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1 「双務契約」

 我が民法(明治29年法律第89号)中の重要概念として,「双務契約」というものがあります。同法533条及び553条,破産法(平成16年法律第75号)531項,551項及び2項並びに14818号等に出て来る語です。平成29年法律第44号による改正(202041日から(同法附則1条,平成29年政令第309号))によって削除される前の民法534条及び535条にも出て来ていたところです。

 なお,平成29年法律第44号による改正前の民法5361項は「前2条〔第534条及び第535条〕に規定する場合を除き,当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債務者は,反対給付を受ける権利を有しない。」と規定しており,現在の同項は「当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務を履行することができなくなったときは,債権者は,反対給付の履行を拒むことができる。」と規定していますが,この民法536条の適用のある契約は双務契約であるものと一般に説かれています(内田貴『民法Ⅱ 債権各論』(東京大学出版会・1997年)62-63頁等)。しかし,同条に「双務契約」との明文はありません。ある債務と対になる「反対給付」(の債務)の語の存在でもって,「双務契約」との語がなくとも双務契約関係にあることが分かるということでしょうか。当該「反対給付」のフランス語は,富井政章及び本野一郎の訳によれば,“la contre-prestation”です。

 民法に双務契約の定義規定が無いのは,18935月の法典調査会の法典調査ノ方針13条に「法典中文章用語ニ関シ立法上特ニ定解ヲ要スルモノヲ除ク外定義種別引例等ニ渉ルモノハ之ヲ刪除(さんじょ)ス」とあったからでしょう。確かに「また定義は,むしろ研究の結果次第にかかわり,最後にでてくるものである」ところです(星野英一『民法概論Ⅰ(序論・総則)』(良書普及会・1993年)はしがき3頁)。189545日の第75回法典調査会で,富井政章が「既成法典ハ仏蘭西民法抔ニ傚ツテ〔財産編〕297条カラ303条迄合意ノ種類ヲ列挙シテアリマス,是レモ学説ニ委ネテ少シモ差支ナイ法典全体ノ規定カラ契約ニ斯ウ云フ種類カアル又其種類分ケヲスルニ付テ(どう)云フ結果ニ違ヒカアルト云フコトハ法典全体ノ上カラ自ラ分ルト思フ依テ此合意ノ種類ニ関スル規定ハ悉ク削除致シマシタ」と説明していたところです(日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第23巻』158丁表裏)。

 

2 旧民法の定義による「双務合意(契約)」

ということで削られたとはいえ,旧民法財産編(明治23年法律第28号)297条には,「双務合意(契約)」の定義規定がありました。いわく。

 

  第297条 合意ニハ双務ノモノ有リ片務ノモノ有リ

   当事者相互ニ義務ヲ負担スルトキハ其合意ハ双務ノモノナリ

   当事者ノ一方ノミカ他ノ一方ニ対シテ義務ヲ負担スルトキハ其合意ハ片務ノモノナリ 

 

「合意」であって「契約」ではないのですが,旧民法財産編2962項は,「合意」と「契約」との関係について,「合意カ人権〔債権〕ノ創設ヲ主タル目的トスルトキハ之ヲ契約ト名ツク」と規定していました。

旧民法財産編297条のフランス語文は,次のとおり。

 

 Art.297 Les conventions sont bilatérales ou unilatérales.

La convention est bilatérale ou synallagmatique, lorsque les parties s’obligent réciproquement;

    Elle est unilatérale, lorsqu’une des parties s’oblige seule envers l’autre.

 

これは,次のボワソナアド案を若干簡約したものになっています。なお,法典調査会の審議が契約の章に入った18954月の前月の8日(189538日),「政府との契約もすでに終了した「禿頭白髯の老博士」〔ボワソナアドはこの時69歳〕は,朝野の熱烈な見送りを受けつつ,令嬢とともに新橋駅を発ち,午後6時,横浜港でシドニイ号に乗船した。その数日前,かれは外国人として初めて,勲一等瑞宝章を贈られることに決定していた。しかし老博士は,第二の祖国と呼び,永住するつもりであった日本を,結局は去っていった。」ということがありました(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1998年)195-196頁)。

 

 Art.318 Les conventions sont bilatérales ou unilatérales.

La convention est bilatérale ou synallagmatique, lorsque les parties s’obligent l’une envers l’autre ou réciproquement;

    Elle est unilatérale, lorsqu’une ou plusieurs parties s’obligent envers une ou plusieurs autres, sans réciprocité.

  (Boissonade, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations (Tokio, 1891). p.21)

 

 しかしてこのボワソナアド案は,フランス民法の次の両条に由来します。

 

Art.1102 (ancien) Le contrat est synallagmatique ou bilatéral lorsque les contractants s’obligent réciproquement les unes envers les autres.

 

      Art.1103 (ancien) Il est unilatéral lorsqu’une ou plusieurs personnes sont obligées envers une ou plusieurs autres, sans que de la part de ces dernières il y ait d’engagement.

 

上記両条は,現在は第1106条にまとめられています。

 

Article 1106 Le contrat est synallagmatique lorsque les contractants s’obligent réciproquement les uns envers les autres.

Il est unilatéral lorsqu’une ou plusieurs personnes s’obligent envers une ou plusieurs autres sans qu’il y ait d’engagement réciproque de celles-ci.

 

 ここで“synallagmatique”とは難しい綴りの単語ですが,元は古代ギリシア語のσυνάλλαγμαであるそうです(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)171頁)。

 なお,フランス民法における契約の種類の列挙及び定義に係る規定は,提案者であるビゴー=プレアムヌ(Bigot-Préameneu)によれば,「それを損なういくつかの煩瑣(quelques subtilités)を取り除きつつも,ほとんど全面的にローマ法から汲み出されたもの(sont puisées presque en entier dans le droit romain)」ということになるようです(共和国12(ブリュ)(メール)11日(1803113日)の国務院審議。民法典に関するコンセイユ・デタ議事録第3243頁)。確かにローマ法上の双務契約は,「一個の契約により当事者双方に(ultro citroque)債務を発生するもの」をいうそうです(原田171頁)。

 

3 民法533条の「双務契約」(富井政章)

 我が民法の起草担当者の意図していた同法533条の「双務契約」の意味については,1895416日の第78回法典調査会において富井政章から説明がありました。いわく。

 

双務契約ト云フコトハ契約ニ依ツテ双方ガ義務ヲ負フト云フ場合テアル然ウシテアル格段ナル場合ニ是レハ双務契約テアルカナイカト云フコトヲ法律()極メルコトハナイノテアリマスカラ夫レハ一々学者ニ任カス日本学術振興会『法典調査会民法議事速記録第24巻』206丁裏)

 

ここで負担付贈与について一言していわく。

 

而シテ〔略〕仏蘭西当リテ負担附ノ贈与ト云フコトガアル斯ウ云フ品ヲオマヘニ贈与スルカラ其代リ斯ウ云フコトヲシテ呉レト云フ契約ガアル夫レハ双務カ片務カト云フコトニ付テ余程議論ガアル,ケレトモ苟モ反対給付ヲ以テ一方ノ義務ノ成立スル条件ト当事者ガシタ以上ハ矢張リ双務契約ノ中ニ入レルト云フ説ガ今日ニ於テハ最モ勢力ヲ持ツテ居ル,矢張リ事実ニ依テ極メナケレハナラヌコトテアツテ一般ニ極メルコトハ出来得ナイト思フ,ケレトモ概シテ然ウ云フ場合ハ双務契約ト云フ方カ宜カラウ(民法議事速記録第24206丁裏-207丁表)

 

また改めていわく。

 

何処迄モ原則ハ契約ニ依テ双方ガ義務ヲ負フノガ双務契約テアルト云フ趣意テ立テ居ル併シ或ル格段ナル場合ニハ我々デモ各々意見ヲ異ニスル様ナコトガアラウト思フ(民法議事速記録第24207丁表裏)

 

「有償契約」との関係について更にいわく。

 

例ヘハ貸借ト云フモノニ付テハ此事ニ付テ少シ説ガアリマスガ我々ノ内テモ意見ガ皆同一テナイカモ知ラヌガ利息附ノ貸借ハ確カニ有償契約テアル債権者ハ利息ヲ取ル債務者ハ其借リタモノヲ使用シテ利益ヲ受クルト云フノテアルカラドチラニモ利益ヲ生スルカラ立派ナ有償テアリマスガ是レガ双務契約テアルカト云フト普通ノ見方テハ双務契約テナイ貸借ト云フモノハ貸主カラ物ヲ引渡シテ初メテ成立スル〔民法587条参照〕其成立シタ契約ニ依テドンナ義務ガ生シタカト言ヘハ借主ト云フ一方ニ返還スル義務ガ生ジタト云フ丈ケノ話シテ是レハ双務契約テハナイ,ケレトモ有償契約テアルニハ違ヒナイ,夫故ニ有償契約ニシテ双務契約テナイモノハアルガ双務契約ニシテ有償契約テナイト云フモノハナカラウ(民法議事速記録第24208丁表裏)

 

 「双務契約ト云フコトハ契約ニ依ツテ双方ガ義務ヲ負フト云フ場合テアル」ないしは「何処迄モ原則ハ契約ニ依テ双方ガ義務ヲ負フノガ双務契約テアルト云フ趣意テ立テ居ル」ということであれば,削られたとはいえ,なお旧民法財産編2972項の規定が生きていたようです。

 

4 双務・有償契約たりし負担付贈与

 また,富井政章の負担付贈与(イコール)双務契約説を承けてということになるのでしょうが,民法553条の旧規定は「負担附贈与ニ付テハ本節〔贈与の節〕ノ規定ノ外双務契約ニ関スル規定ヲ適用ス」でありました(下線は筆者によるもの)。梅謙次郎も,当該旧規定について「本条ハ負担附(○○○)贈与(○○)ノ性質ヲ定メタルモノナリ〔略〕本条ニ於テハ本節ノ規定ノ外双務契約ニ関スル規定ヲ適用スヘキコトヲ明言セルカ故ニ其性質ノ双務契約即チ有償契約ナルコト蓋シ明カナリ〔略〕而シテ余ハ之ヲ以テ最モ正鵠ヲ(ママ)タル学説ニ拠レルモノナリト信ス蓋シ贈与者カ自己ノ財産ヲ相手方ニ与ヘ相手方モ亦之ニ対シテ一ノ義務ヲ負担スル以上ハ是レ固ヨリ報償アルモノニシテ且当事者双方ニ義務ヲ生スルモノナルコト最モ明カナレハナリ」と賛意を表しています(梅謙次郎『民法要義巻之三 債権編(第33版)』(法政大学=有斐閣書房・1912年)470-471頁)。

 しかし,民法553条は,平成16年法律第147号によって,200541日から(同法附則1条,平成17年政令第36号)「負担付贈与については,この節に定めるもののほか,その性質に反しない限り,双務契約に関する規定を準用する。」に改められてしまっています(下線は筆者によるもの)。適用ではなく準用ですから,負担付贈与は双務契約ではない,ということが前提となっています。同条旧規定に対する「(法文は適用といつているが,正確にいえば準用である)」との我妻榮の括弧書きコメント(我妻榮『債権各論中巻一(民法講義Ⅴ₂)』(岩波書店・1973年)235頁)を承けての変更でしょうか。我妻の負担付贈与()双務契約説の理由付けは,後に出て来ます(6,11(3)。また,7(3))。

 

5 双務契約にして有償契約でないものの存在(梅謙次郎及びボワソナアド)

 富井政章は「有償契約ニシテ双務契約テナイモノハアルガ双務契約ニシテ有償契約テナイト云フモノハナカラウ」と述べています。現在の民法学者も,「双務契約は常に有償契約であるが,有償契約が全て双務契約であるとは限らない。」と,同様のことを語っています(内田20頁)。

 ちなみに,有償契約については,これも旧民法財産編298条に定義規定がありました。

 

  第298条 合意ニハ有償ノモノ有リ無償ノモノ有リ

   各当事者カ出捐ヲ為シテ相互ニ利益ヲ得又ハ第三者ヲシテ之ヲ得セシムルトキハ其合意ハ有償ノモノナリ

   当事者ノ一方ノミカ何等ノ利益ヲモ給セスシテ他ノ一方ヨリ利益ヲ受クルトキハ其合意ハ無償ノモノナリ

 

 同条のフランス語文は,次のとおり。

 

  Art.298 Les conventions sont à titre onéreux ou à titre gratuit.

La convention est à titre onéreux, quand chacune des parties fait un sacrifice en faveur de l’autre ou en faveur d’un tiers;

Elle est à titre gratuit, quand l’une des parties reçoit avantage de l’autre, sans en fournir aucun, de son côté.

