Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)

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1 「すべて国民は,個人として尊重される。」

 「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」と規定する日本国憲法13条は,憲法条文中もっとも有名なもののうち一つでしょう。英語文では“All of the people shall be respected as individuals. Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.”です。

 「戦後,日本国憲法を手にした日本社会にとって,日本国憲法の何がいちばん肝心なのか。それをあえて条文の形で言うと,憲法第13条の「すべて国民は,個人として尊重される」という,この短い一句に尽きています。」といわれています(樋口陽一『個人と国家』(集英社新書・2000年)204頁)。

 しかしながら,「すべて国民は,個人として尊重される。」との規定における「個人として尊重される」とはどういう意味でしょうか。

 

2 「かけがえのない個人として尊重される」

 

(1)五つの法律

我が国国権の最高機関たる国会(憲法41条)の解釈するところを知るべく,現行法律における「個人として尊重」の用例を法令検索をかけて調べてみると,5例ありました。①障害者基本法(昭和45年法律第84号)1条,②障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(平成17年法律第123号)1条の2,③自殺対策基本法(平成18年法律第85号)21項,④部落差別の解消の推進に関する法律(平成28年法律第109号)2条及び⑤ユニバーサル社会の実現に向けた諸施策の総合的かつ一体的な推進に関する法律(平成30年法律第100号)1条です。

このうち,障害者基本法1条に「全ての国民が,障害の有無にかかわらず,等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのつとり,全ての国民が,障害の有無によつて分け隔てられることなく,相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため」の部分が加えられたのは同法の平成23年法律第90号による改正によってであり,障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律に1条の2が挿入されたのは同法が,地域社会における共生の実現に向けて新たな障害保健福祉施策を講ずるための関係法律の整備に関する法律(平成24年法律第51号)によって改正されたことによってであり,自殺対策基本法21項が追加されたのは同法の平成28年法律第11号による改正によってでありました。

すなわち,現行法律中に存在する「個人として尊重される」概念のうち初めて登場したものは障害者基本法1条のそれであり,同条に当該概念が導入されたのは,日本国憲法公布後65年となろうとする2011年の民主党菅直人政権下のことでありました。

 

(2)「かけがえのない」性の追加修正

 平成23年法律第90号に係る政府提出の当初法案では,障害者基本法1条に挿入されるべき語句は「全ての国民が,障害の有無にかかわらず,等しく基本的人権を享有する個人として尊重されるものであるとの理念にのつとり,全ての国民が,障害の有無によつて分け隔てられることなく,相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため」とのものでした。この政府提出案に対して,2011615日の衆議院内閣委員会において西村智奈美委員外2名から民主党・無所属クラブ,自由民主党・無所属の会及び公明党の共同提案による修正案が提出され(第177回国会衆議院内閣委員会議録第143頁・22頁),その結果「等しく基本的人権を享有する個人として尊重される」の部分が「等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重される」に改まっています(同会議録18頁)。

この,個人に係る「かけがえのない」性の追加修正は広く与野党の賛成を得てのものですから,政府案に最初から「かけがえのない」があってもよかったもののようにも思われます。しかしながらそのようにはならなかったのは,これは,「かけがえのない個人」との文言は法制上問題があって剣呑だ云々というような余計なことを言い立てる内閣法制局筋によって阻止されていたものでしょう。

 「個人として尊重される」との文言が「かけがえのない個人として尊重される」へと敷衍された結果,どのような法的効果が生ずるのかについては,提出者代表である高木美智代委員が次のように答弁しています(第177回国会衆議院内閣委員会議録第1416頁)。

 

この表現を「かけがえのない個人」と修正することにしましたのは,社会の中において,各個人が,障害の有無にかかわらず,それぞれ本質的価値を有することを一層明確にするためでございます。これによりまして,障害者基本法の理念が国民にとってわかりやすい言葉で示されることになると考えております。

この基本法で示された理念は,関係法令の運用や整備の指導理念となることは御承知のとおりでございます。したがいまして,今後の障害者施策におきましては,国民一人一人がかけがえのない存在であるということを基本とした運用等が要請されることとなります。

この結果,障害者基本法が目指している共生社会,すなわち,すべての国民が相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現が促進されることになることを期待いたしております。

 

 各個人の「本質的価値」とは,それぞれが「かけがえのない存在」であるということになるようです。全ての国民が「かけがえのない個人として尊重される」べきであるということは,前記①から⑤までの5法の全てが当該文言を採用して,前提としているところです(なお,自殺対策基本法21項は,「全ての国民」よりも広く,「全ての人」となっています。)。だとすると,憲法13条前段も今や,「すべて国民は,かけがえのない個人として尊重される。」という意味であるものとして読まれるべきもののようです。「「個人として尊重される」ト云フコトハ,結局是ダケノ意味デアリマシテ,国民ト云フ言葉ガ集団的ナ意味ニモ使ハレテ居リマスシ,各個ノ人間トシテモ国民ト云フ文字ハ使ハレテ居リマス,此処ノ所ハ集団的デハナイ国民ト云フモノハ,国家ヲ構成シテ居ル単位トシテノ人間トシテ大イニ尊重サレルト云フ原則ヲ此処デ声明シタ訳デアリマス,サウ特別ニ深イ意味デハナイ,此ノ原則ノ発展トシテ,是カラ出テ来ル具体的ナ規定ガ生レテ来ル,斯ウ云フ風ニ考ヘマス」(1946916日貴族院帝国憲法改正案特別委員会における金森徳次郎国務大臣の答弁(第90回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会議事速記録第149頁))というような素っ気ないものでは,もはやありません。全て国民は,「国家ヲ構成シテ居ル単位トシテノ人間」であるにとどまらず,「かけがえのないもの」として尊重されなければなりません。

 

(3)「共生」社会から,支え合う「ユニバーサル社会」へ

 「全ての国民が・・・等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念」が目指すところは「共生」社会であり,当該「共生」社会においては「全ての国民が,・・・分け隔てられることなく,相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する」ものであるようです(障害者基本法1条,障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律1条の2各参照)。

 具体的な生活の場(障害者基本法3条並びに障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律1条及び1条の2は身近なものたる「地域社会」における「共生」を問題としています。)において「相互に人格と個性を尊重し合いながら共生」しなければならない責務を負う者は私人たる各日本人でしょうから(障害者基本法8条,障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律3条各参照),憲法13条前段の射程は私人間関係にも及ぶもののようであり,単なる「国政の上」での「最大の尊重」を問題とする同条後段のそれよりもはるかに広いものなのでした。

 しかしてこの「共生社会」の内実は,2018年のユニバーサル社会の実現に向けた諸施策の総合的かつ一体的な推進に関する法律において,同法21号が規定する「ユニバーサル社会」として,より具体的に規定されるに至っています。

  

  一 ユニバーサル社会 障害の有無,年齢等にかかわらず,国民一人一人が,社会の対等な構成員として,その尊厳が重んぜられるとともに,社会のあらゆる分野における活動に参画する機会の確保を通じてその能力を十分に発揮し,もって国民一人一人が相互に人格と個性を尊重しつつ支え合いながら共生する社会をいう。

 

 なお,「ユニバーサル社会」に係る同号の定義については,議案を提出した衆議院国土交通委員会の盛山正仁委員長代理から更に,「一般的に,ユニバーサル社会というのは,障害の有無,年齢,性別,国籍,文化などの多様な違いにかかわらず,一人一人が社会の対等な構成員として尊重され,共生する社会を意味」するものであるとの説明がありました(第197回国会参議院国土交通委員会会議録第54頁)。

 しかして,「相互に人格と個性を尊重し合いながら共生」するということは,ユニバーサル社会の実現に向けた諸施策の総合的かつ一体的な推進に関する法律21号の定義によれば,現実に,具体的な一人一人が相互に「支え合」うということになるのでした。

 その結果,国民は,「職域,学校,地域,家庭その他の社会のあらゆる分野において,ユニバーサル社会の実現に寄与するように努めなければならない」ものとされています(ユニバーサル社会の実現に向けた諸施策の総合的かつ一体的な推進に関する法律5条)。これは,「その他の法令で,国民の努力という規定につきましては様々な法律において既に定められているところ」であって「国民の言わば心構えを定めるようなもの」であり,「この規定を根拠にして国民の皆様に義務を押し付けようというものではございません」が,「全ての国民が配慮すべきであるというふうに考えるものですからこのような規定を設けたもの」だそうです(盛山衆議院国土交通委員長代理・第197回国会参議院国土交通委員会会議録第54頁)。憲法13条前段解釈の現段階は,「是ハ矢張リ国家ガ国民ニ対スル心構ヘト云フ風ニ思ッテ居リマスガ」(佐々木惣一委員)との問いかけに対して「其ノ通リデアリマス」(金森国務大臣)と簡単に答えて済むもの(1946916日貴族院帝国憲法改正案特別委員会(第90回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会議事速記録第149頁))ではなくなっているもののようです。国家のみの問題ではありません。

 ユニバーサルは元々英語のuniverseの形容詞形のuniversalなのでしょうが,当該universeの語源は「L ūnus (one)L vertere (to turn)の過去分詞versusから成るL ūniversus (turned into one; combined into one; whole; entire)」ということですから(梅田修『英語の語源辞典』(大修館書店・1990年)212頁),「ユニバーサル社会」とは,一なる全体社会ということでしょうか,全一社会というべきでしょうか。全国民は,「個人として尊重」されつつ最後は全一社会実現への寄与を求められることになる,ということのようです。

 

(4)「支え」られる「かけがえのない個人」

 「かけがえのない個人として尊重される」ものであるところの国民の一人を「支え」る場合,どこまでの「支え」が必要になるのでしょうか。

「かけがえ」とは「掛(け)替え」であって,「必要な時のために備えておく同じ種類のもの。予備のもの。かわり。」ということですから(『岩波国語辞典第4版』(1986年)),かけがえのない物は亡失してしまっては大変であり,かけがえのない人は死亡させてしまってはいけないことになるのでしょう。自殺対策基本法21項は「自殺対策は,生きることの包括的な支援として,全ての人がかけがえのない個人として尊重されるとともに,生きる力を基礎として生きがいや希望を持って暮らすことができるよう,その妨げとなる諸要因の解消に資するための支援とそれを支えかつ促進するための環境の整備充実が幅広くかつ適切に図られることを旨として,実施されなければならない。」と規定していますから,「かけがえのない個人として尊重される」者は,正に「生きることの包括的な支援」までをも受けることが保障されるのでした。

 この高邁な理念の前に,人が「生きること」に対する昔風のつまらぬ悪意などいかほどのことがありましょう。

 

quia pulvis es et in pulverem reverteris (Gn 3, 19)

  Viel zu viele leben und viel zu lange hängen sie an ihren Ästen. Möchte ein Sturm kommen, der all diess Faule und Wurmfressne vom Baume schüttelt! (Vom freien Tode)

 

高齢者の医療・福祉政策に係る政府の失態等に対して「お前たちは,老人に死ねというのか。」とお年寄りの方々が激怒されている旨の報道に度々接しますが,お怒りは全く当然のことです。「かけがえのない個人として尊重される」我々個々人は,その代わりがないにもかかわらず死亡してしまわないように,「生きることの包括的な支援」までをも受けるべき権利を有しているのです。「死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」などという言葉は,弱い者をたすけるべき立場にある者にあるまじき最低の暴言である,謝罪せよ,ということに,188214日から137年半後の今日ではなるようです。

 以上,各日本人は,日本国憲法13条前段に基づき「個人として尊重される」結果,自己が生きるに当たって他者からの支えを期待する権利を有し,当該支えを得る際にも自己のあるがままの人格及び個性は差別を受けることなく,むしろ傷つけられないように優しく配慮され,かつ,尊重され,更にその前提として,全一(ユニバーサル)社会においてそのような人々に囲まれて「共生」していることを当然のこととして期待することが許されている存在である,ということになるようです。

 

  et sumat etiam de ligno vitae

       et comedat et vivat in aeternum (Gn 3, 22)

  Quid est autem tam secundum naturam quam senibus emori? (De Senectute) 

3 束にならず,寂しい個人主義者たち

 ところで,個人に係る個人主義といえば夏目漱石や永井荷風が有名ですが,漱石・荷風流の「個人主義」は,上記のような「共生」的日本国憲法13条前段解釈とはどのような関係に立つことになるのでしょうか。

 

   〔前略〕夏目漱石の『私の個人主義』という学習院で行った講演1914(大正3)年が,有名です。個人というのは寂しさに耐えるんだ。その辺の雑木の薪なんていうのも束になっていれば気持ちが楽だ。しかし,個人というのは自分自身で自分の去就を決め,自分で腹を決めるということだ。だから,本来寂しいことなんだという,ズバリ個人の尊重ということの重みを語っています。〔略〕

