1 はじめに
米国といえば民主主義(democracy)の本家本元で,君主制(monarchy)とは氷炭相容れぬ国柄であるとされています。
しかしながら,アメリカの建国期においては,実はデモクラシーは理想政体にそぐわないものと考えられており,君主制も全く支持者がいないわけではありませんでした。
2 ワシントンを国王に推戴する動き
君主制論者の間では,アメリカ独立戦争を実質的に終結させたヨークタウンの戦いの勝利者ジョージ・ワシントン将軍を新生アメリカの王にしようという動きがありました。
その一例としては,1782年5月22日に大陸軍のルイス・ニコラ大佐からワシントンにあてて送られた書簡があります。当該書簡の中で,ニコラ大佐は,アメリカ諸邦の脆弱,さらには連合会議(1781年3月1日に連合規約(The Articles of Confederation)が発効しましたので,それ以降のCongressは,大陸会議ではなく,連合会議と訳すことにします。)の無能ゆえの大陸軍の窮乏について痛憤し,「専制と君主制とを同一視してしまい,両者を分けて考えることが困難になっている人々がいますが・・・しかし,いったん他の事項がしかるべく手当てされれば,王の称号を認めるべきことを推し進める強い議論を提出することができるものと信じます。」と論じて,ワシントンを国王とする政体構想を提示しました。イギリスのKing George IIIの退場の次は,アメリカのKing George Iの登場というわけです。
この書簡に恐慌したワシントンは,同日直ちに回答を発出します。
・・・よって貴官に依頼する。貴官にして,国家に対する顧慮,貴官自身若しくは貴官の子孫に対する配慮又は本職に対する敬意を幾分なりとも有せられるものであるならば,かかる思いつきを貴官の思考から排除せられたい。
ワシントンは,ニコラ大佐あての当該回答に封がされ,発送されたことを副官らに確認させるほどの念の入れようでした(これは,弁護士業においてはおなじみの,内容証明郵便物の取扱いですね。)。
ニコラ大佐は慌てて総司令官にわびを入れました。
(以上Ron Chernow, Washington: a life, p.428参照)
王になろうという野心があると思われたら,カエサルのように暗殺されてしまう,という恐怖があったものでもありましょう。あるいはワシントンの脳裡には,印紙税反対運動において若きパトリック・ヘンリーがヴァジニア植民地議会でした1765年演説に係る次の有名な場面が浮かんでいたかもしれません。
○パトリック・ヘンリー君 ・・・タルクィニウス及びカエサルには各々彼のブルートゥスあり,チャールズ1世には彼のクロムウェルあり,しかしてジョージ3世に・・・
○議長(ジョン・ロビンソン君) 大逆ですぞ,大逆ですぞ。
(「大逆だ,大逆だ」と呼ぶ者あり。議場騒然)
○パトリック・ヘンリー君 ・・・おかせられては,叡慮をもってこれらの前例をよろしくかんがみられんことを。もしこれをもして大逆であるとせば,よろしくこれを善用せられたし。
さすがはパトリック・ヘンリー弁護士,うまいものです。
なお,王政ローマ最後の王であるタルクィニウスは当時のブルートゥスらによって追放され,カエサルは暗殺され,チャールズ1世は清教徒革命で処刑され,アメリカ独立革命期のイギリス国王であったジョージ3世は精神病に倒れました。恐ろしいことです。
3 「君主制論者」ハミルトンとワシントン政権
(1)ワシントン政権と「君主制」
ニコラ大佐による君主制構想を直ちに否認抹殺し,1783年12月24日にはメリーランド邦アナポリスにおいて連合会議に大陸軍最高司令官職の任命書を恭しく返上して,王位への野心など全く無いことを示すことに常に努めたワシントンですが,1789年発足のアメリカ合衆国連邦政府の初代ワシントン政権は,底意において君主制を目指しているのではないかとなお疑われ,また,非難され続けました。
アメリカ独立戦争中はワシントン総司令官の副官を務め,また,1781年10月のヨークタウンの戦いでは同月14日の夜襲でイギリス軍の第10堡塁(Redoubt No.10)を攻め落とし,その後ワシントン大統領の下,初代財務長官に任命されて実質的な首相格として政権を切り盛りしたアレグザンダー・ハミルトンの政策と思想とのゆえでしょう。
(2)ハミルトンの君主制論
1787年5月から9月までフィラデルフィアで開催され,現行のアメリカ合衆国憲法を起草した憲法会議(Constitutional Convention)(議長・ワシントン)において,ニュー・ヨーク邦代表の若きハミルトン弁護士(1755年1月11日生まれの32歳。ただし,本人は1757年生まれだと思っていたようでもあります。)は,1787年6月18日,5ないしは6時間に及ぶ長い演説をし,その中で彼の君主政観を展開しています。すなわち,そこにおいてハミルトンは,イギリスの君主政体を最善のものとして賛美し,終身制の大統領(ただし,ハミルトンの原案では,“President”ではなく “Governor”の語が用いられています。)制度の導入を提唱したところです。秘密会であったとはいえ,大胆な演説であって(ニュー・ヨーク邦代表団の会議対処方針とは全く異なる。),ハミルトンが後々まで君主制主義者(monarchist)であるとの厳しい批判を受ける一因となりました。
