Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

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我,日本の柱とならん(東京都大田区池上本門寺)

1 電波的無

 筆者はかつて電波法(昭和25年法律第131号)関係の仕事をしていたのですが,電波を利用した通信は無線通信ということで,「無」の付く略号をよく見たものです。

 

   無,というのはニヒルだなぁ。

   色即是空。煩悩を去った涅槃の境地に近い業界なのかしらね,これは。

 

 と思ったものですが,実は電波法の規定自体が,深い煩悩を蔵するものとなっています。冒頭部総則の第2条等から若干御紹介しましょう。

 電波法22号は「「無線電信」とは,電波を利用して,符号を送り,又は受けるための通信設備をいう。」と,同条3号は「「無線電話」とは,電波を利用して,音声その他の音響を送り,又は受けるための通信設備をいう。」と定義しています。したがって,同条4号の「無線設備」も通信設備かといえば,実は案に相違してそうではないのです。同号は,「「無線設備」とは,無線電信,無線電話その他電波を送り,又は受けるための電気的設備をいう。」と定義していて,無線設備は通信設備に限定されてはいません。電波法2条に関して,「ここに通信設備という語を使用しているがこの通信とは意思,観念,感情等の人の精神活動を伝達することをいう」とされていますから(荘宏=松田英一=村井修一『電波法放送法電波監理委員会設置法詳解』(日信出版・1950年)(以下,かつての業界での言い方に倣って「三法詳解」といいます。)81-82頁),「人の精神活動を伝達」するものではない「ラジオゾンデ,レーダー,方向探知機等は無線設備」ではあっても(三法詳解82頁),確かに通信設備ではないのでしょう。なかなか面倒臭い。「放送は音響送受のみを行う限りその設備は無線電話であるが,テレビジョンは放送の形式により行われてもそれは無線電話ではない無線設備でありトーキーを伴うときは無線電話との混合設備となる」ということですから(三法詳解82頁),指先をシャカシャカ仏の名のように動かしてはいるもののいかにも煩悩まみれに背中を丸めて皆さんのぞき込んでいるスマート・フォンの類は,専ら無線電話である,ということではなくて,無線電話との混合設備たる無線設備なのでしょう。

 更にまた電波法が面倒なのは,同法41項の無線局の免許又は同法27条の181項の無線局の登録の対象は無線設備ではないことです。すなわち,無線局と無線設備とは別のものなのです。電波法25号は,「「無線局」とは,無線設備及び無線設備の操作を行う者の総体をいう。但し,受信のみを目的とするものを含まない。」と規定しています。例えていえば,電波によって鉄人28号を操縦する正太郎君と当該電波を発射するリモコンとの総体が無線局であって,リモコンそれのみではいかに大事であっても無線設備にすぎないということになります(電波法25号本文)。鉄人28号は,電波を受けて操縦されていることは確かですが,自らは電波を発射しないのであれば無線設備(電波を受けるための電気的設備)ではあっても無線局ではないということになります(電波法25号ただし書)。この無線局の概念については,「無線設備とその操作を行う者とを包含する一つの運行体を無線局といい,免許その他の点で単なる無線設備とは異る法の規律の下に置かれている。」と説明されています(三法詳解83頁)。当該「運行体」について,塩野宏教授の論文には,「法は端的に,人的物的総合体と定義しているのであって,伝統的な行政法学上の用語をもってすれば,組織法的な意味での営造物が無線局ではないであろうか」と述べられています(塩野宏「放送事業と行政介入―放送局免許法制を中心として―」同『放送法制の課題』(有斐閣・1989年)81頁注(44))。

「営造物」については,「国又は公共団体により特定の公の目的に供される人的物的施設の統一体をいうのが通常の用法である。地方財政法23条〔略〕等において使用されているが,個々の設備を指すのでなく,一定の目的の下に統一して考えられる施設の全体を指す。学問上は,「公企業」という場合が多い。」と説明されています(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)33頁)。地方財政法(昭和23年法律第109号)231項は「地方公共団体が管理する国の営造物で当該地方公共団体がその管理に要する経費を負担するものについては,当該地方公共団体は,条例の定めるところにより,当該営造物の使用について使用料を徴収することができる。」と規定しています。1936年段階の行政法学においては,営造物の例として官立の大学,郵便,鉄道及び簡易生命保険が挙げられつつ(美濃部達吉『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)482頁),法人格までを有する営造物法人の「実例は唯我が歴史的な固有の制度としての神宮及び神社に於いてのみ,これを見ることが出来る。」とされていました(同661頁)。より最近の説明では,「法人格を有する独立営造物を営造物法人ということがある。三公社とか地方住宅供給公社・地方道路公社・土地開発公社・港務局等は独立営造物の例とされ,国公立学校・図書館・病院等は非独立営造物の例としてあげられる。」とされています(田中二郎『新版行政法中巻全訂第2版』(弘文堂・1976年)327頁)。「三公社」とは,かつての日本国有鉄道,日本電信電話公社及び日本専売公社のことです。なお,国家賠償法(昭和22年法律第125号)21項の「営造物」は「組織法的な意味での営造物」ではありません。同項の営造物は「行政主体により特定の公の目的に供用される建設物又は物的設備」を指すものであって「大体,公物の概念に相当」し,「特に営造物の概念を構成する必要はない」ものです(田中325頁)。

 「組織法的な意味での営造物」たる無線局には人の要素が入って来ます。我々法律家も,時に人でなし呼ばわりされますが,やはり人です。しかし,困ったことに,無線通信を愛好する法律家協会は「無法協」であるということです(山内貴博「無線通信と法の支配~「無法協」へのお誘い~」自由と正義6611号(201511月号)8頁)。何と,法律家であっても,無線通信絡みでは,電波法もものかは「無法」状態となるのです。仏「法」僧の三宝への帰依を通じた涅槃の境地どころか,由々しい事態です。

 「無」の語は軽々に用いるべきではないのでしょう。

 しかしながら,我々の貴重する諸権利も,所詮形無きものなのです。

 

  或ハ之〔工業所有権〕ヲ無形財産権〔略〕ト称スル者アリト雖モ,総テノ権利ハ皆無形ニシテ有形ノ財産権アルニ非ズ,唯権利ノ目的物ガ或ハ有体物タリ或ハ無体物タルノミ,故ニ無形財産権ノ名称ハ取ラズ(美濃部達吉『行政法撮要下巻〔第3版〕』(有斐閣・1938年)522頁)

 

「総テノ権利ハ皆無形ニシテ」と言われれば,確かにごもっとも,と答えざるを得ません。

 

2 無から知へ

しかし,「無体物権」という名称(美濃部・撮要下522頁)もやはり何やら物哀しいのか,日本人は「知的」なるものが好きなのか,最近は知的財産権という言葉が用いられます。「知的財産権」とは,「特許権,実用新案権,育成者権,意匠権,著作権,商標権その他の知的財産に関して法令により定められた権利又は法律上保護される利益に係る権利」をいいます(知的財産基本法(平成14年法律第122号)22項)。21世紀においては「内外の社会経済情勢の変化に伴い,我が国産業の国際競争力の強化を図ることの必要性が増大している状況」であるので,「新たな知的財産の創造及びその効果的な活用による付加価値の創出を基軸とする活力ある経済社会を実現する」のだ,「知的財産の創造,保護及び活用」が重要なのだということです(知的財産基本法1条参照)。

しかして我々人民は,知的財産との関係でお国からどのように教育されてしまうのかといえば,「国は,国民が広く知的財産に対する理解と関心を深めることにより,知的財産権が尊重される社会が実現できるよう,知的財産に関する教育及び学習の振興並びに広報活動等を通じた知的財産に関する知識の普及のために必要な施策を講ずるものとする。」ということです(知的財産基本法21条)。当該国民の「理解と関心」は,まず,「知的財産権」って何だかすごいのだぞ,そのすごい「知的財産権」を自分も持っているのかなと見回せばここにあったぞ,だからそのすごいこの「知的財産権」を皆は尊重しなければいけないのだぞ,というようなところから始まるのでしょうか。お互い気遣いが必要です。

 

3 「物に関するパブリシティ権」と所有権

 知的財産権の尊重が進んだ昨今は,「物に関するパブリシティ権」までが主張されているそうです。「パブリシティ権は,著名人などの氏名・肖像に伴う経済的価値を保護するものであるが,物や動物にもパブリシティ権があるとする捉え方もある。ある物や動物の形態等が経済的価値を有する場合に,その利用をコントロールする権利として捉える考え方である。」とのことです(作花文雄『詳解 著作権法(第5版)』(ぎょうせい・2018年)161頁)。

 「物に関するパブリシティ権」に関しては,「物や動物等の所有権の使用・収益権の権利内容として,どの範囲にまで及ぶかという観点から,いくつかの判決が出されている」そうです(作花161頁)。「有体物に対する排他的支配権である所有権の射程を無体財産権的に構成しているとも考えられる。」とのことです(作花161頁)。

所有権の効力の問題ということですが,我が民法206条は,所有権の内容を「所有者は,法令の制限内において,自由にその所有物の使用,収益及び処分をする権利を有する。」と規定しています。旧民法財産編(明治23年法律第28号)30条では「所有権トハ自由ニ物ノ使用,収益及ヒ処分ヲ為ス権利ヲ謂フ/此権利ハ法律又ハ合意又ハ遺言ヲ以テスルニ非サレハ之ヲ制限スルコトヲ得ス」と規定されていたところです。フランス民法544条には 

“La propriété est le droit de jouir et disposer des choses de la manière la plus absolue, pourvu qu’on n’en fasse pas un usage prohibé par les lois ou par les règlements.”(所有権は,法令によって禁じられた用法ではない限りにおいて,最も絶対的な方法によって物を使用収益し,及び処分する権利である。)と規定されています。ローマ法学の後期注釈学派(13世紀半ばから16世紀初頭まで)の定義では,“Dominium est ius utendi e abutendi re sua, quatenus iuris ratio patitur.”(所有権(dominium)とは,自己の物(res sua)を法理(juris ratio)が許容する(pati)範囲内で(quatenus)使用し(uti),及び消費する(abuti)権利(jus)である。)ということであったそうです(O.ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法―ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)166頁参照)。Dominiumとは,厳めしい。

 

   東京地裁昭和52317日判決「広告宣伝用ガス気球」事件(判例時報86864頁)では,「所有者は,その所有権の範囲を逸脱しもしくは他人の権利・利益を侵奪する等の場合を除いて,その所有物を,如何なる手段・方法によっても,使用収益することができる(従って,所有物を撮影してその影像を利用して使用収益することもできる。),と解すべきである。さらに,第三者は・・・他人の所有物を如何なる手段・方法であっても使用収益することが許されない(従って,他人の所有物を撮影してその影像を利用して使用収益することも許されない。),と解すべきである。」とされている(ただし,本件事案では,原告の権利を侵害することについての予見可能性がなかったとして請求は棄却)

   高知地裁昭和591029日判決「長尾鶏」事件(判例タイムズ559290頁)は,本件被告が長年の品種改良の末に育成した長尾鶏を本件原告が写真撮影し観光写真として販売したことに対して,本件被告が著作権侵害等を理由として本件原告を被告として提訴し,後日請求放棄したが,この本件被告の提訴により本件原告が精神的苦痛等を被ったとして損害賠償請求した事件である。

   本判決では,長尾鶏の著作物性を否定した上で,「本件長尾鶏には・・・独特な美しさがあり,その管理,飼育にもそれなりの工夫と人知れぬ苦労があり,永年の努力のつみ重ねの結果,ようやくにしてこれが育て上げられたものであることを考えると,本件長尾鶏を写真にとったうえ絵葉書等に複製し,他に販売することは,右長尾鶏所有者の権利の範囲内に属するものというべく,その所有者の承諾を得ることなくして右写真を複製して絵葉書にして他に販売する所為は,右所有権者の権利を侵害するものとして不法行為の要件を備えるものとみられ,右権利を侵害した者はその損害を賠償する義務がある。」(したがって以前した本件被告の提訴は「主張する権利が立証不能な違法不当なものであるとまではいえない」「被告が提起した訴が原告主張の如き不法行為に当たるとは認めがたい」)と判示されている。

   神戸地裁平成31128日判決「サロンクルーザー」事件(判例時報1412136頁)では,「原告は,本件クルーザーの所有者として,同艇の写真等が第三者によって無断でその宣伝広告等に使用されることがない権利を有していることが明らかである。」と判示されている(ただし,被告は本件クルーザーの写真を雑誌に掲載されたことにより「原告が蒙った損害を賠償すべき責任があるといわざるを得ない」と判示されているものの,実際に認定された損害の内容としては本件クルーザーのパブリシティ的価値というよりも,本件クルーザーが売りに出されているとの誤解,原告経営のホテルの経営悪化などに係る「信用,名誉の侵害による原告の損害は,弁護士費用分も含めて100万円が相当」とされている)

  (作花161-162頁)

 

 私の所有物を無断で写真撮影してその影像を勝手に使用収益するのはひどいじゃないですか!との所有者の怒りは正当なものであって,当該怒れる所有権者から不法行為に基づく損害賠償請求の訴えを起こされても,(実際に損害の賠償までせねばならなくなるかどうかはともかくも)横着に写真撮影等をしてしまった者は訴訟対応の苦労を甘受しなければならない,ということでしょうか。なかなか剣呑です。銅像等を自分で撮影した写真を当ブログに掲載することの多い筆者としてはドキドキしてしまいます。「このような一連の判決には,所有権と知的財産権との法制的な関係が整理されて判示されておらず,判然としない面が残る。」とは(作花162頁),もっともな批判です。