   他方で文字どおり個人であることに徹したのが荷風散人(永井荷風)だったのです。その点について彼から引用しようと思えば枚挙にいとまがないのですけれども,あえて一つ。――「わたくしは元来その習癖よりして党を結び群をなし,その威を借りて事をなすことを欲しない。・・・わたくしは芸林に遊ぶものの往々社を結び党を立てて,己に与するを掲げ与せざるを抑えようとするものを見て,これを怯となし,陋となすのである」(『濹東綺譚』)。文字どおり彼は名実ともに「個」であることの純粋さを貫いたのです。(樋口・個人と国家205頁)

 

 ここに現れる漱石も荷風も,心温まる,かつ,素晴らしい「共生社会」の住人ではなさそうです。束になれず,群れから離れ,党を立てず,結社に属し得ず,寂しい。分離の感覚。

 しかし,分離(separate)してあることこそが,individualなのだということになるのでしょう。筆者の手許のOxford Advanced Lerner’s Dictionary of Current English, 6th edition (2000)には,名詞individualの語義として冒頭 “a person considered separately rather than as part of a group”と,形容詞individualの語義として冒頭“considered separately rather than as part of a group”と記載されてあります。個人(individual)は本来,束(fascis),群れ,党,結社その他のグループの一員として存在するものとしては観念されていないのです。

個人主義は,ぬるい生き方ではないようです。

 

 scio opera tua

    quia neque frigidus es neque calidus

    utinam frigidus esses aut calidus

    sed quia tepidus es et nec frigidus nec calidus

    incipiam te evomere ex ore meo (Apc. 3, 15-16)

 

4 GHQ草案12条の起草

 さて,個人主義は本来非日本的なものであり(「個人の欠如というのは長い間,いわば,日本の知識人を悩ませてきたオブセッション(強迫観念)だったのです。」(樋口・個人と国家206頁)),西洋由来のもののようですが,西洋人の一種たるGHQの米国人らは,日本国憲法13条の原案を起草するに当たって一体そこにどのような意味を込めていたのでしょうか。

 1946213日に我が松本烝治国務大臣らに手交されたGHQ草案の第3章(Chapter III  Rights and Duties of the People)中の第12条には次のようにありました。

 

  Article XII. The feudal system of Japan shall cease. All Japanese by virtue of their humanity shall be respected as individuals. Their right to life, liberty and the pursuit of happiness within the limits of the general welfare shall be the supreme consideration of all law and of all governmental action.

 

これが外務省罫紙に和文タイプ打ちされた我が国政府の翻訳では次のようになっています(1946225日)。

 

 第12条 日本国ノ封建制度ハ終止スヘシ一切ノ日本人ハ其ノ人類タルコトニ依リ個人トシテ尊敬セラルヘシ一般ノ福祉ノ限度内ニ於テ生命,自由及幸福探求ニ対スルソノ権利ハ一切ノ法律及一切ノ政治的行為ノ至上考慮タルヘシ

 

 GHQ民政局内国民の権利委員会(Committee on Civil Rights)が194628日に同局内運営委員会(Steering Committee)に提出した原案は,次のとおり(Civil Rightsの章の第1節総則(General)(この総則は,現行憲法の11条から17条までに当たります。)中の第5条)。同日の両委員会の会合で運営委員会側から意見があり,これに“within the general welfare”という限定句が挿入されることになりました(エラマン・ノート)。

 

  5. All Japanese by virtue of their humanity shall be respected as individuals. Their right to life, liberty and the pursuit of happiness shall be the supreme consideration of all law, and all governmental action.

 

そこで第2稿では次のようになり,更に最終的に“The feudal system of Japan shall cease.”が加えられて国民の権利委員会最終報告版となっています。

 

 All Japanese by virtue of their humanity shall be respected as individuals. Their right to life, liberty and the pursuit of happiness within the limits of the general welfare shall be the supreme consideration of all law, and all governmental action.

 

 “The feudal system of Japan shall cease.”は後付けとはなりましたが,重要な規定です。194623日の日本国憲法改正案起草に関するマッカーサー三原則(マッカーサー・ノート)第3項の冒頭に“The feudal system of Japan will cease.”とあったからです。

 マッカーサー三原則の第3項には続けて“No rights of peerage except those of the Imperial family will extend beyond the lives of those now existent.”(「貴族の権利は,皇族を除き,現在生存する者一代以上には及ばない。」(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川文庫・2014年)22頁))及び“No patent of nobility will from this time forth embody within itself any National or Civic power of government.”(「華族の地位は,今後どのような国民的または市民的な政治権力も伴うものではない。」(鈴木22頁))とありましたから,“The feudal system of Japan will cease.”(「日本国ノ封建制度ハ終止スヘシ」)は平等条項(日本国憲法14条)の冒頭に来てもよかったように思われるのですが,あえて「一切ノ日本人ハ其ノ人類タルコトニ依リ個人トシテ尊敬セラルヘシ一般ノ福祉ノ限度内ニ於テ生命,自由及幸福探求ニ対スルソノ権利ハ一切ノ法律及一切ノ政治的行為ノ至上考慮タルヘシ」の前に置かれています。


5 アメリカ独立宣言,ヴァジニア権利章典及びトーマス・ジェファソン

 

(1)アメリカ独立宣言

 GHQ草案12条の原起草者はロウスト中佐であったのか,又はワイルズ博士であったのか。しかしいずれにせよ,トーマス・ジェファソンらの手になる北米十三植民地独立宣言(177674日)の影響は歴然としています。

 

  〔日本国憲法13条の〕規定は,〔略〕独立宣言にその思想的淵源をもつことは,文言自体からして明瞭であり,さらにはロックの「生命,自由および財産」と何らかの関連を有するであろうことも推察される。(佐藤幸治『憲法(第三版)』(青林書院・1995年)443頁)

 

 独立宣言は,いわく。

 

   We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal; that they are endowed by their Creator with certain inalienable rights; that among these, are life, liberty, and the pursuit of happiness. That, to secure these rights, governments are instituted among men, deriving their just powers from the consent of the governed; that, whenever any form of government becomes destructive of these ends, it is the right of the people to alter or to abolish it, and to institute a new government, laying its foundation on such principles, and organizing its powers in such form, as to them shall seem most likely to effect their safety and happiness.(我々は,以下の諸真理を自明のことと認識する。すなわち,全ての人々(メン)は平等なものとして創造されていること,彼らは彼らの創造主によって一定の不可譲の権利を付与されていること, これらのうちには,生命,自由及び幸福の追求があること。これらの権利を保全するために,統治体(ガヴァメンツ)が,その正当な権力を被治者の同意から得つつ,人々(メン)の間に設立されていること,いかなる政体であっても,これらの目的にとって破壊的なものとなるときにはいつでもそれを廃止し,又は変更し,並びにその基礎がその上に据えられるところ及びその権力がそれに従って組織されるところ彼らの安全及び幸福を実現する見込みの最も高いものとして彼らに映ずる諸原則及び政体であるところの新しい統治体(ガヴァメント)を設立することは,人民(ピープル)の権利であること。

 

 GHQ民政局の運営委員会によって挿入せしめられた語句に対応する「公共の福祉に反しない限り」を除いて,同局の国民の権利委員会による原案流に日本国憲法13条後段を読むと「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」となりますが,それらの権利について「立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする」ことが必要なのは,そうしないと,アメリカ独立宣言的世界観によれば,人民によって政体(form of government)の変更又は廃止(to alter or to abolish)がされてしまう革命が起きてしまうからなのでした。

 

(2)トーマス・ジェファソンとジョン・ロック

 なお,ジェファソンは,ロックの崇拝者でした。

 

  しかし,ロックは,ジェファソンのウィリアム・アンド・メアリー大学在学並びにスモール博士,フォーキエ知事及びジョージ・ウィスとの食卓討論の時代から,ジェファソンのお気に入りであった。彼は,〔パリから〕1789年〔215日〕にジョン・トランブルに対して書くには,ロックを「全くの例外なしに,かつて生きた者の中での最大の三偉人」のうちの一人であるものとみなすようになっていた。(他の二人は,アイザック・ニュートン及びフランシス・ベーコンであった。)ジェファソンは,スモール博士によって,〔1772年の〕十年も前から啓蒙の三英雄全員について手ほどきを受けていた。1771年〔83日〕に,ジェファソンは,スキップウィッズの蔵書として推薦する政治関係本のショート・リストに,「ロックの政治本」,すなわち明らかにその『統治二論』を含めていた。彼がこの精選本リストに前書きして言うには「政治と交易とについては,私は君に,最善の本を少数のみ提示したものである。」ということであったが,これは,この頃までにこれらの本の全てに彼自身精通しているものと彼が思っていたことを明瞭に示している。(Randall, Willard Sterne. Thomas Jefferson: a life. New York: HarperPerennial, 1994. p.164

 

(3)ヴァジニア権利章典1条からの変更

 ところで,独立宣言で確認された「生命,自由及び幸福追求」の諸権利は,その前月の1776612日にジェファソンの出身地であるヴァジニア邦でジョージ・メイソンの主導で採択された権利章典の第1条では「財産(property)の取得及び保持並びに幸福及び安全の追求及び獲得に係る手段を伴う,生命及び自由の享受」の諸権利ということになっていました。ジェファソンは,財産の取得及び保持,幸福の獲得並びに安全の追求及び獲得に係る手段までをも人間の不可譲の権利に伴うものとして主張することは欲張りに過ぎる,と判断した上で,生命,自由及び幸福の追求に絞ったのでしょうか。ただし,生命及び自由に並んで,幸福の追求自体も人々の不可譲の権利であるものとされた形になっています。(なお,独立宣言においては,人民の安全及び幸福を実現することが統治体(ガヴァメント)の目的に含まれることは認められています。換言すると,手段としての政府なしには人民の安全及び幸福の実現は難しいということでしょうか。なお,人民(ピープル)人々(メン)との語の使い分けにも注意すべきなのでしょう。ちなみに,ロックの『統治二論』第二論文第95節では,人々が共同体コミュニティー設立目的彼ら固有プロパテものィーズ確実享受当該共同体安全保障相互快適安全平穏生活comfortable, safe, and peaceable living)であるものとされていました。

 

  SECTION 1.   That all men are by nature equally free and independent, and have certain inherent rights, of which, when they enter into a state of society, they cannot, by any compact, deprive or divest their posterity; namely, the enjoyment of life and liberty, with the means of acquiring and possessing property, and pursuing and obtaining happiness and safety.(全ての人々は本来均しく自由かつ独立であり,かつ,彼らが社会状態に入るときにおいていかなる協定によっても彼らの子孫から剥奪し,又は奪い去るこのとできない一定の生得の権利,すなわち,財産の取得及び保持並びに幸福及び安全の追求及び獲得に係る手段を伴う,生命及び自由の享受の権利を有していること。)

 

ジョージ・メイソン主導のヴァジニア邦の政体案は,ジェファソンには不満をもたらすものだったようです。

 

 このヴァジニアの文書は,一世紀半にわたってヴァジニアを支配してきた荘園(プラン)(ター)寡頭(・オリ)体制(ガーキー)の手中に権力を保持せしめるとともに,現状を維持る,深く保守的な代物であった。メイソンの宣言は投票資格のための財産所有要件を保存しており人口の1パーセントの10分の1未満の手中に権力を留め続けていた。

  自身で彼の反対意見及び修正案を提出できないため,古い郷紳(ジェントリー)支配体制が永続化されてしまうばかりということになるのではないかと深く憂慮するジェファソンは,フィラデルフィアとしては珍しい涼しい期間を,ヴァジニアの国憲に係る彼自身の案を次々と起草するために利用した。ジェファソンのものは,主に,〔略〕はるかに広い投票権を認める点において異なっていた。〔中略〕メイソンのものは,権力を有する少数の富裕な大土地所有エリートの支配の継続にとって有利なものであって,当該事実は1776年のこの夏においてジェファソンを警戒させた。彼は生涯,「建国者(ファウンディング)(・グレ)大家系(ート・ファミリーズ)」に対して米国人が夢中になることに苦言を呈し続けた。(Randall pp.268-269

 

