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前編(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078645164.html)からの続き


6 開催都市契約66条:「不平等条約」

ところで,開催都市契約について,IOCのみがオリンピック開催中止を決定できるとする,当該契約の解除に係る第66条が「不平等条約だ」といわれています。これは,新型コロナウイルス感染症との関係では,そのa)項のi)後段が問題になるのでしょうか。また,オリンピック参加者の安全ばかりが心配されて,現地住民の安全が心配されていないことが,命をいとおしむ日本人としては不満なのでしょうか。

 

aIOCは,以下のいずれかに該当する場合,本契約を解除して,開催都市における本大会を中止する権利を有する。

i) 開催国が開会式前または本大会期間中であるかにかかわらず,いつでも,戦争状態,内乱,ボイコット,国際社会によって定められた禁輸措置の対象,または交戦の一種として公式に認められる状況にある場合,またはIOCがその単独の裁量で,本大会参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合。

ii)(本契約の第5条に記載の)政府の誓約事項が尊重されない場合。

iii) 本大会が2020(当初の規定)年中に開催されない場合。〔付属合意書4(2020107日)で変更〕

iv) 本契約,オリンピック憲章,または適用法に定められた重大な義務に開催都市,NOCJOC〕またはOCOG〔東京オリンピック組織委員会〕が違反した場合。

v) 本契約第72条の重大な違反があり,是正されない場合。

  (東京都オリンピック・パラリンピック準備局ウェブページ)

 

 一応もっともな解除事由が並べられているので,これらの事由に基づいて開催都市契約が解除されてもIOCが損害賠償責任を負わないということは全く道理に反する,ということにはなりにくいようです。

 

7 開催都市契約の典型契約への当てはめ:請負説及び組合説

しかし,そもそも,開催都市契約はどういった種類の契約なのでしょうか。東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会を請負人とし,IOCを注文者とする請負(民法632条参照)なのか,それともIOC,東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会を組合員とする組合(民法667条参照)なのか。

 

(1)請負説

請負であれば,我が国では「請負人が仕事を完成させない間は,注文者は,いつでも損害を賠償して契約の解除をすることができる」わけで(民法641条),スイス債務法377条も「Tant que l’ouvrage n’est pas terminé, le maître peut toujours se départir du contrat, en payant le travail fait et en indemnisant complètement l’entrepreneur.」(「仕事が完成しない間は,注文者は,なされた仕事の報酬を支払い,かつ,請負人に対して完全に補償をして,いつでも契約を解除することができる。」)と規定しています。他方,請負においては,注文者に債務不履行がないのに,請負人が一方的に契約を解除するわけにはいかないでしょう。なお,スイス債務法377条における補償の対象は,「得べかりし利益」と解釈されているそうであり,同条と我が民法641条とは「同一に帰するであろう」とされています(我妻榮『債権各論 中巻二(民法講義Ⅴ₃)』(岩波書店・1962年)651頁)。

ところで,開催都市契約66a)項の規定は,スイス債務法377条と差し替えられるものでしょうか,それとも,同条の適用を前提としつつ,請負契約を解除する注文者が「なされた仕事の報酬を支払い,かつ,請負人に対して完全に補償」する必要のない場合を特に規定したものでしょうか。金を払ってやるからお前らオリンピックはやめろ,といきなり言われても開催都市側としては納得できないでしょうから,差替え説を採るべきか。

ちなみに,「請負人からの解除」については,「なお,明文の規定はないが,両当事者の高度の信頼関係を基礎とする場合には,解除に関する委任の規定(民法651条)を類推適用するのが妥当であろう」とも説かれています(星野英一『民法概論Ⅳ(契約)』(良書普及会・1994年)278頁)。我が民法6511項は「委任は,各当事者がいつでもその解除をすることができる。」と規定しています。スイス債務法404条も同旨を規定しています(「Le mandat peut être révoqué ou répudié en tout temps. / Celle des parties qui révoque ou répudie le contrat en temps inopportun doit toutefois indemniser l’autre du dommage qu’elle lui cause.」(委任は,いつでも撤回又は破棄することができる。/しかし,不利な時期に契約を撤回又は破棄した当事者は,相手方に被らせた損害を補償しなければならない。))。とはいえ,やはり開催都市契約には第66条のみが存在しているという事実が重い。「高度の信頼関係を基礎とする」請負であっても,東京都,JOC又は東京オリンピック組織委員会はいつでも開催都市契約を解除できて,しかもIOCに不利な時期でなければIOCに対する損害の補償も不要である,というわけにはいかないのでしょうから,スイス債務法404条の(類推)適用が前提であれば,日本側の解除権を制限する条項が必要であったはずです。当該制限条項がない,ということは,スイス債務法404条の(類推)適用ははなからあり得ないものとされていたのでしょう。IOCとの関係において「高度の信頼関係」までを求めるのは,欲張りすぎであるということでしょうか。

 

(2)組合説

組合ならば,我が国においては,「やむを得ない事由があるときは,各組合員は,組合の解散を請求することができる」ことになっています(民法683条)。「組合の目的である事業の〔略〕成功の不能」の場合には組合は当然解散しますが(民法6821号),1904年のセント・ルイス大会における堂々たるグダグダの前例に鑑みれば,オリンピックの「成功の不能」なるもののハードルは極めて高いものと解すべきでしょう(「コロナ禍で,競技によっては予選に出られなかった選手がいる。ワクチン普及が進む国とそうでない国とで厳然たる格差が生じ,それは練習やプレーにも当然影響する。選手村での行動は管理され,事前合宿地などに手を挙げた自治体が期待した,各国選手と住民との交流も難しい。憲章が空文化しているのは明らかではないか。」と主張する前記朝日新聞社社説は,要求水準が高過ぎるようです。)。富井政章及び本野一郎による我が民法683条のフランス語訳は「Tout associé peut demander la dissolution de la société, lorsqu’il y est constraint par la nécessité.」です。必要(nécessité)があれば解散可というのも漠としていますが,ここでの「やむを得ない事由」の例としては,「組合員中不正ノ行為アル者多クシテ〔略〕容易ニ公平ナル計算ヲ得ルノ望ミナキ場合」,「仮令組合員ニ不正ノ行為ナキモ組合ノ帳簿整頓セサルカ為メ全ク之ヲ解散シテ清算ヲ為スニ非サレハ組合ノ財産上ノ状況ヲ明カニスルコト能ハザルコト」(以上梅822頁)及び「経済界の事情の変更,組合の財産状態,組合員間の不和などによつて,組合の目的を達することが――成功の不能とまではいえなくとも――著しく困難となることなど」(我妻Ⅴ₃844頁)が,6781項の「やむを得ない事由」の例としては「脱退員ト他ノ組合員ト意見相衝突シ脱退員ハ某ノ行為ヲ為スヲ以テ組合ノ為メ極メテ危険ナリトシ他ノ組合員ハ之ヲ断行セント欲スル場合ニ於テハ脱退員ハ速ニ脱退ヲ為スニ非サレハ其行為動モスレハ累ヲ自己ノ財産ニ及ホスノ虞」ある場合(梅810頁)が挙げられています。

スイス債務法545条は次のとおり。

 

La société prend fin:

1. par le fait que le but social est atteint ou que la réalisation en est devenue impossible;

2. par la mort de l’un des associés, à moins qu’il n’ait été convenu antérieurement que la société continuerait avec ses héritiers;

3. par le fait que la part de liquidation d’un associé est l’objet d’une exécution forcée, ou que l’un des associés tombe en faillite ou est placé sous curatelle de portée générale;

4. par la volonté unanime des associés;

5. par l’expiration du temps pour lequel la société a été constituée;

6. par la dénonciation du contrat par l’un des associés, si ce droit de dénonciation a été réservé dans les statuts, ou si la société a été formée soit pour une durée indéterminée, soit pour toute la vie de l’un des associés;

7. par un jugement, dans les cas de dissolution pour cause de justes motifs.

La dissolution peut être demandée, pour de justes motifs, avant le terme fixé par le contrat ou, si la société a été formée pour une durée indéterminée, sans avertissement préalable.

  (組合は,次に掲げる事由によって解散する。

  (一 組合の目的が達成されたこと又はその実現が不可能になったこと。

  (二 事前にその相続人と共に組合が継続するものと合意されていなかった場合における一組合員の死亡

  (三 一組合員の清算持分が強制執行の目的であること又は一組合員が破産したこと若しくは被後見人となったこと。

  (四 総組合員の同意

  (五 組合の存続期間の満了

  (六 告知権が組合規約において留保された場合又は組合の存続期間が定められていない場合若しくはある組合員の終身間存続すべきことが定められた場合における一組合員による契約の告知

  (七 正当な理由を原因とする解散の場合における裁判

(正当な理由に基づく解散の請求は,契約の存続期間の満了前(vor Ablauf der Vertragsdauer)に,又は組合の存続期間が定められていない場合においては事前の予告なしにすることができる。)

 

 正当な理由(justes motifs)とは何ぞやが問題ですが,フランス民法1844条の75号を参照すると,そこでは,一組合員の債務不履行の場合と組合の機能を麻痺させる組合員間の不和(mésentente entre associés paralysant le fonctionnement de la société)の場合とが,正当な理由(justes motifs)の例として条文上示されています。

 開催都市契約66a)項は,スイス債務法54516号の「組合規約において留保」の留保をするものと解し得るでしょう。また,スイス債務法54517号の適用までをも開催都市契約66a)項は排除するものではないでしょう。なお,開催都市契約87条がありますから,スイス債務法54517号の「裁判」(jugement)は,「仲裁判断」と読み替えられるべきものでしょう。

 しかし,IOCと東京都,JOC及び東京オリンピック組織委員会とは仲良し(ils sont en entente)なのでしょうから,仲裁判断においても正当な理由(justes motifs)は認められず,スイス債務法54517号の出番はない,ということになりそうです。


8 開催都市契約51条:「違約金」条項

 なお,開催都市契約には「違約金」条項は存在しないと巷間言われているようですが,どうしたものでしょうか。開催都市契約51条は日本側を債務者とする「約定損害賠償金」(正文たる英文では“liquidated damages”)について規定しています。視力の悪い筆者の見間違いでしょうか。大所高所から東京オリンピック中止問題を語る有識者の方々の力強い声の中で,このようなつまらない発見を小声で語ることは心細い限りです。

「違約金」に関しては,我が民法420条には「当事者は,債務の不履行について損害賠償の額を予定することができる。/賠償額の予定は,履行の請求又は解除権の行使を妨げない。/違約金は,賠償額の予定と推定する。」とあるところです。富井=本野のフランス語訳では,「賠償額の予定」は“fixation de dommages-intérêts faite par avance”,「違約金(条項)」は “clause pénale”です。

なお,英米法においては,「債務不履行に際して債務者が支払うべき額をあらかじめ約定した場合に,それが「違約金(penalty)」であると判断されるとその効力が否定され,債権者は損害を証明して賠償を請求しなければならない。また,それが「損害賠償額の予定(liquidated damages)」であると判断されれば有効であり,実際に生じた損害額のいかんにかかわらず予定額を請求しうる。」とされているそうです(奥田昌道編『新版注釈民法(10)Ⅱ債権(1)債権の目的・効力(2)』(有斐閣・2011年)571頁(能見善久=大澤彩))。開催都市契約51条の「約定損害賠償金」は,“liquidated damages”という英文名称からすると,賠償額の予定(fixation de dommages-intérêts faite par avance)でなければならないもののようです。しかしながら,当該契約がそれに基づくスイス債務法では,“peine”(刑の意味があります。刑法は“Code pénal”です。)の語が用いられていてややこやしい。しかし“peine”ないしは“pénal”の語は刑に引き付けて狭く解する必要はないようで,我が旧民法財産編(明治23年法律第28号)388条は「当事者ハ予メ過怠約款ヲ設ケ不履行又ハ遅延ノミニ付テノ損害賠償ヲ定ムルコトヲ得」と規定し,「過怠約款」をもって賠償額の予定としていますが,そのフランス語文は“Les parties peuvent faire, à l’avance, au moyen d’une clause pénale, le règlement des dommages-intérêts, soit pour l’inexécution, soit pour le simple retard.” でした(イタリック体による強調は筆者によるもの)。すなわち,「過怠約款」=“clause pénale”です(我が民法4203項の原則とするところ)。

 スイス債務法1601項は「Lorsqu’une peine a été stipulée en vue de l’inexécution ou de l’exécution imparfaite du contrat, le créancier ne peut, sauf convention contraire, demander que l’exécution ou la peine convenue.」(契約の不履行又は不完全履行について違約金の定めがある場合においては,反対の取決め(convention contraire)がない限り,債権者は,履行又は取り決められた違約金以外の請求をすることができない。)と規定しています。我が民法4202項に対応します。開催都市契約51条に「反対の取決め」があるかといえば,同条においてIOCは,その権利についていろいろ留保をしています。

スイス債務法1611項は「La peine est encourue même si le créancier n’a éprouvé aucun dommage.」(債権者が損害を立証しない場合であっても,違約金は課せられる。)と規定して,違約金額までの金銭については損害の立証がなくとも支払を受けることができるようにし,同条2項は「Le créancier dont le dommage dépasse le montant de la peine, ne peut réclamer une indemnité supérieure qu’en établissant une faute à la charge du débiteur.」(違約金額を超える損害を被った債権者は,債務者に帰せられる過失(faute)を立証しなければ,超過分の補償を請求することができない。)と規定しています。同項においては,同法971項と比較すると,過失の有無に係る立証責任の所在が転換されています。

スイス債務法163条は,次のとおり。

 

   Les parties fixent librement le montant de la peine.

La peine stipulée ne peut être exigée lorsqu’elle a pour but de sanctionner une obligation illicite ou immorale, ni, sauf convention contraire, lorsque l’exécution de l’obligation est devenue impossible par l’effet d’une circonstance dont le débiteur n’est pas responsable.

Le juge doit réduire les peines qu’il estime excessives.

