Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

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   »Jahrtausende mußten vergehen, ehe du ins Leben tratest, und andere     Jahrtausende warten schweigend«: - darauf, ob dir diese Konjektur gelingt.

 

1 佐藤幸治名誉教授と憲法97条 

 今月(2015年6月)6日,東京大学法学部25番教室で開催された立憲デモクラシーの会において,佐藤幸治京都大学名誉教授が「世界史の中の日本国憲法―立憲主義の史的展開を踏まえて」と題する基調講演をされましたが,当該講演の締めくくりとして同教授は,日本国憲法97条を読み上げられました。

 

  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は,人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて,これらの権利は,過去幾多の試錬に堪へ,現在及び将来の国民に対し,侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 

 英文では,次のとおり。

 

 The fundamental human rights by this Constitution guaranteed to the people of Japan are fruits of the age-old struggle of man to be free; they have survived the many exacting tests for durability and are conferred upon this and future generations in trust, to be held for all time inviolate.

 

2 自由民主党憲法改正草案と憲法97条(GHQ草案10条)

 なかなか格調の高い響きの条文なのですが,憲法97条は,自由民主党からは評判が悪いところです。2012年4月27日に決定された同党の日本国憲法改正草案では,削られて,なくなってしまっています。その理由にいわく。

 

 ・・・我が党の憲法改正草案では,基本的人権の本質について定める現行憲法97条を削除しましたが,これは,現行憲法11条と内容的に重複している(※)と考えたために削除したものであり,「人権が生まれながらにして当然に有するものである」ことを否定したものではありません。

 ※現行憲法の制定過程を見ると,11条後段と97条の重複については,97条のもととなった総司令部案10条がGHQホイットニー民政局長の直々の起草によることから,政府案起草者がその削除に躊躇したのが原因であることが明らかになっている。

(自由民主党「日本国憲法改正草案Q&A・増補版」(201310月)のQ44の答)

 

  1946年2月13日に日本国政府に手交されたGHQ草案10条は,次のとおり(国立国会図書館ウェッブ・サイト電子展示会「日本国憲法の誕生」参照)。

 

 Article X.  The fundamental human rights by this Constitution guaranteed to the people of Japan result from the age-old struggle of man to be free. They have survived the exacting test for durability in the crucible of time and experience, and are conferred upon this and future generations in sacred trust, to be held for all time inviolate.

 

 外務省罫紙に和文タイプ打ちのGHQ草案10条の日本語訳は次のとおりです。

 

10 此ノ憲法ニ依リ日本国ノ人民ニ保障セラルル基本的人権ハ人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果ナリ時ト経験ノ坩堝ノ中ニ於テ永続性ニ対スル厳酷ナル試練〔ママ〕ニ克ク耐ヘタルモノニシテ永世不可侵トシテ現在及将来ノ人民ニ神聖ナル委託ヲ以テ賦与セラルルモノナリ 

 

3 GHQホイットニー民政局長と憲法97条(GHQ草案10条)

 

(1)憲法97条の原型

 国立国会図書館ウェッブ・サイト電子展示会「日本国憲法の誕生」にある1946年2月の「ハッシー文書」(GHQ民政局内での憲法検討草案の綴り)の120枚目に手書きで"The fundamental human rights hereinafter by this constitution conferred upon and guaranteed to the people of Japan result from the age-old struggle of man to be free. They have survived the exacting test for durability in the crucible of time and experience and are conferred upon this and future generations in sacred trust, to be held for all time inviolate."と書いたものがありますが,そうであれば,これが自由民主党の「日本国憲法改正草案Q&A・増補版」が言及するところのホイットニー局長の手による現行憲法97条のそもそもの原案の現物なのでしょうか。

 

(2)憲法97条の原型条項に代わって削られた2条項

 

ア 人権委員会原案第2条及び第4条

 なお,現行憲法97条に相当する当該条項の挿入の際,その前後の場所で代りに削られている条項としては,GHQ民政局内の人権委員会(Committee on Civil Rights)による当初原案第2条の"The enumeration in this Constitution of certain freedoms, rights and opportunities shall not be construed to deny or disparage others retained by the people."(この憲法において一定の自由,権利及び機会が掲げられていることをもって,人民に留保された他の自由等を否認し,又は軽視するものと解釈してはならない。)及び同第4条の"No subsequent amendment of this Constitution and no future law or ordinance shall in any way limit or cancel the rights to absolute equality and justice herein guaranteed to the people; nor shall any subsequent legislation subordinate public welfare, democracy, freedom or justice to any other consideration whatsoever."(今後の憲法改正並びに将来の法律又は命令は,ここにおいて人民に保障された絶対の平等及び正義に対する権利をいかなる形においても制限し,又は取り消してはならない。今後の立法は,公共の福祉,民主主義,自由又は正義を他のいかなる配慮にも従属するものとしてはならない。)があります。

 

イ 人権委員会原案第2条(米国憲法第9修正)の不採用とその意味

  「エラマン・ノート」(国立国会図書館の展示では17枚目から18枚目まで)によれば,GHQ民政局内での運営委員会(Steering Committee)と人権委員会との1946年2月8日の会議において,前記第2条に対して運営委員会のハッシー中佐は,残余の権力(residual power)は国会に属する,人民は自らの設立に係る国会に反対する権利を有しない,国会を通じて行使される意思が至高のものなのであると憲法の他の場所で規定されている,と言って反対しています(なお,児島襄『史録日本国憲法』(文春文庫・1986年(単行本1972年))287-288頁,鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川文庫・2014年(単行本1995年))272頁も参照)。人権委員会原案の第2条は,アメリカ合衆国憲法の第9修正("The enumeration in the Constitution, of certain rights, shall not be construed to deny or disparage others retained by the people.")をほぼそのままなぞったものなので,このハッシー中佐の反対(及びそれを認めたGHQ民政局の決定)は注目に値します。アメリカ合衆国憲法における人民の権利と日本国憲法における国民の権利とは違うという前提で,GHQ民政局は日本国憲法草案の作成作業をしたということになるからです。この場面は,「人権という観念を,「実定法の世界の外あるいはそれを超えたところで活発に生きており,まさにそうであることに格別の意義をも」つものとしてとらえ,「憲法が保障する権利」とのあいだで意識的に区別をする,という考え方」(樋口陽一『国法学 人権原論』(有斐閣・2004年)22頁が紹介する奥平康弘『憲法Ⅲ―憲法が保障する権利』(有斐閣・1993年)20-21頁)が端的に現れた場面と解し得るのではないでしょうか。その場合, 17911215日成立のアメリカ合衆国憲法第9修正の人民の権利は実定法の世界の外の人権であり得るのに対し,1946年の日本国憲法における国民の権利は飽くまでも「憲法が保障する権利」に限られるということになります。

 

ウ 人権委員会原案第4条(基本的人権を制限又は廃棄する憲法改正を禁止する条項)をめぐる論争

  人権委員会原案第4条について更に「エラマン・ノート」(1946年2月8日の部)を見ると,

 

・・・運営委員会と起草担当委員会〔人権委員会〕との間で,尖鋭かつ根本的な意見の相違が展開された。同条〔第4条〕は,将来の憲法,法律又は命令は,この憲法で保障された権利を制限し,又は取り消してはならず,また,公共の福祉及び民主主義を他のいかなる配慮にも従属させてはならない,と規定するものである。〔運営委員会の〕ケーディス大佐は,同条は無謬性を暗黙の前提としている点及び一つの世代が将来世代の自己決定権を否認する点に強く反対した。書かれているところによれば,人権宣言に対する改正は無効ということになり,及びその変更は革命によるよりほかは不可能になってしまうと。

 〔人権委員会の〕ロウスト中佐は,現在の時代は人類進歩における一定の段階に達したものであること,及び人間の存在にとって固有のものであるとして現在受容されている権利の廃棄はいかなる将来の世代にも許されないことを論じて当該条項を弁護した。彼は続けて,ケーディス大佐が信ずるように日本に民主的な政府を作るだけでは不十分であって,現段階までの社会的かつ道徳的な進歩を将来にわたって保障しなくてはならないと発言した。〔人権委員会の〕ワイルズ氏は,第4条を削ることは不可避的に日本においてファシズムに門戸を開くことになるとの信念を表明した。

 ハッシー中佐は,第4条は,政府に係る意見及び一つの理論を憲法レベルの法としての高みにまで上昇させようと試みるものであるだけではなく,実効性に欠けるもの(impractical)でもあると指摘した。当該条項の執行は,この憲法に記された文言いかんではなく,むしろ最高裁判所の解釈にかかっているのであると。

 満足できる妥協に達することはできなかった。・・・

 

 ということで,結局同条の採否の決定はホイットニー局長に一任ということになっています(なお,児島287-288頁,鈴木273-274頁も参照)。

 

(3)ホイットニー局長の起草とマッカーサー決裁

 ホイットニー局長は問題の第4条を採用しないことにしたのですが,その際,人権委員会側の強い懸念もあったことから,自ら新たな1条として,将来の日本国憲法97条の源となる条文を書き加えたということでしょう。

 人権委員会案の第4条の不採択は,最終的には,1946年2月10日(日曜日)夜にマッカーサー元帥の決裁を経ています(国立国会図書館「日本国憲法の誕生」,鈴木304頁。児島296頁では同月11日夜)。

 

4 3月2日日本国政府案から3月6日憲法改正案要綱まで

 

(1)3月2日日本国政府案

 1946年2月13日交付のGHQ草案を承けた同年3月2日の日本国政府案の第10条1項は「国民ハ凡テノ基本的人権ノ享有ヲ妨ゲラルルコトナシ。」,同2項は「此ノ憲法ノ保障スル国民ノ基本的人権ハ其ノ貴重ナル由来ニ鑑ミ,永遠ニ亙ル不可侵ノ権利トシテ現在及将来ノ国民ニ賦与セラルベシ。」となっています。第2項がGHQ草案10条に対応します(第1項はGHQ草案9条に対応)。 

 

(2)3月4・5日の顛末と「役人」ケーディス大佐及び「上役」ホイットニー将軍

 1946年3月4日から同月5日までGHQと佐藤達夫法制局第一部長とが逐条討議を行い,現在の日本国憲法の条文がほぼ確定しますが,佐藤部長の手記『三月四,五両日司令部ニ於ケル顛末』には次のようにあります(国立国会図書館のウェッブ・ページでは5枚目)。

 

  第10条 〔日本国政府案10条〕2項ハ交付案第10条ニ依ルモノナルモ何故カ斯ク簡単ニセルヤトノ反問アリ。我ガ立法ハ簡約ヲ旨トスルヲ以テカヽル歴史的,芸術的ノ表現ハ其ノ例ナシト答フ。

「此ノ憲法ノ保障スル」ヲ削ルベシトノ論アリタルモ,原文ニモアリ,復活,「其ノ貴重ナル由来ハ分ラヌト云フ故削ルコトトシ,一応先方了承セルモ後ニ打合セタルモノノ如ク(ホイツトネー将軍ト)之ハ将軍ノ自ラノ筆ニ成ル得意ノモノ故何トカシタシ,セメテ後ノ章ニ入レテ呉レトノ懇望アリ承認ス。

(従テ最後案10条2項ヲ存セルハ整理漏ナリ。英文ニモ其ノ儘存セリ。)

 

 本来削られるべきは憲法11条後段であって,97条ではなかったようです。

 児島襄の『史録日本国憲法』は,前記の事情を多少敷衍しています(364-365頁)。

 

   ・・・あたふたと帰ってきて,大佐は佐藤部長に,いったものである。「まずい。第10条は,じつは“チーフ”(局長)自身の文章でお得意なんだ。せめて第10章あたりにでもいれてもらえないだろうか」

 佐藤部長は,ニヤリと破顔した。上役の意向を重んずる役人の心情は,洋の東西を問わないものらしい。しかし,条文の趣旨そのものは結構なので,ケーディス大佐の“点数かせぎ”的配慮とは別に,第9条第1項〔ママ〕にいれることにした。

 もっとも,ケーディス大佐,つまり総司令部側が佐藤部長に懇願的な言辞をひれきしたのは,このときだけであった。

 

(3)3月5日案

 閣議で配布された1946年3月5日案の訳文は次のようになっていました。

 

  第94条 此ノ憲法ノ日本国民ニ保障スル基本的人権ハ人類ノ多年ニ亙ル自由獲得ノ努力ノ成果ニシテ,此等ノ権利ハ過去幾多ノ試錬ニ堪ヘ現在及将来ノ国民ニ対シ永遠ニ神聖不可侵ノモノトシテ賦与セラル。

    天皇又ハ摂政及国務大臣,両議院ノ議員,裁判官其ノ他ノ公務員ハ此ノ憲法ヲ尊重擁護スルノ義務ヲ負フ。

 

 この段階では,現在の憲法97条と99条とが一体のものとされています。

 

(4)3月6日憲法改正案要綱

 1946年3月6日内閣発表の憲法改正案要綱の第94項は次のとおりでした。

 

94 此ノ憲法ノ日本国民ニ保障スル基本的人権ハ人類ノ多年ニ亙ル自由獲得ノ努力ノ成果ニシテ,此等ノ権利ハ過去幾多ノ試錬ニ堪ヘ現在及将来ノ国民ニ対シ永劫不磨ノモノトシテ賦与セラレタルモノトスルコト

 天皇又ハ摂政及国務大臣,両議院ノ議員,裁判官其ノ他ノ公務員ハ此ノ憲法ヲ尊重擁護スルノ義務ヲ負フコト

 

 同日付けGHQ内での英文は次のとおり。

 

   Article XCIV.   The fundamental human rights by this Constitution guaranteed to the people of Japan result from the age-old struggle of man to be free. They have survived the exacting test for durability in the crucible of time and experience, and are conferred upon this and future generations in sacred trust, to be held for all time inviolate.

   The Emperor or the Regent, the Ministers of State, the members of the Diet, judges, and all other public officials have the obligation to respect and uphold this Constitution. 

