Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

タグ:欧州派兵要請

1 2015年4月の日米防衛協力のための指針と米国からの電子メール
 

(1)米国内での報道

 今年(2015年)4月末の安倍晋三内閣総理大臣の米国訪問に際して米国ABCのウェッブサイトに「米日防衛協定:中国に対する懸念の中,日本軍により幅広い役割を認める「歴史的」な新ルール」(US-Japan defence deal: Historic new rules to allow Japanese forces wider role amid concerns over China)と題するニュース記事が掲載されました。

 そこでは,「改訂されたガイドラインにおいては,日本は,第三国から脅威を受けている米国軍のために来援することができ,又は,例えば,中東地域での活動のために掃海艇を派遣することができる。」(Under the revised guidelines, Japan could come to the aid of US forces threatened by a third country or, for example, deploy minesweeper ships to a mission in the Middle East.)と報ぜられています。これに対して従前のルールでは,「日本軍は,日本を直接防衛する行動をしている米国兵のみを支援することができた」(Under the previous rules, Japanese forces could assist American troops only if they were operating in the direct defence of Japan.)ものにすぎなかったとされるところです。米国のケリー国務長官は,共同記者会見において,「本日(2015年4月27日),我々は,日本が自国の領土のみならず,必要であれば米国及び他のパートナーをも防衛する権能を確立したことを確認するものであります。」("Today we mark the establishment of Japans capacity to defend not just its own territory, but also the United States and other partners as needed.)と発言したとされています。


(2)米国からの電子メール

 このニュースを読んだ米国人の知人から早速電子メールが届きました。



  どのようにして事態は変わったものやら。今や日本は,米国が第三者によって攻撃されたときには来援してくれるし,中東での
○○対策で私たちを助けてくれるのですね。

 

 実はいささか返事に困っているところです。
 

(3)日米防衛協力のための指針

 2015年4月27日の日米防衛協力のための指針The Guidelines for Japan-U.S. Defense CooperationⅣ章「日本の平和及び安全の切れ目のない確保」(Seamlessly Ensuring Japan's Peace and Security)のD「日本以外の国に対する武力攻撃への対処行動」(Actions in Response to an Armed Attack against a Country other than Japan)には,「自衛隊は,日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し,これにより日本の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態に対処し,日本の存立を全うし,日本国民を守るため,武力の行使を伴う適切な作戦を実施する。」とあります。米国が第三者(a third party)によって攻撃されたときの我が自衛隊の米国来援は,この部分に基づいてされるのでしょう。英文では次のとおりです。

     The Self-Defense Forces will conduct appropriate operations involving the use of force to respond to situations where an armed attack against a foreign country that is in a close relationship with Japan occurs and as a result, threatens Japan's survival and poses a clear danger to overturn fundamentally its people's right to life, liberty, and pursuit of happiness, to ensure Japan's survival, and to protect its people. 


(4)ワシントン陥落の場合における我が国の存立いかん

 しかし,コロンビア特別区ワシントンに向けて第三国軍の兵士がその南東方面の上陸地点から進軍し,迎え撃つ米国大統領直率の民兵等部隊はあえなく敗走して当該第三国軍の首都侵入を許し,同大統領夫人は初代大統領の肖像画を抱えてほうほうの態でホワイト・ハウスを脱出し,侵入軍兵士らは残された大統領官邸正餐の食事に舌鼓を打った上で上機嫌をもって同官邸等の政府庁舎に放火したからといって,我が日本国の存立が脅かされるわけでもなければ,日本人の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があったわけでもないでしょう。少なくとも光格天皇の御代たる文化十一年(1814)夏の我が国は,百姓一揆等はあれども,天下泰平でありました(征夷大将軍は徳川家斉)。