 さすがに最高裁判所第二小法廷昭和59120日判決(民集3811頁)は,「所有権は有体物をその客体とする権利であるから,美術の著作物の原作品に対する所有権は,その有体物の面に対する排他的支配権能であるにとどまり,無体物である美術の著作物自体を直接排他的に支配する権能ではない」,著作権法(昭和45年法律第48号)451項及び47条の定めも「所有権が無体物の面に対する排他的支配権能までも含むものであることを認める趣旨のものではない」と判示しています(「顔真卿自書建中告身帖」事件)。

ただし,上記最高裁判所判決の次の判示部分は少し考えさせられるところです。いわく,「博物館や美術館において,著作権が現存しない著作物の原作品の観覧や写真撮影について料金を徴収し,あるいは写真撮影をするのに許可を要するとしているのは,原作品の有体物の面に対する所有権に縁由するものと解すべきであるから,右の料金の徴収等の事実は,一見所有権者が無体物である著作物の複製等を許諾する権利を専有することを示しているかのようにみえるとしても,それは,所有権者が無体物である著作物を体現している有体物としての原作品を所有していることから生じる反射的効果にすぎないのである。」と。すなわち,物の写真撮影に許可を要することは,たとえ「反射的効果」にすぎないとしても,当該物自体の所有権に基づいて求め得るものなのであると解し得るような判示であるとも思われます。しかし,やはり「反射的効果」なのですから,当該物の所有権に直接根拠を有するものではないのでしょう。筆者としては,「美術館所蔵(著作権を有していない場合)の絵画について,観覧者が写真撮影することを美術館の管理権により規制することは可能」(作花162頁)というような表現の方が落ち着くのですが,どうでしょうか。「対象物が著作権の原作品や複製物である場合などは別として,通常の有体物である場合,その写真撮影などは,それ自体としては一般的には当該所有者の権利侵害とはならないものと考えられる。」(作花164頁)というのが,常識的な見解というものでしょう。

東京地方裁判所平成1473日判決(判時1793128頁・判タ1102175頁)は,長野県北安曇郡池田町の(かえで)(acer)の大木(「大峰高原の大かえで」)及び当該楓の生育している土地の所有者による当該楓の所有権に基づく当該楓の写真を掲載した写真集書籍の出版差止めの請求について「所有権は有体物をその客体とする権利であるから,本件かえでに対する所有権の内容は,有体物としての本件かえでを排他的に支配する権能にとどまるのであって,本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版したりする排他的権能を包含するものではない。そして,第三者が本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版,販売したとしても,有体物としての本件かえでを排他的に支配する権能を侵害したということはできない。したがって,本件書籍を出版,販売等したことにより,原告の本件かえでに対する所有権が侵害されたということはできない。/したがって,原告の上記主張〔「本件かえでを撮影した写真を複製したり,複製物を掲載した書籍を出版等する権利は,本件かえでの所有者たる原告のみが排他的に有する」〕は,主張自体失当である。」と一刀両断にしています。原告による前記「広告宣伝用ガス気球」事件,「長尾鶏」事件及び「サロンクルーザー」事件各判決の援用も空しかったところです。当該楓に係る所有権の侵害が認められなかった以上,当該楓の所有権侵害の不法行為に基づく原告の損害賠償請求も棄却されています。ただし,裁判所は,木を見てその所在する土地を見なかったもののようである原告に対して,土地の所有権の効能に注意を向けるべく付言しています。いわく,「しかし,原告が,本件土地上に所在する本件かえでの生育環境の悪化を憂慮して,本件かえでの生育等に悪影響を及ぼすような第三者の行為を阻止するためであれば,本件土地の所有権の作用により,本件かえでを保全する目的を達成することができる。既に述べたとおり,現に,原告は,本件土地への立ち入りに際しては,本件かえでの生育等に悪影響を及ぼす可能性のある行為をしてはならないこと,許可なく本件かえでを営利目的で撮影してはならないことを公示しているのであるから,第三者が上記の趣旨に反して本件土地に立ち入る場合には,原告は当該立入り行為を排除することもできるし,上記第三者には不法行為も成立する。」と。


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こちらは,みずなら(quercus crispula)の木(札幌市南区真駒内泉町)

 

4 公開の美術の著作物等と著作権法46

 ところで,屋外で撮る銅像等の美術の著作物及び建物の写真については,著作権法46条に救済規定があります。

 

   (公開の美術の著作物等の利用)                          

46 美術の著作物でその原作品が前条第2項に規定する屋外の場所〔街路,公園その他一般公衆に開放されている屋外の場所又は建造物の外壁その他一般公衆の見やすい屋外の場所〕に恒常的に設置されているもの又は建築の著作物は,次に掲げる場合を除き,いずれの方法によるかを問わず,利用することができる。

   一 彫刻を増製し,又はその増製物の譲渡により公衆に提供する場合

   二 建築の著作物を建築により複製し,又はその複製物の譲渡により公衆に提供する場合 

   三 前条第2項に規定する屋外の場所に恒常的に設置するために複製する場合

   四 専ら美術の著作物の複製物の販売を目的として複製し,又はその複製物を販売する場合

 

 「街路,公園その他一般公衆に開放されている屋外の場所」については,「仮に私有地であっても一般公衆に開放されていれば該当する」とされ(作花372頁),かつ,「入場に際して料金が必要とされていても,すべからく「一般公衆に開放されている屋外の場所」でないということにはならない。当該場所と美術作品の位置づけとの相関関係により捉えるべきである。例えば,入場料を徴収する公園の中に彫像を設置する場合,公園の入場料は徴収されるとしても,当該公園に入場した者は,自由にその中にある彫像を観覧することができ,また,その入場料は当該観覧の対価としての趣旨はないと通常では考えられ,その意味では「一般公衆に開放されている屋外の場所」に設置されていると考えられる」とされる一方(同373頁),「美術館内や美術館の中庭などは屋外ではないと解される。美術館の前庭で外部から観覧できる位置に設置されている美術作品の場合,入場者に対して観覧させる目的で設置されていると考えられ,美術館のこのような設置態様は「一般公衆に開放されている屋外の場所」への設置とは言えない」とされています(同372頁)。

 著作権法461号の場合は,「彫刻(この彫刻には彫塑を含む)を彫刻としてそのレプリカを作成する場合」です(作花374頁)。

 なお,著作権法4813号によって,同法46条の規定により著作物を利用する場合において「その出所を明示する慣行があるとき」は当該著作物の出所を明示しなければならないものとされていますので(違反者には同法122条により50万円以下の罰金),当該慣行が存在しているかどうかが問題となります。この点,文化庁ウェブ・サイトの「著作権なるほど質問箱」の「著作権QA」における著作権法46条に係る質問(「公園に設置されている彫刻は,屋外の場所に恒常的に置いてある美術の著作物として,大幅な自由利用が認められていると考えていいのですか。」)に対する回答は,出所の明示義務に触れていません(「販売を目的として複製すること,屋外の場所に恒常的に設置するために複製することなど著作権法で定める限られた場合を除き,複製,公衆送信などの利用方法を問わず,著作権者の了解なしに,彫刻を利用することができます(第46条)。例えば,当該彫刻を写真に撮って無料頒布のカレンダーに入れることや,ドラマの撮影の背景にすることなども自由に行うことができます。」)。すなわち当局としては,出所明示の慣行の存在を認識してはいないということなのでしょうか。なお,この「出所の明示」を行うことになったときには,「当該著作物につき表示されている著作者名」を示さなければならないほか(著作権法482項),著作物の題号の表示は基本的な事柄であり,美術作品の場合であれば作品の所有者や設置場所などの表示が望まれるそうですから(作花393-394頁),なかなか大変です。

 著作権法46条の趣旨については,「横浜市営バス車体絵画掲載」事件に係る東京地方裁判所平成13725日判決(判時1758137頁・判タ1067297頁)において「美術の著作物の原作品が,不特定多数の者が自由に見ることができるような屋外の場所に恒常的に設置された場合,仮に,当該著作物の利用に対して著作権に基づく権利主張を何らの制限なく認めることになると,一般人の行動の自由を過度に抑制することになって好ましくないこと,このような場合には,一般人による自由利用を許すのが社会的慣行に合致していること,さらに,多くは著作者の意思にも沿うと解して差し支えないこと等の点を総合考慮して,屋外の場所に恒常的に設置された美術の著作物については,一般人による利用を原則的に自由にした」ものと判示されています。

 ところで,市営バスは移動し,また夜間は車庫内に駐車されるので,市営バスの車体に描かれた美術の著作物は「恒常的に設置されているもの」ではないのではないかが問題になり得ます。しかしながら,上記東京地方裁判所判決は,「広く,美術の著作物一般について,保安上等の理由から,夜間,一般人の入場や観覧を禁止することは通常あり得るのであって,このような観覧に対する制限を設けたからといって,恒常性の要請に反するとして同規定〔著作権法46条柱書き〕の適用を排斥する合理性はない。」,「確かに,同規定が適用されるものとしては,公園や公道に置かれた銅像等が典型的な例といえる。しかし,不特定多数の者が自由に見ることができる屋外に置かれた美術の著作物については,広く公衆が自由に利用できるとするのが,一般人の行動の自由の観点から好ましいなどの同規定の前記趣旨に照らすならば,「設置」の意義について,不動産に固着されたもの,あるいは一定の場所に固定されたもののような典型的な例に限定して解する合理性はないというべきである。」と判示して,継続的に運行される市営バスの車体に描かれた美術の著作物について著作権法46条柱書きの適用を認めました。

 

5 著作権法46条から民法861項へ

 前記「横浜市営バス車体絵画掲載」事件判決によれば,著作権法46条の「恒常的に設置」は,民法861項の「定着物」の「定着」とは異なる概念であるということになります。民法861項は「土地及びその定着物は,不動産とする。」と規定し,同条2項は「不動産以外の物は,すべて動産とする。」と規定しているところ,動き回るバスは不動産ではなく,動産であることは明らかです(旧民法財産編11条本文は「自力又ハ他力ニ因リテ遷移スルコトヲ得ル物ハ性質ニ因ル動産タリ」と規定していました。)。

なお,「不動産に固着されたもの,あるいは一定の場所に固定されたもののような典型的な例」としての「公園や公道に置かれた銅像等」は,民法861項の土地の定着物ということになるのでしょう。「土地の定着物」とは,「(a)土地に附着する物であって,(b)継続的に一定の土地に附着させて使用されることが,その物の取引上の性質と認められるものである。」とされています(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)212頁)。「「定着物」とは,土地に固定されており,取引観念上継続的に固定されて使用されるものをいう。例えば,建物,銅像,線路,植物の苗などである。」と説明されており(内田貴『民法Ⅰ 総則・物権総論』(東京大学出版会・1994年)300頁),すなわち銅像は不動産の一典型ということになります。フランス民法には,“Quant aux statues, elles sont immeubles lorsqu’elles sont placées dans une niche pratiquée exprès pour les recevoir, encore qu’elles puissent être enlevées sans fracture ou détérioration.” (彫像については,その設置のために殊更に使用される壁龕に据え付けられた場合には,破壊又は破損なしに除去し得るときであっても不動産である。)という規定があります(同法5254項)。旧民法財産編9条は「動産ノ所有者カ其土地又ハ建物ノ利用,便益若クハ粧飾ノ為メニ永遠又ハ不定ノ時間其土地又ハ建物ニ備附ケタル動産ハ性質ノ何タルヲ問ハス用方ニ因ル不動産タリ」とし,当該用方ニ因ル不動産の例として同条の第9は,「建物ニ備ヘ」られ「毀損スルニ非サレハ取離スコトヲ得サル〔略〕彫刻物其他各種ノ粧飾物」を挙げています。

 

6 銅像等とその定着する土地との関係

 ところで銅像等は,その定着する土地とは別個の独自の不動産たり得るのでしょうか。

「定着物は,すべて不動産であるが,その不動産としてのとり扱いには,差異がある。(a)一は,土地と離れて独立の不動産とみられるものであって,建物はその典型的なものであり,(b)二は,その定着する土地の一部分とされ,土地に関する権利の変動に随伴するものであって,石垣・溝渠・沓脱石などがこれに属する。前者は,独立して物権の客体となるが,後者は,原則として,土地に定着したままでは独立の物権の客体となることができず,ただ債権関係が成立しうるだけである。そして,(c)樹木は,あたかもこの中間に位するものである〔略〕。結局,土地から離れて独立の不動産となりうる定着物は,建物,立木法による立木,立木法の適用を受けない樹木の集団,個々の樹木である。」(我妻Ⅰ・213頁)とだけいわれると,そこにおいて「土地から離れて独立の不動産となりうる定着物」として挙示されていない銅像は,「石垣・溝渠・沓脱石など」と同様に,「その定着する土地の一部分とされ,土地に関する権利の変動に随伴するもの」ということになりそうです。

しかし,銅像は,線路・鉄管・庭石(場合による)などと同様に,「一般には土地の構成部分だが,それだけの取引も不可能ではなく,それだけの所有権を取得したときは,明認方法を対抗要件とする(庭石につき大判昭9725判決全集1-8-6)」と説かれています(四宮和夫『民法総則(第四版)』(弘文堂・1986年)127頁)。その背景として,銅像等については,一般の立木(りゅうぼく)と同様に,原則としては「不動産の所有者は,その不動産に従として付合した物の所有権を取得する。」として,それが付合する土地所有者の所有物となるものの(民法242条本文),権原によって付属させられたときには例外として「権原によってその物を附属させた他人の権利を妨げない。」との規定(同条ただし書)が適用されるものと解されているところです(四宮129頁補注)。民法242条ただし書の「「権利を妨げない」というのは,その者が所有権を留保する,という意味であって,単に除去または復旧の権利を有するという意味ではない」とされています(我妻榮著=有泉亨補訂『新訂物権法(民法講義Ⅱ)』(岩波書店・1984年)309頁)。

