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1 熟慮期間中の相続債権者への弁済に関する「教科書」の説明あるいはその欠缺

 

(1)Tout homme est mortel.

人はだれでもいつかは死にます。

ある人が死んだ際,当該故人(被相続人)は,通常,死亡するまで入院していた病院への支払や,自宅の電気・ガス・水道等の料金支払その他に係る債務を残しているものです。親の死に目に立ち会った子(子は相続人です(民法887条1項)。)は,相続財産を管理すべき者として早速これらの債務に係る債権者(相続債権者)に応接しなければなりません(同法918条1項参照)。しかし,当該被相続人は他にも借金を抱えているかもしれないから相続の放棄(民法939条)をすべきかもしれぬとその相続人が考えている場合,当該相続人は,病院以下の相続債権者にどう対応すべきか。相続の放棄をするためには,当該相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に,その旨を,被相続人の住所地を管轄する家庭裁判所に申述書の提出をもって申述しなければなりませんが(民法883条・915条1項・938条,家事事件手続法201条1項・5項),当該申述前に相続財産について保存行為ではない処分や長期の賃貸をうっかりしてしまうと,単純承認をしたということでもはや相続の放棄はできなくなります(民法920条・921条1号)。くわばらくわばら。さて,相続債権者に対する弁済は,法定単純承認を構成する相続財産の処分(民法921条1号)となるものか否か。親の死の時まで親身で面倒を見てくださったお医者さまや関係者には直ちに報酬を差し上げ,又は支払を済まさなければ人の道に反するし,さりとて,人の道が負債地獄につながる道となってしまっても恐ろしく,実は悩ましい問題です。

 

(2)「内田民法」

民法教科書の代表として,内田貴教授の『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)を調べてみましょう。

まず,民法921条1号について。

 

 民法は単純承認が意思表示によってなされることを前提としつつ,以下の3つの場合に単純承認がなされたものとみなすという規定を置いている。これを法定単純承認という。

 第1に,相続人が,選択権行使前に相続財産の全部または一部を処分したとき(921条1号)。ただし,保存行為および602条に定める短期の期間を超えない賃貸をすることはここでいう処分にはあたらない。(内田Ⅳ・344頁)

 

これは,民法の条文そのままですね。本件の問題についての参考にはならない。

ちなみに,「保存行為」についての内田教授の解説は,権限の定めのない代理人の権限について定める民法103条1号の保存行為について,次のようなものです。

 

「保存行為」,すなわち,財産の現状を維持する行為は当然になしうる(1号)。例えば,窓ガラスが割れたのでガラス屋で買ってくるとか(売買契約),雨漏りするので大工に屋根を直してもらうなど(請負契約)。(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)122頁)

 

これも,債権者に対する債務の弁済について触れるところがないですね。やはり参考にならない。

相続の承認又は放棄前の熟慮期間中(民法915条1項参照)における相続財産の管理に関する「内田民法」の説明もまた,参考になりません。

 

熟慮期間中,相続財産は不安定な状態に置かれる。そこで,その管理について民法は特に規定を置いている。すなわち,相続人は選択権を行使するまで,相続財産を「その固有財産におけると同一の注意を以て」管理しなければならない(918条1項)。そして,家庭裁判所は,利害関係人または検察官の請求により,いつでも相続財産の保存に必要な処分を命ずることができる(同条2項)。たとえば,財産管理人の選任などであり,その場合は,不在者の財産管理に関する総則の規定が準用される(同条3項)。(内田Ⅳ・348頁)

 

民法918条の条文そのままです。学生向けの「教科書」だから,これでよいのでしょうか。しかし,いかにもよくありそうな現実の問題について端的な回答を求めようとすると,つるつると,これほど取りつく島がないとは意外なことです。

本稿は,「教科書」の範囲を超えて,熟慮期間中の相続人による相続債権者に対する弁済が法定単純承認を構成するものになるのかどうかについて検討するものです。

 

(参照条文)

 

民法28条 管理人は,第103条に規定する権限を超える行為を必要とするときは,家庭裁判所の許可を得て,その行為をすることができる。〔以下略〕

 

同法103条 権限の定めのない代理人は,次に掲げる行為のみをする権限を有する。

 一 保存行為

 二 代理の目的である物又は権利の性質を変えない範囲内において,その利用又は改良を目的とする行為

 

同法883条 相続は,被相続人の住所において開始する。

 

同法887条1項 被相続人の子は,相続人となる。

 

同法915条1項 相続人は,自己のために相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に,相続について,単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし,この期間は,利害関係人又は検察官の請求によって,家庭裁判所において伸長することができる。

 

同法918条 相続人は,その固有財産におけるのと同一の注意をもって,相続財産を管理しなければならない。ただし,相続の承認又は放棄をしたときは,この限りでない。

2 家庭裁判所は,利害関係人又は検察官の請求によって,いつでも,相続財産の保存に必要な処分を命ずることができる。

3 第27条から第29条までの規定は,前項の規定により家庭裁判所が相続財産の管理人を選任した場合について準用する。

 

同法920条 相続人は,単純承認をしたときは,無限に被相続人の権利義務を承継する。

 

同法921条 次に掲げる場合には,相続人は,単純承認をしたものとみなす。

 一 相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき。ただし,保存行為及び第602条に定める期間を超えない賃貸をすることは,この限りでない。

 二 相続人が第915条第1項の期間内に限定承認又は相続の放棄をしなかったとき。

 三 相続人が,限定承認又は相続の放棄をした後であっても,相続財産の全部若しくは一部を隠匿し,私にこれを消費し,又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき。ただし,その相続人が相続の放棄をしたことによって相続人となった者が相続の承認をした後は,この限りでない。

 

同法927条1項 限定承認者は,限定承認をした後5日以内に,すべての相続債権者(相続財産に属する債務の債権者をいう。以下同じ。)及び受遺者に対し,限定承認をしたこと及び一定の期間内にその請求の申出をすべき旨を公告しなければならない。この場合において,その期間は,2箇月を下ることができない。

 

同法928条 限定承認者は,前条第1項の期間の満了前には,相続債権者及び受遺者に対して弁済を拒むことができる。

 

同法938条 相続の放棄をしようとする者は,その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。

 

同法939条 相続の放棄をした者は,その相続に関しては,初めから相続人とならなかったものとみなす。

 

同法941条 相続債権者又は受遺者は,相続開始の時から3箇月以内に,相続人の財産の中から相続財産を分離することを家庭裁判所に請求することができる。相続財産が相続人の固有財産と混合しない間は,その期間の満了後も,同様とする。

2 家庭裁判所が前項の請求によって財産分離を命じたときは,その請求をした者は,5日以内に,他の相続債権者及び受遺者に対し,財産分離の命令があったこと及び一定の期間内に配当加入の申出をすべき旨を公告しなければならない。この場合において,その期間は,2箇月を下ることができない。

〔第3項略〕

 

同法947条1項 相続人は,第941条第1項及び第2項の期間の満了前には,相続債権者及び受遺者に対して弁済を拒むことができる。

 

家事事件手続法201条 相続の承認及び放棄に関する審判事件(別表第1の89の項から95の項までの事項についての審判事件をいう〔相続の放棄の申述の受理は95の項の事項〕。)は,相続が開始した地を管轄する家庭裁判所の管轄に属する。

