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(起)「1年以上延滞」と「1年分以上延滞」との間

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080258052.html

(承)旧民法財産編3941

    http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080258062.html

(転)フランス民法旧1154

    http://donttreadonme.blog.jp/archives/1080258084.html


 

5 民法405条に関し更に若干

 

(1)起草者意思

なお,我が現行民法起草者は,旧民法財産編394条は債務者保護のためには所詮役には立たぬものと冷淡に判断していました。「併し是は,矢張り始めからして元本の高を書換へさへ致しますれば何時でも高利貸の目的を達することが出来るのでありまして,幾らでも払ひましたものを元本に入れて実際一旦弁済して組入れることも出来まするし,又は唯(ママ)元本の数丈けを殖やして新たに書換へることも出来るのでありますからして,394条の規定と云ふものは利息制限法の精神を以て特別に債務者を保護すると云ふことの目的を達するには充分な力はあるまいと思ふのでございます。」と(民法議事速記録第17233丁表(穂積))。「貸主が借主のもとにいって今月分の利息を支払えと請求し,支払えないといったときに,元本に組み入れるなら我慢してやるといって承諾を得ることはきわめて容易であ」るわけです(我妻榮著・水本浩=川井健補訂『民法案内7 債権総論上』(勁草書房・2008年)150頁)。この間における準消費貸借の活用については,「既存の消費貸借上の債務を基礎として――多くの場合,延滞利息を元本に加え〔略〕――消費貸借を締結することもさしつかえない(通説,判例も古くからこれを認める〔略〕)。」と説かれています(我妻榮『債権各論 中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1957年(1973年補訂))366頁)。

むしろ民法405条は,債務者保護の旧民法財産編394条を換骨奪胎して反転せしめた,債権者保護のための規定とされています。「若し特約なきときは,濫に重利を附することを許さず。是れ他なし,当事者の意思の之に反すること多かるべければなり。然りと雖も,債務者が利息の支払を怠るも債権者は決して之に重利を附すること能はざるものとせば,債権者は尠からざる損害を被むり頗る不公平と謂はざるべからず。〔略〕故に本条に於ては」云々というわけです(梅三26-27頁)。第56回法典調査会で穂積は,「本案に於きましては,却て之を当然債務者が1个年分以上延滞致しました場合に,始め催告をしましても尚ほ之を払ひませぬときには,之を元本に組入れること(ママ)出来る,斯う云ふことに致しましたのでございます。〔略〕是は1个年分毎でなくても宜い。1个年又は1个年3个月でも何んでも一緒にやることが出来る。夫れから,特別の合意又は裁判所に請求すると云ふこともなくて,債権者が直ぐに之(ママ)出来る。即ち此手続が簡便になりまする。夫れから,本案に於きましては,決して高利貸に対して債務者を保護するとか云ふやうな精神(ママ)此処に這入つて居るのではないのでありまして,是は,当然斯の如く永い間払ふべき利息を払はずしてうつちやつて置きましたり何かする場合には,債権者は相当の保護を受けなければならぬから,1年分以上も延滞して催促しても尚ほ払はぬと云ふやうな場合に於ける債権者を保護する規則に致しましたのでございます。夫れで,此規則の上から見ましても,手続等のことに及ばぬのみならず,其精神に於ても既成法典とは違つております。」と述べています(民法議事速記録第17233丁表裏)。

上記穂積発言中「是は1个年分毎でなくても宜い。1个年又は1个年3个月でも何んでも一緒にやることが出来る」の部分は,ボワソナアドの前記解説(32)オ)においても旧民法財産編3941項について同旨が説かれていたところですが,「1个年分」を「1年分以上」として法文上も明らかにしたということでしょう。

「決して高利貸に対して債務者を保護するとか云ふやうな精神が此処に這入つて居るのではない」とは無慈悲なようですが,梅も,「新民法に於ては概して契約の自由を認むるが故に,利息制限法の廃止を予期せると同時に,重利の如きも敢て之を禁遏するものに非ず。故に,当事者の自由の契約に依れば,月月利に利を附するも可なり。」ということで,厳しい姿勢を示しています(梅三26頁)。金利の利率制限を不要とするのみならず,約定重利の場合における利息の元本への組入れ頻度に係る制限も不要であるとされているところです。

 

(2)最終組入れから1年未経過時点において最終弁済期が到来する場合に係る問題

何か余計な物が残ってしまうという感覚はいやなものです。

民法405条に基づく元本組入れが最後に行われた分の利息の後から発生する利息について,それに対応する元本存続期間の長さ(元本の弁済期限までの期間の長さ)が1年未満であるときにおける,当該利息の元本組入れの可否に係る問題があります。元本の弁済期限の経過によって利息は発生を止め,元本からは代わって遅延損害金たる遅延利息が発生することになります。したがって,利息が「1年分以上延滞」することにはもうなり得ません。当該残存利息について,そのままでは民法405条の適用はないことになります。

そこで遅延利息との通算を考えたいところです。大審院昭和1724日判決・民集21107頁は「民法405条ニ所謂利息ナル文字ニ付之ヲ観ルニ若シ之ヲ以テ約定利息ノミヲ指称シ遅延利息ヲ包含セサルモノトセハ債務者カ元本債務ニ付未タ履行遅滞ナク単ニ約定利息ヲ1年分以上延滞シタルトキハ債権者ハ催告シタル後之ヲ元本ニ組入ルルコトヲ得ルモ債務者カ元本債務ノ履行ヲ遅滞シ且遅延利息ヲ1年分以上延滞シタルニ拘ラス債権者ハ之ヲ元本債務ニ組入ルルコトヲ得サルコトトナリ従テ債務者トシテ情状重キ後ノ場合ニ却テ前ノ場合ニ於ケルカ如キ複利ノ責ヲ負担セサルコトトナリ正義衡平ニ合セサルヲ以テ同条ニ所謂利息中ニハ遅延利息ヲモ包含スルモノト解スルヲ相当トス」と判示し(下線は筆者によるもの),また,旧民法財産編3941項は「元本ノ利息ハ填補タルト遅延タルトヲ問ハス」と規定していたのであるから,利息と遅延損害金たる遅延利息とは民法405条において同一である,といえないでしょうか。

しかし,利息契約に基づく利息請求権と履行遅滞に基づく損害賠償請求権とはそもそも法的性質を異にし,それぞれ別個の訴訟物です。大判昭和1724日も,「民法ノ規定中ニ於テモ利息ナル文字ヲ以テ約定利息ノミナラス遅延利息ヲモ包含スル趣旨ニ用ヒタルノ例乏シカラス」との字義論の下,遅延利息は「経済上元本使用ノ対価トシテ」約定利息と「何等其ノ取扱ヲ異ニスルノ要ヲ見ス」とする経済上の同一性論及び上記の正義衡平論をもって理由付けとした上で,民法405条における「利息」なる同一の文字の下には,本来の利息に加えて遅延損害金たる遅延利息も「包含」されているとするものでしょう。同一名称下に2種のものがあるというわけです。名前が同じであっても,同一人物であるとは限りません。

「原審の確定するところによれば,本件においては,弁済期到来後に生ずべき遅延損害金については特別に重利の約束がなされた事実は認められないというのであり,その事実認定は本件記録中の証拠関係に照らして是認するに足りるし,また,利息の支払期を定めてこれについてなされた重利の約束が,当然に遅延損害金についても及ぶとする根拠がない旨の原審の判断もまた正当であるから,遅延損害金については単利計算によるべきものとした原判決に所論の違法はない。論旨引用の大審院判決(昭和1724日言渡,民集21107頁)は,無利息の貸金債権について生じた遅延損害金に対しても民法405条の適用があることを判示したものにすぎず,本件に適切でない。」と述べて利息と遅延損害金とを同一視しない最高裁判所昭和45421日判決・民集244298頁(上告代理人は上告理由において,「民法第405条に所謂利息なる文字には遅延利息を包含するものであり,利息に関する重利の特約は遅延利息にも及ぶ」と主張していました。)にも鑑みるに,利息と遅延損害金たる遅延利息とは異なるものと見るべきであって,したがって,利息と遅延利息とを当然のように通算して法定重利の規定の適用を考えることはできないのでしょう。

民法3752項(「前項の規定は,抵当権者が債務の不履行によって生じた損害の賠償を請求する権利を有する場合におけるその最後の2年分についても適用する。ただし,利息その他の定期金と通算して2年分を超えることができない。」)が利息と遅延損害金(損害の賠償)との通算を認めているではないかといっても,同項は同条1項の「利息」には遅延損害金は含まれないとの大審院の厳たる解釈ゆえに,それを前提として,明治34年法律第36号によって特に追加されたものです(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之二 物権編(第31版)』(私立法政大学=有斐閣書房・1911年)522頁参照。なお,大審院とは異なり,政府委員(文部総務長官)として当該法改正に関与した梅は,民法3751項の「利息」には遅延利息も含まれるものと解していました。)。ちなみに,大審院の当該解釈の根拠は,民法3751項には「利息その他の定期金」とあるので,同項の「利息」は定期金たる利息でなければならないということだったそうです(第15回帝国議会衆議院民法中改正法律案委員会会議録(筆記)第11頁(花井卓蔵委員))。利息と遅延損害金との通算規定は,関直彦,平岡萬次郎及び望月長夫の3衆議院議員による原提出案(「抵当権者カ債務ノ不履行ニ因リテ生シタル損害ノ賠償ヲ請求スル権利ヲ有スルトキハ満期日ヨリ2年分ニ付亦抵当権ヲ行フコトヲ得」(第15回帝国議会衆議院議事速記録第10116頁))に対する平岡議員の最終修正提案によるものですが,同議員の認識では,その間の「〔梅〕政府委員ノ修正〔「抵当権者カ債務ノ不履行ニ因リテ生シタル損害ノ賠償ヲ請求スル権利ヲ有スルトキハ最後ノ2年分ニ付亦抵当権ヲ行フコトヲ得」〕ニ依レハ約定利息ニ付テ2年遅延利息ニ付テ2年通シテ4ヶ年ノ利息ヲ請求シ得ルコトヽナルナリ」なので,「左ナクシテ只最後ノ2ヶ年分ノミニ抵当権ヲ行フモノナリ」ということを明らかにするためにされた提案なのでした(第15回帝国議会衆議院民法中改正法律案委員会会議録(筆記)第12頁。花井卓蔵が4箇年分について抵当権の行使が可能であるようにしたいと主張しましたが,梅政府委員は,4年間では「長キニ失スル」と反対していたところです(同頁)。)。そうであれば,起草者・平岡萬次郎の意思は,約定利息と遅延利息とは同じ利息だから当然通算されるのだが確認的に通算規定を入れるのだというものではなく,やはり,本来別のものを通算するために必要な規定を提案したのであったということになります。

以上のようなことであれば,1年分に達しない額のまま残された延滞利息は,新たな利息も遅延損害金もそこから生ずることのない全くの不毛の存在である🎴,ということになるのでしょう。

しかしこの点に関しては,旧民法財産編3941項に関するボワソナアドの次の見解が,注目すべきものであるように思われます。

 

 しかし,法はそれについて述べていないが,最終的な形で(d’une manière finale)利息が元本と共に履行期が到来したもの(exigibles)となったときには,当該利息は1年分未満であっても,総合計額(la somme totale)について,請求又は特別の合意の日から利息が生ずる,ということが認められなければならない。返還期限又は支払期限が1年内である(remboursable ou payable avant une année)貸金又は売買代金に関する場合と同様である。これらの場合においては,債務者は,この禁制がそこに根拠付けられているところの累増の危険にさらされるものではないからである。

 (Boissonade (1891), p.382

 

 旧民法について,ボワソナアドも利息(填補ノ利息)と遅延損害金たる遅延利息(遅延ノ利息)とを通算しての重利を認めないものの,元本弁済期限経過後の残存延滞利息については1年分未満であっても元本組入れを認めることによって,当該延滞利息を不毛状態から救い出そうとするものでしょう。財産編3941項により「1个年分ノ延滞セル毎」にしか利息の元本への組入れを認めなかった旧民法において斯くの如し,いわんや重利契約を原則自由とする現行民法においてをや,とはならないでしょうか。

 

6 連続複利法及び自然対数の底に関して

我が現行民法の起草者は重利に対して鷹揚だったわけですが,実は確かに,ある一定期間(例えば1年)につき一定利率(例えば元本の100パーセント)の借入れにおいて,その間における利息の組入れの頻度をどんどん増加していっても(組入れ間隔が当初の当該一定期間の1/nとなると,その間隔の期間に係る利率も当初の当該一定利率の1/nとなります(設例の事案について見ると,半年(1/2年)で利息組入れをすることとした場合,その半年の期間に係る利率は――100パーセントの1/2である――元本の50パーセントとなるわけです。四半期ごとに組入れの場合は,当該各3箇月間に係る利率は元本の25パーセントです。)。このように組入れの頻度が増えるとnの増加),組入れの間隔とその間隔期間に係る利率とが共に小さくなっていきます。),それにより返還額は確かに当初増えるものの(設例の場合,半年で組み入れると,1年で,返還額は元本の2倍ならぬ2.25倍となります。),組入れ数増加に伴う返還額の増加幅は減少を続け,最終的には発散することなく一定額に収束するのです。

利率年100パーセントでもってあらゆる瞬間に利息の元本組入れを行うこと(連続複利法(ヤコプ・ベルヌーイ(1654-1795)という数学者が命名しました(遠山啓『数学入門(下)』(岩波新書・1960年)105頁)。))とした場合,1年後に支払うべき額(利息は各瞬間に生ずると同時に元本に組み入れられていますので,利息の支払はないことになり,返還すべき最終元本額ということになります。)は,最初の元本額のe2.7183)倍となるのであって,それを超えることはありません。このeは,高等学校の数学で出て来た,自然対数の底という代物です。利率をr(年3パーセントならばr=0.03という形で示す。),期間をt(単位は年)とすれば,連続複利法でt年後に返還すべき額は,最初の元本額のe^rtert乗)倍ということになります(証明は――筆者が高等学校で習った数学は,「歌う〽数学」🐘でしかありませんでしたから――省略します。)。

利息制限法11号にいう年2割は,単利ですので,1年後の元利合計額は元本額の1.2倍です。しかし連続複利法であれば,1年後の最終元本額は,最初の元本額の約1.2214倍(=e^0.2)となります。同様に,年18分(同条2号)ならば,連続複利法による1年後の元本額は最初の元本額の約1.1972倍(=e^0.18)となり,年15分(同条3号)ならば,約1.1618倍(=e^0.15)となります。こうして見ると,重利の組入れ頻度を増加させていくと「負債の累増は厖大かつ真に恐るべきもの(énorme et vraiment effrayante)」となるとまでいうべきものかどうか。何はともあれ,たとえ1年ごと(年1度)の組入れであっても重利を認めてしまう(民法405条の法定重利)という決定的な一歩を踏み出してしまうのであれば――組入れ頻度が無限大の連続複利法であっても債務者の負担の増加には限界があるのですから――それ以上組入れ頻度について神経質になる必要は,あるいはなかったかもしれません(年15パーセントの利率での借金が連続複利法で増える場合,t年後には最初の元本の約1.1618^t倍になるのに対して,組入れ頻度を法定重利並みの1年ごとに1回に制限した重利の場合であってもt年後には1.15^t倍となります。)。すなわち,連続複利法による場合の増加幅までも吞み込んで割り切ってしまえばそれまでのことである,とはいえないでしょうか。

なお,我妻榮は,利息制限法による重利の制限に関して説明し,「〔元本額9万円の1年間貸付債権につき〕もし約定利率が年18分であるときには,右と同一額まで〔利息制限法による最高利率である年20パーセントで計算した18000円に達するまで〕は,〔1年以内に組み入れる〕重利の特約も効力をもつことになる。」と述べていますが(我妻47-48頁),上記の1.1972倍(e^0.18)の数字と対照してみると,例として適切なものではないことが分かります。当該我妻設例の場合においては,1年以内に組入れを行う重利の特約の結果が利息制限法違反になること(組入れ総額(元本増加額)が18000円を超えること)は,組入れ回数をどんなに増やしても――連続複利法であっても――そもそもあり得ないことなのでした。

 

7 蛇足

 最後に,現行民法405条の富井政章及び本野一郎によるフランス語訳を見てみましょう。 1年分以上」のところが,pour une année au moins”であってpendant une année au moins”ではないことに注意してください。

 

Art. 405 – Lorsque le débiteur omet de payer, pour une année au moins, les intérêts arriérés, malgré la sommation du créancier, celui-ci peut les ajouter au capital.

(債権者の催告にもかかわらず,債務者が少なくとも1年分の延滞利息の支払を怠ったときは,債権者は当該利息を元本に組み入れることができる。)

 

 また,ここまで我慢して読み通された読者であれば,「法定重利について,利息が1年以上滞納されるときに,債権者は,催告を経て,その間に発生する延滞利息を元本に組み入れることができる(405条)。」というような晦渋な表現(磯村編165頁(北居))についても,その意図せられているところを行間から読み取ることができるでしょう。

 なお,不図気が付くと,来年(2023年)は,我妻榮の歿後50周年(1021日)及び初洋行(米国ウィスコンシン州)100周年,磯部四郎🎴の歿後100周年(91日)並びにボワソナアドの来日150周年(1115日)に当たるのでした。民法学の当り年になるものかどうか。いずれにせよ,民法は弁護士の重要な飯の種の一つですので,学界とは無縁ながら,筆者は筆者なりに研究を進め,工夫を重ねねばなりません。

 と書きつつ実は,本稿関連で,民法405条と利息制限法1条との関係,具体的には最判昭和45421日の研究が残っています。「最高裁は,年数回利息の元本組入れの約定がある場合につき,組入れ利息とこれに対する利息との合計額が本来の元本に対して〔利息制限〕法の制限利率を超えない範囲においてのみ有効とした(最判昭和45421日民集298頁(年6回組入れをする))。」(星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』(良書普及会・1978年(1981年補訂))19-20頁)と簡単に紹介されるだけでは済まない難しい問題が,筆者にとって,当該判決及びその対象となった事案にはあったのでした。その点について,どうしたものかと思うところを書いてみれば,稿を継ぐほどに論点も論旨も拡大発散してしまい,連続複利法の場合のようにある一定の結論にきれいに収束してはくれそうもない状態にあるのでした。

 

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3 旧民法財産編3941

 

(1)法文

 民法405条は,「〔旧民法〕財産編第394条を修正致したものであります」とされています(第56回法典調査会における穂積陳重説明。民法議事速記録17232丁裏)。旧民法財産編394条は,次のとおりです。

 

  第394条 要求スルヲ得ヘキ元本ノ利息ハ填補タルト遅延タルトヲ問ハス其1个年分ノ延滞セル毎ニ特別ニ合意シ又ハ裁判所ニ請求シ且其時ヨリ後ニ非サレハ此ニ利息ヲ生セシムル為メ元本ニ組入ルルコトヲ得ス

   然レトモ建物又ハ土地ノ貸賃,無期又ハ終身ノ年金権ノ年金,返還ヲ受ク可キ果実又ハ産出物ノ如キ満期ト為リタル入額ハ1个年未満ノ延滞タルトキト雖モ請求又ハ合意ノ時ヨリ其利息ヲ生スルコトヲ得

   債務者ノ免責ノ為メ第三者ノ払ヒタル元本ノ利息ニ付テモ亦同シ

 

 フランス語文は,次のとおり。

 

394  Les intérêts, tant compensatoires que moratoires, des capitaux exigibles, ne peuvent être capitalisés, pour porter eux-mêmes intérêts, qu’en vertu et à partir d’une convention spéciale ou d’une demande en justice faites seulement après une année échue, et ainsi d’année en année.〔なお,山田顕義委員長(司法大臣)に率いられた法律取調委員会が審議の対象としたボワソナアドの原案は,“Les intérêts des capitaux exigibles, tant compensatoires que moratoires, ne peuvent être capitalisés, pour porter eux-mêmes intérêts, qu’en vertu et à partir d’une convention spéciale ou d’une demande en justice faites seulement après une année échue et ainsi d’année en année.”であって(Boissonade, Projet du Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un commentaire, t.2, 2ème éd., Tokio, 1883; pp.313-314),一部の語順及びカンマの有無の違いを除いて同文です。〕

Mais les revenus échus, tels que le prix des baux à loyer ou à ferme, les arrérages des rentes perpétuelles ou viagères, les restitutions à faire de fruits ou produits, peuvent porter intérêts à partir d’une demande ou d’une convention, lors même qu’ils seraient dus pour moins d’une année.