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弘法大師像(千葉県成田市成田山新勝寺)


 これに対して「石垣(大判大7413民録24-669)・敷石・くつぬぎ石・トンネル・井戸・舗装・庭石(場合による)などは,独立の所有権の客体となることはない」ものとされ(四宮126頁),民法に規定のない「土地の構成部分」という特殊な類型であるものとされています(同129頁補注。民法242条ただし書の適用はないものとされます。)。「土地の構成部分」概念については,最高裁判所昭和37329日判決(民集163643頁)において「民法861項にいう土地の定着物とは,土地の構成部分ではないが土地に附着せしめられ且つその土地に永続的に附着せしめられた状態において使用されることがその物の取引上の性質であるものをいう」と傍論ながら触れられています(下線は筆者によるもの)。「民法861項にいう土地の定着物」とは土地以外の不動産のことですから,結局「土地の構成部分」は,正に土地の構成部分として,土地の定着物としての不動産とはならないということなのでしょう。

 

7 一物一権

 ここで「一物一権主義」に触れておきましょう。当該主義について標準的に説かれているところは,「1個の物権の目的物は1個の物であることを必要とする。1個の物の上に1個の所有権が,1個の所有権は1個の物の上に成立するのが原則である(一物一権主義)。共有は1個の所有権の分属である。数個の物の上に1個の物権を成立させることはできない。目的物の特定性・独立性を確実にし,公示に便ならしめるためである。」ということでしょう(我妻=有泉15-16頁。また,内田305頁)。更に,「1個の物の一部分には独立の物権は存在しえず」ともいわれているとされています(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)162頁,同『民法概論Ⅱ(物権・担保物件)』(良書普及会・1980年)16頁)。

 それでは「1個の物」とは何だ,ということが次に問題になりますが,銅像等に係る本件絡みでは,「経済的に一応1個の物としてその価値を認められるが,構成物のそれぞれが,なお独立の価値を認められる場合(例えば地上の樹木・家屋の造作・果樹の果実)においては,法律上も,一応1個の物とする。しかし,(a)これを結合させた者が,これを結合させる正当な権(ママ)を有した場合には,この者の権利を否定すべきではないから,その者のために,独立の物としての存在を是認すべきである(242条但書参照)。また,(b)とくに独立の物として取引をなし,相当の公示方法を備えるときは,独立の物としての存在を是認すべきである」と説かれています(我妻Ⅰ・205頁)。原則として,土地及びその上の樹木(銅像)は併せて1個の土地となるということでしょう。しかしこれに対しては,「民法242条も,起草者によれば,土地とは別個の物だが土地所有権者の所有に帰するとする趣旨だった」し,植物は土地とは別個の物と立法者も考えていたとの指摘があります(星野Ⅰ・161-162頁)。確かに,梅謙次郎は民法242条について「不動産ニ附着シタル物ハ慣習上之ヲ別物トシテ観察スルモノ多キカ故ニ本条〔242条〕ニ於テハ概シテ之ヲ2物トシテ観察セリ例ヘハ土地ニ建築シタル家屋之ニ栽植シタル草木ノ如シ然リト雖モ場合ニ因リテハ到底2物トシテ之ヲ観ルコト能ハサルコトアリ例ヘハ木材ヲ以テ家屋ノ一部ニ使用シタルカ如キ又ハ壁土若クハ漆喰ヲ以テ建物,塗池其他ノ工作物ニ使用シタルカ如キ此類ナリ」と述べています(梅謙次郎『民法要義巻之二物権篇』(和仏法律学校=明法堂・1896年)152頁)。(なお,ここで付合の例として「土地ニ建築シタル家屋」が梅謙次郎によって挙げられていることは興味深いところです。「土地に建物を建てたときは,建物は土地とは別個の物であり,本条〔民法242条〕の適用がない」(星野Ⅱ・124頁)とは当初直ちにはいえず,「請負人が全ての材料を提供して建築した場合について,かつては,建物の土地への付合が問題になった。しかし,判例(大判明37622民録10861,大判大31226民録201208)と学説(鳩山秀夫・日本債権法各論(下)〔大9578,末弘厳太郎・債権各論〔大8695等)によって請負建築の建物は土地に付合しないとされた。」という経緯があったようです(五十嵐清=瀬川信久『新版注釈民法(7)物権(2)』(有斐閣・2007年)403-404頁)。)

 何だかますます分かりにくいですね。これは,一物一権「主義」が悪いのでしょうか。当該主義については,「この考え方は,ドイツ法に強いが,必ずしもすべての立法に存在するものではなく,我が学説はドイツの影響によって」言っているとのことです(星野Ⅱ・16頁)。ドイツ式です。ドイツ民法93条には,“Bestandteile einer Sache, die voneinander nicht getrennt werden können, ohne dass der eine oder der andere zerstört oder in seinem Wesen verändert wird (wesentliche Brstandteile), können nicht Gegenstand besonderer Rechte sein.”(物の構成要素であって,一方又は他方が,毀損され,又はその本質が変ぜられなければ相互に分離することができないもの(本質的構成要素)は,個別の権利の目的となることができない。)と規定されています。

土地及びその定着物に関しては,「ドイツ民法では,土地のみが不動産であり,建物や土地と結合した土地の産物は,土地の本質的構成部分となる(ド民9411文)。種は蒔くことによって,樹木は植えることによって土地の本質的構成部分となる(同項2文)。」とされています(小野秀誠『新注釈民法(1)総則(1)』(有斐閣・2018年)799頁)。「ドイツ民法は,動産と土地(Grundstück)とを対立させ」るということです(我妻Ⅰ・211頁)。問題のドイツ民法941項は,“Zu den wesentlichen Bestandteilen eines Grundstück gehören die mit dem Grund und Boden fest verbundenen Sachen, insbesondere Gebäude, sowie die Erzeugnisse des Grundstücks, so lange sie mit dem Boden zusammenhängen. Samen wird mit dem Aussäen, eine Pflanze wird mit dem Einpflanzen wesntlicher Bestandteil des Gründstücks.”(当該地所に固着させられた物,特に建物及び地面に結合している限りにおいて当該土地の産物は,土地の本質的構成要素である。種子は播種によって,植物は植栽によって当該土地の本質的構成要素となる。)と規定しています。(ただし,同法951項本文には“Zu den Bestandteilen eines Grundstücks gehören solche Sachen nicht, die nur zu einem vorübergehenden Zweck mit dem Grund und Boden verbunden sind.”(一時的な目的のみのために当該地所に付合させられた物は,土地の本質的構成要素ではない。)とあります。)更にドイツ民法は周到に所有権の面に係る規定をも有していて,同法946条は“Wird eine brwegliche Sache mit einem Grundstück dergestalt verbunden, dass sie wesentlicher Bestandteil des Grundstücks wird, so erstreckt sich das Eigentum an dem Grundstück auf diese Sache.” (動産が土地に当該土地の本質的構成要素となるように付合させられたときは,当該土地に係る所有権が当該動産に及ぶ。)と規定しています。単に土地の所有者が当該動産の所有権を取得するのではなく,土地所有権が当該動産をも呑み込んでしまうわけです。

フランス民法については,「フランス民法は,土地と一体をなす建物などは,性質による不動産immeuble par naturnature,土地に従属する物(民法の従物に近いもの)は,用途による不動産(immeuble par destination)と称する(フ民517条以下)。いずれにおいても,建物を独立の不動産としない点でわが民法と異なる。」ということですから(我妻Ⅰ・211頁),「ドイツ・フランスなどでは,地上物は土地所有権に吸収され」て「建物は土地所有権に吸収される」(四宮和夫=能見善久『民法総則(第九版)』(弘文堂・2018年)191頁)ということでよいのでしょうか。しかし,これに対しては,「フランス民法は,土地および建物は「性質による不動産」immeuble par naturnatureとされる(518条)ので,建物は土地の所有権と別個の不動産所有権の目的となるが,建物は反証のない限り土地所有者に属するものと推定される(553条〔略〕)」という非一物説的見解もあります(水本浩「借地の法政策上いま最も重要な課題」日本不動産学会誌1012号(19957月)99頁)。フランス民法518条は “Les fonds de terre et les bâtiments sont immeubles par leur nature.”(土地及び建物は,性質による不動産である。)と,同法553条は“Toutes constructions, plantations et ouvrages sur un terrain ou dans l’intérieur, sont présumés faits par le propriétaire à ses frais et lui appartenir, si le contraire n’est prouvé; sans préjudice de la propriété qu’un tier pourrait avoir acquise ou pourrait acquérir par prescription, soit d’un souterrain sous le bâtiment d’autrui, soit de toute autre partie du bâtiment.”(土地の上又は内部の全ての建造物,植栽物及び工作物は,反証のない限り,所有者がその費用によってなしたものであり,かつ,彼に帰属するものと推定される。ただし,第三者が時効により取得した,又は取得することのある,あるいは他者所有建物の下の地窖,あるいは当該建物の全ての他の部分の所有権を妨げない。)と規定しています。我が旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)81項及び2項は「建築其他ノ工作及ヒ植物ハ総テ其附著セル土地又ハ建物ノ所有者カ自費ニテ之ヲ築造シ又ハ栽植シタリトノ推定ヲ受ク但反対ノ証拠アルトキハ此限ニ在ラス/右建築其他ノ工作物ノ所有権ハ土地又ハ建物ノ所有者ニ属ス但権原又ハ時効ニ因リテ第三者ノ得タル権利ヲ妨ケス」と規定していました。なお,フランス民法5521項は “La propriété du sol emporte la propriété du dessus et du dessous. ”(土地の所有権は,上方及び下方の所有権を伴う。)と規定していますが,これは,「不動産に関する添付の権利について」(Du droit d’accession relativement aux choses immobilières)の款の冒頭規定です。

この辺に関しては “Superficies solo cedit.”との法諺がよく引用されます。しかしてその実体はいかにというと,古代ローマのガイウスの『法学提要』2.73には,“Praeterea id, quod in solo nostro ab aliquo aedificatum est, quamvis ille suo nomine aedificaverit, jure naturali nostrum fit, quia superficies solo cedit.”(さらには(praeterea),何者かによって(ab aliquo)我々の土地に(in solo nostro)建築された物は(id, quod…aedificatum est),彼が(ille)自分の名前で(suo nomine)建築した(aedificaverit)としても(quamvis),自然法により(jure naturali)我々のもの(nostrum)になる(fit)。これすなわち(quia),地上物は(superficies)土地(solum)に従う(cedere)のである。)とあったところです。ユスティニアヌスの『学説彙纂』41.1.7.10(ガイウス)の第1文にも“Cum in suo loco aliquis aliena materia aedificaverit, ipse dominus intellegitur aedificii, quia omne quod inaedificatur solo cedit.”(自分の地所に(in suo loco)他の者が(aliquis)他の材料をもって(aliena materia)建築を行った(aedificaverit)ときは(cum),〔当該地所の所有者〕自身が(ipse)建築物の所有者(dominus…aedificii)と認められる(intellegitur)。これすなわち,全て建築された物は(omne quod inaedificatur)土地に従うのである。)とあります。Cedere(フランス語のcéder)の意味が問題です。(なお,フランス法の位置付けは実は我妻榮にとっても微妙であったようで,「フランスでは,地上物は土地に附属する(superficies solo cedit)という原則は,〔ドイツ及びスイス〕両民法ほど徹底していない(同法553条は建物だけが時効取得されることを認めている)。その結果,宅地または農地の借主が建物を建設する承諾を得ているときは,その建設した建物は賃借人の所有に属するものとみられ,学者は,かような場合の賃借人の権利を「地上の権利(droit de superficie)と呼んでいる。」とのことです(我妻榮『債権各論中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1973395-396頁)。)

 

8 銅像等のみの取引

いろいろ脱線してきましたが,土地とは別に銅像等のみについて取引をするときはどうしたらよいのかという点が筆者には気になりますので,庭石の取引に係る大審院昭和9725日判決(大審院判決全集1-8-6)を見てみましょう。

これはどうも立山を仰ぐ富山市界隈での事件だったようで,宅地上にある庭石の所有権者がだれかが争われたものです。当該宅地上に庭石(約40個)を設置した元地主がその後当該宅地及びその上の建物に抵当権を設定し(抵当権者は(株)岩瀬銀行),当該抵当権が結局実行されてXが競落により193059日に当該抵当不動産の所有権を取得したところ,問題の庭石は当該競落前の1929830日に元地主から第三者に売却されてその際公証人から証書に確定日付(民法施行法(明治31年法律第11号)4条「証書ハ確定日附アルニ非サレハ第三者ニ対シ其作成ノ日ニ付キ完全ナル証拠力ヲ有セス」)を得,かつ,簡易の引渡し(民法1822項。当該第三者は既に当該宅地上の建物に住んでいたのでしょう。)がされており,更に競落後の1931912日に当該第三者からYに売却されていたという事案です。当該庭石は動産にあらざる土地の定着物(したがって不動産)であるとの原審の認定が前提となっています。元地主による抵当権の設定がYの前主に対する1929830日の庭石の売却前なのか後なのかが判決文からははっきりしないのですが(一応,抵当権の設定は庭石のYの前主への売却の後だったものと解します。),大審院は「土地ノ定着物ノミ他人ニ譲渡シタルトキハ買受人ニ於テ其所有権取得ヲ第三者カ明認シ得ヘキ方法ヲ採ルニアラサレハ其取得ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得ス而シテ原審ハ上告人〔YYの前主も含むのでしょう。〕ニ於テ本件定着物ノ所有権取得ヲ明認シ得ヘキ方法ハ毫モ講セラレサリシ事実ヲ確定シ上告人〔Y〕ハ本件物件ノ所有権取得ヲ第三者タル被上告人〔X〕ニ対抗スルコトヲ得サルモノト判定シタルコト判文上明白ニシテ毫モ違法ノ点アルコトナシ」と判示して,Xを勝たせました。