 

5 1946年4月中の修正

 

(1)口語化第1次草案及び憲法尊重擁護義務条項との分離

 1946年4月5日には日本国憲法の口語化第1次草案ができます。そこでの第94条(順序変更後93条)は,次のとおり(国立国会図書館ウェッブ・ページ23枚目)。同年3月6日の憲法改正案要綱第94項前段と大体同じですね。ただし,要綱の第94項後段(憲法尊重擁護義務条項)は分離されて独立の第95条とされています。

 

94条〔順序変更後第93条〕 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は,人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて,これらの権利は過去幾多の試錬に堪へ,現在及び将来の国民に対し,侵すことのできない永久の権利として与へられたものである。

 

 なお,鉛筆書きで「93条ハ形式的,第94条ハ実質的 最高法規タル憲法トシテ一番重要ナ部分故コヽニ置ク」と書き込みがあります。順序変更前の第93条(変更後94条)は,現在の憲法98条の前身です。

 

(2)口語化第2次草案及び「与へられた」から「信託された」へ

 これが,同年4月13日の口語化第2次草案では次のようになります(国立国会図書館ウェッブ・ページ34枚目)。

 

93条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は,人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて,これらの権利は,過去幾多の試錬に堪へ,現在及び将来の国民に対し,侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 

 現在の憲法97条の文言になっています。しかし,口語化第1次案までの「・・・侵すことのできない永久の権利として与ヘられた・・・」が,「・・・侵すことのできない永久の権利として信託された・・・」に変更されています。1946年3月6日のGHQによる英文の表現(in sacred trust)に近づいてきたわけです。ところが当該変更自体はそう容易なものではなかったようで,鉛筆で種々書き込みがあって当該場所以外についての改訳も考えられていたことが窺われます。最終的には「信託」に落ち着いたわけですが,鉛筆書きからは,なお,「崇高な信託として」あるいは「神聖の信託として」という訳語(これらの方が元の"in sacred trust"により近い。)も考えられていたらしいことが分かります。

 

(3)1946年4月9日GHQ=法制局会談

 1946年4月6日の口語化第1次案の段階から同月13日の第2次案までの間に何があったのかといえば,同月9日午後,法制局の入江長官,佐藤次長らがGHQ民政局のケーディス大佐及びハッシー中佐と会談を行ったところ,次のようなやりとりがあったところです。

 

15)(第94条)本条第1項ヲ第93条(新)トシ第93条(旧)ヲ第94条(新)トシ本条第2項ヲ独立ノ条文トシ第95条(新)トシ以下1条宛ヲ増ス

    (註)先方ハ当方ノ提案通本条第2項ヲ独立ノ条文トセバ第1項ノ意義ナクナルベク而モ本項ハ本草案中ノ傑作トシテ米国ニ於テモ評判良ク之ヲ削ル訳ニ行カザルヲ以テ之ヲ第10章最高法規ノ冒頭ニ移スベキコトヲ提案シ右ノ如ク決定ス

 

 GHQとしては,現在の憲法97条(「本条第1項」)と99条(「本条第2項」)とは本来一体のものと考えていたことが分かります。また,第97条が最高法規に係る第10章の冒頭に来たのはGHQの指示によるものであったことも分かります(当初は現在の第98条(「第93条(旧)」)が先頭)。現行97条についてはここでも「本草案中ノ傑作トシテ米国ニ於テモ評判良」しと執拗に言われており,米国においては当然英文で読まれているところから,日本側としては改めて,英文と訳文(とはいえ日本語が正文)との関係を見直すことになったように思われます(お気付きのように,両者の間には齟齬がありました。)。

 

6 法制局における理解の試み及び枢密院における批判

 

(1)「信託された」の理解

 しかし,「信託(trust)」とは何か。元の英語に近づけて訳したものの,日本側としては実はなかなかはっきりとは分かっていなかったようです。法制局の「昭和21年5月 憲法改正案に関する想定問答(第7輯)」には次のようにあります(国立国会図書館のウエッブ・ページの114枚目及び115枚目)。

 

問 「信託された」といふ意味如何

答 これを学問的な信託法理で説明することは,必ずしも当を得てゐまいが,基本的人権は国民生得の不可譲の権利であるからといつて,全くの無拘束な,我儘勝手な権利ではなく,第11条〔現行第12条〕に明文があるやうに,この基本的人権の主体たる国民は,その保持に積極的に努め,任意にこれを抛棄することは許されぬし,第二にその濫用は禁ぜられてゐるし,第三に常に公共の福祉に適合するやうにこれを利用する責任を負つてゐるのであつて,畢竟するに,国家社会全体の進歩発達のためにこそ,基本的人権を各個の国民に委ねてゐると考へ,またかく考へてこそ,各個の国民の基本的人権は,相互の摩擦衝突を避けてはじめて永久に確立され得ると考へられるのであつて,かやうな考へ方を端的に表現した語である。したがつて前文第1段の中に用ひられた場合の信託といふ語よりやや漠然たる意味内容に用ひられてゐる。

 

 現行憲法の第12条の趣旨を別の形でいえば「信託された」ということになるのだ,ということでしょうか。憲法11条後段とのみならず,むしろ第12条との重複が問題になりそうです。また,「信託」としての「受託者」は,「各個の国民」とされています。

 ちなみに,憲法学界においても,「「与へられる」と「信託された」とのあいだには,言葉そのものの意味にちがいはあるが,本条〔日本国憲法97条〕の場合においては,格別の区別をみとめる必要がないとおもう。」ということにされています(宮澤俊義著・芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』(日本評論社・1978年)801頁)。(ただし,「「信託された」というときは,後々の世代の利益のために永く守って行くべきものだという意味が特に強調されるといえようか。」程度の違いはある,ということのようです(同頁)。)

 

(2)「日本国民」の理解

 ところで,前記の法制局の解釈では「受託者」は「各個の国民」であるのに,現行の第97条の文言は「日本国民」と大きく出ています(なお,同条後半に出てくる「国民」は,generations(世代)であってpeopleではない。)。法制局の「昭和21年5月 憲法改正案に関する想定問答(第7輯)」は,そこでいわく。

 

問 ここでは国民といはず,特に「日本国民」と規定している理由如何

答 前文の中の用語と同じく,特に力点ををいて表記したためである。なほ后段に出て来る「現在及び将来の国民」を,一括して表現する趣旨もある。

 

 単なる「力点をを」くための修辞的表現だというのでしょうか。しかし,こういわれてみると日本国憲法における「日本国民」と「国民」との使い分けが気になります。

 調べてみると,日本国憲法の現行条文で「日本国民」が使われているのは,前文のほか,第1条,第9条,第10条及び第97条だけです。ところで,英文を見ると,前文及び第9条はthe Japanese people,第1条はthe People,各個の国民の日本国籍に関す第10条の日本国民はa Japanese nationalで,問題の第97条ではthe people of Japanです。

 

(3)枢密院における批判

 さて,法制局が日本国憲法草案の想定問答作りに励んでいたころ,日本国憲法草案93条(現行97条)は,1946年4月から5月にかけての枢密院の審査委員会でさっそく火だるまになっていました。

 4月24日の第2回会合。

 

 ・・・

幣原〔坦顧問官〕 第九十三条につき,日本の憲法になにゆえこれをかかねばならぬか。「人権は」は「侵すことのできない云々」に直結すべきでないか。

松本〔烝治国務大臣〕 重複する嫌もあり,又世界の基本的人権の歴史を書いてゐるのでおかしいといへるが,基本的人権の重大性に鑑みここに再録したものである。

 ・・・

 

 5月15日の第8回会合。

 

 ・・・

河原〔春作枢密顧問官〕 93条は削つた方がよい。

美濃部〔達吉枢密顧問官〕 第10章の中,93条は法律的に無意味・・・従つて第10章は全部削るべし。これを存置する理由如何。

松本 御尤もと思ふ。全部削つても何等支障ないと思ふ。しかし強いて弁護すれば,93条はこの憲法の精神を更に強く云ふ主旨・・・。

 ・・・

遠藤〔源六枢密顧問官〕 93条は前文の重複としか思へない。又,「人類の」より「試練に堪へ」までは日本と関係ない。

松本 日本を除外した意味に読む必要はないと思ふ。日本にも自由獲得のための長い歴史があつた。政治的,徳義的な意味でこの条文を残す価値はあると思ふ。基本的人権をせばめる様なことは余程重大な必要がなければ出来ないと云ふことを明かにする意味があると思ふ。

河原 日本に於ては自由は陛下の寛大な御心持によつて与へられたものとする方が,国体の上から見ても適当ではないかと思ふ。削ることは出来ないか。

松本 政府原案として削らうと云ふ考へはない。

 ・・・

 

 松本烝治大臣もお気の毒です。

 なお,草案93条(現行97条)を最高法規の章に置く理由としては,前記の「昭和21年5月 憲法改正案に関する想定問答(第7輯)」は,「・・・日本国民に保障せられた基本的人権が如何なる努力の結果獲得されたかの沿革を明にし,且つ将来不可侵なることを明にし,この基本的人権の保障がこの憲法の眼目として真に貴重なる旨を明かにしたものである。」と説明しています。しかし,なお,美濃部達吉の「法律的に無意味」との発言は,厳しい。

 

(4)「逐条説明」における説明

 法制局の「昭21.5 憲法改正草案 逐条説明(第5輯)」は,草案93条(現行97条)について次のように説明しています(国立国会図書館のウエッブ・ページの276枚目及び277枚目)。これが,紆余曲折の末たどり着いた,日本国憲法97条に関する説明の標準的なところでしょう。

 

本条は,この憲法全体――恐らくは近代的憲法のすべて――を通じ,最も顕著な特色を成す国民の基本的人権につき,重ねてその歴史的意義を謳ひ,その本質を闡明した規定であつて,かくして,かやうな基本的人権の保障規定を有する憲法こそ,まさに我国の最高法規として最上の遵由に値する法であり,その施行に主として携はる官憲は,まづ率先してよくこれを尊重し,擁護する義務があるといふ所以の根拠を明かにしてゐるのである。第10条〔現行11条〕によると,「国民は,すべての基本的人権の享有を妨げられない。」と規定して,まづ基本的人権を国民に対して保障し,次にこの「基本的人権は侵すことのできない永久の権利として,現在及び将来の国民に与へられる」と規定して,その不可侵性及び永久性を闡明している。本条は,あたかもこの第10条〔現行11条〕の規定を,やや敷延〔ママ〕して再録し両々相俟つてこれを強調してゐるのであつて,后者が「第3章 国民の権利及び義務」の冒頭に,それ以下一聯の保障規定の大前提として規定されてゐるに反し,前者,即ち本条は,「第10章 最高法規」の冒頭に置かれて,最高法規の最高法規たる実質的所以を明かにしてゐるのである。

 本条によると,まづ,この憲法が主として第3章において日本国民に保障してゐる基本的人権は,何も唐突として我国の現代に至つて確立されたものではなく、実に人類が,専制君主治下のまだ個人の自由の確立されてなかつた境涯よりはじまつて,多年にわたる自由獲得の努力の過程を経て,その手に収めた成果であつて,時間的にも古い歴史を有し,又空間的にも世界人類に普遍のものであるといへる。しかして,次に,これらの権利は,過去において幾多の試錬に遭ひ,これを超克してその存在を強化してきたのであつて,いはばすでに試験済の間違ひのないものである。そこで,さらに,これらの権利は,現在の国民及その後継者たる将来の国民に対し,永久不可侵の権利にして,託されたものである。すなはち,現在及び将来の国民は,これを恣意的に我儘勝手に用ひてはならぬのであつて,一般の信に応へるべく心して用ひなければならぬのである。本条は,以上の趣旨を述べた規定である。

 

 「日本国憲法の「最高法規」の章の冒頭に,基本的人権の本質に関する97条がおかれていることにつき,その位置を誤ったものと解する見解があるが,そのように解すべきではなく,むしろ,それは,日本国憲法の「最高法規」性の実質的根拠が何よりも人権の実現にあることを明確にしようとする趣旨であろうと解される。」とする佐藤幸治名誉教授の立場(同『憲法〔第三版〕』(青林書林・1995年)22頁)はこの流れを汲むものでしょう。

 とはいえ,「我儘勝手に用ひてはならぬ」云々とは何だかお説教臭いですね。また,憲法97条は憲法11条と「両々相俟つてこれを強調」するだけであるとすると,余り面白くはないです。

 日本国憲法97条について別の解釈はあり得ないものでしょうか。

 

7 日本国憲法97条とGHQ人権委員会原案第4条との関係再見

 日本国憲法97条の濫觴はGHQ民政局内の人権委員会による起草原案の第4条(基本的人権を制限又は廃棄する憲法改正を禁止する規定)にありますから(ケーディス大佐の回想によると,人権委員会原案第4条の「精神」を受け継いだものが日本国憲法97条であるそうです(鈴木304頁)。),同条をめぐる1946年2月8日のロウスト中佐対ケーディス大佐の前記論争に遡ってみるべきようです。

 

(1)18世紀のジェファソンの有効期間19年説

 一つの世代が将来世代の自己決定権を否認することはできない,というケーディス大佐のそこでの主張は,アメリカ法思想史的には,ジェファソンの思想を継ぐものでしょう。

 

・・・いかなる社会も永久の憲法を,ましてや永久の法律を作ることはできないということが証明できるでしょう。大地(the earth)は常に,現に生きている世代に帰属するものです。彼らはその用益期間中,大地及びそこから生ずるものを好きなように管理することができます。彼らは自分たちの身体の主人でもあり,したがって,好きなようにそれらを統御することができます。しかし,身体と財産とが,統治の客体の総和です。ですから,先行世代の憲法及び法律は,それらに存在を与えた人々と共に自然の経過として消滅するものです。後者は,それ自身であることをやめるまでは,前者の存在を維持することができますが,それまでです。ゆえに,すべての憲法及びすべての法律は,本来的に19年の経過とともに失効するのです。それがなおも依然として執行されるとすれば,それは正当なものではなく,力の行使です。・・・(ジェファソンの1789年9月6日付け(パリ発)マディソン宛て書簡)

 

 アメリカ独立宣言の起草者にとっては,憲法といえども不磨の大典であってはいけなかったわけです。

 

(2)20世紀のロウスト中佐の時代とその主張

 しかしながら,苛烈な第二次世界大戦を戦い抜いた1946年初めの戦勝アメリカ合衆国民としては,「現在の時代は人類進歩における一定の段階に達したものであること,及び人間の存在にとって固有のものであるとして現在受容されている権利の廃棄はいかなる将来の世代にも許されないこと」は,ロウスト中佐ならずとも,深く実感するところであったのでしょう。また,民主的な政府だけでは不十分であることは,ドイツのヴァイマル共和国の崩壊や日本の大正デモクラシーの没落という最近の敵国の例があったところです。ドイツのファシズムはヴァイマル民主主義から生れたと思えば,たとい民主的な政府があっても「第4条を削ることは不可避的に日本においてファシズムに門戸を開くことになる」とのワイルズ氏の懸念もあながち杞憂とばかりはいえないようです。