Il en est de même des intérêts de capitaux payés par un tier en l’acquit du débiteur.

 

 現行民法405条に対応するのは,旧民法財産編3941項ということになります。(旧民法財産編3942項は「土地建物の貸賃とか云ふやうなものは直接に利息とは云へぬ。無期又は終身の年金権の年金は,或場合に於ては利息でありませうが,又其利息でない場合もある。返還を受く可き果実又は産出物,こんなものは利息ではありませぬから例外として掲(ママ)なくても宜しい。ということで削られ,同条3項は「債務者の免責の為め第三者の払ひたる元本の利息,是は成程始めから見れば利息でありまするが,払つたものから見れば払(ママ)た金高が元本になりますから例外とはならない。」ということで削られています(民法議事速記録第17234丁表(穂積))。)

 

(2)解義

 しかし,旧民法財産編3941項もなかなか難しい。

 

ア 「要求スルヲ得ヘキ元本」:流動資本と固定資本との区別等

まず,旧民法財産編3941項にいう「要求スルヲ得ヘキ元本」とは何ぞやといえば,“les capitaux exigibles”ということですので,“exigible”を「支払期限の来た」の意味に解せば,同項で問題となっている利息(intérêts)は,実は,支払期限の経過した元本に係る遅延損害金のことであるのだなということになってしまいます(民法4121項)。確かに,旧民法財産編394条は,「人権及ヒ義務」(これは,「債権及び債務」の意味です。)の部における「義務ノ効力」の章中「損害賠償ノ訴権」の節における一箇条です。(ちなみに,「遅延利息債務も,一般の遅延賠償債務と同じく〔略〕,催告によって遅滞となり,その時から,それについての遅延利息を支払う〔のではなく〕,第405条を適用して,元本に組み入れることができるだけ」とされていますが(我妻139),旧民法以来の沿革からしてもそうなるということでしょう。ただし,不法行為に基づく損害賠償債務の遅延損害金は,民法405条の適用又は類推適用により元本に組み入れることはできないものとされています(最判令和4118日)。)

 しかし,旧民法財産編3941項の“exigible”は,特別の意味で使われているのでした。ボワソナアドの解説にいわく,「法文は,ここではexigibleの語を,フランス民法がところどころで(第529条及び第584条参照)それを用いている意味で用いている。すなわち,支払期限(l’échéance)が到来していて元本の請求がされ(être demandé)得るもの,ということをいわんとするものではない。むしろ,「債権者が支払を受けることを自ら禁じている」ものである年金権の元本(第1909条)とは異なるものであって,今後のある期日等において支払期限が到来するものである,ということをいわんとするものである。」と(Boissonade (1883), p.342 (i))。年金権については旧民法財産編3942項において規定されていますところ,“exigible”の語は,同条1項の元本と同条2項に係る「元本」との違いを表現するために用いられたもののようです。利息を生ずべき「元本債権は,特定物の返還を目的とするもの(固定資本)ではなく,同一種類の物を返還させるもの(流動資本)でなければならない」のです(我妻42)。(なお,ボワソナアドは1891年のProjet du Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un commentaire, t.2, nouvelle éd, Tokio, 1891においては,従来の“capitaux exigibles”“capitaux dus, même exigibles”に改めるべきものとしています(p.350)。フランス語のdûは,支払を要するものであっても,履行期にまで至っている(exigible)必要は必ずしもないもののようです。)

 

イ 「損害賠償ノ訴権」の節にある理由:「債権の目的」の節の未存在

 遅延損害金に限られないものとしての,利息に係る重利に関する規定が「損害賠償ノ訴権」の節に設けられていることの問題性は残ります。しかしこれは,単に,母法であるフランス民法においても,我が旧民法財産編394条に対応するその旧1154条(後記4参照)及び旧1155条が「債権の効力について(De l’effet des obligations)」の節中「債務不履行により生ずる損害賠償について(Des dommages et intérêts résultant de l’inexécution de l’obligation)」の款に規定されていたことによるものでしょう。

我が現行民法第3編第1章第2節たる「債権の効力」の節には「債務不履行の責任等」,「債権者代位権」及び「詐害行為取消権」の3款しかないところ,405条は,フランス民法流にこれらの款のどこか(「債務不履行の責任等」の款でしょう。)に押し込まれてしまうよりは,同章第1節たる「債権の目的」の節にある方が,確かに落ち着くようです。しかして,「債権の目的」の節を設けることは,我が現行民法における発明であったところです。

1895111日の法典調査会(第55回)において穂積陳重は,「前に一旦議定になりました目録には債権の効力丈けが挙げてあつたので御座います(ママ)本案に於きましては,どうも効力丈けでは債権に通(ママ)ます規則を挙(ママ)るのに狭ま過ぎてどうも不都合なることを認めました。夫故更に其目を増して債権の目的を其前に加へましたので御座います。」と紹介しています(民法議事速記録第17110丁裏)。続けてその「債権の目的」の節についていわく,「是は前に申しました通り新たに挿入しました(ママ)であります(ママ)既成法典には此債権の目的に関する(ママ)は格別なかつたのでありますが,其目的に関しまする規定は,多くは弁済の部に這入つて居つたの(ママ)あります。併ながら,債権の目的と云ふものは,弁済に関する規則(ママ)はありませぬで,初め債権の成立ちます時より一部分を為して居つたもので,初めより存して居るものでありますから,夫故に,債権自身の目的として初めより存するものに関する規定は此所に掲(ママ)た方が宜いと思ふ。又,既成法典には合意の効力の中に其目的に関する規定が掲げてありますこともありますが,是れは合意丈けに関しませずして,孰れの債権の目的に関することも矢張り此処に挙(ママ)ましたの(ママ)あります。諸外国の例に依りましても,契約の部分には,少なくとも債権の目的と云ふものをば別々の条に置いて居ります。而て其契約の目的と云ふ中にあります規定は,外の債権の目的の中にも通じます所が随分多くあるので,夫故に此処は債権の総則を置きました以上は,初めより債権の目的を為します実体を一つの(ママ)として置いたので御座います。」と(民法議事速記録第17111丁裏-112丁表)。第56回会合においても,法定利率に係る現行民法404条を「債権の目的」ではなく「債権の効力」の節に置いたらどうかという土方寧の意見に対して,穂積は駄目押し的に「場所は,是は何うしても目的物の所でなければ往かぬと考へます。債権の効力の方に規定すれば,書き方を替えて,如何なる場合に於いては此金銭債務の目的物に付き5分の利率を以て払ふことを要す,斯う云ふ工合に書けば効力の所に入れられぬこともありませぬ。併し,此処では然う云ふ利が生ずべき債権の目的になるのでありますから,夫故に此場所を撰んだのであります。」と述べています(民法議事速記録第17231丁表裏)。確かに,ある債権にはその効力として利息が生ずるものであるところですが,他方,遅延損害金はともかくも,目的のいかんを問わず全ての債権の効力として利息が生ずるわけではありません。

現行民法404条に対応する規定は,旧民法においては――財産編ですらなく――その財産取得編1862項に,「消費貸借」の節の一部として「借主ヨリ利息ヲ弁済ス可キノ合意アリテ其額ノ定ナキトキハ其割合ハ法律上ノ利息ニ従フ」と規定されていたものです(また,当該規定は,同編190条により「〔前略〕金銭又ハ定量物ノ義務及ヒ合意上,法律上ノ利息ニ之ヲ適用ス」るものとされていました。なお,法定利息の利率を定める規定は実は旧民法中にはなく,旧利息制限法(明治10年太政官布告第66号)3条が「法律上ノ利息トハ人民相互ノ契約ヲ以テ利息ノ高ヲ定メサルトキ(トキ)裁判所ヨリ言渡ス所ノ者ニシテ元金ノ多少ニ拘ラス100分ノ6六分トス」と規定していました。同条において更に精確を期すれば「1ヶ年ニ付」との文言があるべきだったのですが,これは先行の同法2条に当該文言があるので省略されたものでしょう。ちなみに,旧利息制限法3条は,「明治10年第66号布告利息制限法第3条ハ之ヲ削除ス」と規定する民法施行法(明治31年法律第11号)52条によって削除されています(更に旧利息制限法は,現行利息制限法(昭和29年法律第100号)附則2項によって,同法施行の1954615日(同法附則1項)から廃止されています。)。)。金銭債権に関する現行民法402条及び403条の規定も「債権の目的」の節にありますが,当該両条に対応する旧民法財産編463条から466条までの規定は,「弁済」の節にありました。

 

ウ 填補の利息と遅延の利息と

「利息ハ填補タルト遅延タルトヲ問ハス」といわれれば,填補の(compensatoire)利息と遅延の(moratoire)利息とがあることになりますが,両者はそれぞれいかなるものか。そこでボワソナアドを尋ねれば,填補の利息は「貸し付けられた金銭に係る受益に対応するもの(représentant la jouissance d’argent prêté)」であり(Boissonade (1883), p.339; aussi, p.340),遅延の利息は「支払の遅れに対する補償(indemnité de son retard à payer)」ということのようです(Boissonade (1883), p.340)。利息が元本に組み入れられた後にそこから新たに生ずる利息(利息の利息)については組入れの事由によって填補の利息か遅延の利息かが分かれ,組入れが合意によるものならば「その場合一種の貸付けがされるのであるから」填補の利息であり,組入れが裁判によるものであれば遅延の利息である,とされています(Boissonade (1883), pp.341-342)。1888222日の法律取調委員会において鶴田皓委員が,填補のものとは「遅延ノ反対ヲ云フノデシヨ(ママ)ウ」と発言していますが(日本学術振興会『法律取調委員会民法草案財産編人権ノ部議事筆記自第29回至第34562丁裏),これは,おとぼけでしょう。

 いずれにせよ,旧民法財産編3941項は利息一般に関するものであって,同条についてボワソナアドは,「さてこれが,法によって債務者に与えられた,時の迅速及び利息の累進的蓄によって彼に対してもたらされる不意打ちに対する最終的防禦である。」と高唱しています(Boissonade (1883), p.339)。

 

エ 重利の制限

旧民法財産編394条が債務者のための最終的防禦(une dernière protection)といわれるのは,旧利息制限法には,最高利率に係る規制(同法2条:元金100以下(ママ)は年20パーセント以下,元金100円以上1000以下(ママ)は年15パーセント以下及び元金1000円以上は年12パーセント以下(大正8年法律第59号による改正前))はあっても(旧民法財産取得編187条の「法律ヲ以テ特ニ定メタル合意上ノ利息ノ制限」(同条1項)ないしは「法律ノ制限」(同条2項)です。),重利に関する規定はなかったからでしょう。

 (なお,旧利息制限法2条によって元本1000円以上の場合の上限とされた年12パーセントの利率は,ボワソナアドのいう古代ローマにおける通常の最高利率である月1パーセント(centesima usura)と同率ということになります(cf. Boissonade (1883), p.339)。すなわち,利率について「十二表法は利率の最高を月(新説)12分の1とする。〔略〕前346年以来は年2分の1となる。〔略〕共和政末より県に於て最高月100分の1usurae centesimae)とする規定現れ,ローマ帝政の通則となる。」とされていますところの(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)156頁),「ローマ帝政の通則」です。)

 旧民法財産編394条の目的は,ボワソナアドによれば,「anatocisme〔重利〕又は利息の組入れと呼ばれるところの利息自体による利息の産出を禁止するのではなく,制限し,妨げること」です(Boissonade (1883), p.340)。また,利息から債務者を守るに当たっては――母法であるフランス民法旧1154条及び旧1155条並びにイタリア民法を見ると――立法者は「常に彼〔債務者〕に対する警告の機会を増やすこと」に拠っていたものとされています(ibid.)。しかして,「利息ハ〔略〕其1个年分ノ延滞セル毎ニ特別ニ合意シ又ハ裁判所ニ請求シ且其時ヨリ後ニ非サレハ此ニ利息ヲ生セシムル為メ元本ニ組入ルルコトヲ得ス」との規定は,重利の制限においてどのように働くものか。

 ボワソナアドによれば,制限は3重です。

 

   ここに本案が提示する第1の制限は,前記の諸法典〔フランス民法及びイタリア民法〕と同様,組入れは1箇年ごと(d’année en année)にしか行われ得ないということである。

   第2に,それ〔組入れ〕は,当事者間の特別の合意又は債権者による裁判上の請求の効果としてしか生じ得ないということである。すなわち,一度の催告では十分ではないのである。

   第3に,当該合意は,請求と同様に,利息に係る1年の期限の前(avant l’échéance d’un an d’intérêt)にはなされ得ないということである。フランスにおいては,文言が不明確であるため,合意について議論されたところである。本案は,ここで,このことについて正式に明らかにしている。最初の1箇の合意によって年ごとの期日に利息が組み入れられることを認めてしまうと,彼の懈怠の予防手段として彼のための特段の防禦であるものと法が考えるところの反復的警告を債務者は受けないことになってしまうのである。〔筆者註:なお,現在のフランス民法1343条の2では“si le contrat l'a prévu”ということですから,事前の契約がむしろ本則のようです。〕

  (Boissonade (1883), p.341

 

オ 「其1个年分ノ延滞セル毎ニ」

前記3重の制限中第1のものに関する議論に戻れば,まず,当該制限を設ける原因となったボワソナアドの懸念は,「もし組入れが,1年ごとではなく,半年ごと,3箇月ごと又は1箇月ごとにされることになったならば,負債の累増は厖大かつ真に恐るべきものとなるだろう。」というものでした(Boissonade (1883), p.341)。後記4のマルヴィル的な懸念です。利率は利息制限法で上限が定められているとはいえ,同じ利率でも,利息の元本への組入れの頻度が増加するとその分更に債務者の負債が増大するから,当該頻度を制限しようというわけです。

したがって,「組入れは1年ごと」といわれる場合の「1年」は,組入れと組入れとの間の期間のことであって,「期限が到来して1年後に」(磯村保編『新注釈民法(8)債権(1)』(有斐閣・2022年)164頁(北居功))というような,利息に係る支払期限と当該利息の元本組入れがされる時との間に置かれるべき期間のことではないわけです。組入れが始まるまでは利息支払の最初の遅滞から1年間あるが,その後は次々続々と――1箇年の間を置かずに――月々,日々,更に極端な場合は連続的に利息の元本組入れがされ得るということでは,台無しです。ボワソナアドは,更に,「法文は,1箇年に,現在進行中の1箇年中の一部を加えた期間分の利息が既に支払を要すべきものとなっているときは(si les intérêts sont déjà dus pour une année et une fraction de l’année courante),当該発生分全てについて(pour tout ce qui est échu)組入れをすることができる,と表現する配慮を更にしているところである。しかし,更に1箇年が完全に経過した後でなければ,組入れをまた新たに行い得ないのである。」と説明しています(Boissonade (1883), p.341)。

ただし,日本語で利息の「1个年分」と表現すると,「1年分というのは合計して1年分ということで,必ずしも継続して1年分以上延滞することを要しない」(前掲奥田編362頁(山下=安井))ということになるのですが,旧民法財産編3941項のフランス語文における“après une année échue”の部分は,端的に,「1箇年の満了後」に組入れのための特別の合意又は裁判上の請求をするのだという意味ですので(なお,当該「1箇年」の起点は,そこから利息の生ずることとなる元本の交付・受領時でしょう。当該フランス語文についてボワソナアドは,1891年に,“après une année échue desdits intérêts”と修正するよう提案しています(Boissonade (1891), p.351)。これは,「当該利息(複数形です。)に係る(元本債権の存続期間たる(= de))1箇年の満了後」という趣旨と解すべきなのでしょう。ちなみに,旧民法債権担保編240条では,“pour les deux dernières années échuesが「経過シタル最後ノ2个年分」となっています(イタリック体及び下線は筆者によるもの)。),その「1箇年」の間に利息の一部が弁済されていて,未払利息額が1に満たない場合であっても,当該残余の未払利息の元本組入れはなお可能であるもののように解されます。この辺は,仏文和訳の微妙さ,ということになるのでしょうか。

 

(3)法律取調委員会における「仏学事始」

と以上,筆者は難解なフランス語文の読解に苦しめられ,かつ,なおも頭をひねりつつあるのですが,事情は旧民法のボアソナアド原案の審議に当たった法律取調委員会においても同様でした。「蘭学事始」ならぬ「仏学事始」的情況です。1888222日の同委員会会合に提出された,後の旧民法財産編3941項の日本語文案は,次のようなものでした。

 

 要求スルコトヲ得ヘキ元金ノ利息ハ填補ノモノナルト遅延ノモノナルトヲ問ハス満期ト為リタル1个年ノ後ニノミ為シ且此ノ如ク年毎ニ為シタル特別ノ合意又ハ裁判所ニ於ケル請求ニ憑リ及ヒ其時ヨリ後ニアラサレハ利息其モノニ利息ヲ生セシムル為メ之ヲ元金ト為スコトヲ得ス

 (前掲財産編人権ノ部議事筆記562丁表)

 