大きな財産を保持する幸福かつ安全な保守的荘園(プラン)(ター)寡頭(・オリ)体制(ガーキー)に対する敵対者としては,財産の取得及び保持,幸福の獲得並びに安全の追求及び獲得に係る手段までをも人間の不可譲の権利伴うものとして言及して現状の変革を難しくするわけにはいかなかった,ということになるのでしょうか。なお,ジェファソンについて,「ジョン・ロックの「財産(プロパティ)」に代わる彼の「幸福の追求」の語の選択は,イングランド中産階級の財産権に係るホイッグ主義からの鋭い断絶を示している。」と評されています(Randall p.275)。

1776年夏のフィラデルフィアにおける大陸会議出席期間中,33歳のジェファソンが独立宣言の原案を起草する様子は,次のようなものだったそうです。

 

  それ〔アメリカ独立宣言案〕は,委員会会合及び拡大する内戦の最新状況を憂慮する論議の日々のかたわら,この激動の1776年夏,朝早くそして夜遅く,ジェファソンがものした多量の文書のうちの一つにすぎなかった。613日から28日までの2週間,涼しい朝,蒸し暑い夕べ,ジェファソンは彼の風通しのよい部屋にいくらかの平和及び静寂を求め,彼の周りに書類を拡げ,彼の新しい持ち運び机の上でせっせと仕事をした。〔略〕ジェファソンはいかなる書物にも当たる必要はなかったにしろ,彼は少なくとも一つの文書を所持していた。ヴァジニアのための彼の心を込めた憲法の最終草案である。そこから彼は,国王に対する苦情の長いリストを書き写すことになる。ジェファソンには何か独自なものを創出することは求められていなかった。その正反対であった。しかし彼は,古代ギリシア時代からつい先般のトム・ペインの熱のこもった修辞まで,百もの著述家から,彼の選ぶ言葉を摘み出す自由を有していた。(Randall pp.272-273

 

6 アメリカ独立宣言,ヴァジニア権利章典及び日本国憲法13

 

(1)「平等なものとして創造されている」又は「本来均しく自由かつ独立」と「個人として尊重される」と

日本国憲法13条前段の「すべて国民は,個人として尊重される。」の部分は,GHQ草案12条では“All Japanese by virtue of their humanity shall be respected as individuals.”となっています。しかし,何ゆえに“All Japanese are created equal. ”(アメリカ独立宣言流)とか“All Japanese are by nature equally free and independent.”(ヴァジニア権利章典流)という表現ではなかったのでしょうか。

「全ての日本人は,平等なものとして創造されている。」又は「全ての日本人は,本来均しく自由かつ独立である。」という前提からでは,それら日本人の有する生命,自由及び幸福追求に対する権利について国は「立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする」こととがうまく結び付かないからでしょうか。確かに,「平等」には悪平等もあるので,平等に「最大の尊重」をするのではなく平等に「踏みにじる」こともあり得るのでしょう。(なお,ジョン・ロック的な平等(equality)は,およそ全ての事柄における平等といったものではなく,「各人が,他者の意思又は権威に服することなく,彼の自然の自由に対して有するところの平等な権利」でした(『統治二論』第二論文第54節)。)また,「自由かつ独立」ならば,そもそもそんな人たちは国家以前の存在で,「国政の上で,最大の尊重」をされる必要もないのでしょう。さらには,占領下の敗戦国民に対して,実は君たちは本来自由かつ独立なのだよ,と当の占領軍当局からわざわざ言ってやるのも余計なことだと思われたのかもしれません。「全ての人々は平等なものとして創造されている」又は「全ての人々は本来均しく自由かつ独立」と米国の原典からそのまま引き写すのも同様,戦争で負けた日本人が,それにもかかわらず米国その他の戦勝国の人々とも「全ての人々」仲間で平等ということになってしまって具合が悪かったのでしょう。

 

(2)日本国憲法13条前段と後段との間の社会契約

日本国憲法13条後段における国の義務の発生に係る直接の論理的前提は,日本国という統治体の設立に係る社会契約なのでしょう。ヴァジニア権利章典では“when they enter into a state of society…by…compactとあり,アメリカ独立宣言では“to secure these rights, governments are instituted among men, deriving their just powers from the consent of the governed”といっているところです。(なお,ヴァジニア権利章典2条には“That all power is vested in, and consequently derived from, the people; that magistrates are their trustees and servants, and at all times amenable to them.”(全ての権力は,人民に帰属し,したがって人民に由来すること。官職保有者は彼らの受託者かつ使用人であり,及び常に彼らに従属するものであること。)と,同章典3条終段には“that, when any government shall be found inadequate or contrary to these purposes, a majority of the community hath an indubitable, inalienable, and indefeasible right to reform, alter, or abolish it, in such manner as shall be judged most conductive to the public weal.”(いかなる統治体であっても,これらの目的について不十分又は反するものとみなされるようになった場合には,共同体の多数は,公共の福祉にとって最も親和的であると判断される方法に従って,それを改善し,変更し,又は廃止する不可疑,不可譲かつ不壊の権利を有する。)とあります。) 

そうであれば,日本国憲法13条前段と同条後段との間には,社会契約があることになるようです。日本国は国民国家なのでしょうが,「「国民国家」は,諸個人のあいだの社会契約によってとりむすばれるという論理の擬制のうえに成り立つ人為の産物であり,そのようなものとして,身分制や宗教団体の拘束から個人を解放することによって,人一般としての個人を主体とする「人」権と表裏一体をなすものだった。」とされているところです(樋口陽一『国法学』(有斐閣・2004年)25頁。また同104頁)。ただし,社会契約説は,「契約説ハ国民ガ国家ノ権力ニ服従スルノ根拠ヲ国民自身ノ意思ニ帰セシメントスルモノナルコトニ於テ,近世ノ民主主義ノ根柢ヲ為セルモノナリト雖モ,歴史的ノ事実トシテ此ノ如キ契約ノ存在ヲ認ムベカラザルハ勿論,論理上ノ仮定説トシテモ,此ノ如キ契約ガ何故ニ永久ニ子孫ヲ拘束スルカヲ説明スル能ハザルノ弱点ヲ有ス」と(美濃部達吉『改訂憲法撮要』(有斐閣・1946年)11頁),また,「之は種々の点に誤もあるけれども,其根本に於て人性を見誤つたものと申さなければならぬ,国家を成すのは之を成さずとも宜いのであるが,利害得失を比較して,強て之を造り成したるものではなくして,人間の本質上自然に国家を成すに至るものであるから,人の意思を以て国家存立の基礎とする社会契約説は其根本に於て誤であると言はなければならぬ」(上杉慎吉『訂正増補帝国憲法述義』(有斐閣・1916年)34-35頁)と批判されていたところではあります。

しかしながら,18世紀後半の北米十三植民地の知識人の間では,社会契約説こそが常識だったのでした。母国政府との関係におけるマサチューセッツでの険悪な情勢等を承けて大量に政治小冊子が書かれた1774年のヴァジニアでは,次のごとし。

 

 教育を構成するものは何かということに人々がなお合意することができた時代に教育を受けた人間であるジェファソンは,政治小冊子の全論文執筆者中の典型であった。彼ら全てが――更に全読者についても前提されていたのだが――政治哲学者であるハリントン,ヒューム,ロック,ハリファックス,モンテスキュー,シドニー及びボリングブロークの,並びにグロチウス,フランシス・ハッチソン,プーフェンドルフ及びヴァッテルのような道徳哲学者の著作に精通していた。それに加えて,全員がトゥキディデス及びタキトゥスからクラレンドン伯爵に至るまでの歴史家の見解を諳んずることができた。全員が抑制と均衡のシステム並びにイングランドの憲法を構成する法律及び伝統に詳しかった。「これらは皆,我々の耳に余りにも何度も繰り返し叩き込まれたので,政治についての全くの素人でもそれから長いこと暗記してしまっていたはずだ。」と〔ロバート・カーター・〕ニコラスはぼやいた。全ての学識ある自由()保有(リー)不動産(ホール)保有者(ダー)は,国制上の「イングランド人の権利」を構成するものは何か,「自然法」とは何か――それが「自然」によって定立されて以来何が正しいとされ何が誤っているとされてきたか――及び彼らの「自然権」,すなわち,自然状態から人は契約によって社会に入ったのであり,したがって人は,彼自身又は彼の子孫のいずれによっても失われ,又は処分することのできない権利を保有しているとの彼らの確信, とは何か,並びに以上の結果として,正にその財産(プロパティー)に課税する権力を有するあらゆる政府においては財産(プロパティー)が代表されなければならないことを理解しているものと想定されていた。人民(ピープル)」とは何者かということは必ずしも常に明瞭ではなかったが,主権は人民(ピープル)属すると彼らは信ずるに至っていた。このような同一のイデオロギー基盤を政治小冊子論文執筆者らと自由保有不動産保有者らとは有していたものの,自由に関するこの夏の論争において,確認された論文執筆者中において唯一ジェファソンのみが,いかなる人も他の人を拘束する権利を有しないと主張して奴隷制問題を取り上げた。Randall p.201

 

ということであれば,日本国憲法13条前段の「個人」は,社会契約と何らかの関係があるのだろうということになります。

 

(3)社会契約の当事者としての個人(individuals

すなわち,個人(individuals)こそが,社会契約の当事者なのでした。正にジョン・ロックの『統治二論』の第二論文の第96節にいわく。

 

 For when any number of men have, by the consent of every individual, made a community, they have thereby made that community one body, with a power to act as one body, which is only by the will and determination of the majority… (というのは,任意の数の人々が,各個人の同意によって(by the consent of every individual共同体(コミュニティ)を作ったときには,彼らは,そのことによって当該共同体(コミュニティ)を,多数の意思及び決定によってのみであるが,一体として活動する力を有する一体のものとしたところなのである。)

 

(4)「尊重される」の意味

 さて,それでは,“All of the people shall be respected as individuals.”(「すべて国民は,個人として尊重される。」)における“shall be respected”(「尊重される」)の意味は何でしょうか。ここでの「個人」は日本国定立の社会契約の当事者の地位にある個人であるとして,彼らの「生命,自由及び幸福追求」に対する権利の保全(to secure)が不十分であるときには暴れて革命を起こす人民(ピープル)の構成員としての尊重でしょうか。それとも,社会契約を締結して国家(コミュニティー)の構成員となったとはいえ,彼らの生得不可譲の権利である「生命,自由及び幸福追求」の権利にはなお国家は手を触れるべからず,という意味での尊重(ただし,さすがに公共の福祉に反するようになれば介入して規制するのでしょう。)でしょうか。

「国政の上で,最大の尊重を必要」とするときの「尊重」はconsiderationですが,「consider(考える)は,L com- (intensive)L sīdus〔星,天体〕からなるL cōnsīderāre (to observe attentively; to contemplate; to examine mentally)が語源である。古典ラテン語においては占星術用語としての用法はないが,原義はto observe the starsであったと考えられている。」(梅田109頁)といわれれば,「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政において遠くに輝く導きの星か,はた妖星か。

 日本国憲法13条の二つの「尊重」はそれぞれrespect及びconsiderationですが,後者の語源は上記のとおり,前者の語源もラテン語のrespicereですからどちらも「見ること」から派生した言葉です。見るということは距離・分離を含意し,手を差し伸ばして触れ合ったり支え合ったり,助け合ったりすることには直接結び付かないようです。

19464月付け法制局の「憲法改正草案に関する想定問答(第3輯)」においては,日本国憲法13条(政府提出案では第12条)前段の「個人として」に関する「個人としてとの意味如何」との想定問に対して,「個々一人一人の人間としてと言ふ意味であり,個人の人格尊重を規定したもので,全体の利益の為に,部分を不当に無視することなきの原則を明にしたものである」との回答が準備されていましたが,確かに,全体のために不当に無視しません,視ていますよとの消極的な性格のものとしての「個人の人格尊重」の位置付けでした。

19465月付け法制局の「憲法改正草案逐条説明(第1輯の2)」ではやや敷衍されて,次のように説明されています。

 

 本条前段は国民が各個人として尊重せらるべきものなることを定めて居ります。即ち従来稍〻もすれば全体を尊重する結果,誤まつて個人を無視し,全体の利益のために部分の利益を犠牲にする傾向に陥ることがあり,特に我国に於てこの弊が大きかつたと言ふことができるのでありますが,前段は国民の個人々々が何れも完全なる人格を有するものとして尊重されねばならぬとし,不当なる外力によつて国民の個性が抑圧せられることを防止しようとする趣旨であります。蓋し民主政治は自主独立なる個人の国政に対する積極的参与を精神とするものであるからであります。而して個人の人格を尊重すると言ふことは,要するに前2条に定めた所の基本的人権の尊重を,立法その他万般の国政の施行の際の基調とせねばならぬと言ふに帰着するのでありまして,本条後段はこの趣旨であります。

 

