Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

タグ:国民の祝日に関する法律

1 「感動」の法定化

 2002年サッカー・ワールド・カップ大会の決勝トーナメント1回戦における日本チーム対トルコ・チームの試合に係る同年6月18日の生中継テレビジョン放送を,友人らと一緒に,我が日本チームを熱く応援し,狂乱しながら観た結果,次のような想いを抱いた中年男は,非国民でしょうか。

 

  あの日・・・

  あの日・・・

  分かってしまった・・・!

  オレは・・・

  唐突に・・・

  分かってしまった・・・!

 

  感動などないっ・・・!

 

  あんなものに・・・

  感動などないのだ・・・!

  人一倍・・・

  そう・・・まわりの誰よりも大騒ぎしながら,

  オレは・・・

  胸の奥がどんどん冷えていくのを感じていた・・・!

  そうだ・・・

  そう・・・

  オレが求めているのは・・・

 

   「中田っ・・・!」

   「森島っ・・・!」

 

  っていうようなことじゃなくて・・・

  オレの鼓動・・・

  オレの歓喜。

  オレの咆哮。

  オレのオレによる,

  オレだけの・・・

  感動だったはずだ・・・!

 

  他人事じゃないか・・・!

  どんなに大がかりでも,あれは他人事だ・・・!

  他人の祭りだ・・・!

  いったい・・・

  いつまで続けるつもりなんだ・・・?

  こんな事を・・・!(福本伸行『最強伝説黒沢』第1話)

 

 これに対して,2011年8月24日からそれまでのスポーツ振興法(昭和36年法律第141号)が全部改正されたものである新たな我がスポーツ基本法(平成23年法律第78号)は,その前文第5項において,次のように高らかに謳い上げています。

 

  〔前略〕国際競技大会における日本人選手の活躍は,国民に誇りと喜び,夢と感動を与え,国民のスポーツへの関心を高めるものである。これらを通じて,スポーツは,我が国社会に活力を生み出し,国民経済の発展に広く寄与するものである。〔後略〕

 

すなわち,我が国国権の最高機関たる国会(日本国憲法41条)が立法を通じて示した判断によると(ちなみに,スポーツ基本法は正に議員立法です。),「国際競技大会における日本人選手の活躍」を見ても「誇りと喜び」を感じず,「夢」を抱かず「感動」もしない者は,「国民」に非ずということになるようです。

福本伸行作品は,反日漫画なのでしょうか。

否。前記福本作品主人公に生じたところの「感動などないっ・・・!」との唐突な感覚については,日本チームとトルコ・チームとの当該試合において,日本チームが0対1で不甲斐なくも敗退したことが原因であったというべきです。

予選リーグ突破でさんざん期待を高めておいた挙句に決勝トーナメント1回戦であっさり零敗してしまう当該日本人選手らは,国際競技大会において「活躍」していたものとはいえません(「競」技大会なので,勝ち負けが争われ,したがって,勝つことが重要です。)。「活躍」なければ「感動」なし。これはスポーツ基本法からしても当り前のことです。そうであれば,国際競技大会における勝利なき日本人選手らは,何ら我ら国民の「誇り」の対象とはならず,罵声を浴びることなく無関心をもって遇されれば上々ということになるのでしょう。

 

2 健全な肉体と健全な精神

ところで,スポーツ基本法は,「国は,優秀なスポーツ選手及び指導者等〔スポーツの指導者その他スポーツの推進に寄与する人材(同法11条)〕が,生涯にわたりその有する能力を幅広く社会に生かすことができるよう,社会の各分野で活躍できる知識及び技能の習得に対する支援並びに活躍できる環境の整備の促進その他の必要な施策を講ずるものとする。」(同法25条2項)と規定していますが,国からの「生涯にわた」る当該支援の対象となるスポーツ選手は飽くまでも「優秀な」スポーツ選手です。ここでの優秀なスポーツ選手に係る「その有する能力」とは,健全な身体のみならず輝くばかりの健全な精神に裏打ちされたものなのでしょう(そうでなければそもそも「幅広く社会に生かす」べきものとはならないでしょう。なお「JOC強化指定選手を対象にした調査では,競技引退後の職業としてもっとも希望が多いのは「スポーツ指導者」である」そうです(日本スポーツ法学会編『詳解スポーツ基本法』(成文堂・2011年)189頁)。)。他方,国民に感動を与えられなかった優秀ではないスポーツ選手は,支援対象にはなりません。優秀なスポーツ選手に比べて精神の健全性がなお不十分だということになるからでしょうか。

 

mens sana in corpore sano. (Juvenalis, Saturae 10.356)

健全な精神は健全な肉体に宿る。

 

有名なユウェナリスの句は,「〔前略〕「身体を健全に保っておきさえすれば,精神なんていうものはおのずと健全になるものだ」と読める〔後略〕」ものです(柳沼重剛『ギリシア・ローマ名言集』(岩波文庫・2003年)112頁)。(ただし,原文の一部のみが切り取られて人口に膾炙したものだそうで,正確には“orandum est ut sit mens sana in corpore sano.”の形で引用されるべきものだそうです。「健全な精神が健全な肉体に宿るようにと祈られるべきである」が原意であって,“mens sana in corpore sano est.”との事実を述べる文ではありません。)

スポーツ基本法前文第2項は,伝ユウェナリスの“mens sana in corpore sano”原則に関して,「スポーツは,心身の健全な発達〔略〕等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり,今日,国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠なものとなっている。」と宣言しています。スポーツは身体活動ですから第一次的には身体の健全な発達をもたらし(健全な肉体corpus sanum),その結果として精神(心)も健全に発達するものでしょう(mens sana)。しかして,スポーツは,心身ともに健康で文化的な生活を営む上で「不可欠」であるとされています。すなわち,スポーツなければ心身ともに健康で文化的な生活なし,という関係の存在が認定されているわけです。

 

3 スポーツ参加への熱きすゝめ

ということは,物臭なのか信念なのか何らかの理由でスポーツをしない者は,心身ともに健康で文化的な生活を営むことが不可能になりますから,日本国憲法25条1項によってありがたくも国民に与えられた「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を不逞にもなみする者ということになります。

 

  Il faut sauver les peoples malgré eux. (Napoléon Bonaparte)

  人民は,その意に反して救われねばならぬ。

  

 2011年8月23日以前の古いスポーツ振興法1条2項は,やや慎重に,「この法律の運用に当たつては,スポーツをすることを国民に強制し,又はスポーツを前項の目的〔「国民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に寄与する」目的〕以外の目的のために利用することがあつてはならない。」と規定していましたが,スポーツをすることを強制することの禁止等に係る当該条項は,スポーツ基本法からは削られています。

「施策の方針」との見出しが付されたスポーツ振興法3条の第1項は,また,「国及び地方公共団体は,スポーツの振興に関する施策の実施に当たつては,国民の間において行われるスポーツに関する自発的な活動に協力しつつ,ひろく国民があらゆる機会とあらゆる場所において自主的にその適性及び健康状態に応じてスポーツをすることができるような諸条件の整備に努めなければならない。」と規定してなお国民の側からする「自発的な活動」を待つ受け身の姿勢を前提としていたようなのですが,「基本理念」との見出しが付されたスポーツ基本法2条の第1項は「スポーツは,これを通じて幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利であることに鑑み,国民が生涯にわたりあらゆる機会とあらゆる場所において,自主的かつ自律的にその適性及び健康状態に応じて行なうことができるようにすることを旨として,推進されなければならない。」と規定して今や直接的にスポーツの推進がされる形になっています(要は「スポーツは・・・推進されなければならない。」ということです。)。「国,地方公共団体及びスポーツ団体」は,飽くまでも,「スポーツへの国民の参加及び支援を促進するように努めなければならない。」ので(スポーツ基本法6条),スポーツ嫌いだからとわがままを言ってもスポーツへの参加及び支援を促す熱い働きかけは止まりません。

 

4 スポーツの目的

 

(1)スポーツ基本法による拡大

スポーツ振興法の目的は「国民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に寄与する」こと(同法1条1項)に限定されていましたが(同条2項後段),スポーツ基本法は欲張って,「国民の心身の健全な発達,明るく豊かな国民生活の形成」に加えて「活力ある社会の実現及び国際社会の調和ある発展に寄与すること」をも同法の目的にしています(同法1条)。スポーツの利用目的も限定的なものとはされていません(スポーツ振興法1条2項後段対照)。

 

(2)スポーツによる「活力ある社会の実現」

スポーツによる「活力ある社会の実現」の具体的イメージは,「スポーツは,人と人との交流及び地域と地域との交流を促進し,地域の一体感や活力を醸成するものであり,人間関係の希薄化等の問題を抱える地域社会の再生に寄与するものである。さらに,スポーツは,心身の健康の保持増進にも重要な役割を果たすものであり,健康で活力に満ちた長寿社会の実現に不可欠である。」というもの(スポーツ基本法前文第4項)等のようです。

その結果,「スポーツは,人々がその居住する地域において,主体的に協働することにより身近にスポーツに親しむことができるようにするとともに,これを通じて,当該地域における全ての世代の人々の交流が促進され,かつ,地域間の交流の基盤が形成されるものとなるよう推進されなければならない。」ということになって(スポーツ基本法2条3項),なかなか面倒臭い。

 

(3)スポーツによる「国際社会の調和ある発展」

スポーツによる「国際社会の調和ある発展」の具体的イメージは,「スポーツの国際的な交流や貢献が,国際相互理解を促進し,国際平和に大きく貢献するなど,スポーツは,我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである。」というもののようです(スポーツ基本法前文第5項後段)。

しかし,サッカー・ワールド・カップ予選での両国チームの対戦を契機に勃発した1969年7月のエル・サルバドルとホンジュラスとの間のサッカー戦争というものもありましたから,スポーツが国際平和に常に直ちに貢献するとは限らないようなので,「国際相互理解を促進し,国際平和に大きく貢献」する国際スポーツ交流は,洗練された「接待ゴルフ」的なものが想定されているのでしょうか。確かに,我が国の内閣総理大臣は,アメリカ合衆国大統領と親しくゴルフをしつつ,「我が国の国際的地位の向上」に努めています。

 

 Playing golf with Prime Minister Abe and Hideki Matsuyama, two wonderful people!

   Donald J. Trump, @realDonaldTrump, November 4, 2017 (U.S. Time)

 

  While they were on the green at the swanky Kasumi[gaseki] Country Club on Sunday, Abe fell into a bunker and performed a ninja-like stunt – all without Trump’s knowledge.

   The Washington Post website (by Anna Fifield), November 8, 2017


  
Q Did you see Abe fall at the sand trap?

       PRESIDENT TRUMP: I didn’t. I say this: If that was him, he is one of the greatest gymnasts  because the way he – (laughter) – it was like a perfect – I never saw anything like that.

