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(前編からの続き)

 

3 その後の兵役法令改正

 岩波書店の『近代日本総合年表 第四版』から1938年9月以降の兵役法関係の記事を拾うと,次のようなものがあります。

 

1939年3月9日 兵役法改正公布〔法〕(兵役期間延長,短期現役制廃止)。

19391111日 兵役法施行令改正公布〔勅〕(徴兵合格に第3乙種設定)。

1943年3月2日 兵役法改正公布〔法〕(朝鮮に徴兵制を施行)。8.1施行。

1943年9月21日 陸軍省,兵役法施行規則改正公布〔省〕(’30年以前検査の第2国民兵も召集)。

1943年9月23日 閣議,台湾に’45年度より徴兵制実施を決定。

194310月2日 在学徴集延期臨時特例公布〔勅〕(学生・生徒の徴兵猶予停止)。12.1第1回学徒兵入隊(学徒出陣)。

19431021日 文部省・学校報国団本部,徴兵延期停止により出陣する学徒壮行大会を神宮外苑競技場で挙行。東京近在77校の学徒数万,雨中に劇的の分列行進。

194311月1日 兵役法改正公布〔法〕(国民兵役を45歳まで延長)。

19431224日 徴兵適齢臨時特例公布〔勅〕(適齢を1年引下げ)。

 

 1939年3月9日の年表記事にある兵役法改正(昭和14年法律第1号によるもの)による兵役期間延長は,陸軍関係では(海軍は世帯が小さいので,陸軍で代表させます。),補充兵役が12年4月から17年4月になっています(兵役法8条改正)。現役2年,予備役5年4月及び後備兵役10年の合計17年4月とそろったことになります。また,教育のための召集は第一補充兵のみならず第二補充兵も受け得ることになりました(同法57条改正)。なお,兵役法41条が次のようになっています。

 

 第41条 徴兵検査ヲ受クベキ者ニシテ勅令ノ定ムル学校ニ在学スル者ニ対シテハ勅令ノ定ムル所ニ依リ年齢26年迄ヲ限トシ其ノ徴集ヲ延期ス

  〔第2項及び第3項略〕

 ④戦時又ハ事変ニ際シ特ニ必要アル場合ニ於テハ勅令ノ定ムル所ニ依リ徴集ヲ延期セザルコトヲ得

 

 兵役法41条1項の当該改正に基づき昭和14年勅令第75号で改正された兵役法施行令101条1項においては,大学医学部は大学の他学部とは別格にされました。すなわち,徴集延期が年齢26年までなのは医学部だけで,他学部は25年までになっています。

 また,兵役法は,昭和16年法律第2号によっても改正されています。その結果,1941年4月1日から後備役が廃止され(兵役法7条削除),予備役に併合されました。

 さらに,兵役法は,対米英蘭戦開始後の昭和17年法律第16号によっても改正されており(公布日である1942218日から施行),国民兵も簡閲点呼を受けることがあり得るようになった(兵役法60条改正)ほか,徴兵適齢等に関して,第24条ノ2として「前2条ニ規定スル年齢及時期ハ戦時又ハ事変ノ際其ノ他特ニ必要アル場合ニ於テハ勅令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ変更スルコトヲ得」という条項が加えられました。

 1943年3月2日の年表記事では,兵役法の改正により同年8月1日から「朝鮮に徴兵制を施行」とありますが,兵役義務は属人的なものであって現に居住滞在する地域を問わないので(美濃部『憲法精義』354頁参照),ちょっと不正確な記述です。それまでは帝国臣民男子のうち(兵役法1条),戸籍法の適用を受ける者(内地人)にのみ兵役義務が課されることになっていたところ,「朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受クル者」にも兵役義務が課されるようになった改正です(兵役法92項,231項等改正(昭和18年法律第4号))。

 1943年9月23日の年表記事にある閣議決定に基づく兵役法改正は,同年11月1日公布の昭和18年法律第110号によるものでしょう。同法(公布日から施行)によって,大日本帝国臣民の兵役期間も古代ローマ市民並みとなった(兵役法9条2項及び18条の「40年迄」を「年齢45年に満ツル年ノ3月31日迄」に改める。)ほか,帝国臣民男子すべてに兵役義務がかかるようになりました(同法9条2項及び23条1項から「戸籍法又ハ朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受クル者ニシテ」を削る。)。ただし,台湾人の兵役義務に係る後者の改正の施行日は,別に勅令で定めるものとされました(昭和18年法律第110号附則1項ただし書。昭和19年勅令第2811条により,当該改正は1944年9月1日から施行)。