民法施行法4条の規定は,平成29年法律第45号によって202041日から(平成29年政令第309号)削除されます。ナポレオンの民法典の第1328条も既に改正されてしまっています。

元地主の設定に係る岩瀬銀行を抵当権者とする本件宅地建物を目的とした抵当権の効力が本件庭石に及んでいたとして,その説明はどうなるのでしょうか。当該宅地の定着物たる本件庭石は本来当該宅地の一部であるから,明認方法を施して土地から分離の上更に所有権を移転してその明認方法をも施しておかなければ,抵当権の目的たる土地そのものとして抵当権の効力が及び(そもそも明認方法が施されていない場合),又はなお抵当権設定者の所有に係る従物(民法871項)として抵当権の効力が及ぶ(同法370条)のだ(土地からの分離に係る明認方法はあるが,次段階の所有権移転に係る第三者対抗要件たる明認方法まではない場合),ということになるでしょうか。「この場合の庭石は,未分離果実と異なり,明認方法をほどこさないと土地所有権に吸収され,独立の取引対象とならない。したがって,明認方法は,それによって庭石を土地から分離し,土地から独立して処分できる対象であることを示す,分離公示機能の意味もあるのではないか。その上で,対抗要件としての意味も有する。」との能見善久教授の見解(四宮=能見193頁)に従った上で,煩瑣に考えると上記のような細かい説明もできそうであるところです。なお,土地の所有権者がその土地上の自己所有の定着物について分離公示のための明認方法をあらかじめわざわざ施すというのも変な話のようですが,前主から取得した土地上に当該土地取得に係る移転登記がされない間に立木を植栽していたところ前主が当該土地を第三者に売って移転登記を経たために当該立木の所有権の所在が争われることとなった事案に係る最高裁判所昭和3531日判決(民集143307頁)は,「〔民法242条ただし書の類推により本件立木の地盤への付合が遡って否定されることに係る〕立木所有権の地盤所有権からの分離は,立木が地盤に附合したまま移転する本来の物権変動の効果を立木について制限することになるのであるから,その物権的効果を第三者に対抗するためには,少なくとも立木所有権を公示する対抗要件を必要とすると解せられるところ,原審確定の事実によれば,被上告人ら〔当該地盤の二重売買における移転登記を経た第2買主の後主(登記済み)〕の本件山林所有権の取得は地盤の上の立木をその売買の目的から除外してなされたものとは認められず,かつ,被上告人らの山林取得当時には上告人〔登記を経なかった第1買主〕の施した立木の明認方法は既に消滅してしまつていたというのであるから,上告人の本件立木所有権は結局被上告人らに対抗しえないものと言わなければならない。」と判示しています。

これについては,前記梅謙次郎の考え方に従い,宅地と庭石と,又は地盤と立木とを最初から「2物トシテ観察」すれば,土地からの分離の公示のための明認方法は不要ということになるのでしょう。しかしながら,梅説の復活というのも今更遅すぎるでしょう。前記最高裁判所昭和3531日判決に関して中尾英俊西南学院大学教授による,そもそも「立木が土地の一部であると解するべきではない」との主張がありますが(同『民法判例百選Ⅰ総則・物権(第三版)』(有斐閣・1989年)135頁(第63事件)),「植物は植栽によって当該土地の本質的構成要素となる」とするドイツ民法941項的解釈の力の方が強そうです。前記楓事件に係る東京地方裁判所平成1473日判決では,楓の所有権のほかに「念のために」当該楓の生育している土地の所有権について,立入りによる不法行為の成否を「進んで検討」していますが(結果は否定),楓と土地とが分離していない一物を構成するものであれば「楓の所有権」は土地の所有権をも意味し得るので,確かに必要な検討であったということになるのでしょう。

なお,従物は動産に限られるか,不動産も含まれるか,という問題もあります。庭石と宅地とが一つの物ではなく2物であって,かつ,庭石が不動産であっても,宅地に係る売却等の処分の際には民法872項により庭石はその従物として主物たる宅地の処分に従うのか,という問題です。ドイツ民法971項第1文では,従物は動産に限定されています。いわく,“Zubehör sind bewegliche Sachen, die, ohne Bestandteile der Hauptsache zu sein, dem wirtschaftlichen Zwecke der Hauptsache zu dienen bestimmt sind und zu ihr in einem dieser Bestimmung entsprechenden räumlichen Verhältnis stehen.”(従物は,動産であって,主物の構成要素たることなく,主物の経済的目的に役立つべく定められ,かつ,当該用途に対応するそれ〔主物〕との空間的関係にあるものである。)

しかしながら,我が民法では「主物・従物ともに動産たると不動産たるとを問わない。2個の不動産の間にも,この関係は成立しうる。例えば納屋・茶の間等も従物となりうる(大判大正77101441頁(納屋,便所,湯殿の例),大決大正10781313頁(判民112事件我妻評釈,増築された茶の間と抵当権の効力に関する)参照)。農場の小屋などもそうである。」ということになります(我妻Ⅰ・224頁。また,四宮135頁,小野秀誠『新注釈民法(1)』809-810頁)。梅謙次郎も不動産に付合した従たる物について「附合物カ独立ノ存在ヲ有スル場合ト雖モ多クハ従ハ主ニ従フ(Accessorium sequitur principale)ノ原則ニ拠リ主タル不動産ヲ処分スルトキハ従タル物モ亦共ニ処分セラレタルモノト看做スヘキヲ以テ其従物カ独立ノ一物ヲ成スヤ否ヤヲ論スル必要ナキコト多カルヘシ(872項〔略〕)但家屋ハ土地ノ従物ト看做サス」と述べていました(梅152頁)。

 

9 「五重塔」

ところで,従物の例として「五重塔」が挙げられています(四宮129頁)。五重塔といえば不動産たる堂々とした建物が想起されます。無論,前記のとおり,不動産たる従物というものもあり得ます。

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五重塔(池上本門寺)


 しかしながら,判例(大判昭和15416日評論29巻民370頁)に出て来る「五重塔」は,料理店の庭ないしは庭園に配置されたもののようです(四宮135頁注(1),我妻Ⅰ・223頁,小野『新注釈民法(1)』810頁)。五重塔までをもそこに建立する随分大きくかつ豪勢な庭を有する料理店があったものです。一体そんな料理屋はどこにあったのかいなと気になって,原典の掲載誌に当たってみると,当該「五重塔」は,「本訴物件タル石灯籠8個花崗岩七福神一揃花崗岩五重塔1基石ノ唐獅子1個ハ訴外〔略〕カ其所在土地ヲ営業(料理店)家屋ノ用地トシテ堀池,庭園ヲ築造シ之ニ風致ヲ添フル為其ノ地上ニ接触シテ配置シタルモノニシテ何レモ〔訴外者〕ノ営業ノ目的ニ資スルカ為主物タル其ノ所在土地ノ常用ニ供シタル従物」のうちの一つでした。花崗岩製の「五重塔」であれば,むしろ五輪塔・五層塔の類だったのではないでしょうか。また,「地上ニ接触シテ配置」したものにすぎず,更に石灯籠は動産とされていますから(四宮126頁及び小野『新注釈民法(1)』801頁が引用する大判大10810民録271480頁),本件「五重塔」は建物たる不動産ではなく,動産だったのでしょう。

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五輪塔(池上本門寺)


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五層塔(ただし元は十一層塔)(池上本門寺)

10 民事執行法その他

民事執行法(昭和54年法律第4号)においては,「登記することができない土地の定着物」は動産として扱われます(同法1221項)。これについては,『民事弁護教材改訂民事執行(補正版)』(司法研修所・2005年)に,「登記することのできない土地の定着物には,土地上の庭石,石灯籠,建設中の建物,容易に土地から分離できるガソリンスタンドの給油設備がある。」とあります(63頁注(2))。当該例示のものは全て動産にあらず,ということになるのでしょうか。しかしながら,取り外しの困難でない(取り外しのできる)庭石は土地の構成部分ではない従物とされ(最高裁判所昭和44328日判決(民集233699頁)),石灯籠については前記のように動産とする裁判例がありましたし,工場内においてコンクリートの土台にボルトで固着された程度ではそもそも定着物ではないとする裁判例もあります(我妻Ⅰ・213頁が引用する大判昭和41019新聞308115頁)。

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石灯籠=動産(東京都文京区六義園)

 くたびれました。空の鳥,地の獣等をかたどった銅像等にあるいは語りかけ(adorare),あるいは拝礼し(colere),心を安らげ,励ましたいとも思います。しかしながら,そういうことは絶対に許さない,四代祟るぞ,との強硬な要求をする律法もあります。

 

non facies tibi sculptile

neque omnem similitudinem quae est in caelo desuper et quae in terra deorsum

nec eorum quae sunt in aquis sub terra

non adorabis ea neque coles

ego sum Dominus Deus tuus fortis zelotes

visitans iniquitatem patrum in filiis

in tertiam et quartam generationem eorum qui oderunt me

(Ex 20, 4-5)


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Avis est in caelo desuper...(池上本門寺)

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Aper est in terra deorsum.(千葉県成田市)
 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

150-0002 東京都渋谷区渋谷三丁目516 渋谷三丁目スクエアビル2

電子メール: saitoh@taishi-wakaba.jp  

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Libera nos a malo!(函館ハリストス正教会)


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1 戦後70

 今年(2015年)は,先の大戦が終わってから70周年ということで,「節目」の年ということになっています。

 

  なお,先の大戦の終結の日には諸説があり得ます。

終戦の詔書は1945年8月14日付けで作成され,同日付けの官報号外で公布されています。中立国経由の連合国に対するポツダム宣言受諾の通知もこの日にされています。

他方,1945年9月2日には,重光葵及び梅津美治郎がポツダム宣言の条項を「日本国天皇,日本国政府及び日本帝国大本営ノ命ニ依リ且ツ之ニ代リ受諾」し,並びに「日本帝国大本営並ニ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ聯合国ニ対スル無条件降伏ヲ布告」し,及び「日本帝国大本営ガ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ指揮官ニ対シ自身及其ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ガ無条件ニ降伏スベキ旨ノ命令ヲ直ニ発スルコトヲ命」ずる「降伏文書」が東京湾上において署名され,かつ,聯合国最高司令官及び各聯合国代表者によって受諾されました。

1945年8月15日は,正午に社団法人日本放送協会によって前記終戦の詔書(・・・「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇4国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ・・・」)の玉音放送がされた日です。

 

 2015年2月25日に内閣総理大臣官邸4階の大会議室で開催された20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会(21世紀構想懇談会。「戦後70年談話」にかかわるものだそうです。)の第1回会合において,同懇談会座長の西室泰三日本郵政株式会社取締役兼代表執行役社長は「戦後70周年という節目の年に,大変重要な任務を果たす懇談会の座長にご指名いただき,非常に光栄であると同時に,身が引き締まる思いである」と挨拶したそうですが(内閣総理大臣官邸のウェッブサイトにある議事要旨),そこでは「70周年」が他の「○十周年」と異なる特段の「節目」である理由までは明らかにされていません。そこで,当該会合の冒頭でされた安倍晋三内閣総理大臣の挨拶(内閣総理大臣官邸ウェッブサイト)を見てみるのですが,「今年は,戦後70年目に当たる年であります。戦後産まれた赤ちゃんが,70歳を迎えることになります。」ということを超えた「70年目」の特別な意味についての言及はありません。初めはどんなに可愛い赤ちゃんでも,死なずに生きていれば,だれでもいつかは70歳の老爺老婆になるのは当たり前のことであって,1945年生れの赤ん坊についても変わりはありません。「未来の土台は過去と断絶したものではあり得ません。今申し上げたような先の大戦への反省,戦後70年の平和国家としての歩み,そしてその上に,これからの80年,90年,100年があります。」ということで,「70年」は,安倍内閣総理大臣によって80年,90年及び100年と単純に並べられていますから,むしろ,数ある十年区切りの中の単なる一つとしての「70年目」ということであるようです。さらにいえば, 20世紀を振り返り21世紀を構想する時期としてならば, 21世紀もなお浅かった戦後60年目の2005年の方がよかったようにも思われます。

 

2 「四十年」

 

(1)ドイツの戦後40

 政治家としては,自分の任期中にたまたま何かの「○十周年」があれば,これは幸いとその機会を活用して名を上げたいというのが普通かつ健康な反応でしょうが,それをそのまま言ってしまうと芸がないところです。この点,外国の政治家などはうまい。リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard von Weizsäcker)は1984年にドイツ連邦共和国の大統領に就任しましたが,たまたまその翌年の1985年の5月8日は,ヨーロッパにおける第二次世界大戦の終戦40周年記念日に当たりました。当日,ボンの連邦議会の演壇においてヴァイツゼッカーは,その記念演説を歴史に刻みつけるべく,40周年が25周年又は30周年とは異なった特別の意味のある節目であるゆえんを,ユダヤ教及びキリスト教の聖典を引きつつ解き明かします。

 

  多くの若い人たちが,この数箇月,自ら,そして私たちに問いかけました。なぜ,終戦後40年たって,過去についてのこんなにも活発な議論が起こったのであろうかと。なぜ,25年又は30年のときよりも,より活発なのであろうか?その内的必然性は,どこにあるのであろうか?