  (当事者は,違約金額を自由に定める。

  (約定違約金は,違法若しくは不道徳な債務を実効化する(bekräftigen)目的である場合又は,反対の取決めがない限り,債務者の責任に属さない事情によって債務の履行が不可能になった場合には,請求することができない。

  (裁判官は,過大と認める違約金を減額することができる。)

 

スイス債務法1632項後段の「反対の取決め」が開催都市契約51条にあるかといえば,一見したところ,無いようです。同条a)項における“due to any cause directly or indirectly attributable to the City, the NOC or the OCOG”の場合に「約定損害賠償金」が問題となるという表現からしても,そういうことでよいのでしょう。

なお,スイス債務法1612項及び1633項に関して一言すると,我が民法4201項には,従来後段があって「この場合において,裁判所はその額を増減することができない。」とされていましたが,当該規定は平成29年法律第44号によって削られているところです。「裁判実務においては現に公序良俗違反(旧法第90条)等を理由に予定されていた損害賠償額を増減する判断をしていたことを踏まえ,削除している。」と説明されています(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)70頁)。我が賠償額の予約に関する規整は,スイス債務法の違約金(peine)に関するそれに近付いたものになっている,ということでよろしいのでしょうか。

 

9 日本国政府による中止

 日本国は開催都市契約の当事者ではありません。

 したがって,日本国政府がその公権力を行使して東京オリンピック開催を中止に追い込んだ場合には,それは,開催都市契約を発生原因とする日本国の債務(当該債務はありません。)の不履行の問題ではなく,第三者による債権侵害の不法行為の問題となるはずです。

 日本国は開催都市契約の当事者ではないので,当該契約に含まれる仲裁合意の当事者でもありません。IOCは,日本国を仲裁被申立人として仲裁手続を利用することはできません。

 IOCが日本国を相手取って裁判所に訴えを提起する場合,国際法上,ある国の裁判権は外国国家には及びませんから,日本の裁判所(恐らく東京地方裁判所(訴訟の目的の価額が140万円以下ということはないでしょう(裁判所法(昭和22年法律第59号)3311号参照)。))に訴状を提出することになります。

 適用される法律は,不法行為の加害行為の結果が発生した地の法ということになります(法の適用に関する通則法(平成18年法律第78号)17条)。日本法の適用が素直でしょう。東京オリンピックの開催が中止されたことによってスイスにあるIOCが貧乏になったといっても,それは派生的・二次的な損害であって,スイスが結果発生地となるものではないでしょう(澤木=道垣内218頁参照)。そうなると国家賠償法(昭和22年法律第125号)11項(「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは,国又は公共団体が,これを賠償する責に任ずる。」)の問題となります。違法性の有無が争点になりそうです。

 ただし,IOCの名誉又は信用の毀損が問題とされたときは,準拠法はなおスイス法です(法の適用に関する通則法19条)。とはいえ,不法行為については,成立も効力も結局日本法の枠内です(法の適用に関する通則法22条)。

 なお,民法720条(国家賠償法4条)の考え方に拠ることとして,IOCに対する加害行為だと言われるけれども新型コロナウイルス感染者による当該ウイルス拡散という不法行為から国民の生命又は身体という彼らの権利を防衛するため「やむを得ず」したものだからよいのだ,と主張する場合においては,「①「他人ノ不法行為」に対して当方も問題の加害行為をする以外に適切な方法がなく,②防衛すべき法益と,相手方(当初の不法行為者又は第三者)に与える損害(相手方の被侵害利益)との間に,社会観念上ほぼ合理的な均衡が保たれていることを要する。たとえば,些少な財産権を防衛するために相手を殺傷するがごときは,正当防衛となり難い場合が多いであろう。」(幾代通著=徳本伸一補訂『不法行為法』(有斐閣・1993年)102頁)との「やむを得ず」に係る要件が満たされているかどうかが問題になるでしょう。


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On aime les jeux Olympiques. (東京都新宿区・日本オリンピックミュージアム前庭)


追記:開催都市契約=請負説

 筆者は,前記において,開催都市契約に係る請負説と組合説とを併記しました。しかし,あえていえば,請負説を採るべきなのでしょう。開催都市契約は,IOCを一方当事者,東京都及びJOC(東京オリンピック組織委員会は後に設立されて参加)を相手方当事者として締結されており,かつ,その第1条においてIOCが日本側に業務(大会のplanning, organizing, financing and staging(計画,組織,資金調達及び運営))をentrust(東京都オリンピック・パラリンピック準備局ウェブページでは「委任」)する旨規定しています。開催都市契約44条は大会開催の結果生じた剰余金が東京オリンピック組織委員会,JOC及びIOCの間で配分されるものとしていますが(その後IOCは付属合意書№48項で東京オリンピック組織委員会のために剰余金の取り分を放棄),請負の「報酬の種類に制限はない。金銭には限らない。仕事の完成によつて得られるものの一部を与える契約も少くない(国有林払下げの請負で払い下げを受けた山林の何割かを与える契約はその例)。」とされているところです(我妻Ⅴ₃・602頁)。

 なお,請負を,スイス債務法363条は“Le contrat d’entreprise est un contrat par lequel une des parties (l’entrepreneur) s’oblige à exécuter un ouvrage, moyennant un prix que l’autre partie (le maître) s’engage à lui payer.”(請負契約は,当事者の一方(請負人)が,相手方(注文者)が支払を約する報酬を対価として,ある仕事を果すことを約する契約である。)と定義しています。また,他の類型に属しないデフォルトの組合(“société”ですので,訳語を「会社」とすることもできます。)を,スイス債務法5301項は“La société est un contrat par lequel deux ou plusieurs personnes conviennent d’unir leurs efforts ou leurs ressources en vue d’atteindre un but commun.”(組合は,2以上の者が,共通の目的を達成するために,労務又は資源を共同にすることを合意する契約である。)と定義しています。


追記2:放送に関する払戻し契約

 開催都市契約の付属合意書の第3.3項においてはIOCと東京オリンピック組織委員会との間で2018224日に締結された「放送に関する払戻し契約(Broadcast Refund Agreement)」の存在が言及されるとともに,当該契約が1年延期後のオリンピック東京大会にも適用される旨が規定されています。これが,オリンピック開催中止に伴う放送事業者からの放送権料引上げによって必要となる清算に関するIOCとの合意なのでしょう。

 

   オリンピック開催中止の場合に放送事業者がIOCに対して既払いの放送権料の返還を求め,未払の放送権料の支払を行わないことについては,スイス債務法1192項に“Dans les contrats bilatéraux, le débiteur ainsi libéré est tenu de restituer, selon les règles de l’enrichissement illégitime, ce qu’il a déjà reçu et il ne peut plus réclamer ce qui lui restait dû.”(双務契約の場合においては,前項の規定により債務を免れた債務者〔帰責事由なくその債務の履行が不能となった債務者〕は,既に給付を受けたものを不当利得の規定に従って返還する義務を負い,かつ,未履行の反対給付を請求することはできない。)との規定があります。我が民法5361項は「当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債権者は,反対給付の履行を拒むことができる。」とのみ規定していますが,同項に関しては「債権者は履行拒絶権がある反対給付債務の履行を常に拒絶することができるのであり,このような履行拒絶権の内容からすると,この場合の反対給付債務については,そもそも給付保持を認める必要すらないことから,債務としては存在しないのと同様に評価することができる。そのため,新法においても,旧法と同様に,債権者は,既に反対給付債務を履行していたときには,不当利得として,給付したものの返還を請求することができると解される。」と,敷衍した解釈が表明されています(筒井=村松228頁(注3))。スイス債務法1192項においては,条文中に,不当利得の規定に従って返還すべき義務ありと明示されているところです。

 

20171226日の東京都議会オリンピック・パラリンピック及びラグビーワールドカップ推進対策特別委員会に東京都庁から提出された「IOC拠出金の払戻しに関する契約について」資料がインターネット上にあります。それによると,東京オリンピック組織委員会は,IOCが集めた放送権料中から850億円を拠出してもらう予定で,オリンピック開催中止となると,当該拠出金につき,拠出元たるIOCに返還をせねばならないことになっています。ただし,保険が付される予定でもあったようです。

 しかし,偶発的事由(Contingency Events)による開催中止の場合についての取決めであって,日本側の責めに帰すべき事由による中止の場合には,これだけ返せば後は知らない,というわけにはいかないように思われます。

 

Addendum III: Scenes of the Namamugi Incident

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The Deathplace of Richardson(力査遜)

[On the 14th September 1862…] Namamugi, where poor Richardson’s corpse was found under the shade of a tree by the roadside. His throat had been cut as he was lying there wounded and helpless. The body was covered with sword cuts, any one of which was sufficient to cause death. (Ernest Satow, A Diplomat in Japan. London, 1921)


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The Spot, where the incident happened.

[Richardson], in company with a Mrs Borradaile of Hongkong, and Woodthorpe C. Clarke and Wm. Marshall both of Yokohama, were riding along the high road between Kanagawa and Kawasaki, when they met with a train of daimiô’s retainers, who bid them stand aside. They passed on at the edge of the road, until they came in sight of a palanquin, occupied by Shimadzu Saburô, father of the Prince of Satsuma. They were now ordered to turn back, and as they were wheeling their horses in obedience, were suddenly set upon by several armed men belonging to the train, who hacked at them with their sharp-edged heavy swords. (Satow)

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“Restaurant for Satsuma Boys” (Namamugi, Yokohama)

With unfailingly sanguine appetite, Satsuma samurai are fearsomely formidable even after 160 years.

 

[On 15th August 1863…] About three quarters of an hour after the engagement commenced we saw the [British] flagship hauling off, and next the “Pearl” (which had rather lagged behind) swerved out of the line. The cause of this was the death of Captain Josling and Commander Wilmot of “Euryalus” from a roundshot fired from fort No.7 [of Kagoshima, Satsuma]. Unwittingly she had been steered between the fort and a target at which the Japanese gunners were in the habit of practising, and they had her range to a nicety. A 10-inch shell exploded on her main-deck about the same time, killing seven men and wounding an officer, and altogether the gallant ship had got into a hot corner; under the fire of 37 guns at once from 10-inch down to 18 pounders. (Satow)

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1 神州の清潔に対する脅威

 牧歌的運動会のグダグダもまた楽し(「A Spirit of St. Louishttp://donttreadonme.blog.jp/archives/1078569029.html)などと思ってしまう筆者は,やはり不謹慎・不真面目な人間なのでしょうか。安政五年,その年六月からのコレラ大流行を予見し給うてのことか(しかし,当該流行による江戸での死者は結局3万余人にすぎなかったそうですから(『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年)12頁),今般の新型コロナウイルス感染症が撒き散らしつつある空前絶後の兇悪に比べれば,大したことはありませんよね。),日米修好通商条約締結につきついに勅許を下し給うことのなかった孝明天皇の(かしこ)き御潔癖の如く(しかし,叡意を(なみ)する井伊直弼政権によって,1858729日,同条約及び貿易章程が調印されてしまっています。),多数の外国人らの渡来から我が神州の清潔を守るべく,日本のジャーナリズムの良心たる朝日新聞社の2021526日付け社説を始めとして,今年(2021年)夏の東京オリンピック開催を決然中止すべしとの声が現在澎湃として全国から沸き起こっています。(上記朝日新聞社社説によれば,「無観客にしたとしても,ボランティアを含めると十数万規模の人間が集まり,活動し,終わればそれぞれの国や地元に戻る。世界からウイルスが入りこみ,また各地に散っていく可能性は拭えない。/IOCや組織委員会は「検査と隔離」で対応するといい,この方式で多くの国際大会が開かれてきた実績を強調する。しかし五輪は規模がまるで違う。/選手や競技役員らの行動は,おおむねコントロールできるかもしれない。だが,それ以外の人たちについては自制に頼らざるを得ない部分が多い。」したがって「「賭け」は許されない」ということです。しかし,日本人特有の生真面目さをもってするマスク着用と手の消毒と外飲み禁止とによって新型コロナウイルスに対する我々の守りは既に鉄壁であったはずなのに,なぜ,数は多いといっても選手村等に隔離されて現地一般住民たる我々とはさほど接触は無いであろう外国人らの渡来を今更恐れなければならないのでしょうか。当局者が頑張れば,彼らを「おおむねコントロール」できるのでしょう。マスク着用も手の消毒も外飲み禁止も,実は単なる気休めで,何の効果もなかったのだよ,ということでしょうか。そういうことではないでしょうし,我が従順な日本の民草の「自制」には,安心して頼ることができるはずです(「自制」の軛を打ち破る叛逆の野性が超高齢化段階に達した我が民族にもまだあることが発見されれば,それはそれで結構なことです。それとも実は,現在の日本は,良識ある朝日新聞関係者を除く全国民(特に若者)が暴徒と化しており,全く「自制」せずにヒャッハーと新型コロナウイルスを放出撒布しつつある無法の巷状態にある,というのが正しい認識なのでしょうか。)。それに,大学での対面授業を禁じつつ学徒を大量動員し,ボランティアとしてオリンピックに献身奉仕させるということももう流行らないでしょう。であれば,選手村で兇悪な新型コロナウイルスに感染した選手らが帰国する先の諸外国にかかる迷惑が心配なのでしょうか。しかし,その心配は当該外国がすればよいことであって,心配ならば自国民のオリンピック参加をあらかじめ禁じ,又は対応可能な規模に参加者数を制限した上で帰国時に厳格な隔離・検査を行なえばよいだけのことのように思われます。とはいえ,そういう自存自衛のための配慮のできる国ないしは人は少ないのでしょう。やはり我々日本国民は,八紘一宇の精神をもって世界人類の幸福を考えなければなりません。)

 これに対して,しかし日本側が勝手にオリンピック開催を中止したら国際オリンピック委員会(IOC)に対して巨額の損害賠償金を支払わなければならないんじゃない,と懸念する声もあります。生麦事件等で多額の賠償金を支払わされたりなどした我が近代史上の対西洋列強トラウマは,なお根深いものがあるのでしょうか。懸念の声が上がるのはもっともです。しかし,懸念する良識の誇示ばかりで,具体的な事実関係は今一つはっきりしません。

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生麦事件碑(神奈川県横浜市鶴見区)

 