 以上のような思いがGHQ民政局内で共有されていたからこそ,基本的人権を制限又は廃棄する憲法改正を禁止する人権委員会案第4条を却下するためには,ジェファソンの権威のみならず,マッカーサー元帥の決裁も必要だったのでしょう。

 

(3)将来の改正を禁止する条文の書き方

 

ア ヴァジニア信教自由法最終節

 憲法制定権者自らによる基本的人権の制限又は廃棄を憲法によって無効とすることはできないとしても,憲法制定権者に何らかの歯止めをかけるための条文は考えられないか,ということが次の問題となったことでしょう。しかし,これはなかなか難しい。またジェファソンの例になりますが,彼が墓石に刻んで自慢したヴァジニア信教自由法(1777年ころジェファソンが起草。マディソンがヴァジニア邦議会で頑張って1786年1月16日に同邦の法律として成立したもの(なお,当時ジェファソンは駐仏公使)。)の最終節は次のようになっています。

 

 しかして,我々は,立法に係る通常の目的のみをもって人民によって選出されたこの議会は我々のものと同等の権限を有するものとして構成される後続の議会の行為を制限する何らの力を有するものではなく,したがって,この法律は不可侵である(irrevocable)と宣言することには法的効力は無いということを十分承知しているものであるが,この法律において表明された権利は人類の自然権に属するものであること,及びこの法律を廃止し,又はその適用を縮減する法律が今後議決された場合には,そのような法律は自然権に対する侵害であることを宣言する自由を有し,かつ,宣言する。

 

 どうも迫力不足ですね。やることを止める力も権限もないけど,悪口だけは事前に言っておくぞ,みたいですね。正直ではあるのでしょうが。

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  ジェファソンの墓(Monticello, VA)

イ 日本国憲法97

 これらに対して,日本国憲法97条は日本国憲法「草案中ノ傑作トシテ米国ニ於テモ評判良ク」,ホイットニー局長も「得意」だったといいますが,どういうことでしょうか。以下,97条を分析してみましょう。

 なお,基本的人権を制限し,又は廃棄する憲法改正を行う者として人権委員会案第4条が窮極的に警戒していた対象は,論理的には憲法制定権者,すなわち主権者たる日本国民ということになるようです(独裁者は最初から独裁者ではなく,まず,主権者国民の名において,喝采とともに独裁権を掌握するものでしょう。)。

 

(ア)信託構成

 まず,憲法97条における「信託」は,「与へる」の単なる言い換えではなく,実際に信託ないしはそれに類似の「神聖な信託」であるものと考えましょう。憲法11条後段との最大の相違はここにあるようだからです。

 信託であるとすると,そこには,信託をする「委託者」(信託法2条4項),信託の目的の達成のために必要な行為をすべき義務を負う「受託者」(同条5項)及び受益権を有する「受益者」(同条7項)がいることになります。憲法97条ではそれぞれがだれに当たるのでしょうか。法学協会の『註解日本国憲法』(有斐閣・1953年・1954年)及び佐藤功教授(『憲法〔新版〕下(ポケット註釈全書)』(有斐閣・1984年))がこの問題を取り扱っています。

 

(イ)信託の委託者

 委託者としては,法学協会の『註解日本国憲法』は「神」とし,佐藤功教授は「天または神あるいはこの憲法そのもの」又は「人類」としているそうです(樋口陽一・佐藤幸治・中村睦男・浦部法穂『注解法律学全集4 憲法Ⅳ[76条~第103]』(青林書院・2004年)327頁(佐藤幸治執筆))。

 しかし,「人類」が委託者ということになると,そこでの「人類」代表はマッカーサー元帥さまやGHQさまや全人類の自由のさきがけたる米国民さまということになってしまわないのでしょうか。また,GHQ民政局内の人権委員会原案第2条の不採択についてさきに見たように,同局としては日本国憲法における国民の権利は「憲法が保障する権利」であるものと考えていたようですから,「神」や「天」にまで遡る必要は必ずしもないのではないでしょうか。

 

(ウ)信託の受託者

 受託者としては,『註解日本国憲法』は「現在及び将来の日本国民」,佐藤功教授は「現在及び将来の日本国民」又は「個々の日本国民」(後者は,委託者が「人類」の場合)としています(樋口等・327頁(佐藤幸治執筆))。

 憲法97条後段の「現在及び将来の国民」に対して信託されているのですが,ここでの「現在及び将来の国民(this and future generations)」は,個々の国民と対立する憲法制定権者たる日本国民ではないでしょうか。信託構成で縛られる者は受託者であるところ,ここでの信託構成は憲法制定権者を縛って基本的人権を制限又は廃棄する憲法改正を妨げるために採用されたものと考えてみているところですから。

 

(エ)信託の受益者

 受益者は,『註解日本国憲法』は「人類一般」,佐藤功教授は「人類一般」又は「日本国民全体」(後者は,委託者が「人類」,受託者が「個々の日本国民」の場合)としています(樋口等・327頁(佐藤幸治執筆))。

 「日本国民は,その生命,自由及び幸福追求に対する権利を挙げて信託の受益者たる「人類一般」のために奉仕せよ。すなわち具体的には,人類の自由獲得の努力の先頭に立つアメリカ合衆国のたたかいに協力奉仕せよ。」ということにでもなれば昨今の「平和安全法制」をめぐる議論も面白くなるのですが,日本の庶民としては,自分の基本的人権を海の向こうの「人類一般」なる抽象的なもののために捧げるということは,どうも難しいようです。「すべて国民は,個人として尊重される」のですから(憲法13条前段),受益者は,素直に,個々の国民でよいように思うのですが,どうでしょうか。

 

(オ)信託構成による図式

 個々の国民を受益者として,憲法制定権者たる日本国民を受託者として基本的人権が信託される一方(なお,委託者と受託者とが同一人である自己信託について信託法3条3号参照),当該信託の目的は,基本的人権が"to be held for all time inviolate"であるようにすること,すなわち,個々の国民に受益させつつ基本的人権が「永久に侵されないようにすること」(基本的人権を侵害する憲法制定権力の行使をしないこと)とすることが憲法97条の意図する図式であると考えることはできないでしょうか。「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて,これらの権利は,過去幾多の試錬に堪へ」の部分は,かかる煩瑣な図式(しかも,必ずしも実効性があるとはいえない)を特に設定せざるをえなくなったので,その理由までを示す必要があったということでありましょう。なお,この部分は,1946年2月8日の会議でのロウスト中佐の口吻を髣髴とさせます。

 信託の受託者による権限違反行為は直ちには無効ではないので(信託法27条等参照),憲法97条も,憲法制定権者たる日本国民による憲法制定権力行使であって基本的人権を制限し,又は取り消すものを直ちに無効とするものではないでしょう(そもそも,受益者たる個々の国民は,憲法制定権者たる受託者・日本国民のしたことを認めざるを得ないでしょう。)。「神聖な」信託であれば,なおさら法的義務違反というわけでもないでしょう。しかし,憲法制定権力の行使を制約するための文言としては,ヴァジニア信教自由法の最終節式のものよりも気が利いているようです。現在の憲法で将来の世代までをも信託の受託者とすることはできないではないか,というようなそもそも論的な批判もあり得るのでしょうが,そこは「神聖な」信託なのでしょう(いずれにせよ最初の一世代さえ無事にもてば,日本国憲法も安定するだろうとの見切りもあったかもしれません。)。

 なお,1946年3月6日の憲法改正案要綱第94項では日本国憲法の現行97条と99条とが一体のものとされていましたが,これは,前段の憲法97条における信託の受託者たる憲法制定権者たる日本国民が,信託の目的の達成のために必要な行為として,後段の憲法99条によって,更に憲法の尊重擁護義務を天皇以下の各国家機関に課したということでしょう(なお,前記のとおり,1946年2月8日にハッシー中佐は「人民は自らの設立に係る国会に反対する権利を有しない」と発言していますから,あらかじめ国会等を縛っておかなければならないということであったのでしょう。)。憲法改正の発議権を持つ国会(憲法96条1項)の国会議員までが憲法尊重擁護義務を負う者に含まれていますから,憲法改正権の行使によって「この憲法が日本国民に保障する基本的人権」を制限し,又は取り消す憲法改正はされないことになるということだったのでしょう。 

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ヨークタウン戦勝塔(Yorktown, VA)

1 はじめに

 米国といえば民主主義(democracy)の本家本元で,君主制(monarchy)とは氷炭相容れぬ国柄であるとされています。

 しかしながら,アメリカの建国期においては,実はデモクラシーは理想政体にそぐわないものと考えられており,君主制も全く支持者がいないわけではありませんでした。

 


2 ワシントンを国王に推戴する動き

君主制論者の間では,アメリカ独立戦争を実質的に終結させたヨークタウンの戦いの勝利者ジョージ・ワシントン将軍を新生アメリカの王にしようという動きがありました。

その一例としては,1782522日に大陸軍のルイス・ニコラ大佐からワシントンにあてて送られた書簡があります。当該書簡の中で,ニコラ大佐は,アメリカ諸邦の脆弱,さらには連合会議(178131日に連合規約(The Articles of Confederation)が発効しましたので,それ以降のCongressは,大陸会議ではなく,連合会議と訳すことにします。)の無能ゆえの大陸軍の窮乏について痛憤し,「専制と君主制とを同一視してしまい,両者を分けて考えることが困難になっている人々がいますが・・・しかし,いったん他の事項がしかるべく手当てされれば,王の称号を認めるべきことを推し進める強い議論を提出することができるものと信じます。」と論じて,ワシントンを国王とする政体構想を提示しました。イギリスのKing George IIIの退場の次は,アメリカのKing George Iの登場というわけです。

この書簡に恐慌したワシントンは,同日直ちに回答を発出します。

 



・・・よって貴官に依頼する。貴官にして,国家に対する顧慮,貴官自身若しくは貴官の子孫に対する配慮又は本職に対する敬意を幾分なりとも有せられるものであるならば,かかる思いつきを貴官の思考から排除せられたい。

 


 ワシントンは,ニコラ大佐あての当該回答に封がされ,発送されたことを副官らに確認させるほどの念の入れようでした(これは,弁護士業においてはおなじみの,内容証明郵便物の取扱いですね。)。

 ニコラ大佐は慌てて総司令官にわびを入れました。

(以上Ron Chernow, Washington: a life, p.428参照)

 


 王になろうという野心があると思われたら,カエサルのように暗殺されてしまう,という恐怖があったものでもありましょう。あるいはワシントンの脳裡には,印紙税反対運動において若きパトリック・ヘンリーがヴァジニア植民地議会でした1765年演説に係る次の有名な場面が浮かんでいたかもしれません。

 



○パトリック・ヘンリー君
 ・・・

タルクィニウス及びカエサルには各々彼のブルートゥスあり,チャールズ1世には彼のクロムウェルあり,しかしてジョージ3世に・・・

○議長(ジョン・ロビンソン君) 大逆ですぞ,大逆ですぞ。

(「大逆だ,大逆だ」と呼ぶ者あり。議場騒然)

○パトリック・ヘンリー君 ・・・おかせられては,叡慮をもってこれらの前例をよろしくかんがみられんことを。もしこれをもして大逆であるとせば,よろしくこれを善用せられたし。

 


 さすがはパトリック・ヘンリー弁護士,うまいものです。

 なお,王政ローマ最後の王であるタルクィニウスは当時のブルートゥスらによって追放され,カエサルは暗殺され,チャールズ1世は清教徒革命で処刑され,アメリカ独立革命期のイギリス国王であったジョージ3世は精神病に倒れました。恐ろしいことです。 

 


3 「君主制論者」ハミルトンとワシントン政権

 


(1)ワシントン政権と「君主制」

 ニコラ大佐による君主制構想を直ちに否認抹殺し,17831224日にはメリーランド邦アナポリスにおいて連合会議に大陸軍最高司令官職の任命書を恭しく返上して,王位への野心など全く無いことを示すことに常に努めたワシントンですが,1789年発足のアメリカ合衆国連邦政府の初代ワシントン政権は,底意において君主制を目指しているのではないかとなお疑われ,また,非難され続けました。

 アメリカ独立戦争中はワシントン総司令官の副官を務め,また,178110月のヨークタウンの戦いでは同月14日の夜襲でイギリス軍の第10堡塁(Redoubt No.10)を攻め落とし,その後ワシントン大統領の下,初代財務長官に任命されて実質的な首相格として政権を切り盛りしたアレグザンダー・ハミルトンの政策と思想とのゆえでしょう。

 


(2)ハミルトンの君主制論

 17875月から9月までフィラデルフィアで開催され,現行のアメリカ合衆国憲法を起草した憲法会議(Constitutional Convention)(議長・ワシントン)において,ニュー・ヨーク邦代表の若きハミルトン弁護士(1755111日生まれの32歳。ただし,本人は1757年生まれだと思っていたようでもあります。)は,1787618日,5ないしは6時間に及ぶ長い演説をし,その中で彼の君主政観を展開しています。すなわち,そこにおいてハミルトンは,イギリスの君主政体を最善のものとして賛美し,終身制の大統領(ただし,ハミルトンの原案では,President”ではなく “Governor”の語が用いられています。)制度の導入を提唱したところです。秘密会であったとはいえ,大胆な演説であって(ニュー・ヨーク邦代表団の会議対処方針とは全く異なる。),ハミルトンが後々まで君主制主義者(monarchist)であるとの厳しい批判を受ける一因となりました。

 ニュー・ヨーク邦代表のロバート・イェイツによる記録(イェイツはハミルトンと政見を異にしていましたが,こちらの方が,コンパクトです。)を基に,ヴァジニア邦代表でありこの時点ではハミルトンの協力者であったジェイムズ・マディソンの詳細な記録(斜字体)で適宜補い,また適宜改行しつつ,当該演説の当該部分を御紹介しましょう(The Library of AmericaAlexander Hamilton Writingsによる。)。

 



・・・

 しかし,白状しますと,ふさわしい人物を共同体(the Community)の周辺部から中央にまで集めることは非常に難しいことです。例えば,財産もあり能力もある紳士諸氏を,その家庭と仕事とから離れさせて,毎年,長期間にわたって参集させるものは,何でありましょうか。報酬ではあり得ません。予想するに,その額は小さいものであろうからです。3ドルかそれぐらいがせいぜいでしょう。したがって,権力は,少額の手当又は立身の望みのために候補者として自ら名乗り出る煽動政治屋(demagogue)又は凡庸な政治家の手に帰してしまい,重みと影響力のある真の人物は地元にとどまって邦政府の力を増し加えるということにはならないでしょうか。