  このような質問に答えることは簡単ではありません。しかしながら,我々はその理由を,外からの影響に主として求めてはいけません。確かに,そのような影響は疑いもなく存在しましたが。

  四十年は,人の一生及び民族の運命に係る期間として,大きな役割を演ずるものであります。

  ここにおいても,私に,改めて旧約聖書を参照することをお許しいただきたい。その信仰にかかわりなく,すべての人のための深い洞察を蔵する旧約聖書を。そこでは,四十年は,何度も回帰し,かつ,本質にかかわる役割を演じております。

  四十年,歴史の新たな段階が約束の地への侵入と共に始まる前に,イスラエルの民は荒れ野に留まっていなければなりませんでした。

  四十年が,当初責任を有していた父の世代が完全に更迭されるために必要でした。

  また,他の場所(士師記)においては,援助及び救済の経験の記億がいかにしばしば四十年しか持続しなかったかが明らかにされています。記憶が剥落したとき,平穏の時は終わりました。

  すなわち,四十年は,常に大きな刻み目を意味するのです。当該期間は,人間の意識において作用します。それは,あるいは,新しくかつ善い未来への自信と共に来る,暗い時代の終わりとしてであります。あるいはまた,忘却の危険又は次代の人々への警告としてであります。両側面のいずれも,よくよくの考慮に値するものであります。

  我々のもとでは,政治責任の分野に,新たな世代が成長してきました。若者は,かつて起こったことには責任を負いません。しかしながら,彼らは,そこから歴史において生ずることに対して責任を負うのです。

 

当該演説の岩波書店による邦訳名である「荒れ野の40年」は,「四十年,歴史の新たな段階が約束の地への侵入と共に始まる前に,イスラエルの民は荒れ野に留まっていなければなりませんでした。」(Vierzig Jahre sollte Israel in der Wüste bleiben, bevor der neue Abschnitt in der Geschichte mit dem Einzug ins verheißene Land begann.)の部分から採ったものなのでしょうね。ドイツ連邦共和国大統領がドイツ終戦40周年記念日に「荒れ野の40年」なる演説をしたといわれれば,第二次世界大戦後のドイツ連邦共和国国民は40年間荒れ野にあるがごとき試練に気高く耐え,「対立を超え,寛容を求め,歴史に学ぶ」立派な道徳的国民になったのか,と思ってしまうのですが,看板に若干分かりにくいところがありました。実は「荒れ野の40年」は,直接には20世紀のドイツ人の話ではなくて,紀元前13世紀,モーセに率いられてエジプトを脱出したもののカナンの地に侵入するまで荒れ野を四十年さまよったイスラエルの民の内部における指導世代の交代についてのことでした。

 

(2)曠野の四十年

それではイスラエルの民はなぜ「荒れ野の40年」を経験しなければならなかったかといえば,その直接の原因は,かえって侵略のいくさ(「・・・汝の神ヱホバの汝に与へて産業となさしめたまふこの国々〔約束の地カナン〕の邑々(まちまち)においては呼吸(いき)する者を一人も生し存(おく)べからず 即ちヘテ人(びと)アモリ人カナン人ペリジ人ヒビ人ヱブズ人などは汝かならずこれを滅ぼし尽して汝の神ヱホバの汝に命じたまへる如くすべし」(申命記第2016-17))を避けたからのようでもありました。

エジプト脱出後,モーセは約束の地カナンに先遣隊を派遣して状況を偵察させます。

ところが,偵察の報告にいわく。

 

・・・その地に住む民は猛(たけ)くその邑々(まちまち)は堅固にして甚だ大(おほい)なり・・・(民数紀略1328)・・・我等はかの民の所に攻上ることを得ず彼らは我らよりも強ければなりと 彼等すなはちその窺ひたりし地の事をイスラエルの子孫(ひとびと)の中に悪(あし)く言ふらして云(いは)く我等が行巡りて窺ひたる地は其中に住む者を呑みほろぼす地なり且またその中に我等が見し民はみな身幹(たけ)たかき人なりし 我等またアナクの子ネピリムを彼処(かしこ)に見たり是ネピリムより出(いで)たる者なり我儕(われら)は自ら見るに蝗(いなご)のごとくまた彼らにも然(しか)見なされたり(同章31-33

 

カナンの住人は大きく強い。簡単には同地に侵入できないと知ったイスラエルの民は一晩中泣き叫び,モーセとアロンとを非難します。もうこんなのいやだ帰りたい,と。

 

・・・嗚呼我等はエジプトの国に死たらば善(よか)りしものを又はこの曠野(あらの)に死(しな)ば善らんものを 何とてヱホバ我等をこの地に導きいりて剣(つるぎ)に斃れしめんとし我らの妻子(つまこ)をして掠(かす)められしめんとするやエジプトに帰ること反(かへつ)て好からずやと 互に相語り我等一人の長(かしら)を立てエジプトに帰らんと云(いへ)り 是をもてモーセとアロンはイスラエルの子孫(ひとびと)の全会衆の前において俯伏(ひれふし)たり(民数紀略第142-5

 

俯伏す(ひれふす)というのですから,モーセとアロンとは土下座です。民衆を指導すべき政治家が人々の前で土下座するのは我が国の選挙運動ばかりではありません。

しかし,偉そうな態度で文句ばかり言って,言うことを聞かないイスラエルの民に対して神は怒ります。もうお前らのうち大人は約束の地に入れてやらん,四十年かけて総入れ替えだと。

 

・・・ヱホバ曰ふ我は活く汝等が我耳に言しごとく我汝等になすべし 汝らの屍はこの曠野に横(よこた)はらん即ち汝ら核数(かぞへ)られたる二十歳以上の者の中我に対ひて呟ける者は皆ことごとく此に斃るべし ヱフンネの子カルブとヌンの子ヨシュアを除くの外汝等は我が汝らを住(すま)しめんと手をあげて誓ひたりし地に至ることを得ず 汝等が掠められんと言たりし汝等の子女等(こどもら)を我導きて入ん彼等は汝らが顧みざるところの地を知るに至るべし 汝らの屍はかならずこの曠野に横はらん 汝らの子女等は汝らが屍となりて曠野に朽るまで四十年の間曠野に流蕩(さまよひ)て汝らの悸逆(はいぎやく)の罪にあたらん 汝らはかの地を窺ふに日数四十日を経たれば其一日を一年として汝等四十年の間その罪を任(お)ひ我(わ)が汝らを離(はなれ)たるを知べし 我ヱホバこれを言(いへ)り必ずこれをかの集(あつま)りて我に敵する悪(あし)き会衆に尽く行なふべし彼らはこの曠野に朽ち此に死(しに)うせん(民数紀略第1428-35

 

神のイスラエルの民総入れ替えは徹底していました。四十年のうちに曠野に朽ちて死に,約束の地カナンに入ることができなかった者には,モーセも含まれます。

メリバの地で,水が無いぞと荒れ狂う民を鎮めるべく,モーセは岩から水を出すことになりました。その際の神の指示は,杖を持って岩に向かって水を出すよう命ぜよ,でした。

 

モーセすなはちその命ぜられしごとくヱホバの前より杖を取り アロンとともに会衆を磐(いは)の前に集めて之に言けるは汝ら背反者等(そむくものども)よ聴け我等水をしてこの磐より汝らのために出しめん歟と モーセその手を挙げ杖をもて磐を二度(ふたたび)撃(うち)けるに水多く湧出(わきいで)たれば会衆とその獣畜(けもの)ともに飲り 時にヱホバ,モーセとアロンに言たまひけるは汝等は我を信ぜずしてイスラエルの子孫(ひとびと)の目の前に我の聖(きよき)を顕さざりしによりてこの会衆をわが之に与へし地に導きいることを得じと(民数紀略第209-12

 

 何で神が怒ってモーセとアロンとはカナンに入れさせないぞと決めたのか,一読しただけではちょっとよく分かりません。

 しかし,神をSuica式カード開発に携わった誇り高い電波技術者であるものとして考えると納得がいきます。せっかく非接触で水が出る(改札機を通ることができる)ようにしたのに何でわざわざ杖で磐を撃つ(カードで改札機をタッチする)必要があるのですか,わたくしの開発した技術を信用しないのですか,いつになったら分かってくれるんですか,というわけです。Suicaの場合は,実際の運用上,やはり電波の強さの関係でカードを改札機にぐっと近づけないとうまく作動しないので,それならいっそのことタッチするものであると利用方法を説明することにしてしまえ,ということになったそうですが,毎日Suicaで改札機を通る際メリバの水の話を思い出す筆者は,あえてSuicaを改札機に触れさせないようにして通ってみたりしています。

 

(3)日本の戦後40

 ところで,『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年)によれば,1985年8月14日に,「藤波官房長官,閣僚の靖国神社参拝につき,おはらい・玉ぐし捧呈・拍手は行わず一礼,供花の実費を公費とする公式参拝の新見解を発表」し,同月15日には,「中曽根首相,初めて内閣総理大臣の資格で参拝(野党・市民団体,一斉に抗議)」ということになっています。日本でも,戦後40年たって「新しくかつ善い未来への自信と共に来る,暗い時代の終わり」(Ende einer dunklen Zeit mit der Zuversicht auf eine neue und gute Zukunft)が感じられたものでしょうか。

 

3 「七十年」

 

(1)ユダ王国の滅亡とバビロン捕囚

 さて,戦後70年。

しかし,ヴァイツゼッカーの顰(ひそみ)に倣って旧約聖書に敗戦後「七十年」の用例を探すと,どうも紀元前6世紀初めの新バビロニア(カルデア)帝国に対するユダ王国の敗北(紀元前597年)及び滅亡(紀元前587年)並びにそれに伴うユダヤ民族指導層のバビロン捕囚(第1次連行(紀元前597年)及び第2次連行(紀元前587年))の話になってしまうようです。

 

 ・・・万軍のヱホバかく云たまふ汝ら我言(ことば)を聴かざれば 視よ我(われ)北の諸(すべて)の族(やから)と我僕(わがしもべ)なるバビロンの王ネブカデネザルを招きよせ此地(このくに〔ユダ王国〕)とその民と其四囲(そのまはり)の諸国(くにぐに)を攻滅(せめほろぼ)させしめて之を詫異物(おどろくべきもの)となし人の嗤笑(わらひ)となし永遠の荒地となさんとヱホバいひたまふ またわれ欣喜(よろこび)の声歓楽(たのしみ)の声新夫(はなむこ)の声新婦(はなよめ)の声磐磨(ひきうす)の音および燈(ともしび)の光を彼らの中にたえしめん この地はみな空曠(あれち)となり詫異物(おどろくべきもの)とならん又その諸国(くにぐに)は七十年の間バビロンの王につかふべし ヱホバいひたまふ七十年のをはりし後我バビロンの王と其民とカルデヤの地をその罪のために罰し永遠の空曠(あれち)となさん(ヱレミヤ記第258-12。紀元前605年のエレミヤの預言)

 

 ヱホバかくいひたまふバビロンに於て七十年満ちなばわれ汝らを眷(かへり)み我嘉言(わがよきことば)を汝らになして汝らをこの処に帰らしめん(ヱレミヤ記第第2910

 

 即ちヱホバ,カルデヤ人(びと)の王を之〔ヱルサレム〕に攻きたらせたまひければ彼その聖所の室(いへ)にて剣(つるぎ)をもて少者(わかきもの)を殺し童男(わらべ)をも童女(わらはめ)をも老人(おいびと)をも白髪(しらが)の者をも憐まざりき皆ひとしく彼の手に付(わた)したまへり 神の室(いへ)の諸(もろもろ)の大小の器皿(うつはもの)ヱホバの室(いへ)の貨財王とその牧伯等(つかさたち)の貨財など凡て之をバビロンに携へゆき 神の室(いへ)を焚(や)きヱルサレムの石垣を崩しその中の宮殿(みやみや)を尽く火にて焚(や)きその中(うち)の貴き器を尽く壊(そこ)なへり また剣(つるぎ)をのがれし者等(ものども)はバビロンに虜(とらは)れゆきて彼処(かしこ)にて彼とその子等(こら)の臣僕(しもべ)となりペルシヤの国の興るまで斯(かく)てありき 是ヱレミヤの口によりて伝はりしヱホバの言(ことば)の応ぜんがためなりき斯(かく)この地遂にその安息を享(うけ)たり即ち是はその荒をる間安息して終に七十年満ちぬ ペルシヤ王クロスの元年に当りヱホバ曩(さき)にヱレミヤの口によりて伝へたまひしその聖言(みことば)を成(なさ)んとてペルシヤ王クロスの心を感動したまひければ王すなはち宣命(みことのり)をつたへ詔書を出(いだ)して徧(あまね)く国中(こくちう)に告示(つげしめ)して云(いは)く ペルシヤ王クロスかく言ふ天の神ヱホバ地上の諸国を我に賜へりその家をユダのエルサレムに建(たつ)ることを我に命ず凡そ汝らの中(うち)もしその民たる者あらばその神ヱホバの助を得て上りゆけ(歴代志略下第3617-23