 

 ボワソナアドは,次のように解説しています。

 

当該「onéreux」の語は,「負担 “charge”」の意たるラテン語の「onus」に由来する。有償(à titre onéreux)契約においては,両当事者に負担ないしは出捐(sacrifice)が存在する。(Boissonade, p.34

 

 ところで,我が民法の制定当初において,梅謙次郎は,何と「双務契約ニシテ有償契約テナイト云フモノ」があることを高唱していました。いわく。

 

  双務(○○)契約(○○)Contrat synallagmatique, gegenseitiger Vertarg)トハ其成立ニ因リテ直チニ当事者双方ニ債務ヲ負担セシムルモノヲ謂フ例ヘハ売買,賃貸借,組合等ノ如キ是ナリ使用貸借ハ古来之ヲ片務契約トセリト雖モ余ハ双務契約ナリト信ス旧民法ニ於テモ初ノ草案ノ理由書ニハ之ヲ片務契約トセリト雖モ竟ニ其双務契約タルコトヲ認メタリ(梅411頁。下線は筆者によるもの)

  使用貸借ニ因リテ貸主ハ借主ヲシテ其所有物ノ使用及ヒ収益ヲ為サシムルノ義務ヲ負ヒ借主ハ其使用,収益ヲ為シタル後其物ヲ返還スル義務ヲ負フ〔したがって,双務契約である。〕(梅607頁)

古来一般ノ学説ニ拠レハ使用貸借ハ唯借主ヲシテ返還ノ義務ヲ負ハシメ貸主ハ何等ノ義務ヲモ負ハサルモノトセリ蓋シ使用貸借ハ概ネ貸主ノ好意ニ因レルモノナルカ故ニ古代ノ法律ニ在リテハ借主ハ敢テ物ヲ使用スル権利ヲ有スルニ非ス唯貸主ノ好意カ変セサル限リハ徳義上借主ヲシテ物ノ使用ヲ為サシムルニ過キサルモノトシ即チ貸主ハ何時ニテモ物ノ返還ヲ求ムルコトヲ得ルモノトセシヲ以テ使用貸借ハ真ニ借主ニ義務ヲ負ハシムルノミニシテ之ニ権利ヲ与ヘサリシモノト謂フヘシ(梅607-608頁)

然リト雖モ法律漸ク進歩スルニ及ヒテハ敢テ貸主カ故ナク物ノ返還ヲ求ムルコトヲ許サス唯自己ノ入用アルトキハ之ヲ求ムルコトヲ得ルモノトシ竟ニ普通ノ入用アルモ未タ返還ヲ求ムルコトヲ許サス唯臨時ノ必要ヲ生シタル場合ニ限リ其返還ヲ促スコトヲ得ルモノトスルニ至レリ(梅608頁)

殊ニ新民法ニ於テハ貸主ハ自己ノ為メニ如何ナル必要アルモ敢テ契約ヲ無視シテ物ノ返還ヲ求ムルコトヲ得サルモノトセルカ故ニ借主ハ純然タル権利ヲ有スルコト敢テ疑ナシト雖モ仏国法〔1889条〕,我旧民法〔財産取得編(明治23年法律第28号)2032項〕等ニ於テハ或場合ニ貸主ヲシテ物ノ返還ヲ求ムルコトヲ得セシムルニ拘ハラス余ハ夙ニ借主カ一ノ債権ヲ有スルコトヲ信シテ疑ハサリシナリ而シテ「ボワッソナード」氏カ之ヲ認メタルハ仏法学者中ニ在リテハ実ニ卓見ト謂フヘシ(同頁。下線は筆者によるもの)

 

使用貸借は「当事者の一方がある物を引き渡すことを約し,相手方がその受け取った物について無償で使用及び収益をして契約が終了したときに返還をすることを約することによって,その効力を生ずる」契約ですから(民法593条。下線は筆者によるもの),当然無償契約であり(梅605頁,606頁等),有償契約ではありません。しかし,梅及びボワソナアドによれば,双務契約であるというのです。(ただし,ボワソナアドは「しかし最後まで心中のしこりとして残るのは,かくして我々は,無償(gratuit ou de bienfaisance)であると同時に双務(synallagmatique)である契約を有するわけであるが,この二つの性質は,通常は両立不能なのである。」との苦衷を明かしてはいます(Boissonade, p34: note(4))。)

我が民法制定時の二大権威の使用貸借=双務・無償契約説に対して,現在の民法学説の使用貸借=片務・無償契約説(我妻榮『債権各論上巻(民法講義Ⅴ₁)』(岩波書店・1954年)49-50頁,内田165-166頁等)が対立します。

 

6 双務契約の現在の定義

前記の対立の由来はいずこにありや,と法律書の小さな文字を追って気が付くのは,現在の双務契約の定義が,旧民法財産編2972項のそれと微妙に異なっていることです。

 

  契約の各当事者が互に対価的な意義を有する債務を負担する契約が双務契約で,そうでない契約が片務契約である。(我妻Ⅴ₁・49頁。下線は筆者によるもの)

 

(イ)対価的な意義があるかどうかは,客観的に定められるのではなく,当事者の主観で定められる。代金がいかに廉くとも,当事者が売買のつもりなら,その代金は,対価的な意義があり,負担がいかに重くとも,当事者が贈与のつもりなら,その負担は対価的意義がない。〔負担付贈与≠双務契約説の理由付けは,これでしょう。

  (ロ)契約の各当事者が債務を負担する場合でも,その債務が互に対価的な意義をもたないときは,片務契約である。すなわち,(a)契約の当然の効果として双方の当事者が債務を負担するが,その債務が互に対価的な意義をもたない場合,例えば,使用貸借(貸主の使用させる債務と借主の返還債務とは対価的意義がない)は,不完全双務契約と呼ばれることもあるが,民法のいう双務契約ではない。また,(b)契約の成立後に一方の当事者が特別の事情で債務を負担する場合,例えば,無償委任(委任者は費用償還債務を負担することがある)は,双務契約ではない。(我妻Ⅴ₁・49頁)

 

 ここでは,「対価性」の要件が,旧民法ないしはフランス民法流の双務契約概念に追加されています(したがって,双務契約の範囲がより狭くなる。)。

また,現在の学説においては,一方当事者の債務と他方当事者の債務との間に対価的な関係があることこそが,「双務契約上の債務における牽連性」が認められる理由とされています。

 

   売主と買主の債務は,対価的な関係にあるために,両債務の間には特別な関係が生ずる。売主の債務をα,買主の債務をβで表すと,αとβとは,双務契約上の債務として特殊な関係に立つのである。この関係のことを牽連関係とか牽連性といい,3つのレベルに分けて論ずることができる。すなわち,債務の成立上の牽連性,履行上の牽連性,そして債務の存続上の牽連性である。(内田46頁。下線は筆者によるもの)

 

 しかし,梅謙次郎の理解する「双務契約」は,上記の牽連関係もあらばこそ,負担付贈与及び使用貸借も含むものであったのですから,我が民法の双務契約関係規定は,制定時においては,上記学説にいう牽連関係ないしは牽連性なるものを必ずしも前提とするものではなかったのでしょう。


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1 共同不法行為の謎

 

   共同不法行為とは,719条という1カ条の条文に規定されているに過ぎない制度であるが,従来から大きな論争点のひとつであり,その解釈は混迷を極めている。なぜだろうか。

   まず,「数人が共同の不法行為に因りて他人に損害を加へたるときは各自連帯にてその賠償の責に任ず」と規定する1項前段は,加害者に連帯責任を課すことにより被害者を保護した規定らしいことは分かるが,「共同の不法行為」とは何かが明らかではない。また,共同行為者中の孰れがその損害を加へたるかを知ること能はざるとき亦同じ」と規定する後段は,加害者不明の場合の規定らしいことは分かるが,「共同行為」とは何かが明らかではない。そして,「共同の不法行為」と「共同行為」との関係も明らかではない。

   これらの点について,起草者の考え方自体はっきりせず(というより一貫せず),かつその後の学説も,各人各様で対立している。そして,判例も,何をもって共同不法行為と考えているのか,必ずしもはっきりしない。このような混迷の原因は,何のために719条があるのかについてそもそも見解が一致しないところにある。

        (内田貴『民法Ⅱ債権各論』(東京大学出版会・1997年)486-487頁)

 

こういわれると,民法(明治29年法律第89号)719条は避けて通りたくなるのですが,そうもいきません。

 

   このように,〔民法719条は〕理論的に問題の多い制度であることに加えて,とくに公害訴訟との関連で,実践的にも,この制度の理解いかんが実際の訴訟の結論に影響を与えることとなったため,以来注目を集めるに至っているのである。(内田Ⅱ487頁)

 

 ということでやむなく,かつて筆者は,夫子・内田貴弁護士の学説に従って民法719条を整理して理解し人にも説明しようと試みたのですが,やはりうまくいかない。

 

  「内田先生のあの本,共同不法行為のところ,何書いているのかさっぱり分からない・・・」

 

 との,某学部長先生(現在は第一東京弁護士会所属の弁護士)からかつて伺った御意見が,誠にむべなるかなと筆者の記憶中に改めてよみがえったところです。

 しかし,「現在のところ,719条の適用領域を画する基準については諸説が乱立し,帰一するところを知らない状況である。判例の考え方も明確ではない。」ということですから(内田Ⅱ490頁),何らかのもっともらしい理屈に基づき何かを言う限りは完全に間違った妄言ということにはならないのでしょう。その意味では,本稿を書きつつ筆者はやや気楽です。

 

  (共同不法行為者の責任)

  第719条 数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは,各自が連帯してその損害を賠償する責任を負う。共同行為者のうちいずれの者がその損害を加えたかを知ることができないときも,同様とする。

  2 行為者を教唆した者及び幇助した者は,共同行為者とみなして,前項の規定を適用する。

 

2 旧民法財産編378条並びにドイツ民法830条及び840条1項

 

(1)旧民法財産編378条の条文

民法719条の前身規定として同法起草者の一人である梅謙次郎によって挙げられているものには外国法の規定はなく,旧民法財産編(明治23年法律第28号)378条のみが示されています(梅謙次郎『民法要義巻之三債権編(訂正増補第30版)』(法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)906頁)。

 

 第378条 本節〔第3節 不正ノ損害即チ犯罪及ヒ准犯罪〕ニ定メタル総テノ場合ニ於テ数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任シ各自ノ過失又ハ懈怠ノ部分ヲ知ル能ハサルトキハ各自全部ニ付キ義務ヲ負担ス但共謀ノ場合ニ於テハ其義務ハ連帯ナリ

 

(2)ドイツ民法830条及び840条1項の各条文

しかしながら,日本民法719条とドイツ民法(我が民法第1編から第3編までの公布と同年の1896年公布)830条とはよく似ています。

 

       §830

  (1) Haben mehrere durch eine gemeinschaftlich begangene unerlaubte Handlung einen Schaden verursacht, so ist jeder für den Schaden verantwortlich. Das Gleiche gilt, wenn sich nicht ermitteln lässt, wer von mehreren Beteiligten den Schaden durch seine Handlung verursacht hat.

  (2) Anstifter und Gehilfen stehen Mittätern gleich.

 

     第830条

  1 数人が一の共同(gemeinschaftlich)にされた不法行為によって一の損害を惹起したときは,各人は当該損害に対して責任を負う。数人の関与者のうち(von mehreren Beteiligten)だれがその行為によって損害を惹起したかを知ることができないときも,同様とする。

  2 教唆者及び幇助者は,共同行為者と同様である(stehen Mittätern gleich)。

 

ただし,日本民法7191項は連帯債務であることを明言していますが,ドイツ民法8301項では「各人は当該損害に対して責任を負う。」とだけあってその点がなおはっきりしていません。ドイツ民法8401項を見なくてはなりません。ドイツでも連帯債務です。

 

        §840

  (1) Sind für den aus einer unerlaubten Handlung entstehenden Schaden mehrere nebeneinander verantwortlich, so haften sie als Gesamtschuldner.

 

     第840条

  1 一の不法行為から生ずる損害に対して数人が併存的に(nebeneinander)責任を負うときは,当該数人は連帯債務者として(als Gesamtschuldner)責任を負う。

 

(3)ドイツ民法第一草案714条(1888年)の条文

ドイツ民法830条は,1888年の第一草案では次のとおりでした(ドイツ民法の草案やその理由書・議事録がインターネットで見ることができてしまうので,髭文字を読解せねばならず,かえって大変です。)。

 

     §714

Haben Mehrere durch gemeinsames Handeln, sei es als Anstifter, Thäter oder Gehülfen, einen Schaden verschuldet, so haften sie als Gesammtschuldner. Das Gleiche gilt, wenn im Falle eines von Mehreren verschuldeten Schadens von den Mehreren nicht gemeinsam gehandelt, der Antheil des Einzelnen an dem Schaden aber nicht zu ermitteln ist.

 

     第714条

数人が(Mehrere),教唆者,行為者又は幇助者のいずれかとして,「共同」の行為(gemeinsames Handeln)によって一の損害をひき起こした(verschuldet)ときは,連帯債務者(Gesammtschuldner)として責任を負う。数人によってひき起こされた一の損害について当該数人が「共同」に行為していなかった(nicht gemeinsam gehandelt)場合において,しかし当該損害に係る各人の寄与分(Antheil)を知ることができないときも,同様とする。

 

ここで「共同」と括弧がついているのは„gemeinsam“であって,括弧なしの共同である„gemeinschaftlich“との訳し分けを試みたものです。

„Antheil“を「寄与分」と訳してみましたが,どうでしょうか。「原因力の大小等」(我妻榮『事務管理・不当利得・不法行為』(日本評論社・1937年(第1版))194頁参照)ともいい得るものでしょうか。(なお,ある結果に対してある事実が原因であるかどうかは厳密にはディジタル的な有無の問題であって,アナログ的な大小の問題ではないところです。)

 このドイツ民法第一草案714条は,見たところ,我が旧民法財産編378条と同じようなところのある規定であるようです。

 まず,ドイツ民法第一草案714条の第1文(「数人が,教唆者,行為者又は幇助者のいずれかとして,「共同」の行為(gemeinsames Handeln)によって一の損害をひき起こしたときは,連帯債務者(Gesammtschuldner)として責任を負う。」)は,我が旧民法財産編378条ただし書(「共謀ノ場合(であってすなわち当該「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任」ずる場合)ニ於テハ其義務ハ連帯ナリ」)と同じ規定であるように思われます(当該ただし書においては教唆者及び幇助者の取扱いについては明文で取り上げられてはいませんが。)。

ドイツ民法第一草案714条の第2文は,当該数人の「共同」の行為(gemeinsames Handeln)ではない場合ではあるが,それらの者の全員が各々当該損害の発生に何らかの寄与をしているときに関する規定であると読むことができます。我が旧民法財産編378条本文も,同条ただし書の場合以外の場合(共謀ではない場合)を含んでおり,かつ,「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任シ各自ノ過失又ハ懈怠ノ部分ヲ知ル能ハサルトキハ各自全部ニ付キ義務ヲ負担ス」というのですから,共謀でない当該場合において「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任」ずるのは,当該数人のいずれについても損害の発生の原因行為をしていることが認められるときであるということを前提とするもののようです(当該損害を惹起した「過失又ハ懈怠」の各人における存在を前提としているものと解されます。ただし,「同一ノ所為」であって「損害」ではないのですが,次に見るボワソナアドの草案では「所為」は"fait"ですので,ここでは,なされた結果に重点を置いて理解すべきなのでしょう。)。しかしながら効果については,ドイツ民法第一草案第2文は連帯債務とするのに対し,我が旧民法財産編378条本文は全部義務とするところにおいて,両者は相違します。

 

(4)ボワソナアド草案398条

とここで,旧民法財産編378条が基づいたところのボワソナアドの草案398条及びその解説を見てみる必要があるようです。少々長い寄り道となります。

 

   398.  Dans tous les cas prévus à la présente Section, si plusieurs personnes sont responsables d’un même fait, sans qu’il soit possible de connaître la part de faute ou de négligence de chacune, l’obligation est intégrale pour chacune, conformément à l’article 1074.

