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前編から続く(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078123981.html


(2)旧民法財産編323条に関して

 

ア 第1項: “appréciable”の「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ」との翻訳

 旧民法財産編323条については特にその第1項が問題となりますが,同項に係るボアソナアド原案(3441項)は次のとおりでした。

 

  La convention est nulle pour défaut de cause quand le stipulant n’y pas d’intérêt légitime appréciable. [1131.]

  要約者が合意について正当かつ相当(appréciable)な利益を有しないときは,その合意は原因のないため無効である。(フランス民法1131条参照)

  (Boissonade II p.61

 

 おや,ここでは「相当な利益(intérêt appréciable)」であったものが,旧民法財産編3231項では「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ利益」(現行民法399条に係る富井政章=本野一郎のフランス語訳(新青出版・1997年)によれば“avantages susceptibles d’une évaluation en argent”ということになるものでしょう。)に変わっています。どうしてでしょうか。強気の意訳というべきか(旧民法財産編3231項の公定仏語訳は,依然“La convention est nulle pour défaut de cause, quand le stipulant n’y pas d’intérêt légitime et appréciable.”であり,同2項の「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ利益」もなお“intérêt appréciable”です(Code Civil de l’Empire du Japon accompagné d’un exposé des motifs, Tome Premier, Texte, Traduction Officielle. Tokio,1891. p.128)。)。民法399条をめぐる謎を解く鍵は,この辺にありそうです。

 なお,“appréciable”の語義は,『ロワイヤル仏和中辞典』(旺文社・1985年)によれば「1.評価し得る,価値のある;相当な,かなりの」又は「2.感知し得る;目につくほどの,それとわかる」というものであって,「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ」は,誤訳では全くないのですが,必ずそう訳さなければならないというわけでもないようです。

 では,ボワソナアド原案3441項の解説を見てみましょう。

 

   まず,利益が合意にとって必要な原因cause)であることが原則として据えられる。しかして,この利益は,同時に「正当かつ相当(légitime et appréciable)」でなければならないとのみ述べられている。もしそれが正当でなかったのならば,違法であるときと同様に,原因(コーズ)は無効である。もしそれが相当でなかったならば,裁判所にとってそれは,存在しないも同然である。すなわち,原因(コーズ)の欠缺があるわけである。この原則に議論の余地はなく,かつ,「利益なくして訴えなし(pas d’intérêt, pas d’action)」との法格言となっている。毎日,裁判所は,原告がその利益を証明しなかったとの理由で,訴えに係る主件であろうと副次的なものであろうと,請求を棄却しているのである。(Boissonade II pp.132-133. Code Civil de l’Empire du Japon accompagné d’un exposé des motifs, Tome Seconde, Exposé des Motifs du Livre des Biens, Traduction Officielle. Tokio,1891. pp.393-394も同様)

 

 「債権ノ目的ハ果シテ金銭ニ見積ルコトヲ得ルモノタルコトヲ要スルヤ否ヤハ学者間未タ説ノ一定セサル所タリ蓋シ羅馬法ニ於テハ学者動モスレハ債権ノ目的ノ金銭ニ見積ルヘキコトヲ要スル旨ヲ言ヒ今日ニ至リテモ羅馬法系ニ属スル法律ニ在リテハ大抵皆此主義ニ依レリ」(梅10頁)というようなローマ法に遡るような議論までは,ここではボワソナアドはしていません。穂積陳重も,「併ナガラ〔略〕ぼあそなーど〔Boissonade〕氏抔ノ説明ヲ読ンデ見マスト此事ハ一ツノあく志よん〔action〕デ」と書いてあるだけで「此主義〔筆者註:この「主義」は,「金銭ニ見積ルト云フコトガ必要デアルト云フコトニナツテ居ル」主義ということでしょう。〕ヲ取ツタト云フ訳モ何モ書イテナイ知レ切ツタモノデアルト云フヤウニ書イテアリマス」と証言しています(第55回法典調査会議事速記録969)。やや拍子抜けの体です。

この頼りなさのゆえでしょうか,穂積陳重は,債権(人権)は旧民法財産編に規定されていたという規定の位置論をも持ち出して「元債権ハ財産編ノ一部分デアリマス即チ債権ノ一部分デアリマス以上ハドウシテモ金銭ニ見積ルコトヲ目的トスルト云フコトニ土台ヲ取リマスノハ固ヨリノコトデ物質的ノ利益ト云フモノガ元ニナルノデアラウト思ヒマス諸外国ニ於キマシテモ例ヘバ仏蘭西抔ニ置キマシテモ債権ハ所有権取得ノ方法ノ一ツニ挙ゲテアル位デアリマス詰リ是レハ金銭ニ見積ルト云フ方ガ元トナルト云フベキ訳デアリマス」とも述べています(第55回法典調査会議事速記録969頁)。しかし,我妻榮によれば,フランスの通説では,同国民法における債権の目的は金銭に見積もることを得ざるものでもよいのでした(我妻Ⅳ・22-23頁(前掲))。「法典の編成にさいし,債権を財産編の一部となし,財産取得の方法として規定し,その財産は金銭に見積ることのできるものだということを念頭におくと,金銭に見積ることをえないものは,債権の目的に適しなくなる。わが旧民法はその建前をとっていた。」との説明(奥田編旧版52頁(金山正信))は穂積陳重の上記発言を採用したものでしょう。

 

イ 第2項:過怠約款による「金銭的に相当な利益」の証明

 ところで,旧民法財産編3232項に対応するボワソナアド原案3442項に係る次の解説が,同項の“intérêt appréciable”イコール「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ利益」との解釈及び翻訳をもたらし,更に同条1項にはね返ってその解釈及び翻訳をも規制したのかもしれません。

 

   しかして,ある者が,愛情又は何らかの動機によって他者のための利益を要約したときは,当該約束の履行は,裁判によって追求され得ない。すなわち,合意の当事者となっておらず,当該合意は彼に訴権を付与し得ないので〔略〕,当該第三者は追求できず,金銭的に相当な利益un intérêt pécuniairement appréciableを証明できないので,要約者も追求できないところである。(Boissonade II p.133. 下線は筆者によるもの。また,Exposé des Motifs du Livre des Biens p.394

 

 「過怠約款ヲ加ヘサルトキ」についての説明です。

懈怠約款(une clause pénale)をもって証明できるのは要約者にとっての「金銭的に相当な利益(un intérêt pécuniairement appréciable)」なのでそこを先取りする形で「金銭的に相当な利益を証明」云々といった定義付け的にも解し得る記述がされてしまった,ということでしょうか(旧民法財産編3234項では“payement de la clause pénale stipuléeが「過怠約款ノ履行」とされています。)。しかし,集合論的にはやはり“intérêt appréciable”“intérêt pécuniairement appréciable”なのではないでしょうか。「懈怠約款が要約者の利益の認定のためには最も簡単な方法であるとしても,それが唯一のものではないこと,すなわち,それは事情に応じて裁判所が判断すべき事実認定の問題であることが銘記されなければならない。」とボワソナアドは注意していますし(Boissonade II pp.133-134. また,Exposé des Motifs du Livre des Biens pp.394-395),旧民法財産編3233項もあったところです。

 

ウ フランス民法1131条

 なお,ここで,フランス民法1131条は次のとおり。

 

  Art. 1131   L’obligation sans cause, ou sur une fausse cause, ou sur une cause illicite, ne peut avoir aucun effet.

    1131条 原因がない債務又は虚偽の原因若しくは不法の原因に基づく債務は,いかなる効果も有することができない。(大村敦志『フランス民法』(信山社・2010年)174頁)

 

「有償契約においては反対給付,無償契約においては恵与の意図が,それぞれコーズ〔原因〕となるというのが伝統的な説明」であるそうです(大村174頁)。

 

(3)旧民法財産取得編266条に関して

 

ア 梅謙次郎による紹介

旧民法財産取得編266条に関して,梅謙次郎は,「例ヘハ教師,医師,弁護士等ノ勤労ハ敢テ之ヲ金銭ニ見積リ難キカ如シ而モ之ヲ以テ債権ノ目的ト為スコトヲ得サルモノトスルハ頗ル不便ニシテ到底文明国ノ需要ニ適セス故ニ我旧民法ノ如キモ原則トシテハ之ヲ債権ノ目的ト為スコトヲ得サルモノトスルニ拘ハラス種種ナル間接ノ方法ヲ以テ之ヲ目的トスル債権ヲ保護センコトヲ計レリ是レ寧ロ表面ヨリ之ヲ目的トスル債権ヲ保護スルノ(まさ)レルニ如カス」と述べています(梅10頁)。

そうであれば,旧民法財産取得編266条に対応するボワソナアド原案962条に係るProjetの説明において,「教師,医師,弁護士等ノ勤労」は「之ヲ金銭ニ見積リ難キ」こと,「原則トシテハ之ヲ債権ノ目的ト為スコトヲ得サルモノトスル」旨(これは第1項の「法定ノ義務ナシ」の部分に関するのでしょう。なお,ここでの「法定ノ義務」は旧民法財産編2941項の「人定法ノ義務」のことで,フランス語では,“ne sont pas civilement tenus de…”ですBoissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Troisième, Des Moyens d’Acquérir les Biens. Tokio, 1891.p.1005. Code Civil de l’Empire du Japon, Texte. pp.115, 339。)及びそれでも当該「債権」(これは正に括弧付きのものですね)を保護するために設けられた「種種ナル間接ノ方法」(これは第4項の規定のことでしょうか)が詳論され,かつ,明らかにされていることになります。さて,実際にはどうでしょうか。

 

イ ボワソナアドの解説の実際

 

(ア)報酬の要求及び受領の通常視

 

  実際のところ,本条に掲記されている人々は,依頼者に対してサービス(services)を提供し,かつ,これらの人々から報酬(une rémunération)が通常要求され(demandée),受領されるのであるから,これらのサービスは一般に無償ではない。(Boissonade III p.1017

 

 ボワソナアド自身は,「教師,医師,弁護士等ノ勤労」は「金銭ニ見積」られるのがむしろ通常であると考えていたようではあります。正に旧民法財産取得編2662項は,有償を原則とするものと解し得るでしょう。ローマ法自体についても,「但し測量師,教師,医師,弁護士,助産婦,乳母の如き者に対しては,謝礼(honorarium, salarium)の名義を以て報酬を与える慣例を産み,古典時代〔元首政期〕には特別訴訟手続〔通常訴訟手続(政務官の面前で行われる法廷手続と通常一人の私人である審判人のもとにおける手続との2段階からなる。)と異なり,政務官自身が判決まで行う手続〕で請求ができた。」とのことであったそうです(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)198頁)。

 

(イ)委任=代理混同の未克服ゆえの特別な構成

 

  しかしながら,より注意深い検討は,我々をして第4の構成(système〔第1は雇用(これは,有償・双務契約であり,各当事者を履行又は損害賠償に義務付けることになって,報酬の受領及び支払云々以前に,一方においては職の品位(dignité)に反し,他方においては依頼者の利便(intérêt)に反し,適当ではない(Boissonade III pp.1017-1018参照)。),第2は代理(委任)(弁護士はともかく,医師及び教師の仕事は代理(委任)とはいえない(Boissonade III pp.1018-1019参照)。)及び第3は特別の無名契約(類推の対象となる典型契約は雇用か代理(委任)かとの問題がやはりあるし,各当事者を義務付ける点で第1の構成と同様の問題がある(Boissonade III p.1019参照)。)の各構成〕を提案せしむるに至った。当該構成は,我々が問題としている合意(convention)において,有名であろうと無名であろうとおよそ契約contrat)の存在を認めない。また,当該世話(soins)又はサービスを諾約した者にも,それを要約した者にも,何ら法定の義務(obligation civile)を負わせない。

  法は,法定の義務を相互に正式に免ぜしむる一方,道徳上の義務(une obligation morale)のみならず自然の義務(une obligation naturelle)もまた働くべきこと(laisser place à)を意図しているのである。

  しかしながら,法定の義務は,一方当事者が相手方にした約束promesse)からではなく,事後的に,相手方の提供したサービスから得た一方当事者の利益profit)又はその提供若しくは受領の拒絶がもたらし得た損害dommage)から生じ得るのである。

  本条の第1項は,当該合意からは法定の義務は生じないという原則を示し,続く3箇項は例外的責任を規定するものである。

 (Boissonade III pp.1019-1020

 

  自然の義務は明示されていない。しかし,その存在に疑問の余地はない。いずれの当事者も,十分な理由なしに,その結んだ約束を破ってはならないのである。(Boissonade III p.1022

 

 「委任は,多くの場合に法律行為をなすことを内容としたために,代理と混同された時代もあつた」(我妻榮『債権各論 中巻二(民法講義Ⅴ₃)』(岩波書店・)654頁)とされる当該時代は,我が国においては旧民法の時代でした。「金銭ニ見積リ難」いこと云々よりもむしろ,委任と代理との当該混同こそが,旧民法財産取得編266条の難しい規定が設けられた理由であるようです。

梅謙次郎としては,旧民法財産取得編266条が前提とする自然の義務(自然債務)などは債務ではない,と言い切って捨てたいのでしょうが,カフエー丸玉女給事件判決を経た今日においてはどう考えるべきものでしょうか。

 旧民法財産取得編2662項に基づく謝金又は報酬は法定の義務に係るものということになりますが(これに対して,謝金又は報酬の約束のみでは依頼者側には自然の義務が生ずるにすぎないわけです(Boissonade III p.1023)。),当該法定の義務の発生の根拠は「不当に惹起された損失及び法律上の原因なき利得(“dommages causés injustement et enrichissement sans cause légitime”)」とされています(Boissonade III p.1024)。法定の義務としての謝金又は報酬の額は「相互ノ分限ト慣習及ヒ合意」を酌量の上裁判所が決めることになるわけですが,弁護士に係る「相互ノ分限」についてボワソナアドが語るところは次のとおりです。

 

   弁護士についても〔医師と〕同様に,一方では当該弁護士が有名か無名かが,他方では依頼者の資産の状況(situation pécuniaire)が考慮されると共に,利得の観点から,訴訟による利益又は損失もまた大いに考慮される。(Boissonade III p.1025

 

   全てについて,時間,労力及び気遣い(le temps, les peines et soins)が,補償されるべきものとして発生した損害に対応することになる。(Boissonade III p.1025

 

弁護士にとっては,まず有名であること(célébrité),そしてお金持ちのお得意さんを確保することが肝要であるということのようです。

最後の2箇項の損害賠償は法定の義務とされつつ,その根拠は,第1項の原則により,合意(convention)ではないものとされています(Boissonade III p.1026)。

 

5 小括

以上,「ボアソナードの解説」を読んだ限りにおいては,ボワソナアドは債権の目的は金銭に見積もり得るものに限られると考えていたということが「明らか」であると直ちに断言できるとはいえないように思われます。

しかし,我が現行民法と同じ時期にされたドイツ民法の立法の過程においては債権の目的は財産的利益に限られるべきものかどうかが争われていたことは事実でありますので,我が現行民法の立案者としては,ドイツにおける当該議論の結果を承け(ドイツ民法第一草案の段階から財産権的利益であることを要しないものとされていたことは前記のとおりです。),併せて旧民法財産編3231項で“appréciable”がどういうわけかドイツで敗北した少数説風に「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ」と訳されていて気になるのでそれを打ち消すべく,第399条に「債権ハ金銭ニ見積ルコトヲ得サルモノト雖モ之ヲ以テ其目的ト為スコトヲ得」との規定が設けられたということでしょうか(第55回法典調査会に提出された案がそのまま法律になっています。)。起草者はドイツの議論(Motive等)をやはり勉強していたのだなと筆者に思わせる事情として,穂積陳重は,ドイツ風に,民法399条においては直接現れてはいないところの債権の目的の外枠に関して次のように説明しています。いわく,「表ノ方ノ標準ハ当事者ノ意思即チ法律上ノ結果ヲ生ゼシムル意思ヲ以テ為シタル行為ト云フ証拠ヲ要スル裏ノ方デハ公益ニ反セヌ善良ノ風俗ニ反セヌト云フコトガ其裏ノ標準デアリマス」と(第55回法典調査会議事速記録974頁。vgl. Motive II S.3.)。

 なお,ローマ法について見ると,「債権の目的に関する要件」は「(1)適法 (2)可能 (3)確定し又は確定し得べきこと (4)金銭評価の可能(「金銭を以てママわれ責任を負わされ得るものが債務関係の中にあり」)(反対民399条)。尤も例外あり。」ということであったそうですが(原田152頁),穂積陳重の認識では「羅馬法ヲ解釈スル人デアリマシテモ近頃ノ人ハ半数以上,是ハ羅馬法ニ一ト所明文ガアリマスガ其他ノ所カラ見マシテモ是ハ一般ノ規則トシテ殊更ニ言フタノデナイ重モナ場合丈ケヲ言フタモノデ必ズシモ必要トシナカツタノデアルト云フ解釈サヘ多クノ人ガ致シマス其当否ハ私ハ知リマセヌガ茲ニ当否ヲ決スル必要ハ認メナイ」ということでした(第55回法典調査会議事速記録969頁)。(ここでの「一ト所」とは,「羅馬ノダイゼスト法典ニ曰ク債務ニ於ケル行為ハ財産ヲ供与スルニ成ルト」ということですから(岡松14),ユスティニアヌスの学説彙纂でしょうか。確かに,その第40巻第7章(De Statuliberis(候補自由人(一定の条件の下で解放を約束された奴隷)について))第9法文第2節であるようです(赤松秀岳「民法399条の「歴史的意義」」法政研究78巻(2011年)2337頁・312頁)。ウルピアヌスの見解を紹介する同節はいわく。“Illud tractatum est, an liberatio contingat ei qui noxae dederit statuliberum. et octavenus putabat liberari: et idem dicebat et si ex stipulatu stichum deberet eumque statuliberum solvisset: nam et si ante solutionem ad libertatem pervenisset, extingueretur obligatio tota: ea enim in obligatione consistere, quae pecunia lui praestarique possunt, libertas autem pecunia lui non potest nec reparari potest. quae sententia mihi videtur vera.”と。とはいえ,どう訳すべきか。「相続人に対して幾金を与えることを条件として奴隷が遺言で解放せられたときに,相続人が奴隷〔候補自由人〕の特有財産〔略〕を取りあげた場合」は「条件の成就によつて不利益を受くべき当事者が故意に条件の成就をさまたげたとき」として「条件は成就したものと看做される(民130条)。」ということが前提になるようです(原田89頁)。試みに訳していわく,「候補自由人を加害者として委付〔原田234-235頁参照〕した者は解放行為をしたことになるのか,との問題が取り扱われる。しかして,オクタウェヌスは,解放されたものと解したところである。また,約束によって奴隷スティクス給付目的物ってお当該候補自由人が弁済場合つい同様である。しかしてnam),(幾金の)支払の前に自由となったときであっても,全ての義務(obligatio tota)が消えているのである。すなわち,金銭によって履行され(lui),かつ,責任を負わされ(praestari)得るものが義務(債務)を構成するものであるが(in obligatione consistere),他方自由は,金銭をもって履行されることも,回復されること(reparari)もできないのである。この見解は,私には正しいものと思われる。」と。(追記:当初筆者は"nam"を「というのは」と訳しましたが,これは,債務が残ると奴隷に落とされることもあるかしらん,と思ったからです。しかし,「ローマ市民はローマ領内では奴隷となることを得ないという原則」があるそうですし(原田55),ローマでの奴隷の発生の「最も大きな原因」は出生及び捕獲のみだったそうです(原田50-51)。そうであれば,"nam"以下ではむしろ,条件のみなし成就による解放後も幾金の支払が債務として残存するのかどうかが論ぜられているのでしょう。)なお,筆者は“lui”“luere”の受動態不定形)を「履行される」と訳しましたが,“luere”には「(約束を)履行する」のほかに,「洗う」との語義もあるところです(水谷智洋編『羅和辞典〈改訂版〉』(研究社・2009年))。)民法399条について語るためにローマ法まで遡るとかえって面倒であって,やはり「ドイツ普通法時代以来に争のあった点」であると言及するにとどめておくのがよいのでしょう(我妻Ⅳ・22頁(前掲))。

結局,筆者の疑問として残ったのは,なぜ旧民法財産編3231項では,“intérêt appréciable”を「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ利益」と訳したのか,というそもそも論ということになります。同条2項の解釈に引きずられたのか,それともまた別の理由があるものか。そこで,旧民法財産編323条の原案が審議された1888214日の法律取調委員会民法草案第二部第25回議事筆記を調べてみることになります。

 

6 法律取調委員会における旧民法財産編323条に関する議論

 

(1)原案

1888214日の前記法律取調委員会には,次のような案が提出されました。

 

 第344条 合意ハ要約者カ其合意ニ付キ正当ニシテ且金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ利害ヲ有セサルトキハ原由ナキ為メ無効タリ(第1131条)

要約ヲ第三者ノ利益ニ於テ為シ且之ニ過怠約款ノ伴ハサルトキハ其要約ハ要約者ノ為メ金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ利害ナキモノト看做ス(第1119条)

然レトモ他人ノ利害ニ於ケル要約ハ要約者カ自己ノ為メ為シタル要約又ハ(ママ)約者ニ為シタル贈与ノ従タル条件タルトキハ其要約ハ有効タリ(第1121条第1項)

2個ノ場合ニ於テ其従タル条件ノ不執行ハ要約者ニ合意解除ノ訴権又ハ要約シタル過怠約款ノ践行ノ訴権ノミヲ与フ

(法務大臣官房司法法制調査部監修『日本近代立法資料叢書8 法律取調委員会民法草案財産編人権ノ部議事筆記一 自第二十三回至第三十四回』(㈳商事法務研究会・1987年)67頁)

 

 この案の法典取調報告委員は,栗塚省吾でした。
 

(2)栗塚報告委員の見解の忖度

 会議の冒頭清岡公張委員から早速「金銭ニ見積ルコトヲ得ベキ利害ヲ有セザル者ハ無効ト云フ訳デモナイデシヨウネ」と第1項について批判され,栗塚は「利害ガナケレバ訴権ガ生ゼヌト云フノデス,利害ト云フ以上ニハ何カ損ヲスルトカ得ヲスルトカ云フコトガナケレバナラヌト云フコトデス,唯私ハ是レデハ損ヲシマスカラト云テモ行カヌ,凡ソ其損タルヤ人モ見テ分ル損デナケレバナラヌト云フコトデス」と反論するのですが,清岡に「金銭ニ見積ルコトノ出来ヌモノデ利害ニ関スルモノモ随分アリソウナモノダ,元トヨリ利害ノ関係ノナイモノハ何ウデモ宜シイ金銭ニ見積ルコトガ出来ナイデ利害ニ関スルモノガアリソウナモノダ」と言い返されます(法律取調委員会民法草案第二部第25回議事筆記67)。

 この後やり取りが続くのですが,栗塚は,ローマ法についてもドイツにおける議論の状況についても全く言及していません。また,要約者の利害が「人モ見テ分ル」のみならず「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ」ものであることまでが要求されることについて,「近代の法律が,金銭債権について強制執行を認めるだけでなく,特定物の引渡や債務者の行為についても強制執行を認めるようになったことが,金銭に見積りえない給付についても債権の成立を認めうる最大の理由である」のだが(我妻Ⅳ・23頁),まだそのような条件が我が民事執行の法制上整っていないから金銭に見積り得ない給付に係る債権は成立しないのだ,というような理由付けも栗塚は提示していません。「要約者ガ利害ヲ有セザルトキハ無効タリ,其利害モ漠然ノモノデハナラヌ,相当ノモノデナケレバナリマセン,加フルニ金銭ニ見積ルモノデナケレバ行ケヌ」(法律取調委員会民法草案第二部第25回議事筆記68)というのは案文の繰り返しであって,だから「相当ノモノ」であることに加えて何で更に「金銭ニ見積ルモノ」という要件が必要なのかね,という疑問に答えていることにはなりません。

しかし,清岡委員が「利害ハ色々ノコトガアル,斯ウ書イテ置クト金銭ニ見積ルコトノ出来ヌモノハ利害デナイト見ナケレバナラヌ」との発言に対して「価ヲ決メルコトノ出来ルト云フコトデス,詰リ金銭ニナル」と答え(法律取調委員会民法草案第二部第25回議事筆記68頁),「一般利害ヲ目的トシテ居ルカラ利害ガ正当デナケレバナラヌ,然ウシテ又詰リ金ニナル」と言い(同68-69頁),「利害ト云テモ,金銭ト云テモ,詰リハ本統ニ損ガ立ツ額ヲ見積ルノデハナイガ,唯私ガ損ヲスルト云テモ行ケナイ,斯ウ云フ損ガ立チマスト云ヘバ宜シイ,額ヲ立ルト云フコトデハナイ」と言い(同69頁),「幾ラカハ知ラヌガ,兎モ角モ損ガ立ツト云フノデス」と言い(同頁),「裁判官ノ認定ニ任カセル様ナ「認定」ト云フ位ノ字デス」と言った(同70頁)栗塚の諸発言を見ていると,「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ利害」という表現でもって,その不履行について損害賠償金の支払が認められるべき給付に係るものでなければ合意は無効であるのだ,ということがいいたかったのだ,ということだけだったようでもあります。(なお,不履行に対して損害賠償が認められるから債務なのか,債務だからその不履行について損害賠償義務が生ずるのかの先後論がありますが,これは,実際の認定方法(「効果は要件にはね返る。」(米倉明『プレップ民法(第5版)』(弘文堂・2018年)101-102頁,228頁参照))はともかくも要件効果論的には債務の存在が先でしょう。)松岡康毅委員の表現では「仕舞ハ金銭ニ違ヒナイガ(よんどころ)ナク金銭トスルト,初メカラ金銭ニスルトノ差ガアル」ところですが(法律取調委員会民法草案第二部第25回議事筆記68頁),旧民法財産編3231項の「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ利益」は,「初メカラ金銭ニスル」ものではなく,「仕舞ハ金銭」になればよいものであるようです。「そもそも金銭に見積もることのできないものなどあるのだろうか。精神的な苦痛も慰謝料という形で金銭に評価される。現代の功利主義的発想からは,いかなる物やサービスも,それを得るためにお金を出す人がいる限り,金銭に見積もることができる。」(内田25頁)とは,実は旧民法に係る栗塚省吾的解釈であるということになるようです。「天下ノ事物殆ト皆金銭ニ見積ルコトヲ得ルモノニ非サルハナシ故ニ此広義ヲ以テスレハ債権ノ目的ノ金銭ニ見積ルコトヲ得ルモノタルコトヲ要スルモノトスルモ殆ト弊害ヲ見サル」ところである(梅10-11頁)という言明も同様です(なお,「弊害ヲ見サル」のならば放置してもよかったのでしょうが,「殆ト」ですから,反対解釈すると,やはり弊害はあったのでしょう。)。

 

(2)ボワソナアド原々案に関する忖度

 また,松岡委員からあった「詰リ価ニナルニ違ヒナイ,折レ合ツタ処デ原語ガ「価ヲ定ムヘキ」ト云フノナラ「評価スヘキ」位ニシテハ何ウダロウ」という発言(法律取調委員会民法草案第二部第25回議事筆記70頁)に対して,栗塚は「原語は“appréciable”であります」と打ち明けずに頑張っていますが(栗塚がうっかり打ち明けてしまうと,ほら見たことか“appréciable”か,これは仏文和訳的にはやっぱり「評価スヘキ」だよ,ということになって,同人は面目を失することになってしまったようにも思われます。なお,あえて“appréciable”と言ってはいませんから,武士の情けでなければ,松岡はフランス語の原文を見てはいなかったのでしょう。),実は,旧民法財産編3231項の“légitime et appréciable”は,そもそもボワソナアドの原々案にはなかった語だったのでした。すなわち,栗塚は「「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ」ト云フ形容詞ト「正当ニシテ」ト云フ形容詞ハ後トデ這入ツタノデス,利害ト云フノハ話ノ説明ヲ見ルト唯利害ト云テ置クト漠然トシテ居ルカラ同時ニ正当デナケレバナラズ,且価ヲ見積ル程ノモノデナケレバナラヌト云フデアリマス」と発言しているところです(法律取調委員会民法草案第二部第25回議事筆記68頁)。すなわち,「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ」たる形容詞をめぐるはっきりしない議論の発端は,ボワソナアドにではなく,これじゃ漠然とし過ぎて物足りないから何か形容詞を添えてくれいとの注文を出したのであろう日本側にあったもののようです。

 実は,ボワソナアドとしては,その原案3441項(旧民法財産編3231項)には,教育的な意義は認めても,創設的な意義は認めていなかったようなのです。ボワソナアド原案344条(旧民法財産編323条)に関するProjetの解説は,まずいわく。

 

   本条は,フランス民法1121条による例外を除く同法1119条が規定する第2の原則及びイタリア民法1128条に対応する。ただし,必要な補足的規定(les compléments nécessaires)も加えられている。(Boissonade II p.132

 

ここでいうフランス民法1119条の第2の原則とは,「人は,一般に、自己の名においては自己のためにしか要約できない。」ということで(同条の原文は“On ne peut, en général, s’engager, ni stipuler en son propre nom, que pour soi-même.”),同法1121条は「自分自身のための要約又は相手方にする贈与に係る条件としてならば,同様に,第三者の利益のために要約することができる。当該第三者が受益の意思を表示したときは,要約者は撤回することはできない。(On peut pareillement stipuler au profit d’un tiers, lorsque telle est la condition d’un stipulation que l’on fait pour soi-même ou d’une donation que l’on fait à l’autre. Celui qui a fait cette stipulation ne peut plus la révoquer, si le tiers a déclaré vouloir en profiter.)」との規定です。イタリア民法1128条もこれらと同様の規定なのでしょう。ここで注目すべきは,フランス民法1119条及び1121条は我が旧民法財産編3232項及び3項に対応するものである一方,同条1項(これはフランス民法1131条に対応します。)が言及されていないということです。当該不言及の意味するところは,旧民法財産編323条のうちその第1項は,同条の主要部分ではないということでしょう。すなわち,同条2項以下が刺身であれば,同条1項はそのつまにすぎないということになります。

それでは,当該つまの効用はいかん。ボワソナアドはいわく。

 

  〔旧民法財産編323条の〕第2項は,原因cause)又は利益の欠缺に係るこの〔第1項の〕原則に,他者のための要約la stipulation pour autrui)の無効を結び付ける。これは,フランス民法においては,いわば離れ離れとなっており(égarée),当案においては実現可能な目的objet réalisable)の欠缺に結び付けられている他者の作為に係る約束la promesse du fait d’autrui)の無効性〔筆者註:この無効性原則は旧民法財産編322条に関するものと解されます。わざわざ“réalisable”を「換金可能性」の意に解して同法財産編323条の「金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ」性との関係をこじつける必要はないように思われます。〕というような,原則との連結を欠いているのである。(Boissonade II p.133

 

 要は,原則規定とそこから派生した規定とを並べて書いた方が読者の目に美しく,分かりやすいだろう,ということのようです。各皿ごってりそれぞれ完食どんと来い型のフランス料理よりも,日本式につまを添えたやさしい盛り付けの方が優れているのだ,とボワソナアドは独りごちたものか。

 しかして,せっかくの原則規定たる旧民法財産編3231項が同条2項以下の刺身のつま扱いされているのは,当該原則は,既に同法財産編3041項第3において,合意の成立のためには「真実且合法の原因」(フランス語では“une cause vraie et licite” (Code Civil de l’Empire du Japon, Texte, p.119))が不可欠であるという形で,こちらで正に刺身として規定されていたからでしょう。

 「合意の原因(コーズ)は,当事者の意思を一致させた決定的な理由(la raison déterminante)である。それは,当事者が得ようと欲した目的(le but)である。人は理性に基づき合意するのであって,気まぐれによってではない。そこにおいて人は,一般に,精神的な,金銭的な又は社会的適切性の満足(une satisfaction morale, pécuniaire ou de convenance)を求めるのである。〔略〕また,恐らくこれが最も多いのであろうが,快楽,虚栄の満足又は奢侈の追求を動機(mobile)とする合意又は約束が存在する。」といわれると(Exposé des Motifs du Livre des Biens. p.350),原因(コーズ)は金銭に見積もることを得べき利益以外においては存在しないのだ,との理論を大きく展開することは難しそうです。所詮刺身のつまなのですから,当該理論は第三者のための契約の原因(コーズ)に係る場面(皿)に限定されるものとして考える,ということも可能であったかもしれません。

(3)栗塚省吾に関する情報発信

 栗塚省吾は越前出身(出生地は江戸本所松坂町),後に大審院判事として弄花事件🎴の登場人物となります(越中の磯部四郎とはパリ留学仲間だったのでした。)。
 栗塚については,「わが国の近代法学形成期における最重要人物の一人としてその名前は知られているのだが,これまでの研究では,断片的に言及されてきたにすぎず,その人物像や法学識については,ほとんど知られていない。」と評されています(村上一博「パリ大学留学時代の栗塚省吾」(越前市立図書館ウェブサイト「栗塚文庫洋書目録」ウェブページ)1頁)。

 この,名のみ知られて「その人物像や法学識については,ほとんど知られていない」栗塚が,山田顕義司法大臣の下で立法関係の仕事に携わるうち残した痕跡中,我らの目前にあって現に顕著なものの一つが,民法399条の規定であった,ということになるように思われます。

 第55回法典調査会における穂積八束発言以来度々その存在意義が問われてきた民法399条でありましたが(例えば,「〔前略〕このようにみてくると,本条の規定上の存在理由が疑わしくなる。ドイツ民法にも(241参照),フランス民法にも(11011126参照),スイス債務法にも(19参照),債権ないし契約の目的のところにこれについて定めていないことも,理解できる(奥田編旧版55頁(金山正信))。」),平成29年法律第44号による民法改正のどさくさに際して改正という名の削除の憂き目に遭わなかったことは,栗塚の顕彰を志す方々にとって幸運なことでありました。民法399条を見るたびに,栗塚省吾の事績が想起されなければなりません。(なお,越前市は,2015年度に,明治大学大学院法学研究科法史学(日本)研究室の「越前市の偉人「栗塚省吾」関係資料調査,研究と情報発信」事業に対して,地域貢献活動支援補助事業(学生団体対象)補助金として10万円を支給しておられます。)

 

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1 教科書的説明とそれに対する感想

 

(1)教科書的説明

 民法(明治29年法律第89号)399条は,次のように規定しています。

 

  (債権の目的)

  第399条 債権は,金銭に見積もることができないものであっても,その目的とすることができる。

 

何となく読み飛ばしてしまう条文です。標準的民法教科書の一つにおいて次のように説明されても,「はあ,そうですか。」というだけで,さして印象に残らなかったところです(少なくとも筆者には)。

 

  (4) 給付の経済性 〔債務者のなすべき行為たる給付が法律上保護に値するために必要な4要件中〕以上三つの要件〔(1)給付の適法性,(2)給付の可能性(筆者註:ただし,民法412条の22項)及び(3)給付の確定性〕とは別だが,給付の内容は経済性をもたなくてもよい(399条)。取引上は,給付が経済的目的に奉仕する場合が普通であろう。けれども,これにこだわらず,給付の内容が経済的性質をもたないものであっても,法律上保護に値するものならば債権の成立に妨げとはならない,との趣旨である。このような内容の債権でも債務不履行になれば金銭による損害賠償に訴えざるをえないわけだから財産性はあるのだ,という考え方もある。結果論的にはそうもいえる。(遠藤浩等編『民法(4)債権総論(第3版)』(有斐閣双書・1987年)10頁(新田孝二))

 

(2)感想

 

ア 「法律上保護に値するもの」とは何か(附:ドイツ民法草案の見解に関して)

 給付が法律上保護されるためには「法律上保護に値するもの」であることを要する,ということであれば,これはtautologyというものでしょう。

「法律上保護に値するもの」であるには「経済性」は必ずしも必要ではないとされつつも,それでは積極的には何が要件なのだという問いに対する回答は,「法律上保護に値するもの」であることである,との当初の命題以外与えられていないところです。我妻榮に当たってみても,「給付は「金銭ニ見積ルコトヲ得ザルモノ」でも債権の目的とすることができる(399条)。ドイツ普通法時代に争のあった点を解決したものである。ドイツ,フランス両民法には明文はないが,通説はわが民法と同様に解している(但しド民法理由書は消極的見解であり,これを支持する者も相当ある。債権の範囲が不明となるという理由である(Oertmann, §241, 1b))。」と学界事情の一端が明らかにされてはいるものの(我妻榮『新訂 債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)22-23頁),結局,「金銭に見積りえない給付については,法律的効力を認むべからず,という一般的な原則は存在しない。かような給付も,これに対して法律的効果を認めることを至当とする限りにおいては,債権たる効力を認めるべきである」との記述があるばかりです(我妻Ⅳ・23頁)。(なお,ドイツ普通法とは,「地域的・身分的に激しく分裂していたドイツの「地方特別法(Partikularrechte)」に対し,継受されたローマ法は,その間隙を埋める「共通法=普通法(gemeines Recht)」と呼ばれ,高度に発展した取引法上の必要に対応していた」ものであって,「ドイツ民法典190011日から施行〕編纂は,実際上,適用されていた普通法上の規範を汲み上げることから始められた」そうです(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法――ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)48頁)。)

(以下附論)

しかし,「ド民法理由書は消極的見解」であるとの我妻の紹介はいかがなものでしょうか。ドイツ民法第一草案206条(「債務関係の目的は,債務者の作為又は不作為(給付)であり得る。(Gegenstand eines Schuldverhältnisses kann ein Thun oder ein Unterlassen des Schuldners (Leistung) sein.)」)に関して,余計なことながら筆者がその理由書(Motive zu dem Entwurfe eines Bürgerlichen Gesetzbuches für das Deutsche Reich, Bd. II (Amtliche Ausgabe, 1888))を検するに,「財産権的利益(vermögensrechtliches Interesse)は,〔略〕当草案の見解によれば,債務の本質(Wesen der Obligation)に属しない。」(S.5),「債権者の財産権的利益は,当見解によれば,債務の本質に属しない。当該事案において法的な義務付け意思(Verpflichtungswille)が認められるかに係る証明を前提として,かつ,公序良俗に反する法律行為の無効(Hinfälligkeit)に係る規定を別として,債務関係の効力は,債権者が給付について他の保護に値する利益(anderes schutzwürdiges Interesse)を有していないことをもってしても争うことはできない。」(S.3)というような記述があるところです。これは「消極的見解」ではなく,積極的見解でしょう。

第二草案205条(「債務関係に基づき,債権者は,債務者から給付を請求する権利を有する。給付は,作為又は不作為たることができる。(Kraft des Schuldverhältnisses ist der Gläubiger berechticht, von dem Schuldner eine Leistung zu fordern. Die Leistung kann in einem Thun oder einem Unterlassen bestehen.)」)に関する委員会審議録(Protokolle der Kommission für die zweite Lesung des Entwurfs des Bürgerliches Gesetzbuchs, Band II. 1897)を検すると,第一草案206条に関し,「債務関係の目的たり得るものは,財産的利益を有する給付(作為又は不作為)に限られる。(Gegenstand eines Schuldverhältnisses kann nur eine Leistung (Thun oder Unterlassen) von Vermögensinteresse sein.)」との内容を加えよとの提案及び「財産的価値を有しない給付は,その強制が取引慣行に反することになるときは,債務関係の目的たり得ない。(Eine Leistung, welche keinen Vermögenswerth hat, kann nicht Gegenstand eines Schuldverhältnisses sein, wenn es der Verkehrssitte widerstreiten würde, sie zu erzwingen.)」との項を加えよとの提案があったものの,いずれの提案も委員会において却下(ablehnen)されていたところです(S.279)。なお,同委員会は,第一草案の理由書における言明を修正して「保護に値する利益(schutzwürdiges Interesse)は,理由書3頁における言明にかかわらず,当然要求されなければならない。しかしながら,個人の自由に係る法によって認められている領域内に留まっている全ての利益は,保護に値するのである。拘束(Verbindlichkeit)の受容が法又は善良の風俗に反するものであってはならない,という制限以外の制限は,不要である。」との理解を示しています(Protokolle II S.281)。

「独乙民法草案ノ如キハ断然〔略〕債権ノ目的ハ必スシモ金銭ニ見積リ得ヘキモノタルヲ要セサルコトヲ明ニセリ(独一草206,同二草205,)」です(岡松参太郎『註釈民法理由 下巻』(有斐閣書房・1897年)16頁)。

なお,現在のドイツ民法241条は,「債務関係に基づき,債権者は,債務者から給付を請求する権利を有する。給付は,不作為たることもできる。/債務関係は,その内容に従い,相手方の権利,法的財産及び利益を配慮するように各当事者を義務付けることができる。(Kraft des Schuldverhältnisses ist der Gläubiger berechticht, von dem Schuldner eine Leistung zu fordern. Die Leistung kann auch in einem Unterlassen bestehen. / Das Schuldverhältnis kann nach seinem Inhalt jeden Teil zur Rücksicht auf die Rechte, Rechtsgüter und Interessen des anderen Teils verpflichten.)」と規定しています。

ついでながら,ドイツ民法第一草案206条に関し,「債務関係の目的たり得るものは,財産的利益を有する給付(作為又は不作為)に限られる。」との内容を加えよと主張した提案者の理由とするところは次のようなものでした。いわく,「その実現に債権者が財産的利益を有さない義務の義務付けをもって真正の債務関係であるものと認定することは,より新たな法の発展及び近代の取引の要求に対応するゆえんのものではない。当該認定は,一方において,財産権(Vermögensrechte)として必然的に金銭的価値(Geldwerthを有さねばならない債権(Forderungsrechte)と身分権(Familienrechte)との区別をなみすることになり,他方において,現行法からの,深くまで及び,かつ,高度に懸念される逸脱をもたらすことになる。ドイツの裁判所の実務(Praxis)として現れているところの当該法によれば,現実的執行(Naturalexekution)の方法による直接強制の可能性(direkte Erzwingbarkeit)は,物の給付及び非自由労働(operae illiberales)に係る対人権(obligatorische Rechte)にのみ認められ,これ対して,自由労働(operae liberales)に対する請求(Ansprüche)は否認されている。委託された事務の実行を求める委任者の受任者に対する,出版社の著作者に対する,定款上の総会出席義務の履行を求める団体のその構成員に対する権利等のごとし。全てのこのような義務は直接強制され得るものであると宣明することが求められるということであれば,契約の自由は無際限に拡張され,そして国家の裁判権に対してふさわしからぬ職務が要求されることになる。」と(Protokolle II S.280)。ここには「金銭的価値(Geldwerth)」との語が出て来ます。(なお,「契約の自由は無際限に拡張され,そして国家の裁判権に対してふさわしからぬ職務が要求されることになる。」とは,「或ハ斯ウ云フ法律ガアリマスレバ恐ラクハ私ハ猥リニ訴訟ヲ起シテ少シモ金銭ニ見積ルベキ利益ガナイデモ宜シイト云フコトガ明言シテアル以上ハ或ハ之ヲ極端ニ解釈シマシテ普通ノ約束事デモ一々之ヲ裁判所ニ持ツテ往ツテ裁判ヲ仰グコトガ出来ルカノ様ニ人ガ想像スル恐レハアルマイカト思フノデス〔略〕夫レ故此規定ヲ設ケルノハ恐ラクハ習慣ニ背クシ又ハ猥ニ訴訟ヲ起スト云フヤウナ畏レモアラウト思ヒマス」との,兄である陳重の提案に係る我が民法399条(の原案)不要論を唱える穂積八束の口吻を彷彿とさせるところがあります(第55回法典調査会(1895111日)(法務大臣官房司法法制調査部監修『日本近代立法資料叢書2 法典調査会民法議事速記録二』(㈳商事法務研究会・1984年)970-971頁))。八束は,「民法出デテ忠孝亡ブ」ことを避けるためならば,不悌たることも辞さなかったわけです。)