         Remarks by President Trump in Press Gaggle aboard Air Force One en route Hanoi, Vietnam (November 11, 2017) whitehouse.gov

 

七転び八起き

そうであれば,むきになって日本人選手による勝利の独占ばかりを目指して諸外国の不興をかってはいけないように思われます。しかし,この点,スポーツ基本法2条6項は「大人の対応」的ではない条項です。「スポーツは,我が国のスポーツ選手(プロスポーツの選手を含む。以下同じ。)が国際競技大会(オリンピック競技大会,パラリンピック競技大会その他の国際的な規模のスポーツの競技会をいう。以下同じ。)又は全国的な規模のスポーツの競技会において優秀な成績を収めることができるよう,スポーツに関する競技水準(以下「競技水準」という。)の向上に資する諸施策相互の有機的な連携を図りつつ,効果的に推進されなければならない。」と規定されています。文部科学大臣が2017年3月24日に定めた第2期スポーツ基本計画(平成29年度~平成33年度)(スポーツ基本法9条1項に基づくもの)においては,「政策目標」として,「日本オリンピック委員会(JOC)及び日本パラリンピック委員会(JPC)の設定したメダル獲得目標を踏まえつつ,我が国のトップアスリートが,オリンピック・パラリンピックにおいて過去最高の金メダル数を獲得する等優秀な成績を収めることができるよう支援する。」と記されています(第3章3)。

なお,プロスポーツの選手についても,スポーツ基本法2条6項の括弧書きによってアマチュアのスポーツ選手と同様に取り扱われることになっています。この点,スポーツ振興法3条2項は「この法律に規定するスポーツの振興に関する施策は,営利のためのスポーツを振興するためのものではない。」と規定していたところです。

 

(4)勝ちにこだわるべき競技水準重視主義

 プロスポーツの選手は,スポーツ振興法においては,その第16条の2で「国及び地方公共団体は,スポーツの振興のための措置を講ずるに当たつては,プロスポーツの選手の高度な競技技術が我が国におけるスポーツに関する競技水準の向上及びスポーツの普及に重要な役割を果たしていることにかんがみ,その活用について適切な配慮をするように努めなければならない。」との形で登場していました。「競技技術」が高度だからプロスポーツの選手も活用をするに足りる,ということです。「技」は定義上優劣を争うものであって勝ち負けがありますから,「競技技術」が高度なプロスポーツの選手とはよく勝つプロスポーツの選手ということであり,「スポーツに関する競技水準の向上」ということはスポーツ競技で勝てるようにするということでしょう。スポーツ競技で勝てば,当該「スポーツの普及」は後からついてくる,という発想だったのでしょう。なお,枝番号であることから分かるとおり,スポーツ振興法16条の2は1961年の制定当初にはなかった条文で,1998年の平成10年法律第65号によって後から挿入されたものです。

 スポーツ振興法16条の2と3条2項との関係については,1998年2月17日の参議院文教・科学委員会において,馳浩委員から「本法律案の16条の2はプロ選手の協力を仰ぐ形になっておりまして,すなわちプロ選手の技術指導に期待しております。この点は非常によいことと評価したいと思います。/しかし,プロ選手からの恩恵を受けることを考えながらも,3条において「この法律に規定するスポーツの振興に関する施策は,営利のためのスポーツを振興するためのものではない。」,プロスポーツの振興はこの法律では無関係だとうたっております。これは語弊があるかもしれませんが,プロ選手の技術指導等の恩恵を受けることを念頭に置きながらも,第3条があることによってプロ選手,プロ協会に対して恩をあだで返すような,非常に国や自治体は虫がよ過ぎるのではないかというふうな印象を受けますが,この点についてどうお考えでしょうか。」との質疑がありました。

 スポーツ振興法においては,競技水準の向上は同法16条の2に出て来る程度でした。同法14条は「国及び地方公共団体は,わが国のスポーツの水準を国際的に高いものにするため,必要な措置を講ずるよう努めなければならない。」と規定していましたが,努力義務にとどまるとともに,「スポーツの水準」という漠とした言い方を採用して具体的な「競技水準」の向上云々にまでは言及していません。

 これに対してスポーツ基本法においては,「競技水準」の語が頻出します(2条6項,5条1項,12条1項,16条2項,18条,19条及び28条並びに第3章第3節節名)。およそスポーツ団体(スポーツの振興のための事業を行うことを主たる目的とする団体(スポーツ基本法2条2項括弧書き))たるものはちんたらのどかにスポーツの普及をすることにとどまることなく「競技水準の向上」にも「重要な役割」を果たすべきものと位置付けられ(同法5条1項),国及び地方公共団体の努力義務の対象たるスポーツ施設整備等はのんびり「国民が身近にスポーツに親しむことができるようにする」ためのみならず厳しく「競技水準の向上を図ることができるよう」にするためにも行われるべきものとされ(同法12条1項),「競技水準の向上を図るための調査研究の成果及び取組の状況に関する〔略〕国の内外の情報の収集,整理及び活用について必要な施策を講ずる」ことまでをも国がするものとされ(同法16条2項),更に国は「スポーツ産業の事業者」が「スポーツの普及又は競技水準の向上」を図る上で重要な役割を果たすことを認め(同法18条),国及び地方公共団体による「スポーツに係る国際的な交流及び貢献を推進」するための施策は端的に「我が国の競技水準の向上を図るよう努める」ことの一環であるとされ(同法19条),並びに企業は事業でお金儲け,学生は学問が本分であるように思われるにもかかわらず「国は,スポーツの普及又は競技水準の向上を図る上で企業のスポーツチーム等が果たす役割の重要性に鑑み,企業,大学等によるスポーツへの支援に必要な施策を講ずるもの」とまでされています(同法28条。同条については,大学スポーツ支援に関して「具体的なことはまったく不明であるし,そもそも法律で規定する必要があるのか疑問である。」と評されています(日本スポーツ法学会編61頁)。)。

 「国は,優秀なスポーツ選手を確保し,及び育成するため,〔略〕必要な施策を講ずるものとする。」ということであれば(スポーツ基本法25条1項),外国選手に対して次々と勝利を重ねる「優秀なスポーツ選手」は,今や国家的に期待される日本の宝なのでしょう。

 スポーツ振興法15条は「国及び地方公共団体は,スポーツの優秀な成績を収めた者及びスポーツの振興に寄与した者の顕彰に努めなければならない。」と規定していましたが,スポーツ基本法20条は「国及び地方公共団体は,スポーツの競技会において優秀な成績を収めた者及びスポーツの発展に寄与した者の顕彰に努めなければならない。」と一部修正しています。顕彰に値する「スポーツの優秀な成績」とは「スポーツの競技会」における「優秀な成績」,すなわちスポーツ競技における勝利でしかあり得ない,ということを明らかにしたという趣旨なのでしょう(日本スポーツ法学会編127頁参照)。
 「日本スポーツ法学会」も,スポーツの要素は競争であるとの認識を有しているようです。「スポーツについて,本学会〔日本スポーツ法学会〕の初代会長であった故千葉正士先生は「一定の規則の下で,特殊な象徴的様式の実現をめざす,特定の身体行動による競争」と定義し(千葉正士=濱野吉生編『スポーツ法学入門』6頁(1995年))」ていたとのことです(日本スポーツ法学会編・はしがきⅰ)。

 

5 体育の日と被収容者等のスポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む権利との関係

 

(1)スポーツの日から体育の日へ

 スポーツ基本法においては,スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことが権利である旨謳われるとともに(同法2条1項,前文第2項),「国及び地方公共団体は,国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)第2条に規定する体育の日において,国民の間に広くスポーツについての関心と理解を深め,かつ,積極的にスポーツを行う意欲を高揚するような行事を実施するよう努めるとともに,広く国民があらゆる地域でそれぞれその生活の実情に即してスポーツを行うことができるような行事が実施されるよう,必要な施策を講じ,及び援助を行うよう努めなければならない。」と規定しています(スポーツ基本法23条。努力規定なのは,せっかくの「国民の祝日」の休日(国民の祝日に関する法律3条1項)に行事があるのは,お役人さま方にとってしんどいからでしょうか。)。これは,1961年の成立当初のスポーツ振興法5条に「国民の間にひろくスポーツについての理解と関心を深めるとともに積極的にスポーツをする意欲を高揚するため,スポーツの日を設ける。/スポーツの日は,10月の第1土曜日とする。/国及び地方公共団体は,スポーツの日の趣旨にふさわしい事業を実施するとともに,この日において,ひろく国民があらゆる地域及び職域でそれぞれその生活の実情に即してスポーツをすることができるような行事が実施されるよう,必要な措置を講じ,及び援助を行なうものとする。」と規定されていたものを承けたものです。当時のスポーツの日は「国民の祝日」ではなかったわけで,したがって休日ではありませんでした。
 体育の日が建国記念の日及び敬老の日と共に「国民の祝日」に加えられたのは,
1966年の昭和41年法律第86号によってでした(同法によるスポーツ振興法5条のスポーツの日及び老人福祉法(昭和38年法律第133号)5条の老人の日の各「国民の祝日」化は,政治的に大議論となった建国記念の日を「国民の祝日」に加えることを呑んでもらうためのいわば甘いオブラートだったのでしょう。)。体育の日の趣旨は,「スポーツにしたしみ,健康な心身をつちかう」となっています(国民の祝日に関する法律2条)。その後の体育の日及び敬老の日関係の法改正を見ると,1998年の平成10年法律第141号によって体育の日は1010日から10月の第2月曜日に変更になり(スポーツ振興法においてスポーツの日が復活することはなし。),他方,2001年の平成13年法律第59号によって敬老の日が9月15日から9月の第3月曜日に変更されるとともに,9月15日の老人の日が老人福祉法5条において復活しています。

 

(2)体育の日における被収容者等の運動

しかし,国民の祝日に関する法律2条及びスポーツ基本法23条は,刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(平成17年法律第50号)との関係でいささか皮肉な規定となっています。

 刑事施設の被収容者(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律2条1号),留置施設の被留置者(同条2号)及び海上保安留置施設の海上保安被留置者(同条3号)も日本国民である限りにおいては,スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む権利を有するはずです(スポーツ基本法2条1項,前文第2項)。これに対応して,刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律57条1項本文は「被収容者には,日曜日その他法務省令で定める日を除き,できる限り戸外で,その健康を保持するため適切な運動を行う機会を与えなければならない。」と規定しており,当該規定は被留置者について準用され(同法204条。「法務省令」を「内閣府令」に読み替える。),海上保安被留置者については「海上保安被留置者には,国土交通省令で定めるところにより,その健康を保持するための適切な運動を行う機会を与えなければならない。」と規定されています(同法255条)。
 しかるに,刑事施設及び被収容者の処遇に関する規則(平成
18年法務省令第57号)24条1項1号は国民の祝日に関する法律に規定する休日(同規則19条2項2号)をも刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律57条に規定する法務省令で定める日(被収容者に運動を行う機会を与えない日)とし,国家公安委員会関係刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律施行規則(平成19年内閣府令第42号)16条は同法204条において準用する同法57条の内閣府令で定める日(運動を実施しない日)を当該留置施設の属する都道府県の休日(のうち日曜日を除いた日)としています(国民の祝日に関する法律に規定する休日は都道府県の休日となります(地方自治法(昭和22年法律第67号)4条の2第2項2号)。)。すなわち,国民の祝日に関する法律の規定する休日たる体育の日には,同法2条及びスポーツ基本法23条の規定にかかわらず,被収容者及び被留置者は運動ができないのです。(ただし,海上保安留置施設及び海上保安被留置者の処遇に関する規則(平成19年国土交通省令第61号)11条柱書きは「法第255条に規定する運動の機会は,海上保安被留置者が運動を行いたい旨の申出をした場合において,次に掲げるところにより与えるものとする。」と規定し,「次に掲げるところ」は「運動の場所は,居室外の採光,通風等について適当な場所とすること。」(同規則11条1号)及び「運動の時間は,1日につき30分を下回らない範囲で海上保安留置業務管理者が定める時間とすること。」(同条2号)のみであるので,体育の日()あって(﹅﹅﹅)()海上保安被留置者は運動ができるようです。)