ボワソナアド原案の“après une année échue et ainsi d’ année en année”の部分が,「満期ト為リタル1个年ノ後ニ〔略〕且此ノ如ク年毎ニ」となっています。「満期」とは,由々しい。

本稿冒頭21)において申し述べた筆者の「素人風の考え」的な解釈が,法律取調委員間でも生じてしまっています。松岡康毅委員は「一口ニ云フト満期ニナツタヨリモ1年経タ後(ママ)ナケレ(ママ)〔組入れは〕出来ヌト云フコト」と解したようであり(前掲財産編人権ノ部議事筆記563丁裏),鶴田委員の「去年2月貸シテ今年1月迄利息ヲ払ハヌ,(ママ)ウスレ(ママ)元金ヘ入レルト云フノ(ママ)シヨ(ママ)ウ」との正解,栗塚省吾報告委員(なお,報告委員とは,「ボワソナアド案を基礎として,委員会に提出すべき草案の翻訳・調査・整理の任にあた」り,「委員会に列して草案の報告と説明をするが,議決権はもたなかった」役職でした(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1977年(1998年追補))151頁)。)のそれに対する是認(「左様デス満1年ニナレ(ママ)元金ニ繰込デ宜イト云フノデス」,「私ハ去年ノ11日カラ去年ノ大晦日マテ滞レ(ママ),今年ノ1月ハ元金ニ見積リ100円借リテ1割ノ利息ナレ(ママ)110円ニスルノテアリマス」)等に対して,「左様(ママ)ハアリマスマイ」,「ソレハ行クマイ」,「3月ヨリ3月トナケレ(ママ)ナラン」,「〔「満期」とは〕払ヒ期限ノコトデシヨ(ママ)ウ」,「間ヲ1年置カヌ(ママ)ハ徃カヌノデアリマス」,「払フ(ママ)キ期限(ママ)アル,1年経タ後デナケレ(ママ)元金ニ繰込マヌト云フノダ(ママ)ウ」と,南部甕男委員と共に異議を表明しています(同564丁表-65丁表)。これはやはり,栗塚報告委員による案文の日本語が(現在の一部民法教科書の日本語と同様)まずいのであって(「満期ト為リタル,1个年ノ後」と読むのが普通で,「満期ト為リタル1个年,ノ後」と読むのは難しいでしょう。),同報告委員は「私ハ昨年1月ニ1年中貸シテ居ルト,今年ノ1月カラ元金トシテ11円トスルノ(ママ)アリマス」などと一本調子に繰り返すものの,山田顕義委員長閣下は当該法文案につき「我輩モ左様思(ママ)テ居ツタガ,能ク見ルト1年アル様ニ思フ,来年1年ヲ置カナケレ(ママ)ナラン様原文ニ見(ママ)ルガ1年経過ノ後ト云ヘ(ママ),矢張リ間ハ1年置カナケレ(ママ)ナランノデシヨ(ママ)ウ」と,松岡委員の読み方に軍配を上げます(同565丁裏)。しかして更に同委員長は,「契約ノトキヨリ1ヶ年ヲ経過シタルトキハ」トスレ(ママ)皆サンノ云フ様ニナリマス」,「「但シ1ヶ年ノ後ニ為シ且其契約数年ニ渉ルモノハ年毎ニ為シタル特別ノ合意又ハ」トスルカ」と,案文修正の方向までを自ら示してくれていたのでありました(同566丁裏-67丁表,68丁裏)。


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 山田顕義委員長(東京都千代田区日本大学法学部前)


同日の審議の結果,案文は,次のように修正されました。

 

 要求スルコトヲ得ヘキ元金ノ利息ハ填補ノモノナルト遅延ノモノナルトヲ問ハス毎1ヶ年ノ後ニ為シタル特別ノ合意又ハ裁判所ニ於ケル請求ニ憑リ且其時ヨリ後ニアラサレハ利息其モノニ利息ヲ生セシムル為メ之ヲ元金ト為スコトヲ得ス

 (同572丁表)

 

これを最終的に制定された旧民法財産編3941項の法文と比較すると,「毎1ヶ年ノ後ニ」が,法文では「其1个年分ノ延滞セル毎ニ」となっていて,1箇年分相当の時間の経過のみならず,利息支払債務の履行遅滞(延滞)が元本への組入れの要件として書き加えられています。1888222日の法律取調委員会の審議の場で,「遅延ノ満期ハ入レテ宜シイト思フ」と栗塚報告委員が発言し,「満期ト為リタルハ欲シイ」と鶴田委員が和したことにようるものでしょう(前掲財産編人権ノ部議事筆記570丁裏)。栗塚としては,“après une année échue”を「満期ト為リタル1个年ノ後ニ」と訳したことについて深い思い入れがあったわけです(なお,現行民法3751項にも「〔利息その他の定期金〕の満期となった最後の2年分」という表現(富井政章=本野一郎のフランス語訳では“pour les deux dernières années échues”)がありますが,梅謙次郎によれば,ここでの「満期」は「支払期日ノ到来ヲ意味」するものであって,「仏語の「イッシュー〔échu〕」ヲ訳シタルモノ」です(第15回帝国議会衆議院民法中改正法律案委員会会議録(筆記)第11頁)。)。しかし,支分権たる利息債権については,そもそも「この〔基本的な〕債権の効果として,一定期において一定額を支払(ママ)べき支分権が生ずる」ものと考えられるべきものとされ(なお,精確には「一定額の支払を受けるべき支分権」でしょう。),それは「弁済期に達した各期の利息を目的とするもの」なのですから(前掲我妻43頁。下線は筆者によるもの),発生したことに加えて(既に弁済期です。),更に延滞要件を付することはあるいは蛇足ではないでしょうか。なお,「利息の弁済期が到来しても債権者に受領の義務はなく,当然その利息を元本に組み入れ,弁済期において元利を支払うというような特約」があった場合においては,これは延滞があるものとはいえないでしょうが,そのような場合については,「各期の計算上の額は利息と呼ばれただけで――最初の元本に対して弁済期に支払われるべき余分額が真の意味の利息」であって,「この数額について〔単利計算の〕利息制限法を適用すべき」ものとされていますから(我妻46-47),そもそも重利の場合とはいわないのでしょう。

ただし,民法892項の規定(「法定果実は,これを収取する権利の存続期間に応じて,日割計算によりこれを取得する。」)があるため,利息は弁済期において生ずるものではなく,日々生ずるものとも解され得るところから,弁済期限以後のものであることを明らかにするため「延滞」の語が用いられたのかもしれません。しかし,民法892項は,「果実権利者の変更する場合に於て,果実が前権利者に属すべきや後権利者に属すべきやを定めたるもの」であって(梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之一 総則編(第33版)』(私立法政大学=有斐閣書房・1911年)196頁),本来そのような場合においてのみ働くべきものです。また,「権利の帰属を定めたものではなく,帰属権利者間の内部関係を定めたものと解」されており,「例えば,小作地の所有権が譲渡された場合にも,毎年末に支払うべき小作料は,その支払期の所有者に帰属し,日割計算は譲渡人と譲受人との内部関係として清算されるべきである。」とされています(我妻榮『新訂民法総則(民法講義)』(岩波書店・1965年)228頁)。

(なお,「延滞」の語は,後に民法405条を債権者保護の規定と位置付け直すに当たって,あるいはその一つの手掛かりとなったものかもしれません。「延滞金」といえば「地方税及び各種の公課がその納期限までに納付されない場合に,その納付遅延に対する行政制裁として納付義務が課される公法上の徴収金」ですし(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)36頁),「延滞税」といえば「国税をその法定納期限までに完納しない場合に,その未納の税額の納付遅延に対する行政制裁として納付が義務付けられる税」です(同37頁)。「延滞」するとお仕置きが待っています。)

ちなみに,旧民法財産編3941項の「1个年」とは苦心の文字でしたが,同条2項においては,フランス語文のpour moins d’une année”の部分と対応する部分の日本語が,「1个年未満ノ」となっておらず,「1个年未満ノ」となっていて,不整合な形となってしまっています(4及び7参照)。

 

(4)強行規定性

ところで,旧民法財産編394条の規定は「前記の諸法典と同様」であるとボワソナアドにいわれた場合,フランス民法旧1154条は同国の判例(破毀院民事部1920621日,同院第1民事部196061日等)によって公の秩序(ordre public)に関するものとされていますので,我が旧民法財産編394条も強行規定(現行民法91条参照)と解され得たわけです。年2回以上の組入れを約する重利と利息制限法1条との関係で,民法405条の性格が問題となります(我妻Ⅳ・47頁参照)。



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(上):民法265条及び旧民法財産編171条(他人の土地の使用権vs.地上物の所有権及び権利の内容)

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079836154.html

(中):旧民法財産編172条から176条まで及び民法266条から268条まで(「山ノ芋カ鰻ニナル」,地代,1筆中一部の地上権,相隣関係等及び存続期間)

     http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079836168.html



9 旧民法財産編177条と現行民法269条と:工作物等の収去等

 

(1)条文

 旧民法財産編177条は次のとおりです。

 

  第177条 建物又ハ樹木ノ契約前ヨリ存スルト否トヲ問ハス地上権者之ヲ売ラントスルトキハ土地ノ所有者ニ先買権ヲ行フヤ否ヤヲ述フ可キノ催告ヲ1个月前ニ為スコトヲ要ス

   右先買権ニ付テハ此他尚ホ第70条ノ規定ニ従フ

 

Art. 177.  Soit que les constructions et plantations existent antérieurement ou non au contrat, le superficiaire qui veut les vendre doit sommer le propriétaire du fonds, un mois à l’avance, d’avoir à declarer s’il entend user du droit de préemption.

   L’article 70 s’applique audit cas, pour le surplus de ses dispositions.

 

 同編70条は次のとおり。

 

  第70条 用益権消滅ノ時用益者又ハ其相続人カ前条ニ従ヒテ収去スルコトヲ得ヘキ建物及ヒ樹木等ヲ売ラントスルトキハ虚有者ハ鑑定人ノ評価シタル現時ノ代価ヲ以テ先買スルコトヲ得

   用益者ハ虚有者ニ右先買権ヲ行フヤ否ヤヲ述フ可キノ催告ヲ為シ其後10日内ニ虚有者カ先買ノ陳述ヲ為サス又ハ之ヲ拒絶シタルトキニ非サレハ其収去ニ著手スルコトヲ得ス

   虚有者カ先買ノ陳述ヲ為シタリト雖モ鑑定ノ後裁判所ノ処決ノ確定シタル時ヨリ1个月内ニ其代金ヲ弁済セサルトキハ先買権ヲ失フ但損害アルトキハ賠償ノ責ニ任ス

   用益者又ハ其相続人ハ代金ノ弁済ヲ受クルマテ建物ヲ占有スルコトヲ得

 

 虚有権者とは,フランス語のnu-propriétaire(文字どおりには「裸の所有者」)です。

 現行民法269条は次のとおりです。

 

  第269条 地上権者は,その権利が消滅した時に,土地を原状に復してその工作物及び竹木を収去することができる。ただし,土地の所有者が時価相当額を提供してこれを買い取る旨を通知したときは,地上権者は,正当な理由がなければ,これを拒むことができない。

  2 前項の規定と異なる慣習があるときは,その慣習に従う。

 

(2)諸外国の例

 ボワソナアドによれば,当時の諸国における,「地上権」が消滅したときの地上物の取扱いの例は,次のようなものでした。

 

   常に地上権があらかじめ定められた期限と共に設定されるヨーロッパの一部の国,特にフランスにおいては,建物及び樹木は,期限の経過と共に,補償なしに土地の所有者によって取得される。地上権者はあらかじめ,法律又は合意に含まれるこの厳しい条件を承諾しているのであるから,これを不正義だということはできない。

   オランダ及びベルギーにおいては,代価支払の負担なしに,地上権者によって当初取得され,又は彼によって築造された建物を土地の所有者が再取得することはない。これは法定先買権(un droit légal de préemption)である。

  (Boissonade I, p.351

 

 ベルギー国1824110日法を見ると,次のようにあります。

 

  Art.6  À l’expiration du droit de superficie, la propriété des bâtiments, ouvrages ou plantations, passe au propriétaire du fonds, à charge par lui de rembourser la valeur actuelle de ces objets au propriétaire du droit de superficie, qui, jusqu’au remboursement, aura le droit de rétention.

  (地上権が消滅した時には,建物その他の工作物又は植物の所有権は,当該目的物の時価を地上権者に補償する負担とともに土地の所有者に移転する。地上権者は,償金の支払まで留置権を有する。)

 

Art.7  Si le droit de superficie a été établi sur un fonds sur lequel se trouvaient déjà des bâtiments, ouvrages ou plantations dont la valeur n’a pas été payée par l’acquéreur, le propriétaire du fonds reprendra le tout à l’expiration du droit, sans être tenu à aucune indemnité pour ces bâtiments, ouvrages ou plantations.

  (既に建物その他の工作物又は植物が存在していた土地の上に地上権が設定された場合であって,その価額が取得者によって支払われなかったときは,権利の消滅に伴い土地の所有者は,当該建物その他の工作物又は植物の補償をする負担なしに全てを再取得する。)

 

この「法定先買権」は,オプションというよりも,所有権移転の効果がまず当然生ずるもののようです。梅が「外国ニハ随分地上権ノ消滅シタル場合ハ建物樹木等ハ当然土地ノ所有者ノ所有物トナツテ其代リ夫レニ対スル償金ヲ払ハナケレハナラヌト云フ規定カアリマス」(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第11巻』3丁表)と言う「外国」は,ベルギー国等でしょうか。

 

(3)日本民法

 

ア 旧民法財産編177条から現行民法269条へ

 我が旧民法財産編177条の規定に対して,ボワソナアド自身は,土地所有者の先買権は当事者に特約がある場合にのみ認められるべきであって,「日本国においては,経済的に見てよく,かつ,所有権の規則に調和したものである同国の慣習を保持することが好ましいと筆者は考える。すなわち,地上権者は建物の所有権を有し,したがって,例外的な事情によって権利が当該建物の朽廃前に消滅したときには,それを収去することができるのである。」と述べていました(Boissonade I, pp.351-352)。日本国における地上物収去の容易性は,ボワソナアドに強い印象を与えていたようです。いわく,「筆者は既に,日本国においては建物(少なくとも木造のもの)が収去され,移築されることが非常に容易にできることに注意を喚起する機会〔略〕があった。喬木を含む樹木についても,移植を見越して根が幹から遠くまで伸びないようにするよう配慮された場合,又はそのような想定がなかった場合であっても,1ないし2年間,新しい根が生える間当該樹木を動かすことなく,順次太い根を切除していったときは,同様である。」と(Boissonade I, p.350 (c))。ただし,このボワソナアドの認識と梅謙次郎の認識とは異なっており,地上権者の地上物収去権のみ認めて土地所有者の買取権を認めない主義について梅は「是レハ経済上余リ面白クナイ,建物ヲ壊ハシテ持ツテ往ク樹木ヲ引キ抜イテ持ツテ往クト云フコトハ多クノ場合ニ於テハ其物ノ価ヲ減ズルモノデアリマスカラ一般ノ経済上カラ考ヘテモ面白クアリマセヌ」と述べていました(民法議事速記録第113丁裏)。

 現行民法269条の案文は,他の地上権規定が1894928日の第32回法典調査会で審議されていたのに対し,積み残されて,同年102日の第33回法典調査会で審議されています。梅謙次郎によれば,現行民法269条は旧民法「財産編第177条ト粗ホ精神ヲ同(ママ)シテ居」るものですが(民法議事速記録第112丁表),旧民法財産編177条では「地上権者カ土地ノ所有者ニ売リ度クナイノデ一旦ハ売ラナイ自分ノ方ニ都合カアツテ売ラナイト言ツテ取リ去ツテ又後日夫レヲ外ノ人ニ売ツテモ夫レハ仕方ガナイ」ということで「先買権ナ(ママ)ト云フ大層ナ名ヲ附ケルヨリモ実際双方ノ為メニ都合ノ宜イ様ニ規定シタ方ガ宜カラウ夫レデ本条ノ如ク書キマシタ」ということでした(同丁裏)。

ところで,現行2691項本文を設けた趣旨は,梅によれば「外国ノ例カ区々ニナツテ居ルシ又地上権ノ場合ニ於テハ権利ノ存在シテ居ル間ハ工作物及ヒ竹木ノ所有者テアルガ権利カ消滅スルト同時ニ添付ノ一般ノ規定カ当嵌マルト云フ様ナ学説カ立タヌコトモナイト思ヒマス又権利消滅ノ時ニ土地ヲ原状ニ復サナケレバナラヌト云フコトカアルカラ普通ノ原則ト少シ違ヒハシマセヌカ」ということです(民法議事速記録第117丁裏-8丁表)。

 

イ 土地を原状に復しつつする地上権者の地上物収去の権利に関して

 

(ア)原状回復義務のボワソナアド案における不在

 「権利消滅ノ時ニ土地ヲ原状ニ復サナケレバナラヌト云フコトカアルカラ普通ノ原則ト少シ違ヒハシマセヌカ」とは語尾がはっきりしませんが,確かに,旧民法財産編177条成立後のボワソナアドによる同条に係る理想案においては“Les constructions et plantations, tant celles établies antérieurement au contrat que celles faites par le superficiaire, peuvent être enlevées par celui-ci, à moins que le propriétaire du sol ne se soit réservé le droit de préemption.(土地の所有者が先買権を留保していない限り,建築及び植物は,契約の前から存していたものも地上権者によって設けられたものも,地上権者が収去することができる。)と規定されていて,地上物収去の際の原状回復義務については言及されていません(Boissonade I, p.342)。また,そもそも旧民法には「地上権」者による地上物収去の権利義務に関する規定がありません。

 