 

イ 非経済性と財産性との関係

また,「給付の内容は経済性をもたなくてもよい。」と一方では宣言しつつ,「このような内容の債権でも債務不履行になれば金銭による損害賠償に訴えざるをえないわけだから財産性はあるのだ,という考え方もある。結果論的にはそうもいえる。」となおもぶつぶつ言うのは,何やら「経済性」に依然未練があるようで,すっきりしません。しかし,この非すっきり感は,そのような債権を財産といえるのかという当該債権の財産性いかんの問題(債権の財産性がここで問題となるのは,「私権は,〔略〕人格権・身分権・財産権・社員権に分けることができる」ところ,「債権は,物権・無体財産権とならんで,財産権に属する。」(遠藤等編1頁(水本浩)。下線は筆者によるもの)とされているからでしょう。)を,当該債権の法律的効力の有無(経済性は不要)の問題と分けずに続けてべったりと記述したことから生じたもののようです。我妻は,別の問題としてきちんと段落を分けた上で,「金銭に見積りえない給付を目的とする債権は財産権ではないという見解がある。然し,法律的強制を加え,その不履行について金銭賠償を請求することができるものである以上,これを財産権の一種といっても不都合はあるまい。ただその財産性の稀薄なことを注意すれば充分であろう。」と説いています(我妻Ⅳ・24頁)。

 

2 沿革からする説明

 

(1)内田貴『民法Ⅲ 債権総論・担保物権』

前記のようにすっきりしていなかったところ,内田貴・法務省元参与による次のような説明には,読んでいて,なるほどと感じさせられるところがありました。

 

  では,なぜこのような条文〔民法399条〕が入ったのだろうか。これは,功利主義とは別系統の思想を背景とする古代ローマ法以来の沿革によっている。ローマ法では,たとえば,教師・医師・弁護士等の仕事は,本来金銭に見積もり得ない精神的なものとされていた。もちろん,これらの仕事を目的とする契約(委任契約)は可能であったが,それは本来は無償であり,これらの金銭に見積もり得ない義務の履行を求めて,強制的にその内容を実現することはできないと考えられていた。ボワソナードもこのような立場をとっており,旧民法は,原則として金銭に見積もることのできるものに限って債権の目的とするという立場に立っていた。しかし,これでは不便であり,そもそも今日の感覚に合わない。そこで,そのような立場を否定するために,念のためこのような規定が入ったのである。(内田貴『民法Ⅲ 第4版 債権総論・担保物権』(東京大学出版会・2020年)25-26頁)

 

 沿革による説明は,筆者の性分に合っているようです。

 

(2)星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』

 ということで更に,内田教科書の当該記述の淵源は何処にありやということを探ってみたくなるのですが,これは,「私は〔星野英一〕先生の授業のプリントを下敷きにして講義を始めまして,そうやって徐々にできあがった講義ノートをもとに教科書を書いたものですから,私の教科書は星野理論を万人にわかるように書いたものであると言われるのです。」ということですから(星野英一『ときの流れを超えて』(有斐閣・2006年)225頁(内田貴発言)),星野英一教授の著書に当たるべきことになります。

 

   債権の目的は,「金銭ニ見積ルコトヲ得サルモノ」でもよいとの規定がある(民法399条)。旧民法は,反対に,金銭に見積ることのできるものに限って債権の目的としていたので(明文の規定があったわけではないが,若干の規定とボアソナードの解説とから明らかであるとされる),これを改める趣旨を明らかにするために置いた規定とされ,具体的には,教師・医師・弁護士などの仕事が挙げられている〔略〕。ただ,今日では,すべての事項は(右に挙げたものも)少なくとも主観的には金銭に評価されるのが通常であるので,同条は,「本来」金銭に見積ることのできないもの,という趣旨と読むべきであろう。古い下級審判決に,寺僧が依頼者の祖先のために永代常念仏を唱える旨の約束につき,外形上の行為を伴なう念仏を目的とする場合は有効としたものがある(東京地判大正2年月日不詳(ワ)922号新聞98625)。なお,他から蒙った精神的損害,より広く「財産以外ノ損害」につき賠償請求権のあることについては,明文の規定がある(民法710条,711条)。(星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』(良書普及会・1981年)11-12頁)

 

なるほどさてそれでは旧民法の当該「若干の規定」及びそれらに係る「ボアソナードの解説」を自分でも検証してみよう,と筆者は今更思い立ったわけです。しかしこれは,新型コロナウイルス感染症対策国民精神総動員時代にふさわしからぬ不要不急の用事をみだりに好む弛んだゆるキャラ非国民の所行というべきでしょうか。

なお,前記永代常念仏に係る東京地判大正2年月日不詳(ワ)922号新聞98625頁の判示するところは,「寺院又は僧侶に財物を贈与するも,其意僧侶をして念仏又は他の供養を為さしむるに存し,施物はその念仏供養を為すに就ての資となさんとする場合に於て之を受けたるものが念仏供養等を為すべきことを約したるときは,斯る契約は法律上有効なるを以て,之が当事者は之を履行すべき義務あり・・・。蓋し,浄土宗の教義として,・・・正助の業は之を一心に為すに非れば其功徳な〔く〕,而も斯る内心の作用に就ての契約は法律上の効力を生せずと雖も,誦経礼拝し,又は香華灯明食物を供養するが如きは外形上の行為にして,且念仏も亦単に心中仏を念ずるを以て足れりとせず,称名念仏すべきものなる・・・を以て」(以上,奥田昌道編『新版注釈民法(10)Ⅰ 債権(1)債権の目的・効力(1)』(有斐閣・2003年)158-159頁(金山正信・直樹)における引用),「斯ル外形上ノ行為ノ部分ニ付テノ契約ハ法律上有効ナリト謂フヘク従ツテ債務者ハ宗教上ノ儀式ニ従ヒ荘厳ニ之ヲ修スルノ義務アルモノニシテ唯之ヲ修スルニ当リ一心ニ為スヘキコトヲ強要スルヲ得サルニ過キサルモノトス」というものでした(奥田昌道編『注釈民法(10)債権(1)』(有斐閣・1987年)58頁(金山正信)における引用)

 

3 旧民法における関連条項

星野教授の著書にいう旧民法の「若干の規定」とは,旧民法財産編(明治23年法律第28号)293条及び3231項並びに同財産取得編266条ということになるようです(梅謙次郎『訂正増補第三十版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)9頁参照)。

 

 財産編第293条 人権即チ債権ハ常ニ義務ト対当ス

  義務ハ一人又ハ数人ヲシテ他ノ定マリタル一人又ハ数人ニ対シテ或ル物ヲ与ヘ又ハ或ル事ヲ為シ若クハ為ササルコトニ服従セシムル人定法又ハ自然法ノ羈絆ナリ

  義務ヲ負フ者ハ之ヲ債務者ト名ツケ義務ニ因リテ利益ヲ得ル者ハ之ヲ債権者ト名ツク

 

 財産編第323条 要約者カ合意ニ付キ金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ正当ノ利益ヲ有セサルトキハ其合意ハ原因ナキ為メ無効ナリ

  第三者ノ利益ノ為メニ要約ヲ為シ且之ニ過怠約款ヲ加ヘサルトキハ其要約ハ之ヲ要約者ニ於テ金銭ニ見積ルコトヲ得ヘキ利益ヲ有セサルモノト看做ス

  然レトモ第三者ノ利益ニ於ケル要約ハ要約者カ自己ノ為メ為シタル要約ノ従タリ又ハ諾約者ニ為シタル贈与ノ従タル条件ナルトキハ有効ナリ

  右2箇ノ場合ニ於テ従タル条件ノ履行ヲ得サルトキハ要約者ハ単ニ合意ノ解除訴権又ハ過怠約款ノ履行訴権ヲ行フコトヲ得

 

 財産取得編第266条 医師,弁護士及ヒ学芸教師ハ雇傭人ト為ラス此等ノ者ハ其患者,訴訟人又ハ生徒ニ諾約シタル世話ヲ与ヘ又ハ与ヘ始メタル世話ヲ継続スルコトニ付キ法定ノ義務ナシ又患者,訴訟人又ハ生徒ハ此等ノ者ノ世話ヲ求メテ諾約ヲ得タル後其世話ヲ受クル責ニ任セス

  然レトモ実際世話ヲ与ヘタルトキハ相互ノ分限ト慣習及ヒ合意トヲ酌量シテ其謝金又ハ報酬ヲ裁判上ニテ要求スルコトヲ得

  此等ノ者ノ世話ヲ受クルコトヲ諾約シタル後正当ノ原因ナクシテ之ヲ受クルコトヲ拒絶シタル者ハ其拒絶ヨリ此等ノ者ニ金銭上ノ損害ヲ生セシメタルトキハ其賠償ノ責ニ任ス

  之ニ反シテ世話ヲ与フルコトヲ諾約シタル後正当ノ原因ナクシテ之ヲ拒絶シタル者ハ因リテ加ヘタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス

 

 これらの条項に関する現行民法起草者の理解は,1895111日の第55回法典調査会における穂積陳重の説明によると,「既成法典ニ於キマシテモ矢張リ其債権ノ目的ハ帰スル所金銭ニ見積ルコトガ出来ナケレバナラヌト云フ主義ヲ取ツテ居ツタモノト解シマス」というもので,その根拠としては「夫レハ合意ニ関スル所ノ規定ニモ合意ハ金銭ニ見積ルモノデナケレバ原因ト為スコトハ出来ヌト云フコトガアリマス又雇用契約ノ場合ニ於テモ医師デアルトカ弁護士教師ノ様ナ者ノ義務,其勤労ト云フモノハ強ヒテ継続サセルコトハ出来ヌト云フ規定ガアリマス」ということで旧民法財産編3231項及び同法財産取得編2661項の規定が挙げられていました(第55回法典調査会議事速記録969頁)。

 

4 ボワソナアドのProjetにおける解説

星野教授の著書にいう「ボアソナードの解説」は,ボワソナアドのProjetについて見るべきものでしょう。穂積陳重の前記理解に沿う記述があるかどうか。

 

(1)旧民法財産編293条等に関して

 

ア 旧民法財産編293条

旧民法財産編293の原案(314条)についてボワソナアドは,「人権(droits personnels)は,物権と共に,人の資産(le patrimoine)を組成する財産(Biens)の総体(l’ensemble)をなす。」と述べつつ(Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations. Tokio, 1891. p.2),「与えること(dare)とは,所有権又は他の物権を移転することである」(p.5),「為すこと(facere)とは,他者にとって有用又は有益な行為(un acte utile ou profitable)であって譲渡(dation)以外のものを実行することであって,肉体又は精神労働(un travail manuel ou intellectuel),使用人の仕事(un service personnel),仲立ち(une entremise),運搬(un voyage),特定の用途のための物の給付又は引渡し(une prestation ou livraison de chose pour un usage déterminé)のごとし」(pp.5-6)及び「為さざることとは,彼の財産についてであっても,又は他者の財産についてであっても債務者が原則として実行することができ,また合法である行為であって,債権者のより大きな利益のために実行しない旨約したものを差し控えることである。建物を賃貸し,又は商用地を譲渡した者が,賃借人又は譲受人の利益のために,彼らと競合するものとなるべき事業又は商業を行うことを自らに禁ずる場合のごとし。」(p.6)といった説明をしています。

旧民法財産編2931項にある「人権」の語は,「人権ト云フ字ハドウモ面白クナイノハ人権ト言ヘバ人ノ権デアリマスガ物権デモ人ノ権デアリマスガ物権デモ人ノ権デアリマスシ又対(ママ)権ト言ヒマシテモ矢張リ人ノ権デ只主タル目的ガ直接ノ物ニ関スルト云フ位デアリマシテドウモ此人権ト云フ字ハ能ク考ヘテ見マスト穏カデアリマセヌト思ヒマス人権消滅トカ人権ヲ譲渡ストカ人権ヲ抛棄スルトカドウモ斯ノ如キ場合ニ使ウ訳ニハ往キマセヌ55回法典調査会議事速記録966-967頁(穂積陳重)),「「各()天賦ノ()利」ノ意義ニモ之ヲ用ヒ日本ノ従来ノ慣例ニ視テ債権ト同一ノ意義ニ之ヲ用フルコト極メテ穏当ナラサルカ故ニ新民法ニ於テハ常ニ債権(〇〇)ナル文字ヲ用ヒ敢テ人権ナル文字ヲ用ヒス」ということで(梅2-3頁),現在は民法用語ではなくなっています。

旧民法財産編2932項の「人定法又ハ自然法ノ羈絆」とはものものしいのですが,同法財産編294条を見ると,「人定法ノ義務ハ其履行ニ付キ法律ノ許セル諸般ノ方法ニ依リテ債務者ヲ強要スルコトヲ得ルモノナリ/自然ノ義務ニ対シテハ訴権ヲ生セス」とあります。「法ノ羈絆」との語は,ローマ法用語のvinculum jurisに由来するものです(Boissonade II p.5)。

 

イ 自然の義務ないしは自然債務

 

(ア)起草者の見解

なお,旧民法財産編562条(「自然義務ノ履行ハ訴ノ方法ニ依リテモ相殺ノ抗弁ニ依リテモ之ヲ要求スルコトヲ得ス其履行ハ債務者ノ任意ナルコトヲ要シ之ヲ其良心ニ委ス」)以下にはあった自然義務(Obligation naturelle, Naturalobligation)ないしは自然債務の規定は現在の民法にはないのですが,梅謙次郎によれば,これは「元来羅馬法ノ如ク形式ニ拘泥スルノ極法律カ保護スヘキ権利ニシテ唯形式ニ缺クル所アルカ為メ之ヲ保護スルコト能ハサル場合ニ於テ其法律ノ不備ヲ矯正センカ為メニ完全ナル権利トシテ其効力ヲ認ムルコト能ハサルモ(ママ)メテハ是ヨリ自然義務ナルモノヲ生スルモノトシ之ニ幾分カ不完全ナル効力ヲ付スルヲ以テ已ムコトヲ得サルモノトセシハ敢テ怪シムニ足ラスト雖モ法律ノ進歩スルニ従ヒ凡ソ法律ノ保護スヘキ権利ハ総テ相当ノ方法ヲ以テ之ヲ保護スル以上ハ敢テ其外ニ所謂自然義務ナルモノヲ認ムルノ要ナシ是レ新民法ニ於テハ法律ニ定メタル普通ノ義務即チ法定義務ノ外一種異様ノ義務ヲ認ムルコトヲ為ササル所以ナリ但旧民法,仏民法等ノ如ク所謂原因(〇〇)ナルモノヲ以テ法律行為ノ要素トスルトキハ其原因ナキカ為メ無効タルヘキ法律行為尠カラサルヘキカ故ニ之ヲ有効トスル為メ往往自然義務ノ存在ヲ認ムルノ必要アルヘシト雖モ〔筆者註:ただし,旧民法財産編566条前段は「原因ノ欠缺〔略〕ノ為メ無効ナル合意ハ自然義務ヲ生スルコトヲ得ス」と規定していました。〕新民法ニ於テハ所謂原因ナルモノノ必要ヲ認メサルカ故ニ〔略〕益〻自然義務ノ必要ヲ認メサルナリ」ということでした(梅6-7頁)。

また,189362日の法典調査会第4回民法主査会において穂積陳重によって挙げられた,「既成法典ノ内デ最モ著シキ缺点ト思」われるもの(法典調査会民法主査会議事速記録1巻(日本学術振興会・1937324日写了)149丁裏)たる自然義務に関する規定(旧民法財産編第2部第4章)を,現行民法から削ることとした理由は次の諸点です。第1に「論理上ノ誤謬」を法典上に現わすべきではないということであって(151丁),①事後的な給付保持力だけあって(旧民法財産編5631項参照)後ろ向きである自然義務は義務としてふさわしくない(「日本ノ法典ニ於テ義務ト申シマスルモノハ常ニ人権ニ対(ママ)旧民法財産編2931項・2項参照),「然ルニ此自然義務ト云フモノハ作為若クハ不作為ノ義務ヲ尽サセル事ヲ法律デハ命ジテ居ナイ,唯法律ノ規定トナツテ現ハレルモノガ所謂自然義務ヲ尽シタ後ノ結果ノ事丈ケノコトテアル」(150丁表),「所謂自然ト云フ道徳上ノ義務ナルモノガアツテ夫レガ終リマシタ後ノ事丈ケガ書テアリマス」(150丁裏),「殊更ニ自然義務ト云フ事ヲ此処ニ掲ケテアリマスルト義務ト云フモノハ将来ニ於テ尽サシメルトアリナガラ又他ノ一方ニ於テ尽サシメル事ハ無イト云フコトニナリマスカラシテ即チ法典中ニ於テ前後撞着ノ事ヲ現ハスヤウニナツテ居ルト思ヒマス」(150丁裏)),②名称がおかしく,人定法ノ義務は自然ノ義務ではないから不自然な義務なのか,自然ノ義務は人定法ノ義務でない義務ならばそれを法律(人定法)たる民法典に規定してよいのか,という問題が提起され得る(「又此処ニ自然義務ト云フ事ヲ明カニ掲ケマシタトキハ他ノ義務所謂法定ノ義務ナルモノハ自然ノ道理ト云フモノニ反シテ居ル云フヤウナ意味モ自ラ現ハレルヤウナ嫌ヒモアリマス」(150丁裏),「又法定ノ義務ト云フ事ヲ言フト法定以外ノ義務ト云フモノ〔自然義務〕ヲ又法律デ定メルト云フヤウナ事ニナツテ法理上ノ誤謬ト云フモノヲ此内ニ含ムヤウニナリマス」(150丁裏)),及び③義務が消滅したはずなのに自然義務は存在する場合があって(旧民法財産編569条・570条参照)おかしい(「一方ニ於テハ義務ハ或ル原由ニ依テ消滅スルト云フ事ヲ法律デ殊更ニ定メテ置テ弁済トカ廃棄(ママ)トカ削除(ママ)トカメテキナガラテハ義務消滅原因アツタ義務シテル」等(151丁表)),というような点が指摘されています。第2は,「制裁ノ無イ権利義務ト云フモノガ存スルト云フ事ヲ公然認メルヤウニ」なることは避けたいこと(151丁裏)。第3は,「自然義務ニ関スル規程ト云フモノガ此義務自身ノ規程デ無クシテ或ル法律以外ノ義務ノ弁済ノ結果ト云フモノニ関スル規程デアリマスカラシテ此義務ト云フモノガ既ニ消ヘタ後ノ事ヲ規定スルノデアル,然レバ義務ノ規程デアリマセヌカラシテ縦令ヒ此規程カ入要デアルトシテモ他ノ所ニ之ヲ掲クヘキ」であること(151丁裏)。これは第1の①と関連しています。第4は,自然義務の「性質ト云フモノモ其範囲ト云フモノモ国ニ依リ人ニ依ツテ皆ナ変ツテ居リマスルモノテアリマスカラ一定ノ義務トシテ之ヲ法典ノ上ニ存シテ置ク事ハ宜クナイ」こと(151丁裏-152丁表)。第5は,自然義務の「弁済」は「法律上ノ目カラ言ヘハ義務ノ弁済デハ無」く「贈与ノ効果ヲ生スルモノデアル,即チ単純ノ手渡ニナル贈与ノ効果ヲ生スルモノ」と考えられること(152丁表)。最後に,「諸国ノ法典ニ於テモ我法典ノ如ク委シク緻密ナル事ニマデ立入ツテ此自然義務ノ規程ヲ掲ケタ所ハアリマセヌ,即チ言ハナクテモ宜イ事ヲ細カニ此処ニ挙ケテアルノテアリマシテ此各条デ御覧ニナルト他ノ場合ニ於テ既ニ当然分ツテ居ル結果ヲ殊更ニ列ヘテ居ルニ過キナイ事ガ多イノテアリマス」(152丁)とのボワソナアドのくどい仕事振り批判及び追認,更改又は質若しくは抵当の供与の目的となることによって自然義務が通常の法定の効力を生ずるようになる旨規定する旧民法財産編564条に関しての「之モ厳正ナル法理論カラ言ヘハ素ヨリ法律ノ規程ニ依テ是レヨリシテ新タニ法定ノ義務ノ生スル原因」であるのであって「是ニ依テ自然義務ナルモノガ存在シ継続スルト云フモノデハナイ」(152丁裏)との駄目押しがありました。

 

(イ)カフエー丸玉女給事件

しかし,起草者の前記見解に対して,カフエー丸玉女給事件判決(昭和10425日新聞38355頁)において大審院第一民事部(池田寅二郎裁判長)は注目すべき判示を行います。いわく,「案ずるに原判示に依れば上告人は大阪市南区道頓堀「カフエー」丸玉に於て女給を勤め居りし被上告人と遊興の上昭和81月頃より昵懇と為り其の歓心を買はんが為め将来同人をして独立して自活の途を立てしむべき資金として同年418日被上告人に対し金400円を与ふべき旨諾約したりと云ふに在るも叙上判示の如くんば上告人が被上告人と昵懇と為りしと云ふは被上告人が女給を勤め居りし「カフエー」に於て比較的短期間同人と遊興したる関係に過ぎずして他に深き縁故あるに非ず然らば斯る環境裡に於て縦しや一時の興に乗じ被上告人の歓心を買はんが為め判示の如き相当多額なる金員の供与を諾約することあるも之を以て被上告人に裁判上の請求権を付与する趣旨に出でたるものと速断するは相当ならず寧ろ斯る事情の下に於ける諾約は諾約者が自ら進で之を履行するときは債務の弁済たることを失はざらむも要約者に於て之が履行を強要することを得ざる特殊の債務関係を生ずるものと解するを以て原審認定の事実に即するものと云ふべく原審の如く民法上の贈与が成立するものと判断せむが為には贈与意思の基本事情に付更に首肯するに足るべき格段の事由を審査判示することを要するものとす」云々と。

 

ウ 道徳上の義務及び宗教上の義務

更に前記旧民法財産編294条に関しては,同条に係るボワソナアドの原案(315条)には後に削られた第3項があって,“La loi n’intervient pas dans l’exécution des obligations purement morales ni dans l’observation des devoirs religieux.”(法は,純然たる道徳上の義務の履行又は宗教上の義務の遵守には干与しない。)と規定していました。純然たる道徳上の義務又は宗教上の義務は,確かに現行民法399条を前提としても,同法上の債権の目的とはならないでしょう。「金銭に見積りえない給付を目的とする契約は,単に道徳・宗教などの規律を受けるだけで,法律的効力を生じないものと解すべき場合も絶無ではあるまい。」ということになります(我妻Ⅳ・23頁)。前記東京地判大正2年月日不詳(ワ)922号新聞98625頁も,「外形上の行為」をとらえて,そこに係る約束をもって法的に有効としたわけです(しかし,この判決の理論を推し進めれば,檀家に依頼されて仏教僧の唱える念仏には「一心ニ為ス」ものではない単なる「外形上」のものもあり得る,ということになりますから,かの津地鎮祭事件最高裁判所昭和52713日大法廷判決(民集314533頁)の追加反対意見において「神職は,単なる余興に出演したのではない。」との辛辣の言をもって当該地鎮祭を主宰した神職の尊厳のために獅子吼した藤林益三最高裁判所長官(1968年度の第一東京弁護士会常議員会議長)的発想からすれば,仏教及び仏教僧を侮辱する仏罰必至的判決であるということにもなりそうです。とはいえ藤林長官の潔癖は,基督教徒的生真面目というものであって(ちなみに,テオドシウス大帝的基督教信仰に従えば,新型コロナウイルス感染症の流行云々以前に,そもそも異教起源のオリンピック競技大会など最初から開催してはならないものなのでした。),たとえ念仏に心がこもっていなくても阿弥陀如来は衆生を必ず救ってくださるというところに仏教のおおらかな優越性があるのかもしれません。「念仏をとなえるにさいし「一心ニ為スヘキコトヲ強要スルコトヲ得サル」においては,文字通りの空念仏に帰する」(奥田編旧版58頁(金山正信))わけでは必ずしもないでしょう。「信ぜざれども,辺地懈慢,疑城胎宮にも往生して,果遂の願ゆへに,つゐに報土に生ずるは名号不可思議のちからなり。これすなはち,誓願不思議のゆへなれば,たひとつなるべし。」と『歎異鈔』にあります(しかし,やはり「浄土宗の教義として,・・・正助の業は之を一心に為すに非れば其功徳な」し,ということですので,藤林長官的憤慨は,なお有効であるようです。)。ボワソナアドによれば,「自己の天命を果し,かつ,同胞に対して有為の者たるべく,正直であり,かつ,規律ある生活を送る,というような,人の自己自身に対する義務についていえば,これは既に法的な義務ではなく,道徳上の義務である。」,「彼の悪徳(vices)が他者に直接かつ相当(appréciableな損害を与えない限り,法は干与しない。」ということでした(Boissonade II p.9)。1889年発布の大日本帝国憲法28条が信教の自由について規定していたことから(「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」),ボワソナアド原案3153項の維持は不要とされたとのことです(Boissonade II p.12 (1))。


後編に続く(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078124004.html 

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承前(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078025212.html


第5 フランス民法894条

 

1 影響の指摘

 民法549条の分かりにくさ(前出我妻Ⅴ₂223頁参照)に関しては,「フランス民法894条の規定の体裁に従ったがためであろう。」とも説かれています(柚木馨=高木多喜男編『新版注釈民法(14)債権(5)』(有斐閣・1993年)26頁(柚木馨=松川正毅))。

 

2 条文及びその解釈

 

(1)条文

フランス民法894条は,次のとおり。

 

  Art. 894   La donation entre vifs est un acte par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement de la chose donnée en faveur du donataire qui l’accepte.(生前贈与は,それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,それを受ける受贈者のために,被贈与物を委棄する行為である。)

 

(2)山口俊夫教授

フランス民法894条に係る山口俊夫教授の説明は,「生前贈与は,贈与者(donateur)が現実に(actuellement)かつ取消しえないものとして(irrévocablement),それを受諾する受贈者(donataire)に対し無償で自己の財産を与える法律行為(片務契約)である(894条)。」というものです(山口俊夫『概説フランス法 上』(東京大学出版会・1978年)526頁)。筆者の蕪雑な試訳よりもはるかにエレガントです。

 

(3)矢代操

しかし,筆者としては,矢代操による次のように古格な文章を面白く思います。

 

  今日は,〔フランス〕民法中無償名義にて財産を処置するの方法唯2箇あるのみ。生存中(○○○)()贈遺(○○)及び(○○)遺嘱(○○)()贈遺(○○)是なり〔フランス民法893条〕。其生存中の贈遺の定義は載せて第894条にあり。曰く,⦅生存中の贈遺とは,贈遺者贈遺(○○)()領承(○○)する(○○)受贈者の為め即時(○○)()確定(○○)()贈遺物を棄与する所為(○○)を云ふ⦆。此定義中に所為(○○)と記するは妥当ならず。蓋し契約と云ふの意にあるなり。何となれば遺嘱の贈遺は契約にあらずして唯一の所為なりと雖ども,生存中の贈遺は純粋の契約なればなり。

  又本文中に即時(○○)と記するの語に糊着するときは,生存中の贈遺の適法となるには其目的物を引渡し(○○○)受贈者之を占有するを要するものの如し。然れども決して其意に解釈す可からず。蓋し其即時とは,〔略〕生存中の贈遺は〔略〕贈遺の時直に其効を生す可しとの意にあるなり。故に其契約成立の後此執行は之を贈遺者の死去に至るまで遅引するを得可きなり。

  又此生存中の贈遺は遺嘱の贈遺と異にして,一たび贈遺を為したる以上は一般の契約の原則に従ひ法律に定めたる原由あるにあらざれば之を取消すを得ざるなり。(明治大学創立百周年記念学術叢書出版委員会編『仏国民法講義 矢代操講述』(明治大学・1985年)46-47頁)

 

(4)生前贈与は契約か否か

はて,矢代の指摘に従ってフランス民法894条の生前贈与(donation entre vifs)の定義を見ると,確かに行為(acte)であって,契約(contrat)でも合意(convention)でもないところです(なお,フランス民法1101条は,「契約(contrat)は,それにより一又は複数の者が他の一又は複数の者に対して,何事かを与え,なし,又はなさざる義務を負う合意(convention)である。」と定義しています。)。しかも当該行為を行う者は贈与者のみです(“un acte par lequel…et le donataire l’accepte.”とは規定されていません。)。

こうしてみると,フランス民法931条と932条との関係も気になってくるところです。同法931条は“Tous actes portant donation entre vifs seront passés devant notaires dans la forme ordinaire des contrats; et il en restera minute, sous peine de nullité.”(生前贈与が記載される全ての証書は,公証人の前で,契約に係る通常の方式をもって作成される。また,その原本が保管され,しからざれば無効となる。)と規定しています。贈与者と受贈者とが共に当事者となって「契約に係る通常の方式」で証書が作成されるのならば,受贈者の出番もこれで終わりのはずです。しかしながら,同法932条はいわく。“La donation entre vifs n’engagera le donateur, et ne produira aucun effet, que du jour qu’elle aura été acceptée en termes exprès. / L’acceptation pourra être faite du vivant du donateur par un acte postérieur et authentique, dont il restera minute; mais alors la donation n’aura d’effet, à l’égard du donateur, que du jour où l’acte qui constatera cette acceptation lui aura été notifié.”(生前贈与は,それが明確な表示によって受諾された(acceptée)日からのみ贈与者を拘束し,及び効力を生ずる。/受諾(acceptation)は,贈与者の存命中において,事後の(postérieur)公署証書であって原本が保存されるものによってすることができる。しかしながら,この場合においては,贈与は,贈与者との関係では,当該受諾を証明する証書が同人に送達された日からのみ効力を生ずる。)と。すなわち,同条2項は,生前贈与がまずあることとされて,それとは別に,事後的に当該生前贈与の受諾があり得ることを前提としているようなのです(贈与者の意思表示とそれとが合致して初めて一つの合意ないし契約たる生前贈与が成立するということではないのならば,フランス民法9322項の“acceptation”に「承諾」の語は用い難いところです。また,フランス民法894条で受贈者が受けるものである「それ」は,生前贈与ということになるようです。)。

梅謙次郎は「贈与(○○)Donatio, donation, Schenkung)ノ性質ニ付テハ古来各国ノ法律及ヒ学説一定セサル所ニシテ或ハ之ヲ契約トセス遺贈ヲモ此中ニ包含セシムルアリ或ハ贈与ヲ以テ贈与者ノ単独行為トシ受贈者ノ承諾ナキモ既ニ贈与ナル行為ハ成立スルモノトスルアリ」と述べていますが(梅謙次郎『訂正増補第30版 民法要義巻之三 債権編』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)462頁),これは実はフランス民法のことだったのでしょうか。

 

(5)コンセイユ・デタ

ここで,小樽商科大学ウェブ・サイトの「民法典に関するコンセイユ・デタ議事録(カンバセレス文庫)」を検すると,フランス民法894条の原案は,共和国11雨月(プリュヴィオーズ)7日(1803127日)に“La donation entre-vifs est un contrat par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement en faveur du donataire, de la propriété de la chose donnée.”(生前贈与は,それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,受贈者のために,被贈与物の所有権を委棄する契約である。)という形でビゴー・プレアムヌ(Bigot-Préameneu)からコンセイユ・デタ(国務院)に提出されており,同条に関する審議に入った劈頭ボナパルト第一執政閣下から「契約(contrat)っていうものは両当事者に相互的な負担を課するものだろう。よって,この表現は贈与にはうまく合わないようだな。」との御発言があり,ベレンジェ(Bérenger)があら捜しに追随して「この定義は,贈与者についてのみ述べて受贈者については述べていない点において不正確ですな。」と述べ,続いてルグノー(Regnaud)がそもそも定義規定は不必要なんじゃないのと言い出して法典における定義規定の要不要論に議論は脱線しつつ,その間トロンシェ(Tronchet)は「贈与及び遺言を定義することによってですな,我々は各行為に固有の性質を示そうとしており,そしてそこから両者を区別する相違点を引き出そうとしているのですよ。ここのところでは,両者を分かつ性質は,撤回可能性と不可撤回性ですな。」と指摘し,他方マルヴィル(Maleville)は「もし定義規定が必要であると判断されるのなら,贈与は“un acte par lequel le donateur se dépouille actuellement et irrévocablement d’une chose, en faveur du donataire qui l’accepte.”(それによって贈与者が現在において,かつ,不可撤回的に,それを受ける受贈者のために,ある物を委棄する行為である。)と定義できるのではないですか。」と,第一執政閣下の御指摘及びベレンジェ議員のいちゃもんを見事に取り入れた現行フランス民法894条の文言とほぼ同じ文言の案を早くも提示していたところですが,その場での結論は,一応,「同条は,「契約」(contrat)の語を「行為」(acte)の語に差し替えて,採択された。」ということでした。(Tome II, pp.321-323

 なお,ベレンジェが受贈者についての規定が必要だと言ったことの背景には,「生前贈与は,それによって,それを受諾する者がその条件を満たすべき義務を負う行為である。」,「また,全ての生前贈与は,相互的に拘束するもの(engagement réciproqueと観念されるので,与える者及び受諾する者の両当事者が関与することが不可欠である。このことは,宛先人が知っておらず,又は合意していないときは,恵与は存在するものとはなおみなされないものとするローマ法にかなうことである。」及び「全ての贈与について受諾は不可欠の要件であるので,それは明確な言葉でされることが求められる。」という認識がありました(カンバセレス文庫Ⅱ, p.804。共和国11花月(フロレアル)3日(1803423日)にコンセイユ・デタに提出された,立法府のための法案理由書)。正にフランス法では,「受贈者は贈与者に対して感謝の義務を負う。これは単なる精神的義務ではなく,〔略〕忘恩行為(ingratitude)は,一定の場合には贈与取消の制裁を蒙る」ところです(山口526-527頁)。

 

第6 旧民法及びボワソナアド原案

 

1 旧民法

また,民法549条がその体裁に従うべき条文としては,フランス民法894条よりもより近い先例(というより以前にそもそもの改正対象)として,旧民法の関係規定があったところです。梅は,民法549条の参照条文として,旧民法財産取得編349条及び358条を掲げています(梅462頁)。当該両条は,次のとおり。

 

  第349条 贈与トハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ移転スル要式ノ合意ヲ謂フ

 

  第358条 贈与ハ分家ノ為メニスルモノト其他ノ原因ノ為メニスルモノトヲ問ハス普通ノ合意ノ成立ニ必要ナル条件ヲ具備スル外尚ホ公正証書ヲ以テスルニ非サレハ成立セス

   然レトモ慣習ノ贈物及ヒ単一ノ手渡ニ成ル贈与ニ付テハ此方式ヲ要セス

 

2 ボワソナアド原案

旧民法に先立つボワソナアド原案の第656条は,次のように贈与を定義しています(Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, nouvelle édition, Tome Troisième, des Moyens d’Acquérir les Biens. (Tokio, 1891) p.170)。

 

Art. 656.   La donation entre-vifs est une convention par laquelle le donateur confère gratuitement ou sans équivalent, au donataire qui accepte, un droit réel ou un droit personnel; [894.]

Elle peut consister aussi dans la remise ou l’abandon gratuit d’un droit réel du donateur sur la chose du donataire ou d’un droit personnel contre lui.

  (第656条 生前贈与は,贈与者が,承諾をする受贈者に対して物権又は債権を無償又は対価なしに与える合意である。(フランス民法894条参照)

  ( 受贈者の物を目的とする物権又は同人に対する債権に係る無償の免除又は放棄もまた生前贈与とすることができる。)

 

ボワソナアドは,贈与を典型契約又は有名契約(contrat nommé)の一とし,「既に何度も言及された全ての法律効果,すなわち,物権又は債権の設定又は移転,変更又は消滅を生じさせることのできる唯一の無償合意(convention gratuite)である。これだけの可能な射程(étendue possible)を持つ他の契約は,有償である。もちろんなお他にも,使用貸借,寄託,委任のような無償又は無約因の契約が存在するが,それらは債権を生じさせるのみである。」と述べています(Boissonade III, p.172)。

ボワソナアド原案656条の解説は,次のとおり(Boissonade III, pp.172-173)。

 

   法は,生前贈与の定義から始める。その性質は,遺言とは異なり,合意(convention),すなわち意思の合致(un accord de volontés)である。疑いもなく,〔略〕人は自分の意思に反して受遺者となることはできない。しかし,遺贈は,受諾される(accepté)前に存在するのである。すなわち,受遺者は,それと知らずに,拒絶することなく取得するのである。他方,受贈者は,彼が欲する場合であって彼が欲する時にのみ取得するのである。すなわち,彼の承諾(acceptation)は,当該法律行為(l’acte)の成立自体(la formation même)のために必要なのである。

   フランスでは,法は明確な受諾(acceptation)を求めている(フランス民法894条及び932条)。感謝のためのものではない場合においては,その性質からして,受贈者を義務付けるものではないそのような行為〔生前贈与〕というものには驚かされ得るところである。

   ここで条文は,承諾(acceptation)を求めているが,それ以上の具体的な規定は無い。すなわち,この承諾(acceptation)に要式的かつ明確な性格を与えることが適当であると判断されるのならば,贈与の方式について規定するときにそのことについての説明が必ずやされるであろう。

   当該定義は更に,贈与は利益を無償で〔下線部は原文イタリック〕与えるものであると我々に述べ,かつ,その文言が不確定性を残さないように,別の概念である「対価なしに」によって説明がされている。

   贈与者が受贈者に与えることのできる多様な利益が,同条の文言によって明らかになるようにされている。次のようなものである。

1に,物に係る物権。すなわち,所有権,用益権,使用権,地役権。

2に,債権(droit personnel)又は贈与者が債務者となり受贈者が債権者となる債権(créance)。

3に,贈与者が受贈者の物について有する用益権,使用権又は地上権のような物権の受贈者への移転(remise〔筆者註:これで当該物権は混同で消滅するはずです。〕又は放棄(abandon)。

4に,贈与者が受贈者に対して有していた債権についての受贈者の債務を消滅させる免除(remise)。

法は,これまで既に論ぜられた種々の区別,すなわち,まず特定物の所有権と種類物ないしは定量物の所有権との間の区別,及び次に作為債務と不作為債務との間の区別について再論する要を有しない。より特殊な事項であることから遺贈については再掲することが必要であると解されたこれらの区別は,合意が問題になっているところであるから,ここでは問題にならない。

 

第7 穂積陳重原案の背景忖度

 

1 不要式契約

 現行民法では,贈与は公正証書によることを要する要式契約ではありませんから(旧民法財産取得編3581項対照),旧民法財産取得編349条からその要式性を排除することとして条文を考えると「贈与トハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ移転スル合意ヲ謂フ」となります。

 

2 「移転スル」から「与える」へ

旧民法財産取得編349条では財産を「移転スル」こととなっていますが,現行民法549条では財産を「与える」ことになっています。これは,現行民法の贈与には,財産権の移転のみならず,財産権の設定等も含まれているからでしょう(なお,穂積陳重は「財産」について「物質的ノ権利ニシテ民法ニ認メラレテ居ル所ノ即チ物権,債権ノ全部ヲ含ム積リナノテアリマス」と述べています(民法議事速記録25141丁表)。)。いわく,「例ヘハ無償ニテ所有権,地上権,永小作権等ヲ移転若クハ設定スルハ勿論新ニ債権ヲ与ヘ又ハ既存ノ債権ノ為メニ無償ニテ質権,抵当権等ヲ与フルモ亦贈与ナリ之ニ反シテ相手方ノ利益ノ為メニ物権又ハ債権ヲ抛棄シ又ハ無利息ニテ金銭ヲ貸与シ其他無償ニテ自己ノ労力ヲ他人ノ用ニ供スル等ハ皆贈与ニ非ス」と(梅464頁)。

 

3 「合意」から「意思を表示し,相手方が受諾をする」へ

 

(1)民法549条の「趣旨」

 民法549条と旧民法財産取得編349条との相違は,更に,後者では単に「・・・合意ヲ謂フ」としていたところが前者では「・・・意思を表示し,相手方が受諾をすることによって,その効力を生ずる。」となっているところにあります。民法549条の趣旨は,穂積陳重によれば「贈与ノ効力ヲ生スル時ヲ定メマシタノテアリマス」,「本案ハ受諾ノ時ヨリ其効力ヲ生スルト云フコトヲ申シマシテ一方ニ於テハ此契約タル性質ヲ明カニ致シ一方ニハ何時カラシテ其効力ヲ生スルカト云フコトヲ示シタモノテアリマス」ということとなります(民法議事速記録25139丁表及び裏)。

しかし,贈与が契約であることは,贈与について規定する民法549条から554条までは同法第3編第2章の契約の章の第2節を構成しているところ,その章名からして明らかでしょう。更に,契約の成立については契約に係る総則たる同章の第1節中の「契約の成立」と題する第1款で既に規定されており(申込みと承諾とによる。),かつ,契約の効力の発生時期については,「契約上の義務は,一般に,特に期限の合意がない限り,契約成立と同時に直ちに履行すべきものである」ので(『増補民事訴訟における要件事実第1巻』(司法研修所・1986年)138頁),特殊な性質の契約でない限り,これらの点に関する規定は不要でしょう(民法549条は,これらの原則を修正するものではないでしょう。)。すなわち,筆者としては,穂積陳重のいう民法549条の前記趣旨には余り感心しないところです。

(2)民法550条との関係

 単純に考えれば,民法549条の原案は,「贈与ハ当事者ノ一方カ無償ニテ他ノ一方ニ自己ノ財産ヲ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」ないしは「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」でよかったように思われます(終身定期金契約に係る同法689条参照)。

 しかし,民法550条(「書面によらない贈与は,各当事者が解除をすることができる。ただし,履行の終わった部分については,この限りでない。」)があって書面によらない贈与の拘束力は極めて弱いものになっていますので(同条について梅は「本条ハ贈与ヲ以テ要式契約トセル学説ノ遺物」であると指摘しています(梅464頁)。),他の典型契約同様の「約ス」という言葉では贈与者に対する拘束が強過ぎるものと思われたのかもしれません。そこで「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示スルコトニ因リテ其効力ヲ生ス」としてみると,今度は単独行為のようになってしまう。で,単独行為ではなく契約であることをはっきりさせるために「贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示シ其相手方カ之ヲ承諾スルニ因リテ其効力ヲ生ス」とすると,お次はあるいは民法643条の委任の規定(受任者の「承諾」をいうもの)との関係で面白くない。同じ「承諾」であるのに,受任者は債務を負うのに受贈者は債務を負わないというのは変ではないか。ということで「受諾」の語を持って来たということはなかったでしょうか。

 と以上のように考えると一応もっともらしいのですが,第81回法典調査会において穂積陳重がそのような説明をせずに混乱してしまっているところからすると,違うようではあります。また,あえてフランス民法的発想を採るならば「全ての生前贈与は,相互的に拘束するもの」となるのですから,受贈者は何らの義務も負わないから「承諾」ではなく「受諾」なのだともいいにくいでしょう。