 〔第2項から第4項まで略〕

5 限定承認及びその取消し並びに相続の放棄及びその取消しの申述は,次に掲げる事項を記載した申述書を家庭裁判所に提出してしなければならない。

 一 当事者及び法定代理人

 二 限定承認若しくはその取消し又は相続の放棄若しくはその取消しをする旨

 〔第6項略〕

7 家庭裁判所は,第5項の申述の受理の審判をするときは,申述書にその旨を記載しなければならない。この場合において,当該審判は,申述書にその旨を記載した時に,その効力を生ずる。

 〔第8項から第10項まで略〕

 

2 民法921条1号の「保存行為」と同法103条1号の保存行為

 

(1)民法103条1号の保存行為

 前記のとおり,熟慮期間中の相続債権者に対する弁済が相続財産の処分であるとしても,民法921条1号ただし書の「保存行為」に該当するのであれば,当該弁済が法定単純承認をもたらすことはなく,相続人はなお相続の放棄をなし得るはずです。そして,民法918条3項は,家庭裁判所が熟慮期間中の相続財産の保存に必要な処分として命ずることのあることの中に相続財産の管理人の選任があり,かつ,当該財産管理人の権限には同法28条の規定が準用されることを明らかにしています。民法28条は,管理人の権限について同法「第103条に規定する権限」を問題にしています。民法918条3項に基づく相続財産の管理人についても同法103条が問題になるわけです。相続財産について問題になる民法921条1号の「保存行為」も,同法103条1号の保存行為と同じものと解してよいように一応思われます。

 民法103条1号の保存行為については,次のように説かれています(なお,各下線は筆者によるもの)。いわく,「保存行為とは,財産の現状を維持する行為である。家屋の修繕・消滅時効の中断などだけでなく,期限の到来した債務の弁済,腐敗し易い物の処分のように,財産の全体から見て現状の維持と認めるべき処分行為をも包含する。ただし,物価の変動を考慮し,下落のおそれの多いものを処分して騰貴する見込の強いものを購入することは,一般に,改良行為であって,保存行為には入らない。また,物の性質上滅失・毀損のおそれがあるのでなく,戦災で焼失するおそれがあるとして処分して金銭に変えることも,原則として,保存行為に入らないというべきであろう(最高判昭和2812281683頁(応召する夫から財産管理の委任を受けた妻は家屋売却の権限なし))。保存行為は代理人において無制限にすることができる。」と(我妻榮『新訂 民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)339340頁)。またいわく,「保存行為とは,財産の現状を維持する行為である。家屋修繕のための請負契約,時効中断,弁済期後の債務の弁済などである。」と(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)216頁)。更にいわく,「保存行為とは,財産の保全すなわち財産の現状を維持するのに必要ないつさいの行為をいう。家屋の修繕・消滅時効の中断などだけでなく,期限の到来した債務の弁済や腐敗し易い物の処分などのように,財産の全体から見て現状の維持と認めるべき処分行為をも包含すると一般に解されている(富井504,鳩山・註釈290,沼(1)171,我妻339。岡松・理由233は,元本の弁済はなしえないという)。」と(於保不二雄編『注釈民法(4)総則(4)』(有斐閣・1967年)49頁(浜上則雄))。期限の到来した債務の弁済は,保存行為ということになるようです。

なるほど,そうであればこそ,次のように説かれ得るわけでしょう。いわく,「・・・相続人は熟慮期間中といえども相続財産を管理・保存する義務を負担するのであるから(918条),その履行としての保存行為や短期賃貸借契約の締結(602条)はここにいう処分には該当しない。また遺族としての葬式費用の支出や,慣習に基づく軽微の形見分けや,あるいは賃借料の支払のようなものも,同様に処分にはならないと解すべきである。」と(我妻榮=有泉亨著・遠藤浩補訂『新版 民法3 親族法・相続法』(一粒社・1992年)327頁。下線は筆者による。)。賃借料の支払は,債務の弁済ですね。

 

(2)管理行為など(岡松説にちなんで)

さて,これで一件落着か。しかし,「岡松・理由233は,元本の弁済はなしえないという」(前記・注釈民法(4)49頁)という辺りが不気味です。岡松参太郎は電車の回数券の性質論において松本烝治を破った恐るべきライヴァルでした(「鉄道庁長官の息子と軌道の乗車券:鉄道関係法の細かな愉しみ」donttreadonme.blog.jp/archives/1003968039.html参照)。なお,「元本」とは,「貸金・賃貸した不動産などのように,利息・賃料その他法律にいう法定果実(88条2項)を生み出す財産」とされています(我妻83頁)。岡松博士の『註釈民法理由(総則編)』(有斐閣書房・1899年・訂正12版)を見てみると,「利息ノ弁済」は民法103条1号の保存行為であるとしつつ(232頁),同条で与えられる権限(管理行為をする権限(我妻339頁等))について「〔為ス能ハサル行為ノ重ナルモノハ訴訟,和解,裁判,売買,贈与,交換,物権ノ設定,元本ノ弁済等〕。」とあります(233頁)。

これは一体どういう根拠によるものか。当該引用括弧内部分を見ると,被保佐人が保佐人の同意を得ずになし得る行為に係る民法13条1項の列挙規定が想起されます。また,『註釈民法理由(総則編)』における民法103条の解説に当たって岡松博士が掲げる参照条文には旧民法人事編193条及び194条並びに財産取得編232条があります(230頁)。旧民法人事編193条は「後見人ハ未成年者ノ財産ニ付テハ管理ノ権ヲ有スルニ止マリ此権外ノ行為ハ法律ニ定メタル条件ニ依ルニ非サレハ之ヲ為スコトヲ得ス」と規定し(下線は筆者によるもの),同編194条の第1は「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」に関しては後見人は親族会の許可を得るべきものとしています。すなわち,そうしてみると,「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」は管理行為ではないわけです(なお,同条には,債務の弁済については親族会の許可を得べきものとする端的な規定はありません。)。旧民法財産取得編232条1項は「代理ニハ総理ノモノ有リ部理ノモノ有リ」と規定し,同条2項は「総理代理ハ為ス可キ行為ノ限定ナキ代理ニシテ委任者ノ資産ノ管理ノ行為ノミヲ包含ス」と規定しています(下線は筆者によるもの。なお,フランス民法1988条1項は「総理の委任(le mandate conçu en termes généraux)は,管理行為(les actes d’administration)のみを包含する。」と規定しています。)。したがって,岡松博士は,「元本ヲ利用シ又ハ借財ヲ為スコト」は,権限の定めのない代理人に係る現行民法103条の権限(管理行為を行う権限)にも含まれないと書こうとして「元本ノ弁済」と書いてしまったのでしょうか。「元本ノ弁済」を,元本の利用の終了に係る「元本ノ弁済ヲ受ケルコト」を意味するものと考えるとよりもっともらしいところです。現行民法13条1項1号は,「元本を領収し,又は利用する」ためには,被保佐人は保佐人の同意を得なければならないものとしています。ちなみに,インターネットで見ることのできる大津家庭裁判所の説明書「保佐人の仕事と責任」(日付なし)には,元本の領収又は利用の例として,「預貯金の払い戻し」,「貸したお金を返してもらうこと」及び「お金を貸すこと(利息の定めがある場合)」の三つが挙げられています。しかし,岡松博士の元本ノ弁済=非管理行為説の意味するところは,なおよく分からないとしておくべきでしょう。(ところで,現民法の規定によれば,未成年後見人は,未成年被後見人に代わって元本を領収し,又は未成年被後見人が元本を領収することに同意することについては,後見監督人(かつては親族会)の同意を得る必要はありません(民法864条ただし書,旧929条ただし書)。民法13条1項1号の「元本の領収」の部分が除かれているのは,梅謙次郎によれば「準禁治産者ハ元本ヲ領収スルトキハ動モスレハ之ヲ浪費スルノ危険アルヲ以テ特ニ保佐人ノ同意ヲ得ヘキモノトセリト雖モ後見人ニ付テハ同一ノ理由ナキカ故ニ敢テ親族会ノ同意ヲ要セサルモノトス」ということであったそうです(梅謙次郎『民法要義巻之四』(和仏法律学校=明法堂・1899年)480頁)。当時の準禁治産者には,心神耗弱者のほか浪費者もなり得ました。)

