇の祖母の広義門院が務め,神器の代わりには神器の容器であった小唐櫃が用いられました。「何事も先例なしではすまない貴族は,継体天皇の例を持ちだしてこの手続きを合理化しようとした」といいます(佐藤進一『日本の歴史9 南北朝の動乱』(中央公論社・1965年)276頁)。

6世紀初めの継体天皇の即位の事情はどうかというと,「武烈天皇には子がなかったので,大伴金村は,まず丹波の桑田の倭彦王を天皇にしようとして,兵仗を設けて迎えに行った。ところが,その兵を遠くから見た王は色を失って逃げ,ゆくえがわからなくなったので,つぎに〔越前三国出身の〕男大迹王〔継体天皇〕に白羽の矢をたてた。」「使者に迎えられた男大迹王が河内の樟葉宮に到着すると,金村は神器を奉った。王は位につき,金村を大連,許勢男人を大臣,物部麁鹿火を大連とした。」と概略日本書紀では伝えられています(井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』(中央公論社・1965年)450頁)。王朝交替論のうち水野祐説は,「当時,大和朝廷で最大の権力を握っていた大伴金村は,前王朝とは血縁関係のない継体天皇を擁立したのであろう」としています(井上452頁)。「時の権臣豪族の集議に依つて新帝を推戴した」ものです(美濃部102頁)。

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伝継体天皇大阪府枚方神社内
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 こちらの碑は「樟葉宮」
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高龗たかおかみのかみ継体天皇る末社貴船神社

  二月の辛卯の(つきたち)甲午金村大連(おほむらじ)(すなは)(ひざまづ)天子(すめらみこと)(みかがみ)(みつるぎ)(みし)(るし)(たてまつ)再拝(をろが)る。男大迹(をほどの)天皇(すめらみこと)(いな)(のたま)(いか)(わざ)り。寡人(われ)不才(かな)願請(ねが)(おもひ)(めぐら)賢者(さかしきひと)(えら)寡人(われ)ふ。大連(おほむらじ)(つち)固くる。男大迹(をほどの)天皇(すめらみこと)西(みたび)(ふたたび)ふ。大伴大連(たち)(まを)(やつこ)(はかりみ)大王(おほきみ)宜称(かな)り。(やつこ)()()()社稷(いへ)(はか)(いるかせ)ず。(さきはひ)(もろもろ)(ねがひ)()()(ゆるし)()へ」す。天皇(のたま)大臣(おほおみ)大連(おほむらじ)(いくさのきみ)(まへつきみ)諸臣(もろもろのおみたち)(みな)寡人(われ)(そむ)じ」(すなは)(みし)(るし)ふ。

 あまつ天皇ひつぎしろしめす。日本書記小学館・1996年)289291頁) 

しかし,観応三年当時の宮廷では,「天皇がなければ,幕府以上に皇室・貴族が困る」ところではありつつも(佐藤276頁),継体天皇の前例だけでは,公卿らはなお落ち着かなかったようです。

ここで,我が国のconstitutional historyにおいて注目すべき名啖呵が飛び出します。


・・・公卿,剣璽なくして〔弥仁王の〕位に即くの不可なるを議す。関白藤原良基曰く,

「尊氏,剣となり,良基,璽となる。何ぞ不可ならん」

と。遂に立つ。これを後光厳院となす。(頼山陽『日本外史』巻之七(頼成一・頼惟勤訳))


すなわち足利尊氏が代表する民と二条(藤原)良基が代表する官とによって構成される我が国民の総意こそが天皇の地位が基づくべき最重要の要素であって,上皇の意思表示及び神器の所在といったものによって代表される皇室自律主義は二次的なものにすぎないというのでしょう(なお,神器の無いまま上皇(後白河法皇)の意思に基づいて即位した前例としては,既に寿永二年(1183年),平家都落ち後の後鳥羽天皇の例がありました。)。