2 我が国における安全保障法制の整備に向けた動き


(1)
2014年7月1日閣議決定

 前記日米防衛協力のための指針Ⅳ章Dの部分は,2014年7月1日の閣議決定「国の存立を全うし,国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の3(3)における次の部分に対応するものと解されます。いわく,「・・・我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず,我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において,これを排除し,我が国の存立を全うし,国民を守るために他に適当な手段がないときに,必要最小限度の実力を行使することは,従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として,憲法上許容されると考えるべきであると考えるに至った。」(英訳では,...the Government has reached a conclusion that not only when an armed attack against Japan occurs but also when an armed attack against a foreign country that is in a close relationship with Japan occurs and as a result threatens Japan's survival and poses a clear danger to fundamentally overturn people's right to life, liberty and pursuit of happiness, and when there is no other appropriate means available to repel the attack and ensure Japan's survival and protect its people, use of force to the minimum extent necessary should be interpreted to be permitted under the Constitution as measures for self-defense in accordance with the basic logic of the Government's view to date.


(2)武力攻撃事態等法等の改正法案等

 2015年5月14日に閣議決定された「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」の予定する改正後の武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成15年法律第79号。以下「改正武力攻撃事態等法」)の改正2条4号は「存立危機事態」を「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。」と規定しています。

 前記2014年7月1日閣議決定の「他に適当な手段がないときに,必要最小限度の実力を行使すること」の部分に対応するものとしては,改正武力攻撃事態等法改正9条2項1号ロが,武力攻撃事態等又は存立危機事態に至ったときに政府が定める対処基本方針(同条1項。内閣総理大臣が案を作成して閣議決定を受け(同条6項),更に国会の承認を承ける(同条7項)。)においては「事態が武力攻撃事態又は存立危機事態であると認定する場合にあっては,我が国の存立を全うし,国民を守るために他に適当な手段がなく,事態に対処するため武力の行使が必要であると認められる理由」を定めるものとし,同法改正3条4項は「存立危機事態においては,存立危機武力攻撃を排除しつつ,その速やかな終結を図らなければならない。ただし,存立危機武力攻撃を排除するに当たっては,武力の行使は,事態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされなければならない。」と規定しています。

 存立危機事態においては,対処基本方針の定めるところに基づき,内閣総理大臣は国会の事前の承認を受け,又は特に緊急の必要があり事前に国会の承認を得るいとまがないときは当該承認なしに,自衛隊法76条1項の防衛出動を命ずることができるとされています(改正武力攻撃事態等法9条4項)。自衛隊法76条1項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は,我が国を防衛するため,必要な武力を行使することができることはもちろんです(同法88条1項)。

 米「国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅かされ」るという事態における政府の対処基本方針においては,次のような文言が見られることになるのでしょうか。



・・・帝国ノ重ヲ米国ノ保全ニ置クヤ一日ノ故ニ非ス是レ両国累世ノ関係ニ因ルノミナラス米国ノ存亡ハ実ニ帝国安危ノ繋ル所タレハナリ然ルニ・・・某国ハ既ニ帝国ノ提議ヲ容レス米国ノ安全ハ方ニ危急ニ瀕シ帝国ノ国利ハ将ニ侵迫セラレムトス事既ニ茲ニ至ル帝国カ平和ノ交渉ニ依リ求メムトシタル将来ノ保障ハ今日之ヲ旗鼓ノ間ニ求ムルノ外ナシ政府ハ汝有衆ノ忠実勇武ナルニ倚頼シ速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス

  
  20世紀初頭風の文章ですが,これではまだ,存立危機事態の認定には足りないでしょうか。なお,「我が国と密接な関係にある他国」は,米国だけではないでしょう。


3 存立危機事態


(1)我が国の存立と生命,自由及び幸福追求の権利

 しかし,「他国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」との存立危機事態の定式における前半部分と後半部分との関係は分かりにくいところです。「我が国の存立が脅かされ」,かつ,「国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があるときにのみ存立危機事態が認定されるとすると,「国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があっても「我が国の存立が脅かされ」なければ自衛隊の防衛出動はないわけですが,「我が国の存立が脅かされ」ても「国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」が無い場合も存立危機事態ではないことになり,自衛隊の防衛出動はないということでよいのでしょうか。