なお,日本国憲法13条後段の「最大の尊重」との表現については,「大イニ考慮ヲ払ツテ」という意味ではないかとの質疑(佐々木惣一委員)に対して,「サウ云フ意味デアラウト存ジテ居リマス,唯考慮スルト云フヤウナコトニナルト,専門家ガ御使ヒニナル言葉トシテハ,ソレデ十分デアリマセウケレドモ,一般的ニ国民ニ見セル法ト致シマシテ,左様ナ専門家的ナ渋イ描写デハ響キマセヌ,ソコデ政府ハ,サウ云フコトハ最モ尊重シテヤラナケレバナラヌ,斯ウ云フ気持ヲ現シタノデアリマス」との国務大臣答弁があったところです(1946916日の貴族院帝国憲法改正案特別委員会における金森国務大臣答弁(第90回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会議事速記録第149-10頁))。「渋イ」ものではいけないとなると,口当たりよく,甘やかで優しくなるのでしょうか。

 

7 GHQ草案12条釈義

 

(1)「日本国ノ封建制度ハ終止スヘシ」

 GHQ草案12条に戻ってアメリカ独立宣言及びヴァジニア権利章典との読み合わせをすれば,冒頭の「日本国ノ封建制度ハ終止スヘシ」は,最高上司のものしたマッカーサー三原則の第3項に敬意を表しつつ,当該一文によって大日本帝国憲法から日本国憲法への社会契約の変更が必要となった事由を示したものなのでしょう。アメリカ独立宣言であれば,北米十三植民地が独立を余儀なくされた理由としての英国ジョージ3世王の悪口が延々と続くところですが,まさか大日本帝国憲法下における昭和天皇の失政をあげつらうわけにもいかず,さらりと「日本国ノ封建制度ハ終止スヘシ」と書かれたものでしょう。明治の聖代における1869725日の版籍奉還,1871829日の廃藩置県の詔書などは高く評価されなかったようです。

 

(2)天皇の臣民(subjects)から社会契約の当事者たる個人(individuals)へ

 次の「一切ノ日本人ハ其ノ人類タルコトニ依リ個人トシテ尊(ママ)セラルヘシ」の部分は,「全ての日本人(又は人々)は,平等なものとして創造されている。」又は「全ての日本人(又は人々)は,本来(均しく)自由かつ独立である。」とも書かないこととしつつ,日本人を,続く後段の不可譲権(生命,自由及び幸福追求に対する権利)を有する自由,平等かつ独立である社会契約の当事者として位置付けようとしたものでしょうか。ロックの個人(individual)も,『統治二論』の第二論文第95節に“Men being, as has been said, by nature all free, equal, and independent, no one can be put out of this estate, and subjected to the political power of another without his own consent.”(今まで述べられてきたように,人々は本来全て自由,平等かつ独立であるので,だれも彼自身の同意なしにこの状態の外に置かれ,及び他者の政治権力に服せしめられることはない。)と紹介されています。
 ここで,“
not subjected to the political power of another”ということは重要です。それまでの日本人は,他者たる天皇の政治権力に同意などという畏れ多いこともなしにひたすら服する臣民(subjects)でしたが,individualsとなることによって,明文では書かれずとも,アメリカ独立革命期における自由,平等かつ独立の愛国者(ペイトリオッツ)並みの存在たり得るもの位置付けられ得ることができたのでした。ただし,愛国者ペイトリオッツ英国国王ジョージ3世陛下に叛逆した乱臣賊子らでありましたから,「初より本質上日本人の活動は此御一人〔天祖及天祖の系統の御子孫〕の意思を基礎として存在するものであつた,各人は己を没却して絶対的に此御一人の意思に憑依するに由つて自己を完成し永遠ならしむることを得たのであります〔中略〕此御一人の意思は其以外に人性の活動を支配すべき意思あることなき各人が絶対的に憑依し奉る唯一の意思であります」(上杉229頁)ということにその道徳的存在性の基礎を置き,歴代天皇から恵撫慈養されてきた忠良な日本臣民としては,乱臣賊子ら並みになったといわれると,若干の没落ないしは堕落感があったものでしょうか。

 なお,「其ノ人類タルコトニ依リ」と書かれると,日本人はそれまでは人類として認められていなかったのか失礼な,という感じを受けるのですがどうでしょうか。あるいはこれは,最初はby natureと書いたところ,それでは「一切の日本人はその日本人たることにより個人として尊重せらるべし」ということになってかえって日本人ではない者は個人として尊重されなくなってしまうことになるので,くどくはなるものの,by virtue of their humanityと書くことになった(くどくそう書いたのは,個人として尊重されることには憲法までを要しない,という趣旨でしょう。「(法によって権利が認められるのではなく)権利はそれ自身で存在し,憲法・法律は権利の保護のためにあるという自然法的立場」をとる「既得権(vested right)の理論」が,正にロックを通じて米国に導入されていたところです(田中英夫『英米法総論 上』(東京大学出版会・1980年)248頁)。),ということでしょうか。

 

(3)「生命,自由及幸福探求ニ対スルソノ権利ハ一切ノ法律及一切ノ政治的行為ノ至上考慮タルヘシ」

 「生命,自由及幸福探求ニ対スルソノ権利ハ一切ノ法律及一切ノ政治的行為ノ至上考慮タルヘシ」の部分は,国家設立の社会契約の目的の再確認ではありますし,日本国憲法においては,その第15条から第17条までの伏線となるところでしょう。日本国憲法14条の位置が問題になりますが,アメリカ独立宣言でもヴァジニア権利章典でも人々の平等ということが政府の位置付け論に対して先行しているところ,1946年の日本国においては,平等だと宣言するだけでは足りない積極的に片付けるべき封建遺制がなおあるものと認められたので,第14条が第13条に直ちに続いて,第15条以下の前に設けられたということでしょうか。

 なお,「幸福追求」について,法制局の「憲法改正草案逐条説明(第1輯の2)」は,「新しい表現でありますが,この語を用ひた気持ちとしましては,権利にも現状を維持するための権利と,一歩幸福の方に進めるための権利との区別があり,この後者の種類のものを表現したのであります。語感として享楽主義の誤解を招くとの非難があり得るかとも存じますが,従来の如く犠牲の面のみを強調することから生ずる暗さを払拭して,社会生活,国家生活の上に明るさを齎すと云ふ方針を表現し得たと考へて居ります。」と説明しています。「享楽主義の誤解を招くとの非難」に係る心配とは,専ら天皇に「其ノ康福ヲ増進」(ただし,「康福」は,伊東巳代治訳ではwelfare)することを願ってもらう(大日本帝国憲法上諭)受け身の姿勢には慣れてはいても,自分で自分の幸福を主体的かつ能動的に追求するとなると,生来享楽を求める己れの本性が下品に暴露されてしまいそうでかえって怖い,ということもあったのでしょうか。
 ちなみに,ジェファソン自身は,18191031日付けウィリアム・ショート宛て書簡において,自分も「古代ギリシア及びローマが我々に遺した道徳哲学における合理的なもの全て」がその教説にあるところのエピクロスの信奉者であると述べつつ,エピクロスの教説では幸福(happiness)が人生(life)の目的であり,その幸福の基礎は徳(virtue)であり,徳は①賢慮(Prudence),②節度(Temperance),③剛毅(Fortitude)及び④正義(Justice)から構成される,とまとめています(まとめ自体は書簡執筆時から二十年ほど前のものだと述べられています。)。享楽主義ではありません。

   

 8 「個人の尊厳」

 ところで,日本国憲法13条前段(「すべて国民は,個人として尊重される。」)は,「「個人の尊厳」を定めた規定であると一般に説明され」ているそうで(樋口陽一=石川健治=蟻川恒正=宍戸常寿=木村草太『憲法を学問する』(有斐閣・2019年)151頁(蟻川恒正)),さらには当該「「個人の尊厳」については尊厳こそが重要だ」ともされています(樋口等153頁(蟻川))。「〔日本国〕憲法13条は,「個人の尊重」(前段)と「幸福追求権」(後段)との二つの部分からなる。前段は,後段の「立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする」と一体化して,個人は国政のあらゆる場において最大限尊重されなければならないという要請を帰結せしめる。これは,一人ひとりの人間が「人格」の担い手として最大限尊重されなければならないという趣旨であって,これを「人格の尊厳」ないし「個人の尊厳」原理と呼ぶことにする。」とも説かれていたところです(佐藤444頁)。

この「尊厳」という概念については,「本気で使うなら,高い身分と不可分のものであるという,ヨーロッパの伝統社会でずっと引き継がれてきた理解を簡単に捨ててはいけない」ということで,「近代社会というのは身分が撤廃された社会というわけではない,そう見えるかもしれないけどもそうではない,では何なのか,みなが高い身分になった社会なのだと考える」べきなのだとの主張があります(樋口等155頁・156頁(蟻川))。当該論者によれば,「重い義務を引き受け,それを履行する人が高い身分の人であるという感覚」から,「尊厳というものは,義務を前提としてでなければ成り立たない。高い身分の人というのは,それだけ普通の人より重い義務を負う存在でなければならない」ということになるそうです(樋口等158頁・159頁(蟻川))。「自分は社会の基本的な構成員だという自覚を与えることが,その人を尊厳ある存在として認めることになるし,そういう社会を作っていくという社会自身のミッションでもある」ということだそうです(樋口等200頁(蟻川))。

民法2条の「個人の尊厳」については,「個人の尊厳とは,すべての個人は,個人として尊重され(憲13条参照),人格の主体として独自の存在を認められるべきもので,他人の意思によって支配されまたは他の目的の手段とされてはならない,ということである。」と説かれています(我妻榮『新訂民法総則(民法講義Ⅰ)』(岩波書店・1965年)29頁)。「他の目的の手段とされてはならない」となると,カント的ですね。教養主義的とも申せましょう。

 

 Handle so, daß du die Menschheit sowohl in deiner Person, als in der Person eines jeden andern jederzeit zugleich als Zweck, niemals bloß als Mittel brauchest. (Grundlegung zur Metaphysik der Sitten)

 

ところで「人格」ですが,これは「近世法が,すべての個人に権利能力を認め,これを人格者(Person)とする」ということですから(我妻46頁),権利能力の主体という意味でしょうか。仮にそうだとすると「人格の尊厳」とは,権利能力の「尊厳」ということになりそうです。何だかこれでは味気ない。であるとすれば,「ここにおいて,現代法は,個人を抽象的な「人格」とみることから一歩を進め,これを具体的な「人間」(Mensch)とみて,これに「人間らしい生存能力(menschenwürdige Existenzfähigkeit)を保障しようと努めるようになった(ワイマール憲法151条)。わが新憲法第25条もこの思想を表明するものである。」(我妻47頁)とはむべなるかな,ということになります。2012427日決定の自由民主党の日本国憲法改正草案では第13条は「全て国民は,人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公益及び公の秩序に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大限に尊重されなければならない。」と改正されることになっていて,「個人」が「人」になっています。


9 GHQ草案12条の「個人」の肖像

最後に,GHQ草案12条の想定していたindividualsとはどのような人々だったのでしょうか。

ロックの説くところでは,自然法の違反者を処罰する自然法執行の任に当たり,また,自らに対する損害賠償を求める自力救済をも行う者でした(『統治二論』第二論文第2章)。なかなか能動的です。自らのproperty(もの)である労働(labour)によって彼に固有のもの(プロパティ)を取得する者であり『統治二論』第二論文27節・第32節),理性の法に服し(同第57節),それに足る精神的能力を有していなくてはならず(同第60節),配偶者,子供及び召使からなる家庭を有する者ともなり(同第77節), 彼に固有のもの(プロパティ),すなわち彼の生命,自由及び財産(estate)を他の人々による侵害又はその試みに抗して保持する権力(a power)を生来(by nature)有する者でありました(同第87節)。

米国的文脈では,独立宣言の最後でアメリカ独立革命の大義のために“we mutually pledge to each other our lives, our fortunes, and our sacred honor.”(我々は,相互に,我々の生命,我々の運命及び我々の神聖な名誉をかけることを誓う。)と誓った「壮麗に古代ローマ的な」(Randall p.273愛国者(ペイトリオッツ)でしょうか。それとも後の大統領フーヴァーが19281022日に説いた,分権的自治,秩序ある自由,平等な機会及び個人の自由の諸原則(the principles of decentralized self-government, ordered liberty, equal opportunity, and freedom to the individual)を奉ずるrugged individualism(徹底的個人主義)の信奉者でしょうか。「アメリカは,英国の公共の負担によってではなく,諸個人(individuals)の負担によって征服され,並びにその定住地が建設され,及び確立されたものである。彼ら自らの血が彼らの定住地の土地を確保するために流され,彼ら自らの財産が当該定住地を持続可能とするために費やされた。彼ら自身で彼らは戦った,彼ら自身で彼らは征服した,そして彼ら自身のみのために彼らは保持の権利を有するのである。」とは17747月にジェファソンが執筆した「ブリティッシュ・アメリカの権利の概観」の一説です。