(イ)永借人,賃借人及び用益人による収去の際の旧状回復義務

 この点旧民法の永借権(「永貸借トハ期間30年ヲ超ユル不動産ノ賃貸借」です(同法財産編1551項)。最長期は50年でした(同条2項)。)及び賃借権並びに用益権(「用益権トハ所有権ノ他人ニ属スル物ニ付キ其用方ニ従ヒ其元質本体ヲ変スルコトナク有期ニテ使用及ヒ収益ヲ為ノ権利」です(同編44条)。)と比較すると,永借権においては「永借人カ永借地ニ加ヘタル改良及ヒ栽植シタル樹木ハ永貸借ノ満期又ハ其解除ニ当リ賠償ナクシテ之ヲ残置クモノトス」(同法財産編1701項),「建物ニ付テハ通常賃貸借ニ関スル第144条ノ規定ヲ適用ス」(同条2項)とされ,賃借権については同法財産編144条が「賃貸人ハ賃貸借ノ終ニ於テ第133条ニ依リテ賃借人ノ収去スルヲ得ヘキ建物及ヒ樹木ヲ先買スルコトヲ得此場合ニ於テハ第70条ノ規定ヲ適用ス」と規定しているところ,同編1332項は「賃借人ハ旧状ニ復スルコトヲ得ヘキトキハ其築造シタル建物又ハ栽植シタル樹木ヲ賃貸借ノ終ニ収去スルコトヲ得但第144条ヲ以テ賃貸人ニ与ヘタル権能ヲ妨ケス」(À la fin du bail, il peut enlever les constructions et plantations qu’il a faites, si les choses peuvent être rétablies dans leur état antérieur; sauf la faculté accordée au bailleur par l’article 144.)としており(下線は筆者によるもの),③用益権については「用益者ハ自己ノ設ケタル建物,樹木,粧飾物其他ノ附加物ヲ収去スルコトヲ得但其用益物ヲ旧状ニ復スルコトヲ要ス」(Il peut enlever les constructions, plantations, ornaments et autres additions par lui faites, en rétablissant les choses dans leur état primitif.)とされています(同編693項。下線は筆者によるもの。なお,同条1項は「用益者ハ用益権消滅ノ時猶ホ土地ニ附著シテ其収取セサリシ果実及ヒ産出物ノ為メ償金ヲ求ムル権利ヲ有セス」と,同条2項は「又用益物ニ改良ヲ加ヘテ価格ヲ増シタルトキト雖モ其改良ノ為メ虚有者ニ対シテ償金ヲ求ムルコトヲ得ス」と規定しています。)。こうしてみると,ボワソナアドがその「地上権」について,地上物収去に当たっての原状(旧状)回復を求めていないのは意図的なものだったと考えるべきなのでしょう。

 

(ウ)附加物収去権の由来

 賃借人の収去権(旧民法財産編1332項)に関するボワソナアドの解説を見ると,用益者のそれ(同編693項)を参照せよということになっています(Boissonade I, p.275)。そこで用益者の収去権に関するボワソナアドの解説を見ると,当該収去権は、母法であるフランス民法599条及び555条(同条は不動産に対する添付に係る旧民法財産取得編11条に対応)との関係に係る問題に遡る大層な由来を背負っているものなのでした。

 

   同様の状況〔他人の設けた地上物に係る土地の所有者からの除去請求の可否並びに除去されない場合における同人による償金支払の要否及び額が問題となる状況〕が用益地上に築造又は栽植をした用益者に生じた場合に当たっては,フランスでは,二つの主要な考え方(systèmes)が存在している。

   その一においては,用益者を,悪意で地上物を設けた者と同視するものとする〔フランス民法555条により,土地の所有者が除去を求めれば,悪意で地上物を設けた者は,その費用で,かつ,補償なしに地上物を除去しなければならず,更に土地の所有者に損害があった場合には,その賠償もしなければならないことになります(同条1項・2項)。なお,土地の所有者は,償金を払って地上物を保持することもできます(同条1項・3項)。〕。なぜかというと,彼は自分に所有権が帰属しないことを明白に知っているからである。しかして論者は,法は用益者がした改良(améliorations)に係る何らの補償も同人に認めないこととしてはいるが〔フランス民法5992項は,用益者の行った改良に対する償金を,用益物の価格が増加していても,用益権が終了した時に同人に与えることを否定しています。〕建築(constructionsは改良であるとはしていないと説きつつ,少なくともそれらの収去は同人に認め,更に,所有者がその保持を望むときは,第555条の第1の場合について規定されるところに対応する償金〔費用額又は価格の増加額〕を支払うべきだと説く。

   第2の考え方においては,論者は,第599条を,補償の否認において絶対的であるものとみなし,かつ,同条においては「粧飾物」のみが挙げられている物の収去権について〔同条3項は,原状回復を条件として,用益者又はその相続人は,用益者の設置した鏡,絵画その他粧飾物を収去することができるものとしています。〕限定的であるものとみなしている。

   この解決方法によっては,法は,論理的なものとも衡平なものとも受け取られないものとなる。〔筆者註:1885114日のフランス破毀院審理部決定は,土地に加わってその価格を高める新たな建築も,起工された建物を完成させ,又は既存のものを拡張する建築もフランス民法599条の改良とみなされねばならないものとし,かつ,用益者は用益権の消滅時において,何らの関係においても,追奪された第三占有者と同視され得ないので,その際,同法555条の適用を受け得ないものとしています。すなわち,用益者のした建築は,たとえ用益物の価格が増加されていても,フランス民法5992項の改良であるものとして,同項の規定により,用益権が消滅した時に何らの補償も受け得ないわけです。〕

  106. 日本国の〔法〕はこれらの考え方と全く異なるものである。

   〔旧民法財産編693項〕は,用益者に対して,その建築及び植物を収去することを正式に認めている。確かに彼は,彼のものではない土地に築造又は栽植をしているということを必然的に知っているわけではあるが,虚有者に対して贈与をするつもりではないということも明らかなのである。また,彼を悪意の占有者のように取り扱うことも正当ではない〔善意であれば,地上物の除去を強制されないことになります(フランス民法555条旧3項後段)。〕。なぜなら,用益物は他人のものだと知ってはいても,彼はそれを占有する正当な権原を有しているのである。

  (Boissonade, pp.159-160

 

単純に,用益者が附加物の所有者なのだ,とア・プリオリに言うことはできなかったようです。

梅謙次郎は民法旧598条(「借主は,借用物を原状に復して,これに附属させた物を収去することができる。」)について「蓋シ借主ハ物ノ使用ニ便スルタメ往往之ニ他物ヲ附属セシメテ之ヲ使用スルコトアリ此場合ニ於テハ其附属セシメタル物ハ貸主ノ所有物ニ非サルヲ以テ之ヲ収去スルコトヲ得ルハ殆ト疑ヲ容レサル所ナリ或ハ添附ノ原則ニ依リ之ヲ収去スルコトヲ得サルカヲ疑フ者ナシトセサレトモ第242条ニ依レハ権原ニ依リテ不動産ニ物ヲ附属セシメタル場合ニ於テハ敢テ添附ノ規定ヲ適用スヘカラサルモノトセリ而シテ借主ハ物ノ使用,収益ヲ為ス権利ノ結果トシテ其使用,収益ノ為メニ他ノ物ヲ附属セシムルコトヲ得ルカ故ニ之ニ添附ノ規定ヲ適用スヘカラサルヤ明カナリ」云々と述べていますが(梅謙次郎『民法要義巻之三債権編』(私立法政大学=有斐閣書房・1912年(第33版))620-621頁),用益者の収去権に関する上記の煩瑣な議論に鑑みるに,使用貸借が民法242条ただし書の権原であることが既に認められていることを前提に同法旧598条の規定が設けられたというよりは,同条があることによって,使用貸借が同法242条ただし書の「権原」であることになったというべきもののようにも思われます。

地上権の場合は,地上物が地上権者の所有物であることは定義上明らかであって(民法265条の「工作物又は竹木を所有するため」),地上権が消滅しても当該所有権の所在に変動がないこととするのならば,そのことを明らかにする条文さえあれば,地上権者の所有権に基づく地上物収去が可能であることを特に基礎付ける条文は不要であったはずです。

 

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(上):民法265条及び旧民法財産編171条(他人の土地の使用権vs.地上物の所有権及び権利の内容)

http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079836154.html



3 旧民法財産編172条:「山ノ芋カ鰻ニナル」

旧民法財産編172条は「地上権設定ノ時土地ニ建物又ハ樹木ノ既ニ存スルト否トヲ問ハス設定行為ノ基本,方式及ヒ公示ハ不動産譲渡ノ一般ノ規則ニ従フ」(Soit qu’il existe déjà ou non des constructions ou plantations sur le sol, au moment de l’établissement du droit de superficie, l’acte constitutif en est soumis, tant pour le fond et la forme que pour la publicité, aux règles générales des aliénations d’immeubles.)と規定していましたが,現行民法からは落とされています。梅謙次郎の説明によれば「本案ニ於テハ既ニ第177条〔第176条〕及ヒ第178条〔第177条〕ヲ以テ物権ノ総則ト致シテモ設定ニ関スル規定カ掲ケテアリマスノテ茲ニ又地上権ニ付テ言フ必要カナイト考ヘマシタカラ取リマシタ訳テアリマス」ということでした(民法議事速記録第10170丁表裏)。しかしながら,当該条項について,ボワソナアドには当然思い入れがあったところです。

 

 241. 〔旧民法財産編117条及び156条〕と対応するものである本条〔旧民法財産編172条〕の目的は,地上権と,通常のもの及び永借権を含む賃借権との間に存在する大きな相違に注意を喚起することにある。この2種類の賃貸借は各々それと同じ名称を与えられた特別の契約によってのみ設定され得るのに対して,地上権は,制約されているとはいえ何よりもまず不動産所有権であることから,土地と建物又は植物とを結び付けつつ,通常の所有権と同一の設定の方式によるのである。

  地上権の移転の形式もまた同じである。特に相続であって,この点で,賃借権に似ているが,用益権とは異なるものとなっている。

 242. 以上に加えて,法は本条において,別異に規整されるべき二つの仮設例を分明にしている。

  第1 地上権設定の時に工作物及び植物が既に存在している場合。この場合は,これらの物の譲渡が主たるものとしてあり,土地を借りること(le bail du sol)は従たるものにすぎない。

  第2 土地が特に「築造又は栽植のために」貸与された(loué)場合。この場合は,当事者間での新たな行為は不要であるが,築造自体又は栽植と共にでなければ地上権は発生しない。長期賃貸借に係る条件の成就の結果として地上権が生ずるものといってよいだろう。

  第1の場合においては,売買若しくは交換又は贈与によって,地上権者が不動産の取得者となることは明らかである。したがって,地上権の設定について,処分の権能についても,契約書の書式及び本編第2部(〔旧民法財産編348条〕以下)に規定される第三者の利益のために満たされるべき公示の条件についても,不動産の譲渡に係る規整が適用される。

  第2の場合においては,賃借権は長期のものか永借権であり,単なる管理者の権限を越えるので,処分の権能がまた必要である。しかしながら,賃借人によってされる築造については,そもそも土地の所有者によって当該土地上に築造がされる場合と同様,取得の公示を目的とする手続を履むことは必要ではない。

 (Boissonade I, pp.345-346

 

上記242の第2の場合については,「先ツ賃借権カ生シテモ家カ建チ樹木カ植(ママ)ルト同時ニ山ノ芋カ鰻ニナル様ニ賃借権カ化ケテ地上権トナルト云フ様ナ主義テアリマス」と梅謙次郎は説明しています(民法議事速記録第10198丁表)。山の芋が鰻になるとは,土用丑の日の折柄めでたいようではありますが,「夫レニシテモ権利カ途中カラ性質ヲ変スルト云フノハ可笑シイカ拠ロナク然ウテモ言ハヌト説明カ出来マセヌ〔のだろう〕」と,梅は辛辣です(民法議事速記録第10198丁表)。

なお,「地上権」設定の公示方法としてボワソナアドが想定していたものは,契約書等の謄記でしょう。ベルギー国1824110日法3条は「地上権の設定証書は,当該公簿に謄記されなければならない。」(Le titre constitutif du droit de superficie devra être transcrit dans les registres publics à ce destinés.)と規定していました。(謄記については:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1068990781.html


4 旧民法財産編173条と現行民法266条と:地代

旧民法財産編173条は「地上権者カ譲受ケタル建物又ハ樹木ノ存スル土地ノ面積ニ応シテ土地ノ所有者ニ定期ノ納額ヲ払フ可キトキハ其権利及ヒ義務ハ其払フ可キ納額ニ付テハ通常賃貸借ニ関スル規則ニ従ヒ其継続スル期間ニ付テハ第176条ノ規定ニ従フ/右納額ニ付テハ新ニ建物ヲ築造シ又ハ樹木ヲ栽植スル為メ土地ヲ賃借シタルトキモ亦同シ」(Si le titre constitutif soumet le superficiaire au payment d’une redevance périodique envers le propriétaire du sol, à raison de l’espace occupé par les constructions ou plantations cédées, ses droits et obligations sont régis, à cet égard, par les dispositions établies pour le bail ordinaire, sauf en ce qui concerne leur durée, telle qu’elle est réglée par l’article 176 ci-après.Il en est de même, sous le rapport de ladite redevance, si le terrain a été loué pour bâtir ou pour établir des plantations.)と規定していましたが,整理されて,現行民法266条の規定は「第274条から第276条までの規定は,地上権者が土地の所有者に定期の地代を支払わなければならない場合について準用する。/地代については,前項に規定するもののほか,その性質に反しない限り,賃貸借に関する規定を準用する。」となっています。

 地上権設定時における地上物の有無で旧民法財産編1731項及び2項のように場合分けをするのをやめたのは,梅謙次郎によれば,「初メカラ地上権ハアルノテ工作物又ハ竹木カ既ニ存スルト後ニ設ケルト其間ニ権利ノ差異カナイトチラモ地上権テアルト云フコトニナツタカラ自ラ其区別カナクナツタ」がゆえです(民法議事速記録第10198丁裏)。地上権は飽くまでも土地の使用権であって,その成立について当該土地上の地上物の有無は関係がないわけです。

「土地ノ面積ニ応シテ」が削られたのは,梅によれば,「是ハ地上権許リテナイ普通ノ賃貸借又ハ永貸借テモ借賃ハ土地ノ面積ニ応スルト云フコトテナク此家賃幾ラト云フコトニ極メルコトカ却テ多イト思ヒマス旁々以テ「土地ノ面積ニ応シテ」ト云フコトヲ取ツタ」ものです(民法議事速記録第10198丁裏)。「土地ノ面積ニ応シテ」の文言の意味するところについて,ボワソナアドは特に言及していません(cf. Boissonade I, pp.346-347)。

旧民法財産編1731項の「通常賃貸借ニ関スル規則ニ従ヒ」が,現行民法266条においてはまず第1項による永小作権の規定の準用,続いて第2項による賃貸借の規定の準用という形になったのは,旧民法成立後になってから,「地上権」の地代について「通常賃貸借ニ関スル規則ニ従」わしめることの間違いに気付かれたからでもありましょう。「旧法文においては,「通常」賃借権に関する規定を地代に適用せしめていた。しかし,筆者は,永借権に関する規定を適用する方がよいものと信ずる。なぜならば,ここではなお長期の賃貸借が問題となっているからである。」とはボワソナアドの反省の弁でありました(Boissonade I, p.347 (2)。また,民法議事速記録第10199丁裏)。また,地上権者と土地の所有者との関係は,土地の賃借人と賃貸人との関係よりは不人情なものであるべきなのでした。梅謙次郎いわく,「私ノ考ヘテハ賃貸借ニ於テハ賃借人カ或ル条件ヲ以テ例ヘハ不可抗力ノ原因ニ依テ其借賃ヲ減少シテ貰(ママ)コトカアル或ル場合ハ丸テ負ケテ貰(ママ)コトカアル是レハ地上権ニ対スル借地人ハ地主ト密着ノ関係ヲ持ツテ居ルカラトウモ然ウテナケレハナラヌ所カ夫レハ地上権ニハ当嵌ラス然ルニ若シ274275条ノ準用ト云フコトナシニ直チニ賃貸借ノ規定ヲ準用スルト云フコトニナルト夫レカ嵌ル夫レカ不都合テアラウト思フノテ夫レテ之〔274条及び275条の準用規定〕ヲ置キマシタ」と(民法議事速記録第10201丁裏-202丁表)。なお,民法2661項による永小作権に係る同法274条及び275条の準用について,梅は,同法277条も準用されるものと考えていたようです(民法議事速記録第10201丁表-202丁表)。

 

5 旧民法財産編174条と旧不動産登記法111条と:1筆中一部の地上権の原則性

旧民法財産編174条は次のような規定でしたが,削られました。梅謙次郎によれば「是レハ元来地上権ヲ以テ建物ノ所有権竹木ノ所有権ト云フ見方テアリマスト云フト幾分カ斯ウ云フ規定モ必要ニナツテ来様カト思ヒマスカ本案ニ於テハ土地ヲ使用スル方カ趣意テ其土地ヲ使用スルニハ工作物又ハ竹木ヲ所有スル為メ必要ナル範囲ニ於テモ土地ヲ使用スルト云フコトニナツテ居リマス然ウ致シマスレハ只家カ建ツタ丈ケテハ実際イカヌト云フコトハ自ラ分リマス適当ノ地面ヲ夫レニ加ヘルト云フコトハ実際ニ於テ無論出テ来様ト思ヒマスカ其広サニ付テ斯様ニ杓子定規ニ極メルノハ如何テアリマセウカ従来ノ慣習ニモナイ様テアリマスシトウモ杓子定規ニナツテ可笑シイト思ヒマス夫レハ契約其他地上権ノ設定行為ニ一任シマシテ只其設定行為ノ解釈ニ一任シタ方カ宜シイトンナ場合ニモ建物ヲ所有スルニ必要ナ空地ハ日本テハ予算シテ残ツテ居ルカラ然ウ云フコトヲ別ニ掲ケヌテモ困ルコトハ実際ナカラウト考ヘテ居リマス夫レテ取リマシタ」ということでした(民法議事速記録第10170丁裏-171丁表)。

 

 第174条 既ニ存セル建物又ハ樹木ニ於ケル地上権ノ設定ニ際シ従トシテ之ニ属ス可キ周辺ノ地面ヲ明示セサルトキハ左ニ掲タル規定ニ従フ

  建物ニ付テハ地上権者ハ其建坪ノ全面積ニ同シキ地面ヲ得ルノ権利ヲ有ス此配置ハ鑑定人ヲシテ土地及ヒ建物ノ周囲ノ形状ト建物ノ各部ノ用法トヲ斟酌セシメテ之ヲ為ス

  樹木ニ付テハ地上権者ハ其最長大ナル外部ノ枝ノ蔭蔽ス可キ地面ヲ得ル権利ヲ有ス

 

 Art. 174.  Si, lors de l’établissement du droit de superficie sur des constructions et plantations déjà faites, il n’a pas été fait mention de la portion du sol environnant qui en dépendrait comme accessoire, il sera procédé ainsi qu’il suit:

     Le superficiaire a droit, s’il s’agit de constructions, à une portion de sol égale à la superficie totale du sol des bâtiments; la répartition de cet espace sera faite par experts, en tenant compte tant de la configuration respective du sol et des bâtiments que de la destination de chaque portion de ceux-ci;

     S’il s’agit de plantations, la superficiaire a droit à l’espace que pourraient couvrir les branches extérieures arrivées à leurs plus grand développement.