 それともあるいは民法550条との関係で,「承諾」であると契約が確定してしまうので,暫定的合意である場合(書面によらない贈与の場合)もあることをば示すために「受諾」ということにしたものか(梅によって「嫌ヤナ事ヲ承諾スル」と言われた際の「嫌ヤナ事」とは,この確定性を意味するのでしょうか。)。その上で,「暫定的合意であることを示すものです」と言ってしまうと,暫定的合意たる民法549条の贈与(書面によらないもの)は果たして契約か,また,要物契約だということになるとまだ契約は成立していないことになるのではないか云々ということで議論が面倒臭くなるので,「詰マリ感覚テアリマスナ」という,説明にならない説明的発言に留めたものであったのでしょうか。

穂積陳重は,第81回法典調査会で民法550条の原案(「贈与ハ書面ニ依リテ之ヲ為スニ非サレハ其履行ノ完了マテハ各当事者之ヲ取消スコトヲ得」)に関し「書面ナラバモウ完全ニ贈与契約ハ成立ツ」(民法議事速記録25146丁裏-147丁表)とは言いつつも,「書面テナクシテ口頭又ハ其他ノ意思表示ニ依テ為シタ贈与契約ハ如何ナモノテアルカ」という問題については,要式性を前提とする外国の法制における例として,①「此贈与契約ト云フモノハ成立タヌノテアル総テ成立タタヌノテアル手渡シヲシタナラバ之ヲ取返ヘスコトハ出来ヌ」とするもの〔筆者註:フランスでは,要式性の例外として,現実の手渡しによる現実贈与(don manuel)の有効性が判例で認められていますが,「しかし,現実の引渡が必要であるという要件から,現実贈与の約束なるものには効力を認めていない」そうです(柚木=高木28頁(柚木=松川))。この場合,必要な方式を欠くために無効である約束に法的に拘束されているものと誤信してされた出捐の履行は,非債弁済と観念され得るようです(Vgl. Motive zu dem Entwurfe eines Bürgerlichen Gesetzbuches für das Deutsche Reich, Bd. II (Amtliche Ausgabe, 1888) S.295.)。(註1並びに②「手渡ヲ以テ之ニヤツタトキニ於テハ其前カラ効力カアルト云フコトニナツテ居ル」もの及び③「前ニハ丸テ効力ガナカツタノテアルガ後トカラシテ其缺点ヲ補フト云フヤウナコトニナツテ居ル」もの〔筆者註:ドイツ民法5182項は„Der Mangel der Form wird durch die Bewirkung der versprochenen Leistung geheilt.“(方式の欠缺は,約束された給付の実現によって治癒される。)と規定しています。〕があると紹介した上で,「兎ニ角何時カラ契約トシテ成立ツカト云フコトハ能ク明カニナツテ居ラヌ」との残念な総括を述べ,更に旧民法〔財産取得編3582項〕について「此単一ノ手渡ニ為ル贈与ト云フコトハ贈与ノトキニ直クニ手渡ヲスルト云フコトテアラウト思ヒマス永イ間口頭ノ贈与ト云フモノガ成立ツテ居ルト云フコトテハアルマイト思フ」〔同項後段〕,「此慣習ノ贈物ト云フコトモ其範囲ガ明カテアリマセヌ」〔同項前段〕との解釈を語った上で,「夫故ニ書面ニ依ラナイモノハ兎ニ角贈与トシテ成立ツケレドモ其履行ノ完了ガアリマスルマテハ取消スコトガ出来ル」と述べるに留まっています(民法議事速記録25147丁表及び裏)。これはあるいは,方式を欠く贈与契約の拘束力欠如を前提とした上で,当該契約を無効としつつもその履行結果は是認することとした場合の法律構成の難しさを避けるために,契約は「兎ニ角」有効としつつ,拘束力の欠如をいう代わりに「取消し」の可能をいうことをもって置き換えたということでしょうか。この「取消し」の可能性は強行規定であって,弟の八束との兄弟対決において陳重は「書面ニ依ラスシテ取消サレヌ契約ヲ為スト云フヤウナ風ノコトハ許サナイ積リテアリマス」と述べています(民法議事速記録25169丁裏)。〔筆者註:なお,米国では,“Because a gift involves no consideration or compensation, it must be completed by delivery of the gift to be effective. A gratuitous promise to make a gift is not binding.”ということになっているそうです(Smith et al., pp.1109-1110)。「英米法では捺印証書による贈与の場合にも特定履行を請求しえない」(来栖三郎『契約法』(有斐閣・1974年)235頁)。〕

また,穂積陳重の原案では「其履行ノ完了マテハ」当該贈与契約全体を取り消し得ることになっていましたが,第81回法典調査会での議論を経て出来上がった民法550条では「履行の終わった部分」以外の部分に対象が限定されてしまっています。これは,履行が終ったという事実の重みの方が優先されて,書面によらない贈与についてその諾成契約としての単位(契約の「取消し」は,その契約を単位としてされるべきものでしょう。)を重視しないということでしょう。当該修正も,書面によらない贈与も契約であるとの性格付けの意義を弱めるものでしょう。

我妻榮は,書面によらない贈与を「不完全な贈与」と呼んでいます(我妻Ⅴ₂230頁)。

 さてここまで来て不図気付くには,平成29年法律第44号による民法550条の改正が問題になりそうです。当該改正については,「旧法第550条本文は,各当事者は書面によらない贈与を「撤回」することができると定めていたが,ここでの「撤回」は契約の成立後にその効力を消滅させる行為を意味するものであった。もっとも,民法の他の条文ではこのような行為を意味する用語としては「解除」が用いられていることから,新法においては,民法中における用語の統一を図るため,「撤回」を「解除」に改めている(新法第550条本文)。」とされています(筒井=村松264頁)。しかしこれは,書面によらない贈与も堂々たる完全な普通の契約であることを前提とするものでしょう。すなわち,平成16年法律第147号による民法改正の結果として「意思表示に瑕疵があることを理由としないで契約の効力を消滅させる行為を意味する語として,「解除」と「撤回」が併存することとなったが」,用例を調べると,「この意味での撤回は同〔550〕条においてのみ用いられ」,「他方で,「撤回」の語については,同法第550条を除けば,意思表示の効力を消滅させる意味で用いられている」から,贈与という契約の効力の消滅に係るものである同条の「撤回」を「解除」に改めるということでした(法制審議会民法(債権関係)部会資料84-3「民法(債権関係)の改正に関する要綱案の原案(その1)補充説明」(20141216日)15頁)。一人ぼっちの550条を,「撤回」の仲間から省いて,「解除」の大勢に同調させようというわけです。20141216日の法制審議会民法(債権関係)部会第97回会議では,中田裕康委員から「これ自体は十分あり得ると思います。それから,要物契約が諾成化されたことに伴う引渡し前の解除という制度とも,恐らく平仄が合っているんだろうなとは思いまして,これでいいのかなという気もします。」と評されています(同会議議事録36頁)。(なお,当該改正は,深山雅也幹事にとって思い入れの深い,永年の懸案事項であったようで,次のような同幹事の発言があります。いわく,「今の「贈与」の点です。撤回を解除に変えるということについて,私はこの部会の当初,議論が始まった頃に,解除の方がいいのではないかという趣旨で,撤回という用語はあまりよくないということを申し上げた記憶があります。そのときは,ここは〔平成〕16年改正で変えたばかりなんだという御指摘を頂いて一蹴されて残念な思いをした覚えがあって,それで諦めていたところ〔筆者註:同部会第16回会議(20101019日)議事録6頁及び10頁参照〕,この土壇場で敗者復活したことについて非常に喜ばしく思っています。」と(同部会第97回会議議事録36頁)。ここで,「敗者復活」というのは,当該改正は,2014826日の民法(債権関係)の改正に関する要綱仮案には含まれていなかったからです。「この土壇場で」というのは,何やら,どさくさ紛れにという響きもあって不穏ですが,無論そのようなことはなかったものでしょう。)

 これに対して,民法549条において承諾ならぬ「受諾」の語にあえて固執した民法起草者らが,更に同法550条においては解除ならぬ「取消し」の語(同条の「解除」は,最初は「取消し」でした。「取消し」が「撤回」となったのは前記の平成16年法律第147号による改正の結果でした。ちなみに,富井=本野のフランス語訳では,民法550条の「取り消す」は“révoquer”,総則の「取り消す」は“annuler”,契約を「解除する」は“résilier”です。)をわざわざ用いたのは,彼らの深謀遠慮に基づくものではなかったと果たしていってよいものかどうか。(フランス民法的伝統の影をいうならば,生前贈与は契約にあらずとの前記ナポレオン・ボナパルト発言の重み及び贈与と遺贈との恵与(libéralités)としての統一的把握が挙げられるところです(「受諾」の語との関係で出て来た民法旧1217号及び旧142号は,いずれも贈与と遺贈とを一括りにする規定でした。また,「撤回」の語が示すものは,旧民法において「言消」(rétractation)又は「廃罷」(révocation)と呼称されたものを含んでいますが,旧民法においては廃罷は銷除,解除(註2その他と共に義務の消滅事由の一つとされ(旧民法財産編4501項),贈与及び遺贈についてはその廃罷に係る規定があったところです(旧民法財産取得編363条から365条まで並びに399条から403条まで及び405条)。)。)

 とはいえ,外堀が埋まりつつあるようにも思われます。民法549条の「受諾」の語は,早々に「承諾」に置き換えられるべきもの歟,それともなお保存されるべきもの歟。


 

  (註1)ドイツ民法第一草案の第440条は贈与契約の要式性を定めてその第1項は「ある者が他の者に何物かを贈与として給付する旨約束する契約は,その約束が裁判手続又は公証手続に係る方式で表示された場合にのみ有効である。(Der Vertrag, durch welchen Jemand sich verpflichtet, einem Anderen etwas schenkungsweise zu leisten, ist nur dann gültig, wenn das Versprechen in gerichtlicher oder notarieller Form erklärt ist.)」と規定し,続く同草案441条は「譲渡によって執行された贈与は,特別な方式の履践がない場合であっても有効である。(Die durch Veräußerung vollzogene Schenkung ist auch ohne Beobachtung einer besonderen Form gültig.)」と規定しています。

   上記両条の関係について,第一草案理由書は,次のように説明しています(S.295)。ドイツ人は,理窟っぽい。

 

    第440441条の両規定は,自立しつつ並立しているものである。それらの隣接関係は,方式を欠く(受諾された(akzeptirten))贈与約束(Schenkungsversprechen)から,訴求不能ではあるものの,しかし履行のために給付された物の返還請求は許されない義務(自然義務(Naturalobligation))が発生すること,又は贈与約束の方式違背から生ずる無効性が執行によって治癒されることを意味するものではない。反対に,方式を欠き,又は方式に違背する贈与約束は,無効であり,かつ,執行によって事後的に治癒せられるものでもないのである。贈与者が,方式に違背し,したがって無効である契約の履行に法的に拘束されているという錯誤によって(solvendi causa(弁済されるべき事由により))給付した場合においては,第441条の意味において執行された贈与ではなく,存在するものと誤って前提された拘束力の実現があるだけである。したがって,存在しない債務(Nichtschuld)に係る給付に基づく返還請求に関する原則の適用がみられることになる。この結論は,反対の規定が欠缺しているところ(in Ermangelung entgegenstehender Bestimmungen),一般的法原則自体から生ずるものである〔略〕。このような場合,事実行為は,草案の意図するところにおいて譲渡によって執行された贈与である,との外観を有するだけである。贈与として給付されたのではなく,むしろ,animo solvendi(弁済する意図で)されたものである。すなわち,有効な贈与約束の履行も,即自的にはそれ自体は贈与ではなく,存在する拘束力の実現であるがごとし,なのである。しかしながら,贈与者が,有効ではない贈与約束を見逃して(unter Absehen von dem ungültigen Schenkungsversprechen),ないしはその無効性の認識の下で(in Kenntnis von der Nichtichkeit des letzteren),贈与として給付すると約束したその物をanimo donandi(贈与する意図で)給付したときは,別様に判断される。そのときには,第441条によって有効な,独立の財産出捐が,すなわち,新しい,しかも執行済みの贈与が存在するのである。仮に,無効な約束がその動機をなしていたとしても,そうである。この法律関係は,先立つ約束なしに贈与者が直ちに「譲渡によって」受贈者に対してanimo domandi(贈与する意図で)贈与を執行する,かの場合と同一である。したがって,第441条の規定は,既存の(方式を欠く,又は方式に違背した)贈与約束を前提とするものでは全くないのである。それは,贈与者が既存の(無効な)約束を見逃して,又は先立つ約束なしに,被贈与物に応じた事実行為をもって贈与を執行したときに適用されるのである。



 (註
2)「解除」,「銷除」及び「廃罷」の使い分けについて,ボワソナアドは次のように説明しています(Boissonade II, pp.861-862)。

 

    慣用及び法律は,事実既に長いこと,「解除(résolution)」の語を,当該契約の成立後に生じた事情に基づく契約の廃棄(destruction)――ただし,合意又は法によってあらかじめ当該効果が付されている契約についてである――について使用するものと認めている。また,“résiliation”の語も,同じ意味で,特に賃貸借について,また場合によっては売買について,慣用に倣って法律において時に用いられる。「銷除(rescision)」の語は,〔略〕その成立における意思の合致(consentement)の瑕疵又はその際の無能力の理由をもって契約が廃棄される場合に用いられる。最後に,「廃罷(révocation)」の語は,まずもって,かつ,最も正確には,契約当事者が「その言葉を撤回する(retire sa parole)」,すなわち,譲渡した物を取り戻す(reprend ce qu’il a aliéné)場合に用いられる。特に,贈与の場合において,受贈者が忘恩的であり,又は課された負担の履行を欠くときである(フランス民法953条以下参照)。〔略〕

    「廃罷」の語は,また,債務者がした債権者の権利を詐害する譲渡又は約束を覆すためにされる債権者の訴訟(action)について用いられる。〔後略〕

 

  

 


  

 
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第1 申込みと承諾とによる契約の成立

 民法(明治29年法律第89号)の第5221項は,202041日から平成29年法律第44号の施行(同法附則1条及び平成29年政令第309号)によって新しくなって,「契約は,契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示(以下「申込み」という。)に対して相手方が承諾をしたときに成立する。」と規定しています。当該新規定の効能は,「契約は契約の申込みとこれに対する承諾によって成立するとの一般的な解釈を明文化するとともに,契約の「申込み」の定義を明文で定めている」ところにあるそうです(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)214頁)。

 契約の内容が示されるのは申込みにおいてなので,「承諾」は,「申込をそのまま承諾する必要があり」ます(内田貴『民法Ⅱ 債権各論』(東京大学出版会・1997年)31頁)。「このように,申込をあたかも鏡のように反映した内容で承諾しなければならないという原則は,アメリカではミラーイメージ・ルールと呼ばれている」そうです(同頁)。“An acceptance must be positive and unequivocal. It may not change any of the terms of the offer, nor add to, subtract from, or qualify in any way the provisions of the offer. It must be the mirror image of the offer.”ということになります(Len Young Smith, G. Gale Robertson, Richard A. Mann, and Barry S. Roberts, Smith and Robertson’s Business Law, Seventh Edition, St. Paul, MN (West Publishing, 1988), p.194)。「承諾者が,申込みに条件を付し,その他変更を加えてこれを承諾したときは,その申込みの拒絶とともに新たな申込みをしたものとみなす」ものとされます(民法528条)。

 

第2 贈与契約の冒頭規定(民法549条)における受贈者の「受諾」との文言

 さて,申込みと承諾とによる契約の成立に係る前記のような予備知識を几帳面にしっかり学んだ上で,我が民法における13の典型契約の筆頭たる贈与契約に係る冒頭規定を見ると,いきなりいささか混乱します。承諾であるものと通常解されるべきであろう行為について,なぜか「受諾」という語が用いられているからです。

 

   (贈与) 

  第549条 贈与は,当事者の一方がある財産を無償で相手方に与える意思を表示し,相手方が受諾をすることによって,その効力を生ずる。〔下線は筆者によるもの〕

 

 なお,同条は,平成29年法律第44号による改正前は次のとおりでした。

 

   (贈与)

  第549条 贈与は,当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し,相手方が受諾をすることによって,その効力を生ずる。〔下線は筆者によるもの〕

 

それまでの民法549条を平成29年法律第44号によって改正した趣旨は,「旧法第549条は,文言上,贈与は「自己の財産」を無償で与えるものとしていたが,判例(最判昭和44131日)は,他人の物を贈与する契約も有効であると解していたことから,同条の「自己の財産」を「ある財産」に改めている(新法第549条)」ものだそうです(筒井=村松264頁)。

 平成16年法律第147号による200541日からの改正(同法附則1条及び平成17年政令第36号)前の民法549条は次のとおりでした。

 

  第549条 贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示シ相手方カ受諾ヲ為スニ因リテ其効力ヲ生ス

 

なお,契約が申込みと承諾とにより成立することに関して指摘されるべき民法549条の文言の不自然性については,次のように説くものがあります。いわく,「贈与は契約(●●)である。申込をするのが贈与する者(贈与者)で,承諾(ママ)をするのが贈与を受ける者(受贈者)であることを必要とするのではない(549条の文字はそう読めるが,普通の場合のことをいつているだけのことである)。然し,とにかく,当事者の合意を必要とする」と(我妻榮『債権各論 中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1973年)223)。しかし,承諾であるべきものが,なぜ法文では「受諾」と呼ばれて「承諾」ではないのかについては,やはりここでも触れられてはいません。(ちなみに,贈与者から申込みがされる場合を普通の場合とする我妻榮先生は,「ねぇ,あれちょうだい,これちょうだい」と受贈者側からおねだり(申込み)をされたことはなかったもの歟。なお,申込みをする側と承諾をする側とが固定されてあるべき場合があることについては,「陰神乃先唱曰,妍哉,可愛少男歟。陽神後和之曰,妍哉,可愛少女歟。遂為夫婦」であれば残念ながら「生蛭児」であって「便載葦船而流之」ということになったが,やり直して「陽神先唱曰,妍哉,可愛少女歟。陰神後和之曰,妍哉,可愛少男歟。然後同宮共住」と正せば「而生児,号大日本豊秋津洲」となった,との日本書紀の記述(巻第一神代上・第4段一書第一)を御参照ください。)

「承諾」の語は,申込みに対する意思表示について用いられるのであって(申込みのいわば外側で使用される。),申込みにおいて示される契約の内容を民法において記述する際には用いられず(申込みのいわば内側においては使用されない。),当該記述のためには,「承諾」ではなくて「約する」とか「受諾」の語が用いられるのだ,という説明も考えてみました。しかし,委任に係る民法643条は,契約の内容を示す際に「承諾」の語を用いており(「委任は,当事者の一方が法律行為をすることを相手方に委託し,相手方がこれを承諾することによって,その効力を生ずる。」),うまくいきません。しかも,旧民法財産取得編(明治23年法律第28号)230条では「代理ハ黙示ニテ之ヲ委任シ及ヒ之ヲ受諾スルコトヲ得」と「受諾」の語を用いていたものが,民法643条ではきちんと「承諾」に改められているところです。

 

第3 法典調査会における議論

 

1 第81回法典調査会

 

(1)原案

民法549条は,1895426日の第81回法典調査会に提出された原案においては次のとおりの文言でした(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第25巻』138丁裏)。

 

 第548条 贈与ハ当事者ノ一方カ自己ノ財産ヲ無償ニテ相手方ニ与フル意思ヲ表示シ其相手方カ之ヲ受諾スルニ因リテ其効力ヲ生ス

 

(2)箕作麟祥の質疑

やはり似たようなことを考える人がいるもので,筆者と同様の疑問を,第81回法典調査会における審議の際箕作麟祥委員が担当起草委員の穂積陳重に対してぶつけ,両者(及び梅謙次郎)の間で次のような問答が交わされます(民法議事速記録25141丁裏-142丁裏)。

 

 箕作麟祥君 一寸詰マラヌコトテアリマスガ伺ヒマスガ此「(ママ)諾」ト云フ字テアリマスガ是ハ前ノ申込ノ所ニアルヤウナ承諾ト云フ文字ノ方ガ当リハシナイカト思ヒマスガ何ウテアリマセウカ夫カラ「相手方カ之ヲ」ト云フコトガアリマスガ此「之ヲ」ハ何ヲ受諾スルノテアリマスカ

 穂積陳重君 「受諾」ノ字ハお考ノ通リ「承諾」ノ方カ全体本統カモ分リマセヌガ贈与丈ハ何ンダカ「受諾」ト申ス方カ宜イヤウナ心持テアリマシテ屢々使ヒマス例ヘハ第15条ノ第7号ニモ「遺贈若クハ贈与ヲ拒絶シ又ハ負担附ノ遺贈若クハ贈与ヲ受諾スルコト〔平成11年法律第149号による改正前の民法1217号は,準禁治産者がそれを行うには保佐人の同意を要する行為として「贈与若クハ遺贈ヲ拒絶シ又ハ負担附ノ贈与若クハ遺贈ヲ受諾スルコト」を掲げていました。〕夫レカラ第17条ノ第7号ニモアリマス贈与若クハ遺贈ヲ受諾シ又ハ拒絶スルコト〔昭和22年法律第222号で削除される前の民法142号は,妻がそれを行うには夫の許可を要する行為として「贈与若クハ遺贈ヲ受諾シ又ハ之ヲ拒絶スルコト」を掲げていました。〕」何ンタカ事ヲ諾フノテ承知シタト云フヨリ受ケル方カ宜イヤウナ心持テ是迄使ヒ来ツテ居ツタノテスカ・・・

  箕作麟祥君 夫レハ承知シテ居リマスガ夫レハマダ練レヌ中ノ御案テ・・・

  穂積陳重君 今度モ吾々ノ中テ考ヘテ見マシタガ贈与ト云フト此方カ宜イヤウニ思ヒマス夫レカラ「之ヲ」ト云フコトハ其前ノ事柄ヲト云フ意味ノ積リテアリマシタガ或ハ充分テナイカモ知レマセヌ

  箕作麟祥君 意思ヲ表示シタ事柄ヲ受諾スルト云フノテアリマスカ

  穂積陳重君 ソウテアリマス

  箕作麟祥君 事柄ト云フト可笑シクハアリマセヌカ事柄ト云フナラハ尚ホ「承諾」ト云フ方カ宜イヤウニ思ヒマスガ然ウ云フ理由カアルナラハ強テ申シマセヌガ尚ホ一ツ御一考ヲ願ヒタイモノテアリマス

  梅謙次郎君 詰マリ感覚テアリマスナ

  穂積陳重君 夫レハモウ然ウナツテモ一向差支ヘナイノテス,マア一度考ヘテ見マセウ

 

箕作麟祥が「是ハ前ノ申込ノ所ニアルヤウナ承諾ト云フ文字ノ方ガ当リハシナイカト思ヒマスガ何ウテアリマセウカ」と法典の整合性論で攻めて来たのに対し,穂積陳重は「「受諾」ノ字ハお考ノ通リ「承諾」ノ方カ全体本統カモ分リマセヌガ」及び「夫レハモウ然ウナツテモ一向差支ヘナイノテス」と,箕作の正しさを認めたような形でたじたじとなっています。そこに梅謙次郎が――自分たちの原案擁護のためでしょうが――口を挟んでいるのですが,「詰マリ感覚テアリマスナ」とはいかにも軽い。(「感覚」で済むのなら,世の法律論議は気楽なものです。)真面目に議論している箕作は,あるいはむっとなったものかどうか。同席していた富井政章などは,はらはらしたのではないでしょうか。

 

 〔自信力というものが非常に強かったことのほか,梅謙次郎の〕第2の欠点は,会議などには時時言葉が荒過ぎた,少し物を感情に持つ人は敬礼を失すると云ふやうな非難が時時あつた。私なども度度遭遇したのである(東川徳治『博士梅謙次郎』(法政大学=有斐閣・1917年)219-220頁(「富井政章氏の演説」))

 

(3)横田國臣の意見

 また,第81回法典調査会における穂積陳重案548条の議論の最後に,横田國臣委員が次のように発言しています(民法議事速記録25144丁表)。

 

  横田國臣君 文字ノコトテアリマスカラ,モウ別ニ私ハ主張ハ致シマセヌガ此「其相手方」ト云フ「其」ト云フ字ハ要ルマイト思フノテス「当事者ノ一方カ」トアルカラナクテモ宜カラウト思フ夫レカラ「之ヲ」ト云フ字モ要ルマイト思フノテゴザイマス指スノモ其事柄ト云フ位テアルカラナイ方カ宜カラウ是ハ唯整理ノトキノ御参考ニ申シテ置キマス

 

2 第11回民法整理会

 

(1)梅謙次郎の説明

 前記議論の結末は,18951228日の法典調査会第11回民法整理会において,結局次のようになりました(日本学術振興会『法典調査会民法整理会議事速記録第4巻』68丁裏-69丁裏)。

 

  梅謙次郎君 之ハ当時横田さんカラ御注意カアツテ「其相手方」ト言フト上ニ「相手方」トアルカラ「其相手方」,「其相手方」カ一向分ラヌ当事者ノ一方ノ相手方ナラハ前ニ付テ居ル斯ウ云フ可笑シナ書キヤウハナイ「之ヲ」ト言フト「之ヲ」カ,トウモ何ヲ受ケテ居ルノカ意思ヲ受諾スルノテモナカラウ余程可笑シナ文字タカラ能ク考ヘテ置テ呉レト云フコトテアリマシタ之モ退テ考ヘテ見マスルト成程文章カ悪ルイ,ソレテ「相手方カ受諾ヲ為スニ因リテ」トシマシタ序テニ申シマスカ此「受諾」ト云フ文字ニ付テ箕作先生カラ之ハ既成法典ニモアツタカ可笑シナ字テ「承諾」ト云フヤウナ字ニテモ直シタラ,トウカト云フ御注意カアリマシタ之ニ付テモ相談ヲシマシタカ無論「受諾」ト云フ字テナケレハナラヌト云フコトモナイ「承諾」テモ宜シイ理窟ノ方カラ言(ママ)テモ契約ノ方ニモ「承諾」トアツテ「贈与」モ契約テアルカラ理窟カラ言ツテモ其方カ無論宜シイカ唯タ総則抔ニ「遺贈若クハ贈与ヲ受諾スル」ト云フヤウナ言葉カ使(ママ)テアリマシタカ,サウ云フヤウナトキハ契約テハアルカ大変意思ノ方ニ持ツテ来テ居リマスカラ同シ言葉テ言ヒ顕ハスコトカ出来ル又吾々ノ中テモ貰(ママ)コトヲ承諾スルト云フト嫌ヤナ事ヲ承諾スルト云フヤウニ聞ヘルカラ,ソレテ「受諾」ト言フ方カ宜シイト云ウヤウナ感シテ,ソレテ賛成スル方モアツタヤウテアリマスカラ旁々以テ此儘ニシテ置キマシタ

  議長(箕作麟祥君) ソレテハ547条ハ御発議カナケレハ朱書ニ決シマス〔略〕

 

 ということなのですが,よく理解するためには,なお細かな分析が必要であるようです。

 

(2)梅説明の分析

 

ア 「受諾」の対象(その1):「意思ヲ表示シタ事柄」ではない

「「之ヲ」(),トウモ何ヲ受ケテ居ルノカ意思ヲ受諾スルノテモナカラウ」と横田國臣から注意されて(なお,横田の発言は,前記のとおり,「之ヲ」が「指スノモ其事柄ト云フ位テアル」という認識に基づくものです。),「成程文章カ悪ルイ,ソレテ「相手方カ受諾ヲ為スニ因リテ」トシマシタ」というのですから,穂積陳重原案にあったところの先立つ「之ヲ」を削った民法549条の「受諾」の対象は「意思ヲ表示シタ事柄」ではないことになります。すなわち贈与契約の申込みの内側において表示されている契約の内容の「受諾」ではなく,なおそれとは異なった次元のものの「受諾」なのだということなのでしょう。「意思ヲ受諾スルノテモナカラウ」との疑念を払拭するということであれば,事柄ではなく「意思」が「受諾」の対象となるのでしょう。

 

イ 「受諾」の対象(その2):申込み

しかして,「理窟ノ方カラ言(ママ)テモ契約ノ方ニモ「承諾」トアツテ「贈与」モ契約テアルカラ理窟カラ言ツテモ其方カ無論宜シイ」との発言が続きます。結局民法549条の「受諾」は,贈与契約の申込みたる意思表示に対する承諾だったのかということになります。

ちなみに,富井政章及び本野一郎による1898年出版の我が民法549条のフランス語訳は“La donation produit effet par la déclaration de volonté que fait l’une des parties de transmettre à l’autre un bien à titre gratuit et par l’acceptation de celle-ci.”となっており(Code Civil du l’Empire du Japon Livres I, II et III promulgués le 28 avril 1896(新青出版・1997年)),最後の“celle-ci”“l’autre des parties”たる相手方のことです。この“par l’acceptation de celle-ci”(相手方の受諾により)と対になるのは“par la déclaration de volonté que fait l’une des parties”(当事者の一方がなす意思表示により)ですので,相手方の“l’acceptation”の対象は,「当事者の一方」の「意思表示」であるものと解すべきものでしょう。契約の効力の発生に際しての意思表示に対する“l’acceptation”ということになれば,「承諾」の文字が念頭に浮かぶところです(民法5221項参照)。

 

ウ 旧民法における「言込」及び「受諾」並びに「承諾」

ついでながら,梅は「受諾」の文字は旧民法(「既成法典」)にあったという認識であったようなのでこれについて見てみると,贈与に係る旧民法財産取得編第14編(明治23年法律第98号)349条から367条までには「受諾」の文字はないのですが,旧民法財産編(明治23年法律第28号)3041項の第1は,贈与がその一つである合意(贈与の定義に係る旧民法財産取得編349条参照)の成立要件として「当事者又ハ代人ノ承諾」を掲げ,旧民法3061項は「承諾トハ利害関係人トシテ合意ニ加ハル総当事者ノ意思ノ合致ヲ謂フ」と「承諾」を定義しているところ(総当事者が「承諾」をするのであって,相手方のみが承諾をするのではありません。),遠隔者間において合意を取り結ぶ場合については,「合意ノ言込」及びその「受諾」ということがあるものとされていました(旧民法財産編308条)。

フランス語ではどうかというと,「承諾トハ利害関係人トシテ合意ニ加ハル総当事者ノ意思ノ合致ヲ謂フ」は,“Le consentement est l’accord des volontés de toutes les parties qui figurent dans la convention comme intéressées.”ということで(Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un commentaire, nouvelle édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations. (Tokio, 1891) p.53),「承諾」は“consentement”,また,「言込」は“offre”,「受諾」は“acceptation”となっていました(Boissonade II, p.53-54)。

現行民法の契約の章においては,「言込」が「申込み」に,「受諾」が「承諾」に改められたわけです。契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示を受けた相手方が「受諾」するものとする用語法であれば,旧民法の用語法を引きずったものということになります。

 

エ 民法旧1217号及び旧142項との横並び論

結局,承諾ではあるが「受諾」の文字を使うということであれば,総則の民法旧1217号及び旧142号との横並び論ということになるのでしょうが,これは,犬が尻尾を振るのであれば,尻尾が犬を振ってもいいじゃないか,というような議論であるようにも思われます。贈与に関することはまず贈与の節において決定されるべきであって,総則における用字は,それら各則における諸制度の共通性を踏まえて後から抽象化を経て決定されるべきものでしょう。

そもそも,総則の前記両号があるから贈与について当該両号に揃えたのだ,と言った場合,じゃあ遺贈についてはなぜ同じように当該両号と揃えなかったのかね,という反論が可能でありました。遺贈については,例えば民法旧1089条前段は「遺贈義務者其他ノ利害関係人ハ相当ノ期間ヲ定メ其期間内ニ遺贈ノ承認又ハ抛棄ヲ為スヘキ旨ヲ受遺者ニ催告スルコトヲ得」と規定していたところです(民法現行987条前段参照)。「遺贈義務者其他ノ利害関係人ハ相当ノ期間ヲ定メ其期間内ニ遺贈ノ受諾又ハ拒絶ヲ為スヘキ旨ヲ受遺者ニ催告スルコトヲ得」ではありません。

なお,「契約テハアルカ大変意思ノ方ニ持ツテ来テ居リマスカラ同シ言葉テ言ヒ顕ハスコトカ出来ル」との梅発言の意味は取りにくいのですが,これは,契約ならば厳密には申込みと承諾とによって成立することになるが,受遺者による遺贈の承認による効果(なお,遺贈は単独行為であって,契約ではありません。)と同様の効果を目的する受贈者の意思表示を当該遺贈の承認と一まとめにして「同シ言葉テ言ヒ顕ハ」して総称するのならば,「受諾」という言葉でいいじゃないか,ということでしょうか。しかし,民法旧1217号及び旧142号における,遺贈関係とまとめて規定しなければならないという特殊事情に基づく総称を,そのような事情のない同法549条の贈与の本体規定にそのまま撥ね返らせるのは,おかしい。

 

オ 「承」諾と「受」諾との感覚論

 

(ア)ポツダム宣言

感覚論としては,「承諾」はいやなことについてで,「受諾」はいいものを貰うときの用語である,というような説明がされています。しかし,そうだとすると,1945814日の詔書に「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇4国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」とあって「承諾スル旨」とされていなかったのは,昭和天皇にとってポツダム宣言はありがたい申込みであって,渋々「承諾」するようなものではなく,実は欣然「受諾」せられたのであった,ということになるのでしょうか。(ただし,「受諾」は「条約において,acceptの訳語として多く用いられる」ので(吉国一郎等編『法令用語辞典〈第八次改訂版〉』(学陽書房・2001年)377頁),4敵国に対するポツダム宣言の「受諾」といういい方をここでもしただけなのだ,ということかもしれません。)

 

(イ)漢字「承」及び「受」並びに「諾」の成り立ち

なお,『角川新字源』(1978年・第123版)によれば,「承」の成り立ちは,「会意形声。もと,手と,持ち上げる意と音とを示す(ショウ)とからなり,手でささげすすめる,転じて「うける」意を表わす」ということだそうです。また,同辞書は,「受」の成り立ちについて,「形声。引き合っている手〔象形文字略。上の「爪」の部分と下の「又」の部分が対応するようです。〕と,音符(シゥ)(ワは変わった形。うつす意→(シュ))とから成り,うけわたしする,転じて「うける」意を表わす。」ということであると説明しています。手を上げる所作が必要な「承」に比べて「受」の方はより事務的である,ということになるのでしょうか。
 同じ漢和辞書における「諾」の成り立ちの説明は,「会意形声。言と,従う意と音とを示す若ジャク→ダクとからなり,「うべなう」意を表わす。」というものです。「うべなう」の意味は,『岩波国語辞典第四版』(1986年)によれば「いかにももっともだと思って承知する。」,『角川新版古語辞典』(1973年)では「①服従する。承服する。〔略〕②謝罪する。〔略〕③承諾する。」と説かれています。
 

カ 民法の現代語化改正による横並び論の根拠文言の消失(2005年4月)

ところで,民法旧12条は,平成16年法律第147号によって200541日から(同法附則1条及び平成17年政令第36号)民法13条に移動し,同条17号は「贈与の申込みを拒絶し,遺贈を放棄し,負担付贈与の申込みを承諾し,又は負担付遺贈を承認すること。」に改められて,同号から「受諾」の語は消えています。すなわち,同号においては,負担付きのものについてですが,贈与の申込みに対する肯定の意思表示は「受諾」ではなく承諾であるものと明定されるに至っているわけです。

民法現行1317号の改正は,「民法現代語化案」に関する意見募集に際して法務省民事局参事官室から発表された200484日付けの「民法現代語化案補足説明」において,「確立された判例・通説の解釈で条文の文言に明示的に示されていないもの等を規定に盛り込む」ものとも,「現在では存在意義が失われている(実効性を喪失している)規定・文言の削除・整理を行う」ものともされていませんので,当該「補足説明」にいう,民法「第1編から第3編までの片仮名・文語体の表記を平仮名・口語体に改める」と共に「全体を通じて最近の法制執務に則して表記・形式等を整備する」ことの一環だったのでしょう。「現代では一般に用いられていない用語を他の適当なものに置き換える」ということではなかったのでしょう。

しかしながら,他方,民法1317号(旧1217号)との横並び論もあらばこそ,平成16年法律第147号による改正を経ても民法549条の「受諾」は「承諾」に改められずにそのままとされました。同条の「受諾」がそのまま維持されたことが平成16年法律第147号の法案起草担当者による見落としによるものでないのならば,当該受諾について,これは契約の申込みに対する承諾そのものではないという判断が,「最近の法制執務に則して」されたことになるようです。

 

第4 現行法令における「受諾」の用法

 

1 辞典的定義

ところで,村上謙・元内閣法制局参事官によれば,「受諾」は「相手方又は第三者の主張,申出,行動等に同意することをいう」ものであって,前記のとおり「条約において,acceptの訳語として多く用いられる」ほか,「国内法上では調停案の受諾(労働関係調整法26)等の用例のほか,旧「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」(昭和20勅令542号)などというのがある」とのことです(吉国等377頁)。

 

2 実際の用例

 

(1)調停等,ポツダム命令,国際的約束及びその他

ということで,その実際を見るべく,e-Gov法令検索を利用して現行の法律並びに政令及び勅令(すなわち内閣法制局参事官の審査を経た法令)の本則中「受諾」の語を用いている条が何条あるかを調べてみると全部で69箇条であって,その内訳を4種類に分類して示せば,①調停案,和解案又は斡旋案について「受諾」をいうもの計40箇条(労働関係調整法(昭和21年法律第25号)261項及び2項,労働関係調整法施行令(昭和21年勅令第478号)10条,地方自治法(昭和22年法律第67号)250条の19251条の23項,4項及び7項並びに251条の311項から13項まで,金融商品取引法(昭和23年法律第25号)77条の23項,156条の4424号及び5号並びに6項並びに156条の506項,建設業法(昭和24年法律第100号)25条の134項,中小企業等協同組合法(昭和24年法律第181号)9条の223項,土地改良法(昭和24年法律第195号)65項,酪農及び肉用牛生産の振興に関する法律(昭和29年法律第182号)22条及び23条,生活衛生関係営業の運営の適正化及び振興に関する法律(昭和32年法律第164号)14条の122項,小売商業調整特別措置法(昭和34年法律第55号)163項,小売商業調整特別措置法施行令(昭和34年政令第242号)8条及び91項,入会林野等に係る権利関係の近代化の助長に関する法律(昭和41年法律第126号)84項,農業振興地域の整備に関する法律(昭和44年法律第58号)154項,公害紛争処理法(昭和45年法律第108号)23条の242号,341項及び3項並びに362項,公害紛争処理法施行令(昭和45年政令第253号)32項及び12条,雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(昭和47年法律第113号)22条,銀行法(昭和56年法律第59号)52条の6724号及び5号並びに6項並びに52条の736項,貸金業法(昭和58年法律第32号)41条の4424号及び5号並びに6項並びに41条の506項,保険業法(平成7年法律第105号)308条の724号及び5号並びに6項並びに308条の136項,民事訴訟法(平成8年法律第109号)264条,特定債務等の調整の促進のための特定調停に関する法律(平成11年法律第158号)16条,独立行政法人国民生活センター法(平成14年法律第123号)25条,信託業法(平成16年法律第154号)85条の724号及び5号並びに6項並びに85条の136項並びに家事事件手続法(平成23年法律第52号)1732号,2422号,2522項及び2701項),②旧「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」が出て来るもの計9箇条(金融機関再建整備法(昭和21年法律第39号)336項及び37条の63項,昭和22年法律第721条の2,ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く大蔵省関係諸命令の措置に関する法律(昭和27年法律第43号)813号,国の債権の管理等に関する法律施行令(昭和31年政令第337号)925号,連合国財産の返還等に伴う損失の処理等に関する法律(昭和34年法律第165号)1条,国民年金法等の一部を改正する法律の施行に伴う経過措置に関する政令(昭和61年政令第54号)124号,日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(平成3年法律第71号)31号イ並びに特別会計に関する法律施行令(平成19年政令第124号)411号),③国際的約束に係る「受諾」をいうもの計9箇条(関税定率法(明治43年法律第54号)732号,9項から11項まで及び28項並びに822号,8項から10項まで及び31項,相殺関税に関する政令(平成6年政令第415号)45項及び112項から5項まで,不当廉売関税に関する政令(平成6年政令第416号)75項及び142項から5項まで,国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律(平成16年法律第115号)31号ロ並びに武力紛争の際の文化財の保護に関する法律(平成19年法律第32号)23号及び61項)及び④その他計11箇条(民法4961項及び549条,手形法(昭和7年法律第20号)563項,国会法(昭和22年法律第79号)102条の153項及び4項並びに1042項及び3,国家公務員法(昭和22年法律第120号)1091号,議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律(昭和22年法律第225号)52項及び3項並びに5条の34項及び5,宗教法人法(昭和26年法律第126号)134号,港湾法施行令(昭和26年政令第4号)65号並びに特定外貿埠頭の管理運営に関する法律施行令(平成18年政令第278号)37号)ということになります。


 
(2)「その他」の内訳(更に6分類)

問題は,前記④の11箇条です。

 

ア 立法府対行政府

まず,国会法102条の15及び104条並びに議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律5条及び5条の3については,各議院又はその委員会等と内閣,官公署若しくは行政機関の長(国会法)又は公務所,監督庁若しくは行政機関の長(議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律)との間の関係において,前者の求めを後者が拒否する場合においてその理由として疎明されたところを前者が受け容れるときに「受諾」するという言葉が使われているものとして整理できそうです。無論これらの場面は,契約の申込みを承諾する場面とは異なります。

 

イ 公務員の任用等

次に,国家公務員法1091号(「第7条第3項の規定〔「人事官であつた者は,退職後1年間は,人事院の官職以外の官職に,これを任命することができない。」〕に違反して任命を受諾した者」)及び宗教法人法134号(「代表役員及び定数の過半数に当る責任役員に就任を予定されている者の受諾書」)は,人事上の就任行為に関するものですが,委任契約であれば,当然承諾の語が用いられるべきものです(民法643条参照)。一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(平成18年法律第48号)においては,一般社団法人の設立時理事,設立時監事及び設立時代表理事並びに一般財団法人のそれら及び設立時評議員について就任の「承諾」という語が用いられています(同法31823号及び31925号。また,株式会社につき商業登記法(昭和38年法律第125号)47210号)。

しかし,公務員の任用行為の法律上の性質については,「任用行為の性質については,公法上の契約説と,単独行為説とがある。前者は,公務員の任用に本人の同意を要する点を重視し,後者は,公務員関係の内容が任命権者の一方的に定めるところである点を重視する。しかし,これは,法律上には格別意義のない論争で,かつては,この論争が政治的目的に悪用される弊害さえ生じたことがある。公法上の契約説は,天皇の任官大権を侵犯するものとして非難したごときこれである。その実体に即し,「相手方の同意を要件とする特殊の行為」と考えるべき」ものとされているところ(田中二郎『新版 行政法 中巻 全訂第2版』(弘文堂・1976年)245-246頁註(1)),特殊の行為であるがゆえに契約のように承諾の語を使うことができず(公法上の契約説にかつて加えられた上記非難に係るトラウマもあるいはあったかもしれません。),かつ,「同意」は「他の者がある行為をすることについて賛成の意思を表示することをいう」とされているので(吉国等558頁),任用行為の当事者である被任用者が他人事のように同意をするというのも変であろうということから(なお,国家公務員法51項参照),「任命の受諾」ということになったものでしょうか。