二条良基は,文和五年(1356年)に『菟玖波集』を撰し,応安五年(1372年)には「連歌新式追加(応安新式)を定めて,ことばのかけ合いに興味の中心をおいた自由な詠みかたに枠をはめて,連歌の高踏化に一歩をふみ出し」た(佐藤408頁)連歌の大成者であり,能の分野では世阿弥(藤若)を保護したほか,師として足利義満に「宮廷の儀式典礼,貴族の教養と見なされていた和歌・管弦・書道その他」を教えて義満が「儀式に参列するばかりか,節会などの儀式で主役を演じさえ」できるようにする(佐藤447頁)など,主に文化史上の人物としてとらえられているようです。しかしながら,やはりまず,日本の歴史に影響を与えた政治家でありました。

なお,継体天皇推戴の功労者である大伴金村は,二条良基が位人臣を極め,かつ,我が文化史上に名を遺したのとは対照的に,没落しました。大伴金村は,欽明天皇(継体天皇の子)の代には,朝鮮政策の失敗で力を失っていたようです。日本書紀によれば,欽明天皇元年に新羅対策が問題になったとき,「大伴金村は住吉の宅にいて朝廷には出仕していなかった。天皇は人をやってねぎらったが,金村は言った。「わたくしが病気と称して出仕しないわけはほかでもありません。諸臣らは,わたくしが任那を滅ぼしたのだと申しており,わたくしは恐れて出仕しないのです。」と。」いう出来事があったそうです(井上479頁)。我が半島政策は,いつも難しいものです。


5 「南北朝の合体」の意味

 後光厳天皇の皇統(その子である後円融天皇,孫である後小松天皇(一休さんの父)へと続く。)の話に戻ると,「南朝が正平一統のとき,北朝の〔崇光〕天皇を廃して神器を接収したため,その後の北朝は皇位のシンボルを欠くことからくる正統性への不安をいつまでも解消できなかった」ということになり(佐藤441442頁),明徳三年(1392年)閏十月の「南北朝の合体」に当たって足利義満が承諾した条件は「〔南朝〕後亀山天皇は譲国の儀式をもって三種の神器を後小松天皇に渡す。」という「南朝の正統を認めたもの」とならざるを得ませんでした(佐藤443頁)。しかしながら,足利義満がした約束は義満の約束であって,実行においては,三種の神器は後小松天皇が吉野方から回収したものの,後亀山天皇から後小松天皇に対する譲国の儀による「譲位」はされませんでした。


  三種の神器の受け渡しにしても,「譲国之儀式」は実際には行われず,義満の命によって「文治之例」,つまり源平合戦の際に平家方によって安徳天皇とともに西国に持ち去られた神器が平家滅亡の後に京都の後鳥羽天皇のもとに返ってきた際の例,に準拠するとされている。これでは,皇位の受け渡しではなく,正統な天皇のもとから離れていた神器が本来の場所に帰還した,という解釈を許すことになる。さらに実際には「文治之例」そのままではなく,幾つかの儀礼が義満の命によって省略されており,その結果随分と軽い扱いにな〔った。〕(河内祥輔=新田一郎『天皇の歴史04 天皇と中世の武家』(講談社・2011年)246頁(新田一郎執筆))


正に後小松天皇の宮廷は,後亀山天皇と後小松天皇との間に「皇位の受け渡し」があったものとは解釈していませんでした。


〔明徳五年(1394年)に後亀山天皇に太上天皇の尊号が贈られるに際し〕廷臣の間では,皇位に就かず天皇の父でもない人物に尊号を贈ることの是非が議論となり,結局詔書の文面も「準的ノ旧蹤無シトイヘドモ,特ニ礼敬ノ新制ヲ垂レ,ヨロシク尊号ヲタテマツリテ太上天皇トナスベシ」と,前例のない特例であることを強調したものになっている。

  〔左大臣一条〕経嗣はまた,「此ノ尊号,希代ノ珍事ナリ」として,後醍醐天皇の皇胤を断絶させぬことへの批判を記している。後世にはこの尊号一件は「帝位ニアラザル人ノ尊号ノ例」として挙げられており,北朝方廷臣には,後亀山を天皇とし南朝を皇統とする認識は,〔南北朝の〕合一の前にも後にも,なかったに違いない。(河内=新田246頁(新田))