私は,どうしたらよいのか途方に暮れています。共和政体(a republican form of government)が,これらの難点を取り除くことができるとは思い得ない(despair)ところです。広大な領域において(over so great an extent)共和政体(a Republican Govt.)は樹立され得ないのではないでしょうか。私の意見はともあれ,しかしながら,当該政体〔註・共和政体〕を変更することは賢明ではないものと思います。

私の信ずるところでは,英国の政府(the British government)が,世界にこれまであったものの中で最も優れたモデルとなっています。そこまで立派なものでなくとも,アメリカではうまく行くなどということは,はなはだ疑わしいことです。多くの人の心の中に広まりつつ,この真理は徐々にその地歩を固めています。かつては,連合会議の権限は,制度目的達成のために十分なものであると考えられていました。現在,その誤りは,すべての人の目に映るところです。私の見るところ,共和主義の最も強固な支持者も,民主主義の悪(the vices of democracy)を他の人々に負けず声高にあげつらっています。公衆の認識のこの進歩は,他の人々も私と同様に,ネッケル氏〔註・フランス国王ルイ16世の財務総監〕によって英国の国制(British Constitution)に捧げられた称賛に賛同されるようになる時が来るということを私に期待させてくれます。すなわち,英国の政府は,「公共の力(public strength)と個人の安全(individual security)とを統一する」世界で唯一の政府なのであります。この政府の目的は,公共の力及び個人の安全です。このことは我々においては達成できないといわれていますが,もし,いったん成立すれば,それは自らを維持していくものでしょう。

産業の進んだ(where industry is encouraged)すべての共同体は,少数者と多数者とに分かれます。前者は豊かで生まれが良い者たち(the rich and well born)で,後者は人民の集団(the mass of the people)です。そこから異なった利害が生じます。債務者,債権者等が現れます。すべての権力を多数者に与えると,彼らは少数者を抑圧します。民の声は天の声といわれておりますが,いかに広くこの格言が引用され,かつ,信じられているとしても,事実においては正しくはありません。人民は動揺し,変心します(turbulent and changing)。彼らが正しく判断し,正しく決定することはめったにありません。他方,少数者にすべての権力を与えると,彼らは多数者を抑圧します。したがって,相互に相手方から自らを守るために,両者とも権力を有するものとすべきです。・・・英国人は,彼らのすぐれた国制(Constitution)によって,適切な調整を行っています。貴族院(house of Lords)は,最も貴い制度です。変化によって望むものはなく,財産を通じて十分な利害を有しており,国益に忠実であることによって,彼らは,国王(Crown)の側から試みられるものにせよ庶民院(Commons)の側から試みられるものにせよ,あらゆる有害な変革に対する恒久的な防壁をなしています。したがって,第1の人々〔註・少数者〕に,政府における画然とした,恒久的な位置(a distinct, permanent share in the government)を与えなければなりません。彼らは第2の人々〔註・多数者〕に係る不安定(unsteadiness)を抑制するでしょうし,彼らは変化から何らの利益を受け得ることもないので,したがって,善き統治(good government)を永く維持し続けるでしょう。毎年人民の集団の中で展開される民衆集会(a democratic assembly)が公共善(the public good)を追求するということが確かなものとして考えられるでしょうか。恒久的な団体(a permanent body)のみが,民衆支配の軽率(imprudence of democracy)を抑制することができるのです。彼らの動揺し,かつ,無規律(uncontrouling sic)な性向は,抑制されなければなりません。

短い任期の上院は,この目的に応じた十分な強靭さを持ちません。ニュー・ヨークの上院は,4年の任期で選任されていますが,十分有効なものではありません(inefficient)。ヴァジニア代表の提案に従って,7年継続するものならばよいのでしょうか。随分言及されるところの多いように見受けられる(メリーランドの)上院〔註・同邦の上院は,選挙民は選挙人団を選ぶ間接選挙制に基づくものであった。〕は,いまだ十分に試験されているものではありません。紙幣発行が求められた最近の要求において,人民が一致団結し真剣であったのなら,彼らは奔流に流されていたことでしょう〔註・メリーランド邦の上院は,同邦代議院からの紙幣発行法案を178512月及び178612月の2度にわたって否決していました。〕。・・・紳士諸氏は上院に必要な強靭さを与えるには7年が十分な期間だと考えていますが,民衆心理(democratic spirit)の驚くべき暴威と激動とを適切に考慮していないからです。民衆の情熱をわしづかみにする政治の重大問題が追求されるとき,その情熱は野火のように拡がり,抵抗できないものとなります。私は,ニュー・イングランド諸邦からの紳士諸氏に,かの地における経験が今申し上げたことを証明するものでないのかどうかお尋ねしたい〔註・ニュー・イングランドでは,増税及び農地差押えに対するマサチューセッツ邦西部の農民の抗議運動から,シェイズの反乱(17869月から17872月まで)が発生していました(首謀者ダニエル・シェイズ大尉はアメリカ独立戦争参加者)。〕

よき執行部(a good executive)は,民主的な構成をもって(upon a democratic plan)〔共和的原則に基づいて(on Republican principles)設けられ得るものではないということは,認められているところです。英国の執行権者の素晴らしさ(the excellency of the British executive)を御覧いただきたい。この問題については,イギリスのモデル(the English model)が唯一結構なものなのであります。彼は誘惑から超然としています。彼は公共の福祉とは別の利害を有していません。国王の世襲の利害は,国民(the Nation)のそれと十分結びつき,彼の個人的収入は十分大きいので,海外勢力から腐敗させられるという危険から超然としているのです。――また同時に,国内の制度目的にこたえるために,十分独立しており(sufficiently independent),かつ,十分規制されています(sufficiently controuled)このような執行権者でなければすべて不十分です。共和政体(a republican government)の弱点は,外国勢力からの影響力の危険性です。第一等の人物たちをその維持のために動員するようにできていない限り,このことは不可避です。小人物(men of little character)は,大きな権力を得ると,簡単に隣国の干渉勢力の手先になってしまいます。したがって,私は,全国政府(general government)を支持するものですが,共和制の原則(republican principles)については,最広義のところまでおし進めたいと思うものです。我々は,共和制の原則が許す限り,安定及び永続性(stability and permanency)を求めて進むべきであります。

 立法府のうち一院は,罪過なき限りの間(during good behaviour),又は終身を任期とする議員によって構成されるものとしましょう。

 その権限を断行し得る(…dares execute his powers)一人の終身の執行権者が任命されるものとしましょう。

 私は,最良の市民たちの奉仕を確保するためのものとして,7年の任期が,公的任務の受諾に伴う私的生活の犠牲を受け容れさせるものであるのかどうか,御出席の代表者の方々の御感想をお尋ねしたいのです。この案〔註・ハミルトン案〕によってこそ,元老院に,本質的目的にこたえるべき恒久的な意思,重要な利害の代表(a permanent will, a weighty interest),を確保することができるのです。

 これは共和制(a republican system)なのか,と問われるかもしれませんが,厳密にいって,そうであります,政府のすべての高官(all the Magistrates)が人民によって,又は人民に由来する選挙で選ばれる限りは。

 更に言わせていただけば,人民の自由にとって,執行権者は,終身その職にあるときの方が7年の任期であるときよりも危険が少ないものであります。7年任期制案では,私は,執行権者にはわずかな権力のみを与えるべきだと思います。彼は,手下となる者を調達する手段を持った野心家でありましょう。そして,彼の野心の目的は,権力をより長く握ることでしょうから,戦争のときには,その地位からの降格を避け,又はそれを拒絶するために,緊急事態であることを恐らく濫用するでしょう。終身執行権者の場合は,忠誠を忘却させるこのような動機を持たないものであって,したがって,権力を委ねるためにはより安全な機関なのであります。

 これは選挙君主制(an elective monarchy)である,といわれるかもしれません。ああ,君主制とは何でしょうか。「君主」とは定義のはっきりしない用語であるものとお答えしましょう。権力の大きさ又は権力を握る期間の長さのいずれを示すものでもありません。もし,この執行長官(Executive Magistrate)が終身君主であるのなら――当会議の全体委員会の報告書によって提案されたものは七年君主ということになります。選挙制であるという事情はともに両者に当てはまるところです。各邦の知事は,そのようなものとして見られ得ないでしょうか。しかし,執行権者が弾劾制度に服せしめられていますので,君主制の語は当てはまり得ません。

賢明な著述家たちは,競争者たちの野心及び策謀によって惹起される動乱(tumults)に対する防止策が講ぜられるのならば,選挙君主制は最良のものであろうと述べています。私は,動乱が,避けることのできない欠点であるものと確言するものではありません。選挙君主制のこの性格論は,むしろ,一般的な原則からというよりは,特定の事例から由来しているものと思います。選挙制君主は,ローマにおいて動乱を引き起こしましたし,ポーランドにおいても同様に平和に対して危険を与えています。ローマ皇帝は,軍隊によって選挙されたところです。ポーランドにおいては,独立した権力,及び騒動を起こすための十分な手段を持った,互いに競争関係にある大貴族たち(princes)によって選挙が行われます。ドイツ帝国〔註・神聖ローマ帝国〕では,密謀集団及び党派を使嗾する同様の動機及び手段を有する選帝侯及び諸侯によって任命が行われています。しかし,このことは,私が選挙について提案するところの方法については当てはまり得ません。執行権者を選挙する選挙人が各邦において任命されるものとしましょう――

(ここで,H氏は,写しがここに添付されているところの彼の案を取り出した。)

・・・執行権者(the executive)は,すべての法律に対して拒否権を持つものとする――元老院の助言により和戦のことを決する(to make war or peace)――彼らの助言により条約を締結する,しかしすべての軍事行動に係る単一の統帥権を有する(to have the sole direction of all military operations),並びに大使を派遣し,及びすべての軍士官を任命する,並びにすべて罪過を犯した者(国家反逆罪を犯した者を除く。ただし,元老院の助言があるときはこの限りでない。)に対する赦免権を有する。彼の死亡又は罷免の場合には,後継者が選挙されるまで,元老院議長(president of the senate)が,同一の権限を持つ代行者となる。最高の司法官らは執行権者及び元老院によって任命される。・・・

 ・・・

 ・・・しかし,人民は,徐々に政府に係る彼らの意見において成熟しつつあります――彼らは,民主政の行き過ぎ(an excess of democracy)に倦み始めています〔,連合(the Union)は分裂しつつあり,又は既に分裂しているものと私は観察します――人民をその民主政体志向(fondness for democracies)から治癒させることになるところの諸悪が,諸邦において猖獗している様子が私には観察されるところです〕――ヴァジニア案であっても,しかし,依然としてソースが少々変わっただけの豚料理であります〔註・憲法会議に提出された憲法構想のうち,ニュー・ジャージー案は既存の連合規約の改正にとどまっていたのに対して,ヴァジニア案は各邦の上に,執行部門,立法部門及び司法部門を有する全国政府を設けることを提案していました。しかし,ヴァジニア案であっても,ハミルトンの過激案に比べればまだ生ぬるいということです。〕。

 


 共和主義(republicanism)が理想として掲げられているのですが,democracy, democratic等民主主義関係用語は否定的な意味で使われています。

 共和政体(gouvernement républicain)と民主政(démocratie)との関係を,当時読まれていたモンテスキューの『法の精神』における分類学でもって説明すると,共和政(république)のうち,人民団(le peuple en corps)が主権を持つものが民主政,人民のうちの一部分が主権を持つものが貴族政(aristocratie)ということになります(第1編第2章第2節)。共和制を主張しつつ民主主義を排斥する者は貴族政主義者,ということになるようです。なお,モンテスキューの分類では,共和政体と対立するのはいずれも一人が統治する政体である君主政体(gouvernement monarchique)及び専制政体(gouvernement despotique)であって,君主政体では法による支配がされるが,専制政体では法によらず,統治者の意思ないしは恣意による支配がされるものと定義されています(第1編第2章第1節)。

 ギリシャ・ローマの古典古代の例が念頭にあったでしょう。(デモクラシーの前例としてアメリカ合衆国を持ち出すわけにはまだいきません。)

ローマも領域が大きくなって,共和政から君主政に移行しました。古代ギリシャで外国からの干渉といえば,ペルシャ帝国からのそれが問題であったでしょう。

なお,ハミルトンが称賛したジョージ3世治下のイギリスの政体における統帥権の所在は,一応,国務大臣輔弼の外に独立していたもののようです。すなわち,1932年の『統帥参考』には,英国における統帥権の位置付けの推移について,「「チャールス」2世ハ国務大臣以外ニ特別ナル軍令機関(「セクレタリー・アット・ワー」)ヲ設ケテ統帥権ノ独立ヲ保障シ更ニ1793年ニハ国王直属ノ総司令官ヲ設ケテ軍隊内部ノ組織,軍ノ規律,指揮運用ニ関スル権限ヲ附与シ国務大臣ト対立セル軍令機関ト為シタリ」とあります(『統帥綱領・統帥参考』(偕行社・1962年)45頁)。(ちなみに,ジョージ3世は,アメリカ独立戦争中は精神病を発症しておらず,1788年から翌年にかけてはそうだったものの,1793年は大丈夫だった時期であるようです。)ただし,その後は,「然ルニ民権ノ伸張,議会政治ノ発達ハ国王ノ軍令権ヲ圧迫蚕食シ1854年従来国王ニ直属シ国務大臣ヨリ独立セル総司令官ヲ国務大臣ノ監督下ニ置クコトニ改メ次テ1870年ノ改革ニ於テ軍令機関タル総司令官ハ陸軍大臣ノ隷下ニ入リ茲ニ現今ノ制度ノ基礎確立シタルナリ」ということになりました(『統帥綱領・統帥参考』5頁)。

 


4 エスマン中尉とハミルトン財務長官

 さて,三つ子の魂百までとやら。人と同様に国も,生まれたころの性格を後々まで引きずるものなのでしょうか。

知米派の日本人の方々がどう言われるのかは分かりませんが,日本国憲法起草時のGHQ民政局内で展開された議論において,強い執行権者を求めた27歳のエスマン中尉の姿が,何やらアメリカ合衆国憲法起草時に選挙制君主的な執行権者を求めた32歳のハミルトン弁護士の面影を宿していたように思われます。(そもそも,連合規約を改正すると言ってアメリカ合衆国憲法を起草してしまった手妻のような手口と,大日本帝国憲法の改正を求めつつ,日本国憲法の草案を起草してしまった仕事ぶりとは,何だかよく似ていますね。)