 194310月2日に公布され同日から施行された在学徴集延期臨時特例(昭和18年勅令第755号)は,「兵役法第41条第4項ノ規定ニ依リ当分ノ内在学ノ事由ニ因ル徴集ノ延期ハ之ヲ行ハズ」としたものです。

 しかし,在学徴集延期臨時特例の上記文言を見ると,文科の学生も理科の学生も等しく学徒出陣ということになりそうですが,確か,学徒出陣といえば文科の学生だったはず。実は理科の学生を救出するタネは,昭和18年法律第110号によって194311月1日から兵役法に挿入された同法45条ノ2にありました。

 

 第45条ノ2 第41条第4項ノ規定ニ依リ徴集ヲ延期セラレザルニ至リタル者現役兵トシテ入営スベキ場合ニ於テ軍事上仍修学ヲ継続セシムルノ必要アルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ其ノ入営ヲ延期スルコトヲ得此ノ場合ニ於テハ当該期間ニ相当スル期間現役期間ヲ延長ス

   〔第2項略〕

 

 兵役法45条ノ2第1項の命令として,19431113日に公布され同日から施行された昭和18年陸軍省令第54号(修学継続の為の入営延期等に関する件)があり,当該省令1条に基づく同日の昭和18年陸軍省告示第54号において,理科系(師範学校系も)の学生が入営延期の対象者とされたのでした(大学院又は研究科の特別研究生も当該告示に掲げられた。)。

 19431224日に公布され同日から施行された徴兵適齢臨時特例(昭和18年勅令第939号)は,「兵役法第24条ノ2ノ規定ニ依リ当分ノ内同法第23条第1項及第24条ニ規定スル年齢ハ之ヲ19年ニ変更ス」としたものです。ただし,当該特例は,内地人にのみ適用されました(徴兵適齢臨時特例附則1項ただし書(昭和19年勅令第2812条による改正後は附則2項)。)。

 1945年2月10日に公布され同日から施行された昭和20年法律第3号による兵役法の改正は,徴兵適齢前の17歳・18歳の少年をも召集することが日程に上っていたことがうかがわれる改正です。当該改正後の兵役法67条(及び第67条ノ2)には「第二国民兵ニシテ未ダ徴兵検査ヲ受ケザル者(徴集ヲ延期セラレアル者ヲ含ム以下同ジ)ヲ召集シタル場合」という表現が見られます。つとに1944年10月18日公布の昭和19年陸軍省令第45号によって,同年11月1日から(同省令附則1条),兵役法施行規則(昭和2年陸軍省令第24号)50条は「・・・徴兵終結処分ヲ経ザル第二国民兵(海軍ニ召集セラレタル者及船舶国籍証書ヲ有スル船舶ノ船員ヲ除ク以下同ジ)ハ之ヲ本籍所在ノ連隊区ノ兵籍ニ編入シ当該連隊区司令官ノ管轄ニ属セシム」と規定していました。

 

4 義勇兵役法

 「兵役義務はその性質上日本臣民にのみ限らるのみならず,日本臣民の中でも男子に限」るとは美濃部達吉の主張でしたが(同『憲法精義』354頁),大日本帝国憲法20条の「日本臣民」は,文言上,男子に限られていませんでした(大日本帝国憲法2条と対照せよ。)。

 大日本帝国憲法は男女同権を排斥するものではありませんでした。

 1945年6月23日には,義勇兵役法(昭和20年法律第39号)というすさまじい法律が公布され,同日から施行されています。

すさまじいというのは,上諭からして異例だからです。

 

朕ハ曠古ノ難局ニ際会シ忠良ナル臣民ガ勇奮挺身皇土ヲ防衛シテ国威ヲ発揚セムトスルヲ嘉シ帝国議会ノ協賛ヲ経タル義勇兵役法ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

 