ニュー・ヨーク邦代表のロバート・イェイツによる記録(イェイツはハミルトンと政見を異にしていましたが,こちらの方が,コンパクトです。)を基に,ヴァジニア邦代表でありこの時点ではハミルトンの協力者であったジェイムズ・マディソンの詳細な記録(斜字体)で適宜補い,また適宜改行しつつ,当該演説の当該部分を御紹介しましょう(The Library of AmericaのAlexander Hamilton Writingsによる。)。
・・・しかし,白状しますと,ふさわしい人物を共同体(the Community)の周辺部から中央にまで集めることは非常に難しいことです。例えば,財産もあり能力もある紳士諸氏を,その家庭と仕事とから離れさせて,毎年,長期間にわたって参集させるものは,何でありましょうか。報酬ではあり得ません。予想するに,その額は小さいものであろうからです。3ドルかそれぐらいがせいぜいでしょう。したがって,権力は,少額の手当又は立身の望みのために候補者として自ら名乗り出る煽動政治屋(demagogue)又は凡庸な政治家の手に帰してしまい,重みと影響力のある真の人物は地元にとどまって邦政府の力を増し加えるということにはならないでしょうか。
私は,どうしたらよいのか途方に暮れています。共和政体(a republican form of government)が,これらの難点を取り除くことができるとは思い得ない(despair)ところです。広大な領域において(over so great an extent)共和政体(a Republican Govt.)は樹立され得ないのではないでしょうか。私の意見はともあれ,しかしながら,当該政体〔註・共和政体〕を変更することは賢明ではないものと思います。
私の信ずるところでは,英国の政府(the British government)が,世界にこれまであったものの中で最も優れたモデルとなっています。そこまで立派なものでなくとも,アメリカではうまく行くなどということは,はなはだ疑わしいことです。多くの人の心の中に広まりつつ,この真理は徐々にその地歩を固めています。かつては,連合会議の権限は,制度目的達成のために十分なものであると考えられていました。現在,その誤りは,すべての人の目に映るところです。私の見るところ,共和主義の最も強固な支持者も,民主主義の悪(the vices of democracy)を他の人々に負けず声高にあげつらっています。公衆の認識のこの進歩は,他の人々も私と同様に,ネッケル氏〔註・フランス国王ルイ16世の財務総監〕によって英国の国制(British Constitution)に捧げられた称賛に賛同されるようになる時が来るということを私に期待させてくれます。すなわち,英国の政府は,「公共の力(public strength)と個人の安全(individual security)とを統一する」世界で唯一の政府なのであります。この政府の目的は,公共の力及び個人の安全です。このことは我々においては達成できないといわれていますが,もし,いったん成立すれば,それは自らを維持していくものでしょう。
産業の進んだ(where industry is encouraged)すべての共同体は,少数者と多数者とに分かれます。前者は豊かで生まれが良い者たち(the rich and well born)で,後者は人民の集団(the mass of the people)です。そこから異なった利害が生じます。債務者,債権者等が現れます。すべての権力を多数者に与えると,彼らは少数者を抑圧します。民の声は天の声といわれておりますが,いかに広くこの格言が引用され,かつ,信じられているとしても,事実においては正しくはありません。人民は動揺し,変心します(turbulent and changing)。彼らが正しく判断し,正しく決定することはめったにありません。他方,少数者にすべての権力を与えると,彼らは多数者を抑圧します。したがって,相互に相手方から自らを守るために,両者とも権力を有するものとすべきです。・・・英国人は,彼らのすぐれた国制(Constitution)によって,適切な調整を行っています。貴族院(house of Lords)は,最も貴い制度です。変化によって望むものはなく,財産を通じて十分な利害を有しており,国益に忠実であることによって,彼らは,国王(Crown)の側から試みられるものにせよ庶民院(Commons)の側から試みられるものにせよ,あらゆる有害な変革に対する恒久的な防壁をなしています。したがって,第1の人々〔註・少数者〕に,政府における画然とした,恒久的な位置(a distinct, permanent share in the government)を与えなければなりません。彼らは第2の人々〔註・多数者〕に係る不安定(unsteadiness)を抑制するでしょうし,彼らは変化から何らの利益を受け得ることもないので,したがって,善き統治(good government)を永く維持し続けるでしょう。毎年人民の集団の中で展開される民衆集会(a democratic assembly)が公共善(the public good)を追求するということが確かなものとして考えられるでしょうか。恒久的な団体(a permanent body)のみが,民衆支配の軽率(imprudence of democracy)を抑制することができるのです。彼らの動揺し,かつ,無規律(uncontrouling sic)な性向は,抑制されなければなりません。