 

(3)民法921条1号の「保存行為」

 ところで,更に細かく考えてしまうと,民法103条1号の保存行為は管理行為の部分集合であるのに対して,同法921条1号ただし書の「保存行為」は,文言上,処分行為(「相続財産の全部又は一部を処分」)の部分集合となっているようです。しかして,管理行為と処分行為とは,対立するものとされています。「処分」とは,私法上「財産権の移転その他財産権について変動を与えることをいい,管理行為に対する意味に用いられる。」とされています(吉國一郎ほか編『法令用語辞典【第八次改訂版】』(学陽書房・2001年)428頁)。そうだとすると,民法921条1号ただし書の「保存行為」は,管理行為たる保存行為とは異なる処分行為たる「保存行為」ということになるのでしょうか。それともやはり管理行為たる保存行為なのでしょうか。この点は,「もっとも,財産全体の管理と個々の物又は権利の管理とでは,その管理も,おのずから異なるのであつて,財産の管理においては,その財産の一部を成している個々の物又は権利の処分も,その財産全体の保存,利用又は改良となつて,管理の範囲に包含されることもある(例―民法25Ⅰ・27Ⅰ・758Ⅱ・824828等)。」(吉國ほか編109頁)ということなのでしょう。民法918条1項に基づく管理行為は,個々の物又は権利に対するものではなく,財産を対象とするものですね。そうであれば,民法921条1号ただし書は,一見処分行為のように見える行為であっても,同法103条1号の保存行為に該当する行為や同条2号の利用行為中短期の賃貸に係る行為は管理行為であって処分行為には当たらないということを示すための為念規定ということになるのでしょう。なお,賃借権は旧民法では物権であったので,賃貸(賃借権の設定)は処分だったのでしょう。

 旧民法財産取得編323条1項の第1は,「相続財産ノ1箇又ハ数箇ニ付キ他人ノ為メニ所有権ヲ譲渡シ又ハ其他ノ物権ヲ設定シタルトキ」は「黙示ノ受諾アリトス」「但財産編第119条以下ノ制限ニ従ヒタル賃借権ノ設定ハ此限ニ在ラス」と規定していました。

 なお念のため,管理行為と民法921条1号の処分行為との関係及び同号の本文とただし書との関係について,梅謙次郎の説明を見てみましょう(梅謙次郎『民法要義巻之五〔第五版〕』(和仏法律学校=明法堂・1901年))。

 

 ・・・相続人ハ第1201条〔現行918条〕ノ規定ニ依リテ相続財産ヲ管理スル義務ヲ有スルカ故ニ(尚ホ10281040〔現行926940〕ヲ参観セヨ)処分行為ニ非サル純然タル管理行為ハ単ニ之ヲ為スノ権アルノミナラス寧ロ之ヲ為スノ義務アルモノト謂フヘシ故ニ相続財産ニ修繕ヲ加ヘ若クハ相続財産タル金銭ヲ確実ナル銀行ニ預入ルルカ如キハ相続人ノ尽スヘキ義務ニシテ為メニ単純承認ヲ為シタルモノト見做サルルノ恐ナシ(梅・五168頁)

 

 そもそも管理行為は,法定単純承認の事由とはならないのでした。

 

 ・・・尚ホ損敗シ易キ財産ヲ売却シテ其代価ヲ保管スルカ如キハ寧ロ其財産ヲ保存スルノ方法ト謂フヘク従テ学理ヨリ之ヲ言ヘハ処分ニ相違ナシト雖モ而モ保存行為トシテ純然タル管理行為中ニ包含セシムヘキコト第103条ニ付テ論シタルカ如シ又賃貸借ノ性質ニ付テハ多少ノ疑義アルヲ以テ立法者ハ第603条ニ於テ一定ノ期間ヲ超エサル賃貸借ニ限リ之ヲ管理行為ト見做スヘキコトヲ定メタリ是レ本条第1号但書ノ規定アル所以ナリ(梅・五168169頁)

 

民法921条1号ただし書は,要は,一見処分に見える行為であっても管理行為であれば管理行為であって処分行為ではない,という管理行為性を優先させる旨の規定であったようです。したがって,そこにおける「保存行為」は民法103条1号の保存行為より狭く,処分による保存行為ということになるようです。

 

3 中川理論:相続人による弁済=法定単純承認

 以上民法103条1号の保存行為について調べてみたところ,例外的に岡松参太郎博士の著書においては難しいことが書いてあるとはいえ,主要な学者らが同号の保存行為には期限の到来した債務の弁済が含まれると言っているのですから,民法918条1項の相続財産の管理において,相続人が相続債権者に対して期限の到来した債務を弁済しても,同法921条1号によって単純承認をしたものとみなされることはない,と一応はいえそうです。「拒絶権を行使しないで弁済した場合には有効な弁済であり,保存管理行為として放棄の権能を失わないものと解する。併し弁済資金を得るために相続財産を売却する行為は,本条〔918条〕第2項にいう「相続財産の保存に必要な処分」として家庭裁判所の処分命令を要するであろう。」ということになるのでしょう(中川善之助編『註釈相続法(上)』(有斐閣・1954年)235頁(谷口知平))。(なお,ここで「拒絶権」が出てくるのは,「限定承認をした場合には請求申出期間の満了前には弁済を拒絶しうるのであるから(928)態度決定前においては,弁済を拒絶しうると解しうるし,又相続債権者や受遺者が財産分離を請求しうる期間即ち相続開始より3箇月間は弁済を拒絶しうる(947)」からでしょう(同頁(谷口))。)