      S’il y a eu entre elles concert dans l’intention de nuire, ells sont solidairement responsables. [C. it. 1156]

  Boissonade, M. Gve, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Deuxième, Droits Personnels et Obligations (Tokio, 1891) p.311

 

“concert dans l’intention de nuire”ですから,旧民法378条の「共謀」は,故意の加害に係る共謀ということになります。

イタリア民法典の第1156条が参考条文として挙げられていますが,残念ながら筆者はイタリア語をつまびらかにしません。

 ボワソナアド草案1074条とは,旧民法債権担保編(明治23年法律第28号)73条のことです。

 

       第4款 全部義務

  第73条 財産編第378条,第497条第2項及ヒ其他法律カ数人ノ債務者ノ義務ヲ其各自ニ対シ全部ノモノト定メタル場合ニ於テハ相互代理ニ付シタル連帯ノ効力ヲ適用スルコトヲ得ス但其総債務者又ハ其中ノ一人カ債務ノ全部ヲ弁済スル言渡ヲ受ケタルトキモ亦同シ

   然レトモ一人ノ債務者ノ為シタル弁済ハ債権者ニ対シ他ノ債務者ヲ免レシム又弁済シタル者ハ事務管理ノ訴権ニ依リ又ハ債権者ニ代位シテ得タル訴権ニ依リテ他ノ債務者ニ対シ其部分ニ付キ求償権ヲ有ス

 

             DE L’OBLIGATION SIMPLEMENT INTÉGRALE.

    ART. 1074. --- Dans le cas des articles 88, 152, 398, 519, 2e alinéa, et tous autres où l’obligation de plusieurs débiteurs est déclarée par la loi “intégrale ou pour le tout” à l’égard de chacun d’eux, il n’y a pas lieu de leur appliquer ceux des effets de la solidarité qui sont attachés au mandate réciproque, même après qu’ils ont, en tout ou en partie, subi la condemnation intégrale.

        Mais le payement fait par un seul libère tous les autres vis-à-vis du créancier, et celui qui a payé a son recours contre les autres pour leur part et portion, tant par l’action de gestion d’affaires que par les actions du créancier auxquelles il est subrogé de plein droit.

      Boissonade, M. Gve, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Quatrième, Des Preuves et de la Prescription, Des sûretés ou Garanties. (Tokio, 1891) p.162

 

ボワソナアド草案3981項は全部義務となる場合を規定し,同条2項は連帯債務となる場合を規定します。ボワソナアドによる同条の解説は,いわく。

 

  我々はここ〔ボワソナアド草案398条〕において,複数の人の用益に供され,又は複数の人に賃貸された家屋の火災に関して既に見たところ(草案88条及び153条参照)の責任の規整と同様の規整を見出す。

  この節において法が過失あるものと推定するところの複数の者(personnes que la loi présume en faute)中の各人についてその過失又は懈怠(négligence)の部分(part)を知り,かつ,決定することが可能である場合においては,彼らに対して全部義務(une responsabilité intégrale)を課することは衡平を欠くこととなろう。しかしながら,各個の過失の程度に係る当該確認は,ほぼ常に不可能である。そこで(alors),法は,各人が過失全体について有責であるものとみなすのである。読者は,第1074条について,債務に係るこの形態(cette modalité des obligations)――連帯債務(solidarité)の隣人ではあるが,それと混同してはならない――についての詳細を知ることができる。

  均一又は不均一に定められた持分において(pour des parts)複数の人によって所有される動物によって,又はそのような建物の崩壊によって損害(dommage)が惹起された場合においては,人はあるいは躊躇するであろう。この場合においては,衡平は,損害を生じさせた物に係る彼の所有権の割合に応じた責任以外の責任を各人に課することを許さないようにあるいは思われるであろう。しかし,これは幻覚である。例えば,建物の半分の持分の共有者でしかない者であっても,その半分のみについて建物を維持し,及び修繕するということは許されず,全体についてしなければならなかったのである。より強い理由をもって,危険な動物について,彼はそれをその全体について管理しなければならなかったのである。すなわち,その一部分以外については動物が管理されずにあり得るというようなことはおよそ考えることができない。共有者の各権利の割合に応じて責任を分割するものとする反対説は,知らず知らずのうちに,委付(abandon noxal)に係るローマの古い理論の影響を被ってしまっているのである。すなわち,生物又は無生物によって惹起された損害に係る責任から,損害の被害者に当該物を委付することによって逃れることを許す法制下においては,各共有者の責任がその持分を超え得ないことは明白である。しかしながら,この上なくより合理的かつ衡平な現在の制度は,もはやそうではない。そこにおいては,責任は,所有者の懈怠の上にのみ基礎付けられるのである。しかして,監督(surveillance)は性質上不可分であるので,責任は全部に及ぶものでなければならないのである。

  復数の人による過失(la faute de plusieurs)が意図的かつ共謀に基づくもの(volontaire et concertée)である場合においては,そうであればそれは私法上の犯罪(un délit civil)を構成するのであって,法は,複数の人による刑法上の犯罪の場合と同様に,そうであれば当該債務は連帯solidaire)であるものと宣言する。全部義務(l’obligation simplement intégrale)よりもより厳格な連帯債務(l’obligation solidaire)については,第4編第1部(第1052条以下)において説明される1

 

(1)〔ボワソナアドの原註〕古い案文においては,全ての場合において連帯義務(la responsabilité solidaire)となるものとされていた。その後,ここに示された区分(distinction)を我々(nous)は提案し,しかして当該区分は正式法文(第378条)に採用された。

Boissonade, Tome II, pp332-333

 

 「この節において法が過失あるものと推定するところの複数の者中の各人についてその過失又は懈怠の部分を知り,かつ,決定することが可能である場合においては,彼らに対して全部義務を課することは衡平を欠くこととなろう。」とありますから,その過失又は懈怠が,部分(part)としてはいかに小さいにせよ,損害の原因となっていることは証明されている,ということが前提とされているものでしょう。

 なお,そもそも「この節において法が過失あるものと推定するところの複数の者中の各人についてその過失又は懈怠の部分を知り,かつ,決定することが可能である場合」以外の場合(その過失又は懈怠の部分を知り,かつ,決定することが不可能である場合)において,分割債務(民法427条)又は連合ノ義務(旧民法財産編440条)の規定によらないこととされているのは,「数人の〔略〕債務者が同一内容の給付を〔略〕履行すべき義務を有し,而して〔略〕一人のなす履行によつて消滅する同じ数個の債権債務関係」が「不法行為又は債務不履行によつて損害を発生した場合」に発生するものとされていたローマ法(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣・1955年)273-274頁)以来の伝統のゆえでしょうか。

 ローマ法における委付の話も出て来ますが,これは,「家長主人が権力服従者の加害行為に関し罰金又は損害額を支払う(noxam sarcire)代りに,加害者,加害動物を委附して(noxae dedere, noxae datio)その責を免れるを特色とする訴権を加害訴権(actio noxalis)という。〔略〕当初に於ては委附が本来の債務で,ただ支払によつて委附債務を免れ得たと解せられる。委附の目的は被害者の復讐に任せるにあつた。」というものだったそうです(原田234-235頁)。

 ボワソナアド草案88条は,次のとおり。

 

    88.  Si les choses soumises à l’usufruit ont péri par un incendie, en tout ou en partie, l’usufruitier n’en est responsable que si sa faute est prouvée en avoir été la cause.

      S’il y a plusieurs usufruitiers, la responsabilité est intégrale à la charge de chacun de ceux qui sont en faute.

  (Boissonade, M. Gve, Projet de Code Civil pour l’Empire du Japon, accompagné d’un Commentaire, Nouvelle Édition, Tome Premier, Des Droits Réels. (Tokio, 1890) pp.167-168

 

  第88条 用益権の目的である物の全部又は一部が火災により滅失した場合においては,用益者は,その過失が原因であったことの証明がない限り責任を負わない。

    用益者が複数であるときは,責任は,過失のあった者の各々について全部の支払となる。

 

 ボワソナアド草案882項についての同人の説明は,次のとおり。

 

法はまた,複数の共同用益者(plusieurs usufruitiers conjoints)が存在する場合であって,彼らについて共同の過失(faute collective)が立証されたときについて備えなければならなかった。この場合,彼らは連帯して責任を負うものと宣言すべきであったろうか,それとも彼らの責任を等分すべきであったろうか。これらの解決案のいずれも受け容れ難く思われた。すなわち,連帯は重きに過ぎ,分割は――一つの過失は複数の部分によってなされるものではないのであるから――非論理的であった。法は,中道を採るものである。すなわち,債務は全部義務であって(l’obligation sera intégrale ou pour le tout),連帯ではない。この解決は,第4編第1部において連帯債務(第1052条以下)及び全部義務(第1074条)がどのようなものであるかを読者が見たときに,よりよく理解されるであろう。(Boissonade, Tome I, pp.187-188

 

 ボワソナアド草案152条及び153条は,次のとおり。

 

 ..152.  Si les choses louées ont péri, en tout ou en partie, par un incendie, le preneur n’en est responsable que si l’incendie est prouvé avoir été causé par sa faute. [Contrà 1733.]

 

 ..153.  Au cas de plusieurs locataires de la même chose, tous ceux dont dont la faute est prouvée sont intégralement responsables de l’incendie.

  [Contrà 1734; L. fr. du 5 janv. 1883]

                                             Boissonade, Tome I, p.280

 

 第152条 賃借物の全部又は一部が火災により滅失した場合においては,賃借人は,当該火災はその過失を原因とするとの証明がない限り責任を負わない。(反対:フランス民法1733条)

 

  第153条 同一の物の賃借人が複数であるときは,そのうちその過失が証明された全ての者は,火災につき全部義務を負う。

  (反対:フランス民法1734条,フランス188315日法)

 

フランス民法1733条は賃借人の過失を推定し,同法1734条は連帯債務とし,フランス188315日法は,各自の住居の賃料に比例した責任を負うものとしていたそうです(Boissonade, Tome I, p.288)。

 

(5)ドイツ民法第一草案714条の理由書(Motive

 さて,再びドイツ民法第一草案714条。

 同条について,ドイツ民法第一草案理由書(Motive)は,次のように述べます。

 

教唆者,行為者又は幇助者のいずれかとして,「共同」の行為によって一の損害をひき起こした数人は,連帯債務者として責任を負う,という規定は,現行法を踏襲(wiedergeben)するものである。もっとも,普通法理論においては(in der gemeinrechtlichen Theorie),そのようなものとしての教唆者の責任について,異論がある。しかしながら,今日の法にとっては,そのような論争に意義は認められない。

同様の連帯債務者責任(die gleiche gesammtschuldnerische Haftung)が,数人によってひき起こされた一の損害の場合であって,当該数人が「共同」に行為しておらず(diese Mehreren nicht gemeinsam gehandelt haben),しかし当該損害に係る各人の寄与分を知ることができないときに生ずる(ザクセン法典第1495条,バイエルン草案第71条,ドレスデン草案第128条を参照)。この規定は,当該数人全員(die sämmtlichen Mehreren)が共通の不法行為の基礎に基づいて(nach allgemeinen Deliktsgrundsätzen)具体的な形で(in concreto)責任を負う(ein Verschulden trifft),という前提の限りにおいて(vorausgesetzt immer),どの行為が当該損害を直接(gerade)惹起したかが不確か(ungewiß)であるときにも特に適用を見るものである(greift namentlich auch Platz)。当該規定は,例えば,乱闘における(in Raufhändeln)致死事案(Tödtung)又は傷害事案(Körperverletzung)について実用的(praktisch)であろう。

事後援助者(Begünstiger)又は隠匿者(Hehler)の責任義務についての規定は,必要ではない。彼らが彼ら自らの行為によって(第704条及び第705条。刑法第257条以下参照)損害を惹起した限りにおいては,これらの者の損害賠償義務は自明のことである。他者の不法行為によって獲得された利益(Vortheile)について自ら不法行為をすることなく参与する(partizipiren)第三者は,その限りにおいて(insoweit)被害者に対して責めを負うものとする一般規定は,しかし,有益であるかもしれない(positiv wäre)。不法行為者(Delinquent)が参与を認めた第三者に対しての利得返還請求の可否の問題は,本草案の一般原則によって解決される。

 

 ここで,「どの行為が当該損害を直接惹起したかが不確かであるとき(wenn ungewiß ist, welche Handlung gerade den Schaden verursacht hat)」の問題は,寄与分の大小ではなく,そもそもの寄与(原因性)の有無に係る問題であるように思われます。ドイツ民法第一草案7142文の「しかし当該損害に係る各人の寄与分を知ることができないときder Antheil des Einzelnen an dem Schaden aber nicht zu ermitteln ist)」の文言の枠内にとどまるものか否か。


(6)ドイツ民法第二草案(1894年)に係る議事録(Protokolle)をめぐって

 ドイツ民法第一草案714条の文言は,同第二草案(1894年)753条において既に現行ドイツ民法830条の文言になっています。

 第一草案から第二草案への移行においてどのような議論があったのか。第二読会委員会の議事録(Protokolle der Kommission für die Zwite Lesung)は,いわく。

 

   その第1文に対しては異議の提起がなかった第714条について,第2文を次のようにすべきだとの提案がされた。

 

     数人が非共同的に行為し,かつ,だれの行為が損害を惹起したかを知ることができないときも,同様とする。Das Gleiche gilt, wenn Mehrere nicht gemeinschaftlich gehandelt haben und sich nicht ermitteln läßt, wessen Handlung den Schaden verursacht hat.