 

旧民法財産編174条は,「地上権」の設定時において既に建物又は樹木がある場合についての規定です。地上物がない土地を地上物所有のために借りる場合については,ボワソナアドもいわく,「土地が「築造のために」借りられた場合には,地上権者は彼の工作物の便益(service)のために必要な土地の大きさを考慮に入れていたものと推定され,かつ,後になってから追加を要求することはできない。」と(Boissonade I, p.348)。

なお,梅は「杓子定規」云々といっていますが,旧民法財産編174条は,飽くまでも当事者間の合意がない場合のための補充規定です。「疑いもなく,大多数の場合において当事者は,地上権者に譲渡された建物に附随する土地の広さを決めるだろう。しかし,法は常に,当事者の不用意を,彼らのそうであろうところの意思に沿いつつ補わなければならない。ところで,地上物の買主は,周囲の土地無しに建物のみを取得したものとは思っていないことは明白である。そうでなければ,彼にとってその使用はほとんど不可能になってしまうのだ。」とはボワソナアドの言です(Boissonade I, p.347)。

しかし,旧民法財産編174条の規定によれば,地上権の範囲は,その対象となる土地の筆とは必ずしも一致しないもののようです。確かに,地役権については,「承役地の利用者は,承役地が要役地の便益に供せられる範囲において義務を負う」ものであって(我妻=有泉411頁,舟橋426頁),地役権は「承役地の占有を排他的に取得するものではない。地役権は共同(●●)便益(●●)()開かれて(●●●●)おり,承役地の所有者の利用も排斥されない」と説かれており(内田168頁),1筆の土地の一部分の上に地役権を設定することも可能であるところです(不動産登記法(平成16年法律第123号)8012号の「範囲」,不動産登記令(平成16年政令第379号)311号,716号,別表35項(添付情報欄のロに「地役権設定の範囲が承役地の一部であるときは,地役権図面」))。しかして地上権についても実は,かつては1筆の土地の一部をその範囲とする地上権の設定の登記が認められていました。すなわち,旧不動産登記法(明治32年法律第24号)111条は「地上権ノ設定又ハ移転ノ登記ヲ申請スル場合ニ於テハ申請書ニ地上権設定ノ目的及ヒ範囲ヲ記載シ若シ登記原因ニ存続期間,地代又ハ其支払時期ノ定アルトキハ之ヲ記載スルコトヲ要ス」と規定していたところです(下線は筆者によるもの)。地上権の地上物役権的把握の余響というべきでしょうか。

ところが,地上権設定の範囲は,昭和35年法律第14号による旧不動産登記法の改正によって,196041日から(昭和35年法律第14号附則1条),登記事項から削られてしまっています。「地上権の設定の範囲を明確にしますため,1筆の土地の一部についての地上権の設定登記を認めないこととし」たものだそうです(1960216日の衆議院法務委員会における平賀健太政府委員(法務省民事局長)の説明(第34回国会衆議院法務委員会議録第36頁)。同年310日の参議院法務委員会における同政府委員の説明も同様(第34回国会参議院法務委員会会議録第58頁)。)。「土地に関する権利のうちで地上権の比重が大きくなったこともあって,権利の範囲を明確に登記面に表示する趣旨に出たものと思われる。」との忖度的敷衍説明がされています(我妻=有泉344頁)。あるいは,その範囲を登記事項とすることが観念されていなかった土地の賃借権の登記(旧不動産登記法127条)との横並びが考えられたのかもしれません。

無論,1筆の土地の一部に地上権を設定することは,「1筆の土地の一部について所有権の取引が可能であるのと同様に〔略〕,実体法上否定すべき理由はない」ところです(我妻=有泉344頁)。ただし,「1筆の土地の一部について地上権を設定することは可能であるが,これに対抗力を与えるためには,分筆した上で登記するほかはな」いわけです(我妻=有泉344頁)。

なお,「地上権は一筆の土地の全部に及ぶのが普通であり,具体的なある地上権が一筆の土地の一部にしか及ばないというのは,地上権の効力の例外的な制限と見ることができる。このことを前提とすると,かかる制限を受ける地上権が(この制限は登記する方法がないから)制限のないものとして登記されている以上,この地上権が第三者に譲渡されると,土地所有者は上述の制限をもって地上権譲受人に対抗しえなくなり,したがって,譲受人は制限のない地上権つまり一筆の土地全部に及ぶ地上権を取得することになる,と解すべきであろう。」と説かれているところの問題があります(川島=川井編873頁(鈴木禄弥))。これについては,旧民法財産編174条に鑑みれば「地上権は一筆の土地の全部に及ぶのが普通」とはいえないところ,更に“Nemo plus juris ad alium transferre potest, quam ipse habet.”(何人も自己が有するより多くの権利を他人に移転できない。)でもあるのですから,民法942項が類推適用されるべきものでしょう(善意の第三者のみ1筆全体に及ぶ地上権を取得する。)。

 

6 旧民法財産編175条と現行民法267条と:相隣関係の規定の準用及び地役権との関係

 旧民法財産編175条は次のとおりですが,これが現在の民法267条では,「前章第1節第2款(相隣関係)の規定は,地上権者間又は地上権者と土地の所有者との間について準用する。ただし,第229条の規定は,境界線上の工作物が地上権の設定後に設けられた場合に限り,地上権者について準用する。」となっています。

 

 第175条 地上権設定後ニ築造シタル建物又ハ栽植シタル樹木ニ付テハ地上権者ハ此種ノ作業ノ為メ法律ヲ以テ相隣者ノ為メニ規定シタル距離及ヒ条件ヲ遵守ス可シ縦令其隣人カ地上権ノ設定者ナルモ亦同シ

  又地上権者ハ働方又ハ受方ニテ其他ノ地役ノ規則ニ従フ

 

  Art. 175  À l’égard des constructions et plantations faites après la constitution du droit du superficie, le superficiaire doit observer les distances et conditions prescrites par la loi aux voisins pour les mêmes travaux, lors même que le voisin est le constituant.  

          Le superficiaire est également soumis aux autres règles concernant les servitudes actives et passives.

 

 旧民法財産編1751項の重点は,ボワソナアドによれば,その後段にあったようです。いわく,「たとえ彼が栽植し,又は築造することが,その隣人となる者から彼に付与された権利に基づく場合であっても,地上権者は,築造及び栽植について規定された距離(観望に関する〔旧民法財産編258条〕以下及び栽植に関する〔同編262条〕を参照)を遵守しなければならないということを表明し置くことはよいことである。当該地上権者の立場は,売主の隣人となる土地の買主のそれと異なるものではない。」と(Boissonade I, pp.348-349)。

同条2項は,ボワソナアドの草案では“Le superficiaire est également soumis aux autres servitudes légales ou du fait de l’homme et peut les invoquer.”(地上権者は,同様に,他の法定又は人為の地役に服し,及び援用することができる。)となっていますから(Boissonade I, p.341),そういう意味なのでしょう。

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1 他人の土地を使用する権利たる地上権と地上物の所有権たる「地上権」と

民法(明治29年法律第89号)265条以下に,地上権に関する規定があります。同条は,「地上権者は,他人の土地において工作物又は竹木を所有するため,その土地を使用する権利を有する。」と規定しています。

 

   地上権は,家屋を築造し,トンネル・溝渠・架橋などを建設し,植林をするなどの目的で,他人の土地を使用する物権である。現行法の体系では,土地所有権を一時的に制限する権利であり,その制限は,原則として,所有者の意思に基づいて成立する〔略〕。〔略〕物権法定主義〔略〕の結果,地上権を設定する以上,所有者の留保ないし獲得しうる有利な地位にもおのずから限度がある。そこで,所有者は,自分の土地を他人に使用させるという地上権と同様の目的を,賃貸借によって達成しようとする。賃貸借においては,賃借人の使用権は,土地に対する直接の支配権としてではなく,賃貸人に対する債権(土地を使用させるように請求する権利)を介して,間接に生ずる権能として,構成されている。したがって,賃借人の使用権は,地上権に比して,あたかも,債権がその効力において物権に劣る点だけ,弱いものとなる〔略〕。〔後略〕

  (我妻榮著=有泉亨補訂『新訂物権法(民法講義)』(岩波書店・1983年(1984年補正))338頁。下線は筆者によるもの)

 

  地上権(〇〇〇)jus superficies, superficie, Erbbaurecht)ハ土地ニ関スル物権ニシテ所有権ニ次イテ強力ナルモノナリ其定義ハ第265条ニ於テ之ヲ掲クヘシト雖モ従来我邦ニ行ハルル借地権ノ一種ナリ新法典ニ拠レハ借地権ハ之ヲ4種ニ分ツコトヲ得(第1地上権(〇〇〇),(第2()小作権(〇〇〇),(第3賃借権(〇〇〇),(第4使用(〇〇)借権(〇〇)是ナリ

  (梅謙次郎『訂正増補民法要義巻之二物権編』(私立法政大学=有斐閣書房・1911年(第31版))224-225頁)

 

  借地借家法(平成3年法律第90号)21号 借地権 建物の所有を目的とする地上権又は土地の賃借権をいう。

 

以上のような説明及び法文を読むと,地上権とは,土地の賃借権の物権版であって,当該土地の使用(ちなみに,富井政章=本野一郎のフランス語訳では,所有権に係る民法206条の「使用,収益」は“d’user, d’jouir”と,賃貸借に係る同法601条の「物の使用及び収益」は“l’usage et la jouissance d’une chose”となります(Code Civil de l’Empire du Japon, Livres I, II & III(新青出版・1997年))。の目的が工作物又は竹木を所有するためであるもの,というふうに早分かりすることになります。これで大過はないところです。

しかし,中小の興味深い事実を見逃してしまうかもしれません。

 

 本条〔民法265条〕ハ地上権ノ定義ヲ下シタルモノナリ地上権ノ性質ハ古来大ニ議論アル所ニシテ各国ノ法律亦一様ナラサル所ナリ旧民法ニ於テハ仏国ノ一部ノ学者ノ説ヲ採リテ地上権ヲ以テ建物又ハ竹木ノ所有権トセルカ如シ是レ必スシモ誤謬ナリト謂フコトヲ得スト雖モ若シ此説ノ如クンハ地上権ヲ以テ所有権ニ異ナレル一ノ物権トシテ視ルコトヲ得サルヘシ苟モ之ヲ所有権ノ支分権トシ所有権ニ異ナリタル一ノ物権トスル以上ハ建物,竹木ノ所有権以外ニ一種ノ権利ヲ認メサルヘカラス然ルニ他人ノ土地ノ上ニ建物若クハ竹木ヲ所有セント欲セハ勢ヒ其土地ヲ使用セサルコトヲ得ス此土地ノ使用権即チ之ヲ地上権ト謂フヘキカ如シ故ニ本条ニ於テハ地上権ヲ以テ他人ノ土地ノ上ニ工作物又ハ竹木ヲ所有スル為メ其土地ヲ使用スル権利トセシナリ〔後略〕

 (梅二225-226頁。下線は筆者によるもの)

 

 「地上権ヲ以テ建物又ハ竹木ノ所有権トセル」とは,確かに奇妙ですね。所有権は所有権なので,それがどうして「地上権」なる別の物権になるものか。旧民法における「地上権」は一体いかなる権利だったのか興味が湧いてきます。また,旧民法においては,賃貸借はせっかく物権として規定されていたところ(旧民法財産編(明治23年法律第28号)115条以下),それとは別にわざわざ「地上権」の規定を設けていたのも(同編171条以下),現在の土地の賃借権と地上権との関係を考えると不思議ではあります。かくして筆者による旧民法的「地上権」に関する探訪が始まるのでした。

 

2 旧民法財産編171条と現行民法265条と:権利の内容

 

(1)旧民法財産編171条の条文及びそれに対する梅謙次郎の批判

 

  旧民法財産編171条 地上権トハ他人ノ所有ニ属スル土地ノ上ニ於テ建物又ハ竹木ヲ完全ノ所有権ヲ以テ占有スル権利ヲ謂フ

 

ここでの「地上権」は,単純な「建物,竹木ノ所有権」自体ではなく,「他人ノ所有ニ属スル土地ノ上」で自己所有の建物又は竹木を「占有スル権利」ではあります。土地所有者から旧民法財産編361項本文(「所有者其物ノ占有ヲ妨ケラレ又ハ奪ハレタルトキハ所持者ニ対シ本権訴訟ヲ行フコトヲ得」)の本権訴権の行使を受けないという附加的効能があるわけでしょう。

しかしながら,現行民法の地上権規定の審議を行った1894928(ちなみに,この月の15-16日には平壌攻略戦があり,17日には黄海海戦があって,日清戦争たけなわの時期です。明治天皇は広島に行在していました。)の第32回法典調査会において,梅謙次郎は旧民法財産編171条を酷評します。いわく,「苟モ建物及ヒ竹木ノ所有者テアレハ夫レヲ占有スルコトハ言フヲ俟タヌコトテアツテ若シ占有スルコトカ出来ナイ場合ハ所有者テナイノテ所有者ト言ヘハコソ占有スルコトカ出来ルト言ツテ宜イ位テ若シ是レカ建物又ハ竹木ノ完全ノ所有権ノ為メニ他人ノ土地ヲ()()スル権利ト言ツタラ稍々本案〔「地上権者ハ他人ノ土地ニ於テ工作物又ハ竹木ヲ所有スル為メ其土地ヲ使用スル権利ヲ有ス」〕ト同シ様ニナリマスカ既成法典ハ然ウナツテ居ラヌと(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第10巻』175丁裏。下線は筆者によるもの)。

当該会合においては磯部四郎🎴が,旧民法流の「地上権者ハ他人ノ地上ニ於テ工作物又ハ竹木其他ノ物ヲ所有スル権利ヲ有ス」という保守的修正案を提出していますが,否決されています(民法議事速記録第10197丁表,184丁表-185丁裏)。

 

(2)現行民法265条とベルギー国1824110日法1条と

梅によれば,日本民法265条は,オランダ民法及びベルギー法に倣ったものです。

すなわち,「和蘭民法並ニ白耳義現行法ニ於キマシテハ地上権ハ他人ノ土地ノ上ニ建物工作物又ハ樹木ヲ有スル権利テアルト書イテアリマスカ是レカ一番日本ノ慣習ニ近クテ理窟モ一ト通リ分ツテ居ルト思ヒマス日本テハ土地ノ上ニアル建物及ヒ竹木ヲ土地ノ所有者テナイ者テモ得ラレルト云フコトニナツテ居リマスカラ夫レヲ採リマシタカ只必要ナル範囲ノ上ニ於テ他人ノ土地ヲ使用スルコトカ出来ル夫レカ(ママ)即チ地上権テアルト云フコトヲ一層明カニスル為メニ本案ノ如ク書キマシタ訳テアリマス」(民法議事速記録第10177丁裏-178丁表)ということでした。ここでの「白耳義現行法」は,同国の1824110日法で,今同法1条を見るに“Le droit de superficie est un droit réel, qui consiste à avoir des bâtiments, ouvrages ou plantations sur un fonds appartenant à autrui.”と規定しています。ちなみに,1824年にはベルギー国はまだ独立しておらずオランダの一部であり,実は梅のいう「和蘭民法並ニ白耳義現行法」の規定は同一のものであって,オランダでは当該規定が後に民法典に編入されたものです(cf. Gve Boissonade; Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Premier, Des Droits Réels (Tokio, 1890). p.315 (a))。

 

(3)旧民法財産編171条に関するボワソナアドの説明

旧民法財産編171条は,フランス語文では次のとおり。

 

 Art. 171.  La Superficie est le droit de posséder en pleine propriété des constructions ou des plantations d’arbres ou de bambous, sur un sol appartenant à un autre propriétaire.

 

 梅に酷評されつつも,旧民法財産編171条は,梅推奨のベルギー国1824110日法1条と余り変わりないようです(旧民法財産編171条では地上権が物権(un droit réel)であることを特に規定していませんが,そのことは,規定の位置からして当然明らかであったところです。)。(ただし,ベルギー国1824110日法には「土地が返還される(…que le fonds soit remis…)」という表現がありますところ(同法5条),これによって地上権者による土地の占有が間接的ながらも示され得ることが,あるいは梅が同法を気に入った理由だったのでしょうか。)

 旧民法財産編171条については,単刀直入にボワソナアドの解説を見てみましょう。

 

  240. 地価が比較的高い諸国においては,その主要な性格を本条が示しているところの所有権の変容(modification)が行われている。土地自体,すなわち底地tréfonds)はある人に属し,かつ,構築物édifices)又は地上物superfices)は他の人に属する,というように。

   地上権(le droit de superficie)は,ローマ法において見出すことができる。フランス古法ではほとんど使われていなかったものである。フランス民法においても言及されておらず,イタリア法典においても同様である。しかしながら,フランスにおいて導入され始めており,また,オランダ,ベルギー及びその他の欧州諸国において見出すことができる。〔筆者註:こういわれてみると我が旧民法の「地上権」規定は,フランス法系法域における当時の最先端のものとして立案されたようではあります。〕

   日本国においては,所有権に係るこの変容は他国より広く普及しているようである。家賃が高いことによるものであるが,当該高値自体は火災が頻繁であることに由来し,次いで当該頻繫性は,一般に木材で作られているという工作物の性質によるものであり,しかして当該工作の方法自体は,石材が少ないということによってではなく,地震が多いことによって余儀なくされているものである。

   住民らは,毎月非常に高い家賃を払うよりは,火災のリスクを冒しても,投下資本に係る利息及び地代が毎年かかるだけの自宅に住むことの方を選好しているのである。

  (Boissonade I, p.314

 

(4)ローマ法

 ローマ法における地上権については,「地上権(superficies)は地代(solarium)を支払つて他人の土地に建物を建設し,「地上物は土地に従う」(superficies solo cedit)との原則〔略〕により,土地の所有者の所有となつた該建物をあたかも所有者の如くに使用する権利である。〔略〕少くともユ〔スティニアヌス〕帝法では所有物取戻訴権類似の対物地上権訴権(actio de superficie in rem)を認められ,物権となっている〔略〕。」と説明されています(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)133頁)。

 “Superficies solo cedit.”の原則の意味するところは,かねてから筆者には悩ましいところです(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073804586.html)。

 ボワソナアドのいう「所有権の変容」との意味は,「大陸法の地上権は,「地上物は土地に従う」の原則は適用あるが,その適用の結果土地所有者の有となつた建物をあたかも自己の所有物であるかの如く使用する物権というローマ法の廻りくどい表現法を変更し,さきの原則の適用を排除する物権と構成されている」(原田133頁)ことになった,ということでしょう。地上物を己れに従わしめるところの土地の所有権を変容せしめて,土地の所有者以外の者による地上物の所有を可能ならしめる制度である,ということでしょうか。「完全ノ所有権(en pleine propriété)」という表現が採用された理由は,ローマ法式の廻りくどい使用権ではないよとの感慨がそうしからしめたところであるようにも思われます。

 

(5)フランス法

 