普通の上諭ならば,「朕帝国議会ノ協賛ヲ経タル義勇兵役法ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム」となったはずです。(ちなみに,義勇兵役法が公布された日の19時25分には,阿南惟幾陸軍大臣が「国民義勇兵役法公布ノ上諭ヲ拝ス」と題してラジオによる全国放送を行っています(宮内庁『昭和天皇実録 第九』(東京書籍・2016年)709頁)。)

義勇兵役法の主な条項を見ると,次のとおり。義勇兵役といっても,臣民の義務であって,volunteerではありません。

 

第1条 大東亜戦争ニ際シ帝国臣民ハ兵役法ノ定ムル所ニ依ルノ外本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス

②本法ニ依ル兵役ハ之ヲ義勇兵役ト称ス

  〔第3項略〕

第2条 義勇兵役ハ男子ニ在リテハ年齢15年ニ達スル年ノ1月1日ヨリ年齢60年ニ達スル年ノ1231日迄ノ者(勅令ヲ以テ定ムル者ヲ除ク),女子ニ在リテハ年齢17年ニ達スル年ノ1月1日ヨリ年齢40年ニ達スル年ノ1231日迄ノ者之ニ服ス

  〔第2項略〕

第5条 義勇兵ハ必要ニ応ジ勅令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ召集シ国民義勇戦闘隊ニ編入ス

②本法ニ依ル召集ハ之ヲ義勇召集ト称ス

第7条 義勇召集ヲ免ルル為逃亡シ若ハ潜匿シ又ハ身体ヲ毀傷シ若ハ疾病ヲ作為シ其ノ他詐偽ノ行為ヲ為シタル者ハ2年以下ノ懲役ニ処ス

②故ナク義勇召集ノ期限ニ後レタル者ハ1年以下ノ禁錮ニ処ス

 

女性も兵役に服したのですから,男女平等。次の衆議院議員総選挙で婦人参政権が認められたのは当然のことでした(市川房枝は陸軍省兵務課主催の「婦人義勇戦闘隊ニ関スル懇談」に出席しています。)。女性もSHINE!です。
 なお,昭和20年秋の凄惨な「本土決戦」を描いた小松左京の小説『地には平和を』においては,15歳の主人公・河野康夫が属した「本土防衛特別隊」である黒桜隊は,「隊員は15歳から18歳までで,一応志願制度だった」ということになっています。しかし,兵役法及び義勇兵役法を素直に読むと,本土決戦があれば,17歳以上の少年は第二国民兵として陸軍に召集され(海軍はもうないでしょう。),15歳及び16歳の少年はそれとは別に義勇兵として国民義勇戦闘隊に義勇召集されていたことになるようですから,黒桜隊の法的位置付けはちょっと難しいようです。
 ところで,国民義勇戦闘隊はどのように武装する予定だったかというと,次のようなものだったそうです。鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長(現在の内閣官房長官。内閣官房長官の英訳名Chief Cabinet Secretaryは「内閣書記官長」のままですね。)であった後の郵政大臣たる迫水久常が回想していわく。「国民義勇隊の問題が論議されていた当時のある日の閣議のとき,私は陸軍の係官から,国民義勇戦闘隊に使用せしむべき兵器を別室に展示してあるから,閣議後見てほしいという申入れを受けた。総理を先頭にその展示を見にいって,一同腹の底から驚き,そして憤りと絶望を感じたのであった。さすがに物に動じない鈴木〔貫太郎〕首相も唖然として,側にいた私に「これはひどいなあ」とつぶやかれた。展示してある兵器というのは,手榴弾はまずよいとして,銃というのは単発であって,銃の筒先から,まず火薬を包んだ小さな袋を棒で押しこみ,その上に鉄の丸棒を輪ぎりにした弾丸を棒で押しこんで射撃するものである。それに日本在来の弓が展示してあって麗々しく,射程距離,おおむね三,四十米,通常射手における命中率50%とかいてある。私は一高時代,弓術部の選手だったから,これには特に憤激を感じた。人を馬鹿にするのも程があると思った。その他は文字どおり,竹槍であり,昔ながらのさす又である。いったい陸軍では,本気にこんな武器で国民を戦わせるつもりなのか,正気の沙汰とも覚えず」云々と(迫水久常『機関銃下の首相官邸』(恒文社・1964年)220-221頁)。阿南惟幾陸軍大臣はそれでも胸を張っていたものかどうか。しかしながら,内閣総理大臣自ら「これはひどいなあ」と思いつつも,義勇兵役法案が閣議を通ってしまい(内閣官制(明治22年勅令第135号)5条1項1号),帝国議会も協賛してしまうのですから(大日本帝国憲法5条,37条),安全保障関連法案の取扱いが苦手なのは,我が日本のお国柄でしょう。
 