 この点2015年5月15日付けの自由民主党安全保障法制整備推進本部「切れ目のない「平和安全法制」に関するQ&A」の「答40」では,「存立危機事態」とは,「他国に対する武力攻撃が発生した場合において,そのままでは,すなわち,その状況の下,武力を用いた対処をしなければ,国民に我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な,深刻,重大な被害が及ぶことが明らかな状況」をいうものであって,「事態の個別具体的な状況に即して,主に攻撃国の意思,能力,事態の発生場所,その規模,態様,推移などの要素を総合的に考慮し,我が国に戦禍が及ぶ蓋然性,国民が被ることとなる犠牲の深刻性,重大性などから客観的,合理的に判断する」ものとされています。「我が国の存立」に対する脅威には直接言及されていません。また,急迫性も明示的には要件にされていないようです。


(2)自衛権と生命,自由及び幸福追求の権利

 前記2014年7月1日閣議決定は,その3(2)において,憲法13条の「生命,自由及び幸福追求の権利」に言及します。いわく,「憲法9条はその文言からすると,国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが,憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法13条が「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると,憲法9条が,我が国が自国の平和と安全を維持し,その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方,この自衛の措置は,あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫,不正の事態に対処し,国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり,そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが,憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について,従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹,いわば基本的な論理であ」ると。


(3)アメリカ独立宣言における生命,自由及び幸福追求の権利と抵抗権

 憲法13条の「生命,自由及び幸福追求の権利」は,1776年のアメリカ独立宣言に由来します。

     We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal; that they are endowed by their Creator with certain inalienable rights; that among these, are life, liberty, and the pursuit of happiness. That, to secure these rights, governments are instituted among men, deriving their just powers from the consent of the governed; that, whenever any form of government becomes destructive of these ends, it is the right of the people to alter or to abolish it, and to institute a new government...     

 (我々にとって,以下の真理は自明のことである。すなわち,全ての人は平等に創造されていること。彼らは,彼らの造物主によって,一定の不可譲の権利を付与されていること。それらの権利のうちには,生命,自由及び幸福の追求があること。政府は,当該権利を確保するため,被治者の同意にその正当な権限を基礎付けられつつ,人々の間に設立されるものであること。いかなる形体の政府であっても,これらの目的に対して有害となったときにはいつでも,これを変更又は廃止し,及び新たな政府を設立することは人民の権利であること。)

 「生命,自由及び幸福追求の権利」は,北アメリカ植民地人のジョージ3世の英国政府に対する叛逆を,抵抗権の行使として大義付けるために持ち出されたものでした。

 さて,そうであれば,「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」との我が憲法13条の規定(All of the people shall be respected as individuals. Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extend that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.)を,そのそもそも由来するアメリカ独立宣言風に理解すると,「各個人の生命,自由及び幸福追求の権利を政府が尊重しないと,ジョージ3世の政府に対して北アメリカ植民地人がしたように,抵抗権が発動されて独立革命を起こされても文句は言えないぞ。すなわち国家の存立が脅かされるぞ。」ということになるでしょうか。物騒な条文です。

 なお,アメリカ独立宣言には,ジョージ3世の秕政として,植民地議会の同意なしに平時に常備軍を駐屯させたこと(He has kept among us, in time of peace, standing armies, without the consent of our legislatures.)及び軍を市民の政府から独立し,かつ,優越するものとしようとしたこと(He has affected to render the military independent of, and superior to, the civil power.)が挙げられています。北アメリカ植民地人は,自分たちの防衛のためには本国の常備軍になど頼らず,自ら武器を所持しつつ,民兵組織で対処するつもりだったのでしょう。(とはいえ,アメリカ独立戦争においてはルイ16世のフランス王国と同盟し,フランス軍の来援を受けていますが。)

 抵抗権は,権利であるばかりではなく,その行使が義務である場合もあるとされます。再びアメリカ独立宣言。

     ...But, when a long train of abuses and usurpations, pursuing invariably the same object, evinces a design to reduce them* under absolute despotism, it is their right, it is their duty, to throw off such government and to provide new guards for their future security...(* このthemmankindを受ける。)