 

6 「スポーツ立国」とは何か

 

(1)スポーツ基本法前文の文言

 ところで,スポーツ基本法前文第7項は「国民生活における多面にわたるスポーツの果たす役割の重要性に鑑み,スポーツ立国を実現することは,21世紀の我が国の発展のために不可欠な重要課題である。」と記し,同第8項は「ここに,スポーツ立国の実現を目指し,国家戦略として,スポーツに関する施策を総合的かつ計画的に推進するため,この法律を制定する。」と結んでいます。ここでいう「スポーツ立国」とは何を意味するのでしょうか。(2011年6月16日の参議院文教科学委員会において江口克彦委員から「スポーツ立国」とは何かという端的な問いかけがあったのですが,これに対して髙木義明文部科学大臣は「スポーツ立国戦略」の説明をもって答えており,噛み合っていません。)

 

(2)“Sport Nation”

 文部科学省のウェブサイトにある非公式の英語への仮訳では,「スポーツ立国」は“sport nation”ということだそうです。手元の辞書(Oxford Advanced Learner’s Dictionary of Current English, 4th edition)によれば“make sport of somebody”との熟語があり,当該熟語は“mock or joke about somebody”の意味であるとありますから,“The ‘sport nation’ idealized by Japan’s Basic Act on Sport shall be realized through making sport of the Japanese Nation.”ということになるとまずいですね。生物学ではsport“plant or animal that deviates in some unusual way from the normal type”という意味で使うこともあるようです。確かに日本は特殊ではあるのでしょう。

 

(3)スポーツ基本法における「スポーツ」   

 スポーツ基本法の本則には「スポーツ」の定義はないのですが,「心身の健全な発達,健康及び体力の保持増進,精神的な充足感の獲得,自律心その他の精神の(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動」ということなのでしょう(同法前文第2項)。スポーツ振興法2条では「この法律において「スポーツ」とは,運動競技及び身体運動(キャンプ活動その他の野外活動を含む。)であって,心身の健全な発達を図るためにされるものをいう。」と定義されていました。目的についていろいろとうるさいのは,推進ないしは振興されるべき「スポーツ」が邪悪な目的のものであっては困るからでしょう

 しかし,「スポーツは,次代を担う青少年の体力を向上させるとともに,他者を尊重しこれと協同する精神,公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培い,実践的な思考力や判断力を育む等人格の形成に大きな影響を及ぼすものである。」ということになると(スポーツ基本法前文第3項),真面目過ぎて息苦しく,楽しくないですね。無論,このような立派な効能は,「次代を担う」青少年にのみ期待されるものであって,人格が既に形成されてしまった残念な大人は,スポーツをしても,他者を尊重しこれと協同する精神,公正さと規律を尊ぶ態度や克己心などはもはやつゆ培われず,実践的な思考力や判断力も今更身に付かないのでしょう。期待値が低いということは,ある意味気楽ではあります。しかして,そのような大人から生まれた子であるのですから,「次代を担う」ほどの才質に恵まれない平凡な多数青少年にとっても事情は同様でしょう。(ただし,スポーツ基本法2条2項は,およそ「心身の成長の過程にある青少年」であれば「公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培う」スポーツの効能は全員に及ぶべきものであるという認識を前提としています。)なお,青少年が学校で行うべきものと国会が考えるスポーツの種類はスポーツ基本法17条の規定から窺知されるところです。同条においては「体育館,運動場,水泳プール,武道場その他のスポーツ施設の整備」が国及び地方公共団体の努力義務の対象とされていますから,「武道場」で行われるべき武道が含まれるようです。相手方に物理的実力を加えることによって勝つことを学ぶ術ですね。
  スポーツ基本法2条2項は児童の権利に関する条約(平成6年条約第2号)31条1項の「休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利」と「関連」するものであるとも説かれています(日本スポーツ法学会編24‐25頁)。しかし,大人びて「規律を尊」び「克己心を培」いつつ過ごすのでは,休息や余暇もなかなか子供らの疲れを回復させにくいようです。


(4)Sportの原義

 とはいえ,スポーツ基本法のように「スポーツ」をひたすら真面目一方かつ御立派なものと位置付けるのは,sportの本来の語義からの逸脱であるように思われます。

 

   sportdisport(遊ぶ;戯れる)から15世紀に語頭音消失(aphesis)によって生まれた言葉である。L dis- (away)L portareから造語されたOF desporter (to seek amusement)が借入されたものであり,この言葉の原義はto carry oneself in the opposite direction,すなわち,to carry oneself from one’s workである。(梅田修『英語の語源辞典』(大修館書店・1990年)306頁。なお,Lはラテン語,OFは古フランス語の意味です。)

 

 仕事(one’s work)から逃避して時間潰しの楽しみを求める(to seek amusement)のが本来のsportならば,sportで立国が可能なものかどうか。福沢諭吉流には立国の大本は瘠我慢ということになるのですが(『瘠我慢の説』),瘠我慢は楽しくはありません。「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む」ことと瘠我慢とは別でしょう。

 

  duas tantum res anxius optat,

     panem et circenses. (Juvenalis, Saturae 10.80)

  二つのことばかりを心配し望んでいる,すなわち,麵麭と大円形競技場における競技とを。

 
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 optamus, calidum canem et basipilam.

(5)頑張れ!日本ニッポン

 あるいは「スポーツ立国」とは,スポーツ競技における国別対抗性を是認した上で,「すでに一国の名を成すときは人民はますますこれに固着して自他の分を(あきらか)にし,他国他政府に対しては(あたか)も痛痒相感ぜざるがごとくなるのみならず,陰陽表裏共に自家の利益栄誉を主張してほとんど至らざるところなく,そのこれを主張することいよいよ盛なる者に附するに忠君愛国等の名を以てして,国民最上の美徳と称する」(『瘠我慢の説』)ところの現実に棹さして,我が国人民が日本人選手・日本チームの勝利栄誉を主張支援してほとんど至らざるところなきことを全からしめようとするものでしょうか。そうであれば,「スポーツは,我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである」とは国際競技大会における日本人選手・日本チームの勝利栄誉あってのことであり,「国際相互理解」とは外国及び外国人が「我が国の国際的地位」の高きことを認めることであり,「国際平和」にとっては我が国の国際的地位の高さに係る他国による当該「国際相互理解」が前提として不可欠であるということになるようにも思われます(スポーツ基本法前文第5項)。2009年5月29日にスポーツ議員連盟(超党派)によって了承された「スポーツ基本法に関する論点整理」には,「スポーツの普遍的な価値や公共的な意義」の一つとして,「スポーツを通じた国際交流によって〔略〕健全な国家アイデンティティの育成に貢献すること」が挙げられていたところです。

 しかし,「国際相互理解」や「国際平和」に関する点については,2010年8月26日に文部科学大臣が決定した「スポーツ立国戦略」においては「スポーツの国際交流は,言語や生活習慣の違いを超え,同一ルールの下で互いに競い合うことなどにより,世界の人々との相互の理解を促進し,国際的な友好と親善に資する」ものであるとされています。一応もっともらしいのですが,「同一ルールの下」に共にいる姿となっていることによって深い「国際相互理解」等があたかも達成されているかのように見える(実は,双方とも,理解しているのは相手ではなく,「ルール」だけかもしれません。),ということだけのようにも思われます。どうでしょうか。

 

(6)「新たなスポーツ文化」

 前記「スポーツ立国戦略」は,「スポーツの意義や価値が広く国民に共有され,より多くの人々がスポーツの楽しさや感動を分かち,互いに支え合う「新たなスポーツ文化」を確立することを目指すものである。」とされています。それなら「スポーツ立国戦略」といわずに「新たなスポーツ文化確立戦略」とでもいってくれた方が分かりやすかったようです。

 「スポーツ立国戦略」では,「さらに多くの人々が様々な形態(する,観る,支える(育てる))でスポーツに積極的に参画できる環境を実現することを目指している。」ともいわれています。スポーツをする人がスポーツの「楽しさ」を感じて,スポーツを観る人がトップアスリートに「感動」して,それらの人々がトップアスリート等を支える(お金を出す等)といった形が想定されているのでしょうか(ただし,「支える(育てる)人」については,清貧に,「指導者やスポーツボランティア」といった人たちが一応考えられていたようです(日本スポーツ法学会編17頁)。)。いずれにせよ,「感動」は「スポーツ立国」における鍵概念であるようです。スポーツを観ることには「感動などないっ・・・!」と一方的に言い募られてしまっては全てがぶち壊しです。2018年の今年は,ロシアでサッカー・ワールド・カップ大会が開催されます

 

  頑張れ!日本(ニッポン)

 

  Libenter homines id quod volunt credunt. (Caesar, De Bello Gallico 3.18)

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

1500002 東京都渋谷区渋谷三丁目5‐16 渋谷三丁目スクエアビル2階

電子メール:saitoh@taishi-wakaba.jp

 

1 国民の祝日に関する法律に定める休日と死刑不執行

 「国民の祝日」と刑事弁護との関係について前回の記事で少し触れるところがありました。しかし,死刑廃止論者の方々は,国民の祝日に関する法律に規定する休日の拡大は歓迎されるのではないでしょうか。刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(平成17年法律第50号)178条2項が次のように規定しているからです。



  日曜日,土曜日,国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日,1月2日,1月3日及び1229日から1231日までの日には,死刑を執行しない。



 なお,死刑の執行について,刑事訴訟法は次のように規定しています。



 475 死刑の執行は,法務大臣の命令による。

   前項の命令は,判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。〔以下略〕



 476 法務大臣が死刑の執行を命じたときは,5日以内にその執行をしなければならない。



しかし,死刑廃止は「世界の大勢」です。ギロチンでルイ16世以下多数の人々をどしどし処刑したフランス人まで,なぜ日本は死刑を廃止しないのかなどと言います。



  Pourquoi n’abolissez-vous pas la peine de mort au Japon? La peine de mort, c’est inhumaine, n’est-ce pas?



 しかし,死刑をしないという点については,日本の政府には過去に実績があります。フランス人に教えを垂れられる必要はありません。



  Nous l’avons fait une fois. Notre ancien gouvernement bouddhiste suspendait l’exécution capitale du neuvième siècle au douzième siècle. Car on avait peur des esprits mauvais des morts autrefois. Mais, sans la peine capitale, ça ne marchait pas.