 それはともかく,元々はイギリス流立憲君主制論者であったハミルトン初代財務長官が,時代を超えてトルーマン政権の国務長官であったのなら,伊東巳代治が『憲法義解』を訳した “Commentaries on the Constitution of the Empire of Japan”を読んでも,それほど機嫌が悪くはならず,時代に合わせた立憲君主制の改善のための大日本帝国憲法の改正はあっても,新しい日本国憲法の制定がされるということまでにはならなかったのではないかとも空想されます。

 とはいえ,国務省はハミルトンにとって鬼門です。

 ワシントン政権内で,初代国務長官ジェファソンは,政見において真っ向からハミルトンと対立します。例えば,ハミルトンが執行権の強化を目指せば,ジェファソンは議会の権限や州権を重視するという具合です。両者の対立は,やがてハミルトンらのフェデラリスト党とジェファソン=マディソンらのリパブリカン党という二つの党派及び両者間の抗争を生むに至ります。(なお,系譜的にはジェファソンの党が現在のアメリカ民主党につながるのですが,前記のとおり,アメリカの建国当初は“democratic”はよい意味の言葉では必ずしもなかったところです。リパブリカン党への悪口として, Democraticリパブリカン党と言われるようになり, 後にリパブリカンが落ちたものです。アメリカ合衆国憲法4条で連邦が各州に保障しているのは,共和政体(a Republican Form of Government)であって,民主政体(a Democratic Form of Government)ではありません。)

こうしてみると,日本国憲法における内閣の章の規定をめぐるエスマン中尉とハッシー中佐との対立も,米国の知識人の間における建国以来の政治思想の対立を反映していたものと思えなくはありません。

 


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イギリス軍第10堡塁(Yorktown, VA) 


 


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1 ハッシー中佐と「会議の政体」


(1)日本国憲法と「会議の政体」


ア ハッシー中佐の政体構想

 日本国憲法第74条に関する前回の記事を書き進めるうち,我が現行憲法に係る1946213日のGHQ草案作成に向けてのGHQ民政局内での作業において,強い執行権者(a strong executive)を求めるエスマン中尉の意見に基づく同月8日以降の修正(執行権は,内閣の首長としての首相に属するものとする。)が,同月12日の同局内草案作成グループの運営委員会におけるハッシー中佐の次の意見によって覆され,現行憲法65条の条文(「行政権は,内閣に属する。」)が実質的に定まったというエラマン女史の記録に逢着しました。



ハッシー中佐は,我々は国会に連帯して責任を負う内閣制度を設立しなければならないものであって,首相であろうが天皇であろうが,独任制の執行権者によって支配される政府の制度を設立してはならない,と主張した。集団的ではなく個人的な責任は,SWNCC228に反するばかりではなく,日本において物事がなされる流儀に全く一致しないのである。


 ここでハッシー中佐が構想していた,日本において物事がなされる流儀に一致する政体とはどういうものか。首相が弱くてもかまわず,個人的な責任を負わなくともよいということは,どういう理論に基づくものか。

 実は,この疑問に対する回答も,国立国会図書館ウェッブサイトの「日本国憲法の誕生」電子展示会にありました。高見勝利教授の「「憲法改正草案要綱」に対する米国務省内の論評と総司令部の応答」(レファレンス200412月号5頁)において紹介されているところです。

 すなわち,19463月に日本国政府から憲法改正草案要綱が発表された後,アメリカ合衆国の国務省の調査・情報局(Office of Research and Intelligence)極東情報部(Division of Far East Intelligence)内において当該要綱の分析が行われ,同月20日付けの「状況報告―日本」に綴じ込まれた「提示された日本の憲法(The Proposed Japanese Constitution)」に関する報告書において,エスマン中尉同様,「強くて安定した執行部の展開を不可能とするように思われる。」との批判的見解が示されていたところ(高見・前掲9頁),当該文書に接した東京のGHQ内では,ハッシー中佐が,同年429日付けのホイットニー民政局長あての覚書において,次のような反論を展開していました。



統治の安定及び効率(stability and efficiency in government)という立場からすると,強い執行権者(a strong executive)が望ましいかもしれない。しかしながら,降伏前の日本の統治機構における最大の病弊(the chief evil of the pre-surrender Japanese government)は,極めて強力かつ独立の執行部の存在(the existence of an all-powerful and independent executive)であった。憲法草案においては,そのような状況が再び出現することがないように,選挙された国民の代表者たちから成る国会に統治権を委ねるものである(The draft constitution places the powers of government in the Diet, the elected representatives of the people)。天皇に何らかの執行権を残すべきだとの示唆(the suggestion that any executive power be retained by the Emperor)は,基本的占領政策に全く整合せず,かつ,反するものである。(拙訳)


 国会に統治権を委ねる(...places the powers of government in the Diet),というのですから,日本国憲法において予定されていた政体は,少なくともGHQ草案の段階では,いわゆる典型的な議院内閣制ではなくて,やはり,むしろ「会議の政体」又は議会統治制(Gouvernement d'Assemblée)とされるものであったということのようです。


イ 小嶋和司教授による日本国憲法の政治機構論

 日本国憲法は,実は議院内閣制ではなくて,むしろ「会議の政体」又は議会統治制的なものを採用しているものではないかという点は,いわゆる解散権論争に関連しつつ,既に1953年において,小嶋和司助教授(当時)によって指摘されていました。



日本国「憲法が議院内閣制の基礎原理を欠き,とくにある点――その「原動力」と期待さるべき機関
天皇においては,フランスとは比較にならぬくらいにその権能を否定し,「会議の政体」と呼ばるべき要素を多分にもっていることは否定できまい。このような政体は,ヴデルのごとく議会政と会議の政体とのコンプロミスととらえるか,テリイのごとく「議会主義」なるあたらしい範疇,ないしすくなくともデュヴェルジェのごとく「会議の政体につよく浸透された議院内閣制」ととらえることが必要である,と筆者はおもうのであるがはたしていかがであろうか。これをしも単純に,しかも一辺倒的に「議院内閣制」とのみ述べて,それを疑うべからざるテーゼのごとく信奉する一般の態度は,はたしてそれで公正といえるのであろうか。」「司令部提示案は一院制だったというからこれなら「会議の政体」という論者も出現したはずである」。(小嶋和司「憲法の規定する政治機構―はたして議院内閣制か―」(初出1953年)『小嶋和司憲法論集二 憲法と政治機構』(木鐸社・1988年)376頁,377頁)


 小嶋教授は,フランスの憲法及びそれをめぐる学説を素材にして議論を組み立てています。ところで,GHQ草案は19462月段階での作成ですから,むしろ「会議の政体」ということでは,フランス第四共和制の憲法よりも日本国憲法の草案の方が先行していたというべきかもしれません。(なお,ハッシー中佐は,「日本の新たな議会」は「主にイギリスをモデルとして作られた」とも述べています(高見・前掲12頁)。)


ウ ハッシー中佐の問題意識をめぐって


(ア)大日本帝国憲法下の執行権に関する病弊

 なお,前記ハッシー中佐の民政局長あて覚書の英文の細かいところに注目すると,占領前の我が国の統治機構の病弊は「極めて強力かつ独立の執行部の存在(the existence of an all-powerful and independent executive)」としており,執行部について"an executive"と単数形を用いていますが,これはやや誤解を招く表現です。確かに,帝国議会や臣民から見れば執行権は極めて強力かつ独立」であったかもしれませんが,実は大日本帝国は,その執行部内における各部間の割拠性と不統一とを最後まで克服することができず(すなわち,単数形で表現され得るような一体的効率的なものとして執行権を行使することができず),苦しみ続けていたところです。

 この点に関して,先の大戦たけなわの1942年,当時の内閣制度について三つの病弊が指摘されています。すなわちいわく,①「閣僚の平等性に基づく内閣の弱体性」(「閣僚平等主義の内閣制度の下に於ては,閣議の決定はいは契約主義的原則に依存し,各閣僚の意見の一致に基づくことを必要とする。其の結果,内閣の力を弱むること甚だしいものがある。」「内閣の首班たる内閣総理大臣の地位は,少くとも法制的には著しく無力」),②「閣僚の過剰性に基づく弱体性」(「凡そ会議は其の人的構成に於て規模が大になればなるほど,其の審議は形式化する」)及び③「閣僚の行政長官化に依る内閣機能の喪失」(「各大臣は多くの場合,其の主管事務の技術的専門家たり得ざる結果,之れに対して専門的権威を有せず,従つてやもすれば部内の統制力を缺くの虞れ無しとせず,結局各大臣は閣議に於ては各省事務当局の代弁者たるに過ぎない結果になり勝ちである。」「現在の実情を見るに,各種政策の企画・立案は,根本に於て各省官吏の手になるものであり,特別例外の場合を除いては,一般に内閣は唯之を審議決定するに止まり,何等其の創意発案に出づるものはない。又各種政策の指導統制の機能も,閣内に於ける種々の勢力やイデオロギーの対立と,並びに各省本位の割拠主義的相剋の現象に依つて著しく妨げられ,内閣はともすれば各種勢力の寄生的存在となり,結局無責任な妥協によつて其の存在を保持するといふ結果とならざるを得ないのである。」)の3点です(山崎丹照『内閣制度の研究』(高山書院・1942年)368頁,369頁,370頁,371頁)。

 また,内閣の外においては,統帥部が内閣から独立しており,かつ,統帥部内においても陸軍と海軍とがなお並立していました。大本営令(昭和12年軍令第1号)2条は「参謀総長及軍令部総長ハ各其ノ幕僚ニ長トシテ帷幄ノ機務ニ奉仕シ作戦ヲ参画シ終局ノ目的ニ稽ヘ陸海両軍ノ策応協同ヲ図ルヲ任トス」と規定しており,天皇の下,そのまま,陸軍の参謀総長と海軍の軍令部総長との両頭体制となっています。なお,大本営が設置されたとしても,それは飽くまでも統帥機関であって,国務を担当する政府とは別個のものでした。19371120日の大本営陸海軍部当局の談話に「巷間往々にして大本営は統帥国務統合の府なりとし,或は戦時内閣の前身なりと臆測するが如きものあるも,これ全く根拠なき浮説」とされていたところです(山崎・前掲274-275頁参照)。


(イ)「会議の政体」の担い手

 ちなみに,ハッシー中佐の英文ではまた,"the Diet, the elected representatives of the people"と記されており,統治権を委ねられる「国会」と,複数形の「選挙された国民の代表者たち」とが同格に置かれています。これは,うがって考えると,国会に統治権がある政体下で統治権が現実に行使されるに当たっては,ハッシー中佐としては,その構成員の個性が捨象された機関ないしは制度としての「国会」(これでは官僚機構ですね。)にではなく,むしろ個々の議会政治家の国政上の識見・力量に期待するところが大きかったということでしょうか。やはりうがち過ぎでしょうか。


(2)「会議の政体」対「政治的美称説」及び自由民主党改憲草案41条

 いずれにせよ,日本国憲法における政体が,「会議の政体」ないしは議会統治制を採るものであるとすれば,その第41条の「国会は,国権の最高機関であつて」という規定には,単に政治的美称にとどまらないはっきりした実質的意味があるということになるわけです(英文の"The Diet shall be the highest organ of state power"は,GHQ草案40条と同じ。)。

 しかしながら,この点,2012427日決定の自由民主党日本国憲法改正草案においては,前文において,日本は「立法,行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」ものと規定され,更に内閣総理大臣による衆議院の解散決定権も明示されていますから,立法部が執行部に対して優位に立つ統治構造である議会統治制ないしは「会議の政体」は確定的かつ意識的に放棄され,両者間の均衡を旨とする議院内閣制が選択されているものと考えられます。

 そうであれば,日本国憲法41条も改正されるのかといえば,同草案では次のとおり。

 


 
(国会と立法権)

41条 国会は,国権の最高機関であて,国の唯一の立法機関である。


 丁寧に「つ」が「っ」に改められるほかは,見出しが付くだけで,あとは変化なしです。

 国会の「国権の最高機関」性の部分は,政治的美称にすぎないことを重々承知の上(見出しでは,「国権の最高機関」になぜか触れられていませんから,そうなのでしょう。),あえてかつてのGHQの指示に係る当該文言をここに改めて受け容れることを表明するということでしょうか。単なる政治的美称ならば,「自主憲法」の手前,GHQの発案に係る実益のない文言は実害なく切り捨ててさっぱりした方がよいようでもありますが,どうも煮え切らないようです。

 しかし,自由民主党の「Q&A」を見ると,「国会,内閣及び司法の章では,大幅な改正はしていません。統治機構に関することは,それぞれ個別の課題ごとに,更に議論を尽くす必要があると考えたからです。」と述べられていますから,何のことはない,同党の2012427日付け憲法改正草案は,憲法にとって正に主要な部分である統治機構の部分については必要な検討を終えていない,これから「更に議論を尽くす必要がある」ところの未完成品ということのようです。「おっ,いよいよ憲法改正か」と勢い込んで上記「Q&A」を読んでいて,思わず力が抜けるところです。


2 エスマン中尉と「押し付け」憲法論


(1)若き俊秀と敗戦日本
 さて,日本の新憲法における執行権の在り方について,はしなくもハッシー中佐と対立することになったエスマン中尉ですが,コーネル大学のエスマン名誉教授に関するウェッブページでは,日本に進駐して来るまでのエスマン青年の経歴を次のように紹介しています。


 1939年 コーネル大学で政治学(Government)の学士号(A.B.)取得

 1942年 プリンストン大学で政治学(Politics)の博士号(Ph.D.)取得

 194211月に陸軍に入隊

 1944-1945年 ハーヴァード大学において軍政について訓練受講

        (Military Government Training


となっています。

 さすがは大日本帝国。アメリカ合衆国政府も心して,選ばれた俊秀を送り込んできていますね。

 「コーネルだか,プリンストンだか,ハーヴァードだか,博士だかしらんが,まだ27歳の若輩者じゃないか。アメリカ人は長幼の序ということを知らんのか。日本の青年ならばその年齢なら,まだ一人前にものなど言えず,わしら権威者のために,従順におとなしく,献身的に下働きをするものだっ。」という不満も脳裏をかすめたかもしれませんが,現に戦争をしくじった当時の大日本帝国の年配の指導層としては,その「指導」下においてあまた散華させてしまった若者たちのことをも思えば,他国人とはいえ,若いからとて一人前以上の学識ある青年に対して偉そうな態度をとるわけにはいかなかったでしょう。(エスマン中尉については「「民政局に勤務した40〜50人に及ぶ専門家の中でも, 最優秀の逸材の一人でした」と上司であったジャスティン・ウィリアムズ氏はほめちぎってい」たそうです(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川文庫・2014年(単行本1995年))56-57頁。)