足利幕府の不安がどのようなものであったかはともかく,京都の朝廷内の意識においては,その「正統性への不安」は,正に三種の神器という「皇位のシンボルを欠く」ことだけだったようです。すなわち,臣民が協力輔翼して新たに後光厳天皇を擁立した二条良基的正統性は,それ自体で天皇の地位が基づくに十分であるものと考えられていて,三種の神器が無いことは不安の種ではあったものの,あえて正平一統時の統一天皇である後村上天皇の子孫から譲位を受ける形で正統性を承継し,又は注入・補強する必要は更になかったということでしょう。この二条良基的なものとして始まった後光厳天皇の正統性が継承せられているのが,現在の皇統であります。

南朝正統論を採って少なくとも後光厳天皇以降数代の天皇の正統性を否定する場合には,吉野方から現在の皇統への正統性の接続を,後亀山天皇から後小松天皇への譲位ないしは譲国の儀式による神器の授受をもって説明しなければならないことになります。この点については,「この年〔明徳三年〕冬,〔後亀山天皇は〕遂に法駕を備へて吉野を発し,大覚寺に御し,父子の礼を以て,神器を後小松帝に授く」(『日本外史』巻之五)というのが,幕末維新期までの南朝正統尊王論者の認識だったようです。これならば,現在の皇統の正統性に問題はないですね。1911年段階でも「北朝は辞を厚くして合体の儀を申入れ,南朝の後亀山天皇は父子禅譲の儀にて御承諾ありたるなり。父子禅譲の伝説は固より信ずべし。」と頑張っている者がいます(笹川臨風『南朝正統論』(春陽堂・1911年)21頁)。しかしながら,さきに見たように,歴史学的にはなかなかそのような事実があったとはいいにくいようです。ということで,後亀山天皇から後小松天皇への譲位の儀式がなかったにもかかわらず南朝の正統性が後小松天皇に継承されたことを説明するために,南朝正統論者は次のように工夫して論じます。


 かくて南北合一神器之〔後小松天皇〕に帰し且つ南帝〔後亀山天皇〕好意の承認を経たる上は,また南朝もなく北朝もなく,〔後小松天皇は〕一点曇りなき万世一系の天津日嗣と成らせ給うたのである。此意味に於て余は北朝の御系統を今日に伝へられたる皇室の尊厳が聊も減ずることなく,天壌と共に窮まりなからんことを断言する。(黒板勝美「南北両朝の由来と其正閏を論ず」友声会編『正閏断案国体之擁護』(松風書院・1911年)41頁)


 これは,後小松天皇側からあった正統性移転の黙示の申込みに対して,後亀山天皇が承諾(「好意の承認」)をしたことにより契約が成立し(「接続取引」ということになるのでしょうか。),その効力として正統性が後小松天皇に移ったとするものでしょうか。しかし,前記のとおり,後小松天皇側は,三種の神器の返還は求めたけれども,そもそも正統性を認めていない相手方からの正統性の授与など求めるわけがない,という態度であったようです。

 後小松天皇と後亀山天皇との間の契約構成が採り得ない場合には,後亀山天皇の単独行為としての説明が試みられます。


  ・・・後小松帝が正当の天子と為られたることは,先帝〔後円融天皇〕よりの位を継承せられたるが為めにあらずして,唯後亀山天皇が其の位を抛棄せられ,既に天皇にあらざるが為めに此時より正当の天皇と為られたるなり・・・(副島義一「法理上より観たる南北正閏論争」友声会67頁)


これは,二人共有の場合に,一方がその持分を放棄すると,他の一方の持分がその分膨らんで完全な所有者になる,という共有の性質(民法255条参照)を連想させる説明ですね。しかしながら,そうだとすると,後小松天皇の有していた「持分」は何に由来したのでしょうか。やはり,後光厳天皇即位に当たっての二条良基的正統性ではなかったでしょうか。

 

6 三種の神器など

 なお,三種の神器については,明治22年の皇室典範ではその第10条で「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と規定していました。同条については,伊藤博文の『皇室典範義解』において,「恭て按ずるに,神祖以来鏡,剣,璽三種の神器を以て皇位の御守と為したまひ,歴代即位の時は必神器を承くるを以て例とせられたり。・・・本条は皇位の一日も曠闕すべからざるを示し,及神器相承の大義を掲げ,以て旧章を昭明にす。若乃継承の大義は践祚の儀文の有無を問はざるは,固より本条の精神なり。」と説かれていました。「践祚に伴うて行はせらる践祚の儀式及び詔勅は,唯皇位継承の事実を公に確認し宣言したまふに止まり,その効力発生の要件ではない」わけです(美濃部104105頁)。