 

ネブカドネザル2世の新バビロニア軍によるエルサレムの破壊は紀元前587年,新バビロニアの滅亡は紀元前539年,ペルシヤ帝国のキュロス2世のエルサレム帰還の詔書は紀元前538年のことです(ただし,諸本によって年代が微妙に異なります。)。エレミヤは「七十年」続くと言ったものの,ユダ王国滅亡後,新バビロニア帝国は五十年ほどしか続かなかったことになります。

なお,エレミヤについては,後の東京大学教養学部長・総長である矢内原忠雄による伝記(『余の尊敬する人物』)が,先の大戦における対米英蘭戦前の1940年に岩波新書で出ていました。

 

(2)バビロン捕囚期の意義:Erinnerung

新バビロニアによってユダ王国は滅ぼされ,ダビデの子孫はもはや王ではなく,エルサレムの神殿も破壊され,民族の指導層はバビロンに連行されてしまいました。このバビロン捕囚期,ユダヤ人は全てを失ったかのように見えました。

 

・・・神とのつながりを保証する具体的なものは,すべて失われてしまったかのような状況だった。けれども全くすべてが失われてしまったのでもなかった,残っていたのは「思い出」である。(加藤隆『旧約聖書の誕生』(筑摩書房・2008年)205頁)

 

・・・捕囚の状態では,過去の出来事を想起することで,現在の神と民との関係が確認されている。・・・そして過去を想起して現在の神と民との関係を確認するというメンタリティーは,今日も存続している。(同206-207頁)

 

・・・出エジプトの出来事は捕囚時代のユダヤ人にとって,たいへん重要な意味をもつことになった。エジプトで奴隷状態にあったヘブライ人たちを,出エジプトの際に神が導いて解放した。捕囚時代のユダヤ人たちは,現在,バビロニア帝国の支配下で奴隷のような状態に置かれている。過去において神は自分たちの祖先を奴隷状態から解放したのだから,今,奴隷状態にある我々も神は必ず解放するに違いないと考えたのである。(同207頁)

 

 ここで,「思い出」ないしは「想起」が出て来ます。

 ヴァイツゼッカーの「荒れ野の40年」演説にも次のくだりがあったところです。

 

 ・・・思い出(Erinnerung)は,ユダヤ人の信仰を構成する(gehört)ものだからです。

  「忘却しようとする意思は,捕囚(Exil)を長引かせる。

 そして,救済の秘密は,思い出(Erinnerung)と言われる。」

  このよく引用されるユダヤ人の知恵の言葉が言わんとしていることは,確かに,神に対する信仰は歴史における神の働きに対する信仰である,ということであります。

 

(3)再び戦後70

 

ア Japanische Erinnerung?

 さて,日本は,戦後70年間,過去の何を思い出し,何を想起し続けたものか。

 どちらかというと,1945年の日本の敗戦は,紀元前587年のユダ王国の滅亡よりは紀元前597年の同王国の敗戦に似ていて,ただし,戦勝帝国に無謀な叛乱を起こして亡国にまで至るものではなかったもの(しかも,占領期間が七十年どころか7年(1952年4月28日の「主権回復」)で終わったもの),ということのように見えなくもないところです。亡国もなく離散もなければ,思い出,想起又はErinnerungに係る特段の必要は感じられなかったということでしょうか。基本的に我が国民は,人として自然なことですが,現在志向であるように思われます。

 

イ Das Joch des Imperiums

 紀元前597年のユダ王国の敗戦後の紀元前594年,預言者エレミヤは,同王国の新バビロニア帝国に対する服従の必要を説き,かつ,可視化させるべく,索(なわ)と軛(くびき)とを作って自分の項(うなじ)に置きます(エレミヤ記第272)。その姿で首都エルサレムをうろうろするのですから,嫌味で目障りですね。何だこんなもんみっともないと,卑屈な軛をエレミヤの項(うなじ)から取り上げて壊した上で,ネブカドネザルの覇権など2年のうちにこんなふうにぶっ壊されるのだ,と会衆の前で見得を切る預言者ハナニア(エレミヤ記第2810-11)の方が普通の「愛国者」らしいところです。エレミヤはいつも売国奴っぽい。しかし,こういう「愛国者」の熱気に当てられてしまって敗戦ユダ王国は新バビロニア帝国に叛旗を翻し,紀元前587年の悲惨な滅亡・亡国を招いたのですから,そういう勇ましい有力者のいなかった戦後日本は結構なことでした。

 

ウ Weltmachtwechsel

 とはいえ,「七十年」が経過して,さしもの戦勝帝国の覇権も揺らぎ,次の新秩序が見えて来たときにどう対処するのかは難しい問題です。仮にユダ王国が新バビロニア帝国下の優等生的属国として存続していた場合,キュロス大王率いるペルシヤ帝国勃興の新事態にはどのように対応したものでしょうか。「エレミヤ先生は「70年」と言っておられたから,まだ70年たっていない以上飽くまで新バビロニア帝国の軛を担い,共にペルシヤ人に抵抗すべきだ。必要ならばバビロニア様のために国外派兵もあり得べし。」と妙に杓子定規過ぎるのも,勝ち馬に乗り損ねてしまうようでいけなかったでしょう。

 しかし,機会主義的なのも,余り格調が高くないですね。

 「捕囚の七十年」でなければ,「古希の七十年」ですか。確かに,戦後70周年の今年2015年,我が国民の高齢化は,我が国にとって避けて通れない大問題です。

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 東京大学教養学部の矢内原公園(目黒区駒場)
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1 「ゴールデン・ウィーク」と「国民の祝日」

 世は「ゴールデン・ウィーク」。これも国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)のおかげです。

 ということで,今回は国民の祝日に関する法律について書いてみようと思ったのですが,手元の「実務家向け」と銘打たれている六法を開いても,同法が掲載されていないのには閉口しました。かつては小さな六法にも掲載されていた記憶があるのですが,どうしたものでしょう。最近の六法編集委員・編集者には,「国民」の祝日を軽視する「非国民」が多いのでしょうか。

 ともあれ,いざというときのトホホのお上頼みで総務省行政管理局提供の法令データ提供システムで国民の祝日に関する法律を見ると,その第1条では「自由と平和を求めてやまない日本国民は,美しい風習を育てつつ,よりよき社会,より豊かな生活を築きあげるために,ここに国民こぞつて祝い,感謝し,又は記念する日を定め,これを「国民の祝日」と名づける。」とうたわれおり,第2条柱書きでは「「国民の祝日」を次のように定める。」と規定され,同条中「ゴールデン・ウィーク」関係部分は次のとおりとなっています。



 昭和の日  4月29日 激動の日々を経て,復興を遂げた昭和の時代を顧み,国の将来に思いをいたす。

 憲法記念日 5月3日  日本国憲法の施行を記念し,国の成長を期する。

 みどりの日 5月4日  自然に親しむとともにその恩恵に感謝し,豊かな心をはぐくむ。

 こどもの日 5月5日  こどもの人格を重んじ,こどもの幸福をはかるとともに,母に感謝する。



 なかなか味わい深い文章が並んでいますね。

 第1条冒頭の「自由と平和を求めてやまない日本国民」というのは,1948年当時の我が国民の実感だったものでしょう。しかしながら当該文言については,



・・・紳士諸君は唱えるであろう,平和,平和と。しかし,平和は存在しない。戦争は現実に始まっているのである。・・・鉄鎖と隷従とをもってあがなうべきほど,生命は貴く,平和は甘美なものであるのか。やめていただきたい,全能の神よ。・・・我に自由を与えよ,しからずんば死を与えよ。



と,平和と自由との野蛮な二者択一間において獅子吼したパトリック・ヘンリーを建国の父の一人に持つ米国人ら当時の占領当局の人々からしてみると,自由も平和もと欲張ってこともなげに両立せしめ得るものとする我が国の驚嘆すべき文化水準の高さを示すものと思われたことでしょう。

 昭和の日の項にいう「激動の日々を経て,復興を遂げた昭和の時代」という昭和時代の性格づけは,現在の平成の時代との対比においてされたものでしょうか(平成17年法律第43号)。しかしながら,まさか,我が国会議員の選良諸氏が,平成の時代について,「人に優しい穏便の日々を経て,衰退を遂げた平成の時代」になるものと考えているわけではないのでしょう。けれども,無論,国の将来に「思いをいたす」だけで実行が伴わないと,困るところではあります。

 憲法記念日の項の「国の成長を期する。」という文言も,高齢社会の現在からすると,感慨深いものがありますね。日本国憲法を教科書としてそこに書かれたことを学習しつつ成長すべき,なお成熟していない若き日本国とその国民という自己認識だったものでしょうか。(なお,1948年の国民の祝日に関する法律の制定当初には,9月の敬老の日はいまだありませんでした。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し,長寿を祝う。」といっても,多くの青年兵士の犠牲の末先の大戦をしくじったことについては,国家の指導的地位にあった老人たちはなかなか敬愛してもらうわけにはいかなかったのでしょう。敬老の日は,10月の体育の日と一緒に,建国記念の日が制定されたことで有名な昭和41年法律第86号による1966年の改正によって追加されたものです。ところで,この昭和41年法律第86号を見ると,「スポーツにしたしみ」(体育の日),かつ,「老人を敬愛」(敬老の日)すると「国を愛する心」(建国記念の日)が養われるようでもあり,何だか三題噺みたいでもあります。ちなみに,昭和41年法律第86号の法案は,議員立法主導の国民の祝日に関する法律の歴史では珍しく,内閣(佐藤榮作内閣)提出でした。もう一つ法案が内閣から提出された国民の祝日に関する法律の改正法は,今上天皇の誕生日である12月23日を天皇誕生日とし,4月29日を(旧)みどりの日とした平成元年法律第5号でした。)

 みどりの日の項は,苦労して書かれています。しかし,春分の日が既に「自然をたたえ,生物をいつくしむ。」ことになっているので,趣旨が重複しているようではあります。むしろ,憲法記念日とこどもの日という二つの「国民の祝日」の中間にはさまれた日であるミドル(middle)の日が転訛したものと解すべきか。(というのは後付けの理屈で,4月29日だったみどりの日が5月4日になったのは平成17年法律第43号によってです。)

 こどもの日は,母に感謝する日でもありました。しかし,男女共同参画社会の手前,父が感謝される日が無いということは不当な差別ではないでしょうか。国民の祝日に関する法律を合憲的に解釈するとして,父は,生物として,春分の日においていつくしまれる生物に含まれるということでしょうか,それともあるいは,男は,父になっても依然としてこどもだから,いつまでもこどもの日にこどもとして人格を重んじてもらい,幸福をはかってもらえるということでしょうか。



2 国民の祝日に関する法律に規定する休日

 さて,定められた「国民の祝日」の効果についてですが,これは,国民の祝日に関する法律の第3条に書かれています。



 第3条 「国民の祝日」は,休日とする。

 2 「国民の祝日」が日曜日に当たるときは,その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。

 3 その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない日に限る。)は,休日とする。

 

国民の祝日に関する法律の制定当初は,振替休日等に係る第2項以下は無かったんですけどねえ。

今年(2014年)の「ゴールデン・ウィーク」では5月6日の火曜日までが休日になっているのは,国民の祝日に関する法律3条2項の適用の結果です。5月4日のみどりの日が日曜日に当たったので,「その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日」である5月6日が休日になったものです(月曜日の5月5日はこどもの日であって「国民の祝日」だから,翌火曜日に繰り越し。)。

国民の祝日に関する法律3条3項は,現在,9月の第3月曜日である敬老の日と秋分の日との間において機能する規定となっています。来年(2015年)は,9月21日が敬老の日で,同月23日が秋分の日ですから,同月22日が同項の適用を受け,同月19日の土曜日から同月23日の水曜日までの5日間は,お役所等はお休みです。



3 法律と休日

 さて,上記のように,国民の祝日に関する法律は多大の効果を発揮しています。同法の規定次第で,皆さん休めることになったり休めなかったり一喜一憂です。我が国の①法律で,②休日であると規定されている以上,その日休まないのでは非国民みたいですからね。



(1)休む義務及び仕事をする権利の制限に係る法規性の問題



ア モーセの十戒

 休む義務(義務ですぞ。)ということについては,モーセの十戒が有名な先例です。いわく,「安息日を覚えて,これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神,主の安息であるから,なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ,娘,しもべ,はしため,家畜,またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに,天と地と海と,その中のすべてのものを造って,七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」(出エジプト記20811。また,申命記51215)。

この安息日を守らないと,死刑,であったようです。

「六日のあいだは仕事をしなさい。七日目は全き休みの安息日で,主のために聖である。すべて安息日に仕事をする者は必ず殺されるであろう」(出エジプト記3115)。「六日の間は仕事をしなさい。七日目はあなたがたの聖日で,主の全き休みの安息日であるから,この日に仕事をする者はだれでも殺されなければならない」(同352)。また,「七月の十日」の「贖罪の日」についても同様でした。いわく,「その日には,どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのために,あなたがたの神,主の前にあがないをなすべき贖罪の日だからである。すべてその日に身を悩まさない者は,民のうちから断たれるであろう。またすべてその日にどのような仕事をしても,その人をわたしは民のうちから滅ぼし去るであろう。あなたがたはどのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのすべてのすまいにおいて,代々ながく守るべき定めである。これはあなたがたの全き休みの安息日である。あなたがたは身を悩まさなければならない。またその月の九日の夕には,その夕から次の夕まで安息を守らなければならない」(レビ記232632)。なお,古代ユダヤでは,一日は日没に始まり,日没に終わったそうです(だから,キリストの最後の晩餐は木曜日のことではなくて金曜日)。