 しかし,現実はそう簡単ではありません。

 家族法学の大家・中川善之助博士が,民法918条1項に基づき相続財産を管理する相続人について,当該相続人が相続債権者に対して「拒絶権を行使しないでなした弁済は有効な弁済であるから,一種の遺産処分であり,相続人はこれによって,単純承認をしたものとみなされ(921条1号),限定承認及び放棄の自由を失う」と説いているからです(中川善之助『相続法』(有斐閣・1964年)241頁。下線は筆者によるもの)。松川正毅教授も「相続債務の弁済は,保存行為とはならず管理人の権限でないと考えている」ところです(谷口知平=久貴忠彦編『新版注釈民法(27)相続(2)〔補訂版〕』(有斐閣・2013年)484頁)。

 中川博士の場合,民法918条1項に基づき相続財産を管理する相続人の相続債権者に対する弁済拒否権は,民法の具体的な条文からではなく,その理論に基づき導出されているもののようです。

 

 ・・・直ちに限定承認の規定を熟慮期間に類推してよいか疑わしいようにも思われる。

  しかし限定承認もしくは放棄をなすかも知れない相続人は,一債権者に対する弁済が他の債権者を害する結果になりうることを予想しうるものと考えられるから,熟慮のために猶予された期間中は,弁済を拒絶すべきであり,従って拒絶しうるものと解すべきである。この弁済拒絶が,債権者の公平のために,権利として認められる以上,拒絶はまた義務たるの性質も与えられざるをえないことになり・・・(中川241頁)

 

「べき論」から拒絶権が,更に拒絶権の権利性から拒絶の義務が導出されています。

「この解釈は,必らずしも法的知識に豊かでない一般相続人にとっては,やや酷に過ぎる嫌いもある。」とは,中川博士が自ら認めるところです(中川241頁)。そこでこれについて同博士は,「しかし熟慮期間の後に,限定承認なり放棄なりが来る場合を想像すれば,選択の自由の代価として,相続人がこれだけの責任を負うことは,やむをえないといわなければなるまい。」と主張します(中川241頁)。しかしながらやはり,「必らずしも法的知識に豊かでない一般相続人にとっては,やや酷に過ぎる」解釈は,公定解釈としては採用し難いのではないでしょうか。

 

4 単純承認の「意思表示」と民法921条1号の「処分」

 なお,どのような行為が民法921条1号の処分に該当するかについての問題については,「わが国の多数説は,単純承認を意思表示と見ながら,しかし実際には,殆どの単純承認が921条にいわゆる法定単純承認であって,任意の意思表示としてなされることはないだろうといっている。殆どないというのは,稀にはあるというふうに聞えるが,私は寡聞にして未だ曽つて単純承認の意思表示のなされたということを聞かず,また民法にも,戸籍法にも単純承認の意思表示に関する規定はない。」(中川246頁)という事情が影響を及ぼしているようにも思われます。

 立法者は,単純承認を意思表示とし「単純承認ニ付テハ別段ノ規定ヲ設ケサルカ故ニ一切ノ方法ニ依リテ其意思表示ヲ為スコトヲ得ヘシ」とし(梅・五164頁),例として「被相続人ノ債権者及ヒ債務者ニ対シ自己カ相続人ト為リ将来被相続人ニ代ハリテ其権利義務ヲ有スヘキ旨ヲ通知シタルカ如キハ以テ黙示ノ単純承認ト為スヘキカ」と述べていました(梅・五164165頁)。黙示の意思表示それ自体の認定ということがこのように一方で想定されていたため,民法の現行921条は,例外的条項ということになっていたようです。いわく,「本条ノ場合ニ於テハ仮令相続人カ単純承認ヲ為スノ意思アラサリシコト明瞭ナル場合ニ於テモ仍ホ単純承認アルモノトス蓋シ立法者ノ見ル所ニ拠レハ本条ノ事実アリタルトキハ仮令本人ハ単純承認ノ意思ナキモ他人ヨリ之ヲ見レハ其意思アルモノト認メサルコトヲ得サルモノト見做シタルナリ」と(梅・五167頁)。本人の意思に反してでも意思表示の擬制をもたらすものですから,民法921条1号の処分は,本来は限定的に認定されるべきものだったのでしょう。

 しかしながら,「単純承認は相続人の意思表示による効果ではない」(中川246頁),「921条の場合にのみ単純承認が生」ずる(新版注釈民法(27)〔補訂版〕517頁(川井健))ということになると,当初は黙示の意思表示の認定として処理されるはずだった問題が,民法921条1号の「処分」該当性の問題として取り扱われることになり,そうであればその分同号の「処分」の範囲が弛緩せざるを得ないことになるように思われます。

(後編に続きます。
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1052466436.html)


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JR北海道・札幌駅の特急オホーツク


1 鉄道をめぐる父と子

 前回の記事(「鉄音を聞きながら:鉄道関係法のささやかな愉しみ」)では,鉄道営業法(明治33年法律第65号)の罰則関係の話などをしてしまいましたが,無論,鉄道関係法規は,刑事法ばかりではなく,民事法,行政法まで多様な広がりを持ちます。

 民事法中,鉄道運輸に関係するのは,商法(明治32年法律第48号)の運送営業の章(第28章。第569条以下)になります。

 ところで,我が国の商法学者中,鉄道とのかかわりが深い人物といえば,やはり松本烝治博士(東京帝国大学教授・法制局長官・関西大学学長・商工大臣・憲法担当国務大臣・第一東京弁護士会会長。18771014日生れ・1954108日没)でしょう。父の荘一郎は我が国の鉄道官僚のトップに上り(鉄道庁長官,逓信省鉄道局長,鉄道作業局長官),自らも南満洲鉄道株式会社の理事,副総裁となっています。

 松本烝治博士の「風ぼうは,丸いチーズに細い眼と口ヒゲをはめこんだように,一見して春風を感じさせるふくよかな温容」で,「人あたりもよく,誰にたいしてもいんぎん,丁寧」でありましたが,「かんしゃく持ち」で「なかなかの激情家」でもありました(児島襄『史録 日本国憲法』(文春文庫・1986年(単行本1972年))86頁)。女婿・田中耕太郎(東京帝国大学教授・文部大臣・最高裁判所長官)には,「考え方や頭の働き方は社会科学的または哲学的思想的というよりも,自然科学的という感じ」で,「技術家的な自由主義者」と評されています(児島89頁)。松本烝治博士は「分析的緻密な法律論を展開」したのに対し,田中耕太郎教授は「総合的な方面に商法研究を進められて,松本先生の説を乗り越えようとし,商法学はさらに新しい進展を遂げた」と評されています(鈴木竹雄「松本烝治先生の人と業績」(1989年)・松本烝治『私法論文集』(巌松堂書店・1926年,有斐閣・1989年復刻版))。

 さて,今回は,鉄道ネタの中でも,商法の問題を取り上げます。乗車券の法的性格に関する問題です。

 


2 松本烝治の乗車券論

 


(1)鉄道の乗車券

松本烝治博士の鉄道乗車券論は,次のとおり。当時のドイツの学説に,まずは依拠したものでした。

 


  鉄道乗車券の性質に付ては,独逸に於ては学者の之を論議するもの少からずと雖も,之を以て鉄道をして運送を為さしむべき契約上の権利を表彰する有価証券と解するを通説とす。其説明に依れば,乗車券を買求むるに当りて旅客運送契約が締結せられ,乗車券は其運送契約上の旅客の権利を表彰し,鉄道は其所持人に対して義務を履行すべきものなるを以て,一個の無記名証券に外ならずとす。・・・余も亦,此通説を正当とす。(松本「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」(1916年)『私法論文集』962963頁(同書の原文は,片仮名書き,濁点・半濁点,句読点無し。))