短い任期の上院は,この目的に応じた十分な強靭さを持ちません。ニュー・ヨークの上院は,4年の任期で選任されていますが,十分有効なものではありません(inefficient)。ヴァジニア代表の提案に従って,7年継続するものならばよいのでしょうか。随分言及されるところの多いように見受けられる(メリーランドの)上院〔註・同邦の上院は,選挙民は選挙人団を選ぶ間接選挙制に基づくものであった。〕は,いまだ十分に試験されているものではありません。紙幣発行が求められた最近の要求において,人民が一致団結し真剣であったのなら,彼らは奔流に流されていたことでしょう〔註・メリーランド邦の上院は,同邦代議院からの紙幣発行法案を1785年12月及び1786年12月の2度にわたって否決していました。〕。・・・紳士諸氏は上院に必要な強靭さを与えるには7年が十分な期間だと考えていますが,民衆心理(democratic spirit)の驚くべき暴威と激動とを適切に考慮していないからです。民衆の情熱をわしづかみにする政治の重大問題が追求されるとき,その情熱は野火のように拡がり,抵抗できないものとなります。私は,ニュー・イングランド諸邦からの紳士諸氏に,かの地における経験が今申し上げたことを証明するものでないのかどうかお尋ねしたい〔註・ニュー・イングランドでは,増税及び農地差押えに対するマサチューセッツ邦西部の農民の抗議運動から,シェイズの反乱(1786年9月から1787年2月まで)が発生していました(首謀者ダニエル・シェイズ大尉はアメリカ独立戦争参加者)。〕。
よき執行部(a good executive)は,民主的な構成をもって(upon a democratic plan)〔共和的原則に基づいて(on Republican principles)〕設けられ得るものではないということは,認められているところです。英国の執行権者の素晴らしさ(the excellency of the British executive)を御覧いただきたい。この問題については,イギリスのモデル(the English model)が唯一結構なものなのであります。彼は誘惑から超然としています。彼は公共の福祉とは別の利害を有していません。国王の世襲の利害は,国民(the Nation)のそれと十分結びつき,彼の個人的収入は十分大きいので,海外勢力から腐敗させられるという危険から超然としているのです。――また同時に,国内の制度目的にこたえるために,十分独立しており(sufficiently independent),かつ,十分規制されています(sufficiently controuled)。このような執行権者でなければすべて不十分です。共和政体(a republican government)の弱点は,外国勢力からの影響力の危険性です。第一等の人物たちをその維持のために動員するようにできていない限り,このことは不可避です。小人物(men of little character)は,大きな権力を得ると,簡単に隣国の干渉勢力の手先になってしまいます。したがって,私は,全国政府(general government)を支持するものですが,共和制の原則(republican principles)については,最広義のところまでおし進めたいと思うものです。我々は,共和制の原則が許す限り,安定及び永続性(stability and permanency)を求めて進むべきであります。
立法府のうち一院は,罪過なき限りの間(during good behaviour),又は終身を任期とする議員によって構成されるものとしましょう。
その権限を断行し得る(…dares execute his powers)一人の終身の執行権者が任命されるものとしましょう。
私は,最良の市民たちの奉仕を確保するためのものとして,7年の任期が,公的任務の受諾に伴う私的生活の犠牲を受け容れさせるものであるのかどうか,御出席の代表者の方々の御感想をお尋ねしたいのです。この案〔註・ハミルトン案〕によってこそ,元老院に,本質的目的にこたえるべき恒久的な意思,重要な利害の代表(a permanent will, a weighty interest),を確保することができるのです。