宗教法人の役員については,宗教団体法(昭和14年法律第77号)時代には「寺院又ハ教派,宗派若ハ教団ニ属スル教会ノ設立ノ認可ヲ申請セントスルトキハ申請書ニ寺院規則又ハ教会規則及管長又ハ教団統理者ノ承認書ノ外左ノ事項ヲ記載シタル書類並ニ住職又ハ教会主管者タルベキ者及総代タルベキ者ノ同意書ヲ添附シ之ヲ地方長官ニ提出スベシ(宗教団体法施行規則(昭和15年文部省令第1号)131項柱書き。下線は筆者によるもの。また,同条2項柱書き。なお,寺院は当然法人です(宗教団体法22項)。)とされていましたが,ここでの住職又ハ教会主管者タルベキ者の「同意」は,寺院又は教会の設立に対する同意ではなく,それぞれの就任についてのものであったように思われます。委任において用いられる「承諾」ではなく「同意」の語が用いられたのは,「大審院判例(大正7419,大正6125民)は右の太政官布達〔明治17811日太政官布達第19号〕に寺院の住職を任免することは「各管長ニ委任シ」云々とあることを根拠として,住職の任免は国家から管長に委任せられたもので,現在に於いてもそれは国の行政事務の一部であるとする見解を取つて居る」(美濃部達吉『日本行政法下巻』(有斐閣・1940年)564頁)という我が国の政教分離前の伝統によるものでもありましょうか。行政事務ということになれば,公務員の任用行為同様,民法の契約の概念を直接当てはめるわけにはいかないわけでしょう。しかして同意は,前記のとおり「他の者がある行為をすることについて賛成の意思を表示することをいう」ということなので,宗教法人法134号を起草するに当たって,役員らの就任行為については,「承諾」の語を避けつつ,自らするのは変はである「同意」ではなく,受諾のいかんが問題になるのだというふうに書き振りを改めたものでしょうか。


 
ウ 執行受諾行為

3に,港湾法施行令65号及び特定外貿埠頭の管理運営に関する法律施行令37号ですが,これは,港湾管理者の貸付金に関する貸付けの条件の基準の一つとして「貸付けを受ける者〔又は指定会社〕は,港湾管理者の指示により,貸付金についての強制執行の受諾の記載のある公正証書を作成するために必要な手続をとらなければならないものとすること。」を掲げるものです。債務名義たる執行証書に関する規定です。執行証書は,金銭の一定の額の支払又はその他の代替物若しくは有価証券の一定の数量の給付を目的とする請求について公証人が作成した公正証書で,債務者が直ちに強制執行に服する旨の陳述が記載されているもの」(民事執行法(昭和54年法律第4号)225号)ですが,「債務者が公証人に対して,直ちに強制執行に服する旨の意思を陳述することを執行受諾行為」というものとされています(『民事弁護教材 改訂民事執行(補正版)』(司法研修所・2005年)5頁)。「執行受諾行為は,執行力という訴訟上の効果を生ずる行為であり,また,公証人という準国家機関に対してする行為であるから,訴訟行為である」ところです(同頁)。

 

エ 参加引受け

4に,手形法563項(「参加ノ他ノ場合ニ於テハ所持人ハ参加引受ヲ拒ムコトヲ得若所持人ガ之ヲ受諾スルトキハ被参加人及其後者ニ対シ満期前ニ有スル遡求権ヲ失フ」)は,参加引受けという手形行為に関する規定です。参加引受けに対する所持人の承諾の有無ではなく受諾の有無が問題になるということは,参加引受けは参加引受人と所持人との間での契約(申込みと承諾とで成立)ではない,と観念されていることになるようです。

手形行為に関しては,周知のとおり交付契約説,創造説及び発効説があるわけですが,創造説,発効説又は参加引受けは手形の相手方への交付という単独行為と解する説(上柳克郎等編『手形法・小切手法』(有斐閣双書・1978年)47頁(上柳克郎)参照)からすると,「所持人ガ之ヲ受諾スルトキ」と規定されていることは自説の補強材料になるのだ,ということになるのでしょう。

なお,そもそもの為替手形及約束手形ニ関シ統一法ヲ制定スル条約(193067日ジュネーヴにおいて署名)第一附属書563項を見ると“In other cases of intervention the holder may refuse an acceptance by intervention. Nevertheless, if he allows it, he loses his right of recourse before maturity against the person on whose behalf such acceptance was given and against subsequent signatories.”ということであって,実はあっさりしたものです。参加は英語では“intervention”,引受けは“acceptance”です。すなわち,英語の“acceptance”には,契約の申込みに対する承諾との意味の外に,手形法上の引受けとの意味もあるのでした。さすがに“acceptance”“acceptance”するとは書けませんね。「acceptance=承諾」の出番はなかったのでした。

 

オ 供託

5に,供託に係る民法4961項(「債権者が供託を受諾せず,又は供託を有効と宣告した判決が確定しない間は,弁済者は,供託物を取り戻すことができる。この場合においては,供託をしなかったものとみなす。」)ですが,そもそも供託自体が弁済者と債権者との間での契約ではないところです。「供託の法律的性質は,第三者のためにする寄託契約である(537-539条・657条以下参照)。すなわち,供託者と供託所との契約は寄託であるが,これによって債権者をして寄託契約上の権利を取得せしめるものである。本来の債務者に代って供託所が債務者となるようなものである」と説かれています(我妻榮『新訂 債権総論(民法講義Ⅳ)』(岩波書店・1972年)307頁)。供託者からの供託の申込みを承諾するのは供託所であるということになるようです。「「放擲」(特殊な観念)と事務管理の融合したものとする異説」もあるそうですが(星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』(良書普及会・1981年)275頁参照),この場合も債権者は契約の当事者になりません。民法4961項は富井=本野のフランス語訳では “La chose consignée peut être retirée, tant que le créancier n’a pas déclaré accepter la consignation ou qu’il n’a pas été rendu un jugement passé en forece de chose jugée déclarant la consignation régulière. Dans ce cas, la consignation est censée n’avoir pas été faite.となっていますので,フランス語の“accepter”は,「承諾する」及び「受諾する」のいずれをも含む幅広い意味の言葉であるということになります。なお,同項は,旧民法財産編4782項(「然レトモ債権者カ供託ヲ受諾セス又其供託カ債務者ノ請求ニテ既判力ヲ有スル判決ニ因リテ有効ト宣告セラレサル間ハ債務者ハ其供託物ヲ引取ルコトヲ得但此場合ニ於テハ義務ハ旧ニ依リ存在ス」)に由来するところ,旧民法財産編4782項の本となったボワソナアド原案の501条の21項は,次のとおりでした(Boissonade II, p.621)。

 

  500 bis.   Toutefois, tant que le créancier n’a pas accepté la consignation ou qu’elle n’a pas été, à la demande du débiteur, déclarée valable par jugement ayant acquis force de chose jugée, celui-ci peut la retirer et la libération est réputée non avenue.

 

 フランス語で“accepter”とあれば機械的に「承諾」と訳すのではなく,訳語の選択には工夫がされていたわけです。

 

カ 民法549条

 契約であるところの贈与に係る民法549条における用法に似た「受諾」の用法は,以上見た範囲では,ほかにはなさそうです。法制執務的には,一人ぼっちでちょっと心細い。

後編に続く(
http://donttreadonme.blog.jp/archives/1078025256.html




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1 民法370条ただし書後段に係る違和感

 

(1)条文

 民法(明治29年法律第89号)370条は次のような規定であって,難解ですが,筆者にとっては特にそのただし書後段の書きぶりが,かねてからしっくり感じられなかったところです。

 

  (抵当権の効力の及ぶ範囲)

  第370条 抵当権は,抵当地の上に存する建物を除き,その目的である不動産(以下「抵当不動産」という。)に付加して一体となっている物に及ぶ。ただし,設定行為に別段の定めがある場合及び債務者の行為について第424条第3項に規定する詐害行為取消請求をすることができる場合は,この限りでない。

 

民法4243項は「債権者は,その債権が第1項に規定する行為の前の原因に基づいて生じたものである場合に限り,同項の規定による請求(以下「詐害行為取消請求」という。)をすることができる。」と規定しています。ですから,民法370条ただし書後段の「第424条第3項に規定する詐害行為取消請求」とは,同法4241「項の規定による請求」ということになるようです。民法4241項は「債権者は,債務者が債権者を害することを知ってした行為の取消しを裁判所に請求することができる。ただし,その行為によって利益を受けた者(以下この款において「受益者」という。)がその行為の時において債権者を害することを知らなかったときは,この限りでない。」と規定していますから,「同項の規定による請求」とは,債務者が債権者を害することを知ってした行為であって,かつ,(以下は抗弁に回りますが)受益者がそのされた時において悪意であったものの取消しに係る債権者による裁判所に対する請求,ということになります。

民法4241項にいう「行為」には,法律行為のほか,弁済など厳密な意味では法律行為には当たらない行為も含まれるものとされますが(筒井健夫=村松秀樹編著『一問一答 民法(債権関係)改正』(商事法務・2018年)100頁),「旧法〔平成29年法律第44号による改正前の民法〕下では,単なる事実行為は含まれないと解されていたが,このような解釈を否定するものではない。」(同頁(注1))とされています。端的にいえば,「単なる事実行為は含まれない」そうです(内田貴『民法Ⅲ(第4版)債権総論・担保物権』(東京大学出版会・2020年)365頁)。

さて,抵当不動産に物が付加されて一体となるのは厳密にいえば事実行為であるから,それについて,本来は法律行為を対象とする(平成29年法律第44号による改正前の民法4241項は,詐害行為取消請求の対象として「法律行為」のみを規定していました。)詐害行為取消請求を云々するのはおかしいんじゃない,というのが筆者の違和感でありました。

 

(2)学説

 

  新370条ただし書後段は,どのような場合を想定しているのだろうか。たとえば,債務者が一般財産に属する自分の高価な貴金属を抵当権の目的物である建物の壁に埋め込んだとする。壁に埋め込めば,不動産の構成部分となるが,これは一般債権者を害する行為である。旧4241項は取消しの対象を法律行為に限定していたが,新4241項は単に「行為」に改めた。しかし,「行為」にはこのような純然たる事実行為は含まないと解されている(⇒365頁〔前掲〕)。そこで,新370条ただし書後段は,このような場合も,詐害行為としての要件を満たしていれば,付加一体物の例外を認めることにしたのである。不動産の構成部分である以上,一体として売却されるが,詐害行為であることについて悪意の抵当権者は,当該貴金属の価額分からは優先弁済を受けることができない。(内田495頁)

 

 事実行為であっても,民法4241項の「行為」性以外の「詐害行為としての要件を満たしていれば」,同法370条ただし書後段は働くということでしょうか。しかし,「第424条第3項に規定する詐害行為取消請求をすることができる場合」(なお,平成29年法律第44号による改正前は「第424条の規定により債権者が債務者の行為を取り消すことができる場合」)とまで具体的に書き込まれて規定されてしまうと,やはり,事実行為については「第424条第3項に規定する詐害行為取消請求をすることができる場合」なる場合はそもそもあり得ないのではないですか,と依然文句を言いたくなるところです。

 「一般債権者を詐害するような付加行為を認めない趣旨だが,付加行為は法律行為ではないからそれを取り消すことは無意味なので,抵当権者はそのような付加物に優先弁済権がないとしたものである。」といわれると(遠藤浩=川井健=原島重義=広中俊雄=水本浩=山本進一編『民法(3)担保物権(第3版)』(有斐閣・1987年)123頁(森島昭夫)),取り消すことができるのだが取り消しても「無意味」であるというよりはむしろ,そもそも取り消すことができないのではないですか,とこれまた文句を申し上げたくなります。

「第370条は「第424条ノ規定ニ依リ債権者(ママ)債務者ノ行為ヲ取消スコトヲ得ル場合」をも,例外とする。実際に生じた事例は見出しえないが,強いて考えれば,負債の多い債務者が,一般財産に属する樹木または大きな機械などを,抵当権の目的となっている土地に移植しまたは据えつけて附合させる場合などがありうるであろう。債務者のかような行為は,一般債権者を詐害するものであるが,法律行為ではないから,第424条のように,これを取消すということは意味をなさない。一般債権者は何もしなくとも,抵当権の効力の及ばないことを主張しうる,と解すべきである。/建物についても全く同様である。とくに述べるべきことはない。」(我妻榮『新訂担保物権法』(岩波書店・1968年)266頁)とまでいわれると,ようやく,ああ,「取消権」の行使は「意味をなさない」からしないということであれば当該「取消権」なるものはそもそも無いっていうことが言いたいのではないかな,との感想が生じてきます。

 「抵当債(ママ)者が自分の物を抵当不動産に附着させて抵当権の目的物とすることによって他の債権者への弁済額を減らそうとして,つまり,抵当権者以外の債権者(同条の「債権者」は,この者のことである)を「害スルコトヲ知リテ」この附着行為をした場合,という意味であり,民法424条の要件が必要である(民法424条は「法律行為」に関するものだから同条そのものの問題ではない)。もっとも,実際はあまり問題になるまい。なお,〔略〕抵当不動産との附着の程度の強い場合には,抵当権の効力が及ぶと解されている。」(星野英一『民法概論Ⅱ(物権・担保物権)』(良書普及会・1976年)249頁),すなわち,民法370条ただし書後段は「第424条ノ規定ニ依リ債権者カ債務者ノ行為ヲ取消スコトヲ得ル場合」と規定してはいるものの「民法424条は「法律行為」に関するものだから同条そのものの問題ではない」のだ,わざわざ「第424条」云々と書いてあるけれども空振っているのだ,ちょっと変な条文なのだ,と割り切った説明をされる方が,筆者には分かりがよいところです。しかし,我は立法技術的にはおかしな条文なり,と堂々胸を張られるというのでは,困ったことです。

「法文トシテハ如何(いか)ニモ解シ()クイ」もので,「唯タ精神上テハ取消スコトカ出来ル場合ニ見エテ其実ハ其訴権ヲ以テ取消スコトノ出来ヌト云フコトニ為ツテ仕舞(ママ)考ヘ」られるところ,「其精神ハ宜シイカ法文ノ分ラサルカ為メニ〔現行民法〕起草委員ノ折角ノ御骨折カ水泡ニ帰シハスマイカ」とも思われてしまいます。

 

2 民法370条ただし書後段の沿革

 この難解な民法370条ただし書後段の条文の沿革をたどると,次のとおりとなります。

 

(1)ナポレオンの民法典2133条

 まず,1804年のナポレオンの民法典2133条。

 

   L’hypothèque acquise s’étend à toutes les améliorations survenues à l’immeuble hypothéqué.

  (成立した抵当権は,抵当不動産に生じた全ての改良に及ぶ。)

 

これは,我が明治政府のお雇い外国人・ボワソナアドにいわせれば,「恐らく言葉(ラコー)足らず(ニック)に過ぎ,かつ,疑問点を残すもの」であって(Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire, Tome Quatrième: des Sûretés ou Garanties des Créances ou Droits Personnels. Tokio, 1889. pp.386-387),「〔抵当不動産の〕増加については沈黙しており,また,改良の原因となるべき事由について説明していない」ものでした(Boissonade p.387)。

 

(2)ボワソナアド草案1206条及び旧民法債権担保編200条

フランス民法2133条の前記欠陥に対して,「ここに提案された解決策は,我々の考えによれば,フランス民法によって与えられるべきものである(celles qu’on doit…donner d’après le Code français)。」ということで起草された「解決策(solutions)」が(Boissonade p.387),旧民法に係るボワソナアド草案1206条です(Boissonade p.372)。

 

   1206.  L’hypothèque s’étend, de plein droit, aux augmentations ou améliorations qui peuvent survenir au fonds, soit par des causes fortuites et gratuites, comme l’alluvion, soit par le fait et aux frais du débiteur, comme par des constructions, plantations ou autres ouvrages, pourvu qu’il n’y ait pas fraude à l’égard des autres créanciers et sauf le privilége des archtectes et entrepreneurs de travaux, sur la plus-value, tel qu’il est réglé au Chapitre précédent. (2133)

      Elle ne s’étend pas aux fonds contigus que le débiteur aurait acquis, même gratuitement, encore qu’il les ait incorporés au fonds hypothéqué, au moyen de nouvelles clôtures ou par la suppression des anciennes.

  (抵当ハ寄洲ノ如キ意外及ヒ無償ノ原因ニ由リ或ハ建築,栽植又ハ其他ノ工作ニ因ル如ク債務者ノ所為及ヒ費用ニ因リテ不動産ニ生スルコト有ル可キ増加又ハ改良ニ当然及フモノトス但他ノ債権者ニ対シテ詐害ナキコトヲ要シ且前章ニ規定シタル如キ建築技師及ヒ工事請負人ノ増価ニ付キテノ先取特権ヲ妨ケス

  (抵当ハ債務者カ縦令無償ニテ取得シタルモノナルモ其隣接地ニ及ハサルモノトス但新囲障ノ設立又ハ旧囲障ノ廃棄ニ因リテ隣接地ヲ抵当不動産ニ合体シタルトキモ亦同シ)

 

 「債務者ノ所為及ヒ費用ニ因リテ不動産ニ生スルコト有ル可キ改良」に関して,ボワソナアドは次のように説明しています。

 

   次に,債務者の所為により,かつ,彼の費用負担によるところの改良,すなわち「建築,栽植又ハ其他ノ工作ノ如キモノ」である。ここにおいては,債務者がその資産(patrimoine)から取り出す物は債権者のうち一人の担保の増加のために債権者らの共同担保財産(gage général)から取り去られてしまう物であるという関係から,疑惑が生ずることになる。しかしながら,支出額(dépenses)の大きさは多様であり得ること及び多くの場合において当該支出は正当であり得ることから,法は,原則として,当該支出は抵当債権者の利益となるものとした。他方,濫用は可能であるところ,対抗策を直ちに示すためと同時にそれを防止するため,法は,まず,他の債権者に対して詐害となる場合を除外する。法は,次に,建築及びその他の工作は建築技師及び請負人に対して第1178条及び第1179条において規定される先取特権をもたらし得るものであることから,抵当による担保は,彼らが満足を得た後に残る増価分にしか及ばないことに注意を促す。(Boissonade p.387

 

ボワソナアド草案1206条が,ほぼそのまま旧民法債権担保編(明治23年法律第28号)200条となります。

 

  第200条 抵当ハ意外及ヒ無償ノ原因ニ由リ或ハ債務者ノ所為及ヒ費用ニ因リテ不動産ニ生スルコト有ル可キ増加又ハ改良ニ当然及フモノトス但他ノ債権者ニ対シテ詐害ナキコトヲ要シ且前章ニ規定シタル如キ工匠,技師及ヒ工事請負人ノ先取特権ヲ妨ケス

   抵当ハ債務者カ縦令無償ニテ取得シタルモノナルモ其隣接地ニ及ハサルモノトス但新囲障ノ設立又ハ旧囲障ノ廃棄ニ因リテ隣接地ヲ抵当不動産ニ合体シタルトキモ亦同シ

 

 旧民法債権担保編200条を梅謙次郎が修正したものが,現行民法370条となります。

 

(3)梅案365条ただし書後段

 

ア 条文

1894124日の第50回法典調査会に梅謙次郎が提出した現行民法370条の原案は,次のとおり(法典調査会民法議事速記録第168)。

 

 第365条 抵当権ハ其目的タル不動産ニ附加シテ之ト一体ヲ成シタル物ニ及フ但設定行為ニ別段ノ定アルトキ及ヒ第419条ノ規定ニ依リ債権者カ債務者ノ行為ヲ取消スコトヲ得ル場合ハ此限ニ在ラス

 

 この梅案(松・竹・梅のうちの梅案ということではなくて,梅謙次郎案ということです。)では,更地であった抵当地の上に建物が建つと,その建物は抵当地に附加シテ之ト一体ヲ成シタル物であるということで,当該建物にも抵当権が及ぶことになっていたことに注意してください。

 なお,1895122日の第58回法典調査会に提出された民法419条案は次のとおりでした(法典調査会民法議事速記録第18119-120丁)。

 

  第419条 債権者ハ債務者カ其債権者ヲ害スルコトヲ知リテ為シタル法律行為ノ取消ヲ裁判所ニ請求スルコトヲ得

   前項ノ請求ハ債務者ノ行為ニ因リテ利益ヲ受ケタル者又ハ其転得者ニ対シテ之ヲ為ス但債務者及ヒ転譲者ヲ其訴訟ニ参加セシムルコトヲ要ス

 

イ 梅の冒頭説明

梅の365条案ただし書後段について,同人の説くところは次のとおりでした(原文の片仮名書きを平仮名に改め,濁点及び句読点を補いました。)。

 

原文〔旧民法債権担保編200条〕1項の但書の処でありますが,「他ノ債権者ニ対シテ詐害ナキコトヲ要シ」,斯うあります。此趣意は勿論本条に於ても採用したのであります。即ち彼の廃罷訴権と法典に名附けてあります「アクシユ(ママ)ーレヤナ」の矢張り適用の中であることは疑ひないのであります。夫れならば寧ろ向ふの規定に総て従ふやうにしないと,御承知の通りに「アクシパーレヤナ」には夫れ夫れ条件がありまするので,唯だ詐害と云ふ丈けでは「アクシパーレヤナ」のことを意味しない。去ればと云つて此場合に限つて「アクシユパーレヤナ」と違つて規則に依て取消を許すと云ふのも理由のないことゝ思ひます。夫れで之は「第419条ノ規定ニ依リ」としたので,之は「アクシユパーレヤナ」の箇条を規定する積りであります。尤も一寸考へると,之は条文は要らぬのではないか「アクシユパーレナヤ」と云ふものは総ての場合に当嵌まるから此処でも言はぬで置けば総ての場合に当嵌りはしないかと云ふ疑ひが起るかも知れませぬが,夫れは然う云ふ訳には徃きませぬ。何ぜ然うかならば,「アクシユパーレヤナ」の規定が何か云ふやうな規定になるか知れませぬが,何れにしても,沿革上から考へて見ても,又私共が起草の任に当つたとして考へて見ても然うでありますが,此「アクシユパーレヤナ」と云ふものは法律行為を取消すと云ふのが其目的であらうと思ひます。夫れは「アクシユパーレヤナ」で出来る。即ち此処の所で言うても,債務者が或る請負人か何にかと或る契約を結んで,然うして家を建てるとか,或は建て増しをするとか不動産に改良を加へるとか,詰り其土地を抵当に取つて居る債権者に特別なる利益を与へやうと云ふ考へで然う云ふ事を致すと云ふ場合でありますれば其建築契約を取消すことは無論出来ますが,建築は既に成つて其代価は払つて仕舞つた其建物夫れ自身を「アクシユパーレヤナ」に依て取消す訳に徃きませぬ。建物を取消す訳に徃きませぬ。夫れで「アクシユパーレヤナ」の直接の適用としては,此場合に於ては適用はないでありませうが,唯だ条件を同じ条件にして「アクシユパーレヤナ」を行ふことが出来るやうな場合でありますれば,其加へた物丈けは,抵当権者の担保と為らずして債権者の一般の担保に為ると云ふならば,「アクシユパーレヤナ」の精神を無論貫くことが出来る。無論原文も然う云ふ意味であつたらうと思ひますが,唯だ条件は「アクシユパーレヤナ」と同じやうにしないと徃けないと思ひますから斯う云ふ風に書きました。(法典調査会民法議事速記録第169-11丁)。

 

ウ パウルス訴権(actio Pauliana

「アクシユパーレヤナ」とは何かといえば,ラテン語のactio Pauliana。「所謂「パウルス(○○○○)訴権(○○)actio Pauliana, action Paulienne ou révocatoire, Paulianische Klage oder Anfechtungsklage)」だそうです(梅謙次郎『訂正増補第27版 民法要義巻之二 物権編』(私立法政大学=有斐閣書房・1908年)508頁)。

パウルス訴権(パウリアーナ訴権)はローマ法上の制度であって,法務官法上の不法行為に係る訴権の一であり,次にように解説されています(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)232-234頁)。

 

  (一)歴史 4年のlex Aelia Sentiaは債権者詐害in fraudem creditorisの奴隷解放を無効とした〔同法(lex)は奴隷解放の要件を絞るためのもの〕。爾余の債務者の詐害行為には法務官は,(1)詐害的特示命令(interdictum fraudatorium〔特示命令は,訴権(actio)による普通手段の外に,純粋に法務官が創設した保護手段〕,(2)原状恢復in integrum restitutio。法律上一応は合法的形式を備えるが不当な結果が生じたときにその不当な結果を排除するのに用いられる。特示命令の外に法務官が創設した権利保護手段の一つ〕,(3)事実訴権actio in factum concepta。請求の表示が法律訴権のように一定の型にあてはめることを得ずして,具体的事実を記載し,判決をその有無にかからしめる場合の訴権〕等の救済手段を認めたが,ユ〔スティーニアーヌス〕帝は是等の保護手段を融合統一してパウリアーナ訴権(actio Pauliana)――glossema〔写本中の附註〕に基づく名称?――を作つたため,以前の歴史は不明になつている。

  (二)ユ帝法のパウリアーナ訴権の要件 (1)債務者の詐害行為 債務者の行つた譲渡,免除,新債務の負担の如き積極的行為のみならず,期限訴権の不提起,時効中断の懈怠の如き不作為も亦詐害行為である。但し人格権侵害訴権iniuriaの訴権。市民法上の不法行為訴権の一。iniuriaは,人の身体を傷つけ,無形的名誉を毀損し,公共物の使用を妨げるような行為(窃盗の未遂まで包含される。)〕,不倫遺言の訴〔適当額の遺産を近親に与えない遺言を不倫遺言(inofficiosum testamentum)といった。〕の如き訴を提起せず,又は相続を承継せず,遺贈を受領しないような利得行為をなさずとも,債権者は取消ができない。

  (2)債権者に対する実害の発生(eventus damni

  (3)債務者の詐害意思(consilium fraudis

  (4)債務者以外の者――実際的には最も通常の場合――に提起するには,有償行為の場合にはその者が詐害を知つたこと(conscius fraudis)。無償のときは知るを要しない。

  (三)性質効果 専決訴権actio arbitraria。金銭判決をなるべく避けるため,審判人に対し,判決前訴訟物自体の給付返還を被告に勧告すべき旨を命ずる文言の含まれている訴権〕,期限訴権actio temporalis。訴権消滅時効期間が30年以下のもの〕で,1年内に提起せられると全部の賠償義務,1年後は利得額の返還義務を発生する。加害者委附〔加害した奴隷又は動物を被害者に委附して復讐に委ね,あるいはその労働をもって罰金額損害額を弁済せしめる。〕を許さず,重畳的競合〔数人の加害者が存するとき,加害者の一人が罰金を支払っても他の加害者は依然責任を免れないこと。〕もしない〔略〕

 

 あるいは,「信義に反して債権者を害するような債務者の財産減少行為も,債権者を欺くものとして詐欺の関連で問題とされ,法務官法上,原状回復のための訴え(破産手続における破産財団への財産取戻し)や悪意の受益者に対する返還命令(特示命令)が認められた。ユスチニアヌス帝のもとで両者は統合され,その内容がパウルスの章句(Paulus, D.22,1,38,4)として伝えられるところから,「パウリアナ訴権(actio Pauliana)」と呼ばれる。債務者の詐害的行為に対する債権者取消権制度の原点である(日本民法第424条。〔略〕)。」ともいわれています(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法―ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)194-195頁)。ユスティーニアーヌス帝のDigesta(学説彙纂)中上記パウルスの章句は,次のとおり(拙訳は,あやしげですね。)。

 

In fabiana quoque actione et pauliana, per quam quae in fraudem creditorum alienata sunt revocantur, fructus quoque restituuntur: nam praetor id agit, ut perinde sint omnia, atque si nihil alienatum esset: quod non est iniquum (nam et verbum "restituas", quod in hac re praetor dixit, plenam habet significationem), ut fructus quoque restituantur.

  (債権者らに係る詐害となって逸出した物quae in fraudem creditorum alienate suntがそれによってper quam回復されるrevocanturファビウス及びパウルス訴権のいずれにおいてもin fabiana quoque actione et pauliana,果実もまたfructus quoque返還されるrestituuntur。というのはnam,法務官がpraetor,何も逸失しなかった場合とちょうどatque si nihil alienatum esset同様に全てがなるようにut perinde sint omnia取り運ぶからであるid agit。果実も返還されるようにすることもut fructus quoque restituantur,(というのはnam,本件において法務官が宣したquod in hac re praetor dixit「原状回復すべし」との言葉もet verbum "restituas",完全な意味を有しているのであるからplenam habet significationem)不当ではないところであるquod non est iniquum。)

 

 パウルス訴権は「ローマ共和政末期の法務官パウルス(Paulus)が提案した刑事懲罰の性格を有する制度」であって「ローマ法において,actio paulianaは,もともと商人の民事破産手続における制度として登場した」と一応説かれていますが(張子玄「フランス法における詐害行為取消権の行使と倒産手続(1)」北大法学論集706号(20203月)32頁・註1),「実は謎に包まれた制度であり,この「パウルス」(Paulus)がどの時代の誰かも判然としない遅い産物」だそうです(木庭顕『新版ローマ法案内』(勁草書房・2017年)199頁)。

 ナポレオンの民法典1167条においては,次のように規定されていました。

 

   Ils peuvent aussi, en leur nom personnel, attaquer les actes faits par leur débiteur en fraude de leurs droits.

       Ils doivent néanmoins, quant à leurs droits énoncés au titre des Successions et au titre du Contrat de Mariage et des Droits respectifs des époux, se conformer aux règles qui y sont prescrites.

  (彼ら〔債権者〕はまた,彼ら個人の名で,債務者によってされた彼らの権利を詐害する行為を攻撃することができる。/ただし,相続の章並びに婚姻契約及び各配偶者の権利の章に掲げられた彼らの権利については,そこにおいて定められた規定に従わなければならない。)

 

 現在のフランス民法1341条の2は,次のとおりです。

 

   Le créancier peut aussi agir en son nom personnel pour faire déclarer inopposables à son égard les actes faits par son débiteur en fraude de ses droits, à charge d'établir, s'il s'agit d'un acte à titre onéreux, que le tiers cocontractant avait connaissance de la fraude.

  (債権者はまた,彼個人の名で,債務者によってされた彼の権利を詐害する行為を彼との関係において対抗することができないものと宣言せしめることができる。ただし,有償行為に関する場合においては,第三者である契約当事者が詐害について悪意であったことを立証したときに限る。)

 

 フランスでは,「詐害行為の取消請求が認められた場合,逸出財産を債務者財産に取り戻す必要はなく,取消債権者は受益者の手元に置いたまま財産売却を求めることができる。つまり,取消債権者は裁判所に対し対象財産に対する強制売却(vente forcée)を求める権限を有することになる。その結果,取消債権者は財産売却によって自ら債権回収を図ることができる。この点から見ると,「対抗不能」の終局的意義は,取消債権者に対して差押債権者に相当する権限を与えることにあるといえる。なぜなら取消債権者は自ら強制売却の申立てを行わなければ,債権回収をすることはできないからである。」ということになるそうです(張35-36頁)。

 Dalloz2011年版Code Civil, 110e éditionを見ると,フランス民法1167条(当時)によって攻撃される行為の例の性質(Nature des actes attaqués (exemples))として,贈与(donations),合併に基づくある会社から他の会社への不動産の承継(apport d’immeubles par une société à une autre, à titre de fusion),債権譲渡(cession de créance),代物弁済(dation en paiement),会社の合併(fusion de sociétés),不動産の売却(vente d’immeuble)及び買戻権付きの家財売却(vente à réméré de meubles meublants)並びに(以下は第2項関係でしょう。)贈与分割(donation-partage),無償譲与の減殺権の放棄(renonciation à réduction d’une libéralité),相続放棄(renonciation à succession),財産分割(partage)及び復帰権条項付き贈与契約に基づき贈与を受けた財産の当該受贈者による贈与(donation d’un bien que le donateur a lui-même reçu par donation assortie d’une clause de retour)が挙げられています(Actes visés, pp.1445-1446)。

 相続放棄もaction paulienneの対象となるとされると,相続を承継しないことないしは相続の放棄は詐害行為にならないとする前記ローマ法の規範内容及び我が最高裁判所の昭和49920日判決(民集2861202頁)との関係でいささか説明が必要となります。しかし,この点については,「相続放棄」は「ローマ法と異なり,フランス民法が明文の規定〔旧788条・現779条〕で詐害行為の対象とした」ものであるとつとに紹介されています(工藤祐巌「民法4242項の「財産権を目的としない法律行為」の意味について」名古屋大學法政論集254号(2014年)336頁及び353頁・註(15))。また,「ローマ法と異なり,フランス法ではすべての相続が被相続人の死亡によって完全に効力を生じる」ものとされているそうです(工藤337。ボワソナアドも同様の理解を有していたことについて,同346)。

フランス民法旧11672項と我が民法4242(なお,同項に対応する規定は旧民法にはありませんでした。)との関係が気になりますが,我が民法4242項が典型的に想定していたのは,「隠居,家督相続ノ承認等」であったようで(梅謙次郎『訂正増補第30版 民法要義巻之三 債権編』(私立法政大学=中外出版=有斐閣書房・1910年)87頁。「仮令財産上ニ影響ヲ及ホシ而シテ債務者カ債権者ヲ害スルコトヲ知リテ之ヲ為スモ敢テ其隠居,承認等ヲ取消スコトヲ得ス」),しかも,「但是等ノ場合ニ於テ債権者ヲ保護スヘキ規定ハ親族編及ヒ相続編ニ之ヲ設ケタリ(761〔「隠居又ハ入夫婚姻ニ因ル戸主権ノ喪失ハ前戸主又ハ家督相続人ヨリ前戸主ノ債権者及ヒ債務者ニ其通知ヲ為スニ非サレハ之ヲ以テ其債権者及ヒ債務者ニ対抗スルコトヲ得ス」〕988〔「隠居者及ヒ入夫婚姻ヲ為ス女戸主ハ確定日附アル証書ニ依リテ其財産ヲ留保スルコトヲ得但家督相続人ノ遺留分ニ関スル規定ニ違反スルコトヲ得ス」〕989〔「隠居又ハ入夫婚姻ニ因ル家督相続ノ場合ニ於テハ前戸主ノ債権者ハ其前戸主ニ対シテ弁済ノ請求ヲ為スコトヲ得/入夫婚姻ノ取消又ハ入夫ノ離婚ニ因ル家督相続ノ場合ニ於テハ入夫カ戸主タリシ間ニ負担シタル債務ノ弁済ハ其入夫ニ対シテ之ヲ請求スルコトヲ得/前2項ノ規定ハ家督相続人ニ対スル請求ヲ妨ケス」〕1041乃至1050〔財産ノ分離〕)」ということでした(同頁)。「現行民法起草者の立場は,「非財産的権利に関する行為」のみを詐害行為取消の対象となる行為の範囲を画する枠組みとして有していたということができる。すなわち,一身専属権の中で,債務者の資産としての財産的価値を有しないが故に一身専属権とされる権利,すなわち,主として身分行為を取消の対象から排除する立場であった。これに対し,債務者の資産としての財産的価値を有するものの,それを行使するか否かを債務者自身が決すべき権利,すなわち,狭義の一身専属権については,詐害行為取消権の行使の対象となりうることになる」(工藤349頁),「なぜ,4231項但書きと同様に一身専属権の言葉を用いなかったのかといえば,その範囲が異なるから」である(同350頁),とのことです。

  

エ 梅謙次郎 vs. 磯部四郎

梅の365条案ただし書後段に関する前記最初の説明を聴いた上で,磯部四郎🎴が「又「第419条」と云ふのは多分「アクシヨンポーリアンド」〔ここの語尾の「ド」は,磯部の発音するおフランス語の“action Paulienne”に速記者が勝手に付加したものでしょう。ちなみに磯部は富山の出身です。〕の場合であらうと思ひますが,其条文の規定ニ依テ債権者と云ふのは抵当債権者でなく一般の債権者であらうと思ひますが,夫れを以て債務者の行為を取消した場合には,抵当権者の行為を取消したと云ふことは言はずして分つて居らうと思ひますが,殊に此但書以下の必要なる所以を伺ひたい」と改めて質問をしたのに対し(法典調査会民法議事速記録第1613丁),梅は次のように回答します。

 

 今御疑ひに為つたやうな意味でありませぬ。此「第419条」と云ふのは無論「アクシヨンポーリエス」〔梅のフランス語については,“action Paulienne”が「アクションポーリエス」となってしまっています。これはあるいは,和文タイピストが「ヌ」を「ス」と取り違えたのかもしれません。なお,ついでにいえば,国立国会図書館デジタルコレクションにおいてせっかく公開していただいている法典調査会民法議事速記録(日本学術振興会)でありますが,和文タイプの印字が,いささか潰れ気味で読みづらい。〕の積りであります。或は準用に為るかも知れませぬ。「アクシヨンポーリエス」の規則に従へば一般の債権者たる者が債務者の行為を取消すことの出来るやうな場合には,抵当設定者が取消される場合には,其行為を取消すのでない。家ならば家を建つて仕舞つた,其契約抔はてんで履行して仕舞つて金は払つて仕舞つた,けれども其金を払つたと云ふのは,例へばもう自分は無資力である近(ママ)内に破産の宣告を受けるかも知れぬ,抵当債権者は自分の親友である,是に少し特別の利益を与へたい,土地の価では足らぬから家を建てやるとか,或は今家は建つて居るが小さい,夫れに建て増しをして土地の価を増してやらうと云ふ,斯う云ふ訳で建てる。其建てた物を壊はすと云ふのではない,其行為を取消すと云ふのではない,けれども其建てた物に及ばない。抵当権が及ばない。矢張り夫れは一般の債権者の担保に為ると云ふ,斯う云ふ意味に為りますから,夫れで此明文が要ると云ふ考へであります。(法典調査会民法議事速記録第1613-14丁)

 

磯部はなおも釈然としません。むしろ不要論を唱えます。

 

  一般の債権者が取消すことを得る場合,其理由は能く分りましたが,勿論是丈けのことにして置いた所が,是れが行為を取消すことが出来る場合である場合でないと云ふことは矢張り裁判所でずつと調べて徃かなければ分ることでないと思ひます。果して裁判所で調べると云ふことになると,先刻仰言つた所の「アクシヨンポーリアンド」の中に為るか或は「アクシヨンポーリアンド」を実行し得ざる場合と為るかも知れぬと思ひます。然うして見ると,斯の如き規定がなくとも実際の便宜から考へて,却てない方が簡略で能く分りはしないかと云ふ考へが浮んで来ました。今,一体ヲ為シタル物ニ及フと云ふ通則の所に於て斯うして置かぬと不都合である,其不都合の所は特別の契約でしたときは仕方がないと云ふ先刻の御説明でありますが,特別の契約でも然う云ふ不都合が生ずるときは何んとか他に始末をしなければならぬ。夫れが甘く始末が着くならば,普通の場合でも甘く始末が着て徃かなければならぬと思ひますが,其処の所を一つ伺ひたい。夫れで「債権者カ債務者ノ行為ヲ取消スコトヲ得ル場合」と云ふものを定めるには,矢張り裁判所で定めなければならぬ。然うすれば寧ろ裁判所では「コントラクシヨン」をやつて来たもので差支へないではないか。又先程・・・実際に取消すことを得ると云ふ中に或は数へられると云ふことでありますが,私の考へでは数へられぬかも知れぬと云ふ考へが起りましたが,然うすると折角斯う云ふ明文が出来ましたが,実際には不必要に為りはしないかと云ふ疑ひが起りましたが,何う云ふものでございませうか,一寸伺ひます。(法典調査会民法議事速記録第1617-18丁)

 

確かに,民法370条ただし書後段については,その後「実際に生じた事例は見出しえない」(我妻266頁)とされたところではあります。

 梅の回答。起草の趣旨の繰り返しであって,磯部の不要論には正面から答えていません。

 

  私は斯う云ふ積りであります。即ち,私が磯部君に金を借りて居る,私の所有の地面を抵当に入れて金を借りて居る所が,私が無資力と為つて売ると云ふときに為ると,借りて居る丈けの価ひがない。夫れで私は無資力と云ふことを自から知つて居る,夫れであなたに向つて言つても宜し,言はなくても宜しいが,私の意思では,何うせ外の債権者に取られる位ならば外の人よりも磯部君丈けは迷惑を少なくさせたいものであると云ふ所から,然う云ふ場合に新たに入りもしない家を建てたとか,又は新に建て増しをしたとか,其場合に「アクシヨンポーリエス」を直ぐに行ふと云つても行はれぬ,「アクシヨンポーリエス」は行為を取消す名を持つて居るが,今のは行為を取消すのではない,行為は・・・先づ履行にてせんであつたと仮定を致します。其場合には,其建てた家と云ふものは磯部君の担保には為らぬと云ふことにならんと,磯部君の為めには大変都合が宜しいが外の債権者の為めには大変迷惑であると云う,斯う云ふことであります。然う云ふ場合には,即ち斯う云ふ意味に依て,夫れが法律行為であつたならば取消せる行為である,其場合には抵当権が後とから喰着けた物には及ばぬ。斯う云ふ意味に為るのであります。(法典調査会民法議事速記録第1618-19丁)

 

磯部はなおも喰い着いてきます。

 

  然うすると,債務者が一の債権者の利益を図る為めに他の債権者を詐害する考へを以て一つの建物を建てた,之は其建物に付て代価を払つた以上は其建物を壊はすことは出来ぬ,けれども其建物に付ては抵当債権者は権利は持たない,其土地丈けに付てしか抵当権は持たない,建物は他の普通債権者の権利が及ぶと云ふことに為る。其処で,何うでせう,他の債権者の利益を願つた為めに抵当債権者の利益を大変害するやうなことがありはしますまいか。何ぜならば,矢張り建物ならば何時でも其場合には地上権を設定しなければ仕方がないものと思ひますが,此「一体ヲ成シタル物ニ及フ」と云ふ通則の御説明の理由と,又此「第419条ノ規定ニ依リ債権者カ債務者ノ行為ヲ取消スコトヲ得ル場合ハ此限ニ在ラス」と云うことの御説明と大変抵触して来るやうな考へがありますが,どんなものでございませうか。(法典調査会民法議事速記録第1620-21丁)

 

 梅の回答。

 

  私は抵触しない積りであります。此場合に於てはどちらも債務者の所有物であつて然うして前の例の場合・・・其手続は競売法にても極まると思ひますが,然う云ふ場合は,土地と建物と同時に売る,売つて其内で土地の価が幾ら,家の価が幾らと云ふことを競売の場合に極める。然うして土地の価は抵当債権者に与へ,家の価は他の債権者に与へると云ふことに為らうと思ひます。(法典調査会民法議事速記録第1621丁)

 

次に磯部は――不要論はもう捨てたのか――要件論を論じ始め,梅と議論になります(法典調査会民法議事速記録第1621-24)。

 