5 カイロ宣言

 19431122日から同月26日まで,ルーズベルト,蒋介石及びチャーチルの第1回カイロ会談が開催され,同月27日,三者は「カイロ宣言」に署名し,当該宣言は同年12月1日に発表されました。ところで,当該宣言中に次のようなくだりがあります。

 

  前記の三大国は,朝鮮の人民の奴隷状態に留意し,やがて朝鮮を自主独立のものにする決意を有する。

 

 「奴隷状態」とはゆゆしい言葉ですが,上記のくだりの英文は,次のとおり。

 

 The aforesaid three great powers, mindful of the enslavement of the people of Korea, are determined that in due course Korea shall become free and independent.

 

朝鮮の人民はenslaveされているということですが,どういうことでしょうか。大日本帝国においてはかつてのアメリカ合衆国のようには奴隷制(slavery)は無かったところです。しかしながら,日付に注目すると,1943年8月1日からは,内地人(「祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫」である臣民(大日本帝国憲法発布勅語)にして「朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所」の「朕カ親愛スル所ノ臣民」(大日本帝国憲法上諭))でもないのに,朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受クル男子も兵役法により兵役義務を課されて,involuntary servitudeたる「その意に反する苦役に服」することになっていました。この点をとらえてのenslavementとの表現なのでしょうか。兵役義務が認められることに係る大日本帝国憲法20条は「日本臣民」といっていても,「憲法の総ての規定がそのまゝ新附の人民に適用せらるゝものでない」とされていました(美濃部『憲法精義』351頁)。
 なお,朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受クル者の先の大戦に対する態度については,清沢洌の『暗黒日記』1944年8月27日の条に「・・・鮮人である平山君は公然曰く,大東亜戦争は,日本が勝っても,敗けても朝鮮にいい。勝てば朝鮮を優遇するだろうし,敗ければ独立するのだと。大熊真君の話しでは,外務省に朝鮮人の官吏がいるが,明らかに日本が敗けてくれることを希望するような口吻であると。」とありました。

(朝鮮民事令中戸籍ニ関スル規定ノ適用ヲ受クル者に対する我が兵役法の適用により先の大戦中半島において行われた徴兵検査,徴集,入営その他に関する情況の実際については,「一騎兵の日清戦争(1):徴兵令,騎兵第五大隊第一中隊その他」中後半の「脱線その2」を御覧ください。http://donttreadonme.blog.jp/archives/1071646839.html

  

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

(弊事務所の鈴木宏昌弁護士が,週刊ダイヤモンドの20141011日号において,労働問題,損害賠償事件等に強い辣腕弁護士として紹介されました。)

電話:0368683194

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 日本国憲法18 何人も,いかなる奴隷的拘束も受けない。又,犯罪に因る処罰の場合を除いては,その意に反する苦役に服させられない。

 Article 18. No person shall be held in bondage of any kind. Involuntary servitude, except as punishment of crime, is prohibited.

 

1 兵役義務の違憲性

 2014年7月1日の我が閣議決定「国の存立を全うし,国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を受けて,内閣官房国家安全保障局は,ウェッブ・サイトに「「国の存立を全うし,国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の一問一答」という記事を掲載しています。その15番目及び16番目の問答は次のとおりです。

 

 【問15】徴兵制が採用され,若者が戦地へと送られるのではないか?

 【答】全くの誤解です。例えば,憲法第18条で「何人も(中略)その意に反する苦役に服させられない」と定められているなど,徴兵制は憲法上認められません。

 

【問16】今回,集団的自衛権に関して憲法解釈の変更をしたのだから,徴兵制も同様に,憲法解釈を変更して導入する可能性があるのではないか?