2 スイス民法・債務法

 この点,筆者は,良識的苦悩の思弁以前に具体的取材活動を元気に敢行する東京スポーツを極めて高く評価するところです。東スポWeb2021519日に掲載された「「東京五輪中止なら多額の賠償金」は本当? 判断基準スイス法の専門家は意外な見解」記事に,次のようにあったところです。

 

実は,開催都市契約の87条には「本契約はスイス法に準拠する」と明記されており,IOCのお膝元でもあるスイスの法律に答えが隠されているのだ。そこでスイス法に詳しい奧野総合法律事務所・外国法共同事業スイス連邦法弁護士のミハエル・ムロチェク氏を直撃した。

まず,同氏はスイス(ママ)法第971項「義務を全く履行しなかった債務者は,自分に過失がないことを証明できない限り,損害を賠償しなければならない」を示した。原則としては支払い義務を負うようだ。その一方で同氏は第1191項「債務者に帰責事由(落ち度)がない状況により履行が不可能になった場合,履行義務が消滅したとみなされる」を掲げる。つまり不可抗力の場合は支払いが免除されるのだ。

 

 つまり,専ら日本側によって東京オリンピック開催の中止がされた場合におけるIOC損害賠償請求は,開催都市契約を発生原因とする日本側の債務の不履行に対する損害賠償請求としてされるものであるわけです。我が民法(明治29年法律第89号)4151項には「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは,債権者は,これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし,その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは,この限りでない。」とあるところです。スイス債務法(Code des Obligations; Obligationenrecht971項のフランス語文は「Lorsque le créancier ne peut obtenir l’exécution de l’obligation ou ne peut l’obtenir qu’imparfaitement, le débiteur est tenu de réparer le dommage en résultant, à moins qu’il ne prouve qu’aucune faute ne lui est imputable.」,ドイツ語文は「Kann die Erfüllung der Verbindlichkeit überhaupt nicht oder nicht gehörig bewirkt werden, so hat der Schuldner für den daraus entstehenden Schaden Ersatz zu leisten, sofern er nicht beweist, dass ihm keinerlei Verschulden zur Last falle.」です。拙訳は,フランス語文については「債権者が債務の履行を受けることができないとき又は不完全にしか受けることができないときは,債務者は,その責めに帰すべき過失(faute)がないことを証明しない限り,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」,ドイツ語文については「義務の履行がおよそされ得ないとき又は適切に(gehörig)され得ないときは,債務者は,帰責事由(Verschulden)がないことを証明しない限り,これによって生じた損害を賠償しなければならない。」です。

 スイス法といっても我が民法と似たようなものであるなぁ,という感想を持たれませんでしょうか。スイス民法及び同債務法について,我妻榮は次のように紹介しています。

 

  〔略〕欧洲大陸では,第18世紀末から第19世紀の初めにかけて,国家の中央権力の強大と自然法論の隆盛とによって,民法典編纂の気運が大いに勃興し,大民法典があいついで編纂された,そして,その産物のうち,1804年のフランスの「ナポレオン法典」(以後フ民何条として引用する)は,今日なお効力を有し,その後第19世紀の末尾1896年に編纂されたドイツ民法典(以後ド民何条として引用する)及び第20世紀初頭1907年のスイス民法典(以後ス民何条として引用する)(債権法については1911年のスイス債務法(以後ス債何条として引用する))とともに,今日における代表的な大民法典である。

   これらの民法典の法思想史上における地位を一言すれば,フランス民法典は,第18世紀の個人主義的法思想の結晶であるが,ドイツ民法典は,第19世紀の総決算として,個人主義思想の爛熟を示すものということができるであろう。そして,日本民法もまたこれらとその思想と同じくし,むしろ後者に近い。これに対し,第20世紀初頭のスイス民法典は,フランス,日本,ドイツの3民法典に比すれば,個人主義思想のうちに社会本位の思想の萌芽が現れてくることを示すものである。本書においては,必要に応じてこれらの法典を引用する。

  (我妻榮『新訂 民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1972年)7-8頁)

 

要は,スイス民法・債務法は,フランス民法及びドイツ民法と共に,日本民法の仲間なのです。フランス語及びドイツ語併用という点では,スイス民法学は,フランス法及びドイツ法学の影響を共に受けた我が国の民法学とあるいはよく似た情況にあるともいい得ましょうか。いずれにせよ,我妻榮の引用を通じて,その影響は何らかの形で日本の法律家に既に及んでいるはずです。外国法だ大変だ,と無暗矢鱈と緊張する必要はないでしょう。

 

3 スイス債務法1191項と我が債務転形論と

スイス債務法1191項の法文はフランス語文で「L’obligation s’éteint lorsque l’exécution en devient impossible par suite de circonstances non imputables au débiteur.」,ドイツ語文で「Soweit durch Umstände, die der Schuldner nicht zu verantworten hat, seine Leistung unmöglich geworden ist, gilt die Forderung als erloschen.」です。拙訳は,フランス語文について「債務は,債務者の責めに帰することのできない事情によってその履行が不能になったときは,消滅する。」,ドイツ語文について「債務者が責めを負わなくてよい事情によってその債務の履行が不可能になったときは,当該債権は消滅したものとする。」です。平成29年法律第44号によって挿入された我が民法412条の21項には「債務の履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして不能であるときは,債権者は,その債務の履行を請求することができない。」とあります。従来は,「履行不能(〇〇〇〇)ノ如キ当然言フヲ俟タサル〔債権の〕消滅原因アリ新民法〔明治29年法律第89号〕ニ於テハ之ニ付テ別段ノ規定ヲ設クルノ必要ナシト認メタリ但此事ヲ前(ママ)シタル第415条,第534条乃至第536条等ノ規定アルヲ以テ自ラ明カナル所ナリ」とされていたところです(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編(第33版)』(法政大学=有斐閣書房・1912年)231頁)。

ところで,日本民法412条の21項には,債務者の責めに帰すべき事由によって履行不能となった場合も含まれます。これに対してスイス債務法1191項においては,債務者の責めに帰すべき事情によって履行不能となったときは,なお債務が存続するものとされています。この点,両者間にはアルプスの峻峰の如く越えがたい相違があるようにも見えます。しかしながら,我が民法415条に関して,従来,「債務不履行による損害賠償請求権は,本来の債権の拡張(遅延賠償の場合)または内容の変更(塡補賠償の場合)であって,本来の債務と同一性を有する。」と解されていたところです(我妻榮『新訂 債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)101頁)。この考え方(債務転形論)は,スイス債務法1191項と親和的です(同項は,債務者の責めに帰すべき事情によって債務の履行が不能になった場合には当該債務は損害賠償債務に転形されて存続するという意味である,というのが我妻榮的な読み方なのでしょう。)。ただし,この点については,平成29年法律第44号による改正によって,(非スイス的に,ということになるのでしょうか,)債務転形論は否定されたとされています(内田貴『民法Ⅲ(第4版)債権総論・担保物権』(東京大学出版会・2020年)146頁。「塡補賠償請求権が,本来の債務の履行を請求する権利と併存し,選択的に行使できる救済手段であることが明らか」になっているところです(民法41522号及び3号後段参照)。)。

 

4 開催都市契約87条:準拠法選択・仲裁合意

IOC並びに東京都,公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)及び公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(東京オリンピック組織委員会)の4者を当事者とする(日本国は当事者ではありません。)東京オリンピックの開催都市契約87条は,次のように規定しています(東京都オリンピック・パラリンピック準備局のウェブページに掲載されている日本語訳)。

 

  本契約はスイス法に準拠する。その有効性,解釈または実施に関するいかなる争議も,スイスまたは開催国における通常の裁判所を排除して,仲裁によって最終的に判断され,スポーツ仲裁裁判所のスポーツ仲裁規則に従いスポーツ仲裁裁判所によって決定される。仲裁はスイスのヴォー州ローザンヌで行われる。スポーツ仲裁裁判所が何らかの理由でその権限を否定する場合,争議はスイスのローザンヌにある通常裁判所で最終的に判断されるものとする。〔以下略〕

 

 開催都市契約の当事者間における当該契約に関する紛争は,スポーツ仲裁規則に従って,スイスのローザンヌを仲裁地とする仲裁廷によって解決されるわけです。東京都,JOC又は東京オリンピック組織委員会に対する損害賠償請求権をIOCに認める仲裁判断が出た場合,それに基づく民事執行をIOCが我が国内でしようとするときには,仲裁法(平成15年法律第138号)46条の執行決定を(大方の場合)東京地方裁判所(同条4項,同法513号)から得なければなりません(同法451項,民事執行法(昭和54年法律第4号)226号の2)。スイス法に基づく仲裁判断であれば,我が国の公の秩序又は善良の風俗に反するもの(仲裁法4529号)として我が国の地方裁判所によって却下されること(同法468項)は,まあないのでしょう。なお,IOCは,我が国では外国法人として認許されませんが(民法351項。澤木敬郎=道垣内正人『国際私法入門(第8版)』(有斐閣・2018年)164頁),執行決定の申立て及び民事執行の申立ては可能です(仲裁法10条・民事執行法20条,民事訴訟法(平成8年法律第109号)29条)。

 

5 スイス債務法における損害賠償の範囲及び損害額の認定

 債務不履行による損害賠償の範囲については,我が民法はその第416条において規定しており,これは英国の判例法を継受したものです(「「直接損害」の謎に迫る」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1068320185.html)。これに対して,大陸法の正嫡ならむスイス債務法の規定はどうかといえば,その第99条に次のようにあります。

 フランス語文。

 

En général, le débiteur répond de toute faute.

Cette responsabilité est plus ou moins étendue selon la nature particulière de l’affaire; elle s’apprécie notamment avec moins de rigueur lorsque l’affaire n’est pas destinée à procurer un avantage au débiteur.

Les règles relatives à la responsabilité dérivant d’actes illicites s’appliquent par analogie aux effets de la faute contractuelle.

  (一般的に,債務者は,全ての過失(faute)について責任を負う。

  (当該責任の範囲は,事件の特性に応じて伸縮する。特に,債務者が特典を得るためのものに係るものでない事件の場合においては,それは,厳格性を減じて評定される。

  (不法行為から生ずる責任に関する規定が,契約に係る過失の効果について準用される。)

 

 ドイツ語文。

 

   Der Schuldner haftet im Allgemeinen für jedes Verschulden.

Das Mass der Haftung richtet sich nach der besonderen Natur des Geschäftes und wird insbesondere milder beurteilt, wenn das Geschäft für den Schuldner keinerlei Vorteil bezweckt.

Im übrigen finden die Bestimmungen über das Mass der Haftung bei unerlaubten Handlungen auf das vertragswidrige Verhalten entsprechende Anwendung.

  (債務者は,一般的に,全ての帰責事由(Verschulden)について責任を負う。

  (責任の量(Mass)は,行為の特性に従って評定され,かつ,行為が債務者にとっての利益(Vorteil)を目的とするものでないときは,特に,よりゆるやかに判断される。

  (その他不法行為における責任の量に関する規定が,契約違反行為について準用される。)

 

「不法行為から生ずる責任に関する規定」ないし「不法行為における責任の量に関する規定」とは,スイス債務法42条及び43条がそうでしょうか。

スイス債務法421項及び2項は,次のとおり(同条3項は省略)。

フランス語文。

 

La preuve du dommage incombe au demandeur.

Lorsque le montant exact du dommage ne peut être établi, le juge le détermine équitablement en considération du cours ordinaire des choses et des mesures prises par la partie lésée.

  (損害の立証責任は,原告に属する。

  (損害の正確な総額が立証できないときは,裁判官が,事物の通常の成り行き及び被害者によってとられた処置を考慮して,衡平をもって(équitablement)当該額を定める。)

 

 ドイツ語文。

 

   Wer Schadenersatz beansprucht, hat den Schaden zu beweisen.

Der nicht ziffernmässig nachweisbare Schaden ist nach Ermessen des Richters mit Rücksicht auf den gewöhnlichen Lauf der Dinge und auf die vom Geschädigten getroffenen Massnahmen abzuschätzen.

  (損害賠償を請求する者は,損害を証明しなければならない。

  (数額を明らかにできない損害は,事物の通常の成り行き及び被害者によってとられた処置を考慮し,裁判官の裁量(Ermessen)によって評定される。)

 

 スイス債務法431項は,次のとおり(同条2項及び3項は省略)。

 フランス語文。

 

   Le juge détermine le mode ainsi que l’étendue de la réparation, d’après les circonstances et la gravité de la faute.

  (損害賠償の方法及び範囲(l’étendue)は,過失(faute)に係る事情及び重さに応じて,裁判官が定める。)

 

 ドイツ語文。

 

   Art und Grösse des Ersatzes für den eingetretenen Schaden bestimmt der Richter, der hiebei sowohl die Umstände als die Grösse des Verschuldens zu würdigen hat.