 (しかしながら,長期の連続した権限の濫用及び簒奪が,一貫して同一の目的を追求し,人類を絶対的専制の下へ引き下ろそうとする意図を明らかにするときにあっては,そのような政府を投げ棄て,彼らの将来の安全のための新たな防護を講ずることは,彼らの権利であり,義務である。)

 ジョージ3世治下の英国のような悪の帝国による世界征服(world conquest)ノ挙は,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険であって,それに対して積極的に抵抗する権利(英国臣民ならば抵抗権ですが,外国人にとっては自衛権ということになるのでしょう。)を行使するのが,生命,自由及び幸福追求の権利を有する人たるものの権利であり,かつ,義務であるということになるようです。

 ルイ16世は,このような高邁な考えを持っていたのでしょうか。

 しかし,アメリカ独立戦争の支援等によってルイ16世の政府の財政は破綻し,やがてフランス革命が起きて1792年9月には王制廃止,1793年1月21日にルイ16世は処刑されてしまいます(かくして一つのレジームからの脱却がされたわけです。)。財政的に無理がある国がアメリカに肩入れするのは剣呑ですね。戦費調達が大変です。そのために国債を発行した場合,国債が値崩れしないかどうか。

 ところで,アメリカ独立宣言の起草者ジェファソンは,やがて国王の処刑に至る血なまぐさいフランスの動向に対して冷静でした。1793年1月3日付けのジェファソン国務長官のウィリアム・ショート(駐ハーグ米国公使)あて書簡にいわく。



 ・・・全地上の自由は,この抗争の結果いかんにかかっていたのです。そして,このような貴重な獲得物が,かつてこれほど少ない無辜の血によってあがなわれたことがあったでしょうか。私自身の愛情は,この大義のための殉難者らによって深く傷つけられています。しかし,それが失敗するのを見るよりは,地上の半分が無人の地となるのを見る方がましです。それぞれの国にアダムとイヴとだけが残されることになっても,自由な者として残されるのならば, 今よりましなのです。・・・

 
  同年3月24日付けの同郷(ヴァジニア)の後輩マディソン(1814年夏の米国大統領)あて書簡において,ジェファソンは,ある夕食会でルイ16世の処刑が話題になったことを取り上げていますが,同席者の政治的傾向の分析(最左翼のジャコバン支持者から最右翼の貴族政論者まで各人をその傾向に従って順番付けた。)を書くためのものだったようです。アメリカ独立革命の恩人の死に対して,ジェファソンは冷淡ですね。

 「人命は地球より重い。」とか,「国民の命と平和な暮らしを守り抜く。」などと考えていた人ではないようですね。実際ジェファソンは,1787年1月30日付けのマディソンあてのパリからの書簡において,マサチューセッツ邦でのシェイズの叛乱を論じつつ,叛乱が起こることはよいことだとまで言っています。いわく,「小さな叛乱が時々起こることはよいことであり,物質界において嵐がそうであるように,政治の世界において必要なものだと思います。失敗に終わった叛乱は,実際のところ,その原因となった人民の権利に対する制限(incroachments)を確立(establish)するのが一般です。この真理の認識は,叛乱を過度に抑制(discourage)しないように,正直な共和国の知事ら(honest republican governors)を,叛乱の処罰において穏和にすべきものです。これは,政府の健全性のために必要な薬なのです。」


(4)存立危機事態認定要請への対処

 存立危機事態の認定をするよう米国から要請があることもあるのでしょう。

 前記自由民主党Q&Aの「答12」には,「平和安全法制の整備は,国民の命と平和な暮らしを守り抜くために,我が国として主体的に取り組んでいるものです。我が国の存立と国民の命や平和な暮らしに関係のない集団的自衛権の行使の要請が,仮に米国からあったとしても,断るのは当然のことです。」とあります。