 

   当該提案は,採択された。ただし,文言(Fassung)については,編集委員会(die Red. Komm.)の審査(Prüfung)を受けるものとされた(blieb…vorbehalten)。

   当該提案は,第714条第2文の規定が次のような場合においても適用されることを明らかにしようとするものである。すなわち,違法な結果(ein rechtswidriger Erfolg)が,当該行為に係る数人の関与者の合同作業(das Zusammenwirken mehrerer an der Handlung Betheiligten)によってではなく,数人の関与者中の一人の行為(die Handlung eines von mehreren Betheiligten)によってもたらされたものの,当該行為を行った者(der Urheber)がだれであるか証明(nachweisen)できない場合である。したがって,当該行為をした数人中の(von den mehreren Handelnden)一人が当該損害を惹起したこと,当該損害は当該数人中のいずれによっても(von einem Jeden)惹起された可能性があること(möglicherweise...verursacht ist),及び行為者中の各人について(in der Person jedes der Handelnden),彼が損害惹起者(der Schädigende)であるときは,やはり不法行為責任を問い得ること(auch Verschuldung vorliegt)が前提されれば足りるものである。例えば,乱闘において(bei einem Raufhandel)数人がある一人に殴りかかり,かつ,当該殴打のうちの(von den Schlägen)一つが死をもたらした場合であって,当該致命的殴打がだれから直接出来したかが証明され得ないときには,第714条が適用され得なければならない。現草案によれば(nach dem Entw.),このような場合においては,第714条第1文の適用が疑わしくなるようなのである(würde...zweifelhaft sein)。

     委員会は,一の「共同」の非行に係る関与者の責任義務(Haftpflicht der an einem gemeinsamen Vergehen Betheiligten)をそのように法律上拡大することを承認した。

 

 前記議事録に記載された第7142文の改正案(以下「ドイツ民法83012文プロトコル案」又は単に「プロトコル案」といいます。)は,大胆です。

ドイツ民法83012文プロトコル案の文言であれば,「ある場所で喫煙した数人のうちの,だれかが吸いがらの始末を怠ったために出火した場合」(幾代通著=徳本伸一補訂『不法行為法』(有斐閣・1993年)228頁),「Aは猟に出かけ,Xを猪と間違えて猟銃で撃ってしまったが,同時に,同じく猟に来ていたBも,Xを猪と思って銃で撃った。弾丸は一発だけがXに命中し,Xは瀕死の重傷を負ったが,その弾丸がABいずれのものかが分からなかった(たまたま両者の銃が全く同じ物だったとしよう)」場合(内田Ⅱ489-490頁),山の上からハイカーA及びBがそれぞれ別々に不注意に石を投げて,そのうち一つの石が下の道を歩いていた人に当たって怪我をさせたが,その石を投げたのがAなのかBなのか分からない場合(内田Ⅱ492頁参照)等についても,ドイツ民法83011文の適用(「各人は当該損害に対して責任を負う」)があるものでしょう。「数人が非共同的に行為したとき(Mehrere nicht gemeinschaftlich gehandelt haben)」であっても大丈夫であることが明文化されているということは,心強いところです。

しかしながら,ドイツ民法案起草に係る編集委員会(die Red. Komm.)は,ドイツ民法83012文プロトコル案を大幅に修正しています。

一番大きな変更は,「非共同的に(nicht gemeinschaftlich)」との文言が落とされたことです。やはり,損害を惹起させたことの積極的証明のない者にまで当該損害に係る賠償責任を負わせるには,「共同的に行為する(gemeinschaftlich begehen)」ことは必須であると判断されたものでしょうか。これに対して,ドイツ民法第一草案7142文の場合は,損害に対する寄与分(Antheil)がどれだけかが既に云々されている段階の者に係る損害賠償の分量が問題になっていた(すなわち,既に因果関係は認められていた)ところです。

そうであれば,ドイツ民法83012文の意義は,「例えば,乱闘において数人がある一人に殴りかかり,かつ,当該殴打のうちの一つが死をもたらした場合であって,当該致命的殴打がだれから直接出来したかが証明され得ないときには,第〔830〕条が適用され得なければならない。〔かつての〕草案によれば,このような場合においては,第〔830〕条〔第1項〕第1文の適用が疑わしくなるようなのである。」という疑問を解消するための,為念的規定ということにすぎなかったものでしょうか。確かに,プロトコル案採択の趣旨も,「委員会は,一の「共同」の非行に係る関与者の責任義務(Haftpflicht der an einem gemeinsamen Vergehen Betheiligten)をそのように法律上拡大することを承認した。」ということであって,「一の「共同」の非行(ein gemeinsames Vergehen)」という縛りがかかっています。

ドイツ民法第一草案7142文に係る理由書の記述も「この規定は当該数人全員die sämmtlichen Mehrerenが共通の不法行為の基礎に基づいてnach allgemeinen Deliktsgrundsätzen具体的な形でin concreto責任を負うein Verschulden trifft),という前提の限りにおいてvorausgesetzt immer),どの行為が当該損害を直接gerade惹起したかが不確かungewißであるときにも特に適用を見るものであるgreift namentlich auch Platz。」というものであって,「共通の不法行為の基礎」という枠内限りでの適用拡大で満足し,それ以上の野心的主張はしていなかったところです。
 また,ドイツ民法83011文と同条2項とは共にgemeinschaftlich(又はgemeinsam)な場合であるので,その両者に挟まれた同12文もgemeinschaftlichな場合に係る規定であると解するのが自然でしょう(オセロ・ゲーム的思考:●○●→●●●)。

 ところで,ドイツ民法83012文ではプロトコル案とは異なり「非共同的に(nicht gemeinschaftlich)」との文言が落ちているのですが,そうなるとそれに対応する「数人が「共同」に行為していなかった(nicht gemeinsam gehandelt)場合」に係るドイツ民法第一草案7142文の規律はどこに行ってしまうのかが気になるところです(ドイツ民法83012文も同項1文と同様に共同(gemeinschaftlich)性の枠内にあると解する場合)。この点,ドイツ人は抜かりのないところで,ドイツ民法8401項が受皿規定になっています(ただし,「当該損害に係る各人の寄与分を知ることができないとき」に限らず,連帯債務となります。)。ドイツ民法8401項はドイツ民法第二草案7641項に由来していますが,ドイツ民法第二草案764条については,既にそこにおいてドイツ民法第一草案713条,714及び7362項が原規定である旨如才なく註記がしてありました(なお,法典調査会民法議事速記録41115丁を見ると,我が民法の第719条の起草に当たっての参照条文としてドイツ民法第一草案714条及び同第二草案753条(現行ドイツ民法830条)は挙げられていますが,同第二草案764条(現行ドイツ民法840条)には言及されていません。)。ドイツ民法8401項の「一の不法行為から生ずる損害に対して数人が併存的に責任を負うとき」との文言は,我が旧民法財産編378条本文の「数人カ同一ノ所為ニ付キ責ニ任」ずるときとの文言を彷彿とさせるようでもあります。

 

3 フランス語訳(富井=本野)から見た日本民法719条

「起草者の考え方自体はっきりせず(というより一貫せず)」と内田弁護士には評されているものの,現行民法の起草者の一人である富井政章が,本野一郎と共にした日本民法のフランス語訳(筆者の手元には,新青出版による1997年の復刻版があります。)における第719条は,次のとおり。

 

   ART. 719. --- Lorsque plusieurs personnes ont causé un dommage à une autre par un act illicite commis en commun, elles sont tenues solidairement à la réparation de ce dommage. Il en est de même, lorsqu’il est impossible de reconnaître lequel des coauteurs de l’acte a causé le dommage.

   L’instigateur et le complice sont considérés comme coauteurs.

 

 筆者の手許の辞典(Nouveau Petit Le Robert, 1993)では,“coauteur”とは“Participant à un crime commis par plusieurs autres, à degré égal de culpabilité”とされていますから,これは「共同正犯」ですね。

 また,富井=本野フランス語訳日本民法7191項第2文では“l’acte”と定冠詞付きの「行為」が問題となっていますから,同文は第1文の続き(その内容に関する敷衍)であって,第1文とは別の場面のことを新たに規定しようとするものではないようです。ドイツ民法83012文プロトコル案風に“Il en est de même, lorsqu’il est impossible de reconnaître lequel des acteurs qui n’agissaient pas en commun a causé le dommage.”と読み替えるのは,なかなか難しい。

 となると,民法71912文(後段)は,同項1文(前段)を承けて,共謀に基づき当該不法行為を行った当該数人の者たる「共同行為者」(les “coauteurs”)のうちだれの行為によって当該損害が惹起されたかまでが明らかにされずとも,その全員について連帯債務関係が生ずることには変わりがない旨が規定された,ということになるのでしょう。

 かくして日本民法7191項後段は,本来は,さきに筆者が理解したところのドイツ民法83012文に係る前記為念的趣旨と同じ趣旨の規定だったのでしょうか。そうだとすると,プロトコル案流に「〔民法7191項〕後段の規定の存在理由は,当該数人の者の間には〔同項前段〕の型におけるような主観的共同関係が存在しない場合にも,なお被害者の保護の機会を大きくするために特に政策的に認められた推定規定」であって,だれだか分からないがそのうちのだれかが吸いがらの始末を怠ったために出火したことは確かである事案における容疑者が属するのが「一般公衆が自由に出入りできる場所でたまたま同時に喫煙していた数人といったような」「偶然的な状況の場合であっても,本1項後段の適用を認めてよい」(幾代228-229頁・229頁註3),「ABいずれの行為と損害との間に事実的因果関係があるのか不明であるにもかかわらず,両者に連帯して全損害について賠償責任を負わせることを定めたのが〔民法7191項〕後段だというわけである」,「1項後段の法律的意味は,加害者が不明である限り因果(●●)関係(●●)()推定(●●)する(●●)というところにある」(内田490頁,492頁)とまで大胆に言い切ることは,類推適用の主張であればともかくも,躊躇されます。当該躊躇に対しては,「これに対しては,それでは責任を負わされる容疑者の範囲が不当に広くなる,との批判が出るかもしれないが,「加害者は,この数人のうちのだれかであり,この数人以外に疑いをかけることのできる者は一人もいない」という程度までの証明があり,かつ各人に因果関係の点を除いてそのほかの不法行為の要件がすべて揃っているときに本規定の適用があると解するならば,不当ではあるまい。」(幾代229頁註3)との叱咤があります。ドイツ民法83012文プロトコル案の提案者もそのようなことを言っていたところです。しかし,当該プロトコル案は結局そのままでは採用されず現行ドイツ民法83012文(及び日本民法7191項後段)の文言に変更されている,という事実の重みは厳として存在しています。民法7191項後段が「共同(●●)行為者(●●●)中・・・」といっているのがやや気になる点である」(幾代229頁註3。下線は筆者によるもの)程度どころか,いろいろ気になる筆者にとっては,大いに問題です。

(ただし,ドイツ民法83012文は„Das Gleiche gilt, wenn sie nicht ermitteln lässt, wer von mehreren Beteiligten den Schaden durch seine Handlung verursacht hat.“であってDas Gleiche gilt, wenn sie nicht ermitteln lässt, wer von den mehreren Beteiligten den Schaden durch seine Handlung verursacht hat.“ではなくかつ„Beteiligten“であって„Mittätern“ではないのでプロトコル案的解釈を許容する余地があるのだということになるのかもしれません。

  

4 主観的共同関係のない旧民法財産編378条本文の場合に係る適用条文の行方の問題

 

(1)削られた全部義務関係規定

ところで,前記見てきたところにかんがみ,日本民法719条をドイツ民法830条と同趣旨の規定と考え,日本民法7191項前段の規整対象は,「主観的共同関係のある場合の共同不法行為」すなわち「数人が共謀して強窃盗をしたり,他人に暴行を加えるなど,数人が共同する意識をもって行動した結果として他人に損害を与えた場合」であると解すると(幾代225頁),旧民法財産編378条との関係で問題が残ります。つまり,現行民法719条は旧民法財産編378条のただし書(共謀の場合に係ります。)に対応するものであると理解した場合,それでは爾余の旧民法財産編378条本文の規律(全部義務の場合を定める。)はどこへ行ってしまったのだろうか,という問題です。ドイツ民法の場合は同法8401項で拾い得るのですが(ただし,効果は連帯債務),我が民法においては見たところ規定を欠くようです。

「古い案文においては,全ての場合において連帯義務となるものとされていた。その後,ここに示された〔全部義務との〕区分を我々(nous)は提案し,しかして当該区分は正式法文(第378条)に採用された。」とProjetにおいてボワソナアドが自慢していた新工夫の全部義務の制度に係る規定が,現行日本民法では落とされてしまっていることと関係があるようです。

 

  連帯債務の性質に関しては,〔略〕連帯債務の中に共同連帯Korrealobligation)と単純連帯Blosssolidarobligation)とを分け,〔略〕第19世紀の中葉以後,〔略〕2種共に多数の債務が存するものであって,ただ前者はその多数の債務の間により一層緊密な関係があるに過ぎない,とする説がこれに代った。そして,近世の立法はいずれも,連帯債務の中に2種を区別することをしない(フ民1197条以下,ド民421条以下,ス債143条以下――ドイツ民法,スイス債務法は単純連帯の主要な場合である共同不法行為もこれを連帯債務とする(ド民830条〔筆者註:ここは,正確には,前記のとおり8401項でしょう。〕,ス債50条)。但しフランス民法には規定はない)。わが民法もまたこれにならった432条〔現在は436条〕以下,719条――旧民法は連帯債務の他に連帯でない全部義務を認める(財378条・439(ママ)条〔筆者註:「437条」の方がよいようです。〕以下)。その差は,前者においては債務者間に代理関係があり,後者においてはそうでない点にある(債担52条・73条))。(我妻榮『新訂債権総論』(岩波書店・1964年(第10刷は1972年))401頁。下線は筆者によるもの)

 

 どうでしょうか。「やっぱりもともとフランス民法には無かったし,ドイツ民法草案にも無いし,ボワソナアドの思い付きに係る新奇の「全部義務」などというものは,一度は我が民法に入れることにしたけれど,やめておいた方が「日本人は変だ」と言われなくて無難じゃないの」というような決定が現行民法の起草者間でされたかのように思わせられる記述です。ボワソナアドの渋面が目に浮かびます。

全部義務の日本民法典からの消滅に係る事情について,梅謙次郎は何と言っているかというと,次のごとし。

 

 連帯債務ハ従来分チテ完全(○○)ナル(○○)連帯(○○)Solidarité parfaite)及ヒ不完全(○○○)ナル(○○)連帯(○○)Solidarité imparfaite)ノ2トセリ而シテ旧民法ニ於テハ甲ヲ単ニ連帯(○○)ト謂ヒ乙ヲ全部(○○)義務(○○)ト謂ヘリ而シテ2者ノ分ルル所ハ代理ノ有無ニ在リトセリ然レトモ新民法ニ於テハ連帯ヲ以テ必スシモ代理アルモノトセス而モ或場合ニ於テハ幾分カ代理ニ類スル関係ヲ生スルモノトセリ故ニ其性質タルヤ旧民法ノ連帯ト全部義務トノ中間ニ在ルモノト謂フヘシ而シテ当事者ハ旧民法ニ所謂全部義務ノ如キ義務ヲ約スルコト固ヨリ其自由ナリト雖モ余ノ信スル所ニ拠レハ特ニ此ノ如キ義務ヲ約スルコトハ蓋シ極メテ稀ナルヘク寧ロ純然タル連帯ヲ約スヘキノミ又立法者モ法律上数人ノ債務者ヲシテ各自債務ノ全部ニ付キ責ヲ負ハシメント欲スル場合ニ於テハ単ニ所謂全部義務アルモノト云ハスシテ寧ロ連帯債務アルモノトスヘキノミ故ニ新民法ニ於テハ連帯債務ノ外別ニ所謂全部義務ノ如キモノヲ規定セス但稀ニハ自ラ所謂全部義務ヲ生スルコトナキニ非スト雖モ特ニ法文ノ規定ヲ竢タスシテ其関係明白ナルヘキノミ例ヘハ第714条,第715条及ヒ第718条ノ場合ニ於テ無能力者ノ監督義務者及ヒ之ニ代ハリテ無能力者ヲ監督スル者,使用者及ヒ之ニ代ハリテ事業ヲ監督スル者,動物ノ占有者及ヒ之ニ代ハリテ動物ヲ保管スル者ハ皆各損害ノ全部ニ付キ賠償ノ責ニ任シ被害者ハ其孰レニ対シテモ之ヲ訴求スルコトヲ得ヘシ故ニ是レ旧民法ニ所謂全部義務ナラン然リト雖モ是等ノ場合ニ於テ被害者ハ其一人ヨリ賠償ヲ受クレハ復損害ナキカ故ニ更ニ他ノ者ニ対シテ賠償ヲ求ムルコトヲ得サルハ固ヨリニシテ又其義務者相互ノ関係ニ於テハ監督義務者,使用者,占有者ハ自己ニ代ハリテ監督,保管等ヲ為ス者ニ対シテ求償権ヲ有スヘキコトハ特ニ明文ヲ竢タスシテ明カナル所ナリ是レ本款ニ於テ単ニ連帯債務ニ付テノミ規定スル所以ナリ(梅103-105頁)