フーヴァーは,その米国式徹底的個人主義の対極にあるものとして欧州の家父(パター)長主義(ナリズム)及び国家(ステート)社会(・ソーシ)主義(ャリズム)を挙げていました。

全ての国民を「かけがえのない個人として尊重」する国家及び社会においては,徹底的個人主義を奉ずる個人は稀であり,むしろフーヴァーのいう欧州的な哲学を奉ずる者が大多数なのでしょう。

  


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1 2015年4月の日米防衛協力のための指針と米国からの電子メール
 

(1)米国内での報道

 今年(2015年)4月末の安倍晋三内閣総理大臣の米国訪問に際して米国ABCのウェッブサイトに「米日防衛協定:中国に対する懸念の中,日本軍により幅広い役割を認める「歴史的」な新ルール」(US-Japan defence deal: Historic new rules to allow Japanese forces wider role amid concerns over China)と題するニュース記事が掲載されました。

 そこでは,「改訂されたガイドラインにおいては,日本は,第三国から脅威を受けている米国軍のために来援することができ,又は,例えば,中東地域での活動のために掃海艇を派遣することができる。」(Under the revised guidelines, Japan could come to the aid of US forces threatened by a third country or, for example, deploy minesweeper ships to a mission in the Middle East.)と報ぜられています。これに対して従前のルールでは,「日本軍は,日本を直接防衛する行動をしている米国兵のみを支援することができた」(Under the previous rules, Japanese forces could assist American troops only if they were operating in the direct defence of Japan.)ものにすぎなかったとされるところです。米国のケリー国務長官は,共同記者会見において,「本日(2015年4月27日),我々は,日本が自国の領土のみならず,必要であれば米国及び他のパートナーをも防衛する権能を確立したことを確認するものであります。」("Today we mark the establishment of Japans capacity to defend not just its own territory, but also the United States and other partners as needed.)と発言したとされています。


(2)米国からの電子メール

 このニュースを読んだ米国人の知人から早速電子メールが届きました。



  どのようにして事態は変わったものやら。今や日本は,米国が第三者によって攻撃されたときには来援してくれるし,中東での
○○対策で私たちを助けてくれるのですね。

 

 実はいささか返事に困っているところです。
 

(3)日米防衛協力のための指針

 2015年4月27日の日米防衛協力のための指針The Guidelines for Japan-U.S. Defense CooperationⅣ章「日本の平和及び安全の切れ目のない確保」(Seamlessly Ensuring Japan's Peace and Security)のD「日本以外の国に対する武力攻撃への対処行動」(Actions in Response to an Armed Attack against a Country other than Japan)には,「自衛隊は,日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し,これにより日本の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態に対処し,日本の存立を全うし,日本国民を守るため,武力の行使を伴う適切な作戦を実施する。」とあります。米国が第三者(a third party)によって攻撃されたときの我が自衛隊の米国来援は,この部分に基づいてされるのでしょう。英文では次のとおりです。

     The Self-Defense Forces will conduct appropriate operations involving the use of force to respond to situations where an armed attack against a foreign country that is in a close relationship with Japan occurs and as a result, threatens Japan's survival and poses a clear danger to overturn fundamentally its people's right to life, liberty, and pursuit of happiness, to ensure Japan's survival, and to protect its people. 


(4)ワシントン陥落の場合における我が国の存立いかん

 しかし,コロンビア特別区ワシントンに向けて第三国軍の兵士がその南東方面の上陸地点から進軍し,迎え撃つ米国大統領直率の民兵等部隊はあえなく敗走して当該第三国軍の首都侵入を許し,同大統領夫人は初代大統領の肖像画を抱えてほうほうの態でホワイト・ハウスを脱出し,侵入軍兵士らは残された大統領官邸正餐の食事に舌鼓を打った上で上機嫌をもって同官邸等の政府庁舎に放火したからといって,我が日本国の存立が脅かされるわけでもなければ,日本人の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があったわけでもないでしょう。少なくとも光格天皇の御代たる文化十一年(1814)夏の我が国は,百姓一揆等はあれども,天下泰平でありました(征夷大将軍は徳川家斉)。


2 我が国における安全保障法制の整備に向けた動き


(1)
2014年7月1日閣議決定

 前記日米防衛協力のための指針Ⅳ章Dの部分は,2014年7月1日の閣議決定「国の存立を全うし,国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の3(3)における次の部分に対応するものと解されます。いわく,「・・・我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず,我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において,これを排除し,我が国の存立を全うし,国民を守るために他に適当な手段がないときに,必要最小限度の実力を行使することは,従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として,憲法上許容されると考えるべきであると考えるに至った。」(英訳では,...the Government has reached a conclusion that not only when an armed attack against Japan occurs but also when an armed attack against a foreign country that is in a close relationship with Japan occurs and as a result threatens Japan's survival and poses a clear danger to fundamentally overturn people's right to life, liberty and pursuit of happiness, and when there is no other appropriate means available to repel the attack and ensure Japan's survival and protect its people, use of force to the minimum extent necessary should be interpreted to be permitted under the Constitution as measures for self-defense in accordance with the basic logic of the Government's view to date.


(2)武力攻撃事態等法等の改正法案等

 2015年5月14日に閣議決定された「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」の予定する改正後の武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成15年法律第79号。以下「改正武力攻撃事態等法」)の改正2条4号は「存立危機事態」を「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。」と規定しています。

 前記2014年7月1日閣議決定の「他に適当な手段がないときに,必要最小限度の実力を行使すること」の部分に対応するものとしては,改正武力攻撃事態等法改正9条2項1号ロが,武力攻撃事態等又は存立危機事態に至ったときに政府が定める対処基本方針(同条1項。内閣総理大臣が案を作成して閣議決定を受け(同条6項),更に国会の承認を承ける(同条7項)。)においては「事態が武力攻撃事態又は存立危機事態であると認定する場合にあっては,我が国の存立を全うし,国民を守るために他に適当な手段がなく,事態に対処するため武力の行使が必要であると認められる理由」を定めるものとし,同法改正3条4項は「存立危機事態においては,存立危機武力攻撃を排除しつつ,その速やかな終結を図らなければならない。ただし,存立危機武力攻撃を排除するに当たっては,武力の行使は,事態に応じ合理的に必要と判断される限度においてなされなければならない。」と規定しています。

 存立危機事態においては,対処基本方針の定めるところに基づき,内閣総理大臣は国会の事前の承認を受け,又は特に緊急の必要があり事前に国会の承認を得るいとまがないときは当該承認なしに,自衛隊法76条1項の防衛出動を命ずることができるとされています(改正武力攻撃事態等法9条4項)。自衛隊法76条1項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は,我が国を防衛するため,必要な武力を行使することができることはもちろんです(同法88条1項)。

 米「国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅かされ」るという事態における政府の対処基本方針においては,次のような文言が見られることになるのでしょうか。



・・・帝国ノ重ヲ米国ノ保全ニ置クヤ一日ノ故ニ非ス是レ両国累世ノ関係ニ因ルノミナラス米国ノ存亡ハ実ニ帝国安危ノ繋ル所タレハナリ然ルニ・・・某国ハ既ニ帝国ノ提議ヲ容レス米国ノ安全ハ方ニ危急ニ瀕シ帝国ノ国利ハ将ニ侵迫セラレムトス事既ニ茲ニ至ル帝国カ平和ノ交渉ニ依リ求メムトシタル将来ノ保障ハ今日之ヲ旗鼓ノ間ニ求ムルノ外ナシ政府ハ汝有衆ノ忠実勇武ナルニ倚頼シ速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス

  
  20世紀初頭風の文章ですが,これではまだ,存立危機事態の認定には足りないでしょうか。なお,「我が国と密接な関係にある他国」は,米国だけではないでしょう。


3 存立危機事態


(1)我が国の存立と生命,自由及び幸福追求の権利

 しかし,「他国に対する武力攻撃が発生し,これにより我が国の存立が脅かされ,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」との存立危機事態の定式における前半部分と後半部分との関係は分かりにくいところです。「我が国の存立が脅かされ」,かつ,「国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があるときにのみ存立危機事態が認定されるとすると,「国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があっても「我が国の存立が脅かされ」なければ自衛隊の防衛出動はないわけですが,「我が国の存立が脅かされ」ても「国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」が無い場合も存立危機事態ではないことになり,自衛隊の防衛出動はないということでよいのでしょうか。

 この点2015年5月15日付けの自由民主党安全保障法制整備推進本部「切れ目のない「平和安全法制」に関するQ&A」の「答40」では,「存立危機事態」とは,「他国に対する武力攻撃が発生した場合において,そのままでは,すなわち,その状況の下,武力を用いた対処をしなければ,国民に我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な,深刻,重大な被害が及ぶことが明らかな状況」をいうものであって,「事態の個別具体的な状況に即して,主に攻撃国の意思,能力,事態の発生場所,その規模,態様,推移などの要素を総合的に考慮し,我が国に戦禍が及ぶ蓋然性,国民が被ることとなる犠牲の深刻性,重大性などから客観的,合理的に判断する」ものとされています。「我が国の存立」に対する脅威には直接言及されていません。また,急迫性も明示的には要件にされていないようです。


(2)自衛権と生命,自由及び幸福追求の権利

 前記2014年7月1日閣議決定は,その3(2)において,憲法13条の「生命,自由及び幸福追求の権利」に言及します。いわく,「憲法9条はその文言からすると,国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが,憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法13条が「生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると,憲法9条が,我が国が自国の平和と安全を維持し,その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方,この自衛の措置は,あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫,不正の事態に対処し,国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり,そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが,憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について,従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹,いわば基本的な論理であ」ると。


(3)アメリカ独立宣言における生命,自由及び幸福追求の権利と抵抗権

 憲法13条の「生命,自由及び幸福追求の権利」は,1776年のアメリカ独立宣言に由来します。

     We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal; that they are endowed by their Creator with certain inalienable rights; that among these, are life, liberty, and the pursuit of happiness. That, to secure these rights, governments are instituted among men, deriving their just powers from the consent of the governed; that, whenever any form of government becomes destructive of these ends, it is the right of the people to alter or to abolish it, and to institute a new government...     

 (我々にとって,以下の真理は自明のことである。すなわち,全ての人は平等に創造されていること。彼らは,彼らの造物主によって,一定の不可譲の権利を付与されていること。それらの権利のうちには,生命,自由及び幸福の追求があること。政府は,当該権利を確保するため,被治者の同意にその正当な権限を基礎付けられつつ,人々の間に設立されるものであること。いかなる形体の政府であっても,これらの目的に対して有害となったときにはいつでも,これを変更又は廃止し,及び新たな政府を設立することは人民の権利であること。)

 「生命,自由及び幸福追求の権利」は,北アメリカ植民地人のジョージ3世の英国政府に対する叛逆を,抵抗権の行使として大義付けるために持ち出されたものでした。

 さて,そうであれば,「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」との我が憲法13条の規定(All of the people shall be respected as individuals. Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extend that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.)を,そのそもそも由来するアメリカ独立宣言風に理解すると,「各個人の生命,自由及び幸福追求の権利を政府が尊重しないと,ジョージ3世の政府に対して北アメリカ植民地人がしたように,抵抗権が発動されて独立革命を起こされても文句は言えないぞ。すなわち国家の存立が脅かされるぞ。」ということになるでしょうか。物騒な条文です。

 なお,アメリカ独立宣言には,ジョージ3世の秕政として,植民地議会の同意なしに平時に常備軍を駐屯させたこと(He has kept among us, in time of peace, standing armies, without the consent of our legislatures.)及び軍を市民の政府から独立し,かつ,優越するものとしようとしたこと(He has affected to render the military independent of, and superior to, the civil power.)が挙げられています。北アメリカ植民地人は,自分たちの防衛のためには本国の常備軍になど頼らず,自ら武器を所持しつつ,民兵組織で対処するつもりだったのでしょう。(とはいえ,アメリカ独立戦争においてはルイ16世のフランス王国と同盟し,フランス軍の来援を受けていますが。)