 


 そこから更に松本博士の学説が展開されます。

 


 ・・・唯,鉄道乗車券を買求むるを以て運送契約の締結と観るは一般社会見解に反するが故に,寧ろ運送契約上の(精確に言へば運送契約より生ずるものと同一の)権利を表彰する有価証券が売買授受せらるるものと解すること,却て適切ならむと思料す。・・・而して卑見に依れば,乗車券が有価証券たる性質は,運送の開始のためにする改鋏に因りて終了するものたり。何となれば,鉄道は特定の道程,特定の一人を運送する義務を負ふ者なるが故に,運送の開始に因り其乗車券の表彰する債権の履行が始まり,復之を他人に譲渡することを得ざるに至るものなればなり。即ち,鉄道乗車券は,無記名有価証券なれども,改鋏に因りて単純なる証拠の為めにする証券と変化するなり。精確に言へば・・・改鋏は,有価証券たる乗車券を回収し,之に代ふるに単純なる証拠の為めにする乗車券を交付するの行為と観察すべきなり。・・・(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』963964頁)

 


 この松本説が,大体において,鉄道乗車券についての我が商法学会の通説であるようです。(なお,鋏を入れる改鋏は,今はスタンプを挟み押すことをもって代替されていますね。)

 


  通説によれば,運送契約は乗車券購入のとき成立し,乗車券は運送債権を表章する有価証券とみとめられる。すなわち,通常の乗車券は特定区間の個別的運送についての通用期限付きの無記名証券(ただし鋏を入れた後は証拠証券となる)とされ〔る。〕(鈴木竹雄『新版 商行為法・保険法・海商法 全訂第二版』(弘文堂・1993年)54頁。ただし, これはドイツの通説寄りですね。

 


  ・・・乗車前に発行される〔乗車券〕は,通常は運送債権を表彰する有価証券と解される。したがって,一般の無記名式乗車券は,証券の引渡により自由に譲渡することができる。しかし,一旦運送が開始された後(改札制度のあるときは,改札の後)は,運送人は特定人に対してのみ義務を負い,乗車券の譲渡は許されなくなる。以上に対し,乗車後に発行されるものは,運送賃の支払を証明する単なる証拠証券である。(西原寛一『商行為法』(有斐閣・1960年)333頁)

 


  通常の無記名乗車券は,通説によれば,運送請求権を表章する有価証券であり,引渡により自由に譲渡することができる。ただし,改鋏後は,特定人を運送する義務を負担するから,譲渡は許されない。しかし,乗車中請求あり次第いつでも呈示し,また取集めに際しては渡さなければならない(鉄道営業18条)から,有価証券としての性質を有する。(河本一郎『手形法・小切手法 商法講義』(上柳克郎=北沢正啓=鴻常夫=竹内昭夫編,有斐閣・1978年)26頁)

 


 なお,改鋏後の鉄道乗車券が有価証券であるとするか否かは,有価証券の定義いかんによります。「「有価証券とは,財産的価値のある私権を表章する証券であって,その権利を移転しまたは行使するのに,証券を交付しまたは占有することを必要とするものをいう」との定義が通説になっている。」とされているのに対して(河本24頁),権利の移転及び行使に証券が必要だとする説も有力だからです。なお,鉄道営業法18条は,「旅客ハ鉄道係員ノ請求アリタルトキハ何時ニテモ乗車券ヲ呈示シ検査ヲ受クヘシ/有効ノ乗車券ヲ所持セス又ハ乗車券ノ検査ヲ拒ミ又ハ収集ノ際之ヲ渡ササル者ハ鉄道運輸規程ノ定ムル所ニ依リ割増運賃ヲ支払フヘシ/前項ノ場合ニ於テ乗車停車場不明ナルトキハ其ノ列車ノ出発停車場ヨリ運賃ヲ計算ス」と規定しています。

 


(2)電車(軌道)の乗車券

 さて,松本烝治博士は,鉄道の乗車券が「鉄道をして運送を為さしむべき契約上の権利を表彰する有価証券」であるという解釈は,「其儘之を電車の復券及び回数券に応用して毫も不可なる所あるを観ず。」としています(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』964頁)。「是等の乗車券は,亦運送契約上の権利を表彰する無記名証券たり。之を売買贈与するは実際上頻繁に行はるる所にして,電気局自身も亦回数券が年末年始の贈答用に供せらるることを期待して特に之を売出すを常とす」るからです(同頁)。権利の移転及び行使に用いられる電車の復券及び回数券は当然有価証券であって,そうであればそこに表章されている権利は「運送契約上の(精確に言へば運送契約より生ずるものと同一の)権利」だということのようです。

 なお,松本烝治博士の立論においては,電車の片道券及び往復券の往券は,回数券及び往復券の復券とは異なるものとされています。なぜ異なるのかを理解するには,当時の路面電車の乗車方法を知らなければなりません。

 


 ・・・片道券及び往券は,乗客が之を買求めたる電車に於ける運送の賃金を支払ひたることを証する単純なる証票たるに過ぎずして,有価証券に非ず。車掌は之を乗客に交付するに当りて必ず入鋏することを要す。又,乗客は之を他人に譲渡すことを得ざるや勿論なり。(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』962頁)・・・鉄道に於ては乗車券所持人に非ざれば之が運送を開始せざるを常とするも,電車に於ては別に車内に於て賃金を支払ふ方法を認め,乗車券所持人に非ざるも之が乗車を拒むことな〔し〕・・・(同964頁)

 


・・・之に反して〔電車の〕復券及び回数券は乗客の請求に因りて始めて入鋏せらるるものにして,其入鋏前に於ては自由に之を譲渡すことを得。余は之を以て通常の鉄道乗車券と全然同一性質を有する有価証券なりとす。(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』962頁)

 


 軌道条例(明治23年法律第71号)に基づく軌道である路面電車では,あらかじめ乗車券を買っておくのは例外であって,正則は,電車に乗車後車内で賃金を支払って入鋏された片道券を受け取ることだったようです。

 


3 岡松参太郎及び大審院の乗車券論

 


(1)電車乗車券に係る岡松説

 ところで,松本烝治博士の論敵の岡松参太郎博士は,電車片道券の正則性から,その性質を復券及び回数券にも推し及ぼしたようです。

 


  岡松博士は,電車乗車券は其回数券なると復券なると将た片道券なるとに依り異ることなしとする前提に立ち,片道券は有価証券に非ずして単純なる賃金支払の証拠に過ぎざるを以て,回数券又は復券も亦有価証券たることなしと断定せらる。(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』965頁)

 


 それでは,岡松説では電車の乗車券の性質はどのようなものかといえば,次のようなものだったそうです。

 