ア Droit de Superficie

 フランスにおける地上権に関しては,「然し,フランスでは,地上物は土地に附属する(superficies solo cedit)という原則は,右の両民法〔ドイツ民法及びスイス民法〕ほど徹底していない(同法553条は建物だけが時効取得されることを認めている)。その結果,宅地または農地の借主が建物を建設する承諾を得ているときは,その建設した建物は賃借人の所有に属するものとみられ,学者は,かような場合の賃借人の権利を「地上の権利」(droit de superficie)と呼んでいる。然し,住宅難の解決のために特にこの権利を強化する必要も感じられていないようである。」と紹介されています(我妻榮『債権各論中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1957年(1973年補訂))395-396頁)。

更に敷衍すれば,「フランス民法においては,地上権は法律の条文によって規定された権利ではなく,土地所有権はその上下に及ぶという5521項の原則に対する例外を構成するものと解されている。この意味での地上権は,わが民法における地上権と異なり,一つの真正なる有体不動産所有権(propriété corporelle, immobilière)を構成し,30年の不行使によっても消滅することなく,また所有権と同様,永久権である。地上権は契約または法律の規定によって設定されるほか,時効によって取得することもありうる。地上権が存在する場合にも,土地所有者(propriétaire de tréfonds)は,土地所有権に属するすべての権能を行使しうるが,定着物および地表に損害を与えない義務を負担する。農地の賃貸借および建物の賃貸借については特別法が存在するが,地上権について,この権利を強化する特別法は存在しない。」とのことです(川島武宜=川井健編『新版注釈民法(7)物権(2)』(有斐閣・2007年)859頁(渡辺洋三))。梅は,この,地上権=「一つの真正なる有体不動産所有権」論が旧民法の「地上権」の前提になっているものと考えていたのでしょう。

なお,我が国の地上権の時効消滅(民法1662項)については,梅は「土地ヲ使用スル権利テアルカラ使用シマセヌケレハ夫レハナクナルケレトモ工作物竹木カアレハ夫レカアル以上ハ使用シテ居ルノテアルカラ使用ノ権利カナクナル気使ヒハナイ又工作物又ハ竹木夫レ自身ヲ使用シタト云フコトテナクモ夫レヲ所有シテ居ル以上ハ固ヨリ地上権ハ消滅シナイ是レハ彼ノ時効ノ所ニ規定シタ如ク所有権ノ取得時効ト云フモノカナケレハ所有権ハ消滅シナイ〔ところである〕」と述べています(民法議事速記録第10180丁表)。(ちなみに,ベルギー国1824110日法の地上権にも,30年の消滅時効の適用がありました(同法93号)。)

 

イ フランス民法553条と旧民法財産取得編8条と

 フランス民法553条は次のとおり。

 

  Art. 553  Toutes constructions, plantations et ouvrages sur un terrain ou dans l’intérieur, sont présumés faits par le propriétaire à ses frais et lui appartenir, si le contraire n’est prouvé; sans prejudice de la propriété qu’un tiers pourrait avoir acquise ou pourrait acquérir par prescription, soit d’un souterrain sous le bâtiment d’autruit, soit de toute autre partie du bâtiment.

  (地上又は地中の全ての建築その他の工作物及び植物は,その土地の所有者が自費によりこれを築造又は栽植したものと推定されるとともに,それに対する反証のない限り同人に帰属する。ただし,他人の建物の地下又は建物の他の全ての部分について,第三者が時効により取得した,又は取得する所有権を妨げるものではない。)

 

 同条は,我が旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)8条に継受されています。

 

  第8条 建築其他ノ工作(ママ)及ヒ植物ハ総テ其附著セル土地又ハ建物ノ所有者カ自費ニテ之ヲ築造シ又ハ栽植シタリトノ推定ヲ受ク但反対ノ証拠アルトキハ此限ニ在ラス

   右建築其他ノ工作物ノ所有権ハ土地又ハ建物ノ所有者ニ属ス但権原又ハ時効ニ因リテ第三者ノ得タル権利ヲ妨ケス

   植物ニ関スル場合ハ第10条ノ規定ニ従フ

 

 フランス語文は,次のとおり。

 

Art. 8  Toutes constructions, plantations et ouvrages quelconques, faits au-dessus et au-dessous du sol ou des bâtiments, sont présumés faits par le propriétaire desdits sol et bâtiments et à ses frais, si le contraire n’est prouvé.

La propriété desdits ouvrages et constructions lui appartient, s’il n’y a titre ou prescription au profit d’un tiers.

En ce qui concerne les plantations, le cas est réglé à l’article 10 du présent Livre.

 

 旧民法財産取得編8条の趣旨を,更にフランス民法553条のそれと併せつつ知るには,ボワソナアドの説くところに当たるのが捷径でしょう。

 

  24. 本条〔旧民法財産取得編8条〕は,2箇の別個,かつ,かなり異なった性質の規定を包含している 。

   フランス民法は,これらを単一の規定(第553条)にまとめたことにより,それらのうち一方の射程を弱めてしまっている。しかしながら,理論的及び法学的解釈が,その価値の回復をもたらしているところである。

   フランス民法によれば,ここには2箇の推定があり,かつ,そのいずれも反証によって否定され得る。第1の推定は,建築その他の工作物の築造及び植物の栽植は,土地の所有者がその自費をもってしたものとするものである。第2の推定は,それらの物は同人に帰属するとするものである。ところで,フランス民法は,ここで第2の推定を第1のものの上に据えて,第1の推定が否定されればその結果,第2の推定が倒れるものとしたように観察される。しかしながらこのようなことを,法は,その根底において考えていたものではない。建築その他の工作物の築造が,土地又は建物の所有者以外の者の意思に基づき,かつ,その費用によってされたことが立証された場合であっても,それゆえに,場合に応じて不当利得に係る償金を支払うべきこと又は取壊し及び材料の収去を求める権利があることは別として,当該建築その他の工作物が土地所有者に帰属しないものとなるものではない。

   これら二つの規定に法律上の推定の性格を与えるとしても,第1の推定は単純又は全ての反証を許すものである一方,第2の推定は,絶対的ではないとしても,少なくとも覆すことがより難しいものであるということが認識されるべきである。当該工作物を第三者に譲渡せしめる権原に基づく反証又は第三者による長期の占有の結果としてのもう一つの推定であるところの取得時効に基づく反証以外の反証は認められないのである。

   要するに,ここにおいては,ローマ法に遡る法原則のしかるべき再確認(consécration)がされているのである。すなわち,「土地の上に建造された全ての物は,当該土地に添付するものである(tout ce qui est construit sur le sol accède au sol)。Omne quod inædificatur solo cedit.

   この趣旨において,本案の本条は草されたものである。

   法文は,土地の所有者と建物のそれとを分けて規定する配慮をしている。この両者は,日本国においては,他国の大部分においてよりもより多くの場合において別人格である。ところで,建物の所有者は,地上権者(superficiaire),永借人(emphytéote),用益者(usufruitier),小作人(fermier)であり得る。しかして,これらのうちいずれかの者によって建物が建築され,増築され,又は修築された場合においては,工事及び出費は同人によってされたものと推定され,並びに他人に属する材料が使用されたことが立証されたときには,次条において規定される償金の支払は別として,同人がその材料を取得する。

   また,フランス民法とは異なり,本条においては建築又はその他の工作物と植物とが別異に取り扱われていることにも気が付かれるであろう。植物についても確かに,建築と同様,その栽植は土地の所有者が自費をもってしたものと推定される。しかしながら,栽植が他人の(木,灌木,草本)をもってされたことが立証された場合においては,〔旧民法財産取得編10条〕において規定されるように当該苗の所有者が1年以内に返還請求をしないときに初めて所有権が取得される。この例外の理由付けは,当該条項の解説において示されるであろう。

  (Gve Boissonade; Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Troisième, Des Moyens d’Acquérir les Biens (Tokio, 1891). pp.35-36

 

(6)日本的特性

 「日本では土地と建物とは別々の不動産だから,建物所有を目的とする借地(地上権であることも賃借権であることもある)が存在するが,欧米では「地上物は土地に従う」という原則があって,建物は土地の一部と観念される(建物が土地に附合する)。このため,日本のような借地は例外的に存在するに過ぎない。しかも,〔例外的に存在する彼の地の「借地」は〕日本のような地表を借りる借地とは考え方が違い,他人の土地所有権と一体とならずに(附合せずに)一定期間建物を所有する権利と考えられている。」との説明(内田貴『民法 債権各論』(東京大学出版会・1997年)167頁)は,この文脈の中において合点がいきます。我が国においては,「地上権を規定するにあたっては,地上物の権利関係はほとんどこれを問題とする必要なく,ただ土地の使用権たる方面だけを見ればいいわけである。民法が,地上権を,「土地ヲ使用(●●)スル権利」だとしたのは,このゆえである(ただし,永小作権の場合(270条)と異なって,工作物または竹木を「所有」するためとしているのは,ローマ法およびこれを承継した各国民法典の影響によるものと認められる。〔後略〕)」ということだったようです(舟橋諄一『物権法』(有斐閣・1960年)396-397頁)。

しかし,土地の使用権として徹底されずに「他人の土地において工作物又は竹木を所有するため」というローマ法由来の尾骶骨があえて残されている点において,地上権の特殊性がなお見出されるということは果たしてないのでしょうか。

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前編(旧文言関係)から続く:http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079742256.html


第3 現行605条の文言に関して

 

1 「その他の第三者に対抗することができる」の文言の採用に関して

 

(1)旧605条における「対抗」の語の不採用と現行605条における採用及びその必要(賃借権多重設定時の優劣決定基準)と

以上,大きな回り道をした上で,民法旧605条において「対抗」の語が採用されなかった意味を考えてみるに,実は「対抗要件」という語には2義があって,同条は,本家の同法177条,178条及び467条に「対抗」の語を譲って,その使用を遠慮していた,ということのようです。

 

  対抗要件という言葉は,物や債権の二重譲渡のように,1つの権利をめぐって相容れない者同士が争う場合(対抗問題)の優劣決定基準という意味で用いられることが多い(177条・178条・467条)。賃貸借の対抗要件は,賃貸借という本来は債務者に対してしか主張できない債権について,第三者である新所有者等に対しても,主張できるようにする(対抗力をもたせる)という機能をもつ。

(中田裕康『契約法[新版]』(有斐閣・2021年(第32022610日))448頁)

 

しかしそうであると,現行605条は,従来の遠慮を強引にかなぐり捨てたものということになるのでしょうか。

 

〔前略〕旧605条は,不動産賃貸借の登記をすると,その不動産の新所有者等に対して「その効力を生ずる」と規定していたが,605条は「対抗することができる」と規定する。これは,㋐第三者に対する賃借権の対抗の問題と,㋑第三者への賃貸人たる地位の移転の問題とを区別し,605条は㋐を規律し,新設の605条の2が㋑を規律することとして,規律内容を明確化したものである。〔後略〕

(中田447頁)

 

 ㋑の問題に対応する限りでの㋐の「第三者に対する賃借権の対抗の問題」は,「賃貸借の目的である不動産が譲渡された場合,賃借人は,賃貸借の対抗要件を備えていれば,所有権に基づく譲受人の明渡請求を拒むことができる。」ということでしょう(中田449頁)。「物や債権の二重譲渡のように,1つの権利をめぐって相容れない者同士が争う場合(対抗問題)」ではありません。それだけであれば,あえて旧605条の文言を改めて「対抗」の語を採用する必要があったものかどうか。

 この点,平成29年法律第44号の法案起草者は,民法現行605条には是非とも「対抗」の語を用いなければならないと考えたようです。同条は「物や債権の二重譲渡のように,1つの権利をめぐって相容れない者同士が争う場合(対抗問題)の優劣決定基準」に関する規定,すなわち本来的な対抗問題に関する規定でもある,という判断がされたからであるようなのです。いわく,「旧法第605条は,登記をした不動産の賃貸借について,「不動産について物権を取得した者に対しても,その効力を生ずる」と規定していたが,判例(最判昭和281218日〔民集7121515〕)は,この規定により対抗力を備えた賃(ママ)人は,当該不動産について二重に賃借権の設定を受けた者など物権を取得した者ではない対抗関係にある第三者にも,賃貸借を対抗することができるとしていた。そこで,新法においては,登記をした不動産の賃貸借は,「不動産について物権を取得した者その他の第三者」に「対抗することができる」としている(新法第605条)。」と(筒井=村松313頁)。しかして現行605条の「その他の第三者」はどのようなものかといえば,正に民法177条の「第三者」を彷彿させるがごとく,「その不動産について所有権,地上権,抵当権などの物権を取得した者,目的物を差し押さえた者(差押債権者),二重賃借人などである。」とされています(中田446頁)。

 

(2)最判昭和281218日に関して

 昭和27年(オ)第883号建物収去土地明渡請求事件に係る昭和281218日判決において最高裁判所第二小法廷(霜山精一(裁判長),栗山茂,藤田八郎及び谷村唯一郎各裁判官)は,次のように判示しています。

 

   民法605条は不動産の賃貸借は之を登記したときは爾後その不動産につき物権を取得した者に対してもその効力を生ずる旨を規定し,建物保護に関する法律では建物の所有を目的とする土地の賃借権により土地の賃借人がその土地の上に登記した建物を有するときは土地の賃貸借の登記がなくても賃借権をもつて第三者に対抗できる旨を規定しており,更に罹災都市借地借家臨時処理法10条によると罹災建物が滅失した当時から引き続きその建物の敷地又はその換地に借地権を有する者はその借地権の登記及びその土地にある建物の登記がなくてもその借地権をもつて昭和2171日から5箇年以内にその土地について権利を取得した第三者に対抗できる旨を規定しているのであつて,これらの規定により土地の賃借権をもつてその土地につき権利を取得した第三者に対抗できる場合にはその賃借権はいわゆる物権的効力を有し,その土地につき物権を取得した第三者に対抗できるのみならずその土地につき賃借権を取得した者にも対抗できるのである。従つて第三者に対抗できる賃借権を有する者は爾後その土地につき賃借権を取得しこれにより地上に建物を建てて土地を使用する第三者に対し直接にその建物の収去,土地の明渡を請求することができるわけである。

   ところで原審の判断したところによると本件土地はもと訴外Dの所有に係り同人から被上告人の父Eが普通建物所有の目的で賃借し,Eの死後その家督相続をした被上告人において右賃貸借契約による借主としての権利義務を承継したが,昭和136月を以て賃貸借期間が満了となつたので,右Dと被上告人との間で同年101日被上告人主張の本件土地賃貸借契約を結んだのであるが,その後昭和15517日本件土地所有権はDからその養子である訴外Fに譲渡され,Dの右契約による貸主としての権利義務はFに承継された。ところが被上告人が右借地上に所有していた家屋は昭和203月戦災に罹り焼失したが被上告人の借地権は当然に消滅するものでなく罹災都市借地借家臨時処理法の規定によつて昭和2171日から5箇年内に右借地について権利を取得した者に対し右借地権を対抗できるわけであるところ,上告人は本件土地に主文掲記の建物を建築所有して右土地を占有しているのであるがその理由は上告人は土地所有者のFから昭和226月に賃借したというのであるから上告人は被上告人の借地権をもつて対抗される立場にあり上告人は被上告人の借地権に基く本訴請求を拒否できないというのであるから,原判決は前段説示したところと同一趣旨に出でたものであつて正当である。それゆえ論旨は理由がない。

  〔上告棄却〕

 

罹災都市借地借家臨時処理法(昭和21年法律第13号)10条は「罹災建物が滅失し,又は疎開建物が除却された当時から,引き続き,その建物の敷地又はその換地に借地権を有する者は,その借地権の登記及びその土地にある建物の登記がなくても,これを以て,昭和2171日から5箇年以内に,その土地について権利を取得した第三者に,対抗できる。」と,同法1条は「この法律において,罹災建物とは,空襲その他今次の戦争に因る災害のために滅失した建物をいひ,〔略〕借地権とは,建物の所有を目的とする地上権及び賃借権をい〔略〕ふ。」と規定していました。罹災都市借地借家臨時処理法は,1957年の段階で既に「立法の体裁として,甚しく妥当を欠く。速に整理して,恒久的存在をもつ法律とすることが望ましい。」と言われていましたが(我妻Ⅴ₂・401頁),大規模な災害の被災地における借地借家に関する特別措置法(平成25年法律第61号)附則21号により,2013925日から(同法附則1条,平成25年政令第270号)廃止されています。

建物保護に関する法律11項は,前記のとおり,「建物ノ所有ヲ目的トスル地上権又ハ土地ノ賃借権ニ因リ地上権者又ハ土地ノ賃借人カ其ノ土地ノ上ニ登記シタル建物ヲ有スルトキハ地上権又ハ土地ノ賃貸借ハ其ノ登記ナキモ之ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得」と規定していました。建物保護に関する法律は,借地借家法(平成3年法律第90号)附則21号により,199281日から(同法附則1条,平成4年政令第25号)廃止されています。建物保護に関する法律11項の規定に対応するのが,借地借家法101項の規定(「借地権は,その登記がなくても,土地の上に借地権者が登記されている建物を所有するときは,これをもって第三者に対抗することができる。」)です。「借地権」は「建物の所有を目的とする地上権又は土地の賃借権」(借地借家法21号),「借地権者」は「借地権を有する者」です(同条2号)。

しかし,最判昭和281218日の論理は,筆者には分かりづらいところです。どう理解すべきか,少々努力してみましょう。(なお,当該事案の特殊性を強調して,「罹処法等により特別の対抗力を与えられている者については,これを優先させないと法律の目的が達成されないことはいうまでもない。」(星野433頁)とは直ちには言わないことにしましょう。)

当該判例は,民法旧605条,建物保護に関する法律11項及び罹災都市借地借家臨時処理法10条を,その理由付けのために動員しています。当該事案には,直接には罹災都市借地借家臨時処理法10条が適用されましたが,同条は,その「その土地について権利を取得した第三者に,対抗することができる」という文言からして,「物や債権の二重譲渡のように,1つの権利をめぐって相容れない者同士が争う場合(対抗問題)の優劣決定基準」に関する規定でもあるのだ,と最高裁判所によって解されるとともに,その際その前提として,当該対抗要件の具備は「その賃借権〔に〕いわゆる物権的効力〔この場合は排他性〕を有」せしめる効力(「変態的拡張」)があるのだ,としているものでしょうか。(筆者がここで,「いわゆる物権的効力」について,「同一の目的物の上に一個の物権が存するときは,これと両立しない物権の並存することを許さない」ものたる排他性(我妻榮著=有泉亨補訂『新訂物権法(民法講義)』(岩波書店・1983年)11頁)を措定するのは,「物権の排他性は,第三者に対する影響が大きいから,この性質を持たせるためには,物権の存在,ないしその変動(設定・移転等)を表象する外形を必要とすること」となっているところ(同頁),外界から認識し得る何らかの表象に係る当該必要が公示の原則であって(同40頁),当該公示を貫徹するために,成立要件主義に拠らずに採用されたのが対抗要件主義であるからでした(同42-43頁)。なお,対抗要件具備の先後によって権利の優先劣後が定まるのは,その前提として早い者勝ちの原則があるからでしょう。フランスでは,不動産謄記を対抗要件とする制度の発足前は,法律行為に係る証書の確定日付の前後で権利の優劣が決まっていたのでした。(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1068990781.html))その際,同様の「第三者ニ対抗スルコトヲ得」との文言であって前例と考えられる建物保護に関する法律11項が,罹災都市借地借家臨時処理法10条に係る当該解釈を補強する前例としても援用されたものでしょうか(しかし,正に「建物保護」に関する法律としては,上告人の現に所有している建物が収去されてしまうという結論は辛いですね。)。