これは共和制(a republican system)なのか,と問われるかもしれませんが,厳密にいって,そうであります,政府のすべての高官(all the Magistrates)が人民によって,又は人民に由来する選挙で選ばれる限りは。
更に言わせていただけば,人民の自由にとって,執行権者は,終身その職にあるときの方が7年の任期であるときよりも危険が少ないものであります。7年任期制案では,私は,執行権者にはわずかな権力のみを与えるべきだと思います。彼は,手下となる者を調達する手段を持った野心家でありましょう。そして,彼の野心の目的は,権力をより長く握ることでしょうから,戦争のときには,その地位からの降格を避け,又はそれを拒絶するために,緊急事態であることを恐らく濫用するでしょう。終身執行権者の場合は,忠誠を忘却させるこのような動機を持たないものであって,したがって,権力を委ねるためにはより安全な機関なのであります。
これは選挙君主制(an elective monarchy)である,といわれるかもしれません。ああ,君主制とは何でしょうか。「君主」とは定義のはっきりしない用語であるものとお答えしましょう。権力の大きさ又は権力を握る期間の長さのいずれを示すものでもありません。もし,この執行長官(Executive Magistrate)が終身君主であるのなら――当会議の全体委員会の報告書によって提案されたものは七年君主ということになります。選挙制であるという事情はともに両者に当てはまるところです。各邦の知事は,そのようなものとして見られ得ないでしょうか。しかし,執行権者が弾劾制度に服せしめられていますので,君主制の語は当てはまり得ません。
賢明な著述家たちは,競争者たちの野心及び策謀によって惹起される動乱(tumults)に対する防止策が講ぜられるのならば,選挙君主制は最良のものであろうと述べています。私は,動乱が,避けることのできない欠点であるものと確言するものではありません。選挙君主制のこの性格論は,むしろ,一般的な原則からというよりは,特定の事例から由来しているものと思います。選挙制君主は,ローマにおいて動乱を引き起こしましたし,ポーランドにおいても同様に平和に対して危険を与えています。ローマ皇帝は,軍隊によって選挙されたところです。ポーランドにおいては,独立した権力,及び騒動を起こすための十分な手段を持った,互いに競争関係にある大貴族たち(princes)によって選挙が行われます。ドイツ帝国〔註・神聖ローマ帝国〕では,密謀集団及び党派を使嗾する同様の動機及び手段を有する選帝侯及び諸侯によって任命が行われています。しかし,このことは,私が選挙について提案するところの方法については当てはまり得ません。執行権者を選挙する選挙人が各邦において任命されるものとしましょう――
(ここで,H氏は,写しがここに添付されているところの彼の案を取り出した。)
・・・執行権者(the executive)は,すべての法律に対して拒否権を持つものとする――元老院の助言により和戦のことを決する(to make war or peace)――彼らの助言により条約を締結する,しかしすべての軍事行動に係る単一の統帥権を有する(to have the sole direction of all military operations),並びに大使を派遣し,及びすべての軍士官を任命する,並びにすべて罪過を犯した者(国家反逆罪を犯した者を除く。ただし,元老院の助言があるときはこの限りでない。)に対する赦免権を有する。彼の死亡又は罷免の場合には,後継者が選挙されるまで,元老院議長(president of the senate)が,同一の権限を持つ代行者となる。最高の司法官らは執行権者及び元老院によって任命される。・・・
・・・
・・・しかし,人民は,徐々に政府に係る彼らの意見において成熟しつつあります――彼らは,民主政の行き過ぎ(an excess of democracy)に倦み始めています〔,連合(the Union)は分裂しつつあり,又は既に分裂しているものと私は観察します――人民をその民主政体志向(fondness for democracies)から治癒させることになるところの諸悪が,諸邦において猖獗している様子が私には観察されるところです〕――ヴァジニア案であっても,しかし,依然としてソースが少々変わっただけの豚料理であります〔註・憲法会議に提出された憲法構想のうち,ニュー・ジャージー案は既存の連合規約の改正にとどまっていたのに対して,ヴァジニア案は各邦の上に,執行部門,立法部門及び司法部門を有する全国政府を設けることを提案していました。しかし,ヴァジニア案であっても,ハミルトンの過激案に比べればまだ生ぬるいということです。〕。
共和主義(republicanism)が理想として掲げられているのですが,democracy, democratic等民主主義関係用語は否定的な意味で使われています。