 実際の会話では,つっかえつっかえなのですが,このように,日本国では9世紀から12世紀まで死刑が停廃されていた云々と何やら難しいことを言い出すと,むこうも閉口してくれます。

 一般的には,9世紀初めの薬子の変から12世紀半ばの保元の乱までが我が国における死刑停廃期間とされています。



  ・・・たとえ二,三の民族がほんの短い間にせよ,死刑を廃止していたのだとしたら,私は人類のためにこのことをほこりに思う。人類をおおっている暗愚の長い夜のさなかに,たった一すじだけかがやいているのが,こうした偉大な真理の運命なのだ。(ベッカリーア『犯罪と刑罰』(岩波文庫・1959年)101頁)



2 保元の乱

 保元の乱は,共に待賢門院を母とする崇徳上皇(顕仁)と後白河天皇(雅仁)の兄弟(ただし,待賢門院を中宮とした鳥羽天皇から見ると,雅仁は子であるが,顕仁は叔父子であって疎外の対象でした。なお,待賢門院は,先月(20144月)30日に亡くなった渡辺淳一の小説『天上紅蓮』のヒロインです。)をそれぞれ擁する勢力の間で,保元元年(1156年)七月,鳥羽法皇崩御直後に起こりました。戦いは天皇方の勝利で終わり,同月二十七日,敗れた上皇方にくみした公卿・武士らの罪が定められ,翌「二十八日には平清盛が六波羅のへんで,叔父の平忠貞(忠正)・同族の長盛・忠綱・正綱,忠貞の郎党道行を斬り」ますが,これが12世紀に至っての死刑執行復活です(源義朝が父の為義らを斬ったのは同月三十日(竹内理三『日本の歴史6 武士の登場』(中央公論社・1965年)351頁))。

 武士はやはり野蛮だねぇ,ということになりそうですが,現実に死刑執行復活を主張したのは,元少納言の藤原通憲(出家して信西)でした。



 保元の「乱後の敵方の処分も峻烈をきわめ,平安朝の初めの藤原薬子の乱以後二百〔ママ〕年間たえて行われなかった死罪を復活し,子に親を,甥に叔父を斬首させたのも信西であった。『法曹類林』〔全230巻。法律家が罪状判定のさいに参考にするために,古くからの明法家の意見や慣例あるいは法令などを事項別に集めたもの〕を著した知識がフルに活用され,法理にもとづくかれの裁断にはだれも反対することができなかったろう」(竹内361362頁,359頁)。


崇徳上皇は,讃岐に流されます。

 おしなべて憂き身はさこそなるみ潟満ち干る潮の変るのみかは

3 薬子の変

大同五年(810年)九月の薬子の変も,平城上皇(安殿)と嵯峨天皇(賀美能)の兄弟(父は平安遷都の桓武天皇,母は藤原乙牟漏)間での争いでした。

さて,変の名前となった藤原薬子とはどういう女性でしょうか。

薬子は藤原式家の種継(桓武天皇の側近で長岡京遷都を推進,延暦四年(785年)に暗殺される。)の娘であって,種継は乙牟漏といとこですから,薬子と平城天皇とはまたいとこです。さらに,薬子は,平城天皇の義母にも当たります。



薬子は・・・藤原縄主(式家)に嫁し,3男2女をうんだ。そしてその長女が平城の東宮時代に選ばれてその宮にはいった。これがきっかけとなり,薬子は安殿太子に近づき,関係を結ぶにいたった。桓武はこの情事をきらい,薬子を東宮からしりぞけたと伝えられている。

安殿が即位すると,二人の仲はもとにもどった。この女の朝廷でのポストは尚侍(天皇に常侍する女官の長)であった。平城にあっては,これ以後,人妻薬子との関係はいっそう深まったようである。しかし天皇は,さすがに上記のごときかんばしからぬ来歴をもつこの女性を,公然と妻の座― 一夫多妻の ―にすえることができなかった。(北山茂夫『日本の歴史4 平安京』(中央公論社・1965年)113頁)



 藤原縄主はまた,どういう人なのか興味がわきますが,大同元年(806年)五月の平城天皇即位当初における政府高官名簿では,参議になっています(北山104105頁)。平城天皇との関係は円満だったということのようです。(縄主は後に中納言)

 平城天皇は,「そうとうの政治的見識をそなえていたとみてよく,また天皇としての執政に強い意欲(パトス)をもっていた」とされますが(北山105頁),大同四年(809年)に病み,同年四月,弟の嵯峨天皇に譲位します。平城上皇は,自分の「身体の不調を怨霊のしわざに帰して悩みつづけ,王位をはなれさえすればその禍いからまぬがれて生命をたもちうるのではないかと考えた」ようです(北山115頁)。
 同年十二月,平城上皇は,平城古京に移ります。嵯峨天皇の平安京と平城上皇の平城京との間で「二所朝廷」という状況が生じます。

  ふるさととなりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり

 翌大同五年(810年)九月六日,「平城は異例にも,上皇の立場において,平安京を廃して皇都を平城の故地にうつすことを命令した。・・・嵯峨天皇と政府にとっては,この遷都宣言はまさに青天の霹靂ともいうべき大事件であったろう。」ということになります(北山119頁)。しかし,嵯峨天皇は,4日後の同月十日には決意を固め,断乎たる処置に出ます。同日,政府は伊勢・近江・美濃に使節を派して関と当該3国を固めさせたほか,薬子の位官を奪い,その兄である参議・仲成を逮捕監禁します(北山120121頁)。これに対して,平城上皇は「激怒のあまり,ついにみずから東国におもむき,大兵を結集して朝廷に反撃しようとした。薬子がそばで挙兵をすすめたらしい。・・・上皇は,薬子とともに駕に乗じて平城宮から進発した」ということになったのですが(北山121頁),「途中で士卒の逃れ去るものが続出したらしい。そして,上皇らが大和国添上郡越田村(奈良市帯解付近)にいたったときに,朝廷の武装兵が前方をさえぎっていた。上皇はやむなく平城宮にひきかえした。わるあがきのうちにすべてが終わったのである。平城上皇は頭をまるめて出家し,薬子は自殺した。」というあっけない結末とはなりました(北山121122頁)。「嵯峨天皇は,平城宮における上皇の出家,薬子の自害の報をえて,〔同月〕十三日に,詔をくだして乱の後始末をつけ」,寛大な措置をとる旨を明らかにし(北山122123頁),同月十九日には元号を大同から弘仁に改めています。寛大な措置の中でだれが死刑になったかといえば,薬子の兄の藤原仲成で,同月十一日の「夜,朝廷は官人を遣わして,仲成を禁所〔右兵衛府〕において射殺させた。」とあります(北山121頁)。これより後, 死刑が停廃されたわけです。

  なお,死刑停廃は弘仁元年からではなく,弘仁九年又は同十三年からであるという説もあります。刑法の大塚仁教授いわく,「嵯峨天皇の弘仁九年(818年)から,後白河天皇の保元元年(1156年)にいたる339年の間,少なくとも朝臣に対しては,死刑が行なわれなかったという刑政史上特筆すべき事実があったことに注意すべきである」(同『刑法概説(総論)〔増補〕』(有斐閣・1975年)32頁)。またいわく,「わが国でも,平安初期の弘仁一三年の太政官符以来,337年にわたって,死刑が,少なくとも朝臣に対しては停廃されていた事実があることはすでに述べた」(同338頁)。しかし,「すでに述べた」と言われても,弘仁九年が正しいのか,同十三年が正しいのかはっきりしないのは困ります。それに,弘仁九年から保元元年までを339年と数えるのならば,弘仁十三年から337年目の年は保元元年ではなく,保元三年になるのではないでしょうか。



4 嵯峨天皇と後白河天皇

 天皇家におけるいずれも弟側が勝った兄弟争いの結果,死刑が打ち止めになり,また死刑が再開されたわけです。

「嵯峨天皇は,性格的に兄の上皇とはちがい,おだやかでゆったりした人物であった。かれは,けっして親政の姿勢をくずさなかったが,政治を多く公卿グループにゆだねるという方針をとっていた。そして,父桓武とは大いに異なり,14年間の執政にあきあきして,なんとかして王座をはなれようとしていた。かれのせつに欲したところは,「山水に詣でて逍遥し,無事無為にして琴書を翫ぶ」ことであった」そうですから(北山132133頁),三筆の一人でもある文人であり,かつ,子沢山の嵯峨天皇の時代に死刑が停廃されたのは,いかにもと思われます。それに,嵯峨天皇も死者の怨霊に苦しめられるタイプで,薬子の変の前の大同五年七月中旬に病臥したときには,「朝廷は天皇の平復のために,早良・伊予,そして吉子の追福ということで,それぞれ100人・10人・20人の度者(得度した者)をさだめ」ています(北山119頁)。早良親王(崇道天皇)は桓武天皇の同母の皇太弟で,藤原種継暗殺事件への関与を疑われて自ら飲食を断って憤死しています(延暦四年)。伊予親王は平城・嵯峨両天皇の異母兄弟で,藤原吉子はその母,平城天皇時代に謀叛の嫌疑をかけられ,両名は幽閉先の大和国川原寺で毒を仰いで自死しています(大同二年)。(また,薬子の変で処刑された藤原仲成も祟るようになったらしく,貞観年中の御霊会では,仲成も御霊として,崇道天皇,伊予親王,藤原吉子らと共になぐさめられています(北山226頁)。)
 以上に対して,後白河天皇の人物の評ですが,側近であるはずのところの信西が,次のようなけしからぬことを言っています。



  後白河法皇は和漢を通じて類の少ないほどの暗君である。謀叛の臣がすぐそばにいても全然ご存じない。人がお気付きになるように仕向けても,それでもおさとりにならぬ。こんな愚昧な君主はいままでに見聞したことがないほどだ。(竹内375頁)



  ・・・ただ二つだけ徳をもっていられる。その一つは,もし何かしようと思われることがあれば,あえて人の制法(とりきめ)に拘束されず,かならずこれをなしとげられる。これは賢主のばあいには大失徳となることだが,当今〔後白河天皇〕はあまりに暗愚であるのでせめてこれが徳にあげられる。つぎの徳は,聞かれたことはけっしてお忘れにならない。年月がたっても心の底におぼえておられることである。(竹内185186頁)



 俗にいう,「根に持つタイプ」ということでしょうか。

 また,後白河天皇は,親王時代から今様,すなわち当時流行の歌謡曲が大好きで,毎日毎晩歌い暮らしていたといいますから(竹内370372頁参照),今でいえば,カラオケ・セットを献上申し上げれば,龍顔莞爾ということでしょうか。父親としては行く末を心配するところで,「鳥羽上皇をはじめ一部の人々のあいだでは,天子のなすべきことではないとの批判」がささやかれていました(竹内373頁)。息子の二条天皇ともうまくいっていなかったようで,後白河上皇宿願の三十三間堂完成供養(長寛二年(1164年)十二月)に当たっても二条天皇は全然協力する気配を見せず,「上皇は目に涙をいっぱいうかべて,「ああ,なにが憎さにそんな仕打ちをするのか」と仰せられ・・・当時の人々は,「今上天皇(二条)は他のことについてはまことに賢主であるが,孝行という点でははなはだ欠けておられる。だから聖代とはいえない」とささやきあった」といいます(竹内386頁)。

 源頼朝による「日本国第一の大天狗はさらに他に居申さぬぞ」との後白河法皇評はどうでしょうか。これは,平氏滅亡後,文治元年(1185年)に義経・行家に与えられた頼朝追討宣旨に対する鎌倉からの法皇糾弾状の一節であって,「法皇の無責任を痛撃・罵倒する威嚇の第一砲であり,院中はこれを見て色を失った」というものです(石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』(中央公論社・1965年)166頁)。