当該解釈をもって遡及的に,実はそうとははっきりしない文言である民法旧605条の意味をも最高裁判所は捉え直したものなのでしょうか。それを承けて,「賃借権の登記が旧605条の想定していた場面(新所有者に対する対抗)における対抗要件としてだけでなく,二重賃貸借の優劣判定基準として用いられることにもなったわけである。」(中田456-457頁)ということで,平成29年法律第44号による新しい民法605条は,最判昭和281218日によって捉え直された民法旧605条の真意義に従って表記されたものであるということになるのでしょうか。

最判昭和281218日に関する長谷部調査官説明は「排他性のない債権たる賃借権に,物権的請求権に比すべき妨害排除請求権が認められるかは問題であるが,少くとも排他的効力を具備する賃借権にはこれを認めて差支えないであろう。本件は,罹災都市借地借家臨時処理法10条により借地権を第三者に対抗できる被上告人が,その対抗を受ける新な借地権者たる上告人に対しその地上建物の収去土地の明渡を求めるものであつて,上告人においては被上告人に対し自己の借地権を主張し得ない立場にあるのだから,被上告人の賃借権という債権に基く請求といえども,通常の債権の二重譲渡または二重設定の場合と異りこれを拒否し得ないこととなると思われる。以上が本判決の立場である。」というものでした(判タ3641頁)。ここでも,罹災都市借地借家臨時処理法10条による対抗要件具備が土地の賃借権に排他性(「いわゆる物権的効力」)を与えるということが当然の前提となっているようです。

 しかし,「対抗」の語から,勝手に連想が膨らんで行っているもののようにも思われます。

賃借権は債権である以上,「債権は,たとい事実上両立することのできないもの(ある人が同一時間に別の劇場で演技する債務)でも,無数に成立しうる。」(我妻Ⅱ・11頁)のが大前提であるはずです。債権者平等の下,現に占有を有する者が占有訴権によって保護されるということでよいでないか,という考え(星野432頁の紹介する「これは対抗力の問題外であって,債権の平等性の問題であり,先に履行を受けた者が事実上優先する(他の者に対する賃貸人の債務が履行不能となる)とする」高木多喜男説)も成り立つでしょう。これを,当事者たる賃貸人の同意無しに(罹災都市借地借家臨時処理法10条及び建物保護に関する法律11項の対抗要件具備には賃貸人の同意は不要でした。),物権的排他性のあるものにしてしまってよいのでしょうか。また,罹災都市借地借家臨時処理法10条は「第三者に,対抗することができる」と,建物保護に関する法律11項は「第三者ニ対抗スルコトヲ得」と規定していて十分抽象的ではありますが,それと同時に,物権的排他性を付与するものであると明示するものでもありません。「変態的拡張」たる物権的排他性付与の効果を認めるには不十分であるともいい得るでしょう。梅謙次郎も,第95回法典調査会において,「成程人権ト云フコトガアツテハ第三者ニ対抗ガ出来ヌコトデアリマスガ立法者ノ万能力デサウ云フコトハ差支ナイト思フ」と述べており(民法議事速記録第3311丁表裏),これは反対解釈すると,第三者に対抗できないことが本来の性質である債権に第三者に対する対抗力を与えるには,法律の具体的明文による立法措置が必要であるということでしょう。(この点に関して,大審院大正10530日判決は,「然レトモ明治42年法律第40号〔建物保護に関する法律〕第1条ニ地上権又ハ土地ノ賃借権ハ其登記ナキモ之ヲ以テ第三者ニ対抗スルコトヲ得トアルハ建物ノ所有ヲ目的トスル地上権又ハ賃借権ヲ有スル者ヲ保護スル為メ地上権ニ付テハ民法第177条ニ対スル例外ヲ設ケ賃借権ニ付テハ民法第605条ノ規定ヲ以テ不充分ナリトシ同条ノ要求スル賃借権ノ登記ヲ必要ナラスト為シタルモノナルコト其法律制定ノ旨趣ニ照シテ明ラカニシテ物権タル地上権ト債権タル賃借権ヲ同一規定ノ内ニ網羅シタル為メ対抗ナル文字ヲ用ヰタルニ過キサルモノトス故ニ前示法律第1条ニ所謂賃借権ノ対抗トハ第605条ニ賃借権ハ云云其効力ヲ生ストアルト同一旨趣ニシテ他意アルニアラスト解スルヲ相当トス」と,建物の所有を目的とする土地の賃借権については,建物保護に関する法律11項の規定するところは民法605条のそれと同じである旨判示していたところです。)

 

なお,建物保護に関する法律は,議員立法でした。

その法案は,当初は「工作物保護ニ関スル法律案」として,高木益太郎衆議院議員外1名から衆議院(第25回帝国議会)に提出されたものであって,190926日の衆議院における第一読会に付されたその内容は「地上権又ハ土地賃借権ニ因リ工作物ヲ有スル者ハ登記ナシト雖其ノ事実ヲ知リタル第三者ニ対抗スルコトヲ得」というものでした(第25回帝国議会衆議院議事速記録第672頁)。

当該原案に対する修正点の指摘が,1909212日の衆議院工作物保護ニ関スル法律案委員会で平沼騏一郎政府委員(司法省民刑局長)からされており(第25回帝国議会衆議院工作物保護ニ関スル法律案委員会議録(速記)第2回),成立した建物保護に関する法律11項の法文は,当該指摘を取り入れたものとなりました。平沼政府委員の指摘は大別して3点。すなわち,①工作物では広過ぎるので保護対象は建物に制限されたい(「此案ト云フモノガ民法ノ規定ニ対シテ余程大キナ例外ニ相成ルノデアリマスカラ,成ルベク範囲ハ狭メマシテ,保護ノ必要ノアリマスルモノニ限定致シタイト考ヘマス」「極メテ極端ナ一例ヲ申上ゲルヤウデアリマスガ,旗竿1本土地ノ上ニ立テ居リマシテモ,是ハ工作物ニ相成ラウト思フ」「今日ノトコロデハ先ヅ地震売買ノタメニ害ヲ受ケルモノハ建物ダケト考ヘテ宜シカラウト思ヒマス」),②原案では新地主保護が不十分である,建物の登記を求めるべきではないか(「此建物ノ建テ居ルト云フコトハ,成程表顕スベキ事実デアルカラ,新タニ土地ヲ買ヒマスルモノハ,建物ノ工作物ガ現ニ土地ノ上ニ存在シテ居ルカラ見レバソレデ分ルデハナイカト云フコトデゴザイマセウガ,〔略〕併シ随分此土地ノ区劃ト云フコトモ,郡部ナドヘ参リマスレバ曖昧ニナッテ居ル所モアルノデアリマスカラ,単純ニ建物ノ建ッテ居ルト云フコトダケデハ十分ナ公示ノ事実ニナラヌ場合モアルデアラウカト考ヘル,此建物ト云フモノハ建物ノ所有者一人ノ行為ニ依リマシテ,登記ノ出来ルコトニ相成ッテ居リマスガ,其登記ト云フコトハ,現今法律ニ認メラレタ建物所有ノ公示ノ方法ニナッテ居ルノデアリマスカラ,或ハ之ニ加ヘマシテ建物ハ登記セラレテ居ルト云フコトヲ必要条件ト致サナケレバ,十分ニ新所有者即チ譲受人ヲ保護スルト云フコトニ於テ,缺クルトコロガアリハシナイカト云フ懸念ヲ有シテ居ルノデアリマス」),及び③善意悪意で区別することはやめた方がよい(「併ナガラ此善意悪意ヲ斯ウ云フ場合ニ区別スルト云フ趣意ハ,現行ノ民法ニ於テハ先ヅ採ラヌ方ノコトニナッテ居ルヤウニ考ヘル」「又此善意悪意ノ区別ト云フモノガ,ナカナカ争ヲ生ジマスル原因ニナルノデアリマスカラ,サウ云フ争ヲ生ズルヤウナ原因ハ,成ルベク法律ノ上デハ杜絶シテ置ク方ガ必要デアラウト思フ,若シ只今申シマシタ所有ノ建物ニ登記ノアルト云フコトヲ条件ト致シマスレバ,最早此善意悪意ト云フコトヲ区別スル必要モナクナラウト考ヘマス」)ということでした。

 

 最判昭和281218日を支持する学説は,建物の所有を目的とする土地の賃借権に関して,次のように説きます。

 

  後説〔先に履行を受けた方が事実上優先するとする高木多喜男説〕は,対抗力の「本来の」問題とか,物権と債権の区別といった抽象論にやや捉われている感がある。確に,賃借権の対抗力は,歴史的には目的物の新所有者に対する対抗を意味したが〔略〕,だからといって今日そう解しなければならない必然性はない。実質的に見ると,用益権としては賃借権と地上権とで内容に大差がなく〔略〕,対抗要件とされた登記は,地上権においてはまさに二重賃貸借(ママ)の処理のための制度でもあり,この点につき差違を認める理由がないといえる。登記のある者と占有のある者との間においては,新所有者に対して賃借権を主張できる者が,新所有者に対して賃借権を主張できない者に破れるのはおかしい。また,双方に登記がある場合〔「登記実務上,2個以上の賃借権登記は可能とされている。昭和30521民甲972号民事局長通達」(幾代=広中199頁(幾代))〕に,登記が後でも占有が先の者を優先させるのは果たして妥当であろうか〔略〕。勤勉さという点でも,占有もさりながら,やはり登記を得た方がより勤勉といえよう。従って,「対抗要件」は,二重賃貸借の問題についての優劣判定の基準ともなると解したい。

(星野432-433頁)

 

 「新所有者に対して賃借権を主張できる者が,新所有者に対して賃借権を主張できない者に破れるのはおかしい。」というのは,に対して勝てるが,に負けるには負けるというジャンケン的状況はおかしい,ということでしょうか。しかしこの議論は,がいまだ登場して来ていない段階にあっては,迫力ないしは具体性においてどうでしょうか。

結局決め手は,「実質的に見ると,用益権としては賃借権と地上権とで内容に大差がな」いことなのでしょう。建物の所有を目的とする土地の賃借権は,建物の所有を目的とする地上権と同様の排他性を有することになったのだ,しかしてその画期は,両者を合わせた借地権概念が創出せられた借地法(大正10年法律第49号。同法1条は「本法ニ於テ借地権ト称スルハ建物ノ所有ヲ目的トスル地上権及賃借権ヲ謂フ」と規定しました。)の制定(大正天皇が裁可した192147日)ないしは施行時(同法15条・16条に基づき,大正10年勅令第207号により1921515日から東京市及びその周辺,京都市,大阪市及びその周辺,横浜市並びに神戸市に施行,その後順次施行地区が拡大され,全国に施行されたのは1941310日から(昭和16年勅令第201号))なのだ,ということになるでしょうか。前記大判大正10530日の事案は大阪の事件だったようですので(第一審裁判所は大阪区裁判所),判決日には借地法の適用があったわけですが(同法18条),施行後なお日が浅かった段階での判決であり,かつ,建物保護に関する法律11項にいう賃借権の「対抗」には旧605条の効果を含まぬという上告人の主張に対してそれを排斥したものですので(なお,上告人は,一審では勝訴しており,二審では被控訴人でした。),その後の最判昭和281218日流の解釈の妨げにはならないようです(なお,我妻500頁は,両判決間において「判例に変遷があるとみるべきものではあるまいと思う。」と述べています。)。

 

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http://donttreadonme.blog.jp/archives/1079619346.html:(前編:「三島,東京及び諸県から旧刑法へ」)からの続き


(3)傾向犯か否か:ボワソナアドの消極説

 ボワソナアドの強制わいせつ罪解説を見ると,「主に犯人がわいせつ傾向の満足(une satisfaction impudique)を意図している場合を念頭にここでは法が設けられているのではあるが,動機としては好奇心又は感情を傷つけ,若しくは侮辱する意思のみであった場合であっても可罰性が低下するものではない。当該行為は他者の性的羞恥心を侵害する性質のものである,ということを彼は認識していたという点に本質はあるのである。」とありました(Boissonade, p.1022)。(旧刑法258条の公然わいせつ罪におけるわいせつな行為については,ボワソナアドは「法の精神の内にあるためには,当該行為は,淫奔な情動(une passion lubrique)を満足させる目的をもってされなければならない。」と一応は述べつつも,「したがって,他の人々の目の毒となろうとする意図(une intention de blesser les yeux étrangers)が別にない限り,公の場所又は公衆の視界内の場所において,完全なものを含む裸体で入浴する行為は,わいせつ行為とはいえない。なお単なる違警罪にとどまる。」と(Boissonade, p.807),やはり他者が受ける印象に係る行為者の意思を重視しています。また,その少し前では,「他人の性的羞恥心を害する意図が無くとも,行為者が,他の人々に見られ得るということを知っていれば,〔公然わいせつの〕犯罪は成立する。このような場合,注意の欠如は,良き品位の敬重に係る可罰的な無頓着なのである。」と述べてもいます(ibid. p.806)。)

ところがこれに対して我が判例は,従来,「刑法176条前段のいわゆる強制わいせつ罪が成立するためには,その行為が犯人の性欲を刺戟興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なわれることを要し,婦女を脅迫し裸にして撮影する行為であつても,これが専らその婦女に報復し,または,これを侮辱し,虐待する目的に出たときは,強要罪その他の罪を構成するのは格別,強制わいせつの罪は成立しないものというべきである。」と判示し,強制わいせつ罪=傾向犯説を採っていました(最高裁判所昭和45129日判決刑集2411頁(ただし,入江俊郎裁判官の反対意見(長部謹吾裁判官同調)あり。))。

2017年に至ってやっと,「刑法176条にいうわいせつな行為に当たるか否かの判断を行うためには,行為そのものが持つ性的性質の有無及び程度を十分に踏まえた上で,事案によっては,当該行為が行われた際の具体的状況等の諸般の事情をも総合考慮し,社会通念に照らし,その行為に性的な意味があるといえるか否かや,その性的な意味合いの強さを個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断せざるを得ないことになる。したがって,そのような個別具体的な事情の一つとして,行為者の目的等の主観的事情を判断要素として考慮すべき場合があり得ることは否定し難い。しかし,そのような場合があるとしても,故意以外の行為者の性的意図を一律に強制わいせつ罪の成立要件とすることは相当でなく,昭和45年判例の解釈は変更されるべきである。」と強制わいせつ罪=傾向犯説の判例が放棄されており(最高裁判所大法廷平成291129日判決刑集719467頁),当初のボワソナアド的解釈への復帰がされています。随分大きな回り道であったように思われます。ちなみに,わいせつ行為性の認定に当たっては「個別事案に応じた具体的事実関係に基づいて判断」すべきことについては,ボワソナアドも「それは,公訴が提起された事実について,事案の情況(circonstances du fait)を,ここでは恐らく他の全ての犯罪類型よりもよりよく考慮に入れた上で,裁判所が慎重に決すべきものである。」と述べていました(Boissonade, p.1020)。

 

(4)言葉によるわいせつ行為の可否:ボワソナアドの消極説

 なお,公然わいせつ罪に係る刑法174条についてですが,「本条のわいせつな行為には言語による場合も含み得る(平野271頁,大塚516頁)。実際にはほとんど問題になり得ないが,公衆の面前で極端にわいせつな内容を怒鳴り続ければ本条に該当することも考えられる。」と説かれています(前田481頁)。

しかしながら,ボワソナアドは,旧刑法258条の公然わいせつ罪に関し,「猥褻ノ所行」の部分が “un acte contraire à la pudeur”であるフランス語文について,「まず全ての破廉恥,卑猥又は淫らな(déshonnêtes, licencieuses ou obscènes)言葉又は歌謡(paroles ou chansons)は,除外されなければならない。これらは,道徳上いかにとがめられるべきものであっても,所行acte行為))という表現には当てはまらない。また,善良な人々に一過性の印象を与えるだけで,良き品位に対して同じ危険をもたらすものでもない。」と述べていました(Boissonade, p.806)。強制わいせつ罪におけるわいせつ行為についても,ボワソナアドの説くところは,「しかし筆者は,被害者に対して向けられた卑猥又は更に淫らな言説(discours)にこれらの規定を適用することはできないことに言及しなければならない。言葉は行為ではなく,法は「行為について」(“d’actes”)しか語っていないのである。」というものでした(Boissonade, p.1020)。

 

(5)性的羞恥心(pudeur)とわいせつ(猥褻)と

 

 Pudeur”

 ところでボワソナアドは,「子供に卑猥又は淫らな図画又は表象(dessins ou emblèmes)を示した者」には,旧刑法346条前段の適用があり得るものと考えていたようです(Boissonade, p.1020)。「すなわち,このような事案においては,画像(image)は実物と同様に,子供の性的羞恥心(la pudeur)及び操行(les mœurs)にとって危険であり得るからである。」ということでした(ibid.)。このくだりは,「強制わいせつ罪は,「性的自由・自己決定の侵害」で説明するのは妥当ではなく,広く性的人格権の侵害を処罰するものなのである。」との説(前田119頁)に親和的であるものというべきでしょうか。「性的人格権」という概念は漠としていますが,「幼女についても性的羞恥心を認めることができる(7歳の女児に対する強制わいせつの事案につき,新潟地判昭63826判時1299152参照)。」とありますから(前田119頁註7),そこにpudeurは含まれているのでしょう。