 しかし,そのようにピシャリとはねつけることができるような明らかに無理無体な要請ではない,それなりの理屈付けがされた要請が来ると面倒ですね。第一次世界大戦中の欧州派兵要請への対処問題の再演ということになりましょうか。

http://donttreadonme.blog.jp/archives/944591.html

 米国側にそれなりの期待を持たせてしまっているということでもあると,厄介ですね。

 なお,前記日米防衛協力のための指針の第Ⅳ章Dには,「日米両国が,各々,米国又は第三国に対する武力攻撃に対処するため,主権の十分な尊重を含む国際法並びに各々の憲法及び国内法に従い,武力の行使を伴う行動をとることを決定する場合であって,日本が武力攻撃を受けるに至っていないとき,日米両国は,当該武力攻撃への対処及び更なる攻撃の抑止において緊密に協力する。共同対処は,政府全体にわたる同盟調整メカニズムを通じて調整される。」とあります。同盟調整メカニズムまで用意されているのですから,米国からの要請をそう容易に振り切ることはできないでしょう。


 結局,米国の知人からの電子メールに対する返信の内容は,国会での議論を見ながら考えるということになりました。

画像 001
(Champagne, France)


 19181111日午前11時に連合国とドイツとの間の休戦協定が発効し,第一次世界大戦の戦闘は終了しました。

昨日はその記念日でした。

1111日を休日として今も記念式典を行うフランスにとっては,第一次世界大戦こそが悲惨な大戦争であって,第二次世界大戦2年目の1940年にフランスがドイツにいわばあっさりと降参してしまったのは,ヴェルサイユ条約の恨みを抱いていたドイツとは異なり,第一次世界大戦でもう戦争は懲り懲りになっていたからだ,と以前英国の歴史家の本で読んだ記憶があります。

今でもフランスのシャンパーニュ地方の田舎道をドライブすると,白い墓標の群れが各所に現われ,町々の広場にはフランス軍兵士の像が東方をにらんで立っているのが見られます。

 第一次世界大戦には,日本も連合国側に立って参戦しました。中学校・高等学校で教わったところを思い返すと,日英同盟のよしみで参戦した日本は,少ない犠牲で山東省青島のドイツ租借地及びドイツ領南洋群島を占領し,他方国内では戦争景気で成金続出,戦後のパリ講和会議では,欧州正面での苛烈な戦闘には参加しなかったにもかかわらず,米国,英国,フランス及びイタリアと並んで,五大国の一つに数えられるに至った,というようなところでしょうか。

 

 日本の対独宣戦の理由に関しては,大正3年(1914年)8月23日付けの大正天皇の詔書は次のように述べています。


  ……朕ハ深ク現時欧州戦乱ノ殃禍ヲ憂ヒ専ラ局外中立ヲ恪守シ以テ東洋ノ平和ヲ保持スルヲ念トセリ此ノ時ニ方リ独逸国ノ行動ハ遂ニ朕ノ同盟国タル大不列顛国ヲシテ戦端ヲ開クノ已ムナキニ至ラシメ其ノ租借地タル膠州湾ニ於テモ亦日夜戦備ヲ修メ其ノ艦隊荐ニ東亜ノ海洋ニ出没シテ帝国及与国ノ通商貿易為ニ威圧ヲ受ケ極東ノ平和ハ正ニ危殆ニ瀕セリ是ニ於テ朕ノ政府ト大不列顛国皇帝陛下ノ政府トハ相互隔意ナキ協議ヲ遂ケ両国政府ハ同盟協約ノ予期セル全般ノ利益ヲ防護スルカ為必要ナル措置ヲ執ルニ一致シタリ朕ハ此ノ目的ヲ達セムトスルニ当リ尚努メテ平和ノ手段ヲ悉サムコトヲ欲シ先ツ朕ノ政府ヲシテ誠意ヲ以テ独逸帝国政府ニ勧告スル所アラシメタリ然レトモ所定ノ期日ニ及フモ朕ノ政府ハ終ニ其ノ応諾ノ回牒ヲ得ルニ至ラス……


ドイツ艦隊がしきりに「東亜ノ海洋ニ出没」シテ「帝国及与国ノ通商貿易」を「威圧」したために「極東ノ平和」が「正ニ危殆ニ瀕」したことが日本の対独開戦の直接の理由であり,攻撃目標はまず「東亜ノ海洋」のドイツ艦隊及びその根拠地であるということでしょうか。