 抵抗権は,権利であるばかりではなく,その行使が義務である場合もあるとされます。再びアメリカ独立宣言。

     ...But, when a long train of abuses and usurpations, pursuing invariably the same object, evinces a design to reduce them* under absolute despotism, it is their right, it is their duty, to throw off such government and to provide new guards for their future security...(* このthemmankindを受ける。)

 (しかしながら,長期の連続した権限の濫用及び簒奪が,一貫して同一の目的を追求し,人類を絶対的専制の下へ引き下ろそうとする意図を明らかにするときにあっては,そのような政府を投げ棄て,彼らの将来の安全のための新たな防護を講ずることは,彼らの権利であり,義務である。)

 ジョージ3世治下の英国のような悪の帝国による世界征服(world conquest)ノ挙は,国民の生命,自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険であって,それに対して積極的に抵抗する権利(英国臣民ならば抵抗権ですが,外国人にとっては自衛権ということになるのでしょう。)を行使するのが,生命,自由及び幸福追求の権利を有する人たるものの権利であり,かつ,義務であるということになるようです。

 ルイ16世は,このような高邁な考えを持っていたのでしょうか。

 しかし,アメリカ独立戦争の支援等によってルイ16世の政府の財政は破綻し,やがてフランス革命が起きて1792年9月には王制廃止,1793年1月21日にルイ16世は処刑されてしまいます(かくして一つのレジームからの脱却がされたわけです。)。財政的に無理がある国がアメリカに肩入れするのは剣呑ですね。戦費調達が大変です。そのために国債を発行した場合,国債が値崩れしないかどうか。

 ところで,アメリカ独立宣言の起草者ジェファソンは,やがて国王の処刑に至る血なまぐさいフランスの動向に対して冷静でした。1793年1月3日付けのジェファソン国務長官のウィリアム・ショート(駐ハーグ米国公使)あて書簡にいわく。



 ・・・全地上の自由は,この抗争の結果いかんにかかっていたのです。そして,このような貴重な獲得物が,かつてこれほど少ない無辜の血によってあがなわれたことがあったでしょうか。私自身の愛情は,この大義のための殉難者らによって深く傷つけられています。しかし,それが失敗するのを見るよりは,地上の半分が無人の地となるのを見る方がましです。それぞれの国にアダムとイヴとだけが残されることになっても,自由な者として残されるのならば, 今よりましなのです。・・・

 
  同年3月24日付けの同郷(ヴァジニア)の後輩マディソン(1814年夏の米国大統領)あて書簡において,ジェファソンは,ある夕食会でルイ16世の処刑が話題になったことを取り上げていますが,同席者の政治的傾向の分析(最左翼のジャコバン支持者から最右翼の貴族政論者まで各人をその傾向に従って順番付けた。)を書くためのものだったようです。アメリカ独立革命の恩人の死に対して,ジェファソンは冷淡ですね。

 「人命は地球より重い。」とか,「国民の命と平和な暮らしを守り抜く。」などと考えていた人ではないようですね。実際ジェファソンは,1787年1月30日付けのマディソンあてのパリからの書簡において,マサチューセッツ邦でのシェイズの叛乱を論じつつ,叛乱が起こることはよいことだとまで言っています。いわく,「小さな叛乱が時々起こることはよいことであり,物質界において嵐がそうであるように,政治の世界において必要なものだと思います。失敗に終わった叛乱は,実際のところ,その原因となった人民の権利に対する制限(incroachments)を確立(establish)するのが一般です。この真理の認識は,叛乱を過度に抑制(discourage)しないように,正直な共和国の知事ら(honest republican governors)を,叛乱の処罰において穏和にすべきものです。これは,政府の健全性のために必要な薬なのです。」


(4)存立危機事態認定要請への対処

 存立危機事態の認定をするよう米国から要請があることもあるのでしょう。

 前記自由民主党Q&Aの「答12」には,「平和安全法制の整備は,国民の命と平和な暮らしを守り抜くために,我が国として主体的に取り組んでいるものです。我が国の存立と国民の命や平和な暮らしに関係のない集団的自衛権の行使の要請が,仮に米国からあったとしても,断るのは当然のことです。」とあります。

 しかし,そのようにピシャリとはねつけることができるような明らかに無理無体な要請ではない,それなりの理屈付けがされた要請が来ると面倒ですね。第一次世界大戦中の欧州派兵要請への対処問題の再演ということになりましょうか。

http://donttreadonme.blog.jp/archives/944591.html

 米国側にそれなりの期待を持たせてしまっているということでもあると,厄介ですね。

 なお,前記日米防衛協力のための指針の第Ⅳ章Dには,「日米両国が,各々,米国又は第三国に対する武力攻撃に対処するため,主権の十分な尊重を含む国際法並びに各々の憲法及び国内法に従い,武力の行使を伴う行動をとることを決定する場合であって,日本が武力攻撃を受けるに至っていないとき,日米両国は,当該武力攻撃への対処及び更なる攻撃の抑止において緊密に協力する。共同対処は,政府全体にわたる同盟調整メカニズムを通じて調整される。」とあります。同盟調整メカニズムまで用意されているのですから,米国からの要請をそう容易に振り切ることはできないでしょう。


 結局,米国の知人からの電子メールに対する返信の内容は,国会での議論を見ながら考えるということになりました。

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1 リップ・ヴァン・ウィンクル

 米国の小説家ワシントン・アーヴィングに“Rip van Winkle”という作品があります。18世紀,北アメリカはハドソン川流域のオランダ系植民者の村に住んでいたリップ・ヴァン・ウィンクルを主人公とした物語です。森鷗外による邦題は,『新浦島』。

アメリカ独立革命が起こる前のこと,怖い奥さんを苦手とするリップが,難を避け,いつも仲間とその前のベンチにたむろして駄弁っていた旅館には「ジョージ3世陛下の血色のよい肖像(a rubicund portrait of His Majesty George III)」が目印の看板として掲げられていました。ところが,リップがうっかりキャッツキルの山中に入って一眠りして20年を過ごしてしまってから村に戻って来た時には,その間に建て替えられた旅館の看板に依然として描かれてある赤々とした顔(ruby face of King George)はかつてと同じようであっても,赤い袍は青と淡黄褐色のコートに変わっていて,手は笏の代わりに剣を持っており,頭には三角帽,そして看板の下部には大きな文字で「ワシントン将軍(GENERAL WASHINGTON)」と書いてありました・・・というようなお話です。

 

2 ジョージ3世

 ところでリップの村の旅館の看板になっていたアメリカ独立革命時の英国及び北米13植民地の王であったジョージ3世とは,どのような人だったのでしょうか。

 

ジョージ3世は,〔ドイツから来たハノーヴァー朝の〕先代のジョージ1世や2世と異なり,イギリスで生まれ,イギリス風の教育を受けた生粋のイギリス人で,母からつねに「ジョージよ,王者たれ」とはげまされ,テューターのボリングブルックから「愛国王の思想」を吹きこまれていた。ジョージ3世は王権の回復をめざし,ウォルポール以来の議会政治を変更しようと試みたが,ステュアート朝の諸王のような絶対君主たらんとしたわけではない。ただ曽祖父〔ジョージ1世〕や祖父〔ジョージ2世〕が失った権力をとりかえして,ウィリアム3世〔名誉革命で即位した王〕の昔に帰り,一政党,一党派ではなく,あらゆる政党,党派のベストメンバーをすぐって王に奉仕させようとしたにとどまる。王は,「王の側近(キングス‐フレンド)」を中心として親政を行ない,「君臨すれども統治せず」の原則に暗影を投じたが,アメリカの植民地の独立やアイルランド問題などで失敗した。そして1783年,24歳の青年小ピットが首相の地位につくにおよび,議会政治がふたたび回復にむかったのである。(大野真弓『世界の歴史8絶対君主と人民』(中央公論社・1961年)475476頁)

 

  1760年に即位したジョージ3世は,国王が自らCabinetに臨み,行政権の首長として行動するという体制を復活しようとした。ビュート(Earl of Bute; John Stuart)がPrime Minister176263年,ノース(Frederick North)がPrime Minister177082年と,ジョージ3世は国王親政を試みる。

  ・・・

  もしジョージ3世がその統治に成功していれば,あるいは,国王が名実ともに行政権の首長であるという体制が〔英国に〕一時復活したかもしれない。しかし彼は,アメリカ植民地問題をかかえて,結局その処理に失敗し,アメリカの独立を招いた。この失敗がどこまで国王個人に帰せられるべきかは,はっきりしないが,失敗したという事実は決定的である。また,ジョージ3世の政治指導力が,例えば〔その孫の〕ヴィクトリア女王などに比べれば劣っていることは否めまい。また彼が,1765年,178889年,180304年と精神病にかかったことも,その指導力を低下させたに違いない。(田中英夫『英米法総論 上』(東京大学出版会・1980年)143頁)

 

 アメリカ独立宣言では暴君呼ばわりされていて,ややお気の毒な王様です。

 

3 トーマス・ジェファソン

これに対して,ジョージ3世の当該悪口をアメリカ独立宣言に書き連ね,かつ,同王治下の英国が大嫌いであったトーマス・ジェファソンの人柄は,どのようなものだったのでしょうか。

 ジェファソン(5セント玉)の宿命の政敵であったワシントン政権の元財務長官アレグザンダー・ハミルトン(10ドル札)が,ジェファソンが第3代大統領に当選した1801年の米国大統領選挙(連邦議会下院における投票にまでもつれ込んだもの)の際,フェデラリスト党の仲間であるJ.A.Bayardあてに同年1月16日付けで書いた書簡にいわく。

 

 ・・・恐らく私が最初に,自分の不人気と引換えにジェファソンの正体(true character)をあばいたわけですから,今更彼の弁護人(apologist)になるのには遅過ぎますし,その気にもなれません。私は,彼の政見(politics)には狂信(fanaticism)の気味があること,彼がその民衆政治論(democracy)において大真面目に過ぎること,彼は我らが今までの政権〔ワシントン及びアダムズ政権〕の主要政策に対して有害な敵(mischevoussic enemy)であったこと,彼はその目的のためには狡猾かつ執拗(crafty & persevering)であること,彼は成功のためには手段を選ばない(not scrupulous)こと,彼は真実を必ずしも尊重しないこと(not very mindful of truth),そして彼は見下げ果てた偽善者(contemptible hypocrite)であることを認めます。・・・

 

なかなか取り柄がなさそうです。しかし,不幸中の幸い,その悪さには限界があるようです。

 

・・・彼は,私の知る他の人間と同様に俗物的です(to temporize)――何が彼自身の評判を高め,彼の有利に働くだろうかを計算するわけです。そして,このような気質から想定される結果は,当初は反対したとはいえ,いったん出来上がった以上は,それを試みる者に対する危険なしにはそれを覆し得ないところの諸制度の維持ということになります。私の思うところでは,J氏の性格の正確な衡量からは,暴力的なシステムというよりは妥協的なシステム(a temporizing rather than a violent system)を期待することが保障されるところです。・・・彼が腐敗させられ得るとの考えを支持すべき相当な理由はない(no fair reason)ということもつけ加えましょう。このことは,彼はある一定の限度を越えることはないということの保証になります。・・・

 

 同じくハミルトンの18001226日付けG.Morrisあて書簡には次のとおり。

 

 ・・・この世界において私が憎むべき者がいるならば,それは,ジェファソンです。・・・

 

というのは,ジェファソンは,「宗教においては無神論者(Atheist),政治においては狂信者(Fanatic)」だったからでしょう(A.ハミルトン・同年5月7日付けJ.Jayあて書簡)。「無神論者」は,米国では負の評価を帯びた由々しい言葉です。

自分と同じくヴァジニア出身である国務長官ジェファソンと独立戦争における有能な副官であった財務長官ハミルトン(こちらはカリブ海出身)との不仲は,初代大統領ジョージ・ワシントンにとって心痛の種でした。両者の和解の勧試がされたものの,両雄は並び立ちません。

 

・・・私〔ハミルトン〕は,ジェファソン氏が同氏の現在の職〔国務長官〕に就くためにニュー・ヨーク市〔アメリカ合衆国の最初の首都〕に来着した当初〔1790年〕から,私が同氏からの変わることなき妨害(uniform opposition)の対象であったことを知っています。最も信頼の置ける情報源から,私がしばしば当該方面からの意地悪なささやき(most unkind whispers)やあてこすりの対象とされていたことを知らされています。私は,彼の後援の下に私を失脚させようとして形成された党派〔Republicans又はDemocratic-Republicans。ただし,現在の共和党の前身ではなく,民主党の前身〕が,立法府に存在しているのを見てきました。私の手元にある証拠からして,〔ワシントン政権を攻撃する〕ナショナル・ガゼット紙が政治的目的のために彼によって設立されたこと,並びに同紙の主要目的の一つが,私及び私の省が関係する政策のすべてが可能な限りいとわしいものとして認識されるようにすることであったことを疑うことはできません。・・・(A.ハミルトン・1792年9月9日付けG.ワシントンあて書簡)

 

 ハミルトンの言い分ばかり伝えるのは不公平でしょうか。とはいえ筆者には,ハミルトンについては格別の思い出があります。

 初めて米国に渡った時,同国のお札に肖像が出ている人物中,ベンジャミン・フランクリン(100ドル札),グラント(50ドル札),ジャクソン(20ドル),リンカン(5ドル)及びワシントン(1ドル)は何者だか分かっていても(フランクリン,リンカン及びワシントンについては我が国に子供向けの伝記もあって周知。グラントは,南北戦争の北軍の有名な司令官であって後に大統領になったということで記憶がありました(なお,グラントは実は尖閣諸島問題にもからむ人のようです。)。ジャクソンについては,山川の高校世界史の教科書に「ジャクソニアン・デモクラシー」ということが書かれていて,これは大学受験勉強的には何やら重要なのであろうという認識がありました。まあ,ジャクソンは,簡単にいえばOKの人なのですが。),しかし10ドル札のハミルトンというのが分からない。大統領でもないのになぜお札に顔が出ているのか。田舎の街の雑貨用品店で,他にお客もいないようなので,レジの中年女性に,10ドル札を出しながら,それまでなかなか通じず苦労した下手な英語で図々しく“Who is he?”と訊いてみたところ,怪しい東洋人の妙な質問でありながらも親切にも理解してくれて,

 

 “Ooh, Alexander Hamilton. Our first Secretary of the Treasury!”