 なお,新潟地方裁判所昭和63826日判決はどのようなものかといえば,当該判決に係る罪となるべき事実は,「被告人は,昭和63年〔1988年〕531日午後3時ころ,新潟県西蒲原郡〇〇町大字◎◎×××番地×△△△△△方墓地内において,A子(昭和56年〔1981年〕54日生)を籾殻袋の上に座らせ,同女のポロシャツの前ボタン三つを全部外した上,そこから手を差し入れて,同女の右乳部を多数回撫でまわし,更に,スカートの中に手を差し入れてパンツの上から同女の臀部を撫で,もって,13歳未満の女子に対しわいせつの行為をしたものである。」というものでした。これに対して弁護人が,被告人は無罪であるとして「小学校1年生の女児は,その胸(乳部)も臀部も未だ何ら男児と異なるところなく,その身体的発達段階と社会一般の通念からして,胸や臀部が性の象徴性を備えていると言うことはできず,かかる胸や臀部を触ることは,けしからぬ行為ではあるが,未だ社会一般の性秩序を乱す程度に至っておらず,また,性的羞恥悪感を招来するものであると決め付けることは困難であるから,被告人の行為をもってわいせつ行為ということはできず,従って,被告人は無罪である。」と主張したものの,奥林潔裁判官は当該主張を採用せず,刑法176条後段の罪(累犯加重あり。)の成立を認めて14月の懲役を宣告しています(求刑懲役3年)。弁護人の主張を排斥して被告人の所為がわいせつ行為であること認めた判示において,同裁判官はいわく。「右認定事実によれば,右A子は,性的に未熟で乳房も未発達であって〔「身長約125センチメートル,体重約25キログラム」〕男児のそれと異なるところはないとはいえ,同児は,女性としての自己を意識しており,被告人から乳部や臀部を触られて羞恥心と嫌悪感を抱き〔「乳部を触ってきたため,気持ちが悪く,恐ろしくて泣き出したくなり,臀部を触られたときには,嫌で嫌で仕方がなかった」。犯行日の午後5時過ぎ頃祖母に対し「「あのおじさんエッチなおじさんなんよ。」と報告」し,祖母が「「何されたの」と訊き返したところ」本件被害状況を「恥ずかしそうに話した。」〕,被告人から逃げ出したかったが,同人を恐れてこれができずにいたものであり,同児の周囲の者は,これまで同児を女の子として見守ってきており,同児の母E子は,自己の子供が本件被害に遭ったことを学校等に知られたことについて,同児の将来を考えて心配しており,同児の父親らも本件被害内容を聞いて被告人に対する厳罰を求めていること(E子の検察官に対する供述調書,B子〔祖母〕の司法警察員に対する供述調書及びD〔父〕作成の告訴状),一方被告人は,同児の乳部や臀部を触ることにより性的に興奮をしており〔「右犯行により,被告人の胸はどきどきして,陰茎も勃起し」〕,そもそも被告人は当初からその目的で右所為に出たものであって,この種犯行を繰り返す傾向も顕著であり,そうすると,被告人の右所為は,強制わいせつ罪のわいせつ行為に当たるといえる。」と。すなわち,判例上のわいせつ概念からすると,被害者A子の「性的羞恥心」が害されたこと及び被告人において「徒に性欲を興奮または刺激せしめ」られた情況があったこと並びに被害者の周囲における「善良な性的道義観念に反すること」であったことが必要であったわけなのでしょう。

 しかし,被害者が子供である場合,その性的羞恥心の侵害までを必ず厳格に求める必要は無いようにも思われます。12歳未満の男女に対する猥褻ノ所行に係る旧刑法346条前段の規定に関して,ボワソナアドいわく。

 

  この場合,暴行又は脅迫をもって当該子供に対する犯行がされる必要は無い。無垢それ自体が,子供らが危険を予知し,かつ,間に合ううちにそれ〔予知〕をすることを妨げるのである。恐らく,何らかの好奇心さえもが子供を危険にさらし,しかして,彼の操行を損い得る有害な印象が,彼の脳裡に長く留められることになるのである(et son imagination conservera longtemps une funeste impression qui peut gâter ses mœurs.)。

 (Boissonade, pp.1020-1021

 

 ここでは,子供の現在の性的羞恥心のみならず,子供の精神の将来における健全な成長(「慎み」としてのpudeurを持つようになること)も,保護法益に加えられているものでしょう。ボワソナアドによれば,「元来暴行脅迫ヲ用フルト否ラサルトヲ論セス猥褻ノ所行ヲ罰スルハ女子ノ淫心ヲ動カシ行状ヲ乱タスノ害アル故ナリ」なのです(法制審議会刑事法(性犯罪関係)部会第1回会議(2015112日)配布資料13「強制わいせつ罪及び強姦罪の制定経緯等について」2頁(日本刑法草案会議筆記に記録されたボワソナアドと鶴田皓との問答が紹介されています。))。我が旧刑法の起草準備段階において,「鶴田〔皓〕は,フランス法は子どもの性器をただ見るような行為に対しては刑罰が重すぎないか〔略〕,日本の刑法ではその程度のことは公然猥褻の時だけ罰すればいいのではないかと意見する。ボワソナードは,暴行が加わらなくとも子どもへの猥褻が罰せられなくてはならないのは,その行為が子どもの「淫行」を導き,そのために「終身ノ行状ヲ乱ス」〔略〕からであると説明する〔筆者註:ボワソナアドは更に幼者の「健康ヲ害スル恐レ」も挙げています(法制審議会資料2頁)。〕。しかし,鶴田は強姦ならいざ知らずただ単に性器を玩弄する目的での猥褻罪は、真面目に扱わなくてもいいのではないかと譲らない。」という場面があったそうです(高島122頁)。(実際には鶴田も「成程強姦ニアラサル以上ハ幼者ニ対シテハ真ニ淫事ヲ遂クル目的ニテ猥褻ノ所行ヲ為ス訳ニモアラス畢竟之ヲ玩弄スル迄ノ事ト見做サヽルヲ得ス故ニ貴説ニ従フヘシ」とボワソナアドに同意しています(法制審議会資料2頁)。)

 

イ 「猥褻」

 ところで,改めて考えてみると,フランス語の“acte contraire à la pudeur”を訳するに,なぜ「猥褻ノ所行」の語をもってしたのかが気になるところです。前者は保護法益の面から,それに反するものとして当該行為がいわば反射的に定義されています。これに対して後者は,専ら行為それ自体の性格を直接語ろうとするもののようです。「猥」の字は,本来は「犬がほえる声」wěi 🐕の意味だったようで,「みだり」と読めば「入りまじる意で,そうするいわれもないのにそうする。」との意味であるそうです(『角川新字源』(123版・1978年))。これが修飾する「褻」の字は,本来は「身につける衣,はだぎ」の意味で,やがて「なれる」,「けがれる」,「けがらわしい」といった意味が生じたようです(同)。そうであれば「猥褻」である典型的状況を想像してみれば,男女が発情期の犬のようになって,その下着が入り乱れているというような光景なのでしょうか。『禮記』の内則第十二にいう「男女不通衣裳」との教え(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078601732.html)が守られていない有様であるようです。なるほど。しかし,結局,肉体についてではなく衣裳の有様からする間接的表現だったのでしょうか。

なお,諸葛亮の『出師表』には「先帝不以臣卑鄙,猥自屈」とあって「猥」の字が用いられていますが,劉備が猥褻に,孔明の前において自ら枉屈したということであっては,「三顧の礼」も台無しです。

ちなみに,江村北海による1783年の『授業編』巻之八詩学第十一則には,「初学ノ徒タマ〔タマ〕艶詩情詩ノ題ヲ得テ作ルトモ,ズイブン猥褻ニ遠ザカリ清雅ナルヤウニ作ルベシ。俗ニイヤラシキトイフ体ノ心モ辞モナキヤウニ心ヲ付クベシ。是レ詩ヲ作ルノタシナミナリ。芙蓉詩集ノ中江南楽ノ詩ニ,開牕対郎賞〔(まど)を開き郎に対して賞す〕李妾桃郎顔トイフ句アリ。余ガイヤラシキトイフハ,カル類ヲ云。(けだし),李妾桃郎顔〔李は妾,桃は郎が顔。筆者思うに,妾郎=女郎でしょうか。〕トイフハ,語ヲモ成サズ句ヲモナサズ,漢土人ニハ有ルマジキ句ナリ。然レドモ其人ノ詩ニ,大雅久休矣吾今泛海槎〔槎は,いかだ〕トアレバ,自負モ亦大矣。アヤシムベシ。其他近人ノ詩集ヲ見レバ,贈妓〔妓に贈る〕,宿妓家〔妓家に宿す〕ナドノ詩少ナカラズ。余オモフニ,左様ノ事ハタトヘアリトモ,耻ラヒテ,遍ク人ヘ語リ聞ヱ,詩ニモ作リ,印刻シテアラハニ伝ユル事ハスマジキコトナルヲ。反リテカルコトヲ,俗ニイフ,人ニヒケラカスナドハ,冶遊〔芸妓遊び〕ヲヨキコトヽ思ヘルニヤ。アヤシムベシ。要スルニ,風雅ノ罪人トモイフヘシ」とあります。冶遊を題材に選べばそれは猥褻の詩となってしまうようです。風雅の漢詩人たるは,厳しい。


(6)未遂処罰の要否:ボワソナアドの消極説

旧刑法346条及び347条の罪は軽罪であり(同法8条),両罪について未遂処罰はなかったのですが(同法1132項),現行刑法180条(平成29年法律第72号の施行(2017713日から(同法附則1条))までは刑法179条)は,強制性交等とともに,強制わいせつの未遂をも罰する旨規定しています。この点については,ボワソナアドは眉を顰めたかもしれません。ボワソナアドは,意図的に強制わいせつの未遂を処罰しないこととしていたからです。

 

  ここでは,性的羞恥心に対する加害(l’attentat à pudeur)は,強姦の実行の着手(la tentative de viol)と混同されることになり得る。しかしながらそれは,当該加害が暴行をもってされたときであっても,大きな誤りである。実際,その性質が第389条〔旧刑法348条〕においてのみ示されている強姦は,更に精確に表現しなければならないとすると,暴行又は脅迫による女又は娘との男の性交であり,しかして,そのような行為は,犯人の意思から独立の情況によって着手され,又は中止されることはないものと理解されている。これら両条〔旧刑法346条及び347条〕にかかわる性的羞恥心に反する行為(les actes contraires à la pudeur)は,非常に異なっている。〔強姦と〕同一の目的を有するものではないから〔筆者註:ボワソナアドによれば「「暴行ヲ以テ猥褻ノ所行云々」トハ男女間ノ情欲ヲ遂クル目的ニアラサルトモ例ハ人ノ陰陽ヲ出シテ之ヲ玩弄スル類ヲ云フ」とのことでした(法制審議会資料1頁)。〕,たとい暴行又は脅迫をもって犯されたときであっても,そこまでの重大性を有するものではない。それらは,わいせつな接触(attouchements impudiques〔「おさわり」との表現は軽過ぎるでしょうか。〕)又は性的羞恥心が隠すことを命じている身体の部分の曝露という行為(le fait de découvrir les parties du corps que la pudeur ordonne de cacher〔「スカートめくり」の類でしょうか。〕)によって構成されるものにすぎない。これらの行為がいかにとがめられるべきものであるとしても,それらは強姦とはその性質において非常に異なっているので,その結果,犯罪的な意図を欠くものとも観念され得るものである。例を挙げれば,第1に,傷病者に対する看護の一環の場合,第2に,だれもいないと思って,ある人がその身体を十分に覆っていない場合である。

   各行為の倫理的性質の相違に加えて,司法上の相違が存在する。すなわち,適法又は無関係な行為との混同がされない程度にまで十分その性格付けをすることができることから,強姦の実行の着手は可罰的である一方〔筆者註:なお,ボワソナアドは「而シ其強姦ノ目的ナル証古ナキ時ハ「暴行ヲ以テ猥褻ノ所行ヲ云々」ト為スベキ事アリ」と述べつつも,強姦未遂と強制わいせつとは「一体ハ其罪ノ性質ノ違ヒアリ」異なるものとしていました(法制審議会資料1頁。また,2頁)。〕,既遂の行為においてでなければ確実性をもって行為の犯罪性及び犯意を認定することができないため,性的羞恥心に反する行為の実行の着手は,法によって可罰的であるものと宣言されてはいないし,かつ,され得ないところである。言い換えれば,単なるなれなれしさ(une simple familiarité),いささか困ったいたずら(un jeu plus ou moins inconvenant)又は意図せざる若しくは偶然による行為(quelque fait involontaire et fortuit)ではない,ということを知ることは困難なのである。

  (Boissonade, pp.1018-1019

 

 現行刑法における強制わいせつ未遂処罰規定導入の理由は,「現行法〔旧刑法〕ハ唯強姦ノ未遂罪ヲ罰スト雖モ〔強制わいせつ〕ノ罪モ亦其必要アルヲ以テ」ということで,あっさりしています(法典調査会170頁)。未遂処罰規定がなくとも「〔強制わいせつの実行の着手〕が深刻にとがめられるべきものであるときには,その抑圧が達成され得ないものではない。すなわち,犯人が意図し,かつ,その実行が妨げられたより重大な行為が何であったとしても,実行行為の開始がそれ自体で性的羞恥心に対する侵害行為を構成し得るからである。」とのボワソナアドの予防線(Boissonade, p.1019)も空しかったわけです。

 

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1 大物主神の「犯罪」:強制わいせつ罪

 

  三島溝咋(みしまのみぞくひ)(むすめ),名は勢夜陀多良比売(せやだたらひめ),その容姿(かたち)(うる)()しくありき。故,美和の大物主神,見()でて,その美人の大便(くそ)まれる時,丹塗矢に()りて,その大便(くそ)まれる溝より流れ下りて,その美人の(ほと)を突きき。ここにその美人驚きて,立ち走りいすすきき〔あわてふためいた〕。すなはちその矢を()ち来て,床の()に置けば,忽ちに麗しき壮夫(をとこ)に成りて,すなはちその美人を(めと)して生める子,名は富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめの)命と謂ひ,亦の名は比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ) こはそのほとと云ふ事を悪みて,後に名を改めつるぞ。と謂ふ。(『古事記』神武天皇記)

 

これは刑法(明治40年法律第45号)176条の強制わいせつ罪(「13歳以上の者に対し,暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は,6月以上10年以下の懲役に処する。13歳未満の者に対し,わいせつな行為をした者も,同様とする。」)に該当する行為ですね。同罪の暴行について「通説・判例は,暴行を手段とする場合に限らず,暴行自体がわいせつ行為である場合を含めている(大判大14121刑集4743)」ところ(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)119頁。また,大判大7820刑録241203),自ら「丹塗矢に化りて」,女子の意思に反して,それで「陰を突」くのは,暴行によるわいせつ行為です。

 

2 大審院の判例2題等:東京の歯科医師事件及び諸県の宴会事件

 

(1)東京の歯科医師事件

大審院第二刑事部の大正14年(れ)第1621号猥褻及歯科医師法違反被告事件同年121日判決(一審:東京区裁判所,二審:東京地方裁判所)に係る事案は,「大正13年〔1924年〕618日某歯科医院治療室ニ於テ某女当24年ノ需ニ応シ其ノ齲歯ノ治療ノ為1プロノコカイン水約半筒ヲ患部ニ注射シ治療台ニ横臥安静セシメタル際同女ノ意ニ反シテ着衣ノ裾ヨリ右手ヲ入レ其ノ陰部膣内ニ自己ノ右示指ヲ挿入シテ暴行ヲ加ヘ以テ猥褻行為ヲ為シタルモノ」です。刑法176「条ニ所謂暴行ハ如斯場合ヲ指称スルモノニ非ス暴行行為ヲ手段トシテ猥褻行為ヲ為シタルコトヲ要件トスルモノナリ」との弁護人の主張に対して大審院は,「刑法第176条ニ所謂暴行トハ被害者ノ身体ニ対シ不法ニ有形的ノ力ヲ加フルノ義ト解スヘク婦人ノ意思ニ反シ其ノ陰部膣内ニ指ヲ挿入スルカ如キハ暴行タルコト勿論ニシテ本件ノ猥褻行為ハ斯ル暴行行為ニヨリテ行ハレタルモノナレハ暴行行為自体カ同時ニ猥褻行為ト認メラルル場合ト雖同条ニ所謂暴行ヲ以テ猥褻行為ヲ為シタルモノニ該当スルコト明白ナリ論旨理由ナシ」と判示しています。

 

(2)諸県の宴会事件

 

ア 判例

大審院第一刑事部の大正7年(れ)第1935号猥褻致傷ノ件同年820日判決(一審:宮崎地方裁判所,二審:長崎控訴院)に係る事案は「被告ハ大正7年〔1918年〕321日ノ夜宮崎県北諸県(もろかた)郡○○村大字×××△△△△方ニ於テ外14名ト酒宴中相共ニ同家下女◎◎◎◎ト互ニ調戯(からか)ヒ其他数名ノ者カ◎◎ヲ押シ倒シ居ルニ乗シ被告ハ指ヲ◎◎ノ陰部ニ突込ミ因テ陰部ニ治療20日余ヲ要スル創傷ヲ負ハシメタルモノナリ」というもので,被害者を押し倒していた者らと被告人との間の共犯関係は認められなかったものの,刑法178条の罪(「抗拒不能に乗じ」た準強制わいせつ(この「抗拒不能」については,「他人の行為により,縛られた状態であったり身動きできない重傷を負っている場合が考えられる」とされています(前田125頁註17)。))ではなく同法176条の罪を犯し,よって人を死傷させたものとして,同法1811項の強制わいせつ致傷罪(刑は無期又は3年以上の懲役)の成立が認められたものです。大審院は,「婦人ノ意思ニ反シテ指ヲ陰部ニ挿入スルカ如キハ其自体暴行ニ因リ猥褻行為ヲ為スモノト謂ハサルヘカラス原判決カ前示被告ノ行為ヲ刑法第176条ニ問擬シタルハ相当ナリ」と判示しています。

ところで,1918321日といえば,第一次世界大戦の終わりの始まりであるドイツ軍による西部戦線大攻勢発起の日であるとともに,(現在のとてつもなく恐ろしい新型コロナウイルス感染症パンデミック💀に比べれば児戯のごときものではありますが)スペイン風邪の世界的流行の前夜でもありました(「スペイン風邪に関して」http://donttreadonme.blog.jp/archives/1077312171.html)。女性との戯れを伴う大勢での長夜の飲🍶に耽っていたとは(当然「マスク会食」ではなかったのでしょう。),当時の宮崎県人には自粛の心も,風邪等の感染症に係る弱者の命を守る優しさも思いやりの心も全く見られず,ゆるみ切っていたとしかいいようがありません。真面目な日向人は全て,神武天皇に率いられて遠い昔に東に去ってしまっていたものでしょうか。

 

イ 諸県のゆかり:泉媛及び髪長媛

しかし,大正時代の刑事事件はともかくも,日向国諸県の人々の宴会といえば,古代以来のゆかしい由来があるのです。『日本書紀』景行天皇十八年三月条に「始めて(ひな)(もり)に到ります。是の時に,石瀬(いはせの)河の()に人(ども)集へり。(ここ)天皇(すめらみこと),遥に(みそ