【答】徴兵制は,平時であると有事であるとを問わず,憲法第13条(個人の尊重・幸福追求権等),第18条(苦役からの自由等)などの規定の趣旨から見て許容されるものではなく,解釈変更の余地はありません。

 

 これは,1980年8月15日に鈴木善幸内閣がした閣議決定,すなわち,「閣議,稲葉誠一社会党代議士提出の〈徴兵制問題に関する質問主意書〉につき〈徴兵は違憲,有事の際も許されない〉との答弁書決定(初の体系的統一見解)」(『近代日本総合年表 第四版』(岩波書店・2001年))との立場の確認ですね。つとに,19701028日の衆議院内閣委員会での高辻正己内閣法制局長官の答弁及び同年11月5日の参議院決算委員会での中曽根康弘防衛庁長官の答弁を受けて,憲法「第9条が自衛隊の存在を容認すると解する政府も,徴兵制は,憲法第13条ないし第18条に反し違憲だとしているようである。」と観察されていたところです(宮沢俊義『憲法Ⅱ〔新版〕』(有斐閣・1971年)335頁)。

 政府の見解と学説との関係を見ると,憲法18条「にいう「苦役」が兵役の義務をも含むと解することは,この規定の歴史的意味からいって,あまり自然ではない。しかし,日本国憲法では,戦争を放棄し,軍隊を否認している第9条の規定からいって,兵役の義務は,みとめられる余地がないだろう。」(宮沢335頁)として兵役義務の違憲性について第9条を決め手とするものと解される学説と,政府の見解とは直ちには符合しませんね。「憲法18条は,「その意に反する苦役」,すなわち強制的な労役を,刑罰の場合を除いて禁止する。徴兵制は,憲法9条だけでなく本条にも違反すると考えるべきである。」(樋口陽一『憲法』(創文社・1992年)244頁)として第9条と第18条とを並置するものと解される学説と,より符合するものでしょう。

 「非常災害などの緊急の必要がある場合に,応急的な措置として労務負担が課されることがあるが(災害対策基本法65条・71条,災害救助法〔7〕条・〔8〕条,水防法〔24〕条,消防法29条5項など),これは,災害防止・被害者救済という限定された緊急目的のため必要不可欠で,かつ応急一時的な措置であるという点で,本条〔憲法18条〕に反するものとはいえない。しかし,明治憲法下にみられた国民徴用のように,積極的な産業計画のために長期にわたって労務負担を課すことは許されない。」ということですから(佐藤幸治『憲法〔第三版〕』(青林書院・1995年)585-586頁),徴用が許されないのならばいわんや徴兵をやということでしょう(ただし,国民徴用は,「むしろ,職業選択の自由(憲22条)に含まれると解される勤労の自由に対する侵害と見るほうが,いいのではないか。」ともされています(宮沢336337頁)。)。

 ちなみに,我が憲法18条のモデルであるアメリカ合衆国憲法修正13条1節(Neither slavery nor involuntary servitude, except as a punishment for crime whereof the party shall have been duly convicted, shall exist within the United States, or any place subject to their jurisdiction.)の「その意に反する隷属状態(involuntary servitude)」には,債務の履行としての強制労役たる債務労働(peonage)は含まれるが,「国民が国に対して負う義務」の履行たる兵役や陪審員になる義務などは含まれないとされています(宮沢333334335頁)。修正13条は,米国政府を縛るための規定というよりは,むしろ私人間効力のための規定であるということでしょうか。確かに,南部の私人が奴隷を所有していたのですよね。

我が政府は,徴兵制が違憲であるとの解釈を導き出すために,憲法18条になお同13条を加えての合わせ技にしています。とはいえ憲法13条は,そもそも「立法その他の国政」について広くかかっていますが。

 政府の憲法解釈によれば,国民に兵役義務を課するには,大日本帝国憲法20条(「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス」)のような条項を,憲法を改正して設けなければならないということのようです。

 美濃部達吉は,大日本帝国憲法20条について,同条に「或る特別なる法律上の意義を附せんとする見解は,総て正当とは認め難い。」との見解を述べていましたが(同『憲法精義』(有斐閣・1927年)352頁),現在の日本国憲法については状況が異なっているということになります。