  岡松博士は又「現に電車に乗車し其運送の為めに利用する乗車券なるも,運送契約の成立其ものとは無関係なり。即ち営業者の為に賃銭支払の認識票となり,之が為に乗客は降車の請求を受けず,又再度支払の請求を受けざるに至るの便益あるに過ぎず。未だ使用せざる乗車券は,若し電車に乗車する際之を提示せば其金額に相当する支払ありたることを認識する証票と為るべきものたるに過ぎず。」云云勿論法律上の性質には差異あるも,郵便切手の売下は其売下に因り運送契約を締結するものにあらざるに於ては一なり。従て,其売下の後郵便税を改正するも旧税に従ひ運送すべき義務なきと一般なり。」と論結せらる。(「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」『私法論文集』967頁)

 


 電車の乗車券は電車の乗車券なのだから性質はいずれも同じと考える岡松博士に対して,「分析的緻密な」松本博士は,電車の乗車券であっても,証拠証券にすぎない片道券及び往券と有価証券である復券及び回数券とは厳格に分別せられねばならないとするものでありました。

 


(2)電車乗車券に係る大審院の判例

 松本=岡松論争の翌年の大審院(たいしんいん)大正6年2月3日判決(民録2335頁)は,岡松説を採用します。

 


 Y(東京市)と乗客との間に於ける乗車契約は,乗車の時を以て成立するものにして,Yは其当時に於て実施せらるる運送条件に従ひ乗客を運送する私法上の義務を負担すると同時に,乗客も亦其当時に於て効力ある賃金率に従ひ乗車賃を支払ふ義務あるものとす。」

 「往復券・回数券の発行は,他日に於けるYと乗客との運送契約を予想し,之を以て乗車賃の支払に充つるの目的を以て発行せらるるものにして,其票券は,現行の乗車賃4銭と通行税を支払ひたることを証し乗車賃に代用せらるる一種の票券なりと解するを相当とす。故に,此票券の授受に因りYは其所持人に対して運送義務を負担するものにあらずして,唯票券を所持する乗客が乗車の際其票券を提出するに於ては,乗車賃金に代へて之を受領するの責務を負担するに過ぎざるものとす。」

 「是等票券を以て一種の無記名証券なりとし,之を発行したるYをして其所持人に対し運送の義務を負担せしむべきものと解釈すべきの問題に付きては,Yが内務省の認可を経て告示したる賃金表中此解釈を是認すべき何等の憑拠なく,此種の票券を以て無記名証券と看作すべき何等法律の規定なく,票券の内容も亦往復券・回数券たることを表示するに止まり,Yに於て運送義務を負担したることを表示すべき文言の記載あることなければ,他に其無記名証券性を肯定すべき事由の存せざる限りは,之を否定するを相当とす。」

 「往復券の復券殊に回数券が取引上に於て融通性を有することは,毫も其証券的性質を肯定するの根拠たるを得ず。何となれば,是等票券は縦令其性質に於て無記名証券にあらざるも,電車賃に代用せられ其所持人は乗車の際之を車掌に交付するに因りて電車賃の支払を免がるる以上は,其票券は,一種の有価物として売買譲与の目的たるを得ること郵便切手に於けると毫も異なる所なきを以てなり。」

「当院は・・・往復券・回数乗車券の性質より演繹し,其証券的性質を否定すると同時に,回数乗車券の発売に際しYと乗客との間に於ける運送契約若くは其予約の存在を否定し,是等票券を以て乗車賃に代用せらるる票券なりと断定するものなり。従て,往復券・回数券を購買したる者及其承継人は,乗車賃低減の場合に於て過払金として差額の返還を請求し得ると同時に,其増額の場合に付き其差額を支払ふことを要し,乗車賃を前払したるの故を以て其差額を僥倖することを得ざるものとす。」(原文は,片仮名書き,濁点・半濁点,句読点無し。) 

 


(3)電車乗車券判例に対する学説の批判

 「本件回数乗車券はその所持人を運送するというYに対する請求権が表章されている有価証券と解される」とされ(柴田和史「102 回数乗車券の性質」別冊ジュリ『商法(総則・商行為)判例百選[第5版]』(2008年)207頁),「問題となるのは,回数乗車券である。判例は,それが運送債権を表彰するものでなく,運送賃の前払を証する単なる票券ないし運送賃代用の票券にすぎないとする。しかし,旅客が最大の義務である運送賃の支払を終えながら,何らの権利の発生をも認められないのは,当事者の意思に適合しない。回数乗車券も,通用区間の指定(時には通用期間も指定)のある包括的運送契約上の権利を表彰する有価証券と解してよい」と述べられ(西原333頁),また,「回数乗車券も,包括的な運送についての無記名証券となるが,それでは,運賃値上げのとき追加払の要求がみとめられなくなるとして,回数乗車券は運送賃の前払を証する単なる票券にすぎないと解する説もある。しかし,有価証券と解したところで,通用期限の定めのない場合に,当然に追加払を要求できないことになるわけではないと思う。」とされており(鈴木54頁),電車の回数乗車券の無記名有価証券性を否定した上記大審院判例は,一般に学説の反対を受けているようです。

 中でも法政大学の柴田和史教授は研究熱心で,松本=岡松論争時における東京市の路面電車の回数乗車券の現物を確認した上で,いわく。

 


 ・・・最初に本件回数乗車券の外観形状を確認しておくことが重要である。本件回数乗車券の単券には,発行者である「東京市」の記載および「回数乗車券」の記載があるものの,乗車区間,有効期限,発行年月日および金額の記載はなかった(林順信『東京・市電と街並み』[1983]152頁の写真参照。なお,金額について,松本烝治「電車乗車券ノ性質ヲ論シテ岡松博士ノ説ヲ駁ス」〔『私法論文集』967頁〕)。この点,一般的に発行されている回数乗車券の単券に金額が記載されていることから,近時の多くの学説が本件回数乗車券の単券にも金額の記載があるものとして本件判決を論じているが,事実と議論の前提に齟齬があると思われる。単券に金額の記載がないのであるから,票券説,金銭代用(証)券説・・・は立論の根拠を欠くことになろう〔。〕(柴田207頁)

 


 「近時の多くの学説」の一例としては,次のようなものがあります。

 


  無記名回数乗車券については,包括的運送債権を表章した有価証券か,後日成立すべき運送契約を予想してその運賃の前払があったことを証明する金銭代用証券かで争いがある。このような無記名回数乗車券の法的性格を論じる実益としては,発効後運賃の値上りがあったときに,回数券の所持人が運送を請求するためには,追加払が必要か,そのような必要はないのかという形で問題になる。

  大審院は,市電の回数乗車券について,運送人である東京市は,その所持人に運送債務を負担するものではなく,証券を所持する乗客が乗車の際にその証券を提出する場合に乗車賃に代えてこれを受領する債務を負担するにすぎないとして,差額を支払わなければならないという後者の立場をとった(大判大正623日民録2335頁〔百選〔第5版〕102〕)。

 この問題については,無記名回数乗車券といっても,一律に解すべきではないであろう。東京市電の回数乗車券のように,乗車区間も通用期間も限定していないで単に金額のみを表示した回数乗車券については,その証券所持人と運送人との間に運送契約が締結されており,したがって回数乗車券が運送債権を表章しているとは解し難く,大審院の判例の立場を支持すべきであろう。しかし,これに対して,乗車区間も通用期限も限定したものについては,すでに所持人と運送人との間に運送契約が締結されたものと考えるべきであり,したがって追加払は必要ないと解すべきであろう。(近藤光男『商法総則・商行為法〔第5版補訂版〕』(有斐閣・2008年)223224頁。下線は引用者)