イ 昭和天皇の昭和2年勅令第25号と国民の祝日に関する法律

 しかし,国民の祝日に関する法律は,法形式としては「法律」なのですが,モーセの律法のように,国民に休む義務を課し,又は国民の仕事をする権利を制限するいわゆる法規たる事項を定めたものではありません。同法の附則2項は「昭和2年勅令第25号は,これを廃止する。」と規定していて,同法が昭和2年勅令第25号(休日に関する件)に代わるものであることを明らかにしていますが,日本国憲法下では,昭和2年勅令第25号は政令と同一の効力を有するものでしかなかったからです(昭和22年政令第14号1項)。政令で決め得る事項の限界について内閣法11条は,「政令には,法律の委任がなければ,義務を課し,又は権利を制限する規定を設けることができない。」と規定しています。昭和2年勅令第25号は法律の委任を受けたものではありませんでしたから,当然当該勅令の規定をもって国民に義務が課され,権利が制限されたものではなく,また,そうであれば,それを引き継いだ国民の祝日に関する法律も,直接国民に義務を課し,その権利を制限するものとは解されないものであるわけです。

そもそも同法が議員立法により第2回国会で制定されることになったきっかけは,新しい休日に関する命令を政令で定めるという動きが194712月上旬に政府においてあったことに対する国会側の反発であったそうです(194874日衆議院本会議における小川半次同議院文化委員長の発言参照)。本来は内閣制定の政令で決め得ることではあるが,内閣に代わって国会が定めることにした以上,鶏を割くに牛刀の類とはなりますが,法形式としては国会制定の法律となってしまったということのようです。

 なお,昭和2年勅令第25号は,次のとおり。



朕大正元年勅令第19号休日ニ関スル件改正ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

 御 名 御 璽

  昭和2年3月3日〔公布同月4日〕

     内閣総理大臣 若槻礼次郎

勅令第25

左ノ祭日及祝日ヲ休日トス

  元始祭    1月3日

  新年宴会   1月5日

  紀元節    2月11

  神武天皇祭  4月3日

  天長節    4月29

  神嘗祭    1017

  明治節    11月3日

  新嘗祭    1123

  大正天皇祭  1225

  春季皇霊祭  春分日

  秋季皇霊祭  秋分日

   附 則

本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス



 おや,キリスト教国同様1225日もお休みだったのですね。

 ただし,同日は大正天皇の命日ということで休日なので,そうそうはしゃぐわけにはいかなかったものでしょう。
 ちなみに,昭和2年勅令第25号にいう「祭日及祝日」のうち,祭日は元始祭,神武天皇祭,神嘗祭,新嘗祭,大正天皇祭,春季皇霊祭及び秋季皇霊祭であって,祝日は新年宴会,紀元節,天長節及び明治節です。
 元始祭は,「年のはじめに天孫降臨,すなわち天津日嗣(皇位)の始源を祝う祭り」です(村上重良『天皇の祭祀』(岩波新書・1977年)76頁)。明治三年(1870年)一月三日に神祇官の八神殿に八神,天神地祇,歴代皇霊を鎮祭したことが起源ですから(村上76頁),必ずしも古来のものではありません。1月3日が元始祭の日となったのは,直接には上記明治三年一月三日の鎮祭に由来しますが,「1月4日には政始(まつりごとはじめ)の朝儀が行われるので,その前日で,宮中参賀〔元日及び2日〕のない3日が,元始祭の祭日として選ばれたのであろう。」とされています(村上77頁)。天皇守護の「八神」は,カミムスビ,タカミムスビ,タマツメムスビ,イクムスビ,タルムスビ,オホミヤノメ,ミケ及びコトシロヌシです(村上15頁)。「天神」は「ヤマト政権が信仰する神々」,「地祇」は「もともとの土地神」である「国神(くにつかみ)」です(村上9頁)。「皇霊」は,「神武天皇から前天皇にいたる歴代の天皇の霊と,故人となった皇后,皇妃,皇親等の霊の総称であり,天皇ないし皇室の祖先の霊」を意味します(村上87頁)。
 「元始祭は祝祭であるが,当日には宮中の祝宴はなく,1月5日に宮中で「新年宴会」が開かれるきまりになっていた」そうです(村上77頁)。
 神武天皇の崩御日は三月十一日と伝えられており,明治改暦後初年の1873年(明治6年)には天保暦三月十一日に当たる4月7日が神武天皇祭でしたが,古代には用いられていなかった天保暦に基づき,かつ,毎年移動する「この祭日には難点があるため,紀元節を2月11日と算出したのとは別の計算によったらしく,1874年(明治7)から,祭日を4月3日とさだめ」られました(村上86頁)。
 神嘗祭と新嘗祭との違いは何かといえば,「近代の皇室祭祀において,新嘗祭は,天皇が親祭する13の祭典中で,古代の皇室祭祀を受けついだ唯一の祭り」であるのに対し,「伊勢神宮の収穫祭である神嘗祭」は明治四年(1871年)から「新たに天皇が親祭する皇室祭祀に加えられた」ものです(村上71頁,73頁)。「新嘗祭の祭日は,701年(大宝元)の大宝令において,十一月下卯日,同月に3度卯日があるときは中卯日とさだめられた。この祭日は,イネの収穫期よりもかなり遅く,収穫祭としては不自然な感じを受ける。もともと新嘗祭は,晩秋の祭りであったろうが,5世紀ごろ,それまで宮中に祀っていたアマテラスオホミカミを外に遷して伊勢に祀ったのちは,皇祖神に新穀をささげる伊勢神宮の神嘗祭がまず行われ,そののちに重ねて新嘗祭が行われるようになったのであろう。また皇室神道の新嘗祭は,天皇の再生の儀礼としての性格が強いため,農耕社会でひろく見られる生命の再生の祭りである冬至祭と複合して,この祭日となったのかもしれない。」と考えられています(村上13‐14頁)。神嘗祭は九月十七日でしたが,「太陽暦の9月中旬では,新穀がまだ稔らないことから」,「1879年(明治12)にいたり,祭日を1ヵ月ずらして10月17日に改め」られました(村上74頁)。新嘗祭の日が11月23日なのは,明治改暦後初年の1873年(明治6年)11月の下卯日が23日だったからです(村上70頁)。天保暦の十一月下卯日は,グレゴリオ暦では12月下旬頃に当っていました。
 「神仏分離以前には,宮中の祖先祭祀は仏教式であったから,一般と同じく,春秋の彼岸会に,祖先の祭りが営まれてい」ました(村上89頁)。1878年(明治11年)に「綏靖天皇以下後桜町院天皇迄,御歴代の御式年御正辰共廃せられ」(歴代天皇の正辰日(命日)の祭祀だけで年百祭を超えてしまうので,整理して,まとめて祭祀することにしたわけです。),春分日及び秋分日にそれぞれ春季皇霊祭及び秋季皇霊祭を新設したことについては,「国民の生活に仏教行事として定着している春秋の彼岸の祖先まつりを,皇室祭祀の皇霊祭と直結するねらいがあったためであろう。」とされています(村上90‐91頁)。
 明治節は昭和2年勅令第25号で設けられ,明治天皇の誕生日(天保暦九月二十二日,グレゴリオ暦11月3日)は,明治時代の天長節,昭和時代からの明治節及び現在の文化の日と三つの祝日となったことになります。昭和天皇の誕生日(4月29日)も,天長節,天皇誕生日,(旧)みどりの日及び昭和の日と四つの祝日となりました。しかし,この点で最も偉大だったのは大正天皇だったかもしれません。大正元年9月4日勅令第19号(裁可同月3日)は大正天皇の誕生日である8月31日を天長節としましたが,「暑中のため」(村上126頁),大正2年7月18日勅令第259号(裁可同月16日)によって10月31日が天長節祝日として更に休日に加えられています。大正2年7月18日宮内省告示第15号によれば,8月31日には天長節祭のみが行われ,宮中における拝賀宴会は10月31日に行われました。大正時代は15年しかありませんでしたが,天皇の誕生日にちなむ休日は28日あったことになるようです。
 

(2)「休日」の性格の問題

 ところで,そもそも国民の祝日に関する法律その他の法令にいうところの「休日」とはどういう意味でしょうか。



ア 3種類の「休日」

実は,休日にも三つの種類があります。

すなわち,休日とは「一般には,業務を行わない日をいう」のですが,第1には「ある種の事業や一定の地域において,一般的に業務の執行をしないものと慣習上定まっている日」と,民法142条等の用例が挙げられ(慣習によるもの),第2に「国,地方公共団体等の一般の機関が原則として職務の執行をしないものと定められた日」がそうであるとされ(お役所に係るもの),最後に「労働者が労働を休む日をいう」と労働基準法35条の意味での休日(契約によるもの)が挙げられています(吉国一郎ほか『法令用語辞典【第八次改訂版】』(学陽書房・2001年))。労働基準法35条は,その第1項で「使用者は,労働者に対して,毎週少くとも1回の休日を与えなければならない。」と,第2項で「前項の規定は,4週間を通じ4日以上の休日を与える使用者については適用しない。」と規定しています。



イ 国民の祝日に関する法律に規定する休日と慣習又は労働契約に基づく休日との別次元性 

 国民の祝日に関する法律3条にいう休日は,前記休日の3種類のうち,第1及び第3のものではどうやらない旨,1948年7月4日の衆議院本会議で,法案を提出した同議院文化委員会の小川半次委員長が言明しています。



 国民の祝日に関する法律3条の「この休日とは,いわゆる一般の休日の意味でありますので,これ以外の休日を決して排除するものではありません。すなわち第1には,ある社会,階級,地方の全般を通じて業務を休み,取引をなさない日,すなわち日曜日とか土曜日午後のいわゆる銀行休日とか,ぼんとかひがんなども,民法第142条,手形法第72条,第87条,なお小切手法第60条,第75条などに,いわゆる休日として当然残されるのであります。第2には,労働者が就業制限の一方法として毎週少くとも1回休む日も労働基準法上の休日となるわけであり,また,年末,年始にかけてのいわゆる官庁の休暇日なども依然として生きているわけであります。この点,世間に往々誤解がありますので,一応お断り申し上げておきます。」



 かつての民法142条は「期間ノ末日カ大祭日,日曜日其他ノ休日ニ当タルトキハ其日ニ取引ヲ為ササル慣習アル場合ニ限リ期間ハ其翌日ヲ以テ満了ス」と規定しており,よく読むと,「休日」であっても取引はされるものであることが原則となっていました。これは,現在の同条の規定である「期間の末日が日曜日,国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日その他の休日に当たるときは,その日に取引をしない慣習がある場合に限り,期間は,その翌日に満了する。」においてむしろより明らかになっており,国民の祝日に関する法律で定められた休日であっても,同法のみによっては当該休日に取引が行われることを妨げる効力はないことを前提とした規定になっています(取引が行われないものとされるのは,直接には同法によってではなく,慣習によってである。)。

これに対して,我が民法に影響を与えたドイツ民法を見ると,同法の193条は,現在,„Ist an einem bestimmten Tage oder innerhalb einer Frist eine Willenserklärung abzugeben oder eine Leistung zu bewirken und fällt der bestimmte Tag oder der letzte Tag der Frist auf einen Sonntag, einen am Erklärungs- oder Leistungsort staatlich anerkannten allgemeinen Feiertag oder einen Sonnabend, so tritt an die Stelle eines solchen Tages der nächste Werktag.(意思表示又は履行をある期日又はある期間内にすべき場合であって,当該期日又は当該期間の末日が,日曜日,意思表示若しくは履行の場所において国家的に認められた一般の休日又は土曜日に当たるときは,次の取引日をもってその日に替えるものとする。)と規定していて,取引をしない慣習の存在をまたずに,期日又は期間の末日が日曜日等に当たるときは端的にその日を次の取引日に振り替えるものとしています。こちらは,モーセの十戒以来,安息日には仕事をしないものだということが確乎たる法的確信となっているからでしょうか。(ちなみに,1919年のヴァイマル憲法の「第2編 ドイツ人の基本権および基本的義務」における「第3章 宗教および宗教団体」中第139条は,「日曜日および国の承認した祭日は,仕事の休日および精神的向上の日として,法律上保護される。」と規定しており(山田晟訳『人権宣言集』(岩波文庫・1957年)208-209頁),同条は現在もドイツ連邦共和国基本法の構成部分です(同法140条)。)ドイツにおける日曜日の様子は具体的にはどのようなものかといえば,少々昔の話になりますが小塩節教授によれば,「・・・友人の話で,彼は医者なのだが,週末に買ってきた苗木を1本,ある晴れた初夏の日曜日の午後,自分の家の広い庭の一隅に植えた。休息の日である日曜日に働いたかどで彼は訴えられ,裁判所に呼び出されて,有罪の判決を言い渡された。誰の邪魔をしたわけでもない。自分のホビーでやったことだ,と言い張ったがだめだった。/かなり距離のある隣家の3階か4階から,植え込み越しに望遠鏡で一生懸命彼の仕事を見ていたヒマな人が二,三人いたのである。彼らが,法によって定まっている安息日に精神的な被害を受けた,と告訴したのだという。」というようなものだそうです(小塩節『ドイツ語とドイツ人気質』(講談社学術文庫・1988年)91‐92頁)。民法起草者の一人である梅謙次郎は,「西洋ニ於テハ日曜日,大祭日等ニハ各人大抵皆其業ヲ休ミ一切ノ取引ヲ為ササルヲ以テ常トスルカ故ニ広ク本条〔日本民法142条〕ノ規定ヲ適用スルコト或ハ穏当ナラン」と述べていました(梅謙次郎『訂正増補第31版 民法要義 巻之一 総則編』(法政大学・有斐閣書房・1910年)362頁)。