南北朝時代の乱の原因に関して『皇室典範義解』は,「・・・聖武天皇・光仁天皇に至て遂に〔譲位が〕定例を為せり。此を世変の一とす。其の後権臣の強迫に因り両統互立を例とするの事あるに至る。而して南北朝の乱亦此に源因せり。本条〔明治22年皇室典範10条〕に践祚を以て先帝崩御の後に即ち行はる者と定めたるは,上代の恒典に因り中古以来譲位の慣例を改むる者なり。」と述べています。選定主義がまずかったということのようです。そこで,明治22年の皇室典範においては「皇位の継承は法律上当然に発生する事実であつて,法律行為ではない」ものとされたわけです(美濃部104頁)。


なお,「権臣の強迫」というのでは,北条時宗に気の毒ですね。持明院統・大覚寺統の両統迭立の始まりについて,『増鏡』第九「草枕」は次のように伝えています。


〔北条〕時宗朝臣もいとめでたきものにて,「本院〔後深草上皇。持明院統の祖〕のかく世を思し捨てんずる〔弟である亀山上皇(大覚寺統の祖)の系統が皇統を継ぐことになることをはかなんで出家しようとする〕,いとかたじけなくあはれなる御ことなり。故院〔後嵯峨上皇。後深草上皇の父〕の御掟〔皇統を亀山天皇系に伝えたいとするもの〕は,やうこそあらめなれど,〔後深草上皇は〕そこらの御このかみ〔兄〕にて,させる御誤りもおはしまさざらん。いかでかはたちまちに,名残なくは物し給ふべき。いと怠々しきわざなり」とて,新院〔亀山上皇〕へも奏し,かなたこなた宥め申して,東御方の若宮〔後深草上皇の子である後の伏見天皇〕を坊〔亀山上皇の子である後宇多天皇の皇太子〕にたてまつりぬ。


怖い顔の人が「誠意を見せろ。」というと恐喝(刑法2491項「人を恐喝して財物を交付させた者は,10年以下の懲役に処する。」)になりますが,鎌倉幕府の執権がマアマアと「かなたこなた宥め申」すのも「強迫」になったようです。北条時宗は,モンゴル大帝国の侵略を受けた国々を助ける集団的自衛権を行使する余裕もあらばこそ,個別的自衛権の発動のみで大陸及び半島からの我が国に対する安全保障上の危険に対処してしまったような強面の人でした。


現在の昭和22年法律第3号「皇室典範」4条は「天皇が崩じたときは,皇嗣が,直ちに即位する。」と規定しており,そこでは神器に言及されていません。これについては,194612月5日の第91回帝国議会衆議院本会議において,吉田安議員の質疑に対して金森徳次郎国務大臣が次のように答弁しています。すなわち,政教分離原則に由来する沈黙であるとされているわけです。


 次ぎに皇位の継承と,三種の神器との関係がいかになるかというお尋ねでありましたが,これは皇位が継承せられますれば,三種の神器がそれに追随するということは,こととして当然のことと考えてをります。しかしながらこれに関しまする規定を,皇室典範の中には設けておりません。その次第は,他に考うべき点もありますけれども,主たる点は,三種の神器は一面におきまして信仰ということと結びつけておる場面が非常に多いのでありますから,これを皇室典範そのものの中に表わすことが必ずしも適当でないというふうに考えまして,皇室典範の上にその規定が現れてはいないわけであります。しかしながら三種の神器が皇位の継承と結びついておることはもとよりでありまするので,その物的の面,詰まり信仰の面ではなくして,物的の面におきましての結びつきを,何らか予想しなければなりませんので,その点は,恐らく後に御審議を煩わすことになるであろうと存じまするところの皇室経済法の中に,片鱗を示す規定があることと考えております。


 皇室経済法7条は「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける。」と規定しています。同条の趣旨について,19461216日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会において,金森徳次郎国務大臣は次のように説明しています。天皇にも「民」法の適用があることが前提とされています。