 前記ウェッブページによれば,エスマン教授の研究関心分野は,「民族的,人種的及び宗教的多元主義の政治並びに民族紛争の制御過程」,「開発政策管理――主に第三世界諸国における開発計画,施策及び事業の立案及び執行並びに行政制度の確立」,「第三世界諸国における農林漁村地域開発の政治及び行政」などということになっています。同教授は,自国アメリカのことにしか関心がない狭い視野の人物ではなく,むしろ他国の民族,宗教,文化をそれぞれ尊重することの必要性をわきまえた懐の広い人物なのでしょう(1957年から1959年までは南ヴェトナムに,1966年から1968年まではマレーシア政府総理府に派遣されています。)。そして,このことは,日本進駐時の若いころからそうだったのではないでしょうか。アメリカ的価値観及び制度を一方的に押し付けようとする傲慢からは遠いところにいた人物であったようです。


(2)20世紀末の参議院憲法調査会における書面陳述をめぐって

 200052日,第147回国会の参議院第7回憲法調査会において,日本国憲法に係るGHQ草案の起草状況に関する参考人として呼ばれながらも健康上の理由で欠席したエスマン元中尉の予定陳述原稿が代読されており,記録されています。そこには,次のようなくだりがありました。



 当時,私は新憲法起草のために選択された方法には反対を表明した。権威主義的な明治憲法に取ってかわる民主主義を鼓舞する新しい政府の憲章が必要ではあったが,私は民主主義的考えを持つ日本の学者とオピニオンリーダーが新憲法起草の仕事に参画し担うことが重要だと考えた。それができないことには,新憲法は外国から押しつけられたものと見られ,占領時代が終わった後には存続できないと考えたからだ。当時の私は総司令部の中では若い下級将校だったために,私の反対意見は簡単に退けられた。しかし,その後の展開で私の考えが間違っていたことが証明された。すなわち,日本国民の大多数はマッカーサー昭和憲法を自分たち自身のものとして受け入れ,熱心にこれを擁護してきた。その理由は,憲法の条文がぎこちないものであったにもかかわらず,彼らの真の政治的願望を表現しているからである。


 この書面陳述をどう読むべきでしょうか。

 「GHQも自分たちがやっていることが「押し付け」だと明白に認識していたんだ。やっぱり現憲法は押し付け憲法なんだ。」というふうな話を大いに展開するための「つかみ」とすべきか・・・。

 しかしむしろ,エスマン教授が言いたかったのは「私の考えが間違っていたことが証明された。すなわち,日本国民の大多数はマッカーサー昭和憲法を自分たち自身のものとして受け入れ,熱心にこれを擁護してきた。」の部分であったように思われます。「押しつけ」憲法だとして日本人に受け入れられないのではないかとはらはらドキドキ心配していたけど,結果として,あなた方「日本国民の大多数」から喜ばれる大変よい仕事であったわけであった,よかったよかった,というわけです。この安堵をエスマン教授にもたらしたものは,GHQの占領政策を何が何でも正当化しようとする偏狭な独善に基づく主観的自己欺瞞(「諸国法の諸条項の単なる当てはめではない,経世済民の法に係る深いアカデミックな学識と高い哲学的思索とに基づく我が業績は常に真善美と共にあるのであって,男女よろしく余を師と仰ぐべし。」といった類のもの)ではなく,その後の日本現代史に表れた日本国憲法に係る我々日本人の意識及び姿勢の客観的な観察の結果であったようではあります。

 なお,19462月,エスマン中尉が前記の反対意見を述べたために,同中尉はホイットニー民政局長によって直ちにGHQの憲法草案起草チームから「追放」された,というような主張がインターネット上で一部流布しているようですが,どうしたわけでしょう。退けられたのは当該意見だけで,エスマン中尉は憲法草案起草チームに引き続きとどまって大いに活躍しています(ただし, イエスマンならぬEsman中尉は, 強い総理大臣が必要であるとの意見を述べ, 優秀過ぎて煙たがられ, 憲法草案起草の終盤には日光視察という新任務を割り当てられています(鈴木57頁, 267-268頁, 317頁)。組織人としての「見ざる, 聞かざる, 言わざる」🙈🙉🙊の研究でしょうか。)。 (エスマン教授は, 2015年2月7日, 96歳で亡くなりました。)

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 GHQのあった皇居お濠端の第一生命ビル

1 はじめに

 日本国憲法74条は,「法律及び政令には,すべて主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。」と規定しています。

 同条にいう主任の国務大臣の署名及び内閣総理大臣の連署とは何だ,ということが今回の主題です。

 例のごとく,またまた長大なものになってしまいましたが,御寛恕ください。

  ただし,お急ぎの方のために憲法74条の由来に関する本件小咄の主要点のみ述べれば,19462月のGHQ内における日本国憲法の草案作成作業段階においては,①同条の前身規定は,当初は「首相」による法令の公布に関するものであったこと及び②できあがった同条においては主任の国務大臣が署名して内閣総理大臣が連署するということで主従が逆転したような規定になっていますが,この逆転については,GHQ内において強い首相(a strong executive)を設けるべきだとする意見がある程度認められかけて条文が作成された後に逆転があって,連帯責任制の集団である内閣に行政権が属するものとする現行憲法65条等の条文ができた,という流れの中で解釈論を考える必要性があるのではないか,ということです。


2 政府の憲法74条解釈


(1)現行解釈

 憲法74条の署名及び連署は,官庁筋においては,次のように解されています。

 


・・・主任の国務大臣の署名が,当該法律又は政令についての執行責任(この場合の「執行」とは,憲法73条でいう「執行」と同様に,法律制定の目的が具体的に達せられるために必要と考えられるあらゆる措置をとることをいうと考えられる。)を明らかにするものであるのに対して,内閣総理大臣の連署は,内閣の首長であり,代表者である資格において,その責任を明らかにするためにするものである。内閣総理大臣も,その法律又は政令について「主任の国務大臣」である場合は,署名の順位は,内閣総理大臣を冒頭とし,その他の主任の大臣は,これに次ぐものとする取扱いである。・・・(吉国一郎ほか共編『法令用語辞典
<第八次改訂版>』(学陽書房・2001年)759頁)


・・・右の署名とは自らその氏名を記すことをいい,連署とは他の者の署名に添えて自らその氏名を記すことをいう。法律及び政令について,主任の国務大臣の署名及び内閣の首長たる内閣総理大臣の連署が必要とされるのは,法律にあってはその執行の責任を,政令にあってはその制定及び執行の責任を明らかにするためにほかならない。(前田正道編『ワークブック法制執務<全訂>』(ぎょうせい・1983年)26頁)


・・・「副署」は,憲法74条によつて法律及び政令についてされる主任の国務大臣の「署名」及び内閣総理大臣の「連署」とは,その性質を異にする。前者は,内閣の助言と承認があつた証拠としてされるものであり,後者は,法律及び政令の執行責任・・・を明らかにするためにされるものである。したがつて,法律及び政令については,まず主任の国務大臣の署名及び内閣総理大臣の連署がされた後,その公布をするについて更に天皇の親署に添えて内閣総理大臣の副署がされることが必要である(なお,公布されるべき条約についても,同様の取扱いがされており,憲法改正の際にも同様の取扱いがされるべきものであろう。けだし,憲法改正及び条約についても,法律及び政令の場合と取扱いを異にすべき理由はないからである。)。(吉国ほか・前掲643頁)


 法律及び政令を公布するに当たって必要とされる主任の国務大臣の署名及び内閣総理大臣の連署は,法令の末尾においてされる。(前田・前掲660頁)


 そもそもにさかのぼると,1946921日,第90回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会において,子爵松平親義委員の質疑に対する金森徳次郎国務大臣の答弁は,次のとおりでした。



・・・今回の法律及び政令と,是は天皇の御裁可を本質的には要しないものであります,公布は天皇の御権能に属して居りまするけれども,決定は天皇の御権能に属して居りませぬ,そこで国務大臣が署名すると云ふことは,在来の如く,
法律勅令の裁可に対する輔弼と云ふ意味を直接には持ち得ない訳でありますけれども,既に法律及び政令が出来ますれば,それに対して十分執行の責任を負はなければならぬのであります,法律に付きましては,是はまあ国会で出来ましたものでありますから,執行責任と云ふことに重点が置かれるものと思ふのであります,政令に付きましては,是は内閣が議決したものでありますが故に,其の方面の責任と,執行の責任と云ふものを明かにする何等かの形式上の要請があると思ひます,併し是は勿論署名したから責任が出るかと云ふことではありませぬけれども,署名した限りは,責任の所在は非常にはつきりして居る,詰り自分の知らない書類ではありませぬ,署名すれば必ず中身に付いて熟知して判断して居る筈でありますから,それで法律の場合には執行責任を明かにすることになり,政令の場合にはその制定と執行との両面に於て,責任を或意味に於て明かにする,斯う云ふ効果を持つものと考ふる次第であります(第90回帝国議会帝国憲法改正案特別委員会議事速記録第1941頁。原文は片仮名書き)


 法律の執行責任については,従来は,大日本帝国憲法6条(「天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」)に関して「併し法律の執行を命ずる行為は,各個の法律に付いて別々に行はるのではなく,官制現在の各省設置法等に対応に依つて一般的に命ぜられて居るに止まる。官制に依り法律を執行すべき職務を有つて居る者は,各個の法律に付き特別の命令あるを待たずして,当然にその執行の任に当るのである。」とされていたのですが(美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣・1927年)178頁),敗戦を経ると,やはり,国務大臣以下敗戦国政府の行政各部がちゃんと法律を執行するのか信用ならぬ,署名せよ,ということになったのでしょうか。

 また,金森国務大臣の答弁がところどころにおいて,「ものと思ふのであります」,「あると思ひます」,「或意味に於て」等断定口調になり得ていないのは,同国務大臣が自ら起草したわけではないことによる心のひるみの現れでしょうか。

 この点,確かに,大日本帝国憲法改正案の帝国議会提出に先立って,政府の法制局内部においても,見解は当初から一定のものとして確立してはいなかったようです。


(2)政府解釈確立までの揺らぎ


ア 1946年4月

 大日本帝国憲法改正案審議に向けた,19464月の法制局の「憲法改正草案逐条説明(第4輯)」には,いわく。



70日本国憲法74

 本条は法律及び政令の形式の一端を規定致したものでありまして,此等には,すべて主任の国務大臣が署名し尚内閣総理大臣が連署すべきものと致したのであります。これは,特に政令については,現行制度の下に於ける副署と同じ様に国務大臣の責任を明ならしめるものであると共に,国の法律及び政令としての体を整備せしめんとするものであります。


 (なお,以下,日本国憲法制定経緯に係る関係資料については,国立国会図書館ウェッブサイト電子展示会「日本国憲法の誕生」参照。関係資料がこのように使いやすい形で提供されている以上は使わなければならず,便利であるということはかえって大変になるということでもあります。) 


 「現行制度の下に於ける副署と同じ様に国務大臣の責任を明ならしめるものである」というのは,「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」と規定する大日本帝国憲法552項の規定に係る国務大臣の責任と同じ,ということでしょうか。しかし,同項の副署に係る国務大臣の責任は,統治権の総攬者にして神聖不可侵である天皇に対する輔弼責任でしょう。上記「逐条説明」の文言は,日本国憲法下では,ちょっと問題のある言い回しのようです。

 帝国憲法552項については,「副署を為した大臣はそれに依つて当然その責任者であることが証明せられるのであるが,副署に依つて始めて責任を生ずるのではなく,輔弼したことに因つて責任を生ずるので,輔弼者としてその議に預つた者は仮令副署せずとも,その責を免ることを得ないのである。此の点に於いても,憲法義解に『副署ハ以テ大臣ノ責任ヲ表示スヘキモ副署ニ依テ始メテ責任ヲ生スルニ非サルナリ』と曰つて居るのは,正当な説明である。」(美濃部・前掲519-520頁),「副署は輔弼を外形的に証明するもので,輔弼の範囲と副署すべき範囲とは当然一致しなければならぬことは,言ふまでもない。」(同516頁)と説明されていました。『憲法義解』の解説は,「大臣の副署は左の二様の効果を生ず。一に,法律勅令及其の他国事に係る詔勅は大臣の副署に依て始めて実施の力を得。大臣の副署なき者は従て詔命の効なく,外に付して宣下するも所司の官吏之を奉行することを得ざるなり。二に,大臣の副署は大臣担当の権と責任の義を表示する者なり。蓋国務大臣は内外を貫流する王命の溝渠たり。而して副署に依て其の義を昭明にするなり。」となっています。

 「特に政令」といわれているのは,政令という法形式が日本国憲法によって初めて導入されたからでしょう。


 また,同じく19464月付けの法制局「憲法改正草案に関する想定問答」(第6輯)には日本国憲法74条の規定について,次のように記されていました。



問 法律の署名は,いかなる意味をもつか。

答 法律は,原則として,両院の可決のあつたときに成立する(5559)。

 そこでこの署名は法律成立後の手続となるのであるが,法律公布の際,天皇に対し補佐と同意に任ずる者は,内閣であるし,又法律を施行し,その実施のための政令を制定するのも,内閣であるので,成立後主任の大臣に副署させ,成立の事実を確認して,次の事実に移らせることとしたのである。


問 政令はこの署名のあつたときに成立するか。

答 然り,この点法律と異なる


問 主任の国務大臣の意義如何

答 各国務大臣は,それぞれ主務をもつことを予定した規定である。従つて各省大臣の制か,これに近き制度が新憲法でも考へられてゐると見ねばならない。なほ内閣総理大臣もその主務については,ここにいはゆる主任の国務大臣であることは,言をまたない。


問 内閣総理大臣の連署はいかなる意味か。

答 内閣総理大臣は内閣の首長だからであるとともに,またその行政各部の指揮監督権に基くものである。


 2番目の問答では,政令は主任の国務大臣の署名(及び内閣総理大臣の連署)があった時に成立するものとしていますが,この見解は,帝国議会における前記の金森国務大臣答弁においては放棄されています(「既に法律及び政令が出来ますれば」,「政令に付きましては,是は内閣が議決したもの」)。 