  (生じた損害に係る賠償の方法及び大きさ(Grösse)は,裁判官が定める。この場合において,当該裁判官は,帰責事由(Verschulden)に係る事情及び大きさを衡量しなければならない。)

 

スイス債務法422項は,我が民事訴訟法248条(「損害が生じたことが認められる場合において,損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときは,裁判所は,口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき,相当な損害額を認定することができる。」)を想起せしめます。前者は,後者の適用において参考となるというべきでしょうか。

スイス債務法431項は,損害賠償の範囲ないしは大きさ(l’étendue de la réparation Grösse des Ersatzes)について,我が国でいうところの相当因果関係に係る相当性の内実を示唆するものでしょうか。過失ないしは帰責事由の事情及び重さ(les circonstances et la gravité de la faute; sowohl die Umstände als die Grösse des Verschuldens)を考慮すべき要件としていますから,いわゆる義務射程=保護範囲説に親和的であるようです。

東京オリンピック開催を自ら中止してしまった場合,東京都,JOC又は東京オリンピック組織委員会としては,まず,「その責めに帰すべき過失がないことを証明」すべく頑張るわけですが(スイス債務法971項。なお,仲裁地たるローザンヌはフランス語圏内ですので,以下スイス債務法の紹介はフランス語文に拠ります。),当該立証がうまくいかなかったときは,損害賠償額の減額を狙って,「いやいや,オリンピックはそもそも非営利目的の催しのはずですし,我々も金儲けのためにやっていたわけではありません。」と主張するものか(同法992項参照),あるいは「良識あり,かつ,年齢を重ねて命(自己のものを含む。)をいとおしむようになった,知的容姿のwoke的端麗を好む日本国民の間に絶大な影響力を有する天下の大朝日新聞に「やめろ!」と言われてしまった,という深刻な事情を酌んでくださいよぉ。」と泣きを入れるものか(同条3項によって準用される同法431項参照)。

 

後編に続く(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078653594.html

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1 令和3年5月の思索:新型コロナウイルス感染症問題猖獗,ナポレオン歿後200周年及び東京オリンピック問題

 令和の御代(みよ)になってからの日本の4月は,光輝く新学年・新学期を迎えての若さ(みなぎ)放埓(ほうらつ)の季節というよりは,新型コロナウイルス感染症なる空前の業病(ごうびょう)(はら)うべく連年発せらるるところの「緊急事態宣言」を各自粛然として拳々(けんけん)服膺(ふくよう)し,「世界」に遅れぬ高い意識に導かれつつ,人と地球とに優しい深い思いやりの心をもって,「新しい生活様式」を真摯(しんし)かつ厳格に斎行するという気高い精神性に満ちた季節となりました。当該「様式」には,マスクを着用し,かつ,同時に食事もするというが(ごと)き高難度の(いん)(じゅ)的儀礼までもが含まれます。アルコール性飲料の提供は厳禁ですから,もちろんしらふです。同月末から5月初めにかけての連休の時期においても,忠良なる我が日本国民は,門扉を(ちぬ)る必要はありませんがマスクを着用して“STAY HOME”をしつつ,業病の(すぎ)()しを待こととなりました

 

  Transibit enim Dominus percutiens homines qui coronavira non metuunt;

    cumque viderit integumentum medicum in ore,

    transcendet eum et non sinet percussorem ingredi domum ejus et laedere.

(cf. Ex. 12, 23)

 

 とはいえ,自宅にこもってばかりいると辛気臭くなります。今(2021年)からちょうど200年前の182155日に南大西洋の孤島セント・ヘレナで死亡したナポレオン・ボナパルト幽囚の憂苦は,かくの如きものたりしか。つれづれのまま,セント・ヘレナ島には現在新型コロナウイルス感染症は伝播していないのかなとか,ラテン語の“virus”(単数主格)は当該語形(単数属格は“viri”)にもかかわらず男性名詞ではなく中性名詞であって,かつ,古代にはその複数形がなかったところ,兇悪の変異株が多々発生していて複数として表現したいときにはその複数主格・対格の形は“viri”となるのかそれとも“vira”となるのかというような細かいことで悩んだりします(後者のようです。)。セント・ヘレナ島についていえば,同島政府の2021414日付け“Coronavirus (COVID-19) IEG Update”というものを見るに“Management of the first positive cases of COVID-19”(「最初の新型コロナウイルス感染症陽性事例への対処」)という見出しの記事があるので,いよいよ同島にも新型コロナウイルスが上陸したのかと,ざわざわ思いつつ読んでみれば,その結語は,「セント・ヘレナのコミュニティに対するリスクは回避されました。セント・ヘレナは新型コロナウイルス感染症非汚染地のままです。」(“The risk to St Helena’s community was avoided and St Helena remains COVID-19 free.”)という平穏なものでした。ナポレオンは随分文句を言ったようですが,現在のセント・ヘレナは,何とも素晴らしい健康地であるようです。

今年の夏の東京オリンピックはどうなるのだろうかとも心配になります。海外からの観客は謝絶ということですから地元の日本人観客も締め出されての無観客開催は最悪の場合仕方がないとしても,来日できない海外の有名アスリートさまたちが大勢になって,日本人選手だらけの競技ばかりとなってしまってはカッコ悪いなぁ,盛り上がらないなぁ,などとの弱気の意見も出て来そうです。

 

  「わたしは,主に,スポーツイベントをテレビ局に買わせる仕事をやっていたんですが,それで,言いようのないコンプレックスが知らない内に溜まってしまったんです,最初は,アメリカン・フットボールにしてもテニスにしても陸上にしても,金で横つらを引っ叩いて,わが崇高なる日本民族の前で芸をさせてるんだからこんな愉快なことはないと自分に言い聞かせていたんですが,そのうち何だか自分達が昔のバカ殿になったような気がして・・・向こうのスポーツ選手はどうしようもなくきれいなんですよ,うまく言えないんですが,おわかりいただけますか?」(村上龍『愛と幻想のファシズム 下』(講談社・1987年)318頁)

 

 わが崇高なる日本民族の前で芸をすべき,どうしようもなくきれいな向こうのスポーツ選手がいなければ,横つらを引っ叩くつもりのオリンピック大予算も,裏を返せば後進世代に丸投げされる単なる大借金であったものかとの不穏な正体が我々の意識の中に浮かぶばかりとなりましょう。海外から御光臨の有名アスリートさまたちの欠けた,祝祭感無き地味な諸競技であっては,それらを見て,御機嫌のバカ殿となって「あいーん」とはしゃぐこともまた難しい。

これらの冴えない見通しを前にしてもやもやと鬱屈する感情の捌け口は,後期高齢者の方々等の尊い命を守らんとする気高い姿勢の道徳的高みから発せられる「コロナなのに不謹慎だっ!」との魂の叫びとなります。その場合においては,既に多々味噌がついていて迷走感グダグダ感のあるオリンピック東京大会の開催の中止ないしは延期の提案を凛然として申し立てるという角度を選択するのが,高い意識の様式美となるのでしょうか。我が()えある皇紀2600年の年に開催が予定されていた1940年オリンピック東京大会は,大陸における漢口作戦準備中の1938715日に,早々返上が決定されています。当時は(かしこ)くも,昭和天皇(おん)自ら真摯な自粛に努めておられところでした

 

1938712日〕 去月22日に〔池田成彬〕大蔵大臣より経済事情等に関する奏上を御聴取の後,ガソリンを始め種々の節約につき注意を払われ,御自身の御食事についても省略のことに及ばれる。これにつき,この日,侍従長百武三郎は,国家安危を軫念(しんねん)され率先して範を示されることは(おそ)れ多き限りであるものの,常時余りに局部的事項につき御軫念になることは玉体に影響し,重大な御政務に対する精力の集中が不十分となる(おそれ)もあり,また聖旨の影響は(やや)もすれば極端に走ることから,あるいは萎縮退嬰に陥り(かえっ)て成績が挙がらないこともあり,この重大な時局においては,各有司を信頼され,泰然とあらせられることが大切と考える旨を言上する。天皇は,侍従長の言上を御傾聴の上,御聴許になる。(宮内庁『昭和天皇実録 第七』(東京書籍・2016年)598頁)

 

大陸における「暴戻ぼうれい」を「ようちょう」する戦いに伴う困難は,(かしこ)き辺りも「泰然」とすることが許される程度のものだったようです。これに対して,現在我々が直面している大陸発の新型コロナウイルスに対する撲滅の戦いにおいては,「極端に走る」人民の「萎縮退嬰」ごときを小賢しく恐れて気を緩めることはおよそ許されません。

 

2 1904年のセント・ルイス・オリンピック

しかし,筆者は,今次オリンピック東京大会がそれに対照されるべき近代オリンピック夏季大会の前例は,中止された1916年(ベルリン),1940年(東京→ヘルシンキ)及び1944年(ロンドン)の各幻のオリンピックではなく,1904年に71日から1124日まで(国際オリンピック委員会系のhttps://olympics.com/による。日本オリンピック委員会の「オリンピックの歴史(2)」ウェブページでは「1123日」までとされています。A&E Television Networks社のhistory.comに掲載された記事(“8 Unusual Facts About the 1904 St. Louis Olympics”, August 29, 2014 (updated: August 30, 2018))においてEvan Andrews記者は,「後にされた見直し(a review)においては,1904年大会は公式には(officially71日から1123日まで続き,かつ,94のイベントからなるものであったと結論されることとなった。」と述べています。)の5箇月間近くをかけてだらだら,かつ,ばらばらと開催された第3回のセント・ルイス・オリンピックである,とここに強く主張したいところであります。(ただし,セント・ルイス大会の独自性(“Memorable? Absolutely.”「記憶に残る?全くそのとおり。」)を強調するAP通信社のDave Skretta記者は,「米国で開催された最初の夏季オリンピック大会は,それより前にヨーロッパであったものとはまるで違った相貌を呈していた。/あるいは,他の場所でこれからまた行われるものにも。」と述べてはいます(“St. Louis Olympics was really World’s Fair with some sports”, July 25, 2020)。)


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Pierre de Coubertin: “Je n’ai pas visité la cité de St. Louis en 1904.”

 

(1)参加国・地域の多寡心配無用

まず,参加国・地域数(「チーム」数)が少なくなっても気にすることはありません。

olympics.comによれば,夏季オリンピック大会の参加「チーム」数が200を超えたのは2004年のアテネ大会(第2次)からにすぎず(同大会で2012008年の北京及び2012年のロンドン(第3次)各大会はいずれも2042016年のリオ・デ・ジャネイロ大会で207),100を超えたのは1968年のメキシコ大会からで(同大会で1121972年のミュンヘン大会では1211984年のロサンゼルス大会(第2次)で1401988年のソウル大会で1591992年のバルセロナ大会で1691996年のアトランタ大会で1972000年のシドニー大会は199。なお,1976年のモントリオール大会及び1980年のモスクワ大会は,それぞれ92及び80であって,いずれも100に達していません。),そもそも最初の1896年アテネ大会は,14「チーム」(Juergen Wagner氏のhttps://olympic-museum.de/によれば,当該14「チーム」は,オーストラリア,オーストリア,ブルガリア,チリ,デンマーク,フランス,ドイツ,グレート・ブリテン及びアイルランド,ギリシア,ハンガリー,イタリア,スウェーデン,スイス並びに米国とされています。)及び選手総数241名で,簡素に始まったのでした。

しかして,史上最少参加「チーム」数を誇るのが,我らがセント・ルイス大会であって,その数はわずか12olympics.comによる。ただし,日本オリンピック委員会によれば「13カ国」。なお,上記Wagner氏は,オーストラリア,オーストリア,カナダ,キューバ,フランス,ドイツ,グレート・ブリテン,ギリシア,ハンガリー,イタリア,ノルウェー,ニューファウンドランド,南アフリカ,スイス及び米国の15か国から参加があったとしています。しかし,オーストラリア・オリンピック委員会(olympics.com.au)は,英国及びフランスからの参加はなかったものとしています。)。12であれば,1776年の夏にフィラデルフィアにおいて独立宣言にその代表が署名した北米の邦の数よりも少ない。

なお,セント・ルイス大会に何か国から参加があったのかの数字が1213又は15とグダグダになっているのは,「〔1908年に〕ロンドンで開催された第4回大会から,オリンピックへの参加が各国のオリンピック委員会を通して行われるようになりました。それまでは個人やチームで申し込めば参加できたのです。」ということであって(日本オリンピック委員会),換言すれば,それまでは「参加国数」などという概念は存在していなかったということゆえなのでしょう。脚力自慢・腕力自慢が勝手に集まって開かれる,飛び入り歓迎の運動会の如し。グダグダながらも,牧歌的でよいですね。牧歌的運動会といえばセント・ルイス・オリンピックでは綱引き競技も行われ,米国(ミルウォーキー,ニュー・ヨーク及びセント・ルイス2),ギリシア及び南アフリカから計6組が参加,ギリシア及び南アフリカは早々に脱落して,優勝は91日の決勝戦でニュー・ヨーク・アスレチック・クラブを破ったミルウォーキー・アスレチック・クラブ,2位及び3位は,ニュー・ヨーク組が順位決定戦に出てこなかったため,地元セント・ルイスの2組となっています(Andrews)。高校の物理によれば,綱引きは,要は摩擦力の増す体重の重い方が勝ちということでしたが,当時から米国には肥満者が多かったのでしょうか。


NY v. Milwaukee

New York Athletic Club v. Milwaukee Athletic Club   (Missouri History Museum)(過度の肥満者はいないようです。)


 ちなみに,olympics.comによれば,セント・ルイス大会及びアテネ大会(第1次)に次いで参加「チーム」数が少なかったのは,1908年ロンドン大会(第1次)の22,これもまだグダグダ時代の1900年パリ大会(第1次)の24及び大日本体育協会を通じた参加(東京帝国大学の三島弥彦及び東京高等師範学校の金栗四三)が我が国から初めてあった1912年ストックホルム大会の28ということになります。

 セント・ルイス大会における参加選手総数はolympics.comによれば651名ですが,前記Andrews記者は,当該数字を630名とした上で,そのうち523名が米国からの参加者であり(83パーセント),かつ,半数以上の競技が地元選手のみによって行われていたものと述べています(ただし,いまだ米国への帰化が認められていないヨーロッパからの移民も横着に米国選手として取り扱われていたようで,2012年に至ってもなおレスリングの優勝者2名について,ノルウェーは,同国の国民であるものと認められるべきだと国際オリンピック委員会に申し立てているそうです。)。カナダからの参加者は43名とされています(olympic.ca)。

 セント・ルイス大会への北米外からの参加が低調だった原因については,「ヨーロッパから離れたアメリカでの開催のため,〔1900年の〕パリ大会よりも出場選手数が減っています。」とされています(日本オリンピック委員会)。確かに,ミシガン湖に面した当初の開催予定地であるイリノイ州シカゴならばともかくも,更に内陸に位置するミズーリ州セント・ルイスは交通至って不便であったわけですが,これに加えて,当時戦われていた日露戦争の影響もあったことが挙げられています(Skretta)。やはり日本が悪いのです。


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Kanô Jigorô: “MCMXII anno domini Holmiae fui.”