 讃岐に配流された崇徳「上皇は五部大乗経を血書し,「われ日本国の大魔王となり,皇を取って民となし,民を皇となさん」と誓ったといい,1164年(長寛二)八月二十六日,上皇が崩ぜられて火葬したときには,その烟は都のほうへとなびいた」そうですが(竹内353頁),後白河上皇は兄のものを含め怨霊には余り苦しめられないタイプだったのでしょうか。さきにも見たように,同年十二月に気に病んでいたのは専ら息子の二条天皇との不仲だったようです。



5 「大死神」の末路

 死刑執行を進める者は「死神」ということになるようですが,我が国の長きにわたる死刑停廃を終了せしめた「大死神」たる信西入道の末路はいかん。

 後白河上皇の側近であった信西に出世の望みを阻止され,また面目をつぶされた藤原信頼・源義朝らの反信西勢力が,平治元年(1159年)十二月九日夜半にクーデタを敢行(平治の乱の始まり),信西はいち早く京都南方綴喜郡の田原に逃走します。しかしながら,大学者信西(渡来した宋人と唐語で会話もできたそうです。)の知恵を振り絞った土遁の術も空しく,同月「十三日には,信西を追及していた検非違使源光保が,田原の山中で土中に穴を掘って身をかくしていた信西を発見し,首を切ってかえったので梟首にした。」ということになりました(竹内376頁)。ここでの信西の直接の死因については,自殺したとするものもありますが,さて,どうでしょうか。やはり,土中から無残に掘り出されて首を斬られる方がそれらしく思われます。

 平治の乱の戦闘は,その後,クーデタ派のもとから脱出した二条天皇を奉じた清盛率いる平家の勝利をもって終わりますが,それはまた別の話です。



 死刑廃止論者であるベッカリーアも,死刑が許される場合として,「混乱と無秩序が法律にとってかわっている無政府状態の時代にあって,国家の自由が回復されるか失われるかのせとぎわにあるとき,ある一人の国民の生存が,たとえ彼が自由を束ばくされていても,彼のもつ諸関係と名望とによって公共の安全に対する侵害となるような状勢にあるばあい,彼の生存が現存の政体をあやうくする革命を生む危険があるなら,その時その一国民の死は必要になる。」と説いています(『犯罪と刑罰』9192頁)。信西はかつて不遇の時代,後に保元の乱では敵対関係となる藤原頼長相手に「わたくしは運がわるくて一職も帯びていません。もしこのさいわたくしが出家したならば,世間の人は,才がすぐれているから天がその人を亡ぼすのだと考えて,いよいよ学問をしなくなるでしょう。どうかあなただけは学をやめないでください」と語り,それに対して頼長は「けっしてお言葉は忘れますまい」と答えつつ思わず落涙したということがあるそうですが(竹内360頁),才すぐれ,その諸関係と名望とが国家的な危険をももたらし得るような人物になってしまった以上,時代の中心にいて時代の変転ゆえに天に亡ぼされることとなることも,あるいは信西としてはもって瞑すべきことであったのかもしれません。

 学問をやり過ぎるのも危険人物への途のようです。みんなで気持ちよく過ごす職場に気持ちよく調和するためには,お勉強は,ちょっとかしこそうに見えるアクセサリー程度にとどめておくべきでしょうか。しかしそれは,平和なサラリーマン(ウーマン)の道ではあっても,自由な法律家の道ではないでしょう。


つけたり:ベッカリーアの死刑廃止論

 イタリアのベッカリーア(1738年‐1794年)は,近代死刑廃止論の首唱者とされています(『犯罪と刑罰』が最初に出たのが1764年)。ただし,その死刑廃止論の理由は,刑死者の御霊の祟りを恐れるというようなものではなくて,社会契約論,犯罪抑止力への疑問,犯罪抑止力における終身隷役刑の優位性及び公開処刑が社会の良俗に与える悪影響が挙げられています。

 まず,社会契約において各人は彼の生命を奪う権利を法律ないしは社会に譲渡していない,というのがベッカリーアの社会契約論です(『犯罪と刑罰』(前記風早八十二・二葉訳の岩波文庫版)9091頁)。しかし,この点については,社会契約論者中にも別異に解するものが多いようです。

「あらゆる時代の歴史は経験として証明している。死刑は社会を侵害するつもりでいる悪人どもをその侵害からいささかもさまたげなかった。」とは,死刑の現実の犯罪抑止力に対する疑問です(同92頁)。これに対して我らが弁護士(第一東京弁護士会会長)・小野清一郎博士は,1956年5月10日,第24回国会参議院法務委員会の公聴会で,当時の死刑廃止法案に反対の立場から,死刑の犯罪抑止作用の実在を力強く公述しました。いわく,「・・・死刑廃止の結果として,殺人罪の永続的増加を証明した例はありませんとありますが,その資料として用いられている統計の類は,はなはだ不十分なものであります。犯罪は社会科学的に見ますると,複雑な原因と条件とによって生ずるものであります。死刑の存在は犯罪を抑制する一つの契機であるにすぎないのであります。でありますから,これを廃止したからといって,直ちに殺人その他の犯罪が増加を見ないことは,むしろ当然のことであります。10年や15年の粗末な統計を材料にして,数字の魔術にかかるようでは科学的なものということができないと思うのであります。・・・いかなる場合にも自己の生命についてだけは絶対の安全を保障されつつ犯罪に着手することができるというのでは,現実の政治的社会的秩序は相当の危惧を感ぜざるを得ないでありましょう。死刑の威嚇力を過重に評価してはなりません。しかし死をおそれない政治犯人や,絶望的な強盗犯人に対して死刑が無意味であるからといって,その威嚇力または一般予防の作用を否定することはできないと思います。死刑の存在が社会一般に対して抑制の作用を持つことは明らかな心理的事実であります。これを否定されるならば全刑法の組織を否定するほかないのであります。刑法は応報的な社会教育の機構であります。死刑の存在するということが意識下の意識として,いわば無意識的な抑制作用を営むことを,私は心理学的な事実として十分立証することができると思います。死刑を廃止した国における若干の刑事統計によって,死刑に予防作用がないということを立証しようとすることは,その方法自体に疑問があるのであります。私はもっと深い心理学的な研究を必要とすると思っているものであります。以上。(拍手)」

死刑の犯罪抑止力に対する疑問に続いて,ベッカリーアは,犯罪抑止力における終身隷役刑の死刑に対する優位性を説きます。いわく,「人間の精神にもっとも大きな効果を与えるのは刑罰の強度ではなくてその継続性である。・・・この道理でいけば,犯罪へのクツワとしては,一人の悪人の死は力よわいものでしかなく,強くながつづきのする印象を与えるのは自由を拘束された人間が家畜となりさがり,彼がかつて社会に与えた損害を身をもってつぐなっているその姿である」(『犯罪と刑罰』93頁)。またいわく,「・・・死刑と置きかえられた終身隷役刑は,かたく犯罪を決意した人の心をひるがえさせるに十分なきびしさを持つのである。それどころか,死刑より確実な効果を生むものだとつけ加えたい」(同95頁)。更にいわく,「・・・不幸な者たちによってあらわされるみせしめは死刑よりも強く人の心をうつ。死刑は人を矯正しないで,かえって人の心をかたくなにしてしまうが」(同98頁)。

ただし,「家畜」やら「みせしめ」という言葉からすると,ベッカリーアの想定している終身隷役刑は,「被収容者・・・の人権を尊重」する(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律1条参照)我が無期懲役刑とは少々違うようです。「・・・狂熱も虚栄も,鉄格子の中,おう打の下,くさりの間では罪人どもを見すてて行ってしまう。」というのですから(『犯罪と刑罰』95頁),鎖につながれ,殴られるのは当たり前ということでしょう。また,「永い年月あるいは全生涯をドレイ状態と苦しみのうちにすごし,かつてはなかまであつた人々の目にさらされ,今は彼らと同等ではなく,彼らのように自由でもなく社会の一員でもなくなりかつては自分を保護した法律のドレイとなった自分を感じねばならない・・・」と(同98頁),奴隷状態の姿を人々の目にさらされるものとされています。したがって,「へき地での隷役という刑」は,「いいかえれば犯人の侵害行為を受けない地方の国民に無用な犯罪人の手本を送ること」であり,「犯罪が事実行われた地方の国の国民からはみせしめをなくす結果になる」わけです(同113頁)。(なお,我が国でも囚人の使役について, 1885年の金子堅太郎の『北海道三県巡視復命書』では,「彼等〔囚人〕ハ固ヨリ暴戻ノ悪徒ナレバ,其苦役ニ堪ヘズ斃死スルモ,尋常ノ工夫ガ妻子ヲ遺シテ骨ヲ山野ニ埋ムルノ惨情ト異ナル」,「斃レ死シテ其人員ヲ減少スルハ,監獄費支出ノ困難ヲ告グル今日ニ於テ,万止ムヲ得ザル政策ナリ」,「囚人ヲ駆テ尋常工夫ノ堪ユル能ハザル困難ノ衝ニ当ラシムベシ」と,囚人の北海道における土木工事従事について書かれていましたが(色川大吉『日本の歴史21 近代国家の出発』(中央公論社・1966年)245246頁参照),現在ではなかなか許されないことでしょう。)
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博物館網走監獄(向かって左の人形が「五寸釘寅吉」)

 ベッカリーアのいう「死刑はまた,人々にざんこく行為の手本を与えるということで,もう一つ社会にとって有害だ。」との立論は(『犯罪と刑罰』98頁),当時の公開処刑制度を前提とするものでしょう。「「われわれに非道な犯罪として示されている殺人が,いま目のまえで冷然と,なんの良心の苛責もなく犯された。この手本を合法的なものとみていけないことはないはずだ。・・・」以上が,・・・その精神がすでに正常を欠いて犯罪にはしりかけている人々の考えることだ。」とは(同100頁),死刑の見物人の心理に関する描写でしょう。なお,我が国における死刑の執行は非公開で,「死刑は,刑事施設内において,絞首して執行する」ものとされ(刑法111項),「検察官又は刑事施設の長の許可を受けた者でなければ,刑場に入ることはできない」ものとされています(刑事訴訟法4772項)。

1 「ゴールデン・ウィーク」と「国民の祝日」

 世は「ゴールデン・ウィーク」。これも国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)のおかげです。

 ということで,今回は国民の祝日に関する法律について書いてみようと思ったのですが,手元の「実務家向け」と銘打たれている六法を開いても,同法が掲載されていないのには閉口しました。かつては小さな六法にも掲載されていた記憶があるのですが,どうしたものでしょう。最近の六法編集委員・編集者には,「国民」の祝日を軽視する「非国民」が多いのでしょうか。

 ともあれ,いざというときのトホホのお上頼みで総務省行政管理局提供の法令データ提供システムで国民の祝日に関する法律を見ると,その第1条では「自由と平和を求めてやまない日本国民は,美しい風習を育てつつ,よりよき社会,より豊かな生活を築きあげるために,ここに国民こぞつて祝い,感謝し,又は記念する日を定め,これを「国民の祝日」と名づける。」とうたわれおり,第2条柱書きでは「「国民の祝日」を次のように定める。」と規定され,同条中「ゴールデン・ウィーク」関係部分は次のとおりとなっています。