 

 つまり,旧民法財産編378条本文は,「法律上の全部義務の効果とその生ずる場合は当然であるから特に規定しないとして削除された」(星野英一『民法概論Ⅲ(債権総論)』(良書普及会・1978年(補訂版1981年))169頁)ということになります。しかし,削除といっても,「旧民法の全部義務」は「民法の起草者も否定していなかった」わけで,「明文こそないが当然のこととされている」ところです(星野170頁・171頁)。

  

(2)民法427条の存在と719条1項の適用と

しかし,民法714条,715条及び718条の場合は条文があるから全部義務になることについてはよいとしても,甲倉庫会社が過って受寄物と異なる記載をした倉庫証券を寄託者乙に発行し,乙がこれを使用して丙銀行から金を詐取した事案(大判大正2426日民録19281頁の事案)における丙に対する甲乙の不法行為責任などについては,民法714条,715条又は718条のような特別条項がないことから,被害者原告としては,各債務者に対する損害賠償の全額請求を行うためには,それらの特別条項に代わる一般条項の適用を確保しなければならないところです。すなわち,不法行為についても,そのままでは,多数の債務者の債務は分割債務となることを原則とする民法427条の適用可能性があるからです。

我妻榮は,分割債務を生ずる場合にはどのようなものがあるかを検討する際「当事者の直接の意思(●●)()基づかず(●●●●)()数人の者が共同債務を負担する著しい例は,共同不法行為であるが,それについては連帯債務となる旨の規定がある(719〔略〕)。」と述べています(我妻・債権総論389頁。下線は筆者によるもの)。星野英一教授も,「民法上は,分割債権・債務が原則となっている」ところ,「なお,法律の定める場合,〔略〕その他(民法719など)連帯債務の要件を充たす場合(その主張・立証責任がある)にそれらになることはいうまでもない。」と述べています(星野147-148頁。下線は筆者によるもの)。内田弁護士も民法427条の適用について「ただし,給付が分割できない場合(不可分性)のほか,別段の意思表示があるときや,法律の規定のあるとき(442項,7191),あるいは特別の慣習のあるときは,427条の適用は排除される。」との見解を示しています(内田貴『民法Ⅲ債権総論・担保物権』(東京大学出版会・1996年)335頁。下線は筆者によるもの)。「共同の不法行為」であっても,放っておくと分割債務になってしまうぞということのようです。いわんや主体間に通謀又は共同の認識の無い場合においてをや。

民法7191項の「共同の不法行為」たるための要件として「当該数人間に共謀などの主観的共同関係があることを要せず客観的共同関係があれば足りる,というのが従来の判例・通説の見解であったように思われる」とされています(幾代225頁。前記大判大正2426日民録19281頁が判例のリーディング・ケース(我妻・事務管理等194頁註2参照))。しかしながら,これは,客観的共同関係しかない場合(主体間に通謀又は共同の認識の無い場合)について旧民法財産編378条本文(全部義務とする。)又はドイツ民法8401項(連帯債務とする。)のような受皿を欠く現行民法において,損害賠償債務の分割債務化を避けるための法文上の手掛かりを,「従来の判例・通説」が,窮余というか折角そこにあるということで7191項に求めただけ,ということではないでしょうか。これを,「共同の不法行為」の外延に係る堂々たる概念解釈の大問題としてしまうから混乱する(少なくとも学生時代の筆者は当惑しました。)ように思われます。

ところで,民法7191項前段の「共同の不法行為」たるには「当該数人間に共謀などの主観的共同関係があることを要せず客観的共同関係があれば足りる,という」従来の判例・通説の見解については,「なお,このような解釈は,旧民法(同財産編378条)を意識的に改めたと思われる民法起草者の意思にも一致する,というのが一般の理解である。」といわれています(幾代227頁註2)。なるほど。民法起草者の書き残したものを検討しなければなりません。

 

5 『民法要義巻之三』の共同不法行為解説に関して

梅謙次郎の民法719条解説を見てみましょう。

 

(1)総論

 

 本条〔719条〕ハ数人カ共同シテ一ノ不法行為ヲ為シタル場合ニ於テ各自連帯ノ責任ヲ負フヘキコトヲ定メタルモノナリ例ヘハ数人共謀シテ他人ノ家屋ヲ毀チタルトキハ其各自ハ被害者ノ請求ニ応シ家屋ノ代価及ヒ他ノ損害ノ全部ヲ賠償スヘク其他総テ連帯債務者ノ負フヘキ責任ヲ負フモノトス是レ他ナシ此場合ニ於テハ各加害者ノ行為皆損害ノ原因ナルカ故ニ被害者ハ其孰レニ対シテモ損害ノ全部ヲ請求スルコトヲ得ヘキハ殆ト論ヲ竢タサル所ナリ而シテ法律ハ特ニ被害者ノ便ヲ計リ加害者間ニ連帯ノ責任アルモノトシタルナリ(梅906-907頁。下線は筆者によるもの)

 

ア 主観的共同関係必要説か否か:719条1項前段

 まず,民法7191項前段の「共同の不法行為」は,共謀に基づきされた不法行為なのだとされているように一見思われます。

しかし,「例ヘハ」の語は「共同の不法行為」の一例として共謀に基づく不法行為を挙げるのだとの趣旨を示すものであり,共謀に基づかない「共同の不法行為」の存在をも前提としているのだ,との読解も可能です。「例ヘハ」の位置は「数人共謀シテ」の前であって,「数人共謀シテ例ヘハ他人ノ家屋ヲ毀チタルトキ」という語順とはなっていません。

 なお,穂積陳重は,民法719条(案文では727条)の文言について,1895107日の第121回法典調査会において「互ヒニ共謀ガアツタトカサウ云フヤウナコトヲ有無ヲ論スル必要ハ本案ニ於テハナイヤウニナツテ居ルノテアリマス」と述べ(法典調査会議事速記録41116丁),同月9日の第122回法典調査会においては共同の不法行為について「皆ガ故意カ又ハ過失ガアル或ル場合ニ於テハ共謀モアリマセウ又或ル場合ニ於テハ過失モアリマセウ」と述べています(同124。また,同127)。

 また,梅による122回法典調査会での「些細ノ違ヒシカナイノニ此場合ニ一方ハ全部〔義務〕ト見ル一方ハ連帯ト見ルノハ小刀細工テアルカラ両方トモ連帯トシタ」との発言は(法典調査会議事速記録41138丁),民法7191項は旧民法財産編378条における全部義務となる場合及び連帯債務となる場合のいずれについても連帯債務とする趣旨の規定である,との認識を示すものでしょう。

イ 同条外における解釈上の全部義務関係の発生を認めるものか。

注目すべきは,「各加害者ノ行為皆損害ノ原因ナルカ故ニ被害者ハ其孰レニ対シテモ損害ノ全部ヲ請求スルコトヲ得ヘキハ殆ト論ヲ竢タサル所ナリ」の部分です。「法律上の全部義務の効果とその生ずる場合は当然である」(星野169頁)ところの「当然」に「〔法律上の全部義務〕の生ずる場合」の一例が,ここに示されているということでしょうか。「当然」全部義務が生ずるのであるならば,民法7191項前段の意義は,専ら,全部義務関係から百尺竿頭一歩を進めて,「共同の不法行為」について「特ニ被害者ノ便ヲ計リ加害者間ニ連帯ノ責任アルモノトシタ」ことにあることになります。

しかし,当然全部義務になるのならば,わざわざ民法7191項前段を適用した上で,連帯債務であるぞとする法律の明文を更にわざわざ枉げてドイツ法学流(我妻・債権総論402頁参照)の「不真正連帯債務」とする(最判昭和5734日判時104287頁)などということは,とんだ迂路でした。梅謙次郎に言わせれば,連帯債務と全部義務との違いを云々することは「小刀細工」にすぎないのでしょうが。

 (2)同時行為者を共同行為者と見なすものとする解釈:719条1項後段

次の梅の記述は,難しい。

 

 右ハ数人カ共同ノ不法行為ニ因リテ一ノ損害ヲ加ヘタル場合ニ付テ論シタリ然ルニ往往ニシテ数人カ同時ニ不法行為ヲ為シ他人ニ一ノ損害ヲ生セシメタリト雖モ而モ其孰レノ行為カ之ヲ生セシメタルカヲ知ルコト能ハサルコトアリ例ヘハ数人同時ニ他人ノ家屋ニ向ヒテ石ヲ投シタルニ其一カ家屋ニ命中シテ其一部ヲ破壊シタリトセンニ其石ハ必ス一人ノ投シタルモノナリト雖モ誰カ其石ヲ投シタルカヲ知ルコト能ハス而シテ同時ニ石ヲ投セシ者数人アリトセハ法律ハ恰モ其共同ノ行為ニ因リテ損害ヲ生シタルモノノ如ク見做シ同シク連帯シテ其責ニ任スヘキモノトセリ是レ理論上ヨリ見レハ聊カ解シ難キモノアルニ似タレトモ而モ此場合ニ於テ連帯責任アルモノトセサレハ被害者ハ竟ニ誰ニ向テカ其賠償ヲ請求スルコトヲ得ンヤ故ニ立法者ハ特ニ被害者ヲ保護シ右ノ行為者全体ヲシテ連帯ノ責任ヲ負ハシメタルナリ蓋シ仮令実際ハ其一人ノ行為ニ因リテ損害カ生シタルニモセヨ各自皆其損害ヲ生セシムルノ意思アリタルカ故ニ之ヲシテ連帯ノ責任ヲ負ハシムルモ敢テ酷ニ失スルモノト為スヘカラサルナリ(梅907-908頁。下線は筆者によるもの)


 民法7191項後段については,第121回法典調査会において穂積陳重が「此「共同行為者中ノ孰レカ其損害ヲ加ヘタルカヲ知ルコト能ハサルトキ」即チ大勢ガ寄ツテたかツて人ヲ打ツ併シ誰ノ手ガ当ツタノカ誰ノ拳ガ当ツタノカ分ラヌト云フヤウナ場合ニ於テ若シ其加害者ト云フモノヲ差示ス,直接ニ害ヲ加ヘタ者丈ケヲ差示ストイフコトヲ要スルトナリマスレバ多クノ場合ニ於テ大勢ガ乱暴ヲ働イタトカ云フソンナ場合ニハ実際其証明ガ六ケ敷クシテ害ヲ受ケマシタ者ハ夫レ丈ケノ損ヲシナケレバナラヌ其場合ニ於テハ法律ノ保護ハナイト云フコトニナリマスソレ故ニ公益上カラシテ斯ノ如ク規定スルノガ相当テアラウト考ヘマス夫レカラ理由モナイコトハナイノテアリマスル即チ大勢ガ寄ツテ或行為ヲ為シタ一人々々ナラセナイカモ知ラヌ大勢ノ行為テ矢張リ或事ヲスルノテアリマスカラシテ直接ニ手ヲ下シタト下サヌトニ拘ラズ矢張リ勢ヒヲ出シテ其事ニ就イテハ何処マテモ法律ニ違ウテ居ル結果ヲ生スベキ事柄夫レヲ覚悟シテ自分ガシタノテアリマスカラ矢張リ斯ウ致シテ置キマシテ全ク純然タル道理モ立タヌコトモナイ併シ主トシテ公益上カラシテ斯ノ如キ規定ヲ置イタノテアリマス」と説明していたところです(法典調査会議事速記録41117-118丁)。

民法7191項後段の「共同行為者」について穂積は,第122回法典調査会において「此第2(ママ)〔文〕ノ共同行為者ト云フ場合モ固ヨリ第1(ママ)〔文〕ノ中ニ籠リマス積リデアリマス」と述べ,数人が共謀して人を殴る例を挙げています(法典調査会議事速記録41121-122丁)。しかして,穂積は更に「第2(ママ)〔文〕ニハサウ云フ関係〔共謀〕モナイ皆ガ起ツテ例ヘハ或ル事ニ激シテ皆ガ打チヤルト云フヤウナ風ノ時ニ当タリマセウト思ヒマス」と発言します(同123丁。また,同127丁)。主観的共同関係のある共同不法行為者については,そのうちだれが損害を加えたかが不明であっても,7191項後段の規定をまたずに同様の結果(全員の連帯責任)になるのは当然であるので(幾代228頁参照。同229頁註2は「この点は,民法典起草段階においても議論のあったところである」と報告しますが,法典調査会議事速記録41128丁の富井政章発言が分かりやすいでしょうか。),当該規定の独自の存在理由を考えてみた,ということでしょうか。しかし,「共同行為者」の文字の枠内でそこまで読み得るかどうか,「共同行為者ト云フコトニナルト兎ニ角予メ合同シテ居ツタヤウニシカ読メヌノテアリマス」「共同行為者ト云フト予メ意思ノ通謀ガアツタ人ダケニシカママヌヤウテアリマス」と磯部四郎🎴が疑問を提示します(同124-125丁)。

これに対する梅謙次郎の助け舟は,「共同行為者」の意味の拡張解釈論でした。「併シ乍ラ斯ウ云フ風ニ読メヌコトモナイ共同ト言ヘハ共ニ同ジクテアリマスカラ同時ニ同ジ行為ヲ為シタ其同ジト云フ幅ハ只一ツ手ヲ打ツトキガ同ジカ是レモ打チアレモ打ツト云フノガ同ジカソコハ見様テアリマスガアレヲ殴ツテヤラウト云フ約束ヲシナクテモソコヘ徃ツテ甲モ打チ乙モ打チ竟ニ死ンダドレガ打ツタノテ死ンダノカ分ラヌ此場合ニ共同行為者,共ニ同ジク為シタル行為ト云フコトニナラウ」と(法典調査会議事速記録41125丁)。

しかし,富井政章は,なおも通謀の存在を認定すべきものとするようです。いわく,「サウスレバ第2(ママ)〔文〕ノ方ハ例ヘハ酒ノ席ニ聘バレタ者ガ一時ニ己レモ殴ツテヤラウ己モ殴ツテヤラウ誰ガ殴ツタカ分ラヌト云フ場合ニ適用サレル同時ニト云フトモ矢張リ通謀シテ甲乙ノ2人ガ入ツテサウシテ実際甲ダケガ打ツタト云フヤウニ適用ガ読メル」と(法典調査会議事速記録41128-129丁)。