 当時の第三回日英同盟協約(1911713日ロンドンで調印。「日本外交文書」明治44年第12110377頁以下))は,その目的を「東亜及印度ノ地域ニ於ケル全局ノ平和ヲ確保スルコト」,「清帝国ノ独立及領土保全並清国ニ於ケル列国ノ商工業ニ対スル機会均等主義ヲ確実ニシ以テ清国ニ於ケル列国ノ共通利益ヲ維持スルコト」及び「東亜及印度ノ地域ニ於ケル両締盟国ノ領土権ヲ保持シ並該地域ニ於ケル両締盟国ノ特殊利益ヲ防護スルコト」と定めていました(前文)。

したがって,「両締盟国ノ一方カ挑発スルコトナクシテ(unprovoked)一国若ハ数国ヨリ攻撃(attack)ヲ受ケタルニ因リ又ハ一国若ハ数国ノ侵略的行動(aggressive action)ニ因リ該締盟国ニ於テ本協約前文ニ記述セル其ノ領土権又ハ特殊利益ヲ防護セムカ為交戦スルニ至リタルトキハ前記ノ攻撃又ハ侵略的行動カ何レノ地ニ於テ発生スルヲ問ハス他ノ一方ノ締盟国ハ直ニ(will at once)来リテ其ノ同盟国ニ援助ヲ与ヘ協同戦闘ニ当リ講和モ亦双方合意ノ上ニ於テ之ヲ為スヘシ」との規定(同協約2条)があったものの,東アジア及びインドの地域(the regions of Eastern Asia and of India)以外の地域,すなわち欧州等は,その守備範囲外であったところです。


 しかし,日本海軍は,地中海にまで駆逐艦等による特務艦隊を派遣して,連合国から感謝されています。また,陸軍についても対独苦戦の連合諸国から累次の欧州派兵要請が我が国政府にあり,歴史のifとしては,シャンパーニュの美しくなだらかな丘陵地帯のあちらこちらに,日本兵の墓標が並んでいるという可能性もあったところでした。


 これら連合国からの欧州派兵要請に対して19141114日,時の大隈内閣の外務大臣加藤高明は,駐日英国大使に派兵不可の旨覚書を手交しています(「日本外交文書」大正3年第310621643頁以下)参照)。


 当該加藤メモランダムが,昨今の政治の動きをめぐる最近の論説において,次のように紹介されています。



  いったん国防の役割を越えた国防軍が,それこそ地球の裏側まで戦闘行為をしに行くことを押しとどめる力量を,日本の議会政治が発揮できるのか。対イラク戦争でのブッシュ政権への協力についての総括をも果たしていない中で,9条の歯止めを取り払おうという主張はあまりに無責任ではないでしょうか。かつて第一次大戦の開戦直後,どこまで積極的に連合諸国側に立ってドイツと戦うかの真剣な議論の中で,当時の外務大臣は,日英同盟の相手方の出兵要請に対し,「帝国軍隊ノ唯一ノ目的ハ国防ニ在ルカ故ニ,国防ノ性質ヲ完備セサル目的ノ為帝国軍隊ヲ遠ク国外ニ出征セシムルコトハ其組織ノ根本タル主義ト相容レサル所」という覚書を英国大使に手交しています(加藤高明)。日米同盟一本槍の今の政治家たちと違って,そのような認識を持ちながらも,その後の大日本帝国がどんな途に突き進んだか,痛切な教訓ではないでしょうか。(樋口陽一「なぜ立憲主義を破壊しようとするのか―現状を見定めることの責任」『世界』201312月号66-67頁)



 日本はかつて,大日本帝国憲法下において,
“The dispatch of the Imperial army far away from home for purposes other than those partaking of the nature of national defence is  .incompatible with the fundamental principle of its system and was never contemplated in its organization.” との主義を,世界に対して明らかにしていたところでありました。