 昭和の日  4月29日 激動の日々を経て,復興を遂げた昭和の時代を顧み,国の将来に思いをいたす。

 憲法記念日 5月3日  日本国憲法の施行を記念し,国の成長を期する。

 みどりの日 5月4日  自然に親しむとともにその恩恵に感謝し,豊かな心をはぐくむ。

 こどもの日 5月5日  こどもの人格を重んじ,こどもの幸福をはかるとともに,母に感謝する。



 なかなか味わい深い文章が並んでいますね。

 第1条冒頭の「自由と平和を求めてやまない日本国民」というのは,1948年当時の我が国民の実感だったものでしょう。しかしながら当該文言については,



・・・紳士諸君は唱えるであろう,平和,平和と。しかし,平和は存在しない。戦争は現実に始まっているのである。・・・鉄鎖と隷従とをもってあがなうべきほど,生命は貴く,平和は甘美なものであるのか。やめていただきたい,全能の神よ。・・・我に自由を与えよ,しからずんば死を与えよ。



と,平和と自由との野蛮な二者択一間において獅子吼したパトリック・ヘンリーを建国の父の一人に持つ米国人ら当時の占領当局の人々からしてみると,自由も平和もと欲張ってこともなげに両立せしめ得るものとする我が国の驚嘆すべき文化水準の高さを示すものと思われたことでしょう。

 昭和の日の項にいう「激動の日々を経て,復興を遂げた昭和の時代」という昭和時代の性格づけは,現在の平成の時代との対比においてされたものでしょうか(平成17年法律第43号)。しかしながら,まさか,我が国会議員の選良諸氏が,平成の時代について,「人に優しい穏便の日々を経て,衰退を遂げた平成の時代」になるものと考えているわけではないのでしょう。けれども,無論,国の将来に「思いをいたす」だけで実行が伴わないと,困るところではあります。

 憲法記念日の項の「国の成長を期する。」という文言も,高齢社会の現在からすると,感慨深いものがありますね。日本国憲法を教科書としてそこに書かれたことを学習しつつ成長すべき,なお成熟していない若き日本国とその国民という自己認識だったものでしょうか。(なお,1948年の国民の祝日に関する法律の制定当初には,9月の敬老の日はいまだありませんでした。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し,長寿を祝う。」といっても,多くの青年兵士の犠牲の末先の大戦をしくじったことについては,国家の指導的地位にあった老人たちはなかなか敬愛してもらうわけにはいかなかったのでしょう。敬老の日は,10月の体育の日と一緒に,建国記念の日が制定されたことで有名な昭和41年法律第86号による1966年の改正によって追加されたものです。ところで,この昭和41年法律第86号を見ると,「スポーツにしたしみ」(体育の日),かつ,「老人を敬愛」(敬老の日)すると「国を愛する心」(建国記念の日)が養われるようでもあり,何だか三題噺みたいでもあります。ちなみに,昭和41年法律第86号の法案は,議員立法主導の国民の祝日に関する法律の歴史では珍しく,内閣(佐藤榮作内閣)提出でした。もう一つ法案が内閣から提出された国民の祝日に関する法律の改正法は,今上天皇の誕生日である12月23日を天皇誕生日とし,4月29日を(旧)みどりの日とした平成元年法律第5号でした。)

 みどりの日の項は,苦労して書かれています。しかし,春分の日が既に「自然をたたえ,生物をいつくしむ。」ことになっているので,趣旨が重複しているようではあります。むしろ,憲法記念日とこどもの日という二つの「国民の祝日」の中間にはさまれた日であるミドル(middle)の日が転訛したものと解すべきか。(というのは後付けの理屈で,4月29日だったみどりの日が5月4日になったのは平成17年法律第43号によってです。)

 こどもの日は,母に感謝する日でもありました。しかし,男女共同参画社会の手前,父が感謝される日が無いということは不当な差別ではないでしょうか。国民の祝日に関する法律を合憲的に解釈するとして,父は,生物として,春分の日においていつくしまれる生物に含まれるということでしょうか,それともあるいは,男は,父になっても依然としてこどもだから,いつまでもこどもの日にこどもとして人格を重んじてもらい,幸福をはかってもらえるということでしょうか。



2 国民の祝日に関する法律に規定する休日

 さて,定められた「国民の祝日」の効果についてですが,これは,国民の祝日に関する法律の第3条に書かれています。



 第3条 「国民の祝日」は,休日とする。

 2 「国民の祝日」が日曜日に当たるときは,その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。

 3 その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない日に限る。)は,休日とする。

 

国民の祝日に関する法律の制定当初は,振替休日等に係る第2項以下は無かったんですけどねえ。

今年(2014年)の「ゴールデン・ウィーク」では5月6日の火曜日までが休日になっているのは,国民の祝日に関する法律3条2項の適用の結果です。5月4日のみどりの日が日曜日に当たったので,「その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日」である5月6日が休日になったものです(月曜日の5月5日はこどもの日であって「国民の祝日」だから,翌火曜日に繰り越し。)。

国民の祝日に関する法律3条3項は,現在,9月の第3月曜日である敬老の日と秋分の日との間において機能する規定となっています。来年(2015年)は,9月21日が敬老の日で,同月23日が秋分の日ですから,同月22日が同項の適用を受け,同月19日の土曜日から同月23日の水曜日までの5日間は,お役所等はお休みです。



3 法律と休日

 さて,上記のように,国民の祝日に関する法律は多大の効果を発揮しています。同法の規定次第で,皆さん休めることになったり休めなかったり一喜一憂です。我が国の①法律で,②休日であると規定されている以上,その日休まないのでは非国民みたいですからね。



(1)休む義務及び仕事をする権利の制限に係る法規性の問題



ア モーセの十戒

 休む義務(義務ですぞ。)ということについては,モーセの十戒が有名な先例です。いわく,「安息日を覚えて,これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神,主の安息であるから,なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ,娘,しもべ,はしため,家畜,またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに,天と地と海と,その中のすべてのものを造って,七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」(出エジプト記20811。また,申命記51215)。

この安息日を守らないと,死刑,であったようです。

「六日のあいだは仕事をしなさい。七日目は全き休みの安息日で,主のために聖である。すべて安息日に仕事をする者は必ず殺されるであろう」(出エジプト記3115)。「六日の間は仕事をしなさい。七日目はあなたがたの聖日で,主の全き休みの安息日であるから,この日に仕事をする者はだれでも殺されなければならない」(同352)。また,「七月の十日」の「贖罪の日」についても同様でした。いわく,「その日には,どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのために,あなたがたの神,主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである。すべてその日に身を悩まさない者は,民のうちから断たれるであろう。またすべてその日にどのような仕事をしても,その人をわたしは民のうちから滅ぼし去るであろう。あなたがたはどのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのすべてのすまいにおいて,代々ながく守るべき定めである。これはあなたがたの全き休みの安息日である。あなたがたは身を悩まさなければならない。またその月の九日の夕には,その夕から次の夕まで安息を守らなければならない」(レビ記232632)。なお,古代ユダヤでは,一日は日没に始まり,日没に終わったそうです(だから,キリストの最後の晩餐は木曜日のことではなくて金曜日)。



イ 昭和天皇の昭和2年勅令第25号と国民の祝日に関する法律

 しかし,国民の祝日に関する法律は,法形式としては「法律」なのですが,モーセの律法のように,国民に休む義務を課し,又は国民の仕事をする権利を制限するいわゆる法規たる事項を定めたものではありません。同法の附則2項は「昭和2年勅令第25号は,これを廃止する。」と規定していて,同法が昭和2年勅令第25号(休日に関する件)に代わるものであることを明らかにしていますが,日本国憲法下では,昭和2年勅令第25号は政令と同一の効力を有するものでしかなかったからです(昭和22年政令第14号1項)。政令で決め得る事項の限界について内閣法11条は,「政令には,法律の委任がなければ,義務を課し,又は権利を制限する規定を設けることができない。」と規定しています。昭和2年勅令第25号は法律の委任を受けたものではありませんでしたから,当然当該勅令の規定をもって国民に義務が課され,権利が制限されたものではなく,また,そうであれば,それを引き継いだ国民の祝日に関する法律も,直接国民に義務を課し,その権利を制限するものとは解されないものであるわけです。

そもそも同法が議員立法により第2回国会で制定されることになったきっかけは,新しい休日に関する命令を政令で定めるという動きが194712月上旬に政府においてあったことに対する国会側の反発であったそうです(194874日衆議院本会議における小川半次同議院文化委員長の発言参照)。本来は内閣制定の政令で決め得ることではあるが,内閣に代わって国会が定めることにした以上,鶏を割くに牛刀の類とはなりますが,法形式としては国会制定の法律となってしまったということのようです。