  磯部四郎君 其処で抵当権の主義と云ふものがありますので,之が抵当債権者が・・・知つた時計りに夫れ丈けの規則で特に利益を与へやうと云ふのは,債務者丈けの考へで債権者に其考へがなかつたときは何うか。「アクシヨンポーリアンド」の実行条件でありますが,其処は何う為るのでございませうか。「ボアソナード」氏の元との200条でありますが,唯だ「他ノ債権者ニ対シテ詐害ナキコトヲ要シ」と云ふ丈けで,必ず「アクシヨンポーリアン(ママ)」の規則の適用を此処に持つて来たやうには見(ママ)ませぬが,今あなたの御起草に為つたのを見ると「第419条ノ規定ニ依リ」とありますから「アクシヨンポ(ママ)リアンド」の規則を其儘適用するやうに為らうと思ひますが,然うすると抵当権者が通牒してやつた場合を言ふのであるか,又は通牒せずとも唯だ債務者丈けが,私なら私を一つ利益してやらうと云ふとき丈けに当たるのでございませうか。

  梅謙次郎君 恰も其為めに此「第419条ノ規定ニ依リ」と云ふ規定が必要であらうと思つたのであります。即ち「アクシヨンポーリエス」の規定は何う云ふ風に極まるか分りませぬが,今の法典の儘であつたならば,御承知の通りに,有償行為に付ては双方の悪意を要し無償行為に付ては債務者丈けで宜しいと云ふ規定は或は変へらるるかも知れませぬが,若し其通りであつたならば,債務者が債権者から別段今催促を受けて居ると云ふのでも何んでもない,唯だ先刻私が申したやうに磯部君は親友であるから外の債権者は損をしても宜しいが是丈けは損をさせたくないと云ふ考へでやつたならば,夫れは無償行為であります。金を借りるときは是丈けで宜しいと云ふことで借りた,債権者は知らなくても宜しいことである。是は無償行為であります。然うでなく,債権者と談判をしてもう期限が来て催促をされる,夫れでは家を建つて斯う云ふことにしたい,実は私は斯う云ふ位置に為つて居るから私に差押抔の手続抔をしてからに破産の宣告でも受けるやうにしたらお前は損をしなければならぬから,今の内に自分から急いで家を建つて置かう,然うすればお前の抵当の目的物と為つてお前の方で損をせぬやうに為るから其代はり1ヶ月なり2ヶ月なり待つて呉れろ,宜しい,と云ふことに為つたらば,夫れは有償行為であります。夫れは一つの例でありますが,此有償行為ならば双方の悪意がなければならぬ。然うい云ふことになります。無償行為には悪意は要らぬと云ふことになるかも知れませぬが,何れにしても,「アクシヨンポーリエス」の場合に相手方の悪意が要ると云ふのに,此処の場合に限つて相手方の悪意が要らぬと云ふことは何うしても分らぬのであります。夫れで権衡を得るやうにして置かなければならぬと云ふので,態々「第419条ノ規定ニ依リ債権者カ債務者ノ行為ヲ取消スコトヲ得ル場合」と云ふ風に書いたのであります。

磯部四郎君 一寸修正案を出さうと云ふ考へであります。段々伺ひましたが,何れ此「第419条ノ規定」と云ふもので,只今御述べになつた如くに,一の債務者が一の抵当債権者を特に利益する積りで抵当物に向つて一の建築をした,其費用等は已に弁済をして仕舞つて完全の所有権を持つて居る,夫れを即ち其建築物の配当金を抵当債権者に与へたと云ふ場合が「アクシヨンポーリアンド」で取消し得る場合と云ふものに嵌まりませうか。私の考へでは嵌まるまいと思ひます。「アクシヨンポーリアンド」と云ふものは,詰,債務者が債権者を詐害するの意思を以て己れの財産を匿して仕舞つたとか或は虚妄の負債でも拵へたとか云ふやうな場合に当嵌まるものと思ひます。現に自分の持つて居る物で金を借りても自分の土地に一の建物を拵へて自分の所有物を増加すると云ふのを取消し得る場合に於ては,到底此「アクシヨンポーリアンド」の規則では嵌まらぬと思ひますが,此一点からして既成法典の200条の「但他ノ債権者ニ対シテ詐害ナキコトヲ要シ」と云ふことは之は「アクシヨンポーリアンド」の適用を此処に挙げたのではない,特に斯う云ふ場合を挙げたのと思ひます。「アクシヨンポーリアンド」の「アナロジー」でないか知れませぬけれども決して「アクシヨンポーリアンド」の適用を此処に挙げたのでないと思ひます。何ぜならば,只今御示しに為つたやうな場合は「アクシヨンポーリアンド」の規則の適用に依て徃くことの出来ぬ場合であらうと思ひますが,何うでございませいか。

  梅謙次郎君 私は然うは思ひませぬ。「アクシヨンポーリエス」の適用が当嵌まらぬと云ふのは,行為を取消すのでないから当嵌まらぬので,其事柄は矢張り「アクシヨンポーリエス」の規定で取消し得べき性質のものであると思ひます。何ぜならば,家を建てる,其家は競売に因て消(ママ)るのでありますが,其代はり代価を払はなければならぬ,成程相当の代価を,高い価を払へば損が徃く,夫故に随分建築夫れ自身ですらも取消されるかも知れぬ,契約夫れ自身でも随分取消されるかも知れぬ,殊に其建築した物をば直ぐ或る独りの債権者の特別担保にして仕舞(ママ)と云ふ,夫れは徃かぬと云ふのであります。若し此処で新に,磯部君に金を借りて居る,其抵当として1000円の形に500円の価しかない不動産を抵当に入れて居つた,夫れでは磯部君が損をするであらうと云ふので更らに私のもう一つ所有して居る500円の不動産を附け加へて抵当にすると仮定致します。此場合には,無論,「アクシヨンポーリエス」で適用が出来る。唯だ名義であるが,此処は「アクトアニユレー」〔acte annulé(取り消された行為)〕でないから,純然たる適用でない,所謂準用でありますが,準用は余程風の変つた準用でありますから,夫れで明文が要ります。

 
オ 磯部修正案及びその取下げ

 その後,磯部は次のように修正案を提出します。

 

  尚ほ私は末項の分に付て一の修正案を出さうと云ふ勇気を持つて提出致します。其訳は,法文の全体から考へると,精神と云ひ何うも斯くなければなるまいと私も考へるが,如何せん,「第419条ノ規定ニ依リ債権者カ債務者ノ行為ヲ取消スコトヲ得ル場合」と云ふ法文は,精神は分りましたが,法文としては如何にも解し悪くい。先程梅君から御示しになつた例の如き場合は,所謂第419条の規則を以て取消すことは出来ないことに帰して仕舞(ママ)と思ひます。唯だ精神上では取消すことが出来る場合に見えて,其実は其訴権を以て取消すことの出来ぬと云ふことに為つて仕舞(ママ)と考へますから,其精神は宜しいが法文の分らざるが為めに今日の起草委員の折角の御骨折が水泡に帰しはすまいかと思ひます。却て右様な場合は利益を得る抵当債権者が実際上適用すると云ふ恐れがあります。寧ろ此処に「第419条ノ規定」と云ふことは言はぬで置て,既成法典の文章に傚つて私は二た通りに書て見ましたが,夫れは「及ヒ」の下に持つて来て「及ヒ他ノ債権者ニ対シテ詐害アルトキハ此限ニ在ラス」。斯うやつた方が此精神を悉く取りまして,然うして「アクシヨンポーリアンド」の規定でもなし,一の抵当債権者を単へに利するが為めにありもしない資力を以て建築をして他の債権者を害するやうな不都合をやつたときは,則ち抵当債権者は通謀のあると無きとに拘はらず兎に角債務者が他の債権者に対して詐害を為すの目的を以て右様な建築を為した場合には,縦令其一体を成した建築物と雖も抵当債権者は夫れに対しては先取特権(ママ)を持たないぞ,と云ふことが明に為らうと思ひますから,夫れで私は此365条の「及ヒ」までは此儘にして,「及ヒ」以下の「第419条ニ依リ債権者カ債務者ノ行為ヲ取消スコトヲ得ル場合ハ」と云ふこと丈け削除して,其代はりに唯だ此処に持つて来て「他ノ債権者ニ対シテ詐害アルトキハ」と云ふ丈けの文字を加へて,「此限ニ在ラス」を存して置くが宜しいと思ひます。夫れで然う云ふ修正説を提出して置きます。(法典調査会民法議事速記録第1631-32丁)

 

 しかしながら賛同者が無かったこと(あるいは単に“action Paulienne”の発音比べをさせられるのがいやなので,他の委員は黙っていたのかもしれません。)もあってか,磯部は上記修正説を取り下げてしまいます(法典調査会民法議事速記録第1638丁)。梅365条案の修正案(有名な「抵当地ノ上ニ存スル建物ヲ除ク外」が挿入されました。)が議された第51回法典調査委員会(189412月〔法典調査会民法議事速記録第1683丁には「11月」とあるが,これは誤り。〕7日)においても,再提出は結局されませんでした(法典調査会民法議事速記録第16131丁)。

 明治天皇に裁可せられた民法370条は,次のとおりとなりました。

 

  第370条 抵当権ハ抵当地ノ上ニ存スル建物ヲ除ク外其目的タル不動産ニ附加シテ之ト一体ヲ成シタル物ニ及フ但設定行為ニ別段ノ定アルトキ及ヒ第424条ノ規定ニ依リ債権者カ債務者ノ行為ヲ取消スコトヲ得ル場合ハ此限ニ在ラス

 

同条ただし書後段に係る「法文トシテハ如何ニモ解シ悪クイ」との磯部の批判に対して敢然自己の原案を枉げなかった梅は,いわゆる確信犯だったわけです。
 梅は1910825日に大韓帝国の漢陽において歿しますが,翌1911827日付け読売新聞に掲載された磯部の回顧談には,「私は法典問題の起つた時のみ〔梅〕博士と一所になつた。兎も角博士は勉強家であり,又弁論家であつた。彼は〔略〕法律に関係したことは総て研究し,読破したが,余りにも議論家であつた為めに,時に或は其の論鋒にいくらか疑を抱かしめることもあつた。」とありました(東川徳治『博士梅謙次郎』(法政大学=有斐閣・1917年)231頁)。
 

3 民法370条ただし書後段の要件論及び立法論

 梅謙次郎によるところ,民法370条ただし書後段の要件は,次のとおりです。

 

其条件モ亦「パウルス」訴権ニ同シ即チ(第1)債務者カ他ノ債権者ヲ害スルコトヲ知リテ之ヲ為シタルコトヲ要ス而シテ他ノ債権者ヲ害スルトハ債務者カ已ニ無資力ナル場合ニ於テ金銭其他ノ財産ヲ以テ特ニ不動産ニ工作ヲ施シ以テ抵当権者ノ特別担保ヲ増加シ為メニ他ノ債権者カ受クヘキ弁済額ヲ減殺スルカ如キヲ謂フ(第2)其工事ヲ施スノ当時抵当権者カ右ノ事情ヲ知レルコトヲ要ス故ニ実際ハ大抵抵当権者ト抵当権設定者ト通謀シテ之ヲ為シタル場合ナルヘシ(424)然リト雖モ本条ノ規定ノ純然タル「パウルス」訴権ト異ナル所ハ(第1)「パウルス」訴権ハ以テ一ノ法律行為ヲ取消スヲ目的トスルニ本条ノ規定ハ工作ヲ施スニ付キ為シタル法律行為ヲ取消スニ非ス其行為ハ依然其効力ヲ存シ又工作物モ敢テ之ヲ除去スルニ非ス唯其工作物ヲ以テ抵当権ノ目的ト為スコトヲ得サルニ止マリ(第2)「パウルス」訴権ハ必ス裁判所ニ於テ之ヲ行フコトヲ要スルニ本条ノ規定ハ特ニ裁判所ニ請求スルコトヲ必要トセス右ニ掲ケタル条件ヲ具備スル以上ハ当然適用セラルヘキニ在リ是レ本条但書ニ於テ特ニ規定ヲ設クルノ必要アル所以ナリ(梅巻之二508-509頁)

 

 民法370条ただし書後段が問題となるのは,抵当権が実行されて(民事執行法(昭和54年法律第4号)180条),配当異議の申出の段階となって以降のようではあります(同法188条,89条・90条,111条)。しかしこの場合,債権者は配当異議の申出(民事執行法891項)をし,更に配当異議の訴えの提起(同法901項)をしなければならないのですから,やはり,「本条ノ規定ハ特ニ裁判所ニ請求スルコトヲ必要トセス右ニ掲ケタル条件ヲ具備スル以上ハ当然適用セラル」るわけではなく,結局「裁判所ニ請求スルコトヲ必要」とすることになるようです。なお,「配当期日において配当異議の申出をしなかった一般債権者は,配当を受けた他の債権者に対して,その者が配当を受けたことによって自己が配当を受けることができなかった額に相当する金員について不当利得返還請求をすることができないものと解するのが相当である。けだし,ある者が不当利得返還請求権を有するというためにはその者に民法703条にいう損失が生じたことが必要であるが,一般債権者は,債権者の一般財産から債権の満足を受けることができる地位を有するにとどまり,特定の執行の目的物について優先弁済を受けるべき実体的権利を有するものではなく,他の債権者が配当を受けたために自己が配当を受けることができなかったというだけでは右の損失が生じたということができないからである。」と判示する最高裁判所判決があります(最判平成10326日民集522513頁)。

 ところで,平成29年法律第44号による今次民法改正により,民法に第424条の3が加わったことをどう考えるべきでしょうか。民法370条ただし書後段の場合は,要は抵当債権者のために追加的に担保が供与された場合であるようですので,同法424条よりもむしろ同法424条の3にそろえて修文した方がよかったのではないでしょうか。「既存の債務について特定の債権者に担保を供与する行為は,〔平成29年法律第44号による民法の〕改正前の判例では,典型的な詐害行為とされてきた」ものの,「改正法は,特定の債権者に優先的に弁済する行為と同様に扱い,偏頗行為の一種として〔新424条の3の〕のルールを適用した。判例法の修正といえる。」とされています(内田369-370頁)。すなわち,「典型的な詐害行為」に係る「第424条第3項に規定する詐害行為取消請求をすることができる場合」とは異なるということでしょう。

 そうであるとすれば,民法370条ただし書を,更に次のように改めてはいかん。

 

  ただし,設定行為に別段の定めがある場合及び第424条の3第1項又は同条第2項に規定する場合においては,この限りでない。

 

「○項場合において」と「○項に規定する場合において」との違いは,「「前項に規定する場合において」という語は,〔略〕当該前項に仮定的条件を示す「・・・の場合において(は)」,「・・・の場合において,・・・のときは」又は「・・・のときは」という部分がある場合に,この部分をうけて「その場合」という意味を表そうとするときに用いられる。したがって,当該前項中の一部分のみをうけるのであり,「前項の場合において」という語が,前項の全部をうけるのとは,明らかに異なる。」という説明(前田正道編『ワークブック法制執務(全訂)』(ぎょうせい・1983年)618-619頁)から御理解ください。

さて,「債務者カ已ニ無資力ナル場合」は,支払不能の場合(民法424条の311号)ということでよいのでしょう(「支払不能は,債務超過とともに,いわば,無資力概念を具体化・実質化するもの」です(内田367頁)。)。また,当該行為が債務者の義務に属せず,又はその時期が債務者の義務に属しないものであるときは更に30箇日支払不能前に遡るのであれば(民法424321号),民法370条ただし書後段においてもそうなるべきなのでしょう。「実際ハ大抵抵当権者ト抵当権設定者ト通謀シテ之ヲ為シタル場合ナルヘシ」なのですから,「その行為が,債務者と受益者とが通謀して他の債権者を害する意図をもって行われたものであるとき」でよいのでしょう(民法424条の312号・第22号)。

泉下の磯部四郎も梅謙次郎も納得するものかどうか。

ちなみに,修正が必要であるとボワソナアドが批判していたナポレオンの民法典2133条ですが,現在はフランス民法23972項となっています。現在の同項の文言は“L’hypothèque s’étend aux améliorations qui surviennent à l’immeuble.”(抵当権は,当該不動産に生ずる改良に及ぶ。)です。確かに「全ての改良」が「改良」に改められるような微修正がされていますが,結局,ボワソナアドが細かくもわざわざ構想し,梅謙次郎が更に難しく手を入れて(かつ,磯部四郎の忠告的異論を撥ねつけて)出来上がった我が民法370条ただし書後段的規定の採用は,なかったわけです。


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磯部四郎の建てた墓(東京都港区虎ノ門三丁目光明寺)ただし,磯部の遺骨はここには眠っていません。
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光明寺のこの山号の意味は,「梅が,上」か,はた「梅の上」か。
梅上山光明寺
磯部としては,上の方にいるつもりだったのでしょう。

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192391日,関東大震災により発生した火災旋風🔥に襲われ,数万の避難民と共に磯部が落命した被服廠跡の地(東京都墨田区横網町公園)

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今度は大丈夫,なのでしょう。


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梅謙次郎の墓(東京都文京区護国寺)
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1 共同不法行為の謎

 

   共同不法行為とは,719条という1カ条の条文に規定されているに過ぎない制度であるが,従来から大きな論争点のひとつであり,その解釈は混迷を極めている。なぜだろうか。

   まず,「数人が共同の不法行為に因りて他人に損害を加へたるときは各自連帯にてその賠償の責に任ず」と規定する1項前段は,加害者に連帯責任を課すことにより被害者を保護した規定らしいことは分かるが,「共同の不法行為」とは何かが明らかではない。また,共同行為者中の孰れがその損害を加へたるかを知ること能はざるとき亦同じ」と規定する後段は,加害者不明の場合の規定らしいことは分かるが,「共同行為」とは何かが明らかではない。そして,「共同の不法行為」と「共同行為」との関係も明らかではない。

   これらの点について,起草者の考え方自体はっきりせず(というより一貫せず),かつその後の学説も,各人各様で対立している。そして,判例も,何をもって共同不法行為と考えているのか,必ずしもはっきりしない。このような混迷の原因は,何のために719条があるのかについてそもそも見解が一致しないところにある。

        (内田貴『民法Ⅱ債権各論』(東京大学出版会・1997年)486-487頁)

 

こういわれると,民法(明治29年法律第89号)719条は避けて通りたくなるのですが,そうもいきません。

 

   このように,〔民法719条は〕理論的に問題の多い制度であることに加えて,とくに公害訴訟との関連で,実践的にも,この制度の理解いかんが実際の訴訟の結論に影響を与えることとなったため,以来注目を集めるに至っているのである。(内田Ⅱ487頁)

 

 ということでやむなく,かつて筆者は,夫子・内田貴弁護士の学説に従って民法719条を整理して理解し人にも説明しようと試みたのですが,やはりうまくいかない。

 

  「内田先生のあの本,共同不法行為のところ,何書いているのかさっぱり分からない・・・」

 

 との,某学部長先生(現在は第一東京弁護士会所属の弁護士)からかつて伺った御意見が,誠にむべなるかなと筆者の記憶中に改めてよみがえったところです。

 しかし,「現在のところ,719条の適用領域を画する基準については諸説が乱立し,帰一するところを知らない状況である。判例の考え方も明確ではない。」ということですから(内田Ⅱ490頁),何らかのもっともらしい理屈に基づき何かを言う限りは完全に間違った妄言ということにはならないのでしょう。その意味では,本稿を書きつつ筆者はやや気楽です。

 

  (共同不法行為者の責任)

  第719条 数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは,各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも,同様とする。

  2 行為者を教唆した者及び幇助した者は,共同行為者とみなして,前項の規定を適用する。

 

2 旧民法財産編378条並びにドイツ民法830条及び840条1項

 

(1)旧民法財産編378条の条文

民法719条の前身規定として同法起草者の一人である梅謙次郎によって挙げられているものには外国法の規定はなく,旧民法財産編(明治23年法律第28号)378条のみが示されています(梅謙次郎『民法要義巻之三債権編(訂正増補第30版)』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)906頁)。

 

 第378条 本節〔第3節 不正ノ損害即チ犯罪及ヒ准犯罪〕ニ定メタル総テノ場合ニ於テ数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任シ各自ノ過失又ハ懈怠ノ部分ヲ知ル能ハサルトキハ各自全部ニ付キ義務ヲ負担ス但共謀ノ場合ニ於テハ其義務ハ連帯ナリ

 

(2)ドイツ民法830条及び840条1項の各条文

しかしながら,日本民法719条とドイツ民法(我が民法第1編から第3編までの公布と同年の1896年公布)830条とはよく似ています。

 

       §830

  (1) Haben mehrere durch eine gemeinschaftlich begangene unerlaubte Handlung einen Schaden verursacht, so ist jeder für den Schaden verantwortlich. Das Gleiche gilt, wenn sich nicht ermitteln lässt, wer von mehreren Beteiligten den Schaden durch seine Handlung verursacht hat.

  (2) Anstifter und Gehilfen stehen Mittätern gleich.

 

     第830条

  1 数人が一の共同(gemeinschaftlich)にされた不法行為によって一の損害を惹起したときは,各人は当該損害に対して責任を負う。数人の関与者のうち(von mehreren Beteiligten)だれがその行為によって損害を惹起したかを知ることができないときも,同様とする。

  2 教唆者及び幇助者は,共同行為者と同様である(stehen Mittätern gleich)。

 

ただし,日本民法7191項は連帯債務であることを明言していますが,ドイツ民法8301項では「各人は当該損害に対して責任を負う。」とだけあってその点がなおはっきりしていません。ドイツ民法8401項を見なくてはなりません。ドイツでも連帯債務です。

 

        §840

  (1) Sind für den aus einer unerlaubten Handlung entstehenden Schaden mehrere nebeneinander verantwortlich, so haften sie als Gesamtschuldner.

 

     第840条

  1 一の不法行為から生ずる損害に対して数人が併存的に(nebeneinander)責任を負うときは,当該数人は連帯債務者として(als Gesamtschuldner)責任を負う。

 

(3)ドイツ民法第一草案714条(1888年)の条文

ドイツ民法830条は,1888年の第一草案では次のとおりでした(ドイツ民法の草案やその理由書・議事録がインターネットで見ることができてしまうので,髭文字を読解せねばならず,かえって大変です。)。

 

     §714

Haben Mehrere durch gemeinsames Handeln, sei es als Anstifter, Thäter oder Gehülfen, einen Schaden verschuldet, so haften sie als Gesammtschuldner. Das Gleiche gilt, wenn im Falle eines von Mehreren verschuldeten Schadens von den Mehreren nicht gemeinsam gehandelt, der Antheil des Einzelnen an dem Schaden aber nicht zu ermitteln ist.

 

     第714条

数人が(Mehrere),教唆者,行為者又は幇助者のいずれかとして,「共同」の行為(gemeinsames Handeln)によって一の損害をひき起こした(verschuldet)ときは,連帯債務者(Gesammtschuldner)として責任を負う。数人によってひき起こされた一の損害について当該数人が「共同」に行為していなかった(nicht gemeinsam gehandelt)場合において,しかし当該損害に係る各人の寄与分(Antheil)を知ることができないときも,同様とする。

 

ここで「共同」と括弧がついているのは„gemeinsam“であって,括弧なしの共同である„gemeinschaftlich“との訳し分けを試みたものです。

„Antheil“を「寄与分」と訳してみましたが,どうでしょうか。「原因力の大小等」(我妻榮『事務管理・不当利得・不法行為』(日本評論社・1937年(第1版))194頁参照)ともいい得るものでしょうか。(なお,ある結果に対してある事実が原因であるかどうかは厳密にはディジタル的な有無の問題であって,アナログ的な大小の問題ではないところです。)

 このドイツ民法第一草案714条は,見たところ,我が旧民法財産編378条と同じようなところのある規定であるようです。

 まず,ドイツ民法第一草案714条の第1文(「数人が,教唆者,行為者又は幇助者のいずれかとして,「共同」の行為(gemeinsames Handeln)によって一の損害をひき起こしたときは,連帯債務者(Gesammtschuldner)として責任を負う。」)は,我が旧民法財産編378条ただし書(「共謀ノ場合(であってすなわち当該「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任」ずる場合)ニ於テハ其義務ハ連帯ナリ」)と同じ規定であるように思われます(当該ただし書においては教唆者及び幇助者の取扱いについては明文で取り上げられてはいませんが。)。

ドイツ民法第一草案714条の第2文は,当該数人の「共同」の行為(gemeinsames Handeln)ではない場合ではあるが,それらの者の全員が各々当該損害の発生に何らかの寄与をしているときに関する規定であると読むことができます。我が旧民法財産編378条本文も,同条ただし書の場合以外の場合(共謀ではない場合)を含んでおり,かつ,「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任シ各自ノ過失又ハ懈怠ノ部分ヲ知ル能ハサルトキハ各自全部ニ付キ義務ヲ負担ス」というのですから,共謀でない当該場合において「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任」ずるのは,当該数人のいずれについても損害の発生の原因行為をしていることが認められるときであるということを前提とするもののようです(当該損害を惹起した「過失又ハ懈怠」の各人における存在を前提としているものと解されます。ただし,「同一ノ所為」であって「損害」ではないのですが,次に見るボワソナアドの草案では「所為」は"fait"ですので,ここでは,なされた結果に重点を置いて理解すべきなのでしょう。)。しかしながら効果については,ドイツ民法第一草案第2文は連帯債務とするのに対し,我が旧民法財産編378条本文は全部義務とするところにおいて,両者は相違します。

 

(4)ボワソナアド草案398条

とここで,旧民法財産編378条が基づいたところのボワソナアドの草案398条及びその解説を見てみる必要があるようです。少々長い寄り道となります。

 

   398.  Dans tous les cas prévus à la présente Section, si plusieurs personnes sont responsables d’un même fait, sans qu’il soit possible de connaître la part de faute ou de négligence de chacune, l’obligation est intégrale pour chacune, conformément à l’article 1074.

      S’il y a eu entre elles concert dans l’intention de nuire, ells sont solidairement responsables. [C. it. 1156]

  Boissonade, M. Gve, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations (Tokio, 1891) p.311

 

“concert dans l’intention de nuire”ですから,旧民法378条の「共謀」は,故意の加害に係る共謀ということになります。

イタリア民法典の第1156条が参考条文として挙げられていますが,残念ながら筆者はイタリア語をつまびらかにしません。

 ボワソナアド草案1074条とは,旧民法債権担保編(明治23年法律第28号)73条のことです。

 

       第4款 全部義務

  第73条 財産編第378条,第497条第2項及ヒ其他法律カ数人ノ債務者ノ義務ヲ其各自ニ対シ全部ノモノト定メタル場合ニ於テハ相互代理ニ付シタル連帯ノ効力ヲ適用スルコトヲ得ス但其総債務者又ハ其中ノ一人カ債務ノ全部ヲ弁済スル言渡ヲ受ケタルトキモ亦同シ

   然レトモ一人ノ債務者ノ為シタル弁済ハ債権者ニ対シ他ノ債務者ヲ免レシム又弁済シタル者ハ事務管理ノ訴権ニ依リ又ハ債権者ニ代位シテ得タル訴権ニ依リテ他ノ債務者ニ対シ其部分ニ付キ求償権ヲ有ス

 

             DE L’OBLIGATION SIMPLEMENT INTÉGRALE.

    ART. 1074. --- Dans le cas des articles 88, 152, 398, 519, 2e alinéa, et tous autres où l’obligation de plusieurs débiteurs est déclarée par la loi “intégrale ou pour le tout” à l’égard de chacun d’eux, il n’y a pas lieu de leur appliquer ceux des effets de la solidarité qui sont attachés au mandate réciproque, même après qu’ils ont, en tout ou en partie, subi la condemnation intégrale.

        Mais le payement fait par un seul libère tous les autres vis-à-vis du créancier, et celui qui a payé a son recours contre les autres pour leur part et portion, tant par l’action de gestion d’affaires que par les actions du créancier auxquelles il est subrogé de plein droit.

      Boissonade, M. Gve, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Quatrième, Des Preuves et de la Prescription, Des sûretés ou Garanties. (Tokio, 1891) p.162

 

ボワソナアド草案3981項は全部義務となる場合を規定し,同条2項は連帯債務となる場合を規定します。ボワソナアドによる同条の解説は,いわく。

 

  我々はここ〔ボワソナアド草案398条〕において,複数の人の用益に供され,又は複数の人に賃貸された家屋の火災に関して既に見たところ(草案88条及び153条参照)の責任の規整と同様の規整を見出す。

  この節において法が過失あるものと推定するところの複数の者(personnes que la loi présume en faute)中の各人についてその過失又は懈怠(négligence)の部分(part)を知り,かつ,決定することが可能である場合においては,彼らに対して全部義務(une responsabilité intégrale)を課することは衡平を欠くこととなろう。しかしながら,各個の過失の程度に係る当該確認は,ほぼ常に不可能である。そこで(alors),法は,各人が過失全体について有責であるものとみなすのである。読者は,第1074条について,債務に係るこの形態(cette modalité des obligations)――連帯債務(solidarité)の隣人ではあるが,それと混同してはならない――についての詳細を知ることができる。

  均一又は不均一に定められた持分において(pour des parts)複数の人によって所有される動物によって,又はそのような建物の崩壊によって損害(dommage)が惹起された場合においては,人はあるいは躊躇するであろう。この場合においては,衡平は,損害を生じさせた物に係る彼の所有権の割合に応じた責任以外の責任を各人に課することを許さないようにあるいは思われるであろう。しかし,これは幻覚である。例えば,建物の半分の持分の共有者でしかない者であっても,その半分のみについて建物を維持し,及び修繕するということは許されず,全体についてしなければならなかったのである。より強い理由をもって,危険な動物について,彼はそれをその全体について管理しなければならなかったのである。すなわち,その一部分以外については動物が管理されずにあり得るというようなことはおよそ考えることができない。共有者の各権利の割合に応じて責任を分割するものとする反対説は,知らず知らずのうちに,委付(abandon noxal)に係るローマの古い理論の影響を被ってしまっているのである。すなわち,生物又は無生物によって惹起された損害に係る責任から,損害の被害者に当該物を委付することによって逃れることを許す法制下においては,各共有者の責任がその持分を超え得ないことは明白である。しかしながら,この上なくより合理的かつ衡平な現在の制度は,もはやそうではない。そこにおいては,責任は,所有者の懈怠の上にのみ基礎付けられるのである。しかして,監督(surveillance)は性質上不可分であるので,責任は全部に及ぶものでなければならないのである。

  復数の人による過失(la faute de plusieurs)が意図的かつ共謀に基づくもの(volontaire et concertée)である場合においては,そうであればそれは私法上の犯罪(un délit civil)を構成するのであって,法は,複数の人による刑法上の犯罪の場合と同様に,そうであれば当該債務は連帯solidaire)であるものと宣言する。全部義務(l’obligation simplement intégrale)よりもより厳格な連帯債務(l’obligation solidaire)については,第4編第1部(第1052条以下)において説明される1

 

(1)〔ボワソナアドの原註〕古い案文においては,全ての場合において連帯義務(la responsabilité solidaire)となるものとされていた。その後,ここに示された区分(distinction)を我々(nous)は提案し,しかして当該区分は正式法文(第378条)に採用された。

Boissonade, Tome II, pp332-333

 

 「この節において法が過失あるものと推定するところの複数の者中の各人についてその過失又は懈怠の部分を知り,かつ,決定することが可能である場合においては,彼らに対して全部義務を課することは衡平を欠くこととなろう。」とありますから,その過失又は懈怠が,部分(part)としてはいかに小さいにせよ,損害の原因となっていることは証明されている,ということが前提とされているものでしょう。

 なお,そもそも「この節において法が過失あるものと推定するところの複数の者中の各人についてその過失又は懈怠の部分を知り,かつ,決定することが可能である場合」以外の場合(その過失又は懈怠の部分を知り,かつ,決定することが不可能である場合)において,分割債務(民法427条)又は連合ノ義務(旧民法財産編440条)の規定によらないこととされているのは,「数人の〔略〕債務者が同一内容の給付を〔略〕履行すべき義務を有し,而して〔略〕一人のなす履行によつて消滅する同じ数個の債権債務関係」が「不法行為又は債務不履行によつて損害を発生した場合」に発生するものとされていたローマ法(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)273-274頁)以来の伝統のゆえでしょうか。

 ローマ法における委付の話も出て来ますが,これは,「家長主人が権力服従者の加害行為に関し罰金又は損害額を支払う(noxam sarcire)代りに,加害者,加害動物を委附して(noxae dedere, noxae datio)その責を免れるを特色とする訴権を加害訴権(actio noxalis)という。〔略〕当初に於ては委附が本来の債務で,ただ支払によつて委附債務を免れ得たと解せられる。委附の目的は被害者の復讐に任せるにあつた。」というものだったそうです(原田234-235頁)。

 ボワソナアド草案88条は,次のとおり。

 

    88.  Si les choses soumises à l’usufruit ont péri par un incendie, en tout ou en partie, l’usufruitier n’en est responsable que si sa faute est prouvée en avoir été la cause.

      S’il y a plusieurs usufruitiers, la responsabilité est intégrale à la charge de chacun de ceux qui sont en faute.

  (Boissonade, M. Gve, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Premier, Des Droits Réels. (Tokio, 1890) pp.167-168

 

  第88条 用益権の目的である物の全部又は一部が火災により滅失した場合においては,用益者は,その過失が原因であったことの証明がない限り責任を負わない。

    用益者が複数であるときは,責任は,過失のあった者の各々について全部の支払となる。

 

 ボワソナアド草案882項についての同人の説明は,次のとおり。

 

法はまた,複数の共同用益者(plusieurs usufruitiers conjoints)が存在する場合であって,彼らについて共同の過失(faute collective)が立証されたときについて備えなければならなかった。この場合,彼らは連帯して責任を負うものと宣言すべきであったろうか,それとも彼らの責任を等分すべきであったろうか。これらの解決案のいずれも受け容れ難く思われた。すなわち,連帯は重きに過ぎ,分割は――一つの過失は複数の部分によってなされるものではないのであるから――非論理的であった。法は,中道を採るものである。すなわち,債務は全部義務であって(l’obligation sera intégrale ou pour le tout),連帯ではない。この解決は,第4編第1部において連帯債務(第1052条以下)及び全部義務(第1074条)がどのようなものであるかを読者が見たときに,よりよく理解されるであろう。(Boissonade, Tome I, pp.187-188

 

 ボワソナアド草案152条及び153条は,次のとおり。

 

 ..152.  Si les choses louées ont péri, en tout ou en partie, par un incendie, le preneur n’en est responsable que si l’incendie est prouvé avoir été causé par sa faute. [Contrà 1733.]

 

 ..153.  Au cas de plusieurs locataires de la même chose, tous ceux dont dont la faute est prouvée sont intégralement responsables de l’incendie.

  [Contrà 1734; L. fr. du 5 janv. 1883]

                                             Boissonade, Tome I, p.280

 

 第152条 賃借物の全部又は一部が火災により滅失した場合においては,賃借人は,当該火災はその過失を原因とするとの証明がない限り責任を負わない。(反対:フランス民法1733条)

 

  第153条 同一の物の賃借人が複数であるときは,そのうちその過失が証明された全ての者は,火災につき全部義務を負う。

  (反対:フランス民法1734条,フランス188315日法)

 

フランス民法1733条は賃借人の過失を推定し,同法1734条は連帯債務とし,フランス188315日法は,各自の住居の賃料に比例した責任を負うものとしていたそうです(Boissonade, Tome I, p.288)。

 

(5)ドイツ民法第一草案714条の理由書(Motive

 さて,再びドイツ民法第一草案714条。

 同条について,ドイツ民法第一草案理由書(Motive)は,次のように述べます。

 

教唆者,行為者又は幇助者のいずれかとして,「共同」の行為によって一の損害をひき起こした数人は,連帯債務者として責任を負う,という規定は,現行法を踏襲(wiedergeben)するものである。もっとも,普通法理論においては(in der gemeinrechtlichen Theorie),そのようなものとしての教唆者の責任について,異論がある。しかしながら,今日の法にとっては,そのような論争に意義は認められない。

同様の連帯債務者責任(die gleiche gesammtschuldnerische Haftung)が,数人によってひき起こされた一の損害の場合であって,当該数人が「共同」に行為しておらず(diese Mehreren nicht gemeinsam gehandelt haben),しかし当該損害に係る各人の寄与分を知ることができないときに生ずる(ザクセン法典第1495条,バイエルン草案第71条,ドレスデン草案第128条を参照)。この規定は,当該数人全員(die sämmtlichen Mehreren)が共通の不法行為の基礎に基づいて(nach allgemeinen Deliktsgrundsätzen)具体的な形で(in concreto)責任を負う(ein Verschulden trifft),という前提の限りにおいて(vorausgesetzt immer),どの行為が当該損害を直接(gerade)惹起したかが不確か(ungewiß)であるときにも特に適用を見るものである(greift namentlich auch Platz)。当該規定は,例えば,乱闘における(in Raufhändeln)致死事案(Tödtung)又は傷害事案(Körperverletzung)について実用的(praktisch)であろう。

事後援助者(Begünstiger)又は隠匿者(Hehler)の責任義務についての規定は,必要ではない。彼らが彼ら自らの行為によって(第704条及び第705条。刑法第257条以下参照)損害を惹起した限りにおいては,これらの者の損害賠償義務は自明のことである。他者の不法行為によって獲得された利益(Vortheile)について自ら不法行為をすることなく参与する(partizipiren)第三者は,その限りにおいて(insoweit)被害者に対して責めを負うものとする一般規定は,しかし,有益であるかもしれない(positiv wäre)。不法行為者(Delinquent)が参与を認めた第三者に対しての利得返還請求の可否の問題は,本草案の一般原則によって解決される。

 

 ここで,「どの行為が当該損害を直接惹起したかが不確かであるとき(wenn ungewiß ist, welche Handlung gerade den Schaden verursacht hat)」の問題は,寄与分の大小ではなく,そもそもの寄与(原因性)の有無に係る問題であるように思われます。ドイツ民法第一草案7142文の「しかし当該損害に係る各人の寄与分を知ることができないときder Antheil des Einzelnen an dem Schaden aber nicht zu ermitteln ist)」の文言の枠内にとどまるものか否か。


(6)ドイツ民法第二草案(1894年)に係る議事録(Protokolle)をめぐって

 ドイツ民法第一草案714条の文言は,同第二草案(1894年)753条において既に現行ドイツ民法830条の文言になっています。

 第一草案から第二草案への移行においてどのような議論があったのか。第二読会委員会の議事録(Protokolle der Kommission für die Zwite Lesung)は,いわく。

 

   その第1文に対しては異議の提起がなかった第714条について,第2文を次のようにすべきだとの提案がされた。

 

     数人が非共同的に行為し,かつ,だれの行為が損害を惹起したかを知ることができないときも,同様とする。Das Gleiche gilt, wenn Mehrere nicht gemeinschaftlich gehandelt haben und sich nicht ermitteln läßt, wessen Handlung den Schaden verursacht hat.

 

   当該提案は,採択された。ただし,文言(Fassung)については,編集委員会(die Red. Komm.)の審査(Prüfung)を受けるものとされた(blieb…vorbehalten)。

   当該提案は,第714条第2文の規定が次のような場合においても適用されることを明らかにしようとするものである。すなわち,違法な結果(ein rechtswidriger Erfolg)が,当該行為に係る数人の関与者の合同作業(das Zusammenwirken mehrerer an der Handlung Betheiligten)によってではなく,数人の関与者中の一人の行為(die Handlung eines von mehreren Betheiligten)によってもたらされたものの,当該行為を行った者(der Urheber)がだれであるか証明(nachweisen)できない場合である。したがって,当該行為をした数人中の(von den mehreren Handelnden)一人が当該損害を惹起したこと,当該損害は当該数人中のいずれによっても(von einem Jeden)惹起された可能性があること(möglicherweise...verursacht ist),及び行為者中の各人について(in der Person jedes der Handelnden),彼が損害惹起者(der Schädigende)であるときは,やはり不法行為責任を問い得ること(auch Verschuldung vorliegt)が前提されれば足りるものである。例えば,乱闘において(bei einem Raufhandel)数人がある一人に殴りかかり,かつ,当該殴打のうちの(von den Schlägen)一つが死をもたらした場合であって,当該致命的殴打がだれから直接出来したかが証明され得ないときには,第714条が適用され得なければならない。現草案によれば(nach dem Entw.),このような場合においては,第714条第1文の適用が疑わしくなるようなのである(würde...zweifelhaft sein)。

     委員会は,一の「共同」の非行に係る関与者の責任義務(Haftpflicht der an einem gemeinsamen Vergehen Betheiligten)をそのように法律上拡大することを承認した。

 

 前記議事録に記載された第7142文の改正案(以下「ドイツ民法83012文プロトコル案」又は単に「プロトコル案」といいます。)は,大胆です。

ドイツ民法83012文プロトコル案の文言であれば,「ある場所で喫煙した数人のうちの,だれかが吸いがらの始末を怠ったために出火した場合」(幾代通著=徳本伸一補訂『不法行為法』(有斐閣・1993年)228頁),「Aは猟に出かけ,Xを猪と間違えて猟銃で撃ってしまったが,同時に,同じく猟に来ていたBも,Xを猪と思って銃で撃った。弾丸は一発だけがXに命中し,Xは瀕死の重傷を負ったが,その弾丸がABいずれのものかが分からなかった(たまたま両者の銃が全く同じ物だったとしよう)」場合(内田Ⅱ489-490頁),山の上からハイカーA及びBがそれぞれ別々に不注意に石を投げて,そのうち一つの石が下の道を歩いていた人に当たって怪我をさせたが,その石を投げたのがAなのかBなのか分からない場合(内田Ⅱ492頁参照)等についても,ドイツ民法83011文の適用(「各人は当該損害に対して責任を負う」)があるものでしょう。「数人が非共同的に行為したとき(Mehrere nicht gemeinschaftlich gehandelt haben)」であっても大丈夫であることが明文化されているということは,心強いところです。

しかしながら,ドイツ民法案起草に係る編集委員会(die Red. Komm.)は,ドイツ民法83012文プロトコル案を大幅に修正しています。

一番大きな変更は,「非共同的に(nicht gemeinschaftlich)」との文言が落とされたことです。やはり,損害を惹起させたことの積極的証明のない者にまで当該損害に係る賠償責任を負わせるには,「共同的に行為する(gemeinschaftlich begehen)」ことは必須であると判断されたものでしょうか。これに対して,ドイツ民法第一草案7142文の場合は,損害に対する寄与分(Antheil)がどれだけかが既に云々されている段階の者に係る損害賠償の分量が問題になっていた(すなわち,既に因果関係は認められていた)ところです。

そうであれば,ドイツ民法83012文の意義は,「例えば,乱闘において数人がある一人に殴りかかり,かつ,当該殴打のうちの一つが死をもたらした場合であって,当該致命的殴打がだれから直接出来したかが証明され得ないときには,第〔830〕条が適用され得なければならない。〔かつての〕草案によれば,このような場合においては,第〔830〕条〔第1項〕第1文の適用が疑わしくなるようなのである。」という疑問を解消するための,為念的規定ということにすぎなかったものでしょうか。確かに,プロトコル案採択の趣旨も,「委員会は,一の「共同」の非行に係る関与者の責任義務(Haftpflicht der an einem gemeinsamen Vergehen Betheiligten)をそのように法律上拡大することを承認した。」ということであって,「一の「共同」の非行(ein gemeinsames Vergehen)」という縛りがかかっています。

ドイツ民法第一草案7142文に係る理由書の記述も「この規定は当該数人全員die sämmtlichen Mehrerenが共通の不法行為の基礎に基づいてnach allgemeinen Deliktsgrundsätzen具体的な形でin concreto責任を負うein Verschulden trifft),という前提の限りにおいてvorausgesetzt immer),どの行為が当該損害を直接gerade惹起したかが不確かungewißであるときにも特に適用を見るものであるgreift namentlich auch Platz。」というものであって,「共通の不法行為の基礎」という枠内限りでの適用拡大で満足し,それ以上の野心的主張はしていなかったところです。
 また,ドイツ民法83011文と同条2項とは共にgemeinschaftlich(又はgemeinsam)な場合であるので,その両者に挟まれた同12文もgemeinschaftlichな場合に係る規定であると解するのが自然でしょう(オセロ・ゲーム的思考:●○●→●●●)。

 ところで,ドイツ民法83012文ではプロトコル案とは異なり「非共同的に(nicht gemeinschaftlich)」との文言が落ちているのですが,そうなるとそれに対応する「数人が「共同」に行為していなかった(nicht gemeinsam gehandelt)場合」に係るドイツ民法第一草案7142文の規律はどこに行ってしまうのかが気になるところです(ドイツ民法83012文も同項1文と同様に共同(gemeinschaftlich)性の枠内にあると解する場合)。この点,ドイツ人は抜かりのないところで,ドイツ民法8401項が受皿規定になっています(ただし,「当該損害に係る各人の寄与分を知ることができないとき」に限らず,連帯債務となります。)。ドイツ民法8401項はドイツ民法第二草案7641項に由来していますが,ドイツ民法第二草案764条については,既にそこにおいてドイツ民法第一草案713条,714及び7362項が原規定である旨如才なく註記がしてありました(なお,法典調査会民法議事速記録41115丁を見ると,我が民法の第719条の起草に当たっての参照条文としてドイツ民法第一草案714条及び同第二草案753条(現行ドイツ民法830条)は挙げられていますが,同第二草案764条(現行ドイツ民法840条)には言及されていません。)。ドイツ民法8401項の「一の不法行為から生ずる損害に対して数人が併存的に責任を負うとき」との文言は,我が旧民法財産編378条本文の「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任」ずるときとの文言を彷彿とさせるようでもあります。

 

3 フランス語訳(富井=本野)から見た日本民法719条

「起草者の考え方自体はっきりせず(というより一貫せず)」と内田弁護士には評されているものの,現行民法の起草者の一人である富井政章が,本野一郎と共にした日本民法のフランス語訳(筆者の手元には,新青出版による1997年の復刻版があります。)における第719条は,次のとおり。

 

   ART. 719. --- Lorsque plusieurs personnes ont causé un dommage à une autre par un act illicite commis en commun, elles sont tenues solidairement à la réparation de ce dommage. Il en est de même, lorsqu’il est impossible de reconnaître lequel des coauteurs de l’acte a causé le dommage.