 

(2)メダル寡占遠慮無用

オリンピックの金銀銅メダルの授与はセント・ルイス大会から始まりますが(olympics.com),遠慮も会釈も無い米国人は,金メダル97個中の76個と,その78パーセント強を図々しく確保しています(olympics.com“Medal Table”から筆者が数字を手ずから拾って電卓計算したもの)。ただし,ここの数字も実はグダグダで,Skretta記者はセント・ルイス大会の96個の金メダル中78個を米国勢が得たものとし,オーストラリア・オリンピック委員会は77個を米国が得たものとしています。また,同委員会によると,同大会におけるオリンピック競技と一般的に認められている91イベント中49は米国人のみが参加したものであったとされています。

この図々しい米国人が参加しなかったのが1980年のモスクワ大会です。当該大会において最も多く金メダルを確得したのは開催国であるソヴィエト社会主義共和国聯邦でありましたが,米国人らがいなかったにもかかわらず,その数及び比率は,全204個中の80個,39.2パーセントでありました。人類の理想社会を築くべきものたりし社会主義の力をもってしても,オリンピックでの全勝は難しい。

 今年の夏に東京でオリンピックが開催されるのであれば,我が日本選手団は,1904年の米国選手団の如く無慈悲無作法にメダルの荒稼ぎをすることになるものかどうか。当該荒稼ぎの結果,国際的非難ないしは揶揄を受けることになってしまわないかどうか。しかしこれは杞憂でしょう。20222月に開催される北京冬季オリンピック大会の成功必達を期する中華人民共和国オリンピック委員会としては,先陣の血祭りたるその前年の夏季大会には精鋭すぐって我が帝都に大選手団を派遣してくるでしょうから(確か,同国においては,新型コロナウイルス感染症は既に制圧済みとのことでした。),新型コロナウイルス感染症蔓延で腰砕けになった他の諸国からの有力選手の参加がたとえなくとも,我らの日本人選手らが,全体の8割,4割の金メダルをごっそり確保してウハウハということは,残念ながらあり得ないことでしょう。

 

(3)1年延期の気兼ね無用:ルイジアナ購入百周年博覧会に係る1年のずれ

 でも2021年の東京オリンピックは1年延期されてしまった結果であるけれども,1904年のセント・ルイス・オリンピックはそういう目に遭っていないからね,そこは違うよね,という意見もあるかもしれません。しかし,実はここにおいても両者間には共通性があるのです。

セント・ルイス・オリンピック自体は延期されてはいないとしても,当該大会がそれに併催されていたセント・ルイス万国博覧会(ルイジアナ購入百周年博覧会:Louisiana Purchase Exposition)は当初1903年開催の予定が,1年延期されていたのでした(u-s-history.comは,博覧会の規模が大き過ぎて延期を余儀なくされたものと説明しています。190228日付小村外相宛高平公使公信第19号においては「聞ク所ニ拠レバ本件博覧会ノ招待状発送方余リ遅カリシヲ以テ欧州諸国中露墺ノ如キハ出品準備ノ余日ナキヲ理由トシテ賛同ヲ謝絶シ他ノ諸国ヨリハ未タ確答無之」という状況が報告されています(加藤絵里子「セントルイス万国博覧会における日米関係~世紀転換期の日本の外交的意図に着目して~」お茶の水史学61号(20183月)11頁)。)。米国のトーマス・ジェファソン政権を買主としてフランス共和国のナポレオン・ボナパルト政権がルイジアナ(現在のルイジアナ州を含むが更にその北西方向に広がるミシシッピ川からロッキー山脈までに及ぶ広大な領域)を売却したのは1803年のことだったのです。

なお,セント・ルイスの博覧会とオリンピックとではどちらが親亀でどちらが子亀かといえば,博覧会が親亀です。既に準備が進んでいた博覧会と併せてオリンピックをも開催するために,セント・ルイス側は国際オリンピック委員会に圧力をかけて,シカゴからオリンピックの開催権を奪ったのでした。

 

(4)そもそものルイジアナ購入について

 

   1803411日,モンロー〔米国特使。後の第5代大統領〕がパリに到着する前に,フランス外相タレイランはリビングストン〔駐仏米国公使。独立宣言起草委員の一人〕を呼び出し,米国はルイジアナの購入に興味があるかと訊いた。同日,それより前にナポレオンは,彼の大蔵大臣であり,かつ,ジェファソンのフィラデルフィアにおける旧友であるバルベ=マルボワ〔フィラデルフィア駐在書記官のバルベ=マルボワの問いに答える形でジェファソンの『ヴァジニア覚え書』は書かれています。〕に対して,当該大領域(テリトリー)を売却する意思がある旨告げていた。は,サント・ドミンゴ〔ハイチ〕再征服計画を放棄しよう。英国との戦争再開が近いが,予は,ルイジアナは北方カナダからの英国の侵入に対して脆弱であるものと見ている,と。その余のことについては,バルべ=マルボワはわきまえていたナポレオンには金が必要なのだ。430日までにモンロー及びリビングストンは,1500万ドルでルイジアナを米国に譲渡する合意に頭文字署名した。フランス側〔バルべ=マルボワが交渉担当〕は2日後に署名した。(Willard Sterne Randall, Thomas Jefferson: a life. (HarperCollins, New York, NY,1994) pp.566-567

 

ナポレオンのいうサント・ドミンゴ(フランス語風には「サン・ドマング」)の再征服とは,名目的にはなおフランスの版図内にある同島におけるトゥッサン・ルーヴェルチュール率いる黒人自立政権を打倒する計画でした。当時の同島は,貴重な砂糖利権の中心でありました。ナポレオンの義弟であるルクレール将軍を長とした2万の軍勢が同島に派遣されていました。「ルクレール(ポリーヌの夫)を司令官にしてサン=ドマングに出兵する/うまくいけばルクレールも出世させ/俺も国家も潤う」と,第一統領閣下は皮算用をしたものか(長谷川哲也『ナポレオン―覇道進撃―第3巻』(少年画報社・2012年)182頁)。

 

1799年,ナポレオン・ボナパルトがフランスで政権を奪取し,フランス帝国の名で知られる瞠目の冒険を開始した。本質的にそれはヨーロッパの事件であったが,ナポレオンの野心には彼のエネルギー同様限界が無かったので,彼はその計画にアメリカをも加えるべく時間を割いた。彼の基本的考えは,スペインにルイジアナの返還を強いることによって〔ルイジアナは,ルイ14世にちなむその名が示すとおり元はフランス領でしたので「返還」ということになります。フレンチ=インディアン戦争(1754-1763年)の結果ルイ15世のフランスは北米から撤退することとし,ミシシッピ川以西のルイジアナは同盟国スペインに帰属することとなったものです。なお,ミシシッピ川以東のルイジアナは英国に帰した後,アメリカ独立戦争を終結させた1783年のパリ条約で米国領となっていました。〕,フランスを再び新世界の強国とすることであった。1800年,適切な恫喝的外交(bullying)が効を奏して,スペインはナポレオンの欲した合意に署名した。〔とはいえ,当時のスペイン国王カルロス4世の一族についての「すごい/こいつら全員馬鹿だ」との評価は,文字どおりの漫画的誇張なのでしょう(長谷川哲也『ナポレオン―覇道進撃―第9巻』(少年画報社・2015年)118頁)。〕ただし,実際の移譲は,ナポレオンが総督及び駐屯軍をニュー・オーリンズに置くことができるときまで延期されていた。〔当該実際の移譲は,18031130日のこととなりました(明石紀雄「ジェファソンと「ルイジアナ購入」」同志社アメリカ研究10号(19743月)15頁註(22))。〕

〔略〕メキシコ湾におけるフランスの作戦行動のためにはサン・ドマング島の基地の使用が必要であったが,同島の政治情勢に鑑みるに,それが可能であることをだれも確信することはできなかった。〔略〕

〔略〕

ルクレールは1802年の早期にサン・ドマング島に到着し,夏までに同島の状況をよくコントロールの下に置いた。トゥッサンは逮捕され,フランスに檻送され,翌年同地で死んだ。サン・ドマングの大部分はフランス軍によって占領された。〔略〕

〔略〕

〔略〕次いで彼〔ナポレオン〕はサン・ドマングからの報告を受け,考えを変えた。その年のうちに彼が同島に送った35千の兵員のうち,ルクレール将軍〔1802112日歿〕を含む3分の2が黄熱病のために斃死していた〔ナポレオンがルクレールの死を知ったのは,18031月初めとされています(明石7頁)。〕。フランスによる同地の支配を維持するためには同じような数の兵員をまた派遣しなければならないが,彼らがよりうまくやり,又はより長く生きるとの保証は無かった。更に悪いことには,フランスにとっての機会の扉が閉ざされつつあることが明らかであった。英国は,ナポレオンによるヨーロッパ秩序に再び挑戦する準備をしており,フランスの海運にとって,遠からず海が安全なものとはならなくなる成り行きであった。この情勢下にあって,彼がサン・ドマングを保持し得るということは難しかった。ルイジアナについてはいわずもがなである

Colin McEvedy, The Penguin Atlas of North American History to 1870. (Penguin Books, 1988) p.68)。

 

仏英間のアミアンの和約(1802327日締結)による平和は,18035月までしか続きませんでした。

ボナパルト第一統領がもはや執着しなくなったサン・ドマングにおいては,「世の人の熟く知れる如く,1803年に将官デツサリンが三万の黒人を率ゐてポオル,トオ,プレンスを襲ひしをり,島に住みたる白人といふ白人は悉く興りてこれに抗せんとしき。宜なり,今此島にて仏人の手に残りたるは此一握の土のみにて,これをしも失はん日には白人は夷滅を免かれがたかるべければ。」というような状況となりました(ハインリッヒ・フォン・クライスト『悪因縁』(森鷗外訳『鷗外選集第16巻 翻訳小説一』(岩波書店・1980年)105頁)。「夷滅」とは,一族を皆殺しにすることです。)。その際,「家は大路のほとりに在りて,白人雑種などの余所に奔らむとするが立寄りて,食を乞ひ,宿を求めなどするを,おのれが帰りこむまでは欺きて停めおかせ,帰りて直ちに殺すを常と」していた(クライスト105頁)「おそろしき老黒奴」コンゴ・ホアンゴ(ゴールド・コースト出身のアフリカ人であって,サン・ドマングで「黒人の一揆起りしをり」,それまでに「自由なる身」としてくれ「隠居料あまた取らせ,猶飽かでや,遺言して若干の産を与へむ」とまで言ってくれていた「主人が頭を撃ちぬきて,主人の妻が三たりの子を伴ひて難を避けたりし家に火をかけ,ポオル,トオ,プレンスに住める遺族の手に落つべき開墾地を思ふまゝにあらし,この領内に立たる家をなごりなく打毀ち,相識りたる黒人をつどへて武器をとらせ,これを率ゐて近郷に横行し,黒人方の軍を援けき。」という所業の者)の不在宅に,同人の「妾のやう」なる「あひの子バベガン」(同104頁)に正に欺かれて停めおかれていたPort-au-Princeへ向かう途上のスイス人・グスタアフ・フオン・デル・リイドは,バベガンとフランス商人との間に生まれた娘である15歳のトオニイ・ベルトランに対し,首尾よく共に一夜を過ごした仲(同118頁)となったにもかかわらず,種々悶着のあった後,「歯ぎしりしてトオニイに向ひ,火蓋を切て放しつ。/弾丸はトオニイが胸のたゞ中を打貫きたり。/〔略〕手に持ちし短銃を少女が体に投げつけ,よろめきながら足を挙げてしたゝかに蹴り,一声この淫婦と叫」ぶ(同133-134頁)という無残無慈悲な行為をなし,更には「短銃もてわれと我脳を撃ちぬいたり。再度の変に驚慌てたる人々,いまは少女が屍を打棄てゝ,グスタアフを救はむとしたれど,憫むべし,頭蓋は微塵に砕けて,短銃の火口を我口にあてしことなれば,血にまみれたる骨の片々は,かなた,こなたの壁に飛びかゝりて,そがまゝにつき居たり。」(同136頁)というグダグダ情態を惹起しています。無論,サン・ドマングの白人残存勢力は,ほどなく英雄デサリーヌに打ち破られます。フオン・デル・リイドの親戚「一族英吉利ぶねに便乗して,ふる里なる瑞西にかへり,残り僅かばかりの金にてリギのあたりに地を買ひて住みぬ。」ということにはなりました(クライスト137頁)。デサリーヌは,大西洋の彼方でナポレオンがフランス皇帝となった1804年(5月18日即位ですが,ダヴィッドの絵で有名な戴冠式は同年122日のこととなりました。),こちらはハイチ皇帝となっています(108日戴冠)。

ハイチ北方の米国は,なお1803年の秋です。

 

   彼〔ジェファソン〕が第8議会を18031017日に召集した際,彼はルイジアナ購入を求めたが,憲法問題には言及しなかった。同日上院に提出された当該条約は,わずか3日後に批准された。〔18031020日の上院における表決結果は賛成24名,反対7名であり,批准書の交換は同月21日であったそうです(明石3頁)。〕

   1220日にニュー・オーリンズにおける儀式をもってフランスが米国に対して正式にルイジアナを移譲した際ジェファソンは,議会演説において,「自由の帝国(the empire of liberty)」の領土並びに「我々の子孫に対するその豊富な供給物及び自由の恵沢のための広大な領域」の倍増を祝った。これらの自由については,奴隷制が繁栄することができる領土を倍僧する自由を有する白人に対してのみ及ぶものであることには疑いはなかった。1804年にコネティカットの一上院議員が,奴隷制を禁ずるようにルイジアナ領土(テリトリー)の組織を行う修正案を提出した。18031021日から1804320日まで,米国議会はルイジアナ領土の統治に必要な規定及び規則を審議していました(明石3頁)。〕ジェファソン及び〔民主〕共和党員は当該提案を支持せず,代わりに,外国からの奴隷の輸入を禁ずるというはるかに生ぬるい施策を採用した。(Randall, p.567

 

(5)下品な偏見と高い意識と

 1904年のセント・ルイス・オリンピックはまた,あからさまに人種差別的とされる2日間の「人類学の日(Anthropology Days)」の見世物によって悪名が高いところです。博覧会の「人間動物園(human zoo)」展示に参加していたアイヌ,パタゴニア人,ピグミー,イゴロト族(フィリピン),スー族等が,お金をあげるからと言われて,走り幅跳び,弓術及び槍投げのほか,棒登り,泥投げ勝負等をさせられています。参加者は碌に競技指導を受けておらず,出来栄えは惨めなものだったようで,当該見世物の主催者であるジェイムズ・サリヴァンは「未開人たちは,運動競技能力の観点からすると,過大評価されていたものである」と得々として語ったものと伝えられています。(Andrews