 なお,昭和2年勅令第25号は,次のとおり。



朕大正元年勅令第19号休日ニ関スル件改正ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

 御 名 御 璽

  昭和2年3月3日〔公布同月4日〕

     内閣総理大臣 若槻礼次郎

勅令第25

左ノ祭日及祝日ヲ休日トス

  元始祭    1月3日

  新年宴会   1月5日

  紀元節    2月11

  神武天皇祭  4月3日

  天長節    4月29

  神嘗祭    1017

  明治節    11月3日

  新嘗祭    1123

  大正天皇祭  1225

  春季皇霊祭  春分日

  秋季皇霊祭  秋分日

   附 則

本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス



 おや,キリスト教国同様1225日もお休みだったのですね。

 ただし,同日は大正天皇の命日ということで休日なので,そうそうはしゃぐわけにはいかなかったものでしょう。
 ちなみに,昭和2年勅令第25号にいう「祭日及祝日」のうち,祭日は元始祭,神武天皇祭,神嘗祭,新嘗祭,大正天皇祭,春季皇霊祭及び秋季皇霊祭であって,祝日は新年宴会,紀元節,天長節及び明治節です。
 元始祭は,「年のはじめに天孫降臨,すなわち天津日嗣(皇位)の始源を祝う祭り」です(村上重良『天皇の祭祀』(岩波新書・1977年)76頁)。明治三年(1870年)一月三日に神祇官の八神殿に八神,天神地祇,歴代皇霊を鎮祭したことが起源ですから(村上76頁),必ずしも古来のものではありません。1月3日が元始祭の日となったのは,直接には上記明治三年一月三日の鎮祭に由来しますが,「1月4日には政始(まつりごとはじめ)の朝儀が行われるので,その前日で,宮中参賀〔元日及び2日〕のない3日が,元始祭の祭日として選ばれたのであろう。」とされています(村上77頁)。天皇守護の「八神」は,カミムスビ,タカミムスビ,タマツメムスビ,イクムスビ,タルムスビ,オホミヤノメ,ミケ及びコトシロヌシです(村上15頁)。「天神」は「ヤマト政権が信仰する神々」,「地祇」は「もともとの土地神」である「国神(くにつかみ)」です(村上9頁)。「皇霊」は,「神武天皇から前天皇にいたる歴代の天皇の霊と,故人となった皇后,皇妃,皇親等の霊の総称であり,天皇ないし皇室の祖先の霊」を意味します(村上87頁)。
 「元始祭は祝祭であるが,当日には宮中の祝宴はなく,1月5日に宮中で「新年宴会」が開かれるきまりになっていた」そうです(村上77頁)。
 神武天皇の崩御日は三月十一日と伝えられており,明治改暦後初年の1873年(明治6年)には天保暦三月十一日に当たる4月7日が神武天皇祭でしたが,古代には用いられていなかった天保暦に基づき,かつ,毎年移動する「この祭日には難点があるため,紀元節を2月11日と算出したのとは別の計算によったらしく,1874年(明治7)から,祭日を4月3日とさだめ」られました(村上86頁)。
 神嘗祭と新嘗祭との違いは何かといえば,「近代の皇室祭祀において,新嘗祭は,天皇が親祭する13の祭典中で,古代の皇室祭祀を受けついだ唯一の祭り」であるのに対し,「伊勢神宮の収穫祭である神嘗祭」は明治四年(1871年)から「新たに天皇が親祭する皇室祭祀に加えられた」ものです(村上71頁,73頁)。「新嘗祭の祭日は,701年(大宝元)の大宝令において,十一月下卯日,同月に3度卯日があるときは中卯日とさだめられた。この祭日は,イネの収穫期よりもかなり遅く,収穫祭としては不自然な感じを受ける。もともと新嘗祭は,晩秋の祭りであったろうが,5世紀ごろ,それまで宮中に祀っていたアマテラスオホミカミを外に遷して伊勢に祀ったのちは,皇祖神に新穀をささげる伊勢神宮の神嘗祭がまず行われ,そののちに重ねて新嘗祭が行われるようになったのであろう。また皇室神道の新嘗祭は,天皇の再生の儀礼としての性格が強いため,農耕社会でひろく見られる生命の再生の祭りである冬至祭と複合して,この祭日となったのかもしれない。」と考えられています(村上13‐14頁)。神嘗祭は九月十七日でしたが,「太陽暦の9月中旬では,新穀がまだ稔らないことから」,「1879年(明治12)にいたり,祭日を1ヵ月ずらして10月17日に改め」られました(村上74頁)。新嘗祭の日が11月23日なのは,明治改暦後初年の1873年(明治6年)11月の下卯日が23日だったからです(村上70頁)。天保暦の十一月下卯日は,グレゴリオ暦では12月下旬頃に当っていました。
 「神仏分離以前には,宮中の祖先祭祀は仏教式であったから,一般と同じく,春秋の彼岸会に,祖先の祭りが営まれてい」ました(村上89頁)。1878年(明治11年)に「綏靖天皇以下後桜町院天皇迄,御歴代の御式年御正辰共廃せられ」(歴代天皇の正辰日(命日)の祭祀だけで年百祭を超えてしまうので,整理して,まとめて祭祀することにしたわけです。),春分日及び秋分日にそれぞれ春季皇霊祭及び秋季皇霊祭を新設したことについては,「国民の生活に仏教行事として定着している春秋の彼岸の祖先まつりを,皇室祭祀の皇霊祭と直結するねらいがあったためであろう。」とされています(村上90‐91頁)。
 明治節は昭和2年勅令第25号で設けられ,明治天皇の誕生日(天保暦九月二十二日,グレゴリオ暦11月3日)は,明治時代の天長節,昭和時代からの明治節及び現在の文化の日と三つの祝日となったことになります。昭和天皇の誕生日(4月29日)も,天長節,天皇誕生日,(旧)みどりの日及び昭和の日と四つの祝日となりました。しかし,この点で最も偉大だったのは大正天皇だったかもしれません。大正元年9月4日勅令第19号(裁可同月3日)は大正天皇の誕生日である8月31日を天長節としましたが,「暑中のため」(村上126頁),大正2年7月18日勅令第259号(裁可同月16日)によって10月31日が天長節祝日として更に休日に加えられています。大正2年7月18日宮内省告示第15号によれば,8月31日には天長節祭のみが行われ,宮中における拝賀宴会は10月31日に行われました。大正時代は15年しかありませんでしたが,天皇の誕生日にちなむ休日は28日あったことになるようです。
 

(2)「休日」の性格の問題

 ところで,そもそも国民の祝日に関する法律その他の法令にいうところの「休日」とはどういう意味でしょうか。



ア 3種類の「休日」

実は,休日にも三つの種類があります。

すなわち,休日とは「一般には,業務を行わない日をいう」のですが,第1には「ある種の事業や一定の地域において,一般的に業務の執行をしないものと慣習上定まっている日」と,民法142条等の用例が挙げられ(慣習によるもの),第2に「国,地方公共団体等の一般の機関が原則として職務の執行をしないものと定められた日」がそうであるとされ(お役所に係るもの),最後に「労働者が労働を休む日をいう」と労働基準法35条の意味での休日(契約によるもの)が挙げられています(吉国一郎ほか『法令用語辞典【第八次改訂版】』(学陽書房・2001年))。労働基準法35条は,その第1項で「使用者は,労働者に対して,毎週少くとも1回の休日を与えなければならない。」と,第2項で「前項の規定は,4週間を通じ4日以上の休日を与える使用者については適用しない。」と規定しています。



イ 国民の祝日に関する法律に規定する休日と慣習又は労働契約に基づく休日との別次元性 

 国民の祝日に関する法律3条にいう休日は,前記休日の3種類のうち,第1及び第3のものではどうやらない旨,1948年7月4日の衆議院本会議で,法案を提出した同議院文化委員会の小川半次委員長が言明しています。



 国民の祝日に関する法律3条の「この休日とは,いわゆる一般の休日の意味でありますので,これ以外の休日を決して排除するものではありません。すなわち第1には,ある社会,階級,地方の全般を通じて業務を休み,取引をなさない日,すなわち日曜日とか土曜日午後のいわゆる銀行休日とか,ぼんとかひがんなども,民法第142条,手形法第72条,第87条,なお小切手法第60条,第75条などに,いわゆる休日として当然残されるのであります。第2には,労働者が就業制限の一方法として毎週少くとも1回休む日も労働基準法上の休日となるわけであり,また,年末,年始にかけてのいわゆる官庁の休暇日なども依然として生きているわけであります。この点,世間に往々誤解がありますので,一応お断り申し上げておきます。」



 かつての民法142条は「期間ノ末日カ大祭日,日曜日其他ノ休日ニ当タルトキハ其日ニ取引ヲ為ササル慣習アル場合ニ限リ期間ハ其翌日ヲ以テ満了ス」と規定しており,よく読むと,「休日」であっても取引はされるものであることが原則となっていました。これは,現在の同条の規定である「期間の末日が日曜日,国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日その他の休日に当たるときは,その日に取引をしない慣習がある場合に限り,期間は,その翌日に満了する。」においてむしろより明らかになっており,国民の祝日に関する法律で定められた休日であっても,同法のみによっては当該休日に取引が行われることを妨げる効力はないことを前提とした規定になっています(取引が行われないものとされるのは,直接には同法によってではなく,慣習によってである。)。

これに対して,我が民法に影響を与えたドイツ民法を見ると,同法の193条は,現在,„Ist an einem bestimmten Tage oder innerhalb einer Frist eine Willenserklärung abzugeben oder eine Leistung zu bewirken und fällt der bestimmte Tag oder der letzte Tag der Frist auf einen Sonntag, einen am Erklärungs- oder Leistungsort staatlich anerkannten allgemeinen Feiertag oder einen Sonnabend, so tritt an die Stelle eines solchen Tages der nächste Werktag.(意思表示又は履行をある期日又はある期間内にすべき場合であって,当該期日又は当該期間の末日が,日曜日,意思表示若しくは履行の場所において国家的に認められた一般の休日又は土曜日に当たるときは,次の取引日をもってその日に替えるものとする。)と規定していて,取引をしない慣習の存在をまたずに,期日又は期間の末日が日曜日等に当たるときは端的にその日を次の取引日に振り替えるものとしています。こちらは,モーセの十戒以来,安息日には仕事をしないものだということが確乎たる法的確信となっているからでしょうか。(ちなみに,1919年のヴァイマル憲法の「第2編 ドイツ人の基本権および基本的義務」における「第3章 宗教および宗教団体」中第139条は,「日曜日および国の承認した祭日は,仕事の休日および精神的向上の日として,法律上保護される。」と規定しており(山田晟訳『人権宣言集』(岩波文庫・1957年)208-209頁),同条は現在もドイツ連邦共和国基本法の構成部分です(同法140条)。)ドイツにおける日曜日の様子は具体的にはどのようなものかといえば,少々昔の話になりますが小塩節教授によれば,「・・・友人の話で,彼は医者なのだが,週末に買ってきた苗木を1本,ある晴れた初夏の日曜日の午後,自分の家の広い庭の一隅に植えた。休息の日である日曜日に働いたかどで彼は訴えられ,裁判所に呼び出されて,有罪の判決を言い渡された。誰の邪魔をしたわけでもない。自分のホビーでやったことだ,と言い張ったがだめだった。/かなり距離のある隣家の3階か4階から,植え込み越しに望遠鏡で一生懸命彼の仕事を見ていたヒマな人が二,三人いたのである。彼らが,法によって定まっている安息日に精神的な被害を受けた,と告訴したのだという。」というようなものだそうです(小塩節『ドイツ語とドイツ人気質』(講談社学術文庫・1988年)91‐92頁)。民法起草者の一人である梅謙次郎は,「西洋ニ於テハ日曜日,大祭日等ニハ各人大抵皆其業ヲ休ミ一切ノ取引ヲ為ササルヲ以テ常トスルカ故ニ広ク本条〔日本民法142条〕ノ規定ヲ適用スルコト或ハ穏当ナラン」と述べていました(梅謙次郎『訂正増補第31版 民法要義 巻之一 総則編』(法政大学・有斐閣書房・1910年)362頁)。

なお,そもそも日本において日曜日を休むことにしたのは,院省使庁府県のお役人あての明治9年太政官達第27号が「従前一六日休暇ノ処来ル4月ヨリ日曜日ヲ以テ休暇ト被定候条此旨相達候事/但土曜日ハ正午12時ヨリ休暇タルヘキ事」(1876312日)と定めて以来,お役人の世界から始まったことであって,国民こぞってキリスト教に改宗して安息日を守ることにしたものではありません(なお,お役人の休みは一六日とされていても,31日は休みではありませんでした(下記明治6年太政官第2号布告参照)。)。梅謙次郎は「我邦ニ於テハ日曜日,大祭日等ニ其業ヲ休ム者ハ極メテ少数ニシテ未タ西洋ノ如キ慣習アラサルカ故ニ一般ニ此規定〔民法142条の規定〕ヲ適用セハ頗ル不当ノ結果ニ陥ルヘシ故ニ本条ニ於テハ此等ノ日ニ取引ヲ為ササル慣習アル場合ニ限リ此規定ヲ適用セリ」と言っていました(梅364頁)。
 (民法が制定された1896年当時における「大祭日」の用法について参考となるものとしては,1891年の小学校祝日大祭日儀式規程(明治24年文部省令第4号)があります。そこでは「祝日大祭日」として,紀元節,天長節,元始祭,神嘗祭及び新嘗祭(同規程1条),孝明天皇祭,春季皇霊祭,神武天皇祭及び秋季皇霊祭(同2条)並びに1月1日(同3条)が挙げられています。紀元節及び天長節並びに1月1日が祝日で(「1月1日も,「四方拝」の名称で,祝日の扱いを受けるようになった。」とされています(村上126頁)。),それ以外が大祭日ということになるのでしょうか。ただし,紀元節の日及び天長節の日並びに1月1日には宮中でそれぞれ紀元節祭及び天長節祭並びに歳旦祭が行われるので(皇室祭祀令(明治41年項皇室令第1号)9条,21条),これらについても祭日ではないとはいえません。しかしながら,紀元節祭は天皇が親祭する大祭であるのに対して(皇室祭祀令8条1項,9条),天長節祭及び歳旦祭は掌典長が祭典を行って天皇が拝礼する小祭です(同令20条1項,21条)。四方拝は,歳旦祭の当日にそれに先立ち(皇室祭祀令23条2項)天皇によって行われる儀式です。)
 ちなみに,民法142条の「その他の休日」について梅謙次郎は,「各地方ノ慣習上ノ休日ヲ云ヘルナリ例ヘハ1月2日ハ大祭日ニ非サルモ往往其業ヲ休ムノ慣習アリ又氏神ノ祭礼ニハ其業ヲ休ムノ慣習稀ナリトセス又旧外国人居留地ニ於テハ耶蘇教ノ祭日ニ其業ヲ休ムカ如キ是ナリ」と説明しています(梅364頁)。
 国民の祝日に関する法律に規定する休日が,ある労働者にとって労働基準法35条の休日になるかどうかも,直接には,当該労働者とその使用者との間の労働契約関係いかんによって決まります。国民の祝日に関する法律によって直ちに決まるものではありません。(「国民の祝日」に働いている労働者はたくさんおり,かつ,だからといって非国民であるわけではありません。「労基法上付与すべき休日は週1日であるので,「国民の祝日に関する法律」の定める「国民の祝日」は,労基法上の休日ではなく,週休日を与えている限り労基法上,休日としなくとも労基法違反は生じない」こととなっています(荒木尚志『労働法 第2版』(有斐閣・2013年)143頁)。)