 なお,伊藤博文の『憲法義解』は,大日本国憲法20条について,明治「5年古制に基き徴兵の令を頒行し,全国男児20歳に至る者は陸軍海軍の役に充たしめ,平時毎年の徴員は常備軍の編制に従ひ,而して17歳より40歳迄の人員は尽く国民軍とし,戦時に当り臨時召集するの制としたり。此れ徴兵法の現行する所なり。本条〔大日本帝国憲法20条〕は法律の定むる所に依り全国臣民をして兵役に服するの義務を執らしめ,類族門葉に拘らず,又一般に其の志気身体を併せて平生に教養せしめ,一国雄武の風を保持して将来に失墜せしめざらむことを期するなり。」と解説していました。美濃部的には,大日本帝国憲法20条は,「志気身体を併せて平生に教養」して「一国雄武の風を保持」するという「臣民の道徳的本分を明にする」ものにすぎない(美濃部『憲法精義』351352頁),ということでしょう。

 

2 1938年の兵役法紹介

 前置きが長くなりました。

前回(20141115日)の記事(「離婚と「カエサルの妻」」補遺(裁判例紹介)」)を書いていて,描写が又太郎の愛情生活に及ぶうちに,先の大戦中における我が臣民の兵役への服役状況が気になりだしたのですが,今回は,当時兵役義務について定めていた兵役法(昭和2年法律第47号)等についてのお話です。

 なお,そもそも兵とは,美濃部達吉によれば,「単に公務を担任する義務を意味するのではなく,忠実に無定量の勤務に服すべき公法上の義務」であるところの「公法上の勤務義務(öffentliche Dienstpflicht)」を国家に対して官吏と並んで負う者です。兵と官吏との相違は,「一に兵は臣民たる資格から生ずる当然の義務として其の関係に立つものであり,仮令本人の志願に依つて現役に服する場合でも,それは唯義務の変形であるに止まるに反して,官吏は一般臣民の法律上の義務に基づくのではなく,常に本人の自由意思に依る同意に基づいてのみ任命せらるるものであることに在る。」とされています。(同『日本行政法 上』(有斐閣・1936年)676-677頁)

 

兵役法の主要規定は次のとおりです(19389月当時)。

   

 第1条 帝国臣民タル男子ハ本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス

 第2条 兵役ハ之ヲ常備兵役,後備兵役,補充兵役及国民兵役ニ分ツ

 ②常備兵役ハ之ヲ現役及予備役ニ,補充兵役ハ之ヲ第一補充兵役及第二補充兵役ニ,国民兵役ハ之ヲ第一国民兵役及第二国民兵役ニ分ツ

 第4条 6年ノ懲役又ハ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタル者ハ兵役ニ服スルコトヲ得ズ

 第5条 現役ハ陸軍ニ在リテハ2年,海軍ニ在リテハ3年トシ現役兵トシテ徴集セラレタル者之ニ服ス

 ②現役兵ハ現役中之ヲ在営セシム

 第6条 予備役ハ陸軍ニ在リテハ5年4月,海軍ニ在リテハ4年トシ現役ヲ終リタル者之ニ服ス

 第7条 後備兵役ハ陸軍ニ在リテハ10年,海軍ニ在リテハ5年トシ常備兵役ヲ終リタル者之ニ服ス

 第8条 第一補充兵役ハ陸軍ニ在リテハ12年4月,海軍ニ在リテハ1年トシ現役ニ適スル者ニシテ其ノ年所要ノ現役兵員ニ超過スル者ノ中所要ノ人員之ニ服ス

 ②第二補充兵役ハ12年4月トシ現役ニ適スル者ノ中現役又ハ第一補充兵役ニ徴集セラレザル者及海軍ノ第一補充兵役ヲ終リタル者之ニ服ス但シ海軍ノ第一補充兵役ヲ終リタル者ニ在リテハ11年4月トス