  次ぎに第7条におきまして,日本国の象徴である天皇の地位に特に深い由緒ある物につきましては,一般相続財産に関する原則によらずして,これらのものが常に皇位とともに,皇嗣がこれを受けらるべきものなる旨を規定いたしております,このことはだいたいこの皇室経済法で考えておりまするのは,民法等に規定せられることを念頭にはおかないのでありまするけれども,しかし特に天皇の御地位に由緒深いものの一番顕著なものは,三種の神器などが,物的な面から申しましてここの所にはいるかとも存じますが,さようなものを一般の相続法等の規定によつて処理いたしますることは,甚はだ目的に副わない結果を生じまするので,かようなものは特別なるものとして相続法より除外して,皇位のある所にこれが帰属するということを定めたわけであります。


 天皇に民法の適用があるのならば相続税法の適用もあるわけで,19461217日,第91回帝国議会衆議院皇室典範案委員会におけるその点に関する小島徹三委員の質疑に対し,金森徳次郎国務大臣は次のように答弁しています。


 ・・・だいたい〔皇室経済法〕第7条で考えております中におきましては,はつきり念頭に置いておりますのは,三種の神器でありますけれども,三種の神器を物の方面から見た場合でありますけれども,そのほかにもここに入り得る問題があるのではないか,かように考えております,所がその中におきまして,極く日本の古典的な美術の代表的なものというようなものがあります時に,一々それが相続税の客体になりますと,さような財産を保全することもできないというふうな関係になりまして,制度の関係はよほど考えなければなりませんので,これもまことに卑怯なようでありますけれども,今後租税制度を考えます時に,はっきりそこをきめたい,かように考えております


 相続税法12条1項1号に,皇室経済法7条の皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,相続税の非課税財産として掲げられています。

 三種の神器は,国有財産ではありません。19461221日,第91回帝国議会貴族院皇室経済法案特別委員会における大谷正男委員の質疑に対する金森徳次郎国務大臣の答弁は,次のとおり。


  此の皇位に非常に由緒のあると云ふもの・・・今の三種の神器でありましても,皇位と云ふ公の御地位に伴ふものでありますが故に,本当から云へば国の財産として移るべきものと考ふることが,少くとも相当の理由があると思つて居ります,処がさう云ふ風に致しますると,どうしても神器などは,信仰と云ふものと結び付いて居りまする為に,国の方にそれは物的関係に於ては移つてしまふ,それに籠つて居る精神の関係に於ては皇室の方に置くと云ふことが,如何にも不自然な考が起りまして,取扱上の上にも面白くない点があると云ふのでありまするが故に,宗教に関しまするものは国の方には移さない方が宜いであらう,と致しますると,皇室の私有財産の方に置くより外に仕様がない,こんな考へ方で三種の神器の方は考へて居ります・・・


 さて,話は14世紀に戻りますが,後光厳天皇は,吉野方から攻撃されていたばかりではなく,延文二年(1357年)二月に崇光上皇が吉野方に許されて帰京してからは,その正統性について兄の上皇からも圧迫を受けていたようです。


・・・〔崇光上皇及び後光厳天皇の父である〕光厳院の没後の応安四年(1371)になって,〔後光厳〕天皇は皇子緒仁親王への譲位を図るが,持明院統の正嫡を自任する崇光院は,皇子栄仁親王の立太子を望んで武家に働きかけた。これに対し,若年の将軍義満を補佐する管領細川頼之は「聖断たるべし」として天皇に判断を返上し,天皇は緒仁親王(後円融天皇)に譲位して院政を執り,その3年後に没した。・・・「天照大神以来一流の正統」を自任する崇光院流の存在は,皇位継承をめぐってなお紛れの余地を残すことになる。(河内=新田207頁(新田))


ところでこの崇光上皇の系統が世襲親王家の伏見宮家で,先の大戦後に至って,この流れの宮家は,皇籍を離脱することになりました。皇籍復帰いかんが時に話題になる旧宮家です(ただし,明治天皇裁定の明治40年皇室典範増補6条は「皇族ノ臣籍ニ入リタル者ハ皇族ニ復スルコトヲ得ス」と規定していました。)。

 いずれにせよ,そもそもは,足利尊氏が悪いのです。


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 深草北陵(深草十二帝陵)(京都市伏見区)
 後光厳天皇を含む持明院統の12天皇が合葬されています。

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