ウ 官庁執務日と国民の祝日に関する法律

 となると,慣習も要さず,契約も要さずに,「「国民の祝日」は,休日とする。」等との国民の祝日に関する法律3条の規定の適用を直接受け得る受益者は,だれなのでしょうか。

 お役人のようです。

 

 ・・・国の制定した今の祝祭日は,当然官庁の休日になるわけであります・・・

 (苫米地義三国務大臣(内閣官房長官)の1948622日参議院文化委員会における国民の祝日に関する法律案に関する答弁)



そもそも昭和2年勅令第25号の休日に関する件も,本来は官吏の執務日に関する規定であって,直接人民の生活を規制するものではなかったはずです。美濃部達吉は『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)の「第2編 行政組織法」,「第3章 公の勤務法」,「第2節 官吏法」,「4 官吏の義務」という場所において,当該勅令に言及しています(次の最初の括弧書き)。



(ロ)官吏は休日(明治6太政官布告2号に依り1月1日より3日まで1229日より31日までを休暇とし,明治9太政官達27号に依り同年4月より日曜日を休暇とし,昭和2勅令25号により大祭祝日を改定し,これを休日と定めらる)又は賜暇休養・忌服等特別の場合を除くの外,執務時間(大正11閣令6号官庁執務時間)中は執務の場所に現在して執務を為すべき義務が有る。(711頁)

 

 なお,明治6年太政官第2号布告(187317日)は次のとおりでした(ただし,下線部は,同年623日の太政官221号布告で朝令暮改的に取消し)。



 自今休暇左ノ通被定候事

  1月1日ヨリ3日迄 6月28日ヨリ30日迄 1229日ヨリ31日迄

  毎月休暇是迄ノ通

   但大ノ月31日ハ休暇ニ非ス



 現在は法律が整備され,国民の祝日に関する法律に規定する休日とお役所の閉庁日とは明文をもって連動します。



    行政機関の休日に関する法律(昭和63年法律第91号)

  (行政機関の休日)

第1条 次の各号に掲げる日は,行政機関の休日とし,行政機関の執務は,原則として行わないものとする。

  一 日曜日及び土曜日

  二 国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日

  三 1229日から翌年の1月3日までの日(前号に掲げる日を除く。)

2 前項の「行政機関」とは,法律の規定に基づき内閣に置かれる各機関,内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として置かれる各機関及び内閣の所轄の下に置かれる機関並びに会計検査院をいう。

3 第1項の規定は,行政機関の休日に各行政機関(前項に掲げる一の機関をいう。以下同じ。)がその所掌事務を遂行することを妨げるものではない。



    裁判所の休日に関する法律(昭和63年法律第93号)

  (裁判所の休日)

第1条 次の各号に掲げる日は,裁判所の休日とし,裁判所の執務は,原則として行わないものとする。

  一 日曜日及び土曜日

  二 国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日

  三 1229日から翌年の1月3日までの日(前号に掲げる日を除く。)

2 前項の規定は,裁判所の休日に裁判所が権限を行使することを妨げるものではない。



 しかし,お役人のみならず,立派な大企業にお勤めの方々も,多くは,国民の祝日に関する法律に規定する休日がそのまま休業日に連動する形の労働契約を締結されていることでしょう。

 なお,銀行法15条1項は「銀行の休日は,日曜日その他政令で定める日に限る。」と規定し,同項を承けた銀行法施行令5条1項は「法第15条第1項に規定する政令で定める日は,次に掲げる日とする。」と規定して,そこでは,国民の祝日に関する法律に規定する休日1231日から翌年の1月3日までの日(国民の祝日に関する法律に規定する休日を除く。)及び土曜日を掲げています(銀行法施行令5条1項1号から3号まで)。要は,国民の祝日に関する法律に規定する休日には銀行での振込送金はできず,また,自分の預金を引き出すときでも,わざわざ休日勤務してくださったATMさまに休日手数料を余計に支払わねばならないということになるわけです。



4 新たな「国民の祝日」としての「山の日」

 ところで,再来年(2016年)から,8月11日が新たに「国民の祝日」に加わるようです。



(1)第186回国会の国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案

 国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案が衛藤征士郎衆議院議員ほか9名から現在の第186回国会に提出され(衆第9号),衆議院内閣委員会で可決された後,今年(2014年)4月25日に衆議院本会議で可決され,現在参議院で審議中です。



    国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案

  国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)の一部を次のように改正する。

  第2条海の日の項の次に次のように加える。

   山の日  8月11日  山に親しむ機会を得て,山の恩恵に感謝する。

    附 則

  この法律は,平成28年1月1日から施行する。



 ここでの「山に親しむ機会を得て,山の恩恵に感謝する。」との「山の日」の趣旨は,さきに春分の日との関係で苦労しているように思われる旨申し述べたみどりの日の趣旨とまた重複していますね。みどりの日は「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し,豊かな心をはぐくむ」ことになっているので,「山の日」にいう「山」が自然の一部ということになると,なぜ既に自然全般に係るみどりの日があるのにまた殊更に山についてだけ別の「国民の祝日」が要るのか,ということになりそうです。みどりの日は「豊かな心」まで育まなくてはならなくて面倒だから,「山の日」の場合は山に親しんでも,気楽に,貧しい心のまま下山してよいよ,ということでしょうか。それとも「山の日」の「山」は,自然の山ではないのでしょうか。古文で山といえば延暦寺を指す場合もあるそうですから,比叡山延暦寺に親しむ機会を得て伝教大師最澄の恩恵に感謝する,ということでしょうか。三井寺や興福寺の僧兵が暴れそうですね。それとも,安息日に係るものをも含む十戒がモーセに授けられたシナイ山の「山の日」でしょうか。海の日の場合は「海の恩恵に感謝するとともに,海洋国日本の繁栄を願う。」ということで,通商の道としての海を考えれば,必ずしも自然としての海ばかりを見ているということにはならないようなのですが,「山の日」の場合はどう解すべきか。

また,国際連合総会決議による国際山の日(International Mountain Day)1211日という立派な日にあるのに,どうしてまた8月11日が「山の日」なのか。

国会の関係議事録がまだ国立国会図書館のウェッブ・サイトに掲載されていない段階で本稿を書いているのでなおよく分かりませんが,昨年(2013年)1030日の共同通信社のインターネット記事によると,「山の日」の議員連盟の事務局が同日の当該議員連盟の会合に,「山の日」の候補日として,①6月上旬,②海の日(7月第3月曜日)の翌日,③8月のお盆前又は④日曜日を祝日に定め振替休日を設けないとの4案を提示したところ,経済活動に影響の小さいお盆時期の8月12日にまずは決まったそうです。ところが,8月12日は1985年に日本航空ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落した大事故の日であるために,避けてくれということになり,結局20131122日の議員連盟の会合で,「企業が夏休みに入るお盆の時期を中心に再検討し,「家族で山に親しみ,国民全体が有効利用できる」として8月11日に落ち着いた。」ということだったそうです(20131122日共同通信社インターネット・ニュース)。
(注)なお,第186回国会衆議院内閣委員会議録第15号11頁(2014年4月23日の同委員会)及び同国会参議院内閣委員会会議録第16号1頁(同年5月22日の同委員会)を見ると,発議者の衛藤征士郎衆議院議員は「大自然の根本たる山と向き合い,その恩恵に感謝し,山との共存,共生を図ることは極めて有意義であります。」と説明していますから,「山の日」の「山」は,やはり自然の山ですね。また,同議員は,「多くの国民がお盆休み,夏休みでもあるこの期間に,大人も子供も,こぞって山に親しみ,山を考える日となるものと考えております。」とも更に述べています。


(2)弁護人は非国民か

「企業が夏休みに入るお盆の時期」であるのならば,正に慣習によって既に人民の世界は夏休み=休日であるので,国民の祝日に関する法律3条を発動して重ねて休日にし,お役人の勤務日を公的に減らして差し上げ,ATMについてわざわざ銀行に手数料を払うことにする必要はないように思うのですが,どうでしょう。

というのは,刑事弁護も行う弁護士として,「国民の祝日」ということでお役所や銀行が閉まってしまう休日が増えると困ってしまうことがあるからです。例えば,平日ではありませんから,拘置所における刑事被告人との接見・面会がどうしても制約されることになりますし(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律118条1項,刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律施行令2条1項),保釈請求をしたときも,検察官の意見及び裁判所の決定をじりじりしながら待ち,また,保釈金を調達するについても,休日には銀行送金ができないことになります。

「国民の祝日」が増えてみんなせっかく単純に喜んでいるのに何だ,和を乱すな,弁護士なんぞ非国民だ,との非難を覚悟してあえて申し上げれば,国民の祝日に関する法律という題名はややミスリーディングであり,やはり昭和2年勅令第25号の伝統等をも踏まえますと,「官公署及び銀行等の休日に関する法律」などという題名の方がより正確なものなのではないでしょうか。その方が,「国民の祝日」という言葉の輝きに幻惑されずに,より実質的な議論ができるように思われます。国民と一口にいいますが,現実には多様な立場の個人の集まりなのです。

無論,「国民の祝日」であろうが何であろうが,その日に仕事をすると死刑になるわけではない以上,正当な依頼者の方の信頼に応える必要のために休まず仕事をすることは,必ずしも平和でなければ豊かでもないわけではありますが,自由な弁護士の名誉とするところであります。


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八幡平( ここも日本百名山の一つです。)


  弁護士 齊藤雅俊
  大志わかば法律事務所 

  東京都渋谷区代々木一丁目57番2号ドルミ代々木1203

  電話: 03-6868-3194 (法律に関する問題について,お気軽に御相談ください。) 


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