 それでは特務艦隊の地中海派遣はどのように説明されたのでしょうか。1917年6月26日,第39回帝国議会衆議院本会議において,島田三郎議員の問いに対し,加藤友三郎海軍大臣は,「我国旗ヲ樹ッテ居リマストコロノ船舶ガ,欧洲海面ニ於テ沈没ヲ致シマスル数ガ漸次殖エテ」いるので「軍事当局者ト致シマシテハ,是等我船舶ヲ保護致シマスル上ニ,多少ノ考慮ヲ費サナクテハナラナイ」と考え「腹案」を立てていたところ,「英国政府ヨリ地中海方面ニ或一隊ノ派遣方ノ交渉」が「敵ノ潜水艦ニ対スル作戦上必要」であるところからあったため,「或一隊ヲ地中海ニ派遣シタト云フ次第デゴザイマス」と答弁しており,「聯合作戦ヲ実施」するためという理由のみをもっては説明していなかったところです(第39回帝国議会衆議院議事速記録316-17頁)。本野一郎外務大臣も,「共同作戦ノ必要」に加えて「帝国ノ航海ノ保護ノ必要」を特務艦隊派遣の理由として挙げています(同速記録17頁)。「共同作戦ノ必要」だけでは,島田前衆議院議長以下の議会政治家たちを納得させられなかったということでしょう。


 日本が戦間期「いわゆるワシントン体制の枠組みの中で逐次孤立」していったことについて,「一次大戦における欧州派兵問題もその原因の一つではあるまいか」,「言を左右にして小さな艦隊しか援軍を派遣しなかった「頼りにならない同盟国」日本と,一度参戦するや2百万の将兵を始め陸海軍の総力を挙げて救援に馳せ参じた「頼りになる同盟国」アメリカとの「信頼性の差」は影響していないか」とする意見があります(永井煥生「第一次世界大戦における欧州戦線派兵要求と日本の対応」防衛研究所戦史部年報1号(19983月)18頁)。


 しかし,米国は,第一次世界大戦で約12万人の戦死者(American Battle Monuments Commissionのウェッブサイトによれば116,516人)を出し,戦間期は孤立主義に回帰。国際連盟にも加盟していません。欧州で第二次世界大戦が始まり,フランスが敗れ,英国が苦戦していても,「頼りになる同盟国」は,なお欧州戦線派兵を行いませんでした。苦戦中の英国宰相チャーチルがこれで勝ったと歓喜したのは,実は日本の真珠湾攻撃(1941127日(ハワイ現地時間))のニュースを聞いた時でした。

19411211日に,日独伊三国同盟条約の当事国であるドイツ及びイタリアが米国に対して宣戦。これは,ヒトラーの失敗だといわれています。ドイツの対米国宣戦通告文では,米国軍によるドイツ潜水艦の攻撃及びドイツ商船の拿捕を挙げて,米国がドイツに対してopen acts of warを行っているものと主張していますが,同日ヒトラーがドイツ国会議事堂でした長い演説が同じ月の30日付けで日独旬刊社出版局から『一千年の歴史を作らん』(「ヒトラー総統の対米宣戦布告の大演説」)との題名で出版されているところ,そこには次のようなくだりがあります。いわく,「茲に於いて独伊両国は,遂ひに,1940年9月27日附の三国条約の規定に遵ひ(getreu den Bestimmungen des  Dreimaechtepakts vom 27. September 1940),日本と相携へて,それら三国とその国民とを防衛し,且つそれに依つてその自由と独立とを維持せんがために,アメリカ合衆国と英国とに対する戦ひを開始するの止むなきに至つたのである(haben...sich...gezwungen gesehen)。」と(61頁。ドイツ文はWorld Future Fundのウェッブページから)。)


 また,12万の戦死者数は,日露戦争における我が戦死者数約8万4千人を大きく超えるものです(約84千人は,アジア歴史資料センターの「日露戦争特別展」ウェッブサイトの「はやわかり」ウェッブページが紹介する数字。当該サイトの「統計」ウェッブページには別に戦死者数55,655人という数字が出ています。)。旅順で苦戦中の乃木希典将軍の留守邸が投石を受け,ポーツマス条約の講和条件が「勝者」にとって不十分であるとして日比谷で焼き打ち事件が起こったのは,第一次世界大戦の当時,遠い昔の話ではありませんでした。


画像 002
(ヴェルダンの地下要塞見学コース)


このページのトップヘ