なお,そもそも日本において日曜日を休むことにしたのは,院省使庁府県のお役人あての明治9年太政官達第27号が「従前一六日休暇ノ処来ル4月ヨリ日曜日ヲ以テ休暇ト被定候条此旨相達候事/但土曜日ハ正午12時ヨリ休暇タルヘキ事」(1876312日)と定めて以来,お役人の世界から始まったことであって,国民こぞってキリスト教に改宗して安息日を守ることにしたものではありません(なお,お役人の休みは一六日とされていても,31日は休みではありませんでした(下記明治6年太政官第2号布告参照)。)。梅謙次郎は「我邦ニ於テハ日曜日,大祭日等ニ其業ヲ休ム者ハ極メテ少数ニシテ未タ西洋ノ如キ慣習アラサルカ故ニ一般ニ此規定〔民法142条の規定〕ヲ適用セハ頗ル不当ノ結果ニ陥ルヘシ故ニ本条ニ於テハ此等ノ日ニ取引ヲ為ササル慣習アル場合ニ限リ此規定ヲ適用セリ」と言っていました(梅364頁)。
 (民法が制定された1896年当時における「大祭日」の用法について参考となるものとしては,1891年の小学校祝日大祭日儀式規程(明治24年文部省令第4号)があります。そこでは「祝日大祭日」として,紀元節,天長節,元始祭,神嘗祭及び新嘗祭(同規程1条),孝明天皇祭,春季皇霊祭,神武天皇祭及び秋季皇霊祭(同2条)並びに1月1日(同3条)が挙げられています。紀元節及び天長節並びに1月1日が祝日で(「1月1日も,「四方拝」の名称で,祝日の扱いを受けるようになった。」とされています(村上126頁)。),それ以外が大祭日ということになるのでしょうか。ただし,紀元節の日及び天長節の日並びに1月1日には宮中でそれぞれ紀元節祭及び天長節祭並びに歳旦祭が行われるので(皇室祭祀令(明治41年項皇室令第1号)9条,21条),これらについても祭日ではないとはいえません。しかしながら,紀元節祭は天皇が親祭する大祭であるのに対して(皇室祭祀令8条1項,9条),天長節祭及び歳旦祭は掌典長が祭典を行って天皇が拝礼する小祭です(同令20条1項,21条)。四方拝は,歳旦祭の当日にそれに先立ち(皇室祭祀令23条2項)天皇によって行われる儀式です。)
 ちなみに,民法142条の「その他の休日」について梅謙次郎は,「各地方ノ慣習上ノ休日ヲ云ヘルナリ例ヘハ1月2日ハ大祭日ニ非サルモ往往其業ヲ休ムノ慣習アリ又氏神ノ祭礼ニハ其業ヲ休ムノ慣習稀ナリトセス又旧外国人居留地ニ於テハ耶蘇教ノ祭日ニ其業ヲ休ムカ如キ是ナリ」と説明しています(梅364頁)。
 国民の祝日に関する法律に規定する休日が,ある労働者にとって労働基準法35条の休日になるかどうかも,直接には,当該労働者とその使用者との間の労働契約関係いかんによって決まります。国民の祝日に関する法律によって直ちに決まるものではありません。(「国民の祝日」に働いている労働者はたくさんおり,かつ,だからといって非国民であるわけではありません。「労基法上付与すべき休日は週1日であるので,「国民の祝日に関する法律」の定める「国民の祝日」は,労基法上の休日ではなく,週休日を与えている限り労基法上,休日としなくとも労基法違反は生じない」こととなっています(荒木尚志『労働法 第2版』(有斐閣・2013年)143頁)。)



ウ 官庁執務日と国民の祝日に関する法律

 となると,慣習も要さず,契約も要さずに,「「国民の祝日」は,休日とする。」等との国民の祝日に関する法律3条の規定の適用を直接受け得る受益者は,だれなのでしょうか。

 お役人のようです。

 

 ・・・国の制定した今の祝祭日は,当然官庁の休日になるわけであります・・・

 (苫米地義三国務大臣(内閣官房長官)の1948622日参議院文化委員会における国民の祝日に関する法律案に関する答弁)



そもそも昭和2年勅令第25号の休日に関する件も,本来は官吏の執務日に関する規定であって,直接人民の生活を規制するものではなかったはずです。美濃部達吉は『日本行政法 上巻』(有斐閣・1936年)の「第2編 行政組織法」,「第3章 公の勤務法」,「第2節 官吏法」,「4 官吏の義務」という場所において,当該勅令に言及しています(次の最初の括弧書き)。



(ロ)官吏は休日(明治6太政官布告2号に依り1月1日より3日まで1229日より31日までを休暇とし,明治9太政官達27号に依り同年4月より日曜日を休暇とし,昭和2勅令25号により大祭祝日を改定し,これを休日と定めらる)又は賜暇休養・忌服等特別の場合を除くの外,執務時間(大正11閣令6号官庁執務時間)中は執務の場所に現在して執務を為すべき義務が有る。(711頁)

 

 なお,明治6年太政官第2号布告(187317日)は次のとおりでした(ただし,下線部は,同年623日の太政官221号布告で朝令暮改的に取消し)。



 自今休暇左ノ通被定候事

  1月1日ヨリ3日迄 6月28日ヨリ30日迄 1229日ヨリ31日迄

  毎月休暇是迄ノ通

   但大ノ月31日ハ休暇ニ非ス



 現在は法律が整備され,国民の祝日に関する法律に規定する休日とお役所の閉庁日とは明文をもって連動します。



    行政機関の休日に関する法律(昭和63年法律第91号)

  (行政機関の休日)

第1条 次の各号に掲げる日は,行政機関の休日とし,行政機関の執務は,原則として行わないものとする。

  一 日曜日及び土曜日

  二 国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日

  三 1229日から翌年の1月3日までの日(前号に掲げる日を除く。)

2 前項の「行政機関」とは,法律の規定に基づき内閣に置かれる各機関,内閣の統轄の下に行政事務をつかさどる機関として置かれる各機関及び内閣の所轄の下に置かれる機関並びに会計検査院をいう。

3 第1項の規定は,行政機関の休日に各行政機関(前項に掲げる一の機関をいう。以下同じ。)がその所掌事務を遂行することを妨げるものではない。



    裁判所の休日に関する法律(昭和63年法律第93号)

  (裁判所の休日)

第1条 次の各号に掲げる日は,裁判所の休日とし,裁判所の執務は,原則として行わないものとする。

  一 日曜日及び土曜日

  二 国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日

  三 1229日から翌年の1月3日までの日(前号に掲げる日を除く。)

2 前項の規定は,裁判所の休日に裁判所が権限を行使することを妨げるものではない。



 しかし,お役人のみならず,立派な大企業にお勤めの方々も,多くは,国民の祝日に関する法律に規定する休日がそのまま休業日に連動する形の労働契約を締結されていることでしょう。

 なお,銀行法15条1項は「銀行の休日は,日曜日その他政令で定める日に限る。」と規定し,同項を承けた銀行法施行令5条1項は「法第15条第1項に規定する政令で定める日は,次に掲げる日とする。」と規定して,そこでは,国民の祝日に関する法律に規定する休日1231日から翌年の1月3日までの日(国民の祝日に関する法律に規定する休日を除く。)及び土曜日を掲げています(銀行法施行令5条1項1号から3号まで)。要は,国民の祝日に関する法律に規定する休日には銀行での振込送金はできず,また,自分の預金を引き出すときでも,わざわざ休日勤務してくださったATMさまに休日手数料を余計に支払わねばならないということになるわけです。



4 新たな「国民の祝日」としての「山の日」

 ところで,再来年(2016年)から,8月11日が新たに「国民の祝日」に加わるようです。



(1)第186回国会の国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案

 国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案が衛藤征士郎衆議院議員ほか9名から現在の第186回国会に提出され(衆第9号),衆議院内閣委員会で可決された後,今年(2014年)4月25日に衆議院本会議で可決され,現在参議院で審議中です。



    国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案

  国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)の一部を次のように改正する。

  第2条海の日の項の次に次のように加える。

   山の日  8月11日  山に親しむ機会を得て,山の恩恵に感謝する。

    附 則

  この法律は,平成28年1月1日から施行する。



 ここでの「山に親しむ機会を得て,山の恩恵に感謝する。」との「山の日」の趣旨は,さきに春分の日との関係で苦労しているように思われる旨申し述べたみどりの日の趣旨とまた重複していますね。みどりの日は「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し,豊かな心をはぐくむ」ことになっているので,「山の日」にいう「山」が自然の一部ということになると,なぜ既に自然全般に係るみどりの日があるのにまた殊更に山についてだけ別の「国民の祝日」が要るのか,ということになりそうです。みどりの日は「豊かな心」まで育まなくてはならなくて面倒だから,「山の日」の場合は山に親しんでも,気楽に,貧しい心のまま下山してよいよ,ということでしょうか。それとも「山の日」の「山」は,自然の山ではないのでしょうか。古文で山といえば延暦寺を指す場合もあるそうですから,比叡山延暦寺に親しむ機会を得て伝教大師最澄の恩恵に感謝する,ということでしょうか。三井寺や興福寺の僧兵が暴れそうですね。それとも,安息日に係るものをも含む十戒がモーセに授けられたシナイ山の「山の日」でしょうか。海の日の場合は「海の恩恵に感謝するとともに,海洋国日本の繁栄を願う。」ということで,通商の道としての海を考えれば,必ずしも自然としての海ばかりを見ているということにはならないようなのですが,「山の日」の場合はどう解すべきか。

また,国際連合総会決議による国際山の日(International Mountain Day)1211日という立派な日にあるのに,どうしてまた8月11日が「山の日」なのか。

国会の関係議事録がまだ国立国会図書館のウェッブ・サイトに掲載されていない段階で本稿を書いているのでなおよく分かりませんが,昨年(2013年)1030日の共同通信社のインターネット記事によると,「山の日」の議員連盟の事務局が同日の当該議員連盟の会合に,「山の日」の候補日として,①6月上旬,②海の日(7月第3月曜日)の翌日,③8月のお盆前又は④日曜日を祝日に定め振替休日を設けないとの4案を提示したところ,経済活動に影響の小さいお盆時期の8月12日にまずは決まったそうです。ところが,8月12日は1985年に日本航空ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落した大事故の日であるために,避けてくれということになり,結局20131122日の議員連盟の会合で,「企業が夏休みに入るお盆の時期を中心に再検討し,「家族で山に親しみ,国民全体が有効利用できる」として8月11日に落ち着いた。」ということだったそうです(20131122日共同通信社インターネット・ニュース)。
(注)なお,第186回国会衆議院内閣委員会議録第15号11頁(2014年4月23日の同委員会)及び同国会参議院内閣委員会会議録第16号1頁(同年5月22日の同委員会)を見ると,発議者の衛藤征士郎衆議院議員は「大自然の根本たる山と向き合い,その恩恵に感謝し,山との共存,共生を図ることは極めて有意義であります。」と説明していますから,「山の日」の「山」は,やはり自然の山ですね。また,同議員は,「多くの国民がお盆休み,夏休みでもあるこの期間に,大人も子供も,こぞって山に親しみ,山を考える日となるものと考えております。」とも更に述べています。


(2)弁護人は非国民か

「企業が夏休みに入るお盆の時期」であるのならば,正に慣習によって既に人民の世界は夏休み=休日であるので,国民の祝日に関する法律3条を発動して重ねて休日にし,お役人の勤務日を公的に減らして差し上げ,ATMについてわざわざ銀行に手数料を払うことにする必要はないように思うのですが,どうでしょう。

というのは,刑事弁護も行う弁護士として,「国民の祝日」ということでお役所や銀行が閉まってしまう休日が増えると困ってしまうことがあるからです。例えば,平日ではありませんから,拘置所における刑事被告人との接見・面会がどうしても制約されることになりますし(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律118条1項,刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律施行令2条1項),保釈請求をしたときも,検察官の意見及び裁判所の決定をじりじりしながら待ち,また,保釈金を調達するについても,休日には銀行送金ができないことになります。

「国民の祝日」が増えてみんなせっかく単純に喜んでいるのに何だ,和を乱すな,弁護士なんぞ非国民だ,との非難を覚悟してあえて申し上げれば,国民の祝日に関する法律という題名はややミスリーディングであり,やはり昭和2年勅令第25号の伝統等をも踏まえますと,「官公署及び銀行等の休日に関する法律」などという題名の方がより正確なものなのではないでしょうか。その方が,「国民の祝日」という言葉の輝きに幻惑されずに,より実質的な議論ができるように思われます。国民と一口にいいますが,現実には多様な立場の個人の集まりなのです。

無論,「国民の祝日」であろうが何であろうが,その日に仕事をすると死刑になるわけではない以上,正当な依頼者の方の信頼に応える必要のために休まず仕事をすることは,必ずしも平和でなければ豊かでもないわけではありますが,自由な弁護士の名誉とするところであります。


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八幡平( ここも日本百名山の一つです。)


  弁護士 齊藤雅俊
  大志わかば法律事務所 

  東京都渋谷区代々木一丁目57番2号ドルミ代々木1203

  電話: 03-6868-3194 (法律に関する問題について,お気軽に御相談ください。) 


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