  (うーん,アレグザンダー・ハミルトン。初代の財務長官ね。)

 

 とのご名答。

 アメリカの女性は偉いものだ,と思ったことです。

 

4 ジョージ3世vs.ジェファソン

 この性格の悪いジェファソンが,北米独立13邦の駐仏公使として,ロンドンで「暴君」ジョージ3世に接見せられたことがあります。1786年3月17日,セント・ジェイムズ宮殿における接見会でのことでした。35年後のジェファソンの自伝にいわく。

 

  例によって私が接見会(levees)に国王及び王妃に伺候したところ,アダムズ氏〔当時の駐英公使〕及び私を見た彼らの態度ほど不快(ungracious)なものはなかった。私は,このラバ的生物(mulish being)の狭隘な精神に生じている潰瘍からして,私の伺候からは何も期待できないことを直ちに了知した。(Randall, W.S. Thomas Jefferson: a life. New York; HarperPerennial, 1994. P.412

 

分かりにくいのですが,どうも,駐英公使アダムズが接見会において駐仏公使ジェファソンをジョージ3世及びシャルロット王妃に紹介して両公使がお辞儀をしたところ,王及び王妃はつと玉座から立ち上がって両者に背を向け,満座の外交団の前で北アメリカ13邦を代表する両閣下に恥をかかせた,ということのようです(Randall, p.413)。

しかし,極めて几帳面なジョン・アダムズ自身がこの時のことを書いておらず,また,シャルロット王妃はジョージ3世の接見会には臨席しない仕来りだったようで,上記の話には疑わしいところがあります。つまり,実際のところは違うようです。すなわち,ジョージ3世の接見会は,弧状に並んだ外交官たちの前を,お付き二人を従えただけの国王が,その右側に立つ各国外交官と短い会話を交わしながら歩いて行くという格式張らない形式のものであって,華麗なヴェルサイユ宮殿の儀式に慣れたジェファソンとしては興ざめし,かつ,ジョージ3世もジェファソンとは特に話すべき話題はなかったので(さすがにアメリカ独立宣言の内容について「あれはひどいね」と議論するわけにはいかなかったでしょう。)さっさと次の外交官との会話に移ってしまったということだったようです。英国の歴史家Ritchesonによれば,ジョージ3世自身は,公の場で横柄な態度をとること(public rudeness)は国王のすべきこととは考えていなかったようで,また,「彼の親しみやすさ,礼儀正しさ,打ち解けやすさ並びに小咄,お上手及び冗談の種を豊富に持っていることは称賛されていた。」とのことでありました。(以上,Randall, p.413

ジェファソンとしてはジョージ3世に馬鹿にされたように感じたのかもしれませんが,確かに,ハミルトンによれば,ジェファソンは「真実を必ずしも尊重しない」人物でありました。

 

5 二人のジョージ

ジェファソンにかかるとラバ並みの扱いですが,ジョージ3世は,むしろ公正な人物であったように思われます。

パリ条約(1783年)後の北米13邦からの初代駐英公使であるアダムズ(彼もアメリカ独立宣言起草委員の一人でしたね。)の英国国王による接受(1785年)は,「アダムズにとって感動的な経験(moving experience)であった」そうです。「かつての叛臣であるアダムズは,神経質に震える声で,今や連合13邦は英国との友誼を求めている旨言上した。国王は,アメリカの離脱を押しとどめることはできなかったが,今やそれがなされてしまった以上,彼も同様に友好関係を望むと答えた。会見は短かった。ジョージ3世は,堅苦しくお辞儀をして,アダムズに下がってよい旨を伝えた。当該使節は外交儀礼に従い3度お辞儀をし,おぼつかなく後ずさりして接受の間から引き下がった。直後のロンドン・クロニクル紙は「ジョン・アダムズ閣下は,極めて丁重に(most graciously)接受された。」と報道した。」ということです(Ferling, John. John Adams: a life.  New York; Oxford University Press, 2010. p.280)。「うわさ好きの外交団の間では,アダムズが信任状を捧呈した後,アダムズを歓迎するに当たって国王の目には涙があり,そして,胸がいっばいであるとの様子であったとの話までが伝えられた。」ともいわれています(Randall, p.412)。

ジョージ3世は,ジョージ・ワシントンの偉大さを,率直に評価していました。

北アメリカ出身の宮廷画家ベンジャミン・ウェストとの間での会話。

 

・・・ある日,国王〔ジョージ3世〕はウェストに対し,〔アメリカ独立〕戦争が終わったときにワシントンは軍の最高司令官になるのか国家元首になるのかどちらかと訊いた。ワシントンの唯一の望みは自分の地所に戻ることだとウェストが答えると,雷に撃たれたようになって国王は叫んだ。「もし彼がそうするとなると,彼は世界で最も偉大な男だということになる。」と。(Chernow, Ron. Washington: a life. New York; Penguin, 2010. P.454

 

その後,ワシントンが2期8年をもって合衆国の大統領を辞するに当たってのジョージ3世の総括。

 

・・・最初は統帥権を,そして今,統治権を返上することによって,彼は「現代最大の偉人」として屹立した,とジョージ3世は言ったと伝えられている(By giving up first military and now political power, he stood out as “the greatest character of the age” according to George III)。彼は,かつての敵を,遅ればせながら評価するようになっていた。・・・(Chernow, p.757

 

 ジョージ3世にとって,ジョージ・ワシントンはやはり格別の存在だったのです。

 

・・・〔1789年〕2月末には二人のジョージの奇妙に対照的な運命は更に一層奇妙なものになったところであって,パリからグーヴェルヌール・モリスが,王の狂気の思いがけぬ進行について報告してきた。「ところで」と彼はワシントンに書いた。「哀れなイングランド国王が陥った悲しむべき情況についてなのですが,あなたとの関係で私が聞いたところによりますと,何やら妙なことがあったようです。」狂気の発作の中で――モリスが書くには――王は「自分のことを,何とだれあろう,アメリカ軍の先頭に立つジョージ・ワシントンだと思っていたのです。つまりあなたは,彼のはらわたに一番ひどくわだかまっている何やらをやったのだったというわけですね。」妄想は一過性のものであった。1789年4月23日,すなわちジョージ・ワシントンが群衆の歓呼の中で大統領に就任する精確に1週間前に,ジョージ3世は奇跡的に譫妄状態から回復し,ロンドンのセント・ポール教会では感謝の儀式が執り行われた。彼は,稀な遺伝性疾患であるporphyria(ポルフィリン症。20世紀になるまでは正確に診断することができなかった。)を患っていたのではないかとの仮説が提出されている。・・・(Chernow, p .570

 

 ジョージ3世とジョージ・ワシントンとを区別することが難しかったのは,リップ・ヴァン・ウィンクルばかりではなかったわけです。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所(弊事務所の鈴木宏昌弁護士が,週刊ダイヤモンドで辣腕弁護士として紹介されました。)

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 以前の記事「看板は簡潔たるべきこと」(
20131110日)では,フィラデルフィアでの大陸会議においてされたアメリカ独立宣言の原案修正に対して,原案起草者であったトマス・ジェファソンは心穏やかではなく,177674日に採択された独立宣言の出来上がりには当初不満足であったとの話を紹介しました。

 ジェファソンは,大陸会議による修正をmutilationsと呼んでいますから,当該「修正」は彼の原案に対する不当な毀損行為であるものと感じていたのでしょう。(Mutilationは,手足切断の意味です。)

 前の記事で取り上げた古代ローマの毒舌弁護士キケローが法廷で揶揄嘲笑した「天分も学識もないくせに法律家を自称している男」(河野与一教授の注によると,この男の名前についてはカストゥスその他諸説あるようです。よくあるタイプの人間なのでしょう。)のような気取った似非エリートらが北アメリカの大陸会議にもおり,もったいぶった態度で,青年ジェファソン渾身の仕事に対して不遜かつ不適正な削除・改変を加え,しかもさもありがたいことをしてやったかのような恩着せがましい顔をしていたのでしょうか。ありそうな話ではあります。

 しかしながら,大陸会議においてされた独立宣言案修正の実際を見ると,さすがは米国の建国の父たち(Founding Fathers)であって,"mutilations"といわれることから想像されるような余計な台無し仕事のようなものではなかったところです。「トムくん,まあ,そうカリカリしなさんな」とは,ジョン・トンプソンの小咄をしている際にベンジャミン・フランクリンが思っていたところでしょう。

 以下,米国の独立記念館協会のushistory.orgウェッブ・サイトにある資料に基づき,大陸会議において独立宣言案から削除された部分のうち主なものを見てみましょう。



 「未来においては,一人の人間
イギリス現国王(ジョージ3世)が大胆不敵にも,わずか12年の短い期間中に,自由の原則において育まれ,かつ,その下に定住する北アメリカ植民地の人民に対して,専制のためのかくも広範かつ無差別的な基礎を築くことを敢えてしたということが,ほとんど信じられないことであろう。」


 この部分は,その前の部分で,ジョージ3世(在位1760‐1820年)について,植民地人からの重ね重ねの請願に対して侮辱の繰り返しのみによって応じたことから,「このように専制者的行為によって特徴づけられる性格を有している君主は,自由な人民の支配者としてふさわしくない。」と既に書かれてあるので,余計ではあったところでしょう。いずれにせよ,人民からの請願に誠実に対応しない,仁愛なき君主とされたジョージ3世は,植民地人の叛乱という大きな困難に逢着してしまったところです。



 我々(北アメリカ植民地人)の移住及び植民の事情の「いずれも,
イギリス立法府が我々に対する管轄を有しているとの当該奇妙な主張を基礎付けるものではない。すなわち,それらは,イギリスの富及び力に頼ることなく,我々が自ら血を流し,及び財を費やすことによってなされたものである。また,我々の各種政体を実際に樹立するに当たっては,我々は一人の共通の王を戴くことにし,彼らイギリスの同胞との恒久的連盟及び友好の基礎を置いたところであるが,彼らの議会に対して服従することは,我々の国制の一部をなすものではなく,歴史の伝えるところを信ずれば,そのようなことは考えられてもいなかったところである。


 七年戦争(1756‐1763年)において,イギリスは北アメリカでフランス及びアメリカ原住民族の連合軍と戦い(フレンチ=インディアン戦争),その出費で国庫が疲弊したために,相応の分担を求めて当の現地である植民地に対する課税が試みられたという経緯であるはずなのに┉┉ちょっと恩知らずに聞こえますね。また,17世紀末の名誉革命の後はイギリスは議会主権の国制(正確にいうと,ここで主権を有する「議会」は"King in Parliament"であって,国王は議会の外にあってこれと対抗するのではなく,議会の一構成要素と観念されます。)となっていたので,90年近くたってから今更,イギリス国王とは関係があるが,イギリス議会とは関係が無い,と言うのも,これまたちょっと難しいですね。