 


 近藤光男教授は,丁寧に,自説と共に柴田教授の前記辛口判例評釈を併読するように指示しています。

 ところで,柴田教授は,「本件回数乗車券の券面には発行者Y,および,乗車券である旨の記載があることから,債務者であるYがその営業している乗車区間の範囲内において電車運送をなすべき給付の約束を表示しているものと考えることができる(松本烝治「電車乗車券の性質に関して岡松博士に答ふ」〔『私法論文集』975頁〕)。筆者もこの立場に従い本件回数乗車券の法的性質は有価証券であると考える。」とされた上で,「なお,乗車区間の記載も金額の記載もなければ,どこからどこまでの運送債権を表章するか確定できないのではないかとする反論が予想されるが,当時の東京市電は全区間一律料金だったのでそのような記載がなくても問題はなかったのである。」と述べられていますが(柴田207頁),ここのなお書き部分は,両刃の剣ともなりそうです。「全区間一律料金」だったので当然のこととして区間の記載がなくても問題がなかったのだとするのならば,乗車賃が4銭であることも当然のこととして,回数券の単券に金額の記載がなくとも問題がなかったものといい得るであろうからです。

 


(4)乗合自動車乗車券に係る大審院の判例

 ところで,大審院は,昭和14年2月1日判決(民集18277頁)で,今度は乗合自動車の回数券(「発行者ノ名義其ノ回数乗車券ナルコト各停留所区間料金等ヲ印刷シ其ノ特定ノ宛名ヲ記載シ居ラサル」もの)について,「本件ノ如キ回数乗車券ハ運送業者ト公衆トノ間ニ他日成立スヘキ運送契約ヲ予想シ其ノ乗車賃ノ前払アリタルコトヲ証シ即チ乗車賃ニ代用セラルル一種ノ票券ニシテ之カ発行ニヨリ其ノ所持人トノ間ニ旅客運送契約又ハ其ノ予約成立スルモノニアラス右運送契約ハ唯公衆カ乗車ノ都度乗客ト運送業者トノ間ニ成立スルモノト解スルヲ相当トス之ト同趣旨ノ見解ハ当院判決ノ曩ニ判示セル所ニシテ(大正・・・6年2月3日判決参照)・・・本件ニ付敢テ別異ノ解釈ヲ容ルヘキ特殊ノ事情アルヲ見ス」と判示しています。市電の回数券における東京市の記載ほど横着ではなく,「各停留所区間料金等」まで記載されていましたが,なお「乗車賃ニ代用セラルル一種ノ票券」にすぎないとされています。「各停留所・区間」(上柳克郎「回数乗車券の性質」別冊ジュリ『運輸判例百選』(1971年)160頁)が記載されていても,依然として「運送契約上の(精確に言へば運送契約より生ずるものと同一の)権利」を表章した有価証券にはならないようです(なお,「料金」の記載があることだけでもって直ちに「乗車賃ニ代用セラルル一種ノ票券」にされたということではないでしょう。)。

 判例と学説が,真っ向から対立しているように見えます。

 


4 無記名有価証券性認定のための要件論

 


(1)大審院の立場

 ここで改めて注目すべきものと思われるのが,大審院の大正6年2月3日判決のうち次の部分です。

 


  是等票券を以て一種の無記名証券なりとし,之を発行したるYをして其所持人に対し運送の義務を負担せしむべきものと解釈すべきの問題に付きては,Yが内務省の認可を経て告示したる賃金表中此解釈を是認すべき何等の憑拠なく,此種の票券を以て無記名証券と看作すべき何等法律の規定なく,票券の内容も亦往復券・回数券たることを表示するに止まり,Yに於て運送義務を負担したることを表示すべき文言の記載あることなければ,他に其無記名証券性を肯定すべき事由の存せざる限りは,之を否定するを相当とす。

 


 大審院は,票券の無記名有価証券性を認めるのに慎重であり,契約におけるその旨の規定,法律の規定又は当該義務を負担した旨を表示する当該票券上の記載がなければ,容易には有価証券とは認めないという立場を採っているものと解し得る判示です。

 


(2)松本=岡松論争

 これは,松本=岡松論争における岡松博士の立場に近いもののようです。

 


  岡松博士は無記名証券たるには一定の形式を要すとし,鉄道乗車券,電車回数券の如き類は,此形式を缺くを以て無記名証券たることなしとす。是れ博士論文の中核にして,余の架空の謬想とする所なり。更に詳言すれば,博士は第一に無記名証券たる為めには,(一)一定の給付の約束,(二)所持人に弁済すべき約束,(三)債務者の署名又は記名を記載せるものたるを要すとし,其結果,乗車券類は此形式を具備せざるを以て無記名証券たることなしとし,第二に乗車券類は,若し其所持人に対して債務を負担する意思を以て発行せられたる場合に於ては,独逸民法第807条の特別規定に依り無記名票として無記名証券と同視せらるることを得べきも,此の如き特別規定なき我法律の下に於ては同一の効力を生ずることを得ざるものとす。(松本烝治「電車乗車券ノ性質ニ関シテ岡松博士ニ答フ」(1916年)松本『私法論文集』973974頁)

 


 岡松博士の無記名有価証券三要件は,ドイツ民法793条によるものとされます(「電車乗車券ノ性質ニ関シテ岡松博士ニ答フ」『私法論文集』974頁)。同条は,次のとおり。

 


 793 ある者が,当該証券(Urkunde)の所持人に一定の給付(eine Leistung)を約束する(所持人に対する債務文言(Schuldverschreibung))証券を発行した場合においては,同人から所持人は,当該証券について無権利者であるときを除き,約束に応じた給付を請求することができる。ただし,発行者は,無権利者である所持人に対して給付をしたときは,債務を免れる。

 2 記名(Unterzeichnung)の効力は,当該証券に記載された条件により,特別の形式の遵守にかからしめることができる。記名は,機械的に複製される署名(Namensunterschrift)をもって足りる。

 


「独逸民法は通常の無記名証券に上述の要件の定を為すが故に,乗車券,入場券の類に付て第807条の規定に依り特に無記名証券に関する多数の規定を準用する旨を定むるの必要を生じたもの」とされています(「電車乗車券ノ性質ニ関シテ岡松博士ニ答フ」『私法論文集』974頁)。ドイツ民法807条は,次のとおり。

 


807 債権者が記載されていない票券(Karten, Marken)又は類似の証券が,所持人に一定の給付をすることを同人が義務付けられる意思であるものとみなされる(sich ergibt)状況において発行者から交付された場合においては,第793条第1項並びに第794条,第796条及び第797条の規定が準用される。

 


松本烝治博士は,我が国の民商法にはドイツ民法793条に対応する規定がないことから,同法807条に対応する規定がなくとも,我が国においては「寧ろ所持人に対して義務を負担する意思を以て発行せられたる乗車券,入場券の類は多くは我法律の下に於ける真正の無記名証券なりとする直接方法を採」るものとしています(「電車乗車券ノ性質ニ関シテ岡松博士ニ答フ」『私法論文集』975頁)。「余が通常の鉄道乗車券又は問題の電車復券又は回数券を無記名証券なりとするは,其発行者が所持人に対して義務を負担する意思を以て発行したるものと認定するが故なり」というわけです(同976頁)。