下品だったようですね。

翻って2021年の今次オリンピック東京大会に向けては,差別問題は,差別的意識の抱懐が少しでも疑われた段階で既に当該被疑者が直ちに社会的に抹殺されてしまうという,高い意識に基づいた極めて厳格な取扱いを受けつつあります。あらわれとしては一方は偏見の不当な放置,他方は厳格な是正,と逆方向になっていますが,差別問題が問題になるという点で,やはり両大会は,宿命として密な関係を有しているものといえましょう。

なお,日本は,セント・ルイス・オリンピックには参加していなくとも,博覧会には「1900年のパリ万博に次ぐ80万円の経費を計上して参加」していました(宮武公夫「人類学とオリンピック―アイヌと1904年セントルイス・オリンピック大会―」北大文学研究科紀要108号(200212月)3頁)。しかして,「人類学の日」の開催日は812日及び同月13日で(宮武5頁),18種類の競技が行われたところ(宮武7頁),日本から来ていた,クトロゲ,ゴロ,オオサワ及びサンゲアの4名のアイヌ男性が(宮武6頁),16ポンド投げ,幅跳び,野球投げ,槍投げ及びアーチェリーの5種目に参加していました(宮武8頁)。そこで,彼らこそ「最初にオリンピックに参加した「日本人」と考えるのが妥当ではないだろうか」と主張されています(宮武17頁)。「20世紀初頭のオリンピックは,帝国主義と植民地主義を支えた人種理論に彩られていたとはいえ,多くの人々を一つの世界規模でのスペクタクルの中に包摂するだけの,規模の大きさと異種混合を許すだけの普遍主義的な受容性を持っていた」ところです(宮武19頁)。

ゴロこと辺泥(ぺて)五郎生涯については家族による興味深い講演記録あります近森アイヌ文化祖父・辺五郎足跡たどってhttps://www.ff-ainu.or.jp/about/files/sem2007.pdf)。


(6)東京=セント・ルイス=武漢

 なお,最後に付け加えれば,セント・ルイス市は,同市でオリンピックが開催された年から100年後の2004年の927日以来,中華人民共和国湖北省武漢市と国際友好交流城市関係にあります。後者は,現在流行の新型コロナウイルス感染症とは浅からぬ因縁のあるかの都市です(世界的なlockdownの流行は,「武漢封城」に触発されたchinoiserieでしょう。1938年の我が漢口作戦の漢口は,現在の武漢市の一部です。)。ただし,国際友好交流城市関係は友好城市(姉妹都市)関係とは違うもののようです。しかし,セント・ルイス側は,余り頓着せずに,両市はsister citiesであるものと観念しているようです。Budweiser Beerの工場が,武漢にもあるそうです。Sisters in Budsuitですね。

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1 「世界が東京に押し寄せる!」2020年を前に

早や令和も第2年になろうとしています。令和2年夏には,札幌と東京とで夏季オリンピック競技会が開催されます。

夏季オリンピックの華にしてクライマックスたるマラソン競技が開催される札幌においては,準備が順調に進んでいることでしょう。とはいえ札幌市民が沿道で応援しようにも,暑さ対策ということで,競技開始時刻は朝早いようです。これは,実は米国の放送事業者の御都合により同国東海岸時間に合わさせられてしまうものだとも言われているようですが,150年前開基の札幌の創成期においては米国出身の同市関係者も多かったところですから,米国人のわがまま云々などとひがんだりせずに札幌市民はおおらかに対応するのでしょう。

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Horace Capron from Massachusetts(札幌市中央区大通公園)


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William S. Clark from Massachusetts(札幌市北区北海道大学構内)

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Edwin Dun from Ohio(札幌市南区真駒内)

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A Benson Bubbler from Portland, Oregon (札幌市中央区大通公園)

 他方,東京都においては,同都の都庁の「2020年夏/世界が東京に押し寄せる!」との警告ポスターが地下鉄駅構内(特に都営地下鉄のもの)などに貼ってあるのを見て,筆者はぎょっとしたものです。「これは・・・Aux armes, citoyens! In the coming summer of 2020, alien nations will swarm out of far corners of the world into Tokyo!”という呼びかけかいな。いかがなものかな。しかし,これから押し寄せてくるという人たちは,既に適法に居住しているところの本邦外出身者(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年法律第68号)2条参照)ではないから,本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律的にはいいのかな。しかし,東京都のお役人たちはオリンピックで外国から人が大勢集まってしまうことに迷惑を感じてしまっているのかな。しかし,そんなに迷惑ならば,そもそも,高い都民税を使って余計なオリンピックなどわざわざしなければよいのに。」というわけです。

とはいえ,外国人が押し寄せる押し寄せる大変だ大変だといっても,狼少年的な杞憂に終わることもあるようです。出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号)を改正する平成30年法律第102号の成立・施行によって「一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人材を幅広く受け入れていく仕組み」たる特定技能外国人の在留資格制度が20194月から鳴り物入りで始まりましたが(「ウァレンス政権の入国在留管理政策に関して」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1072912488.html)参照),法務省のウェブ・ページ(http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri07_00215.html)を見ると,同年9月末における特定技能1号資格による在留外国人はわずか219人しかいないそうです。日本は日本人自身がうぬぼれているほど人気のある豊かで上品な国ではもはやないのではないのか,という反省も,もしかしたら無用ではないものでしょう。

 

2 対女性交際における日本人男子とドイツ人男子との違い

ところで我が国の品ないしは品格の有無をいいだすと,そもそも日本人男子は国際的に見てお下劣だ,ということで従来からよくお叱りを受けてきたところです。それに引き比べると西洋人男子は上級だよね,ということになるようです。

 

   〔前略〕欧洲人の同人種間良家の女に対する感情はこれを我国人に比すれば,甚だ高尚なるを見る。単に表面の観察を以てするも,中江篤介氏が一年有半に云へる如く,欧洲人は,我国人の如く,良家の女子の(おもて)を見て,心に婬褻の事を想ひ,口に卑猥の言を出すこと無し。進んで婚姻の事に至れば,良家の男女は,多少の日子を費して相交り相知り,愛情を生ずるに非では,礼を行はず。嘗て一士官の利害上より富家の(むすめ)を娶り,一年余の間同衾せず,後に愛情を表白して,同衾するに至れりと云ふ話説あり。此の如きは彼十字軍後の武士道に伴へる,女子を尊崇する遺風にして,一説にはMADONNA信仰より淵源すと云ふ。此思想より見るときは,我国の婚姻は殆ど強姦に近き者となる。(森林太郎「北清事件の一面の観察」(19011223日於小倉偕行社)『鷗外選集第13巻 評論・随筆三』(岩波書店・1979年)71頁)

 

 日本人妻に対する日本人夫は皆強姦犯のようなものだ,という比喩はすさまじい。

 兆民中江篤介の『一年有半』(19019月)には次の一節があります。

 

   わが邦男子,その少壮婦人に接する,(ただち)に肉慾晦事に想及す,故にこれと()話する往々男女の事に及ぶを常とす,良家夫人に対するもほとんど妓輩におけると異なるなし。而して人これを怪まず,即ち当話婦人もまたこれを以て非礼と為して(いか)ることなし。これ風俗の日々に崩壊して,而して令嬢令夫人の交際の高尚に赴かざる所以(ゆゑん)なり,これ(すみや)かに改むべし。(中江兆民『一年有半・続一年有半』(岩波文庫・1995年)66-67頁)

 

 芸妓輩が令嬢令夫人を男子との高尚な交際から疎外する機序については,これも『一年有半』において次のごとし。

 

   〔前略〕かつ彼輩その業たる,専ら杯酌に侍し宴興を(たす)くるにありて,而して(しん)(しん)の徒これを聘する者,初めより褻瀆を事として少も敬意を表するを要せず,良家の令嬢令夫人に接するに比すれば,(おのづか)(ほしいまま)にしていささかの慎謹を(もち)ゐざるが故に,自然に令嬢令夫人をして,男子との交際外に斥けられざるを得ざらしむ。わが邦婦女の交際の趣味を解せざるは,芸妓ありて男子の歓を(ほしいまま)にするがためなり。(中江48頁)

 

 であるからむしろ女の敵は女か,と言うのは男の側からのいわゆるセクハラ的無責任・身勝手発言ということになるのでしょう。いけません。

 しかしながら,西洋人男子といえども常にお上品な聖人君子であるわけではありません。北清事変(義和団事件)中19008月の八か国(日米英仏独墺伊露)連合軍による在北京列国公使館の解放に際して「各国の将兵,略奪・惨殺・焼毀などをつづける」と歴史年表にあります(『近代日本総合年表第四版』(岩波書店・2001年)165頁)。この「各国の将兵」の西洋人男子ら(特にドイツ兵が目立ったようです。)の悪魔的狂態を前にして,むしろお下劣では本家のはずの日本人男子の方が引いてしまっていたようです。鷗外森林太郎,解説していわく。

 

   〔北清事変におけるドイツ兵の〕所謂(いはゆる)敗徳汚行中,婦女を犯したるは其の主なる者の一なり。皮相の観察を以てすれば,強姦の悪業たるは,東西殊なることなし。これを敢てするものゝ彼我の多少は,直ちに比較して二者の道義心を(はか)るに堪へたるが如し。然れども実は此間,少くもの顧慮す()き条件あらん。

   今省略してこれを言はん。第一,欧米白皙(はくせき)人の黄色,黒色若くは褐色人に対する感情は,頗る冷酷にして,全く白皙人相互の感情と殊なり。これを我国人の支那人に対する感情に比すれば,其懸隔甚だ大なり。何を以て然るか。欧米人は自ら信じて,世界最上の人と為す。一の因なり。欧米人は,縦令(たとへ)悉く中心より基督教を信ずるに非ざるも,殆ど皆新旧約全書を挟んで小学校に往反したるものなり。此間父兄及教師は異教の民を蔑視する心を注入せり。二の因なり。猶此条件は次の者と相関聯す。第二,欧米人は賤業婦を蔑視すること我邦人に倍()し,随て其の婦女を虐遇する習慣には,我邦人の知るに及ばざる所の者あり。我邦人は藝娼妓にもてんと欲す。ほれられんと欲す。欧米人は賤業婦を貨物視し,これに暴力を加へて怪まず。此虐遇の習慣は,或は戦敗国の異色人種に対して発動することを免れざりしならん。第三,欧米軍人は洒脱磊落にして狭斜の豪遊を為し,又同僚相爾汝(じじよ)する間に於いて,公会に非ざる限は,汚瀆の事を談ずるを怪まず。婦女を虐遇したる事と雖,又忌むことなし。〔後略〕(森69-70頁)

 

 「彼我の多少」は,無論ドイツ兵が多く,日本兵については少なかったのです。そこで「直ちに比較して二者の道義心を(はか)」れば,実は日本人男子の方がドイツ人男子よりも高尚な道義心を有していたことになっていたところなのでした。(とはいえ,1942年に至ると昭和17年法律第35号(同年219日裁可,同月20日公布)によって我が陸軍刑法(明治41年法律第46号)の第9章の章名が「掠奪ノ罪」から「掠奪及強姦ノ罪」に改められるとともに,同法に第88条ノ2が加えられて「戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ1年以上ノ懲役ニ処ス/前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ3年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ懲役ニ処ス」と特に規定されるに至っています。これは,非親告罪(昭和17年法律第35号附則2項参照)であって,未遂も罰せられました(陸軍刑法89条)。(当時は,刑法177条の強姦罪(国民の国外犯も処罰(同法35号))の刑は2年以上の有期懲役で,かつ,同罪は親告罪であり(同法180条),また強姦致死傷罪の刑は無期又は3年以上の懲役でした(同法181条)。)盧溝橋事件から4年半たって,大陸の我が軍の軍紀は,残念ながら紊れていたのでしょう。)

 しかしながら,女性に「もてんと欲す。ほれられんと欲す。」の男子と,一部の女性を「貨物視し,これに暴力を加へて怪まず。」かつ「婦女を虐遇する習慣」を有する男子とは,妻から見た夫としてはどうでしょうか。前者の方が外の女性に余計なお金と時間とをついつい浪費してしまうのに対して,後者の方が冷酷な分なだけ余計な後腐れなく済むものでしょうか。女の敵は女,というような陳腐な感慨の繰り返しは,これまたいわゆるセクハラ的なものとして,許されません。


DSCF0765(Maibaum)

»Maibaum« aus München札幌市中央区大通公園
 

3 事後強盗をめぐる日独比較

 

(1)ヴェーデキントの「伯母殺し」

 

ア 詩と犯罪

 

(ア)詩

 狂暴なドイツ青年といえば,筆者はヴェーデキント(Frank Wedekind 1864-1918)のDer Tantenmörderを想起してしまうところです(生野幸吉=檜山哲彦編『ドイツ名詩選』(岩波文庫・1993年)174-177頁「伯母殺し」(檜山哲彦訳)参照)。

 

 Ich hab meine Tante geschlachtet,

    Meine Tante war alt und schwach;

    Ich hatte bei ihr übernachtet

    Und grub in den Kisten-Kasten nach.

 

    Da fand ich goldene Haufen,

    Fand auch an Papieren gar viel

    Und hörte die alte Tante schnaufen

    Ohne Mitleid und Zartgefühl.

 

    Was nutzt es, daß sie sich noch härme ----

    Nacht war es rings um mich her ----

    Ich stieß ihr den Dolch in die Därme,

    Die Tante schnaufte nicht mehr.

 

    Das Geld war schwer zu tragen,

    Viel schwerer die Tante noch.

    Ich faßte sie bebend am Kragen

    Und stieß sie ins tiefe Kellerloch. ----

 

    Ich hab meine Tante geschlachtet,

    Meine Tante war alt und schwach;

    Ihr aber, o Richter, ihr trachtet

    Meiner blühenden Jugend-Jugend nach.