 1番目の問答には,「法律公布の際,天皇に対し補佐と同意に任ずる者は,内閣であるし」及び「副署」という文言があります。憲法74条の署名及び連署は天皇の公布行為に対する助言と承認の証拠であるという方向での解釈のようです。ここでの副署の語は,「西洋諸国のcounter-signature, contreseing, Gegenzeichnungの制に倣つたもので,副署とは天皇の御名に副へて署名することを謂ひ,単純な署名とは異なり,御名の親署あることを前提とするのである。」という解説(美濃部・前掲514頁)における意味で使われているものでしょう。


イ 1946年6月

 現在は,天皇に対する内閣の助言と承認に係る内閣総理大臣の副署と憲法74条の署名及び連署とは別のものであるという整理になっていますが,当該整理に至るまでには,なかなか時間がかかっています。

 19466月の法制局の「憲法改正草案に関する想定問答(増補第1輯)」には,なお次の記述(「備考」の部分)があります。



問 国務大臣が,天皇の行為に副署する規定をなぜ置かぬか。(現行
帝国憲法55Ⅱ参照

答 副署といふ制度は,内閣の助言と承認のあつたことの公証方法として今後もこれを残すことは考へられる。しかしかかる形式的制度は,憲法に明文ををく必要はなく,公式法とでもいつた法律で規定すれば十分である。

(備考)

 なほ法律及び政令については,70日本国憲法74の署名及び連署と公布の副署とをいかに考へるか研究を要する。


 憲法改正草案は19464月から5月にかけて既に枢密院審査委員会にかけられていたのですが,6月になっても依然考え中です。ちなみに,当該審査委員会においては,日本国憲法74条の署名及び連署についての直接の議論はありませんでした。


3 学説の憲法74条批判

 憲法74条の署名及び連署について,政府当局は苦心の末現行解釈にたどり着いたわけですが,苦労するということは実はそもそもの条文に問題があるということで,せっかくの苦労にもかかわらず,結局同条はよく分からん,という次のような学説の批判があります(宮沢俊義著・芦部信喜補訂『全訂 日本国憲法』(日本評論社・1978年))。



 法律および政令に対し,「主任の国務大臣」が署名することが,どういう意味をもつかは,かならずしも明確でない。

 法律についていえば,法律の制定者は国会である。したがって,制定者として署名するならば,国会の代表者としての衆議院議長が署名するのが適当であり,「主任の国務大臣」の署名は適当でないと考えられる。法律を執行することは,内閣の職務であるから,その法律の執行の責任者を示すことが趣旨であるならば,その内閣の代表者としての内閣総理大臣が署名することが適当と考えられるであろう。本条が特に「主任の国務大臣」の署名を必要としているのは,内閣の指揮監督のもとにおいて,その法律の執行を分担管理する責任者としての署名ということになるのであろう。(582頁)


 政令は内閣が制定するものであるから,制定者を明らかにするためには,内閣の代表者としての内閣総理大臣の署名が適当であると考えられる。それに対して「主任の大臣」の署名を必要とするのは,法律の場合についてのべられたと同様の趣旨と解するほかはない。(583頁)


 本条の定める「署名」または「連署」は,「主任の国務大臣」および内閣総理大臣にとって義務であり,これを拒否することは許されない。法律または政令は,それぞれ国会または内閣によって制定されるものであり,それらによって議決された以上,完全に成立したものである。本条に定める「主任の国務大臣」および内閣総理大臣の「署名」および「連署」は,まったく形式的なものにすぎず,これを拒否することはできないものと見るべきである。(584頁)


・・・「主任の国務大臣」または内閣総理大臣の署名または連署の有無が,その効力に影響をおよぼし得るものと解するのは妥当ではない。本条のいう「主任の国務大臣」の署名および内閣総理大臣の連署は,単に公証の趣旨をもつだけであり,それが欠けたとしても(実際問題としては,ほとんど生じ得ないことであるが),その効力には関係がないと見るのが正当であろう。(584頁) 


 かように,公布文における天皇の署名および内閣総理大臣の副署のほかに,本条による署名および連署が必要とされる理由は,十分とはいえないようである。

 ・・・要するに,本条の趣旨は十分に明確とはいいがたい。

 さきに指摘されたように,もしそれが制定者による公証の意味であるならば,法律の場合は,国会を代表して衆議院議長が署名するのが相当であろうし,政令の場合は,内閣を代表して内閣総理大臣が署名するのが相当であろう。また,執行の責任者としての公証の趣旨であるならば,行政権の主体である内閣の代表者としての内閣総理大臣が署名するのが相当であろう。すくなくとも,まず内閣総理大臣が署名し,第二次的に,主任の国務大臣が署名(連署)するほうが合理的なようにおもわれる。(585頁)


4 憲法74条の制定経緯


(1)1946年3月以降の案文の変遷

 法令における変な条文というのは,畢竟,その制定経緯に原因があります。

 そこで,日本国憲法74条の由来をさかのぼって行きましょう。

 同条の規定は,194632日の日本政府の憲法案(「松本烝治国務大臣案」)において既に次のようにあります。



77条 凡テノ法律及命令ハ主務大臣署名シ,内閣総理大臣之ニ副署スルコトヲ要ス


 同月4日から5日にかけてのGHQにおける法制局の佐藤達夫部長とGHQ民政局(Government Section)との折衝においては,「同年213日のGHQ草案66条(同年36日の要綱第70)問題ナシ 松本案ニアリ」ということで(佐藤達夫「三月四,五両日司令部ニ於ケル顛末」),その結果,日本政府の憲法改正草案要綱(同月6日)では次のとおりとなっています。



70 法律及命令ハ凡テ主務大臣署名シ内閣総理大臣之ニ副署スルコトヲ要スルコト


 現在の第74条の姿となったのは,194645日の口語化第1次草案で,これが同月17日に憲法改正草案として発表されています。次のとおり。



70条 法律及び政令には,すべて主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。


 英文は,次のとおり。



All laws and cabinet orders shall be signed by the competent Minister of State and countersigned by the Prime Minister.


 上記憲法改正草案70条(現行憲法74条)と同年36日の要綱とは,「命令」が「政令」に代わったところが大きな変化ですが,これは同年42日に法制局幹部がGHQに民政局次長のケーディス大佐を訪問して了解を取ったようで,同日の訪問に係る「要綱の一部訂正の入江・佐藤・ケーヂス会談の覚」に挟まれた英文記載紙に"Following the discussion at the GHQ we have studied the draft constitution and desire to present the following observations:……Article 70. "Orders" is understood to be "cabinet orders"."とタイプ打ちされていました。


 結局,憲法74条の淵源は,1946213日に日本政府に交付されたGHQ草案66条にあって,「松本烝治国務大臣案」以降それが踏襲されているわけです。松本国務大臣が既に呑んでいたのですから,同年34日から5日にかけての折衝で「問題ナシ」であったのは当然でした。


(2)1946年2月のGHQ草案


ア 案文

 1946213日のGHQ草案66条は,次のとおりでした。



Article LXVI. The competent Minister of State shall sign and the Prime Minister shall countersign all acts of the Diet and executive orders.


一切ノ国会制定法及行政命令ハ当該国務大臣之ヲ署名シ総理大臣之ニ副署スヘシ(外務省罫紙の日本政府仮訳) 


イ ピーク委員会における案文作成

 GHQ民政局のPublic Administration Division内における憲法改正草案起草のための執行部担当委員会(The Committee on the Executive. Chairman: Cyrus H. Peake)での検討の跡を見てみましょう(Hussey Papers: Drafts of the Revised Constitution)。

 なお,同委員会委員長のサイラス・ピークは,コロンビア大学教授であったそうで(児島襄『史録 日本国憲法』(文春文庫・1986年(単行本は1972年))270頁),インターネットを調べると,同氏は,1933年には『フォーイン・アフェアーズ』誌に"Nationalism and Education in Modern China"という論説を発表しており,1961年にはコロンビア大学の企画に応じて,日本占領の思い出についてインタヴュー記録を残しているようです。

 さて,憲法74条に相当する条項のピーク委員会における最初の案は,タイプ打ちで次のとおりでした。



Article 8. Acts of the legislature and Executive Orders shall be promulgated by the Prime Minister after they are signed by him and countersigned by the competent Minister of State.

(第8条 立府部制定法及び執行部命令は,Prime Minister(首相)によって署名され,及び主任の国務大臣によって副署された後に,首相によって公布される。)


 これが,手書きで次のように直されて,日本国政府に交付されたGHQ草案になったようです(手書き部分はイタリック)。



Article 
6.  Acts of the Diet and Executive Orders shall be signed by the competent M. of State & countersigned by the P.M.

(第6条 国会制定法及び執行部命令は,主任の国務大臣によって署名され,及び首相によって連署されるものとする。)


 民政局のホイットニー局長に提出された報告書では,清書されて,次のようになっていました。



Article XXXIII. Acts of the Diet and executive orders shall be signed by the competent Minister of State and countersigned by the Prime Minister.


 単純に見ると,元々は法律及び命令の公布に関する規定ですね。執行部担当委員会では当初,法律及び命令はPrime Minister(首相)が公布(promulgate)するものと考えていたようです。

  (なお,"Prime Minister"をどう訳すかも実は頭をひねるところで,伊東巳代治による『憲法義解』の英訳では,内閣総理大臣は"Minister President of State"であって"Prime Minister"ではありません。そして,最初の日本政府のGHQ草案仮訳ではPrime Ministerは「総理大臣」であって,「内閣総理大臣」ではありませんでした。また,議院内閣制の本家である英国の首相のofficial title"First Lord of the Treasury"であると同国庶民院はウェッブサイトで紹介しており,10 Downing StreetFirst Lord of the Treasuryの官邸であると同国政府のウェッブサイトは説明しています。)

 これが,主任の国務大臣の署名及び首相の副署ないしは連署(countersign)のみに関し規定し,公布については言及しない形の条項となったのは,法律及び政令は天皇が御璽を鈐して公布(proclaim)するという天皇,条約及び授権担当委員会(Emperor, Treaties and Enabling Committee)の次の条項(手書きで"1st draft"と記入あり。前掲Hussey Papers: Drafts of the Revised Constitution)との調整の結果,修正されたものでしょうか。



Article V. The Emperor's duties shall be:

To affix his official seal to and proclaim all Laws enacted by the Diet, all Cabinet Ordinances, all Amendments to this Constitution, and all Treaties and international Conventions;以下略

(第5条 天皇の義務は,

国会によって制定されたすべての法律,すべての内閣の命令,すべての憲法改正,並びにすべての条約及び国際協定に御璽を鈐し,並びに布告すること。以下略


 GHQによる日本国憲法草案の作成作業の開始に当たって194624日に行われた民政局の冒頭会議の議事記録(Summary Report on Meeting of the Government Section, 4 February 1946)の自由討議の概要(Points in Open Discussion)として,「憲法の起草に当たっては,民政局は,構成,見出し等(structure, headings, etc.)については現行の日本の憲法に従う。」,「・・・新しい憲法は,恐らく英国のものほど柔軟なものであるべきでない。なぜならば,英国のものは,憲法的権利についての単一かつな基本的な定義(single and cardinal definition of constitutional rights)を有していないからである。しかし,フランスのものほど精細に起草されたものではあるべきではない(but less precisely drawn-up than the French)。」などという発言が記録されていますから(児島・前掲269頁によればケーディス大佐の発言),GHQとしては,少なくとも成文憲法として,大日本帝国憲法及びフランスの憲法は参照したようです。

 そうなると,GHQ草案66条は,やはり,「凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」と規定する大日本帝国憲法552項の規定を引き継いだものと解すべきでしょうか。同項の伊東巳代治による英訳は,次のとおり。



All Laws, Imperial Ordinances and Imperial Rescripts of whatever kind, that relate to the affairs of the State, require the countersignature of a Minister of State.


 公式令61項によれば「法律ハ上諭ヲ附シテ之ヲ公布ス」るものとされ,同条2項は「前項ノ上諭ニハ帝国議会ノ協賛ヲ経タル旨ヲ記載シ親署ノ後御璽ヲ鈐シ内閣総理大臣年月日ヲ記入シ之ニ副署シ又ハ他ノ国務各大臣若ハ主任ノ国務大臣ト倶ニ之ニ副署ス」と規定していました。帝国憲法552項は,法律の公布に係る同憲法6条と関連した規定だったわけです。

 フランス第三共和政の1875225日の公権力の構成に関する法律3条は,大統領は「両議院によって可決されたときは法律を公布し,それら法律に注意し,かつ,それらの執行を確保する。」,「共和国大統領のすべての文書は,大臣によって副署されなければならない。(Chacun des actes du président de la République doit être contresigné par un ministre.)」と規定していました。同法6条によれば,大臣が政府の一般政策について両議院に対して連帯して責任を負うものとされる一方,大統領は国家反逆罪の場合以外は無答責とされているので(Le Président de la République n'est responsable que dans le cas de haute trahison.),同法3条の大臣の副署は,輔弼の副署ということであったようです。

 

 法律の公布をだれが行うかは,ピーク教授が気にしていたところです。GHQにおける日本の憲法草案起草作業開始直後の194625日の民政局の会議で,次のようなやり取りがありました(Ellerman Notes on Minutes of Government Section, Public Administration Division Meetings and Steering Committee Meetings between 5 February and 12 February inclusive)。



 ピーク氏が,執行権者(the executive)のいくつかの権限について,憲法に書き込むべきかどうかの問題を提起した。例えば,執行権者が首相の任命を宣すべきことを明記すべきかどうか?執行権者がすべての法律に押印し,それらを彼の名で公布する(promulgate)のか?ケーディス大佐は,これらの比較的重要でない権限は明記されるべきものではないと発言した。もしそれらの事項が憲法に書かれてしまうと,将来の手続変更は正式の憲法改正によってしかできないことになると。ハッシー中佐は,天皇又は執行権者は立法府に責任を負う内閣(Cabinet)の助言と承認とに基づいてのみ行為するということが明確に示されれば,国璽を鈐すること(the affixing of the state seal)は儀礼的手続と同様のものになる,と指摘した。


 アルフレッド・R・ハッシー中佐は,主に会社法専攻の民事弁護士であったそうです(児島・前掲270頁)。

  ピーク教授の委員会は,ハッシー中佐の意見を採り入れて,まず天皇ではなく内閣の首相(Prime Minister)を執行権者(the executive)として法律の公布者とした上で,当該公布に対する責任を明らかにするために主任の国務大臣による副署(countersigned by the competent Minister of State)を要するものとする第1次案を作成したのでしょうか。これは一つの仮説です。


ウ 強い首相の個人責任か内閣の集団責任か(エスマン中尉対ハッシー中佐)

 当初は首相が署名して主任の国務大臣が副署するものとされていたピーク委員会の案が,主任の国務大臣の署名があってそれに首相が連署するものという主従逆転の形になったことについては,GHQ草案作成の最終段階である1946212日の運営委員会(Steering Committee)における, 修正後草案の見直しに係る下記の逆転劇の前段階におけるピーク委員会における整理について考えるべきものと思われます。

 当該逆転劇の前提段階における事情としては,上記会合に先立つ同月8日の運営委員会とピーク委員会との打合せにおいて,ピーク委員会のミルトン・J・エスマン中尉が「執行権(the executive power)は,彼の内閣(his Cabinet)の首長としての首相に明確に属すべきものであって,集合体(a collective body)としての内閣に属すべきではない。」と強い執行権者(a strong executive)を求めて頑張り,ケーディス大佐及びピーク教授は同意はしなかったものの,ケーディス大佐は譲歩はして,「明確に他に配分されていない執行権(the residual executive power)は首相に属すべきものとし,執行権の章の最初の条は"The executive power is vested in the Cabinet."から「執行権は,内閣の首長としての首相に属する。(The executive power is vested in the Prime Minister as the head of the Cabinet.)」となるように改めればよい」と勧告していたところです。

  ケーディス大佐の上記譲歩を得て,ピーク委員会は勇躍,最終報告書作成に向けて,次のような修正案を起草します(以下この修正を「エスマン修正」といいましょう。)。

 まず,執行権の所在。執行権は,内閣にではなく,「他の国務大臣とともに内閣を構成する首相」に属するものとされます。


 The executive power is vested in the Prime Minister who together with other Ministers of State shall constitute the Cabinet. In the exercise of its power the Cabinet shall be collectively responsible to the Diet.