しかしながら,この松本博士の論理の弱点は,発行者から「いやいやそんな意思はありませんでした」と否認されてしまうと窮してしまうことです。「独逸民法前の学説に依りて,積極的に所持人に弁済すべき旨の記載なきも,其所持人証券たるを得べきもの」(「電車乗車券ノ性質ニ関シテ岡松博士ニ答フ」『私法論文集』975頁)も,「証券面の文言又は発行に関する規約若くは慣習」ないしは「他の事情」によって認定されていたようです(同974頁)。発行者の意思の独断的「認定」だけではなかなか弱いでしょう。松本博士はまた,「我国に行はるる無記名社債券には、所持人に弁済すべき旨の明瞭なる記載を缺くもの少なからず存在するが如し。〔岡松〕博士の説に依れば,是等の社債券は無記名証券に非ざるものと為る。」とも反論していますが(同975頁),社債券については,その有価証券性について定める法令が存在しているところです。

 


5 鉄道の王国と長官の息子

軌道である路面電車(大正6年判決)及び乗合自動車(昭和14年判決)の回数乗車券について,大審院は松本烝治博士の無記名有価証券説を排斥しました。松本説は,学説の中にのみ生きて,判例には全く容れられないものなのでしょうか。否,松本烝治博士の父である荘一郎長官が準備した鉄道営業法の世界では,息子の説が生きることができます。「旅客ハ営業上別段ノ定アル場合ノ外運賃ヲ支払ヒ乗車券ヲ受クルニ非サレハ乗車スルコトヲ得ス」と規定する鉄道営業法15条1項があるのであって,鉄道と旅客との間においては,軌道や乗合自動車の場合のように「乗車契約は,乗車の時を以て成立するもの」というわけにはいかないことになっています。やはり,鉄道の乗車券は「鉄道をして運送を為さしむべき契約上の権利を表彰する有価証券」なのでしょう。鉄道営業法15条1項の規定が,鉄道の乗車券の無記名有価証券性の「何等法律の規定」たる根拠となるものでしょう。鉄道に係る当該解釈を「其儘之を〔軌道である〕電車の復券及び回数券に応用」しようとする試みは大審院の容れるところとはなりませんでしたが,鉄道の世界にまで軌道及び乗合自動車に係る大審院判例が跳ね返ってくるわけではありません。

鉄道営業法15条1項は,次のように説明されています。

 


鉄道運送契約の性質に付ては多少の議論ありて或は雇用契約の性質に属するものなりと云ふものあれとも普通法即ち民法に於ては請負契約の一種として之を認めたり蓋し運送契約は人又は物を目的地まて運送することを目的とする契約なれはなり(民法第632条)故に運送賃は其の運送を終了したるとき即ち人又は物の到達地に到達したるときに非されは之か請求を為すことを得さるなり(民法第624条及第633条)然れとも鉄道運送に付ては独り我邦のみならす各国に於ても運賃は乗車又は物品託送の前若は其の際に之か支払を為すへきものとし或は法令を以てし或は運送条件を以て之を規定すること殆と一般鉄道営業の慣例たり旧法即ち鉄道略則第1条に於ても(賃金の事「何人に不限鉄道の列車にて旅行せんと欲する者は先賃金を払ひ手形を受取るへし然らされは決して列車に乗るへからす」)と規定せり本条は之を襲用し従前の如く普通法の例外を認め本条第1項の規定を設けたるものなり即ち旅客は先つ運賃を支払ひて乗車券を受くるに非されば乗車するの権利なきものとす故に若し乗車券なくして乗車したる場合に於て運賃を免るるの目的に出てたるものなるときは50円以下の罰金に処せらる(第〔29〕条第1号)運賃を免るるの目的にあらすして全く乗車券を購求するの暇なく鉄道係員の認諾を得て乗車したる場合に於ては20銭以内の増払を請求せられ又其の認諾を得すして乗車したる場合に於ては普通運賃2倍以内の割増運賃を請求せらるるものとす(鉄道運輸規程第23条)然れとも鉄道に於て営業上別段の定め例へは乗車後に於て乗車券を発売し又は多人数乗車特約の場合に於て運賃の後払を認諾し又は特約にあらさるも乗車賃を後払とするの運送条件を提供しあるの場合の如きは増払又は割増運賃の支払を請求せらるることなくして乗車することを得るなり(『鉄道営業法註釈』(帝国鉄道協会・1901年)2930頁)

 


請負契約の成立を前提に,その報酬の支払時期についてまず特則が設けられたものと解するのが素直でしょう。「乗車券を受くるに非されば乗車するの権利なきものとす」ですから,「乗車するの権利」が乗車券に化体されているものでしょう。鉄道係員の認諾を受けても乗車券なしの乗車の場合には「20銭以内の増払」を請求されるのですから,「乗車契約は,乗車の時を以て成立する」のが正則であるわけはありません。鉄道営業法16条1項が「旅客カ乗車前旅行ヲ止メタルトキハ鉄道運輸規程ノ定ムル所ニ依リ運賃ノ払戻ヲ請求スルコトヲ得」とわざわざ規定しているのは,運送契約が既に成立しているからでしょう。「鉄道の詐欺又は強迫に因り乗車券を購求したる者又は乗車契約の要素に錯誤ありたる場合に於ては其の契約は取消又は無効となる」(帝国鉄道協会33頁)との表現は,「乗車券を買求むるに当りて旅客運送契約が締結せられ」ることを前提としています。鉄道営業法29条の罰則(「鉄道係員ノ許諾ヲ受ケスシテ左ノ所為ヲ為シタル者ハ50円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス/一 有効ノ乗車券ナクシテ乗車シタルトキ/二 乗車券ニ指示シタルモノヨリ優等ノ車ニ乗リタルトキ/三 乗車券ニ指示シタル停車場ニ於テ下車セサルトキ」)は,乗車券が「鉄道をして運送を為さしむべき契約上の権利を表彰する有価証券」であることを前提にしたものと解さなければ理解が難しいところです。

鉄道運輸規程(明治33逓信省令第36号)14条は,「乗車券ニハ通用区間及期限,客車ノ等級,運賃額並発行ノ日附ヲ記載スヘシ/特殊及臨時発行ノ乗車券ニ在リテハ前項ノ記載事項ヲ省略スルコトヲ得」と規定していました。これを見ると,前記東京市の路面電車の回数券は,堂々たる鉄道の乗車券と比べるといかにも横着でしたね。「本件回数乗車券に関しては,単券に金額も有効期限も記載しなかった発行者側の落ち度があまりにも大きく,このような迂闊な当事者を救済するために無理な理論を展開する必要はない」とも主張されるわけですが(柴田207頁),かえって鉄道の乗車券と同様に扱わない理由ともなります。

軌道と鉄道との違いにこだわるのも,いわゆる鉄道オタクの矜持でしょう。

 




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