   L’instigateur et le complice sont considérés comme coauteurs.

 

 筆者の手許の辞典(Nouveau Petit Le Robert, 1993)では,“coauteur”とは“Participant à un crime commis par plusieurs autres, à degré égal de culpabilité”とされていますから,これは「共同正犯」ですね。

 また,富井=本野フランス語訳日本民法7191項第2文では“l’acte”と定冠詞付きの「行為」が問題となっていますから,同文は第1文の続き(その内容に関する敷衍)であって,第1文とは別の場面のことを新たに規定しようとするものではないようです。ドイツ民法83012文プロトコル案風に“Il en est de même, lorsqu’il est impossible de reconnaître lequel des acteurs qui n’agissaient pas en commun a causé le dommage.”と読み替えるのは,なかなか難しい。

 となると,民法71912文(後段)は,同項1文(前段)を承けて,共謀に基づき当該不法行為を行った当該数人の者たる「共同行為者」(les “coauteurs”)のうちだれの行為によって当該損害が惹起されたかまでが明らかにされずとも,その全員について連帯債務関係が生ずることには変わりがない旨が規定された,ということになるのでしょう。

 かくして日本民法7191項後段は,本来は,さきに筆者が理解したところのドイツ民法83012文に係る前記為念的趣旨と同じ趣旨の規定だったのでしょうか。そうだとすると,プロトコル案流に「〔民法7191項〕後段の規定の存在理由は,当該数人の者の間には〔同項前段〕の型におけるような主観的共同関係が存在しない場合にも,なお被害者の保護の機会を大きくするために特に政策的に認められた推定規定」であって,だれだか分からないがそのうちのだれかが吸いがらの始末を怠ったために出火したことは確かである事案における容疑者が属するのが「一般公衆が自由に出入りできる場所でたまたま同時に喫煙していた数人といったような」「偶然的な状況の場合であっても,本1項後段の適用を認めてよい」(幾代228-229頁・229頁註3),「ABいずれの行為と損害との間に事実的因果関係があるのか不明であるにもかかわらず,両者に連帯して全損害について賠償責任を負わせることを定めたのが〔民法7191項〕後段だというわけである」,「1項後段の法律的意味は,加害者が不明である限り因果(●●)関係(●●)()推定(●●)する(●●)というところにある」(内田490頁,492頁)とまで大胆に言い切ることは,類推適用の主張であればともかくも,躊躇されます。当該躊躇に対しては,「これに対しては,それでは責任を負わされる容疑者の範囲が不当に広くなる,との批判が出るかもしれないが,「加害者は,この数人のうちのだれかであり,この数人以外に疑いをかけることのできる者は一人もいない」という程度までの証明があり,かつ各人に因果関係の点を除いてそのほかの不法行為の要件がすべて揃っているときに本規定の適用があると解するならば,不当ではあるまい。」(幾代229頁註3)との叱咤があります。ドイツ民法83012文プロトコル案の提案者もそのようなことを言っていたところです。しかし,当該プロトコル案は結局そのままでは採用されず現行ドイツ民法83012文(及び日本民法7191項後段)の文言に変更されている,という事実の重みは厳として存在しています。民法7191項後段が「共同(●●)行為者(●●●)中・・・」といっているのがやや気になる点である」(幾代229頁註3。下線は筆者によるもの)程度どころか,いろいろ気になる筆者にとっては,大いに問題です。

(ただし,ドイツ民法83012文は„Das Gleiche gilt, wenn sie nicht ermitteln lässt, wer von mehreren Beteiligten den Schaden durch seine Handlung verursacht hat.“であってDas Gleiche gilt, wenn sie nicht ermitteln lässt, wer von den mehreren Beteiligten den Schaden durch seine Handlung verursacht hat.“ではなくかつ„Beteiligten“であって„Mittätern“ではないのでプロトコル案的解釈を許容する余地があるのだということになるのかもしれません。

  

4 主観的共同関係のない旧民法財産編378条本文の場合に係る適用条文の行方の問題

 

(1)削られた全部義務関係規定

ところで,前記見てきたところにかんがみ,日本民法719条をドイツ民法830条と同趣旨の規定と考え,日本民法7191項前段の規整対象は,「主観的共同関係のある場合の共同不法行為」すなわち「数人が共謀して強窃盗をしたり,他人に暴行を加えるなど,数人が共同する意識をもって行動した結果として他人に損害を与えた場合」であると解すると(幾代225頁),旧民法財産編378条との関係で問題が残ります。つまり,現行民法719条は旧民法財産編378条のただし書(共謀の場合に係ります。)に対応するものであると理解した場合,それでは爾余の旧民法財産編378条本文の規律(全部義務の場合を定める。)はどこへ行ってしまったのだろうか,という問題です。ドイツ民法の場合は同法8401項で拾い得るのですが(ただし,効果は連帯債務),我が民法においては見たところ規定を欠くようです。

「古い案文においては,全ての場合において連帯義務となるものとされていた。その後,ここに示された〔全部義務との〕区分を我々(nous)は提案し,しかして当該区分は正式法文(第378条)に採用された。」とProjetにおいてボワソナアドが自慢していた新工夫の全部義務の制度に係る規定が,現行日本民法では落とされてしまっていることと関係があるようです。

 

  連帯債務の性質に関しては,〔略〕連帯債務の中に共同連帯Korrealobligation)と単純連帯Blosssolidarobligation)とを分け,〔略〕第19世紀の中葉以後,〔略〕2種共に多数の債務が存するものであって,ただ前者はその多数の債務の間により一層緊密な関係があるに過ぎない,とする説がこれに代った。そして,近世の立法はいずれも,連帯債務の中に2種を区別することをしない(フ民1197条以下,ド民421条以下,ス債143条以下――ドイツ民法,スイス債務法は単純連帯の主要な場合である共同不法行為もこれを連帯債務とする(ド民830条〔筆者註:ここは,正確には,前記のとおり8401項でしょう。〕,ス債50条)。但しフランス民法には規定はない)。わが民法もまたこれにならった432条〔現在は436条〕以下,719条――旧民法は連帯債務の他に連帯でない全部義務を認める(財378条・439(ママ)条〔筆者註:「437条」の方がよいようです。〕以下)。その差は,前者においては債務者間に代理関係があり,後者においてはそうでない点にある(債担52条・73条))。(我妻榮『新訂債権総論』(岩波書店・1964年(第10刷は1972年))401頁。下線は筆者によるもの)

 

 どうでしょうか。「やっぱりもともとフランス民法には無かったし,ドイツ民法草案にも無いし,ボワソナアドの思い付きに係る新奇の「全部義務」などというものは,一度は我が民法に入れることにしたけれど,やめておいた方が「日本人は変だ」と言われなくて無難じゃないの」というような決定が現行民法の起草者間でされたかのように思わせられる記述です。ボワソナアドの渋面が目に浮かびます。

全部義務の日本民法典からの消滅に係る事情について,梅謙次郎は何と言っているかというと,次のごとし。

 

 連帯債務ハ従来分チテ完全(○○)ナル(○○)連帯(○○)Solidarité parfaite)及ヒ不完全(○○○)ナル(○○)連帯(○○)Solidarité imparfaite)ノ2トセリ而シテ旧民法ニ於テハ甲ヲ単ニ連帯(○○)ト謂ヒ乙ヲ全部(○○)義務(○○)ト謂ヘリ而シテ2者ノ分ルル所ハ代理ノ有無ニ在リトセリ然レトモ新民法ニ於テハ連帯ヲ以テ必スシモ代理アルモノトセス而モ或場合ニ於テハ幾分カ代理ニ類スル関係ヲ生スルモノトセリ故ニ其性質タルヤ旧民法ノ連帯ト全部義務トノ中間ニ在ルモノト謂フヘシ而シテ当事者ハ旧民法ニ所謂全部義務ノ如キ義務ヲ約スルコト固ヨリ其自由ナリト雖モ余ノ信スル所ニ拠レハ特ニ此ノ如キ義務ヲ約スルコトハ蓋シ極メテ稀ナルヘク寧ロ純然タル連帯ヲ約スヘキノミ又立法者モ法律上数人ノ債務者ヲシテ各自債務ノ全部ニ付キ責ヲ負ハシメント欲スル場合ニ於テハ単ニ所謂全部義務アルモノト云ハスシテ寧ロ連帯債務アルモノトスヘキノミ故ニ新民法ニ於テハ連帯債務ノ外別ニ所謂全部義務ノ如キモノヲ規定セス但稀ニハ自ラ所謂全部義務ヲ生スルコトナキニ非スト雖モ特ニ法文ノ規定ヲ竢タスシテ其関係明白ナルヘキノミ例ヘハ第714条,第715条及ヒ第718条ノ場合ニ於テ無能力者ノ監督義務者及ヒ之ニ代ハリテ無能力者ヲ監督スル者,使用者及ヒ之ニ代ハリテ事業ヲ監督スル者,動物ノ占有者及ヒ之ニ代ハリテ動物ヲ保管スル者ハ皆各損害ノ全部ニ付キ賠償ノ責ニ任シ被害者ハ其孰レニ対シテモ之ヲ訴求スルコトヲ得ヘシ故ニ是レ旧民法ニ所謂全部義務ナラン然リト雖モ是等ノ場合ニ於テ被害者ハ其一人ヨリ賠償ヲ受クレハ復損害ナキカ故ニ更ニ他ノ者ニ対シテ賠償ヲ求ムルコトヲ得サルハ固ヨリニシテ又其義務者相互ノ関係ニ於テハ監督義務者,使用者,占有者ハ自己ニ代ハリテ監督,保管等ヲ為ス者ニ対シテ求償権ヲ有スヘキコトハ特ニ明文ヲ竢タスシテ明カナル所ナリ是レ本款ニ於テ単ニ連帯債務ニ付テノミ規定スル所以ナリ(梅103-105頁)

 

 つまり,旧民法財産編378条本文は,「法律上の全部義務の効果とその生ずる場合は当然であるから特に規定しないとして削除された」(星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』(良書普及会・1978年(補訂版1981年))169頁)ということになります。しかし,削除といっても,「旧民法の全部義務」は「民法の起草者も否定していなかった」わけで,「明文こそないが当然のこととされている」ところです(星野170頁・171頁)。

  

(2)民法427条の存在と719条1項の適用と

しかし,民法714条,715条及び718条の場合は条文があるから全部義務になることについてはよいとしても,甲倉庫会社が過って受寄物と異なる記載をした倉庫証券を寄託者乙に発行し,乙がこれを使用して丙銀行から金を詐取した事案(大判大正2426日民録19281頁の事案)における丙に対する甲乙の不法行為責任などについては,民法714条,715条又は718条のような特別条項がないことから,被害者原告としては,各債務者に対する損害賠償の全額請求を行うためには,それらの特別条項に代わる一般条項の適用を確保しなければならないところです。すなわち,不法行為についても,そのままでは,多数の債務者の債務は分割債務となることを原則とする民法427条の適用可能性があるからです。

我妻榮は,分割債務を生ずる場合にはどのようなものがあるかを検討する際「当事者の直接の意思(●●)()基づかず(●●●●)()数人の者が共同債務を負担する著しい例は,共同不法行為であるが,それについては連帯債務となる旨の規定がある(719〔略〕)。」と述べています(我妻・債権総論389頁。下線は筆者によるもの)。星野英一教授も,「民法上は,分割債権・債務が原則となっている」ところ,「なお,法律の定める場合,〔略〕その他(民法719など)連帯債務の要件を充たす場合(その主張・立証責任がある)にそれらになることはいうまでもない。」と述べています(星野147-148頁。下線は筆者によるもの)。内田弁護士も民法427条の適用について「ただし,給付が分割できない場合(不可分性)のほか,別段の意思表示があるときや,法律の規定のあるとき(442項,7191),あるいは特別の慣習のあるときは,427条の適用は排除される。」との見解を示しています(内田貴『民法Ⅲ債権総論・担保物権』(東京大学出版会・1996年)335頁。下線は筆者によるもの)。「共同の不法行為」であっても,放っておくと分割債務になってしまうぞということのようです。いわんや主体間に通謀又は共同の認識の無い場合においてをや。

民法7191項の「共同の不法行為」たるための要件として「当該数人間に共謀などの主観的共同関係があることを要せず客観的共同関係があれば足りる,というのが従来の判例・通説の見解であったように思われる」とされています(幾代225頁。前記大判大正2426日民録19281頁が判例のリーディング・ケース(我妻・事務管理等194頁註2参照))。しかしながら,これは,客観的共同関係しかない場合(主体間に通謀又は共同の認識の無い場合)について旧民法財産編378条本文(全部義務とする。)又はドイツ民法8401項(連帯債務とする。)のような受皿を欠く現行民法において,損害賠償債務の分割債務化を避けるための法文上の手掛かりを,「従来の判例・通説」が,窮余というか折角そこにあるということで7191項に求めただけ,ということではないでしょうか。これを,「共同の不法行為」の外延に係る堂々たる概念解釈の大問題としてしまうから混乱する(少なくとも学生時代の筆者は当惑しました。)ように思われます。

ところで,民法7191項前段の「共同の不法行為」たるには「当該数人間に共謀などの主観的共同関係があることを要せず客観的共同関係があれば足りる,という」従来の判例・通説の見解については,「なお,このような解釈は,旧民法(同財産編378条)を意識的に改めたと思われる民法起草者の意思にも一致する,というのが一般の理解である。」といわれています(幾代227頁註2)。なるほど。民法起草者の書き残したものを検討しなければなりません。

 

5 『民法要義巻之三』の共同不法行為解説に関して

梅謙次郎の民法719条解説を見てみましょう。

 

(1)総論

 

 本条〔719条〕ハ数人カ共同シテ一ノ不法行為ヲ為シタル場合ニ於テ各自連帯ノ責任ヲ負フヘキコトヲ定メタルモノナリ例ヘハ数人共謀シテ他人ノ家屋ヲ毀チタルトキハ其各自ハ被害者ノ請求ニ応シ家屋ノ代価及ヒ他ノ損害ノ全部ヲ賠償スヘク其他総テ連帯債務者ノ負フヘキ責任ヲ負フモノトス是レ他ナシ此場合ニ於テハ各加害者ノ行為皆損害ノ原因ナルカ故ニ被害者ハ其孰レニ対シテモ損害ノ全部ヲ請求スルコトヲ得ヘキハ殆ト論ヲ竢タサル所ナリ而シテ法律ハ特ニ被害者ノ便ヲ計リ加害者間ニ連帯ノ責任アルモノトシタルナリ(梅906-907頁。下線は筆者によるもの)

 

ア 主観的共同関係必要説か否か:719条1項前段

 まず,民法7191項前段の「共同の不法行為」は,共謀に基づきされた不法行為なのだとされているように一見思われます。

しかし,「例ヘハ」の語は「共同の不法行為」の一例として共謀に基づく不法行為を挙げるのだとの趣旨を示すものであり,共謀に基づかない「共同の不法行為」の存在をも前提としているのだ,との読解も可能です。「例ヘハ」の位置は「数人共謀シテ」の前であって,「数人共謀シテ例ヘハ他人ノ家屋ヲ毀チタルトキ」という語順とはなっていません。

 なお,穂積陳重は,民法719条(案文では727条)の文言について,1895107日の第121回法典調査会において「互ヒニ共謀ガアツタトカサウ云フヤウナコトヲ有無ヲ論スル必要ハ本案ニ於テハナイヤウニナツテ居ルノテアリマス」と述べ(法典調査会議事速記録41116丁),同月9日の第122回法典調査会においては共同の不法行為について「皆ガ故意カ又ハ過失ガアル或ル場合ニ於テハ共謀モアリマセウ又或ル場合ニ於テハ過失モアリマセウ」と述べています(同124。また,同127)。

 また,梅による122回法典調査会での「些細ノ違ヒシカナイノニ此場合ニ一方ハ全部〔義務〕ト見ル一方ハ連帯ト見ルノハ小刀細工テアルカラ両方トモ連帯トシタ」との発言は(法典調査会議事速記録41138丁),民法7191項は旧民法財産編378条における全部義務となる場合及び連帯債務となる場合のいずれについても連帯債務とする趣旨の規定である,との認識を示すものでしょう。

イ 同条外における解釈上の全部義務関係の発生を認めるものか。

注目すべきは,「各加害者ノ行為皆損害ノ原因ナルカ故ニ被害者ハ其孰レニ対シテモ損害ノ全部ヲ請求スルコトヲ得ヘキハ殆ト論ヲ竢タサル所ナリ」の部分です。「法律上の全部義務の効果とその生ずる場合は当然である」(星野169頁)ところの「当然」に「〔法律上の全部義務〕の生ずる場合」の一例が,ここに示されているということでしょうか。「当然」全部義務が生ずるのであるならば,民法7191項前段の意義は,専ら,全部義務関係から百尺竿頭一歩を進めて,「共同の不法行為」について「特ニ被害者ノ便ヲ計リ加害者間ニ連帯ノ責任アルモノトシタ」ことにあることになります。

しかし,当然全部義務になるのならば,わざわざ民法7191項前段を適用した上で,連帯債務であるぞとする法律の明文を更にわざわざ枉げてドイツ法学流(我妻・債権総論402頁参照)の「不真正連帯債務」とする(最判昭和5734日判時104287頁)などということは,とんだ迂路でした。梅謙次郎に言わせれば,連帯債務と全部義務との違いを云々することは「小刀細工」にすぎないのでしょうが。

 (2)同時行為者を共同行為者と見なすものとする解釈:719条1項後段

次の梅の記述は,難しい。

 

 右ハ数人カ共同ノ不法行為ニ因リテ一ノ損害ヲ加ヘタル場合ニ付テ論シタリ然ルニ往往ニシテ数人カ同時ニ不法行為ヲ為シ他人ニ一ノ損害ヲ生セシメタリト雖モ而モ其孰レノ行為カ之ヲ生セシメタルカヲ知ルコト能ハサルコトアリ例ヘハ数人同時ニ他人ノ家屋ニ向ヒテ石ヲ投シタルニ其一カ家屋ニ命中シテ其一部ヲ破壊シタリトセンニ其石ハ必ス一人ノ投シタルモノナリト雖モ誰カ其石ヲ投シタルカヲ知ルコト能ハス而シテ同時ニ石ヲ投セシ者数人アリトセハ法律ハ恰モ其共同ノ行為ニ因リテ損害ヲ生シタルモノノ如ク見做シ同シク連帯シテ其責ニ任スヘキモノトセリ是レ理論上ヨリ見レハ聊カ解シ難キモノアルニ似タレトモ而モ此場合ニ於テ連帯責任アルモノトセサレハ被害者ハ竟ニ誰ニ向テカ其賠償ヲ請求スルコトヲ得ンヤ故ニ立法者ハ特ニ被害者ヲ保護シ右ノ行為者全体ヲシテ連帯ノ責任ヲ負ハシメタルナリ蓋シ仮令実際ハ其一人ノ行為ニ因リテ損害カ生シタルニモセヨ各自皆其損害ヲ生セシムルノ意思アリタルカ故ニ之ヲシテ連帯ノ責任ヲ負ハシムルモ敢テ酷ニ失スルモノト為スヘカラサルナリ(梅907-908頁。下線は筆者によるもの)


 民法7191項後段については,第121回法典調査会において穂積陳重が「此「共同行為者中ノ孰レカ其損害ヲ加ヘタルカヲ知ルコト能ハサルトキ」即チ大勢ガ寄ツテたかツて人ヲ打ツ併シ誰ノ手ガ当ツタノカ誰ノ拳ガ当ツタノカ分ラヌト云フヤウナ場合ニ於テ若シ其加害者ト云フモノヲ差示ス,直接ニ害ヲ加ヘタ者丈ケヲ差示ストイフコトヲ要スルトナリマスレバ多クノ場合ニ於テ大勢ガ乱暴ヲ働イタトカ云フソンナ場合ニハ実際其証明ガ六ケ敷クシテ害ヲ受ケマシタ者ハ夫レ丈ケノ損ヲシナケレバナラヌ其場合ニ於テハ法律ノ保護ハナイト云フコトニナリマスソレ故ニ公益上カラシテ斯ノ如ク規定スルノガ相当テアラウト考ヘマス夫レカラ理由モナイコトハナイノテアリマスル即チ大勢ガ寄ツテ或行為ヲ為シタ一人々々ナラセナイカモ知ラヌ大勢ノ行為テ矢張リ或事ヲスルノテアリマスカラシテ直接ニ手ヲ下シタト下サヌトニ拘ラズ矢張リ勢ヒヲ出シテ其事ニ就イテハ何処マテモ法律ニ違ウテ居ル結果ヲ生スベキ事柄夫レヲ覚悟シテ自分ガシタノテアリマスカラ矢張リ斯ウ致シテ置キマシテ全ク純然タル道理モ立タヌコトモナイ併シ主トシテ公益上カラシテ斯ノ如キ規定ヲ置イタノテアリマス」と説明していたところです(法典調査会議事速記録41117-118丁)。

民法7191項後段の「共同行為者」について穂積は,第122回法典調査会において「此第2(ママ)〔文〕ノ共同行為者ト云フ場合モ固ヨリ第1(ママ)〔文〕ノ中ニ籠リマス積リデアリマス」と述べ,数人が共謀して人を殴る例を挙げています(法典調査会議事速記録41121-122丁)。しかして,穂積は更に「第2(ママ)〔文〕ニハサウ云フ関係〔共謀〕モナイ皆ガ起ツテ例ヘハ或ル事ニ激シテ皆ガ打チヤルト云フヤウナ風ノ時ニ当タリマセウト思ヒマス」と発言します(同123丁。また,同127丁)。主観的共同関係のある共同不法行為者については,そのうちだれが損害を加えたかが不明であっても,7191項後段の規定をまたずに同様の結果(全員の連帯責任)になるのは当然であるので(幾代228頁参照。同229頁註2は「この点は,民法典起草段階においても議論のあったところである」と報告しますが,法典調査会議事速記録41128丁の富井政章発言が分かりやすいでしょうか。),当該規定の独自の存在理由を考えてみた,ということでしょうか。しかし,「共同行為者」の文字の枠内でそこまで読み得るかどうか,「共同行為者ト云フコトニナルト兎ニ角予メ合同シテ居ツタヤウニシカ読メヌノテアリマス」「共同行為者ト云フト予メ意思ノ通謀ガアツタ人ダケニシカママヌヤウテアリマス」と磯部四郎🎴が疑問を提示します(同124-125丁)。

これに対する梅謙次郎の助け舟は,「共同行為者」の意味の拡張解釈論でした。「併シ乍ラ斯ウ云フ風ニ読メヌコトモナイ共同ト言ヘハ共ニ同ジクテアリマスカラ同時ニ同ジ行為ヲ為シタ其同ジト云フ幅ハ只一ツ手ヲ打ツトキガ同ジカ是レモ打チアレモ打ツト云フノガ同ジカソコハ見様テアリマスガアレヲ殴ツテヤラウト云フ約束ヲシナクテモソコヘ徃ツテ甲モ打チ乙モ打チ竟ニ死ンダドレガ打ツタノテ死ンダノカ分ラヌ此場合ニ共同行為者,共ニ同ジク為シタル行為ト云フコトニナラウ」と(法典調査会議事速記録41125丁)。

しかし,富井政章は,なおも通謀の存在を認定すべきものとするようです。いわく,「サウスレバ第2(ママ)〔文〕ノ方ハ例ヘハ酒ノ席ニ聘バレタ者ガ一時ニ己レモ殴ツテヤラウ己モ殴ツテヤラウ誰ガ殴ツタカ分ラヌト云フ場合ニ適用サレル同時ニト云フトモ矢張リ通謀シテ甲乙ノ2人ガ入ツテサウシテ実際甲ダケガ打ツタト云フヤウニ適用ガ読メル」と(法典調査会議事速記録41128-129丁)。

 『民法要義巻之三』では,梅は,民法7191項後段の「共同行為者」には同時行為者が含まれるものと「見做」される,と主張しています。「見做シ」なので,同時行為者は本来「共同ノ行為」をするものではないということが前提されています。したがって,第122回法典調査会における拡張解釈説から改説があったということになるのでしょう。しかしながら,民法7191項後段の法文自体には,当該見なし規定の存在を読み取り得せしめる文字はありません。

なかなか苦しいのですが,この窮屈な解釈を梅(及び穂積)は納得の上甘受しているということになるのでしょうか。民法7191項後段の法文については,「同時ニ不法行為ヲ為シタル者ノ中ノ孰レガ其損害ヲ加ヘタルカヲ知ルコト能ハサルトキ亦同シ」という修正案の可能性を梅自ら第122回法典調査会で発言し(法典調査会議事速記録41127丁),更に当該調査会において箕作麟祥議長から起草委員に対し「尚ホ文章ハ御考ヘヲ願ヒマス」との依頼がされていたのですが(同145丁),結局原案が維持されてしまっています。

  

(3)教唆者及び幇助者:719条2項

 梅の7192項解説は,次のとおりです。

 

  教唆者及ヒ幇助者ハ果シテ共同行為者ト為スヘキカ是レ刑法ニ於テハ稍〻疑ハシキ問題ニ属シ其制裁ニ付テモ亦一様ナラスト雖モ不法行為ヨリ生スル民法上ノ責任ニ付テハ之ヲ共同行為者ト看做セリ蓋シ理論上ニ於テモ純然タル共同行為ナリト謂フヘキ場合極メテ多ク又仮令純然タル共同行為ト視ルヘカラサル場合ト雖モ其行為ハ相連繋シテ密着離ルヘカラサル関係ヲ有スルカ故ニ之ヲシテ連帯責任ヲ負ハシムルハ固ヨリ至当ト謂フヘケレハナリ例ヘハ前例ニ於テ自ラ石ヲ投セスト雖モ他人ニ之ヲ投スヘキコトヲ教唆シタル者又ハ其投スヘキ石ヲ供給シタル者ハ皆之ヲ共同行為者ト看做スナリ(梅908頁)

    


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1 民法884条

 民法884条に相続回復請求権という七文字熟語があって,なかなか難しい。「そもそも884条が何を定めているのかという点からして見解は一致せず,この規定がどのような紛争類型に適用されるのか等をめぐって学説・判例が分かれ,百花繚乱という状態となった」とされています(内田貴『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)433頁)。条文は,次のとおりです。

 

   (相続回復請求権)

  第884条 相続回復の請求権は,相続人又はその法定代理人が相続権を侵害された事実を知った時から5年間行使しないときは,時効によって消滅する。相続開始の時から20年を経過したときも,同様とする。

 

「本条は,相続回復請求権の短期消滅時効を規定するだけのように見えるが,実は,相続回復請求権という特殊の請求権を認める,という意味をももつている。かような請求権を認めることは,ローマ法に淵源し,ドイツ民法(同法2018条以下),スイス民法(同法598条以下)に承継されているが,フランスでも,判例の努力によつて,ほぼ同一の制度が認められている。かような制度を認める理由は,相続権のない者が相続人らしい地位にあつて相続財産の管理・処分をする場合に,真正の相続人に対して,相続財産を一括して回復することができるような便宜を与えようとすることである。」と,1952年段階では確信あり気に述べられています(我妻榮=立石芳枝『親族法・相続法』(日本評論新社・1952年)361頁(相続法は我妻執筆)。下線は筆者によるもの)。しかし,1947年の昭和22年法律第222号による民法親族編・相続編の「改正の際,戸主制度を廃止したにもかかわらず,遺産相続に関して以上の規定〔現行884条の前身である昭和22年法律第222号改正前民法966条及び993条〕がそのまま維持されてしまった。しかも,はっきりとした確信のもとに維持されたというより,改正を急いだために十分な検討を経ずに旧規定が承継されたという面が強い。」というのが実相だったのではないかとも説かれています(内田433頁)。

 

2 民法旧966条及び旧993条並びに起草者によるそれらの解説

昭和22年法律第222号改正前民法966条及び993条の条文は,次のとおりです。

 

 第966条 家督相続回復ノ請求権ハ家督相続人又ハ其法定代理人カ相続権侵害ノ事実ヲ知リタル時ヨリ5年間之ヲ行ハサルトキハ時効ニ因リテ消滅ス相続開始ノ時ヨリ20年ヲ経過シタルトキ亦同シ

 

第993条 第965条乃至第968条ノ規定ハ遺産相続ニ之ヲ準用ス

 

 我が民法の起草者の一人たる梅謙次郎は,民法旧966条について次のように解説します。

 

  本条ハ家督(○○)相続権(○○○)()消滅(○○)時効(○○)ヲ定メタルモノナリ蓋シ家督相続ナルモノハ頗ル複雑ナルモノニシテ一旦事実上ノ相続ヲ為シタル者アルノ後数年乃至数十年ヲ経テ其者ノ相続権ヲ奪ヒ之ヲ他ノ者ニ与フルトキハ之カ為メニ生スル当事者間及ヒ第三者ニ対スル権利義務ノ関係非常ノ攪乱ヲ受ケ為メニ経済上,社会上容易ナラサル結果ヲ惹起スルコト多カルヘシ故ニ之ニ関シテ時効ノ規定ヲ設クヘキハ勿論其時効ハ寧ロ普通ノ時効ヨリモ其期間ヲ短ウスルノ理由アリ相続権シテ貴重ナルモノナルカ正当相続人権利サレタル場合事情リテ不問クカキハ人情ヘカラサルナリ外国テハ相続権普通時効最長期時効リテノミ消滅スヘキモノトセルカラス民法ヘリ〕(証155後略(梅謙次郎『第18版民法要義巻之五 相続編』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)10-11頁)

  

 旧993条については,次のとおり。

 

  本条ニ於テハ家督相続ニ関スル第965条乃至第968条ノ規定ヲ遺産相続ニ準用セリ蓋シ〔略〕相続権ノ時効(966)〔略〕ニ付テハ家督相続ト遺産相続トノ間ニ区別ヲ設クル理由ナキカ故ニ此等ノ事項ニ付テハ家督相続ニ関スル規定ヲ遺産相続ニ準用スルヲ以テ妥当トシタルナリ(梅93頁)

 

民法966には「家督相続回復ノ請求権」と大きく打ち出されてはいるものの,梅謙次郎の解説を読む限りでは同条は飽くまでも相続権の短期時効による消滅(この点外国法制と異なる。)について定めたいわば消極的規定であるようで,新たに「家督相続回復ノ請求権」なる特殊な請求権を積極的に創出するという趣は窺われません。

 

3 旧民法証拠編155条並びにボワソナアド草案1492条及びボワソナアド解説

民法旧966条の前身規定は旧民法証拠編155条とされていますので(梅10頁),更に旧民法の当該規定を見てみましょう。

 

 第155条 相続人又ハ包括権原ノ受遺者若クハ受贈者ノ分限ヲシテ効用ヲ致サシムル為メノ遺産請求ノ訴権ハ相続人又ハ包括権原ノ受贈者若クハ受遺者ノ権原ニテ占有スル者ニ対シテハ相続ノ時ヨリ30个年ヲ経過スルニ非サレハ時効ニ罹ラス

 

 民法旧規定の「相続回復ノ請求権」とは,旧民法の「相続人ノ分限ヲシテ効用ヲ致サシムル為メノ遺産請求ノ訴権」に対応するということでしょうか。

 旧民法証拠編155条は,次のボワソナアド草案に基づくものです。

 

   Art. 1492. L’action en pétition d’hérédité, pour faire valoir la qualité d’héritier légitime ou de légataire ou donataire à titre universel ne se prescript que par trente ans, à partir de l’ouverture de la succession, contre ceux qui possèdent, à l'un des mêmes titres, tout ou partie des biens du défunt. [133, 137]

  (Boissonade, M. Gve, Projet de Code Civil pour l’Empore du Japon accompagné d’un Commentaire, Tome Cinquième: Des Preuves et de la Prescription (Tokio, 1889) p. 388)

 

旧民法証拠編155条は,ボワソナアド草案1492条そのままですね。ただし,ボワソナアド草案1492条の“L’action en pétition d’hérédité”の部分が「遺産請求ノ訴権」と訳されており,その相手方である「占有スル者」が占有する物であるtout ou partie des biens du défunt”(死者(被相続人)の財産の全部又は一部)の部分は省略されているものです。後者については,恐らく,「遺産請求ノ訴権で問題になっているのは遺産なんだから,その相手方たる「占有スル者」が占有している物が被相続人の財産の全部又は一部であることは自明だろう」ということだったのでしょう。

[133, 137]は,ナポレオンの民法典における対応条項でしょう。

 

 第133条 失踪者の子及び直系卑属も同様に,〔関係権利者への〕確定的占有付与から30年間は,前条に定めるところに従い当該失踪者の財産の返還を請求することができる。

 

   第132条 失踪者が帰還し,又はその生存が証明されたときは,確定的占有付与の後であっても,当該失踪者は,現状におけるその財産及び処分された財産の対価又は売却されたその財産の対価の使用によって得られた財産を回復する。

 

   (旧民法人事編第284条 失踪者ノ相続順位ニ在ル者ハ他ノ者カ財産占有ヲ得タル日ヨリ30个年間其財産ノ返還ヲ請求スルコトヲ得

    此場合ニ於テモ果実ハ前条ノ規定ニ従ヒテ之ヲ取戻スコトヲ得)

 

第137条 前2条の規定は,失踪者又はその承継相続人若しくは承継人に帰属し,かつ,所定の時効期間の経過によらなければ消滅しないもの(lesquels)である遺産請求の訴権(actions en pétition d’hérédité)及び他の権利(autres droits)を害しない。

 

第135条 その生存が確認されていない個人に帰属した権利を主張する者は,当該権利が生じた時に当該個人が生存していたことを証明しなければならない。当該証明がされない限り,同人の請求は受理されない。

 

第136条 生存が確認されていない個人を相続権利者とする相続が開始された場合においては,相続財産は,専ら同人と同等の権利を有する者又は同人の代襲者に対してのみ帰属する。

 

    (旧民法人事編第287条 前2条ノ規定ハ失踪者又ハ其相続人及ヒ承継人ニ属スル相続ノ請求其他ノ権利ヲ行フヲ妨クルコト無シ此等ノ権利ハ普通ノ時効ニ因ルニ非サレハ消滅セス)

 

 その草案1492条に係るボワソナアドの解説は,次のとおりです。

 

   法は,かつて(autrefois),特にローマ法において,非常によく使われた表現(une expression très-usitée)であって,フランスの法典(第137条)ではただ1回のみ使用されているもの――“la pétition d’hérédité”――をあらかじめ定立する(La loi consacre…)。これは,物的訴権の一つ(une action réelle)であって,我々の条項にいうとおり「被相続人の財産の全部又は一部を相続人又は包括承継人の権原をもって占有する者に対して,相続人又は包括承継人の分限(qualité)をして効用を致さしむるため(à faire valoir)」のものである。〔追記:1891年の新版第41005頁では,「我々の条項にいうとおり「相続人又は包括承継人の分限(qualité)をして効用を致さしむるため(à faire valoir)」のものである。当該訴権は「被相続人の財産の全部又は一部を相続人又は包括承継人の権原をもって占有する者に対して」行使される。」と微妙に修正されています。〕相続人又は包括の受遺者若しくは受贈者の分限の承認(reconnaissance)は,結果として(pour conséquence),相続において当該分限に伴うところの財産(les biens de la succession attachés à cette qualité)の原告に対する回復(restitution au demandeur)をもたらすものである。

   相続財産中のある財産の占有者が,当該財産を買主若しくは特定の受贈者として,又は他の同様の特定の権原をもって占有している場合においては,la pétition d’héréditéによって訴えが提起されるべきものではなく,通常の返還請求の訴え(la revendication ordinaire)によるべきものであって,かつ,そうであるので時効期間は,不動産については15年又は30年,動産については即時となる。

   これに対して,占有が包括の権原によるものである場合においては,動産不動産の区分,正権原及び善意の有無を問わず,時効期間は一様に(uniformément30年である。

   この長い時効期間は,伝統的なものであり,並びに家産(patrimoine)の全体又は割り前が問題になっているという状況によって,及び相続の開始又は相続人若しくは受遺者としてのその権利に係る無知という相続権利者が陥り得る宥恕すべき情況によって説明されるものである。

   この訴権については(sur cette action),失踪に関して第1編において,相続並びに包括の贈与及び遺贈に関して第3編第2部においても触れられる(On reviendra…)。

                           (Boissonade pp.393-394

 

上記解説の最終段落について更に解説を加えれば,ボワソナアド当初案による旧民法の編別は次のとおりであったところです(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1998年(第3刷))135頁)。

 

 第1編 人事編

 第2編 財産編

 第3編 財産取得編

第1部 特定名義の取得法

    第2部 包括名義の取得法

  第4部 債権担保編

  第5編 証拠編

 

 「ここで注意しなければならないのは,このうち第1編人事編(すなわち家族法)と,第3編第2部包括名義の取得法(すなわち相続,贈与と遺贈,夫婦財産契約)は,初めから日本人委員が起草するてはず(●●●)になっていたことである。つまりはっきりいえば,ボワソナアドは,家族法相続法の起草は依頼されなかったのである。」ということでした(大久保135-136頁)。であるので,la pétition d’héréditéの実体についての詳しい規定の起草を,ボワソナアドとしては日本人委員(熊野敏三,光明寺三郎,黒田綱彦,高野真遜,磯部四郎及び井上正一(大久保157頁))に期待していたのでしょう。しかしながら,そのような起草はされず,旧民法におけるla pétition d’héréditéに関する規定は証拠編155条のみと観念される結果となったようです(梅10頁は民法旧966条に係る参考条項として旧民法証拠編155条のみを掲げています。)。旧民法人事編287条はナポレオンの民法典137条のほぼそのままの翻訳なのですが,そこではナポレオンの民法典137条における“actions en pétition d’hérédité”が「相続ノ請求」とされていて,証拠編155条における“action en pétition d’hérédité”に係る「遺産請求ノ訴権」の語と整合していません。結局,日本人委員はla pétition d’héréditéについて特に考えることはなかったのでしょう。

結果として,旧民法におけるaction en pétition d’héréditéの内実は,ボワソナアドが前記解説で説いたところに尽きるものであったことになるようです。すなわち,飽くまでも時効に係るものにすぎず(なお,旧民法証拠編155条の文言は,action en pétition d’héréditéのうち「相続人又ハ包括権原ノ受贈者若クハ受遺者ノ権原ニテ占有スル者ニ対シテ」行使されるものに限って時効期間の特別規定を設けた形になっています。),「真正の相続人に対して,相続財産を一括して回復することができるような便宜を与えようとすること」(前掲我妻等361頁)や,「相続回復請求権」を「「自分が相続人であるから遺産を全部返還せよ」と一括して請求」できる「個々の財産の返還請求権とは別の独立の請求権と構成」すること(内田434頁の紹介する「独立権利説」)までは,少なくともその旨明示的かつ積極的に表明されてはいなかったということになります。「相続回復請求権は,ローマ法以来の制度で,ドイツにもフランスにも存在する。日本にも,ボワソナード草案を通じて継受され」たとされてはいますが(内田432頁),ボワソナアドとしては,自分は「遺産請求ノ訴権」(l’action en pétition d’hérédité)との「表現」(expression)の定立(consacrer)を法典においてすることにはしたが,その定義は時効に係るものとしての自分の草案1492条に書いてある限りのものであって,相続に係るローマ法以来の西洋の制度をそれとしてそのまま日本の民法に積極的に持ち込むまでのことはしていない,飽くまでも当該「表現」を使った(あるいは「有り難く頂戴」(consacrer)した)にすぎない,そもそも相続法本体の起草は日本人の領分である,といささかの修正的弁明を試みたくなるかもしれません。

ちなみに,ボワソナアドのProjetは,現在国立国会図書館デジタルコレクションで自由にアクセスできるようになっています。当該書籍の印刷発行についてボワソナアドは後世読者のために紙や活字にまで気を配り精魂を傾けていますから,今日民法について何か語ろうとする者は,当該Projetを避けて通るわけにはいきません。

 

 〔略〕磯部〔四郎〕の談話によると,明治16,7年〔1883-1884年〕頃のこと,ボワソナアドが草案を「出版スルノニ,是レデハ紙質ガ悪イダノ,是レデハ活字ガ鮮明デナイダノト,兎角下ラナイ処ニ気ヲ配ツテ」,「肝腎ナ事務ガ運バナイ」ようになった。そこで今後は,いっさいボワソナアドに口をきかせないようにしようとして,大木〔喬任〕司法卿に会い,「ボアソナード氏ハ,卿ニ向テ何ト申スカハ存ジマセヌガ,民法編纂ノ実際ハ斯クノ如キ状態デアルカラ」,以後は,かれこれいわせないようにしたい,と申し出たところ,大木卿にたいそう叱られた。同卿は,「お前,ボワソナアドに1年どれほど金を払うか知っているだろう。1万5千円支払っているではないか。ずいぶん高い出費だが,国家の急務であるから,このような高い金を払って仕事をさせているのである。それを,わずかに活字のことや紙質のことぐらいで,けんか(●●●)をして感情を害し,その結果草案の起草がはかどらぬ時には,それこそ政府の損だから,そんな片々たることはやめて,ボワソナアドをだまして,仕事をさせるようにいたさねばならぬ」といったという。(大久保138-139頁)