(執行権は,他の国務大臣とともに内閣を構成する首相に属する。その権限の行使において,内閣は,国会に対し連帯して責任を負う。)


 執行権者は首相なので,現行憲法731号(内閣は「法律を誠実に執行し,国務を総理する」。)及び第6号(内閣による政令の制定)に相当する規定は,主語が異なり,内閣の首長としての首相が主語になっています。


 In addition to other executive responsibilities, the Prime Minister as the head of the Cabinet shall:

  ...

 Faithfully execute laws and administer the affairs of State;

  ...

  Issue orders and regulations to carry out the provisions of this Constitution and the law, but no such order or regulation shall contain a penal provision;

 ...

(他の執行上の任務のほか,首相は,内閣の首長として,・・・法を誠実に執行し,及び国務を総理する・・・この憲法及び法律の規定を実行するために命令及び規則を発する。ただし,当該命令又は規則には罰則を設けることができない・・・)


 以上のような条項が設けられた一方,現行憲法74条に相当する条項は,既にこの段階で現在の姿に近い形に出来上がっていました。


 Acts of the Diet and executive orders shall be signed by the competent Minister of State and countersigned by the Prime Minister.

(国会制定法及び執行部命令は,主任の国務大臣によって署名され,及び首相によって連署されるものとする。)


 「エスマン修正」によれば,法の執行及び執行部命令の発出は内閣ではなくその首長である首相の任務なので,上記条項における主任の国務大臣の署名は,閣外に向けた意義を有するものというよりも,まず首相向けのものでしょう。国会に対する内閣の連帯責任とも関係はするのでしょうが,第一には閣内統制手続ということになりそうです。この考え方の元となるべき発想は,「エスマン修正」前のピーク委員会の当初の原案における,首相と国務大臣との関係についての次のような規定に既に表れていたというべきでしょう。



 The Prime Minister and his Cabinet discharge the following functions:

  ...

  See that the laws are faithfully and efficiently enforced. The efficient management of public business by the Ministers of State shall be his ultimate responsibility.

  ...

(首相及びその内閣は,次の事務を行う。・・・法律が誠実かつ効率的に施行されるようにすること。国務大臣による公務の効率的運営について,首相は最終責任を負う。・・・)


 Each Minister of State shall be guided by and personally responsible to the Prime Minister for the administration of his department.

(各国務大臣は,その主任の行政部門の管理について,首相の指示を受け,かつ,個別に首相に責任を負う。)


 ピーク委員会の案においては,章名は「執行権(The Executive)」とされていたので,その点執行権者が首相であっても問題がなかったところです。この点,GHQ草案以降は章名が「内閣(The Cabinet)」になってしまい,「エスマン修正」的考え方の余地が無くなっています。

 同月12日の運営委員会で,ハッシー中佐が,上記「エスマン修正」を覆します(児島・前掲294頁参照)。



 金曜午後の「執行権」についての会合に出席していなかったハッシー中佐が,文言の修正に対して重大な反対を表明した。ハッシー中佐は,我々は国会に連帯して責任を負う内閣制度(a cabinet system collectively responsible to the Diet)を設立しなければならないものであって,首相であろうが天皇であろうが,独任制の執行権者によって支配される政府の制度(a system of government dominated by the individual executive)を設立してはならない,と主張した。集団的ではなく個人的な責任(individual rather than collective responsibility)は,SWNCC228に反するばかりではなく,日本において物事がなされる流儀に全く一致しないのである(entirely inconsistent with the way things are done in Japan)。執行権の章の第1条は,最初の形の「執行権は,内閣に属する。(The executive power is vested in a Cabinet.)」に戻された。


 日本人は集団主義者であるから,個人責任には耐えられないだろう,ということでしょうか。

 ハッシー中佐は,親切な人だったのでしょう。

 ハッシー中佐による上記再修正によって振り子が逆方向に大きく振れて首相権限縮小の方向で見直しがされたので,法律命令すべてを首相一人が個人責任を負う形で署名するのは精神的,更には肉体的に耐えられないだろうから,主任の国務大臣にそれぞれ署名を割り振って首相は連署にとどまるということにすれば集団責任的でよいではないか,という発想で現行憲法74条の文言をあるいは解釈し直すべきことになったのではないか,という仮説が,ここで可能になるように思われます。(とはいえ,そもそもの「エスマン修正」をも踏まえて考えると,現在の政府の憲法74条解釈は,なかなか落ち着くべきところに落ち着いているようでもあります。)

 ちなみに,主任の国務大臣は,GHQ草案では,現行憲法の条項におけるものよりも国会に対してより直接的に責任を負い得るような形になっていました。すなわち,日本政府の仮訳で説明すると,「国会ハ諸般ノ国務大臣ヲ設定スヘシ(The Diet shall establish the several Ministers of State.)」(第552項),「内閣ハ其ノ首長タル総理大臣及国会ニ依リ授権セラルル其ノ他ノ国務大臣ヲ以テ構成ス(The Cabinet consists of a Prime Minister, who is its head, and such other Ministers of State as may be authorized by the Diet.)」(第611項),「総理大臣ハ国会ノ輔弼及協賛ヲ以テ国務大臣ヲ任命スヘシ(The Prime Minister shall with the advice and consent of the Diet appoint Ministers of State.)」(第621項)のような条項が存在していました。

 なお,SWNCC228はアメリカ合衆国の国務・陸軍・海軍調整委員会(State-War-Navy Coordinating Committee)のGHQあて指令文書「日本の統治体制の改革(Reform of the Japanese Governmental System)」(19461月7日改訂)で,そこでは,天皇制が維持される場合には,代議制立法部の助言と同意によって選ばれた国務大臣らが,立法部に連帯して責任を負う内閣を組織すべきもの(That the Ministers of State, chosen with the advice and consent of the representative legislative body, shall form a Cabinet. )とされていました(4.d.(1))。ここで国務大臣を任命する者としては,やはり通常の立憲君主制の例に倣い,天皇が想定されていたのでしょうか。憲法上のPrime-Ministershipは,ピーク委員会の発意によるものだったようです。SWNCCは,形式的とはいえ執行権者が天皇である場合を想定しており,執行権者を民主的正統性を持つPrime Ministerにする可能性までは考えていなかったとすれば,エスマン中尉的な強力な首相制度も,前提が異なるのであるからあえてSWNCC228に反するもの(hostile)ではないと解する余地があったように思われます。そうであれば,1946212日の運営委員会において現行憲法65条の規定を実質的に確定したハッシー中佐の議論の結局の決め手は,「日本において物事がなされる流儀」だったということが言い得るようにも思われます。

  ところで,エスマン中尉は,1918915日ペンシルヴァニア州ピッツバーグ市生まれで当時は27歳。実は問題の1946年2月12日には職務命令で日光観光中でした(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川文庫・2014年(単行本は1995年))317頁,267-268頁)。現在はコーネル大学の政治学名誉教授として,まだ存命のようです。((注)2015年2月7日に96歳で亡くなりました。)


5 おわりに:現代日本に生きる「良き伝統」


(1)自由民主党改憲草案

 ここで,「占領体制から脱却」した「自主憲法」を制定すべく2012427日に自由民主党が決定した同党の日本国憲法改正草案を見ると,第65条は「行政権は,この憲法に特別の定めのある場合を除き,内閣に属する。」と,第74条は「法律及び政令には,全て主任の国務大臣が署名し,内閣総理大臣が連署することを必要とする。」となっています。

 第74条は平仮名を漢字に改めただけですね。(しかし,非常事態における法律に代わる政令について,特別の規定は不要なのでしょうか。)

  第65条の改正については,これは,会計検査院及び地方自治の存在との関係をはっきりさせるためだけのものだというのならば,現在と実質的な変りはないということになります。しかし,これは,新たに規定されようとしている内閣総理大臣の権限,すなわち国防軍の最高指揮官としての権限,衆議院の解散の決定権及び行政各部の指揮監督・総合調整権との関係で改められるものとされています。これらの権限は,内閣総理大臣が内閣とは独立に行使するものとされているものです。確かに,天皇による衆議院の解散に対する「進言」は,内閣ではなく内閣総理大臣が単独でするという規定になっています(しかし,衆議院解散の進言について「内閣総理大臣がその責任を負う」とまで書いてないのはなぜでしょうか。天皇が責任を負うわけにはいかないので,やはり内閣が連帯責任で責任をかぶるのでしょうか。それとも,どうせ総選挙後に総辞職するからいいんでしょうか。)。そうであれば,内閣総理大臣は,憲法上,内閣の首長及び国務大臣であるだけの存在ではないことになるのでしょうから,第5章の章名が「内閣」のままでよいことにはならないのではないでしょうか。「内閣総理大臣及び内閣」とでも改めた方がよいのではないでしょうか。

 ただし,第5章の章名に変更がない以上は,上記の例外を除けば,いずれにせよ,「日本において物事がなされる流儀」である集団責任主義は,やはり,「和を尊び」,「互いに助け合う」我が国のなお「良き伝統」であるもの(自由民主党改憲草案の前文参照)として,少なくとも形式的には原則として尊重されているように思われます。

 ところでちなみに,現在の諸六法においては,日本国憲法及び大日本帝国憲法のいずれについても上諭が掲載され,それぞれ副署した吉田内閣及び黒田内閣の全閣僚の名前が冒頭において壮観に並ぶということになっています。しかしながら,現在の運用を前提にした現行憲法74条が憲法改正の場合にも類推適用されるとすれば,成立した憲法改正に係る天皇の公布文に副署者として名前が出るのは内閣総理大臣だけで,閣僚の署名は末尾に回るということになります。しかも,日本国憲法の改正手続に関する法律1411号などを見ますと,憲法改正案とは別にその新旧対照表が存在するものとされていますから,憲法の一部改正案は「改める」文によって作成されるもののように思われます。すなわち,そうであると,憲法の一部改正も「溶け込み方式」によるわけでして,苦心の末日本国憲法を改正し,各閣僚が力を込めてその末尾に署名をしてみても,憲法がいったん「溶け込み」を受けてしまうとそれらは行き場を失い,六法編集者によって,公布文ともども無情にも切り捨てられる運命をたどることになるようです(憲法改正の附則中の必要部分は編集者の判断を経て掲載されるでしょうが。)。「溶け込み」を受けつつも,「マッカーサー憲法」は形式においてなお健在というような出来上がりの姿になります。内閣の全精力を傾けてせっかく憲法を改正しても,だれの名前も六法には残らずに,結局相変わらず吉田内閣の閣僚名が冒頭に鎮座するというのでは,ちょっと悔しく,がっかりですね。そうであれば,全部改正の形式を採るべきか(しかし,自由民主党自身シングル・イシューごとの改正になろうと考えているようで,全部改正ということにはならないようです。また,国会法68条の3),又は帝国憲法時代の皇室典範が皇室典範増補という形で改正を受けたように,日本国憲法増補というような形式を考えるべきか。確かに,少なくとも,「日本国憲法の一部を改正する憲法案」という議案名や「日本国憲法の一部を改正する憲法」という題名は,ちょっと耳慣れないですね(「憲法改正」ということになるのでしょう。)。憲法96条2項の「この憲法と一体を成すものとして」という規定も考慮する必要があります。アメリカ合衆国憲法の改正は, 増補方式ですね。

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(黒田清隆銅像・札幌市大通公園)

(2)和を尊び,互いに助け合う日本人

 ところで,世界に冠たるそのharakiriが米国でも有名なはずの日本人が,個人責任主義者であると錯覚されなかったのはどういうことだったのでしょう。ハッシー中佐は,日本人のハラキリは,個人責任の結果ではなく,実は集団主義の意地悪のしわ寄せの結果なのではないか,と見るような,うがった観察眼を持つ嫌味な人物だったのでしょうか。しかし,そのような嫌味な知性の働きは,少なくとも今の日本社会では,パワハラでしょう。

 和を尊び,互いに助け合う日本人。

 しかし,皆が優秀,正直かつ優しく麗しくて,仕事は順調,したがって,割拠独善反目嫉視悪口告げ口サボタージュ,出る釘を叩き打ち,足を引っ張るなどは思いもよらず,そもそも鬱病になるような人など更に無い理想社会のお花畑にあっては,因果な話ではありますが,弁護士は居場所が無くなってしまうかもしれません。痛し痒しです。しかし,ハッシー弁護士ならば,「そりや洋の東西を問わず,杞憂だよ。日本人には独特なところもあるけど,だからといって特別上等なわけじゃないよ。」と嫌味に笑ってすましてくれたような気がします。

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