 第9条 第一国民兵役ハ後備兵役ヲ終リタル者及軍隊ニ於テ教育ヲ受ケタル補充兵ニシテ補充兵役ヲ終リタル者之ニ服ス

 ②第二国民兵役ハ戸籍法ノ適用ヲ受クル者ニシテ常備兵役,後備兵役,補充兵役及第一国民兵役ニ在ラザル年齢17年ヨリ40年迄ノ者之ニ服ス

 18 第5条乃至第8条,第9条第1項及第10条〔師範学校卒業者の短期現役兵〕ニ規定スル服役ハ其ノ期間ニ拘ラズ年齢40年ヲ以テ限トス

23 戸籍法ノ適用ヲ受クル者ニシテ前年12月1日ヨリ其ノ年1130日迄ノ間ニ於テ年齢20年ニ達スル者ハ本法中別段ノ規定アルモノヲ除クノ外徴兵検査ヲ受クルコトヲ要ス

②前項ニ規定スル年齢ハ之ヲ徴兵適齢ト称ス

 32条1項 身体検査ヲ受ケタル者ハ左ノ如ク之ヲ区分ス

  一 現役ニ適スル者

  二 国民兵役ニ適スルモ現役ニ適セザル者

  三 兵役ニ適セザル者

  四 兵役ノ適否ヲ判定シ難キ者

 34 国民兵役ニ適スルモ現役ニ適セザル者ハ之ヲ徴集セズ

 54 帰休兵,予備兵,後備兵,補充兵又ハ国民兵ハ戦時又ハ事変ニ際シ必要ニ応ジ之ヲ召集ス

 

 兵役法1条及び9条2項の意味は,「内地人たる男子は満17年に達するに因り,何等の行為を待たず,法律上当然に兵役義務に服するのであるが,此の意義に於ける兵役義務は,現に軍事上の勤務に服する義務ではなくして,唯国家より勤務に服することを命ぜられ得べき状態に在るに止まる。・・・随つて又兵役義務に服する者の総てが軍人であるのではなく,唯或る条件の下に其の自由意思に依らずして軍人となるべき地位に在るのである。」ということになります(美濃部達吉『日本行政法 下』(有斐閣・1940年)1321-1322頁)。

手元の辞書を見ると,ラテン語のjunioresの定義は,“les plus jeunes=les jeunes gens destinés à former l’armée active, de 17 ans à 45 ans, les citoyens capables de porter les armes”となっていて,古代ローマでは17歳から45歳までの男性市民は武器を執って軍務に服すべきものとされていたようです。40歳で打ち止めとする大日本帝国(兵役法92項,18条)は,若者には古代ローマ並みに厳しいものの,中年には優しかったということになります(それとも日本男児には早老の気があるということでしょうか。)。

 兵役法4条は,兵役に服することの「権利たる性質を明示して居るもの」です(美濃部『日本行政法 下』1322頁)。また,「兵役義務は憲法に定むる義務であるが,兵役義務に服するが為に刑罰に服する義務を無視することの出来ないことは勿論で,兵役に服することが出来なくなつても,尚刑罰に服しなければならぬ」ところでもありました(美濃部『憲法精義』353354頁)。すなわち我が軍には「囚人部隊」というものはなかったわけです。

徴兵検査は「(1)身体検査(2)身上に関する調査(3)徴兵処分の三を包含し,徴兵官がこれを行ふ」ものとされていました(美濃部『日本行政法 下』1324頁)。

徴兵検査後の兵役の流れには,次のように大きく3系統がありました。太字部分が常備兵役です。「「常備兵役」は軍編成上の骨幹を為す兵員を包含する兵役で,常時国防の義務ありとの観念に立脚せるもの」です(日高巳雄『軍事法規』(日本評論社・1938年)2頁)。

 

現役→予備役→後備役→第一国民兵役

 ②第一又は第二補充兵役→第一又は第二国民兵役

 ③第二国民兵役

 

この外,「兵役ニ適セザル者」(兵役法3213号)があって,兵役を免除されました(同法35条)。

現役兵が「現役ニ適スル者」であることは当然ですが,補充兵もまた「現役ニ適スル者」であるものとされています(兵役法8条,331項・3項。補充兵のうち第一補充兵は現役兵闕員の場合の補闕要員となり(同法481項),また,教育のため召集されることがありました(同法571項)。)。

これに対して,第二国民兵役に服する者はそもそも現役に適さない者(兵役法3212号の「国民兵役ニ適スルモ現役ニ適セザル者」)ということになります。なお,兵役法34条の「徴集」は,ここでは現役又は補充兵役編入を決してこれを本人に通告する行為の意味と解されます(日高12頁参照)。