 

後に芸妓をあげての花札ばくち🎴大好き大審院検事となる磯部四郎(大久保177-178頁参照。令和の聖代における事例のように,むくつけき新聞記者相手にこそこそと賭け麻雀🀄をしていたというような謙虚なものではないようです。)は,さすが人間が小さい。実は自分らの手間暇等の問題にすぎない事務方的正義論による悪口を偉い人に言いつけて,本当の仕事を一生懸命している真に有能な人の心を折ろうとする。

しかし,ここでボワソナアドを救ったのは,その高給であったということは興味深いところです。変に良心的に薄給に甘んじていると,甘く見られて,真の仕事をなす前に横着かつ感情的な事務方的正義に圧倒され揉みくちゃにされあるいは排除されてしまうことがあるということでしょう。高い報酬を請求するということにも,正義があるものです。

閑話休題。

ボワソナアド草案1492条(旧民法証拠編155条)及びそのボワソナアド解説から分かる範囲での遺産請求ノ訴権の性質を考えるに,まずこれは,物的訴権(action réelle)であるとされています。物的訴権とは,日本の法律家としては見慣れない概念なのですが,これはローマ法にいう対物訴権なのでしょう。対物訴権は,債権の訴権ではない訴権です。

 

  〔略〕対物訴権(actio in rem),対人訴権(actio in personam) ローマ人の考では前者は物自体に対する訴権,後者は人に対する訴権である。前者は物権,家族法上の権利,相続法上の権利に関する訴権及び確認〔略〕の訴権,後者は債権の訴権である。債権は相手方の行為を要求する権利であるから,法律関係成立の時から被告となり得べき者が定まり,従つて当然請求の表示〔略〕の部分に被告の名が見えて来るが,物権に於ては個別的な相手方はなく,その訴の相手方は法律関係自体からは定まらずして,権利侵害という後発事情の附加によつて定まらざるを得ない。この法律関係の非個別性に基づいて,請求の表示の部分には被告の名は示されない。〔略〕(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣全書・1955年)398-399頁)

 

  〔略〕物権とその基本観念 ローマ法には物権の語はない。ただ訴訟上対物訴権と対人訴権の区別があり〔略〕,現代人はローマ法上物に対する支配権にして対物訴権を附与せられた権利をば物権と称して,訴訟法上の区別を実体法上の観念に建て直しているのである。その対物訴権とはローマ人自身の考では,物自体に対して訴訟を提起しているのであつて,結局物的追求,第三者対抗可能がその基本観念である。(原田94頁)

 

  〔略〕対物訴訟〔略〕に於ては被告に応訴の義務がない。被告が認諾もせず,争点の決定もしないときは,法務官の命令によつて,訴訟物の占有は原告にうつるだけである。訴訟は確定しない。被告が後日争うときは,原告となるためにその地位が不利となるだけである。(原田386頁)

 

 相続財産返還請求訴訟は,基本的に「対物訴訟(actio in rem)」で,「所有物返還請求訴訟(rei vindicatio)」に類似したものであるといわれる〔略〕。そして,その場合の「正しい被告」(被告となるべき者)は,相続財産占有者のみである。(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法――ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)297頁)

 

ところで,旧民法証拠編155条の遺産請求ノ訴権は,相続財産を直ちに取り戻す訴権と等号で結ばれるものではなかったように思われます。ボワソナアドは,遺産請求ノ訴権に関して「相続人又は包括の受遺者若しくは受贈者の分限(qualité)の承認(reconnaissance)は,結果として(pour conséquence),相続において当該分限に伴うところの財産(les biens de la succession attachés à cette qualité)の原告に対する回復(restitution au demandeur)をもたらす(a (=avoir))」と述べていますが,「結果として(pour conséquence)」という間接効果的文言がありますので,遺産請求ノ訴権の効果についてボワソナアドは腰が引けているな,というのが一読しての筆者の感想です。確かに,「相続人又ハ包括権原ノ受遺者若クハ受贈者ノ分限ヲシテ効用ヲ致サシムル為メノ」訴権というのはもって回った表現であって,物の引渡し(Herausgabe)を求めるためのものに限定されねばならないということにはならないようです。

あるいは,原告に係る「相続人又は包括の受遺者若しくは受贈者の分限(qualité)の承認(reconnaissance)」の可否が争われる訴訟の訴権であることこそが,実はボワソナアドの考えた遺産請求ノ訴権のメルクマールであったものと解すべきでしょうか。この点,最高裁判所大法廷昭和531220日判決(民集3291674頁)は,民法884条の相続回復請求権について「思うに,民法884条の相続回復請求の制度は,いわゆる表見相続人が真正相続人の相続権を否定し相続の目的たる権利を侵害している場合に,真正相続人が自己の相続権を主張して表見相続人に対し侵害の排除を請求することにより,真正相続人に相続権を回復させようとするものである。」と判示しています(下線は筆者によるもの)。原告たる「真正相続人の相続権」の有無が争われるわけであって,ここでの「相続権」を「相続人ノ分限」で置き換えることができるのであれば(当該「相続権」は「相続開始後の相続人の地位」とも一応いい得るようです(我妻榮=有泉亨著,遠藤浩=川井健=水本浩補訂『民法3 親族法・相続法(新版)』(一粒社・1992年)305頁)。しかし,上掲最判昭和531220日の大塚喜一郎=吉田豊=団藤重光=栗本一夫=本山亨=戸田弘意見は「相続人の地位と相続権とは別個の観念」であるとします。とはいえ,当該判例の事案においては,被告たる他の共同相続人によって,原告たる共同相続人の相続権は全否定されていた(したがって相続人扱いされていなかった)のではないでしょうか(内田436-437頁によれば,原告の母は姑(その夫(原告の祖父)が被相続人)と折り合いが悪く,実家に帰って原告を出産してそのままとなり,その後原告と他の共同相続人との間には親戚付き合いもなかったそうです。。),相続回復請求の制度は,ボワソナアドの言及した原告たる相続人の分限(qualité)の承認(reconnaissance)の可否の争いに係るものと考えた場合における遺産請求ノ訴権の制度とパラレルなものと捉えることができそうです。相続回復請求訴訟においては,原被告は「互いに被相続人の権利を前提としながら,その承継を争う」ものとされています(我妻=有泉312頁)。

ただし,ボワソナアド草案1492及び旧民法証拠編155条は,「通常の返還請求の訴え」による場合においては「不動産については15年又は30年,動産については即時」の期間による時効取得によって真正相続人が害されるところ,相手方の「占有が包括の権原によるものである場合」に係る特則を設けて,その場合おいては「動産不動産の区分,正権原及び善意の有無を問わず,時効期間は一様に30年である」ものとして,より長い時効期間によって真正相続人を特に保護しようとするものでした。ところが,これとは反対に,民法旧966条及び旧993条以降の相続回復の請求権に係る消滅時効制度は,「表見相続人が外見上相続により相続財産を取得したような事実状態が生じたのち相当年月を経てからこの事実状態を覆滅して真正相続人に権利を回復させることにより当事者又は第三者の権利義務関係に混乱を生じさせることのないよう相続権の帰属及びこれに伴う法律関係を早期かつ終局的に確定させるという趣旨に出たものである。」とされ(前記最判昭和531220日。下線は筆者によるもの),むしろより短い時効期間によって表見相続人等を特に保護しようとするものとされています。「日本の相続回復請求権制度は,単に時効期間が短くなったというにとどまらない質的変化を遂げ,ローマ法以来の相続回復請求権とは異なる制度になったとすらいえる」(内田433頁)とは正にむべなるかなであって,ここでの「質的変化」とは,あえていえば正反対のものとなったということでしょう。日本人は「家」を大事にするといわれているようでもありますが,実は相続の真正には余り重きを置かず,その場その時の家関係者「みんな」の便宜こそが最優先されるということでしょうか。天一坊が徳川第9代将軍として政権を把握し,かつ,その政権が一応安定して「みんな」の居場所と出番とが確保されたのならば,将軍位継承権を否定されたとて家重やら宗武やら宗尹やらが今更がたがた言うな,引っ込んでおれ,ということなのでしょう。また,相続の真正について一番文句を言いそうな家の関係者「みんな」が忖度し,認許する以上は,法律関係が「早期かつ終局的に確定」されるという利益が「第三者」に対しても及んで当然ということになるのでしょう。


4 ドイツ民法のErbschaftsanspruch及びその影響

ドイツ民法2018条以下の規定が,日本民法の解釈に影響を与えてしまったようです。しかしながら,前記のとおり,ローマ法以来の流れを汲むドイツ民法は真正相続人を保護しようとしているのに対して,日本民法の相続回復請求権の消滅時効制度は表見相続人及び第三者を保護しようとするものとなってしまっているのですから,もっともらしくドイツ法を参照すればするほど混乱が深まったのかもしれません。

なお,ドイツ民法においては「〔相続回復〕請求権を個別的請求権とは独自の請求権とし,その中に相続財産の包括性を考慮した効果,相続財産の所在等に関する遺産占有者の通知義務など,主として相続人に有利な内容を付与している。そして,起草者によれば,こうした規定の背景には次のような考慮があった。すなわち,相続回復請求権の対象としての相続財産はいわゆる特別財産ではないが,その包括性を考慮した取扱がなされるのが妥当であること,そして,その際,法規や法律関係の簡明化という立法技術的要請から法文上個別的請求権とは独立の相続回復請求権を創立する,というものである。」ということだそうです(副田隆重「相続回復請求権」星野英一編集代表『民法講座第7巻 親族・相続』(有斐閣・1984年)444頁・註(20))。
 

節 相続回復請求権Erbschaftsanspruch

 

  第2018条 相続人(Erbe)は,現実には(in Wirklichkeit)その者に帰属しない相続権に基づいて(auf Grund eines...Erbrechts)相続財産(Erbschaft)から物(etwas)を入手した(erlangt hat)者(相続財産占有者(Erbschaftsbesitzer))に対し,当該入手物の引渡し(Herausgabe des Erlangten)を請求することができる。

 

第2019条 相続財産に属する手段をもってする(mit Mitteln)法律行為によって相続財産占有者が取得した物(was)も,相続財産から入手したものとみなされる。

債務者(Schuldner)は,当該帰属についての認識を得たときは,前項のような方法で取得された債権(Forderung)が相続財産に帰属するということ(Zugehörigkeit...zur Erbschaft)をまず自らについて実現させなければならない(hat…erst dann gegen sich gelten zu lassen)。この場合において,第406条から第408条までの規定が準用される。

 

第2020条 相続財産占有者は,得られた収益(die gezogenen Nutzungen)を相続人に引き渡さなければならない。引渡しの義務は,相続財産占有者が所有権(Eigentum)を取得した果実(Früchte)にも及ぶ。

 

第2021条 相続財産占有者が引渡しについて無能力(außer Stande)であるときは,その義務は,不当利得の引渡し(Herausgabe einer ungerechtfertigen Bereicherung)に係る規定により定められる。

 

第2022条 相続財産占有者は,当該費用(Verwendungen)が前条により引き渡す利得の計算において算入されていない(nicht…gedeckt werden)ときは,全ての費用の償還(Ersatz)と引換えにのみ相続財産に属する物の引渡しの義務を負う。この場合において,所有権に基づく請求権(Eigenthumsanspruch)について適用される第1000条から第1003条までの規定が準用される。

相続財産の負担に係る支出(Bestreitung von Lasten der Erbschaft)又は遺産債務(Nachlaßverbindlichkeiten)の弁済(Berichtigung)のために相続財産占有者がした出費(Aufwendungen)も,費用に含まれる。

個別の物についてされたものではない出費,特に前項に掲げられた出費に対して相続人が一般の条項によってより広い範囲で償還をしなければならない範囲において,相続財産占有者の請求権は変更されない(bleibt…unberührt)。

 

第2023条 相続財産占有者が相続財産に属する物を引き渡さなければならないときは,不良品化(Verschlechterung),沈没(Untergang)又は他の原因により生じる引渡しの不能に起因する損害賠償に係る相続人の請求権は,訴訟の係属の時から,所有者と占有者との間の関係について所有権に基づく請求権に係る訴訟の係属の時から適用される規定に従う。

収益の引渡し又は償還(Vergütung)に係る相続人の請求権及び費用の償還に係る相続財産占有者の請求権についても,前項と同様である。

 

第2024条 相続財産占有者は,相続財産占有の開始時において善意(in gutem Glauben)でなかった場合においては,その時において相続人の請求が訴訟係属していた(rechtshängig)ときと同様の責任を負う(haftet)。相続財産占有者が後に自分が相続人でないことを知った場合においては,当該事実を認識した時から同様の責任を負う。遅滞に基づく(wegen Verzugs)継続的責任(weitergehende Haftung)は,変更されない。

 

第2025条 相続財産占有者は,相続目的物(Erbschaftsgegenstand)を犯罪行為(Straftat)により,又は相続財産に属する物を禁じられた自力救済(verbotene Eigenmacht)により取得した場合においては,不法行為に基づく(wegen unerlaubter Handlungen)損害賠償に係る規定により責任を負う。ただし,当該規定により善意の相続財産占有者が禁じられた自力救済に基づく責任を負うのは,相続人が当該物件の占有を既に現実に(thatsächlich)獲得していたときに限る。

 

第2026条 相続財産占有者は,相続回復請求権が時効にかかっていない限りは,相続人に対して,相続財産に属するものとして占有していた物の時効取得(Ersitzung)を主張できない。

 

第2027条 相続財産占有者は,相続財産の状況(Bestand)及び相続目的物の所在(Verbleib)を相続人に通知する義務を負う。

相続人が当該物件の占有を現実に獲得する前に遺産(Nachlaß)から物を取得して占有した者は,相続財産占有者ではなくとも,前項と同じ義務を負う。

 

第2028条 相続開始時に(zur Zeit des Erbfalls)被相続人(Erblasser)と家庭共同体を共にしていた者は(Wer sich...in häuslicher Gemeinschaft befunden hat),その行った相続に関する行為(erbschaftliche Geschäfte)及び相続目的物の所在について知っていることを相続人に対し,求めに応じて通知する義務を負う。

必要な注意をもって(mit der erforderlichen Sorgfalt)前項の通知がされなかったとの推定(Annahme)に理由があるときは,同項の義務者は,相続人の求めに応じ,調書において(zu Protokoll),同人はその申述(seine Angaben)をその最善の知識に基づき(nach bestem Wissen),かつ,可能な限り(als er dazu imstande sei)完全に(vollständig)行った旨の宣誓に代わる(an Eides statt)保証をしなければならない(hat...zu versichern)。

   第259条第3項及び第261条の規定が準用される。

 

第2029条 個別の相続目的物について見た場合において(in Ansehung der einselnen Erbschaftsgegenstände)相続人に帰属する請求権に係る相続財産占有者の責任も,相続回復請求権に係る規定によって定められる。

 

  第2030条 相続財産占有者から相続分(Erbschaft)を契約(Vertrag)によって取得した者は,相続人との関係においては,相続財産占有者と同様の立場にある。

 

  第2031条 死亡したものと宣告された者又は失踪法の規定(Vorschriften des Verschollenheitsgesetzes)によりその死亡時期(Todeszeit)が定められた者であって,その死亡の時とされた時の経過後も生存したものは,相続回復請求権に適用される規定によりその財産の引渡し(Herausgabe ihres Vermögens)を請求することができる。同人がなお生存するときは,同人がその死亡宣告(Todeserklärung)又は死亡時期の定め(Feststellung der Todeszeit)を認識した時から1年を経過するまではその請求権は時効にかからない。

    死亡宣告又は死亡時期の定めなしに不当に(mit Unrecht)ある者が死亡したものとされたときも,同様である。

 

 以上ドイツ民法の関連条項を訳してみて思う。ドイツ人は,細かい。

さて,ドイツ民法の相続回復請求権は「包括的な返還請求権」であるということですが(中川善之助『相続法』(有斐閣・1964年)36頁),これは,「個々の財産に対する既存の個別の請求権」(「集合権利説」に関する内田435頁参照)について同法の相続回復請求権の規律を及ぼすための規定と解されるべきものであろうところの同法2029条の反対解釈に基づき,そのようなものとして理解すべきものでしょうか。なお,ローマ法においても,「相続人は相続財産を一括しての保護手段と,相続財産を構成する個々の財産の保護手段の2を享有」していたそうです(原田360頁)。

「今日わが民法で相続回復請求権といっているのは,真正相続人が,〔略〕自己の相続権を主張して,遺産の占有を回復せんとする請求」といわれますが(中川36頁),ここで「占有を回復」することが目的とされるのは,ドイツ民法の相続回復請求権が,引渡し(Herausgabe)を請求するものだからでしょうか。

日本民法の相続回復請求権について「相続開始の時以後に,遺産が滅失して損害賠償に代わったり,僭称相続人の処分によって代金債権に代わったりした場合,この請求権はこれらの代わりのものの上に行使することができる」と(我妻=有泉307頁),また「相続財産の果実は相続財産に属するから,表見相続人は善意であっても,取得することはできない。」と(泉久雄『民法(9)相続(第3版)』(有斐閣双書・1987年)136頁)説明されていますが,当該説明とドイツ民法2019条及び2020条とは関係がありそうです。

「ドイツ民法は,相続回復請求権――Erbschaftsanspruch――の相手方を表見相続人に限ったから(独民2018条),表見相続人から相続財産を譲受けた第三者に対し,その財産の返還を求めるのは,相続回復請求ではないとしている。わが大審院もこれと同じ見解を固執して来た」(中川39頁)といわれています。すなわち,当該学説においては,「表見相続人」とは「現実にはその者に帰属しない相続権に基づいて相続財産から物(etwas)を入手した(erlangt hat)者」(ドイツ民法2018条)ということになるようです。また,ドイツ民法2030条のErbschaftは,相続財産中の個々の財産ではなく包括的な相続分であるということになります。

ところで,「現実にはその者に帰属しない相続権(ein ihm in Wirklichkeit nicht zustehenden Erbrecht)」に基づき占有するのが表見相続人だということになると,現実にその者に帰属している共同相続権に基づき占有する共同相続人は(全く相続権を有さない者である)表見相続人にはならないということになってしまいます。しかし,我が判例は,民法884条は共同相続人間についても適用されるものとしています(前掲最高裁判所昭和531220日判決)。当該判例においては「共同相続人のうちの一人又は数人が,相続財産のうち自己の本来の相続持分をこえる部分について,当該部分の表見相続人として当該部分の真正共同相続人の相続権を否定し,その部分もまた自己の相続持分であると主張してこれを占有管理し,真正共同相続人の相続権を侵害している場合につき,民法884条の規定の適用をとくに否定すべき理由はない」と判示していますので(下線は筆者によるもの),「表見相続人」の概念について拡張解釈がされたものでしょう。また,「相続持分」の「占有」ということがいわれていますが,相続持分は有体物たる物(民法85条)ではないですから,当該「占有」は,「物を所持」することに係る占有(同法180条)ではなく,厳密にいえば,財産権の行使に係る準占有(同法205条)ということになるのでしょうか。

なお,相続回復の請求権の消滅時効に係る規定の効果が及ぶ相手方の範囲について,民法旧966条及び現行884条には,旧民法証拠編155条(「相続人又ハ包括権原ノ受贈者若クハ受遺者ノ権原ニテ占有スル者ニ対シテハ」)のような明文での限定規定はありません。そういうこともあるがゆえでしょうか,つとに,表見相続人から相続財産を譲り受けた第三者に対して真正相続人がする相続財産の返還請求について「思うに,かような返還請求は,仮に判例のいうように相続の回復請求ではないとしても,表見相続人に相続権がないこと(正確にいえば,当該財産について処分権のないこと)を前提とするものであつて,相続回復請求権が時効によつて消滅し,真正の相続人において,表見相続人にその処分権のないことを主張することができなくなつた以上,〔相続権侵害者から相続財産を譲り受けた〕第三者はその時効の利益を援用できるというべきであろう。いいかえれば,この問題は,右のような第三者に対する返還請求を相続の回復請求とみるべきかどうかには必ずしも関係なく,時効の利益を援用しうる者の範囲だけの問題としても,解決しうるように思う。そして,第三者に援用権を与えないと,本条に短期消滅時効を規定した実益の大半は失われるであろう。」と説かれていたところです(我妻等369-370頁)。「相続の回復請求」なる積極的なものがされるべき相手方の範囲の限定に係る問題と民法884条の消滅時効という消極的なものの援用権者の範囲に係る問題とは別の問題であることを明らかにしたところが,快刀乱麻を断った部分です。その後,「仮に〔表見相続人からの〕第三取得者に対する真正相続人からの物権的請求権に884条が直接適用されないとしても,表見共同相続人のもとで完成した消滅時効を第三取得者が援用できれば同じことである。そして,前掲最(大)判昭和531220日〔略〕は,第三取得者もそのような時効の利益を享受できることを前提としている(第三者の利益を共同相続人への適用肯定の根拠としてあげるのだから)。」と説かれるに至っています(内田442頁)。

なお,「相続財産が僭称相続人から第三者に譲渡された場合に,その処分は無効」(我妻=有泉312頁)であるのが原則です。

第三取得者ではなく,すなわち表見相続人を介しないで,「自分の相続権を主張しないで,単に相続人の相続権を否認し,または相続以外の特定の権原を主張して相続財産を占有する者」は相続「回復請求権の消滅時効を援用」できないと解すべきものとされています(我妻=有泉309-310頁)。旧民法証拠編155条の「相続人又ハ包括権原ノ受遺者若クハ受贈者ノ分限ヲシテ効用ヲ致サシムル為メノ遺産請求ノ訴権」については,間口が広くとも,消滅時効について「相続人又ハ包括権原ノ受贈者若クハ受遺者ノ権原ニテ占有スル者ニ対」するものかどうかで絞りをかけることができたところです。民法884条の「相続回復の請求権」に関してはそのような限定規定がないので,当該請求権自体について,相手方を「相続を理由に占有を開始または継続している者に限るべき」ものとする(我妻=有泉310頁)書かれざる定義規定を(恐らく旧民法証拠編155条からではなくドイツ民法2018条から)解釈で読み込むものでしょう。

さらには,相続を理由とするとしても,単に相続人と自称するだけでは駄目であるようです。前記最高裁判所昭和531220日判決は,「自ら相続人でないことを知りながら相続人であると称し,又はその者に相続権があると信ぜられるべき合理的な事由があるわけではないにもかかわらず自ら相続人であると称し,相続財産を占有管理することによりこれを侵害している者は,本来,相続回復請求制度が対象として考えている者にはあたらない」ものと判示しています(なお,共同相続の場合には,「たとえば,戸籍上はその者が唯一の相続人であり,かつ,他人の戸籍に記載された共同相続人のいることが分明でないとき」が上記「合理的事由」であるそうですから,むしろ原告(相続回復請求をする者)が共同相続人ではないと信ずることに係る合理的事由が問題となっているともいえそうです。)。確かに,天一坊程度のちゃちな僭称者(「自己の侵害行為を正当行為であるかのように糊塗するために口実として名を相続にかりているもの又はこれと同視されるべきもの」であって「いわば相続回復請求制度の埒外にある者」)にいちいち表見相続人としての保護を与えてはいられないでしょう(なお,判例が上記部分で「相続回復請求制度」という場合,相続回復の請求権の消滅時効制度という意味でしょう。)。また,無権利者によって対外的・社会的には客観的な外観が存在するように作為されていても(老中・奉行も信じてしまうように暴れん坊将軍のお墨付きが精巧に偽造されていても),結局静的安定が優先されるべきものとされています(最判昭和531220日の高辻正己=服部高顯補足意見及び環昌一補足意見参照)。保護を受けるのならば,当該保護に値する旨自ら証しをなすべし,ということになります(最判平成11719日(民集5361138頁))。

なお,真正相続人を保護するためのErbschaftsanspruch制度下ならば,自ら相続人と称していわば不利な状態になることは,その者の勝手であって,この辺は論点とならないのでしょう。ちなみに,古代ローマの市民法上の相続請求権(hereditatis petitio)については,被告には,自己が相続人であるとの主張をなさず「何故に占有するかと問われたならば,「占有するが故に占有する」と答えるより外ない者ではあるが,なお原告の相続人であることを争う者(possessor pro possessore 占有者として占有する者)」までもが含まれていました(原田360-361頁)。

 本来の消滅時効の期間が相続回復請求権よりも短い場合には,その期間は相続回復請求権のもの(5年及び20年)に揃えよといわれています(我妻=有泉313頁)。旧民法証拠編155条の遺産請求ノ訴権に係る30年との関係についても,ボワソナアド解説によれば,「一様に(uniformément)」当該長い期間に揃えるべきものであったと解されます。

 相続回復請求権の消滅時効とは別に,(特に表見相続人のもとで)相続財産上の取得時効は進行するかについては,互いにその進行を妨げないと解すべきだといわれています(中川49頁(「特に表見相続人から譲渡をうけた第三者の場合を考えれば一層明白」),我妻=有泉313-314頁(「表見相続人の相続財産の上」のものについて),内田444頁(一般に「相続財産を占有している者のもと」の場合について),泉138頁(「表見相続人についても」))。これに対して,ドイツ民法2026条は表見相続人はその相続財産上の取得時効を主張できないとし,旧民法証拠編155条の遺産請求ノ訴権に関するボワソナアド解説によれば当該占有が包括の権原によるものである場合には取得時効期間は当該訴権の消滅時効期間に揃うものとされています(大判昭和729日(民集11192頁)も僭称相続人のもとでの取得時効の成立を否定)。しかし,表見相続人及び「みんな」の保護のためには,取得時効の進行及び成立を認めた方が一貫するのでしょう。これについては,「判例・学説は従来から第三取得者による時効取得を認めていたが,最判昭和4798日民集2671348頁は,従来判例上否定されていた表見相続人による時効取得を一定の場合に肯定した。」とされています(副田464頁・註(77))。 


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1 「世界が東京に押し寄せる!」2020年を前に

早や令和も第2年になろうとしています。令和2年夏には,札幌と東京とで夏季オリンピック競技会が開催されます。

夏季オリンピックの華にしてクライマックスたるマラソン競技が開催される札幌においては,準備が順調に進んでいることでしょう。とはいえ札幌市民が沿道で応援しようにも,暑さ対策ということで,競技開始時刻は朝早いようです。これは,実は米国の放送事業者の御都合により同国東海岸時間に合わさせられてしまうものだとも言われているようですが,150年前開基の札幌の創成期においては米国出身の同市関係者も多かったところですから,米国人のわがまま云々などとひがんだりせずに札幌市民はおおらかに対応するのでしょう。

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Horace Capron from Massachusetts(札幌市中央区大通公園)


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William S. Clark from Massachusetts(札幌市北区北海道大学構内)

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Edwin Dun from Ohio(札幌市南区真駒内)

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A Benson Bubbler from Portland, Oregon (札幌市中央区大通公園)

 他方,東京都においては,同都の都庁の「2020年夏/世界が東京に押し寄せる!」との警告ポスターが地下鉄駅構内(特に都営地下鉄のもの)などに貼ってあるのを見て,筆者はぎょっとしたものです。「これは・・・Aux armes, citoyens! In the coming summer of 2020, alien nations will swarm out of far corners of the world into Tokyo!”という呼びかけかいな。いかがなものかな。しかし,これから押し寄せてくるという人たちは,既に適法に居住しているところの本邦外出身者(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年法律第68号)2条参照)ではないから,本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律的にはいいのかな。しかし,東京都のお役人たちはオリンピックで外国から人が大勢集まってしまうことに迷惑を感じてしまっているのかな。しかし,そんなに迷惑ならば,そもそも,高い都民税を使って余計なオリンピックなどわざわざしなければよいのに。」というわけです。

とはいえ,外国人が押し寄せる押し寄せる大変だ大変だといっても,狼少年的な杞憂に終わることもあるようです。出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号)を改正する平成30年法律第102号の成立・施行によって「一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人材を幅広く受け入れていく仕組み」たる特定技能外国人の在留資格制度が20194月から鳴り物入りで始まりましたが(「ウァレンス政権の入国在留管理政策に関して」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1072912488.html)参照),法務省のウェブ・ページ(http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri07_00215.html)を見ると,同年9月末における特定技能1号資格による在留外国人はわずか219人しかいないそうです。日本は日本人自身がうぬぼれているほど人気のある豊かで上品な国ではもはやないのではないのか,という反省も,もしかしたら無用ではないものでしょう。

 

2 対女性交際における日本人男子とドイツ人男子との違い

ところで我が国の品ないしは品格の有無をいいだすと,そもそも日本人男子は国際的に見てお下劣だ,ということで従来からよくお叱りを受けてきたところです。それに引き比べると西洋人男子は上級だよね,ということになるようです。

 

   〔前略〕欧洲人の同人種間良家の女に対する感情はこれを我国人に比すれば,甚だ高尚なるを見る。単に表面の観察を以てするも,中江篤介氏が一年有半に云へる如く,欧洲人は,我国人の如く,良家の女子の(おもて)を見て,心に婬褻の事を想ひ,口に卑猥の言を出すこと無し。進んで婚姻の事に至れば,良家の男女は,多少の日子を費して相交り相知り,愛情を生ずるに非では,礼を行はず。嘗て一士官の利害上より富家の(むすめ)を娶り,一年余の間同衾せず,後に愛情を表白して,同衾するに至れりと云ふ話説あり。此の如きは彼十字軍後の武士道に伴へる,女子を尊崇する遺風にして,一説にはMADONNA信仰より淵源すと云ふ。此思想より見るときは,我国の婚姻は殆ど強姦に近き者となる。(森林太郎「北清事件の一面の観察」(19011223日於小倉偕行社)『鷗外選集第13巻 評論・随筆三』(岩波書店・1979年)71頁)

 

 日本人妻に対する日本人夫は皆強姦犯のようなものだ,という比喩はすさまじい。

 兆民中江篤介の『一年有半』(19019月)には次の一節があります。

 

   わが邦男子,その少壮婦人に接する,(ただち)に肉慾晦事に想及す,故にこれと()話する往々男女の事に及ぶを常とす,良家夫人に対するもほとんど妓輩におけると異なるなし。而して人これを怪まず,即ち当話婦人もまたこれを以て非礼と為して(いか)ることなし。これ風俗の日々に崩壊して,而して令嬢令夫人の交際の高尚に赴かざる所以(ゆゑん)なり,これ(すみや)かに改むべし。(中江兆民『一年有半・続一年有半』(岩波文庫・1995年)66-67頁)

 

 芸妓輩が令嬢令夫人を男子との高尚な交際から疎外する機序については,これも『一年有半』において次のごとし。

 

   〔前略〕かつ彼輩その業たる,専ら杯酌に侍し宴興を(たす)くるにありて,而して(しん)(しん)の徒これを聘する者,初めより褻瀆を事として少も敬意を表するを要せず,良家の令嬢令夫人に接するに比すれば,(おのづか)(ほしいまま)にしていささかの慎謹を(もち)ゐざるが故に,自然に令嬢令夫人をして,男子との交際外に斥けられざるを得ざらしむ。わが邦婦女の交際の趣味を解せざるは,芸妓ありて男子の歓を(ほしいまま)にするがためなり。(中江48頁)

 

 であるからむしろ女の敵は女か,と言うのは男の側からのいわゆるセクハラ的無責任・身勝手発言ということになるのでしょう。いけません。

 しかしながら,西洋人男子といえども常にお上品な聖人君子であるわけではありません。北清事変(義和団事件)中19008月の八か国(日米英仏独墺伊露)連合軍による在北京列国公使館の解放に際して「各国の将兵,略奪・惨殺・焼毀などをつづける」と歴史年表にあります(『近代日本総合年表第四版』(岩波書店・2001年)165頁)。この「各国の将兵」の西洋人男子ら(特にドイツ兵が目立ったようです。)の悪魔的狂態を前にして,むしろお下劣では本家のはずの日本人男子の方が引いてしまっていたようです。鷗外森林太郎,解説していわく。

 

   〔北清事変におけるドイツ兵の〕所謂(いはゆる)敗徳汚行中,婦女を犯したるは其の主なる者の一なり。皮相の観察を以てすれば,強姦の悪業たるは,東西殊なることなし。これを敢てするものゝ彼我の多少は,直ちに比較して二者の道義心を(はか)るに堪へたるが如し。然れども実は此間,少くもの顧慮す()き条件あらん。

   今省略してこれを言はん。第一,欧米白皙(はくせき)人の黄色,黒色若くは褐色人に対する感情は,頗る冷酷にして,全く白皙人相互の感情と殊なり。これを我国人の支那人に対する感情に比すれば,其懸隔甚だ大なり。何を以て然るか。欧米人は自ら信じて,世界最上の人と為す。一の因なり。欧米人は,縦令(たとへ)悉く中心より基督教を信ずるに非ざるも,殆ど皆新旧約全書を挟んで小学校に往反したるものなり。此間父兄及教師は異教の民を蔑視する心を注入せり。二の因なり。猶此条件は次の者と相関聯す。第二,欧米人は賤業婦を蔑視すること我邦人に倍()し,随て其の婦女を虐遇する習慣には,我邦人の知るに及ばざる所の者あり。我邦人は藝娼妓にもてんと欲す。ほれられんと欲す。欧米人は賤業婦を貨物視し,これに暴力を加へて怪まず。此虐遇の習慣は,或は戦敗国の異色人種に対して発動することを免れざりしならん。第三,欧米軍人は洒脱磊落にして狭斜の豪遊を為し,又同僚相爾汝(じじよ)する間に於いて,公会に非ざる限は,汚瀆の事を談ずるを怪まず。婦女を虐遇したる事と雖,又忌むことなし。〔後略〕(森69-70頁)

 

 「彼我の多少」は,無論ドイツ兵が多く,日本兵については少なかったのです。そこで「直ちに比較して二者の道義心を(はか)」れば,実は日本人男子の方がドイツ人男子よりも高尚な道義心を有していたことになっていたところなのでした。(とはいえ,1942年に至ると昭和17年法律第35号(同年219日裁可,同月20日公布)によって我が陸軍刑法(明治41年法律第46号)の第9章の章名が「掠奪ノ罪」から「掠奪及強姦ノ罪」に改められるとともに,同法に第88条ノ2が加えられて「戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ1年以上ノ懲役ニ処ス/前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ3年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ懲役ニ処ス」と特に規定されるに至っています。これは,非親告罪(昭和17年法律第35号附則2項参照)であって,未遂も罰せられました(陸軍刑法89条)。(当時は,刑法177条の強姦罪(国民の国外犯も処罰(同法35号))の刑は2年以上の有期懲役で,かつ,同罪は親告罪であり(同法180条),また強姦致死傷罪の刑は無期又は3年以上の懲役でした(同法181条)。)盧溝橋事件から4年半たって,大陸の我が軍の軍紀は,残念ながら紊れていたのでしょう。)

 しかしながら,女性に「もてんと欲す。ほれられんと欲す。」の男子と,一部の女性を「貨物視し,これに暴力を加へて怪まず。」かつ「婦女を虐遇する習慣」を有する男子とは,妻から見た夫としてはどうでしょうか。前者の方が外の女性に余計なお金と時間とをついつい浪費してしまうのに対して,後者の方が冷酷な分なだけ余計な後腐れなく済むものでしょうか。女の敵は女,というような陳腐な感慨の繰り返しは,これまたいわゆるセクハラ的なものとして,許されません。


DSCF0765(Maibaum)

»Maibaum« aus München札幌市中央区大通公園
 

3 事後強盗をめぐる日独比較

 

(1)ヴェーデキントの「伯母殺し」

 

ア 詩と犯罪

 

(ア)詩

 狂暴なドイツ青年といえば,筆者はヴェーデキント(Frank Wedekind 1864-1918)のDer Tantenmörderを想起してしまうところです(生野幸吉=檜山哲彦編『ドイツ名詩選』(岩波文庫・1993年)174-177頁「伯母殺し」(檜山哲彦訳)参照)。

 

 Ich hab meine Tante geschlachtet,

    Meine Tante war alt und schwach;

    Ich hatte bei ihr übernachtet

    Und grub in den Kisten-Kasten nach.

 

    Da fand ich goldene Haufen,

    Fand auch an Papieren gar viel

    Und hörte die alte Tante schnaufen

    Ohne Mitleid und Zartgefühl.

 

    Was nutzt es, daß sie sich noch härme ----

    Nacht war es rings um mich her ----

    Ich stieß ihr den Dolch in die Därme,

    Die Tante schnaufte nicht mehr.

 

    Das Geld war schwer zu tragen,

    Viel schwerer die Tante noch.

    Ich faßte sie bebend am Kragen

    Und stieß sie ins tiefe Kellerloch. ----

 

    Ich hab meine Tante geschlachtet,

    Meine Tante war alt und schwach;

    Ihr aber, o Richter, ihr trachtet

    Meiner blühenden Jugend-Jugend nach.