 なお,大英帝国ならぬ大日本帝国においては,美濃部達吉によれば,日本内地と法域の異なる「殖民地に於ける立法権は憲法上当然に天皇の大権に属し,初より議会の協賛を必要としない」とされつつも(『逐条憲法精義』159頁。すなわち,大日本帝国憲法5条は内地にのみ係る属地的規定であるものと説かれたわけです。),「帝国議会┉┉は天皇に協賛るもので,天皇の統治の及ぶ限りは,┉┉当然之に追随してその権限を有し,帝国議会に関する大日本帝国憲法の規定も亦施行区域を限らるべきものでないことは明瞭」とされていました(同37頁)。すなわち,「敢て殖民地に関する立法に付いては議会は全く之に協賛するの権が無いといふのではない。議会は広く天皇の立法権に協賛する権能を有するもので,それは内地と殖民地とに依つて異なるものではなく,随つて殖民地に施行せらるべき立法についても,議会の協賛を経て行はることは,勿論差支ないのみならず,事情の許す限りはそれが正則の方法である。┉┉唯殖民地の立法に付いて一々議会の協賛を経ることは,事情の許さない所であるから,それを以て憲法上の要件と認むることが出来ぬといふに止まる。」とされていたところです(同150‐151頁)。朝鮮においては,内地では法律をもって規定されるべき事項を朝鮮総督の発する「制令」をもって定めることができ(ただし,天皇の勅裁を要する。),台湾では同様に,台湾総督の「律令」によって定めることができたところです。



 「彼ら
イギリスの同胞が,彼らの法律による通常の手続に従い,我々の間の調和を乱す者たちを彼らの諸院から排除する機会を有したときにおいても,彼らは,その自由な選挙によって,その者たちを再び権力の座につけた。正に現時においても,彼らは,我々と同血の兵士たちのみならず,スコットランド人及び外国人の傭兵を,我々を侵略し,破壊するために派遣することを,彼らの政府(their chief magistrate)に対して許容している。これらの事実は,悩める情愛に対して最後の一刺しを加えたものであって,男性的精神は,我らをして,これら無情の同胞(unfeeling brethren)を永遠に否認せしめるものである。我々は,彼らに対するかつての愛を忘れるべく努めなければならない┉┉。我々は共にあって自由かつ偉大な国民であり得たかもしれない。しかし,見るところ,偉大及び自由を共にすることは,彼らの潔しとしないところである。そうあらしめよ, 彼らがそれを欲するのであるから。幸福と栄光とへの道は,我々にも開かれている。我々は,彼らとは別個に,その道を歩むものである。」


 「スコットランド人の傭兵」という文言は,スコットランド出身の代議員のお気に召さなかったそうです。

 しかし,イギリスの同胞(British Brethren)に対して何やら恨みがましいですね。男性的精神(manly spirit)をもって男らしく,つれない彼女と別れて,昔の愛も忘れるんだぁ,とわざわざ言うのは,かえって未練があるようでもあり,何だか心配です。「これからは,いいお友だちでいましょうね。」ということにするのなら,むしろ余計なことを言わない方がいいわけです。あるいは,後にフランス革命戦争の時代に親仏派を率いることとなるジェファソンとしては,文字どおりイギリスとは縁切りするつもりだったようでもありますが。



 我々(大陸会議代議員)は,これら植民地の善き人民の名及び権威において,「イギリス国王に対するすべての忠誠及び服従(王により,王を通じ,又は王の下でそれらを要求する者に対するものを含む。)を拒否し,かつ,否認する。我々は,我々とイギリスの人民又は議会との間にこれまで存在したとされるすべての政治的関係を完全に解除する。」


 イギリスの人民及び議会の中には,なお良好な関係を保つに値する勢力が存在すると考えることは,ジェファソンが非難するように,怯懦な考え(pusillanimous idea)であると単純にいうわけにはいかないでしょう。後々のことを考えれば,余計な敵を作る必要はないでしょう。しかしながら,イギリス人民及び議会に対する直接の非難の言葉が削られた結果,ジョージ3世ばかりが悪者にされる形になったことは,何やらお気の毒ではあります。(ジョージ3世は,1765年,17881789年及び18031804年に精神病を発症し,1811年からのそれは,その最期まで治癒しませんでした。

 

 次の削除部分が,最も議論を喚起しているところです。



 「彼
現国王(ジョージ3世)は,人間性それ自体に対する残酷な戦争を遂行した。すなわち,彼は,彼に何らの害をも加えたことのない遠い土地の人々に対して,身体に係る生命及び自由という人間性にとって最も神聖な権利の侵害をしたのであって,それは,他の半球において奴隷にするために,又はそこへ彼らを運送する過程において悲惨な死を被らしめるために,彼らを捕らえ,運搬することによって遂行された。異教国にとっておぞましいこの海賊的戦争行為は,キリスト教徒たるイギリス国王による戦争行為である。人間が売買される市場が開かれてあることを維持せんがために,彼はその拒否権を濫用し,この忌まわしい商取引を禁止し,又は制限しようとするすべての立法の試みを抑圧した。そして,that this assemblage of horrors might want no fact of distinguished die, 今や彼は,この当の人々黒人奴隷が我々のただ中において武装蜂起し,正に彼によって彼らを押し付けられた(obtruded)ところの人々を彼らが殺すことによって,彼らから彼が奪った当の自由をあがなうように彼らをけしかけている。このようにして彼は,一方の人々の自由に対して犯した以前の犯罪を,その人々が犯すべくそそのかしている他の人々の生命に対する犯罪によって,清算するのである。


 奴隷の輸入を求めていたサウス・カロライナ及びジョージアの代議員の強い反対によって,奴隷貿易を激しく非難するこの部分は削除されたそうです。また,北部植民地の商人も奴隷貿易に関与していないわけではなかったところです。


 しかし,奴隷制度を非難する,この理想主義的な一節を書いたジェファソン自身が,終生奴隷所有主であったところです。

 なぜ奴隷所有主がこのようなことが書けたのでしょうか。矛盾を感じなかったのでしょうか。飽くまでも悪いのはジョージ3世で,ジェファソンが奴隷を所有していたのは,悪いイギリス国王によって押し付けられた(obtruded)仕方のない事情によるものだったからでしょうか。それとも,ジェファソンはジェファソンだったからでしょうか。

 

 アメリカ独立革命期において既に大きな問題であった奴隷制が廃止されるためには,南北戦争を待たなければならなかったところでした。(リンカンによる奴隷解放は1863年のことであって,我が国へのペリー来航から10年後のことです。) 


 ジェファソンの人物論は難しいところですが,また,"that this assemblage of horrors might want no fact of distinguished die"の部分をどう訳すかも少々首をひねるところです。

 常識的なところでは,ここでの"die""dye"のことであるとして(ushistory.orgウェッブ・サイトにおける独立宣言案の文言変化比較表では,最初の"die"が次には"dye"になっています。),「これら一連の恐るべきことどもがおどろおどろしさを欠くことのないように」とでも訳すべきでしょうか。『リーダーズ英和辞典』には,"of the deepest dye"をもって,「第一級の,極悪の」という意味であるとあります。

 ただし,Greg Warnusz氏のウェッブ・ページでは,"fact""facet"又は"facets"の誤りであって,"want no facet of distinguished die"切り出されたさいころ(die)の六つの面がすべてそろっていること,すなわち完全であることを意味し,問題の部分は,「これら一連の恐るべきことどもを完結させるために」という意味ではないか,としています。


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(旧ジェファソン邸: Monticello, VA


(参考)田中英夫『英米法総論 上』(東京大学出版会・1980140頁,143Randall, W.S., Thomas Jefferson: a life: 276-278

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  (Independence Hall, Philadelphia, PA)

 
 昨日始めたこのブログに最初に掲載した記事は,つい力が入り過ぎたようです。読まれる方々は長さに辟易されるでしょうし,書く方も同じ調子で続けるわけにはとてもいきません。このままでは龍頭蛇尾が避け難いのではないかという悪い予感が自ずから生じてくるところです。

 ということで,今回は軽い話題です。
 本プログ名が,気取った工夫のあるものではなく,「Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊)」と,短く無愛想なものになった理由は何かというお話です。

 なぜか時代はさかのぼって1776年7月の初め,北アメリカはペンシルヴァニアのフィラデルフィアが舞台となります。大陸会議(Continental Congress)の議場では,トマス・ジェファソンが原案を起草したイギリスからの独立宣言案が,同月2日から同月4日にかけて審議されておりました。
 独立宣言案は,ジェファソンの原案に,凧と雷のベンジャミン・フランクリン及び後の2代目合衆国大統領ジョン・アダムズが若干手を加え,この3人並びにロジャー・シャーマン及びロバート・リヴィングストンによって構成される五人委員会が実質的な変更なしにそのまま採択し,同年6月28日に大陸会議に提出されたものでした。すなわちジェファソンの作品であったところです。

 しかし,提出された委員会案には,大陸会議の保守派によって,相当の斧鉞が加えられることになりました。したがって,実は,1776年7月4日に採択されたアメリカ独立宣言は,当時必ずしもジェファソンの満足する形のものではありませんでした。
 大陸会議の議場において,目前で展開されるこれらの原案毀損行為に心穏やかでなかった(not insensible to these mutilations)33歳のジェファソンの隣に座っていたのは,70歳のベンジャミン・フランクリン。老フランクリンは大要次のような小咄をささやいて,心痛のジェファソンを慰めました。


 「私は,後で人様から手直しを受けることになる文案を書かされるような羽目にならないように注意しているんだよ。まあ,これから話すようなことがあったからね。昔,私の印刷職人時代の仲間の帽子職人が,いよいよ独立して,自分の店を開くことになったんだな。そこでやっこさんが最初に気をつかったのは,うまい文句の書いてあるかっこのいい看板を用意することだったんだよ。で,自分でまあ書いたわけさ。「ジョン・トンプソン。帽子職人。現金払いにて帽子を製作販売仕り候。」と,帽子の絵を添えることにしてね。ところが,やっこさん,どこか直すところがないか友だちに見てもらうことにしちまったんだな。で,一人目が言うには,「帽子職人」は余計だというんだよ。「帽子を製作」でそのことは分かるというんだね。で,「帽子職人」は削られた。二人目は今度は「製作」は要らないと言う。品物が良くて気に入りさえすれば,客はだれがその帽子を作ったかなんぞには頓着しないで買ってくれるというわけさ。で,「製作」は削られた。三人目は,こちらは,「現金払いにて」とわざわざ書く必要はないとの御託宣だ。この近隣では掛売りの習慣はない,皆即金で支払ってくれるということだ。で,その部分も削られて,今や看板の案は「ジョン・トンプソン。帽子を販売仕り候。」に縮まってしまった。で,次の友だちが言ったものさ。「帽子を販売だって?だれもお前さんがただで帽子をくれるなんて思いやしないよ。余計な文句だよ。」とね。で,「販売仕り候」が削られ,「帽子を」も帽子の絵があるから要らないということになった。結局,やっこさんの看板は,めでたく「ジョン・トンプソン」ということに落ち着いたわけさ。」(Randall, W.S., Thomas Jefferson: a life. New York, NY: HarperCollins (1994): 278-279参照)


 自分の精魂込めた仕事が冒涜されたと感じたであろうジェファソンの憤りは,理解できるところです。
 しかし,自分の文案が全部削除されてしまった人の好いジョン・トンプソンに比べれば,それでも原案の大部分が残されたジェファソンは,なお幸運でありました。

 独立宣言採択の日からちょうど50年後の1826年7月4日に,ジェファソンは亡くなります。ジェファソンは,自らの墓碑銘において,その生涯の業績を三つ挙げておりますが,合衆国第3代大統領であったことはそこには含まれておらず,その筆頭は,アメリカ独立宣言の起草者であったことでありました(残りの二つは,ヴァジニアの信教自由法の起草者であったこと及びヴァジニア大学の創立者であったこと。)。その長い生涯におけるその後の偉大な政治活動の数々が,苦い思い出から若き日の仕事を救い出し,その歴史的価値を再認識・再評価する幸福に至らしめたということでしょうか。

 さて,では以上の話と当ブログ名との関係は一体何なんだ,ということになります。

 自らの看板を簡潔にすることによって,かのジョン・トンプソンを常に想起するようにする。そのことによって,無用無益な言辞を慎むようにし,さらには,つまらないと判断された文章が読者の批評において「全削除」の扱いを受けることを甘受する覚悟を保つようにする。

 以上の次第です。

120107_020023

ジェファソンの墓,Monticello, VA (Here was buried/Thomas Jefferson/Author of the Declaration of  American Independence/of the Statute of Virginia for religious freedom/and Father of the University of Virginia)












 

 
 

 
 

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