共和政体(gouvernement républicain)と民主政(démocratie)との関係を,当時読まれていたモンテスキューの『法の精神』における分類学でもって説明すると,共和政(république)のうち,人民団(le peuple en corps)が主権を持つものが民主政,人民のうちの一部分が主権を持つものが貴族政(aristocratie)ということになります(第1編第2章第2節)。共和制を主張しつつ民主主義を排斥する者は貴族政主義者,ということになるようです。なお,モンテスキューの分類では,共和政体と対立するのはいずれも一人が統治する政体である君主政体(gouvernement monarchique)及び専制政体(gouvernement despotique)であって,君主政体では法による支配がされるが,専制政体では法によらず,統治者の意思ないしは恣意による支配がされるものと定義されています(第1編第2章第1節)。
ギリシャ・ローマの古典古代の例が念頭にあったでしょう。(デモクラシーの前例としてアメリカ合衆国を持ち出すわけにはまだいきません。)
ローマも領域が大きくなって,共和政から君主政に移行しました。古代ギリシャで外国からの干渉といえば,ペルシャ帝国からのそれが問題であったでしょう。
なお,ハミルトンが称賛したジョージ3世治下のイギリスの政体における統帥権の所在は,一応,国務大臣輔弼の外に独立していたもののようです。すなわち,1932年の『統帥参考』には,英国における統帥権の位置付けの推移について,「「チャールス」2世ハ国務大臣以外ニ特別ナル軍令機関(「セクレタリー・アット・ワー」)ヲ設ケテ統帥権ノ独立ヲ保障シ更ニ1793年ニハ国王直属ノ総司令官ヲ設ケテ軍隊内部ノ組織,軍ノ規律,指揮運用ニ関スル権限ヲ附与シ国務大臣ト対立セル軍令機関ト為シタリ」とあります(『統帥綱領・統帥参考』(偕行社・1962年)4‐5頁)。(ちなみに,ジョージ3世は,アメリカ独立戦争中は精神病を発症しておらず,1788年から翌年にかけてはそうだったものの,1793年は大丈夫だった時期であるようです。)ただし,その後は,「然ルニ民権ノ伸張,議会政治ノ発達ハ国王ノ軍令権ヲ圧迫蚕食シ1854年従来国王ニ直属シ国務大臣ヨリ独立セル総司令官ヲ国務大臣ノ監督下ニ置クコトニ改メ次テ1870年ノ改革ニ於テ軍令機関タル総司令官ハ陸軍大臣ノ隷下ニ入リ茲ニ現今ノ制度ノ基礎確立シタルナリ」ということになりました(『統帥綱領・統帥参考』5頁)。
4 エスマン中尉とハミルトン財務長官
さて,三つ子の魂百までとやら。人と同様に国も,生まれたころの性格を後々まで引きずるものなのでしょうか。
知米派の日本人の方々がどう言われるのかは分かりませんが,日本国憲法起草時のGHQ民政局内で展開された議論において,強い執行権者を求めた27歳のエスマン中尉の姿が,何やらアメリカ合衆国憲法起草時に選挙制君主的な執行権者を求めた32歳のハミルトン弁護士の面影を宿していたように思われます。(そもそも,連合規約を改正すると言ってアメリカ合衆国憲法を起草してしまった手妻のような手口と,大日本帝国憲法の改正を求めつつ,日本国憲法の草案を起草してしまった仕事ぶりとは,何だかよく似ていますね。)
それはともかく,元々はイギリス流立憲君主制論者であったハミルトン初代財務長官が,時代を超えてトルーマン政権の国務長官であったのなら,伊東巳代治が『憲法義解』を訳した “Commentaries on the Constitution of the Empire of Japan”を読んでも,それほど機嫌が悪くはならず,時代に合わせた立憲君主制の改善のための大日本帝国憲法の改正はあっても,新しい日本国憲法の制定がされるということまでにはならなかったのではないかとも空想されます。
とはいえ,国務省はハミルトンにとって鬼門です。
ワシントン政権内で,初代国務長官ジェファソンは,政見において真っ向からハミルトンと対立します。例えば,ハミルトンが執行権の強化を目指せば,ジェファソンは議会の権限や州権を重視するという具合です。両者の対立は,やがてハミルトンらのフェデラリスト党とジェファソン=マディソンらのリパブリカン党という二つの党派及び両者間の抗争を生むに至ります。(なお,系譜的にはジェファソンの党が現在のアメリカ民主党につながるのですが,前記のとおり,アメリカの建国当初は“democratic”はよい意味の言葉では必ずしもなかったところです。リパブリカン党への悪口として, Democraticリパブリカン党と言われるようになり, 後にリパブリカンが落ちたものです。アメリカ合衆国憲法4条で連邦が各州に保障しているのは,共和政体(a Republican Form of Government)であって,民主政体(a Democratic Form of Government)ではありません。)
こうしてみると,日本国憲法における内閣の章の規定をめぐるエスマン中尉とハッシー中佐との対立も,米国の知識人の間における建国以来の政治思想の対立を反映していたものと思えなくはありません。
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