 

(イ)殺人及び窃盗

 この青年,自分の伯母(叔母)(meine Tante)を,「そのはらわたにナイフを突き刺して(Ich stieß ihr den Dolch in die Därme)」「殺しちまった(Ich hab meine Tante geschlachtet)」(刑法(明治40年法律第45号)199条「人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」)のみならず,その前に同女の長持・箱類をあさった上で(Und grub in den Kisten-Kasten nach)「糞たくさんの金」及び多量の有価証券(Papiereを,筆者は法律家的偏屈でWertpapiereの略であろうと見て「有価証券」と訳します。檜山訳では「お(さつ)です。探し出してDa fand ich goldene Haufen, / Fand auch an Papieren gar viel),窃取していたところです(刑法235条「他人の財物を窃取した者は,窃盗の罪とし,10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」)

窃取というのは,「おばちゃんばばあが荒い息づかいをしているのが聞こえたけれど,同情とか思いやりなんざ感じなかった(Und hörte die alte Tante schnaufen / Ohne Mitleid und Zartgefühl.)」ということですから,伯母さんは呼吸に苦しみながらも眠っていたようだからですし(伯母さんが起きていて現認し,青年による金銭及び有価証券の取得に承諾を与えていたわけではないでしょう。),見つけただけではなくて領得までしたのであって,領得後の「金は運ぶのに重かった(Das Geld war schwer zu tragen)」との供述があるところです。

 

(ウ)死体遺棄

金銭よりもっと重い伯母の死体を震えながらも襟髪つかんで地下の穴蔵深くに放り込むという(Viel schwerer die Tante noch. / Ich faßte sie bebend am Kragen / Und stieß sie ins tiefe Kellerloch)死体遺棄の罪も犯しています(刑法190条「死体,遺骨,遺髪又は棺に納めてある物を損壊し,遺棄し,又は領得した者は,3年以下の懲役に処する。」)。「殺人犯人が死体を現場にそのまま放置する行為は,〔死体〕遺棄ではない」ところ,死体遺棄成立のためには死体を「犯跡を隠蔽しようとして移動したり,隠したりすることを要する」のですが(前田雅英『刑法各論講義 第4版』(東京大学出版会・2007年)499頁),そこまでやってしまっています。なお,判例上,殺人罪と死体遺棄罪とは牽連犯(刑法541項「〔略〕犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは,その最も重い刑により処断する。」)となるものとはされていません。

 

(エ)住居侵入(保留)

伯母さん宅に泊まった(Ich hatte bei ihr übernachtet)その晩における,周囲はぐるりと夜(Nacht war es rings um mich her)の闇の中での犯行ですが,その夜に伯母さん宅に泊まり込んだことは窃盗ないしは殺人の目的をもってした伯母さんの住居への侵入であったとして住居侵入罪(刑法130条「正当な理由がないのに,人の住居若しくは人の看守する邸宅,建造物若しくは艦船に侵入し,又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は,3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」)の成立までを認めるべきかどうかは微妙です。最高裁判所大法廷の昭和24722日判決(刑集381363)は「強盗の意図を隠して「今晩は」と挨拶し,家人が「おはいり」と答えたのに応じて住居にはいつた場合には,外見上家人の承諾があつたように見えても,真実においてはその承諾を欠くものであることは,言うまでもないことである。されば,〔略〕住居侵入の事実を肯認することができるのである。」と判示してはいるのですが(なお,この判例の事案は,若い男の3人組(一人は18歳未満の少年だといいますから,皆若かったのでしょう。)のうち一人が1948131日の23時頃(夜遅いですね。)に香川県の現在の三豊市の農家(世帯主の名前からすると女所帯であったようです。また,海に近い開けたところ(横に人家があると被告人が供述しています。)であったようで,人里離れた山奥ではありません。)の表口で「今晩は今晩は」と連呼したところ,丁度その頃目が覚めていた長女(24歳)が当該今晩はと言う低い声を聞いたので「おはいり」と言ったのになかなか3人は這入って来ず,そこで同女が寝床の中から起き出して庭に出て表入口の雨戸を開けてあげて,また「おはいり」と言いつつ頭を下げ云々(「丁度その頃目が覚めていた」から「云々」までは,弁護人の引用した同女に係る司法警察官作成の関係人聴取書の記載によります。),それから3人組は当該家屋(の表の土間)に入って所携の匕首の鞘を払って同女に突き付けて脅迫した上で金品を強取しようとしたが家人に騒ぎ立てられたためその目的を遂げなかった,というものでした。被告人の供述によると,3人組は,お這入りなさいと言う同女にいて表口家屋内に這入ったうです。所帯真夜中ない招じ入ってしょうか。大胆。また,寝床の中にいたままで「おはいり」と言って,そのまま自分が寝床の中にいる状態で来客を迎えようということであったのならば,横着ですね。というどうも連想が飛びますが,我が国の古俗たる若衆制に関する次のような記述を筆者は思い出してしまったところです。いわく,「若衆たちはムラの祭礼を執行する一方,自分の集落むらの娘たちについては自分たちで彼女らを支配しているとおもっていた。一種の神聖意識というべき感覚で,他村の若衆がムラに忍んでくるのをゆるさなかった。/かれらは,夜中,気に入ったムラの娘の家の雨戸をあけ,ひそかに通じる。一人の娘に複数の若衆がかよってくる場合がしばしばあったが,もし彼女が妊娠した場合,娘の側に,父親はだれだと指名する権利があった。」と(司馬遼太郎「若衆制」『この国のかたち 一』(文藝春秋・1990年)195頁)。またいわく,「高度成長へと緩やかに時代が動きだしていた1957年の『米』は,『青い山脈』(1949)で知られる今井正監督の最初のカラー映画ですが,霞ケ浦近辺の半農半漁の村落に暮らす若き男女の青春を描いて郷愁を誘います。隣村に集団でナンパ(夜這い?)に向かう船中でのアドバイスは,「俺,長男だッて言うンだぞ。次男だの三男だの言ってみれバヨ,どんな娘でも相手にしねエゾ」・・・」と(與那覇潤『中国化する日本』(文藝春秋・2011年)102頁)。「村落における若衆制は,ポリネシア,メラネシア,インドネシアなど太平洋諸島全円にひろく存在しているもので,中国(古代の越人の地だった福建省や広東省には存在したろう)や朝鮮には存在しない」そうですが(司馬193頁),ドイツにも無いのでしょう。),一応消極に取り扱うべきでしょうか。伯母さん宅に泊まっているうちに窃盗の犯意が生じたようでもあるからです。ただし,伯母殺しの兇器(Dolch)が伯母さん宅の台所辺りにあったナイフではなく青年が事前の計画に基づき自ら持参した短刀(檜山訳では「匕首」となっています。)であったのならば,別異に解すべきものでしょう。

Dolchの訳として小学館の『独和大辞典(第2版)コンパクト版』(2000年)に「⦅話⦆(Messer)ナイフ」とあったので,筆者はこの青年の供述は口語的だなと思ってこちらを採用したのですが,本来Dolchは「短剣,短刀」です。

 

イ 老婆の資産と青年の無資産と

 伯母さんの「糞たくさんの金」(Haufenには,お下劣ながら「(一かたまりの)糞便」という意味があるそうです。)及び多量の有価証券の価額はどれくらいかと,我が総務省統計局の平成26年全国消費実態調査の結果を見ると,2014年の70歳以上の女性単身世帯における平均貯蓄現在高は1432万円,うち有価証券分は2501千円,平均負債現在高は408千円(したがって,ネットではプラス13912千円)となっています。平均年間収入は2149千円,また,持ち家率は83.4パーセントです。

これに対して30歳未満の単身世帯男子はどうかといえば,同じ統計で見るに,平均貯蓄現在高は1908千円,うち有価証券分69千円,平均負債現在高4396千円(したがって,ネットではマイナス2488千円),平均年間収入3822千円,持ち家率14.1パーセントとなっています。我が伯母殺し青年は,上記のような政府の統計調査にまでわざわざ協力する意識の高い立派な30歳未満男子層(上記統計数字は,この層に係るものということになるのでしょう。)に属するものではなく,そのはるか下までこぼれ落ちてしまっている存在でしょうから,もっと悲惨な経済状況にあるのでしょう。

 

ウ 病身の老婆と華やぐ元気と若さの青年と

 「おばちゃんこれ以上悲しんでみたり嘆いてみたりしたって仕方がないだろ(Was nutzt es, daß sie sich noch härme)」と青年は思ったというのですが,伯母さんは何について悲しみ嘆くのか。大事にしていた虎の子の金銭及び有価証券がなくなってしまっていることについてか。しかし,「おばちゃん,ばばあでよぼよぼだった(Meine Tante war alt und schwach)」ということが繰り返されて強調されおり,「おばちゃんの荒い息づかいは止まった(Die Tante schnaufte nicht mehr)」と伯母さんの苦しそうな荒い息づかいに青年の注意は向けられていたのであるとも主張し得るところ,弁護人としては,いやいや青年は歳を取って健康状態が悪化している自分の伯母の身体的苦痛についてこれ以上見ていることは忍び難いと思っていたのです,と主張するのでしょう。

 老人は,確かにお医者さんの厄介になるばかりで,自らの心身の衰えを悲しみ嘆く日々を過ごすこととなるのでしょう。厚生労働省の「平成29年度国民医療費の概況」を見ると,2017年度の人口一人当たり国民医療費(保険診療の対象となり得る傷病の治療に要した費用)は,二十代前半男子が738百円,二十代後半男子は887百円であるのに対して,七十代前半女子は5677百円,七十代後半女子が7112百円,八十代前半女子が8639百万円で,85歳以上女子は大台を超えて10342百円となっています。

 ちなみに,2017年度の国民全体での一人当たり国民医療費は3399百円です。年代別に見て医療費額が一番低いのは十代後半で833百円,一番高いのは85歳以上で10829百円です。変な計算ですが,医療費額だけで比べると,十代後半と比べて八十代後半以降は13倍以上不健康であるということになります。

健康保険料の負担は重い。さりとて自分も「元を取る」んだとわざわざ病気になろうとするのは変な話です。健康保険料の年間納付総額から自己の年間国民医療費総額を減じて得られる差が相当しんどい額となってしまう者は,公共交通機関を利用して病院等に通わねばならない方々のためにも有益な存在として,せめて打ちひしがれて優先席に座っていても許されるということになるものでしょうか。しかし,そのようなせこいことを考える連中は,裁判官のように厳しく断罪する冷たい視線が周囲から自分に浴びせかけられているように感じてようやく初めて「ところであんたたち,やれやれ裁判官様方よ,あんたたちは,俺の華やぐ元気と若さと(したがって席を譲ってくれること)を狙っているんだね(Ihr aber, o Richter, ihr trachtet / Meiner blühenden Jugend-Jugend nach.)」と心の内でぼやいてから渋々席を立つような連中なのでしょう。お下劣です。華やぐ元気と若さとを謳歌する青年男女は,自ら進んで弱い者を助け,これからの長い人生,素晴らしい我が祖国日本の少子高齢化社会を支えるために生きていかなければなりません。

 

(2)日本刑法238条(及び240条)をめぐる問題

 さて,問題は,伯母殺し青年の前記窃盗及び殺人行為は,併せて事後強盗(刑法238条「窃盗が,財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために,暴行又は脅迫をしたときは,強盗として論ずる。」)を構成するものとなるかどうかです。ライン川を挟んでドイツのヴェーデキントもフランスのユゴーも,どういうわけか事後強盗問題で筆者を悩ませます(ジャン・ヴァルジャンをモデルとする鬼坂による事後強盗に関しては「「和歌山の野道で盗られた一厘銭」をめぐる空想」記事(http://donttreadonme.blog.jp/archives/1046231399.html)を参照)。

 まず,刑法238条の「暴行又は脅迫」に殺害行為は含まれないのだ,という議論があり得ます。

 しかし,上告審弁護人鈴木喜三郎(これは,検事総長の経験者であって,後に司法大臣となる鈴木喜三郎でしょうか。)のそのような屁理屈に対して,大審院は,殺害行為は暴行に含まれるとし,「〔刑法238条の〕暴行トハ被害者ノ反抗ヲ抑圧スルニ足ルヘキ行為ヲ謂ヒ而シテ殺害行為ハ被害者ノ反抗ヲ全然不能ナラシムヘキモノナレハ之ヲ以テ暴行ト目スヘキコト固ヨリ論ヲ俟タス」と判示しています(大判大15223日刑集546)。

 強盗犯人が故意をもって人を殺したときの適用法条についても,①刑法240(「強盗が,人を負傷させたときは無期又は6年以上の懲役に処し,死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。」)後段のみか,②同法240条後段と同法199条との観念的競合(同法541項「1個の行為が2個以上の罪名に触れ〔略〕るときは,その最も重い刑により処断す。」)となるか,又は③同法236(「暴行又は脅迫を用いて他人の財物を強取した者は,強盗の罪とし,5年以上の有期懲役に処する。/前項の方法により,財産上不法の利益を得,又は他人にこれを得させた者も,同項と同様とする。」)と同法199条との観念的競合若しくは併合罪(同法45条以下)となるか,との3説間での選択の問題があります(前田254-255頁)。判例は,「強盗の機会に殺人行為が行われる場合には刑法240条後段を適用すべきもの」と判示して(最判昭3281日刑集1182065),①説を採用しています(なお,当該判示は,上告理由に当たらない旨の判断が示された上で付加された括弧書き中におけるなお書き判示でした。)。

 伯母殺し青年が伯母さんを殺した目的は,「財物を得てこれを取り返されることを防」ぐためか,「逮捕を免れ」るためか,それとも「罪跡を隠滅するため」か。これらの目的のうちのいずれかの目的がなければ,事後強盗は成立しません(前田242頁参照)。ただし,必要なのは窃盗犯人側の目的ばかりであって,「窃盗が財物の取還を拒き又は逮捕を免かれ若しくは罪跡を湮滅する為暴行又は脅迫を加へた以上」は,「被害者において財産を取還せんとし又は加害者を逮捕せんとする行為を為したと否とに拘はらず強盗を以て論」ぜられます(最判昭221129日刑集140)。

 伯母殺し青年の供述には「財物の取還を拒き又は逮捕を免かれ若しくは罪跡を湮滅する」との目的は直接現れていないのですが,しかし,常識的に考えると「罪跡を隠滅するため」にやったな,と思われるところです。

前記大審院大正15223日判決の事案も「〔被告人が〕更ニ2階ニ上リY某ノ蒲団ノ下ヲ捜リタル処同人カ目ヲ醒シタル為メ右窃取ノ目的ヲ達セス然ルニ被告人ハ右Y某ト(かね)テ面識ノ間柄ナルヲ以テ茲ニ犯罪ノ発覚センコトヲ怖レ其ノ罪跡ヲ湮滅スル為メY某ヲ殺害スヘシト決意シ携ヘ行キタル短刀(大正13年押第90号ノ1)ヲ揮ツテ同人ノ右頸部ヲ突刺シ動静両脈ヲ切断シテ即死セシメタルモノ」でした。

千葉地方裁判所木更津支部昭和53316日判決(判時903109)の事案も,被告人の自宅内で酒に酔って寝入っている被害者O(当時39年の離婚経験のある男性,9歳の一人娘を実家に預けて単身生活中。前夜20時頃から木更津市内の呑み屋を6軒,被告人におごりつつ同人とはしごをし,翌朝4時頃タクシーで被告人宅近くまで来たところで被告人に誘われて同人宅に上がり込み,炬燵に入って清酒をコップ3杯くらい飲んでごろ寝,更に720分ないしは30分ころに目覚めてコップ2杯くらいを飲み,8時過ぎ用便を済ませて家に帰ろうと言ったが腰がまだふらついていて玄関隣の6畳間に布団を敷いてもらって寝入ってしまったもの)の背広(Oが着たまま寝たので被告人が先に脱がしてやって部屋の鴨居に吊るしておいたもの)の左内ポケットから取り出した財布及び外側ポケット内から現金合計約53000円を830分頃にふと窃取した被告人が,同日19時過ぎに至って北側3畳の板の間(これは,金銭窃取後下記のとおりOの殺害を決意した被告人に8時半過ぎに引きずり込まれていた場所)でなお昏々と眠り続けているOを「北側3畳の間の手製ベッドの上に血で汚れないようにカーペットを敷き,台所から〔略〕あじ切り包丁を持ち出し,さらにベッドの側に立ち右カーペットの上に寝入っているOを両手で抱き上げて頭を南向きにして横たえ,被告人に背を向けている同人の上体を起こすようにして被告人の方に向け,長袖ワイシャツのボタンをはずすなどして胸をはだけたうえ,所携の右あじ切り包丁で同人の左胸部を心臓めがけて2回突き刺し,よって左乳部刺創による肺動脈損傷による失血死によりその場で同人を死亡させた」ものですが,その朝の窃盗後間もなく生じた「同人〔O〕が起きた際に右窃盗の犯行が発覚することをおそれて,罪跡を湮滅するため同人を殺害すること〔略〕を決意し」た決意が10時間半以上持続していたものと認定されています。「なるほど本件窃盗行為と殺害行為との間には弁護人指摘のとおり約11時間位の長時間の時間的間隔があるが,前記認定のとおり被告人は窃盗行為の後まもなく罪跡湮滅のため被害者に対する殺意を生じ,犯行を容易にするため被害者を別の部屋に移し,台所に同人殺害に使用するための兇器である包丁を取りに行こうとしたところに突然たまたま友人2名が来訪した意外の障害に本件殺害の犯行をそれ以上継続することができなかったものの,その時点ですでに本件殺害の犯行の着手に密接した行為を行っており,友人らが来てからも極力家をあけないように努め,また被害者が起きてこないように気を配っており,友人らが帰ってしまってからまもなく本件殺害の犯行に及んでいるのであって,この間殺意は依然として継続していたものと推認される。」というのが千葉地方裁判所木更津支部の判示です。

これらの前例を前にドイツの伯母殺し青年の弁護人は,被告人はその伯母の身体的・精神的苦痛を取り除いてあげるために伯母殺し行為をしてしまったのであって「罪跡を隠滅するため」などということは全く考えておりませんでした,と頑張ることになります。

 

(3)ドイツ刑法252条並びに旧刑法382条及びボワソナアド

 しかし,「罪跡を隠滅するため」との目的の存在を否認する前記の弁護人の頑張りの必要は,特殊日本的なものかもしれません。事後強盗に係るドイツ刑法252条は,次のような規定だからです。

 

  Wer, bei einem Diebstahl auf frischer Tat betroffen, gegen eine Person Gewalt verübt oder Drohungen mit gegenwärtiger Gefahr für Leib oder Leben anwendet, um sich im Besitz des gestohlenen Gutes zu erhalten, ist gleich einem Räuber zu bestrafen.

  (窃盗の際犯行現場において発覚し,盗品の占有を保持するために,人に暴行を加え,又は身体若しくは生命に対する現在の危険をもって脅迫を行った者は,強盗と同様に処断される。)

 

窃盗(Diebstahl)をした者が「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」に暴行又は脅迫を行っても,なお強盗(Räuber)扱いはされないということです。

フランス人ボワソナアドの起草に係る旧刑法(明治13年太政官布告第36号)382条もドイツ刑法252条と同様に「窃盗財ヲ得テ其取還ヲ拒ク為メ臨時暴行脅迫ヲ為シタル者ハ強盗ヲ以テ論ス」とのみ規定していました。ボワソナアド原文の『刑法草案注釈巻之下』(司法省・1886年)の659頁には「犯者其所為ノ発露シタルニ因リ盗取物ヲ保存センカ為メ暴行又ハ脅迫ヲ用ヰルトキハ始メニハ窃カニ盗取セシト雖モ之レヲ「強盗」ト看做ス(こと)当然ナリ蓋シ此場合ニ於テハ或ハ暴行ヲ加ヘントノ予謀アラサルヘキモ其大胆心ト人身ノ危険トハ之レナシトスルヲ得サレハナリ/然レトモ犯者窃盗ニ着手シタル後チ逃走ヲ容易ナラシメントノ目的ヲ以テ人ニ暴行ヲ加ヘタルトキハ其所為ヲ強盗ト称セサルヘシ此場合ニ於テハ犯罪ノ合併即チ窃盗ノ未遂犯ト暴行又ハ脅迫(暴行ハ他ニ犯罪ノ附着スルヿナシト雖モ罰セラルモノナリ)トノ俱発アレハナリ」とあります。

「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」は,1907年の現行刑法制定に当たり新たに付加され,窃盗犯を強盗犯並みに取り扱う範囲が拡張されたものということになります。日本人は,白皙人よりも生真面目で厳しい。

しかし,「逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するため」は,つまりは「逃走ヲ容易ナラシメントノ目的」ということではないでしょうか。ということであると,現行刑法238条においては,ボワソナアドが明示的に強盗扱いしないとした場合が強盗扱いされるということになってしまっていたのでした。

ところで,事後強盗成立に必要な暴行・脅迫に係る「反抗を抑圧する程度」を通常の強取の場合よりも厳しく認定すべきものとする一連の裁判例があり(窃盗犯が「逮捕を免れ」ようとする事案に主に係るもののようです。強盗傷人では刑が重過ぎるという配慮によるものです。),これに対して「ただ,逮捕を免れるにはより大きな暴行・脅迫が必要だとするのは説得性を欠くようにも思われる」と苦慮する学説が存在するところですが(前田245-246頁),泉下のボワソナアドとしては,だから窃盗犯が逮捕を免れるために暴行・脅迫しても事後強盗にならないんだよと言っておいたでしょう,西洋流では本来事後強盗に含まれないとされる類型まで日本人のさかしらで事後強盗に加えたから面倒なことになっているんですよ,と嘆息しているものかどうか。(なお,平成7年法律第91号による改正前の刑法238条は「窃盗財物ヲ得テ其取還ヲ拒キ又ハ逮捕ヲ免レ若クハ罪跡ヲ湮滅スル為メ暴行又ハ脅迫ヲ為シタルトキハ強盗ヲ以テ論ス」と規定されていて(下線は筆者によるもの),「又は」は一番大きな選択的連結に用いられ「若しくは」それより小さな選択的連結に用いられますから,同条における三つの目的は,旧刑法以来の「其取還ヲ拒キ」と現行刑法からの「逮捕ヲ免レ」及び「罪跡ヲ湮滅スル」との二つのグループに分かれるということが読み取り得る書き振りとなっていました。これに対して平成7年法律第91号による改正後の刑法238条は「財物を得てこれを取り返されることを防ぎ,逮捕を免れ,又は罪跡を隠滅するために」とのっぺらぼうに規定していますから,3者は同一平面において単純に並べられていることになります。)

  

(4)日本の木更津事件の罪と罰とドイツの伯母殺し事件の罪と罰

前記千葉地方裁判所木更津支部昭和53316日判決の事案においては,被告人は更に死体損壊(死体をバラバラにした。)及び死体遺棄(バラバラにした死体の各部を土中に埋めたり水溜まりに投棄したりした。)をも犯しています。バラバラにされた死体の部分うち「冷蔵庫に入れておいた大腿部の肉を食べてみる気になり,右肉を取り出して前記包丁で薄く刺身状に十切れぐらいに切ってフライパンで焼き,味塩をふりかけて焼肉にして皿に盛って食べようとしたが,いやな臭いがしたため食べるのをやめ内臓の入ったビニール袋の中に捨て,今度は同じく冷蔵庫に入れてあった陰部を取り出してまな板の上で陰のうと陰茎に切断したうえ,陰のうの切り口から睾丸を押し出し,また陰茎を尿道に沿って切り開くなどして弄ぶなどした後,陰のうの一部は両上,下肢のダンボール箱に,残りはごみを入れる紙袋の中に捨てた。」というのですから,ひどい。「死者に対する冒瀆行為としてこれに過ぎるものはなく,まさに天人ともに許されない行為というほかはない。」との千葉地方裁判所木更津支部の裁判官らの激しい憤りはもっともです。

と,思わず我が日本の事後強盗殺人事件の猟奇性に胸が悪くなってしまったところですが,窃盗,殺人及び死体遺棄(及び損壊)の罪ということではドイツの伯母殺し青年の犯した罪のリスト(窃盗,殺人及び死体遺棄)と揃ってはいるところです。

ということで,Der Tantenmörderの文学鑑賞においても適用法条や量刑相場という無粋なことが気になる法律家のさがとして,木更津事件判決の「法令の適用」の部分を見てみると次のようになっていました。

 

  被告人の判示1の所為〔事後強盗(窃盗及び殺人)〕は刑法240条後段(238条)に,判示第2の所為〔死体損壊及び遺棄〕は包括して同法190条に該当し,以上は同法45条前段〔「確定裁判を経ていない2個以上の罪を併合罪とする。」〕の併合罪であるが,後記の情状〔計画的な犯行ではないこと,被害者に対する殺害方法自体は通常の殺人に比べて特に残虐とはいえないこと,矯正不可能とはいえないこと(無前科でもあった。)及びある程度改悛の情が認められること〕を考慮して判示第1の罪の刑につき無期懲役刑を選択するのを相当と認め,同法462項本文〔「併合罪のうちの1個の罪について無期の懲役又は禁錮に処するときも,他の刑を科さない。」〕を適用して他の刑を併科せず被告人を無期懲役に処すべく押収してあるあじ切り包丁1丁は判示第1の強盗殺人の用に供した物で犯人以外の者に属しないから,同法1912〔「犯罪行為の用に供し,又は供しようとしたもの」は没収することができる。〕2〔「没収は,犯人以外の者に属しない物に限り,これをすることができる。ただし,犯人以外の者に属する物であっても,犯罪の後にその者が情を知って取得したものであるときは,これを没収することができる。」〕を適用してこれを没収することとする。

  訴訟費用については刑事訴訟法1811項但書〔「但し,被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるときは,この限りでない。」〕により被告人に負担させないこととする。

 

 無期懲役。「罪跡を隠滅するため」に暴行(殺人を含む。)又は脅迫をしたときも窃盗犯が強盗犯扱いになってしまって(刑法238条),しかして強盗犯が人を殺すと法定刑としては死刑又は無期懲役しかないということ(同法240条)が大きいところです。

 なお,我が刑法240条に対応するドイツ刑法251条は,次のとおり。

 

  Verursacht der Täter durch den Raub (§§ 249 und 250) wenigstens leichtfertig den Tod eines anderen Menschen, so ist die Strafe lebenslange Freiheitsstrafe oder Freiheitsstrafe nicht unter zehn Jahren.

  (犯人が強取行為(第249条及び第250条)によって少なくとも過失をもって(leichtfertig)他人の死をもたらしたときは,刑は,終身自由刑又は10年以上の自由刑である。)

 

ところで,我が事後強盗規定がドイツ刑法252条並みであったならば,木更津事件の犯人は事後強盗犯とはならず,窃盗,殺人及び死体損壊遺棄の3罪が併合罪となっていたのでしょう。ヴェーデキントの伯母殺し青年についても,そのようになるのでしょう。

しかし,ドイツ刑法211条は,厳しい。

 

 (1) Der Mörder wird mit lebenslanger Freiheitsstrafe bestraft.

(2) Mörder ist, wer

aus Mordlust, zur Befriedigung des Geschlechtstriebs, aus Habgier oder sonst aus niedrigen Beweggründen,

heimtückisch oder grausam oder mit gemeingefährlichen Mitteln oder

um eine andere Straftat zu ermöglichen oder zu verdecken,

einen Menschen tötet.

 ((1)謀殺犯は,終身自由刑に処す。

  2)謀殺犯とは,

    性衝動の満足のための殺意,利得欲若しくは他の低劣な動機から,

    陰険に,若しくは残虐に,若しくは公共に害のある手段をもって,又は

    他の犯罪行為を可能とするために,若しくは隠蔽するために,

   人を殺す者である。)

 

 ドイツの伯母殺し青年も,金銭及び有価証券の窃盗という他の犯罪行為を隠蔽するため(zu verdecken)に伯母さんを殺したのだということになれば,我が木更津事件の犯人が無期懲役刑に処せられたのと同様,謀殺犯として終身自由刑に処せられそうでもあります。

 結論としての罰が,妙に収束してきてしまいました。洋は東西異なっていても,法律家の世界においては,何やら不思議な統一的親和力があるということでしょうか。


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旧制第二高等学校蜂章碑(仙台市青葉区片平丁)

Immensee (1851)

  蜜蜂湖1851

  Es war sonnige Nachmittagsstille; nur nebenan schnurrte der Mutter Spinnrad, und von Zeit zu Zeit wurde Reinhards gedämpfte Stimme gehört, wenn er die Ordnungen und Klassen der Pflanzen nannte oder Elisabeths ungeschickte Aussprache der lateinischen Namen korrigierte.

     日差しの明るい午後の静寂(しじま)であった。ただ隣室で母の糸車が鳴っており,時折,植物の綱目名を挙げときにあるいエリーザベトのぎこちないラテン語名の発音を訂正するときに,ラインハルトの低い声が聞こえるだけであった。

 

      Bald ging es wieder sanft empor, und nun verschwand rechts und links die Holzung; statt dessen streckten sich dichtbelaubte Weinhügel am Wege entlang; zu beiden Seiten desselben standen blühende Obstbäume voll summender, wühlender Bienen.

  やがて道は再び緩やかな上り坂となった,そして左右の林が消えた。それに代わって,葉のよく茂った葡萄畑の丘陵が道に沿って開けた。道の両側には花盛りの果樹が並び,それらは,ぶんぶんうなり,花にもぐって蜜を集める蜜蜂でいっぱいであった。

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      BGB § 961 Eigentumsverlust bei Bienenschwärmen (1896)

Zieht ein Bienenschwarm aus, so wird er herrenlos, wenn nicht der Eigentümer ihn unverzüglich verfolgt oder wenn der Eigentümer die Verfolgung aufgibt.

ドイツ民法961条(蜂群に係る所有権喪失)(1896年)

蜂群が飛び去った場合であって,所有者が遅滞なくそれを追跡しなかったとき又は所有者が追跡を放棄したときは,その群れは無主となる。

(註:養蜂振興法(昭和30年法律第180号)1条において「蜜蜂の群(以下「蜂群」という。)」と,特に用語の指定がされています。蜂群(ほうぐん)というのはちょっとなじみのない言葉ですあしからず。)

 

Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.373 (1888)(インターネット上で見ることができる当該理由書の原文は髭文字で印刷されているので,非髭文字体でここに書き写すことにもなにがしかの意味はあるでしょう。)

2. Die Bienen gehören zu den wilden aber zähmbaren Thieren. Der Eigenthumsverlust in Folge Rückerlangung der natürlichen Freiheit bestimmt sich also nach § 905 Abs. 2, 3 [Gefangene wilde Thiere werden herrenlos, wenn sie die natürliche Freiheit wiedererlangen. / Gezähmte Thiere werden herrenlos, wenn sie die Gewohnheit, an den ihnen bestimmten Ort zurückzukehren, ablegen.]. Die Bienenschwärme fliegen frei umher. Das Band, welches dieselben in der Inhabung und unter der Herrschaft des Eigenthümers erhält, ist die Gewöhnung an eine bestimmte Bienenwohnung. Diese Gewöhnung wird nicht durch allmähliche Verwilderung abgelegt, sondern es liegt in der Natur der Bienen, daß periodisch in Folge der im Stocke erfolgten Aufzucht junger Brut ein Bienenhaufe den plötzlichen Entschluß der Auswanderung behufs Begründung einer neuen Kolonie faßt- und auszieht. Der ausziehende Bienenhaufe hat die consuetudo revertendi abgelegt. Die Frage bleibt, in welchem Augenblicke diese Ablegung der Rückkehrgewohnheit zur Aufhebung des Eigenthumes führe. Mit dem Beginne des Ausziehens ist die thatsächliche Gewalt des Eigenthümers noch nicht aufgehoben und bis zu der Entziehung dieser Gewalt bleibt selbstverständlich das Eigenthum bestehen. Bezüglich des Zeitpunktes der definitiven Aushebung der Inhabung und des Besitzes könnte man vielleicht auch ohne besondere gesetzliche Bestimmung zu dem in § 906 bestimmten Resultate [Ein ausgezogener Bienenschwarm wird herrenlos, wenn der Eigenthümer denselben nicht unverzüglich verfolgt, oder wenn der Eigenthümer die Verfolgung aufgiebt oder den Schwarm dergestalt aus dem Gesichte verliert, daß er nicht mehr weiß, wo derselbe sich befindet] gelangen. Der vorliegende Fall hat eine gewisse Aehnlichkeit mit dem Falle der Nacheile (§ 815 Abs. 2 [Ist eine bewegliche Sache dem Inhaber durch verbotene Eigenmacht weggenommen, so ist derselbe berechtigt, dem auf der That betroffenen oder bei sofortiger Nacheile erreichten Thäter die Sache mit Gewalt wieder abzunehmen. Im Falle der Wiederabnahme ist der Besitz als nicht unterbrochen anzusehen.]). So lange die Verfolgung dauert, ist Besitz und Inhabung und damit das Eigenthum noch nicht definitiv verloren. In einigen Gesetzgebungen sind Fristen für das Einfangen gesetzt, nach deren Ablauf erst die Herrenlosigkeit eintritt; doch hat man sich bei dem [sic] neuerdings in Ansehung einer Neuordnung des Bienenrechtes von sachverständiger Seite gemachten Vorschlägen nicht für eine derartige Fristbestimmung ausgesprochen. 

ドイツ民法第一草案理由書第3373頁(1888年)

2.蜜蜂は,野生ではあるが馴らすことができる動物に属する。したがって,自然の自由の再獲得の結果としての所有権喪失は,第一草案9052項・3項〔捕獲された野生の動物は,自然の自由を再獲得したときは,無主となる。/馴らされた動物は,戻るようしつけられた場所に戻る習性を失ったときは,無主となる。〕によるものである。蜂群は,自由に飛び回る。それらを所有者の所持及び支配の下に留める紐帯は,特定の巣箱に対する定着(Gewöhnung)である。この定着は,徐々に進行する野生化によって失われるものではない。むしろ,蜜蜂は次のような性質を有している。すなわち,定期的に,巣箱の中で若い虫たちの群れが増えた結果,一団の蜜蜂が,新しい定住地に住み着くために移住しようとの突然の決定を行い,かつ,飛び去るのである。この飛び去る一団の蜜蜂は,戻る習性(consuetudo revertendi)を失っている。残る問題は,どの瞬間において,戻る習性の喪失が所有権の消滅をもたらすかである。移動の開始によっては所有者の現実の力はなお消滅しないし,この実力がなくなるまでは所有権は明らかに存在し続ける。所持及び占有の確定的消滅の時点との関係では,特段の法の規定なしに,第一草案906条に規定する結果〔移動する蜂群は,所有者がそれを遅滞なく追跡しなかったとき又は所有者が追跡を放棄したとき若しくは当該群れを見失った結果もはやどこにいるのか分からなくなったときに無主となる。〕に到達することがひょっとしたら可能であったかもしれない。これは,第一草案8152項の追跡の場合〔禁じられた私力によって動産が所持者から奪われたときは,当該所持者は,現場で取り押さえられ,又は即時の追跡によって捕捉された当該行為者から,当該物件を実力で再び取り上げることができる。取戻しがあった場合は,占有は中断されなかったものとみなされる。〕とある程度類似しているところである。追跡が継続している間は,占有及び所持並びにこれらと共に所有権が確定的に失われることはないのである。その期間が経過したことによって初めて無主性が生ずるものとする,捕獲のための期間を定めたいくつかの立法例があるが,蜜蜂法の新秩序に係る考慮の上専門家の側から最近された提案においては,そのような期間の定めは提唱されていない。

 

BGB § 962 Verfolgungsrecht des Eigentümers (1896)

Der Eigentümer des Bienenschwarms darf bei der Verfolgung fremde Grundstücke betreten. Ist der Schwarm in eine fremde nicht besetzte Bienenwohnung eingezogen, so darf der Eigentümer des Schwarmes zum Zwecke des Einfangens die Wohnung öffnen und die Waben herausnehmen oder herausbrechen. Er hat den entstehenden Schaden zu ersetzen.

ドイツ民法962条(所有者の追跡権)(1896年)

蜂群の所有者は,追跡の際他人の土地に立ち入ることができる。群れが他人の空の巣箱(Bienenwohnung)に入ったときは,群れの所有者は,捕獲の目的で箱を開け,蜂の巣(Wabe)を取り出し,又は抜き取ることができる。彼は,生じた損害を賠償しなければならない。

 

Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.373 (1888)

3. Die Vorschriften des § 907 [Der Eigenthümer eines ausgezogenen Bienenschwarmes kann bei dem Verfolgen des Schwarmes fremde Grundstücke betreten und den Schwarm, wo derselbe sich angelegt hat, einfangen. / Ist der Schwarm in eine fremde, nicht besetzte Bienenwohnung eingezogen, so kann der verfolgende Eigenthümer zum Zwecke der Einfangung des Schwarmes die Wohnung öffnen, auch die Waben herausnehmen oder herausbrechen. / Die Vorschriften des §. 867 finden Anwendung.] beziehen sich auf den besonderen Fall der Anwendbarkeit des § 867 [Der Eigenthümer eines Grundstückes, auf dessen Gebiete eine fremde bewegliche Sache sich befindet, hat dem Eigenthümer oder bisherigen Inhaber der letzteren die zur Aufsuchung, Erlangung und Fortschaffung der Sache erforderlichen Handlungen zu gestatten. / Der Eigenthümer oder bisherige Inhaber der beweglichen Sache hat dem Eigenthümer des Grundstückes den aus diesen Handlungen entstandenen Schaden zu ersetzen und, wenn ein solcher zu besorgen ist, wegen Ersatzes desselben vorher Sicherheit zu leisten.], wenn die von einem fremden Grundstücke abzuholende Sache ein Bienenschwarm ist, und erweitern die Befugnisse des verfolgenden Eigenthümers insoweit, als durch die Sachlage geboten ist, wenn der Zweck des Einfangens erreicht werden soll. Die Natur des hier bestimmten Rechtes ist dieselbe, wie die Natur des in § 867 bestimmten Rechtes. Ein Vorgehen des Verfolgenden im Wege der Selbsthülfe ist nur insoweit erlaubt, als die in § 189 bestimmten Voraussetzungen zutreffen.

ドイツ民法第一草案理由書第3373頁(1888年)

3.第一草案907条の規定〔飛び去った蜂群の所有者は,当該群れの追跡の際他人の土地に立ち入り,かつ,当該群れをその移転先の場所で捕獲することができる。/群れが他人の空の巣箱に入ったときは,追跡中の所有者は,当該群れの捕獲の目的で当該箱を開けることができ,更に蜂の巣を取り出し,又は抜き取ることもできる。/第867条の規定が適用される。〕は,他人の土地から回収する物が蜂群である場合における第一草案867条〔その上に他人の動産が現在する土地の所有者は,当該動産の所有者又はそれまでの所持者に対して,その物の捜索,確保及び持ち去りのために必要な行為を許容しなければならない。/動産の所有者又はそれまでの所持者は,土地の所有者に対して,そのような行為から生じた損害を賠償しなくてはならず,必要があれば,その賠償のためにあらかじめ担保を提供しなければならない。〕の適用の特例に関するものであり,かつ,追跡中の所有者の権能を捕獲の目的が達成されるべく状況が必要とする限りにおいて拡張するものである。ここに規定される権利の性格は,第867条において規定される権利の性格と同様である。自救行為の手段としての追跡者の措置は,第一草案189条に規定する前提条件が満たされる限りにおいてのみ許される。

 

BGB § 963 Vereinigung von Bienenschwärmen

Vereinigen sich ausgezogene Bienenschwärme mehrerer Eigentümer, so werden die Eigentümer, welche ihre Schwärme verfolgt haben, Miteigentümer des eingefangenen Gesamtschwarms; die Anteile bestimmen sich nach der Zahl der verfolgten Schwärme.

ドイツ民法963条(蜂群の合体)

複数の所有者の飛び去った蜂群が合体した場合においては,彼らの群れの追跡を行った所有者は,捕獲された合体群の共有者となる。持分は,追跡のされた群れの数に応じて定まる。

 

Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.373 -374 (1888)

4. Die Vorschrift des §908 [Vereinigen sich mehrere ausgezogene Bienenschwärme verschiedener Eigenthümer bei dem Anlegen, so erwerben diejenigen Eigenthümer, welche ihre Schwärme verfolgt haben, an dem eingefangenen Gesammtschwarme das Miteigenthum nach Bruchtheilen; die Antheile bestimmen sich nach der Zahl der verfolgten Schwärme.] betrifft einen besonderen Fall der Anwendbarkeit des §892. Die hinzugefügte Besonderheit besteht darin, daß die Antheile der verschiedenen Eigenthümer an dem eingefangenen Gesammtschwarme, welcher sich möglicherweise durch einen herrenlosen Schwarm vergrößert haben kann, nach der Zahl der verfolgten Schwärme und nicht nach dem Werthverhältnisse dieser Schwärme sich bestimmen sollen. Eine solche durchgreifende Entscheidung erledigt in sachgemäßer Weise eine sonst schwer zu lösende Beweisfrage.

ドイツ民法第一草案理由書第3373-374頁(1888年)

4.第一草案908条の規定〔様々な所有者の複数の飛び去った蜂群が移転先において合体した場合には,彼らの群れの追跡を行った当該所有者は,捕獲された合体群について部分的な共同所有権を取得する。持分は,追跡のされた群れの数に応じて定まる。〕は第一草案892条の適用における特例に係るものである。付加的な特殊性は,捕獲された合体群(これは場合によっては無主の群れによって更に増大している可能性がある。)に対する様々な所有者の持分は,追跡のされた群れの数に応じて定められるべきものであり,これらの群れの価格関係に応ずべきものではないという点に存在する。このような思い切った決断によって,解決が難しいものともなり得る立証問題を実際的な方法によって取り除くものである。

 

      BGB § 964 Vermischung von Bienenschwärmen

Ist ein Bienenschwarm in eine fremde besetzte Bienenwohnung eingezogen, so erstrecken sich das Eigentum und die sonstigen Rechte an den Bienen, mit denen die Wohnung besetzt war, auf den eingezogenen Schwarm. Das Eigentum und die sonstigen Rechte an dem eingezogenen Schwarme erlöschen.

  ドイツ民法964条(蜂群の混和)

  蜂群が既に蜂群の入れられている他人の巣箱に入ったときは,当該巣箱に入れられていた蜜蜂に係る所有権及びその他の権利が,入ってきた当該群れに及ぶ。新たに入った群れに係る所有権及びその他の権利は,消滅する。

 

  Begründung zum 1. Entwurf, Band III, S.374 (1888)

  5. Die Vorschriften des §909 [Ist ein Bienenschwarm in eine fremde, besetzte Bienenwohnung eingezogen, so erstrecken sich das Eigentum und die sonstigen Rechte an den Bienen, mit welchen die Wohnung besetzt war, auch auf den eingezogenen Schwarm. Das Eigentum und die sonstigen Rechte, welche an dem letzteren bisher bestanden, erlöschen. Ein Anspruch wegen Bereicherung steht bem bisherigen Berechtigten gegen den neuen Eigenthümer nicht zu.] modifizieren die Bestimmungen über die Folgen einer Vermischung verschiedener Schwärme zu Ungunsten des Eigenthümers eines sog. Noth=, Hunger= oder Bettelschwarmes, welcher in eine fremde besetzte Bienenwohnung eingezogen ist. Nach sachverständiger Darstellung zieht zuweilen, besonders im Frühjahre oder Herbst, aus Mangel an Nahrung das gesammte Volk aus, wirft sich auf andere Stöcke, verursacht ein gegenseitiges Abstechen und bringt dadurch Schaden. Hier ist das Ausziehen Folge nachlässig betriebener Zucht; solche Völker bilden keine Schwärme im technischen Sinne, man nennt sie Bettel= und Hungerschwärme. Sie sollen nach den Vorschlägen der Bienenwirthe als herrenlos gelten. Es ist aber nicht über das Herrenloswerden solcher Schwärme eine besondere Bestimmung nöthig, sondern nur über die vermöge einer Art von commixtio erfolgende Eigenthumserwerbung, wenn der Schwarm mit einem fremden Schwarme durch Einziehen in dessen Wohnung sich vermischt. Mit Rücksicht auf die der Regel nach durch Vernachlässigung des bisherigen Eigenthümers des Bettelschwermes gegebene Ursache des Ausziehens und der Vermischung erledigt der Entwurf jeden möglichen Streit durch die durchgreifende Bestimmung, daß der Gesammtschwarm nach allen Richtungen unter das rechtliche Verhältniß des in der Wohnung bereits früher vorhandenen Schwarmes tritt und daß in Abweichung von der Vorschrift des §897 ein Bereicherungsanspruch des verlierenden bisherigen Eigenthümers des Bettelschwarmes ausgeschlossen ist. 

  ドイツ民法第一草案理由書第3374頁(1888年)

  5.第一草案909条の規定〔蜂群が既に蜂群の入れられている他人の巣箱に入ったときは,当該巣箱に入れられていた蜜蜂に係る所有権及びその他の権利が,入ってきた当該群れにも及ぶ。後者についてそれまで存在した所有権及びその他の権利は,消滅する。それまでの権利者に,新しい所有者に対する不当利得返還請求権は生じない。〕は,様々な群れによる混和の効果に関する規定を,他人の蜜蜂の巣箱に入り込んだいわゆる困窮,飢餓又は乞食蜂群Noth=, Hunger= oder Bettelschwarmの所有者の不利に修正するものである。専門家の述べるところによると,時折,特に春又は秋に,食物の不足により蜜蜂の集団Volk全体が飛び去り,他の巣箱に飛来して刺し殺し合いを惹起し,そしてそのことにより損害をもたらすことがある。ここでの飛び去りは,おろそかにされた飼育の結果である。そのような蜜蜂の集団は専門技術的な意味では群れを構成するものではなく,乞食及び飢餓蜂群と名付けられる。それらは,養蜂家の提案によれば無主であるものとみなされるべきものである。しかしながら,特則が必要であるのは,そのような群れが無主となることに関してではなく,むしろ専ら,当該群れが他の群れの巣箱に入り込むことによって当該他の群れと混和する場合における,一種の混合コンミクスティオによって招来される所有権の取得に関してである。定めに照らせば乞食蜂群のそれまでの所有者の怠慢によって与えられたところの飛び去り及び混和の原因に鑑みて,この案は,思い切った規定によって,可能性ある全ての紛争を取り除くものである。すなわち,全ての方面において合体群は,巣箱に既に早くから存在していた群れの法関係の下に入ること,及び第一草案897条の規定にかかわらず,権利を失う乞食蜂群のそれまでの所有者の不当利得返還請求権を排除することこれである。

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旧制第二高等学校旧正門(仙台市青葉区片平丁)
 

  Institutiones Justiniani 2.1.14 (533)

      Apium quoque natura fera est. Itaque quae in arbore tua consederint, antequam a te alveo includantur, non magis tuae esse intelleguntur, quam volucres quae in tua arbore nidum fecerint: ideoque si alius eas incluserit, is earum dominus erit. Favos quoque si quos hae fecerint, quilibet eximere potest. Plane integra re, si provideris ingredientem in fundum tuum, potes eum jure prohibere, ne ingrediatur. Examen quod ex alveo tuo evolaverit eo usque tuum esse intellegitur donec in conspectu tuo est nec difficilis ejus persecutio est: alioquin occupantis fit.

  ユスティーニアーヌス『法学提要』第2編第114533年)

  同様に,蜜蜂(apis)の性質は,野生(ferus)である。したがって,汝の木に居着いた蜜蜂たちも,汝によって巣箱(alveus)に入れられる前においては,汝の木に巣(nidus)を作った鳥たちより以上に汝のものであるとはみなされない。したがって,それゆえに,別の者が当該蜜蜂たちを収容(includere)したときは,彼がそれらの所有者である。同様に,それらが蜂の巣(favus)を作ったときは,誰でもそれを取り出すことができる。もちろん,当然に,汝の地所に立ち入る者について予見したならば,汝は,法により,彼が立ち入らないように禁ずることができる。汝の巣箱から逃げ去った蜂群(examen)は,汝の視界内(in conspectu)にあり,その追跡が困難でない限りにおいては汝のものであるとみなされる。そうでなければ,先占者(occupans)のものとなる物となる。

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1 ドイツ民法とローマ法等と

 

(1)ドイツ民法961

ドイツ民法961条は,ローマ法の“Examen quod ex alveo tuo evolaverit eo usque tuum esse intellegitur donec in conspectu tuo est nec difficilis ejus persecutio est: alioquin occupantis fit.”の法理に由来していることが分かります。ただし,見えなくなったらもうおしまい,というわけではありません(しかし,実際のところ,見えなくなったら追跡は難しいのでしょう。)。フランスの1791928日法(sur la police rurale)も,蜂群の所有者の追跡について期間制限を設けていませんでした(Boissonade, Projet de code civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un commentaire, Livre III, 1888. p.66)。すなわち,同法第1編第35条は,“Le propriétaire d’un essaim a le droit de le réclamer et de s’en ressaisir, tant qu’il n’a point cessé de le suivre; autrement l’essaim appartient au propriétaire du terrain sur lequel il s’est fixé.(蜂群(essain)の所有者は,その追跡を終止しない限りは,それに対する権利を主張し,かつ,再捕獲することができる。原則としては(autrement),蜂群は,それが定着した土地の所有者に帰属する。)と規定していたところです。