さて,徴兵検査中の身体検査の結果区分(①現役に適する者,②国民兵役に適するも現役に適せざる者,③兵役に適せざる者及び④兵役の適否を判定し難き者(兵役法321項))の標準は勅令で定めるものとされ(同条2項),兵役法施行令(昭和2年勅令第330号)68条1項1号の第2項は「現役ニ適スル者ハ其ノ体格ノ程度ニ応ジ之ヲ甲種及乙種ニ,乙種ハ之ヲ第一乙種及第二乙種ニ分ツ」と,同条1項2号は「国民兵役ニ適スルモ現役ニ適セザル者」を「丙種トス」と,同項3号は「兵役ニ適セザル者」を「丁種トス」と,同項4号は「兵役ノ適否ヲ判定シ難キ者」を「戊種トス」と規定し,更に同条2項は「疾病其ノ他身体又ハ精神ノ異常ニ因リ第一乙種,第二乙種,丙種又は丁種ト為スベキ細部ノ標準ハ陸軍大臣之ヲ定ム」と規定していました。

すなわち,甲乙ならば現役に適して現役兵又は補充兵であるのに対し,丙ならば第二国民兵であって徴集されず,丁ならば兵役免除となる,というわけです。

ところで,昔から視力検査となると0.1が見えずにじりじりと前に進んでは恥ずかしい思いをしていた筆者は,徴兵検査を受けたならば,丙種で第二国民兵相当だったようです。すなわち,兵役法施行令68条2項に基づき制定された陸軍身体検査規則(昭和3年陸軍省令第9号)の制定当初の規定によれば,同規則18条4項は「各眼ノ裸視力(以下単ニ視力ト称ス)「0.6」ニ満チザル者ハ甲種ト為スコトヲ得ズ」と規定している一方,同規則6条1項本文(「疾病其ノ他身体又ハ精神ノ異常ニ因リ第一乙種,第二乙種,丙種及丁種ト為スベキ標準ハ附録第2ニ因ル」)に基づく附録第2の表の第18号を見ると,「近視又ハ近視性乱視ニシテ視力右眼「0.4」左眼「0.3」以上ノモノ及5「ヂオプトリー」以下ノ球面鏡ニ依ル各眼ノ矯正視力「0.6」以上ノモノ」は第二乙種であるのに対し「近視又ハ近視性乱視ニシテ球面鏡ニ依ル矯正視力良キ方ノ眼ニテ「0.3」以上ノモノ」が丙種であり,「近視又ハ近視性乱視ニシテ球面鏡ニ依ル矯正視力良キ方ノ眼ニテ「0.3」ニ満タザルモノ」は丁種だったからです。

なお,上記陸軍身体検査規則附録第2の表の第15号には不思議な規定があります。「著シキ頭蓋,顔面ノ変形」のある者及び「全禿頭」の者は丙種とされ,その結果第二国民兵になるというものです。毛が無いと軍隊で怪我無いことになるということのようですが,どういうことでしょうか。兵役法33条2項においては,現役兵及び第一補充兵の属すべき兵種は「身材,芸能及職業ニ依リ之ヲ定ム」るものとされ,「身材」とは「独り身体と謂ふのみでなく容姿,気品等を包含する」とされていますから(日高17頁),「全禿頭」の者は身材的に難ありということだったのでしょうか。陸軍の軍医であった森鷗外の小説『金貨』(1909年)には「八は子供の時に火傷をして, 右の外眥(めじり)から顳顬(こめかみ)に掛けて, 大きな引弔(ひつつり)があるので, 徴兵に取られなかつた。」というくだりがあります。著シキ顔面ノ変形の一例ということでしょう。

 

 とこの辺で,本件記事は一つのブログ記事として掲載するには分量が多くなり過ぎたので前編を終わります。続きは後編をどうぞ。

 

 

弁護士 齊藤雅俊

大志わかば法律事務所

(弊事務所の鈴木宏昌弁護士が,週刊ダイヤモンドの20141011日号において,労働問題,損害賠償事件等に強い辣腕弁護士として紹介されました。)

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