 

(イ)殺人及び窃盗

 この青年,自分の伯母(叔母)(meine Tante)を,「そのはらわたにナイフを突き刺して(Ich stieß ihr den Dolch in die Därme)」「殺しちまった(Ich hab meine Tante geschlachtet)」(刑法(明治40年法律第45号)199条「人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」)のみならず,その前に同女の長持・箱類をあさった上で(Und grub in den Kisten-Kasten nach)「糞たくさんの金」及び多量の有価証券(Papiereを,筆者は法律家的偏屈でWertpapiereの略であろうと見て「有価証券」と訳します。檜山訳では「お(さつ)です。探し出してDa fand ich goldene Haufen, / Fand auch an Papieren gar viel),窃取していたところです(刑法235条「他人の財物を窃取した者は,窃盗の罪とし,10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」)

窃取というのは,「おばちゃんばばあが荒い息づかいをしているのが聞こえたけれど,同情とか思いやりなんざ感じなかった(Und hörte die alte Tante schnaufen / Ohne Mitleid und Zartgefühl.)」ということですから,伯母さんは呼吸に苦しみながらも眠っていたようだからですし(伯母さんが起きていて現認し,青年による金銭及び有価証券の取得に承諾を与えていたわけではないでしょう。),見つけただけではなくて領得までしたのであって,領得後の「金は運ぶのに重かった(Das Geld war schwer zu tragen)」との供述があるところです。

 

(ウ)死体遺棄

金銭よりもっと重い伯母の死体を震えながらも襟髪つかんで地下の穴蔵深くに放り込むという(Viel schwerer die Tante noch. / Ich faßte sie bebend am Kragen / Und stieß sie ins tiefe Kellerloch)死体遺棄の罪も犯しています(刑法190条「死体,遺骨,遺髪又は棺に納めてある物を損壊し,遺棄し,又は領得した者は,3年以下の懲役に処する。」)。「殺人犯人が死体を現場にそのまま放置する行為は,〔死体〕遺棄ではない」ところ,死体遺棄成立のためには死体を「犯跡を隠蔽しようとして移動したり,隠したりすることを要する」のですが(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)499頁),そこまでやってしまっています。なお,判例上,殺人罪と死体遺棄罪とは牽連犯(刑法541項「〔略〕犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは,その最も重い刑により処断する。」)となるものとはされていません。

 

(エ)住居侵入(保留)

伯母さん宅に泊まった(Ich hatte bei ihr übernachtet)その晩における,周囲はぐるりと夜(Nacht war es rings um mich her)の闇の中での犯行ですが,その夜に伯母さん宅に泊まり込んだことは窃盗ないしは殺人の目的をもってした伯母さんの住居への侵入であったとして住居侵入罪(刑法130条「正当な理由がないのに,人の住居若しくは人の看守する邸宅,建造物若しくは艦船に侵入し,又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は,3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」)の成立までを認めるべきかどうかは微妙です。最高裁判所大法廷の昭和24722日判決(刑集381363)は「強盗の意図を隠して「今晩は」と挨拶し,家人が「おはいり」と答えたのに応じて住居にはいつた場合には,外見上家人の承諾があつたように見えても,真実においてはその承諾を欠くものであることは,言うまでもないことである。されば,〔略〕住居侵入の事実を肯認することができるのである。」と判示してはいるのですが(なお,この判例の事案は,若い男の3人組(一人は18歳未満の少年だといいますから,皆若かったのでしょう。)のうち一人が1948131日の23時頃(夜遅いですね。)に香川県の現在の三豊市の農家(世帯主の名前からすると女所帯であったようです。また,海に近い開けたところ(横に人家があると被告人が供述しています。)であったようで,人里離れた山奥ではありません。)の表口で「今晩は今晩は」と連呼したところ,丁度その頃目が覚めていた長女(24歳)が当該今晩はと言う低い声を聞いたので「おはいり」と言ったのになかなか3人は這入って来ず,そこで同女が寝床の中から起き出して庭に出て表入口の雨戸を開けてあげて,また「おはいり」と言いつつ頭を下げ云々(「丁度その頃目が覚めていた」から「云々」までは,弁護人の引用した同女に係る司法警察官作成の関係人聴取書の記載によります。),それから3人組は当該家屋(の表の土間)に入って所携の匕首の鞘を払って同女に突き付けて脅迫した上で金品を強取しようとしたが家人に騒ぎ立てられたためその目的を遂げなかった,というものでした。被告人の供述によると,3人組は,お這入りなさいと言う同女にいて表口家屋内に這入ったうです。所帯真夜中ない招じ入ってしょうか。大胆。また,寝床の中にいたままで「おはいり」と言って,そのまま自分が寝床の中にいる状態で来客を迎えようということであったのならば,横着ですね。というどうも連想が飛びますが,我が国の古俗たる若衆制に関する次のような記述を筆者は思い出してしまったところです。いわく,「若衆たちはムラの祭礼を執行する一方,自分の集落むらの娘たちについては自分たちで彼女らを支配しているとおもっていた。一種の神聖意識というべき感覚で,他村の若衆がムラに忍んでくるのをゆるさなかった。/かれらは,夜中,気に入ったムラの娘の家の雨戸をあけ,ひそかに通じる。一人の娘に複数の若衆がかよってくる場合がしばしばあったが,もし彼女が妊娠した場合,娘の側に,父親はだれだと指名する権利があった。」と(司馬遼太郎「若衆制」『この国のかたち 一』(文藝春秋・1990年)195頁)。またいわく,「高度成長へと緩やかに時代が動きだしていた1957年の『米』は,『青い山脈』(1949)で知られる今井正監督の最初のカラー映画ですが,霞ケ浦近辺の半農半漁の村落に暮らす若き男女の青春を描いて郷愁を誘います。隣村に集団でナンパ(夜這い?)に向かう船中でのアドバイスは,「俺,長男だッて言うンだぞ。次男だの三男だの言ってみれバヨ,どんな娘でも相手にしねエゾ」・・・」と(與那覇潤『中国化する日本』(文藝春秋・2011年)102頁)。「村落における若衆制は,ポリネシア,メラネシア,インドネシアなど太平洋諸島全円にひろく存在しているもので,中国(古代の越人の地だった福建省や広東省には存在したろう)や朝鮮には存在しない」そうですが(司馬193頁),ドイツにも無いのでしょう。),一応消極に取り扱うべきでしょうか。伯母さん宅に泊まっているうちに窃盗の犯意が生じたようでもあるからです。ただし,伯母殺しの兇器(Dolch)が伯母さん宅の台所辺りにあったナイフではなく青年が事前の計画に基づき自ら持参した短刀(檜山訳では「匕首」となっています。)であったのならば,別異に解すべきものでしょう。

Dolchの訳として小学館の『独和大辞典(第2版)コンパクト版』(2000年)に「⦅話⦆(Messer)ナイフ」とあったので,筆者はこの青年の供述は口語的だなと思ってこちらを採用したのですが,本来Dolchは「短剣,短刀」です。

 

イ 老婆の資産と青年の無資産と

 伯母さんの「糞たくさんの金」(Haufenには,お下劣ながら「(一かたまりの)糞便」という意味があるそうです。)及び多量の有価証券の価額はどれくらいかと,我が総務省統計局の平成26年全国消費実態調査の結果を見ると,2014年の70歳以上の女性単身世帯における平均貯蓄現在高は1432万円,うち有価証券分は2501千円,平均負債現在高は408千円(したがって,ネットではプラス13912千円)となっています。平均年間収入は2149千円,また,持ち家率は83.4パーセントです。

これに対して30歳未満の単身世帯男子はどうかといえば,同じ統計で見るに,平均貯蓄現在高は1908千円,うち有価証券分69千円,平均負債現在高4396千円(したがって,ネットではマイナス2488千円),平均年間収入3822千円,持ち家率14.1パーセントとなっています。我が伯母殺し青年は,上記のような政府の統計調査にまでわざわざ協力する意識の高い立派な30歳未満男子層(上記統計数字は,この層に係るものということになるのでしょう。)に属するものではなく,そのはるか下までこぼれ落ちてしまっている存在でしょうから,もっと悲惨な経済状況にあるのでしょう。

 

ウ 病身の老婆と華やぐ元気と若さの青年と

 「おばちゃんこれ以上悲しんでみたり嘆いてみたりしたって仕方がないだろ(Was nutzt es, daß sie sich noch härme)」と青年は思ったというのですが,伯母さんは何について悲しみ嘆くのか。大事にしていた虎の子の金銭及び有価証券がなくなってしまっていることについてか。しかし,「おばちゃん,ばばあでよぼよぼだった(Meine Tante war alt und schwach)」ということが繰り返されて強調されおり,「おばちゃんの荒い息づかいは止まった(Die Tante schnaufte nicht mehr)」と伯母さんの苦しそうな荒い息づかいに青年の注意は向けられていたのであるとも主張し得るところ,弁護人としては,いやいや青年は歳を取って健康状態が悪化している自分の伯母の身体的苦痛についてこれ以上見ていることは忍び難いと思っていたのです,と主張するのでしょう。

 老人は,確かにお医者さんの厄介になるばかりで,自らの心身の衰えを悲しみ嘆く日々を過ごすこととなるのでしょう。厚生労働省の「平成29年度国民医療費の概況」を見ると,2017年度の人口一人当たり国民医療費(保険診療の対象となり得る傷病の治療に要した費用)は,二十代前半男子が738百円,二十代後半男子は887百円であるのに対して,七十代前半女子は5677百円,七十代後半女子が7112百円,八十代前半女子が8639百万円で,85歳以上女子は大台を超えて10342百円となっています。

 ちなみに,2017年度の国民全体での一人当たり国民医療費は3399百円です。年代別に見て医療費額が一番低いのは十代後半で833百円,一番高いのは85歳以上で10829百円です。変な計算ですが,医療費額だけで比べると,十代後半と比べて八十代後半以降は13倍以上不健康であるということになります。

健康保険料の負担は重い。さりとて自分も「元を取る」んだとわざわざ病気になろうとするのは変な話です。健康保険料の年間納付総額から自己の年間国民医療費総額を減じて得られる差が相当しんどい額となってしまう者は,公共交通機関を利用して病院等に通わねばならない方々のためにも有益な存在として,せめて打ちひしがれて優先席に座っていても許されるということになるものでしょうか。しかし,そのようなせこいことを考える連中は,裁判官のように厳しく断罪する冷たい視線が周囲から自分に浴びせかけられているように感じてようやく初めて「ところであんたたち,やれやれ裁判官様方よ,あんたたちは,俺の華やぐ元気と若さと(したがって席を譲ってくれること)を狙っているんだね(Ihr aber, o Richter, ihr trachtet / Meiner blühenden Jugend-Jugend nach.)」と心の内でぼやいてから渋々席を立つような連中なのでしょう。お下劣です。華やぐ元気と若さとを謳歌する青年男女は,自ら進んで弱い者を助け,これからの長い人生,素晴らしい我が祖国日本の少子高齢化社会を支えるために生きていかなければなりません。

 

(2)日本刑法238条(及び240条)をめぐる問題

 さて,問題は,伯母殺し青年の前記窃盗及び殺人行為は,併せて事後強盗(刑法238条「窃盗が,財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために,暴行又は脅迫をしたときは,強盗として論ずる。」)を構成するものとなるかどうかです。ライン川を挟んでドイツのヴェーデキントもフランスのユゴーも,どういうわけか事後強盗問題で筆者を悩ませます(ジャン・ヴァルジャンをモデルとする鬼坂による事後強盗に関しては「「和歌山の野道で盗られた一厘銭」をめぐる空想」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1046231399.html)を参照)。

 まず,刑法238条の「暴行又は脅迫」に殺害行為は含まれないのだ,という議論があり得ます。

 しかし,上告審弁護人鈴木喜三郎(これは,検事総長の経験者であって,後に司法大臣となる鈴木喜三郎でしょうか。)のそのような屁理屈に対して,大審院は,殺害行為は暴行に含まれるとし,「〔刑法238条の〕暴行トハ被害者ノ反抗ヲ抑圧スルニ足ルヘキ行為ヲ謂ヒ而シテ殺害行為ハ被害者ノ反抗ヲ全然不能ナラシムヘキモノナレハ之ヲ以テ暴行ト目スヘキコト固ヨリ論ヲ俟タス」と判示しています(大判大15223日刑集546)。

 強盗犯人が故意をもって人を殺したときの適用法条についても,①刑法240(「強盗が,人を負傷させたときは無期又は6年以上の懲役に処し,死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。」)後段のみか,②同法240条後段と同法199条との観念的競合(同法541項「1個の行為が2個以上の罪名に触れ〔略〕るときは,その最も重い刑により処断す。」)となるか,又は③同法236(「暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は,強盗の罪とし,5年以上の有期懲役に処する。/前項の方法により,財産上不法の利益を得,又は他人にこれを得させた者も,同項と同様とする。」)と同法199条との観念的競合若しくは併合罪(同法45条以下)となるか,との3説間での選択の問題があります(前田254-255頁)。判例は,「強盗の機会に殺人行為が行われる場合には刑法240条後段を適用すべきもの」と判示して(最判昭3281日刑集1182065),①説を採用しています(なお,当該判示は,上告理由に当たらない旨の判断が示された上で付加された括弧書き中におけるなお書き判示でした。)。

 伯母殺し青年が伯母さんを殺した目的は,「財物を得てこれを取り返されることを防」ぐためか,「逮捕を免れ」るためか,それとも「罪跡を隠滅するため」か。これらの目的のうちのいずれかの目的がなければ,事後強盗は成立しません(前田242頁参照)。ただし,必要なのは窃盗犯人側の目的ばかりであって,「窃盗が財物の取還を拒き又は逮捕を免かれ若しくは罪跡を湮滅する為暴行又は脅迫を加へた以上」は,「被害者において財産を取還せんとし又は加害者を逮捕せんとする行為を為したと否とに拘はらず強盗を以て論」ぜられます(最判昭221129日刑集140)。

 伯母殺し青年の供述には「財物の取還を拒き又は逮捕を免かれ若しくは罪跡を湮滅する」との目的は直接現れていないのですが,しかし,常識的に考えると「罪跡を隠滅するため」にやったな,と思われるところです。