 『民法要義巻之三』では,梅は,民法7191項後段の「共同行為者」には同時行為者が含まれるものと「見做」される,と主張しています。「見做シ」なので,同時行為者は本来「共同ノ行為」をするものではないということが前提されています。したがって,第122回法典調査会における拡張解釈説から改説があったということになるのでしょう。しかしながら,民法7191項後段の法文自体には,当該見なし規定の存在を読み取り得せしめる文字はありません。

なかなか苦しいのですが,この窮屈な解釈を梅(及び穂積)は納得の上甘受しているということになるのでしょうか。民法7191項後段の法文については,「同時ニ不法行為ヲ為シタル者ノ中ノ孰レガ其損害ヲ加ヘタルカヲ知ルコト能ハサルトキ亦同シ」という修正案の可能性を梅自ら第122回法典調査会で発言し(法典調査会議事速記録41127丁),更に当該調査会において箕作麟祥議長から起草委員に対し「尚ホ文章ハ御考ヘヲ願ヒマス」との依頼がされていたのですが(同145丁),結局原案が維持されてしまっています。

  

(3)教唆者及び幇助者:719条2項

 梅の7192項解説は,次のとおりです。

 

  教唆者及ヒ幇助者ハ果シテ共同行為者ト為スヘキカ是レ刑法ニ於テハ稍〻疑ハシキ問題ニ属シ其制裁ニ付テモ亦一様ナラスト雖モ不法行為ヨリ生スル民法上ノ責任ニ付テハ之ヲ共同行為者ト看做セリ蓋シ理論上ニ於テモ純然タル共同行為ナリト謂フヘキ場合極メテ多ク又仮令純然タル共同行為ト視ルヘカラサル場合ト雖モ其行為ハ相連繋シテ密着離ルヘカラサル関係ヲ有スルカ故ニ之ヲシテ連帯責任ヲ負ハシムルハ固ヨリ至当ト謂フヘケレハナリ例ヘハ前例ニ於テ自ラ石ヲ投セスト雖モ他人ニ之ヲ投スヘキコトヲ教唆シタル者又ハ其投スヘキ石ヲ供給シタル者ハ皆之ヲ共同行為者ト看做スナリ(梅908頁)

    


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1 民法884条

 民法884条に相続回復請求権という七文字熟語があって,なかなか難しい。「そもそも884条が何を定めているのかという点からして見解は一致せず,この規定がどのような紛争類型に適用されるのか等をめぐって学説・判例が分かれ,百花繚乱という状態となった」とされています(内田貴『民法Ⅳ 親族・相続』(東京大学出版会・2002年)433頁)。条文は,次のとおりです。

 

   (相続回復請求権)

  第884条 相続回復の請求権は,相続人又はその法定代理人が相続権を侵害された事実を知った時から5年間行使しないときは,時効によって消滅する。相続開始の時から20年を経過したときも,同様とする。

 

「本条は,相続回復請求権の短期消滅時効を規定するだけのように見えるが,実は,相続回復請求権という特殊の請求権を認める,という意味をももつている。かような請求権を認めることは,ローマ法に淵源し,ドイツ民法(同法2018条以下),スイス民法(同法598条以下)に承継されているが,フランスでも,判例の努力によつて,ほぼ同一の制度が認められている。かような制度を認める理由は,相続権のない者が相続人らしい地位にあつて相続財産の管理・処分をする場合に,真正の相続人に対して,相続財産を一括して回復することができるような便宜を与えようとすることである。」と,1952年段階では確信あり気に述べられています(我妻榮=立石芳枝『親族法・相続法』(日本評論新社・1952年)361頁(相続法は我妻執筆)。下線は筆者によるもの)。しかし,1947年の昭和22年法律第222号による民法親族編・相続編の「改正の際,戸主制度を廃止したにもかかわらず,遺産相続に関して以上の規定〔現行884条の前身である昭和22年法律第222号改正前民法966条及び993条〕がそのまま維持されてしまった。しかも,はっきりとした確信のもとに維持されたというより,改正を急いだために十分な検討を経ずに旧規定が承継されたという面が強い。」というのが実相だったのではないかとも説かれています(内田433頁)。

 

2 民法旧966条及び旧993条並びに起草者によるそれらの解説

昭和22年法律第222号改正前民法966条及び993条の条文は,次のとおりです。

 

 第966条 家督相続回復ノ請求権ハ家督相続人又ハ其法定代理人カ相続権侵害ノ事実ヲ知リタル時ヨリ5年間之ヲ行ハサルトキハ時効ニ因リテ消滅ス相続開始ノ時ヨリ20年ヲ経過シタルトキ亦同シ

 

第993条 第965条乃至第968条ノ規定ハ遺産相続ニ之ヲ準用ス

 

 我が民法の起草者の一人たる梅謙次郎は,民法旧966条について次のように解説します。

 

  本条ハ家督(○○)相続権(○○○)()消滅(○○)時効(○○)ヲ定メタルモノナリ蓋シ家督相続ナルモノハ頗ル複雑ナルモノニシテ一旦事実上ノ相続ヲ為シタル者アルノ後数年乃至数十年ヲ経テ其者ノ相続権ヲ奪ヒ之ヲ他ノ者ニ与フルトキハ之カ為メニ生スル当事者間及ヒ第三者ニ対スル権利義務ノ関係非常ノ攪乱ヲ受ケ為メニ経済上,社会上容易ナラサル結果ヲ惹起スルコト多カルヘシ故ニ之ニ関シテ時効ノ規定ヲ設クヘキハ勿論其時効ハ寧ロ普通ノ時効ヨリモ其期間ヲ短ウスルノ理由アリ相続権シテ貴重ナルモノナルカ正当相続人権利サレタル場合事情リテ不問クカキハ人情ヘカラサルナリ外国テハ相続権普通時効最長期時効リテノミ消滅スヘキモノトセルカラス民法ヘリ〕(証155後略(梅謙次郎『第18版民法要義巻之五 相続編』(私立法政大学=中外出版社=有斐閣書房・1910年)10-11頁)

  

 旧993条については,次のとおり。

 

  本条ニ於テハ家督相続ニ関スル第965条乃至第968条ノ規定ヲ遺産相続ニ準用セリ蓋シ〔略〕相続権ノ時効(966)〔略〕ニ付テハ家督相続ト遺産相続トノ間ニ区別ヲ設クル理由ナキカ故ニ此等ノ事項ニ付テハ家督相続ニ関スル規定ヲ遺産相続ニ準用スルヲ以テ妥当トシタルナリ(梅93頁)

 

民法966には「家督相続回復ノ請求権」と大きく打ち出されてはいるものの,梅謙次郎の解説を読む限りでは同条は飽くまでも相続権の短期時効による消滅(この点外国法制と異なる。)について定めたいわば消極的規定であるようで,新たに「家督相続回復ノ請求権」なる特殊な請求権を積極的に創出するという趣は窺われません。

 

3 旧民法証拠編155条並びにボワソナアド草案1492条及びボワソナアド解説

民法旧966条の前身規定は旧民法証拠編155条とされていますので(梅10頁),更に旧民法の当該規定を見てみましょう。同編第2部「時効」の第8章「特別ノ時効」の章にあります。

 

 第155条 相続人又ハ包括権原ノ受遺者若クハ受贈者ノ分限ヲシテ効用ヲ致サシムル為メノ遺産請求ノ訴権ハ相続人又ハ包括権原ノ受贈者若クハ受遺者ノ権原ニテ占有スル者ニ対シテハ相続ノ時ヨリ30个年ヲ経過スルニ非サレハ時効ニ罹ラス

 

 民法旧規定の「相続回復ノ請求権」とは,旧民法の「相続人ノ分限ヲシテ効用ヲ致サシムル為メノ遺産請求ノ訴権」に対応するということでしょうか。

 旧民法証拠編155条は,次のボワソナアド草案に基づくものです。

 

   Art. 1492. L’action en pétition d’hérédité, pour faire valoir la qualité d’héritier légitime ou de légataire ou donataire à titre universel ne se prescript que par trente ans, à partir de l’ouverture de la succession, contre ceux qui possèdent, à l'un des mêmes titres, tout ou partie des biens du défunt. [133, 137]

  (Boissonade, M. Gve, Projet de Code Civil pour l’Empore du Japon accompagné d’un Commentaire, Tome Cinquième: Des Preuves et de la Prescription (Tokio, 1889) p. 388)

 

旧民法証拠編155条は,ボワソナアド草案1492条そのままですね。ただし,ボワソナアド草案1492条の“L’action en pétition d’hérédité”の部分が「遺産請求ノ訴権」と訳されており,その相手方である「占有スル者」が占有する物であるtout ou partie des biens du défunt”(死者(被相続人)の財産の全部又は一部)の部分は省略されているものです。後者については,恐らく,「遺産請求ノ訴権で問題になっているのは遺産なんだから,その相手方たる「占有スル者」が占有している物が被相続人の財産の全部又は一部であることは自明だろう」ということだったのでしょう。

[133, 137]は,ナポレオンの民法典における対応条項でしょう。

 

 第133条 失踪者の子及び直系卑属も同様に,〔関係権利者への〕確定的占有付与から30年間は,前条に定めるところに従い当該失踪者の財産の返還を請求することができる。

 

   第132条 失踪者が帰還し,又はその生存が証明されたときは,確定的占有付与の後であっても,当該失踪者は,現状におけるその財産及び処分された財産の対価又は売却されたその財産の対価の使用によって得られた財産を回復する。

 

   (旧民法人事編第284条 失踪者ノ相続順位ニ在ル者ハ他ノ者カ財産占有ヲ得タル日ヨリ30个年間其財産ノ返還ヲ請求スルコトヲ得

    此場合ニ於テモ果実ハ前条ノ規定ニ従ヒテ之ヲ取戻スコトヲ得)

 

第137条 前2条の規定は,失踪者又はその承継相続人若しくは承継人に帰属し,かつ,所定の時効期間の経過によらなければ消滅しないもの(lesquels)である遺産請求の訴権(actions en pétition d’hérédité)及び他の権利(autres droits)を害しない。

 

第135条 その生存が確認されていない個人に帰属した権利を主張する者は,当該権利が生じた時に当該個人が生存していたことを証明しなければならない。当該証明がされない限り,同人の請求は受理されない。

 

第136条 生存が確認されていない個人を相続権利者とする相続が開始された場合においては,相続財産は,専ら同人と同等の権利を有する者又は同人の代襲者に対してのみ帰属する。

 

    (旧民法人事編第287条 前2条ノ規定ハ失踪者又ハ其相続人及ヒ承継人ニ属スル相続ノ請求其他ノ権利ヲ行フヲ妨クルコト無シ此等ノ権利ハ普通ノ時効ニ因ルニ非サレハ消滅セス)

 

 その草案1492条に係るボワソナアドの解説は,次のとおりです。

 

   法は,かつて(autrefois),特にローマ法において,非常によく使われた表現(une expression très-usitée)であって,フランスの法典(第137条)ではただ1回のみ使用されているもの――“la pétition d’hérédité”――をあらかじめ定立する(La loi consacre…)。これは,物的訴権の一つ(une action réelle)であって,我々の条項にいうとおり「被相続人の財産の全部又は一部を相続人又は包括承継人の権原をもって占有する者に対して,相続人又は包括承継人の分限(qualité)をして効用を致さしむるため(à faire valoir)」のものである。〔追記:1891年の新版第41005頁では,「我々の条項にいうとおり「相続人又は包括承継人の分限(qualité)をして効用を致さしむるため(à faire valoir)」のものである。当該訴権は「被相続人の財産の全部又は一部を相続人又は包括承継人の権原をもって占有する者に対して」行使される。」と微妙に修正されています。〕相続人又は包括の受遺者若しくは受贈者の分限の承認(reconnaissance)は,結果として(pour conséquence),相続において当該分限に伴うところの財産(les biens de la succession attachés à cette qualité)の原告に対する回復(restitution au demandeur)をもたらすものである。

   相続財産中のある財産の占有者が,当該財産を買主若しくは特定の受贈者として,又は他の同様の特定の権原をもって占有している場合においては,la pétition d’héréditéによって訴えが提起されるべきものではなく,通常の返還請求の訴え(la revendication ordinaire)によるべきものであって,かつ,そうであるので時効期間は,不動産については15年又は30年,動産については即時となる。

   これに対して,占有が包括の権原によるものである場合においては,動産不動産の区分,正権原及び善意の有無を問わず,時効期間は一様に(uniformément30年である。

   この長い時効期間は,伝統的なものであり,並びに家産(patrimoine)の全体又は割り前が問題になっているという状況によって,及び相続の開始又は相続人若しくは受遺者としてのその権利に係る無知という相続権利者が陥り得る宥恕すべき情況によって説明されるものである。

   この訴権については(sur cette action),失踪に関して第1編において,相続並びに包括の贈与及び遺贈に関して第3編第2部においても触れられる(On reviendra…)。

                           (Boissonade pp.393-394

 

上記解説の最終段落について更に解説を加えれば,ボワソナアド当初案による旧民法の編別は次のとおりであったところです(大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波新書・1998年(第3刷))135頁)。

 

 第1編 人事編

 第2編 財産編

 第3編 財産取得編

第1部 特定名義の取得法

    第2部 包括名義の取得法

  第4部 債権担保編

  第5編 証拠編

 

 「ここで注意しなければならないのは,このうち第1編人事編(すなわち家族法)と,第3編第2部包括名義の取得法(すなわち相続,贈与と遺贈,夫婦財産契約)は,初めから日本人委員が起草するてはず(●●●)になっていたことである。つまりはっきりいえば,ボワソナアドは,家族法相続法の起草は依頼されなかったのである。」ということでした(大久保135-136頁)。であるので,la pétition d’héréditéの実体についての詳しい規定の起草を,ボワソナアドとしては日本人委員(熊野敏三,光明寺三郎,黒田綱彦,高野真遜,磯部四郎及び井上正一(大久保157頁))に期待していたのでしょう。しかしながら,そのような起草はされず,旧民法におけるla pétition d’héréditéに関する規定は証拠編155条のみと観念される結果となったようです(梅10頁は民法旧966条に係る参考条項として旧民法証拠編155条のみを掲げています。)。旧民法人事編287条はナポレオンの民法典137条のほぼそのままの翻訳なのですが,そこではナポレオンの民法典137条における“actions en pétition d’hérédité”が「相続ノ請求」とされていて,証拠編155条における“action en pétition d’hérédité”に係る「遺産請求ノ訴権」の語と整合していません。結局,日本人委員はla pétition d’héréditéについて特に考えることはなかったのでしょう。

結果として,旧民法におけるaction en pétition d’héréditéの内実は,ボワソナアドが前記解説で説いたところに尽きるものであったことになるようです。すなわち,飽くまでも時効に係るものにすぎず(なお,旧民法証拠編155条の文言は,action en pétition d’héréditéのうち「相続人又ハ包括権原ノ受贈者若クハ受遺者ノ権原ニテ占有スル者ニ対シテ」行使されるものに限って時効期間の特別規定を設けた形になっています。),「真正の相続人に対して,相続財産を一括して回復することができるような便宜を与えようとすること」(前掲我妻等361頁)や,「相続回復請求権」を「「自分が相続人であるから遺産を全部返還せよ」と一括して請求」できる「個々の財産の返還請求権とは別の独立の請求権と構成」すること(内田434頁の紹介する「独立権利説」)までは,少なくともその旨明示的かつ積極的に表明されてはいなかったということになります。「相続回復請求権は,ローマ法以来の制度で,ドイツにもフランスにも存在する。日本にも,ボワソナード草案を通じて継受され」たとされてはいますが(内田432頁),ボワソナアドとしては,自分は「遺産請求ノ訴権」(l’action en pétition d’hérédité)との「表現」(expression)の定立(consacrer)を法典においてすることにはしたが,その定義は時効に係るものとしての自分の草案1492条に書いてある限りのものであって,相続に係るローマ法以来の西洋の制度をそれとしてそのまま日本の民法に積極的に持ち込むまでのことはしていない,飽くまでも当該「表現」を使った(あるいは「有り難く頂戴」(consacrer)した)にすぎない,そもそも相続法本体の起草は日本人の領分である,といささかの修正的弁明を試みたくなるかもしれません。

ちなみに,ボワソナアドのProjetは,現在国立国会図書館デジタルコレクションで自由にアクセスできるようになっています。当該書籍の印刷発行についてボワソナアドは後世読者のために紙や活字にまで気を配り精魂を傾けていますから,今日民法について何か語ろうとする者は,当該Projetを避けて通るわけにはいきません。

 

 〔略〕磯部〔四郎〕の談話によると,明治16,7年〔1883-1884年〕頃のこと,ボワソナアドが草案を「出版スルノニ,是レデハ紙質ガ悪イダノ,是レデハ活字ガ鮮明デナイダノト,兎角下ラナイ処ニ気ヲ配ツテ」,「肝腎ナ事務ガ運バナイ」ようになった。そこで今後は,いっさいボワソナアドに口をきかせないようにしようとして,大木〔喬任〕司法卿に会い,「ボアソナード氏ハ,卿ニ向テ何ト申スカハ存ジマセヌガ,民法編纂ノ実際ハ斯クノ如キ状態デアルカラ」,以後は,かれこれいわせないようにしたい,と申し出たところ,大木卿にたいそう叱られた。同卿は,「お前,ボワソナアドに1年どれほど金を払うか知っているだろう。1万5千円支払っているではないか。ずいぶん高い出費だが,国家の急務であるから,このような高い金を払って仕事をさせているのである。それを,わずかに活字のことや紙質のことぐらいで,けんか(●●●)をして感情を害し,その結果草案の起草がはかどらぬ時には,それこそ政府の損だから,そんな片々たることはやめて,ボワソナアドをだまして,仕事をさせるようにいたさねばならぬ」といったという。(大久保138-139頁)

 

後に芸妓をあげての花札ばくち🎴大好き大審院検事となる磯部四郎(大久保177-178頁参照。令和の聖代における事例のように,むくつけき新聞記者相手にこそこそと賭け麻雀🀄をしていたというような謙虚なものではないようです。)は,さすが人間が小さい。実は自分らの手間暇等の問題にすぎない事務方的正義論による悪口を偉い人に言いつけて,本当の仕事を一生懸命している真に有能な人の心を折ろうとする。

しかし,ここでボワソナアドを救ったのは,その高給であったということは興味深いところです。変に良心的に薄給に甘んじていると,甘く見られて,真の仕事をなす前に横着かつ感情的な事務方的正義に圧倒され揉みくちゃにされあるいは排除されてしまうことがあるということでしょう。高い報酬を請求するということにも,正義があるものです。

閑話休題。

ボワソナアド草案1492条(旧民法証拠編155条)及びそのボワソナアド解説から分かる範囲での遺産請求ノ訴権の性質を考えるに,まずこれは,物的訴権(action réelle)であるとされています。物的訴権とは,日本の法律家としては見慣れない概念なのですが,これはローマ法にいう対物訴権なのでしょう。対物訴権は,債権の訴権ではない訴権です。

 

  〔略〕対物訴権(actio in rem),対人訴権(actio in personam) ローマ人の考では前者は物自体に対する訴権,後者は人に対する訴権である。前者は物権,家族法上の権利,相続法上の権利に関する訴権及び確認〔略〕の訴権,後者は債権の訴権である。債権は相手方の行為を要求する権利であるから,法律関係成立の時から被告となり得べき者が定まり,従つて当然請求の表示〔略〕の部分に被告の名が見えて来るが,物権に於ては個別的な相手方はなく,その訴の相手方は法律関係自体からは定まらずして,権利侵害という後発事情の附加によつて定まらざるを得ない。この法律関係の非個別性に基づいて,請求の表示の部分には被告の名は示されない。〔略〕(原田慶吉『ローマ法(改訂)』(有斐閣全書・1955年)398-399頁)

 

  〔略〕物権とその基本観念 ローマ法には物権の語はない。ただ訴訟上対物訴権と対人訴権の区別があり〔略〕,現代人はローマ法上物に対する支配権にして対物訴権を附与せられた権利をば物権と称して,訴訟法上の区別を実体法上の観念に建て直しているのである。その対物訴権とはローマ人自身の考では,物自体に対して訴訟を提起しているのであつて,結局物的追求,第三者対抗可能がその基本観念である。(原田94頁)

 

  〔略〕対物訴訟〔略〕に於ては被告に応訴の義務がない。被告が認諾もせず,争点の決定もしないときは,法務官の命令によつて,訴訟物の占有は原告にうつるだけである。訴訟は確定しない。被告が後日争うときは,原告となるためにその地位が不利となるだけである。(原田386頁)

 

 相続財産返還請求訴訟は,基本的に「対物訴訟(actio in rem)」で,「所有物返還請求訴訟(rei vindicatio)」に類似したものであるといわれる〔略〕。そして,その場合の「正しい被告」(被告となるべき者)は,相続財産占有者のみである。(オッコー・ベーレンツ=河上正二『歴史の中の民法――ローマ法との対話』(日本評論社・2001年)297頁)

 

ところで,旧民法証拠編155条の遺産請求ノ訴権は,相続財産を直ちに取り戻す訴権と等号で結ばれるものではなかったように思われます。ボワソナアドは,遺産請求ノ訴権に関して「相続人又は包括の受遺者若しくは受贈者の分限(qualité)の承認(reconnaissance)は,結果として(pour conséquence),相続において当該分限に伴うところの財産(les biens de la succession attachés à cette qualité)の原告に対する回復(restitution au demandeur)をもたらす(a (=avoir))」と述べていますが,「結果として(pour conséquence)」という間接効果的文言がありますので,遺産請求ノ訴権の効果についてボワソナアドは腰が引けているな,というのが一読しての筆者の感想です。確かに,「相続人又ハ包括権原ノ受遺者若クハ受贈者ノ分限ヲシテ効用ヲ致サシムル為メノ」訴権というのはもって回った表現であって,物の引渡し(Herausgabe)を求めるためのものに限定されねばならないということにはならないようです。

あるいは,原告に係る「相続人又は包括の受遺者若しくは受贈者の分限(qualité)の承認(reconnaissance)」の可否が争われる訴訟の訴権であることこそが,実はボワソナアドの考えた遺産請求ノ訴権のメルクマールであったものと解すべきでしょうか。この点,最高裁判所大法廷昭和531220日判決(民集3291674頁)は,民法884条の相続回復請求権について「思うに,民法884条の相続回復請求の制度は,いわゆる表見相続人が真正相続人の相続権を否定し相続の目的たる権利を侵害している場合に,真正相続人が自己の相続権を主張して表見相続人に対し侵害の排除を請求することにより,真正相続人に相続権を回復させようとするものである。」と判示しています(下線は筆者によるもの)。原告たる「真正相続人の相続権」の有無が争われるわけであって,ここでの「相続権」を「相続人ノ分限」で置き換えることができるのであれば(当該「相続権」は「相続開始後の相続人の地位」とも一応いい得るようですが(我妻榮=有泉亨著,遠藤浩=川井健=水本浩補訂『民法3 親族法・相続法(新版)』(一粒社・1992年)305頁),しかし,上掲最判昭和531220日の大塚喜一郎=吉田豊=団藤重光=栗本一夫=本山亨=戸田弘意見は「相続人の地位と相続権とは別個の観念」であるとします。とはいえ,当該判例の事案においては,被告たる他の共同相続人によって,原告たる共同相続人の相続権は全否定されていた(したがって相続人扱いされていなかった)のではないでしょうか(内田436-437頁によれば,原告の母は姑(その夫(原告の祖父)が被相続人)と折り合いが悪く,実家に帰って原告を出産してそのままとなり,その後原告と他の共同相続人との間には親戚付き合いもなかったそうです。。),相続回復請求の制度は,ボワソナアドの言及した原告たる相続人の分限(qualité)の承認(reconnaissance)の可否の争いに係るものと考えた場合における遺産請求ノ訴権の制度とパラレルなものと捉えることができそうです。相続回復請求訴訟においては,原被告は「互いに被相続人の権利を前提としながら,その承継を争う」ものとされています(我妻=有泉312頁)。

ただし,ボワソナアド草案1492及び旧民法証拠編155条は,「通常の返還請求の訴え」による場合においては「不動産については15年又は30年,動産については即時」の期間による時効取得によって真正相続人が害されるところ,相手方の「占有が包括の権原によるものである場合」に係る特則を設けて,その場合おいては「動産不動産の区分,正権原及び善意の有無を問わず,時効期間は一様に30年である」ものとして,より長い時効期間によって真正相続人を特に保護しようとするものでした。ところが,これとは反対に,民法旧966条及び旧993条以降の相続回復の請求権に係る消滅時効制度は,「表見相続人が外見上相続により相続財産を取得したような事実状態が生じたのち相当年月を経てからこの事実状態を覆滅して真正相続人に権利を回復させることにより当事者又は第三者の権利義務関係に混乱を生じさせることのないよう相続権の帰属及びこれに伴う法律関係を早期かつ終局的に確定させるという趣旨に出たものである。」とされ(前記最判昭和531220日。下線は筆者によるもの),むしろより短い時効期間によって表見相続人等を特に保護しようとするものとされています。「日本の相続回復請求権制度は,単に時効期間が短くなったというにとどまらない質的変化を遂げ,ローマ法以来の相続回復請求権とは異なる制度になったとすらいえる」(内田433頁)とは正にむべなるかなであって,ここでの「質的変化」とは,あえていえば正反対のものとなったということでしょう。日本人は「家」を大事にするといわれているようでもありますが,実は相続の真正には余り重きを置かず,その場その時の家関係者「みんな」の便宜こそが最優先されるということでしょうか。天一坊が徳川第9代将軍として政権を把握し,かつ,その政権が一応安定して「みんな」の居場所と出番とが確保されたのならば,将軍位継承権を否定されたとて家重やら宗武やら宗尹やらが今更がたがた言うな,引っ込んでおれ,ということなのでしょう。また,相続の真正について一番文句を言いそうな家の関係者「みんな」が忖度し,認許する以上は,法律関係が「早期かつ終局的に確定」されるという利益が「第三者」に対しても及んで当然ということになるのでしょう。


4 ドイツ民法のErbschaftsanspruch及びその影響

ドイツ民法2018条以下の規定が,日本民法の解釈に影響を与えてしまったようです。しかしながら,前記のとおり,ローマ法以来の流れを汲むドイツ民法は真正相続人を保護しようとしているのに対して,日本民法の相続回復請求権の消滅時効制度は表見相続人及び第三者を保護しようとするものとなってしまっているのですから,もっともらしくドイツ法を参照すればするほど混乱が深まったのかもしれません。

なお,ドイツ民法においては「〔相続回復〕請求権を個別的請求権とは独自の請求権とし,その中に相続財産の包括性を考慮した効果,相続財産の所在等に関する遺産占有者の通知義務など,主として相続人に有利な内容を付与している。そして,起草者によれば,こうした規定の背景には次のような考慮があった。すなわち,相続回復請求権の対象としての相続財産はいわゆる特別財産ではないが,その包括性を考慮した取扱がなされるのが妥当であること,そして,その際,法規や法律関係の簡明化という立法技術的要請から法文上個別的請求権とは独立の相続回復請求権を創立する,というものである。」ということだそうです(副田隆重「相続回復請求権」星野英一編集代表『民法講座第7巻 親族・相続』(有斐閣・1984年)444頁・註(20))。
 

節 相続回復請求権Erbschaftsanspruch

 

  第2018条 相続人(Erbe)は,現実には(in Wirklichkeit)その者に帰属しない相続権に基づいて(auf Grund eines...Erbrechts)相続財産(Erbschaft)から物(etwas)を入手した(erlangt hat)者(相続財産占有者(Erbschaftsbesitzer))に対し,当該入手物の引渡し(Herausgabe des Erlangten)を請求することができる。

 

第2019条 相続財産に属する手段をもってする(mit Mitteln)法律行為によって相続財産占有者が取得した物(was)も,相続財産から入手したものとみなされる。

債務者(Schuldner)は,当該帰属についての認識を得たときは,前項のような方法で取得された債権(Forderung)が相続財産に帰属するということ(Zugehörigkeit...zur Erbschaft)をまず自らについて実現させなければならない(hat…erst dann gegen sich gelten zu lassen)。この場合において,第406条から第408条までの規定が準用される。

 

第2020条 相続財産占有者は,得られた収益(die gezogenen Nutzungen)を相続人に引き渡さなければならない。引渡しの義務は,相続財産占有者が所有権(Eigentum)を取得した果実(Früchte)にも及ぶ。

 

第2021条 相続財産占有者が引渡しについて無能力(außer Stande)であるときは,その義務は,不当利得の引渡し(Herausgabe einer ungerechtfertigen Bereicherung)に係る規定により定められる。

 

第2022条 相続財産占有者は,当該費用(Verwendungen)が前条により引き渡す利得の計算において算入されていない(nicht…gedeckt werden)ときは,全ての費用の償還(Ersatz)と引換えにのみ相続財産に属する物の引渡しの義務を負う。この場合において,所有権に基づく請求権(Eigenthumsanspruch)について適用される第1000条から第1003条までの規定が準用される。