前記大審院大正15223日判決の事案も「〔被告人が〕更ニ2階ニ上リY某ノ蒲団ノ下ヲ捜リタル処同人カ目ヲ醒シタル為メ右窃取ノ目的ヲ達セス然ルニ被告人ハ右Y某ト(かね)テ面識ノ間柄ナルヲ以テ茲ニ犯罪ノ発覚センコトヲ怖レ其ノ罪跡ヲ湮滅スル為メY某ヲ殺害スヘシト決意シ携ヘ行キタル短刀(大正13年押第90号ノ1)ヲ揮ツテ同人ノ右頸部ヲ突刺シ動静両脈ヲ切断シテ即死セシメタルモノ」でした。

千葉地方裁判所木更津支部昭和53316日判決(判時903109)の事案も,被告人の自宅内で酒に酔って寝入っている被害者O(当時39年の離婚経験のある男性,9歳の一人娘を実家に預けて単身生活中。前夜20時頃から木更津市内の呑み屋を6軒,被告人におごりつつ同人とはしごをし,翌朝4時頃タクシーで被告人宅近くまで来たところで被告人に誘われて同人宅に上がり込み,炬燵に入って清酒をコップ3杯くらい飲んでごろ寝,更に720分ないしは30分ころに目覚めてコップ2杯くらいを飲み,8時過ぎ用便を済ませて家に帰ろうと言ったが腰がまだふらついていて玄関隣の6畳間に布団を敷いてもらって寝入ってしまったもの)の背広(Oが着たまま寝たので被告人が先に脱がしてやって部屋の鴨居に吊るしておいたもの)の左内ポケットから取り出した財布及び外側ポケット内から現金合計約53000円を830分頃にふと窃取した被告人が,同日19時過ぎに至って北側3畳の板の間(これは,金銭窃取後下記のとおりOの殺害を決意した被告人に8時半過ぎに引きずり込まれていた場所)でなお昏々と眠り続けているOを「北側3畳の間の手製ベッドの上に血で汚れないようにカーペットを敷き,台所から〔略〕あじ切り包丁を持ち出し,さらにベッドの側に立ち右カーペットの上に寝入っているOを両手で抱き上げて頭を南向きにして横たえ,被告人に背を向けている同人の上体を起こすようにして被告人の方に向け,長袖ワイシャツのボタンをはずすなどして胸をはだけたうえ,所携の右あじ切り包丁で同人の左胸部を心臓めがけて2回突き刺し,よって左乳部刺創による肺動脈損傷による失血死によりその場で同人を死亡させた」ものですが,その朝の窃盗後間もなく生じた「同人〔O〕が起きた際に右窃盗の犯行が発覚することをおそれて,罪跡を湮滅するため同人を殺害すること〔略〕を決意し」た決意が10時間半以上持続していたものと認定されています。「なるほど本件窃盗行為と殺害行為との間には弁護人指摘のとおり約11時間位の長時間の時間的間隔があるが,前記認定のとおり被告人は窃盗行為の後まもなく罪跡湮滅のため被害者に対する殺意を生じ,犯行を容易にするため被害者を別の部屋に移し,台所に同人殺害に使用するための兇器である包丁を取りに行こうとしたところに突然たまたま友人2名が来訪した意外の障害に本件殺害の犯行をそれ以上継続することができなかったものの,その時点ですでに本件殺害の犯行の着手に密接した行為を行っており,友人らが来てからも極力家をあけないように努め,また被害者が起きてこないように気を配っており,友人らが帰ってしまってからまもなく本件殺害の犯行に及んでいるのであって,この間殺意は依然として継続していたものと推認される。」というのが千葉地方裁判所木更津支部の判示です。

これらの前例を前にドイツの伯母殺し青年の弁護人は,被告人はその伯母の身体的・精神的苦痛を取り除いてあげるために伯母殺し行為をしてしまったのであって「罪跡を隠滅するため」などということは全く考えておりませんでした,と頑張ることになります。

 

(3)ドイツ刑法252条並びに旧刑法382条及びボワソナアド

 しかし,「罪跡を隠滅するため」との目的の存在を否認する前記の弁護人の頑張りの必要は,特殊日本的なものかもしれません。事後強盗に係るドイツ刑法252条は,次のような規定だからです。

 

  Wer, bei einem Diebstahl auf frischer Tat betroffen, gegen eine Person Gewalt verübt oder Drohungen mit gegenwärtiger Gefahr für Leib oder Leben anwendet, um sich im Besitz des gestohlenen Gutes zu erhalten, ist gleich einem Räuber zu bestrafen.

  (窃盗の際犯行現場において発覚し,盗品の占有を保持するために,人に暴行を加え,又は身体若しくは生命に対する現在の危険をもって脅迫を行った者は,強盗と同様に処断される。)

 

窃盗(Diebstahl)をした者が「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」に暴行又は脅迫を行っても,なお強盗(Räuber)扱いはされないということです。

フランス人ボワソナアドの起草に係る旧刑法(明治13年太政官布告第36号)382条もドイツ刑法252条と同様に「窃盗財ヲ得テ其取還ヲ拒ク為メ臨時暴行脅迫ヲ為シタル者ハ強盗ヲ以テ論ス」とのみ規定していました。ボワソナアド原文の『刑法草案注釈巻之下』(司法省・1886年)の659頁には「犯者其所為ノ発露シタルニ因リ盗取物ヲ保存センカ為メ暴行又ハ脅迫ヲ用ヰルトキハ始メニハ窃カニ盗取セシト雖モ之レヲ「強盗」ト看做ス(こと)当然ナリ蓋シ此場合ニ於テハ或ハ暴行ヲ加ヘントノ予謀アラサルヘキモ其大胆心ト人身ノ危険トハ之レナシトスルヲ得サレハナリ/然レトモ犯者窃盗ニ着手シタル後チ逃走ヲ容易ナラシメントノ目的ヲ以テ人ニ暴行ヲ加ヘタルトキハ其所為ヲ強盗ト称セサルヘシ此場合ニ於テハ犯罪ノ合併即チ窃盗ノ未遂犯ト暴行又ハ脅迫(暴行ハ他ニ犯罪ノ附着スルヿナシト雖モ罰セラルモノナリ)トノ俱発アレハナリ」とあります。

「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」は,1907年の現行刑法制定に当たり新たに付加され,窃盗犯を強盗犯並みに取り扱う範囲が拡張されたものということになります。日本人は,白皙人よりも生真面目で厳しい。

しかし,「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」は,つまりは「逃走ヲ容易ナラシメントノ目的」ということではないでしょうか。ということであると,現行刑法238条においては,ボワソナアドが明示的に強盗扱いしないとした場合が強盗扱いされるということになってしまっていたのでした。

ところで,事後強盗成立に必要な暴行・脅迫に係る「反抗を抑圧する程度」を通常の強取の場合よりも厳しく認定すべきものとする一連の裁判例があり(窃盗犯が「逮捕を免れ」ようとする事案に主に係るもののようです。強盗傷人では刑が重過ぎるという配慮によるものです。),これに対して「ただ,逮捕を免れるにはより大きな暴行・脅迫が必要だとするのは説得性を欠くようにも思われる」と苦慮する学説が存在するところですが(前田245-246頁),泉下のボワソナアドとしては,だから窃盗犯が逮捕を免れるために暴行・脅迫しても事後強盗にならないんだよと言っておいたでしょう,西洋流では本来事後強盗に含まれないとされる類型まで日本人のさかしらで事後強盗に加えたから面倒なことになっているんですよ,と嘆息しているものかどうか。(なお,平成7年法律第91号による改正前の刑法238条は「窃盗財物ヲ得テ其取還ヲ拒キ又ハ逮捕ヲ免レ若クハ罪跡ヲ湮滅スル為メ暴行又ハ脅迫ヲ為シタルトキハ強盗ヲ以テ論ス」と規定されていて(下線は筆者によるもの),「又は」は一番大きな選択的連結に用いられ「若しくは」それより小さな選択的連結に用いられますから,同条における三つの目的は,旧刑法以来の「其取還ヲ拒キ」と現行刑法からの「逮捕ヲ免レ」及び「罪跡ヲ湮滅スル」との二つのグループに分かれるということが読み取り得る書き振りとなっていました。これに対して平成7年法律第91号による改正後の刑法238条は「財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために」とのっぺらぼうに規定していますから,3者は同一平面において単純に並べられていることになります。)

  

(4)日本の木更津事件の罪と罰とドイツの伯母殺し事件の罪と罰

前記千葉地方裁判所木更津支部昭和53316日判決の事案においては,被告人は更に死体損壊(死体をバラバラにした。)及び死体遺棄(バラバラにした死体の各部を土中に埋めたり水溜まりに投棄したりした。)をも犯しています。バラバラにされた死体の部分うち「冷蔵庫に入れておいた大腿部の肉を食べてみる気になり,右肉を取り出して前記包丁で薄く刺身状に十切れぐらいに切ってフライパンで焼き,味塩をふりかけて焼肉にして皿に盛って食べようとしたが,いやな臭いがしたため食べるのをやめ内臓の入ったビニール袋の中に捨て,今度は同じく冷蔵庫に入れてあった陰部を取り出してまな板の上で陰のうと陰茎に切断したうえ,陰のうの切り口から睾丸を押し出し,また陰茎を尿道に沿って切り開くなどして弄ぶなどした後,陰のうの一部は両上,下肢のダンボール箱に,残りはごみを入れる紙袋の中に捨てた。」というのですから,ひどい。「死者に対する冒瀆行為としてこれに過ぎるものはなく,まさに天人ともに許されない行為というほかはない。」との千葉地方裁判所木更津支部の裁判官らの激しい憤りはもっともです。

と,思わず我が日本の事後強盗殺人事件の猟奇性に胸が悪くなってしまったところですが,窃盗,殺人及び死体遺棄(及び損壊)の罪ということではドイツの伯母殺し青年の犯した罪のリスト(窃盗,殺人及び死体遺棄)と揃ってはいるところです。

ということで,Der Tantenmörderの文学鑑賞においても適用法条や量刑相場という無粋なことが気になる法律家のさがとして,木更津事件判決の「法令の適用」の部分を見てみると次のようになっていました。

 

  被告人の判示1の所為〔事後強盗(窃盗及び殺人)〕は刑法240条後段(238条)に,判示第2の所為〔死体損壊及び遺棄〕は包括して同法190条に該当し,以上は同法45条前段〔「確定裁判を経ていない2個以上の罪を併合罪とする。」〕の併合罪であるが,後記の情状〔計画的な犯行ではないこと,被害者に対する殺害方法自体は通常の殺人に比べて特に残虐とはいえないこと,矯正不可能とはいえないこと(無前科でもあった。)及びある程度改悛の情が認められること〕を考慮して判示第1の罪の刑につき無期懲役刑を選択するのを相当と認め,同法462項本文〔「併合罪のうちの1個の罪について無期の懲役又は禁錮に処するときも,他の刑を科さない。」〕を適用して他の刑を併科せず被告人を無期懲役に処すべく押収してあるあじ切り包丁1丁は判示第1の強盗殺人の用に供した物で犯人以外の者に属しないから,同法1912〔「犯罪行為の用に供し,又は供しようとしたもの」は没収することができる。〕2〔「没収は,犯人以外の者に属しない物に限り,これをすることができる。ただし,犯人以外の者に属する物であっても,犯罪の後にその者が情を知って取得したものであるときは,これを没収することができる。」〕を適用してこれを没収することとする。

  訴訟費用については刑事訴訟法1811項但書〔「但し,被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるときは,この限りでない。」〕により被告人に負担させないこととする。

 

 無期懲役。「罪跡を隠滅するため」に暴行(殺人を含む。)又は脅迫をしたときも窃盗犯が強盗犯扱いになってしまって(刑法238条),しかして強盗犯が人を殺すと法定刑としては死刑又は無期懲役しかないということ(同法240条)が大きいところです。

 なお,我が刑法240条に対応するドイツ刑法251条は,次のとおり。

 

  Verursacht der Täter durch den Raub (§§ 249 und 250) wenigstens leichtfertig den Tod eines anderen Menschen, so ist die Strafe lebenslange Freiheitsstrafe oder Freiheitsstrafe nicht unter zehn Jahren.

  (犯人が強取行為(第249条及び第250条)によって少なくとも過失をもって(leichtfertig)他人の死をもたらしたときは,刑は,終身自由刑又は10年以上の自由刑である。)

 

ところで,我が事後強盗規定がドイツ刑法252条並みであったならば,木更津事件の犯人は事後強盗犯とはならず,窃盗,殺人及び死体損壊遺棄の3罪が併合罪となっていたのでしょう。ヴェーデキントの伯母殺し青年についても,そのようになるのでしょう。

しかし,ドイツ刑法211条は,厳しい。

 

 (1) Der Mörder wird mit lebenslanger Freiheitsstrafe bestraft.

(2) Mörder ist, wer

aus Mordlust, zur Befriedigung des Geschlechtstriebs, aus Habgier oder sonst aus niedrigen Beweggründen,

heimtückisch oder grausam oder mit gemeingefährlichen Mitteln oder

um eine andere Straftat zu ermöglichen oder zu verdecken,

einen Menschen tötet.

 ((1)謀殺犯は,終身自由刑に処す。

  2)謀殺犯とは,

    性衝動の満足のための殺意,利得欲若しくは他の低劣な動機から,

    陰険に,若しくは残虐に,若しくは公共に害のある手段をもって,又は

    他の犯罪行為を可能とするために,若しくは隠蔽するために,

   人を殺す者である。)

 

 ドイツの伯母殺し青年も,金銭及び有価証券の窃盗という他の犯罪行為を隠蔽するため(zu verdecken)に伯母さんを殺したのだということになれば,我が木更津事件の犯人が無期懲役刑に処せられたのと同様,謀殺犯として終身自由刑に処せられそうでもあります。

 結論としての罰が,妙に収束してきてしまいました。洋は東西異なっていても,法律家の世界においては,何やら不思議な統一的親和力があるということでしょうか。




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