相続財産の負担に係る支出(Bestreitung von Lasten der Erbschaft)又は遺産債務(Nachlaßverbindlichkeiten)の弁済(Berichtigung)のために相続財産占有者がした出費(Aufwendungen)も,費用に含まれる。

個別の物についてされたものではない出費,特に前項に掲げられた出費に対して相続人が一般の条項によってより広い範囲で償還をしなければならない範囲において,相続財産占有者の請求権は変更されない(bleibt…unberührt)。

 

第2023条 相続財産占有者が相続財産に属する物を引き渡さなければならないときは,不良品化(Verschlechterung),沈没(Untergang)又は他の原因により生じる引渡しの不能に起因する損害賠償に係る相続人の請求権は,訴訟の係属の時から,所有者と占有者との間の関係について所有権に基づく請求権に係る訴訟の係属の時から適用される規定に従う。

収益の引渡し又は償還(Vergütung)に係る相続人の請求権及び費用の償還に係る相続財産占有者の請求権についても,前項と同様である。

 

第2024条 相続財産占有者は,相続財産占有の開始時において善意(in gutem Glauben)でなかった場合においては,その時において相続人の請求が訴訟係属していた(rechtshängig)ときと同様の責任を負う(haftet)。相続財産占有者が後に自分が相続人でないことを知った場合においては,当該事実を認識した時から同様の責任を負う。遅滞に基づく(wegen Verzugs)継続的責任(weitergehende Haftung)は,変更されない。

 

第2025条 相続財産占有者は,相続目的物(Erbschaftsgegenstand)を犯罪行為(Straftat)により,又は相続財産に属する物を禁じられた自力救済(verbotene Eigenmacht)により取得した場合においては,不法行為に基づく(wegen unerlaubter Handlungen)損害賠償に係る規定により責任を負う。ただし,当該規定により善意の相続財産占有者が禁じられた自力救済に基づく責任を負うのは,相続人が当該物件の占有を既に現実に(thatsächlich)獲得していたときに限る。

 

第2026条 相続財産占有者は,相続回復請求権が時効にかかっていない限りは,相続人に対して,相続財産に属するものとして占有していた物の時効取得(Ersitzung)を主張できない。

 

第2027条 相続財産占有者は,相続財産の状況(Bestand)及び相続目的物の所在(Verbleib)を相続人に通知する義務を負う。

相続人が当該物件の占有を現実に獲得する前に遺産(Nachlaß)から物を取得して占有した者は,相続財産占有者ではなくとも,前項と同じ義務を負う。

 

第2028条 相続開始時に(zur Zeit des Erbfalls)被相続人(Erblasser)と家庭共同体を共にしていた者は(Wer sich...in häuslicher Gemeinschaft befunden hat),その行った相続に関する行為(erbschaftliche Geschäfte)及び相続目的物の所在について知っていることを相続人に対し,求めに応じて通知する義務を負う。

必要な注意をもって(mit der erforderlichen Sorgfalt)前項の通知がされなかったとの推定(Annahme)に理由があるときは,同項の義務者は,相続人の求めに応じ,調書において(zu Protokoll),同人はその申述(seine Angaben)をその最善の知識に基づき(nach bestem Wissen),かつ,可能な限り(als er dazu imstande sei)完全に(vollständig)行った旨の宣誓に代わる(an Eides statt)保証をしなければならない(hat...zu versichern)。

   第259条第3項及び第261条の規定が準用される。

 

第2029条 個別の相続目的物について見た場合において(in Ansehung der einselnen Erbschaftsgegenstände)相続人に帰属する請求権に係る相続財産占有者の責任も,相続回復請求権に係る規定によって定められる。

 

  第2030条 相続財産占有者から相続分(Erbschaft)を契約(Vertrag)によって取得した者は,相続人との関係においては,相続財産占有者と同様の立場にある。

 

  第2031条 死亡したものと宣告された者又は失踪法の規定(Vorschriften des Verschollenheitsgesetzes)によりその死亡時期(Todeszeit)が定められた者であって,その死亡の時とされた時の経過後も生存したものは,相続回復請求権に適用される規定によりその財産の引渡し(Herausgabe ihres Vermögens)を請求することができる。同人がなお生存するときは,同人がその死亡宣告(Todeserklärung)又は死亡時期の定め(Feststellung der Todeszeit)を認識した時から1年を経過するまではその請求権は時効にかからない。

    死亡宣告又は死亡時期の定めなしに不当に(mit Unrecht)ある者が死亡したものとされたときも,同様である。

 

 以上ドイツ民法の関連条項を訳してみて思う。ドイツ人は,細かい。

さて,ドイツ民法の相続回復請求権は「包括的な返還請求権」であるということですが(中川善之助『相続法』(有斐閣・1964年)36頁),これは,「個々の財産に対する既存の個別の請求権」(「集合権利説」に関する内田435頁参照)について同法の相続回復請求権の規律を及ぼすための規定と解されるべきものであろうところの同法2029条の反対解釈に基づき,そのようなものとして理解すべきものでしょうか。なお,ローマ法においても,「相続人は相続財産を一括しての保護手段と,相続財産を構成する個々の財産の保護手段の2を享有」していたそうです(原田360頁)。

「今日わが民法で相続回復請求権といっているのは,真正相続人が,〔略〕自己の相続権を主張して,遺産の占有を回復せんとする請求」といわれますが(中川36頁),ここで「占有を回復」することが目的とされるのは,ドイツ民法の相続回復請求権が,引渡し(Herausgabe)を請求するものだからでしょうか。

日本民法の相続回復請求権について「相続開始の時以後に,遺産が滅失して損害賠償に代わったり,僭称相続人の処分によって代金債権に代わったりした場合,この請求権はこれらの代わりのものの上に行使することができる」と(我妻=有泉307頁),また「相続財産の果実は相続財産に属するから,表見相続人は善意であっても,取得することはできない。」と(泉久雄『民法(9)相続(第3版)』(有斐閣双書・1987年)136頁)説明されていますが,当該説明とドイツ民法2019条及び2020条とは関係がありそうです。

「ドイツ民法は,相続回復請求権――Erbschaftsanspruch――の相手方を表見相続人に限ったから(独民2018条),表見相続人から相続財産を譲受けた第三者に対し,その財産の返還を求めるのは,相続回復請求ではないとしている。わが大審院もこれと同じ見解を固執して来た」(中川39頁)といわれています。すなわち,当該学説においては,「表見相続人」とは「現実にはその者に帰属しない相続権に基づいて相続財産から物(etwas)を入手した(erlangt hat)者」(ドイツ民法2018条)ということになるようです。また,ドイツ民法2030条のErbschaftは,相続財産中の個々の財産ではなく包括的な相続分であるということになります。

ところで,「現実にはその者に帰属しない相続権(ein ihm in Wirklichkeit nicht zustehenden Erbrecht)」に基づき占有するのが表見相続人だということになると,現実にその者に帰属している共同相続権に基づき占有する共同相続人は(全く相続権を有さない者である)表見相続人にはならないということになってしまいます。しかし,我が判例は,民法884条は共同相続人間についても適用されるものとしています(前掲最高裁判所昭和531220日判決)。当該判例においては「共同相続人のうちの一人又は数人が,相続財産のうち自己の本来の相続持分をこえる部分について,当該部分の表見相続人として当該部分の真正共同相続人の相続権を否定し,その部分もまた自己の相続持分であると主張してこれを占有管理し,真正共同相続人の相続権を侵害している場合につき,民法884条の規定の適用をとくに否定すべき理由はない」と判示していますので(下線は筆者によるもの),「表見相続人」の概念について拡張解釈がされたものでしょう。また,「相続持分」の「占有」ということがいわれていますが,相続持分は有体物たる物(民法85条)ではないですから,当該「占有」は,「物を所持」することに係る占有(同法180条)ではなく,厳密にいえば,財産権の行使に係る準占有(同法205条)ということになるのでしょうか。

なお,相続回復の請求権の消滅時効に係る規定の効果が及ぶ相手方の範囲について,民法旧966条及び現行884条には,旧民法証拠編155条(「相続人又ハ包括権原ノ受贈者若クハ受遺者ノ権原ニテ占有スル者ニ対シテハ」)のような明文での限定規定はありません。そういうこともあるがゆえでしょうか,つとに,表見相続人から相続財産を譲り受けた第三者に対して真正相続人がする相続財産の返還請求について「思うに,かような返還請求は,仮に判例のいうように相続の回復請求ではないとしても,表見相続人に相続権がないこと(正確にいえば,当該財産について処分権のないこと)を前提とするものであつて,相続回復請求権が時効によつて消滅し,真正の相続人において,表見相続人にその処分権のないことを主張することができなくなつた以上,〔相続権侵害者から相続財産を譲り受けた〕第三者はその時効の利益を援用できるというべきであろう。いいかえれば,この問題は,右のような第三者に対する返還請求を相続の回復請求とみるべきかどうかには必ずしも関係なく,時効の利益を援用しうる者の範囲だけの問題としても,解決しうるように思う。そして,第三者に援用権を与えないと,本条に短期消滅時効を規定した実益の大半は失われるであろう。」と説かれていたところです(我妻等369-370頁)。「相続の回復請求」なる積極的なものがされるべき相手方の範囲の限定に係る問題と民法884条の消滅時効という消極的なものの援用権者の範囲に係る問題とは別の問題であることを明らかにしたところが,快刀乱麻を断った部分です。その後,「仮に〔表見相続人からの〕第三取得者に対する真正相続人からの物権的請求権に884条が直接適用されないとしても,表見共同相続人のもとで完成した消滅時効を第三取得者が援用できれば同じことである。そして,前掲最(大)判昭和531220日〔略〕は,第三取得者もそのような時効の利益を享受できることを前提としている(第三者の利益を共同相続人への適用肯定の根拠としてあげるのだから)。」と説かれるに至っています(内田442頁)。

なお,「相続財産が僭称相続人から第三者に譲渡された場合に,その処分は無効」(我妻=有泉312頁)であるのが原則です。

第三取得者ではなく,すなわち表見相続人を介しないで,「自分の相続権を主張しないで,単に相続人の相続権を否認し,または相続以外の特定の権原を主張して相続財産を占有する者」は相続「回復請求権の消滅時効を援用」できないと解すべきものとされています(我妻=有泉309-310頁)。旧民法証拠編155条の「相続人又ハ包括権原ノ受遺者若クハ受贈者ノ分限ヲシテ効用ヲ致サシムル為メノ遺産請求ノ訴権」については,間口が広くとも,消滅時効について「相続人又ハ包括権原ノ受贈者若クハ受遺者ノ権原ニテ占有スル者ニ対」するものかどうかで絞りをかけることができたところです。民法884条の「相続回復の請求権」に関してはそのような限定規定がないので,当該請求権自体について,相手方を「相続を理由に占有を開始または継続している者に限るべき」ものとする(我妻=有泉310頁)書かれざる定義規定を(恐らく旧民法証拠編155条からではなくドイツ民法2018条から)解釈で読み込むものでしょう。

さらには,相続を理由とするとしても,単に相続人と自称するだけでは駄目であるようです。前記最高裁判所昭和531220日判決は,「自ら相続人でないことを知りながら相続人であると称し,又はその者に相続権があると信ぜられるべき合理的な事由があるわけではないにもかかわらず自ら相続人であると称し,相続財産を占有管理することによりこれを侵害している者は,本来,相続回復請求制度が対象として考えている者にはあたらない」ものと判示しています(なお,共同相続の場合には,「たとえば,戸籍上はその者が唯一の相続人であり,かつ,他人の戸籍に記載された共同相続人のいることが分明でないとき」が上記「合理的事由」であるそうですから,むしろ原告(相続回復請求をする者)が共同相続人ではないと信ずることに係る合理的事由が問題となっているともいえそうです。)。確かに,天一坊程度のちゃちな僭称者(「自己の侵害行為を正当行為であるかのように糊塗するために口実として名を相続にかりているもの又はこれと同視されるべきもの」であって「いわば相続回復請求制度の埒外にある者」)にいちいち表見相続人としての保護を与えてはいられないでしょう(なお,判例が上記部分で「相続回復請求制度」という場合,相続回復の請求権の消滅時効制度という意味でしょう。)。また,無権利者によって対外的・社会的には客観的な外観が存在するように作為されていても(老中・奉行も信じてしまうように暴れん坊将軍のお墨付きが精巧に偽造されていても),結局静的安定が優先されるべきものとされています(最判昭和531220日の高辻正己=服部高顯補足意見及び環昌一補足意見参照)。保護を受けるのならば,当該保護に値する旨自ら証しをなすべし,ということになります(最判平成11719日(民集5361138頁))。

なお,真正相続人を保護するためのErbschaftsanspruch制度下ならば,自ら相続人と称していわば不利な状態になることは,その者の勝手であって,この辺は論点とならないのでしょう。ちなみに,古代ローマの市民法上の相続請求権(hereditatis petitio)については,被告には,自己が相続人であるとの主張をなさず「何故に占有するかと問われたならば,「占有するが故に占有する」と答えるより外ない者ではあるが,なお原告の相続人であることを争う者(possessor pro possessore 占有者として占有する者)」までもが含まれていました(原田360-361頁)。

 本来の消滅時効の期間が相続回復請求権よりも短い場合には,その期間は相続回復請求権のもの(5年及び20年)に揃えよといわれています(我妻=有泉313頁)。旧民法証拠編155条の遺産請求ノ訴権に係る30年との関係についても,ボワソナアド解説によれば,「一様に(uniformément)」当該長い期間に揃えるべきものであったと解されます。

 相続回復請求権の消滅時効とは別に,(特に表見相続人のもとで)相続財産上の取得時効は進行するかについては,互いにその進行を妨げないと解すべきだといわれています(中川49頁(「特に表見相続人から譲渡をうけた第三者の場合を考えれば一層明白」),我妻=有泉313-314頁(「表見相続人の相続財産の上」のものについて),内田444頁(一般に「相続財産を占有している者のもと」の場合について),泉138頁(「表見相続人についても」))。これに対して,ドイツ民法2026条は表見相続人はその相続財産上の取得時効を主張できないとし,旧民法証拠編155条の遺産請求ノ訴権に関するボワソナアド解説によれば当該占有が包括の権原によるものである場合には取得時効期間は当該訴権の消滅時効期間に揃うものとされています(大判昭和729日(民集11192頁)も僭称相続人のもとでの取得時効の成立を否定)。しかし,表見相続人及び「みんな」の保護のためには,取得時効の進行及び成立を認めた方が一貫するのでしょう。これについては,「判例・学説は従来から第三取得者による時効取得を認めていたが,最判昭和4798日民集2671348頁は,従来判例上否定されていた表見相続人による時効取得を一定の場合に肯定した。」とされています(副田464頁・註(77))。

 


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